Tumgik
#けど日常がある幸せを痛感するこの一瞬
chikuri · 6 months
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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m12gatsu · 14 days
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無題
新婚旅行先の布哇から帰国したK師と痛飲した。現地のビールを2缶戴いた。うんと苦いよ、と仰っていた。沿線の大衆酒場に日曜の昼日中からしけこんで、ポテサラとハムカツと赤星の大瓶を誂えて、常夏の島とは名ばかりにひどく雨に降られたことや、日本円のザコっぷり、路傍に虚な目をしたホームレスがラリっていた話をきいた。思い出が灰色じみてますね、と俺はいった。師は、晴れてる時にまた行きたいなぁ、とごちた。この日は重賞レースの当日で、競馬新聞を広げた中年の一座が何組か、壁面のテレビで流れる中継を睨んでいた。めいめい顰めっ面で楊枝や煙草を咥えていたり、前歯がなかったり、鏡月のボトルと汗をかいたアイスバケツを囲んでげらげら笑っていた。テレビの音量が低かったのか、店内の喧騒に負けていたのかわからないけど、ファンファーレはきこえなかった。馬々が発馬機に収まっていくにつれて、全員がしぜんテレビの方を向き、店内はゆっくりと静かになっていった。俺も体を捻ってテレビを見上げた。ゲートが開いた瞬間、オォーという、嘆息なのか歓声なのか、よくわからない声をみんなが一斉に上げて、店内の密度みたいなものがグッと濃くなった。俺は体勢を保つのがしんどくなって正面へ向き直ると、師も気のない様子でテレビを見るともなく見ている。飲む打つ買うのうち、差し当たって俺も師も飲むことにしか興味がなく、特にこれといった感想もないまま、堀江敏幸が『いつか王子駅で』で競馬を書いていたよね、という話をした。あれのラストシーンが良いんですよね、と。たしか、走る馬の背中の、「光を浴びようとしていた」みたいなフレーズがあった。その時付き合っていた女の子と同じ名前の女の子が出てきた。馬々がスタンドに近づいてくるとまた店内の密度が徐々に上がっていって、嘆息みたいな、歓声みたいな、怒号みたいな声がふたたびワッと上がり、おっさんが立ち上がって、見て! これ! 見て! ほら! と周囲の人に得意げに見せつけているスマホの画面の光を、俺はいっしんに浴びようとしていた。
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kennak · 2 months
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ドラッグストアのウェットティッシュの棚にいきますと様々な種類の商品が並んでおり、すっかり悩んでしまいました。近くにいた店員さんを呼び止め、とっさに「明日、ちょっと人の口を手で塞ぐんですが、その方に失礼のないように、できれば、清潔な香りがするような除菌剤入りウェットティッシュが欲しいのです」と言ってしまいました。すると店員さんは「そうですか、手で口を塞ぐなら、アルコール入りのものだと距離が近すぎて目が痛くなります。アルコールの入っていない、カテキン系の除菌剤がいいですね」と、一番左の緑色の箱をおすすめしてくださいました。こうして緑茶効果のカテキン除菌ウェットティッシュというベストなものを入手。こんな非日常的なオーダーにも戸惑うことなく的確な商品を紹介してくださった店員さん、まさにプロです。  箱型ウェットティッシュを早速写真に撮り、現場担当の新人マネージャー武富くんに送りました。すぐに「大事に現場で携帯致します」と返事がきました。この阿吽の呼吸は、現場でとても重要です。武富くんは、口臭予防のキシリトールガムと噛んだ後にゴミを入れる専用のコンビニ袋を常に腰にぶら下げておきますと言ってくれました。  必要なものはすべて揃い、その日は帰って台本を読み込み、このひとでなしの父親の心に寄り添って自分の中に役を落とし込んでいきます。きつい作業ですが、ここは絶対に妥協してはいけない。役者として、その人物の最良の理解者であり、友人であり、最終的にはその人物そのものにならなければいけない。「好感度」の「こ」の字も頭に浮かべません。この鬼畜を完全に演じ切ることが、娘役を演じる俳優さんへの最低限の礼儀であり、少しでも世間に理解を求めるエクスキューズを含めたら、このシーンは台無しになってしまうのです。安心安全を担保しながら、徹底的に「悪」に徹します。  翌朝は7時半に現場に入り、約1時間半かけて準備します。ここまでは偶然なのか、娘役の俳優さんと顔を合わせることはありませんでした。そして、「高嶋さん、お願いします」の声でセットへ向かいました。ここで初めて娘役の俳優さんがセットに入っていかれる後ろ姿が見えました。  この瞬間は、今でも、忘れられません。  そこにいたのは、綺麗なおべべを着て、可愛い簪をいくつも差した、まだあどけない「少女」でした。リアルな現実の手触りを感じて、僕の時間は止まりました。そして、こう感じてしまいました。正直に書きます。  僕に娘がいたら、とても演じられない。  その言葉が浮かぶと同時に、彼女にこれから起こることが頭を駆け巡り、不意に涙が出そうになりました。現実世界でこのようなことは決してあってはならないと、胸が苦しくなり、そしてこの時に改めて、インティマシーコーディネーターという存在の意義、大切さを、身をもって理解しました。作品に関わる全ての人間の心に寄り添い、人間の尊厳を守りながら、この異常なシチュエーションをベストに撮影するためには絶対になくてはならない存在です。  その日の僕は朝5時に起きて、横で静かに寝ている我が子の寝顔を見て幸せを感じました。そして撮影が終わって我が家に戻れば、家族の賑やかな暮らしが、日常が、僕を待っていてくれる。しかし、僕は今から、自分の職業に誇りを持ちながら、鬼畜になる。自分の娘を、何の疑問も持たず、これが父親としての一番の愛情だと思い込んで「密室」に閉じ込め、性的暴行を振るう。これまで世界各地で起こっているニュースとして見てきた悲劇の加害者に、今日、僕はなる。家に戻っても息子たちに、今日、お父さんはこんなアクティングをしてきたよー、と笑顔で話すことは決してできない。  因果な稼業だな、役者は。
波:2024年4月号 | 新潮社
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manganjiiji · 19 days
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けれんみの日常
英語の日記などもtumblrではよく流れてくるのでなんとなく読むが、私は英語で日記を書こうとは思わない。それは私の技術が未熟で、まだ英語のリズムやメロディを自分の好きなように操ることができず、楽しくないからである。そのくらいには日本語のリズ��とメロディ、そして見た目が好きである。英語でもそれらを好きと思えたら、書けると思うのだが。見た目は結構好きである。とくにアルファベットの小文字。リズムがどうしても全然まだ魅力的に思えない。そう言いながら英詞のジャズを歌っているのだが、音楽は音楽に言葉が乗っているから、言葉自体のリズムは死んでいて、そこはもう関係がなくなっている。音楽にのる英語は、ただ母音が伸びるとか、同じ音で韻を踏むとか、そのへんは日本語と変わらない。そうではなくて、読み言葉としての英語のリズムにまだ魅力を覚えない。英語の詩にふれてみたらどうか、と思ったこともあったが、根本的に「かっこよすぎる」と思ってしまう。シャラシャラしている(子音が多いということだと思う)。私はもっとべちゃっとした土っぽいのが好きなので、結局日本語を使うということになってしまう。英語以外の様々な言語のどこかには好きな言語もあると思うのだが、英語を学ぶキャパシティしか今のところない、というか、英文法がおもしろくて好きなのである。これは日本語にはない感覚。日本語の文法なんか全然おもしろくない。文法と呼べる文法なんかないのではと思えてしまうが、これは母語だからだろう。英語の文法はなんてシステマチックで、構造的に美しいのだろうと感じる。その美しさの中にも土着の歴史の古臭さや面倒くささがあり、そこがまたロマンだ。詩的言語としては私は英語を好まないが、批評や論じる際の言語としては、限りなく知性を感じて好きかもしれない。日本語は批評や論文でも、ある程度詩的でないと読む気がしないので、これは大きな違いだ。言語が違うだけで自分の好みも変わってくる。それとも私は文学ではない英語の文章にこそ(そしてできるだけ文法が複雑な)詩を見出しているのだろうか。なににしろ私の体は詩情でしか動かないようになっている。
短歌も詩も書きたい、書いてみたい、小説も書きたい、という気持ちはあるが、書くための好奇心がいま批評の文の方に向いている。私は文学の方向に向かう時はある程度その位相に没入しないと書けないので、そのモードに入るのに苦労するが、批評系の文章であれば日常のモードのまま書けるので楽である。書けると言っているが、別にこれもまだ書いていない。書くためのネタを毎日必死に考えているという感じです。宇野常寛さんの講座に入ってから、とにかく毎日頭の中がドライヴしていて、こんなこともあんなことも結びつくかも、いや、これはこうか?など、楽しく考えている。今日は気圧の低下と疲労により1日寝てしまったし、三宅香帆さんの教養講座も横になりながらスマホで視聴するという体たらくだったが、『娘が母を殺すには?』の良い導入を聞けた(実際には結論までお話されていた)。早く読みたいが、今月はもうお金を使いすぎなので、欲望のままに本を買うのはやめた方がいいと思う。読んでいない本(特に小説)が積まれたままじっと待っている。町屋良平『生きる演技』はかなり早く読みたい、と思って毎日開こうとはするのだが、そこまでたどり着けない。やることが…やることが多い!いしいしんじ『マリアさま』、凪良ゆう『汝、星のごとく』など、積んでいる。井戸川射子『共に明るい』は途中だし、絲山秋子『神と黒蟹県』はどこに積んだかも忘れている。エーリッヒ・フロム『愛するということ』新訳、沖縄の少女たちのノンフィクション『裸足で逃げる』は早めに読み終わっておきたい。
今日の講座で三宅さんが���母という呪縛 娘という地獄』にふれていて、私も読んだが、正直虐待を受けた子供の末路で、こうなるしかなかったと本人も言っているように、たんに被虐待児の被害の果ての結果でしかなく、なんの新鮮味もないと感じた。虐待問題を長く考えたことのある人にはこれは虐待の当然の過程と結末であり、そこに母娘の特異性などは見いだせないのではないかと感じていた。ただ、虐待を受けたことがない人はここに新しい視点を持ち込めるのだろうなということは想像できる。そこで、じゃあこの虐待を受け続けていた本人が加害者である母を殺さずにすんだifがあるとしたら、それはどの時点でどう行動すればよかったのか、ということを考えてみようか、と少し思った。虐待を受けた人間でも、親を殺さずに逃げ切った人は多い。そういう人と、親(加害者)を殺してしまった人との性質の違いや、分岐点となる考え方や受け止め方の違いは存在するのか、ということを突き詰めていけば、虐待を受けてもその心を守ったり、被害を少なくしたまま逃げ切る方法も出てくる可能性があるのではないかと考える。虐待を受ける立場に生まれてしまったら、基本的には逃げ切るまで虐待は続く。誰も助けてくれない。日本の法律や制度がそうなっていないからだ。助けてもらえる人は0.03パーセントくらいの人口と思っている。つまり、多くの子供たち(年間11万人)が、家庭の中で痛めつけられながら、生き延びていかなくてはいけない。それもできる限り自分の心を守りながら。虐待の問題は、社会の問題ではなく、こうして個人の問題へと矮小化され、それも被害者である「子供」の独力での防衛を支援することでしか、親権が有効である限り、コミットできない。というかこれはコミットと言えないと思うが。虐待を受けるとその後成人して逃げられても、精神に大きな不均衡をもち、社会に上手く適合できずに苦しみ続けるし、虐待を受けていた子供のうちに、大人により適切な場所へ逃がしてもらうことが一番である。そのことは揺るぎない。しかし、繰り返すがそのような法律や制度はない。あっても、ほとんど機能していない。多くの子供は助からないまま、傷ついたまま、安全に眠れる場所がないまま成人する。だからもう、虐待を受けている子供に対して、こういう時はこう考えて心を守るんだよ、と伝えることしか現状できることがないと思っている。1人でも多くの子を物理的に救えたら、と思うが、それをしつつ、多くの救えない子供たちに防衛方法を少しでも伝えることが今できる精一杯だと思う。防衛方法とは何か、というと、そんなものはない、となるかもしれないが、とにかく考えていくことはやめずに生きていきたい。
両親と兄の存在には苦しめられ続けたが、私は両親と兄が心から大好きだった。そういう子供だった。そのぶん打撃は大きく、そのせいで傷が大きくなってしまった。自分を害する人間を愛してはいけない。しかし、一体だれが、自分が誰かを好ましく思うことを、止められるだろうか?それはコントロールできることなのだろうか。好きだと思う気持ちを捨てることは、特に子供には、かなり難しい。私は親や兄に何をされても相変わらず彼らが好きだったが、それではいけないのだと唐突に気づいたのが思春期である15歳のときだったため、その際の混乱と大きな絶望、ショックなどで重いうつ状態をその後10年続けることになる。それからさらに10年が経った今、かなり症状は軽快している。治療と、人間的成長によるものだ。生きていれば必ず人間は成長せざるを得ず、傷は治らざるを得ない。だから私は友人たちになるべく自死せず、一日でも長く生きてほしいと伝えている。そうしたら幸せになれる可能性が高まる。幸せになれない可能性は依然として大きいが、幸せになれる可能性は生きれば生きるほど大きくなる。スタートがマイナスだった者たちは、この理論が適用されると信じている。スタートがマイナスでなかった人達にはどのような人生観があるのか、私には全く分からない。私は生きれば生きるほど人生はよくなっていく、と感じているので、老いや死への近づきを悲しむ心がない。顔が老けるのも、自然で、抵抗するようなことではないと思っている。生きれば生きるほどよくなっていく。25歳で治療を受けてからのこの感覚は、私が生きるのに大きく、善く、貢献している。生きることの難しさはおのおの、さまざまあると思う。私はもう無い。いちばん苦しかった時はもうとっくの昔だし、その頃の生きづらさ、脅威がないというだけで、とにかく無法に幸せである。自分を害するものがいない空間、時間、それらを噛み締めている。だから(親や兄と離れて)生きているだけでかなりの幸せを感じる。お得なことかもしれない。
しかし小さい頃に夢見たことの不達成ということは、なかなか苦しめられる瞬間がある。好きな人と付き合ってみたかったとか、家庭を持ちたかったとか、子供が欲しかったとか、高校や大学で好きなだけ思い切り勉強してみたかったとか、仕事でキャリアを積んでみたかったとか、そういう、「普通の人」がやっているようなことだ。それらが自分には与えられなかったと感じる時、途方もなく悲しくなる。過去と比べて相対的に今は幸せだが、絶対値としては、私は私の夢をあまり叶えられなかった。それでも、毎日本を読んだり、文を書いたり、文章の講座を受講したり、好きな場所でつつましく働いたりして、日々を楽しんでいる。なによりも、いつも勇気づけてくれる友人がたくさんいること。私は友人たちに囲まれてさえいれば、それでとくに不満はない。「してみたかった」の希望を上げればきりがないが、そんな無意味なことをしてもただ傷つくだけで無為だ。できてよかったことやこれからやりたいことだけを毎日考える。私たちはまだまだこれから生きる時間が残されている。やりたいことはたくさんできるし、本当に生きていて良かったと思う。
同時に、できるならもうこの生を終わりにして楽になりたいという気持ちもある。これ以上生きても、もちろん世界の足しになることはあるだろうが、この体力の低さと病気を抱えて、何も達成できないままでずるずると生きることは、時に拷問にも感じる。そう思うのは生きているうちのほんの一瞬だが、ああ、今死ぬことができたら、と思うことは全然よくある。地震の揺れを感じるたびに、地震で死ねたら楽なのになあ、と思う。これはネガティブというより、ただの「疲れ」なのだ。この「疲れ」の感覚を持っている人には、私は帯同を感じてしまう。
なんだかずっと被虐待児の話をしてしまった。あんまりそういう事を言うのもな、と思ってはいるのだが、考えていると結局全部そこに行き着いてしまう。私が救いたいのは彼らだし、正直彼ら以外のことはどうでもいい。他の人は他の人でいろいろなことに心を痛めたり活動すればいいと思うが、私がそうする先は、いつも決まっている。幼少期から虐待を受けて、死ぬ事もできずに成人して生きてゆくことが、この世でいちばん辛いことだと思っている。これは多くの、苦しんでいる人々を見てそう思うということで、私が苦しんでいるわけではないので大丈夫です。私は病院とカウンセリングに通い、それなりに安定した人生を送っていますので、自分が社会に恩返しする番だというか、とにかく「助けなきゃ」という思考に捉われがちであります。
今考えているのは、被虐待児のための、自習スペースの提供。とにかく家(危険な場所)以外に安心して過ごせる場所、勉強ができる場所をつくり、そこで1秒でも長く過ごしてもらうしかない。心は壊れる。壊れるとしても、壊れきらずに上へ向かおうとする子だけでも支援したい。本当は全員救いたいが、まずは勉強で身を立てる被虐待児の数を増やすことで、社会に虐待問題に理解のある人口を増やす。そうしてしか、法律や制度は変えられないと思う。
それとは別に、私には本屋を続けるという夢がある。ゆくゆくは自分が店主になって店を構えたい。雇われの正社員がいかにつらいかは、いままでの店舗でいやというほど見てきている。私は知性と教養のための本屋をひらき、この社会をよくしようとする人を1人でも増やしたい。チェーン店の雇われ店長では、それをするのは難しい。大きな会社は利益を出すことが最優先だから。その利益で、たくさんの人を食わせている。そこに否やはない。ただ私の目的はそこにはない。売れる本を置いて人々の知性を下げるのではなく、本屋がどんどん人を育てていく。そういう場所を作りたい。そこはさらに学際的な場所であってほしい。なんなら貸本屋でもいい。というか、積極的にレンタル業務もやって行ければと思う。
夢を語れば果てがない。あと20kg痩せたい。どうにか自炊をしてまず1kg減った。このまま減らしていく。
2024.5.21
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patsatshit · 8 months
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9月の最終営業日、朝から関東在住の保育士ミサさんが「12時頃にタラウマラに行きます」と嬉しい連絡をくれたので、足の踏み場もない店内を少しでも片づけておこうと、開店するなり自転車整備に精を出す。中古自転車は入荷しただけでは商品にならず、一台一台きちんと点検し、メンテナンスをしないことには店頭に並べることもできない。当然、状態の良いものは手間も時間もかからず、それなりの価格をつけることができる。逆に程度の悪いものは手間も時間もめちゃくちゃにかかる。不具合箇所はすべて新品のパーツと交換しなければならないので、その時点で自ずと商品としての原価も上がる。だからと言って高額で売れる訳ではない。経年劣化、そもそもの状態が悪いのだから当然と言えば当然だ。このあたりがレコードや古書との決定的な違いだと思う。古いものに価値がある訳ではない。だから手間と時間とお金を存分に注いだものほどお客様には安価で提供しなければならないという地獄のような矛盾を自分のなかでどのように折り合いをつけていくかというところに、古物自転車商の醍醐味、面白さが潜んでいる。タラウマラの場合は自転車修理に加えて書籍や音源を含む物販の収入を売上のグロスに投入することで、利益を調整している。ただしそれぞれの柱がうまく機能し、循環していなければ焼け石に水となってしまうのだけれど。どれだけ尊敬するアーティストやレーベルからのリリース作品であっても、僕はその時々の状況や予算、実際の懐事情を鑑みて作品を入荷したり、しなかったりする。先様もそのあたりは理解してくれているのでとてもありがたい。出勤前にコーナンで大量に購入した整備用具一式を手に、自転車と向き合う。メラミンスポンジやウエスで清拭してやるとどんどん汚れが落ちて、注油の度に各部の動きもスムーズになってくる。はっきり言って気持ちが良い、が、しかし、ここで満足していたら、単なる金持ちの道楽と同じになってしまう。商売は趣味ではない。きちんとお金に変えていかないと意味がない。僕は人助けのために自営業をやっている訳じゃない。自分や家族がこのクソったれな世の中で何とか生きていくために全力で自衛している。整備を終えて店頭に並べた自転車が瞬く間に売れていく。淡路に引っ越してきたばかりだという男性と、タラウマラオープン当初に購入してくれていた常連さんが新たに買い替えの一台を選んでくれた。商品とお金が交差し、僕もお客さんも笑顔だ。ここは極めて重要、買い物の最終工程を機械に委ねたらあかん、感情だけは奴らに渡すな、マニュアルや利便性を自らの手で破棄してでも残る言葉と顔貌で交渉を成立させよう。このときの快感はなにものにもかえがたい。開店早々からお金も動き、僕も動き続け、修理のお客さんも後をたたない。秋とは思えない気温と首筋に照りつける強烈な日差しに汗びっしょり。あっという間にお昼、ミサさんの来店時間が迫っていた。と、そのとき、年齢も服装もばらばらの数名の男女が慌ただしくやってきて、こちらに対して一方的、矢継ぎ早に要求を伝えてくる。各者の言葉を要約すると、少し離れた場所で女性が自転車の後輪にスカートを巻き込んで身動きが取れない状態、だから助けてあげてほしいとのこと。そうこうしている間にも店頭ではパンク修理の依頼が2件、タイヤからチューブを引っ張り出しながら、いま店を離れることはできない旨を彼らに伝えると、助け隊のひとりが「こういうときに何とかするのがプロでしょ」と宣ったので、キレた。おうよ、そこまで言うなら行ってやる。幸いにもパンク修理のお客さんからも理解を得ることができたので、僕はタイヤを脱着させる際に使用する作業台と工具一式を担いで彼らの案内に従うことにした。店には「すぐに戻ります」の貼り紙。絶対すぐに戻る、どうかミサさん帰らないでね、という想いを込めて。目的の場所にはラグジュアリーな服装の女性が確かにロングドレスの裾を自転車の後輪に巻き込んでうずくまっていた。巻き込んだ際に転倒したようで足や腕、顎のあたりに擦過傷ができていた。可哀想に、せっかくのおめかしが台無しやんか。それ以上に女性を包囲する助け隊一派の存在が鼻についた。僕は女性にこれから行う作業内容を簡潔に伝え、最悪の場合はドレスの裾を切らなければならないかもしれないことを強く念押しする。女性は首を縦に振った。高そうな服やのに、もったいない、気の毒やなぁ、などという助け隊の言葉は徹底的に無視。早速サドルを作業台に引っ掛け、チェーンカバーを外し、後輪のネジを外していく。それにしても見事なまでの巻き込み具合で、薄いレースのような生地がバンドブレーキと車軸との僅かな隙間に幾重にも層になって絡まっている。まるで伊藤潤二の「うずまき」のようだ。ゆっくりと同時に要所で力を込めてタイヤを回転させ、生地を引っ張る。少しずつ隙間から生地がぬらぬらと出てくる。助け隊のおっさんどもはお姉ちゃん頑張れ、水飲んどきや、ケガして可哀想に、美しいお顔がえらいこっちゃ、バンドエイド買うてきたろか、と引き続きうるさい喧しい鬱陶しい。何よりも困惑したのが、僕の作業する位置が女性のドレスの裾を覗き込むような格好になるので、見てはいけないものを見てしまうかもしれないという妄執に取り憑かれて酷く落ち着かない。はっきりと集中力が削がれる。何度かプラスドライバーの先端がネジの駆動部を舐めた。それを察してか女性もくねくねと腰をよじらせたり足の位置を変えようとするので余計に艶かしくなってしまい、むしろ逆効果。僕はええいままよと心を鬼にして、生地を引きちぎらんばかりの勢いで力いっぱいに掴んだ。手応えあり。いける!タイヤが滑らかに回り始めた。すると興奮した助け隊のおっさんどもが我先にとタイヤを回そうとしやがったので、僕の指がスポークに挟まる。痛い痛い痛い。ギョリンと睨みつけると、おっさんは慌てて手を引っ込めた。そこから消耗戦を続けること約15分、ドレスの裾を破くことなく無事にタイヤから引き離すことができた。額からは滝のように汗が流れてくるが、助け隊は女性の身を案じるばかりでこちらには見向きもしない。当の女性は平身低頭、とても申し訳なさそうに謝罪の言葉を何度も述べて、費用をお支払いします、と言った。僕は彼女の申し出をきっぱりと断り、来た時と同じように作業台を肩から下げて颯爽と現場を後にした……なんていう安っぽい美談に落ち着く訳もなく、僕はケガをした女性ではなく助け隊の連中に作業費用を請求した。集まった金はたったの1,000円。非常にしみったれているが、それでも彼らには伝わったと思う、善意には覚悟もリスクも必要だということを。リスクなき善意はただの偽善、それはもう傍観者と何も変わらない。急いでタラウマラに戻って、お預かりした2台の自転車のパンク修理を終らせ、店内でひと息ついたタイミングでミサさんご来店。貼り紙を見て、近くで時間を潰してくれていたみたい。彼女の快活な笑顔を見ると、ようやく僕もまた笑顔になれた。保育士であり、ドラム奏者でもある彼女が学生時代から好きだというMR. BIGの話で大笑いした。
MR. BIGと言えばこちら。イントロから鳴り響く、力強いドラムが印象的。
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実はこの公開日記「Pat Sat Shit」のパーソナリティであるvideo loverもミサさんも、代田橋にあるバックパックブックスの宮里さんの紹介でタラウマラに来てくれた人たちだ。僕とバックパックブックスの出会いについてはまた改めてきちんと書きたいと思っているのだけれど、このおふたりの存在からしてすでに最高で、バックパックブックスはきっと素敵なお店に違いないと確信している。ミサさんは大阪に向かう飛行機のなかで拙書『ほんまのきもち』を読んで涙を流したと言う。だからということでもないんだけど、数ヶ月前に同じことを言ってくれたドラム奏者Hikari Sakashitaのソロ作品『Sounds In Casual Days 2』をプレゼントした。高い交通費を払って遠方から来てくれる方には、条件反射のように何か贈り物をしたいと思ってしまうのは、僕のなかにアメ玉を配り歩く大阪のおばちゃんイズムが備わっているからでしょう。はい、アメちゃん、どうぞ〜。
Hikari君のドラムが冴え渡るこの曲が今日の「気分」。
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kasumime · 1 year
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深夜のカウントダウンイベント後、終夜運転で電車を乗り継ぎ吉祥寺の懇意にしているバーへ出向く。0時丁度にこそ居なくとも、かれこれ5年は元旦の夜をこの店で過ごしていることになる。懐かしい常連の面々と一年の中で最も多く再会でき喜びを分かち合う反面、今年は自分がこの店に訪れる頻度が落ちたのも相俟って見ない顔の方が圧倒的に多く、加えて店長からはこの子は19の頃から通ってる古参だからと自分より若い客に紹介され、時間の流れをほのかに寂しく感じる瞬間でもあった。
あの頃は本当に「地に足がつかない」という言葉がお似合いのフラフラ放浪娘だった。両親の期待から背いて専門学校を辞め、中野のシェアハウスで家賃を折半しながら夜から朝まで近所のバーで働く。たまに高田馬場にあるスナックへも出勤していた。飲食業に就きたいと思いながら、気弱でマルチタスクが苦手な自分には性に合わず、他の場所ならとバイト先を転々として環境を変えては粉砕した。今より金がない癖に酒の飲み方だけは一丁前だった。それは当時から自分を見ていてくれた年配の常連にも伝わっていたようで、当時もその危うさが魅力の一つだったけれど今の君は自信に満ちていてこちらが安心するよ、と伝えられた。確かに、当時の覚束ない足取りでなんとか前に進もうとする危なっかしさはあの頃境地に立たされていた(実際には自分で選んだのだけど)からこそ醸していたオーラだった。守られないと死んじゃう兎みたいな。多分今の仕事に就いたことが繭を突き破らせてくれた確たる証拠なんだと思う。それが他人の口から伝えられることは素直に喜ばしいことだと思う。
長年好意を寄せていた人と一年以上振りに会話をした。5年前のインスタグラムの投稿には「きっと付き合うことはないけどたくさん話せて幸せだった」と書いていて幼かったなと思う。いつもどんな顔で会話したらいいのか分からないが故に変に緊張して吃る癖があるけど、昨夜は至って平常心、むしろいつもは会話の主導権を彼に握らせられるけれど、昨夜に限っては自分がリードしていてどこか勝ち誇った気になった。
周囲の客の会話のレベルと年下のスタッフが店のBGMの代わりに流す適当なヒップホップのプレイリストが唯一気に食わなかった。本人は面白い返し、だと思っているのかもしれないけど多分いや確実に自分の方がベストアンサーとしてのレスポンスができると思うし、ありふれたリリックを垂れ流すイケイケラッパーよりも(いくら専門外とはいえ)さすがにもっと良いヒップホップのナンバーを知ってる。自分と彼は6個違いだけど、敬語は遣わない上にお互いのパーソナルな部分を理解しているからこそ痛いところをわざと突いたり逆に受け身になったりしている。拾ったゴミ1つで三分間笑える、そんなところが彼を好きだった部分であり、今も恋愛感情を抜きにして居心地の良い人だと感じる所以だと思う。
店を閉めて朝の7時前に毎年恒例の初詣へ行く。初参加のメンバーも多く、繰り返しになるけれど自分がこの店の中だけで見ても大人になっていることを感じて少し歯痒い。当時は可愛がられていたけど可愛がる側。20の頃に散々奢られたウイスキーやビールの数々は「俺の年齢になったら下の子へ奢るように」と言われて貰ったもの。バーで過ごす作法以外にも、世間知らずな当時の自分には教えられたことが非常に多い、だからどこへ引っ越してもせめてイベントの時だけはと予定をこじあけて足を運んでいる。
初詣で引いた御籤は中吉。可も不可もなく縛らずに鳥居の外へ。右手を見ると目に眩しいぐらいの初日の出が燦々と光を放っていて元旦の朝を感じた。コロナ前はこのまま八幡近くのカラオケ屋へ雪崩込んでいたけど、今回を含めここ数年は解散して各々帰路へ。10人ぐらいは同行していたはずなのに、井の頭線に乗って帰る組は自分と彼のたった2人だった。あーそうか、皆近いんだねと言って乗車し隣同士に座る。社会人どう?と唐突に聞かれたので、迷いなく今が一番楽しいよと答えた。今年の抱負を語り合って先に明大前で降車。よいお年を、えっ今?よいお年を、と交わしたところでドアが閉まる。おそらく今後も進展はないままで、お互いにお互いの選んだ人と結ばれるんだと思う。それでもこの距離感がどうにも愛おしくなるし、この瞬間のために小さな成功体験を日々重ねていられるように努力しているのかもしれない。ちなみに自分が伝えた今年の抱負は「ジョジョを全部観終える」だった。良いお年を。
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blue-uno · 11 months
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不眠症
近頃また不眠症が起きている。何が理由か察しはついているが、これを解消するのが難しいから不眠症になってしまうのだ。
不眠症は辛いというより、難しいと以前から思っている。眠りたい眠りたいと強く思うほど眠れなくなる。それじゃあ、身体を疲れさせて寝れる体を作ろうと考えて運動する。けど眠れない。それじゃあ頭を使って脳みそを疲れさせて瞼が閉じるようにしよう。それでも眠れない。仕方ないから、眠れるまで何かをして過ごすか、あるいは朝日を私が待っているかになる。
近頃は前者が幸いにも?多いため少しは寝ているが、それでも明け方まで寝付けず、ようやく浅い眠りに落ちたところで、スマホのアラームが容赦なく鳴り出す。ここ最近はもう倦怠感でスマホに手を伸ばせず、しばらく鳴らし続けているが鳴り止まない無機質な電子音に気が滅入りようやく止めるの繰り返しだ。
おかげで食欲も湧かない。(憎いね)でもとりあえず栄養分を摂取しなきゃと無理やりウイダーとカロリーメイトと栄養剤を口にする。
こんな負のサイクルのときに限って大事な話は沢山舞い込んでくるもんだから、眠気を飛ばすためカフェインの摂取量も尋常じゃなく胃が痛い。眠気はあるのに眠れないというやつですよ。皮肉。
大事な話のうちのひとつに音楽教室に行く用事があった。その日の気分は最悪。けど行かなきゃならん。やっと辿り着いた音楽教室で用を済ませた途端、緊張の糸が切れたのかパイプ椅子にだらんと座ってしまい先��がびっくりして救急車というもんだからそれだけはと懇願してお水をひとまずいただいた。先生はくだけた性格をお持ちだけど、少し怒った口調になったから相当心配してくれたんだとあの時感じた。そのときに言ってくれたことが
体調崩しちゃ何もできない。うまいメシを食って、たっぷり寝て、余暇はゆっくり過ごしなさいよ。もっと自分本位に生きないと
ってね。まぁ今これを思い出しながら不眠症だからたっぷりは寝れないし、そのせいで食欲はないしってツッコミを入れたけど。
そりゃプライベートを話す仲じゃないから仕方ないと言えばそうなんだろうけど、そんな関係の私にも優しい言葉を掛けてくれるんだと思ってじーんと込み上げるものがあった。
それから少し休んでいきなと声をかけてくれてその間ピアノを弾いてくれた。音楽に詳しい人間じゃないからなんの曲か分からなかったけどゆったりした音だった。そしてほんの一瞬だけパイプ椅子にだったけど眠れた。ぐーっとトンネルを歩き続けてたけど、青い光が夢のなかで広がっていた。寝なきゃと思ってた近頃とは違い、いつの間にか寝てたのは久しぶりだったから起きたときシンプルに驚いた。音楽療法というのがあるけどそれだったのかしらと家路の最中考えていた。
とにかく、不眠症早く何処かへ行っておくれ。いつまでもお供しなくていいんだよ。
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ophelia333k · 1 year
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2023年6月24日 アルミホイル、神さまは牢獄の中にいる
 ネットカフェ、天井にはアルミホイルみたいな質感の何かで包まれた太いパイプが通っていて、すぐ近くに一本、人ひとりが入れそうなくらいに太いパイプがある。それら二本のパイプの後ろには細くて黒いコードが何十本も通っていて、それらが何を伝達していて、どこに繋がっているのかは分からない。もちろん、コードで伝えられているものは電気のはずで、でもその電気がどこからやってきてどこへ向かっているのかは分からない。
 ***
 世界について知れば知るほどに世界に対して失望していくし、文学について知れば知るほどに文学に失望するし、物事はどれも知れば知るほどに何かが失われていく。そのとき失われているものといえばそれは幻想で、人は幻想によってのみ駆動されている。
 とはいえ、「お前は世界について、文学について、何を知っているんだ」と問われたのなら、もちろん何も知らない。いや、ほんの少しだけ知っていて、それは1%にも満たないようなことだけど、ほんの少しだけ知ってしまうことでも失われていく。ほんとうは何も知りたくないし、知ることの何がいいのだろう、と問いかけてみる。分かったからといって何がよくなるわけでもない。知らないよりも知っている方がいい、というのは常識的だけど、そんなわけがなくて、私たちは何も知らない方がよいのに、知識という暴力性を求める。
 だから、というわけではないけれど、全知全能の神になんてものになったら自分はきっと絶望して、発狂してしまう。だって、全知全能であるということは、何も知れないし何もできないということと完全に同じなのだから。
 すべてを知っていてすべてのことができる、というのは、すべてが既知ですべてが完全に固定されている世界で生きるということで、そのときの絶望を考えるだけで身がすくんでしまう。そこでは何も新しいことは起きないし、すべてが可能であるということによって、すべてが不可能になる。不可能という空白地帯(外部)が存在することによって可能という領域が初めて現れるのだから、不可能の存在しない世界にはいかなる可能もなくて、のっぺりとした平らな世界だけが無限に続くことになる。
 神さまは、そんな中でどうして絶望して発狂せずに絶えていられるのだろうけれど、むしろだからこそ、神さまは人間ではない存在でなけれならない。人間のような心や精神を持たない存在でなくてはいけない。
 シオランは『生誕の厄災』の中で、「神こそはもっとも追いやられている存在であり、牢獄の中にいる」というようなことを書いていたはずだけど、どうしてもクレジットカードの分割払いの引き落としに耐えられないときに『生誕の厄災』を売ってしまったので、確認することができない。でも、そういう一文が確かにあったと思う。
 そして、今はその意味が(自分なりにだけど)とてもよく分かる。全知全能である、ということはひとつの絶望であり、神は全知全能という逃れえない牢獄の中に閉じ込められている。
 ***
 一昨日くらいにメンタルクリニックに行って、コンサータの処方のために、心電図検査と採血をした。あとは、流通管理システム患者登録の紙を渡された。採血のとき、思ったよりも時間が長いので、このまま看護師さんに殺されてしまうんじゃないかと思った。意識が少しふらふらした。近くにある別の診察室から、「私は錠剤をのみ込めないので、錠剤タイプの薬は絶対ムリです。それ以外にしてください」と語る患者の声が聞こえていた。支払いのとき、検査代も込みで6000円くらいしたし、それに加えて薬の値段も一か月分で2000円くらいはしたので、お金がないとメンタルクリニックには来れないな、と思った。生活がどん底で精神がどん底のときに、これだけのお金(テーマパークにだって行けてしまう)を払うのは簡単ではないはずだから。
 久しぶりにアトモキセチンの80mgを飲んでいるけれど、対して効果は感じていなくて、それでいて口の中が常に乾くし、食欲がなくなっている。何かを食べるにしても、もやのかかったような食欲しかない。純粋な、食欲そのものは消滅して、ときおりぼんやりとした食欲が顔を覗くだけになる。元々の無気力さも相まって、決してお腹が減っていないわけではないけれど、食べることがあまりにも面倒くさくて、どうしようと思う。頭痛がないのは幸いだった。
 自分はコンサータに対してある種の期待をしていて、それは何かしらの変化をもたらしてくれるかもしれない、という期待。思えば、幼少期の頃はそれと同じような期待を、お風呂場の中で、自分の思考をすべて読んでいる(かもしれない)曖昧な神さまに懸けていた。初めから神さまは大脳皮質の奥にしかいなかったのかな。
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 知る、ということに関連する話として、古今東西の文学を読み続け、それこそ文学賞の審査をするようになったような人たちは、文学に対して退屈しないのかな、と思うことがある。つまり、彼ら彼女らはもう文学というもののパターンを大方把握していて、だからこそ応募された作品を評価できる。それぞれのタイプの作品のパターンをすべて知っているから、「この作品はこのパターンに乗った上で、この辺りの展開や要素を変えているんだね」と判断できる。でも、全体像とすべてのパターンを把握してしまえたとき、自分はそこに幻想を持てるのだろうか。何かを期待して、何かを待ち望めるのかな。
 もちろん、パターンを把握した上でも、常に差異はあるし、新しいパターンの出現だってありうる、のだけど、やっぱりその状態で楽しんで作品を読める自信がない。この意味で、これはさっきの神と全知全能の話と近づくところがある。人間は(幸運にも?)全知全能にはなれないとはいえ、物事を俯瞰して見られるようになってしまった時点で終わってしまう何かがある。メタとベタの切り替えのためのスイッチが壊れてしまったのなら、すべてはのっぺりとした平らな世界になってしまう。あるいは、前回か前々回の日記の内容とも繫げるのなら、それは離人症の問題とも隣接する。
 この世界が原子配列のパターンにすぎなくても、それでも世界が無限に多様であるように、作品が要素の集合にすぎなくても、それでも作品は無限に多様でありうるのだけど、どこかで自分はそれを信じ切れていない。
 ***
 二階堂奥歯の『八本脚の蝶』を読み返していた。読み返すのは何度目かで、今回思ったのは、二階堂奥歯にはある種の絶対的な孤独(孤独、という言葉はたぶん正しくないのだけど)があって、しかし同時に、それは二階堂奥歯の周りに人がいないということではなく、むしろ彼女の周りには、それなりに彼女のことを思っているであろう人間がいる。でも、どうにもならないのだ。当たり前のこととして。
 あとは、引用の多さ。その引用は根本的に「根拠を欠いた(=無根拠な)」世界にあって、それでも自分という存在を世界につなぎとめるための楔のようにも見える。
 二階堂奥歯が引用しているものの中では、『聖マルガリタ・マリア自叙伝』を読みたくなる。「私は、苦しみなしでは一瞬も生きることができませんでした。私が苦しめば苦しむほど、私は、もっとこの愛の聖性に満足しました」(『八本脚の蝶』からの孫引きでp262)。
 
 奥歯はこの引用箇所こそが自分にとってのマゾヒズムだと記していて、このとき面白いのは、当然だけど聖マルガリタ・マリアが生まれたのは1647年であり、マゾッホが生まれた1836年よりも200年近く早い。だから当然「マゾヒズム」なんていう概念も存在しない時代のことで、しかしそこには間違いなく、ある種のマゾヒズムがある。
 ただし、彼女たちは「性的興奮」を得ているわけではないだろうし、言葉遊びになってしまうけれど、それは「聖的」なものでしかありえない。でも、鞭で打たれる人間が快楽を感じたとして、それが「性的」なものであるか「聖的」なものであるかを区別することなんてできないわけで、社会の編成の問題になる。
 
 あと、直感としては、絶対者(神)の失墜とサディズム/マゾヒズムの概念の誕生は関係していると思う(だってそれらは絶対者のパロディだから)けれど、そもそも、クラフト=エビング(1840-1902)がサドおよびマゾッホという二人の作家から「サディズム」と「マゾヒズム」という症候を分離した背景には精神医学の台頭もあるわけだから、そこでは複雑な線が絡み合っている。
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 恐山、Youtubeの番組で「アイドルに必要なことは?」と聞かれて、「短所を伸ばすこと」と答えていて、あまりにも的確だと思った。最も短い文字数で最も本質的なことを言っているし、正当な形で本質の槍が振るわれている。
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 スマートフォンのGoogle choromeのタブの数がもう表示されないくらいに増えていて、おそらく1000個以上はある。そして、それは自分の脳も同じで、1000個くらいのタブがつねに開かれたままになっているから、物事を一つも進めることができない。本来の自分は常に過眠ぎみで、それは明かな実行機能の悪さとも関連している。
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 メルヴィルの『バートルビー(Bartleby)』を読んだ。ウォール街の中心で、代書人として雇われたバートルビーは、真面目に仕事をこなす一方で、「そうしない方が好ましいのですが」(I would prefer not to)と言って機械的にすべての頼みを拒み続ける。思ったのは「I would prefer not to」の訳が訳者によってそれぞれ違うということで、杉浦銀策の訳だと「その気になれないのですが」だった。
 この短編におけるバートルビーは解けない問いのような存在で、語り手は理由も語らず、不条理にすべてを拒むバートルビーを様々に理解しようとするものの、バートルビーはどのような理解もすり抜けていってしまう。
 そういえば、『批評と臨床』でドゥルーズはバートルビーは〈意思がまったくなく、虚無を求める意志というよりも、意思の虚無なのである(憂鬱症的「否定主義」。彼らは、石と化し、意思を否定し、……〉と書いていた。バートルビーは意思がない人間なのではなくて、むしろ意思を否定する意思。
〈緊張症と食欲不振症の徴候を示してはいても、バートルビーは病人ではなく、病めるアメリカの医者、呪医であり、新たなるキリスト、あるいはわれわれすべてにとっての兄弟なのである〉(G・ドゥルーズ『批評と臨床』、p186)
 ***
 これで最後。市川 沙央『ハンチバック』のラスト、身体障害者の女性が不幸な風俗嬢としての生を仮構して語ることと、不幸な風俗嬢が身体障害者の女性の生を仮構して語ることが、裏返しうる形で提示されることについて。村田紗耶香以外の選考委員は否定的だった記憶があるけれど、むしろあのラストは重要だったのではないかと思う(でも、どうして?)
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miuiu · 1 year
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前の車と比べて今の車の気に入らないところを書く。
でかい。のに、運転席が狭い。ステアリングシャフトがオフセットしている。シートが合わなくてケツが痛くなる。これが一番気に入らない。前の車は3日走り続けてもなんともなかった。
前の車のは明らかに抵抗がない3ターンシグナルの範囲があって、そのあとに"か、っくん"とウィンカーが入る。BMWは一貫してウィンカーレバーの操作感が気持ちいい。操作系はだいたい気持ちいい。
今の車も3ターンついているのに、どこからどこまでが3ターンなのかわからないまま"ぐあわっちゃあん"とウィンカーが入る。操作感がめちゃめちゃ安っぽい。3ターンは範囲がわからないので使っていない。
フューエルリッドはどちらも押せば開くのだが、今の車は樹脂製で剛性がなくスイートスポットを外して押すと変形するだけで開かない。前の車のフューエルキャップはトルクリミッターが付いていて常に一定荷重で閉められる。だから開けるときも力がいらない。開けるとキャップの内側に棒が出ていて、これをリッドの裏側に刺すようになっている。わかりやすいし安定して固定できるし、リッドからキャップが飛び出しているので締め忘れ防止になっている。キャップを閉めるときには向きを気にしないで突っ込んでカリカリ言うまで閉めればいい。
今の車はうんと力入れて開けないと開かない。開けたらリッドの裏に、ここに置くんだろうなあと思われるブラケットに載せるが載せ方の正解がわからない。落ちそうになる。閉めるときが最悪でどの向きで刺すのが正解なのかわからないので毎回ガチガチやる。
インパネが小洒落てて夜間はどれが何のスイッチなのかわからない。ルームランプつけようとするとエマージェンシーコールのボタンをおしてしまう。
パワーシートのスイッチがドアについてる。座ってるときも操作しにくいが掃除のときに外から操作するときは本当に使いにくい。なぜかランバーサポートのボタンだけシート側についてる。
前の車はドアを開けたキー毎にシートポジションを覚えていて調整してくれたが、今の車にはそういう機能はないようだ。
前の車のときにそうしてたので、リバースギアに入れると左のミラーが下を向くように設定しているが、何故か1回内側に向いてから下側を向く。バックしようするその一瞬ミラーがあってない状態になる。
その状態の前には大体インパネにリバースに入れる際にはブレーキをしっかり踏んでくださいと表示されてリバースに入っていない状態がある。
ステアリングコラムにレバーが4本生えてて、しょっちゅう間違う。間違えてスピードリミットスイッチ押したときは最悪。
センターコンソールのダイヤルコントローラーの上に邪魔するためのタッチパッドがついてる。タッチパッドだと手書きで文字入力ができるらしい。誰がそんなことするのか。ただただ邪魔。ダイヤルもタッチパッドも操作に統一性がなくて使いにくい。メニュー・コマンドがあっちにこっちに配置してある。
ラジオは合わせるだけで変わるのに音楽再生は合わせて更に選択操作が必要とか。ラジオは合わせるだけで変わるので何かがタッチパッドに触わると勝手に変わる。カーナビは色使いが生理的に無理なので使っていない。
小物入れがセンターコンソールのボックスしかない。そして、これが両開き。開くときはボタンで左右に開くが閉めるときに右、左と別々に閉めてやらないといけない。普通に後ろヒンジにしてくれれば開けて閉めてってワンアクションなのに。
エンジンが回らない。上の方はまったく回らない。
前の車より大きくて重くてパワーがないのに後輪は前の車より太いタイヤを履いてる。買うまで気が付かなかったが前後輪のサイズが違う。
9速である。しかし、60km/h巡航だと5速までしか使わない。そして、実は普段は2速発進する。実質4速。下りで100k/h巡航で8速。ネットで9速に入りますか?って質問してる人がいた。
9速あって2速発進する車は自分でシフトしようとすると何速が適切なのかわかないのでマニュアルシフトは諦めた。幸いオートマが賢いのでこれは問題にしてない。
普通に走ってるときに突然うるさくなったと思ったら、ルームランプが点灯してることに気がついて、次にインパネでドア開きのウォーニングランプを確認した。段差を乗り越えたとかなんとか一切なく、ただ走っててドアが開いた。たまたま締め方が悪かったんだと思いたかったが、これが3回起きた。運転席と後席。ドアがアルミで剛性が足りてないんじゃないかって思ってる。
このあいだのインナーフェンダーがちぎれたのは未だに信じられない。
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ddaism · 1 year
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01 singing
頭が裂傷ができたみたいな
心の中に何が流れていった
解けない結い目が切れた
欲しい物も全部無くなった
02 reading
知覚は、世界と周囲の人から情報を受け取る能力です。
一説には、「知覚」は物を色をつけた。
ハイリー・センシティブ・パーソンにとって、
彼らの環境感受性や感覚処理感受性が極めて高い。
よさそうに見えるだが、
世界の運行にはこれほどの「知覚」の必要はない。
ポジティブな感覚が収入でネガティブな感覚が支出だとしたら、
彼らは常に「貸越」 の状態にあります。
その結果は、
自分の知覚で傷つくことが多い。
03 appealing
知覚貸越を止めてください。
自分を救ってください。
自我を救いましょう。
自分で救いに行こう。
04 reading
街の香り 枯れた葉
潮風の湿度 台風の荒れ狂う
坂道の夕日 寒い孤独な夜
一人の幸せ 誰かの温度
人混みの冷たさ
笑うとき 悲しいとき
愛するとき 憎むとき
頭の重さ 肺の息切れ
眼球の腫れ 心臓の鼓動
つかむの感覚 喪失の感覚
始まりの感覚 終了の感覚
好きな気持ち 嫌悪の気分
憧れの気持ち 退屈な気分
これらを感じさせるものは何でしょうか。
大人になっても、気持ちの「良し悪し」はなくならない
「好き嫌いで選ぶ」のは子供の特権ではない
選ばなければ、好きなことも嫌いなことも忘れてしまう
知覚が麻痺していく
不快の感覚を麻痺で逃れても
単純に消えることはない
「なぜか泣く夜」になる
「どうしようもない日」になる
終わりのない自己否定になる
「やりたいこともやらない」になる
人間は、
危険を避けるために怖いことを覚える生き物。
心の奥底に過去の傷を埋めて、
精神はそこで消費されている。
だから休憩と解決が必要です。
ある感覚が十分な刺激で満たされていれば、注意は他の感覚
に向けられません。
たとえこの瞬間、音は聴覚以外のすべての感覚を遮断することができます。
これは完全な集中に近い。
曲が終わると、注意の対象が一時的に失われます。
何も考えず、それが瞑想です。
この空白の時間に十分な知覚の休憩を取ってください。
05 appealing
息を吸う、吐く、吸う、吐く、
体の痛み、心の叫びを感じてください。
不安も恐怖も無力も絶望も
平和も冷静も信頼も期待も
内なる声に耳を傾けてください
「自分」の声を聞いてください
表面で笑うのは誰
心の涙を見ることができないのは誰
気分が良くなるなら夢を見てもいいんだよ
気分が良くなるなら泣いてもいいんだよ
06 ending
最後に、ゆっくり休んでください。
この繊細な身体と心のために、
たくましくなれるこの身体と心のために。
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elle-p · 1 year
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P3 Club Book Yukari Takeba short story scan and transcription.
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学校で起きる怖い話
こつり。
その書きは、暗く大きな建造物の中に大きく広がり、ふっと消える。そして、また。
こつり。
まるでそれは、骨か石膏でできた心臓が発する、鼓動のよう。断続的に、一定のペースで、ゆっくりと。それが心音だとすると、その寿命は尽きかけているのではないか?そう思わせるほど、ゆっくりと、途絶えがちにすら思える音が、こつりこつりと響いている。
そこは、昼の光の中で見れば、明るく清潔な印象を与える場所だったに違いない。だが深夜、満月もほど近い、十三夜のほの暗く青い月光のもとでは、鮮やかな若草色のはずの床はどす黒く、陽の光を思わせある真っ白な壁は死人の肌のように蒼白で、ただひたすらに---怖い。
そんな場所の、長い廊下にゆらゆらと、頼りなげにうごめくひとつの影。ゆらりと動いては、止まり、また動いては、止まる。そしてそのたびに、こつりこつりと、音が鳴る。その影は、ひとつの扉の前でふと停止した。一拍置いて、影が細く枝分かれして、扉に伸びる。よく見ると、その影は小刻みに震えていた。やがて聞こえてくる、影と同じように震える声。
「······怖くない。こ、怖くないんだからね。 ぜんっぜんちっとも微塵も怖くなんかないから。な、なによ、たかが暗いだけじゃん。つ、月明かりもあるし。あ、あは。あははははは」
人影の正体は、月光館学園2年F組、弓道部期待のホープにして、シャドウを狩る特別課外活動部員こと、岳羽ゆかりであった。
「し、シャドウと戦ってるあたしが、こんな暗闇程度でブビ······ビビッてたまるかっつーの」
勇ましい言葉に反し、ビビリまくりで、しかもきっちり噛んでいる。どうやら、目の前のドアを開けるのに躊躇しているらしい。だが、それでも、ついに彼女は意を決して腕に力を込め。
がらり。
何の抵抗も無く、ドアは横にスライドし、その室内をあらわにした。そして。
「······うみゃああああああああああああぁぁぁぁぁ!!」
壮絶な悲鳴だった。悲鳴を上げながら、ゆかりは既に10メートルは離れた場所を疾走している。悲鳴の後半がやや尻下がりに低く聞こえるのは、そのあまりのスピードによるドップラー現象が起こっているせいだ。
暗闇に取り残される、開きっぱなしのドアと、その内部の影。ゆかりに悲鳴を上げさせた元凶である、入り口脇に置かれた人体模型は、悲鳴を上げたいのはこっちだと言わんばかりに、大きく目を見開いて直立していた。
そもそもの発端は、タルタロスの探索に深入りしすぎたことにあった。満月を控え、いつもより実戦経験を積んでおきたかったこと。既に踏破済みの階層で、体力的には余裕があったこと。その他、いくつかの不幸な理由が重なり、あってはならない “事故” が起きた。
それは突然の風花の悲痛な叫びから始まる。
《これは······いけません! エントランスに戻ってっ!影時間から······弾かれますっ!!》
探索中のタイムオーバー。
誰にとっても始めての事態だった。
そのときに探索メンバーとして参加していたのは、ゆかり、順平、天田、そしてリーダー。風花の声に、全員が目を見合わせた瞬間に、それは来た。ぐにゃりと周囲の壁が歪む。一瞬で平衡感覚が失われ、高いところに放り投げられ、叩き落されるような衝撃。内臓が持ち上がり、また下がり、脳が揺さぶられる。そして気づいたときには---ゆかりはひとり、この場所に倒れていたのだ。
「ど······どこ?ここ?」
最初は、訳もわからず暗闇の中にいたが、徐々に目が慣れてくると周囲の状況が把握できるようになる。長い廊下と、壁の片面にだけ点々と存在する横開きの扉。壁の掲示板らしきボードには、「こんしゅうのもくひょう・きゅうしょくのまえに手をあらう」という文字が読み取れる。遠くに赤く光って見えるのは、たぶん消火栓の非常灯。
「学校······初等部?」
その推測は正しく、そこは月光館学園初等部の校舎内だった。以前、体育館に閉じ込められた風花が、タルタロスのいずこかへと飛ばされたことがあったが、今回はその逆転現象とも言える事態が起こったのだ。本来、タルタロス内部では、影時間が終了しても翌日の影時間へと間断なく入り込む。だが何らかの原因で、ゆかりたち4人はその影時間の流れから弾き出され、正常な状態に折り畳まれたタルタロス---すなわち月光館学園へ、バラバラに強制転移させられたのだろう。
「······とりあえず、外に出なきゃね」
事態を把握し、ゆかりは呟いた。そして、ゆっくりと身体を起し、ぱんぱんとスカートについた埃をはらう。落ち着いた、様子だった。だが実際は、まったくもって落ち着いちゃいなかった。彼女は既に、自分が大の怖がりだということすら忘れるほど、パニクっていたのだ。
そして、意識を取り戻してから十数分後、ゆかりはけたたましく喚きながら、学校内を疾走していた。その叫びは、もはや人類の解する言語ではなく、火災現場に急行する消防車のサイレンさながらである。
しかしそれでも、さすがに体力の限界が来たか、ゆかりは何階かも知れぬ階段の踊り場で足を止めた。目の前には大きな窓。冴え冴えとした光を帯びる月が、そこから見える。ガクガクと震える足を最後の力を振り絞るように動かし、ゆかりはその窓に近づいて、手をかける。窓から見える景色からして、そこが1階と2階を結ぶ階段の踊り場であることがわかり、ゆかりはぐっと腕に力を込める。
だが、窓はびくとも動かない。
その窓を隅々まで見たが、ロックに当たる機構は見当たらず、それがはめ殺しの窓であることが理解できると、ゆかりはがっくりと膝をついた。そう。ゆかりをパニックに陥らせている最大の原因が、この初等部校舎の構造にあったのだ。数年前、変質者が学校に侵入して子供を傷つけるという痛ましい事件が連続し、学校側の安全意識が大きく変化したことがある。その際、部外者を完全にシャットアウトするという目的で施されたのが、この
執拗なまでに完璧なセキュリティ体制であった。
大半の、��ける必要がない窓はすべてはめ殺しで強化ガラスが張られ、開けられる窓も内部からのみ操作可能な電子ロック式。外部に通じる扉もそれは同様で、外部からの侵入どころか内部から外に出るのも、教師によってロックが解除されないと自由にはならないという徹底ぶり。そのため、生徒および関係者がすべて下校し、完全に電源が落とされた現時点では、この校舎は脱出不能の密室と化していたのだ。
「っ······たく、か、火事でも起こったら、ど、どうすんのよ······ひぐっ」
べそをかきながらも、精一杯の虚勢を張ってゆかりが呟いた。実際には非常時に備えて、停電時でも手動で開けられる窓があったり、強化ガラスを打ち割れる特殊ハンマーが各所に設置されていたりするのだが、それを知らないゆかりには、ここはまさに牢獄であった。
だが、そこに救いの手が差し伸べられた。
《ゆかりちゃんっ!?》
心に染み渡るように柔らかな、それでいて包み込まれるように心強い声が頭の中に響く。ついに風花が、散り散りになったゆかりの位置を補足したのだ。それに対する返事は。
「もぎゃああぁythh@kwf*!!??」
先ほど以上に壮絶な、ゆかりの悲鳴だった。
《も、もう······びっくりしたよ》
「ごめん······」
おずおずと、しかしちょっと前は確実にカ強い足取りで、ゆかりは廊下を歩いた。
《あ、そこの角は右ね》
「うん、オッケー······うぎゃっ!!」
《ど、どうしたの!?》
「······は、あ、あ······だ、だいじょび、美術室の石膏像が、ちょっと······」
《あはは、月光館七不思議のふたつ目だね。“夜中にまばたきするビーナス像”》
「······やめてよ、もう······」
《最初に見たっていう “覗き込む人体型” と、さっ見た音楽室の “抜け出すハイドンの肖像画” と合 わせて、あとは“未来が見えるトイレの鏡”でコンプリートだよ。······ゆかりちゃん、トイレ行きたくならない?》
「ならないっつーの!ったく、だいたいそれでコンプリートって、4つしかないじゃん」
《それも、不思議のひとつなのかもね》
くすくすと笑う風花に、ゆかりもついつられて軽い苦笑を浮かべていた。
いまは風花の誘導で、仲間との合流地点を目指して進んでいるところだ。暗闇に一人きりという状況は変わらずとも、会話する相手がいるだけでずいぶんと心は安定する。そもそも携帯で連絡を取るということを、最初に考え付くべきだったが、それも先ほど風花に指摘されるまで、すっかりと失念していた。本当に、自分はこういうのはダメだと、ゆかりは深く自覚する。
《······本当に、ゆかりちゃんってお化けとか苦手なんだね》
ゆかりの心を読んだように、風花が言う。
「ま、まあね。カッコ悪いよね?あはは」
《ううん、そんなこと、ない。でも、なんでそんなに苦手なんだろね?》
「たぶん······ホントは、居て欲しいのかも」
《えっ?》
ゆかりの聞き取れるかどうかという呟きに、風花の軽く驚いたような声が返る。 少しだけ迷ったように間を空けて、ゆかりは言葉を続けた。
「あたし······お父さん死んじゃってるでしょ?できるものなら、もう一度話したいとか思ってる。だから、ホントに霊ってのがあるんなら、できれば······なんてね」
《ゆかりちゃん······》
ゆかりのさっぱりとした性格上、霊なんてないと否定すれば、それで済むはず。だが、そうしたくてもできない過去。その複雑な感情が、霊の存在を信じさせ、その想いに付随する形で、余計な恐怖をもたらしている、のだろう。
《あのね、ゆかりちゃん》
「ん?」
《気を悪くしないで欲しいんだけど、私は、こういう能力を持っているから、生きている人同士の心の繋がりや、それが持つ力を知っている。だからわかるんだけど······死んだら、人はそれっきり。もう、生きている人との繋がりは、そこで終わっちゃうと、そう思うの。だから私は、霊っていうものはないと思ってる》
「うん······」
《でも、だから、逆に生きている人との繋がりは、何よりも強いし、大切だと······思う。上手く、言えないけど······生きている私たちが、ゆかりちゃんの怖いこととか、辛いこととか、受け止めてあげること······できない、かな?》
珍しく饒舌な風花の言葉に、ゆかりはふっと心が軽くなったような気分になる。風花が言っていること、それは霊が存在するかどうかという議論とは、まったくピントの外れたものだったが、それでも、不思議と怖さが薄れていく。
「ま、要するにさ、 今は風花がいてくれるから、大丈夫ってことだよね?」
《そ、そういうこと、かな?》
「なによー、ハッキリしないなあ」
《あ、ご、ごめん》
「あはは、うそうそ。······ありがとね」
《······!う、うん!》
霊なんてものが、いるかいないかはわからない。でも、仲間がいれば大丈夫。それだけは、確実に実感できる。そして、それだけで、今のゆかりにとっては十分だった。
「で、 あとどれぐらいでゴール?」
《えっと······そこから10メートルくらい先の角を、左に曲がれば合流地点です。もう皆で、待ってるはずだよ》
「りょーかい!風花、さんきゅーね」
一人でいたときの怯えぶりが、まるで嘘のようにゆかりは元気を取り戻していた。いまだ、目の端に映る影が動くような気がしたり、ちょっとだけビクッとするときもあるが、すっかり恐怖は影を潜めたようだった。やがて、曲がり角のシルエットが、暗闇の中に現われたとき。
「······から、大丈夫だって······」
「······メですよ、 順平さん······に悪い······」
小さなささやき声が漏れ聞こえてきた。かすかでわかりにくかったが、どうやら順平と天田が会話をしているようである。
「順平?天田くん?いるの?」
明るい声を上げ、小走りになるゆかり。
「······しっ!」
「······知りませんよ······もう······」
順平と天田の、ちょっとばかり不穏な声は、あいにくと再会の喜びに浸るゆかりには届かなかった。そして満面の笑みで、ゆかりが角を曲がったとき、そこに見た物は。
「······!?」
懐中電灯で下からライトアップし、どこで入手したものか血糊らしきものを顔面に垂らして、白目を剥いて鬼気迫る形相を浮かべる順平のアップであった。もし、違う状況なら、こんな子供だましの脅かしは、一笑に付されて終わり、のはずだった。しかし、相手は人一倍怖がりの岳羽ゆかり、場所は学校、時間は深夜、いくつもの原因が重なり······“事故” が起きた。
「&△×○#▼□%◇$●@+☆дつ!!」
その悲鳴は、もはや超音波を超え、衝撃波とすら形容できる恐ろしいもの。だが、それに続く、男性の悲鳴は、それ以上に血を凍らせるほど悲痛な、断末魔の声だった。
数日後、月光館学園初等部の昼休み。大型シャドウとの戦いでの疲労が残っているのか、天田乾はうーんと腕を伸ばしつつ、眠そうな目で大あくびをした。そこに、ひとりの女子クラスメイトが声をかけてくる。
「ねえねえ、天田くん、知ってる?」
「ん?何?」
「七不思議だよ、七不思議。ついに七不思議が揃ったんだって。何日か前、夜中に肝試しにきた6年生が見たらしいよ。えっと······確か、“絶叫して渡り廊下を走り回る女” と “玄関ホールに浮かぶ大きな牛の頭” と “はいずり回る血まみれの男” だったかな?嘘じゃないって!ホントにホントなんだってば!」
「う、うん······知ってる······怖いよね」
返事をする天田の脳裏に浮かぶのは、数日前の惨劇。いるかいないかわからない霊よりも、誠に恐ろしいのは、生きている人間、であった。
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sakanafromhell · 1 year
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かつて世界中で流行した幸福について (3333字)
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 7年前、突如としてこの世界から12月24日が消失した。  冷静に考えれば、我々が失ったのは365日のうちの1日でしかない。  とはいえ12月24日だ。多くの人々にとって特別な意味を持つ、替えの効かない日。  巨大な喪失感が深夜の歯の痛みのような冷酷さで世界中に染み渡った。  しかし予想外の早さで痛みが引くと、嘘みたいに忘れられた。  今ではもう、12月24日を誰も憶えていない。  そして今年も12月23日の夜がやってきた。  服を脱いだ彼女は、カーテンも閉めずに窓辺に立っている。  冬の夜空には星々が正確に配置されていて、ガラスに映った彼女ときれいに重なっている。下着姿の星座みたいだ。脱ぎ散らかした服を足でどかして、彼女は4000円ちょっとの情けないサンタの衣装に身を包んだ。彼女の全身からばちばちと音を立てて蒼白い光が放たれる。 「今年も美しいな」 彼女は真面目な顔で言った。「私は」 「異論はありません」 僕は少し笑う。でも彼女と安っぽい衣装とのあいだには、歴史上一度も起こったことのない化学反応のようなものを感じる。 「気分が良い」 彼女は微笑んだ。「プレゼントは私だよ。などと冗談を言いたいくらいには」 「それは楽しみ」  じつは僕も、彼女へのプレゼントを隠し持っている。  だけどそれを渡すのは24時間後の話だ。  彼女はこれから、たった一人で失われた12月24日に忍び込むのだ。
 もしかすると12月24日が失われたことよりも、サンタクロースがいなくなったことのほうが大きな事件だったかもしれない。7年前に起こった12月24日の消失は、同時にサンタクロースの消失でもあった。  だから12月24日が失われた最初の年には、子供たちにはプレゼントが一つも届かなかった。  ただでさえ暗い世の中にあって、子供たちの悲嘆に暮れる声というのは、あまりにも痛切に響く。体調を悪くする者も多かった。  そこで大人たちは協議の末、毎年25日になると、自分でこっそり用意したおもちゃをサンタクロースからの贈り物であると偽って、子供たちの枕もとに置くことに決めたのだ。  これが思いのほかうまくいった。  子供たちはその嘘をすっかり信じたし、大人たちも子供のために内緒でプレゼントを選ぶという楽しみを得た。  なぜ今までこの方法をとらなかったのだろう?  世界中の子供たちのプレゼントを、サンタクロース1人に任せていたことのほうが異常だったのではないか?  思うに、これは12月24日消失後の世界で、ほとんど唯一の良い方向への変化だ。  そもそも7年前に世界は終わりかけていた。悪意のぎっしり詰め込まれた出口のない箱のようだった。大がかりな戦争と個人的な戦争ばかりがそこらじゅうに転がっていた。そんな時代のさなかに12月24日は失われたのだ。最後のともしびが消えたかのように。  けれど少なくとも今では、大人は子供たちのためにプレゼントを贈るようになった。  世界は少しずつ良くなっていく。  それは僕の個人的な祈りでもある。  僕自身の生活はこの7年、少しも好転しなかった。毎日毎日、ほとんど寓話的といって良いような、つかみどころのない戦闘を強要され、ぼろぼろにすり減っていくばかり。自分がどんな目的で、どの方向に進んでいるのかもわからない。  でもきっと、それは僕だけに与えられた苦難じゃない。  誰だってそんなものだし、彼女の7年間だって似たようなものだったと思う。  なにしろ彼女は7年前に自分の名前をなくしてしまったのだ。  7年前の12月25日。 「次のサンタクロースは私なんだって」 僕の横で眠っていた彼女が跳ね起きて言った。「サンタクロースって啓示によって選ばれるものだったんだね。ぜんぜん知らなかったな」  起き抜けのキュートな寝癖を直しもせずに、彼女は犬みたいに目をらんらんと輝かせていた。  12月24日が消えた翌日。  世界中がショックに打ちひしがれている真っ只中のことだ。 「啓示? きみが次のサンタクロース?」 僕は寝ぼけていた。「じゃあ衣装を買ってこないと。ミニスカのやつを」 「そうだよ、早く買いに行かないと!」彼女はベッドから飛び降りた。「26日になったら、あんなのどこにも売ってない!」  僕たちは近所のドン・キホーテでサンタクロースの衣装を購入した。4000円ぐらいの。ぺらぺらの生地の。ばかみたいなミニスカートの。てっきり僕は、僕たちのマンネリ打破のためにそれが買い求められたのだとばかり思っていた。  だけどサンタクロースの衣装を着た彼女は、本当にサンタクロースになってしまった。 「私がプレゼントを配るのは、この世界の子供たちに対してではない。失われた12月24日に閉じ込められてしまった、幻の子供たちのために配るのだ」  彼女は政治家の物真似みたいな表情と口調で言った。でも、ふざけているにしては、あまりにもその衣装は似合っていたし、あまりにも説得力を持ちすぎていた。  そして本当に不思議な話だけど、サンタクロースになった瞬間から、彼女は自分の名前をすっかり忘れてしまった。  誰にも彼女の名前を思い出すことはできなかった。  僕にも思い出すことはできなかった。  役所で取り寄せた彼女に関するすべての書類の氏名欄には、「12月24日」 とだけ記載されていた。  サンタクロースの衣装を着た彼女は、世界中でただ一人、12月24日に侵入することを許された。といっても僕たち以外の誰もそのことは知らないし、12月24日はいまや彼女の中にしか存在しない。  幻の街の、幻のクリスマス。  そこで彼女は、幻の子供たちに幻のおもちゃを配る。  幻の笑顔。  幻の幸福。  幻の12月24日。  かつて世界の一部だったもの。  すべての子供たちに一晩かけておもちゃを配り終えると、彼女はようやく現実の12月25日に戻ってくる。眠っている僕のベッドにもぐり込む。サンタの衣装のまま僕に抱きつく。  幻みたいに冷えた彼女の体。  彼女も僕も、それぞれの世界でぼろぼろに傷ついている。 「12月24日は正確に保持されている」 彼女が僕の腕の中で言った。「夜空に星が正確に配置されているのと同じように」 「お帰り。今年もお疲れさま」  彼女はちょっとだけ微笑んで、そしてすぐ目を伏せた。 「この世界には罰が与えられたのだと思う」 「罰?」 「人々の考える幸福というものが、あまりにも一面的すぎたのだ。あるいは、幸福になるための手順が複雑になりすぎた。結果として、幸福になりたいのか、不幸になりたいのか、誰にもわからなくなった。幻みたいな幸福を奪い合って、世界は大小の戦いに埋め尽くされた。その罰として12月24日が取り上げられてしまった」 「酷いことをする奴だ」 「誰が?」 「誰もが」 「誰もが。そう、たしかに。私もそう思う」 彼女のため息が僕にかかる。「私は12月24日をもとの場所に戻したい。この世界に〈12月24日〉をプレゼントしてあげたいんだ。それがサンタクロースとしての私に課せられた仕事なのだと思う。やり方はまだわからないけれど……その日が来るまで、私は幻の12月24日を管理し続けなければならない」 「大変な仕事だ」 「だが私にしかできないことだ」 「その覚悟は立派だと思うけど……でも、きみは誰からもプレゼントをもらわなくて良いの?」 「サンタクロースはプレゼントをもらわない」 「そんなことはないよ」 「誰がくれるんだ」 「僕が」 「きみが? 私に? どんなプレゼントを?」 「何でしょう」 「愛かな」 「愛だよ」 「それはもう、もらっている」 「愛のほかにも」 「何をくれるの」 「きみの名前」 と僕は言う。「きみの名前は、7年前の12月24日に飲み込まれてしまった。僕は7年かけてそれを掘りおこしたんだ。僕にしかできない仕事だ」 「私の名前を?」 「そう」 「私はなんという名前だったの?」 「イヴ」 「イヴ」 彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。「ちょっと出来すぎな気がする」 「僕もそう思う」 「でも嬉しい」  イヴは僕の首筋に顔を埋めた。  イヴのなめらかな脚の感触が伝わってくる。  そのとき、少なくとも僕たちのあいだには、誰にも恥じることのない幸福があったんだと思う。世界は少しずつ良くなっていく。貧しくても、何もかもがうまくいかなくても、悲しいことばかりが起こっても、僕たちはこうして少しずつ、世界をもとに戻してゆけるのだ。
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kennak · 2 months
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私は 2018 年、比較的若い年齢で、自分の精神的能力が人生で最も貴重なものであることを学んだのは幸運でした (もちろん妻の次に)。 それは非常に単純な事故でした。 ハイを追い求めて、濡れた路面で下り坂でバイクの速度を出しすぎて、対向車が来てブレーキをかけて、後輪が下から滑り落ちて道路に頭をぶつけた(ヘルメットをかぶったまま) )。 膝、肘、肩に打撲傷はありますが、少し痛みはありますが、バイクにはダメージはありませんでしたので、立ち上がって続行します。 15分後に家に帰ると、激しい片頭痛が始まり、どうやって家に帰ったか思い出せないことに突然気づきました。 実は先週のことはほとんど覚えていないんです。 幸運なことに、MRI検査を受け、医師からOKが出て、数週間後には記憶が戻り、磨耗もひどくなくなりました。 その瞬間、どうやって家に帰ったか思い出せないことに気づき、これまでで最悪のパニックが起こりました。過去に二度溺れたり、自動車事故に遭ったりしたことがありますが、そんなことは一度もありませんでした。その瞬間に私が感じたパニックは、ただ家で快適に座っていて、自分の脳がもう機能していないことに気づきました。 脳出血か何かを起こして死ぬのではなく、精神機能を失うのが怖かったのです。 それ以来、私の人生観は完全に変わりました。 私は自分がどのように時間を費やしているのか、どのような精神的な問題に取り組んでいるのかをよりよく認識できるようになりました。 私たちが持っているものは貴重なものであり、それがなければ完璧な日であっても、一瞬で消えてしまう可能性があります。
私は静かな心の秘密を知っています。 学ばなければよかった (2021) | ハッカーニュース
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manganjiiji · 1 year
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春ひょうひょう
やっと最後の診断書が揃って、障害年金申請のための申立書を書いた。去年の8月頃からこのための用意を、回り道しながらのろのろと進めてきたのでもう9ヶ月も経ってしまった。ここまで長かったが、あとは年金事務所に再度予約を取り、診断書と申立書を提出し、沙汰を待つだけである。どうだろう。降りるだろうか、年金。15歳からの自分の来し方を全て病状を中心に書き起こして、あの病院にかかっていた時はどこに勤めていつ倒れて何年寝たきりで、勤務中はどうで、こうで、勤務後はこうで、このような症状が、うんぬんかんぬん。精神疾患者にとって、自分のライフヒストリーのようなものを、疾患中心に書き起すのは、かなり精神的な危険ないし負荷を伴うものである。それでも私はある程度はもう冷静に俯瞰できるので(現在の精神状態がわりあい良好であるためである)、5つ分の病歴欄を埋め、認定日の状態、現在の状態をなるべく忠実に伝わりやすく書くことが、たぶんできたのではないかと思う。こういう時、日常から文章を書いていない人、しかも障害のある人にはこの作業はかなり厄介で苦痛を伴うものだろうなと感じた。私は文章を組み立てるのが好きなのですらすら書いてしまった。しかし、思い出の蓋を開けることは、やはり閉めるまでに時間がかかる。先ほどあんスタを叩いている時も、やけに中学高校時代のことが頭をかすめるなと感じ(あんスタを叩いている時は目と指に神経が集中しているので、脳の方は結構自由にものを考えている)、久しぶりにアレルギー性鼻炎を発症しているせいもあるかもしれないが、いや、ほんとうに、幸せな人生だったと思う。たとえその先に何があってどうなる、どのくらい苦しみが続くのか、若くなくなった時にどれほどの絶望をしなければならないのか、それを知らなかった頃、確かに私は幸せだった。日々の、学校の窓から見える緑がただ綺麗だとか、夏の風とか、高校の職員室前の暗いけど賑やかな廊下とか、学校には好きな瞬間がたくさんあった。友人関係がどうというよりも、とにかく私の好きな叙情がそこここに散りばめられていたのだと思う。根本的に学びの場が好きで、その雰囲気がある場所だから、すべてが輝いて見えたのかもしれない。もちろん、友人たちとのかけがえのない楽しい、毎日わくわくする気持ちがあってこそだったとは思うけれど。昔から友人運だけはいい。対人運と言いたいところだが、これは初手から親ときょうだいでバ���を引いているので、あまりよくはない。それでも祖父母に恵まれたし、そこまで地獄しかない生育環境ではなかったと思う。ただ瞬間的な地獄が何度も何度も降り掛かってきただけで、降り掛かってきただけだが、まあ、育ててもらった恩というのは当然ある。それが真っ当な「育て」だったのかはともかくとして、私が今、彼らのせいで精神障害を負い、もがき苦しみながらでも生きているということは、感謝しなくてはならない。とりあえず、死んでいないのだから。悪意はないのだ、ただ善意や良識、愛情というものが人並みになかっただけで、かれらは悪人ではない。善人だけが子供を産むわけではないし、産んだから育てられるかといったら、それは全く別次元の話でもある。ただ、「大人」なら、産んだら育てることに責任を持つとは思うのだけど……残念ながら私を産んだ人達はそこまで「大人」ではなかったということだ。かれらは自分たちの為に生き、子供を放棄し、今でも自分たちの為に楽しく生きている。私も兄も今はこの家にいて、相変わらず中学生のような顔をしている。なぜか育たなかった子供として、35歳と40歳を生きている。とはいえ、私は最近アルバイトながら仕事というものがかなり楽しい。もともと働くのが好きだが、楽しいという感情を持てるほどには、仕事という形態の行いに熟達していなかった。どのような態度でそれに臨むか、ということであるが、これはリラックスしてできればできるほど良い。プライベートの自分とパブリックの自分に差異をあまり作らないこと。これが「大人」ということかもしれない(私にとっての)。そこまで過剰に演技しなくても、職務を遂行できるようになってきた。そして、「まあどうでもいいや」と思える場面が多くなってきた。仕事は前提として、正確に、ルールに忠実にやるべきだが、どうしてもそれが達成できなかった時、ま、しょうがねーや、いいや。と思えることがまた大事である。元々私は何事も大袈裟に捉えすぎるので、そのくらいがちょうど良い塩梅らしい。人による。さて明日木曜の休みを挟んで金土の繁忙を乗り切り、日曜日には都内で面接がある。万が一受かったら東京へ行ってしまおうと思う。今の職場の環境はかなり捨てがたいが、万が一受かったら、そこは私の最後の希望の職場のため、チャンスがあるなら行こうと思う。もしも万が一そうなったら長期で働くという契約を反故にし、現職場には迷惑をかけるが、自分の人生なので、どうにかできる限りの事はしたい。でも本当に今の職場、職務も楽しい。できるならばずっと続けていたい。面接に落ちたら予定通り、今の職場に忠義を尽くし、フリーター人生の最終地としてあくせく働かせてもらおうと思う。
家庭でのストレスが限界を超えて、また破裂してしまいそうだなあ、と思っていたところに、友人がまた意識を取り戻しているとの報が入り、電車の中で泣き笑いしてしまった。つねに覚悟はしていて、なんならもう他界していることもかなり大きな可能性としていつも心に持っている。それでもこうして、友人はまだ生きていてくれる。とても苦しく、悲しいだろうに、私たちの呼び声に応えてくれる。絶対に元気になってまた言葉を交わしてほしい。その頃には私はまたもうちょっとましな人間になっていたい。それから、良い小説を書いて、また読んでもらいたい。
2023.3.29
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reindeer02 · 1 year
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独断と偏見でBUMP OF CHICKENのHAPPYの歌詞をただ見る。
HAPPY、今まであんまり好きな曲じゃなかったんだけど。
曲調とか曲名とか… ハンドクラップとかとか。。
でも歌詞をちゃんと見ると凄い良い曲なんだよな
今の時期に聴くからこその思うところも沢山ある
以下 独断と偏見と個人の感想
健康な体があれば良い 大人になって願うこと
心は強くならないまま 耐えきれない夜が多くなった
健康は、、たぶんもっと失ってから感じるんだろうけど、
結局体も心も健康に在ることが生きる上での至上だよね…
大人になって願うこと とあるように、HAPPYは大人になった自分の心情が描かれていて
心は強くなってなんていないのに、大人と呼ばれる年齢で、社会に出ていって
そんな心で耐える日々があるっていう。
少年はまだ生きていて 命の値段を測っている
色々どうにか受け止めて 落書きのような夢を見る
ここでの「少年」は自分の心で ちっとも強くなっていない少年の心で
今生きている自分とか、生きてる意味とかっていう価値を測ろうとする
そういうことを考えてる時点できっと、その価値を疑っているというか
詰まるところ生きる価値ってあるの?って思ってるわけで
そんな今を生きていく 色々を受け止めて 少年の落書きみたいな夢ばかり見て
優しい言葉の雨の下で 涙も混ぜて流せたらな
片付け中の頭の上にこれほど容易く日は昇る
私見すぎるけど、
友達と会って話したり、日常で優しさに触れた瞬間だったりとかだよなぁ
優しい世界というやつ
そして歌詞の言葉選びが神すぎる 
その優しい世界の中で、まぁきっと自分の本音で泣きたくても泣けないんやけど
その世界に触れている間だけでも、何も解決しなくても温かい気持ちで居られるんだよ
あとはもうメンタルの上ブレやな…。
悲しみは消えるというなら 喜びだってそういうものだろう
誰に祈って救われる 継ぎ接ぎの自分を引き摺って
ここはもうそれぞれの解釈だよなぁ
今ある苦しみとか悲しみがいつか消えるんだって思っても、
今感じてる幸せもきっといつか消えてしまうんだよ。
ある意味で表裏一体な面もあるのかなぁって考えたり
悲しみが消える消えないとかって話じゃないんだよね
何者にもなれなかった、継ぎ接ぎの自分を引き摺って
闘う相手さえ解らない だけど確かに痛みは増えていく
教わらなかった歩き方で 注意深く進む
考えても考えても、正解も歩くべき道も解らなくて
現状の不満も文句も 結局そこまで歩いてきた自分に返ってきて
あー。。痛い痛い・・・
膨大な知識があれば良い 大人になって願うこと
心は強くならないまま 守らなきゃいけないから
仕事にしても何にしても知っていること、プラスでまぁきっとできることっていうのはあるんだけど
大人になったら賢くなるでも出来るでもないんですよね…
大人はみんな自分を守ることで必死、なのか? そうだといいね
少女はまだ生きていて 本当のことだけ探している
笑うことよりも大切な 誰かの手を強く握って
自分の思う本当のことって何?っていうことを探し続けて
何なんだろうね、 BUMPの中には自分の中の本当のことが在る気はするんだけど
見つかる気はしない…。
笑うことよりも大切な 誰かの手を強く握って。
”笑うこと”自体に強い意味はあんまり感じなくて、
ずっと大切な、誰かの手を強く握ることを強調してるだけなのかな
もしくは何だろう、笑いあうだけの関係じゃなくて、
メーデー的な、お前の事は絶対何が在っても離さないぞ。っていう
「苦しさと比例して、僕らは近付ける 再び呼吸をする時は 君と一緒に」
そんな関係かな
優しい言葉の雨に濡れて 傷は洗ったって傷のまま
感じることを諦めるのが これほど難しい事だとは
前の歌詞に回帰して
結局 優しくされたって慰められたって何かが解決するわけではなくて
あいつの痛みはあいつのもので、
こいつの痛みもこいつのものなわけですよ
感じることを諦めたらきっと楽になるんだろうな。って考えることも無くはないんだけど
諦めるって表現いいなぁ。藤くん凄くいいなぁ…。()
諦めたくないんだよね。 それが自分にとって大切で守るべきものだと思っているから。
終わらせる勇気があるなら 続きを選ぶ恐怖にも勝てる
無くした後に残された 愛しい空っぽを抱きしめて
何回聴いても ここでの終わらせるは生きることだよね、、
きっと色んなことにも言えるのだろうけど
「愛おしい空っぽ」とかいうものを表現できるのやばい。
本当に自分は懐古症な人間なので
この愛おしい空っぽを抱え込みまくってるわけで
それらってでも無くしたものなんだろうか
無くした、のかなぁ。 空っぽではあるけど
抱きしめて、取り残されて、追い求めて 望郷して
想望して?憧憬して? 願い想い憧れるものなんだなぁ
借り物の力で構わない そこに確かな鼓動があるなら
どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に歌おう
借り物の力で構わない
些細なキッカケ、ほんのした心の機微だったとしても、そこに自分の意志が籠もっているなら という解釈?
他の人や物の支えがあっても構わないから生きようという解釈?
しっくりこないな
借り物の力がBMUPからもらった音楽。
自分の曲でもないけど、そこに確かな鼓動はあって、
どうせいつか終わる旅を一緒に生きるに十分な力もある。。
ライブ行きた…。
どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に歌おう
どうせいつか死ぬなら、
一度しかない人生なら、
みたいなマインドは凄くある。 割りと無敵になれる心の持ち方なんだよな。
もはやプロポーズだな
優しい言葉の雨は乾く 他人事のような虹が架かる
なんか食おうぜ そんで行こうぜ
これほど容易く日は昇る
色々考えたって結局しょうがねぇんだよ。って解釈でいいよね。。
自分の傷は傷のままだけど、
それでもふと他人事のような虹が架かる瞬間があって
それが生きるってことなんでしょうか。
悲しみは消えるというなら 喜びだってそういうものだろう
誰に祈って救われる それよりも大切な手を取って
ここはやっぱり
個人的な解釈としては、 喜びだって消えちゃうんだぜーって謎に貶める歌詞ではなくて、
悲しみも憂いも、同時にある喜びも幸せも、今在る全てはいつか消えてしまうものだから、
儚くてかけがえないものなんだって気がする。
憂いて、今を変えたいって誰かに祈るばっかりじゃなくて
今ある大切な手を取って、今ある幸せともちゃんと向き合わないといけない
勝ち負けの基準も解らない だけど確かに守るものが在る
教わらなかった夢と共に 少年は大人になった
これが大人になるってことですが、BUMP先生。。
続きを進む恐怖の途中 続きがくれる勇気にも出会う
生きていく途中で、色んな人に出会ったり
もちろん昔からの友人からも、BUMPからも、今自分が生きられているのはきっとそういうものに出会えているからなんだよと
無くした後に残された 愛しい空っぽを抱きしめて
消えない悲しみがあるなら 生き続ける意味だってあるだろう
どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に歌おう
悲しみは消えるといっていたのに、
消えない悲しみもあるという
それだけ深く心に残るということは、それだけ大切だったということで。
そんな大切なものに出会えるのであれば まだ生き続ける意味だってあるんだろう
今ある喜びも悲しみも無くなって、愛しい空っぽになっていってしまうけど
それが生きるってことであって、
そんな日々を一緒に頑張って生きていこうぜっていう曲。
Happy Birthday
お前は25年間、すげぇ頑張って生きて来たよって
本当良くやったよ!って
そうやって解釈したいし
そうやって誰かを祝ってあげれたらいいなぁ
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2comlog · 1 year
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週報2022-12-03
・お久しぶりのお週報がこんな記事でごめんね!
流行感染症を患ったので、それの記録です。丁度一週間だったのでお週報ってことすっかな〜 これを…せっかくの「お週報スペシャル」コンテンツには…したく…ない………
今日のお週報は… ・VS病記録 ・総評 ・良かったアイテム ・具体的な過ごし方 みたいな構成です。よろしくね。何を。
・発熱初日
…初日? ほんとーに微妙な温度だったのであまり初日としたくない 36.9℃でした。微妙!お前の人生みたい!
ちょっと喉が痛かったので「やだな~」と思っていたのと、 今年夏、ド軽傷で患った母が後遺症で「蕁麻疹出たわ」と言ってて大変だったのですが、 何故か今、再び蕁麻疹の被害にあっていて「おいコレって…」と家庭内がざわつく。
・1日目
ウワッ!熱……と思った。 38度強。 起きた瞬間から全てに懺悔したい気持ちになり、脳裏に浮かんだ言葉は 「人を呪わば、ぷにあなDX……」でした。
もうきっと定番ネットミームだと思ってサーチしたら誰もそんな事言って無くて最悪な気持ちになりました。
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ぷにあなDXは二穴式のオナホールです。
さて熱ですが、抜歯のときにもらったロキソニンを飲んだら狂おしい量の汗が出て全部下がった。 薬局で買える検査キットを試す。陰性!ハッピー!なあにがぷにあなDXじゃい! チェンソーマン見てゲームやって寝ました。元気かい。
・2日目
何がハッピーだぷにあなだ頭おかしいんか、高熱は以前として高熱じゃい。 もう完全にダメで何の浮かれたコトバも思いつかない。 起きた瞬間…どころか軽く眠って突然目が覚めた深夜から、コリャなんかやばいと思ったので早朝にオンライン診療を決意。
そして、のど激痛。 丁度オンライン診断を切って、薬を貰ったくらいの頃でした。 なのでですね…喉に効く薬、ほどんど無かったんですよね。 「ああ痛み?ロキソニン出しとくんで」で終わりだったんです。
これが何を意味するかと言うとね。 一日死んでいた。 効かねえのよロキソニン。こんな喉痛。 え?何も食べれんが? コレって…「そう」じゃん…… ようやく覚悟が決まりました。
夜中に命からがらチョコアイスを一口だけ食べて、無理すぎて、 その後泣きながらうがいをした時に赤茶色のモノが口から出て来たから「え…血?ウケる…」とか思って一旦感情を取り戻したのですが よく考えたらチョコアイスの色だったので爆笑しました。喉に響く笑いは控えなさい、死にますよ。
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そんでね……唾液で溺れるんですよね。 これは口から唾液が止まらない様子。
やたら粘度があって重たい唾液が喉に落ちて来て、でも喉激痛すぎて唾液が飲めないので、そのままグエッ!っとなる。 横になりたいのだが、ちょっと横になるとすぐコレなので、頬をげっ歯類のように膨らませてどうにかするか、流しに吐きに行くか、ティッシュに全部吐いて失敗して手をビタビタにするか… その3択を夜通し続ける。 30分に一回くらい目が覚めていたかもしれない。
・3日目
どうにか朝になる。
だったのですが… いや昨日アレで死んでたのウソでしょ、一つ上の爆痛、なにこれ、え?
流石に昨日の段階でなにかおかしかったので家族に病院へ連れて行ってもらう。 死ぬかと思った。診察まで大体1時間半くらいかな…車に隔離されていたのですが… 車の椅子は少し首が高くなるから、気を抜くと気道が最悪の方向になりがちで、時折咳に咳が相次ぎ過呼吸になってしまう…。何度か死にかける。
あと朝イチで行って、すぐ薬貰って飲むつもりで居たので、 解熱剤なんか完全に切れに切れた後の完全ノーガード高熱だったのでコチラの方角からも死を感じた…… 40度近くあったんじゃないでしょうか…… 肉体的には、この診察前から帰りの車が一番キツかったです……
ただ、そういった超疲れ案件があったためか、家に帰って薬飲んで横になったら、すっごい楽で……幸せであった…… 昨晩は横になっても何も楽じゃなかったから、「あ…横になって楽になれる!という人権が一つ帰って来た…」という感じだった。
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この後もずっとそうなのですが、 コロナって「突然失った人権が、一個ずつ元に戻る様子を楽しむ事」しか、楽しい事はないです。 メインコンテンツ、マジでコレのみです。 その「人権を全部失うターン」のピークが凡そココでした。
睡眠も2時間置きくらいに出来るようになってちょっとホッとしました。 いうても2時間置きなのでどっから夢でどっから起きてる思考なのか微妙で気持ち悪い感じです。 そして私の入眠ルーティンである「とりあえず描かない漫画のプロットでも考えるか…」が全く出来なくて「あ…今マジで具合悪いんだ…」と軽く落ち込む。
・4日目
朝、メイバランスバナナ味が別に楽には飲み下せなくて絶望する。 インタネットでは「4日目からは楽になる」と聞いていたのでかなり楽しみにしていたんですよ。 ああダメだ…結局3口くらいで刺すような痛みにシフトしてくる… これ後2口くらいなら頑張って飲めなくもない…とは思うのですが、何か喉切れそうな痛みなんですよね。 怖さもあってムリでした。
そうして、命からがら薬だけ飲んで、ふて寝をしました。
でも本当でした。4日目からは幾分か楽になる…というのは…… 2時間くらいはまとまって寝れるようになったので、ふて寝もまあまあ快適で…夜にはなんと、少しゲームしたりしました。
高熱もほぼほぼなくなり、7度台の微熱のみになる。 8度と7度の境目は結構自分的に明確で、 「体の体感温度が一定になる」んですよね。 8度だと「頭だけバカ程アツいが体が極寒」とかで、それを過ぎた7度台は「体全体がアツい」だけになる。 なので「熱があると暖房代節約できてラッキーすよね!」と家の前まで駆除対象悪魔が帰って間違えたお見えになった時のデンジ君みたいな事を思うようになる。
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別に描かなくても良かった。
この季節に私はマジでヒーターもエアコンも毛布もナシで一晩寝ました。マジかよ、大丈夫なんだ… それも!なんと!寝れる!四時間くらいは完全にまとまって寝れてる!やったー!
寝すぎたからなのか腰が痛い。 え…どうしよ…「流石に寒かったから」という理由だったら…
・5日目
熱は下がってないけども〜〜〜〜……… 治ったと言ってもいいのではないでしょうか?
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なぜなら、前夜やったゲームの影響で、 おポケのチリちゃんさんに『カロスで流行ってるんやと』と言われて (トリチャンはカロスに赴いたことがないのでそう言われると信じてしまう)、 ポケモン卓球に誘われて(人間✕ポケモンの2on2の試合らしいです、は?)、 ただ出してきたのがクレベースだったから(なぜ???) だめだ…おしまいだ…ごめんねアーマーガアいつもこんな役割ばかりで…と泣きついていたら 『卓球やからな??』と叱られたり、 トリチャンの下手くそサーブをチリチャンのクレベースのほうが拾いに行って 『いまの拾わなかったらそちらの勝ちだったのでは…』と問うたら 『…?え!!ホンマやん!!!!』と卓球マジで分かってないこと言われて 何なんだこの人…ってなって 『クロッケーなら勝てそうなんだけどな…』と思いながらカラミンゴと見つめ合う夢」 を見たからです。 アオキさ〜ん、カラミンゴバトルしようぜ〜。
久しぶりに良い夢でした。 なんでか今月は悪夢かTwitterしてる夢しか見てなかった (どっちも悪夢では?じゃあ悪夢しか見てなかったです!)ので嬉しかったです。
え!凡そ夢の話!??! えと…久しぶりにパソコン開いたら画面眩しすぎて目が可笑しくなりそうです。 この日記公開するか…と思いはじめたのがこの辺でした。 ていうか…画面でっか…少し見ないうちに成長した?そう…
あとは少しニンニクの入ったスープが食べられなくて本当に絶望しました。 悲しかったです、絶対食べれると思ったのに…。絶対……食べたかったのに… 今日の頭で「治ったわ」とか言ってたけど普通に嘘じゃん、バカー!! どころかドライオニオンの入った風味が残るポテサラすらも… 「味」が強いモノ全部喉にキてしまい食べられないっぽい… 今年はもうカレー食べれない可能性がある…!?!
逆に、味が少なくても、バリバリしてさえなければ固形物寄りのモノも食べられると判明したので玄米ご飯とか食べました。おいしいよ…米って… 明日は野菜とか湯でてみようかと思います… 幸い野菜なら無味でも全然食えるタイプの人間だから…
でも本日これじゃ悲しすぎるので、僅かに残っていた完全栄養食の粉も溶いたのですが作り方を間違えて激マズで嫌でした。熱がある人はそういう事が出来ない。当たり前すぎる。
・6日目
治った…な…………
なぜなら声が出る………… 特に記してませんでしたが、3日くらいから喋る事が困難になり、家庭内でのやりとりはLINE通してたレベルだったのですが、 この辺でようやく喋る事が出来るようになりました。 HAPPY!!
色々なところに「しばらく寝込んでました、色々滞ってます、死」と謝罪したり、 推しカプイチャイチャ趣味漫画描いたりしました。 じゃあもう治ったってことじゃん!!!
まだ何か咳とかは出るし、ちょっと味の強い食事がキツいとかありますが、 これはもう!治ったと言っていいでしょう!やったー!!対戦ありがとうございました!! 生還!!ありがとうございました!!みんな!!! みんな?…家族たち…モクローたち…友達たち…フォロワーたち…生きとし生けるものたち…
・総評
・部屋のゴミ箱・投擲スキル、尋常じゃなく上がった。 いややめなよ、ちゃんとゴミは縛ったりした方がいいよ… でもね…動けないし…自室には誰も入れてないし…
・マジでつらかったのは2日間だけ! …という感じなのですが、 その2日ほぼ徹夜というか就寝時にも苦痛があった感じなので、体感4日はあった気がします。 経験に対するタイムパフォーマンスは凄いという事になる。 しない方がいいよこんなのは……
・日記書いてよかった。 なんかね~…一応インタネットにも攻略情報が充実して来た今だからコレだけ精神的に余裕があったのはあります。 実際私も「いつ頃こういう症状で、いつ頃こうなった」みたいなヤツを見まくって精神を落ち着かせていた…
だから、そのために私はこれを記している。 誰かがかかった時にちょっとでも安心…というか気が紛れる文章があったらいいな…と思ったから… (具合悪い時にこんなクソ長駄文読めます!? えっ…あっ…それは…ホントごめん…)
・ピーク時何効いた?
熱は薬がチャチャッと効くが、喉はそうはいかない… そんなわけで喉情報をインターネットで色々見ました。 ですが…まあまあ試したけど…マジのピーク時は大体何もかもだめでした。(絶望情報)
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・龍角散ダイレクト マジで1秒気が休まるだけかつ、二時間おきにしか摂取出来ない。 薬を飲む前のおまじないには良いのでそうやって使いました。
・介護食 味が強いから喉に痛い…ピーク時すぎもちょいキツかった。 ピーク時外もシンプルにおにぎりとかのが良いような気がする。
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・たたかうマヌカハニー コレは推しのオススメだったのだが………… 唾液が多いタイプの人ははちみつで重くなった唾液で溺れ、そのまま終わります。
・カロリーメイトゼリー/リンゴ味 す…すっぱい…喉ギュッってなる… フルーティミルク味?だったら…多少は行けたのかも… ある程度マシな喉になってくると「限りなくマジに近い煮リンゴの味じゃん」と思いました。おいしいのに…
・のどぬーるスプレー 不思議なんですよね…いつもはどんな喉痛も治してくれる頼もしいコイツが… マジの激痛を相手にした途端、激痛にバフをかけるというあり得ん牙の向き方してくる。 闇堕ちモノかNTRモノの何か?
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・濡れマスク 微妙に使い所が合わなかった。 後���ですが私はともかく「鼻だけで呼吸する事」をやろうとしていたので、鼻が覆われてしまうマスクは相性が悪かった。 鼻だけ折り返して付けていたけど、もうこの喉痛って、乾燥でどうのこうの〜ではないじゃんね… 鼻も終わってて乾燥から逃れたい場合は超有用と思います!
・うがい薬 わ…わからん……………… え……今ので何か変わりました……?
薬飲む前に口の中に水を送り「ウェーイ…今からコレ、いくからね…」って喉に教え込ませるには必要な儀式かもしれない。
…とはいっても、起き抜けにあるとかなり嬉しい(それは常識なのでは?)。 ついでに徐々にうがいタイムが伸ばせるようになることで「あ…ちょっとずつ良くなってるかも…」と自分に自信はつく。
・中でも良かったヤツ
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・オーエスワンのゼリー なぜか水より飲みやすい。 水はサラサラしてるから想定より多い量がズロロッと喉を通過するのかもしれない。 ゼリーだと少しせき止められるから許容量がまだ守られるのかもしれない。
味もなんかほんにょり甘くて…おいしいような…でも不思議と、治ってくるとクソ苦くなる。なんで!?
ポカリよりも私は良かったです。ポカリ…すっぱくて… いや具合悪くない時でもちょっとすっぱくない? コレ私のすっぱ味耐性がデフォルトで類まれなる雑魚なのかもしれない。
・プリンとかバニラアイス すっぱくない!辛くない!しょっぱくない! 水より重たい!水よりは痛くない! ……甘さって、喉には低刺激なんですね…
これなら豆腐とかもイケたかも…そっちのが栄養価的にも良かったかもしれないです。 でもハーゲンダッツとか高級アイス(ラクトアイスやアイスミルクではなく、アイスクリーム表記のもの)になってくると、 よく見るとカロリーとタンパク質量凄いので、脂質量から目をつぶれば栄養価バカ高い。
もうこんな目にあってしまったならハーゲンダッツ、ありだと思う。
・別にどこにも載って無かったけど良かったヤツ
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・メイバランス ゴッド。 口内環境が終わった時から家にいくつか常備していた。 マジで命綱でした。 何度も記しましたが、酸っぱいモノも喉にキてしまいしんどかったので、バナナ味が最強! この時家にはありませんでしたが、バニラとかミルクも良かったろうなと言う感じです。
一番好きな白桃ヨーグルト味は涙が出るほど美味かったけど、その涙が向こうしばらく止まらなくなるほど痛かったです。喉が。
・完全栄養食系ドリンク これも抜糸関係でちょっと残ってたので使ってみた。 もうちょっと早めに切ってもいいカードだったかも… ピーク脱してからにしちゃった。 水よりは重たいので、常温で作ればわりと優しい液体になったかも。 ただねえ…一回400mlとか飲めるわけないのよ… そう思うとメイバランスのが手軽だし、手にも入りやすい。
ドリンクタイプもカロリーメイトもいいのかも。
・ピーク時の基本の過ごし方
「私は深呼吸ができる…ほら鼻からこんなに呼吸ができる……」と体に言い聞かせ、 ただ深呼吸をして痛みがマシになるのを待ち、 オーエスワンのゼリーのやつを口に含んで、飲み込み、激痛を受け、また深呼吸に戻るという感じです。
深呼吸ができる、それだけの生き物になろう……
私の場合は普段の栄養状態が良かったから!(筋トレ頑張ってた時期でした)というのは大きそうですが、 マジのピーク日(三日目/二日目)は、 オーエスワンのゼリーとメイバランスの双方一本ずつを一日かけて飲んで終わりでした。 一応…バニラアイスとかを数口食べたりもしたかも。
それでも一応生きてはいけました。 脱水は水分量より小まめな補給の方が大事なのかもしれません。
治りを少しでも早くしたくばもっと飲んだり食べたりした方がいいとは思いますが、 痛みに激弱すぎる上に、意志も最弱な人間��も一応ピークを乗りこなせました!
誰かのためになればいいなと思いますが、こんなこと誰にも起きて欲しくないです!(父が今陽性ですが!/オチ!!)
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