Tumgik
#課題はのびしろ
elle-p · 12 days
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Scan and transcription of the Persona 3 part of Newtype Magazine February 2016
The only twitter account that's asked for permission to repost is krkmsr, so if you see it on anyone else's, they can't read! How nice.
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春、夏、秋を経て冬、理が出す答えを見届けて
監督 田口智久
死を見つめる季節のフィナーレに
第1章でコンテ、第2章で監督を務めてこられた劇場版「ペルソナ3」ですが、ファイナル・シーズンである第4章は、どのような気持ちで臨んだのでしょう?
田口 第3章で自分が監督としてかかわっていない劇場版「ペルソナ3」を見ることができたのが、刺激になりました。自分とはまったく違う方法論で構築されていて、僕がやったら確実にこうならないですし、なんというかジェラシーのようなものを感じまして。ああ、ペルソナって、こういうふうにつくることもできるんだ、と。それを受け止めることができたからこそ、第4章では、自分のやり方を突き詰めたフィルムにしなくてはと思いました。あとは、やっぱりフィナーレということでのプレッシャーが大きかったです。
第4章の物語の関となるのは?
田口 理と綾時の関係性ですね。そこヘシャドウの母体であるニュクスが襲来したり、それに伴ってみんなの心がダウナーになって⋯⋯という展開で、ずいぶん重いものになっています。でも、みんなが悩んでいる部分にしっかり尺を取って描いているので、映画ならではの見せ方ができているのでは、と思います。
理にスポットが当たっていきますが、どのように描きましたか?
田口 第3章に、理が旅館の池に落ちて笑うシーンがありますけど、あの理を経ての理をしっかり追っていこうと考えていました。今作では、抱えきれないほどの絶望を前に、悩み、立ち止まってしまうというところまで、みんなが落ちてしまうんですけど、そのなかで理が見つけ出す答えというのが、全4章通してのテーマでもあり、象徴的なセリフになっています。そして、それは、第3章で笑った理がいなければ、たどり着けなかった答えなんじゃないかな、と。
それから、綾時とアイギスも、重要な存在ですね。
田口 すごく極端な⋯⋯本当に超極端な言い方ですけど「綾時と理は両想い。アイギスは理に片想い」っていうのを、こっそり頭の片角に置いてました(笑)。もちろん僕独自の解釈なので、いろんなとらえ方をしてほしくもあるのですが。ただ、そうやって、アイギスがヒロイン然としているわけではないからこそ、ペルソナならではの仲間感が出る、というのもあるんですよね。
理と綾時に重点が置かれていくとなると、その二役を演じられている石田彰さんのアフレコもすさまじいものになったのでは。
田口 石田さんだけ別の週に理以外の綾時を中心とした声を録らせていただいてから、全体アフレコの週に理としてみんなといっしょに録らせていただいた感じなんですけれど、本当にすばらしかったです。演技に対するストイックさが本当にプロフェッショナルで、ご自身で「今のは少し綾時が出てしまったから」とリテイクを申し出てくださったり。
全体的にも、とてもスムーズなアフレコになったそうですね。
田口 圧倒的にスムーズでした。特に今回は静かなシーンが多くて、感情的にセリフを吐くような場面はほとんどないんですけど、その淡々とした空気感を成立させるのは難しいはずなのに、自然にスッとやってしまえるのがこのチームの方々の成せる技。こんなに研ぎ澄まされた現場は、なかなかないのではないかと。
細かな心情描写という意味では?画づくりにもこだわられたのでは?田口監督の描き出すダウナーな情景描写が楽しみです。
田口 カッティングが終わった後に、編集さんに言われたひと言が「暗っ!」でしたからね(笑)。刺されて死ぬとか大惨事が起こって死ぬとかのサスペンス的な死ではなくて、非常に観念的な死についての物語なので、精神的にどうやられていくかというのを、どう表現するかが課題で。光や色味の演出であったり、降ってくる雪の量で表現していきました。アニメで雪が降りつづけている作品もあまりないんじゃないかと思うんですけど、心情とマッチさせたいなあというところで、力を入れています。作画もすごいアニメーターさんたちが集まってくださっていて、誇張された動きというよりはリアル寄りの芝居をていねいに描いてくださっています。全然動いているように見えないところにも実は枚数が割かれていて、作画枚数もこれまででいちばん使っているんですよ。
最後に、今作を描くうえでの最大のポイントだったと考えるシーンを教えてください。
田口 ラストですね。それは第4章を担当すると決まったときから、見据えていたビジョンでもあります。第1章の春からともに季節を経てきた理と仲間たちが迎える、そのラストを見届けてほしいです。
#1 Spring of Birth
1日と1日のはざまに隠された影時間。そこにはびこる怪物・シャドウに襲われて、無気力症となってしまう者が町に続出していた。対抗できるのは、ペルソナという特殊な能力をもつ者だけ。春、私立月光館学園に転校してきた結城理は、ペルソナの力に覚醒し、同じくぺルソナの力をもつ者たちが集う特別課外活動部へと引き入れられる
#2 Midsummer Knight's Dream
夏休みに屋久島旅行に向かった特別課外活動部。そこでアイギスという女の子に出会う。彼女は対シャドウ特別制圧兵装のラストナンバーであり、なぜか理のそばにいることを望むのだった。理たちは影時間の謎を追いながら、さらに新たな仲間と出会い、きずなを深めていく。だがそこにストレガと名のる者たちが現われ⋯⋯
#3 Falling Down
季節は秋。特別課外活動部は、影時間を終わらせるため、シャドウや滅びを望むストレガとの死闘を重ねていた。ある者は仲間や家族の死と向き合い、ある者は護るべき者に気づき、ある者はこれまでの戦いの意味に葛藤する。そんなとき、理の前に謎の転校生、望月綾時が現われる。その出会いの先にあるものは⋯⋯
「PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth」
●1月23日土全国ロードショー
●第3章Blu-ray&DVD 1月20日水発売
WEB▶http://www.p3m.jp/
Twitter▶@P3movie
illustrated by YUKIO HASEGAWA, finished by SAORI GODA
background by BIHOU, text by HITOMI WADA
©ATLUS ©SEGA/劇場版「ペルソナ3」製作委員会
STAFF 原作=「ペルソナ3」(アトラス) 脚本=熊谷純 スーパーバイザー=岸誠二 キャラクターデザイン=渡部圭祐 ペルソナデザイン=秋恭摩 プロップデザイン=常木志伸 色彩設計=合田沙織 美術監督=谷岡善王(美峰) 美術設定=青木薫(美峰) コンポジット&ビジュアルディレクター=高津純平 編集=櫻井崇 音楽=目黒将司、小林哲也 音響監督=飯田里樹 第4章監督=田口智久 制作=A-1 Pictures
CAST 結城理=石田彰 岳羽ゆかり=豊口めぐみ 伊織順平=鳥海浩輔 桐条美鶴=田中理恵 真田明彦=緑川光 山岸風花=能登麻美子 アイギス=坂本真綾 天田乾=緒方恵美 荒垣真次郎=中井和哉 イゴ ール=田の中勇(特別出演) エリザベス=沢城みゆき
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seasandandsorrow · 5 months
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中学生の頃から、追い求めている美というのが、とても抽象的なものだから。顔の構造というよりも、目線の鋭さや髪の馴染み方や思慮深さや指先の軽やかさ、要するに、神秘的でエロティックなものでありたいという願望があって、それは本能を計算するようなずるいものなんだけど。飛び抜けて美しいひとたちは、研究している。ナルシストたちは自分の理想の高さに負けて、毎日打ちひしがれてる。それを生まれた時から持ってる魅力みたいに纏うのが上手なだけ。人間の自然体な美って、やっぱりたかが知れている。人間というのは元の姿が醜いから、馬や蝶の美しさと初めから並ぶことはできなくて、そういう神秘的な存在の纏う空気を再現するには多大な努力が必要なんだ。
思い返せば、今の思想にたどり着くまでにいろいろな精神状態を経験してきた。若いときは美しくなりたい願望が強すぎて、自分が常に美しいかどうかを見張ることに疲れて、孤独だった。お風呂の鏡に映る自分の姿勢と腰の曲線と、水に濡れる髪の流れ方や分け目さえ全部確かめた。その結果本当に首が長く伸びた。いつのまにか肉体を改造していた。食べない方が美しい肉体を作れるか、もしくは自由に好きなものを食べる体験を持っている人格の方が美しいか、そういう概念で考えていて、単純な造形的な話ではないからこそ、本当にうんざりするほど自分の言動一つ一つを矯正しようとした。生活感のある自分が許せなくて、生きているクソ長い時間の一分一秒余さずすべて美しくあるべきで、生活感のある部分は全部脳内で早送り、今のなし、目を瞑って耐えてた。
その反動で、大学の途中から、今度は美しいものを見つめることを少しずつ辞めた。美しくなくてもいいという考えを受け入れることがこんなに楽だったんだって知って、ヒールの高い靴を履かなくなったし、俯く角度を考えなくなったし、座り方の曲線を意識しなくなった。それはそれで良い時間だった。生きていることの実感があって断然楽しかったし、いろんなものが明るくてきらきらして見えたし、たっぷりと自分を許せたけど。
でも今度はそれも飽きてきて、今はやっぱり美しいものに飢えている。美しくなりたい願望を意図的に忘れておこうとしてた間に、なんだか顔が老けたような気がした。美しいものでありたい。その厳しさと生活感とのバランスを、ずっと試しているし、きっとにいなにとってそれは死ぬまで残される課題なんだ。
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ari0921 · 4 months
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 反スパイ法のない日本、外事警察の苦闘
            櫻井よしこ
わが国は、四桁に迫る数の自国民を北朝鮮という国家権力によって拉致されたまま、約半世紀、取り戻せないでいる。
13歳で拉致された横田めぐみさんは59歳になった。母上の早紀江さんは、日本はなぜ、国民を取り戻せないのかと問い続け、新しく拉致担当大臣が就任する度に「真剣に取り組んでほしい」と要望する。歴代内閣は拉致解決を政権の最優先課題と位置づけるが、吉報は未だ訪れない。
第二次安倍政権の7年8か月間、安倍晋三総理を支えて国家安全保障局長等を務めた北村滋氏は、近著『外事警察秘録』(文藝春秋)の冒頭で当時の拉致問題への取り組みを記した。めぐみさんのものとされる遺骨が螺鈿(らでん)装飾の漆器調の器におさめられて日本側に手渡された時、その遺骨は警視庁鑑識課で横田御夫妻に示された。目に涙を浮かべた父上の横田滋さんが無言で坐る傍ら、早紀江さんが沈黙を破った。
「めぐみは生きていますから。これは警察の方でしっかりと調べて下さい」
早紀江さんは毅然と言い、「遺骨」を証拠として鑑定処分に付することを承諾して下さった。「それは娘の生存に対する確固たる信念の発露」だったと、北村氏は書いた。
周知のように、遺骨はめぐみさんとは無関係だと判明し、日本国内の怒りは頂点に達した。だが、振りかえってみれば拉致は金正日総書記が2002年に認めるまで日本での関心事にならなかった。遡って1988年3月、梶山静六国家公安委員長及び警察庁の城内康光警備局長が、「一連のアベック失踪事件は北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚」と答弁した。
北村氏の指摘だ。
「拉致事件について国会で閣僚と警察の責任者が断言し、それと前後して日本人が拉致されたことを示す具体的な情報が複数取りざたされていたが、それでも捜査に追い風は吹かなかった。北朝鮮の国家犯罪の追及は当時、日本政界を支配していたムードに逆行するものだったのだろう」
事実、89年7月には土井たか子、菅直人の両衆院議員らが北朝鮮の工作員・辛光洙の釈放を求める要望書を韓国に送り、90年9月には自民、社民両党が「金丸訪朝団」を結成して訪朝した。当時は日朝友好親善の機運が高まっていたのだ。
世界一、与し易い国
警察が拉致を防げなかったこと、捜査が進捗しないことについての批判は依然として強い。北村氏は言い訳するつもりはないとしたうえで、日本国の体制に注視する必要性を指摘する。まず第一に、スパイをはじめわが国の国益を深刻に侵害する犯罪を直接、適切な量刑で処罰する法律がないことだ。米国では死刑、終身刑、数十年の懲役刑となるような犯罪が、わが国では北朝鮮のスパイ事件に見られるようにほぼ全員、軽微な刑罰にとどまると北村氏は指摘する。
警察庁が認定してきた1950年から81年までの北朝鮮スパイ事件42件に限れば適用された罪名は「出入国管理令違反」等の微罪にすぎず、執行猶予が付くケースが多いという。
第二次安倍政権が「特定秘密の保護に関する法律」(特定秘密保護法)を難産の上成立させたとはいえ、今もまだ拉致問題に典型的に見られる対日有害活動を直接処罰する法律は制定の動きすらない。安全保障に疎いわが国の、これが現実である。
『外事警察秘録』の頁をめくる度に、日本の安全保障体制が法的にも国民の意識という点においても如何に貧弱かを思い知らされる。北村氏が41年間のキャリアを振りかえって取り上げた事件は拉致問題、重信房子の日本赤軍、麻原彰晃のオウム真理教、暗躍する中国スパイなど、実に幅広い。一連の事例から浮かび上がるわが国の姿は、悪意を持った犯罪者にとって恐らく、世界一、与し易い国のそれではないだろうか。
日本と日本国民を守る手段(法整備)に事欠く中で、北村氏らは国内世論の無理解、日本政府内に蔓延する気概の喪失とも戦わなければならなかった。たとえばオウム真理教事件で、早急に打つべき手のひとつが麻原彰晃ら最高幹部の国外逃亡阻止だった。
彼らは当時頻繁にロシアに渡り、レーザー兵器、ウラン、軍事用ヘリコプター、毒ガス用の検知器、自動小銃などを入手した可能性があった。そこで北村氏ら外事警察は「旅券法に基づいて、麻原に旅券返納命令を出してほしい」と外務省に要請。95年3月30日、警察庁長官の国松孝次氏が狙撃された当日のことだ。外務省担当者はこう返答したという。
「返納命令を発出してもし報復テロの対象として我々が狙われたらどうなりますか。警察庁長官ですら銃撃から守れなかった日本警察に部外者の我々を守り切れるのですか」
テロリストの思う壺
最終的に旅券返納命令は発出されたが、恐怖心を煽って政治的目的を果たそうとするテロリストの思う壺にはまっている日本の姿がそこにあった。氏はまた警察庁外事情報部長だったとき、スパイ事件に関する日米の分析検討会議に出席した。日本の摘発事例を説明した際、米側の出席者がたまりかねた様子で尋ねた。
「日本警察が摘発した事件では、そもそも公訴の提起がなされなかったり、スパイ協力者に対する求刑が懲役一年から二年程度だったりすることが多い。判決では執行猶予が付され、釈放されるケースばかりだ。なぜなのか」
日米同盟という関係の中で、日本から情報が漏れれば米国も一蓮托生だ。米国側が懸念するのは十分に理由のあることなのだ。
北村氏は、日本の刑事法にはスパイ行為を直接罰する罪が存在しないこと、したがって捜査機関は、スパイがその情報を入手するためのプロセスを徹底的に精査し、あらゆる法令を駆使して罪に問える罰条を探し、スパイ協力者はその共犯として立件すると説明したが、到底、理解してもらえなかったという。
「米国では、情報を漏らした者はもとより、情報を探知し、盗み出した者を、より重罪とする。量刑は最高で死刑だ。(中略)終身刑や被告の寿命を遥かに上回る数十年の拘禁刑という事例も散見された」
北村氏はこう書いたが、これは中国、ロシアを含めておよそ世界の国々の常識であろう。
インテリジェンスの専門家が振りかえる安倍政権、7年8か月の軌跡は、案件のひとつひとつが生々しい記憶をよび起こす。独立国としての日本の再起に文字どおり命をかけた安倍晋三総理。第二次政権発足の翌日、内閣情報官としての第一回総理ブリーフィング(報告)を終えて退出する北村氏に安倍総理が声をかけた。
「これからも時々、報告に来てください」
週一回だった定例報告��それ以来、週二回となった。安倍総理はインテリジェンス報告に多くの時間を割いた。情報こそが国の命運を決することを正しく理解していた宰相なき後、わが国の前途は多難である。
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petapeta · 4 months
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乗りつぶしオンライン@noritsubushi 先日、Bus Service Map制作者の愉会三丁目さんが、「心境の変化のため」マップの公開を停止されました。 それなりに長い期間、同じように個人で長いこと乗り物に関するコンテンツを提供してきた仲間として思うところがあるので、少し書かせてください。 真っ先に感じるのは、「個人サイト」としての捉え方、付き合い方がもう通用しなくなってきたんだな、ということです。今、ウェブ上のリソースのかなりが企業や団体(またはその構成員)の手によるものになりました。有償無償を問わず、そのようなサイトは、組織の目的のために存在します。 一方、個人サイトは「楽しいから」「興味があるから」作っています。そこのところを勘違いして、サイトを閉じようとした制作者に対して「こんなに自分の役立っているのだから」と説得しても効き目はないでしょう。さらに、「自分」を大きくして「世の中」と言い換える人もいますよね。 でも、個人サイトを閉めるのは、「楽しさ」や「興味」が減じたか、それを上回る何か負担やマイナスがあるか、そういうのがきっかけです。いくら、「役立っているんだから続けろ」と言ったって響きません。むしろ、義務感という「マイナス」が大きくなって逆効果です。 「有料化してもい��から」というのも、気持ちは嬉しくてもやっぱり負担です。商業サイトは収益を上げれば存続するかもしれません。でも、個人サイトははじめから持ち出しです。続けるのに費用がかかるのは織り込み済みで、金銭的負担で存続を断念するケースはあまりないでしょう。 何より、お金を払ってもらうのってお金がかかるんです。競合する商業サイトが出てこないような分野とは、そもそも商業的にペイしないもの(市場が小さいか、供給に費用がかかりすぎるか)です。個人で細々と続けることはできても、商売として成り立たせるのには別の苦労があります。 場合によっては勤務先の制約で副業ができないこともあります。最近ではtwilogを無償提供していた作者の方がtogetterにサイトを売って存続させたケースがありますが、この件はむしろ例外的です。個人サイトの作者の多くは、サイトと全然関係ない仕事を持っていたりするのです。 「お金を払ってでも使うのに」と思うサイトがある方、是非サイトがあるうちに、作者を応援したり、同好の士に存在を広めたり、即売会やイベントの機会を使ってメッセージを伝えたりしてください。使えるルートで応援してください。 (別にうちのサイトにおべっか使えと言っているわけではないですよ) 一番やってはいけないのは、「何で続けないんだ」「説明しろ」と詰問することです。作者にも趣味を楽しむ自由があります。その自由には「飽きる自由」もあります。多くの老舗個人サイトは半ばライフワークのように長年活動していますが、趣味の表現の仕方としてサイト維持以外の方法もあり得ます。 その分野自体に飽きることは少ないかも知れませんが、ゼロとは言えません。何より、詰問されるようなジャンルからは離れたくなることだって起こりえます。同じ趣味ジャンルにいるのであれば、自分と同じように作者の趣味の自由も尊重してほしいのです。 今回の件で、今のところ愉会さんとお話はしていません。これまで書いたのはあくまでぼくの考えですが、サイトを使う人たちの層は重なるところもあるので、そう外れてはいないと思います。 ここまで書いて、じゃあ乗りつぶしオンラインも飽きたら閉じるのか、と聞かれそうですが、その可能性がないとはどんなサイト作者も言い切れないでしょう。ただ、個人のデータを預かっていますから、万が一閉じるとしたら、他に持っていける形でデータを書き出しできる仕組みくらいは用意するはずです。 ぼくの興味は、「乗りつぶしそのもの」に加えて、「データベースを作ること」「使いやすいUIを作ること」「サイトの影響を受けて乗りに行く人が出ること」、このあたり色々です。時期によって興味の濃淡はありますが、興味の濃い部分が他の部分を引っ張ってくれます。 前記のすべての部分に興味がなくなったら「飽きた」となるかもしれませんが、多分興味のどれかは常に存在しているので、それもサイトが長続きできた理由だと思います。とはいえ、ぼくも強い人間ではありませんから、絶対大丈夫とは言い切れません。 むしろ20年近くやっていると、自分の健康や寿命の方が心配になってきます。個人サイトはいつか終わりがやってきます。生身の人間は永遠ではありません。アーカイブ化できないうちのようなサイトは、いつかサービスを終わらせるか、あるいは誰かに引き継がなければいけないのです。 今のところ間際に迫った課題ではないですが、後継者あるいは代わりになるサイトは、いつか必要になります。「レールブック」のときは本当に期待していたのですが、日本一の旅行会社のグループの力をしても商業ベースに乗らなかったとなると、本当、どうすればいいんでしょうね。 Bus Service Mapも、企業が提供していて不思議はないクオリティですが、個人だからこそあそこまで作り込めたのも事実でしょう。本当に欲しいものを提供してくれるのは、企業でなく、すぐ近くにいる同好の士なのかもしれません。 「金払ってるんだから」「広告見てやってるんだから」と対価としての価値を企業に要求するような姿勢ではなく、同じ趣味を楽しむ者を応援する気持ちで、(細かいあら探しするのでなく)、個人サイトと付き合ってほしいな、と切に願うのです。 閉じたサイトが復活していたら、また応援してください。 そして、いずれはそのサイトを越える後継者が現れ、老いた作者が安心して引退できるような、そんな好循環ができたら、個人サイトを長く続けてきたものとしては望外の喜びといえるでしょう。 そんな方の登場を待ち望んでいます。
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kennak · 3 months
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確定申告会場で自民党裏金事件への怒りが噴出している。少しでも不備があれば課税される国民に対し、「政治資金」は非課税の聖域。疑惑の国会議員の申告状況も明らかでないが、実は1960年代、国会で200人以上の申告漏れが公表されていた。国権の最高機関を舞台に、脱税と疑われる行為が繰り返されるのはなぜか。本紙「本音のコラム」で指摘した青山学院大の三木義一名誉教授(租税法)とともに、考えた。(西田直晃、森本智之) ◆自民の裏金議員へ「確定申告せよ」  「けしからんとしか言いようがない。雨の中でも義務を果たすのが、ばからしくなってしまうよ」  19日昼、納税者が続々と訪れた東京都港区の品川税務署の近く。年金収入などがあるという山田経一さん(77)は、確定申告を終えて憤りを語った。  そもそも、国会議員は、給与に当たる「歳費」こそ所得税が源泉徴収されているものの、月100万円の調査研究広報滞在費(旧文通費)、月65万円の立法事務費などは報告義務がない上に非課税だ。  山田さんは「十分に思えるほどの手当などがありながら、さらにカネが必要だというのはおかしい。政策を練るための最低限の手当だけにして、あとは一般国民と同様に確定申告すべきだ」。 ◆税務署の職員「みなさんの気持ちは分かります」  受け付け初日の16日には今年も、俳優の高橋英樹さんが申告を呼びかけた品川税務署。近くで取材を続けていると、怒りを口にする人たちが目立った。  記者が「裏金事件について…」と切り出すと、「実は、私は税務署の人間でして」と苦笑いする背広姿の男性も。「納税者のみなさんの気持ちはよく分かります」とだけ答え、足早に去った。  裏金のうち、政治資金であれば非課税とし、政治活動以外に使った分や未使用分は議員個人の「雑所得」として課税—。この国税庁の見解に照らすと、キックバックされた資金を「使用していない」と自民党の調査に回答した議員は、本来課されるべき納税義務を免れたことになる。 ◆納税を呼びかけた岸田首相に対し「どの口が…」  「野党が指摘するように脱税に当たるはずだ」と話したのは、品川区の自営業女性(54)だ。「国民が同じことをすれば罪に問われてしまう。信じられないほど不公平だ。岸田首相が納税を呼びかけたニュースを見て、『どの口が…』と突っ込みたくなった」と語気を強めた。  自民党内でも「キックバックを受け取った議員は納税すべきだ」との声が上がっているが、既に「政治資金」として収支報告書を一斉に訂正した経緯がある。課税すれば「矛盾」が生じるとして、否定的な意見が多いようだ。 ◆裏金議員の申告状況は  だが、確定申告を終えた加藤昭治さん(79)は「矛盾しているのは政治家たちの発言と行動のほうだ」と突き放す。「自分たちに都合の良いように解釈してしまっている。どんな裏金も裏金なんだから、しっかりと課税するべきだ」  そもそも裏金議員たちも今、確定申告をしているのか。国税庁の担当者に尋ねたが、「われわれは守秘義務があり、個々の納税者の申告状況を公にすることはない。議員であっても、一般市民であっても変わりはない」とのことだ。 ◆1966年「黒い霧事件」後には異例の公表  とはいえ、過去には国税庁長官が国会で、議員の申告状況を公表した前例がある。きっかけは1966年、自民党議員の不祥事が続発した政界の「黒い霧事件」だ。  「黒い霧事件」後、政治改革の議論の中で議員の課税問題が噴出。確定申告の時期を経た67年5月23日、衆院大蔵委員会で泉美之松(みのまつ)国税庁長官が調査結果を明らかにした。  課税対象になる所得があるのに申告漏れしていたなどとして修正申告、更正決定した国会議員は「現職議員が181名、前議員が22名、合計203名」で、金額は「トータル2億1800万円」。当時の衆参両院の定数の3割近くに申告漏れがある計算だった。  国会議員に対するこうした調査はこの時が初めて。異例の動きの背景に何があったのか、「こちら特報部」は19日に国税庁に質問したが、「なにぶん古い話で、行政文書の保存期間との兼ね合いもあり、すぐには答えられる状況ではない」とのことだった。 ◆当時の大蔵大臣は政治家の「特権」に言及  当時の大蔵委のやり取りは議事録に残っている。泉氏は国会議員の所得申告状況について「収入支出の申告は漏れているのが実情」「所得ありとしての申告は非常に少ない」と説明。質問した社会党の西宮弘氏は「一般の中小企業では収入はないかとウの目タカの目になって探しておるじゃないか。とても国民は納得できない」とかみついた。  これに対し、自民党議員の水田三喜男・大蔵大臣は「一番納税道義の高くあるべきはずの国会議員であるので、一般に対する所得の把握と議員に対する所得の把握は若干違ってもいい」と政治家への特別対応を認めるような発言。さらに、「議員に対する名誉の尊重という意味から、国会議員だから特にこれを調べなければならぬということは私はないと思う」とまで言った。  西宮氏は「それは大変な間違いだ。だからこそ政治家に対する不信感が高まっている」「税金を納めることが実にばかばかしくなってきた。私がそうなんだから、ましていわんや、一般の国民は」と猛反発。60年近く前のやりとりだが、何だか現在の自民党への批判を彷彿(ほうふつ)とさせる。 ◆国税は政治家からの逆襲に悩まされ…  一連の経緯を今月8日の「本音のコラム」で紹介した三木義一氏は「ちゃんと議員も申告しろという声が上がり、与党の議員も一斉に確定申告することになった」と解説する。  三木氏によると、議員側はその後、政治活動関連の支出をすべて必要経費に入れ、政治活動の収支が赤字になると申告。国会議員の給与に当たる「歳費」と相殺することで個人としての所得が低くなったとして、逆に支払い済みの所得税の還付を求める与党議員が続出した。政治家からの逆襲だ。  「これに国税が参ってしまった。あわてて雑所得は他の所得と損益合算できないように制度改正したが、そこまで。これに懲りたか、税務当局が政治家に対して継続的に何かチェックしているというのは今に至るまで聞いたことがない」 ◆「不正を見逃すことは許されるのか」  日本大の岩井奉信名誉教授(政治学)も「国税が政治に踏み込もうとすると『政治活動の自由を侵す』と批判される。それが政治家への対応を甘くさせている部分はある」と認める。「政治活動の自由には配慮しなければいけないが、不正を見逃すことは許されるのか。政治資金制度の第三者委員会を検討してもいい」  自民党が公表した安倍、二階両派への聞き取り調査結果には、不記載の理由を「派閥からの指示、説明」とする回答があった。三木氏は「所得の仮装隠蔽(いんぺい)ではないのか。通常なら重加算税の対象になるし、その場合は過去7年にさかのぼる。ところが自民党の調査は5年分だ」と指摘する。  「国税はこの結果に基づき、『隠れて裏金を受け取った議員の税務調査をやります』『きちんと疑義を晴らします。調査します』と言わなければいけない。それが、国税の役割じゃないか」 ◆デスクメモ  所得税の捕捉率は「トーゴーサンピン」(10・5・3・1)と言われてきた。源泉徴収されるサラリーマン(10)は他職種より高いという意味で、最も低いピン(1)は政治家だ。マイナンバーで漏れを無くすそうだが、最大の不公平は温存したまま? 是正する順番を間違えている。(本)
「納税ばからしくなる」怒りが充満する確定申告会場 自民裏金議員との「信じられないほどの不公平」:東京新聞 TOKYO Web
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megane-yarou · 5 months
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起業を考える人に対してNISAとiDecoを使って「経営者の条件」を話したいと思う。「将来起業したいが、今何をすべきか?」と、日常的に質問を受けるようになってきて、僕は「持ち場で突き抜けた結果を出す」事と伝えてきた。 だけど、話していくうちに、投資を全くやっていない人が多い事に気がついた。 結論から言うと、起業したい若者は、新NISAとiDecoぐらいは今直ぐ始めよう。 投資の達人が多いXの住人には笑われるかも知れないが、起業のアドバイスを求める人は、何の投資もやってない人が殆どだ。 恐らく、みんなが憧れる起業家は派手な人が多く、地味な投資の話をしている人が少ないからだろう。一部の天才の、派手な事業にばかりに目が向いてしまっている。 地味な投資信託に興味が向かないのは無理もない。 だけど、こんなに投資効率が良いものを面倒がるような、行動力のない人に起業は難しい。更に言うと、こんな勝率の高いものに怯える人は、勇気と知識が足りていない。 これらを短期投資のギャンブルと勘違いしてる人も、会社を長期運用する適正がないだろう。会社員かフリーランスで生きていくのが合っている。 事業は投資の連続だ。 全てにおいて、あらゆるリスクが付きまとう。建物への投資や、採用も広告も全て投資だ。銀行から借入した資金をどこに投資するか、常にリスクとリターンを天秤にかけて決定する。 日常的に投資判断を繰り返し、全責任を一人で背負い、決定を正解にする為に、行動し、ダメなら損切りしてピポッドだ。 NISAもiDecoもその練習台として、若いうちから始めるには丁度いい。難易度で言うと、ゲームのeasyモードより優しい、チュートリアルぐらいだ。国が推奨して税控除のバックアップ付き。事業で容赦なく取られる税金が、ここでは逆鞘のチート状態なんだ。他ではあり得ない優遇だ。 それに、投資は自ら知識を付けて、勉強し続ける必要なんかない。僕の場合は、専門家の意見を採用して、その通り実行してるだけ。自分の脳は「人選び」にだけ使い、あとは様子を見てるだけだ。他人の脳を使うのも、組織運営で重要なスキルだ。 何でも自分でやりたがり、人に任せられない人の組織は伸びない。 ここまでくどくどと書いたが、伝えたい本質は「リスクを取る行動をしろ」だ。 本を読む、NewsPicksを見る、講演会に行く、は全て有効だけれど、リスクへの慣れと投資の感覚は、やった人間にしか絶対に分からない。 将来何者かになりたい人や、現状の課題を解決したい人にとって「起業」は最も有効な選択肢だ。成し遂げた人が、決まって言う「リスクを取れ」「行動しろ」を直ぐに実践するところから始めよう。 この2つが「経営者の条件」だ。 人生は自ら作っていくものだ。願ったり、語ってるだけでは、何も変わらない。行動する事で、初めて人生は作っていける。 2024年が、あなたの人生を変える一歩目となる事を、祈ってます。
Xユーザーの中野優作|新車を作らず、愛車を作ろう。さん
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kaoriof · 3 days
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無題
さいきんブログを更新するのがこわいです。言葉は相変わらず次から次へとうまれてくるのに、それをあなたにみられてしまうことがこわい。大切で大好きだったひとに、自分の言葉も好きな音楽も信仰も容姿もすべて貶されて、こころが裂けるような思いをしました。壊れる、とか、死にたくなるようなものではなくて、まさにすこしずつ裂けていかれているような感覚。わたしが信じていたものは、そのうつくしさは、すべて決して揺るがないものだと確信して止まなかったのに言葉一つでひどく簡単にくずれていくので、やっぱり世界に期待することはよくないのでしょうか。だれにどれだけ否定されても、わたしだけがわたしを信じてあげられたら良いとは思うけど、そんなのは綺麗事に過ぎなくてわたしはやっぱりたくさんの人に必要とされたい。今日はとても空がきれいだった。家が近い友人と映画を観てから、公園でバトミントンをした。金星と滑台。同級生のくだらなさすぎて笑える冗談が、ひとつの救いだけれど、それでも依然としてみんなのことをどうしても好きでいられない日は定期的にあって、その都度またぐるぐる悩んでしまう。みんなはわたしのことを好きで受け止めてくれてたくさん抱きしめてくれるのに、あたたかな優しさが眩しすぎて大きすぎて抱えきれず、冷たく当たってしまう自分のことを自分でむりやり殺しました。がんばっている。百パーセントとは言えないけれど、少しずつがんばっている。綺麗な世界だと思います。泥泥に腐ったきみのこころでさえ、生きることを選択しているのだから。風も海も夢も雨もやさしくてきれい。あたたかな朝の光がカーテンの水色をはさんで部屋に差し込むとき、肌に触れるブラウスの裏生地のつめたさ。すべてのことを信じられない日があったし、これからもあるだろうけど、たくさんきれいなものがまた雨みたいに降ってくる優しい日がいつもどこかで誰かを迎えている、その事実だけで十分かもしれない。すきです。その対象は曖昧なもので不確かだけど、いつもこころのなかで思っている。とてもすきです。高校生がおわるとき、ちゃんと泣けるかずっと不安だったけどきっと泣いてしまうだろうと思う。いつもの道と電車と家族と友達。こんなに愛されていることを感じたことはないと、愛されていないときほど特にそう思う。わたしは何ももっていないけど、その隙間をうめるようにして美しいものを与えてくれるひとたちがいる。
無題
半分泣きそうになりながら混み合う駅をあるいていた。じょうずに人のあいだをすり抜けられる器用さを持ち合わせていないため、泣きたい気持ちでさえ電車に乗る頃には根拠のないあきらめに掻き消され、すでにどうでもよくなっていた。かなしかった。すこしだけ、大切で大好きな人たちのことも今まで楽しかった思い出もすべて手離したいという気持ちになった。そうしていちばんかなしいのは、そのように感じてしまった自分の浅はかさというかもどかしさというかそういった類の行き場のない虚無感と申し訳なさだった。
それでも。あなたのことは好きだけど、ひとりになりたくないがために、わたしが大切にしたいわたしまで奪わないでほしいというのはずっと前から感じていたことだった。そうして本来ひとりでいることは何ら恥ずかしくもないし寂しいことではないということ。わかって欲しい。あなたのさみしさを満たせるのは、他でもないあなたしかいない。ひとりで居ることを誇りに思えない人が、だれかといっしょに居られることを誇りに思えるはずないのだから。けれどわたしもわたしで失うことが怖いのでそんなことを言えるはずもなく、自らの矛盾に苛々しながら電車が訪れるときをひたすら待つことしか出来ない。たくさんの受験生らしき人たちに囲まれていることが胸の内で疼く苛立ちをより加速させた。遠目からでも分かるカラフルな付箋がいやに刻々と近づいている未来の存在を主張するので、現実から目を背けようとわたしは大人になることの尊さや美しさについてかんがえてみた。けれどそうして五分ほど経てば思考を続けることにも疲れてしまい、今度はただただ車窓の外の景色を眺め、月がきれいだとか星がきれいだとか風が気持ち良さそうだとか明日は雨になりそうとか、そう他愛もないことの想像に落ちつく。ほんとうはいつだってそれくらい身軽に生きていたいのに、わたしの脳内では【!】と【?】のふたつの種類の感情ほとんど毎日のようにせめぎ合っているのでいやになってしまう。
慰めにオレンジジュースを買った。
五億年後にはわたしはもうわたしではないし、わたしの価値はきっとわたしではない人たちと何ら変わらないのに、どうしてだろう。どうしてこんなに頑張っているんだろう、とふしぎに思うけれど、あしたまた起きたら学校に行かないといけないし勉強しないといけないからしぶしぶそうする。祈りだけは限りを知らないので、ただひたすらに祈ります。あなたのことと好きだったきみのことといちばん大切なわたしのこと。
無題
英語の課題のレポートを死ぬ気で六時間くらいやりましたが、未だに終わらない。慌ただしくしている中で無駄な色々なことがほんとうに一切どうでもよくなってしまってシャワーを浴びたいと思うのと同じくらいの感覚で、全部どうでもいいと思った。インターネットのこと、さっぱり洗い流したい。電車に乗っているときに周りにいる全員が自分みたいに恥ばかり更新するためだけの名前をもっているのかもしれないと思うとちょっとぞっとする。悪口と下ネタに自分の大事な生活が埋もれていってしまうのはそれこそ無駄だし、ふつうに汚くて嫌だ。(だからなに)と反応されてしまうのも嫌だ。それは時には無駄を愛することも大事だと思います。だって世の中無駄ではないことの方が少ないし。でも、それで自分のことがわからなくなってしまうのは一番孤独で、一番寂しくて、なのにそういう訳の分からない自分に一番依存してしまう、というかなしい��とになってしまいそうでこわい(たぶんわたしだけ?)素敵な言葉を書くね、という言葉にたまに傷つけられる。顔が見えないとは言え、大事な人はたくさん居るし、会いたい人もいる。でも潔くやめられたらいいないつか。高校生がおわったら更新し続けたブログの投稿を一冊の本にまとめて、一度きりインターネットからいなくなりたい。でもまた恋しくなったら名前を変えて一から言葉を百パーセントの想いで育てたい。ほんとうの命は尊いために一回きりだけど、ここはほんとうじゃないから。566の数字の並びだって簡単に0になる。290も311も、それらが1000000にまで跳ね上がっても一瞬で0にできてしまうインターネットに果たして永遠が存在するのかそうでないのかわからないけど、わからないから知りたくて何度も戻ってしまうのかもね
Independently blue
感受性が豊かだとかいつも考えすぎだよの一言で自分のすべてを見透かしたかのようにわたしのことをとくべつ綺麗に表現してほしくなかった。というか、絶望や不安感や絶えない悲しみに美しさなんて微塵たりと存在しないと思っているのに、それを爽やかな笑顔を浮かべながら素敵だと言われてしまうと、わたしも捻くれた人間なのでより一��自分に対して惨めな想いばかりが募ってしまう。こんな調子だからいつになっても満たされないのだ。ずっと。自分で自分を縛り付けているような感覚に頭が痛くなる。何一つとして誇れるものを持ち合わせていないことに。家族や友人はたいせつだけれど彼らだってやっぱり一番大切なのは自分自身で、そういった意味では彼らもある種の寂しさを抱えているのかもしれないけど、それでも、と、ぐるぐる考えれば考えるほど自分だけが異様に変わっているように思えてきて耐えきれず泣いてしまう。
無題
予備校を欠席してしまった、行けばよかった。いちばん端の席に座っていつもみたいに先生からの勉強しないとやべえよという圧に大人しく頷いておけばよかった。そのときだけ、ただそこに座って話を聞いているだけのことが、わたしが存在する意味とか価値になり得るような感じがするからがんばろうと思えるのに、こうもだらだらと白い広い天井を眺めてばかりいてはだめだ。インターネットでのお遊びなんて単なる虚偽にしか過ぎなくて、誤魔化しは効くのかもしれないけど、結局のところ幸福に関してはなにも満たしてはくれない。欲求の押し付け合いと、思考の際にうまれた隙の突き合いの繰り返し。その中にだってほんとうはもっと沢山の美しいものが存在しているということは知っているけれど、自分で今の自分を認めてあげられないときにはどんな励ましや慰めも、それがどこで交わされていようと、だれが声をかけてくれようと、やっぱりだめなのだろうと思う。いっそのこと、すっかりだめになってしまいたい。そうしたらだめな自分をはじめてゆるしてやれるのかもしれない、なんてアテもないことを考えることで現実逃避をする。
わたしにとっては一年を乗り切ることでさえ精一杯のことなのに、それを何千と繰り返し目の当たりにしている、月がおそろしいほど綺麗なのはそのせいかもしれないと、夜道を歩きながらふと思った。わたしが生きているのは紛れもなく今だけれど、感じているものはずっとずっと昔の光や音や風なのかもしれない。そう思うとすこしだけ、すこしだけ大丈夫になれそうな気がしてきて、さむいなあと溜息が溢れた。そのあとにまたちょっとだけ泣いた。勉強をしようと思う。死にたくなるほど勉強しようと。勉学は個人の救済だと聞いたので。もっとつよくなれるように。もっと大事なものを真っ直ぐ愛することができるますように。どんな小さなものでも必ず全体とつながっている。
無題
世界はドラマによってうごかされていて、そのドラマによってわたしたちはうごかされている。と、高校演劇大会の審査員の演出家の方が言っていた。
ドラマの定義というのは最初に保たれていたバランスが何かをきっかけに崩壊して、そしてまたあたらしいバランスが構築される、というその繰り返しのことらしい。ここで大事なのはバランスが崩れたときに自分自身がいちばん衝撃を受けるであろう強くて鋭い一瞬のエネルギーの動きをしっかりと捉えて明確にするということ。そうすることではじめてハッ、となる瞬間がうまれる。ここでいうハッというのは新しい気付きのことで、これは今までは流れに流されていたものが急に堰き止めらたときに止むを得ず立ち止まり、改めて周りを観察し分析することで自分自身の置かれている立場を客観視できる、ということだと思う。バランスが崩れるということは何かが劇的に変わることを表していて、人間はそれに適応することに大体は切磋琢磨して多くの場合くるしくなったり悲しくなったりとネガティブな感情に追い込まれてしまうと思う。けれど演劇において、また人生においても同じことが言えるけれど、そこでは自らの感情に思うがまま身を委ねるのではなくてロジカルに思考をすることが大事になってくる。というのも、大きな衝動は複数の感情をより複雑に絡ませてしまい、そうするとまた今度はそれを解くことに必死になって小さなパニックが起きてしまうから。そうしてそのように自らを疲れさせないために情報量を極限まで少なくすると、はじめて人間はそこで現在進行形で起きている意外性というものに気がつく。そして大概この意外性、つまり思いがけない驚きや予想外の仕掛けというものは自分だけでなく他者にも影響を及ぼし、それがその審査員のいうハッ、という気付きに繋がるのかもしれない。
同情の有無にかかわらず人間への関心を失ったら演劇など出来ない、と審査員の方々が話すのを聞きながら、人生と演劇って似ているなあと改めて思った。自然であることと自然でないことはまったくもって違うけれど、実は紙一重なのかもしれない。
辛いことはたしかに尽きないけれど、そこでその辛い気持ちから自己防衛をするために自分自身を正当化し誰かを傷つけることは全くもってちがうし、それでは自分のかなしみはより加速する一方で、一向に幸せにはなれない。自信を持つ方法だとか辛い気持ちから脱却する方法だとかそういうことをつらつらと語る動画をたくさん見たら、元気が出た。今までにないほど散々汚い言葉を投げかけられて、ついこの間までもう自分には幸せになる価値なんてないのかもしれないとマイナス思考だったけれど、そんなことはない。幸せになりたい、という思いだけで充分だと思う。どんな運命もそれをよいものにしようと欲するならば、よい運命となる。ただ誰かを傷つけることで自分を正当化する人や人の心に深い爪痕を残そうとする人、自分自身を責めてしまう人や優しさや愛を素直に受け止められずに疑ってしまう人、いろいろな人がいるけれど、その人たちを責めることもまた全くちがうことなのかもしれないと思った。わたしは今までは悪いことをした人は絶対的に悪い、と一方的に思っていたけれど、そのうしろにはその人にしか分からない苦しみがあるのだろうし、それはその人自身によるものだけではなく環境によるものだという可能性だってある。冒頭で述べた、「バランスが崩れたときに自分自身がいちばん衝撃を受けるであろう強くて鋭い一瞬のうちのエネルギーの動き」というものを自分の根本にある愛やだれかから受け取る愛の不十分さゆえに消化できず、他のものでそれを補い上書きしつつ誤魔化すことで、彼らも彼らなりに自分と向き合うとしているのかもしれない。これはあくまで仮定だけれど、そう思うことでわたしも心が軽くなる。辛いとか、幸せとか、気にしなくなるほど愛に満ち足りた生活をしたい。ゆるしたい。自分が侵してしまった失敗や罪も、自分を傷つける人たちの言葉も、上手く物事をこなせない自分自身のことも、幸せでない過去のことも、ぜんぶゆるしてあげたい。号泣しながら鏡を見たら予想以上に顔がぐちゃぐちゃだったので綺麗だった、なんて微塵たりとも思わず、むしろそれを汚いと思ってしまったけれど、それをいつかあの頃の美しさに生かされていると言えるほどの愛を自分のために抱えて離したくない。
無題
いつか死ぬのは知っている。けれど死ぬまでは生きているのだという当り前のことを意識したことがなかった。光輝く生の実感なんて波乱万丈のドラマの中にしかないと思ってた。でも本当はささやかな日々の積み重ねがこすり合わされて灯をともし、その人の生涯を照らすものではないのか。そして照り返しで死を確認した時、満ち足りた気持ちで生に飽きることが出来る。わたしは、死を思いながら生きて行く。
と、これは太宰治の斜陽という小説からの引用なんだけど、ほんとうにそう思う。今はつらくても、すこしずつ頑張っていけばいい。本を読んだり絵を書いたり勉強をしたりどこかへ出掛けたり友人に電話をしたりすればいい。わたしにはあたたかい布団だってあるしテレビだってあるし、美しい服も化粧品も靴もある。近くには映画のレンタルショップがあるし、平日には学校が、放課後には部活がある。寄り道を出来るほどの余裕もお金もある。帰ったら愛する家族が美味しいご飯を作って挨拶をしてくれて抱きしめてくれる。そして当たり前のように十年後の自分の生活を想像できる。恋に敗れたなら次はもっと素敵な恋をすればいいし、勉強に失敗したなら次はもっと努力をすればいい。不安なら不安を取り除くためになにをすべきか考えたらいいし、寂しいときはすぐに寝ればいい。今年が不運続きの一年だったなら、来年はもっと幸せな年にする。これだって一種の自己防衛だけれど、わたしだって弱いからこうでもしないと頑張れない。
ある同い年の女の子が不幸を自分の嫌いな食べ物に、幸福を自分の好きな食べ物に例えていて、嫌いな食べ物を先に口にしてしまった場合、それを中途半端に口内に残したままだと次に口にする好きな食べ物の美味しさが半減してしまうと話していた。けれど時間をかけてゆっくりと嫌いなものを辛いけど最後まで噛み切れば、そのあとの幸福は何倍にも大きくなってやってくる。それから考えた結果、今のわたしの目標は本当に好きなものを見つけたからそれに向かって努力をすることと、消化できていない不幸をゆっくりとゆるしてあげながら呑み込んでいくことだなと思った。
無題
丁寧に髪をとかすともう0時だった。ピピピというメロディとともにコンビニのドアは開かれて、わたしはそこで煙草を買おうかと思うけれどもやめる。憧れている女のコが新宿区の高校に通っていることを知って、落ち込んで舞い上がって、そうしてまた落ち込んだ。こんなにも近くで同じ景色を見ているのにわたしはどうしても彼女と同じ世界を生きることができない。等しい恐怖心ともどかしさを感じながら寂しさを分かち合いたかった。彼女がきれいだと思うものをわたしもきれいだと思いたいし、彼女が眠れない夜にはわたしも眠れずにいたい。愛ってそういうものじゃなかった?となりで同じ蝉の鳴き声を聴いて、電車が過ぎ去ってゆくのをみて、風が、草はらを駆け抜けてゆくのをみた。けれどその一瞬のうちですら、たぶんわたしと彼女はきっとそれぞれ異なるひとのことを想って、それぞれ異なる色と匂いと温度と光をかんじている。わたしは彼女がかなしいと思うときにおなじようにかなしいと思えないのだ。それほどもどかしいことはないし、それほど愛おしいものもない。わたしの孤独はわたし一人だけで成立しているものではなくて、わたしの大切なひとたちがいてこそのものだと思うと、それだけで眠れなかった夜が嘘みたいに今度は眠りたくない夜になる。満たされていないからわたしは海をきれいだと思うのだろうし、なんの迷いも戸惑いもなく未来に眩さや希望やあたたかな愛を見出すことができるのだと思う。満足することを知らず、いつまでも世界のありとあらゆるところまでつねに感じていたい。うしなわれた光と温度と音が知らない地でまたあたらしくうまれるところを、ずっととおい国のちいさな街で暮らす少年の報われなかった恋を、インターネットの隅で未だに煌めきを失わず残ることばの数々を、千年前に生きていた十七歳の少女が今を生きるわたしのそれと同じ眼差しで、同じ場所で、同じ海を眺めている様子をみたかった。恐竜の鱗が光にてらされてかがやいているのもみたかった。この風は、まだ人間が人間じゃなかった頃に吹いていた風かもしれない。同級生のこととかたとえば自分の数年後のこととか明日の試験のこととか考えているうちに、きっとたぶんあっとういうまにわたしは歳を重ねて死んでしまうから。あなたも。死は永遠に続く停止ではなくて、またあたらしい有限への始まりにしか過ぎないのかもしれない。昔の文章、はずかしすぎてマトモに読めなかった。一年前のわたしだったら全部削除していたかもしれない。だいたい、あなたにはなれないと分かっていながらあなたになりたいなんて思ってしまったわたしがわるかった。わたしは全然自分が思っているより幸せだし、あなただってきっとあなたが思っているより幸せなのだと思う。それにそうだねと言えないのなら、わたしが幸せにしにいくから泣かないで。
Fresh Flesh
苛々してばかりいる。排気ガスを吸い込んだ朝の光。どこまでもぬるい夏の風。孤独を拒絶する友人。数値化された感性。立ち並ぶビル群。声のでかい女。ぜ〜んぶ、ほんとにぜんぶ、まるで雷光のようにわたしの心の奥の奥の奥のほうをカッと照らすので、まぶしくてひたすらに鬱陶しい。だけど舌打ちも暴力も歯軋りも性に合うはずがないので、ただ血液だけが巡るその速度を速め、ああ、もうさ、どうしてこんなに世界って鮮やかなわけ?って、思った、昼。あらゆる音がさっきまで飲んでいたシュワシュワサイダーの泡みたいに空気中を弾ける。ぽつ、ぽつ。びゅうびゅう。ざあざあ。びたびた。ぱらぱら。すぐそこで揺れている深緑(ふかみどり)が泣いているみたいだ。ねえ、小鳥や野良猫は雨の日どこで雨宿りをしているの?寒くはないの?雨雲に負けじと光を降らす太陽もいつかはまるごと萎んでしまうの?もしそうしたら朝はやってこなくなる?それならさ、最後、手、繋いで。そこがどこであろうと、いっしょに眠ろう。肌と肌、唇と唇、声と声、お互いの大切なものを重ね合うことの尊さを自分の力で見つけられなかったことがとてもかなしいけれど。村上春樹の本で読んでしまったし、尾崎豊の音楽で聴いてしまったし、なんなら興味本位で検索にかけて知らない男と女がその行為を実行しているのを、見てしまった。眉毛を丁寧になぞって、鼻の形を指先に記憶させて、耳たぶを甘噛みする。恥ずかしくて赤くなるまで。どうやってあなたの心臓がドックンドックンいっているのか、目が目だと信じられなくなるくらい瞳を見つめて、血液が身体中をものすごい勢いで巡っているのを確認して、その次、唾を飲み込んで目をギュって瞑る。背中に手をまわして、背骨に沿って、って、って、そのあとはわかんないけど。ショッキングイエローも、スモーキーピンクも、オーシャンブルーも、わたしたちはすべて黒い色の文字で表現できてしまうのに、心がぎゅうってなるあの感覚って、どんな言葉を選んでもなにかが違う。途中でこうじゃないって投げ出してしまう。どれだけ小説のページを繰っても、黒、黒、黒、そうして少し、余白。けれどそこにはそこにしかない風があって、匂いがあって、音があって、熱があって。先生の合図とともに重たい教科書を開いて、ハイライターで色をつける。まだあと二十分もある、って思うとき途方も無い気持ちなる。(おねがいだから一人にしてほしい、)と、一人なのに、そう思う。これからどうすればいいんだろう。どうなるんだろう。何をすればいいんだろう。何を守るべきで、何を捨てるべきなのか、わかったら、なんの迷いもなしに会いたい人たちの元へと駆けて行けるのに、わたしがいなくても彼らの生活は成立してしまう。その事実が毎日のようにわたしの胸をきつく締め付けるので、勉強さえ手につかない。夏の夜の闇に、重ねに重ねた不安を押しつぶされそうになって、怖くなって、ママが深く眠っているのを確認したあと、あたかも人が眠っているかのように部屋の布団を整えて、玄関のドアをゆっくり、すごくゆっくり開けた。レッドのマットリップと、ドット柄の上下パジャマのズボンと、上はダボダボのブルーのパーカー。午前零時。イヤホンつけてモロハのスペシャルを聴く。自転車のギアをいちばん重いのにして、全速力でペダルを漕ぐ。その時間だけ、わたしは自分が聴いている音楽のミュージックビデオのヒロインなんだと勝手に妄想して、勝手にどこまでも飛んでいけそうだって根拠のない自信を抱く。根拠がないくせに、ありきたりな、なんかこう、込み上げてくるやつ。まだたくさんいる人々の話し声や車のエンジン音が瞬く間に遠のいていく中、車輪の回転する音だけが一定の大きさで響きわたる。往復およそ三百円の通学路と、京浜東北線。光が差し込むと肌が透けてみえる白いブラウスと、微かに香る柔軟剤のにおい。テスト前、教科書がパンパンに入ったリュックサックの重さと、かかとの磨り減ったローファーの鈍い光沢。小さな教室と、先生のつまらない冗談。どっと響きわたる笑い声の中に掻き消された不安定な思考。すべて、いつか、終わってしまうことがちっともさみしくないと思ってしまった。ゆるしてほしい。だって、いつだって死ぬことは生きることの一部だ。怖いモノなど無いと信じたいでしょ。
無題
たとえばわたしが自分の生きていた証をこのインターネット上から消し去ったとしてもあなたには変わらず救いとするものがあって愛するものがあって考えるだけで新しく幸せを覚えるような存在がちゃんとある。鈍く光る愛がいつか鋭い後悔に変わってしまうのが怖くて無条件に人を信じることをやめた。嫌というほど味わった果てのない空虚にすら愛おしさを感じてしまうほど、哀しい言葉や音楽の拙い響きに慣れてしまった。空っ風に奪われたわたしの体温がいつか巡り巡ってあなたの凍えた手をあたためますように。言葉に託されたわたしの想いがいつか巡り巡ってあなたの心に届きますように。そんな取り留めのないようなことを祈ってしまうほどわたしは未だに得体の知れない幻影を求めている。それはたぶん運命とやらに翻弄される中でうっかり見落としてしまった夢かもしれないし、あなたがくれた言葉の数々に見出せなかった愛かもしれないし、日々のもどかしさに埋もれた好奇心かもしれない。無数の配線を超えて、イヤホンを捨てて、ブルースクリーンに吸い取られた喜びをまた一から拾い集めに行きたい。インターネットの検索にわたしのユーザー名をかけるのはやめて、目を見て本当の名前を呼んでほしい。ファンじゃなくてお友達になってほしい。けれど、こういった願いは願いのまま叶わない方が美しいのだということも知っている。皮肉である。
無題
あ〜〜泣きたいのはこっちなんだよ〜って思うばかりの不安定な日々を、シュレッダーにかけたテスト用紙のように粉々にして、そこらで散っている薄桃色の花びらみたいに両手ですくってぐるりと一回転しながら空へと飛ばしたかった。そうすれば汚いものも綺麗に散ってくれるかなって、一瞬そう思って。真夜中に風呂場で熱いシャワーを浴びていると自分の清らかな感性がソープの香りと湯気の曖昧な白さとともにぬるい身体を包みこんでくれている感じがして気持ちが良い。排水溝へと流れていく細くて長い黒一本がきっとわたしのこころに複雑に絡まった劣等感なんだね。きっとそうだ。「君は変わらないね、正直がっかりだよ」 一人の女に向かってそう言った男もいたし、「波乱万丈の人生が羨ましいよ」 と、言った少女もいた。肝心な、わたしが本当に言ってほしい言葉はどこからも拾えない。そもそもの話、捨てたことが間違いだった。だれかが気付いて励ましてくれるだろう、甘やか��てくれるだろう、そう思って辛いのとか悲しいのとかをぜんぶこうやって包み隠さずに生きていたら、そこら中にある完全な美と不完全な自分のこころを比べてしまってひたすら毎晩のように落ち込む羽目になった。完全な美なんてものはない、そう言われても、わたしの目には圧倒的な美が完全に見えてしまうのだからどうしようもないじゃないか。そんな愚かさやもどかしさを女だからだとか思春期だからだとか言われたくない。わたしの両胸がいつか萎れた花みたいになる頃には今のわたしの何が残って何が忘れられて何が憎まれて何が愛されるのだろうか。それがやっぱりどうしても気になってしまう辺り、まだこどもで、なんだかそれだけが希望で、それだけで、わたしはきっと明日も明後日も一年後も変わらずに生きたいと思うんだろうな。うつくしいものを感じたい。じぶんのものにしたい。古文を教えている先生がずいぶんと前に不完全なものが美しい理由はその先をわたしたちに想像させるからだと言っていた。わたしもあなたの目にはちゃんとうつくしく映っていますか?人間はうつくしくいないといけないのですか?三日月の形は麦畑をわたっていく風の音によく似ている。けど、もう、その色も音も匂いも形もすべて忘れてしまった。覚えているのはどちらも不完全で完璧だということだけ。
無題
雑談。真夜中の空気を吸いすぎてべろんべろんに酔っているのだけどお酒じゃないので大目に見てほしい。ライターをカチってやって、ぼわって火が付いて、ふうってわたしも美味しいので深呼吸したいなあとかたまに思うよ。絶対やらないけど。書きたいことがたくさんたくさんありすぎる。星座が絡まったみたいに一気に幸せが押し寄せてきてそれが眩しすぎて残像がまぶたの裏で何度も瞬いている。どう意味かって?ずうっと昔に感じた幸せが今そこにある感じがするってこと。手を伸ばせば届いちゃいそう。なにから話そうか、考える時間があるということに、話したいことが山ほどあるという、それだけのことがとてもうれしいんだよ。つい最近までうっかり足を滑らせて沼にはまってしまって抜け出せなくて喉から足まで苦しかったから。良いことばかりじゃなくて悲しいこととか寂しいこととか苛立ったこととか、あるけど、あるけどわたしは別にそれが嫌いじゃない。いずれ必ず消えるから。じゃあさ、はじめるよ?最後まで読むんだよ?ネガティブなことからお話ししようかな。わたしは納豆とお味噌汁が同時に出されたら苦手な納豆から食べるだろうから。え、例えになってる?関係ないけど村上春樹って比喩表現めっちゃ使わない?あ、本題、昼間ね、東急東横線に乗っていたら刺青入れた背の高い男が目の前にやってきて手を差し伸べてきたの。手には百円玉一枚しかなくて、わたしは怖くなって首を振った。心の中で(リアルカオナシ.....)って思った。喋んなかったし。それを話すとね、みんな首振る勇気があるのはすごいよと言う。恐怖で足だけじゃなくて手が震えたのは久しぶりだった。今日も少し恐ろしい夢をみたんだよ。わたしは学生で、教室のドア付近には揺れを瞬時に察知出来るようにビー玉で作られた暖簾がかかっていた。その学校、めっちゃビルなの。高層ビル。わたしのいる教室は最上階。それで案の定、巨大地震が起きた。起承転結の転。ミシミシって音がどこからか聞こえてそのままビルはバキッて音を立ててわたしは空へ投げ出されたの。(いや、それ、ビー玉の暖簾の意味....)って思った。ジェットコースター並みに怖かったよ。余韻にしばらく浸った。あと、恥ずかしい思いもたくさんした。渋谷駅で切符入れるところに間違えてSuica入れちゃったり、‪駅で食べていたチョコバナナが串から落ちそうになって、床には落とすまい!と思った結果スマホのスクリーンの上で潰したり、教科書販売で並んでいたらプリクラをポケットから落としてしまって後ろにいた男子にガン見&苦笑いされて返されたり、池袋の歩道上の通風口のとこを歩いた瞬間、いつかのマリリンモンローみたいにスカートがふわって捲れたりした。‬どれも恥ずかしいけれどどれも人を笑顔にできたのでわたしの勝ちです。でもね、ずっとね、さっき並べたものとは比べ物にならないほどの悪いことをしてしまったという醜い過去がわたしの幸せにまとわりついてくる。それがずっと苦しかったけど、最近とある人と「人に言えない過去」を交換した。男でも女でも家族でも友人でも恋仲でもない、風とか海とか空みたいな人だよ。ふたりで墓場まで持っていこうとした過去を教えあった。深夜零時を過ぎていた頃。その人の「人に言えない過去」はわたしと似ていて少し安心した。「がっかりしないよ」と言ってくれた、それこそが祈りだ。記憶と記憶の狭間に暗い過去を埋葬しよう。両手を合わせて感謝して、手を振らずにバイバイするのだ。てかもう、したのだ。もう苦しくない。かしわの最後の日という曲の「過去は過去 そして今は今 そう思える自分ならいいのにな」って歌詞があって、それに救われた。そう思ってもいいんだって泣きそうになった。あとamazarashiも「最低な日々が 最悪な夢が 始まりだったと思えば 随分遠くだ」と歌っている。辛いとき、音楽に救われてきたし、これからも救われ続けるだろうなと思う。最近は従兄弟とその家族が日本にやってきて、母がたくさん悩んでいる。やっと自分の子どもたちが大きくなったのに、とため息を零していた。従兄弟たち、三〜五歳とこれからが肝心な年齢で、学校のことやこれからの日本での生活やお金の問題などでよく親同士が話し合っている。そもそもわたしは日本に来た理由ですら知らないし、少し早口気味の討論を聞いていると何だか不安なってきて落ち着かないので、一人、部屋で音量を上げてイヤホンから音楽を垂れ流す。激しいロックも聴くけど、最近は世界末日に流れていそうな壮大な音楽を聴いている。matryoshkaのpseudepigrapha ってアルバムがとても好き。その中でも、Gentle AfternoonとSacred Play Secret Place この二曲が最高にすき。人生ってすごいよね。出会うべきものと最高のタイミングで出会える。それが尊くてたまに恐ろしくて限りなく優しい。美しいものには恐ろしさが必ず潜んでいると聞いた。本当にそうだと思う。美しいけどときに恐ろしく豹変する海みたい。じゃない?そう思うの私だけ?そうそう、海といえばね、最近同級生がみんな海へ行くようになった。みんな、出かける際にカメラを持ち歩くようになって、みんな、バンド曲を聴くようになった。友達がどんどん自分に似てきているのを心の隅っこにうっすら感じている。少しだけ心細い。嫉妬かな。わたしの好きなものを好きになってほしくない。嫉妬だ。認めよう。でもね、どんなに友達がすごい子だろうが、わたしはわたしのことをいちばんすきだし、自分の写真や文章がいちばん綺麗だと思うんだ。そう思って止まない。たまにすごすぎて笑えてきちゃうほど。自惚れているわけじゃないけど、わたしは陽が落ちてもカメラを鞄にしまわずに構え続けるし、曇天でも海に行くし、有料の音楽アプリで曲を聴くし、幸せなときも文章を書き続けるよ。追いつけるもんなら追いついてみろってノリでわたしは走り続ける。高いカメラなんて持っていないから高クオリティな写真は撮れないかもしれない。本をたくさん読んできたわけじゃないから語彙力を感じさせる文章は書けないかもしれない。お金をまだ稼ぐことが出来ないからブランド品は買えない。遠いところへ一人で旅行にも行けない。だけど今あるものをわたしはいつだって慈しみたい。大事に扱いたい。愛してあげたい。それが出来ればどんなガラクタだって途端に唯一の芸術となるだろうし、素晴らしい作品になると信じたい。これ書いてて好きだった人にもらったお菓子の小包みを母に捨てられたことにゲキ切れした日のことを思い出した。母は机の上にあったゴミを捨てただけなのだろうけど、わたしにとってはそれは宝物に等しかった。意味や価値はいつだって自分が見出すものなのだと、そう思う。っていうかこんな長ったらしいの、いるかは分からないけれど、読んでくれてありがとう。まだ終わらないけど、ありがとう。わたしは最近幸せです。いろんな友達といろいろなところへ行った。上野のアメ横。秋葉原のビックカメラ。代官山のカフェ。鎌倉の小町通り。横浜の遊園地。江ノ島の海。池袋のゲームセンター。渋谷のロフト。原宿の東郷神社。友達の家。いろいろな話をできる友達がたくさんいることに改めて気付いたし、自分はこんなにも愛されているのだと感じるたび、嬉しくて走りたくなるほど全身がうずうずした。お金は底をついたけど、美味しいものをたくさん食べた。詩を贈った。手紙を書いた。写真を撮った。おすすめの音楽を教えた。これでわたしのはおしまい。今度はあなたの番だよ。あなたが最近幸せだと思ったことはどんなこと?あなたが美しいと思うのはどんなもの?昔のことでも、想像の中のことでも、最近のことでも、聞かせて。
無題
上野で車に轢かれた鳩の死骸をみた。車窓に映る風の如く過ぎ去ってゆく光景はあらゆるモノの死の産物なのだと、いつか君が話していたのを思い出した。それに感化され涙を目に浮かべるわたしもまた、いずれ消えてしまう。雲ひとつない晴れた日に駅の出口で名前も顔も知らない人を待ちながら、点滅する青信号に早まる人々の足取りを目で追う。断ち切れた水道管の真横でカラスがゴミを漁っていた。彼も彼女もこの街ですらいつか朽ちてゆくのに、世界はなぜこうも美しく出来すぎているのだろうかとよく考える。降ってくる雨粒の鋭さに刺され出血することもなければ、太陽の光によって皮膚が火傷することもない。風の強さで眼球が吹き飛ぶこともなければ、鳥の鳴き声で鼓膜が破れることもない。そのやさしさがたまに鬱陶しくて鬱陶しくて、真夜中に布団に包まってひっきりなしに泣く。ああ、やってらんないなあと思いながら、チョコレートパフェを注文する。向かい席に座った顔見知りになって間もない女が煙草を嗜む、その姿に恋心にも似たときめきを覚えた。文豪たちが綴ったうつくしい言葉が無数に散らばる図書館で、わたしは彼女と自分たちで編み出したくだらない戯れ言に花まるをつけた。いつか、という言葉が好きだ。いつか大丈夫になる。いつか幸せになる。いつか報われる。いつかわたしにも大切な人が出来る。いつか大人になる。いつか死ぬ。その果てに見える景色があらゆるモノの死の産物だとしたら、わたしは毎日それらを瞼の裏に葬り、目を閉じて祈る。人生にリタイヤもバッドエンドもエンドロールもない。それよりも踊ってばかりの国のサイクリングロードを聴きながら、ドライブしようよ。
無題
もしかすると神社の鳥居を紅く染めたのは新品に取り替えられた空を飛ぶ青い羽根の鳥かもしれないし、もしかすると神様はお辞儀をしながら下をくぐり抜けてほしいんじゃなくて上に登って手を差し伸べてほしいのかもしれないし、もしかすると元旦やクリスマスで掻き消された平凡な日々の幸せは振り返ってほしいんじゃなくて本当はちやほや愛されたかったのかもしれないし、もしかすると未だに粘り強く色褪せないまま生きている草花は白い雪に片想いをしてて会えるのを心待ちにしているのかもしれないし、もしかするとわたしのきみに対する苛立ちは信頼の根っこの部分にしか過ぎないのかもしれないし、なんにも知らないふりをして新しい世界を描いていきたい、なんてことを思いました年末年始です。
無題
海を走った。言葉が出ないほどに海も空も青いのに、その境界線だけはなぜか指でなぞることが出来なくて無性に寂しくなった。前方から吹いてくる風は夏のそれみたいに爽やかでひんやりと冷たくて、それに名も知らぬ少年の茶色がかった髪がさらさらと靡いているのを見てわたしは報われなかった夢を今になって思い出した。不器用なので、たまに言葉も音楽も捨ててやりたくなる。言葉さえなければ傷付くこともなかったし、音楽さえなければもっとちゃんと世界を見てあげれたかもしれない。大事なものだけ手元に置いていたいのに、気が付いたらどこもかしこも見渡せばいらないものばかりになっていた。なので、いらないものを掻き集めてひとつの巨大な兵器にでもしてやる。それを含んでこそ今のわたしだと自信満々に言いたい。
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ryotarox · 1 year
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生成系人工知能(生成AI)についての学長からのメッセージ | 武蔵野美術大学
自分の目で確かめる
現状を知る
概念的理解や法整備について考える
危険な側面を考える
大学での利用について
大学での利用について 美術大学で学ぶ「美術」や「デザイン」という分野は世の中に新しいものや考え方を提示していくという立場にあります。そして生成AIも新しいものであり、これは上述したように、単純にいい側面と、これから考えなくてはいけない側面があり、これらのことを十分に考慮しながら、この生成AIを活用した新しい美術やデザインを考え、世の中に提案していくことは美術大学としてとても意義があると考えます。すなわち研究・制作対象として、生成AIを扱うことは積極的に行うべきだと考えます。 ただし、レポートや論文などの作成において、生成AIの回答をそのままコピーペーストして提出することは禁止します。これはこれまでの「ウェブ検索をして出てきたWikipediaの内容をコピペした」や「先輩や友人のレポートを丸写しした」と同じことです。ここは大学であり、みなさんは学びを得るために学校に来ています。単純にコピーペーストしたものをそのまま提出するだけでは学びは起きません。 ただし、これは生成AIをレポートや論文作成に一切使ってはいけないという意味ではありません。図書館で調べたり、ウェブ検索エンジンを活用したりなどと同様に学びのきっかけとしての活用は意味があると思います。その場合は引用という形式でレポートや論文に明記してください。 また、生成AIの回答をそのまま「自分の作品(自作)」として提出することも禁止します。これは、前述したような著作権の意識の問題もありますが、なによりも「自分では何も考えずにたまたま手に入った作品を自作として提出する」ことに学びはありません。あくまで「学び」を中心に据えて制作・研究を心がけてください。ただし、生成AIは新しい分野で、研究対象にもなり得ます。だから授業の方針で、例えば「生成AIに作品を作ってもらう」などの課題であれば、これについては上記禁止対象には含まれません。 これまでも、ウェブやSNS、Pinterestなどを有効活用して、作品の発想のヒントを得たり、レポートを書くときの参考資料にしたりして、そこを起点としたいろいろな学びが起きているでしょう。生成AIについてもまずは同じ感覚で接するようにしてください。ただし、生成AIはそれらとは性質が異なるので、だんだんと使い方も変わっていき、今の私たちが考えつかないような利用方法が生まれると思います。ただ、今の段階では、生成AIは、気軽に相談できる物知りの友人ぐらいの気持ちで接して、あくまでも学びとはなにかを自分で考えながら、調べて、考えて、自身の手と頭を使って試作や実験をして、自分の作品やレポートを作るという意識を持って制作・研究活動に励んでください。
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chikuri · 5 months
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日経新聞の特集記事の「間違い」  坂本氏は、(1)「生き残っていれば、世界と戦えた」とか、(2)問題は「資金力だ」と発言したが、全く事実は異なる。調査結果で論じたように、異常なまでの高コスト体質のエルピーダが倒産したのは必然である。「坂本社長のエルピーダ」は淘汰されたのである。資金力の問題ではない。収益率の低さが問題であり、収益を出せない技術にこそ問題があり、そこに経営のメスを入れることができなかったことが致命傷になったのだ。  日経新聞の(3)「エルピーダの破綻劇は、官民が巨額投資を伴う長期戦に耐えられなくなった構図」というのも間違っている。繰り返すが、過剰技術で過剰品質をつくり、歩留り100%を目的にする、そのエルピーダの企業体質が問題だったのだ。  東京理科大大学院教授の若林氏の(4)「DRAMの技術や最終製品の動向を、当局や金融機関が十分に捉えられていなかった」や(5)「日米貿易摩擦の記憶が残る日本」などは、全く的外れな指摘だ。もっとエルピーダの技術の実態を見て発言してもらいたい。  萩生田経産相の(6)「世界の半導体産業の潮流を見極めることができず、適切で十分な政策を講じてこなかった」という発言もどうかしている。昨年(2021年)6月1日の衆議院の意見陳述でも述べたことであるが、経産省は呆れるほど「合弁、国プロ、コンソーシアムをやり続けた」のである(図5)。そして、全部失敗した。「経産省が出てきた時点でアウト」なのである。その反省をなぜしないのか? 図5 合弁、国プロ、コンソーシアム、全部失敗した (出所:半導体シェアのデータはガートナーおよび一部筆者予測) (7)TSMCの誘致を奇貨として日本での産業基盤を強くするためには「「設備にしても開発にしても『カネ』と『ヒト』だ」という経産省の西川課長、『ヒト』を育成してからTSMCを誘致すべきではないのか? 順序があべこべだろう。そして、(8)「九州では人材育成の準備を急ぐ」というのは、あまりにも泥縄すぎるだろう。  筆者が日経新聞の特集記事を読んで、うんざりした理由が分かっていただけただろうか? 「マイクロンになってよかった」という社員たち  坂本氏、日経新聞の記者、東京理科大大学院教授の若林氏、萩生田経産相、経産省の西川課長には、EE Times Japanの記事「『Micronになってよかった』という言葉の重さ」(2019年7月8日)を、目を見開いて読んでいただきたい。そして、「Micronになってよかった」という言葉の意味をよく考えていただきたい。  筆者も、2019年に広島で国際学会があった時、旧エルピーダで現マイクロンジャパンの社員たちから、「マイクロンに買収されて本当のDRAMビジネスが理解できた」「エルピーダが倒産したのは不運だったのではなく、当然の帰結だ」「外資企業となった現在は完全な実力主義であり、実績を上げれば昇進・昇格・昇給できる」「仕事は大変だが充実しており、エルピーダ時代がいかに甘かったかが実感される」ということを聞いた(「中国は先端DRAMを製造できるか? 生殺与奪権を握る米国政府」EE Times Japan)。  このような実態を理解せずに、日本半導体産業への政策などは、一切行わないでいただきたい。それは税金の無駄遣いであり、何度も失敗の歴史を積み重ねることになるからだ。本当に、もう、うんざりなんです。
まだそんなことを言っているのか!間違いだらけの「エルピーダ破綻の原因」 あれから10年、まったく生かされていない“教訓”(7/7) | JBpress (ジェイビープレス)
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moznohayanie · 3 months
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(...) 仕事には、中毒性がある。与えられる課題と責任がはっきりしていて、何らかの報酬を手にできるから。他の社会活動に比べて達成��を得られる可能性が高く、一生懸命に働けば、よい人として周りに認めてもらえる。仕事に没頭する人が好ましいとする社会的な雰囲気も一因だろう。仕事中毒は、他の中毒(ギャンブル、アルコール、ゲーム)に比べても、寛容的に受け止められる傾向がある。「ワークライフバランス」を大切にする時代だが、仕事中毒であることを「すばらしい」「情熱的だ」と捉える人も多い。
「限界まで全力を尽くすのがベストだ」と考え、限界を超える負荷を自分にかけるのは、執着だ。燃え尽き症候群は、全力を尽くそうと執着していることに気づかずに過ごした結果ともいえる。結局、重要なのは自分の限界を知ること。自分の限界をはっきり把握するのは簡単ではない。さらに「全力を尽くすのがベスト」という考えと「執着」は、分けるのが難しいほど密接にからみあっている。このふたつを区別するためには、感受性、すなわち自分の感情を読み取る力を高めるといい。ほとんどの仕事は、規模や責任のレベル、難易度、同僚の有無や相手との相性のよし悪しなどの環境に影響を受けている。完全にひとりでできる仕事は存在しない。
だから、よい成果を出せなかったとしても、自分の意志や努力、能力をあまり責めない方がいい。満足できない結果だったとしても、罪の意識を負わないで。重要なのは、よく遊び、よく休むこと。「休息」というと、数日間まったく仕事をしない、あるいは遠くに旅に出ると考える人も多い。でも休息は、時間やお金をかける特別なことではない。隙間時間に取ればいいのだ。日常のところどころに、ストレスのプレッシャーを和らげる小さな風穴をあけるように。
仕事で全力を尽くすのに疲れた人に大切にしてほしい「たった1つのこと」
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elle-p · 3 months
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PASH! March 2024 Persona 3 Reload part pictures and transcription.
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DATA
HP : https://p3re.jp
X (旧Twitter) : @p_kouhou
©ATLUS ©SEGA All rights reserved.
STAFF : 制作=アトラス
対応機種 : Xbox Game Pass、Xbox Series X | S、Xbox One、Windows、PlayStation 5、PlayStation 4、Steam
※ Xbox Series XS、Xbox One、Windows、 SteamはDL版のみ
料金 : パッケージ通常版9,680円、パッケージ豪原版17,380円、ダウンロード通常版9,680円、ダウンロード特別版15,730円、ダウンロード豪単版12,408円(すべて税込価格)
影時間、再び
名作RPGのフルリメイク作『ペルソナ3 リロード』を特集!伊織順平役・鳥海浩輔さん、真田明彦役・緑川 光さん、スタジオディレクター・山口拓也さんのコメントと共に、本作の魅力を紐解いていく。
学園ジュブナイルの名作『ペルソナ3』が現代技術で蘇る
2006年に発売され、多くのファンを魅了した『ペルソナ3』。約18年の時を経て、オリジナル版の魅力はそのままに、現代に合わせてフルリメイクした『ペルソナ3 リロード』(以下『P3R』)が2月2日に発売された!
本作は遊びやすくシステムがブラッシュアップされたほか、登場人物を掘り下げるイベントなどが追加されている。
ここでは『P3R』の奥深い物語や、システムを紹介。新たに蘇った『ペルソナ3』の世界に触れてみよう!
↑洗練された新規オープニングや、ゲームサウンドも話題に!
日と1日の狭間にある影時間に挑め!
影時間に現れる謎の敵・シャドウの襲撃を受け、ペルソナ能力が覚醒した主人公。彼は仲間たちとシャドウを討伐しながら、謎に満ちた影時間の真実に迫っていくことになる。
出会いと別れの先で主人公を待つ運命は
Story
→↓心の強さが力になるペルソナ使いたち。彼らは満月のたびに襲来する大型シャドウとの戦いや、仲間との交流を通して成長していく。
System
学園生活を通して自分の能力を磨こう
学生である主人公は、平日は学校に通っている。放味みや休日は、買い物や自分磨きなど、自由に行動することができる。
Point 1
イベントがいっぱいの学園生活
授業を受けたり、行事に参加したり、学内でのイベントがたくさん用意されている。登場人物たちと、楽しい思い出を作ろう!
↑←主人公には、学力、魅力、勇気の専用パラメータがある。授業を受けたり、試験でいい結果を出したりすると成長。特定のパラメータが高くないと、発生しないイベントもあるようだ。
Point2
コミュで絆を育てよう
主人公は仲間たちや一部の登場人物と、絆=コミュを築くことができる。交流してコミュランクを上げることで、登場人物を深掘りする魅力的な物語が展開。さらにランクが上がると、戦闘が有利になる要素も!
新規のリンクエピソードも登場
↑オリジナル版でコミュがなかった仲間キャラには、新規のリンクエピソードを追加。彼らの知らなかった一面が明らかになる。
And More
何をするのもあなた次第
←↑本作はカレンダー形式で、1日ごとに何をするか選択可能 (一部、行動できない日もあり)。部活をするもよし、アルバイトに励むのもよし。全ての行動が主人公の成長につながっていくので、毎日の行動を充実させていこう。
ペルソナ能力を活用しシャドウを倒そう!
影時間に登場するダンジョン・タルタロスに挑むことで、シャドウを討伐し、主人公たちのバトル能力を成長させることができる。
→シャドウには弱点がある。武器やスキルで弱点をつき、戦いを有利にしよう。
シャドウの弱点をつけ
Battle
強力なテウルギア
↑必殺技・テウルギアが追加され、バトル演出がより華やかに!
しゅ じん こう
主人公
CV : 石田 彰
月光館学園高等部に2年から編入してきた転校生。昔学園がある港区に住んでいて、約10年ぶりに戻ってきた。複数のペルソナを召喚できるワイルドの能力を持ち、S.E.E.S. (特別課外活動部) のリーダーを任される。
S.E.E.S
Character
特別課外活動部の仲間たち
主人公が一緒に戦うのは、月光館学園に秘密裏に存在し、シャドウ討伐を目的とする部活動S.E.E.S.に所属する個性豊かな仲間たち!
勝気だけど仲間想いなクラスメイト
たけ ば
岳羽ゆかり
CV : 豊口めぐみ
月光館学園高等部の2年生で、主人公や順平のクラスメイト。弓道部に所属している。容姿端麗なため、学内でもファンが多い。明るくしっかり者で、個性的な仲間たちのツッコミ役になっている。父親の死、そして母親との確執から、ひとりで生きようと考えており、強気な態度を見せることも⋯。
陽気なムードメーカー
い おり じゅん ぺい
伊織順平
CV : 鳥海浩輔
影時間に迷い込んでいるところを真田に救われ、S.E.E.S.に加入する。コミュニケーション能力が高く、陽気で仲間を盛り上げるムードメーカーだが、少し調子に乗りやすいところがある。同じ学年なのにリーダーを任されて周囲からの信頼が厚い主人公に対して、ライバル意識や劣等感を抱いているよう。
ストイックなボクシング部主将
さな だ あき ひこ
真田明彦
CV : 緑川 光
月光館学園高等部3年生。無敗を誇るボクシング部の主将で、学外にも名が知れ渡っている。過去のある事情から強さを追い求めており、影時間でのシャドウとの戦いも、どこか楽しんでいる節がある。文武両道でストイックな性格の持ち主だが、頑固で��通が利かず、少しズレた反応を見せることも多い。
生徒会長を務める大企業の社長令嬢
きり じょう み つる
桐条美鶴
CV : 田中理恵
月光館学園高等部3年生で、生徒会長。S.E.E.S.を立ち上げ、自身も部長としてメンバーをまとめている。世界有数の大企業である桐条グループの社長令嬢だが、影時間には彼女の家が深く関わっているようで⋯。品行方正な優等生だが、世間知らずな面もあり、浮世離れした言動で周囲を驚かせる。
分析能力に優れたナビゲーター
やま ぎし ふう か
山岸風花
CV : 能登麻美子
月光館学園高等部2年生。穏やかで控えめだが、芯はしっかりしている。ある出来事で影時間に閉じ込められ、主人公たちに救出された。そこでペルソナ能力が覚醒し、S.E.E.S.の一員に加わる。情報収集や分析が得意で、サポート能力に優れた専用ぺルソナ・ルキアの力を使い、ナビ役として仲間を支える。
人懐っこい忠犬
コロマル CV : 高橋伸也
寮の近くにある長鳴神社の神主の愛犬で、主人を亡くしたあとも、大切な場所を守り続けていた忠犬。ある事件がきっかけでぺルソナ能力に目覚め、主人公たちに保護され、一緒に寮で生活することになった。賢く、人懐っこい性格で、自身の気持ちを翻訳してくれるアイギスと、天田とは特に仲良し。
心を持った対シャドウ特別兵器
アイギス
CV : 坂本真綾
心を持った人型兵器として生み出され、ペルソナを召喚することができる。なぜか初対面から主人公に対して強い執着を見せるが、理由は不明。仲間に加わったあとは、月光館学園に通い、主人公たちのクラスメイトになる。機械らしく実直な言動が多いが、仲間と過ごすなかで、人間らしい感情が芽生えていく。
背伸びをして大人びた振る舞いをする小学生
あま だ けん
天田 乾 CV : 緒方恵美
月光館学園初等科5年生。事故で母親を亡くしており、主人公たちが暮らす巌戸台分寮に身を寄せることになる。あるきっかけでペルソナ能力に目覚め、幼いながらも、自らの意志でS.E.E.S.に加わることを決めた。とても礼儀正しく大人びているが、特撮ヒーローが好きなど、まだまだ子供らしい面も。
S.E.E.S.の創設メンバーのひとり
あら がき しん じ ろう
荒垣真次郎
CV : 中井和哉
月光館学園高等部3年生だが、現在は休学中。美鶴、真田と共にS.E.E.S.を創設したが、2年前のある事件が原因で現在は活動に参加していない。真田とは同じ施設で育った幼馴染みで、お互いに気にかけている。無口でぶっきらぼうだが根は優しく、料理が得意。また、コロマルを密かに可愛がっている。
順平は誰よりも人間臭くてとてもいい男
今作で初めて『ペルソナ3』に触れる方もいらっしゃると思います。改めて『ペルソナ3』という作品に、ご自身が感じられている魅力をお聞かせください。
独特の世界観、硬軟織り交ぜた見応えのあるストーリー、魅力的なキャラクター等あげたらキリがないですが⋯。新しい・古いではなく、ゲームとして楽しめるところが魅力ではないでしょうか。
ご自身が演じられている伊織順平の魅力や好きなところをお聞かせください。
順平はバカでお調子者でみっともなかったりだらしなかったりするのですが、誰よりも人間臭くて、成長して、決してスーパーマンではないけれど、とてもいい男だと思います⋯褒めすぎかな (笑)。
登場キャラクターの中で好きなキャラや思い入れのあるキャラがいれば教えてください。
Cast Comment 1
伊織順平役
鳥海浩輔
新しい・古いではなく、ゲームとして楽しめるところが魅力
とりうみ・こうすけ
アーツビジョン所属。主な出演作 : 『うたの☆プリンスさまっ♪』愛島セシル役、『キングダム』尾平役 ほか
順平もゆかりっちも⋯てか、出てくるキャラクターみんな良いのですよ。とても魅力的なキャラクター揃いだと思います。まぁでも、手前味噌ですが順平が1番好きです。あとチドリも。
影時間 (1日と1日の間にある、普通の人には認識できない時間) にどんなことをしてみたいですか?
影時間は経験しなくていいです (笑)。
作中のお気に入りのペルソナを教えてください。
ヘルメスかっこいい。ジャックフロストかわいい。ケルベロスかっこいい。
月光館学園の生徒になったとしたら、どんなふうに過ごしてみたいですか?
やはり真田先輩と牛丼を⋯。
最後に読者にメッセージをお願いいたします。
とても楽しく、個人的にも思い入れのある作品です。是非多くの方に楽しんでいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
自分は。ペルソナ能力には目覚めなくていいです(苦笑)
今作で初めて『ヘルソナ3』に触れる方もいらっしゃると思います。改めて『ペルソナ3』という作品の印象をお聞かせください。
自分が初めて遊んだ『ペルソナ』シリーズです。自分はちょっと怖いものが苦手で、このタイトルもそういう雰囲気なんだろうなぁ。遊びたいけど大丈夫かなぁ。なんてビクビクしながらプレイしたのですが、めちゃめちゃスタイリッシュだわ、音楽はお洒落だわで、ものすごくハマりましたねえ。
ご自身が演じられている真田明彦の魅力や好きなところをお聞かせください。
結構ハードな過去を背負っている割には、あまりそれを見せないところかなぁ。
登場キャラクターの中で好きなキャラや思い入れのあるキャラがいれば教えてください。
う~ん。やっぱり荒垣 (真次郎) ですねぇ。
Cast Comment 2
真田明彦役
緑川 光
スタイリッシュで、音楽はお洒落だわで、ものすごくハマりました
みどりかわ・ひかる
青二プロダクション所属。主な出演作 : 『うたの☆プリンスさまっ♪』鳳瑛一役、『あんさんぶるスターズ!!』 天祥院英智役 ほか
影時間 (1日と1日の間にある、普通の人には認護できない時間) にどんなことをしてみたいですか?
色んな所に行って、普段と違うところを堪能したいです (笑)。
もしご自身がぺルソナ能力に目覚めたら、どんなぺルソナだと思いますか?
目覚めちゃうと、あの銃のパーン!ってやつしなきゃダメ???だったら、怖いので、目覚めなくていいです (苦笑)。
月光館学園の生徒になったとしたら、どんなふうに過ごしてみたいですか?
学生時代が、それはそれは昔過ぎてキラッキラ輝いているので (笑)、普通に友達とわちゃわちゃ遊びたいですね。普通が1番です (苦笑)。
最後に読者にメッセージをお願いいたします。
以前のものも面白かったですが、さらに面白くする自信があるからフルリメイクしたんだと思っているので、未プレイの方だけでなく、ブレイ済みの方たちも、是非、再びお手に取っていただけると幸いです。
Staff Comment
アトラス ペルソナスタジオ ディレクター
山口拓也
今のペルソナスタジオが魂を込めてお届けします
議論を重ねて丁寧に作っていく
『ペルソナ3 リロード』はどのような流れでフルリメイクが決定したのでしょうか?
『P3』のリメイク自体は元々ユーザーからの要望も多く、毎年アトラスが行っているユーザーアンケートでもリメイクしてほしいタイトルとして常に上位に上がるほどでした。ぺルソナスタジオとしてもユーザーの要望にお応えしたい気持ちはあったのですが、今までスケジュールや人員などの色々な都合で作れていなかったところに、丁度様々な都合がかみ合うタイミングが来まして、「今だ!」という感じで企画が動き始めました。
『ペルソナ3』という作品の魅力はどんなところにあるとお考えですか?
シナリオ、世界観、キャラクターなど様々な魅力があると思いますが、テーマに【死】を掲げているからこその、決して良いことばかりではない、人生の暗い部分にもフォーカスして繰り広げられる群像劇。それを通じて、自分自身はどう生きるべきなのか、限られた時をどう過ごすべきなのか、ついそんなことを考えてしまいながらプレイしてしまって、気が付くとどんどんあの世界に引き込まれていきます。そういった部分が『ペルソナ3』の魅力かと思います。
オリジナル版の発売から約18年後の今、リメイクするにあたって苦労された部分はありますか?
やはり何を変えるか、何を変えないかの取捨選択は非常に苦労しました。オリジナル版は今の『ペルソナ』のターニングポイントとなった伝説的なタイトルで当時のユーザーの方たちも思い入れが強いと思いますので、そういったすでに『ペルソナ3』をご存知の方とこれから新しく遊ばれる方の両方に最大限、現代の『ペルソナ3』として楽しんでもらうための取捨選択が一番苦労しました。関わったスタッフの中には過去の『ペルソナ3』タイトルをユーザーとして遊んだスタッフも多かったので、そういったスタッフとも一つひとつ議論を重ねて丁寧に作っていきました。
『ペルソナ3 リロード』ならではのアピールポイントもぜひ教えてください。
本作には様々な魅力がありますが、まずは何と言っても全面的に刷新されたグラフィックでしょうか。フィールドやキャラクターは等身大のスケールで作られ、UIも全て新規に作り直されています。特に3Dのキャラクターモデルはとても魅力的に作られていますので、大きな画面でじっくり見ていただきたいです。あと個人的にはコロマルの可愛さがもうたまらないので、仲間になった後は是非パーティに入れて、探索に連れて行ってみてください (笑)。
UIまわりや音楽のお洒落さも話題になっています。デザイン面やサウンド面でこだわられたポイントを教えてください。
デザインやサウンド両方に共通することですが、オリジナル版を遊んでいた方にも改めて楽しんでいただけるように、オリジナル版のイメージやニュアンスを汲み取りつつも新鮮さも感じていただけるようパワーアップさせることを意識しました。例えばリーですと、単純に見た目がカッコいいだけでなくこれまでのシリーズを通して培ってきたユーザビリティを損なわないように、遊びやすさや操作の快適さにもこだわって作っています。あと、サウンドでは今作では新曲もいくつか増やしているのですが、あまり曲自体を軸にしすぎると、懐かしさといいますか『P3』らしさみたいなものが損なわれる気がしたので、今作全体の演出や表現、ゲームプレイでパワーアップしたところや変化したところを考えてオリジナルを補完するような意識で追加しました。
キャラクターたちのイベントや寮生活も充実していますが、どのような経緯で追加されたのでしょうか?
『ペルソナ3』は主要なキャラクターたちが同じ寮に住んで暮らしているのですが、今まではあまりそのシチュエーションを活かした描写が少なかったなと思ったのがきっかけです。そこからスタッフと実際に同じ学校の同級生や先輩後輩と寮に住んでいたらどんな事をしたいかとかを話し合って、一緒にテスト勉強がしたいとかDVDが観たいなどいろいろな意見を踏まえて今の形となりました。
主人公たちと敵対する「ストレガ」のエピソードも追加されていますが、注目してほしいポイントはありますか?
今まであまり描かれていなかった、ストレガの各々が影時間やペルソナ能力に拘る理由の一端が垣間思えるかと思いますので、そういった点に注目していただけたら幸いです。また主人公とタカヤが対話する場面も増えており、この追加エピソードを通じ二人の関係も少し深くなっていく部分もありますので、そういった部分も注目ポイントかと思います。
豪華声優陣も注目されていますが、ボイス収録の際に印象に残っているエピソードなどがあればぜひお教えください。
『ペルソナ3』は割とシリアスな場面が多めのストーリーではあるのですが、そういった場面での鬼気迫る演技は、本当に収録に立ち会いながらスタジオで思わず目頭が熱くなるような凄まじい演技をしてくださり、改めて声優さんの凄さといいますか魂を吹き込むというのは比喩でもなんでもなく本当に吹き込んでいるのだなと感じたことが印象に残っていますね。これは本当に是非ゲームをプレイして体感していただきたいです。勿論何気ない日常の一コマもとても楽しく活き活きとした等身大の彼らが見られますので、そういった部分も存分に楽しんでいただければと思います。あとは、新たにキャスティングさせていただいたコミュキャラクターの声優さん方も本当に錚々たる方々に演じていただけたのはありがたかったです。勿論どのキャラクターも魅力を十二分に引き出していただきましたので、そのあたりも注目していただければと思います。
今作で初めてゲームをプレイされる方もいらっしゃると思います。プレイのコツやアドバイスなどがあれば教えてください。
『ペルソナ3 リロード』はカレンダーシステムという何か行動するたびにゲーム内の日付が進むシステムを採用していまして、ゲーム内で日々を無為に過ごし続けると月日がどんどん経過していき、気が付くと何も準備ができていないまま強敵と対峙する⋯なんてこともあります。なので、勉強やアルバイトなどの自分磨きや仲間や友人との交流は勿論、ダンジョン探索やぺルソナの合体等、様々な要素をまんべんなく進めていただいて、忙しくも充実した日々を送っていただくのがプレイするコツかなと思います。あとは難易度設定も用意してあり、ゲーム中にいつでも変更可能ですので、バトルが難しいと感じた方は遊びやすい難易度を選んでいただけたらなと思います。一番優しい難易度では絶対にクリアできるようになっていますので、ストーリーは気になるけどゲームは苦手という方も安心して遊んでいただけると思います。
最後に読者へメッセージをお願いいたします。
今の『ペルソナ』シリーズのターニングポイントにもなった『ペルソナ3』が装いも新たにフルリメイクされて『ぺルソナ3 リロード』として発売中です!“『ぺルソナ3』のリメイク”となっていますが他の『ペルソナ』タイトルを遊んでいなくても、オリジナル版を遊んでなくても全く問題なく楽しめる内容となっています。今のペルソナスタジオが魂込めてお届けする『ペルソナ3 リロード』。少しでも気になったらお手に取っていただけますと幸いです。
Keyword 1
『ペルソナ』シリーズとは
『ペルソナ』は、不思議なペルソナ能力に目覚めた少年少女たちの物語を描く、アトラスの大人気RPGシリーズ。各作品でストーリーは独立しているが、ペルソナを生み出すベルベットルームの存在など、世界観は共通している。『P3』はグラフィックやシステムなどを刷新し、新たな『ペルソナ』像をファンに打ち出した記念すべき作品だ。
↑ベルベットルームの主・イゴールは、シリーズに欠かせないおなじみの人物。
Keyword 2
スタイリッシュなUI
UI (プレイヤーが触れるメニュ―などのシステム) やキャラクターの2Dイラストがブラッシュアップされ、美しくより遊びやすいものになっているのも本作の特徴だ。
→バトルのメニューも操作性アップ!
Keyword 3
仲間たちとの寮生活
S.E.E.S.のメンバーは、全員同じ寮で生活している。本作では寮内で一緒に料理をしたり、試験勉強をしたり、仲間たちと一緒に過ごせる要素がたっぷり追加された!
↑一緒に過ごす時間が増え、仲間たちとの距離がオリジナル版より近い印象に!
Keyword 4
敵対する存在 “ストレガ”
影時間を利用して、他人の復讐の代行をするグループ“ストレガ”。彼らもペルソナ能力を持っており、影時間に対する考え方の違いから、主人公たちと対立する。彼らのイベントが追加され、想いや目的が明らかに。
↑ “ストレガ”が影時間やペルソナ能力に執着する理由とは⋯?
タカヤ
CV : 神奈延年
“ストレガ”のリーダー。独特な風貌と言動の持ち主だが、高いカリスマ性から、心酔する者も多い。影時間を特別な領域と考えており、影時間を消すために活動しているS.E.E.S.の前に、何度も立ちふさがることになる。
ジン
CV : 小野坂昌也
関西弁を話す少年で、戦闘では特製の手榴弾を使用する。頭脳明晰で、情報収集を得意とし、復讐代行サイトの運営を担当。過去の出来事からタカヤのことを強く信奉しており、彼につき従って行動している。
チドリ
CV : 沢城みゆき
絵を描くことを好む、白いドレスが印象的な少女。あまり感情を表に出すことがなく、他者に対して関心がない。ひょんなことから順平と出会い、交流するように。そのなかで、彼女の心に大きな変化が生まれていく。
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europiumoon · 2 months
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インランド・エンパイア
学部時代私は建築学生だった。学部2年の時の建築演習の時間に映画を観ることになっていた。「かの有名なデヴィッドリンチだぞ」と1人で興奮している教授を差し置いて映像に見入る。課題は登場人物のための家を考えることであった。私は天邪鬼な性分なため、主人公であるニッキーに家は作らず誰も選ばないであろう終盤に出てくる売春婦のために家を設計した。部屋の中央に螺旋階段を置き船のような家。楕円で3階建てで2階が売春婦の部屋、3階は飼っている猿のための部屋だったと思う。奇天烈なことが好きな教授であったから、最終日の発表者を選ぶ際にやはり私が選ばれて、薄暗くプロジェクターの光が差し込む中私は売春婦について語った。飼い慣らしていない猿の糞が辺りにまみれた汚い部屋。汚さもなにもかも気にしないようにと部屋は辺り一面漆黒に作り上げた。セックスとか娼婦とか薬中発言するたび異性から失笑がいくらか漏れていたのはわかっていたが、彼女を救いたい、新しい船出になるような家をつくってあげたかったことを言葉に乗せた気がする。なんやかんやでその時の授業の成績はSで、「あんなものでも評価してくれるのだな」と半信半疑であった。この課題とデザインはたまに思い出す。上映時間は180分もあって設計中はレンタルショップで借りて何度も何度も観返した。私の栄光の一部。この授業きっかけに私のことを好きになってくれた同性が居てくれたことは嬉しかった。
もし同じ課題を出された時は、誰のために家をつくりますか。
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当時の思いと設計があったので残します。
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ari0921 · 14 days
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)5月26日(日曜日)
    通巻第8266号
 パラノイア指導部の幻覚症状は狂気を帯びてきた
  習近平の『中華民族共同体概論』なるものをどう読むべきか
*************************
シン文化大革命の本格化なのか?
『中華民族共同体概論』なるものが発表された。毛沢東が提唱した階級革命ではなく、むしろ漢民族の文化的、人種的ナショナリズムを基軸とする、幻覚症状が顕著なのである。
中国共産党の少数民族政策に対する新たなアプローチは、少数民族が政治的、文化的自治権を行使し「自らの家の主人」となることを認めた過去の約束を頭から否定した。
新しい概論は中国の過去と未来に漢民族中心の物語に変色され、チベット人、ウイグル人、モンゴル人、その他の先住民族の「主権」と「祖国」は消去され、漢民族の植民地主義と人種形成の目的論に置き換えられた。時代錯誤も甚だしいと言える。
習近平がとなえる「中華民族」とかの抽象的概念は「統一された多民族国家」を統治するための新しい正統性を明確に表現している。『中華民族共同体概論』が提示す考え方は、民族統治に対する従来のアプローチ、「共産主義的多文化主義」というパラダイムから漢民族中心の文化的および人種的ナショナリズムへの根本的な後退を表している。
2018年に改正された中華人民共和国憲法は、1億2500万人と公認されている「少数民族」に対し、10億人を超える漢民族との平等を引き続き約束している。それぞれの故郷において、憲法はこれらの少数民族が「自治権を行使」できるよう「地域自治」を約束している。「独自の言語」『独自の文化』の権利も含まれるのである。この憲法を土台から無視しているのは、さすがに無法国家である。
『中華民族共同体概論』は、少数民族に漢民族の規範への服従と、言語、文化、アイデンティティの緩やかな消去を要求しており、中華人民共和国の少数民族を新たな漢帝国の植民地の「臣民」と定義した。
▼多様な意見はもはや少数民族自治区公共の場では存在しない
新たな正統派思想、「習近平の国家建設事業の強化と改善に関する重要思想」と呼ばれているものは、少数民族や漢民族の当局者から反対されてきた筈だった。
近年の典型がウイグル族への撤退的な弾圧だった。党国家官僚機構の再編、新疆ウイグル自治区やその他の辺境地域での暴力的な取り締まり、そして「民族問題」を担当する少数民族当局者の粛清がつづき、多様な意見はもはや公共の場では存在しない。
チベットのパンチェンラマは23年間、行方不明である。習近平主席が自ら宣言した「新時代」が到来した。
1991年のソ連崩壊後、民族分離主義の危険性と伝統的な中華文化の復興が緊急に必要であるとの強迫観念に取り憑かれた中国共産党は、「第二世代の民族政策」を提唱した。
政権の安定に「深刻な課題をもたらす根深い問題」とは、海外から煽られたテロ、過激主義、分離主義の三つの「悪の勢力」だけでなく、国内の「イデオロギーの誤解」や「誤った見解」も含まれる、とする。
「一部の地域では、少数民族文化の特殊性を誇張して「後進的で奇妙な風習や習慣」を促進している一方で、「一部の人々」は「意図的に少数民族のアイデンティティを強調し、中華民族のアイデンティティを薄め、意識的または無意識的に中華民族の共通性を無視している」と報告された。
『中華民族共同体概論』はこれまでの少数民族優遇政策を批判している。
過去の称す民族への政策は「当初の意図から逸脱し、民族的差異を固定化し、狭い民族意識を助長し、誤った『少数民族例外主義』論を生み出した」とし、ウイグル族、チベット族、モンゴル族が自らの歴史を歪曲し、「文化的多様性の保護を利用して後進的な生活様式や固定観念に固執する」ようになったなどとした。
同概論では中国の歴史に関する13の「講義」を中心としている。
また、習近平政権下での国家建設活動の新たな指導政策策定の意味、重要性、影響を解説している。
驚き桃の木は「中華民族は、約200万年前に、中国特有のヒト��のグループとともに出現した。その後、周囲の民族をその優れた華夏・漢民族の中核に引き込み、吸収することで有機的に成長し、途切れることなく分裂することなく、その規模と地理的分布を拡大した」そうな。
ホモサピエンスは235000年前、北京原人の人骨が再発見されたとしても、中国の最古のものは50万年前の類人猿である。北京市房山区周口店で北京原人の化石が見つかったのは1929年12月2日だが、その後、頭骸骨は行方不明である。
 
しかも「中華文明の寛容、平和、開放性」が自然な成長をもたらしたなどと吠え、文明の衝突、植民地主義、略奪、弱肉強食を克服した中国は、帝国と国民国家の両方の上部構造を超越する「人類文明の新しいパターン」を開拓したとなどと事大主義的な幻想を唱えている。妄想に近いのではないか。
なにしろ「すべての民族が中華民族とその国民国家に「同一視し忠誠を誓う必要性」を持つために国民を「導く」積極的な役割を果たさなければならない」とし、「中華民族は絶対に『想像上の共同体』ではなく、むしろ5000年以上の中国文明の伝統が染み込んだ巨大国家共同体である」とパラノイア症状は重症になる。
たしかに殷王朝から秦始皇帝、漢帝国と中国では易姓革命が継続されたが、秦も隋も唐も鮮卑系であり、元はモンゴルであり、清朝は満州族だった。漢族の王朝は漢と明と宋でしかないが、この歴史実態は「中華民族共同体」でひとくくりにするわけだ。
『中華民族共同体概論』では中国文明は約5000年前に共通の政治共同体を生み出した「血縁の基盤」の上に築かれたと主張している。
第一の特徴は「血」という用語が夥しく使用され、中国の歴史全体を通じて、民族間の結婚、文化の融合、地域間の移住、「絡み合った血統」について頻繁に言及している。
習近平は漢民族と少数民族の関係を説明する際に「大家庭」の比喩を頻繁に用いている。中華人民共和国建国の際に毛沢東が同じ比喩を用いたとき、「中華民族の家族の血縁関係」を明らかにしようとした。つまり、「あなたは私の中におり、私はあなたの中におり、誰も他の人から切り離すことはできない」というわけである。
第二に、各民族の意識と中華民族の共通意識との関係である。両者は「手を取り合って」はいるものの、同等ではない。むしろ、中華民族全体の利益が第一であり、各民族の意識は「中華民族共同体の意識に従属し、奉仕すべきである」とする。
第三に、中華文化と各民族文化の関係である。「中華文化は背骨であり、各民族文化は枝葉である。根が深く幹が強くてこそ枝葉が栄える」
第四に、物質と精神の関係がある。「経済と社会の発展は、自然に国家の統一をもたらすものではない」とし、党の指導者は「魂のエンジニア」でなければならない。積極的に中国国民全員の思考、隠語、行動、身体を形成しなければならないが、少数民族は後進的と見なされているため、特別な配慮が必要である。
冒頭にのべたように、現在の中国では毛沢東を尊敬するパラノイア指導部によって、新たな文化革命が本格化している。漢民族の文化的、人種的ナショナリズムの波である。過去の約束、政策、歴史を歪曲することで、漢民族中心主義の神話を再構築しようとしていることになる。つまり、中国共産党王朝にただ一人の主人がいる。
それが漢民族基軸のシン帝国、習近平皇帝ということである。
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lllusioninthehead · 3 months
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2024/3/5
いま、思えばなぜ紹介してくれた女の子は話してくれたのだろうと思う。人によってはアレルギーのある話だ。その友人の女の子が凄い霊能者と会ったと興奮気味に語ったときも最初はやや眉唾であった。占いは信じない質なのだが、本当に見える人が世にいるのは知っていた。友人の中でも2人いてよく面白半分で体験談を聞いていたし、常識や科学では説明がつかないようなことも自身でも経験したことがある。まぁ、時としてこういうのって全能感に繋がったり、自分は選ばれた人間だ。なんて勘違いした輩を生むし、金持ちがお金を吸い取られる様も見てきた。1時間20分で10000円が高いのかわからない。占いにしては高いし、本当に見えるのならば安い気もする。
紹介者の女の子からは10000円以上の見返りを求められたという話はなく、客を選んでる感じもない。誰でも紹介してくれて大丈夫だと言われてるそうだ。
ならば、早速と紹介を頼むとあっさりとLINEの友達紹介が送られてきた。ここでは仮に“四季さん”としよう。◯◯から紹介されました。お会いしたいのですが可能でしょうか?と送ると数時間後に時間と金額と場所、そして日時の提案があった。
一度、四季さんの仕事の都合でリスケはあったもののすんなり会うことができた。別で仕事をしてるんだと頭に浮かんだが。まぁ、そういう人もいるかとすぐに疑問は打ち消された。
会うまで2週間程度。何を相談しようかと考えていた。当面の課題いくつもあれど、大体は方向性が決まっている。相続問題には弁護士が入った。家を建てる話には土地が決まり地盤調査が無事に終わりそうだ。奥さんの家族とそりが合わない問題も心のなかで決着を見ている。奥さんにも素直に話せているので距離感が遠くなり楽になると思う。新しい仕事を1つ考えていてこれは確かに相談したいかもしれない。あとは何と言っても拠り所のない自分のこと、知りようも無い飼っていた犬の気持ち。そして四季さんへの好奇心もある。ただ、最後のこれはどこまで聞いて良いのかわからなかった。
−−−−−−−−−
当日はひとつMTGをこなし、都心の街に出た。待ち合わせに遅れるのは苦手なので30分前に着いてしまった。まぁ、いいか。と久々に訪れた街をブラブラ歩いた。もし、すべて見れる人ならばこんな光景も見られているのかもしれない。雨がぽつりぽつりと降ってきた。終わる頃にはお昼だなとどこで食べようか検索したりしていると時間になった。
待ち合わせの喫茶店で席番号を伝えると少し年配の優しい感じの女性はすべて心得てるようで「はい、承っております」と答えた。ひとつ階をあがり、上着を脱いで席につく。「着きました、お待ちしております」とLINEでメッセージを送ると今向かっておりますとすぐに返信が来た。
浮ついた気持ちを抱えながら待っていたものの、不思議と猜疑心はなかった。友人からさんざん凄さについては語られていたのもある。
現れた四季さんは普通に少し遅れたことを謝り、特別な服装や髪型ではなく、少しおせっかいそうな雰囲気あれど、神秘性なんて何も無い話し方で、慌ただしくアイスレモンティーを頼んだ。おしぼり使ってくださいね、席は奥側でいいですよ。と気遣いできる人で身構えたこちらとしてはホッと何かひとつ肩の力が抜けた気がした。
事前に聞いた通り録音しても構わないと言われ、スマホの録音ボタンを押して、子供がお絵かきに使うような消せる小さな黒板に聞きたいことの周辺者を書いてくださいと差し出された。
差し出される際は「相続ってのが出てるんだよなぁ」や「複雑な家庭ですよね?」とすでに見透かされているような発言をされていて胸の鼓動が早まる思いだった。自分の名前、奥さんの名前、母の名前、義父の名前、義父の息子の名前、父の名前、兄の名前と書く。そして、そこに年齢を足していく。
まだ、完全に信用していたわけではないのでこちらから情報を出すことはしない。
まずはお母さんからと話す出す。お母さん相手を間違えてしまったね。ただ、そこをいまさら責めておかしいし。この人は責められるの苦手だし溜め込んでしまうんですよね。
母の写真に手をかざす。すると、母がたまに話す愚痴と同じ語り口調でつらつらと母の心境が出てくる。まるで、そこに母がいて自分には見えなくて、その通訳をしてくれてるかのよう。それくらい母が話す言葉と語尾までほぼ同じだった。
「お母さん、良く喋る人ですね?」と笑う。そして、「実の父親」という言葉が出てくるんですけどと言われた時にドキリとした。母は養子縁組を祖父としていて、祖父に育てられた。その情報は四季さんにもちろん伝えていない。
自分は違うんですけど母方は宗教にどっぷりなんです。と伝えるとずばり宗教法人の名前が出てきた。これも伝えていない。
潜在意識と会話をしているんです。と四季さんは言う。その後に話される言葉も核心をつくようなことばかりだった。
奥さんが出会えてよかったと言っている。運命の人だからここは大丈夫ですよ。と言われた時にはすっと胸の澱がいくぶん落ちた気がした。
四季さんが言うには
人は家庭でもらった愛情しか自分の子供に伝えることができない。例えば1%の愛情しか貰ってない人は2%の愛情を子供に渡すことは出来ないと言う。
なので、あなたの場合はお母さんが愛情をもらってない。そして祖母も愛情をもらってないと伝わってきてるものなんです。
少しここで胸が傷んだ。では、自分は?自分も子供が出来たとしてやはり愛情を渡せないのではないか?
疑問をぶつける間もなく話は進んでいく。
「お仕事などんなことをされてますか?」という質問から「事業拡大というのが出ているんですが」
未来を見ることができる仕組みはわからないし確かめようがないがこれから取り組もうとしている仕事について話した。
人は、誰もが使命を持ってこの世を生きていると言う。それは大きい人もいれば、小さい人もいる。その使命に気づいてほしくて自分はこの仕事をしている。と前置きをされて言われたことは自分の周りに散らばったものを集めたようなもので、とにかく困難で緻密でとても到達できないんじゃないかと思えるようなものだった。
その後は前世の話をされ、それもなぜかすっと納得いくようなもので。そして、ずっと見守ってくれる人がいることを伝えてくれた。それは父性というものを経験したことがない自分にとっては嬉しく、自分はずっと一人ではなかったのだと思った。
その見守ってくれる人の風貌を教えてもらい、母に確認すると母方の高祖父ではないかと。母には四季さんに見てもらったことを伝えていないので「なんで急にそんなこと聞くの?」となっていたがややこしいので話さない。四季さんは見守ってくれてる人は背が高く母のようにお喋りでしっかりしていて頼りがいのある感じだとのこと。高祖父は昔の人にしては珍しく身長が高かった(180センチ以上だった)と訊く。
高祖父が昔飼っていた犬と一緒にいる。ボールで遊んだり、散歩をしたりしている。と聞いて少し泣きそうになってしまった。それを知れただけでも来てよかったなと思えた。思春期の頃に飼っていた犬で可愛がっていたけど、充分にしてあげれたとは思えなかったし、ツラく当たってしまうこともあった。
気にしてない。大丈夫。もっと遊んでほしかったけどね。とそう言っていると伝えてくれた。
帰り際に「次に来るとしたら◯◯の件だと思いますよ」と予言めいたことを言われた。その前世があるからあなたは戦ってしまうところがあるのだと。
また来るのかな。まぁ、人生は悩みが尽きないしそうかもしれない。
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当然ながら1時間20分の内容をここにすべて書けるわけもない。終わったあとは驚きと納得と情報処理で頭がグルングルンしていた。
帰り道、Recorderとして使っていたせいで充電が少なくなったスマホを眺めながら、紹介者にお礼を打ち送信した。
四季さんからは誰でも紹介してもらって大丈夫です。LINEを教えてあげてください。と言われていた。悩んでる友人やこういった話にアレルギーがない人の顔が浮かんでくる。とはいえ、実際に行く人は一握りだろう。未来視を受けたくない人だっているはず。そこには凄惨な未来も少なからずあったから。奥さんもそのひとりで、未来を知るのは怖い。人の気持ちを知るのは怖いと言っていた。
なんとなくだけど、四季さんはその人が変えられることだけにフォーカスしてくれてるような気がした。2年先のことが見えない人もいるとぽつりとこぼしたし、何かに固執して柔軟に生きていけないのもそれは仕方ないことだとも言った。
自分には知らなくても良いことは伝えずに、良くなる可能性があることをたくさん話してくれた。基本的には内容はポジティブで誰にとってもこう胸が温かくなったり、何か支えや指針ができたりする話だった。
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さて、不思議な体験談は以上としよう。
あなたもきっと見てもらったらびっくりするはず。恐ろしい程に自分だけが知る自分や、自分の周りにいる人のことを当てられる。疑う余地がない。
ただ、四季さんが話した未来のことや前世のことや守護霊みたいな人のことはわからない。だって確かめようがないから。答え合わせはずっと先。いつだって人生はそうだし不満を言っても仕方ない。
この投稿を見て、これ書いた人はスピに被れたイカれた人だなと思われるのも仕方ない。人の感性はそれぞれだし。もし、あなたが何かに悩んでいたり好奇心旺盛で体験をしたい、四季さんに会いたいという人がいれば連絡をくれると良い。東京近郊、または東京に来る予定があるならば会えるはず。
知るということに臆さない、勇気のようなものがあればたぶんそれを人生の糧にできるだろう。
もちろん、自分に何も見返りはない。でも、前世でもそういうお節介な人だったようだ。そして、なにより好奇心が大きい。あなたが何を四季さんと話したのか教えてくれればそれで嬉しい。
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petapeta · 1 year
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あるハードル選手の友人が、ずっとハードルに対して勢いよく入るために遠くから踏み切って上半身を前に倒すことを意識していました。練習でもそれが一番の課題でした。大きな大会の予選の時にその選手がスタート練習を一度行った時、コーチがスタンドから「enough!」と叫びました。選手は大きく頷いてその試合では予選を一着で通過しました。コーチは「落ち着いて挑め」とか「あれだけ練習やったのだから大丈夫」とか「今日の動きは普段よりいいぞ」とかあらゆる言葉の選択肢がありますが、その中で「enough」を選びました。そして、これまでの練習過程を共にしてきた選手は、それだけであの課題としていたハードルとの距離が満足のいくところまで来たのだと理解しました。明らかにこの言葉が含む意味はこれまでの過程という文脈に依存しています。言葉が含意するものは、その文脈の中で語られない、つまり除外されたそれ以外の可能性によって決まっています。この局面でこの一点、この一言に絞ること自体が意味を持っています。選手の意識がこの言葉により心配事から解放されたわけです。大変興味深いのは「enough」という言葉だけでどうしてコーチが言わんとしたことと、おそらく同じことを選手が思い浮かべたのかということです。これは誰が読んでもできるだけ解釈の幅がないようにする言葉の扱い方とは違います。解釈なんてなんとでもできる、二人が共有する文脈の中でこそ同じものをイメージできる言葉の使い方です。仮に前者を官僚的言語とし、後者を文学的言語とします。言葉は現実の比喩です。今目の前に見えている視覚情報をそのまま言葉に置き換えるなら、視覚情報量と言語情報量が同じになるはずです。しかしテキストで送るデータと動画で送るデータの重さが違うように、明らかに言葉に置き換えると情報量が圧縮できます。その代わり不正確になります。不正確だけれど大体合っている。強調したいところは伝わっている。それが言葉です。なぜそれが可能かというと言葉は現実を比喩的に圧縮し、それが同じ文脈を共有する人には近いイメージとしてその人の中で再展開されるからです。これは奇跡的なことです。共有されている文脈の中で除外されたそれ以外の可能性が言葉の意味を決めている。そう考えると、結局言葉は「語られないことこそが重要なのではないか」と最近は考えています。そのためには言葉を選び短くする努力が必要なのではないかと今更気づいています。
言葉が含むもの|DaiTamesue為末大
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kennak · 1 month
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自民党が企業からの献金を止めない理由と、このような一般国民からみれば理不尽ともいえる自動車税の徴収及び13年割増徴収はぴったりとリンクしているという事です。このような飴と鞭をうまく使い分けて私腹を肥やしてきたのが日本で長きに渡り与党の座に居座ってきた自民党ですが、このようなやり方は日本が右肩上がりで経済大国と呼ばれていた頃はまだよかったものの、経済が右肩下がりになり円安で物価も上がり国民生活が困窮し給与も安定的に上がらない国になった今では、このような理不尽な税金徴収に不満が出るのも当然。今ではガソリン価格もリッター190円超えもある中で、一般庶民にとって車を持つことは大変な負担になってきているが、地方の過疎が進んだ地域では交通手段も無くなり正に死活問題。国はSDGsと叫んではいるものの、実状は13年で買い換えを促す環境破壊的なこのような時代錯誤的な税の徴収は速やかに見直すべきではないか。
国民ブチギレ!? なぜ「13年」で”自動車税”高くなるのか 軽自動車は20%加算も!? 「やってらんない税」「税金安くしろよ」の声上がる 理不尽な重課措置の仕組みとは(くるまのニュース)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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