Tumgik
kinu-rashii · 1 year
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仁幕 大友と村田に対する所感
「ヤクザの世界でテッペンを取る」というのが2人の共通言語だけれど、村田恭二にとってそれは大きな夢の通過点であり、大友一平にとってそれは正しく2人で描いてきた夢なのだよな。
村田恭二が本当に夢見ていたのはヤクザという肩書を脱して坂本龍馬のような日本を変える人となることだったのだけれども、それは令和の世界を生きる村田恭二にとって一生をかけても届かない夢だから、その途中経過になるかもしれない「ヤクザの世界でテッペンを取る」という"夢"を鎧に虚勢を張っていたようなものだったのだけども、、、
一方で大友一平は両親を失ってから村田の家で村田恭二と兄弟のように育ち、村田恭二との間に育んだ絆もとい愛情(仁義)から交わした"夢"を本気で叶えたいと思っていた。大友一平にとっては村田恭二が与えた「ヤクザの世界でテッペンを取る」というものが夢の道筋ではなく夢の最終地点だった。
幕末に飛ばされる以前から村田恭二と大友一平が見ているものには齟齬があったのだけれど、進む道も目を向ける方向も同じだからそれが問題にはならなかったんだよなあ。叶うか叶わないかもわからない「ヤクザのテッペンを取る」という夢が近づいてようやく気がつくような綻びだったのかもしれない。
幕末に飛ばされる、という出来事により二人が夢として見ていたものの違いが如実になる。
坂本龍馬のように日本を変えるという夢を持つ村田恭二にとって、その姿を借りて生きるのは令和の世界では決して叶えられなかった夢の続きを描いているに等しく、きっと村田恭二の目には希望が見えていた。
でも大友一平はただ生き残るために入団した新撰組で、舎弟である高梨を介錯したその時から幕末の世界にずっと絶望している。早く令和の世界に戻ることが、そして村田恭二と約束した夢を続けることだけが、大友一平が幕末の世界を生き残る理由だったんだよな。
だから村田恭二が坂本龍馬として生きることを決めた時、大友一平が抱いていた夢はそこで終わってしまった。それどころか、大友一平が愛していた"ヤクザの"村田恭二すらもそこにはもういなくなってしまった。
大友一平にとって村田恭二とは自分に夢を与えた人なのだけれども、その夢を、大友一平にとってはこの上なく憎い世界と天秤にかけられたうえで捨てられて、選ばれなかった自分自身の価値も一緒に捨てられたような気持ちになるには十分なんだよな。
切りたくない人を切り捨てて、それでも村田恭二と共に令和の世界に戻ることを夢見てどうにか生き抜いていたのに、当の村田恭二は大友一平と一緒に令和に戻ることよりも村田自身の夢を追いかけることを選ぶんだから、、、
村田恭二が令和の世界を捨てた時点で、大友一平にとっては村田恭二が生きていようが死んでいようが変わらない。
大友一平は村田恭二を殺せない。でも大友一平の目の前にいるのは彼が愛した村田恭二ではなくなったから、大友一平は彼を殺した。「坂本龍馬を殺したのは大友一平だ」という主張はそこに村田恭二がいないことを示す言葉であり、坂本龍馬を捨てた村田恭二を探し求める感情の現れなのかな、、、でも村田恭二は坂本龍馬として死んでいくことに満足しているから、大友一平が抱く村田恭二に対する感情は救われない。
台詞にもある通り村田恭二が死んでしまって大友一平は空っぽになってたし、なぜ令和に飛ばされた坂本龍馬とそんな坂本龍馬の夢を一緒に追いかけて死んでいった中岡さんのように村田恭二と一緒に夢を見ることができなかったのだろうかと後悔している。その後悔をひた隠すようにずっと「俺はあいつを憎んでいた」「俺にだって考える頭はある」と虚勢を張っているが、村田恭二を失って自身が空っぽであると分かっているからこそそれを必死に埋めようとしてる結果なんだよなあ。幕末の世で二人がもう少しまっとうに話し合える時間さえあれば、坂本龍馬と中岡さんのようになれたのだろうか。
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