藪から箸
璃月という街はとにかく食に困らない街である。
港町でありながらその周囲は山もある。海の幸にも山の幸にも困らない土地である。もちろんこの土地はこの土地ならではの食の悩みがあるのだろう。しかしスネージナヤ出身のタルタリヤからすればどの悩みも軽いものに思える。この国では寒さで食物が育たないことも、狩りで獲物と出くわす前に寒さで死ぬことも、おそらくないのだ。
そういった環境もあってか、タルタリヤには食べ物の好き嫌いというものがない。そもそも優れた戦士は武器を選ばないように、食べるものに関してもより好みをしないものだ。食事は一番の基本であり、武器でもある肉体を作る。より好みをして基本ができるものか。
しかし好き嫌いがないというだけであって味を選ばないのか、と言われたら決してそういうわけでもない。当たり前である。どうせ食べるのならば美味しい方がいい。どうせ戦うのならば雑魚よりも心躍る強敵のほうがいい。そういうことである。
そういうことではあるのだが。
「やっぱりフォークとナイフだとだめ?」
「駄目だとは言わないが、食器も含めて食文化だからな」
それは遠回しにだめと言っているようなものではないだろうか。タルタリヤは自分の目の前に置かれた食器を見つめてため息をついた。
瑠璃亭での食事は以前もとったことがある。その時にも目の前にはこの男、鍾離がいて、同じようなことを言われて、結局扱いづらい箸でどうにか食事を終えた。失態、とまではいかずともあまりいい記憶ではない。
鍾離のいうことは間違いなく一理ある。食器も含めて食文化。その土地に根ざした食事を最も美味しく楽しむためには礼儀作法や食べ方も含めて、その土地のルールに従うのが一番である。それはタルタリヤも理解できる。強い火力で一気に仕上げることが多い璃月の料理をスプーンで食べればその熱さに臆して本来の味を楽しむことができないだろうというのも想像はできる。そのための箸だ。
しかしうまく扱えない食器、というものはなかなかに苛々が募る。それにもたもたとしている間に食事が冷める。結局、一番美味しい状態が目の前で過ぎ去っていく。それならばいったん文化から外れてしまったほうがいいのではないだろうか。
だが、鍾離はそのことにあまりいい顔をしないに違いない。短い付き合いではあるが、それでもそれぐらいは想像がついた。タルタリヤとしては彼との関係が最終的に破綻しようがあまり興味はないが、それでも今はその時ではない。
結局、タルタリヤは箸を握るしか選択肢がない。
「……あまりに扱いにくいようであればこういうものもあるが」
タルタリヤの苦笑いと困惑の狭間のような顔を見かねたのか、鍾離は手元に置いていたなにかをこちらによこした。
「なにそれ?」
箸である。だが、タルタリヤの目の前にあるものとは違い、握る部分がわずかに波打っている。ついでに装飾がやけに華やかで可愛らしい。故郷の妹が見たら喜びそうであった。
「練習用の箸だ」
「……馬鹿にしてない?」
「人間ならば一つずつ段階を踏んでいくのはなにもおかしなことではないだろう?いきなりのしのし歩き出す幼な子はいないものだ」
鍾離のいうことは大抵のことが一理はある。確かに慣れないのであれば扱いやすいものから練習していくのは正しい。
けれど、それをそのまま受け取って練習するのはタルタリヤにとってはどうしたって気に食わないことであった。料理が冷めていくよりも、よほど。
「悪いけど要らないかな」
「なぜ」
「俺は階段は一段飛ばしていきたい性分だから」
「転ばないか?」
「転んでもそのときは立ち上がればいい。人間はわりと丈夫にできてるものだよ」
それはタルタリヤにとっては何気ない、含みもない言葉であった。しかし鍾離はなぜか少しばかり驚いたような顔をして、タルタリヤとそれから手に持ったままの練習用の箸を交互に見やった。
「何か変なこと言ったかな」
「……いや。じゃあこれは必要ないな」
かちゃんと練習用の箸が卓に置かれる。その箸を握っている自分の手が想像できなかったのでおそらくこれでいいのだ。不器用に箸を動かして点心をようやく掴む。真の戦士とは食事や武器だけでなく、食器も選り好みすべきではきっとない。
ちらりと見た鍾離の顔はなぜか少しばかり満足げであった。
ちなみにこの練習用の箸の代金は往生堂ではなく、北国銀行がもっていることをタルタリヤは後日知ることとなるが、今は関係のない話であ
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