Tumgik
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Twin Flame
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Truly, we are divine beings.
Our body is a mere vessel of the true divinity we truly are.
When I am with you and our eyes meet, this body melts. The only thing left is the pure divinity I am, radiating immense light of pure love and happiness.
When your body touches mine, the touch is beyond physical stimuli. You touch directly my soul,
and every touch is a blessing and baptism from you as a divine light radiating love to my divine light radiating joy.
We are beyond our physical body.  We are beyond time and space.
We are divine, and our connection is pure in its core.
I love you does not suffice. Thank you is only mere words.
The love between us is grater than any living beings,  and the gratitude between us is deeper than any grace there can exists.
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立ち止まった季節の記録
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「お前はどうしてそんなに生き急いでるんや?」
10代の頃、自分の中で爆発寸前の葛藤や焦りを相談するたび、人生の先輩たちからは、いつもそんな言葉が返ってきました。
「お前は、まだ高校生やろ。そんなに生き急がんでも、ちゃんと物事っていうのは、起こるべきタイミングで起こるんやから、もっとリラックスして、のんびり構えとったらええんやで」
そんなことを言われてもましても。
人生は、なにが起こるか分からないじゃないですか。
多くの先人や賢人が口を揃えて言っているでしょう?
「明日死んだとしても、後悔しない生き方こそが、幸せな生き方なんだよ」って。
例えば明日、死んでしまったら。私は絶対に、今の人生を後悔する。
そんな風に思い、いつも「もっと早く」と、焦っていたのです。
「早く、ここから抜け出さなければ」
「早く、動き出さなければ」
「早く、自由にならねば」と。
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2020年2月末。
26歳になったばかりの私は、同じく1歳になったばかりの娘を片腕に抱き、もう一方の手に夏物しか入っていないスーツケースを持って関西空港に降り立ちました。
寒い寒い冬の日でした。
「ついに、現実ってやつに、捕まってしまった」
今まで自分と向き合うことから逃げ回っていたツケが回ってきたのです。
一寸先も見えない混沌とした日々の渦中に、なにか「大いなるもの」に強制的に投げ込まれたことを、全身で感じていました。
「忙しく逃げ回るのは、もうやめなさい。立ち止まって、どれだけ痛みや恐怖を伴うとしても、見るべきものをちゃんと見て、正すべきものをちゃんと正しなさい」
「大いなるもの」から届いた、そんなメッセージのようなものを、確かに私はその日、関西空港でタクシーに乗り込む瞬間に、この耳で聞いたのです。
その2週間後、日本で初めての緊急事態宣言が発令され、世界の国境が閉ざされました。
全世界が、強制的に「止まる」ということを余儀なくされたのです。
それはもしかすると、私だけではなく全世界の人々にとって、この目に見えない「システム」の中で生き延びられるように、麻痺させてきたハートと繋がりなおすための時間だったのかもしれません。
忙しなく動き続けることで、聞こえないよう、感じないよう、見ないようにしていたハートの声にちゃんと耳を澄まし、これからやってくる新しい日々を、私たち一人ひとりがどう生きていくのか、本当はどう生きていきたいと願っているのか、もう一度、気づくことができるように。
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離婚というプロセスには、大きな、本当に大きなエネルギーが必要です。
それは、単純に離婚届にサインをして、提出したら終わり、というシンプルなものではないということを、私はこの3年近い時の中で痛感しました。
共に過ごした時間や記憶、一生をこの人と過ごしていこうと決めた自分の決意、思い描いていた未来の計画、夢や希望。そこに絡みついた愛情や優しさ、慈しみの感情、痛みや傷、恐れ、そしてたくさんの悲しみたち。そのすべてと向き合い、自分の中でその一つひとつと和解し、手放し、新たな未来を築いていかなければならないということに、気づいたのです。
そのプロセスは、今日1日のするべきタスクを紙に書き出し、時間を決めて計画通りにひとつずつ線を引いて消化していくようなものではありませんでした。
「早く前に進みたい」「早くここから抜け出したい」と思う自分の隣には、恐れや不安で凍りついてしまって前にも後ろにも進めない自分も、目の前の現実を忙しく生きることで起こったことを考えないようにしようとする自分も、もう大丈夫と思う自分も、もう無理と思う自分、楽しいことがあって幸せを感じている自分も、過去に引っ張られて落ち込む自分もいました。
そんな、相反するたくさんの「自分」が、私の中に存在していることに気づいたとき。
私は生まれて初めて、生き急ぐこと、目に見える分かりやすい結果や成功を今すぐに求めることをやめて、「なにもしない」という選択をしました。
それ以外に、方法がなかったのです。
無理に前に進もうとしたら、自分の中の大切な一部を置いてけぼりにしてしまう。
そうしたら、一見、前に進んでいるように見えるかもしれません。何かを達成できたことへの一時的な喜びを感じるかもしれません。でも、自分の中の大切な「部分」を傷つけ、一歩間違えたら見殺しにしてしまうことになるかもしれないと感じたのです。
もう、私の中にいる誰のことも、少なくとも私だけは、置いてけぼりにはしない。
その決意を実践するために、その時の私に唯一できた行動が「なにも行動しない」ということでした。
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「なにもしない」ということは、ただそこに座ってぼーっと時が過ぎるのをやり過ごすこととは違います。むしろ、その真逆です。「なにもしない」という選択には、大きな決意と強さ、そして「必ずそのタイミングがやってくる」という、人生の大きな流れへの不動の信頼が必要になります。
「なにもしない」ということは、外から見ると動いていないように見えるかもしれません。人生を諦めている、無力さの象徴と捉えられてしまうかもしれません。でも、本当は、「なにもしない」という選択 –「なにも選択しない」ということも、立派なひとつの選択です– は、すべてのタイミングと準備が整うことを信頼して「待っている」状態なのです。
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日本に帰国して1年近く経った冬の日。娘とふたり、手を繋いで家の近くを散歩していました。木々の葉はとっくの昔に枯れて落ちてしまい、川沿いに並ぶ桜の木は、素っ裸で寒々としていました。私には、その空間の時が止まり、そこに生命はなく、すべてが枯れ果てているように見えたのです。
でも、そんな桜の木を近くから見上げたとき、枝の先にたくさんの固く閉じた蕾があることに、初めて気がつきました。春は、まだまだ遠い先です。それでも、川沿いに並び立つ桜の木々は、吐く息が凍りつく寒い冬の只中で、既に美しい花を咲かせる準備をしていたのです。それは桜の木々が、ちゃんと冬の後には春が巡ってくることを知っていて、その大いなる流れ –生命のプロセス– を信頼しているからこその行いでした。
冬は、一見すると時が止まり、木々も山々も枯れ果てて、生命が死に絶えているかのように見えるかもしれません。人によっては、冬は1年の中の空白の時間、無駄な時間のように感じるかもしれません。でも本当は、凍りついた冬の只中であっても、生命は燃え続け、新しい春の訪れへの準備はすでに始まっているのです。「冬」の中には、「春」、そしてその後に続く「夏」と「秋」も内包されています。そして、その後にまたやってくるであろう翌年の「冬」も。
そうして生命は巡り、時は巡り、人生は巡っていくのです。
それは、夜がきたら必ず次に朝が来るように。
波が引いたら必ずまた寄せてくるように。
息を吐いたら必ずまた新しい新鮮な空気が吸い込まれるように。
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「生かすべき時に、生かすべきものをちゃんと生かし、
そして死なせるべき時に、死なせるべきものをちゃんと死なせること」
それが女性性の力の本質であり、歴史の中で断罪され追放された女神たちの力であったと、誰かが私に教えてくれました。
その力は、私たちみんなの中に内包されています。
女性も、男性も。人間も、動物も、地球も、宇宙も。
男性性の力も、女性性の力も、等しく大切なものです。
そこには、善も悪も、きっと存在しません。
太陽が昇るから私たちは活動し、創造し、楽しみ、遊ぶことができる。
そして、月が昇るからこそ、私たちはその日1日の経験を振り返り、自分の中に落とし込み、休息を取り、次の新しい1日への準備をすることができるのかもしれません。
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2022年8月の満月の夜。
待ち続けていたその時がやってきたのを感じました。
私の中の時が、ついに満ちたのです。
恐れも、不安も、トラウマも、まだ私のすぐ側に立っていました。
彼らがそこにいることに気づきながら、彼らがそこにいることを認め、受け入れ、それでも「もうやってらんない」「もう解放されたい」という強い思いが湧き上がってきました。
自分の中の強い部分も、そして弱くて柔らかい部分も、その全員が足並みを揃えて「前に進んでいこう」と決意をしたのです。
そうして、私は勇気を出して、言葉を放ちました。その言葉は受け入れられ、2年半越しに、やっと本当の意味での私の人生の中の「結婚」というチャプターが終わりを迎えました。
長かった2年半。
恐れや不安と、たくさん向き合いました。
押しつぶされそうになったときも、もう無理、全部終わらせたい、逃げたいと思ったときも、数え切れないくらいありました。押し寄せる恐れや不安の重圧に耐え切れなくなって、感情のままに「なるようになってしまえ」と捨て鉢に体当たりしたくなった夜もありました。それでも「まだ時は満ちていない」と囁く心の声を信じて「待つ」ことを選択し続けたのです。「待つ」ということは、逃げているだけなんじゃないか、という不安や、ずっとこのまま先に進めなかったらどうしようという不安とも、闘い続けた2年半でした。
それでも、「その時」が必ずくることを信頼して、「待つ」ということを選択し続けたからこそ見えた世界。そして、その過程で出逢った人々や、景色や、経験とのご縁。
そのすべてに、そして、今日という瞬間まで自分を導いてくれたすべての人、もの、体験と流れに、心の底から感謝の気持ちが湧いてくるのです。
自分が納得できるタイミングを、待ち続けることができてよかった。「今」で本当によかった、と。
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私自身を癒す旅は、きっとまだまだ続いていくことでしょう。
私の中には、まだまだ恐れや傷がありますし、それらにがんじがらめになる時もあります。
癒しや和解というものは、スイッチをひねれば一気にOFFになるような、そんな簡単なものではありません。癒しや和解とは、プロセスであり、旅のようなものなのだと思うのです。前に進んだと思ったら、また引き戻されてしまっていたり。行ったり来たりを繰り返し、前に進めていない自分に絶望し、諦めたくなる時もあるかもしれません。でも、ふと後ろを振り返ってみたら、ちゃんと自分の後ろには道が続いていて、数ヶ月前、数年前とはまったく違う景色が広がっていることに、時が経ってから、気づくのです。
そして、その大いなる流れの全貌や意味というものは、私たちは人生の最後の瞬間まで、捉えることはできないのかもしれません。
物事というものは、起こるべきタイミングでちゃんと起こるものだから。
そのタイミングが必ず巡ってくることを信頼し、リラックスして、その時がくるタイミングに備えて自分の中でゆっくり、でも着実に準備を重ねていく。そのプロセスの渦中、苦しみや迷い、悲しみや恐れの渦中にあっても、「今」という一瞬の積み重ねの美しさを受けとり、楽しみ、遊び、笑い、人生を満喫する。
そんな相反する矛盾や葛藤を抱きしめて、自分の中で融合させていくこと。
それこそが、「生きる」ということの美しさであ��、楽しさなのかもしれません。
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自分の足で立って生きるということ
大学卒業が目前に迫ったとき、 怖くてたまらなかった。
今までの人生は、文句や不満を言いつつも やることを学校や社会に決められて それを忠実にこなしていけば、それでよかった。
定期的にやってくる試験の勉強とか、 決まった時間に学校に行って、 決められた授業を受けて、 決められたカリキュラムを学んで。
誰かが決めたレールの上を 進んでいればよかった。
言ってしまえば自動運転で進めたわけだ。 とりあえず、言われたこと、決められたことを こなし続けていれば、自分の頭で考える必要なんてない。
楽なもんだ。
でも、「就活はしない」と決めていたわたしにとって 大学を卒業するということは 突然、自分の人生の選択が丸投げされるということ。
どこにでも、好きなところに行ける。行こうと思えば。 なんでも、好きなことができる。やろうと思えば。
突然自分の目の前に現れた 遠く広い地平線に、 わたしは完全にすくみあがっていた。
その無限の選択肢の広さが、恐怖だった。
だって、完全な自由の中で 自分の人生の責任を負って行動していくなんてこと、 学校では、まったく学んでこなかったから。
それこそが、この社会の一番の罠であり、 一番の洗脳なんだよなぁと思う。
わたし達は、表面上は「自由が欲しい」と、 今の現実に文句を垂れながら、 心の奥底では、決められたレールや ルーティーンがあることに心底安心するのだ。
「学校でそんなこと、学んでこなかったから」 なんて言葉が自然に出てくることさえも 自分の人生に責任を持ててないことの 一番の証拠だよなあと思う。
クソッタレって思う。
社会になんかじゃない。 そんな甘ったれたハナタレな自分にだ。
自分の人生を生きるということを、諦めて 自分の人生の舵取りを社会だか灰色の男達にだか 預けたのは、他でもない自分だ。
そこを抜けろ、と心が叫ぶ。 一歩を踏み出せよ、と、声がする。
選択肢は、常に自分の手中にある。 怖いに決まってる。 怖くて震えるに決まってる。
それでも、 「自分は自分の人生をあきらめない」
そう何度も腹を括り直すから、 何度も恐怖を乗り越えて一歩を踏み出すから、 その繰り返しを続けるからこそ、 僕たちは「その先」へ行けるんだ。
それが、その葛藤や恐怖こそが 「自由」というコインの裏側であって、
「自分の足で立って生きる」っていうことなんだ。
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「今」苦しみの真ん中にいる人へ
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「今この瞬間に生きるとか、 安心するとか、委ねるとか、 リラックスするとか、力を抜くとか。
大切ってことは、わかるんです。
でも、現在進行形で、恐れや不安や 現実の中を生きていて、 そして、常にしっかりしていないといけないし、 細かいことまで覚えておかないといけない。
気を抜くことが、物理的にできない状況にいるから だから、セルフラブとか、安心安全とか 委ねるってことを、自分に許可できなくて」
そんな風に、言ってくれたクライアント様がいた。
彼女のその言葉たちが、何度も頭の中で繰り返される。
「わかるなあ」って思う。
恐れや不安が、過去のもの ートラウマーに なっているんだったら、それを 少しずつ癒していけばいいだけの話。
でも、その恐れや不安が 現在進行形のときに、私たちは どうしていけばいいんだろう?
簡単じゃないなって思う。 それでも、やるしかないとも思う。
自分のエネルギーを高めておくということ。 自分の波動を高く保っておくということ。
そのためのツールが、私にとっては靈氣で。
そうやって、安心安全の感覚を 少しずつでいいから身体の中に満たしていく。
そうやって、少しずつでいいから 高い波動の中に自分の身を置いていく。
恐れが出てきてもいい。 不安が出てきてもいい。
「今、この瞬間」その恐れや不安と 真っ正面から向き合うことができなくてもいい。
どんな時であっても、 自分が自分の味方でい続けるということ。 どんな状態であっても、 自分が自分を支える一番の存在であるということ。 どんな環境や状況下にいても、 高い波動・エネルギーに自分をチューニングさせていくこと。
そのひとつずつの選択が、 例え、今この瞬間には、小さく無意味なものに見えても。
それがきっと、 私たちを、遠く、より良い場所まで 運んでいってくれるから。
私たちは、いついかなる時も、 そう信じられない時でさえ、 大いなるものに、ちゃんと守られている。
それを信じ抜くということ。 何度も、何度でも、信じ直し、感じ直すということ。
そういうこと。
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「海獣の子供」は、漫画が一番わかりやすい。
言葉では交わされることのない約束も、 「海獣の子供」の物語の中で、ルカが目にした「祭り」の意味も。
最後に、空が言ったとおりだ。
「ここに来るまでに、種明かしは全部済んでいるんだから」
映画では、「全部の種明かし」の ほとんどがカットされてしまっていた。 だから、分からない。伝わらない。
「上の如く下も然り。 中の如く外も然り。」
エメラルドタブレットに刻まれていた この世の真理こそが、すべての あまりにもシンプルな、答え。
私たち人間の身体は、何十億という細胞からできている。 そして、私たち人間の身体の90%以上は、 微生物によって構成され、システムとして その営みを続けることができている。
つまり、「わたし」と呼ぶ存在は、 「わたし」が「わたし」と認識する以外の、 「その他の生命体」から構成され、運営されている。
人の肉体をミクロの視点で見たとき、 そこには陽子の周りを巡る電子の集まりがある。 その陽子は、素粒子でできていることがわかっている。
むしろ、現代の科学では、 「そこまでしか分かっていない」
それでも、それだけで十分だ。
太陽系は、太陽を中心として 地球をはじめとする天体たちが 円を描くようにして、その周りを巡っている。
でも、本当は、少し違う。
太陽は、真っ直ぐ進み続けている。 そして、その周りを天体たちが巡りながら、 まるで子宮という真空をかける精子の如く 螺旋を描いて進み続けているというのが、正しい。
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この地球に存在するもの、それがなんであれ、 分解してミクロの視点で見ると、 そこには宇宙との類似性が見られる。
そして、私たちの肉体は、 90%以上が微生物でできている。
さらに、エメラルドタブレットに刻まれた
「上の如く下も然り。 中の如く外も然り。」
の言葉。
アジアの各��の伝承や神話では、 宇宙創造神が落とした一滴の精子が 地球の海に落ちて、そこから羅刹が生み出されたとか、
女性が隠部を太陽に晒すと 妊娠するといった類の話が、 数多く存在しているらしい。
水のある地球が、「宇宙の子宮」であるとするならば。 その地球上に存在するすべての生物は、 肉体にとっての90%の微生物と同じモノ。
私たちは、「宇宙」というひとつの 広大な生命体を構成する一細胞、 一組織に過ぎないのかもしれない。
もし(というか、そこに「もし」という概念はないんだけれど) この仮説が真理であるとするならば、 私たちが生きている理由、そして ルカが言葉を交わすことなく結んだ約束とは いったいなんだったのか。
その答えが、理解できるようになってくると思うんだ。
「本当に大切な約束は、言葉では交わさない」
それは、「言葉に落とし込むことができない」から。
私たちが生きている理由。 私たちが存在する理由。 そして、私たちがどうやって この地球で生きていけばいいのか。
その答えこそが、「約束」。
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関係性
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大人になると、 特に親になると、
自分の日常の中で使える 「時間」と「気力」と「体力」は、 驚くくらいに限られてくる。
その貴重な時間・気力・体力の三種の神器を いったいどこに使うのか。
それは、むしろ「どこに投資するのか」という そんな感覚に近い。
大人になると、毎日が忙しかったり大変だったり。 巡ってくる「今日」という1日を乗り越えるためだけに 三種の神器を使いたいと思うのは当然のことだし。
ただでさえ、1日の終わりには三種の神器が枯渇して エネルギーがカラカラになりがちなんだから、 「今日」という自分の日常を廻していくために 直接的に必要であるとか、重要であること以外には 自分の貴重なエネルギーは注ぎたいくないと思うのは、 ある意味当然のことなんだと思う。
だからこそ。
その自分の貴重な三種の神器である 時間・気力・体力を、ちょっと次の日のストック分を 使い切ってしまって翌日が枯渇フラグになったとしても、
それでも「向き合おう」って思える関係性を、 それが異性であれ、同性であれ、 身内であれ、友人であれ、恋人であれ、 持てるっていうのは、
それだけで、本当に奇跡のように貴重で、 どこまでも大切にしたいなって。
そんなことをね。最近思ったのです。
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魂の家族
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寺町商店街の中にあるコイズミ楽器店に娘を連れて行った。
「こんにちは。 ギターの弦を張り替えてくれるって噂を聞いて、きました」
持ち込んだのは、15年もののあこスティックギターと 娘が誕生日に買ってもらった子供用のウクレレ。
「いいよー!でも、アコギの弦あったかな?」
ちょっと探してもらったものの、 必要なEの弦がお店になかった。
「ちょっと行った先の楽器屋さんに バラ売りしてると思うから、買ってくる? その間に、他の弦も全部変えておくよー」
そんなゆるぅいノリで、おっちゃんは言ってくれて。
こっちもゆるぅいノリで、「行ってきまーす」なんて言って ちょっと歩いた先の大きな楽器屋さんで お目当てのEの弦だけ購入した。
コイズミ楽器店に戻ると、おっちゃんは 既にE以外の全部の弦を張り替えてくれていて。
今さっき買ってきたばかりのEの弦を渡す。
おっちゃんが最後の弦を張り替えてくれている間に 娘と一緒に、世界各国からやってきた 見たこともないような不思議な楽器たちを見て回る。
ウィンドチャイムを鳴らし、 レインスティックで雨の音を出し、 モックリでは風の音を奏で、 さまざまな太鼓や、シェイカーで 自由に音を出して遊ぶ娘。
そんな娘を見ながら、ニコニコ笑って 弦を変えてくれるおっちゃん。
あっという間に、娘はおっちゃんになつき、 口笛を何度も何度も演奏してもらった。 彼女のキラキラした目を見る。 おっちゃんとの、まるでファミリーかのような あたたかいやりとりと笑顔を見て、胸があたたかくなる。
「ついでにウクレレの弦も、変えておこうか」
そう言って、おっちゃんはウクレレの弦も変えてくれた。
気づけば���アコギとウクレレの弦を変えてもらうだけで 2時間近くが経っていた。
楽器屋さんで、こんなに遊んでもらって、 こんなにいっぱい遊んで、こんなに幸せな時間を過ごせて。
なんて、幸せで豊かなんだろう。 そんな風に、幸せを噛み締めた。
すっかりおっちゃんに懐いた娘は、 「次、いつまた遊びにくる?」なんて。
こんな風に、初対面でも ずっと昔から気心が知れているかのように 素の自分で接することができる人との出会い。
そんな空間や場所との巡り合いっていうのは、 神様からのプレゼントのようなものだと思う。
おっちゃんの名前すら知らないけれど。 でも、確かに、あの瞬間、 私たち3人は、時空も時間も肩書きも超えて、 魂で繋がった大きな家族だった。
そうやって、縁は繋がり、 家族の輪は広がっていく。
その工程のすべてを、 祝福として受け取り、楽しんでいくんだよ。
それが、 今のわたしの「生きる」のスタイル。
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「本当のセルフセアとは、バスソルト入りのお風呂とかチョコレートケーキなんかではない。本当のセルフケアとは、定期的に逃げ出す必要性のない、そんな人生を選択していくということ。」
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空を見上げる。
風が、吹く。
海の近くに住みたいと思う。
海が近くにない、と思っていた。
だから、海の近くに住みたい
という理想とは、遠くかけ離れている、と。
でも、ふと
空を見上げたとき、
この空は、あの海と繋がっていることに気付く。
ふと、頬を優しく撫でる風の中に、
あの海の香りを感じる。
今、目の前にあるとか、ないとか、
そんなことではなくて。
この空は、風は、
どこまでも繋がっているから。
この空を流れる雲に、
その空の青さの中に、
そして、空を自由に駆ける風の中に、
たしかに、海は存在していて。
風が、潮の香りと
寄せては返す波の音を
この瞬間に、たしかに届けてくれている。
空を見上げるとき、
わたしは海と、どこまでも広がる
地平線を眺めている。
風を感じるとき、
わたしは、海の香りと、
髪を乱す潮の香りを全身で受けとめる。
すべては繋がっている。
すべては今、この瞬間に、すでに、在る。
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星が、降る夜
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星と、夜と、溢れ出す言の葉たち
わたしにとって、そこには
なにか通じるものがある。
星には、音がある。
音なき音。
夜が好きだ。
日常の色んな喧騒が溶け去って
なにか、深みと厚さが生まれる、
沈黙が重なって奏でだされる
星々の重奏曲。
その空間に、浸かり、浸る。
昔から、星を見上げるのが好きだった。
なぜ、
と尋ねられても、
明確な答えはそこにはなくて。
夜が奏でるたくさんの音なき音、
そして星が放つ光と、振動。
星を見上げるとき、
自分自身が空っぽになっていって
悠久の時の中へと
身体ごと、すっぽり溶け込んでいく。
宇宙の深淵な悠久の時の中へと
自分が解けていって、一体化する。
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ただ、星を見上げる。
きらりと、音もなく、星が降る。
それを、見つめる。
ただ、光り輝く
そこに存在し続ける星々を眺める。
その中に、潜り込んでいく。
自分の境界線が溶けていって
拡がっていく。
「それ」の中に、気づけば入っていて
そこには、上も下も
今も昔も未来もなくて、
ただ、在るだけ。
「今」という、悠久にたゆたう時間が。
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言の葉は、わたしにとって
宙から降ってくるものだ。
星々から、夜のしじまから、
降り注ぎ、満ちていく。
溢れ出すその音なき音たちを、
その抑揚を、旋律を、
言の葉として、書き留める。
書き留めるのではなく、
宇宙の真ん中に、
音なき音たちを書き記すことで、
刻んでいるような。
そんな、形のない、
目的も、それこそ言葉もない、
そんな、触れることも、定めることも、
できない、形なき行為。
それは、たとえば
砂漠の真ん中で
錬金術師が石板に
宇宙の真理を書き刻むような。
そんな、こと。
きらりと、
音もなく、また、星が流れる。
永遠の一瞬の中に、
浮かび、たゆたい、存在する。
ただ、
ただ。
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love letter
you and me. that was our pack. only you, and me.
shouts and fights felt endless.
why? I would asked. only now I know, you were asking the same.
the day you bursted in tears, crying like a young child. your face looked just like mine.
"this is not what I wanted. this is not the mother I wanted to become."
you said.
"I wanted to be a mother who always smiles, tickling each other and giggle all the time. cooking together, baking something yummy, swimming deep in this beautiful place called life. I wanted to show you all the beauty and joy of this world."
"this is not what I wanted. I feel like I am a monster."
I was quiet. nothing was coming out of my mouth. only tears falling down my jaw.
"you would understand what is like once you become parent yourself", they say.
and nothing can be more true.
years teared us apart. comprehension and communication felt impossible. we drifted apart year after year.
but one starry night, one little flower joined the pack.
you, me, and a little tiny angel.
day after day, I understand more about you.
how much you tried. how much you cared. how much you loved.
some says, "parents should not let a child carry such a burden", but they don't know you, neither our pack.
I understand you more than anyone. and still there is just so much I can't even imagine.
how many times I have blamed you, for my weaknesses and fragility.
everything that I disliked about you, only now I see them as an immense gesture of love.
nights that we danced together, days that we traveled into the unknown, seeing the moon rising behind a mountain, shooting stars, fireflies, hugs, kisses, giggles, and oh, so much love you wrapped me around with.
the best gift my little flower game me is the knowing of the love I received, immensely, unconditionally, like waves, like rains, like moonlight, like shooting stars, like a soft blanket, from you.
I am not even close to half of a mother you had been for me. only now I know, day after day, how amazing mother you were, fighting and swimming through the impossible.
so many tears I let you shed.
only to know, how much of a wonderful mother you are.
"I love you" doesn't describe quite a bit of our history together.
you are beautiful, inside and out. you are strong. you are joyous. you are optimistic. you can be and do everything I cannot. you are just amazingly you.
Thank you mamma, and I love you, all the way up to the moon and back, and to the infinite of the universe.
thank you for all that you are. thank you for all that you poured in me through these years. thank you for never gave up on me. thank you, for being my mom.
ti voglio bene mamma. e niente puo' superare l'amore che tu mi hai sempre dato. e le parole non escono facilmente tra i miei denti, dopo tutti questi anni che non ha mormorato frasi dolci.
I wish one day, I can look into your eyes and say these words while holding your hand.
that you are the best mother in this entire world.
until then, this love letter will flow in this place, between the time and space. together with stars and moon and fireflies you lighted up within me.
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がんばる という言霊
ここ数日、「 言葉 」 に関する 言葉たちが、 たくさん頭の中に降りてくる。
特に、「 愛 」 と 「頑張る 」 という 言葉について。
「頑張る」って言葉を 漢字も含めて感じたときに、
わたしはいつも この言葉に硬さを感じる。
歯を食いしばっていたり、 流されないように激流の中を 脚に力を入れて、グッと立っている感じ。
気になって調べてみたら、 「頑張る」というのは、明治時代以降に つけられた当て字なんだって。
200年続いた戦争のない江戸時代ではなくて、 外国人が流入してきた明治時代 っていうのが、なんとなく自分の中で 「あーはん」ってしっくりきた。
最近、がんばるっていう当て字に 「顔晴れ」ってつけている人も 結構見るようになった。
でも、わたし的には 「 顔晴れ 」 も、あんまりしっくりこない。
楽しいときに 「 今日も顔晴ろう✨ 」 は しっくりくるんだけど、
そう思えないけど、がんばらないといけない そんな日には、「 顔晴れ 」 が 笑顔の仮面をつけているような そんな感じがして、なんかいやだ。
そのまま、なにとも分からない 答えを探してたら、 がんばる の当て字のバリエーションの中で
「 願晴れ 」
っていうのがあった。
あ、これだ。 ストンと落ちた。
願いの先は、かならず晴れる
そこには、希望がある。 祈りがこもる。
あ、なんか、いいなって。
今の時点での わたしにとっての 「 がんばる 」 は、 「 願晴る 」 だなぁって。
願いの先は、かならず晴天。
願晴る。
願晴れ。
願晴ろう。
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めちゃくちゃ眠たいのに、
もうちょっとって、また、
窓を開け、空を見上げる。
豪雨の後の、
澄んだ空気と、初夏の夜の音に耳を澄ませながら
空を見上げる。
ああ、そうか。
今日の雨は、今朝、宮崎にいた雨だ。
あの雨は、宮崎の海の匂いを
ここまで運んできてくれた。
それを今、わたしは
見えない感覚で、
たしかにキャッチしている。
それを、キャッチしたかったのか。
だから、起きていたかったのか。
言葉は、星が降るように、
わたしの中に降ってくる。
後から、後からと。
書かされているんだろうな
って感じる。
自分が書いているわけではなくて。
書くとき、
言の葉を紡ぐとき、
そこにはメロディがあって、
波がある。
そのメロディと波を
感じて、とらえて、
そのまんま、言の葉という
目に見える形に落とし込んで
見えない世界の中に
優しく落としていく。
わたしにとって、
「 書く 」 って、
そんな感覚なんだ。
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Flowし続けるということ
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瞑想が苦手だ。
Eat Pray Love -食べて、祈って、恋をして- のなかで 主人公がインドのアシュラムまで行って 瞑想をするシーンが頭に浮かぶ。
「さあ、瞑想するわよ。 呼吸に集中して、 頭を空っぽにして、 吸って、、吐いて、、」
「いい感じ!瞑想できてる! アメリカに帰国したら、 瞑想部屋を作ろう。 いつでも瞑想できるように。 壁は何色がいいかしら? 金色?それとも薄いピンク? 快適なクッションも用意して、 瞑想しやすいように リラクゼーションミュージックも セレクトしないと。 なにがいいかな?......」
「って、思考の波に飲まれてるじゃない! 瞑想できてない。 さあ、瞑想するわよ。 呼吸に集中して、 頭を空っぽにして、 吸って、、吐いて、、」
そして、また振り出しに戻る。
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flownにのっているとき、 flowにのっている自分に気づいて
「この自分をキープしよう」
と思い始めた瞬間、 身体に力が入って 逆に水に沈んでしまって flow state から離れてしまうような。
はじめて自転車に乗る練習をしたとき、 一瞬、マインドが空になって スイスイ漕ぎ始めたのに、 「できてる!この状態だ! どうやったんだっけ?」 って考え始めた瞬間に、 またバランスを崩して倒れてしまうような。
いつもは気にもしていなくて 当たり前にできている呼吸が、 その呼吸に意識が向いた瞬間、 「どうやって呼吸してるんだっけ?」って 急に息苦しくなって、 呼吸のリズムが崩れていってしまうような。
flow にのるって、難しい。
マインドは、常になにかを 理解しようとするし、 分析しようとするし、 把握しようとする。
その瞬間、 ハートのセンターから 外れてしまって、
浮いていたはずの身体は重くなり、 またズブズブと沈んでしまう。
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ひいては返す波のように。
それでも、何度でも、 その flow の空間に戻っていく。
ひたすら、 その行ったり来たりをくりかえす。
それをひたすら繰り返していったら flow を、ただそのまんま flow として 理解しようとする必要も、 分析しようとする必要も、 把握しようとする必要も、なくなって。
「 ただ、その状態に在る 」
そんな状態に あり続けることが 自然と、 呼吸レベルで、 できるようになるのかもしれない。
「 ただ、その状態に在る 」
それは、 達するべき境地でもないし、 たどりつくくべき目的地でもない。
ものごと、と、ものごと、の 間にある なにもない空間。
その時間をどれだけ 引き伸ばしていけるのか。
flow し続けるって、 そういうこと。
きっと。
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守るもの
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自分が自分でいられる空間
なにもない空白の時間
余白
ナニカとナニカの間に存在する、 目に見えない --狭間 --
そういうものを I keep and protect as though my life depends on it.
which it does, figuratively and quite literary.
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たゆたう
この生命を、
この時間を、
この人生を。
それはきっと、 ひいては返す波に 安心して身を任せるように。
まるで、 「 宇宙 」 という 母なる羊水に 抱かれるように。
それが、 わたしを わたしという 中心に保ってくれる。
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