Tumgik
#二階堂奥歯
straycatboogie · 1 year
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2022/12/29
BGM: Depeche Mode - Everything Counts
ここ最近、靴下やシステム手帳用のリフィルなどを買っていったらお金が順調になくなってきた。ただそういった「やむを得ない」消費だけではなく、年末年始のプレッシャーからの過食気味もあるので削れる出費は削らなければならない。そうした出費を抑える努力に加えて、お金を持ち続けている状態に慣れることも必要なのかな、と思った。貧乏が身に染み付いているせいか、自分はお金を持っていても落ち着かず使うことに快楽を感じる傾向があるように思ったのだ。慣れなければならない。少しずつセーブして、お金を少しでも手元に残す努力をしたいと思った。
二階堂奥歯『八本脚の蝶』を読む。当たり前の話をするが、「二階堂奥歯」は彼女の本名ではない。彼女は自分自身にそうした名を与えた。そして、彼女はその「二階堂奥歯」を大事に育ててきた。そうした、自分自身の主体と客体を分けた状態で客体を育てる努力を彼女は行ってきた。こうして分身的存在と一緒に生きることは、しかし何ら奇妙なことではない。私たちもまたそうした分身的存在を設定し、一緒に生きて並走していると言えるのではないか。私だって「踊る猫」という名前を自分に名付けて、そして生きているのだから。
その主客が分離し、そして再統合を果たした状態を生きることはどのような影響を精神に及ぼすのだろう。「理想の自分」を客体として作り出すことはできるのかもしれない。だが、それはあくまで「客体としての自分」であり「主体としての自分」「この自分」ではない……そこで考えが止まってしまう。そうした「主客の分離」のキツさと、それを経て人格の再統合を成し遂げること。そこに関心が及んだ。読むに連れて彼女の記述は混迷を極めていく。おびただしい引用の森の中から彼女の悲鳴が聞こえてくるようで、実に印象的な読書だった。他に言葉が見つからない。
夜、オンラインミーティングに参加する。そこでチャリティーショップを営んでおられる方の話を聞かせてもらう。話はそのショップの実情から市井のボランティア活動として行われているさまざまな支援にまで及んだ。政府や行政が何もしてくれない、と嘆くのは簡単だ。だが、こうして「ならば私が」と自ら活動に乗り出し「汚れを被る」覚悟をすることを忘れてはならないと思う。現状の活動の問題点に関しても話が及び、実に闊達に意見交換が行われた会となったように思った。私も話に出たチャリティーショップに行って店内を見渡したいと思わされた。私の消費活動が何かの足しになれば。
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ophelia333k · 9 months
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2023.09.12 すべての世界を救済することの不可能性(のび太の魔界大冒険)
 ドラえもんの映画である「のび太と魔界大冒険」の中で、のび太とドラえもんたちは魔界の悪魔たちによって大変なことになってしまった(しずかちゃんたちが処刑されようとしている)魔法の世界から逃げるように、もしもボックスで世界を平和な自分たちの世界へと戻す。  でも、そのときにドラえもんは、あの魔法の世界は消えてなくなったわけではなくて、パラレルワールドとして今もこれからもずっと続いていくということをのび太に説明する。そのときに感じた途方もなさと恐怖。  だからこそ、のび太とドラえもんは再び魔法の世界へと戻って、その世界を救おうとするし、実際、悪魔たちを倒して世界を救うことに成功する。のび太とドラえもんたちは、元の世界に戻って、冒険の余韻を感じながら、また平和な日常に戻っていく。  でも、幼いながらも、それですべてがほんとうに終わるわけではないことが分かっていた。だって、パラレルワールドは無数に存在するのだから、たとえ一つの魔法の世界を救っても、また異なる形で魔界の悪魔たちによって蹂躙されているような世界、のび太たちが救った世界よりももっと絶望的な世界だって存在しうることになる。その途方もなさ。  つまり、どうしてドラえもんたちは、ある一つの魔法の世界は必死になって救うのに、他の世界のことは救わないのか、救う世界と救わない世界の間にどのような線引きがあるのかを考えてしまう。のび太たちは、そもそもそのことに気が付いていないかもしれないけれど、ドラえもんはきっと気づくはずで、そのとき、意識的にか無意識的にか、自分が関わった世界に関しては知っている人たちを放ってはおけないから救うけれど、自分が初めから関わってはいない/見てはいない世界については、放っておくという割り切りをしているように見える。  別にそれが間違っているとは思わないし、一番まともな判断だと思う。でも、「のび太の魔界大冒険」を見たときには、そうやって無数のパラレルワールドが存在していて、自分の知っている人と同じような人たちが(たとえばあの映画におけるヒロインの立ち位置にいる満月美代子が)、もっと苦しんでいたりもっと絶望的に戦っている世界が存在するんだ、と考えたときの、どうしようもなさを忘れられない。だからこそ、ドラえもんのその割り切ったような態度が少し怖かった。  ***  補足すると、もしもボックスは「もしも○○な世界だったら」と言ったときにパラレルワールドを新しく作り出しているという説明と、願望に最も近いパラレルワールドを探してその世界へと移動する道具だという二通りの説明があって、一定していないようだった。自分は別のパラレルワールドへ移動しているという説明の方が腑に落ちるのだけど、仮にパラレルワールドを作り出しているのだとしたら、それも恐ろしかった。だって、世界を一つ作り出してしまうのだから。そこでは、数えきれないほどの人間が快楽や苦痛を覚える。その途方もないほどの快楽と、もしかしたらそれを上回るほどの苦痛を生み出してしまうと思うと、それは人間には背負えない責任だとしか思えなくなる(牢獄の中のかみさまだけがそれを負うことができる なぜならもっともこわれていて、もっとも悲惨な者だから)。  もう一つ。上に書いた通り、のび太とドラえもんがもしもボックスで世界を元の世界に戻したとき、のび太とドラえもんは平和な現実に戻れたと安堵し、でも「あの魔法の世界はパラレルワールドとしてずっと続いていく」ことに気が付いて、魔法の世界を再び救いにいく。でも、魔法の世界が消えてしまうのだとしたらそれもとても恐ろしい。秘密道具の電話機に「元の世界に戻して」と吹き込むだけで一つの世界が、指パッチンで硬貨を消すみたいにして消えてしまうのだから。  ***  思い出した。ドラえもんの映画の中でも、「のび太と魔界大冒険」は明確に「別の世界」(今で言えば異世界)である魔法の世界へと冒険に出かける話で、そのときに、ドラえもんやのび太は単なる観光や遊び気分で来ているわけだけど、その世界に生きている人々は遊びでも何でもなく、一回性のある自分の世界そのものを生きているという、大きなギャップについて。  この意味で、当たり前だけど、魔法の世界に生きる満月美代子や満月博士には「その世界」しかない。その世界が滅べば、自分たちは終わりだし、逃げ場なんてどこにもない。一方、ドラえもんやのび太にとって「その世界」はもしもボックスで無数に作る(あるいは行くことのできる)世界の一つでしかなくて、いつでも「自分たちの世界」へと逃げたり戻ったりすることができる。  ここに、大きな非対称性がある。満月美代子や満月博士にとってその世界は一回性のあるものだけど、のび太たちにとっては代替可能な世界でしかない(異世界もの、と呼ばれる作品すべてにこの問題は存在していると思う)。  そして、「のび太と魔界大冒険」をすごいと思うのは、ほぼ間違いなく、この問題のことを想定して作品が作られていること。たとえば、ドラえもんとのび太のもしもボックスがママによって粗大ごみとして捨てられてしまう、という描写がある。そして、あの瞬間、ドラえもんとのび太はほんとうの意味であの世界にとっての「当事者」になっている。  物語の終盤、のび太とドラえもんは仲間が全員捕まってしまったこともあって、タイムマシンで過去に戻って、自分たちがもしもボックスを使うことをやめさせようとする。そのとき、メデューサという悪魔がタイムマシンのあとをつけてきて過去にまでやってきてのび太とドラえもんを石にする。このとき、遊び気分だった二人にとっての安全地帯は消失するし、徹底して、「秘密道具で遊びに来ただけだからいつでも元の世界へ帰ることができる」という退路を絶たれ続ける。  だからこそ、ドラえもんとのび太はその世界の中で当事者としての意識を持ち、ドラミのもしもボックスで元の世界に帰ったあとも、再び魔法の世界に戻ってきて悪魔たちと戦う。逆に言えば、それだけ徹底的に退路を絶たれたからこそ戦っているのであって、たとえばもしもボックスで魔法の世界で少しだけ遊んだあとすぐに元の世界へ帰っていたら、そのあとあの世界は誰にも助けられることもなく滅ぶ。  ***  最後に。二階堂奥歯は『八本脚の蝶』p336(2002年12月5日)の日記で「のび太と魔界大冒険」を見て、「枝分かれし続ける世界に責任をとることへの絶望」を感じたという話について書いている。今回、この記事を書いたのは、その冒頭を読んで、自分も幼い頃に同じ絶望を感じていたことを思い出したから。だからこそ、奥歯のその日の日記を最後まで読まずにこの文章を書いた。奥歯が見たのは1984年のものだけど、自分がリアルタイムで見ていたのは2007年のリメイク版。 「……でも、ドラえもん、さっきとりこになっていたしずかちゃんはどうなったの?  (ドラえもんは言う) 「あれはパラレルワールドになっちゃったんだよ。あの世界はあのまま存在しつづける。この世界はこの世界で存在しつづける。もう関係ないんだよ」
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figmilkfm · 1 year
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0103 あさ新幹線で東京帰る。ずっと欲しかったコーヒーサーバーとコーヒー豆手に持って遅れ馳せながらうちにもサンタ?きた。夕方から萩の湯に行き、帰ってふたりで飲酒など。
0102 三木さんと昼に高柳神社に初詣。のんびりしてから京都。キキとたつカフェへ。夜は三木家に帰宅し、録画してもらってたさんまのまんまを観るなどし年始気分に浸る。
1231 コノミヤでビールとかアイスとか買い込むのがやけに年末。年越しは三木家で紅白。事実上実家が消滅した昨年も、引き払って以降本格的に消滅を遂げた今年も、三木家で食卓を囲みながら0時にみんなで年越しを蕎麦食べた。年が明けた瞬間おめでとうございますと言い合う。私の今年の抱負は特になくて、三木家のみんなに今年の抱負は?と三木家に聞いたら誰もなくてそれもよかった。家族みたいな安心感があるこの家があってくれて今年もなんとか。愛する人たちよ、どうか健康でいてねと思う。それだけ。
1230 中田寝すぎね?早朝から『最愛』一気観した。夜は三木家に帰って蟹鍋に参加させてもらう。
1229 納骨。退職の手続きで精一杯になってて納骨式の準備を全然できてないまま行き道のバスで納骨式について調べたら足りないものばかりで最悪でした、悪い夢か。行き先も違ってて、途中骨壷持って走る。祖母の納骨を済ませておかなかったために私がやることになった怒りを母へぶつけながら、ひたすら川沿いを走る。寒い。骨壷が重い。骨がカラカラと音を立てるのを聞きながらマジでばあちゃんごめんという気持ち。着いたら骨壷、ちょっと割れてたし。この年齢で家の膨大な用事を済ませないといけない生活が心底嫌になる。なんとか無事納骨式を済ませ、セイゴが大正まで迎えに来てくれるらしいのでとりあえず梅田。大正で拾ってもらってみおつくし会へ。まーくんとの飲酒が捗る。夜中は、中田の家でオールザッツ観ながら寝落ち。
1228 寝てたっていうかストレスで3時間歯を食いしばってただけ、みたいな睡眠。疲れが全く取れず。朝起きて奥歯が取れそうなくらい痛む。原さんとランチして、夜三木家に帰る。夜、お父さんと飲むジンを買って帰ったら、お父さんが私と飲むジンを用意してくれてたのでジン祭りを開催。
1227 今日が最後の出勤になるわけですが不思議とそこまで不安がない。何が起きてもたぶんここにいるよりはマシじゃないかな。現状維持を選び続ける自分よりよっぽど。23時なかもず着で、はらさん家着。原家の弟が買ったブルーノマーズのラム酒が美味しすぎて水のように飲む。夜中まで話して、朝は早く起きる。歯食いしばってただけであんま寝てねえ
1216 AM休みたいな日々。編集部に上がるのがキツくて一階に荷物置いて作業。大掃除と見本誌の整理しながら、こういう仕事で一日が終わることに鬱々とする反面、これさえしてれば一日が終わるのだと安堵もする。あと少し。今は耐えるしかない。夜、なみとどん底行く。メンタルがどん底。七千円も使ったのに全く酔えなくて最悪!店員のお兄さんがやってるバンドの話とかその曲とか聞きながら、ほんとはなみともっとゆっくり話したいことがあったから会ったのにねと後悔の念を滲ませる帰り道。
1215 派遣さんに引き継ぎ。することがなさすぎてデスクの断捨離。自分が最初に出した本のラフとかが出てきて懐かしむ。実務してたのが遠い過去のように思える。実務がしたくて気が狂う。ラフ描きたい誌面が作りたい企画進行したい、馬鹿みたいだなー
1214 適当に会社へ行き適当に帰宅。焦りを生む心さえ消失しそうな実りのない日々。夜、あいちゃんと電話して飲酒後寝落ちる。
1211 永田珈琲店で朝。帰りに青いカバBOOKSに寄って往来堂へ行く。帰って少しゆっくりしてたらROUTEでカレー出店してるのを知り、チャリで馳せ参ず。買った夏葉社の新刊をルートで読む。夜、ゆうちゃんと飲んでから月吠えで飲む。久々1時半とかまで飲んでて眠い。
1210 4時に起きて気になってたレギュレーションの復習をする。この頃誌面の表記を指摘されまくり、会社勤めの4年間が怖くなる。自分の文章、これでいいのかわからんすぎたけどなんとか形になった原稿見て安心。周りの同世代が仕事に打ち込むのを見て焦りもするが、今回の仕事は自信になった。積み上がって行けたらと思う。仕事がないと日々楽しくない。確実に、私も下積みとして毎日やることを進めていきたい。茨木のり子読んで、ギリまで飲酒後、寝る。
1209 元気なさすぎてねぎしで蘇生を試みるも、欲求って満たすと罪悪感に苛まれる。御茶ノ水のスターバックスで真空ジェシカのイベントレポート仕上げる。やっぱりめっちゃ楽しいな。この仕事がなかったら、私にはいま何もないや。
1108 大阪疲れ?で体調が悪い。早々に多忙宣言を受けた12月の生活が心配。大きな仕事は幸い抱えてないし、体調崩すとしたら今でよかったのかもしれん。
1105 夜、千駄木駅で待ち合わせてふくの湯へ。お腹空いたけどなかなかどこも開いてなくて、根津まで戻って谷中バール。近場だとお互い終電を気にする必要がなくてそれもいい。
1104 親の手続きで台東区役所。書類が多すぎてかなり時間がかかる。結局課税証明書を大阪で取らないといけなかったみたいで、夕方までかかったのに全部終わらなかった。まーでも八割方終わったと思えば気が楽だし、実家がなくなったから、手続きはもう大阪でする必要がないと思うと気はさらに楽。これは感謝な話なのですがみゆきが私の代わりに課税証明書取りに行ってくれるらしー
1031 初動が緩やかであればあるほど保たれるものがある?激しさを伴わない静かな熱よ
1029-30 車屋で飲んだ。すきな人同士を会わせてわたしは終始ニコニコ。そういやノーズショップで見つけたBdk Parfumsの香水、パスソワール「また今度ね(今夜じゃないわ)」の香りが(名前含め)とても良かったので書き留める。アンバーウッドとジャスミン、ブラックペッパーとマンダリンにパチュリ。サボンのボディクリームにも、いつもつけてるバイレードの香水Accord Oudにもパチュリが入ってるし、感覚でいいと思うものにもこうして一貫性が垣間見えるときがある。
1028 夜、飲みに行く。珍しく4軒くらいハシゴして、ことごとく変な人に絡まれる、地獄。「お前らみたいに顔がかわいいからって全部許されて調子に乗ってるような女が一番嫌いなんだよ!」って、横にいる人に叫ばれて最悪じゃない?朝方、また月吠えで変な人に絡まれてるところを山下さんに助けてもらった。何よりボトル奢っただけでいけると思われたことが超腹立つ。朝まで飲んで、皆川くんと始発で帰る。記憶が断片的ですけど酒鬱入ってないだけで偉くて良。
1027 朝、新幹線で東京へ。かぎりなく落ち着く街上野よ。帰ってくるたびこのままここに骨を埋めたいと思うね。昼は出社して、夜、萩の湯にはじめて行く。緊張の糸が切れたのか、わたしは鶯谷の、毛糸編んでるテレビ番組が流れる激渋中華料理屋を出たらまっすぐ歩けないくらいに酔ってしまい、西日暮里まで歩いてタクシーで帰される。けど全部覚えてる、多分。
1026 せっかく大阪いるし美舟で焼きそばを、と思い東通りへ。太麺のソース焼きそばを、すき焼きみたいに生卵をつけて食べるのです嗚呼!ことごとく潰れた思い出の地を上書きしてくれるかのような場所たち。あした東京へ戻る。恒例、三木家の父との晩酌もラストナイトで、また日本酒をようけ飲む。実家、なくなってしまった。
1025 無事引き払えるかと思ったのに若干の不備がありまた実家に赴く、最悪。夜、なかたと福島の花くじらでおでん。親の日記の話から結婚論、子育て論までだらだらと話は流れ、わたしは日本酒飲んで怒る。聞く中田、つられて怒る中田。家の下のローソンで携帯落としてめちゃくちゃ割れたが昨日実家引き払うのに35万払ったばっかなのにもう画面変える金がなくて終わった。
1023-4 きてくれたみんなが帰って、夜通しアルバムと手紙の整理。親がつけてた日記を読んだり、幼少期に描いてた絵本とかzineみたいなものを見つけてしまってさすがにそれは持って帰る。中田がリタイア、夜中3時。布団もないし、二日連続で風呂も入れないというのに。中田よ、ここまでの仕事してくれる友人はお前しかいないね。
アルバム整理してるうちに朝になったから『ボクらの時代』観ようと思うもチャンネルがない。ないないと言いながら探してたらまさか、テレビもなかった。昨日、売ってた。ご飯温めようと思ったら電子レンジもなかった。昨日、売ってた。さすがの二徹、記憶がないわ。業者が朝8時すぎには来て、三木さんも昼前に来てくれる。もう限界くらいに疲れてたから業者の人に借りた段ボールを部屋の隅に敷いてその上で少し寝る。完全に何にもなくなるまで8〜9時間くらい。中田はそのままユニバへ行った。すげえ体力やなとか言ってたら夜、熱出たらしい。三日間埃を被り続けたほぼ埃みたいな人間は実家を消失し、三木家に帰る。隣の人が「夜通しお疲れさま。もう会うこともないんやね」と言って食事券をくれたので、帰りに三木さんと京橋でビール飲んでお好み焼きを食べた。三木家に帰って、実家はもうガス止めてたので三日ぶり?に風呂に入った。腰がいてー。携帯開いたら、連日お疲れさま、原稿は明日でいいよみたいな連絡が来てて、明日でいいって言われても明日って明日かー明日ってもう明日じゃんって思いながら気付いたら寝てた。
1022 作業してたら朝7時くらいになって、中田と中学の頃よく行ったパン屋に朝食を買いに行く。中学の通学路通りながら色々と二人で懐かしむなどまだ情緒のある時間を過ごす。昼から友人が5人来てくれることになったので、来てくれる特に面識ない人々を雑に入れた「シフト」とかいうグループラインをつくる。みんなが気を利かせて買ってきてくれたお茶やらパンとか551の豚まんなんかをテーブルに並べてったら、撮影みたいになる。現場、仕切らせていただく。中田がまーくんの車で電子レンジとかテレビとか、売りに行ってくれた。大量に売った服の買取価格がまさかの30円だったから、「今日のギャラです」と言って中田とまーくんと10円ずつ分けた。私ももらってるし。こんなに物があってもほとんどお��にならないし、持って帰れる場所はない。アルバムも腐るほどあるけど簡単に見返せる量ではないし。二日目、物への思い入れが皆無になって怒りが湧いたり、幼稚園の時の手形?とかを「こんなの捨てにくいわ!!!」とか怒鳴りながら泣き出したりして私のメンタルもいよいよ。夜には引き上げて三木家に帰る予定だったのに、作業が思いのほか何にも終わってなければ逆に散らかしただけみたいな結果になり、今日も泊まり込みでやるかと言ったら、中田は明日のバイトを休んで今日もうちに残って付き合ってくれた。親…友……
1020-21 荷造りする気力がなさすぎてみきに来てもらう。仕事しながら『Silent』観て、朝は上野までタクシーで東京駅へ向かう。引っ越して二年くらい経ってから気付いたけど、家から新幹線に乗るルートの解はこれだわ。帰阪して早々に面会、病院、区役所こなしたけど思いの外元気だしで西大橋の、親が常連だった居酒屋に飲み行く。みゆきといわしちゃんを会わせる。結構飲んだら普通に今から片付け作業取り掛かるとか考えられん眠さになったが仕方なしに僻地の実家まで帰る。久々の実家は人が住んでたまんまだし、真っ暗で寒い。手始めに、懐かしみながら生徒手帳とか読んでたら寝落ちてて、1時半くらいに中田訪問チャイムで起こされる。一緒に夜通し作業するけど、思ってたより膨大でぞっとする。学生時代のいるもの/いらないものは途中からほぼ中田の判断に任せることに。何より物量がありすぎて全部自分で見てる時間がない。一回うちに来たことのある初音が、「物量は相当だろうよ」と言ってたのを思い出す。「美術としては相当リッチだけど」とも。
1019 御徒町の珈琲館で作業。山家でとんかつ食べる。上野から千駄木まで歩いて朝日湯へ。風呂上がりに珈琲牛乳を飲んでる私の隣で美味しそうにビールを飲む人よ。帰り、夜風がめちゃくちゃ秋だったな。
1016 休み。あてもなく吉祥寺に行ったのでとりあえずチャイブレイクで本とか読む。栗と迷って金木犀のチャイ。こういう飲み物で季節を感じないともうね。そういえば親の夢を見た。身体が動くようになった母親の車椅子を、亡くなった祖母が押していて、3人で実家にいた。起きてから、本当に実家がなくなんのかーとかぼんやり考える。けど、もう誰もおらんし、元からないようなもん。夕方、家に帰ろうと思うも充電がなさすぎて、充電しに月吠えへ。武蔵野館で『よだかの片想い』観ようと月吠えを出て、映画が終わってから携帯開いたら、不在着信の後に「今飲んでないの」とあやなから連絡。「映画観ててこれから月吠え戻るよ」と返事してすぐ戻ったらあやながいた。さっき私に電話したけど出ないって月吠えで話したら「あの子今映画観てるよ」ってユースケが言ってくれたらしくて、なんか月吠えは放課後感あってよかった。
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toubi-zekkai · 1 month
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mitamago331 · 2 months
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泣いているのは世界が美しいからです。
世界が美しいのは、失われるからです。
とても綺麗です。
どうか、この一瞬にすべてが消えますように。
二階堂奥歯「八本脚の蝶」
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eighte97 · 4 months
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二階堂奥歯「八本脚の蝶」
私の体温がうつってかすかに暖かくなるのがかなしくてすぐに手を離す。なんだか汚染してしまうような気がするから。どうか私の愛があなたをあたたかくやわらかく呪っていくことがありませんように。
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2023-11-14
【zshingoの日記】
【気まぐれ日記】
晴れ。午前七時四十五分、アラームで目覚める。強い、眠気を感じる。(昨夜は、二時半頃眠ったから)顔を洗い、歯を磨く。ハーバードと胸に書かれた赤い古着のニットに、グリーンのミリタリージャケット(胸にPEACEマークの缶バッチをつける)、ユニクロの色落ち加工したブラックデニム、バンズのスリッポンでアパートを出る。昨夜、近所の野良猫に与えた刺し身を食べているか?確認。完食。今日は、診察。そして本日、午前十一時から、天神のタトゥーショップで足に、フランケンシュタインのタトゥーを入れる予約をしているので、デイケアには参加しない。歩きながら、「涙くんおはようっ」を久しぶりに聴く。ミニストップにより、朝飯を買おうと思ったが、診察までの時間があと二十分しかないので、断念する。結局、コーラだけ買い、ミニストップをあとにする。九時、診察。診察終了後、処方箋をとりに、受付に行く。受付で、処方箋を受け取り、たまったデイケア通所代を支払う。2500円。徒歩で地下鉄へ向かう。天神に到着し、タトゥーショップの予約時間まで、まだだいぶんあるので、街をブラブラして時間をつぶす。特に、やることもないので早いが三十分前にタトゥーショップ(ビルの中)へ行くが、まだ開いてない。Tumblrに投稿する写真を適当に撮り、時間をつぶす。(実は、こういうどうでもいいところに、アートになりそうな物や壁のシミ、面白いポスターなどが貼ってあるのだ)五分前に、タトゥーショップの、若い男性スタッフが開店の準備をはじめる。男性スタッフに挨拶して「今日は、宜しくお願いします」と伝えると、男性スタッフは、不思議そうな顔をする。なんでも、今日の私のタトゥーを入れる時間は、夕方五時からのはずではなかったか?と言われる。しかし、私が、午前十一時からの認識と伝えると、中で確認するので少し待っていてくださいとの対応。中で、確認後、やはり、五時からですよと言われる。そう、多分、十七時と十一時を、私が聞き間違えていたのだ。仕方がないので、タトゥーショップをあとにする。ジュンク堂書店の前を通ると、古本市の張り紙。しかし、その日は平日で、デイケア通所の日なので行けない。ジュンク堂書店の中に入り、一階の奥の方に進む。赤瀬川原平著「路上観察学入門」という本に目がとまる。面白そうなのでインスタに投稿。続いて、ジッドの「狭き門」、「LGBTとキリスト」という本をインスタに投稿。二階へ上がると、ワニの図鑑らしき本を発見し、これも面白そうなので投稿。ジュンク堂書店をあとにして、H&Mへ向かう。レディース、メンズどちらもくまなくチェック。特に、欲しい服は見つからず。腹が減ったので、昔からよく行くラーメン屋へ行く。ラーメンいっぱい390円。しかし、私が食券を買ったのは、餃子白飯ラーメンセット。680円。食べ足りないので替え玉。勿論、バリカタ。130円。タトゥーを入れる五時まで天神で過ごすには、まだ時間がありすぎるので一旦帰宅。アパートに着き、たまった洗濯物を洗濯する。シャワーを浴びる。排便。眠気が襲ってきたので、洗濯機がまわっている間だけ仮眠。洗濯機が止まったので、外干しし、再び天神へ向かう。カッパのナイロンジャケットにカッパのジャージパンツにバンズのスリッポン。天神の、マツキヨで点鼻薬を購入。1800円。五時までまだ時間があるので、ドン・キホーテへ意味もなくふらりと立ち寄る。三十分前になったので、タトゥーショップへ向かう。タトゥーの針の痛みを和らげるため、バファリンを服用。五時から入れはじめて、入れ終わったのは八時四十五分。かなり、痛かった。(足は痛くないだろうと勝手に思っていた)しかし、カッコよく入った。帰りの地下鉄に乗ると、かなりの混みよう。しかし、たまたま、前に座っていた女性が運良く降りてくれたので、空いた席に腰掛け、ブログの日記を書き始める。電車内、男の子が、ママにダダをこねて大声で叫んでいるのが耳障り。書いている日記に集中できなくて、せっかく思いついた文章がどんどん記憶から飛んで行く。あまりにもうるさいので、一瞬、車両を変えようか?と考えたが、せっかく、座れたのに、別の車両に行くとまた立たなければならない可能性があるじゃないか。どうしようもない状況になり、だんだん、男の子に苛立ちを覚えはじめる。結局、その親子が途中で降りてくれたので、日記に集中する。日記が書き終わらないうちに、最寄り駅に着いてしまったので、書きかけの日記を保存して、電車を降りる。晩飯を買いに駅近のローソンへ入る。数点、食材を買い物かごに入れ、最後にパンを買おうと思い、パンのコーナーへ行ってみるも、どれもショボいパンしか残っていないので、買い物かごに入れた食材をまた、元あった棚に戻してローソンを出る。結局ローソンでは、何も買わなかったのだ。近所のセブンイレブンに行き、カレー味のカップヌードル、タルタルフィッシュバーガー、コーラ、タバコを購入。アパートに帰り、イソジンでうがいして晩飯。テレビをつけるとマツコ・デラックス。タトゥーを入れた箇所から、血と膿が出てきているのでシャワーで洗い流し、メンソレータムを塗り、ラップで巻いて、養生テープで補強する。久しぶりに、ミスチルの「ヘブンリーキス」と「ロードムービー」を聴く。日記の続きを書く。
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mmmmmmori · 11 months
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ある作業員の話
CAWS、バッキーがWSになる頃の話。随所に空想。 スティーブもキャプテンも出てきません。暗い。 1日12時間労働が当たり前だし、飯食う以外の休憩時間なんてまるでないし、有給なんてとんでもないし、やたらと忠誠心を求められるし、やたらと忠誠心を表現せよとも求められるし、この職場はかなり最悪だ。 制服の仕立てはいいし、施設内の食堂の飯もずいぶん美味い、給料の支払いが遅れたこともないし、金がないわけじゃないとは思う。以前勤めていた職場の様にある朝出勤したらビルごと抵当になんてことがなさそうなのはいいところかもしれない。安定ってやつだ。 ここが新型兵器の研究所を兼ねた工場だとしか知らないが、その新兵器とやらは超最先端の化学――科学?どっちかなんてわからないままでもここでやっていくことはできる。――を用いたものらしく、そんなすごいものを開発するのに適した建物ということなのか、施設の造りはちょっとしたSF映画のようなところも気に入っている。 生体認証は当たり前で、通路は入り組み、様々な配管と様々なケーブルが這い、角は薄暗く、ところどころ旧時代のレンガが見えているのも、何もかも近未来的というよりも、説得力が増す。 つまり、自分を楽しませるための空想に耐えうる。 外界との接触はほとんどなく、時折、明らかになにかの能力を持った人間とすれ違う。そいつらは科学者だったり化学者だったり工学者だったり、もしくはちょっとした異能力者だったりもするらしい。 昔からそういうものが好きだった。 そういう、“普通”ではない何か。わくわくする。いつか誰かが現れて、お前は本当は“ただの”人ではないんだよと言ってくれると思っていた。 走るのが遅いのも、勉強がいまいちなのも、友達が少ないのも、努力が嫌いなのも、手先があまり器用じゃないのも、何かに熱中した経験がないのも、本来の力の使い方を知らない所為なんだと言われる日を待っていた。 自らに備わっているはずの秘められた力は秘められたままに、こんな場所で働くようになったんだから、これは何か、見えざる運命の手によって導かれた結果なのかもしれない。 なんて口に出せはしない、それでも、期待の熾火が体の中にまだあって、相変わらず「他人とは違う何か」に心惹かれる。 だから、仕事はきつくても、後悔はしていない。 偉いさんが来るたびに作業の手を止めて両拳を上につきだすあの習慣はどうにかならんかな、とは思っているが。 しがない1作業員の仕事はもっぱら部品の運搬と組立補助だ。施設のどこかで作られているのか、それとも外から運び込まれるのか、木箱に入ってずっしりと重いネジやら歯車を検品して、運ぶ。運んだ先で鉄板を支えるよう命じられたらそうする。椅子を運び上げる様に言われたらそうする、組み上がったモーターを持っていけと言われたらそうする。細かな部品を運搬するからか、施設内をある程度動き回ることが出来た。 だから、そう、多分様子をうかがえた下っ端の人間は、他にはいなかっただろう。 何台もの飛行機がくみ上げられ、いくつものミサイルが立ち並ぶ格納庫の、3階部分のデッキに、その人影を初めて見た。 名前も知らない上司――上官の姿に、作業員全員が手を止めて両手を拳にして突き上げる。上司は、三人、別の人間を連れていた。正確には、二人の兵士に両脇から支えられている、もしくは抑え込まれている、男を一人。 そいつは明らかに“違う”やつだった。 上司も“違う”やつではあるから、上司のお仲間かもしれない。それにしても���色々と“違って”いた。 ドッグを見下ろす視線は淀んで生気がない。そのくせ、全身からは強い緊張を感じる。良く飼いならされて、虐待され、飼いならされ過ぎて、生き物としての本性を失った猟犬のような感じだ。 全身黒づくめで、体格は妙にいい。 口は半開きで、どうやらせわしなく呼吸を繰り返している。 上司が何かを言い、そいつは頷くでもなく、両手を突き出すでもない。そもそも左側に腕がない。肩からぶら下がった袖は、肩口で縛られていて、縛り切れなかった袖口が中途半端な高さでふらふら揺れている。 上司がまた何事かを話しかけ、袖に覆われた、腕のない方の肩を掴む。 上司が顔を近づけ、男にまた何事かを言うと、彼が強く床を蹴った。 その音は格納庫に随分大きく響き渡り、3階のデッキ全体が揺れた様にも見えた。 上に突き出したままでいる両腕も、それに合わせてふらふら揺れる。その揺れを見とがめられた誰かが、殴られる音がする。あーあ、と思いながら腕に力を入れなおす。 何を思ったのか上司は一つ笑うと、何事もなかったかのように踵を返す。視線が外れて、デッキの下でもやっと腕を降ろすことが出来た。 あと5秒、揺れないように踏ん張れたら、殴られなかっただろう同僚が、これから腫れ上がるだろう、下痢もするだろう、腹を軽くかばうようにしながら、文句も言わず今までの作業に戻る。もちろん、皆そうする。腕を上げ続けるのは結構な重労働なのに、その愚痴を言う相手も見つけられず、こそこそとその場を去る。だれもがまだやらなくてはならないノルマが残っているのだ。   そのノルマ達成のために指定場所に向かうと、厳重に梱包され傾き厳禁の札の貼られた難物を、慎重な様子で手渡しされる。 傾けずに運べなんて無茶もいいところだと思うが、作っているのが兵器となると傾けたがために運び手が死ぬことも考えられるから、もちろん慎重に運ぶ。よほど衝撃に弱い物質なのかもしれない。 となると、揺らすのも避けたかった。台車を使うのは諦め、両手で抱える。これ一つではノルマを終えられはしないが、幸い重さも大きさも自分でも抱えられる程度なので、まだ今日を終えられないこと、手がふさがって走りにくいこと、つまりこれ一つ届けるのにやたらと時間がかかるだろうこと、つまり、今日の終わりはますます遠のくことを除けば、困難はない。 で、こういうやっかいな荷物の常で、行く先は格納庫でも工場でもなく、研究所内だった。内と言っても該当部署の扉の前までで、秘書だか事務員だか研究助手だかの下っ端と伝票をやりとりするのが精々だが、中は中だ。 すこし、わくわくする。 これはきっと“特別”な荷物だろう。 荷物を抱えて入り組んだ廊下を行く。 この道を覚えるのに半年かかった。覚えた先から通路が増やされたり減らされたりするのにも、今となっては慣れた。 すれ違う同僚は皆無口で、忙しそうだ。皆真面目で結構なことだ。 指紋認証と、声紋認証とを通り抜け、セクションの区切りで門番よろしく立っている兵士に荷物と身分証を見せる。制服着てるんだからそのまま通してくれりゃいいのにと思いはすれど、とても言えない。奴ら、必要以上に無表情だし、話しかけるなんてとんでもない。 そうやって、ある扉の前に辿り着いた時だった。 通路の先、奥まった部屋の前に兵士がいる。どうしてこんなところに、と思ったと同時に、さっきの猟犬のような男が引き摺られてやってきた。この短い間に何があったのか、口の周りが真っ赤で、どうやら鼻血と、口の中も切っている様で、赤い滴は涎とも混じり合い、顎を伝い降りていた。黒い服はところどころ焦げ、足首は奇妙な方向に捻じ曲がっていた。それをまるで荷物でも運ぶかのように引き摺って、引き摺られるそいつの目は開いていたが、焦点があってなかった。 ――……死…んでんじゃ… ぞわっと気色悪い感触に襲われる。 明らかに拷問の後だ。血の匂いと、タンパク質の加熱された匂い。尿の匂い。この短時間でいったい何をどうしたらあれだけ痛めつけることが出来るのか、俺には分からない。 拷問で施設内で人を死なせるなんて、褒められた話じゃない。そうだろ? しかも相手は片腕がないんだ。 だからと言って声をあげることもできなかった。黙々と仕事に打ち込む同僚の顔が過り、声を上げたところで無意味だと思った。声を上げれば罰されると思った。腕を揺らして殴られた同僚のように。 ここがそもそもひどく気色の悪い施設なのだと、唐突に気づいて、だからと言って出来そうだと思えるものなど何もなかった。 やりたいとおもえることもなにもなかった。 いつのまにか傾いていた荷物を、抱えなおして、それから届けねばならなかった。 ぐびりと唾を呑みこんで、目の前の扉を叩く。 扉は奥に開き、白衣を着た男が出てくる。 俺は無言で荷物と伝票を差し出す。 男も無言でサインをして、荷物を受け取る。 バチッっと激しくショートする音が奥の部屋から響き、追って、内臓を全部抉り出されたみたいな、苦痛と悲痛が絡み合い、憎悪と怒りに縁どられ、それでいてどうしようもなく空虚な、聞くに堪えない悲鳴が響く。 やっと自由になった両手で、とっさに耳を塞いだ。 白衣の男は、奥の部屋に視線を投げ、それから、こちらを咎める視線で見る。 同僚が殴られた音がよみがえり、一瞬、体が激しく震える。耳を塞いだ手の平越しにも、悲鳴はまだ続いていて、それでも、その手を無理やりはがして、悲鳴に飲み込まれながらその場から逃げ出した。 それから、どれくらい経ったのか。 左側に儀腕を付けた黒ずくめの男を施設内で見かけた。 その場で蹲って泣いていた。 おわり (2014-06-18P privatter より 改稿あり)
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silentangels-diary · 1 year
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日記 2023.04.06
ここはわたしを誰も知らない場所として作った。あらゆるところでブログや作品公開をしていたが、見られていることを意識してしまうとどうしても書くことが辛くなってしまい、しかしどうしても書きたい気持ちは拭えなかった。知人に公開することのない形でこの日記を書いていきたい。誰にも教えない。もし見つけても見て見ぬふりをして欲しい。そんな偶然はほとんどありえないと思うけれど。
わたしは二階堂奥歯さんの影響で、アナイス・ニンについての本を読んでいる。同時にラッセルの幸福論も読んでいる。わたしは読書家ではない。読むのも遅い。読書を特別愛しているわけでもないけれど、わたしには静寂が必要で、読書はそれをもたらしてくれる。また刺激をもたらしてくれる存在でもある。
一方で、音楽も必要で、音はわたしにとって恐らく最も感情を揺さぶる感覚である。どんな感情のときも音楽はわたしに寄り添ってくれたり、感情を掻き立てたりしてくれる。もちろんいい面だけではない。
読書と音楽はわたしにとって神聖なものなので、ひとりのときに嗜むことしかできない。
わたしは賢くないことがコンプレックスである。しかしここでは自由気ままに書くと決めた。人の目を気にしないで。秘密の隠れ家のような場所でありたい。ときには日記を、ときには詩を、ときには別の形の作品を投稿する場所としても書き込んでいきたい。
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orhpee-annex · 1 year
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2023/1/27〜29
◆通勤の朝。頻りに眼鏡が曇るので一人だけ霧の街を歩いている。足立区ひとりロンドン。
◆前日の晩に御茶ノ水のカレー屋ジョニーで食べたチキンカツカレーが美味しかったので、余韻で翌日お昼の社食でもカレーを食べたらあまり好きな味じゃなくて、しゅん……とした。カレーの波は短命。
◆カレー自体あまり好きじゃない。ハンバーグとか、ミートソーススパゲッティも昔から好きじゃない。「なんだこいつは」と、父親に奇異の目で眺められていた幼少期の記憶がふと甦った。
◆アジカン『君の街まで』の歌詞ーー「揺らいでる頼りない/君もいつかは僕らを救う/明日の羽になるかな」に、後藤ひとりを重ねて聴く。
◆pixivなどで「※ぼ虹前提です!」と注意書きを見るたび、「そうだよ、ぼ虹は"前提"なんだよ……と肯いている。神が闇の世で最初に発した言葉は「光あれ」であることは誰でも知っている。
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◆壊れた電子レンジなどの引取りに電化製品の無料廃品回収を利用した。普段無縁のチラシとして処分するけど役に立つこともあるんだ。
◆一日のうち幾許かをぼざろ音MADを眺めるのに費やしている。ストロング虚無時間。
◆先の土曜に、友人と綾瀬のタイ古式マッサージに行く機会があった。半酔にして半信半疑で一時間の施術を受けた。一日経て目眩がする程の身体の節々の痛みが全て消えて今日まで調子がよい。大変感動している。
◆タイではマッサージは寺院で行われる程いまも神聖な行いとして捉えられているらしい。確かに身体から悪霊が抜けたと信じてしまう効能だった。次は二時間やりたい。
◆東京の雪の日。台所でジョニ黒飲んで悪酔いした。
◆K君と赤坂で遊んだ。赤坂駅の周りでは舞台ハリーポッターに合わせて建物がホグワーツ仕様で彩られていた。非日常の表情に、長崎ハウステンボスを連想した。
◆リベルターブル。ケーキに野菜のジュレなどを用いるなど甘味の枠を凌駕した素材と手法が新鮮だった。ピスタチオのケーキにレモンジュレが仕込まれていて酸味の心地よさが程よい余韻だった。白ワインも飲んだ。
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◆他人の歓談。男女で儲け話や流行りの店、サウナの話を交わして何かを誇示する人々。道々出会う、短く髪を刈込みダウンジャケットを着込んだ客引き達と彼らはよく似た表情。
◆ 都市のチンピラ達。かつて特攻服や他校への殴り込み自慢などの形で誇示されていたものが、タワマンやフェラーリに姿を変えただけ。
◆K君の案内で、バーですぺらへ。二階堂奥歯も手伝いをしていた文壇バー。
◆現在は二代目店主によって運営されている。カウンターにまでボトルが侵食して、さながらウィスキーの角打ちの風情。雑多で狭い空間の隅っこが好きなのでとても落ち着いた。
◆マスターは談論風発、非常に知的でこだわりも強く、インテリジェンスへの情熱と執心がその口から洩れるたび、嬉しいような、懐かしいような気がした。わたしが馴れ合うことに慣れ過ぎた所為かも知れない。
◆「高いウィスキーが美味しいのは当たり前で、それは目利きじゃないよね……」と当人の言葉に相応しい目配りと文脈で供されるウィスキー。どれも美味しかった。(シェリーも飲んだ)
◆ ダークネス8年 ザ・ホイッスラー10年 ザ・レイクスNo.5 シェリー・ミカエラ グレン・グラント21年
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◆また来ます。
◆K君と、次何して遊ぼうかな。
◆よく分からないけど美味しかったお通しのドライフルーツの正体を訊きそびれた。
◆赤坂もち、美味しかったです。
◆よく晴れた日曜日の川沿いで缶コーヒーを飲みながら、水と空を眺めていた。鬼ごっこしている10歳くらいの男児が、大声で「残酷な天使のテーゼ」を合唱していた。
◆示現一刀流のように甲高い雄叫びの「少年よ神話になれ」が冬空に響く。
◆年末年始の体調不良の余波で禁煙状態。元より煙草を喫えない苦しみも特にない。
◆未知の土地で迷子になる、置き去りにされる夢を二度も観て悲しい。アメリカで置き去りはつらい。
◆カチョエペペを二度作った。卵抜きのカルボナーラといった感。割と好き。
◆冬至を越えて、日がすこしずつ長くなった。
以上。ではまた。
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ophelia333k · 1 year
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2023年6月24日 アルミホイル、神さまは牢獄の中にいる
 ネットカフェ、天井にはアルミホイルみたいな質感の何かで包まれた太いパイプが通っていて、すぐ近くに一本、人ひとりが入れそうなくらいに太いパイプがある。それら二本のパイプの後ろには細くて黒いコードが何十本も通っていて、それらが何を伝達していて、どこに繋がっているのかは分からない。もちろん、コードで伝えられているものは電気のはずで、でもその電気がどこからやってきてどこへ向かっているのかは分からない。
 ***
 世界について知れば知るほどに世界に対して失望していくし、文学について知れば知るほどに文学に失望するし、物事はどれも知れば知るほどに何かが失われていく。そのとき失われているものといえばそれは幻想で、人は幻想によってのみ駆動されている。
 とはいえ、「お前は世界について、文学について、何を知っているんだ」と問われたのなら、もちろん何も知らない。いや、ほんの少しだけ知っていて、それは1%にも満たないようなことだけど、ほんの少しだけ知ってしまうことでも失われていく。ほんとうは何も知りたくないし、知ることの何がいいのだろう、と問いかけてみる。分かったからといって何がよくなるわけでもない。知らないよりも知っている方がいい、というのは常識的だけど、そんなわけがなくて、私たちは何も知らない方がよいのに、知識という暴力性を求める。
 だから、というわけではないけれど、全知全能の神になんてものになったら自分はきっと絶望して、発狂してしまう。だって、全知全能であるということは、何も知れないし何もできないということと完全に同じなのだから。
 すべてを知っていてすべてのことができる、というのは、すべてが既知ですべてが完全に固定されている世界で生きるということで、そのときの絶望を考えるだけで身がすくんでしまう。そこでは何も新しいことは起きないし、すべてが可能であるということによって、すべてが不可能になる。不可能という空白地帯(外部)が存在することによって可能という領域が初めて現れるのだから、不可能の存在しない世界にはいかなる可能もなくて、のっぺりとした平らな世界だけが無限に続くことになる。
 神さまは、そんな中でどうして絶望して発狂せずに絶えていられるのだろうけれど、むしろだからこそ、神さまは人間ではない存在でなけれならない。人間のような心や精神を持たない存在でなくてはいけない。
 シオランは『生誕の厄災』の中で、「神こそはもっとも追いやられている存在であり、牢獄の中にいる」というようなことを書いていたはずだけど、どうしてもクレジットカードの分割払いの引き落としに耐えられないときに『生誕の厄災』を売ってしまったので、確認することができない。でも、そういう一文が確かにあったと思う。
 そして、今はその意味が(自分なりにだけど)とてもよく分かる。全知全能である、ということはひとつの絶望であり、神は全知全能という逃れえない牢獄の中に閉じ込められている。
 ***
 一昨日くらいにメンタルクリニックに行って、コンサータの処方のために、心電図検査と採血をした。あとは、流通管理システム患者登録の紙を渡された。採血のとき、思ったよりも時間が長いので、このまま看護師さんに殺されてしまうんじゃないかと思った。意識が少しふらふらした。近くにある別の診察室から、「私は錠剤をのみ込めないので、錠剤タイプの薬は絶対ムリです。それ以外にしてください」と語る患者の声が聞こえていた。支払いのとき、検査代も込みで6000円くらいしたし、それに加えて薬の値段も一か月分で2000円くらいはしたので、お金がないとメンタルクリニックには来れないな、と思った。生活がどん底で精神がどん底のときに、これだけのお金(テーマパークにだって行けてしまう)を払うのは簡単ではないはずだから。
 久しぶりにアトモキセチンの80mgを飲んでいるけれど、対して効果は感じていなくて、それでいて口の中が常に乾くし、食欲がなくなっている。何かを食べるにしても、もやのかかったような食欲しかない。純粋な、食欲そのものは消滅して、ときおりぼんやりとした食欲が顔を覗くだけになる。元々の無気力さも相まって、決してお腹が減っていないわけではないけれど、食べることがあまりにも面倒くさくて、どうしようと思う。頭痛がないのは幸いだった。
 自分はコンサータに対してある種の期待をしていて、それは何かしらの変化をもたらしてくれるかもしれない、という期待。思えば、幼少期の頃はそれと同じような期待を、お風呂場の中で、自分の思考をすべて読んでいる(かもしれない)曖昧な神さまに懸けていた。初めから神さまは大脳皮質の奥にしかいなかったのかな。
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 知る、ということに関連する話として、古今東西の文学を読み続け、それこそ文学賞の審査をするようになったような人たちは、文学に対して退屈しないのかな、と思うことがある。つまり、彼ら彼女らはもう文学というもののパターンを大方把握していて、だからこそ応募された作品を評価できる。それぞれのタイプの作品のパターンをすべて知っているから、「この作品はこのパターンに乗った上で、この辺りの展開や要素を変えているんだね」と判断できる。でも、全体像とすべてのパターンを把握してしまえたとき、自分はそこに幻想を持てるのだろうか。何かを期待して、何かを待ち望めるのかな。
 もちろん、パターンを把握した上でも、常に差異はあるし、新しいパターンの出現だってありうる、のだけど、やっぱりその状態で楽しんで作品を読める自信がない。この意味で、これはさっきの神と全知全能の話と近づくところがある。人間は(幸運にも?)全知全能にはなれないとはいえ、物事を俯瞰して見られるようになってしまった時点で終わってしまう何かがある。メタとベタの切り替えのためのスイッチが壊れてしまったのなら、すべてはのっぺりとした平らな世界になってしまう。あるいは、前回か前々回の日記の内容とも繫げるのなら、それは離人症の問題とも隣接する。
 この世界が原子配列のパターンにすぎなくても、それでも世界が無限に多様であるように、作品が要素の集合にすぎなくても、それでも作品は無限に多様でありうるのだけど、どこかで自分はそれを信じ切れていない。
 ***
 二階堂奥歯の『八本脚の蝶』を読み返していた。読み返すのは何度目かで、今回思ったのは、二階堂奥歯にはある種の絶対的な孤独(孤独、という言葉はたぶん正しくないのだけど)があって、しかし同時に、それは二階堂奥歯の周りに人がいないということではなく、むしろ彼女の周りには、それなりに彼女のことを思っているであろう人間がいる。でも、どうにもならないのだ。当たり前のこととして。
 あとは、引用の多さ。その引用は根本的に「根拠を欠いた(=無根拠な)」世界にあって、それでも自分という存在を世界につなぎとめるための楔のようにも見える。
 二階堂奥歯が引用しているものの中では、『聖マルガリタ・マリア自叙伝』を読みたくなる。「私は、苦しみなしでは一瞬も生きることができませんでした。私が苦しめば苦しむほど、私は、もっとこの愛の聖性に満足しました」(『八本脚の蝶』からの孫引きでp262)。
 
 奥歯はこの引用箇所こそが自分にとってのマゾヒズムだと記していて、このとき面白いのは、当然だけど聖マルガリタ・マリアが生まれたのは1647年であり、マゾッホが生まれた1836年よりも200年近く早い。だから当然「マゾヒズム」なんていう概念も存在しない時代のことで、しかしそこには間違いなく、ある種のマゾヒズムがある。
 ただし、彼女たちは「性的興奮」を得ているわけではないだろうし、言葉遊びになってしまうけれど、それは「聖的」なものでしかありえない。でも、鞭で打たれる人間が快楽を感じたとして、それが「性的」なものであるか「聖的」なものであるかを区別することなんてできないわけで、社会の編成の問題になる。
 
 あと、直感としては、絶対者(神)の失墜とサディズム/マゾヒズムの概念の誕生は関係していると思う(だってそれらは絶対者のパロディだから)けれど、そもそも、クラフト=エビング(1840-1902)がサドおよびマゾッホという二人の作家から「サディズム」と「マゾヒズム」という症候を分離した背景には精神医学の台頭もあるわけだから、そこでは複雑な線が絡み合っている。
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 恐山、Youtubeの番組で「アイドルに必要なことは?」と聞かれて、「短所を伸ばすこと」と答えていて、あまりにも的確だと思った。最も短い文字数で最も本質的なことを言っているし、正当な形で本質の槍が振るわれている。
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 スマートフォンのGoogle choromeのタブの数がもう表示されないくらいに増えていて、おそらく1000個以上はある。そして、それは自分の脳も同じで、1000個くらいのタブがつねに開かれたままになっているから、物事を一つも進めることができない。本来の自分は常に過眠ぎみで、それは明かな実行機能の悪さとも関連している。
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 メルヴィルの『バートルビー(Bartleby)』を読んだ。ウォール街の中心で、代書人として雇われたバートルビーは、真面目に仕事をこなす一方で、「そうしない方が好ましいのですが」(I would prefer not to)と言って機械的にすべての頼みを拒み続ける。思ったのは「I would prefer not to」の訳が訳者によってそれぞれ違うということで、杉浦銀策の訳だと「その気になれないのですが」だった。
 この短編におけるバートルビーは解けない問いのような存在で、語り手は理由も語らず、不条理にすべてを拒むバートルビーを様々に理解しようとするものの、バートルビーはどのような理解もすり抜けていってしまう。
 そういえば、『批評と臨床』でドゥルーズはバートルビーは〈意思がまったくなく、虚無を求める意志というよりも、意思の虚無なのである(憂鬱症的「否定主義」。彼らは、石と化し、意思を否定し、……〉と書いていた。バートルビーは意思がない人間なのではなくて、むしろ意思を否定する意思。
〈緊張症と食欲不振症の徴候を示してはいても、バートルビーは病人ではなく、病めるアメリカの医者、呪医であり、新たなるキリスト、あるいはわれわれすべてにとっての兄弟なのである〉(G・ドゥルーズ『批評と臨床』、p186)
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 これで最後。市川 沙央『ハンチバック』のラスト、身体障害者の女性が不幸な風俗嬢としての生を仮構して語ることと、不幸な風俗嬢が身体障害者の女性の生を仮構して語ることが、裏返しうる形で提示されることについて。村田紗耶香以外の選考委員は否定的だった記憶があるけれど、むしろあのラストは重要だったのではないかと思う(でも、どうして?)
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tinytable-blog · 1 year
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2022年に読んだモノ
まとめ第二弾。2022年に買った(≒読んだ)本。これもおおむね購入順。例年、仕事がらみの資料や雑誌類は除外しているので、今回も同様。
角幡 唯介 「探検家とペネロペちゃん」 幻冬舎文庫 穂村 弘 「きっとあの人は眠っているんだよ」 河出文庫 山尾 悠子 「夜想# 山尾悠子」 ステュディオ・パラボリカ ウィリアム・T・ヴォルマン 栩木玲子 訳 「ザ・ライフルズ」 国書刊行会 スタニスワフ・レム 長谷見 一雄ほか 訳 「虚数」 国書刊行会 浦 一也 「旅はゲストルーム3」 光文社知恵の森文庫 二階堂 奥歯 「八本脚の蝶」 河出文庫 ブレイディみかこ 「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」 新潮文庫 マーガレット・アトウッド 「昏き目の暗殺者」(上・下) ハヤカワepi文庫 居住空間デザイン講師室 「眼を養い手を練れ〈2〉集まって住もう」 彰国社 万城目 学、門井 慶喜 「ぼくらの近代建築デラックス!」 文春文庫 東 直子、穂村 弘 「しびれる短歌」 ちくまプリマー新書 穂村 弘 「ぼくの短歌ノート」 講談社文庫 今村 夏子 「星の子」 朝日文庫 服部 文祥 「百年前の山を旅する」 新潮文庫 藤本 和子 「イリノイ遠景近景」 ちくま文庫 穂村 弘 「ラインマーカーズ」 小学館文庫 津原 泰水 「ヒ��キーヒッキーシェイク」 ハヤカワ文庫JA 角幡 唯介 「極夜行前」 文春文庫
以上 20冊、意外と買ってたな。ワースト更新は回避。穂村本で数をかせいだ感じ。
今年のベストは「ザ・ライフルズ」!いぜん角幡の「アグルーカの行方」解説で東えりかがとりあげていたのが気になっていたので購入。なんとか年内に読了。読み進めていくうちに時制や人称がどんどん揺らぐ。混乱するんだが妙に気持ちいい。一読しただけではわかったつもりになれない、また再読しないと、と思ったのはウルフの「ケルベロス」以来だな。
前から気にはなっていた「八本脚の蝶」、山尾裕子本にも国書編集者時代の二階堂奥歯のエピソードがあったりしたので、これも縁かと読んでみたんだが、正直こんなもんかという感じ。当時ブログを読んでた人には衝撃だったのかもしれないが、いまやこういう人(縮小劣化版だけど)はネットにたくさんいるせいか、あまり驚きなく最後まで読んでしまった。椎名林檎やマイブラをいま聴くようなもんなんだろう。
ちなみに「八本脚の蝶」の後半はいろんな人が「二階堂奥歯の思い出」を寄せている(山尾悠子はない)んだが、その中に津原泰水の文章もあった。まあ相変わらずで、ほんとこのおっさんしょうがねえなと思っていたらまさかの急逝。「11」みたいな本をもういちど読みたいと思ってたんだが。供養にヒッキーを読んだ。
今年もいい本に出合いたい。最近SF読んでないな。
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kachoushi · 2 years
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零の会
2022年4月2日
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於:南麻布いきいきプラザ
坊城俊樹選 岡田順子選
坊城俊樹出句
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坊城俊樹出句
空襲に焼けたんぽぽの大銀杏 更科へ蕎麦食ひにゆく恋猫と かぎろひの暗闇坂をとぼとぼと 花衣たはむれに寄る煎餅屋 あべちやんの焼きとんもまた霞むなり 霞みたる幽霊坂へ迷ひ込む 女学館へとまやかしの蜃気楼 霾るや夏目雅子が路地ぬつと まだ開かぬ麻布温泉のどかなり 春の坂東洋英和へと続く
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坊城俊樹選 特選句
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坊城俊樹選 特選句
花の舞ふ五叉路に迷ふ女かな きみよ 蛇穴を出て街中に紛れたる 梓渕 大江戸も春や二の橋三の橋 荘吉 ハワイアンたらたら流れ逝く春ぞ いづみ 大銀杏とは崩れつつ芽吹くもの 光子 散る花も散らざる花も手に遠く 和子 春の地上へとエスカレーターエスカレーター 炳子 六本木ヒルズの方へ茎立ちぬ いづみ 小津映画ほどの間合や春の昼 美紀 春爛漫東洋英和女学院 梓渕
坊城俊樹選▲問題句
花人の一人は泣いてをりにけり 光子
坊城俊樹選入選句
さ迷うて麻布十番花疲れ 眞理子 川と云ふ都会の隙間春の風 梓渕 春の寺供花抱きしめて車椅子 小鳥 花の雲麻布の空を押し上げて 三郎 うららかやくらやみ坂に影もなし 千種 パンの香と春の香のして西麻布 季凛 口元のうつくしき人梅真白 美紀 門番をかすめ燕の大使館 きみよ 花の昼髪に顔入れものを食ふ 和子 赤い靴履いて麻布の永き日を いづみ つぼみからくしやくしやぽんと八重桜 いづみ 座すによき石をみつけて花衣 光子 春闌けて地下鉄駅の深すぎる いづみ 花の夜は狸も出でよ麻布山 きみよ もの言へばまた一片のさくら散る 和子 のどけしや人住めさうな大公孫樹 千種 ひらひらと卒業式の少女かな 美紀 越路吹雪の碑に惜しみなき花よ 眞理子 陽炎やぬうと伸びたるビルの首 千種 コーちゃんへ愛の参加のごと落花 慶月 鯛焼もかりんともある春の昼 荘吉 間口狭き仕舞屋の奥春の闇 眞理子 鳥のこゑ芽ばり柳を噴き出づる 光子 駄菓子屋の二階は歯医者町日永 千種 湯タンポの錆びて売らるる万愚節 佑天 帽子屋の主は女花疲れ 炳子 胴吹きの花に語るや道成寺 眞理子 塔頭の始まりとして八重桜 慶月
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岡田順子出句
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岡田順子出句
香具師達の来る花守の面相に 弔ひも祝ぎも桜のひと色に 花万朶啄みたるや鳥の糞 カーネーション諭吉の墓に妻の名も 花朧シャンソン歌手の碑を包み 人形の瞳に春の夢去らず バザールへひやうと古今の花吹雪 囀と花の散り込む名刺受 子の膝の跡に窪みし花の塵 白椿麻布幼稚園へ矢印
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岡田順子選特選句
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岡田順子選特選句
女学館へとまやかしの蜃気楼 俊樹 道路鏡に真昼の空や鳥交る 炳子 花衣抱かれて泣く真昼かな 光子 花盛り帝都の地下を逝く列車 久 骨董を異人売りをり春市場 季凛 花衣とて親鸞のわらぢ履き 千種 散る花も散らざる花も手に遠く 和子 開山堂椿は白に額は朱に 季凛 老酒の壺の箆跡風光る 和子 手のひらが日を受くやうに飛花落花 小鳥
岡田順子選▲問題句
生者死者みな散る花の子でありし 光子
岡田順子選入選句
湧水の落花くるりと回しつつ 季凛 霾るや夏目雅子が路地ぬつと 俊樹 囀もテニスボールを打つ音も きみよ ダリの絵の斜塔めきたる目借時 光子 いくつものレシピを聞きて春キャベツ 季凛 霞みたる幽霊坂へ迷ひ込む 俊樹 春の海向く福沢諭吉の墓碑 いづみ 勅使門うやうや拝す百千鳥 慶月 花の昼髪に顔入れものを食ふ 和子 花屑は情念となり鐘楼下 小鳥 花の舞ふ窓開かるる大使館 きみよ つぼみからくしやくしやぽんと八重桜 いづみ 泣き上戸一人をりけり花の宴 光子 仰ぎ読む山号寺号花の下 荘吉 花片を少女のやうに掬ひ撒く 秋尚 男の子二人の家に燕来る 美紀 風信子星の匂ひと想ひけり 美紀 浄土より花降る街の石畳 きみよ 愛子忌へ花の仏の鎮もれる 三郎 名にし負ふ山寺寺号花万朶 荘吉 木々の芽のふくらむやうに父よ癒えよ 美紀 ヘリ飛べば桜吹雪の麻布かな いづみ 塔頭の始まりとして八重桜 慶月 狸坂暗闇坂へ椿墜つ いづみ 花時をシティーボーイは遅参して 光子
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yaniwaniwa · 2 years
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あまりにも自分の考えというものがないので、信仰を持ちたいと思う。宗教に限らず。八本脚の蝶で二階堂奥歯が書いていたご主人様に概念としては近い。この人に従っていればいい、判断を委ねればいい、少なくとも考えの基準を与えてくれるという安心感は素晴らしいものだと思う。指針を示してほしい。圧倒的に正しくある人に。しかしそのような人がいたとしてもその人が私のことなど見てくれるわけがないのだ。それだけの価値を私は持っていない。神を信仰すれば神は私を見てくれるだろうか、宗教というのは自らの内部に神を生み出すことのように思える。つまり内部に信仰すべき人格を生み出せば理想は叶えられることになる(他人とコミュニケーションを取るのが苦痛なので、出来るだけ自分のみで解決する方法を取らねばならない)タルパの手法を使えばできるのかもしれないが、想像力の欠如がネックとなる。本人の能力を超えた存在を想像するのは不可能だ。
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centstar0 · 2 years
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下り坂滑り続けて空気になっちゃったかも、いや、それなら天使にしてほしい。毎日高い建物を見上げて柵の有無なんか確かめてる、二階堂奥歯のパクリみたいな日々。名所だったマンモス団地は今や廊下、非常階段さえも高い柵で囲われていて異質で無機質でキモい。そんなものを眺めて一年生の頃とは違う路線の電車に乗る。大学に行く。大学を埋め立てて予備校にしてPS2をやってるだけでなんとかなる人生にすることはできなかった。PS2持ってないし。私が一番やりこんでたゲームは3DSのファンタジーライフです。パーキングエリアで無くしました。
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psyetz4 · 2 years
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私達は強くない。賢くない。悟らない。
ずっとは。ずっとのあいだは。
でも、一瞬なら。
一瞬なら強くなれる。
一瞬なら賢くなれる。
一瞬なら悟れる。
一瞬なら、水面を破ることさえも。
自分からさえ跳ね上がることができる。
そして私達は、それを思い出にする。
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世界は美しくない。
ほとんど。
あるかなきかのかすかな美しさを、摘み上げて摘み上げて積み上げてきたのだ私達は。
時には、すべてが美しいと感じてしまうまでに。
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世界を解釈することは、世界に講釈することだ。
世界に美しくあろうとする動機はないし、美しいままに私達を待っているわけでもない。
私達が美しさを発見するとき、それは忘れ去られていた美しさを思い出しているのではない。私達が美しさを忘れ去るとき、美しさはまた誰かが思い出してくれるのをどこかで待っているわけではない。
私達は時折、人類の夜明けの時代に想いを馳せて、最初の詩、最初の音楽、最初のひと言、最初の約束について考える。
いったいこれらの魔法は、どのようにして始まったのか?
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私達にとっての一瞬。
この一瞬。
次の一瞬。
その次の一瞬。
たとえ思い出にもならないありふれた一瞬であっても、それはすべて、もしも人類の夜明けの頃に起こっていたなら、人類史を変えてしまったであろう一瞬である。
長い長い年月を経て私達は、魔法を日常にしたのだ。
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いま行くことができるどこかのうち、もっとも遠いどこかへの旅程は、一瞬である。
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生きることに意味があり、そしてその意味を理解したとしてもなお、死を択ぶ意味が消え去るわけではない。
ただ、きっと、一瞬の余命があれば、生き続ける意味はある。
そしてぼくも、次の一瞬くらいなら、生き続けることができると思うのだ。
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(2002年 9月 二階堂奥歯へのメールより抜粋・一部改稿)
醒めてみれば空耳(2006-04-07)
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