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-yama-san- · 3 years
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ウズベキスタン旅行☆福岡〜タシケント
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 ウズベキスタンに行きたい。
 私がそう思ったきっかけは、図書館である本を目にしたからだ。
「世界の絶景100」と銘打たれたその写真集には、スペインの見渡す限りに広がるひまわり畑やイタリアの透明すぎてボートが浮いているように見える海など、表題に違わぬ絶景がページをめくる度に続いていた。その途中に現れたウズベキスタンの青いモスクが一番美しいと感じたからだ。
 これほど美しい写真集で最も美しいと感じる場所なら、それはもう世界一美しいに決まっている。
 すっきりとした長方形の建物一面には目の覚めるような多彩な青で細かな幾何学模様が施してあり、ドーム上になった上部はツバメの巣のように複雑な形になっていた。
 造形も美しいし模様も美しい。何より建物の青さが、とても人工物とは思えない、今までみたことのないような青だったのだ。
 白い砂漠と抜けるような青空の下、その色彩はいっそう際だっていた。
 行きたい!どうにもこうにも行きたかったが、叶うはずもなかった。
 なぜならウズベキスタンの立地はカザフスタンとアフガニスタンのちょうど真ん中。
 悪い意味で連日名を聞かぬことのないこの両国に挟まれているだなんて、紛うことなき紛争地帯だろう。
 のこのこ出かけようものなら瞬く間にイスラム国に拉致されてオレンジ色の服を着せられ、ユーチューバーデビューする未来しかない。ネットでは「死んで当然、日本の恥」のように叩かれ、家族や友人たちですら最初は悲しむものの、一年ほどすれば「安全な日本に生まれ育ってるのにわざわざ紛争地帯に旅行に行ってイスラム国に捕まり斬首されて死ぬって・・・ふふっ」と思わず笑ってしまうに違いない。なんなら葬式の時点で笑う可能性すらある。
 トルコに行けなくなったときも思ったけど、早く世界平和訪れてくれ・・・私の生きているうちに行けるんだろうか・・・。
 と思っていたのが数年前。転機は突然訪れた。
 唐突に友人二人が「ウズベキスタン行こうよ!」と提案してきたのだ。
 少し前に放送されていた世界の果てまでイッテQでイモトがウズベキスタンに行く回を観て、行きたくなったらしい。
 私もちょうど同じ番組を見ていて、再度ウズベキスタンに行きたい思いが高まっていたのだが、こんな佐賀に行くくらいの感覚でウズベキスタン行きを決めてしまっていいのだろうか。
 念のためウズベキスタンの立地をそれとなく友人達に匂わせてみたのだが、「だいじょぶっしょ!」という反応だった。
 圧倒的短慮。ありがてぇ。
 イッテQを観て本当に旅行に行きたくなり、それがイスラム圏でカザフスタンとアフガニスタンに挟まれている国だと知っても「だいじょぶっしょ!」と根拠もなく思いかまわず実行する。そんなやつ日本中探しても数えるほどしかいないだろうに、たまたまそれが私の友人だったなんて・・・しかも二人も。まさに神の配剤。神様ありがとう。
 出国したのは9月半ばのことだった。
 国土の大半が砂漠であり、夏は40度越え、冬はマイナス10度越えの過酷な気候をほこるウズベキスタンでは、温帯でぬくぬくと育ってきた私たちが快適に滞在できるような季節が非常に短い。春の4〜5月頃と秋の9〜10月頃が数少ない狙い目なのだ。
 今年になってようやくビザが不要となり知名度自体もまだまだ低いウズベキスタンは、開催されているツアーも少なく値も張るため、エクスペディアとブッキングドットコムを駆使しての個人旅行となった。
 少しばかり不安なのが今回の旅におもむく三人の英語力なのだが、「ウズベキスタンの公用語はウズベク語とロシア語で、文字はキリル文字、英語はほとんど通じないらしいよ、逆に問題ないっしょ!」という解釈で強行突破となった。おそらく英語圏の国だったら英語圏の国だったで、「英語が通じるなら何とかなる、だいじょぶっしょ!」となっていただろう。つまり全ての未来は「だいじょぶっしょ!」に収束するのだ。無敵だ。
 福岡空港から韓国の仁川空港で乗り継いだ私達は、いよいよウズベキスタンの首都、タシケント行きの飛行機へと乗り込んだ。
 仁川空港は想像よりも遙かに清潔で大きく、空港内のペッパー君的な案内ロボの後ろをつけ回した後モスバーガーを食べ、仮眠スペースでうたた寝までしたので休息はばっちりだ。
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 福岡から韓国までの一時間半程度のフライトとは違い、次のタシケントまでは八時間近いそこそこの長旅となる。
 飛行機に乗り込むと、座席は通路を挟んで右端二列中央四列左端二列の三ブロックに区切られていた。ウズベキスタンへ行く人間自体が少ないのか思いの外小さい機体だ。
 私の座席自体は右側ブロックの友人と通路を挟んで一列下がった中央ブロック右端の席だ。知らなかったがアシアナ航空の飛行機は機体の構造上か同じ8列目のように座席番号をとっても、左右のブロックの8列目と中央ブロックでは一列ずれるのだ。なんでなんだ。他の面ではとても快適なのに改善してくれ。
 長時間の飛行機なんて大半が寝ているし、列が離れていてもまぁいいか。そう思い、すでに眠そうなウズベキスタン人らしきおっちゃんの隣の自分の席に腰掛けた。
 経つこと数分。どこからともなく「大麻でもやっているのでは?」というほど尋常ならざるご機嫌なテンションのインド人のオヤジが現れた。
 私の右側に立ったインド人オヤジは、私の左隣の今にも寝そうなウズベキスタンおっちゃんにしきりになにか話しかけている。となりのおっちゃんが静かなのでさして気にならなかったが、どうやら左隣のおっちゃんのそのさらに左側にいるさっきから甲高い声で爆笑しているインド人オヤジ二人組がこのご機嫌マリファナ疑惑のインド人オヤジの連れらしく、並び席になりたいから離れた自分の座席のチケットとお前のチケットを交換してくれ、といっているらしい。女子高生かよ・・・やめてくれよ・・・。
 心の中で猛反対する私とは対照的に、ウズベキスタンおっちゃんは「まぁいいか」位のテンションで簡単にチケットを交換すると席を明け渡す。 どっかりと私の隣に座るやいなやこちらを向き、「チケットかえてもらったんだよ!俺たち仲間だからさ!ヒィー!!」と、とびっきりのジョークであるかのように大爆笑しながら状況説明をしてくるインド人たち。インド人ってヒンドゥー教で酒禁止じゃなかったっけ?シラフでこんなテンションになるなんてありえるのか・・・?
 インド人が嫌いになりそうだよ・・・早くウズベキスタンについて・・・そんな私の思いと共に飛行機は空へと飛び立った。
 アシアナ航空の機体自体は快適で、横のインド人三人組が画面に映るバライティー番組に「オウラシャッシャッシュ!ヒィー!!」のように三者三様に謎のツッコミをいれそれに全員で腹をよじり、椅子を揺らしながら大爆笑している他は比較的静かだった。おそらくこの三人の真後ろの座席にいる三名と、右隣にいる私がこの飛行機で最も劣悪なロケーション下にいるのだろう。運賃割り引いてほしい。
 現実逃避がてら無理矢理眠ろうと試みること数時間、いつの間にやら本当にうとうと眠ってしまっていたらしく、機内は明かりが落ち薄暗くなっていた。目の前の座席の背もたれ部分には「眠ってたから機内食は渡してないぜ!食べ物か飲み物がいる場合はいってくれよな!」というアシアナ航空からのメッセージシールが貼り付けられていた。
 そうか、機内食はもう配られちゃったのか。正直韓国の空港でなぜかモスチーズバーガーセットを食べ若干気持ち悪くなっていたくらいなので食物はいらないが、食べ逃したとなればちょっぴり惜しくも思える。
 寝ぼけ眼で周囲の様子を確認するが、明かりは落ちているものの眠っている客は意外と少なく、通路を挟んで斜め前の友人たちはなにやら映画に夢中になっており、隣のインド人たちは相変わらずコメディーに大爆笑していた。
 よくこんなに笑い続けられるな・・・この番組を作った人間も本望だろうな・・・。
 ご機嫌な三人組を横目でちらりと見やると、私の左隣の一名だけが座席前の画面ではなく私を凝視していた。
 こっわ・・・!!!
 本当にびっくりした。ただでさえ目の大きなインド人のおっさんが目を見開くとそれはもう眼球そのものだね!というくらいの目玉のおやじぶりになり、浅黒い皮膚が薄闇に同化する一方、その白目だけがバライティー画面の光をうけてギラギラ反射しているのだ。正直めちゃめちゃこわい。
 びっっっくりしたぁ・・・、もうやめろよな。
 とりあえず何事もなかったかのように視線を外し、目の前の虚空を見つめる。数年前にシンガポールを訪れた時もそうだったが、とにかく��ンド人のおっさんというのはさしたる意味もなく他人を凝視するものなのだ。
 あの時は共にインド人街を訪れた友人と二人して、「なんか通り中のおっさんがガン見してくる・・・集団強盗にでもあうんじゃ・・・?」と怖くなって駆け足で立ち去ってしまったが、とにかくインド人のおっさんとはそういう生き物なのだ。ちょうど今も、「お、こいつ起きよったな」と思い、その思いのまま私を凝視しているのだろう。正直やめて欲しい。
 特にすることもないしな、やっぱりもう一眠りするか・・・?
 おっさんの視線に耐えかねて私が再び眠りにつこうとしたその瞬間、ふいにおっさんが動いた。私の座席前方の画面におもむろに触れ、暗転していた画面のスイッチをつけたのだ。
 うわっ!まぶし!なに?
 英語が全く喋れないので全力の表情筋で迷惑してます感を伝えるも、おっさんは微塵の動揺も見せずに私に覆い被さってくる。
 こっっっっっっっっっっっっっっわ
 恐怖体験に息をのみ固まってしまったが、おっさんは別に痴漢ではなかった。同じくらい迷惑ではあるが、私の座席の右側の手すり下部にあるコネクト部分に、機内用のヘッドホンを装着しただけだった。見れば私の前の座席のポケット部分にあるヘッドホンがなくなっている。おっさんが勝手に取っていたらしい。
 マジでなんなんだこのおっさん・・・。考えたくもない事態だが、まさかおっさん達が心から愛し先ほどから大爆笑しているバライティ番組、あれをおっさん前方の画面と私の画面、二画面を勝手に使い聖徳太子方式で視聴する気なのか・・・?
 もう非常識とかそういうレベルではない異常行動だが、今の時点で軽く異常行動を成し遂げている実績のあるこのおっさんならやりかねない。
 どーしよ。なんだこれ。席かえてくれ。
 寝起きから怒濤の試練に見舞われる私の頭におっさんはしっかりとヘッドフォンを装着した。そして画面を操作し謎のニュース番組を選択する。
 ニュース番組ではウズベキスタン一体の地図が映し出されており、各国は黄色や赤の「いかにも危険ですよ」カラーで塗られ点滅していた。どうやら隣接するアフガニスタン付近で空爆かテロがあり、多くの女性がなくなったらしい。公園には女性や子供達への弔いの花や、謎のビーズのような何かを供える様子が映し出されている。
 もう起きてから一分おきぐらいには思っているが、なんだこれ・・・?
 警告?警告なのか?ウズベキスタンにいったらお前もこうなるというおっさんからの???
 なにもかもが分からなさすぎておっさんを見ると、相変わらずおっさんは真顔でこちらを凝視したまま「ぐぅぅっ〜?」とだけ言った。
 グット?いい感じか聞いてんのか?いいわけねぇだろ。それとも感想?おっさんが今いい感じってこと?????
 本当になに一つとして分からない。分からないが暗闇の中謎の言語のCNNニュースを見る私とそれを見るおっさん、という状況を一秒でも早く打破したいし、可能ならばこの飛行機から今すぐにでも降りたい。
 待つこと数分、虚ろな目でCNNニュースを見続けたがおっさんは変わることなく私を凝視し続けた。私はすっと画面を消し、ヘッドフォンをとり、そして目をつぶった。次は飛行機が着陸するまで、決して目を開けまいと誓った。
 私が次に目をあけたのは、ようやく念願の着陸アナウンスが流れたときだった。私が目を覚ましたのに気づいたインド人トリオが、手に持った入国カードのようなものを振ってくる。どうやら飛行機から降りたらすぐにこの入国カードを提出しないといけないらしく、おまえも早く書いておけよといっているようだ。はちゃめちゃに迷惑だが基本的には親切な三人組だ。
 しかし長きにわたる強制爆睡のせいか、私は入国カードをもらっていない。斜め前の友人に聞いてもみたのだが、映画を見ていた友人達もなにももらっていないようだ。
 どういうことなんだ?日本からの渡航は今年からビザが不要になったし、その関係で入国カードも不要になったんだろうか?
 いつまでたっても入国カードを書こうとしない私に業を煮やしたおっさん達が「ほら!ここに書くんだよ!」と自分のカードを見せつけレクチャーしてくる。入国カードには入国時の全所持金を書く欄があるらしく、財布からとりだした札束を数えるまねをして、その欄を指さしていた。
 こいつら、まさか私の所持金と、その収納場所を知りたいだけなのでは・・・?途端にもちあがるおっさん達への不信感。もともと全員欠片も信頼できなさそうなビジュアルなのだ。どちらにせよここで金を取り出すことなどできない。
 早くカードを書けとせついてくるおっさんに、そもそもカードがないと押し問答しているうちに、飛行機はウズベキスタンに着陸してしまった。
 着陸した途端、機内の乗客が一斉に拍手を始める。
 なんだこれ?機長たちへの労いなのか?それともウズベキスタンでは飛行機が無事に着くことがまれで、無事についてよかったね祝い的な意味での拍手なのだろうか?何もわからないまま一緒に拍手をし、謎の達成感に包まれた。
 ウズベキスタンから到着した我々は到着ゲートを抜け荷物を待っていた。心配していた入国カードの提出等は一切なく、拍子抜けするほど簡単に入国できたのだが、肝心の荷物が全くこない。
 通常飛行機の荷物は遅いものだが、もうそんな比ではないくらい遅いのだ。到着レーンを取り囲む人間の多さからしてもロストバッゲージしたとかではなく単に作業が抜群に遅いだけなのだろうが、よくもまぁみんな黙って待っているなというくらい遅い。もう私も一緒に荷物を運ぶから手伝わせてくれ。
 そんな風にやきもきしながら待つこと数十分、途中友人がレーンを流れてくる自分のキャリーバッグをしれっとウズベキスタン人のおばちゃんに持って行かれそうになった以外は無事にことが運び、私たちはようやく到着ロビーへついた。
 ウズベキスタンへ到着するのが夜遅いことと、そもそも空港周りにタクシーがいるのかすら不明だったため、到着日はホテルまでの送迎を頼んでいた。
 送迎を頼んだウズベキスタンの旅行代理店に鉄道チケットの手配も頼んでおり、この時に翌日以降に使用するタシケント→ブハラ→サマルカンド→タシケント間の鉄道チケットも受け取る予定なのだ。
 この旅行代理店とのやりとりは全て英語のできる友人がやってくれたのだが、やはり日本の旅行会社とは全く違う「本当に大丈夫か?忘れてないだろうな?」感満載で、もはや友人が旅行代理店なのでは?というくらいの執拗なリコメンドを強いられていた。
 ウズベキスタンの列車には日本でいうところの特急列車であるアフラシャブ号と、快速列車であるシャルク号がある。両者の間には到着までの時間が数時間変わってくるスピードの差があることはもとより、旅行ブログの口コミをみる限りでは、新幹線のように座席が広く快適なアフラシャブ号に比べ、シャルク号は座席がギチギチに狭い上に「冷房がないのか?」と思えるほど暑い、地獄の様相を呈しているらしいのだ。
 当然一日に数便しかないアフラシャブ号に人気が殺到するが、チケットの予約の方法はウズベキスタン内の駅の窓口か完全ロシア語のみの鉄道会社のホームページのみ。一応ホームページを覗くもかけらも意味が分からず、英語でもやりとり可能な現地の旅行代理店にチケット手配を依頼することとなったのだ。
 なったのだが、正直友人が定期的に「どこどこ間のチケットはとれましたか?」と確認してくれていなければ確実に全てのチケットの手配を忘れ、しれっと「すでに全て満席でどこもとれませんでした」と鈍行列車のチケットと共に手数料を請求してきただろう、という会社だった。
 これはウズベキスタンを旅行して分かったことなのだが、別にこの旅行会社がとりわけ悪質店というわけではなく、基本的にウズベキスタンは日本に比べいい加減で、昔シルクロードの交易地として栄えたとは信じがたいほど商魂に乏しいのだ。
 九時から営業と書かれているホテル内の銀行は九時半頃からのろのろと準備を始めるし、観光地の土産物屋ですらほとんど押し売りをしない。むしろこのくらいが生きていく上でちょうどよく、毎日一分も違わず店を開ける日本の方がどうかしているのかもしれない。
 さておきそんな旅行会社の送迎の車に乗り、夜のタシケントをホテルに向かって駆け抜けていたのだが、正直現実のウズベキスタンは想像していたものと全く違った。
 タシケントはウズベキスタンの首都、日本でいうところの東京的なポジションなのだが、綺麗なモスクと砂漠のイメージしかない私はてっきり首都といっても石造りっぽいごつごつした建築物が砂地の上に建っている感じだろうと勝手に思っていたのだ。
 しかし現実はところがどっこい完全なシンガポールだった。さすがにシンガポールはちょっと言い過ぎたかもしれないが、普通に近代的なビルが建ち、なんかマイアミっぽいこじゃれた街路樹にネオン、池袋あたりにありそうな意識の高そうなオブジェ、とつまるところ近未来感のある都会だったのだ。
 めっちゃいいじゃん!ウズベキスタン!と車内で盛り上がる一方、「あれ・・・?なんか思ってたのと違うな」という気持ちにもなっていた。シルクロードのキャラバンに訪れたつもりだったのだが、なんか遠路はるばるかけて沖縄に来た感じになったな、国際通りみたいなとこに来ちまった。
 若干困惑する私を乗せた送迎車は、無事に本日の宿へと着いた。宿はしっかりとした石造りで、年季は感じさせるが清潔そうだ。
 チェックインのやりとりをドライバーがすませてくれ、我々は案内された部屋へと入った。部屋は想像していたより中々広く、そこそこ清潔そうだった。ただ一点だけあった欠点を除けば。我々は三人だが、ベッドが二つしかないのだ。
 「一番大事なものがたりんやんけ!!!」
 速攻で激怒した。そしてフロントにクレームをつけにいった。クレームというか、シングルベッド三つの三人部屋のプランでエクスペディアで予約していたのにベッド二つの部屋に案内されたのだから正当な権利だ。
 「オンリーツーベット!!」
 我々はフロントで怒りと共に主張した。悲しいことに怒りはあっても英語力はないのでそれを繰り返すことしかできない。
 フロントの黒髪のロシア人らしき兄ちゃんに、エクスペディアで三人部屋で予約した画面を見せながらこう言った。
 「三人部屋で予約してその代金を払ってるのにベッドが二つしかないよね、ありえないんだけど!」
 これは日本語で言っていた。なぜなら英訳ができなかったからだ。
 完全なる日本語での主張だったが意味は通じたらしく、フロントの兄ちゃんはぬぼーっとした視線を向けながらこう答えた。
 「このホテルは三つのベッドの部屋の予約は二泊以上からしかできない。あの部屋のベッドは大きいから二人でも寝れる」
 なんじゃそりゃぁああー!!利用できないんならそもそもエクスペディアにのせるなよな!!ベッドが三つだったからこのホテルにしたのに!!
 怒りと共にめちゃくちゃ文句を言うもフロントの兄ちゃんはそれに困るでもなく逆ギレするでもなく、相変わらずぬぼーっとしたままだ。
 旧ソ連・・・!!
 そういえばウズベキスタンは旧ソ連領だったのだ。なんだかものすごい旧ソ連感を感じる。日本のお役所仕事を煮詰めまくって熟成させたような「こいつ全然仕事しねえな!かといって文句言ったところで微塵も改善しそうにない・・・!」というこのぬぼーっと感・・・!!腹立つ!!そりゃ共産主義も滅びるわ。くそっ!ふぁっきん!
 兄ちゃんにブーブー文句を言うもいっこうにうてあわれず、仕方なく部屋に戻るとまた新たな気づきがあった。部屋のエアコンが一切稼働しないのだ。
 エアコンが・・・つかんやんけ!!!!
 第二ラウンドの開幕である。
 この後もトイレットペーパーが完全に無かったり部屋に備え付けの電話が繋がらなかったりとホテルの致命的不備をちくいちフロントに訴えに行き、「感情がないのかな?」というくらいぬぼーっとした表情を崩さなかった兄ちゃんが「うわ、またこいつら来たよ・・・」と若干うんざりした表情を浮かべる段階になり、ようやくそこそこ快適な住環境を手にできた。ちなみにベッドは二人で寝ても普通に熟睡できた。しっかりとした作りのダブルベッドだった。
 
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-yama-san- · 7 years
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突撃☆ナイトサファリスリリング
 疲れ果てた私と友人は、半ば眠りながらバスに揺られていた。  時はシンガポール旅行二日目夕刻。ホテルから出発したバスは、数十分の道のりを経て、ようやく目的の場所に着こうかとしていた。  市街地から大きく離れ、近代的なビル群の代わりに熱帯雨林のような樹木が広がりだしたその場所に、ふいにロッジは現れた。木で作られたエントランスロッジの正面には、この場所を象徴する大きなマークが掲げられている。  真っ黒な暗闇の中、青く光る動物の目。  この場所こそが今夜の目的地、ナイトサファリだ。
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 ナイトサファリとはその名の通り夜の動物園で、野生の習性などを利用して檻のない状態で飼われている動物たちを専用のトラムに乗って見て回るものらしい。  旅はフリープランをモットーとしている我々だが、このナイトサファリは交通の便がすこぶる悪いため、ホテルからそのままバスに乗れるオプショナルツアーに参加しているのだ。  バスから降りた我々はJTBのガイドさんに導かれるままにロッジの前まで移動し、手渡されたナイトサファリマークがついたシールを服に貼る。どうやらこれが許可証代わりになっているらしい。らしい、と言ってはいるものの、正直説明はろくに聞いていないのでよく分からない。ガイドに全て身を任せ、安心しきって思考停止状態だったのだ。  エントランスから入ったナイトサファリは想像よりはるかに近代的で、動物園というよりはUSJのようなテーマパークに近い雰囲気だった。  テーマパークに近いのは何も雰囲気だけではない。サファリ内の物価もただでさえ高いシンガポールの市街地価格をさらに1.3倍程に乗じた夢の国価格になっていた。園内で売っているお土産もどれもUSJに売っていそうなラインナップで、ナイトサファリマーク入りのエコバックが千円以上、マグカップに至っては二千円越えと強気の価格設定の品がずらりと並ぶ。当然ながら私も友人も何一つとして土産を購入できずに終わった。  メインイベントのトラムに乗ってのサファリツアーまでにはかなり時間があるため、土産を買うこともできずに暇を持て余した私と友人は敷地内にあるボンゴバーガーというハンバーガー屋で夕食をとることにした。  友人の事前調査によると、ナイトサファリでは7時近くになるとファイヤーダンス的な、なんだかよく分からないがシンガポールの民族ダンス的なものが始まるらしい。そしてその鑑賞に、このボンゴバーガーのテラス席がうってつけらしいのだ。  ボンゴバーガーの価格設定も土産物屋に勝るとも劣らぬ強気設定で、掲げられているメニュー表によるとハンバーガーにポテトのセットでお値段およそ千五百円だ。  もういい。落ち着け。ここはそういうところなのだ。さっき買ったこのオラウータンの人形がなぜかストローと一体化しているマンゴージュースだって七百円くらいしたし、それから見ると固形物のセットで千五百円なんてむしろ安いくらいだ。そうだろ?ここで値段に文句を言うのはディズニーランドに来ておいて「ポップコーンまじ高くない?」などと難癖つけるに等しい愚行だ。無粋だ。正直ディズニーよりさらに高い気がするけど。なんにせよ、なまじ貧乏だからついつい値段を凝視してしまうがもうやめよう。心を無にしよう。無に。
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 価格に対する感受性を完全に殺し、気を取り直して目の前のボンゴバーガーにかぶりつく。肉厚で想像以上に大きいため一口でがぶっといけずに苦労するが、いかにも海外のハンバーガーを食べているといった感じだ。アツアツだし、味も普通に美味しい。向かいで食べている友人も苦戦しつつも満足そうだ。 「美味しいじゃん!これ!」 「美味しいよね!圧倒的価格だけど」 「いや、圧倒的価格なだけあって美味しい」  値段への固執を捨てきれぬまま付け合わせのポテトをチリソースに付けてチビチビ食べていると、徐々に周りの席が埋まってきた。ショーの開催時間が近づいているようだ。心持ち周囲の人々も、落ち着きなくそわそわしているような気がする。  開始時間を告げるらしいアナウンスの声がすると、ドコドコと鳴る太鼓の音をベースにいかにもな民族音楽と謎の歌声が聞こえてくる。すると奥から、これまた民族衣装っぽいものを着たムキムキの兄ちゃん二人が登場した。手には棒と酒瓶のようなものをもっている。どうやらこの二人がこれから始まるファイヤーダンスの主役らしい。  リズミカルな音楽の流れる中、やおら棒に火をつけ、両端に火のついたバトンのようにすると踊りながらめちゃくちゃに回す兄ちゃん。そしてめっちゃ火を吹く。すると隣の兄ちゃんが火のついたヌンチャクのようなものを踊りながらめちゃくちゃに回しだす。そしてめっちゃ火を吹く。  とにかく二人ともめっちゃ火を吹く。踊りながらも火を吹く。いくら訓練してるからって声帯とか大丈夫なのかな?と、こちらが心配になるほど火を吹きまくる。正直無料だからとなめきってたが、凄いクオリティだ。めっちゃ火を吹く。
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 ただ、どうにも気になる事が一つだけ。この兄ちゃんたち、二人とも物凄い無表情なのだ。二人ともタイプの違ったワイルド系イケメンでそれはキャスティングありがとうといった感じなのだが、こういったショーにありがちな「ほぉ~ら!今からめちゃくちゃ火を吹くぜぇえ!?(おどけた顔)」といったドヤ感が全く存在しない。かといって別に嫌々やっているようにも見えない。早朝工事現場に来た土方の兄ちゃんと同じくらいのテンションで踊り、つるはしを振るう感覚で火を吹いている。  色白の方の兄ちゃんにいたっては踊りをところどころ忘れているらしく、ちらちらと隣を確認してはふわっとした動きでごまかしているふしさえ見える。  このテンション。まさか学生バイトか?けど、学生がこんな火を吹くような危険行為(?)許されるのだろうか。そもそも火を吹くにはなにか許可とかが必要なのか?火吹きのプロが存在するものなのか?  私の脳内で渦巻く疑問とファイヤー―ダンスは時と共に激しさを増し、途中前列に座っていた一般男性をも巻き込み大盛況の中でショーは終わった。  集合時間のギリギリまでダンスを楽しんでいた私達が小走りで集合場所へと向かうと、ちょうどガイドさんが人数を数えているところだった。いよいよこれから、本日の最大イベント、ナイトサファリツアーが始まるのだ。沸き立つ心と共に、ガイドに導かれ園内奥にあるトラム乗り場へと向かう。  トラムトラムと言ってはいるものの、正直トラムが何なのか全く知らなかったのだが、実際に見たトラムは、ゴルフ場などで移動の際に用いるゴルフカートのバス版、といった様子だった。あのゴルフカートが四人一掛けくらいの座席でバスになって、何台も何台も連結されている。それがトラムだった。  ガイドさんに案内され四人一掛けの座席に腰かける。私は左から二番目、そして友人はちょうど一番左端の席だ。出発の時間まで、トラムで観覧する際の注意事項や案内事項がアナウンスされている。カメラ撮影はご連慮願います。動物たちは園内で自由に過ごしておりますので、トラムから触れられる程の距離にくる場合もございます。  「…ふふっ…」  アナウンスを聞きながら、突如として友人が笑い出した。  「どうしたん?」  訝し気に聞く私に対し、なおも笑いながら友人は答えた。  「いや、ここに座ってみ?思った以上に、完全にないから」  「完全にない?」  「側面がね。側面がもう完全にない。剥き出しだから。本気で走り出したら落ちそうで怖いのと、それとね、ふふっ…動物が近くに来たら…ふふっ…間違いなく…ふふっ…食われる…」  なにがおかしいのか『間違いなく食われる』という状況がツボに入ったらしい友人は話し終わってもなお笑い続けている。私の方はというと、正直「食われることがあっても端に座る友人からだろう」という圧倒的安心感があるため全くと言っていいほど恐怖は感じていなかった。 「大丈夫じゃない?なんか高低差?とか動物の習性?とかを利用して、トラとかライオンとかはそこまで近づけないようにしてるんでしょ?いざとなったらこの天井に着いてる緊急事態ボタンを押したら助けがくるらしいし」  私がアナウンスで案内されたばかりのトラム天井に設置されている緊急ボタンを指さすも、友人は半笑いのままだ。 「いやいや、トラにだって個体差はあるじゃん?本気を出したら2メートルの高さくらい飛び越えられるよってタイプのトラも、多分いるじゃん?それにさぁ、仮に、仮にトラがトラムから剥き出しの私をがぶーっと食べ始めたとして、『わぁー、大変だよぉー、ボタン押さなきゃ…』って、ボタンを押した時点でもう…手遅れでしょ。下半身くらい無くなってるわけだから」  ほんとその通りだ。  そう思ったが口には出さなかった。仮に友人の下半身が無くなってもその時はまだ私は上半身も下半身もあるのだ。そして友人の上半身が食われてる頃には、多分助けがくる。 「ふふっ…だってもう、自分が腹減ってるトラだとして…こんなに人間がぞろぞろと剥き出しのトラムに乗ってやってくるんだから…ふふっ…こんなもんもう…回転寿司…」  友人の不吉な予言と共に、ようやくトラムは動き出した。  トラムは自転車程度のスピードで、サファリ内をゆっくりと走っていく。サファリ内を一周するまでに三~四十分はかかるらしく、動物が住むエリアにに近づくと歩くくらいにスピードダウンし、それぞれの動物についての解説が始まるのだ。  そして、あれだけ難癖をつけておいてなんだが、結論から言うとすごくよかった。  動物たちは広い敷地の中での放し飼いのような格好のため、「むしろ動物園で見た方が近かったのでは?」という距離のものの方が多かったのだが、それでも夜の暗闇のせいか檻がないせいか、まるで本当に冒険にきて、野生の動物を覗き見ているような気持になれたのだ。通常動物園で動物を見る際に否が応なしに発生する「檻狭いな…せっかくライオンに生まれてきたのに、こいつの人生って一体…」というような余計な感慨がほとんど入らないため、純粋に動物を見ることを楽しめる。  薄闇の中に白い模様を浮かび上がらせながらバクがもそもそと動いたり、ライオンが砂の上にごろりと転がっている様子を見ると、なんだかもう、「おお!来たね!」という気持ちになる。何が来たのか、どこに来たのか自分でも分からない。が、動物好きな人間ならばとにかくワクワクすること請け合いだ。写真撮影が禁止されていたため写真が一枚もないのが残念だが、ここではもう、いい写真をとろうとフィルター越しに試行錯誤するよりも、生の動物を見ることをとことん楽しむことの方が正解のような気もする。  心配していたトラ対策も、エリアごとにライフルを肩にかけた警備員らしき人が立っており、「あぁ、いざとなったらこの人がくるから大量虐殺は免れるな」という半端な安心感を与えてくれた。  私達はその後の動物ショーに行っていたので体験できていないのだが、どうやらナイトサファリにはワラビーやハイエナ等の棲むエリアを徒歩で見て回るコースもいくつかあるらしく、時間と体力に余裕があれば夜のサファリ内をじっくり歩いて回るのも間違いなく楽しそうだ。ついでにいうなら私達が行った動物ショーの方は本当にどこにでもあるような動物ショーだったので、正直わざわざここで行く必要はなさそうだ。
 帰りのシャトルバスに乗り込んだ私と友人は口々に感想を述べながらも早朝からの疲労にのまれ、気付けばうつらうつらと眠っていた。シンガポールの移動手段は主に地下鉄だったため、早朝から常に荷物を抱えて歩行し続けているような状態だったのだ。このナイトサファリの予定ですら、行きのバスの中の時点では「動物が見れる」というよりも「やっと足を休められる」という喜びの方がはるかに勝っていた。  そんな疲れ切った私達を乗せて夜道を走ること数十分。バスは白く優美なホテルの前で静かに停車した。このホテルこそが本日最後の目的地、ラッフルズホテルだ。
 シンガポールを訪れるものならば知らぬものはない程の有名ホテルラッフルズ。古くは喜劇王チャップリンやジョセフコンラッド等、名だたる名士にも愛されたこのホテルは、その由緒ある歴史のみならずコロニアル調の美しい外観と世界でも有数のホスピタリティにより名門ホテルの名を欲しいままにしているのだ。
 まさにシンガポールに訪れたからには一度は宿泊しておくべきホテルだが、一泊の最低価格が七~八万というホテルになど、私と友人が泊まれるはずもない。泊まった瞬間に全ての金を失う。分相応という言葉を知っている我々はラッフルズについては知識を得るだけに留め、交通の便のみを追求したそこそこ程度のホテルに泊まっていた。
 泊まっていた、のだが、一日目にチリクラブを食べるために外出した際、その宿泊しているホテルのほぼ向かいが噂のラッフルズホテルだということに気付いてしまったのだ。  もちろん我々は歓喜した。 「こんなのもう、ラッフルズに泊まってるようなもんじゃーん!」  と、てらいなく勝鬨をあげた。  本物のラッフルズの客側からすれば一緒にしないでくれよと思われるだろうが、こちらからすれば手の届かない存在と思っていた名門ホテルが(物理的に)手の届く存在になったのだ。全力ですり寄る。  すぐさま我々はガイドブックで宿泊客以外でも立ち寄れるラッフルズの施設がないか調べ上げ、その結果、ホテル内にあるというロング・バーの存在を知ったのだ。
 そういったわけでまさに今、私と友人は暗闇の中ラッフルズホテルの側面をうろうろすることになっているのだ。  もちろん正面玄関の場所は分かってはいる。しかしながら正面からの侵入にあたっては一つ大きな問題が存在していた。ラッフルズホテルの従業員はその炸裂するホスピタリティの結果、宿泊客の顔と部屋番号を全て暗記しているらしいのだ。過剰すぎる親切。そしてその情報が本当ならば、私と友人が正面から入った場合、ドアマンがドアを開けたその瞬間にはもう、招かれざる客であることが全ての従業員に一瞬で悟られてしまう事となる。  我々のどちらか一方でも英語が達者ならば「ちょっとバーにだけ寄ろうと思ってね!HAHAHA!」みたいなノリでずけずけといけるかもしれないが、現実の私と友人の英語力では「あ…あ…ぁ…」みたいなことを言いながら、バーを探し不審な挙動で館内を練り歩く未来しかない。仮にホテルに警備員がいるのならば、我々をつまみ出さずに他に何をつまみ出すというのか。    そのようなわけで私と友人は、暗闇の中側面から入る道を探しさ迷い歩いていたのだ。 「だめだ…全然見つからない」 「廊下、めっちゃ綺麗じゃない?もう宿泊客のふりしてここで記念写真撮って帰る?」
 諦め半分でだだっ広いラッフルズの壁面をあてもなく歩くこと十数分。どういうわけか私と友人はロング・バーの前までたどり着いていた。  こんなに適当に歩いて目当ての場所にたどり着くなんて、神の采配としか言いようがない。恩寵が凄い。 「ヤバいよ…大丈夫かな…?ここまで来たら行くしかないか?!」  いざ扉を前にして湧き上がる宿泊客ではない負い目を持ち前の野次馬根性が上回り、ままよ、と勢いにまかせドアを開ける。
 バーはほぼ満席だった。ゆったりとしたビアノの演奏が流れる店内は想像よりもずっと開放的で、ラフな格好をした人々が、リラックスして会話を楽しんでいる。  よかった。カクテルドレスを着ているような人々の集いであったらどうしようかと少し心配していたのだ。  密かに安堵する私達のもとに、にこやかにボーイが近づいてきた。どうやらつまみ出されることもなさそうだ。  笑顔のボーイに案内され、中央付近のテーブルへと向かう。店内のテーブルを見ると、その全てにピーナッツのどっさり入った麻袋が備え付けてある。そして、これまた全ての席に着く客が食べたピーナッツの殻をためらいもなく床に捨てるため、床が尋常ではなく滑るのだ。ここでスケートができるのでは?というくらい滑る。
 さすがにここで大転倒しては恥が過ぎるのですり足で慎重にテーブルに着くと、メニューを置いたボーイが陽気に注文を待っている。
「シンガポールスリリング、ワン、プリーズ」
 英語と認識していいのか?という程の片言で、酒の飲める友人はそう高らかに宣言した。  シンガポールスリリングとはまさにこのロング・バーで生まれたシンガポールを代表するカクテルで、ジンベースの甘酸っぱいカクテルらしい。  私も友人に追随し、その名物カクテルを味わいたかったのだが、なにぶん体質的にアルコールが飲めない。ジンなんていかにも強そうなベースのカクテルを頼もうもんなら、冗談抜きで死ぬ可能性がある。
「ミッ、ミックスジュース、ワン、プリーズ」
 カクテルへの憧れを断念し、おいおい、ジュースで千円近くするのかよ…という内心の動揺を滲ませながら、私も続いてドリンクを注文した。
 オーダーを聞いたボーイは「オーケィ!」というとリズミカルにメニュー表を回収し、ターンをするような軽やかな足取りで去っていく。ボーイがとことん陽気なのか、床に散らばる無数のピーナッツの殻のせいでそのような動きを余儀なくされているのか、真相は謎だ。
 それにしても、とても雰囲気のいいバーだ。そもそも今までの人生でバーという名のつくものに行ったのが中洲のおかまバーと東京の坊主バーしかないため比較対象としていいのかいまいち不安だが、ここのバーにいる客は全員がしっくりきているというか、居心地よくなじんでいる感じがする。この高級ホテルにあからさまに場違いな我々もそれは例外ではなく、気付けばバンドの生演奏が流れる中、どっかりと椅子にもたれていた。
 待つことしばし、「これ、無料だよね?」と言いながら恐る恐る備え付けのピーナッツを食べ「これ、床に捨てていいんだよね?」と言いながら恐る恐る床に殻をまく私たちのもとに、待ちわびたシンガポールスリリングが運ばれてきた。オレンジがかった鮮やかなピンク色のそのカクテルにはパイナップルとチェリーが添えられており、見るからにトロピカルで美味しそうだ。
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「うん!美味しい!かなり美味しいわ!これ」
 ちびちびとカクテルを飲みながら、満足そうに友人が頷く。  私も自分に運ばれてきたフルーツジュースを口にする。無論美味しい。ただ、フルーツジュースがつまるところ果物の汁であるという現実がある以上、どれほど美味くしようとも限界値が存在するな…という気分にはさせられた。
 ともあれ、美味しいことには変わりない。
 旨い酒に美しい音楽、居心地の良い店内に愉快な会話。ここには人生に必要なものが全て揃っているのだ。旅の夜を過ごす場所として、これ以上の場所もそうはないだろう。  ご機嫌にピーナッツの殻をまき散らしながら、シンガポール旅行二日目の夜はゆっくりと更けた。
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-yama-san- · 7 years
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衝撃☆魅惑のストリート巡り☆
 シンガポールの夏は蒸し暑い。  よく、「日本の夏は海外と違って蒸し暑いからぁ~。」などと何人目線なのか分からないコメントをドヤ顔でのたまっていたのだが、少なくともシンガポールの湿度は日本と同等以上に高いらしい。何の根拠もなく「赤道付近の国々は日差しこそ強いが湿度は低いため日陰にいれば乾いた風が吹き抜け快適に過ごせる。」というイメージを抱いていたが、どうやらそれは間違いだったようだ。  気温も高く湿度も高い、言うまでもなく日差しも強い。  日本の夏をサウナとするならば、こちらはサウナに入った状態で赤外線ヒーターを当てられ続けていいるようなものだ。なぜ死者がでないのか不思議だ。  開始早々愚痴ばかりになってしまって申し訳ないが、時はシンガポール旅行二日目。  まさに今、私と友人はホテルから徒歩でマーライオン公園に向かおうとした結果、道に迷って死にかけているのだ。  訪れるもの全てを落胆させるというシンガポール1のがっかりスポット、マーライオン公園。  当初訪れる気はさらさらなかったこの公園だが、意外とホテルから近いことが判明し、せっかくならばと2日目朝に立ち寄ることとなったのだ。  汗だくとなった我々が辿り着いたマーライオン公園はガッカリスポットの名をほしいままにしているにも関わらず、多くの観光客でごったがえしていた。  公園の大きさは学校のグラウンド程度で、植え込みの中に小ぶりなマーライオン像が立ち、中央の噴水では5、6メートル程のでかいマーライオンが口から水を吐いている。  つまりマーライオン像のある普通の公園だ。
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 終わった。  この公園に着いた瞬間、一目で観光すべき部分を見尽くした。  内心そう悟ってはいたのだが、数十分歩き回ってたどり着いた場所の観光を数秒で終わらせるようなことはできない。  どうやらマーライオンの背越しにマリーナベイサンズの写真を撮るのが人気であるらしく、我々も周りの観光客に倣い写真を撮る。ついでにそれぞれマーライオンとの写真も撮る。遠近法を利用してマーライオンのように口から水を吐く友人とマーライオンの水を口で受ける友人を撮る。  終わった。  限界まで楽しもうと努力したが、ここで他にできることはもうない。
 帰ろう。  友人と私は薄ら笑いながら、どちらともなく公園を後にした。滞在時間は多めに見積もっても十分程度だった。  それでも、正直なところ思いのほか楽しめたのも事実だ。  期待値が極限まで低かったせいもあるかもしれないがなんやかんやでシンガポール=マーライオンというイメージが強いのと、公園からの景色が良好なことで「お、シンガポールに来たな!」という気分を十分に味わえたのだ。もはやガッカリスポットではない。道すがら寄るのはイイじゃんスポットだ。  数分程度の観光でそれなりに充実した気分を味わった我々は、いよいよ本日のメインイベントであるシンガポールエスニックタウン巡りに向けて地下鉄へと飛び乗った。  シンガポールは雑多な国の人々が厳格な法の下好きに暮らしている国らしく、その結果横浜の中華街的なそれぞれの国柄の色濃く出ている街が随所にあるらしいのだ。  有名なところだとアラブストリートにチャイナタウン、リトルインディアにプラナカン、といったところだ。  このうちプラナカンとは中国系の移民が現地のマレー系女性と結婚したことにより生み出されたとする文化で、とにかく全般的にカワイイ。プラナカン文化の色濃く残る街ではピンクやモスグリーンのパステルカラーを基調とした人形の家のような建物が立ち並び、他にもキュートな雑貨が盛りだくさん、と、もはやオシャレOLのインスタグラムを具現化したような存在なのだ。  そんな存在なのだが旅に出る前に友人と意思疎通を図った結果、「ごめん、プラナカンって興味ある?」「正直…ほとんど無いわ」「よかった!私も全然ない」と全会一致で方針が決定したため、この旅では割愛したい。  可愛さを旅から全面的に削ぎ落した我々が最初に向かった街、それがアラブストリートだった。友人も私も何故か中東あたりのタイルに施されているような細かな模様がたまらなく好きで、ついでに言うならモスクなどの建物も美しくて大好きなのだ。正直治安さえ良ければ今回の旅でトルコに行きたかった。死ぬ可能性があるので諦めたけれども。  最寄りの地下鉄BUGIS駅で降りた我々は、アラブストリートの目印であるサルタンモスクを目指して歩いた。  余談だが、シンガポールの地下鉄は駅構内が無駄に広く、ガイドブックに「○○駅より徒歩7分」などと記載されていても駅内の移動だけで10分、地上に出てさらに7分、なんて事はザラだ。田舎暮らしの私と友人は地下鉄の駅=地上の認識で旅のプランを立てており、そのせいで何度も疲労し汗だくの中地下鉄の構内を全力疾走することとなった。  しばらく歩いた我々の前に、突如として金色の玉ねぎ状のドームが現れた。  これだ!間違いない!アラジンで見た!  急激にテンションが上がり、遠目にもかかわらずモスクの写真を激写する私と友人。
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 近づいてみるとモスクは想像以上に大きく、入り口付近で来場者をチェックする警備員のようなおじさんが何人か待機していた。  モスクの礼拝堂は当然ながら異教徒の立ち入りは禁止なのだが、その手前までなら入ってもいいらしく、その際に露出度の高い恰好をしている人間にはここで羽織るローブを貸してくれるのだ。  私も友人も服装については事前に調べきっており露出などほぼない状態だったのだが、せっかくなのでローブを「え?必要なくない?」と怪訝な表情を浮かべるおじさんから借り受けモスク内へと入った。真っ青なローブで俄然気分が高まる。  モスクは入ってすぐが待合所のようなちょっとしたスペースになっており、その先に異教徒は立ち入り禁止の礼拝のホールが広がっていた。この礼拝ホールがもう、黒や緑を基調とした中に金色で細かな月や星が描いてあるのだが、とにかくもう美しいのだ。とにかく美しい。窓枠などの流線型の模様もそこから差し込む白い日の光も、穏やかで繊細で、全てが美しかった。
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 礼拝堂の前方には十数人の子供たちがカーペットの上に点々と座っており、それぞれが何かの本を読んで勉強している。張りつめた空気を想像していたのだがそんなこともなく、昼下がりの体育館のような静かで和やかな時が流れていた。
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 「すっごいな、これはもうちょっとしたトルコだわ」  「やっぱりアラブ系の模様が一番美しいね。めっちゃタイルの写真撮った」  モスクを出るなり各々思うことを好き勝手語り合い、我々はそのまま目の前の通りへと足を延ばした。モスクの前にはそこそこ大きな通りが二、三本まっすぐ続いており、その両脇にずらりと雑貨屋や飲食店が並んでいるのだ。  せっかくなのでなんかアラブっぽい綺麗なものを買いたい。  そう思い何気なく薄暗い店に入った我々は、入った途端に叫ぶことになった。  「ひゃぁぁー、めっっっちゃ綺麗!!!!」  比喩ではなく叫んだ。事実「めっちゃ綺麗!!!」だったのだ。  薄暗い店内には見渡す限り、大小様々な大きさのモザイク模様のランプが所狭しと吊るされており、その全てが青や緑、ピンクやオレンジの美しい光の欠片を周囲に少しづつ落としていた。ランプのモザイク模様もそれぞれ違っており、氷の結晶のようなものや花のようなもの、直線的で無機質なものなど、とにかくそのどれもが心がギュッとなる美しさなのだ。
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 「凄くない?凄くない?え?どうゆう状態?凄くない?」  あまりの出来事に私と友人が混乱しながら驚いていると、ニコニコしながら一人の老人が近寄ってきた。  このおじいちゃん、どうやらこの店の主で奥にいたようなのだが、私達の出川哲郎ばりのリアクションを聞いて店先まででてきたらしい。  笑顔のおじいちゃんは私と友人を店の奥まで招き寄せると、ある位置に立つよう身振り手振りで示した。  そこは店内でもとりわけ大きな、人一人でも抱えきれないほどの大きさのランプが飾ってあるところで、この位置でこのランプに手を添えて写真を撮ると綺麗な記念写真が撮れるよ、ということらしい。  実際に友人がその位置に立ち一番大きな青いランプに手をかざすと、ちょうど店内の数十個のランプ達とも同じフレームに映ることとなった。まるでこの世界のものではない、物語の中を切り取ったような一枚だった。  「ヤバくない?こんな写真無料で撮らせてくれるの?マジで金取られるんじゃない?無料?無料なの?」  物語とは程遠い俗世感溢れる私の確認に、半ば呆然としながら友人は答えた。  「無料っぽいよ。このお爺ちゃん優しすぎない?やっぱモスクが近いから徳高いのかな」  そんな会話が日本語で繰り広げられているとはつゆ知らず、お爺ちゃん店主は私にも同じように写真を撮るよう勧めると、その後、店内を好きに見て回るよう言った。  冷静になって店内を見て回ると、ランプのほかにも絨毯や陶器など、様々な雑貨が置いてあった。  そしてもう一つ気付いたことがあった。この店には値札が一切ないのだ。  コースターや小皿なども本��に可愛かったのだが、私と友人の心はすでに決まっていた。ランプだ。  さすがに天井から吊るすシャンデリア型のものは無理でも、スタンド式の卓上タイプのものならば我々の旅行ケースにですら何とか入る。せっかく旅先でこんなにも美しいものを見つけたのだ。その欠片くらいは持ち帰りたい。  意を決して値段を尋ねる我々に、お爺ちゃん店主は人好きのする笑顔で答えた。  「この大きなシャンデリアだと70万くらいだけど、この一番小さなスタンドライトなら2万円だよ(実際は英語なのでイメージ和訳)」  ひぇぇえー!!!度肝を抜かれるくらい高い!!もう宝石の値段じゃん!?もしかしてこれ、ガラスじゃなくて宝石でできてるのか!?  またしても出川ばりのリアクションをする我々を見て、じいちゃんは「ワァオ!」と、コミカルに驚くと言葉を続けた。  「けれどもあなた達は今日最初のお客さんで特別だし、私は日本人の友達がいるからスペシャルな値段にしてあげるよ。1万6千円にね!」  めっちゃ安くなった!それでも高いけど!  実際1万6千円は変えない値段じゃないがそれでも高い。旅の二日目でそんなにお金を使ったら今後に影響すること請け合いだ。けれどこんなに綺麗なランプを買わずに帰ったらそれこそ後悔することも必須…。  頭を抱えて悩む我々にさらに言い募るおじいちゃん店主。  「日本で使えるようコードも付け替えてあげるし、これはいい品だから壊れるようなこともない、ほら」  指し示すほうを見れば、若い店員が横倒しにしたランプの上で片足立ちし、頑丈さをアピールしている。なんて雑な扱いなんだ。  「もう時間だし、ちょっと落ち着いて、昼ご飯食べてからまた来ようか」  友人の冷静な提案に私も頷いた。ちょうど昼食をリトルインディアの有名店、ヒルマンレストランで予約していたのだ。  「ご飯食べてくるの?いいよ!リトルインディア?近いから車で送ってあげるよ!」  じいちゃんの過剰すぎる親切。それを固辞しタクシーに乗ること数分、我々はリトルインディアへと降り立った。  そして、数秒もたたずに物凄い違和感を覚えることとなる。  道行くほとんどの人間がインド人。  アラブストリートでも店員や道行く人々の大半がアラブ人だったのだが、彼らは何というか、顔の彫が深いだけで大半がニコニコしており、正直とっつきやすかったのだ。  けれどもインド人は違う。理由は分からないが道行くインド人の大半が男性で、しかもその全てが「目がこぼれ落ちるのでは?」というくらい目を見開いて真顔でこちらを凝視してくるのだ。  ベースの顔自体が色黒で彫が深く迫力があるのに、街にいるその顔の人間全員が無言でこちらをガン見してくるのだから正直言ってめちゃくちゃ怖い。  すれ違う人がシンガポールにしては珍しく自分の腹にリュックがくるように背負っていることからも、ここでの基本的な治安の度合いが伺われる。  なんにせよなんでこんなに穴が開くほど見られるんだ?何かマズイことをしているのか?とにかく怖いからやめて欲しい。普段神経の太さに定評のある友人ですら猫背で縮こまり、「マジでヤバいマジでヤバい。早く出ようよココ」と小声で連呼していた。私も完全に同意見だった。  死ぬまでに一度はインド旅行をしておこうと思ったけれど、これはちょっと考え直すべきかもしれないな。リトルでこれなら、本物のビッグインディアはどうなってしまうんだ?生きて帰れるのか?インド、こえぇー。とずっと思っていた。  それでもせっかくリトルインディアまできたからには、一件くらいは店に寄っておこうという貧乏根性を炸裂させ、我々は恐る恐るムスタファセンターに入った。ここはリトルインディア一のショッピングセンターで、日用品から食料、薬品までとにかくなんでも揃っているのだ。  正直怖すぎてあまり記憶がないが、ここでチリクラブソースやブラックペッパーソースを買った事と、シンガポール名物のタイガーバームを飛び切り安く買った事だけは覚えている。  タイガーバームとは虫刺されや蕁麻疹、果ては頭痛に至るまで、とにかく何が起こってもこれさえ塗っとけばオッケーというシンガポールが誇る万能軟膏だ。シンガポール名物なだけあって本当にどこにでも売ってあり、それゆえにその店での物価というか、おおよそのぼったくり具合の指標としても機能している。  ちなみにこの旅を通してダントツでタイガーバームが安かったのはこのムスタファセンターで、ダントツで高かったのはこの後訪れることになるナイトサファリだった。  とにもかくにも��ョッピングセンターに入って少しだけ落ち着いた我々は、足早に次なる目的地、ヒルマンレストランに向かった。  載っていないガイドブックなどないのではないかとも思える有名店ヒルマンレストラン。ここの名物ペーパーチキンは醬油や紹興酒で味付けした鶏肉を紙で包んで油で揚げたもので、香ばしくジューシーでとにかく旨いという評判なのだ。  否が応にも高まる期待。そして注文からたっぷりまたされた後に運ばれてくるペーパーチキン。パリパリのペーパーシートを箸で破き、中のジューシーな鶏肉に箸をのばす。
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 うん、旨い!  旨いけど…と思い向かいの友人を見ると、微笑みとも真顔とも取れない微妙な顔をしていた。アルカイックスマイルだった。  「どう?」  その顔のまま、私に話を振る友人。言い辛いことをこちらから切り出させようとしているのだ。  「いや、美味しいよ」  「うん」  「美味しいけど…、正直お母さんが作るやつだわ」  途端に友人の笑みがアルカイックスマイルから通常の邪悪な笑みへと変わった。同意したのだ。  そう。旨いけど、これはお母さんが家で作るようなやつなのだ。出されたら美味しいと言って食べるが自分からリクエストする事はない。ましてやわざわざ外食で頼むようなものではなかった。  またしても勝手に高すぎるハードルを設定し勝手に失望してしまったようだな…。しょせんは焼いた鶏肉なのに、知らずめちゃくちゃ期待してしまっていたようだ。チリクラブが旨過ぎただけに、同等の期待をこの千円そこらの鶏肉にもかけてしまった。  にしてもこの店、見渡す限り客の大半は日本人観光客だしメニューも日本語。現地の店というよりは完全に観光客のためだけの店だ。なんでこの店が軒並みガイドブックで絶賛されるのだろう。やっぱりガイドブック会社に掲載店はバックマージン的なものを支払っているものなんだろうか…?  自分の評価とガイドブックのあまりの齟齬にそんな失礼な妄想を抱きつつ、一通り店の品々を堪能した我々は、話を本題へと移した。そう、ランプ購入問題だ。  「本気で欲しいけど、本気で高すぎるよね」  全てはこの友人の言葉に集約されていた。  「マジでね。しかもあの店に一時間近くいたせいで他の店全然見れてないし。夕方のナイトサファリのツアー前までにアラブストリートとチャイナタウン、巡り終われるかな…?」  早朝から出発したものの時刻はもうとっくに昼過ぎ。うかうかしている時間はないのだ。  「とりあえずここでガイドブックで行きたい店の目星をつけて、そこを中心にちゃちゃっと回ろうか」  友人からの提案に同意した私は、共にガイドブックを覗き込んだ。まだほとんど巡れていないものの、アラブストリートの魅力的な店々が並んでいる。  「あっ!さっきのランプ屋もあるよ!」  友人の言葉でガイドブックの一角に目を移した私は、友人と同時に息をのんだ。  そこには今まさに我々が欲しいと思い悩んでいる1万6千円のランプの写真が掲載されていたのだ『ランプ(小)6,000円』の文字と共に。  「…あのジジイ!」  怒り狂う我々。  「嘘だろ…信じられん。普通そこまでぼったくる?」  「あんな孫に対するような親密さで接した相手にそんなぼったくる?」  「あんな親しみのこもった笑顔向けた相手にそんなぼったくる?もう3倍近いじゃん?これでもぼったくりって言うの?どんな感受性してるんだ?」  「人間不信になるわ。何がスペシャルプライスだよ。ある意味スペシャルだけど」  止まらないじいさんへの悪口。エターナルジジイディス。  しかしまぁ、適正価格ならばランプが予算範囲内だということが判明した事も事実だ。なにせ買うか迷っていたボーダーラインから一気に3分の1近い価格になるのだ。これはもう買うしかない。  「じゃぁとりあえず他の店見て、ランプと他に良さそうなものがあったらそれを買おう。じいさんの事は忘れよう」  そう結論付けた我々は、再びアラブストリートの店へと戻った。  アラブストリートの店を何件か流し見た結果、ようやくいくつかの事実を学んだ。  まず、ここの店の商品の大半には値札がない。  客が気になる商品を手に取って見ているとどこからともなく店主が寄ってきて、「それは1万円(超ぼったくり価格)だ。だが貴方は特別な客なので7千円(ぼったくり価格)にしてあげよう」と言い出す。  そこで客が「それならいらない」と言うと店主が「いくらなら買う?」と尋ねる。  そして客が「4千円(適正価格)だ」と返答すると店主が『おいおい、何のジョークだい?』というおどけた顔をし交渉開始。  …と、おおよそここまでがこのあたりの店の当然の挨拶、様式美なのだ。  「貴方は特別な客だ」とする理由は「今日最初の客だ」「日本人の友達がいる」「私の友人に似ている」など様々なパターンがあるが、ほとんどがこの流れで事は進んでいく。  他の大半の店でランプの提示価格が最初は1万円、特別な客だから割引で6~7千円だったことからしてもあの爺さんがハイパーぼったくり戦士だったことは間違いないのだが、おそらく私と友人の出川ばりのリアクションを見て「こいつらなら3倍でもイケる!」と踏んだのだろう。事実買う寸前までいったのだし、じいさんの先見は正しい。年の功だ。  ひとまずランプはいろいろな店を見てから決める事にして、まずは純粋に通りを楽しむことになった。  「これほんとにカシミアか?」と疑わしくなるような中東風の模様で織られた格安カシミアストールや『パシミナ』と銘打たれたあからさまに怪しいカシミア風のストール。そしてとにかく多い絨毯。  どれもわくわくするような品物ばかりだったのだが、中でも特に私と友人の心を捉えたのがアラブストリートの一角にある香水瓶のお店だった。  エジプトやドバイから直輸入しているという嘘かホントか分からない香水瓶たちは色も形も見ているだけでうっとりしてしまう程美しく、ラクダや象をかたどった可愛らしいデザインのものまであった。  手作りのためか手に取って見ると完全に密封される仕様ではないため実際に香水を入れたら物凄い勢いで揮発しそうなのだが、そんなことはこの美しさの前では些細な問題だ。外からの光を浴びて輝く香水瓶たちは、その美しさだけで十分すぎるほどの価値があった。
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 迷いに迷って幾ばくかの香水瓶を購入した私たちが満足げに店を出ると、友人があるものを見つけて駆け寄った。  「ここここ!チャイのお店!」  友人が事前に調べてくれていたアラブストリートですこぶる美味しいチャイを出すというその店は、見るからに年季の入った店構えで、年季の入った店内で年季の入った店主のおじさんが年季の入った食器をかちゃかちゃさせながら素手でチャイを作っていた。  泥水やん。  と思ったが友人には言えなかった。友人はここのチャイを飲むのを本当に楽しみにしていたのだ。店に近づくと店の前にはシンガポール政府がホーカー(屋台)につける衛生度でB(ギリギリセーフ)と書かれたステッカーが貼ってあった。  どんな感情でかは分からないが、その店でチャイを飲むことを決意した友人は店のおじさんからコップに入ったチャイを受け取ると店外の席に腰かけ、いそいそと飲み始めた。チャイは濁ったウーロン茶ともニンジンジュースともつかない色をしており、心なしか泡立っていた。  私は正直この旅で、もう友人は脱落したな、と思った。BのおやじがBの手で作りBの食器に入れたBのチャイを飲んでいるのだ。食中毒待ったなしだ。
 一口二口飲んだ友人は顔をあげてこちらを見、「マジで美味しいよ!一口飲まない?」と言ってきた。私は「えー!?いいよぉー」と言った。よくそんなもの他人に勧めるよな、といった気持だった。  結論からいうとこのBのチャイは友人の体調に何の変化ももたらさず、私はこの時飲まなかった事を今でも少し後悔することになったが、それはもう結果論だ。あのBのチャイを飲んで無事に済む奇跡がたまたま訪れたにすぎない。  ともあれチャイも飲んですっかりアラブストリートに慣れた我々は、人の好さそうな夫婦の店で四千円でトルコランプを、そして数百円で謎のストールたちを買い集め、達成感と共にアラブストリートを後にした。  きっとこれでもまだぼったくられているのだがもうそれでもいい。日本でトルコ人おやじと対等に渡り合い価格競争できる人間なんてきっと大阪人くらいのものだろう。私の力では遠く及ばないのだ。  ちなみにこの時買ったトルコランプ、「本当に綺麗でうっとりしちゃう!」のは間違いないのだが日本の電圧の関係か明るさが四割減ぐらいになっており、「日の光の中では明かりをつけても全く分からないため完全なる暗闇の中でしか使えない。そしてとりたてて周囲の何かを照らすほどの光量もないため、ただ暗闇の中ぼんやり光るこいつの美しさを愛でることしかできない道具」と化している。  暑さと交渉疲れでだいぶ疲弊してきた我々だが、再び地下鉄を乗り継ぐと次なる目的地へと向かった。  辿り着いたチャイナタウンは、比較的慣れ親しんだ光景だった。基本的にカラフルな建物が多く、頭上にはずらりと提灯が吊るされている。台湾の夜市で見かけたようなカラフルな布に入った箸やけばけばしい色の中華風雑貨がところ狭しと並び、明らかにパチモンの面白Tシャツやキーホルダーなどが売っている。どちらかといえば日本にある中華街に近い陽気で雑多な雰囲気だ。  せっかくなのでちょっと見て回るか、と店をひやかして歩いていると、ヒンドゥー教のものだろうか、原色で色を塗られた神様や牛の像が雛人形の祭壇よろしく高く積まれた寺院が目に入った。
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 「凄い!凄くない!?」  宗教施設に目のない私と友人が吸い寄せられるように近寄ると、寺院の前には大きな看板が出されていた。この施設の由来か何かだろうか。  興味津々でそれを読むと、そこにはこう書かれていた。  『この寺で写真を撮ると金を貰います』  凄い…。中国人の生きる力凄いわ…。神をも上回る集金力。そう思うと我々は、そっとその場を後にした。  元来、私たちがこのチャイナタウンに来た目的は、寺社めぐりでもなければ中華アイテムを入手したかったからでもない。どうしても食べたいスイーツがあったからだったのだ。  このチャイナタウンには多くのスイーツショップがひしめいており、中でもマンゴーとストロベリーアイスを雪のようにふわふわに削り、その上からフルーツソースとイクラのような謎の球体をかけたスイーツが飛び切りおいしそうで有名なのだ。  目当ての店に入り注文を終えた我々は、空いている席に適当に腰かけた。  店内は超満員で食べ終わった人間が席を立つとすかさず店員が食器を片付け、それと同時に別の客が座る、といった具合だったのだ。  私と友人は件のマンゴーストロベリーアイスを頼んだ。友人に至ってはそれとは別に、マンゴータピオカミルクまで頼んでいた。  実際に席まで運ばれてきたスノーアイスはパンフレット通りの鮮やかさで、大きさは想像の1.5倍ほどだった。そのうえ横には苺とマンゴーが添えられている。
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 「めっちゃ綺麗!めっちゃ美味しそうじゃん!」  「いいね!良くない!?」  乏しい語彙でひとしきりアイスを称賛した私と友人は、ついにスプーンをとってアイスをひとすくいした。  雪よりも軽く柔らかいそのアイスは、すくっている手ごたえがほぼないほどだった。  ふわりとすくったアイスを口に入れる。  雪だった。結論から言うと、良くも悪くもこれは雪だった。  そのガッツリとした色味から、もっとパンチのあるマンゴー味を想像していたのだが、基本的にはマンゴーの香りが少しする雪、くらいの味だった。つまり、雪。味がほとんどなかったのだ。  「・・・このイクラみたいなの何なんだろ」  誰ともなく呟き横の謎の球体を口に運ぶと、無味無臭の球体がはじけ中から無味無臭の液体が出てきた。  マジでなんなんだこれは。  ふと向かいの席を見ると、友人が肩を震わせて笑っていた。  「どうしたの?」  気味悪がって尋ねる私に、友人は自分の頼んだマンゴーミルクを差し出した。  「食べてみて、これ」  一口食べて、息をのんだ。  「ふふっ…。これ、常温で、無味…無臭…」  何がおかしいのか笑い続ける友人を見て、私も何故か笑いが止まらなくなっていた。  本当だ。はるばるチャイナタウンまできて結構な金を出し、得たものは無味無臭の氷の山。しかも友人の小皿いっぱいあるマンゴーミルクに至っては完全に常温。常温で無味無臭。これ、どうすればいいんだ…。  「無味…無臭…」  爆笑しながらそう呟き続ける私たちのもとに、刻々とナイトサファリツアーの時間が迫っていた。
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-yama-san- · 8 years
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運命のルージュ・ノワール☆
 人がこの世に存在するのは金持ちになるためではなく、幸福になるためだ。
 そんなことは重々承知だが、こちとらもはや幸福が脅かされるほどに清貧っぷりを極めているのだ。  私と友人は、一攫千金のチャンスをものにすべくマリーナベイサンズを目指して夜のシンガポールをさまよっていた。
 シンガポールの生温い夜は散歩にはうってつけで、夜風は肌に心地よく、目の前の湾に映る街灯りは流れるままに揺らめき周囲を美しく照らしている。
 そんな良好な環境で��るにも関わらず、私と友人はいい加減この夜半の散策にうんざりしていた。遠すぎるのだ。
 ごく近くにマリーナベイサンズが見えたため、歩いていこうと即断したが、どうやら目算を誤っていたらしい。  我々が思っていた以上に遙かにでかいらしいマリーナベイサンズは行けども行けどもいっこうに姿が大きくならず、近づく気配は全くない。  のみならず大きく婉曲した湾沿いに進まねばならないため最短の直線距離をとることもできず、いたずらにその距離はのびてゆくばかりなのだ。
 蜃気楼かよ・・・こんなことなら地下鉄で行っておくべきだった・・・。  ���悔するがもはや遅い。正直今の場所がどこかすらろくに分からないため、最寄りの地下鉄に行くことすらままならないのだ。
 前回の台湾旅行では移動手段としてタクシーを愛用していた我々だが、シンガポールは基本的に物価が高く、したがって必然的にタクシーの値段も高い。  そのうえ大半のタクシーは観光客と見るやいなや容赦なくぼったくりをかけてくるとの評判で、こんなものを足に使っていたらあっという間に干からびる。  そんなわけでこの旅の移動では比較的価格が良心的でICカードもあるためいちいち駅間の切符を買わずともスムーズに会計もできる地下鉄を愛用しようと心に決めていたのだ。    ひとまずいつ地下鉄の駅を発見しても飛び乗れるようEZリンクカードを探すため、コンビニが見当たらないか夜の街に目を凝らす。  シンガポール地下鉄のICカード、EZリンクカードはコンビニでも購入できるとパンフレットに書いてあったのだ。
 ようやく街角になじみのあるセブン-イレブンを発見し、引き寄せられるように入店する。店員はけだるげなインド人のおっちゃんで、店内をカードを探してうろつく私と友人をこぼれんばかりに目を見開いて凝視していた。  なんなんだ。なにかマズイことやったか?  若干の居心地の悪さを感じつつもねばり強くカードを探すが、まったくもって見あたらない。  けれどもレジの前にはEZリンクカードのちらしがこれみよがしに貼られている。間違いなくここにあるはずなのだ。これはもう、恥を忍んでおっちゃんに聞いてみるほかない。
 「エクスキューズミー!アイウォント・・・EZリンクカード・・・ツー!!」
 身振り手振りでおっちゃんに思いの丈を伝える。
 「ワタシ・・・ホシイ・・・EZリンクカード・・・二・・・。」
 おそらくこのようなゴーレムばりの粗いメッセージを受け取ったであろうインド人のおっちゃんは、何かが憑依したかのようにカッと目を見開いた。  驚く私たちをよそに、更に数秒私たちを凝視した後、レジの後ろからEZリンクカードを二枚取り出す。
 良かった!!意味、通じてる!!  軽い興奮と安堵とともに会計を済ますべく財布を出す我々とは対照的に、おっちゃんはいつまでたってもカードをこちらに渡そうとはしない。こちらを凝視している。
 次の瞬間、おっちゃんがおもむろに口を開いた。  「シュララシャルラァー、ユシャー、ワヤナカナ~・・・。」  カードを示し延々とまくし立て続けるおっちゃん。
 何言ってんだこいつ、と思った。一言も聞き取れない。
 おっちゃんが今喋っている言葉が果たして英語なのかすら判別つかないのだ。ちらりと横の友人を見ると、おっちゃんに負けず劣らず目を見開いて聞いている。  断言してもいい。こいつも一言も理解していない。
 一通りしゃべり終えたおっちゃんは、ひと呼吸おくと、「アーユーオーケ?」と言葉を投げかけてきた。  やはり今まで喋っていたのは英語だったのか!私と友人は同時に声を張り上げた。「ノー!」
 想定外の答えだったのか、驚愕の表情を露わに、目玉がこぼれんばかりに目を見開くおっちゃん。  そんなにびっくりされても困る。親切に説明してくれたところ申し訳ないのだが、事実ウィーアーオーケーではない。一言も理解できていない時点で問題しかないのだ。
 おっちゃんと私たちが互いに目を見開きながら見つめ合うこと数秒、喋りのスピードを若干落としたおっちゃんは、先ほどしたであろう説明を繰り返しだした。  ゆっくり喋られても相変わらず一言も聞き取れない。いくら英語が不得意な我々といえど、まさかここまで理解できないとは。  シンガポール人の喋る英語はふつうの英語に比べて文法やアクセントが独特で、シングリッシュと呼ばれているのは本当だったのか?それか単純に知能の問題なのか?バカだからなのか?
 にしてもまさか再度説明モードに入るとはな。もしかしてこのEZリンクカード、客への説明義務でもあるんだろうか。
 再び長々とした説明を終えたおっちゃんの、「アーユーオーケ?」の問いかけに我々は今度は声を張り上げ「イエス!センキュー!」と答えた。  無論一言も理解していないが、このカードの販売に説明義務が合った場合、再びノーと答えると無限にループする地獄のような世界に突入することが目に見えていたからだ。
 「こいつら・・・明らかに理解していない・・・。」表情筋すべてを使ってそう表現するおっちゃんが更に言い募ろうとするのを遮ってなんとかEZリンクカードを購入した我々は、再びマリーナベイサンズを目指して歩きだした。あとは地下鉄の駅を見つけるのみだ。
 夜道を歩き続けた我々は、結局、途中地下鉄の駅を見つけることのないままマリーナベイサンズにたどり着いた。間近で見たマリーナベイサンズは、上層階が反り返っているわ二股に分かれているわそのうえ船が乗っているわで、期待を裏切らぬ前衛っぷりだ。
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   外のどでかい噴水に外人女性の顔を写す謎のショーを一通り鑑賞した後ドアを開け中にはいると、吹き抜けかと思えるほどの高い天井のもとガラス張りのショーウインドウに囲まれた高級そうな店々が居並んでいた。やはりホテルと言うよりは商業施設としての側面が強いようだ。    マリーナベイサンズの中を通って我々は、まずカジノより先に併設されている植物園、ガーデンズ・バイ・ザ・ベイを目指すことにした。    ガーデンズ・バイ・ザ・ベイとは、植物園に近未来的な建物群を融合させた、なんだかよく分からんがとりあえず超近未来的なテーマパークだ。  この雑な説明文からも分かるように、私はさして興味は無かったのだが友人は「絶対に空中散歩をする!」と意気込んでおり、ひとまず24時間営業のカジノは後回しにしてその植物園へと向かうことになったのだ。
 マリーナベイサンズから遠目で見た時点で、このガーデンズバイザベイの「近未来っぽさ」は炸裂していた。  高さ五十メートルのそびえ立つ数十本の巨大な人工樹達。そしてその木々の間を繋ぐように空中歩道ができており、そのうえその歩道や人工樹達は夜闇の中で様々な色に発光しているのだ。  その横には「風の谷のナウシカ」にでてくるオウムを数十倍大きくしたようなフォルムの透明な二つのホールがごろんとあり、そちらも負けじとライトアップされている。  もはや近未来を通り越してファンタジーの世界。オタク丸出しの例えをさせて貰うならば「ここ、FFじゃ~ん!!」という場所なのだ。
 ちなみに先ほど友人が抱負として掲げていた「空中散歩」とはこの巨大樹の間の空中歩道を歩く事であり、高所恐怖症の私からしてみれば正気の沙汰ではないのだが、観光客には幻想的で美しいと大層評判がいいらしい。
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  そんなわけで、まずはマリーナベイサンズ内にある連結通路のある階に向かうこととなったのだが、この時点でもう私の心は折れた。
 吹き抜けになっている一階のフロアから、高さ七~八階くらいのフロアまで、一本のエスカレーターが通っていたのだ。しかもとりたてて下に支えはない。たとえるならばべらぼうに長いハシゴをどっかから持ってきて「よっこらしょ」と立てかけたままの状態なのだ。
 友人も私も、どちらともなくこう言っていた。  「折れるんじゃね・・・?」
 何の建築学の知識もないが分かる。このエスカレーターは地震がくれば確実に折れるし地震が来なくとも老朽化により折れる。  エスカレーターの上で、あまりの高さに高所恐怖症の私は腰を抜かさんばかりにビビっていたし、とりたてて高所恐怖症ではない友人もビビっていた。  もともとこのマリーナベイサンズという建物自体が、近代的さ、スタイリッシュさを最重要視しており、その代償として安全性をドブに捨てていることは随所に散見されていたのだが、いざ自分の安全性がドブに捨てられるとなるとその怖さは半端じゃない。
 今地震が来たら完全に死ぬ。完全に死ぬやつだよぉ~。  私が心の中での神との対話をひとしきり終え、長すぎるエスカレーターが上階へたどり着いたころには「絶対に空中散歩するわ!」という友人の気持ちは「空中散歩やめとくわ!」という気持ちに変化していた。  即断。そして賢明な判断だ。ありがとう。    連絡通路からしばらくライトアップされた植物園を鑑賞した我々は、ようやくカジノへと向かった。  カジノの入り口はどうやら地下フロアにあるらしく、矢印に従いエスカレーターを降りると入り口らしきゲートがあった。  ゲート前には入場客をチェックするスーツ姿の人物が数名、そしてその前に並ぶ入場待ちの客の列がある。  ゲートは一般用と外国人用の二つに分かれており、外国人専用の入り口ではパスポートによる本人確認が次々と行われていた。マリーナベイサンズのカジノは通常入場料が五千円程度取られるところ、外国からの観光客の場合はパスポートを提示すればその全てが免除されているのだ。  税関の審査のようなその列に、私と友人もさりげなく並び、辺りの張り紙を見渡す。  どうやらカジノ内での写真撮影は不可、大きな荷物の持ち込みも不可のようで、入り口付近にバッグなどの預かり所と受付がある。さらに言うならドレスコードもあるようだ。  私も友人もまぁまぁの大きさのバッグを携帯してはいたのだが、恐らくここで拙い英語でバッグを預けようとしても先ほどのコンビニと同じ地獄の再来となるだろう。  ドレスコードに至っては、サンダル履きのうえ持っているバッグはボロボロだ。なぜだかこの国に降り立った瞬間、私の合皮のバッグの皮部分がボロボロと剥がれはじめ、今では内部の布がむき出しのズダ袋になっているのだ。  どのようなドレスコードであれ、確実にアウトだろう。こんなヘンゼルとグレーテルばりに通る道筋に合皮をまき散らす女が通れるのならばゲートなどないも同然だ。
 とりあえず無視して強行突破するか。もし注意されたらその時預ければいいか。バッグは捨てよう。
 面の皮の厚さを存分に活かしかまわず並んでいたところ、意外なことに特段とがめられることもなく検査員の元までたどり着いた。  スーツ姿の検査員はパスポートの写真と私の顔をチラッと見比べると「オーケー。」とだけ告げてゲートを示した。  良かった。ちょろいもんだぜ。何か英語で質問されたら一言も答えられないところだった。
 余談だがこの時友人はなぜが検査員から「オゥ。○○○○(友人の名前)?」とフルネームを聞き返されており、それに「イエス。」と答えたところ堪えきれず検査員が吹き出すという体験をしている。  その後別のアジアの国に行っても税関等で友人の名前を知った検査員が耐えきれず笑い出す事が多々あり、「自分の名前はアジアのどこかの国の言語だと何か卑猥な意味なのでは・・・?」と悶々とする事になるのだが、それはまた後の話だ。
 無事審査を終えた我々が足を踏み入れたホール内で、一番はじめに目に飛び込んできたのは煌々とした照明と、吹き抜けの天井のもと空中に広がる金のリボン達だった。  いったい何なのかさっぱり分からないが、幅四五十センチ全長数十メートル、厚さは5センチほどはありそうな金属製の無数の金のリボンを本来一階の天井があるべきであろう程度の高さで宙にぶちまけ、その瞬間に固定したような豪華絢爛な謎の装飾がホール中に施されていたのだ。  なんなんだこれ・・・掃除とかどうやってるんだ・・・。  圧倒される我々の前にはこれまた金の模様が施された赤い絨毯が見渡す限りに広がっており、その上にはこれまた無数の巨大スロットが立ち並び賑やかな音をたてていた。  凄い・・・!これがカジノというものか。  実は私がシンガポールで最も楽しみにしていたイベントの一つがこの人生初ギャンブルであるカジノであり、軍資金としてなけなしの五万円を握りしめてきていたのだ。この豪華さにスケールの大きさ、まさにカジノ、まさにギャンブル。相手にとって不足なしだ。
 辺りを見回すこと数分。どうやら私たちが入ったこの位置はスロットコーナーにあたるらしい。  あたるらしい、のだが冗談抜きで千台以上は軽くありそうな巨大スロットの群れが視界いっぱいに広がっており、このホールのどこにカードゲームやルーレットのコーナーがあるのかてんで見当もつかない。
 ひとまず全体を把握しなければ話にならない。そう結論付けた我々は、場内をぐるりと見て回ることにした。  はじめは装飾の豪華さに圧倒されて萎縮していたが、よくよくみれば客層自体はどうという事のない一般人だ。  今までカジノに対する知識がルパン三世しかなかったため、カジノといえばスーツ姿の金持ち紳士と赤いカクテルドレスを着た美女がいるものだと思っていたのだが、現実はどこにでもいるおっちゃんやおばちゃんがひしめいている。服装もいたって普段着で、カクテルドレスはおろかユニクロやしまむらで一式揃えましたと言われても納得するような格好の人が多数派だ。  実際サンダル履きにズタ袋持参の私が入場できたことといい、ここのドレスコードの運用基準はかなり緩いらしい。  また、場内にはスロットの使い方等を案内してくれそうな従業員はおらず、代わりにスーツを着た強面の男性達がいる。人相から見るに、これはおそらく客を取り押さえる要員で案内要員ではないだろう。 
 スロットコーナーに関しては、掛け金5セント程度で遊べる少額の台から高額の台まで、実に様々な種類がある。  五セントと言えば五円くらいか。  ならばとりあえず少額スロットでもやってみるかということで、友人と私は並んで適当な台に腰をかけた。まずは百円程度から始めようと、一ドルを見よう見まねで台に投入する。  スロットは昔ながらのスタンダードなもので、回転する絵柄をボタンを押して揃えれば大当たり、といった至ってシンプルなものだった。  正真正銘人生初のギャンブル、気合いも入ろうというものだ。
 結論からいうと盛り上がらないことこのうえなかった。
 一応何回か絵柄もそろいあたりも出たのだが、もともとかけている金額が約五円であるため当たったとしても数十円程度、マシーンに表示されている投入額が百円から百五十円に上がろうが、七十円に減ろうが、私達の心は驚くほど動かなかったのだ。  「喜びを感じる・・・?」  「いや・・・。むしろこの台、中途半端にあたりが出続けるから投入額がほとんど減らなくて無限にスロットのボタン押すことを強いられてるんだけど…。そっちは?」  「全く同じ状況だよ。このボタンもう百回くらい押してるんだけど、正直最初の十回くらいで飽きたから、残りの九十回以上はただの作業だわ・・・。」
 華々しいカジノにはそぐわない暗い表情で友人とぼそぼそと会話を交わす。  周りに並ぶ数十台の5セントスロットはほぼ中国人と思しき中年男性と中年女性で埋まっている状況だが、みんな本当に何が楽しくてこの作業を繰り返しているんだ・・・?  この掛け金なら当たりに当たっても一時間で千円程度にしかならないんじゃないか・・・?なぜ普通に働かない・・・?
 少なくともスロットではギャンブルの楽しさを見出せそうにないということを理解した我々は、新天地を目指すべくそっと台を離れ、スロット以外のコーナーを目指しひとまず壁伝いに歩いていくことにした。もはや巨大迷路と同じ扱いだ。
 思いの外ギャンブルを楽しめないのではないかという僅かな不安と焦りの中、ふらふらとホール内をさまよう私達の前に思いもかけぬ喜びが出現した。ドリンクバーだ。無料のドリンクバーがそこにはあった。  たかだかドリンクバーとあなどるなかれ。実はシンガポールの軒並み高い物価は飲食物にもガッツリ影響しており、ただの水であるはずのエビアン一本ですら二三百円は平気でするのだ。  そんな中満足に水分補給もできず長々と歩いていた私達の前に突如として現れたドリンクバー。  入っている中身はコーラにジュースにお茶といった、ファミレスのそれと大差ないものだったのだが、物価の高いこの国で、それらを無限にタダで飲ませてくれるなんて。なんという大盤振る舞い。なんというバブル。さながら砂漠に出現した輝くオアシスのようなものだ。  喜々としてドリンクバーに近づき紙コップについだコーラをがぶ飲みする。乾いた身体にコーラの冷えた炭酸が染み渡る。たまらなく美味しい。  ドリンクバーには紙コップのほかにもマリーナベイサンズの文字が印刷されたペットボトル入りのミネラルウォーターも置いてあり、スロットなどで遊ぶ際には自由にこれをとって傍らに置いてくださいね、ということらしい。
 ありがてぇ・・・ありがてぇよぅ。  もうスロットで遊ぶ予定はさらさらないが、友人と二人でペットボトルをバッグにつっこむ。もはや盗人だ。
 邪悪な笑みを浮かべながらもすっかり気持ちの回復した我々は、ようやくスロットコーナーを抜け次なるエリアに突入した。どうやらここはルーレットゾーンらしい。
 ルーレットといっても実際回っているルーレットの台は前方にある一台だけで、周りにある数十台のゲーセンにある格ゲー台のような謎のマシーンがその一台のルーレットの映像をそれぞれに映しだしていた。  どうやらこの一台のルーレットに、周囲のマシーンを使っている数十人の客が各々賭けているようだ。
 ルーレットといえばカジノの花形!是非ともやらねば!  これまた意気揚々とマシーンに座り見よう見まねでひとまず一ドル札を投入する友人と私。これからが伝説の始まりだ!
 プレイを始めること十数分。
 おかしい。   最初にベットした一ドル札がいっこうに減らないのだ。  外れていてもなくならない。のみならず当たっていても増えない。  つまり始まって今に至るまで、思い悩んで様々に賭けても全てノーカン状態で、機械に表示されているベット額は一ドルのままなのだ。
 どうなってるんだこれは・・・?故障か・・・?
 困惑した我々は、賭けることをひとまずやめてひたすら機械を見つめることにした。
 やはりどう見ても、前方の台でルーレットが回ると機械にその映像が映し出され、各々が賭ける数字や色を選ぶ、ルーレットが止まりそうになったらベット終了、止まった場面が映し出され当たったか外れたのかが画面に表示される、の流れだ。  うん。どう見ても間違いはない。間違ってはいない。
 私が自らの正しさに確信を深める一方で、何かに気づいたらしい友人は小さく息をのみ、聞き取れないほどの小声で呟いた。
 「違う…。」
 「何が?」
 続きを促す私を半笑いで見遣り、言い辛そうに友人は続けた。
 「これ、最低ベット額が五ドルからなんだよ・・・。だから一ドルだけ入れてもゲームが始まったと認識されないんだよ・・・。」
 沈黙した。
 確かに友人が指す場所を見ると「~~5$~~」と何行かにわたって注意書きが書いてある。ミニマムっぽい単語も見受けられるし、どうやらここに「最低ベット額は五ドルだよ!」的なことが書いてあるのだろう。  またしても生き恥を重ねてしまったようだな。もうー注意書きならちゃんと目につくところに書いておいてよね、プンプン!まぁ、いくら書いてあったところで私は読めなかっただろうけれども。    にしても最低ベット額が5ドル(約500円)からはちょいと高すぎやしないか?  先ほど5セントのスロットで「こんなはした金をかけたところで何の喜びもない」と散々クレームつけておいてなんだが、高くなれば高くなったでクレームをつける性分なのだ。適正価格が見つからない。    「よっしゃ、とりあえず賭けてみよ!」    ともあれ気合を入れて5ドルを投入し、思い切って赤にかける!情熱の赤!はずれた!無くなる500円!  横を見ると友人もはずれている!すごいぞ!一瞬で千円がなくなった!
 正直テンションだだ下がりっすね・・・。
 その後も数回賭け当たりとはずれを繰り返すが、精神は凪いだままだ。公文式を解くときと同じくらい淡々としている。  どうしよう。あれだけ楽しみにしていたカジノなのに、喜びを感じない。シンガポールに旅先を決めた三割くらいの理由がこのカジノなのに。  やっぱり機械だからよくないのかな。ちゃんとカジノっぽくディーラーのもとで駆け引きをしてこそギャンブルの楽しみがあるのでは…?    困惑とともに席を立った我々は、即座に声をかけられた。  「ファーナーシャンランリャーリャー?」  声の主は普段着姿の中国人のおばちゃんだった。  困惑するこちらにはおかまいなしに続けざまに中国語でマシンガントークを炸裂させるおばちゃん。  どうやらこのおばちゃん、スロットで勝ったらしく、100ドルの金額が書かれたレシート的なものがマシンから出てきたのだが、いったいこれをどうやったら現金に交換できるか分からないようなのだ。  そんなわけでとりあえず、現地の華僑と思って私と友人に聞いてきたらしい。  知らんがな。あいにくこちとら日本人旅行者なのだ。それも最低ベット額すら読み取れないほどの知能のな。  「そーりー、アイムジャパニーズ。」  残酷なようだがおばちゃんに真実を告げる。  しかしおばちゃんの顔には微塵の動揺もなかった。  「そうなのか。じゃ、後はお前に任せたから。」  さながら浜辺に寝そべるトドの如し。全身を使いそう表現している。
 嘘だろ・・・。  思いがけないおばちゃんの反応に途端にどうしていいか分からずおろおろする私と友人。  普通相手が外国から来た旅行者と分かったら諦めて他をあたるだろ・・・?なんでそのまま委ねるんだ・・・。    ちなみにこの先もこのシンガポール旅行中に現地の華僑と思われて旅行中の中国人に頼まれごとをすることがままあったのだが、おかげで学んだことが一つあった。  中国人に頼まれごとをした時は「旅行中の日本人であること」「英語が喋れないこと」などをアピールして断ろうとしても全くの無駄だ。  「そうか、じゃあお前に任せたから」状態に相手が移行し、結果なぜだか相手の願望を叶えるために貴重な旅行中の時間を消費し試行錯誤する羽目になる。文化の違いなのか婉曲的に断っても相手に断っていると伝わらないのだ。  「ノー!そーりー!」とだけ一方的に告げてその場を去る。断るにはそれしかない。
 さておきそんなことも知らない私たちは完全に「待ち」の体制に入っているおばちゃんのため、仕方なく換金機械らしきも���を探すこととなった。  あたりを歩き回り見渡すと、両替機くらいの大きさのディスプレイのついた機械があった。  なんだか凄くそれっぽい感じだ。おそらくこれが交換機だろう。
 さっさと解放されたい私たちは機械を指し示し片言でその事を告げるも変わらず「そうか。」の姿勢を崩さないおばちゃん。  完全にエクスチェンジまでこちらに一任する構えだ。
 もう知らんぞ・・・。知らないからな・・・。
 機械に近づき画面に表示されている換金っぽいボタンを押す。  そしておばちゃんの一万円相当のレシートを機械に突っ込む。    急に切り替わる画面表示。画面いっぱいに映る子供たちの笑顔と寄付金で建てられたであろう学校の写真。    完全に寄付した。功徳を積んでしまった。他人の金で。
 本日数度目の顔面蒼白だ。このおばちゃんの押ししかない性格からして、私が誤って寄付した一万を泣き寝入りする可能性は間違いなくゼロ。  なんなら泥棒呼ばわりされて大騒ぎされた挙句、先ほどの強面スーツに取り押さえられるのが目に見えている。  最悪だ・・・。  数分先の未来まで一瞬でシュミレートした私の目の前で、機械は唐突に100ドル札を吐き出した。  あれ・・・?換金できてる・・・?  現実についていけず戸惑う私の前で、満面の笑みを浮かべたおばちゃんが瞬時に100ドル札をむしり取った。  こちらに揚々とお礼を告げ颯爽と去るおばちゃん。  換金できた・・?できたのか・・・?  よく分からないがまぁいいか。だいぶもたついたが結果的に換金方法も完璧にマスターできた。あとはディーラーのもとに向かうだけだ。    ディーラーを探し求める事数分。途中カジノの花形ポーカーの台を発見するも、そこでは客とディーラーが手裏剣さながらにトランプを指で弾き飛ばしながら空中で受け渡ししていた。  この動きする必要ある・・・?こいつらみんなNINJAなのか?  なんにせよこんな玄人じみた動きなんてとてもできない。参加を断念した我々は、次なるカジノの花形、ディーラーのいるルーレットコーナーへと向かった。    ルーレットの台はカジノ1階2階に散開しているのだが、台によって人が群がり歓声の起きているテーブルもあればディーラーがただ一人気だるげに佇んでいる台もある。  とりあえず何の知識もない我々は、他の客の迷惑にだけはならないよう明らかにひとりで暇を持て余している大学生くらいの歳の兄ちゃんの台に薄笑いで近寄って行った。    「シュララララフェェツ?」
 明らかな作り笑いで話しかけてくるディーラー。おそらく「遊んでいくかい?」的なことを言っているのだろう。
 「イエス!ミニマム!ミニマムベット?」
 みすぼらしい身なりのとおり、細客であることを隠しもせず赤と黒の部分を指さし最低ベット額をディーラーに尋ねる。    「オゥ。フィフティーン。」
 1,500円からか・・・。だいぶ高いな・・・。  迷った末に私と友人は750円ずつ後ほど割り勘することに決めた。せっかくカジノに来たのだから、ルーレットくらいは体験しておきたい。人生思い切りだ。  しかしながら「断腸の思い・・・!」と言いながら友人が差し出した15ドルを見ても、ディーラーはいっこうにチップに交換しようとしない。キョトンとしている。
 数秒後、状況を解したらしいディーラーが急に痛ましげな表情を作り苦笑いで口を開いた。  「ノォオーゥ。ゴジューゥ。」
 ・・・日本語喋れたんかい!!  賭ける前からすでに圧倒的恥をかいちまった。どんだけの恥をかきすてればいいんだ。  50ドルということは5,000円か。こっちはもう1,500円で断腸してるんだぞ。正気なのか。  しかしこうなってしまったからにはもうおめおめと後戻りすることはできない。  ボディーランゲージを駆使し、ディーラーから一つの数字に絞って賭けるのなら最低ベット額は2,000円程度で済むことを聞き出すと、我々は各々一つ、二人で話し合いもう一つ、の計三つに賭けることにした。  当たる確率は当初の赤黒が2分の1だったことに対し36分の1と一気に険しくなるが、その代わり当たれば一気に36倍!この旅の豪遊が約束されている。  かたずをのんで我々が見守る中ディーラーの放ったボールは美しく弧を描き、そして一つの数字の下で止まった。
 ・・・はずれた。
 おおかた予想はしていたが全てはずれた。完全にはずれた。    そんな我々の様子を見て、ディーラーが陽気に「再チャレンジするかい?」的な事を肩をすくめながら言っているがそんなわけねぇだろ、である。こっちはもう腸千切れてるんだぞ。
 にしてもなんなんだろうこの闘志のなさは。  あんなに楽しみにしていたのに、二人のうちどちらも「次こそは!次こそは勝てる気がするんだ・・・!!」の様な、ギャンブラーにありがちな感覚に何故か全くならないのだ。「なんだこれ。もう金の引き出せない貯金箱じゃねーか。」状態なのだ。盛り上がらないことこのうえない。   どうやら今回のカジノ体験を通しての唯一の僥倖は友人も私もギャンブル依存症になる可能性だけはほとんどないということが判明した事だけのようだ。めでたいような、めでたくないような。
 もはやギャンブルに楽しみを見出すことを諦めた我々は、代わりにこの広大なカジノを純粋に探索することにした。  カジノの吹き抜け部分をみるに、どうやらこのカジノは4~5階以上まで展開しているようで、各階にテーマカラーでもあるのか、上階から下の階へ赤や金色の光がまき散らされているのだ。上階の様子を伺おうとしても、カーテンやシャンデリアの輝きのせいで全く見えない。  とにかく上へ登ってみよう。  2階にいた我々は、ひとまず3階へと上がるべく上りのエスカレーターを探した。  ようやく見つかった3階へのエスカレーターの周りは静寂に包まれており、3階への案内には「ルビーの間」的な標識がかけられている。  大丈夫なのか。明らかに招かれざる客の私たちがルビーの間に押しかけて、罰せられないか?シンガポールの刑事罰には鞭打ちがあったよな・・・。  不安が頭をよぎるも友人と共に「何かあったらトイレを探す観光客のふりをしよう!『ウェアイズトイレット?』を連呼しとけば大丈夫だ!」   という何の根拠もない防御策を打ち出し、意気込んでエスカレーターに乗った。
 期待は数十秒後に打ち砕かれた。  ルビーの間はどうやら高額な賭けをする選ばれし金持ちにしか入場が許されない場所らしく、エスカレーターを上がってすぐの入口の前にはSPのような男達が入場者の提示する金持ち限定カードのようなものをチェックしている。  きっと上の階に行くにつれ、どんどん入場者が限られてくるのだろう。  はい!入れないねー!  さすがに筋骨隆々のSPを倒してカジノ見学をする気概もなく、我々はドアから中の様子を垣間見るにとどめて下の階へと降りた。  ちなみにちらりと覗き見ると中では一階にいたのと全く変わらないユニクロスタイルの凡庸なおっさんが、うずたかく積まれたチップの山を賭けているところだった。外見から金持ちを判断するのは難しい時代になったみたいだな。
 カジノを後にした我々は、帰りは地下鉄でチャージしたEZリンクカードのおかげで行きの苦労が嘘のようにあっという間にホテルについた。  なんという快適さ。やっぱりシンガポールでの移動は地下鉄に限る。
 ホテルでだらだらと今日のカジノの感想を友人と好き勝手に喋りながら、ふとカバンの中をみるとミネラルウォーターが入っている。無料だったはずのこの水も、本日の負け分のおかげで一本二万円の水に早変わりだ。  人生で最も高い水で喉を潤しつつ、シンガポール初日の夜はようやく幕を下ろした。
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-yama-san- · 9 years
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情熱のチリクラブ☆☆
 マーライオンの国。赤道間近のシンガポールの地に降り立ったのは、9月も半ばのよく晴れた日のことだった。
 世間ではまさにエボラ出血熱が大流行中。連日のようにどこそこの国で新たに罹患者がでたとのニュースが飛び交っており、未だ発症者はいないとはいえ、交易が盛んなこの国での滞在にかすかな不安の影を落としていた。
 しかしまぁそれはそれ、これはこれ。多分大丈夫だという根拠のない自信を胸に夕刻チャンギ国際空港に降り立った私と友人は、ホテルまで向かう車の窓からさっそくこの国のシンボルともいえる代物を目にすることができた。マリーナベイサンズだ。
 今やマーライオンを押し退けてシンガポールの象徴的存在となりつつあるこの高級ホテルは、さまざまなファッションブランド店から飲食店、果ては巨大なカジノまで内包した超巨大複合施設となっている。しかしながらこの施設の最大の目玉はその中身にはなく、その外見にある。天を貫かんばかりの200メートル超えの超高層ビルが三つ連なっているだけでも圧巻なのに、その上に橋を架けるかのように超巨大な船がどっかりと鎮座しているのだ。その船の大きさたるや全長約350メートル。100メートル走を3回繰り返してもまだまだ端にはつかない、息切れ必須のスケール感なのだ。そんなものが空に浮かぶようにビルの上に乗っている。もはや旧約聖書のノアの箱船の世界だ。
 遠目からでも分かるその特異な建物をひたすら凄い凄いと賞賛した我々は、シンガポールで最初の目的地へと向かうべくホテルに着くや否や荷物を置いて歩きだした。  日もだいぶ暮れてきたこの時刻、目的はもちろん今夜の夕飯、チリクラブだ。
 シンガポールに数ある名物料理の中でも一二を争う知名度を誇るこのチリクラブ。調理方法は生きたカニを一匹丸ごと茹でた後に、チリソースをぶっかけさらに煮込むという至って豪快かつシンプルなものになっている。  今回我々が予約したジャンボ・シーフードという店はカニの新鮮さやチリソースの美味しさから地元でも一二を争う人気店で、なによりインターネットからの予約も可能であることからろくに英語がしゃべれない外国人観光客にも親切な仕様になっているのだ。
 そんなジャンボ・シーフードを求めてホテルを出てさまよい歩くこと数十分。  それにしてもシンガポールはマレーシアから独立した人口の8割近くを華僑が占める国で、どちらに転んでもアジア感満載の国のはずなのに、街並みからは全くアジアを感じない。マイアミあたりでも歩いているかのようだ。まぁ、マイアミに行っ��こと自体が無いからよく分からないんだけどな。  見上げれば首が痛くなってしまうほどの高層ビル群に白を基調とした涼しげな建物達、歩道も驚くほど綺麗に整備されており、そしてなにより緑が圧倒的に多い。  至る所に木が植えてあるのだが、道路脇にあるお情け程度の街路樹のようなものではさらさらなく、樹齢数百年は経っていそうなどっしりとした大木や、ちょっとした公園くらいはありそうな木々の茂みがそこかしこにあるのだ。白い建物群と取り巻く緑の組み合わせは目に心地よく、なにより日差しの強いこの国でこれらの木陰は本当にありがたい。
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 街並みの美しさを十二分に堪能した我々は、唯一無二の外見を誇るマリーナベイサンズがランドマークとして大活躍してくれたこともあり、さして道に迷うこともなく無事に目的地のジャンボ・シーフードに到着した。
 たどり着いたジャンボ・シーフードは川沿いに面したアメリカドラマにでも出てきそうなオープン感溢れる店だった。ガラス張りの解放感溢れる店内はもとより、川沿いにはかなりの数のテラス席が設けてあり、開店間もないというのにすでに多くの人が席に座って歓談している。  案内されたテラス席から見える建物はどこか西洋風で、暮れなずむ街並みに比例してぽつりぽつりと橙色の灯りや色鮮やかなネオンが灯ってきている。目の前を流れる川は両側に軒を連ねる店店の明かりを水面に弾いて揺らいでおり、その美しい景色を見ながら散歩する人々の異国語での語らいの声もあいまって、抜群の雰囲気を生み出していた。  今この瞬間に同じく夕暮れを迎えているであろう世界中のあらゆる街角、その中でも特にとびきりの場所に来た。ここの空気は私をそんな気持ちにさせてくれる。時間を気にせずのんびり座りながら、この穏やかで活気ある夕暮れの中、人々の楽しげな語らいの声に耳を傾けていたい。まだ一品の料理も味わってはいないが、もしかするとここは最高の店かもしれないという思いがあった。    ひとしきりあたりを見渡した後、私と友人は目を皿にしてメニューの内容を吟味した。ひとまずチリクラブとその付け合わせの揚げパンは頼むとして、その他の料理を何か頼むべきか。カニ丸々一匹でも相当な量だとは思うが、この店はチリクラブ以外の料理もとびきり美味しいとの評判なのだ。迷いに迷ったあげく、海鮮チャーハンとココナッツジュースを追加注文した。ココナッツジュースに関しては「南国っぽいじゃん!一度は飲んでみたい!」という友人と私のミーハー心が生みだした産物だ。 
 ともあれ、メニューが決まったからには早速注文だ。目があったボーイに大声で「エクスキューズミー!オーダー、オーケー?」と得意のカタカナ英語を炸裂させる。こんなにも語学力がないのにフリープランを断行している事実が恐ろしい。  私達が手にしたメニューを一瞥し、意図を察したらしいボーイは手早く注文を取り終えると颯爽と去っていった。ふぅ。「ディスワン」と「ディス・・・ツー!」しか喋れなくても何とかなるもんだな。やっぱり大切なのは語学力より声の大きさと面の皮の厚さだ。
 一大事業を成し遂げたような気持ちに浸っていた我々の左隣のテーブルに一人の中国人女性がついた。中国の富裕層だろうか、一目でハイブランドの品だと分かる高級な仕立ての服に身を包んだモデルのようなその女性は、流れるような動作でサングラスを外すと、これまた流れるような英語でボーイに注文をした。・・・流暢すぎて一言も聞き取れない。こんな人と私達の様な下々の民が同じ店のテーブルについてるんだから、人生の巡り合わせって不思議なものだ。
 胸を高鳴らせつつ待つこと十数分、ようやく私たちのテーブルに熱々の鍋に入ったチリクラブが到着した。チリというからもっと赤々としたソースかと思っていたが、思いのほか色は薄い。どことなくマイルドそうだ。
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 さっそくカニの足を一つ取ると、テーブルに備え付けられているピッキング七つ道具のような器具を手に取り、苦労しつつもカニの身を出す。カニは身がとりやすいようにあらかじめ亀裂が入れてあるのだが、この時点でもう手はソースでベトベトだ。いちいち拭いていてはキリがない。ベタベタの手には構わずに、ようやく取り出せたカニの身をさらにソースにつけ口に入れる。
 抜群に美味しい。  今まで期待して現地料理を食べる度想像の中で勝手にハードルを上げてしまい、むしろ食べた時には軽く落胆してしまうような事すらしばしばあったのだが、このチリクラブは例外だ。高すぎる想像をさらに上回った。それどころか、正直人生で食べた料理の中でも指折りの美味しさだ。
 さっきまで生きていたというこのカニの身も本当に新鮮でたまらなく美味しいのだが、なによりソースが絶品だった。あんかけのように若干とろみのあるソースは見た目に反してかなり辛く、一口ごとに水を飲みたくなるほどなのだが、とにかくべらぼうに美味しい。食べた瞬間、汗が吹き出るような強烈な辛さが舌にくるが同じくらい強烈で濃厚なうまみも舌にくるのだ。このうまみって一体なんだ。カニのエキス的なものが染み渡っているのか。貧乏舌の自分には味の発生源すら分からない。  ともあれそんなソースに茹でたてのカニを好きにつけて食べるのだから、それはもう美味しいに決まっている。ひたすらに美味しい。辛いものが苦手な友人ですら、涙目になりながらも手を止められないでいる。正直私の所得が高ければ、このチリクラブを食べるためだけにシンガポールに年に数回は来るだろう。
 箸休めに揚げパンを手にする。バターロールの半分ほどの大きさのこのパンは、四角い形に溶かした砂糖でコーティングでもされたかのようなつるりとした光沢をたたえており、パンというよりは一口サイズのハニーディップドーナッツのようだ。ちょうど作りたてなのか熱々のなめらかな外の生地はパリっと焼けており、手で引き裂くとパリパリと軽やかな音をたてる。中の生地はもちもちで、少しだけ甘みのあるその生地をチリソースにつけて食べるとこれがまたたまらなく合う。  語彙の少ない者同士、友人とひたすら「うん、美味しい」という言葉のラリーを繰り返し、一心不乱にチリクラブに手を伸ばしていたところ、追加のチャーハンもテーブルに現れた。改めて書くまでもないが当然の様に美味しい。適度な薄味で仕上げてあるため味の濃いチリクラブと絶妙なバランスを生み出しており、単品でも十二分に美味しいのだが、余ったチリクラブのソースにカニの身をほぐしたものをいれ、あんかけチャーハンとして食べたときなどはもう、もんどりうつかと思うほどだった。
 ことごとく期待を上回る逸品を提供され、笑顔しか浮かべられなくなった私たちが半分ほどカニやチャーハンを食べ終わった頃、最後の一品、ココナッツジュースが到着した。  「わぁ・・・!」  私たちは思わず歓声をあげた。これまた想像以上!ココナッツジュースはなんとココナッツの実のまま提供されてきたのだ。両手で球を作ったくらいの大きさのココナッツの実は上から数センチほどを地面と水平にすぱっと切り込みを入れられており、その隙間にストローがさしてある。  凄い!なんて南国らしいんだ!ココナッツなんてはじめて見た!私たちのミーハー心が求めているものを軽々と超えて提供してくれるだなんて!この店はなんて素晴らしいの!期待と喜びで胸が張り裂けそうだ。
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 結論からいうとココナッツジュースと中華料理は恐ろしく合わない。  「ああ、なんかこれ。昔ガジガジかじったサトウキビに似てるわ・・・。」「甘い樹液だね。植物の汁飲んでる感じがする・・・。」私達が会話で決して「うまい」との単語を発さないことからも分かる通り、ココナッツジュースはココナッツの汁といった方が良いような味だった。  少しは気分を変えようと、ココナッツの蓋をとり、中身の白い果実の部分をスプーンですくい口に入れる。果肉はナタデココの様な瑞々しさのある美しい白で、きっと市販のナタデココヨーグルトゼリーのような味だと思っていたのだが、無味無臭のぶよぶよとした味だった。  「ねぇ!ほら!この中身!真っ白!ココナッツが食べれるよ!」  一人だけ不味い思いをするのもしゃくなので、向かいに座る友人にもしきりに勧める。  見た目だけはとびきり美しいその果肉にいたく興味をそそられたらしい友人は蓋を取って食べようとするも、友人のココナッツは蓋となる部分の切断が甘かったのか、しっかりくっついてしまっておりスプーンですくう隙間がない。仕方なく手で蓋をちぎろうとしているが、繊維がしっかりしているのかなかなかちぎれない。  まさか諦めるんじゃないだろうな。被害者が自分ひとりになる事を恐れた私は「せっかくの一生に一度の機会にココナッツを食せないだなんて!」と友人を煽りたてる事に専念した。その事を今でも後悔している。  友人が力を込めてココナッツのふたを引きちぎろうとしたその瞬間、あまりの力に耐えかねたココナッツのふたが友人の手から弾けとび、あろうことか隣のハイブランドお姉さんの額に激突したのだ。  突然の出来事に友人もお姉さんも呆然としていた。友人は不意に手元から消えたココナッツの蓋を見失い呆気にとられていたし、お姉さんはデコに瞬間移動もかくやという勢いでぶつかってきた木の破片のようなものにひたすら困惑していた。  けれども私の席からは一連の流れが完全に見渡せていた。視界の右側にあったはずのココナッツの殻が、なぜ今左端にあるのか。その意味を知っていた。  中国語さえ堪能なら困惑するお姉さんに「それは私の友人がゴリラばりの怪力で引きちぎったココナッツの蓋です。あまりの力に勢いそのままに友人の手からすっぽ抜けフリスビーのように飛来した挙げ句、あなたの額に激突したのです。本当にすみません。」と心を込めて謝罪するのだが、そんなことはできない。今できるのは友人をつついて、「ちょっと・・・!」とお姉さんの方を向かせる事だけだ。  隣の席のお姉さんを見た友人は、お姉さんのテーブル上にある見慣れたココナッツの蓋と額をおさえながら怪訝そうな表情を浮かべるお姉さんを目にし、即座に状況を理解した。  「すみません!ソーリー!!」  反射的に立ち上がるや、凄い勢いで頭を下げ全力で謝る友人。  「オーゥ!ジャパニーズDOGEZA!サムライネー!ハラキリネー!」  一方直接的には何の関与もしていない私は、これからお姉さんが喋ることを勝手に脳内アフレコし楽しんでいた。一応友人にあわせてすまなそうな表情を作ってはいるが、完全に高見の見物だ。  私の期待とは裏腹に、友人からの熱烈謝罪を受けたお姉さんは「オーゥ!ベラベラベラベラべラ!オーケ!」と笑顔で応じていた。途中の言葉は一言も分からなかったが、文末がオーケーであるあたり、どうやら許しを得たようだ。笑顔というより苦笑に近かったが、それはもう仕方ないだろう。顔面にココナッツを叩きつけられた直後に相手に対して満面の笑みを浮かべるだなんて、マザーテレサでも不可能だ。  許しを得た友人は、その後何度か「ソーリー」を連呼すると、ようやく席に着いた。目の前には蓋が完全に消失したココナッツがある。多大な犠牲をはらったその果肉をおもむろにスプーンですくい口に運んだ友人は、一瞬「こいつ、かつぎやがったな。」という表情をしたが、それを口には出さなかった。ココナッツの不味さ以前に、先ほどのゴリラ腕力ココナッツ事件の衝撃から未だに立ち直れていないのだ。  「・・・やっぱりさぁ、言葉って分からなくても、気持ちは伝わるものだと思ったわ・・・。」長い沈黙の後、無味無臭のぶよぶよココナッツを無表情で噛みしめながら友人がそう口にした。  「いや、ほんとにね。すごい気持ち伝わってたと思うよ。こいつめっちゃ謝ってるなって思ったもん。すげぇ謝ってるって。」  自らのハラキリアフレコは心にしまい、しみじみと友人に同意した。  気づけば日はもうすっかり落ち、私たちはココナッツ以外のすべてをペロリと平らげていた。
 「チェック!プリーズ!」  相変わらずのカタカナ英語でボーイを呼び会計をすますと、ちゃっかりお土産用のチリソースまで買い、私たちは再び夜の街並みを歩きだした。
 目的地はもちろん言うまでもない。こんなに気持ちのいい夜に、目と鼻の先に輝くカジノがあるってのに他にどこに向かうというのだ。    マリーナベイサンズは夜空を泳ぐ鯨のように輝いている。
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-yama-san- · 9 years
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最後の晩餐ぶっとびスープ☆
 「シムラケン、キテルヨ。」
 もう何度目になるだろう。  志村けんの来店アピールと共に、メニューより先にラミネート加工されたA4サイズの写真を見せつけられたのは、昼下がりの中華料理店でのことだった。写真の中ではこの店の料理に囲まれた志村けんがこれまた穏やかな笑みを浮かべている。  どんだけ台湾に行ってるんだ志村けん。それともたまたま、志村けんの行きつけスポットを私たちがピンポイントで訪れているんだろうか。なんだかもう、志村けんの足跡をたどる熱烈なファンのような旅になってしまった。
 時は台湾旅行最終日。  私たちは二泊三日のこの旅を締めくくるにふさわしい台湾絶品料理、「沸跳牆」を食べるためにここに来ていた。   沸跳牆とは、別名ぶっ飛びスープとも呼ばれている一品で、友人曰く旨すぎてこれを食べたら仏でも驚きのあまり飛び跳ねてしまう事からこの名がついたらしい。  と思っていたのだがこの記録をつけるにあたって念のためウィキペディアを調べてみたところ、「あまりのおいしそうな香りに修行僧ですらお寺の塀を飛び越えてくる」という詞からこの名がついたらしい。  だいぶ違う。恐ろしく適当な知識を振りまく女だ。だいたいいくら旨いからといってたかだかスープ程度で飛び跳ねる様な仏なんて煩悩まみれじゃないのか。
 それはさておき、そんな何人たりとも虜にしてしまうこのぶっ飛びスープ、味もぶっ飛びだがお値段もぶっ飛びで、価格は二人前で1万2千円程度。  それもそのはず、このスープはフカヒレに始まりアワビや冬中夏草にいたるまで、十数種類の高級食材をこれでもかと入れ長々と煮込んだ高級薬膳料理なのだ。  本場台湾の人々ですら正月や結婚式などにしか食さないというこのスープは下準備の都合上数日前から予約を入れねば食べられないのだが、台湾に来た以上は是非とも食べたいという一心で、実は台湾到着初日から店に予約を入れていたのだ。
 そんなこの旅の最後を彩るにふさわしいその一品は、つるりとした白い壺に入れられテーブルへと到着した。食べ物の器に対しての表現としては本当にどうかと思うが、ちょうど骨壺くらいの大きさだ。
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 壺のふたをとると中にはぐつぐつと煮込まれとろとろになったフカヒレや、ごろごろとしたアワビの姿が見て取れる。  おお・・・!!  言葉を失った。自慢じゃないが生まれも育ちもど田舎の貧乏長屋もかくやといった出自であるため、この歳になるまでちゃんとした中華料理店でフカヒレやアワビの姿煮を食べるなどといった機会にはとんと恵まれていなかったのだ。それがまぁ、まさか本場の台湾で、その二つを同時に食すことになろうとは・・・!!  壺からはなんだかよく分からないが、魚介とキノコ的なものをさぞかしよく煮込んだんだろうな、という芳醇な香りが漂っている。コンソメスープの様なおしゃれ感のある匂いでは全くなく、山道を迷いに迷って行きだおれていたところ、それを助けた洞窟にすむ猟師が火にくべた鉄鍋から漂っていそうな匂いだ。原材料はよく分からないが美味しそう。おじやなど作ればだしが染みてさぞかし美味しいのだろうな、と思わせる匂いだ。
 ともあれ期待は最高潮。配られた取り皿に壺からおたまで豪快にしゃくった具材達をごろごろと盛りつけ、黄金色のスープを上からひたひたになるまで注ぐ。    おお・・・なんだかすごく美味しそうだ。中国四千年の歴史を感じる。きっとこの一口目のスープを口にした瞬間、かつてないほどのうまみと幸せが私を包むに違いない。    期待に胸を膨らませながら、熱々のスープをレンゲですくい、口に含む。全神経を舌に集中させとくと味わう。    雑煮の味がする。  不味くはないが飛び上がるほどには旨くもない。正月に出される雑煮の味がした。  友人を見遣ると同じく複雑そうな表情をしながら黙々とスープを飲んでいる。きっと同じように「とびきり旨いって程ではないな・・。」と内心思いながらも大枚はたいて注文した以上言い出せないでいるのだろう。かくいう私も口に出したらその瞬間に事実を確たるものにしてしまいそうで言い出せないでいる。
 今更ながらだが、これはもうちょっと歳をとってから食べた方がよかったかもしれないな、と思った。小さい頃嫌いだった煮物や味噌汁が歳をとってから味わいが増すように、きっと人の舌は歳をとる度に薄味のものの味の幅が広がるのだろう。このスープもまたその手の類の食べ物で、壮年に差し掛かる人物が食べれば普段の汁物との違いは歴然だろうが、生憎ながら私達が食べても雑煮と同じカテゴリーにざっくり分類されるだけなのだ。
 うん。雑煮と同じ味だな。再びレンゲを口に運びその事実を再度確認する。この壺いっぱいのスープを消費するのに、いったいあと何回程これと同じ動作を繰り返せばよいのだろうか。  気を取り直そうとスープからは箸を遠ざけ、ふかひれやアワビを食べることにした。  一瞥してじっくりと煮込まれたことが見て取れる両者を口に運び、噛み、飲み込み、そして悟った。我が人生にはアワビもフカヒレも大して必要はない���うだな。
 正直アワビを食べても「肉厚な貝だね!」という感想しか抱けない。とろとろに煮込まれたフカヒレを食べても「柔らかいな。どことなくタケノコを思い出すような歯触りだな。」という感想しか抱けないのだ。もう好きなだけタケノコを食べてろという話だ。
 悶々としながらひとしきりフカヒレ達を胃に収めた後、まだ中身が半分以上残っている壺を覗き込んだ私達は息を呑んだ。
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 気持ち悪・・・!
 壺の底付近には真っ白なカブトムシの幼虫のような外見の何かがごろごろ沈んでいたのだ。今までこれから出た出汁を啜り続けていたのか・・・。
 違うよな。虫じゃないよな・・・?そんな祈るような気持ちと共に箸でつつくと、木の根のような硬質さがある。幸い虫ではないようだ。けれどではなにかと問われると、それがもうとんと分からない。  困惑する私をよそに、向かいに座る友人は「せっかくだから・・・。」と決意を固めるや、その白い虫状の何かを口に運んだ。なんという蛮勇!ミステリーハンターなのか・・・?
 ひとしきり咀嚼と嚥下を終えた友人が出した結論は、「分からん。植物・・・?」というひどく曖昧なものだった。
 友人のリアクションからして、ひとまず虫ということはなさそうだ。ここはひとつ自ら食べて検証してみよう。  最低限の安全を確保できたことに勢いづき、思い切って虫のような何かの切れ端を口に運びかみ砕く。
 固い。そして味がない。  食べる前も何か分からなかったが、食べてますます分からなくなった。こんな味のなくて固いものをどうして具材にしようとした・・・?  ますます困惑を深めた私たちは、再び黙々と壺の中身を消費する作業へと戻った。
  「結局さぁ、この旅で一番美味しかったのって小籠包だったね。」   壺の中身を平らげ店を出た友人が開口一番に口にした言葉に、心底私も同意した。分不相応な一万数千円のスープを飲んで分かったことが数百円の小籠包が自分には一番だという事だなんてつくづく皮肉な話だぜ。     虫の様な何かの正体は分からぬまでも、自分に適した価格帯が数百円~千円だという新たな事実が判明したところで、嵐のような怒涛の台湾旅行は幕を閉じた。
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-yama-san- · 9 years
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突撃☆真夜中のマッサージ☆
 夜道をさまよい歩き、ようやくホテルにたどり着いたのは時計の針が11時をまわった頃だった。
 疲れた。本当に疲れた。朝から変身写真をとり、故宮博物院を鑑賞したあと龍山寺で参拝し、中華を食べたと思ったら夜市を闊歩し、さらに行天宮でもまたまた参拝し、そんでもってその足で迷い込んだ占い横町で死刑宣告を受け、そのまた挙句に台湾の町中を右往左往してきたのだ。こんなもんもう「弾丸トラベラー」の撮影でも二日に分けるべき内容量だ。旅行というより行軍に近い。
 ふかふかのベッドの上に敷かれたさらっと乾いたシーツに身を横たえると、心地よいスプリングが身体を受け止めてくれ一気に力が抜ける。身体だけでなく意識までも、ベッドの底まで沈んでいきそうだ。
 一秒でも早く、このまま泥のように眠ってしまいたい。今日はもう風呂ではなくシャワーだけですまそう。何にせよ無事にホテルまで帰って来られて本当に良かった。
 ベッドに横たわりながら伸びをする私の横で、いまだ椅子にすら座らない友人が言葉を発したのはその時だった。
 「これからマッサージに行かない?24時間営業のマッサージ屋があるんだけど。」
 
 こいつは何を言ってるんだ、と思った。
 時刻はもうすぐ12時。いくら台湾の治安が良いとはいえ、日本よりは遙かに悪いのだ。深夜も深夜のこの時間帯に外を出歩くだなんて、不用心にも程がある。そのうえ今からマッサージに行って帰ってきて寝支度を整え寝るとなると、どう見積もっても三時近くになる。明日はまた早朝から活動するのだ。マッサージに行ったせいでかえって疲れる結果になったら目も当てられない。なによりもう、本当に疲れ果てているのだ。早く寝たい。
 ベッドにトドのように打ち上げられたままそんなニュアンスのことをだらだらと反論した私は、「どうしても行きたいなら一人で行ってくれ。私は寝ておくから。」そう結んで話を終えた。先ほど占い横町のあった地下に降りる際には、あんなに「台湾は安全!私たちは一心同体!旅の仲間!」感を出していたのに、我ながら驚くほどの変わり身の早さだ。
 そんな薄情過ぎる私の返答にも、友人は彫刻のように表情を微塵も動かすことがなかった。そして部下に大量殺戮を命じる前の軍曹のような厳粛な顔で「私は台湾に来たからにはマッサージを受けたい。けれどさすがに一人ではいけない。悪いが一緒に来てもらう。送迎はついてるから。」と静かに言った。
 ・・・確固たる意志!!
 死ぬほどめんどくさかったが行くことになるだろうな、と感じた。友人は牛若丸と弁慶で言ったら確実に弁慶タイプなのだ。矢を全身に受けても立ちながら死ぬタイプ。
 つまり何が言いたいかというと、一度強い意志を持つと死んでも曲げない人となりをしているのである。ユニセフあたりに参加してアフリカの貧しい子供たちにふれ、「この子たちを救わねばならない!!」と決意してくれれば相当世界にとって有益な人物になると思うのだが、生憎ながら今それは台湾で自分が受けるマッサージに対して発揮されている。
 私が打ち上げられたトドから諦めのトドへとグレードアップしベッドをごろりごろりと転がっている間に、部屋を出ていった友人は12時半からのマッサージの予約と、ホテルまでの迎えの約束を店に取り付け戻ってきた。中国語が喋れないのにいったいどうやったんだ。弁慶のポテンシャルは底知れない。
 もうじきホテルの前に迎えが来ると友人にせき立てられホテルの前の通りにでた。時刻が12時過ぎるだけあって通りを走る車の数はまばらで、静かで薄暗い通りをかすかなエンジン音と共に時折ぽつりぽつりと車が通過していく様子はうら寂しささえ感じる。
 生暖かい風に吹かれ、旅愁を感じているその時、ひとりの小太りの中年男性が日本語で声をかけてきた。
 「あなたは○○(友人の名前)ですか?マッサージの車、向こうにとめています。来てください。」
 どうやらこの人がマッサージ屋の迎えらしい。にしてもポロシャツに短パンと、休日にゴルフに出かける前のお父さんのような恰好をしている。勤め人の感じが全くしない。
   この人は本当にマッサージ屋の従業員なのだろうか。
 少しの不安と共についていくと、裏路地にライトバンが止められていた。闇に溶け込むようにして停車しているライトバンにはマッサージ店の店名のペイントなどは一切なく、よくよく見ても通りを走る一般車との違いは全くない。車の中は真っ暗で、外から車内の様子は何もうかがい知ることができない。早く車に近づき乗るよううながすおっちゃん。ますます増大する不安。
 もはや不安を抱くことすら面倒くさくなってきていた私たちは、考えることをやめ車に乗り込むことにした。さはれ。
 思い返せば深夜の外国で不用心極まりないのだが、あのときはもう心底疲労困憊状態で、とりあえず一所で身体を休めたかったのだ。
 車内の揺れに身を任せ、うつらうつらとしていた私たちを乗せた車が停車したのは大きなビルの前だった。
 おっちゃんに促されるまま車を降りた私たちの目の前には、五、六メートルの幅はありそうな地下へと続く階段がのびている。
 どうやら目の前のビルは地下一階、一階、二階をぶち抜いて広々としたフロントを作っているらしく、全面ガラス張りのその室内からは巨大なシャンデリアが白金の光を道路にばらまいていた。
 
 なんだかもの凄いところに来たな。
 いまだ夢うつつ状態で階段を降り、入り口からフロントにはいるとふかふかした椅子に案内された。
 室内はシャンデリアの明かりで煌々と照らされ、高級そうな家具たちが当然のように鎮座している。正直マッサージ屋というよりはどこぞのクラブやキャバクラのようだ。
 大丈夫なのか。ここ。結構本気でぼったくりバー的な場所なんじゃないのか。さっきのおやじに騙されたんじゃ。仮に本当にマッサージ屋だとしても、法外な値段をふっかけられるのでは。じゃないとこんなどでかいフロントやシャンデリアができるものか。室内の調度品がそのままこの店の利益率の高さを表してるんじゃないだろうな。
 急速に眠気がさめ不安が迫る。友人を見ると同じように室内を見渡していた。いざとなったら言葉が分からないふりをしてさっさと店を出よう。ここからあの階段を上りきるまで、店のものに捕まらずに駆け抜けられるだろうか。
 密かにそう決意を固めていたその時、にこにこ笑顔のフロントのおばちゃんがA4サイズの大きなパネルを手に近寄ってきた。明らかな作り笑顔で怪しさに拍車がかかる。思わず身構える私たちに向けて、おばちゃんは日本語でこう発した。
   「ココ、シムラケン、キテルヨー。」
   おばちゃんの差し出すパネルを見れば、そこには番組のロケで来たであろう志村けんが店内で穏やかな笑みを浮かべている写真がラミネート加工されていた。
 台湾で志村けんが爆発的な人気なのか、はたまた志村けんが台湾好きなのかは知らないが、この地に降り立ってからと言うもの、この「シムラケンキテルヨ」宣言を店主から誇らしげにされることは実は今までも何回かあったのだ。その度に「そんな志村けんの来訪を全面に押し出されても・・・何を目的としたアピールなんだ?一種のステータスなのか?」と疑問を抱きつつ得意の薄笑いで凌ぐ日々を送っていた。
 けれどもようやく今、その「シムラケンキテルヨ」の言葉の意味が分かった。
この店の中で穏やかな笑顔を浮かべる志村けんの写真。それを見た、ただそれだけで目の前の霧が晴れていくように今まで私たちを包んでいた重苦しい不安が一気に霧散したのだ。
   大丈夫だ。なんせ、志村けんが来ている。
   今さっきまで店を駆け出す算段をしていたというのに、急にそんなことを考えて怯えていた事自体がバカバカしくなった。未だに料金体制の説明すら受けていないが、そんなことでいちいち不安になるなんてどうかしている。なんせこの店には志村けんが来ているのだ。おばちゃんがこちらに向ける笑顔だって、好意以外の感情が読みとれないではないか。とりあえず大丈夫だ。なんせこの店には志村けんが来ている。
 自分でもどうしてここまで特段ファンでもない志村けんに全幅の信頼を置いているのか訳が分からないが、とにかく言えるのはその時友人も私も等しく「この店は大丈夫だぜ!!なんせあの!超一流芸能人の!志村けんが来ているんだからな!!アイーン!」と、急激に安心し強気でハイテンションな状態になったという事だけだ。これが明石屋さんまやダウンタウンの写真ではこうはいかなかっただろう。他の誰でもない、志村けんだからこそなせる技なのだ。もうほとんど仏である。
 そんなわけで、志村けんの力により笑顔を取り戻した私たちにおばちゃんが料金の説明をしてくれた。
 どうやらこの店は、足裏、かかと削り、顔の角質取りなどなど、基本的なマッサージの他に追加で様々なプランをつけられることが特徴らしい。追加分のマッサージは基本マッサージを受けている最中に別の施術師さんがきて同時に行ってくれるので時間もかからないしリッチな気分を味わえますよ!と猛プッシュしてくる。ひとまず台湾と言えば足ツボのイメージが強かったため、足ツボマッサージのみ追加することにした。
 施術室まで案内してくれるお姉さんの後をついて行くが、廊下はオレンジ系の薄明かりがついてはいるものの俄然暗い。そのうえ周囲にある部屋から暗闇の中、ざわめく人の気配とともに、中国語での話し声が聞こえてきて再び不安が頭をもたげる。
 ようやくついた部屋は友人と私の二人部屋となっており、各々リクライニングチェアに寝そべってマッサージを受ける形になっていた。
 ひとまずマッサージを受けるためにこれに着替えるようにとの言葉と浴衣を残し、部屋を出ていくおばちゃん。
 渡された浴衣に袖を通すべく取り上げると、そこには無数のバカ殿のキャラクターがプリントされていた。
   ・・・また会ったね。
 心の中でそうバカ殿に語りかけながら浴衣を着る。
 にしてもこのマッサージ屋、志村けんが共同経営者か何かなのか?おばちゃんが見せてくる写真くらいならまだしも、ここまでガッツリ志村けんを商業利用して、ロイヤリティ的なものはきちんと払われているのだろうか。人のいい志村けんはもしや無料で使用させているのでは?けれどもここまで志村けんの関与を全面に押し出したこのマッサージ屋で詐欺に近しい不祥事が起きてしまったら、志村けんまで何かとばっちりを受けることになるのではないか・・・?
 度重なる志村けんとの再会に、知りもしない志村けんのロイヤリティ事情や危機管理の心配までしてしまう。人生でここまで志村けんについて思い悩んだ日があっただろうか。
   浴衣に着替え、マッサージのお姉さんに指示された通りリクライニングチェアに横になっていると、急に入り口からぞろぞろと人が入ってくる。
なんなんだ!?
 慌てて上体を起こすがお姉さんには焦った素振りは一切ない。どうやらこの人たちはこの店の関係者のようだ。
 ぞろぞろと入ってきた人々は私と友人の周りをそれぞれ取り囲み、「足の角質ケア、ついかしないー?日本だと高い、台湾安いよー。」と勧誘を始めだした。
 なるほど、この人々はそれぞれが追加プラン担当の施術師なのだな。
 そう理解して即座に「いらないです。」と断るも勧誘はなおも続く。「角質、きもちいいよー。足、つるつるになるよー。」大分食い下がってくる施術師。断り続ける私。
 施術師達の給与は歩合制なのか、勧誘自体はかなりしつこい。そして回遊魚さながらに入れ替わり立ち替わり様々な追加プランの担当者がやってきてまた新たな勧誘が始まるのだ。
 追加プラン自体、日本より安いとはいえそのお値段は2~3千円程度。正直、断るのが苦手な人がこの店に来店してしまった場合、あれよあれよと不要なプランを追加された挙げ句、当初の予定を大きくオーバーした金額を請求されてしまうのが目に見える。ノーと言えない日本人は生き残れない空間なのだ。
 ともあれあらゆる勧誘を断固として断った私たちは、リクライニングチェアに目をつぶって横たわり、ようやくマッサージに専念することとなった。
 このマッサージ、友人は心地よくて眠ってしまったといっていたのだが、私は正直に言うと、もう、痛くてひたすら「耐える」一択の時間を過ごしていた。
 だってもう痛いんだもの。最初に「万力かな?」と思うくらいの力でマッサージされた時に「痛いですか?」と聞かれた。そして私は「痛いです。」と答え力は少し弱まった。そしてまた「痛いですか。」と聞かれ「痛いです。」と答える私、若干弱まる力。けれどもそのやりとりを何度か繰り返しているうちに「痛いですか。」の問いかけに、「これ以上痛い痛いと言うのもなんか申し訳ないな。」という謎の遠慮が働き、いまだ痛いにも関わらず「大丈夫です。」とあろうことか答えてしまったのだ。
 そしてその結果、筋繊維の筋を断裂させるため骨に擦りつけているとしか思えないマッサージは延々と続き、私はひたすら「ポケモンでコクーンっていたな・・・。ずっと『固くなる』の技しか繰り出せないサナギみたいな奴。あいつってこんな気持ちだったのかな・・・。」といもしないコクーンの気持ちに思いを馳せ続けていた。
 一通りのマッサージが済んだ後、肩付近を揉んでいたおばちゃんから仕上げと言わんばかりにうつ伏せの体制にさせられた。
 背中の浴衣をはだけられると、そこに次々と大量の蒸しタオルを上にのせられる。十数枚くらいはあっただろうか。この蒸しタオルがもう、冬に入った小料理屋で渡されるおしぼりのような絶妙な温かさ!最高に心地いい。
 もうこれだけでいいわ。蒸しタオルの細かな蒸気がじんわりと肌に染み渡る。そういえば私は猛烈に眠かったのだ。このままうとうとと眠ってしまいたい。そんな温泉にでも入浴したような温かな気持ちになっていたところ、その背中におばちゃんがよいしょと乗り出した。
 内蔵が飛び出る!
 一気に覚醒し息をのむも、どうやら天井にある手すりをつかんで私にかかる体重を調整してくれているらしい。私にかかる圧力は、内蔵が飛び出ない程度のそこそこのものにとどまった。 
 むぎゅ・・・むぎゅ・・・。
 背中あたりを中心に、各所を踏み続けるおばちゃん。
 プロであるおばちゃんは完璧に体重をコントロールしてくれていると頭では分かってはいるのだが、いかんせん心はそうはいかない。身体の各所におばちゃんの足が乗り圧力がかかる度に、肋骨が粉砕されるのではないかという恐怖とともに少しでも自分の身を守ろうと自然と力が入る。
 それにしても先ほどから痛みを恐れる余りに全身に力を入れ続けていたため、もはやどこに力が入っているのかすら分からなくなってきた。本来マッサージとは全身の力を抜いてリラックスして行われる、気持ちのいいものだと聞いていたのに。だとしたら今のこの、全身を讃岐うどんさながらに踏みしめられ、それをガチガチに力を入れてひたすら耐え続けている状態はなんというんだ・・・。
   どれくらい時間がたっただろう。いい加減マッサージの痛みにもなれてきた頃、唐突にそれは始まった。
 「パン!パパパパン!パンパン!」
 何かの手拍子のようなリズミカルな音が、今まで静かだった室内に響きわたる。目を開けるのも億劫だが、それにしてもなんなのだろうこの愉快なリズムは。誰かがフラメンコでも踊っているのか?
 次の瞬間謎は解けた。
 「パパパン!パンパン!パパパン!」
 まるで呼応するかのように、今まで私の足裏マッサージをしていたおっちゃんが、私のふくらはぎをリズミカルに叩き出したのだ。
 うへぇええええー。なんなのぉおぉー???
   ぎょっとし目を開けるとそこには相も変わらず私のふくらはぎをアフリカの打楽器さながらに叩き鳴らしビートを刻む真顔のおっちゃんと、同様に友人のふくらはぎをリズミカルに叩くこれまた真顔のおっちゃんの姿があった。本気で意味が分からない。
 「パン!パパパパン!パパン!ッパーン!」
 いつしか二人のおっちゃんは叩くリズムを完全に合わせ、室内の二つの音は一体となっていた。
 こいつら・・・ひとのふくらはぎでセッションしてやがる。だいたいこの動きで何らかのコリがほぐれるとはとても思えないんだけれど、何を目的とした動きなんだこれは。にしてもまさか、人生においてふくらはぎで友人とセッションする日が来ようとは・・・。ほんと、人生って何が起こるか分からんもんだな・・・。 
 鳴り響くビートのなかまだ見ぬ人生の可能性を悟りつつ、台湾2日目の夜はしんしんと更けた。
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-yama-san- · 9 years
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台湾の地下に潜むもの☆
 ホテルまでお願いしますと伝えて乗り込んだタクシーがついた場所は、明らかにホテルではないなんかライトアップされた寺だった。 
 えっ・・・?ここぜんぜんホテルじゃない。  私も友人もそう思ってはいたのだが、ニコニコしたおっちゃんに言い出すことも出来ずなにより説明できるだけの語学力もなく、ひとまず苦笑いのまま「謝謝。」とだけ告げタクシーを降りる事にした。なんだ謝謝って。全然ありがたくないぞ。むしろ迷惑だぞ。
 けれどもまぁ、降りてしまったからにはこの寺に行ってみるしかない。午前中龍山寺に行って台湾中の神様に会ったとドヤ顔していたのになんだが、先ほどの夜市でも途中飽きて近くに見えた寺に寄ったりと、結果とりつかれたかのように無駄に仏閣巡りをするハメになっている。
 近寄ってみると寺は想像よりかなり大きい。暗闇の中に真っ赤な屋根の重厚な建物が照らし出されている様子は威圧感満載だ。看板を見るに、どうやら行天宮と言うらしい。
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 中にはいると夜分遅いというのにかなり多くの人々が参拝に詰めかけており、建物内をぐるりと一回りする感じで礼拝ルートが出来ている。ほとんどが現地の人のようだ。ただ一つ気になる点は、その礼拝ルートの最後の場所に平均台くらいの高さの台が設けてあり、そこにたどり着いたものは皆、五体当地的な感じでかなり本格的に祈っていることだ。これは・・・私達もしなきゃならない感じなのか・・・?
 そんな不安を胸に上辺だけをなぞった様なふわっとした参拝を続けていく中で、ようやくここがなんの寺なのかが分かってきた。どうやらこの寺は三国志で有名なあの関羽を奉っている寺らしい。  始皇帝あたりが着ていそうな威圧感満載の服装をし、顔を真っ赤にした鬼の形相の像があったため、「ほう。ここは閻魔を奉ってる寺か。珍しいな。」などと思っていたのだがどうやらあれが閻魔ではなく関羽であったらしい。台湾の人々からこんなイメージをもたれるだなんて、関羽一体何をしたんだ。  そんな関羽だが説明文等を読むに、どうやら商売繁盛や旅の際の安全等の加護を与えてくれるらしい。もう明日帰るのに今更旅の安全を祈っても手遅れなんじゃないかと言った感が拭えないが、ともあれなんちゃって五体当地を薄ら笑いしながら終え、満ち足りた気分で行天宮を後にした。これで残りの旅の安全もばっちりだ。
 笑顔で寺を出てふと我に返った。そもそもこの寺にはなんだかその場のノリで寄っただけで、本来の目的はホテルに帰ることなのだ。だいたいホテルの方向はどっちなんだ。夜もかなり更けており、さすがに人もまばらでタクシーも見つからない。
  ちょっとまずいな・・・どうしよう・・・。   寺を出て地図を片手に夜道をうろつく私達の前に、線香ともお香ともつかないものを売る老婆の姿が目に飛び込んできたのはその時だった。線香は龍山寺で見たのと同じ、三、四十センチはありそうな長いもので、それを夜道で山と積み、誰にともなく売っている様子は羅生門の冒頭を思いだしてしまう程に若干恐ろしいものがある。
 老婆が佇むその横には、地下へと続くらしい階段がある。一見地下鉄の階段のようだがそれにしては全体的に古びているし、地下へと続く道を照らす黄ばんだ明かりは明らかに光量が足りず薄暗い。一体どこへと続くものなのだろうか。
 「行こうよ。ちょっと降りてみない?」  形だけは疑問系で友人に聞いてはみたものの、私の心はすでに降りることに決まっていた。ちょうど夜市で肩すかしをくらっていたため、こういった妖怪でも潜んでいそうな怪しさに飢えていたのだ。この先に何があるのかを確かめずに、この台湾旅行は終われない。好奇心の為に死ぬのならそれもまた本望だ。
 対する友人は「こいつ正気かよ・・・。」と言わんばかりの表情を浮かべつつ、「おまえ正気かよ・・・。」といった内容のことを口にしていた。友人は旅先となる地で過去に起こったテロや暴力事件について生き字引にでもなる気かというくらい調べあげる癖があり、こと安全面に関しては驚くほど保守的になることがあるのだ。
 けれどもここはもう、引くことは出来ない。こちとら何の情報も経験もないが、この先にあるものを見たいという情熱と、たぶん大丈夫だろうという根拠のない自信なら売るほどあるのだ。  大丈夫、もし何かあったら逃げればいいさ。  果たしてその何かあった時に逃げられる状況にあるのか。その肝心な部分からは徹底的に目を逸らしつつ、勢いだけの説得で渋る友人を連れて地下への階段を下りていった。  コンクリートの味気ない地下道は、全体的に黄みを帯びた薄明かりで照らされていた。通路の片側には五メートルほどを一区切りとしたブースの様なものがずらりと続いており、それぞれに電光の看板が掲げてある。夜も遅いためかそのほとんどの明かりは消えてしまっていたが、色とりどりの太字で書かれた漢字の内容から察するに、そのどれもが占いの店のようだ。手相、八卦、顔相、などなど様々な種類の占いの店が、ずらりと並んでいる。  ここは!!ここはもしかしたら占い横町じゃないのか!?  ガイドブック情報を読み込んでいた我々のテンションは一気に最高潮に達した。占い横町という言葉を聞いてはいたが、まさかこんな地下にあっただなんて!!  占い横町とはその名の通り、台湾の占い師達がずらりと店を構えており、本場ならではの本格占いから、米占いの様なユニークな占いまで、とにかく色々な占いを体験できる横町なのだ。正直訪問する気がなかったため詳しい情報は知らないが、こんなに運命的な出会いをしたからにはもう占ってもらう他ない!!  高揚する気分そのままに、早速店の吟味を始める私と友人。夜遅いこともあってか店の半数以上は閉まっていたため、営業しており、なおかつ今現在客の鑑定中ではない数店に的を絞り、目を皿にして見て回る。     私達の熱視線に気づいたのか、占い師と世間話をしていたおばちゃんがおもむろに立ち上がり、自分はここの横町の通訳であるため、好きな占い師を選べば通訳をしようといった言葉をかけてきた。  なるほど、そんなシステムだったのか。それなら言葉の面ではひとまず安心だ。どうせ占いの種類なんて知らないし、一番それっぽい占い師を直感で選ぼう。
 私達が選んだのは穏和そうなおじさん占い師だった。現国か日本史の授業を初めてもおかしくはない雰囲気のこの人なら、なんだかいい感じに穏やかな占いをしてくれる気がする。   いそいそと私達が席に着いた瞬間、早速言葉をまくしたて始めるおばちゃん。  えっ・・・!?まだ肝心の占い師が一言も言葉を発していないのに一体何を通訳してるんだ・・・!?まさかこの後は全てこの人のアドリブ通訳で進められるのか・・・?  目を見開く私達にかまわず、おばちゃんは勢いそのままに言葉を続ける。  「何の占いしたい?この先生は、全部得意。日本のテレビも凄く取材にくるよ。(女性タレントとのツーショット写真を見せつつ)ほら、この人も、知ってるでしょ。」
 とにかくこの通訳のおばちゃんが、占い師の信用性をまず全力でアピールする流れらしい。ただ、全てが得意だなんて、なんだか若干胡散臭いぞ。どこからでも切れると謳っているスナック菓子の袋が大抵どこからでも切れないように、このおじさんもつまるところなにもできないんじゃ・・・。そんな思いを巡らせているうちに、一通り喧伝を終えたのか、通訳のおばちゃんがA4サイズほどの紙を見せながら仕切直すように言葉を放った。  「さぁ、何がいい?全体運、健康、恋愛、金銭、適職、適した色、いろいろあるよ。聞きたいものこの中から三つ選んで。千五百円。この中のもの全てを聞くなら三千円。」  なるほど。ここのシステムは時間制ではなく分野ごとの料金制なのか。  旅では悔いを残さないをモットーに行動している私と友人は、迷いながらも全てを聞く三千円コースを選択した。
 初めに占ってもらうこととなった友人に、氏名や誕生日、生まれた時間などを聞くと、手元の赤い紙に書かれた表のようなものに何やら文字を書きなぐっていく占い師。達筆すぎるのか字が雑なのかは分からないが、とりあえず何も読めない。  続いてひとしきり友人の手やら顏やらを見終えたところで、突然占いの結果発表が始まった。滔々と結果を話す占い師と、それを訳しつつ手元の赤い紙に書きつけていく通訳のおばちゃん。  「あなたの適職は金融、医療、コンピューター関係、貿易、サービス業ですね。大器晩成の相をしていて、晩年には大きな富を残します。健康は胃腸と腰と肩に注意してください。あと、50歳を過ぎたころから血圧に悩まされます。結婚は28から30歳くらいにしますね。子供は一男一女です。あと、あなたには物凄いモテ期が訪れますよ。だいたい50歳を過ぎたころから始まります。」  …遅すぎ!!  あまりの結果に反射的に顔をあげ友人を伺ってしまう。案の定「全ての青春が終わってるじゃねーか…。」という顔をしていた。  一般にモテ期と言えば少女マンガ的な、ハッピーな季節☆といったイメージなのだが、50を過ぎた友人がおそらく60から70くらいの高齢男性達に急激にモテだすという状態は果たして幸せと呼べるのだろうか。もはやある種の試練なのではないのか…?  この後も占いはラッキーカラーからラッキーナンバー、金運のいい年や人間関係の相性など多岐にわたり続いていったのだが、例の「あなたのモテ期は50から」宣言が衝撃的過ぎてろくに内容が入ってこない。他人の私ですらそうなのだから本人ともなればなおさらだろう。圧倒される私達を置いて、「あなたが他人に貸した金は決して戻っては来ません。保証人には絶対にならないように。」という実用性の高い教訓で占いは幕を閉じた。    この占い師のおっちゃん、温厚そうな外見とは裏腹に意外と過激派(?)だな…。  内心ひとりごちていると、友人からの自由質問もつき、いよいよ占いは私の番へと移った。  友人同様生年月日やら何やらを尋ねられ、手相と人相を見られる。そして同じく唐突に始まる結果発表。  「あなたの適職はサービス業、医療、貿易、金融業、事務員ですね。結婚は26から30歳くらい。子供は一男一女です。」  …あれ?なんか凄い既視感が。デジャウが凄いぞ。もしかしなくてもこれって、さっきの友人の占い結果とほとんど同じなんじゃ…。このおっちゃん、観光客にウケのよさそうなことを適当に言い過ぎて内容かぶってるんじゃ…。  思いめぐらせている私をよそに、占いは途切れることなく続いていく。  「健康は…あなたは消化器官系と肝臓と、血液循環系が悪くなりますね。」  ほとんどの臓器全滅じゃねーか!!  私の邪念を感じ取ったのか、唐突に死の宣告じみた予言を始めるおっちゃん。むしろもう無事な臓器の方を教えて欲しい。  その後も「ラッキーカラーは赤以外の全てです。」などといったラッキーカラーの概念を見失いそうな結果が続いていったのだが、「血液循環系でもければ消化器官系でもない臓器って何があるっけ…?」という思いが頭の中を渦巻き、ろくに内容が入ってこなかった。最後に、「あなたは株で失敗する。株を決してやらないように。」と友人同じく具体性溢れる教訓で占いは締めくくられた。
 その後の自由質問タイムを終えると、占い師のおっちゃんは占い結果の書かれた赤い紙をパタパタと折りたたみ、光沢のある模様の書かれた赤い封筒にいれてくれた。これを記念に持って帰りなさいということらしい。  おお…!いかにも中国の易者に占ってもらったという感じがするぞ!!まさか思いがけずこんな体験ができるだなんて!本当に来てよかった!  赤い封筒一枚でまたしてもテンション最高潮に達した私と友人は、夜の闇広がる地上へ続く階段を軽やかに登り始めた。    あたるも八卦、あたらぬも八卦の占い。果たして50過ぎた友人に激烈なモテ期は訪れるのか、そして私の大半の臓器はどうなってしまうのか。結果は神のみぞ知る。  ただこの半年後、本当に肝臓を壊し、急性肝炎を発症するのはまた別のおはなし☆  …生憎ながら、発症したのは私ではなく友人の方だったけれどな、おっちゃん。
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-yama-san- · 9 years
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夜市、その甘美なる響き☆
 昔から夜市という言葉が好きだ。
 夜に開かれる市。夜市。それだけで何か特別な、少しの恐怖と好奇心がないまぜになったような響きがする。
 しかしながらこれまでに実際の夜市に行ったことがあるかといえば一度もなく、強いていうなら夏祭りの際出店をひやかした事があるくらいだ。  よって私の中の夜市のイメージは、今まで見聞きした本や映画からの情報のみで構築されているといっていい。
 真っ暗な闇の中に、橙色の薄明かりと共に通りの両側を隙間無く埋め尽くす店々がぼんやりと浮かび上がっている。通りは往来する人々の異国語での楽しそうな語らいの言葉と活気で満たされ、隣を歩くものとの会話ですら、声を張らねば聞き取れないほどだ。店先ではこんがりと焼けた子豚や湯気立ち上る点心の数々が売られており、道行く人の多くはその食欲をそそる香りに思わず足を止め、大声で店主と値段の交渉を行っている。お目当てのものを買うと、紙でくるまれたその肉汁がこぼれぬよう、半ば火傷するように食べながら歩を進める。
 通りをさらに進むと宝石なのかただの石なのかすら分からぬ、色鮮やかなたくさんの石を怪しげな老婆が売っており、時折人が立ち止まっては物珍しそうにのぞいていく。
 角を曲がったところを見遣ると、見せ物小屋だろうか、店の周囲をぐるりと暗幕で覆った建物が暗闇に溶け込んでひっそりと佇んでいる。時折中から驚きの声があがっているが、何が行われているのかは定かではない。
 小屋の周りの路沿いには洗い晒しの簡素な木の長机が置いてあり、歯のほとんどない老人やよれた服を身にまとった強面の中年男性など、職業の定かではないうらぶれた人々がたむろしている。長机の上には伏せた陶器のコップが置いてあり、カラカラと中で何かを転がすような音がしている。これはきっと、コップの中の二つのさいころの大きさを当てる中国の賭事、「大小」だろう。賭にかったらしき老人が、歯のない口でにたりと笑うと、節だった指で机の上の掛け金を寄せ集めた。足元の陰はオレンジ色の街頭に照らされ細く長く延び、周囲の建物の陰にとけ込んでいる。時たま遠くから聞こえるどよめきや、一定の間隔をおいてカラカラとなるサイコロの音を耳にしていると、酒も飲んでいないのに酩酊した様な心持になってくる。なんだか以前にも訪れたことがあるような、それでいて台湾よりも、もっとずっと遠い場所へ来てしまったみたいだ。
 っとまぁ、つまりそんな感じの場所だろうと思っていた。そこで私は、熱々の焼き豚にかぶりつ��て甘辛いタレでパリパリに焼けた皮を咀嚼しながら通りを冷やかし、偽物か本物かいまいち分からないとろりとした色合いの翡翠を買い、勇気がでるなら見せ物小屋に入ったうえに大小にも参加しようと心密かにもくろんでいた。  控えめにいってべらぼうに楽しみにしていたのだ。
 そんな期待を胸にたどり着いた銀河街夜市は、夜市が開かれていると思われる通りのずっと手前から、多くの人でごったがえしていた。もはやどのあたりからが夜市の通りなのかすらよく分からない。すごい活気だ。
 ようやく人波をかき分け通りにたどり着くと、電飾によってビカビカに輝く看板が私たちを出迎えた。この下品とも思われてしまいそうなほどの派手さ、歌舞伎町を思い出さずにはいられない・・・。ともあれざわめく人混みとド派手な看板で気分は最高潮、いかにも夜の市という感じだ。
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 勢いそのまま、意気揚々と進む私達の目に、真っ先に飛び込んできたのはブラジャーだった。
 えっ・・・?と思った。
 今思い返してもえっ・・・?と思わずにはいられない。
 なぜだか分からないが、結構な人混み、その砂埃たちまくる路上に面して、ブラジャーやらの下着類、そしてペラペラのTシャツ等を売る店が点在していたのだ。
 なんでまたこんなところで・・・。ぜったい衛生面悪いよな。そもそもこんな公衆の面前で下着を買い求める人はいるのか・・・?
 困惑する心を置いて、目には次々と立ち並ぶ店の様子が飛び込んでくる。台湾の百円ショップと思しき店やポケモンから覇気を抜き取ったようなキャラクターのクレーンゲームが大量にあるゲーセン、三百円ショップにありそうな一目で大量生産品と分かるアクセサリーを山と積みタバコをふかすおばちゃん、そしてずいぶん前に焼かれ、今や気温以上にしっとりと冷えきっているであろう豚の丸焼き・・・。 
 一瞬で分かった。分かってしまった。この夜市を縦断するまでもなく、恐らくこの中に私が求める店は一件たりとて無いであろうということが。
 たたき売られているジャージ、プラスチックの容器に盛られたざっとした炒め物、それを笑顔で買い求める地元の人々。
 爆発的な生活感。そして現代的な健全さ。それがここにあるものの全てだ。私が求めていたどこか後ろ暗い神秘性や怪しさとはほぼほぼ対極にあると言っていい。
 またしても勝手に高すぎるハードルを設えてそして勝手に失望してしまったようだな・・・。白菜の悲劇再び。
 心の中でそうひとりごちつつ店店を見流すその横で、友人も同じくどこにも立ち寄ることなく黙々と通りを進んでいた。見れば真顔のままハンカチで鼻と口を覆っている。とてもじゃないが夜市をひやかす時の体勢ではない。避難訓練の時の体勢だ。
 というのも実はこの夜市にもまた、台湾の人々に大人気!のメニュー、臭豆腐の店が点在しまくっており、辺りにはまたしても臭豆腐独特の臭いが立ちこめまくっているのだ。いい加減対応が面倒臭くなったので友人の不調は見て見ぬふりをしていたのだが、親戚が死んだような表情を浮かべ続けているところから察するに、相当堪えているようだ。
 ここはどちらかというと、地元の人が日々の夕飯をすませ、観光客はそれに混じってB級グルメを楽しみ、気が向いたらチープな面白台湾土産を買うための場所なのだな。地元の商店街が夜も開いているというだけにすぎないのだな。通りを半ば以上過ぎたところでそう結論づけるも、私達にできることは何もない。こんな臭豆腐臭立ちこめる場所で、ひとり葬式を開いている友人と食事をとるだなんて、完全に自殺行為だ。
 それ以前に、実はこの夜市を訪れる寸前に、中華料理屋で比喩ではなくテーブルに載らないほどの量の食事を平らげてきているのだ。朝からろくに何も食べていなかった分、パンチの効いたうまみが身に染みた。自分自身がフォアグラになるほどの食事を終えた私達に、道行く露店の食べ物が魅力的にうつろうはずもない。計画性のなさがキラリと光る一幕だ。
 そんななか、道行く途中で胡椒餅屋を発見した。胡椒餅とは、もちもちとした皮の中に、ピリリと胡椒の利いた肉の餡がぎっしりと詰まっているという台湾名物だ。熱した石の壺のようなものに胡椒餅を貼り付け、外側がカリッと焼けて全体がぷっくり膨らんできた頃に壺から剥がし客に提供している。皮はカリカリで香ばしく、中は胡椒のきいた肉餡がジューシーでさぞかし美味しいだろう。実はこの一品、日本にいるときにガイドブックで見て以来、是非とも食べたいと思っていたものなのだ。
 けれどもなぜか、この夜市唯一といっていいほどの観光客向けメニューを取り扱うこの店に日本人観光客が殺到しており、そこにだけ長い行列を作っている様子を見ると、不思議なほどに餅への情熱が冷めた。「みんなガイドブックと資本主義に踊らされている!」と、唐突に失望をしたのだ。
 そもそもガイドブックに踊らされて台湾旅行を決めたと言っても過言ではない程どっぷり浸かっていたはずなのに、なぜ急に学生運動に酔う学生さながらに資本主義を全否定しだしたのか、あの時の自分の気持ちが自分でも分からない。なぜあんなに美味しそうな餅を謎の理念のもと食べなかったのか。そもそも失望するほどに資本主義の仕組みを正しく理解しているのか。疑問は尽きない。  これはもう、離婚間際の夫婦と同じだ。もはや気持ちが冷めきっているため、なにかにつけて難癖を付けたい段階に達しているのだ。  きっと疲れているのよ。なにせ朝から変身写真に故宮博物院に龍山寺と、めちゃめちゃなハードスケジュールをこなしてきたのだから。そりゃぁ感受性も鈍ろうというものだ。こんな中無理して出歩いてもいいことはない。もうホテルに帰ろう。
 そう結論づけた私達は、コンビニでスイカ牛乳という謎の飲み物だけを買い求めると、通りを流れるタクシーを呼び止めた。このタクシーがホテルには向かわない事となるとはつゆ知らず。台湾二日目の夜は、まだまだ長い。
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-yama-san- · 9 years
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秘められし白菜と百人の神様☆
 変身写真撮影を終えた私たちは、拾ったタクシーをかっ飛ばし、一路、故宮博物院へと向かった。  ここは台湾随一とされている博物館で、館内には中国古代の皇帝たちが集めた青磁や白磁の器の数々や著名な画家がしたためた水墨画、気の遠くなるような繊細な細工のされた彫り物、などなど、台湾の至宝と言っても過言ではないような品々が所狭しと展示されているのだという。  なかでもとりわけ有名なのは翡翠でできた白菜と瑪瑙でできた角煮の彫り物で、この二つは石元来の色味を生かしつつ絶妙としか言いようのない案配で最高の細工がされており、まさに白菜と豚の角煮そのもの、まさに神品といってよい品だという。
 期待に胸を躍らせタクシーに乗車すること数十分、たどりついた故宮博物院は、そんな由緒ある品々を納めるにふさわしい宮殿のような立派な建物だった。
 ・・・しかしまぁ、こんなに長々と前口上を述べておいて何だが、結論から言うと今回の故宮博物院での数時間にわたる美術鑑賞を通じて分かったことは、私と友人に芸術を理解する感覚はほぼ無いという事だけだった。よってここでの記憶もほぼ無い。こうしている今も、旅行記につけるべき内容が何もなくて苦しんでいる。なんせ肝心の記憶がまるでないのだ。  かろうじて覚えているのは、数百年前の白磁の器などを見ながらものの分かった様なふりをしきりにしつつ、「はぁ~、白いねぇ~。そしてつるんとしている。」などといったなんの中身もない的外れなコメントを繰り返し続けていた事くらいである。おそらく杏仁豆腐を見せても同じ事を言っただろう。    そんな生ける屍状態の私達だったが、その無教養な心にもさすがに強い象を与えたものが三つほどあった。前述の角煮と白菜、そして象牙多層球という象牙の球だ。
 象牙多層球とは、まるで牡丹のような豪奢な模様が彫られた拳ほどの大きさの象牙の球があり、その透かし彫り部分をよくよく見ると、球の内部に同じような模様の彫られた球が何十層も作ってあるのが分かる・・・という美術品だ。つまるところ継ぎ目のないマトリョーシカが何十層も重なっており、そのそれぞれの顔の部分だけ穴が空いている事から、その部分から中をのぞき込んで内部のマトリョーシカの模様を見たり、中にあるミニマトリョーシカ達を指でくるっと回したりして側面のいろんな模様を楽しむことができる、という代物だとイメージしてもらえれば分かりやすいだろう。    そもそも球を何十層も継ぎ目のないマトリョーシカ状に彫り、そのすべてに過剰なまでに絢爛な装飾をする事自体、物理的にどうやったらできるものなのか検討すらつかない。なんでもここに展示されている象牙多層球は中国でももの凄く有名な彫り士が親子三代にわたってようやく完成させた代物で、気の遠くなるような時間と技術が注ぎ込まれており、現代ではもはや再現することはかなわないのだという。  ちなみに彫り士云々は前を進む日本人団体客の解説をあたかも一員のような顔をして所々盗み聞いたものなので、いったいどこまでが正しい情報なのかほとほと怪しい。話半分に理解いただきたい。  正直この象牙多層球、お前にやるよと言われてもめちゃめちゃ埃は溜まりそうだわすぐ壊れそうだわ、そのうえ親子三代にわたって完成させただなんてなんだかプレッシャーかかる…などの理由で持つ事すら遠慮したいような逸品なのだが、故宮博物院にはこの他にも象牙多層球がいくつも保管してあるらしい。いわんや皇帝の住居ともなれば、きっとそこら中にゴロゴロ転がっていたのだろう。きっと埃など心配せずとも毎日侍女的な人が絹でピカピカに磨き上げてくれるのだ。想像がつかな過ぎて適当な事を言ってしまった。
 とにもかくにもこの故宮博物院に展示してある品々は、この象牙多層球に留まらず、基本的に湯水のように金と時間と技術を注ぎ込まれねば作りえぬ状態のものばかりなのだ。そしてその結果、教養の欠片もない私達のような下々の民にも半ば力技でその凄さを見せつける事を可能としている。平民を統治する力が凄い。まさに皇帝にしかできない贅沢と言っていいだろう。
 一通り故宮博物院の洗礼を受けた我々は、ようやくこの博物館最大級の目玉、翡翠の白菜と瑪瑙の角煮のもとへとたどり着いた。さすが目玉商品なだけあって、中央にある大きなガラスのケースの周りには二重三重にみっしりと人が取り囲んでおり、中に入っているものの一端すら見えない。
 待つこと数分、ようやくじわじわと前方の人並みが割れてきた頃、待ちに待った翡翠の白菜との対面がかなった。  正直な感想を言おう。
 ちっさ・・・!!!!
 目に入った白菜は、白菜ではなかった。正直ラディッシュであった。数冊のガイドブックを読み込みまくっていた私だが、そのいずれもがページ一面に巨大な白菜を掲載しており、当然のように白菜の大きさは実物大だと解釈していたのだ。まさかレンゲに乗るようなサイズとは夢にも思わなかったのだ。思わぬガッカリ感。白菜に背負わされる理不尽な失望。ふと横の友人を見遣ると「えっ・・・?小さくないか・・・?けど一応台湾の至宝らしいし、『なんと繊細な技巧・・・!』みたいな事を言っといた方がいいのか・・・?」という明らかな逡巡が見て取れる。
 事実白菜は何も悪くないのだ。その姿ははガイドブックで限界まで拡大されても何の違和感も抱かせないどころか、むしろ実物大だと思わせてしまうほど精緻なものであり、同じ翡翠から切り出されている白菜にとまるバッタまで、本物と見紛うほどの見事な出来になっている。  ただ、サッカーボール大の大きな翡翠の塊を想像していた私達からすると、肩すかしをくらった感はぬぐい去れないのだ。そもそもそんな大きさの翡翠などあるのかという当然の疑問はさておき、今まで一体幾人の観光客がこの白菜を見て微妙な心持ちを抱き、そして長年その客達の顔を見続けてきたこの白菜は、どんな気持ちを抱いているのだろう。  悶々と思いを巡らせた私は、次なる瑪瑙の角煮を見ても「さすがに角煮は実物大か・・・。」と大きさの感想に終始し博物館を去った。そもそもなぜ、宝石である翡翠や瑪瑙で白菜と角煮を作ろうと思ったのか。明らかに後者のほうがランクダウンしているではないか。やはり皇帝の考えることは分からない。私が部下でこんなものの作成を命じられたら、即黄巾の乱ルート突入だ。
 ここは私たちが来るような場所ではなかった。富裕層の老夫婦が来るべき場所であった。悲しすぎる諦観を胸に私たちが向かった次なる目的地は台湾一の由緒ある寺院、龍山寺だ。実はこの龍山寺、外国に行ってはなぜかその国の宗教施設を巡ってしまう気のある私にとっては、仇分に次いで楽しみにしていたスポットなのだ。なんでも龍山寺は単に台湾一歴史ある寺というだけでなく、台湾中の著名な神様が一堂に奉ってある場所らしい。つまりここにさえ行けば、台湾中の寺院を巡らずともほぼ全ての神様に会える、オールオッケー万事解決という素晴らしい寺院なのだ。
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 たどり着いた龍山寺は多少色褪せてはいるものの、建物のそこかしこに朱色を基調としたいかにも異国風な極彩色の着色がされており、手前の池では天を仰ぐ龍の石像が勢い良く水を吹き出していた。まさに異文化。まさに異国の寺である。  ひとまず参拝に必要な蝋燭となんだかすごく長い線香を購入すると、恐る恐る境内に足を踏み入れた。
 門をくぐるとそこには、異様としか言いようのない光景が広がっていた。  学校のグラウンドほどは軽くあるだろうかという大きな境内の敷地を、ぐるりと取り囲むかのようにいくつものお堂が建っている。このなかの、さらに細かく分かれた廟で様々な神様を奉っているのだろう。中央を見ると、一際立派な大きなお堂がある。恐らくこれが日本で言うところの天照大神的な、元締めの神様のお堂なのだろう。
 正直これだけなら「かなり立派なお寺だな。さすが台湾随一と言われるだけある。」程度の感想ですんだのだが、私の度肝を抜いたのはお寺そのものと言うよりもむしろ、集まっている人々の方にあった。
 かなり広い境内、その至る所に多くの参詣者がひしめいている。恐らくこれほどの人口密度に日本の寺社仏閣がなるのは初詣の時の他はないだろう。そしてその全ての人が、まるで太極拳の際に流れる歌のような、奇妙な抑揚をつけたお経を口ずさみながら、熱心に線香を掲げ参拝の作法であろう動きを繰り返しているのだ。  その全員が口ずさむお経が見事にぴたりと合っているものだから、もうもうと立ちこめる線香の、その独特の香りに包ま���るなか、まるで境内中の地面から声が沸き上がるかのような一体感で、どこか切なくなる調子のお経が延々と聞こえてくる。  お経の調子は節回しや言葉を変えつつも途切れることなく連綿と続いている。そしてその場にいる見渡す限りの人々が頭を垂れ手をすり合わせるように神に祈りながらも淀みなく経を唱えている。
 凄い光景を目にしてしまった。
 この人たちは本当に神様を信じ、敬い、そして祈っているのだ。
 単純すぎる感想だが、心からそう思った。  今まで私も折りにつけ神社には良く行くほうだ、なんなら信心深いと言っていい、くらいに思っていたのだが、五円の賽銭と引き換えに何の躊躇いもなく法外な要求を神に行う私と、前列の人に手持ちの線香の火が触れるのも構わず何度も何度もお堂に向かってお辞儀をし、目をつぶり祈りを捧げているこの人達とでは、根本的な神様に対するありようが全くもって異なるのだと実感せずにはいられなかった。  私も般若心経程度なら多少そらんじられるが、こんなどれほど続くのか分からないお経をそらんじる事なんて絶対に無理だ。そもそも般若心経ですら大学受験の現実逃避に身につけたものであり、ある意味苦難の末に悟りを開いた釈迦に近い状況であったものの、信仰心の篤さとは全くもって無関係だ。
 とにもかくにもそんな日常では全く接してこなかった人々の神への思いにただただ圧倒されて��まい、私と友人は門をくぐったその数歩先で、ひたすらにおどおどするしかなかった。  参拝の仕方はあらかじめ日本で調べてはいたものの、なんだか現地の人達の動きは全然違う気がする。そしてなにより風にたなびく稲穂のごとくひたすらお辞儀をして祈りを捧げる現地の人達の中で、棒立ちの私達はこの上なく目立つ。はたしてここは観光気分で立ち入ってよい場所だったのか・・・?
 どうすりゃいいんだ。
 この旅数度目の困惑が友人と私の顔によぎったところで、見かねた地元のおばちゃんとおぼしき人が私達を線香を立てる場所まで連れていってくれ、そこで身振り手振りでお参りの仕方を教えてくれた。今回のこの行き当たりばったり旅がどうにか遂行できているのも、ひとえにこのおばちゃんのような台湾人の親切で世話を焼いてくれる国民性に依るところが大きい。  おばちゃんの動作を解釈するに、どうやらみんな熱がはいるあまりもの凄い傾斜になっているだけらしく、基本は時事前にネットで調べたとおり、線香を頭上に掲げ参拝、その後名前、住所、生年月日、職業を伝え願い事を行う、という流れで良さそうだ。よかった。ちなみにこの願い事の際に自分のプロフィールを明かすというのは、神様が願い事を叶える際に他の人とごっちゃにならずにちゃんと個人を特定してもらうためらしい。なんのこっちゃと思っていたが、これだけの人が詰めかけているのだからそれも納得だ。ただもっと現実的に言うなら、私が神だったらこんな雪崩のように大量の人達から大量の願い事をされてももう叶えることを断念し、死んだ魚のような目でひたすら供え物の大福を食べ続けるがな。明らかに過剰労働だ。
 ともあれ龍山寺には幾人もの神様が奉られており、健康、恋愛、医療、全体運、などなど、それぞれの神様が司る分野も全く異なる。そして参拝の際のマナーとして、自分がお願いしたい分野の神様だけではなく、全ての神様に順序よくお参りしなければならないというものがあるのだ。
 それにしても神様が多すぎる・・・。百を越えるのではないかという数の神様のそれぞれの担当分野など私が把握できるはずもなく、「幸せになりたい」というどの分野でも応用のききそうな漠然とした願いを携えて、ひたすら参拝を繰り返していたが、いい加減忍耐が限界に近い。神様側としても願望の達成手段すら丸投げされた状態で、さぞかし困惑したかと思う。
 けれどまぁ、だんだんと参拝方法も様になってきたなとひとり調子づいてきた頃、私達は月下老人の廟にたどり着いた。  月下老人というのは良縁を司る神様で、台湾でも最も有名な神様の一人にあたる。老人の持つ本には過去未来全ての縁が書かれており、月下老人はそれを読みつつ縁のあるもの同士の足首を赤い糸で結びつけるのだ。そう、あの有名な「運命の赤い糸」の製作者張本人なのである。
 なぜ私がここが月下老人の廟だと分かったかというと、でかでかと「月下老人」と神様の頭上に看板が掲げられていた事もあるが、なによりその廟の前に半月型の朱色の木片が二つ置いてあったからというのが大きな理由だ。この木片、半月型に見えるうちの一方は完全な平面状となっているがもう一方はゆるやかな丸みを帯びており、表と裏で形状が違うものとなっている。参拝客は、月下老人にお祈り後、この二つの木片を同時に投げ、一つが表一つが裏という結果になればお守りの赤い糸が貰えるという仕組みなのだ。
 これはもうやってみるしかない!さっそくチャレンジし、見事表裏がでたため月下老人の廟から赤い糸を一つもらう。糸は一つ一つビニールの小さな袋に入れてあり、何やら赤い文字で言葉が添えてある。なんにせよ嬉しい。  ほくほく顔でふと横を見ると、友人は見事に表表の結果を叩き出していた。さすがという他ない。ちなみに表表、裏裏のように同一面がでた場合、糸は貰えないがもう一度チャレンジして良く、合計三回まで挑戦できる。三回目でもまだ同一面が出た場合はもう諦めろよ、という月下老人からのメッセージで、赤い糸は貰えないという仕組みなのだ。さすがに台湾くんだりまできてそんな悲しい結果は避けたい。
 「マジかよ・・・。」という雰囲気を若干漂わせつつ、木片を再度手に取り投げようとする友人。「おっ。面白いことになってきたぞ。」という雰囲気を漂わせつつ、見物を決め込む私。そんな二人の中に唐突にもう一人の登場人物が現れた。老人である。もちろん月下老人ではない、謎の老人だ。
 現れた老人は木片を投げようとする友人の手をやおら掴むと中国語でこう言った。「だめだ!せっかく参拝しに来たのにそんな荒々しいことをしては!神様に失礼に当たる!ちょっとこっちに来なさい!」正直老人が発している中国語のうち単語の意味が分かったものは一言もなかったが、老人の必死の形相と熱い思いで不思議なほど意味が分かった。おそらく寸分違わずこのニュアンスだろうという確信がある。中国語の学習など必要なかった。  老人に導かれるまま向かいの大きな拝殿に連れて行かれた私達はそこで老人に指示されるまま神様ごめんなさい参拝を再度行うと、再び月下老人のもとへと戻った。  「ほら、こうやってかがんで、そっとこぼすような感じで投げるんだ。」  かがんでジェスチャーする老人。
 ってゆーか、このじいちゃん、誰・・・?
 あからさまに当惑しながらも再度木片を投げる友人。  投げられた木片は、私の期待を裏切り表と裏でころりと止まった。
 「さぁ、この糸を貰って!そしてついてくるんだ!」
 颯爽と先導する老人連れられ再度移動を開始する。たどり着いた線香がもうもうと立ちこめる香炉の前で「香炉の上でこんな風に三回糸を回すように!」とこれまた矢継ぎ早に指示をとばされる。相変わらずの強すぎるメッセージ性のおかげで言わんとすることは分かるものの、一体この行為が何を意味するものなのか等、正直他に分からないことが多すぎる。  そもそもこのじいちゃんは何者なんだ?寺の精か、ボランティアスタッフか、はたまた縁遠そうな私達を見かねた一般人なのか・・・。そして一体どこまで同行してくるつもりなんだろう。この先じいちゃん監修のもと残りの参拝を終わらせるとなるとかなりしんどいぞ・・・。なにより終わった後ガイド料的なものを請求してきたりはしないよな・・・。
 不安渦巻く私をよそに、「この糸を大切に持っておくように。そしてここで同じようにあの木片を投げればおみくじがひけるから。」そう言い残すと鮮烈な光とともに老人は去っていった。友人と私、そして自分の3ショットを持参しているデジカメで去り際に自撮りしたのである。
 「あのじいちゃん何なの・・・?」
 熱心に礼拝を繰り返す人々の群の中、フラッシュの洗礼を浴びた私と友人は、老人の消えゆく背中を確認した後、ここしばらく毎分単位で思っていた疑問をようやく口にした。  当然答える声もなく、帰国した今となってもあの時の老人と写真の行方は謎のままだ。
 いまいち判然としない気持ちのまま、せっかくなので教えてもらったおみくじに早速チャレンジしてみることにした。幸い木片の投げ方は前述の老人のレクチャーのおかげで完璧だ。  今度は私と友人、どちらも一発で表裏の結果を叩きだし、おみくじの入っている六角柱の木の箱をしゃかしゃかと振ることができた。出てきた木の棒には「九十一」とだけ書かれている。なるほど九十一番か。・・・それで・・・?  日本だったらここで巫女さんが木のタンスのようなものからその番号のおみくじを取り出してくれるのだが、残念ながらこのおみくじコーナーには駐在する巫女さんなどいない。そもそも先ほどの赤い糸お守りといいこちらのおみくじといい、驚きの完全無料なんだから贅沢言うなという話だ。
 周囲を見渡してもおみくじの入っているらしき箱は無く、しかたなく忘れないように自分の番号を心の中で繰り返しながら参拝を再開することにした。身が入らないことこの上ない。  一通りの参拝を終え、ようやくスタート地点の拝殿に戻ってきたとき、おみくじBOXを発見した。ここにあったのか!おみくじを引く場所とほぼ対極と言っていい位置取り。なんでまたこんなに離れたところに・・・。  ともあれ参拝中も番号を復唱していた甲斐があったというものだ。浮き立つ心を抑え自分の番号が書かれた引き出しからおみくじを一つ取り出しいそいそと読む。当然中国語で書かれている。一言も分からない。  幸い龍山寺には外国からの参拝客のためにおみくじを英語訳や日本語訳してくれる窓口が設けてあり、外国人であれどその内容を知ることができるらしい。ありがたい限りだ。無料のおみくじに設けられた手厚いサポートに感謝しつつ窓口に向かうと、奇跡的に日本語訳のスタッフが昼食により不在となっており、受けられる翻訳は英語訳のみとなっていた。
・・・最悪だ・・・。  私は英語が話せない。のみならず書けない。さらに言うならば聞き取れない。私の英語力たるや、大学のTOEIC点数別の英語クラス分けで未受験者と同じクラスになったほどなのだ。成績の序列が分からぬようクラスの順位を開示せずに張り出してあったのだが、未受験者と一緒になっている時点でこのクラスが学年の底辺であることは誰の目にも明白であった。おいおい、一番隠さなきゃいけない恥部が全開になってるぞっ☆うっかりさんなんだから☆と当時は思っていたが、よくよく考えるとあれは教授からの処刑だったのかもしれない。  さらにいうならばそんな学校の底辺クラスの創作スピーチ暗記テストで「ハロー!エブリワン!」と言った瞬間続く言葉を全て忘れ、学年でも粒ぞろいのバカたちを圧倒した実績もある。
 そんな私に台湾人のお姉さんの流暢な英語が聞き取れるはずもなく、英訳を受けた結果さらに困惑するという負のスパイラルが生じていた。  こうなればもう、自力で中国語を解読するしかない。今までの経験上、中国語といえども用いられている漢字の意味でなんとなく内容が分かるはずだ。そう思い目を通してみたのだが、これがもう全く分からない。友人のおみくじが「婚姻‐良好」のようにわりかし分かりやすいのに比べ、私のみくじときたら、「婚姻‐條向、自身‐路行・・・」などといった意味不明文字のオンパレードとなっているのだ。このメッセージが何を意図するのか、多少なりとも読みとれただろうか。少なくとも私は無理だ。そのうえ疾病や失物の欄に至ってはもはや何も書いていない。もう怖い。
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 無い知恵絞って考えた私が出した結論は、「家に帰ってグーグルで検索する。」というものだった。  グーグルは偉大である。親切な人が龍山寺のおみくじに書かれている全部の詩を解説するサイトを設けてくれており、そのうえ他の人のページで私の引いた九十一首だけは何故か各項目の解説は書かれておらず、私が各項目の判定結果だと思って必死に読もうとしていた言葉たちは実は縦ではなく項目など無視して横に読むものであり、全てを通すと「一條大路心中用事諸事如意・・・(オールオッケー的なざっくりした意味)」といった一つのメッセージになるということまで分かった。  そりゃあどれだけ縦読みしても意図の欠片も汲み取れなかったはずである。こんなもの足りない頭を絞って考えても一生かかっても分からないところだった。ありがとうグーグル。ありがとう人の善意。
 その後龍山寺にあるたくさんのお守り(種類も豊富で驚くほど良心価格!)をどれにするかで延々と悩んだりしたりと、かなり満喫し龍山寺を後にした。
 結局私達が龍山寺を後にするまでのかなりの時間、参拝客は途絶えることなく、また優美な抑揚のついたお経も絶え間なく流れ続けていた。  戦後の風刺画もかくやというほど手に持ったカメラで目に映るもの全てをバシャバシャとおさめてきた私だったが、ここ龍山寺の境内でだけは、ついぞカメラを取り出すことすら叶わなかった。  ここでの光景は正直台湾で一二を争うほど印象深く、私はその光景を記録に残したいと強く思っていたのだが、こんなにもたくさんの人達が神聖なものと心から思い、真摯に祈りを捧げているその光景を、ふらっとやってきた私が気軽にカメラに収めてしまうことはなんだか彼らの思いを踏みにじってしまうような気が無性にしたのだ。  帰国した今でもあの光景をカメラに収めていなかったことは正直度々悔やまれるが、同時にあれは目に焼き付けるに留めておいてこそ正解であったのだとも思う。  きっと私がシャッターを切ったところで、カメラに収まった景色は今私の記憶している光景とは異なるものとなってしまっていただろう。同時にその瞬間、私の記憶にのこる光景からまでも、これほどまでの特別性は失われてしまっただろうと思うからだ。    とかなんとかセンチメンタルに思いを馳せてはみたものの、よくよく考えてみれば途中参加の謎老人にフラッシュたきまくりのデジカメ写真をバシャバシャ撮られている時点で神秘性も何も無くなっている。モラルハザード起きまくりである。  こんな事ならやっぱり、線香をもって拝む姿の一枚や二枚、記念に撮影しておくべきだった・・・ちょっぴり悔やまれる今日この頃だ。
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-yama-san- · 10 years
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創造する黒歴史☆変身写真
「変身写真」なるものをご存じだろうか。
 台湾や中国をはじめとした中国語圏においては日常生活と写真の結びつきが非常に強く、何かにつけて写真を撮る。まぁこれは日本も似たようなもので、おそらく二度と見返すことの無いような写真を事あるごとにアイフォン片手にバシャバシャとる姿は、街に出ればそこら中に溢れかえっている。中華圏と日本での写真好きの��に大きな違いが生まれる部分と言えば、ここに専門家の介在があるかどうかといった点になるだろう。
 というのも中華圏の人々は、イベント毎にプロの写真家に写真を撮ってもらうことが多々あり、こと結婚の際の写真ともなれば撮影費用が10万円にのぼることもあるというのだ。中国の大卒初任給が確か5万円程度であることを考えると、これはべらぼうな額。しかも値段も普通じゃないが撮る写真はもっと普通じゃない。椅子に花嫁が腰掛け、そのやや後方に花婿が笑顔で直立する。そんなヤワな写真ではさらさらなく、草原の中をドレスとタキシードで駆け抜ける笑顔の二人、浜辺に寝転がりながら愛を語らいあうこれまたドレスとタキシードの二人、花々に囲まれ笑顔の花嫁を、これまた笑顔で抱えあげる花婿――。こういった「アイドルの写真集ですか?」といった構図の写真の数々を一般人が撮るのだ、カメラマンやら照明係やらを引き連れ丸一日かかりで。  どんだけ自分大好きなんだ。そう、思わず見るものに言わせてしまうこれこそが「変身写真」なのだ。
 そんな日本ではそれだけで離婚事由になりそうな写真文化だが、この話を台湾ぶらり旅記録の前置きに書いたのは理由がある。時は台湾旅行2日目午前中、撮ってきたのだ、その例の変身写真を。しかも私も同行の友人も結婚の予定はない。つまり一人で。そう、一人で・・・!
 どうしてそんな罰ゲームじみたことをする事になったのか、そのきっかけは今となってはろくに覚えていない。なにせ自分が大好きなもんでね・・・。  とにもかくにも「台湾で変身写真を撮ろうぜ!」と盛り上がった私と友人がまずはじめにしたのは台湾での評判のいい写真館探しだった。こんな所だけ変に冷静で現実的。
 数ある写真館のうち私たちが目を付けたのは「Magics」というお店。理由としては台湾で一番人気があるらしいことと日本語OKなこと、そしてホームページに撮影写真や衣装が多々載っていることがある。やっぱり「変身」するからにはどんな感じの衣装やセットがあるのかは知っておかないとね!ノリノリかよ!  そしてさっそく代理店のホームページから予約の打診をしたところ、運良く姉妹店「Magics Diva」のキャンセルが出て無事予約完了、今に至る、というわけだ。
 たどり着いた店は台北市内の大通りに面した建物の二階にあった。近くに有名なパイナップルケーキ屋があって嬉しい。帰りに買って帰ろう。余談だがここのパイナップルケーキはしっとりとしていて丁度良い甘さ、そして口の中でパイナップルの風味とともにほろほろと崩れる絶品だった。  店に入ると店内は紫や黒を基調とした落ち着いたゴシック調で、テーブルや椅子はもとよりコップの一つに至るまでとびきりオシャレで高級感が漂っている。今まで台北市内の可愛らしいお店をいくつか見てきたが、置いてある小物や店構えの洗練され具合から見ても、それらの店とはもう明らかに金のかけ方が違うのだ。地元の夢タウンと代官山のセレクトショップぐらい違う。儲かってまんなぁ。
 そんな下衆の勘ぐりを巡らせる私達は、まず衣装部屋案内された。衣装部屋の中にはもの凄い数の服、服、服!軽く百着はあるんじゃないだろうか。そんな部屋中にかけられた服を横目に、中央の椅子に案内されipadを渡される。これでめぼしい服を検索しろということらしい。一つ一つ服を見ずともさっさと選べるのか、近代的!  見たところ服の種類は結婚式などでも着られそうなベーシックなカラードレス、チャイナ服、花魁っぽい中国風着物、サーカス系(アメリカの人形が着ていそうな服。勝手に命名)の四つに大別された。渡されたipadの中に入っている服の写真も、事前にホームページで見れたカタログの内容とほぼ同じ様だ。
   迷った末に友人は薄紫のカラードレスと白のチャイナ服、私は漆黒のドレスと極彩色の中華風着物をチョイスした。見事に趣味のかぶらない結果だ。にしてもどんな選択肢だよ。  服のチョイスを日本語の通訳さんに伝えると、間髪入れずに質問をしてくる通訳さん。 「どういう?どういうイメージにしますか?」 正直こっちは何も考えていない。 「いや、そうですね・・・。この着物の方は凄い中華っぽい感じで、・・・で、で、えっと、こっちのドレスの方は悪の女王みたいな感じでお願いします・・・。」 どんな感じだよ。しどろもどろになりながら答える私。正直かなり恥ずかしい。 しかし相手はプロ。「はい。分かりました。ではこちらの着物の方の髪型はどうされますか?」私の意味不明リクエストをさらりと流し、質問を続けていく。手元の紙をみればドレスの欄に「悪貴族。」の一文字。どうなってしまうんだ。あまりの突拍子もない状況に笑いがこみ上げてくる。ちらりと横の友人を見れば、薄ら笑いながら別の通訳さんと受け答えをしている。おそらく同じく自分の羞恥心と戦っているのだろう。
 そんなこんなで詳細なQ&Aを終えた後、いよいよドレスを着ることに。ドレスのサイズはかなり大きく、それをコルセットで調整する形になっていた。これならば相当太めの人でも余裕で対応できそうだ。とか思っていたのも束の間、思い切り締められる。相当苦しい。肝心のドレスについては正直服の質なんて全然分からないのだが、ペラペラなものでは全くなく、しっかりしていてラインも生地も綺麗。友人のカラードレスなんかを見ると、これを結婚式で着ていても違和感がないくらいのクオリティだ。  着替えがすんだらメイク室へ移動。ここのメイク室がこれまた白を基調としたおしゃれなデザインで、ライトのつきまくった鏡はもとよりどれもピカピカに輝いている。部屋の周りには無数の靴やウイッグ、そしてアクセサリーが入った小物入れが所狭しと並べられている。正直本物の撮影現場のメイク室よりこちらのほうが豪華なのでは?と思えるほどの気合の入りようだ。とにかくこの店はとことん内装から何からを豪華にして、非日常感を出すことをモットーとしているらしい。  ヘアメイクに関しては、担当の人からどのようにしたいのか聞かれるが、とりたてて何も考えていずとも勝手に進めてくれる。ありがたい。それでいて着けるウイッグやアクセサリーなど、別のものがよければリクエストすれば替えてくれる。本当に気楽だ。ただしメイクは相当なガッツリメイクで、マスカラは三度くらいは塗りたくっていたし、アイラインは目の粘膜に彫り込んでいるのでは?という痛みで思わず悲鳴を上げた。ちなみに悲鳴を上げたところで担当のお姉さんは「オーケーィ。」と気のない応答をするだけで変わらずガシガシと粘膜にアイラインを描き続ける。美には犠牲がつきものなのだ。     もうかれこれ一時間くらいは経ったんじゃなかろうかと思えたところでようやくヘアメイクやらコーディネートやらが終了した。出来上がって鏡を見た感想は「あ、これは間違いなく『悪貴族』だわ。」だった。真っ黒なドレスに真っ黒な巻き髪、禍々しいアクセサリーに冷酷そうな人相(これは元から)、爪のベースまで漆黒とくればもう、物語に出てくる悪い魔女やお妃そのものだ。眠りの森の美女ならば間違いなく千年の眠りの呪いをかける側だし、白雪姫ならば間違いなく魔法の鏡を見て怒り狂い、白雪姫を殺そうとする側だ。まさにリクエスト通り、素晴らしい!
 そんな私の横で同じく完成した友人は、薄紫のふわふわしたドレスに色素の薄いウイッグ、そして頭には花冠をのせていた。  こいつどんなリクエストしたんだ。「森の妖精」とかか?にしても二人の世界観が圧倒的に違いすぎる…!そもそもどんな状況なんだよ。  恐らくこの機会がなければ一生することのないであろう森の妖精VS悪い魔女という恰好で友人と相対したことが急におかしくなり、本日数度目の笑いをかみ殺した。本当に、客観的に見れば凄い状況。  メイクを終えた担当のお姉さんは、その場でパシャリとインスタントカメラと私の持っていたデジカメで写真を撮ってくれた。これから撮影する写真は出来上がって送ってもらうまで数週間を要するため、当面の記念としてこれを持っていなさいという事らしい。アイメイクの力加減以外はどこまでも客思いだ。
 あれこれやっているうちにカメラマンの女性が来て、撮影の場所に行くことに。撮影ブースは2~3室の続き部屋を6畳程度を1ブースにそれぞれ区切った形となっていた。各ブースごとにゴシック風、洋館風、中華風、エキゾチック風、サーカス風、自然風とテーマがあるようで、だいたい10種類くらいあるんじゃなかろうか。  そのブースをいくつか周り、それぞれのブースでカメラマン指示のもとポーズをとり、数十枚程度の写真を撮っていくのだが、そのポーズがもう物凄い。なんだか香水のポスターにでもありそうなポーズを完全なる一般人の私が謎の衣装に身を包みながらとるのだからもう、その姿は傍から見れば『壮絶』の一言だ。もちろん悪い意味でな…。  いくら面の皮の厚さに定評がある私でも、流石にこれはかなりきつい。しかもここではカメラマンと一対一状態のため、今までのように友達と薄ら笑いながら罪を共有し、羞恥心をぼんやり薄めることすらできないのだ。異国に来て奇天烈すぎる格好をし、奇怪なポーズをドヤ顔で決める自分と徹底的に向き合うことになる。どんな訓練だよ。正直この先の人生観が変わるのでは?と思えるほどには恥ずかしい。むしろ座禅などを組むよりよっぽど自省する機能があるんじゃないだろうか。その証拠に、後半にはもう菩提樹の下の釈迦さながらに、完全なる無の状態になっていた。もはや何も感じない。宇宙は私であり、私は宇宙である。まさか台湾くんだりまで来て、悟りを啓く事になろうとはな…。
 「いや、慣れって凄いね。私最後らへんはもう寝そべりながら扇で顔の半分を隠しドヤ顔、みたいなこと平気でやってたわ。」  「いや、私も鍵を持った右手を高く掲げ虚空を見つめる、くらいは何の疑問もなくやってた。」  衣装を変えて再度メイク・写真撮影とかれこれ三時間ほどの時を過ごした私と友人は、先ほどまでの非日常を思い返しながら店を後にした。ほんと何やってんだかといった感じだけれど、道楽も失敗もない人生なんて退屈なだけさ。ついさっき悟りを啓いた身からすれば、後日あの黒歴史としか言いようのない写真が郵送されてくるなんて些細な問題さ。
 そんな私が帰国した今一番気がかりなのは、私が不慮の事故等で死んだ後、この送られてきた写真は一体どうなってしまうのか、ということだ。父親が私の遺品を整理する際にでもこの写真を発見し、「これだけ着飾って写っているんだからさぞかしお気に入りの写真に違いない。」と良かれと思って遺影にでも使ってしまった日には式場は一気に地獄と化す。小学校からの友人ですら、駆けつけた葬式の遺影にドレスを着て謎のポーズを決める私の写真があったら思わず大爆笑だろう。さすがに葬式で笑うわけにもいかないし、ハンカチで顔を覆ったまま耐え続けるしかないだろう。焼香の時なんて顔を覆えるものはないわ遺影は近いわで、耐えきれずに吹き出す友人、舞い飛ぶ焼香が目に浮かぶ。仮に霊魂というものがあったとして、そんな笑ってはいけない葬式状態のものを目撃したら羞恥心で二度死ぬ。
 これを持っていてもどうなるものでもなし、命あるうちに処分しておくべきか。けれど二万近くかかってるわけだしな、さすがに捨てるのは…。あくなき葛藤は帰国後も続く。
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-yama-san- · 10 years
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永年夜市の仇份へ☆
 タクシーで山沿いの道を上ること十数分。日はすっかり沈み、街灯にはポツポツと明かりが灯りだした。とはいっても緯度が低いせいなのか空は依然薄明るいままで、眼下に広がる町並みもはっきりと見渡せる。
 「さぁ、着いたよ。ここが仇分だ。」
 と運転手のおっちゃんが言ったかどうかは定かではないが、中国語の言葉と共に降ろされた山道の近くには、大型バスなどが停まる大きな駐車場がある。どうやらここから歩いてそう遠くない距離に仇份はあるらしい。
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 問題は、その肝心の仇份がどのあたりにあるのかがさっぱり分からないということだ。駐車場に連なる明かりのついていないランタンを除けば仇份らしさを感じる部分など特になく、うっそうと茂った暗い林が周りを取り囲んでいるのみで、正直実家周りの道路と大差ない。  当初の予定では、仇份に到着と同時に連綿と続くランタンの輝きとどこからともなく聞こえてくる中華風の絃のしらべに誘われて中心部までふらふらと散策、と洒落込む気満々だった私達は、ただただ辺りを見回すことしか出来なかった。
 足元のアスファルトの道はまだまだ山頂へと向かって緩やかなカーブを描きながら続いているが、おっちゃんがここで私たちを降ろした以上、この車道を上っていっても仇份に辿り着くことはないだろう。  ここでツアー客あたりと出くわせたなら、あたかも一員のような顔をしてさりげなくついていくこともできるのだが、生憎そうそう上手くはいかず、周りの景色がいたずらに暗くなっていくばかりだ。うむむ・・・一体どうしたものか。
 「もう登ろう!」  しびれを切らした友人が指さしたのは、茂みの向こうへと続く、登山者用と思しき細い階段だった。観光客用と言うにはあまりにも心許ない造りで、周囲の茂みと一体化しつつある。一体どこへ向かおうと言うんだ、君は。  しかし他にあるものは山頂へと続くアスファルトの道み。よく考えずとももうそれしか方法はないのだ。こうなりゃもう乗りかかった船だ。  「そうだね、このままここで帰りの電車の時間になるなんてバカらしいし、もう登ろう!」  行こう!さぁ!と、勢いだけで階段を登り始めたはいいものの、階段が終わり山道に変わっても、いっこうにランタンの明かりは見えてこない。あたりはすっかり暗くなり、足元の小石に蹴躓きそうだ。
 「これ、ほんとにこっちであってるのかな・・・?」  「あってるんじゃない?知らんけど。」  友人に心細げに尋ねても、そんな矛盾をはらんだ回答が返ってくる。お互いに不信感しか抱いていない。けれどもこの道を引き返したところでどこに向かえばいいのか。物思いに耽りながら黙々と歩く友人と私の視界に、ようよう待ち望んだランタンの明かりが飛び込んできた。
 「あれ、ランタンじゃない?」  思わず口火を切る友人。しかしながらこのセリフはは決して感動からくるものではなく、単なる警戒心の表れであった。  というのもこの大きなランタン、黄色がかっていて数も三つしかなく、何より墨で大きく「仙師宮」という謎の言葉が書かれていたからだ。ついでにいうならばそのランタンは社のような奥の建物へと続く門の前に掲げられており、更についでに言うならば門の上には『天和』と書かれた三角形のモチーフのようなものがのっていた。
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 隠しようもない宗教色・・・!なんで仇分に行くつもりがこんな謎の新興宗教組織みたいなところに行き当たってしまうんだ・・・。ランタンの黄みを帯びた明かりと相まって、まるでここだけが異界のように浮かび上がっている。
 ここで門戸を叩けば新たな人生の一ページが生まれるやもしれないが、ひとまず門前でポーズを決めた写真を撮るにとどめて先へ進むことに。もしかしてこの道ってただの仙師宮への参道だったんじゃ・・・。という思いが互いの頭をよぎるが、もう考えることを止めてひたすら登る。(余談だが、どうやらこの仙師宮は台湾各地にちょいちょいある建物らしい。日本でいうところの地蔵のある祠的な物なのだろうか。)    あたりの色合いがもうとっくに夕暮れから夜へと移り変わり、私達が覚悟を決めて黙々と夜闇の中を歩き続けていたある時、坂を過ぎ急に前がひらけたと思ったら、縁日のようにごった返す人波と、その上に無数に連なるランタンの明かりが目に飛び込んできた。視界一面の朱色に輝くランタンは、階段伝いにずっと上のほうまで続いている。間違いない。ようやく待ち望んだ街、仇份にたどり着けたのだ。
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 それにしてもすごい人の数だ。おそらく大半が観光客なのだろうが、道からはみ出んばかりの人々の群が、めいめいランタンと自分たちとのベストショットを撮るべく試行錯誤している。普通こういった観光地で人がごった返している様子を見ると興が殺がれてげんなりしそうなものなのだが、仇分ではその人々の群れでさえも、祭りの喧騒のような心躍る効果をもたらしているのだ。  映画「千と千尋の��隠し」の舞台になったともっぱらの噂だったが、それも間違いないだろうと太鼓判を押したくなるほどに、非日常的なこの雰囲気。この街のどこかに、湯婆々の温泉宿があったってちっとも驚きはしない。むしろほんとにあるんじゃないだろうか、この先に。そんな思いを抑えきれない私のみならず、道行く人すべてがワクワクしながらこの空間を楽しんでいることが伝わってくる。なんなのだろうこの、陽気で雑多で新鮮で、それでいて居心地良く歓迎されているような感じは。まるで生まれて初めてお祭りに行ったときみたいだ。私がディズニーのキャラクターだったら確実に唄いだしている。 
 ランタンの連なりと共に山頂へと続く石階段の両脇にはガラスや磁器でできた中華風アクセサリーのお店や、これまた可愛らしい小物や化粧品を売る店が軒を連ねている。そのどれもがもうこの町の雰囲気にぴったりで、たまらなく魅力的だ。
 その中でも特に私たちの目を引いたのが「花文字」を書いてくれるお婆さんだ。お婆さんに自分の名前を書いた紙を渡すと、木片に絵の具の様なものをつけて紙にその言葉を書いてくれるのだ。たったそれだけの事なのだが、お婆さんのつける絵の具の量の塩梅や色の滲み具合も相まって、ただの名前から水に浮かぶ蓮の花や差し込む朝日、尾ひれをたゆたせながら優雅に泳ぐ金魚が魔法の様に生まれてくるのだ。そしてできあがった名前はまさに「花文字」の言葉が示すとおり、華やかでとても素敵なものとなっている。
 もちろん友人と私の二人ともこの花文字を書いてもらったのだが、その差は歴然。友人の方は花束のような豪華絢爛な出来になっているのだが私の方は完全に元の文字が読める程に原型を留めている。  「この婆ちゃん、私の時にはダルくなって手ぇ抜いたんじゃ・・・。」  相手に通じないことをいいことに悪態をつく私の隣で友人は  「いや、字画の差でしょ、ははっ。」  と言いながらご満悦気に自分の華麗な名前を見つめていた。  確かにこの花文字、文字の一部一部を絵に見立てるものなので、必然的に単純で字画の少ない文字は地味に、字画の多い文字は派手な仕上がりになる仕組みとなっているのだ。自分の名前の画数について我こそは!と自信のある方は、是非とも台湾の花文字を御体験願いたい。かさばるようなものではなし、所要時間も十分程度。世界に一枚だけの花文字を仇份の思い出と共に持ち帰るのも素敵ですよね。婆ちゃんに手を抜かれた疑惑があるのにも関わらず、なんだか花文字業者の回し者みたいになってしまった。
 お婆ちゃんに花文字を書いてもらった後は、仇分一有名なお茶屋へ向かうことにした私達。石段を進んでしばらく歩くと、暗闇の中真っ赤に輝くなランタンにずらりと縁取られた三階建ての黒い大きな館とこれまた黒い木の門構えに朱色の看板が見えてくる。これが「阿妹茶酒館」だ。
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   ここは千と「千尋の神隠し」の湯婆々の館のモデルとなったとの噂もあるお茶屋で、モデル説も頷けるほどの怪しげな雰囲気を醸し出している。まず建物の全体が黒木のため室内の煌々とした明かりが強調されており、そこに真っ赤なランタンが連連と灯されているものだからもう、端から見たらあの建物の中では怪しいけれど心躍る何か、それこそ神々の宴でもあってるんじゃないかという気持ちにさせられるのだ。
 門から中の建物を覗いてみると、窓枠沿いにツタが這っているだけでなく、当然のように幼子一人分ぐらいの大きさのある、能面の様なものが飾られている。しかもこの能面、ベーシックな薄顔のものから翁、そして怨霊風と、外から見るだけで三つも飾られているのだ。そのどれもが眉をしかめて口を半開きか、あくび寸前の様な表情を浮かべており、能面たちの不快感がひしひしと伝わってくる。なにより陰影で純粋に怖い。
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 謎の能面に目が釘付けになりながらも店の扉をくぐると、「お茶していきますか?」と店員さんから日本語で尋ねられた。しますします。この阿妹茶酒館、ガイドブック情報だと外観のみならず料理良く、スイーツも美味しいとのことなのだ。是非とも絶品と名高芋の白玉ぜんざいを食べて帰らねば!  息まく私達を屋上の席へと連れていく店員さん。テラス席からは、阿妹茶酒館はもちろん、仇分の夜景が一望できていかにも「台湾に来たな!」と実感する雰囲気の良さだ。ここでこのまま映画の撮影ができる。  さて、大分お腹も減ってきたし、暖かい芋ぜんざいと美味しいスイーツを二、三頼むとするか。  うきうき気分で待つ私達の元に、店員さんがようやく戻ってきた。煮えたぎるぶんぶく茶釜のような物を持って。  えっ・・・?  茶釜に圧倒される私達をよそに、手際よく茶釜コースの説明を始める店員さん。どうやらこのコースは、この茶釜で自ら最上のお茶を沸かし、お茶菓子と共に愉しむ体験ができるらしい。  ・・・どうしてこうなった?  まさか最初の「お茶して行きますか?」は「ここで一杯やってくかい?」的なニュアンスのものではなく「本場中国三千年の歴史が誇る本格茶体験をおまえもまた希望するのか?」的なニュアンスだったのだろうか・・・?  間違いなくそうだ。そして正直お茶より芋ぜんざいが食べたい。優しい甘さでとろりととろけるという噂の芋ぜんざいが。  そんな切ない胸中など知る由もなく、一通り流れと作法を説明し去っていく店員さん。残された煮えたぎる茶釜と大量の茶葉。むろん私も友人も、説明などろくに聞いていない。
 その後、増えるワカメばりに増殖する茶葉や熱過ぎる茶釜に苦戦しつつも、どうにかお茶を入れることに成功した。少し肌寒いくらいの屋外で、温かいお茶をすすりながら砂糖菓子や胡麻のお菓子、甘い梅干しの様な何かを食べると、これはこれで台湾らしくて爽やかな心持ちがする。結果オーライ。ただ、芋ぜんざいへの思いは拭い去れないけれどな。
 
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   大量のお茶を飲み終わった私たちは再び仇份の街並みへと繰り出した。暗闇の中無数のランタンが連なる仇分の路面店には、他にもベタベタなお土産屋からパワーストーンの様なものを売るお店、そして何より食べ物関係の店が多く軒を連ねていた。  その中でもやはり一際異彩を放っていたのが「臭豆腐」だ。なんでもかの西太后も愛したと言われる曰く付きの一品で、その独特の臭みがありながらも、台湾でいまなお変わらぬ人気を誇る一品らしい。  この臭豆腐、実は私が仇分でランタンに次いで密かに注目していたものなのだ。そもそもこの臭豆腐の熱狂的ファンである西太后自体が夫の愛人に残虐な刑を処したうえであえて生かしただとか、清王朝を滅ぼしただとかクレイジーすぎる噂の絶えない人物。そしてそんな西太后の愛した臭豆腐もまた、その名が示すとおりとにかくもうやたらめったら臭くてとても食物とは思えないとの専らの評判なのだ。  こんな話題性溢れる豆腐を食べずして、台湾に行ってきたと言えようか。いや、言えまい。十中八九まずいこの豆腐をあえて食べることによって、「台湾で古来より伝わる名物料理を食べてきた。めちゃくちゃ臭くてそのうえまずかった。」という文化的(?)体験を人生の一ページに加えることができるのだ。なによりどんな匂いでどんな味なのかが気になって仕方ない。これはもう食べねば!
 そんな決意を胸に臭豆腐屋を必死に探していたのだが、どうやら私は自分でも気づかぬうちに、店が視界に入るずっと前から臭豆腐の気配を感じ取っていたらしい。実は仇分の町並みを探索し始めたときからずっと、ある臭いがしていたのだ。だけれどもこれはおそらく町の整備が完全には行き渡っていない為であろうと思い、さして気にもとめていなかった。というのもその臭い、例えるまでもなく事実「ほとんど人が立ち寄らずろくに掃除もされていないど田舎の公園のトイレ」の臭いそのものだったからだ。ど田舎出身者以外にはさっぱり分からない例えで申し訳ないが、辺境仲間ならきっと「ああ、はいはいあれね。」と膝を打ってくれることかと思う。そう、まさにあれだ。  まさかそれが、食べ物の臭いだったとはな・・・。大概のものならば話の種に食べる気満々でいたのだが、さすがにこれには決意が揺らぐ。だってもっとチーズ的な意味での臭さだと思ってたんだもの。発酵してますよ的な。それがもうトイレと寸分違わぬ臭いだなんて・・・。臭いって空中に漂う分子とかを鼻の細胞が関知することにより感じるものなんでしょ。ということはど田舎の公衆便所臭のするこの臭豆腐はつまりど田舎の公衆便所と同じ成分ということになるのであって・・・。食べたくないあまり急に理屈っぽくなってしまった。ガイドブックにも臭いだけじゃなく「相当汚い公衆便所の臭い」と明記しておけよな、ぷんぷん。
 と、私には若干コミカルに怒りつつ食べるかどうか逡巡するだけの余裕があったのだが、友人は完全に参っていた。  「ほんと、無理。ほんと、吐くわ。」  避難訓練さながらにハンカチで鼻と口を覆いつつ。最小限の言葉で宣告する。  友人は毛虫などを見ても「やだ~!気持ち悪いー!!」と大げさにリアクションするタイプではない。低い声で「うわ!きっも!」と吐き捨てるタイプだ。つまり今現在、冗談抜きで本当に無理で、本当に吐きそうなのだ。  いやいや、こんな雑踏の中吐かれたらえらいことになるぞ。言葉も通じない異国で、ゲロまみれの友人の介抱とかちょっとハードル高すぎるぞ。  思わぬ事態に友人の心配より先に保身に走ってしまったが、ひとまず「はやくこの店を通り過ぎようか。」という場当たり的な解決策を提示してお茶を濁す。友人は眉をしかめたまま頷くと、前方の人波をものともせず駆け出していった。  えっ!?そこまで!?周りの店も見ず!?  予想以上のスピードで店を通過する友人に一瞬呆気にとられたが、即座に追いかける私。こんな雑踏の中携帯電話も持たない二人がはぐれ��ら、再び出会える可能性など無い。  それにしても、大分走っているというのにいっこうに臭豆腐の臭いが薄らぐ気配がない。何故なんだ。注意して周りを見渡しようやく謎が解けた。どうやらこの臭豆腐、台湾では本当に人気のメニューらしく、十数メートルおきに点々と店が並んでいるのだ。つまり全速力で臭豆腐の店から遠ざかる行為は同時に一つ先に店を構える臭豆腐屋に近づく行為となり、ランナーがバトンを受け渡すがごとく延々と臭豆腐臭のリレーが続いているのだ。そしてその結果、賑やかな出店や美しいランタンをろくに見ることもなく人混みの中を疾走し続ける私達。なんなんだこの地獄。臭いだけで人をここまで駆り立てる物を好んで食するなんて、やっぱり西太后はただもんじゃない。  もう諦めてくれ・・・。受け入れてくれ、この臭いを。  いい加減息もあがった私の強い願いをものともせず、友人は振り向くことすらなく走り続けている。こいつ、実はめちゃくちゃ元気なんじゃ・・・?  仇分の町並みは緩やかなカーブと分かれ道で構成されており、同じ様な店の並びと相まって、自分が同じ場所をぐるぐる回っているのではないかという錯覚に陥る。いや、錯覚ではなく実際ぐるぐる回っているのだろう。いくらなんでも通りが膨大すぎる。  臭豆腐の臭いから逃れることを目的にむやみやたらに走り回っていた結果、ほとんどランタンの無い薄暗い路地裏にたどり着いた。店もほとんどなく、古風な住宅が立ち並んでいる。正直仇分について、そのあまりの賑やかしさからてっきり日光江戸村のような、外国人に「台湾らしさ」を体験させてあげるための架空市街地の様なものかと勝手に思いこんでいたため、こんな毎日お祭り騒ぎの町で普通に生活している人がいるということに驚く。ごくまれに民宿の様な所もあったりして、仇分に泊まれるのかと二度びっくりだ。一眼レフと共にここに泊まって、日の出から町中の明かりが落ちるまで、仇分を撮影し続けるのもいいかもしれない。きっと人生でも素晴らしい一枚が撮れるだろう。
 なんだか路地裏は静かだし、夜風が心地よい。真っ暗になった空に、たまに現れる年季もののランタンが渋くていい感じだ。  心穏やかにゆらゆらと歩く私達の元に、風に乗って音楽が届いてきたのはその時だった。  チャラチャラチャララン♪チャラララン、チャラララン♪  クラシックへの造詣が全くない私にでも分かる。これはあの超有名なベートーベンの曲、「エリーゼのために」だ。それもピアノではなく合成音バリバリの。それはともかく、何故?  流れてくる「エリーゼのために」は一向に止む気配が無く、それどころかだんだん音が大きくなっている。音源が近づいてきているのだ。はじめは微かなオルゴール程度だった音量も、今では通常の伴奏程度にまでなっている。正直むちゃくちゃ怖い。  「いやいやいやいや・・・。」  前門のエリーゼ後門の臭豆腐、どちらに動くこともできない私達が顔を見合わせている間に、音は爆音といっても良い程の音量となっていた。次の瞬間私たちの目の前に現れた黒い大きな影は、その大きな口で次々と路地裏にあるものを飲み込んでいった。ごみの収集車が来たのだ。  そう、ごみの収集車が来たのだ。心底ビビりあがり友人と二人で「おお・・・おお・・・。」と言いながら立ちすくんでいた事からすればなんとも情けない結果だが、台湾のゴミ収集車は夜に爆音でエリーゼのためにを流しながらゴミを収集して回るという知識を得た。正直どう活用していいのか全く分からない知識なので、出来ることなら全人類に分け与えたい。  だいたいなんで夜なのにこんなにガンガン音楽を流しながらゴミを回収するんだ?観光客が気づかずゴミ収集車にひかれないようにするため?住民から苦情とかでないのかな?そもそもよりによって合成音でのエリーゼのためにとか怖すぎるチョイスをなぜするんだ?嫌がらせか?  疑問はとどまるところを知らなかったが、答えは出ようもないので考えることを止めた。きっと台湾の人は爆音も気にならないくらい大らかで、エリーゼのためにが好きなのだ。 
 「そろそろ帰ろうか。」
 どちらからともなく言い出した私達が帰路につくころには、あれほどごった返した人々の群れもどこかに消えていて、周囲の店もほぼ閉まっていた。人がほとんどいなくなった仇份は、先ほどと同じ町のはずなのに全く違うところに迷い込んだ様な気持ちになる。通りで聞こえるのは、私達の話す声のみ。あの喧騒が嘘のようだ。
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 もう、街は静かに眠っているのだ。そしてまた明日になれば幻のようなお祭り騒ぎで、多くの人を笑顔にする、ずっとずっと前からそんな毎日を繰り返してきたのだろう。せっかくの休息時間に、余所者がいつまでもうろうろするのは野暮というものだ。早々にお暇しなければ。それにしても、本当に素敵な街だった。
 完全にグロッキー状態の友人と共にホテルに帰りつき、一つ気付いた事があった。夕飯をお茶と茶菓子しかとっていなかったのだ。せっかくの台湾での数少ない食事の機会をみすみす棒に振るだなんてもったいない!この旅の唯一の常備薬が胃薬である事が象徴する通り、食には全力投球すると決めているのだ。胃袋は常に満たしておかなければ!  その使命感のもとホテルのルームサービスを頼んでみたのだが、友人にいたっては注文したメニューがうどんという早くもホームシック丸出しの状態。  「なんでまたうどん・・・?帰ってから好きなだけ食べればいいじゃん。もっと名物料理を頼めばいいのに。」  私からの尤もな問いかけに対して、ベッドの上の友人は陸に打ち上げられたトドの死体のような状態を保ったまま応答した。  「いや・・・ほんと無理。なんか台湾の料理みんな太田胃散感がするじゃん。ただでさえ吐きそうなのに、これ以上太田胃散摂取するのは本当にもう無理だわ・・・。」  さっきの臭豆腐騒ぎ以来、食に対する友人の接頭語が「ほんと無理」に固定されている。なんなんだこの急激なネガティブ。  それはさておき確かに友人の言うとおり、台湾の料理はどれもとても美味しいのだが、使っている香草薬草の関係かどれも「仕上げに太田胃散をひとつまみ振りかけました」としか言いようのない風味がするのだ。この旅で、胃もたれにだけは気を付けようと日本から太田胃散を持参してきた私達としては、毎食前に飲んでいる太田胃散を食事でも摂取している様な錯覚を覚えて、正直もう過剰摂取状態だ。叶うならば厨房に行って、仕上げの一振りをしようとするシェフの腕を抑えたい。  「まぁ確かにね・・・。それでもうどんはもったいない気がするけど。」  かくいう私もクラムチャウダーを頼んでいるのだから人のことは言えないがな。  そんなだらだらしたやりとりをしていた所でルームサービスが到着した。友人もベッドからのそりと這い上がり、大儀そうに椅子に腰かける。けっこうなお値段がするだけあって、注文した料理はどれもピカピカの食器にきれいに盛りつけられていた。それでもうどんはうどんだけれど。  「いや~、今日はいろいろあったねぇ。濃かった!」  ざっくりと一日の総括をする私の横で、唐突に友人が口からうどんを吹き出さんばかりにむせ返りだした。きったねぇ!どうしたんだ一体。  無言でうどんを示す友人。薄々予想しながらも、器を手に取りうどんを一口食べてみる。  おお・・・。これはまさに、太田胃散で出汁をとったとしか思えぬ味わい・・・。
 台湾人の太田胃散へのこだわりとともに、一日目の夜は静かに更けた。
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-yama-san- · 10 years
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旅は道連れ世は情け
 たどり着いた台北駅には、吹き抜けの窓から明るい日の光が差し込んでいた。
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 駅のちょうど中央部分に大きな吹き抜けのホールがあり、その前方には切符売り場、そしてホールを挟むようにずらりとお菓子の店が並んでいる。地方から台北に来た人が帰省する際に、お土産でも買って帰るためだろうか?  そしてなによりこのホールには椅子が無かった。なんでまたそんなことに気づいたかと言えば、電車を待っている大量の人達が、ホール後方の床に座っていたからだ。ほんとびっくりするな!なんでみんな友達の家にいるみたいにくつろいでるんだ。  ひとまず私と友人もその人々にならってホール後方の床に座り込んだ。なにせまず、切符の買い方が分からないのだ。
 「とりあえず、電子券売機みたいなものと、係員さんに注文するものと、二つ方法があるみたいね。」  行きかう人の流れを見ながら、険しげな顔で友人がそう分析した。言葉が喋れなくなるだけで、切符を買うにも���人ホームズにならなければならいなのだから難儀なものだ。  「じゃあまず、係員さんにこの時刻の電車の切符が取れないか聞いてみようか。」  私の手には印刷された時刻表がある。いくら行き当たりばったり旅とはいえ、この旅のメインイベントでもある九份行きの列車ぐらいはあらかじめ日本で調べておいたのだ。  「よし、喋ることをメモ帳に書いておこう。最悪通じなかったらこの紙を見せればいい。」  こいつは天才ではなかろうか。そんな私の思いをよそに、すらすらとガイドブックの中国語を書き写した友人は、見事九份行きの往復の切符を手にして帰ってきたのだった。
 その後、ギリギリまで電車の乗り場が分からずにお菓子屋の並びに何故か入っている『てつおじさんのチーズケーキ』に同郷意識を感じ店員に日本語で場所を尋ねひたすら困惑させた挙句(当然台湾人のため日本語など知る由もない)、何とか地下の乗り場へと続く階段を見つけ目的の車両へと乗り込んだ。
 台湾の電車は全席座席指定の様で、乗車券にそのまま車両と席の番号が書かれている。今回はドタバタでチケットをとったため、席が一つしか空いておらず、もう一方のチケットには乗車席の番号の代わりに『無座』と一文字書いてあるのみだ。仕方ない。じゃんけんで負けたほうが『無座』になろう。そう決めてじゃんけんをした。この手のジャンケンで勝てた試しがない。
 『無座』ってなんだ『無座』って。とりあえず立ってりゃいいんだよな。そう勝手に判断し、友人の座る二人掛け席の横の通路にそれとなく立つ事にした。しかしながら周囲の視線が痛い。外見上台湾人と日本人など判別つかないはずだし、やはりこの視線の理由は私が外国人であるからではなく、ここに立っているという行為の異様さからくるものなのだろう。  見渡す限り立っている乗客はいないし、もしかしたら台湾には『無座』の客専用の立ち乗り用車両があるのかもしれない。  「ちょっと『無座』の席探してくるわ…。」  無座の席ってなんなんだ。席がないから無座なのに…。不安以上にいたたまれなくなり新天地を求める私とは裏腹に、生返事を返した友人は、既に九份についてのパンフレットを読み始めていた。人間性が凄い。    友人の座る車両を出たその瞬間、新天地は見つかった。こんなに早くていいのかしら。車両と車両の連結部分には、うらぶれた感じの男性と無印良品にいそうな若い女性がそれぞれ反対側の壁にもたれかかりながら立っていた。  間違いない。ここが『無座』の席だ。人斬りが相手を目にした瞬間その血の匂いで相手が人斬りか否かが分かるかの如く、無座の私には同じ無座の者が分かるのだ。このパッと見金欠大学生(授業はサボるよ!)風の兄ちゃんと、反対側の大きなキャリーバッグを持った旅行帰りらしき女の子は、確実に無座の民だ。
 そうと決まったらあとはここに落ち着くだけである。いかにもな最近金欠な地元OL風を装った私は(地元部分以外はただの真実なのだが)通路脇にある洗面台にもたれかかり、気怠い雰囲気を出すことに専念した。
 そのまま電車に揺られることおよそ数分。洗面台の横は出っ張っており完全にもたれ掛ることもできず、中々快適とは言い難い。さっきから同じ車両の無印少女もチラチラとこちらに視線を向けているし、やっぱりここに立つのは地元民的には不正解なのだろうか。洗面台を使いたい人が中々使えなくなるし、マナー違反にあたるのかしら。  けれどももう他に居場所はないしな。アウトローを気取ってここにいるしかない。洗面台を使う人間も、困るならば困れ。開き直ったその瞬間  『ファンファンシャンシャンリャーリャー?』  急に前方の無印少女がこちらに歩み寄り話しかけてきた。  やっばい!一言も分からないぞ。実は大学時代に中国語を履修していたことは事実なのだが、今覚えている中国語は『你是中国人嗎(あなたは中国人ですか?)』と『你是中山純也嗎(あなたは中山純也ですか?)』の二つのみなのだ。  ちなみにこの中山純也は教科書の主人公で、中国人の女の子と日本人の女の子と二股をかけた挙句中国に旅立つ衝撃のラストとなっている。  そんなことはどうでもいい。こんな二択の質問で一体何が分かるというんだ。第一聞くまでもなく目の前の少女は中国人でありそして中山純也ではない。  けれども何か喋らないと!なによりこのままでは私が日本人だということがばれてしまう!世はまさに反日ブームの真っ最中で、先日も中国のジャスコだか夢タウンだかが暴徒に襲われ廃墟と化していたのだ。さすがに台湾まで来てボコボコにされるのは避けたい。  「ソ、ソーリー、アイキャントスピークイングリッシュ。」  …ではなぜ英語で返した?脳内でセルフつっこみをしながら苦悩する私をよそに、キョトンとする無印少女。通じてない!せっかく勇気を振り絞ったのに全く通じてない!恥かしい!!!  『ファリャリャシュシュリューリュー?』  やっべぇ!畳み掛けてきた!この状況で掘り下げようとするか普通!お互いがお互いの言葉を一言も理解してないんだぞ!そもそもたまたま同じ車両(の連結部分)に乗ってる赤の他人に対しなんなんだこの社交性!コミュ力!コミュ力が凄い!  「ソ、ソーリー、アイキャントスピークイングリッシュ。ビコーズアイカムフロムルーバン。」  言っちゃった!また無駄に英語喋れないアピールをしちまった!そのうえ聞かれてもいないのに日本人である事を自白しちゃったよ!やましいことがあると言わずにはいられない性分なんだ!私が日本人と知った途端、このシマリスの様な女の子が急変して般若みたいになったりしないよな…。頼むよ…。  そんな私の不安をよそに、今度は意味が通じたらしく、無印少女は『ルーバン!』と言うと驚きの混ざった笑みを浮かべた。  おっ!これはいい感じじゃないの。少女の思わぬ好意的な反応に、調子に乗りさらに言葉を続ける私。  「你是中国人嗎(あなたは中国人ですか?)」  でたよ!だってこれと「あなたは中山純也ですか?」しか喋れないからね!そりゃこの二択なら必然の結果だわ!  半ば誇らしげに当然の質問をする私に対し、即答する無印少女。  『ブーシー。ウォーシーティイベーレン。』  しまった!台湾人はあくまで自分は台湾国民であるという自負があるから、中国人呼ばわりされることを快く思わない人もいるんだった!あらかじめ仕入れていた知識なのに、なんて迂闊なんだ私は!  正確には分からないが、おそらくこの少女は自分は中国人ではなく台湾人だと言ったのだろう。持ち前のええかっこしいで無理して中国語を喋るんじゃなかった。気を悪くしちゃっただろうか。  ちらりと少女の方を見たが、まるで久々の遊園地にでも来たかのようにはつらつとした笑顔を浮かべたままだ。その笑顔を崩すことなく、にこやかに少女は口を開き流暢な日本語でこう言った。  『私の、名前は、○○です。私は、十九歳です。私は、大学で、日本語の勉強をしています。』  …ありえるのか。たまたま乗り合わせた車両(の連結部分)でたまたま話しかけてきた少女が第二外国語としては恐らくドマイナーであろう日本語をたまたま習っており、そのうえ日本語で自己紹介されるなんてこと、ありえるのか。  唖然とする私をよそに、無印少女は流れゆく車両の外の景色を示し「大学に行きます。」と言いながら嬉々としてキャリーバッグの中から日本語の教科書を取り出した。
 思わぬ奇妙な状態のまま、九份に着くまでの数十分間を無印少女と過ごすこととなった。頼みの綱の手持ちのガイドブックで使えそうな表現は無いか漁ってもみたのだが、これがもう全くない。「もっと安くなりませんか?」や「試食させてください。」などの言葉のオンパレードで、興味深そうにガイドブックを覗き込む少女の視線を感じ、不自然にならない程度にそっと閉じた。  なんだかこれじゃあもう、私が安く物を買いたたき、目についた食材は端からかっ食らうためだけに台湾に来た、品性下劣な観光客みたいじゃないか。いや、事実そのために来たんだけれども。
 仕方なく中国語での会話は諦め、彼女の身振りを交えた日本語でコミュニケーションを図ることとなった。とはいっても彼女の言葉は細切れで、『わたしは、日本語、勉強します。なぜなら、(両手でハートを作り笑顔を浮かべる)、部屋、一緒、使う、ディアンナウ。』といった具合のため、伝えられる私は一方的に(ん…?日本語を勉強している理由は同棲している日本人の恋人がいるからで、パソコンを使って学んでいるのか?にしてもこんな中高生にしか見えないような子供を部屋に連れ込むなんて、ろくな男じゃないんじゃ…?)と、ひとり思いを巡らせ、その結果発する私の謎すぎる中国語質問(とりあえず思いつく単語の最後に疑問符(嗎)をつける)に彼女がさらに困惑するというスパイラルが続いていた。     彼女の意図していたことが、日本語はパソコンのチャットルーム(のようなもの?)を共同利用する日本人と話すことにより習得しており、勉強しようと思った理由はただ純粋に日本が好きであるからだということが判明し、薄汚れた心の持ち主が私一人のみであることが分かったころ、気づけば電車は九份の最寄りの駅に着いていた。
 思わぬ巡り合わせで彼女に会えてとても楽しかったことや、慣れない日本語で一生懸命話してくれて嬉しかったこと、そもそもろくに中国語を話せない状態で台湾に来て申し訳ない…!けれども彼女も東京に行ってみたいと言っているし、もしまた会える機会があれば素敵ですね、など、伝えたいことは山ほどあったがどれも喋れるはずもなく、両手を合わせてただただ「謝謝!」と話すにとどまった。  彼女は私が駅に降りるまで、相変わらずの笑顔で何度も『ありがとう。』と言ってくれていた。
 降り立った駅はだいぶ日が暮れており、その薄い暗闇の中吹く生ぬるい風がなぜだか夏祭りの会場に着くまでのあの奇妙な高揚を思い起こさせた。  正直九份がこの近くの山のどこかにあるという事しかまだ分からないのだが、きっと無事にたどり着けるだろう。間違いなくこの先には、また心躍るような素敵なことが待ち受けている。そんな根拠のない確信があった。    はやる気持ちを胸に、土地勘ゼロの友人と私は九份への案内を頼むべく、またまた最寄りのタクシーを呼びとめたのだった。
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-yama-san- · 10 years
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鼎泰豊で昼食を
 格安航空機は十年に一度の台風であっても迂回せず正面突破する。
 その事実を身をもって知った私と友人が着いた台湾は、台風一過の影響もあってか九月というのに未だ蒸し暑く、空は雨雲に覆われていた。
 空港で有り金のうち5万円程度���台湾ドルに両替してもらった私達は、他のツアーのバスに同乗し、台北のホテルまで送り届けられた。ホテルに着いた私達には、完全なる自由が訪れた。…といえば聞こえはいいものの、要は格安フリープランであるため、明後日にまた帰路へ向かうバスが迎えに来るまでは勝手に楽しんでろよという状態なのだ。まぁ、添乗員はおろかホテルに駐在するガイドもいないが、大学時代は第二外国語で中国語を履修していた事だし、きっとどうにかなるだろう。この先、異国の地で怯えホテルに籠り続けるも、怪しげな路地を探索して台湾マフィア(いるのか?)の争いに巻き込まれるも全て私達のさじ加減ひとつ。全てがこの上なく自由なのだ。いいね!わくわくするね!
 幸いホテルには日本語を話せる職員がいたためタクシーを呼んでもらい、昼食を食べるため鼎泰豊(ディンタイフォン)に移動することにした。フリープランといえど借りられる人の手は全て借りる、面の皮の厚さが光る幕開けである。台湾では日本に比べてタクシー料金がはるかに安く、それこそバスで移動するくらいの��軽さで使えてしまう。まさに庶民の足なのだ。異国でのバスの乗り方すら皆目わからない私達にとっては、本当にありがたい話。
 タクシーを走らせること数十分。道々で見かける吉野家や洋服の青山の看板(日本そのまま!)になぜか安心感を抱いていると、ようやく目的の店、鼎泰豊に到着した。  鼎泰豊は台湾でも有名な飲茶の店で、それなりに安価でべらぼうに旨い料理が食べれると専らの評判なのだ。さすが人気店だけあって、12時をとうに過ぎているのに店の前には溢れんばかりの人だかりがある。ひとまずその人々に近寄って様子を見ると、どうやら整理券らしきものをもらい順番になるまで店のまわりをぶらぶらとし、順番になれば店員に注文を書いた伝票を渡し店に入るシステムのようだ。良かった。注文が口頭制だったら小龍包と炒飯しか食べれない所だった。なんせそれしか喋れないからな。
 なんとか人波を縫って整理券を貰った私達は、順番が来るまでの二十分程で周囲の店を探索することにした。  さすが中心部(なのか?)だけあって、店の近くには美味しそうなタピオカドリンクを出す店や、いかにも中華風な小物を扱う店が立ち並んでいる。どうやら観光客向けの一角らしく、チャイナドレスの糸という糸に光沢をつけまくったような布地でできた財布やクッションカバーから、妙に愛想の無い人形まで、もう、なんでもござれの状態なのだ。ひととおり店を冷やかした後、おそらく一生使う機会のないであろう銀ブナの様に光る財布を買って鼎泰豊に戻ると、頃よく順番となっていた。
 おどおどしながら店員に近づくと緑の伝票を渡される。伝票には品名と、数量を書くための空欄があり、言葉が分からないながらも文字でなんとなくどのようなものか察することができる。
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 それにしても、安い!!1台湾ドルがおおよそ3円程度なので、小龍包は10個で600円、蟹入りチャーハン(と思しきもの)でさえ700円程度だ。こと食に関しては金に糸目をつけず贅沢しようと決めていたため、この価格設定なら店中のものを余すことなく平らげられる。  「とりあえず看板メニューの小龍包は食べるよね。1皿10個らしいけど、一人当たり10個はいけるか…?」「この小龍包の派生メニューの蟹が入ってそうなやつ絶対美味しいやろ。1皿頼んで5個づつ分けよう。」…などと欲望はとどまるところを知らないが、せっかくの旅先で食べきれないのも悲しいのでひとまず最低限のメニューのみ注文することに。
 ちなみに注文したメニューは牛肉が入っている麺(屋台などでも売っており、とても美味しいらしい)、エビ入りチャーハン、小龍包20個、蟹入り小龍包10個、瓜エビ小龍包10個、そして凍頂烏龍茶2つだ。本当はその他の想像もつかないような料理も食べたくて仕方なかったのだが、そこは追加注文の際に…ということでひとまず解決した。
 ようよう伝票を書き終え店員のおばちゃんのところに持っていくと、途端に曇るおばちゃんの顔。なんだ。なにか間違えちゃったのか。難しそうな顔でこちらを見るおばちゃんの片言の説明をつなぎ合わせると、『注文の量が多すぎる!絶対に食べきれないよ!追加注文もできるから数を減らしたほうがいい!だいたいこの凍頂烏龍茶は1つあたり2リットルくるが飲みきれるのか?そもそもジャスミンティーなら無料で飲み放題だ。』というものだった。
 まじかよ!凍頂烏龍茶だけで4リットル頼むところだった!牛馬のごとく食事する事に定評がある我々でも、さすがに4リットルは飲み干せない。けど、他の注文内容は最小限に削ってのこの内容なんだけれど…。にしても、私らが注文を減らせば店の利益も減るのに、親切なおばちゃんだな。  少ない語彙力で思いをおばちゃんに伝えられるはずもなく、言われるがままに凍頂烏龍茶と小龍包1皿分を削除する。郷に入れば郷に従え。絶対君主のおばちゃんのもと、私達は、ようやく店の中へと案内されることとなった。
 店内は想像していたような中華中華したものではなく白く清潔そうな壁に真っ白な室内灯、そして白木のテーブルが整然と並んでいた。正直私の第一印象は「なんかマクドナルド感がある。」だった。なんでこんなにマクドナルド感があるんだ?この白を基調としたレイアウトがそう思わせるのだろうか?そもそもマクドナルド感とは?
台湾に居ながらにして日本のマクドナルドに思いを馳せているところに、さっそく蒸籠に入った小龍包が運ばれてきた。
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 …めっちゃ美味しそう!!小龍包の皮は想像していたより薄く、中の具がうっすら透けて見えている。熱々が一番美味しいと言うし、湯気の立ち上るなか早速食べることに。  箸で小龍包の上部をつまんで持ち上げると、具の重みで小龍包が涙型に変形した。下の方には具と一緒に肉汁がたぷたぷと揺れているのが皮越しにすら見える。うぉおお絶対美味しい!絶対美味しいよこれ!!もう食べる前から旨味を感じる!  一息に口に運び皮を噛み切る。あっちい!舌が爛れるかと思った!出来立ての小龍包は外側はそうでもないが中身は「沸騰しているのか?」と思えるほどに熱いのだ。仕方なくレンゲの中で割って食べつつ、いい具合の温度になったと思われるところで再び丸のまま口に入れる。…本当に美味しい。なんでこの肉汁的なものはこんなにも美味しいのだろう。鶏なのか豚なのかすらよく分からないが、それらの濃厚な旨味がぎゅっと濃縮されている。それが皮が破れた瞬間口中に広がるのだから、なんだかもう訳が分からないほど美味しい。  幸せだ。正直美味しすぎて「美味しい。」以外に言うことがない。他のエビ入りチャーハンなどもどれも美味しく、さっきから私と友人の会話は「いや、相当美味しい。」「かなり美味しいわ…。」「ほんと、美味しい…。」の繰り返しだ。本当に実がない。
 黙々と料理に舌鼓をうっていると、ようやく瓜エビ小龍包が運ばれてきた。 …美しい!中の瓜(?)と海老が透けて見えているのだが、それがもう薄絹で包まれた宝石の詰め合わせの様に鮮やかで美しいのだ。友人の会社の先輩は別名翡翠小龍包ともいうこのメニューが大の好物で、台湾に行くのならば是非にと勧められていたらしい。こんなに美しいのにそのうえ最高に美味しいだなんて、これはもう仙人の食べ物ではなかろうか。なんて素晴らしいの!  大いに盛り上がり仙人気分で丸のまま口に入れた、生臭っ!なんだこれ、めっちゃ青臭い!小学校の頃「食べられる野草の会」という謎の集まりに所属し、アロエやどくだみなど食べられるのかそもそも野草なのかすら定かではない草花を片っ端から口に入れていた私になら分かる!これはヘチマだ!まさかこんなところで経験が活きようとはな!  小龍包の具にエビとヘチマを切ったものが混ぜて蒸されているのだが、その熱を通されたヘチマが見事に生臭く、もうヘチマしか見えない状態になっているのだ。しかもまたそのヘチマがむやみにジューシーで、噛んだ瞬間生臭いヘチマの汁が口の中に広がるのでもう悶絶ものだ。正直今まで食べてきた野草の中で、どくだみ(口の中にカメムシを入れた味がする)に次ぐワースト2の位置をもぎ取った。
 こんなものを食べて来いとそそのかされるなんて、もしかしてこいつ(友人)会社で嫌われてるんじゃ…?それとも「ゴーヤのあの苦味がたまらん!」みたいなコアな層がヘチマにもいて、その層からはあの生臭さこそ自然の味!大地よ!みたいな感じで熱狂的に支持されてるのか?
 一抹の疑問と文化の違いを噛みしめながら鼎泰豊を後にした私達は、この旅の目的地でもある九份へ向かうべく、台北駅行きのタクシーに乗り込んだ。  なにはともあれ、本当に美味しかった!
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-yama-san- · 10 years
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そんなわけで徒然なるままに旅行記をつけていきます! まずは台湾二泊三日フリープランの一日目、九份の山中で迷子編から!
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