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mmmilsom · 5 years
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B.J. Ward/Vocal-Ease
B.J. ウォード「ヴォーカル・イーズ」
「ソフトロックの伝説」はその後どこへ?
   冒頭で歌われるラフマニノフの「ヴォカリーズ」とかけた題名、淡い色調のポートレートの静かで、暖かく、どことなく寂しげな佇まい......どこを切り取っても美しい名作。    上質なアレンジメントや、B.J.ウォードの透明感あふれる歌声が繰り出すフレーズの美しさから、ソフトロックの再評価が進んだ90年代には誰もが認める「伝説の名盤」と化したにもかかわらず、なぜか今に至るまで一度もリイシューされず、ソフトロック熱が冷めて久しい今も4万円前後という驚異的な価格で取引され続けている作品です。  Discogsのコメント欄にも「レコード会社が売れ線の作品を手を変え品を変え出し続けている間に、本当にリイシューすべきこの素晴らしいアルバムのマスターテープはアーカイヴの中で腐敗してゆくんだ」(ものすごい意訳)と、リイシューされないことへの苛立ちをあらわにしたコメントが付いていますね。個人的にもリイリューされないことは本当に本当にもったいなく感じています。なぜリイシューされないのでしょうね?謎です。  この作品がいかにすばらしいかは、たくさんの音楽ファンの方が熱のこもったレビューをされている一方、B.J.ウォードという人物に関しては日本語の情報がほとんどなく、「1枚のソロアルバムを発表し姿を消した幻の歌手」みたいな扱いになっていたので、このアルバムの主人公であるB.J.ウォードが何者なのかをもう少し調べるために(あやふやな英語力と混濁した読解力で)見つけてきた情報を、ここに一通りまとめてみることにします。
アルバム「Vocal-Ease」について
 まず、この作品はアメリカ人の歌手B.J.ウォード("B.J. ワード"とも)が、オランダで録音をしたアルバムで、オランダの「Catfish」レーベルから発表されました。
 この作品がなかなかリイシューがされないのは、発売元が「Catfish」というオランダの耳馴染みのないレーベルだからなのかな?と思ったりもしたのですが、この「Catfish」レーベルはBovema-EMI(EMIオランダの前身。現在はユニバーサル傘下)が立ち上げたブランド。世界4大レーベルのひとつと言われたあのEMI系列の作品なんですよね。同じくEMIを構成していた英国コロンビアのように「メジャーレーベルだけど大人の事情でリイシューできない」作品がゴロゴロ存在する例がありますから一概には言えませんが、もし本当にレコード会社が存在価値に気づかぬまま、ただ「腐敗」させているだけだとしたら......。
 そんなの嫌だーーーーーー!!!誰かリイシューしてーーーー!!!!!神様ーーーーーーーーー!!!!!
 失礼しました。話を戻します。アルバムのプロデューサーは、ヨープ・フィッセール(Joop Visser)。学生時代にオランダでシングルヒットを飛ばした経験を持つ彼は、1969年頃から73年頃までオランダEMIで働いていました。
 そして全編に渡りアレンジを務めているのは、1950年代から活躍(2019の現在もご健在、御年なんと92歳!)するアメリカ人ジャズピアニストのドン・トレナー。
 本作発表以前に、ドン・トレナーはナンシー・ウィルソンとともにオランダを含む欧州各地で公演を行った(1968年)ほか、1960年から続くオランダの音楽賞「Grand Gala Du Disque(のちのEdison Award)」に参加していたらしく(このあたりは資料が無さすぎて事実確認が殆どできていません…違っていたらごめんなさい…)、それらの流れでヨープ・フィッセールとも出会っていたようです。
 ではなぜそこにB.J.ウォードが加わるのかというと、実はB.J.ウォードとドン・トレナーは夫婦だったのです。ここで、B.J.ウォードの経歴を(あやふやな読解力と以下省略)振り返ってみましょう。
B.J. ウォードについて
 B.J.ウォードは1944年9月16日、アメリカのデラウェア州生まれ。本名はBetty Jean Ward。ミュージカルの舞台女優を志して1960年代にニューヨークへ渡りました。そして、
「1964年3月10日、『ABC's Nightlife』で歌うことになり、緊張しながら入ったABCテレビのスタジオで、番組の音楽ディレクターをしていたドン・トレナーと出会」い、1966年5月22日にドン・トレナーと結婚。それを機にLAへ移住します。そのLAで、ソフト・ロックグループ「Inner Dialogue(インナー・ダイアログ)」に加入。1969年にグループ名義のアルバムを発表します。そして翌1970年、B.J.ウォードは夫ドン・トレナーとともにオランダへ飛び、本作「Vocal-Ease」を録音するわけです。
 ネット上では本作の製作時期について「1974年作品」説や「1971年」説、「1970年」説などありますが、1970年12月19日付のBillboardには
「B.J. Wardが11月の間にBovemaのスタジオでアレンジャーのDon Trenner(原文ママ)とプロデューサーであるBovemaのJoop Visserと録音を敢行」
との情報が。さらに、
「アルバムのタイトルは"Focalise"。1月の初めに発売する予定。」
とも。
 ……………(いろいろツッコみたいけど)本盤が1970年録音ということはほぼ間違いないでしょう。
 録音が1970年に行われ、翌年早々に発売する予定でいたことを考えると1974年発売という説は少々疑わしいかもしれません。ただ、ドン・トレナー著「Leave It To Me... My Life In Music」には1974年作品と書いてあります。結局どういうことなんだこれ。
 本作がオランダで録音された直接的な理由はわかりませんでしたが、もしかしたら忙しさの中で結婚4年目を迎えた二人にとってはこれがハネムーンの代わりだったのかもしれません。
 ...すみません、知りもしないのにかっこつけました。ごめんなさい。
アルバム「Vocal-Ease」以降
 B.J.ウォードは「Vocal-Ease」録音後、アメリカに戻ってスケッチコメディ劇団「The Groundlings」とのツアーを経験。1978年には、ハンナ=ハーベラプロダクション制作のテレビアニメシリーズ「Jana of the Jungle」で、主人公Janaの声優を務めるなど、声優・舞台女優としての仕事を獲得してゆきます。1980年代に入るとアニメ「地上最強のエキスパートチーム G.I.ジョー」でスカーレットの役を演じたことで、アメリカ声優界のレジェンドとしての地位を築きました。
 並行して音楽活動も続け、特にスタンドアップ・コメディとオペラを組み合わせたパフォーマンス「スタンドアップ・オペラ」は高く評価され、ニューヨーク・デイリーニューズ紙は彼女を「オペラ界のヴィクター・ボーグ(Victor Borge)」と絶賛しました。
 70代を迎えた現在も第一線で活躍しており、2000年代以降はマーシャル・ベアラーの楽曲を歌った「B.J. Ward Sings Marshall Barer」をコンコード・レーベルから発表していたり、CAPCOM制作のゲーム「新 鬼武者 DAWN OF DREAMS」では「お初」の声を吹き替えしたりしています。
1978年の6月にドン・トレナーと離婚したB.J.ウォードですが、離婚したあとも友人として関係は続き、「Vocal-Ease」から40年以上時を下った2015年、二人は再びタッグを組んでアルバム「Double Feature」を発表。その翌年には続編の「Double Feature 2」も出しています。
Catfish・5C 062-24323(オランダ・1970年録音作品)
 
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 ところで、Wardさんって日本語表記は「ワード」なのかな?「ウォード」なのかな?Wikipediaだと北米出身のWardさんは「ウォード」率高め、英連邦出身は「ワード」さん率高めな気がする。気のせいかな。こういうの地味に困る。ほんと困る。
 どれぐらい困るかって言ったらスウェーデン人の「Lindberg」さんの日本語表記例が「リンドバーグ」「リンドベルグ」「リンドベルイ」「リンドベリ」「リンドバリ」の5種類が出てきたときの次ぐらいに困った。
 もしも「ワード」のほうが都合が良くなってきたら「ワード」で統一することにします。
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mmmilsom · 6 years
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Claude Lombard/S.T.
クロード・ロンバール「クロード・ロンバール」 「女性版ミシェル・ルグラン」の異名をとった才女の1stアルバム?
 ベルギー生まれ、1968年に「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」に出場し、80年代には日本産アニメのフランス語圏版主題歌を次々と担当。「フランス語圏のアニソン女王」としての地位を築いた歌手、クロード・ロンバール。  日本でも、サイケでメロディアス、クレイジーなサウンドで満ちた1969年作「Claude Lombard Chante」で、今なおカルト的人気を誇っている彼女。日本では前述の69年作を「デビューアルバム」と紹介しているサイトが多いようです。しかし、今回紹介するこの作品は1969年より前にベルギーのDeccaレーベルから発表されたアルバム(カタログ番号から推測するに1965年ごろ)です。この推測が正しければ、本作が正真正銘のデビューアルバムかもしれません。    収録されている曲は、すべてクロード・ロンバールと、彼女の母親であるクロード・アリックスによる共作です。ギターで参加しているのは、クロード・チアリによる大ヒット曲「La Playa」を手がけたJ.ヴァン・ウィットル。  編成は歌とギターとべースというシンプルなもの。賑やかな電子音の渦に囲まれて歌っていた69年作とは正反対の編成ですが、確かな表現力で楽しそうに楽しそうに、のびのびと歌う姿からは、根明なチャーミングさが伝わってきます。なんか「うたのおねえさん」っぽい。  音楽の専門教育を受けた才女である彼女は、ジャズとクラシック、シャンソンの良い所を集めたようなドラマティックな曲を多く作り、その感覚はミシェル・ルグランと比較されるほどなのですが、転調を繰り返しながらドラマを作り上げる彼女の作風は、このデビューアルバム発表時にはすでに完成されていたことがうかがえます。  のびやかなスキャットに心がときめくボサノバ「Tout Fou, Tout Doux」は、アルバム版では上品なアンサンブルにのせて歌っていますが、1965年に発表されたシングル(おそらくデビューシングル)では流麗なオーケストラをバックに歌っています。 両方動画が有ったので貼り付けます。聴き比べてみてください。どちらも素敵です。
Decca・193.437(ベルギー・1960年代作品)
 
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 余談ですが、本作は半分に折った1枚のチェックレザック紙で直接レコード盤を挟む仕様で発売されました。前述のシングル盤も同じようにペラ紙で盤を挟むスタイル。粗末....いや、質素なつくりですね。ちなみにそのベルギーDeccaを運営していたFonior社は1929年創立の老舗で、1970年代にはベルギー最大手のレーベルにまで成長した会社。しかし、カセットテープに代表される音楽メディアの変化に対応しきれず1980年に破産してしまったそうです。  何となく自分で書いた文章を見直して思うのですが、アーティストの経歴やレコード会社の変遷、レコード盤の仕様など、レコード盤に刻まれた楽曲以上にそれを取り巻く環境の方に関心があるのかもしれません。
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mmmilsom · 6 years
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A Full Moon Consort/The Men In The Moon
ア・フル・ムーン・コンソート「ザ・メン・イン・ザ・ムーン 」 アメリカ南部から生まれた「ごった煮」シティ・ソウル
オハイオ州のインディーレーベルから発表された作品(1976年録音)。 間奏でロックサウンドからスカ調になる「THE GREAT WALL」で始まり、スティーリー・ダン的な先の見えない展開が印象的な「WALKING THE STREETS AT NIGHT」と続く本作。同時期のアメリカン・ロックやフュージョンとソウルサウンドを巧みに織り交ぜたエネルギッシュな演奏を聴かせます。 ボーダーやジャンルを軽々と飛び越え、自由な感覚で生まれた「ごった煮サウンド」は、演者の鮮やかなテクニックと柔軟なセンスによって、奇跡の格好良さを実現しています。 中でも、そのセンスが最もエレクトリックピアノとギターに導かれ、アコースティックサウンドが爽やかに疾走する「THEY DON'T KNOW WHERE THEY'RE GOING (UNTIL THEY GET THERE)」は、(オハイオだけど)ハワイアンAORに通ずる解放感とブリージンな感覚を備えた名曲です。 開始5秒でスタンディングオベーションしたくなる見事な出来です。 「Merry Merry」や「On The Rocks」、「EGO-WRAPPIN' AND THE GOSSIP OF JAXX」あたりのEgo-Wrappin'がお好きな方(もちろん私もです)にとっては最高に気持ち良いごった煮感です。
 
Midwest Records・MW 2001(アメリカ・1978年発売)
 
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mmmilsom · 6 years
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Claudine Longet/Golden Double Deluxe
クロディーヌ・ロンジェ「ゴールデン・ダブル・デラックス」 激レアなあの歌も収録。フレンチ・ポップのアイコンの日本独自編集盤。
 1971当時、A&Mレコードの日本発売元だったキングレコードが独自に企画発売した編集盤。 レコード2枚分に及ぶボリュームたっぷりの内容をよく見ると、クロディーヌが日本語で歌う「五木の子守唄」、「絵本の中で」という、かなり珍しい2曲を収録しています。 ともに、彼女が来日した際に録音された音源。A&Mのスターがウイスパーボイスで「おどんがうっ死んだちゅうて 誰が泣いてくりょか(♪五木の子守唄)」と歌う様はなかなかシュールです。  今回特に注目したいのは「絵本の中で」。筒美京平、橋本淳というおしゃれ歌謡曲の名タッグによるもので、1972年にいしだあゆみがアルバム「ファンタジー」においてカバーしていますので、そちらもぜひお聞きください。素敵です。 クロディーヌのバージョンは、本物のA&Mサウンドに混ざっても違和感のない、おしゃれなボサノヴァサウンドに、フランス語のクセが抜けきらない舌足らずな歌声が相まって何ともいじらしい仕上がりに。  そういえば1950~70年代のキングレコードは外国人アーティストに「五木の子守唄」を歌わせたがる傾向にあった気がします(本当に気がするだけ)。海外の歌手に歌わせるほど、当時の日本を代表する曲だったのでしょう。担当者のフェチだったという可能性は……考えないでおきましょう。
King Records・AMW 17/18(日本・1971年作品)
 
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    余談ですが、本盤発売と同じ1971年、キングレコードはA&M所属アーティストのベスト盤「ゴールデン・プライズ」というシリーズものの一枚として、先に紹介した日本語曲2曲を含むベスト盤「クロディーヌ・ロンジェ ゴールデン・プライズ(GP-208)」を発売しています。 上で紹介した日本語歌唱の初出は「ゴールデン・ダブル・デラックス」か「ゴールデン・プライズ」のどちらかだと思われます。 ちなみに「ゴールデン・プライズ」シリーズは1作目がバート・バカラック、以降はセルジオ・メンデス、ウェス・モンゴメリー、ハービー・マン、再びバート・バカラック、カーペンターズ、ザ・サンドパイパーズ、そしてクロディーヌという発売順。以降ジョー・コッカーと続きましたが、それ以降の発売は確認できません。 一方、「ゴールデン・ダブル~」のほうも分かったものだけまとめてみます。
AMW-3 /4:CTIレーベルのダブル・デラックス
AMW-5/6:A&Mレーベルのダブル・デラックス
AMW-7/8:ウェス・モンゴメリー
AMW-9/10:セルジオ・メンデス&ブラジル'66
AMW-11/12:ハーブ・アルパート&ティファナ・ブラス
AMW-17/18 クロディーヌ・ロンジェ(本盤)
AMW-19/20:バート・バカラック
AMW-23/24:サンドパイパーズ
AMW-31/32:カーペンターズ
と言った感じです。しかし、シリーズのために型番が作られた(と思われる)「ゴールデン・プライズ」と違い、この型番は「A&Mレーベルの2枚組アルバム」であれば何にでも使っていたようで、AMW-15/16は「ゴールデン・ダブル~」シリーズの間に割って入る形でジョー・コッカーのライブアルバム「Mad Dogs And Englishmen」に割り当てられ、AMW 43/44は「ビル・ウィザースのカーネギーホールライブ」に割り振られていたりと、ベスト盤以外の作品にも使われていたことがわかっています。
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mmmilsom · 6 years
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Uno Loop & Marju Kuut/S.T.
ウノ・ロープ、マリユ・クート「ウノ・ロープとマリユ・クート」 鉄のカーテンの内側に、ジョビンの風が吹いた。
エストニアがソビエトの構成国だった1970年、国民的人気を博した2名の歌手が連名で発表した作品。 A面は「エストニアのシナトラ」ことウノ・ロープが歌います。よく言えば古き良き(悪く言えば古ぼけた)映画音楽を思わせる、甘美なバラードが��心の内容。ゆえに、有名な一説のハミングから始まる「コルコバード」のカバー「Sa Võtsid Päikese Kaasa」が流れ出したときに感じる心の爽やさは格別です。 ウノ・ロープと編曲家のアレキサンダー・リャボフは、>ボサノヴァのエストニア語化という理想を本盤で実践したあと、翌年にボサノヴァの傑作として名高い「Marju Kuut ja Uno Loop」という傑作をつくり出します。 B面はマリユ・クートが歌唱。高速リズムにのせてメイナード・ファーガソンばりの高音トランペットが飛び出す「Hei, Las Käia」をはじめ、エンタメ性が強いジャズナンバーが続くなか、ラテンの名曲「Frenesi」をカバーし��「Armuuim」は異色のグルーヴィーな出来。「時代錯誤な人民歌謡」と隅に置いておくには勿体ないクールさを秘めています。
Melodiya・Д-027347-8(ソビエト連邦・1970年作品)
 
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mmmilsom · 6 years
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Marju Kuut ja Uno Loop
マリユ・クート、ウノ・ロープ「マリユ・クートとウノ・ロープ」 共産圏ボサノヴァの中で格別な輝きを放つ傑作。
当時ソビエト連邦の一部だったエストニアで、大人気の女性歌手歌手=マリユ・クートと、エストニアのシナトラ?な男性クルーナー=ウノ・ロープの両名が、それぞれボサノヴァの名曲たちをエストニア語で軽やかにカバー(デュエットはありません)。 そのほとんどは、ボサノヴァの教科書的一枚「Getz / Gilberto」に収録されている楽曲にエストニア語の歌詞を付けて歌ったものですが、中にはドライブ感満点の「KAMINA EES」、哀愁溢れるホーンとドラムが疾走する「MÄRTSIS MAI」など、聴きごたえ十分なオリジナル楽曲も収録。ときにStan Getzの「Voices」を想起させるクリアで温かいコーラスを交えつつ展開されるボサノヴァサウンドは、その高い充実度から、今でも共産圏ボサノヴァ史に残る伝説的名作として、変わらぬ輝きを放ち続けています。
Melodiya・CM 02589-90 (ソビエト連邦・1971~2年ごろ作品)
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