Tumgik
hint-lab · 1 year
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表現者の流儀 - 篠崎史紀
自分たちがやっていることに経済効果があるかと言われたら、即答できない。 だけど、僕たちが追っているものというのは人の心。 お前達は何を言っているんだと言われるかもしれないけど、浪漫なんだよね。
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hint-lab · 4 years
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変化は本質を浮かび上がらせることに一役買う。新型コロナウイルスの感染拡大は、多くの事業者にとって変化の起点となっているが、本来やるべきであったことに取り組むきっかけにもなっている。
「本質的には今まで大切にしてきたことと変わらないと思うんです」「変わらないことを大事にしたほうがいいと思うんですよね。僕らでいうと、あくまでお客様第一」
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hint-lab · 4 years
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New Ways of Worldmaking
あたらしい世界制作の方法へ
いよいよ、「Creativity=創造性」の時代が、幕を開けます。 この新しい時代は「3つの潮流」のインターセクションとして、特徴づけられます。
1. 今の時代だからこそ、人間が得意なことがある
1つ目は、テクノロジーの加速度的進化、すなわち人工知能やビッグデータ、IoTへの潮流です。すでにわたしたちの生活は、スマホとパソコンとサーバーによって、あらゆるシーンで統合的に演算されています。コンピューターの得意領域は、わたしたちの生活と仕事を「最適化し、効率化し、合理化する」こと。
そんな中で、人間に残される得意領域は、「Creativity=創造性」しかありません。
人間のもつ感情のみずみずしさ、おもしろがること、ワクワクすること、イメージングの力、言葉にならない美意識、そして愛。
コンピューテーショナルな世界において人間らしい特性を持って世界をグランドデザインするために、わたしたちは創造性をもっと突出させなければなりません。特にこれからの子供の教育には、創造性が基幹になってくるでしょう。
2. 企業は、生産管理から価値創造へ
2つ目は、企業が「非連続成長」を求め始めたことです。インターネットやスマホが国を超えて人間の行動をかたどるように、世界経済は「均質化」の方向に向かっています。均質化は、一見それぞれの業界の安定成長を保証するように見えますが、実は少数の「プラットフォーマー」以外の利益率を低減させる傾向にあります。そんな中、洞察深い経営者や投資家は、次のプラットフォーマーになるべく、世界を一変させるようなイノベーションやアイディアを全力で探し始めています。企業の生産性だけでなく、従業員の働き方も含めて、これからの経営の争点は「生産管理」から「価値創造」へと急速にシフトしていきます。その源はやはり、創造性です。
3. 日本という文明プラットフォームの真髄
最後に、日本という文明システムへの新しい期待感が挙げられます。令和が明けました。太古から現代までつむがれた日本独特の美意識、禅や道に宿る心技体、縄文から受け継がれるアニミスティックな世界観、鎌倉時代に隆盛した仏教美術、室町・安土桃山に花開いたジャパン・バロック、江戸時代に結晶化された庶民的ユーモア、日本食における風土とイノベーション、世界を席巻するファッション、漫画やオタクに象徴されるフェティシズム・・・と、日本の創造的な因子は、枚挙にいとまがありません。これらすべてが今、アートとサイエンスの融合によってさらなる成長への起爆力を秘めています。国土にも資源にも限りがある日本の競争力の源泉も、やはり創造性なのです。
創造性の研究機関をつくろう
ところが、世界を見回して���、ここまで重要なはずの「Creativity=創造性」という領域に特化した研究機関は、これまでにありませんでした。なぜなら創造性とは、アートや音楽や文学はもちろん、建築、エンターテインメント、プロダクトデザイン、エンジニアリング、ブランディングから、創発教育や科学発明にいたるまできわめて広範囲なジャンルに及びながら、同時に概念構築→アイディア→技術への昇華、あるいは発想において演繹と帰納を入れ子構造で繰り返すという、きわめて散逸的で非言語的な特性を内包しているために、体系立てられた学問化が不可能だったからです。領域を絞れば全体性を失い、全体を目指せば専門的な深度を失う。世界制作の根源なのに掘り当てづらい、というまさに「文明の奥義」のような特徴を持っているのです。
部分最適を超えて、大きな文明観を
しかし、そもそも、わたしたちが生きるこの世界は、本当に体系立てられた世界なのでしょうか。はたして専門性を足し上げた全体が、計画的にこの世界を作っているのでしょうか。人類の学問は、2600年ほど前にギリシア哲学に端を発し、万物の根源にもとづく「全体知への探求」から始まりました。その後、中世のデカルト登場以降、学問は急速に分化し、近代以降は自然科学、社会科学、人文科学へと分岐し、そこからさらに専門領域に掘り下げて研究することで、その足し上げによって世界を把握しようとしてきました。その結果、文系、理系、芸術系という大きな壁ができました。細分化は「部分の解析」には成功しましたが、一方で結合的な美意識や大胆さをもつ「全体への躍動感」は失われました。一言で言えば、今、部分最適が進みすぎて、文明観と人間観が脆弱になっているように感じるのです。どれだけ科学やテクノロジーが発展しようと、人間を機械やコンピューターの一部のようにあつかう未来が面白いわけがないのです。
すべての人類は、 生まれながらに創造的である
だとすれば、あらためて「この世界」を、職種や業界の壁を超えて多様な美意識や発想力が、生命的なニューラルネットワークのように出会い、衝突し、化学反応を起こし、更新しつづける「動的アーキテクチャ」と捉えなおすことができないだろうか。創造性は、たしかに学問的にはつかみづらい。しかしそれを乗り越えて、「すべての人類は、生まれながらに創造的である」という信念をもって、越領域的に研究、編纂することで、未来への応援歌にできないだろうか。
『新しい世界制作の方法』へ
第4次産業革命、2020という未来への節目、令和新元号の今こそ、人類の最大の資本であるCreativityを「新しい世界制作の方法」として見つめ直し、再構築したい。このような衝動から、わたしたちは、この春、創造性を包括的に研究実験する機関『UNIVERSITY of CREATIVITY(ユニバーシティ・オブ・クリエイティビティ)』を設立します。
文明の全体的進化へ。 人間の原点進化へ。 ハダシの先端思想へ。 さあ、怪物を起こしに行こう。
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hint-lab · 4 years
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ひとつの幸せのドアが閉じる時、もうひとつのドアが開く。 しかし、よく私たちは閉じたドアばかりに目を奪われ開いたドアに気付かない。
ヘレン・ケラー
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hint-lab · 4 years
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みんながめいめい自分の神さまがほんたうの神さまだといふだらう。けれどもお互いほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。 (宮沢賢治「銀河鉄道の夜」より)
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hint-lab · 4 years
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表現者の流儀 - レナード・コーエン
Ring the bells that still can ring Forget your perfect offering There is a crack, a crack in everything That's how the light gets in
まだ鳴らせる鐘を打ち鳴らせ 完璧な捧げ物なんて忘れてしまえ すべてのものはひび割れている 光はそこから射しこんでくる
——レナード・コーエン「Anthem」
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hint-lab · 4 years
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表現者の流儀 - 秋元康
秋元 康(あきもと やすし、1958年5月2日 - )は、日本の音楽プロデューサー、作詞家、映画監督、放送作家。
■企画のヒントは「記憶」の延長線上に
無から有は生まれないし、素材がなければ料理もできない 企画も同じだ。料理のために食材を集めるように、まずは企画のための材料やデータを集めなければならない。その材料やデータの出発点は何かといえば、「記憶」である
つまり、発想や企画のヒントは日常の中に転がっていて、それを「記憶」することからはじまる。
その「記憶」はアットランダムに並んでいて、たとえば詞を書く、あるいは映画をつくる、小説を書 といったときなどに、何を引き出してくるか、何と何を結びつけるか、ということなのだ 
発想や企画というと、白紙の状態からウンウン唸るような感じがするが、じつはそうではなくて、自分が面白いと思ったことを思い出す、あるいは「記憶」に引っ掛かっていたことを拾い上げるという行 揚なのである。
では、その面白いこととは、何か。
 コンテンツを盛りつけるには、いろいろな「器」がある。たとえば僕の場合でいえば、作詞、小説、 テレビ、映画、コマーシャル、舞台などのコンテンツである。それらを前にして 「この『器』に合う面白い話、なかったっけ?」、と探すのである。
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hint-lab · 4 years
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表現者の流儀 - 高橋宣行
1940年生。1968年、博報堂入社。制作コピーライター、制作部長を経て、統合計画室、MD計画室へ。制作グループならびにマーケットデザインユニットの統括の任にあたる。2000年より関連会社を経て、現在フリープランナー。各企業のブランディング、ならびにアドバイザー、研修講師、執筆活動などで活躍。
「イマジネーション&クリエーション」を考える核とし その上で、マーケティング発想を展開する。 それは、顧客本位で感動や喜びを生み出すことと 戦略的にトータルパワーにつなげて考えること。 結果、顧客と会社と自分が喜び合えることにつながり お互いに、いい関係を持続し続けることを目指しています。 そしてゴールは、自分の商品力=「ブランド力」を確立することです。
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hint-lab · 4 years
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表現者の流儀 -緒方慎一郎
SIMPLICITY代表。デザイナー。長崎県生まれ。1998年、SIMPLICITY設立。「現代における日本の文化創造」をコンセプトに、和食料理店「八雲茶寮」「HIGASHI‐YAMA Tokyo」、和菓子店「HIGASHIYA」、プロダクトブランド「Sゝゝ(エス)」などを展開。自社ブランドのみならず、建築、インテリア、プロダクト、グラフィックなど多岐にわたるプロジェクトにおいて、デザインやディレクションを行う。
「感動するのは、やっぱりリアリティがあるからなんですよ。またはリアリティがあるものにリアリティがないという場合。たとえば、ティッシュペーパーという普段よく知っているものの〝原反〟という未知のものを見る。いちばん知っている人が実は知らない人だったという、そこに感動が生まれるんじゃないでしょうか」
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hint-lab · 4 years
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表現者の流儀 - 山中俊治
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hint-lab · 4 years
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表現者の流儀 -宮城 聰
宮城 聰は、日本の演出家。東京都千代田区出身。
ク・ナウカ シアターカンパニー代表、SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督。舞台芸術財団演劇人会議評議員、前BeSeTo演劇祭国際委員会日本代表委員。東京芸術祭(2018-2020年)総合ディレクター。04年第3回朝日舞台芸術賞受賞。05年第2回アサヒビール芸術賞受賞。第72回文化庁芸術祭賞優秀賞。第68回芸術選奨文部科学大臣賞。
■日本ならではの芝居づくりの感覚について。
日本の芝居は季節感が重要な要素として書き込まれている。 季語、なんかまさにそう。日本の文化が持っていた美点の一つ。 シェイクスピアやギリシャ悲劇は季節感を持ち込んでいない。 芝居の中に「外」が入っている。そういう考え方を演出家が持つと、アヴィニョン(石切場)のような劇場じゃないところで芝居をやろうというときに、ヨーロッパの演出家がこういうところでやっている芝居を見ると、「自然vs人間」みたいになっている。圧倒的な自然に対してどうねじ伏せるか。コントロールするか。ただ、僕なんかは、どうやったらこの石の壁を味方にできるかな?むしろ、向き合って戦うんじゃなく、 背中につけて応援してくれている感じにどうやってもっていこうかな?を考える。
■演劇をやっていてよかったな?と思うこと
正反対のやつが同じお盆に載っていると、面白いな、って思ったりもする。
いまだったら、Twitterだと「いいね」か「死ね」かどっちかになってしまうところを、「死ね」というような連中と1つのお盆に乗らなくちゃいけない。 でも作ってみると面白いものできちゃったね。という感覚
異物を排除しないほうが安定した社会になる
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hint-lab · 4 years
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表現者の流儀 - 沢紀行
沢 則行
小樽市出身。チェコの伝統的な人形劇に、日本文化の感性を加え、世界中で公演を行っている人形劇師
北海道教育大学教育学部特設美術・工芸課卒。 1991年に渡仏。92年に文化庁在外研修生で、チェコへ。 以後、世界20ヶ国以上で公演。 また、チェコ国立芸術アカデミー演劇・人形劇学部、 米国スタンフォード大学演劇学科、ロンドン人形劇学校など、 多くの教育の現場で講座、ワークショップを指導する。 国際人形劇連盟(UNIMA)会員。
■チェコ時代に教わった、人形劇×生身の人間という「操られる者×操る者」が自身の表現活動の土台になっていることについて
「君らはこれからいろんな芝居を作る中で、いったん僕らが教えたことは忘れるだろう。でも、必ず思い出す。一回これを経験したら忘れられない。」 ■ヨーロッパと日本の違いについて
ヨーロッパ人はソリッドで、日本人はリキッド。 日本人の場合、体を触れ合うことは多くないんだけど、空気ごと溶け合う、という感じが羽田空港ついた段階からする。これも、自然と溶け合ってきた日本人ならでは。
日本の学校って、朝から晩まで同じクラスメイトと過ごさなければいけない。あれが苦しい。 プラハだと、午前中に小学校が終わると、芸術小学校が必ず同じ地区、同じ公立のステータスである。で、お昼は、小学校から高校生まで来る学生食堂で食べる。行ったり来たりしている。いじめが起きるチャンスがない。同じような友達がいるんだけど、チャンネルが変わる。場面と先生が変わると、ずーっとこの小さな社会に合わせなきゃいけないという感覚は子供ににない。学校がかわれば、別の台本になる。だからスクールカーストが発生する隙がない。いじめが起きたら親はすぐ転向させる。台本を変えてしまえばいい。なぜ日本はそれをしないのか、というと、悪い意味でリキッドなんだと思う。なんとかこの液体に自分を溶かして合わせなくちゃって。
合わせられると思っているから努力をする、チェコの人はまさか合わせられるわけがないという大前提がある。ある意味傲慢かもしれないけど、どう見ても不良だよ、という子がいても、うちの子が悪いわけがない、と思っている。
本当に体を開けば、「外部」ってものすごくたくさんあって、そういうものと交流していくとクラスメイトはOne of themになってくる。
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hint-lab · 4 years
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言葉を友人に持とう
 言葉を友人に持ちたいと思うことがある。
 それは、旅路の途中でじぶんがたった一人だと言うことに気がついたときにである。
 たしかに言葉の肩をたたくことはできないし、言葉と握手することもできない。だが、言葉にも言いようのない、旧友のなつかしさがあるものである。
 少年時代、私はボクサーになりたいと思っていた。しかし、ジャック・ロンドンの小説を読み、減量の死の苦しみと「食うべきか、勝つべきか」の二者択一を迫られたとき、食うべきだ、と思った。Hungry Youngmen(腹のへった若者たち)は Angry Youngmen(怒れる若者たち)にはなれないと知ったのである。  そのかわり私は、詩人になった。そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝めし前でなければならないな、と思った。  だが、同時に言葉は薬でなければならない。さまざまの心の傷手を癒すための薬に。エーリッヒ・ケストナーの「人生処方詩集」ぐらいの効果はもとより、どんな深い裏切りにあったあとでも、その一言によってなぐさむような言葉。
 時には、言葉は思い出にすぎない。だが、ときには言葉は世界全部の重さと釣合うこともあるだろう。そして、そんな言葉こそが「名言」ということになるのである。  学生だった私にとっての、最初の「名言」は、井伏鱒二の   花に嵐のたとえもあるさ   さよならだけが人生だ  という詩であった。  私はこの詩を口ずさむことで、私自身のクライシス・モメントを何度のりこえたか知れやしなかった。「さよならだけが人生だ」という言葉は、言わば私の処世訓である。私の思想は、今やさよなら主義とでも言ったもので、それはさまざまの因襲との葛藤、人を画一化してしまう権力悪と正面切って闘う時に、現状維持を唱えるいくつかの理念に(習慣とその信仰に)さよならを言うことによってのみ、成り立っているようなところさえ、ある。
「去りゆく一切は、比喩にすぎない」とオスワルト・シュペングラーは歴史主義への批判をぶちまけている。たしかに、過ぎ去ってしまった時は比喩、それを支えている言葉もまた実存ではないと言うことができるだろう。
 だが、言葉の実存こそ名言の条件なのである。「名言」は、言葉の年齢とは関係ない。それは決して、年老いた言葉を大切にせよということではなく、むしろその逆である。老いた言葉は、言葉の祝祭から遠ざかってゆくが、不逞の新しい言葉には、英雄さながらのような、現実を変革する可能性がはらまれている。  私は、そこに賭けるために詩人になったのである。言葉はいつまでも、一つの母国である。魂の連帯を信じないものたちにとっても、言葉によるつながりだけは、どうかして信じられないものだろうか?
 本当はいま必要なのは、名言などではない。  む��ろ、平凡な一行、一言である。だが、私は古いノートをひっぱり出して、私の「名言」を掘り出し、ここに公表することにした。まさに、ブレヒトの「英雄論」をなぞれば「名言のない時代は不幸だが、名言を必要とする時代は、もっと不幸だ」からである。
 そして、今こそ  そんな時代なのである。
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hint-lab · 4 years
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人生は「無駄なこと」でできている
窓を全開にして夜風に吹かれながら、ふうっ、と天井を見上げる。 特に何をするでもなく、初夏の空気を感じながら「こんなときでも季節は進むのだなあ」と考えたりしていた。
スーパーに行った帰り道、人が少ない場所を選びながら散歩をする。 あっというまに桜の季節は終わり、新緑のまぶしさが目に飛び込んでくるようになった。
1日のほとんどの時間を家の中で過ごすようになって早1ヶ月。 少し前の自分ならば無駄だと切り捨てていたような時間を、意図的に作るようになった。
家の中で仕事をし、生活のすべてを徒歩圏内で済ませ、ときどきオンラインで買ったものが家に届けられる。 私たちは今、現代社会が成しうる最高レベルの効率化された生活を送っている。
通勤もしなくてよければ、営業のための移動に時間がとられることもない。 起きてすぐにPCのスイッチを入れれば仕事を開始でき、出かけずともあらゆるエンターテイメントを自宅で享受できる。
生産も消費も極度に効率化された世界に、私たちは生きている。
しかし同時に、この生活の中で正気を保つには無駄な時間が必要だということにも気づく。
道端に咲く花のみずみずしさや空の青さを感じたところで、何も生産されないし経済を動かすこともない。 それでもこんなときだからこそその美しさに心惹かれてしまうのは、一見とるにたりない「無駄なこと」こそが人生を作っているからなのかもしれない。
この生活がはじまる以前、強制された無駄も多かった。 鉄の箱に揺られて過ごす時間も、大量の書類とそれに付随する押印も、私たちが長らくうんざりしてきた「無駄」だ。
そして今、私たちに強制される無駄はほとんどなくなった。 いや、なくならざるを得なくなったと表現する方が正しいかもしれない。
しかし人生はわかりやすく「意味のあるもの」だけで埋めることはできない。 効率化と価値の最大化のみを求めていった先では、生きる意味にぶつかることになるからだ。
サルトルは、人間の実存は本質に先立つと言った。 私たちは何か目的があって作られたものではなく、まず先に存在があり、その本質は後天的に見つけていくしかないのだと。
自分の生の意味なんて壮大なものは死ぬ間際になってもわからないだろうけれど、振り返ったときに愛しく思うのは何気ない一瞬、他人からは無駄に見えるような時間なのではないかと思う。
価値のないものにこそ、価値がある。
私たちの生を支えているのは、輝かしい「無駄なこと」の集まりなのだ。
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hint-lab · 4 years
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文化とは無駄なこと全部である
Brian Eno
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hint-lab · 4 years
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デザインとは世界や未来へ向き合う“在り方”にほかならないのでしょう
長野からの最後のお手紙に返答する、フィンランドからの最後のお返事となりますね。郁也さんのおっしゃった、この手紙に通底している「絶望」。ぼくが日本を出た出発点はまさに、デザインへの希望の見えない現実でした。そしてまた、イマの日本社会に蔓延している空気の中で感ずることでもありました。
デザインについて考えることは、社会について、ひいては人類という種について思いを巡らすことです。古くはベルグソンがホモ・ファーベルと唱え、マクルーハンが語るように、人類は多様な道具・メディアを制作し、その道具に制作されながら、種として進化ーあるいは退化ーを遂げる生き物だから。デザインに絶望することは、現代の人間性、あるいは社会への絶望に通ずるのかもしれません。
全10回の書簡のやりとりは、その絶望に向き合いながらもぼくに一縷の光、希望をもたらしてくれました。フィンランドで肌に染み込ませてきたような、そして今までお話してきたような、夢やロマンを追いかけ未来への祈りを投じていくというデザインの本来性には、美しさや尊さすら見いだせるのです。
この書簡は、デザインの可能性を思索するものでありました。そして、ぼんやりと、おぼろげながらもその輪郭が浮かんできたように思います。一方で、これはデザインの新たな可能性を開いたのではなく、本来はそうであった、またはそうでありかったけれど近代において失われていたもの、といった類なのかもしれません。
冒頭で述べたように、デザインの言説が社会、ひいては人類に通ずる部分があるのだとすれば、重要なのは夢を大事にする人間としての生き方なのではないか。これまで、魔術的・詐術的なデザインの闇の性質も論じてきましたが、デザイン自体の問題ではなく、それに向き合う人間の”あり方”の問題に尽きるのではないか。だからこそ、内なる光が必要なのでしょう。
シュタイナー教育で高名なシュタイナーは、宇宙的視点から生を請け負う本来の人間性を哲学し、人間の復活を掲げて魂を輝かせるために人智学を興し、教育や医療、建築設計など分野を問わず従事してきました。以前挙げていただいたバックミンスター・フラーも同じく宇宙における人間の役割を唱え、戦争の根絶や地球と人類の存続に対して、建築構想からワールド・ゲームまでを手がけました。
そうした大いなる夢を掲げ、それに真摯に向き合ってきた先人たちのことを知れば知るほど、背筋が伸びる思いです。彼らにとっては、描いていた未来に対して一つの分野は入口にすぎず、包括性を大切にしながら未来へ祈りを投企していたのだと思います。「人間のあらゆる進歩は無法地帯で起こる」というフラーの言葉は、人工的、分断的な専門から、全体性を志向する自然への回帰をよく表しています。
彼らこそが真のデザイナーであるなら、デザインという未来へのコミットメントを”在り方”として捉え、未来への、そして世界への責任を真摯に引き受け果たしていく。そうした生きていくことに他ならないのではないでしょうか。そして未来のコミットメントは”専門としてのデザイン”に閉じたものではありえない、教育活動や投資だって未来へのコミットメントですから。
郁也さんの決意である「デザインという言葉を使わずに、そしてデザイナーと名乗らずに、それでもデザイナーでいる」というのは、まさにデザインを”在り方”に昇華させ、体現されているのだと受け止めました。ぼくが出会った、デザインの「外側」に広がる世界に生きる人々に感化されたのも、その生き様を彼らの実践を通して垣間見たからなのだと思います。
そう考えると、以前ほどの偏執も薄らぎました。デザインの外に出てもデザインから離れるわけでもない、とはいえ、ぼくは専門としてのデザインも活動の一つに位置づけるだろうと思います、それが追い求めたい夢に通ずる限りは。そんなこんなで、ぼくのデザインへの向き合い方や距離感は、すぐにはパキっとは割り切れないけれど、きっとそれでいいのでしょう。
それよりも、今問うべきはこのやり取りを通じて得られた可能性を希望の灯火としながら、それをもってして何ができるか、どのような未来を欲望し、コミットしていきたいのか、です。この書簡も終わりと同時に、ぼくの留学生活も卒業まで残りわずかです。これから先、どう自分なりの実践を重ねていくのかは、まだ暗いトンネルの中をおぼつかない足取りで進んでいる状態です。ただ、自らに内なる光を灯し、魂を磨いていきたいと思います。
このようなやりとりをする機会を頂けて、大変光栄でした。思い返せば、ぼくが郁也さんに初めてお会いしたときには、こうしたお話をするご縁に至るとは思ってもみなかったです。 最期に、ここで得た希望をこれから先に繋げるための自戒も込めた言葉を綴り、終わりとさせていただきます。
“You must be the change you want to see in the world.” -Mahatma Gandhi
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hint-lab · 4 years
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ぼくはもうデザインという言葉にこだわることをやめようと思います
先日、東京国立博物館で開催されていた「正倉院の世界」という展示に行ってきたのですが、螺鈿紫檀五絃琵琶など、感動せずにはいられない宝物ばかりでした。本当に見ることができてよかったと思っています。しかし、そういったこの国の宝を見ていて思ったことがあります。日本人が余白を愛するというのは、本当なのだろうかということです。
日本美術では、日本人は余白を大切にするということをよく言うと思います。控えめな表現が生み出す優雅さこそが日本人の心なのだと。しかし、正倉院の宝物は、まったくそうでないものばかりです。琵琶に埋め込まれた多数の螺鈿、屏風に敷き詰められた動物の毛、絵の隅々まで描かれた線、そこに余白などはありませんでした。むしろその逆、究極までに詰め込まれたエネルギーこそが、日本人が真に憧れたものではないのだろうか、そう思ってしまうくらいでした。そう考えると、空間が情報で満たされた現代は日本人の隠れた憧れを反映している、そんな風にも言えるかもしれない。 もちろん、これは単なる妄想です。エビデンスもなく説得力もない、ぼくの独り言なので真に受けないでくださいね。
さて、本題ですが、いつの間にかこのやり取りもこれで九回目、初回から約一年が経過しました。時間が経つのは早いものです。そして、ここまでやり取りして気づいたことがあります。それはこの手紙の全体を「絶望」が貫いていたということです。 なぜなら、ぼくも川地くんも、とにかくデザインについて悩んでいる。そして、解決策もほとんど思い浮かんでいない。ぼくたちは、(いや、少なくともぼくは)とにかくいまの社会や世界に絶望している。
しかし川地くんからの手紙を読んでいると、ほんの少し希望を感じる瞬間もありました。たとえば、前回紹介してくれた「Future Design」、これは確かにとても良い話だと思いました。10万年とまでは言わなくても、7世代先を考えるとか、100年後を考えるとか、いや、まずは10年後でもいいかもしれない。とにかく、そういった「未来」の議論が日本の現場でもできるようになれば、まだ希望はあるかもしれませんね。
正直に言うと、ぼくはここ数年、この領域でぼくがやるべきことを見失っていました。デザインという領域で活動し続けることを、諦めそうにもなっていました。もちろんこれは、デザインが悪いわけではありません。単純にぼくの能力の問題です。 だからデザインを信じてフィンランドに行った川地くんをとても眩しく思っていましたし、羨ましくも思っていました。そして、川地くんから何度も「Future」という言葉を聞いて、勇気づけられもしました。
でも、それでも、ぼくはもう「デザイン」という言葉を使い続けることの意味を見出せなくなっています。だって、ぼくらの夢が叶うなら、手段は何でもいいはずです。デザインという言葉を使わなくても、目標を達成できるならそれでいい。もしくはもっと相応しい言葉があるかもしれない。 それなのになぜぼくたちはデザインという言葉を使ってしまうのか。なぜぼくたちはデザインという言葉を欲望してしまうのか。
ぼくはずっとこの呪いを解きたかったのです。川地くんの言うデザインの外側へと出たかったのです。 だからぼくはもうデザインという言葉にこだわることをやめようと思います。同時に、デザイナーを名乗ることもやめようと思います。ずっと悩んでいましたが、川地くんと対話をしていて、ようやく決心できました。 デザインという言葉を使わずに、そしてデザイナーと名乗らずに、それでもデザイナーでいること。それがぼくなりの、デザインの先へ進む方法です。
しかし、それはつまり、この手紙のやり取りを続けることができないことを意味します。デザインについて語るのをやめるのであれば、この手紙も終わりにしなければならない。
このやり取りをはじめて約一年、いろんな話ができました。デザインの神性、デザインと資本主義、ゲームと想像力、問題解決という問題、デザインの外側、ほかにもたくさん。デザインの世界が大きく変わろうとしているこの時代にこんな会話をできたことを、とてもうれしく思います。大変楽しい時間でした。
またいつかどこかで語り合えたらうれしいです。今度は、デザインのこともビジネスのこともぜんぶ忘れて、恋愛の話でもしましょう。(ふざけているわけではなく、ぼくは恋愛というものをとても大切に考えています)
最後に一つ、ぼくの好きな言葉をおくります。川地くんなら、たどり着けると思います。
“これを思いこれを思い、これを思って通ぜずんば、鬼神まさにこれを通ぜんとす” – 荻生徂徠
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