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#レーニン暗殺未遂事件
kirezilla · 5 years
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われわれが、レーニンを撃った若い婦人で、処刑されたドーラ・カプランの話をしていると、クループスカヤがひどく狼狽した。私には革命権力によって革命家が死刑を宣告されるということに彼女が胸を痛めているのが読みとれた。後に私とクループスカヤだけになると彼女は激しく泣きながら、このことについて語ったのである。レーニン自身はこの事件について多くを語ることを望まなかった。私の受けた印象では、レーニンはドーラ・カプランの処刑が彼自身に関わることだったから余計に胸を痛めていたようである。つまり、もし彼の銃弾の犠牲者が誰か他のソヴェトの人民委員であれば、判決はもっと寛大になっていたであろう。後になって反革命宣伝の科で処刑されたメンシェヴィキ・グループについて、私は自分の思っていることをいう機会があった。レーニンは答えた。「もしこのようなメンシェヴィキ数人を銃殺しておかないと、われわれは一万人の労働者を銃殺しなくてはならない立場に追いこまれるかもしれませんよ。このことがわかりませんか?」彼の声の調子は冷酷でもなかったし、無情でもなかった。それは悲惨な必要を吐露した言葉であった。そして、私はこのとき、こと言葉に深く打たれたのものである。
アンジェリカ・バラバーノワ『わが反逆の生涯』15「暴力と流血の悲劇──歴史の必要経費」  
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weeklyliberty-blog · 7 years
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ポリティカル・コレクトネスの台頭
〔訳注:コデヴィッラは二〇一七年アメリカ大統領選にポリコレの一つの節目を見出し、そのルーツの一つとしてグラムシを研究する。英語圏ポリコレとグラムシの関連性について、Sean Gabb, Cultural Revolution, Culture Warを見よ、いわく、マルクス主義的共産主義の仮説「は虚偽である。……プロレタリアの貧窮化も一般的過剰生産危機も存在しない。……二十世紀初期、この問題に対する二つの反応が現れた。……一つ目は……レーニンを見よ……。二つ目は本来のイデオロギーから経済的決定論を削ぎ落としつつもその救世主的な熱狂を保ったまま仮説を救出することだった。その最も重要な企画者三人はアントニオ・グラムシとルイ・アルチュセール、ミシェル・フーコーであった」。イギリスでは「教師はグラムシとアルチュセール、フーコーの作品を読書、討論し、そうして吸収することを要求される」。〕
アンジェロ・M・コデヴィッラ[1]
Angelo M. Codevilla, “The Rise of Political Correctness,” Claremont, Vol.xvi, No.4, Fall 2016.
 「同士、あなたは事実上間違っています」
「ええそのとおり。でも政治的には正しいんですよ」
 ポリティカル・コレクトネスの概念は一九三〇年代に共産党員の間で、党利とは現実それ自体を超えた現実として扱われるべきものであるという半ば滑稽な催促として使用されるようになった。共産党員含む進歩派はみな新人類の現実を創造しつつあると主張するから、彼らは自然の法則と制限に対する永続戦争の構えにある。しかし現実は屈するものではないから、進歩派は行き詰まって、彼ら自らこれらの新現実を体現している振りをするようになった。それゆえ、進歩主義運動の名目的目標はいずれも、運動それ自体の力に関する喫緊で最も重要な疑問の下におかれてしまう。その力は進歩主義者が彼ら自身と世界について言っていることを他人が質疑できるかぎり不安定であるから、進歩主義運動は、約束上の新現実を創造することより、あたかもそれらが現実であるかのように――すなわち、政治的に正しいこと、党利に奉仕する思考が、事実として正しいかのように――人々を喋らせ行為させるための強制の方で努力することに終わる。
共産主義諸国家はそのような未遂の集団思考の最も顕著な事例を差し出すにすぎない。彼らの親指の下で彼らの歌を歌うか、それとも黙るかを人々に強いるため、進歩主義政党はどこでも教育制度と文化制度を独占しようと努めてきた。しかし彼らのイデオロギーが宣伝する繁栄や健康、知恵、幸福の逆を生み出してきたから、彼らはポリティカル・コレクトネスと現実の間のギャップを無視するよう民を強いることができなかった。
特にソビエト帝国の内破以来、左翼は共産主義がユートピアを創造し損ねたのは軍事的経済的権力の不足ではなくこのギャップに打ち勝てなかったせいだと論じるようになった。したがって、今の進歩派にとっての教訓は、ポリコレをかつてより厳しく押し付けること、反対者への処罰を一層苛烈にすることではないか? ソビエト型の抑圧力を揮うことはできないと知っているが、なお彼らの企画に対する増大中の大衆的抵抗を叩き潰す意志をもって政府と社会の管制高地に居座る、現在のもっと識別力に富んだヨーロッパ・アメリカ進歩主義者の多数は、文化的抵抗を粉砕するためのもう一つのアプローチを探し求める。彼らはますます、「文化的覇権」をその闘争の主な手段のみならず目的そのものともした華々しい共産主義理論家アントニオ・グラムシ(1891–1937)の名を引く。彼の著述が思い描くのは進歩主義への文化的抵抗の可能性それ自体が除去された全体主義である。しかし彼の著述はマルクスやレーニンよりマキャヴェリに負うから、手段に関して少なからず複雑であり、ソビエト帝国が実施した生硬な文化権力と同一とは言いがたいし、ついでに言えば、それは今我々の間で飛び交っているものである。
私の本稿の目的は進歩主義者がレーニンの日から彼らの文化戦争をどう理解し実行してきたか、彼らが我々の時代と境遇でその戦争を行う際に直面する選択肢――わけても現在の文化戦争でのポリティカル・コレクトネスに関するもの――がグラムシ自身の曖昧な著述でどう例証されるかを説明することである。
文化戦争
あらゆる形態の進歩主義は、人間性の何が間違っているかとそれをどう直せばいいかに関する特殊な、「科学的」な知識の主張に基づく。その定式は率直だ。すなわち、世界はあるべきすがたではない、なぜならば社会の基本的「構造的」特色が悪く秩序立てられているからだ。他のすべては「上部構造」である、というのは、それは単に社会の根本的特色の反映をしているにすぎないということを意味する。マルクスと彼の追随者にとって、その特色とは「現在社会」の生産手段をめぐる紛争である。時代の始まりから、この階級闘争は「矛盾」へと導いてきた。労働の種類の矛盾、都市と田舎の矛盾、迫害者と被迫害者の矛盾などだ。この紛争でのプロレタリアートの勝利はあらゆる矛盾を粉砕して滅ぼすことで新現実を確立するだろう。進歩主義の他の諸部門は別の構造的問題を指摘する。フロイディアンにとっては性的不適応であり、ルソーの追随者にとっては社会的束縛であり、実証主義者にとっては科学的方法の不十分な適用であり、その他にとっては或る人種による他の人種の迫害である。いったん社会の支配が専ら適当な進歩主義者の集まりの手に渡されたら、基本的構造的問題が直されるにつれて各セクトの矛盾が消滅するに違いない。
しかし進歩主義者が権力を握ったところではどこでも、あらゆる種類の矛盾がそのまま残っており、新しい矛盾まで生まれている。進歩主義運動はそれら自体の存在理由になることでこの失敗に反応してきた。理論的には、かの革命とは人類を再創造する権力と必要のことである。それは実践では、ほとんどすべての進歩主義運動にとって、革命家が権力を得ること、邪魔者と戦争することである。たとえば、労働者/農民プロレタリアはその核心的な主唱者ではなかったが、それと同じだけ、私有財産と分業、政治的迫害を超越することは決してマルクス‐レーニン主義の核心的動機ではなかった。実際、共産主義とはこれらのイデオローグ自身に権力を与え、彼ら自身を褒め称えることに終わるところの、イデオローグによる、イデオローグの、イデオローグのためのイデオロギーである。これはマルクス主義に当てはまるのと同じだけ進歩主義の他の諸部門にも当てはまる。
レーニンの種子的な貢献は革命的政党の比類なき至上性を明示的に認識し、政党の権力と威信を革命への手段から革命のあからさまな目的に変えたことであった。レーニンの著述はマルクスのそれと同じく将来の経済的配置の積極的記述を含まない。ソビエト経済はその非能率性にもかかわらず、スイス製じみた精密さでもって、幾人かにとっては特権のエンジンとして、それ以外の人々にとっては殺人的な剥奪と困窮のエンジンとして機能した。共産党は共産主義を超越していたのである。政権の座の進歩主義政党がすることを理解する鍵は、どんな組織の実際的目標も結局はその指導者の利害関心と悪い性癖に奉仕するようになるという、ヴィルフレド・パレートとガエタノ・モスカのような「エリート理論家」が強調した概念である。
進歩的革命家の利害関心に奉仕するのが何であるかは疑問の余地がない。進歩主義の各部門は社会の「構造的」罪科をどう定義するかに��けて異なっているけれども、十九世紀から我々の時代までの進歩主義は、克服しようとする人間的現実の名称それ自体と、その目的を達するための手段にかけて、彼らの一人格的偏愛において――彼らが何を愛するかよりも、彼らが何を、誰を憎悪するかについて――ほとんど同一性を保っている。彼らはマルクス主義者が「ブルジョワ道徳」と呼ぶ文化を彼らのアイデンティティと権威の否定であると見る。このアイデンティティ、彼らのアイデンティティは、この文化に対する永続的な闘争によって永続的に促進されなければならない。こういうわけで、さもなくば相異なるはずの諸々の進歩主義の文化的キャンペーンはかくも似ていたのである。レーニン主義ロシアは多様な西洋民主主義者に劣らず宗教を根絶するため、男女と子供が家族として存在するのを困難にするため、そして彼らのアイデンティティを反映する新秩序を褒め称えるところに彼らの国民が参加することを要求するために、努めてきた。注意――文化戦争の実質的目標は戦士自身のアイデンティティの肯定よりは重要ではない。これこそが文化戦争を行ってきた進歩主義者のアニムスを説明するものである。
けれども、個人の心は社会の基本構造を反映するにすぎず、ゆえに独立して真偽、善悪を推理することはできないという進歩主義の前提にもかかわらず、現実はやはり、諸個人がどう思考するか、どう行為するかの「構造的」基礎を欠きつつも、しばしば思考と行為を選択しているし、あるいは進歩主義理論が人類を分断する経済的、社会的または人種的「階級」に逆らって行為していると認めるよう進歩主義者たちを強いる。彼らは人の心のこの自由を「虚偽意識」と呼ぶ。
虚偽意識と戦うことは共産党員と他の進歩主義者が想定場では「上部構造」であるはずの文化的問題をあたかも構造的で基礎的であるかのように扱ってしまうことの理由の一つである。彼らは人々につねに圧力をかけて、進歩主義の理論に批准させ、誰が誰に何を言うかに対し支配力を揮うことで歴史の流れに「逆」行する者に対する勝利のミサに加えることでそうするのである。
ソビエト・モデル
ソビエト政権は全体主義権力を最大限行使することでの「ブルジョワ文化」の強制的超越を目指した。ブルジョワ文化の拒絶を支配階級での出世条件にするのはもちろん、ほとんどすべての協会を破壊し、ほとんどすべての司祭を殺害し、かすかな反対の兆候さえ処罰することで、この古い文化を破壊も同然まで追いやることに成功した。しかしこの歩みは、最終的で最善のはおろか、新しくてもっと良い文化を確立するのではなく、むしろソビエト権力の基礎そのものを破壊してしまった。
進歩主義諸政権が要求するには、仕事や特権を失ったり――たとえ犯罪者としては扱われなくとも――政権支持者の忌避や憤怒を蒙ったりしたくなければ、公共(はおろか私事)に表れる人物は政権のアイデンティティに相応しい一切合財を肯定しなければならない。しかし全体主義政権でさえ一時に褒章したり処罰したりできる人数は多くない。唇を噛み締める数百万人の暗黙の協力は、贔屓漁りの数千人のリップサービスよりはるかに本質的である。それゆえ、少なくとも受動的な協調を刺激するため、政党は「みんな」がすでにこちら側にいるという印象を与えることに励む。
しかしそしたら、なぜ共産党はつねに、わずかながら教会を残していたのか。なぜ国外からの党自身への批判を報告したのか。なぜ党はときおり反体制派の人々を公表したのか。党が文化政治的な大義のためにキャンペーンを始めるとき、それはいつでも、反対を少数の人々に象徴せしめ、社会的に容認可能な機関と広報をすべて差し向けて、彼らに反対派の最悪のものを押し付けるだろう。ソビエト連合から中国とキューバまで、党学校はなぜ、貧者、老人、社会的に不快なアウトカーストたちが通う礼拝を、若い中核に観察させ、あざ笑わせるのだろうか? 理由の一部としては、文化的な敵に襲い掛かることが中核のアイデンティティを再強化したからである。それで彼らは好い気持ちになって、もっと強い気分になった。古い社会や反対派の名残がなくなれば、党がそれらを製造することはできるかもしれなかった。
しかし人々に党の代用現実を賞賛させて、彼らが知っていることは真実ではないと肯定させ、彼らが知っている以外のことを真実であると否定させるための継続的な努力には、彼らを仲違いさせて恐ろしい孤立の感覚に突き落とし、彼らの自尊心と他人を信頼する度量を破壊することが要求される。ジョージ・オーウェルの小説『1984』はこの文化戦争の目的と手段をドラマにした。すなわち、人間の感性と理性が伝える現実を政党の権威に置き換えることにほかならない。ビッグ・ブラザーのエージェントは、社会の命令より彼自身の見解を好むかどでウィンストンを叱責しながら、四本の指を挙げながら五本の指が見えると認めさせることでウィンストンの精神の壊しおおせた。
かくてソビエト政権は冷笑的で怨恨を抱いた機能不全の国民を創造する。かの共産主義は「ブルジョワ文化」の破壊を文化的征服と混同したから、あらゆる文化闘争で勝利を収め、そのかたわらで政治的に崩壊するはるか前から文化戦争には負けていた。人民の心で共産党員が虚偽と詐欺に同定されるにつれて、人民は真理を公務員以外の一切、彼らの学説以外の一切と同定するようになった。彼らとそれらを腐敗と窮乏に同定することも避けられなかった。そしてそれは、当局の権威者が大収穫だったと公表したら人民がポテトを買いだめするということであり、当局の権威者に呪詛を吐かれているとしかキリスト教のことを知らない人民はいよいよ十字架を身に着け始めるようになったということである。
ゆかれなかった道
ソビエト経験を理解して「ブルジョワ」文化を彼ら自身のものと置き換えるより良い道を探すほど謙虚な進歩主義者は少なかった。アントニオ・グラムシはそのような道しるべをつけたが、その曖昧さのせいで、進歩主義者はまったく異なる方向を追っていった。
グラムシは混合的な哲学的前提から始めた。第一に、正統派マルクス主義から。彼は「固定的で不変な『人間本性』のようなものはない」と記す。むしろ、「人間本性とは歴史的に決定された社会関係の総体である」。近現代の君主の仕事はこれを変えることだ。しかしながら、彼のまったき非正統性は、経済要素が根本的で他をすべて上部構造とするマルクス主義の強弁への嘲りだった。いな、「そういうのは庶民向けのもの」で、「頭を使いたくない中衛知識人」用の「矮小な決まり文句」である。グラムシにとって、経済関係は社会的現実のほんの一部分にすぎず、その主要部分は知的で道徳的なものだった。彼はアリストテレス主義のルーツを忘れない。彼にとって、物理科学とは「目的論」と「終局因」が存在する「不変の現実の考察」である。しかし正統派マルクス主義とアリストテレスは、彼が「弁証法」と称したもの、古い現実から新しいそれを創造するという点において一緒にやっていく。
グラムシは一九二一年に共同でイタリア共産党を結成した。一九二六年、ムッソリーニは彼を投獄。十一年後に亡くなるまで、彼は十二冊の『獄中ノート』を著した。彼は私的所管ではスターリンの文芸判断を批判し、彼のレフ・トロツキーへの攻撃を「無責任で危険」と考えた。しかし彼は公的にはソビエトの党是転換をすべて支持した――彼の党の上司パルミロ・トリャッティに、彼の著述を修正する権威さえ与えている。彼は投獄されて健康を害したので、彼の仲間をかくも多く殺した共産党内の粛清に晒されるよりは知的に自由で肉体的に安全だった。
グラムシの「文化的覇権」の概念もまた両方に振れる。敵をすぐ殺すよりは変えることへの強調は、共産党のブルートフォース・アプローチとは相容れなかった。彼の文化問題への集中は、構造と上部構造を標準どおり区別しつつも引っくり返しており、心の自律への信念を仄めかしていた。他方、自然に照らして真偽と善悪を推理するのではなく歴史的新現実を創造することで心を説得するという理念それ自体はまさに彼がマルクスその他の進歩主義者と――実に、近現代思想の源泉たるニコロ・マキャヴェリと――共有するものであった。
グラムシは既存秩序を置き換えてその置換を保障する最善の方法を発見するためにマルクスよりもマキャヴェリに頼る。マキャヴェリの『君主論』の第五章は自分たちの法律の下で生活することに慣れきった人々を支配する「唯一確実な方法」は破壊することであると述べた。しかしマキャヴェリの目標は彼らを破壊することではなく、彼らの心を介して人々を支配することであった。彼が『君主論』第六章に記すには、「新しい様式と秩序」を確立するより難しいことはなく、これは人々に一定の事柄を「説得」することが必要であり、それは「彼らが力で信じさせられたとはもはや信じないとき」必要であり、これは「非武装預言者」にとっては特に難しい。しかしマキャヴェリはまた、そのような預言者は新しい信念の集合を教え込むことに成功したら「強力、安全、栄誉、幸福」を期待できるとも記した。彼はこの洞察を『リウィウス』第二巻第五章で明晰化した。「新宗教の創始者が異言語を話すようになるとき、古い宗教は簡単に破壊される」。そしたら、マキャヴェリ派の革命家は新しい言語に相応しい新しい考え方と話し方を教え込まなければならない。マキャヴェリは『言語論』において、敵の思想に浸透するための彼自身の言語の使用を、同盟軍を支配するためのローマの自軍の使用と比較した。これはグラムシが共産革命の問題に重ね合わせる雛形である――他人の使用のために「非武装預言者」が拵えた雛形だ。
マキャヴェリはグラムシの『獄中ノート』での、政党が「近現代の君主」としてどう支配すべきかを記す一節の出発点である。しかし近現代の君主の任務は、彼が「行為を介して自覚的になった集合的意志としてすでに結晶化し始めた社会の複雑で集合的な要素、有機体」と定義する、政党(約五十回の言及において、彼は「共産」という言葉を省いている)しか真剣に引き受けることができないほど多い。この君主、この政党は、「経済的綱領とは結びつき得ない……道徳的及び知的改革の組織者兼能動的表現」たるべきである。むしろ、経済改革が道徳的及び知的改革から、「普遍的かつ全体的になりがちな集合的意志の芽生え」から成長するとき、それはあらゆる生活と習慣の世俗化の基盤になることができる。
政党君主は「歴史的概念的な意味での」ジャコバンであることによりこれを成し遂げる。グラムシは記す――「これこそマキャヴェリが民兵改革で意味したことであり、ジャコバンがフランス革命で実行したことである」。自分の生き方とは急進的に異なる生き方を考えたこともなかった人々を、そのような生き方に参加するよう説得――誘導――することで、党は社会の離散的な諸部分から合意を集めなければならない。党は「その組織的な力」を、「果てしない量の書籍と冊子、雑誌と新聞の記事に表れる、細心の注意を払った分子的、毛管的な過程、無限に繰り返される私的な討論」によって開発し、それは「その巨大な全体において、一定の同質性が備わった集合的意志を生むものによって成り立っている。しかし刮目せよ、ジャコバンは「軍事国」を達成するためにちっとも文字通りの強要を用いなかった。
グラムシはどちらに賛成か? 政党は、合意を鼓吹する――ことによると丸め込むか、それとも強制するか。彼の答えは曖昧だ。「マキャヴェリは美徳ある市民が恣意的な処置に対して安全に暮らせるような固定的な原理によって国家が運営されることをかなり明快に肯定する。しかしながら、マキャヴェリはいみじくも、彼らの永遠の合意を保証する統治者の技術に、つまり政治に万事を還元する」。彼が記すには、問題は「マキャヴェリのケンタウロスの二重の本性、獣性と人間性、強制と合意、権威と覇権……戦術と戦略に応じて……『二重の視座』」から考えられなければならない。実際、「なんとしても」��そはマキャヴェリの要点である。
グラムシの一般性と機微の鍵は、政党とキリスト教の関係に関する彼の用心深い議論に見出されるべきだ。「他の政党はもはや存在しないかもしれないが、そこにはつねに事実上の党や傾向性が存在するだろう……そのような、文化的な問題が重要な党においては……政治的討論は文化的形態をとり、そのようなものとして、解決不可能になる傾向がある」。解説:進歩主義政党国家(政府として振舞う政党、政党として振舞う政府)は文化問題に関わる社会的紛争の権威的――おそらく強制的――仲裁の役割を避けることができず、自らの仕方でそれらの責任を引き受けなければならない。
具体的には:グラムシが記したとおり、ムッソリーニのバチカンとの一九二九年コンコルダート(政教条例)は彼の最も上出来な政治工作であることが分かった。教会とフランス革命後国家の公式の敵意を解消し、カトリック教を国家宗教としてそのヒエラルキーに施しをすることで、ムッソリーニはイタリアの最も浸透的な文化的制度を敵から友好的な配下に変えてしまった。数千人の司祭と数百万人の信徒が、思想を、言葉を、行動を、政党国家の良い市民の定義に適うように曲げたものだ。グラムシはコンコルダート以降の教会を「自らの独占をもっと良く維持するため、教会に代表される市民社会の部分の支持をもって自らの下に教会を集約した一定の特権的集団に独占される政治的社会の、つまり国家の、統合的部分になった」と記述した。ファシスト国家の手で道徳的にも知的にも妥協した教会、ムッソリーニが望み、グラムシが恐れた教会は、その教えと社会的圧力をファシスト仕様に再定義した。この転覆――ファシズムの名において教会を誹謗し規制すること――に代わるものは、多くのカトリック教徒を駆り立てて、この政党に対してつねに厳しく反対していた彼らの教理の根本を信奉させることになった。コンコルダートはムッソリーニが企業国家と称した残りの部分の効果的な雛形になった。
グラムシは同じ現象をblocco storico(ブロッコ・ストーリコ)――「歴史的ブロック」と称した。これは社会の多様な諸部門を政党国家の指導の下に集約する。グラムシは知識人がこのブロックの指導的要素であると言う。所与のどんな時代においても、彼らは労働者と農民、教会などの集団を、人民が生活し、運動し、存在するところの一つの単位、それ以外を想像することは不可能ではなくとも困難であるような一つの単位に溶接する。権力は、賢明に使われれば、太陽がヒマワリに作用するような仕方で人民に作用する。このブロックの中では、新言語が有機的に成長するかたわらで、理念は実質を変えながらもその名前を保つかもしれない。グラムシが書き留めたとおり、マキャヴェリは言語が意識支配の鍵であると論じた――実力のみでなしうる何かより安全な支配の鍵である、と。しかしマキャヴェリの言語闘争の比喩はみな暴力に言及することに注目せよ。この歴史的ブロックを密着させて、その中に強情な抵抗者を押し留めるには、どれほどの実力行使がいるだろうか? グラムシの沈黙は「必要とあらば、なんとしても」と言っているようだ。結局、ムッソリーニは彼が必要と考えたかぎりを行使した。
要するに、スターリンではなくムッソリーニ、強姦ではなく強制的誘惑こそが、「文化的覇権」に関するグラムシの実践的助言である。彼はこの選好をマキャヴェリに転嫁する。マキャヴェリは「新しい力関係を創造したがっており、自らしかるべき場所を占めなければならない」。しかしこれは「恣意的な選択ではないし、単なる願望や現実離れした愛でもない」。マキャヴェリのような政治家は「無からは創造しないし、願望と夢想のうつろな渦には立ち入らない」創造者にして煽動者である。「彼は自らを効果的な真理……恒常的な運動と均衡の力の関係に基礎付ける」。グラムシは西洋文化と戦うよりも、それに自らを再定義させること、転覆することでそれを置き換えるつもりなのである。
グラムシの選択
グラムシ派の対文化覇権のビジョンは万能薬ではない。実際、今の進歩的知識人はマルクスやレーニン、ムッソリーニと同じ苦境に陥っている。すなわち、「労働者」がマルクス主義革命の破城槌となるために突進していってはいないのと同じだけ、社会の社会経済的な力はグラムシ派の「歴史的ブロック」に加わるほどにはドアを打ち破っていない。文化闘争に深く携わる今日の進歩的知識人はレーニンやムッソリーニと同じ選択に突き当たっている。社会のそれぞれ異なる文化的な諸部門を、賢く権威的に溶接するか、それとも破壊するか。この選択肢は基本的にはこうだ。ムッソリーニの誘惑か、レーニンの強姦か。
この選好の違いは大陸ヨーロッパのグラムシ派をアングロ=アメリカのそれとざっと分け隔てるものである。
一九七〇年代までには、ヨーロッパの社会主義政党は政治的権力の独占に似た何かを達成していた。しかし「労働階級」は不満足な政府への怨恨に加えて社会主義者が押し付けた文化的選好にも怨恨を抱くようになった。現在、ヨーロッパ社会主義政党は十幾つか一桁の票を集める。幾人かの進歩的政治家はグラムシ――主としてグラムシ政治のムッソリーニ版――に言及することでその理由と改善を求めてきた。フランス社会主義者ガエル・ブリュスティエと彼の本À demain Gramsci(『さよならグラムシ』2015)が原型的である。
ブリュスティエは著す。「左翼はもはや文化的覇権の立場にはない」。なぜならばそれは「グラムシが『常識』と称したもの、人々が当然と思う理念と信念の複合体」を手放したからだ。それを手放したのは、権力それ自体を征服してきた力の在り処を誤解したからである。それゆえ、左翼が「自分に関する幻覚を育んだ」かたわら、右翼は普通の人々の「階級身分の衰退と喪失に刺激された集団的苦悶から利を得る」ことで「精力的な文化戦争に勝って」いた。ブリュスティエは「もはや誰も信じない政治システムにおいて何をすべきなのか」と問うことで締めくくる。
彼の同士のツラに対するこのビンタは事実上、左翼の文化的政治的覇権の遺産である形式的非形式的「一党」連合を拒む脱文化的大衆と右翼を混同する点でしか間違っていない。事実、前ソビエトの地においてと同様、ヨーロッパの進歩的覇権は何も信じない人々を生み出した。にもかかわらず、これらの人々は左派知識人が生きる世界とはとても異なった世界に住んでいる。ブリュスティエは進歩派がこの文化的相違を「虚偽意識」のせいにしないよう警告した。彼はグラムシの教えを思い出させる。「人々は盲目でなければ馬鹿でも奴隷でもない」。ブリュスティエが同士に思い出させたとおり、グラムシの核心は、知識人とは異なる階級をして知識人を信奉させることであった。「したがって、価値観に対する闘争はそれ自体が文化的覇権の否定である」。彼の苦情によれば、彼の仲間は「インターナショナル」を歌って好い気になっていると苦情を言うが、現在の問題への答えには「服従」しか差し出さない。この行動は反生産的である。
ブリュスティエは「社会党が〔文化的覇権の好機をすべて台無しにしながら〕カトリック世界を〔典型的な過ちと〕考える尊大さ」を引用する。彼が言うには、これは数百万人のフランス人が社会主義政権の二〇一三年と十四年の同性婚拡張に対しパリの路上デモで抗議する前から左翼にとって明らかでなければならないはずだった。左翼はこの法律を広めながら、「世界がそのメンバーの日々の経験に意味を与えるときの意味の与え方」を侮辱した。それは数十万人もの若者を「古い偏屈者」と呼ぶことで、かつては敵でなかった人々を敵に回した。彼は訝る。強要できない人々を相手にイチャモンを付けるとはどういう了見だ。あの法律は社会主義者を好い気分にした。しかし、そのための戦いは社会主義革命を前進だったのか? グラムシ派の標準では、あの法律は愚かである。
しかしこの標準によれば、ブリュスティエが記すには、アメリカの同士は一層愚かである。アメリカ左翼はノーム・チョムスキーのような人のアドバイスに従って「『帝国』(アメリカ合衆国)の敵の数を潜在的な仲間の数と認識する」ところまで行ってしまった。「これは確実にアメリカ人民の多数派の感情とは対応しない」。ブリュスティエはアメリカ左翼がそのようなことをして自分を「政治的周縁」にしていると論じる。
しかしながら、アメリカ進歩的知識人はアメリカ支配階級を率いる民主党の精髄を自認する。ヨーロッパの片割れが経験した種類の拒絶をまだしらないから、彼らは過去半世紀でにアメリカ文化を変化させた成功体験に舞い上がって、グラムシ派の文化的覇権の概念を、彼ら自身の文化的アイデンティティをアメリカに強いる実践の確証と考えている。民主党の得意客はすでに、社会の残りを納得させるのではなく制圧するという知識人の狙いを是認している。彼らにとっては、これが革命である。彼らはムッソリーニの代替案よりむしろレーニンを選択したのだった。
彼らはアメリカの社会政治的秩序が経済的搾取と同じだけレイシズムと家父長制、虐殺的帝国主義に基づいていると推論する。グラムシの「歴史的ブロック」は人種的正義とジェンダー正義、経済的正義、反帝国主義の合同追求で起こすことができる。革命とは要は、被迫害の各人が切望した報復を迫害者に課すための被迫害階級の団結である。この間主観的共同体はそのアイデンティティがアメリカ文化――宗教、人種、性癖、経済――を一片でも否定する集団を含む。彼らは集まって、その何もかもを否定する。社会の残りの人々を転覆し変貌させるために文化的制度への政党国家権力の行使についてグラムシが何と書いたか、何を意味したかにかかわらず、アメリカ左翼にとっての文化的覇権とは、ユダヤ・キリスト文明をその揺り篭の中で窒息させるため、公的談話で政党構成諸集団のアイデンティティに奉仕する思考しか許さないため、そしてその他の全員を中傷し、脱正当化し、ことによっては無法者と宣するためにこの権力を使うことを意味する。それは要するに、我々が知るとおりの、ポリティカル・コレクトネスを意味するのである。
ポリティカル・コレクトネス
グラムシの文化的覇権の概念を耳にしたアメリカ人のほぼ全員にとって、それはポリコレの目的、窒息を意味する。しかしポリコレとはまさしく、グラムシが完全には支配できない人々の常識へのイチャモン付けと非難したものから成り立つから、アメリカ左翼の文化的覇権の理解はその意図のとおり、その文化戦争が終わらないことを暗示している。
一九六〇年代初頭、ボストンからバークリーまでにおいて、アメリカの教師の教師は新しいクリフスノート式の新しい神聖な歴史を吸収し、教育した。すなわち、アメリカは生まれながらにして西洋文明の原罪で穢れていた――偽善的な自由と平等の約束に基づいてすべて宗教的蒙昧主義に包まれた、レイシズム、セクシズム、強欲、原住民と環境へのジェノサイド。レイシストでセクシストだが結局は馬鹿なアメリカ大衆からの抵抗に直面してなお、ハーバート・クローリーとウッドロー・ウィルソンからフランクリン・ルーズベルトとバラク・オバマまでの世俗の聖人は、アメリカを偉大な正義の道に乗せて、これらの約束の罪を償った。そのような人物を同じ理由で目上と考えるのは、オバマ大統領が言ったとおり、「偽の等価」であろう。そのように信任状を授かって、型に嵌められ、自説に固執して、均一な階級がいまや、ほとんどすべての連邦及び州政府官僚を、メディアを、教育機関を、大企業を統括している。それは友愛と同じように、正しい側に就いていると示す「内輪」言語を話すことを要求し、そのメンバーと衝突する「アウトサイダー」アメリカ人を酷い目に合わせる。デイヴィッド・ダライデンとサンドラ・メリットのように、政府出資のプランド・ペアレントフッドによる中絶胎児の身体部位の違法取引映像を公開したら重罪で起訴されてしまう。支配階級は映像が映したことを映さない世界のことを語るからだ。
アメリカ進歩派支配階級が真善美のビジョンや社会の残りの人々を自分に惹きつけるための強みを差し出さないのはヨーロッパの片割れと同じである。アメリカ進歩主義が差し出したのは、ヨーロッパの同類と同じように、ポリティカル・コレクトネスに施行されての支配階級への隷属である。共産主義に終わりがなかったのと同じだけ、政治的な正しさにはエンドポイントがない。それは今やここでは落ちぶれて、いつものとおり、どこでも同じように、党を祭り上げ残りの人々を卑しめるものになっている。
もしも文化的覇権とは支配階級のアメリカ文化制度のほとんどの独占を意味するにすぎないならば、かかる紛争は一世代前に終わっ���いただろう――支配者の勝利で。しかし支配階級は、古い文化の強情な名残があたかもその粉砕のためのさらに激しい努力に値するかのように振舞うから、ポリコレでの文化的覇権とは紛争の永続性を保証する永久的な侮辱と怨恨のサイクルを意味するのである。対照的にも、(マキャヴェリに倣う)グラムシの文化的覇権の概念は明確な勝利を求める――幾つもの文化的階層を、もう誰も振り返ることができないほど超越した何かにするような、社会の変貌と総合だ。たとえば、キリスト教がローマと野蛮人の神々を除去したような。もっと重要なこととして、グラムシが従うマキャヴェリは、文化的覇権の権力密閉をもっと大いなる目的への手段と考えていた。マキャヴェリにとって、それはローマのそれのような政治的威厳を意味したのである。それはグラムシにとってはマルクス主義ユートピアの達成を意味した。
なぜアメリカ左翼はつねに新しいポリコレへの服従を要求するのか。アメリカ法に安置されたとおりに一男一女の結婚を定義することが、罰金の対象にしてほぼ無法者の地位に置かれる「ホモフォビア」とかいう不埒な心理に動機付けられる人々としての烙印を押されるだろうとは、二〇一二年には誰も考えなかっただろう。二〇一五~一六年までは、男性用公衆便所を使うために男性の配管工事を求めることが同じ病理の印だったとは誰にも思われなかった。なぜ以前はこれらがポリコレの要求の一部にならなかったのか。いったん埋められたら更なる追加を要求しないポリコレのカノンがないののあなぜか。
なぜならばポリコレの要点は、それが押し付ける諸項目のいずれでもないし、そのようなものをもったこともない――押し付けることそれ自体が要点だからである。ましてや定義可能な共通文化を創造したり定義可能な善を達成したりすることではない。それは小売りの水準では、民主党の得意客から投票者の参加を最後の一滴まで搾り取るアメリカ支配階級のニーズに関するものである。卸売りの水準では、アイデンティティ政治に耽るための、文明に対する戦争である。
この映画はどう終わる?
ポリコレの押し付けは論理的な決着がつかない。なぜならば他人に罪を告白させ、辱めて傷つけることで好い気持ちになるのは中毒的な快感で、満足するたびに燃え上がる欲望の類だからである。わたしはお前の中に落ち度を見出すほどお前より尊くなる(あるいは少なくともトレンディーになる)。お前が悪であるほどわたしは善になり、わたしはもっとお前に対する権力をもつべきなのである。アメリカの支配階級はアメリカの残りの人々が再教育営の収容者として扱われなければならないという見解を採用したようだ。ハーバードの法学部教授マーク・タッシュネットが今年の早い頃にブログの投稿で論じたとおり、これが意味するのは、「リベラル〔英米リベラル〕がちっとも規範的引力を認めないような立場を擁護したし今なお擁護している敗者を収容する試み〔ではない〕。敗者に優しくする試みは、内戦後にはうまくいかない」。
しかしながら、この内戦勝者の代理的な権力切望は、決してマキャヴェリと心を一つにしてはいないグラムシには関わらなかった。彼は、屈辱を味合わせて敵の精神を挫くことの享楽ではなく、むしろ殺せない敵の転覆という観点で考えた。彼が記すには、人々は「愛撫されるか、それとも絶滅させられるべきもの」である。永久に無力化されたとわけではない人々を侮辱するのは楽しいが、危険で高くつく楽しみである。なぜならば、それは服従と同じだけ陰気と反逆を生むからである。ガエル・ブリュスティエがフランス社会党に尋ねたあの質問はアメリカ支配階級にも尋ねることができる。あなたがたは、あなたがたがしていることを、何だと思っているのか。あなたがたは、潜在的な同盟へのかつてなく侮辱的な条件を要求することで、あなたがたのために順調に進んでいる転覆キャンペーンを危うくしている。なぜ敵に武装するよう求めているんだ?
大敵たる宗教のことを考えてみよ。アメリカの本線たるプロテスタントの宗派は長らく、彼らの(減少中の)信者を支配階級の進歩主義的なプライオリティーに明け渡してきた。
教皇フランシスコは、聖職者への殺害も含む西洋文明への攻撃について、判断することの拒絶を公言した。彼が七月に〔ポーランド〕クラクフの世界青年日で述べたとおりの、「新人類」を作ることへのカトリック教会の関与は、カトリック教会がキリスト教を進歩主義の用語での進歩主義の伝道と再定義するための道を開いた――かつてはアメリカ・カトリック教の砦だったが今ではアメリカ進歩主義の砦になったジョージタウン大学とノートルダムなどでは、すでに達成された伝道だ。福音派の指導者は遅れを取らないよう熱心である。支配階級のもっと大きなプライオリティーのためのアメリカの宗教的体制派の徴用に、ムッソリーニが一九二九年に支払ったほどの費用をかける必要はなかったのに、とグラムシは助言しただろう。核心への正面攻撃を控えても十分に足りるだろう。
アメリカの進歩派はそうではなく、同性結婚と同性愛、「地球温暖化」などを押し付けることで、危害に侮辱を加えた。なぜならば、彼らには本当は彼ら自身を超えたプライオリティーなどなかったからである。アメリカの進歩的支配者は、フランスのと同じく、支持を集める政治家としてでではなく、テーブルがひっくり返るのを気にせず捕虜の処罰を楽しむ征服者として振舞っている。
しかし進歩的文化覇権の転機は、他所と同じくアメリカにも訪れているように思われる。良い市民が恣意性からの安全を感じられるような王国について、グラムシはマキャヴェリの『君主論』と彼自身の『新君主論』のことを著した。しかし恣意性こそは我らがポリコレご主人さまがアメリカの政治システムにしっかりと組み付けてきたものなのである。
我々の支配階級の最新の要求を考えてみよ。アメリカ人はペニスの付いた女性がありうること、ワギナの付いた男性がありうると同意しなければならない。そのような恣意に従うことは人間の度量を超えている。オーウェルの『1984』ではビッグ・ブラザーのエージェントが指を四本挙げながらウィンストンに五本見えていると認めさせる。しかしこれはアメリカ支配階級が自由民に要求していることに比べればチャチなもんだ。宮廷と官庁は説得の試みに悩むことなくただ彼らの命令を押し付けるだけで、安定性を重んじるタイプの数百万人の市民が、次に何が起こるのかも気にせず、なけなしのアメリカ共和国に鉄球をぶち込むのも本意になってしまっているのだから。
二〇一五~一六年において我々の支配階級がドナルド・トランプに驚いたのには驚かされる。彼はポリコレの具体的要求のほとんどに従順なままで、概してリベラル[左翼リベラル]な民主党派のままだったが、彼としてはポリコレ一般を嘲ってその仕出し屋を侮辱すれば十分だった。トランプにとっては、リベラリズムのパブリック・エネミー・ナンバーワンになれば十分だったのである。『ウォール・ストリート・ジャーナル』のウィリアム・ガルストンの社説は彼の階級のレーニン主義的なアメリカ文化奪取がどうして不発に終わったのかを感じ取り始めている。
〔トランプの〕キャンペーンは教養中流階級――わたしのような人々――の幻想を無慈悲に暴露した。我々は法律と公的規範の変化が諸々の党派とイデオロギーの路線に行き渡る私的態度の変化を漸進的にもたらしてきたと信じていた……。
トランプ氏は我々が間違っていることを証明した。彼のポリティカル・コレクトネス批判は多くのタブーを破壊し、彼の支持者に対し、彼らが本当に考えていることを言うライセンスを与えた。我々が嘲ってきた信念がいまや、世界で最も古い政党の一つで、ときには有権者全体において、多数派を集めている。
要点はトランプではなく、支配階級は西洋文明を追いやってもグラムシ‐マキャヴェリ派の意味での文化的覇権に取って代わりはしなかったという事実にある。進歩派はむしろ、侮辱の押し付けと定義されるとおりのポリコレを押し出すことで、一切合財の権威の正統性を、何にもまして、彼ら自身の正統性を破壊したのだった。
『アメリカン・スペクテーター』での私の二〇一一年の記事「支配階級と革命の危機」は、「アメリカ人のおよそ三分の二――わずかな民主党投票者、ほとんどの共和党投票者、すべての無党派――は選挙政治の捌け口をもたない」と論じた。支配階級がポリコレによる文化戦争に伴ってアメリカ人の生活に行き渡らせた、あからさまな憲法と法律の軽視への鬱憤は、「遅かれ早かれ、良かれ悪しかれ、多数派の代表要求でいっぱいになるだろう」ことを意味していた。「あいにくと宮廷や官公の不正行為を嫌う者にとっては、全政党を真理の基盤に引き戻すよりも他の不正行為でこれに反撃することの方が簡単である」と書き留めた。
アメリカの多数派は――憲法と法律が彼らの生き方を絶え間ない名誉毀損から保護するのをやめてしまったと気づいており、「イリディーマブル」(「救いようのない」)「ディプローラブル」(「惨めな」)レイシストだのセクシストだのと侮辱されて怒り、その緩和を、ああ、利子の払い戻しを求めながらも、支配階級が下々とみなす者からの議論を締め出していることを知っていて――支配階級も同じ種類の侮辱的迫害を受ければ自分が他人に取り成されたいのと同じように他人を取り成す価値を学ぶかもしれないと期待してテーブルを引っくり返すしか選択肢がない。あるいはもっとありそうなこととして、これは革命の典型である報復の螺旋の一巡りなのであろう。けれども、これの避け方があるようには思われない。
もはや誰も信じない政治システムにおいて何をすべきか。これは革命的な問題である。なぜならばアメリカの支配階級は、それ自体の信憑性を破壊するに伴って、真理への尊敬を大いに破壊し、アメリカ人民を自由と繁栄の独特の世話人にしてきた制約の文化を大規模に破壊したからである。文明から疎外された片意地な大衆はみな、実に自然に革命の自然な指導者へ向かう。ドナルド・トランプは「ライオンの家族、鷲の部族」に属するとエイブラハム・リンカーンが警告した、手に負えない男たちの前兆にすぎない。
要するに、支配階級が想像したとおり(そしてグラムシが承認したであろうとおり)に「諸々の党派とイデオロギーの路線に行き渡る私的態度の変化を漸進的にもたらしてきた」ではなく、むしろ支配階級がアメリカの残りの人々に押し付けた「法律と公的規範の変化」(ガルストンの再引用)、ポリコレは、革命を引き起こしたのである――それは綺麗ごとにはならないだろうとしか、我々には分からない。
[1] アンジェロ・M・コデヴィッラ(Angelo M. Codevilla)はクレアモント研究所の上級研究員兼ボストン大学国際関係の名誉教授である。
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kirezilla · 5 years
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このレーニン襲撃事件について、当時社会革命党中央委員会メンバーの大半がいたサマラで出された、党中央機関紙の見解は、以下の通りである。『懲罰にして復讐にあらず』、これが論説の表題であった。 「ボルシェヴィキ=ソヴィエト権力に、恐るべき一撃が加えられた。レーニンが傷を受けたのだ。このあまりにも名高い『ソヴナルコム』(人民委員会議)の議長は、永久ではないがしばらくの間席を退かれた(弾丸が彼の肺を貫いたのである)。 これはソヴィエト権力に加えられた一撃である。レーニンがいなければこの権力は無力である。レーニンがいなければこの権力は臆病で愚かである。 労農国家の指導者を襲った二人の人物は、はたして何者であろうか。我々はそれを知らない。しかし、この行為が労働者の集会が終わった際に起こったものである以上、ヴォロダルスキーの場合と同様に、レーニンも労働者の手で罰されたものと推測できる。いずれにせよ、これは民主的環境で起こった事実なのだ」。
アルフレッド・ロスメル『レーニンの下のモスクワ』1922・五「社会革命党員の裁判」
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kirezilla · 6 years
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政府の機関紙は述べていた。 「われわれの指導者の死に対しては、何千人もの敵が償いをせねばならない。今より後、労働者階級の讃歌は、ドイツでイギリスに対して歌われたよりも、はるかに激しい憎悪と復讐の歌となるであろう」
スタインベルグ『左翼エス・エル戦闘史』第Ⅳ部第2章「赤色テロル」
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