2023年10月31日
「教育は生きる活力がある子に対する「生きる戦術」としては有効に機能しますが、その根源の活力を賦活させるのは容易ではありません。」
「人が良心を売る値段の相場はだいたい300万円です。」
「もうシネコンは上映中作品のポスターなどなく、近日公開作のポスターだけを貼るようになってしまった(少なくともイオンシネマは)。シネコンの外に看板もなく、ネットで予約した客だけを相手にしている。道ゆく人を惹きつけ、劇場に誘うという発想は死に絶えた」
「オッサンが最近推しになったアーティストに「初期のビートルズみたい」というのは、他のファンからしたら的外れでキモいかもしれないけど、猫が虫の死骸をくれるようなもので、本人からしたら最大限の愛情表現なんてすよ。」
「「黙っている事はただ言わなかっただけで嘘を吐いている訳ではない」
営業の研修で一番最初に教わった事だなぁ…」
「最初の目的が達成するか消えたのに「まだまだ問題はあるはずだ」と団体の維持のための目的というか間違い探しをやりだすと、いずれ被害妄想の間違い探しをするしかなくなる。そらどの団体でも誰でもおかしくなる。問題が解決したら解散、のジョジョ第三部形式が健全なのだなと思う。」
「これは人生のネタバレだけど、お金を払って学ぶことよりもお金をもらいながら学ぶことのほうが大きい。」
「深夜営業のスーパーで、つい亡き夫の分まで買いそうになった食材を棚に戻しながら、なんか急にメンタルが落ちて動けなくなった時、くぐもった音しか出ないスピーカーから流れてくる日向坂の「君しか勝たん」に不意に勇気づけられ、この世は「大芸術」だけで出来ているわけではないのだと改めて実感する」
「安田均の物語は常に乾いている」
「送り雛の御影遙で俺の性癖は作られた
でもオミスが好き」
「嗚呼、もう一度母とお散歩がしたかった。」
「10万円分くらいエロゲ買って
最も楽しく興奮し世界の王になったような気分になれるのは帰り道
「この世は金ばかりじゃないのはそうだと思うけど8割くらい金でどうにかなる世界だなって最近気付いた
残りは仁義と人情」
「(機甲創世記モスピーダ)
最初に受け取って戦いの個人的な理由に成ってたモノを
最後に宇宙に放つことで物語が終るの綺麗」
「>企画的にやりたかったのは小規模の歩兵部隊でロードムービーするSF版コンバット!だから
レギオスは偶にチェックメイト・キングツーすると飛んでくる存在で良かったんよな
老兵たちのポルカ
とか好きなんだ俺」
「長く生きてると完治しない心の生傷が多いからな…」
「>kanonは誰かが幸せになっても誰かが不幸になる陰湿なゲーム
奇跡の椅子取りゲームじゃけぇ…」
「人生はいつだって「そんなはずじゃなかった」がスタートの合図。」
「だからせいぜい、自分の周囲 2,3 親等程度に届く範囲で、なんかワルそうでそうでもないすこしわるい、みたいな言動を繰り返して余生をやり過ごそうとする。「階級を裏切れない」的な真面目さあればこそのかなしみだ。たとえ人生パッとしなくたって、卑怯者にだけはなりたくないのだ。」
「伊勢の「佐瑠女神社」っていう芸事にご利益がある神社があって、それに肖ろうとするタカラジェンヌ、舞妓さん、アイドルなんかが千社札や名前入りステッカーを手水舎に貼りまくるんだけど、久しぶりに見てみたら個人でやってるYoutuberの自作シールだらけになってて時代の移り変わりを感じた。」
「おれにとってメチャクチャいい日だったのに、インターネットの向こう側のひとにとっては最悪な日だったり、その逆だったり、同じだったり、まあ関係ない時間がバラバラに、しかし確かに同期して流れてる、ということを確認できるのが痛快だったんだよなー。いまでも痛快だ。」
「自分が正義の側に立ったときが危ないんじゃなくて、他人を人間扱いしなくなったときが危ないんだと思うよ。正義の側に立っても、敵対する相手を人間扱いすることはできるし、正しいことをしたいという願望を軽んじるのは良くないし、あと正義を冷笑してても他人を人間扱いしないのは結局ヤバイ。」
「「女ウケを考えて服を着れるか!」と豪語していた友人が婚活で試しにウケそうな服を着たところ手応えがあったのでそういうのも好きになったと話すのを聞いて『好きなポケモンで勝てるよう考えるよりガブリアスを好きになった方が早い』という格言を思い出した」
「>テレビとリアル将棋への興味がないから藤井くんがどれくらい話題になってるのか分からん
日本でしかプレイされていないローカルボードゲームの結果を主要新聞は次の日全紙一面で報じた」
「「議論や意見交換としての会話」と「毛づくろい的な役割としての会話」は似て非なるモノで、むしろ決定的な断絶がある。
前者には中身のないどうでもいい話題は邪魔になるが、後者もまた、しっかり考えなきゃいけない中身の濃い話が邪魔になる。わりと決定的に国境がある感じ。」
「供給が絶えて久しい推しキャラを顕現させられるのは
本当に助かるよね生成AI」
「羽田で検査場抜けて混雑したところから地方のエリアに行くにつれてだんだん人が少なくなっていくあの瞬間が好き」
「(バビル2世 ザ・リターナー)
かつて幼い日にTVにかじりつき、バビル2世の活躍に胸躍らせて応援した、我々おっさん世代の代表として、彼は今ここに登場したのである。
頑張れ伊賀野!」
「20年前のムチムチ巨乳キャラが、今では一般並乳扱いになった。ゾルトラークなんだわ」
「人生でまともな展望を持てなくなった人が行き着く「生きがい」の一つが
「その場で相手を言い負かす」ことですよ、という見解を聞いて、深い納得感と切なさに包まれるなり。」
「高校生とき「源氏物語は生粋のクズ男の所業が羅列してあるだけで面白くありません」と国語教師に言ったら「あの話はその背後にある女達の怨念がメインテーマなのだ」と返されたのでたまに学校教育はいいこと言うんだよな」
「責任は無限に重い(地球よりも、ひとの命よりも)。そして責任というものは原理的に人間が負い切れる、果たしきれるものでは、ないということもわかっている。だから途中で死にたい。責任を負うと誓いながら、責任を果たす前に死ぬことさえできれば、それこそがキズのない人生、美しい人生になる。
ようするに「威勢のいいことを言って、ヤバくなる前に居なくなる」」
「大学の出口のすぐ外に講義ノート屋ってのがあって
ノートを勤勉に取った学生がそこに講義を写したノートのコピーを売り、勤勉ではない学生が一部500円(過去問付き)で購入するというデケェシノギが行われててそれがなかったら俺は大学を卒業できなかった」
「>じゃがいも警察は一時期よく見たけどミニスカパンチラ警察を見たことはない
ジャガイモもエロければ良かったのにな」
「若いころ、おじさんたちが子供の写真を待ち受けにしてる意味がわからなかったけど、最近はわかる。「仕事めんどくさい」「無職になったって構わない」とか思ったとき正気に戻るためだ。」
「自分の定義で言えば、���人手不足とは組織内にいる人格的・能力的に問題のある人間を排除できない状態のこと」ってことよね。」
「>うちはカレーといえばシーフードだったからちくわカレーだった
ギルティなママの味…」
「お客さんがコンテンツを消費する速度がトールキンの時代とは違うからねえ。客の求めに応じて安くて早い定食出してるのに、「鰹節から出汁を取れ」みたいなこと言われたら、クリエイターさんも辛かろう。ナーロッパの登場は世界観設定のコストを下げるための必然だと思うんだよなあ。」
「インターン生に毎朝「楽勝?」と聞いてる。
「何か質問ない?」と聞くと大抵無いと答えるから。
なので敢えて「楽勝か?」と聞くと「楽勝では無いです…」と返答くるので「じゃあどこが楽勝じゃないポイントですか?」と話を進めると、本人自身まだ上手く言語化できてない懸念点を引き出して相談できる」
「日本人にボルドーのフルボディが合わないんだよ
赤ならブルゴーニュのヴォーヌロマネの無銘なら10000円程度で飲める
それかいっそ白の極甘口だな
ソーテルヌはイケムは別にして特段の当り年でない限り10000円程度で一級が飲めるからお得」
「ボルドー(特に左岸)のいいやつは早飲みしても固すぎて全然美味しくないことが多い
濃くて早飲みできるのとなるとカリフォルニアとかがいいんじゃないかな」
「ちゃおホラーの狂気は異常
今井康絵は「間違った方向にアグレッシブ」で最高」
(ニセモノの錬金術師)
正気ってのは個人の欲望と世界の常識との折り合いがついてる状態
この世界は個人の力が強過ぎて折り合いをつけるのが難しいのでだいたい狂人になる」
「>戦わなきゃ生き残れない能力バトルを考えた場合
狂人にならないほうが不自然ってこったな
皆んな戦ってる最中は策略以外だと基本相手の話は全く聞かないのが合理的ではあるけど狂人ばっか感が強くなる一因だと思う
そりゃ敵を完全に無力化しなけりゃ話もクソもないってのは分かるけど同じ言葉を話す相手をああまで無視して戦えるってのが違う価値観の人たちの話なんだなって感じさせる」
「蓋し世の中のトラブルの95%は対人関係のトラブルである、そのトラブルの殆どは他人を近寄せ過ぎ/近寄り過ぎが原因である。以前、老タクシー運転手が「車間距離を取る」ことの重要さを力説してくれたが、あれは強力な人生訓そのものであった。」
「コンテンツはいつ覇権になると思う?
他媒体に進出した時…違う
コカコーラとコラボした時…違う
お母さんがタイトルを認識した時…違う
乳が盛られた絵なら知らんコンテンツでもRPするオタクくんがエアプ作家が描いたエッチピクチャをRPした時さ!
という理論からフリーレン覇権認定した、たった今」
「高校生とき「源氏物語は生粋のクズ男の所業が羅列してあるだけで面白くありません」と国語教師に言ったら「あの話はその背後にある女達の怨念がメインテーマなのだ」と返されたのでたまに学校教育はいいこと言うんだよな」
「>もう漢文にしろよ
放邦之悪役令嬢
嘗我之転生聖女
獲自由己及妖狼
無双可現代知識
又楽可迷宮配信」
以上。
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溜息は夜更けに目を覚ます
「丸井さん、幸せが逃げるよ」と笑われたとき、ああ、私は溜息を吐くことすら許されないのだな、と悟った。
いっそ痛いくらいの鼓動を飲み込むために、「はあ」と、呼吸と返答の中間のような音を出した。
それ以上に発するべき言葉が見つからず、無意味に靴の先端を観察し、無意味に口を開閉するしかない。模範解答を知らない私はもう二度と、彼の前で、肺に淀んだ悲鳴をこっそりと逃がしてやることさえできない。
彼は不出来な生徒を見逃すように、「最近、寒くなったよね」と、骨ばった指の先で、自身が抱えた鞄をリズミカルに叩く。
間延びした語尾で天井を仰いだ彼につられて、視線を持ち上げる。やけに煌々とした照明に向かって、「そうですね」などと、私も会話らしきものを試みる。
返事はなかった。二人を乗せたこの狭い箱が、私の声だけを地面に置き忘れたまま、ぐんぐん昇っていく。そんな想像をする。
エレベーター内のかすかな揺れが音もなく止まり、ドアはいやに億劫そうな速度で開いた。彼は無言で足を踏み出して、間もなく廊下の角を曲がっていく。
「そうだ、確か彼は開発部の人だ」と思い出したのと、彼が落とした溜息を私の耳が拾い上げたのは、ほとんど同時の出来事だった。
そうか、あの人は、溜息を吐くことを許された側の人間だから。
ふと、そういえば私は、彼に朝のあいさつをしただろうか、と疑問に思う。しかし、彼が私に「おはよう」と声をかけたかどうかすら記憶になかったので、再び顔を合わせないよう願うだけに留めた。
どうせ、次に会ったときには、「丸井奈々子は暗くて絡みにくい」という印象を除いて、今日のことは彼の記憶から綺麗に消えているに違いない。
ようやく、といった気持ちで、全身を使って息を吐く。
楽に呼吸がしたい、というだけの望みを叶えることが、ひどく、難しい。
■
「おはようございます」
開け放してあるドアを手のひらで押さえて、室内に声を投げ込んだ。誰かの反応があったかどうかを確認する余裕もなく、入り口から一番近い席に腰を下ろす。
ここが私の席、と胸の内で繰り返した。くたびれたキャンバス地のトートバッグを胸元に抱えて、小さく深呼吸をする。
たかだか事務のアルバイトである私に席が用意されている、というのは、ありがたくもあり、恐ろしくもある。
視界の端に誰かの手が侵入してきたので、私は慌てて顔を上げた。
「そんなにビビらなくても」と苦笑していたのは、二つ年上の安曇さんだった。数枚の書類でひらひらと首元を仰ぐ指の爪は、柔らかい彩度のスカイブルーに染まっている。
自身の鎖骨あたりでくるりと丸まった毛先を熱心に気にかけながら、彼女は「丸井さんさあ」と高らかに、楽器でも奏でるような優雅さで私を見下ろす。
「伊東商事さんの伝票ってやったことある?」
「あ、伊東商事さんですか」
いとうしょうじ、イトウショウジ。聞き覚えのある名前が耳に触れ、私は先週の金曜日の記憶を必死に掘り起こす。
「あの、えっと、この前、教えてもらって、少し」
「この前っていつ?」
「あ、先週の」
「少しってどのくらいかなあ」
私の言葉を遮り、書類に素早く目を落とした安曇さんの語尾は、ほとんど独り言のようでもあった。
どのくらい習ったのかなあ。どこまで理解できたのかなあ。ああもう、どうしていつもこうなのかなあ、丸井さんは。と、彼女の語尾からは、いつも私にだけ幻聴が聞こえる。
「あの、何か、間違ってましたか」
「いやあ?」
べつに、と難しい顔をしながらふむふむと頷き、安曇さんは自分の席に戻っていく。私とほぼ反対側、部屋の奥に位置する場所だ。
今にも左側の胸だけが裂けて、暴れ狂う心臓が転がり落ちてくるのではないか、と思う。薄汚れた床の上をのたうち回り、綿埃が絡まることも厭わない姿を見つめながら、私はゆっくりと目を閉じて、そのまま息を止める。
その様子を見ていた周囲の人間がどんな反応をするのか想像してみるが、目に浮かぶのはいつだって、ミュージカルの幕引きのようなわざとらしい嘆きなのであった。
足りない想像力と、私が他人に惜しまれる人間でない、というところが大きい。
私の人生において、特筆すべきほど大きな事件はなかった。運動も勉強も人並みで、奥歯を噛み締めるような苦労をしたこともなければ、仲間と涙を流して祝うような成功を収めたこともない。
しかし、それはあくまで世界中の人間を比較対象にした場合の話であって、当事者の私にとっては、道端で転んで擦りむいたあの日の羞恥も痛みも、勘が当たって順位が上がった期末テストの喜びも、自分史に刻むべき出来事である。
その中であえて大事件として扱うのであれば、就職活動の他にない。
何があったわけではない。何もなかった。ただ、郵送した履歴書が、一枚たりとも採用通知として返ってこなかっただけの話だ。
不幸と言えば不幸なのだろうし、よくある話だとすればそうなのだろう。アルバイトとはいえ、母の知人経由でこの会社に雇ってもらっているだけ、むしろ運が良い。
だから、と息を吐く。だから、大したことじゃない。
はす向かいに座る彼女、峰岸さんは、実母の介護で私よりはるかに大変だろうし、さっそくキーボードを叩いている安曇さんだって、私より多くの仕事を任されている。
もう一度だけ息を吐いて、ああ、私は今日も多大な労力を消費して、無意味に二酸化炭素を排出することしかできないんだろうな、と思う。
自虐要素の多い冗談のつもりであったが、存外冗談ではないのかも、と気付いてしまった時点で、ひどい後悔に襲われた。
なるほど、価値のない人間には、ブラックジョークを楽しむ権利もないのだ。
ならば願うことは一つしかない。誰にも咎められないよう、周囲の顔色を窺いながら。ただ、一日が無風のまま過ぎていきますようにと。強い向かい風が吹いたら、余計に呼吸ができなくなってしまうから。
■
私の目と鼻の先でスマートフォンを握りしめる男子高校生を見て、真っ先に抱いた感想は「根性があるなあ」の一言だった。
満員電車の中でつり革を握りしめ、画面から目を離さない様は、単なる痴漢冤罪対策なのかもしれないが、自分の領土を守ろう、という気迫すら感じられた。長方形にくり抜かれたページがニュースサイトらしき部分も含めて、本当に頭が下がる思いだ。有名な女性歌手が大病を、というような字面がはっきりと見えたところで、罪悪感を覚えて視線を外す。
行き、帰りに限ることなく、私が通勤に使う地下鉄はいつでもおおむね満員であった。各ラッシュの時間を回避しない限り、その混雑は平日休日を問わない。
「――をご利用のお客様は、次の駅でお降りください」
柔らかな女性の声が、周辺施設の紹介を伴って、次の駅を教えてくれる。滑らかな口調とともに挙げられた場所は、どれもこれも自宅から近く、よく利用するものばかりだ。
徐々に速度を落とした電車がひどく勿体ぶって停止し、車内にこもった空気が慌てて逃げだしたように、ぷしゅ、という音が鳴る。目にせずとも私には、それが扉の開く音だとわかる。
人の塊が動く気配はない。厳密には、出入り口付近で気を遣った数人の頭が消えたが、後に続く者がないとわかると、また人の隙間にひょっこりと帰ってくる。
わかりきっていたはずなのに、未練がましく目を向けてしまったことが恥ずかしくなって、私は自分の爪先を睨みつけた。
視界に映るのは他人の胸元や肩ばかりであったが、見えるはずもない足元を脳裏に描き、凝視し続けること��けを考える。
熱を持った二酸化炭素がゆるゆると浮んでいくから、汚れた水面から救いを求めて口を出す魚のように、息をしようと上を見ることは叶わない。カーブのたびに車体は揺れ、力を込めた足元を簡単に崩してしまう。
そうして二、三分も待っていれば、あっという間に次の駅だ。前に隙間ができれば、後ろから押されるまま、それを埋めるように足を進める。
進行方向は目視しない。流されるまま改札を出て、義務のように最寄りのコンビニへ入り、ぼんやりと飲み物のコーナーを眺め、欲しくもない水を買って、再び改札を通ればいい。あとは一駅分、反対方向の電車に乗るだけ。いつものことだ。
友達と雑談する女子高生や、猫背気味なサラリーマン、高いヒールを鳴らすオシャレな女性が、次々と私を追い越していく。
ふと、「ほら、諦めなさい」と煩わしそうな声で幼児の手を引く女性が視界に映りこんだ。「落としちゃった、ないの、ママ」とぐずる女の子をぼんやりと眺め、漠然と「偉いなあ」と思う。
ついには泣き出した我が子を抱き上げ、仕方ないといったふうに柔らかく微笑む母親の姿は、この世界上において何よりも尊く、惜しまれるべき存在であるはずだ。
そうであってほしかった。そうでなければ、私は生まれた瞬間から死ぬそのときまで、本当に無価値なままではないか。
■
例えるならば、汚れた酸素を吸って一日を過ごしたせいで、胸の奥が重たく淀んだような感覚。やむなく喫煙者に囲まれて生活する人間とは、いつもこんな気持ちなのだろうか。
仮にそんな知人がいたとして、私には本当のところを問う愛嬌も話術もないのだけれど。
は、と小さく吐いた息は、階段を上るのに疲れたからか、あるいは単純に、先に続く景色に期待しているのかもしれない。
私が自身の住むマンションに着いて真っ先にすることといえば、いつまでも履き慣れないヒールを脱ぎ捨てることでも、化粧を落とす手間すら惜しんでベッドに倒れることでもない。
そもそも向かう先は自室ではなく、本来は立ち入り禁止になっている屋上だ。進路を阻む荷物が置かれているだけで鍵もかかっていないそこは、まるでむず痒い学園恋愛コメディの漫画のようだ。
意外にも、以前は住人が集まってバーベキューなどを楽しんでいたらしいが、高齢化による顔ぶれの変化と、時代に合わせた窮屈な規則のせいで、今では「ただ、建物の上にあるスペース」というだけのものだ。
中身も不明なダンボールたちの隙間を縫うように進み、錆びきった蝶番が軋む音を聞いているだけで、口から流れ出す空気が透明になっていくようだった。眼前に広がる夜景に瞬きすればもう、世界中に私一人しかいない気分になれる。
用途のわからない機械や、取り繕うように設置されたフェンスのおかげで、存外広いわけではない。周辺にはこのマンションより高い建物も多く、お世辞にも褒められた見晴らしでもない。
駆け寄った先のフェンスに体当たりするようにして、遥か遠い地面を見下ろす。道行く人の性別や服の色が判別できてしまう程度の距離だったが、十分だ。
何に? 簡単なことだ。私が死ぬために。
指を絡めた金属製のそれに、ぐっと力をこめる。想像していたほどの振動はなかった。人の力で押して壊れるようなら、とっくに修理されているだろう。その事実が、冷風が胸の奥を叩いたような、恐ろしいほどの虚しさをもたらす。
しかし、思わず零れた吐息は柔らかく、いっそ愛おしささえ含んでいた。二酸化炭素ですらないのでは、と錯覚するほどだった。
想像する。
古びたフェンスが折れ、私の体を乗せたまま落下していく。
鈍い音を伴って潰れる体。
辺りは静まり返り、一拍の間をかき消すように悲鳴がひしめき合う。
実家の母は、父は、泣くだろうか。
いつも視線を合わせない安曇さんは、私以外の人とは饒舌に話す峰岸さんは、顔をしかめながら仕事を教えてくれる田代さんは、溜息を吐く権利のある岩本さんは、中学生時代に仲違いした同級生は、私ばかり居残りさせたピアノ教室の先生は、いったいどんな顔をするのだろう。
そのときを、私はどうあっても目にすることができないのだ。
考え至った瞬間に、わずかながら腰が引けた。
鼻の奥が絞られるように痛み、心臓が耳元まで跳ね上がってきたように鼓動が大きく聞こえて、むしろ煩わしい。
ほんの数秒前、自らの死を夢見ていたときは、あんなに幸福な心地であったのに。
ぬるい湯に浸かったまま眠りにつけるような穏やかさが、あるいはこの夜空に大声で感謝したくなるような清々しさすらあったというのに。
虚しくて、恐ろしかった。自らの死を想像することでしか、自分の心を慰められない。私という生き物の存在価値を信じることができない。いったい誰がどれだけ、どんな顔で悲しんでくれるのかしら、と空想することでしか。
不意に、心音の隙間から悲鳴が聞こえる。自分のものではなかった。耳慣れた、寿命寸前の金属の泣き声だ。
背後の足音に、全身が急速に温度を下げ、反して四肢は俊敏に動き、気配の主を視認せんと目を見開いた。
「あれ、先客じゃん。マジか」
扉の影から半身を出したまま、暗い色のブレザーを着た女の子がこちらを凝視していた。中学生、には、見えない。
「お姉さん、寒くないの?」
肝が冷えた感覚を指摘されたのかと、思わず肩が跳ねる。へら、と力なく笑う彼女は無遠慮に、いや、遠慮する必要もないのだが、そう形容するしかない足取りでこちらに近づいてきた。
「まあ、死んじゃったら一緒だよねえ。あ、お先にどーぞ」
彼女は私の足元にしゃがむなり、にんまりと笑みを深めて気だるげに言い放つ。
風にはためくスカートを気にかける様子がないので、私は居心地悪く視線を逸らし、間抜けにも「あなたも、その、寒そうだけど」などと口にした。
不思議なのだけれど、その瞬間に初めて、「ああ、今日って寒かったんだなあ」と自覚したし、何なら「今って冬だ���たのか」なんて思ったりもしたのだった。
「いいよ。厚着して、ダッサイ格好のまま死にたくないし」
変わらず愉快そうな口調に気圧されて、私は思わずフェンスから身を引く。さっぱりとしたショートカットの彼女が、あまりにも自分と違う生き物のように感じられて、つい怖気づいた、というのも、ある。
「なに、やめちゃうの」
ぱちぱちと上下するまつ毛を眺めながら、こんなにぱっちりした瞳では、どれほどまつ毛が長くても足りないだろうなあ、などと呑気なことを考える。
「やめる、っていうか……そんな、死ぬなんて、してない」
「えーじゃあ、私先に死んでもいい?」
「えっ、あ、はい」
どうぞ、なんて、軽く会釈して、手のひらでフェンスの向こうを示した。
彼女は不満そうに眉根を寄せ、「お姉さん、それでいいわけ」と唸った。苛立ちを隠すことなく全身で表現できる様は、精神的な面も含めて、彼女が史上最強の生き物なのではないかと錯覚させた。
ほとんど大人に完成しかけた顔立ちの中にほんの少しだけ残る幼さは、むしろ九対一の割合をもって、人間としての完成なのかもしれない。
「よくは、ないと思う」と返したのは、私の人生上に、一度たりとも「完成した」瞬間がなかったのでは、と気付いてしまったからだった。
絶対に通ってきた道であるはずなのに、そこだけ違う記憶を縫い付けられたかのような。目隠しをしたまま、ここまで無理やり手を引かれて来てしまったような。視界が開けたと思えば、花咲く春が終わってしまっていたような。
「でしょう? よくないよ、絶対。言いたいことがあるなら、きちんと言わなくちゃ」
胸を張って微笑んだ彼女は、下品で雑多な街灯のきらめきを背負って、ゆるりと立ち上がった。
美しさに見惚れる、といったことはなかったのだけれど、凛とした立ち姿があまりに拙くて、私は今にも叫びだしそうな口を戒めるのに精一杯だった。それが歓喜だったのか、羨望だったのか、あるいは後悔だったのかはわからない。
ただ、「じゃあ、どうしたいの」と問う彼女に、「地下鉄を……家の最寄り駅で、降りられなくて、だから」と答えた私は、傍から見ればひどく滑稽であると同時に、同じくらい、自身では呼吸がしやすいとも感じている。
そのとき、温度のなかった空が澄んだ冷気をまとい、肌を撫でる風が、私の体の形を、声の硬さを、存在の有無を教えてくれた。
■
「ナナさんは、いい人だね」
彼女は美澄と名乗った。このマンションで母親と二人暮らし、というだけで、フロアも苗字も知りえないブレザーの女子高生は、私を「ナナさん」と呼ぶ。
初めて会った日、名を問われて返した「丸井」という苗字がお気に召さなかったのか。はたまた、この年頃特有の、年上に対する無遠慮さを勲章のように愛する性だったのかもしれない。
「奈々子」という本名から、よもや安直に「ナナさん」などというあだ名を付けられようとは。一人暮らしを始めてから久しく下の名前など呼ばれておらず、妙に気恥しい。
そのくせ、仕事が終わるなり、毎日屋上へ足を運ぶ私も大概だ。することといったら他愛のない世間話や、脈絡も実りもなく、唐突に意味のないことをぼやくことくらいだというのに。
こんなことを続けてもう、一か月にもなる。幻のようであった冬の気配も、自覚したとたん、骨同士の隙間に潜り込んで、全身の熱を奪っていく日々だ。
「私は、いい人っていうか、要領が悪いだけだよ」
彼女の隣で、倣うように膝を抱えて座り、靴の先端に付いた泥汚れを観察する。誤魔化すための苦笑が我ながらあまりにも弱々しくて、今さら落ち込む気分にもなれない。
そっけない風のせいで体が震えて、かちかち、と奥歯がぶつかり合う音がした。胸を潰すように背中を丸めて、口元を膝に埋める。
「降りたい駅を乗り過ごしちゃうのは、人込みをかき分けていくのが申し訳ないからでしょ」
「いや、邪魔だと思われたくないだけで……ずっと出入り口付近に立ってればいいだけなんだけど、あの、アナウンスが」
「アナウンス?」
「奥に詰めてくださいって言うから」
首を傾げてこちらを窺う彼女にどきりとしたのは、私の声が小さすぎて聞こえなかったか、と申し訳なくなったからだ。
だが、そんな心配は杞憂だったようで、彼女は「やっぱりいい人じゃん」と、空へ向かって大声を放り投げた。むしろ、血液が流れる音すら知られてしまうかも、という近さで乱暴に寝転がった。
投げ出した足がざらついたコンクリートにこすれることも厭わず、彼女は組んだ腕で目元を覆い、あー、と意味のない唸りを断続的に吐き続けている。
寒そうだな、と思わず顔をしかめるが、彼女は変わらず年相応に、利便性よりも外見の好みを重視しているようだ。
「美澄ちゃんも、いい人だよ。だって、私の話、つまんないでしょ」
毎日聞いてくれてるよね、と付け加えるが、彼女は起き上がる気配もない。ぞわ、と背筋に不快な感覚が這うが、それもまた、「そんなことないよ」と笑顔を見せた彼女のおかげで思い過ごしに終わる。
「ナナさんって、いじめられっ子タイプでしょ」
「え」
「しかも、何もしてないのにターゲットにされるパターン」
タイプだとかパターンだとか、どこか機械的な語感は、「いじめ」という生々しくも軽快な言葉には、とてもちぐはぐなように思える。
不思議と嫌悪感はなく、かえって自分が第三者であるような、奇妙な距離を持って頷くことができた。
「わかりやすいかな、やっぱり」
「どうだろ、そうかも。でも、私の兄に似てるって思って」
砕けた口調に、兄、という簡素な呼称は不釣り合いだった。四肢を大の字に転がしたまま、彼女は私と、その背景にある曇り空に向かってぼそぼそと続ける。
「いじめられっ子だったんだよね、兄。ナナさんとパターンは違ったけど」
タイプは一致だよ、いじめられっ子タイプ、と、語尾に笑みこそ垣間見られるが、瞳はぼんやりと虚空を見つめたままだ。
「万引きした同級生を注意したのが原因で、『生意気だ』って、いじめられたの」
主張が正しくあればあるほど、正しくない者たちの声が大きくなる。おかしな話ではあるが、珍しい話ではない。
立派なことだ。パターンという概念以前に、私と、彼女の兄とでは何もかもが違う。「いじめられた」という人生におけるマイナス点も、「万引きを咎めた」という正しさの下では、プラマイゼロどころか追加点を貰っても手に余る。
唇を噛んでしまったことを隠すために、私はわざと「それは、美澄ちゃんも大変だったね」と、不安定に浮遊した思考のまま口を開く。
「やっぱ、ナナさんっていい人だあ」と、まるで大切なものを体の内側へ隠すように、顔をくしゃくしゃにして笑う彼女に救われる。
私には、他人の万引きを指摘する勇気もなければ、実にならない、くだらない話を延々と聞き続けられるほどの大らかさもない。
そうか、私は許されたいのだ、とそこで初めて気が付いた。人間としてマイナスの最低値にいる自分が善行を積んで、誰かに「いいよ、普通に生きていても」と言ってもらえるのを待っているのだ、と。
私は、何をしたら、いつになったら、許されるのだろう。
いったい誰に許されたら、背筋を伸ばして歩けるようになるのだろう。
試しに、「丸井さん」と呼びかけられた背中がしゃんとしているところを想像するが、上手くいかない。
■
朝がくれば、私は「どんくさいアルバイトの丸井さん」という名前の生き物になる。
与えられた仕事をどうやって処理するか、どうすればみんなと同じように、マニュアルからはみ出さず、普通の人間ができるのかを考える。
でも、夜にさえなれば。
夜だけは、私はあの屋上で「ナナさん」になって、好きに生きることができる。
「ナナさん」であることにルールもマニュアルもない。現実から切り離されたような、不安定な存在だ。性別にも年齢にも職業にも決まりはない。ありのままで過ごすことを許される、呼吸ができる。ただそこに存在しているだけで、善人になれる。
「丸井奈々子」として生きていくためには、許されるためには、圧倒的にいろんなものが足りない。たぶん私は、人間として生きるための「空気の読み方」だとか「要領のいいやり方」だとか、そういったマニュアルを配られずに産まれ、ここまで生きてきてしまったのだ。
だから今も、普段は不愛想な峰岸さんが饒舌に、「ああいうのって、ちょっとアレだよね」と口角を上げる理由がわからない。
「ああいうの」がどういったもののことで、「アレ」が何を指しているのか、まったく見当もつかない。
控えめな黒目がさらに細められる様子をちらちらと窺いながら、私はどうにか「アレですか」と呟く。
独り言なのか、私に話しかけているのかも不明だが、安曇さんがついさっき席を外した室内にはほかに人もなく、無反応でいるわけにもいかなかった。
「それに、いつも、なんでわざわざ閉めるんだか」
ああ、安曇さんのことを言っているのか、と気付いたのは、呆れた笑みの峰岸さんが立ち上がり、閉められたばかりの部屋のドアを乱暴に開けたときだった。
同時に、そうか、暗に「丸井さんが開けてよ」と言われていたのか、と思い至った瞬間、全身の体温が一気に下降する。
普段からドアを開け放していた自分に安堵したいような、気の回らなさを叱咤したくなるような。感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、胸の肉を突き破りそうなほど叩く心臓が痛い。
どちらが正しいのだろう? 単純に言えば安曇さんのほうが先輩で、でも峰岸さんのほうが年齢は上で、人当たりが良くて、上司にも気に入られている。「出入りが激しいんだからさ、効率を考えてさあ」と続ける彼女の理屈も、理解できる。
――ああ、ダメだ、バカバカしい。呼吸がしづらい。
この部屋はどうしてこんなに暑いのか。そうか、暖房が効いているんだ。
早くあの屋上へ行きたい。美澄ちゃんに会いたい。身震いするほど凍りついた夜空の下で、現実をすべて置き去りにしたあの場所で、私を殺して、丸井奈々子ではないものになりたい。
ばくばく、と反響すら感じられる鼓動の合間、峰岸さんが「そういえばさあ」と高い声で天井を仰いだ。
「この前の帰り、丸井さん見かけたよ、駅で」
どこの駅ですか、という問いは、はたして声になっていただろうか。訊かずとも、きっと彼女は駅名を口にしたに違いない。
「駅近くのお店に用があってさ。あれ、丸井さんこっちのほうだっけ、って思いながら降りたの。で、お店が臨時休業で閉まってたからすぐ反対の線に乗ったんだけど、また丸井さん見つけて。一駅で降りちゃったから、あーそうそう、確かこの駅が最寄りだったよなあって」
呼吸が止まる。
悪寒が思考と行動を支配する。頭が熱い。喉が痛い。声が出ない。ああどうか、指先が震えているのがバレませんように。
気付けば私はトートバッグだけをどうにか抱えて、事務所を飛び出し、改札を通って、地下鉄へと転がるように乗り込んでいた。
「駆け込み乗車はご遠慮ください」と強調したアナウンスや、向けられる奇異の目にひどい罪悪感を覚える。
しかし、孤独なまま騒ぎ立てる心臓は、これ以上激しさを増すことはない。まだ明るい時間だからか、こんなときばかりガラガラな車内が吐き気を強要してくる。
乗りなおすことなく家の最寄り駅で降りられたのは、ずいぶんと久しぶりだった。年に一度くるか、という繁忙期の、ごくわずかな期間に残業したとききりだ。
使えない私すら遅くまで仕事をしなければいけないほど、相当切羽詰まっているときの、というところまで考��て、いよいよ視界がぐらりと歪みはじめる。
風が堂々と闊歩するようなガラ空きのホームから、うつむいたまま改札を目指す。どこに向かっているのか、どこへ行きたいのかさえわからない。ただ、何者の視線にも捉えられることのない場所は自分の部屋しかない、という思考だけが体を動かしている。
反対側の電車から雪崩れた人の波に流されているうちにふと、何かを踏みつけた足元がぐらついた。
思わず顔を上げて振り返る。少し先に、クマのマスコットが転がっていくのが見えた。
当然ながら声を上げることもなく、クマは蹴られ、小さく弾みながら、通路の端から端へと忙しなく追いやられていく。
「落としちゃった」と泣くいつかの女の子の記憶が、私の肺を突き刺した。ありえないとわかっていても、もしかして、と湧く思いに体は伴わず、立ち止まることも、踵を返すこともできない。
電光掲示板には、短い闘病を終えて亡くなった女性歌手のニュースが淡々と流れている。それを見上げる三人組の青年が、年配の男女が、残念そうな声で彼女の思い出を語っている。
ごめんなさい、と吐き出したはずの謝罪は、舌先に触れることなく、焼け爛れた喉に染み込んでいった。
最悪な気分だ。
美澄ちゃんに会いたいと思っていないわけではなかったが、それ以上に、私の頭の中は「死にたい」という気持ちでいっぱいだ。
今すぐあの屋上から跳んで、硬いコンクリートの地面に向かって落ちていきたい。何の跡形もなく、産まれたことすら嘘みたいに、消えてしまいたい。
■
雨が降りはじめたのは、曇り空の隙間から自分のマンションが確認できるようになったころだった。
駅から駆けるように進んでいた脚は、普段の運動不足が祟って、すでにすっかり感覚がなくなってしまっている。
体から切り離されたかのように冷えていく爪先と、満身創痍で濡れ鼠、という状況が、私の足取りをより重くさせた。傘の下からこちらを覗く目の群れが、動かすので精いっぱいな足を、より厳しく急かす。
ようやく屋上への階段を上るころには息も絶え絶えで、およそまともな思考などできるはずもない。
それがいけなかったのかもしれない。
眼前の景色に、疲弊しきった体と精神は静かに姿を消した。
くすんでぼやけた夜空も、瞳の奥まで染み込んでくるような街灯たちも、「ナナさん」と気だるげに私を呼ぶブレザー姿も、そこにはなかった。
帰り道にいつも目にする、背の高いビルがはっきりと見える。解体中の建物を覆うグレーのシートが、雨風に煽られて揺れているのがわかる。
古びた蝶番を何度軋ませたところで、夢見るような異世界への道が開けるわけでも、特別な存在になれるわけでも、唯一無二の、奇跡のような巡り合いがあるわけでもない。
ドアに背を預けると、硝子が落ちて砕けたような派手さをもって、いよいよ何者かの悲鳴のような音がする。
錆が服についたかもしれない、とぼんやり心配する自分が、水たまりに浸からないようにとスカートをたくし上げてしゃがむ自分が、滑稽で、憐れで、悲しくてたまらなかった。
初めて心の底から「死んでやる」と思えたのに、フェンスに近づくことすらなく、職場や、明日からの生活のことを考えている。
今ごろみんなどうしているかな。峰岸さんは、安曇さんは、ほかの先輩や上司は、どんな顔をしているのだろう。今、私がここから飛び降りたとして、彼女たちが少しでも心動かされることはあるのだろうか。
どんなに自分が死ぬところを想像してみても、もう上手くはいかなかった。
わずかながらに抱いていた、「後味悪くは思ってもらえるだろう」という希望から、ついさっき逃げ出してしまったのだから。
「ああ、丸井さん? あの、仕事中にどっか行っちゃった人ね。死んだんだ」と、頭の中で、無機質な何かが溜息を吐く。
ぞわ、と背筋を這う寒気に、思わず両腕をさすった。
置き忘れてきた書類で軽くなったはずのトートバッグが、私の全身を地中へと沈めていくようだ。いつかエレベーターから放り出された声と同じように。ここは屋上なんかじゃない、お前がいるべき場所ではない、と。
誰もいないはずなのに、世界中の人の目に晒されているような心地だった。地球上にあるすべての素晴らしいものに囲まれて、たった一人、自分だけが何の価値もない物体であるかのような。
生ぬるい涙が、枯れた喉が、震える唇が、私という人間の価値を引き下げていく。
どうか誰も、私の肩を叩かないで。君、もういいよ、なんて。もうやめていいよ、人間としてここにいなくてもいいよ。マニュアルが配られていないっていうのは、そういうことなんだよ、と。早く誰か、誰でもいいから、私に人間としての正しい生き方を教えてほしい。これさえ守っていればクビにならないよ、人間でいても許されるんだよって言ってほしい。立派な人になれなくてもいいから、誰かに言いたいことなんて、やりたいことなんて何一つとしてないから、ただの人間として、平均的な人生を、何の心配もなく過ごしたいだけだ。
「ナナさん?」
自分が顔を持ち上げたことにすら気付かなかった。それほど、私は「ナナさん」と呼ばれることを待ち望んでいた。
「今日はナナさんが一番乗りだね、珍しい」
膝を抱えて、同じ目線まで下りてきた彼女が微笑む。「いつも私が先だもんね。待たされる気持ち、わかった?」という軽快な語尾に、胸が痛むことはない。
「美澄ちゃん、私、」
「どうしたの、ナナさん。え、泣いてるの?」
日はとっくに暮れて、雨も止んでいた。時間すらあいまいにしてしまった曇天は風に流れて、墨染めの紙がかすれたような、そっけない夜が広がっている。
出会ったあの日と同じように、彼女はきらめく多色の光を背にして「ね、見てよ」とフェンスに向かって歩いていく。
爪先が、巨大な水たまりに波紋を作る。逆さまの景色が歪み、やがて鏡のような煌めきを取り戻したとき、彼女が人工的な屋上から、満点の星空へ連れ去られてしまったようだった。
「いいでしょ、星空の上を歩いてる、みたいな」
一度やってみたくて、あ、写真撮ってよ、と照れくさそうに続ける彼女に、私は無意識のうち「ごめん」と口にした。
長いまつ毛を数回上下させたのち、むしろ彼女のほうが申し訳なさそうな表情で首を傾げる。
「いつも待ってることなら、気にしなくていいよ。冗談だって」
「そうじゃなくて、ちがくて」
溢れる感情がかえって喉に蓋をして、せり上がる言葉を押し戻す。
彼女はしばらく眉を八の字にして視線を泳がせていたが、やがて「ナナさん、海へ行こうよ」と明朗な声色で言い放った。
「うみ?」
「そう、海! ここからだと、どうやって行ったらいいのかなあ。私、高校近辺しか詳しくなくて。反対方向なんだよね」
わざとらしく間延びした口調で私の手を引き、彼女は足早に階段を下りていく。
点々と続く小さな水たまりを追い越しながら、彼女に合わせて切符を買い、地下鉄に乗って、未知の駅を目指す。
タイミングを外していたのか、もともと乗客が少ない方面なのか、車内に人影はほとんどなかった。
窓を背にして、無人の長椅子に悠々と腰掛ける。三人分のスペースを使ってど真ん中に座れることが、とんでもない贅沢のように思えた。
不意に隣の彼女が立ち上がり、私を見下ろしながら両手で二つのつり革を掴む。いいでしょ、とばかりに膨らんだ頬の中には、ほんの少しだけ、気恥ずかしさがしまわれている。
「どうして、海なの」
大した意図はなかった。絶対に答えが欲しいわけでもない。ただ、年中無休で働き続けた家電が事切れるような突然さで、いきなり現実世界へ連れ出されたことがやや不服ではあった。
彼女と屋上以外の場所に来るのは初めてだ。何度も会っているはずなのに、見慣れた景色の中に立っているだけで、絵本の中から飛び出してきたような、奇妙なリアリティが絡みつく。
実在する人物だったのか、とこっそり驚く自分がなんだか愉快に感じられて、彼女の瞳を見据えたまま、私は静かに目を細めた。
張り合うように澄んだ視線が返ってくるが、やがて根負けしたのか、苦い笑みを浮かべて、彼女は元の場所に腰を下ろした。
再び座れる場所がある、というのもまた、贅沢なことだな、とゆっくり目を閉じて、同じ速度でまぶたを持ち上げる。
「なんだろ。なんか、こういうときは海が定番かな、って思っただけ」
「ドラマとか、漫画とか?」
「ううん。私の個人的なアレ」
アレ、とはまた頼りない。何を指しているのかもわからない。
けれど、峰岸さんのときより不安を忘れているのは、なぜなのだろう。ほんの数時間前の出来事なのに、すでに何十年も経ってしまったかのような懐かしさと、胸のすくような心地があるのはどうしてなのか。
目的の駅名がアナウンスされて、私たちは恐る恐る電車を降りる。構内図を見ても何が何やらわからず、とりあえず最寄りの出口から地上へと昇った。
探るように辺りを見回すが、当然、見つかるものなどない。初めて訪れる場所でも、いや、だからこそ、あるはずもない、慣れ親しんだ何かを探さずにはいられない。
地図を表示したスマートフォンを二人で覗き込み、見知らぬ街並みの中を歩いた。
自分たち以外に人の気配はない。大げさに道路を照らす街灯や、わずかな客を待つコンビニの照明が、穏やかに研いだ空間をかえって際立たせる。
歩道に濃く染みつく影が、私たちが歩く速さ合わせてゆっくりと成長し、また緩やかに縮んでいった。
老いてはまた幼くなる黒を眺めているうちに、ふわ、と頬を撫でる風が、潮の匂いを増していく。
あ、と明るい声と共に駆け出した彼女に続いて、私も歩幅を広げた。
こちらとあちらを区切るチェーンをあっさりと跨ぎ、波の音だけを頼りに、ようやっと地面が途切れる場所に出た。このあたりは倉庫群のようで、人の気配はなく、錆びた水が垂れた跡の筋が、異様な不気味さを煽る。
「ここ、入ってよかったのかなあ」なんて、彼女は沈んだ声でこちらを振り返った。
「たぶん、ダメだと思うけど。そもそも、想像してた海と、ちょっと違うっていうか……」
「ね。普通こういうときって、砂浜じゃん。ワンチャン、防波堤のあるとこ」
そうだよね、と二人で笑って、水平線があるだろうあたりを見つめる。漁港はないよねえ、と同時に苦笑してしまったのが、より可笑しかった。
「まあいいや。そういうのもアリでしょ。べつに、ルールとかあるわけじゃないし」
自分でも驚くほど自然に、私は「うん」と頷いていた。喉を震わせた音が、残酷なほど冷え切った酸素の中で、頼りなくもしっかりと、唯一の熱を持って運ばれていくような。
「ナナさん、悲しいのもう平気?」
何でもないふうを装って転がり落ちた疑問は、本人が気遣っているほどさりげなくはないだろう。彼女もわかっているはずだ。
今度は意図して力強く、「うん」と再び顎を引く。百パーセント本当のことではないが、焦って取り繕うほど嘘でもない。少なくとも、「今すぐ死んでしまいたい」という気持ちはもう、息をひそめて眠っている。
「私ねえ」
彼女はどうやら、自分の話をするのが苦手らしい。裏返る勢いで語尾を高く持ち上げて、不自然に海面を凝視する。
「ナナさんと初めて会った日、本当に死のうと思ってたんだよ」
「べつに、疑ってはなかったよ」
「でも、信じてもなかったでしょ」
信じる信じない、の次元ではなく、私はどちらでもよかった。それは、私自身がどういうつもりで屋上へ通っていたのかがわからなかったか��。
自分が死んで悲しむ人の想像がしたいだけなのか、勢いのまま、本当に死んでしまっても構わなかったからなのか。
「兄がね、一人暮らしをしてるんだよね。今年の春から」
「お兄さん、今大学生だったよね」
「うん。ペットショップでバイトしててさあ。頑張ってるみたい」
「そうなんだ。行ったことあるの?」
「あはは、あるわけないじゃん」
彼女は、何言ってるの、とでも言わんばかりに笑う。
それでも私の胸中が静かで穏やかだったのは、その笑みがあまりにも弱々しく、ひどく傷ついているように思えたからだった。
「昔さ、兄がいじめられてるってわかったときにさ、言ったことがあるの。『カッコ悪い』とか、『いじめられてるほうにも原因があるよ』とか」
弁解させてもらうと、なんて、さらに声のトーンを上げて、彼女は唐突に空を仰ぐ。
「そのとき、家の空気最悪で、お母さんもイライラしてて、居心地悪くて。『ああ、これが原因だったんだ』って、思っちゃったんだよね」
うん、と相づちを打つことしかできない自分が歯がゆい。
だが同時に、こうして話を聞いてあげることができる、と思えた。こんなふうに胸が高鳴るのは、いったいいつ以来だろう。
「だって、自分より辛い人が隣にいるから黙ってなきゃいけないって、そんなの。私は、私よりちょっとマシな人のところでしか、しんどいって言っちゃいけないってこと? 私もしんどかったんだけどって、言いたかった。私にだって、それなりに辛いことがあったよって。でも、それが最低なことだって、わかってる。謝って、兄は『俺のほうこそ悪かった』って、許してくれたけど、兄は悪くないし。私が酷いってことに変わりはないじゃん。だから、」
だから、に続いたのは、ひどく震えた、長い溜息だった。
いつか、彼女をいい人だと断言する私に、「そんなことないよ」と笑った彼女の「そんなこと」とは、一体何に対する言葉だったのだろう。
つまらない話だ、と卑怯にも否定を待った私への優しさか、あるいは、善人をやり直す自身の浅ましさを嘆いたからなのか。
それでね、と、渦巻く潮風に巻き込まれながら、彼女の弾んだ声が私の耳まで届く。
「『美澄ちゃんも大変だったね』って言ってくれたの、すごく嬉しくて、安心した。近くに私よりしんどい人がいたって、私が辛いことを隠さなくていいんだって、思ったって、いうか」
そっか、と、声と吐息の間の空気が揺れる。
手作りの無表情で、見えるはずのない水平線を眺める彼女の横顔に、私はようやく気が付いた。
そうか、私は、私に許されたかったんだ。
事実と違う記憶を縫い付けたのは、目隠しをしたのは、過ぎ去る春を素通りしたのは、私だ。
溜息を、呼吸を、人間として胸を張って生きることを許してくれないのは、ほかの誰でもない、私だった。
安曇さんの言葉に続く声は、本当にただの幻聴だ。どうしていつも、どうしてこうなるの、と「丸井奈々子」を咎めていたのは、私。
助けられるかもしれない誰かの役に立てないこと、惜しまれるべき誰かが死んでいるのに、自分が生きていること。
どれだけ罪悪感を覚えても、誰も咎めはしないし、だからこそ許してもくれない。それは冷たくて、寂しいことだけれど。
どれだけ美澄ちゃんに受け入れられても、受け入れられなくても、私が「いいよ」と言わない限り、私は簡単に自分を責める。
私が自分で、「丸井奈々子」を許してあげるしかない。
ああ、もう十分だ。こんな、ありふれた物語のような一瞬が、自分の人生上に現れるなんて。
「丸井奈々子」が生きていく上で、過去もこれからも許していけるだけの、たった一つを手に入れた。
そして、それと同じだけのものを、彼女に与えることができた。
誰かの救いになった、ほんのささいなことだけれど。その、溜息一つで吹き飛んでしまうような頼りない誇りだけで、自分が産まれたときから死ぬ瞬間までを、永遠に尊いものだと思える気がした。
誰かに肩を叩かれても、その自信だけを持って、図々しくも人間を続けられるんじゃないか、なんて。
港で明日を出迎えた後、私たちは二人で終発電車に乗って帰った。
駅までの道中、危うく警察に声をかけられるところだったが、制服の上から私の上着を被せてどうにか逃れることができた。
ガラガラの席に寄り添って座り、思うんだけど、と前置きして、彼女は不満そうに唇を尖らせる。
「未成年の夜歩きを取り締まる前に、怪しい大人を片っ端から捕まえればいいのに。やめさせるべきは子供じゃなくて、大人のほうじゃない? 犯罪を、悪いことをさ、やる人を止めるほうが正しいよ」
念入りに頭を撫でてあげたい衝動に駆られる。辛うじて、「やっぱり、美澄ちゃんはいい人だよ」と言うのは堪えたつもりだったが、思い過ごしだったかもしれない。
何の取り繕いもない素直な口調は、緩やかに私の心を勇気づけた。
■
翌日私は普通に職場へ行き、いや、本当は大いに暴れる心臓をなだめながら、一時間も早く出勤した。
寝坊しないように、と徹夜したかいなく、地下鉄は普段通りの混雑具合であった。
ただ、時間帯が変われば乗客が変わる。
職場の最寄りから二つ手前の駅に近づいてきたとき、頭一つ分飛びぬけた金髪に気が付いた。
微笑ましくたどたどしい発音で、「すみません、降ります」と片手を挙げた外国人。いかにも観光客、といった風貌の青年を咎めるように見つめる人間は、意外にも少なかった。
なんでこんな、平日のラッシュ時に、という瞳がゼロではなかったことがまた不安で、同時に、慰められたような心強さもあった。
まさか、さすがに誰もいないと思っていた部屋に安曇さんの姿を見つけたときには、ようやっと押さえつけたものが口からすべて零れ落ちてしまうかと身を強張らせた。
彼女はぼんやりとした表情で花瓶の水を替えていたが、私の姿に気が付くなり、目をまん丸く見開いて駆け寄ってきた。
ああ、安曇さんってこんな顔してたんだなあ、と、間の抜けたことをしみじみ思う。爪の色には詳しいのに、鼻筋がすっと通っていることだとか、右の目尻にほくろがあることだとか、今の今まで知らなかった。
きっと単純に、私が知ろうとしていなかっただけだ。
「丸井さん、昨日、大丈夫だった?」
「あ、はい。あの」
「体調はもう平気?」
どうやら、急な体調不良で早退したことにしてくれたらしかった。誰が、と問われれば、峰岸さんしか思い当らない。
クビを覚悟して出勤したにも関わらず、予想外の労わりを貰って困惑するばかりだ。
「あの、えっとその、すみません、急に」
「うん。まあ、できれば私に直接言ってほしかったけど」
ですよね、すみません、と安曇さんの視線から逃れるために、私は意味もなく部屋中の机を一つずつ観察していく。
「正直、峰岸さんと何かあったのか��思って、心配してたんだよ」
「え、あ、���岸さん」
「あの人気分屋だから。いろいろ言うけど、アレとかソレとか、なんだかよくわからないんだよね。悪気はないんだろうけど」
「え、っと」
始業前だからなのか、心なしか重たいまぶたの彼女は、いつもより表情が柔らかいように思えた。
しかし、次の瞬間、「あ、ドアはちゃんと閉めてね。この間情報漏えいがどうのって通達来てたから」といつも通りの硬い声で目を逸らすものだから、またもよくわからなくなってくる。
もしかしたら、マニュアルなんて、最初から誰にも配られていないのかもしれない。多数派の人間が胸を張っているだけで、初めから、こうしなければいけない、なんてルールはなかったのではないか。
なんて、思ってはみるけれど。
はあ、と大きく息を吐き出すことを、一度だけ自分に許す。咎める声はない。
これは溜息ではなく、深呼吸だから、と言い聞かせた。
2018.02/白川ノベルズ Vol.5 掲載
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