Tumgik
anime-sheep · 4 months
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2023秋アニメ感想
オーバーテイク!
F4という実際に存在するレギュレーションがテーマのモータースポーツアニメ。スポ根アニメを予想していたが、それを期待していると裏切られるだろうな。
何かを背負った、何かを抱えた、何かが未熟な男たちがたくさん出てきて、成長したり、壁を乗り越える物語。必ずしもモータースポーツにフォーカスしきれていなくて、フォトグラファーがメインキャラクターの一人でもある……、いや主役かもしれない。だからモータースポーツアニメじゃないんだよね。これは群像劇であり、むしろブロマンスという形容がしっくりくる。
オリジナルアニメで、放送前のうち出しはモータースポーツを感じさせるものだった。モータースポーツというと、はやり男性向けだろう。バスケだとか、テニスだとかいうスポーツはユニセックスな印象があるが、モータースポーツは男性向けだろう。しかしこの作品は、繰り返しになるが、必ずしもモータースポーツにフォーカスしていないしブロマンスだ。極端な言い方をすれば、男性向けパッケージにBLを詰め込んでいる。うまいやり方だとは思えない。
描かれている人間関係は……どうなんだろうな。群像劇というなら、こういうものだろうなという気はする。しかしモータースポーツという味付けが強すぎる。やはりスポ根を見たいじゃん。だからフォトグラファーの眞賀孝哉要素はいらなかったんじゃないかな。浅雛悠と小牧錮太郎のバディと、春永早月と徳丸俊軌というチームメイトでありライバルという構図でスポ根をやるべきだったように思う。
MFゴースト
頭文字D(イニD)の続編ともいうべきモータースポーツアニメ。世間の注目度も高かったように思う。注目度も高かったように思うが、それはアニオタからの期待というよりは自動車ファン、頭文字Dファンの期待と、かつて頭文字Dに熱中した世代の共有するノスタルジーだったのだと思う。
MFゴーストをぼくは十分楽しんでいる。楽しんでいるのだが不満な点は――、MFGという競技に参加しているドライバー達の上位陣に興味がもてないこと(一期が終わったところでは)。
イニDではいつも一対一のバトルが展開された。そのレースに勝つと次の強敵が現れるというスタイル。やっていることは公道野良バトルだが、シナリオはトーナメント形式だった。スポ根の王道展開であり、燃えないわけがない。
ところがMFGではド頭からこの先のライバル達といっしょに走っていて、しかもストーリーの序盤では主人公の天才ドライバー片桐夏向は資金面や人脈の限界によりポテンシャルを制限されているので上位陣とほとんど接点がもてない。それでもラスボスっぽいやつらがたびたび画面に映し出される。ミハイル・ベッケンバウアーだかなんだかしらないが、お前に興味はないので片桐夏向を映してくれよ……、とじれったい思いをした。
あとはヒロインたちがクソダサで、描かれる恋愛観もクソダサだけどこれはイニDからの伝統でむしろ一周回って楽しんでいる。
ひきこまり吸血姫の悶々
ギャグファンタジーだと思う……、いや百合ハーレムか?。
巻き込まれヒロインで主役のテラコマリがつっこみ役のほぼギャグアニメなのだが、ごくたまにシリアスになったテラコマリが本来少年漫画の主人公にのみ許されているはずのきれいごとを叫び、そのぶれない誠実さで心に傷を負った女たちを篭絡していく。しかも本人のコマリは気づいていないが、それどころが自分は何もできないし血の味も嫌いなダメダメ吸血鬼だと思っているが、血を吸うと覚醒しおれつえー展開へと移行する。欲張りすぎだろ。
ギャグ展開でなんでもありのように見えて、けっこう破綻なくムルナイト帝国内の権謀術数や六つの国の国際関係がくみ上げられているように思う。なんというか人を殺さずに(?)戦争を描いている。魔核(まかく)という謎のアーティファクトのおかげで、死んだ者が生き返るからそれが出来るのだろう。
気軽に見れて飽きないけどどうしても軽くなってしまうな。
あとは、コマリ様かわいい。幼めの声でつっこみ倒すタイプの役がこの楠木ともりっていう声優さんにとてもハマっているとおもう。
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anime-sheep · 8 months
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アニメ感想、ワールドダイスター、推しの子、私の百合はお仕事です!、スキップとローファー
ブログ活動をさぼっていた。感想を書こうと思っていたのに書かなかった作品を簡単にまとめておこう
ワールドダイスター おもしろかった。でもあまり話題にならなかった気がするな。
舞台モノで少し異能要素あり。メインキャラ6人でそれぞれキャラが立っている。だからジャンルとしてはアイドルモノだろう。
鳳ここなとカトリナ・グリーベルが劇団シリウスに加入するところから始まり最終的にここながオペラ座の怪人の主役、ファントム役を勝ち取って輝く。作中では何回か劇団内の配役のためのオーディションが描かれ、メインキャラクターの6人は競いながら、それでいて団結していく。ここの描き方、キャラの成長、葛藤などストーリーの組み立てが見事だった。
物語を閉じる役割を担ったのは静香。人間ではない存在で、ここなのセンス(特殊能力)とだけ説明されていた。11話でここなの過去が語られ、静香という人間ではない存在が生まれた理由が明かされる(お芝居に専念できない家庭環境や友達が居ないこと)。この経緯を知ると、ここなが芝居に対してあまりがっついているように見えない(特にカトリナとくらべて)理由が分かってくる。
ここなが控えめでお気楽だったのは、本来のここなの強い向上心やエゴ、お芝居に対する情熱を静香が引き受けていたからなのだろう。そういうわけだから当然、静香は自分でも舞台にあがりたいのだが、その気持ちは本当はここなが持っていたもの。ここなを優先し、自分を抑え込んでいた。芝居のために自分を追い込んでいくカトリナを見ればわかるように、静香が引き受けていた「その負けず嫌い」は自分を苦しめるが、ダイスターになるためには必要なもの。11話では、静香はそれをここなに返すという。これは静香が消えることを意味した。
推しの子
本当におもしろかった。こんなに続きが見たい作品は久しぶり。キリのいいところまで放送されてないので特に書くことはない。
ストーリーテリングの基本としてはお話���トーン、テーマは絞っていくものだと思う。その方が上手にまとまる。キャラクターは少なく、ゴールは明確な方が矛盾なく書きやすく、視聴者も集中できる。しかしこの作品、基本はサスペンスだし、アイドルモノ要素もあるし、かと言って主人公は明らかに男のアクアで、ハーレムラブコメ感もある。アイドルとファンの距離感とか、アイドルの現実というような社会問題も取り込んでいてリアリティがある。
「アイドルって月給100万くらいかせぐものじゃないの?」 「歌唱印税もテレビ出演料もメンバーと山分け。ライブは物販が売れなきゃ余裕で赤字。そして衣装代は天引き」
これだけの要素を放り込んでストーリーをまとめあげることができるなんて正直信じられない。欧米の脚本術の本が言う「すべきではないこと」をやっていておもしろい。ぼくはSAVE THE CATの法則 本当に売れる脚本術をゴミ箱に捨てた。
私の百合はお仕事です!
6話までは勢いもあり構成も良いのだが、しかし6話で落ちがついてしまっているという印象。矢野編と果乃子編が分離しすぎていて、前半の方がこってりしすぎてしまっている。原作の方の事情などもあったのかもしれないが、同時進行とかできなかったのだろうか。でも完走したのでおもしろかったよ。
スキップとローファー
ハマる人はハマっていたがハマらない人はハマらなかった作品。一言でいえばまさに少女漫画という作品。地味な私とイケメンの話だけどラブストーリーに全振りしているわけではなく、群像劇であり、とにかく青春だ。眩しくて眩しくて僕は目をそらしてしまう青春のものがたりだ。
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anime-sheep · 1 year
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インド映画 RRR 感想
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面白かった。三時間という長尺、飽きさせない展開、ダンスシーン。インド映画らしいエンターテイメント作品。「そうはならんやろ」という無双シーンもあるがこれもインド映画らしくてよいな(苦手な人がいるのも知っている)。  二人の男主人公が仲良くなるのだが、それぞれが秘密のタスクを負っていて、実は「追う者と追われる者」という関係だった――という導入から話が展開される。割とあるバディ物展開だろうか。物語初期に視聴者が思い描くであろう「こうなってほしい」というハッピーエンドにちゃんと向かってくれるいい作品。 エンターテイメント作品としては十分評価されていると思うので褒める必要はないだろう。そんなことよりインドで人生観を変えたぼくが一番興奮したのは、物語の後半、ビーマを逃がした廉で拘束されたラーマ・ラージュが独房でバガヴァッド・ギーターの2章47節を引用した瞬間だ。 あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ。 - バガヴァッド・ギーター 上村勝彦訳、(第2章47節) やっぱりそうでしょう。ヒンドゥー教をかじった人間ならば序盤でマハーバーラタ的世界観を感じ取っている。やっぱりそうだよね、とつい鼻息が荒くなってしまう。 「結果にこだわらず、あなたに与えられた義務を全うしろ」。第2章47節はヒンドゥー教の教えの最もコアな部分だ。解脱に至るための三つの道のひとつ、カルマ・ヨーガのエッセンスだ。 マハーバーラタでは親兄弟親族が敵味方に分かれる大戦争が描かれ���いる。マハーバーラタの主人公、アルジュナは親兄弟と殺し合いをすることに対する憂鬱をヴィシュヌ神に相談する。ヴィシュヌ神は「戦士(クシャトリヤ)として生まれた義務(ダルマ)を全うし、殺せ」とアルジュナを諭す(意訳)。 「自分の境遇に思い悩む必要はない。あなたは正しいことをしている」。マハーバーラタでは戦士にこれを言ってしまうので酷に聞こえるが、ままならない人生において「あなたのやっていることは正しい」と肯定してくれる教えが存在することは心強く、まさに宗教的であるとも思える。インド特有のカースト制度を考慮するとこの言葉は「支配者に都合のいい道徳だ」と冷めた見方もできてしまうが、みんなが結果(利益)を度外視して自分の義務を全うすることで(とくに社会主義が夢見たような)よい社会が形成されるのではないかという期待感もある。 少なくともヒンドゥー教ではこれ、「結果にこだわらず、あなたに与えられた義務を全うしろ」がコアの教義であり続けている。議論があるのは義務(ダルマ)がどうやって規定されるかである。イギリス領インド帝国以前は義務(ダルマ)とはカースト制(ヴァルナ・ジャーティ制)によって規定されていた。戦士の子は戦士であり、農民の子は農民であり、賤民の子は賤民だった。しかしヒンドゥーナショナリズムの高まりとともに、ガンジーは自分と境遇の似たものに寄り添うことをダルマと考えたし、ヴィヴェーカーナンダはカースト制度を宗教から切り分けてただの社会制度であるとし、インド社会のモダナイズに貢献した。 さて、RRRの主人公のビーマとラージュだが、あからさまなほどにビーマは野性的に描かれ、ラージュは都会的に描かれている。 ビーマはトラと格闘し、情に厚く、ひげはもじゃもじゃ。対照的にラージュは英語を介し、スーツを着こなし、本に囲まれたインテリである。しかしもっとも重要なコントラストは、ビーマは攫われた少女マッリを救うことに盲目的に行動しているのに対し、ラージュは大義のためにならば(悩みながらも)親友を裏切る選択をする人間として描かれているところだろう。 計画の成就のためならば手段を選ばないラージュ。革命を心に抱きながらイギリス帝国の犬を貫き通すラージュ。友人から預かった聖紐(ヤジノパヴィタ)すら恐れ多くも鞭のように使ってしまうラージュ。これは「結果にこだわるな」というヒンドゥーの教えに反する。一方の鞭打たれるビーマは強い心で決して跪いて許しを請うことはない。 ヒンドゥーの教えに反するラージュの価値観は、鞭打たれるビーマの態度を見たあとでガラリと変わる。ラージュが面従腹背でようやく手にした地位。その地位を利用してもう少しで革命に必要な武器が手に入るという直前にすべてを投げ捨て、親友ビーマを逃がしたのだ。物語の終盤ではあれほど都会的な恰好だったラーマ・ラージュがまさに世界を滅ぼす弓(ブラフマーストラ)を携えたラーマ神のような恰好で描かれている。 ヒンドゥー神話の知識がある日本人なんてそうはいないだろう。それでも楽しめる作品なのは巷の評価が物語っている。しかしこの物語は明らかにヒンドゥー教の価値観で描かれている。ヒンドゥーの教えを守る不器用なビーマに、インテリのラージュが教化されるというヒンドゥーナショナリズムに合致した物語ではないか。ヒンドゥー教はいいぞ。
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anime-sheep · 1 year
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アニメーション映画 フラ・フラダンス 感想
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東日本大震災発生から10年となる2021年に被災3県(岩手県・宮城県・福島県)を舞台とするアニメ作品を発表する企画の一環として制作されたらしい。総監督が水島精二、監督が綿田慎也。脚本はヴァイエヴァの吉田玲子。 震災で姉を失った夏凪日羽(なつなぎ ひわ)のお話。生前、姉の夏凪真理はスパリゾートハワイアンズのダンサーだった。そして高校を卒業した日羽もまたフラダンサーになるというお話。なんとなくフラダンスを踊っていたら両親がうれしそうにしてくれた、というのがフラダンサーを目指した一番の理由だろう。もう一つの理由はスパリゾートハワイアンズのマスコット人形、ココヤシの妖精が急にしゃべりだして背中を押してくれたからだ。 一言で作品の印象を言ってしまえば、P.A.WORKSのお仕事アニメシリーズとアイドルアニメの枠組みが交互にやってくる感じだった。リアリティのある職場が舞台でスポットが当たるのは五人の女の子たちだ。歌いはしないけど踊りの練習をし、失敗を経験し、成長していく。ぼくはお仕事ものもアイドルものもどちらのアニメジャンルも親しんでいるのでストレスなく見られるかと思いきや、なんかもやもやする。 ぼくの慣れ親しんでいるお仕事アニメシリーズやアイドルアニメは大抵はメインキャラクターがぐいぐい物語を引っ張っていってくれる。つまりそういう作品にはちょっと無鉄砲な元気っ子が必要なんだと思うが、フラ・フラダンスの日羽は終止流されっぱなしだ。たしかにフラダンサーになることは自分で決めたが、受かるとは思っていなかったみたいなことを言うし、どうしてフラダンサーになろうと思ったかというはっきりした部分もなかなか明かされなかった。引っ込み思案という印象はないが、強い意志をもって動いている感じがしない。フラフラと流される日羽と同じように、視聴者もフラフラと漂う。 本当にこの先に感動が待っているのか? 本当にどこかに連れて行ってくれるのか? これがもやもやした気もちの正体だったのだと思うけど、ある場面を境に、何かが動き出したように感じた。同じ施設で働いている鈴懸さんとの出会い、それも姉のお墓で出会ったシーンだ。 「ようやく動き出した。ぼくの時間も」 明言されていないが鈴懸涼太は死んだ姉(夏凪真理)の恋人だったのだろう。真理が死んだことで鈴懸の時間は震災の日から止まっていた。もちろん夏凪日羽の、そして両親の時間も止まっていたのだと思う。あまり日羽の主体性を強調しない演出はこの震災以来止まってしまった時間を見事に描き出しているように思える。これ以降、物語は、夏凪日羽は少しずつ主体的に動き出すのだ。そしてもう一人、塩屋崎あやめの時間も。 物語終盤、塩屋崎あやめ(死んだ姉の同期)が引退の決意表明をしたときに日羽はしゃべったココヤシの妖精のぬいぐるみの正体が姉だったことに気が付く。物語の冒頭から姉は言っていたのだ。「ココよ。ココ、ココ」。姉はずっとここにいた。死んだ姉はみんながとまった時間の中に囚われてしまっていることに気を揉んでいたんだと思う。もちろん死んだ真理に関わる人々だけではない。大震災は東北地方に暮らすいろいろな人々の時間を止めてしまったはずなのだ。 そして人形に憑依していた姉は日羽とのお別れのシーンで言う。 「わたしはここにいるよ」
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anime-sheep · 1 year
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アニメ「ぼっち・ざ・ろっく」感想
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「でも私は、この四人でちやほやされて、バンドをし続けたい!」 言わずもがなの2022年秋クール覇権アニメである。みんながハマったしぼくもハマった。SNSにはぼざろアイコンがあふれて誰が誰かわからなくなった。 ぼざろは最初から面白かったのだが、どちらかといえばギャグアニメの雰囲気が漂っていたと思う。――ぼっちが溶ける描写。ゴミ箱に入るぼっち。草をたべるリョウ。あとは、周囲の悪意のない言葉がぼっちに致命傷を与えるみたいな描写がふんだんにある。 しかし第五話で心をつかまれた。 青春は誰もがみんな経験しているが、しかし青春を謳歌することは難しい。青春を謳歌するためには一歩踏み出す勇気が必要で、きっと誰もがなんらかの後悔を持っている。陰キャだって青春にあこがれるし、そのチャンスはある。陰キャにはここぞとばかりにワンダッシュするべき瞬間があるんだ。陰キャだからこそ、その瞬間を逃してはいけない。みんなもそれを知っているから、みんなもぼっちに一歩踏みだしてほしいと思っていたに違いない。 第五話。メンバー四人が揃い「結束バンド」を結成――というか、二人加入して完成。ライブハウスでの演奏権を獲得するためのオーディション。「ギターと孤独と蒼い惑星」を演奏中、「このまま、バンド終わらせたくない!」というぼっちのモノローグとともに一歩踏み込むシーン。ここで心をつかまれた。ぐっときた。こみあげるものがあった。 この第五話が終わるとやはりギャグアニメなのだが、第八話。ライブハウスでの初ライブで調子が出せない「結束バンド」の空気を変えたのもぼっちだった。ぼっちちゃんこと後藤ひとりは普段は勇気もコミュニケーション能力もないのにちやほやされたい承認欲求モンスターだけど、一歩踏みだしてほしい場面でちゃんと勇気を持ってくれる。二期を楽しみにしたい。
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anime-sheep · 1 year
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アニメ映画「泣きたい私は猫をかぶる」 感想
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「ちゃんと言いたい、あなたのことが好きだって。言われたいんじゃなくて言いたい」
スタジオコロリド制作による日本の長編アニメーション映画。監督は佐藤順一。先日おなじスタジオコロリド作品の「雨を告げる漂流団地」の感想を書いたが、猫をかぶるの方がすきだ。
ジュブナイル現代ファンタジー。そしてロマンス。
主人公の笹木美代が、妙ちくりんな化け猫から「ネコになれるお面」をもらい受けたことから物語が始まる。家庭環境が複雑で居場所のない笹木美代はその仮面の力を存分に享受するのだが、その能力には代償があったという話。
このファンタジー部分よりも、家庭環境の複雑な笹木美代が学校でも家でも無理して元気に振る舞っている様が一番印象に残っている。「泣きたい私」を誰にも見せたくないという強がり。こういう気持ちは誰でも共感できるものだと思う。義母に元気よく敬語を使っている様が痛々しい。
「泣きたい私は猫をかぶる」というタイトルはダブルミーニングだ。実際に仮面をかぶってネコになる物語だが、仮面なんかなくったって笹木美代は泣きたいし、ネコをかぶって生きているのだ。
ファンタジー作品でラブストーリーだけど、この痛々しい美代の描写がすごく心に残っている。いい作品だと思う。義母の猫もいいキャラ。そしてハッピーエンドにしてくれてありがとう佐藤順一。
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anime-sheep · 1 year
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アニメ「シャインポスト」感想
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コナミデジタルエンタテインメントとストレートエッジが共同で手掛けるメディアミックス作品。駱駝が執筆したライトノベルを原作とし、アニメ、ライブ、ゲームなど複数の媒体で展開されるらしい。
アイドルアニメとして非の打ち所がない。展開にもよるけどアニメをメディアミックスの主軸にするならば、アイドルアニメはキャラ萌えを目指さなければならない。つまりたくさんいるメインキャラクターにお当番回を用意して、それぞれのキャラクターの魅力を見せて、それぞれのキャラクターのファンを獲得しなければならない。シャインポストはそれがよくできているし、全体としても早い段階から示されている中野サンプラザの2000人規模のライブというゴールに向けでぶれることなくストーリーが進む。
これがうまくできたのは、もちろん脚本家の力だとはおもうが、メインキャラクターが五人だけだったというのも大きかったのではないかと思う。
例えばアイプラことIDOLY PRIDE。アイプラの感想でも書いた記憶があるが、ストーリーは申し分ないのだが最終的に記憶に残らないキャラクターが結構いる。アイドルがたくさんいるアイドルコンテンツなのに、主人公が三人か四人くらいのドラマになってしまっている。
シャインポストはというと、それぞれのキャラクターの苦悩が掘り下げられ、それを乗り越えるという展開��上手に五人のキャラクターを見せている。そして最後の最後で青天国春(なばためはる)の過去話からユニットの危機を作り出して、それを乗り越えることで結束を深める。ちゃんとまとまっているし、作画が良いし、歌がうまい設定の聖舞理王(せいぶりお)役の夏吉ゆうこの歌がほんとにうまい。推しは伊藤紅葉です。
注意点としては男のマネージャーくんがわりと主人公なので、苦手な人は苦手かもしれない。
あとはアイドルコンテンツというだけで気乗りしないひともいるだろうね。
これはなかなか大きな問題。つまり世間はアイドルコンテンツに食傷気味なのではないかという懸念である。後発アイドルコンテンツであることはプロジェクト自身も認識しているようで、深夜の生放送で石原明広(プロディーサーでいいのか?)が語っていた。構想を温めているあいだにいろんなコンテンツに先を越されて最終的にオーソドックスなアイドルコンテンツに落ち着いたらしい。
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anime-sheep · 1 year
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アニメ LAST EXILE 感想
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2003年の春クール。2011年秋に続編『ラストエグザイル-銀翼のファム-』放送。GONZOの10周年記念作品。喜多村英梨と花澤香菜の声優デビュー作。文芸設定の鈴木貴昭は脚本にも参加している。
20年前の作品である。ぼくが見たのは続編銀翼のファムの時(2011年)なのでその時点で8年前の作品だった。アニメにはまりだした時期なのでインパクトが大きかったのだと思う。強く印象に残っている作品。
SFだがメカのデザインにはスチームパンクっぽさもある。空を飛ぶ作品であり、もこもこの雲に戦艦やら小型船やら砲弾やらがつっこんでいくときの演出が印象的。「雲にぶつかっていく」という形容がしっくりくるような演出で、実際の雲にぶつかってそうなるかは疑問だがなんか爽快感があって大変よい。
LAST EXILEことラスエグの何が好きかというと、没入感が得られるところだと思う。現実世界の匂いが無いし、世界観説明のナレーションも入らない。登場人物の経験だけで世界観が説明されていく。自分が神の視点に立たなくて済む。
「世界観説明のナレーション」が無いことを強調するのは、ラスエグは本来はナレーションが必要なタイプの物語のように思われるからだ。ラスエグ世界の情勢は銀河英雄伝説のそれに似ているが、銀河英雄伝説には毎話ナレーションが入る。国と国の争いのようなものを描こうと思うと、神の視点からの説明が無ければ読書・視聴者が戸惑うものだ。しかしラスエグにはそれが無い。実際ラスエグの世界観の把握という点では随分と戸惑う。
主人公のクラウスとラヴィが「ヴァンシップでグランドストリームを超えるのが夢」って言っているのでそれがクライマックスなんだろうと予想できるものの、グランドストリームが何なのか分からない。最初に拾った幼女、アルヴィス・ハミルトンが何なのか最後まで分からないまま(主人公たちにも分かっていないまま)普通に仲間になっている。地上からデュシスに移動できないのなんで? ギルドの権威の裏付けはなんなの? 戦艦シルバーナと戦艦ウルバヌスだけはなんでギルドのコントロールから離れているの? エグザイルって何よ?
20話くらいまでラストエグザイルなんもわからん。
普通は飽きると思う。壮大な物語にはある程度の道しるべが必要だ。その道しるべとして下山吉光のナレーションが入ったり、説明くさい長台詞をしゃべるキャラがいたり、やたら独り言をいうキャラクターが出てくるものなのだ。便利ではあるが、しかしそういうあからさまな道しるべを見ると神の視点に立ってしまい、視聴者は我に返ってしまう。
しかしラスエグにはそういうのが無い。
クラウスとラヴィがどこに向かうのか。彼らが責任感から強引に乗り込み居座ることになった戦艦シルバーナの目的がなんなのか。そういったことが分からないまま10話も20話も見続けていられる理由はラストエグザエルという作りこまれた空想世界の雰囲気とキャラクター達が魅力的だからだろう。ラスエグ世界の大局的な動向を気にしなくても夢中になっていられるのは戦艦シルバーナの中という小さな世界を見ているだけで楽しいからだろう。
いつもツンツンしているパイロット、タチアナの心が解けていく様は魅力的だが、物語のあらすじには関係ない。生真面目な銃兵モランの失恋も魅力的だがあらすじには関係ない。なによりも魅力的なのはトリックスター的なポジションのディーオだ。ディーオが味方なのか敵なのか気になる。心を掴まれる。でもあらすじには関係ない。そんなこんなで10話も20話も見ているとアナトレーとデュシスという国、そして第三勢力としてのギルドという壮大な物語を楽しむだけのキーワードが全て揃っている。
視聴者は没入感を保ったまま、まるで自分が世界の謎を解いていっているような快感を得られる。
このクライマックスに繋がる緩急が見事だ。戦艦シルヴァーナの中には人間関係の確執があり、恋愛模様があり、嫉妬があり、誤解がある。そういった群像劇が解決に向かい始めたころ、風雲急を告げるように副艦長が船を降りる。物語が動き出す。ネタバレはしない。
日常を離れ、どこまでも青い空に吸い込まれるように没入できる。そんな作品。
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anime-sheep · 2 years
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TVアニメ「咲う アルスノトリア すんっ!」と「プリマドール」の感想
TVアニメ「咲う アルスノトリア すんっ!」感想
世間はこのアニメを「退屈」と評価するだろう。でもなんか癒されたので良かった。ファンタジーの日常系と言っていいと思う。ちなみにゲームのキャッチコピーは「本当の魔法を探すRPG」。
ぼくは基本的には異世界転生モノが嫌いで(好きな作品もあるが)作品の中にリアルな現実社会を出してほしくない。ファンタジーならその世界観に浸っていたいし、そういう点でアルスノトリアはぬるま湯に浸かっているいるように心地よかった。世界観がかわいいし、制服がかわいいし、キャラクターがかわいいし、小アルベールがかわいい。アニメはゆるいけど、世界観はけっこう作りこんでありそうな気がする。登場する名詞なんかを調べると西洋エソテリズム(錬金術だとかグリモワールだとか)関連のネタが出てくる。
日常系といってもアシュラム?(ペンタグラムたち?)と騎士たちとの衝突が迫っているというような仄めかしがあるのだが、仄めかし続けるだけで何も事件らしい事件は起きることなく最終回を迎える。9割ゆるファンタジーで一瞬不穏なカットが混ざるけど結局なにも起きないこの感じ。超爆裂異次元メンコバトルギガントシューターつかさ の桐谷Mキリトを彷彿とさせる演出であった。
咲うアルスノトリアはゲーム原作なので「続きはゲームで」というプロモーションだろう。この仄めかしなんか無しであからさまな日常系で作れば良かったのにとさえ思う。
アニメ「プリマドール」感想
雰囲気は大変良いのだが、なんかもう一つ物足りない。世間でもそれほど話題を集めていないようなのでやっぱり何かものたりないんだろうな。でもなにが悪いのか分からない。
大正ロマン、スチームパンク、喫茶店モノ、五人のかわいいメインキャラクター達。戦争の終わった直後の世界。荒廃した街に生きる人々の謙虚さというか、それでも前に進もうという健気な姿勢というか、そんなものが伝わってくる。寒いけどがんばって一日を始める冬の朝のような静謐な雰囲気に満ちている。五人組のキャラ物なのにアルスノトリアとは違い、まったくぬるま湯ではない。
ストーリー自体も戦争によってこころ(あるいは論理機関)に傷を負った人や人形(オートマタ)が現れては、その傷を歌で癒していくというもの。すこしヴァイオレットエヴァーガーデン味を感じる。喫茶店で働く五人という設定はすこしごちうさ味を感じる。鴉羽が好きです。最終的には大きな事件を通して主人公である灰桜の誕生の秘密が語られる。というお話。
そして何が物足りなかったかというと、もしかするとキャラクターかな。メインの五人以外のキャラもけっこう出てたし、ぼくが世界観の雰囲気をこれだけ感じていたというのは、キャラクターたちの主張が控えめだったからなのかなという気がしないでもない。
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anime-sheep · 2 years
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アニメ映画「ジャーニー 太古アラビア半島での奇跡と戦いの物語」感想
「日本人よ、これがアラブのエンターテインメントだ」 サウジアラビアのアニメ製作会社「マンガプロダクション」と「東映アニメーション」による共同制作作品。はっきりと「あまり面白くない」と言ってしまうが、サウジのアニメとして見ると興味深い。 制作発表を聞いた時点での一番の懸念は「サウジアラビアのプロパガンダアニメなんじゃねーの?」疑惑だったのだがそんなことはない。サウジアラビアのプロパガンダ映画ではなく、イスラム教のプロパガンダアニメだった。 110分のうちに10分ずつ三回ほど聖書やコーランの挿話の紙芝居が入っている。「ノアの方舟」「出エジプト」「円柱のイラム」だ。タイミングといい脈絡の弱さといいCMを見せられている気分だった。特にクライマックスの盛り上がってきたときに10分の紙芝居は興ざめだった。そして全体のストーリー自体もコーランの「象」の物語だ。物語としてのオリジナリティが薄い。 バトルシーンはけっこう見ごたえがあり、キャラクターも立っている。信仰心の厚い主人公のアウスと信仰心の薄い相棒役のズララ。そして悪役のアブラハ。なかなかいいキャラクターを揃えている。国と国がぶつかる戦記物は抽象度が高くなりすぎてキャラクターが薄くなることが多いのだが、この作品は一つの戦闘に焦点を絞っているのでその点はうまくいっている。野暮ったい国際情勢ナレーションがなくて良い。 全体のテーマは「勇気を持ち、諦めず、戦い続けた者たちにのみ起こる奇跡」だ。日本人の言う「奇跡」とはニュアンスが少し違って、「奇跡」をむしろ「神の恩寵」と捉えているのだと思う。そもそも「罪深く卑しい人間は自分で自分を救うことができない」というのはアブラハムの宗教のテーマでもある。 このアニメはバトル物であり、一見するとジャンプ的な「友情・努力・勝利」の物語に見える。さすがアラブのエンターテイメント、アメリカ的なスーパーヒーロー物ではなく日本のマンガにシンパシーを感じているのかな、なんていうふうにも思うのだが、締め方が明らかに間違っている。アラブのエンターテイメントでは神は諦めない人間に味方をするが、人間は自分で自分を救うわけではない。最後には神が全てを握っている。 「これが、神の御業。ありがとうございます」じゃないんだよ。「友情・努力・勝利」の上に神を置くな。
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anime-sheep · 2 years
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アニメ映画「雨を告げる漂流団地」感想
熊谷航祐と兎内夏芽が育った団地が壊されることになった。人は誰しも生きていく中で思い出の場所を失う。人はみんな思い出を海に流して、前に進んでいく。誰もが経験したことのある通過儀礼を扱った物語だろう。 しかし夏芽は団地に執着している。夏芽の家庭環境を考えるとそれも当然で、夏芽には居場所がないのだ。自分が唯一受け入れられていたと実感できた場所が団地での生活だった。その団地という思い出を気持ちよく海に流すことが出来ない夏芽は団地とともに漂流してしまう。その漂流にたまたま居合わせた熊谷航祐らが巻き込まれてしまう。 いい作品だと思うけど、じつはうまく感情移入できなかった。もちろん飽きずに最後まで見れたし面白かった。航祐の立場にも立てるし、夏芽の立場にも立てる。ずっと素直になれなかった航祐の気持ちも分かる。やっぱり夏芽をおいて帰れないという航祐の男気も分かる。夏芽が団地に執着する気持ちも分かる。この二人の友情で困難を乗り越える物語としても楽しめるし、漂流記的冒険譚でもある。にもかかわらず、あるいはだからこそなのか、常に自分の視点で見ていた気がする。夏休みのある身分ならばもう少し楽しめたのかもしれない(ジュブナイル映画を見るには年を取りすぎた、の婉曲表現)。
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anime-sheep · 2 years
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アニメ「リコリス・リコイル」感想
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「殺しを重ねればシンジはまた助けてくれると言えばよかったのか? 教えてくれ千束」 A-1 Pictures制作オリジナルアニメ。今期覇権アニメです。ガンアクション。ダブルヒロインのバディ物。バディ物が受けたと考えているひとが多いように思う。ガンスリンガー・ガールと比較する声も多かったが、見てないので知らない。 最近ハリウッドの脚本家の脚本術の本(SAVE THE CATの法則)を読んだんだけど、バディ物は形を変えたラブストーリーに過ぎないと断じていた。リコリコも「最初は錦木千束を理解できなかった井ノ上たきなが、少しずつ恋に落ちていく」という物語だ。ラブストーリーが軸なので他の設定は全てラブストーリーのための装置だと考えていいんだと思う。最終的に社会が変ったわけではない。どうしてそうなったんだを追及していくお話と考えると弱い。最終回をみればやっぱりラブストーリーだったんだと納得できる。 そして「オタクってこういうの好きでしょ」がちりばめられている。かっこかわいい制服も好きだし、天才ハッカーが幼女なのも好きだし、ガン=カタを彷彿とさせる千束の動きも大好きだ。秘密警察によって維持されるまやかしの幸福みたいな哲学議論も好きだよね。パンツを見られることに対する恥じらいの欠如した女の子も好きだよ。オタクなら黒髪美少女に「え、こんなのがいいんですか?」���て言われたいでしょ。 でもリコリコはラ���ストーリーを軸にしているのでそれぞれの「こういうの好きでしょ」をきれいに片付けなくてもまとまるように出来ている。面白かったのにどんな事件を扱った物語だったのかはあまり印象がないというのはこういうことなんだと思う。たとえばかわいくてかっこいい赤い制服と紺の制服も「二人のヒロインに着せたい」が先にあるように思う。作中では秘密組織リコリスの「都市迷彩」だなどともっともらしく語られるが、そんなわけあるか。目立つわ。一話の「銃の密売」という事件がストーリーを進めていくエンジンになっているのだが、ところどころ「そうはならんやろ」という思いがよぎるし、最終的にどんな事件だったかもよく覚えていないのだが、なんだかきれいにまとまったように見えている。良いサスペンス作品を見たように錯覚するのだが、実は視聴者がきれいにまとまって欲しいと願っていたのは錦木千束と井ノ上たきなのラブストーリーなので銃の密売はどうでもよかったのではないだろうか。ちさたき尊い。 ところで一話から評判がよかったのはやはり安済知佳の怪演があると思う。MVPをあげたい。(錦木千束の軽薄さに拒否反応を示す人もいるみたいなので怪演と言っていいと思う)
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anime-sheep · 2 years
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アニメ「色づく世界の明日から」感想
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「誰か見ててくれたとか、好きって言ってくれたとか、そういうのって思いだすたびに宝物みたいに自分を支えてくれるからね」(川合胡桃) 2018年10月のアニメ。現代ファンタジー。アニメ人生の中でもかなり好きな作品の一つ。絵がきれいで、なによりも静かな雰囲気と緊張感のある心理描写が好き。 タイムトラベル物にしてはストーリーはシンプル。だが人物の心理描写が素晴らしい。7人のうちの4人はムードメーカーだけど気遣いが出来て、残りの3人は繊細で、全体的にどこか張り詰めたような緊張感が漂っていて、もどかしくて、胸が詰まる。おとこ3人はそれぞれタイプの違うイケメン。しかしぼくはイケメンじゃないのであさぎちゃんの気持ちが一番よく理解できる。 「誰かを好きになって悪いことなんてないです。ちゃんと伝えた将くんのこと尊敬します」(風野あさぎ) 色が見えない月白瞳美の物語。魔法で60年前に戻るのだが、このお話では魔法はアクセントでしかない。こころを閉ざしていた瞳美のこころが少しずつ開いていく作品だ。「わたしは大丈夫。一人でも平気。言い続けていくうちにだんだん本当になっていく」。 6話で瞳美は唯翔(ゆいと)の絵の中に入る。そこで絵の中でもがいている唯翔を見つけた。ちょうど唯翔はスランプだったし、高校卒業後も絵を続けるかどうか悩んでいた。自分がもがいていることくらい知っていたのに、それを瞳美に指摘され、二人の関係はぎくしゃくする。 雨の中、瞳美を追いかけて走る唯翔。瞳美を捕まえて傘を渡した時、絵を続ける決意を口にした。「おれ、描くから。いま描いてる絵、出来上がったら。月白に見てほしい」。その瞬間、瞳美の世界に色がもどった。傘もささずに、ゆっくりとじっくりと雨の街を味わうように家に帰っていった。カメラで遊ぶ人は知ってると思うけど雨の日の夜は色がハチャメチャにきれいだ。今まで色を知らなかった瞳美にとっては生まれ変わったような衝撃だったに違いない。 瞳美は色以外にも知らなかったことがあった。それは一度壊れてしまった絆が治せるということ。それどころか、以前より強くなることがあるということ。これは最初の成長だったのだと思う。このことは未来に戻ってからの母を探す決意につながる。 そのときの色はすぐにまた失われてしまうのだが、あさぎ→部長→瞳美⇔唯翔という残酷な相関図が少しずつはっきりしていく。しかも瞳美は未来に帰ることが確定している。 8話では瞳美は「ここに居たいな」と呟いている。1話で「一人でも平気」と強がっていた瞳美が人といることの心地よさを知った。これは台詞回しこそ違うが「このまま時間が止まればいいのに」というフラグだ。時間はとまらない。瞳美は9話では部長の将くんに告白されてしまう。それを知ったあさぎも瞳美との距離感を見失い、瞳美も唯翔も自分の気持ちに向き合う必要性を考え始める。そして振られた将は屋上で大声を出す。いいぞいいぞ。青春アニメのノルマ達成。 それでも瞳美も唯翔の関係は煮え切らないまま、つまり明確な告白はしないまま最終回。瞳美が未来に帰る直前まで二人は本当の気持ちを封印している。そして未来に返す儀式の最中にハプニングで異次元に閉じ込められた瞳美と唯翔。二人はその空間で自分の気持ちを閉じ込めるのをやめた。そして、瞳美には色が戻った。 あらすじメモ 色が見えない月白瞳美。かなり強引におばあちゃん(月白琥珀)によって60年前に送り込まれる。若いころのおばあちゃんと一緒に学校に通い、瞳美含めた7人で親睦を深めながら成長していくというお話。 これは物語の後半で明らかになることだが、瞳美の母、すなわち琥珀の娘は一族でも珍しく魔法が使えない女性だった。瞳美の母は瞳美を置いて家を出て行った。幼いころの瞳美は母の前で無遠慮に魔法を使っていた。そのことで母が家を出て行ってしまったと思い込み、魔法が嫌いになった。
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anime-sheep · 2 years
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アニメ「TARI TARI」感想
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Wikipediaによれば「P.A.WORKSによるオリジナルアニメーション作品。『true tears』、『花咲くいろは』に続く青春物の第3作」とある。 花咲くいろはもそうだけどTARI TARIにもあまり青春を感じなかったというのが正直なところ。胸を締め付けられるような甘酸っぱさがない。要するに恋がメインではない。"いま最高に楽しいけど、自分の気持ちに素直になって一歩踏み出したら5人の関係がぐずれてしまうのではないかという葛藤、でも踏み出さざるを得ない。そしてふられて大声をだす"――というのが、自分の中の青春物の勝手なテンプレートなので。 もちろんTARI TARIの5人も青春をしている。TARI TARIとはいろんな生徒のいろんな学生生活のこと。これは毎話サブタイトル(e.g. 飛び出したり 誘ったり)でタイトル回収されている。それに象徴されるように、メインキャラ5人のお当番回のようなものがはっきりしていたりする。逆に言えば、何かの目標に向かって一丸となって青春の汗を飛ばすお話ではない(まあ、宮本来夏の青春はこのタイプかもしれないが)。そして恋もほとんど描かれない。でも泣ける。 泣けるのは6話と9話。ともに坂井和奏の死んだ母親のエピソードだ。つまり、みるからに5人の高校生が主人公なのに、気が付いてみると教頭や校長を含めた物語の中心にいたのは坂井和奏の母親だったという意外感がある。 単純なストーリーではない。"声楽部を飛び出した宮本来夏が合唱部を作ってコンクールに向けて汗を流す青春ストーリー"、みたいにまとめることはできない。その都度その都度、キャラクターたちが何を思って動いているのかははっきりしているが、物語が最終的にどこに向かうのかはさっぱり分からなかった。でも明確なゴールを仄めかさなかったことで2話でオチが付いたようにさえ感じてしまい、6話と9話でも泣けて、最後に「良い最終回だった」が出来る作品になっているのかもしれない。 あらすじメモ ストーリーの輪郭がはっきりしないアニメなので記憶から消えてしまいやすそうな気がする。 宮本来夏(こなつ)が主人公だと思う。少なくとも5人をまとめてストーリーを牽引している。来夏は声楽部の前年のコンクールで緊張のために失敗したことを悔やんでいる。しかしこの年は歌わせてもらえないことを教頭から言い渡され、声楽部をやめて、無理やり5人の部員を集めて、自分で「合唱時々バドミントン部」をつくる。 そこに加わるのが坂井和奏。和奏は高校受験の時期に母を亡くしている。和奏は母が病気の事を言ってくれなかったことにわだかまりを持っていて、音楽もやめてしまった。音楽好きの母は自分の歌を持っていて、和奏が幼いころに和奏の歌をいつか一緒につくると約束した。母が病気の事を和奏にだまっていた理由は、楽しいうた一緒につくりたかったから。母は一緒に歌を作ろうとわかなを誘ったが、和奏は受験でそれどころではなかった。そのまま母は死んだ。 学校は少子化のために廃校になることに。学校跡地に高級マンションが建つ計画が立ち上がり、速やかな移行のために、在校生の学校生活を縮小しつつマンションの建設を同時進行させるために。そのため文化祭は中止が宣言され、来夏のこだわりであった合唱の機会が失われそうななる。最終的に校長と教頭が理事長に反発し、文化祭が行われるという話。
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anime-sheep · 2 years
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TVアニメ「SPY×FAMILY」(1クール目)感想
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面白かったが何が面白かったか言語化するのが難しい作品。 まずアーニャかわいい(満場一致)。 最初から最後までサスペンスのつもりで見ていた気がする。でも実はかなりコミカルだ。それどころかほとんど家族の話なのでホームコメディだ。スパイアクションサスペンスのつもりで見ていたからいっぱい感想が書けそうな気がしていたけど、よく考えたらホームコメディだったので言語化するのが難しいのだろうという結論に達した。ちびまる子ちゃんのおもしろさを言語化するのは難しいでしょ? なにしても面白くなる家族設定を作った時点でアーニャ大勝利なのだろうか。
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anime-sheep · 2 years
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アニメ「パリピ孔明」感想
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後半失速したというコメントを目にしたが同意見かもしれない。 前半は「この勝負勝ち目あるのか?」→「孔明さんすげー!」を繰り返していて、それが受けたと思う。途中からヒューマンドラマが入ってきた。英子の成長物語とKABE太人の成長物語。そして英子のライバルななみん。自分を支えてくれるファンとスタッフを裏切れないから自分の気持ちを裏切るななみん。こう書いてみるといい話なんだけど、なんか期待していたのと違うと感じてしまった。「孔明さんすげー!」ができなかった。 最後まで「孔明さんすげー!」を繰り返すべきだったと思うが、12話(最終話)の前半は実は感動した。実際熱い展開だったし、それ以上にあの感動は挿入歌のせいだろう。英子のCVはえーでちゃんだが英子歌唱はプロの歌手の96猫さんだ。曲は本気のアニメだったように思う。曲の力に泣かされたのかもしれないのでそこで終わっておけばよかったものを、ライバルななみんのいい話エンディングもつけちゃったので蛇足だったようにおもう。あとKABE太人とかいうラッパー、結局英子と一緒に歌わなかったんだよな。孔明を真ん中に据えるべき作品なのに、見誤っているように思う。 あまり悪口を言いたくないが、ストーリーを書くうえで学びがある。
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anime-sheep · 2 years
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アイプラこと IDOLY PRIDE の感想
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ミュージックレインのアイドルアニメ(2021年1月)。ライバルユニットとしてスフィアみたいなのとTrySailみたいなのがでるので錚々たる顔ぶれである。声優アイドルコンテンツとしてはそんなに跳ねた印象はない。パンデミックと重なった不運もあるのだろうか、声優ユニットがそれほど積極的には活動していない様子。 2021年の12月には物語上重要な役割を担う長瀬麻奈に声をあてた神田沙也加が死去した。この事件がアイプラを記憶に残る作品にした部分はあると思う。でもそういうのは関係なしにアニメを客観的に評価してみたいとおもう。 アイプラの特徴を挙げるならばアイプラはアイドルビジネスをしているというところと、メインユニットが二つあるところと、お当番回が無いというところだろう。珍しくもないかもしれないが、わたしのアイドルアニメ観はラブライブが基準になっているのでこれらは特徴的だと感じる。ラブライブでは大人の男性がアイドル活動に口を出すなんてことはありえないし、お当番回が無いということもあり得ない。 お当番回システムには良し悪しがあって、メディアミックスのキャラクターコンテンツとしては大いにありだが、緩急と起承転結のあるひとつの物語が作りにくくなると思う。だからこそお当番回のないアニメIDOLY PRIDEは物語として本当によくできていると思う。 まず物語を通して、特に一話と最終話に強調されるが、牧野航平(マネージャー)と長瀬麻奈(夢半ばで事故死した伝説のアイドル)のボーイミーツガールロマンスがある。二話からはアイドルプロディース物になる。星見プロのマネージャー牧野が癖のある高校生アイドル候補を集めつつ、彼女たちを寮にぶち込んでいく。するといつの間にか部活ものが始まっている。集められた女の子達はぎくしゃくしたりしながら、少しずつ絆を深めて行って、そしてライバルユニットが登場する。しかもライバルを含め登場人物のみんなが伝説のアイドル長瀬麻奈の影を追っている。だからロマンスと部活ものという食い合わせの悪そうな料理が上手におさらの上に納まっている。最初にオーディションに飛び入り参加した川咲さくらの正体をめぐるエピソードみたいなアクセントもある。 きれいにまとまっているという点で文句がない。やろうとしたことを完璧にこなしているという心地よさがある。今のアイドル達の物語、つまり部活もののストーリーと長瀬麻奈(幽霊)と牧野航平のロマンスの両方をちゃんと終わらせてくれた。しかも両方のエンディングを最終話だけに詰め込んでくれて良かったと思う。面白い作品は他にもあるけど、アイプラのようにいろいろ乗っているくせに最後きれいに片付くという作品は少ないと思う。 もやもやがあるとすれば、――主人公ユニットが二つという点でお察しなのだが、勝敗がつかなかった点。あとはお当番回がないので魅力を描き切れていないキャラがいるだろうなというところ。キャラクタービジネスとしてはアニメだけできれいに完結させてしまうのも問題かもしれない。
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