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robertfrank2017kobe · 7 years
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写真家 津田直さんより
「観る」という行為は、 眼だけの感覚に頼れるものとは限らない。
時に写真は自ずから光を放つこともあれば、 我々の全身を包み込むような影となり、足元まで迫ってくることだってある。
写真家 ロバート・フランクの作品に触れたとき、 詩人のように呟く言葉が聞こえてきたかと思うと、匂いまでもが押し寄せてきた。
まるで煎りたてのコーヒーを飲むとき、その香りが道標となるように、 僕はその香りを一気に吸い込んだ。
「The Americans」 「Peru」 「Storylines」 「Paris」 「Seven Stories」 「Pangnirtung」   ・   ・   ・ 辿り着いた地域によって、土地の色はまるで違い、混ざりようがなかった。 世界は永遠にピースの合わないパズルのようで、断片として存在していた。
展示を観ながら僕は十代の始めに旅したアメリカや、二十歳の頃にひと夏を過ごしたNYの街を思い出していた。 そこはかつて母が祖父の仕事の関係で、少女時代を過ごした国でもあった。 母の中に在るアメリカの記憶は、1950年代から1970年代にかけてのものだ。 僕はその時代のアメリカを知らない。
だが、見知らぬ土地の光景も、誰かの人生や映画、絵画や叙事詩などを通じて出会えば、 時空を越えて、時が動き始める瞬間がある。
フィルムのコマを追っていけば、写真集の扉を開けば、写真は再生されていく。 まずは歩き始めればいい。KIITOの広き空間の中を。フランク作品のスクリーンの中へ。
後は、新聞紙に刷られた写真を手に取り、今日の出来事として、記憶に刻み込めばいい。
〈津田直/写真家〉
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robertfrank2017kobe · 7 years
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【感想紹介】
会場内に設置していた感想ノートにいただいた感想の中から、いくつかご紹介させていただきます!③
「衝動的に撮る、とは言いつつ、自分の写真に自分の哲学がきちんと軸にあるからこそ、心を打たれるのだろうなと感じます。とても素敵な展示でした。」
「写真の人物は「生きて」いました。生活。生きているだけで素晴らしいんですよね。自分と向き合いました。一人の時間は大切なんですね。」
「PERUとさいしょの1冊がかっこよかった!」
「ふらりとよりました。とてもたのしかったです。ありがとう。」
「こいう写真家になろう!」
「また写真に向きあいたくなれた」
「びっくりした最高!!!!!初めてだこんな写真!」
「この展示を実行された方々に感謝します。」
「神戸発、写真文化の発展を願う!」
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robertfrank2017kobe · 7 years
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【感想紹介】
会場内に設置していた感想ノートにいただいた感想の中から、いくつかご紹介させていただきます!②
「自由は束縛のふちから飛び出すものなのかも。フランクが求めた自由の根底に、何かしらの制約に対する対抗心を見たような感じがします。世界中が自由な勝手気ままを主張しているこの時期に意味のある深さをたたえた自由、何かを求めて抗う自由の崇高さに触れられたのは感動以上のものがあります」
「大好きな写真のフルトリミング(全体)を見ることができました。同じくコンタクトシートも沢山あって…素晴らしいものを体験させていただきました。ありがとうございました。」(55歳、男性)
「写真の本質をよく味わえることができた。空間の魅力を最大限活かした展示はここちよかった。」
「スタンダードブックストアのトークイベントでお話を聞いて来場しました。展示空間の気持ちよさ、それから各作品のモチーフや被写体が多様でびっくりしました。ポロライドに書き込んだりとか。過去の写真をふりかえり、人生の編集をしているというような話が印象的でした。ロール紙で作品を見てから、つり下げられた写真集で見るのも、また距離感が違うと感じ方が違うんですね。シュタイデルさんとの歩みも長いのだなーと。ゆっくり見ることができて良かったです。あと、明確にはうつっていないロバート・フランクと戦争についても知りたいなと思った。」(女性)
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robertfrank2017kobe · 7 years
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【感想紹介】
会場内に設置していた感想ノートにいただいた感想の中から、いくつかご紹介させていただきます!ご感想をいただきました皆さま、ありがとうございます!
「すばらしい展示会でした!衝動的に撮るという彼の写真がいかにスゴイのか…私なりに勉強できました。無料でこんな素晴らしい企画をつくって下さって、本当に嬉しい!!ありがとうございました!!」(女性)
「本がぶらさがっていて少しはなれたところで写真をとると本がういているように見えてびっくりした。」(8歳、女性)
「人間の美しさが切り抜かれた作品に思え、とても感動しました。」(16歳、女性)
「おなかいっぱい大満足でした!」(45歳、男性)
「写真の奥深さ、今の自分の感情を写し出している。とても感動しました。同時代に生きているよろこび」(68歳、男性)
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robertfrank2017kobe · 7 years
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クロージングイベントの様子②
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robertfrank2017kobe · 7 years
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クロージングイベントの様子①
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robertfrank2017kobe · 7 years
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6810(ロバート)人目の方は、西宮からおいでの富長さまでした! お越しいただきありがとうございます!
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robertfrank2017kobe · 7 years
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【クロージングイベント】
明日23日のクロージングイベントは、会場の全新聞紙を破り、ゼロにするパフォーマンスを行います。 みなさまにもご参加いただけますので、最後にぜひとも破りに来てください‼︎ なお、全て破棄することが展示開催の絶対条件となっております。もったいないというお気持ちはスタッフも同じですが、破った作品をお持ち帰りい��だくことは出来ません。ご理解・ご協力のほど、よろしくお願いいたします。 #RF展神戸
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robertfrank2017kobe · 7 years
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【来場者キャンペーン!】
明日、6810(ロ、バ、ート)人目にご来場いただきました方に、本展限定Tシャツと日本語カタログのセットを贈呈いたします。
みなさんのご来場お待ちしております!
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robertfrank2017kobe · 7 years
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写真の原点と、原点の写真について——写真展『Robert Frank: Books and Films,1947-2017 in Kobe』によせて(竹永知弘/日本現代文学研究)
After seeing these pictures you end up finally not knowing any more whether a jukebox is sadder than a coffin. That's because he's always taking pictures of jukeboxes and coffins  and intermediary mysteries [...] .
"THAT CRAZY FEELING IN AMERICA" Jack Kerouac
 写真家、ロバート・フランクは無名の大家である。写真に疎遠な者には、その影響を受けた後続たちに比しても残酷なまでに無名だが、ひとたび写真に関わってしまった者には、決定的な原点として避けようもない大家であるという当たり前の意味において。原点について考える。
 その写真家は1924年、スイス・チューリヒに生まれる。6歳にして、大戦下ながらグラフィック・デザイナー、ヘルマン・ゲゼッサーのもとで写真に触れはじめ、翌年より、チューリヒにスタジオをかまえていたミヒャエル・ヴォルゲンジンガーに師事することで本格的に写真制作の基礎を形成する。以後、趣味的な撮影を続けていたフランクだが、そのキャリアの決定的な転換点となるのは戦後1947年、蒸気船=ジェムス・ベネット・ムーア号に乗り込み、アメリカへと移住したことだろう。主な活動の舞台をアメリカ・NYへと移したフランクは、地道に写真制作を続ける他方で、アートディレクターとして知られるアレクセイ・ブロドヴィッチの紹介により伝統的なファッション・マガジン『ハーパース・バザー』のカメラマンの仕事をこなし、当面の糊口を凌いでいた。後年になって「彼らの作るものは僕にはわざとらしすぎて、(…)お金は稼げたけれど、それは僕の目指す世界ではなかった」と振り返らずにはいないその修業時代を脱するきっかけとなったのが、彼の言わずと知れた最初の代表作『The Americans』である。
 彼についての最新の展示会「Robert Frank: Books and Films, 1947-2017 in Kobe」に行けば、その写真集『The Americans』をはじめ、90歳を超えたいまなお継続的に発表され続けるものなど500点近いフランクの作品を目撃することができる。と言ってまず気づくのは「Books and Films」という副題に顕著なように、本展がスポットライトを当てるのが「書物」と「映画」だという点だろう。すなわち、そこでは単体の瞬間を集積し、組織し、伝達するメディア的な空間が中心的問題となっている。それはもちろん、あとで紹介する本展の一風変わった展示方法やキュレーションのコンセプトと具体的に関与しているはずだ。本稿ではさしあたり、彼の代表的写真集『The Americans』(つまり「書物」のほう)をおもに取り上げつつ、ロバート・フランクという写真家をめぐるいくつかの関心事について書いていく。
  ビートニクを代表する詩人、ジャック・ケルアックによる序文が添えられた『The Americans』(現在手元にあるシュタイデルから刊行された2008年の決定版は、三色刷りで180ページ)には、1955年から翌年にかけてグッゲンハイム奨学金を運用してアメリカを旅行し、撮影したという83点の写真が収められている。 
 グッゲンハイム奨学金というと、日本人にはあまり馴染みがないかもしれないが、それは毎年、優秀な科学者や芸術家に与えられるスカラシップである。フランクと同年の獲得者リストには当時、西アメリカ原住民やアフリカを被写体にしようとしていた写真家のトッド・ウェッブが名を連ねている。周縁地帯の積極的な撮影を試みたアメリカ人であるという意味でウェッブは、フランクときわめて正対的な写真家だと言えるだろう(フランクは中心を撮影しようとする非アメリカンである)。1937年のエドワード・ウェストンをはじめ、多くの写真家がこの奨学金の恩恵に与ってきたのだが、フランクはアメリカ人以外の写真家でそれを受け取った最初の例だった。
 よく言われるように『The Americans』のフランクは、異邦人の視線(≒写真)により大国・アメリカの実相に迫ろうとしている。1946年に撮影された最初の写真集『40 Fotos』(2009)に続いて1949年にすでに撮影されていた第二作『Peru』(2008)の場合がそうであったのと同様、スイス人の彼にとり、ここで撮影の舞台となるアメリカはごく単純な意味において他国/異国である。しかし、その一応の所属先であるスイスもまた、その写真家には、他国/異国として認識されている点に触れておくべきかと思う。戦前のフランクは、法的にはスイス人でありながら、家系的にはドイツ人であり、かつ血統的にユダヤ人であるという帰属のトリレンマに苦しみ続けた。彼は生来のストレンジャーである(その精神のもっとも捻れた、あるいは正統な継承者が1984年『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を撮った映画監督、ジム・ジャームッシュだろう)。フランクは写真家となることで、その自らの宿命をラディカルな方法へと転化することに成功する。『The Americans』とは、フランクが異邦人としてありありと剔出してみせた、あの50年代アメリカという時空間の光と闇(エピグラフ/序文のケルアックに倣えば「jukeboxes」と「coffins」)の集積である。異邦人(あるいは亡霊?)としてアメリカ各地を徘徊するフランクは撮影という行為を通じて、華やかな50年代ハリウッドのムービー・プレミアといった華やかな世界から、デトロイトの工場の下級労働者までを有するその国の懐をわれわれの眼前に剥き出してくれる。
 さて、ここで写真集のページをぺらぺらと捲っていくと、その表題の通り、収められた写真の大半がアメリカ人(かは正確にはわからないが、ひとまず、その写真が撮られた瞬間にアメリカという空間に存在した人物)を撮影しているものだとわかる。たとえば、物陰に潜んで体の一部のみを覗かせている人物(「Navy Recruiting Station, Post Office  Butte, Montana」)や、鬱蒼とした茂みに潜んでいる人物(「Backyard  Venice West, California」)などを含む、このアメリカ人を撮影するという一種のルール。ときには窃視者のやり方で行われる対人撮影というこの事情が、限りなく少ない枚数しかシャッターを切れないという制約をフランクにもたらしている。その写真集の増補版として、シュタイデル社から刊行された『Looking In』(2009)に収められている『The Americans』のコンタクトシートは、そこでのフランクの苦闘を目に見えるかたちで証明してくれるだろう。その制約に漏れる「例外」として収められたアメリ���のランドスケープを撮影した写真と見比べるとき、(窃視的なものをのぞく)対人撮影におけるシャッター数にかかる制限は明らかである。一例として、表紙に採用された「Trolley New Orleans」を筆頭とする対人撮影では平均して3〜4コマほどしかシャッターを切っていないのに対し、カリフォルニアの道路脇に停められた車(「Covered Car  Long Beach, California」)には少なく見積もって倍以上を撮影しているというような差異に着眼しておこう。対人撮影はフランクの撮影を制限する。さらに推し進めて言うなら、フランクが第一人者とされる方法論、すなわちブレ・ボケ・アレの三拍子もこの対人撮影の制約のうちで考えることができるだろう。それは撮影対象がもたらす不可避的な制限=否定性を事後的にであれ、先回りしてであれ、ブレ・ボケ・アレというフランクの方法=肯定性へと明確に転化するレトリックであるのだから。どちらが先かは判らないにせよ、ふたつは確実に連動している。
  この指示機能を「あえて」失調したアクシデンタルな写真によりフランクは、ビル・ブラントやウォーカー・エヴァンスなどの理解者による推輓を得て、業界内での地位を次第に獲得してゆく。フランクは写真を「ありのまま」に提示する。このような評価が確立されるまでに、さして時間はかからなかった。ちなみに言うなら、こうしたフランクの評価の裏面には、大きくふたつの仮想敵が存在している(もちろん、ふたつは密接に互いに関与している)。ひとつ目は『ライフ』などの雑誌(すなわち文字と経済)と癒着したフォト・ジャーナリズム。ふたつ目はアンリ・カルティエ・ブレッソンによって提唱された「決定的瞬間」の概念である。そうした仮想敵との相対性のなかにフランクの写真を置いて見るとき、なるほど、文字によるわざとらしい説明を可能なかぎり排除しているという意味で「ありのまま」であり、ブレッソン的な構図への執着が見えづらいという意味で「ありのまま」である。写真史的には、そう説明できるだろう。
  けれども、この「ありのまま」ということの質にも多少の配慮が必要である(文学におけるリアリズムがそうであるように)。第一に、われわれが目にする『The Americans』には「ありのまま」という言葉とは裏腹に、きわめてエディトリアルな操作が介在している点。たとえば、われわれが写真集に見る83点が27,000点もの膨大なネガからフランク自らにより選択されたものだという事実や、版毎のトリミング位置の変更など、フランクは〈撮影者〉であると同時に〈編集者〉として、自らの作品から立ち上がるイメージをきわめて意図的/恣意的に操作している。この点には配慮しておこう。さらに第二に、自覚の有無という程度の差こそあれ、撮影者のいかなる意図にも反し、撮影という行為が原理的に「決定的瞬間」を創出するものであるという点について。なるほど、その写真は実際、奔放に撮られたものなのかもしれない。だが、そうした撮影方法とはまったく別の次元で、カメラによる撮影行為は構図をひとつに固定し、否応なく対象のイメージを切り出してしまうというプロセスであるはずだ。この意味でそれは、やはり「決定的瞬間」と呼ばれるほかないものである。あらゆる写真は事後的に「決定的瞬間」を創り出す。とはいえ、さして心配はいらない。というのも、この写真における「決定的瞬間」という発想が原理的に含み込む欺瞞を解消する技術はすでにその言葉の半世紀以上も前に発明されているからだ。言うまでもなく、リュミエール兄弟による映画の発明がそれである。周知のとおり、フランクは本作が先に見たような評価を得るにしたがって、『Pull My Daisy』(1959)をはじめとする映像作品へと関心を積極的に転じていく。写真から映画へ。それはきっと、「決定的瞬間」を別の「決定的瞬間」によって絶えず素早く、遠く後ろへと繰り返し流し去る、あの映写機という機械に魅せられてのことなのだ。少なくとも、私はそう思う。
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  ここでもうひとり、別の写真家の作品を召喚しておこう。『The Americans』と並べられ多く語られてきた作品としてまっさきに想起されるのは、ウィリアム・クライン『NY』(1956)である。「夜の会」や「記録芸術の会」への参与で知られる写真評論家・重森弘淹による入門書『世界の写真家』(ダヴィッド社、65・3)などは、その比較的古い例と言えるだろう。当然だが、同時代に同じ場所が撮影されているという意味では、その対比は少なからず正当なものである。さらにそのふたりがブレ・ボケ・アレという似通った手法を用いているという共通点や、それぞれがタイトルに冠するのが「ニューヨーク」という都市/「アメリカ人」という人間であるという際立った差異を有している点など、比較への興味を掻き立てる要因も少なくない。だが、本展でフランクの写真、とりわけ『The Americans』の写真を見ていて、すぐに思い出されたのはむしろ、地理的にはアメリカから遠く離れた日本という島国で近年刊行された写真集、林忠彦『AMERICA 1955』(2015)であった。そこには、フランクのそれとも、クラインのそれとも決定的に違う、もうひとつのアメリカが写し出されている。これから少しだけ、そのことについて書こうと思う。フランクの写真について考えるための遠回りである。
  林忠彦の名は、文学者には銀座・ルパンでいわゆる無頼派の小説家・織田作之助や太宰治のポートレイトを撮影した人物として馴染み深い。その写真家においてひとつのメルクマールとなる写真集『AMERICA 1955』は、フロリダで開催されるミス・ユニバース世界大会に高橋敬偉子が参加する際に、カメラマンとして同行した林が大会終了後にアメリカ各地で撮影した写真から構成されている。訪れた場所はロングビーチ、ウォール街にセントラルパーク、MoMA、メキシコタウン、ディズニーランド、ハワイなど。撮影旅行が敢行されたのは1955年、奇しくもフランクが『The Americans』の撮影を開始したのと同年のことだった。 
 言うに及ばず、それは単なる偶然である。ただ、両者の作品をいま見比べてみれば、林の写真がフランクのそれと真逆を志向するものである点だけは、はっきり判るだろう。日本とアメリカの間にある数年の写真史的な時間軸のラグを考慮するなら、撮影対象に対して過剰な「演出」を強いる林の手法はむしろ、フランクが反抗した一世代前の写真家のものなのだから、それは当然の事態である。若き日の中平卓馬や森山大道らの写真家が集結した『provoke』や、牛腸茂雄らによる「コンポラ写真」などの後続世代、すなわち現代日本写真へのフランクの影響(もちろん、中平が見せたような反動的転回をも含めて)はすでに屢述されるところだが、同時代に活動していた林がフランクという写真家を知っていたかもよく判らない。フランクの日本への本格的な受容は1972年、邑元社より刊行された1945年から刊行当時までの写真を編年体でまとめるオムニバス形式の写真集『私の手の詩(Lines of My Hand)』(日本版には『死霊』の小説家・埴谷雄高が書いた「ロバート・フランクの写真集に」という手書きの原稿が掲載されている)を待たねばならない。
 本題の比較に戻ろう。評論家・川本三郎が林の『AMERICA 1955』に寄せた解説は、その写真家の特徴を端的に捉えている。少し長いが引用しておく。 
 今回、林忠彦のアメリカ滞在中の写真をまとめて見たが、まず何よりの特色は、明るいことだろう。季節が夏ということもあって陽光はまぶしいし、人々の表情も屈託を感じさせない。カメラを除く林忠彦自身の気持が明るいからに違いない。/「遠いアメリカ」「憧れのアメリカ」に来ている。その高揚した気分がどの写真にもあふれている。はじめて目にする豊かな社会に対する驚きが想像以上に大きかっただろう。確かに表面的な写真ではあるが、あの時代、はじめてアメリカに足を踏み入れた人間として、まさにその表面にこそ魅了されている。ニューヨークの表面というべきショウウィンドウの写真など、「ぴかぴかのアメリカ」に驚嘆している当時の一日本人の初々しさを感じさせる。
 敗戦国・日本を代表するカメラマンとして戦勝国・アメリカを訪れた林は、自国にもかつてあり得たかも知れぬ栄光をその国で反実仮想的に目撃し、驚愕する。川本が『AMERICA 1955』に看取するのは、おおよそ、そうした物語である。たしかに林の撮影=演出するアメリカは極端なまでに明るい。(写真集を見るかぎりでは個別の作品にタイトルがないので具体的な例示は難しいが)表紙に用いられているニューヨークで撮影されたブロンドの女性の写真を初めとして『AMERICA 1955』に収められた写真を一瞥するとき、そうした印象はきっと確信に変わるはずである。その写真家が戦後日本を撮影した一連の作品をまとめた代表的な作品集『カストリの時代』(朝日ソノラマ、07・4)の表紙に収められた女性がビルの屋上らしき場所に横たわる無防備な姿態と見比べてみるなら、『AMERICA 1955』の林が「笑顔」に満ちた燦然と耀う「ぴかぴかのアメリカ」のイメージをいかに撮影=演出しようとしているかは、いっそう明らかだろう。いささか不自然なまでに、林の写真集に現れるアメリカの人々の大半は、こちらに向かってにこやかに微笑みかけている。林の執拗な演出の産物として。
 けれども、同じ時空間を写し撮るフランク『The Americans』の作品がわれわれに与える印象は『AMERICA 1955』のそれとは決定的に異なる(実を言えば、むしろ対偶の位置にある『カストリの時代』のほうが質的には限りなく近い)。たとえば、表紙に採用されている写真(「Trolley New Orleans」)。どこかフィルムにも似た横並びの路面電車の窓枠からこちらを見ているのは、肌や目の色、年齢や性別は異なれ、総じて「無表情」のアメリカ人たちである。先にアメリカの輝かしい側面を写すものとして触れた「Movie premiere  Hollywood」でクローズ・アップされた女優の顔もまた陰影を帯びて無表情である(林が撮影するミス・ユニバース世界大会のモデルたちの表情と見比べてみればいい)。だから、おそらくこう言うことができる。いくつかの例外を除いて『The Americans』は、エディトリアルに笑顔を排している、と。思い出され���のは、フランクが本作の直前に発表した第三作『Black White and Things』のエピグラフにある「顔を曇らせた人々に黒く不吉な出来事、/静かな人々に平穏な場所/そして人々が出くわしたもの/それが、私が写真で見せようとするものだ」(「somber people and black events/quiet people and peaceful places/and the things people have come in contact with/this, I try to show in my photographs」)という宣言である。この「顔を曇らせた」「静かな」人々を撮ってこそ「写真」だというステイトメントには、その写真家の特色が端的に表れている。 
 といって誤解のないよう言い添えておけば、社会の裏面を撮影することは、作品の良し悪しとは根本的に無関係である。それは、フランクの写真の価値とさほど関係ない。ではフランクの写真の価値とは、何か。考えるヒントになるのは、ここでも林忠彦という対立項である。川本三郎が林の演出する輝かしきアメリカのイメージの裏面に「アメリカのかげりを感じさせる写真」の存在を指摘していたのは示唆的だろう。すなわち、過度に明るいイメージを演出することで、見る者はむしろ、そこから排除された陰翳の存在に思いを及ばせるというような思考のプロセス。川本は林の写真集にこのような可能性を見ていた。
 だが、対照的にフランクは、こうした逆説を選ばない。こう言ってよければ(遠近法的倒錯のうちにあっては陳腐に見えるかもしれないが)、フランクの写真は徹底して非意味的である。そして何より重要なのは、それが先に触れたあの「ありのまま」という言葉とは決定的に違う何かだということである。喩えるなら廃墟的な非意味。でもそれは、後年のフランクが写真集『Beirut City Centre』(1992)や『Come Again』(2006)において、内戦により廃墟になったレバノン・ベイルートの街並を撮影したという事実とは何も関係ない。いまここで言おうとしているのは、フランクの写真がもとより、おしなべて廃墟的であったという点である。どういうことか。『明るい部屋』(1980)のバルトが「写真」の本質的な要素に〈それは=かつて=あったça-a-été〉という指示的意味を持つことを挙げていたのを思い出そう。いまバルトの顰みに倣うなら、写真とは「過去の存在の証明」であると同時に「現在における不在の証明」であるというような二重の証明の機能を有するテクノロジーである。そして、それはさながら廃墟が、ある建造物について「過去の存在の証明」と「現在における不在の証明」の機能を同時に果たしてしまうというのとほぼ同様の構図である。素朴なまでに、写真と廃墟は似ている。この抽象された次元において、写真と廃墟を弁別する術はない。けだし、フランクはこの写真の廃墟的な二重性=非意味性を問題にした、ほとんど最初の写真家の例である。そしてもちろん、それは彼が初めて「写真」を撮った人物であるということに等しい。フランクの写真史的な価値はおそらく、ここにある。そして同時に、その写真を見ることは、われわれが「写真」それ自体と自覚的に遭遇する原初の経験であっただろう。だから、現代写真の歴史はこの写真家からはじまっている。
  写真家、ロバート・フランクのヴィンテージ・プリントが一般に公開されるチャンスは、そのニーズに反して、さまざまな理由からきわめて少ない。そこで立ち上がったのが、写真同人誌『provoke』の復刊などで知られるドイツの出版社・Steidl社であったという。その経営者、ゲルハルト・シュタイデルとフランクが協議して編み出したのは、いわばモダン・プリントの変種として(?)、廉価な新聞用紙にその写真をハイクオリティで印刷するという、いささかアクロバティックな方策だ。これにより展示費用の低コスト化がもたらされ、本展はドイツ・アメリカをはじめ、カナダやトルコ、そして日本を含む世界50都市以上を巡回するという大規模な展開が可能になったのである(もちろん、作品自体の魅力と相俟っての結果であるのは言うまでもない)。こうして世界中で開催される運びとなった本展に共通するひとつの特徴は、印刷された写真を展示後に処分するという制約を設けている点である。それゆえ、撮影可の展示場で撮影され、Web上にアップされつつある大量の断片的な画像をのぞいて、本展のあとには何も残らない(むしろ、それを防ぐために自らが撮影者となり、部分的なものであれ本展の模様をアップすることが求められる)。本展のために印刷された写真は処分されることを運命づけられている。会期の終了は、先に見たバルトの言葉〈それは=かつて=あった〉は入れ子構造を無慈悲に二度書きしてしまう。写真はかつてあった、すなわち〈〈それは=かつて=あった〉は=かつて=あった〉という二重の存在否定として。言葉遊びのようだけれども本当にそうなのだ。この意味で、本展を見る者がやがて、真に考えるべきは記録=機械のことよりも、きっと記憶=人間をめぐる問題なのだと思う。本展は記憶されるために開催されている。それがわれわれが会場に足を運ぶべき、最も単純な理由である。 
 ここで書いた内容に取り立てて新しいことは何もない。写真展「Robert Frank: Books and Films, 1947-2017 in Kobe」のいちばんの効用はきわめて当たり前のことを当たり前に、考えなおす最良の機会を与えてくれることである。現代写真の原点としてのロバート・フランク。ひとはときどき、原点に帰らなければならない。
  《参考文献》
重森弘淹『世界の写真家』(ダヴィッド社、65・3)
京都造形大学・編『現代写真のリアリティ』(角川書店、03・6)
日高優『現代アメリカ写真を読む』(青弓社、09・6)
イアン・ジェフリー『写真の読み方』(創元社、11・12
  | Writer's Profile |
竹永知弘
1991年生まれ。神戸大学人文学研究科博士後期課程在学中。専門は日本現代文学。研究対象は「内向の世代」(古井由吉・後藤明生など)。Twitter:@tatatakenaga
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robertfrank2017kobe · 7 years
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【イベントのお知らせ】
め急遽決定! やなぎみわ、ロバート・フランクを語る 
「ロバート・フランクのメディウム:写真・映画・新聞」 
聞き手:林 寿美(本展総合プロデューサー)
日時:9月21日(木)午後3時〜4時
場所:デザイン・クリエイティブセンター神戸 KIITOホール
参加費無料
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やなぎみわ(アーティスト) 神戸市出身。1990年代後半より写真作品を発表。国内外での個展多数。 2009年、ヴェネツィア・ビエンナーレ日本館代表。 2011年から本格的に演劇活動を始め、美術館や劇場で公演した後、 2015年『ゼロ・アワー 東京ローズ最後のテープ』でアメリカ・カナダツアー。 (初演は2013年K A A T神奈川芸術劇場) 20116年夏には、台湾製の移動舞台車による野外演劇『日輪の翼』の旅公演がスタート。 今年9月に、東十条の阪神高速出口にて京都公演が行われた。また、「港都KOBE芸術祭」でも、メリケンパークにて移動舞台車「花鳥虹」を展示予定(10/6〜14)。
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robertfrank2017kobe · 7 years
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!9/23まで会期延長のお知らせ!
KIITOで開催中の「Robert Frank: Books and Films, 1927-2017」展。ご好評につき、会期延長が決定しました!
最終日は、9月23日(土)となります。
また9月23日(土)は午後5時よりクロージングイベントを行います。
作品鑑賞は午後5時までとなりますので、ご注意ください。
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robertfrank2017kobe · 7 years
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【阪神電車 ADトレインダイヤ】
本日、阪神電車ADトレインの最終日です! まだお乗りになっていない方はぜひ! ○西宮発梅田行き 西宮→ 甲子園→ 尼崎→ 野田→ 梅田 9:50→ 9:54→ 10:00→10:07→10:10 10:47→10:51→10:57→11:05→11:08 ( 区間急行 )11:29→11:35→11:38 12:08→12:12→12:19→12:25→12:28 ( 区間急行 )12:49→12:55→12:58 13:28→13:32→13:39→13:45→13:48 ( 区間急行 )14:09→14:15→14:18 14:48→14:52→14:59→15:05→15:08 ( 区間急行 )15:29→15:35→15:38 16:08→16:12→16:19→16:25→16:28 ( 区間急行 )16:49→16:55→16:58 17:33→17:43→17:50→17:56→17:59 18:33→18:43→18:50→18:56→18:59 19:34→19:42→19:48→19:55→19:58 20:33→20:43→20:49→20:55→20:58 21:33→21:43→21:49→21:55→21:58 22:33→22:43→22:49→22:55→22:58 ○梅田発西宮行き 西宮 ←甲子園 ←尼崎 ←野田 ←梅田 10:37→10:34→10:25→10:19→10:16 ( 区間急行 )11:22→11:16→11:13 12:03→11:59→11:52→11:46→11:43 ( 区間急行 )12:42→12:36→12:33 13:23→13:19→13:12→13:06→13:03 ( 区間急行 )14:02→13:56→13:53 14:43→14:39→14:32→14:26→14:23 ( 区間急行 )15:22→15:16→15:13 16:03→15:59→15:52→15:46→15:43  ( 区間急行 )16:42→16:36→16:33 17:25→17:21→17:14→17:07→17:04 18:25→18:21→18:14→18:07→18:04 19:25→19:21→19:14→19:07→19:04 20:25→20:21→20:15→20:09→20:05 21:25→21:21→21:14→21:08→21:05 22:25→22:21→22:14→22:08→22:05  23:25→23:21→23:14→23:08→23:05
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robertfrank2017kobe · 7 years
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写真を見ること—ロバート・フランク『The Americans』を中心に(林田 新/写真論・写真史・京都造形芸術大学専任講師)
(註:本テキストは、展覧会開催に先立ち運営スタッフに向けて行われたレクチャーの内容を、同スタッフがウェブサイト掲載用に再編集したものです)
ロバート・フランクについて話す前に、みなさんにまずご自分が美術館やギャラリーに展覧会を見に行ったときのことを思い浮かべてほしい。そのとき、みなさんがひとつの作品を鑑賞するのにかける時間はどのくらいだろうか。
それぞれ思い浮かべていただいたところで、少々驚きのこんなデータをお伝えしたい。展覧会に来た観客がひとつの作品を見るのにかける時間は、実はわずか15秒程度だといわれている。もちろん個人差はあるし、作品によっても異なってくるのだが、平均するとその程度だという。対して作品そのものではなくそれに付いているキャプションを見る時間はもっと長い。鑑賞者の多くは、作品自体よりもキャプションに時間をかけて眺めているのである。
 美術館に足を運ぶ人であっても意外と作品を見ていない。展覧会を準備する際には、作品や作家についての知識や情報だけでなく、作品そのものをしっかりと見ることが大切なのは言うまでもない。
写真を見てみよう
 では、フランクが1958年に発表し出世作となった写真集『The Americans』に掲載されている写真を見ていこう。皆さんの中にはすでにロバート・フランクやこの写真集について勉強をして多くの知識を持っている人もいるかもしれないが、そういった事前情報は一旦取り払って、純粋に作品を見ることに注力してほしい。
 《Santa Fe, New Mexico》とだけキャプションが付けられた写真である。何が写っているだろうか?あるいは、どんなことに気づくだろうか?写真を見て気がついたこと、感じたことを話してみよう。
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Robert Frank, Santa Fe, New Mexico, from the book The Americans(1959 ) © Robert Frank
〈聴講者からの意見〉
-  周りに誰もいない。人間は写っていない。 -  ガソリン・スタンドがある。 -  ガソリン・スタンド以外に大きな障害物はなく、画面下には荒涼とした土地が、画面上には広々とした空が写っている。 -  アメリカのロード・ムービーに出てきそうな景色である。 -  給油機のシルエットが人に似ていて、「SAVE」と書かれた看板と相まって助けを求めているように見える。 -  地平線が傾いていて不安定な感じがする。 -  物体を正面から捉えていない。 -  轍がある。つまり車が通った痕跡がある。
 皆さんが話してくれたことに共通しているのは、寂しいであるとか、不安定であるとか、荒涼としている、といったイメージだといえそうである。
 この写真は横位置で撮られている。写真を撮るとき、縦位置にするか横位置にするかで、強調されるものが変わってくる。一般に縦位置の写真では高さが、横位置では空間的な左右の広がりが強調される。「荒涼とした土地」といった印象は、そこから来ていると言える。またこの写真に写っているガソリン・スタンドとは、目的地というよりは、移動の途中に経由する場所、束の間、立ち止まる場所である。
 そうするとこの横位置の写真では、横方向に轍が走っていることも手伝って、このガソリン・スタンドを中継地点にかつて来た場所と次に行く場所、すなわち過去と未来が示唆されている。過去にいた場所と今から向かう場所のそのあわい。束の間の現在に立つ「SAVE」と書かれた看板。実際にはうっすらと「GAS」という文字列も見え、元々は「ガソリンを節約してね」という意味だが、いまや「SAVE」つまり「救済」の言葉だけがやけに克明に、来し方行く末のあわいの荒涼とした現在の中に宙吊りにされている。
ロバート・フランクと『The Americans』
 次にロバート・フランクの経歴を簡単に振り返っておこう。ロバート・フランクは、1924年にスイスに生まれた。母がスイス人、父はドイツ国籍だったがユダヤ人で、戦争の影響で父子はドイツ国籍を失い、ロバートはスイス市民権を取得することとなる。
 1947年に渡米。最初の頃はファッション写真などを中心に撮っていたが、1955年、グッゲンハイム財団の奨学金を受けアメリカ横断の旅をする。道中、27,000枚にのぼる写真を撮り、そこから選び抜いた83枚を写真集『The Americans』として1958年に出版した。本作は出版当初は批判を受けもしたが、徐々に評価を獲得し、のちにフランクの代名詞とでもいうべき写真集となった。その後、彼は映画を中心に制作するようになる。
 さて、『The Americans』とはどのような写真集だったのか。形式面について述べると、ジャック・ケルアックによる序文の部分を覗いた全てのページが、見開きの片側に写真が一枚、もう片側にはごく簡単なキャプションがレイアウトされるという構成に統一されている。見開きに写真を二枚並べて配置すると、読者はどうしてもその二枚を一組として見ることになる。フランクはそれを避けるため、見開きに一枚ずつ写真を配置した。
 この本の編集にあたってフランクが腐心したのは写真集全体の構成であった。写真集という形式をとる限り、そこには複数枚の写真が掲載されることになる。しかもよりも明確に順番が固定されている。必ず始まりがあって、終わりがある。そのことを意識して彼は27,000枚という膨大な数の中から83枚を選択し、写真集に纏めたのである。
 フランクの写真を考える上で重要なのは、一枚の写真そのものだけではなくシークエンス、すなわち写真と写真の連なりなのである。先にも述べたようにフランクは60年代にはもっぱら映画制作に注力するが、映画もまさにシークエンスが鍵となる表現である。
 以上を踏まえて、次は別の作品を見てみよう。先ほどの《Santa Fe, New Mexico》のページをひとつめくると、《Bar—New York City》という写真が掲載されている。
〈聴講者からの意見〉
-  全体的に暗い。白黒写真であるためコントラストが強く明暗がはっきりしている。
-  横位置の画面の真ん中にジューク・ボックスがある。
-  しかし、ジューク・ボックスではないような撮られ方をしている。つまり、ジューク・ボックスという当時最先端の機械をそれらしく撮らず、なんとなくシニカルに捉えているように見える。
-  右側の人影が煙をくゆらせながら向かって右方向、つまりフレーム・アウトする向きに動いている。
-  映画『パリ、テキサス』を思い出すようなとてもアメリカ的な雰囲気を感じる。つまりアメリカ人自身が撮ったらこうはならない。美化された感じがある。
-  なつかしさを感じる。
 この写真は、先に見た《Santa Fe, New Mexico》の次に掲載されている。ぽつんと立つガソリン・スタンドが移動中に立ちよる束の間の場所だったことと相まって、このダイナーが、移動の途中に通過するひとつの場所として見えてくる。そこには止まっている人もいれば動いている人もいる。かたやガソリンスタンドの看板が「SAVE」という言葉を発し、かたやジューク・ボックスが音楽を奏でる。二枚の写真の連なりから��ち現れてくるのは、人が行き交う空間の真ん中に佇む機械の孤独である。
 もう一枚見開きをめくって、次の写真《Elevator—Miami Beach》を見てみる。これまでの写真の連なりの内にこの写真を見ると、この写真にも留まるもの—ボタン近くの女性—と去るもの、もしくは移動していくもの—下りていく人々—の対比が見えてくる。ここも移動する場所のひとつなのである。
 以上から分かるように、フランクの写真というのは、写真の連なりによって前の写真に対する印象や記憶が次の写真へ伝染していく。この響き合い、ぶつかり合いが、見る人それぞれに様々な読み取りを可能にしていく。彼の写真についてのひととおりの正しい読み方はないフランク自身が、写真を見る読者がそれぞれ何を読み解いていくのかに賭けている。読者は明確に伝わってくる何かを受けとるというよりは、読者自身が写真自体を見てそこから色々なイメージや意味をビリヤードの球がぶつかりあうように広げていくこと、それがロバート・フランクの写真を見る私たちに期待されていることだといえよう。
当時のアメリカの状況
 さてここからは、1950年代当時のアメリカの状況を概観していこう。とくにフランクがアメリカ横断をした1955年から56年当時というのは、アメリカが今日の私たちがイメージするような「アメリカ」になった時期だといわれている。
 具体的な出来事をみていこう。まず1956年、アイゼンハウアー大統領により連邦補助高速道路法が施行され、州と州をつなぐ長いハイウェイが整備されることとなる。これを機に生まれたのが、主人公たちが開けた土地で颯爽と車を飛ばしていくような、いかにも「アメリカ」らしいロード・ムービーである。州間高速道路の整備と関連するところでいうと、55年には往年のロック・スター、エルヴィス・プレスリーがデビューしている。ロックンロールの時代の始まりである。一説によると、ロックンロールが流行った理由のひとつは州間高速道路を利用したトラック物流の増加であった。トラック運転手は長距離運転の際に眠気覚ましのためにロックを聞いていたという。真偽のほどは定かではないが、この時期にロックンロールが興隆したことは間違いない。
 また、マクドナルド・ハンバーガーがチェーン展開をスタートさせたのも1955年、ミスター・ドーナツについても同様である。これらも今日私たちが非常にアメリカらしいと感じるモティーフである。さらにはディズニー・ランドが開園したのも1955年であった。
 以上から明らかなように、1955年から56年というのはまさにアメリカの象徴といえるものが始まった時期だったのである。
 総じて50年代はゴールデン・エイジ、つまり輝かしい時代と称され、安いものを大量に作り大量に売る消費社会が始まると同時に、夢や魔法といった非物質的なイメージが実際のモノを凌駕するほどの力を持つようになっていきつつあった。
 少し異なった角度からの話をすると、1955年は公民権運動の始まりの年ともいわれる。この年に起きたモンゴメリー・バス・ボイコット事件をきっかけに公民権運動が盛り上がり、後にかの有名なキング牧師の演説につながることとなる。
 そんな時代に撮られたフランクの写真の持つ雰囲気は、輝かしいアメリカのイメージとはかけ離れたものであった。ノリノリのロックンロール・ミュージックに似つかわしくない孤独なジューク・ボックス。大型トラックが行き交うハイウェイと対比をなすぽつんと佇むガソリン・スタンド、浮遊する「SAVE」という言葉。こうした時代状況と対象的なフランクの写真は、アメリカの現状に批評的な眼差しを向けたものだという評価を得ることとなる。
写真史との関連①
 次に、写真史という枠組みの中で1950年代の状況を見ていこう。当時の写真を語る上で外せないのは、1936年から1972年まで刊行されたグラフ雑誌『LIFE』の存在である。これは当時非常に栄えていた雑誌文化—1950年代には徐々にテレビが普及し始めるが、依然雑誌が根強い支持を得ていた—を代表する雑誌である。
 『LIFE』誌面を飾った内容は私たちの周りの、いや世界中のあらゆる現象であった。それは日常生活であったり、地球の裏側で起こっている戦争であったり、また動物についてや工場の特集であったりした。対象を取材して得た情報を写真とテクストを組み合わせることで視覚的に読者に伝えること、それが『LIFE』の役割であった。
 そんな『LIFE』の記事の代表作がドキュメンタリー写真家、ユージン・スミスによる「Country Doctor(田舎のお医者さん)」(『LIFE』誌1948年9月20日号掲載)という記事である。順を追ってみていこう。
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 まず最初の見開き。右に向かって歩く男が写った横位置の写真があり、その上部に「Country Doctor」とタイトルがレイアウトされている。この歩行の向きは読者が英語の文章を読む流れと同じであり、ここに左から右への流れができる。するとこの男性の歩む方向性が、テクストの流れと一致することで、「帰ってくる」ではなく、どこかへ向かって歩いていくという意味、左は過去、右は未来という時間性を帯びる。
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 次の見開きでは、「彼は多くの分野の専門医でなくてはならない」という見出しがある。一番左側に配された写真の中の男は、読者の視線に添い、右向きである。それに対して一番右側の写真の中の彼は左を向いている。被写体が向かい合う左右の写真で真ん中の六枚の写真をサンドイッチのように挟む作りになっている。挟まれた小ぶりな六枚には色々な分野の仕事をする様子が紹介されている。読者の視線がそのまま真ん中にとどまってしまうが、右下に位置する写真に右を向く男の写真をレイアウトすることで読者を次のページへ促す。
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 三つ目の見開きには「休んでいる途中に急病人が出たため急いで駆けつける、休憩は中断される」という見出しがおどり、写真の大きさが小中大の順番でレイアウトされている。この配置には音楽でいうクレッシェンドの効果、つまり物語を盛り上げていく効果が期待できる。考えるに、この記事を撮影編集したスミスは見開き右側の一番大きい写真を強調したかったのだろう。この見開きでは、右側に左向きの人物を配置している。本来なら読者の視線を押し戻すことになるが、そのことによって、読者の視線をこの大きな写真に留まらせ、じっくりと見せようとしている。
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 その次の見開きでもまた様々な治療の様子が紹介されている。今度はレイアウトが上下に分かれたかたちになっており、先ほどの左右にシンメトリーになった見開きから変化がつけられている。その次には「一人の老人が夜中に急死」という見出しに、三つ目の見開きとは逆に大中小の順で写真が配置されている。そこに生まれるデクレッシェンドの効果が、写された老人の死、次第に生命が消えていく様をレイアウトでも表している。三つ目から五つ目の誌面���成に目を向けると、写真のサイズが小中大、一定、大中小と、ページを渡ってきれいにシンメトリーになっている。
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 締めくくりには「このコミュニティには彼しか医者がいないので、彼はプライベートな時間をほとんど奪われてしまう」というテクストとともに、家族の写真、街全体の写真、一人で休む医者の写真が配置されている。最後の写真における医者の視線は右向きになっている。記事自体はここで終わるが、彼の仕事はまだ未来へと向かっていく、ということが示唆されているのである。
 このように『LIFE』では、写真とテクストのレイアウトによって読者の視線を丹念に誘導し、そこで語られる物語を非常に分かりやすく、きっちり理解してもらえるように作られている。このような構成を持つ写真付きの読み物を、一般的にフォト・エッセイ、もしくはフォト・ストーリーという。
 それがどういうものかもう少し詳しく分かってもらうために、冒頭でロバート・フランクの写真を見たときを思い出してほしい。写真だけを提示されると、同じ写真でも見る人の知識や経験、記憶によって色々に見え、様々な解釈を生み出す。写真とは本来そういうものである。それに対して、フォト・エッセイは、写真にキャプションを付けたり写真の組み合わせを工夫したりすることによって、読者の写真の読み取りをあるひとつの方向に誘導していく。例えば三つ目の見開きでは見出しに「休んでいるところに急病人の知らせが入る」と書かれている。するともうこの写真がそのことを語っているようにしか見えなくなったのではないだろうか。こうしたフォト・エッセイが、当時のドキュメンタリー写真の基本的なレイアウトの仕方であり、主流であった。そんな時代にフランク写真が人々に与えた衝撃は想像に難くないだろう。
写真史との関連②
 もうひとつ、写真史上の重要な出来事を挙げておこう。それは1955年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で行われた写真展「The Family of Man(人間家族)」展である。企画・監修を務めたのは写真家でキュレーターでもあったエドワード・スタイケンである。同展は開催とともに評判を呼び、のちに世界中を巡回した。その影響力の大きさは2003年にはユネスコの世界記録遺産に登録されたという事実が物語っているだろう。現在はルクセンブルクにて永久展示されている。
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 展示された写真はこの展覧会用に撮られたものではなく、それまでに雑誌掲載のために撮られたものや、有名写真家によって撮られたものが中心であった。それらがスタイケンによって集められ、選択・レイアウト・展示された。
 スタイケンは本展で、世界中の全人類をひとつの家族に見立てことを試みた。展示構成は、人間が経験する日々の暮らしやライフイベントを、恋愛・結婚・出産・労働・音楽・踊り・食事・勉強・瞑想(宗教的な行為・祈り)・死・苦難・信仰に分類し、テーマ別に見せたのである。
 本展の背後には、ある種の普遍主義的な考え方があった。つまり、世界には多様な民族・部族が存在し、中には対立もあるが、恋愛・結婚・出産といったライフイベント、あるいは食事・労働・ダンスといった行為は、民族や人種を超えて人間みなが等しく行うという着想が、本展の骨子となっている。本展は、そうした被写体が写った写真を選択し、グループとして展示することで、全世界に向けて「人間は本質的にみな同じである」「人間はひとつの家族である」というメッセージを発信した。
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 展示方法はいわゆるホワイト・キューブを使った一般的なやり方とは異なり、例えば写真を弧になった壁面に展示したり、柱に立体的に展示したりしていた。またガラスの壁に作品を貼るようなこともした。ガラスに写真を展示することによって、ガラスの向こうにいる鑑賞者もまた、人間として展示の対象となる。あるいはダンスのセクションでは、輪になって踊っている人々の写真を床に円形に配置することで、それを見る観客が写真に写る人々と同じように輪になって鑑賞するようになる。勉強のセクションでは大学の講義の様子や小さい子が宿題をする様子、アインシュタインが研究する様子が並列され、人はみな同じという主張が強調される。終盤には原爆の写真を扱ったセクションもあり、原爆を人類全体が抱える問題として提示している。最後に展示されたのは国連の写真であった。ここには、人類が一丸となって諸問題に取り組んでいこうというような、まさにグローバリズムの走りといえる理念が読み取れる。本展はグローバリズム、ヒューマニズムの精神が存分に現れた展覧会だったのである。
 ただし実際の1955年当時というのはまだ冷戦期の只中で、世界は真っ二つに分かれていた。そのような東西対立が激しかった状況下で西側が「人���はひとつだ」とうたったのだと思うと、また少し違った印象が出てくるかもしれない。
 『LIFE』と「The Family of Man」展は、雑誌と展覧会という形式の違いこそあれ、共通した特徴を有している。それは、写真を効果的に組み合わせ、そこにキャプションを付けることによって、ひとつの大きな物語を語っているという点である。前者は「田舎のお医者さんはどのような毎日を過ごしているのか」という物語を、後者は「人類はこれまでどうやって生きてきて、これからどうやって生きていくのか」という物語をそれぞれ語るために、写真が用いられている。これが当時、一般的であった写真の組み方だったのである。
写真史を塗り替えた男の写真
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Robert Frank, Trolley—New Orleans, from the book The Americans(1959 ) © Robert Frank
 さて、以上を踏まえてふたたびフランクの『The Americans』に戻ることにしよう。《Trolley—New Orleans》という写真を見てほしい。撮られたのは公民権運動の少し前、バスの車内で白人席と黒人席が分かれている様子が写っている。その次にくる写真は《Canal Street—New Orleans》という一枚だが、この二枚にすぐに関連性が見いだせるだろうか?
 一枚目の《Trolley—New Orleans》がもし『LIFE』や「The Family of Man」展で取り上げられたならば、必ず写っている状況を説明するキャプションが付けられるだろうし、次に配置される写真は黒人差別についての物語が明確に示されるようなものになったであろう。
 しかし、『The Americans』にはそういった被写体を説明するキャプションはないし、次の写真との関連も明示されない。ここに私たちは何を見るのか。一通りの正解はない。むしろ、説明なしの写真の組み合わせから読者の読み解きに応じて、その都度、新しい意味が生まれてくる。上記の二枚の読み方の一例として、人の配置に注目してみるとする。《Trolley—New Orleans》の人の並びは一列で整然としている一方、《Canal Street—New Orleans》に写る人々は視線の方向が入り乱れている。またたくさんの人がいる中で一人だけ黒人女性の姿があることも、当時のバスの光景を写した前者との関係で強調されてくるかもしれない。
 このように、後者一枚だけで提示されると単なる群衆にしか見えていないものが、前者と関係付けることでそこに写る黒人女性の存在が際立ち、意味を帯びるのである。
 さらにその次の写真、《Rooming House—Bunker Hill, Los Angels》も加えてみるとどうだろうか。そこには階段の下、杖をつく老人が顔の見えない状態で写っている。これら三枚をどのように関連付けて読み取ることができるだろうか。繰り返しになるがそこに正解はない。ちょうど「この写真と掛けてこの写真と解く。その心は?」と、謎掛けのように答えを読者に考えさせるのが、ロバート・フランクの写真なのである。三枚の写真から孤独さを読み取るかもしれないし、特定の地域を思い浮かべるかもしれない。共通したモチーフや構図が連続した、あるいは離れた写真同士の間に見出される時は、それを手がかりにすることもできる。そのような前後の関係にとどまらない自由な連想によって、一枚の写真が一枚で完結せずに他の写真と様々に有機的に連鎖し、ぶつかりあうことで新しい意味や価値が生み出されていく。
おわりに
 ロバート・フランクの写真集は『LIFE』や「The Family of Man」 展といった当時の主流とは全く異なる写真の組み方がされている。後者を物語、フォト・エッセイだとすれば、フランクの写真は映像詩とでもいえるだろう。写真が並んでいて、そこから様々に連想し、見る人の頭のなかで様々にイメージを展開していく。そこでは、明確なストーリーが紡がれていくわけではなく、写真の響き合いにより様々に世界が展開していく。一枚一枚の写真が非常に私的な空気を帯びており、黄金期の「アメリカ」のイメージとは一見そぐわない疎外感を醸しだしている。私たちがそのような印象を受けるのは、フランク自身がスイスからの異邦人であることや、一度国籍を失った経験があること、そういった彼の寂しさを写真から読み取っているからかもしれない。
 ストリート=街や通りがスナップ写真のモチーフとして非常に豊かな可能性を潜在させていることを証明したこともまた、フランクの功績のひとつである。何気ないストリートが社会批評のトポスとなりえることや、個人的・主観的な内面をそこに投影できることに当時の人々は気づかされたのである。フランクはそうしたトポスとしてのストリートを発見したのであり、ストリート・スナップの可能性を切り開いたといえる。そういった意味で彼が後世に与えた影響は大きい。例えば日本の写真家である森山大道への影響は明らかである。1950年代当時、多くの写真家が出版社などどこか大きな組織のもとで活動していたときに、フランクはいわば一匹狼で写真を撮り続けた。どこかに所属しているカメラマンではない、アーティストとしての写真家の走りでもある。
 『The Americans』に収録された最後の一枚は、ともにアメリカ横断の旅をした家族が車に乗っている様子が写し出されている。それは、『The Americans』が当時のアメリカ社会に対する批評であると同時に、フランク個人のプライベートな旅行の記録であること、つまり、個人と社会が結びついた写真集であるということではないだろうか。
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robertfrank2017kobe · 7 years
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本日より限定Tシャツの販売を開始いたしました! 価格は税込2500円です。 ご来場の記念にいかがでしょうか?
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robertfrank2017kobe · 7 years
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【阪神電車 ADトレインダイヤ】
明日(9/17)のADトレインの運行ダイヤはこちらです!
  ○須磨浦公園→神戸三宮→梅田(特急)
 9:31→9:51→10:22
 11:38→12:06→12:37
 14:08→14:36→15:07
 16:23→16:50→17:22 
 ○梅田→神戸三宮→須磨浦公園 (特急)
10:30→11:02→11:28
 12:45→13:17→13:43
 15:15→15:47→16:13
 17:30→18:02→18:27 
 お時間の合うようでしたらぜひ!!
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robertfrank2017kobe · 7 years
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【阪神電車 ADトレインダイヤ】
本日の阪神電車ADトレインのダイヤをお知らせいたします。 神戸三宮発梅田行き 15:20→15:52 17:50→18:22 梅田発神戸三宮行き 16:00→16:32 18:30→19:01 ぜひお乗りになってみてください!
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