Tumgik
shstm3 · 3 years
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賽は筆より
刀神は多種多様なれど、どれしも人の手により鋼から生み出されたものなれば須くその身を俗世に馴染ませるものである。しかして、この者ほど俗に満ちたものもそうそうお目にかかるものではないのではないか。
「おお、丁度いいところに!眼帯女!」
そう不躾に声をあげるのは刀神の中でも一癖とんで三癖、七癖、問題児と名高い百家楽である。爛々と黄金の瞳を燻らせ不敵に笑う姿は、成程あまり関わり合いになりたいものではない。そんな相手に目をつけられた憐れな獲物といえば、つい先程まで巡回の任を共にしていた神木苓であった。柔らかい橙を透かしたようなロングの髪に色素の薄い灰鼠色の瞳。それを塗りつぶすかのように顔半分を覆う大きな眼帯に、烏羽を纏ったかのような真黒いコートがやはり彼女も一筋縄ではいかない様を表していた。
無粋な声がけに、神木は意外にも気にした様子もなく返事を返す。
「なんだい大きな声だ。なんぞ面白いものでもあるのか?」
共同任務が終わった途端、そそくさ姿を消したくせに社に戻ればこれである。
やれやれといった体で側にいくのを、百家楽は遅いと言わんばかりに身体を上下させた。
「はよう来ぬか、全くしょうがないニンゲンじゃ。まあよい、今日の我は寛大だからの。ククク……」
いつになくはしゃぐ百家楽。帰りに駄菓子を買ってやったのがそんなに嬉しかったのだろうかと思案する神木の目の前に、ずいとだされたのはキラキラと光る一本のエンピツだった。
「じゃ〜ん!!どお?どお?カッコいいじゃろ?」
誇らしげな百家楽は、勢いそのままにそのエンピツが如何に凄いものか揚々と語り出す。
「これはな、とってもレアで“ぷれみあ”というやつがついておるのじゃ!ククク!!我も滅多に使わないんじゃけど、ピカピカでな、強そうじゃろ。手に入れるのも一苦労での。橋の下にツテがあって、まあそこはよいのじゃがじつはの、これの効果も凄くての」
そうして語る百家楽を横に、神木は差し出されたエンピツに目を向けた。
表面にはホログラム加工を施され、先に竜のようなモンスターのキャラクターが印刷してされている。細い面のひとつひとつに細かく文字が書かれていて転がすことで効果を競って遊ぶのだ。なんとも懐かしいようなそれは文具まで玩具へと取り込まんとする、娯楽にかけた熱い商魂の塊である。しかし、かなしいかな。神木にとってはただの文具でしかなく、また削られていない状態であるなら尚のこと、もはや文具にすら劣る木の棒であり、攻撃力は皆無であった。それでも嬉々と話す様子に、そういうものかと蛍光灯の明かりを弾く棒をみつめていれば、今度は百家楽が神木の方をみる。
「とかいっても眼帯女には分からぬじゃろ。なぜそうやって興味を持つのだ?」
そもそも自分から振っておいて大層なものだが、百家楽には長らくこれが疑問であった。
大抵の刀遣いは興味がなければ目もくれないし、よしんば話しを聞いたとて小馬鹿にされるのが関の山。それに比べて神木は到底この類いの娯楽に明るいようにも思えないのに、なにかにつけいつも話を聞いてくれる。刀遣いにしてはなかなかに珍しい部類のニンゲンだった。
「うーん。なんかキレイだから?まあ鉛筆バトルとかいうのはよく分からんけど。ピカピカしててキレイでいいじゃん。そんで君はそれを私にみせてくれたんだろ?じゃあちゃんとみてやらないと、失礼じゃないか」
神木はあっけらかんと言い放つ。なんとも大雑把な理由である。
「うむうむ、眼帯女はわかっておるの」
単純すぎるともいえる回答に気を悪くすることなく百家楽は頷いた。
「同じじゃよ。我がニンゲンとこうしてやるのも、己にとっての“ぷれみあ”エンピツも同じじゃ」
黒染めの手の中でキラリとエンピツを転がす。
「道楽じゃ。我らが神と冠するにしては甘く使役されておったとて、ニンゲンの命も妖魔の出現も我にはただの道楽よ」
組織の中で口にするには大其れた言葉を賽のように簡単に投げ放つ百家楽はやはり札付きの問題児に違いないのだ。それもヒトの常識での話だ。いくら人の手を介するといったところで所詮は神と人。次元の違う認識が並び立つことはない。
「しかし道楽にも礼儀がなくてはならぬ。娯楽には規律があるように。だからこそ遊びは愉快なのじゃ。」
ヒトの命と娯楽。同じ天秤に並べるのは些か抵抗があるものだ。
だが百家楽は娯楽により生まれ、形を成し、姿を顕にするもの。
遊びは百家楽の存在そのもの。それはつまり命といって遜色ない。
いや、そもそもそんな大層な話ではないのかもしれない。とどのつまり、それが性分なのだから仕様がないのだ。重きも軽きも、賽の上ではみな等しく。
百家楽は手慰みにしていたエンピツを、ホイと投げる。
手から離れたエンピツは緑に光を弾いて転がっていった。
床に落ちたエンピツに記されていたのは「一回休み」の文字。
「ウーーーーーなんじゃあ!ついてないのう!」
悔しげな百家楽に、神木はカラカラ笑いながら、ついでというふうに先ほど渡された報告書を押し付けた。
「一様君にも書いてもらうよ。エンピツ、沢山あるんだろ?」
少し意地悪げに笑う神木に、やはり今日の出目は良くないのだと“賽”を投げたのだった。
余談だが小学生の日記にすら満たない稚拙な報告書に再提出が言い渡されたのは想像に難くない話である。
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shstm3 · 4 years
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ダイビング・イン・ザ・ナイト
月の明るい夜、マルタはよく海に散歩に出かける。太陽の下でジリジリと焼かれた砂は、静かに光を吸い込んで波のざわめきだけが、寄せては返しを繰り返している。
いつもとは違ういつもの道を楽しそうに歩くマルタの横に寄り添いながら砂を踏む。細かなカケラが進むたび足の裏から降り落ちてはまた張り付いた。表面の少し熱を帯びた下の、冷えつく層がシンとした夜を引き寄せる。
「今日は本当に綺麗な満月だねえ」
シミジミといった風に空をみながら歩くマルタ。昔の癖であしもとを伺ってしまうけど、そういえばマルタも随分しっかり歩くようになったなあだなんて、少し偉そうにおもった。
「マルタ、満月のたびにいってるよ、それ」
「嘘、そんなことないさ」
「いってるよ。なんなら満月じゃなくたっていってる」
そうやってけらけらいい返せば、そんなはずないと意固地にいいはっていたけど、揶揄う声に遂にマルタまで笑いはじめた。2人ゆっくりと砂を蹴りながら進む。マルタはやっぱりどこか上機嫌にでも、と続けた。
「もしそうだとしても、何度みたってやっぱり綺麗だって思わずにはいられないよ。お天道さんもいいもんだけど、直���みたら目が焼ける。それと比べたら、ひたすらに優しくてさ。そのクセあんな小さくみえる岩の塊が、ここいら全部を照らして空に浮いてるなんてなんだかすごく不思議ですてきじゃないかい?」
なによりと両手を広げて海へ駆けながらこっちを振り返る踊るように揺れる足取りを追う。
「ほら、2つめも」
笑いながらいうマルタの後ろ、真っ黒な夜空を映した海に、綺麗に浮かぶ白い円。真上の姿より曖昧に揺れる丸は小さな真珠の粒のようだった。
「なんだか今日は気分がいいから、ひと泳ぎしていこうかね」
マルタが眼前の闇を見つめて悪戯にいう。
「ドドはここで待ってなね。あんた上手くなったっていっても夜の海で泳げるほどじゃあないんだから」
そうやって少しお姉さんぶるその目はもう海へと釘付けだ。
いやだなあ。
目の前に広がるのが、真っ黒なインクだったら、マルタは駆け出さないだろうか。
離れていきそうな手を握って引き止める。
「泳ぐなら明日にしよう。やっぱり暗くて危ないよ」
今度は心配性だってあきれ顔でからりと笑った。
「こんな明るいなら昼と変わらないよ。心配しなくても最近陽気もいいし、水も暖かいはずさね」
「でも昼間より波の様子までははっきりみえないし、天気だってこれからかわるかもしれない」
頑なに引き止めるのを珍しく思ったのだろう。きょとんとした目を数回瞬くと、しょうがないとでもいう顔で、じゃあ今日はやめておくとぎゅっと僕の手を握り返した。
さざ波だけが響いて、真珠をかき乱す。
「ねえマルタ」
ひとりで海にいかないで。
時々ひどく怖くなるんだ。
キミがあんまりに自由でいるから。
波に流されるみたいにどこかへみえなくなってしまうんじゃないかって。
とてつもなく広がる海がきみを飲み込んでしまうようで。
貝が真珠を隠すみたいに、深い水底にきみを隠してしまうかもしれない。
輝く宝物はいつだってどこかに隠されてしまうものでしょう。いつものお日さまの下なら紛れてしまえるその光が、夜にはあんまり眩しく目立つから。ボクはなんだか落ち着かなくて、不安になるんだ。
いつかの水の中、きらめくオパールの光が揺らめく赤毛の隙間から、ジッと見つめたのを何度だって夢でみる。
白い拘束を解いたあのおぼつかない足先が、ひらりと舞う尾びれのように海をかき分けて進むのを、ボクは必死で追いかけている。草原を走るときのようにもがいても水に絡めとられて、たくさんの足がもつれるばかり。どうしてこんなに苦しいのか、マルタが陸を歩くのもこんな気持ちなのだろうか。どうか置いていかないでと目がさめるとき、汗に溺れた身体が寒くてたまらなくなる。
そして横で眠るきみに抱きつけば、微睡んだミルク色の瞼の下でそっと微笑みながら、小さな腕でぼくを抱くんだ。
ねえマルタ。ボクの知らないきみがこれ以上増えませんように。そんな意地悪なお願いを月に祈ってしまうのを、きっと君は知らない。朝日の中の僕のオパール。光るならどうか僕の眼の中がいい。そうしてまた、夢に溺れる。
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shstm3 · 5 years
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青空の下、サヨナラを
「ここを出て行くことにしたんだ」
真新しい黄色のリボンがほんの少し胸に馴染んだ春先のこと。 カーテン越しの少し薄暗い光のみちた部屋で、メドラはいつもと変わらず、目線は手元の文字に向けたままなんてことのないようにいうのでした。
晴天の霹靂。マルタは耳を疑ってしまいました。音を聴き違うなんてそんなこと滅多にないものですし、あのメドラが冗談をいう訳もありません。それでもやはり飲み込めないくらい、それは突拍子もない一言だったのです。
束の間にざわめいた沈黙に、相変わらず不愛想に紙をめくる音が響きました。
何事もなかったかのように沈黙がまた広がるのを、どうしたらいいのか。 なんだか背中に嫌な感じのするのを振り払うように、マルタは口を開きました。
「で、出て行くって。まだ授業がのこっているでしょう」
少し調子を取り直して、まず当たり前のことを聞き返します。だってまだ学期の只中。卒業するまで、お休みの日以外は出ていっちゃいけないってみんな知っているのに。
「関係ないさね。もう学ぶだけ学んだし、あたしがここに残る理由はもうないのさ」
そうやっていつもの調子で淡々と口にしたメドラ。 頓珍漢なくせにスジが通っているようないつもの語り口は、やはりメドラがさっき放った言葉が聞き間違えなんかではなかったとマルタにまざまざと突きつけたのでした。
あんまりのことに二の句も告げられずにいるのを尻目に、ページを捲る手が止まったかと思えば、珍しくいいよどんかのような、ひとりごとにすら聞こえる小さな声が続きました。
「いや、もう理由なんてずっとなかったんだ。ただ、あたしの中でけじめがつかなかっただけ。思っていたよりあたしは臆病者だったのかもしれないねえ」
初めてのことでした。メドラが弱音を吐くなんて。真昼間のお日様が夜中に飛び出るより、海で獅子が走り回るより、山の上でクラーケンが歌を歌うよりも絶対に起こりっこないと思っていたことなのです。背筋に纏ったいやなモヤモヤがずるずると降りてきて今度は足元をグラグラと揺さぶるようで、マルタは握ってるかも分からなくなった掌でスカートの裾にシワを刻みます。ぼんやりしていたメドラの目線が、静かに吸った息と一緒に上がり、深い青色がオパールの瞳を捉えました。
「でももう時間がきた。もう、十分すぎるほど時間をかけたんだ。それに案外あたしも堪え性がなかったみたいだ」
そうして今度こそはっきりと顔をあげていうメドラにはさっきのよわさの欠片すら見受けられませんでした。久しく見ていないほど清々しい顔つきに、マルタはまだずっと幼かったときのぶっきらぼうなメドラを思い出しました。ああ、この懐かしい顔は、エルダねえさまと一緒にいたときのメドラです。どうしてずっと忘れていたのでしょうか。あんなに当り前のものだったはずだったのに。
「お前はわたしたちの一等かわいくないかわいい後輩だからな。発つ前くらい教えてやろうと思ったんだよ」
いつもと変わらないすっとした瞳でマルタをみるメドラの顔は、またマルタのみたことがない柔らかさをたたえて、一体全体何が起きたのか、マルタの小さな頭をひっちゃかめっちゃにしていくのです。
こうして穏やかな春の日に落とされた天変地異の呟きは、置いてきぼりのマルタを残し、静かな日影の部屋に転がり落ちたのでした。
それから一体どうしたか、真っ白で良くわからないまま気づけばマルタは今までで一番の速さで走り出していました。だって天井や壁で囲まれた狭い建物の中では、体の奥から湧いて溢れそうななにかを抑えることなど到底できそうもなかったのです。重い足を前に進めるのがこんなにももどかしかったことがあったでしょうか。空気は足に絡みついてまるで波に逆らって歩くようです。息が切れるのも気づかないで、ひたすらに足を運んでそうして一生懸命に駆け上がった先、屋上の扉を開けると一面の青空が広がっていました。開けた拍子の扉の壊れんばかりの悲鳴も、ハアハアと荒く上がった息の音さえマルタの耳には届いていません。
ただどこまでも、青い青い快晴の下でやっとマルタは顔を上げたのでした。
空が眩しいのです。さっきまでいた書庫の薄明かりになれた目にはあまりに鮮やかな光に眉間にシワを寄せて、思わず息まで詰まりました。それはさっきまで胸の真ん中でつかえていたナニカと重なってついにこぼれ落ちたのです。
ぽたりと溢れた滴が頬を撫ぜると、後から後から続いていきます。
「ひっ」
こんなに空が高いのに、息がうまく吸えないで、溺れているような声が漏れました。
あらあら。こんなお天気なのに、大雨を降らせて忙しい子ね。
エルダの声が聞こえたような気がします。だいすきな、だいすきなわたしのおねえさま。水浸しの顔をやさしく拭ってきっと抱きしめてくれるのです。ああいまここにに彼女がいたらと何度思ったことでしょう。そしてそう思ったのはマルタだけではないのです。ずっと、マルタの側で誰よりも寂しい思いをしていた人がいたと、マルタやっと気がつきました。
華やかに晴れやかに旅立ったエルダについていけたらと、溺れるほど泣いて願った小さな自分を忘れたことなど一度もありません。それほど愛おしく、大好きな相手でした。
ただ メドラの方がその何倍も気持ちが強かっただけなのです。わたしが焦がれるよりずっとずっと。メドラはエルダに会いたかったに違いなかったのです。それが運命というものなのでしょうか。それなら、今マルタの胸にある寂しさはどうって事ないちっぽけなものなはずです。
それでも、今マルタの胸を刺すのはどうしたってメドラの事でした。エルダのようにマルタを置いていくメドラが初めて自分をちゃんと大事な後輩だと口にした甘さがマルタの頭から離れずにいるのです。それでも決して自分を選んではくれないことの苦さを伴いながら。
なんて罰当たりな、やさしい恋慕でしょう。たった今気づいたそれはどうしたって叶うはずもなく、それでいて捨て去ってしまうにはあまりに愛しいものでした。
だいすきなおねえさま、どうか馬鹿なマルタに呆れてくださいな。
好きな人が好きな人を好きでいること。単純に生きてきたマルタにとってこんなややこしい思いを抱え切れるはずもないのです。それでも、じぶんのワガママを押し付けるには、ふたりはマルタにとって大切がすぎました。そもそも自分が何をいったとして、メドラは旅立っていくでしょう。だって、マルタが好きになったのはそんなメドラなのですから。エルダと一緒にいるときの、ほんの少しカドの取れた空気。棘のある言葉の中に隠れた沢山の慈しみ。そういうメドラにマルタは恋をしたのです。
だからこの気持ちはここでおしまい。マルタの胸の外、こぼれていいのはこの青空の下だけなのです。今、引きつって苦しい���も、止まらない涙も、無駄というには抱える時間が長すぎて、言葉にするには遅すぎました。だから今だけ。たったひとりさよならをするのです。
春の優しく広がる青い空は、小さな海に滲むとても穏やかな恋の終わりをただずっと、ずっと見守っているのでした。
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shstm3 · 6 years
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ドランの雲のテラスにて
これはまだ赤毛の女の子がその背を伸ばして歩き出す、少し前のお話。
「そこ、どいてくれる」
くせの強い髪をバンドでまとめた少女がきっとした目をむけ、廊下でたむろう生徒たちの間を通り抜けていきます。補助装具をつけた足を重そうにたどたどしく歩く様子に手を差し出そうとするのをはねつけるように、刺々しい空気をまとう彼女こそ、今は晴天ハツラツとしたマルタその人なのでした。親元からはなれ、学園での共同生活は足の不自由なマルタにとって、ただ楽しいだけではありません。世界中あちこちから集まるたくさんの生徒。何もかめずらしく、そしてどこかうらましいもの。ことさら、今までとちがう海から離れた陸地での生活はまだちいさい女の子をひねくれさせるには十分でした。それでもなんとか2年生。初々しい一年生たちが新しい生活に顔をきらめかせる横で、マルタはすっかり仏頂面が板についてしまいました。それでもそのマルタが顔をほころばせる、そんな相手がここに。
「エルダねえさま!」
ふり返ったその人のゆったり長い髪が空気を含んで広がります。青色のリボンをつけた少女こそ、マルタのだいすきなおねえさま。入学当初、まだまだなにもかもなれない子どもたちへの手助けとして導入されているクラインとマイスター制度。みぎもひだりもわからないマルタの手をとってやさしく教えてくれたのが、マイスターのエルダでした。ひとりっこだったマルタにとってエルダははじめてできたおねえさん。それもまるで勝手の知らない場所で頼れるたったひとりですから(もちろん先生だって手助けはしてくれますけれど、やっぱり家族やおともだちのように近しくはなれないでしょう?)すっかり懐いて、姿がみえるとこうして甘く表情がほころんでいきます。
「まあまあ、マルタ。ご機嫌よう。今日も素敵な髪飾りね」
エルダのやさしく優雅な声が耳をくすぐり、金色を紡いだようなお日様の光をまとった髪からはとってもいい香りがただよってきます。(上級生はいつだって下級生にとってとても大人でなんだかとくべつに映るものです)ああどうしてこんなにすてきなのでしょう。わたしだってあんな女の子らしい髪の毛だったら。マルタがちくちくと広がる髪が急に少しはずかしくなって髪の先をつまんでいじくるのを、エルダはほほえましげにみつめました。
「あの、エルダねえさまはなにもしなくてもすてきだから」
「あらあら、まあまあ。とってもうれしいことをいってくれるのね。ありがとう。でも私もマルタもそのままで素敵だと思うわ」
そう声をかけてくれるエルダはいつだってマルタにとってあこがれのひとなのです。
「それにしてもマルタ、もうお昼だけれどお食事はもうすませたの?」
エルダはとてもすてきなおねえさんですが、ときどきこうしてマルタにとってこたえにくいことを聞いてくるのでした。というのもエルダにとってマルタはどこにだしたって恥ずかしくないかわいらしい後輩でしたけれど、すこし意地っ張りなところを心配していたからです。今だって他のおともだちが外でお昼ご飯を食べたり、遊びまわったりする賑やかな声が聞こえるのに、ひとりで中庭を抜ける廊下を歩いてきたものです。案の定、ちょっと気まずい顔をのぞかせるマルタに、どうしたものかと思うところはあるものの、このままひとりでさみしいお昼を過ごす後輩を放っておけるほど厳しくもないエルダはまたいつものように提案をしたのでした。
「もしよかったら一緒にいらっしゃい。私もこれから食べるところなのよ。マルタがいやでなければの話だけれど」
「そんないやだなんていうわけない!エルダねえさまといっしょにお昼、たのしみ!」
「よかったわ。じゃあいきましょうか」
すっとさりげなくマルタの手をひいて歩くエルダの横でさっきまでの顔はどこへやら、そこにはクラインらしくニコニコとごきげんのマルタです。その足取りは不自由さを忘れたように軽やかに進んでいくのでした。
中庭の先、螺旋階段を幾つか登り、まだマルタには迷路のように感じる学園を迷わず進んだ先には、エルダのお気に入りのテラスと、そして先客。
「また連れてきたの?」
そうやってそっけなく訪ねるのはマルタの天敵、そしてエルダの運命の相手であるメドラです。優しいエルダとうってかわって、メドラはいつもいじわるばかり。せっかくのねえさまとふたりきりの時間をじゃまばかりするのです。それにいまだって、あんなことをいってきたのにマルタのことなんてまるで気にしないようで目すらあいません。
「まあ、やきもちかしら?あんまり私のかわいい妹をいじめないでちょうだいな」
「いってなよ。中途半端な甘やかしでひとをだめするのはあんたの十八番じゃないかい」
「あらあらひどいひと」
「どちらさんのことかね」
そうやって軽口を交わし合う様子はとても親しげで、マルタはいつだってのけ者にされた気持ちになります。いまもウキウキとした足がテラスの入り口で足踏みにかわってしまいました。
「マルタ、ほらいらっしゃい」
そんなときはいつだってまたこうしてエルダが気にかけてくれるので、なんだかんだと3人の時間はマルタの当たり前のひとつになっているのでした。
今日はとてもいい天気。青い空に少しだけ浮かぶ雲がまるで絵画のようです。
エルダが連れてきてくれるところ、教えてくれることはいつだって内緒で集めた宝物のようで、マルタもすてきになったような気になれました。おだやかな風が雲を運ぶのをみながらゆったりと用意されていたサンドイッチをつまみます。柔らかく刻まれた玉子とシャッキシャキのレタス。真っ赤なトマトが食べていわんばかりなのを、ふわふわのパンがとじこめるのです。不思議なことに、メドラはマルタにこれっぽちの関心もくれないけれど、こうしてごはんを食べるときはちゃんと3人分用意されているのでした。上品にサンドイッチを口に運ぶエルダの横、本を片手に紅茶を口に運ぶメドラをこっそりマルタはみつめます。メドラはエルダとはまるで正反対の深い藍色にもみえるまっすぐな黒髪を切りそろえていて、まるきりそのままのするどさを身にまとっているのです。底の見えないひとみは、かつてママともぐったどこまでもしずかでとおい海の底を呼び起こします。だからどうしてだかマルタはメドラと目があうとなんとなくどきどきしてしまうのでした。
なんだか目を離せなくて観察しているうち、ふとページにふせられていた目が上がったのが視界のはしにうつって、マルタは慌ててパッと目をそらしてしまいました。気まずさをごまかすままに手元のサンドイッチがきらきらとみずみずしいのにかぶりつきます。こんがりと焼けてるサクサクの表面をぬけてじんわり広がるトマトの甘さに、コショウのきいた玉子が絡んでほっぺがおちていきます。でも落ちたのはほっぺだけではなかった様子。サンドイッチのおしりからポタポタとマルタの胸元に汁がこぼれてしまいました。
「あらあらたいへん、マルタ制服がよごれてしまって」
すぐに気がついたエルダがナフキンでとんとんとよごれを落とそうとしてくれますが、なかなか落ちないがんこなシミです。これはいちど脱いでちゃんと洗おうかというとき、すっとテーブルから身を乗り出したメドラが服をなでるように覆いました。ほんの一瞬あたたかいような気がしたあとのけられた手の下にはピカピカの制服。
「こぼすならナプキンくらい先につけな」
そうぶっきらぼうにいうと席に腰を下ろして読書にもどってしまいました。
マルタはびっくりして胸元に手をあてます。だって、いままであったよごれがまるで花びらでも払ったかのようにきれいになくなっているし、なによりあのメドラがマルタの為にしてくれたなんてとうてい信じられなかったのです。ぱちくりと猫目をまたたかせて、今度はメドラをうかがいますが、いつも通りメドラはそこに誰もいないように自分の世界のなかにかえってしまっていました。あんまりにもびっくりしたマルタはとっさになんといったらいいかわからなくて、おもわずエルダの方を向くのでした。一方、困った顔を向けられているはずのエルダはなにかうながすようにだまったままマルタをみつめ返すだけです。しばらくもごもごとところなさそうにしたあと、思い切ったようにマルタは口を開きました。
「あの、メドラ……その、えっと。あ、ありがとう」
なんどもつっかえて最後はしりすぼみになってしまった一所懸命の感謝に、メドラは本から目をはなしもしないでしばらく黙ったあと、
「先輩には敬語」
そう一言だけいいました。
その様子をじっと見ていたエルダはマルタの肩をやさしく抱いて、ちゃんとお礼をいえたかわいいこに寄りそいます。
「よかったわね、マルタ」
エルダがやさしくほほえむのははたしてマルタになのかメドラになのか。
こうしていつものお昼はゆっくりとながれていくのでした。
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shstm3 · 7 years
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図書室ではカミナリが鳴る
まる、ぽたぽたと。ころりん。
 窓の向こうから飛び込む雫は顔に当たる前にぱちと弾けて滲む。ここ最近雨ばかり続いて心なしか学園内はしんみりとしていた。外に出れない生徒たちの行き先は自ずと限られてくるものの、常とは違った場所で騒ぎが起きたり、はたまたあまり代わり映えなく時間が過ぎていく。
 さて、ここは図書室。とはいうものの、有り余る蔵書の数にそれはもはや書庫の体をしているのだけれど、いつもより少し多い生徒たちで賑わうこの場所に、あまり馴染みのない顔がみうけられた。退屈そうとも物思いに耽っているともみれる姿。少し奥まった通路の端に腰掛ける彼女は、窓に叩きつける雨粒をじいっと見つめるのであった。きらきらと光を翠がかった虹色に映す大きな瞳が、ぱちくりと瞬きをする。その勢いにおされたかのように雨粒がぽろぽろとガラスを滑っていくと、空いた場所にはもう次の雫が張り付いていた。すべり溢れる水の動き。さあとはるか上から降り注ぎ音すら消えるような遠い地面へと去っていく雨。叩きつけられ弾けて散り散りにかわるカタチ。
 とことこと指が窓べりを滑り、音を奏でると、窓を叩く雨と解け合い、音楽へと昇華していく。オーケストラの指揮者のように、音に身を浸して波を絡めとる。ぴんとはった箒のような髪の毛が、湿気を吸ってふさふさと広がる様は、まるで音を集めるアンテナようだ。もうマルタの意識は雨の世界に飛び出していた。 
そんなマルタを囲う本棚の先、ひょっこりと、レモン色が覗く。ピカピカの瞳とはち切れんばかりに振れる尻尾をみれば、なにを問わずとも分かるほどに彼女の気持ちを代弁している。しんと静まり返ったこの場所で実際に聴こえるのは、マルタの奏でる小さなドラムだけ。それでも音の海の底に身を投げるマルタをみれば、カラフルな音が目から流れ込んでくるようで、ドドマリーナは堪らずに駆け寄る。 
 「ま!」るた!
 そこで、ドドは思い出したのだ。以前友人に連れられてきた図書室ではしゃいだところ、びっくりするほど叱られたことを。次いでててくる音を両手で口に押し込み、ごくんと呑みこむ。あぶない、アブナイ。そろりと顔を上げると、すぐそばにニィと笑うマルタの顔がのぞいていた。おでこをくっつけて、今度は息を小さく吐きだして。それでもちゃんと聴こえる様に名前を呼んだ。
 「マルタ!」
  「おチビじゃないかい。こんなとこで会うなんて、珍しいこともあるねえ」
 「うん。だってここ、しぃーっのお部屋でしょう?ドド、あんまり、じっとするのじょうずじゃないから」 
「だからこんなにこしょこしょはなしてるのかい?」 
「おしゃべりしちゃダメだから、ナイショの声!」 
こしょこしょとくすぐる様に潜めらた声が、棚にぎっしりと詰め込まれた本に吸い込まれる。山高く積み重ね上げられた本は文字だけでなく、そこに挟まった時間も匂いも、音すら閉じ込めているのだろう。紙と埃、ジンワリとした湿気の匂いに、紙をめくる音とペンが滑る音。ドドにとって、ひっそりとした図書室はあまり落ち着かない、どこかソワソワするところだった。そもそも、おいかけっこの度が過ぎて先生に教室からしめだされて、行くあてがなく渋々足を伸ばした場所。まさかその先でマルタに会えるなんておもってもみなかった。 
 「なにか楽しいものはみつかったかい?」
 顔を寄せ合う内緒話にはしゃぐドドにつられてマルタがくすくす笑いながらきくと、よくぞ聞いたとばかりに満面の笑みをたたえて服の袖を引く。なんだいと少し屈んで耳を傾ければ、あのねと近づけられた唇から漏れる息がこそばい。 
 「マルタをみつけたよ!」 
 正確にはマルタの奏でる音に惹かれた、というのが正しいのだけれど、ドドにはどちらでもよかった。単純にマルタに会えたことが嬉しかったけれど、それ以上に、いつもとは違う特別な場所で不思議な音を辿った先に、大好きなマルタがいた。それは探険したダンジョンで宝物をみつけたような気分。なんだかそわそわがいっぱいになってわくわくする。 
まるでとっておきのように話すドドに、堪らない気持ちになって抱きしめる。特別な音の日に、とくべつカワイイ子。溜まりに溜まった幸せの音が身体の隅から走ってビリビリする。そう、いまここで 
 ドーーーーーーン!!!!!
 突然身体が揺れるほどの音。見開いた目を見合わせる。しーんと沈黙。雨。小さな音が耳を叩く。
 「雷落ちたって!」 
「うそ?光った?」 「ビックリした」
 「すごい近くない」
 がやがやと声が溢れ出して、転調。クフクフとすぐそばから小さく揺れが伝わる。小さな笑いはやがてふたりを巻き込んでケラケラと大きく音を広げていく。そうしていつのまにか静まった部屋で響く笑い声たちがつまみ出されるまであと数分。空を破ったカミナリの跡から溢れるお日さまに駆け出すまであと。
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shstm3 · 7 years
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雲の道中
毎日働いて、うちに帰って家族にただいまをいう。何度も繰り返すうち、ただの流れ作業になっていた単純な日常は思うよりも貴重で、そしてしんどいものだった。
職を失って二カ月。最初は落ち込む自分にたまには休息も必要だと笑いかけた妻の目元がくすんで、何かを訴えるようになった頃にはもう家にいることさえできなかった。まさか自分が昼の公園でこうしてうつけたように時間を潰すようになるなんて。雲が流れる。空は青い。あおいなあ。
一週間ほど公園に通い詰めて、いつも桃色の髪の少女を見ることに気づいた。昼間、あの年頃なら学校にいっている筈の時間帯に彼女はのんびり顔を出す。制服のようなものを身にまとってはいるものの、鞄も持たず自由に時間を潰している。不登校児というやつだろうか。多感な時期だ。ふわふわの桃色の髪が光に透けて空気を飲み込んで風に踊る。ゆったりとしたセーターが身体をすっぽりおおってその小ささを際立たせているようだった。娘があのくらいの時期、俺は仕事に追われていたからあまりよく覚えていないが、ああいう風だったのだろう。頭に考えにすら届かないとめどない雑多な言葉が浮かんでは消えるまま少女をじっと眺めるのが最近の日課のようなものだ。
 ふと、こっちはそんな気はないがこの構図不味いのではないかと思い当たる。中年のだらけたおやじが昼間から少女を死んだ目で凝視する。ううん、文字にすればなおのこと。何か変な汗でるなあ。とりあえずこのままではいけないと思って、何を血迷ったか、その時の自分は咄嗟に少女に声をかけてしまった。
「やあ」
まて。なんだやあって。今時教育テレビの着ぐるみくらいしか使わないぞ。ほらみたことか。少女も自分のことかわかりかねたのか、いや十中八九警戒しているのだろう。少し首をかしげこちらに顔をむけた。
「わたし?」
「うん、そう。はは、突然何かごめんね。怪しいよね」
喋れば喋るほど墓穴を掘っている気しかしない。それでも警戒心が薄いのか、少女が逃げ去ることはなかった。
「えっと、いい天気だね」
何を話せばいいかサッパリで思わず社交の常套句が口をついた。
少女はボンヤリ空を見上げると雲の流れに目をまかせる。
「上空は風が早いみたい、ほら」
言われるまま空を見ると、確かにいつもなんの気もなく見つめている雲がせわしなく流れていた。通勤ラッシュのようだ。真昼間、空は今一番せわしない時間帯なのだろうか。
ふたりで空に心をまかせ、忙しい雲ぐもの往来をみつめる。
どれだけ時間が過ぎたのだろうか。そもそも自分たちの言うところの時間なんてもう意識になくて、ただただ空の時間の中に身を委ねる。八つめくらいだろうか、随分長い雲の尾が視界の端からするすると足早に抜けていく頃にぽつりと少女が呟いた。
「学校に行けっていわないの?」
きっと何度も聞かれ続けたんだろう。
はちみつ色の透明な視線が単純な質問にゆれていた。
確かに、社会人として昼間から外を歩き回る子供に対して自分のしてることと言ったらひどく変わっているのかもしれない。むしろ、前の自分なら間違いなく彼女の存在に眉をしかめただろう。
そうだとしても、今の俺は。
「おじさんも会社行ってないから、説得力がね」
半笑いで返す自分をひどく情けなく思うのっぺらぼうの自分が心の向こう側に立っている。
金色を見つめる。写り込んだ自分の笑顔が崩れかけていく。
変わらないゆっくりした瞬き毎に眉を下げる顔をなんとか持ち上げようとした。
「奈都といっしょだね」
同情した様子もなければ特に感慨もなくそう言ってのけると少女はあのね、と話し出す。
「いれなくなってもいる場所はあるんだって」
彼女は誰かに言われた言葉をなぞるように続けた。
「でも、い���場所がいたい場所かどうかが大事なんだって」
当たり前のことだけれど誰もがいたい場所にいれるわけじゃない。
「この公園はおじさんのいたい場所じゃないから」
そういった彼女はどこか確信しているように俺をみていた。
「邪魔しちゃっただろうか」
「ううん、ここも奈都のおさんぽ道だから。たまににゃんこさんがいて、人がいて、いろいろなものが好きにおさんぽするのがいいの。ここは奈都のおうちじゃないし、じゃまだなんてだれにもいえないから」
当たり前のようにいうと葉っぱが付いてるといって肩を撫ぜた。
「じっとしてるのもいいけど、いたくないとこにずっといるのもしんどいし、つまらないもの」
のんびりとした、ともすればけだるげな顔でいわれると、全くその通りに思えてきてしまって。ただ幼い彼女から出た言葉だと思うとなんだか笑えてきてしまった。
「そうだなあ、このベンチ少し硬いから」
「公共設備にケチつけられないよ」
「はは、ちがいないね」
グッと伸びをする、ずっと曲がっていた背筋がこきりと驚きの声をあげる。
それを横目にゆっくり少女は瞬きを繰り返した。
「おじさんもいたい場所にいれるようになったらいいね」
春色の空気をはらんだ少女は少し優しげに、あるいはこれはただの勘違いなのかもしれないが、ふっくらとした顔を緩めて歩き出していく。
まだ春は遠い。何も変わってはいないし、きっと家族とだってギクシャクした関係をすぐに変えられるわけじゃないだろう。それでも、きっとここは道草の途中なのだから。何か変化をはらんだ気持ちを胸に、自分も家路に足を進めたのだった。
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shstm3 · 7 years
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覆水盆に返せず
本当についてない日だ。遅刻の罰に居残りで気の遠くなるほどに長い長い書き取りを言い渡されるなんて。そりゃまあ遅刻は許されることじゃないし、特に僕ら上流階級が社交界で生きてくのにはちゃんとしなきゃいけないってのはもう身にしみて分かってはいるんだけれど。執事のくせにミシェルの野郎とっとと僕を置いて行きやがって。端に削り入れられた落書きをなぞり、己が不幸を嘆いていると窓の下、木から吊り下げられたブランコに人の影がみえた。こりゃいい暇つぶしと思って声をかけかけ、映った姿にげっとする。木陰で涼を取りながら本を読むのはガリ勉陰険野郎と名高いエリオット・マクミランの姿だった。ふわふわした髪とは真逆ににこりともしない顔。はじめは構ってやってた連中も終いには逃げ出す鉄仮面ぶりだそうだ。たまにみかけてもいつも神妙な顔で本を読んでいるか、教授に質問しにいく姿なもので、噂も大凡間違いではないのだろう。
そもそもそんな直接話したことがない僕が彼を知っているのは他でもない、僕の現パートナーであるミシェルの元主人だからだ。僕のところに来たときのミシェルのあいつに対する罵詈雑言はそりゃあ酷いものだった。
「いつも見下げた目でみやがって。少しでもミスするとめざとく見つけて端からイヤミを言われるんだ。たまったもんじゃないぜ。なんだかわからない本ばっかジメジメ読んでほんと女々しいったらありゃしない。ほんと関係解消できてせーせーする」
眉を吊り上げてそういうミシェルに、いつか自分もこう言われるようになるのかと最初はびくびくしたりもしていたが、今ではそれなりに上手くやっていると思う。まあ確かにミシェルは少し、いや、かなり乱雑な所があるし、執事としてよくできているとは言い難い。でも僕にとってそのあっけらかんとした態度やはっきり言い合える関係はちょうどいいものだった。ただ、きっとそれはマクミランの思い描く関係とは大きく違ったものであったんだろう。真剣な顔をして本と向き合うマクミランの横に執事の姿は見えない。そうやって風の揺れる影に覆われる姿が僕にはひどく寂しいもののように思えてならなかった。かといって声をかけたところで剣吞に返されるのでは堪ったものではない。触らぬ神になんとやら。それに僕とミシェルの関係が良好な以上、マクミランに特に興味はないし、そもそも僕が彼らの関係に首を突っ込むのはお門違いも甚だしい上、失礼にあたるだろう。僕としては、主人としてここにいる以前に、所詮ここは学び舎で、僕らは子供なんだからもう少し気楽に生きてもいいと思うのだけど。
「難儀なやつ」
思わず口から溢れていたらしい。 文字を追っていた目がこちらに向けられて気づく。まともに見たことなかった珍しい紫の目。それが顰め細くなるのにそう時間はかからなかった。まあ溢れた言葉が言葉。誤解を招いたことは間違いないだろうし、フォローを入れようとする間もなくばたんと本を閉じる。
「失敬」
まるで関係さえ断ち切るように強く切られた言葉を残し、さっさと立ち去ってしまった。さっきまで彼を乗せていたタイヤがその勢いを伝えるようにぶるぶると揺れている。やってしまったなと思う反面、不愛嬌もここまできたら天晴れという態度じゃないか。外のさわやかな風が、また一層気持ちを沈ませる。はあと息をはくとそのまま目線を手元に戻し、延々と続く文章を並べる作業に戻ろうかとペンを取る。と同時に教室のドアを荒々しく開ける音が響いた。
「おい何ちんたらやってんだよ、教室に泊まり込みでお星さまでも眺めるつもりか」
とりあえず馬鹿な相棒にはその主人に対する失敬極まりない態度と朝の不始末についてこってり反省してもらうこととする。
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shstm3 · 7 years
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朝の王国
日は昇るものの雲の厚い壁に阻まれ、朝はどんよりとした灰色に包まれる。
頭の中も鈍くぼんやりとしたままで起き上がるも一苦労。来た当初は何て素敵な場所かと心踊らせたのに、こんな時ひどく豪勢な食堂までの果てしない距離が憎くてたまらない。少しボロの狭い家。家鳴りも時々するけれど、階段を降りれば待ち受ける朝ごはんが恋しい。でもまあ、どこかの陰湿とした窓すらない地下部屋よりはよっぽど朝の気配を感じると自分を励まし、冷たい外へのろりと足を差し出した。
こんなに起きることに労力を使うなんてまったく睡眠の必要性を問いたいものだ。なんて余計なことに頭を巡らせたせいで、階段が動き出すのに気づくのが遅れてしまった。 
「おっと」
さっきまでの微睡みが嘘のように、空を踏んだ瞬間さあと頭が真っ白に、落ちる、と体が固まった。筈が予想したものとは別の少し硬いような、柔いような衝撃。むわりと甘い香水の香りが鼻に広がる。目を開けると白いシャツ、から覗く大胆にむき出しの胸元。びっと別の意味で身体が固まる。
「大丈夫?」
声をかけられ、はっとする。
上級生だろうか、朝から飛んだ災難に巻き込まれてしまった。
「ぃえ!あの、ごめんなさいぼーっとしてたみたいで私」
わたわたとする自分をじっと見つめる視線に耐え切れず、言葉に詰まっていく。
目を泳がすちんちくりんに胸元のセクシートラップ。
もう二進も三進も行かなくなった混沌を打ち破ったのは色気溢れる笑い声だった。
「百面相」
一言こぼし、空気が抜けるように笑うと頬に手を添えられた。
「朝から妖精を捕まえるなんて幸運だけど、ふわふわ舞うのにここは少し危なかしいから」
妖精っていったいなんのことか、こちらが反応を返すより先に私の手を引いて止まった階段の先に進んでいく。ほっそりとどこか少し筋張っているくらいの手が蝶でも捕まえるようにやんわり私の指先を包んだ。しゃらしゃらと至る所に付けられた装飾品が音を鳴らして朝の鈍い光を弾く。こつん、こつり。かかとの高い靴が長いスカートの隙間から石の廊下を叩く音と混ざって静かに響いていく。何だか違う世界にでも来てしまったように連れられるまま歩いていると、何だか自分が妖精に惑わされている気がして、少し不安になってくる。
「そんな怖い顔しないで」
心でも読んだように上から声が降る。
眠たげに開かれた瞼から覗くピンク色の瞳に晒されると、どぎまぎしてしまう。
そのまま、私の気でも紛らわすように言葉が続いた。
「朝は静かでしょう。誰もいないみたいな気持ちで歩くとね、王様になったみたいな気持ちになれるの」
白い光が雲にぼかされて、窓から弱々しく廊下を照らしていく。
長い廊下には私たち以外の足音も、気配も、なにもない。
「こんなに大きくて広いの、丸々自分のもの。何しても自由で、身体が伸びてきそうね」
そうやってゆっくり歩く横で、まるで本当に自分が相手の世界に飲み込まれてしまったよう。もやのような光が影まで薄ぼんやり溶かしてしまう。
「でも、ひとがいなきゃ王様にはなれない。はだかの王様だって、ひとりじゃ恥はかかないけれど、ひとりじゃ裸に気付けないもの」
とんちんかんに語られる話。ただ、そうやって自由に語るこの人も、その隣に並ぶ自分も、誰もいない朝の中だけの王様ならそれはぜったい、寂しいことだ。
 だからほら、民衆の声。気がつくと食堂のがやがやとした喧騒が小さく耳に届きはじめる。
さっきまでがまるで嘘のようにいつもの朝の空気。ベーコン、ポテトにトマト煮の香りが混ざってお腹をつつくせいで、グーとお腹がなって恥ずかしくて耳が熱くなる。ふふふと予想通り、笑い声が耳につくと高かった顔がぐっと近づいてびっくりする。繋いだ片手をそのままに、もう一方も反対の手で握り、顔を覗き込むと
「さあ案内はここまで。名残惜しいけれど、お腹を空かせた子におあずけなんて非道いことできないもの」
するりと解かれた手には、ちっとも名残惜しさなんて感じない。
「ばいばい妖精ちゃん」
柔らかく微笑んだらすぐに踵を返��て、声をかける間も無くいなくなってしまった。 ぽけっと立ち尽くしてる自分を不思議そうにみる生徒に気づいて、やっと食堂に足を進めたのだった。
 そういえば、お礼を言い忘れた事を思い出す。どうしたものかと首を捻ると、ふと自分と同じ薄水色のローブをまとっていた事に気づいた。同じ寮ならきっとどこかでまた会うこともできるだろう。とりあえず早くごはんを食べたい。こっちに気づいて空いた隙間に手招く友だちのもとに駆け寄った。
でも私、あの人のこと談話室で見かけたこと滅多にないなあ。
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