全州で出会ったパンさんのこと
劇場からカフェまで走った。10分くらい待ち合わせの時間からすぎてる。電話で連絡は取れないし焦る。パンさんは入口のそばに腕を組んで立ってて、気づくとわらって、よし行こうとすぐに歩きだした。ビールを飲みたいかマッコリを飲みたいかを訊かれて喉が渇いてたからビールと伝える。どちらを選ぶかで行く店も変わるようだった。歩くのが早い。腕を組んでたのは、やっぱり全州の夜はさむいから。ずいぶん歩いたところで立ち止まる。あたりを見回して道を間違えたとわらってる。ソーリーソーリーと言いながら来た道を戻ったり角を曲がったり。私は映画を見てるときからトイレを我慢してて意識がぼんやりしていく。遠くに看板を見つけて近づいたらその店は満席で賑わってて並んでる人もいた。パンさん、がっかりしてる。そこの30メートルほど手前にあった店がよさそうな雰囲気だったから、パンさんがすこしでも落ち込まないようにと思って、あとトイレのこともあって、あそこに行きたいと伝える。そうしようということで来た道を戻る。
まずはトイレ。戻ってきたらパンさんが冷蔵庫から瓶ビールを自分で取り出してる。東京の練馬にも同じシステムの店があるから親近感がわいた。グラスにビールを注いでくれて、お返しをしようとしたら断られる。なにか説明してくれてるけれど聞き取れない。店の人が1本だけ別に瓶ビールを持ってくる。手にしてすぐにわかった。パンさんはビールを常温で飲むらしい。胃にやさしいから常温のビールを飲むと伝えてくれてたのだと、ようやくわかる。炙られてパッサパサになった魚のつまみが出てくる。それをむしってコチュジャンのような辛いタレをつけて、ちょっとずつ食べながらビールを飲む。パンさんの言ってた全州スタイル。おいしい。おいしいですと伝えるとパンさんが残念そうな顔。あっちの店の方がもっとおいしいんだと言ってる。
パンさんは日本にくわしかった。テレビ局で撮影の仕事に就いて30年前に渋谷のNHKに研修に行って、機材のことや技術を学んだらしい。だから、たまに短く日本語をはさんでくれる。ドラマからスポーツ、舞台、ニュース、ドキュメンタリー、なんでも撮影してきた。オリンピックのときに競技の撮影もした。いまはしばらく全州を拠点にしてて映画の脚本を書きつづけてる。もう2年くらい書いてる。脚本を書くのはむずかしい。仲間の監督が撮った作品が今回の映画祭で上映される。まだ全州に来てないけど、タイミングが合えば会わせたい。六本木は苦手。渋谷は好き。他にもいろいろ話を聞いた。全州の出身なのかを訊いたらクァンジュだと言った。クァンジュ、クァンジュ、それはもしかして光州のことかなと思って、漢字で書くと光かどうかをたずねたら、そうだった。少し前に東京で『タクシー運転手』を見たことを伝えた。私は配慮に欠けてた。感動した作品だったので、とっさに映画の感想をたくさん伝えた。映画の終盤で燃えてたテレビ局があっただろうとパンさんが言う。あれが、MBC。あれが私が勤めてたテレビ局。それを聞いたときに、なんてばかなんだろうと思った。軍事政権によって街が隔離状態にされて、大勢の非武装の市民が虐殺された光州事件。起きたのは1980年。パンさんは、きっとそのころ青年だった。私が黙ってしまったあとも話をつづけてくれた。事件が起きたとき、パンさんはMBCのソウル局にいた。ご両親の安否を確認しようにも電話が通じない。どこにもだれにも電話ができない。中の様子がわからない。唯一、光州市内に無線で連絡が取れるラジオ局があった。市内同士では電話が通じたらしく、パンさんの連絡を取り次いだラジオ局の人は片方の耳に無線を当て、もう片方に電話の受話器を当て、パンさんが伝えることをその場でご両親に伝えてくれたそう。パンさんの家族は無事だった。実は『タクシー運転手』は見てないのだと教えてくれた。それ以外にも光州事件を扱った作品や番組は自分は見られない。あまりにもいろんなことがありすぎたとパンさんは言った。ご両親は無事だった。けれどと思った。それ以上は訊けなかった。パンさんはいつか自分で光州事件を扱った番組を作ろうと思ってるんだと言った。もしかしたらいま書いてる映画の脚本がそれなのかもしれない。わからない。途中から私は涙が止まらなくなってた。会ったときからずっと冗談ばかり言ってるパンさん。持ってた手ぬぐいで拭いても、あとから溢れてくる。パンさんは店内の魚を炙る煙で私が目を赤くしてるのだと思ったらしく、その心配をしてくれた。私がパンさんの話を聞いて泣いてるのだとようやく気づいて、はじめて見るような顔をした。ありがとうと言って、それからしばらく黙ってた。カフェの店主がやってきた。いつのまにか連絡をしてたらしく、パンさんが隣に席を作る。並んだふたりは仲良さそう。パンさんがコリア語でしばらく店主の人に話しかけてる。きっと私がいまどうして泣いてるかの説明をしてくれたのだと思う。あたらしいグラスにビールを注いで3人で乾杯した。並んだふたりがとてもすてきだったから写真を撮らせてもらった。もしかしたらパンさんはカフェのオーナーなのかもしれないとそのとき思った。そのあともしばらく飲んだ。ひさしぶりに、まっすぐ歩けないくらいに酔っぱらった。ふたりは私が知ってる道に出るまで一緒に歩いて案内してくれた。
深夜の0時をすぎてた。ホテルの入口で藤元明緒さんに会った。あらためて映画の感想を伝えた。10階の部屋に入ろうとしたら、隣の松本勝さんの部屋から賑やかな声が聴こえてくる。ノックしたら、勝さんがすぐにドアを開けてくれた。中で、いろんなチームの人たちが一緒に酒を飲んでた。大九明子さんによると私はまだそのときも顔が泣いてたらしく、あの顔忘れないと最後に会ったときにおかしそうに伝えてくれた。
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くじけないで手紙を書いた
ひさしぶりに見返した。枡野浩一さんの詩集「くじけな」(文藝春秋)の刊行のお祝いに作ったドキュメンタリー映画『くじけないで手紙を書いた』。お祝いなのに、枡野さんご本人への負担が大きかった。枡野さんが、完成したばかりの詩集を友人たちに直接届けに行き、夜に帰宅する話。『春原さんのうた』のもうひとつの私自身の原作みたいだった。
『春原さんのうた』は俳優の荒木知佳さんの治療の完治祝い。『くじけないで手紙を書いた』は歌人の枡野浩一さんの詩集の刊行祝い。一人暮らしの一室で、主人公が洗濯物を干して、お湯を沸かして、出かけて、電車に乗って、途中に本を開いて、誰かと会って、話して、帰ってきて、洗濯物を取り込む。前者が撮られたのは2020年のコロナ禍が始まって間もない頃で、後者が撮られたのは2011年の震災が起きて間もない頃。
映画学校に入学したのは2001年の9月だった。初日に伝えられた最初の課題は、晴海公園で16mmフィルムを使って30秒間の映画を撮ることだった。撮影の日を迎えるまでに、ニューヨークで同時多発テロが起きた。家の台所には、ニューヨークに転勤して間もなかった兄から届いたワールドトレードセンターの写真がプリントされた葉書が置かれてた。ここの89階で働いてると書かれてた。居間のブラウン管のテレビ画面にビルが映るたびに、兄がいるはずの89階を指でなぞりながら数えた。二つあるうちの、どちらのビルなのかはわからなかった。数えきる前にカットは切り替わっていった。当時は本格的にインターネットが普及し始めた頃で、SNSはなく、メーリングリストでのやりとりが次の日から始まった。大学の同級生だった人たちが、同時多発テロについて、これはつまるところはアメリカに原因があるとか、いろんな意見を交わし合ってた。
晴海公園で、映画学校の同期生の少なくない人たちは、様々な小道具を用意して、そのことを撮影しようとしてた。私は、一人の人が晴海公園にただ立ってる姿を撮った。重いスターン社のフィルムカメラを肩で支えながら、ゆっくりと歩き、最後は家の台所から持ってきた椅子に、カメラが揺れないように慎重に上がりながら、見下ろすようにその顔を撮った。振り返ったその目はレンズを睨み上げてる。
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2020年9月11日(金)
映画『春原さんのうた』はラストシーンから撮影することになった。2020年3月23日の月曜日にそのシーンを撮り終えたところで、それ以降のスケジュールの延期を決めた。延期と言いながら心のなかでは中止かもしれないと思っていた。映画のメインの舞台となる施設からの撮影許可が一旦保留になり、その「一旦」がもしかしたら数年に及ぶだろうと予感していた。自粛生活の忙しさのなかで少しずつ気持ちの���理をつけはじめていた。
「さて、東京のアパートなんですが、やはり引払う方向で考えています。とは言っても、早くて今年の9月いっぱいを考えてます。誰か住んでくれればいいんですけどね、、。それで、わがまま言って申し訳ないのですが、うちでの撮影だけ、なんとか遂行できないでしょうか?」
このメッセージが俳優の日髙啓介さんから届いたのが5月14日の火曜日だった。日髙さんのお住まいの部屋を『春原さんのうた』の主人公が暮らす部屋としてお借りすることになっていた。すぐにメッセージではなく電話をかけた。活動の拠点を地元の宮崎に移すと決めたこと、いま住んでいるアパートに思い入れがあること、映像の中だけでもその部屋の様子を残しておきたい気持ちがあることなどを教えてくれた。
そのシーンだけ撮影することはできる。他のシーンがないと作品としては残せない。他のシーンの撮影はこの先もきっとむずかしい。日髙さんのお気持ちには応えたい。窓も多く風通しのいい部屋だから換気も十分でスタッフも少人数だから撮影自体はできる。ラストシーンでお借りしたカフェのキノコヤは窓やドアを開ければ換気は十分で、相談すれば店主の黒川由美子さんはきっとまたいいよと言ってくれる。その部屋とキノコヤが舞台なら今でも映画は作れる。東直子さんの短歌を映画にすることは実現させたい。出演者とスタッフのみなさんとできることなら一緒にこの作品を形にしたい。
それで思いついた。東さんの原作の短歌はそのままに、タイトルもそのままに、登場人物もそのままに、映画の舞台は日髙さんの部屋とキノコヤを中心にして、パラレルワールドみたいなもうひとつの物語を書けばいいのだと。お断りする気持ちの方が大きかったその電話の最後には分かりましたやってみますと言っていた。宮崎に帰っているところだった日髙さんから鍵をお借りして、数日後にはその部屋にお邪魔していた。小さな椅子に座って風に揺れるカーテンを眺めているうちに眠りに落ちていた。東直子さんにメールを送り、関係者のみなさんへの連絡をはじめた。場所が変わるとまた思い浮かぶお顔もあって、元々の出演者の人たちにあたらしい人たちが加わり、脚本はパラレルワールドではなく以前のお話のつづきになり、すでに撮影しているラストシーンはファーストシーンになり、その部屋の契約が終わるまでを目指して動きはじめた。だからそれは活動の再開で、あたらしいスタートだった。
転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー 東直子
東直子さんの歌集『春原さんのリコーダー』の文庫本は現場で使用しているサコッシュにお守りみたいに入れてる。アパートの契約終了の時期は少し延びたみたい。
『春原さんのうた』は俳優の荒木知佳さんの大がかりな顎の手術によるあたらしい顔の完成祝いとして始まり、そこから歌人の東直子さんの短歌につながり、日髙啓介さんと東京のアパートのお別れの記念になり、8月末からはじまった撮影の現場では「よーい、はい」「どうぞー」「カットー」「はーい」などと声を出してる。今週はその部屋にリコーダーの音が響いて、どこか見知らない世界からこちら側に届いた音みたいに聴こえてた。
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9/24(金)サン・セバスチャン4日目
起床。晴れてたから洗濯。パリやマルセイユとちがってサン・セバスチャンは部屋干しだとなかなか乾かない。部屋も北北西向き。テラスの机や椅子に洗濯した衣類を広げていく。風もあるし、暖かいから乾くことを期待する。
集合時間にロビーに降りたら二人の姿がない。奥の方で槻舘さんが荒木さんのメイクをしてた。槻舘さんがもうヘアメイク担当の人みたい。失礼かと思いつつその場でお礼を渡す。お小遣いだーと喜んでくれる。
映画祭の車両が迎えに来てくれる。メイン会場に移動。映画祭の配信サイトで放映されるインタビュー映像の収録。司会は前日につづいてヴィクトルさんだった。ヴィクトルさんはマルセイユ国際映画祭の審査員の一人。本当に『春原さんのうた』を好きでいてくれてるみたい。インタビュー映像はリアルタイム配信ではなく後で編集するとのことだったので、語りの長さは気にしないことにした。主にヴィクトルさんにちゃんと答えたい気持ちで、これまで話してなかったようなことにも触れた。記念に写真を撮ってもいいかを尋ねたら、映画と一緒だねと言って笑ってくれた。荒木さんはマルセイユを経て、前日のQ&Aもあって、話す内容がどんどんおもしろくなってる。
収録を終えてグロリアさんも交えて4人でランチへ。初日の夜に入ったバルに再び。外の角のテラス席に通された。少しして別の店員の人から並ばずに勝手に座らないように注意を受ける。グロリアさんがしっかりと怒った。グロリアさんは不当な対応をされた時に瞬時���正す。かっこいい。私が座った席の上だけちょうどテント屋根がなくて、グロリアさんがしきりに心配してる。上から何か落ちてきたら危ないからもうちょっとこっちに寄ってと。上から何か落ちてくることあるだろうかと思いつつ見上げてみるけれど、大丈夫そう。心配がありがたい。荒木さんも私も肉を欲してて、ステーキを注文。荒木さんが何かを食べる写真を私たちが撮りたがるものだから、荒木さんもちゃんとそれに応えてかぶりついてくれる。
食後にコーヒーを飲むことになって、海の方のカフェに行くことに。しばらく海沿いを散歩。百科事典に載ってそうなビーチ。途中、槻舘さんのご友人の撮影技師の方と遭遇。ちょうどこの街で映画の撮影中とのこと。槻舘さんの顔の広さ。さらにしばらく歩いてカフェに入った。私はそこで眠気に襲われて就寝。起きてから、冷めたエスプレッソを飲んだ。
一旦ホテルに戻って夕食の時間まで休憩することに。部屋に入ってすぐに洗濯物を確認するとまだ半乾き。ベッドに横になる。起きてまたロビーに集合。バスに乗って中心街へ。この日の夜はセドリックさんも交えて最後にみんなでご飯を食べることになってた。街に着く頃に急な強い雨。一日晴れると思ってた。洗濯物はまた一からやり直し。
グロリアさんとセドリックさんが先にバルに到着して並んでる。合流して一緒に並ぶ。なかなか列が進まない。空いてるテーブルはある。大人数用のテーブルに2人で座ってる人たちもいる。バルは基本的に予約はないシステムで、グロリアさんが前日に電話で確認した時も予約は取り扱ってないと言われたとのこと。でも来たばかりの人たちがテーブルに通されたりしてる。どうやらお店のネットサイトでは予約を受け付けてるらしいことが判明。グロリアさんの出番。店員の人に果敢に話しかけて問いつめるも、店員の人も厳しい表情。その間に、列への並び方で注意を受けたりする。ここは邪魔になるからもっとそっちに並べと言われた先はテント屋根がなくて雨に濡れる位置。セドリックさんが丁寧に静かにそのおかしさを申し立てる。何回かのやりとりがあって、別の店に行くことに。最後にグロリアさんは、二人だけで大人数用のテーブルに座ってたお客さんに「一つ聞いてもいいですか?」と話しかけてしっかりと文句を言ってた。
映画祭と提携してるレストランへ。店員の人たちの対応が丁寧でやさしくてほっとする。メニューにないものを注文しても作って出してくれる。コロッケのようなものやフォアグラなど。みんな満足。グロリアさんが、おいしいウイスキーが飲めるバーがあると教えてくれて、移動。
荒木さんは初めてカクテルに挑戦してみることに。何か青いのを頼んでた。槻舘さんはジントニックだったと思う。グロリアさんとセドリックさんと私は響。店内で待ってる間、かかってた音楽に合わせてセドリックさんと荒木さんが踊り始める。荒木さん、やっと踊れた。荒木さんが踊れるとうれしい気持ち。セドリックさんのダンスもかっこいい。表のテラス席で飲んで、さらにもう一軒行くことに。
バラエティ誌の方や批評家の方など、グロリアさんたちの知人の人たちに会ってテーブルを合わせて一緒に飲むことに。サン・セバスチャンはジントニックが名物の一つと初めて知る。みんなで頼んで飲んだ。本当においしい。荒木さんは慣れないお酒を飲んだせいで目が空。そのまま睡眠。セドリックさんがうれしそうに身を乗り出して写真を撮ってた。これでセドリックさんとはお別れ。さみしい。
初日の夜に撮った、グロリアさんとセドリックさんが一緒に傘をさして歩いてる写真を送ったら、二人とも美しいと言ってすごくよろこんでくれた。
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7/23(金)と7/24(土)
また夜明け前に目が覚めてしまった。おかげで日記が書ける。2日分がんばってみる。
7/23(金)
朝9時から開くPCR検査所に行くために、ワクチン2回接種済みの槻舘さん以外の3人でホテル前に集合。回転ドアから出てきた荒木さんが不思議な顔をしてる。足の指から血が出てる。サンダルにガラスの破片が紛れ込んでたらしい。動揺する荒木さんと川村さんと私。サンダルをほろい、肩を貸しながら部屋に戻ってシャワーで流す。ロビーに戻り、受付の人に絆創膏をお願いする。Shoe Shine と書かれたアイテムを持ってきてくれる。それじゃないです絆創膏ですと伝える。2枚くれた。連日のダンスで靴底がパカパカになってたのもあって、荒木さんはサンダルも予備のナイキのものに履き替えた。予定より遅れて検査所へ。かなりの人数がすでに並んでる。午前に見る予定だった映画は諦めることにする。30分ほど待ってようやく中へ。受付の人が、あなたたちを覚えてると言った。前回よりもスムーズにそのまま検査へ。荒木さんも川村さんも私も鼻に長い何かを突っ込まれることにまだ慣れない。涙目。外に出て20分後に出る結果を待つ。この時間の気持ちが一番大変。もし陽性だったらと考えるのをやめようとお互いに言い聞かせるけれど考える。結果が書かれた書類を警備の人が持ってきて名前を呼んで渡すシステム。荒木さんも私も無事に陰性。川村さんだけなかなか呼ばれない。どんどん心配になる。警備の人が出てくる。「Misaki Kawamura」と言った後に元気な声で「NEGATIF!(陰性)」と発表する警備の人。これまで一度も口頭で発表しなかったのに、川村さんだけ高らかに伝えられたのがどうしてなのか分からずに笑いが止まらない。よほど心配そうな顔をしてたから安心させたかったのだろうという結論に。映画には間に合わないけれど、劇場まで移動してロビーで槻舘さんを待つことに。到着したタイミングで槻舘さんもロビーに現れる。途中で出てきたとのこと。作品がおもしろくないと容赦のない槻舘さん。
昼食のために槻舘さんが予約してくれたアイオリを食べられるレストランまで歩いて移動。まだ時間に余裕があったので、初日にも寄ったマルセイユ名物のビスケットのお店へ。初めて訪れた川村さんがお土産用に購入。初日にも撮影した顔はめパネルには裏もあったのでまた撮影。荒木さんのサンダルか靴を探すために洋服のお店へ。かわいい靴とマルセイユの名物の編みかごのバッグを購入。靴はそのまま履き替えた。お手頃値段のお店だったので槻舘さんにも何かアクセサリーをと思って尋ねたら、私は物へのこだわりがすごいから大丈夫ですと断られる。人からもらった物は付けないとのこと。全方位はっきりした方でかっこいい。アイオリのお店へ。予約していたおかげでテラスのいい席へ案内してくれる。荒木さんと槻舘さんはアイオリ、川村さんと私はお肉。アイオリは海鮮料理のこと。お肉は焼く前の状態で一度持ってきてこれを焼くんだぞと見せてくれる。大きすぎて引く。それぞれ半分こにしてみんなで両方食べる。すこぶるおいしい。お肉は噛み応えがありすぎる。暗黙のうちに槻舘さんと荒木さんは2切れずつ、川村さんと私は3切ずつということになっていて怯む。3切れは無理と思った。川村さんがきっと食べてくれると思うなと言ったら本当に食べてくれた。やさしい。そしてまたごちそうさまを言うことに。甘えすぎている。店員の人が、一年前に来店した池添俊さんのことを覚えていて、その時の様子を詳しく教えてくれる。池添さんはとにかくお店の写真をたくさん撮っていたそう。映画を見たいと言ってくれたので、ポストカードを渡した。一緒に写真も撮った。
『春原さんのうた』の2回目の上映開始時間ぴったりに劇場に到着。書かれた予定時間通りに映画が始まることがないマルセイユ国際映画祭。おおらか。上映前舞台挨拶。5列目に審査員の人たちが並んで座ってるのに気づく。緊張を和らげるためにそちらは見ないようにしながら簡単に短く挨拶。この日も皆さんは保護者がこどもを見るような温かい眼差し。今回、自分自身が映画を鑑賞するときに作品の長さがどれくらいだったか確認しておけばよかったと思うことが多かったので、2時間ですとちゃんと伝えたら笑いが起きた。上映の間はロビーで休憩しながら待つことに。荒木さんはソファで睡眠に入る。通訳のナタンさんが聖人だという話で盛り上がる。槻舘さんが聖人だと伝えるたびに恐縮しているナタンさん。上映後のQ&Aはたくさんの人がそのまま残ってくれて多分盛り上がったと思う。荒木さんも私も緊張が解けてきた。何を話したかも書こうと思ったけれど覚えてない。覚えてるのは���会のシリルさんが別れ際に込み上げた涙を拭いてたこと。槻舘さん曰くシリルさんは批評家でもあるとのこと。感動したと伝えてくれた。そんな話をした覚えがなかったので戸惑う。でもうれしい。
急いでマルセイユ国際映画祭の事務局がある建物へ。いつかの東京・京橋にあった片倉ビルを思い出すような荘厳な建物。その中にはすでに学生の皆さんが集まって円になって座ってる。コンペティション作品を見て監督とも対話するという教育プログラムの一環とのこと。すごいな贅沢だなと思ってから、自分もかつてそのようなプログラムに参加したことがあったのを思い出した。ある日、授業の教室に向かって廊下を歩いていたときに先生の如月小春さんから手招きされてベンチに並んで座り、ひと月に一本ずつ国外から来る舞台公演を無料で見て演出家と話す学生プログラムがあるのだけれど、杉田くんどうかと思ってと誘ってくれたのだった。そのときに見た舞台はどれもよく覚えてる。今は自分は逆の立場にいるのだと気づいた。その時の如月さんの年齢になったことも。
ずっと話してたから時間がわからないけれど、多分1時間以上質問に答えたりしながら映画をめぐる話をした。にこにこしながらすごく真剣に聞いてくれてるのがわかった。この人たちも全員すでに作り手なのだろうとわかった。あと、今回はナタンさんはフランス語ではなく英語だった。心なしか英語の方が生き生きしてる。聞けば、お母さまが英国の人だとのこと。ナタンさんはトリリンガルだった。ミーティングは盛り上がったまま終了。出された葡萄をさっそく荒木さんが頬張ってた。全員にポストカードをプレゼントした。一旦ホテルに戻る。
この日の夜はウィーラセータクン監督とのディナーに招待されていたはずだけれど、土壇場になって出席できないことに。手違いがあって、審査員も参加するためコンペティションの参加監督は同席できないとのこと。残念だけれど仕方ない。元々はジャーナリストとしても映画祭に呼ばれている槻舘さんだけ向かうことに。もうすでに前日の日記にも書いてしまったし、これは槻舘さんに写真を撮ってきてもらって参加した体でアップしようと話す。川村さんと荒木さんと3人で他のコンペティション作品を見に行くことに。来てくれてありがとうと監督がとても喜んでくれた。かなり重い内容だったけれど面白かった。
続けてさらに深夜に上映スタートの映画を見るために劇場を移動。途中、小腹を満たすためにスーパーに。川村さんはおにぎりとサンドイッチ、荒木さんはミニトマトの中にチーズが入ってる惣菜、私はチョコレートバー。歩きながら食べた。一口食べた荒木さんがむおーと言ってる。ミニトマトではなくて唐辛子のような辛い野菜だったみたい。おいしーと言ってる。ディナーを終えた槻舘さんも合流してこの日最後の一本を鑑賞。疲労がすごかったのでそのままホテルに帰ろうとしたけれど、もうお酒を買えるスーパーが閉まっていて、川村さんがビールを飲みたそうだったのでホテルのそばのお店へ。二杯くらい飲んだ。グロリアさんから槻舘さんにメッセージ。そちらに自分も合流するとのこと。待っていたけれどなかなか現れない。槻舘さん曰く、メッセージの感じからグロリアさんはきっともう酔っ払ってるだろうとのこと。しばらくしたら遠くに見えるホテルの玄関に俯いたまま入っていくグロリアさんの姿が見えた。帰巣本能がすごいと槻舘さんが言った。
川村さんがおにぎりを残したことを次の日に知った。おいしくなかったとのこと。こちらのおにぎりはまずいからやめた方がいいですよと槻舘さんから教わってた。
ここまでで7/23は終了。朝食の時間になったので食べてくる。帰ってきてがんばれたら続きを書くつもり。
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