Tumgik
oq-oq · 2 months
Text
2019年4月27日に書いていたしんどい時の自分のケア方法。またしんどいことがあったら役に立つといいなと思って書いたことをなんとなく覚えていて、見返してみた。すんごく真っ当なことが書かれていて、びっくり。
考えことは、夜にはしない。昼間太陽とともに。
同じ思考を繰り返している場合は、きちんと思考を中断する。
感情はコントロールし、きちんと表にだしていく。怒ることは悪いことではない。
コントロールできない感情に対しては、無防備に直面しない。直面する際には、時間と人を間に入れ、ポジティブなフィードバックを受ける環境で、向き合っていく。
感情を落ち着ける逃げ道を用意するが、感情から逃げ続けるための予定に、追い込まれない。人と話すことによって、できごとの再体験をしすぎない。
食事がとれないときは、水分をきちんととる。突然に身体の負担になるものは食べない。食事に逃げない。食べる時は和食。
苦しいことに慣れない。抜け出すべき道であるということを自覚する。
これからの在りたい姿を自分の中に、確立する。
気分転換の買い物は本にする。本屋を巡り、たくさんの世界をみると落ち着く。本はいくら買っても、無駄遣いにならない。
551 notes · View notes
oq-oq · 3 months
Text
仕事に疲れ果ててしまった。毎月のようにある緊急対応に、終電帰り。付随するようにでてくる膨大な事後対応と膨大な記録。これをいつまでできる?本当にここじゃなきゃだめ?何がしたい?と頭の中で反芻する。「そんなフィードバックをもらっても、それをできる想像が全くできないです。わたしたちが全く守られてないから。」と言い放った昨日。なんか悔しかった。社会も、制度も、児相も、子家も、なにも責任を果たしてないじゃないか。そんな中で、末端の子どもに1番近いわたしたちが全てを担うことはできない。連日、自民党の裏金問題が流れ続けている。何千万、何億と途方もない額面が報道され続けているのに誰も政治家は起訴されないこととなった。なんでこんなに当たり前の責任を果たさなくてよくなったのだろうか。これはいつから?権力のある人が、責任を手放した時、必ず末端の末端である困っている人に全ての皺が寄る。なんで困っている人が汚い大人の責任を負わないといけないの?本当に全部ふざけんなよ。本当に悔しいし、苦しい。絶対ずっとちゃんと怒っていたい。
28 notes · View notes
oq-oq · 6 months
Text
「ねえ、空爆はあるかしら。なぜ私たちのこと、世界は憎むのかしら。あなたは私たちがすき?」
ガザに思いを馳せたくて、こういった文章に触れる。こういった文章が残っていることのありがたさを噛み締めている。この文章にわたしらちゃんと応えていきたい。思考を止めないこと。��かな行いに、どうやってNOというか。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
26 notes · View notes
oq-oq · 7 months
Text
子どもの命の判断をしたり、人生の判断をしたり、そんな仕事をしているんだなって改めて思った。もうわたしが覚悟するしかないんだなって、ここからはSWerであるわたしが、責任を取るんだって思った。そのためにたくさん動いてきて、ただその日があの時にきただけなんだけど、それにしても、いくら準備をしていたって人生に関わることって慣れない。でもあの時、誰にとっても大事なとても優しい時間を過ごせたことが本当に救いで、とにかくこんな時間を過ごさせてくれたことに、子どもに感謝しかなくて。あそこにいた誰もが、安らかに、暖かく、できる限り優しいものに包まれて過ごせていますように。
8 notes · View notes
oq-oq · 8 months
Text
メモ:ケアの日
精神科
◯心の不調を見つける特徴
眠りが不安定
食欲がない
気分の浮き沈みがある
いつもはしないようなミスをする
◯意欲・気分・運動は連動している。どこかを上げれば、他も上がっていく。
◯趣味を楽しめているか、食欲があるかは大事なところ
◯規則正しい睡眠、きちんと3食食べることは生活の基本。土台が崩れてしまったら、上に乗っていかない。
◯疲れてたら眠れるもの。寝れないのは過覚醒になっている。そこまで仕事頑張らなくていい。あなたの代わりはいるから、休んでいい。
◯支援者がバーンアウトしてしまうと、ケアが届けられなくなる。バーンアウトしそうなところにいる。
◯今の年齢は1番微妙なところ。支援というもののイロハは身についているけれど、だからこそ、いろんなものが見えて、不安定になる年齢。
20 notes · View notes
oq-oq · 8 months
Text
先々週の仕事帰り、電車でパンツを濡らされるということがあった。だいぶびしょびしょに濡れていたのに、寝てもいなくて、すごく混んでいるわけでもなかった車内で、わたしは降りるまで気づけなかった。何も見ていないし、何も知らないから、実際に何があったのかはわからない。何が付いていて、なんで濡れているのかもわからなかった。その日は、いつも通り存分に働いて疲れていて、24時近い時間に最寄駅に着き、降りる時に気がづいた。最初は汗をかいていたのかと思い、それにしては濡れすぎていて、次は気づかずに失禁したのかと思った。そんなわけなかった。悪意があったことなのか事故なのかも考えるのに疲れ、鉄道会社にだけ連絡をして、そのまま帰った。被害ともわからないが、24時近い時間から警察に相談するとか、怖い思いをしたのかもしれないと考えるには、時間も精神的な余裕も全くなかった。悪意だとして、悪意も余裕がないと受け取れないのだ。パンツは捨てればいい。それだけしか考えず、むしろケロッとしていた。今、一番大事なのは明日の仕事とこの重い身体をリセットすることにだと思っていた。そんなことを思っていたら、本当に気にならなくて、そのまま眠ることもできたし、そのまま普通に仕事をしていた。だから友人などにも話していなかったのに、たまたま信頼する同僚のSWerに、話のとっかかりのように話したら、いろんなことがリンクして、疲労感に一気に襲われて感情がコントロールできなくなった。自分のことについて考えることもできない働き方をしていたということと、「恐怖」すらもちょっと置いておかないといけない生活をしていたこと、なんか全部が苦しくて、全部なかったことにしたくなった。今、ここで働いていることも。あの通勤時間も。あのパンツも。この疲労感も。
20 notes · View notes
oq-oq · 9 months
Text
婚活している友人と話していた時に感じた違和感がどうしても言語化できなくて、なんだか苦しんだここ1週間。半年付き合った彼と結婚ができないなら今すぐにでも別れたいという。そこにあった2人の時間とか、愛情とかそういうものは、「結婚」というところに辿り着かないとなにも意味がないのか。「結婚」という文字だけを見ている彼女を前に、潔さすらも感じた。ふーんと思っていたけれど、違和感だけがずっと残った。年齢的も近く、嫌でもわたし自身が当事者として立たされたからかもしれない。複雑な感情が入り混じっている自覚はあるが、何より人と人との出会いや時間が全て"手段"とされていたことに、わたしはここに違和感があったんだなとやっとわかった。
わたしは仕事柄、たくさんの困っているご家族と出会い、生活していくという怖さも人より少し多く知っているから、どうしても「結婚」というものを前向きにだけは捉えられない。まして、限られたマジョリティにだけ与えられた権利だと思うと、げんなりすらする。
でも、一方で、「結婚」なんて枠組みを超えて、生活の持つ力の強さに圧倒されることも、救われることもあるということも知っている。過信でもなく、過小評価でもなく。毎日の生活を積み重ねることでしか得られないものは確実にある。わたしはどうしたいのか、どうなるのか、やっぱりずっとこわい。
49 notes · View notes
oq-oq · 9 months
Text
仕事の中で、本当に勝手にしてくれよと思うような大人はたくさんいて、どうにでもなれと思うことが多いのだけれど、その"どうにでもなれ"の先にいるのは、1番弱い子どもが痛みを伴うことで、だからこそ、誰になんていわれようと、"どうにでもなれ"とはいえず、砂を噛むような思いをする。悔しかったり悲しかったり孤独だったり、そんな仕事なんだよな。
30 notes · View notes
oq-oq · 1 year
Text
お腹の空いているやんちゃな男の子たちを引き連れて、ファミレスに行った。わたしは自転車に乗り、彼らはスケボーで先を行く。スケボー禁止と書かれた歩行者専用道路を通る彼らからは思いの外大きな音が鳴って、道ゆく人がみんな振り返る。嫌な顔をして。後ろを追いながら、彼らにはこの世界がこんな風に見えているんだと思った。いつも苦い眼差しを向けられているんだって。好きなもの食べていいよというのに、「俺らそもそもそんなに食わないんだよね」と返してきて、そんなわけないだろうよと思いつつ、なるべくお腹に溜まるものを勧める。キャッキャしながら、わたしにわからない話をしつつも、わたしのことを気にしながら、食事を頬張っていた。時折見せる笑顔ははまだまだ幼かった。"今後、わたしのことをご飯を食べさせてくれる人って思われても困るかな"と一瞬でも思ったことが恥ずかしい。実際ご飯を食べさせてくれる人と思ってくれていいのだ。わたしは支援の中でいろんな子どもたちに出会う。そんな簡単な仕事ではないと思っていたけれど、支援の現場でわたしのフィールドで子どもたちと出会うというのはどんなに簡単なことだっただろうかと思った。支援という枠組みの外で出会った時、わたしは1人の大人として、何ができるんだろうか?と必死に考える。スケボー禁止の道ではスケボーをしたらダメだよというべきだろうか?そんなつまらないことはどうでもよくて、健康でいてほしいとか、怪我をしないでほしいとか、お腹が空いた時にはご飯が食べてほしいとか、そんなことを伝えたかったけど、うまく伝わらなかった。そもそも言葉で伝えるものでもないのかもしれない。"仕事疲れたから今日は帰るよ"と言って、"気をつけて帰るんだよ"と何度か念を押して帰った。大事そうにわたしを見送ってくれて、ちゃんと「今日はありがとね」と連絡をしてくる彼らは、とてもいい子たちだ。
29 notes · View notes
oq-oq · 1 year
Text
ひょんなところで出会った中高生の男の子たち。明らかに成人していないけれど、行く宛もなく、お腹を空かせていた。3人でパンを一斤、焼きもせず何もつけずに貧るように食べていて、その姿が忘れられなかった。放っておけるわけもなく、名前も連絡先も知らないのに、会えるだろうところに大量のからあげを持って行った。タイミング悪く、ちょうどいなかったけれど、連絡は取れて安心した。"また唐揚げ持っていくから次はいてね"と伝えると、「唐揚げそんなに食べたら太るよ」と笑ってた。ここ数日は寒くて寒くて、今夜どうしているんだろうかと思う。暖かくしていてほしい。
9 notes · View notes
oq-oq · 1 year
Text
巷の噂くらいにはみんな知っていただろうこの話題を取り扱ったBBC。動画もかなり衝撃的であった。ウクライナとロシアの戦争が始まり、いろんなものがウクライナの国旗の色に変わった。わたしもそこで傷つく人がいるのをありありと見ても何もできない国際社会に苛立ちや無力感を感じていた。戦争というのは恐ろしいものだ。恐ろしいものというのを測るのに一定のエビデンスがあるのは、PTSD(心的外傷ストレス障害)の発症率だと思われるが、PTSDの発症率は戦地にいる兵士よりも、性加害の被害者の方が高い。簡単に比較できるものではないが、殺し、殺される戦地の兵士よりも、より残酷なことが性加害では起きているとも言えるのだ。特に男性の性被害というのは、より声をあげにくい性質があり、実際の被害を把握するのは難しい状態である。被害を誰にも告白できずに自死を選んだ人も多いだろう。あまりジャニーズを知らないのだが、ジャニーズのアイドルたちが喜多川氏を語る時に「ジャニーさんはすごい、本当に素晴らしい人」と紋切り型のようにいうのは何でだろうかといつも思っていた。あまりにも同じ発言をし、誰もが没個性となる。若い頃から芸能活動に精を出すため、語彙が足りないのか、何かの力が働いているのか、よくわからないが、いつも違和感があった。自分の性被害の受け止め方の全てが被害者の自由でいいと思うし、対価に名声を得たのであれば、悪い経験だったわけ���はないと思うのも個人の自由だろう。だが、どうしてもグルーミングが働いていると思ってしまうし、みんながみんなで擁護しているように思えるが、この取材に応えることすらも精神的に難しかったであろう人もいただろうし、命がもうない人もいるかもしれない。また、性加害者が処罰されずに死んでいった。やっぱりそれが何よりも悔しい。
21 notes · View notes
oq-oq · 1 year
Text
被害者が傷付かずに、きちんと性加害者が罰せられる方法はないんだろうか。
被害を公にしたくないといっている被害者を前に、周りの人がどうしたらその人の力になれるのか、連帯できるのか、考えても考えても、被害者の思いを裏切って声は上げられなくて、でもその沈黙が何よりも加害者への有利な行動に繋がっていくことが悔しい。わたしだったらどうしてほしいだろうかといくら考えても、それは最後までわたしという枠は超えなくて、本当の連帯になっているかはわからない。"自分のされて嫌なことはしないの"というよくある教えは、そういう意味でも的外れだなと思う。
わたしが被害に遭った時、そもそもがだいぶメンタルヘルスに不調があって、声を上げる元気がなかったこともあり、"訴えたい"というわたしの声に、ほとんどの人がやめた方がいいといった。確かに、カウンター(被害を訴えた被害者に加害者が攻撃を仕掛けること)を受ける可能性は高く、そのカウンターを受けられる力はなかったことは自覚している。でも、声を上げたいと思った今、もうその時に支援をしてくれた人は周りにいない。声を上げられるほど元気になった時には、もう周りには誰もいないんだ。それだけ自分で歩めるようになったということだけれど、そのまま被害は深く沈んでいく。1人で引き上げるには、あまりにも途方もなく、そしてそのあと何が待っているかもわからない。わたしはあの時に声を上げるか上げないかの真ん中が欲しかった。どうやったら連帯できるのか、今日も明日もずっと考える。たとえ被害者の顔が見えなくても、あなたのこと大事に思っているよって伝え続けたい。
33 notes · View notes
oq-oq · 1 year
Text
すきなpodcastを聴きながら通勤していたら、混んでる構内で思い切り足を踏まれた。目があって避けなきゃ思った時に思い切り踏まれた。こんな故意な暴力が久しぶりで、「え?痛!!」と声を出したけど、そのまま急いで去っていった。怒りというか、呆れというか。これにどうしたらNOと言えるんだろうと咄嗟に思ったけど、急いで去っていくおじさんを追うわけにもいかず、ただ立ち尽くした。女性だとわかっていて、足を踏んでるでしょ?いつまでこんなことを我慢しなくてはいけないの?この答えを誰が知ってるの?いろんな疑問が沸く。でも、わたしはわざと人の足を思い切り踏もうと思うことはないし、ましてや自分と力の差がある人に対して暴力を振るおうと思うことはなくて、おじさんの存在をただただ哀れに感じる。なんで怒りをコントロールできない人ってほとんどが"おじさん"なんだろうか?
29 notes · View notes
oq-oq · 1 year
Text
人の命を手段に使うな
こんなニュースが流れた。このニュースをみて、漠然とも確実に日本を離れようと覚悟した女性も多かったのではないだろうか。こんな人権侵害も甚だしいニュースは稀に起こることではなく、毎日毎日流れ続けている。「またかよ」と思うことで、"NO"という力を奪われている気がして、何かを表明することですらもばかばかしく感じる。だからこそ、明確に"NO"といいたい。キッズドアの代表はこの政策を大いに支持していると表明している。日本の少子化は簡単な政策ではどうにもならないような緊急なオペが必要な状況なんだと。いやいや、人権が守られない国なんてさっさと滅びたらいいし、人の命や権利が守れない国はもう繁栄しなくていい。なくなればいいと本当に思う。わたしの所属する団体はこの提言に明確に"NO"を提示した。代表がカンカンに怒っている。よかった。こんなことに賛成しているようなところではわたしは働けない。わたしは所属している団体のやっている全てのことを肯定しているわけではないが、1番大事なところは共有できていると思っている。今は。どこで働くかもわたしにとっては、大事な表明の場だったりする。
13 notes · View notes
oq-oq · 1 year
Text
多様性とかいうけど
逆境体験を生き延びてきた友人が、自己治療的なものとして薬物を使用していた時期があり、それ自体は生き延び方としてわたしは肯定されていいと思っているのだが、会話の中でカジュアルに薬物を使用したいと言われることに嫌悪感があった。すごく憤りを感じたのはなんでだったんだろうかと考えると、薬物を安易に会話の中に出してくるというのは、わたしの生活や仕事に対してのリスペクトがないような気がしたからだと思う。薬物を拒否しているのは社会的な信頼をすごく失うもので、それが合法でも違法でも許容されない社会で、使用したわたしに不利益を被るだけでなく、わたしと関わっている子どもたちや団体にも大きな不利益を被るものだ。そして、逆境的な体験から抜け出すために、血の滲むような努力をし、自己治療として薬物を使ってきた自分自身へのリスペクトが足りないことも友人への大きな憤りだった。わたしとしては守りたものがあるから、アウトローな人とは仕事のクライエント以外として付き合うことはできない。こう本人にもはっきりと伝えた。
SWerとして、働いているといろんな人と出会うし、モラルや倫理に違和感を感じる人もいるけれど、それは生き延びてきた経験が違って、それが生きる術になっているからだろうと、SWerとして理解している。でも、友人としてこういう危うさに向き合う時に、SWerとしての自分がでてくるのは対等ではないなと思っていて、わたしの感情が全面に出るべきだと思っている。でもそもそももうSWerのアイデンティティがわたし自身のアイデンティティになっているところも十分にあり、どう向き合ったらいいのか悩んだりする。こんな仕事をしていない方が悩まなかったんじゃないかとも思う。
多様性とかいうけれど、綺麗な話じゃなくて、こういうジレンマの積み重ねなんだろう。環境が違うなら交わらない方がいいんじゃないかって気持ちにもなるけれど、諦めたくもなくて、今日もうーんとこんなことを、考え続ける。
26 notes · View notes
oq-oq · 1 year
Text
ケアをする人たちに読んでもらいたい本
環状島=トラウマの地政学/宮地尚子
トラウマ/宮地尚子
ジェンダーからソーシャルワークを問う/横山登志子 須藤八千代
ソーシャルワーカーのための反『優生学講座』/藤井渉
赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア/白川美也子
トラウマインフォームドケア/野坂祐子
つながり過ぎないでいい/尹雄大
言葉を失ったあとで/信田さよ子 上間陽子
傷を愛せるか/宮地尚子
「ヤングケアラー」とは誰か/村上靖彦
生き延びるためのアディクション/大嶋栄子
責任の生成/國分功一郎 熊谷晋一郎
すき間の子ども、すき間の支援/村上靖彦
まとまらない言葉を生きる/荒井裕樹
ケアとは何か/村上靖彦
海をあげる/上間陽子
生きのびるための犯罪/上岡陽江
脱「いい子」のソーシャルワーク/坂本いづみ 茨木尚子
その後の不自由/上岡陽江 大嶋栄子
手の倫理/伊藤亜紗
悲しみを生きる力に/入江杏
「愛情の器」モデルに基づく愛着修復プログラム/米澤好史
断片的なものの社会学/岸政彦
安心して絶望できる人生/向谷地生良 浦河べてるの家
なぜふつうに食べられないのか/磯野真穂
異なり記念日/齋藤陽道
23 notes · View notes
oq-oq · 1 year
Text
伊藤詩織さんの『裸で泳ぐ』を読む。なんだかこわくって、全部は読めていないのに、「別れ」だけは何度も読んでしまう。わたしにとって、苦々しく、やるせない全てが詰まっている気がする。自分自身の傷をえぐるように繰り返し読み、やはり、人に絶対はないのだと、やるせなさをまた確認する。人と人との出会いはすべてすれ違いで、必ず交差しては離れていく。孤独という罪を背負って生きていくしかないんだろうなと、思うけど、でも。
24 notes · View notes