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art-rum · 3 months
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ハライチ岩井“19歳と結婚”に吹き荒れる「気持ち悪い」の声。失礼すぎる根拠のない決めつけ
2023/11/21(火) 8:47配信
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女子SPA! (画像:ハライチ岩井勇気X<旧Twitter>2019年投稿より)
<亀山早苗の恋愛時評>
次々と報道される有名人の結婚離婚。その背景にある心理や世相とは? 夫婦関係を長年取材し『夫の不倫がどうしても許せない女たち』(朝日新聞出版)など著書多数の亀山早苗さんが読み解きます。(以下、亀山さんの寄稿)
ハライチ岩井が妻と知り合った当時13歳にネット「気持ち悪い」
 お笑いコンビ・ハライチの岩井勇気(37歳)が結婚を発表した。お相手は19歳のタレント・奥森皐月だ。まずは18歳という年齢差が話題を呼んだ。
 その次にネット上に吹き荒れたのは、出会いが朝の子ども番組だったことへの批判だ。当時、奥森は13歳。そのころから岩井が「子どもに目をつけていたのではないか」「気持ち悪い」という言葉が乱れ飛んだ。
根拠なく「グルーミング」と決めつけるのは失礼
 18歳という年齢差自体は、それほど珍しいことではない。28歳の女性が46歳の男性と結婚しても「年の差があるね」という程度ですむ話。問題とされたのは、未成年の彼女を「グルーミング」していたのではないかということだ。
 それにしても、「グルーミング」とは、あまりに失礼な言い方だろう。これは、もともと「(動物の)毛づくろい」という意味だが、性犯罪の文脈においては、子どもへの性的虐待を行おうとする者が、被害者となりうる人物に近づき、親しくなって信頼を得る行為をさす。今回の岩井・奥森カップルを根拠なく「グルーミング」と決めつけるのは不当だろう。
 当事者の岩井勇気は、ハライチのラジオ番組(『ハライチのターン』TBSラジオ)で16日深夜、かなり率直に自分の気持ちを話した。「腐り芸人」としての地位とキャラを確立してきた彼にしては、芸風を破壊するような素直な語り口だった。
未成年のうちは、絶対にふたりきりでは会わないようにしていた
 そもそも奥森とは番組担当の曜日が違っていたので、たまにしか会っていなかった。ただ、彼女はお笑いが大好き、ラジオが大好きという変わった10代で、そののめり込み方は半端(はんぱ)ではなかった。
 岩井に会うたび、「ラジオ聞いてます。こういうところがおもしろかった」と声をかけてくれていた。「伊集院(光)さんのラジオも大好きだと言っていた。下ネタばかりのラジオで、この子、大丈夫かなと思ったことがある」と岩井は苦笑しながら言っていた。
 つまり、「若い女性はこういうもの」と人が想像するようなタイプではないようだ。「賢くて、とんでもなくしっかりしている」と岩井が言うと、相方の澤部佑も「語彙(ごい)が豊富。10代とは思えない」と太鼓判(たいこばん)を押した。
 彼女が高校生になったころから、たまに同番組で彼女と同じ曜日を担当していたサンシャイン池崎と3人で、なんどか食事にいったことはある。帰りは池崎とふたりで彼女を家まで送っていくのが常だった。だが岩井は、彼女からの好意をなんとなく感じていたようではある。
「だけど未成年のうちは、絶対にふたりきりでは会わないと彼女にもいっていた」そうだ。その後、しばらく会わない時期が続き、あるとき彼女から連絡があった。「成人になりました」と。「成人になったら、ふたりで会ってくれるっていってましたよね」と言われ、岩井は少しだけ困惑したらしい。
今までの彼女はすべて年上女性だった
「僕は未成年とふたりでは会わないと言っただけなのに、彼女は成人になればふたりで会えるんだと思っていた。まあ、でも確かにそうも受け取れるし、自分が言ったことだからとふたりきりで初めて会った」
 そのときに彼女といろいろ話して、趣味が共通していることに気づいた。しかも彼女の言葉のセンスや話の内容に年齢差を感じなかったという。
 そして今年の初めにつきあおうということになり、彼女の両親に「つきあうことを報告にいった」のだそう。すると両親は「もう彼女は成人だから、本人がよければいい」と言った。そして両親とすっかり仲良くなったのだという。
 つきあいは順調に続いたが、この夏、彼女とちょっとした見解の相違があった。今まで岩井は、「自分を好きでいてくれる人」が好きだった。彼女にしてみると、対等に向き合ってくれていないと感じていたようだ。
 そう言われて、年齢差を気にして「保身」を考えていたことに気づかされたと岩井は言う。
 そして、もし彼女が自分を好きでいてくれなくなっても、自分は彼女が好きだとも気づいた。今まで年上としかつきあったことがなく、結婚のデメリットにばかり目がいき、一生独身でいいと思っていた岩井が、そこで初めて、年下の彼女をひとりの人間として、ひとりの女性として意識したようだ。
奥森から「結婚しよう」と言い出した
 ふたりとも芸能人だから、いつかこの関係が世間にバレるかもしれない。彼女の人生はまだこれからだ。やりたいことも目標もあるだろう。それを考えれば別れるしかないのかもしれないと岩井は考えていたという。
 結婚したら彼女の人生を決めてしまうことになる、やはり別れるしかないのかと話し合っていたら、彼女が「結婚しよう」と言った。岩井からは言えなかった言葉を、彼女はさらりと言った。そこで彼女の生き方に敬意を抱くようになった。
 最初は「19歳の女の子の生き方に敬意を抱く37歳の男?」と腑(ふ)に落ちなかったのだが、話を聞いてみると、なるほどとうなずける内容だった。
「腐り芸人」としてのキャラを今後どうするか
 ものごとの本質を突いたり、斜めに斬って見せたりする彼は、それを芸風に昇華させた。その分、実人生では「案外素直だったり、案外甘えん坊だったりする“素顔”」をさらけ出せなかったのではないだろうか。
 逆にここまで素をさらけ出すと、今後、芸風がどうなるのか若干心配になる。作りあげた「腐り芸人」としてのキャラをどう変革していくのか、あるいはキャラはキャラとして温存するのかわからないが、私生活の充実が新たな刺激となるかもしれない。
 それにしても「結婚」しただけで、そこまで自分の心情と結婚までの経緯を話さなければならないとは、芸能人というのは大変なものである。芸人ならおもしろければいい、役者なら演技で酔わせてくれればそれでいい。そんな時代もあったのに。
<文/亀山早苗>
【亀山早苗】 フリーライター。著書に『くまモン力ー人を惹きつける愛と魅力の秘密』がある。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。Twitter:@viofatalevio
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art-rum · 5 months
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母の仮面が苦しいあなたへ 「自分」は今もそこにいる 金原ひとみ
2023年11月15日 5時00分
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小説家の金原ひとみさん
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夕日が反射した水面に、カヤックのパドルが水しぶきを上げる=東京都江戸川区、小玉重隆撮影
寄稿・金原ひとみさん 小説家
 休日の昼下がり、編集者が日本から送ってくれた本の束から一冊選び、ベッドに横になって読みながら、眩(まぶ)しくて電動シャッターを少し下ろした。本は緩やかに面白みを増し、このまま昼寝でもしてしまおうかと思ったその瞬間、唐突に郷愁を感じて文字を追う視線を宙に泳がせた。
 「そうか、私はこんな感じだった」
 そう気づいて、何かが胸から全身に広がっていくのを感じた。それまでも少しずつ戻りつつあったのだろうけれど、はっきりと認識したのはこの日が初めてで、それはつまり、「子供を産む前の自分」と邂逅(かいこう)した瞬間だった。
「今日を乗り越える」の繰り返し
 もう会えないのかと思ってた。全然変わってないね。ていうかまだ生きてたんだ。そんな、腐れ縁の悪友に再会したような気分だった。そしてこれを機に、私は急速に「かつての自分」を取り戻していくこととなる。第1子が8歳、第2子が5歳の時だった。
 第1子は、子供を持つことにまだ前向きではなかった私の意思に反して、配偶者が望んでできた子供だった。生まれてしまえばその存在を覆すことはできず、出産したからこの小説が書けた、妊娠出産育児の当事者としてあらゆる体験ができた、何より唯一無二の我が子と出会えた、という結果論としての利点もあり、だからこそ出産そのものを批判的に捉えることは難しい。しかし結果論とは全く別の次元で、アイデンティティーを大きく左右する事象に関して自分の意思が通らなかったことは、人生に対するコントロール感覚をそぎ、尊厳を奪われたと感じるに十分だった。この時の配偶者への不信感はわだかまりとして残り、時代が変わり、価値観や人権意識がアップデートされていく中で今なお肥大を続けている。
 産後、配偶者は多忙で長女は睡眠と授乳以外の時間はほぼ泣いている赤ん坊だったため、壮絶なワンオペ育児となった。当時はワンオペ育児という言葉もなく、同じような家庭がたくさんあり、クレバーで気の強い編集者ですら「旦那はいないものと思えば、たまに育児を手伝ってくれた時に感謝できる」と話していた時代でもあった。産後、どんな無理も受け入れざるを得なくなるほとんどの女親に対し、外部に存在し、たまに家に片足を突っ込むお手伝いさんのような男親が羨(うらや)ましく、ほとんど憎んですらいた。
 デビューから4年、複数の出版社と仕事を始めたところだった私は、出産で失速したくないという思いと、24歳の体力によって産後2カ月で執筆を再開したが、その結果配偶者との「壮絶な仕事時間の奪い合い」となり、生きる糧であった恋愛関係は終わり、頼れる親族もおらず、子持ちの友達もおらず、赤子と地下室に閉じ込められているかのような閉塞(へいそく)感の中で育児と執筆を続けた。「家でもできる仕事」「女親の方が育児に向いてる」、といった、育児を何も理解していない人の言葉一つ一つが、酸素を薄くさせた。目の前の赤ん坊を生き延びさせることしか考えられない拷問のようだった。
 産後うつに陥った私は、長女が赤ん坊のころ何度も自殺への衝動に駆られた。理由なき自己嫌悪と責任の重さへの恐怖で正気が保てず、万力で身体中を締め付けられ、バチンと体内のものが飛び散る寸前のところで、今日を乗り越えることだけを繰り返していた。産後うつで自殺した人や、虐待のニュースを見ると、これは設定が一つ違っただけの私、と思わずにはいられなかった。
「子供の存在が支え」というジレンマ
 母となってからのよりどころのなさは、どこにいても付きまとった。赤ん坊と閉じこもっていれば息苦しく、しかし外に出ても厳しい目が向けられる。たばこを吸ったり、飲み歩いたり、派手な服装をしても眉をひそめられ、30回中1回だけ配偶者に子供を病院に連れて行ってもらえば「お父さん偉いですね」という言葉をかけられ29回一度も褒めてもらえなかった私の立場は常になく、どこに行っても泣く子は煙たがられ、家でも外でも温かい飯にはありつけず、心なき育児ロボットとして扱われている気しかせず、いつしか自分もそう自己認識をしていた。当時、母になって良かったことは、子供に出会えたことだけだった。育児に苦しんでいるのに、子供の存在が私を支えているというジレンマにもはち切れそうだった。
 きっと多くの母親たちが同じ閉塞感、孤立感に苦しんでいたはずだけれど、子供を生かすことに必死な人々には他の人の声は届かない。この十数年でTwitterなどのSNSで育児当事者同士がつながったり、思いの丈を吐露できる環境が整い、当事者のみならず子供を望んだり検討したりする人々の目��も入るようになったことは、SNSによって生じる別の問題を差し引いても素晴らしいことだ。ワンオペ育児という言葉の誕生も、その言葉を使い当事者の体験が語られ続けることで、そこに多くのニュアンスが塗り込められ、個人ではなく社会の問題であると実感できるようになった。
 孤立していた私の産後初めての救いは、保育園だった。0歳児の保育園入所には批判の声もあるようだが、当時も今も、「命が消えるのを防げた」という感想しかない。「何時から何時まで責任を持って預かってくれる」という保証のある施設に、私は命を救われた。保育士の待遇が悪いことには、憤りを禁じ得ない。人の精神、生活を支える仕事が正当に評価されないことは、「身を粉にして育児をするのが当たり前」という世間から女親に向けられる軽視とよく似ている。
 子供は可愛いし後悔はない、しかしそれとは別の次元で、人をあれほどまでに追い詰める育児は、この世にあってはならないと断言できる。保育園に入所できたこと、経済的に困窮していなかったこと、このどちらかが欠けていたとしたら、私はほぼ確実に、育児の季節を生き延びることはできなかっただろう。あれはそれほどまでに、非人道的な生活だった。
 もちろん条件が違えば、育児は全く違う様相を呈する。頼れる実家や義実家の有無、自分と配偶者の体力、精神的時間的余裕、経済力、双方の職場の理解、寝る寝ない体が強い弱い、など子の個人差、これら条件の組み合わせにより、育児はイージーにもベリーハードにもなり得る。自分で選び取れる条件だけではないからこそ、出産育児は常に綱渡りとも言えるが、現実的に考えれば、私たちには条件が欠け過ぎていた。
「母」のペルソナとは
 長女が生まれてから2人目が5歳になるまでの8年間、私は執筆している時以外ずっと「母」のペルソナをかぶっていたのだろう。今、16歳と12歳の子供と共に暮らす生活の中では、それはたまに子供たちに倫理的指導が必要な時にかぶるだけのものとなった。今は配偶者と離れ、何者かを生かす装置としてではなく、私は完全な個として生きている。一人でご飯を食べられるようになった時、要望を言葉で伝えることができるようになった時、手を繋(つな)がなくても外を歩けるようになった時、あらゆるタイミングで少しずつ「母」のペルソナは薄れ続けていたのだろう。あのフランスのベッドの上で邂逅した私は少しずつシェアを広げ、ほとんど変化しないまま、今もここにある。
 それは14歳くらいの頃に、「自分はこういう人間だ」と認識した自分からあまり変わっていない。世間的、社会的なものに適応できず、あらゆるものが許せなくて、しかし己自身は空虚かつ軽薄で、夜型で、小説を読むことと書くことでのみ息ができて、欲望や衝動に振り回される愚かな人間だ。
 出産を機に、完全に母というペルソナを自分のものとして生きていく人もいる。その方が生きやすい人もいるのだろう。私はあのペルソナについぞ親近感を感じられないまま、いつしかその必要性から解放された。かぶってみたら息ができなくて、張り付いて窒息しそうで、苦しくて仕方なかった仮面が外れた瞬間、自分の本当の顔を思い出した。そんな感じだ。その自分は醜いかもしれないが、窒息する仮面よりはマシだった。
 自分に戻って生きやすくなったわけではない。それでも、あの苦しみよりもこの苦しみ。と思える生きにくさと生きられることにほっとした。どうせ殺されるなら、母としての生きにくさではなく、幼い頃から慣れ親しんだ、どうやっても自分から切り離せなかった生きにくさに殺されたかった。
 今、母というペルソナに苦しんでいる人に、いつかその仮面は外れて息ができるようになるよと言うことはできない。外したくても状況的にそれができない人も必ずいるからだ。でも魂があえぎをあげている時、あなたが喪失したと感じている自分は実は今もそこにいるんだ。一番近くで見守り寄り添い、きっと隙があれば静かにあなたと同化する。あなたを延々苦しめてきた空虚さ軽薄さ愚かさが、そう簡単に消えるはずはないんだ。それはあなたにとって絶望かもしれないが、希望でもあるはずだ。つきまとう自分の気配を気取って思い出して欲しい。あなたには何に首を絞められるか決める権利があるということを。
金原ひとみ
 1983年生まれ。デビュー作の「蛇にピアス」で2004年に芥川賞。「アンソーシャル ディスタンス」で21年に谷崎潤一郎賞。東日本大震災後の12年から6年間、フランスに移住していた。近著に「腹を空かせた勇者ども」。
commentatorHeader 田渕紫織 (朝日新聞社会部記者=子ども、メディア) 2023年11月15日5時0分 投稿 【視点】 全生活を賭けて、過ぎた季節のことを言語化してくださった尊さを思い、何度も読み返しています。 仮面によって失ったものを、「本来の私」「本当の自分」といったような生ぬるい概念で捉えることなく、「空虚さ軽薄さ愚かさ」という言葉で、鋭く等身大に捉えています。当事者にとって、大きな救いになる言葉ではないでしょうか。
自由か不自由か、ではない。 自由はなくとも、どの不自由にするかを選び取る権利が「あなた」にはある。 でも、そのことを完全に忘れ去ってしまう季節である――。 そんな視点が、渦中にいる人に届くことを、心から願っています。
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カリスマ性は「いまこの瞬間を全力で生きる」かによって決まる
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過酷な現場で働く支援者たちを支えるしくみづくりを 津久井やまゆり園事件を取材したジャーナリストの提言
7/25(火) 16:50配信721
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津久井やまゆり園の「鎮魂のモニュメント」(撮影:長谷川美祈)
2016年7月26日に起きた相模原・障害者施設殺傷事件から7年が経つ。植松聖(33)は今、死刑囚として日々を過ごしている。ジャーナリストの佐藤幹夫さん(70)は「事件の検証は十分にはなされていない」と言う。佐藤さんが突き当たった「取材拒否の壁」。私たちはこの事件をどのように記憶すればいいのか。家族や福祉関係者と対話を重ねてきた佐藤さんに話を聞いた。(取材・文:長瀬千雅/撮影:長谷川美祈/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
津久井やまゆり園事件の「特殊性」
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さとう・みきお/フリージャーナリスト。1953年、秋田県生まれ。養護学校の教員を20年以上務める。著書に『自閉症裁判』『知的障害と裁き』『ルポ 闘う情状���護へ』『津久井やまゆり園「優生テロ」事件、その深層とその後』など。批評誌「飢餓陣営」主宰
福祉施設での障害者虐待のニュースが相次ぐ。厚生労働省の発表によれば、令和3(2021)年度に全国の自治体に寄せられた相談・通報件数は3,208件で、統計を取り始めてから最多になった。 津久井やまゆり園事件が私たちに問うことは、一つは、障害のあるなしにかかわらず「共に生きる」という考え方をどう根づかせていくか。もう一つは、福祉施設のあり方だ。 ──事件から7年経ちます。改めてどのような事件だったと考えていますか。 「(津久井)やまゆり園事件の特殊性は、いろんな角度からいろんなことが言えると思うんです。例えば、重度の知的障害者が一度に四十数人も殺傷されたとか、福祉施設の元職員が加害者となって利用者を傷つけたとか。ですが、あまり言われていないことがあって、それは何かというと、関係者がほぼ全員、取材拒否だということです。被害者は匿名で、ご遺族・ご家族はほとんど取材に応じていません。実名で応じるのは唯一、重傷を負った尾野一矢さんのご両親、剛志(たかし)さんとチキ子さんだけ。やまゆり園の職員も、取材はさせないという方針でした。当時の施設長や、(園を運営する)かながわ共同会の代表も、自分たちも被害を受けた側だということは話すけれども、『自分たちの職員のなかから、なぜそういう人間が出てきたのか』に関して、本気になって検証したとは思えません」
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佐藤幹夫さん
──佐藤さんはジャーナリストになる前、発達障害や自閉症、知的障害の子どもたちが通う養護学校(現在の特別支援学校)で教員を務めました。その立場から見て、知的障害者施設で植松のような人間が出てきたのはなぜだと思われますか。 「例えば、学校の場合であれば、最初に赴任した学校がどのような理念を持っているかで、ずいぶん変わると思うんですね。子どもたちをがんがん指導して、管理するのか。子どもたちの特性をゆるやかに受け入れて、子ども中心でやっていくのか。福祉も似ているのではないかと思います。植松にとっては、やまゆり園が最初の職場だったわけです。彼がなぜ『障害者は人を不幸にする』という考えを持つようになったかを考えるには、その施設のトップがどのような福祉の理念を持っていたかが重要だと思うのですが、そういうことがほとんどわからない」 ──それが取材拒否の壁ということですね。 「そうです。公判のなかで断片的な情報は示されているのですが、信頼できるまとまった情報がない。入園当初、先輩たちのふるまいを見て、これでいいんだと思ったと考えざるをえないですね」
植松の「未熟さ」と「キレやすさ」
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佐藤さんが6年かけて書いた著書『津久井やまゆり園「優生テロ」事件、その深層とその後』。下は主宰する批評誌「飢餓陣営」。関係者のインタビューや講演録が掲載されている
事件当日を短く振り返る。植松は、2016年7月26日午前2時ごろに津久井やまゆり園に侵入し、持っていた包丁で入所者を次々に刺していった。夜勤担当の職員を結束バンドで縛って連れ回し、入所者がしゃべれるかどうかを確認して、職員が「しゃべれません」と答えると包丁を何度も振り下ろした。およそ1時間で45人(職員2人を含む)を殺傷すると、園から東におよそ7キロ離れた神奈川県警津久井署に出頭した。 ──植松は、意思疎通ができるかできないかで命の線引きをしました。どこからそういうアイデアを得たと思いますか。 「それも、検証できないのでなんとも言えません。一つ言えることは、どれだけ重度の障害がある人でも、一緒にすごしているう���に、いろんな反応があることがだんだんわかってくるんですよ。日によって、今日は表情が険しいなとか、紅潮しているけど熱っぽいのかな、とか。こちらは、それに応じて対応をする。そんなの交流じゃないと言われてしまえばそれまでなんだけれども、しゃべれなくても、なんらかの喜怒哀楽のやりとりがあることが、実感として感じられるんです」
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津久井やまゆり園で慰霊碑の撮影をしていると、現在の園長が出てきて、エントランスの内側に招き入れてくれた。祭壇には「19の命を忘れない」と書かれた色紙や、建て替え前の園舎の写真が飾られている
「そういうことを、施設だとか(特別支援)学校だとかで働く人たちは少しずつ身につけていくはずなんだけれども、そこがうまくキャッチできないタイプの人もなかにはいるわけです。植松は、やまゆり園の仕事に就いた当初は、(施設の)利用者を『かわいい』と言っています。しかし、これは私の仮説ですが、支援者としてのスキルが未熟で、利用者に反抗されたのではないか。当たり前ですが、どんなに障害が重い人にだって感情がありますから、こいつ嫌なやつだなと思えば言うことを聞かないんですよ。植松にすれば、思いどおりにいかなくてイラつく。そうやって、怒りを募らせていったのではないか」 ──プライドを傷つけられた。 「そうでなければ、支援の現場から『障害者は生きる意味がない』と主張する人物が現れるとは、到底考えられないんです。ただ、植松はそういったことをほとんどしゃべりません。この間(かん)、新聞等々を通じていろんな情報が出たけれども、自分にとって都合のいいことしか言わない。それ以外のことを聞かれるとスーッと遮断してしまって、態度を豹変させてしまう。私からすれば、植松も、実質的に取材を拒否しているように見えました」
「障害者の家族」としての思い
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佐藤幹夫さん
佐藤さんは一度だけ、植松に手紙を送っている。公判が始まる前の2019年のことだ。 佐藤さんには、重い脳性まひを持って生まれた弟がいた。弟は3つ下で、1956年生まれ。10歳で亡くなったが、生きていれば67歳だ。やまゆり園の入所者には60代も多い。佐藤さんは、事件の一報を聞いたとき、「えっ!? と絶句してしゃがみこんでしまった。まるで弟がやられたような感覚ががーんと入ってきた」という。 ──弟さんが重い脳性まひを持っていたこと、ご両親が療育に苦労されたこと、お母さまが若くして亡くなったことを著書(『津久井やまゆり園「優生テロ」事件、その深層とその後』)で明かされています。 「弟のことはずっと触れないように、記憶に蓋をしてきたんです。だけど(取材を)やるからには、過去と向き合わないといけない。いろんなことをさらさないといけない」 「弟が8歳のときに母が病気で亡くなり、父は困り果てます。実家のあった秋田県には、当時、重症児施設はありませんでした。いろいろ手を尽くしてようやく、島田療育園(現在の島田療育センター)に受け入れてもらえることになります。弟は、昭和42(1967)年1月に10歳で亡くなるのですが、その数カ月後に父が書いた手記があって、本の最後に全文を載せました。妻への思い、息子への思いが縷々つづられています」
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撮影:長谷川美祈
──その手記を植松に送ったそうですね。 「確かめたかったんです。公判が近づくにつれて不安になっているようだと、新聞が報道したんですよ。彼は一貫して自分は間違っていない、死刑判決が出ても控訴しないと言っていたわけです。それがポツンと、裁判を気にするそぶりを見せているという情報が出てきた。人を殺してしまった人というのは、あとになって自分のしたことの重さに押しつぶされます。植松は苦しむそぶりを一切見せていなかったけれども、裁判が近づいてさすがに弱気になっているのではないか、と」 ──返事は。 「来ました。短い手紙でしたが、『障害児の家族と話し合いはできない』と書かれていましたね。私の母が亡くなったのは、重度障害者と関わったことによる過労だとも」 ──どう思われましたか。 「そうか、と。彼は(後悔や反省をしているとは)認めないだろうと予想していましたから、意外ではなかった。でも、裁判が終わって、彼についての情報もいろいろ集まってきたときに、ひょっとしたら、この短い手紙に、彼の内側を読み解くポイントがあるんじゃないかと思ったんです。手紙を読む限り、あれだけたくさんの人を殺傷しても、心理的ダメージを受けていない。それが一つ、手がかりになっていきました」
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植松は、事件の5カ月前の2月中旬、衆院議長公邸に手紙を持参し、受け取りを拒む公邸職員に土下座までして強引に手渡している。手紙は「私は障害者総勢470名を抹殺することができます」と始まり、職員の少ない夜勤の時間帯に行うこと、速やかに作戦を実行したら自首すること、逮捕・監禁されたあとは無罪となって自由な人生を送りたい、新しい名前と5億円を与えてほしいと訴えたのち、「ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します」と書かれていた。 ──佐藤さんは著書の中で、戦場における兵士との比較で植松の心理を考察していますね。 「人は、簡単には人を殺せないようにできていると思うんですよ。例えば、戦場に向かう兵士がなぜ人を撃てるようになるかというと、人間的な共感性の部分を訓練によってぶち壊していくからですよね。だからこそ、日常に帰ると社会不適応を起こし、PTSDを発症して苦しむ。しかし植松からは、『加害者であることによって生じるPTSD』を感じません」 「ふつうは『命の重さ』とことさら言わなくても、育っていくなかで人との関わりがしっかりとできてくれば、おのずと身についてくるものだと思うんですよ。植松は、そこのところがどういうわけか、育ちきれていないように見えます。この事件の根底にある問いは、『なぜ彼はこれほどまでに命を軽んじるようになったか』です。一番肝心なところは生育歴なんですが、ほとんど語られていません。彼は、自分の親のことは話さないんです」 ──死刑囚となった現在は、命の重さに気づいているでしょうか。 「そこはわからない。あるいは気づいているかもしれない。だとしても言わないでしょうね。それよりも、自分がどう見られているか、世の中が騒いでくれているかのほうが気になるんじゃないかという気がします」
「ケアする人たち」を支えるしくみづくりを
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黒御影石のモニュメントは水鏡になっており、穿たれた19カ所の溝から水が流れ落ちる。鳥が水を飲みにきていた
津久井やまゆり園は2021年夏に再建された。入り口には鎮魂のモニュメントが設置されている。敷地の一角に、地域住民が出入りできる広場が設けられた。「散歩の途中に立ち寄ってください」の張り紙がある。 園舎の再建には、賛成派と反対派で議論があった。戦後、障害者のための福祉施設が各地に建てられたが、それは障害者を「収容」する側面もはらんでいた。1970年代ごろから、知的に問題のない身体障害者を中心に、「施設から地域へ」の動きが始まる。障害者を1カ所に集めて隔離するのではなく、さまざまな支援を受けながら地域で自立して生活できるようにするべきだと考える人には、やまゆり園のような山間部にある大規模施設の再建は、時代に逆行することだった。一方で、重度の知的障害のある人を地域で支えるのは難しい、施設は必要だと考える人もいた。 ──佐藤さんはもともと、施設中心の障害者福祉のあり方に問題意識を持っていたんですか。 「いいえ。学校教育と福祉はほとんど交流がありませんでした。それに、発達障害や自閉症、知的障害に関わる仕事を長く続けていると、知的障害の重度の子が地域で自立して生活するというイメージは持ちにくいんです」
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「正確に言うと、一人だけ、交通事故による中途障害で、病院に収容されていた人で、『死んでもいいからここから出たい、一人暮らしをしたい』という人と出会ったことがあるんです。だから、自立したいという気持ちが、命にかえてもというぐらい強いものだということはわかっていました」 ──置かれている状況や環境によって、考え方はさまざまに異なるのですね。 「私は、軽度の知的障害のある人が起こした刑事事件のルポを手がけてきました。取材の過程で、ある施設を運営する人と懇意になりました。その施設には、地域にいられなくなった人(軽度の知的障害者)が集まってくるんです。少年院にいたとか、問題を起こして地域にいられなくなったとか。だけど、そこもついのすみかではないわけだから、どうやって地域に帰すか、自立のあり方を探るかというのは、大きなテーマでした」 「そういった、点でしかなかった情報が、やまゆり園事件の取材を通じて、やっと一つの図にまとまっていった感じがあります。支援や介護、介助といった『ケア』の問題は、社会全体で取り組むべきテーマでしょう」
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モニュメントの献花台には18本の百合が刻まれている。中央はこのモニュメントに賛同する気持ちが決まらないご遺族のために空いている
──やまゆり園の事件は、植松という特異なパーソナリティーが、重い知的障害のある人たちをターゲットにしてしまったという悲劇でした。あれだけのことがあっても、福祉施設での障害者虐待の事例はあとを絶ちません。 「私は、植松はまったく許せないと思っています。抵抗できない人を襲うなど、卑劣以外のなにものでもありません」 「それとは別の問題として、重度障害者の入所施設で働く人たちが、過酷な状況にあることも確かだと思います。でも、福祉についてきちんと学んで、訓練を受けて、物心両面で支えられていけば、支援者としてのレジリエンス(回復力、しなやかさ)をつくっていけるはずなんです。そういうことが、やまゆり園のなかで行われていたのか。職員たちを支える人はいたのか。きちんと検証することが、今後につながると思います」
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「水の事故」から命を守るためには?「万が一の時」の対処法も
溺れてしまった時の対処法
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落ち着いて「背浮き」をするように呼びかけます。大きく息を吸って肺に空気を溜めると、肺が浮き袋になります。空気が抜けないように、声を出さずに救助を待つことが大切です。助けようとしても、保護者は絶対に飛び込まないように。自身が溺れるリスクも高いです。
もしもの時の応急措置
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脈がある場合には素早く人工呼吸を、脈がない場合には胸骨圧迫(心臓マッサージ)を実施する必要があります。息を吹き返したら体位を横向きにします。上を向いたまま嘔吐した場合は、窒息しないように口の中の吐しゃ物をかき出します。また、タオルや上着をかけて保温しましょう。成人でも同様の対処法を行います。
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Vol.45 生成AIの可能性から導く未来は、「クリエイターにも言葉のセンス」【SNSトレンドに、業界は「どうする」?】
トレンドSNSコラム特集・連載Z世代連載 FROM SNS TREND
2023/06/23公開
2023/06/24更新
文・ 村上 要
「WWDJAPAN」のソーシャルエディターは毎日、TwitterやFacebook、Instagram、そしてTikTokをパトロールして、バズった投稿や炎上、注目のトレンドをキャッチしている。この連載では、ソーシャルエディターが気になるSNSトレンドを投げかけ、業界をパトロールする記者とディスカッション。業界を動かす“かもしれない”SNSトレンドの影響力や、投稿がバズったり炎上してしまったりに至った背景を探る。今、SNSでは何が起こっているのか?そして、どう向き合うべきなのか?日々のコミュニケーションのヒントにしたい。今回は、「WWDJAPAN」も表紙に使った生成AIのお話。
関連記事 ファッションロー特集 法改正からサステナ、生成AI��で最新トピック5を解説 関連記事 生成AIで紡��“レトロフューチャー”な世界観 草野絵美が語るAIアート制作の裏側 ※無料で読める
ソーシャルエディター津田:6月19日号の「WWDJAPAN」は、ファッションロー特集。表紙はAIアートですが、ここ最近SNSでも頻繁に生成AIの話題を見かけます。中でもさまざまな議論を巻き起こしたのが、集英社の男性向け週刊誌「週刊プレイボーイ(以下、週プレ)」から誕生した、“AIグラビアアイドル・さつきあい”。彼女(と言っていいのわかりませんが)は、「週プレ」編集部が画像生成AIから生み出した架空のグラビアアイドルで、デジタル写真集も発売しました。発売時点で「グラビア業界が死んでしまう」や「AIだから不祥事が起き得なくていい」など、ネットでは賛否両論でしたが数日後、販売終了が発表されました。その理由について「週プレ」編集部は、「本企画について、発売後よりたくさんのご意見を頂戴し、編集部内で改めて検証をいたしました。その結果、制作過程において、編集部で生成AIをとりまくさまざまな論点・問題点についての検討が十分ではなく、AI生成物の商品化については、世の中の議論の深まりを見据えつつ、より慎重に考えるべきであったと判断するにいたりました」と説明。理由は複合的だと思いますが、元アイドルの某女優にそっくりだと話題になったことが1番の原因ではないかと思います。
また最近のTwitterでは、AIで生成した架空の女性を使用し、あたかも実在の人物のように振る舞い、アマゾンの欲しいものリストやアフィリエイトに誘導する悪質な手口もよく見かけます。タレントの明日花キララも「この写真いつもと違う!?」と自身とそっくりのAIで生成した画像とテキストを投稿。本物の写真かどうかを見極める力を身に付けなければ、ネット社会では詐欺などに巻き込まれる可能性があることを注意喚起しました。村上さんは、ネット上でAIによる生成物と気付かずに接した経験はありますか?
記者村上:「気付かず接した」ほどではありませんが、生成AIで作ったウクライナのボロディミル・ゼレンスキー(Volodymyr Zelenskyy)大統領の“そっくりさん”が、「この戦争は無意味だ。みんな、早く故郷に帰れ」とスピーチしている動画を見て、「どういうこと?」と思ったのは印象に残っています。
この続きを読むには…
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art-rum · 10 months
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生成AIで紡ぐ“レトロフューチャー”な世界観 草野絵美が語るAIアート制作の裏側
2023/06/16公開
2023/06/22更新
文・ ライター YU HIRAKAWA
編集・ 小田島 千春
「WWDJAPAN」は、2023年6月19日号ファッションロー特集の表紙用に、アーティストの草野絵美にAIで生成した作品を依頼した。候補として提出された作品は、いずれも草野の作風である“レトロフューチャー”という特徴を残しつつ、人物は非常にリアルで、ぱっと見ただけではAIで作られたものかどうかは分からないクオリティーのものだった。生成AIを使用した作品制作は、同じプロンプトを入れても毎回アウトプットが変わる。そのため、無限に出力されたものの中から「選ぶ」という人間特有の作業を経ることが重要であり、それが最も大変で、一番楽しい作業なのだという。今現在も進化を続ける生成AIを利用した創作活動について、草野に話を聞いた。(この記事は「WWDJAPAN」2023年6月19日号からの先行公開で、無料会員登録で最後まで読めます。会員でない方は下の「0円」のボタンを押してください)
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PHOTO : SHUHEI SHINE 草野絵美(くさの・えみ)/アーティスト 1990年、東京都出身。Fictionera代表。レトロフューチャリズム、若者文化、最新テクノロジーをテーマに創作活動を行うマルチディシプナリー・アーティスト。「Satellite Young」の主宰兼リードシンガーとしてSXSWなどで活躍。2021年、当時8歳の息子の「Zombie Zoo」プロジェクトをきっかけにWeb3ムーブメントに参加。アニメNFTプロジェクト「新星ギャルバース」を考案・共同創設するなど、幅広く活躍する。東京藝術大学非常勤講師。著書に「親子で知的好奇心を伸ばす ネオ子育て」(CCCメディアハウス)
WWD:「WWDJAPAN」2023年6月19日号の表紙用画像を制作してもらったが、ボツにしたもの含めて何パターン作った?
草野絵美(以下、草野):1000枚以上は作りました。AIアートは、生成自体は無限にできるけれど、「選ぶ」という作業は人間の美意識によるところが大きく、AIにはできない。人間にしかできなく、そこが楽しいと感じます。5月に行われたNFTアートのイベントでも「選ぶ作業が一番大変だよね」という話になりました。
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表紙に採用されたAIアート
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最終選考に残った2枚
WWD:表紙の制作過程を教えてほしい。
草野:画像生成AIの「ミッドジャーニー」と、自分の顔を学習させた別のAI、さらにそれを高解像度にするAIを使いました。今回は「六法全書を持ったフォーマル感のある女性モデル」というお題に対して、まず30点ほどのバリエーションを編集部へ送り、そこから絞ってもらい、フューチャリスティックなものに定まっていきました。私としては“2000年代初頭の時代におけるフューチャリスティック”を意識しました。「六法全書」と入れても出てこないので、「Dictionary(辞書)」などを入れてみました。“フューチャリスティック”というワードにAIが引っ張られると、本ではないものが出てきたりもしました。また、「Magazine cover layout(雑誌の表紙のレイアウト)」と入れたことで、モデルの周辺に空間ができる構図になりました。「Hyper realistic(高度にリアル)」「Highly detailed(ディテールに富んだ)」といったプロンプトを入れることで、リアルな画像に仕上がりました。編集部からのリクエストもあり、フォトショップなどでの追加修正はせず、AIツールだけの使用にこだわりました。
WWD:どのAIを使うか、どう組み合わせるか、また使う順番などによってクリエイターの味が出る?
草野:そうですね。さらに同じプロンプトを入れてもアウトプットは毎回違うし、説明する言葉のチョイスが違えば、違うものが生成されます。AIアートというと、既存の著作物をパッチワークのようにつぎはぎして作っていると誤解している人も多いようです。しかしAIは、例えば「人間の手には指があって、指には関節がある」とか「クリスマスは、赤と緑で彩られる」という、言葉に紐づいた画像の特徴を認識して学習します。その後、学習した特徴に基づいて予測した形を出力します。ですから、切り貼りとは違います。コラージュするのとは違うからこそ、AIの解釈を予測しながら要素を紡ぎだすのにコツが要りますし、塩梅が難しいです。構図や目線がうまくいっても本の表紙がコミック風になってしまうなど、全てがバチっとハマるものを生成するのも難しい。でも、むしろそこにAIアートの面白さがあります。指の本数は正しくなってきましたが、髪形のレイヤーの入れ方などがまだ苦手なように感じます。もしかしたら、私自身の髪形に対するボキャブラリーの少なさの反映なのかもしれません(笑)。
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同じプロンプトを入れても「ミッドジャーニー」のバージョンが異なると全く違う画像が生成される。左がバージョン1、右が最新版を使用 WWD:一語変えるだけで違うものが出て来る?
草野:そのワードにAIが引っ張られやすいかどうかにもよりますが、変わる場合もあります。今回の表紙には1000語くらいのプロンプトを使用しましたが、たくさん入れても全てが反映されるわけではないですし、たくさん入れれば良いわけでもありま��ん。“引っ張られやすいワード”というのがあって、例えば、有名なハリウッド俳優と日本の俳優の名前だったらハリウッド俳優に関する情報をより多く学習しているので、その要素が強く出ます。また、同じAIでもバージョンによっても変わります。「ミッドジャーニー」はこの1年でものすごく進化していて、同じプロンプトを入れても、バージョンが違うだけでまったく異なるものが生成されます。AIに通じやすいプロンプトをAIチャットボットの「チャットGPT」に相談することもあります。
WWD:AIアート制作で難しい点、面白い点は?
草野:難しい部分は“作家としての一貫性をもたせること”だと思います。AIアートでは、毎回違うものが生成されますし、異なるタッチの絵や、異なるテイストの画像を作れます。その全てに自分の特徴を出すことが難しいですが、作家にとって重要なことでもあります。私は一貫して“レトロフューチャー”をテーマにした写真を作っていますが、少しでもその軸からブレると、自分が作ったものだと分からない作品ができあがります。 作る上で面白いのは、打ったとおりの結果が出るプログラムと違って、数値化できない定性的なものがアウトプットとして出てくるところです。部分的にはコントロールしていますが、アウトプットを完全には予測できないので、その余白を楽しんでいる部分はあります。また、AIアート自体の面白さは、誰もが自分の世界観を表現できて、簡単に他者の世界観をのぞけるところにあると思います。数年以内には、同じ映画でもその人の作風に変換して観ることができるようになるかもしれません。そんな世界を想像するとすごく面白いと感じます。
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WWD:レトロフューチャーのインスピレーション源は?
草野:父が1950年代の服を再現するファッションデザイナーで、「この時代はこういう服装」ということを子どものころから教わって育ちました。子どものころからレトロなものが好きで、昭和歌謡なども聴いていました。自分がティーンになったころにSNSが広まりましたが、2010年代以降「その時代特有」というのがない気がするんです。1980年代の写真って絶対に80年代だって分かるけど、2010年代以降ってぼやけていて、全体的にノームコアになって、洗練はされているけれど世界中どこに行っても同じ服装だよねという感じ。そこに哀愁を感じるし、惹かれるものがあります。
WWD:AIアートは今後どうなっていく?
草野:もはや“AIアート”とあえて言わなくなるんじゃないでしょうか。写真、CG、イラスト、そしてAIというように、一つの技法として当たり前になっていくと思うし、AIで生成されたコンテンツは爆発的に増える時代がやってくると思います。精巧なフェイクが増え、何が真実か分からなくなるのではないかという怖さもありますが、アーティストとしては可能性の広がりにわくわくしています。
ライター YU HIRAKAWA
PROFILE 幼少期を米国で過ごし、大学卒業後に日本の大手法律事務所に7年半勤務。2017年から「WWDジャパン」の編集記者としてパリ・ファッション・ウイークや国内外のCEO・デザイナーへの取材を担当。同紙におけるファッションローの分野を開拓し、法分野の執筆も行う。19年6月からはフリーランスとしてファッション関連記事の執筆と法律事務所のPRマネージャーを兼務する。「WWDジャパン」で連載「ファッションロー相談所」を担当中
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art-rum · 11 months
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「井戸」は絶対に埋めるな…工事関係者から「ヤバい」「怖い」体験談が殺到 なぜ「井戸の息抜き」をしないといけないのか?
5/16(火) 17:15配信
まいどなニュース
竹製の「井戸の息抜き」。「間違えてへし折ったりしないでね!」とはすみんさん(画像提供:はすみん@設備屋さん @irohasumi)
「これは元請けが井戸を埋めようとして(ほぼ埋めてた)たから、懇願して駐車場の脇に付けさせてもらった井戸の息抜き」というつぶやきと共に、はすみん@設備屋 (@irohasumi)さんがTwitterに投稿した「井戸の息抜き」の写真が大きな注目を集めました。給排水換気工事などの設備業を営む、はすみんさんにお話を聞きました。
【写真】工事関係者が戦慄する「息抜き」や「お祓い」をしないまま蓋された古井戸
「井戸」だけはほんまにやばい さらに、はすみんさんは続けてこんなツイートを投稿しました。
「ちなみに、埋めようとした人は右腕折ってた」 「その類の工事だとお客さんとかにいらないと言われても、これだけは料金に含めないのでやらせてくださいって言ってでもやってますね。師匠からそれだけは絶対守れって教わりました」 「(師匠は)オカルト系まじで信じない人なのに、井戸だけはダメって真顔で言われたなぁ」 「井戸だけはまじで絶対に息抜きつけて完全に埋めるなって、どの人にも言われたし、未だに守ってる」 「井戸の息抜きを迷信と思ってるとマジでケガする」 「井戸だけはほんまやばい」
すると、はすみんさんのツイートに対して、なんと、建設業界の問題を描いた漫画『解体屋ゲン』の作者、星野茂樹先生も反応!さらにリプ欄には、建築・解体工事関係者など、プロの方たちから「井戸」にまつわる驚くべき証言や不可思議な経験談が殺到しました。
「古井戸の蓋開けて中覗いたら、ブゥアアアッと冷気?みたいのが吹いてきて、その瞬間風邪ひいたみたいな倦怠感がその日一日残ると言う。あれは怖かった」
「以前の現場で、重機のオペさんが体調不良になり、その重機の下に土砂で埋まっていた蓋がけされた井戸が出てきた…」
「呪いや迷信は経験則や統計的なもので、例えば災害や事故や犯罪などの確率が高くなる行動・場所などを伝えていると思っている。ただし、井戸は別。井戸を埋めようとすると必ずある」
「元解体業者だけど、井戸だけはやりたくない」
なぜ多くのプロは「井戸」を恐れるのか?そしてなぜ、「井戸」を埋めてはダメなのか?はすみんさんに詳しくお話を伺いました。
※プロの方々から寄せられた多くの証言や不可思議な経験談は、最後に詳しくご紹介します。
危険回避と、神様への感謝 ーー「井戸の息抜き」とはどんな設備なのですか?
「井戸を撤去(埋める)したりフタをする際に、塩化ビニールの管か竹を使い、井戸と外を完全に仕切らないようにするものです。直径20~25mmの塩ビ管を使用することが多く、雨水が侵入しないように施工します。竹を使う場合は節を抜き、配管のようにして突き刺します。明確にいつまで息抜きをしなければならないという決まりはないのですが、竹の場合は自然と腐り落ちて消失します」
ーーなぜ完全に「井戸」を埋めてはいけないのですか?
「完全に埋めてしまうと井戸内が密閉され、他の地下水脈に影響が出てしまったり、メタンガスが溜まって爆発する危険が生じます。そして、寄せられたリプライの中でも多かった、『井戸には神様がいる』という理由からです。地域によって違いはありますが、『神様』『水神様』『蛇神様』『龍神様』と呼ばれたり、お稲荷様がいるという地域もあると聞いています。
つまり、井戸を埋める、蓋をしてしまうということは、神様が呼吸できなくなる、神様が外に出られなくなるということ。神様に失礼がないよう、そして、今まで水を使わせてもらったことに対する感謝のために、配管や竹を使って息抜きをします」
やはり「何か」があるのかもしれない ーー「井戸の息抜き」の手順について、「お塩とお酒でお清めの儀を行い、手を合わせてから作業する」「塩、酒、梅を入れて拝んでから埋め戻してた。梅=埋めて良しからきてる」というリプライも寄せられていましたね。
「地域によって違いますが、正式にはまず、神社さんに来て頂き、地鎮祭のように棚を用意し、果物、野菜、清酒、米などを供えてお祓いをしてもらい、可能であれば井戸の中の掃除をした後、息抜きの工事を行います。その後、砂利や砂などを入れて埋め戻します。
果物や野菜、清酒、米を用意する理由は、どれも水がなければ作れない物なので、神様へのお礼として捧げると言われています。ただ、全ての現場で行えるわけではないので、塩と清酒を撒いて、『長い間お世話になりました』と言って手を合わせて終わらせることもあります。お祓いの際は、その土地を使う持ち主と、実際に工事を行う人の両方が立ち合えるのが理想です」
ーー「井戸埋め清祓」の相場は…?
「約3~10万円くらいとかなり幅があります。神主さんによって結構変わってしまいますが、10万は高い方になりますね」
ーー今回のツイートには、漫画『解体屋ゲン』の作者、星野茂樹先生や、同様の経験をした方々からの声もたくさん寄せられました。
「星野茂樹さんのように、建設業に関する漫画を描いている方も井戸にまつわる話をご存知だったり、業界関係者ではない方からも、『うちも井戸の息抜きをした』というリプライをもらい、嬉しかったです。こんなにも多くの方が井戸にまつわる体験をしていて、自宅の解体や樹木の伐採、トイレの解体、庭石の撤去の際もきちんとお祓いをする方も、まだまだたくさんいらっしゃると知り、安心しました」
「お祓い」を省くと、ご近所トラブルになることも ーーリプ欄に寄せられた、「井戸の息抜き」や「井戸」に関する多くの証言や不可思議な現象について、はすみんさんはどう考えていますか?
「昔の人が、危険な場所にお地蔵さんを置いて建物を建てられないようにしたように、井戸の上に家を建てると家が傾くという実害もあるので、危険を回避するために作られた言い伝えなのだと思います。
ただ、ツイートもしましたが、埋める作業をした人ではなく、埋める指示をした現場監督が足を滑らせ、転んで腕の骨を折った場面を僕自身も目の当たりにしているので、本当に神様がいるのではないか、とは思っています。自分を設備屋として育ててくれた師匠からも、『過去に井戸を潰した者が何人かいたが、全員怪我をしたり、離婚をしている』と聞いていたので、やはり何かあるのかもしれないですね」
ーー「現場でベテラン勢から口頭で言い伝えられてきた慣習が失われつつある」というリプライも寄せられていましたが、井戸の埋め戻しを考えている家主や工事関係者に伝えたいことはありますか?
「僕は28歳で独立開業したのですが、業界では若手と言われる身です。僕のような若い職人の中にも、昔ながらの風習を大事にする人間もいます。たかが迷信と思わず、少しの時間をかけるだけでその後の大きな災難がなくなるかもしれないと考えて、ぜひきちんと『井戸の息抜き』やお祓いを行って欲しいです。お祓いをしていない、というだけでご近所トラブルにまで発展することもあるので、家主の方には、安心を買うと考えてもらえるといいかもしれませんね」
◇ ◇
「井戸」の埋め戻しや「息抜き」の際に行う清祓だけでなく、魂抜き、地鎮祭、棟上げ式など、解体や建築の際には多くの神事があります。設備業を営む、はすみんさん自身の経験や、今回のリプ欄に寄せられた「井戸」にまつわる多くの不可思議な体験談を踏まえても、建物にまつわるお清めやお祓いには、科学では証明できない何かがあるのかもしれません。
埋めても大丈夫という意見がないのは、全員死んでるから… 「過去にお客さんに断られて(井戸の息抜きを)施工しなかったのですが、作業車が謎の故障をしたり、お客さんも交通事故に遭われたり…」
「うちも建設関係なんですがやっぱり…。井戸の『息抜き』がない現場では関係者の怪我や病気等起こりがちです。主人も親方から厳しく言われていたとのこと」
「何も知らないペーペーの頃、井戸?はぁ?タタリ?そんなもん迷信だろが.....と適当に対応した。その現場はいろいろと問題が発生して、最後の最後まで神経つかったな。まぁ因果関係はわかりませんが、今では大切にお祓いするほど、記憶に刷り込まれた出来事」
「井戸は絶対にそのまま埋めてはいけません。バチが当たります。エビデンスはありません。水の神です」
「絶対にオカルト信じない設備屋さんでも井戸だけはヤバいと言う。(埋めても大丈夫だったという意見が全く無いのは多分全員死んでるからだと思う)」
骨折、一家離散、死亡事故、経営破綻…「井戸」はガチ 「井戸に関しては実体験として、我が家を建て替える時解体屋が、まだ使う井戸に瓦を何枚か投げ込んだ奴がいて、そいつはハシゴから落ちて足折りました」
「井戸埋めて車庫を建てたお向さんは離婚して一家離散して家が絶えて、競売かけられて新しい家が建った」
「井戸神様はガチだから困る。昔使わない井戸に面白半分で石落としてたら、直ぐにものもらい出来てしまい、親に話たらメッチャ怒られて、小豆を使って井戸神様に謝ったら直ぐに治ったんだよね」
「作法と違いますが、祖父は一晩中高い酒撒いてずっと(井戸に)語りかけてお礼言ってました。関連は分かりませんが、親族皆悪運強いです」
「母校の中学が建替工事の時、古井戸を埋めたら、死亡事故が起きたとか。改めてお祓いをしたそうです」
「増築した際に井戸を埋めてたらしいのだが、床に穴が空いて私は落ちた。なので井戸だけはきちんとしなきゃならない…あれは埋めたりしてどうにかなるもんじゃないようだ」
「この作業を怠った人を知ってます。先導していた人は亡くなって、二人ほど同じ時期に心疾患を発症して危うく…でした。井戸の扱いは慎重に…」
「そういえば叔父の商売が傾いたのって、井戸を塞いでからですよ…」
(まいどなニュース/Lmaga.jpニュース特約・はやかわ かな)
まいどなニュース
コメント1564件
カシューナッシ
水神様とか土地の神様は勝手に動かしたりしてはならない うちの実家の裏に古い祠があってその横に大きなご神木がありました 実家前の道路拡張でどうしても祠を動かしてその木を切らないといけないという話になって神主さんにお祓いをしてもらおうと言う事で来てもらった瞬間に 「無理です、これだけは触ってはいけない」と言われて帰りました。 次にお願いした神主さんも 「とてもじゃないですが神様をここから動かしてはならない」と言われました 結局は実家の前の道路だけ避けて少しいびつな形で道路が出来ました。
その両方の神主さんが「狐の力が強すぎる」と言ってました 確かに死んだ祖母が夜祠の前で真っ白な狐を見たと言ってました 私も祠の写真を撮ろうとカメラを向けたらどうやってもシャッターがきれないと言う事もありました。
迷信と言えばそれまでなんだろうけど言い伝えは大事だと思います
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art-rum · 11 months
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安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること
2012.10.01
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安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美 ライター
社会 #尊厳死#安楽死#尊厳死法制化#アシュリー事件#自殺幇助
尊厳死法制化をめぐる議論で、尊厳死を推進しようとする人たちの中から「既に安楽死や自殺幇助を合法化した国では、なんらおぞましいことは起こっていない」という発言が出ることがある。私はそうした発言に遭遇するたびに、そこでつまづき、フリーズしたまま、その先の議論についていくことができなくなってしまう。
「おぞましいこと」は本当に起こっていないか? それとも現実に何が起こっているかを、この人は知らないのか? しかし、これだけ尊厳死法制化に積極的に関わってきたこの人が、本当に知らないということがあるだろうか? それとも現実に起こっていることを十分に承知していながら、なおかつそれらをこの人は「おぞましい」とは思わない、ということなのだろうか? ……目の前の議論から脱落し、そこに立ち尽くしたまま、私の頭はこだわり続けてしまう。
2006年の夏から、インターネットを使って介護と医療に関連する英語ニュースをチェックするのが日課になっている。最初は単に仕事のための“ネタ探し作業”だったのだけれど、アシュリー事件と出会ったことから事件を追いかけるためのブログを立ちあげると、“ネタ探し作業”が一気に“本業”になってしまった。
アシュリー事件とは何か アシュリー事件とは、米国のシアトルこども病院で04年に重症重複障害のある当時6歳の女の子アシュリーから子宮と乳房が摘出され、ホルモン大量投与で身長の伸びが抑制されたもの。両親が「アシュリー療法」と名付けたこの医療介入の倫理問題をめぐって、07年に世界的な論争が巻き起こった。
私にはアシュリーと同じような障害像の娘がある。「介護をしやすく」「本人のQOLのために」「赤ちゃんと同じ重症児に尊厳は無用」などの議論に衝撃を受け、事件やその周辺の議論を追いかけてきた。事件については昨年『アシュリー事件 メディカル・コントロールと新優生思想の時代』(生活書院)として取りまとめたところだ。
この事件を追いかけた年月、私はアシュリー事件という小さな窓を通して、世界が自分の想像をはるかに超えるコワい場所であることを発見し続けてきた。いつのまに世界はこんなにコワい場所になっていたのだ……と、呆然とすることの連続だった。その思いは、ブログを始めて6年が経った今も強まるばかりだ。
「おぞましい」と感じるかどうかは個人の感性によって違うかもしれないけれど、そのコワい世界の現実の中から、「死の自己決定権」議論(安楽死または自殺幇助合法化議論)の周辺で起こっている出来事の一部を紹介したい。なお、それぞれの情報の元記事は拙ブログ(http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara)の当該エントリーにリンクされている。
世界同時多発的に加速する議論 私が英語ニュースのチェックを始めた2006年の段階で、安楽死または自殺幇助が合法化されていたのはオランダ、ベルギー、米国のオレゴン州だった。その他に、後述するように特異な状況にある国としてスイス。
その後、「死の自己決定権」を求める議論は野火のような勢いで世界中に広がり、09年に米国ワシントン州、ルクセンブルクが相次いで医師による自殺幇助を合法化した。米国モンタナ州でも09年の大みそかに、終末期の患者への医師による自殺幇助は違法ではないとする最高裁判決が出た。それまでに合法化した国や州とは異なり、新たな法の枠組みを作ることなく現状のままで違法ではないと判断するものだった。
その後も、最終的に否決されてはいるものの、いくつもの国や州で議会に合法化法案が提出されてきた。日々のニュースを拾い読みしていると、どこで何が起こっているのだったか混乱するほどに、世界同時多発的な動きが加速している。今年に入ってからも、6月にカナダのブリティッシュ・コロンビア州最高裁から、自殺幇助を禁じる刑法は憲法違反だとの判決が出たし、米国マサチューセッツ州では、11月に医師による自殺幇助合法化への賛否を問う住民投票が予定されている。
いずれの国または州でも、合法化を支持する論者は正当化論の基盤を「死の自己決定権」に置き、十分なセーフガードを設けることによって、なし崩しに対象が拡大されたり、高齢者や障害者など社会的弱者に不当なプレッシャーがかかることはない、と主張する。しかし、合法化した国や州から流れてくるニュースを読んでいると、その主張は様々な事実によって既に否定されているのではないか、とも思えてくる。
“宅配安楽死”が稼働するオランダ 例えば米国オレゴン州では、がん患者に対して「抗がん剤治療の公的保険給付は認められないが自殺幇助なら給付を認める」という趣旨の通知が届く、というのはよく知られた話だろう。オレゴン州とワシントン州の保健省は毎年尊厳死法を利用して自殺した人に関するデータを取りまとめて公表しているが、それらのデータから見えてくるのは、本来ならセーフガードで食い止められるはずの終末期ではない人や精神障害者に致死薬が処方されている、限られた医師が多数の処方箋を書いている、処方すれば後は放置で患者が飲む場に医療職が立ちあっていない、などの実態である。
うつ病で「死にたい」と言ってきた人に対して、治療する方向に対応するのではなく「ああ、そうですか。死の自己決定権を行使したいのですね」といって致死薬を処方している医師がいるのだとすれば、法的にも倫理的にも重大な問題であるはずなのだが、両州の保健省は問題視する姿勢を見せない。
一方、オランダには25歳以上の重症脳損傷患者を治療するための専門医療機関が存在しないという。そのため、今年2月にオーストリアで休暇中に事故で脳損傷を負った同国の王子は自国ではなく英国に運ばれ、現在も意識不明のままロンドンの病院で治療を受けている。安楽死が合法化された国に一定年齢以上の脳損傷を治療する医療機関が存在しない、というのは一体どういうことを意味するのだろう。
またオランダでは去年3月にナーシング・ホームで暮らしていた認知症が進行した高齢の女性に積極的安楽死が行われている他、今年3月からは「起動安楽死チーム」が稼働している。安楽死を希望しても応じてくれる医師が見つからないという患者のために、医師と看護師のチームが車で駆けつけて自宅で安楽死させてくれる。いわば“宅配安楽死”制度だ。これが保健省の認可を受けて、現在6台稼働している。オランダ国内ならどこへでも行くという。運営しているグループは、今後は台数を増やすと同時に、もう生きていたくないという高齢者なら、たとえ健康であっても安楽死を認める法改正を求めて運動していく、と言っている。
囚人の安楽死後臓器提供? もっと衝撃的なのはベルギーだ。05年から07年にかけて「安楽死後臓器提供」が4例行われたことが、09年の移植医療の専門誌で報告されている。安楽死を希望する人が同時に臓器提供も自己決定したとして、手術室またはその近くで安楽死を行い、心臓停止を待って臓器を摘出したという。摘出された臓器は、通常通りにヨーロッパ移植ネットワークによって選ばれたレシビエントに移植されたという。論文の著者らは学会発表した際に、既にプロトコルができていることを明かした。さらに安楽死者のうち約2割を占める神経筋肉障害の患者について、彼らの臓器は比較的「高品質」であり、これらの安楽死者はベルギーにおける臓器不足解消のために利用できる「臓器プール」だ、とも述べている。
安楽死が臓器提供と繋がっていく懸念について言えば、10年に英国の生命倫理学者のドミニク・ウィルキンソンとジュリアン・サヴレスキュとが「臓器提供安楽死」を提言している。予後の悪い重症者が生命維持治療の中止も臓器提供も自己決定するなら、提供意志を無駄にしないためにも生きている状態で臓器を摘出するという方法で安楽死してもらってはどうか、というものだ。ベルギーの「安楽死後臓器提供」をさらに一歩進めたものと言えるだろう。こちらはまだ現実には行われていないだろうけれど、ベルギーの現実を思えば「安楽死後臓器提供」から「臓器提供安楽死」までの距離は、実際のところ、どれほどあるものなのだろう。
また、つい最近、ベルギーでは長年収監されてきた囚人に安楽死が行われていた事実も明らかになった。安楽死法に規定された要件は満たしているので問題はないとされ、むしろ政治家が表に出したことで囚人のプライバシー侵害の方が問題視されているというのだが、果たして安楽死法が囚人に適用されることの倫理問題はどのように議論されたのだろう。
私がこのニュースを読んで思いだしたのは、米国オレゴン州の死刑囚から処刑後に全身の臓器を提供したいとの要望が出ている、という去年3月のニュースだった。この時、臓器提供を望む声を上げた死刑囚は、ニューヨーク・タイムズに寄稿した記事で「自分の死後に自分の体をどうしたいかを自分で決める権利を奪わないでほしい」と書いた。彼はその段階で既にオレゴン州の死刑囚35人の大半とコンタクトをとって約半数から臓器提供希望の意思を確認しており、さらに死刑囚にも臓器提供を呼びかける活動団体を立ち上げていた。
ベルギーで法律上問題なしとして囚人への安楽死が行われているとしたら、その囚人が同時に臓器提供を望む場合には「安楽死後臓器提供」も行われる可能性があるのではないだろうか。そして、それも囚人のプライバシーを理由に公にはされないのだとしたら、そこにはやはり慎重に議論すべき重大な倫理問題があるのではないか。
ディグニタスの“自殺ツーリズム” 病院やナーシング・ホームでも自殺幇助の希望があれば専門職はその希望を尊重すべきだと決めたところもある。スイスのヴォ―州だ。今年6月の住民投票で新法の制定が決まった。新法施行後には、病院と施設のスタッフには自殺幇助希望者の意思を尊重する義務が生じる。条件は、不治の病または怪我を負っていることと、自己決定できるだけの知的能力があることの2点。この条件がどれだけ幅広い病状や障害像の人を対象に含んでしまうかを考えると、暗澹とする。また、これでは劣悪なケアの施設や病院ほど死にたいと希望する患者・入所者が増えてベッドの回転率が上がることになり、医療やケアの質を担保・向上させるインセンティブは、もはや働かないのではないだろうか。
スイスはもともと、自殺に関する法律の解釈から、自殺を希望する人に毒物を飲ませて死なせてくれる民間団体が合法的に活動している特殊な国である。スイス在住者を対象にした自殺幇助機関のほかに外国人を受け入れるディグニタスという組織があり、世界中から希望者が訪れる「自殺ツーリズム」の場所となっている。08年には事故で全身マヒになった23歳の英国人青年が「2流の人間」として生きて行くのは嫌だと言って、両親がディグニタスに連れていって自殺させた。翌09年には健康な高齢男性が「妻を失っては生きていけない」といって、末期がんの妻と一緒に同じくディグニタスで自殺している。ディグニタスを運営する元弁護士のルドウィッグ・ミネリは、死にたいと希望する人には無条件に「死の自己決定権」が認められるべきだとの持論の持ち主である。
「くぐりぬける力」を信頼する 私はこの23歳の英国人青年のことを考えるたびに、「くぐりぬける力」ということを思う。障害に限らず、人は誰でも人生の途上で不運としか呼びようのないことと人生で出会ってしまう。それでも多くの人は、その不運によって突き落とされる絶望の中から、やがてくぐりぬけて、何とか生きようと思えるところに這い出してくるのではないか。もう死んでしまいそうな絶望的なところを、命からがらやっとの思いで「くぐりぬけ」た時、人はくぐりぬける必要が生じる前よりも深いところにある何かに触れるのではないか、それまで「これが自分だ」と思っていた自分よりも、一つ深いところにいた自分と出会えるのではないか、という気がする。
私には寝たきりで全介助の娘がある。全介助の寝たきりだということは、身体ぜんぶ、自分の命の丸ごとを他者にゆだねて生きている、ということだ。そういう娘と25年間生きてきて、そんなふうに身体を丸ごと相手にゆだね、ゆだねられて、介護し介護される関係性の中には、とても豊かな、豊饒と呼びたいようなものがあるということを感じてきた。それは、他者と言葉や論理を通じてやりとりをしたり通じ合うことが当たり前の日常を送っている私たちにとって、非常に遠いものとなってしまっている繋がり合いの形なのかもしれないけれど、言葉を超えて人が身体感覚や存在そのものの次元でコミュニケートし、伝えあい分かりあい繋がりあう、豊饒で満ち足りた関係性だ。
私たちはみんな無力で無防備な存在だった乳幼児期に、誰かとの間に存在を丸ごとゆだねゆだねられる関係性を経験してきた。そんなふうに人と通じあい、繋がり合う中で互いにかけがえのない存在となるという関係性を知ってきた。だからこそ、そんなふうに生きてきた私たちは誰でも人生の途上で様々な思わぬ理不尽に見舞われるけれど、そこを「くぐりぬける」力が本当はみんなに備わっているんじゃないだろうか。
事故で全身マヒになって「死にたい」と言っている人に向かって「そうだね。あなたの生は確かにもう生きるに値しないね」と言って毒物を飲ませて死なせてあげるのは、彼の中にあるはずの「くぐり抜ける」力を信頼しない、ということではないのか。必要なのは、くぐりぬけようとする前から諦めることに手を貸すのではなく、その人がくぐりぬけることを支える手を差し伸べること、誰にとっても、そういう社会であろうとすることではないのだろうか。
家族の中に潜む恐ろしい関係性 しかし、この青年の母国、英国は、スイスともその他の国々ともまた違う形で、独自の「死の自己決定権」の道を突き進んでいるように見える。その他の国や州で合法化されているのは、一定の条件を満たした人が所定の手続きを踏んだ場合の医師による自殺幇助または安楽死なのだが、英国では対象者も幇助の方法も限定しないまま、近親者による自殺幇助が事実上合法化されたに等しい状況になっている。
英国では08年に多発性硬化症の女性デビー・パーディが起こした訴訟をきっかけに、10年2月に公訴局長(DPP)のガイドラインが発表され、主として近親者の自殺幇助の起訴判断に一定のスタンダードが示された。自殺幇助は今なお違法行為であるとし、すべての事件を警察が捜査するとしながらも、起訴が公益に当たるかどうかを判断する基準となる22のファクターを列挙し、最終的にはDPPが判断する、と定めた。その結果、09年以降、証拠が確かだとして警察が送検した自殺幇助事件は44件あるが、すべて不起訴となっている(11年9月データ)。
その中には先の青年のように、家族がスイスへ連れて行くという形の幇助もあるが、長年介護してきた家族が、「こんな状態で生きるくらいなら死んだ方がマシだ、死にたいと本人が言ったから死ぬのを手伝った」と言い、愛情と思いやりでやったこととして無罪放免されているケースも多い。最近では、妻を介護している夫が妻の自殺を幇助して不起訴になる事件が増えているようにも思え、私は気になっている。
夫と妻、親と子どもは、いずれも力関係にはっきりと差のある関係性だからだ。自殺幇助を希望する人には女性が多いとも言われている。先ほど触れた、身体ごと命を丸ごとゆだね、ゆだねられる関係、介護され介護する関係性の豊かさの隣には、家庭という密室空間の中で支配し支配される恐ろしい関係性も潜んでいる。慈悲殺や自殺幇助の問題を考える時、家族の中に潜む、この恐ろしい関係性から目をそむけてはならない、と思う。
リン・ギルダーデール事件 DPPのガイドラインが出る1年前に判決が出た興味深い事件がある。08年12月に、慢性疲労症候群(ME)で17歳の時から寝たきりだったリン・ギルダーデールを、14年間つきっきりで介護してきた元看護士の母親ケイが殺害した。殺害方法は、砕いたモルヒネの錠剤を空気と一緒に血管に注入する、というもの。ケイは逮捕時にリンについて「死んでいるわけではないけど、まともに生きているとも言えない状態だった」と語り、本人が絶望して死にたいと望んだけど自力では死ねなかったので、やむなく殺害したのだと主張。自殺幇助の罪状のみを認めた。
しかし、慈悲殺と自殺幇助は違う。両者を分けるのは決定的な行為を本人が行うかどうかにある。そのためスイスのディグニタスですら、毒物を混ぜた飲み物のストローを口元にまでは持っていくが飲ませることはしない。飲ませてしまうと自殺幇助ではなく殺害行為になるからだ。ギルダーデール事件では、母親が決定的な行為を行っている。
が、当時の英国は、先に述べたデビー・パーディ訴訟の行方を巡って、合法化議論が一種の狂騒状態にまで加熱していた時期だった。英国世論はケイ・ギルダーデールの14年間もの介護という献身に感動し、涙し、娘を殺害した行為に拍手と賛辞を送った。逮捕・起訴した検察局には「母の愛を裁くな」と、非難の嵐が巻き起こった。そして09年1月、裁判官までが「こんなに献身的で愛情深い母親を起訴したのがそもそもの間違い」と検察を批判し、事実上の無罪放免としたのである。
英国で家族介護者による自殺幇助事件が不起訴になるたびに、家族介護は密室だ、ということを考える。英国のガイドラインは、相手への思いやりからすることで自分が直接的な利益を得るのでないなら、自殺幇助の証拠はあっても起訴することは公益に当たらないとして、これまですべて不起訴にしている。最近では、警察が早々と捜査を打ち切っているという情報もある。しかし、それで本当に殺人や慈悲殺と自殺幇助とを区別できるのか、という疑問が私にはずっとある。
ギルダーデール事件の際に一人のME患者の女性が新聞に投稿し、以下のように書いた。「障害のある人が死ぬのを身内が手伝っても刑罰を受けなかったこの事件は、我々の社会のダブル・スタンダードの、さらなる1例です。つまり、患者自身の苦痛よりも、病人のケアをしている人のほうに同情が集まる。もしも自殺希望の身障のない人に行われた犯罪だったとしたら、それは間違いなく殺人とされたはずです。自分で身を守るすべを持たない弱者をケアしている人たちに向かって、この事件は誤ったメッセージを送ります。『介護者が助けてほしいといっても、その願いは無視されますよ、でもね、もしも、どうにもできなくなって自殺を手伝うのだったら、同情をもって迎えてあげますよ』と」
私はギルダーデール事件には、アシュリー事件と全く同じ構図が隠れていると思う。どちらも、障害のない人に行われれば違法行為になることが、障害のある人だというだけで親の愛の名のもとに許容され、そればかりか賛美までされてしまった。その背景として、障害のある人を障害のない人よりも価値の低い存在とみなす価値意識が社会に共有され始めている、という現実があるようにも思う。
もう一つの共通点は、アシュリー事件の議論の中にもギルダーデール事件の議論の中にも、「社会にできることはなかったのか」と問うてみる視点、「社会で支える」という視点がまったく欠けていることだ。その意味で、この2つの象徴的な事件では、重症障害児・者本人たちと一緒に、実は介護者である親や家族も同時に、社会から見捨てられているのだと思う。「自己決定権」や「自己選択」という名のもとに、実は「自己責任」の中に個々の家族が冷酷に投げ捨てられ、そこに置き去りにされ、見捨てられようとしているのではないだろうか。
親が介護しやすいように障害児の体に無用な医療で手を加えたり、それを小児科医が提唱するような社会ではなく、どんなに重症障害のある子どもも一人の子供として尊重され、尊厳を認められて、ありのままの姿で成長し生きていくことを許される社会、人生途上で障害を負い絶望する人に「もう生きるに値しない人生だね」と共感して死なせてあげるのではなく、その人が生きる希望を取り戻すための支援を考える社会、家族介護者が介護しきれなくなったら殺してもOKにされていくような社会ではなく、支援を受けながら風通しの良い介護ができる社会へと、社会がどう変わるべきかが本当は問題なのではないだろうか。
介護者もまた支援を必要としている アシュリー事件を追いかけ始めてしばらくした頃に、仕事の関係で英国の介護者支援制度について知り、時々調べるようになった。英国には介護される人のニーズとは別に、介護者自身のニーズをアセスメントする責任を自治体に負わせた介護者法がある。日本ではまだ「介護者支援」という言葉そのものが馴染みが薄く、「支援」というと要介護状態の人への支援でイメージが止まってしまっているけれど、介護を担っている人も生身の人間なのだ。どんなに深い愛情があっても、どんなに壮絶な努力をしても、生身の人間にできること、耐えられることには限界がある。介護者もまた支援を必要としている。私は、アシュリー事件もギルダーデール事件も「介護者支援」という視点から改めて考えると、まったく違う様相で見えてくるものがあるのではないか、という気がしている。
日本でも2010年にケアラー連盟という市民団体が立ちあげられた。去年、日本ケアラー連盟として社団法人となり、介護者支援法の制定を求めて活動を始めている。私も加えていただき、昨年度、北海道の栗山町が日本で初めての介護者手帳を作った際に、ちょっとだけお手伝いをした。手帳の表紙には「大切な人を介護している、あなたも大切なひとりです」と書いた。
「アシュリー療法」やギルダーデール事件が許容されてしまう国々が向かっているのは、決して誰も幸せになることのない社会のように思えてならない。それは「自己責任」の中へと「障害者や高齢者や介護者が」棄て去られる社会ではなく、「障害者や高齢者や介護者から」棄て去られていく社会、ではないのか。その先にできていく人の世とは、一体どのような場所なのか。
尊厳死の法制化を拙速に決める前に、本当に「安楽死や自殺幇助を合法化した国ではおぞましいことは起こっていない」のかどうか、これらの国々で起こっている出来事についてきちんと知り、「起動安楽死チーム」や「安楽死後臓器提供」が既に現実となっている国々が一体どこへ向かおうとしているのか、しっかりと見極めるべきだろう。まだまだ知るべきこと、考えるべきことは沢山あるのではないだろうか。
必要なのは「英語で発想する」こと シノドス式シンプルイングリッシュ プロフィール 児玉真美ライター
1956年生まれ。京都大学文学部卒。カンザス大学教育学部でマスター・オブ・アーツ取得。2006年7月より月刊「介護保険情報」に「世界の介護と医療の情報を読む」を連載中。2007年5月よりブログ「Ashley事件から生命倫理を考える」を開設。著書に『私は私らしい障害児の親でいい』(ぶどう社・1998)、『アシュリー事件~メディカルコントロールと新・優生思想の時代』(生活書院・2011)、『新版 海のいる風景』(生活書院・2012)。「現代思想」2012年6月号「『ポスト・ヒポクラテス医療』が向かう先~カトリーナ“安楽死”事件・“死の自己決定権”・“無益な治療”論に“時代の力動”を探る」。
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art-rum · 11 months
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ある時期、親や友人と「疎遠」になることも必要――小泉孝太郎が考える人間関係で大切なこと
5/15(月) 9:57配信
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Yahoo!ニュース オリジナル Voice
「五月病」という言葉があるほど、5月は疲れを感じることが多い季節。中でも、新たな環境での人付き合いに悩んだり、増える一方の人間関係に疲れを感じる人も少なくないだろう。俳優の小泉孝太郎さんは、人付き合いを大切にしているという一方、「大きく踏み出すときには、親しい人と“疎遠”になることも必要」と語る。心地よい人間関係を保つために“自分はこれだけでいい”という感覚を大事にしているという小泉さんに、これまでどのように人と付き合ってきたのか、話を聞いた。(Yahoo!ニュース Voice)
「人と会うこと」が一番エネルギーを使う。ただ、補給もしてくれる 「人間関係にしても『もう十分だ』と気づくことが大事」と語る小泉孝太郎さん
――就職や進学を経て、この春に人間関係がガラッと変わった人も少なくありません。小泉さんは、これまでに人付き合いが大きく変わった経験はありますか?
小泉孝太郎: 社会に出てからは、人付き合いの考え方を変えなければやっていけなかったです。10代の頃は友人たちとの横のつながりだけでワイワイ盛り上がって、それだけで楽しかった。でも社会に出たら、今度はそこに上下関係という縦のラインがはっきりと出てくるわけですよね。年齢に関係なく敬語を使わなければいけない状況がありますし、年下の方が上司だという場合もあると思います。その中で、今までのように丸々24時間を友人との時間に割いていたら社会ではやっていけないと思いました。
だから、たとえつらくても関係を断ち切らなければいけないときはハッキリとありましたね。友人が嫌だから離れるわけではなくて、役者として頑張って自分の人生を確立するために、今まで通りみんなでワイワイ楽しく過ごしているわけにはいかない。そうやって親や友人と「疎遠」になるというのは、人生で大きな一歩を踏み出す時期には、とても大事なことだと思うんです。みんなも頑張ってね、僕も頑張らなきゃいけないからっていう。ただ、一度疎遠になったとしても、一生のお別れではなくて離れない人は離れません。不思議な縁で、僕にも中高時代からずっと付き合いのある友人がいます。
――SNSで「人間関係リセット症候群」という言葉が話題になりました。人間関係を変化させること、断ち切ってしまうことについて、小泉さんはどのように考えますか。
小泉孝太郎: 考え方も環境も、歳を追うごとに変わっていくものなので、「この人と疎遠になっちゃったな」「あの人いなくなっちゃったな」とネガティブに捉える必要はないと思うんです。人生の中で、人付き合いに変化があっても「20代はこの人たちと一緒に時間を過ごしたな」「30代は新しい出会いがあったな」と、そのときどきの自分を受け入れてあげるべきですよね。
10代には10代の、40代には40代の悩みがあるわけで、人間関係の悩みというのは、おそらくずっと続くのだと思います。僕自身、人と会うことが一番エネルギーを使います。ただ、エネルギーは使うんだけど、使ったエネルギーを一番補給してくれるのも、人なんですよね。へとへとに疲れ果てたときには仲良しのムロツヨシさんとお酒を飲んだりして癒されています(笑)。
若い頃は交換日記もしていた――小泉流“書き出す”ことのススメ ――小泉さんが人付き合いにおいて心がけていることを教えてください。
小泉孝太郎: 仕事でもプライベートでも、人とはフルオープンでぶつかるようにしています。自分をよく見せようと八方美人になってしまうと、嫌われたり否定されたりするのが怖くなり、斜に構えてしまって、良い結果にはつながらない。
逆に、カッコつけずに本当の自分をさらけ出せる人が1人いるだけでも、気持ちがぐっとラクになります。思い切って自分を出して、恐れずにぶつかってみることで、その人との関係をもう一歩先のステージへ進められるように思います。
――心を開くのが苦手な人に、おすすめの方法はありますか?
小泉孝太郎: 日常生活の些細なことから、「私はこれがいい」「私はこう思う」と素直に気持ちを出す練習をするといいかもしれません。僕自身は、やりたいことや1日を終えて感じたことをノートに書いてみると、自分の考えがハッキリしてきます。今、会いたい人を書き出してみるのもおすすめです。それで出てくる心から会いたい人って、きっと数人じゃないかな。それがわかると「人付き合いで無理してたんだな」と気づけるし、自分らしい人間関係を作っていけるきっかけにもなると思います。
僕も、これまで「自分はどうしたいんだろう?」「自分が求められていることってなんだろう?」と考えては書き出してきました。笑われるかもしれないけど、若い頃はよく交換日記もしていました(笑)。撮影現場で会った人にちょっとしたメッセージを書いてもらって、自分も書いてを繰り返したり、飲食店の店員さんに「なんでもいいので書いてください」とお願いしたりしたこともあります。でも、そうやって文字にすることで、自分はこう思っているんだな、と自分の素直な気持ちをハッキリさせることができました。
人間関係で悩んでいる人の多くが、「これが好き」っていう素直な感情を押し殺してしまっているように感じます。それは仕事や趣味についても、人についても同じじゃないかな。僕だったら、芸能界での仕事が好きだし、ムロさんが好きだし、地元の親友や後輩が好き。恥ずかしくても、親や友人、恋人に「あなたと過ごす時間が好きだ」と伝えられることが肝心じゃないかと思います。輝いている人っていうのは、素直なことが多くないですか。それを自分で押し殺してしまうのは、すごくもったいないですから。
――人付き合いに悩まず、自分らしく生きるには何が重要だと思いますか?
小泉孝太郎: 「足るを知る」という言葉がありますよね。これってすごく素敵な言葉だと思うんです。もっともっと、ではなくて、自分はこれだけでいい。クローゼットの洋服や冷蔵庫の食材と同じで、人間関係にしても、もう十分だと。そう気づくことって大事じゃないですか。
僕がSNSをやらないのも、もう十分だと自分でわかっているからです。もちろん、SNSは使える人にとっては素敵なツールだと思います。ただ僕にとっては、会いたい人や話したい人に連絡して「ちょっと話したいんだけど、いつ会える?」と言えれば、それで十分。SNSを使うと、あらゆる方向からコメントなどがくるわけじゃないですか。それに無理に応えようとしたら、自分が壊れてしまうと思います。だからストレスになるものは省いて、目の前の人間関係だけの人生にしようと。僕の場合は、枝葉のように伸びていくつながりは求めてなくて、“僕と君”という目の前の景色だけでいいんです。
----- 小泉孝太郎 1978年、神奈川県生まれ。父は元内閣総理大臣の小泉純一郎氏。2001年に芸能界入りし、2002年テレビドラマ「初体験」で俳優デビュー。以降、数々のドラマ、映画に出演するだけでなく、バラエティー番組、情報番組のMCとしても活躍。
文:市川茜 制作協力:BitStar
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art-rum · 11 months
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鈴木親が語る、ワールド・ファッションフォト・ヒストリー〈80~90年代〉
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2023.04.14
702 PicoN
今日のファッション写真は、雑誌からWebメディア、SNSで多種多様のスタイルを見ることができる。
そこには、過去から連綿と続く表現方法が絡み合い息づいているが、それが���のように生み出されてきたかを紐解き、読み解くことは掲載された写真を見るだけではなかなか難しい。
そこで今回は、現在に続くファッション写真の在り方とその変遷を伺うべく、写真家・鈴木親氏にお話を伺った。鈴木氏は、90年代後半から雑誌『PURPLE』を筆頭にエディトリアル、ファッションフォトの最前線で活躍している写真家である。
今回はファッションフォトの表現が大きな転換点を迎えた80〜90年代を中心にお話を伺う。各時代で素晴らしい表現を生み出してきた写真家たちの生き方や周辺環境で培われた方法論を見出すことを通じて、皆さんがファッションフォトについて考える一助となれば幸いである。
80年代のファッション写真と聞くと、『VOUGE』や『Harper’s BAZAAR』などのファッションメディアに掲載された写真が頭に浮かびますが、80年代におけるファッション写真の表現とはどのようなものだったのでしょうか。
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10代でしたので、80年代のものは誌面でしか見ていないですが、フィルムカメラの小型化やストロボやフィルムの性能が上がったことで、今のファッション写真の原型が出来た時期だと思います。80年代以前のものは絵画のような固まったポーズが多く、絵画の延長のようなファッション写真が多かったのですが、80年代はストロボや高感度フィルムにより動きのある撮影が簡単になり、絵画のような表現が減り写真独自の進化を遂げたのがこの時代だと思います。
コレクションで発表されるメインの服がオートクチュールから既製服であるプレタポルテに移行したことで、ファッションがより一般的なものになり始め、それにより写真の中でも撮影場所、モデルのポーズも優雅で絢爛豪華な貴族的なものから、現実世界に近いものに変わっていきました。ファッション写真というものは、字面の通り、ファッションを写すものなので、ファッションの流れに合わせて変容していきます。また、今はメンズのファッション写真というものが沢山見受けられますが、この時代はメンズのファッションメディアも少なかったので、ファッション写真のメインは女性が被写体のものでした。
著名な写真家で言うと、映画の一場面を切り取ったようなピーター・リンドバーグ、中判カメラでスナップショットのような撮り方のブルース・ウェバー、スタジオで新しいライティング表現にトライし続けたニック・ナイト、8×10のポラロイドフィルムでポラロイドの色味を極めたパオロ・ロヴェルシ、機材の発展と服の多様性により、多彩な表現が花開いた時代だと思います。
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80年代の様々なアート表現からファッションフォトに影響を与えたアーティストは誰だと考えますか?
ファッションを一番身近なアートとして捉えるのであれば、ジャンポール・ゴルチエやアライア等のフェティッシュな服を作るファッションデザイナーだと思います。大前提として、「ファッション」フォトなので一番影響を受けるべきところは服です。
ゴルチエやアライアの服は、ボディコンシャスであることで身体自体も服の表現の大部分を担うことになり、そこから90年代に続くスーパーモデルブームに入っていきます。写真もスーパーモデルに合うようなセクシーでゴージャスなファッション写真に。ヴィヴィッドな色味、広角の挑発的な画角。映画と同等のセットに望遠レンズで映画の一場面を切り取ったようなカットがありました。機材の発展により絵画表現の影響から写真独自の表現になっていた時期なのですが、映画産業が活性化したことで、絵画より映画の影響が見受けられるようになりました。
アートの影響というよりは、大衆文化に降りてきたものをいち早く貪欲に取り入れたものがファッションフォトであり、これは現代にも言えることではないでしょうか。
90年代に入ってからはどうでしょう。親さんも作品を発表されていた雑誌『Purple』も創刊され、『VOUGE』 や 『i-D』とはまた違った表現がでてきたように思います。特に大型カメラを使わない、フットワークの軽さを生かした表現が印象に残ります。この変化はどのような状況の中で起こってきたとお考えですか。
様々なことが絡んでいますが、日本のカメラメーカーや富士フィルムの製品が一番大きい要因だと思います。
色々な人が手に取れる性能の良い135サイズの安価なカメラが出回り、富士フィルムのDPE店が早く安い現像、プリントを実現したことで写真人口が増え、写真家を目指す人が増えたこと。大きい予算や特殊な撮影技術が必要ないセンス優先のスナップ写真でも勝負出来るようになったこと。また、印刷技術の向上により以前より安価に本が作れるようになったこと。これらにより、若くて才能のある人たちが既存のファッション誌と違う表現を発表出来るようになったことが一番の要因だと思います。
これと似たことが今は動画の世界に起きているように思います。ラップトップの性能が高くなったこと、adobeの編集ソフトや安価な動画カメラの登場により動画が簡単に作れるようになり、作品をSNSで簡単に発表出来るようになりました。撮影現場に動画も入ることが多くなり、実際に動画の仕事が増えています。
本当の意味で90年代から今に続くこの流れを作ったのはCorinne Day(コリーヌ・デイ)だと私は思っています。彼女は180cmのスーパーモデルが全盛期の時代に、172cmのケイト・モスを見出し、有名になった後もVOGUE等のメジャーなモード誌の仕事はせず、彼女の周りの世界をスナップし続け、45歳で亡くなるまで素晴らしい作品をフィルムに焼き付けたのです。
90年代で親さんが注目すべきだと思うアーティストにはどのような方がいますか?
コリーヌ・デイについては先に触れたので。 アーティストで写真表現をしたWolfgang Tillmans(ヴォルフガング・ティルマンス)が今の美術的な写真の解釈を作ったと言っても過言ではないと思います。
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スナップ的に見えてセッティングしたもの。カメラを使わず印画紙を感光させたり、平面の紙である印画紙を立体的に展示したり、写真というものを多角的に捉えた作家です。最近ではデジタルにシフトして、パソコンの画面をキャプチャーしたものや、出力のプリントでいち早く展示をしたり。展示方法もずば抜けています。
00年代以降の現代美術アプローチの写真家のほとんどは、彼の影響を受けていない作品は作れていないように思えます。
デジタル写真しか知らない世代の人が彼の影響を受けない作品を作れる可能性はあると思いますが、今は難しいでしょう。
コマーシャルの世界ではJuergen Teller(ヨーガン・テラー)ではないでしょうか。35mmフィルムで簡単なスナップのような質感、日中シンクロ、普通の場所でのロケ、技術的に誰でも出来そうなことをセンス良く撮るということに於いては、彼が一番だと思います。また最近はリモートでキャンペーンの撮影もしており、簡単にやっているようで本質は真似が出来ないというのが彼の凄さです。
ヘルムート・ニュートンや荒木経惟さん、ウイリアム・エグルストン、ヨゼフ・コウデルカ等の巨匠の良いところを尊敬して理解した上で彼の作品が成り立っているので、彼の作品の表層を真似ても彼にはなれないのは当たり前で、彼から写真への愛情を感じます。
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総じて、80~90年代はファッションフォトの表現方法に多様化が見られた年代だと感じます。これらの変化は後の00年代以降にどのような影響を与えたとお考えですか?
00年代以降はデジタル写真に移行していくのですが、80年代や90年代の焼き回しを安価に出来るデジタルで再現する流れがメインストリームになっています。
00年代以降の表現として、フォトショップなどで湾曲させたりといったデジタルらしい表現は世界各地で見られるのですが、写実という写真本来の表現とは離れてしまうのでアートの表現の一部になるか、背景への肖像権の問題解決に使われたり、良い意味での新しい表現には結びついていない気がします。
iPhoneのカメラ機能が、ポートレートモードでパンフォーカスの画像に被写体深度を付け加えるということはフィルムの写真に近づけようとしていることだと感じます。また00年代を代表するRyan McGinleyの感光した写真もデジタルエフェクトで入れているものもあり、結局は、人が考える現状での写真というものは、フィルム時代の写真をイメージしているのではないでしょうか。
90年代末には色々な人から、写真は終わったメディアだと揶揄されてきました。終わったと言われるということは、違う見方をすれば、ある種の完成を遂げたからとも言えます。フィルムや印画紙で物質化した表現を続ければ、絵画のようにしぶとく生き残る可能性は高く。便利なデジタル化のみになるとメディアとしては動画に取って変わられるでしょう。
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鈴木親
鈴木親は国内外の雑誌で作品を発表し、日本を代表するフォトグラファーの一人として、90年代よりエディトリアルやファッション・フォトの最前線で活躍。 世界中のクリエイターを魅了する東京という街、花、著名人、有名メゾンから若手のモデルまで。鈴木の写真はその対象が一瞬だけ見せる奥の部分を直感的に引き出し、シンプルに切り取っただけなのに胸に深く残るような美しさ、独特の世界を表現する。またデジタルの即時性とは対照的な、フィルムだからこそ可能になる凝縮された豊かさを追究し、写真というメディアの魅力を提示するとともに、その再解釈を促す。
1972年生まれ。1998年渡仏。 雑誌『Purple』にて写真家としてのキャリアをスタート。国内外の雑誌から、ISSEY MIYAKE、TOGA、CEBIT、GUCCIのコマーシャルなどを手掛ける。 主なグループ展をCOLETTE(1998年、パリ)、MOCA(2001年、ロサンゼルス)、HENRY ART GALLERY(2001年、ワシントン)で開催。主な個展をTREESARESOSPECIAL(2005年、東京)、G/P GALLERY(2009年、東京)で開催。 代表的な作品集に『shapes of blooming』(2005年、TREESARESOSPECIAL)、『Driving with Rinko Kikuchi』(2008年、THE INTERNATIONAL)、『CITE』(2009年、G/P GALLERY、TREESARESOSPECIAL)、『SAKURA!』(2014年、LITTLE MORE)。
この記事に出てきたクリエイター
Peter Lindbergh (1944.11.23 – 2019.9.3) https://peterlindbergh.obys.agency/
Bruce Weber (1946.3.29 – ) https://www.bruceweber.com/
Nick Knight (1958.11.24 – ) https://www.nickknight.com/
Paolo Roversi (1947.9.25 – ) https://www.instagram.com/roversi/
Corinne Day (1965/2/19 – 2010/8/27) https://www.corinneday.co.uk/
Wolfgang Tillmans (1968/8/16 – ) https://tillmans.co.uk/
Juergen Teller (1964/1/28 – ) https://www.instagram.com/juergenteller_/
Helmut Newton (1920/10/31 – 2004/1/23) https://helmut-newton-foundation.org/en/
Nobuyoshi Araki (1940/5/25 – ) http://www.arakinobuyoshi.com/
William Eggleston (1939/7/27 – ) https://egglestonartfoundation.org/
Josef Koudelka (1983/1/10 – ) https://www.josefkoudelka.org/
Ryan McGinley (1977/10/17 – ) https://ryanmcginley.com/
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art-rum · 11 months
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中野信子「この残酷な現実に、果たして性善説だけで対峙していけるか」人間の闇、脳の“暗部”に着目する理由
5/18(木) 20:58配信
112コメント112件
中野信子
脳科学者・中野信子さんが、話題の著書について語りました。 好ましかったりそうでなかったり、ときに不可解なこともある人間の思考や行動を、脳科学の視点で鮮やかに解き明かし、数々の著作に加え、メディアでも注目をあびる脳科学者の中野信子さん。
  【写真】インタビューに応じる中野信子 
 新刊「脳の闇」(新潮社)では、ポジティブ思考の落とし穴や、行き過ぎた正義と他者へのバッシングなど、誰もが陥る可能性のある心の闇と、それがもたらす現代社会の病理をつづり、発売から3ヵ月で10万部を超えるベストセラーに。 ポジティブ思考のメリットが盛んに語られて久しい中、あえて脳の暗部に目を向け続ける中野さんに、誰の中にも存在する“脳の闇”との付き合い方について聞きました。
<中野信子 インタビュー>
――中野さんの、脳や心理学をテーマにした著作は、実に50冊以上(共著含む)。一般の人にもわかりやすい形で、脳の働きにもとづく人間の心理や言動について伝えようと思ったのはなぜですか? もともと、アカデミズムの資産を一般に還元する仕事は誰かがやらなくてはならない、とは思っていました。ただ、その知見を一般に提供しようとするときにぶつかる壁があります。 アカデミシャンが、知的好奇心で「この現象は、面白い」と思って追っていることでも、一般の人にとっては、我々が思っているほどには面白くないということはしばしばあることです。 こうしたメディエーター的な仕事を始めた当初は、テレビマン相手の時が最も困難さを感じましたね。彼らは一般の人を楽しませようとする技術のプロです。けれども、科学番組や科学記事は、アカデミシャンからすればびっくりするほど理解されない。 大変しんどいことに、一般の人に届ける前に、制作者がそれを理解して、番組なり記事なりを形作る必要があるのですが、あまりにもこのリテラシーの壁が厚すぎて、そこで目詰まりを起こしてしまうのです。マニアックですねえ、と一刀両断されてしまうこともある。 場合によっては見向きもされない。見向きもされないということには、私が女性であることや、大学院博士課程がどういう教育課程であってPhD(博士号)の価値がどういうものかを多くの人が知らないという、高等教育への日本人の一般的な理解が意外なほど進んでいないという残念な事情など、複合的な要因があるのですが、ここはそれを語るところではないので、またどこかでお話する機会があればそこでしましょう。 とはいえこれは、広い目で見ればどの領域にもある現象ですよね。その分野の人には面白くても、大衆的な興味を惹起するには至らないというものはいくらでもある。 また一方で、多くのアカデミシャンたちは、一般の人に幅広く知見を提供することのインセンティブが大きくないため、それは自分たちの仕事の領域を超えてしまうと考えています。平たく言えば、手が回らないのです。 伝える努力ができるほどの時間と労力を持っていないアカデミシャンと、知的好奇心を失ってしまった現代社会の一般の人々との乖離(かいり)は、シンプルに悲しいことですし、危機的なことです。 25年前は、まだ日本には科学技術立国といってよいだけの、一般の人の科学への興味やそもそもの研究者の質など、資産があったといえます。けれど、今はそんな単語を口にしようものなら、実情を知っている方には鼻で笑われるのではないでしょうか。
ウソをウソと見抜ける人だけが入ることのできるのが科学の世界
――そうした中で、脳を知ることは自分を知ることだと感じて、知りたいと思う人は多いのではないでしょうか。 そうですね。また、はじめは科学への興味ではなくても、自分の脳のことを知りたい、という動機が奥深い知見を得るための足掛かりになっていくといいと思います。 ただ、脳科学にはちょっとしたトラップがあります。それは、すぐに役に立ちそうな知見がありそうな感じがする、という点なんです。 植物でいえばすぐに食べられそうな実や種、誰かに小ネタとして話せる(見せびらかすことのできる)花といった部分だけを摘んで集めたがる人は多いでしょう。これがトラップなんです。 もっと本質的な葉や、茎や、根の部分を理解しようとする人は、そのトラップに引っかからなかったごくわずかの人です。まあ、誰がどう科学を利用しようが私の知ったことではないといえばそれまでですが(笑)。 ただ、すくなくともアカデミシャンがメディアを毛嫌いするのはこういうところが原因です。 実や花の使いやすいところだけを切り取り、大量に集めたものを発信するようなサイトがあるでしょう。しかし、これはもう科学とはいえない。ライフハック(※)と銘打つならまだしもです。 (※)ライフハック…仕事や日常生活に役立つアイデアやテクニック 「論文を読みました」と言っても、科学教育をまともに受けていない人の読み方は、論文をあたかも経典のように読んでしまうことがほとんどでしょう。それはもはや宗教です。自然科学系の大学院では論文を読むにあたってそんな風には教えません。もし一言一句論文の通りでございますと読んでいる人がいたとしたらモグリですよ。 ひろゆきさんの言い方をお借りすれば、ウソをウソと見抜ける人だけが入ることのできるのが科学の世界、といってもいいかもしれません。 かつて行われた「ロボトミー」という手術について聞いたことがある人も多いと思いますけれど、これは、最も悲劇的な例の一つでしょう。 ――脳科学の歴史の中で、実際に起きた出来事ですね。 ロボトミーは、脳の一部を切除することで、外科的に人格を変化させることができる技術としてもてはやされ、その「治療」を世界で初めて成功させたポルトガルの医師は、1949年にノーベル生理学・医学賞を受賞したのです。 いわば、「人格の整形」ができると捉えられたわけで、当時は大変な喝采を浴びたようです。乱暴で攻撃的すぎるために手のつけようがないだとか、エキセントリック過ぎて本人にも周囲にも損害が大きく困っているだとか、そういった方に対して適用例がありました。 しかし、のちに、不可逆的(※)に人間の人格を破壊する手術だということが知られるようになり、この手術は禁忌の術式として廃されました。 (※)不可逆的…再び元の状態に戻れないこと 科学は万能ではない。一度は素晴らしいものだと人々が信じたものであっても、それが悲劇的な結果をもたらすことがあるのです。素晴らしい社会をもたらす技術革新の根底にはもちろん科学があるのですが、それを運用するのは人間です。 専門家も当然、職業倫理として努力はするわけですけれど、情報を受け取る側も、ただ経典のように頭から信じるのではなく、よく吟味して、自分なりにリテラシーや教養を高めてほしい。 ChatGPTなどで誰でももっともらしい言説を作ることができるようになった現在ではなおさら、このことを忘れないでいてほしいんです。
現実は得てして理論よりも不都合であることが多い
――中野さんは、これまでも「不倫」や「毒親」「キレるメカニズム」など、人間の闇の部分に着目してきました。脳の暗部に目を向け続けるのは、なぜですか? 明るい面だけを書くことの危険性を感じているからです。 性善説をベースに構築された社会で、最も危険にさらされてしまうのは、悲しいことかもしれませんが、性善説にもとづいて生きている人たちです。 たとえば、どんな人からの電話であっても信用しましょう、どんな相手であっても人間なのだからまずは信頼しましょう、という世界を想像してみてください。これはもう詐欺師の天国ですよ。性善説というのは、確かに美しいのですが、善き人がその美しさの陰で犠牲になってしまう構造であることを忘れるべきではありません。 そもそも、性善説等でいうところの「善悪」も、実はその基準は極めて恣意的であり、その時の社会的背景等の状況を鋭敏に反映して、コロコロと変わってしまいやすいのです。 善というのは生得的に基準が決まっている感覚ではありません。自分たちに都合がよければ「善」、自分たちに損害があるようなら「悪」と、変更しやすいようにわざわざできているのです。 よく言えば「柔軟に変えられるように設計されている」とも言えます。所属するコミュニティによっても変わりますし、もちろん時代や国によっても違ってきます。 ――そのことを大前提として物事にあたらないといけないのですね。 バルザックの『ゴリオ爺さん』という小説の中に、ラスティ二ャックという学生がでてくるのですが、いつの日か報われることを信じて、出世を目標に地道に勉学と労働に励むのか、手っ取り早く富裕層の仲間入りを果たすために非道徳的なことに手を染め、莫大な遺産を相続できる女と結婚するのか、という選択を迫られます。 どちらが善なのか、悪なのか…遠く時代を隔てて、小説として読むなら、この登場人物をやすやすと攻撃も断罪もできると思いますが、現実に自分がその立場になったら、どうでしょうか。 この二者択一は、あるベストセラーを書いた経済学者が「ラスティニャックのジレンマ」と名付けています。敢えてタイトルは出しませんが、本当によく売れた本でしたから、ちゃんと読んだ人はピンと来るはずです。 格差は広がり続ける一方である、とこの著者は主張しています。 持てる者はより多くを得、持たざる者は持っているものまで奪われる。聖書にすらそう記されています(マタイの福音書25節)。まさしくそういう世界の中に私たちは生きています。 この残酷な現実に、私たちは、果たして性善説だけで対峙していけるのでしょうか?さすがに無理があるかと思います。 もちろん、物事の理想的な在り方を信じて、それだけを見つめていたい人の気持ちを否定するつもりはなく、何事も自由です。 けれども私は、理想的な在り方だけを見て過ごすには向かないほど十分に年老いており、いかなる理論も現実より先行することはあり得ないという考え方の人間です。そして、現実は得てして理論よりも不都合であることが多いものです。
相手も自分と同じ傷つく存在であることを忘れ、エンタメとして人を攻撃
――今回の著書の中では、これまで以上に「正義中毒」への危惧が力説されています。正義におぼれて、人が人を攻撃するという現象はなぜ起きるのでしょうか? そうでしたか?他に何冊も書いていますよ。それに比べれば力説しているとはちょっと言えないと思いますが。 「善悪」と同様、「正邪」というのもまた、その基準は極めて恣意的であり、その時の社会的背景等の状況を鋭敏に反映して、コロコロと変わってしまうものです。例えば不倫事件ひとつとっても、「30年前の正義」と、「現在の正義」とでは、ずいぶん違うものでしょう。 これは、別に刊行した書籍で詳述していますからそちらを参照してください。ネットでしか文章を読まない人は本を買って読む習慣がないので、ご存じないかもしれませんが、日本語を読む力が下がってしまう。タイトルや煽り文句で容易に誤った正義感に火が付く状態になってしまいます。相手も自分と同じように傷つく存在であるということを忘れ、想像力はどこかへ消し飛んでしまい、エンタメとして簡単に人を攻撃します。 それがいったん始まってしまうと、どんなに「あなたは誤解している、それは私の言っていることとはまったく違う」と修正しようとしても、攻撃側は自分の誤った主張に従って人を断罪する快感を味わいたい中毒状態になっているので、その炎がすぐに消えることはないのです。攻撃する当人が消してしまいたくないと強く願っているからです。 すでにこれに関する書籍は二冊以上出していますし、胸糞悪い話ですから本当はこんな話はもうこれ以上語りたくないのですが。けっこう語っているつもりなのにまったく状況が解消されないので、もっと言わなければならないのかと嘆息しています。 日本語話者なのに、文章をきちんと読めない人、本を読まない人が、自分が正義中毒であることを客観視できないまま、いつもいつも誰か一人を見つけようと目をぎらつかせていて、標的が見つかればいち早くその人を攻撃し、快感を搾り取るように攻撃し続けて、それに溺れて日々を過ごしているんだろうなあ、と思っています。 ――「正義のためなら人を傷つけてもいい」という、偏った判断を防ぐにはどうすればいいのでしょうか? もう、本を読んでください(笑)。 取材/浜野雪江
フジテレビュー!!
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art-rum · 11 months
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日本の若者はなぜ「個性を殺し、結婚もしない」のか…大人が知らない「厳しすぎる現実」
5/28(日) 6:48配信
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写真提供: 現代ビジネス
 いま日本はどんな国なのか、私たちはどんな時代を生きているのか。  日本という国や日本人の謎や難題に迫る新書『日本の死角』が話題になっている。 【写真】驚愕…日本人こそが「日本のこと」を知らないという衝撃事実  意外と知らなかった論点・視点の数々とは――。
若者にとって否定的に感じる言葉とは
 「個性的と言われると、自分を否定された気がする」「周囲と違うってことでしょ? どう考えてもマイナスの言葉」「他の言葉は良い意味にも取れるけど、個性的だけは良い意味に取れない」「差別的に受け取られるかも」……。  どうやらいまの若者たちは「個性的」だと思われたくないらしい。  〈思いをストレートに口に出すと、周囲から自分だけが浮いてしまう。みんなと同じでなければ安心できず、たとえプラスの方向であったとしても自分だけが目立つことは避けたい。近年はそんな心性が広がっているように見受けられる。  (中略)  「個性的であること」は、組織からの解放を求めるには好都合だが、組織への包摂を求めるには不都合である。自分の安定した居場所が揺らぎかねないからである。  今日の若者たちは、かつてのように社会組織によって強制された鬱陶しい人間関係から解放されることを願うのではなく、その拘束力が緩んで流動性が増したがゆえに不安定化した人間関係へ安全に包摂されることを願っている〉(「いまの若者たちにとって「個性的」とは否定の言葉である」『日本の死角』より)  コミュニケーションや人間関係が固定的から流動的になるにつれて、若者は場面場面で付き合う相手を切り替えている。  これは上の世代からはなかなか見えてこない実態だろう。
若者が結婚しない理由
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 若者については、結婚しなくなっていることも興味深い現象だろう。  一体なぜなのか?   〈少子化対策を熱心に言挙げする人々は、しばしば仕事と子育ての両立難や、若年男性の経済的困窮をとりあげて、「若者は結婚したくても、できない」というリアリティを強調してきた。  しかし、それは事態の半面でしかない。  今回は別の角度から、若者が結婚しにくくなっている理由を考えたい。  それは格差婚、すなわち女性が自分よりも学歴や収入など社会的地位の低い男性と結婚する傾向が少ないままだから、ではなかろうか〉(「家族はコスパが悪すぎる? 結婚しない若者たち、結婚教の信者たち」『日本の死角』より)  『日本の死角』で紹介される調査では実際に日本の下降婚率が低いことも示される。  いまや出生数80万人割れ、2070年に総人口が8700万という推計も出たばかり。あらためて、山積する日本の論点を整理し、考える機会としたい。  つづく「夫が死んだら離婚する…じつは日本で『死後離婚』が増えていた『納得の理由』」では、毎年2000~4000件ほどある「死後離婚」という注目の現象の「知られざる実態」を掘り下げる。
現代新書編集部
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art-rum · 1 year
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BUoYフェスティバル プロローグ #2 飴屋法水×山川冬樹「キス」
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