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roadhouse-press · 2 years
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Yuto Suzuki - 10 QUESTIONS
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いやはや、すっかりTumblrでの更新を怠っており申し訳ありません!
今回は久しぶりなのに手前味噌ですみませんが、ROADHOUSE Tokyo主宰のこの私、鈴木悠人のインタビュー記事がParallel Collectiveのインスタに載ったのでその日本語訳バージョンを掲載したいと思います。
内容は10個の質問と自分が選曲したプレイリストが載っています。プレイリストについては海外のメディアということもあり、海の向こうのホーミーたちにオススメしたい私的お気に入り日本人アーティストをチョイスしました。Spotifyで聞けるのでこちらから是非チェックしてみてください!
パラレルコレクティブについては前回のこの記事を読んでいただくと理解が深まるかなと思います。オーストラリアの非常にクールなブランドでありクルーです。是非ご一読を。
-Top photo by Christian Closs
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-Photo by 7thschooters
1.今どこに住んでいますか?
東京の西側。郊外の方に住んでます。
2.なんでスケートを始めたの?
子どもの頃スケートボードをしていたんですが、弟がインラインスケートをしているのを見て楽しそうだったので僕も始めました。
3.スケートの何が一番好きですか?
自分にとってはストリートでのスケートが一番楽しいですね。少人数で街に出てスケートするのが特に最高。遠慮せず思いついたアイディアをすぐに試せるしビデオ撮影にもこのやり方が適していると思います。
4.スケートのインスピレーションはどこから来るの?
常にストリートスポットからインスピレーションをもらってます。変な形や地形だったり、誰も見向きもしなそうなやりにくいスポットを見つけてイメージするのが好きですね。スケートしていない日でも常に散歩をしながらスポットを探してます。もうほとんど病気ですね!あと、僕は昔からスケートボードカルチャーの大ファンなので今でも彼らからたくさんの影響を受けています。
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-Photo by Hiraku Kajiyama
5.いつも誰と滑っていますか?
河合さんとタカポンと滑ることが多いですね。
河合さんとは僕が14歳の頃からの付き合いなんで24年ぐらいつるんでます。河合さんは僕とは丁度10離れてるんですが、年齢とか関係なく常に楽しく滑ってます。彼は世界中で最もアグレッシブな48歳のスケーターだと思うし、常にチャレンジングな姿勢は本当に尊敬します。
タカポンとはこの3、4年の付き合いですが、とてもユニークでクリエイティブなスタイルを持つスケーターです。彼はあまり自分のことをアピールするのが得意じゃないので過少評価されてるかもしれないけど素晴らしいスケーターですよ。
6.どこで滑るのが好きですか?
僕は東京に住んでるから��然東京です。東京では絶えず古いものは消え、新しい建物が同時に作られています。思い出の建物がしょっちゅう消えるのでちょっとセンチメンタルな気分になるけど、新しい建物のおかげで常にフレッシュな気持ちでスケートができる街だと思います。でも東京でストリートスケートが楽しめるのもこの街が世界の都市の中で一番安全だからだと思います。あとこの街でストリートスケートするなら警備員や警察には常に挨拶する感じのノリも必要です。彼らと常に対峙しないといけないので。
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-Photo by 7thschooters
7.スケート以外で好きなものは何ですか?
ファッションとかストリートウェアは昔から好きでしたね。今も常に古着とかスニーカーはチェックしてます。あとコロナ禍になってからはおうち時間が増えたので料理をたくさんするようになりました。ちょっと料理の腕も上がったかも(笑)  料理は楽しいし、作ったものを妻と食べるのは最高ですね。
8.最近のブーツのセットアップはどんな感じですか?
THEM 909のブレインデッドコラボのブーツ、Intuitionライナー、マズルのシューレース、GCのFLT4フレーム、DEADの58mmウイール、Bonesのベアリングって感じです。
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9.今までで一番影響を受けたスケーターは誰ですか?
もちろんランディ"ROADHOUSE"スパイザーに決まってます!それとめちゃくちゃ影響受けたのは東京の先輩やOGたちです。彼らのスムーズなスタイルとスケートについての哲学が僕を作ったと思います。VG15の日本パートは常に自分のお気に入りです。
10.あなたが運営しているROADHOUSEのことや今後の予定を教えてください。
ROADHOUSEというのは僕が子供の頃からずっと大好きなランディ・スパイザーのあだ名からとったブランド名です。スケートを始めた頃の前向きで楽しい気持ちをまっすぐ表現したくてこのブランド名にしました。今は自分がディレクションしているアパレルコレクションとMUZZLEやParallel Collectiveなどの海外からのセレクトグッズをウェブショップで販売しています。また、過去にはジョン・フリオや日本のスケーターのインタビュー記事を書いたり、ビデオ作品をプロデュースしたりもしました。
今の日本ではストリートスケートは否定されることが多いし、スケートビデオを作る人へのリスペクトもほとんど感じられない状況だと思っています。僕は子供の頃に憧れていたかっこいいスケートカルチャーを取り戻すためにこれからも頑張っていこうと思っています。とりあえず今作っている新しいビデオを早く完成させて発表したいです!
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-Photo by Hideki Kawai
■今回のプレイリストについて説明してください
Spotifyプレイリスト - Portait vol.3
01.恋は桃色 - 細野晴臣
02.待ち人 - ゆらゆら帝国
03.夕闇をひとり - 松任谷由実
04.Folklore - クラムボン
05.Kaneda - 芸能山城組
06.Girls - 高木正勝
07.Feather - Nujabes feat. Cise Starr & Akin
08.Arne - Haruka Nakamura
09.Thousand Knives -  坂本龍一
10.Special - Sick Team
常に色んな国の音楽を聴いていますが最近は日本人アーティストの曲を多く聞いています。日本の音楽シーンは芸術的多様性が非常に豊かで広大だと思います。新しいアーティストや音楽は常に探してます。
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roadhouse-press · 3 years
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Parallel Collective インタビュー
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約5年前。私事ですが、スケートにあまり興味が持てない時期がありました。
スケートにかっこよさを見出せず、自分が思うかっこいいと言えるビデオやスケートグッズを出しているブランドも全然無い時期があって。
ぶっちゃけ滑ることにもほとんど興味を持て無い時期が数年間ありました。
もちろんこのROADHOUSEも始めてない頃だったし、全然モチベーションも無くて・・・。
そんな感じで「もうスケートもいよいよ辞めどきなんかなあ」なんて考えてたタイミングで突然このオーストラリアのParallel Collectiveって人たちの「ZIGZAG」ってビデオとアパレルがリリースされたんですよ。
ものすごく大きなインパクトがあったわけじゃないんですが、そのタイトルのタイポグラフィーの感じとか映像の品の良さ、音楽のチョイス含めてじわじわと痺れたんですよね。
映像といっしょにZINEも出していて、それがすごく欲しかったんですがすぐ売り切れていて。
そんな感じでずっと気になってたクルー。それがParallel Collectiveだったんです。
そんな彼らが約5年ぶりにいきなり活動を再開!
新しいビデオ「WANDER」をリリースしたので「これはチャンスだ!」と思いZINEとTシャツをROADHOUSEでも取り扱いできないかとすぐにコンタクトしてみたという流れです。
グッズの販売といっしょにまずはParallel Collectiveとは何なのか?ということを知ってもらうためにディレクター兼フィルマーのジャロッドさんに特別インタビューを行いました!!
(インタビューの前にまだビデオ見て無い方はこちらからどぞー)
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ROADHOUSE(以下RH):まずはParallel Collectiveが何なのかを教えてください。
Jarrod Thackeray(以下JT):パラレルコレクティブはオーストラリアのメルボルンを拠点とするスケートクルーでありブランドです。少量のアパレルコレクションを作っていて、その他に最近私たちは「WANDER」というタイトルのビデオとフォトジンプロジェクトをドロップしました。
クルーの仲間にはRobbie Pitts、Gav Drumm、Tien Nguyen、Andy Plumridge、Matthias Ogger、James Godbehear、Gary Chung、Glenn Beardmore、Martin Gadeがいます。私たちは皆親しい友人であり、スケートに対する同じビジョンを持っています。
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ブランドディレクターのJarrod Thackeray。ほぼ全ての映像やスチール撮影、編集を行っているクリエイター。ちなみに写真は全てアナログを現像したものしか使わないというこだわり屋。
RH:Parallel Collectiveというブランド名の由来は何でしょうか?また、どのようにスタートしたのでしょうか?
JT:Parallel Collectiveという言葉には「個性を維持しながらいっしょに同じ方向へ向かう」という意味が込められています。ロビー・ピッツが2002年にこのアイデアを思いつき、そこからクルーのために彼はTシャツを作り始めました。2004年頃にロビーから手伝ってほしいと言われるまで実は私はそこには関わっていませんでした。ロビーは私の親友の一人です。私たちは常にスケートとデザインの連動性について同じ意見をもっていました。
パラレルの活動自体はそんな感じで結構前からあったのですが、ここ数年は休止状態になっていました。ロビーがLAに引っ越したり、私はスケート以外の他のことに集中している時期だったからです。ただ私も常に何らかのブランドを作りたいと思っていました。スケートとデザインの2つの関心事を組み合わせて、そこから何が生まれるかに興味があります。
RH:20年前のことですが、私が高校生のときシドニーに1ヶ月間滞在したことがありました。シドニーには楽しい思い出がたくさんあります。あなたはオーストラリアのどのあたりに住んでいるのですか?
JT:私はメルボルンから約1時間半の郊外に住んでいます。平日は大体地元のパークでスケートして、週末は仲間と一緒に街へ行きます。メルボルンには素敵なスケートスポットがたくさんあり、移動するのもとても簡単です。街の中でスケートすることほど私が好きなことはありません。スポットからスポットへと移動し、また途中で良いものが見つかればそこに寄ってみたり。常に新しいスポットを見つけることこそ新鮮な気持ちをキープする秘訣ですね。
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Andy Plumridge - Back side Torque
アナログならではの粒子、色合い。オーストラリアの日の光。あとこのコンクリで出来たパーキングブロックは羨ましい海外スポットの一つでもありますね。
RH:オーストラリアには良いスケートパークが沢山ありますね。それに素晴らしいスタイルを持ったスケーターたちが常に多くいます。オーストラリアのスケーターがかっこいい理由って何だと思いますか?
JT:オーストラリアにはサーフィンとスケートの強いカルチャーが昔からあります。このカルチャーがオーストラリアのローラーブレードシーンの進歩に大きな影響を与えたと思っています。これはアメリカのカリフォルニアにも非常に似ているんじゃないかと。また、スケートパークと地元の行政、双方の素晴らしいサポートのおかげだとも思います。特に最近ではほぼすべての郊外の町にスケートパークとスケートプラザが出来て誰もが利用しやすくなりましたね。
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VG6 - Toys Beneath Our Feet (1997) 
1997年リリースのVideo Grooveの6作目。このビデオの中にオーストラリアセクションが入っており、当時世界中のスケーターたちに彼らのシーンを知らしめた1本となりました。この映像の中にビーチサイドのミニランプセッションの様子やサーフィンのシーンも出てきていて、まさにこれぞオーストラリア!という感じが伝わると思います。
RH:あなたがビデオで使っているフッテージやグラフィック、音楽のチョイスが素晴らしかったです。どんなものからインスピレーションを受けてきましたか?
JT:私はビデオや雑誌を見て育った人間だと思っています。トリックそのものよりもビデオで使われている音楽や編集の方に惹かれていました。なので私はスケートを始めると同時に両親のHi-8カメラでビデオ撮影したり、写真を撮ったり、ロゴのデザインなどをし始めました。私は何かを作るという作業が大好きなんです。
また、音楽は間違いなく私のインスピレーションのメインソースであり、特に90年代のヒップホップとジャズが大好きです。その中でもMadlibやA Tribe Called Questは私の中で特別な存在であり、彼らが使うサンプリングネタから多くのジャズミュージシャンの存在を知ることができました。
これらのものすべてが今日の私に大きな影響を与えたと思っています。私のファッションやスケーティング、写真や撮影のスタイルはすべてローラーブレードカルチャーに由来しています。
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Madvillain - All Caps
MadlibとラッパーのMF DOOMのユニットMadvillain。ジャズやファンクだけでなく民族音楽まで取り込むフリーキーなサンプリングを得意とするMadlibの手腕が光る一曲です。
RH:あなたの映像は他のビデオと比べてとても丁寧に作られていると私は思いました。スケートビデオが私たちのカルチャーに与える影響についてどう思いますか?
JT:スケートを撮影して世に出すという行為は本当に重要なことだと思います。それはクルーの仲間をやる気にさせるだけでなく、見てくれた人のモチベーションも上げられるし、スケートを購入したりする動機にも繋がります。昔のVHSやDVDを見るのがたまらなく魅力的なのと同じくらい、今の映像がネットによってアクセスしやすくなり、より多くの視聴者に届けられる環境は素晴らしいことだと思います。毎週のように新しい映像を手軽に見ることができる。これは個人的には素晴らしいことだと思っています。
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ビデオ撮影にはデジタルと8mmフィルムカメラを併用。冒頭のWANDERでその映像が堪能できます。
RH:日本の若い世代のスケーターはストリートで滑りたがらない人も多いのですが、オーストラリアではどうですか?また、ストリートスケートのこだわりって何だと思いますか?
JT:私たちはスケートパークではほとんど滑りませんね。私はストリートスケートのクリエイティブな部分が大好きなんです。スケート用に出来ていない建物や建築物を別の視点で捉える。スケートするために常に何か新しいものを見つけることは街でスケートする醍醐味の一つです。それを実際に撮影することはもっと面白いです。
私が撮影に行くときはいつでもストリートの美学のようなものをしっかり捉えられるように意識し、その映像が音楽と編集にぴったりとハマるようなストーリーを作るようにしたいと思っています。
 RH:ところでオーストラリアのコロナの状況はどうですか?
JT:今はロックダウンと活動制限が緩和されたのでまた街でスケートを再開しています。メルボルンは世界の中でも最も厳しい活動制限があり、約4か月間は家から半径5km以内でしか行動ができなかったのです。私はメルボルンから少し離れた郊外に住んでいるのでそれほどの影響は受けませんでしたが、メルボルン市内の仲間とは一緒にスケートをすることができず、WANDERの最終的なフッテージ撮影には苦労しました。
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新作のビデオWANDERに合わせてリリースされたZINE。ビデオ撮影の裏側やトリックなどを中心に美しい写真で構成されています。今回はTHEMのツアーでメルボルンに訪れた金島総一郎もフィーチャーされてますよ!
RH:今後の活動についてプランがあれば教えてください。
JT:また新しくビデオとZINEのプロジェクトに取り組む予定です。かなりワクワクしているアイデアがいくつかあります。それと新しいグラフィック制作もしているのでそれを洋服に落とし込んでいきたいと思っています。そんな感じでいろんなことを自然な流れに任せて成長させていきたいです。私の今のライフスタイルにはこのペースが合っていると思っています。
 RH:最後に日本のスケーターへメッセージをください。
あなたたちがやっていることをこれからも続けていってください。いつも日本には行きたいと思っているので、いつか皆さんとスケートができれば。それとスケーター自身がやっているものをこれからもサポートしていきましょう!
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roadhouse-press · 4 years
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[What’s your “OKI-NI” video?] #8  Soichiro Kanashima
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色んなスタイルのスケーターに
「あなたの好きなスケートビデオを3つ、とにかく教えて!」
という本企画、題して
What’s your “OKI-NI” video?
8回目は知らない人はいないでしょう・・・世界の金島総一郎が登場!
キタキタ!世界の金島プロが登場だあー!!
歳を重ねるにつれスケートスタイルもどんどん洗練されていく総クン。
THEM SKATESの看板ライダーとして現在も世界を股にかけ活躍中。
昨年のキメラゲームズではなんと優勝賞金1,000万円をゲット!
今後の更なる活躍に期待です。
◼︎本人からのメッセージ
「自粛期間にインラインのビデオ見まくって、インラインオタクの仲間入りしてくださいね。笑
コロナが落ち着いて、どこかのタイミングで会う機会があれば、インラインビデオオタクトークしましょう!それまでに僕も勉強しておきます!
みんな健康に気を付けてくださいね!」
◼︎Instagram
@soichirokanashima
① MINDGAME - WORDS
youtube
MINDGAMEというアメリカのブランドが作ったチームビデオでアーロン・ファインバーグ、クリス・ファーマー、ダスティン・ラティマーがプロファイルされている。
今までのインライン人生の中で間違いなく一番多く見たビデオがこWORDS。見すぎてVHSのテープがダメになったのを覚えてます。
プロファイルされてる3人それぞれ個性が違って最初から最後まで楽しめるビデオです。
特にこのビデオのクリス・ファーマーのパートが大好きで1000回以上は見てますね。
年齢が2つ上だということを後から知って衝撃を受けたのも覚えてます。
とにかく一番大好きで一番影響を受けたビデオです。
②KFC 3 - Straight Jackit
youtube
KFCというアメリカのカンザス州を拠点に活動していたチームのビデオ。
ブライアン・アラゴン 、クリス・ハフィー 、クリス・ファーマー、アレックス・ブロスコウがプロファイルされている。
このビデオは伝説になってもおかしくないビデオだと思います。
当時このビデオの説明を読んで、このビデオを見たくないって言う人は1人もいなかったんじゃないかな。とにかくメンツが豪華すぎる。この後4人全員がそれぞれメーカーのトッププロになったってヤバすぎる。
最後のVIBRALUXのパートは特にヤバいから、みんなにも是非見てもらいたいです。
③HYPHY 3
youtube
アメリカ西海岸のサンフランシスコ周辺で活動してるスケーター達が収録されてるビデオ。
ビニー・ミントン、イバン・ナーズ、ビクター・アリアス、オースティン・パズ、ゴンゾー・ジャクエズ、スニーキー、トレバー・トイロスキー、ジョサイ・アブリー、ケイシー・バゴジー、ジョン・モルシグロがプロファイルされている。
おそらくだけど、2000年代のグラインドのチェンジ文化はこの辺りのメンバーが流行らせたと思います。HYPHYシリーズは全作どんなヤバいチェンジが見れるだろうと毎回ワクワクして見たのを覚えてます。このビデオを見ては三角レールで頑張って真似してました。
ゴリゴリにヘビーでかなり見応えあるビデオです。
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roadhouse-press · 4 years
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[What’s your “OKI-NI” video?] #7  Shimpei Kimura
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色んなスタイルのスケーターに
「あなたの好きなスケートビデオを3つ、とにかく教えて!」
という本企画、題して
What’s your “OKI-NI” video?
7回目は知る人ぞ知る日本スケート界の文科系担当、木村慎平。
若かりしブロスコウやストックウェルなども参加していたBe-magの日本ツアーのアテンドを担当したり、アメリカのスケート雑誌の翻訳なども行っていた業界のキーマン。
スケーターとしてもユニークなスタイルと確かなスキルを併せ持ち多数のビデオに出演。長野のCAカップでの優勝経験も。
現在はスケートからも少し離れ、昨年生まれた最愛の娘を溺愛する日々。
俺たちの裏リーダー。HORETAZE FOREVER。
◼︎本人からのメッセージ
「まず企画へのお声がけありがとうございます。面白い企画だと思うので出来る限り「面白い」回答を考えました。
僕、個人の話ですが、最近はめっきりスケートビデオを観る機会が減ったので、新しいスケビを探してる人には参考にならないと思います。
ただ僕が唯一気になっているのがTikTokでのスケート動画です。「インラインスケート」で検索すると出てきます。
何故、僕が唯一これだけ気になってしまうかというと、痛いほど心に響くからです。
昔、自分が高校生でインラインスケートに夢中だった頃、毎日チェックしていたWEBサイト、[es]、YMNR、FreeFlyer、A.I.L magazineを彷彿させる荒い画質、気取らない音楽、そしてどことなく常に女子の目線を意識しているいわゆる童貞感。
それは自分が一番スケートが楽しく、夢中になれていた頃の記憶の断片なんだと思います。
変わっちまったのは自分で、アグレッシブインラインスケートは変わっちゃいないんですね。Senate Supports Angry Youth.
ということでTikTokから3つ動画を報告させていただきました。」
※編集部注:TikTokはPCのブラウザから見れません。スマホからアプリをDLしてから見るのがオススメ!
◼︎Instagram
@kymseen 
①RYU - 私失敗しないので
https://vt.tiktok.com/hvhaR2/
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リュウ君はTikTokにスケート動画を誰よりも早く上げてたんじゃないかと思います。いわゆるEarly Adopterです。
彼みたいな若い子が新しい常識を塗り替えていくんですね。
②Hys 翔 - Sweet 19 blues
https://vt.tiktok.com/hvUfBF/
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田舎で一人で滑ってる子です。
「田舎スケーターあるある」は泣けた。ボロボロなK2はさらに泣けた。長野県だとしたらさらに泣ける。
まるでドラえもんのタイムマシンでのび太が過去の自分を見つけた時のような気分です。
③ドイツパン屋の日常 - パパ 白馬村 インラインスケートで汗流す
 https://vt.tiktok.com/hvQgyP/
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ドイツ人のお父さんがハーフパイプで滑ってる動画ですが、元々スケーターだったのかなと勝手に推測。近い将来、40歳になってもイキイキと好きなことをするお父さんになりたいなと思わされました。
中学生の時に栃木の叔父さんに連れて行ってもらったハーフパイプのある屋内スケートパーク(KROSS)を思い出しました。20年前のいい思い出です。
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roadhouse-press · 4 years
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[What’s your “OKI-NI” video?] #6  Tat Minamoto
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色んなスタイルのスケーターに
「あなたの好きなスケートビデオを3つ、とにかく教えて!」
という本企画、題して
What’s your “OKI-NI” video?
6回目は西東京をベースに20年以上前から地元のローカルビデオを作り続けるTat Miyamotoさん!!
日本のインラインスケート黎明期からアンサーエンターテイメント として数々のビデオをリリースしまくってきたTat Miyamoto氏。
その豊富な知識と冷めないスケート愛で新作ビデオも鋭意制作中とのこと!
そんなビデオディレクター兼スケーターの彼がオススメする動画とは・・・?あ、お子さん誕生おめでとうございます!!
◼︎本人からのメッセージ
「サクッとテンション上げるために、ふと思い出しては見ている動画を個人的に3つ選んでみました。現在、東京にいる僕の仲間達はコロナの影響でグループ撮影を中断中ですが、いずれまた我々も皆さんのテンションをアゲられる作品をリリースしていきたいと思いますので、お楽しみに!」
◼︎Instagram
@tat.miyamoto
@answer_pv
①Philadelphia's Anthony Marchione feature video on SkateLive.TV
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アメリカはPHILLY(フィラデルフィア)のスケーターAnthony MarchioneがSKATELIFE.TVで2013年にリリースしたPROFILEです。
バンドマンでもある彼の個性的なスタイルとBGMのマッチングの良さもさることながら、何よりスケーティングがカッコいい。
エントリーやランディングがカッコいいスケーターは見ていて惚れ惚れします。この動画を見て彼のファンになりました。
KELSOSのFISHGUYSシリーズにもちょくちょく出てくるのですが、そのたびに必ず彼をチェックしています。
②Carlos Bernal - USD Skates 2016 
youtube
USDのプロライダーでスペインのCarlos Bernalが2016年にリリースしたPROFILEです。
今もinstagramなどでは何度もリポストされる伝説的なトリック、長い2本のハンドレールでの360°SoulトランスファーSoulが収録されていることで有名ですが、それ以外にもパーフェクトなスタイルのハンマートリックが多く、次元の違う映像に圧倒されます。
③NILS JANSONS - BEST of 2010
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少し年代は戻って2010年にリリースされたラトビアのNils Jansons(当時17歳)の映像をまとめたベスト版エディットです。
彼は13歳ごろから既に強烈なPROFILEを残していて、現在もトップスケーターとしてさらに洗練されたスケーティングを見せてくれていますが、この映像は見るたびに強烈な難度、ハンマーの連続に震えます。
彼以外にも言えることですが、17、8歳くらいのPROFILEというのは凄いエネルギーを感じますね。
それはそうと、Nilsはいくつもプロスケートをリリースしたり、スポンサーライダーを移籍したりと、歴史があるので古株にすら感じますが、今まだ20代だということにも驚きです。
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roadhouse-press · 4 years
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[What’s your “OKI-NI” video?] #5  Naoki Nishihara
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色んなスタイルのスケーターに
「あなたの好きなスケートビデオを3つ、とにかく教えて!」
という本企画、題して
What’s your “OKI-NI” video?
5回目は日本初のウイールブランドMOMO WHEELSを運営していたナオキン!!
今回は日本初のインラインスケートウイールブランドMOMO WHEELSの社長で、スケートビデオStemやTokyo Driftersなども手がけた西原直樹が登場です!
下の本人からのメッセージにも書いてましたが、本職の関係で海外転勤となり、今年3月にカンボジアに移住。しかし、あとから来る予定だった奥さまとお子さんたちがコロナで入国できず、只今プノンペンで一人奮闘中!
環境の変化に伴いMOMOも休止となりましたが、今後もナオキンの活動に期待です!
◼︎本人からのメッセージ
「みなさんご無沙汰しています!カンボジアで単身赴任中です!1人で友達も家族もいなくておまけに外出もまだ自粛モードですが生きてます笑。
毎日ではないですが三密を避けて早朝に125mmウイールで滑ってますよ!それについこないだコンクリのボウルも見つけましたからね!やっぱりスケートバカなんだなぁ。 
好きなビデオを振り返ると、MOMOってHEATに憧れて作った部分もあったのかなぁなんて思えてきました。もちろん良いウィールを作って皆さんに届けたいってのは前提としてあったにしても、Toryと仲間達が良いと思うコンセプトを形にしていくのが素敵で自分もそうしたかったんだなぁと思うのです。
しばらくは大勢で集まれないかもしれないけどZOOMでもなんでも使って時にはスケート談議したり、ウェブ試写会なんかしたら楽しいかもね!カンボジアからも参加できるし! 」
◼︎Instagram
@cambodia_blading
①Daily Bread Quattro - Carlos Pianowski
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自分で買った初めてのビデオ。
18歳でスケートを始めたんだけど、始めた当初は先輩のミムさん(サンソン)やアツシさんからビデオ借りて見せてもらってた。
でも自分でもどうしても何かビデオが欲しくて確か当時の渋谷アークティーズに行った時にオレンジのジャケだけ見てなんとなく買ったような・・・。
カルロスのプロファイルが大好きで何回も見てたなぁ・・・。メタルが似合うスケーターって後にも先にもカルロスくらいじゃなかろうか・・・。
ハードコアブラジル!!
②Rejects issue6
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Rejectsは紙の雑誌にビデオが同梱されてたんだけど、たぶんこのissue6は2002-2003年頃の発行だったかな。
まずこのマガジンの表紙の写真が半端なくいい!表紙の写真にもあるエリック・バークのボウルでのスケーティングが動画(16:00頃からのパート)で見ても最高にカッコいい。Shred til yuou’re deadのJeff Stockwellの映像を見るとこのエリック・バークの影響をかなり受けてるんじゃないかしらと思ったり。
更にトリのプロファイルがTory Tresseder!
やっぱりToryが大好きなんだなぁ・・・。なんでだろう?ストリートでもパークでもなんか気持ちいいんだよね。スケートに乗ってる感じがするというか・・・。かといってクリーン過ぎずいい塩梅にクセがあるといえばいいのかな?
③HEAT team video
vimeo
ビデオ全体のアートディレクション、ロードムービーというコンセプト、スケーターのパフォーマンス、どの部分をとっても大好き!
アートディレクターのSayer Danforthがスケートも頑張ってるのも胸熱!自分もスケートビデオ作ってたから分かるけど、スケーターなんだから裏方だけじゃなくてフッテージ残したくなる気持ちがよく分かる(笑)
Oli Shortも好きなスケーターで彼のパートも良かったなぁ!まぁ何より皆んなでツアーしてパークもストリートもやろうよってノリが凄く好きだし懐かしくてつい見ちゃう。
ちょうどあの頃、僕らも山形、長野、名古屋あたりをノリでツアーしてたから何となくシンクロするというか・・・。
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roadhouse-press · 4 years
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[What’s your “OKI-NI” video?] #4  Toru Shirai
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色んなスタイルのスケーターに
「あなたの好きなスケートビデオを3つ、とにかく教えて!」
という本企画、題して
What’s your “OKI-NI” video?
4回目は日本が誇るスーパーグラインドマシーン、白井徹!!
徹くんのグラインドはほんと超かっこいい。生で見ると更にかっこいい。多分日本で一番かっこいいグラインドをすると僕は思ってる。トリックも最高難易度クラスをバシバシ決めるけど、スタイルや重みがハンパじゃないんです。徹くんのスケート映像もっと見たいし、最近インスタの面白ストーリーが少ないんで個人的に寂しいっすね。期待してます!
◼︎本人からのメッセージ
「9月にもう1人家族が増えます!!」
◼︎Instagram
@torushirai
①Amateur
youtube
多分Vinny Mintonのプロファイルを初めて見たビデオかな。このプロファイルでVinnyのファンになった! 
② VG16
youtube
このビデオはマイク・ジョンソンとダスティン・ ハーレン?名前がわからない。この2人のプロファイルですね。NYのストリートの映像がカッコイイっす!
③VG14 Louie Zamora's profile
youtube
このビデオはルイ・ザモラのプロファイルですね。僕の1番好きなスケーターです。グラインドのエントリースピードが速くて衝撃を受けました!
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roadhouse-press · 4 years
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[What’s your “OKI-NI” video?] #3  Takuya Nakano
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色んなスタイルのスケーターに
「あなたの好きなスケートビデオを3つ、とにかく教えて!」
という本企画、題して
What’s your “OKI-NI” video?
3回目はレペゼン山形のSKATE NERDS、中野さんが登場!!
山形で周りにインラインスケーターがゼロ!という環境ながら、突如自宅の庭にコンクリを流し込みスケートパークをたった一人でDIY。またその制作の模様などを収めたZINEを定期的にリリースするなど精力的に活動中!アグレッシブを経て現在は日本屈指のWIZARD SKATEマスターにまで成長するも、先日人生イチの大怪我をメイク!現在リハビリ奮闘中。2児のパパ。
◼︎本人からのメッセージ
「ダメ。絶対。骨折。」
◼︎Instagram
@takuya_nyakano
①ambivalence - Yuto Suzuki 
youtube
兎に角衝撃を受けたambivalenceとMORE。自分の中でこれを超える作品は未だに出てきていません。それぐらい喰らった作品。今見てもトリック、編集共に国内作品ではトップクラスなのではないかなと思います。
とくにYuto Suzukiの身のこなし方は印象に残っています。やはりスタイルは意識して出す所もあるが、その人の体系や癖から出てくるものであり真似してどうこうなるものでは無いなと真似してみて痛感したのを覚えています。
中でもトラッシュボックス越えのバドニック気味のミュートエアー180°には痺れたなぁー。ジャパニーズスケートビデオの鬼クラシック!ファッション、スケートスタイル、音楽はこのビデオからかなり影響受けました。
って考えるとスケートビデオが人に与える影響力ってすごいものがあるなと今更ながら思います。さらにこのビデオに出てくる僕のスケートヒーローズと今現在絡めてるのが未だに信じられません笑
② Wizards in Zurich - Louis & Dean
vimeo
ウィザードスケートを始める上で1番最初に参考にしたビデオです。
カナダのLeon BasinやMike Torresのようなバキバキのスケートスタイルではなく脱力ゆるスラ系とでもいいましょうか。脱力系と言ってもウィザードのロジックをしっかり抑えつつさらっと流していくLouis Packhamのライディングはシックでかっこいい!
動きも分かりやすく解読しやすい。その中でも三段幅広ステアでのOne foot pivotムーブはフラットでの応用も効くので自分のフェイバリットトリックの一つになりました。
ウィザードスケーティング、己の道を見つけた矢先に骨折するとはこれっぽっちも思っていませんでした…無念。
③ Gou Miyagi - overground broadcasting skate video
youtube
スケートボードですが、FESN森田貴宏氏ディレクションのOver ground broadcastingの宮城豪氏のパートは何度も見返しました。
宮城氏の奇想天外なスケートスタイルと森田氏のフィルミングとエディット力がほんとハンパないクオリティーでぶったまげたのを覚えてます。手は使うし、歩くし、肩は借りるし、これまでの固定概念を完全にぶっ壊してきたスタイルは、やればやるほど固定概念にハマっていく自分にこれでいいのだ!と変な勇気を与えてくれました。あと宮城氏のランディング後の手の所作が好き。
僕の場合スケートボードカルチャーから学ぶ事はたくさんありました。スケボーセンスが無く自分の表現方法がインラインスケートに変わっただけというだけで同じ人種だと思っています。(あちらは迷惑かもしれませんが)
ちなみに僕のSelf experimentsという動画のオープニングでの口元の不敵な笑みは宮城氏の「すぅ〜っと滑って行く感じ」へのオマージュ。
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roadhouse-press · 4 years
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[What’s your “OKI-NI” video?] #2  Aoi Iwama
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色んなスタイルのスケーターに
「あなたの好きなスケートビデオを3つ、とにかく教えて!」
という本企画、題して
What’s your “OKI-NI” video?
2回目は静岡のホープ、岩間 葵が登場!!
キレのある動きと、ダイナミックなエアートリックを武器にFISEにも出場した現役高校生の岩間 葵。東静岡のパークをホームとし、近年メキメキと実力アップ中。また、パークではスケートインストラクターもしてるってんだからこの歳で偉いですね。
◼︎本人からのメッセージ
「 現在マル秘パークを制作中です!コロナが終息したらみんな遊びに来てください !」
◼︎Instagram
@aoi_iwama0903
①BLADING BURMA
youtube
映像がオシャレ。インラインで旅しながら映像を撮ってる感じが楽しそうでいつかやりたいなと思えた。
②Champagne B-Roll - David Sizemore
youtube
David Sizemoreの洗練されたスケートスタイルがとにかくかっこいい!
  ③Ilia Savosinのインスタ
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A post shared by Илья Савосин (@savosin.ilia) on Jan 20, 2020 at 5:57am PST
こんなスケーターがいるのかと初めてみたときは衝撃を受けました。スタイルというか遊び心が真似できないなと思いました。
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roadhouse-press · 4 years
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[What's your “OKI-NI” video?] #1  Shintaro Nakayama
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色んなスタイルのスケーターに
「あなたの好きなスケートビデオを3つ、とにかく教えて!」
という本企画、題して
What's your “OKI-NI” video?
記念すべき一回目は中山慎太郎が登場!!
ストリートにこだわったリアルなライディングで今も現役バリバリの中山慎太郎。現在はスケーターの肩書きにプラスしてビデオフィルマーとしても活躍中。またVERS CLUBというアパレルのデザイナーでもある。彼のOKI-NI(お気に入り)は90年代のクラシックから2000年代のMINDGAMEのビデオなど、今見ても色褪せないものばかり!
◼︎本人からのメッセージ
「皆んなもっとライブ配信して〜」
◼︎Instagram
 @shintaro_nakayahman
①Hoax2 Anarchy Across America
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当時の他のビデオ画質と比べて、明らかに映像のクオリティーに差がある事に衝撃を受け、めちゃくちゃ観まくってた!(10:05)のシーンのMatty MantzやCory Nelsonに勝手にジェラってた(笑)。Blade Gameもこのビデオで始まったんじゃないかな??
②Video Groove 4 Puppets Of Destiny
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このビデオは全体の曲のセンスが好き!プロファイルされてるメンツが最高すぎるっしょ!特にJason Marshall (11:55)。迷彩パンツにサンバイザー!このファッション真似したな〜(笑)
③MINDGAME  Brain Fear Gone 
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Dustin Latimer(25:58)がネクストレベルすぎて参考にならなくなった作品・・・。スポット選びの視点やトリックのセンスが渋すぎ!
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roadhouse-press · 4 years
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What's your “OKI-NI” video?
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コロナで自粛中のスケーターの皆さん!
フリオのインタビュー以来ですね。お久しぶりです。ROADHOUSE主宰の鈴木ユウトです。
みなさま、このコロナ禍いかがお過ごしでしょうか?
外にみんなでスケートにも行けずイライラしながら毎日をお過ごしかと思いますが、STAY HOMEってーことでスケートビデオを見る時間もたっぷりあると思います。
そこでROADHOUSEでは色んなスケーターたちに「あなたの好きなスケートビデオを3つ教えて!」というシンプル極まりない質問をして、それを紹介するコンテンツを考えてみました。
その名も What's your “OKI-NI” video?
そう、OKI-NI=お気に入りです。
(まあ考えたってレベルじゃないんですけど、昔から気になる人のオススメ企画って面白いじゃないですか?マンガとか映画とか音楽とか、、、あと食べ物とか、アレとかコレとか・・・)
【この企画の目的】
自分が好きなスケーター、気になるスケーターのお気に入りのスケートビデオって何だろ?ちょっと知りたいですよね?
「かっこいいスケーターってどんなビデオ見て影響受けてんだろう、、、?」 そんな疑問を少しだけ解決するのが本企画です! でも、若手と古株、プロとかアマチュア、、、そんはのは関係なく、とにかく色んな人の好きなスケートビデオを3つ聞いてそれを紹介しまくる!って企画をやりたいと思いましたーーーーー!!!
また、参加いただくスケーターには以下のような簡単なルールを設けて質問しています。
【ルール】
①ウェブ上で無料で見れるもの →YouTubeでもvimeoでも、インスタ でもTikTokでも何でもOK!おうち時間でみんなが気軽にアクセス出来ることがミソっす。
②その動画が好きな理由 →ココ重要ですよね。なんでそれが好きなのか。自分の言葉で語ってほしい! ③読者へのメッセージ →選んだ動画のことでも良いし、自分の宣伝でも良いし、くだらないことでも何でも良し!暗い気持ちになりがちだからなるべく明るくおなしゃす。
ということでー、まあスケートスタイルは千差万別。同じように好きなビデオも千差万別。
ここで紹介する個性溢れるスケーターたちのオススメビデオを見て、さらにスケートを好きになってほしいなって思います!
人の紹介するビデオ、これ結構面白いです。僕もすでに何人か回答してもらった内容を見てすごく楽しんでます。案外自分の好みに偏ったものばかり見ていたので非常に勉強になります!
ていうか、コロナが収束してもこの企画は続けていきたいなって思ってます。
それでは次回からスタートです!お楽しみにーー!!\(^o^)/
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roadhouse-press · 5 years
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Jon Julio スペシャルインタビュー
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ブレーディングカップの予選開催のため久しぶりに来日を果たしたスケート界のスーパーレジェンド、ジョン・フリオのスペシャルインタビューを公開いたします!
ブレーディングカップやTHEM SKATESのこと、仲間や自身のスケートスタイルについてなど、たっぷりの超ロングインタビューとなりました。
長いキャリアの中で常に第一線にい続けるフリオの貴重な日本語版インタビュー。是非じっくりと読んでみてください!
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◼︎品川某所にてインタビューに答えるフリオ
ROADHOUSE(以下R):今回で来日は4回目ですか?
Jon Julio(以下J):4回目だったかなあ?初めてのときはマキオと、あとは数年前に総一郎と。それで2回でしょ。そして今回で3回目。
R:あれ?でも昔お台場で開催された「コアX」って大会にも出ていませんでしたか?
J:ああ、日本の大会に出たこともあったね!じゃあもしかして4回目かも。
R:たくさん来てくれてありがとう。早速だけど、日本のスケーターとスケートシーンについてどう思いますか?
J:一言で言うと僕のインスピレーションになっているね。世界のスケートシーンの中で影響力のあるシーンの一つが日本だと思います。それはスケートの創成期からずっとそうで、Hidekazu Itoやマキオがシーンの中心だった頃からね。いわゆる“スタイル”が生まれたのがこの国だと思うよ。
R:日本のスケートシーンも結構長い歴史がありますが、日本と他国のシーンの違いは何だと思いますか?
J:まず、いろんなことが日本で始まっているんだよね。トリックとかもそう。マキオが初めてやった“マキオグラインド”や、あとはミズグラインドも日本で発明されたトリックでしょ。沢山の歴史がここで始まってるよね。またスタイルの話になるけど、ジャパニーズスタイルはこのスポーツに大きな影響を与えたと思っているよ。
R:そう言ってもらえると日本人としてすごく嬉しいです。では、今回の来日の目的でもあるBladeing Cupについて質問します。どうしてBlading Cupを始めようと思ったのでしょうか?
J:Blading Cupは2010年にスタートしたんだ。きっかけは色んな人にスケーティングを見せる機会を作りたかったから。まずはデモンストレーションって形でね。
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◼︎butterTVによる2018年のブレーディングカップの映像。世界中のスケーターがサンタアナに集結!
R:最初は大会じゃなくてデモだったんですね。
J:そう。僕は今サンタアナって街のダウンタウンに住んでるんだけど、その街で土地を持っている人たちと仲良くなったら彼らが僕に「イベントをやってみないか?」って提案をしてくれたんだ。それがキッカケでBlading Cupの最初のデモをやったんだよね。まずは僕の出来る範囲でただスケーティングを見せる機会を作ろうと思ったんだ。お金を集めて、それをスケーターたちに還元する機会も作ってね。それが最初の目的だった。そこから大会に変わっていったんだけど、元々はサンタアナのダウンタウンに住む人たちにスケーティングを見てもらうことが目的だったね。
R:今年のBlading Cupの決勝は昨年よりも大きい所で開催するってアナウンスをしてたけど、新しいセクションを用意してるんですか?
J:まあそれも考えてるけど、僕たちにとって重要なのはパークの大きさとかではなくて、スケートシーンのコミュニティをもっと大きくすることが目的なんだ。例えば今回、チアキやケンタロウ(SENARAMPオーナー)といっしょに日本でBlading Cupを開催することはとても重要な意味を持っているよ。今Blading Cupを大きくするために大事なことは、各地で行われている他のスケートイベントと一緒に協力し合うことだと思ってる。例えば、ニューヨークのBoschi Pope Skate Offやクリーブランドの King of Cleveland、デンバーのMile High Battle、テキサスのTexas Blade Classicとかね。
R:確かに今まではBlading Cupはサンタアナだけの開催だったけど、今年はシリーズ化してますね。
J:そう。Blading Cupのシリーズ化っていうのは今年スタートしたことなんだよ。シリーズ化についてのキッカケはMark Loweryとの出会いが大きかったね。彼はカリフォルニアとテキサスにあるAllianceというスケートパークを運営しているんだけど、昨年彼から「Blading Cupをシリーズ化したらどうだ?」って提案をもらったんだ。それはすごく良いアイディアだ!と思ったんだけど、僕はその頃THEM SKATESの立ち上げもあって大変な状況で・・・。とてもじゃないけど無理だなと思ったんだ。でも実はその年なんとか3つのイベントを予選として開催したんだ。それがスタートで、今年はアメリカの他のイベントとのコミュニケーションから始めて、そしてイギリスやこの日本でもイベントを開催出来ることになったんだ。その他にも今は南アメリカとかいろんなローカルともコミュニケーションを取っているよ。つまり世界中のスケートコミュニティを一緒にして、サンタアナでのBlading Cupの決勝をもっと大きく出来たら良いなと思っているんだ。今年は本当にそれが実現出来てきてると思ってる。世界各地で予選をして、色んな人たちが最後サンタアナの決勝に集まることができたらそれは最高でしょう?すごく良いコミュニティができると思うよ。だから繰り返しになるけど、決勝のストリートコースはもちろん大きくなるけど、それよりも大事なことはこの業界をさらに大きくしていくことなんだ。
R:スケーターによるスケーターのイベントで言うとWinterclashもとても有名ですが、WinterclashとBlading Cupとの違いは何だと思いますか?
J:結局両方とも同じ目的を果たそうとしていると思うよ。一番大事なことを彼らもわかっているんだよ。スケートシーンとそのコミュニティをサポートするってことをね。だからそんなに大きな違いはないと思う。強いて言えば彼らはヨーロッパでやっていて、僕たちはアメリカでやってるってことぐらいかな?まあ、カリフォルニアの方が暖かいよね(笑)。結局、彼らも僕たちもイベントの現場に行くこと自体が楽しみになるようなものを作って、このスケートコミュニティが更に強くなっていけるものを目指しているんだと思う。最終的にはそれが一番大事だと思うな。あとWinterclashは様々なイベント、アクティビティをうまく整理して実行しているね。すごく完成してると思う。僕は彼らのやり方を見て勉強しているし、Blading Cupで他にも何か出来ることはないかな?って参考にしているよ。
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◼︎毎年オランダで真冬に開催されるWinterclash。スケーターの熱気と観客の興奮度ではこのイベントを超えるものは無い。
R:Blading Cupを今後はどうやって継続していこうと思っていますか?
J:今年はシリーズ化を実現出来たことが大きな一歩だったと思う。純度が高くて間違いないことを実行することで、人々を更に巻き込んでいきたいし、エキサイティングなものにしていきたいね。それは僕たちのコミュニティの中だけじゃなくて、コミュニティの外の人たちにも影響を与えられると思う。もっといろんなビジネスとも繋がっていけるはず。90年代はそこらへんが上手くいっていたと思う。
R:90年代についてはバブルだったんじゃないですか?
J:90年代はスケート業界も大きかったし、スケーターも今よりずっと���かったよね。色んなチャンスもあったし、ワクワクしてる人もたくさんいて、実際人気も高かったんじゃないかな?僕たちも金を持ってたし、スケート業界に投資したがってる人もたくさんいた。あの頃はみんなが協力し合っていたよ。でもスケートシーンが始まったばかりでまだしっかりとしたベースがなかったんだよね。
R:そういう意味でもあなたは今“インディペンデント”にこだわっていますね。先日リリースしたあなたの最新ビデオも「Independent」というタイトルでした。
J:そうだね。自分やサポートしてる仲間たちで何が出来るかってことが大事だね。僕たちはこの業界の中で自立していかないといけないし、“偽りのない本物”で在り続けないといけないと思ってる。だからインディペンデントにこだわっているんだ。自分たちでオーガニックな成長をしていかなければいけないよね。そんな成長の中で、もし今後大手の会社とビジネスをする機会があったとしても、それは自然な関係の中でやっていけるんじゃないかとも思うよ。
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◼︎フリオの最新ビデオ「Independent」のティザー。本編はVODでDL購入できる。40歳を過ぎてなおユニークなスケートスタイルがファンを魅了する。
R:自分たちでコントロールすることが重要ってことですか?
J:そう。無理やりな方法では何も上手くいかないと思う。偽りのない自分たちらしさが今後もっと大きなことに繋がっていくと信じてるし、それが僕を突き動かす大きな理由の一つです。
R:ありがとう。あなたのその姿勢は世界中のスケーターのモチベーションになっていると思います。さて、話題を変えて、あなたがスケートを始めたきっかけを教えてください。
J:僕がスケートを始めたのは1992年。高校3年生の頃だね。なんで始めたのかって?その頃僕や仲間たちは同じものを同時期に楽しんでいて、例えばダンスとか、ヒップホップ、DJとかね。みんなでどんなことも一緒にやっていた。僕の親友がホッケーするためにスケートを買って、それでAirborneって映画やDare to Airってビデオを見て、「やばい!なんだこれ!?すげーかっこいい!!」と思ったんだ。今まで経験してきたこととは違う感じでとにかく新しいことだったから、友達と一緒に始めたんだ。その友達はスケートを途中でやめちゃったけど僕は今もやり続けてる。
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◼︎1993年にリリースされたアグレッシブインライン創世記の超重要作品、Dare to Air。今に比べてトリックはまだまだ少ないが、スケーティングの楽しさの根源を表現している作品だ。
R:あなたがスケートを続けるモチベーションは何ですか?
J:いろんなモチベーションがあるよ。今なら自分の家族かな。
R:家族?
J:そう。それと今はビジネスもね。もうスケートは僕の人生の一部なんだよね。長い間人生の一部だから、スケートすることは当たり前のことになってる。でも結局一番のモチベーションはスケートをすること自体だね。スケートすることが純粋に好きで、いまだにブーツを毎日履くことが楽しみなんだ。スケートが出来ないとイライラしてしまうぐらいだよ!スケートをやり続けること、それが出来るようにスケート業界をキープし続けることが一番のモチベーションだね。スケートがこの世から無くなってほしくないよ。明日も、これからもまだあるようにしていきたい。だから僕にとってスケートはビジネスでもあり人生の一部でもある。もし今後ビジネス的に成功できなかったら、僕だけじゃなくていろんな人が困ると思うんだ。スケートの産業が消えたらみんな大変なことになるでしょう?自分でも言うのもなんだけど、僕はこの業界においてすごく重要なポジションにいると思ってる。僕のせいでこのビジネスが上手くいかなかったら・・・なんて思ってしまうんだ。だからちゃんとこのビジネスを続けることが今は大きなモチベーションだよ。でも最終的にはスケートが大好き!ってことが重要。スケートは僕の人生そのものなんだ。
R:長く続けてきてつまらないとかやめたいと思ったことはありますか?
J:いや、無いね。ずっとスケートし続けたいって昔から考えてた。だから怪我した時は最悪だよね。過去に最長で6か月ぐらいスケートが出来ないときがあったけど最悪だったな。けど、結局またスケートしたいという気持ちが湧いてくるんだ。1回もやめたいと考えたことはないよ。
R:あなたのスケートスタイルは昔から一貫してユニークですが、こだわっていることってありますか?
J:うーん。難しい質問だね。最近は昔より楽なスケーティングをしているような気がする。慎重にもなったかな。でも一番大事なのは滑ることを楽しむってことだね。そんな風にスケートと向き合ってる。あと自分のことを常に向上させたいって気持ちもある。それはスケーティングだけじゃなくて、僕がやることすべてに対してね。デザインとか、ビジネスとか、自分の子供たちに対しても。スケートの良いところは自分自身を表現できるってことと、クリエイティブになれること。あなたもそうでしょ?みんなもそうだと思ってるよ。
R:でもあなたのスタイルは特にクリエイティブだしアートを感じます。
J:そう言ってくれるのはありがたいね。でも、みんなにとってもスケートはアートだと思うよ。みんな自分のことをすでに表現していると思う。人はそれぞれ自分のやり方がある。だから僕だけがクリエイティブってわけじゃなくて、みんなもそうだと思うよ。
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A post shared by •••• (@jonjulio) on Sep 14, 2019 at 10:31pm PDT
◼︎ゴールドスタイル×ブレーディングカップで来日した際、会場のパークでスケートするフリオ。一目見ただけでフリオだとわかる動き。ソウルグラインドだけでここまでクリエイティブにスケートできるセンスに脱帽。
R:では、あなたのスケート人生で最も大きな出来事は何ですか?
J:一番はやっぱりVALOが終わってTHEMを始めたことかな。僕の人生で最も大きな転換点だった。
R:正直かなりハードだったんじゃないですか?
J:そうだね。でも僕は物事が先に進んでいくことについては全然平気なんです。このことについても最初はすごく大変だったけど今はもう違う。状況も変わって、だんだん良い状況になってきていると感じてる。精神的にも健康になってきたね。
R:VALOとTHEMの大きな違いは何でしょうか?
J:VALOには最初パートナーがいたね。Rocesっていうパートナーが。でもVALOの最後の頃には彼らはもう僕たちのパートナーでは無くなっていたんだ。最終的に彼らは僕をただの“社員”ぐらいとしか考えなくなっていた。最後の頃なんて僕と僕のチームに彼らからお金が支払われない状況がずっと続いて、事態もどんどん悪くなっていったんだ。そこで僕は大きな変化を起こさなければと思ったんだ。前進するためにね。だからVALOとTHEMの大きな違いは僕自身がTHEMを100%所有しているってことだよ。いやあ、、、それにしてもVALOをスタートしたときは最終的にあんな形で終わるなんて思わなかったね。ずっと大丈夫だろうと信じてた。でもそれがきっかけでビジネスの事を色々勉強できたよ。
R:大変な状況であってもあなたの周りには常に良いチームがいる気がします。
J:僕は恵まれていると思う。彼らがいなかったら僕は絶対にTHEMを始めることは出来なかった。本当に感謝している。彼らは僕の友達だけど、人間としても素晴らしいと思ってる。彼らももちろんVALOとTHEMの違いを理解してる。すごく大きな違いってことをね。
R:THEMのスポンサードライダーたちもかっこいい人たちばかりですね。あなたはどんな基準でライダーを決めていますか?
J:THEMの成長は全て自然なものなんだ。今THEMに関わっている人たちは彼らが「自ら望んでここにいたい」と思ってる人たちが集まっているんだと思う。そうやって集まって、繋がって、自然とチームになったんだ。逆に、関わりたくないと思った人たちは離れたよ。それって自然な流れだよね。もちろん少なからず僕がブランドの方向性を決めてはいるけど、やっぱり自然な関係の中で出来たチームなんだよ。出会いもあれば別れもある。当たり前のことだよね。
R:なるほど。ただ僕から見るとやっぱりスケートが上手いってだけじゃなくて、みんな個性があって光るものをもったライダーたちが集まっているような気がします。
J:君はそう思ってるのかもしれないけど、結局ライダーたちと僕は友達関係のようなものなんだよ。お互い長い時間いっしょに過ごすことになるから嫌な奴とは組みたくないでしょう?だからスキルだけじゃない関係性が大事なんだ。あと、あなたが外から僕たちを見て「あぁ、特別なものをこのチームは持ってるな」って思うのは、あなたの好きな音楽、ファッション、スケートスタイル、考えとかが僕たちとたまたま合うからだよ。でも、どうやってスケートをもっとかっこよく表現できるか?もっといろんなビジネスや人を繋いでいけないか?ってこととかを僕たちはいつも話し合ってるよ。かなり生真面目にね。ひょっとしたらちょっとダサイと思われてしまうぐらい真面目にやってる。けど、だから君が僕たちのやり方をかっこいいと思ってくれて、今こうやってつながることも出来たんだと思う。まあ、繰り返しになるけど僕たちは仲間でただスケートしてるだけだよ。それがブランドになってるだけ。THEMのライダーが特別な何かを持っているわけではなくて、ただの仲間ってだけ。
R:そんなTHEMの今後だけど、来年発売予定のTHEM 909モデルについて質問させてください。開発のプロセスはどうだった?
J:うん。楽しかったし、難しかったし、、、面白かったね。やることが多くて、大変な仕事だったよ。新しいブーツを開発するのに新しい関係を構築しないといけなかったし、乗り越えなくちゃいけないことも沢山あった。それは909だけじゃなくて、前の908モデルのときもね。全てが初めてだったからね。正直色々混乱したよ。あまり言うのもあれだけど、本当に最初はぐちゃぐちゃだったな。
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◼︎2020年3月出荷予定のTHEM SKATE 909。現在の908よりも洗練されたシェイプになっており、細かいところもアップデートされている。日本ではSoul Vision Worksで販売予定。グレーおしゃれ!
R:909を共同でデザインしたKyle Solaとの仕事はどうでしたか?すごく才能がある人なんですよね?
J:そうだよ!彼がいなかったら909モデルはあんな風に生まれなかったと思う。彼はプロダクトデザイナーであり工業デザイナーでもあるから、彼の専門知識のおかげでこんなに短い期間でデザインが出来たんだ。そのプロセスは本当に最高だったよ。サンプルのデザインベースが出来てから中国の工場とは打合せをして作っていくんだけど、そこもまた難しい。最終的に理想の形にすることはすごく手間がかかるんだ。
R:ゼロから作り出すって大変ですね。
J:僕が工場とやってきたことは全て学習体験のようだったね。どれだけ一つのデザインをチェックしても簡単には終わらない。もっと簡単に出来れば良いけど、新しいものを作ることを中国の工場の人たちにもしっかりと理解してもらい、上手く組み立ててもらう必要があるからね。コミュニケーションを密にとっていかなければいけないんだ。そのプロセスの一つ一つを僕自身も常に学習しながらやってきたよ。
R:ところで2020年の東京オリンピックでスケートボードが正式種目になりましたが、そのことについてどう思いますか?
J:まずは羨ましいって言うのが正直な感想。インラインスケートだって受け入れられるはずだし、他のアクションスポーツと同じぐらい、いや、もっとすごい魅力も持っていると思うから。僕らのカルチャーは何らかの理由で隅に追いやられていると思う。でも、ある意味そのおかげでインラインは“見せかけ”だけではなく、無垢な姿でかっこいいのかもしれないね。スケートボードも昔は我々と同じように隅に追いやられていたよね。彼らは昔から魅力的でかっこよかった。だから今あんなに人気なんだけど、少しコマーシャルになってるよね。お金もあるから。インラインはそこまでは望まないけど、まずはプロが普通に食べていけるぐらいのレベルになってほしい。オリンピックなんてレベルは望まないし、その半分ぐらいまでのところまでとりあえず行けたらいいな。プロライダーがスケートで生計を立てられて、我々の産業を自分たちでサポートしていけるレベルぐらいにね。スケートボードが既にそのレベルまで到達しているのは羨ましいよ。
R:他のアクションスポーツと比較して、インラインに魅力は無いとは思いませんが・・・でも残念ながらメジャーではないですね。
J:これは僕の意見だけど、インラインは他のアクションスポーツと比べてもかっこいいと思ってる。僕たちにだって同じぐらいの数字がついたっておかしくないはず。
R:スケートボーダーの中にはオリンピックに対してヘイトな姿勢を取ってる人もいるようですが、あなたはどう思ってる?
J:オリンピックは悪くないと思う。ただ中には良くないと思っている人もいるね。まぁ、僕の意見だけど、そういうインディペンデントなスピリットをもったスケーターもいるべきだし、もっとコマーシャルなスケーターもいるべきだと思う。色んな姿勢の人たちを受け入れられる場所がスケート界にはあるべきだと思う。でも最初は小さいけどコミュニティや土台、僕たちがやっているようことがスタートになると思う。オリンピック自体は嫌いじゃない。オリンピックがあることで全てのアクションスポーツが発展していけると思うから。オリンピックじゃないし、イベントでも無いけど、例えばスケートボーダーのトニー・ホークが昔900°をメイクしたことは大きな出来事だったと思う。スケートボードだけではなく、すべてのアクションスポーツにとっていいことだった。あれをきっかけに盛り上がったし発展できた。
R:あなたも昔はX-gamesや大きなコンテストに出ていたよね。でも同時に“ストリート”スケーターを貫いているよね。
J:僕はストリートスケーティングのファンだからね!Arlo Eisenberg のストリートスケーティングを見て育ったんだ。でも、Matt Salernoみたいなパークやバートライダーも同時に尊敬していた。僕には出来ない部分を彼らは持っていたからね。けど僕はずっとストリートスケーティングを見てきたので、そういうスケーターたちのための環境を作りたかった。昔僕がやっていたEnglandや50-50ってブランドでそういうイメージのスケートを押していたんだ。でも、ストリートスケーターとコンテストでコマーシャルなスケーター両方のタイプが存在出来る環境がないとダメだと思ってる。お金はあるに越したことはないからね。コンテストでお金を稼げたら最高だし、自分のイメージするストリートスケーティングで稼げたらもっと最高。草の根的なストリートブランドを作ろうと努力してる。VALOの頃から今もずっと。
R:ジョンが東京でスケートボードのショップやカルチャーを結構チェックしていたのが印象的でした。
J:スケートボードだけじゃないよ。ストリートアートや音楽、グラフィティとかも僕の大事なインスピレーションさ。スケートを始める前からずっと好きなものたちだね。今僕はブランドオーナーだし、スケート会社をやっている。僕たちがそこで作っているものを見たらそういったカルチャーから影響を受けていることがわかると思う。いずれ僕たちのブランドがそういうスケートボードやストリートファッションのブランドと同じレベルで戦えるようになっていければと思ってる。僕らはショップも作ったし、ディストリビューションも始めたし、彼らと同じレベルのデザインワークもやってきたと自負しているよ。まあ、簡単に言えばすげーかっこいいもののファンだってこと!だからそういうものを常に探しちゃうんだ。例えばこの東京もそうさ。色んなことが過剰で、とてもインスピレーションに溢れてる。東京は世界のファッションの首都だと思う。興味があれば何でも目に入る。色んなブランドのコラボグッズやハローキティーみたいなキャラクターとか何でもある。それがエキサイティングだね。今僕はIntuitionライナーとのコラボブーツも作ってる。Intuitionは元々カナダのスキー用品の会社で、クオリティの高いモノづくりをしている。まさにコラボレーションだよね。色んなインスピレーションを大事にしてブランドを作っていきたい。インラインスケートのマーケットをもっと広げていくことが目標。スケートをしていない人たちにまで届くようにね。
R:IntuitionではTHEMライダーのDanny Beerが働いているって聞いたけど。
J:そうだよ。僕がもっとも好きなスケーターの一人だ。あとLeon Basinのことは知ってる?カナダのShop Taskのオーナーなんだけど、彼のおかげでIntuitionとのコラボが始まったんだ。去年彼が僕にコラボしてみれば?って働きかけてくれたんだ。
R:なるほど。色々とありがとうございました。インタビュー大分長くなっちゃったね。それでは最後に日本のスケーターにメッセージをください!
J:日本の皆さんこんにちは。僕は日本に来れてただただ嬉しいです。僕らの活動に参加してくれて本当に幸せです。これは僕の考えだけど、アグレッシブスケーティングはアメリカ、オーストラリア、そして日本の3つの国が起源だと思っています。この3つの国から色んなことが始まったんじゃないかな。アメリカのArlo Eisenbergや Chris Edwards。 オーストラリアのTom Fryや John Paulo。 日本のマキオやHidekazu Ito、そしてチアキ!彼らはオールドスクールだけどこのスケートカルチャーの原点です。僕はあなたたち日本人の皆さんと寄り添えることがただ嬉しいです。次の新しい世代が日本にもいると思う。アジアからは常に新しい才能が生まれています。今は韓国にも素晴らしい若いスケーターもいる。未来はきっと面白くなる。本当に楽しみです。
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roadhouse-press · 6 years
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Yuto Goto “Best 3”
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日本が誇るブライテストホープ!後藤祐斗(Yuto Goto)のシグネチャーウイールがとうとうMOMO Wheels から2018年1月31日にリリース!
なんと今回はアメリカのSouthern Scum(南部スカム) とのコラボウィールとなり、グラフィックはブランドオーナーのChad Anthonyが担当。
スペシャルなリリースを記念し、スペシャルなBEST 3形式のインタビューをROADHOUSEからお届け!
その明るくひょうきんなキャラクターの奥に隠された熱いスケート観やこれからの想いなど、非常に盛り沢山な内容になっているので是非チャックしてみて下さい。
そしてROADHOUSEのWEBショップ(https://roadhouse.theshop.jp)他、たくさんのショップでも販売しますので是非みなさん購入しましょう! (税込3,000円で4個1セット!)
-Yuto Goto- (Instagram)
スポンサー:Soul Vision Works、Valo brand、Ground Control、MOMO WHEELS、Libertys、Mft brand、Soutern Scum(南部スカム)
Yuto Goto “Best 3”
◼︎スケーター
・金島総一郎(Soichiro Kanashima)
・Mike Johnson(マーダ)
・Bobi Spassov
総くんはもうスケートを始めた時からずっと一緒にスケートしてきて彼の色んな部分を見てきました。血が繋がっているんじゃないかってくらい近い存在で(笑)。完全に俺のお兄ちゃんですね。
マーダは俺が小学生の時にRazorsのビデオ「EGO」のプロファイルを見て初めて知りました。トリックやスポットのヤバさが衝撃でしたね。今でも大好きなスケーターです。
ボビーは初めてあったのが2017年のWinterclash。インスタでも良く見てるんですけど、彼のテクニカルな動きが「遊びの本気」って感じで凄い好きなんですよ。俺もああいう見入ってしまう動きが好きですごく勉強にもなってます。
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兄貴分と慕う総君との“オセロ”スタイル。
◼︎スケートトリック
・サバンナ
・トップサイドミストリアル
・270BSバックスライドからのチェンジ
技に関してはYutoGotoと言えばコレ!っていう技が昔から元々無くて、その時に自分の中でトリックの形とかやった時の気持ち良さで好き嫌いを選んでます。最近はこの3つ。特にトップミストはお気に入りでカーブとかでベタベタに座り込んでやるのが凄い気に入ってますね(笑)。
◼︎スケートスポット
・団地
・玉島の森(岡山)
・YGPのPレール
団地はスポットの宝庫だと思ってます。新しい団地を見つけるだけでドキドキしますね(笑)。
玉島の森は岡山の有名なスポットでフラットカーブ、ハンドカーブ、変則なカーブ全て揃ってて練習だったりチルスケだったり。まったりできるいい場所です。
YGPのPレールはもう定番ですね。撮影前のイメトレやニュートリックの練習だったり何するにもまずはこれでやってみるってやつですね。
 ◼︎スケート時のこだわり
・自分に負けない
・スポットに対してどの技がカッコいいか
・遊ぶ
スケートにおいて何かをする時って気持ちに全て左右されると思ってます。新しい技にトライする時、怖いと思う時に少しでも気持ちに押されて負けていたらやらない。怖いけど気持ちが恐怖に勝ってたら挑戦する。全部自分のハートで決めてます。
次にスポットの話なんですけど、ストリートでスポットを見つけた時にそこで出来る最大限にやばいトリック < そこで出来る最大限にスポットを活かしたカッコいいトリックって考えてます。逆にこのやばいトリックはこういうシチュエーションのスポットでやるのがかっこいいなって思ってスポットを探したりもしています。スポットやトリックをどう魅せるかを常に意識してますね。
3つめは遊び。これは普段スケートしててよくおふざけ半分で滑ったりすることが多いんですけど、遊びから生まれるイイ物もたくさんあると思うんですよね(笑)。新しいアイディアも案外こういうのから浮かんだりもします。
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モノトーンスタイルでスタイリッシュに決めるフロントトーク。彼のファッションスタイルはHip Hopカルチャーからのインスピレーションが大きい。
◼︎ライバルだと勝手に思ってる人
・金島総一郎
・Eugen Enin
・David Sizemore
真っ先に浮かんだのはやっぱり総くん。もう完全に師弟対決も定番になりましたね(笑)。
Eugen Eninは多分俺とそんなに歳も変わらないのかな?それで沢山メディアとか取り上げられててすごいし、自分に持ってない魅力もあるからイイ刺激になってます。
Davidは2017年��YGPのRideoutで俺が2位で彼が優勝だったのがすごく悔しかったです。自分のホームで見たことのないパークの使い方されてビビりました(笑)。 次の大会で戦う時は勝ちたいですね。
 ◼︎ファッションブランド
・Libertys
・Elvira
・Full-bk
 ◼︎音楽(アーティスト)
・タイマンチーズ
・Awich
・TEE
TEE君は母さんが生前の頃めちゃくちゃ好きだったアーティストでよく一緒にライブに行ってました。とある紹介でTEE君と繋がりを持つことができた当時、闘病生活だった母さんを一緒に励ましてくれたり、、、話すと長くなるんですけどTEE君は俺の人生を変えてくれた存在でもありますね。人としても尊敬しています。
 ◼︎食べ物
・寿司
・ラーメン
・お菓子全般
 ◼︎趣味
・服(作る、探す、見る、着る、集める)
・車
・音楽(聴く、踊る、探す)
 ◼︎岡山の良いところ
・程よい田舎
・スケートの環境に恵まれている
・美味しいラーメン屋が沢山ある
 ◼︎岡山の悪いところ
・車が無いと不便
・そのくせ渋滞が多い
・遊び場が限られる(遊ぶ場所が少ない)
 ◼︎チャド(サザンスカム)との思い出
これはベスト3じゃなくて文章だけで書かせてください(笑)。
そもそも、チャドと繋がりを持ったのは学生時代にDister Blendの早川さんの結婚式の二次会でヨウスケさん(Yosuke Onuki)に出会ったのが始まりでした。ヨウスケさんはその頃アメリカのナッシュビルに住んでてチャド達とスケートをしていたみたいです。そこの繋がりから俺を紹介してもらってサポートしてもらうことになりました。
1番の思い出は、2016年にデトロイトの大会Motor Town Classicに行った時にスケーターの家に何人かで泊まってたんですけど、その時にチャドも一緒に泊まってて毎日ストリート行って撮影したり遊んだりした事ですね。スケートに対する思いがかなり熱いチャドと生活を共にして改めてこの人は良いやつだしクレイジーだなと思いました(笑)。
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ROADHOUSEとSouther ScumのコラボTee販売記念で作られたショートクリップ。
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2014年当時Razorsから出たChadのプロファイルクリップ。 
◼︎MOMO Wheelsの良いところ
・メンバー
・日本ブランド
・質が良い
メンバーは俺の尊敬してる先輩達で居心地が良いです。方向性やスケートに対する考えもみんな熱くて一緒に盛り上げていけますね。
質もめちゃくちゃ良いと思ってます!今まで色んなウィールを使ってきたけどMOMOで剥離が一度もないです。グリップも効くしパークもストリートも滑りやすいです。
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Yuto Goto プロモデルウイール。58mm/90aという今の気分にピッタリのスペック。グラフィックはSouthern Scumのチャドが担当し、彼のおなじみのラフなイラストと和風なモチーフが加わった最高の出来栄え。
 ◼︎最後に今年の抱負を
「備える」ですね。
ここ何年かで自分の環境が大きく変わったので今までのスケートに対する考えも変わった気がします。特に思うのは、今俺は23歳でいっぱいお世話になってる先輩スケーターも沢山いるし後輩スケーターも実力をつけて迫ってきてるのが凄く感じるようになりました。俺は元々先輩に甘えるのが大好きで、例えばストリートに行くのも撮影して編集するのも全部先輩達にしてもらってきてました。でも、今後もし自分がその立場になった時に何ができるのかって考えてたらずっと甘えてばっかじゃダメじゃん!って思うようになって。
元々撮影したり編集したりとかも好きで高校生の時から少しずつやってたので、それをもっと本格的に自分でやって行けるようにしたら今度は自分が先輩としてやって行けるんじゃないかなって思いました。
正直な話、今後の日本のスケート界を引っ張って行くのは間違いなく自分だと思ってます。ていうか、自分でそう思う人じゃないとなれないと思います。
セルフプロデュースもそうですけど、周りと一緒に何かやったりとか行動力をもっと身に付けて自分が今まで挑戦してなかった事にもどんどんやって行きたいし、とにかく今はそのための準備として備えて行きたいなと思いました。
もちろん現役としても退くつもりもないし、むしろこれからだと思ってるんでまだまだ前進したいと思います。
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2016年リリースの後藤祐斗のフルパート。2018年には満を持してのニューパートも発表か!?今年も岡山の動きから目が離せない!!
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roadhouse-press · 6 years
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Soichiro Kanashima - Interview
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遂に新しいシグネチャーブーツもリリースされ、ますます活躍の場を増やしている金島総一郎。
世界で活躍する総くんに色んなことを深堀して聞いてみました!
今回も写真や映像をふんだんに使ったマニアックなROADHOUSEスタイルでご紹介。
貴重なスペシャルインタビューと共に是非楽しんでみてください。
※トップの写真は貴重なキッズ時代の総くん。かわいいですね☆
⚫︎新しい総くんのシグネチャーモデル、リリースおめでとうございます。
ありがとうございます!
⚫︎まず、一番最初に出た総くんのシグネチャーモデル、SK1のことから話してもらえるかな?黒のスキンブーツにソールプレートの青がすごく印象的だったよね。
あれは、実は元々僕のモデルを出すって話があったわけではなくて。ちょうどアメリカに撮影で行ってたときにValoチームのメンバーとバーで飲んでたんですよ。そしたらイタリアの工場からJon(Jon Julio)にメールが来て、新しいブーツのサンプル画像が入ってたんです。その中に青いパーツのついたモデルがあって。チームメンバーみんなでそれを見てたんですが、僕とVictor(Victor Arias)が特に良いね良いね!って盛り上がって。 で、そのあとビデオの撮影ツアーが終わって日本に帰ってきたときにJonから「この青いモデルを君のシグネチャーとして出そうと思ってる」ってメールが届いたんですよ。
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爽やかな青が印象的なSK1モデル。かかとにはSO1ROKの刺繍入り。
⚫︎それってValo4の撮影のとき?いくつのとき?
あれは確か・・・7年前だったから、23か24歳の頃ですね。
⚫︎その歳でシグネチャー出すってすごいことだよね!やっぱり自���のモデルを出すのってスケーターとしては夢じゃない?
そうですね。夢でしたね。たしかK2から安床ブラザーズモデルが昔出てたと思うんですが、日本人で更に個人でってのはなかなか無かったじゃないですか。やっぱりメインの市場があるアメリカやヨーロッパから日本は距離があるし、正直アジア人だと難しいのかなあとも思っていたんですけど、なんとか良い形にまとまって良かったですね。
⚫︎その最初のSK1の仕上がりも良かったよね。下世話な話だけど、かなり売れたんじゃない?って思ってるんですが。
そうですね。おかげさまで作った分は全て完売したみたいですね。その次にリリースしたグレーのSK2も最初のロット数全て完売して、追加生産がかかったみたいです。
⚫︎それは素晴らしい!SK2モデルのグレーも特徴的だったよね。スキンの生地が毛布みたいな生地感というか。
あのモデルはサンプリングベースとしたスニーカーが元々あって、それをインスピレーションとして作ったモデルですね。
⚫︎今回の新しいシグネチャーはグレーのSK2モデルと形はいっしょだけど、スキンを黒にしたんだね。
スケートブーツってやっぱり黒か白が売れるんですよ。服にも合わせやすいから。で、グレーのシグネチャーを出すタイミングのときValoや他のブランドからも黒と白のブーツばっかりリリースされていて。自分のは差別化したいなって思ったんですよね。あと、インラインスケーターは黒と白の靴ばっか履いてるなって思われたくなかった。スケーター以外の人が見て、こういうブーツもあるんだって思ってもらいたくて。でもやっぱりグレーを出すときからやっぱりベーシックな黒も欲しいなって気持ちも正直あったので(笑)。
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販売中のニューシグネチャー!国内ではSoul Vision Works で購入可能。
⚫︎黒は間違いないよね。でも金色って無かったんじゃないかな?良く見るとステッチも金色だし。
金色も好きだったんで。バックルとかも元々Valoには無いパーツの色だったんですが、グレーのSK2モデルのときに作ってもらいました。今回の黒はステッチもこだわりました。
⚫︎デザインに関しては結構自分で決めていけるんだね。SK2モデルは形としてはすごくベーシックな印象があるけど。
そうですね。最近スニーカーを丸々サンプリングしたようなブーツも多いので、それも有りっちゃ有りなんですが、自分のはもっと普通のやつにしたかったんです。ベースとなる元のスニーカーのデザインを探して、それをベースに色んなアイディアを掛け合わせて作っていってあの形が出来上がりました。クロスのステッチもたまたま見つけたスニーカーに入ってたんで、それをアイディアにして入れ込んだんです。
⚫︎このクロスのステッチってかわいいよね。
そういうのが他のモデルでは無かったから良いかなーと思って入れてみました。
⚫︎今回のブーツのプロモビデオはValo Japanのチームメイト慎太郎くん(中山慎太郎)が撮影・編集してたけど、どういう経緯でそう決まったの?
いつもみたいに岡山で滑ったものを今回は使いたくないなってなんとなく思っていて。東京で短期間で映像撮って自分で編集しようかなって思ってたら慎太郎くんがやるよって言ってくれて。慎太郎くんならむしろお願いしたい!って思って話が決まっていきましたね。
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中山慎太郎が撮影・編集を手がけたニュープロモ!地元岡山とは違う滑りを要チェック!
⚫︎慎太郎くんの作る作品って東京っぽいストリート感の強い映像が多いから、今回のプロモはいつもの総くんと違う雰囲気もあって良い感じでした。トリックも少しいつもと違ってたような気がしたけど、何か意識はしていたの?
今回は岡山でできることはあんまりやりたくないって思って撮影してました。例えば条件の良いハンドレールとか。そういうのじゃなくて、いつもと違う自分を出せたら良いなと思ってやってました。撮影は4日間だけだったけど、その中でやれることはやったつもりです。
⚫︎なるほど。そういえばValoを履き始めたのいつ頃から?
Asian X-Gamesに20歳のときに出場したんですが、その頃はDeshiを履いてました。Chris Haffeyも出ていた大会だったんですが、僕が優勝できたんです。その優勝のウイニングランを誰かがYouTubeにアップしていて、そのランを見たJon Julioから連絡が来て、スポンサーが決まった感じです。 で、そのAsian X-Gamesの一週間後にアメリカのダラスで行われるフォーダウンって大会にValoを履いて出ることになったんですが、2、3回履いただけでその大会に出たんですよ。しかもそのブーツも誰かの借り物だったんです(笑)。
⚫︎それで良く大会に出れたね(笑)。Deshiからはサポート受けてたの?
いや、普通に買ってましたね。
⚫︎ブーツを変えて違和感は無かった?
最初はかなりありましたね。Deshiとは全然違うブーツだったんですが、Valoの方がはじめから圧倒的に調子良かったです。それからはずっとですね。
⚫︎Valoからサポートされるようになって、プロに上がれたのっていつぐらいから?
正式にプロチームに入ったのは自分のブーツが出たぐらいかなあ。
⚫︎その頃ってどんな生活をしていたの?
大学を卒業してから3年間アメリカに行ってたんですよ。もちろん行ったり来たりだったんですが、かなり頻繁に行っていて。自分で家は借りずにJonやIvan(Ivan Narez)の家とか色々転々としながらやっていて、住み始めて半年したぐらいで正式にJonからプロチーム加入の話をもらって、そこからはずっとプロとしてやっています。
⚫︎サンフランシスコをベースにしていたんだよね?
僕が行った頃はサンフランシスコにD-Structureって会社があって、そこに世話になろうと思って行ったんです。でも僕が行った頃ちょうどD-Structureがビジネスの問題でスケーターたちと色々モメちゃってて、、、。サンフランシスコからスケーターがめちゃくちゃ離れちゃってたんです。でも自分はそういうことを何も知らずに行っちゃってスケーターがいない!やべーぞこれ!ってなって(笑)。ほんとValoで滑る相手がいないって状況だったんです。そんなとき、当時のサンフランシスコで一番動いてたのがKevin Yeeだったので、アメリカに行った当初は彼と良くスケートしてましたね。
⚫︎総くんがKevin Yeeと滑ってたって印象が全然無くてかなり驚きなんだけど(笑)。
そうすか?結構二人でストリートに行ってましたよ(笑)。
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Kevin YeeのXsjadoビデオからのプロファイルパート。ユニークな視点でストリートを攻めるスタイルは必見。
⚫︎彼、変態だよね。すごい好きなんだけど。
変態ですねー(笑)。でも良く滑ってたんですよ。彼の住所を聞いて、バスのマップや路線図で調べて彼の家まで行ったら既にスケートしに行っちゃってたとか(笑)。そういうのもありましたね。くっそー・・・もっと早く行かなくちゃいかんのかーとか思ったり(笑)。そういう週末を何回か過ごして。行ったばかりでスポットも詳しくなかったので、彼がいないと滑れないとかってありましたね。ほんと世話になってましたね。
⚫︎いやーその話、すっごい意外です!彼のようなすごくクリエイティブでマニアックなスケーターって日本にはなかなかいないから影響を受けたりしたの?
そうですね。どうしてもレールを見つけたらレールだけとか、レッジを見つけたらレッジをやらなくちゃとか。普通そういうことに捉われがちじゃないですか。でもいわゆるそういうハンドレールとかじゃないところをスポットにするか、しないかっていうのはその人自身が考えることであって。それがクリエイティビティにつながるっていうか。Kevinなんか「え?そのちっさいのやるの?それスポットじゃなくてただの段差じゃん!」っていうので遊びながら街を流してて。でもしっかりスケートできるところではしてて。そういうのを見て結構感性は磨かれたかもしれませんね。
⚫︎でも個人的には総くんのスタイルってベーシックかつ王道だなって思うところが結構あって。もちろん細かいクリエイティブな動きもうまいっていうのはわかっているけど、Kevinのようなマニアックな方向に行かなかったのはなぜ?
子供の頃から好きなスケーターってなんでもできるタイプのスケーターだったんですよ。Aaron FeinbergだったりDustin Latimerだったり。パークもストリートも出来るし、細かいことも出来るっていうスケーター。何かだけ突出して上手い人って割といるじゃないですか?でも、自分はなんでも出来るけどあえてやってない方が良いなって思ってて。「出来ないからやらない」じゃなくて、「出来るけどあえて自分はこれをやってる」っていうスケーターになりたかったんです。
⚫︎なるほど。そういう意識は子供の頃からあったの?
子供の頃は何も考えずに色々やりたいことをやってただけでしたね。でも段々とそういうことを意識するようになっていきました。
⚫︎子供の頃の話になったのでベーシックなことを聞きたいんですが、まずはなんでインラインを始めたの?
小さい時に社宅のような集合住宅に住んでて、そこに子供が15人ぐらいいたんですが、みんなで“ローラースケート”でレースして遊んでたんですよ。その中の2コ上くらいの子が黒とムラサキ色のインラインを初めて買ってきて、その子は今までレースで遅かったのに、そのインラインを履いてから圧倒的に速くなって。それでみんなしてインラインヤバい!速い!ってなって伝染的にローラースケートからインラインに履き替えていったんです。もちろんすぐに飽きてやめちゃう奴もいたんですけど、僕はそのままずっとハマり続けることになっちゃって。ほんとどこに行くにもインラインを持っていくようになって。で、たまたま岡山の笠岡ってところがあるんですが、そこの太陽の広場ってところに行ったら木村のよっちゃん(キム)とか、松尾せいきとかがローレールとかジャンランで滑ってるのを見てめちゃくちゃ衝撃を受けて。それを見た当日にはパワーズって���うショップでRocesのStreetってモデルと、アンチロッカーと、Quest2ってビデオを買ってもらって帰りましたよ(笑)。
⚫︎かなりオールドスクールだね。
はい。そこからは毎週末太陽の広場に通うようになりました。そこでヒコ(相方克彦)とかとも知り合って。しばらくしたらうちの親が広島の福山ってところでスケートパーク始めるってなって、そこで更に田代のしんちゃんとかと滑るようになりました。小学校6年生ぐらいの頃ですね。
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Young SK。ブレーキパッドのついたブーツを履いている。
⚫︎総くんっていうと岡山ってイメージが強いんだけど、広島にいたこともあったんだ。でも家族の中でスケートするの総くんだけなのに、パークまで作っちゃうってすごいなあ。
確かにそうかもですね。一応親戚に滑ってる子もいたんですけど、家族だと僕しかいなかったですからね。
⚫︎その頃は岡山や広島にもスケーターってたくさんいたの?
子供はそんなに多くなかったんですが、18とか19とかの歳上の人はけっこういましたね。
⚫︎じゃあ子供の頃からずっと歳上とばかり滑ってきたんだ。
ほぼ同級生とは滑ってなかったですね。歳上のヒコかキムか、マッツーかって感じでいっしょにスケートしてましたね。
⚫︎10歳ぐらい歳の離れた人たちと滑ってきたんだ。
ヒコもキムも僕の9個上ですね。だから小さなときから大人たちに連れられてストリートのスポットに行ったりもしてました。
⚫︎自分の家のパークで滑って、先輩たちにストリートにも連れ出されてたんだ。その頃はパークとストリートならどっちが得意だった?
パークでしたね。ストリートは怖くてあんまり出来なかったです。ハンドレールでもロイヤルとソールしかできないとか。
⚫︎じゃあストリートってつまらなかったんじゃない?
いや、面白かったんですけど、恐怖心がすごくありましたね。パークなら自由に動けるし、ハンドレールで途中で降りてもバンクだから安全なんですが、ストリートの階段だと怖くなっちゃって。ロイヤルとソールはできてもカインドはストリートだと出来ない・・・とかはありましたよ。あと、中学校1年ぐらいまでは色々と親から色々言われることが多かったんですよ。もっとこうしろ、ああしろとか。もっとスケートビデオを見ろ!ってこともすごい言われ���て。言われすぎるとそれが逆に嫌になって(笑)。でも中2ぐらいのときから自分からスケートビデオを見るようになって、そこからもっと色んなグラインドをしたいっていうスケートへの欲が出てくるようになって。それで一気にストリートが楽しくなりました。
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キッズ時代の総くんのカインドグラインド。既に今のスタイルが出ている。
⚫︎じゃあ始めた当初は結構親とか先輩たちからこうしろって言われることも多かったんだ。
小さいときはそうでした。小さいときってどのトリックが難しいかってことが良くわからなくて。例えば普通のソールとアシッドソールの違いとか。ソールとトークソールなんかいっしょじゃんとか(笑)。かっこいいからこのトリックをやるとか、難易度が高いからこれやるとかってことをいまいちわからずに先輩たちの言ったこととか、やってる技を真似てやってましたね。
⚫︎自分の場合は親に何かやれって言われたことは一度も無くスケートしてきたんだよね。最近のキッズスケーターの親って割とすごく面倒を良く見る人が多いよね。総くんも割と厳しく親から指導されてきて、その結果今の位置にいるって思ってる?
いやーどうなんですかね。そうやって厳しく親に言われすぎてやめちゃった奴とかもけっこういたし。あと、中学とか高校とかになると楽しめるコンテンツも増えてくるからそれでやめる人もいれば続ける人もいるっていう。
⚫︎ただ練習をさせられたりしてたらいずれそういう子はスケートやめちゃうよね。自分から好きなスケーターを見つけたり、好きなファッションとか音楽とかを深堀りしていかないと。その頃総くんが好きだったスケーターって誰だったの?
Louie Zamoraがかっこよかったですね!背が低いけど動き全部が早くてすごかったですね。例えばトップアシッドからロイヤルのスイッチアップでも、アシッド乗って耐えてからじゃなくて、すごくテンポ良く技を変えたり。パン!パン!みたいな。刺すように技を決めてて、それは衝撃的でしたね。あと自分に無いものを持ってるスケーターも好きですね。例えばBrandon Campbellとか結構好きで、ビデオKiller Bootsのパートも良く見てました。自分では絶対できないようなことをするスケーターも好きですね。怖すぎて絶対無理です~みたいなことをする人。Carlos Pianowskiとかも好きでした。
⚫︎国内のスケーターで憧れてた人はいる?
小さいときは深く考えてなかったけど、千秋くん(伊藤千秋)とか有名だったし憧れてましたね。あとはタケシ(安床タケシ)が実は同級の年代だったんで、小学生からプロでやってるタケシはすごいなーって思ってました。中学に入ってからは鉄兵さん(今岡鉄兵)でしたね。すごい衝撃を受けました。高校に入ってからはストリートにもいっしょに行かせてもらってて、その頃から自分たちで撮影とかも始めてました。ストリートで撮影するようになると鉄平さんの凄さが更にわかってくるんですよ。
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岡山のOG、今岡鉄兵のパート。グラインドの深さ、安定感、スタイル全てにおいて一級品。
⚫︎鉄兵さんのグラインドの深さは尋常じゃないよね。
グラインドしてる時の耐え方も尋常じゃないんですよ。鉄兵さんとは今はあんまり滑ってないんですけど、月に必ず1回か2回夜にコーヒーを飲みに行ってスケートの話をしてます。「今はこういうの流行ってんすよー」とか言いながら2人でスケートビデオ見たりしてますね。
⚫︎鉄兵さんがなんか取締役みたいだね(笑)
今月の上がりですーとか(笑)。今のスケートシーンこんな感じですっていう話をしてます。
⚫︎岡山っていうとどうしてもASPOのことを思い出すんだけど、あの素晴らしいパークのおかげで岡山に世界レベルのスケーターが何人も生まれたと思ってるんですが。
ASPOがあったおかげで大きなセクションで練習もできたし、小さな細々としたセクションで練習することもできましたね。
⚫︎ASPOがあった期間ってどれぐらい?
10年間ですね。
⚫︎ASPOが無くなったから今の山田グリーンパークにパークを作ろうと思ったの?
そうですね。個人的なことを言えば今までパークで散々色んな練習をしてきたから、ASPOが無くなってもある程度他のパークを楽しめる経験値が自分にはあるんです。でも発展途上の小さい子たちにとってはいきなり遊び場を失うようなもので。そういう子たちがローレールやレッジだけで練習してても、大会とかでは楽しめなくなっちゃうじゃないですか。そういう状況がかわいそうで、ずっとパークは作りたかったんです。
⚫︎ASPOが無くなってから山田がオープンするまでの期間ってどれぐらい?
2年間ぐらいかな。その期間にパークやらないの?とかスケートパークって今どこにあるんですか?とかって言われることも多かったです。パーク今無いんですよーって言うのもなんか嫌だなあって心の中では思ってましたね。
⚫︎パークを一から作るってすごいことだと思うんだけど。
セクションだけ作れば良いってわけではなかったので色々苦戦することもありましたね。セクションも最初の頃はほんとアイテムも少なかったんで、作ったは良いけどこれでパークって呼べるかなあ・・・とか考えたりすることもありましたよ。でも徐々にセクションを増やしていって今の形になってます。
⚫︎総くん自身もスケートしたいはずだけど、それ以上に小さい子たちに滑ってもらいたいって気持ちがあるのが素晴らしいよね。
そこはしっかりやっていきたいんですよね。「かっこいい」とか「かっこよくない」とかそんなことよりも、みんなで滑る方が楽しいじゃないですか。場所があればそこで出来る繋がりもあるし。自分が今あるのもスケートを続けてこれた環境があったからこそなんで。もしスケートが無くなってたら自分の手元に残るものなんてほとんど無かったと思うんですよ。服やファッションもスケーターが着るもの見て学んだし、今聴いてる音楽もスケートビデオで知って広がっていったし、パソコン買ったのもスケートビデオの編集とか服のデザインをしたいってことからで、英語を勉強したのも海外でスケートがしたいってことからだから。スケート関連のものがもし全て無くなってたら今手元に残ってるものなんて何にも無かったんじゃないかと思うんですよ。俺は自分のスケートに集中して没頭できる環境があったから良かったなと思っていて。だからそういう場所は無くしたくないんですよ。
⚫︎そういう場所や人がだんだん減ってくるのは寂しいよね。SNSが発達して簡単に海外のスケーターとも繋がれるけど、結局日本でスケーターが増えないと寂しいなって思ってます。自分一人で楽しんでちゃダメだよなって。総くんは結構若い頃にそういうことを意識し始めてたんだね。
高校一年生の頃にASPOでアルバイトを始めて、スケートスクールのインストラクターをずっとやってました。来たお客さんに「スケートしてみませんか?」って声かけるところから始めて。ずっとそういうことをやってきていたので、自分が何かをやらなくちゃ!とか思う前から当たり前にそういうことをしていたかもしれないですね。そんな環境だったので常にどうすればスケーターを増やせるかってことを自然と考えてたかもしれないです。
⚫︎学生の頃からそんな意識を持って・・・好き勝手やってきた身としては頭が上がりませんなあ・・・。
いや、俺も結構好き勝手やってましたよ(笑)。
⚫︎話は少し変わるけど、総くんって海外の大会に行く時に良く「日本のスタイルでぶちかましてきます!」ってSNSで発信しているけど、それってどういうこだわり方で魅せたいって思っているの?
やっぱり海外からの千秋くんの存在って今も大きくて。千秋くんってやっぱりめちゃくちゃスタイルかっこいいじゃないですか。海外からは日本人=伊藤千秋ってイメージが今もすごく強く残ってて。だから自分も日本人として海外に行くんならダサい奴ではありたくないんですよ。でも日本人の中にだってスタイルについては色々あってピンキリじゃないですか。今は何がかっこいいかとかも色んな見方ができるし。でも自分は千秋くんのことを間違いなくかっこいいと思っているんで、千秋くんが作ってくれた日本人の良いイメージを自分自身が壊したくないって気持ちは強いですね。
⚫︎総くんの大会での滑りを見てると他の出場スケーターたちをあんまり意識していないというか、自分の納得したものを出したいって気持ちが強いのかなって思うんだけど。みんながハンマートリックをその場の雰囲気で狙っていく中でもしっかりと自分のやりたいことを貫いてるよね。こだわりの極致だよね。
深くはそんなに考えてないけど、自分らしい滑りをしたいなってことですね。
⚫︎総くんは国内のスケートシーンとかも昔からチェックしてたの?岡山だから関西のが近いけど、東京のシーンとかも見ていたのかなって。
普通にチェックしてましたよ。Life Style Vdeo Magazine(LSVM)とかThiefのビデオとかも見てましたし。イッセイ君(Soul Vision Worksオーナー)が関わってたクリティカルとかAmbivalenceとかも全部見てましたよ。
⚫︎国内のスケーターも憧れたよね。特に上の世代の人の前だと下手なことできなかったもんね。
いやーできないっすね。やっぱり先輩方には認めてもらいたいですからね。
⚫︎総くんがやってるアパレルブランド、MFT Brandについてなんだけど、これはいつ始めたの?
2008年ですね。MFTってMy feet=自分の足って意味なんですよ。自分の足さえあればなんでも行動できるってことを表していて。どこに行くにも自分の足で行くし、スケートするのも自分の足でやるっていうことで。
⚫︎最近ブランドの合言葉みたいな感じでToys Beneath Our Feetってワードをデザインに入れてるけど、これってやっぱりスケートビデオのVG6から来てるの?
そうです。この言葉がすごい好きで。「足の下にはいくらでも遊ぶものがある」ってまさにそうだなって。
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あのブロスコウもStrange Creaturesのパートで着用していたTeeシャツ。
⚫︎総くんは自分でビデオも撮影・編集してるけど上手いよねー。最初総くんが作ってると思わなくて、誰か影武者がいるんじゃないかって思ったもん(笑)
スケートビデオはめちゃくちゃ見てましたからね。見る数が異常でしたから。それで勉強してました。昔はそれこそ国内でもたくさん色んなローカルがビデオをリリースしてましたし。岡山でもEntranceって作品を藤田さんって方が作ってて。でもそれが無くなってからはずっとビデオが無かったから自分で始めた感じですね。 あと、高校生の頃にファーマーにハマり過ぎてる時期があって、色んなビデオのファーマーのパートだけを集めたマイベストファーマーDVDとか作って永遠と見てましたから。学校かスケートに行ってるとき以外は全ての時間をファーマーのDVDをエンドレスループですよ。当時付き合ってた彼女が部屋に遊びに来てても関係なくエンドレスループ。その彼女も今思うときつかったと思いますね。普通にテレビでドラマとか見たいはずなのに永遠とファーマーの映像見せられて(笑)。電気消して寝てるときもテレビにはずっとファーマーを流し続けてましたから。朝起きて最初は「ファーマーおはよ」ですから。宗教ですよね(笑)。
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常にクリエイティブで革新的なスケートをすることで有名なクリス・ファーマー。
⚫︎好きすぎだね(笑)
VG19で初めて見たときから衝撃を受けてましたね。それまではスケートビデオを見るのは勿論好きだったけど、こいつに憧れる!なりたい!っていうスケーターってあんまりいなかったんですよ。このスケーターのこのトリックを真似したいとかはあったんですけど、丸ごとこいつになりたい!って思ったのはファーマーだけですね。
⚫︎色々やってる中でプロスケーターとして意識していることってある?
Valoがスポンサーになって最初にJon(Julio)から言われたことが「汚いブーツを絶対に履くな」ってことだったんですよ。「常にプロとして見られていることを意識しろ」っていう内容のことをValoと契約するときにJonに言われましたね。それって憧れの存在でいろってことだと思うんですよ。自分も小さいときに千秋くんが見たことないK2のプロモデルを履いてるのに憧れたし、プロになればそういうこともできるんだ!ってことをこれからの小さい子にも見せていきたいなって思ってますね。実際問題スケートだけでやっていくことって甘くなくて、日本だと今は厳しいんですけど、少しでもプロとして目標にしてもらえるようにってのは考えてますね。そういうのを見てくれた子供たちが今の自分と同じ年齢になったときにスケートだけで食えていける状況が出来ているかもしれないし、そうする為に見せたり動いたるすることが今のプロスケーターとしての役割なんじゃないですかね。今の段階で子供たちをガッカリさせたくないです。
⚫︎今も現役でしぶとくやってる人たちってそれぞれスタイルは違うけどみんなそういう意識を持ってやってるよね。Vertの安床兄弟やキメラゲームズもそうだし、ハードコアなストリートスケーターたちも。昔はそれぞれがバチバチしてたのにみんな丸くなって協力しあってるよね。
もうみんな角が取れすぎてトゥルトゥルですね(笑)でもみんな行き着くところはスケートが好きってことだからだと思いますよ。楽しいってことが一番大事じゃないかなって思いますね。
⚫︎そうだよね。楽しいのが一番!今日はありがとうございました!
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roadhouse-press · 7 years
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Chiaki Ito キメラゲームズ Vol.4を終えて
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あっと言う前に一週間経ってしまいましたね。キメラゲームズVol.4が10月14日、15日に開催されました。
生憎の雨天ということで、コンディションが非常に悪い中最後まで諦めずにイベントを盛り上げようとし、それを実行していた千秋くん含め関係者の皆さんの姿が非常に印象的でした。また、それに呼応するように最終的にはフラットレールのみの大会に参加し、見事に盛り上げてたスケーターたち全員に大きな拍手!
イベントが終わった15日の夜。楽屋テントでモリポンさんがFacebookのライブ配信をしていて、そこで千秋くんが話していた内容に私はえらく感動したので今回許可を得て書き起こしを行いました。
常にインライン界の先��でみんなを引っ張り続けている千秋くん。彼から出た至極真っ当で、正直な言葉にはインラインスケーターであることのプライドや、自分を育ててもらったというこの文化への恩返しという愛情が垣間見れます。正直書き起こしをしている最中私も何度もウルっと来てしまいました。
下記の文章は、そのライブ配信で話している文章をなるべくそのままの形で書き起こししたものです。このドライブ感、ライブ感を味わいながら、千秋くんの言葉を是非読んでみてください。
おつかれさまです。無事にChimera Games Volume 4が終わりました。悪天候の中心配したんですけども、みんなのパワーで雨降ってても関係なしにスケートしたし、、、無事に終わりましたよー!!
これストーリー??あーライブ配信?OK。 (中略) とりあえず10月の14、15。今日は15日ですけど、雨でイベントを主催する側の方々は多分、絶対に野外イベントの恐怖が何かっていうのがやっぱり天災。雨だったり雷とかだったりとか。天候に悩まされるのが一番リスクを感じるところだと思うんだけど、見事に雨を喰らいまして、、、。で、正直雨降ってたら出来ないんすよ。スケートもそうやし、スケボーもBMXも。もうまじ死ぬんで。失敗するとツルっと滑って。ほんまに心配やったし。中止中止とかさ、できないから諦めようとかさ。お客さんには本当に申し訳ないけど、自分たち(プレイヤーやパフォーマー)の身体が怪我するし、だから危ないからやめようとかもさ。 複雑っすよね。自分たちを守ったら良いのか、伝えたい人たちを守るのかとか。難しかったんですけど。 やねんけど、いやちょっと待てよと。キメラゲームズやってて、ステージ(屋根付きのメインステージ)もあったし屋根が無いわけではなかったってところで。無理くり。うん。もうこのままでは終われないって気持ちが朝一の決断で。ステージをフル活用しようとしまして。元々難しかったスケジュールだったんですけど、意地でもやってやろうぜって言って。 で、今回できなかったコンテンツ。内容的には0です(この状況で)。 インラインスケートのパフォーマンスを見せられなかったんですが、、、。もうまじで、トークショーをね。実はやりまして(笑)。今日だけ。新しいスタイル。でもめっちゃ必要やなって思ったし、喋ることって技をたくさん覚えて良いものを見せるっていうだけじゃ生きていけないっていうことを大人になればなるほどみんなが多分わかってて。じゃあ特別に喋りを練習するのか?っていうそういう話じゃないってのも理解してて。でも自分たちがやってきたものをオッサンになってきて身体が動かなくなってきたときに、やっぱり言葉で伝えるしかないところがあって。 なのでやっぱりトークショーっていうのも大事な時間やと思ったし、最後ホンマに自分が伝えたかった事っていうのは、絶対それはスキルで魅せることでは無いじゃないですか。散々スキルでみせつけて、最後に思った気持ちを伝えるっていうのは結局言葉なわけやし。上に立つ人たち、今日平均的にこうずーっと会話や挨拶させてもらって、ずっと一人一人の話を聞いてると。キメラで集まってくれてるメンバーってみんな自由やねんなって思うし。 (中略) スキルだけじゃないし、僕たちのことを皆さんに伝えるっていうトークショーでも別に伝えることもできるし。それが決してメインじゃないけど。守らなあかんものもあるし。 まあ打ち上げのビールで酔っ払ってるわけですよ(笑)。 なんだけども、酔っ払っているわけではないんですよ! (モリポンより「今日大会に参加した、大会の出場者へ。スケジュール変わったわけじゃん」) そうですね。そこですね。まずね。 正直自分らのことなんてどうでも良いんですよ。今日来てくれたお客さん、雨の中本当に最後まで楽しんでくれたお客さんとかに感謝の気持ちをね。ライブ配信ってことで、届くかどうかはわからないですけども。このライブ配信を保存したものや、今まさにこのライブ配信を見てくれてる人や今日来てくれた全ての皆様に。僕が代表でもなんでもないんですけども、本当に感謝の気持ちです。ありがとうございます。 やっぱり自分がやってきたインラインスケート。自分がインラインスケートをずっとやってきたから今の場所もあるし、今の関係性もあるし。色んな人たちと出会えたキッカケも全てインラインスケートやし。fromインラインスケート、バックボーン、僕のアイデンティティーが本当にインラインスケートで、今日はそのインラインスケートの仲間がみんな!みんながほんまにキメラに来てくれて。 正直雨降って誰が来んねんと。地方から東京に。お金もかかることやし、それを払ってあげることももちろん出来なかったし。それでも諦めずに見て応援しようよっていう気持ち。晴れれば大会に出ようよ、とか。ほんまに来てくれたスケーターたちに感謝の気持ちですね。ちょっともうウルっとしてきますけどね。。ここはリアルにね。。 総くん(金島総一郎)とかもね岡山から出演してるんですけど。今のインラインスケートのね、トップを走っている総くんなので。みんなで自分たちインラインをアピールするチャンスやねんここは!ということを、しっかり周りの仲間にも連絡してめちゃめちゃ頑張ってくれてるし。 選挙じゃないし別にこれは。僕らを応援してくれって言うために集めてるわけじゃないし。応援なんかされへんくても別にええし。俺らが上からものを言うこともないし。 やけど、もう純粋!ほんまに自分たちがやってきたことを無くしたくないから。キメラじゃなくたっていい。マジで。せっかくみんなに見せられる機会ができたっていうのをマジで大事にしていきたいなっていう。 自分たちの都合じゃないと思う!マジで。ほんまにこれおもろいから、色んな人に知ってもらいたいし、(インラインを今まで)やってきた奴らも飽きずに最後までやってもらいたいし。 やめる、やめへん。引退とか続けるとか。別にそんなかっこいいキーワードとかないし。自由っちゃ自由。仕事してても何しててもなんでも良いし。別の種目、スケボーに走ったってBMXに走ったって何でも良いけど、インラインを俺はやってたから、やってて良かったねって最後にマジで言わせたいし、そう思ってもらいたい。 インラインやってたから結婚できたも理由の一つ。 インラインやってたからDJできたっていうのも理由の一つ。 インラインやってたからスーパースターになれた! インラインやってたから大統領とかになれた!とか俺は絶対あると思うし。 (インラインの人口が)たくさんおらへんくても、これからたくさん増えても、それぐらいのキッカケになれるものとしてインラインを守り続けたいし、やり続けたい。歯が抜けてヌルヌルの歯茎だけのおじいちゃんになっても足元元気でいたいもん。歯が先抜けてくれって願うよ。足が元気でいてくれれば。いつまでもグラインドしたいし。楽しいし。 まあとりあえず最高の遊びなんすよ。仕事にしたかったら勝手に仕事にしたらええし。遊びたかったら永遠に遊んだらええし。マジメな考えは捨ててね。でもマジメだったらマジメな考えでもええし。自由やねん!! ただ最高なツールだってことは覚えとけ!ほんまに。友達100人できるから!まじで。 で、長いからこのライブ配信(笑) でもこれは伝えたい。
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roadhouse-press · 7 years
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ROADHOUSE SHOP
https://roadhouse.theshop.jp
このPRESSを始める前に盛大にマーチャンダイズを作っておりました。
その他にもスケート仲間が少量だけ作ったアイテムやdirtboxなど国内だと珍しいブランドを仕入れています。
スケーターのスケーターによるスケーターのためのショップを目指してますんで一つ宜しくです。
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roadhouse-press · 7 years
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Alex Broskow The Powell Movement インタビュー
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Alex Broskow from Boschi Pope Skate Off Gallery By Christian Delfino 
ROADHOUSEで初めての記事です!
全世界のスケーター憧れの星。 valoのトッププロスケーター、アレックス・ブロスコウのインタビューをマイメンKader Z.全面協力のもと書き起こしを行い、それを私が構成、編集したものです。 カデちゃん、ほんとに大変な作業ありがとうございました!いつも迷惑かけてスミマセン。
このインタビューはアメリカのポッドキャスト、The Powell Movementに2017年6月にアップされたものを日本語訳に編集したものです。 http://www.thepowellmovement.com/tpm-season-1/2017/6/4/tpm-episode-21-alex-broskow
主宰しているMike Powell氏から日本語の翻訳記事の許可をいただいて今回形にできました。 ありがとうございました!
さて、映像が出るたびに常にその圧倒的なスキルとセンスで世界のインラインスケートシーンをリードし続けるAB。
しかし、ブロスコウと言えども、なかなかハードな現実を味わっていることがこのインタビューを読むとわかると思います。
「それでもスケーターであり続けることは何なのか?」
この記事を読んで少しでも感じてもらえたら嬉しいです。
ただ、快諾いただいた手前こんなこと言うのもアレですが、個人的にはこのパウエルでのインタビュー自体には思うところもたくさんあるのです。 どう感じるかは読んでいただいた皆様に委ねます。
それでは楽しんで読んでみて下さい!!
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■Alex? Yoo! ■調子はどう? 良いよ。そっちは? ■うん良い感じだよ。どこから話してるの? カンザスのローレンスだよ。 ■前回会ったのが確かシアトルのスケートパークで2年前ぐらいかな?その後君はポートランドにしばらく住んでいて今はまたカンザスに戻ってきたんだよね? まあ、今ここにいることを望んだわけじゃないんだけどね。金銭的なトラブルでポートランドで住んでたアパートを出るはめになってさ。この町からしばらく離れた方が良いと感じはじめていたし。普通の町で落ち着いた方がいいと思って、とりあえずまたここに戻ってきたんだ。 ■ポートランドは最高に洒落てるよね。僕もシアトルでロン毛だった時は少し調子に乗ってたけど、ポートランドへ行くたびに自分がいかに普通な奴なのかってことを痛感してたよ。ここは別世界だ!って思うくらい。ポートランドはファッションやトレンドの最先端だって思わない? そうだね。素晴らしい町だったけど、でも自分は楽しめてなかったね。今はカンザスに戻ったからポートランドの素晴らしさが逆に良くわかるよ。 ■シアトルはポートランドよりはイケてないけど、ほどほどに洒落てるし良いよね。ポートランドに行くと10代のパンクキッズのホームレスとかも良く見かけるけどさ、家に帰れよ!って言いたくなるね。 そうだね。シアトルにも良くいたから早く戻りたいな。 ■ローレンスでの生活はどう?Alex Broskowの日常はどんな感じなの? 倉庫での仕事を8時から17時のフルタイムでやっているよ。今は仕事が終わってゆっくりしてるところ。こっちは天気がすごく不安定で竜巻警報が出てるし、風も強くて雨が降ったり止んだりって感じだね。 ■このポッドキャストを聞いてる人でAlex Broskowって言う名前を聞いたことがない人も多いと思うけど、彼はこの地球上で最も素晴らしいスケーターの一人であり、間違い無くChris HaffeyやChris Farmerと並ぶぐらいのトップスケーターだ。なのに、金銭的な問題でポートランドでは生活ができず、ローレンスの倉庫で週40時間も働かないと生活していくことが難しいという事実に僕は本当に唖然としているよ!「好きなスケーターのトップ5は?」ってスケーター達に聞いたら誰しもがAlex Broskowって名前を必ず挙げるのにさ。君のプロモデルや君をサポートしているブランドを購入するキッズは結構いるのに、君たちプロスケーターへの支払いが少ないっていうのが今のスケート界の実態だね。 さて、ひとまずは改めて自己紹介してもらえるかな?
ミズーリ州のカンザスシティ生まれ。普通の子供だったと思うよ。13歳の頃両親が離婚して、カンザスの中を少し転々とした後、母親の再婚時にフロリダに引っ越した。 ■13歳までカンザスで暮らしていて、まずはアイスホッケーを始めてからインラインスケートにハマったって聞いたんだけど、家族の誰かがホッケーをやってたの? いや、5歳の時になんかアイスホッケーをやりたいなーと思ってさ。スケーティングの速さとか、そういう何かに惹かれたからだと思うんだけど。とりあえず他のものとは全然違ってかっこいいと思ったんだ。 ■カンザスってホッケーがメジャーなの? 当時スケートリンクは一つしかなかったし、そうでもなかったよ。でもホッケーをやりたいと思ってから数週間後にはスケートリンクに連れていってもらってさ。そこで始めたんだ。 ■インラインはホッケーのオフシーズンにやってたの? 8歳の頃、友達や兄貴と自転車やスケボーで普通に遊んでいてね。で、近所のスケートショップにインラインスケートが置いてあって。そこの店員からインラインでもトリックやグラインドをする奴が最近いるって話を聞いてすごいなと思ってさ。自分はホッケーも出来るしそれならイケると思って、親に頼んでブーツを買ってもらったんだ。振り返って見るとそれが運命だったんだなって思うよ。 ■インラインもアイスホッケーも毎日滑ってるような子供だったの? そうだね。ホッケーの試合で遠征に行くときもインラインを持って行って試合のあとホテルの周りとか町で滑っていたよ。 ■ホッケーは上手だったの? 当時はまあまあ上手かったんじゃないかな?あちこちで試合にも出てたし。今でもたまにやったりするけど、今は別に大したことないよ。 ■子供がホッケーにハマると合宿や試合で移動が多いから家族も大変だよね。勝手な印象だけど、君は最初からチームのエースだったんじゃない? チームのベストメンバーとまでは言わないけど、キーメンバーではあったかな。チームメイトとはみんな9歳から13 歳まで同じグループだったよ。 ■じゃあ家族みたいなものだったんだね。 ちゃんとしたチームだったけどリーグに出てるとかそういうのではなかったよ。 ■でも本気でやってたんでしょ? そうだね。母親が僕のホッケーのために仕事を2つもやってくれていたんだ。お母さんありがとう! ■そうだね。親孝行しないと!自分も今子供がいるけど、子供にスポーツをさせる大変さは良くわかるよ。ホッケーはかなりお金のかかるスポーツだしね。 それで、ストリートでのスケートもいける!って気づいたのはいつ頃? 初めて大会に出たのはスケートを始めてまだ1年しか経ってなかった頃かな。10歳になる前。カンザスシティのローカル大会でトップ10に入った。ゲータレードっていう飲料ブランドがそのイベントをサポートしていて、色んなところのスーパーを回って彼らとはデモもやっていたよ。ランプやプラクティスレールとかで滑っていてね。めちゃくちゃ恐そうな8フィートのハーフパイプもあったな。
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(ABのキッズ時代の映像。今のスタイリッシュさが嘘のような荒削りの滑り。)
■それは1993年ぐらいかな?まだインラインスケート界にお金がすごい回っていて、ゲータレードみたいな大企業がインラインに注目してたぐらいだからね。 そうだね。ブームだったよね。 ■カンザスではその頃から立派なスケートシーンもあったんでしょ?スケートしながらアーティストをやってる人も多かったしね。その彼らよりも君は4、5歳年下の弟みたいな存在って感じだったのかな? Jeremy RockwellやJeff Belzeskiとかはカンザスのパイオニアだったよ。 ■ミッドウエストエリアでレジェンド的な存在だった彼らが子供だった君を色んなスポットに連れて行ってくれたんだよね? そうなんだよ。10〜12歳の頃、彼らが時間を作って一緒に滑ってくれたんだ。そういった意味では普通のキッズよりも僕はまだましってことで認められいてたのかな? ■君が大した奴じゃない限り12歳とかのガキと遊ぶ18歳の奴らなんてなかなかいないと思うよ! うん、自分の両親もかなり驚いてたよ。 ■そうやって年上の人とたくさん付き合ってきた割に、酒やドラッグ、タバコなんかに手を出さずに良くクリーンでやってこれたね。 確かに改めて言われてみるとちょっと不思議だね。自分の中ではそういうのはやっちゃいけないっていう意識があったのかもね。良くわからないけど。 ■いや、かなりすごいと思うよ!それもそうだし、若くして大先輩たちに認められて一緒に滑ったりとかもさ。 で、Nathan Simpsonと一緒にアイゼンバーグズスケートパーク(Arlo Eisenbergが経営していたスケートパーク)に良く行ってたよね?あれはいくつの時だったの? 多分13歳だったかな?テキサス州にNathan Simpsonの知り合いがいたんだと思う。8時間かけてダラスまで運転してもらって、アルロのパークで滑って、すぐにまたカンザスに戻って、そのまま月曜の朝に学校へ行ってたよ。 ■あの頃ダラスにはすごいスケーターがたくさんいたよね。そういえば君がその頃どんなスケーターに影響を受けてたか気になるな。 Randy SpizerやLouie Zamoraとか。あと、Josh PettyやJon Julio、Dustin Latimerとかだね。そのあとはBrian ShimaとJon Elliottかな。 あの頃カンザスにはパークなんてなくてね。初めてアイゼンバーグズに行った時はトランジションでの滑り方が全然わからなかったよ。レールなんかはまだいいんだけど、ミニランプやファンボックスは全くダメだった。ローカルキッズたちがすごくうまかったから良い刺激になったよ。Shayne Skowerもめちゃくちゃかっこよかったな。
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(端正なルックスにスタイリッシュなアリウープトリックを得意としたShayne Skower。Salomonのライダーとして日本へも来日した経験もある。)
■テキサスにはすごいスケーターがたくさんいたよね。あそこは他と比べてやることがデカかったし、インラインをネクストレベルにしようとしていたね。
確かに。 ■じゃあその頃は何回かアイゼンバーグズに行ったり、KFC crewと滑ったりしていたんだね。で、両親の離婚で寂しいながらもフロリダへ引っ越したんだよね? その頃僕は中学1年でまだ色��なことを経験中の年頃だったけど、スケート仲間もたくさんいたからなんだかんだで安定はしていたよ。Adam Johnson(AJ)ともその頃仲良くなって、ビデオの撮影とかも始めていたしね。それがいきなり引っ越しになってさ。ホッケーのチームもやめないといけなくなったし色々一気に最悪だったね。 ■親の離婚とかで大変だったからむしゃくしゃしたガキだったんでしょ? そうだね。すごく嫌だったね。 ■でもフロリダにもすごいスケーターいっぱいいたよね。フロリダと言えはChris Moracoだよね。身長が150cmぐらいしか無かったけどすごかったよね。フロリダのシーンはどうだった?うまく仲間に入れたの? 転校した初日、新しい学校で唯一のインラインスケーターのKC Rocheと出会ってね。すぐにベストフレンドになってマイアミでも滑り始めたよ。マイアミには結構な人数のスケーターたちがいてね。ストリートで適当に滑ってたら30人のスケーターにバッタリなんてこともあったよ。 ■当時はそういうことも普通にあったよね・・・。 マイアミのルーキーだった自分にとってはすごい出来事だったよ。それで、多くのスケーターたちと出会い、Chris MoracoやChris Pitia、Robert Arias。そしてFrankie Moralesとも仲良くなってね。彼にはスポンサー探しも手伝ってもらったし世話になったね。 ■フロリダにはどれぐらいいたの? 2年半。中1から中3まで。 ■その2年半でフロリダでの生活を終えて、そのあと君はスケート界で影響力のあるビデオメーカー、AJのカンザス大学の寮部屋にいっしょに住んでたんだよね?
いや、その前にフロリダにまだ住んでいた時、夏休み中は父親のいるカンザスに行って過ごしていたんだ。で、夏休みが終わってフロリダに戻らないといけないタイミングで「フロリダにはもう戻らない。カンザスに僕は住む」と母親に電話で伝えたんだ。そこからは友達のBrenton Wheelerの家に世話になって、彼と一緒に同じ高校へ通っていたんだ。 高校生になると頻繁にスケートトリップにも行くようになってさ。スケートに集中していきたいとだんだん考えるになってきて。母親に「高校を中退して今スケートに集中しないと僕は後悔する」って連絡をしたんだ。母親からも「すでに今あなたは遠くに住んでいるし、私はもうどうすることも出来ない」って言われてね。そのまま高校を中退したよ。高2の2月頃だったかな。 そうしたら、今度はBrenton Wheelerの両親から「君が高校を中退するとうちの子に悪い影響が出るからこの家を出ていって欲しい!」って言われちゃってさ。それでAJの寮に住むようになったんだ。高校を中退した次の日には彼の大学の寮へ引っ越していたよ。
■高校卒業はその後できたの?
いや。GED(General Educational Development = アメリカの高卒認定試験)は持ってるけど。
■GEDはいつ取得したの?
3年半前ぐらいかな?
■GEDを持ってないってことは気にしてた?持ってないと世間では評判が悪いっていうのも現実問題あるからさ。焦ったりしてた?
気が向いた時に取れればいいやと思ってて全然気にはしてなかったんだけどね。でも試験が今後すごく難しくなるっていう噂を聞いた時に、やっぱり取りやすいうちに取らないと!って思ってね。おかげさまで合格したよ!
■ナイス!話は戻るけど、当時は学校には通わずにAJの寮で暮らしてたんだよね。その頃の君はまだスケート界では有名ではなかったよね?
あの頃はまだキャリアアップしようと頑張っていたね。ローカルビデオを作ろうとして出来上がったのが自分とAJにとっても大きな意味のある作品、KFC1だった。
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(AJが好きなのかブロスコウが好きなのか、音楽EMINEM使われがち♪)
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(そのクオリティの高さで人気の高かったスケートDVDマガジンLIFE+。ここでKFCクルーの存在を知った人も当時は多かった)
■KFC crewが全員出ていて、全体的にかなり暗い雰囲気のやつだよね。目から
血を垂らしてる人形が出てくるのがKFC1だっけ?
いや、それはKFC3だな。まあ似たようなもんだけど。 ■このポッドキャストを聞いてる人の中には、トリックを一つメイクすることがどれだけ大変なことなのかを良く知らない人もいると思うんだ。大体一発ではメイクできないよね。でも、君みたいにトリックの精度にこだわるスケーターは納得いくまで何回もチャレンジすると思うし、当然スラムも沢山することもあるよね。でも噂によると、君は他のスケーターが1日で1つか2つのトリック撮影が出来ればいいところを、毎日10個近くもメイクしていたと。しかもその全てがハンマートリックだったと!君のキャリアの中でもその頃は別時代だったね。 そうだね。たまにそういう収穫のいい日もあったね。たまーにね。 ■攻めのスケーティングで有名だった頃だよね。君は今ほどテクニカルじゃなかったとは言わないけど、若者の身体じゃないとなかなか受けつけられないようなハンマートリックばっかりやっていたよね。 当時はテクニカル系のトリックにあんまり時間をかけたくなかったのと、スタント系のトリックは普通にできると思っていたからね。別に怖くないし、メイクできる自信もあったし。誰もやっていないことをやるとすぐに注目してくれるから、そういうジャンルに当時の自分は囚われていたね。 でも、トリックリストを事前にしっかり頭の中で作っておいて、リストに沿って出来るだけクリップを収めようとはしていたよ。 ■当時はストリートメインで映像を残しながら滑っていたようだけど、大会にも出てたよね?大会の方が正直お金にはなったと思うんだけど、ぶっちゃけ1年間で最大どれぐらいもらってたの? ん〜わからないな。IMYTAを連チャンで優勝したことはあったけど・・・。 ■ああいうストリートでのコンテストはASAやX-GAMESと違ってあんまり賞金は高くなかったんじゃない? ASAでは優勝したことないけどベスト3になったときは5,000ドル貰ったかな?まあもちろんその時もChris Haffeyが優勝してたけどね。 ■あの時代はうまいパークスケーターがいっぱいいたし、君たちは大会だけのスケーターではなく、たまに飛び込みで参加してたくらいだったよね。大会に出るときは緊張してた?それとも別になんともなかった? 若い頃は大会がいっぱいあったし色んな地方に仲間がいたから大会自体が集まるきっかけになっていて楽しかったよ。15歳の時にASAシリーズのプロになってね。大会自体は楽しかったけど、ランになるとちょっと緊張してたな。 ■17歳の時はまだお金のことなんて考えてもいなかっただろうし、5,000ドルなんか貰ったら1年間やっていけるって気分だったでしょ? そうだね。17歳とか18歳の時ぐらいからはスポンサーからも給料をもらい始めていたしね。 ■ローラーブレード社だったよね? そう。 ■他にもスポンサーは付いてたよね?Ground Controlとか、AJと一緒にスタートさせたVibraluxとかも。 うん。 ■ローラーブレード社はメジャーでアイコニックなブランドだったけど、お金の面はちゃんとしていたの? 当時はローラーブレード社とSENATEから良い給料をもらっていたよ。 ■良いって年間最大で50,000ドルくらい? いや全然!Aaron Feinbergがその頃もらってた額とは話にならないけど、まあニューカマーのキッズとして悪くなかったよ。スケートしてお金まで貰っているんだから。 ■2000年ぐらいの頃は君とChris Farmerが特に注目されていて、スケートファッションにも影響を与えていたよね。君がスウェットパンツを穿いてた頃に良くRBのブーツのスキンのフラップを全開にして滑ってたけど、世界中で真似されたよね。それを見てどんな気持ちだった? 当時はそんなに深く考えてなかったから、ちょっと変な感じだったね。フラップをただ垂らしてスケートしたらどんな感じかな?ってやってただけだから。トレンドになって未だに会話に出てきたりするからね(笑)。今はなんとなくわかるけど、当時はそんな細かいことであんな風になるとは思ってなかったね。Tシャツの着方とか、ズボンの裾をどういうふうにブーツに合わせるとかね。
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(Rollerbladeから出ていたファーストシグネチャーのTRS Broskow Pro)
■ファッションだけじゃなくて、ネットの掲示板でもよく話題になってたよね。Be-Magとかの掲示板で自分のことをみんながどういう風に話しているのかチェックしてたの? 他のスケーターほどじゃなかったけど、たまに見てたよ。SNSが流行る前だったからフィードバックを得るには欠かせない手段だったね。 ■インラインのコミュニティは前からそういったテクノロジーを早めに使ってるし、そういうメディアがスケートコミュニティの団結力を強くしてたと思うな。 そういうのができる前から団結力はあったと思うよ。なぜかというと、インラインスケートの人口は他のジャンルに比べて少なかったから。他よりもフレンドリーな気もするし、やっぱり人数が少ないんだから優しくしないとね。 ■そのことなんだけど、2000年ぐらいからインラインスケートの人気は勢いを失い始めていたよね。X-GAMESからインラインが外されたことも関係してるのかもしれないけど、インライン自体を始める子供もいなくなってきてね。インラインスケーターだからってバカにされたことはある? 地元ではそういったことはなかったね。狭いコミュニティだから。パークで一人で滑っていても違和感は無いよ。ただ、別の場所で滑ってる時に「スケートデッキ忘れたの?」みたいな扱いをされることはあるね。自分はもう大人だし、ダサいと思われても痛くも痒くもない。そいつらに対しては成長しろよって思うけどね。 ■世界的なトップスケーターとして、そういうイジメを気にしたことはある?君の滑りを見れば彼らもすぐに君のスキルが異次元だってことはわかるはずだから、特に何にも言って来ないとは思うけど。 スケートボーダーたちはインラインスケーターたちがどういう格好しているのかを見て笑ってるだけだよ。自分に関して言えば隣にいるスケートボーダーと服装も一緒だし大して変わんないって思ってるぐらいだよ。でも向こうが大人数のグループでいる場合は気にしちゃう時もあるけどね。自分はあんまりそういうことに気づかないし、そういう風に言われる場所にもあえて行かない。楽しみたいって思ってるだけだし、自分たちはダサくないって知ってるからわざわざ言われたくないしね。 ■アクションスポーツ界ではそういった傾向が昔からあるよね。今はキックボードが多い時代だから彼らがターゲットになってるね。別にそれぞれ楽しめばいいのにさ。 そうだね。楽しければ僕はそれでいい。 ■君のスケートキャリアを別の角度から見ると、AJの指導のも��でいくつかスケートブランドを君は立ち上げているね。Vibraluxが初めて関わったブランドなの? そうだね。でも実はVibraluxを最初に作ったのは実はDave Templeっていうスケーターで、彼からブランドを譲ってもらったんだ。 ■古いスケーターだよね。 そう。カラーセオリーとか子供の時に憧れていたスケートビデオをいっぱい作った人で、AJもかなりフィルムメーカーとして影響を受けていたよ。2005年ぐらいにVibraluxを彼から受け継いで、それからずっとやってるよ。今はdeadっていうウィールのブランドをファーマーとサイズモアとやっていて、AJも関わってる。 ■来週ぐらいにはChampagneっていう新しいビデオをリリースするんだっけ? ニューヨークで最初に試写会をやって、その次の週末にサンタアナでもやる予定だよ。
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(現在は好評発売中です。)
 ■会社を立ち上げる時はいい商品を出したいという気持ちもあるだろうし、やっぱり有益な会社にしていきたいよね。収益はいいの?
今まで儲かった資金はブランドのアイテムとかツアーに回すやり方で使ってきたよ。2008年くらいにジーンズが良く売れていい感じの時はそのお金でツアーに出掛けてビデオを撮ってた。 ■世界のトップスケーターにこんな言い方はあんまりかもしれないけど、でもそれぐらいだと趣味の延長線みたいなものだよね。売上はハイリターンではなかったかもしれないけど、それでもそのお金でスケートしたりツアーしたり、仲間たちといっぱい楽しんでこれたの? そうだね。子供の頃からほんの数ヶ月前まではそうやって好きなことをやってきたよ。 ■12、3歳の頃から? そうだね。初めてスケートで給料もらうようになったのは17歳の時だけどね。 ■本当にすごいと思うよ。キャリアも長いしね。繰り返しになるけど、君が今までドラッグとかそういうのに一切手を出さずにクリーンなままっていうのもすごいよ。今まで知り合ったスケーターの中でドラッグやお酒で才能を台無しにしたと思う奴っている? 難しいなあ〜。 ■説教とまでは言わないけどさ、何か言って1人くらい怒らせてもいいんじゃない?(笑)君のインタビューは滅多にないことだしね。 Brandon Campbellはかなり注目されてたのに急に酒飲みになっちゃったよね・・・。
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(荒々しいスケートと奇抜なスタイルで一部で強烈に人気のあったキャンベルさん。彼のスケートキャリアの後期の頃も結構ウケる)
■彼は泥酔スケーターで有名だったよね。べろべろの状態でフロントサイドやったりしてさ。 べろべろ状態で作ったプロファイルも結構すごかったから、その道を選んでなければな・・・って思ったりはするよね。でも、彼は今理容師として成功してるし、うまくやってるから別にいいと思うな。 ■年収12,000ドルのギリギリの生活から普通の仕事で生活を送れるようになって彼は良かったよね。 今は幸せだと思うな。他にもFPクルーの人たちもたまには滑ってくれればいいのになー。JP、Aaron Feinberg、DLとかもさ。 ■ポートランドでAaron Feinbergには会った? 数回しか会ってないね。 ■このポッドキャストに出て欲しくて連絡したんだけど返信がなかったんだよね。 彼とはほとんど会ってないけど、彼の弟のRuben Feinbergにはよく道でバッタリとかはあったな。 ■そうなんだ。Rubenは元気だった? 元気だったよ。 ■Aaronも大変だったろうね。ずっとインラインスケート界の顔で15歳の時から年収80,000ドルも貰ってて、いきなり30歳で全てを無くしてさ。今は落ち着いてるとは思うけど。君はある意味そういう経験をしなくて良かったね。
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(VG9でのアーロンのプロファイル。ルーキー時代の17歳当時。今見ても相当切れてます。ラストのトランスファーエアーは超必見!)
そうだね。精神を病んだりするようなことは一切なかったね。 ■君は落ち着いてるしそんなにたくさんお金とか使わなそうだもんね。タバコも酒もやらないし。コーヒーぐらいでしょう? コーヒーと洋服ぐらいかな。 ■そういえば前にMushroom Bladingのポッドキャストを聞いたらKelso兄弟が出ててさ。Sean KelsoがKCMOのビデオについて話していたんだけど。君がディスられてるとまでは言わないけど、彼はビデオのお金の話ばっかりしてたよ。一体彼と何があったの? ■Seanとはすごく仲が良いし、先月は撮影のためにフィラデルフィアに行ってしばらく一緒に過ごしてたよ。そのインタビューの直ぐあとに仲直りもしてたし。
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(そのフィリーで撮影された映像が入ったfishguys3。トップバッターで登場!)
■そのポッドキャストでは後ろで缶ビールが開けられる音もしてたし、彼もシラフじゃなかったんだろうね。
ショーンはあの時結構ピンチでさ。今の僕と同じような事態になっちゃってね。スケートだけで生活ができなくなってしまったんだよ。
■でも君ほど彼はメジャーな存在では無かったんじゃない?
いや、結構良い給料をもらってたみたいだし彼も大物だったよ。
■まあ確かにそうだね。
そういうことがあったからKCMOが完成したばかりの頃、彼は結構お酒を飲んで荒れ始めちゃってさ。スケート界で初めてのVODオンリーの販売作品だったし、売り上げも評判も結構良かったみたいなんだけどさ。その売り上げをどういう風に皆で分配するかってなったときに、あんまりはっきりとは覚えてないけど、Colin Kelsoに聞いたらショーンがみんなと分けたいけどまだどういう風にすればいいか考えてるって言ってて。売り上げが一旦確定するまでは待ってほしいって話だったんだけど。そういうお金の話が少しずつエスカレートしちゃってね・・・。
■Kelso兄弟についての話題はBe-Magとかでだいたい炎上するよね。
昔から一方的なイメージで見られちゃってるからね。
■Seanがフィラデルフィアで有名になったときは君がデビューして2、3年ぐらい経った頃かな?
VGのイーストコースト特集にSeanのフッテージもあったから自分と同じ頃から活躍してると思うよ。
■当時の主流はハンマートリック系ばっかりだったけど、逆に彼らは既にテクニカルで人気あったよね。君もハンマートリックはまだ出来る?
まだ出来るけどそんなに楽しくないね。ちゃんとした理由がない限り適当にでかいギャップとかは飛ばない。ビジュアル的に良い感じで、撮影のタイミングが合えばやるよ。
■昔に比べて少人数で滑ってるみたいだし、そういうテンションにもなかなかならないんじゃない?
Champagneの撮影の時は僕とChris Farmer、David Sizemore、AJ、写真担当のShawn Englerってメンバーだったからモチベーションは高かったよ。ツアー以外の撮影時はこの少数メンバーだった。
■ChampagneはやっぱりVODで出すの?
いや、実はDVDで作ってる。
■DVDプレーヤー捨てちゃったんだよね!買わないと。
最初はDVDで出すけど、その後VODでも出す予定だよ。
■DVDはモノとして残るからいいよね。
昔からスケートしてた奴ならわかると思うけど、新しいビデオがリリースされた時ほどワクワクするものはないよね。郵便ボックスに新しいビデオが届いて、ビデオカバーを見て興奮したりしてね。そういうところをスケート界に取り戻そうとしてるんだ。
■今回の作品は注目度が非常に高いよね。Chris Farmer、Alex Broskow、David Sizemore・・・Chris Haffeyも出てるんだっけ?
残念ながら彼はナイトロサーカスで忙しいから全然撮れなかったよ。
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(日本にもナイトロで来てぶっ飛んでたみたいですね)
■ナイトロは儲かるみたいだからな。 フレンズパートでも出て欲しかったんだけどね ■とりあえず楽しみだな。最後にもう少し質問するよ!君にとってトップスリーのスケーターは誰? 難しいね。まあ昔のスケーターだったら、Randy Spizer、Louie Zamora、Josh Petty、そしてDustin Latimerの4人だな ■昔のスケーターはスタイル重視でかっこよかったよね。 RandyとLouieは自分と一緒で背も低かったしね。JPは何やってもカッコイイし。DLはすごいスタイルだし、デカイこともやってて・・・。彼らがいたからこそ今のスケーティングがあると思うし、彼らもそういう風に思ってくれてるといいけどね。 ■小さいときにフロリダへの引っ越しでホッケーをやめたのって後悔したりする? そうだね。10年ぶりにまた再開したときはホッケーをやめたことをちょっと後悔したよ。 ■まあでも���れまでの期間君は充実してたはずだし。ホッケーもお金かかるからね・・・。 自払だときついよね。 ■お母さんにまたやりたいって頼んでみたら? またサポートしてくれると思うよ! ■いいお母さんだなー!今日はインタビューありがとうね。もしポートランドに戻ったら連絡ちょうだい。コーヒーおごるよ!自分はビールにするけどさ(笑)。 オッケー!
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