Tumgik
hadakeru-kosen · 2 years
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ウェブサイト移行
肌蹴る光線のウェブサイトは新サイトへと移行しました。
お手数ですが今後は下記URLをご確認ください。
https://hadakerukosen.studio.site/
Tumblrのことはこれからも大好きです。
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hadakeru-kosen · 3 years
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山内マリコさまによる作品評
作家の山内マリコさんが、今回上映する3作『グレイ・ガーデンズ』『グレイ・ガーデンズ ふたりのイディ』『あの夏』について、書き下ろしの作品評を執筆くださりました。ぜひご一読ください。
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●彼女たちは何者か~『グレイ・ガーデンズ』と『ふたりのイディ』~
打ち捨てられた大邸宅で、猫とアライグマにかこまれて生きる、世捨て人のような母娘。その奇妙な暮らしぶりを収めたメイズルス兄弟のドキュメンタリー『グレイ・ガーデンズ』を観ている間、わたしは絶え間なく戸惑う。
ジャクリーン・ケネディの親戚という極め付きの名門ブーヴィエ家に生まれた母と娘。離婚や家の没落があり、ふたりは自活していかなければならなくなったが、その暮らしに“生活”らしいものはない。掃除もしないし洗濯もしないし炊事もしない。生活の概念自体ない。かくして豪邸は衛生局からにらまれるゴミ屋敷と化し、彼女たちはセルフ・ネグレクトに近い、破綻した暮らしを送っていた。
なぜこうなってしまったのか? 
ドキュメンタリーの多くは編集や音楽やナレーションによって、「こう感じてください」と観客を一つの方向へ誘導するものだけど、メイズルス兄弟はまったくそれをしない。目の前で繰り広げられた光景に、自分たちのフィルターを極力とおさない。だからわたしは、同じイディという名を持つこの母娘を、「自分らしく堂々と生きている魅力的な人たち」と思えばいいのか、「おかしくなってしまったヤバい人たち」と思えばいいのかわからない。両方の気持ちが本当の気持ちで、行ったり来たりする。
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ドリュー・バリモアとジェシカ・ラングが母娘を演じたドラマ版『グレイ・ガーデンズ』を観ると、ある時期までのふたりはとても美しく、輝いている。母のビッグ・イディは、ひたすら歌っているのが好きという享楽的な性格だ。社交界デビューする娘に、「自由にさせてくれる男性を探すのよ」と結婚のアドバイスをする。父は娘の神経の細さを見抜いていて、「しっかりした男と婚約させてやれ」と言う。「とはいえ、君らに見分けられるかな」
リトル・イディは結婚を拒み、ニューヨークに出て女優を目指すも、不倫という罠につかまり実家に連れ戻されてしまう。父は、当然いる愛人の元へ去り、ほどなく他界。そうして母娘はふたりきり、財産を食い潰し、互いを呪縛しながら、生活ともいえない生活を20年近く送ることになるのだった。
ふと思い出したのが、女優の朝丘雪路が、昔テレビで語っていたエピソード。日本画家、伊東深水の娘として溺愛されて育った彼女と結婚した津川雅彦が、ある日、引き出しに大量の小銭を発見する。訊けば、彼女は結婚するまで自分でお金を払って買い物したことがなく、いつも一万円札で払い、お釣りで戻ってくる千円札や硬貨に困って、引き出しにしまい込んでいたという。お金の概念がなかったのだ。笑い話として披露されていたが、津川雅彦と再婚したとき、朝丘雪路が38歳だったことを考えると、洒落にならない。「お嬢様育ち」というふわふわした言葉では片付けられない、人権問題に抵触するほどの危うさを感じてしまう。
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とびきり浮世離れすることだけに価値を置かれているかのような、麗しき令嬢たち。たぶん一昔前のお嬢様は、想像を絶するレベルで、生きていくためのあらゆる実践的スキルから、遠ざけられて育ったのだろう。現実から切り離され、経済的自立は言わずもがな、生活者として自立するヒントすら与えられない。現実世界をサバイブすることにまつわる、根本的ななにかを与えられない。彼女たちは「経済力のある男性」とセットではじめて成立する、あらかじめ“片端”として育てらた脆弱な存在なのだ。結婚によって父親から夫にパスされることを前提とし、一人では立てないように育てられているのだ。だから、頼れる男性がいなくなったとたん生活が崩壊してしまったこの母娘が「おかしい」のではない。お嬢様に限らず女性を自立から遠ざけるのは、個人の問題ではなく、社会構造が抱える問題なのだから。
『グレイ・ガーデンズ』が伝説的なカルト作となった理由の一つに、娘のリトル・イディがその後、ファッション・アイコン化したことが挙げられる。全身脱毛症を隠すために編み出したといわれる彼女のスカーフ使いはたしかに素敵だし、手持ちの服を独創的に着こなすセンスがあり、特有のゴージャスな世界観が完全にできあがっている。母ビッグ・イディも、いつもおしゃれしている。もう何年もお風呂に入っていないと言うわりに、常にカラフルな、品のいいコーディネートでベッドに寝そべっている。娘に対しての、抑圧的で、恐ろしく意地悪な態度を隠しもしないので、別にカメラを意識して、気張って服を選んでいるわけでもないのだろうに。
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部屋は荒れ放題。しかし不思議と、ふたりは小綺麗だ。それは美意識が高いとかではなく、毎日きちんと美しく着飾っておくことに、重きをおいて育てられたからだろう。彼女たちは、「条件のいい男性」に気に入られなくてはいけない。「選ばれる女におなりなさい」というわけだ。男にとって魅力的な女であるよう常に求められ、センスを磨いてきたスペシャリストなのだろう。見る影もなく落ちぶれても、そんな“育ちの良さ”だけは健在だ。
隠遁状態だった彼女たちが“発見”され、メイズルス兄弟がドキュメンタリー映画の撮影を申し出てくると、ようやくわたしたちにスポットライトが当たるわ! と、母娘は無邪気にスター願望を爆発させる。撮影クルーを大歓迎し、カメラの前でいきいきと自分を晒す。そんなふたりの、あまりにむきだしの姿に、わたしは戸惑う。でも、こりずに何度でも観たいと思ってしまう。得体のしれない魅力が充満している、文字どおり畢生の一作。
ひとつ言えるのは、ふたりのイディが持つ危うさは、自分と無関係ではないということ。「女性」として育てられ、生きてきて、それがいかに危ういものだったかは、よく知ってる。わたしは手痛い経験をなんとかくぐり抜け、小賢しくバランスをとって、社会が求める“まともな女”を装い、演じているにすぎない。女性が自分の足で立つことの根本的な難しさを思えば、こ���先、イディ母娘のようにならない自信も保証もない。イディ母娘と似たような境遇で生きている女性は、案外たくさんいるのではないか。男社会のセーフティネットからこぼれ落ち、周縁で生きている無数の女性たちのことを思う。
ともあれ、このふたりに同情はまったく無用だ。リトル・イディはカメラに向かって豪快に高笑いし、のびのび歌い、はつらつと躍る。圧倒的な生の喜びに満ちている。少なくとも彼女にとっては、この映画こそ、「めでたしめでたし」なのだ。
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●写真家ピーター・ビアードの視点~『あの夏』~
しかしそんなひとりよがりな考察は、前日譚『あの夏』によって、優雅に吹き飛ばされたのだった。本作は写真家ピーター・ビアードが、1972年に過ごした夏の記憶。彼が捉えたのは、ジャッキーの妹、リー・ラジヴィルに導かれて出会った素晴らしき人々――時間の止まった家にひっそりと暮らす、娘リトル・イディと母ビッグ・イディ――との、奇跡のような邂逅だ。
ピーター・ビアードは、猫と会話する彼女たちの中に「偉大な内なる詩」を見出し、「いつだって素敵」とまじりけなしの称賛を送る。彼の目に映るのはゴミ屋敷ではなく、わたしが抱いたフェミニズム的感傷でもなく、「空に浮かぶ飛行船や宇宙船」のような、ただただ圧倒的な、素晴らしいものだ。そこには揶揄も、嘲笑もない。美と対面し、圧倒された人間の、敬意だけがある。
ピーター・ビアードは、当時最高にヒップな、カッコいい存在だったという。一瞬ちらりと映る本人は、腰が砕けそうにセクシーで、なるほどこれが伝説的プレイボーイかという印象だ。しかし、そのルックスやセレブイメージからこちらが勝手に邪推するような、人間的な冷たさは一切ない。リー・ラジヴィルにしてもそうだ。彼女は最先端のファッションに身を包み、草むらをかき分けて、床が抜けそうなぼろ屋敷にやって来る。逸脱者となった親戚を恥じることなく、ましてや世間から隠しておこうと画策することもない。ひたすら親切で、優しさにあふれ、心配顔で尽くす。
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この時代のセレブ・コミュニティというと、ドラッグまみれのダーティなイメージを持っていたけれど、まるで違った。映っているのは、ハイソサエティの人々のアット���ームさ、思いがけない温かさだ。流木に腰掛けるアンディ・ウォーホルさえ、ほっとくつろいだ表情をしていて、感じのいい人物に見える。純粋な憩いを求めて、まだ人の少ない隠れ里のような別荘地に集まってくるセレブリティたち。そこには、1920年代の南仏リヴィエラにピカソたちがぞろぞろやって来た夏と同じ匂いがある。
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そしてなにより、現代のわたしたちにとってもっとも身近な、「ウケるw」みたいな醜い感受性が微塵もない。「誰もまねできない、夢の世界の住人だ、それでいいんだ」と、ふたりのイディを全肯定して回想するピーター・ビアード。その視点こそ、真に“尊い”と呼ぶに相応しいものだろう。
ああ、と思った。ピーター・ビアードのこの、ふたりのイディを前にしたときの、畏敬に満ちた感覚は、あれだ。昔の人が、“まれびと”に対して抱いたとされるものだ。自分たちとは少し違う“異人”を、一種の神様として歓迎し、敬う感覚。
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そういう感受性は、すっかり失われてしまった。障害を持つ人、肌の色の異なる人、エキセントリックな人を、神様的な存在として、美しいものとして崇める感受性。その感性は近代化のなかで歪み、マイノリティとして排除するようになっていった。畏敬の念ではなく、軽侮するようになっていった。
かつて日本にあったらしい、農耕民族特有の感性を、なぜかピーター・ビアードに感じる。彼が作る日記は、めちゃくちゃおしゃれでカッコいいが、どこかアウトサイダー・アートに通じるものがある。
異質なものを排除する感受性が主流派となって久しい今の世で、ピーター・ビアードがふたりのイディを回想する言葉は、ただただ美しく響く。あの日そこに、侵しがたい崇高な神秘があったのだ。ドキドキしながら草むらの奥へと進み、とてつもなく美しいものに出会ったのだ。彼はそっと、手でも合わせるように、カメラを回した。1972年の夏、世界はまだ、こんなにも澄んでいた。
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参考:
山崎まどか・著『イノセント・ガールズ 20人の最低で最高の人生』(アスペクト) https://precious.jp/articles/-/6386 https://hypebeast.com/jp/2020/4/peter-beard-wildlife-photographer-dead-at-82
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《3作品の視聴チケットは2月28日(日)23:59まで発売中》
『グレイ・ガーデンズ』 https://vimeo.com/ondemand/greygardensgfs 『グレイ・ガーデンズ ふたりのイディ』 https://vimeo.com/ondemand/bealesofgreygardensgfs 『あの夏』 https://vimeo.com/ondemand/thatsummerhadakeru
※チケット購入後48時間の視聴が可能です。
《関連イベント》
明日2/28(日)正午からは、Gucchi’s Free Schoolと「365日同じコーディネートはしません?」というのモットーのもと更新しているInstagramが話題の大平かりんさんのアカウントをつなぎ、ファッションの世界にも大きな影響を与えたというイディ母娘の着こなしの魅力などを伺うインスタライブを実施します。ぜひご覧ください。
https://www.instagram.com/gucchis.free.school/ https://www.instagram.com/ko365d/
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hadakeru-kosen · 3 years
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『グレイ・ガーデンズ』関連3作配信上映
2月27日(土)、2月28日(日)の2日間、上映団体Gucchi's Free Schoolさんと映画『グレイ・ガーデンズ』『グレイ・ガーデンズ ふたりのイディ』『あの夏』の配信上映を行うことになりました。
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■上映作品について
高級住宅地イーストハンプトンの、しかし廃墟のような邸宅に暮らすジャクリーヌ・ケネディの叔母、ビッグ・イディとその娘リトル・イディの姿を映したドキュメンタリー映画『グレイ・ガーデンズ』(1975年)は、ゴダールに「アメリカ最高のカメラマン」と言わしめたメイズルス兄弟らによって撮影されました。世間から隔絶された一見悲惨な暮らしのなかで、ラジオから流れてくる曲に合わせて歌ったり、猫たちとたわむれたり、時に喧嘩をする親子の姿や、監督のメイズルス兄弟にダンスを披露したり、彼らを誘惑してみたりするリトル・イディの活発さは観客を魅了。頭にスカーフを巻いたり、スカートを上下逆さまに着たりする個性的なファッションも注目を集め、2人はたちまち世界のファッションアイコンとなりました。
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同作はアメリカではジェシカ・ラングとドリュー・バリモアによるW主演でテレビ映画化(『グレイ・ガーデンズ 追憶の館』)されており、日本では宮本亜門演出、大竹しのぶ、草笛光子のW主演によってミュージカル化されています。
《『グレイ・ガーデンズ』に影響を受けたとされるクリ���イターたち》 マーク・ジェイコブス、アレッサンドロ・ミケーレ、グレタ・ガーウィグ、レナ・ダナム、アイザック・ミズラヒ、トッド・オールダム、ジョン・バートレット、ルーファス・ウェインライト、タヴィ・ゲヴィンソン、ほか https://gucchis-free-school.com/event/20180614/
75年当時の未使用テイクを使用し、2006年に発表された『グレイ・ガーデンズ ふたりのイディ』は、外出時の様子などリトル・イディの生活により密着。あわや大惨事になりかねないボヤ騒ぎの様子なども収められています。
『あの夏』は昨年の『イメージフォーラム・フェスティバル』で日本初上映した、『グレイ・ガーデンズ』の前日譚とも言われる作品で、一躍有名になる前のビッグ・イディとリトル・イディの姿や、ふたりの住む邸宅の改修前の様子を捉えています。(※詳しくはこちら)
■関連企画について
今回の上映にあわせて、2月22日週には作家の山内マリコさんによる作品評をGucchi’s Free Schoolと『肌蹴る光線』のウェブサイトに掲載させていただくほか、2月28日(日)正午からは、Gucchi’s Free Schoolとファッションエディターの大平かりんさんのアカウントをつなぎ、Instagramのコラボ配信トークを実施させていただきます。詳しい情報に関しましては、追ってSNS等でお知らせいたします。
■オンライン上映のチケットについて
チケットは一律1,800円となります。下記いずれかの方法でご購入ください。
①2月27日(土)0時00分から2月28日(日)23時59分まで、vimeo上で『グレイ・ガーデンズ』『グレイ・ガーデンズ ふたりのイディ』『あの夏』のチケット購入が可能になります。期限内にチケットをご購入いただいた方は、購入から48時間作品の視聴が可能となります(最長で3月2日23:59まで)。
②本日2月10日から2月26日(金)23:59まではvimeo上でチケットの予約注文も受け付けており、ご注文いただいた方は2月27日(土)0時00分から2月28日(日)23時59分まで作品の視聴が可能となります。
『グレイ・ガーデンズ』 https://vimeo.com/ondemand/greygardensgfs 『グレイ・ガーデンズ ふたりのイディ』 https://vimeo.com/ondemand/bealesofgreygardensgfs 『あの夏』 https://vimeo.com/ondemand/thatsummerhadakeru ※チケット購入は日本国内からのみ可能となっております。あらかじめご了承くださいませ。
■作品概要
『グレイ・ガーデンズ』 [監督][製作]アルバート・メイズルス、デヴィッド・メイズルス [監督]エレン・ホド、マフィー・メイヤー [出演]イーディス・ユーイング・ブーヴィエ・ビール、イーディス・ブーヴィエ・ビール  [編集]スーザン・フロムキー、エレン・ホド、マフィー・メイヤー [共同製作]スーザン・フロムキー  [公開年/上映時間/スクリーンサイズ]1975年/95分/スタンダード・日本語字幕:森彩子
『グレイ・ガーデンズ ふたりのイディ』 [監督]アルバート・メイズルス、デヴィッド・メイズルス、イアン・マーキウィッツ  [出演]イーディス・ユーイング・ブーヴィエ・ビール、イーディス・ブーヴィエ・ビール  [編集]イアン・マーキウィッツ [製作]ターニャ・メディング  [公開年/上映時間/スクリーンサイズ]2006年/91分/スタンダード・日本語字幕:森彩子
『あの夏』 [監督] ヨーラン・ヒューゴ・オルソン  [出演]イーディス・ユーイング・ブーヴィエ・ビール、イーディス・ブーヴィエ・ビール、リー・ラジヴィル、ピーター・ビアード、アンディ・ウォーホルほか  [公開年/上映時間]2017年/80分/日本語字幕:岡田悠里
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hadakeru-kosen · 4 years
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『イメージフォーラム・フェスティバル2020』で『あの夏』上映&シンポジウム
9月26日から開催される『イメージフォーラム・フェスティバル2020』に、作品上映とシンポジウム登壇の形で参加することになりました。
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上映作品はヨーラン・ヒューゴ・オルソンによる『あの夏(原題:That Summer)』(スウェーデン、アメリカ、デンマーク・2017年・80分)。
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アンディ・ウォーホル、トルーマン・カポーティ、ミックジャガーらがひと夏を過ごした1972年のモントークで撮影された同作は、メイスルズ兄弟によるドキュメンタリー映画『グレイ・ガーデンズ』(1975年)で一躍有名になったジャクリーン・ケネディの叔母・ビッグ・イディとその娘、リトル・イディの姿をいち早く捉えています。劇中では、同じ場所で夏を過ごしたジョナス・メカスやアンディ・ウォーホルによるフッテージも一部使用。メインの撮影はピーター・ビアードが務めています。(日本語字幕:岡田悠里)
《『あの夏』完成の経緯》
1972年、モントークにあるアンディ・ウォーホルの別荘。「ファクトリーのほぼ全員」––トルーマン・カポーティ、ミック・ジャガー、ジョナス・メカスなどなど––が集まったというその邸宅で、ジャクリーン・ケネディはジョン・F・ケネディを暗殺で亡くしてまもない子息たちに美術や映画を教えようと試みた。その講師の1人として雇われたピーター・ビアードは、ジャッキーの妹であるリー・ラジヴィルにも、映画制作チームの一員として声をかけられる。
リーは自身の叔母といとこにあたるビッグ&リトルイディを、ハンプトンの環境にまつわる映画の「登場人物」としてキャスティングしようと試みた。しかし2人はその枠に収まり切らず、いつの間にか映画の「主役」に。リーは本来の筋から外れてしまった映画撮影を中断し、ビアードによる4缶のリールはお蔵入りに。45年ものあいだ誰の目にも触れることのなかったフィルムを、ヨーラン・ヒューゴ・オルソン監督が救い出し、1本の映画にまとめあげた。
※参考:ソフィア・コッポラによるラジウィルのインタビュー
youtube
・上映概要:
2020年9月29日(火)、10月2日(金)の2回上映
時間:21:15〜
場所:シアター・イメージフォーラム
料金:一般1,500円 学生800円 会員1,200円
※チケットはオンラインチケットページ、または劇場窓口で9月10日から発売
《シンポジウムについて》
フェスティバル内では「スクリーニング・コレクティブ新世代ーアクティビズムとしての上映活動」と題したシンポジウムも開催。「肌蹴る光線」はGucchi’s Free Schoolの降矢聡さん、New Neighborsのサヌキナオヤさんと共に9月26日(土)16:00〜の回に参加します。以下『イメージフォーラム・フェスティバル』のリリースから引用です。
●シンポジウム1 『観たい映画を上映する:“システムから遠く離れて”』
今の映画に足りないものは何か?見たい映画が上映されないのであれば、自分たちで上映すればいい!なかなか日本に輸入されないアメリカン・インディーの秀作を数多く紹介し、配給も手がける「Gucchi’s Free School」、ジョナス・メカス作品などアート系実験映画も含めたエッジの効いたセレクションが注目の「肌蹴る光線」、これまで京都を中心に<上映+演奏+Zine制作>というコンビネーションで上映イベントを提供してきたデザイナーのサヌキナオヤとバンドHomecomingsによる「New Neighbors」が、自らの活動を紹介し、その知識と経験をシェアする。
・概要
2020年9月26日(土)16:00〜17:30
会場:イメージフォーラム3階「寺山修司」
登壇:降矢聡(Gucchi’s Free School)、サヌキナオヤ(New Neighbors)、井戸沼紀美(肌蹴る光線)
料金:一般700円 学生・会員500円
●シンポジウム2『上映で繋ぐ新しい回路』
上映が生むもの。繋ぐもの。上映は時に新しいコミュニティーを生み出すプラットフォームになる。日本では馴染みが薄かったイスラーム圏の映画を紹介し、大きな成功を収めている「イスラーム映画祭」、性的マイノリティの経験を映像に捉えた実験的作品を映画館や他団体と協働して上映してきた「ノーマルスクリーン」、8ミリというアナログメディアに特化し作品上映だけでなく現像のワークショップなどを行う集団「Spice Films」、東京・田端のバリアフリー映画館を運営するシネマ・チュプキ・タバタが登壇。
・概要
2020年9月26日(土)18:00〜19:30
会場:イメージフォーラム3階「寺山修司」
登壇:藤本高之(イスラーム映画祭)、秋田祥(ノーマルスクリーン)、石川亮(SpiceFilms)、(シネマ・チュプキ・タバタ)
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hadakeru-kosen · 4 years
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KEN NAKAHASHI × 誠光社 × 肌蹴る光線『森栄喜「Letter to My Son」によせる手紙』開催
以前『肌蹴る光線』のトークにもご出演くださった写真家の森栄喜さんによる書籍『Letter to My Son』が、いつもイベントでお世話になっている京都の書店・誠光社さんで限定販売されることになりました。今回はそのことを記念して「森栄喜『Letter to My Son』によせる手紙」と題したささやかなイベントを開催します。
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まず、誠光社に8月13日(木)の書籍販売と共に、店舗を訪れた人なら誰でも投書できるレターボックスを設置します。そこに集められたお手紙を、配信トークで森栄喜さんご本人と、同書籍を発行されたKEN NAKAHAHIの中橋さんへ直接お届けするというのが、今回の企画です。『Letter to My Son』を手にした感想や日々を暮らす中での素朴な疑問など、さまざまな声をぜひ書き込んでみてください。
場所や時間の都合から誠光社を訪れることができないけれど、お二人へ届けたい声があるという方は、「Letter」の題で [email protected] までメールをお送りください。『Letter to My Son』に惚れ込み、このイベントを共に企画した身として、責任をもってみなさまの声をお届けします。
また配信トークの後には、森栄喜さんの映像作品『Letter to My Son』(7分)を、でウェブで限定公開いただけることになりました。今回限りの貴重な機会となりますので、どうかお見逃しなく。
■肌蹴る光線・井戸沼より
『Letter to My Son』は、今年の5月に私の手元に届きました。コロナウイルスの感染拡大やそれにともなう自粛、初めてのことに戸惑い、情報に翻弄されていた当時の自分にとって、同書籍は心の中に生まれた感情の芽を大切に育ててくれるお守りのように思えました。誠光社さんでの販売にあたっては、森栄喜さまのサインが入った貴重なオリジナルプリントを付けてくださっていますが、このプリントを見せてくださったときにKEN NAKAHASHIの中橋さまが「この写真1枚が、誰かの人生を変えてもおかしくない」と仰っていたのが強く印象に残っています(その言葉に私も心から同意します)。今回の機会によって、『Letter to My Son』と、それを今必要とする人との出会いが1つでもあれば嬉しく思います。
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■企画概要
KEN NAKAHASHI × 誠光社 × 肌蹴る光線 『森栄喜「Letter to My Son」によせる手紙』
2020年8月14日(金)〜8月25日(火) 誠光社にレターボックスを設置
8月26日(水) ・20:00〜 配信トーク 森栄喜×中橋健一(KEN NAKAHASHI)×堀部篤史(誠光社) 司会:井戸沼紀美(肌蹴る光線) ※URLは追ってご案内いたします。
・22:00〜24:00 『Letter to My Son』(7分)限定公開 ※URLは追ってご案内いたします。
森栄喜 Twitter Instagram KEN NAKAHASHI Twitter Instagram 誠光社 Twitter Instagram 肌蹴る光線 Twitter
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■書籍情報
森栄喜『Letter to My Son』プリント付き限定版
写真集『Family Regained』より サイン入りのオリジナルプリントが付きます。
サイズ8 x 10 inch、C-Print、限定18部 ※オリジナルプリントは2種類(各9部)から一枚を選択いただく形となります。
・Type A 販売リンク https://seikosha.stores.jp/items/5f34f3e2d7e1d81eea8302d1
・Type B 販売リンク https://seikosha.stores.jp/items/5f34f4a7791d02421cd78684
出版元:KEN NAKAHASHI 刊行:2020年 ページ:95 サイズ:H210×W150mm フォーマット:ソフトカバー 言語:和文/英文 付属:栞 翻訳:Christopher Gregory デザイン:鈴木大義 価格:11,000円(税込)
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■展示情報
森栄喜個展 『シボレス | 鼓動に合わせて目を瞬く』
2020年8月5日(水)~9月6日(日) 会場:東京都 新宿三丁目 KEN NAKAHASHI 時間:水、木、金曜11:00~19:00、土、日曜11:00~17:00 休廊日:月、火曜 料金:無料 ※事前予約制
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hadakeru-kosen · 4 years
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「『リトアニアとソ連の崩壊』を観る八月」開催
出町座での特集上映にあわせ、これまでもイベントの開催に協力いただいてきた京都の誠光社では、8月16日〜8月30日までの営業時間中、ジョナス・メカスによる289分の作品『リトアニアとソ連の崩壊』(2008年)を店内の壁に投影いたします。
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同作は、詩人であり映画作家のジョナス・メカスが、ソ連が崩壊し、祖国リトアニアを含むバルト三国が独立するまでのアメリカのテレビ報道の様子を、ひたすらに映した作品です。撮影は89年から91年まで、SONYのデジタルカメラで行われています。編集は『幸せな人生からの拾遺集』でも編集アシスタントとしてクレジットされたエル・バーチルが務めています。同作は2009年の『ロッテルダム国際映画祭』で世界初公開され、今年1月にはイタリア・ミラノの出版社「Humboldt Books」から、同作の内容をつぶさに記録した書籍『Transcript 04 44’ 14”: Lithuania and the Collapse of the USSR』が発売されています。
91年に「ソ連8月クーデター」が起こった際、メカスは偶然にも日本に来日しており、8月末までを帯広、山形、東京で過ごしました。29年前の同じ時期に思いを馳せながら、ぜひ多くの方に作品をご覧いただけましたら幸いです。
■『リトアニアとソ連の崩壊』を観る八月 2020年8月16日(日)〜8月30日(日) 会場:京都 誠光社 時間:10:00〜20:00 営業日:無休 ※臨時休業の際は誠光社のウェブサイト、Twitterにて告知いたします ※映画は4つのパートに分かれており、パートが終わるごとにディスクの変換がございます。 ※プロジェクターで本編を白壁に投射する形となります。
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hadakeru-kosen · 4 years
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『肌蹴る光線』特集@出町座開催
京都の映画館・出町座にて、8月21日(金)から8月30日(日)にかけて『肌蹴る光線 —あたらしい映画—』特集を開催いただくことになりました。
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これまでに紹介させていただいた作品の中から、清原惟監督による『ひとつのバガテル』、ジョナス・メカス監督による『幸せな人生からの拾遺集』、ジョアン・ニコラウ監督による『ジョン・フロム』、小原真史監督による『カメラになった男—写真家 中平卓馬』、ブリッツ・バザウレ監督による『コジョーの埋葬』の5作を2回ずつ上映いただきます。上映スケジュールは出町座さんのウェブサイトにて、近日中に公開予定です。
会場のコロナウィルス感染対策についてはこちらからご確認くださいませ。
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hadakeru-kosen · 4 years
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アップリンクをめぐる騒動について
『肌蹴る光線』はアップリンクさんに支えられて、これまでイベントを開催してきました。今回の動きの中心にいらっしゃる元スタッフの方にも、上映会の開催の際、大変お世話になりました。そして今現在、劇場で働かれている中にも、誠意を持って対応をしてくださるスタッフさんが沢山いらっしゃいます。その人たちが不当に傷つけられることなく、尊厳を保つことのできる環境が、一刻も早く確保されることを、心から願います。
今回大きな渦の中心に立つことを覚悟で、状況を変える為に行動を起こされた方々の、その並々ならぬ想いを見届けていきたいと感じると共に、その人たちに安らかな気持ちが一刻も早く訪れて欲しいと思います。
私は自主企画でアップリンクさんにお世話になりながらも、浅井氏と会話をしたことはほぼありません(2014年、ジョナス・メカスの上映会を持ち込んだ当時に一言、二言を交わしたことがある程度です)。それゆえ私が、浅井氏について語れることはほぼないですし、今回の訴訟についても、双方から発信される情報をもとに、当事者同士の話し合いのゆくえを見守ることしか出来ないのかもしれません。
しかし今回の件で報道された内容について、驚きを感じなかった自分の立場については、もっと何かできることがあったのかもしれないと感じる部分があります。
ここからはアップリンクをめぐる問題というより「映画業界」についての考えになってしまうのですが、まだそこには、数え切れないくらいの問題があると思います。今回の件に限らず、どこか身に覚えのあるような問題が表面化された時、どうしようもない感情にひとしきりさいなまれたあと、一体自分はどうしたらいいか、どこから、何を、どんな形で行えば、より良い環境が訪れるのかと、いつも考えます。
とある映画配給会社の面接に行った際、面接官から食事に誘われたり、体を触られたことがありました。それを見ていた同社のスタッフには「あの人は触り癖があるけれど良い人だよ」と言われました。その後、提出した履歴書に記載した連絡先を利用されて食事に誘われもしました。そうして自分が実際に被害を受けた、個人によるハラスメントに対しては、言い方は悪いですがくたばってしまえと思います。
しかし、自身が被害を被っていない「個人」や「環境」の問題を耳にした場合。例えば、尊敬していた映画人の聞きたくない噂(「あの人はセクハラ / パワハラで有名だ」など)をぬるっと耳にした時、一度勤めたいと思った映画会社のあまりの薄給と残業時間の多さを知った時、後を引く居心地の悪さとどう感情の折り合いをつけたらいいのか、私はただ考えあぐねてきました。
尊敬できない人と、真摯に映画に向きあっている人を、大きく「業界の人」と一つにくくりたくない気持ちもあります。そういったまとまりきらない「映画をめぐる世界」への疑問が、常に頭の中をぐるぐるとしている気がします。噛みきれないホルモンをずっと噛み続けて、吐きそうになるような気持ちになることがあります。
翻って考えると、自分が誰かを傷つけてしまった可能性もあると思います。たった一年前のメールを振り返るだけでも、今の自分との感覚の違いに驚くことが多々あります。そうした感覚の脆さ、不確かさの中で、日々を重ねていくことが、ほんとうに恐ろしいとも思います。だから、せめて自分にできるのは「なるべく人を傷つけないようにする」「もし傷つけてしまったら謝る」「自分が無知だと自覚する」ことだけだと思い、出来る限り生活してきました。しかし日常の中では、それを実行することにすら精一杯になっていて、周りの誰かが傷つけられていることに対して、私はあまりに無頓着だったかもしれないと、今回の件を受けて考え始めました。
ある飲み会で、「○○さんは酒癖が悪いから」と、その人から私を引き離す為に自分が間に入ったり、私の帰る時間まで見守ってくれた一人の監督がいました。それを今思い返し、そういった一番身近なところから、しかし確かに状況を悪化させないため、動いてくれた人がいたのだと、身に染みています。その方のように、今後はとにかく身近なレベルに落とし込んで、身近な人が傷つかない為に少しずつ動くしかないと、そう思っています。あまりに多くの問題がある中で「そういうやり方ではすぐに状況は良くならない」と諦めるのではなく、自分も小さな反抗に加わりたいと思いました。
だから、全然気持ちがまとまらないままですが、自分に対して言い聞かせるように、この読みづらい文章を書き進めています。何が言いたいかというと、私は自分にとって身近な人が、尊厳を保ちながら生きられるということに、これまで��りも意識的になり、小さな範囲からでも行動に繋げていきたい。今回の件を受けて、そう思っているということです。そしてその気持ちを忘れないために、ここに意志を綴っておこうと思いました。
自分が「映画業界」の話題を持ち出すことで、浅井氏とアップリンクのスタッフの皆様をめぐる問題がぼやかされてしまったり、今回の動きを起こした人たちに余計な負荷をかけてしまったりは、してほしくありません。まずはシンプルにアップリンクが、そこで働く人の尊厳をきちんと守ってくれる場所になるよう、強く願います。長い時間をかけて培われてきた人の感覚や環境を変えていくことは決して簡単でないと思いますが、だからこそ、その先の未来に期待します。それと同時に、今回世の中に働きかけようと、劇場をめぐる悪しき状況を変えようと、強い意志を持って行動を起こされた方々に対しては、これまで状況の一端を感じることがあったにも関わらず、それを変える役割を一手に担わせてしまったことについて、申し訳なく感じています。ごめんなさい。今回感じた反省を胸に、私も今後は身近な違和感を感じた時、少しでも実際に出来ることがないかとまずは考え、同時にこれまで以上に、自分の持ちうる暴力性についても自覚的でいたいと思います。
『肌蹴る光線 ーあたらしい映画ー』 井戸沼紀美
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hadakeru-kosen · 4 years
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上映会の記録
▼第1回 上映作品: ビー・ガン監督『凱里ブルース』(2015年 / 中国 / 113分)
2018年5月12日(土)京都府 誠光社 2018年5月26日(土)東京都 アップリンク渋谷 ゲスト:相澤虎之助さん、富田克也さん
▼第2回 上映作品: 清原惟監督、飛田みちる監督『暁の石』(2014年 / 日本 / 30分) 清原惟監督『ひとつのバガテル』(2015年 / 日本 / 72分)
2018年8月25日(土)、8月30日(木)京都府 誠光社 2018年9月8日(土)東京都 アップリンク渋谷 ゲスト:清原惟監督、祖父江慎さん
▼第3回 上映作品: テレンス・ナンス監督『あまりにも単純化しすぎた彼女の美』(2012年 / アメリカ / 84分)
2018年11月25日(日)東京都 アップリンク渋谷 2018年11月29日(木)京都府 誠光社 ゲスト:菊地成孔さん、土居伸彰さん
▼第4回
上映作品: ジョナス・メカス監督『Sleepless Nights Stories』(2011年・114分) ジョナス・メカス監督『幸せな人生からの拾遺集』(2012年・68分)
2019年3月3日(日)、3月30日(日)京都府 誠光社 2019年3月10日(日)東京都 アップリンク渋谷
▽写真展『Frozen Film Frames』
2019年2月27日(水)~3月16日(土) 東京都 スタジオ35分
2019年3月1日(金)~15日(金) 京都府 誠光社
▼第5回
上映作品: ジョアン・ニコラウ監督『JOHN FROM』(2015年 / ポルトガル / 100分)
2019年7月21日(日)東京都 アップリンク渋谷 2019年8月3日(土)、8月8日(木)京都府 誠光社 ゲスト:五所純子さん、山崎まどかさん
▽番外編 ジョナス・メカス、アンコール
上映作品: ジョナス・メカス監督『幸せな人生からの拾遺集』(2012年・68分) 岡本零監督『A night with Jonas & Sebastian Mekas』(2012年・9分)
2019年8月15日(木)東京都 アップリンク吉祥寺 ゲスト:岡本零さん、森栄喜さん
▼第6回
上映作品: 小原真史監督『カメラになった男—写真家 中平卓馬』(2003年 / 日本 / 91分)
2019年9月1日(日)東京都 アップリンク渋谷 2019年9月26日(木)、9月28日(土)京都府 誠光社 ゲスト:小原真史監督、長谷正人さん
▼第7回
上映作品:ブリッツ・バザウレ監督『コジョーの埋葬』(2018年 / ガーナ / 80分)
2020年3月15日(日)東京都 アップリンク渋谷 2020年3月9日(月)、3月14日(土)京都府 誠光社 寄稿:石川竜一さん、小林雅明さん
▼第8回
上映作品:ミア・ハンセン=ラヴ監督『すべてが許される』(2006年 / フランス、オーストリア合作 / 105分)
2020年5月23日(土)〜24日(日) オンライン上映 2020年夏以降にアップリンク渋谷と京都・誠光社で同作を上映予定
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hadakeru-kosen · 4 years
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第8回開催&第1シーズン終了
第8回の上映作品はミア・ハンセン=ラヴ監督による『すべてが許される』(2007年・105分) です。なお、第8回の企画をもって『肌蹴る光線』は第1シーズンを終了することにしました。
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【オンライン上映について】
コロナウイルスの感染拡大と、自粛期間の延長を受けて、今回はオンラインでの上映会を行います。下記peatixリンクからチケットをご購入いただいた皆様に、5月23日(土)18:00〜5月24日(日)18:00まで本編を視聴できるURLとパスワードを、視聴可能時間の直前にメールでお送りします。
https://allisforgiven2020.peatix.com/
※本日5月18日(月)から5月23日(土)正午まで購入可能
※コンビニ / ATMでのお支払いは、5月22日(金)で締め切り
なお、本編映像には英語字幕のみが付いており、日本語版採録シナリオは別途DL頂く形となります。あらかじめご了承くださいませ。仏語から日本語への翻訳は、松井宏さまにご担当いただきました。
また、今回の『すべてが許される』上映によせて、日本のバンド・フレディーマーズに、オリジナル音源“さよならブルドッグ”を制作いただきました。チケットをご購入いただいた皆様には、同楽曲のダウンロードURLもお送りいたします。
※字幕資料、音源のDLリンクも、本編視聴リンクと共にお送りいたします。
【『肌蹴る光線』の第1シーズンを終えることについて】
第8回の企画をもって『肌蹴る光線』の第1シーズンを終えることにしました。詳しい経緯については以下「主催者からのメッセージ」に記しますが、まず、『すべてが許される』を5月23日18:00〜5月24日18:00にオンライン上映し、夏以降に誠光社とアップリンク渋谷で、改めて同作を1回ずつ上映。その時点で、第1シーズンを閉じようと考えています。その後についてはまだ何もかも未定ですが、映画の上映はもちろん、上映以外のイベント開催や、執筆活動など、これまでよりも自由に変化する『肌蹴る光線』の形を作っていけたらと考えています。これまでどんな形であれ、『肌蹴る光線―あたらしい映画―』の第1シーズンに関わって頂いた全ての皆様に、心から感謝いたします。
【主催者からのメッセージ】
ミア・ハンセン=ラヴ監督の『すべてが許される』を上映するという計画は、3月15日にアップリンク渋谷で『コジョーの埋葬』を上映させていただいた日から、急ピッチで動き出しました。なぜかというと、これまで『肌蹴る光線』を支えてきてくださったアップリンクの倉持政晴さんが、5月末で会社を退社されることを、その日の午後に知ったからです。
倉持さんはこれまでアップリンク渋谷に20年近く勤められ、『肌蹴る光線』だけでなく、筆者が大学生の時に突如持ち込んだジョナス・メカスの上映会にも、快く協力してくださった方です。その方が現場を離れられるということは、自分にとってはもちろん、企画にとってもとても大きなニュースでした。『肌蹴る光線』は誇張なしに、倉持さんと、誠光社の堀部さんなしでは、決して成立しなかった企画です。
今後も『肌蹴る光線』を続けていきたいからこそ、ここできちんとけじめ……などと言ったら気味が悪いですが、区切りをつけて、新体制に移行する準備を整えたいなと感じました。そういう訳で、倉持さんのいらっしゃる5月末までに『肌蹴る光線』の第1シーズン最終回をなにがなんでも行う、というのが、『肌蹴る光線』にとって、3月中旬からの大きな目標でした。そして、イベントの最終回に上映させて欲しい作品として、脳裏に浮かんだただひとつの映画こそがミア・ハンセン=ラヴ監督の『すべてが許される』だったのです。
「人と人が結びつき、離れ、そしてふたたび結びつくこと。生きることと死ぬことのほとんどに関わるそうした瞬間が、このフィルムにはある。」
映画批評家・梅本洋一さんがNOBODYに寄せたこの言葉以上に『すべてが許される』を言い表すことの出来る言葉はありえないと思います。しかしあえて自分でも、この作品が好きな理由を挙げてみるとするならば、それはこの映画に差す光がいつも、驚異的な純度の高さを保っている、ということなのではないかと考えています。
光は、ただある時に降り注ぐだけであって、何かを救いはしないし、私たちは自らそれに触れることも出来ません。それはただ、そこにあるだけです。しかし、時間は流れ、心はぐらつくものだから、私たちはそれを、美しいと思ったり、悲しいと感じたりします。そういった当たり前のことが、『すべてが許される』では、当たり前だと受け流せないほどの強度でもって画面越しに伝わってくるのは、ミア・ハンセン=ラヴ監督が、自分に都合の良いイメージを、決して光になすりつけなかったからだと感じます。
そしてその光は、どこまでも平等に、登場人物たちに降り注ぎます。ヴィクトールやマルティーヌやパメラの人生は、物語のために集約されることはせず、そこには確かに、3人分の人生がある。『すべてが許される』の字幕資料を読んで驚いたのは、本編中で本当にわずかな台詞しか発さないキャラクターにまで、しっかりと名前がつけられていることでした。映画の側が誰かの人生やある瞬間の光を切り取るのではなく、まず人生や光がそこにあって、それが映画に映り込んでいる。そういう前提を感じられるからこそ、私はこの映画の映した、揺れ動く瞳や、悲しみに打ち震える身体を目にした時、それを「本当に目撃してしまった」ような衝撃を受けました。
『すべてが許される』で複数の楽曲を使用されているThe RaincoatsのAnaは、インタビューで「あなた達は自分を“フェミニスト”と呼んだ初めてのバンドの一つでしたね」と問われると「当時、私達が自分自身をフェミニストと呼んでいたとは思いません。人々は『あなたはフェミニストですか』と聞いてきたけれど、私はタグをつけられるのが嫌いでした。それが嫌だったのです。私たちは確かにフェミニストだけれど『私はフェミニスト』と書かれたTシャツを持っているわけではないのです」と返答しました。
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今、身の回りを見渡してみると、本来分別できないような、些細で個人的な物事を、都合の良い物語にはめるためにカテゴライズしたり、不要なラベルやレッテルを貼り付けたりする行為が、まだまだ多く存在するなと感じます(ここには自戒も込めています)。だからこそ、私はいつもその逆をいくような『すべてが許される』の光の描かれ方に、心動かされるのかもしれません。
これまでに行ってきた『肌蹴る光線』の記憶を呼び起こし、それを「収穫」し(監督がインタビューでそういう言葉を使っていました)、また真っさらな土地に種をまくために、この映画が必要だと思いました。だから、その上映をこうして実現させていただけることを、本当に幸せだと感じています。
これまでどんな形であれ、イベントに関わってくださった全ての皆さま、本当にありがとうございました。心から感謝を申し上げます。いつも見守り、支えてくださる誠光社の堀部さん、本作の上映実現に向けて多大なるご協力を賜りましたアンスティチュ・フランセの坂本安美さま、突然の依頼にも関わらず、仏語から日本語へのシナリオ翻訳に尽力してくださった松井宏さま、今回の企画を唯一無二のものにしてくださる、素晴らしい楽曲を提供してくださったフレディーマーズさま、ならびにShut Up Kiss Me Recordsさまにも、改めて感謝を申し上げます。そして倉持さん、どうかお元気で!
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hadakeru-kosen · 4 years
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『コジョーの埋葬』紹介文&コロナウィルス対策について:主催者より
7回目の『肌蹴る光線』で上映するのは『コジョーの埋葬』、ガーナの映画だ。ブリッツ・ジ・アンバサダー名義でラッパーとしても活動するブリッツ・バザウレ監督が手掛けたデビュー作で、ガーナ映画として初めてNetflixで配信され、同じくガーナ映画として初めて『ゴールデングローブ賞』にノミネートされた。
「現代ガーナ映画」と聞いて、具体的な作品名や監督名がすぐに思い浮かぶ人はいるだろうか。わたしは「ガーナ映画」どころか、正直なところアフリカのどの国の映画についても、うまく想像することが出来なかった。いまもそのイメージが掴めるようになった訳ではないけれど、今回の上映にあたり、ネットでのリサーチを通じていくつかの知識を得ることができたので、この文章ではそれを少しでも共有できればと思う。
まず、ガーナ映画の現状について。バザウレ監督にメールで「ガーナ映画について教えてください」と尋ねると、ガーナの「Gollywood」は、アフリカではナイジェリアの「Nollywood」に次いで大きな市場を誇っているのだと教えてくれた。初代大統領、クワメ・エンクルマが立ち上げた映画委員会(GIFC)と共に、アフリカで最も早い時期から映画産業を生み出したガーナには、『I Told You So'』(1970)、『Kukurantumi』(1983)、『Love Brewed In the African pot』(1980)などのクラシックが存在することも。
一方で、『コジョーの埋葬』を紹介したこちらの記事を見てみると、1段落目に「近年、ガーナの映画産業は死んだと言われています」ときっぱり記されているのがわかる。この二つの事実の間には、一体どんな状況が横たわっているのだろう? Afrimagesの記事にはこんな風に書かれている。
「Kumawood(ガーナの大都市・クマシに拠点を置く映画産業)」は2週間ペースでコメディを制作するファストフィルム産業です。それは、映画館に行かない大勢の観客を惹きつけます。
家で気軽に楽しめる「Kumawood」や、90年代にビデオ産業へと変化した「Gollywood」は、同じ「映画産業」でありながらも、かつて街を賑わわせた映画館を隅へと追いやった。下の非常に見づらいサイトで、今はなき劇場たちに思いを馳せてみてほしい。さようならオリオン、ロキシー、ホッケー場の向かいのレックス……。世界第2位の映画製作本数を誇るナイジェリアにさえ映画館が30館程度しかないと知り驚いたが、ガーナで「死」を迎えつつあるのは、スクリーンに映るはずだった映画たちのことなのだ。「ローレル&ハーディによるチャップリンは永遠に粉々になってしまった」と、老人が語るように。
The forgotten cinemas ; Ghana's timeless heritage https://www.graphic.com.gh/news/general-news/the-forgotten-cinemas-ghana-s-timeless-heritage.html
そんな状況の中、今回上映する『コジョーの埋葬』のプロデューサーは以下のように断言する。
行き先を決める必要があります:Kumawoodの製作者になりたいか、より良きストーリーテラーになりたいか、それとも、ガーナの物語を国際舞台に導く映画製作者になりたいか。
当然、バザウレのチームが選んだのは第3の道だった。まずは、KICKSTARTERで78,000ドルもの資金を獲得。「自分たちを肩越しにみてくる人も、何をすべきか、すべきでないかを言いつけてくる人もいなかった」と監督が振り返るように、作品に対するすべての主導権を握ることに成功した。2週間で作られる「Kumawood」の何十倍もの時間をかけて、応募する賞も、上映場所も、自分たちで見つけ出す。作品は多人種および女性製作者によるインディペンデント映画の拡張を目指すARRAYによって配給され、The New York Times、VARIETY、IndieWire、THE Hollywood REPORTERなど、国外の大手メディアによるレビューを次々獲得。ガーナ映画として初めて『ゴールデングローブ賞』にノミネートされることとなった。
『コジョーの埋葬』は、ガーナ映画として初めてNetflixで配信される作品にもなった訳だけれど、大手サービスでの配信を決めたことで、チームがスクリーンの文化をおざなりにしているとは到底思えない。「映画の歴史をほとんど持たない人を人間らしくするのが一番難しい」と語るバザウレ監督は、The Africa Film Societyの一員として、2016年から公園などを利用した無料上映会『CLASSICS IN THE PARK』を継続開催しているほどだ。セレブリティだけがハリウッド作品を嗜む数少ない映画館に、乗り込むための同志を世界に向けて募っているのだろう。
最後に、監督が映画を作るときのきまりごとを1つ記したい。それは、どうしても戦争、貧困、絶望がつきまとうアフリカ映画のなかで、それらをあえて描かないという選択だ。監督が「すべての映画が魔法的である必要はないけれど、そういったものと近くにいる必要がある」と語るのを読んでから、石川竜一の「そこには支配する側とされる側が存在し、する側には歴史が語り継がれ、される側には伝説が語り継がれるのかもしれない。だとすると、伝説の持つ神秘性とは、生きるうえでの葛藤や苦悩を超越するために、人々の精神が歴史の中で作り上げてきたものであり、そこには過酷な現実が背中合わせにあるということである。」という一文を思い出さずにはいられない。
『コジョーの埋葬』の評に「magical realism」という言葉を見たけれど、大げさで笑えてわかりやすいファストフィルムや、シリアスな歴史の中でもがくこれまでのガーナ映画からは、この「magical」や「神秘性」が、曖昧さや静けさや詩情が、失われていたのではないかと想像する。そして現代のガーナを生きる上でのリアル / 背中合わせの現実とは、もはや戦争や飢餓ではなく、金の違法採掘や中国による新植民地主義なのだ。
『ブラックパンサー』のライアン・クーグラーや『Random Acts of Flyness』『あまりにも��純化しすぎた彼女の美』のテレンス・ナンス、俳優のジェシー・ウィリアムズら、国際的に活躍する友人たちと手をとって「Gollywood」とも「Kumawood」とも呼べないガーナ映画を一歩先へと進めようとした『コジョーの埋葬』の制作チーム。「閉じられた扉を叩くのではない。自分たちの家を建て、自分たちのドアを持つのだ」と話すのは、配給を担当したARRAYのエイヴァ・デュヴァーネイだ。その意気を受け止める場所を、小規模ながら設けられることを心から誇りに思うと共に、上映会を立ち上げた時、誰も見ていないステートメントに書いた「小規模なわたしたちの上映会は、誰の役にも立たないかもしれません。しかし我々はいつでも、あたらしい出会いを待ち望んで良いのだと信じています」という一文を、改めて思い返す。東京と京都の地では、ガーナ映画の最初の疼きがどう伝わっていくのだろう。胸の鼓動がしだいに速くなる。
井戸沼紀美
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現状、3月9日、3月14日、3月15日の上映会は予定通り実施する方向で準備を進めております。コロナウィルスの感染拡大防止にあたり、ご来場の皆様におかれましても、下記内容のご確認とご協力をお願いいたします。
・発熱・咳・全身痛等の症状がある場合は、ご来場前に必ず保健所などに設置される「相談窓口」にご連絡の上、その指示に従って、指定された医療機関を受診されますようお願いいたします。 ・手洗い、マスク着用、うがいの励行をお願いします。 ・咳エチケットをお守りください。咳・くしゃみ等の症状がある方はマスクをお持ちいただき必ずご着用ください。 ・当日体調にご不安のある方は、くれぐれもご無理をなさらないようお願いいたします。 ・特にご高齢者、妊婦、基礎疾患(糖尿病、心不全、COPD等呼吸器疾患)のある方等、当日体調にご不安のある方は、くれぐれもご無理をなさらないようお願いいたします。 ・誠光社の会場にはアルコール消毒剤を設置の上、上映中に一度換気を行います。 ・アップリンク渋谷の会場では、入場時に手をアルコール消毒していただくよう全てのお客様へお声がけすることを徹底しています。また、チケット購入された方が当日に体調不良である場合はキャンセルを承るということをアナウンスしています。 https://shibuya.uplink.co.jp/news/2020/55841
イベントを楽しみにされている皆様におかれましても、ご自身の体調を最優先にご協力をたまわりたく、お願い申し上げます。尚、会場内で気分が悪くなった場合は、決して無理をせずスタッフにお申し付けください。
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hadakeru-kosen · 4 years
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『コジョーの埋葬』紹介文:石川竜一
ガーナの現代社会を背景に人間の普遍性と精神性が描かれた意欲的な作品であり、現代のポップカルチャーとその技術を基に表現されたこの映画は、トピックのひとつひとつ自体に新しい発見はないものの、其々の関係を考えれば考えるほど深い溝に嵌り込んでいく危険な映画だ。
画面いっぱいに切り取られた物や人物たちが、静かな物語にダイナミックさを齎し、要所に散りばめられた、ミュージックビデオ特有の印象的なイメージカットが、見る人を物語の奥にある、登場人物の精神世界、さらには映画を見る人自身の内面へと向かわせる。所々に出てくる、ドローンによって撮影された飛び行くイメージ��よって、それは物語を辿る旅になる。
登場する人々はみな素朴で、人間味にあふれている。その登場人物の記憶や精神世界が詩的に描かれ、家族の中で交差し、やがて社会まで広がっていくなかで、いくつもの問題と葛藤が大きく口を開き、有無を言わさずに飲み込まれたかと思うと、複雑に絡み合った末に、普遍的な問いの前に立たされるのだ。
この物語を考える上で最も鍵になるのはコジョーの兄の存在ではないだろうか。この物語は始まりから、この村がどこにあるのかは曖昧なまま、もしかすると空想の場所なのかもしれないという状態で、人物や出来事、社会背景が具体的に描かれていく。そのような中でコジョーの兄の登場によって、ひとつの家族の��器用な生活に転機が訪れるのだが、クライマックスでその彼の存在によって、この村自体が「あわい」に存在するということが伝わってくる。
その「あわい」は不明瞭なために幻想的で理想郷的世界観を持って語られてしまうことが多いが、実は世界中、また、どんな物事においても存在する、物事が混ざり合う場所であり、それぞれの力がぶつかりあうところでもある。それは社会に置き換えると、権力と秩序の境目とも言えるのではないだろうか。そこには支配する側とされる側が存在し、する側には歴史が語り継がれ、される側には伝説が語り継がれるのかもしれない。
だとすると、伝説の持つ神秘性とは、生きるうえでの葛藤や苦悩を超越するために、人々の精神が歴史の中で作り上げてきたものであり、そこには過酷な現実が背中合わせにあるということである。墓場のシーンにおいて画面いっぱいに切り取られた十字架に象徴される「神」という存在は常に、生きようとするものに対して試練を与え、その苦悩に対する救いとして、死や別れへと導く。それは、神が人間の奥深くにある「業」と別ものではないからだろう。
物語は、単純にはひとつの家族の物語であるが、その背景に、オリエンタリズムとオクシデンタリズムの壮大な問いが広がっているように思えるのだ。
石川竜一
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hadakeru-kosen · 4 years
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『コジョーの埋葬』紹介文:小林雅明
誰にも打ち明けることのできない苦い思い出ばかりが去来し、過去に向かって時間が逆流する空間で自分は生きていると幻視する、まだ若く温厚な父。
そんな父が話してくれた、自分の生まれた日に見たという夢や自分が見た夢から、父が心の奥底に秘めていた望みを悟り、それを叶えてあげようとする娘。そして、彼女は自分が生まれてきた意味や理由を静かに噛みしめる。
この娘と、蠱惑的なほどヴィジョナリーな映像表現を「語り部」にした『コジョーの埋葬』は、不思議なくらい優しく、穏やかな映画だ。ただし、写し出されるものや出来事のどれもこれもが、優しく、穏やかというわけではない。
映画には「中国による新植民地主義」という一言では簡単には説明できないガーナの抱える錯綜した問題が、様々な側面から、田舎からアクラの都会に移り住む、この親子の生き方に及ぼす影響が、物語の経過と共に映画に色濃く滲んでゆく。寄せては返す波のように父が見る夢には目映さが残っているものの、彼が抱える記憶のほうは、時間の経過と共に、彼の心の傷を癒してくれはせず、より深く深刻なものにしている。
監督のブリッツ・ バザウレが、ブリッツ・ジ・アンバサダー名義で、『コジョーの埋葬』を撮るまでに、すでにEPとアルバムを4作ずつリリース済みのラッパーであることを知る観客なら、彼はむしろこうした社会状況や深刻さを表現することに手慣れたアーティストなのでは、と思い当たるだろう。
ガーナのアクラ出身で、大学入学のためにアメリカに渡った彼の初期の楽曲には、ガーナが抱える問題も取り上げたものもある。そして、ブルックリンを本拠地とするガーナ出身のラッパーとして注目されるきっかけとなった2009年のアルバム「Stereotype」収録の“Something to Believe”では、1980年のカーティス・メイフィールドによる“Sonething to Believe in”に目配せしつつも、曲の主題をパンアフリカ主義に拡大してみせた。いわば、彼はコンシャス(社会問題意識の高い)ラッパーということになろうが、常にアフリカからの視点が息づいているため、USヒップホップ基準では、かなり希な存在だ。当初は、ヒップホップやジャズとアフロビートの融合を試みていたサウンドも、作品を重ねるごとに、共演陣と共によりアフリカ寄り(しかも、ガーナだけにこだわらない)になり、その先に現れたのが初の長編監督作『コジョーの埋葬』であり、そこでは自らスコアも手掛け、西洋古典音楽的なアレンジにも意欲的に取り組んでいる。
『コジョーの埋葬』から、親と子、夢と現実、西洋古典音楽とアフロビート以外にも、昔と今、田舎と都会、貧困と富裕、白い鳥と黒い鳥……と一見したところ対照的な要素の組み合わせをいくつも見つけることができる。だが、実際にはどうだろう。二人の見る夢は、常に超現実的な「夢のような」夢とは限らない。過酷な現実以上に峻烈な、早く自分の目が覚めてほしい、早くそこから逃げたい、と思うような夢もあれば、現実をなぞっただけの夢もある。幼い子が父に助け舟を出すこともあれば、黒い鳥がしあわせも運んできてくれることを映画は示唆している。
このあたりにブリッツの映画監督としての豊かな才能をしっかりと感じとることができる。ちなみに、彼の初監督作は、前述のパンアフリカ主義を踏まえ、波で始まり、白い鳥で終わるのは『コジョーの埋葬』の下書きのようにも思える2016年の17分の短編“Diasporadical Trilogua”で、それ以前にも2011年の自身のミュージック・ヴィデオ(以下MV)“Native Sun”を22分の短編としてテレンス・ナンスと共同で監督している。彼はこのあと程なくして-、『あまりにも単純化しすぎた彼女の美』(2012)(この「肌蹴る光線」でも以前上映された)を撮ることになる。実は、前述の“Something to Believe”の約8分に及ぶMVを撮ったのもテレンスだった。ブリッツがオハイオのケント州立大学卒業後ニューヨークへ上京、引っ越しのため荷物を載せ、自ら運転してきたクルマごと駐車中に盗まれる災難にあった直後に、ルームメイトとして彼を助けたのがテレンスで、やがて彼とは友人から創作活動を共にする間柄となっていった。今なら 『コジョーの埋葬』 の習作としても観ることのできる“Native Sun”のMVの、見るからにシュールな表現や演出はテレンスが担当し、そのセンスはソランジュとの共同監督作となる2019年の『When I Get Home』中、特に“Dreams”MVでも変わっていない。彼の一連の監督作を思い出してみると、ブリッツが『コジョーの埋葬』を監督するにあたり、親しい間柄の彼から何を学び取り、何を学ぼうとしなかったかが見えてくる、と最後につけ加えておきたい。なお、本作のプロデューサー陣にテレンス・ナンスも含まれている。
小林雅明 https://twitter.com/asaakim
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hadakeru-kosen · 4 years
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第7回上映作品詳細
原題を『The Burial Of Kojo』とする同作は、少女・エシと、その父コジョー、叔父クワベナを巡る物語です。ガーナ映画として初めてNetflixで配信され、同じくガーナ映画として初めて『ゴールデングローブ賞』にノミネートされました。ブリッツ・ジ・アンバサダー名義でラッパーとしても活動するバザウレ監督が、KICKSTARTERでの資金集めを経て作り上げたデビュー作で、『あまりにも単純化しすぎた彼女の美』のテレンス・ナンス監督がプロデューサーの1人として参加している他、『ブラックパンサー』のライアン・クーグラー監督からも手引きを受けていたことが明かされています。
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hadakeru-kosen · 4 years
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第7回開催
第7回の上映作品はブリッツ・バザウレ監督による『コジョーの埋葬』(ガーナ・2018年・80分)です。
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上映会の開催にむけて、当ウェブサイトでは写真家の石川竜一さん、音楽ライター/翻訳家/評論家の小林雅明さんと、主催者による作品紹介文も順次公開予定です。
・東京会場 2020年3月15日(日) 場所:東京都 アップリンク渋谷 料金:1,800円 https://shibuya.uplink.co.jp/movie/2020/55737 ※上映時間は3月10日(火)22:00に発表となります。  (お昼の時間帯より2回続けての上映を予定) ※チケットの発売は3月11日(水)朝10:00からとなります。  アップリンク会員は3/10(火)22:00のスケジュール発表の時点より先行予約が可能です。 ※アフタートークの予定はありません
・ 京都会場 場所:京都府 誠光社 2020年3月9日(月)、3月14日(土) 共に19:00〜『コジョーの埋葬』上映 料金:各1,500円(ドリンク別) https://www.seikosha-books.com/event/5284
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hadakeru-kosen · 5 years
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第6回上映作品詳細
『カメラになった男—写真家 中平卓馬』は1977年に急性アルコール中毒で昏倒し、記憶と言葉の大部分を失うこととなった写真家・ 中平卓馬に3年間密着して撮影されたドキュメンタリー映画です。中平が横浜の自宅周辺で写真撮影をする姿や、沖縄を訪問する様子などを捉えており、劇中には森山大道、東松照明、港千尋、荒木経惟、高良勉らも登場します。
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写真家の志賀理江子さんは今年3月に行われた『ヒューマン・スプリング』展の図録で小原監督と対談された際、この映画について「写された光線の中には、世界のすべてが有り、かつ、無いという次元が成立していて、それこそが写真のパラドックスなのだとすら感じました」と語っています。中平卓馬さんのファンの方はもちろん、まだその作品に触れたことのない方にも、ぜひご来場いただけたら嬉しいです。
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hadakeru-kosen · 5 years
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第6回開催
第 6 回の上映作品は小原真史監督による『カメラになった男—写真家 中平卓馬』(2003 年・91 分) です。
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中平氏の命日である 9月1日、アップリンク渋谷での上映後には監督の小原真史さんと社会学者の長谷正人さんをお迎えしたトークも開催予定です。
・東京会場 2019年9月1日(日) 場所:東京都 アップリンク渋谷 時間:20:00〜 料金:1,800円 ※上映後に小原真史監督、長谷正人さんによるトークを開催
・ 京都会場 2019年9月26日(木)、9月28日(土) 場所:京都府 誠光社 時間:共に 19:00〜 料金:各1,500円(ドリンク別)
※本作は2003年当時にデジタルビデオカメラで撮影されており、画像の乱れが生じる場面がいくつかございます。あらかじめご了承ください。
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