Tumgik
#その時に、皆さんの様に若い力と知恵が必要になります。
mamnlink · 1 year
Text
instagram
0 notes
kennak · 2 months
Quote
猫ノ沢事件(ねこのさわじけん)とは、1916年(大正5年)に秋田県河辺郡船岡村船岡字猫ノ沢(現大仙市協和船岡沢内)で発生した事件である。この事件により全国一の密造酒摘発地であった秋田県での密造酒の習慣を大きく変えるきっかけになった事件であった。「猫ノ沢」の地名は資料によっては「猫の沢」と記述される場合も多いが、この記事では前者で統一する。 概要[編集] 沢内白山神社神社の前が猫ノ沢事件の現場となる 1916年(大正5年)6月24日、秋田税務署間税課長ら一行8名は、未明豪雨の中を濁酒検挙のため、河辺郡船岡村船岡字猫ノ沢部落に向っていた。早朝から同部落を調べ、隣接の庄内部落に向かう途中、猫ノ沢部落に向かう夫婦連れに出会う。署員は「どこから来たか」と尋ねたところ、男は「貴様らの如き者に用事はない」と暴言を吐き、突如Kに組み付いて押し倒したので、他の署員が取り押さえて不心得を諭した。ところが、その夫婦は猫ノ沢集落に帰って、「いま税務署属らに不当の暴行をうけ殺されるところだった」と伝えた。部落民は日頃から濁酒検挙で税務署属に悪感情を抱いていたところから憤慨し、その暴行への復讐、および再び濁酒検挙にこないよう打ちこらしてやるべきだと相談がまとまり、税務署属の帰路を襲うべく盤木を鳴らして部落民を小学校前に集め待機した。一方税務属一行は、猫ノ沢部落白山神社付近の沢合いや堰端、田圃など捜索すべく進んでいた。これを知った部落民は盤木を乱打して襲撃を促し、蓑笠を着用し、鎌、鉈その他の凶器をたずさえ、降雨の中を白山神社前に向い税務署属一行と出会うや喚声をあげて襲いかかり、無抵抗の税務署属らを突く、刺す、殴るの乱暴を働き、凄惨な修羅場と化した。税務署属一行は鎌で背部から肺に達する瀕死の重症を負わされた者、鎌で頭部を乱打され骨膜に達する重傷を負った者など5人が重軽傷を負った。この事件は首謀者、実行行為のあった者、あるいは声援して騒いだ一部の部落民が、騒擾、公務執行妨害罪、傷害罪で起訴され、10名を懲役(各6年2名、5年3名、1年5名)、15名を罰金(各30円3名、20円12名)に処する有罪判決が、2名に無罪の判決が言い渡され確定した[1]。 背景[編集] 明治維新以降、酒類に対して一般的に課税することとなったの��、1871年(明治4年)の「清濁酒醤油醸造株鑑札収与税則」[2](明治4年太政官布告第389号、清酒濁酒醤油鑑札収与並ニ収税方法規則)を定めた時からである。この課税制度はもっぱら販売用の酒類を対象として規定されており、自家用のため製造する酒類については「細民農桑ノ辛苦ヲ醫スルカ爲」[3]のものとして課税の対象外としていた。しかしその後、財政規模の拡大とともに酒税負担を漸次増加せしめることとし、また、自家用酒を製造している者には資産家が多く、「細民」はかえって課税された酒類を購入するという齟齬も発生していた。そこで、1880年(明治13年)制定の酒造税則(明治13年太政官布告第40号)は、酒税の増税に伴い、自家用酒製造数量を1石(180L)以下に制限した(同附則)。1882年(明治15年)には、製造数量の制限のほか免許鑑札制度を導入し、免許鑑札料80銭を徴収するとともに、自家用酒として製造した酒類の販売を禁止した。さらに、1894年(明治27年)から翌1895年(明治28年)に行われた日清戦争の歳入不足を補うために、1899年(明治32年)には自家用酒税法を廃止し、同時に自家用酒の製造を全面的に禁止した。しかし、1899年(明治32年)の酒類の製造数量はかえって減少傾向さえ示した。濁酒製造免許者は77%増となったが、その免許を受けるには年間50石(9000L)以上生産することを条件としていた。そのため、部落内の共同出資により団体を結成しその代表者の名義で免許を受け合法的に製造することが考えられていた。しかし、その濁酒を基にしてさらに大量の濁酒を密造する者が続出したため、結局かえって密造を助長する結果となった[4]。 その後、1909年(明治42年)頃から密造取り締まりが厳密に実施され全般的には密造が減少傾向にあったものの、秋田県と岩手県は1916年(大正5年)まで密造激甚地として残っていた[5]。密造禁止の趣旨が徹底せず「自家用酒の製造は本来の悪事ではない」「小さな密造犯を処分するのは法律の目的ではない」「税務官吏の取り締まりは自分の成績を上げるためで、罰金のうち何割かは賞与としてもらうのではないか」という話が流布し、これらが税務官吏に対する怨恨になり、一方犯罪者に対する同情となり、相互庇い合うという傾向すら見られた[4]。 1900年(明治33年)7月3日の秋田魁新報では「酒は蕎麦と同様自家で作るべきものとの慣習は村落民に一つの観念を作り容易に抜けず、自家用酒制限されるや、彼等の不平高まり、税吏をみること疫病神のごとし、時に税吏に対し蛮行を振う愚民もあり、しかも村民一般の感情がかかる蛮行者をみること義民のごとく、犯罪者に対し同情をあたえつつあり、実に笑止千万なり」と報じている。密造酒の摘発には新聞記者も同行して記事を書いているほか、摘発記事などもかなり大きく報じている。税吏に濁酒を押収された家は「ヤマイ神につかれた」としてむしろ同情の眼で見られた。摘発は現品を押さえ、しかも醸造人が明らかでなければ罰金は科せられなかった。そこで、農民たちは知恵をしぼった。期限まで罰金を納められない場合には入獄しなければいけなかったが、この場合は年寄りや女房が夫に代わって労役につくことが多かった[6]。 国は毎年6億円の歳出を必要としていたが、そのうち1億円は酒税によるものであった。当時、秋田県は密造酒による検挙人数はいつも全国一であった。「取締当局としては一罰百戒の見地から厳重な取締による大量検挙以外効果はない」とされ、1916年(大正5年)6月22日に仙台市で開催された東北六県税務署会議に出席して帰庁した千葉税務署長は、23日に濁酒取締について署員をあつめ協議したが、この時に一罰百戒の見本とされたのが猫ノ沢であった。当時の猫ノ沢は「本村より約9km隔たった山間の僻地で戸数約10戸、人の気質は荒く交通不便のため司直の手が延びないことを幸いに、山林の盗伐や賭博など村風も極めて悪かった。濁酒密造も盛んで前年に引き続き、部落で共同して、麹室という大箱4つを設置し、毎月持回り製麹していた」[7]と思われていた。また事件発生直後に猫ノ沢に行った千葉税務署長は部落民にその惨事を問うに「そんな事がありましたか」と言われたり「税務署の人と喧嘩し村の若者も一人殺された」と、とぼけられた[6]。濁酒の常用はまた県民病である脳卒中とも結びついていて、1916年(大正5年)の間に脳出血及び脳軟化症で死亡した者1885人(『県統計書』)で病死者数のうち第一位を占めていることからみてもいかに有害なものかがわかるとされていた[8]。 裁判と事件の影響[編集] 猫ノ沢事件の公判は秋田地方裁判所で行われ、1916年(大正5年)10月19日に判決が言い渡された。判決では無防備の税吏に対して農民多数が共謀して凶器を振るい、暴虐の限りを尽くしたのは全国にその例を見ないとして騒乱罪が適用された。また、公務執行妨害罪と傷害罪も併合されたため、2名に懲役6年、3名に懲役5年、5名に懲役1年、3名に罰金30円、12名に罰金20円という厳しい内容となった(2名に無罪)。しかし、あまりにも厳しい判決の上に「事実誤認が多くあって、判決には納得できない」として、有罪判決を受けた25名のうち15名は弁護人を通じて宮城控訴院に控訴した。翌1917年(大正6年)6月22日に出されたのは控訴を退ける棄却判決であった。さらに、この判決に承服しなかった者は大審院に上告した。上告手続きと弁護にあたったのは、名を広く知られた法学博士の花井卓蔵と鶴田忞であった。花井ら弁護人は擬律錯誤や理由不備の不法があるとして、実例を上げながら駁論した。しかし、大審院は同年11月3日、上告を退ける棄却判決を言い渡し確定した[6][9]。 この事件以前は、税務署の取り締まりが非常に冷酷で税務官吏が横暴であるために事件を誘発したのではないかと非難する論調もあり、秋田県において密造者に対する同情心もあったが、事件後は公判の過程で実情が知らされるにつれ民心も一変し、密造に対して矯正する気分が広がった。従来は税務官吏の臨検を蛇蝎視していた地方も、税務署官を地方の旅舎に宿泊させ、地方有力者が税務官吏の地方巡回を遺憾とし、密造矯正を口にすることを栄誉とする傾向さえ発生した[10][11]。 この事件が起きた後の猫ノ沢では、多数の検挙者を出したのは郷村の不面目として小学校に子どもまで全員が集められた。そして警察署長、税務署属、船岡村長、小学校長から、濁酒がいかに弊害が多いものであるかという講話を聞き、一致して密造皆無を誓ったと新聞報道された[6]。 住民の証言[編集] 摘発隊は午前5時ころから、一戸ごとに立会人をつけて猫ノ沢を調査した。ところが、猫ノ沢では摘発隊が来るという情報を前日すでに掴んでいたのか、現品をきれいに処分していた。また、猫ノ沢のある人が羽後境駅から朝の一番の汽車に乗ろうと家を出ると、電灯を灯した人と出会った。船岡の村役場で休んでいるので酒役人だと考え、走って猫ノ沢に戻ってそのことを伝え、さらに庄内部落にも知らせたとする証言もある。一行はひとまず猫ノ沢を引き上げ300mほど奥にある庄内に向かった[6]。 猫ノ沢部落では1916年(大正5年)当時酒役人が来ると、酒役人はすぐ濁酒を置いている場所に行き、1軒や2軒で濁酒を見つけると後の家は捜索せず直ぐに帰った。人々は密告を疑った。こうした事情で部落では濁酒造りは事件発生時既にかなりなくなっており、金を出して清酒や焼酎を飲むように変わりかけていた[6]。 事件の日、朝4時から税務署の署員らは村人の前日までの田植えで疲れた寝込みを襲い無断で家に入り流し場や戸棚、屋敷に土足のまま上がり家を調べた。酒役人らは挨拶もしないで家を次々に調べたという。9人の酒役人らは猫ノ沢で一件の濁酒も発見できず、続いて庄内の捜索しようと川縁のあぜ道を急いだ[6]。 被告Cの妻の証言は以下の通りである。被告Hの妻と、被告BはBが嫁をもらう以前から仲が良いということが部落では噂になっていた。Hの妻は酒役人が家を探して帰った後に、庄内の方に鎌を持って田を見に行った。その後すぐに、Bが鎌を持って庄内の方にでかけた。Bの妻はそれを見てBがHの妻の後を追ってでかけた考えた。そこでBの妻は後を追い、ヤブの中に体を潜めてBを見ていた。酒役人は雨が降る時にヤブに隠れているBの妻を怪しみ酒を隠しに来たのだろうと問うと、Bの妻は田に水を掛けに行く所だと答える。酒役人はその田に案内しろと詰め寄った。そこに庄内の田を見終わったBが帰ってきた。Bは妻に何をすると9人の酒役人に飛びかかって行くが、返り討ちにあう。草刈りに家を出てそれを見ていたGは、Bが殺されると助けを求めて猫ノ沢を叫んで歩いた。Bは顔や手足が血だらけでひどい姿であった。Bは仕返しを口にするが、周囲の者になだめられて気持ちを落ち着かせ、朝食を取った。そして、大曲営林署の下刈り仕事に行こうと刈払鎌を持って家を出た。猫ノ沢部落の男が鎌を持って白山神社の方に行くと、酒役人が白山神社の周囲を捜索して猫ノ沢の方に向かってきた。それを見たBは腹の虫が収まらず「殺してやる」と酒役人に突進して行った。「またBが殺される」と一緒に走って行った。盤木はIの家に泊まっていた大工が騒ぎを聞いて偶然打ったものだという。証言からは、この時下刈りに一緒に行った者は5,6人で、事件は偶然に発生したとする。取り調べは事件の3日後から始まった。証言では、度胸が無い男と周囲から嫌われている男が目をつけられ、警察から「事件の一切を打ち明けると許してやるから」と言われ次々に村の人々が収監されたとされる。中には病気で歩くのも大変だったEも収監され懲役5年の判決を受けているという。実際には5-6人ほどの人たちしか襲撃に参加していないのにもかかわらず、25人もの人が服役した[6]。 その後、村人は取り調べの様子を話さなかった。そのため野添憲治は、当時かなり厳しい取り調べが行われ、一審の裁判記録が事実と違っていたからこそ、控訴や上告に繋がったのではないかとし、さらに偶然数人で一行を襲った事件なのに、どうして25名が騒擾罪などの重い罪で服役しなければならなかったのか、そこには事実誤認があったのだとしている。残された家族は、男手が無いため田畑を売ったりと生活にかなり苦労した。被告Aと被告Bは出所後、集落の総代や村議会員に推され一応の名誉回復をした[6]。 一番の被害者である税務署員は1917年(大正6年)5月11日に仙台の第二審公判の様子を見ていて、それを日記に残している。Bはほとんど事実を否認あるいは曲弁して、自分一人が税務官らを暴行したと供述した。裁判長から9人の税務官をよくただ一人で追い散らしたのかと問われるが、Bの答弁ははなはだ曖昧であった[4]。 脚注[編集] [脚注の使い方] ^ 『秋田県史 第六巻 大正昭和編』、1977年、p.157 ^ 「租税史料叢書」第四巻 酒税関係史料集Ⅰ~明治時代~ ^ 明治財政史 第5-6巻 221頁 ^ a b c 税務職員の殉難小史 ^ 仙台税務監督局『東北六県酒類密造矯正沿革誌』、1920年 ^ a b c d e f g h i 野添憲治『猫ノ沢事件 -その虚像と実像-』、たいまつ社、1977年、p.65-135 ^ 秋田県警察史編纂委員会『秋田県警察史. 上巻』、1969年 ^ 秋田県警察史編纂委員会『秋田県警察史. 上巻』、1969年 ^ 判決摘要 - 仙台税務監督局『東北六県酒類密造矯正沿革誌』、1920年 ^ 仙台税務監督局『東北六県酒類密造矯正沿革誌』、仙台税務監督局、1920年 ^ 事件の反響 - 仙台税務監督局『東北六県酒類密造矯正沿革誌』、1920年
猫ノ沢事件 - Wikipedia
1 note · View note
takahashicleaning · 4 months
Text
TEDにて
ロバート・ウォールディンガー:人生を幸せにするのは何?最も長期に渡る幸福の研究から
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
一生を通し、私達を幸福で健康にするものは何でしょう?
名声や膨大な富のみ ― そう考える人はたくさんいます。しかし、心理学者ロバート・ウォールディンガーに拠ると、それは間違っているのです。
マスメディアにそう思い込まされているだけです。
75年に渡る成人発達に関する研究のディレクターであるウォールディンガーは、真の幸福と満足感に関する無類のデータを基にしてこの研究結果が、私達に教える3つの重要な教訓と、昔からの知恵、幸せな長寿の秘訣を、このトークで語ります。
ある程度の、中央値で適度な年収600万円くらいは、必要です。
ある程度の、中央値で適度な年収600万円くらいは、必要です。
ある程度の、中央値で適度な年収600万円くらいは、必要です。
一生を通して私たちを健康で幸福にしてくれるのは何でしょう?最高の未来の自分に投資するなら、自分の時間とエネルギーを何に使いますか?
新世紀世代を最近調査し、最も大切な人生の目的は何かと訊ねました。80%以上の答えは、主な人生の目的は、富を蓄える事でその同じ若者の50%のもう1つの大きな目的は有名になる事でした。
働き、更なる努力をし、もっと成果を出すようにと常に求められている世の中です。良い人生を送る為には、そうする必要があると誰もが思わされています。自分の全人生を自分の選択が、どう人生を描いて行くかを予測するなんて殆ど不可能です。
人の人生に関しての凡そは、その人の過去を思い出してもらう事で分かりますが、ご存知のように、それはあまり頼りにはなりません。過去に起きた内の膨大な量は忘れ去��れ、時には完全に創作された記憶さえあります。
では、ある人の全人生が展開されるのを観察しながら記録できないものでしょうか?人々を10代の頃から老年まで追い、幸福と健康の持続に本当に何が必要なのか?探索しようと始めたのが我々の研究です。
ハーバード成人発達研究は、史上最も長期に渡って成人を追跡した研究です。
75年間。724人の男性を追跡し、休むことなく仕事や家庭生活。健康などを記録しました。勿論、その期間中、我々は、彼らの人生がどう展開するかは知る由もありませんでした。
この様な研究は非常に稀です。
こんな計画は10年もしない内に頓挫してしまいます。あまりに多くの人が途中でプロジェクトを降りてしまう、研究の資金が不足して来る、研究者達が他の事で忙しくなったり亡くなってしまう。などが原因で進行が止まってしまうからです。
我々の場合は運が良かった事もあり、数世代の研究者達の根気強さのお陰でこの研究は生き残りました。元の724人の内の約60人が、未だ健在で今も研究に参加しています。
その殆どが90歳代です。新しく研究に2千人以上の彼らの子供達にも参加してもらっています。私は4代目の研究責任者です。
これから分かった事は、彼らの人生から得た何万ページにもなる情報から分かった事は何でしょう?
それは、富でも名声でも無我夢中で働く事でもなく、75年に渡る研究からはっきりと分かった事は、私たちを健康に幸福にするのは良い人間関係に尽きるという事です。
これから人間関係に関して3つの大きな教訓がありました。
第一に、周りとの繫がりは健康に本当に良いという事。
孤独は命取りで家族、友達、コミュニティとよく繋がっている人程、幸せで身体的に健康で繫がりの少ない人より、長生きするという事が分かりました。孤独は害となるという研究結果が出たのです。
孤立化を甘んじて受け、生活している人はあまり幸せに感じていないのです。中年になり、健康の衰えは早く、脳機能の減退も早期に始まり、孤独でない人より寿命は短くなります。
つまり、ここで重大な事は、友人の数だけがものをいうのではなく、生涯を共にする相手の有無でもないのです。重要なのは、身近な人達との関係の質なのです。争いの真っただ中で暮らすのは、健康に悪い事が分かっています。
例えば、愛情が薄い、喧嘩の多い結婚は、健康に悪影響を及ぼし、恐らく離婚より悪いでしょう。愛情のある良い関係は人を保護します。
我々は、参加者全員を追跡し、彼らが80代になった時、中年の彼らを振り返り、誰が健康で幸せな80代になったか?予測してみたかったのです。
彼らが50才の頃に得た彼らのデータを全て集めてみると中年のコレステロール値等とは、関連性はなく、どの様な老年を迎えるかは、当時の人間関係の満足度で予測される事が分かりました。
50才で最も幸せな人間関係にいた人が、80才になっても一番健康だったのです。親密な良い関係がクッションとなり、加齢過程での様々な問題を和らげてくれてるようです。
中でも、特にパートナー共に幸福だと感じていた人達は、80代になり、身体的苦痛があっても精神的に幸福だという報告が出ています。
しかし、不幸な関係にある人達は、身体的苦痛がある日には、精神的苦痛でその身体的苦痛が更に増幅されていました。
人間関係と健康に関して、分かった3つ目の大きな事は、良い関係は身体の健康だけでなく、脳をも守ってくれるという事です。
堅固な良い関係をしっかりと80代にまで持ち続ける人はその関係に守られています。そういう関係にいる人。何かあった時、本当に頼れる人がいる。と感じている人の記憶ははっきりしています。
一方、パートナーには全く頼れない。と感じている人には。記憶障害が早期に現れ始めます。良い人間関係といっても波風がない訳ではありません。
ある80代のカップルは、明けても暮れても小言を言い合っている。かも知れませんが、お互い頼り合えると感じている限り、彼らが苦難に遭遇した時、口論しても後々まで残るという事はありませんでした。
あなたはどうですか?今、あなたが25才、40才、60才ならあなたが人間関係に頼るとは、どういう事なのでしょうか?
最後にマーク・トウェインの言葉を引用して終わります。
一世紀以上むかし、彼は人生を振り返り、こう書きました。
「かくも短い人生に、諍い(いさかい)、謝罪し、傷心し、責任を追及している時間などない。愛し合う為の時間しかない。それが、例え、一瞬にすぎなくとも」
そして、本当の幸せもブッタが明らかにして解明しています。身に付けたいなら自分で探求してみてください。
良い人生は、良い人間関係とある程度の中央値で適度な年収600万円くらいで築かれます。
個人ではどうすることもできないため、行政府による強力な事前分配、再分配が必須です。
良い人生は、良い人間関係とある程度の中央値で適度な年収600万円くらいで築かれます。
個人ではどうすることもできないため、行政府による強力な事前分配、再分配が必須です。
良い人生は、良い人間関係とある程度の中央値で適度な年収600万円くらいで築かれます。
個人ではどうすることもできないため、行政府による強力な事前分配、再分配が必須です。
ノーベル経済学賞受賞ダニエルカーネマンによると収入と密接に関わることで、中央値の一人の年収約600万円以下だと惨めさを感じ、金額が下がるほど顕著に!
これ以上の年収の場合は、変化はなし。
経験的な幸福をお金で買えないが、お金がないと惨めな思いをすると言っています。
富裕層は増税方向へ!
マクロ経済学から確実で同時に低収入な人達をお金持ちにする支援も裕福層はして・・・
全国民をお金持ちに引き上げると双方プラスに
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
<おすすめサイト>
エリザベス・ダン:人を助けることで幸せになれる!でもそのやり方が重要
ヘレン・ピアソン:人間の成長・発達に関する最も長期に渡る研究から得た教訓
ニコラ・スタージョン:行政府が低収入者へのウェルビーイング(幸福度)を最優先するべき理由
デアンドレア・サルバドール: 低所得世帯の光熱費負担を低減するために
ショーン・エイカー :幸福と成功の意外な関係
マチウ・リカール:幸せの習慣
マイケル・ノートン: 幸せを手に入れる方法について
マイケル・サンデル:メリトクラシー(能力主義)の横暴
エピソード8 Episode8 - 知恵が試されるバランスとテーラワーダ仏教の「結び」、マクロ経済学(パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon)
エピソード7 Episode7 - テーラワーダ仏教の「結び」と意識のマップ、マクロ経済学について(パワーか、フォースか 改訂版―人間のレベルを測る科学 - デヴィッド・R・ホーキンズ Amazon)
この世のシステム一覧イメージ図2012
ダニエル・カーネマン: 経験と記憶の謎(所得政策も)
ポール・ピフ:お金の独占が人と大企業を嫌なヤツにする?
トマ・ピケティ:21世紀の資本論についての新たな考察
ユバル・ノア・ハラーリ:人類の台頭はいかにして起こったか?
個人賃金→年収保障、ベーシックインカムは、労働市場に対する破壊的イノベーションということ?2022(人間の限界を遥かに超えることが前提条件)
世界の通貨供給量は、幸福の最低ライン人間ひとりで年収6万ドルに到達しているのか?2017
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
東京都北区神谷のハイブリッドな直送ウェブサービス(Hybrid Synergy Service)高橋クリーニングFacebook版
0 notes
fukurabi9 · 9 months
Text
 1106 知恵
都会の子供達を見る時、伸び伸びと遊ぶ場所や自然を見つめ、自分を見つめる場が少ないのには、考えさせられます。 子供は、遊びや自然との触合いの中から世間を見、色々な事に興味や疑問を感じ、人間や自然のルール、正しい心のあり方を学びとって行きます。 親の育て方にも問題があるのではないだろうか。 子供は誰しも、多少の癖やそそうはあります。 その部分を拡大するのではなく、良い点を10倍20倍にも拡大。 信じ見守ってやるべきで、子供は親に信じてもらえなければ、誰に信じてもらえるのだろうか。 もし、親の考え方や方向づけで、子供の持てる素晴らしい才能や芽を潰すような事があっては、子供の生涯に問題を残し、大きな罪を犯した事になります。 ひかるは14歳で5コマ漫画に出会い、魔法の箱、テレビの解明を志し上京。 当時は、数少なかった出来たばっかりのカラーテレビ学科を選択。 テレビ業界を目指し、貫き通しました。 今の子供達には、もっと広い門戸が開かれているはず。 皆が同じ方向に殺到する必要はなく、自分の求める道を本気で全うすべきでしょう。 恵まれ過ぎ、夢が見つけられず、虚無の世界をさまよう若者達を見る時、心痛あるのみ。 子供は、親の宝であると同時に、世の宝、無限の可能性を秘めています。 物事を自分で判断し、自分に合った生き方、世界を舞台に活躍出来る、立派な人間に育って欲しい、と願わざるを得ません。 無い無い尽くしの少年が、体一つで生き抜いて行くには、どうあるべきか、と考えた時、知恵を使う大事さに気づきました。 一口に知恵と言っても、日常の些細な問題から、仕事や人生に関するまで、多種多様。 世の中、大発見と言われるものでも、ちょっとしたアイディアや、見方、発想の転換から出てくる場合が多いかと思います。 成り行きに身を任せて過ごす人や、何事にも知恵を絞りだす人。 こうした個人差、これこそ人生の分かれ目に、なるのではないだろうか。 如何なる有名大学で学問を詰め込んだとしても、それを引き出し、自分の個性に合った知恵、として応用出来なければ、宝の持ち腐れ、時が過ぎると忘れていきます。 また、知恵を引き出す訓練の出来ている人は、どんな職種や職場へ回されたとしても、何らかの形で結果を残せる、実行力のある人間になれるのだ。
0 notes
kanglo · 10 months
Video
第24回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ20230811 from KANGLO CORPORATION on Vimeo.
「小説『サルの覚醒』著者が語る己の道の啓き方~”第二章”の秘話を参加者の皆さんだけにお伝えします」第24回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:藤井啓人氏 (2023年8月11日) youtu.be/a4EgUYaXbK8 #ショックコヒーレント #パーパス #パーパストランスフォーメーション #存在意義 #カングロ チケット: scic230811.peatix.com/view facebook.com/events/1692218484624206
■日時:2023年8月11日(金)20時~22時(オンライン開催)
■講演概要: 悲しくも、不登校や引きこもりやいじめ、そして若者の自殺が増え、夢と希望を見失っている10代の彼らに対し、どうやって魂のエールを送れるか。その一つの解としてひねり出したのが、『サルの覚醒』というノンフィクション小説だった。仕事と会社経営の合間、構想2年、執筆1年を経て、2023年春に上梓し、全て手弁当ながら、地道な活動に少しずつ応援の輪が広がりつつある。しかし、ゲームやマンガ、娯楽テレビ、そしてスマホなどの極小の枠の世界にどっぷりと漬かり、窮屈な時間を費やす彼らにメッセージを届けるには、もっと周囲の知恵や協力がいることが分った。現在、『サルの覚醒“第二章”』を模索する中、奮闘する著者の苦労話や秘話などをお伝えする。藤井啓人の「道の啓き方シリーズ」第二弾!乞うご期待下さい。(講師より)
★いい感じです!イメージ動画: 『サルの覚醒/存在意義を思い出したサル 〔第一章〕 』#sarunokakusei #藤井啓人 #KANGLO #purpose  #books #サルの覚醒 #サルを探せ youtu.be/HD-Ej91KPjE
■講師:藤井啓人(ふじいひろと)氏 プロフィール: カングロ株式会社 代表取締役 ●未熟者。時々、幸せを呼ぶそよ風チャリダー kanglo.co.jp/about/profile.html
■Zoomオンライン:URLは、Peatix経由によるチケット購入者に自動送信されます
■タイムスケジュール:基調講演(約90分 Q&A含)後に、講師を囲み、対話を行います。
■SCICとは: SCIC(Shock Coherent Innovation Club)は、ショック・コヒーレント基礎講座(SCBC)修了生をベースとした会員制クラブです(ご入会頂くためには、SCBCを受講し修了証明が必要となります)。 scic2023.peatix.com/view
●目的:SCBC修了生同士の交流と創発の加速。私たち自身が動き、世界に奇跡を起こす
●SCICに関する問合せ: [email protected]
■『Shock Coherent(ショック・コヒーレント)』とは: 現代社会は今、破壊的な人間活動によって、エントロピー(無秩序・乱雑さの度合い)を加速度的に増大させています。故に、地球環境の悪化による気候変動や自然災害、絶え間ない疫病の発生、人心荒廃による貧富の格差拡大、資源収奪、世界各地で紛争や戦争が頻発化し、世界の指導者たちが核兵器の使用をほのめかす事態となり、もはや地球生命全体の未曾有の危機に陥っています。これを人々は、VUCAワールドと呼び、行先不透明な生き難い時代の合言葉となってしまっています。
このような時代において、「私は、これからどう生きれば良いのか?」と、多くの人々が、自問自答を繰り返し、五里霧中の状態に陥っています。このままでは、時代に翻弄され、本来あるべき使命を全うすることなく人生を終えてしまうことになるやも知れません。そうならないために、私たちに何が出来るのか。当講座は、そうした社会の強い要請により、30年に及ぶ研究の集大成により創発的に完成した稀有なプログラムです。
当講座では、様々な立場の仲間と共に、自分自身の「存在意義(パーパス)」を見つける5ヵ月間の不思議な旅に出て頂くこととなります。即ち、この「存在意義(パーパス)」が、自己変革への道標となるのです。そして、感性を刺激し、心を揺さぶる独自のアプローチフレームを活用し、固定観念の融解を起こし、事例や課題から自己変革へのヒントを得、仲間やファシリテイタとの多くの対話や繋がりから閃きをもらい、自身でも予期せぬ“創発”を起こしていきます。
このワークショップは、個人が真の意識変革を興すことを目的として、カングロ株式会社によって開発されたプログラムです。私たちは、この講座を多くの方々にお届けすることを使命とし、日々事業を営んでおります。そのことを通じて、真の道を啓く方が増え、社会そのものの変革を成し遂げられたら本望であります。ぜひ、講座で会いましょう。
(プログラム開発者:藤井啓人)
■ショック・コヒーレント基礎講座 第7期生開催中! 第7期『ショック・コヒーレント基礎講座』 VUCA世界を突き破り、己の道を啓け~パーパス(存在意義)によるシン変革ワークショップ 2023年7月11日~2023年11月14日全10回講座 チケット: scbc07.peatix.com/view
■第1~6期「ショック・コヒーレント基礎講座」全アーカイブ・オンデマンド映像集(有料コンテンツ) vimeo.com/ondemand/shockcoherent
★【ダイジェスト版動画特別提供映像】: 「上手くいっている経営者は実践している~九星気学を活用した組織構築と経営」第23回SCICオープン・ダイアログ/山田早苗氏 (2023年7月14日) youtu.be/hJ1bawvuXpE
「地域共創型サステナビリティ活動の育て方」第22回SCICオープンダイアログ/西田哲也氏(2023年6月9日) youtu.be/HlccCwoXLqc
「いまどきの就活と人材育成~コロナで世の中の働き方、人との接点が変わって3年。いまどきの新卒の就職活動と企業の動き、今後について妄想します」第21回SCICオープン・ダイアログ/河合洋氏 (2023年5月12日) youtu.be/pmsu1fga9eQ
「54歳の地図 青春の意味を問い直すロールモデル無き人生の彷徨い方」第20回SCICオープン・ダイアログ/山田修司氏 (2023年4月7日)【ダイジェスト版】 youtu.be/TMRbyfEUX_c
「心理的安全性を醸成するコミュニケーション~あなたのチームのパフォーマンスと定着率を高める方法」第19回SCICオープン・ダイアログ/池田かなえ氏 (2023年3月9日) youtu.be/Gsk5JF4ZCEc
「眠る資産に価値をつける!地方の現状と世代交代後の未来」第18回SCICオープン・ダイアログ/博多敏希氏 (2023年2月10日) youtu.be/hU7SvTAhgFk
「地球意識革命・未熟者の道の啓き方~人生のメタノイア(視座転換)についての基礎編」第17回SCICオープン・ダイアログ/講演者:藤井啓人氏 (2023年1月13日) youtu.be/CtaWJAboMKM
「なぜビジネスにアート思考が必要なのか?世界の見方を変えるアート思考」第16回SCICオープンダイアログ/講演者:森夕花氏(2022年12月9日) youtu.be/vFnykrdzwt4
「VUCAワールドに効く個人と組織の視点の再構築~自己や地者、そして世界への認識の見直し」第15回SCICオープン・ダイアログ/講演者:楠徳生氏 (2022年11月11日) youtu.be/-wIwXLX4ZUQ
「破壊と創造~壊れると、新しく生まれる/コロナ禍で悪者だった飲食店はどう変化していくのか」第14回SCICオープンダイアログ/講演者:福本浩幸氏(2022年10月7日) youtu.be/ygxXywmvQ1w
大企業病への挑戦 第2章~認知科学の実践における人間性と抽象度の壁/自分を変え、常識を変え、世界を変えていく/第13回SCICオープン・ダイアログ/講演者:内藤礼志氏 〔2022年9月9日) youtu.be/qBNlFTor9hw
新しい『構造』がうつ病から復活させ組織も前進させる~うつ病経験者が語る、ストレスとつき合い未来をつくる方法/第12回SCICオープンダイアログ/講演者:堀北祐司氏(2022年8月5日) youtu.be/HudMdpphjEI
The 事業承継~当社流、バトンの受け方、渡し方/第11回SCICオープン・ダイアログ/講演者:大島右京氏/2022年7月8日 youtu.be/dWnOtXQAmqw
心理的安全性のリーダーシップを身に付ける方法~組織パフォーマンス最大化の処方箋/第10回SCICオープン・ダイアログ/講演者:倉持茂通氏(2022年6月8日) youtu.be/DuUvRzcqJD0
100年企業研究から見えてきた、コロナ禍だからこそ変えなければならないこと、変えてはいけないこと/第9回SCICオープンダイアログ/講演者:小山貴子氏(2022年5月13日) youtu.be/0juftCrZ1mQ
人事制度のミライを探求する~ノーレイティングを超え給与を自己申告する人事制度への挑戦/第8回SCICオープンダイアログ/講演者:福留幸輔氏(2022年4月15日) youtu.be/XEm-OdMYwMY
「パーパスと共に生きる時代/パーパスとはいったい何なのか?宇宙の営みから壮大なタペストリーを読み解く」第7回SCICオープン・ダイアログ/講演者:森夕花氏(2022年3月11日) youtu.be/vNaK4qH94fA
「部署なし管理無し評価無し、VUCA時代に挑む選択できる組織作りへの挑戦」第6回SCICオープン・ダイアログ/金光広樹氏(2022年2月18日) youtu.be/33DyPirlM7c
「新規事業における企業の在り方」第5回SCICオープン・ダイアログ/長島壮洋氏(2022年1月13日) youtu.be/eM3sRZDo0Ng
「ティール組織の作り方“レシピ”」第4回SCICオープン・ダイアログ/嶋田崇孝氏(2021年12月10日) youtu.be/JDp0srEGxGE
「こころの病との上手な付き合い方~仕組みがわかれば予防ができる」第3回SCICオープン・ダイアログ/中田健士氏(2021年11月5日) youtu.be/_OW88883t7o
「混ざると、新しい事業価値が生まれる。」第2回SCICオープン・ダイアログ/星野良太氏(2021年10月8日) youtu.be/fZJWaFmhAD4
「大企業病への挑戦~認��科学の理論と実践」第1回SCICオープン・ダイアログ/内藤礼志氏(2021年9月3日) youtu.be/aV8ux6Ha-9M
■「SCICオープン・ダイアログ」アーカイブ・全オンデマンド映像集(有料コンテンツ) vimeo.com/ondemand/scic
■主催:カングロ株式会社 kanglo.co.jp 協力:サステナ塾/SDGs超実践者委員会/イノベーションサロンZ/システムD研究会/フィロアーツ研究会
0 notes
kozuemori · 1 year
Photo
Tumblr media
昨日の東京はあいにくの雨となりましたが、入学式を迎えた親子連れが歩いているのを見かけました。4月に入り入学式や入社式が行われ、真新しい制服やスーツに身を包んだ、初々しい新人さんたちを見かけます。
明日4月9日はイースター、復活祭です。イースターとは、十字架にかけられたイエス・キリストが3日目に復活したことを記念する祝祭で、キリスト教ではクリスマスと並ぶ重要な行事です。イースターという名前は、春の女神に由来するといわれています。春の女神は太陽とともに現れるので、太陽が昇る方角の東を「イースト」と呼ぶようになったそうです。ですから、イースターはキリストの復活と、春の到来を祝う移動祝祭日です。
イースターのモチーフとして主によく知られているのは、卵をカラフルに塗った「イースターエッグ」と、「イースターバニー」と呼ばれるウサギです。新しい命が生まれ出てくる卵は生命と復活のシンボルです。また、ウサギはたくさん子供を産み育てることから、繁栄や豊穣の象徴になっています。
再び春が到来するこの季節、眠っていた生命たちが目覚め、蘇り、息を吹き返します。深い森の中で冬眠していた動物たちや、冷たい川底で眠りについていた魚たち、そして土の中で養分を蓄えていた植物たちがみな、暖かな春が来るのを待ち望んでいました。
優しい太陽の光と新鮮な水、柔らかな風、そして肥沃な大地の助けにより、動物や魚たちは繁殖を始めます。木々の枝からは鮮やかな緑色をした柔らかい新芽が膨らみ、花々は次々に葉を増やし、つぼみに養分を運びます。
春は生命力がみなぎり、活動を始める季節です。新たな生命活動の周期が巡ってきました。生きとし生けるものに春の息吹が平等にもたらされます。
そして、春は秋に蒔いた種を収穫する季節であり、新たな種まきシーズンでもあります。私たち魂に求められるのは、十分に春の恩恵を養分として蓄え、それを周りに広げる準備を整えることです。私たち魂も様々な成長過程にある種や苗と同じようなものです。
まだ若い魂は、肉体を伴って地上に降りてきた新米の種のようなものです。その内側に未知数の可能性を秘めていますが、芽を出し、開花したとしてもまだ花が小さかったり、花の色が薄かったり、または花びらが少なかったり、すぐに散ってしまうことがあります。それらは次に蒔かれるときのための貴重な経験です。花を咲かせずに終わってしまう苗もあるでしょうが、その茎や枝、葉には様々な情報がしっかりと蓄えられています。新苗や次世代の種は、新米の種と比べると少し先輩の魂と言っていいでしょう。茎も葉も枝も、まだ弱々しいですが、以前に培った経験をもとに、更に立派な苗を目指します。
時に園芸家は新苗にできたばかりの小さな蕾を摘み、花を咲かせないようにします。それは、苗全体を十分に美しい花を咲かせる個体へと導くためです。それは霊界が、あえて私たちに苦難の道を用意するのに似ています。むやみに小さな花をたくさんつけるよりも、いつか必ず立派な美しい花を咲かせ、栄養分が十分に詰まった種をつけるように、必要な遠回りをさせているのです。
その新苗が更に育ち、いよいよ大苗になります。『オールドソウル』と呼ばれる経験を積んだ古い魂のように、茎や枝も逞しく、頑丈な個体です。今まで培った様々な体験を元にすくすくと育ち、立派な美しい花を咲かせます。少しぐらい日当たりが悪かったり、水が足りなかったとしても、養分をしっかりと蓄えているので大丈夫です。
そんな植物のように、私たち魂にもそれぞれの成長段階があります。あなたという魂が、この春、どんな種を蒔くのか。また、どのくらい成長するのか。あなたを見守る霊界の住人たちは皆、楽しみにしています。励まし、必要なメッセージやエネルギーを惜しみなく与えてくださっています。
ですから、できる範囲であなたの種を蒔いてください。そして、昼と夜との繰り返しが動物や植物、そして私たち人間を育てるように、光と闇、つまり成功や失敗、喜びや悲しみが、あなたという魂を育んでくれるでしょう。
あなたが咲かせる花を見るのを、待ち望んでいる霊界のために、収穫の秋を目指し、太陽の方に顔をむけ、前進してゆきましょう。
Tumblr media
夏学期クラス(5月〜7月)へのお申し込み受付中です。今学期から新しく『サンスクリット般若心経クラス』が始まります。インド・チベット密教で現在も唱えられている、サンスクリット語での般若心経を学ぶクラスです。5回に分けてゆっくりと発音を確認しながら学んでいただけるので、マントラやサンスクリット語が初めての方でも安心してご参加ください。日本語の般若心経との違いを比べてみるのも楽しいと思います。また、トランスクラスも水曜日クラスが新たに加わります。
夏学期クラスへのお申し込みはこちらからどうぞ。継続の方は直接ショップからお申し込みください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今後のイベント・ワークショップ
・4/9 アイイス・スプリングフェスティバル(一口500円からの寄付金を受け付けています)私は都合により参加できなくなりましたが、素晴らしいアイイスのミディアム、ヒーラーの皆さまと楽しいひとときを過ごしください。
 https://us02web.zoom.us/j/85445747688
 ミーティングID: 854 4574 7688
・4/21, 22, 24   プラクティカル・ミディアムシップ お申し込みはこちらまで
・4/27  アイイス・ドロップイン・ナイト お申し込みはこちらまで
0 notes
blogmikimon · 1 year
Text
王希奇 「一九四六」 東京展
こんにちは😃
以前も書いていたタイトルの絵画展に、通っている太極拳教室の紹介で行ってきました!ブログで宣伝してしまったので、レポートを残してみようと思いますが、元気がない方は悲しくなるので、読まない方がたぶん吉です🙏 怪しくなったら読むのやめてくださいませ!!
では、パンフレットより概要など少し引用を↓(長いので興味がない方は飛ばしてください💦)
展示のメインはこの上部の3×20mの大作です。油絵と水墨画で描かれているそうです。
Tumblr media
日本敗戦後、旧満州(中国東北部)にいた日本人155万人は、過酷で悲惨な状況におかれていました。翌年5月頃からようやく引き揚げが始まり、葫蘆島港からは 105 万人が引き揚げてきました。
その葫蘆島からの引き揚げの象徴的な写真集の中に「母親の骨箱を抱えた子供」を目にした中国人歴史画家・王希奇は、自らの心の葛藤を乗り越え、「戦争ではいつの時代も弱者が苦しむ。彼らも戦争の犠牲者だ」 という強い思いのもとに、油絵と墨絵の融合による独特の技法で引き揚げ船に乗る数百人の姿を描き出しました。巨大な作品からは、作者の強烈な平和への願いが感じられます。
埼玉・群馬、東京など関東一円からも満蒙開拓団や青少年義勇軍が渡満し、多数が犠牲になっています。世界平和が危機にある今日、開催には大きな意義があると考えています。
ご本人は制作の背景について、このようにコメントされています↓
戦争ではいつも弱者が苦しむ。彼らも戦争の犠牲者だ。引き揚げ船に乗る数百人の日本人を絵に残すのは私の義務だと思ったー王希奇画伯
昨年の漢字は “戦” でした。この絵を今見られたことは私にとってすごくありがたい体験でした。
メインの絵の他に年表のパネルや当時の新聞等の資料、関連する作品数点も展示してあり、学びながら悲惨さも感じられる素晴らしい展示でした。
これらに関しては歴史的解釈が多数存在し、論争もあるかと思いますので詳しくは書きませんが、平和は義務であり、対話こそが道であり、無かったことにするのは不可能なんだ、というのが私の感想です。
そして、当事者やその家族の方が、スタッフ、お客さんとして多数いらっしゃっていて驚きました。決して過去の問題ではないという事に気づけて良かったです。
特に残留孤児で体験記を出版されているスタッフさんが、あったことを明るく来場者に説明されているのを見て、心がかなり揺さぶられました。私ならあんな過酷な体験を、後世に伝えるポジティブなエネルギーに変換するなんてとてもできません。
強く生きるとはこういう事か!と思いました。
でも、やっぱりそういうふうにできた方だけではなく、恨み、悲しみ、絶望のうちにいらっしゃる方、亡くなられた方も多いと思います。
シニアのニュースを見るたび世代が分断されていくような印象を受けますが、このような過酷な時代を生き抜いた後、心を荒ませずに人に優しく品行方正になんて私ならできるだろうか?と思ってしまいます。本当に月並みで申し訳ないのですが、みんな仲良くありたいです…
村上春樹さん訳のグレートギャッツビーの書き出しを思い出したので、引用してみようと思います。
 僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。
「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」
平和に必要なのは想像力でしょうか?平和を願うのは綺麗事でしょうか?難しい問題ですが、これからも考え続けようと思います。
撮影が許可されていたので、王さんが伝えたかったのではないかな?と思った部分を数点載せてみます。
が、こういうのが苦手な方(戦争資料が悲しくて見れない等)や、今落ち込んでいる方は見ないでください🙅‍♀️ 心がやられるほど緻密に表現された絵で、悲しみや苦しみをもらってしまう程パワーがありますので注意です💦
この絵を表すのにピッタリな言葉が見つからないのですが、とにかく見られて良かったです!
(ボヤけていたら絵をタップするとクッキリ見られます☝️)
子供達
Tumblr media
授乳する母親
Tumblr media
松葉杖をつき子供を背負う兵士の少年
Tumblr media
担架を担ぐ看護師たち
Tumblr media
なんと、会場の北とぴあの入り口には平和祈念像がありました。私は祖母の家が長崎なので、大きい実物は何度も見たことがありますが、小さいお友達がいる事を初めて知りました😃 ミニチュアは全部で4つあるそうです✨
Tumblr media
世界が平和になりますように。私にできることはほぼないですが、考えたり学んだり、小さなできる事を続けていこうと思いました。
貴重な体験をブログに残せて良かったです。読んでくださる皆様と誘ってくださった先生にも感謝です。
ではでは少し長くなってしまったのですが、お読みいただきありがとうございました🙇‍♂️
〈引用〉
王希奇 「一九四六」 東京展
スコット フィッツジェラルド 他2名
グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)
 
0 notes
stellabooks32 · 2 years
Text
Tumblr media
第七霊災後から、クルザスではオーロラが観測され始めた。それがなんだか知らなくて、当時の人々はオーロラのことを「ハルオーネの道行き」と思っていたといいな。そんな世界設定妄想話です。
おすそ分けして頂いたお題「今夜オーロラが出るらしい、見に行かないか、とエスティニアンに誘われて、一緒に家を抜け出し一夜の小旅行をするアイメリクのエスアイちゃん」より。
ハルオーネの道行き
 『ハルオーネの道行き』。夜空に青緑色のヴェールが架かる現象をして、誰かがつけた名が仲間内で広まり、あれはそう呼ばれている。  第七霊災後から現れるようになったそれは、次の観測条件を満たす必要がある。「快晴の日の夜、雲一つない夜空」。雪に鎖されたクルザス地方に快晴の昼夜が来る確率は低い。哨戒任務にあたる騎士たちは皆、前日の晩から空を見上げて祈り、澄んだ青空を心から待ち望んだ。  アイメリク率いる分隊が出立する前日の晩は強く吹雪いていて、とても『ハルオーネの道行き』など観られる気配は無かったが、今朝は蒼く澄んだ空に恵まれた。皇都からクルザス西部高地に向かってチョコボで飛び立つ時、仲間の一人は、眼前に広がる雲一つない蒼に涙した。 「今日は観られるかもな」「来るぞ。こんなに晴れた夜は滅多に無い」未だ西方向に薄らと薄青が残っている。焚火を囲みながら、皆がそわそわと空を見上げ始めた。星は零れ落ちそうなほど眩く光り輝き、月は目を細め、星々を見守っている。「ハルオーネよ……」数名の騎士は、天を仰ぎ戦神に祈り始めた。ハルオーネは、まだクルザスの子らを見捨ててはいない。第七霊災で終わらぬ厳冬と救えぬ命の終わりを目にして絶望したクルザスの人々にとって、あの青緑色のヴェールは、燦然と輝く希望だった。  焚き火を囲みながら談笑し、空を見上げてハルオーネの訪れを待ち望む。胸を踊らせる部下達に目を細め、神殿騎士団コマンドのアイメリクは早々にテントへ引っ込んだ。その姿を見た若き騎士達は、アイメリクのテントを指差して顔を見合わせ、表情を曇らせた。  アイメリクの背を追ったのは、分隊に同行していた竜騎士団のエスティニアンだった。「チッ……世話が焼ける!」髪紐を解いて二、三頭を振ると、彼の肩や背に銀の小川が流れ落ちた。彼は雪に足を引っ掛けられながらもずんずん歩いた。アイメリクのテントは、他の騎士よりも一つ離れたところにある。エスティニアンは、テント入り口の垂れ幕を鷲掴みにすると、「おい、俺だ。開けるぞ」勢い良くそれを押し上げた。アイメリクは、革表紙の本を膝の上で開いたまま、目を白黒させた。 「エスティニアン、何か用か…?」 「今夜、『ハルオーネの道行き』が観られるらしい。観に行かないか」 アイメリクは眉根を寄せると片膝を立て、本の小口を親指の腹でぱらぱらとなぞった。 「そういうことは若い者に任せておけ。」気乗りしない様子で、エスティニアンに顔を背けた。コマンドになってからというもの、アイメリクは変に神を信じなくなった。もとより神に期待しない性質であったが、ここ最近は、力だけが我が友といわんばかりの不信心ぶりを見せることがあった。エスティニアンにだけ、父親の説く教義やその周囲に居る者たちがうっとりと語る父親の様子に寒気がする、と零した夜があった。アイメリクが神の力ではなく民ひとりひとりの力を信ずるようになる、少し前のことである。 「年寄りぶるな。行くぞ」エスティニアンはテントに片脚を突っ込んでアイメリクの手首を掴むと、力任せに引っ張った。アイメリクはテントから引き摺り出され、雪の上に倒れ伏した。 「年寄りぶりたいなら、行って民の無事でも祈ってやれ。」「神に祈れと?」「運に祈れよ。そう見られんものが見られるんだ。誰の運だか知らんが、あやかっておいて損はないだろう?」「……敵わんな、お前には。」アイメリクは力無く笑みを浮かべると、エスティニアンが差し出した手を掴み、冬眠から目覚めたばかりの熊のようによろめきながら立ち上がった。全身についた雪を溶け切らぬうちに払い、手首を掴まれたままエスティニアンの後に続いて歩き始めた。  アイメリクは努めて真っ直ぐに脚を下ろし、雪を踏み締める。足取りは決して軽いものではなかった。 「『ハルオーネの道行き』を、誰よりも楽しんでやれ。お前がテントに引っ込むと、下の奴らが遠慮する。」 「私が引っ込めば、皆が私に気を遣わずに済み、遠慮なくこの場を離れられると考えたのだが……」「急な寒さで頭がいかれたか?隊の者に規律違反紛いの行為をさせるな。……おい、アイメリク分隊長は『ハルオーネの道行き』に祈りを捧げるべく、少しの間、この場を離れるそうだ!」エスティニアンは騎士たち全員によく聞こえるよう声を張り上げ、辺りに告げた。夜空とアイメリクのテントを交互に見ていた騎士たちが、ぱっと表情を輝かせた。誰もが口元を綻ばせ、目を細めて顔を見合わせた。「お前たちも各々観に行って、民の無事とイシュガルドの繁栄を願って来いと仰せだ!」アイメリクが大きく頷くと、若き騎士達は威勢の良い返事と共にすっくと���ち上がり、数名のグループを形成しながらあっという間に散らばっていった。拠点には、以前の任務でハルオーネの道行きを見たことがあるという料理番たちが数名残った。エスティニアンはそれを横目で確認し、アイメリクの手首を緩やかに引いた。 「観に行かないか?」 エスティニアンは星空の下にアイメリクを招いた。アイメリクは小さく頷いて一歩を踏み出し、エスティニアンと共に並んで歩き始めた。  夜が深まっても、雪がぼんやりと光を放っているお陰で辺りは明るい。故に幸いランプを持たずとも充分遠くまで歩いて行けた。ゴルガニュ牧場を臨む小高い丘、長く緩やかな斜面を下る。歩くたび、ざく、ざくと雪を切る音が二人の耳をくすぐった。牧場には人気こそもう無いものの、大きく丸められた干し草が転がっていた。「懐かしい。ああいうのを、俺も親父と一緒に作ったもんだ。」エスティニアンはアイメリクの手首から手を離すと、一人柵まで近付いていった。柵の外から干し草に手を伸ばしてみると、表面が薄く凍っており指が滑り落ちた。表面をつついて氷を壊し、指を深く突っ込んでみると、丸めた草の奥に必ずあったあの太陽の熱は寒さに奪われ、塊は底の底まで冷えていた。幼い頃はこの干し草の塊を触る度生き物の強き生命力を感じたものだが、この塊は、静かに死んでいた。小さく丸まったエスティニアンの背を、アイメリクは離れた場所で見守り続けた。 「向こうへ、行ってみよう。」アイメリクは南を指差す。「そうだな」二人は、ゴルガニュ牧場に至る道を逆さに進み、牧場正面の階段を下っていった。『冷たい』『寒い』と書かれた風が鼻を掠め、鼻先はたちまち真っ赤に染まった。様々な息吹を閉じ込め圧縮した匂いが微かに体内に流れた。  リバーズミートに向かって丘を下りてゆくと、凍りきったクルザス川の中流に差し掛かった。「もうここに水が流れることは、ないのだろうな。」以前は子どもがこの川を飛び越えて遊ぶ姿や、鳥、羊、牛などが口を付ける姿などがよく見られたものだ。今は、口をつけるどころか、大人二人が歩いて渡れてしまうほど、深々と凍っている。 「霊災を生き延び、コマンドの職に就いた者として、如何にあるべきか…考えている。」 アイメリクは川辺にしゃがみ、凍った川を指先で撫でながら、ぽつり、と零した。 「目先の些事に囚われんことだ。コマンドで神殿騎士を終える訳でもあるまいに」 さすがだな、と零し、アイメリクは小さく笑った。エスティニアンほど、自身の目的に純粋で、大義のために突き進む者はいない。そのエスティニアンの眉が下がっているのを見て、アイメリクはまたくすくすと笑った。笑うアイメリクに文句を言いたげに眉根を寄せたエスティニアンの顔を見て、アイメリクは堪らず声を出して笑った。エスティニアンは苛立ちを呆れで包み、ため息をついた。 「行こう。間もなく『ハルオーネの道行き』が見られる頃合いだ。」アイメリクは水面に視線を落としたままゆっくりと立ち上がった。クルザス川の凍った水辺を眺めるアイメリクの瞳は、川の氷を吸ったような色で、夜の闇に溶けることも凍り付くこともなく、澄んだまま穏やかだった。  二人は川沿いを下りながら、宛てのない旅を続けた。アイメリクは、月を追わんと顔を上げた。 「……あっ、」 「おお」  『ハルオーネの道行き』だ。  星々が煌々と輝く空に、『ハルオーネの道行き』があった。  あれはまさに、クルザスの星空に足をつけたハルオーネが、衣服の裾を引きながら歩くさまだった。その裾の輪郭まではっきりと見える。きらきら、と揺らめいて、ふわり、ふわりと闇を照らしながら靡いてゆく。 「もっと高くへ!」「ああ」二人はハルオーネの後ろ姿を追って、駆け出した。じっとしてはいられない。歩いてもいられない。ハルオーネに呼ばれたような、ここで立ち止まってはならないような、堪らない気持ちで、走った。南西に向かって川をどんどん下ると、追っていた川はクルザス川の大河と合流した。二人は尚も走り続け、船着場に背を向けて付近で最も高い岩を目指した。 「登るぞ、アイメリク」 「そうしよう」  北方向にダスクヴィジルの城壁、西方向には臥竜島。岩は高く迫り出しており、岩の中腹までは雪を踏んで駆け上がる。中腹を越えてしまえばあとは頂上をめざすのみ。頂上までは足を滑らせなければ登れそうな様子だった。二人は一目散に駆け、雪を蹴ってあっという間に中腹まで辿り着いた。腕防具をよく確認し、岩の僅かな窪みに手足を掛けて、慎重に上ってゆく。傾斜が十分にあったお陰で、幹部候補生、竜騎士候補生の時分ほど苦労はしなかった。多少息を切らしつつも岩を登り切り、二人は『ハルオーネの道行き』を再度確認した。  なんそうものみどり。いくつものあお。ハルオーネの裾はさらさらと風にそよぎ、この道行きに出会えたクルザスの子らは、ハルオーネに頭を垂れる。神の存在そのものを否定しつつあったアイメリクでさえ、『ハルオーネの道行き』の前に跪き、恭しく頭を垂れた。エスティニアンはその場に腰掛け、腿の上で両掌を合わせた。 「ここが最も高い場所だろうか…」 「人の足で登れる中では、なかなか良いんじゃないか」  ぽつぽつと言葉を交わした後は何も語らず、ただ穏やかに整ってゆく呼吸を聴きながら、二人は岩の頂上に座り続けた。エスティニアンは横目でアイメリクの様子を確認し、再び夜空へ視線を移した。少し腰を浮かせて、体重を移動させ、エスティニアンはアイメリクの背に己の背を寄せた。アイメリクは、鎧の上からでも伝わるエスティニアンの体温に目を細め、甘やかな溜息を一つ洩らして、彼の背にしなだれかかった。エスティニアンはアイメリクに頭を預け、アイメリクの肩に己の髪を落とした。
 どれほど眺めていただろうか。  ハルオーネの道行きは少しずつ闇に融け始めた。 「旅立つのだろうか」 「いや、見てみろ。こちらに移動してはいないか」エスティニアンが指差した方向に、新たなみどり、新たなあおが揺らめいていた。その様はまるで、ハルオーネが夜空を横断してゆくかのようだった。融けだした裾は端からすっかり闇に流れ出し、ハルオーネが歩む如く、対岸の空に彼女の裾が現れ始めた。 「ゆえに、『道行き』か…」ふ、と吐いた息は白く、風に霞んでたちまち飛び去った。ハルオーネの裾に触れられそうなほど高くに居るのに、実際に手を伸ばしてみても、星の一つも掴めはしない。アイメリクの手は宙を掻いて、雪上にぱたりと落ちた。 「エスティニアンは、何を願う?」 「仕方ない……お前が組織で伸し上がってゆくその道に、光あれと、祈っておくか」 「ならば私は、お前の無事を願おう。いついかなる時も、必ず愛しい者の傍に還れるよう。」 エスティニアンの手は腿から雪上へと滑り落ち、アイメリクの手を探した。アイメリクはその気配に気が付き、手の甲でエスティニアンの指に触れた。二人の指がぎこちなく重なって、親指が交わる。エスティニアンは、アイメリクの手の甲に己の手を乗せ、指と指の間に己の指を滑り込ませた。アイメリクは再び甘やかな溜息を洩らして、小さく背を反らした。 「神に祈るなど、いつぶりだろうな。祈っても聞き入れられぬことばかりで、神の存在など忘れていた。」 「無理もない。だが、心の拠り所や、揺るがぬ軸として神を信じている奴がいる。お前がたとえ忘れていても、誰かにとっちゃあ、あれは忘れがたい大事な存在だ。特に、イシュガルド人にとってはな……蔑ろにするなよ。恨みを買うぞ」 「私を咎められるのはお前くらいだ、エスティニアン。」 「光栄だが、俺の言葉しかまともに聞いちゃいない、の間違いだろう」 「ああ、その通りだ」 アイメリクはくつくつと笑って、エスティニアンの背に体重を預けた。エスティニアンは片膝を立て、体重を受け止めた。絡めた指を握りこむと、金属の擦れる音が小さく鳴った。体温を奪ってゆくような冷たく痛い温度が、エスティニアンの鎧に伝わっていった。 「ありがとう」 アイメリクの掠れた言葉は風にさらわれてたちまち消えてゆく。エスティニアンは返答の代わりに、指にそっと力を込めた。
 ハルオーネはクルザスの透き通る星空を、ゆっくりと歩んでいった。たくさんのみどり、いくえのあおをまとって、その裾を靡かせ、彼女を愛するすべての子どもたちに祝福を与えながら。
1 note · View note
htrkdk · 2 years
Text
自作キーボードに最近ハマっているという近況報告
ここ最近Simutransはほぼ遊んでおらず,お休みの時は専ら自作キーボードを組み立てたり設計したりしている。
Choco60
今年はじめ頃に組み立てて使っているchoco60。 pic.twitter.com/czeuphiLgN
— ひとり (@htrkdk)
April 16, 2020
初めて組み立てた自作キーボード。スルーホール部品のみ半田付けすればよく,時間をかければ不器用な自分でも組み立てることができた。ProMicroのUSB端子がもげやすいやつでそれなりに苦労した。私の自作キーボード沼への第一歩となった。
Lily58
新しくlily58というキーボードを組み立てたので,テレーワークが捗りそうなカスタムをしてみた pic.twitter.com/g4tcVSML1v
— ひとり (@htrkdk)
July 31, 2020
就職したと思ったら初っ端から在宅勤務で会社を追い出され,なんだかんだ終業後は暇だったので,確かGW中に組み立てたと思う。Column-staggeredなキーボードはホームポジションから少しでも外れると入力効率が落ちてしまう。自分はCキーを人差し指で打っていたのだが,本来は中指で打つべきものらしく,使い始めた当初はめちゃくちゃ打ち間違えた。ただ,人間は不思議なもので,ある日突然Cキーを自然と中指で打てるようになった。キーボードによって自然に入力できる指の動きを勝手に体がマスターしてくれているような感じ。
7sPro
7sPro + Durock Koala (67g) を組み立てて使っている。若干重いけどルブしなくてもかさつきがなくて打っていて気持ちがいい pic.twitter.com/5xau7Vyfir
— ひとり (@htrkdk)
March 6, 2021
#7sPro フルアクリル化した。思ったより打鍵音も打鍵感も変わってかなり気に入っている pic.twitter.com/Bms7qYV2hW
— ひとり (@htrkdk)
September 15, 2021
現在在宅勤務では専らこのキーボードを使っている。Choco60と同じく某なんとかKBのような配列のキーボードなのだが,こちらにはアクリル積層ボディのオプションがあり,どのような打鍵感になるのか気になって組み立ててみた。かなり好みの使用感かつ,2回くらいキーボードの上にものを落としてしまってもびくともしない丈夫さが手に入り,満足している。ただ,打鍵の微妙な振動が蓄積するのか,ProMicro保護用のアクリルプレートを支えるネジが緩みやすく,定期的にネジを締め直す必要が生じている。もう少し長いネジを使うべきだったか。
SU120
どこかで見たことあるようなキー配列のキーボードを作った #SU120 pic.twitter.com/1I8J3iJdi8
— ひとり (@htrkdk)
May 4, 2021
遊舎工房さんからアクリルプレートが届いた。セピア色が思った以上にエモい。スペーサーは今回10mmにしてみたけどもう少し低くても良かったかも #SU120 pic.twitter.com/INaxwbNgAU
— ひとり (@htrkdk)
May 10, 2021
よりコンパクトなキーボードの使用感を試してみたかったのと,自分でキーボードを設計するところからやってみたかったので,SU120というブレークアウトボードで30%キーボードを作ってみた。実際に使ってみて,Modifier Keysの長押しが自分には合わないことがわかり,その後の40%キーボードの設計に知見を役立てることができた。最終的にProMicroの接触が悪くなり,現在は解体してしまったが,自作キーボードの試作や仕組みの理解に大いに活用させていただいた。
自由度の高いマクロパッドを作りたいなら,現在頒布されているキットの他にSU120を候補に入れてみてもいいと思う。
htk41 (仮称)
初めて基板をデザインするところからキーボードを作ってみた。先人の知恵をお借りできたので全く苦労しなかった。本当にありがとうございます pic.twitter.com/r3gFRIOjb7
— ひとり (@htrkdk)
December 23, 2021
せっかく誕生日だし自分だけの自作キーボードを作ってみたいと思い立ち,深夜テンションで設計を始めてそのまま基板の発注まで進めてしまった。そこからなんと1週間で,中国から基板が届き,国内の自作キーボード屋さんからパーツが届き,FWをProMicroにflashして,キーボードとして動作する代物を組み立てることができた。また,基板の設計にあたりfoostan氏の指南書を大いに参考にさせていただいた。先人の皆様へ深く感謝申し上げたい。
このキーボードはかなり気に入って使っており,今でもラズパイ専用の小型キーボードとして活用している。
htk42 (仮称)
遊舎工房さんからアクリルプレートが届いたので,初代のキーボードを半年使い続けてて気になっていたところを微妙に変えた2代目のキーボードを組み立てた pic.twitter.com/BrJzC2bzrQ
— ひとり (@htrkdk)
June 9, 2022
キーキャップとキースイッチが余っていたのでもう1台自作キーボードを組み立ててみた。1.5uのキーキャップがあるのでこちらは隙間なく埋めることができる pic.twitter.com/I33AdGlImT
— ひとり (@htrkdk)
June 11, 2022
htk41を半年ほど使ってきて,ほんの僅かに気になる点が出てきたのと,自分で設計したキーボードでもアクリル積層ボディを試してみたくなり,新たに発注した。2台組み立てて,片方にはKailh Box White,もう片方にはFEKERを付けてみてるが,どちらも打鍵感・音ともに最高で,永遠に文字を打っていたくなる。ここが私のEND GAMEになると思う。
cocot46plus
#cocot46plus 良い。月っぽいノベルティキーキャップをつけたのでトラックボールは黄色にした。 pic.twitter.com/tvdQY1m9ZG
— ひとり (@htrkdk)
July 8, 2022
#cocot46plus 遊舎工房のアクリル半額セールで買ったミドルプレートが届いたのでフルアクリル化。シリコンシートをカットするときにアクリルの保護紙を剥がし忘れて結果ホコリまみれになっちゃったけど,見えないのでヨシ pic.twitter.com/hcUpGMIVqm
— ひとり (@htrkdk)
October 1, 2022
40%キーボードのエンドゲームにたどり着いたと思っていたら頒布開始の報せが入ってきた。供給が若干安定したときに購入できた。操作感も最高ですぐにフルアクリル化した (シリコンシートをホコリまみれにしてしまったけど)。ロータリーエンコーダにはクリック付きのものが同梱されているが,フルアクリル化前に調子乗ってクリックしすぎたところ,最下層のアクリルプレートが反ってしまった。ゴム足を一度撤去して表裏をひっくり返して積層し直すことで今のところはなんとかなっている。
やはりキーボードとポインティングデバイスが一体化しているとかなり便利で,最近使用頻度がかなり高い。
0 notes
emi-sinema · 3 years
Text
すずは何故1人で東京に行ったのか
1)はじめに
 「竜とそばかすの姫」上映開始後からSNSやレビューサイトに投稿されている感想等を見る限り、本作の評価が分かれる最大のポイントは終盤の展開にあると言っても過言ではないだろう。
 批判の論点は個々のレビューによって若干異なるが、おおまかに言えば「なぜ、東京にわざわざすず1人で行ったのか、周囲の大人はなぜ1人で行かせたのか」だ。「まだ高校生であるすずを虐待親のもとへ1人で行かせるのは、大人としての役割を放棄しているのではないか」。
 また、「行政がまったく描かれておらず社会的な視野が欠けている、あたかも公助は助けにならないから自己責任で戦えと言っているようなものではないか」という意見もある。実際は何も問題が解決していないのに、あたかも美談のように描いている、というのである。
 これに対する反論もある。下記リンクの記事https://note.com/shimori/n/n548b50b3c30d(「SNSでの気軽な暴言と連帯表明への痛烈な批判」)はその代表的なものである。
 筆者のこもり氏は、恵の独白(助ける助ける助ける…)から、「恐らくもう何度も竜とクリオネの家庭は行政の介入を受けて」おり、それでも事態が解決しなかった、救われなかったのだろうと推測する。つまり、「一般的な正しいやり方では竜は救われてこなかった」のだと。
「よってすずは行かなければならなかった。自分自身の手で守り抜いて、抱きしめなくてはいけなかった。安全圏から通報をして終わってはいけなかったし、大人に任せてはいけなかったのだ。」「“問題が何も解決しない”ことこそが細田監督の誠意の表れだった。」と述べている。
 わたし自身の解釈は、同記事と全く同じではない(例えばわたしは、父親による暴力行為は描かれていないだけで、実際には行われていたのではないかと考える)が、同記事は本作を考える上で重要な視点を提示していると思う。
 「竜とそばかすの姫」に限らず、細田作品には「行政や福祉(いわゆる公助)に頼らずに自分で全て背負うことを美化している」という批判がたびたび寄せられるが、むしろ「公助からはじかれた人、疎外された人」にスポットライトを当てているのではないだろうか。その背景として、「公助がないがしろにされ、機能不全になった現実の世界」を、その中で生きる人の姿を、ありのままに提示しているのだ。
  一方で、同記事では、すずが合唱団の大人達を置いて、一人で東京に行ったことについては、「やや理由付けが薄いとは思う。せめて東京まで送るとか、手分けして探していたことにしてもいい。」とし「監督が訴えたいことを優先したためにやむを得ず展開が強引になってしまったのだとしても、私はその訴えに共感したのであまり気に留めていない。」と述べている。
 正直に言えば、わたし自身も、初めて本作を観た時には同じように考えていた。つまり「表現したいことを際立たせる(純度を上げると言ってもいい)ために、あえて不自然で強引な展開にしている」のだと。
 しかし、何度か本作を観直すうちに、本作の脚本、会話テキストが行き当たりばったりではなく、全体の構成を踏まえて考えられたものであることを確信するようになった。言葉で語らない、言外の描写で語る要素が多い分、切りつめられたテキストは、なくてはならない、またそのような形でなくてはならないという必然性を持っている。
 そうなると、逆に、ラストだけ訴えたいことを優先してリアリティラインを下げたとは考えられなくなった。作中で描かれてきたものを踏まえて、作品内の論理で説明できるように作られていると考えるようになったのである。
 実際、終盤に何が起こっていたのかを、わたしたちは把握できているのだろうか。たとえば、すずは何をしに東京に行ったのかを理解できているのだろうか。そこに勘違いはないだろうか。
 2)児童相談所の肩代わりをしに行ったわけではない
 すずが学校を発つまでの経緯を追ってみよう。
知と恵の兄弟が父親から虐待されていることに気づいた面々は、それぞれの知恵を出し合って、彼らが東京の大田区と川崎市の間、二つの高層ビルが見える場所であることを突き止める。
 合唱団の吉谷が児童相談所に電話をかけるが、すぐには向かえない、との返事。児相側の台詞は聴き取れないが、吉谷の相槌から考えると、ルールに従って48時間以内に確認するという趣旨なのだろう。「じゃあその間にもしものことがあったら」と、大人達がざわめく中、すずが「行かなきゃ」と飛び出し、合唱団の中井、喜多が追いかける。
 このやりとりを観ると、あたかもすずは、「児童相談所の救出が間に合わないかもしれないから、それよりも先に兄弟を助けに行った」、言いかえると「児童相談所の役目を肩代わりするために東京に行った」のだと捉えたくなる。
 確かに、着いて行った大人達2人、喜多と中井の頭の中にはそうした考えがあっただろう。だが、すずは本当にそう考えていたのだろうか。
むしろわたしは、「児相の代わりに救出に向かった」ことを前提としているために、すずが1人で東京へと発ったことが、不合理な行動に見えてしまっているのではないかと考えている。
 プロである児童相談所も、虐待が疑われる家庭を訪問する場合、基本的に1人では行かない。このことを製作陣が知らないはずはない(過去作の「おおかみ子どもの雨と雪」の序盤で、花の家を訪問する職員も2人である)。だいたい、時間がかかる児童相談所の代わりに早く兄弟を救出するという趣旨であれば、3人で手分けして探した方が良いに決まっている。兄弟の正確な居場所をすずたちはまだつきとめていないのだから。
 駅に向かう道の途上、中井はスマホの検索から飛行機が間に合わないことを告げ、車を運転している喜多は「じゃあこのまま東京?」と返している。この、「このまま東京」とは、この乗用車で東京に向かうことを想定した言い方だろう。すずをただ駅まで送るだけなら大人が2人着いてくる必要はない。少なくとも1人は一緒に東京に行くつもりだったと考えられる。
 その後、駅ですずを見送る際、喜多と中井の2人は「1人で大丈夫かな」「すずが決めたことだから」と会話している。これは、1人で行くことを決めたのはすずの意志であること、あの車内での会話から駅で見送る場面までの間に、どうやって東京に行くのか、誰が着いていくのか(ついて行かないのか)を決めるやり取りがあったことを示している。
 もちろん、すずも高校生だから、複数人で行く方が、兄弟を救出する上で合理的であることは理解しているはずだ(もちろん、いまさら、「大人達を巻き��むのは申し訳ない」といった理由で2人を置いて行ったわけでもないだろう)。
つまり、すずにとっては、そうした合理性よりも優先される動機があり、それは1人でなければ果たせないものだった、ということになる。(※1)
父親に画面を切断されて「ヤバいよ、あの子たち」「行って守ってあげなきゃ」というのは、遠くで虐待されている子どもを発見した大人達の目線であり、おそらくすずの目線とは少しずれている。児童相談所がすぐに迎えに行けないことは、すずが走り出す引き金ではあっても、東京へ向かう「動機」ではない。
思い起こしてみれば、最初に恵たちと通話した時点で、既にすずは「あなたのところに行きたい」と話しかけていた。最初からすずは恵と知の下へ行くつもりだったのである。
3)恵はすずに何をしてほしかったのか
 ここから、すずが東京に何をしに行ったのかを、竜とすず双方の視点から考えてみたい。
 本作へのよくある批判に、「結局、ラストシーンで生身の姿で会いに行くことを称揚するのであれば、ネットの世界を描いてきた意味がない」というものがある。
 しかし、この意見はラストシーンおよび、本作の趣旨を誤解していると思う。
 竜(恵)は、すずを「すず」とは一度も呼んでいない。東京の場面でも、常に「ベル」と呼んでいる。初めて画面越しに顔を合わせ、「私、ベルだよ」と言うすずを、恵は「そんなわけないだろ」と一蹴するが、あくまで「そんなわけない」であり、「そんなことどうでもいい」とは言っていない。竜にとってベルはかけがえのない存在なのである。
 すずがUの中でアンベイルされた状態で歌った後、恵は「本当にベルなのかな?僕はまだ完全に信用したわけじゃない」と言いながらも、すず側との通信を回復させている。この「完全に信用していない」とはどういうことか。「すずがベルのオリジンである」ことは先ほどのライブから明らかであり、そのことに疑いがあるわけではないだろう。だからこそ通信を復活させたのだ。
 完全に信用していない、とは「さっき画面越しに自分に話しかけてきた女」がベルのオリジン、いわゆる「中の人」であるだけでは不十分だということである。なぜ不十分なのかと言えば、往々にしてAsとオリジンには乖離があるからだ。恵自身と「竜」の関係がそうであるし、もっと言えば、彼の父親がインタビューで見せる「立派な父親像」「母親がいなくても仲良く暮らしている家族像」と家の内側での実像との乖離がそうである(本作が、Asとオリジンという概念に、単にネット上のアバターと「中の人」を超えた意味を与えていることがうかがえる)。すずがベルのオリジンだとして、すず自身の内面がベルと同じであるとは限らないのである。
 これは、駅前の場面で、しのぶが「すず、ベルだろ」「ベル、すずなんだろ」と、ひっくり返して2回言ったのとも呼応する。これは「イコール」ではなく、「矢印」の関係で捉えるとわかりやすい。しのぶは、単にベルのオリジンがすずであると言っているのではなく、「ベルがすずであり、すずはベルであるという」双方向の関係について述べているのである。
 すずの姿で歌っただけでは、一方向の関係(ベル→すず)しか恵に示せていなかった。見方を変えれば、恵にとって、ベルをベルたらしめているもの(アイデンティティ)が「歌」ではない、ということである。恵にとってベルはただの「歌姫」ではないのだ。
 しかし、恵は接続を復旧させ、すずに自分たちの居場所を教えようとする。父親に妨害され、通信を切られてしまったが、恵はすずに何を望んでいたのか(もちろん児童相談所への通報ではない)。
 ラストの再開シーンで恵が言う「来てほしかった」とは、正確に言えば「ベルに来てほしかった」である。すずの「わたしはベルだよ」「あなたのところへ行きたい」という言葉に賭けたのだ。
 つまり、すずは、ボディシェアリングも視覚の制御もない、現実の世界で「ベル」として恵の下に現れなければならなかった。
  さて、接続が復旧し、「ベル、見える?」と知が問いかけたにもかかわらず、すずは最初に仲間たちの方を振り返り、しのぶに抱きついていた。初めて本作を観た時、わたしは「喜んでいる暇があったらさっさと知に返事しろよ」とやきもきしたのを覚えている。初めから兄弟から目を離さず、返事をしていれば、居場所を聞き出すのも間に合ったのではないか、と。
 しかし、この失態ともとれる描写は、すずが皆と一緒である限り「皆に見守られているすず」という文脈から逃れられないことを示しているのではないか。友人たちや聖歌隊の大人達が見ているのはすずであり、彼(女)らにとって、恵と知は「見ず知らずの虐待されている兄弟」でしかない。
 駅へと向かう車内で、すずが1人で行く決心を告げた理由のひとつは、ここにあるのではないかと考える。「可哀想な虐待されている兄弟を、児童相談所の代わりに救い出す」という大人たちの文脈の中にいる限り、すずはベルとはなりえないのだ。
 兄弟の居場所をみんなの力で推理する間、すずは一言も発していない。この時すずは、自問していたのではないだろうか。恵が何をしてほしかったのか、自分は何をすべきだったのか、これから何をすべきか。
 児童相談所や大人達が考えている救済が、外的ないしは制度的な救い(またはその代替)であるのに対して、すず(ベル)がそれに優先して恵と知に届けたのは、ひたすらに内的な救いである。なぜそうしたのかと言えば、それが自分にできることであり、自分にしかできないことだからだ。
 恵が、すずをベルと確信したのは、すずに抱きしめられた瞬間である。「心のそばに」の中で、ベルは竜に口づけしようとするが、竜が固く目を閉じたのを見て、竜を抱きしめ、ただ頬を寄せる。侵略的でない愛、自分を尊重して寄り添ってくれる愛。それを体現するものがベルなのである。
 4)この映画の「やり直し」とは何か
 しかしここまで述べたことは、あくまで恵(竜)の望みという観点から導き出された答えであり、いわば、「すずが1人で行った意味」のA面でしかない。
 実際、喜多と中井がこの理由だけで納得したとは思えない。亡き友人の娘、我が子のように見守ってきた少女が、見ず知らずの子どもたちのために危険な道を選ぼうとしている。彼女の母親と同じ道をたどってしまうのではないか…と考えるのが自然ではないだろうか。
 実際、本作の感想を観ても、こうした批判は少なくない。自分がそれによって深く傷つけられ、苦しみ続けてきたはずの、母親の自己犠牲的行動をなぞらせ、それを美化しているのではないか、と。
 だがここに、本作を観た人の少なからぬ割合の人が陥っている勘違い、誤解があるとわたしは考えている。
 それは、すずは母親の行動をただなぞったわけではないということだ。
 たしかに、優しい心を持ち、今自分自身にしかできないことをしようとした、という点では、すずと母親は重なっているだろう。同じように雨が降っていることから、ラストシーンが、母親を亡くしたあの日との対比になっていると考えるのも不自然ではない。
 だが、母親が助けようとした見ず知らずの子どもと、恵と知の兄弟とを重ねて捉えることには、わたしは以前から違和感があった。
 まず、すずにとって恵と知は「見ず知らずの子ども」ではないはずだ。彼らだけの間につながる魂の交流(秘密のバラ)が確かにあったのではなかったか。
 違和感のもう一つの理由は、少しややこしい。冒頭のUを紹介するナレーションでこのように述べられていたのを思い返してみよう。
「現実はやり直せない。でもUならやり直せる」
 ここで重要なのは「Uならやり直せる」であり、「Uでなら」「Uの中なら」ではないことだ。このUは、仮想現実空間としての「U」に限定されないニュアンスがある。もしU=YOU、あなた、と捉えるなら、「Uはもう一つの現実」とは、「あなた自身の中にもう一つの現実がある」ということになる。
 さて、ここで言われている「やり直し」とは何なのか。この映画の中で、何がやり直されているのか。母親の行動をなぞったのであれば、それは単なる「くりかえし」に過ぎない。やり直すからには、前と違わなければいけないはずである。それは何か。
 結論から先に述べるなら、恵と知と重ねるべきなのは、向こうで助けを求めて泣いていたあの子どもではなく、あのとき、助けを求めることができなかった子どもである。世界そのものとのつながりに等しい存在を断ち切られた子ども、見捨てられた子ども、もっともらしい「正論」によってさらに傷を抉られ、うちのめされながら、声を上げることができなかった子ども。つまり、すず自身だ。
 考えてみれば、すずが竜のために作ったラブソングである「心のそばに」からして、すず自身の心が投影されていた。口にできない怒り、恐れ、悲しみを胸の中に隠しているのも、「一人で生きていける」と何度も自分に言い聞かせてきたのも、すず自身である。
 ベルが初めて出会った竜に心惹かれたのも、あの全てを拒絶し、凍りつかせるような竜の戦い方に、自分自身の奥にある感情を揺さぶられたからに他ならない。すず(ベル)と恵(竜)は鏡写しの関係にあるのだ。
 「鏡写し」は本作の裏のテーマである。現実と仮想空間、Asとオリジン、恵の父親とジャスティン、ルカ=太陽とすず=月、ジャスティンたちのアンベールとすず(ベル)が行う(心の)アンベール。ジャスティンが行う竜の住所特定とすずたちが兄弟の住所を突き止める過程。数え上げればきりがない。
 その割に本物の鏡が一度もモチーフとして登場しないように思えるが、まさに「心のそばに」を作曲した水面こそが「鏡」なのだと言える。なお、あの川には実在のモデルがあり、その名も「鏡川」である。
 どれだけ周囲が見守ってくれても、それ自体が直接にはすずの救済とはならなかったように、あの日のすずを救済するには、母親の気持ちを理解した自分自身が、母親の代わりに助けに行かなければいけなかった。そして、それは、他者である「虐待されている子ども」を助けに行くという、大人たちの文脈では達成できなかったのだ。
 すずが雨に濡れながら抱きしめたのは、世界とのつながりを失いひとりぼっちになったあの日のすず自身である。これがすずが一人で東京に行った意味の「B面」である。
恵の魂を救済することはすずの魂の救済であり、すずの救済は恵の救済なのである。
 5)おわりに―鏡写しについて
 こう書くと、自分の傷を他人に投影して、自分を救うために他人を守るというあり方は不健全ではないか、という考えも出てきそうだ。
しかし、本作が提示している「鏡写し」とはそうした利己主義的な意味ではなく、「他者と向き合うことは自分自身と向き合うことそのものである」、別の言い方をするなら「他者と向き合うことでしか、自分自身を見出すことはできない」という命題なのではないか。
 すずの家庭と、恵と知の家庭が鏡写しであると考えるなら、恵と知もおそらく母親を亡くしたのだろう。ふたりの父親は、おそらく自分自身の怒りや恐れ、悲しみに向き合うことも、自分と同じ傷を背負っている、恵や知のありのままの姿を受け入れることもできなかった。だからこそ彼は理想の家族、父親という「As」にすがり、やがてそのAsに自我が飲みこまれてしまっていたのではないだろうか。これは、「正義」というAsに憑りつかれて、他人を従える権威の虜となってしまったジャスティンと重なっているし、もっと言えば自分自身の暴力性を透明化するネットの暴言ともつながる。幼いすずは、母親の死という心的外傷の上に、インターネット上で匿名の相手から、「正論」という体で暴力を受けていたのである。
 ついに現実の世界で恵(竜)と対面したすず(ベル)は、「あなたは私の臆病だった心を解き放ってくれた」と告げる(※2)。すずが何に臆病だったのかといえば、他者と向きあうことであろう。最愛の存在であった母親に置いて行かれた(と感じた)精神的外傷による呪いともいえる。母親との死別以来、すずは竜と出会って初めて、自ら他者を求めることができるようになったのである。
 だから最後の対決は、Asを自らのものにしたすず=ベルによって、父親が「父親」としてのAsをアンベールされ、一人の弱い人間としてのオリジンに立ち返る形で終わったのである。
  これまで述べてきた動機を、すず自身がどれだけ自覚し、言語化できていたかはわからない。だが、すずの決心を聞いた時、喜多と中井はおそらく、「すず自身のためにこそ」それが必要である、と直感したのだと思う。「すずの幸せ」を心の底から願っていた2人だからこそ、そこに疑いがあったら、すずを一人で行かせはしなかったはずである。
 そして、もちろんそれは客観的な「正解」ではない(幸せに正解というものはない、という命題は、すずと聖歌隊の大人達との問答で既に提示されている)。
 この記事で試みたのは、すず自身がたどった道すじに、そうすべき内的な必然性があったということを、オリジンとAsの両面から示すことであった。結果として、それは作品全体をどう読み解くのか、提示されている動機をどう受け取るべきかを問われることとなり、最初に本記事を書こうと決めた時から相当な時間が経ってしまった。それでも、上映期間中に書き終えることができたのは幸いである。
 「竜とそばかすの姫」は多様な読み方を許容し、求めてくる作品である。これからもたくさんの人の読み方、解釈を見たいと思うし、読んでくださった方にとって、本記事が豊かな映画体験を支える助けに少しでもなることを願っている。
 (※1)あくまで動機としての優先順位の話であり、すずが児童相談所の役割などを軽視していたということではない。すずが恵・知と会った後、どうしたのかは具体的に描かれていないが、おそらく、高知で待機していた仲間たちに連絡を取り、大人達の助けも借りながら、児童相談所に繋げるところまではやったのではないかと推測している。
 少なくとも、一度は仲間たちに連絡を取っており、その際にすずはこちらの様子を映像として知らせたと考えられる。なぜなら、駅ですずを迎えた時、誰もすずの顔の傷に言及しないからである。送り出してから初めてすずの顔を見たのなら、顔の傷について触れないのは不自然だ。
また、川沿いを歩きながらしのぶは「あの子たちを守るすずを見て、なかなかやるなって思った」と言っているが、しのぶはすずが父親と対峙する場面を見ていないはずだ。では何を見ての発言なのかと言えば、父親との対決後に連絡をとった時の、すずの様子なのではないだろうか。
あくまで想像だが、喜多と中井は、すずを一人で行かせるかわりに、兄弟と会うことができたらこちらに連絡するように約束したのかもしれない。
(※2)なお、ここで恵が「君の立ち向かう姿を見て、はっとした。僕も立ち向かわなきゃいけないって思った」と言うのは、「一人で父親と闘う」という話ではなく、「僕が耐えさえすれば、それでいい」を止めるという意味である。
これを一種の「自己責任論」の発露として捉えてしまうのは、物語を物語として読めていないと思う。本作は、出てくるモチーフや言葉に出来合いのラベルを貼りつけるような観方をする人が「誤解」しないように、親切に作られてはいない(そういう意味では「良い脚本」ではないかもしれない)。
「立ち向かう」とは、「わたしはAsの暴力に屈しない、わたしのオリジンを否定させない」という意思の表明であり、自分というオリジンが守られるだけの価値がある存在だということを、ベルが身をもって伝えたのである。
6 notes · View notes
kanglo · 10 months
Text
小説『サルの覚醒』著者が語る己の道の啓き方~“第二章”の秘話を参加者の皆さんだけに/第24回SCICオープン・ダイアログ/藤井啓人氏(2023年8月11日)
Tumblr media
「小説『サルの覚醒』著者が語る己の道の啓き方~”第二章”の秘話を参加者の皆さんだけにお伝えします」 第24回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/ 講演者:藤井啓人氏 〔2023年8月11日(金)20時~〕 チケット: https://scic230811.peatix.com/view https://www.facebook.com/events/1692218484624206 ■日時:2023年8月11日(金)20時~22時(オンライン開催) ■講演概要: 悲しくも、不登校や引きこもりやいじめ、そして若者の自殺が増え、夢と希望を見失っている10代の彼らに対し、どうやって魂のエールを送れるか。その一つの解としてひねり出したのが、『サルの覚醒』というノンフィクション小説だった。仕事と会社経営の合間、構想2年、執筆1年を経て、2023年春に上梓し、全て手弁当ながら、地道な活動に少しずつ応援の輪が広がりつつある。しかし、ゲームやマンガ、娯楽テレビ、そしてスマホなどの極小の枠の世界にどっぷりと漬かり、窮屈な時間を費やす彼らにメッセージを届けるには、もっと周囲の知恵や協力がいることが分った。現在、『サルの覚醒“第二章”』を模索する中、奮闘する著者の苦労話や秘話などをお伝えする。藤井啓人の「道の啓き方シリーズ」第二弾!乞うご期待下さい。(講師より) ★いい感じです!イメージ動画: 『サルの覚醒/存在意義を思い出したサル 〔第一章〕 』#sarunokakusei #藤井啓人 #KANGLO #purpose  #books #サルの覚醒 #サルを探せ https://youtu.be/HD-Ej91KPjE ■講師:藤井啓人(ふじいひろと)氏 プロフィール: カングロ株式会社 代表取締役 ●未熟者。時々、幸せを呼ぶそよ風チャリダー https://www.kanglo.co.jp/about/profile.html ■Zoomオンライン:URLは、Peatix経由によるチケット購入者に自動送信されます ■タイムスケジュール:基調講演(約90分 Q&A含)後に、講師を囲み、対話を行います。 ■オープン・ダイアログ参加対象: ※どなたもご参加頂けます ・SCIC正会員 ・SCBC修了生&SCBC受講生 ※SCIC未会員 ・一般参加(社会人) ※SCIC非会員 ・特別ご優待枠 ・学生(中学~大学院生) ■参加料: 一般参加者(社会人)※SCIC非会員\5,000 SCBC修了生&受講生 ※SCIC非会員\3,000 SCIC正会員 無料 特別ご優待枠 \3,000 学生(中学~大学院生)\1,000 ■SCICとは: SCIC(Shock Coherent Innovation Club)は、ショック・コヒーレント基礎講座(SCBC)修了生をベースとした会員制クラブです(ご入会頂くためには、SCBCを受講し修了証明が必要となります)。 https://scic2023.peatix.com/view ●目的:SCBC修了生同士の交流と創発の加速。私たち自身が動き、世界に奇跡を起こす ●概要:  ①月例会の開催  ②会員同士のコラボ醸成   ③SCC訪問視察ツアーの企画   ④会員の生業のサポート  ⑤その他創発事 ※いずれも参加できる時に参加  ⑥基礎講座の復習フォロー(基礎講座への復習参加は原則全回無料)  ⑦その他、新企画(随時、投入予定)↓  https://scbc2023r.peatix.com/view ●SCICに関する問合せ: [email protected] -------------------------------- ■『Shock Coherent(ショック・コヒーレント)』とは: 現代社会は今、破壊的な人間活動によって、エントロピー(無秩序・乱雑さの度合い)を加速度的に増大させています。故に、地球環境の悪化による気候変動や自然災害、絶え間ない疫病の発生、人心荒廃による貧富の格差拡大、資源収奪、世界各地で紛争や戦争が頻発化し、世界の指導者たちが核兵器の使用をほのめかす事態となり、もはや地球生命全体の未曾有の危機に陥っています。これを人々は、VUCAワールドと呼び、行先不透明な生き難い時代の合言葉となってしまっています。 このような時代において、「私は、これからどう生きれば良いのか?」と、多くの人々が、自問自答を繰り返し、五里霧中の状態に陥っています。このままでは、時代に翻弄され、本来あるべき使命を全うすることなく人生を終えてしまうことになるやも知れません。そうならないために、私たちに何が出来るのか。当講座は、そうした社会の強い要請により、30年に及ぶ研究の集大成により創発的に完成した稀有なプログラムです。 当講座では、様々な立場の仲間と共に、自分自身の「存在意義(パーパス)」を見つける5ヵ月間の不思議な旅に出て頂くこととなります。即ち、この「存在意義(パーパス)」が、自己変革への道標となるのです。そして、感性を刺激し、心を揺さぶる独自のアプローチフレームを活用し、固定観念の融解を起こし、事例や課題から自己変革へのヒントを得、仲間やファシリテイタとの多くの対話や繋がりから閃きをもらい、自身でも予期せぬ“創発”を起こしていきます。 このワークショップは、個人が真の意識変革を興すことを目的として、カングロ株式会社によって開発されたプログラムです。私たちは、この講座を多くの方々にお届けすることを使命とし、日々事業を営んでおります。そのことを通じて、真の道を啓く方が増え、社会そのものの変革を成し遂げられたら本望であります。ぜひ、講座で会いましょう。 (プログラム開発者:藤井啓人) ■ショック・コヒーレント基礎講座 第7期生開催中! 第7期『ショック・コヒーレント基礎講座』 VUCA世界を突き破り、己の道を啓け~パーパス(存在意義)によるシン変革ワークショップ 2023年7月11日~2023年11月14日全10回講座 チケット: https://scbc07.peatix.com/view ■第1~6期「ショック・コヒーレント基礎講座」全アーカイブ・オンデマンド映像集(有料コンテンツ) https://vimeo.com/ondemand/shockcoherent ----------------- ★【ダイジェスト版動画特別提供映像】: 「上手くいっている経営者は実践している~九星気学を活用した組織構築と経営」第23回SCICオープン・ダイアログ/山田早苗氏 (2023年7月14日) https://youtu.be/hJ1bawvuXpE 「地域共創型サステナビリティ活動の育て方」第22回SCICオープンダイアログ/西田哲也氏(2023年6月9日) https://youtu.be/HlccCwoXLqc 「いまどきの就活と人材育成~コロナで世の中の働き方、人との接点が変わって3年。いまどきの新卒の就職活動と企業の動き、今後について妄想します」第21回SCICオープン・ダイアログ/河合洋氏 (2023年5月12日) https://youtu.be/pmsu1fga9eQ 「54歳の地図 青春の意味を問い直すロールモデル無き人生の彷徨い方」第20回SCICオープン・ダイアログ/山田修司氏 (2023年4月7日)【ダイジェスト版】 https://youtu.be/TMRbyfEUX_c 「心理的安全性を醸成するコミュニケーション~あなたのチームのパフォーマンスと定着率を高める方法」第19回SCICオープン・ダイアログ/池田かなえ氏 (2023年3月9日) https://youtu.be/Gsk5JF4ZCEc 「眠る資産に価値をつける!地方の現状と世代交代後の未来」第18回SCICオープン・ダイアログ/博多敏希氏 (2023年2月10日) https://youtu.be/hU7SvTAhgFk 「地球意識革命・未熟者の道の啓き方~人生のメタノイア(視座転換)についての基礎編」第17回SCICオープン・ダイアログ/講演者:藤井啓人氏 (2023年1月13日) https://youtu.be/CtaWJAboMKM 「なぜビジネスにアート思考が必要なのか?世界の見方を変えるアート思考」第16回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープンダイアログ/講演者:森夕花氏(2022年12月9日) https://youtu.be/vFnykrdzwt4 「VUCAワールドに効く個人と組織の視点の再構築~自己や地者、そして世界への認識の見直し」第15回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:楠徳生氏 (2022年11月11日) https://youtu.be/-wIwXLX4ZUQ 「破壊と創造~壊れると、新しく生まれる/コロナ禍で悪者だった飲食店はどう変化していくのか」第14回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープンダイアログ/講演者:福本浩幸氏(2022年10月7日) https://youtu.be/ygxXywmvQ1w 大企業病への挑戦 第2章~認知科学の実践における人間性と抽象度の壁/自分を変え、常識を変え、世界を変えていく/第13回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:内藤礼志氏 〔2022年9月9日) https://youtu.be/qBNlFTor9hw 新しい『構造』がうつ病から復活させ組織も前進させる~うつ病経験者が語る、ストレスとつき合い未来をつくる方法/第12回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープンダイアログ/講演者:堀北祐司氏(2022年8月5日) https://youtu.be/HudMdpphjEI The 事業承継~当社流、バトンの受け方、渡し方/第11回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:大島右京氏/2022年7月8日 https://youtu.be/dWnOtXQAmqw 心理的安全性のリーダーシップを身に付ける方法~組織パフォーマンス最大化の処方箋/第10回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:倉持茂通氏(2022年6月8日) https://youtu.be/DuUvRzcqJD0 100年企業研究から見えてきた、コロナ禍だからこそ変えなければならないこと、変えてはいけないこと/第9回Shock Coherent Innovation Clubオープンダイアログ/講演者:小山貴子氏(2022年5月13日) https://youtu.be/0juftCrZ1mQ 人事制度のミライを探求する~ノーレイティングを超え給与を自己申告する人事制度への挑戦/第8回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープンダイアログ/講演者:福留幸輔氏(2022年4月15日) https://youtu.be/XEm-OdMYwMY 「パーパスと共に生きる時代/パーパスとはいったい何なのか?宇宙の営みから壮大なタペストリーを読み解く」第7回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/講演者:森夕花氏(2022年3月11日) https://youtu.be/vNaK4qH94fA 「部署なし管理無し評価無し、VUCA時代に挑む選択できる組織作りへの挑戦」第6回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/金光広樹氏(2022年2月18日) https://youtu.be/33DyPirlM7c 「新規事業における企業の在り方」第5回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/長島壮洋氏(2022年1月13日) https://youtu.be/eM3sRZDo0Ng 「ティール組織の作り方“レシピ”」第4回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/嶋田崇孝氏(2021年12月10日) https://youtu.be/JDp0srEGxGE 「こころの病との上手な付き合い方~仕組みがわかれば予防ができる」第3回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/中田健士氏(2021年11月5日) https://youtu.be/_OW88883t7o 「混ざると、新しい事業価値が生まれる。」第2回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/星野良太氏(2021年10月8日) https://youtu.be/fZJWaFmhAD4 「大企業病への挑戦~認知科学の理論と実践」第1回Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ/内藤礼志氏(2021年9月3日) https://youtu.be/aV8ux6Ha-9M ■「Shock Coherent Innovation Club(SCIC)オープン・ダイアログ」アーカイブ・全オンデマンド映像集(有料コンテンツ) https://vimeo.com/ondemand/scic ■主催:カングロ株式会社 https://www.kanglo.co.jp 協力:サステナ塾/SDGs超実践者委員会/イノベーションサロンZ/システムD研究会/フィロアーツ研究会
1 note · View note
myaachanissocute · 3 years
Text
Today's choice
By Saito Soma
52. 堀江敏幸
title『河岸忘日抄』
comment
これも何度か紹介しているけれど。ひとつの理想的な生活のかたちだと思います。文章それ自体をじっくりと味わえる素敵な作品です。
53. トクマルシューゴ
title『ポート・エントロピー』
comment
音楽ってもっと自由で、好き勝手で、でも数式や建築物みたいに綺麗なものだと、トクマルさんを聴くといつも思います。M5『Rum Hee』をぜひ聴いていただきたいです。
54. 日渡早紀
title『ぼくの地球を守って』
comment
もう各所で紹介しまくっているのですが。こんなに素敵な作品にはそうそう出会えません。もうこれはここで見たのも縁ですから、ぜひ大いなる大気の巡りあわせを感じて読んでみてください。大好きなんです。
55. 松浦寿輝
title『もののたはむれ』
comment
ふと立ち寄った書店で見つけた1冊。思弁的なようでいてぐいぐい読ませる文体で、気づけば異界に紛れこんでいます。『花腐し』も積読ですが早く読みたいな。
56. BURGER NUDS
title『symphony』
comment
今でも手に入るのかはわかりませんが、ぼく��10代の音楽の間違いなく中心であったバンドです。内省的かつポップは音とことばたち。ただただ格好いい。GDHMも紹介します。
57. 浅野りん
title『PON!とキマイラ』
comment
いやこれを書くにあたって調べたけどやっぱりKindleないのかよ。10冊くらい買うからぜひお願いいたします。浅野先生のユーモア大好きです。清丸好きすぎですよ。偉い皆さまお願いいたします。
58. マリオ・バルガス・リョサ
title『フリアとシナリオライター』
comment
これは氏の作品の中ではエンタメ寄りと言えるかもしれません。日本でいうと筒井康隆さん的なマジックリアリズムとスラップスティック。すいすい読めちゃいます。
59. Good Dog Happy Men
title『Most beautiful in the world』
comment
素晴らしい完成度を誇るミニアルバム。すべての曲がひとつの物語を紡ぐスタイルに、「これだ!」と当時思ったものです。ファンタジックかつシニカルな歌詞にもメロディにもとても影響を受けています。
60. 日本橋ヨヲコ
title『G戦場ヘヴンズドア』
comment
日本橋先生の漫画にはいつもシニカルなユーモアと熱さが共存していると感じますが、中でもこの作品は「マンガ」というものに対する心からの熱を感じます。何度も読み返したいですね。
61. 多和田葉子
title『地球にちりばめられて』
comment
まだ読み終わっていないんですけど、序盤からすでに好きのかおりしかしません。脳が喜んでいるのを感じられるような文体。多和田さんの他の作品ももっと読んでみたいです。
62. Syrup16g
title『COPY』
comment
シロップを聴くと、甘いだけではないあの日々を思い出します。M3『生活』はあまりにも有名ですが、M5『デイパス』にすごく救われた気持ちになりました。音楽準備室でハミングバードを弾き語ってくれた彼、元気かなあ。
63. コナリミサト
title『珈琲いかがでしょう』
comment
最初に読んだコナリ先生の作品かもしれません。青山さんがとにかく格好よく、またポップな絵柄とは裏腹に静かな狂気を孕んで展開していくストーリーが大好きです。
64. 安岡章太郎
title『ガラスの靴・悪い仲間』
comment
いわゆる「第三の新人」の作家さんが好きなのですが、安岡さんの文章に妙に惹かれてしまいます。どこか昏い感覚をポップに書いてしまう文章力がすさまじいです。
65. The Smashing Pumpkins
title『Mellon Collie and the Infinite Sadness』
comment
大ボリュームかつ名曲揃いのアルバム。M2『Tonight, Tonight』M3『Thirty-Three』など、泣きの傑作も多い。歌詞もロマンチックで大好きです。
66. 三好銀
title『海辺へ行く道』
comment
最初は表紙に惹かれて書い、読んだけれどしばらくハマれず。数年後に再読したらめちゃくちゃ染みました。心象風景と引き算のストーリーがとても素敵です。詩情を感じますね。
67. 川島誠
title『セカンド・ショット』
comment
児童文学だと思って気楽に読むなかれ。『電話がなっている』の切なさとやるせなさよ。爽やかな読後感の作品もあるだけに、読み終わるまでのどきどきがたまらない1冊です。
68. 安藤裕子
title『Middle Tempo Magic』
comment
ポップだけどそれだけじゃない、ユニークな曲の展開と詞世界が素敵です。安藤さんの歌声も奔放かつ余裕さもあって聴き心地がよき。M5『黒い車』みたいな曲、格好いいですよね。
69. Fiona Apple
title『真実』
comment
現代はめちゃくちゃ長いので邦題で。声かっこよすぎ曲よすぎというすごいお方。M3『Limp』のやさぐれセクシーさんたるや。こういうキャバレーミュージック的なの大好きです。M7『Fast as You Can』も強い。
70. つげ善春
title『無能の人・日の戯れ』
comment
なんで好きなのかと言われてもそんなにうまくは答えられないけれど、とにかく折に触れて読み返してしまいます。つげさん的な雰囲気を持ったマンガももれなく好き。
71. 久住昌之
title『昼のセント酒』
comment
こういうお昼の時間をキメたいときってありますよね。ささやかで、でも贅沢な。昔スイミングスクールが終わったあとにいちごオレを飲んだときのあの感覚にも似ている気がします。
72. The Libertines
title『Up The Bracket』
comment
各所で言っていますがやっぱり大好きリバティーンズ。楽曲のクオリティももちろんのこと、彼らにまつわるエピソードも含めて自分の中でとても大きい存在感を持つバンドです。このアルバムならM2『Death on the Stairs』がいちばん好きだなあ。
73. panpanya
title『おむすびの転がる町』
comment
全部好きですがたまたま目についたのでこれを。panpanyaさんのこの、シュールなのに懐かしいかんじはなんなのだろうか。ちょっとつげ義春さんっぽさもありつつ、唯一無二の素敵さです。
74. 内田百閒
title『冥途』
comment
百?先生は夢のような幻想のような作風で知られていますが、中でも『冥途』『件』『サラサーテの盤』などが好きです。いつかどこかで、たしかにそんな夢を見たような。不思議な気持ちにさせてくれます。
75. 本広克行
title『サマータイムマシン・ブルース』
comment
夏といえばSFですよね。ヨーロッパ企画・上田誠さんによるきれっきれの台本と、ゆるーいノリがたまらない1本。ビールを飲みながらだらだら観たい、そんな作品です。
76. The World/Inferno Friendship Society
title『Red-Eyed Soul』
comment
なにかの雑誌で見かけたブルックリンのパンクバンド。当時日本では流通がなかったので、親を説得して初めてAmazonで買い物しました。M4『Only Anarchists Are Pretty』が最高。
77. 岩本ナオ
title『町でうわさの天狗の子』
comment
これも何度も言っていますが、ふと岩本先生の世界に浸りたくなるときがあります。もっと若いときに知って読んでいたかったなあ。もちろんいつ読んでも最高にハートフルなのですけどね。
78. 滝本竜彦
title『NHKにようこそ!』
comment
滝本先生の描く鬱屈感にすごく共感し、自分にも岬ちゃんのような人が現れてくれないだろうかと思っていたあのころの思い出です。
79. MAROON5
title『Songs About Jane』
comment
世界的バンドとなったマルーン5ですが、斉藤少年も1stを聴いたときにあまりのセクシーさに腰が砕けました。リードトラック以外も隙がなく、何度聴いても乗れます。アダムさんすでに歌がうますぎる。
80. 芦奈野ひとし
title『ヨコハマ買い出し紀行』
comment
こういう穏やかなポストアポカリプス系になぜこんなにも心が惹かれるのか、じつのところ自分でもよくわからないのです。でも、こんな生活は間違いなく理想のひとつなんだよなあ。
81. ジャック・リッチー
title『クライム・マシン』
comment
切れ味鋭い短編ミステリ集。とても読みやすい上によくまとまった短編揃いなので、ちょっとした隙間にも楽しめるのがいいですね。
82. SAKANAMON
title『・・・』
comment
『ミュージックプランクトン』で一気に引きこまれました。このアルバムは本当にどの曲もいい。M5『SYULOVER』、M7『テヲフル』が特に好きです。ユーモアって大切。
83. -
title『学園戦記ムリョウ』
comment
大好きなSFアニメ。NHKさんには良作のSFアニメが多いですよね。ゆるさと壮大さのバランスが絶妙。いつかこんな世界で暮らしてみたいものです。
84. People In The Box
title『Frog Queen』
comment
ピープルさんも大好きで迷いましたが、いちばん聴いていたこれで。M7『六月の空を照らす』がとにかく格好いい。というか全部格好いい。マスロックかつポップ。歌詞も好きなんです。
85. ラズウェル細木
title『酒のほそ道』
comment
お酒が好きな方は必ず一度は読んだことがあるのではないでしょうか。家飲み、店飲み、どちらでもいろいろなこだわりが詰まっていてすぐに試せる。お酒のアテに最高のシリーズです。
86. 筋肉少女帯
title『SISTER STRAWBERRY』
comment
好きな曲がありすぎて選べませんが、M2『キノコパワー』、M6『いくじなし』が好きなのでこちらを。キーボード三柴さんの超絶技巧とオーケンさんの詩世界にトリップしたいときはこれ。ナゴムレコード万歳。
87. イトイ圭
title『花と頬』
comment
タイトルも想定も素敵。勝手ながら先生とは好きな音楽の趣味が合いそうな気がしております。こういう「AとB」的なタイトルでびしっと決まると本当に格好いいですよね。
88. Radiohead
title『The Bends』
comment
どれも好きなのですがM7『Just』が聴きたくなったので。問答無用で格好いい。こういうギターソングを自分でもやってみたいものです。M4『Fake Plastic Trees』もいい曲ですよね。
89. 畠中恵
title『しゃばけ』
comment
ご縁あって読みはじめたらハマりました。百鬼夜行抄や家守綺譚にも通ずる妖たちとの日々の営み。謎解き要素もあって二度美味しいですね。仁吉さん格好いい。
90. 七尾旅人
title『リトルメロディ』
comment
上京したてのころ偶然ライブを観たような記憶がありますが定かではありません。M5『サーカスナイト』を何回聴いたことだろう。金木犀のかおりがすると、いつもあのころを思い出します。
91. 神海英雄
title『SOUL CATCHER(S)』
comment
ジャンプ作品といえばとうぜん熱い名作が多いわけですが、ぼくはこの作品の熱さがいっとう好きなんです。本当にアニメ化してほしい。絶対に多くの人の心を打つと思います。
92. サンタラ
title『PORTRAIT』
comment
どうやって辿りついたのかは覚えていませんが、M8『バニラ』を聴いて好きになりました。M3『嘘つきレノン』もいいですね。ハーモニーとコード感にはけっこう影響を受けている気がします。
93. 水上悟志
title『惑星のさみだれ』
comment
『スピリットサークル』とともにけっこう各所で言及してしまったのですが、やはり外せません。泣いて笑って酒飲んで。長さも絶妙ですよね。『戦国妖狐』もがっつり泣けるのでぜひに。
94. 春野
title『CULT』
comment
サブスクで知りました。最初に聴いたのはたぶんM1『燃える夜』かな。今っぽいメロウ��ちょっと悲しくグルーヴィなトラックが素敵です。自分も打ち込みの技術を上げてこういう曲をやりたいものです。
95. 藤崎竜
title『WORLDS』
comment
もちろん『封神演義』も好きですが、この初期短編集はさらに濃い。ビアズリーを思わせる繊細かつ妖艶なタッチの絵でぐいぐい引きこまれます。フジリュー先生の作品はどれも思い出深いなあ。
96. 落日飛車
title『Cassa Nova』
comment
台湾のネオソウル/シティポップバンド。まずバンド名が格好よすぎる。最初はスタジオライブの映像を観たのですが、生で聴いたらものすごく気持ちよさそうです。
97. 吉田秋生
title『夜叉 -YASHA-』
comment
大名作『BANANA FISH』ともリンクする名作。吉田先生の作品は、重厚なストーリーと優しいユーモア、そして愛が通奏低音のように響いていると思います。有末静くんが好きすぎます。もいっちゃんも。
98. Dirty Pretty Things
title『Waterloo to Anywhere』
comment
元リバティーンズのカール・バラー氏のネクストバンド。M1『Deadwood』、M3『Bang Bang You're Dead』あたりが特に好き。ある意味リバティーンズっぽさを正当に継承しているバンドはこちらなのかもしれませんね。
99. 和久井健
title『セキセイインコ』
comment
大好きな『東京卍リベンジャーズ』の作者様ですが、こちらはうって変わってかなりシュールで不思議な作風です。悪夢や絵本の世界に迷い込んだような体験をぜひお試しくださいませ。
100. Babyshambles
title『Down In Albion』
comment
元リバティーンズのピート・ドハーティ氏のネクストバンド。当時聴いたときはそんなに響かなかったけど、やっぱりピートはすさまじいソングライターだなと思います。ギターのジャキジャキ感も格好いいですよね。
12 notes · View notes
tr-life · 4 years
Text
節約&優待クロスの講師をしてきました
リーマンインテリジェンスさん主催、FPが実践するお金の知恵を磨く勉強会のオンライン勉強会で講師をしてきました!(https://r-int.hatenablog.com/entry/20200505/1588644340/)
Tumblr media
目次
勉強会の概要
前半:ミニマリストが実践する『超』節約で資産形成
後半:暴落でも安心!クロス取引でリスクオフ優待生活
オンライン懇親会
アンケート
今後について
1.勉強会の概要
この勉強会は元々大阪の会場で行われる予定でしたが、コロナウイルスによる影響でオンライン形式で行いました。
FPが実践するお金の知恵を磨く勉強会、オンライン勉強会第3弾で講師をします📝 ☑節約に限界を感じている方へ、さらなる節約のヒントを。やや抽象的な内容が多いですが、私の実体験を踏まえて分かりやすく伝えられればと思います😁 ☑後半は優待クロスについて。初心者向けですので、挑戦したい方へ! https://t.co/l0IcIzyAFZ
— にぼのぼり(にぼし) 🐟 10㎡ライフ (@trlife_info)
April 28, 2020
講師をするのが学生の頃やっていた塾講師のアルバイトぶりだったので緊張しましたね。
合計22名での勉強会でした。お忙しい中ご参加いただいてありがとうございます。
勉強会の様子です。参加者の方からはこのように見えていたようです。
Tumblr media
...半魚人ですね🐟
2.前半:ミニマリストが実践する『超』節約で資産形成
前半は普通の節約から一歩踏み込んだ『超』節約についてお話ししました。
普通の節約とは格安sim、マイボトルのようなもので、単純に○○費を削減する事です。
さらなる節約と聞いて、どのような事を思い浮かべますか?無理をしたり、健康や時間を犠牲にするような生活を思い浮かべていませんか?私の提唱する節約は違います。
○○費の区切りを破ってトータルで出費を減らすんですね。健康や楽しみのような要素はむしろお金より優先して考えています。このような節約を実践するには、当たり前だと思っている常識をブチ壊さなければなりません。しかし、常識を崩すアイデアをイチから作り出すのは難しいです。
講義では『節約の達人から常識を崩すヒントを学ぶ』という方法を提唱しました。ここで言う節約の達人とは、特定の人物を指すわけではなく、ミニマリストやバックパッカーといった独自のライフスタイルを持つ人たちの事です。さらに、一つの実践例として私の年間支出を公開したり、支出に対する考え方をお話ししました。
ちなみに、こちらが勉強会の講師をするきっかけになったツイート。
これってミニマリスト?私の持ってないものリスト 1️⃣テレビ 2️⃣洗濯機 3⃣エアコン 4⃣固定回線 5⃣ガス 6⃣風呂 7⃣サブスク(ジム以外) これら全てコストが発生します。 逆に、節約になる冷蔵庫や自炊道具は持ってます🍳 コンパクトな暮らしで入金力アップじゃー!!#ミニマリスト?#ただの節約家
— にぼのぼり(にぼし) 🐟 10㎡ライフ (@trlife_info)
October 21, 2019
状況によっては洗濯機置き場をなくした方が節約になったりします。エアコンなしはちょっと無理してますけどね💦
3.後半:暴落でも安心!クロス取引でリスクオフ優待生活
この勉強会は二本立てで、後半には優待クロス取引についてお話ししました。
株主優待ってご存知でしょうか?特定の株を持っていると、その会社で使える商品券が貰えたりする制度です。もちろん株を買うので値上がりしたり値下がりしたりが起きますよね?
優待クロス取引とは、株価の変動リスクを抑えて株主優待だけ引き抜く方法です。
そんな優待クロスですが、もちろん調べたら情報はたくさんあります。しかし、実際の取引画面を見ないと操作性が分からなかったり、注意点がいっぱいあったりで取っつきにくいんです。これから優待クロスデビューしたいという人に実際の取引画面を通してイチから説明しました。
加えて優待クロスを資産形成の一部としてどう捕えるかや、中級者向けの小技までお伝えしました。
後半の勉強会の様子
Tumblr media
やっぱり半魚人!!
4.オンライン懇親会
勉強会がオンラインだったので、懇親会もオンラインです。
過去に節約講座の講師をされた方の参加もあって、なかなかハイレベルな懇親会になりました。普段SNSで繋がってる方や、同じ資産形成という目的を持っている方とお話しするのは楽しいです。私の講義に対する質問や感想も聞けてありがたかったです。コロナが収束したら実際に会って話したいですね。
今回私は講師だったので、懇親会でも話す場面が多かったです。ですが、普段の私は聞く側にまわる事が多いです。話題を出したり周りにふったりするのは得意ではないんです。
杉本さん(https://twitter.com/singerFPson)が話をまわすのが上手なので、普段の私でも楽しめたかなと思います。この辺りも勉強会が長年愛されている秘訣かなと。もちろん、それぞれの参加者が強い意志を持って参加していて、一つ一つの話題で盛り上がるというのもありますが。
話していて気づいたのは、他の節約が得意な方を比べて私は圧倒的に計画性がないんです。普通節約と言えば何年後にいくら必要か、ライフプランを立てて、そこから逆算して今年いくら貯める必要があるか目標を立てるんです。
現在独身一人暮らしな私には、ライフプランに未確定要素が多いんですよね。近い将来にいつまでにいくら必要って感覚がないのです。楽しい範囲でなるべく早くお金を貯めるっていうのが私の節約術です。半分ゲーム感覚ですね。ライフプランを考えた上で資金繰りが足りない、そういう時こそ役立ちます。
ちなみに、懇親会用のお酒はpontaお試し引換券を使って50ポイントで手に入れました!こういった小ネタもいくつか挟んでいます。
いよいよ節約&優待クロスの講義当日にです! 残り半日、準備頑張ります! 懇親会用に初めてポンタでお酒(50㌽)買いました👍普段から飲む人には大きな節約でしょう! ただ競争が激しく、私が見ている間にも多くの商品が在庫切れになってました💦お菓子は前もって狙わないとダメですね#ポン活 #節約 pic.twitter.com/At8El1lGsu
— にぼのぼり(にぼし) 🐟 10㎡ライフ (@trlife_info)
May 1, 2020
5.アンケート
勉強系&懇親会終了後にアンケートをお願いしました。10名の方に回答頂きました。ご協力ありがとうございます。集計の上、公表します。
※満足度は満足、まあまあ満足、普通、いまいち、不満の五択です。
※棒グラフのは複数回答OKの質問、円グラフは一つを選ぶ質問です。
まずは全体について。
Tumblr media Tumblr media
参加された目的は節約と優待クロスでほぼ半々でした。参加費に関しては普通と答えられた方が多いです。
感想の所でお気遣い頂き感謝です。リーマンインテリジェンスさんの新しい事にどんどん取り組む姿も支持されています。
節約の勉強会に関してです。
Tumblr media Tumblr media
多くの参加者様に満足していただけたかなと思います。
一番印象に残っている事のトップは、私の節約の実践例でした。節約のヒントはいろいろな所にあるのですが、組み合わせる方法としては好評だったようです。もしくは私の変人じみた節約法が面白おかしかったのかもしれません💦ただお金を節約するだけではなく、健康や楽しみと両立する話も共感頂けたかなと思います。
もっと聞きたい内容はバラけた結果となっています。今回の勉強会では個別の節約法は小ネタ程度で、あまり触れていませんでした。飛びぬけた節約ネタと同じく紹介する機会を作りたいです。
私の節約術は節約や組み合わせ方のヒントを変えるのが主なので、最終的にどう利用するかは家庭環境によって異なります。私自身が一人暮らしなので、出て来る事例がやや偏っていました。家族構成や生活エリアを仮定した上で節約する方法を紹介しても面白いかもしれません。また、個別相談とかもやってみたいですね。
何故ミニマリストに興味を持ったのか?というご質問がありました。私の場合、元々バックパッカーだったと言うのが大きいです。長期の旅で少ない荷物で暮らせると分かるので、生活に当てはめられるという自信になります。一人暮らしをする時に広くて高い家か狭くて安い家かの二択なら、後者を取るでしょう。若い男性に多いのは、個人の意志で生活スタイルを変えやすいからだと思います。
優待クロス取引の勉強会に関してです。
Tumblr media Tumblr media
節約の勉強会に対してやや満足度が低い結果となりました。今回の講義は初めて優待クロス取引をする人に絞り込みました。クロス既に実践されている人が新しく学べる事は少なかったかなと思います。
印象に残っている内容ですが、基本的な内容が上位を占めました。優待クロスはイチから優待クロス取引を説明する勉強会は需要があるのではないかと思います。複雑な用語を浸かったりして一部分かりにくい所もあったかもしれません。その点は反省です。
もっと聞きたい内容には、月別に狙っている優待銘柄が首位になりました。取引方法をメインとしていたので、あまり銘柄については触れられませんでしたね。リストを公開して、そのうちのいくつかを説明出来れば良かったです。
節約との同時開催だったので、手に入れた優待をどう使うのかもお話ししたらよかったです。
 6.今後について
半年ぶりのブログ更新でした!もっと更新しないとですね💦勉強会を準備する上で書きたい事やネタがいっぱい出てきました。本番で頂いた感想やアンケートを反映して、私ならではの情報を発信していきます!
勉強会の内容も、再度何らかの形で伝えられればと思っています。また、時間の関係で伝えきれなかった内容も記事を書いて補完できたらと考えています。
最後に。リーマンインテリジェンスの皆様、11年目の最後と言うタイミングで講師としてお招き頂きありがとうございました。オンライン講習が軌道にのって、ますますの発展を願っています。
10 notes · View notes
heyheyattamriel · 4 years
Text
エドワード王 七巻
昔日の王の一代記、七巻
ドラゴン
「それじゃ、お前はデイドラを見たのか?それで、トゥースでネズミを殺したって?トゥースはいい黒檀の短剣だからな。あれは珍しいものだから、本当にちゃんと手入れをするんだぞ」ミスが言いました。「モラーリンの父親から受け継いだものだってこと以外は何も言えないがな。あれは俺たちが逃げ出す前に彼の兄さんが修理するように言ったやつだ。マッツが削り出した柄のドラゴンの歯をどうやって手に入れたか聞きたいか?」
内側に薔薇と棘のある蔓と葉が浅く彫り込まれた柄を、愛おしげに撫でながら エドワードが頷きました。それは夕食を終えてからそれなりに時間が経っていた頃で、エドワードとミスを除いて、皆それぞれの事情で火のそばを離れていた時のことでした。アリエラとモラーリンは手をつないで散歩に行きました。アリエラは治ったばかりのモラーリンの左手を、両手で支えていました。一緒に来ないかと言われた時、二人は笑って頭を揺らしていました。「今夜はやめとくよ」アリエラが言いました。「早くおやすみなさい。夜明け前には発ちますからね」ウィローはハイエルフの友人を訪ねに出かけました。ビーチとスサースとマッツ、そしてカジートの女性シルクは、一緒にどこかに行ってしまいました。ミスに一緒に行こうと誘いましたが、ミスは辞退しました。
「カジートだ!あいつらはみんな恥知らずのカジートになっちまった!」ミスが言いました。短気なダークエルフは燃える薪のそばに座って、膝を抱えました。彼の髪と目はほのかな光に輝いていました。「対戦相手を見つける時にはな、トーナメントにはせずに二人だけにするんだぞ。チケットは各々また買えるさ。カジートは俺たちがみんなで飯を食うのが変なことだと思ってる。シルクが言うには、みんなが口の中で噛む音を聞いて気分が悪くなって食うのをやめるんだってさ。まあ、俺も見物人がいると気分が悪くなるぜ―こんな話は、お前にはまだ早すぎるけどな」
エドワードは肩をすくめました。美しい夜で、きりっと冷えていて、月は出ていませんでしたが、星々はとても大きく輝いていました。
「とにかく、マッツが俺たちの仲間になったのは、そのたった何か月かあとだ。俺たちはスカイリムに向かっていて、町から町へ旅をしていた。世間知らずのガキ3人だけで、変な仕事でもあればやった。試合があるって聞けば、モラーリンが出たけど、言うほど勝てなくてな…そのあとの治療代を稼ぐのがやっとだった。スカイリム方式の戦闘なら、お前なんかボッコボコだぞ―シールドの呪文どころか何の呪文もないんだ。魔法は禁止だ―死ぬようなもんじゃなくてもだぜ。それに、彼はちびっこいダークエルフの血が砂に飛び散ることなんか気にしないいくつかのタイプの人間を引き寄せるんだ。いっぱいかな。最初は群衆が相手なんだ。闘技場では本当に淋しい気持ちになるもんだ。特にその町のお気に入りをぶっ倒してる時にはな。そいつにぶっ倒された時はもっと悪い。
「マッツと俺だけが彼の味方で、時々は大声で応援もできなかった。あの頃はダークエルフを応援するノルドの小僧が本当におかしなものに見えたんだ。もちろんマッツはでかかったから、誰も手出しはしなかったけど。ずっと昔のことさ。困難な今ならモラーリンはお気に入りだ。いい試合には当然歓声を上げるだろうが、彼が負けるのをみんなが本当に見たがってるわけじゃない。最高のものを見るのが好きなんだ。それがダークエルフの皮をかぶっててもな。彼が闘技場の中に入ってきたら、お前は最高のものを見てることがわかる。ノルドの方が優れてるのを見るのが好きなだけじゃないんだ。マッツももうすぐそうなる。あいつはモラーリンと全力で戦わないけどな。たぶん、そうしたくないのかもしれないし、モラーリンがあいつを知りすぎてるだけかもな。おっと、そうだ、ドラゴンの話が聞きたいんだったよな…
「それで、ある夜、モラーリンが手っとり早く稼ごうとして宿屋でノルドと博打をしたんだ。賭け金がかなりの額だったからその男は賭けられなくて、そいつはこの地図を賭けると言ってモラーリンの肩を叩いた。そいつは、それがこれまで作られた中で一番優れた剣の隠し場所の地図だって言うんだ。それには魔法がかかってて、敵に当たるとそいつが怪我した分自分の怪我が治るって。どこかのメイジが死ぬ前にふさわしい者だけが手に入れられるように隠したんだそうだ。
「『で、私がこの価値を認めるとでも?』モラーリンがにやにや笑って言った。俺たちは若くて間抜けだったが、底抜けに間抜けだったわけじゃない。
「ノルドがニヤッと笑い返して言ったんだ。『お前がファルクリースで戦ってるのを見たぞ、坊主。お前にはチャンスがあるように見える』
「『いいとも。その話だけでも金になる。あんたは吟遊詩人に向いてるぞ』そんなわけで、モラーリンは賭けに勝って、その男に一晩中飲むには充分な飲み代をくれてやった。笑ってやろうと思って俺たちは地図を見た。ハマーフェルのドラゴンズティーズ山脈が書いてあった。本当に荒れた土地だ。そこにはXの字と、『牙の巣』と書いてあった。マッツは興奮してその土地のことは聞いたことがあると言ったが、どこにあるかは全然知らなかった。
「『場所は知らないんだろ』俺は言った。『どんな馬鹿だって地図ぐらい書ける。見れるのと一緒さ。俺だってこれぐらいできるぜ』
「マッツは牙の巣は古いドワーフの鉱山だと言った。だけどそこにはドラゴンがいるらしいし、ドワーフはいなくなった。鉱山の話が出ると、モラーリンは本当に興味を持ったように見えた。それで何を採掘してたか聞いた。マッツはミスリルと金だと答えた。
「モラーリンは『うーん』って言ったよ。
「ミスリルに興味を持ったんだ。本当にいい武器を手に入れられなかったからな。それにミスリルは稀少だけど、値打ちのわりには軽くて持ち運びがしやすいし、掘り出すのも簡単で、やり方さえ知ってれば武器を作るのも楽だ。彼は知ってたし。魔法の剣もドラゴンも信じてなかったが、鉱山は本当だと考えたんだ。採掘は彼の血だ。エボンハートの王族、ラーシム家全員のな。
「そこに着くまでには2か月かかった。俺たちは馬は買えなかった。地図なしには見つけられなかっただろうな。ややこしい土地なんだ。渓谷と隠れ谷がいっぱいで。そこに着いた時に見たものは、俺たちが想像したこともないようなもんだった。渓谷の切れ目から塔がいっぱい見えた。採掘する時、ダークエルフは洞窟の中に住むが、ドワーフたちは鉱山の上にでっかいホールを建てたんだ。外側はきれいなものだったよ。細い塔の間に弓型の橋が架かってた。優美だったな。お前はドワーフがこんな仕事をするなんて思わないだろうよ。岩にも入り込んでた。そして、門の上にはドラゴンが乗った大きな石があった。
「『お前のドラゴンがいるぞ、マッツ』俺は言った。中は大して見るものもなかった。ただの岩壁さ。廊下は本当に大きかったが、ドアはなくなってた。大きく口を開けた穴の周りにバルコニーがあった…多分、採掘の開始場所で、ホールになったんだろうな。その真ん中には想像できないほどの宝があった…平らにした干し草の山みたいに積み上げられてた。それを平らにしてるのは、その上に丸まってる金色のドラゴンだったんだ。初めは、俺たちは彼を見もしなかった。黄金の色と見分けがつかなかったんだ。それで、俺たちはただそこで固まってた。外でドラゴンが生きてる痕跡は見なかった。その場所は硫黄の匂いがしてたが、鉱山はそんなもんだ。そこにいたドラゴンは、ただ横になってるだけだった。隠れられそうな場所は、どこも2マイルは離れてたよ。
「『ドラゴンがいるって言ったろ』マッツが囁いた。
「『しーっ』モラーリンが言った。『鼻の先にあるものを見ろ』
「俺はその鼻を見るのに忙しかった、本当だぜ。だけど、確かにそこには裸で剣が置いてあった…そして、彼の短剣とそっくりの黒い金属でできた刃だった。『お前たち二人は後ろに下がれ』モラーリンが言った。『私はとにかく剣を取りに行ってみる。あれが黒檀じゃないなら、私はウッドエルフだろうな。ドラゴンは死んでるか、冬眠してるか…もともと生きてるものじゃないかもしれないし。ドワーフが宝を守るために作ったただの何かかも。ノルドの農夫が麦畑に置くかかしみたいなものだ。私はお前たちが逃げる時間稼ぎができる程度にやつの気を引くよ』
「俺は彼にそうしてもらおうと思った。だけど、マッツが首を横に振って、一人で戻るなんて恥ずかしいと思った。
「『全員逃げるんだ』俺は言った。そいつは震え上がるほど恐ろしそうに見えた。だけど、モラーリンが透明の呪文を唱えて階段の下に向かった。聞こえるような物音は全く立てなかったよ。マッツは一人で行かせるのを嫌がったけど、あいつは魚市場にいる目も耳も不自由な乞食の前だってこっそり通り抜けられないやつだ。だから、ドラゴンが目を覚ましてモラーリンに向かっていくようなことがあったら、運が良ければ目を潰せるように、俺たちは弓を引き絞って二発は撃てるようにしてたんだ。マッツと俺は必要になれば逃げ込める塔の階段の方に移動した。そこならドラゴンは入ってこられないと思ったからな。それから俺たちは身を屈めて手すりの間から覗いた。横たわってるドラゴン以外は何も見るものはなかった。実際見ものだったぜ。
「すると、ドラゴンの目がぱっちり開いて、心臓がどきーんとなって、止まっちまうかと思った。
「『ああ!今日の夕食がやってきたぞ』ドラゴンが言った。『我の宝物庫をよく見ろ、ダークエルフ。貴様は盗むどころかゆっくり見ることもできないが、貴様の骨が共に守るだろう…永遠にな』
「『お前の宝がほしいのではない、ドラゴンよ。お前が守っているその剣だけだ。私のと交換しよう。私のものの方が大きい』モラーリンは見えなかったが、その声は剣があった場所から聞こえてきた。ドラゴンの口のとこだぞ!
「『我は食事と剣、どちらも手に入れる。なぜ貴様の粗末な剣で我慢せねばならぬのか?』
「『私を通してくれたら、下からもっとたくさん金を取って来てやろう』
「『金は足りている』ドラゴンはあくびをして、その時俺はモラーリンを丸呑みする気だと思った。でも、やつは別の方を向いた―俺たちの方でもない。マッツは弓を撃とうとしてたが、ノルドの目には暗すぎて、モラーリンに当たるのを恐れた。音だけで彼の居場所を特定できなかったからな。モラーリンが俺たちとドラゴンの間から見るには細すぎたからだが、その時のマッツは遠すぎるって考えるには賢さが足りなかった。隷属は知恵を鈍らせるってマッツは言った。それに、本当に長い間自由じゃなかったって。俺は音だけでモラーリンがどこにいるか正確に言えたが、射程距離からは明らかに外れてた。
「ドラゴンは話を続けた。『だが、我のためにできることはある。貴様の命を数分伸ばすことも』
「『この瞬間の数分はとてもいい響きだ、ドラゴン。私に頼みとは?』モラーリンの声は明日は雨が降りそうか尋ねる時みたいに、穏やかで落ち着いてた。彼は瀬戸際でも思考を保てる。それは認めるよ。
「『歯が痛むのだ。奥にありすぎて、我の爪には届かない。見えるかね、エルフよ?』ドラゴンは口を開けて歯が見えるようにした。その時モラーリンの透明化の呪文は切れていて、そこに立って口の洞窟を見上げてるのが見えた。『少し頭を下げてくれたら、もっと良く見えるのだが』彼は手を置くと上唇を横に引っ張って、大胆にも注意深く歯茎を調べたんだ。今まで見た中で一番最悪なもんだ。
「『化膿している。切開が必要だし、歯も抜けてし���うだろう。私を信用してくれるならこの剣で切開するぞ』
「『なぜ貴様を信用せねばならん、ダークエルフ?貴様の種族のいい話は聞かん』
「『それなら、お前はノルドと一緒にいすぎたんだな。私はお前に殺される前にお前を殺せはしないだろう。試してみなければ駄目か?いいか、上に私の友人がいる。彼らはお前のためによく肥えた鹿を獲って来るだろう。私がお前の歯茎を切開して、お前は鹿を食べる。または、お前はいま私を食べるだけで、歯痛はそのままだ。』
「『うむむむ。一度逃げ出した貴様の友が戻って来ると思うのはなぜだ』
「『彼らはあまりかしこくない。私が思うにね。私がいなければ彼らは迷ってしまう。仲間たち、良い狩りを!ああ、もし鹿を見つけられなければ、何がいい?豚かな?何匹かのうさぎ?木の実?ベリー?急いでいただけないかな?』でも、俺たちは手信号を決めていて、彼の両手がここから出て外にいろって言ってた!
「嬉しかったよ。つまり、俺はモラーリンが好きだが、道連れになって死ぬことで彼がいい気持ちになるとは思わなかった。もし俺だったら、彼が無事に逃げてくれるのがわかれば嬉しいだろうし、彼も同じ事を考えてると思った。だけど、あの石頭のノルドは聞きやしねえ!もし彼の隣で死ぬ以外方法がなければ、俺たちはそうするんだってよ。ノルドの馬鹿げたとこだ。歌にすりゃいいだろうけどな。
「それで、俺たちは二時間ほどかかって鹿を獲って戻った。俺はモラーリンは今頃ドラゴンの腹に収まって、その日の食事に鹿とダークエルフとノルドのおまけがついて幸せだろうって思ってたよ。だけどモラーリンはまだそこに座って、ドラゴンとおしゃべりしてた。俺たちを見ていい顔はしなかったな。鹿を置いて出て行け、俺たちがいなくなったら歯茎を切開すると彼は言った。だけどマッツがずっと考えてたんだけどって言うんだよ。ああ、兄弟、俺も考えてたさ。マッツはめったに考えないし、実際いいことだ。やつは歯の周りに鎖を巻いてその端を地面に縛り付けたら、ドラゴンが自分で引っ張れるんじゃないかってさ。
「ドラゴンはそのアイデアが気に入った。それでモラーリンが化膿したところを切開してドラゴンが痛がらずに鹿を飲み込めるまで腫れを引かせた。それから、鎖を巻き付けて歯を引っこ抜かせた。そりゃもう大変な修羅場だったぜ。そこら中血と膿まみれだった。そして、血を止めて傷口を塞ぐのにモラーリンが俺たちにヒールの魔法をかけさせた。
「『ああ、うむ。いい、とてもいい。よかろう、モラーリン、貴様は自分自身を示した。剣を取り、行くがいい』
「モラーリンは彼を見た。『これは何かの試練だったということか?』彼は言った。『この歯痛はどのくらい前からあったんだ?』
「『実に長い。貴様たちの時間の尺度は、人間よ、ドラゴンの種族にはあまり長くはない。それなら、我の話を聞いて行け。ボロボロの若いメイジが、我の黄金を盗もうとやってきた。我はそやつを捕まえ、激しい口論になった。そして、やつは我に魔法を唱えようとした。やつの哀れな呪文は我にはほとんど功を奏さず、我は彼を殺した。だが、うむむ…』ドラゴンはごく短い間顔をそむけて、それから話を再開した。『そのちびは明らかに彼自身に自作の呪いをかけていた。そして、我が彼を噛み砕いた時…』思い出しながら、ドラゴンは激しいしかめっ面をした。そして続けた。『とにかく、その痛みは何者かが剣を手に入れるためにやってきた時だけ酷くなった。我が侵入者を食えばもっとも鋭い痛みは消えるが…通常そんなことはしないのだ。自衛のために時々歌いはするがね。ふん、ちょっと火を漂わせるだけで、大抵のものは逃げ出してしまう。鹿はたくさんいる。話をしたことがある何者かを食うのは、あー、ええと、どこか気分の悪いものがあるのだ。あの脂っこいメイジのせいで数日間消化不良になった。痙攣はする、下痢にはなる、さらに大量のガスだ、ドラゴンにしてはな。そんなわけで、歯痛は完全にはなくならなかった。しかも、ここに来る人間は、皆愉快ではなかった…我の生涯で最も不愉快な時を過ごしてきた。無論、この剣からも長い間離れられなくなった。呪いの一部だ。』
「『我々はしばらくここに留まることができる、お前さえよければ。我々はいい話し相手になるよ。私はモラーリン、赤毛の友人がミス、この大きいのがマッツだ。私はまだ下でミスリルを探したいし、ドラゴンの友人を持ったことがないんだ』
「『それも良いかもしれん。お前はいい友人を持っている。彼らの代わりに考えてやらねばならんとお前は言ったが、この者たちは自分で考えることができると我は考えるし、おまえが価値ある仲間であると判断したように見える』ドラゴンは一瞬ためらって、ほんとに照れてるように見せたんだ!『アカトシュと呼んでよい』
「それで、俺たちは2週間ほどそこに留まった。ドラゴンと一緒に狩りをして―大した経験だぜ!鉱山を探して…下ではあんまり見つからなかったけどな。だが、ドラゴンが宝物庫から宝石をくれた。金属しかいらないんだそうだ。その上に横たわるとうろこの中に吸収するんだと。最終的には、素晴らしくうまく行ったってわけさ。モラーリンはマッツに剣をやろうとした。もし自分たちが戻ってこなかったら、間違いなくドラゴンを殺そうとしただろうし、こんがり焼かれてたからって言ってな。だけど、マッツは受け取らなかった。ドラゴンがモラーリンにやったんだから誰が持ち主かははっきりしてるって。マッツは歯をもらって、今お前が持ってる柄を作って、モラーリンに贈った。これまで贈る価値のあるものを持ったことがなかったから、とても気分がいいって言ってたよ。モラーリンがそれをお前にやることにしたと聞いて、あいつは本当に喜んでた」
「マッツが剣をもらうべきだったと思うな」エドワードが言いました。「彼は何かを盗もうとしなかったもの。それで何かいいことがあるなんて考えもしないのに戻ったのは、本当に勇敢だよ。モラーリンは盗もうとして見つかって捕まって、話術で逃げ出そうとした。彼のせいでみんな殺されたかもしれないんだ」
「モラーリンがまったく同じことを言ってたよ。ああ、それに、マッツはとにかく剣よりうまく扱えるでっかい斧が好きなんだ。」
エドワードはため息をつきました。「僕もマッツみたいに勇敢になれたらな。僕は君に似てると思う」
「そうだな」モラーリンの声が後ろから聞こえ、少年をびくっとさせました。「ミスみたいに口が減らないね。それでも構わんよ、お前がミスと同じぐらい勇敢ならとても嬉しいだろうからね。私がいなくなると『彼は必要なことをした』以上のことを言わないでいてくれれば、私の精神は穏やかでいられるのだが」
1 note · View note
xf-2 · 5 years
Link
最初の特攻を命じたことによって、「特攻の産み親」と呼ばれることになった大西瀧治郎中将は、天皇が玉音放送を通じて国民に戦争終結を告げたのを見届けて、翌16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。
特攻作戦を採用した責任者といえる将官たち、前線で「おまえたちだけを死なせはしない」と言いながら特攻を命じた指揮官たちの中で、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。
そして、ひとり残された妻・淑恵さんも、戦後、病を得て息を引き取るまで33年間、清廉かつ壮絶な後半生を送っていた。
最初の慰霊法要に駆け込み、土下座した貴婦人
終戦の翌年、昭和21(1946)年3月のある日、全国の有力新聞に、
〈十三期飛行専修予備学生出身者は連絡されたし。連絡先東京都世田谷区・大山日出男〉 との広告が掲載された。
空襲で、東京、大阪、名古屋はもちろん、全国の主要都市は灰燼に帰し、見わたす限りの廃墟が広がっている。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は昭和21年1月、「公職追放令」を出し、旧陸海軍の正規将校がいっさいの公職に就くことを禁止した。日本の元軍人が集会を開くことさえ禁じられ、戦犯の詮議も続いている。広告を見て、「戦犯さがし」かと疑う者も少なからずいたが、呼びかけ人の大山のもとへは全国から続々と連絡が寄せられた。
戦争が終わってこの方、掌を返したような世の中の変化で、生き残った航空隊員には「特攻くずれ」などという侮蔑的な言葉が投げかけられ、戦没者を犬死に呼ばわりする風潮さえもはびこっている。そんななか、大勢の戦友を亡くして生き残った者たちは、戦没者に対し、
「生き残ってすまない」
という贖罪の気持ちをみんなが抱いている。それは、はじめから陸海軍を志した、いわばプロの軍人も、戦争後期に学窓から身を投じた予備士官も、なんら変わるところがない率直な感情だった。
「十三期飛行専修予備学生」は、大学、高等学校高等科、専門学校(旧制)を卒業、または卒業見込の者のうち、10万名を超える志願者のなかから選抜された5199名が、昭和18(1943)年10月、土浦、三重の両海軍航空隊に分かれて入隊、特攻戦死者448名をふくむ1616名が戦没している。呼びかけに応じて集まった予備学生十三期出身者たちの意思は、
「多くの戦没者同期生の慰霊こそ、生き残った者の務めである」
ということで一致した。そして、同期生たちが奔走し、GHQ、警察、復員局の了承をとりつけて、ふたたび10月30日の新聞に、
〈十一月九日、第十三期飛行専修予備学生戦没者慰霊法要を東京築地��願寺にて行ふ〉
と広告を出し、さらにNHKに勤務していた同期生の計らいで、ラジオでも案内放送が流れた。
昭和21年11月9日、国電(現JR)有楽町駅から築地まで、焼跡の晴海通りを、くたびれた将校マントや飛行靴姿の青年たち、粗末ななりに身をやつした遺族たちが三々五々、集まってきた。築地本願寺の周囲も焼け野原で、モダンな廟堂の壁も焦げている。寺の周囲には、機関銃を構えたMPを乗せたジープが停まって、監視の目を光らせている。焼跡のなかでその一角だけが、ものものしい雰囲気に包まれていた。
広い本堂は、遺族、同期生で埋め尽くされた。悲しみに打ち沈む遺族の姿に、同期生たちの「申し訳ない」思いがさらにつのる。読経が終わると、一同、溢れる涙にむせびながら、腹の底から絞り出すように声を張り上げ、「同期の桜」を歌った。
歌が終わる頃、一人の小柄な婦人が本堂に駆け込んできた。「特攻の父」とも称される大西瀧治郎中将の妻・淑惠である。
大西中将は昭和19(1944)年10月、第一航空艦隊司令長官として着任したフィリピンで最初の特攻出撃を命じ、昭和20(1945)年5月、軍令部次長に転じたのちは最後まで徹底抗戦を呼号、戦争終結を告げる天皇の玉音放送が流れた翌8月16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。特攻で死なせた部下たちのことを思い、なるべく長く苦しんで死ぬようにと介錯を断っての最期だった。遺書には、特攻隊を指揮し、戦争継続を主張していた人物とは思えない冷静な筆致で、軽挙を戒め、若い世代に後事を託し、世界平和を願う言葉が書かれていた。
昭和19年10月20日、特攻隊編成の日。マバラカット基地のそば、バンバン川の河原にて、敷島隊、大和隊の別杯。手前の後ろ姿が大西中将。向かって左から、門司副官、二〇一空副長・玉井中佐(いずれも後ろ姿)、関大尉、中野一飛曹、山下一飛曹、谷一飛曹、塩田一飛曹
昭和19年10月25日、マバラカット東飛行場で、敷島隊の最後の発進
淑惠は、司会者に、少し時間をいただきたいと断って、参列者の前に進み出ると、
「主人がご遺族のご子息ならびに皆さんを戦争に導いたのであります。お詫びの言葉もございません。誠に申し訳ありません」
土下座して謝罪した。淑惠の目には涙が溢れ、それが頬をつたってしたたり落ちていた。
突然のことに、一瞬、誰も声を発する者はいなかった。
われに返った十三期生の誰かが、
「大西中将個人の責任ではありません。国を救わんがための特攻隊であったと存じます」
と声を上げた。
「そうだそうだ!」
同調する声があちこちに上がった。十三期生に体を支えられ、淑惠はようやく立ち上がると、ふかぶかと一礼して、本堂をあとにした。これが、大西淑惠の、生涯にわたる慰霊行脚の第一歩だった。
生活のために行商を。路上で行き倒れたことも
同じ年の10月25日。港区芝公園内の安蓮社という寺には、かつて第一航空艦隊(一航艦)、第二航空艦隊(二航艦)司令部に勤務していた者たち10数名が、GHQの目をぬすんでひっそりと集まっていた。
関行男大尉を指揮官とする敷島隊をはじめとする特攻隊が、レイテ沖の敵艦船への突入に最初に成功したのが、2年前の昭和19年10月25日。三回忌のこの日に合わせて、一航艦、二航艦、合計2525名の戦没特攻隊員たちの慰霊法要をやろうと言い出したのは、元一航艦先任参謀・猪口力平大佐だった。安蓮社は、増上寺の歴代大僧正の墓を守る浄土宗の由緒ある寺で、住職が猪口と旧知の間柄であったという。
神風特攻隊敷島隊指揮官・関行男大尉。昭和19年10月25日、突入、戦死。最初に編成された特攻隊4隊(敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊)全体の指揮官でもあった。当時23歳
昭和19年10月25日、特攻機が命中し、爆炎を上げる米護衛空母「セント・ロー」
寺は空襲で焼け、バラックの一般家屋のような仮本堂であったが、住職は猪口の頼みに快く応じ、特攻隊戦没者の供養を末永く続けることを約束した。この慰霊法要は「神風忌」と名づけられ、以後、毎年この日に営まれることになる。
遺された「神風忌参会者名簿」(全六冊)を見ると、大西淑惠はもとより、及川古志郎大将、戸塚道太郎中将、福留繁中将、寺岡謹平中将、山本栄大佐、猪口力平大佐、中島正中佐……といった、特攻を「命じた側」の主要人物の名前が、それぞれの寿命が尽きる直前まで並んでいる。
生き残った者たちの多くは、それぞれに戦没者への心の負い目を感じつつ、慰霊の気持ちを忘れないことが自分たちの責務であると思い、体力や生命の続く限り、こういった集いに参加し続けたのだ(ただし、軍令部で特攻作戦を裁可した事実上の責任者である中澤佑中将、黒島亀人少将は、一度も列席の形跡がない)。
東京・芝の寺で戦後60年間、営まれた、特攻戦没者を供養する「神風忌」慰霊法要の参会者名簿。当時の将官、参謀クラスの関係者が名を連ねるなか、淑惠は、亡くなる前年の昭和51年まで欠かさず列席していた
十三期予備学生の戦没者慰霊法要で土下座をした大西淑惠は、その後も慰霊の旅を続けた。特攻隊員への贖罪に、夫の後を追い、一度は短刀で胸を突いて死のうとしたが、死ねなかった。ずっとのち、淑惠は、かつて特攻作戦渦中の第一航空艦隊で大西中将の副官を勤めた門司親徳(主計少佐。戦後、丸三証券社長)に、
「死ぬのが怖いんじゃないのよ。それなのに腕がふにゃふにゃになっちゃうの。それで、やっぱり死んじゃいけないってことかと思って、死ぬのをやめたの」
と語っている。
大西瀧治郎中将(右)と、副官・門司親徳主計大尉(当時)。昭和20年5月13日、大西の軍令部次長への転出を控えて撮影された1枚
暮らしは楽ではない。夫・大西瀧治郎はおよそ金銭に執着しない人で、入るにしたがって散じた。門司は、フィリピン、台湾での副官時代、大西の預金通帳を預かり、俸給を管理していたから、大西が金に無頓着なのはよく知っている。淑惠もまた、金銭には無頓着なほうで、もとより蓄えなどない。
家も家財も空襲で焼失し、GHQの命令で軍人恩給は停止され、遺族に与えられる扶助料も打ち切られた。
昭和3年2月、華燭の典を挙げた大西瀧治郎(当時少佐)と淑惠夫人
自宅でくつろぐ大西瀧治郎、淑惠夫妻。大西が中将に進級後の昭和18年5月以降の撮影と思われる
焼け残った千葉��市川の実家に戻って、淑惠は生きるために商売を始めた。最初に手がけたのは薬瓶の販売である。伝手を求めて会社を訪ね、それを問屋につなぐ。次に、飴の行商。元海軍中将夫人としては、全く慣れない別世界の生活だった。
昭和22(1947)年8月上旬のある日、薬瓶問屋を訪ねる途中、国電日暮里駅東口前の路上で行き倒れたこともある。このとき、たまたま日暮里駅前派出所で立ち番をしていた荒川警察署の日下部淳巡査は、知らせを受けてただちに淑惠を派出所内に運び、近くの深井戸の冷水で応急手当をした。
「質素な身なりだったが、その態度から、終戦まで相当な身分の人と思った」
と、日下部巡査はのちに語っている。柔道六段の偉丈夫だった日下部は、元海軍整備兵曹で、小笠原諸島にあった父島海軍航空隊から復員してきた。後日、淑惠が署長宛に出した礼状がもとで、日下部は警視総監から表彰を受けた。だが、その婦人が誰であるか知らないまま8年が過ぎた。
昭和30(1955)年、日下部は、元零戦搭乗員・坂井三郎が著した『坂井三郎空戦記録』(日本出版協同)を読んで坂井の勤務先を知り、両国駅前の株式会社香文社という謄写版印刷の会社を訪ねた。日下部は、昭和19(1944)年6月、敵機動部隊が硫黄島に来襲したとき、父島から硫黄島に派遣され、そこで横須賀海軍航空隊の一員として戦っていた坂井と知り合ったのだ。
香文社を訪ねた日下部は、そこに、あの行き倒れの婦人がいるのに驚いた。そして、この婦人が、大西中将夫人であることをはじめて知った。日下部は淑惠に心服し、こののちずっと、淑惠が生涯を閉じるまで、その身辺に気を配ることになる。
淑惠が、坂井三郎の会社にいたのにはわけがある。
淑惠の姉・松見久栄は、海軍の造船大佐・笹井賢二に嫁ぎ、女子2人、男子1人の子をもうけた。その男の子、つまり大西夫妻の甥にあたる笹井醇一が、海軍兵学校に六十七期生として入校し、のちに戦闘機搭乗員となった。
笹井醇一中尉は昭和17(1942)年8月26日、ガダルカナル島上空の空戦で戦死するが、戦死するまでの数ヵ月の活躍にはめざましいものがあった。ラバウルにいたことのある海軍士官で、笹井中尉の名を知らぬ者はまずいない。
その笹井中尉が分隊長を務めた台南海軍航空隊の、下士官兵搭乗員の総元締である先任搭乗員が坂井三郎だった。笹井の部下だった搭乗員はそのほとんどが戦死し、笹井の活躍については、坂井がいわば唯一の語り部となっている。
坂井は、海軍航空の草分けで、育ての親ともいえる大西瀧治郎を信奉していたし、
「敬愛する笹井中尉の叔母ということもあり、淑惠さんを支援することは自分の義務だと思った」
と、筆者に語っている。
坂井は淑惠に、両国で戦後間もなく始めた謄写版印刷店の経営に参加してくれるよう頼み、淑惠は、実家の了解を得て、夫の位牌を持ち、坂井の印刷店のバラックの片隅にある三畳の部屋に移った。日暮里で行き倒れた数年後のことである。
だが、坂井には、別の思惑もある。淑惠が経営に関わることで、有力な支援者を得ることができると考えたのだ。坂井の謄写版印刷の店は、福留繁、寺岡謹平という、大西中将の2人の同期生(ともに海軍中将)ほかが発起人となり、笹川良一(元衆議院議員、国粋大衆党総裁。A級戦犯容疑で収監されたが不起訴。のち日本船舶振興会会長)が発起人代表となって株式会社に発展した。
出資金は全額、坂井が出し、名目上の代表取締役社長を淑惠が務めることになった。会社が軌道に乗るまでは、笹川良一や大西に縁のある旧海軍軍人たちが、積極的に注文を出してくれた。淑惠は、香文社の格好の広告塔になったと言ってよい。
「裏社会のフィクサー」の大西に対する敬意
淑惠には、ささやかな願いがあった。大西の墓を東京近郊に建て、その墓と並べて、特攻隊戦没者を供養する観音像を建立するというものである。
苦しい生活のなかから細々と貯金し、昭和26(1951)年の七回忌に間に合わせようとしたが、それは到底叶わぬことだった。だが、この頃から慰霊祭に集う人たちの間で、淑惠の願いに協力を申し出る者が現れるようになった。
大西中将は、まぎれもなく特攻を命じた指揮官だが、不思議なほど命じられた部下から恨みを買っていない。フィリピンで、大西中将の一航艦に続いて、福留繁中将率いる二航艦からも特攻を出すことになり、大西、福留両中将が一緒に特攻隊員を見送ったことがあった。このときの特攻隊の一員で生還した角田和男(当時少尉)は、
「大西中将と福留中将では、握手のときの手の握り方が全然違った。大西中将はじっと目を見て、頼んだぞ、と。福留中将は、握手しても隊員と目も合わさないんですから」
と述懐する。大西は、自身も死ぬ気で命じていることが部下に伝わってきたし、終戦時、特攻隊員の後を追って自刃したことで、単なる命令者ではなく、ともに死ぬことを決意した戦友、いわば「特攻戦死者代表」のような立場になっている。淑惠についても、かつての特攻隊員たちは、「特攻隊の遺族代表」として遇した。
「大西長官は特攻隊員の一人であり、奥さんは特攻隊員の遺族の一人ですよ」
というのが、彼らの多くに共通した認識だった。
そんな旧部下たちからの協力も得て、昭和27(1952)年9月の彼岸、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺に、小さいながらも大西の墓と「海鷲観音」と名づけられた観音像が完成し、法要と開眼供養が営まれた。
昭和27年9月、鶴見の總持寺に、最初に淑惠が建てた大西瀧治郎の墓。左は特攻戦没者を供養する「海鷲観音」
その後、昭和38(1963)年には寺岡謹平中将の筆になる「大西瀧治郎君の碑」が墓の左側に親友一同の名で建てられ、これを機に墓石を一回り大きく再建、観音像の台座を高いものにつくり直した。
墓石の正面には、〈従三位勲二等功三級 海軍中将大西瀧治郎之墓〉と刻まれ、側面に小さな字で、〈宏徳院殿信鑑義徹大居士〉と、戒名が彫ってある。再建を機に、その隣に、〈淑徳院殿信鑑妙徹大姉〉と、淑惠の戒名も朱字で入れられた。
この再建にあたって、資金を援助したのが、戦時中、海軍嘱託として中国・上海を拠点に、航空機に必要な物資を調達する「児玉機関」を率いた児玉誉士夫である。児玉は、海軍航空本部総務部長、軍需省航空兵器総局総務局長を歴任した大西と親交が深く、私欲を微塵も感じさせない大西の人柄に心服していた。大西が割腹したとき、最初に官舎に駆けつけたのが児玉である。
昭和20年2月、台湾・台南神社で。左から門司副官、児玉誉士夫、大西中将
児玉は、昭和20(1945)年12月、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘置され、「児玉機関」の上海での行状を3年間にわたり詮議されたが、無罪の判定を受けて昭和23(1948)年末、出所していた。
巣鴨を出所したのちも、淑惠に対し必要以上の支援はせず、一歩下がって見守る立場をとっていた。「自分の手で夫の墓を建てる」という、淑惠の願いを尊重したのだ。だから最初に墓を建てたときは、協力者の一人にすぎない立場をとった。
だが、再建の墓は、大西の墓であると同時に淑惠の墓でもある。児玉は、大西夫妻の墓は自分の手で建てたいと、かねがね思っていた。ここで初めて、児玉は表に出て、淑惠に、大西の墓を夫婦の墓として建て直したいが、自分に任せてくれないかと申し出た。
「児玉さんの、大西中将に対する敬意と追慕の念は本物で、見返りを何も求めない、心からの援助でした。これは、『裏社会のフィクサー』と囁かれたり、のちにロッキード事件で政財界を揺るがせた動きとは無縁のものだったと思っています」
と、門司親徳は言う。
鶴見の總持寺、大西瀧治郎墓所の現在。墓石に向かって左側に海鷲観音と墓誌、右側には遺書の碑が建っている
大西瀧治郎の墓石右横に建てられた遺書の碑
墓が再建されて法要が営まれたとき、淑惠が参会者に述べた挨拶を、日下部巡査が録音している。淑惠は謙虚に礼を述べたのち、
「特攻隊のご遺族の気持ちを察し、自分はどう生きるべきかと心を砕いてまいりましたが、結局、散っていった方々の御魂のご冥福を陰ながら祈り続けることしかできませんでした」
と、涙ながらに話した。
「わたし、とくしちゃった」
淑惠は、昭和30年代半ば頃、香文社の経営から身を引き、抽選で当った東中野の公団アパートに住むようになった。3階建ての3階、六畳と四畳半の部屋で、家賃は毎月8000円。当時の淑惠にとっては大きな出費となるので、児玉誉士夫と坂井三郎が共同で部屋を買い取った。ここには長男・多田圭太中尉を特攻隊で失った大西の親友・多田武雄中将夫人のよし子や、ミッドウェー海戦で戦死した山口多聞少将(戦死後中将)夫人のたかなど、海軍兵学校のクラスメートの夫人たちがおしゃべりによく集まった。門司親徳や日下部淳、それに角田和男ら元特攻隊員の誰彼も身の周りの世話によく訪ねてきて、狭いながらも海軍の気軽な社交場の趣があった。
「特攻隊員の遺族の一人」である淑惠には、多くの戦友会や慰霊祭の案内が届く。淑惠は、それらにも体調が許す限り参加し続けた。どれほど心を込めて慰霊し、供養しても、戦没者が還ることはなく、遺族にとって大切な人の命は取り返しがつかない。この一点だけは忘れてはいけない、というのが、淑惠の思いだった。
大西中将は生前、勲二等に叙せられていたが、昭和49(1974)年になって、政府から勲一等旭日大綬章を追叙された。この勲章を受けたとき、淑惠は、
「この勲章は、大西の功績ではなく、大空に散った英霊たちの功績です」
と言い、それを予科練出身者で組織する財団法人「海原会」に寄贈した。大西の勲一等の勲章は、茨城県阿見町の陸上自衛隊武器学校(旧土浦海軍航空隊跡地)内にある「雄翔館」(予科練記念館)におさめられている。
昭和49年、大西瀧治郎を主人公にした映画「あゝ決戦航空隊」が東映で映画化され、淑惠は京都の撮影所に招かれた。大西中将役の鶴田浩二、淑惠役の中村珠緒とともに撮られた1枚
淑惠は、毎年、この地で開催されている予科練戦没者慰霊祭にも、欠かさず参列した。
「こういう会合の席でも、奥さんはいつも自然体で、ことさら変わったことを言うわけではない。しかし短い挨拶には真情がこもっていて、その飾らない人柄が参会者に好感をもたれました。大西中将は『特攻の父』と言われますが、奥さんはいつしか慰霊祭に欠かせない『特攻の母』のようになっていました」
と、門司親徳は振り返る。
昭和50(1975)年8月、淑惠は最初に特攻隊を出した第二〇一海軍航空隊の慰霊の旅に同行し、はじめてフィリピンへ渡った。
小学生が手製の日の丸の小旗を振り、出迎えの地元女性たちが慰霊団一人一人の首にフィリピンの国花・サンパギータ(ジャスミンの一種)の花輪をかける。特攻基地のあったマバラカットの大学に設けられた歓迎会場では、学長自らが指揮をとり、女子学生が歌と踊りを披露する。警察署長が、慰霊団の世話を焼く。
予想以上に手厚いもてなしに一行が戸惑っていたとき、突然、淑惠が壇上に上った。
「マバラカットの皆さま、戦争中はたいへんご迷惑をおかけしました。日本人の一人として、心からお詫びします。――それなのに、今日は、こんなに温かいもてなしを受けて……」
涙ぐみ、途切れながら謝辞を述べると、会場に大きな拍手が起こった。
淑惠は、翌昭和51(1976)年にも慰霊団に加わったが、昭和52(1977)年6月、肝硬変をわずらって九段坂病院に入院した。この年の4月、二〇一空の元特攻隊員たちが靖国神社の夜桜見物に淑惠を誘い、砂利敷きの地面にござを敷いて夜遅くまで痛飲している。
「こんなお花見、生まれて初めて……」
77歳の淑惠は、花冷えのなかで嬉しそうに目を細め、しみじみつぶやいた。
九段坂病院5階の奥にある淑惠の病室には、門司親徳や、かつての特攻隊員たちも見舞いに駆けつけ、人の絶えることがなかった。児玉誉士夫は、自身も病身のため、息子の博隆夫妻に見舞いに行かせた。香文社時代の同僚、遠縁の娘など身近な人たちが、献身的に淑惠の世話をした。日下部淳は、警察の仕事が非番の日には必ず病院を訪れ、ロビーの長椅子に姿勢よく座って、何か起きたらすぐにでも役に立とうという構えだった。
昭和53(1978)年2月6日、門司親徳が午前中、病室に顔を出すと、淑惠は目をつぶって寝ていた。淑惠が目を開けたとき、門司が、
「苦しくないですか?」
とたずねると、小さく首をふった。そして、しばらくたって、淑惠は上を向いたまま、
「わたし、とくしちゃった……」
と、小さくつぶやいた。子供のようなこの一言が、淑惠の最期の言葉となった。淑惠が息を引き取ったのは、門司が仕事のために病室を辞去して数時間後、午後2時24分のことであった。
「『とくしちゃった』という言葉は、夫があらゆる責任をとって自決した、そのため、自分はみんなから赦され、かえって大事にされた。そして何より、生き残りの隊員たちに母親のようになつかれた。子宝に恵まれなかった奥さんにとって、これは何より嬉しかったんじゃないか。これらすべての人に『ありがとう』という代わりに、神田っ子の奥さんらしい言葉で、『とくしちゃった』と言ったに違いないと思います」
――門司の回想である。
淑惠の葬儀は、2月18日、總持寺で執り行われた。先任参謀だった詫間(猪口)力平が、葬儀委員長を務め、数十名の海軍関係者が集まった。納骨のとき、ボロボロと大粒の涙を流すかつての特攻隊員が何人もいたことが、門司の心に焼きついた。
こうして、大西淑惠は生涯を閉じ、その慰霊行脚も終わった。残された旧部下や特攻隊員たちは、淑惠の遺志を継いで、それぞれの寿命が尽きるまで、特攻戦没者の慰霊を続けた。戦後すぐ、芝の寺で一航艦、二航艦の司令部職員を中心に始まった10月25日の「神風忌」の慰霊法要は、元特攻隊員にまで参会者を広げ、平成17(2005)年まで、60年にわたって続けられた。60回で終わったのは、代のかわった寺の住職が、先代の約束を反故にして、永代供養に難色を示したからである。
大西中将の元副官・門司親徳は、「神風忌」の最後を見届け、自身が携わった戦友会の始末をつけて、平成20(2008)年8月16日、老衰のため90歳で亡くなった。昭和と平成、元号は違えど、大西瀧治郎と同じ「20年8月16日」に息を引き取ったのは、情念が寿命をコントロールしたかのような、不思議な符合だった。
大西夫妻の人物像について、門司は生前、次のように述べている。
「大西中将は、血も涙もある、きわめてふつうの人だったと思う。ふつうの人間として、身を震わせながら部下に特攻を命じ、部下に『死』を命じた司令長官として当り前の責任のとり方をした。ずばぬけた勇将だったとも、神様みたいに偉い人だったとも、私は思わない。だけど、ほかの長官と比べるとちょっと違う。人間、そのちょっとのところがなかなか真似できないんですね。ふつうのことを、当り前にできる人というのは案外少ないと思うんです。軍人として長官として、当り前のことが、戦後、生き残ったほかの長官たちにはできなかったんじゃないでしょうか
奥さんの淑惠さんも、無邪気な少女がそのまま大人になったような率直な人柄で、けっして威厳のあるしっかり者といった感じではなかった。でも、人懐っこく庶民的で、人の心をやわらかく掴む、誠実な女性でした。長官は、そんな淑惠さんを信じて後事を託し、淑惠さんは、つましい生活を送りながら、夫の部下たちやご遺族に寄り添って天寿を全うした。
正反対のタイプでしたが、理想的な夫婦だったんじゃないでしょうか。いまの価値観で見ればどう受け止められるかわかりませんが……」
そう、現代の価値観では計り知れないことであろう。責任ある一人の指揮官と、身を捨てて飛び立った若者たち。そして、自決した夫の遺志に殉ずるかのように、最期まで慰霊に尽くし続けた妻――。
「戦争」や「特攻」を現代の目で否定するのは簡単だ。二度と繰り返してはならないことも自明である。しかし、人は自分が生まれる時や場所を選べない。自らの生きた時代を懸命に生きた人たちがいた、ということは、事実として記憶にとどめておきたい。
旧軍人や遺族の多くが世を去り、生存隊員の全員が90歳を超えたいまもなお、全国で慰霊の集いが持たれ、忘れ得ぬ戦友や家族の面影を胸に、命がけで参列する当事者も少なくない。彼らの思いを封じることは誰にもできないはずだから。
10 notes · View notes
sqiz · 5 years
Quote
皆様に本日伝えたいのは、我が国で行われている中国の行動だ。そのその中には情報機関の分析から得られたものもあれば、公開されているものもある。だが全てが真実である。先ほども言ったように、我々が知るに北京はその影響力と権益・利益を増すために、その政府のあらゆる部門を利用している。彼らはその権力をより有効かつ巧妙に利用して、この国の内政及び合衆国の政策へ干渉している。中国共産党はアメリカの様々な企業・映画スタジオ・大学・研究所・学者…ジャーナリスト・地方及び中央行政・連邦職員を宥めたり脅したりしている。その中でも最悪なのは中国は史上例の無い攻勢を始めた事であり、アメリカの公論・2018年の諸選挙そして2020年大統領選挙に続く情勢にまで影響を及ぼそうとしている事だ。率直に言ってトランプ大統領の施政が効いているため、中国は別のアメリカ大統領を望んでいる。今や疑う余地はない。中国はアメリカの民主主義に干渉している。先週トランプ大統領が述べたように、彼の言葉を借りれば我々は「時期が迫る我々の中間選挙へ、中国が干渉をすでに試みてきている事を知っている。」我が国の諸情報当局が言うに「中国は合衆国各州・地方政府とその職員に狙いを定めて、部署を問わず連邦政府と地方政府の政策を引き裂こうとしている。北京の政治的影響力を増すために、彼らは貿易関税や賃金格差問題を利用している。」この6月に北京内部で機密文書が回覧された。その題名は「プロパガンダと検閲の通知」であり、彼等の戦略が次のように記されていた。「中国はアメリカ合衆国内で『国内諸集団を各個に分離し、正確かつ慎重に狙い撃』たねばならない」と。その達成に向けて、北京は偽装工作員・偽装団体・プロパガンダ組織を動員し、アメリカ人の対中イメージを書き換えようとしている。我が国の情報機関幹部達から今週教わった事は、中国が現在我が国に仕掛けている内容に比べれば、ロシア人の行動など採るに足らないと。それをアメリカ国民は知るべきである。また中国の政府幹部達は、中国での経済活動を欲する企業経営者達の思惑を梃子にして、彼らに我が国の貿易政策を非難するよう持ちかけている。最近の例を一つ挙げれば合衆国のある大企業に対して、我が政権の政策への反対表明を拒否すれば、中国は彼らの営業許可を取り消すと脅迫した。さらに中間選挙への介入の件では、我が国に対抗して北京が課した関税の内訳を見れば明らかである。これまでに課された中国の関税は全て、2018年大統領選挙で重要な役割を果たした、各州および産業を狙い撃ちしている。ある推計では中国に狙われた地域の80%以上は、2016年にトランプ大統領と私に投票した地域である。だから中国はその地域の有権者が、我が政権と対立することを望んでいる。更に中国は、直接的にもアメリカ有権者達に訴えかけてきた。先週中国政府はデモイン・レジスター紙に掲載料を支払い、複数ページに渡る紹介記事を載せた。その社の所在地は、我が国の駐中大使の出身地かつ2018及び2020年選挙の激戦区である。その紹介記事は一般記事に似せてデザインされ、我が国の貿易政策を辛らつに批判し、アイオワ州民にとって有害であった。幸運な事にアメリカ国民はそれを信じなかった。例を挙げれば、アメリカ農民達は我らが大統領と共に立ち、彼の強い姿勢により得られる結果を望んだ。そこには今週締結された米墨加三ヶ国合意も含まれる。その合意により合衆国産品に北米市場が事実上開放された。このNAFTA新協定は、アメリカ農民及びアメリカ製造業者にとって大いなる勝利である。だが中国の行動は、我が国の政策と政治に対する影響力増加だけにとどまらない。それに加え北京はその経済力と巨大市場の魅力を梃子にして、アメリカ企業に対する影響力を拡大するための施策を行っている。今や北京は中国において活動するアメリカとの合弁企業に対して、所謂「党組織」を社内に設置するよう要求している。その組織は共産党の代理として、おそらく雇用と投資における「勅令」を口にするだろう。更に中国の権力者たちは、合衆国企業が台湾を一地方と呼ぶよう、また中国のチベット政策から目を背けるよう恫喝している。北京はデルタ航空が、そのウェブサイトで台湾を「中国の一地方」と表記しなかった事に対して謝罪を強要した。更にチベットに関するツイートに「イイね」したアメリカ人従業員を解雇するよう、マリオットに圧力をかけた。更に北京はハリウッドが中国を極めて好意的に描くよう度々要求し、そうしないスタジオとプロデューサーを罰する。北京の検閲で微細な点でも中国を批判した映画は、すぐに編集されるか潰されるかである。映画「ワールド・ウォーZ」にて、彼らは中国発だからという理由でウイルス関連の脚本をカットさせた。映画「若き勇者たち」では、敵が中国人ではなく北朝鮮人としてデジタル編集された。だが営利企業やエンターテインメントを超えて、中国共産党はプロパガンダに多大の資金を投入している。それは合衆国および、率直に言えば世界中に対してである。中国国際放送は30以上の放送局で北京に好意的な番組を放送しており、その多くがアメリカの大都市にある。中国グローバルテレビジョンネットワークは7500万以上のアメリカ人に届けられており、共産党指導層から直接の指示を受けている。その局の本社を訪問した際に、中国の首脳が次のように述べた。「党と政府に指導されるこの局はプロパガンダの先兵であり、我が党の名を名乗らねばならない」と。この発言とその実態を理由として、先月司法省はこの放送局を外国政府代理人として登録した。また彼ら共産党は、追及鋭いアメリカ人ジャーナリスト達の家族を脅迫・拘束した。更に彼らは合衆国報道組織のウェブサイトを遮断し、我が国ジャーナリスト達に対するビザ発給を困難にした。これらはニューヨークタイムズが、中国指導者幾人かの資産についての調査報道を掲載した直後であった。しかし中国共産党が検閲文化を育もうとしているのは、そこだけに留まらない。同様の事がアカデミズムにおいても当てはまる。具体的には、中国人の学生達及びアメリカ全土の150以上のキャンパスに存在する学生学者連合会を見るが良い。これらの集団は合衆国で学ぶ43万以上の中国国籍人のために社交行事を開催しているが、その一方で中国学生やアメリカの学校が共産党綱領を逸脱すると、それを中国領事館や大使館に通報している。メリーランド州立大学において、ある中国人女子学生が卒業式にて、アメリカにおける『言論の自由の心地よさ』に言及した。共産党機関紙が即時に彼女を弾劾した。彼女は中国の厳格に管理されたソーシャルメディアの炎上被害者となり、本国にいた彼女の家族が嫌がらせを受けた。その大学自体でも、我が国で最大規模だった中国との交換留学が即時にほぼ途絶えることとなった。中国は他の方法でも学会に圧力を加えている。北京は彼ら共産党にとって危険・不都合である考えを採らない事を納得した大学・研究所・研究者に、莫大な資金を提供している。特に中国専門家達は彼らの研究が北京の発言と対立すれば、ビザ発給が遅延・拒否されると知っている。更に中国資金を拒否している学者や集団であっても彼の国の標的とされる事に、このハドソン研究所がいち早く気づいた。皆さんが北京の好まない発言者を招待した後、皆さんのウェブサイトが上海発の大規模サイバーアタックに晒された。このハドソン研究所こそ、現在のアメリカにおける学問の自由と言論の自由を中国共産党が掘り崩そうとしている、という事実を最もよく知っておられる。更に別の行動もあり、全体としてトランプ大統領の「アメリカ優先」方針から、アメリカの公論と政策をそらせようとする強力な努力を構成している。だが中国指導者層に対する我々の声明は次の通りである。我らが大統領は決して退き下がらない。我らアメリカ国民は決して道を譲らない。そして我々は我が国の安全保障と経済のため、断固として立ち続ける。とはいえ我々は北京との関係改善を望んでいる。我らが政権は、アメリカの国益・アメリカの雇用・アメリカの安全保障を守るため断固たる行動を続ける。我が軍を再建することにより、我々はインド-太平洋におけるアメリカの国益を保障し続ける。我々は中国の貿易慣行に対応する事で中国との経済関係における自由・公正・互恵を要望し続ける。我々は北京がその貿易障壁を取り崩しその義務を果たしその経済を完全に開放することを要求する。かつて我々が自身をそうしたように。我々は彼等の知的財産盗用が完全に収束するまで、北京に対して対応し続ける。そして我々は北京が強制的技術移転をやめるまで、断固として対抗を続ける。そして我々はアメリカ大企業の知的財産権を必ず守り通す。
【全文翻訳】ペンス米副大統領による現政権の対中政策演説 2018年10月4日:AllThingsJ:日本語字幕うp主の戯言 - ブロマガ
12 notes · View notes