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tomoshiha · 8 months
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日記(2023/09/07)
 断水した。
 蛇口がほとんど抵抗なくくるくると回ってしまうが、どこまで回したところで何も出ない。
 このところ二軒隣の空家の解体工事をやっていて、日中は部屋がずっと揺れており、一昨日あたりに震度2ほどの地震があったときも確かに揺れは感じていたのだが、地震だと気づかなかった。その工事中に誤って水道管を破壊したとかで、すみませんが当分お水出ません、というふうな説明を受けた。復旧は早くて15時くらいとのことだったのだけれども、14時にはもう完了していた。
 復旧後、初手でトイレを流すと詰まるので、流しからしばらく水を出し続けておいてくださいという指示に従って台所の蛇口をひねると、相応の手ごたえがあり、ガコンッと跳ね上がるように震えたあと空気混じりに水がガポッ、ガポッと出始めて、何度かまたガコンッと震えながら、まもなくなめらかに水が流れるようになった。
 私は阪神淡路大震災の三週間後くらいに生まれた人間なのだけれども、断水といえば、お前が生まれるときまだ水道復旧しとらんかって、生まれた一時間後に水出るようになったんや、という話をよく聞いていた。父はなにか奇跡的なことのようにこの話を語ってくれることが多かったけれども、妊婦の立場からすれば、ほなあと数時間待って出てきてくれればよかったのに、と思うのが道理のはずで、申し訳ない気がする。産婦人科は被害が大きかったので、近所の小児内科で生まれたのだった。この病院にはのちのち、なんやかやの予防接種の折などに行くことがあって、そのたびにヘェ、この子があのときの、というふうにまわりの大人は言ってくれるのだけれども、子どものじぶんはよくわからないので、ハァ、これがあのときの、と流し台を見遣りながら針を刺されたりしていた。
 震災後にはそこかしこで解体工事が行われていたわけだから、その揺れも相当なものだったろうと思う。私は震災を経験していないので、さぞ神経をすり減らしたろうと想像するけれども、実際のところ地震の揺れと工事の揺れが曖昧になることで心が落ち着くということもあったのかもしれない。わからない。
 断水しているあいだに非常用に置いていたペットボトルの水を一本あけてしまったので、台風も来ることだし、明日の帰りに買い足してこようと思う。
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tomoshiha · 8 months
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日記(2023/08/24)
 新宿バルトの夜の回で宮崎駿監督の《君たちはどう生きるか》を観た。
 この日は夜中の十二時に雨の音で目を覚まし、慌てて洗濯物を取り込んでのちずっと起きていて、日中は都心のほうに出て用事を片付けていたので、上映中起きていられるかも怪しい状態だったけれども、それでもラッシュ時間の電車に乗って帰るのはしんどいというのが決め手になって、チケットを買った。
 映画館で映画を観るのはほんとうに久しぶりで、確認してみたら去年の三月以来のことだったから、映画館に足を踏み入れるのも同じくらい久しぶりなのだった。エスカレーターの踏板の溝に信じられないくらいポップコーンのカスが詰まっていて、映画館やな、と思った。
 劇場で映画を観ることが何となく億劫になっている理由のひとつに目がずいぶん悪くなっていることがあって、まともに像が見えるかとか、ちゃんと字幕が読めるかとか、そういう不安でうじうじしているあいだにいつも公開が終わってしまう。
 前に友人とある映画を観に行ったとき、こっそり渡された紙片を開くとメッセージが書かれている、というくだりがあって、そのメッセージが全然見えてなかったものだから、帰路「ほんでなんであんとき白紙見せられたんやろな」などと言って失笑を買った。
 起き続けで精神が弱っていて、予告編の、車が事故って人が燃える映像とか、巨大鮫に人が喰われる映像とか、ゴジラが人を蹴り散らかす映像とかでかなり怯えてしまった。
 本編もそんな情緒で観ていたので、冒頭の階段を駆け上る映像でもう、ああ、階段を駆け上っているねえ、と思って、泣いた。始終泣いて、びしょびしょのひどい顔で映画館を出た。まさか自分の人生に、泣きながら新宿を歩く夜がくるとは思わなかった。日付の変わり目も近いというのに電車は満員で、結局気絶しそうになりながら吊革を握って帰った。
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tomoshiha · 9 months
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粗野な手引
 高二のとき、非常勤の先生が担当する現代文の授業があった。たぶんすでに定年退職した先生だったのだと思う。少し色の入った、レンズの大きい眼鏡をかけたおじいちゃん先生で、小柄ながら丈夫そうなからだつきをしていて、肌はよく日に焼けて赤っぽかった。最初の授業のはじめ、先生はおもむろにチョークを手に取ると、ゆっくり、黒板の真ん中に二文字書いた。
   極道
 そして振り返って、
「先生はな、極道になりたかった」
 と静かに話し始めた。
 様子がおかしいな、と思った。たぶん、全員そう思った。シーンとしていた。先生は独特の声、煙に焼かれたような掠れ気味の、わりに高い声で淡々と話し続けていた。
 極道の何たるか、その美学を語って、最初の授業は終わったと思う。結局その日黒板に書かれたのは「極道」の二文字だけだった。先生はこの曜日、この授業のためだけにこの学校に来ているらしく、教室から出て廊下の窓から外を見るともう、誰もいない前庭の真ん中を正門へ向かってすたすた歩いていた。背筋がしゃんと伸びていて、まっすぐ前を向いていた。カーリングの石みたいな速度だった。
 次からは宮沢賢治の「永訣の朝」を読んだ。正直授業の内容はあまり覚えていない。覚えていないのに「永訣の朝」を読み返すときいつも「極道」の二文字が頭の片隅にちらつき、あの最初の授業の日のすごい空気が思い出される。あの独特の声で「あめゆじゆとてちてけんじや」が再生される。疑問文のように語尾が少し上がる、その声の調子だけはなぜかはっきり覚えている。
 そういえば先生は「まがつたてつぱうだまのやうに」というところをやけに深掘りしていた。「鉄砲玉」とはなるほど極道っぽい語彙で、「曲がった鉄砲玉」という響きにはノワール的なにおいがある。きょうだい愛という主題だってそうだし、そう思うとふたつの陶椀という道具立てにしても盃を彷彿とさせないでもない。
 深掘りしたと言っても先生はこんな独自解釈を並べ立てていたわけではなく、高校の現代文としてそれほど異様な授業でもなかったのだけれど、導入が導入だっただけに、その深掘りについてこちらが深掘りせずにはいられなくなってしまうのだった。
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tomoshiha · 9 months
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日記(2023/07/29)
 夜コインランドリーに行くつもりだったので、18時くらいにシャワーを浴びて、洗濯するものをまとめていると、突然ババババッという破裂音が遠くから聞こえてきたので、あれ、寝たんやっけ、と思った。
 というのも、わりと頻繁に空襲の夢をみるので、爆発っぽい音を聞くと空襲かとまず思い、目下このあたりは空襲されるような地域でもないので、ということは夢か、と思ってしまうのだった。なんで空襲の夢をみるのかはよくわからない。とまれどこかで花火大会があるらしいということをそのとき知った。
 家を出ると、日中徹底的に日に晒されて乾ききった草のにおいがした。歳時記によると強い生命力を暗に示すらしい夏草も、今年の夏はなんぼなんでも辛抱たまらんというかんじで、真っ赤になって枯れているのをよく見かける。ランドリーまでの道すがら何か所か花火が見えるスポットがあって、そういうところには人だかりができているのですぐにわかった。かなり多くの人が、風呂上りにちょっと出てきたという風情で、ラフな格好で楽しんでいて、よかった。会場から距離があるので、音と光とがかなりズレていて、歩きがてら家と家の隙間から無音でフワっとあの花火のなめらかな光の動きが見えたりするのが不思議だった。そしてそういう隙間の前にも、椅子を出して眺めている人がいるのだった。
 洗濯が終わったものを乾燥機に移しているときちょうどフィナーレだったようで、外に出るとそこかしこの見物人たちが三々五々撤収していくところで、空には大きい煙が入道雲の幽霊みたいなかんじでのったりのったり流れていた。自分みたいに花火の音を空襲の音と誤認したものが、そこらへんの暗がりに起き出しているような気配がしないでもなかった。
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tomoshiha · 9 months
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日記(2023/07/20)
 描けん描けんとベソかいてるうちに朝になっていたというようなことが続き、いつ寝ていつ起きとんのか自分でもようわからん日々を過ごしていたのだけれども、昨日めでたく出すもの出して、即、寝、日付が変わって間もない頃起きた。もう今日はしたいことだけしようと思った。
 夜が明けるまで、読みかけだった平山夢明『俺が公園でペリカンにした話』を開いていた。「警察」に「マッポ」というルビが振ってあるような小説を読むのは久しぶりで、おもしろかった。
 燃えるゴミの日だったのでこちらも出すもの出してしまいたく、日が出てからは人参の皮を剥くなど捨てるものの出る作業を片付けた。餃子を25個包んで、人参と一緒に蒸籠で蒸した。
 食べながら、ふといただきものの東博「古代メキシコ展」の招待券の有効期限が明日までだということを思い出したのだけど、明日は夜まで予定があるし、行くなら今日しかないということになって、シャワーを浴びて上野まで出た。今日はさして暑くなく(それでも30℃あるが)、外を歩くのも苦ではなかった。
 最初の展示室でもう頭蓋骨が出てきて参ってしまった。人骨ほど直接的なものでなくても、中南米の古代文明の造形は見ていると体内の臓器と臓器の間を何かがもにょもにょ這うようなかんじがして不安になる。目玉のひとつだった「赤の女王のマスク」にしても、本当に怖いものを見ているという感触があった。
 ついでに国際子ども図書館に初めて行った。新館(アーチ棟)に入った瞬間兵庫県美の匂いがして、さては安藤忠雄やな、と思ったら本当に安藤忠雄の設計だった。馬場のぼるとデイヴィッド・ウィーズナーの絵本など読んだ。16時くらいで切り上げて、電車が込む前に帰った。帰りの電車は爆睡だった。
 そういえば行きしなの電車でこんなことがあった。おっさんがいきなり「もっと詰めて座れよ!」と男子高校生二人組(全然広がってはない)に説教垂れたかと思うと、近くにいた、とは言い難い距離感のところにいた女性二人組(全然座りたそうではない)をにこやかに呼び寄せて、どうぞどうぞと座らせ、立ち去った、と言うには近い距離感のところに移動して、むくれたまま立っていた。なんか、平山夢明が描いてそうな善意やな、と思った。
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tomoshiha · 10 months
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並置(No.126~150)
てんてんと連絡船
カタストロフと民謡
かさぶたと線香花火
牧童と死滅回遊魚
羅列と狙い撃ち
早口言葉とテレパシー
列島と路線図
粘土と陰画
運指と稜線
琵琶とトリアージ
サボタージュと桂冠
吊り橋と三角コーン
もっともっとともともと
化粧水と目薬
青田買いと山菜採り
回路と鍵盤
校長とティンパニ
右腕と鉄砲玉
編と撰
国語と語源
善意と予兆
週末と万年床
鼻濁音とシャンソン
刑罰と解釈
オノマトペと陰影
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tomoshiha · 11 months
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自炊ノート スナップえんどう
 山口在住の姉夫婦より玉ねぎとスナップえんどうをどっさりいただいた。スナップえんどうは書店の同僚がたまに採れたてを分けてくださることがあり、たいていは丸ごと蒸して食べているのだけれども、今回はせっかくなので他の手も使ってみた。
 連日扱っているうちに筋取りも手際よくできるようになってきた。上の筋も下の筋も、頭のほうから引っ張るとするする取れる。外した筋は蔓の先のようにくるくる丸まって、かわいい。
 肥ったものは豆と鞘を分けて、別々に料理してみた。鞘を割ると、右と左、交互に豆が付いていておもしろい。鞘から外した豆を薄い磁器の茶碗に落とすと、ころりというか、ことんというか、そんなかんじの微妙で涼やかな音がする。豆の控えめなうす緑と青花の色の取り合わせもよし。
 豆は茶袋にまとめて、ざっくり切ったじゃが芋と一緒に蒸す。同時に、下の鍋で卵をひとつ茹でておく。鞘のほうは適当に切って、炒め物にする。じゃが芋はつぶして柚子胡椒(これも山口から送ってもらった柚子で作ったもの)とマヨネーズで和える。卵も潰して、豆と混ぜつつ、こちらもマヨネーズと和えて軽く胡椒を振る。これが本当においしかった。芋にせよ豆にせよ、蒸すと味が澄んだままはっきりと残るようで、口に含んで驚くことが多い。ついでに赤玉ねぎの小ぶりなものをひとつ分スライスして、塩、酢、オリーブ油でマリネにした。色合いが美しかろうと思い、育てているオレガノの苗から赤っぽい葉をいくらか摘んで、まいた。一枚の皿にまとめると、何やらままごとのような楽しげな眺めになった。
 玉ねぎと一緒にカレーに入れてみたりもした。カレーは年中作るけれども、青っぽい味が入ると、お、夏やな、と思う。とてもおいしい。どちらも甘くなる野菜なので、辛口のルーでちょうどよかった。前に作ってあった赤玉ねぎのマリネもよく合う。
 油を温めた折についでに天ぷらにもした。塩で食べた。おいしいもので、追加でずいぶんたくさん揚げた(たぶんこの日、すごい量の塩を摂っていると思う)。
 このようにスナップえんどうはどうにかこうにか、10日くらいで食べ切ることができたのだが。しかし玉ねぎは、さて、どうするか!
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tomoshiha · 11 months
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並置(No.101~125)
神秘とおままごと
市バスと部活動
詰め替え用シャンプーと窒息する蟹
タイドプールとシナプス
五寸釘とジオラマ
秋とスクロールバー
世論調査とランドルト環
堀と外来種
表と遠近法
玉葱と総書記
語尾と癖毛
誹謗とニュートンのゆりかご
観察と天啓
固有周期と九等星
水と旧世界
耳掃除と台風
ポイントカードとツタンカーメン
偽証と饅頭
校歌と観光客
地獄巡りと蜘蛛の糸
正座とプロテイン
アネクドートとカポエイラ
骨の名前と公衆電話
鳥の巣と玉手箱
気絶と無重力
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tomoshiha · 11 months
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並置(No.76~100)
短歌と音叉
濾過と生贄
泳法と文体
イタコとプロンプター
偽薬と共犯者
単旋律と薬草園
牡蠣と眼病
黙秘と真珠
雅楽とメトロノーム
蛹と歩兵
じょうろと雄蕊
チョークと透明人間
汗と腐葉土
砂丘と生存者たち
火の見櫓とビデ
ニッカポッカとドクダミ
新月と桟橋
毛根と盆栽
双子座と喪主
補助席と三輪車
肩車とコントラバス
祭と植物工場
錆とブルーシート
百鬼夜行とNASA
行方不明者と幽霊
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tomoshiha · 11 months
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並置(No.51~75)
趣味と興味
窓と寿命
郵便番号と記念日
ギャル文字と清水寺
孤食と取り皿
詩と物理
化石と鶏がらスープ
時間と嗅覚
距離と網
地割れと巾着袋
鳩と並行世界
石油と金木犀
ぽぴんと雷
魔法使いとどつき漫才
太鼓とプレパラート
笛と風見鶏
凧と鍵穴
碁盤と無脊椎動物
地球儀と凸面鏡
寝煙草と包帯
台座と檻
表面張力と額縁
コンパスとギロチン
尿瓶と靴下
野菊と三葉虫
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tomoshiha · 11 months
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並置(No.26~50)
海老と布団叩き
土器と蛍光灯
手話と塩田
内科医とサボテン
予言と歳時記
眼鏡と角部屋
肺胞と南国の赤い土
「国内作家ラ行」と「その他アジアの文学」
虹とスフマート
梵鐘とリボルバー
占星術と標本
臍ピアスと地蔵
魚群と天文学
遺書と熨斗
豆腐とティラノサウルス
スクリーンとモンスーン
耳鳴りと絶滅
助詞と感嘆符
狼煙とトリアージ
草原と紫水晶
ダムと誤嚥
麻取と反魂香
炬燵と錬金術
平均律とタイプライター
レパートリーとプログラム
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tomoshiha · 11 months
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並置(No.1~25)
アレルギーとカナリア
暗喩と勘亭流
リボンと上腕二頭筋
苔と大理石
茶筅と鯨
送電塔と糸切鋏
昆布と鍾乳洞
石畳と海神
カタログ・レゾネと切手帖
泥とガラス片
霧吹きと線香
版画と光の三原色
箒と二分音符
「」と()
斜塔と渦潮
こけしと石棒
味噌汁と蓮華
推敲と除草剤
おでんと八重奏曲
辞書と風車
すいかと喪服
結露と花火
吐息と牛乳瓶
死体遺棄罪とクリオネ
ハドリアヌスと一休
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tomoshiha · 1 year
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 書店は年の利益の約3割を12月の売り上げから得るんだそうで、どうりでまあ毎日忙しいこと忙しいこと。クリスマスがそのピークだから、土日でもある今日明日はその頂点といっていい。きっと今日は泡吹くほど忙しいんやろな、ま、自分非番やけど、と思っていたら病欠の代打が回ってきて、唇を噛んだ。
 今年もあと一週間で、たぶん年内に読み終わる本もなさそうなので、今年のベストを考えてみた。
 やっぱり一番は榎本空『それで君の声はどこにあるんだ』(岩波書店、2022年)で、読んでいるときからもうこれは今年のベストになるなと思っていた。著者は沖縄に育ち、27歳のときに渡米してニューヨークのユニオン神学校でジェイムズ・H. コーン、コーネル・ウェストに師事して黒人神学を学んだ人。一昨年読んだコーン『誰にも言わないと言ったけれど』を訳したのも榎本さん。どの伝統に連なるのかという話。今年は「それってあなたの感想ですよね」の人が沖縄の抗議運動を冷やかしに行く最悪なことがあったけれども、「それってあなたの感想ですよね」という、言葉から精神を引き剥がそうとする言葉に対して、「それで君の声はどこにあるんだ」という問いをぜひともぶつけてみたいと思った。
 もう一つはタルコフスキーの『映像のポエジア』で、夏に文庫化されたので買って少しずつ読み進めていたのだけれども、本当によくて、ページの上端を折りまくってしまった。おかげで上部が少し膨らんでいる。タルコフスキーのことは心底信頼しているけれども、タルコフスキーもまた観客のことを信頼していたということがわかって嬉しかった。タルコフスキーにしても自分が連なる伝統の話をしていてよかった。
 2022年はとにかくこの2冊が圧倒的だった。
 明日泡吹いて、明後日泡吹いたら晴れて仕事納めということで、今年は一週間ほどまとまった休みがとれた。クリスマスプレゼントでもないけれども、甥に絵本をいくらか送っておいたから、おもしろがっているところを目撃できたら嬉しい。送ったのは五味太郎『もみのきそのみをかざりなさい』など。まあ叔父の寄越した本など気に食わないのが常やけど。 
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tomoshiha · 1 year
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23
 今日はよく陽が出ていて雲一つない青空だったわりに本当に寒くて、風も強かった。南北方向の道から東西方向の道に曲がった瞬間にブワッと風に押されて身体が浮くかと思った。ごみ収集車のお兄さんたちも「寒ッ! 寒ッ!」と言いながら俊敏に作業をしていた。洗濯物が高速で回転していて干物マシーンみたいだった。
 朝の荷解きをしながら「前にアニメでバナナフィッシュ観てめっちゃ凹んだんですよね」と言ったら��の場にいた複数人から「お前は『光の庭』を読め」と喰い気味に言われたので、所収の『ANOTHER STORY』を買ってみた。本編でのシンの立ち位置の複雑さをよく覚えていなかったのもあり「光の庭」はあまりピンとこなかったのだけど、同時収録されている「ANGEL EYES」の少年刑務所でのアッシュとショーターが打ち解けるまでの話とかがよかった。『BANANA FISH』はクールでスタイリッシュな印象が残るけれどもショーターとか伊部さんとか周辺の人々は人情深くていい。
 一緒に『女の園の星』の3巻も買った。『夢中さ、君に。』の頃からしたらもうギャグの密度がすごいことになっていて、「うちの姉ちゃんヨーグルトの汁でパックしているわ」「ほえ~…」が最初のページの3コマ目にある。
 たぶんこの2冊が今年のマンガ納めになると思う。来年のマンガ始めは14日発売の田沼朝『いやはや熱海くん』の1巻と同時発売の短篇集『四十九日のおしまいに』になる見込み。
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tomoshiha · 1 year
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22
 冬は真昼でも日が低くて、日差しの角度が浅いから、細長いわが部屋のかなり奥のほうまで日が入っており、台所の床に直置きしたじゃが芋などが神々しく照らされていて、はっとするようなことがよくある。
 静物画が好きで、それもゴージャスなものとかメメント・モリ的なことを言いたげなものよりは、何気ないものにじっくり向き合って描いたようなものが好きで、そういうわけでゴッホとかモランディとかが好きだ。
 コターンとかスルバランの静物画は背景を真っ黒にしていて、ずっとそれを単純に暗闇として捉えていたけれども、最近はどちらかというと無として捉えるようになった。描かれたもの(とそれを見えるようにしている光)が在るということを際立たせる無、みたいなかんじ。
 カラヴァッジョの果物籠を筆頭に対象をほぼ真横から描いた静物画は多いけれども、静物を水平に見るのは案外骨で、対象を高く掲げるか自分が低く構えるかしないといけない。今日巨匠と呼ばれる人々がどういう格好で描いていたのか、想像すると楽しい。あとこの相対的な視点の低さというのは静物画を考えるうえでけっこうミソだと思う。
 古代ローマの遺跡に見られる壁画装飾の一種にXeniaというものがあって、これが静物画の起源だとは言えないにしても、今日我々が静物画と呼んでいるものに共通する性質がかなりあるんだそうだ。前に梅田を歩いていたらXeniaという屋号のラブホがあって驚いた。
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tomoshiha · 1 year
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21
 例年は両手で数えられるほどくらいしか観ていなかったけれども、今年は映画をたくさん観ようと思って、とりあえず有名どころは押さえとこうとガイドとして『淀川長治 映画ベスト1000』を買った。淀川長治ほどにもなるとベストが1000本ある。母数どうなってんだ。
 結局今年は現時点で120本くらい観れたので、そのなかのベスト10を選んでみた。順位順ではない。
①《北陸代理戦争》(1977)
 信子(高橋洋子)と川田(松方弘樹)のカップルがすごくいい。同じ地獄に堕ちそう。深作欣二監督のヤクザ映画はなんか妙に飯がうまそうに見える。
②《スパイの妻》(2020)
 蒼井優が本当にすごかった。観てほしい。
③《猫と庄造と二人のをんな》(1956)
 字幕が要るレベルで訛り散らかしている浪花千恵子、森繁久彌、山田五十鈴がいい。庄造の「こん↑にち↓は→」のイントネーションを受けて芥川也寸志の劇伴が「ポペペポペン」、城川婦人の「ね↑こ↓」を受けて「ペンポーン」と続けていておもしろい。
④《ハワーズ・エンド》(1992)
 ヘレナ・ボナム=カーターがとにかくいい。
⑤《昨日・今日・明日》(1963)
 イタリア映画っていいなぁと改めて思った。野次馬の活きがいい。この映画で初めてマストロヤンニを知ったのだけど、世の中にこんなにかわいいおじさんがいるのかと驚いた。
⑥《パーフェクトストーム》(2000)
 ディザスター映画はオチを家族の絆に持ってくることが多くて、《ツイスター》にしても《イントゥ・ザ・ストーム》にしてもそういうところが不満だったのだけれど、《パーフェクトストーム》は危険を承知で嵐のなか漁に出ざるをえない労働者の心理をよく汲んでいた。水産会社の社長を船員の婚約者がなじるところがよかった。実話に基くらしく、結末はかなり厳しい。
⑦《暗くなるまで待って》(1967)
 知性にも個性があると思っていて、知恵比べ的な程度の差を見るよりは、ある知性とそれとは異なった知性のぶつかり合いみたいなもののほうが興奮させられるのだけど、この映画の賢い加害者と賢い被害者のヒリヒリしたバトルはまさにそれだった。ヒッチコックの《ロープ》とかでも思ったことだけどサスペンスって警察が活躍しないほうが断然おもしろいと思う。たまたま巻き込まれた人が自分の持ち札を最大限活用してなんとかする、その切羽詰まった無茶苦茶さとド根性的な逞しさが際立つから。そういう役をオードリー・ヘプバーンがやっているのもいい。銃とか爆弾とか派手なものを出してこないでも、冷蔵庫ひとつでめちゃくちゃ映画をおもしろくしていてすごい。悪役も悪役で「こいつにこれをしたらさぞ怖かろう」という邪悪な想像力が豊かで、最適で最悪な嫌がらせをしていてすごい。
⑧《無法松の一生》(1958)
 土屋嘉男がとにかくいい。
⑨《バベットの晩餐会》(1987)
⑩《パターソン》(2016)
 「置かれた場所で咲きなさい」と自分が言われたら「そう簡単に言うてくれますけどな」とつい口答えしたくなってしまうけれども、置かれた場所で咲いている人の姿を描いた作品は好きで、《バベットの晩餐会》と《パターソン》はそういう作品だなと思った。《晩餐会》の終盤でバベットが「貧しい芸術家はいません」と静かに言い切るところがあって、これが本当にいい。芸術家が貧しい(というより貧しくされている)ときに本当に貧しくなるのは芸術家じゃないものね。
 年が明けるまでにあと3本くらい観れそう。来年は映画はそこそこにするつもり。
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tomoshiha · 1 year
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20
 何の目当てもなしにレンタルショップに行って、棚を巡って作品を選ぶのは好きだったのだけれど、近所にあったツタヤが閉店してしまってから、数年ほどDVDで映画を観るということをしていなかった。ポータブルの画面付きプレイヤーを持っていたけれども、いつだったか手持ちのDVDを再生しようとして電源ボタンを押したときにはウンともスンともいわなくなっていた。
 今年はたくさん映画を観ようと思い立って、動画配信サービスをハシゴしていろいろ観た。それでもどこでも配信していないものはあって、電車で一駅行ったところにあるゲオにけっこう在庫があるようだったので、この機会にDVDプレイヤーを買うことにした。
 前の独立型のプレイヤーには概ね満足していたけれども、やや頻繁に止まるのと、映像が飛ぶことがあるのが不満だった。ディスクを格納しているところの上に辞書とか重いもの積んでおくといくらかましになるのだけれど、画面の前なので、邪魔ではあった。
 そういうわけで今回はパソコンに接続する外付けタイプのものを選んだのだけど、まずセットアップにえらく手間取った。インストールやら再起動やらアンインストールやら再インストールやら再再起動を諸々やって、もう一回アンインストールせいと言われて、再再インストールして、再再再起動して、ようやっと完了した、よし、観よ、と思ってDVDを入れたら「DVDは再生できません」と表示され一瞬画面に頭突きしそうになった。DVDプレイヤーがDVD再生できなんだら何を再生できんねん。説明を開いてみると、別売りのソフトが必要だという。しかもハードより高い。阿漕な商売である。
 ソフトを買うのも癪なので、別社の外付けプレイヤーを改めて買った。別途ソフトが必要ないことはよくよく確認した。インストールには前ほど手間取らなかったし、手持ちのDVDで試してみたところ無事再生できるようだったので、安心して電車に乗ってゲオに行き、5本借りて帰ってきた。ゲオは今は旧作なら2週間借りれるらしくて、ほなそんな急いで観んでもええかと思って、のんびり構えて観ていた。
 2週間経った頃、映像を再生できなくなった。無料トライアル期間が終了したという。何の話やと思ったら、この先再生したければソフトを購入してインストールせよという。そしてハードより高い。もうアホらしいのでソフトを買って、ややこしいインストールを経て、また観れる状態にした。
 今、なんとか再生はできる。再生できるけれども、5分おきに止まる。止まってまた動き出したと思ったら映像と音がズレている。これを「再生」と言うのはかなり癪だ。ゾンビ化と言ったほうが正しい。
 映画をゾンビ化して観ています。
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