TEDにて
コンラッド・ウルフラム:コンピューターで子どもたちに教える本当の数学
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
現実の世界では、ありとあらゆるロケットから株式市場に至るまで、とてもスリリングでアートな人類の作品の多くに数学が使われています。
それなのに、子どもたちが、数学への興味を失ってしまうのはなぜ?でしょうか?
コンラッド・ウルフラムは、教育で教えられている数学のうち、手作業での計算は、ただつまらないだけではなく、本当の数学や実世界からかけ離れている内容であるからだ!と言います(ある程度の基礎計算を習得していることが前提です)
彼は、コンピュータープログラミングを通して、子どもたちに数学を教えるという先鋭的なアイデアを提案します。
現在の数学教育には、大きな問題があります。まず、満足している人がいません。
解決方法の一つとして、コンピューターを使うことです。数学教育を成功させるには、コンピューターを正しく使う事が解決策であるのは間違いないでしょう。
まず、実社会や教育の場で数学はどのようなものなのか?説明しましょう。実社会で数学は、必ずしも数学者がやるものではありません。
地質学者であったり、エンジニアや生物学者。いろいろな人たちによってモデリングやシミュレーションと様々な用途に使われています。
でも、教育現場では違います。簡略化された問題や計算を手作業で行います。数学を勉強中なら別ですが、シンプルに見えるものが多く実社会のように難しくありません。
教育のためシンプルにしている面もあります。では、少しズームアウトして、なぜ?数学を教えているのか考えましょう。数学の教育にはどのような意味があるでしょうか?
とりわけ、数学を教えているのはなぜでしょうか?必修科目として数学を教育に組み込むのはなぜ重要なのでしょうか?それには、3つの理由があると思います。
まずは、経済を発展させるため、技術職に数学は必要です。そして、毎日の生活です。今の世界で役に立つには、数年前よりもずっと定量的でなくてはいけません。
つまり、住宅ローンを計算したり、権力者である政府の統計に懐疑的になったりするからです。3つめは、私が論理的な心の訓練と呼んでいるもので論理的な考え方を身につけることです。
ここ何年も、私たちは論理的に考えるよう多大な努力をしてきました。数学はそれを学べる素晴らしい方法です。
そして、数学とは何でしょうか?
数学を教えるというのは、どのような意味があるのでしょうか?
��段階に分けて考えることが必要で、第一段階は、正しい質問。
見つけ出そうとしているのは何なのか?ということですが、これが数学を使う上で最も機能していない部分です。的はずれなことを尋ねるから人々は、間違った答えを導きだしてしまいます。
次は、その問題をとらえ、本物の世界の問題から数学の問題にかえることが第二段階です。
それが終わったら計算の段階。手作業では、どんな人間が頑張ってもコンピューターの速度には追いつきません。人間の限界を遥かに超えています。
ですから、第三段階にはコンピューターを使用するべきで、学生は、第一と第二と第四段階の方にもっと努力を費やすように学校側が促すべきです。
こうしてから問題の概念化や応用として、教師は、その仕方を全面的に第四段階として指導することです。
これからはコンピューターが基礎となる数学の重大な変革も必要とも言っています。
数学と計算は、同じなのではありません。数学はもっと幅の広い分野です。何百年という間に、数学と計算が絡み合ったのは理解できます。
算数を学ぶ時は、手計算は必須。習得し自在に手計算できることが前提です。
数学が重要で、反復計算はコンピューターを使用するべき!
数学が重要で、反復計算はコンピューターを使用するべき!
数学が重要で、反復計算はコンピューターを使用するべき!
計算は、唯一手で行うものでしたが、過去数十年の間にがらりと変わりました。コンピューターによって古代から伝わってきた分野が大きな変貌を遂げました。
計算は、限定的な段階でしたが、今はそうでないことも多いのです。数学が、手計算と密接ではなくなったのに、その事実は、まだ、教育には浸透せずに切り離されていません。
手計算は数学の可動部分だと私は考えています。現代では雑仕事なのです。できれば、機械にやらせて自分では避けたいものです。ある程度は、必要ですが、手段であって目的ではありません。
オートメーションは、その可動部分を可能にしてくれます。コンピューターがそうしてくれるのです。
手計算は、コンピューターの仕事だと思った方がいいと思います。合理性のあるときだけ自分で手計算をするように教えるべきです。
この問題に持ち出される意見の一つに、基礎をまず学ぶ必要があると言う人がいます。基礎を身につけるまで機械は使うべきではないと言うのです。
でも、基礎とは何でしょうか?何の基礎でしょう?車の運転の基礎は?点検の仕方?それともデザインの仕方?執筆の基礎は、羽ペンの削り方?違うと思います。
自分がやろうとする事の基礎は、そのからくりから切り離す必要があると思います。オートメーション化がその切り離しを可能にしてくれます。
100年前であれば、車を運転するなら車の仕組みやエンジンの点火時期を知る必要もありました。でも、車がオートメーション化されたことで車の運転は、車のエンジニアリングや点検の仕方を学ぶことから切り離すことができるようになりました。
オートメーション化によって可能になったのです。また、運転に関しては、数学の将来にも言えると思いますが庶民的にしてくれます。もっと大勢の人たちが使えるようになります。
コンピューターが数学のレベルを下げると言う人もいます。コンピューターは、ボタンを押すだけですが、手で計算をすれば、頭を使うと言うのです。
この考え方はしゃくにさわりますがある程度までです。
私はそう思いません。50年前なら実用的だったかもしれませんが、社会に出たらコンピューターを使う事になります。コンピューターは、この問題の手助けになって概念的になると思います。
実社会では、このように圧倒さ��そうな難しい問題だらけです。授業で見るような簡単なものではありません。外の世界を考えてください。
工学や生物学などコンピューターと数学から大きな利益を得たものが、コンピューターの使用によってレベルが落ちたと思いますか?
私はまったくその反対だと思います。
数学教育でレベルが落ちているというのは、コンピューターが引き起こしているのではなく私たち自身が引き起こしているのです。
コンピューターが基礎となる数学の重大な変革をしなくてはいけません。経済や社会の前進を確かなものにしなければならず、そこでは、数学を誰もが感じられることに基づいていることが必須です。
手順や過程の理解は大切ですが、それを理解するのに今は素晴らしい方法があります。
プログラミングと呼ばれています。
プログラミングはほとんどの手順と過程が、いかに記されているかというもので学生を引き込んだり、彼らの理解度をチェックするには優れた方法でもあります。
数学を理解しているか確認したければ、自ら方程式などをプログラミングでプログラムにしてみることです。よって、プログラミングこそ、それに適した方法だと思います。
つまり、私がここで言いたいのは、数学をより実用的にしてより概念的にする機会を私たちは持っているということです。同じような境遇にある科目は他にないでしょう。通常、職業的なものと知的なものの間にある選択肢ですが、ここでは両方が同時にできて更なる可能性が広がり、より多くの問題を解けます。
そこから学生は、未だかつてない量の、直観力と経験を得られるのです、難しめの問題の経験には、数学と相互に影響しあい、感じ取ることができるのです、皆に数学を直感的に感じてほしいのです、コンピュータはそれを可能にします
他に可能なのはカリキュラムを整理しなおせることです。今までは計算をする難しさに沿っていましたが、どんなに計算が難しくても概念を理解する難しさに整理しなおすことができます。
昔から微積分法を遅い時期に教えるのは、なぜでしょうか。計算が非常に難しいことが問題ですが、概念の多くを幼い子どもに合わせて修正することはできます。
極限や微分法は、ある程度の年齢になるまで学ぶことがない世界観ですが、これは非常に大切で実用的な世界観なのです。
この課題を検討するにあたって障害となるものの一つは、試験です!!
試験において手で計算することが強いられると授業でコンピューターを使うようにカリキュラムを変更するのは難しくなります。
試験にコンピューターを導入する重要な理由の一つです。
そうすれば重要な質問もできるのです。例えば、最適な保険契約はどれかといった生活に関わる質問ができます。これはレベルを下げたものではなく、最適な選択を見つける問いなのです。
必要な保険の保障期間や支払額や利率などを調べることができます。このような問題だけを試験で扱うべきだと言っているわけではありません。
でも、なおざりにされている内容のものが皆が理解すべき重要なものだと思うのです。
試験にコンピューターを導入することを実践する最初の国が、私の意見では大きな飛躍をして新しい経済を創造し、経済や先行きがより良いものになると考えます。
さらに、知識経済と呼ばれるものから、計算知識経済と呼べるものへと移りかわることを提唱しています。
私が望むのは、徹底的にカリキュラムを基礎から新しくすることです。コンピュータが普及した状態に基づいて行うのです。
計算機はどこにでもあり、近いうちに至る所に普及するでしょう。この科目を数学としていいのかどうか分かりませんが、確信をもって言えるのは、今後、重要な科目であることです。
さあ、始めましょう。行動を起こしながら楽しみましょう。我々のため、学生のため、TEDのために。
ありがとう。
(個人的なアイデア)
最先端での主流にいる人たちなどは・・・
現在では、手計算をしてる人は、ほとんど存在しません。高性能な関数電卓を覚えて使用しています。
iPhoneなどのスマートフォンは、かつてのスーパーコンピューター並みの処理速度で計算できるほど。
なので、有効に使いこなせれば、iPhoneアプリなどからスタンドアローンで計算可能です。
コンピューターで計算するための数式のアルゴリズムをプログラミングするために手でイメージを用紙に書き出したりはします。
計算する時間は、プログラムを開発する時間として使用するのが一般的です。
しかし、スマートフォンやコンピューターを使いこなすための勉強と必要も生じてきます。
そして
2024年には、ChatGPTも普及して人工知能時代には、試験において手で計算することの意味は希薄になっていきます。今後、性能が向上するためにますます希薄になってきます。
世界とは異なる日本の学生の入学試験制度もさすがにChatGPTの登場で矛盾やほころびが出てきています。
個人的には、今までは入学試験制度も問題はなかったと思っているのですが・・・
ChatGPTの登場がすべてを変える可能性を秘めている以上・・・
世界に合わせて日本の学生の入学試験制度も見直す時期にきているのかもしれません。
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