Tumgik
amn-koujiya · 6 years
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はじめに
小説置き場です。 
pixiv(https://www.pixiv.net/member.php?id=475822)と並行して使ってます。
本に収録してない話や、短編の再録はこちらにおこうかと思います。
ジャンルとかキャラは冒頭に記載するので、クリックで開いて読んでください。
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amn-koujiya · 6 years
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火に行く狐
戦国BASARA 家康と三成 川端康成の短編のパロ
遠くに湖水が小さく光っている。
古庭の水の腐った泉水を月夜に見るような色である。
湖は地上に捨て置かれた鏡のようだ。
見覚えのある光景だった。ここは近江だ――広がる景色を前に、家康は目を細めた。
 湖水につらなる河川は街道のように伸びている。川の向こうの方で街と城郭が燃えていた。火は見る見る拡がって行く。戦の炎だった。街道を黒くして、人群が果てしなく坂を上ってくる。岸を玩具のように走る騎馬の影が湖の水に映っている。
気がつくと、あたりの空気が静かに乾いたように明るい。大坂の街は火の海だった。
――人群れをすいすいと分けて、一人進んで行く姿を見た。坂を下って行くのは彼ただ一人である。
 「……みつなり、」
 不思議に音のない世界だった。己の声のほかには何もない。
火の海に向かって真っ直ぐに駆ける彼の背中に、家康はたまらない気持ちになった。
「三成、待ってくれ。そちらは駄目だ」
 彼は振り返らない。足も止めなかった。
真っ直ぐに駆けてゆく姿は銀色の矢のようで、それがとても美しいと思った。
今すぐ止めなくてはと焦っている筈なのに、ぼんやり彼の姿を眺める自分がいる。
心のがふっつりと自分から切り離されたようだった。奮い立たせるようにして声を絞り出した。
 「どうしてお前だけ坂を下りて行くんだ。火で死ぬためにか」
「違う」
 遠く離れていたけれど、しかしはっきりと会話を交わす。
言葉ではなし、彼の心持と話をしているのだ。
 「死ぬつもりはない。だが、東にゆけば貴様の居城がある。私は西へ行く」
 静かな声だった。怒りも憎しみもない声で、ただただ淡々とそう告げた。
去ってゆく背中に向けて名を呼んだ。
彼は振り返らなかったし、応ずる気配もない。
焔で一杯の視野に、細い影が黒点のように浮かぶ。
その姿を眼を刺す痛みのように感じ、家康は目を覚ました。不寝番の小姓が声を上げる。
見慣れた千代田の城の部屋の中だった。近江の土など何年も踏んでいないことを思い出しながら、家康は身を起こす。
目尻に涙が流れていた。
   「わしの住まいがあるから、か」
 火の海の大坂も今は昔だ。
夢の中の炎は鮮やかだったが、記憶の中のそれは色を失いつつある。彼が自分の前に居たのは、それよりもさらに前の話だ。太平の世の訪いの少し前、大坂に火を放ったその時、三成はもうこの世にはいなかった。三条までは足を運ばなかったから、関ヶ原でのそれが顔を見た最後になる。
もし三成が生きていたのなら、燃え上がる大坂に走ってゆく理由はきっと違うだろう。
けれど夢の彼はそう言わなかった。怒りもせず、冷え冷えとした瞳で、己に命を擲つつもりは無いと言った。その上でなお家康に告げたのだ、東に――自分のいる方に向かって歩くのも厭なのだと。
彼がそう言うであろうことを、家康はもう理解していた。
三成がなんと考えようと、それはいい。
 「おかしな話だ。おまえはもういないのにな」
 頭では分かっているのだ。もはやその人がどこにも居ないことを。己へ向けられた感情ごと、自らこの手で葬り去ったこと。
 表面では諦めている筈なのに、しかし家康はずっと思っているのである。
この世のどこかに、三成の感情が――そしてその中に、自分のためのひとしずくがあるのだと。
 それは彼が居なくなった今でも変わらない。実際の三成とは関係なく、ただ家康自身が勝手にそう思っていたかったのだった。
そういう自分を手ひどく冷笑しながらも、密かに生かしておきたかったのである。
「こんな夢を見るようではなあ、」
 夢の中の三成は振り返らなかった。
望むものがどこにもないことは、家康自身が心の隅々まで信じ切ってしまっているのかもしれなかった。
夢は家康の感情だ。夢の中の三成の感情は、家康がこしらえた三成の感情なのだ。
そして夢には感情の強がりや見得がない。身に馴染んだ嘘でさえ、そこにはない筈なのに。
 誰に向けるでもなく家康は笑った。
ひどく寂しいと思った。
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amn-koujiya · 6 years
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飛翔する男
寿司 キッドとチア
太陽の気配がする刻限にもかかわらず、窓には分厚いカーテンが引かれていた。
新しい水を張った花瓶を、チアがテーブルの上に置いた。花はわずかに萎れている。
彼は妹とたわいのない話をしていた。そこだけ切り取ったなら、のんびりとした休日の光景だ。
いつもと変わらぬ態で家に居て、いつもと同じように向こうで話をしている。
それなのに、違和感はじわりと染みて浮き出ていた。白紙にインクをぽつんと垂らしたときのそれに似ていると思う。
目が開き、物心がつく前からチアと過ごしていた。
彼が自分を知ろうと研究を続けてきた間も、家族になった後もずっと傍にいる。
時間の川は平等に流れてゆくのだ。チアがキッドを良く知るように、今や自分も彼を知っていた。
まるで手に取るようなのに、まるで素知らぬ顔をしている。
カーテンに光を遮られた窓が、暗い水面のようにキッドの顔を映している。
面白いわけでもない筈なのに、なんだか笑い出したい気分だった。
これは外からの視界を遮るものではない。中にいる人間の目をごまかすためのものだ。
チアはこの家の中から、自分を出さないつもりでいるのだ。
湯を沸かすポットからこぽこぽ音がして、派手な飾りの載ったカップケーキがテーブルに乗っている。
チアの好きな色のそれを、何度か口にしたことがあった。とんでもなく甘いのだ、頭や舌がしびれるほど。
何日も食べることができるものだから、一度チアが買ってくるとしばらくそればかりだった。
「お茶ニしましょう、支度ができましたヨ」
透明なポットの中で花弁が揺れる。
キレイでしょウ、と言いながら、目の前にチアがカップを置いた。青い色の飲み物だった。
切り分けられた檸檬が皿に乗っている。
「チア」
「どうしましタ? キッドも座ってくださイ」
「話がある」
「お茶が冷めますヨ、飲んだラ聞きましょウ」
「むてん丸が訪ねてきたはずだ」
「…………」
「追い返したな、チア」
彼はこちらを見ず、口も開かなかった。
カップの中に檸檬を絞って、色の変わる水面をじっと見つめている。
「こんな目くらまし、意味なんてないぞ。窓の外――山のむこうだ。飛べなくなっても、それくらいは解る」
雷の鳴るような音がした。遠いが、はっきりと耳に届く。空気はわずかに震えていた。
放っておけば、いずれここまでやってくる。災厄が降りかかるに違いなかった。
チアは顔を上げなかった。トゥナが兄と自分とを交互に見比べている。
湯気の立つカップを見た。席には着かず、テーブルを横切る。
部屋の隅に置いてあるチアのキャビネットに向かい、扉を開いた。
「キッド!」
黙っていたチアが声を上げる。たった今言葉を思い出したかのようだった。構わず中を探る。
雑に物を突っ込んでいるくせに、その探し物の周りだけやけに几帳面に片付いていた。
こちらを制そうと立ち上がったチアの手を払い、箱を開ける。見慣れた紫色の光がそこにあった。
伸ばした手を横合いから思い切り掴まれた。
「放してくれ、チア。これが要るんだ」
「それはできません」
「今のままだと飛べないし、力もない。俺の結晶は浄化されたんだ」
「あなた、解っているのですか。それをまた手にするというのが、一体どういう事か」
「ああ」
「解っていません」
突き刺すような物言いだった。
怒っているのかと思ったのに、まっすぐ見たチアは見たこともないような顔をしていた。
一緒に過ごしている間、彼はいつでも笑った顔ばかり向けていた。
つまりキッドは見たことがなく、知るはずもなかった。
チア・ヴェンタ・ゾアが泣きそうな時、どういう風に彼の姿が目に映るのか。
「あれはそのうち、山を越えてここに来る。家のあるこの場所に。チアとトゥナもきっと危ない。むてん丸のところへ行く、ここに来る前に食い止める」
 腕を掴む掌に自らの指先を伸ばし、キッドは微笑んでみせた。
「俺は自分で決めたぞ、チア。なあ、俺たちは家族なんだろう」
チアは返事をしなかった。紫色に輝く結晶に、キッドが唇を寄せる。
顔に残った傷跡から、じわりじわりと光が漏れた。
洞窟の暗闇で、わずかな隙間から太陽を見るような光景だった。
「大丈夫だ、チア。トゥナ。安心してくれ、二人のことはきっと守る」
触れてもいないのに窓が開く。緞帳のように降ろされたカーテンがふわりとたなびいた。
役者が舞台に躍り出るように、軽やかな足取りでキッドは外へ出た。
かつての彼がそうしたように、高く高く空へ跳躍した。真っ暗い空の真ん中を、燃える彗星のように飛んで行った。
「……お兄ちゃん、」
開いた窓を呆然と眺める男に、妹が声をかける。
「言わなくて良かったの? 家族だから行かせたくなかった、ここに居てほしかったって」
チアは何も言わなかった。
たとえ声の限り叫んでみたところで、おそらく耳には届かなかっただろう。飛んで行ったあの男には。
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amn-koujiya · 6 years
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どろぶね
 戦国BASARA 左近と三成 アンソロ「海にゆく」寄稿
「海に出たいんすよ。船貸してもらえません?」
天気晴朗、波はきわめて穏やか。船を出さない理由は見当たらないが、しかし出す理由もない。漁の季節でもなければ、祭りの時期でもない。そもそもこの男はここの人間ではなく、海というものにおよそ縁があるとも思えなかった。対面に座って笑う男の顔をうつす一つきりの眼を、長曾我部元親はぎゅうと眇めた。色濃く滲む訝りの気配を隠そうとすらしなかった。
「やだなあ、勿論タダで貸してくれなんて言う訳ねーっしょ! 金もちゃんと用意してあるし、大事なお仲間のみなさん寄越せとかも言わねっすから。舟だけでいいんですって! ……ああ、でもそうだよな。俺一人ッきりだし、ただの小舟じゃ辛いかな? ちゃんと帆が張れてさ、風を受けて進めるほうがいいなー、なんて」
歌でも唄っているような、耳を上滑りする物言いだった。
音を立てる頭陀袋をじゃらじゃら振りながら口上を述べている。途中からはこちらと会話をしているというより、大きな独り言を聞かされているのに近いように思えた。
「あんたらの城があったのは大坂や近江だ、もっと近くにも港はあったろう。どこへ向かうか知らねえが、ただ船を出すなら堺や紀ノ川あたりで事は足るだろうよ。なんでわざわざここへ来た? ��ヤカの所にゃ行かなかったのかい」
「行ったには行ったんすけどね。話をしたら、こっちに行けって言うから」
「なんだってお前は海へ出る? 探しものかい、佐和山の犬よう」
振っていた袋を目の前の床に放り、問われた男は立ち上がった。
眠り人が床を這い出て歩くような、ひどくおぼつかない足取りをしている。
「傍に居るって、そう言ったんだ。だったら探さなきいと。でなきゃ、俺が俺じゃあなくなっちまう」
訪ねてきた男――島左近は、上座の元親を見下ろしながら言った。
「三成さまを探さなきゃ。きっと海にいる、俺を連れてってくれるって言ったんだ。これだけ地上を探して見つからないなら、海で待ってるに決まってる」
目ばかりがきらきらと輝いて、朝焼けに輝く海のようだった。
天下泰平、江戸の世の土佐での出来事である。
      ■         ■
「見渡す限りの昏い波だ。絶望というものに姿があるなら、あのような姿をしているに相違あるまい」
指先で茶碗の淵を弾く白い指先を見つめながら、左近はそれが一定の調子で軽快に行われるのに気が付いた。
城下の子供が口ずさむような、たわいのない童歌の節をなぞっている。
ここは彼の故郷からほど近い。きっと馴染みのものなのだろう――この人とそれが結びつくことを、少しの驚きと共に左近は見つめていた。
張った高台までべったり釉薬の塗られた茶碗は茶人好みだが、それが茶会の席に供されることはない。
たまにこうして引っ張り出されては、三成の酒器になるばかりだ。
この方が効率的だからと言って聞かないのだ。左近はいつも酌もできずに、話を聞いてばかりいる。
「踏んだ床板が心許なく揺れる、まるで泥土でできた船だ。鍛え上げられた筈の豊臣のの兵が、みな赤子か老人のように転がっていた。秀吉様の御志という心の支えがなければ、およそ私とて耐えられたものではない。起きたまま悪夢を見るようなものだ」
ゆらり、ゆらり、ゆらり。茶碗の中で水面が揺れている。
商い人の領民が献上した酒だという。この近江でつくられた新酒らしい。
小さな湖のような碗の中に、流れる川を見る。左近と海にゆかりはないが、川は海につながっているのだ。
甘い香りを放つ水面を眺めながら、三成の話に耳を傾けた。彼が主の命で赴いた船旅、訪れた海のこと。
「鎮西の荒地に城を築き、豊臣の将兵をそこへ集結させる。対馬を経由し海峡を渡る。日ノ本で入手できる外つ国の地図は地名も道も不正確だ、道中で土地の者に金を渡して案内をさせる。言葉は通じずとも、国の荒廃は明らかだ。疲弊した民を取り込むのはさほど労苦の要ることはない。そもそも兵の練度が比較にならない、実につまらん戦だ」
「海の向こうの国って聞くと、あったかい所なのかなって思ってたんすけど」
「まったく逆だ。一面の不毛の地、閉ざされた冬の国――海の果てには地獄があると、兵どもが口々にささやいたものだ」
三成が碗を手に、遠くを見るように目を細める。
「海かあ。俺は行ったことがないから」
燈火の影の落ちる白い顔に視線を向け、左近は口を開いた。
「ねえ三成さま、どんな気分なんすか。絶望みたいな色をした海を越えて、地獄みたいな所に行ってさ。辛かったり苦しかったり、三成さまでもそんな気がした?」
「まさか」
遠い記憶の果てから、三成がこちらへ視線を戻す。
酒気に浮く薄い色の瞳に行燈の炎が映りこんで、ゆらゆらと揺れていた。
「ひとつ剣を振るい、荒れ果てた地に血が落ちる。割れた大地をそれが潤す。不毛の土に咲く徒花だ。苦難の果てに辿り着いた地獄を、さらなる深淵に落としてゆく。地獄の釜が深くなるほど、秀吉様の御世が盤石となる。そこが戦地であるなら、振りまく苦しみこそが私の喜びだ。海を渡れど変わりはない。帰還せよとの命を拝した時には口惜しささえ覚えたほどだ。私が戦端を開いていれば、地図をまるごと豊臣の色に染め上げて秀吉様に献上したものを」
左近が彼に出会うよりも、まだ少し前の話だった。
「もう海に出る事ってないんすか、三成さま」
「暫しの間はあるまい。日ノ本の情勢が極めて不安定な今とあらば、まずは地場を固める事こそ先決だ。次に外つ国と事を構える事があるなら、秀吉様がこの国全土を掌握された後の事になる」
文机の引き出しを開き、三成が折りたたんだ紙を取り出した。折り目が毛羽立ち、墨を幾度も入れた形跡がある。この国の勢力図と、周囲の国々の名が記された地図だった。
「次に行くんなら、また前と同じ場所っすか?」
「いいや、違う」
書き込みの多い場所を指した左近の手を掴み、三成は列島を挟んだ逆側に動かした。
「おそらく次は南方だ。交易と政治の要衝がある、攻め落とす価値はそちらの方が高い。貴重な兵と金子を割いて、わざわざ実り少ない場所へ出向く道理もなかろう。伝え聞く限り、肥沃で美しく豊かな土地だという。今でこそ異人の手に落ちているが、豊臣の力があれば造作もあるまい。秀吉様に献上するのにふさわしい、海に浮かぶ宝玉だ」
酒精のためか、触れた三成の手に珍しく血が通っていた。手の暖かさが少しだけこそばゆい。
「ねえ、三成さま。次に海に行くときがあったら、俺も連れてってくれますよね」
問い掛けからややあって、三成の口元がわずかに綻んだ。他の者が見たのであれば、見落としてしまうかもしれない程だった。
「好きにしろ。遅れをとるなら捨ててゆく、せいぜい気を張って追って来ることだ」
戦の合間の小休止、穏やかな会話は美しい記憶として左近の脳裏に焼き付いた。
そしてそれきり、二度とそんな機会の訪れは来なかった。
赴いた戦場で傷を受けて倒れ、気付けば荒野に一人きり。
ようやく帰り着いた時、佐和山も大坂も、三成の居るべき城はもぬけの殻だった。
      ■         ■
ぎ――い、ぎい、ぎい。
沖合で艦船は錨を下ろした。軋むような鈍い音が響いている。
元親の命令に従って、小さな舟が降ろされた。甲板から渡し板が延ばされる。
長曾我部の兵が積み荷を乗せ、畳まれた帆を掛けた。
礼を述べながら、足取りも軽やかに左近が下りてゆく。小舟に乗るのは一人きりだった。
「ありがとっす、長曾我部さん。風もあるし、これなら自力で進めそうってね」
「……おい、最後に聞かせな。舫いを解くかどうかは、それ次第で俺が決めるぜ」
元親の言葉に、左近が目をまるくした。二度、三度と瞬きをして、いいっすよ、と声を上げた。
「石田を探してどうするつもりだい。いまさらあいつに会って、一体何をどうしようってんだ」
問いかけは、左近を困らせるには十分な内容だった。
「どうって……そんなこときかれても、」
三成さまに会いたい、会いたい、会いたい。そればかり考えてここへ来た。
会ってどうするのだと問われると、答えが見つからない。
姿を見る事が、あの人の名を呼ぶことが、あの人の傍に居るのが目的になっていたのだ。
「解んねっすけど、そうだなあ……三成さまなら、今のこの国を許さない。すっげー怒って、目とか吊り上げてさ、きっと江戸まで走ってくっすよ。海の向こうにいるんなら、三成さまは知らないんだ。だったら教えてあげなきゃ、戦場に三成さまを呼び戻さないと。そして俺は今度こそちゃんと付いて行くんだ、戦う三成さまの傍にいる。左腕に近しいところに居るから、俺は島左近でいられるんだ」
「……そうかい」
左近の言葉に、元親は多くを返さなかった。
背後の部下へ声を張り上げる。小舟を繋ぐ舫い綱が解かれた。
「なら俺は止めやしねえよ、好きにしな。西に阿弥陀がありゃ、南には補陀落がある。望む所に行けるかは知らねえが、悪くても浄土にゃ辿り着くだろうよ。てめえの石田によろしくな」
錨あげえ、と元親が声を張る。よく通る声だった。
踵を返し、ゆらゆらとした足取りで甲板を歩く。
ゆっくりと艦は逆行し、小舟の周りをぐるりと迂回する。
兵たちはちらちらとこちらを窺っていたが、元親は左近に一瞥もくれなかった。
そうして艦はゆっくりと、遠くの陸へと去っていった。
      ■         ■
南の海は静かで、透き通って青い。見渡す限り輝いている。
帆をいっぱいに張ると、風を受けて小舟は南に進んだ。みるみる陸地が遠ざかってゆく。
足元は頼りなく揺れて、目の前がぐらぐらする。頭の中を直につかんで揺さぶられているようだった。
小舟の床板に横になり、左近は目を閉じた、気分はよくないが、波の音は心地よい。
乾いた唇を舌でなぞると、びりびりした塩の味がした。揺れる舟の中、左近はゆっくりと眠りに落ちた。
目を覚ましたのは寒さのせいだった。月が煌々と頭上を照らしている。
いつのまにか夜になっていたのだ。吹きすさぶ風の冷たさに堪えかねて、積まれた荷をほどく。
中身は灯明と食糧と水、それから方角を図る器具と防寒具。
分厚い布で体を包み、左近は震えながら縮こまった。
三成が指した南の国は、かつて赴いたという北方よりも遥かに遠かった筈だ。まだまだ時間がかかるに違いない。
積み荷の水を少しだけ口にして、左近は再び目を閉じた。
そうして朝がきて、昼が過ぎ、夜が来た。
それを幾度も繰り返した。
陽の照りつける日もあれば、ひどい雨の降る日もある。
曇天の退屈な日が数日続き、太陽を見ないまま日が暮れる。
ひとたび眠りに落ちた後に目を覚ますと、どのくらい眠っていたのかを判別できなくなった。
数刻うとうととしていただけかもしれないし、数日の間眠りに落ちていたのかもしれない。
起きている間は水をちびちび飲んで、食糧を口にする。
空腹と咽喉の渇きのさなか、記憶の片隅にある三成の姿を脳裏で繰り返し繰り返し過ごす。
三成の声が頭の中で響いている時間が、今の左近には唯一の幸せだった。
波の揺れも寒さも、心地よくさえ感じる。月も星もない闇の中、左近は目を閉じた。
どれほどの時間が経っただろう。
次に目を覚ましたのは、瞼の向こうの明るさのためだった。
目を開き、舟の中に起き上がる。夜が明ける瞬間だ。紫色に染まる暁の空、名残の星と銀色の月が西に沈む。
朝靄にかすむ水平線の果てに、太陽がゆっくりと姿を現していた。
きらり、きらり、見渡す限りの波が光を受けて揺れる。穏やかな風が吹いていた。さあっという音と共に波が揺れる。
砂金を波間にちりばめたような光景に、左近は思わず立ち上がった。
太陽と月の真ん中で、波に揺られて立ちつくす。
美しい光景だった。この世のものとは思えないほどに。
不意に左近は元親の言葉を思い出した。
彼は言っていた、海の果てには浄土があるのだと。
「―――そうだ、そうだ、そうだ。ああ、俺は何をやってるんだよ、」
長い期間話すことを忘れていた左近の唇は、まともな声を紡ぐことが出来なかった。
声にならない呻き声を、ただ左近一人が聞いている。
脳裏に過る姿、刀を携えたあの人がそぞろ歩く。
記憶の中で彼は囁いた――振りまく苦しみこそが、自らの喜びなのだと。
「いるわけない、いるわけなかった。三成さまが浄土になんて居るわけがない」
東の空から太陽が昇り、月の姿を完全にかき消した。見渡す限りの光の波。
「三成さま。……三成さま、三成さま、みつなりさま、」
会いたい、会いたい、会いたい。そればかり考えてここへ来た。
左近にはもう残っていなかったのだ。それ以外には何も。
「遅くなってごめん。今いくよ、三成さま」
きらり、きらり、輝く波間に小舟が浮かぶ。
白い帆を張り、風の向くまま進む。帆を操る者は誰もいない。
波間に忘れ去られた無人の舟は、ゆらゆらと波に身を任せて流れていった。
      ■         ■
表がにわかに騒がしくなったのに気が付き、目を通していた書物から視線を上げる。
漏れ聞こえた声から、何となく様子を察する事はできた。この小さな島の主であるのは間違いないが、この地の領主が訪ねてくるのは珍しい。履物を取り出して、縁側から外へ出た。
歓迎して駆け寄る人々の群れからは距離を置きながら、見覚えのある姿にゆっくりと近づいて行く。
「またか、長曾我部。尋ねてくるなら事前に伝えろと、何度告げれば貴様は理解する」
「なに、もののついでさ。近くの海まで寄ったんでな、ちっと顔を見たくなってよ」
群がる出迎えに声を掛けながら、ゆっくりと元親は歩を進めた。
「不便はしてねえかい。こいつらに良く言っちゃいるつもりだが、何かあったら遠慮なく言ってくれ」
「別段不足はない、それに、貴様も言った筈だ。私はあの日に死んだのだ、死人に気遣いなど無用だ。私のことなど捨て置けばいい」
「おいおい、そういう意味で言ったんじゃねえんだがな」
笑ってそう言いながら、元親は背後を顧みる。
今しがた自分が上陸した南の海の方角を、ぎゅうと目を細めて見据えた。
「なあ、聞いてもいいか」
「私に拒む権利など、元よりない」
「つれねえなあ! なあ、もっと楽しそうな顔ってできねえのかい。野郎共が困ってたぜ、何���喜ぶか解らねえから、何をどうしていいかさっぱり解んねえとよ」
「楽しむ? 喜び? 貴様は何を言っている。それは貴様から私への命令か」
投げかけられた問いかけに、男は――領主の客人は首を横に振った。
「貴様は生きろと私に告げた。だから私がここに居る。それだけの事だろう。どうしてそれが必要になる。つまらぬ問い掛けはやめろ」
用が無いなら私は戻る。そう言い残し、男は元親に背を向けた。元来た道を進み、屋敷へと戻って行く。
「待ってくれ、もう一つだ。もう一つ聞かせちゃくれねえかい」
元親の心に、迷いがなかったと言えば嘘になる。
左近の探し人はずっとここにいたのだ。
昔馴染みが彼を寄越したのは、それを知っているからに他ならない。
それでも元親は左近を海に出した。
左近は再びの戦をこの国に呼ぶと口にした。光を浴びる友の姿が脳裏を過ぎる。
ようやく迎えた太平の世だ。元親の天秤は最初から、どちらを捨て去るかを決めていた。
選ぶまでもない事の筈だ。それなのに、心はひどくざわついた。心臓に嵐がやって来たかのようだった。
「……なあ石田。ここ最近のことだ。あんたを訪ねて、誰ぞ人は来なかったかい」
胸の裡を押し殺すように、つとめて常通りを装って元親は口にした。
「貴様以外の客人? 私に?」
元親の言葉に振り返った男――かつて凶王と呼ばれたその人は、静かに告げた。
「私を訪ねるものが、この世のどこかに居るというのか?」
その言葉に、元親はそっと目を閉じる。
安堵しているのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
胸の奥にわだかまるものの名に、元親は覚えがなかった。
「そうだな。もうどこにも居ねえんだったな」
再び元親は振り返った。陽の光を受けた水面が、きらりきらりと輝いている。
空は晴れ渡り、波は穏やか。
海の向こうには何もなく、ただ水鳥が舞うばかり。
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amn-koujiya · 6 years
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