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mikiton02 · 5 days
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2024.4.24
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「庭の花」 模索、、、模索、、、描く前にイメージにどう反応するのか、、、 極論描く前のイメージで絵の良し悪しは全て決まるのかもしれない。
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mikiton02 · 5 days
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2024.4.23
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14h(完成)/「不安」※構想スケッチ
玉ねぎとピーマンの静物 右:下地 ファンデーションホワイト 薄塗り 左:下地無し 厚塗り キャンバス上で厚塗りをすると乾いていない絵具同士が混ざり「アラプリマ」という技法が起こる。(※これらを活かす描き方は野生派と呼ばれたりする。ゴッホやモネなど屋外での制作でよく用いられた。)パレットで既に混色が何度かされている場合、画面上では更に色が濁る。
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mikiton02 · 6 days
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2024.4.22
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10h/構想スケッチ(精神性の花) 玉ねぎとピーマン、右は水多めの塗りをしているので密度を上げるのに時間を要してるんですが、下地のファンデーションホワイトも相まってかなり発色が良いです。なんだかオモチャみたいですが、、
また、油絵の具は4色以上混ぜると色が濁っていくらしく右は混色も最低限に抑えています。
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mikiton02 · 9 days
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「常に動くという音楽」について
特別対談企画【久石譲×西村朗】第2回:現代音楽とバッハとミニマル・ミュージック (youtube.com)
ドビュッシー サティ ラヴェル編①「民族音楽との出会い」坂本龍一/音楽の学校/スコラ/schola (youtube.com)
ミニマル音楽・民族音楽の最も大きな特徴は『始まりがあって終わりがあるという常識を壊した』所にあると久石さんは述べている。
動画の中で坂本龍一さんはこの民族音楽を建築物と雲で例えているが凄く納得する。 『カタチが定まらず常に動く』 これはつまり雲を捉えているというより、大気やその周辺の空間が雲の印象をなすということだと思われる。
この『常に動く』というのは刹那の印象を捉える『印象派』に通ずるものがある。
ここでつまったのだが、印象派はありふれた『見えるもの』を刹那的に描いているが、自身が表現したいのは『見えないもの(精神性)』なので象徴主義や幻想絵画の領域に属すると思われ、象徴主義の代表として上がる「オディロン・ルドン」などもヒンドゥー教や仏教に関心があった為民族的な事と関連がある気がするのだが、今の所知識がなくて分からない。 学校の民族音楽の授業とか潜ろうかな
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mikiton02 · 9 days
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2024.4.19
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22h(完成)/4.5h ちょっと脱線してしまうのですが、下地に下塗りやモデリングペーストを使用する理由が手順や描き心地としてやりやすいから。以外にない事に気づき着色時や白地の特性、またそれを活かした塗りについて図書館で調べそれを実験して確かめてみています。明後日に完了させたい。
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mikiton02 · 12 days
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2024.4.16
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18.5h/23h(完成) 屋外の表現は結局収集が付かないままの終了となりました。普通に観察力と描写力と客観視の力不足、、
余談
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今日は一日外出して「失う」という表現を考えながら武蔵村山の森に入れる場所をウロチョロしてました。
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1970年以降のワイエスの絵の中には「不在をテーマにしたような作品」が見られます。 上記の作品では習作段階で描かれていた青年が消され、代わりにハンガーが描かれるという作業がなされており、こういった描かれるはずだった、又は描いていたモノを画面から消してしまうという絵がたびたびあるのですが、ワイエスは28の時に列車事故で父と甥を突然なくしており、それによる「喪失感」をそういった制作工程で表現しようとしていたのだと思われます。 そしてこの「喪失感」というのは欠落にとても近いと考えています。 ワイエスにとって挿絵画家であった父は絵の師であり、幼い頃から写実を叩き込まれたワイエスにとって父の表現は身体の一部と言っても過言ではないと思います。その父の急死による「喪失感」は自分がプレゼンで病気を言葉で表した際の「どうしようもないもの」という表現にとても似ていると感じています。 一部が不明瞭になる。や一部が欠けるという事ではなく、「戻らない」「戻せない」といった「不可逆の喪失」そのものが欠落の本質なのかもしれません。
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mikiton02 · 14 days
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2024.4.14
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19.5h/19h 屋外作品、木周辺にやや空間が出だしました。枝は壊滅的です。 半月経ちましたがまだ一枚も終わらず4枚程度とは、、月10枚辺りを目指したい。
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mikiton02 · 15 days
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2024.4.13
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16.5h/14h ・晴天屋外の作業時パレットが白いと、太陽の反射で目がやられ色が正しく見えなくなる。 ・見えたままの通りに描くと魚眼になる。+画面の入り方を決めるクロッキーぐらいは必要かもしれない。
苦戦してる間に桜が散ってしまったので、もうあまり詰められないかもしれません。
余談 ・印象派自体は光や移ろいゆくその瞬間性を描画する為に導き出された技法なので、やはり印象派自体は目指す方向にあまり関係がない。とはいえ、その移ろいによる「儚さ」や「曖昧さ」の表現方法は参考になる。 ・セザンヌは印象派に独自のキュビズムを取り入れだすまでに10年ぐらいかかっている。
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mikiton02 · 16 days
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2024.4.12
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屋外:9h経過状態。余りにもひどいですが、、 実物の自然は、写真とは比べものにならない情報量を持っていて、描いていると軽くパニックになります。日もうつろいやすく同じ状況でモノを見ることが出来ません。
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mikiton02 · 18 days
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2024.4.10
今日は初めて油絵で屋外制作をしていました。今から他の油絵を少し進めて寝ます。 余談 この頃イラストやキャラクターへの関心が薄まっています。 それらの表現はデジタルコンテンツに起因する場合が多く、表現領域としてはかなり狭い感じがしていて、その表現領域に自身がまだ囚われている様な心地もあるので、岡本太郎がピカソに出合う様な自身の常識を全て破壊する出会いがしたい。海外での制作とかしてみたい、というかもっと広い知見を得たい。 後岡本太郎さん、中学の時に既に「何の為に描くか」という問いに至っているの早すぎる。皆が当たり前のように描いている流れに疑問をもつのが早い。
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mikiton02 · 19 days
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2024.4.9
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13h/15h 斑点の多い波はめちゃめちゃ全体を見ようとする訓練になります、、部分で見るとたちまち波じゃなくなるのでコントロールが難しい 構築的筆触の規則的な筆のマチエールを残す時は、油を殆ど混ぜず絵具をそのまま使う方がよい。
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mikiton02 · 20 days
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2024.4.8
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11h時点です。昨日は一日休みにしてました。
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mikiton02 · 22 days
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2024.4.6
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10h/5h 自分のルールを。 頭の中がカラッカラになり始めたので、映画か何か見ようと思います。
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mikiton02 · 24 days
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先日印象派展に行った時、印象に残ったカミーユ・ピサロとセザンヌの絵を上げたのですが、今になってセザンヌがピサロから印象派を学んでいた事を知りました、、
セザンヌはピサロの模写から始まり、一緒に同じ場所を描くことが何度もあった様です。
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mikiton02 · 24 days
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2024.4.4
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16h/3hです。※右は観察と油絵全般の訓練でやってます。 兵長には2つ器用に出来ますか?と言われ全く器用じゃないなとは思ってたのですが、自分の表現を模索することだけしてると、 今自分が何をしているのか迷ったり、観察を軽視し始めたりしてしまうので自己表現と写実から学ぶ秩序立ての2つを行っています。
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mikiton02 · 25 days
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2024.4.3+メモ
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14hです。
「図説 セザンヌ「サント=ヴィクトワール山」の世界」メモ
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「モンマントルのソール通り」という作品について
この近くで当時、セザンヌが生活を営んでいたわけでもない。画家とソール通りとの具体的な関係は定かではないものの、セザンヌが人気のない、あたかも街が沈黙しているかのような場面を捉えていることは確かである。p.21
「パリ、ジュシュー河岸」について
1871年12月から住み始めた、ジュシュー通り45番地のアパルトマンからみえる情景であり、軽妙に描かれているものの、作品にはある種の侘しさが漂っている。セーヌ川の左岸、5区にあるワイン市場はそもそも、古くからワインを取り扱う商人たちでにぎわう界隈である。やはりセザンヌは、まったく人影のない場面を選んでおり、活気に満ち溢れた市場の雰囲気はみじんも感じられない。p.22
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mikiton02 · 26 days
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2024.4.2
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11hです。突然の方���転換をしだしました。奇抜にグチャグチャ描いている訳じゃないのですが、ルールが混ざってまだとっ散らかってます。
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