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ahiru48 · 2 years
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2022.2.5 賞味期限の切れたカレールー
一人暮らしの父の家に行き、おかずの作り置きをしようと食料品棚を漁っていると、辛いものが食べられない父が買うはずのないカレールーが置いてあった。 昔は辛いものを平気で食べていたのだが、いつ頃から舌がピリピリするのが嫌だと言って、一切刺激のある食品は口にしなくなった。 もちろん香辛料や生姜などの香味野菜もNG。 なので、料理は素材と味付けはオーソドックスでもスパイスの使い方で個性を発揮できると考えている僕としては、非常にやりづらくもある。
ふとパッケージの賞味期限に目をやると、そこには「2016.9.8」の印字。 ここにカレーを置いたことも忘れてしまったのだろうと、物忘れの激しい父に呆れながらはたと気がついた。 賞味期限が一年あるとして、購入したのはその前年であろうと推察する。 母は既に他界していたので、これを最後に自分で辛いものを買わなくなったのだろう。「いつの頃か」は2015年だったことが判明した。
ぼんやりと考え事をしつつも作業の手は止めず、気づけば白菜の代わりにクタクタになるまで煮込んだカットキャベツと、鶏肉の代わりに入れた即席ワンタンの入ったクリーム煮が出来上がった。 歯が殆ど抜け落ちているにも関わらず、頑なに総入れ歯を拒否する父が食べることの出来るものは、柔らかくそれでいてしっかりと食べた気がするものでなくてはならない。
このように父への食事は幾つものハードルがあるのだが、それを考えながら料理するのも意外と楽しかったりする。
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ahiru48 · 4 years
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2020.10.17 currants
今朝「カレンズ」という名前のパンに出会った。 それを見てレベッ「カ」のフ「レンズ」が直ぐに思い浮かんだ。 昭和あるあるだなと、顔を覆った大きなマスクの下でほくそ笑んだが僕固有の発想かもしれない。 iPhoneSEの外箱より一回り小さいくらいの塊り一つで800円もするのでたじろぐ。 一体どんな人がこんな高級なパンを毎朝食べるのだろう。 隣にそれをカットしたものが二つ入りで140円で売られていたので、興味を満たすために買ってみた。 食べながら「カレンズ」の意味を調べたらレーズンの種類のことであった。 ギッシリ詰まったレーズンの芳醇な香りがこれでもかと口の中に広がる。 食べ終わった後で顳顬(こめかみ)のあたりにモヤモヤとした違和感を感じ、子供の頃おやつに袋入りのレーズンをむしゃむしゃ食べて気分が悪くなった事を思い出した。 長らく忘れていたが僕はレーズンが苦手なのであった。
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ahiru48 · 4 years
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2020.7.24 猫窓
7月も残すところあと1週間。梅雨時だからであろうか朝晩はひんやりとしているので、寝室に至っては部屋のドアを開け放し、北側の窓を5cmほど開けておけば涼しい風が入り、エアコンを点けずとも寝苦しいという事がない。
しかし長かった梅雨もそろそろ明けようとしている。 本格的な暑さはもう目の前に迫っており、日中の酷暑にはもちろん辟易するが、熱帯夜ともなれば寝苦しさで睡眠不足になることは間違いない。 もちろんそんな時は無理せずエアコンを点けるのだが、少しの冷気も漏らすまいと部屋のドアや窓はしっかりと閉め、エアコンのありがたみを甘受しながら朝を迎えるのだ。
そこで問題となるのがネコの部屋への出入り。 ネコは自由だ。お風呂場だろうがリビングだろうが居心地の良い場所を探し、朝だろうが深夜だろうが家中を闊歩する。 その部屋の扉が閉まっていても、ひと鳴きすれば中の住人がようこそいらっしゃいましたと向かい入れる。 仮に住人に拠のない用事があったとしても、自分がここだと決めれば、その扉が開くまでナァーウォ、ナァーウォ泣き続ける。 ご近所の手前このような奇声を上げられるのは非常に迷惑だ。立ち退きを迫る地上げ屋のようで、このネコのやり口には閉口するしかない。 言わずもがなこれは猛暑、熱帯夜の季節であっても、皆が寝静まる深夜であっても同じだ。 エアコンを点け安眠の為に閉めた扉の向こうで、「開けろー開けろー、オレを入れろー」という鳴き声に起こされ、渋々招き入れた後ひとしきりゴロゴロし終えると今度は「出せー出せーここから出せー」という我儘に毎夜付き合わされ睡眠不足に陥るのでは、せっかくのエアコン効果も台無しである。
「今年こそあれ、付けない?」 「そうだね、付けるしかないね。」
という会話が寝室を共にする二人の間で交わされたのはもう必然であるし、これは可及的速やかに処理しなければならない課題であるとの一致した認識の元、とうとうペット用ドア(我が家の通称「猫窓」)を寝室の扉に取り付けることにした。
ネットで検索すると市販の猫窓が売られているが、販売元と品名は違えどもどれも同じ商品に見える。それでも価格はまちまちで1000円台から3000円台の差がある。 どれも今取り付けているドアをくり抜いて嵌め込むタイプであるが、価格と性能にそれ程の差があるとは思えなかった。 どうせドアを加工しなければならないのであれば、手間としては然程変わらなかろうし、材料も工作用の木材と蝶番、蓋になる多少強度のある素材だけなので出来合いを買うよりは安上がりであろうということから、もう自作してしまおうという結論に至った。
という事で夏休み目前ではあるが、可及的速やかな対応を求められているため、この4連休を利用してこの課題を、毎年恒例の「夏休み自由研究」として行うことにした。
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今回は寝室にあるこの扉に「猫窓」を取り付ける。
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ドア上部の蝶番だけねじを外す。下部も同じようについているが、蝶番をつけたままドアが外れる構造になっている。下部を外してもドアは外れるのだが再度取り付ける際に作業しにくい。
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このように下部の支持体はこのまま外さず残しておく。
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家の中には作業ができるような広いスペースがない為、ガレージに場所を移した。 ラックに扉を置いて切り抜きたいとこに線を引く。 うちのネコはガタイが大きいので200mm×200mm正方形にした(そのあと嵌め込む木枠の寸法を考えると実寸180mm×180mm)
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線を引いたらジグソー(ノコギリ)の刃が入るようにドリルで穴を開け
そこから線に沿ってノコを曳く(引くというよりは押している)
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切り抜きはこんな感じ。ちょっとラインに歪みが。。性格の歪みがこんなところに出てしまう。
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木枠制作。これつけなくてもネコは通れるが、見窄らしくなって生活が荒むのでできれば付けたい。 木材に狂いがあって設計図通りに行かないので、都度実寸合わせ。木枠に色を塗る為ここでは仮組み。
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家にあったペンキを使った。暗室喫茶の扉を改造したところにこのペンキを使うつもりであったが、改造がかなり大掛かりになるので計画中断したまま。今回の作業を終えたらやるつもり。ええ、やりますとも。
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ペンキが乾くのを待つ間に猫窓の扉部を作成する。100円ショップのセリアにはアクリル板がなかったので、文具売り場にあった下敷きを流用。三菱の鉛筆マークがなかなかいい感じ。
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マーキングしてから3mmの穴を開けて蝶番を取り付ける。なかなかいい感じ。
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ペンキが乾いたので木枠をくり抜いたところに嵌め込みビス留め。側面は空洞なので戸板に木工用ボンドを塗り、上下の木枠で押し付けて外れないようにしている。
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準備しておいた扉部分を取付け工作完了。あとは扉を元に戻すだけ。
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なかなかいい感じに仕上がった。光の加減で見にくいが残しておいた鉛筆マークがいいアクセントになっている。ちょっと子供部屋の扉みたいだけれども。
4連休フルに使って作業するつもりだったが、この作業をしている間に梅雨が明け熱帯夜になってしまうとエアコンだだ漏れで寝苦しい夜を過ごさなければならなくなる為、結局夕方までみっちり工作して終わらせた。 無事完成の運びとなったので、あとはネコがこの猫窓を使って、僕らの安眠が確保されれば、この苦労も報われるというものだ。
まずはネコがここを通る練習をしなければならないが、どうやった抵抗なく通れるようになるだろうか。 案外するりとここを通り抜けるかもしれないが、うちのネコの用心深さを考えると一筋縄ではいかなかろう。 寝るときにこの扉を閉めたままにしておいて、深夜扉の前で「開けろー開けろー」と鳴かれでもしたらこっちが泣きたくなるのは必至。 それがうまく行ってはじめて今年の夏休みの自由研究が終わるというもの。
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ahiru48 · 4 years
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2020.5.3 コロナ騒ぎと自宅待機と休日
5月、ゴールデンウィーク。 隔日出勤の自宅待機日とはいえ日曜日なので自主的にお休み。 冬布団カバーやらコタツの上掛けなんかをここぞとばかりに洗濯。 自宅待機のプロ(家猫)であるロン隊長が、光溢れるベランダで風に吹かれる洗濯物が揺れる様を見て(眩しげに)目を細めている。 そんな隊長の姿を見て僕もまた(その言葉の意味の通り)目を細めている。
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ahiru48 · 4 years
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2020.3.28 緑の電話
最近、固定電話の調子がおかしい。 電話は我が家の電気製品の中では比較的新しい(と言っても購入してから10年以上は経っているが)無印良品で購入したシンプルなコードレス電話だ。
この電話は子供が小学生の時分には随分と活躍した。 PTAやクラスの連絡網、自分や家人の両親からや子供の友達から、付き合いのある業者やその他諸々からの電話等。 しかし家電(いえでん)を取り巻く環境は一気に変わっていった。 当時は携帯やスマホ経由で通信業者を越えて電話をすると料金も高く、それを気にして家電を使う割合が高かったが、ここ4、5年の間に子供が各自スマホを持ち、LINEの普及で繋がりのある人達なら無料で通話出来る時代になった。 我が家でも電話はスマホが中心になり、家に掛かってくる電話といえば、僕の父親と家人の母親、そして自動音声を垂れ流す勧誘電話くらいのものだ。 加えて、電話機の状態も日に日に悪くなる一方で、雑音が入る、話して3分もしないうちに電話中に充電が切れるという事が使うたびに起こるようになった。 いつか買い替えようと考えていたが、そんな状況では家電の調子が悪くても、わざわざ買い替える気にもならず放置したままになっていた。
昨日用事を済ませた帰りの道すがら、とある「古道具屋」に立ち寄った。 「古道具屋」というのはこの場所を表す為に僕が付けた一般的な名称だが、店主がいてモノの売買が成立しているので商店と呼べば呼べなくもない。 だが溢れ返る全てのモノがぞんざいに置かれており、決して商品を陳列してるとはいえない有様だ。 もっと見たままにその場所を表すならば「廃棄業者の仮置き場」と表すのが正しいかもしれない。 言葉の通りどこに何があるのか全く把握できない置き方なので、目当てのモノを探すには途方もなく時間が掛かるが、面白半分に眺めるだけならば、いかにも宝探しという言葉がぴったりくる様な場所とも言える。
欠けたガラス片が散乱する店内を注意深く進みながら隅々を見て回ると、放り出された様に置かれたプッシュ式の緑色の古い電話が目に止まった。 緑色のダイヤル式の電話ならば実家でも使っていたが、そのプッシュ式の電話の佇まいが懐かしくも新鮮で、手に取って穴の開くほど繁々と眺めた。 周りを見回すとその他に埃の被った黒電話が数台転がっている。
ダイヤル式の緑電話の前、家にあったのは黒電話だった。 黒電話はベルの音が高くヒステリックに聴こえ、何か電話に怒られているようで幼い頃は電話が掛かってくると首をすくめていた。 比べて緑電話は柔らかな音色で、電話が来ていることを黒電話よりは控えめに知らせてくれている。その奥ゆかしさに僕の電話嫌いはずいぶん和らいだ。
緑電話を指差し、近くにいた店主にこれは使えるのかと尋ねると、ここに来るまで使っていたものだから大丈夫と言う。 半分冷やかしの挨拶みたいなやり取りだったのだが、使えると言う言葉に、ふと今ある電話との入れ替えが頭に浮かんだ。 すると店主が向こうにも他の電話があると言って指を差した先を見ると、程度の良さそうなダイヤル式の緑電話や黒電話が複数台見えた。 その中でも比較的程度の良いダイヤル式の緑電話を手に取り、電話に付いているコードの先を確認すると、当たり前のようにプラスとマイナスの線がダラリと垂れ下がっている。 このままでは家の壁についているモジュラーに差し込むことは出来ない。 実家でも変換器を使っていたので、その部品さえ手に入れば問題なさそうだが、その場でこの店主にそのような部品があるかないかを確認しても要領得ないだろうと思ったのでそれを尋ねるのは諦めた。
調子の悪くなっている今の電話を修理したとしても結構な金額が掛かるはずだ。 その修理に掛けても良いだろうという金額を頭に浮かべ、それよりも安ければ買っても良いかなと思い値段を聞くと500円でいいという。 500円、一見安いと思わせる値付けだが、これが使い物にならなければゴミを買って帰ることになるので、かなりその場で買うか買うまいか悩んだ。 しかし、もし使えなかったとしてもこれならば暗室喫茶の置物になるだろうと腹をくくり、500円玉1枚を手渡しその場を後にした。
家に戻り、手に入れた電話機に何かおかしなところが無いか隅々までチェックした。 おかしいと言っても故障とか欠損とかそう言うものではない。 故障ならば中身の事なので外観からは分からないし、欠損ならばあの店で穴の開くほど見尽くしている。 僕が気になっていたのは、店主の「ここに来るまでは使われていた」という言葉だった。 あの店では使わなくなったものの買取はしていないようであった。 つまり店主は古物商ではなく廃棄業者か何かで、廃屋になる話を聞きつけるか、廃棄依頼されるかをしてあの大量のスクラップを入手しているに違いない。 更に想像を逞しくすれば、引き取りに行ったどこかの家では、その家の住人が惨殺され、まだ息の残ってる被害者が今際の際に110番しようと受話器に手を掛けて息を引き取っているかもしれない。 その際に受話器やダイヤルのほんの少しの隙間に血痕が残っていないだろうかと、目を皿の様にして電話の隅々をチェックしたのだ。 想像が逞しすぎて自分でも呆れるのだが、こういった下らない空想をついしてしまうのは、元来の推理小説好きが災いしている。
と言う事で元々綺麗な個体だったが、その様な空想と昨今のコロナ事情を鑑みて入念に洗浄、消毒を行った。 次いで購入したローゼットを取り付ける事にしたのだが、このローゼットの本来の使い方は壁側に来ている2線を6極2針のモジュラーに変換するものなのだ。 これから行う作業はそれを逆さまにする様な使い方で、ケースの裏書きをどれだけ見直してもその様な使い方は推奨されていない。 が、しかし電話に電気を通すだけなのと、ダイヤル式電話の単純な構造を考えると大した問題ではなさそうだったので、そのまま取り付けた。
取り付け作業が滞りなく完了し、受話器を上げ耳に当てると、あの「ツーー」という音が聞こえた。 更に少しドキドキしながらiPhoneから家の電話にかけてみると、軽やかながら少し抑えた聞き心地のいい音が鳴り響く。 側にいた家人は興味津々でその様子を眺めていたが、ついには電話に向かい受話器を上げそれを顔に近づけ「もしもし」と話しかけると、その声がiPhoneのスピーカーからハッキリと聞こえた。 いやむしろ今まで使っていたコードレス電話よりも雑音が少なくクリアで聞きやすい。 スピーカーの性能の違いなのだろうか、これ程よく聞こえる様になるとは想定外であった。 昭和生まれの二人が昭和生まれの電話機の側で小躍りして喜んだのは言うまでもない。
電話機500円、ローゼット500円、都合1000円で劇的に通話性能が良くなったわけだが、それと引き換えに留守録や電話番号メモリなど便利機能が一切無くなった。 しかしよく良く考えてみると、固定電話はほぼ受け専用と化していてこちらからこの電話を使って掛けることがない。 掛けることがなければ電話帳機能は必要なく、更に留守録に話すのが苦手な父親は、留守録応答が始ると用件を言わずに電話を切ってしまうのでそれも必要がない。 そう考えると構造がシンプルで故障の機会の少ないこの電話は、我が家の電話事情にピッタリだと言える。
受け専用であるので、親類縁者、友人知人含め、ありとあらゆる人にこのダイヤル式電話機に電話をかけてもらい、軽やかで柔らかなベルの音を鳴り響かせてもらいたい。 そのためにも先ずは新たに電話番号を交換する相手には家電の電話番号だけを伝えるなど、固定電話の普及に努めなければと、5G時代に逆行した想いを抱きつつ、新たな番号が加わる時のために、ちょっと気の利いた手書きの電話帳を探さなければと思うのである。
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ahiru48 · 5 years
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2018.11.25 K氏へのメール
こんばんは。 その節は大変お世話になりました。 N様からこちらのアドレスを教えていただき、メールを差し上げた次第です。
僕は今目的地であったジョクジャの宿にいます。 お陰様で長距離バスでの移動を成功することができました。 少し長くなりますが、こちらまでの道のりを説明します。
21日の朝クタのホテルを出て、バイクでウブンのバスターミナルに移動しました。 しかしそこでバイクの運転手に、翻訳アプリを駆使しチケット売り場を聞くとチケットを取り扱っているのはここでは無いと言われ(チケット売り場が朝の7時前で全部閉まっていたのです)、更にそこから2-3km離れたバス会社の小さな待合所に連れていかれました。 バイクの運転手が去り、一人になると心細く、本当にここで待っていて大丈夫なのだろうかと思案し始め、もしかすると翻訳アプリがうまく伝えていなかったのでは無いかと思うと、いてもたってもいられなくなり、その場を引き払いまたウブンへと徒歩で向かいました。 それ程その待合所は閑散としていたのです。
ウブンに着くとやはりチケットカウンターは閉まったままの状態でした。この時の時間は 8時少し前です。 ここでやはりバイクの運転手の言うことは間違ってなかったと分かったのですが、時すでに遅し、今から引き返しても発券所の開く時間は過ぎています。 もしかすると戻る前にバスも出てしまうかもしれないと絶望しました。 すると一人の胡散臭そうな男が近寄ってきました。 ダメ元でジョクジャに行きたいのだがと相談すると、このバスに乗ればいいと、いかにも古臭い大型バスを指さします。 シートも昔の国鉄バスの様なリクライニングもしないタイプのものでしたが、贅沢は言ってられないと思い、男の言い値で325,000rpを支払いました。 そこにそのバスの運転手であろう、活きのいい声の大きな男がやってきました。 チケット売りの男がその運転手になにやら話をしています。 ところどころジョクジャという言葉が出ていたので、僕がジョクジャに行くことを説明してくれていたのだと思います。
バスに乗り込むと僕の他に乗っている乗客は3人だけです。 閉鎖されたバスターミナルから乗る人もまだいるらしく、それでも都合4人でのジョクジャの旅では、バス会社も大変だななどと思う余裕もようやく出てきました。
バスがウブンのバスターミナルを発車し、これでようやく一息つけると安堵していたのですが、1時間程走ってメングィのバスターミナルに入ると、運転手が大声でここで降りろと言います。 どうやらこのバスはウブンからメングィ迄のシャトルバスだとわかりました。 バスを降り、ターミナルのベンチに腰掛けるとまた不安になります。 9番乗り場から出る白いバスに乗れと言われていたのですが、他のプラットフォームに止まるバスの前の立て看板には、バス会社、行先、時間がしっかり書かれているのに、この乗り場の看板には肝心な情報が表のあるべき場所に書かれておらず、余計に不安を煽ります。
ウブンを出るときにシャトルバスの運転手に出発は何時か?と訪ねたのですが、腕時計の12時を確かに指さしていたのに、一向にバスの出る気配がありません。 そのままボサッとしていると、13時を過ぎたあたりで、急にバスが移動し始めました。 ベンチの隣に居合わせた少年が発車するぞ、ついて来いと言うので、慌ててバッグを背負いバスに乗り込みました。 するとバスはプラットフォームから少し離れた空いてるスペースに車を止めました。
また暇を持て余した僕は、朝胡散臭い男が手書きで切ったチケットをもう一度翻訳アプリを使って読み直しました。 そこには出発メングィ、出発時間14と読みづらい崩れた字で書かれています。 僕はなぜ最初にこれをしっかり読まなかったのだろうと、自分のいい加減さに思わず笑ってしまいました。 であればもう怖いもの無しです。 そしてバスは予定の出発時間を1時間半遅れ15:30に出発しました。
メングィを出発した後は順調に走行し19:00にギリマヌークのフェリー乗り場に到着しました。 デッキに上がってからも、なかなか出船しないなと思っていたのですが、あまりに波が静かだったので、海を渡り終えていた事に全く気が付きませんでした。 ふと周りを見渡すとデッキに残っているのは僕一人。 慌てて最下階へ行き、バスのところについたとき、ゲートが開いてまさに今バスが発車するといったタイミングで、もう少し気付くのが遅れていたら、僕はバニュワンギで荷物もないまま途方に暮れるところでした。
バニュワンギを出て、途中ブドゥアンのドライブインで夕食を済ませ(ビュッフェスタイルの夕食でしたが、これも運賃に含まれていて驚きました)、順調にバスは走ります。 海沿いの道を中継地点のスラバヤまで向かっていたのですが、外を見ても真っ暗で海辺の景色を楽しむことも出来ません。 お腹が膨らんでいた事もあり、まだ10時前だと言うのに睡魔が訪れ、このままジョクジャまで眠る事にしました。
スラバヤでは結構な数の人が降りた様でした。寝ぼけ眼で降りる人たちを見ているとその中に、メングィで知り合ったあの少年を見つけました。 彼はブドゥアンでの夕食後、バリにしか売っていないタバコだからどうぞ、と1本だけ残した潰れかけのタバコを箱ごと僕にくれました。 髭面で全身タトゥの入った(そういえば彼は刺青店で働いていると名刺をくれました)今時のインドネシアの青年でしたが、始終僕に気を使ってくれる優しい人間でした。
彼との別れに少しだけセンチメンタルになっていると、車掌が僕の方に寄ってきて降りろと言います。 僕が鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をしていたのでしょう、車掌はもう一度このバスから降りろ、ジョクジャに行くんだろ?といったのです。 慌てて身の回りを整理し、車掌に連れられるがままに、別のバスに乗り込みました。 彼とは今までの行程で一度たりとも話をしたことはなかったですし、顔すらも見たことがありません。 なのになぜ彼が、僕がジョクジャに向かっている事を知っているのか、不思議でならなかったのです。 しかし、その答えは乗り換えた後、ジョクジャに到着する段になってなんとなくわかりました。
陽もそろそろ高くなり始めた10:00頃、3度乗り換えたバスがようやく、ギワンガンのバスターミナルに到着すると、また同じようにこのバスの車掌が、到着したから降りる様にと促して来たのです。
おそらく、ウブンの怪しげなチケット売りがシャトルバスの運転手に、その運転手がメングィから乗ったバスの車掌に、そしてスラバヤからのバスの車掌にと、必ず僕がジョクジャに向かっている事を言い添えてくれていたのだと思います。 僕はこのことに気がついたときに、胸が熱くなりました。 日本から来たなんの取り柄もない男が、ジョクジャに渡るのをしっかりと見守ってくれていた事に、そして自分の到着地にたどり着くまで気にかけてくれていたタトゥの青年にインドネシアの人達の心優しさと律儀さを感じました。
とここまでが、クタからジョクジャ迄の顛末になります。 少しどころか、だいぶ長くなってしまいました。 一回のメールで送ることが出来るのか心配になります。 ここまで長い話にお付き合いいただいた事、そしてクタで有意義なお話をお聴きできた事、本当にありがとうございました。
N様が年末日本に戻られた後、東京でまた3人でお会いできれば嬉しい限りです。 こちらにいると日本の寒さなど忘れてしまいますが、僕が日本に帰る頃はもう冬支度を始める頃なのですね。 K様もこれから寒さが厳しくなりますので、くれぐれもご自愛ください。
それではまたお会いできる事を願って。
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ahiru48 · 6 years
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2018.9.2 蜘蛛の巣
玄関から郵便受けに行くまでの間に蜘蛛の巣がある。この巣に気がついたのが入梅前の事なので、かれこれ三月は経っているだろうか。 朝晩この巣の前を通るのだが、一度たりとも獲物が掛かっているところを見たことがなかった。 風の抜けも良く、車庫の屋根が少し掛かっているので大雨が降ってもさほどダメージを受けない、良い条件が揃ったように見えた場所だったが、しかしおそらくここは昆虫の通り道ではないのだろう。 立地や店の造りは良いのに、客の流れを掴みきれなかった冴えない飲食店のように思えた。
今朝、新聞を取りにその前を通ると、同じ巣にもう一匹蜘蛛がいる。 新しい蜘蛛が上から元からいる蜘蛛を高圧的に見下ろしている。一つの巣の中で縄張り争いをしているのだろうか。 前の例えになぞらえるならば、条件の良い土地を買漁る地上げ屋が、客足の途絶えている店を買い叩くため、気の弱い店主を恫喝しているように見えなくもない。
しかしその巣を横切り、角度を変えてそれを見ると、そんな横暴な話でないことが直ぐに分かった。 古い巣と平行に2センチほど建屋側に新しい巣が出来ていて、そこに新たな蜘蛛が獲物を捕らえようと待ち構えていたのだ。 さらによく見ると下で新たな蜘蛛を待ち構えているとばかり思っていた旧巣の蜘蛛が、抜け殻のように白色化していた。獲物を捉えることができず巣の真ん中で即身仏と化していたのだ。 前日見た時はまだ体躯の模様が見て取れたので、かろうじて生きながらえていると思っていたのだが。
その即身仏を目の前にして、同じ場所に新たな巣を作った蜘蛛の心理を推し量ることはできないが、自分ならこの場所で採算が取れるという野望を抱いていることは確かなのであろう。 街中でも「この場所に出来た店はよく変わる」というのを目にするが、この新たな蜘蛛がそんな憂き目に合わなければ良いのだが。
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ahiru48 · 6 years
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2018.5.5  起きがけの頭で取ったメモを読み返す
真っ赤な車を地下のガレージに停め、テスト勉強もせずに車中で延々とポータブルゲームに耽る。 そんなゲームにも飽き、ふと腕時計を見るといつもの帰宅時間になっていた。 ゲームのスイッチを切り車から降りると、ちょうど運転手が車をガレージに運んでくるところに出くわした。 運転手が車から降りてくるのを待ち一緒に地上に出ると、先に家の玄関前で降りていた父親がいた。 「ただいま」「おかえり」と挨拶しながら家の門を抜け、父親と肩を並べて玄関まで歩く。 左側にいる父親を制するように少し早足で前に出て、右手で左開きの扉を引いて開けると、父親はスマンといった風に右手を手刀にして顔の近くまで上げ、家に入った。 続いて後ろについていた運転手も先に入れ、僕もたった今帰りましたという顔で玄関に腰掛け靴を脱いだ。
廊下の先に襖で仕切られた入り口があり、その奥には部屋が2つある。 奥の居間で寛ごうと手前の部屋に入ると、襖の向こうでカラオケにあわせた歌声が響いている。 どうやら家に遊びにきた親戚のおばさん一家が、僕たちの帰りを待ちきれず宴会を始めているようだ。 さっそく襖を開けて挨拶でもと思ったのだが、カラオケの邪魔をしてはいけないと3人でそこのテーブルを囲んで腰を降ろし歌い終わるのを待っていた。
すると入り口の襖が開き、台所からお手伝いが大皿に盛られた海老の天ぷらを運んできた。 とりあえず大皿をテーブルの上に置くと、何の調味料をつけてその天ぷらを食べるか聞いてきた。 何があるのか尋ねると天つゆと塩とレモンだという。 どうしますか?と尋ねるように父親と顔を見合わせていると、お手伝いが塩とレモンが良いわよと勧めてきた。 しかもレモンを絞って天ぷらに振り掛け、塩をつけて食べるのではなく、塩とレモン汁を合わせそれにつけて食べると美味しいというのだ。 早速その食べ方を試したかったので、隣のカラオケが終わるのを今か今かと待っている。。。
というところで目が覚めた。
どうやら僕は夢の中でお金持ちの家の大学生だったようだ。 父親は白髪の渡瀬恒彦で、運転手は笹野高史であった。 お手伝いと思っていたが、物言いからするとあれは母親だったかもしれない。 顔はよく見えなかったが、声からすると高橋ひとみのようであった。
笹野高史の名前がどうも出てこなくて、ネットで調べようと「俳優 高野」という頓珍漢な検索をしたが、検索結果は見事なまでに笹野高史を表示した。
「母さん、あれ、あの人誰だっけ。ほら高野だかなんだかっていう俳優の本当の名前、、」という問いかけに事も無げに、「お父さんそれ笹野高史ですよ」という会話が成立する世界がここに存在している。
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ahiru48 · 6 years
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2018.3.17 仕方なく
朝寝坊して階下に行くと、すでに誰もいなくなったダイニングテーブルの上にホテルブレッドと食べかけのドーナツの袋が置いてあった。 コーヒーを淹れてそれを啜りながら、袋に入った二つの粉砂糖だらけのドーナツを眺めつつ、一つにしようか二つ食べてしまおうか悩む。 袋を裏返すと1個あたり188kcalの文字を見つけてしまったので、一つだけにしようと袋の輪ゴムを外しドーナツを摘まんだ。
一つ食べ終わり、指についた粉砂糖を払い落とすもなかなか綺麗に落ちない。 ホワイトリングドーナッツは美味しいのだけど、摘まんだ指が粉だらけになるのが難点だ。 粉砂糖にまみれた指のやり場がなくなったので、仕方なくこの指で残りの一つを摘まんでしまった。 すると今度は摘まんだドーナッツが行き場を失っていたので、仕方なく(本当に仕方なく)それを口の中に放り込んだ。 「仕方なく」の連鎖反応で恐ろしいことが目の前で起きている。
二つ分のドーナツのカロリーを帳消しにしようと二杯分のデミタスを全て飲み干したが、唇にまとわりついた粉砂糖は胃の中に流せても、カロリーと罪悪感は洗い流すことはできなかった。
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ahiru48 · 6 years
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2018.3.11 上皿天秤
秤量したいだけの重量のオモリを乗せ、釣り合うまで計量していくシンプルな仕組みに好感が持てる。 電子天秤は天秤が狂っているかもしれないと疑い出すと確認する術がない(ないわけでもないが面倒だしお金がかかる)ので、便利ではあるのだけど何かいつも疑心暗鬼がつきまとう。 まあ、上皿天秤に使用するオモリもそれが本当の重量かと疑えないこともないのだが、なぜか50gと書かれているものは無条件に50gだと思えてしまうから不思議。
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ahiru48 · 6 years
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2017.12.2 もう少し大人になろう
最近うちの庭に頻繁に現れるネコの名前が、知らぬ間に家族によって「ちっちゃいちゃん」(うちのロンと比べて小さいから)と名付けられていた。 「ちっちゃいちゃん」の出現率は高く、今日などは3度も遊びに来て、縁側の上でロンを見てニャンニャーンと、か細い声で挨拶していた。 おそらく仲良くなろうと試みているのであろうが、しかしその度にロンは身構え、ナーウ、ナーウと奇声を発するのだ。 もう数十回も続いてるやり取りなのだから少しくらい友好的になっても良いんじゃないかと我が飼い猫ながら呆れてしまう。 その思いは「ちっちゃいちゃん」も同じようで、時折僕らに向けられるその視線に「おたくのこのバカなんとかなんないっすかね」という呆れた感が込められているようで、飼い主として大変心が痛む。
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ahiru48 · 6 years
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2017.11.13 千葉時代
地質年代にチバニアンという名前がつく事がほぼほぼ確定らしい。 これに乗じてゆるキャラを考えてみる。 チバニアンだけにチバニャン。そして地層柄(横縞模様)。 つらい、これ以外思いつかない。そして胴体が里芋っぽくなってしまった。
そういえば千葉県の里芋の生産量は全国で一番らしい。
もしイオニアンという名前に決まったら、イタリア人はどんなキャラクターを考えただろうか
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ahiru48 · 7 years
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2017.10.9 動物公園
空は晴れ渡り、空気はカラッとはしているがそれなりに暑く、園内に入ると動物たちは早々に日陰を求め、人目のつかない木陰に移動していた。
父親に手を引かれてやってきた小さな子供は、目当ての動物が見えないと不満を口にし、しょんぼりしている。
そんな子供を横目に、観客に背を向け草むらに隠れて見えない動物たちを、人垣の間からひっそり眺める。
動物園では多くを望んではいけない。
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ahiru48 · 7 years
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2017.9.9 白色腐朽と褐色腐��とエコロジー
8月の最後の日曜日、自宅の最寄りの博物館で「キノコ展」を見た。
その展示の中に、白く朽ちた丸太と茶褐色に朽ちた丸太が各々2本づつ並んでいるのを見つけた。 白い方は元々シイタケの原木で、茶褐色の方はサルノコシカケが付いていたそうだ。
木材はリグニンとセルロースという物質でできていている。 シイタケが材を栄養として吸収するとリグニンが分解され、セルロースが残って腐朽した材は白くなり、サルノコシカケが吸収すると、セルロースを分解してリグニンが残り茶色くなるという。
これを白色腐朽、褐色腐朽と呼ぶらしいのだが、そこで頭の中で面白い考えが浮かんだ。
シイタケが食べ尽くした後の腐朽した材にサルノコシカケを植え付け(もしくはサルノコシカケが食べ尽くした後にシイタケを植え付け)ることができれば、キノコの食料としての木材は半分の量で栽培が可能なのではないか。 栽培するとなれば原木代(材料費)が半分になり、更に自然環境にも優しい。
僕にはキノコを栽培する能力も、キノコ農場を作るだけの財力もないので、ここから先これを確かめることはできないが、この二つを持ち合わせている人がいたら是非とも試してみて欲しいところである。
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ahiru48 · 7 years
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2017.8.5 蝉と旅客機
厚い雲が太陽からの光を遮っているにもかかわらず、地面から湧く湿気のせいで、家の中にいてもまとわりつくような暑さを感じる。
それでもエアコンも扇風機もつけずソファに寝転がり、溜まっていた録画番組を見ながら、せっかくの休日をごろごろと過ごす。 何かをしようという気になれず、かといって何もしないのも気がひける。
ふとビデオレコーダーの残量を見ると400GBあったはずの容量が、わずか50GBに満たないくらいまでに減っている。 全て消去しても良さそうなものだが、消してしまうには惜しく、後々見返したくなるであろう番組が随分あった。 BRDに移し換えてはそのオモテ面にタイトルを書き込んで、と言う地味な仕事をこれ幸いに見つけたので、とりあえずごろごろな状況からの脱出を試みる。
風の入らない部屋で、じっとり汗ばみながら独り黙々と作業をこなす。 庭では蝉のミンミン、ミンミンと鳴く声が大きく響き、頭の上からは航空旅客機の一本調子なエンジン音が抜けていく。 それらの音はスズメの涙ほど励ましにもならず、むしろ軽い苛立ちを覚えた。 作業に没頭することを妨げられているからなのか、何の足しにもならないこの行為を無視されているように感じたからなのかはよく分からなかった。
胸元を流れる汗がTシャツに染み込み、出来た汗ジミが生地に馴染んで見分けがつかなくなった頃、必要と思われる録画をコピーする作業が終わった。 気がつけば作業を始めてから2時間が経過していた。 然程お腹は空いていなかったが、子供の弁当用に焼いて残っていた2切れの豚バラの焼肉とキムチをおかずにしてお昼ご飯を食べた。
大して減っていなかったお腹は直ぐに一杯になり、またソファにゴロンと寝転がり始める。 すべき事を見つけ出しうまく脱出したかのように思えたが、結局ごろごろな一日からは抜け出すことは出来なかった。
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ahiru48 · 7 years
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2017.6.27 ウィリアム キャベンディッシュからのメール
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Cavendish William <[email protected]> 2016年6月24日
こんにちは。 
 突然で申し訳ないんだけど、そこ(リビングのテーブルの上の果物かごの中)にまだ青みがかったバナナの房がありませんか? その4本のうち一番太くて傷みが少ないバナナがあるのがわかりますか?それが今君にメールを書いている僕です。 なんのことかさっぱり分からないだろうけど気にしないでください。 幾分強引だということは分かっているのだけど、とにかく僕がこのメールに書くことを実行してもらいたいのです。 
 まずは僕をその房からちぎって離してください(まだ青いけれど君に僕のことをいろいろと知ってもらうためにはそうすることが一番良いと思っています)大丈夫、もぎとられても大して痛むことはありませんから。 手に取ったら僕をその手でそっと握ってくれませんか、なんなら頬ずりしてもらっても構わないです(南国の果物によくある少し鼻をつく甘い香りがその頬についてしまうけど)
 どうですか、僕の握り心地。ある程度の長さがあって、握った時のバランスが他の果物と比較しても類を見ないと思うのです。
 それとこの太さ、もし君が僕をパクリとやる時にはちょうどいい太さではないですか。 次にそのまま手でヘタをつかんで、僕を包んでいる皮の繊維に沿ってそのまま下に降ろしてみてください。
 するときれいに裂けて実から剥がれて、僕の果肉が見えてくるはずです。どう簡単でしょう。 手指が自由に使える君ならその要領で僕を丸裸にすることだってできるのです。 実際、厚みのある繊維質のこの皮は、四つ足の動物や鳥には都合が悪いようです。歯牙や嘴だけではこんなにキレイに美しく僕の皮を剥がすことなんてまず無理なことですからね。 それから一度に剥こうとすると中の果肉が潰れてしまうのであまりお勧めしません。 できればキレイに剥いてもらいたいのです。 そうだ、すべて剥く前に言っておかなければならないことがありました。
 僕の皮をむく時に、最後まで剥かないように。(もう遅いかもしれないけど) 皮を半分くらい剥がさないで残しておくと、その残りがそのまま包みになって、手を汚さずに君のその口に頬張ることができます。 果肉だけになると意外とヌルヌルして持ちづらいし、そのヌルヌルで君の指がヌルヌルになっちゃうんじゃないかと心配です。 なんで心配しているか?僕は君に嫌われたくないからです。 僕の果肉を触って汚れたなんて思ってもらいたくないのです。

 僕と君との関係において、君にとって僕がいかに都合よくできているのかが、すこしでも伝わった、でしょうか。 実際君と話すことができるなら直接説明したいところなのですが、今の僕の立場としてはこれが精一杯です。 僕についてはいろいろ小難しい話もたくさんあるのだけど、それはまた今度の機会にしようと思います。 
 そして多分君はこのメールを読んだ後、剥いてしまった僕の取り扱いにこまるかもしれませんね。 語りかけてきた相手を食べるってちょっと気が進まないことは僕にもよくわかります。 しかし心配はいりません、そのまま僕を頬張りおいしく食べてもらって結構です。 
 またメールします。ではでは。
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Cavendish William <[email protected]> 2016年6月25日
こんにちは。 
 こちらのメールアドレスは分かっていると思ったから、なにかリプライがあるかと思って待っていたけれど、ないようなのでまたこちらからメールしました。 もしかして僕のこと気味悪くおもっていませんか。
 食べたはずのバナナからまたメールが来るなんて、出来損ないの怪奇小説みたいですよね。 それはそうと、また新しく同じスーパーで買ってきた見た目が同じようなバナナがテーブルのカゴの中にあるでしょう。
 この前より少し色づいて随分黄色み掛かっていると思うのだけど、その中で少しソバカスみたいな点々が出ていて、2番目に大きいやつ、それが今メールを書いている僕です。 
 バナナに種が無いのにどうやって増えるのか不思議に思ったことはありませんか? 実は僕を含めて多くのバナナは同じ株から株分けされて増えていくのです。 つまり遺伝子が一緒というわけです。言わばクローンです。 見てくれが違っても同じ品種であれば、僕が僕であることにかわりがないのです。 なので、この前君が食べてくれた僕も、今日メールを書いている僕も同じ僕ということになります。 ちょっとこの感覚はわかりづらいと思いますが、自分の指を想像してみてください。 親指と人差し指は見た目違うけれど、どれもみんな君自身の指ですよね。そんな感覚です。 それが違う場所にいても繋がっているだけなのです(ここがちょっと気味悪がられる要因なんですが) だから一度カゼをひくと、他の僕も同じようにカゼをひいてしまうから後が大変なことになります。
 ちなみに僕のかなり遠い親戚筋に当たるバナナは随分重い病(パナマ病という病気ですが知ってますか)にかかってしまった時に、その場所や離れた場所にいた沢山の自分が次々と病に倒れておよそ9割がこの世界から無くなりました。とても怖い話です。 ありがたいことに僕は今まで一度も大きな病気にかかったことがありません。
 しかしこれから一生そんな病気に罹らないという保証はどこにもな���のです。 一度病気になって、運が悪ければすべてがなくなってしまう、これは三倍体である僕の背負った宿命です。 
 そこで君にお願いがあります。 僕がおかしな病気に罹らないうちに、僕がこの世に存在していた証を写真に残しておいて欲しいのです。 赤道近くの広いプランテーションで僕は育てられ、世界の至る所に僕は存在しています。
 世界中の人々が僕を写真に収めていますが、太陽の下でたわわに実る姿か、スタジオで撮られた宣伝用のそれか、もしくは僕を持ってニッコリ笑う子供と一緒か、それはどれも同じように明るく能天気な写真ばかりです。 できれば太陽、赤道直下、南国、トロピカル、黄色…そんな普遍的なイメージからかけ離れた自分を残しておきたいのです。 僕の撮り方について僕にちょっとだけ考えがあります。 すこしそれをまとめるので少しだけ時間をください。 
 考えがまとまったらまたメールしますね。ではでは。
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Cavendish William <[email protected]> 2016年9月5日
こんにちは。
 
 少しだけと書いてあったのに随分経ったので、もしかすると僕からもう連絡が来ないんじゃないかと心配してたんじゃないですか?
 僕も早く君に僕が立てた計画を話したかったのですが、君(もしくは君の家族)が僕を買ってくれないのでメールができなかったんです。 ええ分かっていますよ。君の家にバナナはありましたよね。 だけどそれはいつものスーパーにおいてある僕じゃなく、隣町のショッピングモールにあるちょっと高級な食材を扱ってるスーパーに並んでたセニョリータですよ。 あまりにも僕が君の家に招かれないのでもしやと思い、その日僕の隣にいたセニョリータに確認したら、案の定「私を連れて行ったわよ」と言われて愕然としたのです。 前に言ったと思うんですが同種以外は同じバナナでも僕ではありませんからね。産地はエクアドルでもコスタリカでもフィリピンでもどこでもいいんですが、、とにかく、いいですかキャベンディッシュです。 まあスーパーでこの名前で売っているのって見たことないでしょうから無理もないんですが、だいたい大ぶりでしつこくない甘さをもったバナナは僕ですから。 そのカゴの中にあるまだ青くて、、いやもうやめましょう、もう良い加減分かっていると思いますが、あのカゴの中バナナは全部僕なのですから。もうこのメールを書いているのが誰なのかなんて説明する必要はないですね。 
 すみません、話を元に戻します。
 僕が考えた計画をこれからここに書きます。 随分文章が長くなりましたが、お願いですからもうしばらく僕に付き合ってください。 そして書いた通り実行してもらいたいのです。 
 この前の撮影の話ですが、もう太陽の下でニッコリなんていうのは散々で懲り懲りです。 できればそれとは正反対の月明かりもない漆黒の夜がその舞台なら申し分ありません。 そこで相談です。君の家の二階に「暗室」と呼ばれる外の明かりが入らない小さな部屋があるでしょう。 あそこは遮光していれば昼間でも陽の光が入りませんよね。 あの部屋で僕を撮ってもらえませんか? そしてあの部屋が北側で直射日光が当たらないのもよく知ってます。 温度が上がらないということも一つのポイントです。あまり暑くなると赤道直下のプランテーションと変わらないですからね。 すべて今までとは正反対が良いのです。 
 そこに僕を閉じ込めたら、僕をテグスかピアノ線で吊ってもらえますか。 決して台を持ってきてその上に横たわらせるようなことはしないで欲しいのです。 台の上に寝かされてしまうと、皮に自重で圧力がかってその部分だけ細胞を壊してしまうからです。 僕を長い間置いておくと黒い斑点が増えるのは君も知ってますよね。 細胞が壊れたところも黒くなるのですが、あれは全く違います。まず細胞が壊れた部分は完全に傷んでいます。 できればキレイに黒くなっていきたいのです。痣で全身が黒くなっていくなんてまっぴらごめんです。 とにかく僕の体の湾曲した幅を計算に入れ、その間隔で天井からテグスを2本垂らし、1本はヘタの部分に、もう1本は先端の黒くなっているところに括り付けて僕を立たせた格好で宙に浮いた状態にしてください。 そうすると、ちょうどヴェルヴェットアンダーグラウンド&ニコのジャケットのイラストのようになるんです。 いままで僕が色々な絵や写真のモデルになったりしましたが、あのイラストはなかなかお気に入りなのです(ちょっと卑猥な作りになってしまったのがとても残念ですが) 
 ちょっと思い出したんですが、バナナを吊るすといえばこんな話があります。 インドネシア中部のポソに伝わる神話に、神が天からロープで吊るした石とバナナを人間に選ばせ、バナナを選んでしまった人間につらい仕事や苦難、死を課し、石を選んでいれば人間に永遠の命があたえられたという話です。 そう考えると僕が君に求める作業は、君にとっての苦役になるのかもしれませんね。 
 それはそうと、写真は光がなければ撮れないのでしたね。本来ならそのまま暗闇の中で撮って欲しかったのですが、物事に妥協はつきものです。しかたがありません。 では白熱灯なら1つ、LEDのランプなら3つまで使うことを認めます。LEDは発熱量がぐんと少なくて良いですよね。 どちらを選ぶかは君に任せます。僕をうまく撮ることが出来る方を選んでください。 こればかりは初めてのことだし、僕には知識も経験もないのでおまかせします。 
 それと最後に一つ。吊るす最初はできるだけ青く傷のない僕を使ってください。そして僕が真っ黒に(最終的にはうまくいけばミイラのように硬くなるまで、毎日朝晩2回写真を撮って欲しいのです。 ご存知の通り僕は日、一日ごとに皮の色が変化していきます。あとで見返したときに、ここだというところを写真に残しておきたいのです。 と、僕のお願いはここまでです。 
 
 ずいぶんと長くなった文章を最後まで読んでくれてありがとう。 このメールを読んで、これを君が守ってくれたとしたら、君は毎日僕の元に訪れて僕を観察し写真を撮ることになるでしょう。 その時々に(もしくはしばらくしてからか)、君が僕の体の変化に気がつくように、僕も君がどんな風に変わっているのか、暗い場所で目をこらして見ています。君にもどんな変化が現れるのか。 僕が一方的にこんなことを頼んではいますが、この行為を繰り返し行っている間、僕らは常に向かい合っています。 一日も欠かさず最後まで僕を撮り続けてくれることを願っています。もちろん僕も最後まで君が僕を撮る姿を見届けます。 
 それではまた写真ができた頃を見計らってメールします。ではでは。
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ahiru48 · 7 years
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2017.2.19 贋作イトカワ
一昨年だったか市原市田淵付近にある磁場逆転地層を訪れた際に、傍を流れる養老川で一つの石を拾った。
それを見つけた時、巻貝の化石かと思い嬉々としたのだが、よくよく調べてみるとただの泥岩であることわかった。
少しがっかりしたが、なかなか面白い形をしていたので「お気に入り箱 」— と言っても本当に箱があるわけではなく、気に入ったものをただ棚の上に並べるているだけなのだが、雑然としているように(僕には全く見えないのだけれど)見えてしまうので、一応この一帯はそういう空間で決して散らかしているわけではないんですよ、という意思を示すための観念的容器 — の仲間に加えた。
その中には「惑星イトカワ」の模型もあるのだが、並べてみると相似形とまでは言い難いが似通った形、大きさだったので、この石に「贋作イトカワ」という名前をつけた。
模型相手に「贋作」と名付けられ、この石としては甚だ不本意であるに違いない。
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