sankayounokoi

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04

当てつけのように同じ会社に入社した。

正直まさかうまく行くとは思っていなくて、内定通知がきた時は思わずガッツポーズまでしてしまった。 何度も文字を眺めては、これでようやくスタートラインに立てると思った。

いつまで経ってもあいつを好きだと言う京本、目を覚ます可能性のほうが遥かに低いのに、自分の時間を犠牲にして見舞いに行って、隈を作って現れることなんて日常茶飯事だ。

好きだと告げた日の京本の表情は、全く気づかなかった、と言わんばかりに目を丸くしていた。本当にあいつしか見えていない、他の人間全てが彼の視界には入らない。

少しでも意識がこちらに向いて欲しかった、どんな手を使ってでも。

自分の将来が決まるというのに、何をどう見ればいいのかもよく分からない、同じような文字の羅列を大して読みもせずに流していた。 しっかり考えろというのに、そのくせ大した助言もなく大衆に向けて放たれる綺麗事は右から左だ。退屈な文字列に飽きが現れ始めた頃、ふと目に入った会社名はまるで運命だった。 何度か京本の口から聞いたことのある会社名、その会社は田中樹が入社したあの会社だった。

チャンスではないかと思った、 貴方が恐れていることを俺ならば払拭できるぞと知らしめるチャンスだと。

大切な人が目の前からいなくなることを恐れている、これ以上なにも失いたくないから新しいものを受け入れられず、未だに瞼を閉じ続けるその人に縋り付いている。 俺はいなくならないと、俺は違うぞと、あんなやつよりもお前を知っていると刻み込む機会が舞い降りたと思った。

今まで京本から会社名とブラック企業だったらしい、という程度しか聞いていなかった情報をさりげなく聞き出して増やしていった。あえて辛い記憶を思い出させて。

あの会社の、いや、あいつの話をする京本はそれはもう溜め込んでいたものを吐き出すように、美しい顔を歪ませて話してくれた。 それでも最後には自分が悪いのだと責め立てるから、それを否定して支えるまでが流れであり誘導だった。

そうして俺に救われる経験を植え付けていくのが俺のできる技、今この人の隣で生きているのは俺だから。

結局、京本の言う通りで確かに何度か入社前から研修があったが、聞いていた程ではなかった。どうやらあの事件は会社でも話題になったらしく大幅な見直しが入ったらしい。

つまり、俺は京本に嘘をついている。

京本の知っている会社のままだということにして、同じ境遇で俺の方が優ってると思わせるために。悪いとは思わない、京本の心を奪ったまま目を覚まさないあいつのほうがよっぽど悪だ。

ギリギリまで行かせたくないと、考え直せとしつこいそれを押しのけて俺はついに入社した。過剰に俺のことを心配するそれは、あの人がこびりついていると分かっていても口角が上がってしまう。

＜家着いたよ＞ ＜よかった、お疲れ様＞

毎日家に着いて数時間経ってから必ず連絡をする。京本の中では残業して遅くに帰ってくるはずだから。 それまでの間、あの人はきっと”今日も残業なんだ””無事に帰ってくるだろうか”と、俺からの連絡を今かいまかと待ち侘びているだろう。 側から見れば恋人同士かのような連絡は、それでもいまだ友人という関係性のままだ。

#サンカヨウの恋eina

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03

「きょもには関係ない」

目も合わさずに拒絶するような言葉がその喉から放たれるのは何度目だろうか。

「関係ないって…そんな言い方しなくたって！」 「だってそうだろ！？まだ2年のきょもに何が分かるってんだよ！」

就活に疲れ果てた樹はたまに、いつもの全てを分かっているような顔を投げ捨てて取り乱すことがあった。

「帰る」  「え、」  「俺今日は帰るわ、じゃ」

当時の俺にはどうしたらいいのか分からなくて、いや、きっと無意識に分かろうとしていなかったんだ。 言ってくれなきゃわからない、と言い訳して、気付こうとしていなかった。

「京本この後時間ある？ ちょっと付き合って欲しいんだけど」 「うん、いいよ」

それに比べて北斗は本当に就活生なのか疑ってしまうほどに落ち着いていた。 愚痴を溢すことはあっても人に当たることはない。 樹よりももっとずっと人の感情に敏感で、だからこそこうして自分を制することが出来ているのだと思う。

あの日から北斗は変わっていった。

 今までは隠してくれていた気持ちを全面に出してきて反応に困ることがある。 前と同じセリフを口にしても意味が違って聞こえてしまう。

「あなた、また睡眠取ってないでしょ」 「そんなことないよ」 「嘘言うなって、クマ、できてんぞ」

眉間にシワを寄せて目の下をなぞる親指から、 早く気持ちが変わればいい、 と思ってるのが嫌でも伝わってくる。 そしてその指に俺は変わらないよ、と心で唱えるだけで、最近は口に出来なくなってきてしまった。 何故かはわからない、多分罪悪感かな。

「明日3限からだろ、うち泊まって行けよ」 「う〜ん」 「京本が好きな酒あるよ」 「まじで！行く！」

気持ちに応える気なんてないのに、こうやって北斗の好意に甘えてはやく北斗が俺に愛想尽かせばいい、なんて思って人頼み。 通い慣れた部屋に入れば気は緩む一方で、北斗に乗せられてどんどんと酒が進んでいった。

お互いに頬を赤くしてばかを言って騒いで隣から壁を蹴られたりして ”嫌われてしまうかも”と不安にならない気楽な時間は、俺をどんどんと大きくしていった。

「北斗そういえば就活どうなったの？ 最近あんま聞かないけど…」 「ああ、まあそれなりに、な」 「またそれ？俺一応心配してるんだけど？」 「俺のことはいいんだよ、あなただってそろそろ準備始めなきゃなんじゃないの」 「あ〜、まあねぇ」

2度目の3年生は北斗という監視の目もあったせいか、見舞いに通いながらもしっかりと単位を確保している。 このままいけば問題なく就職活動へと入れるだろう。

「就活かあ」  「どういうとこ行きたいとか考えてるの」 「なーんにも！働きたくねぇ！」

馬鹿言うんじゃないよ、と笑われて笑い返して、だいぶ慣れてきた酒��胃に流し込んで雑魚寝して、 本当は俺が寝た後も北斗は起きていて 1人で色々と考えてることを知っていて、知らぬふりをして朝を迎える。願わくばこのまま変わらなければいい。

カンカン、と外の錆びれた階段を誰かが降りる音で目が覚めた。本当に壁が薄くて暮らしにくい部屋だと思う。就職したら引っ越さないかなこいつ。

樹は俺と付き合いだして少しした頃に一人暮らしを始めた、実家から通っていたのに突然だった。 理由を聞いても教えてくれはしなかったけど、かっこいいでしょ？とたまに言っていたからしょうもない理由なのだと思う。

その部屋は大学生にしては広くて綺麗な部屋だった。1DKと言うらしい、大学までも遠くなくてバストイレ別。多少騒いだ所で文句も言われなくて、他人の生活音で目を覚ますこともなかった。

泊まるといつも俺が先に起きていて、寝起きの悪い樹を起こすのに毎回苦労していた。授業が遅い日は2人で二度寝したり、遅刻しそうになって汗だくになって大学まで走ったり、毎日楽しかった。

俺が寝落ちてから運んでくれたのだと思う、床に座っていたはずなのにソファに寝ていてご丁寧に布団がかかっていた。家主である北斗はテーブルに突っ伏して寝ていて、何でベッドで寝なかったのか謎だった。 寝ぼけてPCをいじってデータが飛んだ、とか言い出されても困るからスリープにしてあげようと思って

チラリと視界に入った画面。

見るつもりはなかった、だたちょっと見えてしまった。 何度も見た憎い文字列に俺は息をすることを忘れてしまった。

「ん…、ってぇ、あれ、寝ちまったの…、京本？」 「っ、北斗…これ…」 「あー…」 「受けたの、ここ」 「あー、えっと、悪い、ちゃんと話そうとは思ってた」

画面には”採用”の文字が映し出されていた、そう、あの日樹も見せてくれたあの会社からの内定通知だった。

「まさか、入社するとか言わないよね」 「…」 「ねえって」

北斗は樹がどこの企業に入社したかを知っている。当時の樹の状況も全て だからこそ何故この会社を受けたのか分からなかった、こんなの自殺行為だ。

「なんとか言えよ」 「…」  「北斗っ！」

俯いて何も言わない北斗にどんどんと声が荒くなる、まだ早朝のこの時間では隣の人はきっと寝ていて、もしかすると起こしてしまったかもしれないが、そんなこと今は気にしてられない。

「入社、するつもりだ」  「なに、言って…」 「俺はこの会社に入社する」 「お前っ、何言ってるのか分かってるの」  「分かってる」 「分かってない！」

分かってるわけない。この世にブラック企業だと分かってその会社を志望するやつなんかいない、そのせいで樹はあんな目に遭ったのに。

「許さない」  「何が」  「お前があのクソ会社に入社するなんて、絶対許さない」 「京本に許してもらうことじゃない」 「っ、それでも！俺は認めないからなっ」  「認めてくれなくてもいい、俺はこの会社に決めたんだ」

他にも会社なんて腐るほどあるのにどうしてよりによってこの会社なんだよ。 真っ直ぐにこちらを見て決めたと言うそれは、固い意志を感じずにはいられなくて、どうにかしたい気持ちが手のひらに爪を突き刺していった。

「頼むよ、辞めるって言ってくれよっ。」 「辞めない」 「北斗、俺のこと好きなんだろ？ 俺のためだと思って、な？」 「好きだけど、辞めない」

何を言っても全く揺らがない声が随分と近くで聞こえた。こんなにも狡いことを言っているのに狼狽えることもせずに好きだと真っ直ぐに言う声

「ごめん」

その言葉は重く俺にのしかかって、震える肩を止めることも出来なかった。

それから何度も何度も、会う度に考え直して欲しいとしつこく話したけれど、結局一度も首が縦に動くことはなく、あっという間に入社式の日となってしまった。

「ほんとに行くの」 「あなたも随分としつこいのね、もう今日入社式だよ？」 「だって…」

入社する前から何度も何度も会社に呼び出されて、既に北斗は会社の人達の名前を覚え切ってる。真新しい革靴はすこし擦れた跡すらあって、それを見るたびに息が詰まって視界が暗くなる。

「ほら、約束してくれたじゃない。お祈りしてくれるんでしょ？」 「っ、」

入社式の日程が決まったと聞いた日、俺は前日から北斗の家に泊まって見送ることを約束した。 ”いってらっしゃい”と言うために、 行って帰って��てと願いをこめるために。あの頃できなかった、俺の贖罪。

「北斗、絶対に帰ってきて、俺の元に」 「ん、誓います。他でもない、俺の好きな人である貴方に」

その言葉には応えられない。それなのに北斗の好きを利用するようなことを何度も言って繋ぎ止めようとする。俺はなんて狡い人間なのだろう。

「っ、いってらっしゃい」  「いってきます」

樹とは似ても似つかない大きな背中が、玄関から外へと出ていき扉によって見えなくなっていくのを最後まで見つめた。ついていきたかった、止めたかった、もうこれ以上誰かを失いたくなかった。

落ち着かない。 北斗が家を出てからまだ2時間程度しか経っていない。何度スマホを見ても連絡の一つも入っていない。当たり前だ、いくら既に何度も行っているとはいっても新入社員。スマホを触る隙なんて一切ないだろう。

樹は初めの頃どうだっただろう。あの頃もやっぱり今と同じで入社式までに何度も入社準備だとかいって会社に行って、真っ黒なメモを持って帰ってきていた。 ようやく就活が終わったのに大してゆっくり出来ずに社会人になってどんどんと樹の顔は変わっていった。

大人らしくなったと言えば聞こえはいいが、要するに痩せていった。 朝早くに会社に行って夜遅くに帰ってきて、たまの休みになる着信音。休める日なんて一つもなかった。

樹の家に通ってうまくもない料理をして待っていても、帰宅したら真っ直ぐベッドに倒れ込んでしまうから、冷蔵庫に眠るご飯。 どんどんと家に行くのも連絡すらも減っていってしまって、あの日は連絡しないまま何日目だったのか。

見てもいないテレビの音が流れる部屋でどこを見つめるわけでもなく目を開けていると、視界の端でスマホの画面が光ったのが見えた、何かの通知だ。

北斗かもしれない、昼休憩とか何か、きっと。

そう思って見たがそこに書かれていたのは”会社説明会開催のご案内”というメールタイトルだった。そう、今度は俺が就活の番だった。こんなの手につくわけがない、あの日の後悔が押し寄せるこんな状況で自分の将来なんてどうでもよかった。

「ん…」

いつの間にか眠ってしまったらしい。 こんなにも心配なのに眠りこけてしまうなんて、こんなんだから樹のことも支えられなかったんだ。しっかりしなければ。時間を確認するためにスマホを見ると、北斗からの連絡が入っていた。

＜今日飲みに行くらしいから帰るの遅くなる＞ ＜あなたどうせ家に居るんでしょ？＞ ＜遅くならないうちに帰んな＞ ＜家ついたらちゃんと連絡するから＞

休憩時間か何かがあったのだろうか、立て続けに入っていた連絡に一旦安堵した。さすがに初日から馬車馬のように働かされることは無いらしい。

＜わかった＞とだけ返信をして俺は家へ帰った。 いつもの場所に鍵を隠して。

#サンカヨウの恋eina

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02

その日樹は連日の残業で疲れ切っていたらしい、というのは同じ会社で働く同期らしい人の言葉だった。

新卒で入った会社は思っていた以上にブラックで、入社2ヶ月目の新入社員はすでに終わらない仕事量に皆疲弊していたらしい。

働かない頭で遅くに家まで歩いている時、飛び出してきた車に身体は反応しなかった。

その後の捜査で相手は酒を飲んでおり随分と酔っ払っていたと聞いた。難しいことはよく分からないが、慰謝料はかなりの額が入ったらしい。それこそ、入院費諸々の心配なんて少しもする必要がない程に。けれど、誰1人として納得なんていかなかった。

樹が目を覚ます訳ではないから。

いつまで経ってもピクリともしない樹のこの状態を”植物状態”と言うらしい。植物のように黙って生きているだけ、という意味ではなく”植物性機能だけが働いていて、動物性機能が働いていない状態”から来ているらしく”遷延性意識障害”とも言うそうだ。

結局は変わらないと思ったのは俺だけでは無かったと思う。

当時大学3年だった俺は勉強なんてせずに毎日のように病院に通い詰めてひたすらに樹が目を覚ますのを祈り続けた。 それしかできなかった。

そんな俺にやけにつっかかってくる男が現れたのは、こんな生活を数ヶ月続けた頃だった。

「京本、だよな？」 「…誰」 「松村北斗、覚えてない？」

その日は夏も過ぎたのに妙に暑くて、両親や樹の両親にまで諭されて大学に少しずつ行くようになっていた頃。どうせ帰りは病院に行くから大学に友達なんか必要なくて、少し話す仲だったやつらともすっかり疎遠で1人で席についてひっそりと生きていた。

そんな俺に突然隣から声がかかった。正直隣に人が座っていた事すら気づかなかった俺は少し驚いて、それから名前を呼ばれた事に気づいたけれど顔に見覚���はなくて、名前を聞いてもよく分からなかった。 そいつが言うにはどうやら中学が一緒だったらしい、隠キャだった俺は中学の人達の名前も顔もすっかり忘れ去ったらしい。

というのはちょっと自虐で、本当のところは中学1年の頃に1度親の都合で引っ越しているから初めの中学校のことはほとんど覚えていないのだ。で、この松村と言う人はその覚えていない方の中学にいた人らしい。

「ごめん、俺あんま覚えてなくて…」 「ああいいよ、クラスも違ったし」

その中学校は、複数の小学校の子供が一つにまとまる所だから、この人とはきっと廊下ですれ違うとか、その程度だったろうに、よくもまあ何年も覚えてたもんだ。

その日から松村は俺が大学に行くたびに目敏く声を掛けてくるようになった。

「京本、痩せたんじゃないか？田中さんが心配なのもわかるけど…」 「うるさいなあ、北斗には関係ないじゃん。人のことより自分のこと気にしなよ。面接、どうだったの？」

いつしか俺は北斗、と呼ぶようになり、北斗は母親のように口うるさく俺が樹の元を通うことに異を唱えてくるようになった。結局俺はどこか期待を捨てられず、周りの声に耳も貸さずに病院に向かった結果留年した。つまり今俺は3年生2回目だ。 就活の大変さはわかっている、俺が樹と付き合いだした3年前に樹は就活に向けて少しずつ用意を始めていて、1年経った頃には樹は立派な就活生で会う頻度が減って、忙しそうな樹に遠慮していた結果樹と喧嘩したことだってあった。

あの頃もっと俺が樹を支えられていたら、あんなブラック企業に就職することも無かったのかもしれない。

「あー、まあ、ぼちぼちだったよ」 「俺なんかと話してる暇あるなら、さっさと疲れ癒しに家帰れば？」 「いいんだよ、俺は」 「なんだそれ」

将来を左右する重要な時期に俺なんかといる時間は無駄だ。それなのに北斗は何かにつけて俺の隣にいようとする。特に最近は就活のストレス発散に付き合ってくれ。という何とも断りにくい誘い文句で飲みに連れていかれることが多くて、痩せたと言われたが去年よりも食事は摂ってると思う。

「なら今日も付き合ってくれよ」

ほらまた、そう言って俺の手を引いて行きつけの居酒屋に向かっていく。まるであの頃、面接官の愚痴を言う樹のように、北斗の口からも出てくる似たような言葉に記憶が蘇る日々だった。

大人になったつもりでアルコールを無理矢理胃に流し込んで、大して美味しいとも思ってないのに美味しいと口にして、スーツに身を包む周りの大人たちに必死に追いつこうとする俺達は、本物の大人達からはどう見えているのだろう。

「きょうもろ〜、きいてるかぁ〜？」 「あーもううるさいな、飲み過ぎだぞ」 「まらまら〜！」

北斗は酔っ払うとめんどくさい。どこの上司だよと言いたくなるくらいに絡んでくる所謂からみ酒だ。俺はあまり酒を飲まないから結局いつも家まで送り届けることになる。 いい加減送った分の交通費請求してやろうかな。 なんてスマホで”請求書　雛形”と検索履歴を残しているうちに北斗のうるさい声が止んだことに気づいた。

「北斗？まさか寝たんじゃ…、北斗？」

妙に体格のいい北斗が眠ってしまっては流石に家まで送れないから、起こしてやろうと思って顔をあげると、先ほどまでのへらへらとした犬のような北斗はもうどこにもいなかった。

「京本、お前田中さんとどういう関係なの」 「え、何急に」 「ただの先輩って訳じゃねえだろ」

北斗には樹と付き合っていることは伏せている。男同士なんて物珍しい話をそんなぺらぺら話す奴いない。けれどバレるのも時間の問題だと思っていた、家族でもなんでもないただお世話になった先輩ってだけでこんなにお見舞いになんか行かない。

「それは…っ」

今まで言及されなかったから言わなかっただけで、時が来たら言おうと思っていた、本当だ。ただ、最近は北斗も就活で忙しくて樹の話も出ないことが多くてちょっと気が抜けていた。

「好き、なのか」 「っ…」

ザワザワと色んな人の笑い声や愚痴を溢す声がうるさいはずなのに、一つも耳に入ってこなくて、まるでここにいる全員が俺の次の言葉を待っているような気分だった。待ってそして”気持ち悪い”と言われてしまいそうで。

「場所、変えようか」

そう答えるのが精一杯だった。

結局変えた先は北斗が1人で暮らしているアパートだった。テーブルには沢山の紙が散らばってて、ゴミ箱には”ご縁がなかった”と書かれた紙が数枚。 縁ってなんだよ、じゃあ何か？樹はその縁があったせいで事故に遭ったっていうのか？事故と縁があったのか？ ふざけんなよ。

「京本？」 「あ、ごめん」 「お茶入れるから、座れよ」 「ありがと」

何度も来た部屋だから、北斗の定位置がどこで客はどこに座って欲しいのか理解してる。けれど今日はあえて位置を変えて北斗の定位置から一番遠い所を選んで座った。夜道を歩いてすっかり酔いが冷めてしまったのか、北斗はなんてことないようにお茶を持ってさっさと戻ってきた。

「で、話の続きだけど」 「うん…」

顔が見れない、今北斗はどんな顔をしているのだろう。軽蔑の眼差しを向けているだろうか、きっとそうだ。男が男を好きになるなんて異常だ、樹だって元は女性を好きで彼女だって何人もいたと言っていた。俺だって樹だから好きになった。

「北斗の言う通りだよ、俺は樹が好き、付き合って、る」 「付き合ってるって…」 「付き合ってるんだ、今でも」

言いたいことはわかってる。意識のない、目を覚ます保証もない相手と”付き合ってる”なんて現在進行形の言葉はそぐわないと言いたいのだろう。 ”付き合ってた”の間違いだろうと。それでも俺は、付き合ってるんだ、樹と。

「ずっと隠しててごめん、きもち、悪いよね…。もう北斗には近づかないようにするからっ、ほんとごめん、じゃ、お邪魔しました。」

息継ぎもせずにそう言い放って、カバンを掴んで玄関へと駆け足で向かった。あと一歩で扉が開くというとき、

「そんなことない！」 「…え？」 「気持ち悪い、とか、思ってねえから。大丈夫だから、近づかないとか、言うなよ」

そう言う北斗は手を握りしめて、何か思い詰めるような、奥歯を噛み締めるような顔をしていた。

「京本、俺の話も、聞いてくれないか？」 「話？」 「そう、京本に聞いて欲しいんだ」

うつむき加減で立てた膝に顔を埋めそうになりながらも語り始めたのは昔話だった。

昔々、引っ込み思案な男の子が1人おりました。その子の家はとても広く、近所ではちょっとした有名な家でした。両親はどちらも仕事に出ていて家には家政婦が来るほどでした。

皆口を揃えて”羨ましい”と言う、それはそれは幸せそうな家庭でした。

けれど、それは外から見た幻想で実際は違っていました。家には家政婦と小学生になる男の子の2人。家政婦はどうしてか頻繁に変わってしまい、男の子は仲良くなるどころか人見知りが悪化する一方でした。

そんな男の子の唯一の支えは一つの絵でした。

それは、ある時父親の書斎に忍び込んで見つけた本の中に描かれていた、真っ白な小さな人。男の子なのか女の子なのか当時の彼にはわからなかったけれど、その絵は彼の心を奪っていきました。父親にバレないようにこっそりとその本を持ち出して机の棚の1番下に隠して、毎日眺めては元気を貰っていました。

いつしかその想いは彼の成長と共に恋心へと姿を変えていきました。 そんなある日、彼は出会ったのです。

その絵の人物に

「それが京本、お前だった」 「…え？」 「京本を見た時、本から出てきて俺に会いにきてくれたんだって本気で思った。けどそんな訳なくて、話しかける勇気もなくて遠くから眺めるしかなくて、そうしてるうちに京本は転校していった。」

理解ができなかった、そもそも北斗がそんな裕福な家庭の人間だなんて初耳だ。両親は共働きだとは聞いていたけれど、まさかそんな境遇だったとは。

「大学で京本を見つけた時、運命だって思った。神様って存在するんだって。けど見つけた時には隣にはあいつがいて近づく隙もなかった。」 「あいつって…」 「田中樹」

樹といた大学生活は、それはもう陽だまりのような日々だった。当時3年生だった樹は、何を思ったのか1年生ばかりの講義に潜り込み俺の隣に座った。明るい髪色に室内なのにサングラス、ピアスやらネックレスやらじゃらじゃらと着いていて何なら耳障りだった。

”今どのへんやってんの？”そう話しかけられたのが俺たちの最初の会話だった。

「待って、ってことは俺が樹と付き合ってるの…」 「うん、知ってた。京本に話しかけるずっと前から」 「…なに、それっ」 「黙っててごめん、でもお互い様だろ」

昔話をする北斗は、まるで当時に戻ってしまったかのようにか細く、どこか過去の自分を嘲笑うような痛々しい姿だったのに、お互い様だと言う今の表情にはもう見る影もなく、少し離れて座りなおした俺が逃げるのを咎めるように真っ直ぐに瞳を向けられていた。

「京本、わかったと思うけど俺は京本が好きだ。 京本があいつと出会うずっと前から。 …たい、「ごめん」 「まだ樹にも下の名前で呼ばれたことないんだ、だから、名前は呼ばないで。」

この先呼んでもらえるかもわからない、ずっとあの声でこの名を聞く日は来ないかもしれない、それでも、それならばいっそずっと聞きたくなかった。

「京本…」 「気持ちは嬉しい、びっくりしたけど。でもごめんなさい、北斗の気持ちには答えられない。俺は今でも樹が好き、いつまでも目を覚ますのを待ち続ける、恋人という立場で。」

何度も喧嘩をして何度も仲直りをして、あの頃だって樹は仕事で忙しくてほとんど会えてすらいなかったけれど、それでも俺は樹が大好きで、だからこそ支えきれなかったことに後悔しかしていない。 他に目を向けることなんてできない。

「そうか」 「うん、ごめん」 「でも俺、俺諦めないから」 「え、」 「あいつを好きなままでいい、目を覚ますのを待ち続けてたっていい、それでも俺を見てもらえるようにする」

狭めの部屋とはいえ端と端である程度の距離はあったのに、いつの間にか詰められていた距離に狼狽えてしまった。目の前に迫った顔は俺にはない男らしい輪郭と彫りの深さで目元に影を落としているのに、 瞳はギラりと光っているように見えた。

「え、ちょ」 「京本、覚悟しとけよ。俺だってやる時はやるからな」

北斗は逃げるように部屋から出る俺を止めなかった

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[sankayounokoi]

01

"きょも、好きだよ" 「じゅりっ！」

幸せな悪夢を見た、もう何年も前の夢。愛しい人の発する愛しい声、いつまでも聴いていたい声、もう何年も聴いていない声。 俺の恋人である田中樹は、何年も真っ白なベッドの上で瞳を見せてくれない。

「こんにちは」 「あら大我君、いつもありがとうね」

家から30分ほどかかる、電車を乗って来るこの病院が樹が眠り続ける場所だった。目を瞑ってもどこに何があるのか分かるくらい慣れ親しんだ個室。

「私ちょっと用事があるから帰るわね、あまり遅くならないうちに帰るのよ」 「はーい」

毎日看護師さんに樹の両親に俺に、誰かしらが綺麗にするから樹の身なりはいつだって綺麗だった。髪は数日前に俺が切ったばかり、美容師でもなんでもないから下手くそだけど樹の髪の癖はなんとなくわかってきて、少しは見れるものになってきたと思う。

痩せこけてしまったことを除けば。

元々痩せ気味だった樹は、眠り続けるようになってからどんどんと痩せていった。一生懸命にご飯を食わせて太らせようとしていた俺の努力をまるで消しゴムで消し去るように、毎日見たって嫌でもわかるくらいに、骨が浮いて見えるようになった。

「樹、もうすぐあの日から1年経っちゃうよ。   はやく、目覚ましてよ…」

深夜、枕元に置いていたスマホが着信音を鳴らした。寝ぼけ眼で見る画面は知らぬ番号で、普段なら出ないのにこの時はどうしてか電話に出た。今思ってもあの時どうして出ようと思ったのか分からない。膨大な数から似た音を再生されているらしい、と言われるその音は何度も会った事のある、付き合っている相手の母親だった。

”樹が事故に遭った”

夢でも見ているのかと思った。きっと目を覚ましたら何事もなく樹からいつものように”おはよう”と連絡が入っていると。

けれど、何をしても夢は覚めなくて足がもつれてついた膝がうんと痛かった。

駅まで走って、けれど駅は真っ暗で、夜の割高なタクシー代を払って病院に駆け込んだ。樹の家族がいる先にはまだ赤いランプが光っていて樹の母親の目はそれよりももっと真っ赤に見えた。

何分も何十分も何時間も待った。

ぱち、と赤いランプが消えて灰色の扉からテレビで見たような格好をした人が出てきた。

”樹は…っ！”

誰かがその人に詰め寄った。

「一命は取り留めました。ですが…目を覚ます可能性は低いかもしれません」

空気を引き裂くような悲鳴が廊下に鳴り響いた。

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[sankayounokoi]

00

それはまるで太陽が月を照らすような そんな恋だった。

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