Tumgik
hujitter · 4 years
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居るのはつらいよ 東畑開人
たしか、たらればさんがおススメしていたことをきっかけに手に取った本。臨床心理士である筆者のデイケア施設での経験を元に、ケアとセラピーの違いを物語を通じて深く理解させてくれる。
(職業上の守秘義務の関係から、)現実にかなり近いけれど物語の形式をとって語られているのがこの本の特徴。デイケア施設体験記としても読めるように書かれているけれど、筆者がコラムの中で言及しているように、ケアとセラピーがどのように違うのかを語る学術書でもある(というか、学術書では「ケア」の価値について描けないため、ケアの価値を描く学術書を書く方法を検討した結果、この形式に辿り着いた、というような本なのだと思う)。基本的には体験記としての魅力で読み進めながら、要所で挟まれる学術的(思想史的)な記述で、カウンセラー/ケアラーとしての実践だけでなく理論的にも筆者を信頼して読むことが出来た。
対象の心の中に踏み込み、歪みと向き合うことで対象に変化をもたらすことを目的としたセラピーに対し、ケアは、変化をもたらすことを目的とはしない、現状肯定的な営みであることが分かる。施設の利用者は、スタッフとともにケアし、ケアされる関係の中で、施設に居ることが出来るようになる。成長・変化を是とするような 、資本主義的な価値観では、ケアの価値は低く見積もられる(家事労働や育児なんかは典型的なケアだ)。でも、人は確かにケアを必要としているし、ケアし/される関係の中で居ることが出来ているんだっていう(社会適合者にとっては意識されない)ことを、改めて教えてくれる。
ケアとセラピー、人はどちらも必要としているけれど、社会で報酬を得て生活しているとセラピーだけあればよいと感じるようになってしまいがち。セラピーとケア、どちらも対処法としてありうるということを心に留めておくことで、物事への対応に幅をもたせることが出来ると感じた。
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hujitter · 5 years
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天気の子
ぼろぼろ泣いた。
帆高が刑事たちに向かって陽菜に会わせろ、邪魔すんなってシーン、カッコ良かったし泣けた。大人の都合を○○さんに代弁させて、そんなこと分かってるし、それでも尚、陽菜に会いたいんだって言わせて、本当にグッと来たわ。
でも、帆高がなぜ島を逃げたのかを描かないのはズルいと思う。陽菜の過去を描かないのは、この映画とは関係ないからいい。でも、帆高が島を逃げて東京で宿無し暮らしをする必然性を描かないのは、嫌だった。スッと島に戻って2年暮らすし。
愛にできることはまだあるか。まだある。そのメッセージは伝わってきた。その選択をすることで他人にどう思われようと、他人にどんな影響を及ぼそう(東京を雨の街にして沈めてしまう)と、好きな人に「好き」と言つてしまう。NOreason。
そんないい人に出会えて良いよね、って揶揄もありうるけど、それは的を外してると思う。どんなことも自分で引き受ける覚悟を持って愛すると決めるんだよ!
自分は何者でもない。ちっぽけな島に・家庭に縛りつけられて、ここで一生を終えるなんて嫌だ。という男の子。
母親を失い、人生の意味なんて考えることもなく、目の前の生活に追われて生きている女の子。
大人でもあり、子どもでもあるプランニング社長の○○さん。
お互いにお互いの人生に意味を与えて、惹かれあっていく。
「晴れてほしいと思う?」って問いが「私にいなくなってほしいと思う?」とダブルミーニングになる演出。
ジブリの想像力を上手く借りてる。でも、物語に関係ないカットをバンバン入れて、ナレーションで話をすっとばす話法は新海誠。
セカイ系って揶揄されることにも作中で返答。「お前がセカイを変えたなんて思う必要ないし、世界は元から狂ってる」。
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hujitter · 5 years
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川上未映子 夏物語
何度か泣きそうになった。主人公は、貧乏なシングルマザーの家庭で育った夏子。母も祖母も夏子が小さいうちに死んで、巻子と二人でスナックで仕事をしながら育つ。
第一部は、乳と卵を下敷きにした話で、巻子の子「緑子」と巻子との夏の2日間の出来事を描く。緑子の巻子を想う気持ちと、それでも巻子を憎んでしまう気持ちの葛藤が解消されるまでの話。お互いに生卵を自分にぶつけ合うクライマックスと、そこで緑子から発される「ほんとうのことを言って」という言葉が印象的。ちなみに巻子は「ほんとうのことがあると思うかもしらんけど、ほんとうのことなんてないことはいっぱいあるんやで」と応じる。
作品全体のテーマは、子ども(というかある命)が産まれる時の"親のエゴ"なんだけど、親のエゴによって産まれる子どもの不幸せと、(生まれは受動的でも)やっぱり主体的に生きる子ども本人のことを描いてい��。終盤に夏子が産む決断をするのは、緑子のことを知ってるからだよなぁと思わせられる。
第二部が本編。夏子が小説家(物書き)として裕福ではないけれど生計をたてられるようになり、様々な人と触れあう中で子どもと「出会いたい」という気持ちを抱き、子どもを産むことを決意する話。
作家としての自分の可能性を信じてくれる独身バリキャリの編集者、仙川。同い年の作家仲間かつシングルマザーとして夏子を応援する遊佐。かつてのバイト仲間で子持ち、旦那が鬱になり姑問題を抱えるの紺野。人口受精で生まれ、両親の愛を受けて育ったが、実の父を知らない逢沢。逢沢の恋人で同じく人口受精で生まれ、育ての父にレイプされ、生に対して嫌悪感を抱く百合子。
本当にさまざまな登場人物が、それぞれの背景を抱えて、それぞれの価値観を持っている。百合子と夏子が対峙した時に百合子の語った「わたしは逢沢やあなたとは違う。生まれたことを肯定したら、生きてはいけないから。」という哀しい独白。夏子が語った言葉「子どもをつくることは、身勝手なひどいことなのかもしれない。」「でも、わたしは。忘れるよりも、間違うことを選ぼうと思います。」という決意の言葉。どちらも胸に迫る台詞だった。
子どもを産む・育てることに関連して女性が抱えることになる苦労。それでも、子どもを産み・育てることを選ぶ女性を応援する川上未映子からのエールのように聞こえた。
男性としては、出産・子育てが"女性の問題"になってしまうことを避けなきゃと思う。シングルファザーについても知りたい。
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hujitter · 5 years
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僕たちが選べなかったことを、選び直すために 幡野広志
語り口は穏やかだけど、語られてることはなかなか過激というか、2019年現在の日本の価値観からに揺さぶりをかける。
家族、は血縁によって決まるのではなく、個人が関わることを選ぶ存在だって考えていいんだよ。っていう主張は、本で描かれている「ガン患者として体験した様々な困難」を経ると確かにそうだと言いたくなる。
血縁の立場、友人の立場で相手に望むことはあるけれど、そんなことは当人には関係ない。当人が大切にしたいと思う関係を大切にし、そうでない関係は無視しなくちゃいけない。限られた時間を大切に生きるためには。
印象に残ったのは、緩和ケアの看護師の専門性を語った場面。看護師は医師とは違う患者の専門職だと筆者が考えを改めた場面。医師は治療のために考えるが、看護師は病と共に生きる個人の生活を考える。その事に幡野さんが救われたと語っている。治療に伴う苦痛が激しく、治療を続けるより自死を選ぶことまで考えたが、看護師にあって治療が目的でないことを改めて考えることが出来たのだと思う。
ガン患者の語り合いの場で、愚痴を言って、お互いに共感してはすっきりしている患者の様子も描かれている。それを否定するものではないし、時に看護師が愚痴に共感を示す必要もあると思う。が、専門職としての看護師が「愚痴に共感すること」に甘んじていてはダメだと思った。
患者に寄り添う、という抽象的な言葉が、幡野さんという具体的な患者を前にして、自分の中で具体的になった読書だった。
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hujitter · 5 years
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孤独の意味も、女であることの味わいも 三浦瑠麗
どう受け止めていいか分からない。美人で、聡明で、(感じの悪い"と受け取られがちな")三浦瑠麗だからこんな人生だったのか。それともこれは、女であることに伴う困難の話なのか。
もちろん、どちらでもあるし、どちらでもない。
田舎で、ちょっと変わった母親に育てられ、学校に馴染めずにいたこと。
車に連れ去られレイプされたこと、そして打ち明けて面倒に巻き込まれる(親に「ダメになってしまった」と思われる)ことが嫌でそれを打ち明けずにいたこと。
死産して、死んだ子どもから腐敗臭を感じて泣いたこと。
語られる様々なエピソードは、自分の人生には関係のない話のようだ。でも、これは三浦瑠麗の人生に本当にあったことだ。
今の人生を肯定し、過去を振り返りながら語る語り口は、本当に穏やかだ。どうしてそんなに穏やかでいられるのかと思うほどに。
何で三浦瑠麗は朝生に出続けてるんだろうと思ってた。それは、男社会に自分の存在を認めさせる戦いのようなものなんだなと感じた。そんなことは書いてないんだけど。
女に産まれるってことは、こんなにも困難に満ちているということを痛切に突きつけられた本だった。
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hujitter · 6 years
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ある男 平野啓一郎
愛にとって過去とは何か?
この本のコピーとして使われてる言葉。
読み終えて思うのは、(「愛」って書くと特定の他者との関係についての話みたいな印象だけど、)この「愛」には、自分自身に対する愛も含まれてるということ。
どのようにして、自分を愛することが出来るのか?自分を愛する上で、過去にはどんな役割があるのか?ということが、原誠と城戸彰良という二人の登場人物を通じて描かれていると感じた。
最初の問いは、(経歴詐称していた)原誠とそれを知らずに結婚した里枝の間の「嘘の過去に基づく愛」とか、結婚生活がギクシャクしてきた城戸と香織の「冷めてしまった愛」に関して、過去はどんな意味を持つのかを問うているように一読後には感じていた。
もちろんそれらも大事な要素だけど、「原誠が里枝との生活を通じて自分を愛せるようになった」ということ。「城戸彰良が、原誠の人生に触れることで、自分の人生を��めて引き受けることが出来た」ということ。の2つが、決定的大事なことだと思った。
原誠は、里枝と出会って里枝を愛し、里枝に愛されることによって自分を愛することが出来るようになった。
城戸彰良は、原誠の人生に触れ、いかに自分が恵まれているかを実感することで、自分の中の「満たされなさ」を克服することが出来た(妻の不倫などの問題は残っているものの)。
こう書くと城戸は嫌な奴みたいだけど、決してそうじゃない。「アイツに比べれば俺の人生まだましさ」みたいな話じゃなくて、「原誠が数奇で過酷な人生の最後に、里枝に出会って救われた。」城戸がそのことを知ることによって、何故か救われている。
何でそうなるのか言葉での説明を尽くしても説明出来ないし、これだけ書くとなにそれって話なんだけど、その結末に何ら違和感を感じることなく受け入れられる。
だから、読んでみてほしいなぁと思う。
城戸と原だけじゃなく、それぞれの子どもの話とか、バーで出会った美涼とか、魅力的な登場人物や要素がたくさんある。要素が多いしそれそれが関連してるから、人物が身近に感じる。でも時々混乱する。
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hujitter · 6 years
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ある男 平野啓一郎
弁護士 木戸
妻 香織
子 颯太
バーの女 美涼
X (原誠)
妻 理恵
子 遼
子 悠人
子 花
谷口大祐
谷口恭一
小見浦(戸籍の売人)
文学論的な面もあるし、中年の倦怠の話でもあるし、子育て論でもある。中心的な問いは、「愛(人間)にとって過去とは何か?」。
ナルキッソスの挿話とか、気持ち良かっただろうなぁと思った。作品全体のテーマとキレイに繋げながら神話を語って、「自分が自分と一致しない感覚」が普遍的なものであることを見事に示してる。
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hujitter · 6 years
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子どもの頃ほしかった親になる 幡野
余命宣告された写真家(趣味:狩猟)による、三歳の子どもに向けた「こう生きてほしい」というメッセージ集。
世の中こうなってるから、こう生きた方が上手くいくよ。みたいな言葉がない。徹底して、「僕はこういう経験をして、こう考えている」という話し方が貫かれている。もう会えない自分のことを、この本を通じて伝えたいという気持ちが滲んでる。
「すごく個人的な言葉だからこそ、多くの人に届く」っていうのはこういうことかと思った。
翻って、「世の中はこうだから、こう生きた方がいいよ。」って処世術的な言葉がどれだけ世の中に溢れているかを考えさせられた。
特定の誰かのために書かれたのではなく、不特定多数のために書かれた言葉。経験に基づかない、観測に基づいた言葉。
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hujitter · 6 years
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現代経済学 瀧澤弘和
経済学の入門書かと思いきや、「経済」というテーマを中心にして人間理解がどのように進んできたのかを示す人文書と言って良いと思う。
経済学内の緒分野についてのコンパクトなまとめが面白かったのはもちろん、経済学者でありながら経済学者で留まることを善しとしない筆者の熱意に打たれる本だった。
囚人のジレンマ実験が持つ意味として、「市場主義的な調整にゆだねると上手くいかない」ということを示した。ということが発見だった。
この実験が出てくるまで「市場に任せれば上手くいく」という(現代の自分の目から見ると)楽観が常識だったんだということに驚かされた。
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hujitter · 6 years
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カメラを止めるな
面白かった!けど、酔った。
サークルとかで自主制作の映画を作ったことがある人はみんな、この映画でやられちゃうだろうなと思った。映画愛にあふれてる。
出演者も含めて、作ってる側みんなが楽しんでるんだろうなぁっていう感じも伝わってきた。
映画自体は三谷幸喜みたいな伏線を張って回収していく感じのコメディなんだけど、製作費400万で無名の演者たちによる映画がこれだけのヒットを飛ばすのは、映画ファンを動かす力があったからだよなぁと思いました。
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hujitter · 6 years
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LALALAND
面白い映画だった。映画でインスタ映えを目指すとこうなるのか、みたいな印象を受けた。というかそもそもミュージカルってインスタ映えという言葉ができる前から視覚への刺激を重視してるんだよねって思った。
tiktokとか君の名は。もそうだけど(アナ雪を含むここ最近のディズニー映画もそうだわな)、映像と音楽が強く結びついた表現を時代は求めているよね。音楽がなって、人物が踊りだしたときの快感が癖になる。
ストーリーは単純で、ハリウッドでの成功を夢見る女の子と、ジャズでの成功を夢見る男が、それぞれの夢の成功を願い支えあって、くっつくかと思いきやそれぞれの夢のために別れる道を選び、結果、それぞれの夢を叶える。でも、これでよかったんだろうか、いや良かったんだ。って話。
ハッピーエンドだと思い込んでたので、男女の主人公がくっつかないエンディングが意外だったけど、好印象だった。さらにいえば、もう少し何かが違ったら二人がくっついていたかもしれない、そういうあり得たかもしれない未来も映画の中できちんと描いていた。僕らはきっと、そういうあり得たかもしれない未来との比較で今の自分を認めたり、認められなかったり、喜んだり、悲しんだりする。どうしてあの時ああしなかったんだ。。
一人舞台で観客からの散々な評判が聞こえてしまったことで、女優の夢をあきらめて実家に帰ったミア。そんなミアを呼び戻しに行くセバスチャンがかっこよかった。舞台に行けずににケンカして気まずい感じだったのに、スカウトからミアへの電話がかかってきたことを(電話番号とか知らないから)わざわざ車を飛ばして実家まで伝えにいくセバスチャン。
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hujitter · 6 years
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古賀史健 20歳の自分に受けさせたい文章講義
古賀史健さんによる文章術の話。なんだけど、文章術を書いていると人としてどうありたいかみたいな人生論に近付いていくよね。
一番強調されていると感じたのは、構成こそが文章の肝なんだってこと。そして、古賀さんがそれを思い知ったのが映画を撮影した経験によるものだっていうのが面白かった。
何でこのカットをここに入れたのか、BGMはなぜその曲なのか、衣装は?などなど、監督は全てを説明できなくてはいけないし、それを説明できるように統合することこそが監督の仕事、というのを文章に応用して考えている。
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hujitter · 6 years
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日の名残 カズオ・イシグロ
前に読んだ時は、「執事スティーブン=完璧な執事」という印象だった。
再読してみると全編スティーブンの語りで、何かと言い訳がましいし、ミスケイトンからは仕事にもダメ出しされてるし、決して完璧でもなく愛嬌があるなと思った。
ただし、執事としての職務に忠実でありたいという意識については(前の印象の通り)完璧で、逆にそれを優先しすぎるあまり日常生活に支障をきたしてるところがあるなぁと感じた。
ケイトンからの恋心にも、ケイトンへの(自分の)恋心にも気付けずにいたが、20年ぶりの再会で恋心を告げられる。それでも(自分が恋心を抱いていたことに気付けずに)、自分の感情を抑制してあくまでも執事として応じる。そんな最後のシーンが印象的な小説。
本人の意識としては完璧な執事で(動揺してないことになっていて)も、周りには動揺がばれてるっていうのも愛嬌ポイント。
自分の領分をわきまえることによる悲哀を描いてるんだけど、それと同時に、自分の領分をわきまえることの尊さが浮かび上がってくる小説だと思った。
(現代にひきつけると、)誰もが発信者になれるがゆえに、自分に関係のないことでも批判し、いらぬ騒ぎを起こす。主に忠実であり、主のために技量を磨き、主のために自分が出来ることは何でもするけれど、自分の領分でないことには一切口を出さない姿勢は本当に尊い。
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hujitter · 6 years
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地球星人 村田さやか
家族にみそっかす扱いされ、世界とのバランスを欠いた女の子が主人公。少女時代の第一部と大人になってからの第二部が描かれる。
自分は魔法使いだと思い込むことで心の安定を得ていた○は、夏休みにだけ会ういとこの由宇(この子は母親に恋人扱いされていて、バランスを欠いている。自分のことを異星人だと思い込んでいる。)と心を通わせ、毎年由宇と会えることを楽しみにしていた。
○の塾の先生が変質者で、○を自宅に連れ込みフェラさせる事件が起こる。誰も○を守ってくれず、○の心身はさらに不調をきたす。これ以上のことが起こる前に、と、○は由宇と夫婦になりたいと望み、気乗りしていない由宇とセックスをし、お互いの親にばれる。
世界への絶望を深め、また日常生活に戻った○は、世界の平穏を取り戻すために、(悪い魔女に支配されてしまった)塾の先生を殺す。ここまでが第一部。
第二部は、家族からの監視を逃れるため、同じく世界とのバランスを欠いた男と契約結婚し、由宇を巻き込んで「工場」(である世界)を離れ、田舎の家で原始的な生活を送る様が描かれる。僕らの目から見たら、世界のルールは当たり前で彼らのルールはキチガイ染みているけれど。彼らの目から見たら、世界のルールはおかしなことだらけで。
村田さんの作品は「僕らが普段当たり前だと思っていることは、本当は当たり前じゃない」ということを、生理的な嫌悪を引き起こすようなやり方で暴いてくれる。
単純に現実を肯定するんじゃなく、むしろ現実に上手く馴染めない人を肯定する小説だ。「あなたたちは私のことを気持ちって言うけど、あなただっておんなじじゃないですか?」そう突きつけてくる。
ラストで生きるための合理的な方法として、人肉を食べる描写がある。こんな気持ち悪い書き方で書かなくても…って気もするけど、
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hujitter · 6 years
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ある男 平野啓一郎
コピーは、「愛にとって、過去とは何か。」
主人公は在日三世の弁護士、城戸。
かつての依頼人の旦那が死んだことをきっかけに、戸籍交換の事実が明らかになる。死んだ男は本当は誰なのか?という謎解きをストーリーラインに、城戸と妻のすれ違いや、涼香との不倫未遂が描かれる。
あなたが今、誰かを好きになったとして、過去その人がどうであったかということが、どんな意味を持つのか?(または持たないのか?)を色々な側面から描いている。
(日本に帰化しているものの)在日三世であるということ。
愛し結婚した人が戸籍交換をしていたこと。
最愛の息子を2歳で失ってしまったこと。
父親が殺人犯であるということ。
登場人物はそれぞれに複雑な過去を抱えている。
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hujitter · 6 years
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『We are lonely, but not alone』佐渡島庸平
サブタイトルは、現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ。
インターネットを中心に現代を説明し、価値観・行動様式の変化に伴う現代の孤独と、その処方箋としてのコミュニティを描く本。コミュニティ(N対Nの関係)の作り方を、熱狂、安全・安心、信頼、アップデート主義などの言葉を使って、これまでの佐渡島さんの経験(会社としてのコルク、実験としてのコルクラボの運営)を基に語っている。
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hujitter · 6 years
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うしろめたさの人類学 松村圭一郎
2017年度の人文書版のキノベスだったかで、上位にいて気になっていた本。図書館でたまたま見つけて読了。
筆者のエチオピアでの調査滞在の経験をもとに、個人の集積が社会である(ルールは単純に与えられるものではないし、勝手に作れるものでもない)という当たり前の事実に目を向けることで、他人との関わり方によって(小さな)社会を作ることが出来ることを説く本。
筆者自身はその立場を構築人類学と名付けて、他人に共感するのは"うしろめたさ"によるんだと説明している。自分より不幸だったり恵まれない人を見ると、自分が恵まれていることをうしろめたく感じる。これが共感の原点で、この感覚を大事にする(ルールで人を裁かない。自己責任と安易に切り捨てない)ことで身の回りの社会をより良いものに出来ると信じている。
すごいナイーブな青臭い本だと思っちゃうけど、その反応自体がうしろめたさの感覚を捨てて社会に適応してる自分を炙り出すから厄介。
エチオピアでの不便だけどシンプルな暮らしと、日本の便利だけど複雑な暮らし。それぞれを経験した筆者が、熱量を持って語るその語りぶりに刺激を受ける。内容は伝わらなくても、熱量は伝わるはず。
東浩紀が共感の原点として憐れみをおき、世代間の伝達に誤配が大事と説いていることと不思議と重なる本���と感じた。
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