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bless-blessyou · 3 years
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ほんの少し腕を伸ばして(Jan.9.2021)
気付けば新年が明け、もう10日近くが経とうとしています。
日々過ぎるのはあっという間。
常々思わされるけれど、やっぱりあっという間。
それでも、やはり毎日少しずつ変化はもたらされ、
大晦日の私と今日の私は、全然違う人であるように思います。
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状況も心情も、お肌の調子や体型だって違う。
『わたし』という人間はただ一人だけれど、どの瞬間も決して同じではないのです。
どんな自分も自分、でも日を追うごとに少しずつ違っている。
『わたし』に限らず全てのものに言えることで、だからこそ一瞬一瞬を大事に愛おしく思える。
諸行無常ですね。
今日このひとときにも、私を心地良くしてくれる全てのものたちに感謝です。
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年末にお散歩した公園が美しくて、
大好きな落ち葉の絨毯に、こころごとまるっと受け止めて貰えたような、そんな幸福感。
素敵に1年を締めくくることができました。
元々、2020年は脱力して過ごそうと決めていました。
環境を変え、自分らしく居られることを一番大切に。頑張らない。
ついつい好きで手足が動いてしまうような、そんなことだけを見つめて毎日を紡いでいこうと。
そんな風な決意をして、昨年のお正月を迎えたのを覚えています。
程無くして世界中が未曽有の事態に飲み込まれ、
逼迫した医療機関・行政で対応をしてくださるお一人お一人と、大切な人を失ってしまった方々に思いを馳せると、胸がギュウっと苦しいですが、
このような状況下により一層、私自身どう生きていこうか・どんな自分が好きか、
そんなことに真剣に向き合えたような気がします。
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2020年はハイヒールを脱ぎ捨てて、
無理なく行ける範囲を、フラットシューズで沢山歩いた年でした。
行動だけでなく、心情もそうです。
以前はどんな場面でも背伸びをして、苦しさも伴いながら、遠くの世界に手を伸ばし続けていました。
とても勉強になり成長もさせてもらえたけれど、
心底幸せだったかと己に問うと、必ずしもそうではありません。
2020年も色々とあったけれど、
それでも総合的に捉えたら御の字!
無理しないで過ごせた。そんな私を好きだと言ってくれる方々にも恵まれた。
こんなにも満ち足りた幸福は、生まれて初めて味わえたかもしれません。
脱皮できたのではないでしょうか。
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無理しない・頑張らないで、自分らしく生きることに抵抗感が無くなったから。
これは自分史上、最も大きな進歩です。
2021年は、少しステップアップしたいな。
できるんじゃないかな。
引き続き無理せずとも、飛躍できる。
具体的な根拠はなく、感覚でしかないけれど。
そんな自信・確信があります。
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昨年は、私自身を満たす一年だった。
だから今年はほんの少し腕を伸ばして、誰かのためになれるようなことをしていく。
世の中に価値を与えられるように。
出来る範囲の社会貢献を。
そんな年にしていきたいです。
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bless-blessyou · 3 years
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形を変えて何度でも(Dec.13.2020)
日曜日の夜。
薄暗がりの静かなお部屋で、柔らかなルームウェアを身につけて。
丁寧に深呼吸をしながら過ごすのが幸せ。
また明日から、新しい一週間が始まります。
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イチョウの絨毯、良いですね。
優しい黄色で街が彩られるの。
師走、人々のせかせかとした想いを、
まるごと全部包み込んでくれるような。
ホッと一息つかせてくれるような。
優しい優しい黄色が大好きです。
木々やお花、植物達は、いつだって私達を見守ってくれているような気がします。
少し離れたところから、ふんわりと人々の内面を捉えて。
『良い』とか『悪い』とか、そんなことは関係なく。
ただそっと、心の澱みを洗い流すような、
清らかなパワーを送ってくれている気がします。
こちらが常に想いを寄せなくとも、
何の見返りも求めず、私達に神聖な何かを与えてくれる。
ふとした時の拠り所になってくれる。
『ありがとう』って思います。
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そんな植物たちの偉大さと、
最近は、ピアノが私を救ってくれている。
22年ぶりに練習。
再び曲を弾こうだなんて、思いもよらなかった。
レッスンに通っていた当時は、あんなにもピアノが嫌で嫌で仕方がなかったから。
けれど今は楽しくて嬉しくて、何だかその魅力の虜なんです。
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弾いているのは、大切な人から預かっているとても素敵な電子ピアノ。
少しの間だけ私のそばに置いておくことになり、
運びがてら、お気に入りの『幸福の硬貨(映画「マチネの終わりに」より)』を弾いてくれて。
私も自分の指で、奏でてみたくなりました。
とは言えあれだけ嫌いで辞めたピアノなので、
内心はすぐに断念するのだろうなとも思っていました。
それが思いの外楽しくて嬉しくて、
この一週間、時間を忘れて練習ばかり。
弾きながら、
どうして子供の頃、ピアノを嫌いになってしまったのか。
その核心に触れる瞬間が訪れました。
何とも言えない感情が胸に押し寄せてきたけれど。
それでも、『いままた楽しく弾けるのだから、いいじゃない。幸せじゃない。』
と、響く音色が暖かい気持ちにさせてくれました。
生きていると、様々なことがきっかけとなり、継続を断念してしまうことがあります。
でも、そこまで積み上げたものはゼロにはならない。
必ず自分の中に眠ってくれていて、
ふと時が経ち別の環境で触れたときに、
形を変えて暮らしを豊かにしてくれる。
だから、辞めてしまっても、
嫌になって離れても、
それは必ずしも、悲しいことではないのでしょうね。
一度でも経験できたことは、形を変えて何度でも、また自分を助けてくれる。
そうして人の内面は、深く充実していくのかもしれない。
今夜もピアノ。
明日もきっとピアノ。
まだ右手の演奏だけだけれど。
明日からは左手も始めて、来週には仕上がりそう。
ピアノが寄り添ってくれる12月。
思い出深い素敵な日々になりそうで、嬉しいです。
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bless-blessyou · 4 years
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冬がくれるもの(Nov.23.2020)
大きなイベントは悉く自粛で、春も夏も秋も境目が曖昧だった今年。
けれど季節は確実に移り変わり、いつの間にか冬の気配をすぐそばに感じます。
朝のひんやりとした、透き通るような空気が心地良くてたまらない。
お気に入りの季節が、また今年も巡ってきてくれました。
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お部屋には、小さな小さなツリー。
それから深紅のポインセチア。
気付けばあと1か月後に迫ったクリスマスに向けて、飾ってみました。
クリスマスの装飾には、いくつになってもわくわくさせて貰えます。
残り少ない2020年を、優しい気持ちで一日一日過ごせるように。
今年は大変な年になってしまいましたが、
そんな中でも沢山の幸せと出会えたから、私にとって2020年は特別な一年だったと思います。
また今度のんびり、
蜂蜜入りのカフェラテでも淹れながら、今年の振り返りをしよう。
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冬はお肌の調子がとても良くなります。
汗の量が少ないからでしょうか?
それとも、
日焼け止めを使わなくなるからでしょうか。
はたまた冷たい食べ物・飲み物を選ばなくなるからかしら。
理由は良く分からないけれど、
きっと様々な要素が絶妙に絡み合って、私のお肌を綺麗にしてくれる。
それが冬でございます。
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朝晩のバスタイム後、スキンケアの時間が幸せ。
特別なことはない至ってシンプルな行程だけれど、
お気に入りの子達が、冬になるとぐんぐんお肌に入ってくれて、毎日の綺麗を応援してくれます。
外見が整うと、心にゆとりができる気がする。
どんなに辛いことがあっても、多忙でも、
髪や肌、メイク、身につけるファッション、
それらの細部が整っていると、ふと鏡に目を触れた瞬間、安心感が灯る。
そして頑張れる力が湧いてくるんです。
何かにつまづいたとしても、
心地よく整えた外見が、良い循環を連れてきてくれる気がします。
だからお肌が綺麗になる冬は、あらゆる面で調子が良い。
寒くても、樹々から葉っぱが落ちる季節でも、
私にとっては彩り溢れる毎日を過ごせるのが冬かなぁと思います。
クリスマスやカウントダウンのイベントがなくても、
初詣に行けなくても、
心地良く毎日綺麗にしていたら、
今年もきっと、素敵な年末年始になりますね。
冬がくれる贈り物を大切に、
そして自分自身も周りの人も大切に、
暖かくして過ごしていこう。
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bless-blessyou · 4 years
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余白を嗜む(Nov.8.2020)
読み終えて、ぼーっとしていたら珈琲を溢しワタワタ。
そんな日曜日の昼下がり。
白い本とお洋服でしたが、幸いにも珈琲色に染まることなくセーフでした。
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『よし!もっともっと精進だ!』
と言ったような感想を抱くのだとばかり思っていました。
きっと、最近の私には耳の痛い言葉が沢山綴られているのだろうと。
グサリと胸を突き刺されたような読後感に浸るのだろうと。
そんな風に心して読み始めたのが数日前。
ですが、なんとも拍子抜け。
寧ろこのままの姿勢で良いのね、と。
背中を押してもらえたような、
そんな安心感に包まれました。
難解な言葉・文章が連なっていたので、
もしかしたら実際には、耳の痛いところは無自覚に飛ばしていて、
自分の都合の良い部分だけにフォーカスしているのかもしれません。
それでも、
今までと変わらずフラットに、客観的に物事や人を捉えて、そして自分自身を大切にしていたら、
自ずと歪みのない愛が溢れてくる。
この解釈は誤りではないと思う。
全ての人・物事を同じ分だけ自分のそばに置き、かつ愛おしむことができたなら、それに越したことはないです。
けれど実際には無理がある。
無理は無理のまま、そのままでいいのでしょうね。
苦手なものとはある程度距離を置く。
そうすることで自分自身の平和は保たれますし、
何より、距離を置くことで負の感情を苦手な相手に向けなくて済みます。
それぞれの場所で心穏やかに過ごしましょうね、という気持ちを抱けたら、
これだって愛。
そばに居て素敵な笑顔と甘い言葉を掛け合うことだけが愛ではない。きっと��
だからいいのです。
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『愛するということ』を読み終えたら楽しもうと思い、一緒に本屋さんで買いました。
お気に入りの、ことば選び辞典シリーズ。
『感情ことば選び辞典』『和の感情ことば選び辞典』に続き、これは手元に3冊目。
幸せをくれる辞典達。
1ページ目からぱらぱらと読み進め、
『言い添える』
の表現が目にとまりました。
言葉を付け加える。言い足す。
いいなぁって思います。
きっと、そのままでも不足は無いんです。
けれど、相手を想い、おもてなしの気持ちを込めて、『言い添える』
そんな風に背景に優しさが詰まっているのを感じて、いいなぁって思います。
会話でも、空間でも、気持ちにも、常に余白を用意しておきたい。
最初からギチギチに詰め込んでしまうのではなく、
状況に応じて柔軟に優しさや遊び心を添えられるように。
余白を嗜み、彩りを添える。
そんな風にするのがお気に入りです。
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bless-blessyou · 4 years
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これもまた(Nov.3.2020)
『心地良い体調の悪さ』
なんとも矛盾に満ち満ちていますが。
一昨日くらいから、まさにそんな感じなんです。
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振り返ればここ2か月くらい、
プライベートで感じるストレスが日増しに大きくなっていて、とっても辛かった。
前回の日記以降、
言葉を紡げば途端に後ろ向きなもので溢れてしまうから、
一切書かないと決めました。
お気に入りの自分を取り戻すまでは、ですけどね。
身を守るために毎日毎日気を張って、
少しのことにビクついて、
攻撃的な気持ちが生まれ、いつの間にか人には優しくなれなくて。
今まで体験したことのないような日々。
自分のことも責めました。
だって目の前に現れる出来事は、全て自分が選んできた道の結果だから。
だから、いけないのは私。
優しく平和な気持ちで居られないのは、私自身が招いたものだから。
全部自分のせい。
被害者意識でいっぱいだった頭から、
ふとそんな風に考えが切り替わったのが10日くらい前。
すると途端にあれよあれよと手を差し伸べてくれる人々に恵まれ、
おかげさまでここ数日は一転、安心して過ごせるように���りました。
有難い気持ちと、��く優しさへの喜び、感謝。
心に広がる幸せでポジティブな感情。
それらが与えてくれる安心感からか、
ホッとして日曜日から体調を崩してしまっています。
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『心地良い体調の悪さ』
一見、
?????とハテナが浮かぶこの表現。
ですが今はまさにこれがぴったり。
緊張が解けたからこそ身体がぐらついている。
そういうことなんだ���うなぁと思います。
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ここ最近はすっかり警戒心のかたまりと化して、
無条件では人に笑顔を向けられなくなってしまった。
そんな己を溶かすべく、
こちらを読み始めました。
エーリッヒ・フロムの『愛するということ』
恐れることなく、周りの人々を愛したいです。
いつでも優しくありたい。
意識せずとも自然に。溢れるように。
そんな気持ちになれたから、
この2か月程の苦悩も意味あるものだったと思います。
これもまた、起こるべくして差し出されたギフトかな。
『愛するということ』を読み終える頃には頭痛と倦怠感も治まり、
一皮剥けられていると良いです。
今夜もバファリン。
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bless-blessyou · 4 years
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掌中の珠(Oct.12.2020)
あっという間に過ぎ去ってしまいそうだと思っていた10月は、
やはりどんどんと日々通り過ぎていて、
早12日目も終わろうとしています。
それでも不思議と寂しさを感じることはなく、
寧ろ、もっと加速しながら早く私をどこか遠くへ連れて行って欲しい。
そんな風に、ややも拗けたような心持ちになってしまうくらい、
最近は調子が悪かったです。
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自分自身のキャパの狭さに、悩んでいた時期がありました。
刺激を求めながらも、
人に会えば、
新しい情報を得れば、
途端に疲れてしまう。
諦めてしまえば退化する一方だから、疲れても頑張るけれど。
楽しいし、充実するし、
人に会うのも新しいことを知るのも、どんなインプットも心の底から求めて止まなかった。
けれどどうしても心底疲れ切ってしまう。
何て自分は許容できる幅が狭いのだろうと、
疲れを感じる度に、自己嫌悪からしんどい気持ちになることも多かったです。
でもある日、
私は、一つの事象から感じ取る情報量が、平均的なそれよりも多い性質なのだと知りました。
昨年の春頃かな?
一年半程前ですね。
この出会いにより、これまでキャパが狭いと悩んでいたのは実はそうとも限らず、
『浅く広く』とせずに、
『狭く深く』掘り下げていたに過ぎないのだと気付かされることになったのでした。
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音や色、香りに敏感で、人の感情や空気感の機微にもよく気付く。
直感の精度は、年々研ぎ澄まされていく。
私の持つこの性質は、生きていく上で有利だなと感じる場面が多々ありますし、
実際に相当助けられています。
ですが、
脆さとの背中合わせでもあって。
自分自身の価値観、特に『美意識』の部分にそぐわない環境下に置かれると、
不快なものすらもより沢山の情報を汲み取ってしまい、
途端に萎れてしまうのです。
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最近は、見たくないもの、耳にしたくないもの、
それらとの距離が近かった。
どうしても避けることが難しく、
いつの間にか擦り減っていたようです。
消耗すると、攻撃的な気持ちになる。
命を守る危険信号なのかもしれないけれど、
そんな自分にひたすら居心地の悪さを感じ、とても苦しかったです。
疲れたときには涙を流せばすっきりするのに、
泣いても泣いても、ただ瞼が赤く腫れるだけ。
自分の力では、根本からの解決を図れない。
どうしようもない。
限界まで達してしまった絶望感に、
ただ心の中で、無音の悲鳴を上げることしか出来ませんでした。
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なんて。
久しぶりに結構滅入ってしまったけれど、
それでもこうやって、日記を書けるくらいになったのだから、もう気持ちも割と上向きなのだと思います。
自分の力でどうしようもないときには、
もうすっかりと諦めて、取り込む情報を最小限にすればいい。
コントロールできないものは見なくても済むように、
自分自身の在り方を変えればいい。
変わってくれることを期待するから辛くなる。
変えられるのは自分だけ。
本当に変えたくない掌中の珠があるのなら、
他の要素を柔軟にして、自分自身で守らなきゃ。
まだ暫くは、気持ちの浮き沈みがあるでしょう。
けれど先週よりは元気になれています。
これでまた一つ、人生の波を乗りこなす術を身に付けられたかもしれない。
つい取り込み過ぎてしまう情報を、シャットアウトするコツを掴んでいかなくちゃね。
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bless-blessyou · 4 years
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記憶のタンス(Oct. 6.2020)
先日の十五夜は、丸いお菓子を食べながらゆったりとした時間を過ごすことができました。
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実は、お団子はどのお店でも売り切れで。
途方に暮れながら、微かな望みをかけて立ち寄ったコンビニで一口サイズの大福を見つけ、
自分でも驚くほどの喜びに包まれながらレジに向かった10月1日の夕刻。
風情ある夜を過ごさせてもらえて、有り難かったです。
(大きめの黄色のは、バナナ味のお菓子)
コンビニ様様。
来年は白玉で作るか、事前に予約が必要ですね。
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ススキやお菓子を買ってお月見なんて、何年ぶりだったのかな。
小学生以来かもしれません。
今年だって、春頃から始まった切り花を生ける習慣がなければ、
中秋の名月を楽しもうだなんて、きっと思いも寄らなかった。
お花屋さんに立ち寄ったおかげで、子供の頃の大切な出来事もフラッシュバックしてくれました。
幼稚園の頃でしょうか。
ススキの存在を知った私は、『たくさんたくさん生えているところに行ってみたい!』と、園から帰宅するなり祖父母に訴えたんです。
山梨の田舎でしたが、祖父母もそのような場所に心当たりがなかったらしく。
それでも孫の望みだからと、すぐに色々な知り合いに電話で聞いてくれました。
今だったらググればすぐに当たりはつきそうですが、もう30年近く前のこと。調べる術はひたすらアナログ。
何軒くらい電話をかけてくれたのでしょう。
ご近所にも声をかけてくれていた気がします。
後日でもいいのに、その日、太陽が沈む前に探し出してくれて、慌てて祖父が車で連れて行ってくれました。
少し風が強くて、おじいちゃんのジャンパーを着せてもらいながら、夕陽にキラキラ光るススキを見た。
どうしてこんなに大切な出来事をこれまで忘れていたんだろうと、
胸をギューっとさせながらお月見をしました。
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少し前、8月にも同じように祖父母との大切な思い出がフラッシュバックしたんですよね。
最近は割と多いです。
何てことのない日常の中に、記憶のタンスを開けてくれる要素が散りばめられているみたい。
これまでいかに、特別なことをしようしようと躍起になっていた日々だったのかよく分かる。
まだもう少し、手元足元に寄り添ってくれる暖かさを大切に生きよう。
頑張るのはまだ先でも大丈夫。
忘れてしまった思い出を手繰り寄せる、そんな時間を大事にしよう。
優雅に輝く満月を見つめながら、噛み締めるように思ったのでした。
10月も猛スピードで過ぎ去っていきそうです。
毎日を丁寧に大切にしていかなくちゃいけないなぁ。
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bless-blessyou · 4 years
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まちがいさがし(Sept.30.2020)
優しい色の間接照明に包まれた部屋の中。
窓を開け、少し乾き始めた空気を感じながら目を閉じると、
聞こえてくるのは、上品に奏でる蟋蟀の声。
少し日記を書かずにいる間に、
季節はすっかり秋へと移り変わっていました。
いま時期はお洒落ですね。
芸術の秋、読書の秋、食欲の秋、
などなど色々な名前が付けられていますが。
何と言っても、圧倒的に品がある。
どの季節よりも格式高い雰囲気を感じるのが、9月下旬〜11月頃だなぁと思います。
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賑やかな夏の終わりとともに、
空気も音も香りも、どれも重厚感を纏い始めます。
もうじき、金木犀のふんわりとした甘さが鼻をかすめ、
同時に切なさを連れてくるのでしょう。
ただただ楽しいだけでなく、
言葉にし難い物哀しさや、空虚感、
それでいて深い慈しみ、自然と湧き上がってくる愛おしさ、
色んな感情が変わるがわる顔を覗かせるのもこの季節。
秋の空は変わりやすい、と言われますもんね。
気付かぬうちに私達ヒトも、空模様の変化とともに、
気持ちをころころ転がされているのかもしれませんね。
空と言えば、今年の十五夜は10月1日。
明日です。
中秋の名月を、お団子と共に楽しみたいですね。
(ススキの準備は完了)
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今日、移動の電車の中で、
米津玄師さんセルフカバーver.の『まちがいさがし』を聴いていて。
ふと目頭が熱くなってしまいました。
『正しくありたい あれない寂しさが
 何を育んだでしょう』
『間違いか正解かだなんてどうでもよかった
 瞬く間に落っこちた 淡い靄の中で
 君じゃなきゃいけないと ただ強く思うだけ』
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ころころころ、と品よく慎ましやかに奏でる蟋蟀。
彼らの美しい鳴き声を聴きながら、
今年の秋は存分に、自分自身のお気に入りの面にフォーカスし、力を注いでいこうと。
『まちがいさがし』の詞とリンクさせながら思う。
そんな穏やかで優しい気持ちに満たされた、
9月最後の夜でした。
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bless-blessyou · 4 years
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しあわせ収集(Sept.14.2020)
何だかすっかり秋の空気を感じてしまう一日でしたね。
日中はずっと屋内にいたので、外の様子は分からないけれど。
朝晩は寒いなぁって、露わにした両腕をスリスリさすってしまう程でした。
タンブラーに注ぐ珈琲は自然とホットを選び、
今朝クローゼットを開けて手に取ったのは、少し厚めの5分袖サマーニット。
木々の多い場所に出向くとまだギリギリ、ミンミンゼミの声がしますけどね。
あと一週間もしたら、
耳に流れ込んでくる音も、鼻をかすめる香りも、
夏のそれとは様変わりをしているのでしょうね。
夏はどうしても特別感を伴う季節だから、
去り際は毎年のように寂しさを感じてしまうけれど。
元来寒い方が私は得意なので、
『そうそう、この空気!』
と久々にホームグラウンドに立ったような、安心した気持ちにもなれた一日でした。
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幸せの総量は皆同じで、
ただ訪れるタイミングが違うだけ。
いつだったのか、誰からだったのかは覚えていませんが、そんな話を聞いたことがあります。
大きく大きく、鳥になった気持ちで俯瞰して見れば、
これまでの軌跡は、沢山の嬉しい出来事に溢れているものですよね。
一日の中でもこのことを意識してみると、
日々幸福感に満たされるんじゃないのかなぁと思い、
今朝から実践しています。
今日のところは大成功。
それも、『終わり良ければ全て良し』状態で、
後半に穏やかさが待っていてくれました。
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どうしてもネガティブな出来事は、記憶に残ってしまいがち。
悲しみや苦しみは、意図せず外からやってくることが殆どですからね。
けれど、一旦深呼吸して冷静さを取り戻し、嫌なことと嬉しいことを仕分けしてみる。
そうすると往々にして、圧倒的に幸せのほうが数が多いことに気付きます。
毎日毎日この作業を一日の終わりに繰り返していたら、きっとハッピーで溢れ出すんじゃないのかな。
満ち足りた、感謝の気持ちでいっぱいになって、
優しい心で眠りに着けるような気がする。
嫌なことは嫌で、我慢する必要はないけれど。
その分、しあわせ収集をする。
この秋はそんな風に毎日を繰り返す実験をしてみようと思います。
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bless-blessyou · 4 years
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変化と信頼(Sept.3.2020)
変わり続けることこそが最大の安定
これは私が生きる上で、最も根底に持つ考え。
振り返るとここ最近は毎年毎年、何だかんだで別人のような生活を送っています。
『さすがにこの状況は居心地が良いから、日々に根付くでしょう』と思っても、
数ヶ月後には形が変わっていたり、
またはすっかり習慣から除外されていたりします。
よく言えばフットワークが軽く、
悪く言えば移り気。飽き性。
ですがそんな私でも、
ずーっと変わらずに大事にしていることが3つあるんです。
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それは、
素直であること
謙虚であること
誠実であること
常に意識し続けているわけではありません。
でも、
大事な選択を迫られたときや、トラブルが起こったとき、
そんな心に動揺が走るタイミングで、真っ先にフッとよぎるのがこの3つです。
『変化し続けること』
と同じくらい人生において重要視しているのが、
『信頼を築くこと』
だからかな。
人との信頼関係が揺らぐ瞬間、
そんな時ほど、素直で謙虚で誠実であることが要になってくる。
具体的に誰かに教わったわけではありませんが、
きっとこれまで得られた経験から、教えて貰ってきたのでしょうね。
何年経っても、幾つになっても、
この3つだけは変わってはいけない部分だと思います。
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素直と言っても、わがままとは違う。
謙虚と言っても、過度な謙遜はいけない。
誠実であるのは他者にも自分にも。
信頼される人は、このバランス感覚が上手だと思います。
他者を立てつつ、でも自尊心も忘れない。
失敗を素直に誠実に認め、
どんな物事も正しく受け止める。
一貫したその態度が、周りに安心感を与えてくれるんですよね。
『あの人なら大丈夫』って。
変化し続けたい(移り気、飽き性)
私はそんな欲求に突き動かされてしまうからこそ、
信頼を大事にすることで、社会人としてバランスを取ろうとしているのかもしれないです。
今年の自分は居心地が良い。
でもきっと、来年はまた違ったことをしているんだろうな。
継続されるものもあるかもしれないけれど。
変化と信頼、これからも共に大事にしていきたいですね。
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bless-blessyou · 4 years
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身軽さを常に(Sept.1.2020)
よく眠れた日は、やっぱり調子が良いですね。
思考が変に複雑化しないというか。
最短ルートで考えられて、シンプルで、健康的です。
寝不足の日ほど無自覚に回り道をして、内面がぐちゃぐちゃしてしまうのは私だけじゃないはず。
十分睡眠が取れなかった日は間食も多い気がします。
物欲も妙に高まってしまうし、
寝れないことで、余計な荷物を沢山背負ってしまう。
そしてそれが己に負荷をかけて、ますます息苦しくなっていく。
なんとまぁ、悪循環ですこと。
今夜も上質な睡眠を取りたいところです。
明日もご機嫌でいられるように。
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先日、10年前の自分が写っている写真を見ました。
20代前半、若さ溢れる頃です。
どうしてそんな気恥ずかしいものを見ることになったのか。きっかけは忘れてしまったけれど。
改めて見返した率直な感想は…
メイクがキツイ。
濃い。
くどい。笑
当時の自分が今の私の顔を見たら、きっと驚くんじゃないかな。
と同時に、安心してくれるだろうとも思います。
あの頃は流行もあってか、
ぐるりと囲み目メイクを毎日していました。
リップは薄めだったけれど、
アイラインをしっかり引いてシャドウも濃いめ、
マスカラばちばち。
髪も明るめのブラウン。
当時は全然思わなかったけれど、今の感覚からしたら完全なるギャル顔ですね。
気に入ってその顔で日々過ごしていましたが、
同じ濃度のメイクを何年も続けてはいないだろうとも、薄っすら感じていたような。
そんな記憶があります。
内面と同時に外見もいずれ落ち着き、
引き算を楽しめる時期が来るんだろう。
削ぎ落としていくフェーズを迎えるためには、今は足し算掛け算をひっきりなしに繰り返していかないといけないんだろう。
そんな風に考えていたことを思い出しました。
だから、
当時の自分が今の私を見たら、安心してくれると思うんです。
知識と経験を出来得るだけ詰め込む時期は過ぎて、
身軽さを楽しめる大人になれたね、
顔に表れているね、
って。
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ふとした瞬間、最近は足し算が少な過ぎるんじゃないかと不安に襲われます。
昨日も、寝不足の頭でぐるぐるそんなことを考えてしまいました。
けれど、今は引き算と割り算を実践していく時期。
増えていくばかりが良いわけじゃないです。
減らしたり分けたりするから、隙間が空いてまた新しいものを取り入れ生み出せる。
増えるも減るも、どちらも変化ですもんね。
マイナスを掛け続けてしまわないように、とだけ気をつけていれば大丈夫。
また不安になったら、この考えに立ち返ろうと思います。
背負うからこそ湧き上がるパワーもあるけれど、
身軽さこそ創造を加速させてくれますよね。
不安になるのは、変化進化している証拠。
だから大丈夫。
10年後はどんな顔をしているんだろう。
穏やかで深みのある表情でいられますように。
今よりもっともっと。
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bless-blessyou · 4 years
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百姓を楽しむ(Aug.22.2020)
静かな土曜日の午後、
珈琲片手に読書をしました。
要したのは2時間半ちょっと。
スラスラスラっと一���読み。
ふわふわとした真綿に包まれるような読後感に、
表情を柔らかくして貰えている今現在です。
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落合陽一さんの、『日本再興戦略』
レビューするには私自身、あまりにも知識経験が浅いため避けますが、
稚拙ながら感想を述べると、
『優しさ溢れるお人柄に触れ、何とも言えず幸せです』
我が国におけるイノベーションやパラダイムシフトに関する読み物は、
『こうだから日本はダメだダメだ』と語られがちなように思います。
けれどこの本の中で落合さんは、
元来の日本らしさに宿る優れた部分にフォーカスし、
人口減少の利点をクローズアップし、
終始ポジティブに綴られていて。
安心して読み進めることができました。
平易な言葉で語ってくれるのも優しい。
この本全体から滲み出る、徹底して読み手に寄り添ってくれる感。
ここに書かれていることは、彼が本気で人々に伝えたいことなのでしょうね。
並々ならぬ気概を感じました。
とかく専門分野ごとに分断されがちなトピックに、横串をさした一冊。
2年前に出されたものですが、彼の描く戦略は、コロナ禍においてスピード感を増して前進しているように思えます。
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最後の章に綴られている、
『自分がそれをしたいのか』、それとも、『自分がそれをできるのか』『するべきなのか』の区別は絶対につけたほうがいい
この言葉には、救われる思い。
好きを仕事にしようとか、自分らしくしたいことをして生きようとか、数年前からよく言われるようになりましたよね。
『するべき』を最優先にして生きてきた私には、少々辛い風潮ではありました。
先日のブログにも書いたように、
最近は『心地良さ(自分のしたいこと)』を積極的に日常に組み込んで過ごしていますが、
『するべき』を大切にしていた以前の自分のことも愛しながら生きていきたい。
そんな私にとって落合さんのこの言葉は、ふんわりと優しい真綿そのものです。
区別して、どちらも持っていていいんですよね。
今日の午後の読書タイムは、
表現するならば、『充実した夏休み総集編』
今このタイミングでこの本が手元にやって来てくれたことに、大きな意味を感じています。
私も楽しんで『百姓』で在ろう。
フットワーク軽く。
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bless-blessyou · 4 years
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優しい時間(Aug.19.2020)
五感を満たすと、心にぽわっと優しさが灯るような、
何とも言えない幸福感が宿ってくれます。
レモンの炭酸水を丁寧にグラスで飲みながら、
柔らかい間接照明の中でお花を愛でる。
するりと心地良いテクスチャーのブランケットに包まって、
ほんの少し官能的なムスクのフレグランスと、
お気に入りの音楽で気持ちを脱力させる。
そんな風に夜を過ごすと、
時折心に浮かぶ、『もやっとしたアク』が
綺麗に何処かへ飛んでいってくれます。
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頑張りたいという気持ち、
そして、実際に頑張れることは、
とても尊く美しい営みですね。
人としての深みも、優しさの奥行きも、他者への想像力も、
あらゆる幅を広げてくれるから。
これからも大切にしたいです。
でも、もうプライオリティの先頭じゃなくてもいいかな。
2番目か3番目くらいでもいいかもしれない。
このくらいのゆったりした気持ちで、『頑張る』とお付き合いをしていく。
最近ようやく、そのバランス感覚を掴めてきたような気がします。
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何者かにならなければいけないし、
何らかの価値を世の中に提供しなくてはいけない。
そのためには、『心地良さ』は後回し。
苦慮から得られる達成感を貪って、
自分への優しさは時々与えるだけ。
難しい本は好きだけれど、
知識が偏らないように、惹かれるものはほんのちょっとだけにして調整。
そんな風な生き方を敢えて選んで、気付くと眉間にシワを寄せていた。
とても窮屈だった1年程前までの自分を、時々心の中で抱きしめてあげることにしました。
『あなたのおかげで、心豊かに生きられる今があります。ありがとう』
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デルフィニウムの愛らしさが嬉しい。
キールズのスキンケアが心地良くて好き。
葡萄やグレープフルーツが美味しくて満足。
あの作家さんのあの言い回しに心惹かれる。
そうして優しい気持ちで満たされるから、
心からの笑顔になれて、
そばにいてくれる人に柔らかさを伝えられる。
自分自身の『心地良さ』を大切に丁寧に扱うことで、
嘘のない愛が自家発電されて、
穏やかで平和な雰囲気が、波紋のように周囲の人々にもたらされていく。
無理して何者かになろうとしなくても、
そのままの自分で幸福感を抱きながら生きていたら、
きっと自然に、何らかの価値を世に与えられるんじゃないのかな。
足るを知る、ってきっとこういうことですね。
頑張らない、を徹底しなくてもいい。
ただ、優しくなれる時間を沢山持つようにしよう。
ゆったり五感を満たしながら改めてこの決意に立ち返り、
今夜も穏やかな眠りにつけそうです。
明日もみんなで、笑顔いっぱいに過ごせますように。
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bless-blessyou · 4 years
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遠い夏の記憶(Aug.8.2020)
日々、
次々と溢れ出す思いを重ね、
言葉を紡ぎ、
手足を動かして。
そんな風にして小さな一つ一つを積み上げながら、
振り返れば膨大な時間を過ごしてきました。
中にはすっかり忘れてしまっている出来事もあります。
全部を憶えていられたら、
それはとても素敵なことだけれど、
やっぱり疲れてしまうんだろうな。
全身がいっぱいいっぱい、ハチ切れそうになるのでは。
人間の脳は優秀ですね。
『忘れる』という装置を備えてくれていることに、随分と助けられているように思います。
それでも、
すっかりさっぱり『忘れてしまう』のではなく、
単に『思い出さない』という仕組みなんだなぁと。
そんな風に改めて感じる出来事に、時折遭遇します。
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先日、自宅でお仕事をしていた時に、
ふいにどうしようもなく懐かしさが込み上げてきたんです。
『あ、記憶のロックが解除されたね』
いつもそんな風に、心の中で独り言をいう。
(先日は一人自宅だったので、しっかり声に出ていましたが)
突然、中学時代の夏休みの記憶が胸の中にじんわりと広がり、
一瞬のうちにトリップ。
夏休みと言っても、どこかに遊びに行ったというようなものではなく。
実家の自室で、模試に向けて勉強をしていた場面です。
受験生だった私がひょっこり顔を出してきて、
それはそれは懐かしさでいっぱいになったのでした。
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当時の、ノート・シャープペンシル・問題集は
今ではPCとスマホに置き換わっています。
それでも、
窓を開ければ差し込んでくる夏の日差し、
網戸越しに香ってくる、お日様をしっかりと吸い込んだ洗濯物の匂い、
喉を満たす優しい麦茶と、
遠くで聞こえる蝉の声。
あの頃も同じだったなぁ、好きな時間だったなぁ
と、ふいに訪れたフラッシュバックに嬉しさを感じたのでした。
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朝、仕事に向かう母を見送ってから勉強を始めて、
少し疲れたかなぁと感じ始めるのが11時半頃。
トントントン、と階段を上がる音が聞こえてきます。
足音は決まって私の部屋の前で止まり、
続いて聞こえてくるのは、祖母の優しく元気な声。
『めぐちゃん、��し中華出来たよ。そろそろお昼食べようか』
夏休みのお昼ごはんは、祖父母と一緒に食べられるのが嬉しかった。
祖母の作ってくれる冷し中華が、いつも楽しみでした。
マルちゃんの冷し生ラーメンを使うのが祖母の定番で、
厚めに焼いた甘い錦糸卵が、おばあちゃんの味。
『そんなに勉強ばかりで、外に遊びに行かないの?』
と、ほんの少し心配そうにしてくれる祖父と祖母の温かさは、
いつまでも記憶の奥にしまい続けていたい。
そうして時々大事に思い出しながら、この先も生きていきたい。
私も年齢はもうすっかり大人で、
『あの頃』は遠い夏の記憶となってしまいました。
でも、大人だけど、
時々は記憶のロックを解除して、当時に甘えてもいいんじゃないかな。
優しい思い出で胸をいっぱいに満たしたら、
また今日も清らかな気持ちで過ごせるから。
今年のこの夏の日々も、
いずれは遠い記憶になります。
どんなタイミングで、どんな場面に紐付いて思い出されるんだろう。
そんな風に考えると、
未来の自分のために、誇れる今で在りたい。
優しい出来事でいっぱいにできるように、一つ一つを選択していきたいですね。
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bless-blessyou · 4 years
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何もしない勇気(Aug.3.2020)
長い長い梅雨が明けるとともに、8月に突入した週末。
待ち望んでいた青空との再会に、何だかほっとさせて貰える土日でした。
夏季の雨は好きなんです。
けれど、
ぐずぐずお天気がこうも長く続くと、不安な気持ちになるものですね。
何かあった訳でもないのに。
気圧や日照時間に、体調や気分も左右されてしまう。
つくづく自分は『自然の一部』なのだと実感します。
気持ちも明るく晴々とした週末。
昨日は青空の下、お散歩がてらお気に入りのお花屋さんに行ってきました。
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デルフィニウムとスターチス。
優しい雰囲気に、ついつい惹かれてしまう。
デルフィニウムはここ2か月くらい、常にお部屋に生けています。
最近ではお手入れのコツを掴めたようで、
切り花も3週間程もたせられるようになりました。(えっへん!)
この子達も毎日大切にケアして、私の夏を見守って貰おうと思います。
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昔から、
ぼーっと過ごす、
という時間の使い方に、とんでもなく罪悪感を抱きます。
予定がない日もあるんですよ。
でも、私の感覚の『予定がない』というのは、目立ったイベントが無いというだけのこと。
一人自宅で過ごす休日も、結局無自覚のうちに何かしら一日の予定を立て、
その通りに実行していることに気付きました。
お風呂にのんびり入っている時も、
ベッドでゴロゴロしている時間も、
ぼーっとしているようでいて、
何かしら思考と思考を繋げて気付きを言語化しようと試みている気がします。
何もしない瞬間が、日々の暮らしに存在しない。
常に進み続けなくてはいけない、というある種の強迫観念。
もうずっとこんな風に生きているような気がする。
けれど、恐る恐る土曜日にやってみました。
『何もしない』
そうしたら、日曜日から今日にかけて、とっても調子が良いんです。
拍子抜け。
体調も抜群ですし、頭の中もクリアで雑念が生まれない。
きっと、成長のため!と思って欲張り、不要なタスクまで日々背負い込んでいるんでしょうね。
隙間時間を作らないが故に、返って非効率さを招いていたんじゃないのかなと、考えを改めさせられました。
私には、
『何もしない』は、とても勇気を必要とする。
停滞は衰退、が常に自分自身の軸から離れないから。
でも、頭の中を定期的に断捨離することで、
一時的にはストップしているように感じても、
長い目で見たら生み出される物の質が高まるのかな。
そんな風に思えました。
今年の夏は勇気を出して、
『何もしない』
を取り入れてみようと思います。
実りの秋に、花開くように。
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bless-blessyou · 4 years
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浸して、満たして(July 28.2020)
先日こちらに、過去綴っていたブログの一部を移しました。
過去のブログと言っても、書いていたのは昨年のほんの短い期間。
まだまだ暑さが収まらず、
どうしようもなく夏に未練を残しているかのような、
じんわりと汗の滲む秋の入り口。
そんな季節に筆を取ったのが始まりで。
毎日の変化を愛おしみながら、
静かに厳かに、ひんやりと冷たい空気が冬を連れてきてくれそうな11月の終わり頃までの約2か月間。
その間に綴った文章のうち、
とりわけお気に入りの12作をここに連れてきました。
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あの時期は、次から次へと言葉が浮かんで止まなかったことを覚えています。
一つ残らず書き留めておきたかった。
不思議な毎日でした。
どれもこれも、読み返す程に今の自分を癒し慰めてくれる、
そんな大切な言葉ばかりが連なっています。
心の穏やかさ、環境の静けさ、
何処を切り取っても、当時(と言ってもほんの9か月前ですが)より今の方が落ち着いていると思います。
ですが、
日々浮かんでくる感情、
目に見えるもの、
聞こえる言葉、
それらは当時の方が圧倒的に神聖さを帯びているんじゃないのかな。
決して今が駄目というわけではないです。
今だってとても幸せ。
むしろ今が圧倒的に幸せだからこそ、
あの2か月間のような言葉を綴るのは難しいのかもしれません。
難解な課題がギュウギュウとひしめき合う中に自らを浸し、
いっぱいいっぱいに自分を追い込んで、
逃げ場のない場所へ己を囲って困難で満たす。
そうすることで生まれるものこそが宝なのだと、信じていました。
苦しみからしか成長はない。
誰かに教わったわけでもないけれど、そんな風に思ってずっと生きていたのかもしれません。
あの2か月間に浮かんで止まなかった言葉達は、
きっと、私のヘルペスみたいなもの。
本体が苦しみに囲い込まれ、
いよいよ危うい!となったからこそ、
出てきてくれた清く穏やかな言葉なのかもしれません。
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また少しずつ、
以前とは違った雰囲気になるかもしれないけれど、
ここに言葉を連ねていこうと思います。
ゆるっと。
感性の赴くままに。
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bless-blessyou · 4 years
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いつだったのか(Nov.12.2019)
私の料理のベースは、その殆どが祖母に教わったものです。
両親共働き、3世代同居の家庭で育った私の幼少期は、祖母がいつでも一番近くに居てくれました。
いい歳の大人になった今でも、おばあちゃん子。
これは一生変わりません。
祖母の料理で代表的なものは、
かつお出汁で作るカレー
キャベツとハムのシンプル炒飯
りんごの入ったポテトサラダ
料理上手な祖母のレパートリーは他にも沢山ありますが、
頻繁に作ってもらっていて特に大好きだったのはこの3品。
どれも美味しくて優しくて、いつでも鮮明に味を想起できます。
兄も祖母のカレーと炒飯には思い入れがあるようで、
前回会った時にもその話題になり、何とも言えずノスタルジックな気持ちに浸ったのでした。
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大正15年生まれの祖母。
年齢相応の認知症状や筋力低下は見られるものの、まだまだ元気でいてくれます。
久しぶりに会うと名前は思い出せないけれど、
『声も雰囲気もずっと変わらないね、誰なのかわかるよ』
と言って私の手を握り、昔と変わらないおばあちゃんの表情を向けてくれます。
重篤な疾患も無く元気でいてくれる祖母だけど、
もう何年も前からお料理は出来なくて。
おばあちゃんのカレーを最後に食べたのはいつだったんだろうと、時折ふいに考えます。
10年も前ではないとは思うけれど。
いつだったのかは思い出せません。
盛り付けてくれたのは、いつものように青いお花柄のお皿だったのかな。
私は『美味しいね』としっかり伝えられたのだろうか。
その時のことは全然思い出せないのですが、
もしもこれが最後だと分かっていたら、私はどんな風に一口一口を味わったのだろうと考えると、目頭が熱くなります。
いつも当たり前のようにそばに居てくれる事柄・人、
どんなものにも言えることですが、
ひょっとしたら今日この瞬間を最後に、もう二度と触れることが出来ないかもしれません。
生きていると、
いつどんなことがあるか分からない、
と折々で考えさせられますが、
『これが最後かもしれない』と常に思いながら全てのことを成すのは、なかなか出来ることではありませんよね。
それでも、
ありがとうとか、嬉しいとか、美味しいとか、大好きとか、
そう言った大切な気持ちは、いつが最後になってもいいように照れず惜しまず言葉にして伝えていきたいです。
お料理と一緒に、
祖母が深く心に刻んでくれた大切なこと。
まだまだおばあちゃんには教えて貰いたいことが山程です。
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