Tumgik
#念願の青サングラスお揃い
omoidedaaaa · 7 months
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kurihara-yumeko · 3 years
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【小説】The day I say good-bye(4/4) 【再録】
 (3/4)はこちらから→(https://kurihara-yumeko.tumblr.com/post/648720756262502400/)
 今思えば、ひーちゃんが僕のついた嘘の数々を、本気で信じていたとは思えない。
 何度も何度も嘘を重ねた僕を、見抜いていたに違いない。
「きゃああああああああああああーっ!」
 絶叫、された。
 耳がぶっ飛ぶかと思った。
 長い髪はくるくると幾重にもカーブしていた。レースと玩具の宝石であしらわれたカチューシャがまるでティアラのように僕の頭の上に鎮座している。桃色の膨らんだスカートの下には白いフリルが四段。半袖から剥き出しの腕が少し寒い。スカートの中もすーすーしてなんだか落ち着かない。初めて穿いた黒いタイツの感触も気持ちが悪い。よく見れば靴にまでリボンが付いている。
 鏡に映った僕は、どう見てもただの女の子だった。
「やっだー、やだやだやだやだ、どうしよー。――くんめっちゃ女装似合うね!」
 クラス委員長の長篠めいこさん(彼女がそういう名前であることはついさっき知った)は、女装させられた僕を明らかに尋常じゃない目で見つめている。彼女が僕にウィッグを被らせ、お手製のメイド服を着せた本人だというのに、僕の女装姿に瞳を爛々と輝かせている。
「準備の時に一度も来てくれないから、衣装合わせができなくてどうなるかと思っていたけど、サイズぴったりだね、良かった。――くんは華奢だし細いし顔小さいしむさくるしくないし、女装したところでノープロブレムだと思っていたけれど、これは予想以上だったよっ」
 準備の際に僕が一度も教室を訪れなかったのは、連日、保健室で帆高の課題を手伝わされていたからだ。だけれどそれは口実で、本当はクラスの準備に参加したくなかったというのが本音。こんなふざけた企画、携わりたくもない。
 僕が何を考えているかを知る由もない長篠さんは、両手を胸の前で合わせ、真ん丸な眼鏡のレンズ越しに僕を見つめている。レーザー光線のような視線だ。見つめられ続けていると焼け焦げてしまいそうになる。助けを求めて周囲をすばやく見渡したが、クラスメイトのほぼ全員がコスチュームに着替え終わっている僕の教室には、むさくるしい男のメイドか、ただのスーツといっても過言ではない燕尾服を着た女の執事しか見当たらない。
「すね毛を剃ってもらう時間はなかったので、急遽、脚を隠すために黒タイツを用意したのも正解だったね。このほっそい脚がさらに際立つというか。うんうん、いい感じだねっ!」
 長篠さん自身、黒いスーツを身に纏っている。彼女こそが、今年の文化祭でのうちのクラスの出し物、「男女逆転メイド・執事喫茶」の発案者であり、責任者だ。こんなふざけた企画をよくも通してくれたな、と怨念を込めてにらみつけてみたけれど、彼女は僕の表情に気付いていないのかにこにこと笑顔だ。
「ねぇねぇ、――くん、せっかくだし、お化粧もしちゃう? ネイルもする? 髪の毛もっと巻いてあげようか? あたし、――くんだったらもっと可愛くなれるんじゃないかなって思うんだけど」
 僕の全身を舐め回すように見つめる長篠さんはもはや正気とは思えない。だんだんこの人が恐ろしくなってきた。
「めいこ、その辺にしておきな」
 僕が何も言わないでいると、思わぬ方向から声がかかった。
 振り向くと僕の後ろには、長身の女子が立っていた。男子に負けないほど背の高い彼女は、教室の中でもよく目立つ。クラスメイトの顔と名前をろくに記憶していない僕でも、彼女の姿は覚えていた。それは背が高いという理由だけではなく、言葉では上手く説明できない、長短がはっきりしている複雑で奇抜な彼女の髪型のせいでもある。
 背が決して高いとは言えない僕よりも十五センチほど長身の彼女は、紫色を基調としたスーツを身に纏っている。すらっとしていて恰好いい。
「――くん、嫌がってるだろう」
「えー、あたしがせっかく可愛くしてあげようとしてるのにー」
「だったら向こうの野球部の連中を可愛くしてやってくれ。あんなの、気味悪がられて客を逃がすだけだよ」
「えー」
「えー、とか言わない。ほらさっさと行きな。クラス委員長」
 彼女に言われたので仕方なく、という表情で長篠さんが僕の側から離れた。と、思い出したかのように振り向いて僕に言う。
「あ、そうだ、――くん、その腕時計、外してねっ。メイド服には合わないからっ」
 この腕時計の下には、傷跡がある。
 誰にも見せたことがない、傷が。
 それを晒す訳にはいかなかった。僕がそれを無視して長篠さんに背を向けようとした時、側にいた長身の彼女が僕に向かって口を開いた。
「これを使うといいよ」
 そう言って彼女が差し出したのは、布製のリストバンドだった。僕のメイド服の素材と同じ、ピンク色の布で作られ、白いレースと赤いリボンがあしらわれている。
「気を悪くしないでくれ。めいこは悪気がある訳じゃないんだけど……」
 僕の頭の中は真っ白になっていた。突然手渡されたリストバンドに反応ができない。どうして彼女は、僕の手首の傷を隠すための物を用意してくれているんだ? 視界の隅では長篠さんがこちらに背を向けて去って行く。周りにいる珍妙な恰好のクラスメイトたちも、誰もこちらに注意を向けている様子はない。
「一体、どういう……」
 そう言う僕はきっと間抜けな顔をしていたんだろう、彼女はどこか困ったような表情で頭を掻いた。
「なんて言えばいいのかな、その、きみはその傷を負った日のことを、覚えてる?」
 この傷を負った日。
 雨の日の屋上。あーちゃんが死んだ場所。灰色の空。緑色のフェンス。あと一歩踏み出せばあーちゃんと同じところに行ける。その一歩の距離。僕はこの傷を負って、その場所に立ち尽くしていた。
 同じところに傷を負った、ミナモと初めて出会った日だ。
「その日、きみ、保健室に来たでしょ」
 そうだ。僕はその後、保健室へ向かった。ミナモは保健室を抜け出して屋上へ来ていた。そのミナモを探しに来た教師に僕とミナモは発見され、ふたり揃って保健室で傷の手当を受けた。
「その時私は、保健室で熱を測っていたんだ」
 あの時に保健室に他に誰かいたかなんて覚えていない。僕はただ精いっぱいだった。死のうとして死ねなかった。それだけで精いっぱいだったのだ。
 長身の彼女はそう言って、ほんの少しだけ笑った。それは馬鹿にしている訳でもなく、面白がっている訳でもなく、微笑みかけてくれていた。
「だから、きみの手首に傷があることは知ってる。深い傷だったから、痕も残ってるんだろうと思って、用意しておいたんだ」
 私は裁縫があまり得意ではないから、めいこの作ったものに比べるとあまり良い出来ではないけどね。彼女はそう付け足すように言う。
「使うか使わないかは、きみの自由だけど。そのまま腕時計していてもいいと思うしね。めいこは少し、完璧主義すぎるよ。こんな中学生の女装やら男装やらに、完璧さなんて求めてる人なんかいないのにね」
 僕はいつも、自分のことばかりだ。今だって、僕の傷のことを考慮してくれている人間がいるなんて、思わなかった。
 それじゃあ、とこちらに背を向けて去って行こうとする彼女の後ろ姿を、僕は呼び止める。
「うん?」
 彼女は不思議そうな顔をして振り向いた。
「きみの、名前は?」
 僕がそう尋ねると、彼女はまた笑った。
「峠茶屋桜子」
 僕は生まれて初めて、クラスメイトの顔と名前を全員覚えておかなかった自分を恥じた。
    峠茶屋さんが作ってくれたリストバンドは、せっかくなので使わせてもらうことにした。
 それを両手首に装着して保健室へ向かってみると、そこには河野ミナモと河野帆高の姿が既にあった。
「おー、やっと来たか……って、え、ええええええええええええ!?」
 椅子に腰掛け、行儀の悪いことに両足をテーブルに乗せていた帆高は、僕の来訪を視認して片手を挙げかけたところで絶叫しながら椅子から落下した。頭と床がぶつかり合う鈍い音が響く。ベッドのカーテンの隙間から様子を窺うようにこちらを見ていたミナモは、僕の姿を見てから興味なさそうに目線を逸らす。相変わらず無愛想なやつだ。
「な、何、お前のその恰好……」
 床に転がったまま帆高が言う。
「何って……メイド服だけど」
 帆高には、僕のクラスが男女逆転メイド・執事喫茶を文化祭の出し物でやると言っておいたはずだ。僕のメイド服姿が見物だなんだと馬鹿にされたような記憶もある。
「めっちゃ似合ってるじゃん、お前!」
「……」
 不本意だけれど否定できない僕がいる。
「びびる! まじでびびる! お前って実は女の子だった訳!?」
「そんな訳ないだろ」
「ちょっと、スカートの中身、見せ……」
 床に座ったまま僕のメイド服に手を伸ばす帆高の頭に鉄拳をひとつお見舞いした。
 そんな帆高も頭に耳、顔に鼻、尻に尻尾を付けており、どうやら狼男に変装しているようだ。テーブルの上には両手両足に嵌めるのであろう、爪の生えた肉球付きの手袋が置いてある。これぐらいのコスプレだったらどれだけ心穏やかでいられるだろうか。僕は女装するのは人生これで最後にしようと固く誓った。
「そんな恰好で恥ずかしくないの? 親とか友達とか、今日の文化祭に来ない訳?」
「さぁ……来ないと思うけど」
 僕の両親は今日も朝から仕事に行った。そもそも、今日が文化祭だという事実も知っているとは思えない。
 別の中学校に通っている小学校の頃の友人たちとはもう連絡も取り合っていないし、顔も合わせていないので、来るのか来ないのかは知らない。僕以外の誰かと親交があれば来るのかもしれないが、僕には関係のない話だ。
 そう、そのはずだった。だが僕の予想は覆されることになる。
 午前十時に文化祭は開始された。クラス委員長である長篠めいこさんが僕に命じた役割は、クラスの出し物である男女逆転メイド・執事喫茶の宣伝をすることだった。段ボール製のプラカードを掲げて校舎内を循環し、客を呼び込もうという魂胆だ。
 結局、ミナモとは一言も言葉を交わさずに出て来てしまった、と思う。うちの学校の文化祭は一般公開もしている。今日の校内にはいつも以上に人が溢れている。保健室登校のミナモにとっては、つらい一日になるかもしれない。
 お化け屋敷を出し物にしているクラスばかりが並んでいる、我が校の文化祭名物「お化け屋敷ロード」をすれ違う人々に異様な目で見られていることをひしひしと感じながら、プラカードを掲げ、チラシを配りながら歩いていくと、途中で厄介な人物に遭遇した。
「おー、少年じゃん」
 日褄先生だ。
 目の周りを黒く塗った化粧や黒尽くめのその服装はいつも通りだったが、しばらく会わなかった間に、曇り空より白かった頭髪は、あろうことか緑色になっていた。これでスクールカウンセラーの仕事が務まるのだろうか。あまりにも奇抜すぎる。だが咄嗟のことすぎて、驚きのあまり声が出ない。
「ふーん、めいこのやつ、裁縫上手いんじゃん。よくできてる」
 先生は僕の着用しているメイド服のスカートをめくろうとするので、僕はすばやく身をかわして後退した。「変態か!」と叫びたかったが、やはり声にならない。
 助けを求めて周囲に視線を巡らせて、僕は人混みからずば抜けて背の高い男性がこちらに近付いてくるのがわかった。
 前回、図書館の前で出会った時はオールバックであったその髪は、今日はまとめられていない。モスグリーンのワイシャツは第一ボタンが開いていて、おまけにネクタイもしていない。ズボンは腰の位置で派手なベルトで留められている。銀縁眼鏡ではなく、色の薄いサングラスをかけていた。シャツの袖をまくれば恐らくそこには、葵の御紋の刺青があるはずだ。左手の中指に日褄先生とお揃いの指輪をしている彼は、日褄先生の婚約者だ。
「葵さん……」
 僕が名前を呼ぶと、彼は僕のことを睨みつけた。しばらくして、やっと僕のことが誰なのかわかったらしい。少し驚いたように片眉を上げて、口を半分開いたところで、
「…………」
 だが、葵さんは何も言わなかった。
 僕の脇を通り抜けて、日褄先生のところに歩いて行った。すれ違いざまに、葵さんが何か妙なものを小脇に抱えているなぁと思って振り返ってみると、それは大きなピンク色のウサギのぬいぐるみだった。
「お、葵、お帰りー」
 日褄先生がそう声をかけると、葵さんは無言のままぬいぐるみを差し出した。
「なにこのうさちゃん、どうしたの?」
 先生はそれを受け取り、ウサギの頭に顎を置きながらそう訊くと、葵さんは黙って歩いてきた方向を指差した。
「ああ、お化け屋敷の景品?」
 葵さんはそれには答えなかった。そもそも僕は、彼が口を利いたところを見たことがない。それだけ寡黙な人なのだ。彼は再び僕を見ると、それから日褄先生へ目線を送った。ウサギの耳で遊ぶのに夢中になっていた先生はそれに気付いているのかいないのか、
「男女逆転メイド・執事喫茶、やってるんだって」
 と僕の服装の理由を説明した。だが葵さんは眉間の皺を深めただけだった。そしてそのまま、彼は歩き出してしまう。日褄先生はぬいぐるみの耳をぱたぱた手で動かしていて、それを追おうともしない。
「……いいんですか? 葵さん、行っちゃいましたけど……」
「あいつ、文化祭ってものを見たことがないんだよ。ろくに学校行ってなかったから。だから連れて来てみたんだけど、なんだか予想以上にはしゃいじゃってさー」
 葵さんの態度のどこがはしゃいでいるように見えるのか、僕にはわからないが、先生にはわかるのかもしれない。
「あ、そうだ、忘れるところだった、少年のこと、探しててさ」
「何か用ですか?」
「はい、チーズ」
 突然、眩しい光が瞬いた。一体いつ、どこから取り出したのか、先生の手にはインスタントカメラが握られていた。写真を撮られてしまったようだ。メイド服を着て、付け毛を付けている、僕の、女装している写真が……。
「な、ななななななな……」
 何をしているんですか! と声を荒げるつもりが、何も言えなかった。日褄先生は颯爽と踵を返し、「あっはっはっはっはー!」と笑いながら階段を駆け下りて行った。その勢いに、追いかける気も起きない。
 僕はがっくりと肩を落とし、それでもプラカードを掲げながら校内の循環を再開することにした。僕の予想に反して、賑やかな文化祭になりそうな予感がした。
 お化け屋敷ロードの一番端は、河野帆高のクラスだったが、廊下に帆高の姿はなかった。あいつはお化け役だから、教室の中にいるのだろう。
 あれから、帆高はあーちゃんが僕に残したノートについて一言も口にしていない。僕の方から語ることを待っているのだろうか。協力してもらったのだから、いずれきちんと話をするべきなんじゃないかと考えてはいるけれど、今はまだ上手く、僕も言葉���できる自信がない。
 廊下の端の階段を降りると、そこは射的ゲームをやっているクラスの前だった。何やら歓声が上がっているので中の様子を窺うと、葵さんが次々と景品を落としているところだった。大人の本気ってこわい。
 中央階段の前の教室では、自主製作映画の上映が行われているようだった。「戦え!パイナップルマン」というタイトルの、なんとも言えないシュールな映画ポスターが廊下には貼られている。地球侵略にやってきたタコ星人ヲクトパスから地球を救うために、八百屋の片隅で売れ残っていた廃棄寸前のパイナップルが立ち上がる……ポスターに記されていた映画のあらすじをそこまで読んでやめた。
 ちょうど映画の上映が終わったところらしい、教室からはわらわらと人が出てくる。僕は歩き出そうとして、そこに見知った顔を見つけてしまった。
 色素の薄い髪。切れ長の瞳と、ひょろりとした体躯。物静かな印象を与える彼は、
「あっくん……」
「うー兄じゃないですか」
 妙に大人びた声音。口元の端だけを僅かに上げた、作り笑いに限りなく似た笑顔。
 鈴木篤人くんは、僕よりひとつ年下の、あーちゃんの弟だ。
「一瞬、誰だかわかりませんでしたよ。まるで女の子だ」
「……来てたんだ、うちの文化祭」
 私立の中学校に通うあっくんが、うちの中学の文化祭に来たという話は聞いたことがない。それもそのはずだ。この学校で、彼の兄は飛び降り自殺したのだから。
「たまたま今日は部活がなかったので。ちょっと遊びに来ただけですよ」
 柔和な笑みを浮かべてそう言う。だけれどその笑みは、どこか嘘っぽく見えてしまう。
「うー兄は、どうして女装を?」
「えっと、男女逆転メイド・執事喫茶っていうの、クラスでやってて……」
 僕は掲げていたプラカードを指してそう説明すると、ふうん、とあっくんは頷いた。
「それじゃあ、最後にうー兄のクラスを見てから帰ろうかな」
「あ、もう帰るの?」
「本当は、もう少しゆっくり見て行くつもりだったんですが……」
 彼はどこか困ったような表情をして、頭を掻いた。
「どうも、そういう訳にはいかないんです」
「何か、急用?」
「まぁ、そんなもんですかね。会いたくない人が――」
 あっくんはそう言った時、その双眸を僅かに細めたのだった。
「――会いたくない人が、ここに来ているみたいなので」
「そう……なんだ」
「だからすみません、今日はそろそろ失礼します」
「ああ、うん」
「うー兄、頑張って下さい」
「ありがとう」
 浅くもなく深くもない角度で頭を下げてから、あっくんは人混みの中に消えるように歩き出して行った。
 友人も知人も少ない僕は、誰にも会わないだろうと思っていたけれど、やっぱり文化祭となるとそうは言っていられないみたいだ。こうもいろんな人に自分の女装姿を見られると、恥ずかしくて死にたくなる。穴があったら入りたいとはまさにこのことなんじゃないだろうか。
 教室で来客の応対をしたりお菓子やお茶の用意をすることに比べたらずっと楽だが、こうやって校舎を循環しているのもなかなかに飽きてきた。保健室でずる休みでもしようか。あそこには恐らく、ミナモもいるはずだから。
 そうやって僕も歩き出し、保健室へ続く廊下を歩いていると、僕は突然、頭をかち割われたような衝撃に襲われた。そう、それは突然だった。彼女は唐突に、僕の前に現れたのだ。
 嘘だろ。
 目が、耳が、口が、心臓が、身体が、脳が、精神が、凍りつく。
 耳鳴り、頭痛、動悸、震え。
 揺らぐ。視界も、思考も。
 僕はやっと気付いた。あっくんが言う、「会いたくない人」の意味を。
 あっくんは彼女がここに来ていることを知っていた。だから会いたくなかったのだ。
 でもそんなはずはない。世界が僕を置いて行ったように、きみもそこに置いて行かれたはずだ。僕のついた不器用な嘘のせいで、あの春の日に閉じ込められたはずだ。きみの時間は、止まったはずだ。
 言ったじゃないか、待つって。ずっと待つんだって。
 もう二度と帰って来ない人を。
 僕らの最愛の、あーちゃんを。
「あれー、うーくんだー」
 へらへらと、彼女は笑った。
「なにその恰好、女の子みたいだよ」
 楽しそうに、愉快そうに、面白そうに。
 あーちゃんが生きていた頃は、一度だってそんな風に笑わなかったくせに。
 色白の肌。華奢で小柄な体躯。相手を拒絶するかのように吊り上がった猫目。伸びた髪。身に着けている服は、制服ではなかった。
 でもそうだ。
 僕はわかっていたはずだ。日褄先生は僕に告げた。ひーちゃんが、学校に来るようになると。いつかこんな日が来ると。彼女が、世界に追いつく日がやって来ると。
 僕だけが、置いて行かれる日が来ることを。
「久しぶりだね、うーくん」
「……久しぶり、ひーちゃん」
 僕は、ちっとも笑えなかった。あーちゃんが生きていた頃は、ちゃんと笑えていたのに。
 市野谷比比子はそんな僕を見て、満面の笑みをその顔に浮かべた。
   「……だんじょぎゃくてん、めいど……しつじきっさ…………?」
 たどたどしい口調で、ひーちゃんは僕が持っていたプラカードの文字を読み上げる。
「えっとー、男女が逆だから、うーくんが女の子の恰好で、女の子が男の子の恰好をしてるんだね」
 そう言いながら、ひーちゃんはプラスチック製のフォークで福神漬けをぶすぶすと刺すと、はい、と僕に向かって差し出してくる。
「これ嫌い、うーくんにあげる」
「どうも」
 僕はいつから彼女の嫌いな物処理係になったのだろう、と思いながら渡されたフォークを受け取り、素直に福神漬けを咀嚼する。
「でもうーくん、女装似合うね」
「それ、あんまり嬉しくないから」
 僕とひーちゃんは向き合って座っていた。ひーちゃんに会ったのは、僕が彼女の家を訪ねた夏休み以来だ。彼女はあれから特に変わっていないように見える。着ている服は今日も黒一色だ。彼女は、最愛の弟、ろーくんが死んだあの日から、ずっと黒い服を着ている。
 僕らがいるのは新校舎二階の一年二組の教室だ。PTAの皆さまが営んでいるカレー屋である。この文化祭で調理が認められているのは、大人か、調理部の連中だけだ。午後になり、生徒も父兄も体育館で行われている軽音部やら合唱部やらのコンサートを観に行ってしまっているので、校舎に残る人は少ない。店じまいしかけているカレー屋コーナーで、僕たちは遅めの昼食を摂っていた。僕は未だに、メイド服を着たままだ。
 ひーちゃんとカレーライスを食べている。なんだか不思議な感覚だ。ひーちゃんがこの学校にいるということ自体が、不思議なのかもしれない。彼女は入学してからただの一度も、この学校の門をくぐったことがなかったのだ。
 どうしてひーちゃんは、ここにいるんだろう。ひーちゃんにとって、ここは、もう終わってしまった場所のはずなのに。ここだけじゃない。世界じゅうが、彼女の世界ではなくなってしまったはずなのに。あーちゃんのいない世界なんて、無に等しいはずなのに。なのにひーちゃんは、僕の目の前にいて、美味しそうにカレーを食べている。
 ときどき、僕の方を見て、話す。笑う。おかしい。だってひーちゃんの両目は、いつもどこか遠くを見ていたはずなのに。ここじゃないどこかを夢見ていたのに。
 いつかこうなることは、わかっていた。永遠なんて存在しない。不変なんてありえない。世界が僕を置いて行ったように、いずれはひーちゃんも動き出す。僕はずっとそうわかっていたはずだ。僕が今までについた嘘を全部否定して、ひーちゃんが再び、この世界で生きようとする日が来ることを。
 思い知らされる。
 あの日から僕がひーちゃんにつき続けた嘘は、あーちゃんは本当は生きていて、今はどこか遠くにいるだけだと言ったあの嘘は、何ひとつ価値なんてなかったということを。僕という存在がひーちゃんにとって、何ひとつ価値がなかったということを。わかっていたはずだ。ひーちゃんにとっては僕ではなくて、あーちゃんが必要なんだということを。あーちゃんとひーちゃんと僕で、三角形だったなんて大嘘だ。僕は最初から、そんな立ち位置に立てていなかった。全てはそう思いたかった僕のエゴだ。三角形であってほしいと願っていただけだ。
 そうだ。
 本当はずっと、僕はあーちゃんが妬ましかったのだ。
「カレー食べ終わったら、どうする? 少し、校内を見て行く?」
 僕がそう尋ねると、ひーちゃんは首を左右に振った。
「今日は先生たちには内緒で来ちゃったから、面倒なことになる前に帰るよ」
「あ、そうなんだ……」
「来年は『僕』も、そっち側で参加できるかなぁ」
「そっち側?」
「文化祭、やれるかなぁっていうこと」
 ひーちゃんは、楽しそうな笑顔だ。
 楽しそうな未来を、思い描いている表情。
「……そのうち、学校に来るようになるんだって?」
「なんだー、あいつ、ばらしちゃったの? せっかく驚かせようと思ったのに」
 あいつ、とは日褄先生のことだろう。ひーちゃんは日褄先生のことを語る時、いつも少し不機嫌になる。
「……大丈夫なの?」
「うん? 何が?」
 僕の問いに、ひーちゃんはきょとんとした表情をした。僕はなんでもない、と言って、カレーを食べ続ける。
 ねぇ、ひーちゃん。
 ひーちゃんは、あーちゃんがいなくても、もう大丈夫なの?
 訊けなかった言葉は、ジャガイモと一緒に飲み込んだ。
「ねぇ、うーくん、」
 ひーちゃんは僕のことを呼んだ。
 うーくん。
 それは、あーちゃんとひーちゃんだけが呼ぶ、僕のあだ名。
 黒い瞳が僕を見上げている。
 彼女の唇から、いとも簡単に嘘のような言葉が零れ落ちた。
「あーちゃんは、もういないんだよ」
「…………え?」
 僕は耳を疑って、訊き返した。
「今、ひーちゃん、なんて……」
「だから早く、帰ってきてくれるといいね、あーちゃん」
 そう言ってひーちゃんは、にっこり笑った。まるで何事もなかったみたいに。
 あーちゃんの死なんて、あーちゃんの存在なんて、最初から何もなかったみたいに。
 僕はそんなひーちゃんが怖くて、何も言わずにカレーを食べた。
「あーちゃん」こと鈴木直正が死んだ後、「ひーちゃん」こと市野谷比比子は生きる気力を失くしていた。だから「うーくん」こと僕、――――は、ひーちゃんにひとつ嘘をついた。
 あーちゃんは生きている。今はどこか遠くにいるけれど、必ず彼は帰ってくる、と。
 カレーを食べ終えたひーちゃんは、帰ると言うので僕は彼女を昇降口まで見送ることにした。
 二人で廊下を歩いていると、ふと、ひーちゃんの目線は窓の外へと向けられる。目線の先を追えば、そこには旧校舎の屋上が見える。そう、あーちゃんが飛び降りた、屋上が見える。
「ねぇ、どうしてあーちゃんは、空を飛んだの?」
 ひーちゃんは虚ろな瞳で窓から空を見上げてそう言った。
「なんであーちゃんはいなくなったの? ずっと待ってたのに、どうして帰って来ないの? ずっと待ってるって約束したのに、どうして? 違うね、約束したんじゃない、『僕』が勝手に決めたんだ。あーちゃんがいなくなってから、そう決めた。あーちゃんが帰って来るのを、ずっと待つって。待っていたら、必ず帰って来てくれるって。あーちゃんは昔からそうだったもんね。『僕』がひとりで泣いていたら、必ずどこからかやって来て、『僕』のこと慰めてくれた。だから今度も待つって決めた。だってあーちゃんが、帰って来ない訳ないもん。『僕』のことひとりぼっちにするはずないもん。そんなの、許せないよ」
 僕には答える術がない。
 幼稚な嘘はもう使えない。手持ちのカードは全て使い切られた。
 ひーちゃんは、もうずっと前から気付いていたはずだ。あーちゃんはもう、この世界にいないなんだって。僕のついた嘘が、とても稚拙で下らないものだったんだって。
「嘘つきだよ、皆、嘘つきだよ。ろーくんも、あーちゃんも、嘘つき。嘘つき嘘つき嘘つき。うーくんだって、嘘つき」
 ひーちゃんの言葉が、僕の心を突き刺していく。
 でも僕は逃げられない。だってこれは、僕が招いた結果なのだから。
「皆大嫌い」
 ひーちゃんが正面から僕に向かい合った。それがまるで決別の印であるとでも言うかのように。
 ちきちきちきちきちきちきちきちき。
 耳慣れた音が聞こえる。
 僕の左手首の内側、その傷を作った原因の音がする。
 ひーちゃんの右手はポケットの中。物騒なものを持ち歩いているんだな、ひーちゃん。
「嘘つき」
 ひーちゃんの瞳。ひーちゃんの唇。ひーちゃんの眉間に刻まれた皺。
 僕は思い出す。小学校の裏にあった畑。夏休みの水やり当番。あの時話しかけてきた担任にひーちゃんが向けた、殺意に満ちたあの顔。今目の前にいる彼女の表情は、その時によく似ている。
「うーくんの嘘つき」
 殺意。
「帰って来るって言ったくせに」
 殺意。
「あーちゃんは、帰って来るって言ったくせに!」
 嘘つきなのは、どっちだよ。
「ひーちゃんだって、気付いていたくせに」
 僕の嘘に気付いていたくせに。
 あーちゃんは死んだってわかっていたくせに。
 僕の嘘を信じたようなふりをして、部屋に引きこもって、それなのにこうやって、学校へ来ようとしているくせに。世界に馴染もうとしているくせに。あーちゃんが死んだ世界がもう終わってしまった代物だとわかっているのに、それでも生きようとしているくせに。
 ひーちゃんは、もう僕の言葉にたじろいだりしなかった。
「あんたなんか、死んじゃえ」
 彼女はポケットからカッターナイフを取り出すと、それを、
      鈍い衝撃が身体じゅうに走った。
 右肩と頭に痛みが走って、無意識に呻いた。僕は昇降口の床に叩きつけられていた。思い切り横から突き飛ばされたのだ。揺れる視界のまま僕は上半身を起こし、そして事態はもう間に合わないのだと知る。
 僕はよかった。
 怪我を負ってもよかった。刺されてもよかった。切りつけられてもよかった。殺されたって構わない。
 だってそれが、僕がひーちゃんにできる最後の救いだと、本気で思っていたからだ。
 僕はひーちゃんに嘘をついた。あーちゃんは生きていると嘘をついた。ついてはいけない嘘だった。その嘘を、彼女がどれくらい本気で信じていたのか、もしくはどれくらい本気で信じたふりを演じていてくれていたのかはわからない。でも僕は、彼女を傷つけた。だからその報いを受けたってよかった。どうなってもよかったんだ。だってもう、どうなったところで、あーちゃんは生き返ったりしないのだから。
 だけど、きみはだめだ。
 どうして僕を救おうとする。どうして、僕に構おうとする。放っておいてくれとあれだけ示したのに、どうして。僕はきみをあんなに傷つけたのに。どうしてきみはここにいるんだ。どうして僕を、かばったんだ。
 ひーちゃんの握るカッターナイフの切っ先が、ためらうことなく彼女を切り裂いた。
 ピンク色の髪留めが、宙に放られるその軌跡を僕の目は追っていた。
「佐渡さん!」
 僕の叫びが、まるで僕のものじゃないみたいに響く。周りには不気味なくらい誰もいない。
 市野谷比比子に切りつけられた佐渡梓は、床に倒れ込んでいく。それがスローモーションのように僕の目にはまざまざと映る。飛び散る赤い飛沫が床に舞う。
 僕は起き上がり走った。ひーちゃんの虚ろな目。再度振り上げられた右手。それが再び佐渡梓を傷つける前に、僕は両手を広げ彼女をかばった。
「    」
 一瞬の空白。ひーちゃんの唇が僅かに動いたのを僕は見た。その小さな声が僕の耳に届くよりも速く、刃は僕の右肩に突き刺さる。
 痛み。
 背後で佐渡梓の悲鳴。けれどひーちゃんは止まらない。僕の肩に突き刺さったカッターを抜くと彼女はそれをまた振り上げて、
  そうだよな。
 痛かったよな。
 あーちゃんは、ひーちゃんの全部だったのに。
 あーちゃんが生きているなんて嘘ついて、ごめん。
 そして振り下ろされた。
  だん、と。
 地面が割れるような音がした。
  一瞬、地震が起こったのかと思った。
 不意に目の前が真っ暗になり、何かが宙を舞った。少し離れたところで、からんと金属のものが床に落ちたような高い音が聞こえる。
 僕とひーちゃんの間に割り込んできたのは、黒衣の人物だった。ひーちゃんと同じ、全身真っ黒で整えられた服装。ただしその頭髪だけが、毒々しいまでの緑色に揺れている。
「…………日褄先生」
 僕がやっとの思いで絞り出すようにそれだけ言うと、彼女は僕に背中を向けてひーちゃんと向き合ったまま、
「せんせーって呼ぶなっつってんだろ」
 といつも通りの返事をした。
「ひとりで学校に来れたなんて、たいしたもんじゃねぇか」
 日褄先生はひーちゃんに向けてそう言ったが、彼女は相変わらず無表情だった。
 がらんどうの瞳。がらんどうの表情。がらんどうの心。がらんどうのひーちゃんは、いつもは嫌がる大嫌いな日褄先生を目の前にしても微動だにしない。
「なんで人を傷つけるようなことをしたんだよ」
 先生の声は、いつになく静かだった。僕は先生が今どんな表情をしているのかはわからないけれど、それは淡々とした声音だ。
「もう誰かを失いたくないはずだろ」
 廊下の向こうから誰かがやって来る。背の高いその男性は、葵さんだった。彼はひーちゃんの少し後ろに落ちているカッターナイフを無言で拾い上げている。それはさっきまで、ひーちゃんの手の中にあったはずのものだ。どうしてそんなところに落ちているのだろう。
 少し前の記憶を巻き戻してみて、僕はようやく、日褄先生が僕とひーちゃんの間に割り込んだ時、それを鮮やかに蹴り上げてひーちゃんの手から吹っ飛ばしたことに気が付いた。日褄先生、一体何者なんだ。
 葵さんはカッターナイフの刃を仕舞うと、それをズボンのポケットの中へと仕舞い、それからひーちゃんに後ろから歩み寄ると、その両肩を掴んで、もう彼女が暴れることができないようにした。そうされてもひーちゃんは、もう何も言葉を発さず、表情も変えなかった。先程見せたあの強い殺意も、今は嘘みたいに消えている。
 それから日褄先生は僕を振り返り、その表情が僕の思っていた以上に怒りに満ちたものであることを僕の目が視認したその瞬間、頬に鉄拳が飛んできた。
 ごっ、という音が自分の顔から聞こえた。骨でも折れたんじゃないかと思った。今まで受けたどんな痛みより、それが一番痛かった。
「てめーは何ぼんやり突っ立ってんだよ」
 日褄先生は僕のメイド服の胸倉を乱暴に掴むと怒鳴るように言った。
「お前は何をしてんだよ、市野谷に殺されたがってんじゃねーよ。やべぇと思ったらさっさと逃げろ、なんでそれぐらいのこともできねーんだよ」
 先生は僕をまっすぐに見ていた。それは恐ろしいくらい、まっすぐな瞳だった。
「なんでどいつもこいつも、自分の命が大事にできねーんだよ。お前わかってんのかよ、お前が死んだら市野谷はどうなる? 自分の弟を目の前で亡くして、大事な直正が自殺して、それでお前が市野谷に殺されたら、こいつはどうなるんだよ」
「……ひーちゃんには、僕じゃ駄目なんですよ。あーちゃんじゃないと、駄目なんです」
 僕がやっとの思いでそれだけ言うと、今度は平手が反対の頬に飛んできた。
 熱い。痛いというよりも、熱い。
「直正が死んでも世界は変わらなかった。世界にとっちゃ人ひとりの死なんてたいしたことねぇ、だから自分なんて世界にとってちっぽけで取るに足らない、お前はそう思ってるのかもしれないが、でもな、それでもお前が世界の一部であることには変わりないんだよ」
 怒鳴る、怒鳴る、怒鳴る。
 先生は僕のことを怒鳴った。
 こんな風に叱られるのは初めてだ。
 こんな風に、叱ってくれる人は初めてだった。
「なんでお前は市野谷に、直正は生きてるって嘘をついた? 市野谷がわかりきっているはずの嘘をどうしてつき続けた? それはなんのためだよ? どうして最後まで、市野谷がちゃんと笑えるようになるまで、側で支えてやろうって思わないんだよ」
 そうだ。
 そうだった。日褄先生は最初からそうだった。
 優しくて、恐ろしいくらい乱暴なのだ。
「市野谷に殺されてもいい、自分なんて死んでもいいなんて思ってるんじゃねぇよ。『お前だから駄目』なんじゃねぇよ、『直正の代わりをしようとしているお前だから』駄目なんだろ?」
 日褄先生は最後に怒鳴った。
「もういい加減、鈴木直正の代わりになろうとするのはやめろよ。お前は―――だろ」
  お前は、潤崎颯だろ。
  やっと。
 やっと僕は、自分の名前が、聞き取れた。
 あーちゃんが死んで、ひーちゃんに嘘をついた。
 それ以来僕はずっと、自分の名前を認めることができなかった。
 自分の名前を口にするのも、耳にするのも嫌だった。
 僕は代わりになりたかったから。あーちゃんの代わりになりたかったから。
 あーちゃんが死んだら、ひーちゃんは僕を見てくれると、そう思っていたから。
 でも駄目だった。僕じゃ駄目だった。ひーちゃんはあーちゃんが死んでも、あーちゃんのことばかり見ていた。僕はあーちゃんになれなかった。だから僕なんかいらなかった。死んだってよかった。どうだってよかったんだ。
 嘘まみれでずたずたで、もうどうしようもないけれど、それでもそれが、「僕」だった。
 あーちゃんになれなくても、ひーちゃんを上手に救えなくても、それでも僕は、それでもそれが、潤崎颯、僕だった。
 日褄先生の手が、僕の服から離れていく。床に倒れている佐渡梓は、どこか呆然と僕たちを見つめている。ひーちゃんの表情はうつろなままで、彼女の肩を後ろから掴んでいる葵さんは、まるでひーちゃんのことを支えているように見えた。
 先生はひーちゃんの元へ行き、葵さんはひーちゃんからゆっくりと手を離す。そうして、先生はひーちゃんのことを抱き締めた。先生は何も言わなかった。ひーちゃんも、何も言わなかった。葵さんは無言で昇降口から出て行って、しばらくしてから帰ってきた。その時も、先生はひーちゃんを抱き締めたままで、僕はそこに突っ立っていたままだった。
 やがて日褄先生はひーちゃんの肩を抱くようにして、昇降口の方へと歩き出す。葵さんは昇降口前まで車を回していたようだ。いつか見た、黒い車が停まっていた。
 待って下さい、と僕は言った。
 日褄先生は立ち止まった。ひーちゃんも、立ち止まる。
 僕はひーちゃんに駆け寄った。
 ひーちゃんは無表情だった。
 僕は、ひーちゃんに謝るつもりだった。だけど言葉は出て来なかった。喉元まで込み上げた言葉は声にならず、口から嗚咽となって溢れた。僕の目からは涙がいくつも零れて、そしてその時、ひーちゃんが小さく、ごめんね、とつぶやくように言った。僕は声にならない声をいくつもあげながら、ただただ、泣いた。
 ひーちゃんの空っぽな瞳からも、一粒の滴が転がり落ちて、あーちゃんの死から一年以上経ってやっと、僕とひーちゃんは一緒に泣くことができたのだった。
    ひーちゃんに刺された傷は、軽傷で済んだ。
 けれど僕は、二週間ほど学校を休んだ。
「災難でしたね」
 あっくん、あーちゃんの弟である鈴木篤人くんは、僕の部屋を見舞いに訪れて、そう言った。
「聞きましたよ、文化祭で、ひー姉に切りつけられたんでしょう?」
 あーちゃんそっくりの表情で、あっくんはそう言った。
「とうとうばれたんですか、うー兄のついていた嘘は」
「……最初から、ばれていたようなものだよ」
 あーちゃんとよく似ている彼は、その日、制服姿だった。部活の帰りなのだろう、大きなエナメルバッグを肩から提げていて、手にはコンビニの袋を握っている。
「それで良かったんですよ。うー兄にとっても、ひー姉にとっても」
 あっくんは僕の部屋、椅子に腰かけている。その両足をぷらぷらと揺らしていた。
「兄貴のことなんか、もう忘れていいんです。あんなやつのことなんて」
 あっくんの両目が、すっと細められる。端正な顔立ちが、僅かに歪む。
 思い出すのは、あーちゃんの葬式の時のこと。
 式の最中、あっくんは外へ斎場の外へ出て行った。外のベンチにひとりで座っていた。どこかいらいらした様子で、追いかけて行った僕のことを見た。
「あいつ、不器用なんだ」
 あっくんは不満そうな声音でそう言った。あいつとは誰だろうかと一瞬思ったけれど、すぐにそれが死んだあーちゃんのことだと思い至った。
「自殺の原因も、昔のいじめなんだって。ココロノキズがいけないんだって。せーしんかのセンセー、そう言ってた。あいつもイショに、そう書いてた」
 あーちゃんが死んだ時、あっくんは小学五年生だった。今のような話し方ではなかった。彼はごく普通の男の子だった。あっくんが変わったのは、あっくんがあーちゃんのように振る舞い始めたのは、あーちゃんが死んでからだ。
「あいつ、全然悪くないのに、傷つくから駄目なんだ。だから弱くて、いじめられるんだ。おれはあいつより強くなるよ。あいつの分まで生きる。人のこといじめたりとか、絶対にしない」
 あっくんは、一度も僕と目を合わさずにそう言った。僕はあーちゃんの弱さと、あっくんの強さを思った。不機嫌そうに、「あーちゃんの分まで生きる」と言った、彼の強さを思った。あっくんのような強さがあればいいのに、と思った。ひーちゃんにも、強く生きてほしかった。僕も、そう生きるべきだった。
 あーちゃんが死んだ後、あーちゃんの家族はいつも騒がしそうだった。たくさんの人が入れ替わり立ち替わりやって来ては帰って行った。ときどき見かけるあっくんは、いつも機嫌が悪そうだった。あっくんはいつも怒っていた。あっくんただひとりが、あーちゃんの死を、怒っていた。
「――あんなやつのことを覚えているのは、僕だけで十分です」
 あっくんはそう言って、どうしようもなさそうに、笑った。
 あっくんも、僕と同じだった。
 あーちゃんの代わりになろうとしていた。
 ただそれは、ひーちゃんのためではなく、彼の両親のためだった。
 あーちゃんが死んだ中学校には通わせられないという両親の期待に応えるために、あっくんは猛勉強をして私立の中学に合格した。
 けれど悲しいことに両親は、それを心から喜びはしなかった。今のあっくんを見ていると、死んだあーちゃんを思い出すからだ。
 あっくんはあーちゃんの分まで生きようとして、そしてそれが、不可能であると知った。自分は自分としてしか、生きていけないのだ。
「僕は忘れないよ、あーちゃんのこと」
 僕がそうぽつりと言うと、あっくんの顔はこちらへと向いた。あっくんのかけている眼鏡のレンズが蛍光灯の光を反射して、彼の表情を隠している。そうしていると、本当に、そこにあーちゃんがいるみたいだった。
「……僕は忘れない。あーちゃんのことを、ずっと」
 自分に言い聞かせるように、僕はそう続けて言った。
「僕も、あーちゃんの分まで生きるよ」
 あーちゃんが欠けた、この世界で。
「…………」
 あっくんは黙ったまま、少し顔の向きを変えた。レンズは光を反射しなくなり、眼鏡の下の彼の顔が見えた。それは、あーちゃんに似ているようで、だけど確かに、あっくんの表情だった。
「そうですか」
 それだけつぶやくように言うと、彼は少しだけ笑った。
「兄貴もきっと、その方が喜ぶでしょう」
 あっくんはそう言って、持っていたコンビニの袋に入っていたプリンを「見舞いの品です」と言って僕の机の上に置くと、帰って行った。
 その後ろ姿はもう、あーちゃんのようには見えなかった。
 その二日後、僕は部屋でひとり寝ていると玄関のチャイムが鳴ったので出てみると、そこには河野帆高が立っていた。
「よー、潤崎くん。元気?」
「……なんで、僕の家を知ってるの?」
「とりあえずお邪魔しまーす」
「…………なんで?」
 呆然としている僕の横を、帆高はすり抜けるようにして靴を脱いで上がって行く。こいつが僕の家の住所を知っているはずがない。訊かれたところで担任が教えるとも思えない。となると、住所を教えたのは、やはり、日褄先生だろうか。僕は溜め息をついた。どうしてあのカウンセラーは、生徒の個人情報を守る気がないのだろう。困ったものだ。
 勝手に僕の部屋のベッドに寝転んでくつろいでいる帆高に缶ジュースを持って行くと、やつは笑いながら、
「なんか、美少女に切りつけられたり、美女に殴られたりしたんだって?」
 と言った。
「間違っているような、いないような…………」
「すげー修羅場だなー」
 けらけらと軽薄に、帆高が笑う。あっくんが見舞いに訪れた時と同様に、帆高も制服姿だった。学校帰りに寄ってくれたのだろう。ごくごくと喉を鳴らしてジュースを飲んでいる。
「はい、これ」
 帆高は鞄の中から、紙の束を取り出して僕に差し出した。受け取って確認するまでもなかった。それは、僕が休んでいる間に学級で配布されたのであろう、プリントや手紙だった。ただ、それを他クラスに所属している帆高から受け取るというのが、いささか奇妙な気はしたけれど。
「どうも……」
「授業のノートは、学校へ行くようになってから本人にもらって。俺のノートをコピーしてもいいんだけど、やっぱクラス違うと微妙に授業の進度とか感じも違うだろうし」
「…………本人?」
 僕が首をかしげると、帆高は、ああ、と思い出したように言った。
「これ、ミナモからの預かり物なんだよ。自分で届けに行けばって言ったんだけど、やっぱりそれは恥ずかしかったのかねー」
 ミナモが、僕のプリントを届けることを帆高に依頼した……?
 一体、どういうことだろう。だってミナモは、一日じゅう保健室にいて、教室内のことには関与していないはずだ。なんだか、嫌な予感がした。
「帆高、まさか、なんだけど…………」
「そのまさかだよ、潤崎くん」
 帆高は飄々とした顔で言った。
「ミナモは、文化祭の振り替え休日が明けてからのこの二週間、ちゃんと教室に登校して、休んでるあんたの代わりに授業のノートを取ってる」
「…………は?」
「でもさー、ミナモ、ノート取る・取らない以前に、黒板に書いてある文字の内容を理解できてるのかねー? まぁノート取らないよりはマシだと思うけどさー」
「ちょ、ちょっと待って……」
 ミナモが、教室で授業を受けている?
 僕の代わりに、ノートを取っている?
 一体、何があったんだ……?
 僕は呆然とした。
「ほんと、潤崎くんはミナモに愛されてるよねー」
「…………」
 ミナモが聞いたらそうしそうな気がしたから、代わりに僕が帆高の頭に鉄拳を制裁した。それでも帆高はにやにやと笑いながら、言った。
「だからさ、怪我してんのも知ってるし、学校休みたくなる気持ちもわからなくはないけど、なるべく早く、学校出て来てくれねーかな」
 表情と不釣り合いに、その声音は真剣だったので、僕は面食らう。ミナモのことを気遣っていることが窺える声だった。入学して以来、一度も足を向けたことのない教室で、授業に出てノートを取っているのだから、無理をしていないはずがない。いきなりそんなことをするなんて、ミナモも無茶をするものだ。いや、無茶をさせているのは、僕なのだろうか。
 あ、そうだ、と帆高は何かを思い出したかのようにつぶやき、鞄の中から丸められた画用紙を取り出した。
「……それは?」
「ミナモから、預かってきた。お見舞いの品」
 ミナモから、お見舞いの品?
 首を傾げかけた僕は、画用紙を広げ、そこに描かれたものを見て、納得した。
 河野ミナモと、僕。
 死にたがり屋と死に損ない。
 自らの死を願って雨の降る屋上へ向かい、そこで出会った僕と彼女は、ずるずると、死んでいくように生き延びたのだ。
「……これから、授業に出るつもり、なのかな」
「ん? ああ、ミナモのことか? どうだろうなぁ」
 僕は思い出していた。文化祭の朝、リストバンドをくれた、峠茶屋桜子さんのこと。僕とミナモが出会った日に、保健室で僕たちに偶然出会ったことを彼女は覚えていてくれていた。彼女のような人もクラスにはいる。僕だってミナモだって、クラスの人たちと全く関わり合いがない訳ではないのだ。僕たちもまだ、世界と繋がっている。
「河野も、変わろうとしてるのかな……」
 死んだ方がいい人間だっている。
 初めて出会ったあの日、河野ミナモはそう言った。
 僕もそう思っていた。死んだ方がいい人間だっている。僕だって、きっとそうだと。
 だけど僕たちは生きている。
 ミナモが贈ってくれた絵は、やっぱり、あの屋上から見た景色だった。夏休みの宿題を頼んだ時に描いてもらった絵の構図とほとんど同じだった。屋上は無人で、僕の姿もミナモの姿もそこには描かれていない。だけど空は、澄んだ青色で塗られていた。
 僕は帆高に、なるべく早く学校へ行くよ、と約束して、それから、どうかミナモの変化が明るい未来へ繋がるように祈った。
 河野帆高が言っていた通り、僕が学校を休んでいた約二週間の間、ミナモは朝教室に登校してきて、授業を受け、ノートを取ってくれていた。けれど、僕が学校へ行くようになると、保健室登校に逆戻りだった。
 昼休みの保健室で、僕はミナモからルーズリーフの束を受け取った。筆圧の薄い字がびっしりと書いてある。
 僕は彼女が贈ってくれた絵のことを思い出した。かつてあーちゃんが飛び降りて、死のうとしていた僕と、死にたがりのミナモが出会ったあの屋上。そこから見た景色を、ミナモはのびのびとした筆使いで描いていた。綺麗な青い色の絵具を使って。
 授業ノートの字は、その絵とは正反対な、神経質そうに尖っているものだった。中学入学以来、一度も登校していなかった教室に足を運び、授業を受けたのだ。ルーズリーフのところどころは皺寄っている。緊張したのだろう。
「せっかく来るようになったのに、もう教室に行かなくていいの?」
「……潤崎くんが来るなら、もう行かない」
 ミナモは長い前髪の下から睨みつけるように僕を一瞥して、そう言った。
 それもそうだ。ミナモは人間がこわいのだ。彼女にとっては、教室の中で他人の視線に晒されるだけでも恐ろしかったに違いないのに。
 ルーズリーフを何枚かめくり、ノートの文字をよく見れば、ときどき震えていた。恐怖を抑えようとしていたのか、ルーズリーフの余白には小さな絵が描いてあることもあった。
「ありがとう、河野」
「別に」
 ミナモは保健室のベッドの上、膝に乗せたスケッチブックを開き、目線をそこへと向けていた。
「行くところがあるんじゃないの?」
 もう僕に興味がなくなってしまったかのような声で彼女はそう言って、ただ鉛筆を動かすだけの音が保健室には響き始めた。
 僕はもう一度ミナモに礼を言ってから、保健室を後にした。
    ずっと謝らなくてはいけないと思っている人がいた。
 彼女はなんだか気まずそうに僕の前でうつむいている。
 昼休みの廊下の片隅。僕と彼女の他には誰もいない。呼び出したのは僕の方だった。文化祭でのあの事件から、初めて登校した僕は、その日のうちに彼女の教室へ行き、彼女のクラスメイトに呼び出してもらった。
「あの…………」
「なに?」
「その、怪我の、具合は……?」
「僕はたいしたことないよ。もう治ったし。きみは?」
「私も、その、大丈夫です」
「そう……」
 よかった、と言おうとした言葉を、僕は言わずに飲み込んだ。これでよいはずがない。彼女は無関係だったのだ。彼女は、僕やひーちゃん、あーちゃんたちとは、なんの関係もなかったはずなのに。
「ごめん、巻き込んでしまって」
「いえ、そんな……勝手に先輩のことをかばったのは、私ですから……」
 文化祭の日。僕がひーちゃんに襲われた時、たまたま廊下を通りかかった彼女、佐渡梓は僕のことをかばい、そして傷を負った。
 怪我は幸いにも、僕と同様に軽傷で済んだようだが、でもそれだけで済む話ではない。彼女は今、カウンセリングに通い、「心の傷」を癒している。それもそうだ。同じ中学校に在籍している先輩女子生徒に、カッターナイフで切りつけられたのだから。
「きみが傷を負う、必要はなかったのに……」
 どうして僕のことを、かばったりしたのだろう。
 僕は佐渡梓の好意を、いつも踏みつけてきた。ひどい言葉もたくさんぶつけた。渡された手紙は読まずに捨てたし、彼女にとって、僕の態度は冷徹そのものだったはずだ。なのにどうして、彼女は僕を助けようとしたのだろう。
「……潤崎先輩に、一体何があって、あんなことになったのか、私にはわかりません」
 佐渡梓はそう言った。
「思えば、私、先輩のこと何も知らないんだなって、思ったんです。何が好きなのか、とか、どんな経験をしてきたのか、とか……。先輩のクラスに、不登校の人が二人いるってことは知っていました。ひとりは河野先輩で、潤崎先輩と親しいみたいだってことも。でも、もうひとりの、市野谷先輩のことは知らなくて……潤崎先輩と、幼馴染みだってことも……」
 僕とひーちゃんのことを知っているのは、同じ小学校からこの中学に進学してきた連中くらいだ。と言っても、僕もひーちゃんも小学校時代の同級生とそこまで交流がある訳じゃなかったから、そこまでは知られていないのではないだろうか。僕とひーちゃん、そして、あーちゃんのことも知っているという人間は、この学校にどれくらいいるのだろう。
 さらに言えば、僕とひーちゃんとあーちゃん、そして、ひーちゃんの最愛の弟ろーくんの事故のことまで知っている人間は、果たしているのだろうか。日褄先生くらいじゃないだろうか。
 僕たちは、あの事故から始まった。
 ひーちゃんはろーくんを目の前で失い、そして僕とあーちゃんに出会った。ひーちゃんは心にぽっかり空いた穴を、まるであーちゃんで埋めるようにして、あーちゃんを世界の全てだとでも言うようにして、生きるようになった。そんなあーちゃんは、ある日屋上から飛んで、この世界からいなくなってしまった。そうして役立たずの僕と、再び空っぽになったひーちゃんだけが残された。
 そうして僕は嘘をつき、ひーちゃんは僕を裏切った。
 僕を切りつけた刃の痛みは、きっとひーちゃんが今まで苦しんできた痛みだ。
 あーちゃんがもういないという事実を、きっとひーちゃんは知っていた。ひーちゃんは僕の嘘に騙されたふりをした。そうすればあーちゃんの死から逃れられるとでも思っていたのかもしれない。壊れたふりをしているうちに、ひーちゃんは本当に壊れていった。僕はどうしても、彼女を正しく導くことができなかった。嘘をつき続けることもできなかった。だからひーちゃんは、騙されることをやめたのだ。自分を騙すことを、やめた。
 僕はそのことを、佐渡梓に話そうとは思わなかった。彼女が理解してくれる訳がないと決めつけていた訳ではないが、わかってもらわなくてもいいと思っていた。でも僕が彼女を巻き込んでしまったことは、もはや変えようのない事実だった。
「今回のことの原因は、僕にあるんだ。詳しくは言えないけれど。だから、ひーちゃん……市野谷さんのことを責めないであげてほしい。本当は、いちばん苦しいのは市野谷さんなんだ」
 僕の言葉に、佐渡梓は決して納得したような表情をしなかった。それでも僕は、黙っていた。しばらくして、彼女は口を開いた。
「私は、市野谷先輩のことを責めようとか、訴えようとか、そんな風には思いません。どうしてこんなことになったのか、理由を知りたいとは思うけれど、潤崎先輩に無理に語ってもらおうとも思いません……でも、」
 彼女はそこまで言うと、うつむいていた顔を上げ、僕のことを見た。
 ただ真正面から、僕を見据えていた。
「私は、潤崎先輩も、苦しかったんじゃないかって思うんです。もしかしたら、今だって、先輩は苦しいんじゃないか、って……」
 僕は。
 佐渡梓にそう言われて、笑って誤魔化そうとして、泣いた。
 僕は苦しかったんだろうか。
 僕は今も、苦しんでいるのだろうか。
 ひーちゃんは、あの文化祭での事件の後、日褄先生に連れられて精神科へ行ったまま、学校には来ていない。家にも帰っていない。面会謝絶の状態で、会いに行くこともできないのだという。
 僕はどうかひーちゃんが、苦しんでいないことを願った。
 もう彼女は、十分はくらい苦しんできたと思ったから。
    ひーちゃんから電話がかかってきたのは、三月十三日のことだった。
 僕の中学校生活は何事もなかったかのように再開された。
 二週間の欠席を経て登校を始めた当初は、変なうわさと奇妙な視線が僕に向けられていたけれど、もともとクラスメイトと関わり合いのなかった僕からしてみれば、どうってことはなかった。
 文化祭で僕が着用したメイド服を作ってくれたクラス委員の長篠めいこさんと、リストバンドをくれた峠茶屋桜子さんとは、教室の中でときどき言葉を交わすようになった。それが一番大きな変化かもしれない。
 ミナモの席もひーちゃんの席も空席のままで、それもいつも通りだ。
 ミナモのはとこである帆高の方はというと、やつの方も相変わらずで、宿題の提出率は最悪みたいだ。しょっちゅう廊下で先生たちと鬼ごっこをしている。昼休みの保健室で僕とミナモがくつろいでいると、ときどき顔を出しにくる。いつもへらへら笑っていて、楽しそうだ。なんだかんだ、僕はこいつに心を開いているんだろうと思う。
 佐渡梓とは、あれからあまり会わなくなってしまった。彼女は一年後輩で、校舎の中ではもともと出会わない。委員会や部活動での共通点もない。彼女が僕のことを好きになったこと自体が、ある意味奇跡のようなものだ。僕をかばって怪我をした彼女には、感謝しなくてはいけないし謝罪しなくてはいけないと思ってはいるけれど、どうしたらいいのかわからない。最近になって少しだけ、彼女に言ったたくさんの言葉を後悔するようになった。
 日褄先生は、そう、日褄先生は、あれからスクールカウンセラーの仕事を辞めてしまった。婚約者の葵さんと結婚することになったらしい。僕の頬を殴ってまで叱咤してくれた彼女は、あっさりと僕の前からいなくなってしまった。そんなこと、許されるのだろうか。僕はまだ先生に、なんのお礼もしていないのに。
 僕のところには携帯電話の電話番号が記されたはがきが一枚届いて、僕は一度だけそこに電話をかけた。彼女はいつもと変わらない明るい声で、とんでもないことを平気でしゃべっていた。ひーちゃんのことも、僕のことも、彼女はたった一言、「もう大丈夫だよ」とだけ言った。
 そうこうしているうちに年が明け、冬休みが��わり、そうして三学期も終わった。
 三月十三日、電話が鳴った。
 あーちゃんが死んだ日だった。
 二年前のこの日、あーちゃんは死んだのだ。
「あーちゃんに会いたい」
 電話越しだけれども、久しぶりに聞くひーちゃんの声は、やけに乾いて聞こえた。
 あーちゃんにはもう会えないんだよ、そう言おうとした僕の声を遮って、彼女は言う。
「知ってる」
 乾燥しきったような、淡々とした声。鼓膜の奥にこびりついて取れない、そんな声。
「あーちゃん、死んだんでしょ。二年前の今日に」
 思えば。
 それが僕がひーちゃんの口から初めて聞いた、あーちゃんの死だった。
「『僕』ね、ごめんね、ずっとずっと知ってた、ずっとわかってた。あーちゃんは、もういないって。だけど、ずっと認めたくなくて。そんなのずるいじゃん。そんなの、卑怯で、許せなくて、許したくなくて、ずっと信じたくなくて、ごめん、でも……」
 うん、とだけ僕は答えた。
 きっとそれは、僕のせいだ。
 ひーちゃんを許した、僕のせいだ。
 あーちゃんの死から、ずっと目を背け続けたひーちゃんを許した、僕のせいだ。
 ひーちゃんにそうさせた、僕のせい。
 僕の罪。
 一度でもいい、僕が、あーちゃんの死を見ないようにするひーちゃんに、無理矢理にでも現実を打ち明けていたら、ひーちゃんはきっと、こんなに苦しまなくてよかったのだろう。ひーちゃんの強さを信じてあげられなかった、僕のせい。
 あーちゃんが死んで、自分も死のうとしていたひーちゃんを、支えてあげられるだけの力が僕にはなかった。ひーちゃんと一緒に生きるだけの強さが僕にはなかった。だから僕は黙っていた。ひーちゃんがこれ以上壊れてしまわぬように。ひーちゃんがもっと、壊れてしまうように。
 僕とひーちゃんは、二年前の今日に置き去りになった。
 僕の弱さがひーちゃんの心を殺した。壊した。狂わせた。痛めつけた。苦しめた。
「でも……もう、『僕』、あーちゃんの声、何度も何度も何度も、何度考えても、もう、思い出せないんだよ……」
 電話越しの声に、初めて感情というものを感じた。ひーちゃんの今にも泣き出しそうな声に、僕は心が潰れていくのを感じた。
「お願い、うーくん。『僕』を、あーちゃんのお墓に、連れてって」
 本当は、二年前にこうするべきだった。
「……わかった」
 僕はただ、そう言った。
 僕は弱いままだったから。
 彼女の言葉に、ただ頷いた。
『僕が死んだことで、きっとひーちゃんは傷ついただろうね』
 そう書いてあったのは、あーちゃんが僕に残したもうひとつの遺書だ。
『僕は裏切ってしまったから。あの子との約束を、破ってしまったから』
 あーちゃんとひーちゃんの間に交わされていたその約束がなんなのか、僕にはわからないけれど、ひーちゃんにはきっと、それがわかっているのだろう。
  ひーちゃんがあーちゃんのことを語る度、僕はひーちゃんがどこかへ行ってしまうような気がした。
 だってあんまりにも嬉しそうに、「あーちゃん、あーちゃん」って言うから。ひーちゃんの大好きなあーちゃんは、もういないのに。
 ひーちゃんの両目はいつも誰かを探していて、隣にいる僕なんか見てくれないから。
  ひーちゃんはバス停で待っていた。交わす言葉はなかった。すぐにバスは来て、僕たちは一番後ろの席に並んで座った。バスに乗客の姿は少なく、窓の外は雨が降っている。ひーちゃんは無表情のまま、僕の隣でただ黙って、濡れた靴の先を見つめていた。
  ひーちゃんにとって、世界とはなんだろう。
 ひーちゃんには昨日も今日も明日もない。
 楽しいことがあっても、悲しいことがあっても、彼女は笑っていた。
 あーちゃんが死んだ時、あーちゃんはひーちゃんの心を道連れにした。僕はずっと心の奥底であーちゃんのことを恨んでいた。どうして死んだんだって。ひーちゃんに心を返してくれって。僕らに世界を、返してって。
  二十分もバスに揺られていると、「船頭町三丁目」のバス停に着いた。
 ひーちゃんを促してバスを降りる。
 雨は霧雨になっていた。持っていた傘を差すかどうか、一瞬悩んでから、やめた。
 こっちだよ、とひーちゃんに声をかけて歩き始める。ひーちゃんは黙ってついてくる。
 樫岸川の大きな橋の上を歩き始める。柳の並木道、古本屋のある四つ角、細い足場の悪い道、長い坂、苔の生えた石段、郵便ポストの角を左。
 僕はもう何度、この道を通ったのだろう。でもきっと、ひーちゃんは初めてだ。
 生け垣のある家の前を左。寺の大きな屋根が、突然目の前に現れる。
 僕は、あそこだよ、と言う。ひーちゃんは少し目線を上の方に動かして、うん、と小さな声で言う。その瞳も、口元も、吐息も、横顔も、手も、足も。ひーちゃんは小さく震えていた。僕はそれに気付かないふりをして、歩き続ける。ひーちゃんもちゃんとついてくる。
  ひーちゃんはきっと、ずっとずっと気付いていたのだろう。本当のことを。あーちゃんがこの世にいないことを。あーちゃんが自ら命を絶ったことも。誰もあーちゃんの苦しみに、寂しさに、気付いてあげられなかったことを。ひーちゃんでさえも。
 ひーちゃんは、あーちゃんが死んでからよく笑うようになった。今までは、能面のように無表情な少女だったのに。ひーちゃんは笑っていたのだ。あーちゃんがもういない世界を。そんな世界でのうのうと生きていく自分を。ばればれの嘘をつく、僕を。
  あーちゃんの墓前に立ったひーちゃんの横顔は、どこにも焦点があっていないかのように、瞳が虚ろで、だが泣いてはいなかった。そっと手を伸ばし、あーちゃんの墓石に恐る恐る触れると、霧雨に濡れて冷たくなっているその石を何度も何度も指先で撫でていた。
 墓前には真っ白な百合と、やきそばパンが供えてあった。あーちゃんの両親が毎年お供えしているものだ。
 線香のにおいに混じって、妙に甘ったるい、ココナッツに似たにおいがするのを僕は感じた。それが一体なんのにおいなのか、僕にはわかった。日褄先生がここに来て、煙草を吸ったのだ。彼女がいつも吸っていた、あの黒い煙草。そのにおいだった。ついさっきまで、ここに彼女も来ていたのだろうか。
「つめたい……」
 ひーちゃんがぽつりと、指先の感触の感想を述べる。そりゃ石だもんな、と僕は思ったが、言葉にはしなかった。
「あーちゃんは、本当に死んでいるんだね」
 墓石に触れたことで、あーちゃんの死を実感したかのように、ひーちゃんは手を引っ込めて、恐れているように一歩後ろへと下がった。
「あーちゃんは、どうして死んだの?」
「……ひとりぼっちみたいな、感覚になるんだって」
 あーちゃんが僕に宛てて書いた、彼のもうひとつの遺書の内容を思い出す。
「ひとりぼっち? どうして? ……私がいたのに」
 ひーちゃんはもう、自分のことを「僕」とは呼ばなかった。
「私じゃだめだった?」
「……そんなことはないと思う」
「じゃあ、どうして……」
 ひーちゃんはそう言いかけて、口をつぐんだ。ゆっくりと首を横に振って、ひーちゃんは、そうか、とだけつぶやいた。
「もう考えてもしょうがないことなんだ……。あーちゃんは、もういない。私が今さら何かを思ったって、あーちゃんは帰ってこないんだ……」
 ひーちゃんはまっすぐに僕を見上げて、続けるように言った。
「これが、死ぬってことなんだね」
 彼女の表情は凍りついているように見えた。
「そうか……ずっと忘れていた、ろーくんも死んだんだ……」
 ひーちゃんの最愛の弟、ろーくんこと市野谷品太くんは、僕たちが小学二年生の時に交通事故で亡くなった。ひーちゃんの目の前で、ろーくんの細くて小さい身体は、巨大なダンプに軽々と轢き飛ばされた。
 ひーちゃんは当時、過剰なくらいろーくんを溺愛していて、そうして彼を失って以来、他人との間に頑丈な壁を築くようになった。そんな彼女の前に現れたのが、僕であり、そして、あーちゃんだった。
「すっかり忘れてた。ろーくん……そうか、ずっと、あーちゃんが……」
 まるで独り言のように、ひーちゃんは言葉をぽつぽつと口にする。瞳が落ち着きなく動いている。
「そうか、そうなんだ、あーちゃんが……あーちゃんが…………」
 ひーちゃんの両手が、ひーちゃんの両耳を覆う。
 息を殺したような声で、彼女は言った。
「あーちゃんは、ずっと、ろーくんの代わりを……」
 それからひーちゃんは、僕を見上げた。
「うーくんも、そうだったの?」
「え?」
「うーくんも、代わりになろうとしてくれていたの?」
 ひーちゃんにとって、ろーくんの代わりがあーちゃんであったように。
 あーちゃんが、ろーくんの代用品になろうとしていたように。
 あっくんが、あーちゃんの分まで生きようとしていたように。
 僕は。
 僕は、あーちゃんの代わりに、なろうとしていた。
 あーちゃんの代わりに、なりたかった。
 けれどそれは叶わなかった。
 ひーちゃんが求めていたものは、僕ではなく、代用品ではなく、正真正銘、ほんものの、あーちゃんただひとりだったから。
 僕は稚拙な嘘を重ねて、ひーちゃんを現実から背けさせることしかできなかった。
 ひーちゃんの手を引いて歩くことも、ひーちゃんが泣いている間待つことも、あーちゃんにはできても、僕にはできなかった。
 あーちゃんという存在がいなくなって、ひーちゃんの隣に空いた空白に僕が座ることは許されなかった。代用品であることすら、認められなかった。ひーちゃんは、代用品を必要としなかった。
 ひーちゃんの世界には、僕は存在していなかった。
 初めから、ずっと。
 ずっとずっとずっと。
 ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと、僕はここにいたのに。
 僕はずっと寂しかった。
 ひーちゃんの世界に僕がいないということが。
 だからあーちゃんを、心の奥底では恨んでいた。妬ましく思っていた。
 全部、あーちゃんが死んだせいにした。僕が嘘をついたのも、ひーちゃんが壊れたのも、あーちゃんが悪いと思うことにした。いっそのこと、死んだのが僕の方であれば、誰もこんな思いをしなかったのにと、自分が生きていることを呪った。
 自分の命を呪った。
 自分の存在を呪った。
 あーちゃんのいない世界を、あーちゃんが死んだ世界を、あーちゃんが欠けたまま、それでもぐるぐると廻り続けるこの不条理で不可思議で不甲斐ない世界を、全部、ひーちゃんもあーちゃんもあっくんもろーくんも全部全部全部全部、まるっときちっとぐるっと全部、呪った。
「ごめんね、うーくん」
 ひーちゃんの細い腕が、僕の服の袖を掴んでいた。握りしめているその小さな手を、僕は見下ろす。
「うーくんは、ずっと私の側にいてくれていたのにね。気付かなくて、ごめんね。うーくんは、ずっとあーちゃんの代わりをしてくれていたんだね……」
 ひーちゃんはそう言って、ぽろぽろと涙を零した。綺麗な涙だった。綺麗だと、僕は思った。
 僕は、ひーちゃんの手を握った。
 ひーちゃんは何も言わなかった。僕も、何も言わなかった。
 結局、僕らは。
 誰も、誰かの代わりになんてなれなかった。あーちゃんもろーくんになることはできず、あっくんもあーちゃんになることはできず、僕も、あーちゃんにはなれなかった。あーちゃんがいなくなった後も、世界は変わらず、人々は生き続け、笑い続けたというのに。僕の身長も、ひーちゃんの髪の毛も伸びていったというのに。日褄先生やミナモや帆高や佐渡梓に、出会うことができたというのに。それでも僕らは、誰の代わりにもなれなかった。
 ただ、それだけ。
 それだけの、当たり前の事実が僕らには常にまとわりついてきて、その事実を否定し続けることだけが、僕らの唯一の絆だった。
 僕はひーちゃんに、謝罪の言葉を口にした。いくつもいくつも、「ごめん」と謝った。今までついてきた嘘の数を同じだけ、そう言葉にした。
 ひーちゃんは僕を抱き締めて、「もういいよ」と言った。もう苦しむのはいいよ、と言った。
 帰り道のバスの中で、四月からちゃんと中学校に通うと、ひーちゃんが口にした。
「受験、あるし……。今から学校へ行って、間に合うかはわからないけれど……」
 四月から、僕たちは中学三年生で高校受験が控えている。教室の中は、迫りくる受験という現実に少しずつ息苦しくなってきているような気がしていた。
 僕は、「大丈夫」なんて言わなかった。口にすることはいくらでもできる。その方が、もしかしたらひーちゃんの心を慰めることができるかもしれない。でももう僕は、ひーちゃんに嘘をつきたくなかった。だから代わりに、「一緒に頑張ろう」と言った。
「頭のいいやつが僕の友達にいるから、一緒に勉強を教えてもらおう」
 僕がそう言うと、ひーちゃんは小さく頷いた。
 きっと帆高なら、ひーちゃんとも仲良くしてくれるだろう。ミナモはどうかな。時間はかかるかもしれないけれど、打ち解けてくれるような気がする。ひーちゃんはクラスに馴染めるだろうか。でも、峠茶屋さんが僕のことを気にかけてくれたように、きっと誰かが気にかけてくれるはずだ。他人なんてくそくらえだって、ずっと思っていたけれど、案外そうでもないみたいだ。僕はそのことを、あーちゃんを失ってから気付いた。
 僕は必要とされたかっただけなのかもしれない。
 ひーちゃんに必要とされたかったのかもしれないし、もしかしたら誰か他人だってよかったのかもしれない。誰か他人に、求めてほしかったのかもしれない。そうしたら僕が生きる理由も、見つけられるような気がして。ただそれだけだ。それは、あーちゃんも、ひーちゃんも同じだった。だから僕らは不器用に、お互いを傷つけ合う方法しか知らなかった。自分を必要としてほしかったから。
 いつだったか、日褄先生に尋ねたことがあったっけ。
「嘘って��何回つけばホントになるんですか」って。先生は、「嘘は何回ついたって、嘘だろ」と答えたんだった。僕のついた嘘はいくら重ねても嘘でしかなかった。あーちゃんは、帰って来なかった。やっぱり今日は雨で、墓石は冷たく濡れていた。
 けれど僕たちは、やっと、現実を生きていくことができる。
「もう大丈夫だよ」
 日褄先生が僕に言ったその声が、耳元で蘇った。
 もう大丈夫だ。
 僕は生きていく。
 あーちゃんがいないこの世界で、今度こそ、ひーちゃんの手を引いて。
 
 ふたりで初めて手を繋いで帰った日。
 僕らはやっと、あーちゃんにサヨナラができた。
  あーちゃん。
 世界は透明なんかじゃない。
 君も透明なんかじゃない。
 僕は覚えている。あーちゃんのことも、一緒に見た景色も、過ごした日々のことも。
 今でも鮮明に、その色を思い出すことができる。
 たとえ記憶が薄れる日がきたって、また何度でも思い出せばいい。
 だからサヨナラは、言わないんだ。
 了
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kachoushi · 4 years
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各地句会報
花鳥誌 令和2年11月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和2年8月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
青山へ八月の雲のし上がる 和子 魂も今蝶と化すてふ墓所の百合 眞理子 雲の峰青山墓地に崩れけり 梓渕 薄闇にラジオときには蚊遣香 順子 蚊取線香みだらに燃えてゐたりけり 公世 からつぽの鳥籠吊つて婆の朱夏 光子 空蟬の破られし背に光満つ 小鳥 白き糸濡れてをりけり空蟬に 和子
岡田順子選 特選句
黒揚羽ぬかづく人へ入れ替はる 要   槙剪つて明るき墓所や雲の峰 梓渕 揚羽来る墓に朽ちたる名刺受 俊樹 草いきれよりマリア仏の上半身 光子 かき氷ひとつに父と娘かな 同   からつぽの鳥籠吊つて婆の朱夏 同   神愛し薔薇を愛せし寝墓とも 俊樹 蟬時雨彼を一瞬隠しをり 久
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年8月6日 うづら三日の月(八月六日) 坊城俊樹選 特選句
秋の夜の澄みし青空何処までも 柏葉 土用干し守る着物に仕付け糸 さとみ 墓参り避けたつもりも鉢合せ 同   天筆に願ひを込めて星祭 都   留守居して語る人なき盆の月 同   七夕や一つを願ひ糸結ぶ 同   客帰り独り帯解く夜半の秋 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年8月7日 鳥取花鳥会(八月七日) 岡田順子選  特選句
友の墓訪ふも吾のみ原爆忌 益恵 蟬の穴被爆の眼窩に似て静か 都   八月や浜辺に白き船並び すみ子 抽出しにしまふ西日や能事足る 悦子 蜩の破調に夜明け整へり 宇太郎 油照お濠の亀は泥を負ひ 都   雲の峰サーファー起てば動き出す 益恵 帰り行く友や日傘をまはしつつ 幸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………   令和2年8月7日 さゞざれ会 坊城俊樹選 特選句
昨夜の色閉ざしてをりし月見草 かづを 蟬しぐれ故山に溢れをりにけり 同   故山より風渡りくる施餓鬼寺 同   月見草夢に終りしことばかり 雪   炎天下大きくきしみバス停まる 和子 法堂に集ふ百僧蟬しぐれ 笑   暮六つや七堂伽藍の蟬しぐれ 希   母の背に負はれて逃げし終戦日 千代子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年8月8日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
病院の小児病棟星祭 清   ぐづる子を放り入れたる踊の輪 晶子 銀河から金平糖のお裾分け のりこ 魔法めく夜店にかざしみる指輪 岬月 老僧の盆経朗朗たる気迫 同   とび出しもはみ出しもゐる砂日傘 同   搗ち割の角なめらかや蕎麦焼酎 慧子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年8月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
やはらかな色に隠元大揃へ 秋尚 ひと頻り法師蟬鳴き風起る 同   空蟬の登る姿勢を崩さずに 同   音の無き蒼茫怖し星月夜 ゆう子 新盆の信女の墓碑の径細し 三無 星月夜野辺山走る小海線 幸風 蜩や夕餉のお菜鉢ふたつ ゆう子 鬼灯の色乾きたる寺の畑 秋尚 隠元の色鮮やかにバターソティー 瑞枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年8月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
墓洗ふ母の育てし供華を持ち 信子 サングラス粋なる人と恐き人 みす枝 裸電球に照らされてゐる地蔵盆 上嶋昭子 日もすがら響動もす鐘や盂蘭盆会 時 江 丸き笊丸く並べて梅を干す 信 子 蟬時雨つり橋の子の声消され 中山昭子 神々の光さづかる大御祓 ただし 星祭壺にさしたる笹の竹 錦子 野も山も深く沈みて星月夜 みす枝 蟻の列ラベルのボレロまだつづく 上嶋昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年8月11日 萩花鳥句会
秋風や万里の長城行きし旅 祐子 少し愚痴呟きながら墓洗ふ 美恵子 新盆に帰る家なき仏たち 健雄 弟と母住む故郷鰯雲 ゆかり 庭仕事合間に西瓜ご馳走に 克弘
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年8月14日 さくら花鳥句会 岡田順子選  特選句
田舎道兜虫売る小屋に遇ふ みえこ 迫真の演技の子役夏芝居 登美子 幼な子も数珠握りたり墓参 実加 イヤホンを片耳づつに星月夜 登美子 晴天にシーツ洗ふや原爆忌 実加 永遠に在り続くかに花氷 紀子 蜩を聞きつつ帰り仕度の子 裕子 野の花を供へて母の展墓かな 登美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年8月17日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
サングラスかけて犬にも恐がられ 英美子 酒呑まぬ父はお洒落でパナマ帽 千代子 終ならん声を聞き入る秋の蟬 かづを 秋の雲落暉に燃えて消えにけり 同   ギヤマンに盛られ清しき夏料理 みす枝 口紅の朱の沁み出る極暑かな 同   遺骨待つただそれだけの盂蘭盆会 同   無人駅帰省子ホームまで送る 世詩明 羅の女の視野に万華鏡 同   帰省子の戻る車窓に掌を重ね 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年8月19日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
黒髪で顔を隠され西瓜食ぶ 世詩明 口紅が熟れた西瓜を齧りつく 同   九頭竜の流れおだやか終戦日 千代子 海凪いで沖行く船に盆の月 同   流行りもの一つ身につけ生御魂 同   終戦日一男優の死すと云ふ 同   炎天や路面電車の軋み来る 美代 これ以上青くなれざる青蛙 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年8月21日 鯖江花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
手枕で昼寝をしたる沈金師 世詩明 虫干や母の袂に恋の文 みす枝 小恙を顔に出さじと踊りの輪 一涓 肉魚を下げて八月大名来 同   虫の世に火取虫とし果つ定め 雪   白と云ふ哀しき色の盆灯篭 同   赤と云ふ色は淋しや盆灯篭 同   煎餅屋ののれんの奥の扇風機 上嶋昭子 捩花のねぢれる時に媚少し 同   美しきことに飽きられ水中花 同   物干の続く町並夜は秋 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年8月10日 なかみち句会(八月十日) 栗林圭魚選 特選句
芭蕉葉に道草を食ふ風ありて 三無 恒例の枝豆届き安堵かな エイ子 海沿ひの蕎麦屋の遠く秋暑し 貴薫 裏庭に風探しけり夕残暑 和 魚 枝豆や父の遺影と酌む忌日 三無 ゆらゆらと芭蕉広葉の青き翳 同   家事とても遣る気奪はれ残暑かな せつこ 公園の要一本大芭蕉 怜   影広げ海辺の宿の芭蕉かな せつこ 枝豆の彩りとなり皿の上 ます江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和2年8月 九州花鳥会(投句のみ) 坊城俊樹選 特選句
双手上げ銀漢しづく待ちにけり さえこ 天の川渡る媚薬を飲んでより 伸子 黒日傘ひらりと海へ消えにけり 朝子 ゆくりなく女と生まれ天の川 美穂 盆の月透き通るまで踊りけり 愛   その先は有耶無耶なりし道をしへ 伸子 天の川の端より天の川仰ぐ ひとみ 星よりも暗き島の灯月見草 豊子 走馬灯曼陀羅の闇廻しけり 喜和 蟬の殻蹴りし少年黙り込む かおり 天の川尾は聖堂の十字(クルス)まで 志津子 病窓よりビアガーデンの見えるらし 順子 水をくれムンクの叫び原爆忌 喜和 色鳥来ルドビコ踏みし甃 寿美香 難しく考へる鶏頭の襞 伸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………
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kanata-bit-blog · 6 years
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天ヶ瀬さんちの今日のごはん5
『たこ焼き』with Beit
「タコヤキパーティー!? ボク、行きたい! みのり、恭二、いい?」  仕事帰りに事務所に寄ると、会議室ではBeitの三人が打ち合わせをしていた。  凸凹な身長差を見ると、「Beitだ」とさながら近所のおばさんのような安堵感を抱いてしまうが、一番小さいと思われるピエールは身長で言うなら翔太よりも大きいことを考えると、一緒にいる人間が大きいだけなんだよなあ、などと思い直してしまう。冬馬も身長に関しては175センチメートルと高校生男子の中でも平均より高いのだが、それでもあまり高いと思われないのは十中八九いつも隣に細長い奴がいるからに違いない。  休憩の合間に先日香川で話したたこ焼きパーティーの旨を伝えると、ピエールはただでさえ綺麗な瞳を宝石の如くキラッキラと輝かせてテーブルに身を乗り出した。 「勿論俺は喜んで行くよ。恭二も行くよね?」 「みのりさんとピエールが行くなら俺もお邪魔します。確かウチにこないだ買った竹串とかまだあったと思うんで」 「ああ、恭二が企画してくれたやつの余りか! 懐かしいね」  プロデューサーや他アイドル達から話だけは聞いていたが、以前にも彼らはたこ焼きパーティーをしたことがあるらしい。それも事務所で。ピエールを励ますという名目で開かれたたこ焼きパーティーはなるほど彼等らしい心温まるエピソードである。  冬馬としてもそれならば話は早い。料理の知識が人並みにあるとはいえ、うどんと同様に自らたこ焼きを生み出した経験はない。学問なき経験は、経験なき学問に劣る。やってみなければ分からないことばかりなのだ。そう言う意味では冬馬よりもピエールの方がたこ焼きの知識に長けているかもしれない。 「それじゃ、プロデューサーに頼んでスケジュール合う日にでも声かけるぜ」 「うん! 冬馬のおうちでタコヤキパーティー、楽しみ!」  ピエールは全身で喜びを顕にし、純粋をそのまま貼り付けたような満面の笑みを冬馬に向ける。予想以上の反応に冬馬は少しだけ照れくさくなる。と、同時に彼をもっと喜ばせたいという自分がいることも自覚した。  しばしばその感情に思い至って驚くのだが、どうやら自分は人に自作料理を食べさせることが思った以上に好きらしい。翔太と北斗は勿論ながら、315プロダクションの面々にも。  美味しい、美味しいと言いながら食べてくれる彼らの表情を見ていると胸の内から"くすぐったい"が溢れてくる。北斗や翔太にはそのことを「餌付けしている気分だ」と誤魔化したが、この感情は幸福以外の何物でもない。  誰かと食卓を囲むことはいつだって当たり前に見えて、当たり前ではない。冬馬はそれを知っている。痛いほどよく知っている。記憶の中にある父の寂し気な背中、主人を失ったキッチン、四人用の食卓に一人で座る自分、冷めたお弁当。
 あの弁当は一体どんな味だっただろうか。
 先日、番組のロケで香川県に飛んだ時、「四国にいるのだからもしかして」と、下心を孕ませたメールを送った。今日から三日間、番組で香川に行く。簡潔なメッセージへの返事はすぐに帰ってきた。  ホテルの場所を教えてほしい旨の返信に冬馬は胸の内で喜びを暴れさせながらすぐにホテルのURLを送った。きっと父が自分に会いに来てくれると信じて。  尻ポケットから携帯電話を取り出す。メール欄を辿り、数日前に既読マークのつけたメールを開いた。 『すまない、行けそうにない。北斗君たちによろしく』  絵文字も顔文字も何一つない簡潔なメールの文章を指でなぞる。  父と居を共にしていないことを寂しくないと言えば嘘になるだろう。しかし、今や自分も高校生であり、夢追い人である。我儘を言っている暇などない。芸能界に身を置き、テレビで全国へと元気な姿を乗せることが今の冬馬に出来る最大の親孝行なのだ。と、冬馬は思っていた。  平日の昼間だ、どうせ繋がらない。諦念を溜息に変え、冬馬は再びそれを尻ポケットに押し込んだ。
「こんにちは!」 「おう、よく来たな、ピエール。渡辺さんと鷹城さんも」  数日後、プロデューサーがわざわざ予定をずらしてまで合わせてくれた時間に、ようやくBeitの三人を自宅に招くことが出来た。仕事帰りで若干多い三人の荷物をいくつか受け取ると、冬馬はそのままリビングの方へと向かった。 「あっ、その中にシュークリーム入ってるから冷蔵庫に入れておいてくれるかな。たこ焼き食べ終わった後に食べれたらと思って駅前で買ってきたんだ。一応北斗君の分も買ってきちゃったけど、余ったら冬馬君が食べていいよ」 「どもっス。一応間に合えば行くとは言ってましたけど、駄目そうなら貰います」  合わせてもらったとは言え、残念ながら六人全員のスケジュールだと難しかった。ユニット単位での仕事が多い期間ならば良かったのだが、残念ながら北斗のみが次クールのドラマでメインにキャスティングされており、本編撮影中の今は微妙な調整すら利かない状況だった。  北斗がドラマの撮影に尽力している一方で、留年の可能性を潰すべく学業への専念を言い渡された翔太は、学校が終わった瞬間に冬馬の家へと直行するプレイを決め、冬馬もまた午前中だけ高校に顔を出した後に、雑誌のインタビューの為に校門を跨いだのだった。なお、仕事を終えた後は翔太同様である。 「もう少しだけ準備があるんで、三人は先にリビングで休んでてもらえれば」 「俺も出来ることがあるなら手伝うよ。何かある?」 「そうだな……もし何か具材とか買ってきたなら包丁は貸すんで切っておいてもらえると有難いっス」  リビングに戻ると天変地異の前触れか、いつもならば人のベッドに勝手にダイブしたかと思うと、次の瞬間にはアイドルらしからぬ鼾をかきはじめる翔太がたこ焼き���を嬉々としてセッティングしていた。あまりのきな臭さに反射的に辺りを見回すが、これと言って怪しいものは見受けられない。  てっきりたこ焼きに入れる為の良からぬ物を持ち込んでいるのかと思った。 「どうしたの、冬馬君? そんな怖い顔して」 「……なんでもねえ。お前、俺がキッチンで準備してる間渡辺さん達に迷惑かけんなよ」 「冬馬君に心配されなくても、僕良い子だし♪」 「ったく、大人しくしてろよ。……すんません、お願いします」  後から入ってきたみのりが笑う。恭二も笑顔が苦手なのか苦笑なのか分からない絶妙な表情を張り付けていた。  三人をリビングまで送り届け、冬馬は一人キッチンに入る。シンクで手を洗い、三人の来訪前にやっていた長ネギのみじん切りを再開した。長ネギを小さく刻んだものを相応のサイズのボウルに入れてラップをかける。  続いて紅ショウガ。予め刻まれた物を買ってきてはいるが、たこ焼きに入れるにしては少々大きいのでもう半分かそれ以下に小さく刻んでいくと汁がまな板を赤く染めていった。  切れたものをぎゅっと絞り、更にキッチンペーパーで包んで水気を出来るだけ吸う。ぱらぱらになった紅ショウガを別の皿に入れれば準備は完了だ。  前もって一口大に切っておいた茹で蛸の皿を持ってリビングに戻ろうとすると、みのりが廊下からひょっこりと顔を出した。 「包丁借りても良いかな?」 「これ使って下さい。まな板は…………っと、これを」 「へえ、パックのまな板! 料理する人って感じだね」 「肉とか魚料理で使った後は捨てるだけなんで楽っスよ」 「まな板使うと洗うの大変だもんね」  みのりは持ってきたビニール袋から丸々とした袋を取り出し、ハサミで口を切る。中からごろごろと出てきたのは親指位の太さのウインナーだった。冬馬から受け取った包丁で輪切りにしていく。上手いとは言い難いが、十分に慣れた手付きである。  冬馬はとんとんと包丁がパックの薄いまな板を通してカウンターを叩く音を聞きながら、みのりの持ってきた袋を覗いた。中にはチーズ、明太子、キムチ。 「色々あるな……」 「その方が面白いと思って。本当は納豆とかも買ってこようかと思ったんだけど、恭二に止められたんだ。メインはたこ焼きだしね」 「ウインナーあれば上等っスよ。あとはつけダレでも冒険出来ると思うんで」 「いいね! ポン酢とかお出汁とかも美味しそう」  明太子をパックから一つ取り出し、先端を切ってスプーンで強く撫でていく。すると、中身がまとまってずるりと飛び出した。冬馬はそれが皮だけになるまでスプーンの腹で掻き出していく。  続いてキムチはまな板の上に出してたこ焼きに入れても飛び出さない程度に小さく切り、軽く絞ってボウルに入れた。使用したまな板は残念ながら唐辛子の赤とキムチのにんにく臭さがこべりついたのでゴミ箱行きである。  見れば、山のように積んであったのが記憶に新しいパックのまな板が今や片手で数えられる程度の量になっていて、そう言えば最近仕事ばかりで家にいることもあまり無かったからなあ。足が早い牛乳を買う気にもなれなかったこともあり、追加されることがなくなったまな板は使っていれば減っていくのは当たり前のことである。  だからと言ってわざわざまな板のためにパックのジュースを買ってくる気にはなれないのだが、肉料理の後のこべり付いたまな板汚れを考えるとそれも検討の内である。 「みんな、待たせたな。準備完了だぜ!」 「まってました!」 「タコヤキ、たのしみ!」  恭二がタコのような形をしている油引きでたこ焼き器の穴一つ一つに油を広げていく様子をピエールが好奇心旺盛な小学生の如くきらきらと目を輝かせて見ている。  冬馬も度々純粋だと北斗や翔太、最近では天道にまでも揶揄され始めているが、そんな冬馬でもピエールがいかに純真無垢で汚れ一つ知らないかなど、見ていれば分かる。むしろそれ以上にこんな純粋の塊が芸能界、それも、闘争激しく嫌味などあって当たり前のアイドルというジャンルに属しているということが心配である。  ……心強い仲間がいるから大丈夫か。  それに、今頃玄関の前で石像の如く佇んでいるピエール専属のSP達だっている。彼の周りには血が繋がっていなくともそれ以上の繋がりを持つ家族���いるのだと冬馬は知っていた。  と、そこまで考えて冬馬は玄関の前にSPがいる異常性にやっと気が付いた。もしもお隣さんが買い物に出るべく玄関を出た時、アイドルとして名の知れ渡った天ヶ瀬冬馬の自宅前に厳ついスーツ姿の"見るからにその筋の人"に見える男が立っていたらどう思うだろうか。 「……悪い、ちょっと先にやっててくれるか」 「? 焼いちゃってていいの?」 「おう、すぐ戻るからよ」  冬馬はすっかり落ち着いていた腰に鞭打って立ち上がる。行先は当然玄関だ。  扉の前に立っているであろうSPにぶつけないようにゆっくりと扉を押し開けると、僅かに空いた隙間からサングラスが覗いた。その見た目の厳つさに冬馬は一瞬怯む。が、すぐに「周りの目が気になるんで、良かったら中入ってください」と促した。  SPとはなんて難儀なものなんだろうと冬馬は遠い世界のことのように考える。アイドルとは言えど、大統領ではないので当然ボディーガードといった類のものは縁がない。そう考えると、自分は実はものすごい人と知り合いなのではないかと思い至ってとりあえず飲み込んだ。  この話はまた今度北斗と翔太と三人で卓を囲む時にでも聞いてもらうことにする。
「お、どんな感じだ?」 「冬馬! 今ね、恭二がタネ? 入れた!」 「他にはなんも入れてないっす」  ちりちりと軽い音を立てて鉄板の上で生地が焼かれている。穴だけでなく、鉄板全面になみなみと注がれたそれは卵、塩、昆布と鰹節の合わせ出汁に隠し味として少しだけマヨネーズを入れたものだ。インターネットの押し売りだが、マヨネーズを入れることによって生地がふっくらと仕上がるらしい。玉子焼き、ないしパンケーキにすら良いと言わしめるマヨネーズだ、十分信用に足る。  二つ入ることがないように注視しながら冬馬が一口大に切った蛸を入れていくと、入れた先からみのりがあげ玉を落としていく。無言で発生した共同作業に、思わず笑いそうになるのを奥歯を噛む事で耐えたが、少し出てしまったらしい。首を傾げるみのりに冬馬は「気にしないでください」と苦笑した。  しかし、みのりがあげ玉を全て入れ終えると、今度は恭二が青ネギと紅ショウガを投入し始めるものだから今度は耐え切れず、思わず「チームワークすごいっすね」と笑ってしまった。 「そう? 全然気にしてなかったけど」 「何度か一緒に作ってるから、慣れたのかもしれないすね」 「みのり、恭二、たこ焼き作る、上手! かりかり、ふわっふわ!」  しばらく待って皮が焼けたことを確認すると、鉄板から剥がすように竹串を差し込み、穴からはみ出た生地を巻き込みながら半分ひっくり返す。まだ綺麗な円形とは言い難いが、なんとなく近付いた。今度は鉄板の空いた部分を埋め尽くすようにタネをかけていく。 「結構使うんスね」 「こうやって後から入れてはみ出た部分を中に押し込んでいくと、中はふわふわで外はカリカリになるんだよ」 「へえ……」  生焼けの生地を再び半円の中に押し込むと、今度は円形になるようにひっくり返す。みのりの鮮やかな手捌きに冬馬は感心することしか出来なかった。 「冬馬君暇そうだね」 「上手い人がいるからな、俺が手出しても邪魔なだけだろ」 「ボクもタコヤキ、作りたい!」 「一回目は俺が作るから、二回目はみんなで作ろう」  じゅううと焼ける音をBGMにしてピエールが鼻歌を口ずさむ。合わせて体を揺らす。翔太がそれを見て微笑ましげに目を細めた。  日々「弟だから」を理由に散々駄々をこねてくる翔太のことだから、今回のたこ焼きパーティーも自分も焼きたいと志願してくると思っていたが、そんなことはなく、翔太は大人しく胡坐をかいてじっとたこ焼き器を見つめている。  コイツ、Jupiter以外の人間がいると突然大人びる時があるんだよな。なんて思いながらお茶とジュース、皿を配っていく。  翔太は賢い。それは同じユニットメンバーでなくても見ていればわかることだ。両親の喧嘩をいち早く察する子供の如く空気を肌で感知し、マズいと思えば行動に移す。少年と形容される歳の人間が簡単に出来ることではない。そう北斗が話しているのを冬馬はしばしば聞いている。  北斗も北斗で他人を見る力には長けているのだろうが、二人ともそんなに気を張っていて疲れないだろうかと稀に心配になる時があった。 「えっと、皮をカリカリにするならここで油を入れるんだけど、どっちがいい? ふわふわなたこ焼きじゃないと認めない! って人がいればそうするよ」 「いるっすよね、カリカリのたこ焼きはたこ焼きじゃないって言う人。俺はどっちでも」 「俺もどっちでも大丈夫っス。二陣で変えてみても良いと思うんで」 「そうだね、じゃあ今回は入れるよ。跳ねるから気を付けてね」  そう言ってみのりはヘラでたこ焼きの表面を撫でるように油を塗っていく。くるりと一つ一つ丁寧にひっくり返していくと、油の音が一層騒がしくなった。  たこ焼き器の下に敷いた新聞紙が跳ねた油で変色している。見れば念の為にと机の下に敷いておいたビニールにも油の跳ねた跡が伺えた。やっぱり油ものは注意だな。再認識し、用意しておいた布巾で汚れを拭きとった。  大皿を差し出すと、みのりが竹串で二つずつ掬い上げ、乗せていく。一個、二個、三個と皿の上がきつね色のたこ焼きで埋まった。先程よりもずっと綺麗なまん丸である。  鼻を掠めた小麦粉の焼けた匂いに冬馬は口の中に涎が滲んだのが分かった。 「はい、冬馬さんと翔太さんも」 「どもっス」 「みのりさんありがとー♪」  みのりに促されるがままにその球体を三つほど小皿に移し、上からお好みソース、マヨネーズ、かつお節、青のりをかけると、熱に当てられたかつお節がふわりふわりと触れてもいないのに踊り出した。ごくり、絶えず溢れてくる涎���飲み込む。  隣でピエールや恭二も同じようにたこ焼きに味を付けていく中、一足先に飾り付け終えた冬馬が箸でたこ焼きを摘まむ。すると、それは少しの歪みを見せたものの、美しい丸を崩すことはなく箸の間に収まった。 「それじゃ、いただきます」 「はいどうぞ」
 大口開けて一口にそれを放り込むと、それはすぐにやってきた。
「アッ!!! 熱ッッッッッ!!!!!!ハッ、は・・・はふっ・・・はー・・・っ・・・」 「あっははは! 冬馬君、一口で食べるからそうなるんだよ。焼きたてが熱いのなんて分かりきってるんだから、こうやって半分齧って・・・は〇×□●〒§φ×!?!?!?!」 「冬馬、翔太、あつい? ダイジョーブ!? 」  揃って上向きにはふはふと呼吸をする二人に、ピエールが慌ててお茶を差し出す。苦しみながらも飲み込んだ冬馬が息交じりに「サンキュ、大丈夫だ」と告げてお茶で口を冷やす。口の中が若干ひりひりするわ、焦りのあまり飲み込んでしまうわでロクにたこ焼きを味わうことが出来なかった。 「二人とも、熱い、ダメ? お箸で割って!」  ピエールがお手本に自分のたこ焼きに箸で穴を開けて二つに割ってみせる。ぱっくりと割れたたこ焼きの中からとろりと半生の生地が漏れ出してピエールの皿を汚す。彼はその隙間にふうふうと息を吹きかけ、欠片をぱくりと口に入れた。  口に入れてすぐは冬馬達と同様にはふはふと熱さを逃がすも、熱さに苦しんで味が分からないという冬馬の二の舞にはならなかったらしい。何度かの咀嚼の後、喉が上下して「オイシイ!」と笑顔を振り撒いた。  みのりが折角綺麗に焼いてくれたたこ焼きを二つに割るのはなんとも気が引けるが、放置して冷めてしまっては元も子もない。これはたこ焼き好きの先達の知恵をお借りしてきちんと味わう段階までいかなければ。  ピエールに倣ってたこ焼きを二つに割り、少し冷ましてから欠片を食べる。  かり、皮は良く焼けてサクサクと食感が良く香ばしい。と、思いきや内側のとろりとした生地が舌を柔らかく包み込んだ。その中にある異分子、蛸は食感に更なる変化を付けながらも海鮮系の仄かな匂いでたこ焼きの旨味を後押しする。出汁とお好みソースの甘塩っぱい味が口の中で混ざり合う。  なんたる幸せか、口の中で広がる味の組み合わせを感じて冬馬は多幸感に目を瞑る。 「アリガト! みのり」 「外も中も丁度良い感じで美味いな。流石みのりさんっすね」 「ありがとう、恭二。……うん、ふわふわだね。こないだ作った時よりもずっと美味しいけど、マヨネーズ効果かな?」 「外にも付けてるんで味は全然変わんないっスけどね」  残されたもう一欠片を味わってみるが、やはり別で付けたマヨネーズとソースの味が強く、生地の中のマヨネーズの存在はいまいち感じられない。  思い立って、冬馬は何も飾り付けのされていないたこ焼きに齧り付いてみた。ソースやマヨネーズは勿論、かつお節や青のりもついていない状態のたこ焼きである。さくりと音をたててそれは冬馬の口の中で形を崩す。再び中の熱い生地が舌に触れたが、少し置いた分先程よりは熱くない。冬馬はそのまま何度か口の中でふう、ふうと呼吸をし、味わってから飲み込んだ。  ソースとマヨネーズをつけて食べた時よりもずっと香ばしく、青のりと鰹節の香りを強く感じる。残念ながらそのまま食べてみても生地の中に混ぜたマヨネーズの味は感じないが、何も付けなくてもたこ焼きは美味しいのだと知った。  しかし、どこか塩味が物足りないのはやはりソースがないからだろうか。であれば今用意するべきは…… 「塩だな」 「塩?」 「ああいや、もしかしてと思って何も付けずに食べてみたんスけど、意外とイケるんスよ」  冬馬が言うと、みのりは興味深々に目を瞬かせて言われるがままにたこ焼きを何もつけないまま食べた。数回の咀嚼の後に飲み込むと、みのりは「確かに美味しいね!」と頷いて、続く恭二も「確かに塩が欲しいな」と頷き返した。  塩を取ってくると言って席を立ち、キッチンへと向かう。確か先程生地を作る時に使用したので、記憶が正しければカウンターの上に出しっぱなしになっているだろう。  記憶通りの場所に青い蓋の透明ながぽつんと置いてある。意図的に色を変えて購入したもののおかげで砂糖と塩を間違えることはない。青が塩で、赤が砂糖である。
 蓋が青いことを確認して冬馬が踵を返そうとする。と、ポケットの中に入れていた携帯電話が震えていることに気が付いた。もしかすると、プロデューサーから仕事の連絡が来たのかもしれない。  基本的にはプロデューサーからのスケジュール確認などの諸連絡はメールで行われることが多いのだが、ごく稀に、例えば突発的に直近で仕事が入った場合、プロデューサーは酷く申し訳なさそうに「えっと、明日なんですけど……」と電話をかけてくることがある。プロデューサーという仕事も随分難儀なものだ、アイドル達のモチベーションも管理しなければならないのだから。冬馬もアイドルとしてはやる以上は忙しくなることも覚悟の上であるし、むしろ忙しいことは有難いとすら思っている。  仕事が入ることは一向に構わないのだが、プロデューサーの弱弱しい声を極力聞きたくない冬馬は、その連絡ではないことを祈りながらも携帯電話を取り出す。そして画面の文字を視界に入れて目をぱちくりさせた。携帯電話を耳に押し当てる。 「……もしもし?」 『もしもし、冬馬?』  耳元に聞こえるのは仕事中であったはずのユニットメンバー、兼恋人である男の声だった。スピーカーの向こうから微かに聞こえるエンジン音で彼が車の中にいることが分かる。  運転中は注意力散漫になりたくないからと自分からかけてくることはないし、恐らくタクシーの中なのだろう。と言うことは、仕事は終わったということか。 「おう、終わったのか?」 『さっきね。タクシーで冬馬の家に向かってるところ。渋滞に巻き込まれなければあと30分位で着くよ。そっちはどんな感じ?』  電話口に聞こえる北斗の声は全く疲れを感じさせず、仮にも朝から仕事をこなしていたとは思えない。すう、ゆったりとした呼吸音が耳に触れる。 「もう食ってる。始めたばっかだけど、お前が来る頃には落ち着いてるかもな」 『俺のことは気にしなくて良いよ。……そうだ、途中でスーパーに寄れるけど、何か買っていくものある?』 「あー、そうだな。お茶買ってきてくれ。デカいの』 『了解。Beitの三人と翔太によろしくね』  その言葉を最後にエンジン音は途切れ、北斗の声も聞こえなくなった。冬馬は口元を緩め、携帯電話を再び尻ポケットに戻そうとする。が、続いて震えたそれには、今度こそプロデューサーの名前が表示された。  冬馬は頬を掻いて「まさかな、」と内心そうでないことを祈りながら通話開始ボタンをスライドしたのだった。
 プロデューサーとの通話を終えて冬馬が部屋に戻ると、たこ焼き器の上では既に第二陣をドームにする段階まで進んでいた。どうやら第二陣も冬馬の出番はなさそうである。  結局、プロデューサーからの電話は危惧したような内容ではなく、逆に明日の午前中の仕事の打ち合わせがなくなったということだった。冬馬が個人で出演するバラエティ番組の打ち合わせだったはずだが、どうやら先方の都合が悪くなったらしく、つい先ほど連絡が来たのだという。  打ち合わせは来週に延期。元々プロデューサーがオフに取ってくれた日にしか入れることが出来ないとのことで、残念ながら冬馬のオフは少しの間没収となった。  元々何をしようかと悩んでいた休日であったし、どうせ秋葉原に足を運んでフィギュア鑑賞に一日を費やすか、はたまた家の掃除に励むくらいしか使い道はないのだ。無くなったところでまあまあ、となる程度である。  持ってきた塩瓶をテーブルの上に置くと、冬馬の皿の上にたこ焼きがいくつか増えていることに気が付いた。目をぱちくりとさせて顔を上げると、翔太がにこにこと「冬馬君の為に取っといてあげたんだから、感謝してよね」と言う。  妙にきな臭い態度に突っかかりを覚えながらも、冬馬は自分の分をとっておいてくれたことに感謝し、早速塩を振りかけて少し齧ってみる。と、一瞬で口の中に暴力的な違和感が広がって冬馬は顔を顰めた。 「………………………………………………!」 「どう!? 美味しい!?」  翔太がまたあの表情で冬馬の様子を伺ってくる。最早煽りと言っても過言ではないその言葉に、冬馬は一瞬で感じた舌の違和感を確信に変えた。  違和感は次第に舌の上を広がり、オレンジジュースを煽る。喉がごくりと音を立てている横で、翔太がけらけらと笑っているのが分かった。空いたグラスに困ったように笑うみのりがオレンジジュースを注ぐ。冬馬はそれを再び一気に飲み干した。  具はウィンナーとチーズ、舌の上で蕩けていたのはチーズ。想像していたたこ焼きの味とは遠く離れた具材、かつ美味しいか美味しくないかで言えば「ケチャップを付ければ美味いかもしれない」という感想を抱くしかない味に冬馬は返答に迷う。  しかし、それだけではないのだ。舌に感じた痛みは今もなお隣りで笑い転げている翔太のせいであることは間違いない。こいつ、入れやがったな。 「冬馬君の為に作った僕特製のピザ風たこ焼きだよ♪ タバスコた~っぷりの!」 「テメェやっぱ入れてやがったな!」 「わー!!」  これまでずっと静かにしていたのはこの時の為に機会を伺っていたのか。冬馬は理解する。少しでも彼の気遣い過ぎを心配した自分を後悔した。  首に手をまわしてとっ捕まえてやると、翔太は冬馬の腕の中でじたばたと喘ぐ。苦しくない程度に締めてやると。早々に「ギブギブ!」と腕を叩かれた。みのりがくすくすと笑う、恭二が微笑する。ピエールは何が何だか、と言った様子だった。 「……まあ、出汁が少し邪魔だけで、味は悪くはないかもしれねえけどよ」 「でしょー! 絶対美味しいと思ったんだよね」 「ただしタバスコは少しだけだ」  そう言って軽く翔太の脇腹を肘で小突いてやると、彼は薄く笑いながらも渋々といった様子で頷いたのだった。 「最近は居酒屋とかカラオケでも一つだけタバスコ入りのロシアンたこ焼きとかってよくあるよね。たまに辛いの好きな人が当てて誰がハズレかわかんなくなっちゃったり」 「そういうのあるっすよね。前に木村と二人でどっちがタバスコ入りを当てるか勝負したことあるんすけど、かなり辛がってて面白かったな……」  冬馬の頭に辛さにふと苦しむ木村龍の姿がよぎった。そう言えば、黒猫も目の前で行列を作る勢いの相当な不運体質だとか聞いたな。  FRAMEとは残念ながら未だ縁なく仕事を共にすることは出来てはいないが、木村龍、鷹城恭二と同じ歳と言う縁を持つメンバーがうちにいるので、ごく稀に「昨日飲みに誘われてね、」を会話の最初に、一体何を話しているのか皆目見当の付かない三人組の飲み会の話を聞かされる。  その話でなんとなくの関係は掴めたものの、お前ら本当に同い年なのか……? という会話内容はにツッコミを入れる者はいない。  と、まあ、そんな理由があり、直接的な絡みは無くとも冬馬は龍が自動販売機の下に小銭を落として取れなくなってしまったとか、恭二の新型冷蔵庫を懸賞で当てたい欲など、彼らのどうでもいい情報に詳しかったのだった。  北斗の話の中に出てくる木村龍というアイドルと、そして、未だ事務所ぐるみの仕事以外で出会えていないユニット達の隣に並んでみたいと常に思っている。 「僕も前に姉さんとカラオケに行った時にやらされたよ。普通の餃子とアイスが入ってる甘い餃子だったんだけど、見た目で分かっちゃったから結局僕が食べさせられてさ」
 想像してみる。餃子のつるつるの皮に包まれたバニラアイス。斬新ではあるが、好んで食べようとは思わない。  餃子のあの見た目からはたっぷりの肉汁が飛び出して、ニラの匂いがぷんぷんするものだと脳味噌が記憶しているのだ。甘い餃子などというものを食べようものなら、即座に味覚が混乱するに違いない。 「たこ焼き器でホットケーキミックス焼いたら美味そうだな」 「美味しそうだね、ベビーカステラみたいで!」 「ベビーカステラ? なに?」 「お祭りの屋台で売られてる小さなカステラだよ、卵の味がして美味しいんだ」  たこ焼き器という一つの金型でいくらでも創作が広がるのだから料理の世界というのは奥が深い。今回は残念ながらホットケーキミックスの用意は無いが、いつかおやつ作りの一つの候補としておくのも良いかもしれない。  十中八九、たこ焼き器は翔太が持ち帰るのを面倒くさがって冬馬の家に置かれることになるのだろうから、彼が姉に「持って帰ってこい」と言われるまでは自由に使うことを許してほしい。 「でもやっぱり僕は辛さでびっくりさせる方が面白くて好きだな」 「お前、あんま食べ物で遊ぶなよ」 「分かってるよ。だから今日はあと一回でおしまい。ね、冬馬君」
 いいでしょ? 翔太はまたあの表情で冬馬へと笑んだ。
「こんばんは。少し遅れてしまいましたね」
 あれからいそいそと準備を始め、すっかりイタズラモードに火のついた翔太主導で「北斗に一人ロシアンルーレットをさせよう計画」は無事に決行に移すこととなった。計画の概要を聞いた冬馬は初めこそ呆れが強く出たものの、翔太の全開の弟力で成す術もなく折れることとなった。まあ、どうせ北斗だし、怒りはしないだろう。 「さーさー北斗君! お仕事帰りで疲れてると思うけど、僕が北斗君の為に焼いておいたたこ焼き、早く食べてよ! まだそんなに経ってないから冷めてないよ!」 「ありがとう、翔太。いただきます」  何も知らず、翔太に案内された場所に腰掛けた北斗は、予めテーブルの上に用意されたたこ焼きセットを確認して小さく笑んだ。自分の為に用意してくれたものだと内心の喜びを漏らしているのだろう。とことん翔太には甘い奴だと冬馬は注いだお茶を煽りながらその様子をぼーっと眺める。 「へえ、たこだけじゃなくてウインナーも入れたんだ」  たこ焼きパーティーの残骸を見つめながら北斗は初手から翔太が作ったそれ―――タバスコたっぷりピザ風たこ焼きを口に運んでいく。思わず声を漏らしそうになったが耐えた。  会話を繋ぐことなど気にも留めずにBeitの三人、翔太、冬馬はそれが口に入るのを息を飲んで見守る。
「……………………」 「……………………………………………………」 「………………………………」 「……………………………………ああ、そうだ」 「え?ああ、」  確かに食べたはずなのに、見た目と味の違和感を感じたはずなのに、何故か北斗は表情一つ変えずにもぐもぐとそれを咀嚼し続ける。大量のタバスコ入りのたこ焼きをまるで当たり前かのように享受し、平然と冬馬に話を振る。  すっかり気勢を削がれた翔太及びBeitの三人は脱力してそのまま深く息を吐いた。北斗はそれに疑問符を浮かべながらも話を進めていく。 「今朝事務所で古論さんに会ってね、今度知り合いの漁師に誘われてスルメイカ漁に行くことになったらしいんだけど、良かったら冬馬も来ないかって」 「スルメイカ……? なんで俺が」 「それがね、最近冬馬が色んな人に手料理をご馳走してるのが事務所内で広まってるらしいよ。恐らく伊瀬谷君達のおかげだろうね。それで、良かったらイカ料理も作ってほしいって古論さんからの俺の所に熱烈なオファーをもらったんだよ」 「あー……」  突拍子も無い誘われ事に、冬馬は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。続いて北斗の口から出た言葉に、一瞬にして脳内で映像及び音声が再生される。「冬馬っちの料理メガメガ美味いんすよ!」などとのたまう伊瀬谷四季に似た何かは間違いなく冬馬の記憶から捏造されたキャラクターなのだが、どうしても偽物とは思えない。マジで言ってそうだ。 「分かった、連絡しとく」  視界の端で翔太がつまらなそうにみのりが持ってきたシュークリームをつまむ。北斗の面前で「おかしいなあ」とぼやく彼はまるでおもちゃに遊び疲れた子供である。一方すっかり緊張感の抜けたBeitの三人も同じくおやつタイムに入っていたのだった。  伝えるべきことを伝え終えて満足したのか、北斗が二つ目のたこ焼きに手を出してぱくりと一口で食べる。赤丸、キムチの酸っぱさを微妙に残しながらもピリ辛でなそれは豚と合わせてみても美味しいかもしれないと先程みのりや恭二と盛り上がった。  そもそもたこ焼きと言うもの自体食べている印象のない北斗にとってはキムチ入りなど、斬新と言う他ないだろう。
 彼はうんうん頷いて、
「とても辛くて美味しいね」と呟いたのだった。
 NEXT→『冷製イカパスタ』with Legenders
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shelieshelle · 7 years
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海辺のレター
夏の日差しが海面に降り注ぐ絶好の海水浴日和。家族連れやカップルが賑わう海岸から離れた岩だらけの一角に青年はブルーシートを広げ、腰を下ろした。
「すっかり夏だねえ」
手で日陰をつくり目を細めた。カモメが群れをなして青空を飛んでいる。
「僕は少し焼けなきゃならん」
耳に突っ込んでいたイヤフォンを無造作に引き抜きiPhoneごとブルーシートの上へ投げ、パーカーとジーンズを脱いで海水パンツ一枚になった。小脇に抱えてきた五冊の本を平たく並べ、腕を組んで選び始めた。
「チッ、またこの本を持って来やがった。チクショウ。僕はおバカさんだねえ。おやおやこれは」
そう言って初めの本を放り、隣の表紙のボロくなった本を手に取り背表紙を撫でた。整理番号のシールが剥がれかかって、ほとんど彼のものになりかけている。貸出期間はとうに三年を超えていたが彼はこの本を本棚から見つける度に「おやおやこれは。」と言うのが癖だった。彼はついにそのラベルをはがし、残りの三冊を右足で退けて寝そべるスペースをつくった。
「君は毎日お引越しだねえ、仮宿暮らしのヤドカリくん」
青年がヤドカリを拾い上げようとした時だった。荒々しい音とともに波が打ち寄せ、何かが彼の足元に転がった。ヤドカリは波に飲み込まれて既にいなくな��ていた。
「君は自由自在に七変化するってか、はは!いいねえ。僕も紙切れを飲み込んだ空きビンにでもなってしまいたいもんだね」
足の指でそのビンを掴もうとしたが一つため息をついて手で拾い上げた。中に入っている紙切れは年季が入っていて全体的にしわくちゃで黄ばんでいるようだった。
     この手紙を拾って下さった方へ
  こんにちは。私はとある国のとある町に住むとある女の子です。あなたに初めてお手紙書きます。世界の七十億人の中であなたが選ばれた、それは偶然かもしれないし、必然かもしれない。とにかくどんな方が読んでくださっても構わないように英語で記しておくわ。それから、もし英語の読めない方だとしたら(子供、あるいは英語の嫌いなフランス人。文字すら読めないヤドカリなんかが拾わなければいいんだけど…。)残念だから、イラストも付けようかと思う。私は叶わぬ想いをどうしていいものか考えあぐねた末、あなたに手紙を書くことに決めたの。(「あなた」というのは見知らぬ人のことよ、もちろん)
 私には好きな男の子がいるの。名前は教えないわ。とにかく彼のことがとびきり大好きなの。けれどもその男の子には想いを告げられない。なぜかって、彼は非常に孤独を愛しているからよ!
 彼はね、(名前は教えないって言ったけどイニシャルはD・D)どっちかっていうとあまりパッとしないタイプだと思う。思い出すときはたいてい後ろ姿だわ。痩せてて、服が身体のサイズに合ってなくて、腕を左右に振ってひょこひょこ歩く。前に図書館で本の返却をしに行ったら前にDが並んでいたの。彼どうしてたと思う?リュックから本が取り出せなくてグズグズしてるのよ。後ろの人は後がつかえてイライラしてたまんなかったと思うわ。だから彼は一人一人順番を譲ってた。ヘコヘコ頭下げてね、その時いちいちプリントやらお菓子やらが開きっぱなしのリュックから落ちるのよ。そのうち私を譲ってくれる番が来るかと思ったんだけど、ちょうどそのタイミングで本が全部揃ったみたいでダメだった。
 一度だけ肩と肩がすれ違ったことがあるの。それは食堂でだった。私はコーヒーとサンドイッチをプレートに載せていて、Dは山盛りのポテトとホットドックにケチャップをかけてた。
 ここまで読んで青年は足に違和感を感じて紙切れから目をそらした。ヤドカリが足の指を掴んで何やらガサゴソしている。左右にゆすってもなかなか落ちてくれない。
   
自分でもっと不器用だってこと自覚するべきだわ。
 彼は足のヤドカリを力一杯引っ張ったが、握っていたのは空っぽの貝殻だった。
 片手で持ったから力加減がいい加減でケチャップが出すぎてパーカー(紺色でNYCって書いてある)に跳ねちゃったのよ。
 見下ろすと足を掴んでいたヤドカリは恥ずかしそうに小さな石の裏側に隠れていた。彼はその石の横にそっと貝殻を置いておいた。
 それをその辺の台拭きだかなんだかわからない汚いタオルでテーブルを拭いて、そのあと自分のパーカーを拭いたのよ!(言うまでもないけどせめて順番が逆だわ。)しかもDったら、なんだか嬉しそうなの。いいえケチャップが付いたことにじゃないわ、そうじゃなくて、生きてること自体が嬉しそうなの。彼はよく音楽を聴いているからノってたのかもしれないけど、多分そんな感じよ。
 その時なんだか私まで嬉しくなってしまって、用もないのにわざわざ台拭きを取りに行ったの。そして彼の隣に立って、その汚い台拭きを手に取った。その瞬間ふと思ったの。こんなにぼんやりした瞬間がなんだか愛おしいって。彼の去り際に目をやると彼の後頭部が見えた。また後ろ姿ね。彼がくせ毛だってその時初めて知った。彼のウェーヴを見て今日は雨なんだって思い出した。
   
 あなたはこんな経験はあって?つまり、なんだかぼんやりした瞬間を愛おしく想うこと。ぼんやりしているのはもちろんDもそうだけど、その出来事、と言っても何も起こらなかったわね・・・。目に映って、何か感じて、丸ごと全部かしら、その瞬間を切り取って宝箱にしまっておきたいの。Dそのものもできればそうしておきたいけど、それはできないわ。前に言ったわよね、Dは孤独を愛しているから、多分ね。
 でも、もし一つだけ願いが叶うなら、いつも隣で口笛を聴かせて欲しいわ。とびきり得意なのよ、口笛が。勉強はまあまあ、(英語だけはできるみたい)運動はまるでダメ。だけど口笛だけはずば抜けてるのよ。でもそんなこときっと誰も知らないわ。Dさえ気づいてるかどうか。NYCのパーカーのポケットに手を突っ込んで、音楽を聴きながら口を尖らせるの。その時もやっぱり嬉しそうなのよ、ただ歩いてるだけなのにね。
 もうこの辺りで終わりにしなくちゃ。どんどん字が小さくなってるわね。イラストも忘れちゃった。ではさようなら。あなたの宝箱もたくさんになりますように!
  青年は読み終わると何やら十秒ばかりそれを見つめ、やがて四つに折りたたみ海水パンツと尻の間にしまった。そして足元に視線を落とし、甲の上に乗った砂を反対側の足のふくらはぎにこすりつけてからさっきと同じヤドカリを右手に乗せた。
「ほうら、これが人間の世界というもんさ。人間の世界は思ってるよりも霊験あらたかなんだぜ。なあに驚くこと勿れ、君は人間になどなりやしないのさ!」ヤドカリは言葉を理解したのか、殻に閉じこもって手先だけをせわしなくごにょごにょと動かしている。それを手のひらに乗せたまま彼は口を尖がらせふらふらと歩き出した。
「やあ」
女は日差しよけの手をかざしたまま青年の方を振り返った。
「君はこの世の奇跡を信じるかい?」
「何、奇跡って。例えば?空を飛ぶとか?」女はサングラスの下で目の色一つ変えず答えた。
「悪くないぜ、悪くない。しかし僕が言いたいのはつまり…」彼は考え込んだ。
「つまりこんなことさ、時間が望み通り動いてくれることだよ。まるでアラームでもセットしたみたいにあらかじめ決めておいた時間に物事が動くんだよ。僕がじゃない、僕の周りの人や物が動くんだ。刻一刻とセットされた時間に向かってね。そんな奇跡信じられる?」
青年は女のサングラスの下を見つめた。その眼差しは彼女のグリーンの瞳をハラハラと揺るがさずにはいられないほどに真剣だった。右手から落ちたヤドカリは口を開けたまま固まった女を見上げた。真夏の光が左手のリングを鋭く焼き付けた。
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2年前くらいに書いた小説。サリンジャーにはまっていたので口語があまりにも翻訳的。とはいえ、ふとしたときに思い出す大好きなお話。問題は、読み手にちゃんと伝わっているかどうか。
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kachoushi · 5 years
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7月の句会報
花鳥誌 令和元年10月号
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坊城坊城選
栗林圭魚選 岡田順子選
平成31年7月3日 立待花鳥俳句会 俊樹選
百畝に百の源氏名花菖蒲 越堂 永らへてよくつきあいし冷奴 世詩明 網戸して貧乏暮しつつぬけに ただし 神主の他は裸や海開き 同 海に向くコスモス倒れんばかり揺れ 秋子 片陰の出来る時刻に帰りけり 誠 九頭竜の出水濁りや海の色 同 落雷に杉の神木火を放つ 同
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年7月4日 うづら三日の月句会 俊樹選
手毬花そば降る雨に色極め 由季子 生涯のこの日に出合ふ御来迎 都 時計草週末だけの喫茶店 同 古ガラスいびつに映る虹の橋 同
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年7月6日 零の会 俊樹選
梅雨曇魚重たく匂ひくる 秋尚 荷を降ろし聚楽のメロンソーダ水 いづみ 旅鞄曳きて上野のあつぱつぱ はるか 巴里祭を知らぬ絵描きの梅雨籠り いづみ 蓮の葉にゆんべの雨の残りけり 佑天 うすものの風の膨らむ女かな 伊豫 逆しまに軒から下がる竹夫人 同 串刺の肉削ぎ売るも溽暑なる いづみ 蓮原の沖へ一炷くゆらせむ 順子 梅雨湿りしてケバブ売る異邦人 要
順子選
なにに揺れ蓮の露とは銀色に 光子 蓮原の阿鼻叫喚を雲低く 要 天受くるかたちに蓮の花も葉も 美紀 夏服の店員去りて大時計 小鳥 日焼して異国の果実齧りけり 光子 黒南風や故国を忘れケバブ売る いづみ 弁天堂法鼓の一打梅雨���ふ ゆう子 梅雨の灯に肌乾きゆく珈琲店 小鳥 蓮原の揺るるは風のゆきしあと 美紀 あぢさゐはまこと現世の花であり 公世 遥かより人の香ありて蓮の原 伊豫
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年7月8日 なかみち句会 圭魚選
群がるや麦茶の薬缶元気な児 エイ子 悠然と毛虫這ひをる御神木 三無 暑気払ひ故郷の酒酌み交し 同 香ばしや振舞ひ麦茶人の波 エイ子 家事終へて熱き一服暑気払ひ 聰 毛虫見て手足の痒くそそけ立ち せつこ 山頂や雲もろともに飲む麦茶 三無 買ひ置きを切らして寂し麦茶かな 貴薫
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年7月9日 萩花鳥句会
墨すつて曾孫命名部屋涼し 祐子 蓮の花かぞへながらの給油かな 美恵子 緑赤黄どれにしよかかき氷 吉之 百歳へ如何に貯めるや明易き 健雄 親鳩の雛を抱き込む梅雨の入り 陽子 挨拶へちよつとはづせしサングラス 圭三 草いきれの先に平家の隠れ里 克弘
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年7月12日 鳥取花鳥会 順子選
洗ひ終へこぼすさへ実梅の香 都 日の盛り上ル下ルと古りし町 悦子 土佐石を置く水盤の水に風 史子 星の数よむ掌よりとび天道虫 栄子 黒南風や雑魚を貰ひに糶の果て すみ子 青鷺の錆声残し翔ちにけり 益恵 四方より蛙の声や事もなし 佐代子 マヌカンは受け唇や麦稈帽 悦子 砂浜に下りゆく径やユッカ咲く 幸子 どくだみを干して煎ずと婆の謂 幹也
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年7月13日 ���形句会 圭魚選
喧嘩して又追ひかける夏帽子 清子 白百合のやや青ざめて吾を向き 三無 噴水の風に添ひつつ上がりけり 清子 多摩川の大きなうねり雲の峰 美枝子 噴水に遊びざかりの風が来る 同 蜜豆や今読み終へしミステリー 白陶 活花の主役となりて狗尾草 亜栄子 改札をドレスふんはり香水も 文英 木洩れ日や読書の膝にくる蜻蛉 寿子
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年7月16日 伊藤柏翠俳句記念館 俊樹選
蛍見て戻りし夜と長き文 雪 十薬や輪袈裟褪せたる六地蔵 同 修羅を秘め沈黙を守り蟻地獄 越堂 音楽の湧き噴水の立ちあがる 同 いたづらに乱してみたき蟻の列 英美子 ぱさり落つ桐の一葉と気付くまで 同 片陰に入りて詳しく聞く話 みす枝 魚焼く裏は風鈴鳴らす風 同 夏大根洗ふに水を走らせて 一仁 七夕や少女の願ふ声がする 直子 扇風機畳に置かれ忌を修す たゞし 宿浴衣座つて半畳寝て一畳 富子 とび石に梅雨の名残りの潦 清女 口開けて鴉も啼かぬ大暑かな 世詩明
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年7月17日 福井花鳥句会 俊樹選
漆黒の吾が影小さき大暑かな 越堂 貼り替へし網戸の風の青さかな 同 山梔子の香の昏れ残る庭の闇 同 糸さきをなめて縫ひたる浴衣かな 世詩明 アコースティックギターの音色大暑にも 昭子 ほつれ髪なで上げ今日は梅雨明と 雪子 浴衣著て少女歩幅を乱しけり よしのり 血潮よりあつき極暑でありにけり 同
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年7月22日 鯖江花鳥俳句会 俊樹選
雨降れば雨の色増す七変化 信子 睡蓮の池の直下の闇深し 同 香水の電車の席を譲られし たゞし 石鹸玉少女の吹きし玉われに 直子 片陰に入りて大事なその話 みす枝 夕焼けに船首の鯱燃えにけり 昭子 堂守の一人に余る竹落葉 雪
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年7月21日 風月句会 俊樹選
夢二恋ふ黒猫伸びて金魚玉 亜栄子 腕組みの兄の見送る梅雨の蝶 圭魚 白南風や子ら空拳を繰り出しぬ 千種 天牛やはるか西新宿の影 炳子 ためらはず刺繍の面で汗を拭く ゆう子 學寮の木の表札を蟻のぼる 斉 白く匂ふ定家葛や梅雨晴間 眞理子
圭魚選
苔の花欠けし野仏思惟深く ゆう子 城址のいづくへ続く蟻の穴 千種 天牛やはるか西新宿の影 炳子 下闇を抜け下闇を城址道 三無 堂裏に展く墓域や小鬼百合 芙佐子 端然と構へて年尾句碑涼し 秋尚 かたはらに無聊の猫や草刈女 千種 拭はれて句碑の白文字影涼し 炳子
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
平成31年7月25日 九州花鳥会 俊樹選
人を祝ぎ人を悼みて古扇子 孝子 香水の小瓶にクレオパトラの絵 豊子 亡妻の香水瓶のまだ匂ふ 睦子 香水や女の貌の裏表 喜和 夕顔の影濃くしたる花街の灯 かおり 麗はしき眉目を隠し白日傘 同 黙や横顔ゆるぎなく 志津子 衣擦れの音に香水ついて来る かおり ひざまづき精霊舟をはなさざる 睦子
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
さくら花鳥会 順子選
無防備に眠る力士や夏座敷 登美子 低過ぎも高過ぎもせず青田風 紀子 形代の闇夜に舞ひて流れけり 寿子 夕焼や親子揃ひの影は伸び 裕子 向かう側少し透けてる夏暖簾 紀子 隣人のとほりに潜る茅の輪かな 同
(順不同 特選句のみ掲載)………………………………………………………………
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