サマソニとおばあちゃん
先日インスタのストーリーにさらっと「はぁサマソニ行きたかった😭🫠💔」とか書きましたが、まじでそんな一行で済む話ではなくてですね、それはもう言葉にしきれないほどの思いで手放した2日間でした。
フジロックは1ヶ月前にぴゅっと決めてぴゅっと行ってきたけどサマソニは、この半年ずっと楽しみにしていたことだった。
行けないことが確定した瞬間は身体中の力が抜けて、ばかみたいに口をあんぐり開けたまま空を仰いでしまった。言い尽くせないかなしさと悔しさとやるせなさで、心にぼっかり穴が空いたみたいだった。この悲しみが、私のこの先の人生にどっかりと横たわり続けることも覚悟した。
それでもどうにか行けないかと足掻きすぎて、それで余計に苦しくて。
無理なら来年自分が海外行けばいいって考えようとしたけど、わたしが見たかったのはジャパン、トーキョー、アリガトウ、って言ってくれる日本でのライブだったんだよ。
自分が海外に行ったところで求めてるもの見れるわけじゃない。
とくに"今のブラー"を、"日本で"見れなかったことは、わたしの人生においてはでかすぎる損失で、これから誰のどんな良いライブを見たって埋められる気は一切しない。
今、今、今!!見たかったの。「見てないからプラマイゼロ」じゃない。「見れなかったのでマイナス」なの。わかる?
ちなみに当日ツイッター見てていちばんえぐられたのは動画4つ載せて「song2ぶちあがった😭💖」とか言ってるツイートではなくたった一行のこれでした。
財産。そうですか。何?わたしは一文無しってこと?
そんで翌日にリアムを見る、もやりたかったすぎ。こんなん本国イギリスではありえんわけで。
てか今年のサマソニのいちばんの醍醐味ってそこじゃないですか?………とか見たかったステージの話をし始めたらまじでキリがない。
マイタイムテーブル貼って土曜の昼から話したい。インヘイラーの話もまだしてない。
ああ行きたかった、本当に行きたかった。こんなに2日間行きたかったことは過去になかった。わたしきっと、一生うっすら悲しいんだろうなぁ。
2週間経ってようやく、動画見れるようになってきた。タイテ被りでおそらく見なかったであろうアクトからちょっとずつ動画回収してる。TikTokまじで便利。
でもブラーだけは見れそうにない。ていうか聴けてもいない。ついでにゴリラズも聴けなくなった。かわいそうで草。
おばあちゃんが亡くなってからの1週間は、深いかなしみの底を引き摺られるように歩いた1週間だった。
でも同時に家族と友人と、見知らぬ人のやさしさに救われた1週間でもあった。やさしいメッセージをくれたみんなありがとうね。ぼくはまわりの人にめぐまれてるなぁっていつも思うよ。
自分の力じゃどうにもならないことでライブ諦めることを選ばないといけない瞬間は、ここぞ、という時にやってくるみたい。ちょっと大人になれた気がする(お前何歳だよ)。
ライブに行けるのは自分自身と、演者と、まわりの大切な人が健康に生きてることが大前提なんですな。当たり前のことだけどどうしても忘れがち。
なんかあんまりねちねち書くとおばあちゃんに申し訳なくなってくるね。でもおばあちゃんはわたしがライブに行くのが好きだって知ってくれていたし、おばあちゃんに対する思いと、サマソニ行きたかったっていう気持ちは両立していいと思うんだよな。
サマソニは行きたかったけどおばあちゃんをちゃんと見送りたかったし、終わってみれば何もかも捨ててサマソニに行くなんて選択肢はありえなかった。身体が2つあったら解決する話でもなかった。
わたしはわたしの、ひとつしかない心と身体で、おばあちゃんをお見送りすることを選んだ、それはなんにも間違ってなかったし、後悔もない。
おばあちゃんは年明けに脳梗塞で倒れて、もう自分では歩けなかったけどリハビリがんばって、自分で起き上がって自分でごはんを食べれるまで回復した。亡くなったのは退院する日の早朝だった。あとちょっとで、おうちに帰れたのに。
たくましい人だったから、あと10年は生きると本気で思ってた。でもその10年は、壮絶な介護を伴うものだという覚悟もあった。(つってもわたしがするわけじゃないけど。)
認知症もはじまっていたし、わたしのこと、忘れちゃうかも、見てられないくらいボケちゃうのかな、と思うと悲しかった。
でも幸か不幸か、介護も、わたしのことをわすれちゃうことも、どっちも起こらなかった。
最後に会ったとき、別れ際、いつもは思わないけどそのときだけ「ハグしとこうかな?」って思ったんだよね。(これが最後になるみたいな予感はまじでなかったけど、なんとなく)でもいつもそんなかんじじゃないしなんか照れくさくて、恥ずかしかったからまぁええかと思ってしまった。
5秒、10秒あれば済んだことなのにね。わたしはきっと一生このことを思い出すんだろうなぁ。
なんかもう会えないのが信じられないんだよね。おうちに行ったらいるんじゃないかと思ってしまう。もっとお話ししたかった。わたしとおんなじ形の、あたたかい手を握ってぎゅっと抱きしめたい。
さみしい、さみしい、会いたいよ。わたしのこと忘れてもいいから、まだ生きていてほしかった。
…あぁたいへんだ、まとまりなくなっちゃったよ。(最初から無いだろ) もうやめるね。思ったより長くなっちゃった。
サマソニの話はとにかくどこかに吐き出したかった。家族には話せないし。言葉にできてちょっとすっきりした気がする。もちろん気持ちの全てが言葉になったわけじゃないけど。
もうなにもかもが治らない傷だけど、そのうちそんなに痛まなくなるのはもうわかってる。まだ今はあんまり前向きな気持ちになれないでいるけど、ゆっくり受け入れて、できるだけもとどおり、たのしく、わたしはわたしのくらしを全うしていきたい。(もちろんライブも含む)
てかもしかして来年のサマソニは一周忌とかぶるのかな?とすでに考え始めてる。ヘッドライナーだれだろ、ビリーアイリッシュとケミカルブラザーズだったらしぬ。ソニマニはゴリラズかな。なんか社長が言ってたらしいね。なんかいい感じに来年こそ行けたらいいなと思います。
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生活と娯楽
最近まじで残業が多すぎて、平日ライブに行ったり夜映画を見て帰る、みたいなことがほぼできなくなった。
ふつうに家と会社の往復しかしとらん、虚無…
いそがしいアピールはださいので避けたいのですが、今年に入ってすでに少なくとも6本はライブのチケット手放したと思う。なんで???
先日スピッツが今年のツアー日程と同時に、平日公演と週末公演でチケットの値段を変えてみま〜す、という旨の発表をしておりました。引用するにも長くなるので、ぜひ原文を読んでみてください。
https://spitz-web.com/himitsu/tour/information/
すご、こんなに色々考えてるんだ、とちょっと感心してしまいました。賛否ありそうですが。他のアーティストにも波及していって、これがスタンダードになる時代が来るのかしら。
で、わたしに一番ブッ刺さったのはここ
「ライヴカルチャーを週末だけの娯楽にしたくないと考えての動きでもあります」
週末だけの、娯楽
わたしのことかよ。
もちろんスピッツサイドに、結果そうなってしまっている人たちのことを傷つける意図はいっさいないことはわかってます。
ライブはもちろん尊いものだということは大前提なんですが、わたしはライブが身近にあって欲しい、日常生活の中に、当たり前にあってほしい、ライブを特別すぎるものにしたくない、とずっと思っていて、そういう生活を手に入れるために上京したのです。娯楽にしたくなかった。
それが、それがこのザマよ
本当になんのために東京にいるのか、なんのために生きているのかわからなくなってしまうな〜。
シンプルに転職しろやって話なんですけどね。
ていうかさすがに27歳にもなったら「生きる意味…」とか考えることからは解放されてると思ったんですがぜんぜんでした。いつまで続くんですか?😿
とりあえずスピッツのツアー行きたいな、甲府とか行こうかな?土曜日だし、と思ったら9800円で、平日公演と2000円の差があってオウフ…になってます。助けてください
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