Tumgik
sryem · 20 days
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2024年4月10日
・完全にワンテンポ遅れているけど、就職活動をやっている。再就活をすることを決めるタイミングがもう少し早かったならと思わないこともないが、そういうものなのでしかたがない。やれるタイミングからやるしかない。適性試験がとっても苦手。
・2週間ずつ地元と下宿先を夜行バスで行き来するトンデモ生活をしているせいで、300km以上離れた地元と下宿先の距離感覚がおかしくなって、2拠点がすぐ近くにあるように感じる。今は下宿先にいる。寝て、目が覚めて下宿先。寝て、目が覚めて地元。大学を卒業してアルバイトもしていない宙ぶらりんな身分も相まって、自分という存在が蜃気楼のように感じる時がある。状況的に不安定ではあるけど、3月末に同窓会に参加したり私の誕生日があって周囲の人たちに祝ってもらえたりと自分の居場所を他者によって知らされる機会が何度かあったので、不安な気持ちになることはほとんどない。ありがたいことだ。
 大学生時代は関西で就職するつもりだったけど、卒業式に出たら急に関西への未練が消えたのが興味深かった。もともと卒業式に出るつもりはなかったんだけど、母が「絶対に出たほうがいい」と何度も言うので出席してみたところ、自分でも驚くほどはっきりと気持ちに区切りがついて、「もうここにいなくても自分は大丈夫だな」と思った。そもそも関西の大学に出てきたのは家庭及び母親からの逃避が目的だったので、まあ戻るかという気持ちになったのはそのあたりがまるっとおおむね受容できたサインだと捉えている。加えて今の状況を心理的に支えてくれている友人たちもほとんどが地元にいるので、「この人たちのそばに行きたい」というもっとライトな欲求もある。
・先日人と会っていて「〇〇(私)って他人のこと好きだけど他人に興味ないでしょ」と言われてから、他者に関心を持つとはどういうことなのか考え続けている。私との会話でそういう印象を受けたというよりは私の自己分析のポストなどを読んでいて感じたという話だったので、本当のところどうなんだろう、と思って。
 色々考えていくなかで、私は人と話すことが好きだし人が好きなんだと思っていたけどそれは常に自分と対比しているからかもしれないと気づいて、それって他者に関心を持ってないのではと思った。人と話しながらそのじつ思考の矢印は常に自分に向かっていて、他者を自己分析の道具としてしか使っていないのだとしたら、失礼がすぎる。でも他者といることの楽しさって自分との違いに出会えることに大きく依拠してるとも思うし、多かれ少なかれみんな他者を通して自己を見ていると思うんだけど、そんなことないのかな?真に他者に関心を持つとはどういう行為なんだろう。
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sryem · 1 month
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2024年3月23日
・ずいぶん空いてしまって、書き方も忘れてしまったんだけど、急に「なんか今なら書けそう!」となったので急いで書いている。
・2月と3月は九州や台湾に行っていたので色々とインプットが多かった。今は京都じゃなくて地元にいます。昔から生活がインプットに傾くとなかなかアウトプットができないタイプで、ここにいない日が続いた。言葉でしか思考できないくせに、体験が増えると言葉が出てこなくなる。
・台湾は7日間滞在した。うち1日友人と合流していた日を除いた6日間は一人旅だった。
旅行において生活は留保され、現実は停滞する。これについては旅行中のメモにも記されていた。
ここにいる限り誰も何も私に求めず、責任もなく、現実は進行せず、本質的に常に部外者だ。そこにあるのは他の人間の生活であって私のではなく、私はそれらを呑気にただ鑑賞していられる。
現実には様々な問題があって、4月から正規で働くはずなのに書面契約すらしてもらえないこととか、そんな曖昧な場所で働くこと自体への不安とか、そういう対処しなければならない現実を全部日本に置いてアノニマスな存在になれるというのは、セラピーとしか言いようのない効果があった。
美術館で展示を見たあと、春のうららかな陽射しを浴びながら知らない鳥の声を聞いて、ふと「就活し直そう」と思った。だから日本に帰ってきて、「そちらで働くお話、なかったことにしてください」という旨を連絡して、今。なんとなく、いま私はねじを巻いていると思っている。ねじを巻く音と、手応えがある。この手応えはあそこで働こうとしていた頃にはなかった。だから多分大丈夫だと思っている。
・私はそんなにお金に困っていなくて、慎ましく生きれば生活していける定期収入がある。そのことが人生にただならぬ悪影響を与えているなと感じる。ハングリーさが微塵もなくて、何一つ頑張りきれないし、何一つ成し遂げられない人間だ。ずっと。そのくせやりたいこともなくて、道楽に踏み切って収入度外視でやりたいことをやるみたいな生き方もできない。母は就職を勝手に破談して事後報告した私に一頻り怒ってから「やりたいことをやりな」と言ってくれて、ワーキングホリデーや専門学校や留学の選択肢を提示してくれた。でも正直に言ってもう自分のことを考えるのに疲れていて、考えれば考えるほど生きていたくなくなってしまうから、なんでもいいから安心できる場所で仕事をして対価をもらって自立したい。そこにいる意味や価値を与えられなければ、生きていることが不安でとても息ができない。ずっとそうだ。労働は安心する。私に価値はなくても、労働に価値はある。給与はそれを証明してくれる。
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sryem · 4 months
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2024年1月12日
・卒論提出したよ!!うれしすぎ~~!うれしすぎてほんとにパレードとか開きたかった。気持ちのやり場に困って家族LINEに「卒論提出したよ!」って送ってみたら父親から「おつかれー。」と返ってきて、ねえもっと喜んでよ!!!!と思った。でも金曜の昼にこのノリに付き合わされるのは可哀想だったのでちゃんと感謝した。
・提出前夜から決めてたんだけど、提出後はそのままバスに乗って街に出て好きなことしちゃお!ってことで、おろしたてのお洋服着てメイクもばっちりして家を出た。前に買って色チョイスミスったかなって思ってたリップも、塗ってみると今日はなんだかかわいく見える。コンシーラーで眉毛の色を薄くするテクニックも初めて試してみたら超いい感じ。明るい音楽聴いたりしちゃって浮かれポンチ。でも今日はいい!
・街に出るバスに乗りながら不意に映画でも見るかと思って、京都シネマで『枯れ葉』を見た。主題ではないんだけど、薄給の女性労働者同士の結束が良かった。出てくる犬の耳が横づきでかわいい。正直、事前になんの情報も見ずにふらっと知らない映画を見たことや、映画を見ることを完全に許されている時間的余裕自体に興奮してしまって映画の内容についてあまり語れる心況ではない。予告編で見た『テルマ&ルイーズ』の4K版は必ず今度見に行く。
・リップモンスターの2番を買ってみたら、欲しかった色味の発色をしてくれてラッキーだった。リップを買うのが下手で、自宅にあるのは黄みっぽい色ばかりになっていて、かといって青み系は似合わないのでどうしたもんかと思っていたんだけど、これでちょっと解決しそう。
・完璧な一日といって差し支えなかったんだけど、かなり近くに風邪の気配がしていて、家族LINEには母から「気が抜けて体調崩さないように」と予言じみたメッセージが入っていた。多分崩す。
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sryem · 4 months
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2024年1月6日
・今年もよろしくお願いします。
・2024年か~。来年には「2025年か~。」って言って、再来年には「2026年か~。」って言うから、見ててね。
・2023年の正月のポストを読み返したら抱負を語っていたので、振り返ってみよう。
2023年は愛や幸福といった抽象的で非実用的なこと(しかし大切で素敵なこと)について考えを巡らせる時間を少し減らし、目の前のことを一つずつやっていくことに時間を裂こうとしている。結局目の前のことをただひたすらにやれる人っていうのが一番かっこいいと思って。
後期は特に卒論などに迫られて目の前のことに時間を裂かざるを得なかったけど、それを抜きにしても実践の多い1年にできたと思う。いろんな場所に出向いたし、たくさんの人と話したし、それができる機会があればなるべく見過ごさないようにしていた。顔見知りが増えたと思う。いいことだ。バイトもしたし!このポストで立てた目標はそういう意図で立てたわけじゃなかったと思うけど、副次的な効果として知り合いが増えたなら文句ない。
 今年は実践に加えて、インプットの多い1年にしたいと思っている。質の良し悪しにはこだわりすぎないつもりだけど、SNSから距離を置いてできるだけいろんなものに触れていきたい(ここは記録の機能を持たせているので例外とする)。あとは就職による生活の変化に疲れすぎないように自分自身のケアを怠らないようにする。ちゃんと甘やかして、その分めちゃくちゃ頑張る!
 あとちょっと思ってるのは、自己投資にかけるお金を増やすこと。去年はアイドルファンとしてお金を使うことが多い1年だったけど、今年はそれこそインプットへの投資(書籍購入費や交際費など)に割いていきたい。触れて、記録して、”私”にする。
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sryem · 4 months
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2023年12月30日
・17日から28日まで母親が私の家に遊びに来ていた。私は卒論が大詰めだったので日中はほぼ大学に籠もっていたんだけど、夜には外食に行ったりしてつられてまあまあ遊んでしまった。帰り際にはちょっとお小遣いもいただいてしまって、ありがたい。
 ただ実家にいたときから思ってたんだけど、母は本当に他者のテリトリーを尊重しない人で、「このほうが便利だから」とか言って生活用品の収納場所を変えたり「寒いから」とか言って相談もせずに私の家に置く座布団買ってきたり、長期間宿泊されると精神的に疲れる。私はああいうタイプのエネルギーは持ってないし、縄張り意識みたいなものが強いっぽいので、こういうことをされると本当に食らう。部屋に人がいるだけでジワジワ削られる上にそれだったのでだいぶ疲れた。ワンルームだから逃げ場がないし。
 そういえば私の性格について友人から”ありのままの他者を肯定する傾向にある”というようなことを言われたことがあるんだけど、身近にいて嫌だった人を反面教師にした結果かもしれない。踏み込まれる嫌さがわかるので。できるだけそうでいたいので、無意識にそうじゃなくなっていたら教えてほしい。
・年末だ。今年私を知ってくれた人、今年も私の文章を読んでくれた人、本当にありがとうございます。あなたにお年賀とかあげたい。
・とあるアイドルのことが本当に好きだった頃のツイートを見返していたら、「あなたの幸福の形がたとえ私がどうしたって望めないものであっても、変わらずあなたの思うそれを祈るよ…頑張るよ…」と言っていた。わかりやすいところで言えば彼が恋人を作ったり結婚したりするかもしれないことについて、私が受け入れられなくても、その時が来たら涙を呑んでただ祝福したいという感じのこと。ツイートした当時はすごく難しくて痛みが伴う誓いのように思っていたけど、熱が冷めた今はそうでもない。好きで好きで欲ばかり膨れて、アイドル産業の隙間で身動きが取れなくなってしまっていた。本当に楽しかったけど、もう戻りたくない。マーケティングシステムにもファンダムにも嫌気が差している。あの界隈は私には向いていなかった。
 恋に似た、燃えるようななにかだった。好きになってからまだ1年ちょっとしか経ってない。人から見たらただアイドルを好きになっただけでしかないのはわかってるけど、私としては人生が変わるくらいの事件だった。好きになったとき、永遠を感じたのを覚えている。どうしよう、この人のこと一生好きかもしれないって思った。それも恋に似ている。
・ここ数日でXのアカウントを2つ消した。ひとつは2015年から使っていたアカウントだったしどちらもそこでしか繋がっていない人がいたりして後ろ髪引かれる思いもあったんだけど、知りたくなかったことを知ってしまうことが何度もあって、それを黙って飲み込むのにも疲れて、情報から距離を置きたいというような気持ちになったのだ。私は安定したアウトプットの場をここに持ってるから、そこまで他のSNSに時間を割かなくていいはずだ。インプットに関しても、SNSから得るそれよりももっと上質なインプットをしたい。思えば高校のとき共同で映像作品の制作をさせてもらったときも、知らなく���いいことをある種強制的に知らされることになるSNSが持つ性質の気持ち悪さをテーマのひとつにした。あの頃からずっと思ってたんだろう。
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sryem · 5 months
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2023年12月10日
・気づいたら紅葉も終わりかけている。あっという間だった。
 先月末に祖父の膀胱がんの経過観察検査に付き添うため高槻まで行ったときに、タクシーのなかから一緒に見た綺麗ないちょう並木を、なんとなくいつまでも覚えていたい気持ちになった。何度も何度も同じ話をされたけど、そんなの別によかった。私といられて嬉しそうだったのがわかったから。
・卒論はちょっと、うーん、という感じの進捗で、年末年始神戸に行く予定を立ててるの本当に大丈夫か?と不安。「不安。」とか言ってないでやるしかないんですけど。12日に仮提出があって、とりあえずできてるところまで出すんだけど、みんな今のところ何字くらい書いてるんですかね。ちなみに私は今のところ下限字数の30%くらいしか書けてません!ウケんね。ギャルピースしちゃお。
 本当のヤバさは字数とかじゃなくて、統計的に有意な差とか相関とか回帰とかが見られないこと。考察に書くことがないの。本格的に分析をはじめてからずっと「なんでこんなテーマにしたんだよ関連性でるわけないだろ」と過去の自分にキレている。つまらないアドバイスだけど、やっぱり卒業するためだけに卒論やる人はやりやすそうなテーマ(差や相関が見られそうな概念、先行研究が多い分野)をやるのが大事ですよ…。
・先月の頭に二重整形をしたんだけど、この前久々に会った友人に「今日なんかカラコンとかしてる?メイク変えた?一瞬違う人かと思った」と言われた。身近な人には術前に整形することを言ってあったので、この日初めて「事前情報がない人にはそう受け取られるのか~」と思った。その友人は男性なのでメイクに関する知識が薄いから、メイクで賄える変化だと思ったのだろう。
 それで、実は整形したということをさらっと話し、私は次の講義があったのでその話はそこで終わったんだけど、その場にいた他の友人から後日「あいつお前が講義行ったあと『〇〇(私)かわいくなったよなー』って言ってたよ」と言われた。二重整形は自分の過ごしやすさのためにやったことだし、別に整形したことに対して他者から悪感情を抱かれてもいいと思ってはいるんだけど、いざそういうジャッジが入る場面になると緊張したし、失望されなくてよかった、なんて思った。
・友達と飲んだときにこのブログを見せた。どんな流れで見せることになったのか思い出せない。仲は良いけどこういうところまで見せるような友達じゃなかったので、私が普段こういうことを考えてこういうふうに文章を書いてること自体に驚いていた。
 私は"別に隠してたつもりはないけど言ってなかった"みたいなことが昔から多い。仲の良さとか関係なく、誰に対してもその態度で接しているっぽい。あんまり"私の全てを知ってほしい"みたいな感覚がないのかもしれない。みんなにはあるのかわからないけど…。
 彼らについて書いたポストを読んでもらったら、ふわふわと嬉しそうな顔をしてくれたし、「ZINE出したら買いたい」と言ってくれたので、気が引き締まる。
 そういえば高校時代の友人から2-3月に開催する身内イベントで出展してZINEを頒布しないかと誘いを受け、乗ることにしたので、完成させなければならないデッドラインが外部的要因によって定まったかたちになる。卒論を提出して、ZINE仕上げたいと思います。卒論か…………………。まあ、やるしかない!すべて!
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sryem · 5 months
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 ここしばらく、といっても2年くらい、現代短歌に興味が向いている。一人の歌人を深掘りしてるわけでも、いろんな歌人の歌を読めてるわけでもなく、ほんとうにただただ興味が向いてるってだけなんだけど。でも書いておかないと好きだったことをいつか忘れちゃうと思うので、好きな短歌をここに書きます。
 言うまでもないかもしれないけど、つらつら書いてるのは今の思考の記録であって、あなたは読まなくてもいいです。突き放した意味ではなく、こんなのを読む前にあなたが最初に歌を読んで想像したことや掴んだなにかをまず大事にしてくださいという意味!
毒りんごを兎のかたちに剥いている 愛には愛の勝ち方がある / 初谷むい
 短歌ってすごいのかも、と最初に思ったのがたしかこれを読んだときだったと思う。この歌を読むといつも決まった景色が浮かぶ。柔らかい陽の光がたっぷり入ったキッチンで、女性がフルーツナイフでりんごを剥いている。口元には満足したような笑みを浮かべていて、とてもおいしそうな小ぶりなりんごは、彼女の迷いのない手付きによってうさぎのかたちになっていく。キッチンの小さな窓にはレースのカフェカーテンがかかっていて、窓の向こうで陽に照らされた緑がきらきらしてるのがわかる。完璧なエンディング、美しい終焉。
 毒りんごであることは自明だけど、それを食べないという選択はどの宇宙にもない。毒りんごは悪意を持った存在によってつくられ、女性の手に渡った。毒りんごはこのあと食べられるし、それによって女性は死んで、物語は終わる。もう何千年も前から決まっていたことみたいに。その運命に抗わないながら、それでも女性は負けたわけではない。たしかに邪悪によってここに倒れるけど、女性はそれを受け入れていて、今までのすべてとこれからのすべてに満足している。その時点で”勝って”いる。愛によって悪意は赦され、死は一面的な結果でしかなくなる。
 愛の強さはここにあるんだって思った。なんて言うんだろう、次元を越えてしまえる力みたいなもの。大富豪におけるスペードの3のように。
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sryem · 6 months
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2023年11月15日
・なんか書きたいけど具体的に書きたいことがあるわけじゃない。話を聞いてほしいんだと思う。見切り発車だから文章のスタイルが変だと思う。
・先週一番上の兄が30歳になって、わあ、って。わあ、って思いました。生きていくのがなんとなく怖くなりさえした。理由はうまく説明できないけど、生きてると本当に死ぬんだろうなって思ったんだと思う。笑っちゃうよね、そんなん知ってるのにね。
 来年両親が還暦になる。私はまだ小さい女の子のような気持ちで生きてる。
・前回の日記から空いたから、書いてないことがたくさんある。このひと月の間にバイトをやめたり、本を何冊か読んだり、コロナに罹ったり、映画をいくつか見たり、扇風機を仕舞って加湿器を出したり、コーヒーを飲めるようになったりした。毎週の実習報告会のためのレポートと並行して、卒論のための研究も比較的予定通りに進んでる。短い秋が落ちて、冬になっていく。
・コーヒー。きっかけは契約してる電気会社のキャンペーンに応募したらローソンのコーヒー引換券が当たったことだ。夏に博多に行ったとき、入った喫茶店でなんとなくホットコーヒーにチャレンジしてみたんだけど美味しくなくて、「私まだコーヒー嫌いなんだ」って確認したばっかりだったから、キャンペーンに応募したのも今思うと結構謎だ。まあ当たらないと思ってたし。「あたり!」の画面に呆然として、まあタダだし試しに飲んでみよう、と思ってローソンでレギュラーのアイスコーヒーを受け取って、ミルクとガムシロップを入れて、恐る恐る飲んでみたらなんか、あれ?おいしいかも?ってなった。こうして私の21年来の”コーヒー嫌い”の称号はあっけなく外れた。
 それからはコンビニ各社のアイスコーヒーを飲んだり(ファミリーマートはあんまり好みじゃない気がする。セブンのカフェラテは一瞬でなくなる。)、スタバのアメリカーノを飲んだり(キャラメルシロップ追加が美味しかった)、900mlペットボトルの安いコーヒーを買ったり(あんまり美味しくない気がする。安いから?)して、いろいろ遊んでいる。舌がコーヒーというものに慣れてないうえ、コーヒーに関するアンテナも今まで張ってこなかったため、新しいコーヒーを試すたびに発見がある。ゲーム序盤のレベルが低い頃はなにか少しこなすたびにどんどん経験値が入ってレベルが上っていくけど、あの状態だと思う。
 コーヒーは見た目が判断に影響してこないのが好きだ。現代に生きてると時々、あらゆることが視覚情報に重きを置かれすぎな気がしませんか?ソーシャルや消費社会と相性が良いせいだと思うけど、そういうことにぼんやりと疲れている。コーヒーを味わうときは視覚情報が関わってこない。目に見えないものを吟味して内なる感覚に目を向けるのは楽しい。
・もしかしたら最近音楽に意識が向いてるのも、視覚優位な状態への反発のひとつなのかもしれない。ずっと自分が好きな音楽の種類がちまたでなんと呼ばれているのかわかってなかったんだけど、最近オルタナティブR&Bというジャンルだということがわかって嬉しかった。でもオルタナティブって幅が広すぎるな。前にポストしたけどjojiが好きで、この頃はSMITHEREENSばかり聞いてる。このアルバムは好きな曲が全部奇数曲目なんだけど、通しで聞いてるとバランスが良くて自然に楽しめて好きだ。好きな曲ばかり集めてプレイリストを作ってる人とかよくいるけど、私はあんまり楽しめない。好きな曲ばかりずっと聞いてても疲れる。昔ながらにアルバムを通しで聞くのが性に合ってる。
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sryem · 6 months
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最近好きなアーティスト
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sryem · 7 months
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2023年10月7日
・この頃頭が働かなくて憂鬱で、ああ秋になったなと思う。目の前のことが余計な意味をなくして、本来の色が現れて鮮やかに見える。Xを見る時間が減った。あんまり面白いと思えなくなってきたから。多分一時的な状態異常だと思う、残念なことに。でも早く悪しきインターネットを卒業したい。
・とある件をきっかけに急に応援していたアイドルへの興味が落ち着いてきている。別にその件自体はそんな重い問題じゃなかったと思う。自分の状態によっては全然受け入れられてたと思うし、なんなら「そういうところが好きなんだよな~」って思えてたかもしれないんだけど、タイミングが悪かったみたいで一気に「あーあ、なんかどうでもいいかも」ってなってきた。ファンという存在は本当に勝手だ。勝手に好きになって、勝手に失望して消えていく。でも好きだった時間が、文字通り”熱狂”したことが、全部嘘だったことにはならない。それは覚えておかなければならない。今まで本気で好きだった。私の全部が彼になってしまうくらい好きだったんだけど、今はただ火だけが消えて、「ずっと幸せでいてくれたらいいな」と無責任な祈りだけが残されている。戻るのかもしれないし、もう戻らないのかもしれない。
・文章を読めなくなってきていて、論文を読むのが大変だ。教授に講義内の調査協力をこぎつけたので来週には調査��紙の草稿を作り、再来週中には調査用紙を完成させたいんだけど、今になって色々変更したいところが出てきて大変な感じになってます。胸を張れるほどじゃないけど目の前のことを頑張ってると思うから、もうちょっと勉学に割く時間を増やしたい。
・就職先でバイトしていて、今まで就職後に日々やる業務とは別の業務をやってたんだけど、昨日初めて就職後にやることになる業務をやった(具体的なことが言えないせいですごい分かりづらい表現をしざるを得ない)。自分的にも結構手応えあったし、他スタッフ同士の会話の中で私が褒められてるのが漏れ聞こえてきたりしたし、ちょっぴり鼻が高い。やりがいがあるから今は楽しいけど、終わる頃には疲労困憊で、これは思ってた以上に体力仕事だな~とも思った。あと5年後も私あそこで働いてるのかしら。楽な仕事なんてないんだろうけど、もうちょっと身体使わない仕事はあるだろ。
・一つ目のバイトのほうは、契約更新せず11月度でやめられそうだ。有給が3日分あったので11月度も在籍はするけど、本当に首が回らなくてこのままだと店長死んじゃうよ!って日以外は入らない方向性で意思決定している。
・アマゾンプライムで『Daisy Jones & the Six』を見ている。バンドの結成秘話やいざこざ、名曲誕生の裏側などを描く伝記ドラマの形式を取っており、概要も時代背景もやりたいこともたぶん映画『ボヘミアン・ラプソディ』に近いんだけど、肝心なのはこの”Daisy Jones & the Six”は存在しないバンドだということだ。完全なフィクションでありながらも、細部の緻密な描写の積み重ねで異常な存在強度を持たせている。まだ半分くらいしか見てないんだけど、70sのサイケミュージックは元々好きなので楽しみ。
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sryem · 7 months
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2023年9月17日
・明後日大学が再開するから、大学四年の最後の夏休みはこれでおしまい。悪くなかったと思う。いや、今恥ずかしがったな。たくさん遊んでたくさん働いて、結構良かったと思う。学生なんだから勉強したほうがいいんだろうけど、きっと許してくれるだろう。誰が?
・最近は日々をひたむきに生きていて、とても誇らしい。でも卒論から目を背け続けているから、私みたいな人間は本当に学問の道に進まなくてよかったと思う。大学院進学諦めて良かった〜(人生は常に自分の決断に『よかった』と思うしかない)。でももしかしたら最近毎日頑張れてるのも卒論からの逃避の副産物かもしれないし、私はなにかから逃げることでしか頑張れないのかも。そんなの悲しいけどまあそういうもんですかね。卒業したらどうしよう。仕事が本業になっちゃったら、一体なにから逃避すれば仕事を頑張れるんだろう。
・無知は罪ではない、という考えが自分の中にはっきりあって、それに度々救われている。バイト中も経験したことないことに直面して、うまく対応できなくて落ち込んだりすることもあるけど、「いや知らなかったしな」と切り替えられる。落ち込みたいなら次うまくいかなかったときに落ち込めばいい。たしか昔、匿名ラジオでARuFaさんが"petit"という単語を読めなかったという話題のときに、恐山さんが「なにかを知る機会が発生するかはある程度偶然」というようなことを言っていて、それがずっと心に残っている。その偶然がなかっただけの人を馬鹿にする筋合いも、される筋合いもないのだ。
・1つめのバイトの方をやめないとな~と思っている。現状2つのバイトを午前と午後ではしごしたりしているけど、就職先の方のバイトのほうが時給がいいことがわかった以上、そちらにより長時間シフトを入れたいし、掛け持ち中の移動時間は純粋なロスだ。授業日は週に1日とはいえ大学も始まるし、夏休みほど働き詰めにはなれないから。
 でも1つめのバイトは嫌いではないし、職場の人たちに愛着もあるし、やめるって言いづらいな~。引き止められちゃいそうとかじゃなくて、その人達とのつながりがなくなってしまうのが寂しい。別にLINEを交換してバイト時間外で会いたいとかじゃない。シフト時間内で話す希薄な関係性だけど、それが好きなんだなって気づいた。そういう種類の”好き”もある。
・たとえば「大した額使ってないくせに自分は推しに認知もらえてると思ってる人ほんとかわいい」とか、好意的な単語を使って人のことを馬鹿にしたり見下したりしている文章を見るとすごく嫌な気持ちになる。そういうふうに使われる言葉がかわいそうだなって思う。私が「かわいい」と言うときに感じているキラキラした想いを穢されたようにすら思ってしまうのだ。それに、見下したい相手に対して愛でるというスタンスを取ることで自分が土俵に立つことなく上の立場を取ろうとするのは、単なる冷笑的な態度より何倍も邪悪であるように感じる。それは暴力よりも一方的で陰湿だ。言葉は変化していくものだから「言葉を正しく使え!」とは思ってないんだけど、それでもこういう文章を読むと傷つく。
・地元のクレープ屋さんが潰れたらしい。聞けば今年の冬にはもう潰れていて、今はもう新しいテナントが入っているのだとか。前回地元に帰った時はあの辺りに行かなかったから知らなかったけど、そうか、潰れたのか。街が変わっていく。ただ事実として。
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sryem · 8 months
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自分の恋愛スタンスに関する現時点までの考え
・自分が恋愛に対して取るスタンスに関してもう数年悩んでおり、最近は色々と考えたあげく言葉にし、それをもってひとつの答えを出せたということにしていたのだが、このごろまた悩んでいる。というかその出した答えというものが不十分で全然答えとして適当じゃなかったということに気づいてしまって、振り出しに戻ったという感じだ。未来の自分が見たら気恥ずかしいのはわかっていたのであんまりはっきりとは書いていなかったけど、長期的な主問題となっているのでやっぱり書いておくべきだと思う。
 まず今私には恋人がおらず、恋もしていない。これは恋だ、と確信できるような恋をしたのは中学2年生のころが最後だから、かれこれ8年は恋をしていないことになる。最後に彼氏がいたのは2年くらい前だけど、彼に恋をしていたことはないと自認している。あれはひとつの挑戦というか、利害の一致というか、そういうものを鑑みてトライアル的に恋愛関係をやってみただけにすぎないと互いに認識しており、別れたあともちょくちょく会っているがある種の執着はあれどやはり恋愛感情は持てない。4月に友人から告白を受けたが恋愛対象として見られなさそうで断った。恋愛に関する近状はざっとこんなものだ。あまりに長く恋愛をやっていないから、実はアロマンティックのように恋愛感情というものを持てない人種なのではないかと考えもしたが、アイドルや少女漫画的なものにキュンとしたりすることもあるし、今はこの考えは棄却している。
 以前のポストでも「友達を恋愛対象として見れない」と書いたことがあるが、これは半分本当で半分嘘だ。上に書いたように実際に4月の件はこれが理由で断ったし、そういう部分も大いにあるが、実は初めてできた恋人は元々6年くらい友人関係にあった。つまり『友人』と『恋愛対象』は円の重なりは極めて小さいもののたしかにベン図になっている。
 そしてこのごろ、もしかしたら私のなかのこのベン図は男女で分けられていないんじゃないか?という気がしている。恋愛対象が男性だけじゃないかもしれないということだ。ただ明確に女性に恋をしたことはないし、トライアル的にでも恋愛関係になったこともないから確信はない。今まで自分のことをヘテロセクシュアルだと認識して女性を恋愛対象に入れていなかったのはひとえに「男性だけにしか性的欲求を抱けない」という理由だったのだが、肉体的な欲求と心の動きを完全に切り離して考えてみたときに、それは理由になっていないことに気づいたのだ。「男性だけにしか性的欲求を抱けない」は「男性しか恋愛対象じゃない」とイコールではない。そしてこの仮のステートメントは、恋愛関係にない人とも性的な関係を持てる身としては存外しっくり来ている。今のところの自分の恋愛スタンスに関する考察としては以上だ。
 ただ、「女性と完全にプラトニックな恋愛関係を続けながら男性と性的パートナー関係を結び欲求を発散する」という形はトラブルが起こりやすい不安定なスタイルであるうえに、リスクを感じながらこのスタイルを取るのは恋人・性的パートナーどちらに対しても不誠実な行いであるように感じるので、現実的にはやはり男性と恋愛関係になり同時に性的パートナーになる、という形を取ることになるだろう。8年も恋ができてないのにそんなことになれるんですかね…。
・映画、漫画、アニメ、小説、舞台。あらゆる娯楽作品の多くは恋愛関係をゴールとするので、恋愛というものを切り離そうとすればするほど世界は恋愛賛美主義的であることに気づいてげっそりする。さらに恋愛と肉体的欲求を切り離した関係がゴールとなっている作品は私が知る限りでは存在しない。ロマンがないからだろうか?LGBT的な活動はそこそこ市民権を得ていると(私の視点での話で、当事者はそうは思えないのかもしれない)思うのだが、恋愛ができない人や恋愛と性接触を切り離したい人対してはあまり救いの道が残されていない気がしてしまうのは見識が狭いだろうか。
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sryem · 8 months
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2023年9月1日
・夏休みに入ってからなかなか自分の思考に腰を据えることができなくて、なにかを深く考えたり使う言葉を吟味したりすることが難しい。今日のポストをあげるまでにいくつかの下書きを作り、そのすべてをボツにする羽目になった。加えてこのごろは書くテーマも似たり寄ったりな感じで、書いてる自分で「何回この話するんだ」って思うようになってしまい、いまいちどうしていいかわかんないまま放置している節があった。さっき改めていろんな文章を読んでみて、日常を書くというところに戻ろうと思った。今回はそういうポストです。近状報告とも言います。
・春頃から腹筋と二の腕の筋トレに力を入れてて、いい感じ。食事制限を全くしていないのでダイエットではないんだけど、それでも薄っすらと11字ラインが出てきたりした(ちょっとサボったらすぐ消えた)。筋肉は裏切らないとよく言うが、裏切らないだけだ。ほっとくとすぐいなくなるから優しくない。
 この筋トレ自体、夏に向けたボディメイクとしてやっていたのだが、モチベーションは常に好きなアイドル(マスキュラーな努力家)にあった。思うのだが、推しをモチベーションにして推しに対して直接的な利益が生じない行為をやることはほとんど信仰儀式と言っていい。
 それにしても今年の夏はクロップド丈のトップスが大流行で、その波に乗った女の子たちは大変でしたね。夏はまだもうちょっと続きますがひとまずお疲れ様でした。
・ヘアケアをやってる。今使ってるKundalのシャンプーとコンディショナーがなんかいい気がする。あんまり詳しいことはわからない。2日に1回くらいヘアマスクをして、お風呂上がりはmoremoのヘアミストをかけてからドライヤーをしてるんだけど、ヘアマスクはとにかくヘアミストのほうは減りが早くランニングコストが大きいのでリピートを渋っている。YOLUのやつがいいって聞いたのでそっちも試してみようかな。
・美容関係でいうと、程度に差はあれどアイシャドウ、アイライナー、アイブロウパレット、フェイスパウダー、シェーディングパレットのすべてが出が悪くなったり底見えしたりしはじめてて、一気に買い替え時期になっている。コスメに詳しくないので巷で良いと言われている流行りのコスメがわからず、何を買おうか迷っている。なにかおすすめあれば教えてください。
・ほとんど口約束みたいな曖昧な契約で内定先でバイトしてて、時給も聞いてなかったんだけど、先月の分の初給料を手渡しでもらって家に帰って封筒を開けてみたらちゃんと給与明細が入っててちょっと安心した。なんならもう一つのバイトより時給がよくて肩透かしを食らった気分だ。労働し、お金を稼ごう。エイエイオー!洗いたてのシーツみたいな人間として労働したい。
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sryem · 9 months
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2023年8月16日
・久しぶりになってしまった。前回書いたのがちょうど1ヶ月くらい前か。あんまり空けるつもりはなかったんだけど、本当に忙しい期間があって、その後はPCがない環境にいたから書けなかった。ある程度長い文章はPCから書くクセがついちゃったのでもうスマホから更新できなくなっちゃってる。
・月末はいくつかのレポートと試験に追われてて、それが終わった瞬間流れ込むように帰省して同時に私の最後の夏休みが幕を開けた。帰省期間はたくさんの地元の友達に会えたし、はじめましての人とも飲めたし(Twitter上のファンコミュニティで知り合った人。私ははじめましての人と飲むのが好き)、両親双方の実家にも挨拶にいけたし、色々できたので達成感がある。小・中学校の頃の友人と飲めたのが嬉しかった。キツめの恋愛をしてきたらしく、エグい元カノの話をしながらレモンサワーを飲む姿を見て、うちら7年の間に順調に歳を重ねていて最高だねって思った。あとおばあちゃんに内定をもらったって直接報告できたのも嬉しかった。残された時間を数えるようなことはしたくないけど、それでもそこに確実にあるものから目をそらすことはできない。
 高校の友人から「横浜に帰ってくるときは早めに盛大に言ってくれ」というようなことを数度言われ、今までのじゃ足りてなかったか…と認識を改めることになった。次からは狼煙をあげて鐘を鳴らして私の帰省を世界中に知らせることにする。
・最近なんか急激に自分の周りで「老いていくばかりなら○歳になる前に死にたい」系の主張を耳にする機会が増えてて、ちょっと不安になる。私は美しさに肉体的な若さは関係ないと本心から思ってて、10歳の頃の自分より20歳の頃の自分のほうが、その10年間たくさん悩んでたくさん笑ってたくさん苦しんできたのを知ってるから愛おしいし、30歳、40歳、50歳、そのさきずっと老いていく自分も楽しみだから、友達が「50歳になる前に死ぬ」とか言ってるのを聞くと寂しくて仕方なくなる。一緒に老いようよ。私は50歳になったあなたも会いたい。わかる?これって他人事だから言えてるんじゃないんだよ。もちろんなんの責任も取れないわけだけど。世界は若さをなんらかの価値の指標に置くのをやめて、もっと円熟の美に目を向けるのも良いと思う。
 もちろんこの主張が美の喪失への憂惧のみに基づいてることは少なくて、もっと、たとえば身体能力の劣化やこの世に取り残されることへの恐れから来ているケースも十分にあることは理解している。ただ前者だけを理由にして本気で老化を嫌がっている人もいて、そんなのってさ…と思う。
・日付が変わって今日、ライブがあって九州に行く。人生初なので楽しんでくる!結局2泊することになった。また書く。
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sryem · 10 months
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2023年7月18日
・最近は忙しいんだけど、波を乗りこなすサーファーみたいで楽しめている。大学の課題も2つのアルバイトも大変なんだけど、そこに加えて家族・友人・知人と積極的に関わる時間も作っていて、いい忙しさではあるけどあんまり寝る時間が取れなかったりする。本末転倒か?でも絶対後者があるおかげで長く走れてるって思う。結局私は忙しくしていないとだめな人間なのだ。高校のときからずっとそう思ってる。コロナ期間になにもやることがないタイミングが一番苦痛だったし、きっとニートとかできないんだろうなと思う。スケジュール手帳の真っ黒な波、ぶいぶい乗りこなすぜ。
 余談だけど、文章を書くことはどんな状況下でもプライオリティ1位に躍り出得るくらい私にとって重要な行為になっている。睡眠時間なんてドブ川に捨ててもいいって思えるときもある。いつだって今しか書けない文章があって、将来読み返す時それが面白くて仕方ない。あ、ZINE用の写真もちょくちょく撮ってるよ。
・最近はなんか短編をいろいろ読みたいなと思って、村上春樹の短編集をいくつか買った。私は村上春樹がたびたび描く「タフ」という概念が気に入っている。タフ。タフでいたい。
・ある友人が「内定もらった!」というような���イートをしていて、リプライでお祝いの気持ちを述べた。そしたらしばらくしてその子から、「だいぶ前のことなんだけど、〇〇(私)が私の性格について話してくれた時の言葉のおかげで就活頑張れた!実際に面接で話したこともあって、冗談抜きであの言葉がなかったらやり抜けなかったと思う 本当にありがとう!! 」とDMが来ていた。
 それとは全く別の文脈で、たまたま他の友人(とても綺麗な絵を描く人)が「〇〇(私)に『こうしたらかわいいかな?の感性が鋭い』って言われたのがめちゃ嬉しくてたまに取り出して眺めてしまう」とツイートしていた。
 この2つの出来事のタイミングが重なって、なんか、うわ~~~~ってなった。保護してた野鳥を放した後日、家族らしき鳥を連れて遠くの空を飛んでいる姿を見たときのような気持ち。私があえて友人たちにしてあげられることはほとんどない(むしろそれが友人であるということだと思う)けど、言葉、つまり私の思いそのものを友人たちがまっすぐに受け取ってくれて、大事に持っていてくれて、それが彼女たちを支えていたんだって思うと本当にじんわりと嬉しいし救われる。覚えていてもらえること。去年からずっと私の人生におけるある種の要点。事あるごとにこれに収束していくのを感じる。
・九州でのライブ翌日に九州在住の兄と会う予定を立てている。先日海の日に彼が大阪に遊びに来ていたので会ってきた。「その日は夜しか会えないんだけど宿取ってるの?」って言われたから、「取ってない。でも一緒に飲んでて終電逃したら漫喫でも入るから気にしないで!」って言ったら「宿取りなよ、宿代出そうか?」って言われて、かなり驚いた。彼はその昔意地悪することとかわいがることの境目がないタイプの兄だったのでそれはそれは泣かされたから、妹を普通にかわいがるとかできるんだ~…って大人になってから会うたびに思う。まあ私って素直でかわいい妹だしな。昔からそうだったはずですけど?もしくは夜の街の漫喫にいようとしている妹が心配なのかもしれない。まあ8歳も離れてたらいつまでもガキに見えるだろうしね。
 兄がふたりとも社会人なんだけど、どちらもここ数年サシで会うと必ずご飯をごちそうしてくれるのが嬉しくもありぎこちなくもある。生まれてから今まで共通の親の扶養に入っているという意味で対等な存在だったし、私達に関して言えば精神的にも上下がない関係性を形成している感じがするけど、ふたりは社会人で私はまだ学生というこの数年間だけ金銭的な差が生まれる影響で奢ってくれてて、”先輩”って感じがして面白い。兄妹の関係性で遠慮するとかも変なので、この数年だけは甘えることにしてる。
 そういえば九州で会う兄が「会う日、友達連れてくるかも」って言ってて、会わせてもらえるんだ~って嬉しかった。仕事関係でできた友達を妹に会わせるって結構珍しいじゃないですか?友達女の子らしいし、もしかしたら…って思うけど、あんまりそこは関係なくただただ嬉しい。初めましての人と会うの好きだし。お兄ちゃんの友達ってどんな人なんだろ!友達から見たお兄ちゃんってどんな人なんだろ。
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sryem · 10 months
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2023年7月4日
・夏に咀嚼されている。
・20代のテーマを「やってみて、ダメだったら考える」にしている。それ通りに生きられている自信は全くなくて、むしろ意識しないとかなり保守的に暮らしてしまうのを自覚しているからこそのテーマでもある。自分のポストを読み返していたら大学院進学を諦める宣言をしたポストでも、最後に「ダメだったらまた考えます。」と書いていた。結構このテーマを気に入っている。でも「やらない後悔よりやる後悔」って言葉もあるけど、そっちはなんか苦手だ。衝動のように聞こえるからかもしれない。私のテーマも同様に響くだろうけど、個人的にはそういうつもりはなくて、”ダメだったら…”に過度に怯えないための呪文でしかない。自分で置いた仮定に悩まされ続けるのは疲れるからね。出口のない迷路を解こうとする必要はない。
・学生と社会人の間で、すごい勢いで大人にならされているのを感じる。来春から就職する予定の場所でアルバイトをし始めたからだと思う。今はお互いに様子見といった感じで、空いてる日に好きなだけ働かせてもらって、お昼ごはんをいただいて、帰るなり大学に向かうなりしている。気楽に働いているけど、正規就職できた場合に要求される能力は高く、それを見越して今から習得していかなければならない。どこにも教科書がないことを学ぶのは大変だ。でも今はそれも楽しめている。ブログタイトルでもある「死守せよ、だが軽やかに手放せ」という言葉がいつでも背もたれみたいに支えてくれている。死ぬ気でやるけど、本当にダメだったらまた考えます。
・「私はたまたま定型発達できただけ」という思想が(特に心理学をやり始めてから)強固にあって、約束の時間を守らなかったり全然連絡を返さなかったりする人にも「まあそういう人もいるよね」みたいな気持ちになってしまって心の底からブチギレることがない。聖人じゃないのでイラッとはするし、付き合いきれないなと思ったら離れるけど。でも非定型発達や精神的な疾患のせいでそうなってしまってるなら本人に落ち度はなくて、というか仮に定型発達でもそういう社会性が獲得できるかどうかは本人の努力の外にあるものだったりすると思ってて、いい理解者が現れたり環境が変わったりしてその辺が改善するといいねって願ってる。でも正直に言うと、自分が聖人になれないことにちょっと傷ついている。理解者でありたいし、許す人でありたかった。それは多分、理解されて許される人でありたいからでしかないけど。
・8月に初めて九州に行く用事ができたので、九州で働いている長男に連絡をとって会えるか聞いてみた。当該日は平日なんだけど「わかった、予定あけとくようにするわ!」と気持ちのいい返事が帰ってきた。長男は結構性格がアレで、実家に帰ってくると家の用事一切手伝わずにずっとパワポケやったりして母親と年甲斐もなく喧嘩するような人なんだけど、今の私の年齢の頃には休学して急にベトナムに語学留学に行っちゃったりして、とにかく行動力があって尊敬している。その後大学に籍を置きながら2年間中国で働いたり、ギャップイヤー中に寿司の専門学校行って急に寿司握れるようになってみたり、積極的に面白い人生をやっている。そもそも私が関西の大学に進学したのも、先に長男が関西の大学に進学していて一人で自由にやっていて楽しそうだったからという点が大きいし、数字にも強くて節税とか不動産投資とかが上手だし、尊敬してるし憧れてるんだと思う。でも家族に引かれるくらい服を捨てない男なので未だにベトナム留学中に買ったらしい毛玉だらけのださいトレーナーとか着てる。そういうバランスも結構好きだ。久しぶりに会えるのが楽しみ。
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sryem · 10 months
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2023年6月24日
・基本的に毎日楽しく生きられてるんだけど、きっかけなくふと死が脳裏を過ぎる。なにをしていても、誰といても。どうしてもずっと心臓の下の方が冷たい。癖みたいになってしまっているんだと思う。
・Twitterに高校時代の友達とだけ繋がってる鍵垢があって、日常のくだらない発言はそこでしてるんだけど、私は酔うと思考がおぼつかなくなることを自覚しているので酔っているときに思いついたことは一旦全部下書きに入れていて、基本そのまま忘れている。なのでたまにそのアカウントの下書き欄を見るとちょっとぞっとするようなことが書いてあって面白い。酔っても感性は変わらないので自分に刺さるのだ。ここにいくつか持ってくる。
「世界がまるごと違って、私とあなたが出会えてなかったらなんてそんなこと考えられないけど、今私はあなたといる、それが嬉しい」みたいな感覚めちゃくちゃ共感するんだよな もしもの世界なんてわからないし、むやみに例えに出したくない だって今二人が出会えてることだけが真実じゃんか
 4月4日のポストでも同じようなことを書いているので、多分その頃書いた文章だ。なんとなくだけど自分のこの思想は米津玄師から来てるような気がする。価値観形成の時期によく米津玄師の曲を聞いていて、いろんな思考が彼に影響を受けて形成されている自覚がある。具体的にどの曲でそんなことを歌っているのかパッと出てこないけど。意識して聞き直してみようかな。
幸せになるコツをたくさん教えてもらったのに、それでもどうやったら幸せになるのか分からなかった
ほんとはずっと迷子なんだと思う なんでここにいるんだろうってよく思うよ
 バッドに入るときもある。でも感覚として、鬱になっているときだけこの世界を正確に視れているような気がずっとしている。この社会で普通に生きていけてるときは、ノルアドレナリンやドーパミンのせいでハイになってるだけだ。高校生の頃から思ってたけど、大学に入って脳のホルモン分泌について学んでからはよりはっきりとそう思うようになった。でも鬱とてそれは同じで、まるでアポカリプスかのような完全な絶望ですらSSRIでどうにかなってしまう。結局私たちは笑うくらい動物なのだ。どこまで行っても。
人生って素敵!
 うん、本当にそうだ。すごい、お酒の匂いが文章から漂ってくるくらい陽気だ。いいね。
愛は時に無力で、それ故に美しいのかもしれない 愛で全てが賄い許されるのだとしたらそれは取引だから
 この文章は完全に忘れてて、最近見て衝撃を受けた。なるほどなと思った。
 友人が去年の11月に「あと何か、愛を万能だと思っている節もある気がする。もちろん万能ではない。他のものと同じように。」というツイートをしていた。もうどういう文脈でなされたツイートなのかも覚えてないけどこれがずっと心に残っていて(スマホにも残していて)、私の一部になっている。自覚的ではなかったけど結構自分にはLove is everything的な楽天的な思想があったみたいで、その分このツイートは意味を持って私に迫った。今までこのツイートからはいろんなことを考えたけど、多分この文章はそのツイートから着想を得た検討の一つだと思う。
 私は同様のことを”祈り”に対しても思っている。祈りが神聖なのは神がいるかどうかわからないからだ。神が実存するなら祈りは請求でしかなくなる。お墓参りも灯籠流しも、届いてるかわからないから美しい。
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