Tumgik
jitterbugs-lxh · 1 year
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 春雷
(無限と風息)
 無限、の名をもつ男は、人間にして不惑を十度超えた、おそるべき怪物であった。おおいに肉を喰み酒を呑み麦を炊かずに米を炊き、寝汚いほどによく眠り、時には欲を愉しみさえした。清貧さや、禁欲のすべて、聖者たりうる格調を待ち合わせることだってできた、けれどもこの男は嘲笑うかのように、それらすべてを棄却した。より高みにのぼること、人の身をはるかに離れ、仙の域に入り、この世のなべて睥睨して生きることを、無限は良しとはしなかったのだ。どこまでも地を往き、いつまでも野にある。そういった男である。
 二度の口づけはどちらも軽く甘かった。吐息をたがいに混ぜ蕩ける深さを、期待していないと言えば嘘だった。鼻面を擦りあうような、恥じらう花を啄む小鳥の口づけを、この男から贈られるとは思っていなかった。磨きぬかれたつるぎのさまの、沸き立つ激しさ、焼けつく熱さを、いまではもう知っている。深い口づけはおろか、無限という男の熱情に浮かされた一夜を知った今となっては、彼が聖者たるに任せた生きかたを撰んでいなくてよかったとさえ、おもう。快楽はいつも即物で短絡的なものだ。あまく貪りあう口づけもあれば、噛みつき奪うそれもある。あわせる肌はいつだって、手合わせでは息ひとつ上げない男が汗みずくになるほどに。このうつくしく、愚かで、ばけものの勁さをもっているくせどこか儚げにみえる側貌のうちに、明朝啖う飯のことなど考えているくせ、憂いを帯びたため息の、愛を識るのは己だけであればよい。
 鎖骨のうえのわずかな窪みに溜まっていたのはいったいどちらの汗だったろう。つと落ちる指の、ととのえられてささくれひとつない、やわらかくなぞるつめさきの、吸いつく熱さを考えている。薄い胸をつたい、みぞおちを経由してあやまたず正中をすぎてゆく指は、ただ重さのみにて薄皮を裂く、研がれたばかりの手術刀の鑽れ味。とん、とん、所在をたしかめるようにかるく叩かれたへその奥にあまく疼く胎がある。愛撫の手はあくまでやさしい。やさしいが、胸をひらかれ、胎をあばかれ、骨をならべて、腑分けをされている気分に陥ったものだった。黎明を待たずしてむくろにもどるおれの、風息の、軀のすべてひらかれようとも、けしてこころは踏み躙らせない、そうした矜持を知ってか知らずか、誰よりも風息をあばきたてるべきではないが、しかしこの男が為さぬのならばだれにも相応しくない行いを、無限だけが赦されていた。他ならぬ風息が、赦したので、あった。
「おもうにみんな、あんたのことを特別製のなにかだって、信じたがっているんだ。おれもふくめてね。だけど無限、あんたは存外子どもだし、聞かん坊で、欲張りで、ちっとも神さまらしくなんてない。べらぼうに強いことだけほんとうだけど、それ以外のことでは、ちっとも。」
「なんの話だ? 風息」
「あんたはふつうの男なのにな、って話」
「ふつう? 私が?」
 意に沿わぬことでもあったろうか、あるいは、言い当てられて幾らか気まずい部分があったか、ぴくりと片眉をあげる男の言い草はあくまで穏やか、機嫌を損ねたふうにはみえないも、彼のそうしたわずかな機微を、見分けるのはずいぶん得意になったものだ。ぐ、深く腰をすすめて胎をつかれ、ぐずぐずに蕩かされて吐息が漏れる。甘い声に満足そうにわらう男のうすいくちびる、うずめたままに達する熱りに昂り、ぶつかる骨の硬さまで、もはや知られぬことはない、いつだったかこの男が言ったことには、風息が狼の一族でなしに、山猫の末裔であるところに幸いと喜びがあるのだそうだ。荒野をひたすら駆けるに不向きな四肢は、しかし、枝を渡り斫りたつ断崖をのぼり、跳ねては自在に着地する。やわらかいのだ、腰が、外転する脚が、股が。からだをひらいて抱かれることが、苦にならないだけの可動域を、彼はそなえた。もっとも軀がゆるしただけが、時に烈しい閨のいとなみ、胤を付ける雄のつよさを、快楽として享けいれるに至った理由でないことは間違いない。
 無限はたしかに、おおくにおいて極上の酒であり、蜜であり、玉であって杯であった。惑わされ、誘われて、陥ちた若木であったこと、もはや潔く認めるとしよう。真正面に向き合って腕につつみ、おんなを愛するような優しいそれもあれば、後ろからとらえて貪るように、勝手気ままに抱かれる日もある。酷くしてくれと頼むこともあれば、抱きすくめられ、甘い口づけに溺れたいとねだる日もある。恋人として上にも下にもおかない扱いをされたいけれども、処刑を待つ重罪人のように、丁寧にも冷たい、監視下にもおかれていたい。どうしたって無限はふつうの男でないのに、ただ不器用な男として振る舞うのを、愛してしまった自分の負けなのだろう。さいわい寿ぐ春の日の、やわらかな木洩れ日が彼にそそぐといい。昨夜のあらしは東のまちに、霹靂の青になって降りしきる。花曇りのあとのさわやかな風が、あなたの頬を撫で、髪を揺らし、足をわずかに止めさせることもあるだろう。駆けつづけるのは生半な覚悟ではつとまらないし、もうどこにも行きはすまいとの決意も、おとなのおれたちにはおそろしい。
 あいしているんだ。風息、おまえを。
 そら、あたらしい日だ、朝だ季節だ。カーテンをあけてはじめよう。風息がひと椀の水で渇いた喉をうるおすあいだに、無限はおなじ椀で粥を食ったというのでまた笑った。
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jitterbugs-lxh · 2 years
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桎梏 
 
 かれのことは残念でしたね。けして陰鬱でもなければ愉快でもなく、ただ明日の天気の話でもするように声をかけられて思わず反駁した。
「残念?」
 気にかけておられたでしょう。問いかけではなく、断定ではなく、しかし確認するだけの声がしずかに夜と朝のはざまにこぼれて、微睡みにも、覚醒めにも、番えずに、だだふたりの耳朶だけうって散ってゆく。
「私が?」
 ええ。無限さま。あなたが。あらゆる時間の境い目は、いろんなものを綯い交ぜにする。感情、感傷、記憶、記録、いのちと忌み地、人間と妖精。微笑んでいる潘靖とは既知の間柄であるが、しかし、この時ばかりはまるで見知らぬ、はじめて出会う得体の知れないもののように思えてならなかった。残念? 私が。たしかに気には留めていた。かれは力ある妖精で、おおいに脅威たりえたし、世界の変革、百年隠れ棲んだすみかをおわれ、人と交わるを拒んだ妖精は多くいるが、かれはそれらの変革に迎合しきらなかったからだ。いちどきだって憐れんだことはない。なにもかれにかぎらないことだ、無限はただ、自らの為すべきを為す繰り返しのなかに生きている。
「そうあるべきか?」
 さあ、お決めになるのはあなたですから。憐れみはない。けれど怒りもまたない。脅威であると考えはしたが、恐怖を抱いたことはない。敬意をもって接したいが、しかしなん��かの、好意的な感情を向けるには至らない。かれほ死んだからだ。かれが生まれ、かれが愛し、かれもまた慈しんだ地が変わってゆくのを嘆き、悲しみ、そして怒り憤ったすえに、かれは死んだからだ。生きていたら無限はどうしていたろうか。分からないし、考える理由もない。かれは死んで、霊は散り、最期のすがたも声も、いまは誰にも届かない。去っていったもの。失われたもの。それらに固執することは、しなやかさを失うことだ。たわまなければ枝は折れる。死んだものはもう動かない。
「いや、私は……」
 いまなら聞くのは私だけです。潘靖のささやきに、強制の力が込められていたとは思われない。得意だったろうか、ひとの精神にはたらきかける術が? 少なくとも伝達の力には優れている。事実だけをいつわりなく迅速に伝えるなかに、己の意思を介在させて、意のままにするような心根の持ち主ではないと信じていたが。すべては過ぎたことだ。無限はかれについて、あらゆる感情を持ちえず、また、語ることもかなわない。
「小黒の」
「こたえの邪魔になる」
 ひゅう、一陣の風が過ぎて、ほんのわずかに滞っていた夜のなごりが、たったいま消えてしまった。どちらともつかない時間は終わり、無限はもう、永遠にかれについて語るときを失った。
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jitterbugs-lxh · 2 years
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手紙
 手紙が届いた。差出人の名前はない。のみならずほとんどそれらしい内容もなければ文字と言える文字もない。つまるところ、これを手紙である、と判断したのは受け取り手であるこちらの善意と厚意によるものであって、たいていのひとがそれを受け取ったなら、子どもの落書きか、よいところで書き損じの反故か何かだとでも判断するのが関の山だろう。ともすれば嫌がらせか、悪戯か何かと考えて受け取ってもらえないやもしれない。せめて署名くらいあればよいものを、そもそもこの差出人は己の名ひとつ満足に書き記すこともできず、これまではそれで何の支障もなかった。いまもってなお支障があるわけではないだろう。ながく生きてきて、手すさびにさえ筆を執ることのなかった玄离を机に向かわせているのがいったい如何なる理由であるものか、考えても答えはない。明確に、だれかの、なんらかの、意思を込められた手紙である、と考えるのは、いっそ願望じみた感情を伴っているようにも思われた。そう、諦聴は手紙を受け取りたかったのだ。あまり堂々と口にしたくはないけれども、たしかに、あのひとからなんらかの意図をもった贈り物を受け取りたかった。まあ内容もなければ判読に難いのでもらったところで特にどうということもないのだが、幾度となくまみえるなかで垣間見たかれの快闊さは、こうして筆のはこび、墨のしたたりひとつとってみても明らかで、これはこれで趣のあったものだった。おまえは文字が読めるのか、驚きをもって見開かれた玄离の眸を思い起こすとなおのことゆかいで、かれのいうところの妹分である李清凝と、まったく同じとはゆくまいがどうやら並べられているらしいことに頬がゆるむのも致し方なしといったところだろう。訊ねられてまあ人並みには、とこたえたが実のところはそれほど得手というわけでもない。武芸ばかりの暗愚にはなるなとあるじがいうのでそれなりに取り組んでいるというだけのこと。それでも玄离よりは真っ当な自信があるが。
 手紙をもってきた使いのけものは、すがたこそはちいさく愛らしい小鳥のさまであったが、単純な野山のけものであるとは言い難かった。けものたちは森に由来し、妖精もまた森に端を発するものが多い。それでなくとも多くの生きものは、豊かにたくわえられた霊のたすけあってこそ、生まれ、育まれるものである。森にはおおくの場合において王がある。手紙をくわえてちいさく首をかしげてみせる小鳥のわずかにやどした霊のけはいは、諦聴のよく知る、この世とも思われぬうつくしい深山のものに違いなかった。その森の奥に人里離れて門がある。とある力ある妖精の門である。かたちこそ門を模してはいるが、実際のところ、門扉もなければ衛士もないそれは、打ち捨てられ、崩れ落ちるのを待つだけにもみえる旧いもので、あり、導きのなければ是非くぐろうとは思われないものである。しかし、その門は、いつだって、だれにだって、拓かれていたとは言い難い。まず門にたどり着くのが困難で、ある、森は大いにひとを惑わし、解き放たれたけだものたちは、招かれざる客のまえに獰猛の牙を剝く。それらけだものたちの王こそが、ほかならぬ玄离そのひとであって、きくところによればけだものたちは、明に暗に、玄离に酩酊し、ときにはかれにすら嚙みついて、乳飲み子のするように力を啜るという。野のけだものにまで霊を分けてやるなど常の妖精であればありうべからぬことだが、そこは玄离だ、あの食えない老君によって取り立てられただけのことはある。そうして森にはかれの眷属が満ちているのにちがいない。葉擦れに振りかえれば角ある羚羊の物憂げな眸がある。さっと過る影のあるなら枝を駆ける山猫が、でなければ空をすべる猛禽の翼であるだろう。おしなべて玄离のものだ。おそらくは未来永劫。
 あるじの望まぬものを拒み、あるじによって許されたものだけが通行をゆるされる門のなかにひろがるは藍渓鎮、あるじの名は老君。戦乱おさまらぬ世にあって、おびやかされる命に思い悩み心をいためる慈愛のひとである、とはかれを慕って頼るひとびとの言で、実際のところの老君がいったいなにを考えていたものかだれにも推察かなわない。妖精である以上に、世俗をはなれ、はるか神仙の域にあって、積極的にひとをたすけているかにみえて、さりとても戦の勝敗や、国の采配には不干渉、手の届くところ、目の届くところでおきるいくらかの災禍によっておびやかされる命に、その端正な美貌をしかめはするが、しかしそれきりだ。できうる限りの手を尽くしているとは言い難いし、かといって、及ばぬ力を嘆いているようすもない。いっそ義務とでもいうような風情でかれはひとを愛すが、施すのでなく、いっとき援けるだけ、と、冷徹にも思われる一線を引いていた。かれはしばしば微笑みをたたえ、水面の月のように物静かに佇みはしたが、どこか剣呑、切長の眸に、ひとのおもう情はないのかもしれなかった。
 老君はおおいにすがたの整った男である。妖精のおおくは、野のけものや、それでなくとも絵巻物に綴られるすがたと、ひとのすがたをもっている。もっともひとのすがたというのは変化の術の一部であって、おさない妖精たち、すこしでも力があり、言葉を解し、知性を以てはたらくだけの素質が認められたものが、修練によってはじめて得る術のひとつであるから、それと決めたならあらゆる妖精が見目麗しいすがたで顕現してもおかしくはないのだが、美醜の価値観はそれぞれに、例外なく慕われるもののないように、うつくしいばかりと限らない。老君の見目のよさは、ひとえにかれの洒落者らしいふるまいや、よい仕立て、よい織の衣、泰然としていながら一分の隙もないさまなどに裏打ちされたものだった。妖精にはおおくの術がある。たいていはみずからに目覚めるものだが、力の大きすぎるものは、本人にも持て余し、また詳らかでないものでもあるので、名をつけ、向きを定め、かたちを顕し、色をつけてやるのは先達たちの仕事だった。もっとも、弟子をもって教えることは、かならずしも義務ではないので、ひとのみならず妖精であってもつよく交流をのぞまない旧い妖精は、遠く棲み処に引きこもって出てくることを拒み、みずからのみを供として孤独に暮らすものも多かったのだけれども。
 その点でいうならば老君は十分に社交的な性格をもった妖精であったといえるが、かれが庇護し慈しむ、かれの領民ともいえるひとびとのことを、口さがなくいうものもある。外界からとざされ、平穏という枷でしばられ、囲われた人間たちにとって、ただしく領主たりえるひとであるのか、かれなりの流儀があるのには違いないが、表立っては政治らしい政治をしない老君である。信頼のおける部下に任せ、己のなくとも恙なく、数年、数十年を過ごせるよう整えられているといえば聞こえはいいが、見方によっては放任である、と苦虫をかみつぶした顔をしたのは明王だ。老君はかれらを飼い慣らしているのだ、ひとはそれと知らずして生き暮らして、おり、もっとも厄介なことに、老君自身でさえもそれに気づいていないようだ、と。
 明王は諦聴のあるじであり、教えを請うたおぼえはないが、師のような存在でもある。自らがまだ年若い妖精であることを忘れはしない諦聴は、かつてあるじの命あって、同じく老君をあるじとして(もっとも、かれらのあいだの紐帯にはいっそ不可思議なものがあって、単純に主従というにはかれらの距離は気の置けない健やかさであったし、友というには嗜好が離れすぎている、気があうのだと言われればすわ偽りを、と指さして糾弾したくもなるが、互いに頓着したようすがないのがまたおかしいのである)頂く玄离とまみえたことがある。かれはそれはそれは楽しそうに術をつかいこなす武勇のひとで、あって、けして短くはない手合わせのあいだ、打ち合わされる掌底の重さ、偶然にも同じ焔をやどす眸のつよさ、いっそ狂気にも思われる、戦いを心底に愉しむふうの心根のすなおさには感心する。まがりなりにも高貴なあるじを頂いておきながら、その戦いはあまりにも泥くさく、貴人にみせてその目をたのしませるような、うつくしい型と冴えの演武などでなく、しかし追い詰められた窮鼠が反撃に出るような、背水のなりふり構わなさがあるではない。武を競いあうといって型には嵌まらず、戦乱のさなかにあって相手のいのちを落とすまで続く剣戟でもない。
 鋭利のつるぎでないのだから、掌底がいのちを奪わないと考えるほど愚かでなかった。かれが本気で、また、老君が、かれを愉しませ、放っておけば日がな一日君閣へこもって書を繰るあるじに付き合って鬱憤をためているらしい玄离の気を抜かせる必要を感じていなかったのなら、しこたまに打たれたこの身は砕けていたかもわからない。玄离にもらった痛みは忽ちに癒され、苦くおもえども瑕疵ひとつこの身にない。治癒のまじないをこうまでも巧みに使いこなすさまは、ひとを、けものを、妖精を、癒やして救う以上に、拷問のおそろしさを孕んで、いた、目を焼かれ、手足を潰され、痛みにうめきながらもけして言葉を紡がぬ捕虜のあるだろう、傷はいつか膿み、身体は朽ちて、死者は口をきくことはない。しかしどうだろう? 老君のまえでは、苦痛に耐えて死に至るは許されない。これがどれほど恐ろしいことなのか、この男たちは知っているはずだ、けれどもあの娘は、知って���るだろうか。
 気を蓄え、名を与えられ。時を経てすがたを成した己なれば、いっとき力を失い姿を砕かれたとても、ふたたびの顕現は不可能ではないが、みじかくはない修練の日々、あさくはない霊の気が、あるいは散じていたかと思うとぞっとする。おのれに執着するのは未熟のゆえか、諦聴、この名はなにも、器にのみ与えられたものではない。ぱちん、火花のはじけるように、お世辞にも文字とはいえない墨だまりがはじけて、込められた霊が、あやまたずもとの持ち主のすがたを成した。片手で掴め、握りつぶすことすらできるのではないかと思われる體に、不釣り合いに大きい頭、目にもあざやかな朱の組み紐やぞんざいに編まれた髪のおおまかなかたちはあるが、それほど詳細に造りこまれた見目ではない。もっともこの程度の霊でかたちをすべて成すことなど不可能であるし、そもそもかれにはそういった、繊細な術のくみたてなどできようはずもないのだ。やはり老君はかれのあるじであっても師ではない。ちいさな霊の人影はにぱ、白い歯をみせて破顔一笑、けはいはまちがいなく玄离のものだったが、墨はかれの匂いでないし、どこかちぐはぐの印象をあたえる。かれと己とはけして友ではありえぬし、ましてや好敵手として名を挙げてもらえるほど、自らの存在と力を過信してはいない。気まぐれにひとを拾って領主の真似事をしている老君にしてこの狗である。内容のない手紙だから特に何を語るでもなく、きゃらきゃらと笑っているばかりの玄离からの手紙の霊を憮然として見つめていると、どことなく腹が立ったから、脇腹をつついてやった。
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jitterbugs-lxh · 2 years
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戴天
 天に白い狼は咆哮し、夜の底によこたわってあさく微睡むけもののねむりを妨げようとしている、もう覚醒めて、しまった、暁闇に爛々とひかって、いる、眸のうっすらとけぶる紫は、どこか軽薄のあまさを潜ませている。常のさまであるならば、寛げられ着崩した衣はかれの鷹揚さ、天衣無縫の頓着のなさを顕したものだが、いまの玄离をして謳うのであれば、色めき、重たく濃く、香る、伽の気配であるのだった。かれはあるじたる王に傅き侍る守護のけものではない、ありうべからぬこと、遠く沙原のただなかに佇んで、墳墓をまもり、不埒者を謎かけで試すけものなどでは。しかし、まさにいま、試されようとしている諦聽は、すくなくとも叡智の片鱗にふれたばかりの嫩いけものである。のちには神獣として名を馳せることになる己も、まだ青く、弱い生きものにすぎない。匂いたつ格上の、紫にしとどに濡れた玄离の香りに、くらくらと酩酊のさなか、己を惑わせているものが、溺れさせているものが、色欲にまつわる快楽であるものか、圧倒的な強者の、属性をおなじくする霊気のたくわえの誘惑であるものか、はたして。
 今宵、われわれは、ただ二匹の獰猛なけだものにすぎなかった。もっとも普段がそうでないかと問われれば正確なところをもって回答するのは難しい。曲がりなりにも神獣のはしくれである玄离はともかく、一妖精にすぎない諦聽は、ときおり朒躰におおきく引き摺られることがあり、妖精たる己には無関係のようにも思われてならない生存本能は、しかしあらがい難い魅力をもそなえている。力を使えば弱り、弱れば腹が減るものだ。そうして腹がくちくなったなら、泥のように睡りたいと考えるのもまた生きている証明だろう。だれに? 己れたちが生きていること、だれに誇示すべきというのだろう、玄离には老君、諦聽には明王という、かりそめのあるじがある。かれらを王と戴くには、われわれには欺瞞が足りなかった。玄离がどうだかは知らないが、少なくとも、諦聽にとっては、みずからをおいて他に正しくあるじと呼べるものはない。みずからであってさえ儘ならぬもの、昂ぶれば余し、嘆けば沈む、朒躰が精神に支配されるのではない、思考はしばしば薄膜の向こうでけぶっている。今宵の靄はあまりに上質の紫、ゆらゆらと燃える焔、皮肉に口の端をもちあげて形づくられる笑みは壮絶、圧倒的な力の差異を見せつけられているようでほとほと厭気がさしているのだから、いっそ見つめるなどやめてしまえばよかったものを。囚われているのだ、ともすれば、かれもまた諦聽のあるじたる資格を持っているのかも分からない。だれもかれも! 恣に求めすぎる。諦聽自身も例外ではない。
 は、みじかく絶叫じみた吐息のあって、玄离は能くきたえられ硬く引き締められた朒躰でありながら、じつにやわらかく発条のさまのしなりをみせた。掌底はおろか、戦地にあって砲弾の雨に打たれても屈することのない体軀ははるかにひとのそれを超えて頑強であるが、こうして拓かれてしまえば、勁さ、それそのものよりさきに、均整のとれた無駄のなさが、際立つように思われる。一体、いかなる、事情のあって、こうしてかれをつぶさに知ろうとしているのか、妖精の己が酒精などに酔うはずもなければ、力で劣る諦聽が、玄离を組み伏せられるはずもない。ならばわれわれのあいだには、一種、契約のそれにも似た情動のあったに違いない。いっそ執拗にもおもえる愛撫のしぐさは、丁寧すぎて擽ったいと玄离を焦らした。顧みれば手合わせの際にもいち早く術を放ちたくてうずうずするような堪え性のない性分のひとである。老君というひとはよくもまあこの奔放なけものの手綱を執っているものだ、と関心もしきり、しかし今宵、この閨にあるじのあるとすれば諦聽であるべきだ、かれを望み赦されたのだ、つぎがあるとは思われない。
 ふる、うすく開いた口唇から垣間見える舌がわずか戦慄き、ながく、漆黒の睫毛に縁取られた眸、ほのか濡れている。さりとても失われないのは玄离の身のうちにあって、かれの眸を窓にして覗いているうつくしい焔だ。それは篝火、それは漁火、時なれば天に大輪を咲かせ、竈に焚べられたなら粥を炊き、酒をあたため、同じだけの熱量でひとの里を焼く劫火だ。いっとき留められていたかにみえた玄离の呼吸が、つつがなく、ただしい規則のうちに戻ったことに、かれをいっときでも死に至らしめた本人でありながら諦聽は安堵した。肚のうちで獰猛にかまくびを擡げる情慾の蛇のあさましさをこれほどにおもうことはないだろう。恥じらって瞼を伏せると、なにを生娘みたいなことをと哄笑された。たしかに玄离の言うとおりに、かれの躰をひらき、手慰みの延長になぶり、おとがいを、慾をもって穿ち打ちつけるたびに跳ねて反り返る背を、晒された咽喉を、おんなのそれのように華奢ではありえない腰を、おもうさま舐り尽くしたのは諦聽である。本来そなえられた機序にはない雄たちの交配はかならずしも精神の婚姻にあらず、愛を嘯いたところで空虚だ。じつに玄离は能く応えた、ものだ、はじめこそかれに苦痛のないようにと慮る心待ちのあった諦聽も、半ばからはずいぶんと性急にもとめたはず、あるいはほかにだれかと経験があるのかと疑りたくもなる。ほとばしる精のなしに、快楽はおまえをうちのめしたか? それを多幸と呼ばわるのはどこか憚られて、汗に濡れて頰に張り付く煙の漆黒をそっと掻きあげながら訊ねれば容赦のない蹴りをもらう羽目になったが。言わせるな、とわずかに怒気を孕んだ声音はどこか凄惨、立ち昇っていたあまい気配はまぼろし、汗を拭い肌を清めて、あたかも鍛錬のあとを錯覚させるしぐさで水差しを干す玄离は快刀乱麻、もはや断ち切られた迷いと憂い、おそらく永久に敵うまい。
 諦聽よ、自惚れてくれるな、おまえが天を墜としたのではなく、天がおまえに降ってきたのだ。おまえは縫いとめられて身じろぎひとつかなわない。天は隕ち、おまえに無数の穴を穿ち、おまえのあえかの吐息にも構いはするまい。おまえは圧し潰されて断末魔のさけびすらゆるされず、両の眸は顕在に、おしなべて無力だ。来た、見た、勝った! 己れが見た。玄离はわらう、咲う、焔が爆ぜて散るようだ、蝋燭の火の揺れるがさまで、いまだ乱れる吐息の舌のうえに、檣頭電光斯くあるべしとでも言わんばかりに。しるべの火よ、星の焔よ、燃えさかれ。
 これは禁忌だ。ここに避けえざる災禍があり、罪がある。私は今宵、妖精を喰った。天に吼える、ほの蒼く燐光している狼を喰った。諦聽は神獣の末席に名を連ね、永劫に語られるものに成るだろう。
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jitterbugs-lxh · 2 years
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傾城
 胸を張るようなことでもないかも、しらないが、物分かりは良いほうだ。ひと息には呑み込みかねる重たく苦い煮え湯でも、簡単にとは言わないが呑み込むことができる。承服しかねる、にわかには受け入れ難いものごとは、昔はずいぶん多かった。妖狐なればかくあるべしと投げかけられたうがった印象を、謂れのない蔑視と跳ね除けるのは、そう易々とできることではない。若水は、間違いなく妖狐であって、人間の時間でいえば遙かに過去、真偽すらあきらかでない伝説上の妖狐たちと、なにひとつ関わりがないものとは言いきれない。かのじょらは往々にして悪い妖精であった。もっとも、この場合の善悪とは、妖狐たち、妖精たちの考えるものではなく、かのじょらと出逢い、ときにまじわり、ともに暮らした人間たちの基準にほかならない。人間は弱い、ちいさい、あまりにも儚くて、その人生はみじかい、かれらの思う善悪が、妖精である若水��ちにも当てはまるものとはゆめゆめ思われない。すくなくとも、歴史に悪女として名を残す狐の女たち、なかには真実に千年を生きた妖狐もあれば、人の身にありながらその本然を超えた暴虐のふるまいで、後世に妖狐とされたものもあるが、かのじょらの行いのなべて、否定しきることはできなかった。淫蕩に耽り飽食に溺れ、酒を満たした池、ひとを串刺し、朒を林に準え、にわかに笑わず世を紊れさせ、無邪気に、爛漫に、恣意のままに、生きることの悪を、ほんとうの意味ではわかっているとは言えないのだろう。しかたがない、だってわたしは妖精で、人間ではないんだもの。人間社会の移り変わりは目まぐるしい、刹那に、まばたきのあいだに生きて去ってゆくかれらのひとりひとりに至るまでを詳細に覚えておくこと能わないが、かれらが生み出したもの、作りだしたものの幾らかは、若水の記憶にとどまっている。だれかつくりだしたのか? そんなことは問題ではない。花は馥郁たるかおり、清廉の水は心地よく、酒精に酔ってみた夜景は燦燦とうつくしい。その下で踏みつけられ、故郷を追われて涙にくれただれか、かなしみを内包してうつくしいとは言わない。ただ事実として、うつくしさのあるだけだ。そう感じたのでそのまま告げたところ、肩をすくめられたのには得心が行かない。
 「そういうところがお前は妖狐だといわれるだろう若水」
 「そう、そうです! わたしが狐かどうかは関係ないと思いません?」
 それはどうかなあと言って苦笑にほほを緩める哪吒は、若水をさらにはるかに超えて長く生きる妖精のひとりである。隠棲をきめこんでもう数百年、いっそ千年にもなるかという老君に匹敵するともいわれる、旧い、力のある妖精で、かれを慕い憧れる妖精も多いのだと聞く。哪吒は少年のなりをしているが、これはなにも、かれの未熟だからではない、かくあるべしと定められたのはかれも同じだ。哪吒とは少年のなりの妖精、あるいはすでに神のひとり、焔を能くし、髪をふたつに括り、その心根は義に燃えて。若水が妖狐へのあれこれに辟易するのと同列に並べるべきではないかもしれないが、哪吒、という枷を嵌められ、そのありかたをのぞまれ、ゆえに長らえてもいるのだとかれは笑って、みせた。妖精たちにとっての人間は、人間、という、かたちのない生きものだ。名はもちろんなく、貌もなく、命はあれどもかたちはない。かつてであればかれらのうちにも、妖精と肩をならべ、したしいともがらのように暮らしたひともあったものだが、この数百年で世界はずいぶん変わってしまった。有象無象とまでいうつもりはないが、かれらは朔を知らぬ月のように殖え、満ちてゆく。疫病や、ひとの手にあまる災厄や、人間同士のあらそいは、ほとんどなくなったと言っていい。ただでさえもみじかい命を無為に散らすこともない、とのたまったのはだれだったろう、かれらにとっては意義あることと窘めた鳩老の声をたしかに覚えているので執行人のだれかだろうか。妖精にもさまざまの考えがあり、本質的にはだれであろうとその生きざまを否定も制限もできないのだとは分かっているが、しかし哪吒のような例もある。かれはなにを思うのだろう、かれの考え、願いそれらが、人間によって歪められていないとなぜ断言できようか。間違いなく哪吒は、ひとに乞われてそこに在る妖精だ。
 「まあ、そうだなあ……、憤れるのはいいことだ。感情を燃やすのは、心に火を点すのは、少なくとも自分の援けにはなるだろうさ。最後は自分きりいないんだ。だっておれたちは妖精だもの。このおれだってそうなんだから。」
 「あっ、ごめんなさい、哪吒大人、わたし」
 「おれはおれのやりたいようにやっているつもりだが、若水はそうじゃないのか?」
 「わたしだってそうですよ」
 「じゃあそれでいいだろ」
 かれは諦めているようにも思えるし、受け容れて朗らかのようにも、思える、妖狐なれば妖艶であるべきだ、人心をまどわし、人を統べるべくして興った皇帝を誑かして悪逆非道のかぎりを尽くすべき。そんな偏見に従ってやる必要などない。たとえ、かつて妖狐とされた女たちがどう生きたとしても、若水、名を変え姿を変える妖狐の裔の、かのじょには関係のないことなのだ。哪吒はその名から逃れられないかもしれないが、それでもかれなりによくやっている、大妖精たるかれにこんな言い方は不遜だろうが、力の大小が、妖精の存在のすべてではない。若水をしらない妖精もいるだろう、人間ならばさらに。けれど哪吒をしらない妖精はない。かつては、あの男をしらない妖精もまた、なかった。
 「小黒が……」
 「ああ、ちびか。いや、もうちびなんて言えねーか。いまはあいつが最強の執行人だって、勝手なやつらは言うものなあ」
 「戻らないの」
 「あー、うん」
 放浪癖は師父ゆずりだろう、かつて最強の名を恣にしていたあの男、隠居をきめこんでからの数十年はゆるりと暮らしていたときく。ふるくからの知己は、かれが穏やかに窓辺に坐り、風に髪をあそばせてわらうさまや、ひねもすを微睡んですごす日々に馳せる思いをもたなかった。戦乱が大地に満ちていたころ、わずかに綻ぶ春のきざし、踏みしめた土のかおり、遠くまで笛の音のとどいたやさしい夜、うしなわれた時代が、無限とともにあった。人間の記憶からはうしなわれた過去にあって、かれは皇帝の懐刀としてよく働き、地を平らげ世を革めて国の興りをたすけ、ついにその名を年号にまで取り立てられたものだが、本人は不本意だったようで柳眉を顰めていたときく。年若い妖精たちからすれば脅威であっただろう、力ある妖精たち、さりとてよく己を律し、単なる暴力装置としての、支配の象徴としての組織でなく、ゆるされて執行人として立つものたちの中にあってただひとり異質の人間であって、ましてや最強を謳われた無限という男のことは。かれの存在は長かった、いつかは不在のほうが長くなるのだろう。名だけは知っていようとも、その術技のさえ、どこか惚けたようす、茶でも酒でも水かのように杯を干し、さぞ美味そうに飯を食うすがたをしらずに無限のなにをしったと言えるのか。人間が好きよ、なかでも無限がいっとう好きよ。春めく恋に頬を染める乙女のように若水が言って、どれだけ揶揄われたか分からない。笑わなかったのは無限の愛弟子で、いまや最強を継いでたたずむばかりの小黒と、こうして肩をすくめる哪吒くらいのものだ。
 「戻ってくるさ。そのうち。察してやれよ、わかってるだろ」
 「わかってる、わかってるけど、わたしだって……、わたしだって、あのひとが好きだったわ」
 「ゆるしてやれよ」
 「ゆるさないなんていってない!」
 叫びは空虚だ、そうして悲痛だ。悲劇がかならずしも涙に濡れて心に重くのしかかるのだと誰が言ったのだろう。心は痛んでいる、心は悼んでいる。小黒と無限の所在は、潘靖あたりにたずねて霊を追えば明らかになるだろう。若水が伝え聞いたのは、館に師父の終の棲家をおくことを頑なに拒んだ小黒が、人間の街中に公寓を借り受けたらしいというところまでだ。それもいったい何年前のことだったか……、すでに師のもとを離れ、しかし無限がそうしたように明確にどこかの支部に所属するでもなく、執行人として幾らかの働きをしていた小黒とはもう長いことまみえていない。とおくに見かけた貌は大人びて、とうに戻っているはずの力で、一度は抜けてしまった髪の色を戻そうとはしていなかった。かれの消息をどれだけ聞いていないのだろう。そして、かれのかたわらにあるはずの、無限のことを。
 「おれは妖精で、おまえも妖精。小黒だって妖精だ。戻ってくるさ。人間を人間として、見送らせてやれよ。あれは最後まで、妖精ではなかったんだな。」
 それは愛ではなく、ましてや献身なぞというものであろうはずもなかった。楓の種子が風に乗り、ゆったりと廻りながら落ちるように、緩慢に終わりへ向かう、消極的でおごそかの自死を、かれはすすんで選んだのだった。人間って面白いの。思いもよらない、あっと驚くことをするのよ。ついに陽は傾いて、妖狐のわたしが、見ている。
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jitterbugs-lxh · 2 years
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蠢動
 諦聽は霊獣である。妖精であって、神獣であり、傅くもの、その背に王を戴いて駆けるもの。そういうふうにつくられた。誰に? だれでもないが。老君に言われるまでもなくみずからが玄离の身代わりになりえるとは微塵も考えていなかった。これは単純に、あの食えない、いまとなっては数多の妖精たちの最長老のひとりである老君にとっての、という意味合いばかりではない。玄离はひねもす、よもすがら、老君のかたわらに侍り、かれの庇護のもと藍溪鎮で暮らすひとびとから慕われ、街路をゆけばそこかしこから声が掛かり、揚げたての油条があれば蜜をくぐらせて手渡され、まだ青い苹果は放物線、手が塞がればゆったりとくつろげた袂に、袖に、あれやこれやと差し込まれるのが常であった。
 平安の時代が訪れひとびとが去り、市のそれも、祭りのそれも、とくべつでない毎日のそれも、なべて喧騒は遠のいていった。もとより書物に埋もれて日々を暮らしている老君は、為政者として以上に、書痴ともいえる偏執で、あまり外に出るひとでなかったが、それでもこうして、しじまの底に落ちている城郭に、おもうところもあるだろう。本を繰るのにうってつけ、と、かれは嘯いてみせたものだが。ともすればそれは、紛いようなく、老君の本心なのかもしれなかった。
 裏表のない人格はなにも、玄离の専売特許というではない、老君は、語らぬことの多いだけ、秘したるものの多いばかりの、単純すなおのひとであるのやも。かれは考えすぎる、かれは深謀遠慮のはてにことばを失い、語らぬゆえにこぼれてゆくものを留められない。あれほど分かりやすいあるじもない、と肩をすくめて笑った玄离の、まなじりに刻まれた皺のかたちを思う。かれは玄离に、何もかもを許され、同じだけ、何ひとつ許されていなかった。
 おまえもあれをあるじとしてみれば分かることだ、たしかに玄离はかつて、諦聽にそう告げた。しかし、かれが諦聽のまえに、語る声とすがたと、いっさいの衒いのない笑みで顕れるあいだ、かれのあるじが老君ただひとりであるように、老君の懐刀は、あのいちばんの妖精の、唯一そばに侍るを認めたけものは、玄离をおいてほかになかった。あるものだ! 皮肉なことも。玄离が去ってのちに、かれのあるじを知るための機が巡ってくるとは。西方のかなたには、純潔をもって生涯を捧げ、鉤針編みの透かし飾りをつくる乙女のあるという。一瞥して簡素にみえるそれも、緻密で細部に至るまで手を尽くされた贅沢品である。ゆたかに伸ばして背に流した老君の髪をゆるく括っているのは、それには及ばぬながらも丁寧な仕事、いく筋もの絹糸を、それぞれ細かく、一年を通し、あるいは跨いで縒り蒐められたとりどりの色彩で染め、編み上げられた組紐である。かれの纏うものは紐ひとつさえ洗練されているべきと考えたのは、いまでは遠く龍游の会館を預かる潘靖だときく。浮薄で、軽率、乞われて諦聽が火を貸してやった長煙管でくゆらせる紫煙のように茫洋、薄情で無慈悲、いったいどれが本当のあなたの顔だろう。知っているのは、きっと、玄离だけだ。
 あれは寂しがりなんだ。とっときの甘い蜜をたくさん持っているくせに、自分で舐ることを想像もしないのだ。なあ。諦聽。頼りにするとは云えないが、恃みにするとも云えないが、あれは寂しがりなんだ。ひとすじを尾のように伸ばした玄离の髪をだれが編んでいたろうか、ああ、己れは、おまえに口づけひとつ許されたかぎりの神獣だ。己れは玄离、おまえのあるじでないし、おまえの代わりに、あのあるじを戴くこともしない。火くらいならば貸すかもしれないが、それだけだ。たとえ口づけを許されても、おまえの長い髪ひとつ、ほどくことかなわない。まばたきのふいに、老君が、わらった。
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jitterbugs-lxh · 2 years
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静謐
 あなたに玄离のかわりが務まるとは思っていません。求めようとも思いません。玄离のように私を愛し、私を慕って、私のために立ち働く妖精はほかにありません。玄离が何をのぞみ、私が応えて何を与えたのか、あなたに教えるつもりはありませんし、知ったところであなたには益もないでしょう。もし、ありうべからぬことですが、今更ながら、私の力を疑うというのなら、藍溪鎮のなかを好きに散策して構いませんし、ここがひとの暮らし、営みの喧騒に満ちていたのはむかしのこと、通りに敷きものをひろげて、芸をする者もありました。屋台を出して飴を商う者も、筆を走らせて景観を描く者もありました。水路には舟がすべり、とりどりの染物や、しろがねの細工や、よく磨かれた珠玉や、子どもの手遊びの竹籤やら、いっそうにぎにぎしく行き交っていたのなど、遠い日々のことなのです。
 思えば人々の去ってのち、しじまはどんどん広がるばかり、かしましくやかましい、などと云えば玄离は怒るでしょうが、あれはどうしたって五月蠅いやつでしたから。おや、あなたにとってはそうではなかったと? 諦聽。あなたがたの間に交わされた紐帯が、好敵手としてのそれであるのか、同輩としてなのか、はたまた友愛、あるいは、肉慾の情をともなう遣り取りであったのか、寡聞にして私は知りません。ふふ、私にも知らないことはあるのですよ。良かったです、知っていたほうが? ふふ……いえ、知りませんよ。本当に。知らないということにしておきましょう。あなたはともかく、玄离はそれを私に隠していたようだから。知られたくないことを暴くべきではない、ましてや、かれはいま、ここにいないのですから。玄离がここにいたとして、かれを弾劾し追求するつもりも、ありませんけれど。
 ええ。水は溢れてしまった。なみなみと注がれて、あの晩にも、あの宵にも、月を湛えて揺れていたのに。本当なら、ひとの去ったこれらの街など、沈めてしまっても構わないのです。なぜでしょうね? もう誰も戻ってはこないでしょう。私には誓約があり、あらたに誰かを迎えいれに出てゆくことはない。はじめに言った通り、あなたにそれをさせようとも思いません。退屈がゆっくりと真綿のさまで、私の呼吸をさまたげとざしてゆく。孤独に咽びふるえるかって? 胸を掻きむしるような烈しいくるしみは、私のもとを去って久しい。さみしさは確かにあるでしょう。これでも私はお喋り好きの妖精ですよ、肝心かなめのところは何ひとつ語ってはくださらないと肩を落としている潘靖にはすまないことをしていますけれど。あれには苦労をかけますね、年号殿は歳をとって隠居するどころかますますのご活躍ときいています。いえ、無限は私の弟子ではありませんよ。正確には申し入れを断ったのです。私はそうそう弟子を取りませんから。
 ああ、どうにも喋りすぎました。どうするかはあなたが決めてよろしい。私の申し出を断った者は、人にせよ、妖精にせよ、数えるほどしかいませんが、この老君の意向に逆らったからといって、もはや私はだれかを判じ裁くすべをもちません。それらは不文律となって、ひとと、組織とに預けてしまいましたから。
 ねえ。諦聽。悪いこと言いませんよ。ひねもすをここに留まって私の相手をせよというのでもありません。あなたの知っている私は、武力の行使の多くを玄离に委託していたことでしょう。たたかいに赴くには私の装束はあまりに不向きだ。脚絆を巻いて裾をまとめ、土塊やがれきや、縦横無尽に這っていた木の根や、下生えの草や、岩の縁から滲み出す清流を踏みしめて歩くのは、私に求められた本分でなかったのだから。
 けれどあなたの知るとおり、玄离もまた、ここを去りました。戻るか否かは私にも判りかねます。何も置いてゆかれた同士で慰めあうことを、あなたに願うではありません。玄离はあなたに許したかもしれない。あなたを、仮初の情のゆえに受容れ、肌をゆるし、熱をゆるし、その身体をひらいてみせたかもしれない。だが、それがなんだというのでしょう。おまえが玄离の何を知り、何を知らないのか、そんなことは瑣末です。些事ですよ。あれは私のもの。ええ、知りません。知りませんとも! おまえたちの房事の、閨など。ああ、ひとつだけ、おまえに頼みがありました。火を貸してくれませんか? 諦聽。
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jitterbugs-lxh · 2 years
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出藍 still steel, steal.
 近ごろの師父はねむっていることがずいぶん増えた。かつてであればともかく、いまとなっては小黒にも、無限がいかにおどろくべき人物であるのか痛いほどにわかっている。思い起こせば恥じらうばかりだ、かれの、地位や、生きてきた時間、他の追随をゆるさない豪傑さ、そういったものに恃んで師事を決めたのではなかったが、しかし、ともに過ごす日の、月の、年の、長くなるにつれ、無限というひとの凄まじさ、恐ろしいまでの峻厳さというのが、際だって感じられてくるのだった。それは、同じだけ、かれをどうしようもなく孤独にもしただろう。ひとは、力あるひとに惹かれるとともに、畏れ、群衆にとっての脅威になると看做されれば排除も躊躇わない横暴と、臆病にすぎる残酷さとを待ち合わせる。ひとりの特出した人間にできることなど限られる。智慧があり、ふるう武芸の巧み、五行のうちの金属性を有し、はがねを扱わせれば右に出るものなどない無限と雖も、個人のままに暮らしてゆくのはままならないのだ。小黒は無限の生きてきた時間の正確なところを知らない。もっとも、訊ねればかれのただひとりの師父であり、家族といって相違ない無限のことだから、年齢くらいは答えてくれるのかもしれない。修行時代のあれこれ、たとえば、術にばかり頼らずに街でくらすやり方、つづく旅路のなかで、あたたかく整えられた寝床を手に入れられないときに、どうやって眠るべきか、火の熾しかた、消しかた、炙って食らうべき野の草や果物、狩りで得た獲物の捌きかた、ほぼ唯一かれに学べなかったものがあるとすれば食事の用意くらいのものだが。おさないころの小黒はそれはそれは無知で、かつ好奇心にあふれていたので、多くのことを無限に教わりたがったが、師事を恃むまえか��、かれは小黒に教えすぎないよう留意��ているかにみえた。どうして? なぜ? 小黒は幾度となく訊ね、時にはいっそ冷たくさえ思える一瞥のうちに、応えをもらえないことも多かった。はじめのころは、無限がかれの持っている智慧や経験を、小黒に伝え教える心算がないのだと憤慨したこともあった、実際、かれはひとに教えるのにはたいへん不向きな人格であると気が付いたのは、師事して半年も経たないころであったが、良く教え良く諭すことだけが、師父のありかたでないと既に悟ったのちであったので、さして気にはならなかった。かれは人間で、小黒は妖精である。無限は本人のいうとおり、単純に人間として暮らす以上の歳月を生き延び、多くの人間にはもはや感ずるも触れるもかなわない霊のちからを、能くする、もっとも妖精にちかい人間であるのもまた事実である。ひたすらにかれは信じた、邁進した、妄信した、無限のなかのいったい何者が、かれをそうして顕たせてきたのか、知ったところで小黒の手の届く範疇にないと、知っていた。手に届くものをあまねく、とは、いうまい、それはいっそ無謀にして無知蒙昧の、背水の行いだ。見えているものをなべて? ちいさな黒猫の貌でも、ひとを模してつくった貌でも、小黒のからだはあまりにちいさすぎる。からだのちいさいこと不利なるとはけして考えるまいが、憧憬ににた想いをもってあの龍游の地に立つとき、やはり己のちいささを思わずにはいられないのだ。
 かつて最強の執行人として名を馳せた無限が隠居をするというので館はすべての支部にこころやすく休息できる部屋を置くことを提案したがすべて断ったのは小黒だった。無限のもとに師事し、執行人として、かれのいうところの雑用をこなす傍らにおおくを学んだ小黒であるが、下山し独り立ちの許可をもらってもう随分になる。属性は師と同じく空間と金、才能があると見初められ、手を取り、理論を伝え、語るよりは実際の手技をみせて学ばせた無限のやりかたが、小黒にはよく合っていたらしい。もっとも他の人間や、妖精であったなら、教えかたの云々にかかわらずそもそも師事を恃まなかったように思われるから、はたして真実に、小黒にとってただしく、ふさわしい師父であったのかは定かでない、と肩をすくめたのはほかならぬ無限で、しかしかれの言い草には大いに謙遜とちょっとした戯言が含まれていたのも確かだ。かれはまっこといい師だった、と小黒は思うし、無限とて満更ではないはずだ、才能があるとはじめに看破したのは無限だったが、その後の弛みない修行と努力によって、属性を同じくするとは雖も、得意にした術の違いから、無限だけを師父とするのでは伸び悩んだ部分に至るまで、十分な実力をそなえた妖精になるまでじつに百年もかからなかったのは瞠目すべき点である、と称賛する妖精は多かった。ちからをもつこと、それを用いてさまざまの、善悪を渡り、つるぎとなり、ときに盾となって生きてゆくこと、妖精間のみならず人間にもおおいなる争いや災厄はほぼなくなった時代において、それらはもはや不要なのかもしれなかった。戦乱のさなかにあって生まれ、ときには人間同士でも剣をまじえ、武芸の極み、競い合いにあらず、侵略と殺戮の行進に、無限が参じていた事実はにわかに信じがたいが、小黒の知らない時代、知らない横顔のひとつやふたつ、あってしかるべきであろう。無限がすすんで語らなくとも、館にはほかに古参の妖精も多い。頼み込めば過去を語ってくれるものもあっただろう。
 人間は時とともに成長し、老いさらばえてゆくばかりだが、妖精はじつにさまざまだ。少女や少年のみてくれをしているからといって、けしてその齢であるとも限らない。老いは必ずしも、時のとおりに妖精におとずれず、また、任意のすがたを持ち合わせるかれらにとって、人を模したそのかたち、かくあるべしと己に課し、己に冀ったかたちでもある。行うものは多くはないが、すがたを自在に変えるすら、けして困難というではない。唯一の例外があるとすれば哪吒くらいのもので、かれはもっとも長く生きる妖精のひとりでありながら、少年のかたちのままに時をとどめており、また結った髪のかたちも、さだめられたものである。哪吒自身は変えられるものなら変えたいと嘯いているが、かれの願いも虚しく叶わないだろう、ほかにもいにしえの大妖精、人心を乱し世を荒らし、禍乱と恐慌とに陥らせて愉悦をむさぼった悪辣そのものなどもあるにはあるが、それらは名を変えすがたを変えて、平然と佇んで阿っているというのに。思うに哪吒はひとに愛されすぎた。かれについての伝承のたぐい、由無しごと、列挙にいとまのないほどにあれどもそこはかなし、どれもがかれを指し示したが、どれひとつとしてかれの本然を言いえたものではなかった。真実にどれだけの意味がある? そうして価値が。哪吒はもとより皮肉めいた性格をしていたので、それほど苦にはしていないようだったが、書物を紐解けば実際に目の当たりにする哪吒自身とはずいぶん乖離して感じられる記述も数多く見受けられた。おまえにはおれがどうみえる? 哪吒にたずねられ、小黒はいったい何と答えたのだったか、はじめて出会ったころはかれの何もかもを知らなかったが、いまではかれを友人と呼べるくらいの間柄にはなった。もっとも、本人がのらりくらり躱しつづけているばかり、本当ならすでに、神の座にあってもおかしくはない哪吒のことを平然と呼び捨てて友人などとのたまえる小黒の遠慮のなさに苦言を呈するものがあるのも確かで、あって、そういった、実に不遜ととられかねない言動をも、師に似たものと揶揄されるのがいっとう憎らしくもあった。小黒が生意気で不遜でも、何ひとつ無限に責はない。師父たる無限もまた、たいていの妖精に対して構えたところのない、生きてきた歳月や力のおおきさに頓着しない、よくいえばおおらかで、悪しざまにいえばおおざっぱなひとではあるので、真似るまでもなく似ているのだが、弟子は師に似るもの、あるいは背をみて学ぶものだと言われると素直に頷けないところがある。少なくとも無限に学ぶまえから小黒はおおかた不遜で、あったし、深い森の奥でうまれ、生じては散じ、散じては凝る霊たちのささやきと、ちいさな黒咻のみを供として暮らしていた日々のうちより、どこか驕ったところがあったのは事実である。思い起こせば恥じらうばかりだ、才覚のあったとて、揮う力のあったとて、満足に使いこなしたとはとても言えなかったというのに、己の無力を嘆くよりもさきに、怒りを憤りを、募らせていたなどと。
 呼び鈴が鳴ってうつろっていた思考が途絶え、小黒はやさしくにがい回想から引き戻された。師父はかわらず規則正しい寝息をたてて健やかに眠っている。無限の力のおおきさや、成してきた偉業の物々しさに畏怖したり、憧憬をよせたり、いっそ異物と切りすてて謂れのない敵視を向けたりする妖精にならなくてよかった。それは、無限というこのひとを、数百年ものあいだ、人間と妖精のあいだにあって懸命に立ち働いてきたこのひとのすがたを見て見ぬふりする愚行にひとしい。見えている、聞こえている、知っている。目を閉じ耳を塞ぎ、かれを知らずに生きるなど、あまりにも不逞であり、見逃されざることだった。かれを嫌いにならないで、と、若水にいわれたのが、もうどれだけ昔のことなのか、おなじことを小黒もまた、繰り返しほかの妖精や、人間に告げた、ものだ、自分だけが無限を知っていればよい、良き弟子、佳き隣人、善き友、そうして、好き養い子たるは己だけでいい、と、子どもじみた独占欲で、かれを束縛できるはずもなかった。無限はたしかに小黒をあいし慈しんではくれただろう。ただ考えなしの、何も知らず何も出来ない子どもとしてではなしに、ひとりの妖精として扱い、ときには少ない獲物を分け合いもしたし、あたたかい寝床を奪い合いもした。はじめはすべてを小黒に譲るばかりだった師父が、与えるばかりでなく自分を同等に扱ってくれたときの喜びたるや! まあはじめはともにつついていた食事の最後のひときれをどちらが食うかという話題だったので、あれで食い意地の張っている無限の、ふと気の抜けた瞬間であったのかもしれないが。ふふとちいさくわらい、折った膝を伸ばすとすこし軋むけはいがある。館からの申し出をなべて断って、小黒が執行人として得た賃金と糧で借り受けたちいさな公寓の一室にはやわらかな午后の日が差し込んで、もっとも、労働の対価とはいえ小黒に人間の通貨を支給しているのは館なのだから、本当の意味では館の采配でないとは言い切れなかったが、この場面において重要視されるべきは、師父たる無限のために行動した、という、小黒の精神的安寧である。我ながら幼いとは思わないではないけれど。
 「やあ、久しぶり、小黒。」
 扉を開けて立っていたのは懐かしい顔だった。赤銅色の髪をゆるく結い上げてほほえむ表情は柔和、かつてこの龍游にあったかなしい一夜をあけてしばらくのちは、かれとの間にも僅かなりとも蟠りがなかったとは言うまいが、いまとなってはよき友のひとりでもある洛竹である。片手に小さな花を携えて顔をみせた洛竹に、所在を伝えたおぼえはなかったが、花屋を営んでいるという紫羅蘭を手伝って市井におりて暮らしているというかれには、小黒の思うよりもずっと広い交友関係があるのに違いない。思えば初めて出会ったときにもそうだったのだ、かの、龍游の一夜をつくりだしたひとりの男、ひとりの妖精、かれのもとでまみえたときから、洛竹はほがらかで気安く、警戒に毛並みを逆立てる小黒に対しても、特に機嫌を損ねるでもなくわらっていた。そんなかれの仕草をみて侮るひとのあるにはあったが、そもそも力の、わざの、術の巧拙だけが、妖精のすべてでないことに、思い至らないのなら実におろかだ。ふたりは意識的に、過日の話題を避けたわけではなかったが、酒を酌み交わすでもなければ茶杯を傾け合うでもない、いまのふたりがすすんで選ぶ話題でなかったのは間違いなかった。「配達のついでに寄ったんだ、ここに住んでいるって聞いてさ。」洛竹は照れたように頭を掻いてそういったが、かれの服装をみればその言葉が偽りであることは明らかだった。かれらの花屋に顔を出したことは数えるほどしかなかったが、屋号なのか、かわいらしい絵柄の印字された圍裙を掛けて働いているところを何度か見たおぼえがある。きょうの洛竹はそれをつけていなかったので、仕事のあいまに抜けてきたというかれの言葉が本当であるはずはなかったのだ。どうせ偽るのならもっと上手に言えたろう、ほかの誰か、龍游の街中に、ながいこと野良ねこたちの憩いの場として佇んでいたあの枝なら、たいへん不器用なところのあった男なので分からないではないけれども。けれども洛竹がいうのであれば、知られても気にしないという意味合いでもあろう。誰の伝手でこの部屋の場所を知ったのか、かれは語らなかったが、一度はおおいなる暴動にくみしたかどで捕らえられ、冷たい牢の床をながく味わった洛竹は、積極的に関わりをもつではないがいまでは館の方針にゆるやかに従っているのだし、かれのいまの主人ともいえる紫羅蘭は、もっと館と親しいだろう。小黒がかたくなに館の援けを拒んだので、かれら師弟を気に掛ける潘靖あたりが、困って頼ったのかもしれなかった。龍游の館長をつとめる潘靖は、小黒が生まれるよりもうんと昔から、無限とは既知のあいだがらであるというし、人間の無限を忌避する妖精の多い中で、あくまで慇懃に、敬意をはらって接する義理堅い性格のひとでもあった。意固地になっている自覚はとうぜん小黒にもあって、それらのやんわりとした、あくまでも距離を保った気遣いに、感謝こそすれ嫌悪の情はない。しかし、潘靖もまた、分かっているはず、もしも無限のいのちの、その人生のはてが近づいているというなら、かれをけして妖精会館にはおいてはおけない。それは無限をよく思わない、かれの存在を歓迎しない妖精たちが、かれの尊厳や、秩序や、しずかな余生を損ねようと大挙して押し寄せるからだとかの、単純の理由ではない。時は来る、時は来る、望まなくとも時は来る、あれほど立派で、あれほどひとに愛された公園が、大樹のすべて立ち枯れて、いまではかたちもないように。
 「すこし上がって話をしても?」
 洛竹がめずらしく踏み込んで強引な言葉をかけたので、小黒はわずかに伏せていた睫毛をふるわせた。力を奪われいのちを脅かされる以前には、ゆたかにたくわえた髪もまた同じだったぬばたまのみどりは、そうでなくても濡れたようにうつくしい。力はとうに戻っている。髪も、あの色に戻したっていい、いまの小黒には、造作もないことだった。こたえのかわりに片足を引いて一歩後じさり、洛竹の申し出を受け容れたが、すれ違いざまにくしゃりと撫でられた頭は、なにもできない子どもに戻ったようで悔しかった。ほんとうはままならなさに唇を噛み、地団太を踏んであばれてやりたい、どうして、どうしたら。もしかして、と思うが、きっと洛竹も、この悔しさのこたえを知らない。
 ひとしきり話すうちに物音があって、��室の無限の目が覚めたのが分かった。そうでなくとも耳を欹て、ねむる師父の一挙手一投足、吐息のすべてにいたるまで聞き漏らすまいと張り詰めていた小黒である。その献身はあまりに深く、奉仕というには盲目的でありすぎた。なるほど潘靖やら若水やらがやたらに気をもむはずだ、だれひとり無限に近づけさせまいとする小黒の懸命さは、痛々しくさえあった。夜着のうえから羽織りひとつ肩に載せただけでやってきて、客人のすがたにわずかに瞠目する無限のほうが、よほど健やかなようにさえ思える。妖精である小黒や、潘靖、もちろん若水や洛竹も、霊のあつまってうまれた身なれば、霊をいちどき失ったとて、再びあつめたくわえたのなら、その本然にいたるまでを散じることはない。例外があるとすれば、霊をたくわえるための器をおおきく損なったときだが、妖精の存在の根幹を揺るがすまでのできごとはそう易々とおこるものではない。いま、見るからに小黒が弱っている、と感じられるなら、それはこの黒猫が、妖精を離れすぎているからに他ならない。無限はながくあるうちに、ほとんど妖精そのものといって相違ない霊と、いのちとを得た人間だ。本来であれば人間の寿命は妖精にくらぶればおどろくほどに短い。かれがこうまでも永らえたのは妖精に近しくなったからだが、永らえたゆえに妖精に近しくなった、というさかしまでもある。飛び上がるようにして立ちあがる小黒の足がわずか、たたらを踏んでぶれ、目にもとまらぬ速さで操られた鋼が、腕をとってかれを支えた。眉ひとつ動かすことなしにやってのける技の冴えは、無限の霊質の衰えをしらぬさまを彷彿とさせたが、忍びよる不穏の足音を、退けるには至らなかった。もうおまえは独り立ちしたのだから、こうして四六時中この家に詰めておかなくともいいものを、と、本気か否か判断つかないやわらかな口調でのたまう無限に、小黒が尾を太くして不満を顕すのが分かった。尻尾も、耳も、隠しておけないはずはないのだ、いまでは小黒が、最強の執行人としての名をほしいままにしているくらいだ。茶器をあたためて一度湯を捨て、蓋を落としてよく葉を蒸らして杯にそそぐ。洛竹の記憶がただしければ無限はそれなりに酒をも嗜むはずだが、起きぬけの胃をあたためるのには不向きであるし、喉を鳴らして嚥下する茶は、本来食事を必要としない妖精の洛竹からみても、それはそれは美味そうに思えた。なるほど、霊をたくわえ身を保つだけであれば、さして必要ないはずの美食の愉しみ、酒の嗜みを、執行人のおおくが捨てない理由は、この人間の男にあったものかもしれない。なにせ無限がそこにいて飲み食いするさまは、けして豪快のたぐいではなく、いっそ淡々としているのにも関わらず気持ちがいい。これは修行や、心がけの有無でもたらされるものではなく、生来の、生半可には得難い資質であるのに違いない。小黒もそうだったけれども、無限という男は、その質素ないでたちや、淡泊のかんばせからはとても予想のつかない慾のふかさと、気が多くわがままで、誰よりあきらめの悪い一面を持ち合わせ、ゆえに愛され、ゆえに苛まれ、ゆえに倦厭されうる。持つべきものと、かれらを呼ぶまい、精一杯の強情がかれらを奮い立たせている、かれらは望み、望んだゆえに得たものの重さに押し潰されまいと震えているのに。
 客人を迎える準備のない部屋にあって茶をたのしむとなれば椅子が足らなくなるのは自明のことだ。すわとばかりに立ち上がった小黒があたりまえに無限に譲り、くるり、宙返りのあとには黒猫のすがたになった。ねむっていることのずいぶん増えたとはいえ、霊で補っているのか、あるいは金属性の力の幾らかを身体に及ばせてつかうすべを心得ているのか、萎えたようすはさらさら見えない無限の膝のうえに丸めたからだでおさまりながら短くひと鳴き、それを尻目に、洛竹は紫羅蘭に託された花を活けようとしたもののろくな花器ひとつないことに辟易した。まったく、似たもの同士のこの師弟は、大局をみすえているといえば聞こえはいいが、繊細の巧緻におおらかすぎる。火も、水も、土も、場合によっては鋼さえ、霊の存在を知らなくとも扱うことができるのは、人間が妖精たちから離れていった証左でもある。水は流れに逆らって引かれ、火は瞬時に点され、燃えない灯りがしるべとなって街をあかるく照らしている。じきに陽が落ちて���がきても、営みのおおくは眠らない。地上に星の満ちるにつれて、天の星は遠のくだろう。梁をささえ屋根を支えた棟木のみごとは、いまは伝統的のふるい暮らしに属するものだ。ふるい時代にうまれていきて、こうまで永らえた無限ですらも、郷愁のほかに感じ入るところはないのだろうか、洛竹は無限が、いまも後生大事に、己の生家を霊域にとどめていることを知らない。他人の霊域にとどまることが危険であるように、他人を霊域に踏み入らせるのもまた、諸刃の剣で、あるから、限られたひとにのみ、それはゆるされていた。まるい頭を撫でられてごろごろと喉を鳴らしている小黒は、ゆるされたひとりであるし、撫でさせるのが、無限をゆるした証明でもある。
 まったく奇妙なこともあるものだ、人間と妖精は、相容れないいきものだと、もはや洛竹も信じてはいない、紫羅蘭の花屋を手伝ううちに人間の友人もずいぶん増えて、かれらはひとしく、彼岸の国へ去っていった。いつか終わる夢であるのなら、あらかじめ失われた愛であるのなら、手を伸ばすべきでないとは、とてもではないが考えられない。かれらとのあいだにあった時間のことを、交わした言葉のすべて、覚えているとは言えないが。ひと、肉もつ生きものには限りがある。かれらは流れる血潮をもち、餓える腹をもち、胸を搏つ拍動をもち、くり返す呼吸をもつ。ほほえみの近似値が、ため息なのか、浅くなりつつある喘鳴であるのか、巧妙に隠して短く礼を述べた男に思うところがないではないが、告げるのはいまではない。使われていなさそうな酒器をてきとうに見繕って託された花を活け、無限の持ち物であるのなら、下手をすれば歴史的価値の高いものとして陳列されるほどの代物かもしれない、と浮かんだ推察を敢えて切り捨てた。花器のひとつも置かない家がわるいのだ。だいたい、小黒はともかく、いまの無限がかわらず酒を嗜むとは考えられないし、もしかれが呑むというのなら、こうして酒器を使えなくしておくのは正しいように思われた。無限はしずかな一瞥をこちらへ投げたが、別段気にしたふうもなく茶の杯を傾け、小黒の尾がぱたりと揺れて、鉄製らしい茶壷がひとりでに師の杯を満たした。生きているかぎりからだは老いてゆく、これほどまでに永いこと、朽ちていないことが無限の底なしの勁さを物語っている。なぜいまごろ、と眦をおさえたひとを、かれとそれほど親しいともいえない洛竹ですら何人も知っている。あたらしい茶を断り洛竹は席を立った。
 「じゃあ、おれ、行くな。仕事に戻らなきゃ。」
 「小黒。小黒。お客さんが帰るよ。さよならを言いなさい。」
 膝のうえにまるまって、ぎゅうと体軀を硬くしている黒猫をやんわりと叱る無限の仕草をよくみていると、どうやらかれはもう、殆どのものごと、音や光や、ほかの多くを、霊を通してみているらしかった。そうして衰えてなお、家の中のことならなにひとつ不自由はない、ので、あろう、足取りに迷ったところはなかったし、茶杯をつかむ手にも躊躇いはない。ますますからだを縮こめて、聴こえていないはずもないのにおし黙っている小黒をみつめる眸は厳しいが穏やかだ。底なしの鋼のおとこにも錆びつき軋む日が来る。もう、そこまで。
 「いいよ。おれが突然きたんだから。また来ても?」
 あくまでも小黒にかけた言葉だが、しかし、どうにも受け答えに違和感が拭えない。長く生きたかれには、洛竹のような、さして強いわけでもない妖精の知り合いなど無数にいて、いちいち記憶に留めてなどいられないのかもしれなかったが、それにしたって口ぶりにどこか虚ろなところがある。
 「無限大人。おれが、だれか、分かるか」
 「……ああ、すまない。きみは私の客でもあったか。悪いな、馴染みのない気は読みにくくて。紫羅蘭……じゃ、ないな。うん……、洛竹、か?」
 ぞっとしない背筋の冷えを感じたのは気のせいではないだろう、重たくしずむかなしみが、無限の膝のうえで、黒猫のかたちをして蹲っている。ぴくりとも動かない小黒のすがたは、夜の一部を截りとってつくられた、よるべのないかなしみとさみしさの、顕現なのだ、拒絶の言葉を口にはしても、だれかのそばに侍らずにいられない、いのちだ。なあ、無限、分かっているのか。世界が、妖精が、さみしくてかなしい気持ちが、いま黒猫のかたちをして己の膝の上にまるまっているその意味を。洛竹、名前を言い当ててどこか得意げ、独り立ちをしてもうずいぶんになるのに甘えたがりのくせが抜けないやつだとわらっている無限から小黒が継いだのは術の巧拙ばかりであるはずもない。ゆっくりと錆びつくあなたは、さみしさを切り捨ててゆくのか、あなた自身が思う何倍にも我々はさみしい、たとえ誉れがあなたの胸に、大輪の花を咲かせていたとしても。無限は長いこと錆びつかず、人間よりも妖精のように、生きた。かれのうちに留まっていた時が、なぜ動き出したものか、うっすらと予感もできないほど、小黒は無力の妖精ではない。最強の誉れ高い無限を師とあおいで学んだことが、小黒に多くの智慧を齎し、知りたくもないことをすら、悟らせている。思えばはじめから、小黒は聡い妖精であった。弟子の代わりに懐かしい顔を見送ってもどった無限は、奥の部屋に駆け込んで暗がりで膝をかかえる弟子のほうへあやまたず歩み寄って、くる、もうほとんど何も残っていないくせに、小黒だけは見失わないとでも言わんばかりに。
 「小黒。そう拗ねるものじゃない」
 「拗ねてない!」
 「小黒。私を困らせるな」
 「困ってなんか、ないくせに」
 困っているよ、と告げる言葉はあくまでやさしい。ひたすらにやさしいばかりだ、近ごろの師父はねむっていることが、ずいぶん、増えた。斜陽はしずかに夜に向かってゆく。あれほど好きだったおやすみを、もうあなたから聞きたくないのに。だれよりも妖精をあいし、それでも最後には、人間として無限は瞼を伏せるだろう。小黒。小黒。おまえが私の、緑青だったよ。
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jitterbugs-lxh · 2 years
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渺茫(わたしを叱らないで)
 玄离というひとは、竹を割ったようなじつに単純明快の気質をしていた。叡智によって深謀遠慮のかぎりをはたし、いっそ色のない透明���視線で、人間を、妖精を、庇護しているようでも、観察しているようでもある老君のかたわらにあって、玄离の衒いのなさは、しかし無知蒙昧のさきにのみ、あったのではなかった。かれほど正しく、自らを諫め、留めた妖精は類をみない。妖精には妖精の生きかた暮らしむきがあり、必ずしも人間のそれと同じく過ごすのは叶わなくとも、少なくとも歩み寄ろうという意思が玄离にはあるからだ。もっとも多くの対話や、難解な駆け引きや、人間の興した文明、文化、妖精たるかれらの視点からみれば、ときには瞬きの間に塗り替えられてゆく縮図や地図を、詳らかに知り黙殺し、あるいは積極的に介入しながら隣人としてのふるまいをするのは主に老君の職務であるので、玄离はそれらに同席したりしなかったり、茶を喫んで紫煙を燻らし、蒸したばかりの包子に舌鼓を打ったりしながら、過ごしてきただけなのだが。何が自分の領分であり、そして、課せられた宿星の命題であるのかを、定めてなぞるのは、簡単そうにみえて実のところ困難を極める。たしかにながく生きてはいるだろう、しかし、生きているかぎりは忘れる。あれほど居たはずの妖精たちが、気づけば去っていた。明確に散じた、さもなくば誅伐されて失せたものも幾らかはいただろう。しかし、妖精たちの多くは、ひと知れず去りゆくものだった。いったい如何なる理由でかれらが去るのか、玄离には判じかねる。老君ならばその眸、推察し、思案し、ただしく去ったひとびとを奉じるなり、弔うなり出来るのかもしれなかったが、とうの老君自身に素振りはまるでない。どこからか顕れて、どこへなりと去ってゆく、時のなかに、妖精はとどまるべきではない。ましてや、人間と交わるなどと。争いが地に蔓延り、戦禍が野を燒き、堆く重なる戦死者たちのしかばねは、石を組んで積み上げられた城砦のそれのような、抑止力をけして持たない。朽ちるためか? 否であろう、武器と呼ぶにも烏滸がましい、あまりに質素にすぎる、割ってさきを削り尖らせただけの槍や、碌々手入れされることもなしに硬く破れた革の胸あて、膝をつき、脚を引き摺る輩の、とどまるけはいをみせない傷にあてるために引き裂いたとみえる、けして清潔といえない、かぎ裂きだらけの衣には、誰のものとも知れない血と、土と、草いきれとが染みこんでもとの色さえさだかではない。肌は土気、瞼は伏せられて眸は分からず、折り重なったかれらは事切れてながく、すでに魂は散じたあとだ。すこしでもよい装備や、まだ使えると思しき武器、連ねられた玉や、立場がうえになればなるだけ、繊細で豪奢になる髪紐ひとつでさえ腹の足しにはならない。太平にあっては野を耕し、汗水漬くになって懸命にはたらいたであろうひとも、わずかに裕福で、ひとを使って商いをしたひとも、医術のこころえあって転々と放浪暮らしのひとも、こうして積まれてしまっては。たしかめる気にもならなかったが、なかにはひとに紛れて暮らし、かれらに同化、同調しすぎたゆえに戦乱までもに参画した妖精のあったかもわからない。それはかれらの選択であり、玄离の選択でない、生きている土地が違うのなら、選択は違っていてしかるべきだ。もっとも、どこにいようとも同じ選択があることも、たしかではあるが。かれは単純明快の、気質ではあったが、けして考えなしの愚かな生き物ではない。玄离があまり思い悩まずにいられるのは、それら頭脳労働の多くを老君が担っているからに間違いないが、それと、かれに思考を停止させる強制力があるか否かはまったくもって無関係であるべきだった。老君とのあいだに友愛はあるが、主従はない。だれも玄离に何かを命じたり、強いることはできない。玄离自身でさえも、それは例外でないのだった。
 清凝の、うすい下瞼に、わずかに疲れの兆しがあることには気づいていた。かのじょはいささか生真面目にすぎる、というのは、清凝を弟子として迎えることを認めた老君の言だが、弟子が師に学ぶように、師父たる老君も、かのじょに多くを学ぶべきであった。いまでこそ仙として、戦乱のさなかに邑を、家を、故郷を追われたひとびとを庇護し、それでいてけしてかれらの王として顕つことなしに、君臨も支配も、自ら切り離して暮らしている老君ではあるが、実際のところのかれはそれほど勤勉ではないのだった。学識はあるだろう、ひとびとに拓かれた藍溪鎮の奥の奥、書き換えられ続ける地図において、どこの国でもなければ、どこの民でもなく、此岸にあって彼岸でなく、どこでもあってどこにもない、門だけはたしかにあるが、撰ばれ許された案内のなければ、門にたどり着くさえむつかしい。一度離れたら戻ることはゆるされない、と決めたのは老君であり、この世ならぬは桃源郷、夢なれどひと晩で終わらぬばかりがやさしさであるのだろう。やさしさがなべて、ひとを救うとは限らない。高潔な精神が、奉仕に身も心もくだいたところで、心無いひとびとは容易く礫を投げつけただろうし、たとえ脅かされまいと、ありとあらゆる攻撃を阻む防御の陣を敷いたとても、向けられた悪意は消えはしない。それが判らないような男ではないだろうに……、飄々としているようでいて、かれにはただ、機微というもの、こまやかに移ろいゆくものへの思慮が、ともすれば足りないのかもしれなかった。感情はままならぬもの、恋情にしろ、思慕にしろ、ただ深くこうべを垂れて、敬愛と、信仰のためにかれに跪くことができるのなら、だれも老君の顔を知らなかっただろう。微笑みをたたえ、窓のそばにはべり、片膝を立ててときには長煙管に紫煙をくゆらせていた老君の袂に、袖に、焚き染められた香の種類を、医術を学び、薬を煎じて日々の修行とする清凝が、嗅ぎ分けられないはずはない。いつからだろう、かれの衣から、紫煙のけはいがいくらか薄くなったのは。きまって遠くを見ているか、そうでなければ、綴じられた、何度繰ったか分からない書物の、玄离にはまるで理解のできない文字の羅列を追いかけているばかりのかれの眸が、近ごろはずいぶん近くにあるようだ。多くの妖精が去っていった。遠く月面にあって俯瞰したひとの世界の小ささといったら! 玄离がはじめてそれを見たのは、やはり老君に連れられて行った、いまとなっては昔のことだが。
 あのおさない少女にすぎなかった清凝を、これほど思い悩ますとは。ただ秘めていることもできた、はずだ、しかし、かのじょは告げることを選んだ。老君はこころやすく穏やかなようでいて、あれほど酷薄な男もそうはない。つとめて善いひと足らんとふるまうことに異論はないが、結果なにがもたらされてきたかは明白である。幾人もの女たち、ときには男たちも、老君に想いを寄せた。かれは応えることができない。知らぬものをただ受容し真似事でもこころみるには、かれは賢すぎ、考えすぎる。どこか見当違いの部分に、いつだって老君の興味と好奇は向いている。考えねばならない! 今度こそは。ほかならぬ清凝、たぐいまれなる才覚としなやかな意思を持ち合わせた、希代の弟子が、その眸が、師父と仰ぎ、教えを乞いながらも、想いを口にするのなら。さしもの老君も考えた、考えた! 考えたろう。けれども、友よ、なぜおまえは考えたのか。
 「清凝、ほんとうに、おれを連れて行かないのか」
 「うん。ひとりでいきたいんだ。寂しいの? わたしがいないのが」
 「そりゃあさみしいよ、さみしいさ」
 玄离と清凝は師弟ではないし、かといって友かといえば違うような気もしている。だが、我々の間柄に果たして名まえをつけるべきだろうか? 力ある妖精のひとりであり、積極的な武力介入を良しとしない老君の、唯一の懐刀にして配下でない玄离は、この藍溪鎮にあってかぎりなく上位ではあっても、ひとり宙に浮いている。民たちの多くは老君にそうするように玄离にも敬意をはらって過ごしたが、この土地に降りかかる災厄から誰かを守ってやろうなどとはみじんも考えたことがない。ひとの手になる包子は旨い、大鍋でぐらりぐらりと炊かれた粥は旨い、玻璃になみなみと注いだ酒にうつる月は甘い。おれはおまえたちのあるじじゃあ、ない、けれども、だれも、おまえ以外のだれも、おまえのあるじになりえないのだ。知っているはず。清凝、おまえも。
 「ありがとう、狗哥。でも、行くよ。行かなくちゃ。ちゃんと勉強してね、けんかばかりはだめだよ、おいしいご飯を食べて……、」
 「清凝。」
 玄离を愛称で呼ぶのなんてかのじょくらいだ、ちいさく、おさなかった清凝。あの子はもうどこにもいない、とは、ゆめゆめ思われなかった。老君の深遠を覗いてなおもかれについていけるのは、自分かかのじょくらいだろう、と、確信をもって言える。かれの眸はいつだって遠くをみているばかりだ、月からみた地上はうつくしかろうが、はたしてあなたは月からかわいい弟子をみつけられるか? あの子が在るというだけで、世界を愛せる道理のあろうか。そんなものがかのじょの望みのはずがない。手の届く範囲だけ、簡単なこと、足並みを揃え、頭を撫で、茶と酒を注ぎあい、抱きしめて、肩を寄せて眠ればいい。それくらいの分別は、玄离にもある。
 「ひとりになるな。清凝。」
 「あはは! お父さんみたいなこと言うね!」
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jitterbugs-lxh · 2 years
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揺籃
 ゆらり夢をゆきすぎて、匂いたつような、蕩けるような情欲に、かれの眸が酔うのをたしかに、みた、みてしまった、うつくしい、と、判じてしまった。とろりと甘く、そうして��らない熱さをもったその眸に兆す情念を、朒體の、やわらかく巡る血が、いまや激症もかくやの烈しさで瀰漫してゆくのを、余所事でもみるかのような心待ちで見つめていた。風息の眸には、いつも失われた過去がある。慾に濡れて酔い、前後の不覚に陥りかけてなお、かれの眸にはうつくしい情景が浮かんでいる。遠くにけぶり、朝靄にかすみ、朱鷺に紅鶸に、地平に落ちて朱殷に染まり、留まるところの果たしてあるか、天を衝く山麓のいただきは未だ定かならず。湧水はつめたく苔むした石を滴り、密に生えた羊歯や、かがやく葉脈の原生の蘭や、這って伸びてゆく蔦や、つりがねの花、見事な枝ぶりの桑はみのりの季節に紅い実をこれでもかとつける。ひとはその葉をよく喰む蚕を育てて糸をとり、肌にもなめらかな光沢と、吸いつくようでいて、しかしけしてべたつかない布地を折った。絹とよばれるそれが高級品となり、高貴なるひとびとの肌を覆い、銀糸金糸にとりどりの錦を重ねて見事な意匠に仕立てられるのを、妖精たちは知っていた。もっとも、姿こそひとを模してはいるものの、ひとのように虫を育てて糸をとったり、家畜を育てて肉や乳やそれから毛皮などをとったり、森を切り拓いて地を均し、水を引いて穀物を育てるような生き方までも、模倣���ようとは思わない。かれらは群れ、集い、雨風を凌ぐための屋根をもとめ、ときに嵐に辟易し、荒れて幾度となく地図を書き換えた河川のうねりを恐れ、同じだけ感謝し、長く生きる妖精たちからみればあまりに、無意味に思えるような営みを続けている。潰れた家を直すだろう、流された家財をもとめて、わずかなのぞみに下るだろう、たとい取り戻したとして、また数年のさきには失われるか、それでなくとも人間そのものの命が尽きるのに。子どもを慈しむのはわかる。妖精ならぬかれらの、時のくびきから逃れられない短い生にあって、子どものほかに財産はないが、しかしその子どももまた、数十年のさきには潰えるのだ。
 妖精は性では殖えぬ。かれらは、生じたときに、あるいはおおきな霊力をもった大樹であったり、清廉のせせらぎであったり、どこぞなりから墜落して、きた、流星のたぐいであったり、さまざまの由来と縁をもってうまれてくるが、木に拠って生じたからといって、その姿が木そのものかといえばその限りではない。くらがりに眸をしずかに滾らせている風息もまた、木のそばで成った、ふるく力ある妖精であるが、黒くしなやかな、豹に似た生きものの姿を模していた。緩慢な所作で揺れる尾は長く、重たく、それでいてどこかこそばゆいやわらかさをはらんでいた。風息がそうしようと考えさえすれば、尾の重たい一閃ひとつで、土の幾らかは砕けたろうし、石礫ははじかれてほうぼうに飛び散ったのに違いない。かれの長い尾はけして、均整と、調律のために揺れているのではなく、また多くの獣たちがそうしたように、感情とともにあるのでも、なかった。寄せられた鼻はあたたかく濡れて、太く短い口吻のわずかにのぞく牙はするどいが、いまは食事や、あるいは闘いのためにひらかれたのでないことは明らかである。食事を終えて指をぬぐうとき、かぶりついた肉からあふれた汁に汚れた口元をなめるとき、かれは舌をぐるり動かし、うすい唇をなぞったものだった。それはあまりにも、獣の動作に過ぎたが、しかし風息も、ささやかな晩餐の同席者であり、かれの弟分たちであり、はらからである虚淮も、天虎も、もちろん、ほかでもない洛竹も、その所作に疑問を抱くことはなかったし、かれを咎めるわけもなかった。かれら妖精は森にあってうまれた。伝え聞くところによれば、悠久の、風雨を以て穿たれ形作られたという、天然の洞穴にあって生じる妖精や、細く、険しく、切りたった峡谷のはざまを抜けてゆく疾風の一陣、はたまた煮え立つ山の、いまにも噴火せんとする火口にあってうまれるものもあるという。遠くべつの場所にあって生まれても、同じく妖精であるからにははらからと、洛竹は思いたかったが、しかしあらゆる妖精たちが、思いを同じくするわけでないことは、たったこの数十年ですら痛いほど思い知らされた。多くのはらからたちが去っていった。森は失われ、霊気は散じ、おもいおもいに過ごした、まどろみのなかの百余年は、瞬く間に消えてしまった。人生は長い夢と、時のながれを果敢無んだ詩人のあったという。ときおり人間のなかにも、幸いなのかは定かならずとも、広く長い視野のあるものがあって、契機と運命の数奇があれば、仙にかわることもある。もっとも、多くの仙は、元が妖精であろうが、人であろうが、なべて偏屈で、厭世し、遷じて去ったものばかりである。隣人ではあるが友人ではなく、敵ではないが、しかし仲間というには憚られるものたちである。話をしたところでかれらの旗印のもとにくだるような生半な相手でないことは、語るまでもなく明瞭で、ある。いっそ、数に恃むばかりしか能のない人間より、よほど厄介な相手かもしれなかった。
 「風息。だいじょうぶ、だいじょうぶだよ……、哥哥。なあ。」
 かれが啼いているのじゃあないかと錯覚したのは気の迷いだろう。やわらかく掛けられた重さは遠慮がちで、文字通り組伏せた形ではあっても、洛竹のからだを、いたわっているのが判った。漆黒の毛並みは宵闇にあって、ぬばたまの色にひかっている。きれいだな、思って、右肩を押さえ、からだの上に圧し掛かるようにして鼻面を寄せてくる風息のわずかに逆立つ旋毛の毛並みを、唯一自由の利く左手でもって逆立てる。ぐ、食い込む重さの、前脚の足裏の肉球に傷ついたところはない。ふだんは人型を執って、しっくりと足のかたちになじむ沓を履き、けして急きすぎることなしに地を蹴っている風息なのだから、当然かもしれなかったが。本然にあって、しかし、かれは獣ではない。性をもってまぐわうことが、本性であるというのなら、妖精たるかれらにとって、それは生来にあるものではない。かれも、洛竹も、だれも、かれも。妖精たちは父を知らず母もまたない。大樹の洞やら、叉やら、そういったところから生じることがあったとしても、女のそれから生れ落ちる妖精など聞いたこともないからだ。ふう、ふう、と、吐きかけられる吐息は熱く、眸はますます情欲の色を濃くし、いまにも洛竹を恣にしようと、かれのなかで焔が滾っているのが判った。衣服を剥ぎ肌をあらため、唇を舐めて、細い頸筋に落ちる月光を貪るのなら、人型のままでいたほうが幾らか易かったはず、帯を解くにも、袂をくつろげるにも、獣の前脚はあまりに不向きだ。しかし、風息はどうしたってそうしなかった。少しだけ尖った、妖精らしい耳朶を舐め、為されるがままに脱力している洛竹の頸に、喉に、濡れた鼻を押しつける。ときにはべたりとねばつく舌が、顕わにされたふとい血管と、鎖骨から斜走する筋のあいだに、ぎちりと割り込みもする。かれがそうしようと試みたのなら、ただの一瞬牙を立てて、やわらかい皮膚を突き破ったのなら、忽ちに、洛竹が寝床と定めた虚も、夜明けの低い空のそれのように、朱殷にふかく濡れそぼつのに違いない。尤も、風息が己の喉を喰い破るなどとはゆめゆめおもわれないどころか、若しかれがそうするのであっても、いっそ構わないのではないかとさえ考える洛竹なのだったが。肌を暴かれること、肚を撫で、水を得た魚のするように、愛撫の手がからだの隅々を游ぎ、躍り、探ってゆくのにも、幾分慣れた。慣れてしまってはいけなかったのかもしれない、と思わないこともないが、しかし、吐息の熱いのを、寄せた鼻のさきで、やわらかく重なった唇のうえで混ぜながら、くらくらと酔っているのは、もはや風息だけとは言えなかった。だいじょうぶ。宥めるように、あやすように、言葉はあえかの吐息のあいまに、獣の黒く、うすい耳朶をうった、だろうか、遠くに葉擦れのざわめきが、鞘鳴りのように聞こえている。ほんとうは何もかもかれの言いなりになって、心も、からだも、感情も、思考も、すべて預けてしまいたいが、それは風息の望みでなかった。必要とあらば反駁し、ときにかれを諫め、過ちを判じて断ずる、良心のような役回りを、自身に求められているのだと気づくのにさほどの時間はかからなかった。旋毛から頸へ、毛並みを撫でおろすしぐさが心地よかったのか、あるいは面映ゆかったのか、刹那、手をとめ、舌をとめ、視線をとめた風息の、喉がちいさく鳴ったのを、洛竹は聞き逃さなかった。だいじょうぶだよ。兄さん。おれはだいじょうぶ。
 遠く西の国にあるという伝承では、風息の眸の色の鉱石は、果実を絞って造った酒で染められたという逸話のある、酔いを遠ざけるしろものであるという。たしかにかれが、正体をなくすほどへべれけに酔いつぶれるところなど見たことがなかったし、自制している部分もあるにしろ、酒精はかれに、かれの本然に、影響を来すはずはなかった。いつからふたりはこうして肌をなぞるようになっただろうか、少なくとも、酩酊のさなかに、じゃれあって互いを確かめたのではない。なぜってふたりは妖精なのだ。性は我々にとって、かたちを成すときに、ぼんやりと浮かんだ、根拠も意味もないものだ。妖精のなかには情欲に溺れ、肉慾をむさぼり、ひとの王朝のふかくへ潜り込んで寵愛を得ては国を傾けた伝承のあるものも、いるにはいるが、未だひとの肉を喰っているものたちのように、多くの場合、ふるく、過去の生きかたから別離れられないものたちだ。故郷を追われ、遠く茫洋たる大海の彷徨、こうして隠れ棲みながら暮らしている我々が、かれらとどれほど違っているのか、考えるまでもないことだが。肌を重ね、吐息をまじえ、風息の四肢を、情欲を、洛竹が受け容れるとき、妖精の本質から逸脱した行為を、しかし人間のそれと重ねるのを厭うているのか、かれはしばしば獣の姿で洛竹へ覆いかぶさったものだった。どちらでも構いやしないのに、ひとのそれでも、獣のそれでもない、妖精の眸が、爛々と耀いているさまは。ふたりはどうしようもなく正気で、酩酊はあまりに遠く、確かめたかたちは熱く灼けつくようだ、風息。兄さん。こんな夜伽のさなかでもなければ、もうかれを兄などと、呼べはしないだろう。もはや遠慮をなくした獣の重さは、霊力を使い切って指一本、腕のひとつも持ち上げるさえかなわない、あのときの泥のような疲労感に似ていると思ったが、はたして、自身の快楽のさきにある、堪えがたい脱力と混同していないとは、判じえなかった。
 五体は満足、いささかばかりか睡眠の、足りないくらいか。先ずは右の腕。左。それからぐるりと首をめぐらせて、つま先までを目視した。傍らで安息の寝息を立てている風息のゆたかな黒い毛並みが、規則的に上下しているのをたしかめる。すくなくとも自らの手足を見失うような不覚や混乱のさなかにはなく、寝付いたのはいったいいつ頃だっただろう、宵をすぎ、夜は更け、おそらく月が中天をゆきすぎたのちのこと。たしかに行為はあったし、朝を迎えてなお、隣にねむっているのは、ほかの誰でもない風息だった。ぎゅうと力を入れて、滞りなく指が、腕が、腹が、大腿が、意のままに操れることを探ってゆく。まぶたを伏せて十を数える。乱れる呼吸や心拍はみとめられない。深く息を吸って、肺腑のふくらみ、からだのそこかしこに、霊力の満ちているのを感じる。あまりにもお粗末で抜けの多い所作ではあるが、すくなくとも、自分という生きものの健在をひとつあきらかにする。物質世界の最小単位を原子とみるのか、はたまた量子とみるのかには論争もあろうが、いとなみの最小単位を、自分自身に置くことに違を唱えるものはないだろう。見えているもの、知っているものだけが世界のすべてではない。自分のまえでは淑やかで謙虚、感情のままに声を荒げることもなしに、ただほほえみの近似値にとじこめられている子どもたちが、はたして激昂をしらぬものとなぜ信じられよう。おそらく朝の早い虚淮はもう起きだしたころだろう。かれは物質霊というより霊気そのものに近いので、ほかの妖精たちよりも原始的なぶん、力があるが、それだけ欠けやすい。あれで寝穢いところのある天虎はまだねむっているだろうか、そうでなければ、きのうの獲物の残りを朝餉にすべく火に炙っているだろうか。風息はねむっている。かれが特別に、洛竹に甘えているとは、考えたことがなかった。属性で言えば同じく木、力の大小なら、圧倒的に風息のほうがうえだし、そもそも生じたのだって、かれのほうが幾分はやかった。もっとも、力の大きさや、生きている長さだけが、かれらの序列を定めたのではない。風息にその覚悟があり、かれに就き従うはらからたちに、意思があった。洛竹だって例外ではなく、いまはこの島でともに暮らしていない仲間たちだって同じことだ。風息がみている。みなければならない。うつくしくもはかない、失われた故郷を、まどろみの。睫毛がふるえて目ざめたなら、かれの眸にはもう、情欲の熱はないだろう。
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jitterbugs-lxh · 2 years
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遠雷
 不穏はとおくの霹靂にして、くらく、おもく、立ち込めた分厚い雲は西の空、いつか偏西風によって流されて嵐をもたらすことだろう。雨の音は嫌いではないけれど、大気のぴりぴりと張りつめるさまは、あまり良いものであるとは言い難かった。ひとのなかにもそういった、冷たく尖ってひりつくような、剣呑を放つものがあり、どこか近寄りがたく、身構えなければ相対するにも緊張を伴った。今では幾らか心を許し、のみならず術式や多くを学ぶ師父として無限を慕っている小黒ではあるが、はじめに抱いたかれへの印象といえば、つめたく張り詰め、よく研ぎ澄まされ、怜悧な薄氷のするどさ、かれが得意として自在に操ってみせる金属は、引き伸ばされて鋼鉄の糸にもなれば、撓む白刃の剣にもなる、そのものの危うさであった。もっとも、武芸に秀で、生半なことにはゆるがず、泰然と佇んでいるかにみえる無限は、あれで不得手の多いこと多いこと、かれの一側面しか知らないものたちからみれば、最強の執行人と綽名され、たしかに、多くの、長く、旧くからある妖精たちを差し置いて立っている無限の得体の知れなさや、人間のくせに、と揶揄されるのは理解できる。ただ、人間と妖精の狭間にあって、もはやどちらであるとも正確には言い難く、そのくせ立場や待遇にとくに頓着するようすのない無限のふるまいは、かれがもともと生来にもっている性格に因る部分が大きい。諦観や達観が、かれを押し上げたのではなかった。今となってはひとを離れた身ではあれども、いまだにかれは、ひとの営みを愛しているし、慈しんでいる。年若い妖精たちにとってははじめて親密に触れる人間になりがちな無限が、どれだけひとを離れても、完全にひとでなくなることが出来ないのもまた皮肉であった。
 「あんたは人間だろ! 人間は嫌いだ!」小黒だってはじめの島で、揺られる波間で、かれを思ったのだ、妖精でないもの、として、かれへ心無い言葉を投げつけもした。はじめこそ問答無用の力をふるい、すくなからず俊敏でやわらかい体躯でもって襲い掛かった小黒を事も無げに制してみせた無限が、ただ考えなしに、小黒のようやくみつけた安寧の地を脅かしたのでないことは、薄々感づかれつつあった。水面を滑っていた筏を軽々と飛翔させて嵐の海を抜け、本人にもまだ定かならぬ領界の術式を見定め、霊域に招いて手をかざし小黒のちからと属性を確かめたとき、はじめて無限がこちらを見たのが分かった。かつてであればいざ知らず、開墾と開拓、産業革命を経て劇的に進歩しいっそ疾走してゆく人間社会に棲み処を追われつつある妖精は、どんどん生まれにくくなっており、数もそれほど多くない。けして少なくもないが。それらの多くは妖精たちの一大組織である会館によって認識され、管理され、人間の為政者たちがそうしたように、戸籍を与えられるわけではないが、少なくとも書きつけられてはいるだろう。どのような名と姿で、術式と力をもち、おおまかにどのような暮らしを望んでいるのか。可能であるならばそれらの望みの暮らしを整える手はずを行うのが会館という組織の存在意義のひとつである。気に入らなければ出て行ってもよいと無限や、鳩老は言ったが、一度なりと会館に足を踏み入れたのなら、その名前と力とを、かれらに記録されるは必至である。けだし会館とは離別、あるいは対立の立場をとっていた風息やその仲間たちさえ、名前と力の多くを知られていたし、特別に危険分子として監視下にあった風息は、術の使用の残滓によって在所を探られるほどには、かれらに知られすぎていた。無限が小黒を会館へと同行させようとしていたのには、かれの保護、と同時に、あたらしい妖精である小黒の、力や姿を、会館の与り知るところにせんという意図があったとわかる。ひとに忘れ去られ、数世紀、あるいはその数倍の時間を、静謐と不文律のうちに、揺籃していた海洋のかなたの島を、楽園と呼んで果たして良いものか、いまとなっては分からない。たしかにあの島には、いまを生きている人間の手は、ひとつとしてなかった。かつて居たであろう人間の手になる祭壇の見事な細工や、なんらかの神性を偶像となした石柱の、あえなく崩落し、苔むした表面におどる木漏れ日の陰たち、長いときのまえに屈服し、語られる言葉もなければ継がれる意思もない。時は流れず、去らず、ただ佇むのみ。誰もがそうしていられたらよかったが、門は拓かれてしまったのだ、不躾で無遠慮な、いくさびとの沓音によって。それは不遜極まる執行人無限、ひとにしてひとならざる男の、研ぎ澄まされた横顔をもっていた。
 「小黒。小黒。腹が減ったろう。食事にしよう。ちょうど川がある。そうしないか。」
 「僕はまだ歩ける。お腹減ったのは師父でしょう」
 「そうだな。でも、そうしよう。動けなくなってからじゃあ用意もままならないから」
 「しかたがないなあ~」
 無限はことさらに小黒の機嫌をとるようなことはしない。もっとも小黒も、修行中の、才覚ある、未来への嘱望いちじるしい妖精の身分といえど、幼いことに違いはないので、自ら望んで選んだ師父とともに往く旅から旅への放浪暮らしとはいえ、さほど長く歩き続けられるわけもなし、疲れれば機嫌を損ね、腹が減ればぶすくれておおいに師の手を煩わせたものだったが。どうやら無限はそれすらも楽しんでいるようなきらいがある。ちなみに小黒の、無限に対するいっそ不敬にもみえる態度の気安さは、子弟関係になるまえ、風息を追って島を訪れ、ひとり取り残された小黒をかどわかして連れ歩いていたころからのならいであまり革められていない。無限を恐れる妖精たちは小黒の態度ひとつみるにつけ、なんと不遜なと目をしろくろさせたものだが、当の師範である無限がとりたてて気にもせず革めさせようともしないので口に出せずにいるのだった。あるいは、これは、小黒が、たったひとつ、あのかなしい黒いけものから、引き継いだものであるのかも分からなかった。むろん、風息のなかに、無限に対する敬意や思慕など、けしてなかったろう。旅をして隣でねむり、食事を楽しんだものの支払いに窮し、どうやったらそうなるのかと理解にくるしむが、とっておきの野鳥や川魚を、ただ焙るだけにしてもうまく調理しそこねるような、かれを、風息に限らず多くの妖精は知らない。執行人同士で、いわば同僚ともいえる若水や、鳩老、どうやら長い付き合いであるらしい哪吒などは、さすがに知っていたろうが。不肖の弟子たる小黒は、あれほどよく食べ、よく喫み、食にしたしむ無限の味覚に疑ぐるところこそないが、炊事のいっさいをまかせる気にはならない。これは自分自身のためでもあるのだ。
 「ふふ、ありがとう。さて、小黒、ご覧。薄くて、軽くて、さびない包丁だそうだ。このあいだ寄ったまちで買っておいた。やはり道具があるのとないのとでは違うだろう。おまえに任せてばかりというのもな」
 「無限。師父。気遣いはうれしいけど、あの……、うーん」
 自慢げに取り出されたナイフは白く、たしかにおどろくほどに軽くて、小黒のけして大きくないたなごころに十分な道具である。しかし口ぶりを鑑みれば、どうやら無限は本心から、弟子の手を煩わせずに、食事の用意が出来ると喜んでいるらしい。金属の歴史とは、すなわち戦乱の歴史でもある。火を熾し、洞穴を掘って窯をなし、蹈鞴を踏んで温度を上げて、汗みずくになりながら人は作った。手始めに鏡を、鐸を、それらははじめ、神を奉ずる儀式のためのしろものだった。青銅は鏃に、剣に、重たい盾に、鎧に。分厚く重く、纏うには難儀した金属は、たゆみない技術の研鑽と、認識と研究の結果、よりよく作り替えられていった。ひと晩風雨にさらされればたちまちに緑青の浮いていた鉄や銅が、いまでは混ざり合って合金の鋼、たやすく毀れる刃などもはや前時代だ。無限は、金属性をやどし、かつて皇帝直属の懐刀として、戦場にあって武人たちと剣を交え、ときには妖精たちすら退けてきた。金属の多くはひとの手によってなるものであり、妖精の多くが不得手としていたのも随分むかしのこと、文明そのものというには、鋼も鉄も、妖精たちになじみすぎた。新しいものへ帰順してゆくことを、厭うた妖精は少なくない。その筆頭がくだんの風息とかれを首魁とする者たちであろう。けれども、多くの妖精は、おおらかといえば聞こえはよいが、どこか厚顔のふてぶてしさをも持っている。人間は面白いものだ、とは、比較的若い妖精である若水の言葉であるが、数百年もの昔に、いまは遠く隠遁して暮らしている、妖精たちの事実上の頂点である老君すら、同じことを述べたのだ。生命の保存、種の保存、それらを置き去りにして、娯楽としての愉しみを見出すことが、なべて、知性の閃きであるとは、だれにも言えないだろう。しかし、妖精たちには、忘れ去られ消え去ることへの惧れ、さぞや美しからんみなもの月を、惜しむ執心がいかにも薄い。気楽だ、楽観的にすぎると声をあげたひとがいた。目論見は阻まれ、打ち砕かれ、しかし皮肉にも、遺された旧跡は、かれの名を与えられて龍游のまちにある。我々は愚かだろうか、滅びゆく一族であろうか、はたして? 小黒には分からない。ひととくらす妖精のあるように、妖精とくらすひともある。たしかなのはただそれだけで、いま小黒が片付けなければいけないのは、目の前の食事のしたくなのだ。
 「これはね、セラミックというやつで、師父、金属じゃないんだよ……」
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jitterbugs-lxh · 2 years
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永訣
 恙無く物事がすすんでいるとは、とてもではないがいえなかった。忌々しいことに、幾つかののっぴきならない事情が、時ならずしてかれらを蜂起させる。もはや背水、踏み躙られ圧し潰されて、きた、我々をおびやかして然るべきものは、時間のほかに赦されていいはずもなく、脅威はいつもぶきみに沈んでいる。風息をはじめとした妖精たちが、ゆたかにみたされた森から、湧水から、木洩れ日の揺れている土と苔のはざまから生じ、興ったとき、あんなにもにぎやかだった世界は、いまや声をあげることもなく黙りこくっていた。沈黙はけして、静寂と同義ではない。意図してつぐまれる口々、語るべきことばと、囁かれるべき歓喜と、あえかに萌す、わらい、それらが遠くなったのなら、生きているものが去っていったゆえに違いないのだ。けれども、もはや誰も耳を欹てようとはするまい、不穏な静寂を、ざらり肌を撫でる不協和を、見逃して気にも留めない鈍感さに溺れてしまったいまでは。
 ふるさとを離れどれだけの時が経ったのかさだかではない。風息は力ある妖精であったが、けして最長老ではなく、長く留まるものからすれば、かれの怒りや憤りなど、あるいは青く見えたものかも分からなかった。人間に善などなく、悪もまたない。もはや人間のために割くべき時間も、配るべき心も尽きた。そう易々と乱すものではない、心も、からだも、その征服者である自分のみに馭され、赦されるべきだった。叛乱なぞという、大それた物事をやってのけるには、どうしたって、なにもかも、足りていない。それでも、もう、堪え忍ぶにあまりある、看過するには大きすぎる、痛みを十分に味わい尽くした。声を翳らせ、わずかに眉を寄せて、物言いたげに、さりとて何も口にできずに頷いた洛竹にだって、分かっているはず。風息を筆頭に、かれの望みと、願いとに賛同し、手を貸すことを決めた妖精たちの多くは、すでに会館から監視がつけられた身ではあるが、主宰と目される風息ですら、その能力のすべて、つまびらかにされたわけではなかった。風息のそばにどの妖精があって、なんのわざを持っているのか、調べようと思えばいつだって、いくらだって調べられるはずの会館がそれらを怠っていたことは、規範に従わないとはいえ、たしかに同胞である風息たちへのさいごの譲歩であったのかもわからない。いまとなっては執行人たちのあいだで、重たい後悔となってのしかかっているだろう。もっとも、かれらのそういった見通しの甘さや判断の不確かさこそ、風息を憤らせた最大のひとつであり、相容れない、縮図を塗り替えるほかにないと蜂起させた部分であるので当然のことかもしれなかった。
 もしも、もう少しだけでも、会館のものたちに危機を知る気概のあったなら。不穏に、まどろみに揺蕩っているうちに、おさなごの眠りを妨げることなしに忍び寄ってくる脅威についてを考える能のあったなら、こうして風息が顕ちあがる必要もなかっただろうに。かれらの、この場合は人間でありながらにして会館の執行人として所属する無限をも含めてだが、かれらはいつも、脅威が、声高に叫びながら、銅鑼を打ち鳴らし、鬨の声をあげ、ほら貝を吹いて、軍靴の行進もさながらに、やってくるとでも信じているかのようだった。実際のところ、それは全く正しくない。もしも、そんなふうに、先ぶれを伴っておとずれる訪客しか迎えたことがないのなら、そのひとの家はよほど安全で、世界からも、時代からも、切り離された桃源郷、あるいはそれに類するものに違いない。風息は妖精だから、この喩えは正確ではないけれども、母親の温かい腕の中からしか世界を見たことのない赤子の妄想のようなもの。おまえたちを育みそだてたのは何だ? 日の光など知りもしないもぐらや、みみずか、ふゆごもりから目覚めたばかりで戸惑っている穴蔵の甲虫のたぐいでもあるまいし。目を閉じて耳を塞ぐ、それだけが賢明な生きかたというなら、死んでいるのとおなじこと。血は立ったまま眠っている。血は、立ったまま、眠っている!
 領界、なる術については、伝え聞くばかりで不明瞭な部分が多かった。あとにも先にも術者はかぞえるばかり、修行によって得るというより、霊域そのものの属性に恃むところの大きい種類の術であって、こればかりは本人の意思ではどうにもならない。この世にも稀なる才能を有した妖精がうまれたと知ったのは偶然に過ぎなかったが、かの力があれば祈りはかなうと探し求めていたものである。旧くおおきな力である。かつては満ちあふれていた霊力がこれほど薄くなった現代にあってうまれたのなら、これは風息たちにとって、福音というほかなかった。会館と人間たちの目を逃れて海洋のかなた、忘れさられた島にあって暮らしながら、待ち望んできた兆しである。たずねていった領界のもちぬしは、驚くべきことにちいさな黒猫のなりをした、こどもにすぎなかった。生まれて幾年もたたないのだから不思議ではないのだが、しかし力のおおきさと、かれらの期待を考えればあまりに幼い。小黒と名乗った黒猫を遠洋の孤島へつれかえった風息に、どうして黒猫を拾ったんだ? と首を傾げた洛竹の反応はけしておかしくなかった。不慣れだという変化の術でひとの仔のすがたを模してなお、小黒はこどもだった。変化術はたいていの妖精がもっているいちばん易しい術であり、仲間をほとんど知らないという小黒も、だれに習うともなく知っていたが、故郷の森を追われ、路地裏に暮らすには、不要の術であったろう。黒猫の特徴である、やわらかく揺れる尾や、ふかふかとした耳などは、化けられることなくそのままで、かわいいなあと頬を寄せた洛竹は小黒にうっとうしそうに払われていたが。かれもまた、人間によって追われ、拠無くさまよっていた妖精であることは、一種の宿命のように、思われてならなかった。風息もまた漆黒の、豹に似たすがたをもつ妖精である。しなやかにうごく体躯は、ほっそりと姿のよい印象を、はなち、ささやかな矜持と、哀悼とが、かれの、明け方の雲を縁どり、夢のようにけぶった紫の眸のうちで、ラブラド・レッセンスもかくやの耀やきを、はなっている。似ているところを探せば探すほど、違うところが際立って目立ってゆくことに、かれらはあえて見て見ぬふりをした。小黒は風息ではない。これまでも、これからも、きっと。無限による急襲のために引き離され、長くそばになかっただけが、訣別の理由ではなかった。
 悲鳴ひとつあげられず、まぶたひとつ伏せられずに、小黒がゆっくりと、力と色を奪われて頽れたとき、もはやかれは同胞ではなかった。会館が見て見ぬふりをしてきた妖精の未来とおなじく、小黒の未来もまた、ゆるやかに閉じたのだ。そうしたのはほかでもない風息だった。妖精を傷つけない、人間を憎みはしても、殺しはしない。そのような不文律は、自らに課した枷でもなければ誓いでもなかったが、すでに破られてしまった。それでも、胸の裡にわずかに萌すいたみがある。おいで。力を貸してくれ。おまえが支配者だ。限られた時間しかなかったし、そもそも風息も、言葉はけしてうまくない。だからこそ、説得させてくれと懇願する洛竹の声があったし、傀儡にして操ってでも術をつかわせるべきでは、との、阿赫の言もあった。おそらく、どこかで、このちいさな、ものの道理をすっかり承知したとはとても言えない小黒を、支配者として君臨させることへの忌避があった。もし小黒が無限とともになくて、肩をならべてかれらと数年を暮らし、いざ反旗をひるがえしていたのだとしても、領界をつかっていたのは、なおも風息だったかもわからない。
 こどもだった、どうしようもなく。小黒の聞き分けのなさへのいら立ちは、そのままかつての自分への戒めであって、ちいさな子どもを切り捨てた事実が、ちくりとつめたく、罪悪感の種を胸のうちへもたらし、かれの内側からいつだって囁きかけ、かすかに、ゆらぎ、くすぶり、ただ本能のままに燃え滾っていた怒りが、このときばかりはなりをひそめた。あるいは、この身のうちで燃え燻り、猛く、烈しく、冀求してやまぬ声たちは、いまや万雷! 喝采! はたしてこれが、どれだけ、シュプレヒコールと違っているというのだろう。愛はたやすく裏返るものだ。愛憎は紙一重、コインの裏と表、ねがわくば返らないでほしいけれど、タネも仕掛けもあるイカサマは、ここで使うべきものではなかった。哀切なるはたしかなれども、明瞭なことばとしては伝わらない、うすぬのの向こうの人影のような、甘く燻らせた、紫煙や、もっと、からだをくらくらと酩酊させ、耽溺させるような、くぐもってきこえてくる願いなど豈図らんや、糺したことのすべてに応えがあるとは思ってやしない。無知を知ること、おのれの愚かさを認め、嘆くでもなければ、恥じ入るでもなしに粛々と坐しているうちは、いかなる叡智にも手は届くまい。ただ知らぬ、そのひとつを認めたところで、贖罪にもならなければ、禊ぎにもなりえない。高潔に生きるだけが道のりではなく、懦弱なる心にも、赦しは必要だろう。今となってはぬかづき祈る神さえもたないが、いくらかの慰めにはなろうかと、縋る手をふりはらえるほど、强くも、よわくも、なかった。
 眼下に広がる街のあかりは眠らない。つかの間のやすらぎにさえ瞼を閉じることはない、惧れをわすれた厚顔さには、眸をくらく翳らせてあきれるほかにない。我々はすでに、多かれ少なかれ、耳を傾けてしまった。風息の手には、いま、こどもをころして得た力がある。ぐったりと項垂れた小黒にはまだ息があったが、それも時のままに失われるだろう。森のなかにあっては耳にやさしく心地よかった霊気の、鈴を鳴らすようなざわめきが、かれらの所在を会館が嗅ぎ付けたことを物語っていた。おそらく数刻を待たずにやってくるだろう執行人たち、最強と謳われる無限はひとにしてもはやひとに非ず。おまえの胸にもあるいは種が蒔かれただろうか、萌芽は近い。果たして、その枝は、どちらの胸を貫くだろうか。
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jitterbugs-lxh · 2 years
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午餐
 そりゃあ無限はひとでも妖精でも犬猫の仔でも、よくもまあそんなに、と呆れるほどにいろんなものを拾っては来るのだけれども、その実、誰かを弟子にと考えることはこの数百年のあいだにあって一度、二度があったか否かは無限自身のほかには誰も知らないようなありさま、もとより気の多い、男である。面倒見がよいのだと周囲はかれを評したが、なんのことはない、ただ気の多いだけの男であるのだ。ほかの誰が知らなくとも、無限、その400年にも及ぶ歳月の、人生の、ながくを、人づてにとはいえ知っている潘靖からすればなんの不思議もない、ただの事実に過ぎなかった。無限の多くを知っていると、傲りたかぶる気持ちは毛頭ない。そもそもかれは間違いなく人間であって、妖精にあらじ、人間の本然をとうの昔に行きすぎて、今では神仙のたぐいに連なる身ではあれども、しかし本質のところでやはり人間にすぎない。人間のくせに、とかれを野次る心無い言葉が幾筋もの矢となって光陰の如し、降り注いでも、まるで春をもたらすそよ風の如くに受け流しているふてぶてしさがまた、かれを目の敵にする妖精たちの反発を招くのだが、それすらどこ吹く風の無限には、その名の通りの深遠があるものと、信じるものも少���くなかった。業突く張りであることと、質朴に、つましく暮らすこと、はたしてどちらも、神仙たるに求められた性質であるとは言いがたかった。無限を慕う年若く好奇心旺盛な妖精である若水あたりに言わせればまた違うのやもしれないが、あれであの子が無限に対して抱いているのは単純な思慕のみにあらず、どこか無味乾燥の、怜悧で慈悲のない目線でもあるから定かではない。
 無限は会館に家を持たないが、しかし執行人として任を帯びているので、ゆくえを杳として眩ませることはない。大局を見据えているのだといえば聞こえは良いが、どこか頓着しないところがあって抜けているので、短期的に連絡がつきにくくなることはしばしばあるが。いつしか最強などと渾名され、そのくせ本人は「雑用係だ」なぞ、嘯いてはいるものの、かれこれ400年もの歳月を、隠居しそびれて生きている。後ろ手に組んだ腕はゆるやかで、緊張したところなどないように思わせ、あくまでもゆるやかに、泰然と佇んでいるかれに、その実、隙というものはない。幾度となく無限に、刺客たる、体制と、支配とに、抗うものたちが訪れたが、その悉くは討ち果たされてきた。あくまでも無限が一個人としてあったなら、それらを捕縛し、会館なりの、律令に基づいた刑罰を与えるのは難しかっただろうが、かれは執行人である。私闘も、私刑も、それぞれが遠くにあって、さしたる交流もなしに生きていたかつてであれば良かった。拳を合わせ剣を交えて語られるものは多くはないが、けして少なくもない。友情と呼べるだろうか、果たして? 幾度となく打ち合わされた剣の、はがね、天高く衝くような高い音は、しかしけして軽いものではありえない。濡れている、なにに? それが涙であるのなら。雨は絶え間なく降っている。
 「無限さま」「無限さまよ」「無限か……」妖精たちが口々に呼んだ名の、温度と湿度はそれぞれに、かれを慕うもののあればこそ、かれを疎むものもある。ここ龍游の妖精会館においては、館長であり、無限とは旧知の仲でもある潘靖がそれを許さないので表立って噂するような口さがないものは少ないが、しかし世界はたいそう広い。400年が、ひとにとってどれだけの長さであるのか、想像してみたことがないといえば嘘になる。子を為し、知恵を継ぎ、わざをみがき、相伝し、ことばと文字と、記録と記憶、ひとの命は妖精にくらぶればあまりにも短い。しかし、想像してみることと、そのなかにあって暮らすこと、それそのものを生きることとのあいだには、おそろしく隔てられたものがあるのも確かだ。どれほど寄り添って生きようと心をくだいても、けして分かり合えない、手を取り合えない部分はある。潘靖はけして人間を好いているとは言わないが、しかし与えられた館長の任を全うするに、個人の情はまた別に据えておかねばなるまい。
 「無限さま! 小黒!」
 「若水!」
 ぱたぱたと軽い足取りで回廊を駆けてゆくのは先述の若水、かのじょもまた、おさない姿でありながら執行人として名を連ねるひとりである。執行人に撰ばれるにはいろいろの手順と審査とがあるが、かのじょの場合は、無限による推薦の後押しが決め手のひとつであったこと、たがえるつもりはない。若水もまた、一度は無限にひろわれた妖精である。龍游の会館に属する妖精、数にして500のうち、多かれ少なかれ、無限とかかわりのないものはほぼないと言ってよかった。好意にしろ、嫌悪にしろ。その意味では無限のほうがよほどこの会館の顔であり、長にふさわしい部分も多かれど、けして無限は首を縦には振らないだろう。放浪が性に合っているんだと、かれは言う。無限の持ち物は、もう、そう多くはない。友人、血縁、うつくしく織られ、銀糸の針を刺された礼装、つらねられた宝玉、ときの皇帝から賜ったであろう宝剣や、ゆたかに波打つ藍鼠の髪を括る紐の、みごとな組案、それらは、なべて、かれのうちの、霊域におさめられた、ふるい家のなかでねむっている。執行人のなかには、自らの広い霊域をうまく収納として利用して、あれこれの道具を便利に持ち運ぶものもあったが、無限にとってはそうではなかった。いまとなっては、100年ぶりにかれの弟子となって、すくすくと日々を成長している小黒を、その特質と性格とを、調べるためであったとはいえ、霊域へ入れたと聞いたときには驚いた。無限のつよい霊力と、霊域は、かれをああして生き永らえさせ、ひとと断絶し、かれに孤独を余儀なくされたものであって、無限のもっとも、ひとならざる部分である。そうして同じだけ、どうしようもなく無限を、人間足らしめているのもまた、霊域のなかにあるのだ。
 「戻っていたのか。皆は息災?」
 「はい! きっと皆よろこびます! 無限さま、あとでお時間ありますか? ありますよね? 小黒も一緒にごはん、たべられるよね?」
 「そう色々まくし立てるものではないよ、若水。小猫が目をしろくろさせているじゃあないか」
 「だって、キュウ爺!」
 若水のそばで頬をゆるめたのは鳩老とよばれる妖精のひとりで、所作や口調こそ穏やかながらも、立派にひとかどの執行人であるそのひとは、けして前に出て戦うたちの妖精ではないながらも、じゅうぶんに長く���きて、じゅうぶんな力を蓄えた妖精であって、ときおり無限とどちらが優れているのかと引き合いに出されているものの、たいてい呵々とわらって受け流しているくせ者でもある。武にあって優れることが、妖精としての力の大きさを示すのでないことは、明らかであるが、しかし、やはり大きく世界が変わろうとしているとき、変えようと、誰かが考えて行動するとき、力のあるなしが、先立ってしまうのはむなしいことだ。龍游はいま、ひとつの大きなかなしみから、なんとか立ち上がらんとするさなかにあって、変革はいつだって痛みと犠牲とを伴うのだとは、教えたくはなかった。かなしみはいまも滞っている。きっと、名前も思い出せなくなって、それでも本当の意味で消え去るはずは、ない、思い出はいつしか薄れるだろう、傷がいつか癒えるように。けれどもここにいたひとが、ここで泣いていたひとが、いたことは。
 「えっと、えと、えと……、ぼく?」
 「そうだよ! 小黒! 外で無限さまと色々食べてるだろうけど、館にもおいしいものいっぱいあるんだから!」
 「若水のおもう小黒はずいぶん食いしんぼうのようだな」
 「えっ、いや、そうじゃなくって、……えっと、ちがくはないけど……」
 館のなかを案内する約束もまだ果たせていない。実際のところでいえば、若水も、小黒も、お互いのことをほとんど知らないといってよかった。ほとんど知らない相手のことをどう考えるのか、どう感じるのか、年若いかれらには、そう易々と決断できるものではない。かといって、無意識に、年長者たるおとなたちが、その手を取って差ししめし、従わせるのもただしくはないのだ。
 「……ぼく? ぼくも、一緒?」
 「小黒がいやじゃなかったら、だけど」
 「いやじゃ、ないよ! いやじゃない!」
 「そう、よかったあ。あ、あのね、わたし達、まだ、お仕事があって……すぐじゃないけど、いい? 待っていられる?」
 くすりと笑ったのは無限だろうか、それとも? もじもじと下を向いていた小黒が、ふくふくとした顔をあげてほがらかにぱあと笑うのを、ほほえましく思うのは、我々が長じたからなのか。おとなたちに混ざって懸命に働いている若水を、しかしわかさゆえに特別視しないでほしいと言ったのは鳩老だった。もっとも、若水にしろ、小黒にしろ、いたらないところはある。判断であったり、深謀遠慮のめぐりであったり、単純に体力の問題であったり、堪え性の部分であったりした。かれらの手足は短くて、当然ながら、長時間、長距離を歩き続けるのには不向きだ。疲れれば機嫌を損ねてぐずりたくもなり、腹がくちくなれば眠たくなって甘えたくもなるだろう。それでも、若水はチームを組む鳩老たちのおまけではなく、小黒にしたっておなじだ。小黒を知らない妖精たちには、まだ、あの無限の弟子、でしかないかもしれないが。どれだけのひとが、妖精が、かれを知っているだろう? 無限に関していうならば、ほとんど知らない部分はないといって憚らないかもしれないが、しかし、さりとても、すべてではない。かれは誤解されがちで、そのくせ誤解されている自身に頓着しないのが厄介だ。捨て鉢になっているかといえばその限りではなく、伝承に語られる太公望のように、鈎のない針をおとして釣りに興じることもない。無限が糸を垂らすならそれは腹を満たすためで、かれほどひとらしくあった人間がほかにあったろうか! どれほど隔てられ、ひとの営みをはなれたところで、あまりにも。
 「大丈夫、若水。さきほどたらふく食べてきたばかりなんだ。きみたちが戻るまで、腹ごなしに私と修行でもするさ」
 「師父! どうしてそういうこというの!」
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jitterbugs-lxh · 2 years
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逢瀬
 必要なものはいつも、清潔に保たれ、ていねいに折りたたまれて重ねられたあたらしい寝具のように、何気なく用意されていた。おなかがすけば蒸した芋や、ふっくらと炊きあげられた米や果物が、のどが乾けば素焼きの椀にいっぱいの水が、といった具合に。はじめはひとつひとつが新鮮であり、驚きに満ちていた。しかし生きてゆくうちに、ひとは、慣れる、ものだ、あくまでも順応であって、けして麻痺や疲弊で、あっては、ならない、しなやかさを失えばどんなものも忽ち砕ける。これはなにも、なべて物質ばかりに限った理屈ではない。萎縮し、やわらかくほほえむこともなしに、昏い視線を落とし頰を翳らせているうちは、誰しもが靱性を失った、いまにも砕けるばかりの、渇きひび割れた精神を癒し休めることもなしに、未来への展望も、冀求もなしに、ただその日を生き暮らすだけであるうちには。雖もいつかは、だれでも、なにものでも、朽ち果てる日がやってくるのかもわからなかったが、いまの時分のかれらにとっては、滅びの日など遠く、思いもよらぬ場所に隔てられて存在したもので、あった。もはや滅びなど来ないものと、けして齎されないものと、確信に至るほど能天気には生きられはすまいが、しかし、かといって、すぐ真横に、平然とした顔で佇んでいるなんて考えたこともなかった。それらの不穏は、さかしまの世界だ、ぐるりひっくり返して、あるいは捩じって、近いようでたいへん遠いところで、こちらを窺っている、凝っと息をひそめて。洛竹はけして楽天家ではなかったし、頑なに割り切った現実主義の持ち��わせもなかったけれど、少なくとも隣で、かれの数歩前で、剣呑に逆毛をうずまかせている風息を、いったい何年見てきたというのだろう。徹底的な合理主義者は、往々にして夢想家でもある。夢想をひとつひとつ手にとり、矯めつ眇めつ、たしかめてゆくうちに、ものごとの真理、真相というものを、知らずに解してゆくものなのだ。神をもっとも信仰するゆえに、神の不在にだれよりも早く気付く科学者たちの嘆きがわかるか? かれらは自らにして、信じたものの反証を立ててゆく。いったい何が真実で、何が偽りであるのか、手のひらにあるものが、あると信じたものが、誰によって認知され観測されうるのか。
 人里、ふるさと、それからいとなみの密に乱立した、雨後の筍もかくやの都会の高層建築たち、かつては妖精たちにとっても楽園であった土地を離れ海上を征くことしばし、打ち捨てられた孤島をひとときの塒とさだめて幾らの日々があっただろう。必要があれば霊道をもちいて陸のふかくへ赴くこともあったが、日常の多くは島のほとんどを覆い隠す森に完結していた。洛竹の思うところによれば、大きく人間への忌避や、嫌悪の感情はなかった。はっきりと訊ねたことはなかったけれども、おそらく天虎や虚淮にも、なかったように思う。では、かれら、同じく島で暮らすはらからのうちで風息だけがひとりきり、胸に焔を燻らせていたのかといえばその限りでもないだろう。たぶん、おそらく、きっと。だれも、憎しみや悲しみに突き動かされて生きていたのではない。あまねく物事が恩讐のかなたに、寝ても醒めても、うつつもゆめも、灰色に塗りつぶされてしまっていたなら、疾うのむかしに、我々は去っていた。それでも離れがたかったのは、単純な愛憎の果てにのみ、世界を睥睨するのが、けして許されなかったからだ。かつて風息は神であった。かれがそうあらんとして顕ったのではなく、かれに神たるを祈り願ったのは外ならぬ人間であったが、それでも風息は、かれの生きた時間から鑑みればほんのひとときであったにせよ、たしかに神であった時代があった。ひとが変わり、時代は移ろい、ひとびとは信仰をはなれ、未知なるもの、不可思議なるものの多くは解明され解剖されて詳らかになったが、それと、神がうしなわれることとは同義ではない。かれはうしなわれるべくして、神の座を辞した。豊穣を、整えられた治水を、祝福を齎すだけの神ではなしに、ときに怒り、ときに荒れ、成敗される悪神としての横顔をも持ちあわせた、うつくしくも果敢ない、剛毅でありながらにして繊細の。力なくうな垂れて、うつくしくにごった世界の、あわいの光、あるいは闇、天に限らずあまねく満ちたそれは、本来であればひとつに収束されてくっきりと重たく輪郭を像となすであろうひとの影すら曖昧に散らし、日を背に負ってあるくひとの、足元に滞るべき半身すらあえか。うつむき伏せた睫毛と、ひそめたために肺腑の奥底まで届くことのない呼吸、伸ばした腕は空を切り、ねがいはついぞ、届かぬものと。
 目深にかむった布切れがどれだけ人相を隠しえたのかは定かではない。のぞく喉元、隠しきれないゆたかな髪を背なに揺らし、冷静沈着のさまを装いながら、どこか怯えたように彷徨う視線は何をもとめていたのだろう、かつて、いまよりうんと力の弱くて、からだも小さく、頼りない妖精だった洛竹のおさない記憶のなかでは、いま少しばかり、潑剌としたわかさのような、浚われたばかりの水底の砂金のような、どこかよるべないこどものさみしさを持ったひとであったかのように、思う。いまとなってはどうだろう、風息はなにか変わっただろうか? なにもかもが変わってしまったし、なにひとつ変わっていないともいえる。洛竹はずいぶんと力をつけたが、それでもかれや、仲間たちには到底及ばない。力や、わざ、術の冴え、そういったものが、妖精のすべてとは思わないが、不甲斐なさと役者の不足に、いくらか急く気持ちがないとは言い難かった。たしかに、及ばずながらも出来ることはかつてよりは随分ふえた。ただ、どうしたって、同じ木属性を司っている以上、風息と洛竹は、その実力の差異がおおきく際立つのもまた事実ではある。くらぶるべくもない、と理解はしていても、目にものみえてあきらかだ。もし、洛竹のほうがさきに、霊の凝ったところから生じていたとして、かれは神には成りえなかっただろう。口惜しくあるべきだろうか? 急く心はたしかにあれども、しかしそれは、洛竹にもとめられた本分でないことも、重々承知のうえであった。闘いをのぞむものは多くはない。相手が人間であるにしろ、袂を分かち、いまではしずかな断絶の大河を境に彼岸と此岸、隔てられた妖精たちであるにしろ、秩序と、戒律を以て、妖精の本然を捻じ曲げようとする体制そのものであるにしろ。
 いっそ鋼鉄のそれのように鋭く、硬く縒りあげられた、風息の、もとは木であった剣は、それは見事なものであった。単純に気を巡らせて、成長を促し、枝を茂らせ蔓をしならせるだけが、かれらのつかう術ではなかった。特性を大きく補い強化して、精製された鋼鉄そのものと打ち合ってすら互角に渡り合えるだけの靭性と剛性を与えるのが、すばらしい術の冴え、その神髄であるべきなのだ。風息は見事に、木属性の力の扱いを、その領域まで昇華していた。すなおに感嘆するばかりだが、かれと同じようには力はふるえない。まったく同じ力はふたりと要らないのだ、とほほ笑んだのは風息である。かれの力はたしかに強いが、どこか繊細さや柔軟さに欠けるところがあって、たとえばすばやく、正確に、たった一点を穿つような使い方には不向きであったし、しなやかに跳ね、うねり、瞬時に編み上げられて足場の援けになるような蔦などの扱いは、洛竹のほうに軍配が上がる。鍛錬の一環としてでも、手合わせをし、虚淮や、天虎も、互いが互いに、力を顕示しあうことは滅多にない。力はうしなわれたとしても戻る。ただし時が必要だ。特に、氷という物質、そうして、ものが凍結する、という現象そのものを源とする虚淮は独特で、かたちを保つだけでも日々力をつかわなければならない。よって、虚淮はいとまさえ許せばたいていの時間を気を蒐めるのに費やしており、あまり燃費のよいとはいえないからだなのである。ひとの街に赴いて情報収集や必要なものを調達してくるのに、これほど不利な妖精もなかった。だいいち虚淮は変化でひとの姿を真似たとて頑なに角を隠すつもりはなく、いささか目立ちすぎる風貌なので、そういった偵察や、ふだんからひとの街にあって潜みながら、妖精会館に阿ることなく探偵を担っている阿赫や叶子との連絡役は、風息の手が離せないときには洛竹にまわってくるのが常である。
 洛竹の手になるは唐菖蒲の咲き誇る、グラジオラス、剣百合の異名をとった特徴的な葉のかたちとは似ても似つかぬ豪奢でありながら、ひらめく花弁の色彩は鮮血を思わせる赤銅である。風息の振るう剣の剛性に相対するのには、あまりに脆弱にすぎるように、おもわれて、ならない、が、洛竹はあくまでも気負ったところなく、だらりの腕に花を提げていた。石畳を踏んで舞う踊り子の、足さばき、裾さばき、翻る袖のあざやかさを思わせるそれは、武を以て他を制し、地を均し平らげるのに、これほど不向きなものもなかっただろう。けれども頑なに、洛竹はそれでいいのだと、まわりは口をそろえた。地を踏み鳴らし、摺り足の足運び、武芸のそれというよりは、舞踏のそれもかくやの動きを、丹念に、ていねいに、繰り返す。打ち合えばひとたまりもない剣の花は、相手もなしに散りはしない。ああ、ハバネラ、寄る辺ない踊り子の女、恋はまったくままならない。ひとさしを舞い終えて上がった息を整えるあいだ、大樹に背なを預けた風息がひとことも口をきかないのがどうにも気には、なった。
 肌をあわせるようになってどれくらいの歳月があったろう、つとめて思い出そうと試みることもないが、一体どうして、たどたどしさがどこか抜けないのは、かれらにとって日常のうちに溶けきっていないからなのかもしれなかった。切っ掛けはどこにあり、なにがふたりを、こうして夜のうちに閉じ込めたのかもおぼろげである。鍛錬や、食事や、そのほかの所作のように、日々の暮らしむきのなかに当たり前に存在しているものごとでもない。漆黒の毛並みを撫でる月のひかりはしずかに冷たく、さりとてもかれらの身体には独特の火照りが満ちていた。風息も、もちろん洛竹も、多くの妖精たちがそうしたように、ひとを模したかたちに変化することができる。生じたばかりのおさない妖精たちのように、力や、みずからのかたちが定まらないものとは違って、かれらはすでに数百年の生をもち、数千数万の夜と午とをすでに知った身の上である。ましてや風息は、稀なる力もつ、勁い妖精で、ある、黒くしなやかな獣のなりを本然とするとは雖も、ひとの姿に顕現して、尾のひとつ、耳朶のひとつを隠し切れない未熟さなどかれにはありうべからぬことだった。そのくせ、こうして夜伽の熱に浮かされて、眸を慾に、濡らして揺れるさなかには、こうして獣のすがたをとることを好んでいるようだった。その名のとおりに風のごとく疾駆するさまからはあまり想像つかないが、かれのからだは幾分重たいのだ。ひとのかたちであるときに、こうして洛竹に覆いかぶさってくることはまずないので、はたしてあちらのすがたであってもこれほどに重たいのか、推察しても証明はない。やさしく圧しかかり、貌を寄せる風息の、ひくく唸るたびに震える喉がよくみえる。噛みついたところでかれには寸分の痛みもないのだろうが、こうしてあまりに無防備にさらすのも如何なものかと思えてならない。わずかに鎖骨の覗いた襟元に鼻面をおしつけて何やら探りたしかめているらしい所作は、どうにもこそばゆくて辛抱ならないのだが。だいたい、獣の前脚では、洛竹の袂をくつろげるのも、肌を曝しあばらをなぞり、腰を撫でて慰め、馴らすにも不向きだろうに。
 「風息、待て」
 「……いやか」
 「違う、脱ぐから」
 めずらしいことだ、風息と閨をともにするようになって幾度の夜をすぎたかも覚えがないが、たいていの場合はかれのしたいようにさせている洛竹が、こうして言葉で制するのは。なにも、力の差や、単純な、思慕や恭順をしめすために、かれに組み敷かれていたのではない。おそれのゆえに風息に、追き従ってきたのなら、おそらくすでに去っていたのに違いない。愛撫を受けること、種の保存のためにまぐわいを必要としない妖精たちにとっては、肌をあわせ吐息をかさねることにさしたる意味はない。かれを拒む理由はなく、しかし、おなじだけ受け容れる理由もない。不器用な獣の前肢でもたもたと手間取っているのにしびれを切らす理由も、ないはずだった。短く告げられた言葉に思い至ったのか、どこか恥じらう素振りをみせながらのそりと大きな四肢を退かせた風息は、いつまでも慣れないしぐさである。もっとも、時がすぎて、互いの熱に浮かされたのちは、さすがにそうも躊躇ってはいないけれども。大きな体躯が退いたので、告げたとおりにてきぱきと衣服を落としてゆくと、さすがに夜気は肌に堪える、距離をとって洛竹が脱ぎきるのを待っているらしい風息は、ゆたかな毛皮に守られてそんな気配ひとつみせないのがどうにも腹立たしくなって、じとりと視線だけで睨めつけ、せめて幾らか熱を分けろとそばへ寄らせた。しぶしぶといった体で獣はからだを寄せはしたが、機嫌を損ねたか否かは、ただでさえ重たく長い毛並みが半分を覆い隠した顔貌の、表情からはうかがい知れなかった。
 「おまえは俺をなんだと思っているんだ」
 「それはこっちのせりふ。いいだろ、このからだは脱いだら寒いんだ。少しくらいあっためろよ」
 「成る程。こういう、こと、か?」
 納得したかにおもえた獣が、身をかがめて帯をゆるめ、紐を解いて衣服を落とす洛竹の所作をとどめて、俯いたあごのしたへ鼻面をくぐらせてぐいと持ち上げたので、なんだよじゃれつくな、と振り払おうとして、仰向かせられたあごに口づけの吐息が熱い。べろり、と容赦も遠慮もなしにねじ込まれる舌は獣のざらつき、口唇をなぞり、歯列をねぶり、いっそ執拗に舌をからませて漸く離れた風息の貌がずいぶん得意げなので、その太い頸に腕をまわしてぎゅうとしめつけてやったが、はたからみればただ獣に抱きついたのにすぎなかっただろう。こうした、短い、じゃれあいの延長に、肉慾をともなう触れあいをゆるしているのだ、とは思いたくなかった。かれにとって特別なのだ、とも、己惚れることのないようにしなければならない。吐息は熱かったろう、すっかり肌を露わにした洛竹のからだを、前肢で、舌で、なにより視線で、つまびらかにする作業を再開しながら、風息がくつくつと肩を震わせていることを知っていた。ちかごろとんと見なくなった、かれの心底の、おだやかな、わらい、絶えて久しかったものがあらわれるよろこびを、洛竹はすでに知ってしまった。軽口はそこまでの��とで、真剣さを帯びて触れる前肢のうらの、よく地を蹴り踏みしめて厚く硬くなった蹠球の、どこかじっとりと湿ったさまが肌に吸い付くようだ。これを意図して獣のすがたを風息が撰んだとは思われないが、密にそろった毛並みの、尖った爪の、こまかい触感を伝えるのには不向きなものにつつまれたかれの前肢のなかで、こまかく肌をあらためるのにお誂え向きの部分である。何より風息が、やわらかい肌を踏んで引き伸ばし、その弾力を愉しんでいるのは明らかだった。
 「もう、こら、しつこい!」
 「すまない、おもしろくて」
 「ひとの踏み心地を確かめるだけならもう寝るぞ」
 「眠れやしないくせによくいう」
 「そうだよ、このまんまじゃ寒くって眠れやしない。おまえの毛皮とちがうんだこっちは」
 「だからあっためてやってるんじゃないか」
 まったく、ああいえばこういうんだから、口ばかりが達者になっていけない、と肩をすくめて、花の剣は今宵も踊る。かれがこのからだをあばいてあそんでいるとはかんじていない。手慰みに手折られた花になるつもりはないし、なにより、木属性を司り、森を愛したかれが、そんな無体をはたらくはずもないのだ。脱ぎ捨てた服が夜露に濡れるまえに房事が済むとは思っていない。いつのまにやらうつ伏して、ほとんど四肢の自由を奪われるように背後から圧し掛かけられて息が詰まる。すがたに意識や自我のすべてを支配されるとは、考えたくもなかったが、ぐ、と体重をこめておし広げられ、圧しつけられる情欲は獣のかたち、愉しみのために重ねる身体なら、あまい睦言や嬌声のたぐいもあっただろうが、もはや声は、風息の喉のおくのかすかな唸りと、押しつぶされかけて狭窄した、洛竹の胸をわずかに通る喘鳴のくるしげな響きのみ。ぎちぎちと万力で締め付けられるような痛みと、はらわたを穿たれるような錯覚、かならずしも快楽ばかりがあるわけもない。ちらちらと視界の端におどっているのは、昼日中に振るっていたグラジオラスの花弁だろうか、あるいは、夕餉に焚いた火の名残だろうか、ただ恍惚の、爆ぜるような、明滅だけが。東天に紅が射し、明星は堕ちて夜が明ける、夜が明ける、黎明に引き裂かれ、とばりはもはやかたちを成さない。夜は、明けて、しまった! たったひとりを微睡みのゆめに遺して。ふれた肌から感じるかれの霊と、火照るからだの熱と、ほとばしる慾とで、たがいの境もわからない。
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jitterbugs-lxh · 2 years
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凌雲
 月がしずかに舞っている。星がみなもに散ってゆく。何の気はなしにぐるり視線は、つめたく、なんの情も、慈しみも、かなしみも、なしに世界を睥睨していた。ただ見つめるにも価値のないものばかりとは、さしもの老君、いまとなっては誰よりながく在る妖精のひとりとて嘯く心算もないが、しかし驚くほどに心は凪いで動かない。はじめに、しん、と音が掻き消えた。それから、やわらかく揺れていた午后の陽ざしが、遠くにゆれる野山樝の馥郁が、とざされて墜ちていった。うつくしい箱庭のしじまに沈まなかったのは、わずかに星のあるばかり、すいと滑るようにすすんでゆく小舟は、普段であれば賑々しくも喧しいばかりの玄离の操舵とはとても思えなかった。もっとも、荒事、喧嘩、武闘に演舞、そういった、すすんで身体をうごかすたぐいの所作を、すすんで引き受けた玄離がいるからこそ、粛々と、黙々と、隠棲の真似事などしていられるのだけれども。そういった意味で言うならば、かれはまさしく、老君の、そうしてこの藍溪鎮の窓であり、目であった。
 「難しいことは、老君、あんたに任せるよ。俺には分不相応だものな」言って玄离は快闊にわらってみせたが、しかし彼は、けしておろかのひとではないのだった。考えなしに動くことと、たがえるべきでない道を外れ、先人たちがたしかに敷いた石畳やあるいは轍をかろんじて往くこととはまるで違う。玄离にはみえている、分かっている、それは買いかぶりすぎだと、書のひとつしたためられない無学をかれは揶揄したが、玄离の持ち得るかしこさは、勉学によって、後天に獲得しうるものではない。それはかれの生来持ち合わせた、性質、なる部分に縁るところが大きい。すべからく生きものが持っている霊域と、その特質に基づく属性と性質のあれこれのように、切り離すことのかなわないもの。あなたにも出来ないことがあるのか、と目をまるくする年若き救国の英雄は、いったいこの老君を何ものと心得ているのかと問い詰めたくもなったが、言葉はついぞ出なかった。もっとも、救国の英雄だとか、年号様だとかと揶揄えば柳眉もたちまちにゆがみ、不機嫌もあらわに鼻白むさまをみれば、せんだって功績をみとめられて、ときの皇帝にその名を年号として取り上げられるなどの、華々しくも目覚ましい部分が、無限という青年のごく一部でしかないことはあきらかなのだったが。稚さというなら、老君から言わせれば、人間、妖精、その隔てなく悉くが若いと言えただろう。むろん無限も、見ようによっては玄离さえ。ながく生きたものたちの名をいくつか知ってはいるが、おおくはすでに消息をきかない。かれらのように、いつかはみな去ってゆくのだろうが、すくなくともいまの老君や、玄离や、まだひとの域をわずかに逸脱しはじめたばかりの無限には、ほど遠い話であった。
 「お話は終わったのですか、師父」
 泉から水差しへ。水差しから鉄瓶へ。汲んできた水をうつしかえながら訊ねたのは弟子たる李清凝、たしかに、藍溪鎮でいちばんの医術をおさめなければその資格はないと課したのは老君ではあるが、勤勉なかのじょは一見不条理にもみえる条件を、ものの数年で達成してみせた努力の子である。まわりの大人たちがかのじょを諭していうことの、曰く、老君はけして誰かを教えたりはしないのだ、おまえに諦めさせようと難題を吹っ掛けたのに違いないとは言いえて妙、師事を恃む清凝を、半分は受け容れ、半分は拒絶したのは事実だ。かのじょの才能は稀有である。これは、玄离のそれとおなじく、生来に持ち合わせた性質を指していう。かのじょが真に勤勉で、よく働き、すなおな性格であったのは幸いである。なにせ、物怖じしたようすのない明朗さは、妖精のみならず、人間たちにとってこそ好ましい。玄离が目なら、清凝は顔だろうか、かれらかのじょらを通して、藍溪鎮はひとを知り、老君を知る。
 「お茶を淹れてくれますか、清凝」
 「はい。師父。お客様の分もお淹れしますか」
 「いや、かれはもう帰ったよ。座りなさい、清凝。きみが代わりに相手をしてくれますか」
 実際のところ、無限が席をたってもうずいぶんになっていた。誰に送らせるでもなく去らせた青年の、白皙のかんばせに陰を落としていたなにものかを老君は知らず、思うこともない。隠棲の代わりに老君への師事を仰いだかれを去らせたのは老君自身であるからだ。清凝は、弟弟子ができそこなったとは知らず無邪気に笑って、お招きにあずかりますと言った。
 火の就いたろうそくの様な、灰を落としてゆくばかりの紙巻の様な、使いさしの品物の、浪費されてゆくばかりの泡沫を、男のひとみは孕んで、いた。コルクを抜いて、遠く西方は崑崙のさらに西、最高級の紅玉を讃えて名付けるはピジョン・ブラッド、うつくしく濡れた悪虐の王の胸を貫いたナイフの銀が、圧政と独裁を食いとめたときに溢れた血の色をしていた葡萄酒が、ゆっくりと腐敗し、濁ってゆくかなしみにも似ている。酒精をおぼえたのはいつ頃だったか、そも人でないこの身では満足に酔えるわけもなし、ただ、たちのぼっている香りに鼻腔を擽られ、ふつふつとわく、湯の、様に、明晰明瞭な頭脳が、追い遣られる錯覚に、おちいった。老君のふだんの上衣は、けして華美ではないながらも仕立てのよいあつらえであってお仕着せでなく、術によって真似ているひとの似姿といえども装いには礼が要る。それがいまは、夕餉にも、ダンスにも、酒にも、宵をすぎた娯しみにも、けして汚すことのない様、又脱ぎすてられて皺をつくり、熱い鉄の圧しを必要とすることの、ないよう、衣紋掛けへ載せかけ、きちん、窓の下へ提げられて、いた。それがまた、絞首刑を命じられ、吊られて死んだ男の、こうべを垂れた姿のようにも、みえて、いる。
 「『焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや』、ですかねえ」
 老君はしみじみと学のあるらしいことを述べて、脚を組替える序でとでも言うように、その身を沈めていた腰かけの、いささか草臥れはじめたやわらかい革に、甲高い断末魔の悲鳴をあげさせながら身じろぎをした。たいした悲しみでなくとも、たいそう悲しんだふりをするのが、男の常のきらいで、あり、全く忌々しい部分でも、あった。師の言葉を聞きそびれて眸をぱちくりとさせる清凝には、見えているのか、それと知って存ぜぬを極めこんでいるのか、果たして? 干しきらない葡萄酒のあるのに新らしいのに手をつける。慇懃のようでいて、おおくを語らず傾聴もまたない。それでいて、男の、色のない、ひとみが、わずかに明けかけた夜の、何層にも重ねられ、甘くぬられた薄焼き菓子の雲の、断層を数える様にゆらめくときに立ち昇る堪らない香りを、女たちは嗅ぎつける。気づかれぬはずもない、駆け回り土いきれにまみれ、拭う汗も乾かぬうちの、市井の男たちにはない、清潔で、女衒のおんなの安白粉の臭さを思わせる、真逆の性質をもった、おとこのからだのあることに。弟子はまだ気づかない。この子はまだ、子どもであるがゆえに。
 「師父? 老君? なにか仰いましたか?」
 「いいえ。清凝。」
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jitterbugs-lxh · 2 years
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望郷
 その日、龍游のまちにひとつの墓標が立った。かつてそうしてあったように、枝ぶりのたおやかなる、ひとと、妖のものがともに集い背を預け、花の時期には幽幻のごとくを愛で、夏のさなかにはつよい陽射しを厭うて木洩れ日にひと時の憩いを求め、木枯らしには肩をすくめ、しんしんと降り積もりたる六花に、誰もが言葉をなくして黙する、ふるさとの木にはまるで似ても似つかない、さまではあれども、それは見事なたたずまいであったという。伝聞のうちにすぎないのは、建築中の巨大なショッピングモールとパーキングのほぼ全域を悉くに覆い尽くし、瓦礫の撤去もままならないほどに根を張り、枝葉を拡げて、一晩のうちに成ったというその大木を、みずからの墓標としたかれのともがらたちは、捕縛され、牢へ繋がれたのちに聞かされたからである。
 風息。かつて、かれはこの地の神であった。もっとも、かれがすすんで神たらんと、努めて過ごしたのではない。龍游がゆたかな森であったころ、かれや、かれのともがらは、ただ森の一部として生じた。ひとや、あるいはけものたちのように、血をわけた祖を持ち、父を持ち、母を持つものとは、妖精たちは根本的にちがう。森はゆたか、霊気に満ちて、耳の痛くなるほどの静謐と、さかしまの賑やかさのあいだで、振り子のさまに揺れている。葉擦れがあり、遠くに落ちる湧水の雫があり、うろにひそむ生きものの息づかいがあり、まさに飛び立たんとする鳥の羽音がある。風息は、やわらかく落葉を、ひとを模し、沓につつまれた足で、けものの黒い、竣敏でしなやかな脚で、歩いてまわった。かれが洩らす仄かな、微笑い、ひとつ、さえも、朝露のかわりに溜まり滞った霊気から、妖精を生じさせるに充分な揺らぎである。かれは力ある妖精である。龍游が、龍游の名を得る以前、いまのように、ひとが集い、山を切り拓き、川を埋め土のうえへ砕かれた石灰と、石油資源からなる搾りかすを敷き詰めてならされるよりもうんと前から、この地にあって息をしていた。驚くべきこと! 火気あらば忽ちに燃えあがる黒い水は、妖精たちより遥かに古い、生き物たちの成れの果て、それらを汲み上げ、蒸留し、あたかも果実を絞るように、紅花を摘むように使いこなすさまを、はじめこそは感心して見つめたものだが、いまとなっては不遜もこの上ないと憤るばかりである。永いときのかなたにうまれいずる妖精たちと違い、血を分けて殖える生きもののなんと逞しく、かしましく、零細なれども確かなこと、ひとつひとつを手折るには易くとも、数に限りのないことには。
 生きている時間の軸が違うのだから、と曰ってうすい微笑みを唇に載せた男は老君、はたして齢幾年を生きているか、かれ自身にさえ定かでない、すでに神仙の域に達してからも数百をかぞえる妖精であるが、かれの言い様にはどこか諦観と、おそろしく餓えた寂寥とが、滲んでいるのだった。ひとに添って生きよと会館は言う。さりとても、かれらの歩みは早すぎる。かれらはものの瞬きのあいだに、風息やほかの妖精たちが育み、はぐくまれてきた森を拓き、けものを追いたてて、かれらの住みよさを求めた。いまや霊気は妖精として興るどころか、まともに蒐ることさえままならない。やわらかく漏らされた吐息の微笑い、に、散らされて星のごとく、花もかくや、朝に凝り、昼に閃き、夜には霧散してゆく気たちに、姿かたちを与えたのはいったいどんな運命であったのか。大いなる流れから切り離されて、もはや我々は寄るべないおさなごで、あるのだ、あの小さな、ただ平穏な、飢えることなく喰い、凍えることなく安らぐだけを願っていた黒猫ばかりでなく。
 西の国、崑崙をこえて遙か遠くにあっては、磔の救世主は幾年月を経たのち、復活を果たしたのだという。けれどもこの龍游で、かれらの先導者たらんと、禁忌に手を伸ばしてまでもたたかった風息は、けして救世主ではなかった。風息は撃墜とされ、鋼に繋がれてはたして何を思ったのか、いまとなっては誰にさえ。しかし、存在の根源とも深くつながりをもった力を奪われ、文字通りに心の臓を抜き取られたにひとしい小さな黒猫が、命ながらえ取り留めたときいたとき、わずかな安堵が、かれのともがらにして、最後まであらがっていた良心でもあった洛竹の胸に浮かんだのも確か。それが、小黒、慕って手を伸ばしてきたこどもが長らえたことへの安堵であるのか、ほかならぬ風息が、妖精のいのちを損ねることなく済んだことへの安堵であるのかは定かでないが。
 風息。かれらの神であり、兄であり、ときに聞き分けのない幼い弟でさえ、あった。かれが本懐を遂げ、妖精のための楽園を築くことを願いながら、どこか迷っていたことを、誰も知る必要はない。きっとかれの名前さえ、百年のさきには忘れ去られるのだ。あまりに短く、あまりにも酷いつかの間の睡りだ、けれども、かれはもうどうしようもなく疲れていたのに違いない。天を衝く枝ぶりは、かれひとりが微睡んだだけをしめすものではなかった。うつくしくつめたい夜が明けて、ひとつの秘めやかなる時代が、物言わぬ姿にときをとめたのだ。ああ、どうか。かつてそうしてあったように、ただ泰然とたたずんで身じろぎもせずに。
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