Tumgik
ku-neru-kotoba · 5 months
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日々、こいつ頭悪いなあと思いながらニコニコ会話しているし、日々、こいつ頭悪いなあと思われながらニコニコ会話していただいてる。これは内省の自由だし、これを暗黙のルールとして生きた方がいいと思ってる。
という話を例えば誰かにすると、ふーんそうやってみんなのこと馬鹿にしてるんだねと言われたりする。
そういうことだけど、そういうことじゃない。
心の中で馬鹿にし合うのは、至極当たり前なことなんだよ。
一方でそれを言葉や行動にするのは、本当に愚かなことだと思う。
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ku-neru-kotoba · 5 months
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5年ぶりぐらいに新代田に来た。
社会人になって初めて東京で暮らしたマンションを訪れた。
別に行きつけのお店もないし、特別な思い出もない。
のに、人はどうして昔のマンションをもう一度訪れたくなるんだろう。
近所に小さなコーヒー屋さんがあったのを思い出した。
それなりに有名なお店で、入り口入るとすぐにキッチンカウンターがあり、1階とほぼ屋根裏みたいな2階に数席あるだけの、本当にこぢんまりとしたお店。
結局そこには2回ぐらいしか行けなかった。
行かなかったのではなく、行けなかった。
あの狭さで、コーヒーが提供されるまで店主を目の前に待つ時間が、新社会人の自分には耐えられなかった。
話しかけられたらどうしよう、と人見知りゆえの不安が押し寄せる。
5年ぶり、もしかすると10年ぶりぐらいに来たそのお店は、あいにく定休日のようだった。
今の自分なら、行ける気がする。
話せる気がする。
ああ、大人になったんだなあ。
ちなみに昔住んでたマンションは、本当にここだっけ?と思うほど記憶になかった。
とりあえずGoogleマップにピンをした。
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ku-neru-kotoba · 5 months
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生きている
宮崎県日向市。
その日の最高気温は21度と11月末にしてはあたたかかったけど、夜はそれなりに寒かった。
出張で宿泊している駅前のホテルを出て、GoogleMapで調べた町中華屋さんに入った。
お客さんは4人組の常連らしきおじさんのみ。がらんとした店内でどこに座ろうか迷っていると「好きな席どうぞ」とお母さんが案内してくれた。
注文するチャンスを逃すまいと、水が届くと同時にメニューを見て、セットを注文。届いたのは、ラーメンと餃子4つ、半チャーハン。
僕は、なんだか嬉しかった。ラーメンも、餃子も、チャーハンも、ことごとく普通。まずいわけではないけど、おいしいわけでもない。人気の町中華の味でもない、55点ぐらいのリアルな及第点を叩き出す味だった。それが、なんだか懐かしく、嬉しかった。
食べ終わって店を出ると、外は一段と寒い。あたりはスナックのネオンが無数に光っていた。どういうわけか日向駅前はスナックが多いようだ。
スナック街とも言えぬさびれた道を歩いていると、お店からカラオケの声が聞こえる。男性が歌う声に合いの手をいれる声。スナックのママらしき女性の歌声。左を見れば、ガラス張りの誰もいないダーツバーで、店員らしき女性が一人でダーツをしている。
一人で歩いていて、なんだか心地よかった。この心地よさはなんだろう?・・・生きている。人が、生きている。そんな感覚がした。人がまばらなこの町だからこそ、一人ひとりの生きている姿が見える。聞こえる。スナックにも、ダーツバーにも行きたいとは思わないけど、生きているその姿を感じられるのは、どういうわけか心地いいのだ。
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ku-neru-kotoba · 7 months
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「売れっ子漫画家×鬱病漫画家」という漫画を読んだ。
自分ともっとうまく話せるようになりたいと思った。
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ku-neru-kotoba · 7 months
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被害者であり加害者である
36人もの死者が出た京都アニメーション放課事件の記事。ここに書かれていることについて、ずっと考えている。
===== 被害者参加の代理人弁護士が「放火殺人で人が死ぬと分かっている中で被害者のことは考えなかったのか」と尋ねると、被告が少しムッとした声で「逆に聞くが、京アニが(自身の)作品をパクったときには何か考えたのか」と反論する場面があった。
裁判官が「あなたが質問する場ではありません」と注意したが、被告は「パクりや『レイプ魔』と(被告自身が)言われたことに京アニは良心の呵責(かしゃく)はなく何も感じず、被害者としての立場だけ述べてどう思うのか」などとまくしたてた。 =====
この記事に関するコメントには、「何も反省してないな」「周りがどれだけ説得しようと、パクられたというのは絶対に覆らない事実化している」という内容のものがあった。
まずこの事件に関して、放火は明らかな犯罪であり適切に裁かれるべきだと思っている。けれど、この被告の反論は、どうしても他人事としては見れない何かを感じた。
仮に、客観的に見て100%自分が悪いことをしてしまったとしたら、自分は一生懸命謝罪するだろう。けれど、もし99%ぐらいだったら、どうだろうか。果たして何も反論せずにただただ反省の様子を見せることができるだろうか。
「悪いと思わなかったの?」「悪いとわかっててやったの?」そうやって責められるたびに、心のどこかで「うるせえな」という気持ちが膨らんでくる。「本当に俺だけが悪いのかよ」「お前にだって少なからず原因あるだろ」そういう怒りが、ふつふつと湧いてくるだろう。
そしてもし、そんな怒りをうっかり表出してしまった時には「全然反省してないじゃん」「ありえない」「責任感じてるの?」という、まさに被告に向けられた言葉が、当然のように飛んでくるだろう。
逆のパターンもある。自分の過失に永遠に無自覚のまま、相手が100%悪いと思い込んで反省を求め、反省の色が見えない場合は「ありえない」といった感じてさらに責め立てる。「反省して当然」という意識から抜け出せない。「反省」という言葉の曖昧さを逆手に、反省の“色”があるかどうかの審査員になりたがる。
会社の研修で『哲学ゼミ』というものを受講している。その中で哲学者である先生が「特権的なバルコニーに立ってダンスフロアを見下ろすことなど誰にもできない」と繰り返し語っていた。
これは元々「ダンスフロアとバルコニー」という比喩の話で、ここで言うダンスフロアは、何かに集中している状態のことを指す。対してバルコニーは、その様子が眺められる高い場所を意味する。要は「バルコニーに立つように、俯瞰した視点を持ちましょう」という話だ。
けれど先生は「そんなこと無理」と言う。(だからこそ哲学を学んで他者の思考・視点をインストールしましょう、と言った)
自分を客観視することは、世間で大事そうに語られている割に、想像以上にとんでもなく難しい。常に自分の加害性には盲目で、常に自分は被害者として生きようとしてしまう。
誰かから「加害者だよ」と指摘をもらった時に、ああそうだったんですねと素直に受け止められるなら全然いい。けれど実際にはとてつもない反発の意識が発動してしまう。むしろそういうあなたも加害者だ!と攻めはじめることだってある。自分がどんなに大犯罪を犯していたとしても。
この問題に、どう対処すべきなのかは自分でもまだわからない。自責思考を強めれば万事解決というわけでもないと思うし、適切な反論も時には必要だったりするだろう。
ただ、なんとなく思っているのは「どちらがより“悪い”か」という部分に意識が大きく向かってしまうところを考える必要がある気がしている。どっちが悪いかというのは、実はそこまで本質ではなく、誤って解消されるならそうすればいいだけのはずなのである。謝罪と反省、その先の和解が目的なら、どちらが悪いかを決めるのは単なるひとつの手段にすぎない。自分が悪くなくたって、謝ったっていいはずなのだ。
それでも謝れず、「どちらがより“悪い”か」論争を繰り広げ、相手に“反省の色”を強要してしまうのは、きっと自分の中の何かを守っているからなんだろう。その「何か」を知ることが、今の自分には必要なんだと思う。
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ku-neru-kotoba · 2 years
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現実とは悲観と楽観の混合物なのに、「現実を見て」という人の言う現実には悲観しか含まれてないから共感しにくいんだろうなあ。
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ku-neru-kotoba · 2 years
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自分にとって休日とはどんな存在なのか、どういう時間であるべきなのかわかっていないと、休日の存在が焦りになってしまうよね。
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ku-neru-kotoba · 2 years
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カンヌを獲った
世界三大広告賞と言われるカンヌライオンズ。
今日、シルバーを受賞したと連絡があった。銀賞。
自分が立ち上げた仕事が世界で評価された。
大袈裟に言えば
世界の広告クリエイティブ界の代表作のひとつになった。
嬉しかった。
でも、飛び上がるほど嬉しくはなかった。
新人の頃、CMの仕事で自分の企画が選ばれた。
初めて自分の企画したCMがテレビで放送された。
放送タイミングを営業に聞いて、親にも伝えた。
自分もテレビの前で待機して観た。
おお、と思った。
でも、飛び上がるほど嬉しくはなかった。
去年、日本を代表する広告賞でゴールドを受賞した。
嬉しかった。
でも、飛び上がるほど嬉しくはなかった。
仕事は自分ひとりでするものじゃない。
自分なんてたいしたスキルもなくて
あらゆる人の協力があって実現している。
自分の企画が現実になって、賞までいただいて、
本当にありがたい。
でも、飛び上がるほど嬉しくはない。
評価されるほど、自分の原動力は
評価されることの中にはないことがわかっていく。
そう気づかせてくれたことが一番ありがたいかもしれない。
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ku-neru-kotoba · 3 years
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例えばデザインやエンジニアリングなどについて自分で勉強しようとも思わず、金を払うことで誰かにお願いしようとしてる時点で私たちは既に無責任であり、金を払うしかない能無しであり、お願いするデザイナーやエンジニアには最大限のリスペクトをもって然るべきなのである。
というスタンス大事にしていきたい。
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ku-neru-kotoba · 3 years
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みんなが運動を無理なく続けられる社会よりさ、みんなが食いたいもん食ってブクブク太っても誰も文句を言わず人間関係にも支障がなく早死にしても許される社会の方が、本当の幸せな気がするんだよな。
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ku-neru-kotoba · 3 years
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結論は、相手の心の中で見つけさせた方が強く納得できるものだ。
月が綺麗ですねと言うのは、恥ずかしいからじゃなくて、その方が伝わるからかもしれない。
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ku-neru-kotoba · 3 years
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悪魔の証明
自分のまわりには浮気を当然のことのように話す人が一定数いる。幸いにも自分にはそういう価値観がないし、そして幸いにも浮気しなければいけないほどの強い性欲もない。
でもパートナーに対しては「墓場まで一生隠し通すことができるなら浮気してもいい」という謎の価値観が何故かある。いつどのようにその価値観を獲得したかは自分でも良くわからないけど、要は「自分がソレを認知できないということは、ソレはこの世に存在しないことと同じである」という考え方なわけで。
もちろん浮気なんかして欲しくない。でも正直、全く浮気心のない人間なんてこの世にいないと思ってる。自分の好みの人に出会えば、素敵とかかっこいいとか思うのは当然だし、一夜を共にしてみたいという性欲や好奇心が出るのも、個人的には自然だと思う。それでも、即時的な性欲に流されず“本当に大切なもの”を守るべく適切に思いとどまりながら、きっとみんな生きている。
でも何かの拍子でその理性が働かない可能性だってゼロじゃない。ひどく疲れている時、精神的に不安定な時、泥酔しているとき時。様々な条件が不幸にも重なってしまい、流されるまま一夜を明かしてしまったとしたら、その十字架を誰にも見つからぬよう一生背負いつづけて生きていってほしい。自分はそういう価値観だからこそ、飲み会の場で自分の浮気を告白する人にはどうしても共感できない。
そういう意味で、意図的な浮気をのぞき、一部の浮気は事故と言えなくもない。だからこそ、事故が起きないように、リスクの高い場面は意識して避けたり、ちゃんと寝たり、ちゃんとオナニーしたり、自分の理性を保つ対策は徹底すべきだ。
一方でもし、自分が浮気を疑われたらどうしよう。
冗談混じりで「浮気したことある?」なんて聞かれたタイミングで、偶然飲み物をこぼしてしまった、なんてことが起きるかもしれない。最悪だ。動揺してると思われても仕方ない。心配症なだけかもしれないが、そういうくじ運を引く能力は割と高い方だと思ってる。
LINEの画面を見せて身の潔白が証明されるなら苦労はない。でも実際は「事前に消したのかも」「メッセでやりとしてるかも」なんて、一度疑いだしたら終わりがないものだ。悪魔の証明。
でも問題なのは、浮気をしたかどうかではない。本当の議題は、これまでにパートナーの信用を欠く行動があったかどうか、なはずである。で、それが無いのであればそれ以上疑っても何も意味はない。あるはずのない事実を証明したいがために、自ら破滅へと進んでいくだけだ。
とにもかくにも、浮気はしちゃダメです。
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ku-neru-kotoba · 3 years
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最高な本に出会うと、あいつにも読ませたい、あの人にも薦めたい、とか思ってしまうけど、最高な本って、「その本と出会う」ことではじめて最高になり得るから難しい。誰かに薦められた本は「◯◯さんに薦められた本」というバイアスが入ってしまいそれが邪魔をすることがあるんだよな。それが嫌いな人だと尚更。
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ku-neru-kotoba · 3 years
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「あら、あなたグータラなのね」
「あなたは弱い人を助ける宿命にあるわ」
「あなたは晩成型ね」
占いで言われた言葉が妙に説得力を持つ。それは、自分がなんとなくそうなんじゃないかとやんわり思っていたことを第三者から言われることで確信してしまうからだと思う。実際、他にも色々言われたが、共感できなかったことは覚えてすらいない。
占いとは、自分を説得するために行くのかもしれない。
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ku-neru-kotoba · 3 years
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プライベートでとんでもない爆弾や十字架を抱えながら何事もないかのように粛々と仕事をされている方が、弊社だけでも沢山いるんだろうなと最近思うようになりました。人には人の地獄がある。人間ってすごい。
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ku-neru-kotoba · 3 years
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対価
自分の稼働への対価としてお金をもらう、という仕組みに最近限界を感じることが多くて、お金じゃなくて、権利とか、居場所とか、新しい対価のあり方に価値観をシフトさせていきたい。いきたいんだけど、やっぱお金ほしい。どうしよう。
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ku-neru-kotoba · 4 years
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負けてられないとか言わないでよ。俺たちを戦場に連れ出さないでよ。
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