Tumgik
me0wstray · 2 years
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昼。ミヒェルゼンのレモンキャンディスがアールグレイに溶けていく様を眺めながら、溶けるまでの間に雑記を書いてみることにした。ところでこのレモンキャンディス250g、苦労して手に入れた割に全く減ってはくれない。毎日紅茶缶を並べた棚を開けるたびにリキュール漬けの輪切りレモンと氷砂糖たちが存在を主張してくるのだが、生憎自分のアルコール耐性とストレート派という趣向によって存在を無視されているのであった。
けれど、たまには瓶を開けてみようと思う時がこうして来るから捨てたいわけではないのだ。きっと明日も明後日も、こうしているのだろう。
僕がここにいてもいいという確たる証拠は何処にも無いけれど、確たる信頼を得てここにいようと思った。それは僕自身が"ここにいていい"と思えるような、誰かからの言葉であったり、誰かとの繋がりによって生まれる信頼だ。ここにいていいから、いる。
その要素として、今の繋がりがあって、これまでの評価や言葉という許しがあって、僕が僕でいることを許している。
もしあなたが自分の存在について悩んだとして。結局その"ここにいていい"が確証として現れることは未来永劫ないのだから、確信を得ることで存在を肯定して欲しいと思う。ここにいていいのだ、と誰かが許すことで初めて、僕たちはここにいていいのだと思える。その許しは誰かの言葉かもしれないし、あなたと誰かの切れていない繋がりかもしれない。
じゃあ普段から消えて欲しくない人に「ここにいてよ」って言えばいいのか、というとそんな話ではなくて。その言葉は必要なタイミングで使うべきなんだろう。許可と強制は全く別物なのだ。許し、っていうと大層な言葉に聞こえるけど、例えば楽しい話をすることとか、心地いい環境を作るとかそういうのも全部誰かの肯定になるのだと思う。
僕は「いたいならいればいい、どこか行きたいなら行けばいい」のスタンスを貫いているけれど、けして人と関わりたくないのではなくて、その人のあり方を肯定していたいと思うから。このスタンスは変わらないけれど、普段から話している人と話せなくなることは悲しいし、少しでも悩んだり迷ったりしていそうならば行かないでくださーい!って大きな声で言ってみたりする。
君が君らしくいられる世界のために、僕がいられるなら嬉しい。
キャンディスが溶けたので、ここで終わり。
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