Tumgik
#バカ共相手のボランティアさ
themaccheroni · 2 months
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【 The Swanky's 】
先々週の店休日に
スワンキーズの映画を見てきました。
「めんたいロック」ムーブメント後に現れ、
後に海外にまで影響を与えた
ローカルパンクバンドのドキュメンタリー映画です。
そうそうたる著名人の方が出演・コメントされており、
その衝撃たるもの強烈だったんでしょうね。
私も感化されて見終わったあとに
サングラスを買ってしまいました(笑)
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(氣志團の綾小路翔氏いわく「ギュイーン」とのことです)
さて、本日のご紹介は
そのスワンキーズでベースをされてた、
現在はThe Hellvettesでご活躍中の
TVさんのテディボーイスーツのご紹介です。
今回お選びいただいたのは、
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画像では色味が伝わりにくいですが、
グレーがかったグリーンの生地に、
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切替しのベルベットはグレーの
組み合わせでご注文いただきました。
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日本でよく見る
王道の組み合わせではありませんが、
そこがまたリアルテッズっぽくて
シビレますね!
裏地は表地のグレー味を引っ張り、
グレーの方のレオパード柄にて
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お作りいただきました。
TVさん、この度は遠路はるばる佐賀まで、
そしてご注文誠にありがとうございました。
そしてご興味ある方は是非映画見られてみてくださいね!
キノシネマ天神(福岡市)でまだ上映中で、
その他全国で順次公開中とのことです。
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smily-jet · 4 months
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3/29〜@横浜
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chocohoho · 5 years
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2019/04/12 透明な自分
他のTumblrの方と、ちょっとだけお話し(DM)した。
誰の記憶にもとどまらず、自分の言葉(思い)が流れ行き、まるで自分が透明になったような感じについて。
ちょっとでも、さざ波のようなものが発生したらという願い。
そんな感じの、やりとり。
そこでのやりとりはそこで完結しているので、ここでは私自身が思っていた「自分が透明になる感覚」について書きます。
傾聴ボランティアをしていて、ちょっと前まで「自分が無くなること、透明になること」を目指していたんですよね。
相手の思いをそのままスッと受け止められるような自分、偏見や一般論をまとわず素直に訴えを聞ける自分になりたいと思ってました。
でもそれは本当に傾聴しているということにはならないと気づいたんです。
誰かが思いを投げかけた時にしっかりと投げ返すことが大事だって。
透明でもなければただの壁でもない。私自身で応えなければ、投げ返さなければ本当にこちらのことを聞いてもらっているという感覚は生まれない。
それは自己満足で投げ返すのとは違う。「普通だったらこうだよね」「こうすればいいじゃない」なんてのはすべて聞き手側が主体となった自分語りだ。
傾聴の主役は話し手。あるがままを受け止めて、投げ返す。それが共感。自分は違うと思っていることを無理やり相手のために肯定したら自分が苦しくなる。さらに一緒になって感情を先取りするのも違う。失恋の相談をしているのに聞き手が「わかるわかる、私も過去にね…」なんて話出して、あまつさえ泣かれようもんならあっという間に興ざめして「こいつ、自分のことしか考えてないな…」と相談する気も失せる。
相手がより自分らしくいられるために、相手を大切にするために。素直に返せるように自分を「自由に、楽に」させる。
そうして大切にされているな、と感じたら相手もこちらに興味を持つ。
誰かに大切にされていない。そう感じた時自分はその人のことを大切にしているだろうかと考える。
当然バカにしたり、軽んじてくる相手には距離をとる(家族のようにそれすら出来ない関係性だってある)。自分を大切にしてくれない相手を大切にする必要なんてない。
全ての人に自分を証明しようとすると苦しくなる。
誰のためにどういう自分が存在するのか。
いろいろなやり方があるだろうし、さざ波のような存在もそれはそれで悪くないと思えるのです。
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junchan-mtf · 3 years
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おはようございます😀🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ 今日も無事に迎えられた😀🎉 この繰り返しで日常を紡いでいく🏳️‍🌈 しかし、相変わらず、けんかうってくるバカもいるもんだ🤣今度は商売人😭お互いに活動、業務に支障きたしてるのを立証する義務追うから深追いしなかった。 しかし、仁王立ちで睨みつけてくるのは怖かった😭 どこのお店かは言いませんけど🤣 公開して営業妨害の責任追及だけは受けたくない。 また、来週も街宣行くけど🤣 まずはいつもの告知🏳️‍🌈🎉🏳️‍⚧️ #アメノチハレホームページ更新しました # https://amenochihare-lgbts.jimdofree.com/ #(検索 LGBT アメノチハレ) #note更新日9月6日。 #https://note.com/junchan_mtf/n/n09635b58380a #ブログ最終更新日9月6日。 #https://plaza.rakuten.co.jp/junchanmtf/diary/202109060000 #運営スタッフ大募集 https://plaza.rakuten.co.jp/junchanmtf/diary/202106160000/ (表舞台は苦手でも裏方なら。支える側に回りたい。事前準備もあります) いずれもは08060528980までお電話✆かDMくださいなぁ️ 今こそ皆様のちからが必要です。 『10.3津軽の未来を変えて行こうよ🏳️‍🌈』みんなの故郷を明るく元気にしようよ🏳️‍⚧️ #パレード参加者、ステージパフォーマンス参加者大募集 https://plaza.rakuten.co.jp/junchanmtf/diary/202106180000/ パレード、ステージパフォーマンスで自分を思いっきり表現、解放しよう。そして、街ごと元気に明るくしようよ!弘前の、津軽の、自分自身の未来を変えて行こうよ!プラカード事前作成も受け付けます。(当日では時間なくなる可能性大です。)プラカード事前作成希望者は事前連絡お願いします。(08060528980までお願いします) #9月5日からみんなの大地をきれいにする大会と称して清掃活動します。 清掃ボランティアでは敷居が高すぎる(笑)なので「みんなの大地をきれいにする大会」と改名します(笑) 時間、場所は変わらず、午前9時、弘前駅前りんご広場集合でスタートします(笑) #感染対策はします。(使用許可条件に準ずる) #残念ながら9月いっぱい、ヒロロ3階市民参画センターの打ち合わせスペース閉鎖です。プラカードのお絵かき会も中止です(;_;) 10月1日閉鎖解除なったら再開します。1日と2日、それから当日しかないが、メッセージだけでも託してください。 あとは写真ぶっこんで仕上げます。まってます(^-^)熱いメッセージを! でも、なかなか勇気って出せないのも事実です。 なので、無理だけはなさらずに。 #新型コロナ対策で9月1日から窮屈な暮らし(私権の制限を課す対策)が始まります。 #何があっても希望を捨てないで欲しい。それから、むやみやたらと私権の侵害はやめて欲しい。人権の制限がかかってることが当たり前じゃないことを認識してください #アメノチハレは10.3アメノチハレ弘前レインボープライド3rd(アメノチハレのプライドパレード)は何があっても開催します。 #新型コロナ感染対策は強化してますし。公共施設(弘前駅前公園、駅前りんご広場)使用許可も問題ないです。更なる強化策も役所の求めに応じて提示する準備もできてます。 (北常盤駅) https://www.instagram.com/p/CTlEDhtvMOt/?utm_medium=tumblr
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kemurimk · 3 years
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天国と地獄9話感想
9話大事なセリフを書き起こし。
(朔也)「そうだよ俺はお前の兄貴だよ。たった15分先に生まれただけの!でもそれだけでそれだけで俺はこんな人生を送ることになったんだよ!なあ俺が四方のせいで夜逃げしてた時何してた?日高の家で抜けた歯並べておやつ食ってたか。やっと入れた会社で田所にいびりまわされてた時何してた?久米に濡れぎぬ着せられて親父がボケて途方に暮れてた時お前があの会社つくったって便所拭いてた新聞に書いてあったよ。なあこんなに違うのは何でなんだよ。俺がバカだからか?怠け者だからか?自己責任か?違うだろ!15分だよ!お前が15分先に生まれてくりゃお前の人生は俺のもんだったんだよ!」
(彩子)「あんたはクウシュウゴウなんかじゃないんだからね!ちゃんといるんだからね!あんたのこと好きで心配してそうやって守ってやろうっていう人間が!あんたのためなら犯罪者にでもなってやるっていう人が!そんな人がいるのに、いるのにいないとか寝ぼけたこといってんじゃないわよ!私はあんたを哀れんだりしない今までどんなひどい目に遭ってきたとしてもどんな人生だったとしてもこんなに思ってくれる人を叩き落せるなんてあんたは正真正銘のサイコパスだから!」
彩子と朔也が直接対峙して言い合ったわけではないのだけれど、これは対になっているセリフだと思う。
===
冒頭で魂が元の肉体に戻った彩子と日高。今までの彩子だったら8話で五木に言っていた通りその場で日高に手錠をかけたのだろう。しかし、そうしなかった。いや、できなかったのではないか。ちんけな共犯を捕まえるのではなく主犯を捕まえに行くと。なんなら朔也と日高を一緒に捕まえるために一緒に行こうと言う。これはきっと言い訳だ。永遠に会えなくなる前に二人を会わせてあげたい。それこそが真意なのではないか。そして二人は陸と一緒にいるという朔也を追って九州に向かう。
面白いのが元に戻った2人がお互いに感化されていることだ。彩子は日高に深く感情移入して警察としてのあるべき姿を曲げてまで朔也に会わせようとする。日高は朔也も自分も常軌を逸していた、どんな事情があろうと殺していい人なんていない、2人とも逮捕されることがあるべき姿だと彩子に言う。また、お互いに特別な感情が芽生えているようであること。今まで自分本位だった彩子が日高のために激昂する。日高は捕まるならあなたが良かったと自分に手錠を掛けるように乞う。
しかし朔也はもうすぐ奄美大島というところで息を引き取ってしまう。
「師匠!頑張って!ちゃんと自分のやったこと言ってクソったれって言われないと!」陸のこのフラットさよ。
ラスト奄美で待ち構えていた河原に追い詰められ、ついに彩子が日高に手錠をかける。「絶対に助けるから」「待ってます」と警察と殺人犯らしからぬ会話を交わして。そして彩子も河原に手錠を掛けられる。当たり前だ、隠してあった証拠は見つかってしまったし、日高と朔也を一緒に捕まえるためであるという建前はあるにせよ捜査をかく乱する行動をしてしまっているのだから。
しかし、次回予告では彩子は捜査一課に復帰しているようで。日高が何か彩子が無罪放免になる���うな証言をしたのだろうか?
もう、いちいち高橋さん演じる日高が意味深な表情をするから、本当のことを言っているのか嘘言っているのかもうよくわからん!!
===
以下思ったことをつらつらと。
入れ替わりものってどうなのよって思っていたけれど、入れ替わることで手っ取り早く相手の身になれるというか、相手の気持ちが汲めるということなのだろう。全10話という短い話数でも強い心の結びつきが作れる。
入れ替わったことで相手に感化され、入れ替わり前と発言が逆になっているんだけど、ガワが一緒という面白さ。でもちゃんと別人が言っているという説得力のあるお芝居に脱帽だ。
 膵臓が��におかされて余命いくばくもない朔也の望みが人生を狂わされた人たちへの復讐だった。日高は彼のその望みを叶え、その罪を一身に背負うことが朔也の人生へのあがないであると考えたのだろうか……。例えば朔也から 双子なんだから俺の分も生きてくれと人生を託されたとしたら…。その願いを叶えるべく朔也に罪を着せる線もありえるのではないのだろうか(これは白夜行展開)。故に罪を被るも着せるも朔也のためであるのだと思���のだ。
 兄に対する気持ちには嘘がなくても、殺人に関してはもっと踏み込んだ共犯関係だった?日高の証言って辻褄が合わない点もあるように思うので。言っていることがどうも全部本当だとは思えないんだよな。
 日高は優しい、優しさって共感力でもあって、共感しすぎたらたち行かないことも多い。共感し過ぎると立ち行かないの警察というのがまさにそれだなぁと思った。だから日高に感情移入していまっている彩子は警察として危うい。他人に共感できるようになったことは彩子にとって入れ替わることで得た成長のひとつであるのだけど。
以前陸と朔也と日雇い労働仲間とが飲んでいた時、陸がこのような仕事に就いた経緯を聞いた一人が「兄ちゃんは育ちがいいんだね」と言った。その「育ちがいい」というのはきっと嫌味でもなんでもなく、災害ボランティアに行こうと思える生活の余裕と誰かの役に立ちたいという優しい気持ち。 ボランティアで役に立てなかった自分を省みて何でもできるようになりたいとスパッと恵まれた職を手放せてしまう潔さ。そのような振る舞いができるのはやはりある程度豊で恵まれた人生を歩んで来ないとできないものなのかもしれなくて、きっとそのことを言ったのだろうと。 同じように、殺人を企図するまでに自分の境遇を恨むことしかできなくなってしまった朔也の気持ちを、そのような仄暗い気持ちを抱えることなく育ってきた日高はすぐに理解することができなかった。殺人を考えるのは信じられないと切り捨ててしまった。走り去る朔也の背中に「話し合いましょう!兄さん!!」と訴えかける日高だったが、朔也にはそれができる心の余裕も時間も無くなってしまっていた。破綻は少しのことで起こりえるのだと思った。
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petapeta · 7 years
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少年法は、犯罪や非行をした20歳未満の少年もしくは少女の扱いを定めた法律。 20歳未満なので、大学生が対象になることもある。Wiki籠り諸氏の中には罪を犯しても少年法の適用対象になる人も多いであろう。 ◆罪を犯した少年の手続 全てを解説するのは無理なので(余裕で何百ページもの本が書ける)、概要だけを説明しよう。詳細を知りたいなら専門書を読むか弁護士にでも相談してくれ。 ●少年審判 罪を犯した少年が見つかったとしよう。 警察や検察での捜査は、基本的には大人と同じ(多少は違うところもあるが、ここでは省く)。 警察や検察が捜査を終えたら大人の事件なら地方裁判所か簡易裁判所に起訴されるか、 比較的軽い事件であればお説教の上で裁判所には送らず終わらせるということもある。 ところが、少年の場合は無実が明らかになった場合を除いて 家庭裁判所 に 必ず 送られる。 「へっへ、どうせ反省したふりしてごまかせばいいのさ」 と思っていたら甘い。 家庭裁判所に送られた少年は、家庭裁判所調査官や少年鑑別所技官に、心理テスト等色々なテスト、生活チェックをされる。 軒並みカウンセラー等の資格の持ち主なので、反省したふりは簡単には通用しない。 裁判所が審判のために身柄を拘束できる期間は基本的に4週間。 殺人のような重大な事件で、さらに 「僕は無実です!」 というような件については、特別に8週間にできる。 ちなみに、一般の事件は23日警察に拘束したらもう起訴して捜査をほとんど終わりにするしかない。 少年も23日の拘束はできるので、少年の方が調査にかけられる時間は長いのだ。 少年審判は非公開で記録も公開されない。みられるのは審判の関係者や、被害者などほんの一部の人だけ。 検察官は捜査はするが、一部の例外を除いて審判に来ない。 裁判官は真っ黒な法服を着ないで、普通のスーツ姿で審判をする。 また、 少年審判は実は「犯罪でなくてもいい」のだ。 犯罪がなくても、 「こいついずれ犯罪すんじゃね?」 「理屈の上じゃ犯罪じゃないけど、こいつは放っておくとまずいっしょ」 と言う人間が見つかったら「虞犯」という扱いで家庭裁判所が審判の対象にできるのだ(検察官送致しての処罰はできないが)。 ま、家庭裁判所もよほどのことがなければそこまでやらないけどね。 ◆少年の処分(主なもの) ●保護観察 少年が保護司(民間の一般人)の所に月に1回とか2回行って、普段の生活を報告する。サボると少年院行きになることも。 ちなみにこの保護司さん、実費の補助が多少出る以外ほとんど無償で、比較的時間に自由の利きやすい自営業の人たちが善意でやっているボランティア。 そのせいで、最近はなり手がいなくなって困っているらしい。 自営業の仕事があって生活や時間に余裕のあるアニヲタの方がもしいたら、保護司に志願してみてはいかがだろうか。少年と共通の話題がある保護司は貴重である。 熱心な保護司さんだと、ほとんど親代わりになって相談に乗ってくれることもある。 ●審判不開始 事件が大したことないな、もう十分反省したなって場合には、そもそも審判をはじめないことも多い。 家庭裁判所も、小悪党に時間を割いている余裕はない。 家や学校がきっちり叱りつけて少年がしっかり反省しているなら、あまりに事態を大事にするのは逆に更生を邪魔することもあるのだ。 ●不処分 処分しなくてももう十分反省している、あるいはそもそも少年が無実なら、不処分になる。 ●少年院送致 少年院に送られる。少年院は刑務所と違って一人一人にきちんと指導が行われる。 大人の事件ならまず執行猶予で釈放してもらえる件が、少年だったばかりに少年院に送られる、なんてことは珍しくない。 ●児童自立支援施設送致 児童自立支援施設(昔の教護院)に送られる。少年院と比べれば開放的な施設に入れられることになる。 そもそも児童自立支援施設は、家出して親が分からない子供などを預かることも多い。 ●試験観察 厳密にいうと処分ではないが、保護観察を何ヶ月かやってみた上で、その様子を見て保護観察か少年院行きか決める。 家に戻すのではなく、施設などに預かってもらいながら試験観察をすることもある。 ●検察官送致 世にいう 逆送。 家庭裁判所から、検察に送って検察に起訴させ、殆ど大人と同様の裁判で大人と同様の処罰を受けさせる。 「大人と同じ…ってことはどんだけ厳罰になるんだ?ガクガクブルブル(;゚Д゚)」 実は、 道路交通法違反の事件を、少年院に送ったりしないで罰金刑にするために逆送する方が断然多かったりする。 (家庭裁判所は罰金刑にできない) ちょっとした交通違反のために保護観察や少年院送りにするのは、経費が掛かるばかりなのだ。 もちろん、 やった事があまりに救いようがないから厳罰にしてくれ、という逆送もある わけだが。 ただし、少年の場合だと、大人と違って次のような処罰の制約がある。 一、18歳未満だと死刑にできない。(国際人権規約でも定められているので、少年法改正しても意味がない) ニ、無期懲役のすぐ下は懲役15年。(大人は30年) 三、14歳未満は全て犯罪にならないので、大人と同じ処罰は不可(逆送も然り)。 また、一般に年齢が低いことは、 「これから真人間に戻る可能性もあるし、今までの状況がよくなかっただけ」 と判断されて大人の裁判でも刑が軽くなる傾向が強い。 ●実名報道禁止 少年の実名、少年が誰か分かってしまう情報を書いた報道は禁止されている。(少年法61条) もっとも、成人の事件でも実名報道される事件はそんなに多くないけどね! ◆少年法をめぐる論争 少年法は、 「少年の健全な育成を期し、非行のある少年に対して性格の矯正及び環境の調整に関する保護処分を行うとともに、 少年の刑事事件について特別の措置を講ずることを目的とする。」 (少年法1条) 少年法は少年を甘やかしている、大人と同じように扱うべきだ、という批判はよくある。 確かに、少年法が刑罰を少年に対して減らしたり、負担を軽くしている規定は少なくない。 実際にもこの件を始めとした吐き気を催す邪悪に厳しい処分が下せない、と言った話も多いので、 少年法は時には諸悪の根源みたいな批判の対象になりやすいのだ。 が、現実的に見ると、今まで書いてきたとおり決して少年に甘いばかりではない。 大人なら執行猶予だったのが、少年だから少年院に行かされる、なんて事もある。 処分が少年に甘いと言うだけではなく、少年法の少年を保護する規定が十分ではない事から、無実の少年が罪を着せられるというのも少なくないし、 そちらも批判の対象になっている。 大人でも冤罪事件で自分の身を守ることは難しいのだが、知識や経験に乏しい少年が自分の身を守ることはほとんど不可能に近い。 周囲に流されるままに犯罪を認めてしまう、と言うこともしばしばで、少年事件は冤罪の危険が非常に大きい事件でもある。 逆に、少年の言い分を裁判所が全部鵜呑みにしてしまった、という被害者や遺族側からの批判もある。 何故少年法がここまで非難されるのかは、マスコミで扱われるような事件がどんな事件か考えてみるといい。 マスコミで扱われる事件の大半は、殺人、強盗といったとても重い犯罪ばかりである。 こうした所では大人よりも刑を軽くする規定の機能する場面が多いため、 大人と比べ少年に甘い規定が機能する場面が目立ちやすい のだ。 少年だったから少年院送りになった…なんて件は、大概マスコミも興味を持たないのである。 少年法は、あくまで 大人には大人の、子どもには子どもの処方箋を用意しよう という法律なのである。 懲役30年にしたところで、少年なら50歳までには出てきてしまう。 その時にもし更生していなかったら?彼は再び罪を犯し、 新たな被害者が生まれてしまう かもしれない。 どれだけ罪を悔い改めても、社会で暮らしたことのなく、面倒を見てくれる家族もいない彼は社会でやっていけなくなり、罪を犯すしかなくなる可能性が高い。 彼をまた刑務所に入れる��は簡単だが、それでは被害者の受けた被害は戻ってこないのだ。 多少甘くしてでも更生をさせる、というのは、新たな被害者を生まないための一つの考え方なのである。  大人の刑事裁判や刑務所収容では、犯罪者個々人の性格に応じた刑罰は難しい。 鑑別所の技官や調査官がついて犯人を徹底的に調査する…なんてことは大人の裁判では行われない。 刑務所が辛いから罪を犯さない、という訳でもないのだ。 刑務所から出た人の41.1%(平成23年)が5年以内に再犯して刑務所に入るというのが現実だ。 ちなみに少年院から退院した人での再犯は(罰金・執行猶予になった奴も込みで)38.5%程度である。初犯は刑が軽いので簡単には比べられないが… 変に少年法が軽い!軽い!と騒げば某国民的ミステリー漫画の某事件宜しく、 「日本で犯罪するなら二十歳未満だよなwww」 とかいう不届き者が本当に現れないとも限らない。 本人が後から処分されて愕然とするのはざまあwwwで終る事だが、 そんなバカな誤解のせいで新たな被害者達が生まれるのはやりきれない。 というか、そんなバカな誤解を植え付けるのも共犯と同じである。 少年法改正論議はすべきだが、少年法は今のままでもそんなに生易しいものではない。 大人の刑事裁判や少年法に対する正確な知識を手に入れた上で、少年法については考えて行こう。
少年法 - アニヲタWiki(仮) - アットウィキ
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kisanebacci · 4 years
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福祉労働152号元稿
「福祉労働」「医療労働」「教育労働」
で飯を喰っている諸君
諸君らは
公認心理師を取るのか取らないの
か?喝
発達障害の大流行に
反対するのかしないの
か?喝
ハッキリと答えて貰いたい
 序章 
キーサンの怨念より、まずは匕首を首筋に
 精神病患者として、そろそろ、公認心理師のモンダイをハッキリとすべきと、想います。そしてそれは、発達障害と心理学との、まことに『旨味のある関係』を、本音で追及すべきでアル、と云う事と同時でなければなりません。ツマリ、この公認心理師法のモンダイは、特に、この発達障害と云うまことに『旨味のある銭ヅル』を赤裸々にしていると、想うのですが、皆さん、如何でしょう、か。
 とうとう、国家資格がとおってしまいましたね。50年にわたって欲しかったモノが、昨年九月に戦争法とともに、ゼニ豚として確保しましたね。キチガイの立場から、テってー的に鉄槌的に、公認心理師法反対!!!!!ハツタツ障害反対!!!!!で御座います。はっきり言って、この国家資格化と云うモンダイは、発達障害の大流行と、密接に関連しているモノと、エバッチには、想われます。そしてまた、この点を突いているモノがまったく見当たらないのも、重大問題だと想い、また、公認心理師国家刺客法反対の声も、余りに少なく、と云うか、想ったより大きくならないと云うか、これではいかんと、危機感を抱きながら「季刊福祉労働」の読者の皆様方に、キチガイからの熱い、暑苦しいくらいの篤い熱い連帯のメッセージをお送り致しております。何卒、ご嘉納頂きまして、キチガイからの匕首が、皆様の首筋に突きつけられておることを、ご理解賜わりと想っております。
 それで、福祉労働医療労働で飯を喰っている皆さま方は
【公認心理師】を取得されるおツモリですか、それとも、
踏ん張って、取得されないのでしょうか?喝
 実は、この匕首は、キチガイだからこそ、「福祉労働」で飯を喰われておる皆さまに突きつけられるものと、想っております。だって、我々キチガイは、皆さま方の『飯のタネ』だからであります。『飯のタネ』の側からの『飯のタネ』故の反論、反撃なので御座います。コレを綺麗ごとで言うと「ユーザー」たら「コンシェーマ―」たら、「サービスの受給者」「福祉医療サービス利用者さん」からの意見も聞くように、ということに為るんでしょうが、実際は【医療福祉労働で飯を喰っている業界に囲い込まれたゼニ豚】からの、キョーレツな反撃と云うコトに為りましょう。檻の中よりの閉鎖病棟保護室五点張り電気ショッククスリ漬けCVPPPと云う看護士看護婦の集団暴行を突きつけられ続けてきたゼニ豚から、「これ以上もっともっと、ワシ等を虐めやすく、虐待しやすくするのか、国家資格、適正手続と云う、武器を更に加えて、しかもソレを我が身らの銭儲けに必要なのだから、と言い募るのか、この腐れ心理銭豚野郎ども」「我が身らの銭儲けと御シゴトの確保なら、チャっちゃっと公認心理師を取ルのンかいや、ハッキリ言うてみぃや」と云う、怨念に満ち満ちた怒りの匕首なので御座います。
 しかしこの匕首は、再度申しますが、キチガイだから突きつけられるのです。我が身は、心理学の教授という銭儲けの種を確保しておいて、あるいは、自分は、PSWという銭儲けの種を確保しておいて、学校現場で算数科教員という飯の種を確保しておいて、あるいは、子育てもし終わり、家のローンも払い終わり、元専門職ボランティアのような立ち位置から、この資格を取らないと、たちまち、飯の種を失い、子育てどころか結婚すらできない若き心理学徒たちに、突きつけているとしたら、ナンダかおかしいなぁ、と想うのは、えばっちだけではないでしょう。反対派の心理学教授に言うたらエエんですよ。取らなシゴトも無いノンや、とね。だから、だからこそ、キチガイは、この資格を取らないと、飯の種にもならず、仕事にもつけず、子育てどころか結婚すらできないという、高学歴若き心理学徒たちに対して、ワシらキチガイのオマイ等に突きつける匕首は、上記の人らが突きつける匕首とは、ちょっと、斬れ味も、凄味も違うぞ、と言いたいワケなのです。
 だって、ね、何でワシらが、あんたらの就職口や結婚や子育てや家のローンや雇用や保険のための『飯の種ゼニ豚』にならんといかんのですかいの。ワシらは、精神病院で運よく殺されず、さらにまた、運よく退院して、地域で暮らせたら御の字で、子育てタラ、オ仕事タラ、家のローンタラ、結婚タラ、夢のまた夢やないですか。それを、ナニを偉そうにナニガナニガ高学歴のオマイ等の、結婚するに国家資格銭儲けタラ、子育てスルに専門職能性タラ、家のローン払に、良い就職口なんや、ナニガナニガ年収500万なんや。『飯の種ゼニ豚』のキチガイから言わせれば、ワシ等キチガイを散々虐待しておいて、更にまた、銭儲けのタネゼニ豚、に為れと云うコトですかいの。ワシ等から言わせれば、国家資格が増え、適正手続き化が進めば進むほど、息がしにくくなるという、ゲンジツは無視ですかいの。しかも、ワシらキチガイが、息がしづらくなればなるほど、ワシらを飯の種にして飯を喰うヤタラとヤカラな、ヤカラとヤタラな専門職の、仕事口と賃金と幸せ度は、うなぎ登りでんな。しよい御商売でんな。
 しかも今回は、発達障害の大流行が引き金を引いた国家資格なのです。ソレ、まだ、気づきませんか。対象者相談者来談者が、我も我もと話したくて話したくて駆けつけてくれなきゃ、アンタ等の銭儲けに、為んないでしょう。ソレを発達障害というゼニ豚を大量に発明し発見し得た時に、まぁ、心理学は待望の国家資格化を成し遂げ得た、と云うワケですよ。まぁ、怨念まみれダケではいけませんから、その点を少し説明してみましょう。
 まずは、「第一章 発達障害の発明が公認心理師をつくりだす」を、そして冬号には「第二章 発達障害ソノモノに対する疑念疑惑の数々」「第三章 社会に対する謀叛事前鎮圧銭儲け装置としての公認心理師」を書いてまいります。
 第一章 発達障害の発明が公認心理師を造った
 精神病患者は精神病者はキチガイは第一義的に、精神科医療の対象者であった。そこにおいて心理学は第二義的いやいや第三義か第四義的役割しか果たせなかったのである。心理学は延々と精神医療の中における、精神福祉の中における、自らの地位の向上と儲け口を拡げるために延々と戦い続けてきたのだが、ことごとく無様な失敗に終わってきたのである。ずっと、精神医療の中の余計者として、扱われ続けてきたのである。それでヨカッタ、当たり前だ、喋れる人��が、コトバを操れる人間が、まず、カウンセリングの対象なのだから。あんな狭い密室で、一時間近くも、延々と喋れる奴なんて、コトバを操れる奴なんて、精神科で探すのが難しカッタだろう。ところが、である、ここで、どっかのアンポン譚が、全く新しい障害概念を発明し、全く新しい障害者を発見し、拡大に次ぐ拡大を続けてきた。すなわち、『自称新制申請』発達障害である。大体が、ドウいうわけだか、精神と心理ダケは、その裾野の拡大に次ぐ拡大に努め、増大に次ぐ増大に励み、患者と云うゼニ豚に次ぐゼニ豚を増やし続けてきた。そう、この発達障害は、裾野の増加拡大の「極め技」なのである。素晴らしい、あまりに素晴らし過ぎて、心理学のおエラ方はこれに気付いたとき小躍りしたに違いない。含み笑いをしながら、その時を待ったのである。そして、ハツタツが大流行の兆しを見せ始めた時、躍り出たのである。   つィーーに心理食は飯之種の第一義的儲け口対象者を、己のが優先的ゼニ豚を発明したのである。しかも、心理と精神の業界の裾野の最大限拡大に繋がっているのである、これを離すはずはない。これを縮小させるはずはない。今までは精神医療のおこぼれを、精神医に媚びを売りながら、おこぼれを頂戴してきたのである。しかし、これからは違う、発達障害に関してはまず第一義的に我々心理が、囲い込むゼニ豚なのダと云うワケである。そのおこぼれを精神医療にも分けてあげよう。平たく言ぇやぁ、そうそう、心理で手に負えなくなれば当然のこととして、発達専用薬のぶち込みと精神薬の拡大適用と、保護室へのぶち込みをヤッテくださいよと、精神医療に対しおすそ分けをするのである。しかも、自分たちの相談室を非常にキレイなものにしておける。汚な仕事は精神医療に任せるのである。汚なシゴトは、精神病院と精神科看護士と精神医の担当デスヨ、と云うワケなのだ。
 今だって、大概そうなのではあるのだが、これからは、ハッキリと精神分裂病、統合失調症お断り、と云うカウンセリングルームが、大流行するのでアル。カウンセリングがチャンと出来得る患者さんだけですよ、と云うわけなのだ。しかも、クスリが効いたのか、カウンセリングが効いたのか、わからなくなるのは困るからと、クスリを飲んでない発達障害者のミナサン限定ですよ、と云う小綺麗な小理屈ポイ小御洒落た小花畑カウンセリングルームで、背中に翼のはえた魅力あふれる発達障害者の皆様をお待ち申し上げておりますと云うワケなのだ。腐った汚い、喋りもあやふやな、世迷言や幻聴幻覚まみれの、妄想話を喋るような病気の重たいキチガイ病患者や精神病患者は、精神病院に行ってくださいよ、ココはあなたたちの来るところじゃアリマセンヨと云うわけなのだ。
 したがって発達障害に反対するということは、公認心理師に反対するコトであり、また公認心理師に反対するということは、結果として発達障害に反対するコトになるのである。とくに心理学系エライさんや発達障害を自称する当事者のエライさんたちは、この点実にによく理解しているはずなのでアル。だから、今後、公認心理師反対と発達障害反対を同時に叫ぶキーサンやごくごく少数の心理系専門職などを徹底的に殲滅しようとすることは、間違いのないことである。いや、もうはや、ソレは始まっているのである。
 今から考えれば、発達障害の大流行の端緒を造ったのは、アドラーかユングか分析系か、心理臨床系かソンナもん知らんが、の学会関係者が、十年以上も前から、虎視眈々と、ジブン達のお大事の専門的理論ナルモノなんてものは、大胆に塵箱に捨てチマッテ、発達障害専門の方にシフトしていたハズなのである。ハズと書いたのは、まさしく、そうであらんずらんよと妄想しているからである。五〇年掛かった国家資格化の最大の功労者とは、発達障害発明横滑りシフト先導学会のエライさん達、であり、そして、本人たちも、まさか、ココまで大流行し、今の今時にこそ、心理職の国家資格化に持ち込んだのである。途中で、この事態に気が付いて、今の発達障害大流行のこの時期を逃せば、もう二度と、チャンスは巡ってこないだろうと、勢い三歩前のめりに為っていったのは、そう、ニチリンシンや全心協の国家刺客活動家達であったろう。それが証拠に、あさましくも、この春から、大学に、心理学部やら心理学科やらの開設ある。今春に心理学部開設と為ると、その準備は、昨年の九月に法律やっと出来ました、のでスタートとか云う、はるか以前から、準備していたはずである。学部が、一つ増えると云うのは、タイヘンだ。そして、その新しくできた心理学部や心理学科の売りは、ナンといっても、最新のゼニ豚資格公認心理師が、獲れますよ取れますよーーなのである。
 更に驚くのは、ナント「発達支援専門コース」と云うコース設定を宣伝しまくって、しかも、念の入ったことに、障害当事者の方が、本学ではたくさん学んでおられます。特に院にも、たくさんおられますと、同時に宣伝中なのであるから、後は、御想像の党利ですワナ。ワシ等キチガイにとって院とは、精神病院のコトを指すのであるが、さて、コンなトコに入ろうかと云う障害当事者の諸君にとっては、院とは、ドウいう院を指すのであろうかシラン。
この章最後にもう一点
発達障害当事者が為りたがる者としての公認心理師
 クスリも抜けまして、今は、大学院で博士課程で御座いますタラ、大学院の特別研究員で御座います、タラ、高学歴エラク為りたい系健病者諸君にとって、この公認心理師為るものは、自分達が為りたい、取得して当事者スタツフとしてデモ、自己実現自己満足して、社会復帰社会貢献するに、もってこいの国家刺客ではなかろうかと、ワサワサ仕出すにチガイのない色物イロモノナのである。
 おのれは精神医療の対象者ではなく、小奇麗でご立派な小学術的な小花畑の高学歴の小リクツぽい小リクツ好きな心理学系の対象者であると、そしてそれは、またもや精神病者よりはマシと自慢することになり、そして喋りたくて喋りたくて依存したくて依存したくて仕方のない発達障害者と心理専門職とが最も強固な共依存を構築するのである。よかったねえーー発達障害者の諸君、公認心理師の諸君。
 ムカシ、アホが足りいで、全精連やマインド系が、ピアカンするにあたって、内部的な講座を開いて、その講座の修了証をもってなければ、ピアカンになれません、なんて、ヤッテいたのだが、いよいよと、これからは、新しいピアは、学問を積んで、専門職能性を担保したものでなければピアの活動もしっかりしたものはできないそうなのである。特に、欧米系のそういう当事者の論文を翻訳してどんどん宣伝している始末である。患者同志、病者同志の愚痴のこぼしあいでキチガイ同志のいたわりあいで、患者仲間のセーカツの中で、の、聞き合い、励まし合い、で、いいではないか。キーサン同志のなかまとしてのいたわりあいが、嬉しかったのだが、、その反対、なかまの上に君臨し、なかまを拷問し、なかまからゼニを奪い取ろうと云うワケなのである。そのような、糞タワケな所業を例によって例のごとく後見しているのは欧米発の論文である。そういった論文を翻訳してはびこらしていくのが、いま最先端の当事者活動らしいのである。バカが足りいで、自分が銭儲けのタネに為っているゼニ豚とも知らいで、ソンナ自覚すらも持てないマンマいやいや、自覚があり過ぎるもんで、今度は、アッチ側のゼニ豚に為ろうと当事者を称するアホどもが、ヤカラとヤタラに今度は、アッチ側のゼニ豚に為ろうと、高学歴を積増し積み増ししマンのカナ。ご苦労さんなコッタ。アホらしい。
ソンなにエラくなりたいのか。
ソンなに高学歴くなりたいのか。ソンなに大した人物くなりたいのか。
ソンなに精神病者よりマシと言いたいのか。
ソンなに精神病患者を侮蔑見下したいのか。
  社会臨床雑誌23巻24巻やシンポに提出の原稿と
日臨心関西派のシンポで使用した資料等々を基にしている
2016年8月吉日
精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所
あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起
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mothermonika15 · 5 years
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半世界
この映画の主人公、稲垣吾郎演じる炭焼職人は故郷へとはぐれる男。 故郷、それが異郷であるかのようなのは、自衛隊を辞めたもう一人の主人公を演じる長谷川博己。 故郷、それが肉体だとしたら、渋川清彦と池脇千鶴が演じる役柄が、2人の主人公の反映にも感じられ「故郷」を体現している。
半世界とは、陸と海の架け橋のようにも見える (彼岸と此岸とはあえて言わないが)
長谷川博己演じる元自衛官は、海の上に居れば落ち着くという。 陸の上の(反)世界を借定する彼は、海綿体となって浮かんでいる。
慰めじゃない ほっとするんだ
遠景のカモメや餌をやる漁師や煙も効果的だが、何より最後のカットで海上の長谷川に歩みよる稲垣の二歩の歩み寄りが、稀にみる映画俳優のアクションだ。
「おまえに俺の給料払えないだろう」と長谷川に言われた稲垣が空かさず、「ボランティアだよ。甘えんな!」と言い返し、次の日から山で働きだす長谷川と稲垣のツーショットか映る。 二人のやり取りは真剣だが観客は笑う。 実際この映画で貨幣を手にするのは長谷川や渋川で、炭焼きの仕事で給料を受け取った痕跡は何処にも映し出されない。 しかし、雨戸の補修にはじまり、炭の出入荷、売り込み、息子の高校受験、中古車販売や葬儀に至るまで、凡ゆるところに通貨の気配はある。 ゆえに、この話者たちのやり取りと、観客を笑わせる醒めた作者の視点の相違に、日常における現実の構造が露呈するのだ。
何もわざわざ自殺するには及ばない。 人間はいつも遅きに失してから自殺するのだからと思わせるもう一人の(アルターエゴ)主人公が、妻役の池脇千鶴と会話する。
お風呂入ってくるよ
お湯抜いた…仏壇消して…体、重いんだけど脱がせてよ…私をほっていきやがって…バカ…酒臭え
重力を感じさせる池脇の名演と、竈のまえで会話する場面のフォーカス移動には、昨年の邦画には見られない精確なキャメラアイがあった。 カットの中に奥と手前がある。
再び池脇は焔を見つめて
瑛介くん(長谷川)なりに折り返す場所みつけたんだな お父さんはお父さん あなたはあなた でないとこっちが迷惑だもん
現在と、現在から見た過去の奥行きがあるとき、本作は過去(イメージ)を妄りに共謀させたりはしない。 過去のトラウマを今に混入させないイメージの配列が、トラウマ・レッスンとしてのドラマ映画のカタルシスを否定している。
劇中、石橋蓮司がカラオケで歌う場面があった。 「海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍…」これは万葉集の代表的な歌で…と酔っ払いながら熱唱、元自衛官の長谷川博己に向かって軍歌じゃないんだ、と説く。 家持の言う屍を、死者の魂の身動きに喩えたわずか五文字に喚起させる「海行かば」。 人の死を悲しむ悲悼の言葉に結晶する万葉以来の伝統を、一見、茶化すように描いた名場面だ。
なんでこの町は風俗も映画館もないんだよ
と、玄関で酔っぱらうもう一人の「故郷」が言う。
まるで映画みたいだな
と、バス停にて長谷川博己を見送る渋川“故郷”清彦に言わせるラストシーン、背後に拡がる伊勢湾は、『山椒大夫』(溝口健二)のラストシーンのごとく波光きらめく逆光として在る。 導入部につながるこの場面には、それでもなお映画でしかないことへの「笑い」(距離)もある。
スタンスっていうか…結局、目に見えている物の中には真実もあるから嘘はつけない。 良質な娯楽作品を作ることの難しさというのが一方にあるんじゃないですか。 娯楽で血反吐を吐くということを僕もしていかないといけないんです。 阪本色であれ、インディペンデントでやってきたものであれ。
阪本順治監督が『傷だらけの天使』を公開した97年に、個人と映画のスタンスを私が問うたときの監督の言葉だ(応答)
あきらくんとめし食ったよ 変なことしゃべってないだろうな 変なことだげしゃべった
その後に続くアクションは、ベタ阪本色と呼べるが、この���内での一見些細なフォーカシングの位置が、この映画の格の高さを示唆する。
阪本順治監督との対面から20年強。あらゆる迂回を経て阪本映画をほとんど欠かさず見てきたが、その迂回が死を賭した生成だったことは、その後の彼のフィルモグラフィが示している。
本作は『顔』と『団地』のマインドをまぶしながら、その実『亡国のイージス』や『KT』『闇の子供たち』につながる日本的自然を批判しもする(反)邦画だろう。 主人公は竈の焔を見ながら、その不定形のうねりと性交するようにして、私生児みたいに雑種的なるものへと生成する。 あの竈の暗い焔に照らして、夫婦は、親子は、互いの中の何に見合っていたのだろう。
空は海にささやき 海は空にささやく かつて海と空は夫婦であった そして子が生まれた 児は叫ぶ 私は願う 太陽に向かって種子を播きたいと
中西夏之
芦川羊子をはじめ白桃房の踊り子たちが、やわらかく鈍く光る真鍮板になって舞っているかのような 三人の、すべての幽霊が故郷=異郷へと召還される。 そして、そうした交流の外に置き去りにされたカモメや焔や煙や…すべてが舞い戻る。 主人公3人は伊勢の「海やまのあひだ」を背に、それを調教するように映画を撮���たのではない。 逆に調教しているのは、あのカモメたちであり、それらを構成する無数の「徴=サイン」素なのだから、それらがあたかも3人を画面の中で主人公であるかのように調教しているだけなのだ。
そして主人公は学ぶ。 自らを用立てないこと、を。 無用の用として、使い捨てること…それを稲垣吾郎が体現して、スクリーン上に稲穂が鮮やかに映えて見えた。
これは阪本映画のひとつの到達といえると思うが、既に映画はさりげにそれを否定し去り、キャメラは空を仰ぐ。
お前らに気をつかって俺が小さくでたわけよ
と、つぶやきながら。
この映画はロケーションから溝口の映画を、そして相米の遺作の気配を思い出させるが、個人的には『王将』(伊藤大輔)を重ねた。 貧乏な塗炭屋根家の貧しさの中で暮らしを立てているからだろうか… 坂田三吉の負け戦に挑む姿に、稲垣吾郎扮する役柄が、何処となく過る。 亡くなるのは稲垣なのだが、三吉が受話器に向かって延々と唱える題目(南妙法蓮華経)が、そのまま狐の嫁入りのような葬儀の場面、一瞬、キャメラ(レンズ)に虹色の光が射す場面に見える。
稲垣吾郎演じるどこにでもいる市井人の男の内部に宿った高貴な魂が、はっきりと映し出され、父親を喪ったばかりの息子の巣立ちが続く。 そして、人生がつづくように、骨壺とも、地面に映えた下弦の月の光ともつかない反映をラストカット、映画は次世代に志を繋ぐ意味の種を播く。
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監督・脚本:阪本順治 出演:稲垣吾郎、長谷川博己、池脇千鶴、渋川清彦 2019年/日本/120分
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love-chemiko · 5 years
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⚜異業種交流会でも役立つ交渉術 10⚜
『羊頭狗肉』に気を付けろ‼️
羊頭とは羊の頭
狗肉とは犬の肉
看板は羊の頭をかけておいて
実際には犬の肉を売っている。
Tumblr media
そんな誤魔化しのことを意味しています。
「羊頭を懸けて狗肉を売る」という
中国の故事からの言葉です。 外見、環境などの雰囲気を
華美に演出をしている場で
ここで、ショッピングをすれば
ここで、契約をすれば
きっと、
素晴らしい商品なのだろう・・・
良い結果を得ることが出来るだろう・・・
誰でも、
こんな風に思ってしまうのではないでしょうか? こんな時に、
チェックして欲しいポイント
唱える呪文を
ハーヴィ・マッケイが教えてくれます。
羊頭に惑わされ
狗肉を手にする事のないように
ハーヴィの言葉を見てみましょう。
シャンデリアの部屋ではなにも買うな
 IBLの事例でも納得されなければ,
こんな年配の政治家の話がある。
これで、
わたしのいいたいことがわかってもらえるだろう。
ときは1967年から68年にかけての冬。
ところはシカゴにほど近いオヘア・イン
50人から60人の共和党員が集っている。
その多くは全米に名を知られた、
ニクソンの支持者である。
たとえば、
上院議員のエヴァレット・ダークセンとハイラム・フォン、
州知事のジョン・ロッジ、
元下院議員のボー・キャラウェイ、
そして主催者は、
のちの司法長官、リチャード・クラインディーンスト。
会合の目的は戦略を練り、
票読みをすること……
そしてもっぱら同じ部屋に集うことで、
6カ月後のマイアミでの党大会で
ニクソンの大統領候補指名獲得に向けて、
気勢を揚げようというのだ。
大きな成果だった。
驚くにはあたらないが、
あたかもニクソンが第一回投票で勝つ
州の点呼のようである
(そして驚くべきことに、
その後も実際に勝利した)。
クラインディーンストがニューヨークの
ニクソンに電話をかけ、
ニクソンはスピーカーフォンを
つうじて短い檄をとばしたころ、
大統領に選ばれたあかつきには
支持者の全員に「仕事」を与える
と約束する。
この日いちばんの拍手喝采。
すでにとてもいい仕事を得ている
連邦上院議員にそれを訴えることの効果は、
計りしかねるけれども。
会議場がよそへ移る。
メンバーのほとんどが去る。
わたしの友人で、
ボランティアが中心の
細々とした活動を運営している小物の党員は、
パド・ウィルキンソンのあとをついていった。
こちらは、
オクラホマ大学のフットボール・チームの元監督で、
同州の上院議員の共和党候補となったが、
落選した人物だった。
ホテルの離れのスイートで
さらなる指示が与えられる。  
クラインディーンストをはじめ、
会合に出ていた大物がそろっていた。
さらに飲み食いをしながら
片隅で長広舌をふるったのは、
のちにニクソン政権の
閣僚となる下院議員だった。
その下院議員のいわく、
「あらゆる国政選挙では特別なオフィスがある。
たいがいは国の中心、ここシカゴにだ。
そこにはシャンデリアがないといけない。
それは重大なことだ。
どこよりもすばらしいオフィスでないといけないんだ。
大きなデスクがあり、
その奥には候補者の側近中の側近と
おぼしき人物がすわっている。
選挙戦中は毎日そこに献金に訪れる人がいる。
たいした金額じゃない。
湯水のように使う金ではない。
そこそこの金だ。
 献金者たちは自分の望みを側近に告げる。
アメリカで見返りを求めずに
金を与える人などいない。
そういう人は大使か次官になるものだ。
さて、
そこそこの金では、
スリランカでは大使に会うこともできまいが、
せっかく金を差しだしている相手を
ただ世間知らずだからと無下に扱うわけにもいかない。
それでデスクの奥の人物は・・・
重々しくうなずき、
マーククロス製の美しい便箋にメモをとる。
献金者は退場する。
いい気分だ。
妻や友人に、
次期大統領の弟と話をしたのだと自慢できる。
その弟が、やり手の兄の立候補者に対する
『深い献身』について語りつつ、
上等な便箋に書き送った
メモの控えだってもらえるだろう。
最大のポイントは、
この献金者のことは忘れていいということだ。
なぜなら、
シカゴのシャンデリアが輝く
オフィスにまで出向くような
バカのことなど
心配するに値しないからな。
たとえ選挙戦に勝ったとしても」
ニクソン陣営には
資金集めのプロもいた。
かき集められた6000万ドルの
選挙資金��おかげで
民主党のジョージ・マクガヴァンに圧勝した。
しかし、
やがて不正な資金調達が告発され、
ウォーターゲート事件で
ニクソンは辞任に追いこまれた。
壮麗な入れ物に人は幻惑される。
ビルクリントンとモニカ・ルインスキーが
大統領執務室で浮気をしても
バレないと思ったのがいい例だ。
ホワイトハウスのあの部屋には、
シャンデリアもないのに!
話がうますぎると思えるときは、
おそらくそのとおり、
というのはよく聞く話である。
しかし投資の決断を下す前には、
話そのもの以上のことに
目を光らせるべきだ。
・もし施設が豪華すぎたら
・見慣れない顔が多すぎたら
・家から遠すぎたら
・親切にされすぎたら
・事業が魅力的すぎたら
・参加資格があまりに立派すぎたら
つまり、
たとえきちんとした提案に見えても、
これら他の要素をすべて考えあわせると
少々できすぎだと思えたら、
どうかこの呪文を唱えてほしい。
「デュッセルドルフはパス」。
そして小切手帳を握りしめ、
とっとと帰ることだ。
(出典 ビジネス人間学 日本経済新聞社
      著者 ハーヴィ― マッケイ)
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harimarin · 4 years
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日本青年会議所を退会した(自己保存用) 変更前  9年ほど前、地方都市の小さな町工場を経営していた父が亡くなり、家族と古株社員に説得され、地元に戻って27歳で後を継いだ。元々継ぐ気はなく、大学以降ずっと都内で過ごしていたので、地元に馴染めず苦労した。仲が良かった友達もほとんど地元を離れていたし、社員や親戚とは話が合わず、友達を作ろうとスポーツサークルに入ってみたら元ヤン達が幅を利かせていてすぐ辞めた。おれは孤独だった。  そこに青年会議所の誘いが来た。何をやっている団体なのか全く知らなかったが、地元の祭りや花火大会を盛り上げたり、まちづくりのボランティア活動やビジネスセミナーなどを通じて経営者として勉強して、地元の中小企業の経営者同士のネットワークを構築するのだという。活動内容にはピンと来なかったが「経営者には経営者同士しか分からない悩みと孤独がある。それを共有できる仲間ができる」という言葉が突き刺さった。入会金1万円と、1年分12万円の年会費を振り込み入会した。  1年目。子供達のサッカー大会の運営に携わった。市民と一緒にゴミ拾いをした。花火大会のポスターやチラシを検討する部会に入り、自分の意見が採用されると誇らしい気分になった。居酒屋やバーに行く仲間ができ、バーベキューをしたり、地元でようやくリア充的な日々が送れて嬉しかった。  2年目。市長や国会議員や100人以上のOBが集まる新春懇談会を運営するスタッフになった。はじめての出向も経験した。それまでは市単位の活動だったが、県内各地の青年会議所と一緒に委員会を作って活動するのだ。遠方まで出かけ、はじめて行く町で真面目に会議をし、そのあと楽しく飲んで仲良くなった。自分自身が拡張されるようで、嬉しくなった。  3年目。4年目。だんだん色んな役職を任された。後輩ができ、教える立場になった。隣県で開催されるフォーラム、京都での会議、横浜でのカンファレンスなどに参加した。たまに動員に協力させられる憲法や領土問題などのセミナーや、いろんな署名活動のお願いなども、積極的とは言えなかったが協力した。  5年目。国内で国際会議が開催されることとなり、その運営に携わる委員になった。全国あちこちで開催される会議に毎回参加した。横断幕バナーを持つためだけにヨーロッパにも行った。会社は何とか軌道に乗っていたし、自分の勉強にもなると説得されて役目を承諾した。大変だったが、充実の日々だと自分に言い聞かせた。  6年目。ブロック (都道府県レベルの組織) の役員をやった。ブロック内の新入会員に、青年会議所のビジョン・ミッション・バリューを叩き込む役割だった。トップであるブロック会長の教えは厳しく、ブロック内の理事長達が集まる会議に提出した議案は「背景・目的と手法が乖離している」と叩かれてボロクソに言われたが、意地を張って徹夜で修正し、通した。理事長達に「成長したな」と言われて涙を流した。  7年目。地方の青年会議所を束ねる上位組織、日本青年会議所のスタッフになった。トップに立つ会頭の言葉は絶対で、役員と一緒のエレベーターに乗ることは許されず、奴隷のような扱いをされながらホテルに缶詰になって上からの指示を徹夜でこなした。なにしろ、国民的な憲法議論を喚起するという大切な事業を遂行するのだ。何度も壁にぶつかったが、委員長や常任理事のアドバイスもあって乗り越えた。素晴らしい先輩達に恵まれたと感じ、あの人達のようになりたいと思った。  8年目を迎える直前の年末、母が倒れた。会社はいつのまにか赤字に転落していた。売り上げが落ち、接待交際費と交通宿泊費が激増していた。来年の理事長に相談した。その人を支える女房役となる専務理事を引き受けていたからだ。役目を引き受けるのは無理だ、JCは休んで仕事に専念しないと会社が危ないと話した。次年度理事長は言った。逆境が人を強くする、それはその人に与えられた試練だ、人は乗り越えられない試練を与えられることはない、だから仕事もJCも死に物狂いで頑張れ。そう言われた。  こいつは何を言ってるんだ。  バカなのか?  おれが今までどれほどJCのために頑張ってきたと思っている。  少しくらい休むことも許されないのか? こんな状況なのに?  そしてすうっと冷静になり目が覚めた。  おれは友達が欲しかった。それと、しぶしぶ継いだ会社だったが、なんとか頑張ろうと思って、その役に立つと思って勉強しようと思った。そんな中、せっかく誘われたことだし、青年会議所がどんなものか分からないけどやれるだけやってみようと思って、やってくる機会にチャレンジしていた。そしたらいつの間にか、おれは青年会議所が命じたままに憲法改正や領土領海問題を他人に説き、偉い偉い役員様が海外でスピーチする時のガラガラの席を埋めるためだけに自腹でニューヨークやオランダに行く人間になっていた。そして家族と会社が不幸になっていた。  それでおれは、退会届けを出した。引き止めは強烈だった。携帯が鳴り続け、会社に何度も色んな人が来た。時に優しく諭され、時に怒鳴られ、時に泣かれた。父の友達だったというOBまでやってきた。地元の集まりに顔を出しにくくなるぞと脅されもした。どんどん青年会議所が怖くなり、嫌いになり、おれは意思を貫き退会した。  青年会議所には、入会前のおれのような人間が陥りやすい罠が待っている。孤独を埋めてくれる仲間と、彼らと一緒にわざわざ作られた苦労を乗り越える経験から得られる高揚感だ。ほどほどで満足できるうちはまだ良いが、のめり込むとだんだん、周りが見えなくなる。入会前に母が「JCはやめておきなさい」と言ったのを聞いておけば良かった。ごめん。病院のベッドに横たわる母に謝ると、彼女はテレビから目を離さずにこう言った。 「それよりあのイチゴおいしそう。食べたいから買ってきて」  買えたのは韓国産でなく国内産のイチゴだったが、母はもりもり食べて元気になり、きのう退院した。 変更後 Facebookメッセンジャーで脅されたので、全文晒して真っ向勝負しようかと思いましたが、戦っても1円にもならないので削除します。コメくれた人、読んでくれた人、すいません。 偉大なる元増田様 https://anond.hatelabo.jp/20180306002045(削除済) 魚拓 https://megalodon.jp/2018-0306-0620-50/https://anond.hatelabo.jp:443/20180306002045 archive.is http://archive.is/uWKMu
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ama-gaeru · 6 years
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錯視上ブルーエンド14
14話:8月16日(午前10時58分)耐え続けるx崩れ続ける 
 西郷に唇を噛まれた時、肉をホチキスでバチンと留められたと感じた。
 骨まで伝わったあの振動。バチン。それも2回。バチン。バチン。頭が真っ白になるとは、ああいった状態を指すのだろう。
 口の中にシロップで濡れた氷を押し込まれた感触がまだ残っている。舌さえ触れなければ、あれをキスだとは思わなかっただろう。
 いかにもあいつらしい不器用さだが、その不器用さを今は好意的に受け止めることはできない。これから先もずっとそうだろう。ぶっきら棒だが可愛げのあるお気に入りの後輩は消えてしまった。そもそもそんな奴は、最初からいなかったのだ。
 あいつも所詮、嘘つきの蛇だった。この2年、西郷と築いてきたと思っていたものは、全部嘘だったのだ。
 反吐が出そうだ。
  昨日は家に帰るなり眠り込んでしまったから、自分の顔がどうなっているのかを確認する余裕がなかった。
 あの衝撃に相応しい、さぞや深い傷になっているのだろうと覚悟して鏡をのぞいてみたが、鼻と唇の間にある窪み──人中(じんちゅう)の少し右と下唇の左端に、わずかに歯型が残っているだけだった。
 触れるとひりつくが、この程度なら数日後には消えているだろう。あのバチンという音は、きっと精神に受けた衝撃音だったのだ。
 こんな大したことない傷じゃ、あれ自体がまるで大したことじゃないと言われている気になる。俺は口の周りの肉を全て齧り取られているべきだし、第一次世界大戦の負傷兵のように顎を失っているべきだ。
 だが、鏡の中にはいつもと変わらない俺がいる。現実の内側と外側が噛み合っていない。誰かに裏切られる度にいつもそう思う。心の傷が──安い言葉だ──肉体に反映されるものなら、俺の体で傷がついていない箇所などほとんどないだろう。残り少ない無傷な部分も、昨日1つ失った。
 やってくれたよ。西郷。お前って奴は。
 洗面台の蛇口をひねり、流れ出す水を手のひらですくい取って、口をすすいだ。どんなに丁寧に磨いてもいつの間にか赤カビでぬめるようになっている洗面台の上を、蟻が1匹歩いてゆく。ので、潰した。まだ触覚が動いているそれを排水溝に向かって指で弾く。蟻は水の渦に飲まれ、コポポポポと音を立てる穴に吸い込まれて消えた。また1匹現れたので、また潰す。ほぼ反射的に潰した1匹めとは違い、今度はどうせ殺すのならばと、そいつを西郷だと思って潰した。幾らか胸がスッとする。ブラジルで蝶が羽ばたけばテキサスで竜巻が起きるように、あの蟻と西郷の運命が人知の及ばない複雑な法則でもってリンクして、あいつがどこかで何かの下敷きになって死んでいればいいと思う。線香くらいはあげてやろう。俺は優しいから。そのはずだ。俺は優しく、善良で、憎めない、いい人間だ。だからそういう人間らしい振る舞いをするのだ。俺はそういった俺を俺自身で作り上げるのだ。だから俺は、あの時、西郷を責めずに許したのだ。最初から何もなかったことにしてやった。俺が俺でなければ、誰があんな嘘つきに許しなど与えるものか。
 壁、床、屋根、窓。
 この家はいつもどこかに穴や隙間が空いていて、虫や爬虫類が入ってくる。眠っているうちに体の上を何かが這っていくことも多い。どんなに清潔に保とうとしてもどうにもならない。夏だから一層酷い。
 服や靴や鞄はいつもコンビニのビニール袋の中にいれて、硬く口を縛っている。こうすれば虫が入ってこない。学校で服に虫がついてるところでも見られてみろ。「結局お前はあの地区の人間なんだ」という憐れみの目に突き刺される羽目になる。それは避けなければならない。誰にも俺を憐れませるものか。俺はずっと高尚な人間なんだ。お前らなんかよりもずっと、ずっと。
 部屋の真ん中の畳の間から1つ、琉球朝顔の蔓が伸びて、扇風機の風に揺れている。毟っても、毟っても、蔓はそこから顔を出した。きっと床下は朝顔の根と茎とで満ちているはずだ。最近、家の中でよく見る、小指の爪ほどの大きさの不気味な甲虫は、朝顔についているものなのだろう。
 下着姿の父が平たい布団にうつ伏せになったまま、その蔓を指で弄んでいる。
「このまま育てたら、ここでも花が咲くかな」と父は言った。
「その前に朝顔の根に柱をやられて、家が崩れる」と答える。
「そうかよ」と言って父は蔓から手を離した。しかし毟ろうとはしない。家が崩れ、潰れて死ぬことを望んでいるのかもしれない。俺は巻き添えになりたくない。
 元々こんな花は生えていなかった。俺の家にも、周囲のどこにもだ。
 何処かの誰かが面白半分で家の基礎コンクリートの通気口に種を投げ込んだのだろう。きっとここをゴミ屋敷と呼び、笑いながら様々なゴミを投げ込んでいく連中のうちの誰かの仕業だ。例えばあのスクーターの連中とか。奴らはここらの人間じゃない。鴨川ナンバーの観光客だ。ここでなら何をしてもいいと思ってるクズ。
 悪ふざけによって芽吹いた緑は床下で爆発し、家は見えないところから崩れていく。このまま俺の家が朝顔に飲まれて消えたら、その誰かは少しでも悪いことをしたと思うだろうか。いや、そんなことは決してない。奴らは笑うのだ。こんな面白いことを自分はできるのだと自らのジョークを誇るのだ。いつだったか、シャッター通り商店街にゴミを捨てた西郷のように。
 あれが西郷に対して失望を覚えた1回めだった。
 あの時に完全に切っておけばよかった。中途半端に「もしかしたらこいつも少しは変わるかも」なんて期待してしまうから、こんな裏切りを受ける。もっと素早く、人を見切れるようにならなくてはならない。正しい時に正しい振る舞いを、少しの心の揺らぎもなく、できるようにならなくては。
 瞬きす���間に、おかっぱ頭の恋人の顔が浮かんだ。きっと彼女なら、西郷のような男をなんの躊躇もなく切れるに違いない。
 あの子の迷いのなさが好きだ。あの子はいつも正しい。他人に嫌われようと、疎まれようと自分を突き通す。磨き抜かれた槍のようだ。あの子のように生きれたら、きっと人生はもっと生きやすいはずだ。物事を全て白黒で判断する。揺らぎなんかない。素晴らしいことだ。
 彼女が俺を見て、他人に向けている冷たい無表情な顔が崩れる時、俺は本当に幸せな気持ちになれる。あの子の目は、俺を素晴らしい人間なのだと実感させてくれる。彼女はいつも正しい。だから彼女が選んだ俺も、間違いなく正しい人間なのだ。
 俺は彼女のことを考えるのをやめる。こんな家で彼女のことを思いたくない。今や彼女だけが俺が手にしている唯一の美しいものだ。こんなところで彼女を思うべきじゃない。誰が肥溜めの中で神に祈る? 祈るのなら、祈りに相応しい美しい場所でだ。それはここではない。
 俺は水を止め、洗面台のすぐ横にある台所に移動する。冷蔵庫はとっくの昔に壊れていて、中にはほとんど使うことのない食器と、安物のカップ麺が詰め込まれている。それから『ボランティア』の連中が置いていくレトルトの健康食品。俺の体を気遣っているつもりなんだろう。1食で1日分の野菜が取れる中華丼や、カレーや、豆腐ステーキの素を冷蔵庫に詰めれば、それで俺にむけるやましさはチャラになると思ってる。ふざけるな。
「何食べる? シーフードと豚骨とカレーと」
「この暑いのにラーメンなんか」と言いながらも父は「シーフード」と答えた。
 ヤカンに水を入れ、コンロに火をつけるとゴトクの下からまだ成長しきっていない小さなゴキブリが数匹這い出して逃げていった。
 湯を沸かしている間に、シンクに投げ込まれているカップ麺の容器や割り箸をゴミ袋に投げ入れていく。
 何度言っても父はゴミをゴミ袋に入れずにシンクに投げ込む。ひどい時は窓から投げ捨てる。まるで俺がしていることが、全て無駄なのだと言うように。結局ここはゴミ溜めで、それ以外にはなりようがないのだと俺に納得させようとでもするように。
 それが父の目論見なのだとしたら、成功してる。こうして家に父と2人でいると、俺は自分をゴミのように感じるのだ。父が俺を、そういう目で見るから。
 俺さえここにいれば逃げ出した母が戻ってくるだろうと目論んで、父は俺を引き取る条件で離婚に同意した。仮に母が戻らなくとも、母の再婚相手から俺の養育費を得られるだろうと父は思っていた。だが結局、母は戻らず、養育費は俺の高校進学と共に送られて来なくなった。父は俺を「期待はずれ」という目で見る。
 ゴミを片付けながら、俺に向けられている父の視線を忘れるために、西郷のことを考える。考えたくて考えるわけじゃない。考えずにはいられないからだ。あんなことがあったんだ。無理もないだろう。
 西郷好太は俺によく懐いていた。散歩の時間になると自らリードを銜えて玄関前で待っている犬を連想させる程だ。あいつの容姿は少しも犬には似ていないが。
 短い睫毛に囲まれた大きすぎて丸過ぎる目と、大きすぎる口。ガタガタの歯並び。彼は何かの間違いで地上に上がって、そのまま人間になってしまってうろたえているサメのように見えた。
 学校という陸地での西郷は、トラックを走り回っている時以外は息苦しそうに見えた。あれは周囲に合わせた振る舞いができないタチなのだ。器用さに欠く。
 入学したての頃は周囲に嫌われたりバカにされたりすることを恐れ過ぎるあまり、わざと舌打ちをしたり、髪を派手な色に染めたり、趣味の悪い服を着たりして、先手を打って嫌われようとしていた。
 「嫌われたり、バカにされたくないのなら、努力して嫌われたり、バカにされたりしないようにすればいいんじゃないの? なんで真逆のことをするの?」と、学校の連中は思うだろう。だが、俺には西郷がなぜそんな不器用な選択をしたのかがわかっていた。時に、嫌われる理由があるということ自体が、人を救うこともあるのだ。少なくとも「何もしていないのに嫌われた」という絶望を遠ざけることはできる。
 学校では常に居心地悪そうに見えた西郷も、団地という陸地に食い込んだ海の中では自分自身を取り戻したように見えた。
 一緒に帰る時、俺たちはいつもあいつの団地の前で別れた。
 「じゃあな」と手を振った後、そのままそこに立ち止まっていると、団地の階段の踊り場から中学生くらいの子供が顔を出して「コータくーん! おかえりー!」と声をかける様子や、小学生くらいの子供たちが次々とあいつに駆け寄り、ハイタッチしたり、足に絡みついたり、肩車をねだる様子が見えるのだ。あいつは子供たちを雑ではあるが愛情に満ちた態度で相手にしながら、団地の庭の花壇をいじっていた中年の女性と挨拶したり、ベンチに座っている老人に手を振ったりしながら団地の中へと消えてゆく。
 俺はあいつの団地での振る舞いを見る度に、胸が焼けるような気持ちになった。少なくともあいつは、どんなに学校で息苦しかろうが、本当の意味で孤独にはなりようがないのだ。あいつを気にかけている人間が、あんなにたくさんいる。あいつは恵まれている。あいつは、あの灰色の無骨な建物の中では安心して眠れる。それが酷く、妬ましかったのだ。
 俺は小さい頃から多種多様のクズを見てきた。バリエーション豊かな自己愛の塊たち。全部書き出したら分厚い図鑑も作れるだろう。
 母の浮気を疑い、顔が蘭鋳(らんちゅう)みたいに膨れ上がるまで殴りつけた父。幼い俺を連れて出戻った母を一度は迎え入れたくせに、母を追いかけてきた父の狂人じみた振る舞いを恐れ、母と俺にわずかな金を握らせて追い出した祖父母。仕事を世話してやるからと母を囲い者にした旅館の板前。父に居場所がバレることを恐れて俺の戸籍を登録しなかった母。書面上、どこにも存在しない俺を、これ幸いにといいように扱った連中──どいつもこいつも口を開けば「お前のため」と言う。俺のためだと言えば、俺に触れる手からやましさが消えるかのように。やましいことをするのは、俺がやましいことをされるような奴だと言うかのように。
 そう言った連中に比べれば、西郷は上等だった。十分に人間だった。世渡りの下手くそさも好意を持つに至る一因だった。俺は確かに、あいつが好きだったのだ。
 あいつは俺と話す時、常に俺がどう感じるかを想像していた。
 俺の機嫌を損ねやしないか、俺に嫌われるかどうか、俺に好かれるかどうかを、あいつは常に気にしていた。
 その目が、俺を人間のままでいさせた。俺に自尊心を与えた。俺自身に「俺はゴミではないのだ。まともな人間なんだ」と実感させた。
 西郷は俺が必要としているものを俺に与えた──尊重だ。
 だから、今回のことはとても腹立たしかった。
 あいつは俺の意思を考えもしなかったのだ。
 俺がどう感じるのかすら、どうでもよかったのだろう。
 あいつは俺を軽んじたのだ。
 それも、俺が、誰にも吐露したことがない悩みを告白し終えた直後に。いわば、お前を信頼しているのだと俺が心を開いた直後にだ。
 俺の足の下で波に飲まれてもがいていた西郷を思い出す。
「あのまま殺しちまえばよかった」
「誰が誰を殺すって?」
「独り言だよ」
 ヤカンから激しく湯気が立ち上ったのでコンロの火を止め、父と自分の分のカップ麺に湯を注いだ。2人分の箸とカップ麺を持ち、父のいる部屋に戻る。この家に部屋はこの6畳間しかない。あとはトイレと風呂だけ。どちらもカビだらけで、窓は割れていて、どこも壊れてないはずなのにひどい臭いがした。
 2つの布団の真ん中にあるプラスチックの小さなテーブルにカップ麺を置くと、父はもぞもぞと毛虫のように身をよじって起き上がる。痩せた体に骨が浮き出していて、腹だけがポコリと膨らんでいる。まるで地獄絵巻にでてくる餓鬼のようだ。幼い頃、俺を殴りつけた手も、俺を踏みつけた足も、枯れ枝にしか見えない。
 父は病院に行きたがらないので確認しようがないが、もう長くはないと思う。あの薄い皮の下で、病魔が巣を作っているのだ。いや、父自体が巣なのだろう。病が父の内側に死という名の卵を産み付けているのだ。
「ありがてぇなぁ。お前は何でもやってくれる。俺にはもう、お前だけだよ。なんたって最後は血だよ。血が全てなんだ。たった2人の父と息子だからな。お前みたいないい息子を授けてくれたこと、仏様に感謝しねぇと」
 父はそう言って俺を拝む。薄寒く、嘘だらけの拝みの仕草に苛立ちが増す。
 この縋り付くような目が嫌いだ。俺をゴミとしか思っていないくせに、それでも俺を自由にしようとはしない。それに父がこういう目で俺を見るのは、俺に何かをさせようとする時だけだ。わかってる。今日はボランティアがくるのだ。それを父は知ってる。幾らか金も受け取ったに違いない。どうせ死ぬのに、それでも金が欲しいのか。惨めな人間だ。
「俺ももう長くねぇから、歩けるうちに歩いとこうと思ってな。今日は公民館まで行ってくるから」
 俺は首の後ろに手をやる。付け根よりやや下に指を伸ばせば、人差し指がへこみに触れる。この間、ボランティアに噛まれた痕だ。
「戻んのは夕方だなぁ。お前、留守を頼むよ。人が訪ねてきた時、誰もいねぇんじゃ困るからさ」
 この傷はそう簡単には消えないだろう。ここを噛まれた時は痛み以外には何も感じなかった。完全に俺に対する感情を隠していた西郷と違って、ここを噛んだ人間は、最初から俺に対する欲情を少しも隠していなかった。初めて会った時から、俺に対する欲情が目の中で燃えていた。それは部活にやってきたあのバカ女共のからかい混じりの目線などが児戯に思える程の下劣さだった。おぞましかった。
 俺はできるだけ2人きりにならないようにしていたが、先月、ボランティアがきた時になぜか父は「ちょっと散歩」と言って家をでていった。
 俺は「用があるなら俺が代わりに行くから、父さんはボランティアの人と話をしなよ」と表面上にこやかに、内心では「嘘だろ! なんだよ!」と叫びながら言ったが、父は「お前から話した方がいいだろ。こういうのは子供の方が素直なんだから」と言って、出て行ってしまった。
 あの男が「2人だけでできることもあるからね」と言って俺を後ろから抱きしめた時、俺は恐怖のあまり身動きとれなかった。
 まさか父が本当に俺を見捨てるわけがないと、まだ信じていたのだ。
 ──おいおい、そんな大げさに騒ぐなよ。ちょっと噛んだだけじゃないか。ふざけてただけだよ。君が暴れるから、つい力を込めすぎちゃったじゃないか。私には弟がいてね、小さい頃よく噛み合いっこをしたから、君も喜ぶかと──。
 ──勘弁してくれよ。俺には妻も子供もいるんだ。ここには福祉できてるだけで、君にそういう感情は持ってないよ。当たり前だろう。女じゃあるまいし、男同士で体に触ったくらいで大騒ぎするなよ──。
 ──もしもこれをそういうものだと感じたなら、さぁ? 君もそういうことに興味があるってことなんじゃないのか? ──。
 ──もしかしてもう経験があるんじゃないか? いや、いや、これは興味本位で聞いてるんじゃないよ。私にはこの地区の子供達の成長を見守るという役目があるんだ。だからもしも、もしも君がそういうことをする大人にあったことがあるのなら、素直に言ってほしいな──。
 ──君がいう「そういうことはしてない」っていうのは、お金は受け取ってないってことかい? 恥ずかしがることないよ、君くらいの年齢だとそういうことに興味があって当たり前だし、実は私も高校の時に……わかるだろう? まぁ、君ほど綺麗な子じゃなかったけどね──。
 ──次に来る時までに機嫌が直ってると期待してるよ。君はね、生まれ持った才能を生かすべきだよ。もちろん陸上もそうだけど、陸上だけが全てじゃないからね。もっと広い視野で、これからの人生について考えてみるべきだよ。必要な支援を、君の生活態度によっては与えてあげられるかもしれないし──。
 俺は父に向かって言う。
「学校の用事があるから、今日は俺も出かけるんだよ。散歩なら明日でもいいだろう」
 父は俺を拝んでいた時の愁傷な顔を一変させる。しばらく父は無言で俺を睨んでから、カップ麺を掴んで俺に投げつけた。まだ熱いスープと麺が顔と髪に絡まる。
「風呂入って臭ぇ体洗ってこい。誰のおかげで生きてられると思ってんだよ。ボケナスが。俺は出かける。テメェは家にいろ。留守番もまともにできねぇガキに育てた覚えはねぇんだよ、俺は! グダグダ言ってるとブチ殺すぞ!」
 死にかけの骸骨のような父に、俺の中に残っている小さな俺が震え上がる。今は俺の方が大きいし、強いとわかっているのに。
 俺は立ち上がり、風呂場ではなく台所に向かう。風呂場に入る気はしない。いつも、台所で水を浴びて体を洗っている。
 蛇口から流れる水に頭を突っ込んで、髪についた汚れを洗い流す。
 水音の向こう側から、父の声が聞こえる。
「テメェのクソちんぽを変態に1つ、2つしゃぶらせたところで減るもんじゃねぇだろうが」
 ああ。もう俺があいつに何をされるのかを、隠す気すらないのか。
 うんざりだ。うんざりだ。みんな死ね。死んでくれ。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。
前話:次話
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福祉労働152号元稿
「福祉労働」「医療労働」「教育労働」
で飯を喰っている諸君
諸君らは
公認心理師を取るのか取らないの
か?喝
発達障害の大流行に
反対するのかしないの
か?喝
ハッキリと答えて貰いたい
 序章 
キーサンの怨念より、まずは匕首を首筋に
 精神病患者として、そろそろ、公認心理師のモンダイをハッキリとすべきと、想います。そしてそれは、発達障害と心理学との、まことに『旨味のある関係』を、本音で追及すべきでアル、と云う事と同時でなければなりません。ツマリ、この公認心理師法のモンダイは、特に、この発達障害と云うまことに『旨味のある銭ヅル』を赤裸々にしていると、想うのですが、皆さん、如何でしょう、か。
 とうとう、国家資格がとおってしまいましたね。50年にわたって欲しかったモノが、昨年九月に戦争法とともに、ゼニ豚として確保しましたね。キチガイの立場から、テってー的に鉄槌的に、公認心理師法反対!!!!!ハツタツ障害反対!!!!!で御座います。はっきり言って、この国家資格化と云うモンダイは、発達障害の大流行と、密接に関連しているモノと、エバッチには、想われます。そしてまた、この点を突いているモノがまったく見当たらないのも、重大問題だと想い、また、公認心理師国家刺客法反対の声も、余りに少なく、と云うか、想ったより大きくならないと云うか、これではいかんと、危機感を抱きながら「季刊福祉労働」の読者の皆様方に、キチガイからの熱い、暑苦しいくらいの篤い熱い連帯のメッセージをお送り致しております。何卒、ご嘉納頂きまして、キチガイからの匕首が、皆様の首筋に突きつけられておることを、ご理解賜わりと想っております。
 それで、福祉労働医療労働で飯を喰っている皆さま方は
【公認心理師】を取得されるおツモリですか、それとも、
踏ん張って、取得されないのでしょうか?喝
 実は、この匕首は、キチガイだからこそ、「福祉労働」で飯を喰われておる皆さまに突きつけられるものと、想っております。だって、我々キチガイは、皆さま方の『飯のタネ』だからであります。『飯のタネ』の側からの『飯のタネ』故の反論、反撃なので御座います。コレを綺麗ごとで言うと「ユーザー」たら「コンシェーマ―」たら、「サービスの受給者」「福祉医療サービス利用者さん」からの意見も聞くように、ということに為るんでしょうが、実際は【医療福祉労働で飯を喰っている業界に囲い込まれたゼニ豚】からの、キョーレツな反撃と云うコトに為りましょう。檻の中よりの閉鎖病棟保護室五点張り電気ショッククスリ漬けCVPPPと云う看護士看護婦の集団暴行を突きつけられ続けてきたゼニ豚から、「これ以上もっともっと、ワシ等を虐めやすく、虐待しやすくするのか、国家資格、適正手続と云う、武器を更に加えて、しかもソレを我が身らの銭儲けに必要なのだから、と言い募るのか、この腐れ心理銭豚野郎ども」「我が身らの銭儲けと御シゴトの確保なら、チャっちゃっと公認心理師を取ルのンかいや、ハッキリ言うてみぃや」と云う、怨念に満ち満ちた怒りの匕首なので御座います。
 しかしこの匕首は、再度申しますが、キチガイだから突きつけられるのです。我が身は、心理学の教授という銭儲けの種を確保しておいて、あるいは、自分は、PSWという銭儲けの種を確保しておいて、学校現場で算数科教員という飯の種を確保しておいて、あるいは、子育てもし終わり、家のローンも払い終わり、元専門職ボランティアのような立ち位置から、この資格を取らないと、たちまち、飯の種を失い、子育てどころか結婚すらできない若き心理学徒たちに、突きつけているとしたら、ナンダかおかしいなぁ、と想うのは、えばっちだけではないでしょう。反対派の心理学教授に言うたらエエんですよ。取らなシゴトも無いノンや、とね。だから、だからこそ、キチガイは、この資格を取らないと、飯の種にもならず、仕事にもつけず、子育てどころか結婚すらできないという、高学歴若き心理学徒たちに対して、ワシらキチガイのオマイ等に突きつける匕首は、上記の人らが突きつける匕首とは、ちょっと、斬れ味も、凄味も違うぞ、と言いたいワケなのです。
 だって、ね、何でワシらが、あんたらの就職口や結婚や子育てや家のローンや雇用や保険のための『飯の種ゼニ豚』にならんといかんのですかいの。ワシらは、精神病院で運よく殺されず、さらにまた、運よく退院して、地域で暮らせたら御の字で、子育てタラ、オ仕事タラ、家のローンタラ、結婚タラ、夢のまた夢やないですか。それを、ナニを偉そうにナニガナニガ高学歴のオマイ等の、結婚するに国家資格銭儲けタラ、子育てスルに専門職能性タラ、家のローン払に、良い就職口なんや、ナニガナニガ年収500万なんや。『飯の種ゼニ豚』のキチガイから言わせれば、ワシ等キチガイを散々虐待しておいて、更にまた、銭儲けのタネゼニ豚、に為れと云うコトですかいの。ワシ等から言わせれば、国家資格が増え、適正手続き化が進めば進むほど、息がしにくくなるという、ゲンジツは無視ですかいの。しかも、ワシらキチガイが、息がしづらくなればなるほど、ワシらを���の種にして飯を喰うヤタラとヤカラな、ヤカラとヤタラな専門職の、仕事口と賃金と幸せ度は、うなぎ登りでんな。しよい御商売でんな。
 しかも今回は、発達障害の大流行が引き金を引いた国家資格なのです。ソレ、まだ、気づきませんか。対象者相談者来談者が、我も我もと話したくて話したくて駆けつけてくれなきゃ、アンタ等の銭儲けに、為んないでしょう。ソレを発達障害というゼニ豚を大量に発明し発見し得た時に、まぁ、心理学は待望の国家資格化を成し遂げ得た、と云うワケですよ。まぁ、怨念まみれダケではいけませんから、その点を少し説明してみましょう。
 まずは、「第一章 発達障害の発明が公認心理師をつくりだす」を、そして冬号には「第二章 発達障害ソノモノに対する疑念疑惑の数々」「第三章 社会に対する謀叛事前鎮圧銭儲け装置としての公認心理師」を書いてまいります。
 第一章 発達障害の発明が公認心理師を造った
 精神病患者は精神病者はキチガイは第一義的に、精神科医療の対象者であった。そこにおいて心理学は第二義的いやいや第三義か第四義的役割しか果たせなかったのである。心理学は延々と精神医療の中における、精神福祉の中における、自らの地位の向上と儲け口を拡げるために延々と戦い続けてきたのだが、ことごとく無様な失敗に終わってきたのである。ずっと、精神医療の中の余計者として、扱われ続けてきたのである。それでヨカッタ、当たり前だ、喋れる人間が、コトバを操れる人間が、まず、カウンセリングの対象なのだから。あんな狭い密室で、一時間近くも、延々と喋れる奴なんて、コトバを操れる奴なんて、精神科で探すのが難しカッタだろう。ところが、である、ここで、どっかのアンポン譚が、全く新しい障害概念を発明し、全く新しい障害者を発見し、拡大に次ぐ拡大を続けてきた。すなわち、『自称新制申請』発達障害である。大体が、ドウいうわけだか、精神と心理ダケは、その裾野の拡大に次ぐ拡大に努め、増大に次ぐ増大に励み、患者と云うゼニ豚に次ぐゼニ豚を増やし続けてきた。そう、��の発達障害は、裾野の増加拡大の「極め技」なのである。素晴らしい、あまりに素晴らし過ぎて、心理学のおエラ方はこれに気付いたとき小躍りしたに違いない。含み笑いをしながら、その時を待ったのである。そして、ハツタツが大流行の兆しを見せ始めた時、躍り出たのである。   つィーーに心理食は飯之種の第一義的儲け口対象者を、己のが優先的ゼニ豚を発明したのである。しかも、心理と精神の業界の裾野の最大限拡大に繋がっているのである、これを離すはずはない。これを縮小させるはずはない。今までは精神医療のおこぼれを、精神医に媚びを売りながら、おこぼれを頂戴してきたのである。しかし、これからは違う、発達障害に関してはまず第一義的に我々心理が、囲い込むゼニ豚なのダと云うワケである。そのおこぼれを精神医療にも分けてあげよう。平たく言ぇやぁ、そうそう、心理で手に負えなくなれば当然のこととして、発達専用薬のぶち込みと精神薬の拡大適用と、保護室へのぶち込みをヤッテくださいよと、精神医療に対しおすそ分けをするのである。しかも、自分たちの相談室を非常にキレイなものにしておける。汚な仕事は精神医療に任せるのである。汚なシゴトは、精神病院と精神科看護士と精神医の担当デスヨ、と云うワケなのだ。
 今だって、大概そうなのではあるのだが、これからは、ハッキリと精神分裂病、統合失調症お断り、と云うカウンセリングルームが、大流行するのでアル。カウンセリングがチャンと出来得る患者さんだけですよ、と云うわけなのだ。しかも、クスリが効いたのか、カウンセリングが効いたのか、わからなくなるのは困るからと、クスリを飲んでない発達障害者のミナサン限定ですよ、と云う小綺麗な小理屈ポイ小御洒落た小花畑カウンセリングルームで、背中に翼のはえた魅力あふれる発達障害者の皆様をお待ち申し上げておりますと云うワケなのだ。腐った汚い、喋りもあやふやな、世迷言や幻聴幻覚まみれの、妄想話を喋るような病気の重たいキチガイ病患者や精神病患者は、精神病院に行ってくださいよ、ココはあなたたちの来るところじゃアリマセンヨと云うわけなのだ。
 したがって発達障害に反対するということは、公認心理師に反対するコトであり、また公認心理師に反対するということは、結果として発達障害に反対するコトになるのである。とくに心理学系エライさんや発達障害を自称する当事者のエライさんたちは、この点実にによく理解しているはずなのでアル。だから、今後、公認心理師反対と発達障害反対を同時に叫ぶキーサンやごくごく少数の心理系専門職などを徹底的に殲滅しようとすることは、間違いのないことである。いや、もうはや、ソレは始まっているのである。
 今から考えれば、発達障害の大流行の端緒を造ったのは、アドラーかユングか分析系か、心理臨床系かソンナもん知らんが、の学会関係者が、十年以上も前から、虎視眈々と、ジブン達のお大事の専門的理論ナルモノなんてものは、大胆に塵箱に捨てチマッテ、発達障害専門の方にシフトしていたハズなのである。ハズと書いたのは、まさしく、そうであらんずらんよと妄想しているからである。五〇年掛かった国家資格化の最大の功労者とは、発達障害発明横滑りシフト先導学会のエライさん達、であり、そして、本人たちも、まさか、ココまで大流行し、今の今時にこそ、心理職の国家資格化に持ち込んだのである。途中で、この事態に気が付いて、今の発達障害大流行のこの時期を逃せば、もう二度と、チャンスは巡ってこないだろうと、勢い三歩前のめりに為っていったのは、そう、ニチリンシンや全心協の国家刺客活動家達であったろう。それが証拠に、あさましくも、この春から、大学に、心理学部やら心理学科やらの開設ある。今春に心理学部開設と為ると、その準備は、昨年の九月に法律やっと出来ました、のでスタートとか云う、はるか以前から、準備していたはずである。学部が、一つ増えると云うのは、タイヘンだ。そして、その新しくできた心理学部や心理学科の売りは、ナンといっても、最新のゼニ豚資格公認心理師が、獲れますよ取れますよーーなのである。
 更に驚くのは、ナント「発達支援専門コース」と云うコース設定を宣伝しまくって、しかも、念の入ったことに、障害当事者の方が、本学ではたくさん学んでおられます。特に院にも、たくさんおられますと、同時に宣伝中なのであるから、後は、御想像の党利ですワナ。ワシ等キチガイにとって院とは、精神病院のコトを指すのであるが、さて、コンなトコに入ろうかと云う障害当事者の諸君にとっては、院とは、ドウいう院を指すのであろうかシラン。
この章最後にもう一点
発達障害当事者が為りたがる者としての公認心理師
 クスリも抜けまして、今は、大学院で博士課程で御座いますタラ、大学院の特別研究員で御座います、タラ、高学歴エラク為りたい系健病者諸君にとって、この公認心理師為るものは、自分達が為りたい、取得して当事者スタツフとしてデモ、自己実現自己満足して、社会復帰社会貢献するに、もってこいの国家刺客ではなかろうかと、ワサワサ仕出すにチガイのない色物イロモノナのである。
 おのれは精神医療の対象者ではなく、小奇麗でご立派な小学術的な小花畑の高学歴の小リクツぽい小リクツ好きな心理学系の対象者であると、そしてそれは、またもや精神病者よりはマシと自慢することになり、そして喋りたくて喋りたくて依存したくて依存したくて仕方のない発達障害者と心理専門職とが最も強固な共依存を構築するのである。よかったねえーー発達障害者の諸君、公認心理師の諸君。
 ムカシ、アホが足りいで、全精連やマインド系が、ピアカンするにあたって、内部的な講座を開いて、その講座の修了証をもってなければ、ピアカンになれません、なんて、ヤッテいたのだが、いよいよと、これからは、新しいピアは、学問を積んで、専門職能性を担保したものでなければピアの活動もしっかりしたものはできないそうなのである。特に、欧米系のそういう当事者の論文を翻訳してどんどん宣伝している始末である。患者同志、病者同志の愚痴のこぼしあいでキチガイ同志のいたわりあいで、患者仲間のセーカツの中で、の、聞き合い、励まし合い、で、いいではないか。キーサン同志のなかまとしてのいたわりあいが、嬉しかったのだが、、その反対、なかまの上に君臨し、なかまを拷問し、なかまからゼニを奪い取ろうと云うワケなのである。そのような、糞タワケな所業を例によって例のごとく後見しているのは欧米発の論文である。そういった論文を翻訳してはびこらしていくのが、いま最先端の当事者活動らしいのである。バカが足りいで、自分が銭儲けのタネに為っているゼニ豚とも知らいで、ソンナ自覚すらも持てないマンマいやいや、自覚があり過ぎるもんで、今度は、アッチ側のゼニ豚に為ろうと当事者を称するアホどもが、ヤカラとヤタラに今度は、アッチ側のゼニ豚に為ろうと、高学歴を積増し積み増ししマンのカナ。ご苦労さんなコッタ。アホらしい。
ソンなにエラくなりたいのか。
ソンなに高学歴くなりたいのか。ソンなに大した人物くなりたいのか。
ソンなに精神病者よりマシと言いたいのか。
ソンなに精神病患者を侮蔑見下したいのか。
  社会臨床雑誌23巻24巻やシンポに提出の原稿と
日臨心関西派のシンポで使用した資料等々を基にしている
2016年8月吉日
精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所
あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起
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