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#バレー部卒部式
hassey776 · 1 year
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昨日のお酒は『レモン酎ハイ』。 昨日の午前中は息子の野球。朝早くからグラウンドで設営作業して公式戦へ。新チーム初の公式戦は勝利!スコアラーしながら興奮しました😊息子はノーヒットで、デットボールでの出塁のみ。でも楽しかったと言ってたのでこれから活躍出来るように頑張ってほしいです! 午後からは娘のバレー部卒部式。野球のそれとは違い、とてもキラキラした卒部式✨大好きな仲間、涙してた後輩、優しい先生方、お世話してくれた保護者さんたちに囲まれて、笑顔あふれる素敵な感動の卒部式でした✨教室で卒部式をしたあとは、体育館に移動して親子バレーや、卒部生と在部生との最後の試合。全部楽しかった〜♪😊 そして夜は息子の野球チームの決起会。飲んで食べて、子供たちは一人一人今シーズンの目標を言っていました。息子の目標は「ホームランを打ちたいです。守備では声を出したいです」って、声くらいいつでも出せるけど〜😅 疲れたけど、楽しい1日でした♪😊 #レモン酎ハイ #少年野球 #新チーム #初の公式戦 #初戦で見事勝利 #興奮した #2戦目は大敗 #バレー部卒部式 #感動 #娘は幸せ者です #素敵な仲間 #3年間ありがとう #親子バレー #意外にまだ動けた #楽しかった #さすがに疲れた #いっしょうけんめいのむのみ https://www.instagram.com/p/Cpt06UMS2lA/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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johncoffeepodcast · 1 year
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 実家に帰って久々に昔使っていた引き出しを開けてみたら、お年玉袋が入っていた。小花柄のプリントされた黄色いポチ袋で、糊しろに透明なでんぷんがこびりついている。便箋の宛名には兄の字で〇〇君へと書いてあった。俺がそれを手に取ったのは、2022年の事で、お年玉を貰ったのは兄がまだ社会人になりたての2011年の冬の事だった。妹と両親と過ごした正月の事だ。うちの家族は兄弟が3人いて、俺には3人の兄弟がいた。兄が1番上で真ん中が俺。俺の下には1つ離れた妹と、もう1人産まれたばかりの妹がいる。兄は俺より四つ上で真ん中の妹は一つ下だった。兄は俺がまだ学生の頃からもう社会人になっていて、この頃の兄はトラックの運転手をしていた。昔と比べると家族の様子はまるで変わった。犬のライトは居なくなったし、隣町に住んでいた祖父母の家も空き家になった。俺の家も俺たちが高校に上がったぐらいから母も働きだして、今では日が高いうちは家に人がいる事はない。俺は大学を一年休学していたから、妹とは実質同学年だった。
 2011年は私たちに大きな衝撃が降りかかった1年だった。3月に太平洋沿岸を中心とする東北に大きな津波がやってきたのだった。俺は丁度大学に入るためにアパートを探している最中だった。俺の生まれた街から、大学までは直線距離で2000km離れていた。俺は地元から出るつもりは無かったので、休学している間は良かった。しかし、入学してからの4年間は仕方無く、向こうで暮らす事になるんだろうなと言う諦めにも近い心積もりがあった。しかし幸か不幸か、俺が一年大学を休学をしている間に様々な出来事が起こった。もし俺が大学を一年休学していなければ既に暮らしていたはずの地域では、マグニチュード6.8の大地震が猛威を震っていたのだ。ニュースで見る限りビルや漁協や、その場所にある様々な民家は瓦礫一つ一つに返ったように、散りと化してしまっていたし、沿岸の建物も作業用のトラックも全て波が攫ってしまった。俺や妹達が住む実家にも、地震による日本中の電力の自給の安定の為に、日本政府から計画停電が発令された。夜の3時間は真っ暗になり、俺が家の玄関から草履を履いて外に出てみた所、普段は灯っているはずの街頭が一つもついていなかった。俺は父親に仕事用のトラックでドライブをしてみようと提案してみたのだが、電気を使うのを控えているのだからガソリンを使うのも控えた方が良いだろう。と言う事で、震源地から遠く離れた俺の住む街は、地震があってからの数週間しばらく停電が続いた。
 世の中が混乱の中にあっても新聞はしっかりと毎日届いた。原子力発電機の事故によって放射線が漏れた事、津波によってある地域では沿岸から数十キロが全て土砂に飲み込まれてしまったという実情が、連日連夜報道された。俺はその年の春、合格した大学の入学式に出るために3月5日に初めてキャンパスを訪れた。第一志望と第二志望に落ちた俺は、場所だけが魅力的に映った第三志望の大学に受かった。大学は海の見える場所にある縦長に5階建てのビルが三棟も建っているキャンパスだった。入学式の後は経済学部と文学部と法学部が同時に集まって新入生のオリエンテーションが行われた。その入学式の途中で俺の中に、そこはかとない違和感が湧いてきた。何故そんな違和感が湧いてきたのかというと、まだ顔を合わせたばかりなのに既に周りの皆んなが知り合いだったからだ。今ではSNSで知り合ってから入学式を迎えるのが一般的らしい。18年培ってきた自然な人間の交流が、大学へ入学した事によっていきなり閉ざされた気がした。俺の隣の席に座っている女子が『〇〇ちゃんだよね?』とそのまた隣にいる女子に話しかけていた。俺は何じゃそれ思った。それと同時にスタートダッシュに乗り遅れたと思い、既に地元に置いて来た筈の淡い期待は打ち砕かれ、萎れた感情を秘めながら受けた入学式のオリエンテーリングを受けていた事を思い出した。
 俺の住む街は電車が一本だけしか通っていない田舎街だった。友人の侑君は高校を卒業してからは実家の牧畜業を継ぐ事になっていた。俺が大学合格の通知を郵便で受け取った数日後、友人の侑君にこの春に地元を離れる事になるかも知れないと告げた時、侑は寂しそうな顔をしていた。『お前、勉強はよく出来ていたもんな。お前とC組のOOさんと、スポーツ推薦の〇〇君は来年は地元にいないんだ。』と学校の帰り道に歩きながら俺に漏らした。『でも4年もすれば、どうせ皆んな帰ってくるんだろ。』そして付け足すように侑は言った。���俺ん家にも家業があったらな。』と俺は何処かに呟いた。『お前んちだって塗装屋やってんだろ?』と侑は俺に言った。『塗装屋とは言っても、何でも屋みたいなもんさ。壁紙のクロスから何から何までやりますよって感じだよ。』と俺が付属で侑に弁解すると『じゃあお前も父親と一緒に塗装屋やればいいじゃん。』と侑は言った。『まあねぇ。』『まあねってなんだよ。』『塗装以外もやっているって事は、塗装の仕事がないんだよ。』『何だお前。偉そうな事言ってんじゃねぇ。まあ良いわ。数年待って考えろよ。』侑は言った。『俺も気持ちだけはここに置いて置くからさ。』俺は侑に言った。侑の家と俺の家は同じ町内にある一軒家で侑の家は真裏には牧畜の牛舎があった。侑の家に遊びに行くと、牛舎の横には乳牛から搾り取った生乳を溜めておく大きな白いタンクがあり、侑君は侑君の父親と毎朝牛車で一仕事してから学校に来ていた。俺が朝、学校に行くついでに侑君の家に回って行くと、侑の家の庭には常時何本かの干し草が散乱していた。朝、侑君が押し車で牛の餌の干し草を、牛車の中に運び入れる際に手押し車から落ちてしまうからだった。
 2011年の1月に三学期が始まった。三年の三学期は、進路が決まった者たちは学校で時間を無下に費やすだけだった。俺が第三志望の大学の合格発表を受け取ったのは1月12日の事で、同じクラスの皆んなはまだ、自分の未来の行末を案じながら合格発表を待っていた。俺学校は受験のランク的には県内では中の下あたりの普通校で、ひと学年下の妹も同じ高校に通っていた。俺の兄も、この学校の卒業生だった。と言うもの、父親がこの学校の第一期の卒業生で、俺たち4人兄弟は全員この学校に通わせたかったそうだ。大学の合格通知を受け取った日の夕飯の食卓で俺は父親に聞いてみた。『何で俺たちを〇〇高に通わせようと思ったの?』親父は畳の上に腰掛けて、木製の丸いテーブルに乗った夕飯を食べていた。母親と、俺たち兄弟と父親は共に囲みながら、黙って木の箸で納豆をかき混ぜている所だった。『新しい道の見つけ方を教えてくれたからだよ。』父親は納豆を茶碗に乗せて、白米と共に口の中へ放り込みながら言った。俺は正直父親が、何に対して新しい道を見つけたのかさっぱり理解出来なかった。父親は父親のお父さんから塗装屋を受け継いで、今の今までに立派に営業しているし、高校時代もハンドボールに明け暮れていた。と言う話をお母さんから聞いている。お母さんはアップリケの付いたエプロンをしながら、父親の横で澄ました顔で焼き鮭を食べている。『真由は学校楽しかったか?』父親は1番下の妹に向かって言った。妹は学校に行く時はいつも二つ結びにしていたが、家に帰るとすぐに解いていた。『楽しいけど、校庭でバレーが出来ないのが辛い。』1番下の妹が言った。『あら、こないだ雪がまだ積もっているの?』とお母さんが妹に聞いた。『まだ端っこの所にだけは雪ぐ積もってるんだよ。真ん中はサッカーゴールがあるから男子が使って、バレーをやる子は端っこに行くの。』と再び1番下の妹は言った。それを聞いた真ん中の妹が『今度からバレーボールも真ん中ですれば良いのよ。』と言っていた。俺たち兄弟4人は、父親の過去に何があったのだろう。と言う疑念を腹の奥に押し込めながら、たわいも無い話題でその時の空気を払拭し、今日の夕飯は俺の合格祝いを兼ねた楽しい団欒が続いた。
 一つ下の妹は気が強く、それでいて俺たち家族の事を広い心で受け止めるような長女だった。陸上部に入っていて、地域の女子の中でも特段リーダーシップがあった。俺の住む田舎街では、一月の第二週目になると道祖神のお祭りがある。地域の子供やお年寄りが、薪や竹の倉を組んだ櫓に火をつけて、その業火で暖をとり、人々の無行息災を祈祷すると言うお祭りだった。俺と兄と妹達はお祭りには必ず顔を出し、飛び散る火の粉をわき目に、例年のように和太鼓を叩いた。和太鼓は誰が叩いても良かったが、大抵は男の上級生が叩いたりした。『春子先輩カッコよかぁ。』と下級生の女子達は、真ん中の妹が太鼓を打つ姿を見学して秘密裏に囁いていた。妹は隣町から来た他校の生徒とも交流がある様なカリスマ的存在だった。俺も侑と祭りの様子を見に行った。侑は俺の妹が赤い炎に照らされて、オレンジ色に染め上げられながらバチを打つ姿を見て『凄いな。あれお前んところの妹だろ。』と言っていた。妹の周りには、見物人の町内のご老人達が集まって、火を囲んで神事のお供物だった煮干しを食べたり、御酒(おみっき)を飲んだりしていた。太鼓の横でピーヒャラと縦笛を吹いているのは妹の友人の櫻子だった。俺のお母さんは婦人会で、御酒とお雑煮を地域の人々に振舞っている。するとお母さんと一緒にお祭りに来ていた1番下の妹が、俺の所にかけてきた。『どうしたよ真由?』俺は太ももにしがみついている1番下の妹に言った。『お母さんがお兄と遊んできてもいいって。』と1番下の妹は俺に言った。
 うちの家族の中で最年少なのは、俺の腕の中で抱えられている1番下の妹だった。妹は姉や俺が近くに居るとよくひっついて歩いた。まだ背は150cmにも満たない。今年保育園に上がったばかりで、台所に立ってはお母さんの料理の真似事をよくしていた。俺と侑は1番下の妹と祭り囃子が演奏されている太鼓の近くに寄ってみた。『お姉ちゃん。』1番下の妹が言った。真ん中の妹は太鼓を叩く妹はバチを大きく振り翳して妹の呼び声に答えた。『真由もお姉ちゃんみたいに大きくなったら、太鼓が出来るようになるんだぞ。』と俺は妹に手を繋ぎながら言った。俺と侑と1番下の妹は、炎に半身を照らされながら、太鼓の鼓動を聞いていると、近所の遊司さんがビニール袋を持って俺たちの方へ歩いてきた。遊司さんは大工さんで、俺のお父さんによく仕事を回してくれていた。遊司さんは実は俺の父親と同じ高校の同級生だ。『悟!侑!蜜柑持ってけ。』遊司さんは俺たちにビニール袋に入った蜜柑を差し出した。『神輿の準備で、山のお寺の方で配ってるんだ。悟。お前は今年は神輿担がんのか?』『今年は遠慮したんだ。』『何よ。どうして。』遊司さんは言った。『家からはお兄とお父が出る事になってるんだ。お兄今年から社会人だから、一年の商売繁盛を祈って神輿担ぐって。』『おおそうか、慶助と章介がね。とわいえ、慶助も親方冥利に尽きるってもんじゃないか。長男の章介が、まさか自分と同じ塗装屋になってくれるなんてな。』遊司さんはそう言うとガハガハと笑っていた。御神輿は山のお寺をスタートして里の神社まで地域の人達に担がれて運ばれる。この祭りのある夜は、一年のうちで1番街が一つになるはずだった。
 里の神社までは出店が30件ぐらい並んでいた。中には馴染みの顔もちらほら見かけた。黄色い暖簾のたこ焼き屋さんは、隣町のスーパーの前でたこ焼きを売っているおじさんだったし。りんご飴を売っていたのは、地元で有名な不良の女だった。俺は兄から貰ったお年玉を握りしめ、出店を矯めつ眇めつしながら里の神社に向かった。途中、1番下の妹がねり飴屋の前で立ち止まり、駄々をこねた。『お兄、わたしあれ食べたい!』と1番下の妹は言った。『わかった。わかった。帰りに買ってやるからな。』と俺は一度は妹を制するようにしてみたが、妹はねり飴屋の看板を見つめてそこから動こうとしなかった。その様を見た侑は、自分が発言にまったく責任を負わなくても良い事に、俺に向かって『せっかくなら買ってやれば良いじゃん。』とニヤニヤしながら言った。『お前が払ってくれるんなら考えるけど。』と俺は侑に言うと『真由ちゃん。兄ちゃん全然優しくないよな。』と侑は妹に向かって言っていた。妹は皆んなが食べてるのを見て、自分もねり飴が食べたくなったようだった。正直妹も初めは本気でねだっているようではなかったようだが、侑の発言を受けて段々とねり飴に関する欲望が増しているようだった。俺は仕方なく、お兄が父親から貰った少ない給料から捻出したお年玉を妹に渡した。兄がくれた3000円のうち400円を使って妹にねり飴を買ってやった。妹は『ありがとう。』と言って割り箸をこねくり回し、自慢げに道の端にある大きな石に座ってアメをせっせと舐めていた。『真由ちゃん良かったな。』と侑は言った。しばらくして御神輿が山の神社を出発すると、遠くから笛と鈴の音が聞こえてきた。
 音色はどんどんと里の方に向かって近づいてきた。灯篭を持った従者の陰が、明かりの無い山の間を葛を折るやつに降りてくる。ここから肉眼で見ると、人の姿は豆つぶ程で、距離としても3km位は離れていた。山の神社の急斜面を神輿を担いで男達が降りてくるのだ。『俺の兄貴もあん中にいるのかな。』と侑が言った。神輿は成人になった村の男だけが担ぐことを許される。という昔からの村の風習があった。小さい妹と居た俺たちは、里の神社まで行く事を諦めて、広場の炎から数100m程離れた石置き場の所で御神輿を待つ事にした。3人で腰掛けるのにちょうど良い道端にあった丸石の上に座っていると、頭上の斜め上から声をかけてるくる女がいた。俺が顔をあげると、そこにいたのは櫻子だった。『悟君!』『おお、櫻子』俺は櫻子に言った。『お囃子見てたでしょ。』『真由が見ようって言ったからさ。』『春子の太鼓凄いんだから。地響きが指の先まで伝わってきて、皆んな喜んでくれていたみたいだし、今年もやって良かったなって思ったわ。』と櫻子は言った。『櫻子ちゃんも上手だったよ。』と俺の1番下の妹が櫻子に言った。『見にきてくれてありがとうね。』櫻子は俺の妹の頬を、人差し指を折り曲げて柔らかくさすった。『そういえば櫻子、俺の妹と一緒じゃ無いの?』『春子?春子は私は後で行くから先に行っててって。』『怪しいな。』と俺は櫻子に言った。『怪しいわよね。誰か待っているのかしら。』俺と侑と櫻子は示しを合わせるようにした。そして思い浮かぶ可能性の中であり得そうな共通の概念を思い浮かべた。『そんな冗談はさておき、じゃあ私行くわね。』『待ってよ。お前もここで見てけば良いじゃん。』歩き出す櫻子を制して侑が言った。櫻子は『うんうん、良いの。』と櫻子はそう言って、遠くで頭を左右に振りながら、小走りで行ってしまった。友達が里の神社で待っているからと、櫻子は暗闇の中に言い残した。そして櫻子は里の神社へ坂道を走っていってしまった。
 俺たちは神輿が降りてくるまで道端の丸い石の上で座った。妹は近くの川を覗いていたり、妹は川縁で引っこ抜いた芒の茎をつかって野良猫と遊んでいた。辺りはもう真っ暗になり、後ろを振り返れば里の炎が夕闇をほの赤く染め上げている。目線を神輿のあるところから、山の裾野あたりに移すと、侑の家の生乳タンクが暗闇のなかにぽつりと見えた。侑は一生この村で暮らすつもりでいるのか。と邪性の様な考えが俺の頭の中をよぎった。侑は俺がふと考えがあらぬ方向を向いてる事に気がついたのか、俺に普段はあまり話さないような事を聞いてきた。『お前にはさ、兄ちゃんがいるだろ。お前は、お前の兄ちゃんがやりたくて塗装屋をやったんだとおもっとる?』侑は俺に聞いた。俺たちは体育座りをしながら語った。『どうだろうな。』俺は言った。『たぶんそうじゃないんじゃないかな。俺は男が1人だからさ。何となく家に入るんだけどさ。お前のお兄も多少はそういう気持ちがあったんじゃ無いんかな。』『兄ちゃんそんな事言っとらんかったけどな。』俺は石ころを川に投げて言った。『そういうのって、言わんだけで誰でも思ってる事じゃんか。見てみい。真由ちゃんもまだ小さいし、お前は進学するだろう。いくらしっかりしているからって春子ちゃんは女だし、俺が継ぐしか無いんじゃないかって心の何処かで思ってたんじゃないかなって、俺そう思うんよ。』『そんなもんなんかな。』俺は言った。『そんなもんなんよ。』侑はそういうと、腰掛けながら俺の肩を力強く掴んだ。『だからお前は大物になってこの街に帰って来いって、あの時、俺はそう言う意味を込めて言ったんだからな。』『侑。』『なに?』『これからも、俺たち友達な。』俺は涙ぐみながらそういうと、俺と侑は手のひらをがっちり結んだ。笛と鈴の音がだんだん大きく聞こえるようになってきた。俺と侑は猫と遊んでいる1番下の妹を呼び寄せて、御神輿の来ているところまで行ってみることにした。
 川の行方とは反対に、俺たちは山の方へ歩き出した。一年が始まって間もないのに、祭りは活気を全て使い尽くしてしまっている様な気がした。神輿を担ぐ掛け声が、俺たちのいる所にも朧げに聞こえてくるようになった。山に近づくにつれて、河川敷にはだんだんと御神輿を待つ人々で溢れるようになった。中には同級生の顔もちらほら見かけたが、大勢の人並みをかき分けて、火を燃やしている広場に向かって人々の流れに逆らって一目散に駆けゆく人がいた。『空けてくれ!頼むから。俺に道を開けてくれって。言ってんのが分からんか。』その人は人々の間を大腕を振ってすり抜けていく。『あれ?遊司さんじゃね?』侑は俺に言った。遊司さんは誰かを探しているようだった。『おい!悟!侑!お前らのどちらかでも良いから居ないか!』両手を口元に当てて遊司さんは俺の名前を大声叫んだ。『ここです!ここ!ここ!』侑はそう言うと群衆の中で飛び跳ねて、遊司さんに俺たちの居場所を知らせた。遊司さんは再び人並みを凄い勢いで掻い潜って、俺たちの所まで走ってきた。『悟、大変だ。章介が。』『兄ちゃんがどうしたでて?』兄の名前を聞いた時、俺の耳筋に冷や汗が垂れた。兄は一家の中でも最も屈強で、村の人々からも慕われる様な男だったからだ。『章介兄ちゃんがどうしたって?』俺はすかさず、遊司さんに掴み掛かるようにして問いただした。『章介が、章介が神輿の下敷きになりやがった。』俺は全身の力が抜けた。その言葉のお陰で俺の血液は脚の血管から全てアスファルトにこぼれ落ちたように思えた。俺の目の前は濁り、血の気が引いた。サーッと意識が地中に引っ張られたみたいになって、俺の眼には暗い、遠くの山の緑色がぼんやりと映る。『悟。早く!行くぞ。』侑は遊司さんがきた方角へ引き返すように促した。侑は里の神社へ向かって走り出そうとしていた。俺は真由の手を握りながらただ、立ちすくんでいた。見かねた侑は、俺が真由と繋いでいた手を自分の方に引き受けて、代わりに真由と繋いだ。『俺が真由ちゃん見てるから。悟は早く兄ちゃんの所へ行け。俺は後で行くから、お前は早く遊司さんについて行け!』侑は怒鳴った。『早く行け!』俺は侑の一言で、一瞬で我に返り、遊司さんが先導して作った人並みの隙間を埋めるようにして我が物顔で神社まで走った。
 走っている間、俺の動悸が収る事はなかった。あらゆる可能性が思慮の中を巡り、あらゆる疑念が新しく出来ては消えた。俺が鳥居をぐぐると、神輿は地面に置かれていた。少し離れた所で鉢巻をした人々が石畳の上で心配そうに集団を見守っている。近くには若い大人が4.5人と、年寄りの大人7.8人が群になって立ち話をしていた。俺は遊司さんにつれられて、事故のあった場所に行った。あたりには兄を円の様に取り囲む群衆があった。『どいてくれ!』遊司さんは円の一角に向かって言った。円の一角は、割れて兄のぐったりした姿が俺の目に飛び込んできた。神輿は狛犬のすぐ側にうちやられ、金の天守閣の鳥が人々の背丈を通り越して、俺の眼だけに侮蔑の様な表情を投げかけている様に思えた。地面にぐったり寝そべった兄の頭を母親が膝の上に置いていて、真ん中の妹が兄の体をさすっていた。兄の方には、神輿が倒れた事による紫のアザが刻み込まれ、体の至る所がどこも黄色く内出血している。父親は鉢巻で自分の眼を隠しながら、兄に向かって仕切りに『大丈夫か。大丈夫か。』と母と妹の頭上から投げかけていた。『誰か、誰か救急車を!』遊司さんは祭りに参加している大勢に向かって言った。侑と真由はやってきた。侑は鳥居の入り口で1番下の妹が事をこっちに来ない様に一生懸命引き留めていた。ねり飴の割り箸を大切そうに持っていた妹は、苔むした参道で章介の姿を心配そうに眺めていた。
 後日、兄が運ばれた病院にお見舞いに来た遊司さんや、櫻子ちゃんが言うには、兄の事故は神社のすぐ近くで起きたという事だった。担がれた神輿は山から急斜面を降りてきて、里の神社へ入る時に大勢を崩した。ぐらついた時に、兄の反対側に身長の高い男が居た事で、神輿の重い天守閣の部分が兄の上へ梨崩しになる様にして倒れてきたのだった。神輿の音頭をとっていた人に聞いた話だと、神輿を担ぐ四角い角が兄の体を地面に向けて打ちつけたと言う事だった。病院で下された症状は打撲という事だったが、兄は肩の筋を痛めてしまっていた。病院の先生はせいぜい2ヶ月は入院が必要だろうと言う事だった。俺たちは三日三晩交代で、兄の病室をおとづれたが、兄は元々の兄より口数が減っていた。兄の表情には言葉に祭りでは見せた筈の覇気が全く篭ってない様だった。兄が事故に遭ってから2日目の晩、家は妹達と俺だけで家で留守番を任され、父親は遅くまで仕事に出ていて、母親が付き添いで病院に行っていた。妹は風呂上がりに居間で、濡れた髪の毛をバスタオルで拭きながら『こんな時に父さん、本当タイミングが悪いんだから。』とぼやいていた。1番下の妹は電球が点いたり消えたりする紐を引っ張って、部屋の明かりで遊んでいる。それを見た真ん中の妹は『真由、電気で遊ばないの。』と叱った。俺は大学から来た入学案内のお便りを、実感がないまま机の上に置いていた。
 その日父親が家に帰ってきたのは、夜の11時頃だった。長袖のポロシャツの肩のところにタオルを引っ掛け、1日履いて汚れたニッカパンツをズリあげた。玄関で足袋を脱ぐと、日焼けをした顔で入学案内を眺めている俺の事に気づいた。『おかえり。』俺は父親に言った。父親は『おう。』と言って洗面所に行ってしまった。妹は1番下の妹を自分の敷き布団の上に呼び寄せて、毛布に包まって一緒にテレビを見ていた。父親はそのまま風呂へ直行すると、真ん中の妹と俺はちゃぶ台を座敷の方から運んできて、夕飯の続きを父親の布団の空きスペースへ持って行った。父親は飯を食っている。その間、父は兄の事故に関しては一切口外しなかった。父親の鳶色の眼は青白いテレビの光が映ってビー玉の様になっている。『いつから行くんだ?』父親はテレビを見ながら、入学案内を眺めている俺に聞いてきた。『卒業式が終わってからかな。』俺は言った。『ふん。』そう言って、父親は味噌汁を啜った。飯を食っている間は目線をテレビから外す事なく、何か別の事を考えている感じでもなかった。『東北に行くんだから、もうすぐ下宿も決めるんだろ。もう検討はついているのか?』『まだ。』『まだって。準備してないのか?』『それより。兄ちゃん。大丈夫なのかよ。』俺は父親の話を遮った。そして、閉ざしていた扉を開けたみた。部屋の空気が少しだけ張り詰めた。俺と父親の様子を側で見ていた真ん中の妹は、まるで空気の流れを感じ取ったかのように『行こ。』と行って1番下の妹を2階につれて行こうとした。『大丈夫も何も。心配ねえだろ。俺があいつがいない間は手を回せない所をやるだけだから。』父親は言った。『俺が聞いているのは、塗装屋の事じゃなくて、兄ちゃんの具合の事だよ。父さん。あの時、何が起きたんだよ。近くで見てたんだろ。何が起きたか、少しぐらい話してくれても良いじゃないか。』『それはな。』父親が少しだけ語気を荒げ、箸をテーブルに置いた。『俺にもよくわかんねぇんだよ。』父親は俺の顔を凝視した。俺も父親の顔をじっくりと見た。
 次の日、父親は何事もなかったように仕事に行ってしまった。俺もアルミの弁当箱に妹が作った弁当を詰めて、俺も学校が休みだったので父親のトラックに乗った。今日は父親の仕事が終わった後、俺と妹達と父親で病院に行くことになっていた。父親のトラックは、ハケとブリキ缶で荷台がいっぱいになっていた。ペンキと建築資材を乗せた父親のトラックは、30分程田舎道を走った後、近くの新築現場の前で止まった。仕事場で朝の8時から1人で溶剤をかき混ぜる父親は勇ましかった。俺は父親に言われた事しかできなかったが、父親が混ぜて作った錆止めの溶剤をハケで壁に丁寧に塗っていった。家の壁を半分ぐらい塗った所で気づけばあっという間に1日が終わっていた。俺が兄の部屋から拝借したヤッケは、錆止めのグレー色が所々着色していた。父親は手を拭け。と言って、俺に端切れの布を渡した。そして、陽が落ちて夕方になると今日はここまで。というような事を俺に言って、トラックに溶剤とハケと、乾き具合を守る保護シートをトラックに積むように言った。俺はブルブル震えるトラックの排気口の前を何度も行き来して、父親に言われた通りトラックにペンキとハケを積み、仕事が片付いた午後の6時ぐらいになると、父親は『助かったよ。』と俺に言った。それからトラックのエンジンをかけて、俺と父親は兄の入院する病院に向かった。
 病室に入ると、既に母と妹達が兄のベットの周りにいた。兄は遅れて来た俺と父親を見て、『よ。』と手を挙げた。ペンキだらけの俺と父親の姿を見ると『なんだ。〇〇。手伝ってくれてたんか。』と兄は言った。兄は表面上は元気そうに思えた。俺は仕事の自負を請け負った人にしか言いえない、"手伝ってくれたんか。"という一言を聞いて兄の事が誇らしくなった。父親も兄に向かって手を振った。兄は小っ恥ずかしいそうに掛け布団の上の膝あたりをみていた。『具合どうだ?』兄の具合に関して、父親から話しかけたのが意外だった。『あと1ヶ月ぐらいの辛抱だって。』兄は他人事の様に言った。『兄ちゃんが良くなったら、うちももう安泰だね。』と真ん中の妹が言った。『退院したら、真由と菜の花見に行こうね。ってさっき約束してたぐらいだから、もうこれで安心だね。』真ん中の妹は兄の怪我した肩の部位を触りながら言った。『ほら。』母親が言った。『まだ完全に治った訳じゃないんだから、怪我した所を触らないの。』『はーい。』『それじゃあ私はこの子達と帰るから、後からお家に帰ってきてね。』母親は俺と父親に言ったようだが、俺には母が帰り際に兄に向けてもそう言ったように思えた。その後は俺と父親は病室のテレビで野球中継を見ながら、今日仕事で起こった事や、俺が錆止めを厚塗りするから塗料が切れて、途中で昔の塗装屋仲間が塗料を分けに来てくれた事。父親が老いぼれた後は、兄と俺で塗装屋をやろうな。と言う冗談を交えているうちに夜はだんだんと更けていった。
 一月はあっという間に過ぎて行った。より一層寒くなるにつれて、二月がすぐにやってきた。俺と侑はもうこの頃は学校が自由登校になっていて、侑は毎朝牛舎で仕事をするようになっていた。俺も侑と志しを共にした。というわけでなかったのだが、兄の不在があった為、引き続き父親の仕事を手伝う様になっていた。この頃になると、作業の流れが自分の体に染み付き、だんだんと父親から任せられる作業も増えていったのだった。そして仕事が早く片付いた土曜日の昼、学校の先生が俺の元にやってきた。先生は俺に久しぶりだね。と言うような事を言った後、一枚の封筒を俺に差し出した。そして、俺が開封する間のなく第二志望を出していた大学が定員が割れる事になったから君が繰り上げで合格になったんだよ。というような事を言ったのだった。俺はかなり混乱した。既に東北の大学に行く手筈は整え初めていたのに、突然第二志望の大学に行ってやりたい勉強が出来るという可能性が浮上したからだ。どちらにしても捨てがたい選択を迫られた俺は、三月までに先生に結論を言い渡さなくてはならなかった。先生は『ゆっくり考えれば良いよ。』と言ってくれたが、今の俺に悩み混んでいる暇はない。ペンキを塗り出せば、仕事の事で頭の中が一杯になってしまうし、飯を食えばすぐ寝る様に若い身体は出来ている。先生は自転車を漕いで行ってしまった。俺は学校に戻る先生の背中を家の玄関から見守った。
 兄が退院してから、一家で初めて里の神社へお参りに行ってみた。梅の木の蕾が膨らみ出し、まだ枝葉にとまる鶯が、上手に鳴けずにいたようだった。俺と父親はお酒を一升もって、神社の賽銭箱の横に置いた。それから太いしめ縄をゆさゆさと大きく揺すると縄の上にぶら下がっている鈴がガラガラと鳴った。二礼し、二拍手した後に、兄は神様に向かって年始に起きた様々な事を詫びるなり、これからの人生に向かって願い事をするなりした。俺の後ろには大きな鳥居が聳え、その両脇に楠の木が壮麗に生い茂っている。兄が事故が起こった時は確かこの辺りで、すぐそこの石畳に人だかりが出来ていたなと俺は1人でに思い出した。しかし、神社に入る手前で事故が起きたのに、兄は、どういう経緯で神社の境内の石畳の上で倒れる事になったのだろう。という疑問が、俺の胸に芽生えてきた。祭りが終わった後は、神輿は大切に社屋の奥に閉まってある。水の湧く水飲み場で手を洗った俺はもう一度、神社の賽銭箱の方を見た。厳しい表情をしている狛犬の牙が、俺たちに剥き出しの嶺美を与えてくれているように思えた。
 翌朝の日曜日、この日は週に一度の休日だった。俺と侑はバスに乗って栄えている県庁所在地へ買い物へ出かけた。財布には父から1ヶ月の手伝いによってせしめた5000円と、正月に兄から貰ったお年玉が入っていた。侑はスマートフォンに装着するケースをみたり、新しいNIKEのナップサックをみたりしていた。俺も新しいジャージや、かけもしないサングラスを見たりしたが、そこでは何も買わなかった。俺と侑は昼食を駅の近くのチェーンの喫茶店で食べて、午後3時から映画を見る事にした。映画館では流行りの映画もやっていたが、俺たちはジョンウェインが出てくる西部劇を観た。馬の手綱を握る俳優は知らなかったが、父が仕事の合間に寄るタバコ屋のポスターで、見た事のある野人の様な男が映画に出ていた。俺は映画を見た帰り道、初めて作業着屋さんによって茶色い皮のベルトを買った。侑は『珍しいもの買うな。』と俺に言った。『普段にも使えるし良いだろう。』と俺はバスに揺られる帰りの道中で、侑に向かって言ったのだった。
 俺たちの卒業ももう目前に迫り、新しい��節の始まりと共に、3月の訪れがやってきた。俺は学ランを着て卒業式に臨んだ。3月1日をもって、俺と侑はこの高校を卒業する。C組の成績優秀者や、スポーツ推薦で大学に行く者、はたまた人によっては、生まれ育ったこの街を今後一切踏まなくなる人も出てくるだろう。俺は今日、校長先生から卒業証書を受け取った。担任の先生は俺が下した選択に内心満足に思っていない表情を浮かべていたのを俺はよく覚えている。しかし、俺はやっと自分で新しい道を、やっと自分がやってみたいと思える道を、この街で見つけたのだった。先生に説得されたので大学は一年休学した。しかし、3月11日にやってきた悍ましい大地震のせいで、俺の大学そのものが無くなってしまった。俺はその事を消極的に捉えていない。人生はなるようにしかならない。神様はいつだって自分に正しい選択をする様に人々の行動を調節しているのかも知れない。あれから兄ちゃんは、肩の筋が完全に治る事はなかった。兄ちゃんはやむなく塗装屋を辞めて、遊司さんの計らいで新しくトラックドライバーとして働き出した。真ん中の春子は相変わらず部活の陸上に打ち込み、この学校の最上級生として、学校の新記録を樹立した。1番下の妹の真由は保育園の学年が一つ上がった。俺たち家族にとって新しい日がやってきた。『悟。支度できたか?』そう言ったのは父親だった。俺は母親が作ってくれた弁当をさげて、車体の横に家族経営〇〇塗装店と塗装されたトラックに勢いよく乗りこんだのだった。
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masuoiii · 2 years
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24歳
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気づけばもう、あっという間に月日が経っていた… この空白のような2年の間で、私の考え方とか生活様式とか選ぶモノの素材や色味とか大幅に変わったんじゃないかと思う。でも、根底にある思考の癖は変わらないんだなとも思えた。
こんな生活を送っていて、Tumblrのことを思い出す日が来るとは、奇跡のようなことかもしれない。
まぁ誰も見ていないかもしれないが、学生時代の卒業制作展で作った名刺にこのTumblrのリンクを貼っている。そうでなければ辿り着けないから…。偶然にも更新されたこの文章を見てくれてるのならお礼を言いたいし、生きてると伝えたい。きっと数年程、私と貴方は会ってもいなければ、音信不通な関係性かもしれないので。
今の仕事、というか自分の契約勤務上、朝5時起き生活をしている。朝が早いからといって、夜早く眠れる訳ではなかった。ということがこの数年で分かった。そして、1時に寝ても5時にちゃんと起きれるという性質が自分には備わっていることも分かった。夜行性が責任感だけで早起きしている真っ当な社会人生活って感じ。
それでも私は、基本的に朝は強くない。できるだけ準備時間を短く、5分で家を出なくてはならない場合も、いつも通りの身支度で行けるようにするために髪を短くした。
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生活水準のバランスを取るために、私が削ったのは服と美容室代だ。普段着、仕事着、部屋着、下着類含めて30着程度で着まわしている。ブラック、ホワイト、グレーのようなモノトーン色しかない。なぜ今この色味で生活しているのかはまた後で詳しく話す。
美容室で、髪を染めることを今はもうしていない。1年も染めなければ、全て地毛になることも分かった。最近の美容室ガチャは不調が続いている。地下室のような居心地も良い場所だけど髪型が気に入らなかった、とか、ベテランの安心感はあるけど相手のトークやプライベートの勧誘が止まらなくてドッと疲れてしまった、とか。今の仕事は人と話す機会が多すぎる位あるから、休日くらいは気を休めたい思いもあって、美容室ではなくて理容室に行くようになった。たまに理容室ガチャでハズレを引くと、中学女子バレー部員のような髪型になってしまうこともある。こんなはずじゃなかったという悲しさで、1ヶ月が経つのを静かに待つのだ。
私はメンタルもそんなに強くない。でも、弱くはないとは思う。そんなに強くない、が、しっくり来る。ただ…条件が揃うと一気に駄目になる種類の人間だと思う。その条件とは、ただ一つ。上質な睡眠時間の確保…。これさえあれば、私はどんな環境でも根性でやり抜けていける、かもしれない。
さっきのモノトーン色の話に戻るが、自分の身の回りのモノの色味を統一させたことで、感情の揺らぎが落ち着いたような、鎧のように本音を曝け出さない自分を徹底的に演じ切るような感覚になれるのも、こういった色味を身に纏うようになってから得た感覚だった。スイッチのオンオフの期待を込めて着ているのもあるし、脳の疲労も低減しているはず。ある種、今なりの自己��衛となっているのかな。
そもそものきっかけは、仕事着を黒にしたのが始まりだった。今となっては休日でも、全身真っ黒な格好で外へ出る。髪色もそうだから尚更。
こうした経緯で、モノトーン色をメインに生活してみてたが、自分には合わないなと痛感した。単純に、テンションが上がらなかった。鏡に映った時とか特にそう。ずっと無表情で生きている感覚。我が人生、モノトーンを中心に置くべきではないようだ。
そして、これも分かった事なんだが、黒い服を着たからと言って色白に見えるという訳では無かった。
最後に、根底にある私自身の思考の癖というか、いつまでも変わらなくて、常に強く影響を受け続けるものは、「色」なんだろうな、きっと。こんな感覚を言語化したり表現したりして、消化して納得して生きていくことに幸せを見出せるのかも。でも、今のこの空白を余白に喩えるようにしたい。敢えて埋めることはせずに…。
2022.01.21
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nono-kakato · 4 years
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小さい頃から数字が好きだった。
小学生のころ
おじいちゃんが昼寝してる時の1人遊びは
おばちゃんがボケ予防といって切り抜いていた
新聞のナンプレを解くこと。
ついにはナンプレの本を買ってもらい
宿題はやらずにそれを解いていた。
算数も数学もそこそこに出来ていたと思う。
高3の時には週8で数学の授業があったことを思い出す。
高校の学年主任は数学の先生だった。
その先生を「博士の愛した数式」を読むと思い出す。
理由は2つ。
ひとつはでてくる博士とその先生が重なるから。
ふたつめは高校最後の数学のテストで最終問題にその先生はこの小説から出題したから。
この先生はテストの最終問題は少し変わった問題を置いてた。
「ある1人のスイカの1/7をもらい、その1/7を....もとのスイカは」 みたいなね。
なぜこれを覚えているかというと、、、
この問題の答えは7の10乗
私が書いた答えは7の9乗
正解者は学年でだれもいなかったそう
あと一歩だった、、、と今思い出しても悔しい。
課題はやりたくなかったから出さずにいると
体育祭?かなんかの時にバレーの試合中に「ののか〜課題だせ〜」って叫ばれたこともあったな。
「博士の愛した数式」から出題された問題の答え合わせはされてないから
私の答えはどうだったのか分からず終い。
その数学の先生に、卒アルの後ろにある白紙のページに寄せ書きをもらいにいった。
汚い癖字(人のこと言えないけど)で書かれたのは
[数学のセンス有 と見た]
って書かれてあった。これだけで充分だった。
愛されてた先生だったけどなんだか素っ気ない部分もあって(今思えば、またそこも人気の理由だったのかも)
そんな先生にもらえた一言は宝物だなとひとしきり自慢した。
昨日もらったことのように話せる。
今でも数字は好きだ
美しさと完璧さに胸打たれる
私の頭ではわからないことも多いけど考えることは好きだ
「博士の愛した数式」
が数字、数式の美しさを教えてくれる
目の前にある数字がもうただの数字ではなくなり、日常のあたりまえがキラキラしてくる
胸がいっぱいになる
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doboku-minna · 7 years
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<どぼくらいふVOL.23>母に勧められた土木の道を志す!
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-今回インターンシップ(職業体験)に参加されたのはどんな経緯ですか?
名古屋市立工芸高等学校の都市システム科に通っていますが、学校に応募が来た企業の中から好きな企業を選んで職業体験ができるという制度があり、いくつかあった候補の中から南部企業さんを選んで参加しました。
-参加してみてどうですか?
過去に職業体験に参加したことのある先輩から、土木の人はみんな優しい人ばかりだよと聞いていたのでまったく不安はなかったです。本当に皆さん優しいですね。とても楽しく過ごさせてもらっています。 仕事の内容についても色々と説明していただいたり、作業も見せてもらったりしていますが、いい感じです。大変そうだなとは思いますけど、とてもやり甲斐があって楽しそうです。
-なぜ土木を専攻されたのですか?
母がもともと測量関係の仕事をしていたこともあって、母から社会に貢献できる土木の仕事がいいよと勧められました。興味が湧いたので色々調べていると、大きなものをつくれて達成感を得られそうだなと思いました。 それで高校受験の際に、土木を学べる学校・学科を選びました。
-卒業して土木の道に進まれた際に、やってみたいことや、夢はありますか?
学校で学んでいることのなかで、測量やコンクリートの強度試験などの実技科目が楽しいので、自分も現場に出てやってみたいですね。 夢は、新設の道路工事をすることです。ゼロから道をつくるというのは気分が良さそうです。土木の仕事でなければできないですからね!
おわり
取材日:2017年7月
こんなひと!
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名古屋市立工芸高等学校 都市システム科 2年 柴田 竜(しばた りゅう)さん
愛知県出身。2016年4月に名古屋市立工芸高等学校に入学。趣味は、バレーやバスケなどスポーツ全般。
案内人
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株式会社建設システム 鈴木 千晴
建設土木業向けソフトウェアメーカー勤務。静岡県富士市出身。一般の人にも、土木に携わる人にも、魅力を知って欲しい。そんな想いで、土木の魅力を発信中。
関連リンク ・服部組グループ 株式会社南部企業(愛知県名古屋市) ・名古屋市立工芸高等学校
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ayumegumi · 7 years
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薫ちゃん
薫ちゃんという先生がいた。わたしが中学生だった三年間、並んで走ってくれた。一年生のときの担任であり、わたしが入っていたバレーボール部の顧問であり、三年生のときの学年主任だった。薫ちゃんはいつも、みんなを見ていた。
薫ちゃんはバレーについてはよく知らなかった。技術だとかそっちの担当はもう一人のY先生(わたしたちは親しみと下克上精神の入り混じった気持ちで、内輪では下の名前を呼び捨てにしていた)で、ばかみたいにしごかれたのも良い思い出である。スポーツをやってよかった。薫ちゃんは試合のときだけ必ず居て、タイムアウトやコートチェンジのとき、いつもわたしたちの気持ちに寄り添った。嬉しさ、悔しさ、弱気、負けん気、焦り、あらゆる感覚・感情の波に揉まれる少女たちを、ぜんぶわかっている、と告げるような目で、にっこりしながら見ていた。
『らせん階段』という学級通信を毎日書いていた。パソコンが苦手だったから、手書きで書いていた。ほんとうにすごい。薫ちゃんの字はすごく特徴があって、字を見ると声を思い出す。語りかけるような文章だった。ピュアなヤンキーたちもたぶんちゃんと読んでいた。直接そんな風に書くことはおそらくなかったけど、誰もがとてもうつくしいものを持っていることを、いつも知らせようとしている文章だった。わたしたちは、よく負けた。クラス対抗の球技大会で、合唱コンクールで、体育祭で。素直だったから、よくがんばって先頭を歩いてくれた女の子も男の子も、その姿に背中を押されてがんばった子も、よく泣いた。薫ちゃんは泣いている生徒をみると、やさしいキリンみたいな目をしょぼしょぼさせて、なんだか面白そうに笑いながら(うしし、という感じ)頑張ったなあ、頑張ったからいいやん、と、わざとお茶目な声色を使って言うのだった。
薫ちゃんは、わたしが大学二回生の冬、癌で亡くなった。バレー部でお見舞いに行く計画を何度も立てたけど、わたしが行く予定の日は、いつも当日の朝、薫ちゃんの体調が芳しくなくて中止となった。次は行けるだろうか、次は会えるだろうか、と思っていたある���、薫ちゃんはひとりで天国へ行った。最初に中止になったとき、もしかしたらお見舞いでは会えないかもしれないから、手紙を書こうと思った。でもどうしてかすぐに書けなかった。書かなかった。そうしている間に、もう書いても読んでもらえなくなった。
わたしは、手紙をすぐに書いてすぐに出さなかったことをびっくりするくらい後悔した。自分の向き合えない弱さと、鈍感さが恐ろしかった。そのことが心の隅に薄いもやのようなものを残し、そのもやはときおりあらわれては消えていった。
こないだ、中学生からの数少ないだいじな友だちと初めてお酒で乾杯した。昔もいまも、何度でも顔を上げて走ろうとするやさしくて強い女の子。薫ちゃんの話になると、いま書いていることを含め、さまざまなことを思い出した。彼女も薫ちゃんのことが大好きで、たくさん薫ちゃんからもらっているものがあった。わたしは、薫ちゃんが卒業アルバムに書いてくれた言葉を思い出した。高校生になってからも、くるしいときユーミンの歌のようにアルバムの背表紙を開いて、その言葉をじっと見ては幾度となく救われたことも思い出した。バレー部のよせがきに書いてくれた別のメッセージも思い出した。卒業後に年賀状のやりとりをしていたことも。
そして、わたしが卒業するとき、薫ちゃんにだけ、長い手紙を書いて渡したことを、思い出した。なぜか忘れていた。けれど、はっきりと思い出した。
あなたはうつくしいものを持っている。そのひかりはたとえあなたが後ろめたくなるようなことをしても消えないで光っている。あなたのことを、大事に思っている。 薫ちゃんは、初めて、それをいつも伝えようとしてくれた他人だった。わたしはやさしい自分とやさしくない自分を知っていて、やさしくない自分によく落ちこんだ。自分の誇れない部分が目につくけど、守っているなにかがあることもなんとなく感じていた。そのどちらも、勝手に滲み出るものだということを知らなかった。薫ちゃんが見抜いてくれていることだけはわかって、すごく驚いた、というより感動したのだと思う。たぶん、他人に心を触れられた初めての体験だったと思う。 わたしは中学生のおわりに、薫ちゃんに、薫ちゃんの前ではわたしは自由でした、というような手紙を書いたはずだ。
そのことを思い出して、二年前に手紙を送れなかったことを悔やむ気持ちからすこしだけ解放された。あのときに、リアルタイムで伝えていた。それがなにより良かった。一番切実な思いは、遅れたりしていなかったのだと思えた。
(上の文章を書いたあと、物語のように不思議なタイミングで、引き出しの奥から薫ちゃんからのはがきが一枚、ぴらっと出てきた。「卒業式にいただいた3通の手紙を読んで感動しました。(宝物にしています)ここまでいろんなことを考えて一日一日を大切に生きている君に出会えたことは僕の幸せにつながっています」と書かれていた)
わたしはお葬式にも行けなかった。だからいまだに薫ちゃんがもうどこかで朝起きたり、ごはんを食べたりしていないのだと思うとふしぎな感じがする。ずっと会っていない人と、亡くなった人と、そんなに大きく違わないのではないだろうか。年賀状は毎年届いた。いつかの年賀状で、先生はわたしの恩師と呼べる人だと伝えたことも思い出した。癌が発覚したあとも、薫ちゃんはとても明るかった。希望はいつだってどこかに潜んでいると知っている、しなやかな人だった。わたしたちの卒業と一緒に59歳で先生を卒業して、どんなことをしようかな、なにから始めよう、とわくわくしているような人だった。自分の名前が好きだと言った。風薫る、というんや、良いやろう。言いながら、えっへん、と聞こえそうなくらい胸を張って、にこにこしていた。名前そのまま、初夏の風みたいな人だった。すくい上げてくれた人よ。
薫ちゃん!
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yukehaya · 6 years
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恋愛を成功させる法1。(*^_^*)
いつもありがとうございます。林雄介です。(*^_^*) 恋愛について、いまだに相談がきますので、私の思うところを書きます。 2点。 1点目は、何回か書いた話ですが、私の小中学校の同級生にA君という、イケメンであらゆるスポーツが得意な友人がいました。いまだに年賀状をくれます。 A君というのは、小学校の時から、ファンクラブに近いものがあって、まあとにかく人気があったわけです。しかし、サッカーというマイナーなスポーツの部長でした。中学の同級生ではサッカー部部長のA君、バスケ部部長のB君というのが、非常に仲が良かったんですね。ぶっちゃけ野球部以外の全スポーツ部の部長は親友だったのです。 だから、生徒会選挙で野球部から、私の対立候補が出たのです。しかし、体育委員長なので、本来、私が出る方がおかしかったのです。別の小学校で女子バスケ部長のCさんというA君のことを好きだった子が、内申書狙いで風紀委員長に出たのです。仕方がないので、文化委員長に出馬しようとすると、私のクラスの担任が嫌がらせで出馬を認めず、強力な野球部の組織票を持つ体育委員長への出馬しか認めなかったのです。 で、生徒会そのものの当選可能性がある役員の過半数が、林グループだったので、体育委員長に出た子は、まあ、小学校は同じだったんですが、積極的な林グループじゃなかったので、迷ったんですよ。私は小学校4年生の時に、最初で最後の児童会議長をやっています。本来、6年生がやる議長をなぜか4年生でやり、あとは傀儡生徒会を作っていたので、同じ小学校の生徒は、基本的には学級委員も生徒会選挙も小学校3年生から、私か私の傀儡に投票し続けてきたわけです。 同じ小学校の出身者だけなら、私が風紀委員長に出るといった時点で、出馬を断念するんですよ。というより、多分、私が出る可能性があったので、最初に私に風紀委員長をやりたいといって出馬させなくしたのでしょう。私は甘いから。 生徒会選挙は担任の内諾がないと出れないんですよ。で、席さえあれば役職関係なく傀儡生徒会を作れますから、3つグループがあって、別の小学校出身者、私とあまり友好的ではない同じ小学校の出身者、A君、B君達との友達連合。 まあ、選挙は私の演説が野球部の三年生に受けて、当選しましたよ。そのあと、ふざけているというイメージが定着して大変でしたけどね。 恋愛の話に戻しますが、A君というのはとにかくモテたんです。卒業式の学生服、Yシャツ、全てのボタンを奪われても足らなかったのです。今なら、仲介業として、女子にオークションで落札させましたけどね。 それで、A君というのは、Dさんという女子バレーかな?。全然、興味がなかったので、ほとんど記憶にないのですが、Dさんという女の子のことが好きだったんですね。私と仲が良かった不良系女子の友達だったと思うんですが、同じクラスになったことがないから、よく知らないんですよ。まあ、可愛い人だと思いますが、私の好みではなかったので、よくわからないのです。女子でも、なんかなついてくる子とか、好みの人は覚えていますが…。 なついてくる子に、あまり頭が良くない不良系の子がいたんですね。小学校違うんですが…。 それで、A君は、Dさんに話かけれないんですよ。ほとんどの女子が、A君のファンだから、まあ、スポーツ万能で、気さくで、イケメンで、面白いキャラなら中学ならモテますよ。 ですから、A君からアプローチすれば、つきあえたっ思うんですが、私の基準だとDさん、本当に好みじゃないので、別にDさんとつきあう必要ないだろうと思って、何もしなかったんですが、うまく言えないんですが幸薄い系?薄幸美人みたいな方だったんですかね?。 仕切れば、Dさんというのは、女子バレーだから、女子バレー部は、ほとんど同じクラスにいたから、仲がよかったので、お節介な女子も多かったので、くっつけろと言われたらくっつけれたと思いますよ。 本人達が、あまり幸せになるような気がしなかったので、何もしませんでしたが…。 結論を書くと、恋愛というものを端的にあらわしているわけです。 長くなったので、もうひとつの話は、また書きますが、「どれだけ好きでもない人から、モテても幸せではないんだな」というのと、Dさんを口説けと言われれば、私でも口説けたと思うんですよ、全く好きじゃないから。Dさんも、誰とも付き合っていませんでしたしね。A君がDさんのことを好きだったのと、やはり、中学時代に男女の恋愛を観察していて、好みは千差万別であると。 財務省の結婚したい人ナンバー1の女性、これを書くと問題なのかもしれませんが、全く興味がなかったので、普通に話、普通に政策論争し、また外務省にも同期が話しかけるのも、おそれ多いという美人がいたんですね。全く好みじゃないから、くだらない馬鹿話、たくさんしましたね。で、他の同期が、「よく話すことあるね」というから、「ペンギンが好きというから、ずっとペンギンの話していましたよと、あとガンダムの話をしていましたよ、まあ、ガンダム興味ないんで、一方的にオタクトーク聞かされてただけですけどね」と。 人間、そんなに好きじゃない人には、何でも話せるんですよ。 私の読者でも、よく考えたら、本の読者が事務所にメールを送ってきたことはないんですよ。事務所にメールを送ってくるのは、blogしか読んだことがない人なんです。 つまり、社会性であるとか、ストーカーにならないとか大切ですよ。しかし、必要以上に遠慮したら、異性なんか口説けないんですよ。好きな相手にほど、大胆にアプローチしないといけないわけです。 林雄介with,you。 from Blogger https://ift.tt/2mKzL2i via IFTTT
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tettin0124 · 6 years
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石川祐希、来季の所属先は交渉中 イタリアを中心に欧州で続ける考え/バレー(サンケイスポーツ) バレーボール・全日本男子のエースアタッカーで、イタリア1部リーグ・セリエAのラティーナでプレーした石川祐希(22)が27日、シーズンを終えて成田空港に帰国。“プロ初年度”の手応えを語った。  「ずっとチームの一員としてやっていくという、昨季とは違う形を経験でき、これからにつながる戦いができた」  セリエAで3季目となった今季は、昨年10月の開幕からチームに合流。当初は9月のワールドグランドチャンピオンズカップ(グラチャン)で痛めた右膝内側側副靱帯のリハビリで試合には出られなかったが、11月になって途中出場から復帰。中大の一員として全日本大学選手権に出場するため一時帰国した後は、先発での出場機会も増えていった。  「昨季より出る機会が多かったし、プレーもできた。チームメートや監督が(昨季から)代わっていて、違った経験もできた」。膝の違和感は年を明けても残っていたようだが、「問題なくできていたし、活躍できたと思う」と振り返る。  チームはレギュラーシーズンを7勝19敗の11位で終えたが、プレーオフでは5位以下決定ラウンドの準決勝まで勝ち上がり、7位タイとなった。石川は計71セットに出場し、218得点(攻撃184、ブロック17、サーブ17)と過去最高の結果を残した。  プレー面では「やれる部分もあるし、まだまだと感じる部分もある。良いときと悪いときの差をなくし、もっともっと安定したプレーを出さないと」。また「自分は高さがない分、守備ができないといけないし、ミスをしないとか、ほかの部分で補わないといけない」と、改めて守備への意識を強くした。  イタリア語や英語でのチームメートとのコミュニケーション能力も進歩した。「(以前より)細かいことまで伝えられるようになったが、完璧ではなかった。もっともっとコミュニケーションを取らないと」と向上を目指す。  中大を卒業した3月には、同大バレー部の公式ホームページでプロ宣言をした。「結果が求められ、リスクも大きいが、挑戦したいという思いが大きかったので決めた。厳しい世界に身を置いて頑張ることで、よりいっそう成長できる。自分次第で良くも悪くも変ってくるので、覚悟を持ってやりたい」とプロ意識を口にする。  来季の所属先については現在交渉中だが、イタリアを中心に欧州で続ける考えに変わりはない。「あのレベルで常にやっていくのが求めているところ。もっと高いところでやれるようにしていきたいし、常にそれを意識して練習していれば、確実に上がっていく。どんなことがあっても挑戦をし続けたい」と意欲的。「今回の経験を生かし、来季はさらに成長した姿を見せたい」と前を見据えた。 Source: スポーツニュースサイト Source: スポーツニュースまとめ
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raka0103 · 7 years
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忍ミュ初演感想(当時のmixi日記より転載)
あまりに懐かしいのでそのまま転載その1 mixiの身内限定公開記事だったので文体は許してくだ���い。 古文書を読む感覚でお願いします。
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日付:2010年01月21日00:34
※信者的発言多数かつ長文かつ忍ミュねたばれ注意
要約すると「すごく楽しかったのでまた行きたいです」 ↓よりディープなチラ裏的な感想 とりあえず感想書いときたかったんだ。。
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<なんか年取ったなぁと感じた瞬間>
忍たまミュージカルにおいて、 一番印象に残ってるシーンが 「…ああもうほんっっとお前ら仲良しだなぁ!!」って叫びたくなる場面だったりするあたり。
・6年が、みんなで円陣組んで「卒業!卒業!」って踊っちゃったり、 ・6年が、練習してるダンスについてあーだこーだ言い合ってたり、 ・6年が、バレー(的な動き)で声掛け合いながらラリーしてたり、 ・「おにぎり100個あってもお前には絶対食わせない!」とか子供っぽいケンカしてたり、 ・最後の舞台挨拶の掛け合いだったり ね!笑
 でも脚本担当の人も、「忍たまたちが(この場合「日常」が描かれない6年生のことだとは思うけど)普段どんな顔で笑いあってるのか~」ってことを表現したかった、って言ってるのでその意味ではとっても成功してると思います><  もちろん1は3人組の絡みも和んだ!得体のしれない敵に対して「お前先行けよ!」とかするあたりが小学生って感じでかわいかったです><
 まぁもちろん性格設定とかについては、数名オリジナル要素が相当強かったキャラもいたし、「アニメ・原作の忍たまの世界を100%再現しました!」って言われたら「…?」って感じだけど、楽しい舞台だったことは間違いないと思う。
◆以下簡単な(?)キャラについての感想
・6年
伊作 :かわいいかっこいい最強伝説 文次郎:ギンギンかわいいガッツポーズ暫定空耳王 仙蔵 :パーフェクト演技教室というほかない 長次 :美味しすぎる 小平太:原作よりは常識人になっててただのかわいい小平太でしたね 留三郎:みんなの中でひとりだけぶっきらぼうにふるまってみたり、     不機嫌になったかと思えば仙蔵に猫なで声出してみたり、     明らかに実力差のある相手に戦い挑んでボコされたのに     「俺は負けてない!負けてなんかない!」とか泣いてみたり、     プライドがっちがちに神経すり減らしてるキャラかと思えば     「勝ち負けに拘るだけじゃだめだ」とかアッサリ悟っちゃったり
 おいおいこれじゃただのKYなメンヘラじゃねーかよとか思ったけど最後卒業式の場面で一人だけ涙声だったところで私の中の何かが全部吹っ飛んだ  うん、ちょっと思春期でまだまだ思考回路が子どもだったんだよね!でも今回の事件で自分なりの答えを見つけて成長できたんだ!本当はみんなのことが大好きなんだよね!素直になれてよかったね!
 …って、ここまで書いて初めてパンフレットの片岡さんのコメント見たら結構ドンピシャなこと書いてるし。とりあえずキャラの把握間違ってなくてよかった…笑 しかし留さんはなんというツンデレだったんだ!!
・その他のキャストについて
 もうもうとにかく、キャラ再現度が高くてびっくりした! 先生から敵役から、確かにもともとキャラ立ちの強いメンバーだけど、ミュージカルならではのアプローチでキャラの魅力を引き出そうとしてるというか。。。 土井先生のイケメンぶりまじめぶり面倒見いい感じとか、 山田先生の落ち着いてて頼りがいある感じとか、 学園長のノリとか声の感じ(重かったり軽かったりのバランス)とか、 八宝斎のしょうもない上司っぷりとか、 あと穴太の裏主役的ハイパー美声っぷりとか、 くノ一のかわいさとか、登場頻度がすごく適切だったとか笑、 あげていったらキリがないんだけどね! …しかし何かをほめるときって、ほんとテンプレみたいなほめ言葉しか出てこないのはとってもボキャ貧な感じで残念…クッ
 人によっては「違う!このキャラはこんなことしないし言わない!」って感じたりしたのかもしれないけど、私としてはもう全員が満点というか100点満点中の200点満点でした(´∀`)
 どのキャストも自分の演じるキャラがどういうキャラかっていうのを、短い期間で突き詰めて考えてて、ものすごく真剣に演じてるんだなーと今更ながら思い知りました。ええ。  ミュージカル化知ったときなんて「ネタwwwいくら腐女子でもこれには釣られねーよwww」って感じだったのに、楽しい舞台にそんな第一印象を一気に覆されて、ほんと観に行ってよかった!と思った!
 何よりキャストがみんな楽しそうに演じてるのがわかるって、これミュージカルならではのよさじゃない?って思うよ…ほんと…「事務所が持ってきた仕事断れなくて、やらされてるんだろうなぁ…フフッ」とかわかったような気持ちでいてごめんなさい…元気をありがとうみんな!!!残り数日、千秋楽まで頑張ってほしいよ!!  さっき見たら、今日公演開始のギリッギリの時間に、片岡さんがブログに「全力でやります!」って記事を投稿してて、あー私が見てた舞台を全力で演じてたんだなーと思うと今改めて嬉しく感じる次第です。。
 というかあんなハードな舞台を2週間ずっとやるなんて、さすがプロだ!私も就活が大変だーES書けねーとか言ってる場合じゃないわな!この感想投稿したら私、ESの続き書くんだ!
忍たまもっと好きになった♪ また行きたい…ほんとに!ぜひ次回も行きたい!!DVDほしい!笑
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antena09091-blog · 7 years
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バレー部の男子部員が先輩いじめ・・ブラジャーを強引に剥ぎ取り、ふくよかな乳房を弄ぶ!! / 先輩いじめ 第1話
バレー部の男子部員が先輩いじめ・・ブラジャーを強引に剥ぎ取り、ふくよかな乳房を弄ぶ!! / 先輩いじめ 第1話
先輩いじめ 第1話 / こがいの 学校の卒業式を終えた女生徒3人は、自分たちが在籍していたバレー部の部室へ向かう。それは気合いを込めた後輩への挨拶回りの筈だったが…。 「やはり最後までその調子でしたか。今日は卒業祝いをご用意致しました」 後輩達が3人を押さえ込み… Source: 総合 Source: アンテナ総合の総合
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satoyuri0711-blog · 7 years
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国立市復縁 口コミ霊視鑑定 電話占い佐藤ゆかり08060030537 国分寺市 セックスレス
世田谷区復縁 口コミ当たるNo1透視鑑定 当たるNo1恋愛霊視占い 東京都 口コミNo1電話占い08060030537 佐藤ゆかり 福井県鯖江市 福島県大沼郡金山町 福岡県遠賀郡遠賀町 静岡県伊東市 北海道松前郡松前町
こんばんは。私は20代の女子ですが、コーデのことで質問させて頂きたいと思っています。買物デートのコーデを考えているのですが、新しい物は買えないので手持ちので考えています。★クリーム色っぽい膝丈のダッフルコート★膝丈のブラウンのチェックワンピ(袖なしで背中にファスナーがあるタイプです)★マスタードイエローより少し淡いタートルニット★黒のリュックサック★黒のタイツ今悩んでいるのは靴をどうしようか考えています。持っている物は…・コンバースのハイカットスニーカー(グレー)・ナイキのスニーカー(ベースは黒、サイドに赤っぽい蛍光色)・ブラウンのショート丈ブーツ(ヒール無し)また、タートルニットは白も持っているのですが白の方がいいのでしょうか?靴以外にも何かアドバイスなどあれば、宜しくお願いします。
長文&感情的 バレーは下手くそでも技能的に頑張らなければ味方から認められませんか?学校でバレーの授業をしていて、先生がチーム分けを行い、試合をしました。私は運動音痴なのですが、音痴なりに頑張ってボールを取りに行こうとすると味方がボールをとりに来ます。もう少し離れたボールはその味方はとりに来ません。「私が取る範囲だな」と思って取りに行くと間に合わなかったりボールが変なところにとんでいってしまったりするのですが、数人の味方からは「ちゃんと取ってよ下手くそ」と言いたげな視線しかとんで来ません。以前、「打とうとしてるボールを奪いに来るのをやめて欲しい」と伝えてもやめてくれません。先生も似たようなことを何度か言っていますがやめてくれません。家や外で練習をしたくても練習できる場所もボールもないので練習が難しいです。さらに私は1つのことをするときに1つのことしか考えられません。声を出していれば味方��ボールを奪いに来ないというのは予想できますが、ボールを打つのに集中しながら声を出すことができません。次にまたバレーをやるのなら、その授業の後で先生にチームを変えて貰えないか交渉するつもりですが、変えて貰えなかったらと思うと…「また陰で下手くそって言われるんだろうな…」と思うとしんどいです。考えたくなくてもふと思い出しては悲しくなります。休みたくても休む理由がなく、仮病を使う訳にもいかず、体育の成績をキープしなければいけないのです。今のメンバーで「下手くそなりに頑張った」と思われることはできますか?
学歴でしか男を評価できない彼女。僕の彼女は学歴でしか他人を評価できません。「私は○○大学以上の大学卒業の人じゃないと付き合わない」、「MARCHは男として失格レベル」という感じです。僕はずっと彼女のことが好きでした。だから慶応大学卒と偽りました。付き合えるようになったのはその結果です。でも、嘘つくのって辛いじゃないですか?だから僕は正直に「慶応大学卒は嘘、本当は専修」と話すことにしたんです。その瞬間彼女の僕を見る目が変わりました。まるでゴミを見るようでしたね。 「専修なんてありえない。男として恥ずかしくないの?」彼女の反応がこれですよ。僕も学歴詐称していたことに怒るならまだ納得できたんですよ。でも、彼女は僕が低学歴だから怒ったんです。もうどうしたらいいんでしょうか?こんな彼女とは別れてしまった方がいいんでしょうか?
私の父は浮気をしています。酒、煙草、ギャンブル全てする、親と認めたくないような父親です。これを読むことによって気持ちが重くなるかもしれません。そのことは母から直接聞きました。私が小さい頃に母は父から暴力を受けていて鬱病にもなり何度も死にたいと思ったそうですが私のために、私を残して死ぬことはできないと思い留まったそうです。今でも父を恨んでいるため、幼い頃からずっと父親への皮肉や悪口を聞き続けてきました。今も仮面夫婦で籍は入っているが家の中ではただの同居人と母は言っています。私が片親と言われないために一緒に暮らしてると。仕方ないことだと分かっていますが、「あの人に似ているところが一つでもあったら気が狂いそうになる」などの言葉を聞く度に複雑な気持ちになります。私は今高校一年生で、幼い時からずっと続けている習い事があり将来もその道で行きたいため両親から月に10~20万円お金をつぎ込んでもらっています。父は勿論そのことに対して大不満で辞めてしまえ、ともいいますが酒飲みの父もビールから発泡酒に変えたり色々努力(…?)して くれているような気もします。しかし、私が母と会話をしているときや、何か喋ったらそれを遮るように「お前には才能ないから」「頭悪いんやから黙っとけ」アホ、ボケ、カス私を侮辱することを言ってきます。私は誰の遺伝子を受け継いだのか塾を通わずに中学校の時から学年でトップの成績でいられたし、習い事の方も順調で、祖父母からは何をしてもソツなくこなすと褒められるので余計に悔しいです。(すみません。自慢とかではないので、すみません。)それに比べ父は高卒の低学歴。収入こそはほかの家よりも多いですが、父のDNAが入ってなかったらもっと何でもできたのにと恨んでいます。そこで我慢出来なくなった私は「うるさい」と言うと母が 「子供なんやから黙ってなさい。」と父の味方をしました。いつも母の味方をしているから裏切られたような気持ちでした。黙ってなさいって言っても父の悪行などはすべて母からですし、初めにも述べたとおり浮気のことも母から言われるまで知りませんでした。そのことを知らなかったら今のような腸が煮えくり返ると言うか、こんなにも憎しい感情は芽生えてなかったはずです。長々と申し訳ありません。つい感情的になり言いたいことをただ綴っただけの駄文になってしまいましたが、このままこの家で生きていくのが辛いです。私のためにお金を注ぎ込んでくれていることに対しては感謝していますが心から感謝できません。これから私はどういう対応をしたらいいか、同じ経験をした方、そういう方を知っている方、なにか対処法などアドバイスいただけると幸いです。ストレス発散法なども教えて頂きたいです。身体的虐待を受けている訳でないのでどこに相談をしても良いのか分からないためここに投稿させて頂きました。毎日泣きながら寝る夜を早く卒業したいです。
借金問題について教えてください。現在25歳。私は3年前に借金を作り現在返済中です。サラ金3者より150万程クレジット+オートローンで50万円程借りております。私事で勝手ではございますが数ヶ月前に退職をし新しい職場で働いております。以前の職場では社宅を利用しており、給料も現在の職場よりは良かったです。今現在はアパートを借り給料も前職より少ない状況です。家賃、借金返済で給料が無くなる状況により滞納や利息のみの支払いが頻繁に続いている状況です。そもそもの借金は買い物癖や旅行といった事に使用しておりましたが少なくともギャンブルも絡んでおります。借金をする時は安易な気持ちでしたが今では後の祭りで物凄く後悔しております。過去を振り返っても借金が減る訳では無いので地道に返済するしか無いとは思いますがこの生活が続く事への不安で日々悩んでおります。甘い考えかもしれませんが今の職場が大好きで働く事への充実感もあり、もっと給料の良い職場への転職等は考えておりません。当然ですが延滞、利息のみの支払いが続き催促の電話が頻繁です。何かを切り詰めて返済をする事が当然の事とは思いますが先の見えない不安な毎日を過ごしたくありません。本題ですが、借金の相談を考えております。色々調べてはおりますが弁護士?司法書士?どちらに相談すれば良いのか。どの様な手続きがあるのでしょうか?また3年にという期間の借り入れで相談する事によって変化はあるのでしょうか?ご回答頂ければ幸いです。過去の反省とこれからの為に取り組む所存です。宜しくお願い致します。知恵をお貸し下さい。
私は現役不登校児です。私は、今年、中学校に入り部活にも入りました。しかし、その部活での様々な人同士でのいじめ・先生などが不満?っぽくなってしまい夏休みには全然部活に行けなくなりました。 個人的には私は自分の意見をしっかりといえないタイプだと思います(親がその逆です)友達に優しく接していたら逆に悪口を言われました。しかし、それを止めてくれる子もいました。その子にはとても感謝しています。しかし、二学期が始まる最初の日に体調が悪くなったり、行くのが怖いどころじゃなくなって結局休んでしまい今日まで来ています。私は学校に行かなくなってはじめの方では不登校っちゃ不登校だけど怠けてるんじゃねと自分に言い聞かせていました。しかし、しばらくして自分も不登校だと受け止めました。私は、学校に行かなくなってから、相談室の先生とメールをやっていましたが、しばらくして消されました。正直よくわからないですがはじめのほうは辛くて悲しかったです。インターネットなどを見ていると不登校児に対する悪口などをよく見かけます。私も不登校になる前まではその人たちと似たような考えでした。今でもたまにそう思います。でも、辛いです。はじめのほうは親になんとなくは話せていましたが最近じゃ言う気にもなれません。学校では、サボりじゃんとみんな言っていると友達から言われました。私は学校に行きたい気持ちは少しですがあります。でも、やっぱり怖くて行けません。私は、学校に行けて、そしてちゃんと学校生活を送れるのでしょうか。きっと、人に相談することではないとは思います。でも、今では何も考えれないです。少しでも、アドバイスなどありましたらお願いします。長文失礼しました
高校卒業後の進路の事で悩みがあります。私は高校3年生です。JASSOの奨学金の第2種を一番高い金額で申し込んであります。将来アスレティックトレーナーになりたいので、その資格が取れる学校を受験する予定でした。なのに父が「俺は金は一切払わないから、学費は全額 奨学金とバイトでまかなえ」と言い出しました。私が住んでいる県には資格が取れる学校が無いので 他県の学校を受験するしかないのですが、その場合生活費も奨学金でなんとかしろと言われています。正直 絶対無理です。私の認識では、奨学金はあくまで一部援助してくれる借金であって、学費や生活費を全部払うためのものでは無いのですが、私が間違っているのでしょうか?また、父は受験料や移動費も払ってくれないそうです。そんな事を言われたら、どこも受験できません。受験生なのに勉強する気も失せてしまいそうです。愚痴なのですが、そんなにお金が無いと言われても納得がいきません。父は自衛官です。私の友達はご両親の収入は二人合わせても年収300万もないそうです。でもその友達は奨学金も借りていないし他県に何度も大学の見学に行っているし、東京の私立の学校を受験するそうです。私の父は国家公務員で 失礼ですが 友達のご両親よりも収入は遥かに高いです。なのに受験料すら払ってもらえないとは。こんな事を言っている私は 性格が悪いのはわかっているのですが、どうしても納得できません。担任の先生に相談しても、そういうのは家庭の事情だからと 話を聞いてくれません。父とはどれだけ話し合っても なかなかわかってもらえません。いや、わかってはいるのかも知れませんが、「おまえが何と言おうが金が無いから諦めろ。他の選択肢は無い」の一点張りです。このまま父の言う通りにするなら高校卒業後は何を目標にして何をして生きて行くのでしょう。お先真っ暗って感じです。私はもうどうすれば良いのかわかりません。本当に悩んでいます。ご回答よろしくお願いします。
40代、50代の男性に質問です。私は現在29歳独身です。今、好きな人がいて、相手の男性は49歳バツイチです。彼に子供はいません。向こうも好きだと言ってくれるのですが、20歳も歳の差があるのを気にしています。私の家庭は、私が幼い頃から両親は別居していて、家庭内不和の末、私は精神疾患を発症しました。私が成人してから両親は離婚し、同時期に兄弟は実家を離れ、母と二人暮らしです。私は結婚願望もあり、当初は、30近いから結婚を前提に付き合ってくれるなら付き合いたいと、彼に話していました。歳の差、離婚を経験している事や彼の両親が介護施設に入所しているのを踏まえると、今はよくても将来、必ず一方的に苦労をかけるから迷ってると言われてしまいました。彼の意見は現実的でごもっともです。また、私は自身の両親を見ていて、家庭内不和や一家離散を目の当たりにし、病気もしてるのに自活できている今の生活も十分だと思います。私は、結婚は考えなくていいから彼と交際したいです。病人だから、もう結婚は諦めてるとも伝えています。彼は、私と知り合うまでは、誰とも交際したり再婚しないと考えてたそうです。お互い好きなのに、結婚はもう考えなくていいと話しているのに、どうして付き合えないのでしょうか。
僕は四年間付き合った彼女とネットで知り合った女の子と会おうとしてたことで喧嘩をして別れました。別れてから僕はその子に会いに行ってその後やり取りして付き合うことになったのですが、1ヶ月もしないうちに僕の心の中には元カノの存在があることに気づき、その子と別れました。でも元カノのところには簡単には戻らなそうです。元カノは別れる時会いに行かないなら別れないから行かないでって泣いてました。でもそれをどーせ何しても別れないだろーと思って無視して会いに行きました。最低でした。元カノとは高校も大学も同じで今もたまに見かけます。別れて直後はご飯も食べれないし夜も眠れない、学校もサボりがちになっていたみたいでした。でも最近は毎日通ってるみたいだしなんか元気そうというか、付き合ってた時より交友関係も広くなってて、夜に友達と遊びに行くなどもしているようです。正直何度か今まで僕の女関係が原因(体の関係はない)で別れて付き合ってを繰り返してきたので今回もそんな感じで戻れると思って連絡したのですが、メアドも帰られていてLINEもブロックされており、電話も繋がりません。やばいです。元カノは唯一ネット以外で知り合い、一番長く付き合った彼女です。一番可愛くて優しかったです。会いたいといえば何時間もかけて会いに来てくれたり、お金なくても一緒にいれればいいみたいな感じで僕はそれに甘えてたのかも知れません。自分で言うのも何ですが元カノは僕に相当惚れてたと思います。今から土下座して謝りに行けば少しは可能性ありますか?友達にもお前に付き合えるのは彼女しかいないし、彼女を逃したのはデカすぎると言われました。後悔でいっぱいです。
嫁が2人目を妊娠した事を僕の実家には言いたくない。と言い出しました。元々嫁は僕の家族が嫌いで 親戚も嫌っています。嫁の実家には報告済み。子供も嫁の実家には行くのに僕の実家には連れて行こうとしません。誘われても断るように言われています。嫁抜きで子供と2人で実家に行こうとしましたが怒って実家に帰っちゃいました。しばらく両親は子供に会ってません。今後どうすればいいでしょうか?嫁はお祝いもいらないし祝福もしていらないし会わすつもりもない。親戚に公表するつもりもない。 と断固拒否です。理由は言ってくれませんが僕の兄弟の嫁といざこざがあったのかもしれません。今後どうすればいいのでしょうか?補足:回答頂きありがとうございます。嫁は子供が産まれても言うつもりはないし会わせないと言っています。後から知ったら両親はなんて思うか…遠くに引越したいのですが2人目も生まれますし今すぐには難しいです。
何かに一生懸命になれる人が羨ましいです。何が彼らを一生懸命にするのか?私は劣っている人間です、いわゆる不良品頑張ったところで所詮は中の下くらいです。上には上がいます、もちろん下には下があります。頂点に立つには日々苦労をして、血と汗を流しながら達成感を求めてひたすら頑張るのでしょう。たとえ頑張ったところで頂点に立つ事が出来るのは1%未満でしょうけど。漫画だと「努力すれば報われる」とか言いますがあれは嘘ですね。私が普通になる努力をしたところで所詮は普通、当たり前な事、むしろ普通の人が少し努力をすれば簡単に追い越す事が出来るのです。なぜ?皆は私に普通であるように言いました普通になったら更に上を求めるの?皆が普通である事を望み私も普通である事に何か利点があると思い普通になった。普通になったら何も無かった、もしかしたら利点はあるのかもしれないが普通では見つける事が出来ない?これなら普通で無かった方が良かったのではないか?普通でなくても自分で出来る何か特化した事を求めた方が良かったのではないか?これまでの10年間無駄だったのではないか?普通になった事で皆から期待を寄せられる事になった最初は全ての人が期待の目で見てくる、その後は必ず失望した目に変わる。言葉にされなくても分かる、今まで散々その目を見てきたから。今は他人が怖い、他人の目が私を傷つけてくる、他人が怖く人との接触が怖くなり今は家族も怖い沈黙した秒数、目の動き、発した言葉、顔の表情この4つで相手の私への本音が読み取れてしまう。仕事は半年続けましたが皆のイラつきがわかり怖くなり退社1年ほどバイトをしながら生活をしているがバイトも長続きしない、病院に行きたいがお金がない、友達には仕事しろと言われていますが仕事をしたとしてもバイトでさえ長続きしないのにと思います。病院に行っても甘えと判断される。他人と対した時、少しでも普通でなければならない普通を演じてしまうのでそう判断されるのかもしれない。もしかしたら医者が言っている甘えが正しく、単に普通でないのを言い訳にしているだけなのかもしれない。どちらにしてももう疲れた、考える事に疲れた。皆さんの知恵を貸して頂けませんか?私は今後何をすればいいんですか?完全な普通にもなれず、常人並の事でさえ出来ない私に何を求めているんですか?
私はお金がない、と言われる家庭に育ち、常にお金のことを考えてきました。お金のことで悩んだり考えたりする結婚だけはずっと避けたいと思っていました。今お付き合いしている彼はいわゆるケチで、常にお金のことを言ってきます。結婚に理想を抱きすぎかもしれませんが、お金持ちになりたいとかではなく、ケチケチした、貧乏生活は送りたくないというだけです。物欲はなく、買い物も全然しません。彼からは結婚を申しだされていますが悩んでいます。しかし親からも早く結婚して落ち着いてほしいと言われ揺らいでいます。
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世田谷区復縁 口コミ当たるNo1透視鑑定 当たるNo1恋愛霊視占い 東京都 口コミNo1電話占い08060030537 佐藤ゆかり 福井県鯖江市 福島県大沼郡金山町 福岡県遠賀郡遠賀町 静岡県伊東市 北海道松前郡松前町
こんばんは。私は20代の女子ですが、コーデのことで質問させて頂きたいと思っています。買物デートのコーデを考えているのですが、新しい物は買えないので手持ちので考えています。★クリーム色っぽい膝丈のダッフルコート★膝丈のブラウンのチェックワンピ(袖なしで背中にファスナーがあるタイプです)★マスタードイエローより少し淡いタートルニット★黒のリュックサック★黒のタイツ今悩んでいるのは靴をどうしようか考えています。持っている物は…・コンバースのハイカットスニーカー(グレー)・ナイキのスニーカー(ベースは黒、サイドに赤っぽい蛍光色)・ブラウンのショート丈ブーツ(ヒール無し)また、タートルニットは白も持っているのですが白の方がいいのでしょうか?靴以外にも何かアドバイスなどあれば、宜しくお願いします。
長文&感情的 バレーは下手くそでも技能的に頑張らなければ味方から認められませんか?学校でバレーの授業をしていて、先生がチーム分けを行い、試合をしました。私は運動音痴なのですが、音痴なりに頑張ってボールを取りに行こうとすると味方がボールをとりに来ます。もう少し離れたボールはその味方はとりに来ません。「私が取る範囲だな」と思って取りに行くと間に合わなかったりボールが変なところにとんでいってしまったりするのですが、数人の味方からは「ちゃんと取ってよ下手くそ」と言いたげな視線しかとんで来ません。以前、「打とうとしてるボールを奪いに来るのをやめて欲しい」と伝えてもやめてくれません。先生も似たようなことを何度か言っていますがやめてくれません。家や外で練習をしたくても練習できる場所もボールもないので練習が難しいです。さらに私は1つのことをするときに1つのことしか考えられません。声を出していれば味方がボールを奪いに来ないというのは予想できますが、ボールを打つのに集中しながら声を出すことができません。次にまたバレーをやるのなら、その授業の後で先生にチームを変えて貰えないか交渉するつもりですが、変えて貰えなかったらと思うと…「また陰で下手くそって言われるんだろうな…」と思うとしんどいです。考えたくなくてもふと思い出しては悲しくなります。休みたくても休む理由がなく、仮病を使う訳にもいかず、体育の成績をキープしなければいけないのです。今のメンバーで「下手くそなりに頑張った」と思われることはできますか?
学歴でしか男を評価できない彼女。僕の彼女は学歴でしか他人を評価できません。「私は○○大学以上の大学卒業の人じゃないと付き合わない」、「MARCHは男として失格レベル」という感じです。僕はずっと彼女のことが好きでした。だから慶応大学卒と偽りました。付き合えるようになったのはその結果です。でも、嘘つくのって辛いじゃないですか?だから僕は正直に「慶応大学卒は嘘、本当は専修」と話すことにしたんです。その瞬間彼女の僕を見る目が変わりました。まるでゴミを見るようでしたね。 「専修なんてありえない。男として恥ずかしくないの?」彼女の反応がこれですよ。僕も学歴詐称していたことに怒るならまだ納得できたんですよ。でも、彼女は僕が低学歴だから怒ったんです。もうどうしたらいいんでしょうか?こんな彼女とは別れてしまった方がいいんでしょうか?
私の父は浮気をしています。酒、煙草、ギャンブル全てする、親と認めたくないような父親です。これを読むことによって気持ちが重くなるかもしれません。そのことは母から直接聞きました。私が小さい頃に母は父から暴力を受けていて鬱病にもなり何度も死にたいと思ったそうですが私のために、私を残して死ぬことはできないと思い留まったそうです。今でも父を恨んでいるため、幼い頃からずっと父親への皮肉や悪口を聞き続けてきました。今も仮面夫婦で籍は入っているが家の中ではただの同居人と母は言っています。私が片親と言われないために一緒に暮らしてると。仕方ないことだと分かっていますが、「あの人に似ているところが一つでもあったら気が狂いそうになる」などの言葉を聞く度に複雑な気持ちになります。私は今高校一年生で、幼い時からずっと続けている習い事があり将来もその道で行きたいため両親から月に10~20万円お金をつぎ込んでもらっています。父は勿論そのことに対して大不満で辞めてしまえ、ともいいますが酒飲みの父もビールから発泡酒に変えたり色々努力(…?)して くれているような気もします。しかし、私が母と会話をしているときや、何か喋ったらそれを遮るように「お前には才能ないから」「頭悪いんやから黙っとけ」アホ、ボケ、カス私を侮辱することを言ってきます。私は誰の遺伝子を受け継いだのか塾を通わずに中学校の時から学年でトップの成績でいられたし、習い事の方も順調で、祖父母からは何をしてもソツなくこなすと褒められるので余計に悔しいです。(すみません。自慢とかではないので、すみません。)それに比べ父は高卒の低学歴。収入こそはほかの家よりも多いですが、父のDNAが入ってなかったらもっと何でもできたのにと恨んでいます。そこで我慢出来なくなった私は「うるさい」と言うと母が 「子供なんやから黙ってなさい。」と父の味方をしました。いつも母の味方をしているから裏切られたような気持ちでした。黙ってなさいって言っても父の悪行などはすべて母からですし、初めにも述べたとおり浮気のことも母から言われるまで知りませんでした。そのことを知らなかったら今のような腸が煮えくり返ると言うか、こんなにも憎しい感情は芽生えてなかったはずです。長々と申し訳ありません。つい感情的になり言いたいことをただ綴っただけの駄文になってしまいましたが、このままこの家で生きて��くのが辛いです。私のためにお金を注ぎ込んでくれていることに対しては感謝していますが心から感謝できません。これから私はどういう対応をしたらいいか、同じ経験をした方、そういう方を知っている方、なにか対処法などアドバイスいただけると幸いです。ストレス発散法なども教えて頂きたいです。身体的虐待を受けている訳でないのでどこに相談をしても良いのか分からないためここに投稿させて頂きました。毎日泣きながら寝る夜を早く卒業したいです。
借金問題について教えてください。現在25歳。私は3年前に借金を作り現在返済中です。サラ金3者より150万程クレジット+オートローンで50万円程借りております。私事で勝手ではございますが数ヶ月前に退職をし新しい職場で働いております。以前の職場では社宅を利用しており、給料も現在の職場よりは良かったです。今現在はアパートを借り給料も前職より少ない状況です。家賃、借金返済で給料が無くなる状況により滞納や利息のみの支払いが頻繁に続いている状況です。そもそもの借金は買い物癖や旅行といった事に使用しておりましたが少なくともギャンブルも絡んでおります。借金をする時は安易な気持ちでしたが今では後の祭りで物凄く後悔しております。過去を振り返っても借金が減る訳では無いので地道に返済するしか無いとは思いますがこの生活が続く事への不安で日々悩んでおります。甘い考えかもしれませんが今の職場が大好きで働く事への充実感もあり、もっと給料の良い職場への転職等は考えておりません。当然ですが延滞、利息のみの支払いが続き催促の電話が頻繁です。何かを切り詰めて返済をする事が当然の事とは思いますが先の見えない不安な毎日を過ごしたくありません。本題ですが、借金の相談を考えております。色々調べてはおりますが弁護士?司法書士?どちらに相談すれば良いのか。どの様な手続きがあるのでしょうか?また3年にという期間の借り入れで相談する事によって変化はあるのでしょうか?ご回答頂ければ幸いです。過去の反省とこれからの為に取り組む所存です。宜しくお願い致します。知恵をお貸し下さい。
私は現役不登校児です。私は、今年、中学校に入り部活にも入りました。しかし、その部活での様々な人同士でのいじめ・先生などが不満?っぽくなってしまい夏休みには全然部活に行けなくなりました。 個人的には私は自分の意見をしっかりといえないタイプだと思います(親がその逆です)友達に優しく接していたら逆に悪口を言われました。しかし、それを止めてくれる子もいました。その子にはとても感謝しています。しかし、二学期が始まる最初の日に体調が悪くなったり、行くのが怖いどころじゃなくなって結局休んでしまい今日まで来ています。私は学校に行かなくなってはじめの方では不登校っちゃ不登校だけど怠けてるんじゃねと自分に言い聞かせていました。しかし、しばらくして自分も不登校だと受け止めました。私は、学校に行かなくなってから、相談室の先生とメールをやっていましたが、しばらくして消されました。正直よくわからないですがはじめのほうは辛くて悲しかったです。インターネットなどを見ていると不登校児に対する悪口などをよく見かけます。私も不登校になる前まではその人たちと似たような考えでした。今でもたまにそう思います。でも、辛いです。はじめのほうは親になんとなくは話せていましたが最近じゃ言う気にもなれません。学校では、サボりじゃんとみんな言っていると友達から言われました。私は学校に行きたい気持ちは少しですがあります。でも、やっぱり怖くて行けません。私は、学校に行けて、そしてちゃんと学校生活を送れるのでしょうか。きっと、人に相談することではないとは思います。でも、今では何も考えれないです。少しでも、アドバイスなどありましたらお願いします。長文失礼しました
高校卒業後の進路の事で悩みがあります。私は高校3年生です。JASSOの奨学金の第2種を一番高い金額で申し込んであります。将来アスレティックトレーナーになりたいので、その資格が取れる学校を受験する予定でした。なのに父が「俺は金は一切払わないから、学費は全額 奨学金とバイトでまかなえ」と言い出しました。私が住んでいる県には資格が取れる学校が無いので 他県の学校を受験するしかないのですが、その場合生活費も奨学金でなんとかしろと言われています。正直 絶対無理です。私の認識では、奨学金はあくまで一部援助してくれる借金であって、学費や生活費を全部払うためのものでは無いのですが、私が間違っているのでしょうか?また、父は受験料や移動費も払ってくれないそうです。そんな事を言われたら、どこも受験できません。受験生なのに勉強する気も失せてしまいそうです。愚痴なのですが、そんなにお金が無いと言われても納得がいきません。父は自衛官です。私の友達はご両親の収入は二人合わせても年収300万もないそうです。でもその友達は奨学金も借りていないし他県に何度も大学の見学に行っているし、東京の私立の学校を受験するそうです。私の父は国家公務員で 失礼ですが 友達のご両親よりも収入は遥かに高いです。なのに受験料すら払ってもらえないとは。こんな事を言っている私は 性格が悪いのはわかっているのですが、どうしても納得できません。担任の先生に相談しても、そういうのは家庭の事情だからと 話を聞いてくれません。父とはどれだけ話し合っても なかなかわかってもらえません。いや、わかってはいるのかも知れませんが、「おまえが何と言おうが金が無いから諦めろ。他の選択肢は無い」の一点張りです。このまま父の言う通りにするなら高校卒業後は何を目標にして何をして生きて行くのでしょう。お先真っ暗って感じです。私はもうどうすれば良いのかわかりません。本当に悩んでいます。ご回答よろしくお願いします。
40代、50代の男性に質問です。私は現在29歳独身です。今、好きな人がいて、相手の男性は49歳バツイチです。彼に子供はいません。向こうも好きだと言ってくれるのですが、20歳も歳の差があるのを気にしています。私の家庭は、私が幼い頃から両親は別居していて、家庭内不和の末、私は精神疾患を発症しました。私が成人してから両親は離婚し、同時期に兄弟は実家を離れ、母と二人暮らしです。私は結婚願望もあり、当初は、30近いから結婚を前提に付き合ってくれるなら付き合いたいと、彼に話していました。歳の差、離婚を経験している事や彼の両親が介護施設に入所しているのを踏まえると、今はよくても将来、必ず一方的に苦労をかけるから迷ってると言われてしまいました。彼の意見は現実的でごもっともです。また、私は自身の両親を見ていて、家庭内不和や一家離散を目の当たりにし、病気もしてるのに自活できている今の生活も十分だと思います。私は、結婚は考えなくていいから彼と交際したいです。病人だから、もう結婚は諦めてるとも伝えています。彼は、私と知り合うまでは、誰とも交際したり再婚しないと考えてたそうです。お互い好きなのに、結婚はもう考えなくていいと話しているのに、どうして付き合えないのでしょうか。
僕は四年間付き合った彼女とネットで知り合った女の子と会おうとしてたことで喧嘩をして別れました。別れてから僕はその子に会いに行ってその後やり取りして付き合うことになったのですが、1ヶ月もしないうちに僕の心の中には元カノの存在があることに気づき、その子と別れました。でも元カノのところには簡単には戻らなそうです。元カノは別れる時会いに行かないなら別れないから行かないでって泣いてました。でもそれをどーせ何しても別れないだろーと思って無視して会いに行きました。最低でした。元カノとは高校も大学も同じで今もたまに見かけます。別れて直後はご飯も食べれないし夜も眠れない、学校もサボりがちになっていたみたいでした。でも最近は毎日通ってるみたいだしなんか元気そうというか、付き合ってた時より交友関係も広くなってて、夜に友達と遊びに行くなどもしているようです。正直何度か今まで僕の女関係が原因(体の関係はない)で別れて付き合ってを繰り返してきたので今回もそんな感じで戻れると思って連絡したのですが、メアドも帰られていてLINEもブロックされており、電話も繋がりません。やばいです。元カノは唯一ネット以外で知り合い、一番長く付き合った彼女です。一番可愛くて優しかったです。会いたいといえば何時間もかけて会いに来てくれたり、お金なくても一緒にいれればいいみたいな感じで僕はそれに甘えてたのかも知れません。自分で言うのも何ですが元カノは僕に相当惚れてたと思います。今から土下座して謝りに行けば少しは可能性ありますか?友達にもお前に付き合えるのは彼女しかいないし、彼女を逃したのはデカすぎると言われました。後悔でいっぱいです。
嫁が2人目を妊娠した事を僕の実家には言いたくない。と言い出しました。元々嫁は僕の家族が嫌いで 親戚も嫌っています。嫁の実家には報告済み。子供も嫁の実家には行くのに僕の実家には連れて行こうとしません。誘われても断るように言われています。嫁抜きで子供と2人で実家に行こうとしましたが怒って実家に帰っちゃいました。しばらく両親は子供に会ってません。今後どうすればいいでしょうか?嫁はお祝いもいらないし祝福もしていらないし会わすつもりもない。親戚に公表するつもりもない。 と断固拒否です。理由は言ってくれませんが僕の兄弟の嫁といざこざがあったのかもしれません。今後どうすればいいのでしょうか?補足:回答頂きありがとうございます。嫁は子供が産まれても言うつもりはないし会わせないと言っています。後から知ったら両親はなんて思うか…遠くに引越したいのですが2人目も生まれますし今すぐには難しいです。
何かに一生懸命になれる人が羨ましいです。何が彼らを一生懸命にするのか?私は劣っている人間です、いわゆる不良品頑張ったところで所詮は中の下くらいです。上には上がいます、もちろん下には下があります。頂点に立つには日々苦労をして、血と汗を流しながら達成感を求めてひたすら頑張るのでしょう。たとえ頑張ったところで頂点に立つ事が出来るのは1%未満でしょうけど。漫画だと「努力すれば報われる」とか言いますがあれは嘘ですね。私が普通になる努力をしたところで所詮は普通、当たり前な事、むしろ普通の人が少し努力をすれば簡単に追い越す事が出来るのです。なぜ?皆は私に普通であるように言いました普通になったら更に上を求めるの?皆が普通である事を望み私も普通である事に何か利点があると思い普通になった。普通になったら何も無かった、もしかしたら利点はあるのかもしれないが普通では見つける事が出来ない?これなら普通で無かった方が良かったのではないか?普通でなくても自分で出来る何か特化した事を求めた方が良かったのではないか?これまでの10年間無駄だったのではないか?普通になった事で皆から期待を寄せられる事になった最初は全ての人が期待の目で見てくる、その後は必ず失望した目に変わる。言葉にされなくても分かる、今まで散々その目を見てきたから。今は他人が怖い、他人の目が私を傷つけてくる、他人が怖く人との接触が怖くなり今は家族も怖い沈黙した秒数、目の動き、発した言葉、顔の表情この4つで相手の私への本音が読み取れてしまう。仕事は半年続けましたが皆のイラつきがわかり怖くなり退社1年ほどバイトをしながら生活をしているがバイトも長続きしない、病院に行きたいがお金がない、友達には仕事しろと言われていますが仕事をしたとしてもバイトでさえ長続きしないのにと思います。病院に行っても甘えと判断される。他人と対した時、少しでも普通でなければならない普通を演じてしまうのでそう判断されるのかもしれない。もしかしたら医者が言っている甘えが正しく、単に普通でないのを言い訳にしているだけなのかもしれない。どちらにしてももう疲れた、考える事に疲れた。皆さんの知恵を貸して頂けませんか?私は今後何をすればいいんですか?完全な普通にもなれず、常人並の事でさえ出来ない私に何を求めているんですか?
私はお金がない、と言われる家庭に育ち、常にお金のことを考えてきました。お金のことで悩んだり考えたりする結婚だけはずっと避けたいと思っていました。今お付き合いしている彼はいわゆるケチで、常にお金のことを言ってきます。結婚に理想を抱きすぎかもしれませんが、お金持ちになりたいとかではなく、ケチケチした、貧乏生活は送りたくないというだけです。物欲はなく、買い物も全然しません。彼からは結婚を申しだされていますが悩んでいます。しかし親からも早く結婚して落ち着いてほしいと言われ揺らいでいます。
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