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haruhara-san · 11 months
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全州で出会ったパンさんのこと
劇場からカフェまで走った。10分くらい待ち合わせの時間からすぎてる。電話で連絡は取れないし焦る。パンさんは入口のそばに腕を組んで立ってて、気づくとわらって、よし行こうとすぐに歩きだした。ビールを飲みたいかマッコリを飲みたいかを訊かれて喉が渇いてたからビールと伝える。どちらを選ぶかで行く店も変わるようだった。歩くのが早い。腕を組んでたのは、やっぱり全州の夜はさむいから。ずいぶん歩いたところで立ち止まる。あたりを見回して道を間違えたとわらってる。ソーリーソーリーと言いながら来た道を戻ったり角を曲がったり。私は映画を見てるときからトイレを我慢してて意識がぼんやりしていく。遠くに看板を見つけて近づいたらその店は満席で賑わってて並んでる人もいた。パンさん、がっかりしてる。そこの30メートルほど手前にあった店がよさそうな雰囲気だったから、パンさんがすこしでも落ち込まないようにと思って、あとトイレのこともあって、あそこに行きたいと伝える。そうしようということで来た道を戻る。
まずはトイレ。戻ってきたらパンさんが冷蔵庫から瓶ビールを自分で取り出してる。東京の練馬にも同じシステムの店があるから親近感がわいた。グラスにビールを注いでくれて、お返しをしようとしたら断られる。なにか説明してくれてるけれど聞き取れない。店の人が1本だけ別に瓶ビールを持ってくる。手にしてすぐにわかった。パンさんはビールを常温で飲むらしい。胃にやさしいから常温のビールを飲むと伝えてくれてたのだと、ようやくわかる。炙られてパッサパサになった魚のつまみが出てくる。それをむしってコチュジャンのような辛いタレをつけて、ちょっとずつ食べながらビールを飲む。パンさんの言ってた全州スタイル。おいしい。おいしいですと伝えるとパンさんが残念そうな顔。あっちの店の方がもっとおいしいんだと言ってる。
パンさんは日本にくわしかった。テレビ局で撮影の仕事に就いて30年前に渋谷のNHKに研修に行って、機材のことや技術を学んだらしい。だから、たまに短く日本語をはさんでくれる。ドラマからスポーツ、舞台、ニュース、ドキュメンタリー、なんでも撮影してきた。オリンピックのときに競技の撮影もした。いまはしばらく全州を拠点にしてて映画の脚本を書きつづけてる。もう2年くらい書いてる。脚本を書くのはむずかしい。仲間の監督が撮った作品が今回の映画祭で上映される。まだ全州に来てないけど、タイミングが合えば会わせたい。六本木は苦手。渋谷は好き。他にもいろいろ話を聞いた。全州の出身なのかを訊いたらクァンジュだと言った。クァンジュ、クァンジュ、それはもしかして光州のことかなと思って、漢字で書くと光かどうかをたずねたら、そうだった。少し前に東京で『タクシー運転手』を見たことを伝えた。私は配慮に欠けてた。感動した作品だったので、とっさに映画の感想をたくさん伝えた。映画の終盤で燃えてたテレビ局があっただろうとパンさんが言う。あれが、MBC。あれが私が勤めてたテレビ局。それを聞いたときに、なんてばかなんだろうと思った。軍事政権によって街が隔離状態にされて、大勢の非武装の市民が虐殺された光州事件。起きたのは1980年。パンさんは、きっとそのころ青年だった。私が黙ってしまったあとも話をつづけてくれた。事件が起きたとき、パンさんはMBCのソウル局にいた。ご両親の安否を確認しようにも電話が通じない。どこにもだれにも電話ができない。中の様子がわからない。唯一、光州市内に無線で連絡が取れるラジオ局があった。市内同士では電話が通じたらしく、パンさんの連絡を取り次いだラジオ局の人は片方の耳に無線を当て、もう片方に電話の受話器を当て、パンさんが伝えることをその場でご両親に伝えてくれたそう。パンさんの家族は無事だった。実は『タクシー運転手』は見てないのだと教えてくれた。それ以外にも光州事件を扱った作品や番組は自分は見られない。あまりにもいろんなことがありすぎたとパンさんは言った。ご両親は無事だった。けれどと思った。それ以上は訊けなかった。パンさんはいつか自分で光州事件を扱った番組を作ろうと思ってるんだと言った。もしかしたらいま書いてる映画の脚本がそれなのかもしれない。わからない。途中から私は涙が止まらなくなってた。会ったときからずっと冗談ばかり言ってるパンさん。持ってた手ぬぐいで拭いても、あとから溢れてくる。パンさんは店内の魚を炙る煙で私が目を赤くしてるのだと思ったらしく、その心配をしてくれた。私がパンさんの話を聞いて泣いてるのだとようやく気づいて、はじめて見るような顔をした。ありがとうと言って、それからしばらく黙ってた。カフェの店主がやってきた。いつのまにか連絡をしてたらしく、パンさんが隣に席を作る。並んだふたりは仲良さそう。パンさんがコリア語でしばらく店主の人に話しかけてる。きっと私がいまどうして泣いてるかの説明をしてくれたのだと思う。あたらしいグラスにビールを注いで3人で乾杯した。並んだふたりがとてもすてきだったから写真を撮らせてもらった。もしかしたらパンさんはカフェのオーナーなのかもしれないとそのとき思った。そのあともしばらく飲んだ。ひさしぶりに、まっすぐ歩けないくらいに酔っぱらった。ふたりは私が知ってる道に出るまで一緒に歩いて案内してくれた。
深夜の0時をすぎてた。ホテルの入口で藤元明緒さんに会った。あらためて映画の感想を伝えた。10階の部屋に入ろうとしたら、隣の松本勝さんの部屋から賑やかな声が聴こえてくる。ノックしたら、勝さんがすぐにドアを開けてくれた。中で、いろんなチームの人たちが一緒に酒を飲んでた。大九明子さんによると私はまだそのときも顔が泣いてたらしく、あの顔忘れないと最後に会ったときにおかしそうに伝えてくれた。
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haruhara-san · 2 years
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くじけないで手紙を書いた
ひさしぶりに見返した。枡野浩一さんの詩集「くじけな」(文藝春秋)の刊行のお祝いに作ったドキュメンタリー映画『くじけないで手紙を書いた』。お祝いなのに、枡野さんご本人への負担が大きかった。枡野さんが、完成したばかりの詩集を友人たちに直接届けに行き、夜に帰宅する話。『春原さんのうた』のもうひとつの私自身の原作みたいだった。
『春原さんのうた』は俳優の荒木知佳さんの治療の完治祝い。『くじけないで手紙を書いた』は歌人の枡野浩一さんの詩集の刊行祝い。一人暮らしの一室で、主人公が洗濯物を干して、お湯を沸かして、出かけて、電車に乗って、途中に本を開いて、誰かと会って、話して、帰ってきて、洗濯物を取り込む。前者が撮られたのは2020年のコロナ禍が始まって間もない頃で、後者が撮られたのは2011年の震災が起きて間もない頃。
映画学校に入学したのは2001年の9月だった。初日に伝えられた最初の課題は、晴海公園で16mmフィルムを使って30秒間の映画を撮ることだった。撮影の日を迎えるまでに、ニューヨークで同時多発テロが起きた。家の台所には、ニューヨークに転勤して間もなかった兄から届いたワールドトレードセンターの写真がプリントされた葉書が置かれてた。ここの89階で働いてると書かれてた。居間のブラウン管のテレビ画面にビルが映るたびに、兄がいるはずの89階を指でなぞりながら数えた。二つあるうちの、どちらのビルなのかはわからなかった。数えきる前にカットは切り替わっていった。当時は本格的にインターネットが普及し始めた頃で、SNSはなく、メーリングリストでのやりとりが次の日から始まった。大学の同級生だった人たちが、同時多発テロについて、これはつまるところはアメリカに原因があるとか、いろんな意見を交わし合ってた。
晴海公園で、映画学校の同期生の少なくない人たちは、様々な小道具を用意して、そのことを撮影しようとしてた。私は、一人の人が晴海公園にただ立ってる姿を撮った。重いスターン社のフィルムカメラを肩で支えながら、ゆっくりと歩き、最後は家の台所から持ってきた椅子に、カメラが揺れないように慎重に上がりながら、見下ろすようにその顔を撮った。振り返ったその目はレンズを睨み上げてる。
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haruhara-san · 2 years
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2020年9月11日(金)
映画『春原さんのうた』はラストシーンから撮影することになった。2020年3月23日の月曜日にそのシーンを撮り終えたところで、それ以降のスケジュールの延期を決めた。延期と言いながら心のなかでは中止かもしれないと思っていた。映画のメインの舞台となる施設からの撮影許可が一旦保留になり、その「一旦」がもしかしたら数年に及ぶだろうと予感していた。自粛生活の忙しさのなかで少しずつ気持ちの���理をつけはじめていた。
「さて、東京のアパートなんですが、やはり引払う方向で考えています。とは言っても、早くて今年の9月いっぱいを考えてます。誰か住んでくれればいいんですけどね、、。それで、わがまま言って申し訳ないのですが、うちでの撮影だけ、なんとか遂行できないでしょうか?」
このメッセージが俳優の日髙啓介さんから届いたのが5月14日の火曜日だった。日髙さんのお住まいの部屋を『春原さんのうた』の主人公が暮らす部屋としてお借りすることになっていた。すぐにメッセージではなく電話をかけた。活動の拠点を地元の宮崎に移すと決めたこと、いま住んでいるアパートに思い入れがあること、映像の中だけでもその部屋の様子を残しておきたい気持ちがあることなどを教えてくれた。
そのシーンだけ撮影することはできる。他のシーンがないと作品としては残せない。他のシーンの撮影はこの先もきっとむずかしい。日髙さんのお気持ちには応えたい。窓も多く風通しのいい部屋だから換気も十分でスタッフも少人数だから撮影自体はできる。ラストシーンでお借りしたカフェのキノコヤは窓やドアを開ければ換気は十分で、相談すれば店主の黒川由美子さんはきっとまたいいよと言ってくれる。その部屋とキノコヤが舞台なら今でも映画は作れる。東直子さんの短歌を映画にすることは実現させたい。出演者とスタッフのみなさんとできることなら一緒にこの作品を形にしたい。
それで思いついた。東さんの原作の短歌はそのままに、タイトルもそのままに、登場人物もそのままに、映画の舞台は日髙さんの部屋とキノコヤを中心にして、パラレルワールドみたいなもうひとつの物語を書けばいいのだと。お断りする気持ちの方が大きかったその電話の最後には分かりましたやってみますと言っていた。宮崎に帰っているところだった日髙さんから鍵をお借りして、数日後にはその部屋にお邪魔していた。小さな椅子に座って風に揺れるカーテンを眺めているうちに眠りに落ちていた。東直子さんにメールを送り、関係者のみなさんへの連絡をはじめた。場所が変わるとまた思い浮かぶお顔もあって、元々の出演者の人たちにあたらしい人たちが加わり、脚本はパラレルワールドではなく以前のお話のつづきになり、すでに撮影しているラストシーンはファーストシーンになり、その部屋の契約が終わるまでを目指して動きはじめた。だからそれは活動の再開で、あたらしいスタートだった。
転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー  東直子
東直子さんの歌集『春原さんのリコーダー』の文庫本は現場で使用しているサコッシュにお守りみたいに入れてる。アパートの契約終了の時期は少し延びたみたい。
『春原さんのうた』は俳優の荒木知佳さんの大がかりな顎の手術によるあたらしい顔の完成祝いとして始まり、そこから歌人の東直子さんの短歌につながり、日髙啓介さんと東京のアパートのお別れの記念になり、8月末からはじまった撮影の現場では「よーい、はい」「どうぞー」「カットー」「はーい」などと声を出してる。今週はその部屋にリコーダーの音が響いて、どこか見知らない世界からこちら側に届いた音みたいに聴こえてた。
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haruhara-san · 3 years
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9/27(月)サン・セバスチャン→ パリ
ホテルをチェックアウト。特急の発車時刻が夕方のため、荷物を預けてもう少し観光することに。
海沿いを歩いてケーブルカーの駅へ。タイミングよくすぐに乗車できる。古くて少し心配になるケーブルカー。山の上はちょっとしたテーマパークみたいになってた。大西洋が見渡せる。次の日にはその向こうに行く。スタンドでバスクチーズケーキとコーヒーを購入。一通り見てまたケーブルカーに乗車して下山。行きの時と同じご夫婦が同席になって微笑んでくれる。
バスで中心街に移動。このタイミングでずっと前に申請してたフランスの衛生パス発行のメールが届く。
通いつめたバルに寄って遅めのランチ。最後のフォアグラ(300円)を食べる。小さな市場で槻舘さんがお土産用にトマトを購入。いつも気になってた有名な菓子店で、後で移動中に食べるための菓子パンとクッキーを購入。荒木さんはケーキを選んでた。
初めてこの中心街に降り立った場所で荒木さんと槻舘さんの記念写真を撮りたくなって撮影した。バスに乗ってホテルへ。荷物を回収。
国境に向かうための電車の駅までバスで移動。無事に乗車。国境を越えたところの終点の駅の改札で衛生パスを警察官がチェックしてる。行きはいなかった。衛生パスが発行されたおかげで、日本のワクチン接種証明書を見せて戸惑われることもないとほっとしてたら、目の前で一人の青年が連行されていった。
歩いてすぐの特急列車の駅に移動。駅でコーヒーを一杯飲んでから乗車。車内で菓子パンをお互いに分けあったりしながら食べた。おいしい。
パリに到着。地下鉄を乗り継いで移動。バリアフリーになってない駅の構内を重いトランクを引いたり持ち上げたり。階段の手前で男性に視線を向けると大抵運んでもらえると言って、槻舘さんは実際にそうしてた。
槻舘さんの部屋に到着。深夜の11時すぎ。自分の家ではないのに、とてもほっとする。移動中に潰れてしまったトマトを槻舘さんがサラダにして出してくれた。おいしい。荒木さんも改めて感動してる。お蕎麦も茹でて温かいつゆと一緒に出してくれた。おろし生姜が載っててすごくおいしい。ジェノベーゼもそうだし、槻舘さんが作ってくれる麺料理は心に残る。次の日が早いので、すぐにシャワーを浴びる。荒木さんはお湯をためてお風呂。出てきたらソファベッドがセッティングされてた。朝はきっと会えないので、槻舘さんにおやすみなさいと一緒にお別れの挨拶をした。まだお風呂に入ってる荒木さんを残して電気を消して先に就寝。
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haruhara-san · 3 years
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9/26(日)サン・セバスチャン6日目
昼前にホテルのロビーに集合。旅の準備をしてた頃、パリに戻るための電車のチケットが紙一重のタイミングで売り切れてしまったため、サン・セバスチャンに一泊多く滞在することになってた。観光の日。
前日の夜に槻舘さんのご友人が街中のいろんなところに彫像があるからそれを見て回るといいよとお薦めてしてくれてた。この日はバスを使わずに歩いて中心街まで移動することに。気にして見てると確かに彫像がある。荒木さんに立ってもらって記念写真。荒木さんは相手がどんなものでも気持ちを合わせてく。写真をよく見るとわかる。ビーチには海水浴の人たちがたくさん。
中心街に着いて、アンチョビが有名らしいバルに入る。トマトを欲してた荒木さん。メニューには見当たらない。Google翻訳の音声機能でスペイン語でトマトはありますかと店員の人に尋ねてる。なかった。メニューの写真を指さしながらいくつか注文。アンチョビのピンチョス、この旅で一番おいしかったかもしれない。鳥のハツを焼いたものとか、どれもおいしい。
城のある小さな山を登ることに。山の周りの道をゆっくり上がっていく。映画祭が終わったからか、視界が開けて、街をゆっくりと見られるようになってる。大砲を見つけると必ず荒木さんが跨ってくれるので写真を撮る。槻舘さんとのツーショットも撮る。天気もよくて汗をかく。上の方にカフェでもあったらいいのになーと話してたらあった。眺めのいいカフェ。犬嫌いの槻舘さんの足元にわざわざ来て休む犬がいた。一度離れてもまた槻舘さんの足元に戻ってきて休んでる。城に到着。大きなキリスト像がある。荒木さんの芝居により、私はただ立ってるだけなのに荒木さんを追い込んでるみたいな写真を槻舘さんが2パターン撮ってた。
下山すると映画館があって、『クライ・マッチョ』のポスターが見える。調べたら1時間後に上映の回があるのがわかり、見ることに。時間が来るまで表のカフェで休憩。バスクチーズケーキを食べる。本場のケーキは思ってたのとはちがった。ふわふわしてておいしい。荒木さんは少し睡眠。ホールに入るとほとんどが年配のお客さん。ウェス・アンダーソン監督の新作の予告編が流れる。パリで朗読を聞いたマチュー・アマルリックの姿が数秒映る。スペイン語の吹き替えだった。これは本編も吹き替えかもしれないという予感は的中した。小声で隣の槻舘さんと相談。最後まで見ることに。言葉はわからなかったけれど、何が起きてるのかはわかる。おもしろかった。動物を連れてイーストウッドに会いにくる人たちについての解釈は分かれたので、日本で公開された時に確認する。
外に出ると夜。バルで軽くチーズなどを食べてお酒を飲んだ。帰りもホテルまで歩くことに。誰もいない砂浜を荒木さんが走り始めて海を触って汗だくで戻ってきた。それを見てた年配のご夫婦が「ブラボー」と拍手してた。
部屋に戻って荷造りした。
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haruhara-san · 3 years
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9/25(土)サン・セバスチャン5日目
起床して洗濯。ふたたびテラスの椅子やテーブルに干す。雨が降らないことを祈る。
昼前くらいにロビーに集合。この時間まで連絡がないということは、タバカレラ賞の受賞はないと槻舘さんが教えてくれる。もし受賞した場合はクロージングセレモニーに向けての準備が必要なので、事前に連絡をくれるものとのこと。槻舘さんもグロリアさんも選ばれる可能性は高いと言ってくれてた。映画祭の後半に上映がプログラムされてるということは期待されてる作品だということだったらしく、それだけで感謝。バスに乗って中心街へ。
グロリアさんが先にバルに席を取ってくれていて合流してランチ。ここでもフォアグラを食べた。日本で食べたら多分2000円以上するとのこと。ここだと300円くらい。サン・セバスチャンですでにたくさん食べてきたトマトとししとうも注文。太陽をたくさん浴びてるからこんなにおいしいのかとみんなで話す。しばらくしてグロリアさんがそう落ち込むことないよと伝えてくれる。本人は自覚がないけれど、落ち込んでたのかもしれない。やさしい。
グロリアさんと一旦別れて3人で化粧品のお店へ。次のニューヨークは槻舘さん抜きで過ごすことになるため、槻舘さんが荒木さんのための化粧品を選んでくれることに。感謝。そのあと本場のZARAヘ。足を痛めていたこともあって、荒木さんの靴を新しくすることに。他にも数点購入。初日からずっと気になってたアイスバーのお店で荒木さんはピスタチオのアイス、槻舘さんはコーヒーのアイス、私は隣のジェラート店でピスタチオのジェラートを買ってベンチで食べた。おいしい。槻舘さんが前日に再会した撮影技師の方と夕食を一緒に食べる約束だったので、その時間まで海沿いを散歩してコーヒーを飲むことに。前日とは反対側の海沿いを歩く。槻舘さんが、いかにもな土産店に入るのが好きとのことで、入ってみる。荒木さんがご祖父母さんへのプレゼントを購入してた。サン・セバスチャンと書かれた小さなお土産。カフェに寄ってしばらく休憩。夕日がきれいだった。
中心街に戻ってグロリアさんと合流。夕食の前の一杯。初日からの馴染みのバルでピンチョスを少しだけ食べてビールを飲む。時間がきてパエリア専門のレストランに移動。大皿のパエリアを2種類注文。グロリアさんが、私が出すからここはおいしいワインを飲もうと一番高いものを注文する。店員の人がボトルを持ってきたら冷やされたワインで、常温のを持ってくるようにとグロリアさんが指示してる。食べてるうちにご友人の方とパートナーの方が合流。お互いのこれまでのことなどについて話す。そうしているうちに映画祭の賞の発表時間。ツイッターを確認してたら、タバカレラ賞はギャスパー・ノエ監督の作品が受賞したと知る。槻舘さんもグロリアさんも信じられないと怒ってる。こういうときのお二人の掛け合い、すっきりはっきりしてて聞いてるだけでたのしい。いつの間にかグロリアさんが同じワインの2本目を注文してる。会計になって、グロリアさんはすでに酔っ払っていて、私がワインはご馳走すると言ったことは忘れてたみたい。レシートを見るとすごい金額。ご友人のお二人が普通に全体の割り勘分をカードで支払ったので、慌てて少しお返しする。もっと渡したかったけれど手持ちのキャッシュが少なくて渡しきれず。グロリアさん、酔うとたまにこういうことがあるとのことで、それもまたたのしい。たくさんお世話になったグロリアさんとはこの夜で一旦お別れ。お店の外でみんなでハグした。
部屋に戻ってすぐにテラスへ。洗濯物はすっかり乾いてた。
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haruhara-san · 3 years
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9/24(金)サン・セバスチャン4日目
起床。晴れてたから洗濯。パリやマルセイユとちがってサン・セバスチャンは部屋干しだとなかなか乾かない。部屋も北北西向き。テラスの机や椅子に洗濯した衣類を広げていく。風もあるし、暖かいから乾くことを期待する。
集合時間にロビーに降りたら二人の姿がない。奥の方で槻舘さんが荒木さんのメイクをしてた。槻舘さんがもうヘアメイク担当の人みたい。失礼かと思いつつその場でお礼を渡す。お小遣いだーと喜んでくれる。
映画祭の車両が迎えに来てくれる。メイン会場に移動。映画祭の配信サイトで放映されるインタビュー映像の収録。司会は前日につづいてヴィクトルさんだった。ヴィクトルさんはマルセイユ国際映画祭の審査員の一人。本当に『春原さんのうた』を好きでいてくれてるみたい。インタビュー映像はリアルタイム配信ではなく後で編集するとのことだったので、語りの長さは気にしないことにした。主にヴィクトルさんにちゃんと答えたい気持ちで、これまで話してなかったようなことにも触れた。記念に写真を撮ってもいいかを尋ねたら、映画と一緒だねと言って笑ってくれた。荒木さんはマルセイユを経て、前日のQ&Aもあって、話す内容がどんどんおもしろくなってる。
収録を終えてグロリアさんも交えて4人でランチへ。初日の夜に入ったバルに再び。外の角のテラス席に通された。少しして別の店員の人から並ばずに勝手に座らないように注意を受ける。グロリアさんがしっかりと怒った。グロリアさんは不当な対応をされた時に瞬時���正す。かっこいい。私が座った席の上だけちょうどテント屋根がなくて、グロリアさんがしきりに心配してる。上から何か落ちてきたら危ないからもうちょっとこっちに寄ってと。上から何か落ちてくることあるだろうかと思いつつ見上げてみるけれど、大丈夫そう。心配がありがたい。荒木さんも私も肉を欲してて、ステーキを注文。荒木さんが何かを食べる写真を私たちが撮りたがるものだから、荒木さんもちゃんとそれに応えてかぶりついてくれる。
食後にコーヒーを飲むことになって、海の方のカフェに行くことに。しばらく海沿いを散歩。百科事典に載ってそうなビーチ。途中、槻舘さんのご友人の撮影技師の方と遭遇。ちょうどこの街で映画の撮影中とのこと。槻舘さんの顔の広さ。さらにしばらく歩いてカフェに入った。私はそこで眠気に襲われて就寝。起きてから、冷めたエスプレッソを飲んだ。
一旦ホテルに戻って夕食の時間まで休憩することに。部屋に入ってすぐに洗濯物を確認するとまだ半乾き。ベッドに横になる。起きてまたロビーに集合。バスに乗って中心街へ。この日の夜はセドリックさんも交えて最後にみんなでご飯を食べることになってた。街に着く頃に急な強い雨。一日晴れると思ってた。洗濯物はまた一からやり直し。
グロリアさんとセドリックさんが先にバルに到着して並んでる。合流して一緒に並ぶ。なかなか列が進まない。空いてるテーブルはある。大人数用のテーブルに2人で座ってる人たちもいる。バルは基本的に予約はないシステムで、グロリアさんが前日に電話で確認した時も予約は取り扱ってないと言われたとのこと。でも来たばかりの人たちがテーブルに通されたりしてる。どうやらお店のネットサイトでは予約を受け付けてるらしいことが判明。グロリアさんの出番。店員の人に果敢に話しかけて問いつめるも、店員の人も厳しい表情。その間に、列への並び方で注意を受けたりする。ここは邪魔になるからもっとそっちに並べと言われた先はテント屋根がなくて雨に濡れる位置。セドリックさんが丁寧に静かにそのおかしさを申し立てる。何回かのやりとりがあって、別の店に行くことに。最後にグロリアさんは、二人だけで大人数用のテーブルに座ってたお客さんに「一つ聞いてもいいですか?」と話しかけてしっかりと文句を言ってた。
映画祭と提携してるレストランへ。店員の人たちの対応が丁寧でやさしくてほっとする。メニューにないものを注文しても作って出してくれる。コロッケのようなものやフォアグラなど。みんな満足。グロリアさんが、おいしいウイスキーが飲めるバーがあると教えてくれて、移動。
荒木さんは初めてカクテルに挑戦してみることに。何か青いのを頼んでた。槻舘さんはジントニックだったと思う。グロリアさんとセドリックさんと私は響。店内で待ってる間、かかってた音楽に合わせてセドリックさんと荒木さんが踊り始める。荒木さん、やっと踊れた。荒木さんが踊れるとうれしい気持ち。セドリックさんのダンスもかっこいい。表のテラス席で飲んで、さらにもう一軒行くことに。
バラエティ誌の方や批評家の方など、グロリアさんたちの知人の人たちに会ってテーブルを合わせて一緒に飲むことに。サン・セバスチャンはジントニックが名物の一つと初めて知る。みんなで頼んで飲んだ。本当においしい。荒木さんは慣れないお酒を飲んだせいで目が空。そのまま睡眠。セドリックさんがうれしそうに身を乗り出して写真を撮ってた。これでセドリックさんとはお別れ。さみしい。
初日の夜に撮った、グロリアさんとセドリックさんが一緒に傘をさして歩いてる写真を送ったら、二人とも美しいと言ってすごくよろこんでくれた。
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haruhara-san · 3 years
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9/23(木)サン・セバスチャン3日目
昼にホテルのロビーに集合。各テーブルの上に映画祭発行の新聞が置いてある。ジョニー・デップの名誉賞受賞会見の記事などの後に、荒木さんと私のインタビュー記事と写真も掲載されてる。前日に取材を受けたばかりなのにすごい早さ。10部くらい持ってくといいと槻舘さんに言われる。2部だけ手に取って部屋に置きに戻る。
バスに乗車。3人分の料金をクレジットカードを使って3回ピッとするのにも慣れた。運転手の人が無表情のまま親指を突き出して「(それでいい)」と頷いてくれる。中心街で下車。グロリアさんの待つバルまで歩く。新しくてきれいなバル。昼からビールを飲んでたら途中でコップを倒す。横の椅子に置いてたバックの中にきれいにこぼれていった。グロリアさんがすかさずティッシュなどを出して渡してくれる。中を見たら水びたしだった。ワクチン接種証明書もびっしょり。荒木さんと槻舘さんが空いてる椅子に置いて干してくれた。イベリコ豚のハム、トルティーヤ、イカ墨のイカ、焼いた何かの白身魚、最後にバスクチーズケーキを食べる。荒木さんは朝食を食べられなくてお腹に余裕があったみたいで、グロリアさんが譲ったチーズケーキ��残りもおいしそうに食べる。そのあと私の分も食べてくれた。そのあと槻舘さんも譲ろうとしたら動揺してたけど頷いた。グロリアさんが途中に席を抜けて夕食のレストランを予約しに行ってくれる。槻舘さんもグロリアさんもマルセイユの時からずっと食に関しての準備を大事にしてくれる。私がトイレに行ってる間に店員の人が干してた証明書をゴミと間違えて持っていきそうになったとのこと。
バルを出て移動。この日は舞台挨拶やフォトコールがあるため、いいマニキュアを荒木さんが塗るといいとのことで、化粧品のあるお店へ。シャネルのコーナーにあったグロリアさんが好きな色のマニキュアを購入。表のベンチに座って槻舘さんが荒木さんの爪に素早く塗る。きれい。すぐに乾いて荒木さんが感動してる。いいものはすぐに乾くと槻舘さんが荒木さんに教えてる。グロリアさんと一旦別れて3人で海沿いの大きな劇場へ。鑑賞予定の映画の上映開始まで時間があったので、併設のカフェのテラス席でコーヒー。途中、蜂が飛んできて動揺した荒木さんがコートの襟を立てて頭に被ってる。もう大丈夫だよと伝えたらそのまま凍える寒さを耐える人の芝居が始まってた。すかさず槻舘さんもストールを被って芝居に合流。
劇場の入口へ移動。荒木さんは上の階の席、私と槻舘さんはスクリーン近くの一階の席に別れる。昨日3階だと思ってた席は下から見上げたら2階席だった。やっぱり大きなホール。メインコンペティション部門のスペイン映画を鑑賞。220分。途中に5分の休憩が2回入った。学校生活を送る10代の出演者たちの数年の日々が実際の時間の経過とともに描かれていく。エンドクレジットから拍手が始まり、後方の客席にいた出演者たちにスポットライトも当たり、拍手が鳴り止まない。
劇場の表に出て槻舘さんと荒木さんと合流。グロリアさんの待つレストランへ。先日のオンライン授業で学生の人からパエリアは食べましたかと尋ねられた話をしたら、パエリアのあるレストランを探してくれてた。感謝。パエリアが鉄の大きな皿のまま出てきた時に歓声が上がる。隣のテーブルの家族も振り返ってパエリアを見てる。店員の人が取り分けてくれた。これもまた本当においしかった。槻舘さんがご自身のメイク道具で荒木さんのメイクを直してくれる。国際映画祭コーディネーターの枠を超えてる。感謝。
歩いてタバカレラホールに移動。映画祭の人と合流してまずは1階ロビーでフォトコール。槻舘さんとグロリアさんが荒木さんと私の荷物を預かってくれる。ジージャンの襟も立ててくれた。槻舘さんに、笑顔! 笑顔! と言われて途中からがんばって笑う。2階に移動してホール横に設置されたスペースで待機。舞台挨拶の段取りの説明を受けたり、大きなノートブックにサインを書いたり。ヴィクトルさんとマルセイユ以来に再会した。スタート時間になってホール入口のドアの前に移動。上映前の挨拶はごく短くと言われてた。司会はヴィクトルさん。先に入って前説をしてくれてる。体感で10分くらい話してる。短歌についての説明などを丁寧にしてくれてるようだった。その間、スペイン語の挨拶の仕方を聞くのを忘れてた! と気づいてすぐに教わる。グロリアさんが何度も発音して伝授してくれる。荒木さんと私で繰り返し口に出して練習。もしかしたら場内にも聞こえてたかもしれない。名前を呼ばれて入場。教わったばかりのスペイン語で挨拶。夜遅い上映に足を運んでくれたことへの感謝など伝える。荒木さんも楽しんでいってくださいとシンプルな挨拶。みなさん笑顔で拍手してくれてた。私だけ場内に残る。上映スタート。音と、スペイン語字幕のタイミングのずれがあるかどうかをチェック。ずれてた。すぐに表に出てスタッフの人にアジャストをお願いする。映写室に無線で連絡してくれて無事に調整された。荒木さん、槻舘さん、グロリアさんと上映終了時間までどこかのお店で待つことに。少し歩いたところのバーに入って休憩。店内に流れる曲を聴きながら、この曲を聴くと『ディア・ハンター』を思い出すとグロリアさんが言う。知らなかった荒木さんにスマホでそのシーンを見せてる。同時に槻舘さんが荒木さんのメイクを直してる。終映時間が近づいてホールに戻る。0時40分に終わるとのこと。それまで先ほどと同じスペースのソファに座って待機。荒木さんが眠りに入った。帰っていくお客さんを見送りつつ場内に入る。数人でも残ってくれてたらといいと思ってたら、見た感じで30人以上は残ってくれてる。うれしかった。20分と言われてたQ&Aは多分60分くらいに延びてた。最前列の席に槻舘さんとグロリアさんも座ってくれてる。ヴィクトルさんが私と荒木さんにバランスよく質問してくれたり、お客さんからも手が上がりつづけたり、変なことを言ってもみなさん笑ってくれたり。ありがたい時間だった。終了後に帰っていくみなさんにカシワイさんのイラストカードを渡した。足りなくなった。最終日までいるので、渡せなかった人は私を見かけたら声をかけてくださいと伝える。いつも持ってるようにするので、必ずお渡ししますと約束する。全部終えてほっとした。ロビーのカウンターに積まれてた今朝の新聞を5部ほど掴んで劇場の外に出る。映画祭の車両が待機してくれてた。グロリアさん、映画を見にきてくれた高野さんたちとお別れの挨拶をして乗車。車が発進すると、まだ表に残ってたお客さんたちが笑顔で手を振って見送ってくれる。ホテルに到着。部屋に入ってすぐにシャワーを浴びた。報告のツイートをして、ベッドに入った。大川さんに代打をお願いしてない方のオンライン授業がもうすぐ始まるのを思い出してベッドから出る。映像文化概論という名前の授業。受講生は100人。朝の4時。向こうは昼の11時。授業を進めていくうちに本当に瞼が開かなくなっていく。そのことを謝りつつ、主に『シャッター・アイランド』のラストシーンの話をしてた。無事に終了して30分だけ就寝。起きて朝食を食べに行った。
今日の日記から、槻舘さんの指導の下に写真の彩度と明度を調整してる。
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haruhara-san · 3 years
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9/21(火)、9/22(水)サン・セバスチャン
出発の1時間前に起床。槻舘さんがコーヒーを淹れてくれて朝食。パンとヨーグルト。急いで荷造りと片付け。また後日戻ってくるのでパリで買ったお土産などは置いていって大丈夫と槻舘さんが言ってくれる。
スペインへの特急電車が出るモンパルナス駅まで乗り換えが1回。パリの地下鉄はバリアフリーが進んでなくて階段が多い。トランクを何度も持ち上げて移動する。乗り換え駅はホームが混んでて入ってくる電車も満員。山手線みたいなペースで電車がくるので2本やり過ごして乗車した。モンパルナス駅に到着したところで、昼食のテイクアウトを買うのにどんな店があるかを槻舘さんが調べてきてくれる。パン、サンドイッチ、寿司があるけどどれがいいかと訊かれて荒木さんが寿司と答える。トランクを引いてお店に向かう途中で衛生パスのチェックをしてる係りの人に声をかける。まだ私には衛生パスが届かないので紙の証明書を見せる。すぐに認めてくれて左腕にチェック済みの印になるリストバンドを付けてくれる。さらに進むとYo Sushi! という看板が見えてくる。寿司の大きな1パックを買って荒木さんと槻舘さんは分けることに。私はその隣の店でサンドイッチとエクレアを購入。荒木さんも食べたくなるかもと思いエクレアは2つ。改札を無事に通って乗車。
7月にマルセイユに向かった時の特急電車より車内が豪華。リクライニングが電動でテーブルは2種類で荷物置き場は安全な作り。荒木さんも私も感動してる。国境を越える特急だから違うのだろうとのこと。出発。サン・セバスチャン国際映画祭のチケットは朝7時から次の日の���のチケットを予約できるため、槻舘さんの指示を受けながらサイトを開いてトライするけれど希望のチケットを取るのがむずかしい。そのうち荒木さんが静かになってる。画面を見すぎて酔ったとのこと。荒木さんのiPhoneも借りて両手でチケット予約を進める。休憩。国境付近の乗り換えまでしばらくあるので日記を書こうとしたけれどなかなか進まない。前回もそうだった。移動中は文章が書けないのかもしれない。槻舘さんは記事の執筆などをいつも移動中に済ませてしまうとのこと。尊敬。昼食。荒木さんにエクレアも食べるか聞いてみた。二つとも自分で食べた。別の車両にカフェスペースもあると知ってドリンクを買ってくることに。映画ではよく見てきたけれど、実際に利用したのは初めてかもしれない。カウンターに並んだ。荒木さんに炭酸水、槻舘さんにラテ・マキアート、自分にアメリカーノを購入して戻る。終点の駅に到着。そこから別の電車に乗り継いでサン・セバスチャンに移動するのだけれど、事前に手元に届いた電子チケットを見てもその先のことがよくわからない。槻舘さんが窓口の人に聞いてくれて、これは普通に券売機で買えばいいのではということがわかり、3人分のチケットを購入。そこからは普通の路線電車。車窓から見える街並みの雰囲気が変わっていく。iPhoneの電波が一度無効になり、ほら国境越えたと槻舘さんが教えてくれる。ローミングをし直した。パスポートの提示も必要のない国境の移動は初めてだった。無事にスペインに入国。
サン・セバスチャン駅に映画祭の車両が迎えに来てくれることになってて、槻舘さん曰く途中のアマロという駅で降りて10分くらい歩いた方が早いとのことで、下車。少し歩いただけで街が穏やかなのがわかる。ずっと雨模様と聞いてたけれど晴れてて気持ちいい。サン・セバスチャン駅に到着。迎えの車がどこにいるのかをしばらく探す。向こうが見つけてくれて無事に合流。最新の車で、サイドミラーがミラーじゃなくてカメラと液晶画面だった。海沿いの道を走って中心街から離れたところのホテルに到着。槻舘さんが笑いながら陸の孤島に飛ばされたと言ってる。スペインでの配給会社も付いてないアジアのインディペンデント作品の扱いはこんなものだと教えてくれる。確かに遠い。チェックインをしたら映画祭のエコバッグを渡される。中身をざっと見たけれど、その後どうすればいいのかなどがわからない。大きい映画祭。あとは自分たちで何とかしろということなんじゃないかということで、ひとまず30分後にロビーで待ち合わせることに。エレベーターに乗りながら、もしバスタブがなかったらごめんねとお風呂好きの荒木さんに伝える。自分の部屋に入ってまず確認。バスタブがあった。ほっとした。広いテラスもあった。いい景色。遠くに海が見える。wi-fiについてどこにも書いてなかったので受付に電話した。パスワードを口頭で伝えてくれる。喋りが早いし文字数が多くて聞き取れないので直接行くことに。年配の受付の人がパスワードの書かれた紙を渡してくれる。朝食について尋ねたら色々答えてくれるけれど早くてうまく聞き取れない。時間を指定するとよさそうだったので7時でお願いした。部屋に戻ってメールを開くと映画祭のスタッフからの連絡。今からIDパスなどを持って挨拶に行くとのこと。放ってかれてるわけじゃなかった。槻舘さんと荒木さんに伝える。ロビーに降りたところですぐにスタッフの人が到着。IDをそれぞれ受け取りつつCovid-19についての誓約書にサイン。不織布のマスクを必ず付けること、鼻を出さないことなどが細かく書かれてる。映画祭の会場になる映画館が集まる中心街までは路線バスで移動するしかないみたいだった。槻舘さんがいてくれるおかげで一つ一つの判断が早くて本当に助けられてる。ホテルの近くのバス停から乗車。料金はクレジットカードを当てて支払うシステムだったのでスムーズに済んだ。中心街に到着。会場の映画館の場所を確認しておくために一つ一つ巡りつつ散策。槻舘さんが案内してくれる。気になるお店があったら教えてくださいねと言ってくれる。荒木さんがアヒルのオモチャだけが並んでるお店に入っていった。必要なメール連絡を終えて私も中へ。お土産に2つ購入。どの道も建物もすてきで、やってるお店はどこも賑わってて、元気のある街。途中、国際広報のグロリアさんから槻舘さんにメッセージ。この日は夜10時に濱口竜介さんと待ち合わせてみんなでご飯を食べることになってた。その前から会って軽く飲まないかとのこと。指定されたお店に行くとグロリアさんが先に着いててみんなで挨拶のハグ。ピンチョスが食べられるレストラン。賑わってるし、店の外まで人が並んでる。店頭で好きなピンチョスを選んだ。どれもおいしそうだけれど、まだ夕食の前だから2つに抑えておく。グロリアさんがイベリコ豚のハムをご馳走してくれた。輝いてた。荒木さんがグロリアさんにカードをプレゼントする。表にグロリアさんの名前のカタカナ、裏に東直子さんの歌集『春原さんのリコーダー』からグロリアさんのために選んだマヨネーズの一首が書かれてる。感激してた。短歌を訳してほしいと言われて槻舘さんがフランス語にして伝えたら戸惑いながら笑ってた。ピンチョスもハムも本当においしくてすぐに食べ終える。荒木さんもうれしそう。仲良しの槻舘さんとグロリアさんの掛け合いを見てるだけでたのしい。途中、グロリアさんが『春原さんのうた』についての思いを丁寧に伝えてくれた。それを聞いてたら泣いてしまいそうになった。槻舘さんとグロリアさんの友人で映画批評家のセドリックさんも合流。やっぱりやさしくてすてきな方。主にフランス語だけれど槻舘さんが要所要所で日本語に訳して何を話してるかを教えてくれる。荒木さんが眠そうに見えたから眠っても大丈夫だよと伝えたら、すっと眠った。
夕食を予定してるレストランに移動することに。外は土砂降り。びしょ濡れになりながらしばらく歩く。ミシュランの星が付いててすごくおいしいのに安くてしかも混んでないというセドリックさんお勧めのレストラン。サン・セバスチャンの名物のトルティーヤや牛肉をトマトで煮たものや名前のわからない様々な料理。信じられないくらいどれもおいしかった。なにこれとずっと言ってしまう。途中、セドリックさんと二人で外で話す時間があって、生まれ育った街がマルセイユであることなど教えてくれた。ブイヤベースが本当においしかったことを伝えたら、ああ食べたいと言ってた。今はイタリアに住んでて、次のクリスマスは母親と過ごすために帰るとのことだった。
前の予定から抜けられそうにないらしく、合流できないかもしれないと濱口さんからグロリアに連絡。次の朝にはイタリアに発ってしまうため、会えずに残念。ニューヨークでは同じ日程で滞在予定だから、そこで会えますように。EU圏の人はアメリカへの入国が制限されてるためグロリアはニューヨークには行けず、やっぱり残念そうにしてる。
旅の疲れとお酒をたくさん飲んだのとご飯をいっぱい食べたのとで、またもや限界に。いつの間にか眠ってしまってた。目が覚めた頃に閉店時間。レストランを出てセドリックさんと別れる。グロリアさんはタクシーを見つけるまで付き合ってくれることに。荒木さんとグロリアさんが肩を組んで歩いてる。途中の道で盛大に転んだらみんながびっくりして笑いながら心配してくれた。私もびっくりした。痛かったけど痛くないふりをした。しばらく歩いたところで、たまたま通りかかった女性2人がタクシーの乗り場はあっちにあるよと教えてくれる。たどり着くと長蛇の列。近くにホテルのあるグロリアさんとはそこでお別れ。タクシーがなかなか来ない。こういうときでも槻舘さんは盛り上げてくれる。次の乗客が一人だけだと列も進まないからちゃんとがっかりする。たくさん乗る人がいるとよしよしいいぞーとうれしそうに拳を上げる。並んでる間に後ろにもどんどん人が並んでいく。1時間くらい経ってようやく乗車。ホテルに戻って解散。雨で濡れて体が冷えてたので、朦朧としながらもすぐにシャワーを浴びて温める。就寝。
22日。ハイライトで。
ホテルの朝食はシンプルだった。卵とベーコンはやっぱりおいしい。
映画祭のチケットを取るのにまたも苦戦。でも少しだけ取れた。
火曜日から大川景子さんが代わりに受け持ってくれてる女子美術大学でのオンライン集中授業に少しだけ参加。
槻舘さんが大好きな、ステーキがメインのおじさんが一人でやってるというバルに行ってランチ。お肉すごかった。肉汁たっぷり。トマトもししとうも何でこんなにおいしいのかと思う。荒木さんはちゃんと骨肉にもかぶりついて、店員のお兄さんにナイスと言われてた。グロリアさんも合流。
歩いてたら『偶然と想像』の演出部の高野徹さんと遭遇。槻舘さんのお知り合いみたい。バナナとスナック菓子を持って歩いてた。高野さんは前日まで濱口さんがいたことを知らなかった。
名誉賞の授与式があるこの日は近くにジョニー・デップがいるはずで、きっと彼も歩いただろうレッドカーペットを歩いて記念写真。
サン・セバスチャンの一番豪華なホテルの一階でグロリアさんが仕込んでくれた各媒体からのインタビューを一気に受ける。映画祭発行の新聞のために写真も撮影するとのことで、荒木さんと二人でポーズを取ったりもした。セドリックさんもインタビューしてくれてうれしかった。この日もおしゃれなセドリックさん。昔はモデルの仕事をしてたみたい。インタビューを終えてそのままカフェでケーキとコーヒー。荒木さんと槻舘さんは映画祭記念のケーキを食べてた。
移動中に通りかかった大型モニターにジョニー・デップの記者会見の様子が映ってた。荒木さんに立ってもらって2ショット写真の撮影。
海沿いにある一番大きい劇場でメイン部門の作品を鑑賞。コンサートホールみたい。3階席でもスクリーンがちゃんと見えた。上映前に観客が手拍子を鳴らして盛り上げたり。元気。終えて外に出たら夕焼けがきれい。同じ監督の前作がとてもよかったらしく、槻舘さんとグロリアさんががっかりしてる。
バルに移動して夕食。ピンチョス、トルティーヤ、トマト料理などを食べる。高野さんも合流した。
グロリアさんと高野さんと別れて駅前のタバカレラホールへ。『春原さんのうた』の最初の上映が同じホールになるので下見も兼ねて、同じ部門の別の作品を鑑賞。おもしろく見てたのにいつの間にか寝てた。
駅前でタクシーを待とうとしたら、前に並んでたお兄さんがタクシー会社に電話して私たちの分も呼んでくれた。待ってるだけでは来ない乗り場だったらしい。やさしい。
すぐにタクシーが来て、これまでで一番丁寧な運転手の人だった。無事にホテルに戻って就寝。
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haruhara-san · 3 years
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9/20(月)パリ
今回の旅に向けて服を揃える時にボーダーのシャツを一枚購入してた。学生の頃に着てみたら似合わなくて、それから手にしてこなかった。ヨーロッパへの渡航で判断が緩んだのかもしれない。朝起きて20数年ぶりに着て鏡で確認しようと洗面所のドアを開けたらボーダー姿の荒木さんがいた。
槻舘さんも起きて朝食を用意してくれる。ヨーグルトやパンやサラダやチーズ。夜明けに済ませたけれど自分もつられて食べてしまう。槻舘さんが一日のスケジュールをどうするかの最終確認をしてくれる。思ってたよりもパリは寒くて、次の日に向かうサン・セバスチャンも雨模様で冷えるらしくて、荒木さんも私も用意してた服の設定が心配になり、まずは薄手のコートを探しにいくことに。
電車でいくつかの駅を移動したり歩いたり。途中、モンマルトルのサクレ・クール寺院の前を通りかかって記念写真。荒木さんと私を撮ろうとしながら槻舘さんが笑ってる。ペアルックに見えるとのこと。その後も写真を撮るたびに笑ってる。
最終的に値札の価格よりも半額くらいで販売してるA.P.C.でコートを購入することに。色々試着して荒木さんはベージュのコート、私は二人に勧められたジージャンにした。店員の人にそのまま着ていくと伝えたら今日は寒いよねと頷いてくれた。
カレー好きの荒木さんのために槻舘さんがインドカレーのお店まで連れていってくれる。歩こうと思えば歩ける距離だったけれど、途中でパリの一番危険なエリアを通ることになるからと電車で移動。フランスはいま映画館や美術館などに加えてレストランも衛生パスの提示が必要。申請はずいぶん前にしたのになぜかまだ発行されてない私だけパスがなく、日本で発行された海外渡航用のワクチン接種済みの証明書を見せる。心配だったけれど店員の人が許してくれた。槻舘さんはマトンのビリアニ(焼き飯)、私と荒木さんは一番辛い設定のマトンカレー。フランスの人はあまり辛いものを食べないらしく、きっとそれでちょうどいいだろうとのこと。飲み物は槻舘さんと私がマンゴーラッシー、荒木さんはバナナラッシー。槻舘さんに一口もらったビリアニがすごくおいしい。カレーも酸味がつよくておいしい。チーズナンとお米で食べた。添えられた何かの野菜の何かもおいしい。ラッシーは濃厚だった。お店を出るときに店員の人から「ありがとう」と言われた。
ポンピドゥー・センターまで歩く途中にあるRe:voir videoに寄る。実験映画のDVDやブルーレイ、8ミリのフィルムカメラなどが置かれてるお店。お店をやってるジムさんは槻舘さんの友人で、やさしく笑って挨拶してくれる。『春原さんのうた』のカシワイさんのポストカードを渡した。棚を見たら確かに実験映画の作品ばかりで、寺山修司作品のDVDもある。目当てはジョナス・メカス作品。棚の上に6枚入りのボックスセットがあるのに気づいた槻舘さんが脚立に乗って取ってくれる。Re:voirが出した商品だった。ボロボロだから安くしてくれるんじゃないかと言う。ジムさんに見せたら、ああこれは売れないよと教えてくれる。在庫の残りの一つで飾りとして置いてたみたい。諦めてバラでいくつかを選ぶことに。メカスがアンディ・ウォーホルと作ったフィルム作品のDVDなど5枚を購入。槻舘さんが交渉したら1本分安くしてくれた。感謝。お店を出ようとしたら隣のギャラリーも見ていく? と鍵を開けてくれた。お手洗いに行��たいと言ってた荒木さんが心配だったけれど、入ったギャラリーにトイレがあるかをすかさず槻舘さんが調べて「あるある!」と教えてくれる。一安心。展示されてたのはガイ・マディン監督のコラージュ作品。中原昌也さんのコラージュ作品を思い出しつつ鑑賞してたら店員のニーナさんが出勤。やっぱりやさしいお顔。少し話してポストカードを渡した。記念写真も快く一緒に撮ってくれた。ジムさんの写真を撮り忘れたのもあって、もう一度隣のお店に寄って別れの挨拶をした。
徒歩でポンピドゥー・センターまで移動。パリは少し歩くだけで道ゆく人たちの雰囲気がどんどん変わってく。その都度槻舘さんがどういうエリアかを教えてくれる。ポンピドゥーのあたりは東京での代官山みたいな場所とのこと。歩いてたら急に目の前に現れるポンピドゥー。大きい。外壁の工事中なのかと思ったらそういうデザインだった。入口の衛生パスのチェックでまた一人だけ紙を出して見せる。苦笑いして許してくれる。無事に入場。工事中に見えたのは外壁沿いにあるエスカレーターで、ずいぶん高くまで上がってく。観覧車に乗ってるみたいに遠くのエッフェル塔や午前中に歩いたモンマルトルの丘が見えた。
常設展を鑑賞。入ってすぐに荒木さんが「あ!」と言うのでそちらを見ると顔はめパネルがある。さっそく撮影。荒木さんも槻舘さんも目が本気ですごい。ジョルジュ・ルオーなどのいろんな画家の油絵を見つめてたら触りたくなってきた。触れる距離にいた。誰もそうしないことがすごいことに思えてくる。アンディ・ウォーホルの作品もあって記念に写真を撮った。私は何回も来てるからと言って槻舘さんはベンチで休んだりしながら付き合ってくれてる。3階分ある常設展の1階分だけで荒木さんも私も足がすっかり疲労してた。飛行機は乗ってるだけで足にきて、まだその疲れが取れてない。つづきはまたのいつかにしますと伝えて次の階に移動したらクリス・マルケル作品のエリアが目に入り、終わりにすると言い出したのは自分なのにすーっと入ってしまう。中国の作家が作った『ラ・ジュテ』のリメイク作品も上映してて見入ってしまった。終えて今度こそ下まで降りた。お茶をしたりお土産品を見てみたり。筆に水をつけて黒板のようなものに文字を書けるセットがあって、荒木さんが「春原さんのうた」などの文字を書いてた。私はポンピドゥーが作った絵本「ウォーホルを探せ」などを購入。先に表に出る。エントランスの表は滑らかな傾斜の広場になってて、座ってくつろいでる人たちがいる。地元の中高生らしきこどもたちが集まってきて、音楽をかけたり、談笑したりしてる。山口のYCAMもこういう場所だった。自然と人が集まってくつろぐ場所。
クレモンさんから槻舘さんに買い物のリストが届いて、揃えるためにスーパーに寄った。棚を見てるだけでたのしいスーパー。キノコや玉ねぎ、マスタードやワインなどを購入。電車に乗って移動。シネマテーク・フランセーズに到着。事前に槻舘さんに希望を聞かれて行きたいと伝えたのがポンピドゥーとシネマテークだった。映画を見たいと思ってたけれどこの日はたまたまマチュー・アマルリックによるリュック・ムレ監督の自伝本の朗読があるとのことで、チケットを予約してくれてた。フランス語の朗読は一つもわからないだろうけれど、アマルリックの朗読は聞いてみたかった。アマルリックを知らなかった荒木さんも聞いてみたいと多分やさしさで合わせてくれた。入口の衛生パスのチェックで紙の証明書を見せたら若いスタッフの人にこれでは入れないと言われる。すぐに槻舘さんが気づいて戻ってきて、ポンピドゥーはこれで入れたけどと伝えたら渋々入れてくれた。地下のホールに移動して後方の席に座る。徐々に場内が混んでくる。マルセイユでの受賞のことを北海道新聞の記事にしてくれた方が声をかけてくれた。ご挨拶しつつ改めてお礼を伝える。予定の開始時間を少し過ぎたところで反対側の後方の階段通路からリュックを背負ったアマルリックが駆け足で降りてきて壇上に軽いステップで上がって机の横にずぁっとリュックを放って座った。もうそれが見られただけで十分だと思った。場内が暗くなり、ムレ監督の作品の断片がスクリーンに映される。明るくなり、朗読が始まる。やっぱりフランス語はわからないけれど、バザンやトリュフォーやゴダール、リヴェットやブレッソン、カイエなどの固有名詞がたくさん出てきて、カイエ・デュ・シネマの初期の頃の話なのだとわかり、たのしかった。場内で起きる笑い声が大きくなっていく。荒木さんも眠らずに聞いてる。後半、思い込みかもしれないけれど、アマルリックがチラチラこちらを確認してるように見えた。きっと、あの一角に全然笑わないアジア人が二人いると気になったのかもしれない。ごめんねと思いながら聞きつづける。朗読を終えたアマルリックはまた階段通路を戻り、最後列にいたムレ監督とハグをしてた。たのしかったーと荒木さんが言ってて安心した。帰り道で槻舘さんが朗読の内容を教えてくれた。電車に乗って槻舘さんの家に帰宅。
買ってきた食材を合わせてクレモンさんが地元の料理を作ってくれた。キノコのパスタに加えて牛肉のハムやソーセージやチーズ。どれもまた未体験の味。いっぱい食べてしまう。おいしい。食べ終えた頃に荒木さんが廊下に出ていく。槻舘さんも後をついていく。遠くで悲鳴が聞こえた。笑いながら戻ってきて荒木さんがストレッチなどを始める。槻舘さんがマッサージを始める。体重を測ったらすごい数字が表示されたみたい。シャワーを浴びて就寝。
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haruhara-san · 3 years
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9/19(日)東京→パリ
目覚ましが鳴る���の朝4時に起床。緊張してた。EU連合が日本を安全リストから外したり、アメリカがヨーロッパからの渡航を禁止してたりと心配がたくさん。必要そうな手続きはどれも済ませたはずで書類の準備も大丈夫なはずだけれど何か忘れてないかと気になって家の中をあちこち歩く。トーストにブルーベリージャムを塗ってクリームチーズをのせて食べた。コーヒーも淹れて飲んだ。妻が起きて途中から側で眺めてくれてた。いってきます。車で出発。
高速道路を途中で降りて荒木知佳さんの家の前へ。マルセイユへの出発の日と同じ服を着てる。トランクは大きくなってた。荒木さんのサインが必要な書類に署名してもらって近くのコンビニでスキャンした。高速に乗ってレインボーブリッジを経由しながら成田空港へ。事前に予約してた駐車場がどちらの方向にあるのかすぐにわからず戸惑う。看板を見ながら荒木さんがあっちですと教えてくれた。ターミナルから多分一番遠い棟で、トランクを引きながらずいぶん歩いて到着。出発ロビーは明かりも消えてて稼働してるように見えなかったけれど、よく見ると人がいる。今回はエアフランス。ワクチン接種済みの証明書を見せたりしながらやっぱり緊張したけれど無事に搭乗手続きを終えた。搭乗口で待機しながら、前回の出発日が荒木さんの誕生日だったことを思い出した。同じように出発前の写真を記念に撮った。
普通の席を購入したはずだったけれど少しいい席で戸惑う。機内食は洋食の鶏肉か和食のサーモンと言われて荒木さんはサーモンを選んだ。蓋を少し開けて悲しそうな顔をしてる。鶏肉に変えてもらった。焼き鮭だと思ったら唐揚げが見えたとのこと。荒木さんはどんなこともちゃんと顔に出るから撮影中でも旅先でもいつも助かる。太陽が流れていく方向に飛んでるから機内は昼間のまま。同じ列の反対側の男性がずっと窓を開けて仕事をしてるから時間の感覚がよくわからなくなっていく。12時間の飛行。音を立てると怪物がやってくる映画の続編とハーレクインが主人公の映画の続編と山火事とサスペンスが同時に進む映画とデンゼル・ワシントンが警察官の映画とボストンの若いチンピラたちの映画を見た。荒木さんもたまに映画を見てたようだけれどほとんど寝てた。到着が近づいた頃に、年配の男性の添乗員の人がすごく熱心に会員になることを勧めてきて、疲れもあって言われるままに登録した。生まれの年を伝えたら、私がエアフランスに乗り始めた最初の年と同じだと教えてくれた。機内が昼間のまま15時のパリに到着。日本時間だと22時。
フランスでは今も日本はグリーン(安全)国のままで、入国審査もすぐに終わった。荷物の受け取り口に移動。しばらく待ってたら自分のトランクが先頭で出てくるのが見えた。iPhoneを起動したら槻舘南菜子さんからメッセージが届いてる。いまシネマテークにいて、到着したら自分も出るとのこと。予定より少し早めに着いたとメッセージを返す。両替所でサン・セバスチャンで必要になりそうな額をユーロに両替。タクシー乗り場へ。前回のパリ滞在で、支払いはキャッシュだけと言ってくる運転手の人はぼったくりと学んだので、クレジットカードしかないけど大丈夫かと確認したら頷いた。槻舘さんの住所を伝えて出発。途中で槻舘さんからメッセージ。30分くらい私たちの方が早く着くかもとのこと。2日間お世話になる槻舘さんのお住まいはセーヌ川沿いにあるから、川でゆっくり待ってますと伝える。今日は暖かいからいいですねとの返事。タクシー到着。59ユーロ。高い気がする。槻舘さんに伝えたら高いですねと返ってくる。クレジットカードでも変わらなかった。
川沿いのベンチに座って休憩。散歩したり芝生に座って談笑する人たち。橋を電車が渡るのが見える。『ポンヌフの恋人』でラストに登場するような貨物船が過ぎていく。荒木さんが振り返って遠くを見つめてる。バスケットボールで遊んでいるこどもたちが見えた。いいなあと言ってる。行ってきたらと言いたいところだったけれど、旅の疲れもあるし槻舘さんももうすぐ着くので我慢した。いま出ました、いま途中の〇〇駅ですと槻舘さんが順次メッセージで教えてくれる。最寄り駅への到着を確認してベンチを離れた。小走りで槻舘さんが近づいてくるのが遠くに見えた。
槻舘さんは事前にしっかりと計画を立ててくれる方で、今回も夕飯はどうするかを聞いてくれてた。外食ではなく槻舘さんの部屋で食べることになってて、買い出しはもう済ませてくれてる。先週くらいに、ちなみに予算はいくらですかと訊かれてた。家で何を食べたいかを荒木さんに尋ねたらトリュフ入りのチーズだと答えたらしく、これは私の予算をちゃんと確認しておかないとと思ったみたい。先に多めに槻舘さんの口座に振り込んでおいた。それくらいあれば十分ですとのことで安心した。予算をオーバーしたとの報告が後日届いた。
まだ夕方だったけれど食べ始めることに。食べたことのない味覚のおいしいソーセージやパンやバターやトリュフ入りのチーズをまず出してくれた。荒木さんが感動してる。おいしい。私もビールやワインをいただきながらどんどん食べる。まだ色々ありますよと言われる。メロンに生ハムがのったお皿を出してくれる。別にして食べようとする人が多いけれど一緒に食べてくださいねと5回くらい念押しされる。おいしい。前回よりさらにおいしいジェノベーゼのパスタも出してくれる。安心と疲れと酔いとお腹いっぱいなのとで体が限界なのがわかる。槻舘さんがコーヒーを淹れてくれた。いつ寝落ちしてもいいように先にシャワーをお借りして歯も磨いた。洗濯機も先に回させてくれた。あとは記憶が断片的。槻舘さんと荒木さんが笑いながら私を移動させてソファをベッドに組み直してくれたり、シーツを敷いてくれたり、タオルケットをかけてくれたり。起きたら台所のもの何食べてもいいですよと言われたのを覚えてる。
0時に目が覚める。槻舘さんが廊下を行き来する音が聞こえる。目を閉じる。3時に目が覚める。ベッド脇に置いてくれてた水を飲む。台所に行くと洗い物も全部してくれてる。回したままだった洗濯機も空になってる。冷蔵庫を開けたら食べきれなかったものがそれぞれタッパーに詰めて入れてある。使い方がわからない電子レンジに苦戦しながら残りのジェノベーゼのパスタを温めて、サラダや生ハムメロンを添えて台所のテーブルで食べた。コーヒーも淹れて飲んだ。夜の記憶が戻ってくる。槻舘さんが誕生日プレゼントだと言ってジョナス・メカスの言葉がプリントされたバッグを渡してくれた。うれしかった。私の誕生日は11月。
“keep dancing, keep singing, have a good drink and do not get too serious! Jonas”
ベランダに出たら寒かったから長袖と長ズボンに着替えた。少し雨が降ってる。川の匂いがする。
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haruhara-san · 3 years
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7/28(水)→7/29(木)
日記を書き上げるとまずパリにいる槻舘さんに送る。たのしみにしてくれてる。すぐにメッセージが既読になって1分後くらいには「続きを楽しみにしています❤️」と返ってくる。文章を読むのが早い。修正が必要なときは即座にメッセージが届く。リアルタイム校正。昨日書いた日記では、ジェノベーゼは少し食べたとのこと。
7/28は帰国の日。早朝にソファベッドで目が覚める。ここはどこ? と思う。少しずつ前夜の記憶が蘇る。どうしてちゃんとここに寝てるのだろうと思う。iPhoneを探すけれど見つからない。本当に見つからない。ここにはないだろうと思ったソファベッドを折り畳むスペースの奥に落ちてた。見つけた頃には目が覚める。シャワーを浴びた。キッチンに置いてあった前夜の残り物のパンなどを少しずつつまみながら各方面からのメールに返信をしていく。まず荒木さんが起きてきて、そのあとは確か槻舘さん、川村さんの順番。昨夜の私の寝姿を撮った写真を見せてくれる。謝る。みなさん笑ってくれる。槻舘さんはこの朝も珈琲を淹れてくれる。私がパソコンにメールを打ち込んでる間に皆さんが朝食を済ませていく。お顔を整えながら槻舘さんがちなみに今日は何時に出ますか? と聞く。11時に出ることに。その時間に合わせてトランクの整理をして身支度を整える。飛行機の時間は19時だから空港には17時に到着目標。それまでの間に念願だったシネマテーク・フランセーズに連れて行ってもらう予定。これまで私が預かってた鍵を川村さんに託す。川村さんはもうしばらくパリに滞在予定。今度は川村さんが鍵の練習。この日記を書いてたらさみしくなってきた。その時はわからなかったけれどさみしかったのだと思う。
回数券がなくなったので、駅の券売機で乗車券の往復分と、槻舘さんに勧められて空港までのバスの乗車券を購入。川村さんもなぜか空港まで見送ってくれると言う。槻舘さんが、え、本当に行くんですか? と念押ししてる。川村さんは行きますと言う。電車を乗り継ぐ。シネマテークの最寄りの駅は工事中のため、手前の駅で降車。そこから一駅分歩く。しばらくしたところであれですよと槻舘さんが教えてくれる。これまで写真などでも見たことがなかったから、ああこれがシネマテークと思った。立派な建物だった。ジョルジュ・メリエス展の大きな看板も見える。入口の人にiPhoneで検査陰性の証明を見せて中へ。荒木さんと川村さんがトイレに行く。槻舘さんはシネマテークにお知り合いがいるらしく、受付の人から4人分の展示鑑賞チケットを受け取って渡してくれる。私もやっぱりトイレに行きたくなり、向かう。トイレを出たところに『大人は判ってくれない』の日本版の巨大なポスターが飾られていて圧倒される。荒木さんに前に立ってもらって記念撮影。ジャン=ピエール・レオーと同じポーズをしてほしいとお願いしたら、振り返って見上げて確認しながら少しずつ調整してくれた。視線が左上だと槻舘さんからも演出が入る。エレベーターに乗って階上の展示室へ。メリエス展、超おもしろい。行きすぎた人たちが映画の歴史を作ってきたことを思う。競争に敗れて映画の発明者になれなかったエジソンのキネトコープの実物も見られて感動。メリエスの作品を大きなスクリーンで見ながら笑った。この間、川村さんはご自身の会社の方の送別会の時間だったらしく、iPhoneでずっと参加してる。イヤホンを忘れたみたいで、メリエス展に送別会の音が微かに混ざって聴こえてくる。どこにいるか見えなくなった川村さんを残して先に展示室を出て2階の書店へ。『月世界旅行』のエコバックと、槻舘さんはジャック・リヴェットのエコバッグを推してくれたけれどジム・ジャームッシュの映画の歴代の主人公たちがかわいく描かれたのに惹かれてそちらを購入。1階のカフェレストランへ。前夜のジェノベーゼが効いたのか荒木さんは食事は頼まずにドリンクだけ、槻舘さんと私はお肉のランチプレートを注文してテラス席で食べた。ビールも飲んだ。途中、槻舘さんを見かけて声をかけてくる人たち。一人はシネマテークのたぶんトップの方。その方が今日のチケットを用意してくれたと知って恐縮。川村さんも合流してランチ。書店でメリエス作品のブルーレイディスクを買ってた。私も買えばよかった。
食事を終えて駅までまた歩く。するとまた「Nanako?」と槻舘さんに気づいて声をかける人たち。顔が広い。地下鉄に乗って、何の話だったか忘れたけれど何かで盛り上がってる間に乗り換え駅を通過。引き返さずに迂回して元の駅までそのまま向かうことに。途中の乗り換えホームで、ああ、この人はきっとみんなが言ってたスリの人だろうとわかる人が近くに立つ。そちらに体を向けてたら大丈夫だろうと思って目は合わせないようにしつつ電車を待つ。少し時間がかかって槻舘さんの部屋に到着。急いで最後の帰り支度。こういう時は絶対に忘れ物をするからあちこち隈なくチェックする(あとで槻舘さんから髭剃りの写真が送られてきた。やっぱり忘れてた)。土産品を入れる用のバッグを槻舘さんが貸してくれたけれど小物が多かったからかトランク一つで大丈夫だった。荒木さんはトランクと借りた大きなバッグ。名残惜しくしてる時間もなく出発。川村さんが荒木さんの荷物を運んでくれる。オペラ座のある駅まで電車で移動。ちょうど空港行きのバスが停車してる。槻舘さんとお別れの挨拶。切り返しながら荒木さんと槻舘さんの写真をそれぞれ撮った。バスに乗り込む。手を振りながら槻舘さんは遠ざかっていった。最後までかっこよかった。
空港までの移動の時間、荒木さんはずっと寝てた。川村さんと二人で長く話す。空港に到着。降り場から空港に入れそうなドアは見当たるけれど開かない。近くを通ったこどもたちがあっちだよと教えてくれる。入ろうとしたら入口に警備の人がいて、航空チケットの確認をしてる。川村さんは中にも入れないとわかる。到着口でバスを降りて、中に入れなくて、どうやってまた戻るのか心配だったけれど、川村さんは大丈夫だと言う。飛行機の時間まで一緒にいられると思ってたけれど急なお別れ。記念に川村さんと荒木さんの写真を撮った。手を振りつつ中へ。ガラスの向こうに見える川村さんの姿が遠ざかっていく。さみしいねと荒木さんに言う。荒木さんもさみしいですと言う。まずトイレに行きたくなって二人で探す。まず私が荷物番をすることにして、荒木さんが先に入っていく。ぼんやり辺りを眺めてたら川村さんの姿が見える。手を振って知らせる。川村さんは入れましたと言う。どうやらどこにもタクシーやバスへの乗り場がなかったらしく、何とかして中に入ってきたとのこと。川村さんに荷物番を代わってもらってトイレへ。出てきたら荒木さん��うれしそうに川村さんと話してる。航空会社のカウンターでトランクを預けてカフェでゆっくりすることに。飛行機に乗ったらすぐに夕食が出る時間だったけれど、荒木さんは少しお腹が空いたみたいでサラダを入念に選んで購入。私と川村さんはビール。なぜか大きな生ビールが3つも出てくる。川村さんが2杯飲んでくれた。写真を撮って槻舘さんに送る。しばらく3人で話した。今度こそ本当にお別れ。最後にもう一度記念撮影。手を振った。
飛行機は行きと同じくらい空いてるかと思ったけれど、よく見ると私服の添乗員らしき人たちが窓際の席にずらっと座ってる。研修か何かかもしれない。行きに荒木さんの誕生日を祝ってくれた人たちがいたら映画祭の結果を伝えられると思ったけれど、見かけなかった。後で会社宛にお礼のメールを送ろうと思ったことをこの日記を書いてて思い出した。飛行機が上空に上がってすぐに夕食が出る。カレーが好きな荒木さんはカレーを選ぶかと思ったらお肉を選んでた。私はカレー。食後すぐに荒木さんは睡眠。私は「日記は書いたんすか?」の槻舘さんのプレッシャーを受けてパソコンを機内に持ち込んでいたため、執筆。頭がぼんやりして全然はかどらない。機内で使用できるwi-fiを購入したけれど、Tumblrのページも開かないくらいに遅い。ネットは諦めてワード文書を開いて下書きをするけれど、10分で1行くらいのペース。しばらくしてパソコンを閉じた。映画も何か見たかもしれない。どう過ごしてたかをほとんど覚えてない。眠らないのが私だけだったみたいで、ちょくちょく添乗員の人が他の席を使って横になってもいいですよと声をかけにきてくれる。行きと違って機内に緊張感があったからそのまま到着まで椅子に座ってた。そのまま羽田空港に着陸。
無事に日本に到着したことを槻舘さんと川村さんにメッセンジャーで伝える。covid19に対しての検査や手続きは想像してたよりもスムーズだった。もっとすごいのを覚悟してた。成田空港だとまた違ったりするのかもしれない。2時間ほどで到着ロビーに出られた。荒木さんの俳優賞の賞状だけ渡そうと思ってトランクから出す。荒木さんのカバンに無理やり入れようとしたけれど、やめた方がよさそうな音がしたので、まとめて持ち帰ることに。最後にもう一度持ってもらって記念撮影だけした。荒木さんとお別れ。遠くまで手を振った。
家までの帰り道、トランクを引きながら『春原さんのうた』の撮影場所でもあるキノコヤの前を通った。Closedの札が下がってる。このあとは自主隔離でしばらく家から出られなから渡せないと思い、観客賞の賞状を窓際に置いた。店主の黒川由美子さんに置いておきますとメッセージを送った。ちょうど夕日がきれいな時間だった。川沿いを歩いて帰った。
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haruhara-san · 3 years
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7/27(火)
早朝に起床。次に起きたのは荒木さん。お風呂に向かう音が聞こえる。本当にお風呂が好きな人。次に川村さん、そして槻舘さん。時差が影響してる人から先に起きてる。前日に私たちが病院に行ってる間に槻舘さんがスーパーで買ってきてくれていたパンやチーズやハムやヨーグルトなどで朝食。バジルの入ったパンなどどれもおいしい。荒木さんはチーズがとにかく好きで山盛り食べている。槻舘さんはコーヒーも淹れてくれた。槻舘さんの部屋は廊下を挟んだトイレの向かいにあり、トイレに入る時の音はできるだけ小さく抑えてくれると助かる、音でびくっと起きてしまうと伝えられ、咄嗟に荒木さんと二人で謝ったけれど、いや待てよすごく気をつけてたなーと思って、最終的にそれはきっと川村さんだろうということに落ち着いた。支度をして出発。小雨が降ってたので荒木さんは槻舘さんから借りた真っ白のレインコートを着用。近くのスーパーで折り畳み傘も買った。
事前に槻舘さんがパリでの昼食は何を食べたいかを荒木さんに聞いてて、ガレットとクレープを食べることになってた。地下鉄を乗り継いで槻舘さんのおすすめのレストランがある駅へ。到着してまずは駅前の薬局でPCR検査。この日は私の希望で『レッドバルーン』や『夏時間の庭』の舞台にもなったオルセー美術館に行くことになってて、美術館に入るためには48時間以内の検査陰性の証明が必要で、前日の帰国用の検査の結果はまだ届��てなかったのでまたやることに。薬局のカウンターで登録と支払いを済ませて表のテントで検査を受ける。青年のスタッフがとても丁寧に対応してくれる。無事に三人とも陰性で目的のお店へ。槻舘さんと川村さんは卵などが載った定番、荒木さんは鴨肉、私はサーモンのガレットを注文。このあたりはジョナス・メカスがよく滞在してた一角で、あのカフェによくいたんですよと一軒隣の店を指して教えてくれる。ガレットに合うのはシードルとのことで、ボトルを頼んで飲む。食事が出る前にほとんど飲み終わる。ガレットは焦げる手前みたいな絶妙な焼き加減でおいしい。つづけて荒木さん念願のクレープを頼む。すでにお腹いっぱいなので、2つを注文して分けることに。槻舘さんおすすめの塩キャラメルのクレープとオレンジピールとソースがかかったのを青年のスタッフに伝えた。ベテランのスタッフがやってきて、オレンジピールのクレープとチョコレートソースのをテーブルに置いた。頼んだのは塩キャラメルだと即座に槻舘さんが伝える。た��たま通りかかった青年は、あなたはチョコレートと言ったと言い残して去って行った。まじであいつ許さんとなる。仕方なく食べ始める。どちらもおいしい。けれど槻舘さんがあれだけ言ってた塩キャラメルは心残り。少しして、新たに塩キャラメルのクレープも届いた。さすがベテランの人と思ったけれど、槻舘さんはすぐにレシートをちゃんと確認しましょうと言う。注意を怠らない。クレープ3つの会計になってたらガチギレしよう、もし2つだったら褒め称えようということで落ち着いた。塩キャラメルのクレープはチョコレートと比べられないくらいおいしかった。私はオレンジピールのも同じくらい好きだった。レシートには無事にクレープ二つ分だけ記載されていた。
タクシーに乗って美術館に向かうことになった。4人で乗ろうとしたけれど、感染対策で助手席は不可とわかり、2台に別れた。槻舘さんと川村さんが先に、私と荒木さんが後から向かうことに。前方を走る槻舘さんと川村さんが乗ったタクシーが明らかに道を間違えて同じところを回ってるのがわかった。こちらの運転手の人も、よくわからないことを呟きながらノロノロ運転をしたりしてる。どうも様子がおかしい。Googleマップを開いて自分でも地図を確認する。オルセー美術館が左手に見えたのに通り過ぎる。どういうこと? と思って運転手にここでいいと伝える。ごにょごにょした返事をしながらノロノロと進むタクシー。ようやくだいぶ行きすぎた地点で停車。カードで支払おうとするとカードは使えないからキャッシュでと言われる。カード読み取り機が助手席に見える。嘘ついてる。怪しすぎてすぐに降りたかったので札を渡して降りる。きっと数ユーロ分でも多く稼ぎたかったのだろうとわかる。以前別の国で遭遇したヤクザみたいなぼったくりタクシーの人に比べたら値段も顔も遥かに大丈夫だった。その時は最終的に怒鳴り合いになった。もうそんな元気ない。荒木さんと歩いて戻って美術館の入り口の列へ。槻舘さん、川村さんと合流。槻舘さんが若干ぼったくられましたねと言う。パリは大体こんな感じですと教えてくれる。
列は長いように見えたけれどスムーズに入場。映画祭の疲れと天気もあってか頭がぼんやりする。オルセー美術館の建物や展示物の飾られ方や何から何までの壮大な感じに体が追いつかない。すごいなー、すごいなーと思いながら一人で見て回ったり、荒木さんと槻舘さんと一緒になったりしながら進んだ。途中で川村さんの姿は見えなくなる。1階を回り終えて2階に上がって少し見たところで体力の限界を感じて槻舘さんに正直に伝える。5階にカフェと印象派のエリアがあるので、お茶を飲んで休んで印象派を見て終わりましょうと提案してくれる。川村さんにメッセンジャーで伝えなくてはと思ったところで、長椅子に座って休んでる姿を見つけて声をかける。5階のカフェに移動する。荒木さんはアールグレイを頼んだはずが多分ちがう紅茶が出される。匂いをみんなで嗅いで、これはアールグレイじゃないということだけ確認した。少し席を離れて妻に電話。窓外のセーヌ川を見ながらしばらく話す。席に戻ってセーヌ川がよく氾濫する話などを槻舘さんから聞く。オルセー美術館はそのたびに一斉に地下の物をみんなで上に運ぶとのこと。大変。閉館時間が近づいていたので、駆け足で印象派。とにかく広くて全然見きれない。荒木さんと槻舘さんの姿が見えなくなる。お土産を買うために1階に先に向かうとメッセージが届いてた。お土産大事と思って私も向かう。選んでる時の荒木さんの目が真剣。私も急いで選んでいくつか購入。
美術館を出て歩いて移動。事前に槻舘さんは荒木さんと私にどんな店で買い物をしたいかを聞いてくれてて、一つ一つそれに合ったお店に連れて行ってくれる。マルセイユに関してはコーディネーターとしての仕事を依頼してたけれど、パリでの時間は槻舘さんのただのやさしさ。感謝。洋服店で洋服や鞄、チョコレートやマカロン、薬局で槻舘さんおすすめの歯磨き粉などの薬用品を購入した。どれも日本で買うと桁違いの値段になるらしい。『春原さんのうた』にも出演してるカフェ・キノコヤ店主の黒川由美子さんおすすめのパン屋にも寄った。ビスケットとパンを購入。黒川さんに送るために記念の写真も撮影。この日の夜は外食はやめてお惣菜を買って槻舘さんの部屋で食べることに。最後に川村さんがお土産用のワインを購入して電車を乗り継いで部屋に戻った。
お惣菜がどれもおいしい。チーズもパンも。槻舘さんがジェノベーゼのパスタを作ってくれることに。パスタは100グラムぐらいで大丈夫と伝えたけれど150グラムぐらいすかねと言って槻舘さんはキッチンに向かった。出来立てのジェノベーゼ。これがこの旅で一番覚えてる。おいしかった。一皿分を平げたそばから全く同じ量を追加してくれる。荒木さんと川村さんとこれ全部食べるのはやばいと笑いながら全部食べた。もう最後の夜だし炭水化物なんて知らない。槻舘さんは多分ほとんど口にしてない。途中から槻舘さんがバランスボールに座ってボヨンボヨンしてる。体幹が良すぎると言って荒木さんが大笑いしてる。いつもこれをしながらパソコン仕事をしてると言う。荒木さんの笑いが止まらない。このあとくらいから記憶がない。どうやら私はそのまま眠ってしまって、その間に皆さんはテーブルを片付け、ソファベッドを準備してくれたみたい。私はちゃんと感謝を伝えながら横になったとのこと。ようやく体の緊張が解けたのかもしれない。あとでその時の写真を見せてくれた。槻舘さんの撮る写真はやっぱり近い。全体を見られる方は荒木さんの撮影。
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haruhara-san · 3 years
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7/26(月)
朝の8時くらいに起床。この日も天気がよくて、窓外の向こうの丘の上の教会を眺める。iPhoneを開くとたくさんのメッセージが届いてる。LINEの中に世田谷美術館の映画講座を一緒にやってきた講師人のグループがあって、大学の時から一緒だった脚本家の保坂大輔さんが我がことのように喜んでくれてた。私が寝てる間もずっと一人で祝杯を上げてたみたい。それを見たら泣いた。ツイッターを開いたらたくさんの反響が届いてた。一つ一つのメッセージにお返しはできなかったけれど、ありがとう、ありがとうございますと心の中で思った。しばらくベッドに座ってた。お腹が空いた。シャワーを浴びて2階のビュッフェへ。3回も壇上に上がって挨拶したし、ほとんど見かけないアジア人でもあるし、すれ違う人がみんなすぐに誰か分かるみたいで笑顔で挨拶や会釈をしてくれる。トレイにコーヒーとフルーツとクロワッサンとハムとチーズとゆで卵とヨーグルトを載せる。いつもの席は他の誰かが座ってたのでちがうテーブルに。食べてたら一人の男性が声をかけてきて、見覚えがある人で、フレンチ・コンペティションの審査員の方だった。これからバイクに乗って遠くにある家に帰るから眠気覚ましのコーヒーを最後に飲みにきたとのことだった。テーブルの向かいに座った。受賞を讃えてくれた。
部屋に戻ってiPhoneを確認したら、送ったメッセージが既読になってなくて、荒木さんも槻舘さんも川村さんもまだ寝てるのがわかった。みなさんの荷造りを心配しつつ、自分も動けない。部屋のあちこちにある荷物を眺めるまま時間が過ぎていく。それでも立ち上がって少しずつ物の整理を始めた。額に入った賞状3枚はどうしようと思ってたけれど、割れませんようにと願いながら何とかトランクに押し込んだ。チェックアウトの時間は11時。パリに向かう電車は12時発。ロビーが混む前にと思って早めに部屋を出る。受付が空いててすぐにチェックアウトの支払いもできた。映画祭の車両が迎えに来てくれると聞いてたから表に確認に行く。車体に「FID」と書かれた一台があったので、声をかける。申し訳なさそうに、これは別の人を乗せる車だと教えてくれる。ロビーに戻ったところで川村さん、槻舘さん、荒木さんが順々に降りてきた。みなさんも無事に荷造りもできたようでほっとした。賞状を押し込むスペースを作るために出した荷物があって、それを槻舘さんが受け取ってくれた。槻舘さんから頼まれてたムシューダなどの生活品が入った袋。フランスでは手に入らないものたち。槻舘さんはカンヌからの長旅だし、パリに戻ってから渡すつもりだったけれどこのタイミングで受け取ってくれた。川村さんのチェックアウトも済んでみんなで表に出た。一緒に写真撮ってもらいますかと槻舘さんが小声で尋ねてくる。見ると縁石に『KIDS』のラリー・クラーク監督が杖に手を置きながら腰掛けてる。雰囲気がすごくて、大丈夫ですと伝える。10人乗りの車がドア前に停車した。どうやら私たちと、他の映画祭関係の人たちも同乗するみたいだった。その一人は私たちに賞をくれた審査員の一人だった。実は、サイトを見ても今回の審査員がどなたなのかいまだにわからなくて、お名前を書けない。滞在中にお世話になる人たちがきっとたくさんいるだろうと思って、小さなお土産をたくさん用意してた。タイミングが難しくて誰にも渡せないままだったけれど、その一つを審査員の方に渡せた。千代柄の手鏡と小さな便箋セット。運転手の方に相談したらまとめて映画祭スタッフのみなさんに渡してくれることになったので、残りを全部託した。車に乗り込んでホテルを後にした。
マルセイユ駅に到着。アジア料理のお店で昼食用のお弁当を買うことに。私と槻舘さんはバインミー、荒木さんはサラダと何か(サンドイッチ?)、川村さんは何かの丼。川村さんは急きょのマルセイユ参加だったので、同じ電車のチケットは取れたけれど別の車両。一旦お別れする。槻舘さんと荒木さんと私は通路を挟んで一列の席。行きと同じく棚に置いたトランクを常時チェックできる位置だった。電車が発車してから少ししてグループのメッセンジャーに川村さんから丼の写真が届く。海鮮丼だった。刺身のほかにフルーツが載ってる。びみょうと書かれてる。バインミーはおいしかった。荒木さんは食後にチョコレートも食べてた。槻舘さんと荒木さんのおかげで行きの電車では色々試しても使用できなかったWi-Fiを使えるようになった。行きは窓外の景色をずっと見てたけれど、帰りはiPhoneの画面ばかり見てた。本当にいろんな方が受賞を喜んでくれてたり、反応してくれてる。途中トイレに行った。流すためのボタンやレバーがどこにも見当たらず、ぐるぐる回ったりしゃがんだり隈なく全部を見るけれど分からず途方に暮れる。ようやく足でペダルを踏むタイプだと気づいて踏んだ。ほっとした。
パリのリヨン駅に到着。改札を出たところで川村さんと再会。トランクを引きながらみんなで槻舘さんに付いていく。地下鉄の券売機で回数券を購入して3人で分けた。パリの電車の改札は細身の人用に作られたみたいに狭い。ここから地下鉄を乗り継いで移動。フランスを知ってる人たちからスリに気をつけるように言われてたのと、やっぱり槻舘さんからも念押しされたのもあって、かなり注意深く荷物を持った。無事に何事もなく目的の駅に到着。地上に出ると整備されたとても綺麗な街並み。雰囲気も穏やか。このエリアはそれぞれの道に監視カメラがあるからだと槻舘さんが指差しながら教えてくれる。槻舘さんのお住まいに到着。この日から2泊お世話になることに。寝床のある部屋が3つあって、振り分け。川村さんは僕はここでいいですと言って一番布団が硬い部屋、荒木さんは小さくてかわいい部屋、私はソファベッドのあるリビング。テラスに出るとセーヌ川がすぐ下に見えた。見晴らしもよくて気持ちいい。槻舘さんがおもむろにココナッツの殻に入ったココナッツミルクのアイスを出してくれた。きっと荒木さんに食べさせたくなったのだと思う。スプーンですくって食べるとこれがまたおいしい。川村さんはこのあと私と荒木さんが行く予定だった病院に電話して追加の予約。槻舘さんはカンヌ国際映画祭の批評家週間スタッフの打ち上げパーティーがあるとのことで、支度を始める。鍵を受け取り、特殊な開け方を入念に教わる。いってきますを伝えてマンションを出る。歩いて15分くらいと言われてた病院の住所をGoogleマップに入力したけれど、方角に不具合が起きる。川村さんが代わりに地図を見てくれることに。少し歩いたところで突然の土砂降り。雨宿り。槻舘さんから「だ、大丈夫?」とメッセージ。川村さんが淡々とiPhoneでウーバーを起動してタクシーを呼んでくれる。川村さんは動揺しない。少し離れたところに表示される一台が一向にこっちに来てくれる様子を見せない。雨も少し弱まり、やっぱり歩いて向かうことに。川村さんが病院に電話して状況を伝えてくれる。少々濡れつつひたすら歩く。大きな病院に到着。入口に黒服の人たちや警備員の人たちがいて物々しい。病院のどこに行けばいいのか分からず、受付で自分たちが日本人であることを伝えるとすぐに了解して的確に道順を教えてくれた。廊下を曲がったり進んだりして予約をした先生の部屋に到着。17:00の予約で20分の遅れだった。となりのトトロやドラえもんや妖怪ウォッチなど日本のアニメ作品のポスターやおもちゃなどがきれいに飾られてる部屋。日本人の先生。まずは荒木さんと私がPCR検査を受けることに。先生、少し焦ってる。17時30分きっかりにPCRテストの検体を受け取る部署が閉まるらしく、急いで質問や書類の記入などを進めてくれる。焦ってるように思えるけれど、冷静で感情が顔に出ない先生。それだけでなんだかすごさが分かる方。無事に検査終了。じゃあ提出してくるので待っててくださいと言いながら先生が足早に出ていく。PCRテストは(多分保険が効かないから)現金払いで、155ユーロきっかりをそれぞれ用意してほしいと言われる。日本へ帰国するためには国から指定された陰性証明書を用意する必要があって、この病院に来たのはそのためだった。書類の用意などもあるので値段も高い。ほとんどカードで済ませるつもりで310ユーロも現金を持ってなかったので、ディスペンサーで下ろしてくることに。来たときの廊下の途中にあった。310ユーロを下ろす。5ユーロ札は出てこなかったから、みんなが持ってる小銭をかき集めるしかないと思う。財布にお札を入れて顔を上げたところで俳優のジャン・レノと目が合った。通り過ぎていった。待合スペースに戻って荒木さんにジャン・レノがいたよと伝える。だれ? という顔をしている。CMのドラえもんの人だと伝えたらわかってくれた。それぞれの5ユーロ分は無事にコインでなんとか集まり、先生に渡す。よかったですと少しだけ微笑んで小銭を受け取ってくれる。表情はあまり動かないから感情は読み取れなかったけれど最後までやさしい先生だった。無事に全員診察を終えて病院を出る。
夕飯をどうするかを3人で話す。疲れてた川村さんと私は帰り道の適当な店でいいんじゃないかと言う。荒木さんは槻舘さんが薦めてくれたステーキがおいしい店にやっぱり行ってみたいと提案してくれる。こういう時にちゃんと踏ん張れる人を尊敬する。タクシーに乗って移動。途中、凱旋門を通過してああこれが凱旋門と思う。工事中だった。予約はしてなかったけれど、目的のお店にすぐに入れた。入り口近くのテラス席。食事のメニューはなくて内容は一択。前菜のサラダとステーキとポテト。焼き具合だけ聞かれたので荒木さんと私はレア、川村さんはミディアムレアと伝える。やっぱりレアがいいかもと川村さんが迷ってたので代わりに伝えにいく。サラダもステーキもポテトもすこぶるおいしい。フライドポテトはこれまで食べたものの中で一番おいしかった。ステーキをあっという間に食べ終わる。検査も終えたし、ビールも飲んでようやく気持ちがほっとする。荒木さんが、あれエッフェル塔じゃないですかと気づく。確かに通りの向こうに先っちょだけ見えるのがエッフェル塔かもしれない。生まれて初めて見るエッフェル塔。記念に写真を撮る。お店の人がトレイを持って回ってきて、食べ終わったお皿にステーキを追加していった。お代わり自由のお店だった。ポテトが山盛りに載せられたトレイも持ってきて追加してくれる。炭水化物の取りすぎを心配しながらおいしいからとみんなどんどん食べてしまう。小さなメニューを渡される。筆記体のフランス語で何がなんだかわからないけれど、きっとデザートのメニュー。川村さんはデザートはいらないと言う。荒木さんと私で、勘だけで二つを選んでお店の人に伝える。英語も話せる人で、どんなデザートか説明する? それともサプライズにする? と聞いてくれる。サプライズでお願いしますと伝える。二人ともベストチョイスをしたよと言って去っていった。出されたデザートもまたおいしかった。名前は今もわからない。
食事を終えてまたタクシーに乗った。日本語が達者な人。五反田とか旗の台の話をしてくる。遠くの凱旋門の向こうに夕日が見えた。槻舘さんの部屋に着いて休憩。荒木さんが槻舘さんにお風呂に入ってもいいですかと確認のメッセージを送る。いいですよと返ってくる。荒木さんは湯をためて早速入る。荒木さんがお風呂から出てきた後もしばらくみんなでリビングでぼんやり過ごしてると槻舘さんからメッセージが届く。そろそろ終わって帰りますとのこと。続けて、私が帰るまでにどんどんお風呂を済ませてくださいとメッセージ。慌てて私から入って川村さんも済ませる。槻舘さんも無事に帰宅。色々と済んで、洗濯物をまとめて洗濯機で回してくれた。すぐれものの干し機があって、リビングの真ん中に置いてそれぞれの洗濯物を干す。この夜は川村さんと荒木さんと3人でずいぶん長く話したと思う。ワインも飲んでまぶたも閉じてきたところでおやすみなさいを言って就寝。
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haruhara-san · 3 years
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7/25(日)マルセイユ国際映画祭最終日
私が25日の日記を書き始めようとしてる隣で槻舘さんがどういう流れの日だったかを語り始めて脳内で二重音声みたいになってる。
朝9時にホテル前に集合して川村さん、荒木さんと3人でマルセイユで最後のPCR検査へ。荒木さんも私も上映初日に着たのと同じ服装。前日の3回目の舞台挨拶だけ落ち着いた色味の服にしたり、洗濯も考えての服のローテーションの組み方が一緒。
PCR検査の判定によっては閉会式に出席できなくなるのでやっぱり緊張する。無事に全員陰性でほっとする。荒木さんは3回とも同じ人から検査を受けた。私は毎回ちがう人。長い何かの鼻への挿し入れ方にそれぞれ特徴があって、最後の人は痛みを感じなかった。川村さんは毎回一番ダメージを受けてて心配になる。終えてそのまま今回の会場の中で一番遠いところにある劇場へ。上りの坂道がハードで川村さんが少しずつ遅れていく。振り返って様子を確認しながら進む。前夜に『春原さんのうた』を見てくれた地元フランスのパスカルさんが監督したフレンチ・コンペティション部門の作品を鑑賞。自分の作品を見にきてくれた人の作品はお返しに見にいくという当たり前の礼儀を持つことを槻舘さんは徹底していて、どの人の作品がいつどこでやるかを把握して必ずスケジュールに組み込んでくれる。ありがたい。私はマルセイユ国際映画祭への出品が決まった時点で槻舘さんに現地コーディネーターとしての仕事を依頼してる。カンヌ国際映画祭から直接現地入りしてホテルのチェックインから一緒にいてくれてる。本当に色々助けてくれるので思わずその都度お礼を伝えるけれど、その度に、いえ仕えてますから、雇用されてますからと淡々と返される。その淡々とした返事がかっこいい。パスカルさんの作品は今回の映画祭ではめずらしくカット割りを細かく積み重ねて芝居を見せていく映画だった。フランス語による上映後のQ&Aは聞いてもわからないので退出。川村さんは槻舘さんが紹介する人と会うために一旦別れる。荒木さんと私は劇場前のカフェでそれぞれレモネードとエスプレッソ。フランス語ではレモネードをレモナードと発音する。日曜日は多くのカフェやレストランが休みかドリンクオーダーだけになるとのことで、昼食を食べる場所を探すために海の方に移動する。メリーゴーランドのそばにあるレストランが食事も出してるみたいだったのでテラス席に座る。店主らしき年配の女性がやさしく話しかけてくれる。ワクチン接種はもう済んだのかと聞かれてまだだと答えたら、まじか? 大丈夫か? みたいな顔をした。食事の時はマスクを外すのでレストランやカフェでは必ずテラス席に座ってる。このレストランではめずらしくメニューに英語表記もあったので助かった。荒木さんはステーキ、私はサーモンのクリームパスタを注文。槻舘さんがいつもお店をちゃんと考えてくれてるのが改めてわかる味だった。お互いに塩を自分で振りながら食べた。
ホテルに戻って次の映画の鑑賞の時間までそれぞれ休むことにする。1時間後にホテル前に4人で待ち合わせて先ほどと同じ遠い場所にある劇場へ。フランスで人気のある若手の監督の作品を鑑賞する。マルセイユ国際映画祭に出品されてる映画にはフィルム作品が多い。どうしてフィルムで撮らないのかと聞かれることもある。こういうことがわかるだけでも外に出るのはいいなと思う。今回の映画鑑賞の予定をすべて終える。あとは閉会式だけ。それまでしばらく時間がある。夕飯は何がいいですかと槻舘さんが荒木さんに尋ねる。悩みながら荒木さんが海鮮を希望する。海沿いのブイヤベースで有名なお店まで行くことになる。出てきたブイヤベースはスープだけで十分なくらいにおいしい。パンにバターを塗ってスープに浸して食べるのを薦められてやったらもう本当においしい。大量の生牡蠣や名前のわからない貝や魚やカニやにんじんとじゃがいもの塊がどどんと前に置かれて圧倒される。これは値段がとんでもないことになるのではと思いつつ、最後だからいいと思う。荒木さんのおいしーは正確に発音すると「おい」と「しー」の間に聞こえないくらいの「っ」が入る。「し」もどちらかと言うと「すぃー」。文字表記だけでは再現できないおいしー。閉会式が始まる時間を確認しながら食べつづける。食べきれない。私は胃腸が強くないのでこれまで機会があっても生牡蠣は食べないようにしてたけれ��、この日ばかりは食べてみた。閉会式直前のタイミングだけれど覚悟した。こんなにおいしいのか、だからみんな食べるのかとわかった。ビールもワインも飲んですでに酔っ払ってる。マルセイユにいる間は酔っ払ってばかり。閉会式の会場までは歩いて10分だったので、15分前くらいに会計をお願いした。値段はやっぱりすごかった。川村さんがご馳走してくれることになった。これはさすがにすごいのでまた改めてお返しをしないとと思う。お店の人が川村さんのクレジットカードを読み取りの機械に入れて色々といじってるけれど不具合が起きる。カードではなく機械の不具合だと謝りながら別の機械を持ってきて試すけれどうまく処理されない。ちょっとしたトラブルだと思ったら、これはもしかしたらしばらく解決しないかもとわかる。その時点で閉会式開始の7分前。遅刻確定。グロリアさんから槻舘さんに様子を確認するメッセージが届く。会計のことは川村さんと槻舘さんにお任せすることにして荒木さんと私だけ先に向かうことにする。荒木さんがカバンに入れておいた閉会式用の靴にナイキのサンダルから履き替える。小走りと早歩きを組み合わせて向かう。途中、足が痛くなってしまったようで、荒木さんが靴の履き替えのタイミングを間違えたと言ってる。心配になる。汗をかきつつ会場のオデオン座に到着。スタッフの皆さんがこっちだよと案内してくれる。遅刻してごめんなさいと思う。
閉会式の場内に入るとたくさんの人。換気を優先してるためエアコンの効きが弱くとても暑い。入口からすぐの席にグロリアさんが座っててアイコンタクトを交わす。汗もかいてるし息も切れてるので迷惑をかけないようにと思い一番後ろの方へ。ナタンさんがいたのでその後ろに座る。閉会式がスタート。槻舘さんが一緒にいないからフランス語のスピーチがわからずに場内をただ見渡してる。その後、槻舘さんと川村さんが無事に到着した様子が遠目に見えてほっとする。二人が前方の端の方の席に座るのを確認した。記憶が曖昧だけれど、多分そのタイミングくらいでスクリーンに『春原さんのうた』のスチールとタイトルが大きく映し出される。拍手が起きる。これはどういうこと? と思う。ナタンさんもこちらを振り返って拍手してる。これは? 前に? 出る? ということ? と聞くとそうだとナタンさんが教えてくれる。立ち上がって階段を降りる。ナタンさんも一緒に来てくれる。みんな拍手してくれてる。途中でそれがエールフランス賞(観客賞)だということを何となく把握する。マイクの前に立って私は何を話しただろうか。覚えてるのはまず総合ディレクターのジャン=ピエール・レムさんへのお礼と映画祭スタッフの皆さんへのお礼、あと通訳が本業じゃないのに通訳してくれてるナタンさんへのお礼、そのあと『春原さんのうた』メンバーの皆さんへのお礼と、いますぐにこのことを知らせたいけれど日本は深夜の時間で起きちゃうから電話するのは控えるということ、荒木さんの座る方を指し示しながら荒木さんのこと。たぶんちゃんと挨拶できたと思う。賞状を受け取る。受け取ったあとどうすればいいかわからず、様子を見ながら壇上から降りる。席に戻ると槻舘さんと川村さんも後方の席に移動してくれてる。荒木さんに賞状を持ってもらって写真を撮ってすぐに春原さんのグループLINEに送る。そのとき日本では深夜の3時半。プロデューサーの髭野純さん、宣伝の平井万里子さん、キノコヤ店主の黒川由美子さん、スチールの鈴木理絵さんがかろうじて起きてたようで喜んでくれてる。このあとその皆さんも睡眠に入ったと思う。後になって、どうして荒木さんも連れて壇上に行かなかったのかと後悔した。いきなりすぎて焦ってしまった。もし次があったら一緒に行こうと思う。ここからが長かった。高校生が選んだ賞、マルセイユ市民の人たちが選んだ賞、受刑者の人たちが選んだ賞、短編部門の賞、フレンチ・コンペティションの賞の発表がつづく。すごく丁寧に皆さん挨拶するからインターナショナル・コンペティションの賞の発表まで2時間かかった。国際映画祭でもあるけれど、ちゃんと街の映画祭でもある。市民の人たちがうれしそうに壇上で挨拶をする姿を見て気持ちも和んだ。その待っている間のことを少し。
と書いたところで日記の執筆を中断。実はマルセイユ国際映画祭で受賞をしてから、いろんな国の映画関係の人から連絡が届いていて、その返事や状況の整理などに時間がかかってる。『春原さんのうた』に関しては、国内のことはプロデューサーの髭野さん、国外のことは私が担当という役割分担でやってきてる。マルセイユのような映画祭で受賞するとこんなに状況が変わるのかということを実感してる。今はメキシコの人への返事とブラジルの人への相談のメールを送ったところ。この数日で世界中の人たちとメールのやりとりをしてる。事務処理能力を上げたい。
日記再開。待っている間のこと。ホール内が暑いことと、観客賞を受賞したことのうれしさと、これからまだ賞が発表されていくことへの緊張などもあって椅子にただ座ってるのが少し大変になる。槻舘さんが外に行って水を持ってきてくれた。感謝。荒木さんは隣で受け取ったペットボトルの水を一気に飲んでいる。ゆっくり息を吸いたくてホールを出ていくと、後から槻舘さんが追いかけてくる。聞けば、ディレクターのジャン=ピエールさんが、あいつはどこに行ったんだと焦ってたから呼びにきたとのこと。思えばジャン=ピエールさんは場内にいる間も後方の席に座ってこちらをチラチラと見ている。槻舘さんは観客賞を受賞したタイミングで、まずは観客賞を受賞とツイートしている。まずは? と思う。ジャン=ピエールさんはそのあと席を移動するときになぜか川村さんや槻舘さんの肩をグッと抑えたりしたみたい。俳優賞の発表が近づいたタイミングで、水を飲みすぎた荒木さんがどうしてもトイレに行きたくなったとのことで、槻舘さんと一緒に会場を出て行くと、やっぱりジャン=ピエールさんがガタッと席から立ち上がるのが遠くに見えた。これは何か獲るなと感じない方がおかしいくらいの雰囲気があった。でもなるべく考えないようにする。
俳優賞の発表が始まる。私たちも好きだった『JOJO』の主演の男の子が呼ばれて壇上で挨拶。続けて荒木さんの名前が呼ばれた。うれしい。私も後からついていって写真を撮った。槻舘さんも写真を撮ってくれてる。川村さんは動画担当。川村さんは『ドライブ・マイ・カー』のプロデューサーなのに、この期間ですっかり『春原さんのうた』のプロデューサーでもあるんじゃないかと思えるくらいに一緒にいてくれてる。荒木さんは舞台挨拶の時もそうだったけれど、笑顔が溢れてて、荒木さんが話すと場内の空気があたたかくなる。賞状を受け取った荒木さんと一緒にまた席に戻る。続けてインターナショナル・コンペティションのスペシャル・メンションと準グランプリの発表。どちらもこれは好きだなーと思った作品だった。最後にグランプリの発表。審査員長のラヴ・ディアス監督が映画のタイトルを言う前に作品へのコメントを話し始める。その中にジャパニーズ何とかという言葉が聞こえる。それはもう『春原さんのうた』のことでしょう。ああ、本当に獲ったんだと思う。名前を呼ばれて荒木さんと二人で壇上に向かった。ラヴ・ディアス監督がとてもつよくハグしてくれた。他の審査員の方ともハグした。スクリーンに大きく出ているスチールは写真家で私の妻でもある鈴木理絵さんが撮ってくれたものだったので、まずは理絵さんの紹介とお礼への言葉から挨拶を始めた。2時間を超える閉会式で皆さんも疲れてると思ったので、なるべく短く話そうと思った。改めて映画祭スタッフと作品のメンバーの皆さん、これまで支えてくれた人たちへの感謝の気持ちを伝えた。あと恩師の如月小春さんの話もした。
閉会式が終了した。長丁場だったこともあってみんなあっという間に会場を後にした。いくつかある賞のうちの3つも私たちがもらってしまって申し訳ない気持ちもあり、やっぱりうれしい気持ちもあり、今日ばかりは許してと思う。だって、こんなこと初めてだもの。受け取った賞状3枚を荒木さんと二人で持って記念写真を撮ってもらった。槻舘さんは笑顔でこれくらい獲ると思ってましたよと言う。川村さんはこれまで見たことないくらいの笑顔でうれしい、うれしいですね、いやー本当にうれしいと何度も言ってくれてる。ナタンさんとグロリアさんも笑顔。劇場の外に出るといろんな人たちがお祝いの言葉を伝えてくれる。同じ部門のベン・ラッセル監督も肩を叩いてコングラッチレーションと伝えてくれた。
いつものDJブースのあるパーティー会場へ。やっぱりいろんな人がお祝いの言葉を伝えてくれる。同じ部門のSantiago Mohar Volkow監督が、また別の映画祭で一緒になろうね、そこでもう一度競いましょうと伝えてくれた。かっこいい。ジャン=ピエールさんを探して、このさき映画を作るたびにあなたのことを思い出します、ありがとうございましたと伝えた。ラヴ・ディアス監督を探して話しかけた。独特の英語で全部はちゃんと聞き取れなかったけれど、あなたの映画は本当にアメイジングだと伝えてくれた。ヒューマニティに溢れてるとも。このさき何があっても、誰にどんなことを言われても、あなたが思うシネマを作って作って作りつづけるんだと繰り返し伝えてくれた。ここまで人から励まされることがあるだろうかと思った。
途中、端っこにいって一息ついたりもした。髭野さんと平井さんから連絡があって、リリースを出すので受賞のコメントを送ってほしいとのこと。30分後が締め切り。こんなときに鬼ですみませんと書いてある。なんとかiPhoneで書こうとするけれど、その間もいろんな人が話しかけてくる。急いで書いて、客観視点をもらうために槻舘さんと荒木さんに読んでもらって、ゴーサインを受けてから送信した。荒木さんはまたダンスの輪の中に入っていった。楽しそうに踊ってる。帰り際にまた一人一人を探して挨拶。フランスの俳優でありプロデューサーでもあるオリヴィエさん。荒木さんがよく一緒に踊ってたおじさん。スピーチをするときに度々一時停止する私の物真似がとても上手。そのオリヴィエさんがプロデュースした作品の監督のギョームさん。讃えあった。ナタンさんとグロリアさんに最後の挨拶。また会いましょうと伝え合う。
荒木さん、槻舘さん、川村さんと私の4人でホテルに戻る。槻舘さんと川村さんは4階、私は6階、荒木さんは8階。エレベーターの扉が開くたびに今日の終わりの挨拶をして別れた。一人になった。たぶん歯磨きだけしてそのまま眠った。
このマルセイユ滞在の間にたくさんの写真を撮った。一番好きな一枚をこの日の日記の最後に。
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haruhara-san · 3 years
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7/24(土)
寝坊につき朝食抜き。ホテル前に集合して槻舘さん、荒木さん、私の3人で劇場へ。川村さんは午前中は仕事をするとのこと。コンペティション部門の短編3本を続けて見る。ゆっくり寝たからか集中力がある。お昼はおいしいパンを買って帰ってそれぞれ部屋で食べることに。私は何かのサラダとクッキーとモッツァレラチーズとハムのサンドイッチとセットのティラミス、槻舘さんは何かのサンドイッチとセットのパンナコッタとジュース、荒木さんは何かの大きめのケーキと何かの小さめのケーキ。ホテルに戻ってエレベーター前で仕分けしようとしたところで私のサンドイッチが紙袋に入ってないことに気づく。パン屋に戻って無事に受け取る。ホテルに戻って仕分けをしたら荒木さんの小さめの方のケーキが箱の中に入ってないことに気づく。諦める。代わりに私の分厚いクッキーを割って大きい方を渡した。あとでティラミスを代わりにあげてもよかったのにと後悔する。
1時間後に川村さんも一緒に合流して再び劇場へ。荒木さんは大きめのケーキが相当重かったらしくてお腹がやばいとのこと。『春原さんのうた』と共通点がいっぱいあるからぜひ見にきてと監督のジョナサンさんから言われていたコンペティション作品を鑑賞。本当かなと思ったら本当だった。作品がやってることは違うけれど、モチーフに類似点が複数ある。エンドクレジットで青葉市子さんの歌が流れた。いい歌。上映後に劇場の外でジョナサンさんを見かけたので感想を伝えた。主人公が持ってるカバンが一緒だったでしょ! と言われて、うん! と答えたけれど、そこは気づいてなかった。中に戻ると槻舘さんが荒木さんにアイスを買おうとしてる。荒木さんを見てるとアイスとか買い与えたくなると言った。黒胡麻の真っ黒の棒アイスをおいしー、おいしーと言いながら荒木さんが食べた。少しの休憩の後にもう一本コンペティション作品を鑑賞。理系のドキュメンタリー映画と見せかけて気がついたら監督自身とアルツハイマーになった父親を巡る話になってた。沁みた。終えて私と槻舘さんと荒木さんはお手洗いに。先に済ませてロビーの椅子に座って待ってたら遠くで荒木さんの悲鳴が聞こえた気がした。先に戻ってきた槻舘さん曰く、手を洗ってたら弱々しい「槻舘さーん、紙がないですー」という声が聞こえて、トイレットペーパーを長めに巻き取って上から投げたとのこと。少し後に荒木さんが笑いながら出てくる。上から大量のトイレットペーパーが降ってくる映像を一生忘れないと言った。盗まれないように固定されてるためロールごと渡すことはできなくて、あと確か荒木さんがお腹の調子が悪いと言ってたからたくさん必要かなと思ってたくさん投げたのだと槻舘さんが言った。荒木さんは思い出し笑いが止まらない。
『春原さんのうた』の最後の上映まで時間があったので海沿いのレストランへ。サラミを食べながらビールとワイン。荒木さんはレモネード。気がついたら寝てる。槻舘さんが写真を撮ってるのを私がさらに撮った。槻舘さんは写真を撮る時の距離がとても近い。はっきりしてる。隣��テーブルの人たちが飲んでるモヒートがおいしそうで、すでにビールを二杯飲んでるのにさらに注文してしまった。槻舘さんと川村さんは飲んでも大丈夫ですよと言ってくれる。劇場へ移動。ちょうどの時間に到着。舞台挨拶。ご飯の時間なのにこの映画を見にきてくれてありがとうございますと伝える。登場する人たちはご飯をよく食べてるので皆さんはきっとお腹が空くと思います、先に謝っておきますと伝えたら笑ってくれた。川村さんが今までで一番よかったと褒めてくれた。単に酔っ払ってリラックスしてただけだと思う。
上映後のQ&Aまでの間、グロリアさんがディナーに招いてくれることに。前にもランチを食べに行ってすこぶるおいしかったイタリアンに。さっそく乾杯をする。グロリアさんに金魚柄の手ぬぐいをプレゼントする。書き忘れてたけれど先日ナタンさんにも朝顔柄のをプレゼントした。早々に荒木さんが寝てる。一度、誰も話しかけてないのにバッと目を見開いて何かの返事をしてまた眠った。最初に注文したハムとチーズが運ばれてきて、迷ったけれど荒木さんを起こした。ハムとチーズがとんでもなくおいしい。メイン料理は槻舘さんがトリュフのパスタ、川村さんは角煮の棒みたいなの、荒木さんは白身魚の何か、私はアラビアータ、グロリアさんは追加で自分用のハムとチーズ。ビールとワインをたくさん飲んだ。グロリアさんは前夜のことをすごく申し訳なさそうに謝ってくれる。槻舘さんとグロリアさんは本当の姉妹みたいに仲良し。南菜子は私の家族だとグロリアさんが言う。たくさん話して笑った。気がつくと荒木さんがまた寝てる。時間が来て、肩にちょこっと触れて起こそうとしたら思いのほかビクッとして起きた。すごい起こされ方をしたと感じたみたい。本当にちょこっと肩を触れただけだよと伝えるけれど目がまったく信じてない。
5人で劇場へ。上映終了数分前に到着。廊下で扉越しにラスト近くの音をみんなで聞く。完全に酔っ払ってたけれど、槻舘さんも川村さんも大丈夫だと言ってくれる。Q&A。今日もナタンさんと槻舘さんの連携通訳。助かる。言うこと全部笑ってもらえる印象。やさしいお客さんたち。川村さんがこれまでで一番よかったですよと褒めてくれる。グロリアさんもアメイジングと言ってくれる。最後まで残ってくれたお客さんたちにポストカードを配って終了。
パーティー会場へ。土曜日は混まないみたい。まだ誰もDJブースの前で踊ってない。恐る恐る荒木さんが先に踊り始める。徐々に人も増えてくる。荒木さんのところにグロリアさんが合流。杉田も踊らないのかと荒木さんに言われて踊ることに。そこからしばらく踊った。もう上映も終わったし、なんだか解放された。アジア人だから格闘技系のダンスを仕掛けてくる女性たちが数人いて結構長く一緒に踊った。一度休憩して荒木さんと二人で話してたらいつの間にか目に涙が。今日のトークのことを杉田さん怒ってますか? 怒ってますよねと言う。意味がわからなくて戸惑う。すごくいいトークだった。荒木さんなりに反省点があったらしく、杉田は本当は怒ってるだろうと思ったとのこと。微塵もそんなことなかったのでむしろ謝った。大丈夫だったよよかったよと何度か伝えてたら荒木さんの顔が涙と鼻水でとんでもないことに。持ってた手ぬぐいを裏返しに畳んで渡した。そこからしばらくこれまでのことをたくさん話した。荒木さん、ずっと緊張してたのだと思う。ほっとしたのだと思う。海外に出るのも舞台挨拶もトークも初めての経験。おつかれさまでした。荒木さんはまた踊りに行った。川村さんが生ビールを持ってきてご馳走してくれた。教育プログラムで一緒に話した学生の皆さんがやってきて声をかけてくれた。自分たちの大学に授業をやりにきてほしいとお願いをされる。近くにいた先生も手招きして呼んで、来年の授業に呼んでほしいとお願いしてくれてた。先生はニコニコしながらそれを聞いてた。通りかかった総合ディレクターのジャン=ピエールさんと笑顔で挨拶。姉妹みたいな槻舘さんとグロリアさんが向かい合って踊っててすてきだったので動画を撮った。そろそろ帰ろうとなり、槻舘さん、川村さん、荒木さん、私の4人で歩いてホテルまで帰った。ちょうど日本の朝の時間だったので妻に電話してしばらく話した。シャワーは朝に浴びることにして歯磨きだけしてベッドに入った。
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haruhara-san · 3 years
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7/23(金)と7/24(土)
また夜明け前に目が覚めてしまった。おかげで日記が書ける。2日分がんばってみる。
7/23(金)
朝9時から開くPCR検査所に行くために、ワクチン2回接種済みの槻舘さん以外の3人でホテル前に集合。回転ドアから出てきた荒木さんが不思議な顔をしてる。足の指から血が出てる。サンダルにガラスの破片が紛れ込んでたらしい。動揺する荒木さんと川村さんと私。サンダルをほろい、肩を貸しながら部屋に戻ってシャワーで流す。ロビーに戻り、受付の人に絆創膏をお願いする。Shoe Shine と書かれたアイテムを持ってきてくれる。それじゃないです絆創膏ですと伝える。2枚くれた。連日のダンスで靴底がパカパカになってたのもあって、荒木さんはサンダルも予備のナイキのものに履き替えた。予定より遅れて検査所へ。かなりの人数がすでに並んでる。午前に見る予定だった映画は諦めることにする。30分ほど待ってようやく中へ。受付の人が、あなたたちを覚えてると言った。前回よりもスムーズにそのまま検査へ。荒木さんも川村さんも私も鼻に長い何かを突っ込まれることにまだ慣れない。涙目。外に出て20分後に出る結果を待つ。この時間の気持ちが一番大変。もし陽性だったらと考えるのをやめようとお互いに言い聞かせるけれど考える。結果が書かれた書類を警備の人が持ってきて名前を呼んで渡すシステム。荒木さんも私も無事に陰性。川村さんだけなかなか呼ばれない。どんどん心配になる。警備の人が出てくる。「Misaki Kawamura」と言った後に元気な声で「NEGATIF!(陰性)」と発表する警備の人。これまで一度も口頭で発表しなかったのに、川村さんだけ高らかに伝えられたのがどうしてなのか分からずに笑いが止まらない。よほど心配そうな顔をしてたから安心させたかったのだろうという結論に。映画には間に合わないけれど、劇場まで移動してロビーで槻舘さんを待つことに。到着したタイミングで槻舘さんもロビーに現れる。途中で出てきたとのこと。作品がおもしろくないと容赦のない槻舘さん。
昼食のために槻舘さんが予約してくれたアイオリを食べられるレストランまで歩いて移動。まだ時間に余裕があったので、初日にも寄ったマルセイユ名物のビスケットのお店へ。初めて訪れた川村さんがお土産用に購入。初日にも撮影した顔はめパネルには裏もあったのでまた撮影。荒木さんのサンダルか靴を探すために洋服のお店へ。かわいい靴とマルセイユの名物の編みかごのバッグを購入。靴はそのまま履き替えた。お手頃値段のお店だったので槻舘さんにも何かアクセサリーをと思って尋ねたら、私は物へのこだわりがすごいから大丈夫ですと断られる。人からもらった物は付けないとのこと。全方位はっきりした方でかっこいい。アイオリのお店へ。予約していたおかげでテラスのいい席へ案内してくれる。荒木さんと槻舘さんはアイオリ、川村さんと私はお肉。アイオリは海鮮料理のこと。お肉は焼く前の状態で一度持ってきてこれを焼くんだぞと見せてくれる。大きすぎて引く。それぞれ半分こにしてみんなで両方食べる。すこぶるおいしい。お肉は噛み応えがありすぎる。暗黙のうちに槻舘さんと荒木さんは2切れずつ、川村さんと私は3切ずつということになっていて怯む。3切れは無理と思った。川村さんがきっと食べてくれると思うなと言ったら本当に食べてくれた。やさしい。そしてまたごちそうさまを言うことに。甘えすぎている。店員の人が、一年前に来店した池添俊さんのことを覚えていて、その時の様子を詳しく教えてくれる。池添さんはとにかくお店の写真をたくさん撮っていたそう。映画を見たいと言ってくれたので、ポストカードを渡した。一緒に写真も撮った。
『春原さんのうた』の2回目の上映開始時間ぴったりに劇場に到着。書かれた予定時間通りに映画が始まることがないマルセイユ国際映画祭。おおらか。上映前舞台挨拶。5列目に審査員の人たちが並んで座ってるのに気づく。緊張を和らげるためにそちらは見ないようにしながら簡単に短く挨拶。この日も皆さんは保護者がこどもを見るような温かい眼差し。今回、自分自身が映画を鑑賞するときに作品の長さがどれくらいだったか確認しておけばよかったと思うことが多かったので、2時間ですとちゃんと伝えたら笑いが起きた。上映の間はロビーで休憩しながら待つことに。荒木さんはソファで睡眠に入る。通訳のナタンさんが聖人だという話で盛り上がる。槻舘さんが聖人だと伝えるたびに恐縮しているナタンさん。上映後のQ&Aはたくさんの人がそのまま残ってくれて多分盛り上がったと思う。荒木さんも私も緊張が解けてきた。何を話したかも書こうと思ったけれど覚えてない。覚えてるのは���会のシリルさんが別れ際に込み上げた涙を拭いてたこと。槻舘さん曰くシリルさんは批評家でもあるとのこと。感動したと伝えてくれた。そんな話をした覚えがなかったので戸惑う。でもうれしい。
急いでマルセイユ国際映画祭の事務局がある建物へ。いつかの東京・京橋にあった片倉ビルを思い出すような荘厳な建物。その中にはすでに学生の皆さんが集まって円になって座ってる。コンペティション作品を見て監督とも対話するという教育プログラムの一環とのこと。すごいな贅沢だなと思ってから、自分もかつてそのようなプログラムに参加したことがあったのを思い出した。ある日、授業の教室に向かって廊下を歩いていたときに先生の如月小春さんから手招きされてベンチに並んで座り、ひと月に一本ずつ国外から来る舞台公演を無料で見て演出家と話す学生プログラムがあるのだけれど、杉田くんどうかと思ってと誘ってくれたのだった。そのときに見た舞台はどれもよく覚えてる。今は自分は逆の立場にいるのだと気づいた。その時の如月さんの年齢になったことも。
ずっと話してたから時間がわからないけれど、多分1時間以上質問に答えたりしながら映画をめぐる話をした。にこにこしながらすごく真剣に聞いてくれてるのがわかった。この人たちも全員すでに作り手なのだろうとわかった。あと、今回はナタンさんはフランス語ではなく英語だった。心なしか英語の方が生き生きしてる。聞けば、お母さまが英国の人だとのこと。ナタンさんはトリリンガルだった。ミーティングは盛り上がったまま終了。出された葡萄をさっそく荒木さんが頬張ってた。全員にポストカードをプレゼントした。一旦ホテルに戻る。
この日の夜はウィーラセータクン監督とのディナーに招待されていたはずだけれど、土壇場になって出席できないことに。手違いがあって、審査員も参加するためコンペティションの参加監督は同席できないとのこと。残念だけれど仕方ない。元々はジャーナリストとしても映画祭に呼ばれている槻舘さんだけ向かうことに。もうすでに前日の日記にも書いてしまったし、これは槻舘さんに写真を撮ってきてもらって参加した体でアップしようと話す。川村さんと荒木さんと3人で他のコンペティション作品を見に行くことに。来てくれてありがとうと監督がとても喜んでくれた。かなり重い内容だったけれど面白かった。
続けてさらに深夜に上映スタートの映画を見るために劇場を移動。途中、小腹を満たすためにスーパーに。川村さんはおにぎりとサンドイッチ、荒木さんはミニトマトの中にチーズが入ってる惣菜、私はチョコレートバー。歩きながら食べた。一口食べた荒木さんがむおーと言ってる。ミニトマトではなくて唐辛子のような辛い野菜だったみたい。おいしーと言ってる。ディナーを終えた槻舘さんも合流してこの日最後の一本を鑑賞。疲労がすごかったのでそのままホテルに帰ろうとしたけれど、もうお酒を買えるスーパーが閉まっていて、川村さんがビールを飲みたそうだったのでホテルのそばのお店へ。二杯くらい飲んだ。グロリアさんから槻舘さんにメッセージ。そちらに自分も合流するとのこと。待っていたけれどなかなか現れない。槻舘さん曰く、メッセージの感じからグロリアさんはきっともう酔っ払ってるだろうとのこと。しばらくしたら遠くに見えるホテルの玄関に俯いたまま入っていくグロリアさんの姿が見えた。帰巣本能がすごいと槻舘さんが言った。
川村さんがおにぎりを残したことを次の日に知った。おいしくなかったとのこと。こちらのおにぎりはまずいからやめた方がいいですよと槻舘さんから教わってた。
ここまでで7/23は終了。朝食の時間になったので食べてくる。帰ってきてがんばれたら続きを書くつもり。
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