呼ぶ獣
これは私が幼い時分の体験談である。
なお、私が生まれたのは新潟県南蒲原郡本成寺村金子新田である。
あるとき、山中に拓いた畑に向かう父の後ろについて、私も一緒に山道を歩いていた。
すると、谷の方から「オー」「オー」と何者かが盛んに呼びかける声が聞こえてきた。
父は私に、あれに返事をしてはいけない、と戒めた。
あれは人ではなく何らかの人を化かす動物の呼び声なのだ、と言う。
そして、もし返事をしたら死ぬまで呼び交わし続けなければならなくなる、と続けた。
人間ならば「オーイ」と呼びかける。
しかし、化かす動物の呼び声はイの余韻を欠くので「オー」となる、というのが父の言であった。
(外山暦郎『越後三条南郷談』 「動物の話」)
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安右衛門ぼうぼ
新潟県西頸城郡上早川村字北山の、ばち、という処に安右衛門という人がいた。
ある夜、戸の外に鳥が来て鳴いた。
「安えむぼうぼう」
ムッとした安右衛門は言い返した。
「そう言うものは、なおぼうぼう」
すると鳥が再び鳴いた。
「安えむぼうぼう」
即座に安右衛門は言い返した。
「そう言うものは、なおぼうぼう」
「安右えむぼうぼう」鳥が鳴いた。
「そう言うものは、なおぼうぼうぼう」安右衛門が言い返した。
鳥と安右衛門は一晩中言い交わした。
翌朝、外に出て見てみると、鳥は死んでいたという。
(西頸城郡教育会・編『新潟県西頸城郡郷土誌稿(二)』十、動物変怪民譚 「23 安右衛門ぼうぼ」)
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赤子の泣き声の正体(二)
以下は『いもの泡』という本のに書かれている内容である。
第三十九話として収録されている。
ある一軒家で小児が死んだ。
日々、家族が悲しんでいると、背戸で死んだ児の泣き声がするようになった。それが毎晩続いた。
暑中休みで帰省していた一人の中学生がこの話を聞いた。
正体を暴いてくれよう、とその家の二階に潜んで待ち構えた。
小児の泣き声が聞こえてきたので、そっと覗いてみた。
大きな貉が地面に頭をつけて逆立ちをしていた。
貉は後ろ肢を壁にもたせかけ、尻尾で壁をぽんぽんと叩く。
その音がまるきり小児の泣き声なので、彼はとても驚いたという。
(小池直太郎『小谷口碑集』 「貉の怪異」)
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赤子の泣き声の正体(一)
長野県南佐久郡臼田町に弥勒寺という寺がある。
ある秋の末、寺の境内から赤子の泣き声が聞こえるようになった。
それが毎晩続くので、不審に思った村人たちが探してみたが、どこにも赤子が見つからない。
やがて村人たちは、こう考えるようになった。
あれは赤子じゃなくて、住職に責められて泣く小僧の声なのではないか。
そこで人々は住職に掛け合った。
しかし、寺の中にも変わったことは別になかった。
結局、赤子の声の原因は判らないまま、有耶無耶になった。
ところが、しばらくしたある夜、大師堂の番人が大きな貉を捕らえたら、それきり、赤子の泣き声も止んだという。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「22、むじなの話」)
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貉の郵便配達
次もやはり平瀬麦雨氏の報告。「郷土研究」四巻十号に掲載された。
長野県東筑摩郡島内村の役場では、この冬の深夜も貉の郵便配達に何度も起こされたそうだ。
それはここ二、三年、続いていることだという。
戸を叩く音は宿直している書記にも聞こえる。
しかし「郵便、郵便」という大声は老使丁にしか聞こえないらしい。
老使丁はその都度、戸を開けて外を見て「畜生またやられた」と呟く。
この悪戯貉はそこから二丁ばかり離れた小学校の縁の下に棲んでいるという噂だ。
今、この記事を書いている十二月七日午後九時にも、隣家の裏の樹上と小学校あたりとで二匹の貉が哀しげな声で交互に鳴き交わしている。
こいつらが本当に化けるのかどうかは私は知らない。
しかし、村人たちは別に怖がりもせず、大入道に遭った、だの、転がる火の玉の見た、だのと私に話すとき、それらはすべてこの貉の仕業だ、と付け加えるのである。
(小池直太郎『小谷口碑集』 「貉の怪異」)
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家を巡る異音
貉は巧妙に音真似をして人を驚かすという。
以下は「郷土研究」三巻六号に掲載された平瀬麦雨氏の報告である。
十二、三年ほど前の話だ。
長野県東筑摩郡島内村に、おおぜいの人夫を雇って岩の採掘をしている者がいた。
ある日、彼は家で飼うつもりで、山に入って数匹の貉の仔を捕らえた。
その夜、人が寝静まる頃合いに、砂を入れた石油缶を引きずるような音が彼の家の周囲をぐるぐると巡った。
家には人夫も泊まり込んでいる。
うるせぇな。騒がしくしてるのはどこのどいつだ。
血気にはやった人夫たちが外に飛び出ると、途端に音はやんだ。
あたりはしーんと静まり返っている。
ぶつぶつ言いながら人夫らが部屋に戻ると、再び奇妙な音が始まった。
外に出ると音はやむ。部屋に入ると音が始まる。
それが一晩中続いた。しかもその夜から毎夜続いた。
あまりにうるさかったので、貉の仔を山の洞穴に返したら、音はしなくなったという。
(小池直太郎『小谷口碑集』 「貉の怪異」)
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鼬の陸搗き
深夜、家の中で鼬のような動物が米搗きの音をさせることがある。
裏口から入ってきて米搗きするのは吉兆で、表口から入ってくるのは凶兆だといわれている。
我が家でも、その音が起きたことがあり、祖母がそれを聞いた。
幸い、吉兆の方だったという。
(外山暦郎『越後三条南郷談』 「動物の話」)
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肴を盗られた大工
長野県北安曇郡社村宮本区の大工の体験談。
ある年の暮れのことである。
当時、彼は隣の大町の現場に通っていた。
暮れの忙しい時期なので、朝まだ暗いうちに家を出て、夜も暗くなってから帰宅するという調子だったそうだ。
あるとき、大町の店で肴を買って帰途についた。
社村曾根原の松井の坂の下にある水車小屋のあたりに火が見えた。
あのあたりに燈なんかないはずだが……
不思議に思った大工はしばらく立ち止まって火を見つめた。
すると最初は二つだった火がだんだんと増えてきた。
おやっ、と思うと火はすべてふっと消えた。かと思うと、再び灯った。
火は灯ったり消えたりをしばらく繰り返した。
これは狐の嫁入りだろうか。
大工はそう考えたが、耳を澄ますと人の声が聞こえるような気もする。
ならば人なのだろうか、でも狐のような気もする、いったい何の火だ。
思考が堂々巡りをしているうちに、ハッと気づくとしっかり持っていたはずの肴がなくなっていたという。
(信濃教育会北安曇部会・編『北安曇郡郷土誌稿(一)』九、動物、變怪民譚附獵の話 「1 狐の話」)
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我らが見た狐火
私も一度狐火と思われるものを見たことがある。
師範学校二年生の春のことだ。
その学校には探検遠足部というものがあった。土曜日の午後と日曜日の一日を使って、無鉄砲な小旅行を試みるのである。無理な行程を鉄砲弾の如くに往復して、体がへとへとに疲れさえすれば目的が達せられるというのであるから、ずいぶん乱暴な部であった。
あるとき、柏原から小谷温泉へ行った。翌日、小谷温泉を出て、別の道をたどって長野まで戻る行程であった。
当日は土砂降りの雨で、道はすっかり泥濘んでいた。我々はそんな中、泥をこねるように進んだのだ。
長野県北安曇郡美麻村字青具を経て、同県上水内郡栄村字中条へ向かい、知人の家で提灯を借りたのが夜の九時だった。
時刻は遅いし、長野までは距離がまだあるから泊まっていきなさい。
そう言ってもらったが、止せばいいのに蛮勇を奮い、上級の赤羽という男と二人で、私は眠気を堪えて泥の道をさらに進んだ。
土尻(とじり)川が犀川へ���ち込む橋の上まで来たとき、川向こうの山の中腹に青い火が一つ灯ったのが見えた。
火はすぅっと裾まで落ちると、五つほどに分かれて水平に並んで輝いた。
そして次の瞬間、火はポカリっと消えてしまった。
すると、我々がこれから渡ろうとしていた橋の向こうから、提灯をつけてこちらへ向かってくる人影が見えた。
提灯には小池と筆太に書いてあるのがはっきりと読める。
小池、すなわち我が姓である。狐の奴め、念入りな悪戯をやるわい、と考えた。
しかし、もし紋が自分の家のものだったら、と薄気味悪くもなった。
近づいてからよく見ると橘の紋所。我が家のとは違うのでほっとした。
「お疲れ」
声をかけると、向こうの人も挨拶してさっさと行き過ぎてしまった。
今のは人間に相違ない、とおおいに安心した。
しかし、先刻の火は狐火というものだろう。
我々二人がそう話しながら、棒のようになった足を引きずって学校まで来たときには、もう二番鶏が鳴いていた。
(小池直太郎『小谷口碑集』 「狐のいたずら」)
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源右衛門が見た火
新潟県西頸城郡根知村字梶山の、とある家で娘が亡くなった。
源右衛門が告げ人となり、遠くにある親戚の家に娘の死を報せた、その帰りのことである。
鳥越という処に差しかかったとき、遥か向こうの梶山の尾根に丸提灯の火が見えた。
源右衛門はさして気にも留めず、そのまま進んだ。
庚申塚のあたりまで来たとき、再びその火が目に入った。
火はコゾウの平をこちらへ向かって来る。提灯の骨がはっきりと見えた。
さらに進んで小沢を渡ったときには、火の光が箒のように長くなって見えた。提灯を持つ人の向う脛だけがくっきり見えている。
こりゃ狐火だな。
彼がそう考えた途端、火は掻き消すように失せたという。
以上は豊田豊氏が源右衛門本人から聞いた話。
(小池直太郎『小谷口碑集』 「狐のいたずら」)
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神城村の狐火
長野県北安曇郡神城村の沢渡でのことだ。
陽気の具合で靄のかかった夜など、この地に広がる原っぱの遠く向こうに狐火が見えることがあるという。
はじめ九尺くらいの火の柱が立ち、それがいくつにも分かれて村役場の近所までやってくるのだそうだ。
「それが一時間くらい続くんです」
とは村役場に勤めている松沢氏の談。
(小池直太郎『小谷口碑集』 「狐のいたずら」)
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二人の老女が見た狐火
長野県北安曇郡社村宮本区に住む老女が二人、隣の大町へ用足しに出かけ、その帰りが夜になった。
「夜の道ってぇのは淋しいねぇ」
「まったくだね。早う帰ろ帰ろ」
家路を急ぐ彼女らが、何気なく常橋の方に目を注ぐと、蝋燭の火のような光が十二、三ほど見えた。
火の群れは指を立てたように並んで、ずんずんと動いている。
「ちょっとご覧よ、ありゃあ狐火に違いないよ」
二人がそう囁き交わす間も、光は消えたり灯ったり、動いたりする。
狐が自分たちを誑かそうとしている。
二人して、両手の指を組み合わせて狐の窓を作り、思い切り吹いた。
すると火はパッと消えて、二人の目の前に大きな黒いものが飛び降りた。
二人は慌ててあたりを探したが、何も見つからず、また、火もそれきり灯らなかったという。
(信濃教育会北安曇部会・編『北安曇郡郷土誌稿(一)』九、動物、變怪民譚附獵の話 「1 狐の話」)
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石徹白の狐火(二)
これも福井県大野郡石徹白村での狐火目撃談。
須甲儀右衛門という人の若い時の話だ。
ある夜、儀右衛門は川向こうの田んぼに行った。
近くに山師の家があり、風呂に入っているのが見えた。
儀右衛門に気づいた山師が声をかけてきた。
「どうだ、お前も風呂に入らんか」
儀右衛門は風呂に入らせてもらうことにした。
湯に浸かりながら、何気なく向かいの山を見た。
その山のヒビラという場所を火の光が動いているのが見えた。
誰かが提灯を持って歩いているようなのだが、そこに道はなかったはず。
不思議に思った儀右衛門は山師に訊いてみた。
「ああ、あれはお稲荷様が通っているのだ」
そう答えた山師が九字を切ると、火はすうっと消えたという。
(宮本常一『越前石徹白民俗誌』 「俗信と言い伝え」)
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石徹白の狐火(一)
福井県大野郡石徹白村では狐火を見ることが多い。
例えば、秋になると向かいの野に火が灯る。
初めは一つ灯り、それから徐々に数が増える、といった具合である。
今から六十年ばかり前のこと。
ある若者が夜学に行っての帰り、道を歩いていると、向かいに焚火の明かりが見えた。
焚火の周りには人がいるらしい。行き来する影が火の光を遮る。
火が焚かれているのは若者の叔父の家があるあたりであった。
翌日、彼は叔父の家に行って、夕べ火を焚いかた訊いてみた。
しかし、焚いていない、との返事。
奇妙に思った彼は、昨夜、火が燃えていたと思しき当たりを歩いてみた。
しかし、火を焚いた跡を見出すことはできなかった。
どうやら狐火だったようだ、と彼は納得したという。
(宮本常一『越前石徹白民俗誌』 「俗信と言い伝え」)
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岸野村の狐火(二)
以下も長野県南佐久郡岸野村の深町あたりで聞いた、狐火ではないかと思われる事例である。
あるときは向こうから提灯がやってくるのが見えた。
近づくにつれて、光はだんだん大きくなる。
やがて提灯の火に照らされて、持ち主の姿が見えてきた。女の人だった。
なんだ人か、と安心して通り過ぎた。
しかし、何となく違和感を覚え、振り返ってみたら、そこには女も提灯もなく、ただ真っ暗な空間が広がっているだけだったという。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「18、狐火」)
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岸野村の狐火(一)
昔は長野県南佐久郡岸野村の深町あたりにもときどき狐火が現れた。
はじめは一つの狐火がずんずんと動いていく。
しばらくすると、それがいくつにも分裂し、やがてまた一つに集まる。
すると今度は、どーっと火柱になり、それから元の場所へ戻っていく。
そうして提灯のようにぶらぶらして、ついには消えてなくなるのである。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「18、狐火」)
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川上村の狐火(二)
長野県南佐久郡川上村居倉の農夫から聞いた、もうひとつの狐火の話。
馬を引いているときに狐火を見たら、手綱を持つ、とか、馬に乗る、とか、尾を掴む、とか、しなければならない。
さもないと、どこへ連れて行かれるか分からない。
馬は利口なもので、そうしておけば必ず飼い主を自分の家へ連れて来てくれる。
(南佐久教育会・編『南佐久郡口碑伝説集』六、動物・變怪等の話 「18、狐火」)
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