Tumgik
momokoikegamiwrite · 3 years
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4月16日(金)
また歯が抜ける夢をみた。何か食べて歯に詰まったので軽く引っ掻いたら歯の根元がぐらっと揺らついて片側が浮つき、普段ならありえない方向に傾いた歯が舌に当たっている。この時の抜けている歯を捉える舌の感触と、歯が抜けたことに落胆する感情がいつも現実のそれに近すぎて、起きてまず歯がそこにあることを一番に確認してほっと一息をつく。
急にこのブログの存在を思い出して前に書いていたのを読んだら、最後に書いた12月は仕事が地獄ばっかり言っていて暗くて気の毒だった。家も冷蔵庫の中と同じとあって、それと比べたら今は若干暖かくなったものだと思う。それより前のは遡ることは辞めた。
月日が経つのはあっという間だと思っていたけど、たった4ヶ月前の12月のことは意外にも遠くに感じる。あの冷え切った季節はもうここにはなくて、太陽が出ればあったかくて汗ばむ。白菜は姿を決して、今はニラやキャベツばかり食べている。
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momokoikegamiwrite · 3 years
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12/14〜20
月曜日
あと、2週間、あと、2週間、と休みまでの日をカウントダウンしながら仕事をしている。昨日から、断捨離について考えている。実家を出た時に必要な物だけ持っていき、ほとんどのものは残したままだ。今の生活が心地いいのはそういうものが目に見えるとこに無いからだ。何かそれは少し罪悪感があり、この年末に断捨離したい。学校の卒業アルバムは要らないけどどうやって捨てればいいんだ。
火曜日
「マンダロリアン」シーズン2の5話を見た。面白すぎる、本当に面白い。佐久間さんが「七人の侍」と西部劇を合わせたような面白さと言ってた。一方、仕事は地獄を味わった。一方、3日連続の鍋は美味しい。
水曜日
仕事が地獄。500万円くらいの借金がある人の日常YouTubeを見てる。遊戯王カードを紹介するみたいに、淡々と借金カードを紹介してて、他人事ながらにスリリングだ。「これはアコムですね、10万。これはレイク、カジノで負けた時に作りました」
木曜日
逃れられない時間の檻の中にいる様。100分で名著ディスタンクシオンの第2回目を見た。本当に分かりやすいけど分かるの結構辛いな、前回もそうだったけど。
金曜日
最近本当に朝が寒くて起きるのが辛い。一晩放っておくとキッチンが冷蔵庫になっている。それも比喩でなくて、なんと冷蔵庫の扉を開けてもまったく冷気を感じないのだ。そんなことを感じた冬真っ盛りの本日は、最近の楽しみ、マンダロリアン最終回がついに配信日であった。期待はしていたけど、それを遥かに超えるラストで、もう完全にやられてしまった。まじか、まだこんな夢を見させてくれるのか…。スターウォーズシリーズの脇道ドラマだったし、もっともっとこの旅を続けてからこの最終回に辿り着いてもよかったくらい。終わってしまったな〜・・
土曜日
西永福の閑静で豪華な住宅街を抜けて桜上水まで歩き、そこから京王線で府中へ行った。京王線は小さい駅でも改札の近くに当然の顔をして啓文堂が居座っている。あまり啓文堂のラインナップに惹かれたことはないが、この風景は良いものがある。府中は駅近の商業施設が巨大なペデストリアンデッキで繋がっている。府中駅に降りたものの、結局ペデストリアンデッキの上で事が済んでしまい、府中の地には降り立っていない。休日の映画館はどこも混んでいて、映画業界は盛況していると思われるかもしれないが、それは本当にごく僅かな都心の映画館のことであって、都心から少し東西南北へ帆を進めるだけで物悲しいくらいにがらんとする。そんな「郊外映画館」の例外にもれず、ここTOHOシネマズ府中も妙に静かなのであった。シネフィルっぽい渋めのおばさん、おじさんたちがポツポツと席を埋める中、カンヌでも脚本賞とクィア・パルム賞を受賞して前評判の高い「燃ゆる女の肖像」というフランスの映画を見た。見る/見られるという関係性をものすごく丁寧にそして映画的にとらえ、その手法のみで全てを語るような、美しい映画だった。主人公が(映画を見てる自分たちも)見つめていたと思っていたが実は見られていた、瞬間の「気付き」の衝撃、カメラがグーっと寄っていくところ、鳥肌が立った。ほぼ女性しか出てこないため、最後に部屋に男がいて「やあ」と言った時はホラーみさえあった。いい映画だったな…。
日曜日
とってもいい天気だった。ウー・ウェンさんという中国北京出身で今は日本に住んでいらっしゃる料理家の本を買った。ウー・ウェンさんのレシピはとんでもなく旨いという話をちらほら聞く。本には、「日本は水の国、中国は油の国」とあった。日本のように飲めるくらい清潔な水が蛇口から充分に出る国は少なくて、この豊富で清潔な水があるからこそ「水で洗う」ことが可能になり、魚や野菜を生で食べることができる。対して中国は「水で洗う」ができないので、油を用いて高温で火を通すことで殺菌をする。日本は煮干しや昆布で出汁をとるが、中国のそれは「油」なのだという。だから、日本のスーパーで売っているサラダ油を使ってた頃は中国の家庭料理の何を作っても美味しくならなかったらしい。最初の方をパラパラと読んだだけで、ほお〜と感心することばかりだ。ウー・ウェンさんレシピで春菊の和物と、白菜の辛子和えを作った。どちらも簡単で、素朴な味がすこぶる美味しかった。
夜はM-1グランプリを見た。1番面白いと思ったオズワルドというコンビの漫才は下から数えた方が早い順位だった。なので漫才の点数の付け方は全くわからないなあと思ったが、笑いという一か八かの世界に飛び込んだ人たちの本気の嬉しみと悔しみを見ると心が奪われた。
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momokoikegamiwrite · 3 years
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12/7〜13
月曜日
青森の暗さは東京の自室へ着いた時に嘘みたいに消えてどこかへ行った。毎日、医療現場のひっ迫を聞き心が痛い。不急の手術がない医者たちはコロナで本当に大変な思いをしているのに給料が少ないとか。本当に…。どうにかしてくれ…
火曜日
スーパーへ行くととにかく野菜が、青物野菜が安くて嬉しい!しかも、みんな鮮やかでかなり美味しそうな色味・格好をしている。毎日Thanks Givingである。
水曜日
不安な仕事が最後まで何の問題もなく完結しますように…ということばかり考えて気づいたら長い時間が経過している。
木曜日
コロナ感染者、東京過去最高とのこと。それでも旅行へ行けと政府は言っている。会社でボーナスが出た。学生の頃はボーナスとは100万円のことだと思っていた。そして賞与日の週末は伊勢丹か何かで買い物をして「大人最高〜」と呟くのだと思っていた。実際そんなことはなくて、なけなしのボーナスも、使うでもなく貯金へ回すだけなのである。でも今日はハーゲンダッツを買って帰る。お金はもっと欲しいけど、ハーゲンダッツの幸福に浸る生活のことはけっこう好き。
金曜日
原因は特定できないが小さいモヤモヤがずっとあって地に足がついてない日ってたまにあるけど、そういう日だった。仕事の付き合いがある人に、「考え方が男っぽい」と言われた。女の子ってそう言うよね、とか、女の子にしては珍しいよね、とか、本当に、本当に、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、毎日、言われている。その度に、「女だからではないですよ、私がそうなだけですよ」「男でもそう考える人はいると思いますよ」「性別は関係ないと思いますよ」としつこく、しつこく、しつこく訂正している。この努力はただの意地なのかもしれないが、いつか、その人らが、そう言う発言をどこかでした時に、思い出してくれと祈るように返していく。
土曜日
保険のおばさんが実家へ来て、両親と保険の話をした。保険というものは、この先何歳の時にもらえる金額はいくらで、結婚したら、怪我をしたら、入院をしたら、癌になったら、死んだら、というようなことを突きつけられて、自分の人生(と家族の人生)がどれかのパターンに当てはめられてあっという間に終わるような気がする。でも今来年のことも予想ができない。あんまり考えたくない。
日曜日
久々に映画を見た。「ハッピーオールドイヤー」というタイの映画。スウェーデン留学でミニマリズムに影響された主人公が、帰国後に実家のものを断捨離してリフォームしようとするストーリー。劇中、明らかに「コンマリ」を意識したアイコンが出てきて笑った。物を捨てることは、その物に宿る混沌とした様々な思いを断つことで、それは時に苦痛を伴う。主人公が物を手放すたびに、さまざまな「痛み」が現れて、翻弄され、涙を流すのが印象的だった。それでも捨てることを辞めないのは、「ちゃんと」捨てて、前へ進みたいからなのだった。「さよならだけが人生だ」という言葉があるけど、本当にそうで���決別をしてこそ次へ進むのだと思う。今年の年末は、実家で断捨離だな…。痛みも覚悟でうやむやにしてた物を捨てた先に、何があるのだろうか。
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momokoikegamiwrite · 3 years
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11/30〜12/6
月曜日
チャックが開いていた
火曜日
小林賢太郎が表舞台を引退していた、というニュースがあった。最近、ラジオでオークラさんの話を聞いてからというものラーメンズのコントを見ていたので妙にタイムリーだ。2週間前にすでに事務所を退所していたらしい。数年前から決めていたことなのに事後報告だったのは、純粋に最後まで作品を楽しんでほしかったからだという。らしいよな…
小林賢太郎を初めて見た時、彼は広い舞台に1人で立って言葉を用いずマイムでコントをしていた。「ポツネン氏の奇妙で平凡な日々」という舞台だった。目の前に(最前列だった)小林賢太郎がいるだけで感動して泣いたこと、足の先から指の先までが意図的で洗練されていたこと、公演が終わってもアンケートに思いを綴る観客で会場がしばらく埋め尽くされてたこと、帰り道の月が大きくて綺麗だったこと、すべてを覚えている。舞台とは、そこに行くまでに演者も観客も、双方がスケジュールを合わせ、チケット発券などの手間をかけ、同じ場所まで足を運び、最善の環境を整えてやっと成立する、そういう貴重で珍しい体験なんだと、それは彼の言った通りだと思った。その後も4年に1度うるう年に行う「うるうのもり」や、ユニット公演の「コント集団カジャラ」シリーズなども観に行けて、本当に楽しかったな。あらゆる面で完璧であったからこそ、引退するんだろう。めちゃくちゃかっこいいな…。ラーメンズ以後、ポツネンと孤独に向き合うようなコントの美しさがとても好きだった。
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水曜日
不安なことがたくさんあると食欲もなくなるんだなあ
木曜日
よる、麻婆豆腐を食べに行った。たくさん食べた。
金曜日
会社を休んだ。とても晴れていて、いつまでも見続けていられそうな青空の色の綺麗なこと。。こないだ「ハン・ガン作品を語る」という配信で翻訳者の方々が声を揃えて言ったのは、ハン・ガンさんの作品は色に関する表現が非常に豊かゆえに翻訳するのが困難。韓国語は色の形容詞が日本語よりもかなり多い。と言っていた。「青い」というだけでも、陽が落ちた瞬間の青や、日が昇る前の静かな青など、微妙なニュアンスの色味があるらしい。空の色を見ていると、この色は韓国で何というのだろうと思う。
土曜日
飛行機に乗って青森へ。両親に誘われたので人が居なそうなところだから良いか、良いのか…?と思いながら行った。行ったら本当に人がいなかった。おそらくこれは篭ってるんじななくてそもそも人が居ないのだった。どこへいっても静けさがあり、対称的に広くて立派な施設があった。青森、この人のいなさが落ち着かず、いい土地だと思ったが妙に暗い気持ちになった。街灯のない日が暮れた道を車で走る時の物悲しさ、家が恋しくてたまらなくなる。
日曜日
八甲田山資料館へ行った。父が、雪中行軍の遭難事故を描いた映画「八甲田山」が大好きだそうで。薄ぼんやりと捉えていたこの遭難事故の輪郭が分かる資料館だった。昨日行った白神山地資料館でも痛感した、青森の地の自然の広大さと恐ろしさ、そして自然に敬意を払い共に生きようとする人間だけが持つ、自然との付き合い方の知恵の貴重さが印象的だった。資料館の裏には、この事故で亡くなった多くの人々の墓石がある。階級が上の者は墓石の大きさが比例して大きかった。父が「この人とこと人は仲が悪いはずだからこうや��て隣同士に埋められたくないと思う」と言っていた。青森現代美術館、三内丸山遺跡、すべてただ広くて人がいなかった。不安のモヤモヤがずっとあり、それは家に着いたらスッと消えた。青森は不思議なところだった。
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momokoikegamiwrite · 3 years
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11/24~29
月曜日
記憶にない
火曜日
チョン・セランの「アンダー・サンダー・テンダー」を読んでいる。この温度感がちょうど良い。変に楽観的でないところがとても信頼できる、大好きな作家だ。10代というヒリヒリした熱くて恥ずかしい青春時代。こういう文章が大好きだなと思ったところを下記へ抜粋。
-------------------------
ジュヨン あたしが思うに、人間という種は、ごく稀なケースを除いて、あんまり美しくはない。美しい生物じゃないね。
私 じゃあ、稀なケースってどんな時?
ジュヨン フラッシュモブの時かな。フラッシュモブが、とてもうまくいった時くらい。
・・・
私(ナレーション) ジュヨンの「あたしが思うに」を全部集めると、この世で最も悲観的な、しかし世の中の核心に最も肉迫した箴言集ができるだろう。
水曜日
佐久間宣之のオールナイトニッポンにゲストで作家のオークラさんが登場して、1990年代の若かりしバナナマン、ラーメンズなどの歴史話をしていた。オークラさんって本当にアーカイブ人間というか、歴史書みたいに物事をよく覚えていてまるで語り部のよう。バナナマンとラーメンズを仲介したのがオークラさんであること、そしてそのつながりが転じて伝説のコントライブ「君の席!」(バナナマン、ラーメンズ、おぎやはぎのユニットコントライブ)の好演となったことなど…。オークラさんの語りで聞く、「初めて見たバナナマンのコントは衝撃だった」という輝きの話、いつ聞いても良い。久々に「君の席!」を見直した。佐久間さんも当時見に行ったそうだ。こんなに面白いのに、この後二度とこのユニットライブが行われなかったというのも、彼ららしくてまたかっこいいのだ。
undefined
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木曜日
バナナマンの初期のコントといえば、「箱」だろうか。今改めて見返したら、40分もある長編コントだ。見ていると面白くてあっという間なのでそんなに長いと思わなかった。小さい舞台に小道具はほとんど箱だけ、でもまるでひとつのSF小説を読んだような体験だ。もちろん笑える。最初なんかは映画「CUBE」みたい。設楽さんは何に影響を受けているんだろう。
https://youtu.be/8CAaIWqVOSY
金曜日
昨日に引き続きバナナマンのコントを見ている。驚くのは、20年以上前のから今まで、ずっと変わっていないことだ。変わっていないというよりか、初めから完成されていたというべきか…
土曜日
韓国文学の読書会があって、引き続き「キムジヨン」を読み進んでた。キムジヨンが大学時代に同級生の男たちからの言動でバシバシと傷付いていくわけだけど、これには韓国社会の「兵役」というものが絡んできてて、在学中に兵役を得て復学してきた男たちには「女、子供は男が守る」という社会的なストーリーが植え付けられており、同級生の女には「「優しい」」のだが、決してサークルの代表や役員を女にやらせようとしない態度を示す。「韓国人男性はとても優しい」というのは小説やドラマの域を超えて現実的に身近によく聞く言説だ。だけどその優しさを喜んで受け入れてくのってかなり危険なんじゃないか?と思う。そこで、男性側のことが書いてある小説とか読んでみたいなと言う話になった。「男が守らなければ」というプレッシャーによる苦労や、守れなかった時の苦しみも、それもまた生きづらさの要因だ。雑談で、休学しようとしたら男友達に「いいな自由で、男はそういう風にはできないよ」と言われたという話を聞いた。その男友達は卒業して銀行マンになったのだと。つまり、「男ならば仕事をして金を稼ぐ」ということが周りから期待され、その期待を内面化していることが多いにある。肌感覚だけど、女性側のフェミニズム小説に比べて男性側のそういう作品は生まれにくくて広がりにくいと思う。そういうことに目を向けること自体が彼ら(大雑把に括って申し訳ない)の尊厳を妨げるだろうから。ということで、今は「男らしさの終焉」という本が読みたい。本屋で見かけて面白そうと思ったのを思い出した。この本のおしゃれでかわいい装丁が誰に向けられているのか、この本を実際に読んでる読者層はどこなんだろう。
http://filmart.co.jp/books/life/descent-of-man/
日曜日
K-BOOKフェスティバルというのがこの土日でやっていて、昨日はキムジヨンの韓国版、日本版とそれぞれの装丁を手がけた方同士の対談、今日は作家ハン・ガンさんのトークショーという超豪華な配信が続いてそれに見入っていた。装丁の話で分かったのは、韓国では「全集」みたいなシリーズものの刊行が日本に比べてとても多くて、それゆえに装丁もシリーズを通して統一感があって豪華。「82年生まれ、キムジヨン」の韓国版も、"若手作家シリーズ"の一環で、他の同シリーズ本と並べると確かに統一感はあるもののそれぞれの特徴を抑えていて良い!「日本だったら若手作家でシリーズものなんて出せないし、あってもこんな立派なハードカバーは絶対ないな(予算的に)、、、」と日本の装丁担当の方がぼやいていたのが印象的だった。どの企画もとても最高でまだまだ韓国文学を楽しんでいく期待に胸が高鳴る。何でか、作り手も読者も女性ばかりなので、来年はもっと男女が混在していくと良いな…。
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momokoikegamiwrite · 3 years
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11/16~23
月曜日
朝の電車が人身事故で遅延していた。最近、また増えた気がする。「また」というのは、コロナで一度電車から人が消えて、徐々に戻ってきてからということ。
火曜日
紅葉はこうようだけど、黄葉もこうようと読むらしい。そして今は、黄葉がめちゃくちゃきれいだ。
水曜日
指を負傷してからというもの、傷口を水に濡らしてはいけないので料理を一切せずに外食を繰り返していたけど、1週間ほどしたたとこでコンビニ食にも飽きてきて、体調も悪くなって(変な夢を見て寝つきが悪くなった)、ついに野菜を買って大根を煮て白菜を塩漬けにした。久々に料理をして、この時間は精神が「無」になるので非常に良いということに気づいた。
木曜日
最近おかしな夢ばかり見る。突拍子がなさすぎるという感覚だけ覚えている。今日は妙にあったかくて、「春ですか?」と空に聞いたけど冷たい風が吹くのだった。
金曜日
東京タワーのふもとに寂しく営業しているテラスフードコートがあって、そこでお酒を飲んだ。「寂しく」感じるのは、やたらと洒落ていてキラキラピカピカの装飾をしているのにいつ見ても客はガラガラで、その派手な装飾の輝きがただ空にむかって虚しく光っているように見えるからだ。東京タワーはそれでも立派で清々しくて、良いやつだなと思った。
土曜日
千葉県佐倉市の歴博へ行った。当初思っていたよりも佐倉は遠くて、それは地理的な遠さというよりかは、都心とのギャップがかなり大きいことによる心理的な遠さだった。だから思いがけず仙台みたいな都会に行くよりもずっと、旅行に来たかのような気分で楽しかった。企画展「性差の日本史」はとても見応えがあって、貴重な研究だったと思う。古代では男も女も政治を行っていたというのだから、今日の永田町のジェンダー指数は古代以下ということになる。中世で律令国家となってジェンダー区分が確立し、政治空間が分けられていく。職人は男も女もいて、中世までは屏風に描かれているのに江戸時代になって家長は基本男性だっていうことになると職人=男性というイメージが作り上げられて絵巻物にも(実際は女性の職人もいたにもかかわらず)男性しか描かれなくなっていく。そうやって制度やイメージの固定からジェンダーギャップが開いていくプロセスがよくわかって面白かった。こういう企画展が日本で開催されるのは実は初めてのことらしいので(欧米だともはや全く新鮮ではなくてこんなに話題にならないらしい)遅れを感じつつも素晴らしい研究だと思う。遊女の日記とか、そこから読み取れる彼女らの食生活のひもじさ、とういう視点からの研究って歴史書に載っていないことだけどとても興味深い。とても巨大な研究施設博物館だったので、いつか常設展ももっとじっくり見てみたい。
日曜日
実家で自分の部屋にあるものをどんどん捨てた。捨てる作業は案外精神的にきついもので、だけどあまり先延ばしにしたくはない、してはならない、と思ってきた。今実家を出て暮らしている家は必要なものだけがあって快適なのだけど、それは捨てられない過去をただ置いてきただけのいわば虚構の快適さであって、この実家のものたちに真正面から向き合わなければ本当の意味での快適とは言えないのではないかと思う。だから精神をすり減らしながら、年末にかけてこの物ものたちと向き合おうとしている。ものを買うということは、責任を負うということなんだな・・・・・・・。
月曜日
入間のアウトレットへ行った。昨日、ものを捨てながら負った傷を胸に物を見ていた。モスバーガーを食べた。
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momokoikegamiwrite · 3 years
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11/9〜15
月曜日
覚えていない。
火曜日
仕事が詰まっていて、急いで持ってく色校正を断裁していたら、親指をカッターで派手に削いでしまった。切ったというより、削いだという感じで、血がドバドバ出てきた。すぐに会社を出なくてはならなくて、ガーゼをぐるぐるにしてもらってちょっと泣きながらタクシーへ乗った。行った先でも痛すぎて客先だけどボロボロ泣いてしまった。悲しくなくても涙はいくらでも出る。家に帰ってから、夜ご飯を食べようかと冷蔵庫を開けると使いかけの大根があって、これを使った昨日の夜は当然明日も両手が満足に使えて続きの大根を包丁で刻めると思って(わざわざ言語化して考えるまでもない)いたことと、そうならなかった現在の自分の状況へ虚しさややるせなさを感じるとともに、指負傷前時代と、ポスト指負傷時代の決定的瞬間を通り越したことがますます現実のものとして認識された。家に着く前までは周囲の人に心配されいつもと違う状況に浮かれていたが、日常生活に戻ると負傷が自分ごととしてジワジワと現実味を帯びてくる。私はきっとこの使いかけの大根をダメにしてしまうんだろう。
水曜日
昼過ぎ、昨日の指の件で病院へ行った。縫うなら外科系なんだけど、今回は削いでる感じなので皮膚科でいいそうだ。傷を見せたら皮膚科医の先生が「ヒィィ」という痛そうな顔をしたので、あなただけは冷静にこの傷を見てくれと思ったりした。まだ血が止まってないので止血するためのガーゼぽいのを挟んで包帯でグルグル巻きにされた。「こうしとけばみんなに気付いてもらえるでしょ」とお医者さん。たしかに、みんなに心配されて、これは悪い気はしないもんだな。分厚めに包帯を巻いてもらったおかげでそれがクッションになって痛みが緩和された。
木曜日
こんなに親指は負傷していても仕事はどんどんやってくる。めちゃくちゃ忙しくて心がどんどん無になっていく。面白いのは、この包帯ぐるぐるの指を見るとみんな過去に負った自分の怪我について語り出すことだ。「僕もほらみて、片方削れてるでしょ」「私もここを切って骨が見えたことある」などなど。仕事柄カッターを使うことが多いので、みんないつか一度は経験するものだと口を揃えて言う。私の包帯を見て語り始める人々の言葉をかき集めて短編小説でも作れそうだ。
金曜日
久々に面倒な仕事に遭い、振り回されすぎてもう疲労困憊だ。何でもかんでも「速さ」が求められて、みんなが少しずつ嫌な人になっていく。昼に皮膚科へ行って包帯を解いて、初めて傷の断面と負傷の全貌を把握した。あらゆる場所が曲線を帯びる人間の体なのに、自分の親指の先は直線になっていた。この不自然は完全に元に戻らないかもしれないらしい。帰りが遅すぎてモスバーガーが食べれなかった。
土曜日
昨日、振り回されすぎて終わらなかった仕事を家でちょこちょこやっていたらあっという間に時間が過ぎてしまいシャクだった。
日曜日
映画やドラマを見ていて「この人マスクしてないな」とふと思ってしまうことが最近よくある。「思う」というか、ふと瞬時に感じる、という方が近い。顔を近づけてヒソヒソ話をする時とかに、本当に風のように「フッ」と感じる。スクリーンの中の世界、コロナ以前の世界と、今自分が生きている世界との距離がどんどん遠くなってきている。マスクしなくても良い、建物に入るときにアルコール消毒しない、体温を測られない、それだけのことを普通にしているシーンが現実の世界と地続きに感じられなくなってきている。マスクから出てる目の部分しか知らない人もだんだん増えてる。いきなりマスクなしの生活になったら何だか少し恥ずかしいかもしれないな。
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momokoikegamiwrite · 3 years
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11/2〜8
月曜日
実は、「鬼滅の刃」の映画を見ておきたくてアニメシリーズ26話分を数日前から観ていた。あまりに世間が鬼滅一色で、そういうものってやっぱり多くの人の心を掴むだけあって面白いのだろうし純粋に楽しみたいなと最近は思うようになった。ストレンジャーシングスも、アベンジャーズも、スターウォーズも、アナと雪の女王も、初めは毛嫌いしてたけど心底面白かったし、例えそれが面白くなくてもどこが嫌なのかを明確にできたらそれだけで良い。そういうわけで「鬼滅の刃」テレビアニメシリーズを観終わり、本日はついに映画を見てきた!テレビアニメシリーズは、本当に絵が綺麗で技の演出とかとても凄くて(水の技法で波が浮世絵タッチになるとことか)面白かった。それを劇場版で大スクリーンで観れるのはやっぱり凄かった。でも、何かの作業のついでに観れるテレビアニメくらいの距離感だとちょうど良い「説明セリフ」のくどさが全集中して観る映画というシチュエーションだとあまりにもしつこすぎた。正直、テレビアニメの延長と言う感じで映画としての面白さってそこまで無いと思うのだけど、アニメの画力と声優の力の凄さはめちゃくちゃ体感した。死を美化しすぎなのでは…とちょっと心配になった。小学生たくさん見てるので。
火曜日
「プリキュアミラクルリープ不思議な1日」を見に行った。不覚にも、めちゃくちゃ泣いてしまった。まず、映画が始まる前にプリキュアのキャラクターが出てきて「声を出しちゃダメだよ」と注意のアナウンスをするんだけど、その、小さい人たちに語りかけるその物腰が素敵すぎて泣けた。もうこの時点で、この作品は徹底的に子供の味方で、子供に真剣に語りかけてるんだって感じて泣いた。次に、テレビアニメと同じオープニングの曲がフルで流れたとこでまた泣いた。いつも日曜の朝に聞いて生活に馴染んでる曲が、特別スペシャルバージョンになって目の前の大スクリーンで流れていて、日常とエンターテイメントの融合がすごすぎる。そして去年のスタートウィンクルプリキュア、さらに一昨年のハグっとプリキュアが出てきてアベンジャーズごとく違う作品の戦士が集うユニバースものとしての迫力。今回は"時間ループもの"で、謎のタイムキーパー(敵)に操られて同じ日の午前中7:30〜12:00を100回くらい繰り返すっていう設定で、なんとも映画的題材をテーマにもってきている。そして、「明日へ進む力」を持つミラクルペンライトをかざして皆んなで明日を目指す。コロナでなければこの「ミラクルペンライト」を映画館に来た子どもたちがスクリーンに向かって振りかざし応援することでプリキュアはやっと勝てるのだけど、今回は感染症対策で声を出してはいけないことになっており、そこは改編されていた(この映画はもともと3月に上映される予定で延長を重ねやっと公開されたもの)。推しのプリキュアの格好でバチバチにキメてきてる小さい女児の姿にもやられた。好きなものに夢中になることと、その夢中を提供することの尊さよ。
水曜日
昼休みに外に出たら、今日も青空がすこぶる青かった。青くて、青くて、どこまでいっても青くて、もうこれだけで十分だと思った。日陰は寒いけど、お昼に日向のベンチに座っていたら5分もしたところで着ていたフリースが発熱して暑いくらいだった。きな粉クッキーを作った。ひとつまみいれた塩が抜群にうまかった。チョ・ナムジュの「彼女の名前は」を読んだ。「82年生まれキムジヨン」から数年、前作と違うのは、地獄の最中にいながらも声を上げ、ここにいない誰かのために社会を変えようとする力強さがあること。私たちはもう黙らない、運動が日本に比べ盛んな韓国の声だ。一緒に良くなっていきたい。
木曜日
工場へ行って立ち会いした。久しぶりに機械を見た。インキの独特な匂いが充満している工場、微妙な色加減を巧みに操作する現場の寡黙な人、世の中の印刷物は全てこうして人が機械を動かしてひとつひとつ作り上げているんです。途方もない。
金曜日
どうしても食べたくて、またモスバーガーへ行った。うちの駅にはモスバーガーがある。モスバーガーがある街は良い街だってマキタスポーツが言ってた。そう思う。
土曜日
日曜日
荻窪音楽祭で、今年は医療従事者へ向けたチャリティコンサートが開かれ、抽選に当たったので見に行った。正直、医療従事者へ感謝の拍手を〜とかチャリティコンサートを〜とか招待したって医療従事者の人はそれを望んでいるとは到底思えないのだが、とにかく久々にクラシックが聴きたかった。今回は四重奏+ピアノで、聞きたかったショパンのピアノコンチェルトもたった5人での演奏だった。ショパンって本当に、なんて美しい旋律なんだろう。ヴァイオリンの人が「私たちの演奏はホールの響きに助けられて初めて成立する」と言っていたのが印象的だった。名演には名ホールあり。ここの杉並区公会堂はとっても良いホールだと思った。
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momokoikegamiwrite · 3 years
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祈りにも似た何か
「カセ」というのがその人のあだ名で、私たちはとても仲が良かった。クラスも一緒で、学童も一緒で、帰る方向も一緒だった私たちは、どこからとも無く遊ぶようになり、よく話すようになり、そしてよく一緒に帰るようになった。彼はとにかく面白かった。身体が同級生よりひと回り大きかったせいか、そこらのわんぱくな男児には無い大人っぽさがあって、短めな言葉で「笑い」を誘うセンスがあった。彼と歩く帰り道は、いつもいつも涙が出るほど、お腹が痛くなるほど笑わせられたことをよく覚えている。カセが教えてくれた「マル秘おじさん」というのは、マンガでたまに出てくるニコニコしたおじさんの記号だ。彼はそれをとても上手く書けて、書き方を教えてくれた。どんなに似せて書いても「全然ちがう」と言われ、「これこそがマル秘おじさんだ」とその記号を描いた。それは自分で書いたのよりとっても上手いような気もしたし、あまり変わらないような気もした。今になって調べたらそれは通称「ニコニコおじさん」という記号で、「マル秘おじさん」という名ではなかった。
大人っぽくて色々知っていて、そのセンスで周りを笑わせる彼を、尊敬していたし、憧れた。でもそんな彼がものすごく幼く思える瞬間があって、それは決まって帰り道で我々が別れる時だった。「じゃあね」と言う時、彼は大抵の場合帰ろうとする私を引き留めた。もう少し喋ってようよ、帰っちゃダメ!と駄々をこねて私のランドセルを引っ張った。彼は身体が大きいから、その力は当時の私にとって逆らえない強い力だった。結局のところ道が分かれるT字路のとこでカセと長い時間を過ごし、家に着いて母親から帰りが遅いと叱られたことが何度かある。
それにしても、まだ遊びたいから引き留める、帰りたいから断る、という自分の欲求に対して、なんてストレートな体当たりのコミュニケーションだろう。社会的な人間になっていく過程の初期段階、小学校低学年は男児も女児もみんな一緒くたで、みんながみんな友達だった。
今になって思う、カセはなんであんなに面白かったんだろう、そしてそれから中学校まで9年間も一緒の学校に通ったはずなのに、カセの記憶が小学生低学年のあの時しかないのはなぜだろう。いつの間にか男は男、女は女の友達を作るようになった。中学校になるとカセはクラスで比較的「地味」な存在になった。同じクラスになったかどうかさえ覚えていない。それはカセにとっての私も同じ事だろう。あんなに面白い人なのだと知っていたのに、何が隔たりを生むのだろう。私は声変わりしたあとのカセの声を知らない。
元気ですか?変わりないですか?今何をしてるの?マル秘おじさんのこと、覚えてる?きっともうそうやって話すことはないんだろう。それがとっても悲しいようにも思えるし、そうでもない気もする。でも久しぶりに色々思い出して、あの時は本当に楽しかったと伝えられたら嬉しい。伝わらなくても良い。とにかく、元気だと良いな。マル秘おじさんのこと覚えてるといいな。これは祈りにも似た何かです。
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momokoikegamiwrite · 3 years
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10月26~11月1日
月曜日
とんでもなく歩いたのはもう一昨日のことで、体は軽い筋肉痛が足全体にあるかないかくらいなんだけど、ずっとちょっとだけ眠いという感じが続いている。本日もどこまでも青い青い青い青い青い空だった。年に一度の健康診断の日たっだ。いつも思うけど、流れ作業のように血を取られ心電図を取られ何やら色々なすがままに体を測られていると、自分の体が「自分」からどんどん離れていってただの入れ物のように思えてくる。血をたくさん取られて頭が少し痛くなったりした。
火曜日
王谷晶「ババヤガの夜」を読んだ。先週に単行本が発売されて、本屋で活気だっていたのが気になって、そういえばこれの初出で乗っていた「文藝」2020年夏号を引っ張り出して読んだ。頼もしく新鮮なシスター・フッド。みなぎる暴力性で生きている「女」というのが新鮮すぎて、楽しかった。フィジカルな戦闘シーンの描写が楽しかった。なんかまだうすら眠い。仕事が増えてきている。
水曜日
結構仕事がつまってきていて、むず痒い。眠い。山手線歩いてからずっと、昼も夜も常に眠い。夜は布団にはいって蒸気でホットアイマスクをすると発熱を感じる前に寝落ちしてしまう。仕事のことで頭いっぱいになった1日の夜に、バナナマンのノープランロケ群馬編を見たらすこぶる感動してしまった。なんというか、もう少し楽しく気楽に生きたいと思った。
木曜日
あったかい日だった。チョ・ナムジュの「彼女の名前は」を昨日から読んでいる。1話が5~6ページで終わる短編集。何十人もの女性にインタビューして話を聞いたことを基にして書いたフィクション小説。本当に彼女の小説は素晴らしいなとおもう。辛いんだけど、辛い毎日なんだけど、それでも自分を生きることを諦めない人は強いしその一つ一つが未来を作っているのだと、思う
金曜日
澄んだ夜だった。月の輪郭が随分とはっきりして見えた。金曜日だから浮ついた気分で西荻窪のすきな本屋「今野書店」へ行って”近藤聡乃フェア”と題して近藤先生の推薦した図書が並べられているのを見てきた。どれもこれも面白そうで、読みたいものリストへ追加する。「読みたいもの・見たいもの」リストって、祈りに似ているよな。どうか欲望のサイズが小さくなりませんように。。今野書店を出てすぐのとこにあるモスバーガーへ行って「モスバーガー」をテイクアウトする。モスバーガーは食べると元気がでる。なぜならすこぶる美味しいから!幸せな気持ちで歩いて家まで帰った。
土曜日
神保町で行なわれたブックフリマに行ってきた。今年は恒例の古本市がコロナで開催されなかったのだが、それでは寂しいからといって白水社が言い始めて続々参加社が増えて「神保町ブックフリマ」となったのである。出版社から直々に訳あり本とか、在庫本を安く買える。好きな亜紀書房では「バット・フェミニスト」という本が1000円で買えた。出版社の人の手から直接買えるのは楽しかった。印刷されるまえの「束見本」なんかも100円で売っていて興奮して何冊か買ってしまった。自分も仕事で「束見本」を手作りでこしらえることはあるけど、出版本となるとこんなに実際のものとそっくりなものを作るのかと感心した。それから白水社、クオン(韓国翻訳本をたくさん出してる出版社)と、好きな出版社で安く本が買えて気づいたら肩が相当な重みになっていた。途中から友達(先輩)とも合流できて、喫茶店でお茶して、晴れていて、青い空で、良い休日だった。夕方から実家へ帰り、父の誕生日を祝った。
日曜日
ロイホでモーニングしたついでに、バッティングセンターへ行った。何となくやってみたくて自分が行きたいと言い出したものの、行ったら一番ノリノリで調子よかったのは母だった。母も、父も、学生のころにやっていた経験があるからかバンバン打っていて気持ちよさそうだった。何回かやったら���分でもボールが当たるようになってきて��んだん楽しくなったけど、当たった時のボールの重さは想像以上で、二の腕の筋肉が疲労した。
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momokoikegamiwrite · 3 years
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10月19~25日
月曜日
先方の入稿データがとても遅くて、入稿データを待たずして帰ってあとのことは現場に任せても良いかと生産管理の人に問い合わせたところ「ダメだ」と言われ、「帰りたくても帰れない」という状況に直面し、視界がすべて下に向かって垂れていくような、そういう絶望を感じた。加えて「あと30分で送ります」の約束の30分後に「すみませんあと1時間かかります」と言われ、ここで心が完全にポキっと折れる音がして、タイムカードを切りながら今度はお伺いをたてることなく「私は帰りますのであとのことは頼みます」と半ば強制的に押し付けて帰った。罪悪感がないわけじゃない。どうしても無理っていうことのが生きていると結構ある。
火曜日
リニューアルした印刷博物館へ行った。印刷の歴史は「歴史」そのものと隣り合わせであるということがよく分かる面白い展示だった。印刷技術はどんどんと進化するのだが、昔の印刷技術の風合いを今の機械で再現できるかといえばそんなことは決してない。今の印刷は早すぎる気がする。早すぎて、綺麗すぎる。
水曜日
青空がとんでもなく青い。吸い込まれそうなほどにどこまで見ても青い。夏には決して見れない、空気が澄んでいる秋の青空が気持ち良かった。浜松町から神谷町まで歩く時に、いつも東京タワーを真下から見上げられる道を通る。その真っ赤なカラーが青空と対照的で、よくもこんなにこの世界にとって異質物な赤の巨大建築を造ったなと感心した。
木曜日
仕事で内幸町の方へ行った。東京の中心地、というよりかは日本の中心地と言える場所だと思うが、平日の仕事時間でもこの辺は出歩く人をさほど見かけない。この静けさはそわそわするけど嫌いではない。歴史のありそうな建物と新しそうな高層ビルが混在しているオフィス街は欧米にはない東京の面白いところのひとつだと思う。山手線一周徒歩の旅に一番乗り気で参加してくれる人が、それぞれの駅間の距離とそれに基づく予想タイム、休憩時間などを組み込んだタイムスケジュールを作ってくれた。仕事できる人は遊びでもよく気付いて素晴らしい仕事をするもんだなあ。
金曜日
GOTOトラベルで忙しかった旅行会社の制作物が、諸事情あり急遽製作をストップすることになったので急な空きが出て、午後は早めに帰ることにして、モンベルへ行った。モンベルのキャッチコビーは「function is beauty」らしい。機能的なことは美しい。”不要不急”なレジャースポーツに欠かせない機能的なアイテム。
土曜日
ついに山手線一周徒歩の旅を決行した。仕事で付き合いのある人たち5人でスタート。途中から複数人増えたり減ったりをしながらこの途方もない長い長い旅路をひたすら歩いていく。直線距離で34km、実際は線路の上を歩くわけではないのでもっと長い距離を歩く。自分から誘っといてあれだけど、よくもまあこのような頭のおかしい企画に人が集まったものだ。みんな思ってるより暇だし体力があるし好奇心があるものなのだと思う(失礼)。
もともとは、緊急事態宣言の最中で近所のウォーキングコースや周辺の区域を散歩することばかりしていたことが始まりだった。ラジオを聴きながらひたすら歩くのが楽しくて、どこまで行っても多少は疲れるけどまだまだ歩けるな、という感じだった自分は、ならば一体どのくらい歩けるのか、歩きに限界はあるのかということが知りたくなった。そして単純に「山手線を一周歩いてみたい」という小さくない好奇心があった。そこで、そんなに長く歩くとなれば仲間が欲しいと思い、4月にA5サイズで8Pの「山手線一周徒歩の旅しおり」を作って周囲の人たちに半ば強制的に配り回った。内容は特に山手線について調べたわけでも何でもなくて、ただ行きたいという熱意だけが伝われば良い、そして自分がこの企画に飽きた時にやる気を再起するものであって欲しいと思って作った。しかし配った人は大抵面白そうと食いついてきたのが意外だった。
新宿駅から池袋方面へ、外回りで朝7時30分からスタート。よく晴れて空気が澄んでいてすこぶる順調だった。時々、20~40代の男女がぞろぞろと休日の爽やかな時間帯に住宅街をぞろぞろと歩いている状況がおかしくて、一体何をしているんだ…?と冷静になって笑ったりした。でも、それこそが自分のやりたかったことだった。あらゆる事や労力に、それなりの「対価」ばかり追求させられる社会で。「何のために」の答えが明確であればあるほどそれが正解であるかのような社会で。「何してんの?」と聞かれたらただ「歩いてる」としか言いようのない旅、ゴールこそ設定しているものの、そこは最初にいた場所にすぎず、少しも進んでいない。でも我々の旅は進まなくていいのだ!身体をすり減らしながらやっと辿り着いたスタート地点、こんなに意味のない事に夢中になれて、本当に嬉しかった。合計43km、15時間の徒歩の旅。ゴール直前まで元気だったけど、終わった瞬間強烈な眠気が来てアドレナリンの終了を感じた。楽しかった。
日曜日
友達が友達を集めてくれて、朝から韓国文学読書会に参加した。「82年生まれ、キムジヨン」を細かく読み進めて意見交換をした。雑談の中で、上野千鶴子の東大入学式の祝辞の件で、「フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です」と言った事に対して、女性は弱者のままでしかいれないんだろうか、という話になった。「レディファースト」という習慣のもと、男性にドアを開けてもらったり、先に中に通してもらったりするような行為を喜んで受けていて良いのだろうか。でもそういう文化=悪というのも極端で…というような話。梨木香歩さんのエッセイ「春になったら苺を摘みに」で、紳士の誇りを持つイギリス人男性たちのそういった所作に慣れて日本に帰った時、エレベーターから我先にと降りていく日本人男性を見て自分がいかにそういったレディファースト文化に甘えていたかということを恥じたというような場面があったと思う。レディファーストの習慣を「レディ」の立場として受け入れることが、そのまま「弱者」であることを受け入れることになるのではという意識が芽生える。弱者だから「レディファースト」がある。弱者だからレディースデイがあるし、女性専用車両がある。弱者が、弱者のまま尊重される。同世代の考えていることを真剣に話せる場所があって良い。
午後は月一の論集会議だった。そろそろ形にしたいと思いつつ、思いつつ…。昨日の疲れが午後になってやってきたのか、ふっと喋りながら気を失いそうになるような眠気に襲われた。あと2つくらい、文章をまとめられたら良いな。
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momokoikegamiwrite · 4 years
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10/12~19
月曜日
昨日見た映画版「82年生まれ、キムジヨン」のラストの結末について考える。小説では数々の絶望の経験(カルテ)を通して、それでもなお繰り返される絶望という抜け道の無さに、ある種恐怖を覚えさせるスリリングな結末を迎えるのだが、映画でなされた改変は明らかに「希望」を示すものだった。この改変について、昨日見終わってすぐの感想としては「そのままの展開だとキツすぎて見てられないので救いがあって良かった」と思ったのだが、それから冷静に考え直して「果たしてあれは本当に救いと言えるものだったのか?」という疑問が浮かび上がってきた。というのも、SNSに投稿された人々の感想の中に、「何一つどうにもなっていないのにまるで何かどうにかなったかのような終わり方」と書いているのがあって、これは本当にその通りだと思ってしまったのだ。例えば、小説でも象徴的なシーンとして描かれる、ジヨンが通りすがりのサラリーマンに「ママ虫」と陰口を言われるところ。韓国で「ママ虫」とは専業主婦に対して言われるネット上の悪口で、夫の稼ぎで悠々自適に働かず自由に暮らしていることを揶揄しているもの(パラサイトとは言わないんだな…)。小説版ではこれを直接言われたジヨンが、大変にショックを受けその場から急いで立ち去るように描かれるが、映画版では最後、ジヨンが彼らに対して怒りを言葉にして立ち向かい、怯んだ相手側が逃げるように立ち去る、という風にに改変されている。これについて劇中でジヨンは「すっきりした」と清々しく語っており、これが映画版で追加された小説版にない「希望」だったのである。問題は、これを果たして「希望」と言っていいのか?ってことだ。
キムジヨンは、”その時代の生まれにしては”リベラルな考えを持った母親と、”釜山出身にしては”良識のある優しい夫を持っている。それは小説が語ろうとする女性の生きづらさの要因を、キムジヨンの出身やパートナーの特性などその人特有のものに回収させられてしまうことを避けるためである。女性を苦しめる”伝統的な”価値観や社会のシステムの欠陥は、どんな環境においても否応なく無差別に彼女らを蝕むのだということ、この仕掛けこそが「私がキムジヨンだ」と世界中の女性に言わしめた所以であるだろう。それゆえに、社会の側が何一つ変わることなく、ジヨン1人の行動によってその内面的かつ固有の部分のみが「スッキリし」て解放されたという改編は、「私がキムジヨンだ」と言った女性たちの救いに果たしてなり得るのだろうか。結局個人の精神的な「成長」といった曖昧なもの、そしてエンターメイト作品映画としてはありきたりなオチに回収されてはいないだろうか?モヤモヤ・・。
なるほどな!と思ったのは、ここの部分の一つの見解としてwebコラムにあった「怒りの声を上げることで未来を変えられるというメッセージを伝えたかったのではないか」という見解。小説版から数年経ったあとの映画版として見せたかった未来、ここ数年で起きたMeToo運動などの大きな動き(韓国では怒りの声を盛んにあげてるイメージある)そういうものを込めたのかな・・。もう少し考えたい。
火曜日
種なし柿を食べて、とても美味しかったんだけど、種なしで今後この美味しい柿はどうやって子孫を残していくのか?木の枝を植えたら柿の木になるのか?
水曜日
好きなマンガ「A子さんの恋人」の最終巻が発売され、さっそく書楽で買ってきた。いざ手にすると、自分は今「A子さんの恋人を読み終わっていない世界を生きており、それは自らの手で今すぐに終わらせてしまうことができる」という状態に少々の混乱と興奮が沸き起こった。とりあえず普通に夕飯を食べて、普通に寝る準備をして、淡々と過ごしてみたところでそれでもその存在を無視することは出来なくて、結局最終巻を読んだ。読み終えると、悲しみと寂しさと嬉しさでもうよく分からない混沌とした気持ちになった。
木曜日
「A子さんの恋人 読了後の世界」を生きているんだなと思う。
仕事で仲の良い人といつものように楽しく話していたら何でか政治の話になって、しばらく話していたら、その人はこないだの日本学術会議の件で菅さんの事をかなり評価しているようだった。それ以外にも女や若手は政治家になって欲しくなさそうな言い方や、日本はこれからどんどん良くなっていくという考え方、日本へ来る出稼ぎ外国人労働者は今の生活に満足しているだとか、どの話題でも自分と違う意見で、その一つ一つに対抗してたらとても疲れてしまった。一応はその人の言い分を聞いてみたけど一つも納得できないしその情報のリソースがそもそもそういう意見を擁護するために着飾られたものであるようにしか思えなくて、でもそれはあちらが私の話を聞いても同じように聞こえているのだという事もよく分かって、だから余計に壁が大きく頑丈なものに思える。一瞬怪しい雰囲気になりかけたけど、でも私は今ここで横にいる人のことが好きだと思うし、これからも一緒に仕事をしていくし、同じ世界を生きていくので、それをそのまま伝えて丸く終わった(と思う)。それはそれで、7割は菅さんを支持しているので単純に考えれば10人会えば7人はこうなるってことなんだろうか。政治の話はタブー視せず、日常的にどんどんした方が良いと思っていたけど、それはこういう葛藤を常に伴うものなんだと改めて気付いた。免疫を付けたいと思った。対話って難しいけど諦めたくはない。
金曜日
色々あってマジックショーに行くことになった。お世辞にも上手いとは言えないものだったけど、ファンの人とか、こういう場に慣れていそうな人で席は一応埋まっていた。20人居ないくらいの客がいたけど、「たぶんここで拍手するんだろうな」というタイミングで誰も拍手しないから独特な間が生まれて(いるように感じて)、マジシャンもそれに対して寂しい目をして(いるように見えて)、何とも気まずい空間だった(私だけ?)。今日は偶然ここに居て、この都会の中の小さな空間で気まずい空気を味わうことになったわけだけど、街の喧騒の中にはこういう風に自分が知りもしない様々な気まずい空間がそこら中にあるのだろうと思うと何てこの世は大変なんだという気持ちになった。
土曜日
昨日会社を出る時に「明日は一日中雨だよ」と去り際に言い放った人の言葉通り、一日中雨が降っていた。しかも寒かった。朝起きた瞬間から雨の音がするととても寂しい気持ちになると誰かが言っていたけど、確かにそれはあるなと思う。一方でまた別の人は「休みの日に雨が降ると安心する、どこか出かけて楽しく過ごさなくても雨のせいにできるから」と言っていたことも思い出す。休みの日に対してはそう思わないけど、緊急事態宣言が出てるとき似たようなこと感じた。「何もできない」という状況は、「何もしなくていい」という余裕の心構えをもたらした。もうすっかりあの頃の感覚は無くなってしまったな。寒...。
日曜日
クリストファー・ノーランの「TENET」を見に行った。難解とばかり評される映画だったので構えていたけど、この話の一番の”肝”となる「時間の逆行」の仕組みを説明する場面で、エントロピーが云々…という説明をしていた物理学者が「まあ、あまり考えるな、直感が大事だ」と言って話を終わらせたので、なるほどこれは考えても意味ないやつなんだと思ってその後は言葉通りフィーリングで映画を楽しんだ。それでもエンドロール終わったら頭の中は「???」ではあった。時間の逆行世界を進んでる時って、生き物は老けるのだろうか?進めば進むほど過去に遡っているのに、生き物だけは老けていくのだろうか。熱い→寒いとかになる世界で、辛い→甘いとかにもなるのだろうか。
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momokoikegamiwrite · 4 years
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10/5〜11
月曜日 何をするにもやる気が出ない、デスクに座ってパソコンを眺め、やる事はあるのだけどぼーっとしてしまうみたいな日だった。疲れている。 火曜日 日曜日に買った野菜が未調理のまま冷蔵庫に入っていることが精神的負荷になる。仕事が長引くとそういうのを処理できる余裕も時間も体力もない。妙に昨日から疲れていた。寝る準備もして無いのに横になると「もう絶対に起き上ががってはいけない」という指令が脳から出て仕方なくそのまま寝た。 水曜日 部活で、仲間に練習の怠慢について怒られ、呆れられるという夢を見た。当時はあまり意識してなかったように思うけど、高校時代は部活動も、練習を疎かにしている自分のことも、あまり好きじゃなかったんだと思う。 午前休を取り、昨日までの疲労で散らかった家をリセットした。未調理の野菜にも火を入れた。晴れると本当に気分が良くなる。部屋も綺麗になり精神的にもだいぶ楽になった。やりたかった事があと2.3個あったけど時間切れで仕事へむかった。 木曜日 寒すぎ。朝の2時間休みをとった。おぼんを買ったら生活のQOLが上がった。こんなに便利なのか、オボン。特に、テーブルからキッチンへ運ぶときと、お箸の置き所に困らないことに大変気持ち良さを感じる。 仕事で、旅行代理店の人のぼやきを聞いた。GOTOで潤ってるのは高級志向の施設だけらしい。つまり、多くの人はせっかく割引されるなら割引率が高くなる値段設定が高めの旅館やホテルを選ぶから、結局偏ったところにだけに金が回っていると。全ての宿泊施設がGOTOの恩恵を受けているわけでは決してないのだ。
あとこの日は普段一緒に仕事をすることがない人と用があって外出することになり、その道中で「女子らしくない時計をしているのはなぜ?」「インドアそうな見た目だけど休日は何をしているの」「天然だよね?」「いつも眠そうだけど仕事楽しい?」などと不躾に乱暴なことばかり聞かれて、帰ってくる頃には文字通り疲労困憊になってしまった。なんというか…なんでてめえの狭すぎる価値観の中から外れているというだけのことなのに、それでもなお「理解」しようとしてくるのか、っていうことにとてもイライラした。結局最後は「やっぱ変わってるよ」と言って自分との境界線を明確につけて自分の想像力の無さを全く疑いもしないという態度がね…残念なんですよ。1マス戻る。
金曜日
寒。めずらしく会社の人たちと夜ご飯へ行った。人に優しくなりたいと思った。台風は反れた。
土曜日
雨だと体が動かない。寒い。明日映画を見るので、『82年生まれ、キム・ジヨン』の小説を読み直した。改めてこれは本当に優れたフェミニズム小説だと思った。小説としては一風変わった作りなので、どういう風に映画化されるのか楽しみだ。
日曜日
昨日、『A子さんの恋人』という漫画を読みながら寝たら、人間関係に関する不快な夢を見た。映画館へ行って『82年生まれ、キム・ジヨン』を見た。昨日原作を読み入ったからか適切な距離をもって観れなくて、もはや映画として面白いのかどうかが全然わからなかった。でも確かなことは、小説版がもたらした「絶望」を、そのまま映画版でやられると正直キツイってことだ。文字だからまだ多少の冷静さを保って読んでいられるけれど、より直接的刺激の強い映画ともなると、あまりにも後味が悪すぎるな、と。なので映画版オリジナルの結末として「希望」めいたものが示されたのは本当に良かったと思う。やっぱり映画というのは希望を描いて欲しいものなので…。
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momokoikegamiwrite · 4 years
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9/28〜10/4
月曜日
校了がごたついて遅くまで仕事をした。帰り道で"片想い"のインスタライブを観た。これは緊急事態宣言の時からずっと続いている週に一度の配信で、バンドのメンバー同士が各々の家から繋いでその1週間であったことを話すというもの。子供を耳鼻科へ連れてったとか、美容院で髪切ったとか、どこのラーメンを食べたとか、そういう話を聞くのはあの騒々しい日々には妙に心地が良かった。それからもうあっという間に半年くらい経つ。今日はシンさんが尾瀬の湿地帯まで小旅行をした話だった。東京から電車とバスを乗り継ぎ、徐々に人が減っていって、尾瀬に着く頃には一人になって、後ろも前も誰もいない湿地帯が気持ち良いのだけど、熊が出るかもしれない恐怖と、疲労で急に「もういっか」って帰ったていうのが、とても現実味があって良かった。前にこの配信で、シンさんの好きな映画がアッバス・キアロスタミの「友達のうちはどこ」だということも知った。片想いの「菅によせて」と言う曲は、「オーリトーリ」(石垣で「ようこそいらっしゃい」みたいな意味)という掛け声で偉大なアーティストなどの名前を呼んで、その人たちのエネルギーを呼び寄せるみたいな曲なんだけど、そこで「アッバスキアロスタミ!!」って叫んでいたな、と思い出した。
火曜日
チャットモンチーの「ツマサキ」を不意に聞きたいなと思って聞いてからというものずっと聞いている。
水曜日
午前中に休みを取って家で過ごした。晴れていたけど、コインランドリーの乾燥機を使って洗濯物を乾かす。そうすると一瞬で乾いてしまうし、タオルがフワフワに仕上がるのが好きだ。今日は100点の天気で、部屋にいい風がよく入り込んできた。『優しい暴力の時代』を読み終える。剥き出しじゃなくて優しい親切な暴力、人と人とではなくて、もっとマクロな社会システムのシワ寄せとしての暴力を被る人々、というか私たち。その社会の隅の方で絶望な状況に置かれる登場人物とともに悲しい気持ちや怒りが湧いてきたりするんだけど、読了後に潔いポジティブな諦めを抱く感じは意外と爽やかなものだ。レモンサワーを飲んで帰る。
木曜日
昼下がりに外に出たら、金木犀の匂いがした。甘ったるい金木犀の匂いが昔は嫌いで、小学校の通学路にあった大きい金木犀の木が花を咲かせると、息を止めて走ってその前を通り過ぎていたことを思い出した。今もそんなに好きな匂いではないのだが、この匂いがすると秋が来たのだと思えて良い。
金曜日
ドライフラワーが家に来てから1週間くらい経つけど、未だ起きるとラベンダーの匂いがして気分が良い。それにしても、家に帰って来るとフワッと花の匂いがして、しばらくすると鼻が慣れて匂いを意識しなくなるのに、寝て起きるとそれがリセットされてまた新鮮に匂いを感じられるのが不思議だ。寝ている間は嗅覚の機能もお休みしているんだろうか。帰ってきたらリュックがお茶びたしになっていた。水筒のフタのしまりが甘かったらしい。まったく、防水リュックのおかげで底の方がまるで水たまりみたいになって、入れていた本の下半分がその水分をグングン吸ってシワシワになっていることに、帰宅するまで気づかなかった。疲れたのでそれらを机に並べてからすぐ寝た。
土曜日
さわやかな朝。昨日お茶びたしにしたものたちの全貌を朝の光で確認する。本と、ノートはもう元には戻らなそう。シワシワだけど、まあいっか。本は少しボロボロくらいの方が読み込んでる感が演出できてい良いでしょう。晴れていて気分が良かったので、美味しいフランスパンを買いに行った。SONKAのフランスパンはとても香ばしくて味わい深くて美味しい。フランスパンは砂糖や塩で味の調整をするという次元ではなくて、小麦粉の味をいかに引き出せるか、ていうものらしい。「今の僕の全てです」と書いてあるパンを、絶対に無下にしたくないから、噛み締めて味わった。近くの台湾茶やさんが今日だけルーロウ飯を売っていると教えてもらい友達と食べに行った。甘いスパイスの匂いがするとっても美味しいルーロウ飯だった。『オン・ザ・ロック』というソフィア・コッポラの新しい映画を見た。娘と遊びたい父と折り合いをつける話、良かった。吉祥寺の夜はスケボがたくさんいて、自由な街という感じがして良い。
日曜日
「浅田家」「フェアウェル」と新作映画を2本立てで見た。見たい映画はいつも重なる。楽しかったけど長いこと集中しすぎて疲れた。さつまいもの炊き込み御飯を作ったらとても美味しくて感動した。
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momokoikegamiwrite · 4 years
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最近の
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Kieuk(ㅋ)  /  Kiha & The Faces
友達が教えてくれた韓国のバンド。韓国語は聞いてるのが本当に楽しくて、特に彼らの曲はは日本語にない発音とか韓国特有の語尾の感じとかが音楽と一体となって聞けてとても楽しい。この”ㅋ”(クッ)は日本でいう”www”みたいな感じで”ㅋㅋㅋ”って使う。クククッって笑う感じだけど、「ク」の発音が違いすぎて、本当にこの発音で笑うのかな、と気になっている。
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ゆうちゃん / 小山田壮平
先日リリースした小山田壮平の「THE TRAVELING LIFE」をずっと聞いていたけど、特にこの「ゆうちゃん」っていう曲が好き。まるで1つの小説を読んだみたいにやさしい風景が思い浮かぶ。
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すべてを / 片想い
宗教を持たないわたしたちにとっての「祈り」みたいなものはこういうことか?と考えている。
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Parekh & Singh - I Love You Baby, I Love You Doll
声とメロディがすきでずっときいちゃう
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momokoikegamiwrite · 4 years
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9/21~27
月曜日
祝日。久しぶりに代官山蔦屋書店へ行った。アート系のブックとZINEを中心、特に写真集はやっぱり品揃えがすごくて見応えがあった。台湾へ行きたい気持ちが募りに募って、友達と台湾料理を食べに行った。一人だったらとても並べそうにないところで魯肉飯と水餃子を食べた。五香のスパイスが美味しくて切なかった。KINTOの二重構造になっているコップのデザインが完璧すぎて眺めているだけで幸せになるばかりか、普通のコップで飲むより美味しく感じて、感動した。内側がドリンクを飲み干しやすい様な角度で設計されているらしい。これで1000円で良いんですかっていう良いコップだった。
火曜日
祝日。朝から晴れていて風が気持ちよく適温、100点の天気だった。時期的に、これから数日間は一年に何度と無い100点の天気に出会える確率が高くなってくる。100点の天気に会うために生きているといっても過言ではないから、いつでもそれを気持ちよく迎え入れる態勢を整えておきたい。適当に散歩していたら「むつみ荘」に遭遇した。阿佐ヶ谷にあるっていうのは知ってたけど予期せぬタイミングだったので驚いて一度何事もなかったかの様に前をさっと通り過ぎ、その後迂回してもう一度前を通ってアパートの全体をそれとなく観察した。何てことの無い古いアパートだったけど、これが"あの"アパートかと思うとドキドキした。むつみ荘から放送されたオードリーのANNを聴く。スーパーで山積みになっている安いかぼちゃを買ってきて、茹でて、ザルで漉して、マッシュポテトみたいにして、ひき肉を敷いて、チーズを乗せて焼いたやつがかなり美味しかった。ザルで濾す作業が思いの外大変で、腕も痛いしシンクを汚して心が折れかけたけど、苦労して良かった思える美味しさだった。Netflixで『レディ・バード』が配信されていたので早速観た。やっぱり本当に良い映画だ。ずっとグレタのことを思い浮かべながら観ていた。母親が空港から一人で運転しながら泣き出すシーンと、クリスティーンが留守電で母に語りかける車でサクラメントの街を運転したエピソードのとこで絶対泣いてしまう。
水曜日
会社。部屋をパーティールームみたいに照らしてくれるオモチャがAmazonから届いて遊んだ。
木曜日
会社。ふるさと納税の返礼品が届いた。寄付先は岩手県北上市で、返礼品はドライフラワー。思ってたよりも大きな花束で、かなり色んな種類の花がバランス良く素敵に束ねられていて感激した。何というか、自然の生業に則って咲いているだけの花々を選んで、組み合わせて、一つの花束として「束ねられている」という状態に、見知らぬ岩手県北上市のとある花屋さんの人間味が滲み出ているようで、それが嬉しかった。「花束」というものが持ち寄せてくる感情てものが確かにあるんだと思った。
金曜日
起きたら花の良い匂い部屋を満たしていて、昨日開封したドライフラワーの中にラベンダーがいたことに気づいた。なるほど、花は良いものである。金曜日は何かと忙しいものだが、心なしか週末の予感にみんな浮き足立っているようで、特に15時以降の電話やメールはいつもの1.2倍くらいテンションが高い。気持ちが少し火照ってきて、始終腕まくりをしているような。そういう金曜日はまあ、悪くない。
土曜日
夏の布団でしのいでいる日々だけど、さすがに最近は寒い。毛布を出した方が良いのか、分からない。NHKの天気予報で、「こういうことって年に数回しかないんですが、明日の天気はよく分かりません」と言っていたらしい。そういう事も、あるんだなとなんだか笑えた。こういう時って何か妙にイツモアリガトウネ!と言いたくなる。今日は結局、雨がしっかり降った。バナナマンのラジオを聴いてたら、日村さんが自分の最近気に入ってるホットプレートを設楽さんへプレゼントしたのだが、あいにく同じものを既に持っている設楽さんが「ごめんね日村さん、同じの持ってるから、でもありがとね」と言っていて、自分はバナナマンのこういう所が好きなんだよなと思った。マッチョ系の「伝統芸なお笑い」では批判して笑いを取りがちで、そっちの方がオーソドックスだと思うけど、それは自然としない方を選ぶ。悲しくならないで済むトーク。車でIKEAに行ってラックを買った。
日曜日
グザヴィエ・ドランの新作映画『マティアス&マキシム』を観た。グザヴィエ・ドランの映画は、言葉だけで想起できないような感情、歩いてる時にふと全体を思い出して喉元にこみ上げてくる様な、彼の「映画」を指してでしか「これ」と言えない感情がある。だから、彼の映画を初見で見る時は、それ以外の情報が全て遮断される映画館で見なければならない。楽しかったな。でも本当に息がつまったりもしたので本当は近辺で遊びたかったけどフラフラと家に帰って一回寝た。はっと目が覚めたら予想外に晴れていて気持ちよかったので散歩した。そしたら体が元気になったので晴れて本当にありがとうと思った。さつまいも甘煮と、かぼちゃグラタンを作った。Netflixでドラマ「保険教師アン・ウニョン先生」を観た。チョン・セランの原作小説がとても好きで、彼女が脚本を書いて実写化ということだったのでとても楽しみにしていたやつ。面白かった。とてもよかった。最近流行ってる韓国ドラマのような派手さが無いのに画面はゼリー(幽霊)とレインボー剣(おもちゃ)で可愛らしく、ファンタジーだけど、やっぱり人間の話で、先生も、学生も、悩み苦しみ喜び喧嘩し、時に諦め、悲しみ、それでも生きていくだけという温度感。すべて丁度良くて最高でした。(みんな観てるイテモンクラスにはまだ乗れなくて5話より先にすすめません。)
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momokoikegamiwrite · 4 years
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9/12~20
土曜日
待ちに待った和山やま先生の新刊『カラオケ行こ!』の発売日。書楽には平積みで大きな山になっていた。待ちきれず早速実家へ帰る電車(実家まで15分足らずなので無駄に往復してしまった(ホームの椅子で読めばいいものを))の中で読みきる。これまでの『夢中さ、君に���『女の園の星(1巻)』に続き、いやあ、��ちょっと本当に面白い最高すぎる。ギャグ漫画の分類だと思うけど、なんかちょっと泣いてしまった。これからも和山やま先生のまだ見ぬ漫画が読めるのかと思うとそれだけで生きる活力になる。いやまじで。こういうのは何というか、宗教を持たない自分にとってある種の”祈り”にも似た何かだと思う。実家で茅乃舎の出汁パックでカオマンガイを作った。炊飯器で鶏もも肉と米を炊くと肉が柔らかくジューシーになるだけでなく米が脂で(?)艶やかになってうまいということを知った。
日曜日
家族で近くのカフェへモーニングへ。コーヒーはそこそこ、ケーキが美味しかった。朝からコーヒーを飲んだらカフェインで気分が落ち込んだ。たぶん天気が厚い曇りなのもあると思うがそこからこの日は一日中そわそわして落ち着かなかった。そういう日もある。
月曜日
シフト出勤したのだが10:01にタイムカードを切ったので想定より30分ずれてしまった。失敗。アイスの実が京都の吉兆とコラボした「とうもろこし味」うまい。
火曜日
日曜日に実家で焼いたガトーヤウがうまい。初めてふるさと納税を買ってみた。手始めに5000円で岩手県北上市へ。返礼品はドライフラワー。迷いすぎて何もできないのが毎年のことなので、今年はちまちまとやるぞ、という気持ち。国勢調査の案内がポストに入ってた。やったほうが良いのか?
水曜日
会社を休んで朝から『mid90s』を見に行く。最高だった。ジョナ・ヒルって勝手にコメディアンだと思っていたけど(そういう面も実際にあると思う)コメディ映画じゃなくて、90年代のスケーターとそこにいる若者を16mmフィルムで美しく魅力的に描いた(というか切り取った)最高のカルチャー映画だった。劇中に出てくるスケーターが集まる公園(スケート禁止区域なので警察が来るとみんな逃げる)は実際にあったらしいが、(現在では公式にスケーターのために解放されてる)そこには何らかの事情で家にいたくない若者とか、ホームレスの人とか、中にはドラッグの売買してるヤバめな人々も混じってるようだけど、とにかくそういう”社会からのはみ出し者”が集って「最近どう?」なんて声を掛け合う場所としていて、こういうコミニティとしての居場所って良いよな…と思った。
木曜日
また会社を休んだ。レティシア・コロンバニの『彼女たちの部屋』を読み終えた。とても良かった。というか今個人的に気になっている「シスター・フッド」というキーワードに非常に関係する物語だったように思う。現代のパリで生きる女性と、同じくパリで100年前に救世軍として生涯を全うしたとある女性が「女性会館」を通して繋がる。100年前の祈りが時を経て現代の誰かに受け取られる様に、シスター・フッドとは緩くて不確かだけど強い連体感みたいなものとして働くことがあるよな、とか。それは今その存在を抹消されている「シスター」の声に手をのばすことができるんじゃないか、とか。久しぶりに善福寺川沿いを散歩したら、木の葉が散っていて秋だった。無性にバインミーが食べたくて浜田山まで歩いたが店が9月末まで休業していたので敢え無く帰った。『孤独のススメ』というオランダの映画を見た。おじさん二人が大きめのエコバッグを持ってスーパーへ行くところが可愛らしかった。
金曜日
会社。仕事中に通販でグレゴリーのリュックを買った。まぶたを虫に刺されたのか急に腫れて視界が狭くなる。友達の家に行って夜を過ごした。デンマークでよく歌われている曲とか(留学中に歌わされたらしい)、韓国、ロシア、台湾、異国の最高な曲をたくさん聴いて楽しい。本題のフリーペーパー作りもテーマ決まったし創作意欲が!湧いていい夜。
土曜日
なんとなく友達が持っていた『ウジョとソナ 独立運動家の子育て日記』を読む。1910年代から戦後を生きた夫婦の日記を元に描いた漫画。植民地化された韓国から亡命し、中国で臨時政府の一員として活動していた夫婦と子育ての話で、日中戦争の最中幼い子供を抱えながら何度も空襲から逃げたり引っ越ししまっくたり、もう息も絶え絶え、それでもいつか独立して祖国で平和に暮らすであろう希望を我が子に見て生きてきた軌跡に圧巻。漫画だから読みやすいしこういうのを翻訳して読める様にしていただけるのは本当にありがたい。フリーペーパーを早速進めてみる。ものは試しでまずはあまりこだわらず、形にすることころまでちゃんと持っていきたい。どんどん描いていくことにする。友達の家から帰宅して、ちょっとパンを食べて、少し昼寝…と思ったらそこから13時間も寝てしまった。
日曜日
奇跡の13時間睡眠を経て起きるとちょうど新しい1日が始まった朝になっていた。ついにイテモンクラスを見始めてしまった。今野書店で『雑貨の終わり』という本を買う。今野書店の隣の隣の隣?くらいにあるFALLという雑貨屋の店主が描いたエッセイらしい。全然面識は無いけど行ったことある素敵な雑貨屋で、(書く人だったんだ…)という少しの驚きと、立ち読みした無印良品とかのことが書いてある話が面白かったので買った。何となく、他でもない今野書店で買うのが筋だろう、という本という気がしたので。そこから川を辿って歩きTitleへ行った。本棚からこの本屋の意思というか「祈り」みたいなものがひしひしと伝わってくるかなり熱い店だ。自費出版が充実していて、日記をまとめた『やがてぬるい季節は』を買った。早速読んだら大学〜就職までの本当に何てことの無い(褒めてる)日記なんだけど、なんというか好きなことを続けることの素晴らしさとか何かを観て影響されることとか日々思ったこととか、そういうものがどんなに愛おしいかということを突きつけられたような気がして、途端に自分もこういうことを書きたいと思って今に至る。なんというか、誰目線?って感じだけどあなたにしか書けないことを書いてくれてありがとうと思う。良い。本当に良い。Titleではもう一冊、『ボッティチェリ』という小冊子みたいな本を買った。これはロックダウン中のニューヨークで作者が”書かずにはいられない”みたいな感じで綴って柴田元幸に送った12の寓話集。副題「疫病の時代の寓話」ってこれ今読まずにはいられないな。初版が5月末(スピード出版!)で売れ切れてて買えなかったけど、重版したようで第2版で買えた。
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