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#医学的には軽躁を抜けた
naotam1 · 2 years
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#おはよ #イマソラ 08/02(火) 晴 #日光浴 #日向ぼっこ #玄関前 #セロトニン #30分 #治療 #朝食前 #朝散歩 早朝覚醒 気が散漫、下書き書いて投稿忘れ🤣🤣🤣 まぁよき 今日は酷暑だった 2階建2階南西角部屋は、西日と瓦焼けで 熱中症気味 足攣ったり、トイレ多かったり 水分、塩分補給、忘れずに〜 家で勉強してた #双極 #双極性障害1型 #ラピッド #浜松 #睡眠記録 #fitbit #良い1日を #4日連続軽躁 #医学的には軽躁を抜けた #7日連続すると躁に入る診断も #躁 #躁の診断方法 #頭ぐるぐる #熱中症なのか火照ってるのか躁なのか分からない #ひどい便秘 #便秘薬の頓服漢方少し効いた #気が散漫 #気が散る #でも冴える #根拠がない https://www.instagram.com/p/CgwK46AvAJf/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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uzurakoromo · 3 years
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自分の精神疾患と向き合う ~単極性傾向大うつ病というもの~
 私は精神疾患、単極性傾向大うつ病にかかっている。
 表向きでは新卒で入った会社のセクハラ、パワハラ、過労が原因だと言っているが、実は、医者からはうつ病にかかった理由は「原因不明」だと言われている。
 そも、うつ病という診断自体が、「原因不明」とセットで名付けられる症状なのだ。(原因がはっきりしている場合は適応障害という)
私「原因不明……え?だってこんなに思い当たる節があるのに……?」
医者「はい。原因のある適応障害だったら、その環境から離れた途端に持ち直す事が多いものですが」
私「(そりゃそうだな……)」
医者「ですが、貴女の場合、その最悪な支社から離れて、本社に戻ってしばらく落ち着いたというのに、うつ病の症状が止まないんですよね」
私「そうなんですよ……それが不思議で不思議で……」
医者「なので、それが直接的な原因ではないと判断しました。セクハラ・パワハラはあくまできっかけとしか言えないと思います。そして、今までの証言を見る限り、貴女はそれ以前にも、高校生時代にも軽いうつ病にかかっていた可能性が高いとも見えました」
私「え……!?」
医者「貴女は実は、高校生の時から病的のまま過ごしてきたのです。そして社会人でのストレスがきっかけとなって遂に重い症状が現れ、今までの我慢が爛れ爛れて、適応障害をも越える症状を起こしてしまったのでしょう。しかし一方で、私の経験を見る限り、高校生時の悩み(進路の不安、先生への不満)では、うつ病に罹る直接的な原因としては足りない様な気がします」
私「え、ええ。憂鬱だったのはむしろ小、中学生時代ですし、高校の時は自分の努力不足だと……だから、うつ病に罹っていたとも、夢にも思っていなかったのですが……」
医者「そう、そこでも時期がズレている。しかし、要因がなくとも、貴女が当時起こった症状の羅列は間違いなく軽いうつの症状なのです。要因がないのにうつになった、不思議ですよね。じゃあ、そこから辻褄を合わせると、貴女はそれ以前よりもうつに罹りやすい因子を持っていたとも言えるのです。貴女のうつ病の「原因」はそこにある。おそらく、貴女の生まれた時からあるずっとずっと根本的な「何か」。本来、それ程のものでないと、「原因」だと断言する事は出来ないのですよ」
 今思えば、仕事と縁の引きは凄く悪かったものの、医者の引きは凄く良かった様に思える。(皮肉すぎる)
 案の定、先生は凄く評判の良いおじいちゃんで、寛解した後は、あっという間に予約も一杯になり、今ではもう診察をお願いする事が出来なくなってしまった。
 ちなみに、私が高校時からうつ病と指摘された症状は、軽い順に並べて以下の通りである。
①素ではあまり元気がない(でもそれが一番リラックスしている状態)
②美味しいというあまり気持ちが分からない(だから食事シーンや場面に他の人と比べてあまり興味がわかない、ご飯ツイートも滅多にしない)
③生まれたくなかったと常に思う、自分の誕生日が大嫌い(Twitterを始めた11年前からある)
④すごく落とし物、無くし物が多い(何度駅や会社に電話かけたか分からない)
⑤自責の念、罪悪感、
⑥それの反動による怒り、憎悪の蓄積
⑦頭痛
⑧倦怠感、疲労感、
⑨判断力の低下、語彙力の不足、パニック
⑩過眠(よく不眠がうつ症状の症状とされるが過眠も実は症状の一つである)
⑪食欲減退(②の重いver、ちなみに過食もうつ病の症状である)
⑫無感情(どんなグロ画像を見ても何も思わない位)
⑬セルフネグレクト、自傷行為(こめかみを無理くり引っ搔いて血を流した事がある)
⑭希死念慮
⑮自殺未遂
 その中でも①~⑦は高校生の時から慢性的に、⑧、⑨はストレスがかかる度に起こり、⑩~⑮は症状が重くなった時に起こる。しかし一方で、更に強いストレスがかかると、色んな過程すっ飛ばして⑬、⑭、⑮だけが突発的に表れる事もままある。それは、うつ病と診断された後の寛解後に始まった事だ。私は一度重いうつ病に罹ってから、実は結構取返しのつかない所まで行ってしまったらしい。(高校生の時、きちんと治療を受けていればこういう事にはならなかったんだろうな……)
 一方④は「性格の問題では……?」とは思ったが、先生曰く、それでは他の検査結果との辻褄が合わないから、うつの症状と捉えるのが妥当との事。さいですか。
 私の場合、生まれつき持っているうつ病の直接的原因である「何か」を持ち(心の中にある風船)、それがネガティブ、几帳面、完璧主義、HSP(非常に感受性が強く敏感な気質)と呼応して膨張し(空気)、それがストレス(仕事、プライベート)(針)のために爆発し、それにビックリして心が止まる、また共に破裂すると言うのだろう。それを薬やカウンセリングで空気を抜き、針の先を丸め、萎ませ続けているのが今の状況という訳である。しかし、風船は何度でも表れて死ぬまで消える事はない。つまり、永遠に治る事はない病気なのだ。
 以上をふまえ、私の精神疾患は「単極性傾向大うつ病」と見なされている。「傾向」とあるのは、単極性なのは有りえない!全てのうつは双極性だ!という見方もあるんだそうから。(それ位、精神疾患の形は曖昧で、まだまだ研究の余地があるのだ) 
 単極性傾向というので、私はいわゆる躁状態( 極端に調子がよくなって活発になる時期)を経験した事はない。人からよく「変わらないね」と言われる通り、ホントマジで、性根は一年中いつも疲れている、いつも悩んでいる。いつも憂鬱でいる。 それは年齢も関係ない。高校生の時からずっとそうだった。
 頑張っている時は「ああ、頑張ってんな」と自覚して、それが終わった後はきっちり疲れて寝込むし、テンション上がり続けるのも3日(1日の前後もなく)が限界。
 妹が、友だちが、誰かと外に出て遊び、また恋を育んで将来への道を歩み続けている間、私はずっと醒めない夢を見続けていた。起きれない。どうしても、起きれなかったのだ。
 一度でも良い、どんなに後からどんなに後悔しても苦しくても良い、クスリでもキメて起き上がって、外に出れる時が欲しかった。この時初めて薬物に手を出す人の気持ちが分かった。しかし、皮肉にもそう願う時は、死を願う時と同じ様に、それがどうしても出来ない、動けない時に限ってしまう。
 願っても願っても、それでも目を覚ます度に気づくのは、鉛の様に重たくて動かない身体、食べる気の起きないへこんだお腹。
 私には終ぞ「その時」は来なかった。今も来ない。きっと永遠に来ない。これからも私には、元気のない日々が続くのだ。
 しかし一方で、月経と関係がないのもまた、私のうつの不思議な傾向である。私にはPMS症状は皆無で、月経痛は初日のみ(薬を飲めば必ず収まる)、腰痛は2、3日目(こちらもシップを貼れば何ともない)までと比較的安定している。仕事の日はともかく、休みの日だった場合は心情的に何も変化は起こらない。生理よりはやはり仕事が私にとって一番のストレスらしい。(そらそうか)
 そして、統合失調症の症状でもある幻聴は経験した事はない。「お前は死ぬべきだ」という言葉の反復が頭に響く事はあるが、声ではない事は断言でき、自分の心の声である事は自覚している。それも幻聴の一つと言えるのだろうか。  
 また、幻視や感覚過敏も経験がない。むしろ鈍感になって景色はいつも霞んで暗がっているし、感覚もまるで夢を見ている様にぼんやりとしている。(しかし、健康診断で一切異常がないのホント不思議、やっぱメンタルなんだな)特に味に対して実感が湧かない傾向がある。
 この通り、うつ病といっても様々な症状の隔たりがある、そも、うつ病の原因が分かっていないのだから、そうした波があるのも無理はなかろう。こうして、この不思議で不可解で不気味な自分の症状と向き合い、少しずつ形を明らかにしていきたい。
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guragura000 · 4 years
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自殺未遂
何度も死のうとしている。
これからその話をする。
自殺未遂は私の人生の一部である。一本の線の上にボツボツと真っ黒な丸を描くように、その記憶は存在している。
だけど誰にも話せない。タブーだからだ。重たくて悲しくて忌み嫌われる話題だからだ。皆それぞれ苦労しているから、人の悲しみを背負う余裕なんてないのだ。
だから私は嘘をつく。その時代を語る時、何もなかったふりをする。引かれたり、陰口を言われたり、そういう人だとレッテルを貼られたりするのが怖いから。誰かの重荷になるのが怖いから。
一人で抱える秘密は、重たい。自分のしたことが、当時の感情が、ずっしりと肩にのしかかる。
私は楽になるために、自白しようと思う。黙って平気な顔をしているのに、もう疲れてしまった。これからは場を選んで、私は私の人生を正直に語ってゆきたい。
十六歳の時、初めての自殺未遂をした。
五年間の不登校生活を脱し高校に進学したものの、面白いくらい馴染めなかった。天真爛漫に女子高生を満喫する宇宙人のようなクラスメイトと、同じ空気を吸い続けることは不可能だと悟ったのだ。その結果、私は三ヶ月で中退した。
自信を失い家に引きこもる。どんよりと暗い台所でパソコンをいじり続ける。将来が怖くて、自分が情けなくて、見えない何かにぺしゃんこに潰されてしまいそうだった。家庭は荒れ、母は一日中家にいる私に「普通の暮らしがしたい」と呟いた。自分が親を苦しめている。かといって、この先どこに行っても上手くやっていける気がしない。悶々としているうちに十キロ痩せ、生理が止まった。肋が浮いた胸で死のうと決めた。冬だった。
夜。親が寝静まるのを待ちそっと家を出る。雨が降っているのにも関わらず月が照っている。青い光が濁った視界を切り裂き、この世の終わりみたいに美しい。近所の河原まで歩き、濡れた土手を下り、キンキンに冷えた真冬の水に全身を浸す。凍傷になれば数分で死に至ることができると聞いた。このままもう少しだけ耐えればいい。
寒い!私の体は震える。寒い!あっという間に歯の根が合わなくなる。頭のてっぺんから爪先までギリギリと痛みが駆け抜け、三秒と持たずに陸へ這い上がった。寒い、寒いと呟きながら、体を擦り擦り帰路を辿る。ずっしりと水を含んだジャージが未来のように重たい。
風呂場で音を立てぬよう泥を洗い流す。白いタイルが砂利に汚されてゆく。私は死ぬことすらできない。妙な落胆が頭を埋めつくした。入水自殺は無事、失敗。
二度目の自殺未遂は十七歳の時だ。
その頃私は再入学した高校での人間関係と、精神不安定な母との軋轢に悩まされていた。学校に行けば複雑な家庭で育った友人達の、無視合戦や泥沼恋愛に巻き込まれる。あの子が嫌いだから無視をするだのしないだの、彼氏を奪っただの浮気をしているだの、親が殴ってくるだの実はスカトロ好きのゲイだだの、裏のコンビニで喫煙しているだの先生への舌打ちだの⋯⋯。距離感に不器用な子達が多く、いつもどこかしらで誰かが傷つけ合っていた。教室には無気力と混乱が煙幕のように立ち込め、普通に勉強し真面目でいることが難しく感じられた。
家に帰れば母が宗教のマインドコントロールを引きずり「地獄に落ちるかもしれない」などと泣きついてくる。以前意地悪な信者の婆さんに、子どもが不登校になったのは前世の因縁が影響していて、きちんと祈らないと地獄に落ちる、と吹き込まれたのをまだ信じているのだ。そうでない時は「きちんと家事をしなくちゃ」と呪いさながらに繰り返し、髪を振り乱して床を磨いている。毎日手の込んだフランス料理が出てくるし、近所の人が買い物先までつけてくるとうわ言を言っている。どう考えても母は頭がおかしい。なのに父は「お母さんは大丈夫だ」の一点張りで、そのくせ彼女の相手を私に丸投げするのだ。
胸糞の悪い映画さながらの日々であった。現実の歯車がミシミシと音を立てて狂ってゆく。いつの間にやら天井のシミが人の顔をして私を見つめてくる。暗がりにうずくまる家具が腐り果てた死体に見えてくる。階段を昇っていると後ろから得体の知れない化け物が追いかけてくるような気がする。親が私の部屋にカメラを仕掛け、居間で監視しているのではないかと心配になる。ホラー映画を見ている最中のような不気味な感覚が付きまとい、それから逃れたくて酒を買い吐くまで酔い潰れ手首を切り刻む。ついには幻聴が聞こえ始め、もう一人の自分から「お前なんか死んだ方がいい」と四六時中罵られるようになった。
登下校のために電車を待つ。自分が電車に飛び込む幻が見える。車体にすり潰されズタズタになる自分の四肢。飛び込む。粉々になる。飛び込む。足元が真っ赤に染まる。そんな映像が何度も何度も巻き戻される。駅のホームは、どこまでも続く線路は、私にとって黄泉への入口であった。ここから線路に倒れ込むだけで天国に行ける。気の狂った現実から楽になれる。しかし実行しようとすると私の足は震え、手には冷や汗が滲んだ。私は高校を卒業するまでの四年間、映像に重なれぬまま一人電車を待ち続けた。飛び込み自殺も無事、失敗。
三度目の自殺未遂は二十四歳、私は大学四年生だった。
大学に入学してすぐ、執拗な幻聴に耐えかね精神科を受診した。セロクエルを服用し始めた瞬間、意地悪な声は掻き消えた。久しぶりの静寂に手足がふにゃふにゃと溶け出しそうになるくらい、ほっとする。しかし。副作用で猛烈に眠い。人が傍にいると一睡もできないたちの私が、満員の講義室でよだれを垂らして眠りこけてしまう。合う薬を模索する中サインバルタで躁転し、一ヶ月ほど過活動に勤しんだりしつつも、どうにか普通の顔を装いキャンパスにへばりついていた。
三年経っても服薬や通院への嫌悪感は拭えなかった。生き生きと大人に近づいていく友人と、薬なしでは生活できない自分とを見比べ、常に劣等感を感じていた。特に冬に体調が悪くなり、課題が重なると疲れ果てて寝込んでしまう。人混みに出ると頭がザワザワとして不安になるため、酒盛りもアルバイトもサークル活動もできない。鬱屈とした毎日が続き闘病に嫌気がさした私は、四年の秋に通院を中断してしまう。精神薬が抜けた影響で揺り返しが起こったこと、卒業制作に追われていたこと、就職活動に行き詰まっていたこと、それらを誰にも相談できなかったことが積み重なり、私は鬱へと転がり落ちてゆく。
卒��制作の絵本を拵える一方で遺品を整理した。洋服を売り、物を捨て、遺書を書き、ネット通販でヘリウムガスを手に入れた。どうして卒制に遅れそうな友達の面倒を見ながら遺品整理をしているのか分からない。自分が真っ二つに割れてしまっている。混乱しながらもよたよたと気力で突き進む。なけなしの努力も虚しく、卒業制作の提出を逃してしまった。両親に高額な学費を負担させていた負い目もあり、留年するぐらいなら死のうとこりずに決意した。
クローゼットに眠っていたヘリウムガス缶が起爆した。私は人の頭ほどの大きさのそれを担いで、ありったけの精神薬と一緒に車に積み込んだ。それから山へ向かった。死ぬのなら山がいい。夜なら誰であれ深くまで足を踏み入れないし、展望台であれば車が一台停まっていたところで不審に思われない。車内で死ねば腐っていたとしても車ごと処分できる。
展望台の駐車場に車を突っ込み、無我夢中でガス缶にチューブを繋ぎポリ袋の空気を抜く。本気で死にたいのなら袋の酸素濃度を極限まで減らさなければならない。真空状態に近い状態のポリ袋を被り、そこにガスを流し込めば、酸素不足で苦しまずに死に至ることができるのだ。大量の薬を水なしで飲み下し、袋を被り、うつらうつらしながら缶のコックをひねる。シューッと気体が満ちる音、ツンとした臭い。視界が白く透き通ってゆく。死ぬ時、人の意識は暗転ではなくホワイトアウトするのだ。寒い。手足がキンと冷たい。心臓が耳の奥にある。ハツカネズミと同じ速度でトクトクと脈動している。ふとシャンプーを切らしていたことを思い出し、買わなくちゃと考える。遠のいてゆく意識の中、日用品の心配をしている自分が滑稽で、でも、もういいや。と呟く。肺が詰まる感覚と共に、私は意識を失う。
気がつくと後部座席に転がっている。目覚めてしまった。昏倒した私は暴れ、自分でポリ袋をはぎ取ったらしい。無意識の私は生きたがっている。本当に死ぬつもりなら、こうならぬように手首を後ろできつく縛るべきだったのだ。私は自分が目覚めると、知っていた。嫌な臭いがする。股間が冷たい。どうやら漏らしたようだ。フロントガラスに薄らと雪が積もっている。空っぽの薬のシートがバラバラと散乱している。指先が傷だらけだ。チューブをセットする際、夢中になるあまり切ったことに気がつかなかったようだ。手の感覚がない。鈍く頭痛がする。目の前がぼやけてよく見えない。麻痺が残ったらどうしよう。恐ろしさにぶるぶると震える。さっきまで何もかもどうでも良いと思っていたはずなのに、急に体のことが心配になる。
後始末をする。白い視界で運転をする。缶は大学のゴミ捨て場に捨てる。帰宅し、後部座席を雑巾で拭き、薬のシートをかき集めて処分する。ふらふらのままベッドに倒れ込み、失神する。
その後私は、卒業制作の締切を逃したことで教授と両親から怒られる。翌日、何事もなかったふりをして大学へ行き、卒制の再提出の交渉する。病院に保護してもらえばよかったのだがその発想もなく、ぼろ切れのようなメンタルで卒業制作展の受付に立つ。ガス自殺も無事、失敗。
四度目は二十六歳の時だ。
何とか大学卒業にこぎつけた私は、入社試験がないという安易な理由でホテルに就職し一人暮らしを始めた。手始めに新入社員研修で三日間自衛隊に入隊させられた。それが終わると八時間ほぼぶっ続けで宴会場を走り回る日々が待っていた。典型的な古き良き体育会系の職場であった。
朝十時に出社し夜の十一時に退社する。夜露に湿ったコンクリートの匂いをかぎながら浮腫んだ足をズルズルと引きずり、アパートの玄関にぐしゃりと倒れ込む。ほとんど意識のないままシャワーを浴びレトルト食品を貪り寝床に倒れ泥のように眠る。翌日、朝六時に起床し筋肉痛に膝を軋ませよれよれと出社する。不安定なシフトと不慣れな肉体労働で病状は悪化し、働いて二年目の夏、まずいことに躁転してしまった。私は臨機応変を求められる場面でパニックを起こすようになり、三十分トイレにこもって泣く、エレベーターで支離滅裂な言葉を叫ぶなどの奇行を繰り返す、モンスター社員と化してしまった。人事に持て余され部署をたらい回しにされる。私の世話をしていた先輩が一人、ストレスのあまり退社していった。
躁とは恐ろしいもので人を巻き込む。プライベートもめちゃくちゃになった。男友達が性的逸脱症状の餌食となった。五年続いた彼氏と別れた。よき理解者だった友と言い争うようになり、立ち直れぬほどこっぴどく傷つけ合った。携帯電話をハイヒールで踏みつけバキバキに破壊し、コンビニのゴミ箱に投げ捨てる。出鱈目なエネルギーが毛穴という毛穴からテポドンの如く噴出していた。手足や口がばね仕掛けになり、己の意思を無視して動いているようで気味が悪かった。
寝る前はそれらの所業を思い返し罪悪感で窒息しそうになる。人に���惑をかけていることは自覚していたが、自分ではどうにもできなかった。どこに頼ればいいのか分からない、生きているだけで迷惑をかけてしまう。思い詰め寝床から出られなくなり、勤務先に泣きながら休養の電話をかけるようになった。
会社を休んだ日は正常な思考が働かなくなる。近所のマンションに侵入し飛び降りようか悩む。落ちたら死ねる高さの建物を、砂漠でオアシスを探すジプシーさながらに彷徨い歩いた。自分がアパートの窓から落下してゆく幻を見るようになった。だが、無理だった。できなかった。あんなに人に迷惑をかけておきながら、私の足は恥ずかしくも地べたに根を張り微動だにしないのだった。
アパートの部屋はムッと蒸し暑い。家賃を払えなければ追い出される、ここにいるだけで税金をむしり取られる、息をするのにも金が��かる。明日の食い扶持を稼ぐことができない、それなのに腹は減るし喉も乾く、こんなに汗が滴り落ちる、憎らしいほど生きている。何も考えたくなくて、感じたくなくて、精神薬をウイスキーで流し込み昏倒した。
翌日の朝六時、朦朧と覚醒する。会社に体調不良で休む旨を伝え、再び精神薬とウイスキーで失神する。目覚めて電話して失神、目覚めて電話して失神。夢と現を行き来しながら、手元に転がっていたカッターで身体中を切り刻み、吐瀉し、意識を失う。そんな生活が七日間続いた。
一週間目の早朝に意識を取り戻した私は、このままでは死ぬと悟った。にわかに生存本能のスイッチがオンになる。軽くなった内臓を引っさげ這うように病院へと駆け込み、看護師に声をかける。
「あのう。一週間ほど薬と酒以外何も食べていません」
「そう。それじゃあ辛いでしょう。ベッドに寝ておいで」
優しく誘導され、白いシーツに倒れ込む。消毒液の香る毛布を抱きしめていると、ぞろぞろと数名の看護師と医師がやってきて取り囲まれた。若い男性医師に質問される。
「切ったの?」
「切りました」
「どこを?」
「身体中⋯⋯」
「ごめんね。少し見させて」
服をめくられる。私の腹を確認した彼は、
「ああ。これは入院だな」
と呟いた。私は妙に冷めた頭で聞く。
「今すぐですか」
「うん、すぐ。準備できるかな」
「はい。日用品を持ってきます」
私はびっくりするほどまともに帰宅し、もろもろを鞄に詰め込んで病院にトンボ帰りした。閉鎖病棟に入る。病室のベッドの周りに荷物を並べながら、私よりももっと辛い人間がいるはずなのにこれくらいで入院だなんておかしな話だ、とくるくる考えた。一度狂うと現実を測る尺度までもが狂うようだ。
二週間入院する。名も知らぬ睡眠薬と精神安定剤を処方され、飲む。夜、病室の窓から街を眺め、この先どうなるのかと不安になる。私の主治医は「君はいつかこうなると思ってたよ」と笑った。以前から通院をサポートする人間がいないのを心配していたのだろう。
退院後、人事からパート降格を言い渡され会社を辞めた。後に勤めた職場でも上手くいかず、一人暮らしを断念し実家に戻った。飛び降り自殺、餓死自殺、無事、失敗。
五度目は二十九歳の時だ。
四つめの転職先が幸いにも人と関わらぬ仕事であったため、二年ほど通い続けることができた。落ち込むことはあるものの病状も安定していた。しかしそのタイミングで主治医が代わった。新たな主治医は物腰柔らかな男性だったが、私は病状を相談することができなかった。前の医師は言葉を引き出すのが上手く、その環境に甘えきっていたのだ。
時給千円で四時間働き、月収は六万から八万。いい歳をして脛をかじっているのが忍びなく、実家に家賃を一、二万入れていたので、自由になる金は五万から七万。地元に友人がいないため交際費はかからない、年金は全額免除の申請をした、それでもカツカツだ。大きな買い物は当然できない。小さくとも出費があると貯金残高がチラつき、小一時間は今月のやりくりで頭がいっぱいになる。こんな額しか稼げずに、この先どうなってしまうのだろう。親が死んだらどうすればいいのだろう。同じ年代の人達は順調にキャリアを積んでいるだろう。資格も学歴もないのにズルズルとパート勤務を続けて、まともな企業に転職できるのだろうか。先行きが見えず、暇な時間は一人で悶々と考え込んでしまう。
何度目かの落ち込みがやってきた時、私は愚かにも再び通院を自己中断してしまう。病気を隠し続けること、精神疾患をオープンにすれば低所得をやむなくされることがプレッシャーだった。私も「普通の生活」を手に入れてみたかったのだ。案の定病状は悪化し、練炭を購入するも思い留まり返品。ふらりと立ち寄ったホームセンターで首吊りの紐を買い、クローゼットにしまう。私は鬱になると時限爆弾を買い込む習性があるらしい。覚えておかなければならない。
その職場を退職した後、さらに三度の転職をする。ある職場は椅子に座っているだけで涙が出るようになり退社した。別の職場は人手不足の影響で仕事内容が変わり、人事と揉めた挙句退社した。最後の転職先にも馴染めず八方塞がりになった私は、家族と会社に何も告げずに家を飛び出し、三日間帰らなかった。雪の降る中、車中泊をして、寒すぎると眠れないことを知った。家族は私を探し回り、ラインの通知は「帰っておいで」のメッセージで埋め尽くされた。漫画喫茶のジャンクな食事で口が荒れ、睡眠不足で小間切れにうたた寝をするようになった頃、音を上げてふらふらと帰宅した。勤務先に電話をかけると人事に静かな声で叱られた。情けなかった。私は退社を申し出た。気がつけば一年で四度も職を代わっていた。
無職になった。気分の浮き沈みが激しくコントロールできない。父の「この先どうするんだ」の言葉に「私にも分からないよ!」と怒鳴り返し、部屋のものをめちゃくちゃに壊して暴れた。仕事を辞める度に無力感に襲われ、ハローワークに行くことが恐ろしくてたまらなくなる。履歴書を書けばぐちゃぐちゃの職歴欄に現実を突きつけられる。自分はどこにも適応できないのではないか、この先まともに生きてゆくことはできないのではないか、誰かに迷惑をかけ続けるのではないか。思い詰め、寝室の柱に時限爆弾をぶら下げた。クローゼットの紐で首を吊ったのだ。
紐がめり込み喉仏がゴキゴキと軋む。舌が押しつぶされグエッと声が出る。三秒ぶら下がっただけなのに目の前に火花が散り、苦しくてたまらなくなる。何度か試したが思い切れず、紐を握り締め泣きじゃくる。学校に行く、仕事をする、たったそれだけのことができない、人間としての義務を果たせない、税金も払えない、親の負担になっている、役立たずなのにここまで生き延びている。生きられない。死ねない。どこにも行けない。私はどうすればいいのだろう。釘がくい込んだ柱が私の重みでひび割れている。
泣きながら襖を開けると、ペットの兎が小さな足を踏ん張り私を見上げていた。黒くて可愛らしい目だった。私は自分勝手な絶望でこの子を捨てようとした。撫でようとすると、彼はきゅっと身を縮めた。可愛い、愛する子。どんな私でいても拒否せず撫でさせてくれる、大切な子。私の身勝手さで彼が粗末にされることだけはあってはならない、絶対に。ごめんね、ごめんね。柔らかな毛並みを撫でながら、何度も謝った。
この出来事をきっかけに通院を再開し、障害者手帳を取得する。医療費控除も障害者年金も申請した。精神疾患を持つ人々が社会復帰を目指すための施設、デイケアにも通い始めた。どん底まで落ちて、自分一人ではどうにもならないと悟ったのだ。今まさに社会復帰支援を通し、誰かに頼り、悩みを相談する方法を勉強している最中だ。
病院通いが本格化してからというもの、私は「まとも」を諦めた。私の指す「まとも」とは、周りが満足する状態まで自分を持ってゆくことであった。人生のイベントが喜びと結びつくものだと実感できぬまま、漠然としたゴールを目指して走り続けた。ただそれをこなすことが人間の義務なのだと思い込んでいた。
自殺未遂を繰り返しながら、それを誰にも打ち明けず、悟らせず、発見されずに生きてきた。約二十年もの間、母の精神不安定、学校生活や社会生活の不自由さ、病気との付き合いに苦しみ、それら全てから解放されたいと願っていた。
今、なぜ私が生きているか。苦痛を克服したからではない。死ねなかったから生きている。死ぬほど苦しく、何度もこの世からいなくなろうとしたが、失敗し続けた。だから私は生きている。何をやっても死ねないのなら、どうにか生き延びる方法を探らなければならない。だから薬を飲み、障害者となり、誰かの世話になり、こうしてしぶとくも息をしている。
高校の同級生は精神障害の果てに自ら命を絶った。彼は先に行ってしまった。自殺を推奨するわけではないが、彼は死ぬことができたから、今ここにいない。一歩タイミングが違えば私もそうなっていたかもしれない。彼は今、天国で穏やかに暮らしていることだろう。望むものを全て手に入れて。そうであってほしい。彼はたくさん苦しんだのだから。
私は強くなんてない。辛くなる度、たくさんの自分を殺した。命を絶つことのできる場所全てに、私の死体が引っかかっていた。ガードレールに。家の軒に。柱に。駅のホームの崖っぷちに。近所の河原に。陸橋に。あのアパートに。一人暮らしの二階の部屋から見下ろした地面に。電線に。道路を走る車の前に⋯⋯。怖かった。震えるほど寂しかった。誰かに苦しんでいる私を見つけてもらいたかった。心配され、慰められ、抱きしめられてみたかった。一度目の自殺未遂の時、誰かに生きていてほしいと声をかけてもらえたら、もしくは誰かに死にたくないと泣きつくことができたら、私はこんなにも自分を痛めつけなくて済んだのかもしれない。けれど時間は戻ってこない。この先はこれらの記憶を受け止め、癒す作業が待っているのだろう。
きっとまた何かの拍子に、生き延びたことを後悔するだろう。あの暗闇がやってきて、私を容赦なく覆い隠すだろう。あの時死んでいればよかったと、脳裏でうずくまり呟くだろう。それが私の病で、これからももう一人の自分と戦い続けるだろう。
思い出話にしてはあまりに重い。医療機関に寄りかかりながら、この世に適応する人間達には打ち明けられぬ人生を、ともすれば誰とも心を分かち合えぬ孤独を、蛇の尾のように引きずる。刹那の光と闇に揉まれ、暗い水底をゆったりと泳ぐ。静かに、誰にも知られず、時には仲間と共に、穏やかに。
海は広く、私は小さい。けれど生きている。まだ生きている。
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naturalmagickk · 5 years
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アメリカでは麻薬に費やされる金額が年間貿易赤字に匹敵するといいます。
それだけ麻薬に手を出す人間が多いのです。
沢尻エリカが所持して逮捕されたMDMAは別名エクスタシーよばれます。
70年代のアメリカではMDMAが大量に出回っていました。
幻覚性はLSDにくらべれば弱く心の防衛を弱め、他者との共感を高める事が知られています。
不安が減少し多幸感が生まれるので抗鬱剤として使われ、セラピーの現場ではトラウマの解消の補助剤に使用されたこともあります。
死の恐怖を和らげるため末期癌の患者に使用されたりもしました。
MDMA経験者によるとハートが圧倒的な愛に満たされるため、異性、同性問わず恋愛感情が高まり、一目惚れが起きることがありました。
そのためにMDMAを服用して六週間の間は結婚してはだめと言う格言が生まれたほどです。
薬で起きた愛は薬が切れると愛も醒めるのです。
70年代のMDMAは幻覚性が弱いのでLSDのように地獄を見る様なバッドトリップはしにくくハートが開き愛に満たされることから世界を変革するドラッグと思われました。
しかし、所詮はドラッグ(薬)です。
MDMAとコカインとヘロインそしてLSDをチャンポンに摂取して夜通しで踊り続けて突然死する若者が続出したので、1985年に禁止となったのです。
麻薬や覚醒剤と言うと何か特別なものに聞こえますが、実は私たちの脳の中には快感をもたらす脳内麻薬が存在しています。
快感と関係している神経はA10(エーテン)神経と呼ばれます。
A10神経は本能と関係がある視床下部から情動を生み出す大脳辺縁系の左右側頭部を通って人間の思考作用を司どる前頭連野に達します。
このA10神経の情報伝達物質はドーパミンと呼ばれます。
ドーパミンは覚醒剤アンフェタミンとほぼ同様の構造をしています。
異なるのはドーパミンは水溶性ですが覚醒剤アンフェタミンは脂溶性です。
脳はブドウ糖やタンパク質のように脳に必要な物質しか通過させない仕組みになっていますが、覚醒剤アンフェタミンは脂溶性のため脳の関門を通り抜けて脳内に侵入し、ドーパミンを過剰に分泌させてしまうのです。
人体には一定の環境を保つ為のバランスを回復させるシステムが備わっていますがA10神経にはサーモスタットのような過剰な働きを抑えるシステムが存在しないことが1981年に発見されました。
そのためにA10神経は暴走しやすいのです。
「わかっちゃいるけどやめられない」わけです。
もしかしたら、現代文明の危機はこのA10神経による前頭葉の暴走と関係があるかもしれません。
覚醒した意識は物質の領域を超えていますが
マインドと同化している人は脳内麻薬の影響をもろに受けます。
そしてドーパミンは人間に近い哺乳類だけが使う神経伝達物質です。
ドーパミンが多量に分泌されればされるほど脳細胞は活発になります。
神経細胞の働きが過剰にならないようにドーパミンを回収して再利用する再吸収と言うシステムがありますが、覚醒剤はそのシステムを阻害します。その結果ドーパミンが出っぱなしになってしまうのです。
ドーパミンが過剰に分泌されると脳は興奮し、眠らなくとも大丈夫とういうメッセージを発信続けます。
覚醒剤を摂ると疲労が吹き飛び、気分が高揚し、感覚が鋭敏になるのはそういうわけなのです。
覚醒剤の別名をスピードといいます。
眠らずに元気に動き回れる所からいわれたのだと思います。
ネクラな性格でも豹変し、のべつ幕なしにしゃべりまくってしまいます。
覚醒剤は戦争中のイギリスもドイツも兵士に供給され日本では『菊のご紋章』を付けて特攻隊の航空隊員に配給されました。
ドーパミンを受け取るレセプター(受容体)にはD1とD2のレセプターがある事が知られています。
D1レセプターはコカインや覚醒剤が作用してドーパミンが分泌します。
D2レセプターは脳を覚醒させること関係していますが、このD2レセプターの働きを阻害するのが精神安定剤などの強力な精神病の薬です。
統合失調症の活動期に幻覚や幻聴、妄想が生じることから、ドーパミンの過剰分泌によって精神病が起きるという考えがあります。
精神薬はドーパミンの分泌を抑え脳の活動を沈静化させるのです。
躁鬱病はアクセル的な役割をするノルアドレナリンを分泌しているA6神経と関係があって、ノルアドレナリンが分泌されると躁状態になり、衰えると鬱状態になると考えられています。
躁鬱病の発生と関わっているのはセロトニンといわれています。
セロトニンはドーパミンとノルアドレナリンの働きを抑えるので、セロトニンが働きすぎるとうつ状態になり、低下すると躁状態になるようです。
幼児期にストレスにさらされた動物はセロトニンの分泌能力が低く、殺人未遂、自殺未遂を起こした人のセロトニン濃度は低い事がしられています。
動物実験では長期のストレスにさらされるとノルアドレナリンが減少しますが、それが何回も繰り返されると、レセプターの感度が刺激に過敏になり、些細な事でノルアドレナリンが上昇し、攻撃的な状態なるようです。
PTSDのベトナム帰還兵のノルアドレナリンの濃度は高く、帰国しても脳内は常に戦闘状態だったのです。
粘着性気質はA10神経とA6神経などの働きをコントロールしているギャバ神経と関係しています。
ギャバ神経が活動するとドーパミンとノルアドレナリンの活動が抑えられて完全主義的な粘着気質が生まれ、低下すると脳のあらゆる分野が勝手に活動するてんかんの原因になると考えられています。
もし、普段エネルギーを抑圧している真面目人物が麻薬を服用したら理性が吹っ飛んでダムが決壊するのは目に見えています。
性格が一変し思わぬ大胆な行動にでてしまうのです。
覚醒剤やMDMAは法律で禁止されているので、そんなものを使用するのは反社会的な暴力団関係だけだろうと普通はかんがえます。
しかし、脳の機能から考えると麻薬と同様な働きをする物質は一般の人々も罪悪感を持たずに普通に摂取しているのです。
たとえばお酒ですが成分のアルコールが分解される過程で生じるアセトアルデヒドの触媒作用によって脳の中で麻薬モルヒネとよく似た物質が形成されます。
酒を飲むと理性を司る前頭連合野の活動が抑制されます。
その結果、自制心がはずれ、日常とは異なる行動をとったり、攻撃的になったり乱暴を働いたりする人が出てきます。
酒を飲む夫に暴力を受けるのは古代ローマから続いていました。
古代ローマの女性はワインを飲む事を許されませんでした。
ワインを飲み殺された女性の逸話は数多くあります。
現代社会で酒は合法なので酒を飲んで裸で騒いでもある程度は許されます。
しかし、非合法のMDMAを使用した沢尻エリカは世間の冷たい視線をあびなければいけないのです。
タバコの主成分はニコチンですが、化学構造が神経伝達物質とよく似た構造をしています。
脳の中で覚醒剤の働きをしています。
禁煙が難しいのは覚醒剤中毒とおなじように、フラッシュバックが起きると、その快感を脳が覚えていて、快感を求めて再び手をだしてしまうからなのです。
タバコがもつ肯定的側面は恐れや不安を緩和する作用があることです。
お腹がすいてえさを摂りに行くと電気ショックを与える動物実験によると微量のニコチンで動物たちは空腹なのにエサをとれないというストレスをものともせずにエサをとりに行く回数がふえるのです。
タバコには精神安定作用があります。
ネイティブアメリカンはタバコだけをもって、飲まず食わずで1人で砂漠や山にこもるイニシエーションがあります。
タバコは先住民にとって神聖な植物でした。
タバコを吸うには儀式をしなければならず本来、気軽に吸うべきものではなかったのです。
砂糖の多量摂取を習慣づけたラットに一定期間砂糖を絶ってから再開すると砂糖を得るための労力をいとわなくなり、摂取量も今までになく多量になります。
砂糖を多量摂取するラットの脳内ではコカイン・モルヒネ・ニコチンを摂取した時と似た変化が起こります。
空腹なラットが砂糖を摂取すると、ドーパミンが放出されます。砂糖摂取を反復すると、このドーパミンによる快感を求める欲求が強くなり砂糖への依存が生じるのです。
実験において砂糖の供給を絶たれたラットは、脳のドーパミンの分泌が下がり、歯をガタガタさせ、トンネル内に引きこもるなどの離脱症状を示しました。
覚醒剤のような、まさしく砂糖中毒症状でした。
砂糖を摂りすぎても警察に捕まり刑務所に入る事はありません。
ただし免疫力の低下や、肥満や心臓病、低血糖症や糖尿病の恐れがあり、医者に捕まり病院に入る可能性はあります。
MDMAを所持して逮捕された沢尻エリカに冷たい視線を浴びせている人々も同じような状況に陥っているかもしれないのです。
MDMAを初めて精製したのはドイツですが
カフェインやニコチン、メスカリン、エフェドリン、コカインもドイツで医薬品として発見されました。
精神分析の開祖のフロイトは
「ぼくもね、最近ひどいストレスで、どうにもならなくなって、またコカインを使ってしまった。
コカインて少量で、最高の気持ちにしてくれるのだね。
素晴らしいとしかいいようがないよ。」
とコカインを絶賛して愛用していました。
「ぼくのプリンセス
そんなゆーうつな気分
追い払っちゃえよ
あのコカインがあるじゃないか。」
とフロイトは恋人にもコカインを送ってます。
コカインは良い薬だったんですね。
ヘロインを販売していたドイツのバイエル化学コンツェルンは莫大な利益を上げていました。
イギリスによって植民地のインドから中国へアヘンを送り込こまれてアヘン戦争が起きています。
ヘロインはアヘン中毒のクスリでもありました。ドイツが戦争に負けると「ヘロインは人類にとって、もっとも有害な医薬品である」とされたのです。
モルヒネもヘロインもコカインも最初は薬として販売されていました。
麻薬は何もかもすべて危険であるとしていますがその合法・非合法の境界は化学的、医学的理由ではなく極めて政治的です。
合法であるニコチンとアルコールは注射をすると死亡します。ヘロインは薬だったので注射できます。タバコの葉は食べると命に関わりますが大麻の葉と種は調味料です。コカの葉は高山病の薬にもなりペルーで合法です。
大麻やハシシはソフトドラッグと呼ばれハードドラッグと比べると麻薬と呼べないのですがアルコールやカフェインと比べて致死量が異なるソフトとハードをすべて麻薬として十把一からげにしています。禁止されていない麻薬の方が危険だったりしているのです。
メキシコ人によってアメリカに持ち込まれた大麻は黒人に広がりました。これに白人女性が加わり黒人男性と白人女性の性交が目立ちはじました。性風俗の乱れに危機感をもった保守派白人男性アンスリンガーによって大麻は弾圧され麻薬に指定されたのです。
現在どんな結果になっているかというとアメリカの麻薬政策は失敗して世界一の麻薬消費国になっています。ヨーロッパの各国の麻薬撲滅政策もことごとく失敗しています。麻薬撲滅に莫大な予算をつぎ込んだのに麻薬中毒者による凶悪犯罪が増えてしまったのです。厳罰主義はうまくいかなかったのです。
イランのパーレビ国王はヘロインを製造して利益を上げていました。アシュラフ王女は女性の権利拡張と地位向上に尽力する国連人権委員会議長の役職を利用してヨーロッパにヘロインを運び込んでいました。麻薬は莫大な利益をあげるのでリビアのカダフィもシリアのアサドも麻薬に手を染めていました。
ドイツでは麻薬を厳罰にしたのにもかかわらず
麻薬撲滅に失敗して
若者に麻薬が蔓延してしまったので
大麻の刑罰を緩めました。
なにしろドイツは麻薬が最初は薬だった国です。
モルヒネもそうです。
大麻の刑罰を緩めるのを
一番最初にはじめたのはオランダでした。
オランダでは大麻の罰則を条件付きで緩めてから
ハードドラッグの使用者が減ったといわれます。
結局、厳罰にしても使用者が増え犯罪が増えるばかり
で効果がでなかったからです。
日本でもいまだに大麻もコカイン、ヘロインも覚醒剤も十把一からげにしていますが
このままでいくと
日本も遅かれ早かれヨーロッパと同じ道をたどるでしょう。
薬で起きる快楽や心の平安は薬が切れると終わってしまいます。
長期間ステロイドを服用していると、副腎は萎縮してステロイドをつくる力が弱くなってしまいます。
外から薬を入れ続けていると薬をつくる体の力は失われていきます。
そして薬を作る力が落ちると薬への依存性が高くなり最後はバランスを崩して余計に苦しんでしまうのです。
今の近代科学は脳の神経回路網が意識(マインド)を生み出していると考えます。
人間の脳は機械のコンピューターと同じなので壊れたらその機能を失うと考えます。
脳が作り出すマインドに関してはそれは正しいのですが臨死体験者の報告は人間の意識は物質である脳の機能を超えていることを示しています。
人間の本質は時間と空間を超えているのです。
文:清水友邦さん
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kuborie · 3 years
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オトナの教養 週末の一冊 2018年8月17日 うつの体験から考えぬいた、平成の反知性主義を克服する方法 『知性は死なない 平成の鬱をこえて』 與那覇潤氏インタビュー 本多カツヒロ (ライター)
 気鋭の歴史学者として活躍し、当コーナーにも2度登場していただいた與那覇潤氏。しかし、2015年に双極性障害Ⅱ型(軽躁の状態とうつ状態を繰り返す病)で入院。後に、勤めていた大学を辞め、歴史学者を廃業するとも公表した。一���は著しい能力の低下により、本を読むことさえ困難になったが、回復後に出版したのが『知性は死なない 平成の鬱をこえて』 (文藝春秋)だ。病気を通じて世の中を見る目が変わったという與那覇氏が、平成の日本を席巻した反知性主義について語ってくれた。
――世界的に見ても、平成の日本を見ても、反知性主義が跋扈していると度々指摘されます。平成日本の反知性主義について、どう捉えていますか?
與那覇:病気をする直前の2014年に、精神科医の斎藤環さんと対談させていただいたことがあります。当時はヤンキー文化論が流行っており、大雑把には「ヤンキーは身体感覚、つまり直感的な情動だけで動く人たちだから、言語による思考や説得が通じず、反知性主義に流れていきやすい」という議論になりました。
 たとえば「憲法九条をどう解釈すれば、防衛と平和主義を両立できるか」という言語による思索の歴史を全部スキップして、「戦力の放棄とかバカじゃねーの?」の段階で思考停止してしまえば、ヤンキー的な改憲論になる。そうした視点は、一面の真理を突いていたと思います。ただ病気を経て、いま思うのは、それではまったく不十分だったということです。
――SNSでも、他人の発言を批判する人たちが、叩きたい一部の字面だけを切り取って攻撃し、背後の文脈や相手の立場を踏まえていないことがよくあります。
與那覇:そういう人を、「これだからネットの住民は、反知性主義で困る」と切り捨てるのが、当時の私も含めた多くの言論人の態度でしたよね。
 しかしよく考えると、大学の授業でも同じタイプの学生と山のように出会います。文献の要約を課されると、各段落の1行目の抜き書きをコピペでつなげたレジュメを作り、発表の時もそれを読み上げるだけで、本人が内容を理解していない。東京大学にも、そういう子は普通にいましたよ。ゼミによっては、発表者の半数がそんな感じにさえなる。
 そして私自身、うつ状態で能力が著しく低下することではじめて、彼らがどういう状況なのかを体験したんです。たとえば本を読もうとすると、いちおう文字自体は読める。しかし自分が書いた文章なのに、1行目と2行目が「なぜつながるのか」が理解できない。そういう人が、(病気の有無にかかわらず)世の中の相当な割合を占めているんだと、そこから出発しないといけないことに気づきました。
――そこから、「身体ではなく言語で、正しい思考の道筋を示せば、世の中をよくできる」といった、いかにも知識人的な態度を疑い出したということですか?
與那覇:そうですね。そもそも世界的に見ても、インテリ層は「言語」の力で社会的な地位を得ているので、「言葉で分析できる俺たちは優秀」「言葉にできず身体的欲求だけで動くやつらはバカ」のように考えがちです。
 平成の日本でいうと「マニフェスト」みたいに、しっかり言語で公約を表明させれば政治がよくなるんだと、そういう主張が進歩的に見えたのも、ルーツは同じですね。
――だから、身体だけで動くヤンキーは「反知性主義だ」と指摘して、自分たちの方が上だという印象を作り出し、片づけてしまいがちだと。しかし、それでは本来の意味での反知性主義とは何でしょうか?
與那覇:広く読まれた森本あんりさんの『反知性主義』(新潮選書)を参照すると、反知性主義の根源は宗教改革までさかのぼれます。当時主流派だった、「身体」に働きかける儀礼を重んじるカトリックを、「言語」による聖書の読解をもとに批判したプロテスタントは、正統に挑戦する人々という意味では反知性主義だと言える。むしろ言語をベースにした、「反正統主義」としての反知性主義ですね。
 ただ日本の場合はキリスト教世界に比べて、言語で徹底的に「どちらの考え方が正統なのか」をぶつけ合って結論を出す伝統が弱く、江戸の儒学史の一コマくらいにしかありません。たとえば、最近まで憲法学界は「自衛隊は違憲だ」という論文(言語)を量産してきたけど、政治家も国民も身体感覚ではそんなこと信じてない。つまり「言語による正統化」という試み自体の、基盤が弱いんですね。
 だからもう一段階、意訳をして、反知性主義とは「アマチュアリズム」のことだと捉えたほうがよいかもしれません。つまり、プロの学者は信用できない、アマチュアこそプロが見落としたことを知っている、という発想です。
――そうした「アマチュアの優位」を説く現象とは、具体的には?
與那覇:平成の前半に盛んだった、「新しい歴史教科書をつくる会」の運動は典型でしょう。当否はともかく、彼らは「プロ(歴史学者)の書く歴史だけがそんなに偉いのか」と主張していた。だから、学者の側が「あの人たちは学界で認められてないですよ!」と反論しても、沈静化するはずがない。その点を見抜いてきちんと対応された批判者は、生前の網野善彦さんだけではないでしょうか。
 しかも皮肉なことに、事実認識としてさすがに直さないとマズい箇所をプロの学者が(批判の形で)全部教えてあげるものだから、いつのまにか「つくる会」の教科書が普通に検定を通るレベルになり、使う学校も徐々に増えてゆく結果になった。錚々たる歴史学界のプロたちが、自覚なくオウンゴールを決め続けた姿は、平成における「知識人の失敗」を象徴するようにも思えます。
――今日の日本の反知性主義は、いつ頃からの流れと考えていますか?
與那覇:戦後(昭和)の後半から平成の初頭までは、むしろ知識人のアイデアが社会をよりよく変えるという期待が、高まった時期だったと思います。革新自治体の首長には、左派系の大学教授が多かったし、対峙する自民党でも大平正芳・中曽根康弘といった首相がブレーン政治を展開して、一定の成果を出しました。その流れを受けて平成の初頭には、政治学者が音頭を取って「小選挙区制による二大政党化」をめざす大改革が実現しました。
 ところが一方で、同じ時期から「霞が関バッシング」が吹き荒れます。銀行と癒着してバブル崩壊の破局を招いたとされて、大蔵省(現在の財務省)が炎上し、「今までいばってたけど、東大卒のエリート官僚ってどうなの?」という雰囲気が、社会に広まっていきました。 平成の政治制度は前者の流れ、つまり知識人の主導で設計されても、実際にそれを動かしたのは後者の流れ、「プロへの不信」という意味での反知性主義だった。厚生省の薬害を追及して人気を得た菅直人さんや、外務省と全面対決して初期の小泉改革ブームを演出した田中真紀子さんは、「私はアマチュアだ。だからこそ、名ばかりで腐敗したエリートと戦える」というポーズで出てきました。
 最初は「慰安婦問題などで、つくる会と同じ主張をしている右寄りの政治家」という印象だった、いまの安倍首相も、同様の文脈で理解できますね。
――安倍首相や麻生財務大臣も含め、現政権は反知性主義的だと言われます。
與那覇:たしかにそうなのですが、そこでいう反知性主義を「学歴が低く、教養もなく、バカじゃないか」という意味にとってはいけないのです。支持者は「そこがいいんだ。だから、東大卒のエリート官僚なんかに取り込まれない」と感じているのですから。
 首相に返り咲く際に安倍さんは、当時の日銀を激しく攻撃してアベノミクスを掲げましたね。今日につながる財務省・日銀批判のルーツは、30年ほど前(1977年8月)に榊原英資さんと野口悠紀雄さんが『中央公論』に発表した「大蔵省・日銀王朝の分析」でしょう。お二人は本来大蔵官僚でしたから、この時点ではエリート社会の内部での論争であり、かつ「総力戦体制のように、官庁と日銀がすべてをコントロールしようとするのはよくない」という趣旨でした。
 ところがバブル崩壊後の大蔵省無能論や、相次ぐ消費増税への素朴な反発など、平成の反知性主義の高まりは、「俺たちノン・エリートの代表をトップにして、国の経済政策を一変させれば、全部うまくいくんだ!」という、より強力な国家主導を求める財務省・日銀批判につながっていった。担い手にも、少なくとも学者としてはアマチュアにあたる、経済評論家を自称する方がずいぶんおられますね。
――「エリートへの反乱」という反知性主義の特徴は、日本以上にトランプ大統領のアメリカや、EU離脱を表明したイギリスで指摘されます。これらの現象も、平成の日本と同じと捉えてよいのでしょうか?
與那覇:共通性と差異の両面を見なくてはいけません。たとえば、ヨーロッパで反緊縮財政を叫ぶ政治家や運動が力を伸ばしているからといって、「世界の潮流は反緊縮だ。それを日本にも」と唱える人が、知識人のあいだに増えてきました。ご本人としては、平成の反知性主義に対して自分たちが無力だった経緯を、反省しての行動なのでしょう。
 しかし、ヨーロッパで反エリート主義が反緊縮政策の形をとるのは、EUという、国家の上部にあり、選挙権がきちんと及んでいるのか不明瞭な存在が、共通通貨(ユーロ)の価値を維持するために「外部から緊縮を強制してくる」という前提があるからでしょう。日本に、それに相当するものがどこにありますか。「財務省支配がそうだ」というなら、まずはその根拠を政治学的に示すのが、本来の知識人の作法ではないでしょうか。
 まったく前提が違うのに、「ノン・エリートの声に耳を傾ければ、結論は反緊縮だ!」というのは、短絡というほかありません。知識人が率先して、「不勉強」というシンプルな意味での反知性主義を実践しているようで、憂鬱になります。
――何重もの意味で、「反知性主義化」が進んでいく世の中は、今後どうなっていくと考えていますか?
與那覇:エリートや専門家への不信は、これからも続くでしょう。しかし、いくらエリート支配が不快でも、「じゃあ自分で全部やれよ」と言われると、多くの人は困ってしまう。その場合、「誰によって統治されたいか」の基準が大きく変わり、結果的に前近代への逆行が起きないかと心配しています。
 近代社会を運営する学歴エリートは、勉強の成果という「後天的」に習得された特性によって、自分たちを権威づけてきました。それが気に入らないという反面、出自・家柄といった「先天的」な権威については、セレブだといって以前よりも持ち上げる風潮が、平成の半ばからあるように感じます。たとえばタレントどうしで結婚するより、歌舞伎役者の奥さんになる方が「格上だ」と匂わせる報道が、ずいぶんありますよね。
 くわえて日本では歴史が壊死していっているので、人々が優生学の復権に怖さを感じない。「能力は遺伝で決まる!」といった趣旨の記事をよく見かけますし、美男美女の芸能人カップルが結婚すると「子どもの遺伝子が凄そう」といったコメントが普通にあがる。どうして、本人の幸せより遺伝子が気になるのでしょうか。
――スポーツ選手どうしの結婚でも、どんな優秀な運動能力の遺伝子を持った子どもが生まれるのか、などという話がでますね。
與那覇:平成のあいだ、主にリベラルな知識人は「ぼくたちが改革をやって、古い慣習を壊し、もっとのびのび自分の能力を発揮できる社会にします」と唱えてきました。だけど、自分自身に「社会で活躍できる能力がある」と思える人って、実はものすごい少数派なんです。
 結果として、多くの人はむしろ「たかだか後天的な能力でいばってるエリートは、ムカつく。どうせエリートぶるなら、『生まれからして違います』であってくれ。それなら我慢できるから」という風潮に流れていったようにも思います。トランプ大統領にしても、父親も不動産王だからそこまでたたき上げじゃないし、娘さんは完全に親のコネで仕事をしている。でも、それでいいという人たちが、現に多数派としているわけです。
 「反知性主義と戦う」というなら、トランプや安倍さんの個別の「バカな言動」ではなくて、そうした潮流の方を見なくてはいけない。かつて学者として、それができていなかったという反省も込めて、今回の本を書きました。
――難しい課題だと思いますが、本書の中では対案も出されていますね。
與那覇:現時点での粗っぽいデッサンにすぎませんが、そうです。「能力」というものの捉え方を変えるしかない。それにともなって、大学はじめ教育機関のあり方も、考えなおしていかなくてはいけません。
 ヒントをもらったのは意外にも、病気で知りあった友人たちと始めたボードゲームでした。たとえば、病気の症状もあって「能力が低い」人がゲームに交じると、進行が滞って、みんな不愉快になる。そういう風に考えがちですよね。率直に言って、自分も最初はそうでした。
 しかしそれこそが、平成の知識人と同じ誤りを犯していないか。むしろ能力を個人ではなく、その場にいる人びとの全体が共有しているものだと考えて、「個人単位で見た場合の能力差があっても、みんなが面白く楽しめるように、この場を運営すること」こそが、本当の意味でやりがいのある「ゲーム」ではないか。
 そうしたいわば「能力のコミュニズム」を通じて、ギスギスとしていく社会に新しい展望を開きたい。その考えに至ったとき、教員・学生相互の間で不協和音が広がり、安易な弥縫策で教育のレベルも下がってゆく目下の大学を辞めることに、まったく後悔はなかったんですね。「病気で失職した人の手記」と聞いて連想しがちな印象とは違って、むしろポジティヴな本にできたと思っています。
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sakino-healthbe · 4 years
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【essay】: セルフモニタリングノートについて/セルフモニタリングのすすめ(1) 「私のセルフモニタリング/モニタリングノート史」前編
※セルフモニタリングとは?という大前提や基礎知識についての記述をぶっ飛ばしてうっかり先にモニタリング史から書き始めてしまったので、自己療法や精神科治療について全くの初心者。何を言ってるのかわけわからん。という方は内容が進むまでしばしお待ちください。。。
〈セルフモニタリング行為、認識以前 -行動療法とモニタリングのこと-〉
 私がセルフモニタリングをきちんと「セルフモニタリング」と意識してはじめたのはそうそう昔のことではなく、今の病院に移ってからのことである。
 といってもそれまでに自分で生活をモニタリングしてなかったのかというと全くそんなことはなく、私は筆記魔だし、 ①つれづれによしなしごとをとにかくひたすら書くフリーライティング(わたしにとってはこっちが日記だ)、②20代後半からは加えて、時系列に何をしたかを簡単に表に記してその日の出来事をメモしておく、いわゆる日記。この2つを長らく書いてきた。 後者は見た目・内容ともにかなりセルフモニタリングに近いものだったと思う。今は②はそのまま「セルフモニタリングノート」として継承されている。しかし当時はそれを「セルフモニタリング」と意識しておらず、ただ自分の毎日を自分で把握しやすくするために記録をつけるようになっていたというのが近いだろう。
 認知行動療法などさまざまな療法に対しては本などで読んでかなり興味を持っていたけれど、どの文献でもカウンセリング中心にかなりがっつりと時間をかけるような本格的な方法ばかりが挙げられており、どこか理想論というのか、日頃受けられる治療とはかなり程遠いものがあったから、こんなの本当にできている病院なんてあるのかなという懐疑を持っていた。 (それは今でもそうで、保険適用外だからなかなかお目にかかれないというのもあるけれど、しっかりと名のついた療法やカウンセリングで良い変化や効果があった!みたいな話ってどうもあまり聞かない気がするのだよな…)
セルフモニタリングという用語もこの頃は知らなかったし、おそらく当時はまだ精神科治療よりも心理学の分野で多用されていた言葉だったかと思う。 今でも、「セルフモニタリング法」で検索すると認知行動療法と紐付けされた語として紹介されているのを比較的容易に見つけられるけれど、逆に「認知行動療法」で調べるとセルフモニタリング法にたどり着くことが難しい、と言う不可逆性があるように感じる。
あまりはっきりとは覚えがないけれど、自分の場合は双極性障害の治療の文献で「行動を記録するのがいい」というのを目にして記録を始めたような記憶がうっすらとある。
〈転院して生活記録表をもらう -私の1日、連続性の困難-〉
 さて今の病院に移ったのは2018年7月のことらしい。これは障害年金を取得する関係で社労士さんに紹介してもらっての転院であった。
 まず生活記録表のようなものを書いてくるように言われ、生活内容・気分の状態を書く小さな空欄と時間軸がある簡単な表を渡された。 一般的に「週間活動記録表」だとか「活動記録表」といわれるものである。検索すればすぐ同様の表が出てくるかと思う。
 それまで通っていた複数のクリニックや病院はどこも同様に、診察時には体調のことや気分の具合を少し話すぐらいで、生活の内容や質に症状の紐付けをしたり突っ込んで話をすることはなかった。なので私がつけていた「セルフモニタリングのようなもの」を使うこともなく、つけている内容を言うこともなく、それらはただ自分のためのおこないであった。 なので転院して記録表をつけるように言われたときは、ああ、ここでは私の受けたかった治療や知りたかったことに近いものが為されていて、それはきちんと世にあるんだな、と安堵と驚愕をしたものである。 (これはどんな治療・どんな病院がいいわるい、という批判の文脈ではない。それについてはこのトピックからは大きくずれる話題だし、精神科治療と患者の関係は複雑で、きめこまかい治療や最近の治療がいいという安易な考えは通用しないと思うのもある。それに、相性があったところで理想の治療というのはよほどのお金をかけないと成立しないと思っている。要するに保険の枠内では万人の感じる理想的な治療はほぼ無理だなというわけ。あと、さらに言うとそれまでの通院はどこも月に一度だったのが今の病院では週に一度の通院になったので、頻度があがったことによる質の向上があるというものも考慮している。)
 転院したクリニックに通いはじめのころは霞の中にいるような具合だったのであまりよく覚えていないのだけれど、たしか2ヶ月ぐらいはもらった表に素直に従って書いていた。でも表の記述欄が小さいことや印刷のされ方が気に食わなかったことから徐々に書き損ねる日が増えていき(コダワリと一致しないとうまくいかないようになるあたりに大変ASDみを感じる)、これではよくないなとの思いから、自分で工夫して勝手に時間軸付きの���活記録メモをまた作るようになっていった。
 モニタリングを意識してから初めての自己流式は無印の短冊状のToDoリストを使用したものだった。(たしか罫線の数が24の約数になっていてちょうどよかったのだ) 罫線一本につきn時間と決め、その日に何をしたかを克明に記録し、なおかつ裏面にはその日に感じたことなどを書いていた。 しかしそのやり方は先生に方法がよくないと言われてしまった。メモをクリニックに持っていくようになって何回めかで言われたことが大変印象深く、はっきりと覚えている。 「いや~、1日につき1枚書いてらっしゃるというのが…なんというか…1日1日を本当に懸命に、息を上げながら生きているという感じがする…し、毎日がバラバラでつながっていないという印象を受けます、これだと連続性がわからないから、もう少し後から振り返りやすいものの方がいいね」 そのとおりなのである。なにものにも影響されていないものというのは本質が全部こもっているものだという持論を持っているけれど、そのToDoリストを使った1日1枚のやりかたは如実に私そのものであったと思う。
 私は双極性障害の日内変動の症状が強く、加えて(のちにわかる発達障害からくる)生活リズムのずれもひどかったので、次の日はいつ起きることができてどんな状態なのか、その日起きてみないことにはさっぱりわからない生活をしていた。し、今もまあその範疇にいる。なので自分の近未来の確約はできなくて、わたしにとって日々はてんでばらばらな点の集まりなのである。 (これは生きていく上でとてもしんどいことだ。かつて勝手におこなっていた「セルフモニタリングのようなもの」を記すようになったのも、結局毎日がばらばら過ぎて把握できないゆえに編み出した自分の遣り過ごし方なのだと思う。明日が予測できないというのは、計画が成せないことである…。このことについてはまた別途書きたいと思っている。)
 先生にそのように指摘されて実にそのとおりだなと思ったので、その方法をやめてかつてのようにノートにつけることにした。
〈モニタリングノートの試行錯誤  -セルフモニタリング史・前編-〉
 ここからはしばらくモニタリングノート史の話となる。
 まずは既成の手帳を探してみたが、しかし大抵の手帳というものは24時間も時間軸がついていなくて、だいたい深夜帯が省かれているので使い物にならないのだ…。モニタリングのいちばんの基礎は睡眠時間と活動時間の把握なので、ノートは24hの時間軸が均等に配置されている必要がある。
・ツバメ カレンダーノート時代
 ツバメから出ているA4版のカレンダーノートというのがあり、それはきっちりと24時間記すことができるバーチカル型でたっぷり余白もあって便利だし、なんせツバメノート好きだし、で使ってみたのだけれど、A4はデカ過ぎて私の手に負えなかった。
 そもそもモニタリングするのだから忘れないうちに行動を記録しないといけない。もともと短期記憶が弱いし始終服薬でぼんやりしているので、半日以上ほったらかしたら思い出しにくくなり、1日放置すればもうほぼ思い出せないと言っていい。なのでモニタリングノートには携帯性が必要なのだ。ちょっとした隙間を見つけては書きつけるのが理想なのだけれど、さすがに広げたらA3に��ってしまうノートは毎回持ち歩くわけにはいかなくて、そうしてるうちに全然続かなくなってしまった。
・1週間バーチカル型手帳時代
 今度は携帯性を考えて、24時間の枠があるバーチカル手帳を見つけてきた。深夜帯がやや詰まっていて他の時間より書くスペースが少ないけれど、とりあえず1週間なりある程度の連続体が見渡せるものが必要。(と、そう思い込んでいた)
バーチカル1週間型自体がとても苦手だったとのちのちわかるのだけれど、この時は先生に言われた「1日1日がばらばらで俯瞰できない」という主旨がまだ頭に残っていて、あまり好きでもないし書く欄も限られているこの型の手帳を買って、必死に毎日を詰め込んでいた。
書きたい量と本来書かれるべき量が一致していないのだから、過去になった日付欄はぐっちゃりしていて、そして朝・昼・夜より間隔の詰まった深夜~早朝の枠組みの方に私は多く生きていて、そうした事柄からやがていやになってしまい、私は早々と手帳から離脱した。
・トラベリングノート 全カスタム時代
 それならば自由度が高ければいいのでしょ、と次に私は当時凝っていたトラベリングノートに目をつけた。 フリーライティングや語学やその他書き物などだいたい自分が普段筆記に使うものはこの頃これで管理して持ち歩くようになっていて、凝り性というのもあって最大で4冊ほど(大)サイズの縦長の革ノートを持って使っていた。 今考えると結構狂っている。
 ほとんどこれで筆記をまわしているのだから、じゃあモニタリングノートもこれでつけてしまえばいいじゃないかという算段をした、まではよかったのだけれど、無謀なことほど燃えてしまうというよくない癖を持っている私は無地のノートを買ってきて、そこにわざわざあらゆる線を自分で書いてオリジナルのモニタリングノートをゼロから作成した。 定規で測った複数のシルシを1ページずつつけては線を引いていく。24の目盛りを1日ごとに入れていく。大仕事である。
 普通の人なら馬鹿げていると回避することでも、なんとなく私にとっては売られた喧嘩のように思える時があって、そうしてその時はその自分で起こした喧嘩を買った。 軽躁と強迫が入り混じったようなこんな行動に出ることが、たびたびある。
 このノート作成は周囲や自分自身の予想より結構ながいあいだ続いた。毎回めんどくさかったけれど、手間をかけてカスタムするのは好きだったし、線をひいているだけで何か大仕事をした気分になれた。ノート自体をコントロールしているという感じも心地よかった。 しかし何より、おそらく当時は強迫の傾向が強い時期と重なっていたのだと思う。だんだんと書かれることがらが増え、いろいろな要素に応じたたくさんの色分けが為され、さらにはもっと別の視点からのモニタリングに関するノートが別に増刷され、生活に関わる行為が事細かに書きつけられては分析された。
 書くことに対する強迫行為の中にセルフモニタリングが絡め取られてしまった。書くことに耽溺できているうちはよかったが、それらは自分の所持しているエネルギー量をはるかにオーバーするものだったので、強迫傾向の時期が終焉するころにはすべてが「ただのしんどい手仕事」に変わってしまっていた。 やがて線をひくこともしんどくなり、日にちの進む方がノートを上回るのがつねづねで、はあはあ息をあげながら診察前に罫線を引いて急いで覚えているぶんだけを書くような乱雑さになりはてた。
 溜まり出したらもうこういうことはうまく回せない。半年ほど続いた全カスタムの様式もこうして折れてしまった。
・EDiTノートでスケジューリングも同時進行、ちょっと反抗期時代
 見開きに七日間をぶち込むからいけないのだと思い至った。
 私は書く量が多い。書くことの種類も多い。とにかく言語化するアホだからだ。病院が配っている「生活記録表」なんてあんなエクセルの表そのままみたいなもの、何を書ける余白がどこにあるねん、と思うし、バーチカル1週間型のノートは30分ぐらいのできごとの気づきについて書き付けようとして改行・改行・改行をしているうちに書いていることが5時間分ぐらいの枠を使ってしまう。結果だんだんと筆記と時間はずれていってしまい、もはや1日の後半になると時間と行動が実に不一致、何の意味もあらへんやんか、と言った具合。
トラベリングノートが乱雑をきわめていた頃、東急ハンズの文具コーナーをうろついていた私はEDiTとか言う1日1ページ型のスケジュール帳を目にして思った。 いやいやいやいや。もう、連続が、俯瞰が、とか言うてる場合じゃなくて、落ち着いて継続してノート書かれへんかったら意味ないやんかぁ。 半ばヤケクソ気味になりつつ、スケジュール帳の売り出し時期を過ぎてやや安くなっていたそれを買った。
 これの良いところはきちんと24時間が均等になるところなのですね。そこは譲れないところである。さて。1日はなんて広いんでしょう。のびのび。横に手足を伸ばせる!!バーチカル型で窮屈な思いをずいぶん続けていたので心からそのように思ったものである。
 診察の時に「1日1ページで時間の流れを俯瞰しにくいかもしれないんですけどいいんでしょうか…」とおそるおそる尋ねてみたけれど、「ま、ノートになってるからいいんじゃないですかね。」とのことだった。内心で「ええんかーい」とツッコミを入れながらも少し安心した。
 ちょうどこの頃、京都と東京を往復する暮らしが決定したこともあり、新しい生活に新しい手帳で鼻息荒くふんふんしていた。モニタリングノートも、これまでよりもっと活用してうまく運営してやろう!という気持ちがあった。 スケジューリングしないといけないことが増えたぶん、私はスケジュール帳の側面もモニタリングノートにぶちこむという暴挙に出た。広々した1日のページの端、5分の1ぐらいを間借りしてちょっとしたスケジューリングコーナーを作ったのである。
 しかしこれがよくなかった。のちのち深く反省と理解をしたものだが、モニタリングとスケジューリングは非常に相容れないものだった。前者は過去/事実を素直に書くもの、後者は未来/希望を期待値で書くものである。混ぜるな危険。取り扱い要注意。よっぽど自身の運営がうまく克己心の強い人だとこれでも全然問題ないのだろうが、私のような自己管理のヘッポコがこれをやると簡単に自己肯定感が死んでしまう。 なぜか。説明するまでもない、予定とその結果が毎日並ぶのだ。「不履行」「不履行」「不履行」が並ぶ毎日の手帳…。まことに精神によろしくない。 ちょうど慣れない東西往復生活において私はバスを逃しまくるという失態をやらかしまくっていた(一時期は「バスを逃す人」みたいな認識が周囲に確実にあった)。不履行どころで無し、大・不履行である。 双極性障害の日内変動のひどさと発達障害的な気質、加えて極度の外出不安を持っているので、私は予定を予定通りこなすことが非常に不得意だ。こんな人間が結果(モニタリング)と予定(スケジューリング)を並記してはいけない。 少し考えれば想像できるのだけれども、人というものはどうしてか自分自身に関してはそうもいかず、やってみてやっとわかることが多い。 モニタリングとスケジューリング、並行するべからず、と知った。
 もうひとつ、モニタリングに馴染んできたからこそ出てきた問題としてプライバシーの問題が浮上し始めていた。
 私は東西往復生活を主治医に黙っていた。話せば止められるからである。それ以外にも、就労を止められていたのにちょこちょこバイトして銭を稼ぐなどもしていた(だって生活やっていけませんやんか)。 要するにワルの患者だった。ワルの患者はだんだんと、モニタリングノートに書きたくても書いたらヤバいことが増えてきたのだった。 そうでなくてもモニタリングを書くことに慣れてきたゆえ書く時のプライバシー設定がゆるゆるになってきたというのもある。例えば誰々と朝までメールした通話した、誰々とご飯食べた、カミキリムシと部屋で遊んだ、なんてことも書くようになって、たまにそうしたことで先生に何かを訊かれる場面も増えてきたから、だんだんと私の中に「先生にモニタリングノートを毎回見せるのはいやだな」「モニタリングノートを先生に毎週見せるのはプライバシーが筒抜けってことで、それはどうなのか?」「っていうかもっと例えば恋人がいる人とかどうしてるの?」という気持ちや疑問が浮かぶようになってきていた。 (いや、本当に、素朴な疑問として恋人がいたりパートナーと暮らしている人は何をどこまで書くんだろう?喧嘩したとかセックスしたとかそうしたことはどうしてるんだろう?書くんだろうか?だってちかしい人との関わりは精神に関わる大事なことだから。)
 そんな諸事情を抱えた私は少しずつ、自分だけにわかる方法を使うようになっていった。知られたくないこと、仕事や東京周りのことはロシア語の単語でメモするようになった。
EDiTノートはすぐにそのあと野帳にとって変わったから2ヶ月ぐらいのことだったけれど、私生活の形態も大きく変わった頃というのもあってここから得たものは多かったように思う。決して使いにくいノートではなかった。
(後半へ続く)
◆予告◆ 野帳時代、そしてやっとLIFEノートで得た頑張り過ぎないモニタリング方式へ。
乞うご期待。
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正しく働かない脳
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2019年2月 号
2019年(平成31年)2月9日
第154回アミュゼ柏相談会資料
正しく働かない脳
統合失調症(schizophrenia)
 1.陽性症状
 妄想(被害関係妄想、注察妄想、追跡妄想、被毒妄想)や、幻覚(幻聴、幻視)などです。
 たとえば、第三者同士が本人を観察し詮索しあっているという対話形式の幻聴、患者の挙動にいちいち口をはさむ幻聴、患者に話しかける幻聴。話しかけに対する患者の応答反応は、独語、空笑いのように観察されます。
 させられ体験(操られるままに考え行動してしまい、これに抵抗することが出来ない)、思考察知(自分の考えが相手に知られている)、思考伝搬(自分の考えが世間に知れ渡っている)、思考吹入(思考を吹き込まれる)、思考奪取(考えを抜き取られる)などがあります。また、思考のまとまりが悪くなり、極端な場合は、支離滅裂な思考、非論理的呪術的な思考となります。
 感情の面では、「打てば響く」ような共感が無くなり、これは疎通性障害と呼ばれます。そこから生ずる独特の冷��なよそよそしさ、いわゆる統合失調症らしさが、患者の印象全体を覆っていきます。感情の鈍麻や浅薄化、状況にそぐわない不自然な感情の動きなどです。
 緊張病症状というものもあります。緊張病性の興奮と昏迷の両極端が時間的に劇的に交代して現れるものです。意志発動の亢進、及び低下の現れと考えられる。
 このように、統合失調症では、精神機能の様々な面で、現実世界や他者との生きた接触が損なわれていきます。ミンコフスキーE.Minkowskiは、これを「現実との生ける接触の喪失」と表現しました。ウジューヌ・ミンコフスキー(Eugene Minkowski):1885年、ロシア、サンクトペテルブルグ生まれ、ポーランド系ユダヤ人の両親を持つ。20世紀にフランスで活躍した精神科医。著書、”精神分裂病”で著名。
 2.陰性症状
 陰性症状は正常な精神機能が減弱欠如してしまうもので、感情の鈍麻、平板化、意欲と自発性の欠如、会話の貧困、寡動、社会的ひきこもりなどです。
 
 うつ病(depression)
 うつ病は、次のような症状が特徴的です。
必須①抑うつ気分。毎日一日中、気分の落ち込みが2週間以上続く。
必須②興味・喜びの喪失。毎日一日中、何事にも興味が持てず、楽しいはずのことが楽しめない。このような状態が2週間以上続く。
③2週間以上、よく眠れていない。
④食欲が落ちて体重が減少する。(逆に、食欲が亢進して体重が増加する。)
⑤疲れやすい。ほんの少し働いただけで、2日間ぐらい寝込む。
⑥自責感。自分は駄目な人間だ、皆なに迷惑をかけているなど自分を責める。
⑦思考力、集中力の低下。いつもは普通に決められる事が決められない。
⑧生きていてもしかたがないと思う。
⑨動作が緩慢。動きや反応が遅くなる。
精神科医 加藤忠史さんはうつ病診断基準を次のように述べています(参考文献(1))。
1.『必須①、必須②のうち、どちらかが必ずある』
2.『必須①から⑨迄のうち、5項目以上該当する』
3.『これら症状が毎日一日中、2週間以上にわたって続く』
これら三条件が当てはまる場合、うつ病と診断されます。あなたは如何ですか?
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第1図 不安障害、うつ病、双極性障害、統合失調症、境界性パーソナリティ障害、発達障害の概念図
  数あるパーソナリティ障害を代表して、境界性パーソナリティ障害を示しています。 
  双極性障害(bipolar disorder)
 双極性障害は、以前は躁うつ病と言われていました。躁状態(ないし軽躁状態)と、うつ状態の組み合わせを1サイクルとし、生涯これを何回も繰り返す病気です。
 躁状態:気分が病的に高揚して、ハイテンションになった状態。しばしば睡眠さえ取らず活発に活動して、楽しいことに熱中します。爽快な気分で新しい発想が次々と湧いてくる。意欲が亢進する。また反面、注意散漫で仕事の完成が困難となる。高圧的で落ち着きが無く、不機嫌で怒りっぽい、一度起こりだすと手がつけられないほど激昂します。
 また、冷静な判断力が失われ、過度の浪費をしてしまう。他人への攻撃性が増して、時に職場や家庭での人間関係に破滅的トラブルを来します。
 重症になると興奮して反社会的行為に至る事もあります。
 こうした状態が1週間以上続く場合、躁状態の疑いが強くあります。
 軽躁状態:躁状態と同様の症状が現れますが、症状が比較的軽く、職場や家庭での人間関係を破滅させるほどではない状態。時には仕事の能率が上がり、周囲の人を感心させる事もあります。周囲の人が本人の軽躁状態に気づかない場合もあります。こうした状態が4日以上続くと軽躁状態と言えます。
   双極性障害には、Ⅰ型とⅡ型があります。
双極性障害Ⅰ型:強度の強いはっきりとした躁状態とうつ状態を1サイクルとして、周期2年間程度で繰り返すタイプ。
双極性障害Ⅱ型:軽躁状態とうつ状態を1サイクルとして、周期1年間以下で繰り返すタイプ。特定の季節になると、軽躁とうつの転換が起こりやすい。Ⅱ型の場合、本人も周囲も軽躁状態に気づかずに、うつ状態のみが目立って、うつ病と誤診されるおそれがあります。双極性障害の薬とうつ病の薬は異なるので、誤診されてうつ病の薬を飲み続けると、双極性障害が遷延化しますから気をつけなければいけません。
 自殺の危険性:双極性障害のうつ状態では、患者の自殺のリスクが高まると言われています。躁状態から回復した後に、躁状態の時の行動を後悔し、うつ状態の時にそれを苦にして自殺念慮が高まるからです。周囲の人の配慮が大切です。
 神経症(neurosis)
 神経症(近年は不安障害という)は、過度の不安、ヒステリー症状、恐怖症、強迫症状、抑うつ状態などを示す障害であり、そこには明らかな身体の病気は見られず、また、統合失調症のような妄想・幻覚なども無い精神疾患です。神経症には、以下に述べるように様々の病態があります。
1.パニック障害(急性不安障害)
 パニック障害は、激しい動悸、胸痛、窒息感などの症状が予期できない形で突然発生します。発作は数分~数10分で治まりますが、このような発作が何回も繰り返して起こります。発作が起こる背景には、疲労の蓄積、睡眠不足、不規則な生活などがあります。発作を抑えるのに、抗不安薬や抗うつ薬(三環系、SSRI)が有効とされています。
 2.全般性不安障害(慢性不安障害)
 周囲の状況とは関係なく、主観的不安感が毎日のように持続する症状を言います。例:自分や家族が病気や事故に遭うのではないか、失業するのではないか等。同時に、発汗、動悸、振戦、緊張性頭痛等を伴います。女性に多いとされます。
3.恐怖症
 恐怖症は、現実には何の危険も無い対象・状況に対して、強い恐怖感を抱く精神疾患です。恐怖に伴う身体症状として、心悸亢進、発汗、吐きけ、振戦、失神があります。恐怖症では、恐怖の元となる対象や状況を避けようとする回避行動が起こり、社会生活を円滑に営む事が出来なくなります。又、しばしば強迫行為を伴います(例:不潔恐怖による洗浄強迫)。恐怖症には、次の三つがあります。
 (1)広場恐怖(agoraphobia)
 広場恐怖は、文字通りの広場ではなく、何かあった場合に助けを求められない場所や状況に対する恐怖です(例:乗り物の中、閉所空間、人混みの雑踏等)
 (2)社会恐怖(social phobia)
 社会的・社交的状況、特に比較的少人数の集団内で、注目される事に対する怖れが中核をなし、そのような状況を回避する結果、学業や職業の機能が低下してしまいます。その要因として、自己評価の低さ、周りの人の自分に対する批判に対する怖れが関連しています。赤面、尿意頻回、視線恐怖、対人恐怖等が起こります。
 (3)特定の対象・状況に対する恐怖
 特定の生きもの(蛇、蜘蛛、昆虫、鳥、蛙等)、特定の状況(雷、飛行、暗闇、高所、公衆便所での排便排尿、特定の食物、血・傷害の目撃、エイズなどの罹患、自然災害のニュースに接すること)、によって生ずる恐怖。特定の対象・状況に対する恐怖は、恐怖症の中で一番多いです。
 4.強迫性障害(obsessive-compulsive disorder)
 強迫とは、ある観念や衝動が、自分の意志に反して執拗に意識に上り、それをばかばかしいと思いながらも止める事が出来ない、そして、これらを敢えて抑えようとすると、かえって強い不安が起こる、という一連の流れを指します。強迫行為は、強迫観念を打ち消し無害化するために行われます。
 (1)不潔・汚染の強迫観念、これを打ち消す為の洗浄が強迫行為。たとえばドアのノブに触ったら手を洗われずにいられない。
 (2)安全確認行為。ガス栓を閉め忘れたのではないか。玄関の鍵を染め忘れたのではないか、と何度も何度も確認する強迫行為。
 (3)行為の儀式化
 生活上の行為を自分が決めた手順の通りに行わないと不安になる。例:手順通りに食事をする、���出する際、洋服を着る、靴を履く、手順通りにしないと最初からやり直すなど。
 (4)性的に卑猥な言葉、相手に対する攻撃的な言葉などが反復して頭に浮かぶ。
  強迫性障害には薬が有効です。抗うつ薬(三環系のクロミプラミン、SSRI)が効きます。
 5.ストレス障害
(1)適応障害(adjustment disorder)
 適応障害は、ストレス因子に反応して3ヶ月以内に、情緒、行動の面に症状が現れ、社会的機能が失われるものを言います。ストレス因子は、若年者では学校の問題、親の不和・離婚、成人では結婚、離婚、引っ越し、経済問題、職場の問題等。国際的問題としては、迫害、移住、亡命、難民化等。主たる症状は、抑うつ、不安、行動の障害が、生活に伴います。ストレス因子が除去されると、6ヶ月以内に症状は消えていきます。
 (2)外傷後ストレス障害(post-traumatic stress disorder,PTSD)
 日常生活の範囲を超えた異常な事態、戦争、自然災害、火災、交通事故、暴力、強姦など、生命の安全が脅かされた場合、人は誰でも非常に強い感情を伴うストレスを受けて精神的に病的な状態に陥ります。これを外傷後ストレス障害(PTSD)と言います。従軍兵士が戦場から帰国後、重篤な精神症状を示すことは、戦争神経症としてよく知られていました。
  PTSDの典型的な症状として、以下のものがあります。
(イ)夢の中、あるいは覚醒時に外傷体験を再体験する。
(ロ)外傷体験を想起させる事柄を何時も避ける。
(ハ)睡眠障害、怒りやすい、驚愕反応。
 6.転換性障害(conversion disorder)
 転換性障害は以前、ヒステリーと言われていました。随意運動機能の異常を起こすもので、失立(立つことが出来ない)、失歩(歩くことが出来ない)、失声(声が出ない)、チック(突発的、無目的、不随意(ふずいい)に急速な運動や発声が起きるもの。子どもに多く、まばたき、首振り、顔しかめ等)等が起こります。
また、感覚機能の異常(知覚脱失、疼痛など)がありながら、原因となる身体疾患が見あたらない場合があります。発症の原因として、心理的葛藤、ストレス因が関与しています。
 解決不能の事態に対する葛藤から生じる不快な感情が、身体症状化したものと考えられています。身体の麻痺、視覚障害、無言状態などが、転換症状として良く見られます。
 7.解離性障害(dissociative disorder)
 解離性障害は、身体に器質的な異常が無いのに、意識や同一性の障害が起こります。
解離性健忘:心的外傷となる様な出来事に遭遇して、その後、その出来事を想起できなくなること。
解離性同一障害:いわゆる多重人格のこと。複数の人格の状態を行き来する事が長期にわたり継続します。解離性障害のうち、もっとも重症で慢性的症状です。
 8.摂食障害
(1)神経性無食欲症
 思春期やせ症と言われています。発症年齢は13歳~20歳の未婚女性に多い。主な症状は、摂食拒否と高度のやせです。患者は「食欲がない」と言って食事を拒否し、急速に体重が減少します。やせていても本人は「まだ太っている」と主張し、食べないで活動します。性格は、自己中心的、強情、頑固、負けず嫌い、他人に厳しい、ところがあります。
 (2)神経性大食症
 神経性大食症も若年女性に多く、神経性無食欲症よりやや遅れて、10代後半~20代前半に発症します。症状の特徴は、
(イ)はっきりした”無茶食い”を繰り返して行っている。
(ロ)摂食行動を自己コントロール出来ない。
(ハ)体重増加や体型に過度の関心をもっていること。
 ”無茶食い”の後は、自己嫌悪、罪悪感、抑うつ気分を生じます。神経性大食症の背景には、思春期の人生課題を遂行する事に困難を抱えて、悩んでいる事情があります。
  パーソナリティ障害(Personality Disorder)
1. 妄想性パーソナリティ障害(Paranoid Personality Disorder)
 他人の動機を悪意のあるものと解釈するといった,広範な不信と疑い深さが、成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。 以下のうち4つ、またはそれ以上によって示されます。
 (1)十分な根拠もないのに,他人が自分を利用する,危害を加える,または騙すという疑いをもつ。
 (2)友人または仲間の誠実さや信頼を不当に疑い,それに心を奪われている。
 (3)情報が自分に不利に用いられるという根拠のない恐れのために,他人に秘密を打ち明けたがらない。
 (4)悪意のない言葉や出来事の中に,自分をけなす,または脅す意味が隠されていると読む。
 (5)恨みをいだき続ける。つまり,侮辱されたこと,傷つけられたこと,または軽蔑されたことを許さない。
(6)自分の性格または評判に対して他人にはわからないような攻撃を感じ取り,すぐに怒って反応する,または逆襲する。
 (7)配偶者、または性的伴侶の貞節に対して,繰り返し道理に合わない疑念をもつ。
 【妄想性パーソナリティ障害の事例】
訴訟好きの人。配偶者の貞節を何の根拠もなく常に疑う人。持続する強い猜疑心を持つ人。
 2. シゾイドパーソナリティ障害(Schizoid Personality Disorder)
 社会的関係からの遊離,対人関係状況での感情表現の範囲の限定などの広範な様式で,成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。以下のうち4つ、またはそれ以上によって示されます。
 (1)家族の一員であることを含めて,親密な関係をもちたいと思わない,またはそれを楽しく感じない。
 (2)ほとんどいつも孤立した行動を選択する。
 (3)他人と性体験をもつことに対する興味が,もしあったとしても,少ししかない。
 (4)喜びを感じられるような活動が,もしあったとしても,少ししかない。
 (5)第一度親族以外には,親しい友人または信頼できる友人がいない。
 (6)他人の賞賛や批判に対して無関心に見える。
 (7)情緒的な冷たさ,よそよそしさ,または平板な感情。
 【シゾイドパーソナリティ障害の解説】
 シゾイドパーソナリティ障害の人は、生涯にわたる社会的ひきこもりと極端な内向性を特徴とします。親密な人間関係に対する欲求を欠き,常に孤立して行動することを選びます。他人の賞賛や批判に関心を示さず,親兄弟以外には親密な関係を持ちません。職業も対人接触の乏しいものを選びます。冷たくよそよそしい印象を与え,しばしば家族に対してすら冷淡であるが,意図された攻撃性としての冷たさではなく,そもそも対人関係に喜びを感じないのです。怒りを現すことは滅多になく性体験に対する興味は極めて乏しい。
 3. 失調型パーソナリティ障害(Schizotypal Personality Disorder)
親密な関係では急に気楽でいられなくなること,そうした関係を形成する能力が足りないこと,および認知的または知覚的歪曲と行動の奇妙さのあることの目立った,社会的および対人関係的な欠陥の広範な様式で,成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。以下のうち5つ、またはそれ以上によって示されます。
 (1)関係念慮(関係妄想は含まない)、関係念慮:例として、教室の後ろで同級生3~4人が話し合っていると、自分の噂をしていると感じる。
 (2)行動に影響し,下位文化的規範に合わない奇異な信念,または魔術的思考(例:迷信深いこと,千里眼,テレパシー,または“第六感”を信じること;小児および青年では,奇異な空想または思い込み)
 (3)普通でない知覚体験,身体的錯覚も含む。
 (4)奇異な考え方と話し方(例:あいまい,まわりくどい,抽象的,細部にこだわりすぎ,紋切り型)
 (5)疑い深さ,または妄想様観念
 (6)不適切な,または限定された感情
 (7)奇異な,奇妙な,または特異な行勤または外見
 (8)第一度親族以外には,親しい友人または信頼できる人がいない。
 (9)過剰な社会不安があり,それは慣れによって軽減せず,また自己卑下的な判断よりも妄想的恐怖を伴う傾向がある。
 【失調型パーソナリティ障害の解説】
 「魔術的」などと形容される奇異な思考や独特の信念,関係念慮(例:教室の後ろで同級生3~4人が話し合っていると、自分の噂をしていると感じる),妄想様観念などを持ち,疎通性(話が通じること)が障害されがちです。このため安定した社会関係や親密な人間関係を持つことが難しいです。社交場面で強い不安を持ちますが,それは自己卑下よりも妄想的恐怖に結びつきやすいからです。魔術的思考には,迷信深さ,テレパシー・予知能力を信じること,現実にありえないそのほかの思い込みなどが含まれ,いずれもその人が属する下位文化の常識から逸脱したものです。
 4. 反社会性パーソナリティ障害(Antisocial Personality Disorder)
他人の権利を無視し侵害する広範な様式で,15歳以降起こっており,以下のうち3つ、またはそれ以上によって示されます。
 (1)法にかなう行動という点で社会的規範に適合しないこと。これは逮捕の原因になる行為を繰り返し行うことで示される。
 (2)人をだます傾向。これは繰り返し嘘をつくこと,偽名を使うこと,または自分の利益や快楽のために人をだますことによって示される。
 (3)衝動性、または将来の計画を立てられないこと。
 (4)いらだたしさおよび攻撃性。これは身体的な喧嘩または暴力を繰り返すことによって示される。
 (5)自分または他人の安全を考えない向こう見ずさ。
 (6)一貫して無責任であること。これは仕事を安定して続けられない,または経済的な義務を果たさない,ということを繰り返すことによって示される。
 (7)良心の呵責の欠如。これは他人を傷つけたり,いじめたり,または他人のものを盗んだりしたことに無関心であったり,それを正当化したりすることによって示される。
5. 境界性パーソナリティ障害(Borderline Personality Disorder)
 対人関係,自己像,感情の不安定および著しい衝動性の広範な様式で,成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。以下のうち5つ、またはそれ以上によって示されます。
(1)現実に,または想像の中で、見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努力。 
(2)理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる,不安定で激しい対人関係様式。
(3)同一性障害:著明で持続的な不安定な自己像または自己感。
(4)自己を傷つける可能性のある衝動性で,少なくとも2つの領域にわたるもの(例:浪費,性行為,物質乱用,無謀な運転,むちゃ食い)
(5)自殺の行動,そぶり,脅し,または自傷行為の繰り返し。
(6)顕著な気分反応性による感情不安定性(例:通常は2~3時間持続し,2~3日以上持続することはまれな,エピソード的に起こる強い不快気分,いらだたしさ,または不安)。
(7)慢性的な空虚感。
(8)不適切で激しい怒り,または怒りの制御の困難(例:しばしば、かんしゃくを起こす,いつも怒っている,取っ組み合いの喧嘩 を繰り返す)。
(9)一過性のストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離性症状。
 【解説】
 まず特徴的なのは,人とのかかわりが非常に不安定で,人の評価が,すばらしくいい人からすばらしく悪い人へと簡単に逆転するような,非常に不安定な対人関係をもっています。
 それから,衝動行為が多い。衝動行為として薬物噂癖,摂食障害,つまり過食や拒食や,買物依存とか,万引きもあります。
 それから,自殺企図か,見せかけの自殺が多い。「手首を切ってしまった」と人に見せに来るとか,「これから死にますから」と連絡しておいてから薬を飲むとか,いろいろ人騒がせな自殺未遂がみられます。
 また,感情の浮き沈みが激しい,落ち込んだときというのはうつ状態に似ているけれども,うつよりも期間が短い。多くて2,3日,短ければ2,3時間ぐらいでまた立ち直る。そういうスパンの短いうつ状態が起こる。
 それから,自我同一性の混乱がある。それは自己表象が逆転したり,不安定だからです。また,空虚感,独特のむなしさを抱えています。
【事例】原始的投影性同一視とストーカー行為
 境界性パーソナリティ障害の人は、原始的投影性同一視という防衛機制を使います(注1)。原始的投影性同一視というのが恋愛のほうで起こると,ストーカーになります。投影だけなら一人で思っているだけですが,投影性同一視になると,「どうもあの人は私のことを好きらしい。じゃあ私もあの人を好きになって,花束を届けましょう。カードを届けましょう」ということになる。相手は身に覚えがないのに付け回されて,「いらない」と言うのにいろいろなことをしてくれる。そういうストーカー現象になるわけです。引っ掛かりやすいのは恋愛です。原始的防衛の作用で熱烈に愛してくれる人だったりしますから,恋愛の相手も,最初はたいへんうれしいのですが,だんだん変だなと思うようになります。また,二者関係(注2)ですからすごくしつこく「絶対に自分のほうだけを向いてくれなければいやだ」みたいなことを言いはじめるとか,四六時中携帯電話で追い回すということになってくると,だんだん相手がうるさがったり,嫌そうな態度をとると,今度は悪い表象を相手にかぶせて見ますから,待ち伏せして恨み言を言うとか,執拗な攻撃が始まってきてしまいます。そういう目にあうことになりますから、特に女性は交際相手の男性が境界性パーソナリティ障害の持ち主でないかどうか、十分に気をつけないといけません。
 
注1:①投影とは、自分の中にあると認めるわけにはいかない欲動や感情を、自分の中にあるのではなく、他の人のほうにあると思うこと。EX.1 自分はAさんを本当は嫌っている。しかし、それを認めたくないので、Aさんが自分を嫌っていると感じる事、すなわち向け換えです。EX.2 自分はBさんに本当は異性感情をもっている。それを認めたくないので、向け換えしてBさんの方が自分に異性感情をもっているとすること。②投影性同一視とは、EX.1のように、本当は自分がAさんを嫌っているのに、Aさんのほうが自分を嫌っていると感じる。その嫌われているという感情に同一化して、自分のほうから働きかけ、関わりをしてしまうこと(たとえばAさんが会社の同僚なら、Aさんの足を引っ張る様な言動を取る)。③原始的投影性同一視:「原始的」というのは、分裂の機制が働くことです。すなわち、人や物事を見るとき、”100%良い”、あるいは”100%悪い”とう表象をかぶせて見ることです。欲動や怒りの程度が激しい性質を帯びます。
注2:二者関係:人間関係において、「私とあなた」と言う関係しか認識できないことです。この対となる概念が三者関係で、「私とあなたとあなたの友」と言うように、第三者の存在を認めることです。幼児は二者関係しか認識できません。お母さんは私とだけ関係している、と思っています。
 6. 演技性パーソナリティ障害(Histrionic Personality Disorder)
 過度な情緒性と人の注意を引こうとする広範な様式で,成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。以下のうち5つ、またはそれ以上によって示されます。
(l)自分が注目の的(まと)になっていない状況では楽しくない。
(2)他者との交流は,しばしば不適切なほど性的に誘惑的な,または挑発的な行動によって特徴づけられる。
(3)浅薄ですばやく変化する感情表出を示す。
(4)自分への関心を引くために絶えず身体的外見を用いる。
(5)過度に印象的だが内容がない話し方をする。
(6)自己演劇化,芝居ががった態度,誇張した感情表出を示す。
(7)被暗示的,つまり他人、または環境の影響を受けやすい。
(8)対人関係を実際以上に親密なものとみなす。
 7. 自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic Personality Disorder)
 誇大性(空想または行動における),賞賛されたいという欲求,共感の欠如の広範な様式で,成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。以下のうち5つ、またはそれ以上によって示されます。
(1)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する,十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。
(2)限りない成功,権力,才気,美しさ,あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
(3)自分が“特別”であり,独特であり,他の特別な、または地位の高い人達や団体にしか理解されない,または関係があるべきだ,と信じている。
(4)過剰な賞賛を求める。
(5)特権意識,つまり,特別有利な取り計らい,または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
(6)対人関係で相手を不当に利用する,つまり,自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
(7)共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない,またはそれに気づこうとしない。
(8)しばしば他人に嫉妬する,または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
(9)尊大で倣慢な行動,または態度。
 【解説】自己愛性パーソナリティの各項目とも、誇大な自己感覚、賞賛されたいという欲求、共感力の低さ、と言った心理的特性を指標としている。
【事例:他者からの是認がとりわけ気になる】
 Aさんは,人の視線が気になると訴えて外来を受診した。問題は中学生時代から始まっており,教室の中で教師や同級生と視線を合わせることが困難である。自分の視線が相手を傷つけて,その結果,攻撃的な人間だと思われて,相手から嫌われるのではないかと恐れて,視線をそらしてしまう。彼にとっては,他者を攻撃することがないがゆえに誰からも愛される,そうした自己が理想であった。やがて,視線だけが問題なのではなく,根底にある他者からの是認を失う不安が心理療法のテーマとなった。米国の精神分析家コフート(H.Kohut)は、1970年代に、”自己愛”イコール”自己評価”として捉え、臨床的にも理論的にも徹底させた。Aさんの場合、自己愛は隠されていて表には出てこないが、自己評価を高く保ちたい、他者からの是認を失いたくないと言う思いは、まさに自己愛的である。
  8. 回避性パーソナリティ障害(Avoidant Personality Disorder)
 社会的制止,不全感,および否定的評価に対する過敏性の広範な様式で,成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。以下のうち4つ、またはそれ以上によって示されます。
(1)批判,否認,または拒絶に対する恐怖のために,重要な対人接触のある職業的活動を避ける。
(2)好かれていると確信できなければ,人と関係をもちたいと思わない。
(3)恥をかかされること,または馬鹿にされることを恐れるために,親密な関係の中でも遠慮を示す。
(4)社会的な状況では,批判されること,または拒絶されることに心が囚われている。
(5)不全感のために,新しい対人関係状況で制止が起こる。
(6)自分は社会的に不適切である,人間として長所がない,または他の人より劣っていると思っている。
(7)恥ずかしいことになるかもしれないという理由で,個人的な危険をおかすこと,または何か新しい活動にとりかかることに,異常なほど引っ込み思案である。
 9. 依存性パーソナリティ障害(Dependent Personality Disorder)
 面倒をみてもらいたいという広範で過剰な欲求があり,そのために従属的でしがみつく行動をとり,分離に対する不安を感じる。成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。以下のうち5つ、またはそれ以上によって示されます。
(1)日常のことを決めるにも,他の人たちからのありあまるほどの助言と保証がなければできない。
(2)自分の生活のほとんどの主要な領域で,他人に責任をとってもらうことを必要とする。
(3)支持または是認を失うことを恐れるために,他人の意見に反対を表明することが困難である。
(4)自分自身の考えで計画を始めたり,または物事を行うことが困難である(動機または気力が欠如しているというより,むしろ判断または能力に自信がないためである)。
(5)他人からの愛育および支持を得るために,不快なことまで自分から進んでするほど、やりすぎてしまう。
(6)自分の面倒をみることができないという誇張された恐怖のために,1人になると不安,または無力感を感じる。
(7)1つの親密な関係が終わったときに,自分を世話し支えてくれる基になる別の関係を必死で求める。
(8)自分が1人残されて,自分で自分の面倒をみることになるという恐怖に,非現実的なまでにとらわれている。
 10. 強迫性パーソナリティ障害(Obsessive-Compulsive Personality Disorder)
 秩序,完全主義,精神および対人関係の統一性にとらわれ,柔軟性,開放性,効率性が犠牲にされる広範な様式で,成人期早期までに始まり,種々の状況で明らかになります。以下のうち4つ、またはそれ以上によって示されます。
(1)活動の主要点が見失われるまでに,細目,規則,一覧表,順序,構成,または予定表にとらわれる。
(2)課題の達成を妨げるような完全主義を示す(例:自分自身の過度に厳密な基準が満たされないという理由で,1つの計画を完成させることができない)。
(3)娯楽や友人関係を犠牲にしてまで、仕事と生産性に過剰にのめり込む(明白な経済的必要性では説明されない)。
(4)道徳,倫理,または価値観についての事柄に,過度に誠実で良心的かつ融通がきかない(文化的または宗教的同一化では説明されない)。
(5)感傷的な意味のない物の場合でも,使い古した,または価値のない物を捨てることができない。
(6)他人が自分のやるやり方どおりに従わない限り,仕事を任せることができない,または一緒に仕事をすることができない。
(7)自分のためにも他人のためにも,けちなお金の使い方をする。お金は将来の破局に備えて貯えておくべきものと思っている。
(8)堅苦しさと頑固さを示す。
   発達障害
 1.精神遅滞(知的障害)・・・第1表参照
 知能が平均より有意に低く(知能指数IQが70以下)、かつ、社会的不適応をきたし、その状態が18歳までに出現するものを精神遅滞と呼んでいる。重度精神遅滞20<IQ<35、中度精神遅滞35<IQ<50、軽度精神遅滞 50<IQ<70、に分けられる。IQが70以上は定義により精神遅滞でないとされる。
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 遅れが中度よりも重い場合は,言語理解に乏しく,身辺自立困難,自傷,他傷,こだわり,破衣などの行動上の問題が出現することが多い。軽度の遅滞では,身辺自立は成立していることが多いが,本人の能���と要求水準の間に乗離があり,思春期以降になって,情緒障害、非行,性的問題などの社会不適応をきたすことがある。
 全人口の約2%に精神遅滞が認められるが、その大部分は軽度精神遅滞である。
  また、医学的には”精神遅滞”であるが,福祉や教育では”知的障害”と呼よばれる。
   2.自閉症スペクトラムとその他の発達障害・・・第2表参照
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 (1)自閉症スペクトラム
 (ア)古典的自閉症(カナーtype自閉症)
  第2表で、古典的自閉症、別名、カナーtype自閉症は、米国の精神科医、レオ・カナーが1943年に”自閉症”という名称を提唱したことによる。つい最近まで、自閉症といえばカナーの提唱した自閉症をさした。その診断基準は、以下のとおりです。
 ①他者との情緒的接触の重篤な欠如、
 ②物事をいつまでも同じにしておこうとする強い欲求、
 ③物に対する強い関心と、物を器用に扱うこと、
 ④言葉が無いか、あったとしても、オーム返しや他者には通じない独特の言葉を使ってしまうなど、コミュニケーションに役立たない言葉の使い方、
 ⑤知的な顔立ち、カレンダーの計算など、特殊な領域での優秀な能力、の5点である。
  (イ)アスペルガー症候群
  古典的自閉症と比べ、言語の発達が比較的良好で、IQの比較的に高い人をアスペルガー症候群という。高機能自閉症と同等の意味である。
  
 (ウ)高機能自閉症
  高機能自閉症スペクトラムの基本症状は、
  ①社会性の障害、
  ②コミュニケーションの障害、
  ③想像力の障害、こだわり
 この3つを三組の障害という。これらの症状が出揃うのは3歳を過ぎてからが多い。精神遅滞のない子どもの場合は、健診などで自閉症を見逃される恐れがある。三組の障害について詳しくは、”発達障害、ー高機能自閉症ー”(相談会案内2018年11月)を参照してください。
 
 高機能自閉症の”高機能”の意味は、IQが70以上という基準である。高機能と一口に言っても、IQが70ぐらいの境界域から、IQが140台の知的能力が非常に高い人までを一括して言っている。高機能は「能力が平均より高い」という意味ではなく、「明らかな知的遅れがない」、という意味で専門家の間で使われている。IQが70台の自閉症の子どもは、定義上、高機能自閉症と呼ばれるが、かれらは小学校の普通学級の学習課程をこなすことが難しいです。
 自閉症(Autism)のうち70~80%が精神遅滞を伴うが、大半は軽度の遅滞です。
 自閉症の子どもも大半が状況によって、不注意、多動、衝動性を示しますが、それらのほとんどは自閉症の特徴である三ツ組の障害から説明がつきます。 自閉症の子どもの不注意、多動、衝動性の多くは、周囲の人の、自閉症児への配慮が不十分であることから来ている場合が多い。自閉症の子どもは、提示される情報が理解でき、見通しが持て、余計な情報が排除される環境では、不注意、多動、衝動性が顕著に改善されるからです。
 
 しかし、中には、三ツ組の障害からでは説明がつかない、ADHDの子どもも存在します。
 (2)注意欠陥多動性障害(ADHD;Attention Deficit/Hyperactivity Disorder)
   ADHDは、①不注意、②多動、③衝動性、の3つの症状で診断される。これらの症状が、知能の発達水準に見合わないほど強く、日常生活における困難の原因となっている場合を言う。ADHDの人は、ほとんどが精神遅滞を伴わないか、あっても軽度遅滞である。
  (3)学習障害(LD;Learning Disorder)
  最も狭義のLDは、米国精神医学会の定義、”読む、書く、計算する、の3つの能力の障害”を指す。自閉症の子どもには、認知の発達による得手、不得手があり、子どもによっては、LDが併存していると考えて対応したほうが良いときもある。
  LDの人は、ほとんどが精神遅滞を伴わないか、あっても軽度遅滞である。
  4.その他・・・チック障害、レット障害、小児期崩壊性障害等
  参考文献:
(1)仙波純一、石丸昌彦:新訂 精神医学、放送大学教育振興会
(2)今日の治療薬2015 44抗精神病薬・抗鬱薬・気分安定薬・精神刺激薬 南江堂
(3)フロイド.E.ブルーム他著、中村克樹、久保田競監訳:新脳の探検(上) 講談社
(4)NHKテレビテキスト「きょうの健康2015年11月号」うつ病 P50
(5)ストレスや疲労とつきあうためのセルフケアガイド、疲労解消・イキイキ生活、 BTUストレスマネジメント研究所
(6)米国精神医学会編、高橋三郎、大野 裕、染矢俊幸訳;DSM-Ⅳ-TR、精神疾患の分類と診断の手引き、新訂版
(7)馬場謙一;心の健康と病理、放送大学教材、2006年第3刷
(8)馬場禮子;精神分析的人格理論の基礎、岩崎学術出版社2013年第5刷
(9)太田昌孝;発達障害児の心と行動、放送大学教材、2006年3月 改訂版第1刷
(10)内山登紀夫、水野 薫、吉田友子:高機能自閉症 アスペルガー症候群入門、中央法規出版(株)、2002年 
                                                                以上
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korehayabai · 5 years
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避妊具・熱湯・ヤケドに刺激薬、インコばかりを虐待した嘘つき男の素顔(週刊女性PRIME)
避妊具・熱湯・ヤケドに刺激薬、インコばかりを虐待した嘘つき男の素顔(週刊女性PRIME) https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190801-00015737-jprime-soci  無職の男はSNS上にインコの虐待動画を投稿、愛鳥家らが通報を続けたことで逮捕につながった。男は複数のアカウントを持ち、インコを可愛がる様子を見せる表の顔と、虐待する裏の顔、その両面を使い分けていた。関係者は「おとなしく、虐待を行うようには見えなかった」と素顔を語るが――。 【写真】インコ虐待男のものと見られる、サイテーなツイート 「私のツイッターのフォロワーから、『インコ可愛がり総合ニュース』というアカウントがインコの虐待動画を流しているという連絡を受けたのが6月22日午後4時ごろ。それがきっかけでした」 インコ虐待男の表と裏の顔  インコの飼い方や情報提供などを行うウェブサイト『インコ生活』を管理する山本さんが憤る動画の数々。そこに映っていたのは、 「コンドームをかぶせられたインコ、洗面台にためた水の中で溺れそうなインコ、ヒリヒリする薬をヤケドの痕に塗られ、のたうち回るインコの動画や画像でした」(山本さん)  それが動かぬ証拠になった。  愛知県警中村署は7月18日、動物愛護法違反の疑いで名古屋市の無職・坂野嘉彦容疑者(34)を逮捕した。取り調べに対し、 「私が飼育していたインコにコンドームをかぶせて身動きが取れないようにして、点火棒(長いライター)を押しつけ、放り投げるなどの行為をして虐待していたことは間違いありません、と供述しています。虐待理由は、鳴き声がうるさくて腹を立てたということです」(捜査関係者)  名古屋市内にある自立を支援する寮。そこが坂野容疑者の住まいだった。生活困窮者や病院を退院して行き場のない人などさまざまな事情を抱えた人が暮らしているが、ほとんどの入居者が日中は仕事に出かける。坂野容疑者はそこに今年3月に入所した。最初は水回りが共同の階に住んでいたが、その後、居室内にトイレや浴室など水回りがそろっている部屋に移ったという。そこが犯行現場になった。  坂野容疑者を知る関係者は、 「坂野さんはおとなしいタイプ。動物を虐待するような人には見えなかったのでびっくりしました。トラブルはなく、スタッフとの関係も良好でしたが、躁鬱がひどく、投薬や通院で治療をしていたようです。就労にも意欲的でしたが、仕事はしていませんでした」  と近況を明かす。  個室であっても、ペットを飼うことは禁止されていた。ところが坂野容疑者は4月ごろからインコを飼い始めた。前出・関係者が続ける。 「逮捕後、面会に行った知人に、インコを飼った理由を“ひとりで寂しかったから”と。夜、インコが突然、鳴きだして隣の人にバレるといけないと思い気が動転して殺してしまったのが最初。そのときに変なほうに気持ちが変化して、その後エスカレートしてしまったと話したそうです」 SNSで残虐な画像を載せる虐待男  ツイッターの坂野容疑者のものと思われるアカウントでは 《今月で☆になるインコ、これで4羽目かなーまた2000円で活きの良いヒナ鳥買わなきゃなぁ》 《たった3カ月の間だったけど、君の飼い主であれた事を、私は誇りに思います》 《セキセイインコを63℃のぬるま湯で水浴びさせたら(中略)やがてクルっと腹を上に向けて動かなくなり、湯気とともに香ばしいインコ臭が立ちのぼってきましたw》  などと、虐待の実態を生々しく投稿していた。目を覆いたくなる動画には、 “洗面台にたまった水から脱出しようと、濡れた羽をバタバタさせているインコを、水の中に沈めたり、羽をこするなど、命をもてあそぶ姿” “洗面台のインコに、蛇口から激しく水を出し、水かさを増やし溺れさせようとしたり、排水口の栓を抜いたために吸い込まれそうになりながらも必死に羽をバタつかせているインコの姿” “コンドームの先端に頭の部分がくるようにインコにかぶせ、身動きができないインコをライターでつついたり、ベッドや床の上に落としては拾ってを繰り返す姿” “羽の軟骨部分にピアッサーで穴をあけたり、ヤケドの痕にヒリヒリする刺激薬を塗り込まれたためにもがき苦しむ姿”  などが映されていた。  ペットショップの小動物担当の店員は、 「セキセイインコはラブバードとも呼ばれ、特になつきやすい生き物です」  前出『インコ生活』の管理人の山本さんは、 「今回、虐待を受けていたのは幼鳥。自分だけでは生きていけず、飼い主にすがるしかないんです。坂野(容疑者)になついていたわけではなく、すがっていたんです」  そんな、か弱く愛くるしい動物を、坂野容疑者はもてあそんだ。そして動画をSNSに投稿するという鬼畜ぶり。 嘘つきのかまってちゃんの自己顕示欲 「自己顕示欲が強い」(前出・山本さん)という坂野容疑者について、 「自分を評価してくれる人がほしかったのでは。SNSとかでは自分を大きく見せようとしていましたからね」  と見るのは前出の関係者だ。次のように続ける。 「国立大学の医学部中退とツイッターには書いていますが、嘘です。寮の入所者にもかかわらずNPO法人の職員と名乗っていますが、寮の人は“勝手に職員と言っている。困ったものだ”と頭を抱えていました。ほかにも坂野のものと思われるSNSには、“貯金が1000万円ある”とか、“車を所有している”とか書いているようですが、それも嘘。生活保護を受けるときは、資産状況を調べられます。貯金があったり車を持っていたらダメですから、資産なんてあるはずがない」  要するに“見栄っ張りで嘘つきのかまってちゃん”。 「逮捕後、寮のスタッフが坂野容疑者の部屋に清掃に入ると、床や寝具の上には鳥のえさや羽が散らばっていたそうです」(前出・関係者)  わずか体重30グラムのインコの命をもてあそび、その様子を動画で撮影していたという猟奇的愉快犯。 「私も家族も本当にショックで……心を痛めていて……」と、震える声で心境を明かしてくれたのは、坂野容疑者の母親だ。週刊女性の取材に、 「あんなひどいことをする子どもじゃありませんでした。小さいころから動物を可愛がる子で、インコも飼っていて可愛がっていました。いじめるくらいなら、なんで逃がしてあげなかったのか……。  世間のみなさんに申し訳ないです。インコにも、ごめんなさい。本当にごめんなさい」  そう何度も何度も謝罪の言葉を口にした。  逮捕前、坂野容疑者はツイッターのアカウントを変え、毎週のようにグロテスクな虐待動画や写真をアップした。 「私たちは痛みを抱えながら見ていました。『また今週末もアップされるのではないか』とビクビクしていたので、捕まってホッとしました。ただ、今度は投稿せず、秘密裏に虐待する可能性がある。そうなると通報できない。動物愛護法違反の刑罰は軽いので、もっと厳罰化することで虐待の抑止力になるはずです」  と前出・山本さんは訴える。  愛鳥家の中には坂野容疑者の厳罰を求め、嘆願書を提出する動きもあるという。  虐待の末に奪われる小さな命。インコが逃げ惑う姿は、もう見たくない。
from 後で読む https://ift.tt/2yuyi6e
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q-food · 6 years
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中村江里『戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症』
中村江里『戦争とトラウマ 不可視化された日本兵の戦争神経症』(吉川弘文館2018)                                     森田和樹 序章 戦争とトラウマの記憶の忘却 1 問題の所在 アジア・太平洋戦争期における「トラウマ」と本書の問い[p2-3] :「戦時神経症」または「戦争神経症」と名付けられ、軍部や国家の一大関心事となる。 ※ にもかかわらず、なぜ日本社会では戦後50年以上も戦争神経症は見えない問題となってきたのか。
2 先行研究と本書の位置づけ 直接の先行研究:野田正彰『戦争と罪責』(岩波書店1998)、清水寛 編著『日本帝国陸軍         と精神障害兵士』(不二出版2006) →特に清水編著の方が戦争神経症を含む「精神障害」兵士について包括的に論じる唯一の  研究[p11] 問題点:・戦争神経症の顕在化と深い関連のある総力戦のインパクトが考慮されていない。     つまり、総力戦体制と「福祉国家」化や軍事援護研究が明らかにしてきたような、     総力戦期における動員の拡大と同時にとられるようになった多面的な統合策と精     神疾患の関係が考察されていない。[p12-13]     ・国府台陸軍病院という陸軍病院の資料に基づいた考察に限定されており、国府台      陸軍病院の特質や患者の動態、戦争と精神疾患を取り巻くさまざまな文化・社会         的構造が捨象されているため、静態的な歴史像になってしまっている。[p13]
3 本書の課題と視角 課題[p14] ⑴総力戦期において軍隊内の精神疾患への対応にはどのような特徴があるのかを明らかに  すること ⑵戦時精神疾患の問題を国府台陸軍病院のみに集約せず、より広い文化・社会的構造の中  で再考すること →視角[p14-15] :・総力戦下において福祉領域へ国家の介入がつよまったという文脈を踏まえる。   →軍事援護という問題領域での議論を再構成する。  ・医療記録に残された人々が全体から見ればある意味で特異な位置に置かれた存在であ   ったことを念頭に置き、国府陸軍病院の外に目を向ける。   →病気の発現の仕方や受け止め方を社会的、文化的構造のなかで捉える。 ※ 精神科医で医療人類学者の宮地尚子が、一般的には受けた被害が大きければ大きいほどその人物は雄弁にその問題について語りうると考えられているが、実際にはトラウマ的出来事からの距離の近さは発話力に反比例すると指摘していることに示唆を受ける。
第1章 兵員の組織的管理と軍事心理学 総力戦としての第一次世界大戦[p24-25] →・軍部はあらゆる分野の関連を要請する総力戦という衝撃によって心理学も含めた軍事   以外の分野に関心を持つようになる。  ・心理学では「作業能力とその発言に関する研究」を行う実験心理学という分野が産業   効率化にも利用されるようになり、その力量を活かせる場を探していた。
1 軍隊と心理学[p25-33] -陸軍と心理学研究 ・1921年4月から陸軍士官学校の教育課程のなかに心理学が設置される。 背景:第一次世界大戦におけるドイツ軍の敗北と帝政ロシアの崩壊(ロシア革命)によ    る大正デモクラシー(「新思想」)の開花と「思想悪化」 →強圧的で盲目的・奴隷的服従ではなく、「理解ある服従」を兵士たちに求めることで軍紀  を引き締める必要性が高まる。そのためには将校が教育学や心理学の知識を身につけて  おかなければならないとされる。 →実験心理学��よび戦争心理学と呼ばれている分野が陸軍に応用される。 「精神的の機能を分量的に而も其個人差を測定せんとする」分野 ex)「戦時及戦争中の心理」(戦争心理学)「平時の軍隊心理」(実験心理学)の把握 :実験心理学の実践として当時渡米していた東京帝国大学教授松本亦太郎らにより、第一  次世界大戦中に米軍で実施された集団式知能検査が紹介され、実際に検査が行われる。 ※ しかし、陸軍では海軍のように特殊化・細分化された技能を持つ兵員を選抜する必要がなかったため、検査自体は単発で終わる。
2 戦争心理・戦争心理研究[p34-45] ⑴内山雄二郎『戦場心理学』 :陸軍では、心理学・教育学・倫理学・社会学を研究するために2年あるいは3年間将校  を東京帝国大学および高等師範学校などに派遣する制度が戦間期にできあがっており、  その制度に基づき1927年から1930年まで東京帝国大学文学部において教育学・心理学  の聴講を命じられ、系統的な心理学研究を行った歩兵少佐内山雄二郎が書いた本。 →この本のなかで内山は、戦争において臆病であったり精神的に不調をきたしたりするこ  とは、必ずしも兵士個人の性質にのみ原因が帰せられるべきではなく、環境などの外的  要因の影響も大きいと指摘。
⑵『偕行社記事』における戦場心理の報告 陸軍将校の研究・親睦組織「偕行社」の機関紙『偕行社記事』において満州事変から日中全面戦争の時期に「戦場心理」を関した論文が多数掲載される。 :前線よりも後方部隊の方が戦闘の悲惨な光景から受ける精神的影響が大きく、恐怖観念  を伴う、死傷者が出た場合に後送を申し出る者の中には臆病者がまじっている、負傷し  て後送される兵士を羨むなど、さまざまな事例が報告される。
⑶教育総監部における研究 :1938年、数回戦場心理班を設け前線兵士たちに質問用紙調査と聞き取り調査を行う。 ※ 資料は終戦時の「処分」命令と戦災によって紛失
第二章 戦争の拡大と軍事精神医学 軍隊における精神病はなぜ問題とされるのか。 -1912年陸軍軍医学校卒業式における「御前」講演[p52-53] :「精神変質」や「精神薄弱のような「素因ある兵卒」が「生活の激変」を伴う軍隊生活に  入ることで精神病が発生し、それによって抗命、逃亡、離散などの「犯罪」を犯すよう  になり、それが軍全体に広まる。
1 日中戦争以降の治療方針と治療体系 1937年8月患者後送計画[p54-55] ;・治療に一ヶ月以上かかるものは内地移送とする。 ※ 朝鮮人、台湾人兵士に関しても同様。  ・内地移送された兵士は、国府台(こうのふだい)陸軍病院(千葉県市川市)で治療を   受ける。 ※ 国府台陸軍病院は、1938年11月に重度の「戦時精神病」患者を治療するための特殊病院として開院。そこの軍医たちはエリート中のエリート。なお、斎藤茂吉の長男、斎藤茂太も国府台陸軍病院で軍医を勤めていた。
2 「戦時神経症」の定義 軍医たちは戦争神経症をどのように理解したのか。[p59-61] ・陸軍軍医大佐梛野巌の講演での発言(1937年11月) :・第一次世界大戦で注目を浴びたKriegsneurose(ドイツ語で「戦争神経症」)に対して  「戦時神経症」という訳語をつけた。神経症患者が戦線から離れるほど重篤化し、後方   部隊や休暇で帰郷中にも発症することがあるため、「戦争」ではなく「戦時」という言   葉に置き換えた。  ・「戦時神経症」の具体的症状の大部分はヒステリー(麻痺・知覚過敏症・歩行障害・言   語障害・聴覚障害など)とする。  ・「戦時神経症」の原因には先天的な部分と後天的な部分があるとしつつ、根本的な   原因は「帰郷願望」にあるとし、治療はこうした願望を打ち砕くことであるとする。
3 「皇軍」における戦争神経症の存在の隠蔽 ・陸軍医務局は、欧米軍に多数発症した戦争神経症は、日本の皇国民の場合、士気旺盛な  ため起こりえないと述べる。 ・しかし、民衆の間では帰還兵のなかに精神的変調をきたすものたちの存在(「戦地ボケ」)  の噂が流れていた。
小括 このように軍隊における精神疾患の原因を兵士個人の脆弱性・逸脱性に帰する見方は、過酷な戦場の状況や軍隊内務班における「私的制裁」などが兵員の精神に及ぼす深刻かつ長期的な影響を見過ごし、ひいては戦争と精神疾患に関する軍部の責任を免責する論理につながったと考えられる。またこうした問題が戦後日本社会において広く認識されることを阻む一要因にもなったのではないだろうか。[p70]
第3章 戦争の長期化と傷痍軍人援護 戦争の長期化と援護政策の展開[p78-79]  ・1937年3月軍事救護法が改正され、軍事扶助法が制定される。  ・扶助対象の拡大と充実がはかられる。  ・1937年11月内務省社会局に臨時軍事援護部が設置され、1938年4月には厚生省外   局として設置された傷兵保護員が臨時軍事援護部から独立して傷痍軍人保護事務を担   うことになる。また、1939年7月には臨時軍事援護部と傷兵保護員合併し、軍事保   護員が設置され、傷痍軍人・軍事遺家族・期間軍人の援護事業を統合的に行う。                   1 医療保護 ⑴傷痍軍人療養所の開設[p79-83] 療養所入所資格 :陸海軍病院での診断の結果、兵役免除と判断され、引き続き療養を必要とするもの。 ※ 結核と精神症をわずらった人々に対しては、「公務に基因」と規定することで、対象者を広くとる。 →恩給診断書に関わる問題(「傷痍軍人」としてさまざまな優遇恩恵を得られるかどうかの              線引きには戦傷病が戦闘・公務に基因するかどうか。) :精神神経疾患の場合、外相という明確が原因が存在する頭部戦傷や外傷性癲癇などは一  等症だったが、精神分裂病をはじめとするそのほかの精神疾患は戦争末期に傷痍疾病差  が改定されるまで二等症であった。 →「傷痍軍人」とそれ以外の傷病兵との間に区別が存在することによって、傷病兵たちの   間の不満を高めるのではないかという問題が起こる。
⑵傷痍軍人武蔵診療所[p83-88] 武蔵診療所までのルート ① 回復して原隊復帰の見込みがある者は国府台陸軍病院に残る。 ② 症状が固定して回復(原隊復帰)が見込めない者のうち家に帰れる者は帰る。 ③ 帰れない者は武蔵診療所へ転送される。 ※ このような患者の再配置は、戦況の悪化に伴い、先頭・労働能力に応じて人員をより組織的に管理しようとした試みであったといえる。 武蔵診療所の入所数(1940~1945) 総数:953名 精神分裂病、進行麻痺、躁鬱病、神経質・神経衰弱・ヒステリーなど、神経薄弱、癇癪という順番に患者が多かった。
⑶食糧事情の悪化と死亡率の上昇 戦争の進行とともに療養所の食糧事情が悪化し、死亡者の増加につながる。[p89]
2 職業保護-「再起奉公」の対象外となった精神障がい者-[p90-92] 戦時下の傷痍軍人保護の中でも最大の問題は、就労能力を失った「戦争傷痍者」を再び職業戦線に参加させ、「第二の御奉公」をさせることであった。なぜなら、人一倍健全な身体をもって国家の為に尽くして傷ついた者を「生来の不具者」と同列にしてはならないからである。そのためには、職業教育によって職業生活への復帰を可能にする必要があった。それは、傷痍軍人を日露戦争時のように「社会的寄食者」の状態に置くのではなく、積極的に国家の「人的資源」として活用すべしという総力戦の要請とも合致するものであった。[p90] →・傷痍軍人援護における職業斡旋は、基本的に総力戦という文脈のなかで理解すべき。  ・第一次世界大戦期のドイツでは神経症患者の戦時労働力化が組織的にすすめられ、労   働が治療の一環として考えられる一方、恩給の節減という国家の目的にもかなったも   のであった。 ※ 結局、精神障がい者となった人々は雇用されず。
3 国民教化-保護と排除のせめぎあい-[p92-97] 国民教科の第一指導目標 :「国民をして、戦没軍人、傷痍軍人及出征軍人に対する感謝の念を昂揚持続せしめ、苟も  年月の経過に伴ひ冷却するが如きことなからしめること」 →ポスター・パンフレットなどの文芸作品の作成、映画・レコード・ラジオの利用、標語・  絵画などの募集、善行者の表彰など ※ 戦傷病兵間の亀裂/戦傷病者緒方文雄による病院生活の記録『陸軍病院』(講談社1941) :皇軍将兵には戦争神経症のような意志薄弱な1人でもいるはずがない。 →恩典を貰ってしかるべき「われわれ」と大した症状もないのに恩給を要求する戦争神経  症の「彼ら」を差異化。
第Ⅱ部 戦争とトラウマを取り巻く文化・社会的構造 第1章 戦場から内地へ-患者の移動と病の意味- 戦場から内地へ、また病院から郷里への移動は、単に物理的な移動にとどまらない、病の持つ意味が変移していく経験だったのである。[p106]
1 統計から見たトラウマの地政学[p107-112] 1940年の陸軍身体検査規則改正 :徴兵身体検査の基準が大幅に緩和され、従来不適合とされていた「身体又は精神の異常  のある者」であっても兵業に支障がなければ合格判定を出すことに。 →患者数の増加 :・国府台陸軍病院に送られてきた患者の圧倒的多数が中国大陸からの患者であった。  ・しかし「精神病」および「その他の神経病」者数は1942年〜45年の4年間だけでも   国府台陸軍病院に収容された患者数をはるかに上回っていた。 ⇒国府台陸軍病院は、精神神経疾患の治療の中心地と位置付けられていたが、入院した患  者は全体のうちのごく一部であり、その背後には精神疾患を患いながらも内地に還送さ  れなかった膨大な数の患者が存在していた。 →内地に還送されて治療を受ける者は「特権」とされ、軍部や将兵たち自身が特有の目線  を向けることにつながった。 Ex)・内地還送を望んで自傷行為に及ぶものたち   ・後方へと送られることを「恥」と考え、自殺するものたち ※内地還送をめぐってさまざまな心性が兵士たちの間に広がる。
2 戦場に取り残された精神疾患兵士たち 「中国では精神を患った兵士には全く出会わなかった」という証言 →軍隊内部、野戦病院・兵站病院においても患者は隔離されていた。[p114]
3「ヒステリー発生の温床」としての陸軍病院 国府台地区軍病院の軍医たちは、戦場から内地へ還送された患者の病像変化に多大な関心を寄せる。 →笠松章「戦時神経症の発見と病像推移」/細越正一「戦争ヒステリーの研究」[p130-131] :・戦場体験直後の反応とその後の時間差を伴って現れる症状を区別し、前者は誰にでも   生じうる生理的な反応で一過性のものであるとする一方、後者は戦場からの逃亡や恩   給などの願望のもとに発言する症状とされた。  ・持続的な精神加工による症状の発展固定への移行が前線から後送され内地陸軍病院に   いたるまでの患者の移動と重ね合わされて捉えられる。  ・同一の体験でも発症する人としない人が生じるのはなぜか、という問題に対しては「本   人の素因」に原因を還元する。 小括 基本的に国府台陸軍病院の軍医たちは、戦争神経症の原因を、暴力に満ちた戦場・兵営の状況ではなく、願望や素因のように患者個人に問題があるためだと考えた。このため、戦場・兵営体験の持続的で長期的な影響は見過ごされることになった。国府台陸軍病院の軍部に言わせれば、前線と銃後の中間地点に点在する陸軍病院は、後方に近づくにつれて「ヒステリーの温床」としての性格を強めていくものであった。[p134]
第2章 一般陸軍病における精神疾患の治療-新発田陸軍病院を事例に- 1 衛戍病院・陸軍病院における精神疾患の治療 衛戍病院→陸軍病院という名称へ(1936年11月)[p139-143] :戦争の長期化とともに各陸軍病院内の精神治療科も拡大 2 陸軍病院と銃後社会 ⑴新発田陸軍病院の概要[p144-145] ・三等甲病院で収容人数は294名 ※ 一等病院(小倉・大阪・広島)の収容人数は2950、2731、913、二等病院である国府リクグ運病院は1272名 ⑵患者の慰問[p146] ・大日本国防婦人会の支部会員たちが頻繁に病院を訪れる。 ⑶病気を恥じる兵士と家族[p147-148] ・<健康な身体>の基準を���たさないことは<国民>として、<男>として恥ずべきとい   う価値観が社会的に共有されていたため、身体的要因によって除役となることは「恥ず  べきこと」と考えれた。 Ex)「遺憾」と感じたある男性は、徴兵保険金を献納、後送を拒否、遺家族が献金(償い)、   自分の病気の悪化に際して必ず全快させて再び原隊復帰させてくれと頼む患者 ⑷「白衣の勇士」のあるべき姿[p149-150] ・「第二の奉公」を志すものたち-戦傷病兵たちの再就職を準備する場としての陸軍病院 ・「偽傷痍軍人」の登場
3 新発田陸軍病院病床日誌に記録された精神神経疾患 ・新発田陸軍病院では「神経衰弱」患者が最も多く、そのなかには頭痛や睡眠障害などを  伴う軽度の心身の不調から、自傷他害のおそれがあるため受診に至ったケースまで幅広  く存在していた。[p159] ・除役になるという経験-兵役を全うできずに郷里へ変えることが<男として>恥ずかし                  いという意識。[p162]
[補論]戦争と男の「ヒステリー」-アジア・太平洋戦争と日本軍兵士の「男らしさ」 軍医と患者の口問 口問 (中略) (三)お前の病気は一体なんだと思ふか?-ヒステリー (四)ヒステリー等は日本の兵隊にあるか?-ありません (五)一体どんな人間がかかる病気か?男か?女か?-女です[p195] →・ヒステリーの特徴である感情的反応の強さは、女性に生まれつき備わった性質である   ためにヒステリーは女性に多いという説明が社会的に広がっていた。 Ex)女性解放運動は、「ヒステリー性の跋扈」であり、「戒むべきこと」  ・軍隊における「女々しさ」=「女性性」を否定的価値として措定し、それを克服する   ようにする文化 ⇒ヒステリーになった兵士は、「女々しい」恥ずべき存在として自他ともに捉えられた。[p183-196]
第3章 誰が保証を受けるべきなのか-戦争と精神疾患の「公務起因」をめぐる政治- ・「戦時神経症」と傷病恩給の関係性はどのようなものだったのか。
1 陸軍における恩給制度 ・恩給法[p203-206] 傷痍疾病等差-一等症、二等症(公務起因でない場合) 恩給の種類:・普通恩給 ・ 一時恩給            ・増加恩給       ・傷病年金       ・傷病賜金 2 国府台陸軍病院における恩給策定 ・恩給策定は軍医によって行われていた。[p209-213] →軍医たちは、頭部外傷やマラリアなどの流行病患後の精神神経疾患のように公務に起因  することがわかりやすいものたちを「一等症」にする一方、「精神薄弱」は「二等症」と  した。 →精神分裂病、躁鬱病、反応性精神病、神経衰弱、癲癇などは公務に起因するか否かを判  定する要素として重視された。 ※ しかし実際にはこれらの要素ではなく、軍務への貢献によって公務起因かどうかを判断するようになった。
・「戦時神経症」をめぐるアリーナとしての臨床 →軍医たちは、戦争神経症の発症メカニズムを説明するうえで、患者の願望(逃亡欲求な  ど)を重視していた。 戦争神経症の治療の場は、まさに自らの生存・生活をかけた患者の訴えと、彼らが国家のために自らが払ったと主張する「犠牲」を客観的に証明できる器質的根拠がないことを立証しようとする軍医の主張がせめぎ合うアリーナだった。[p217] ※ 扶助をもらえなかった患者たちが「当局を非難し動もすれば反軍的なこと迄も云々する。」[p217]
・恩給の策定[p229,233] →・内地で発症した患者を一等症患者からなるべくのける。(1942年以降、内地で発病す   るものたちが中国大陸で発病するものたちを上回る。)  ・「勤仕年月六ヶ月以上」や「困苦状況」の証明がない限り、公務起因で発病したとはみ   なさない。
3 戦後の精神疾患と傷病恩給をめぐる言説と実態 恩給申請という行為への着目は、個人及び集団の戦争記憶が構築され、戦われる場や、自己の問題経験を定義し、社会や国家に向けて訴えようとした主体としての戦争被害者像を前景化させる。しかし一方で、その語りはある一貫したストーリーと公務起因とう法の規範を満たしていなければ裁定には結びつかなかったものと考えられる。援護法をめぐる議論でも指摘されたように、公務起因の要件として発症時期は限定されており、戦後長期間を経て発症した遅発性PTSDは対象外となった可能性が高いだろう。また、言語化不可能(困難)であるというトラウマの性質や、戦争・軍隊経験のように、戦地で殺し殺される恐怖、厳格な上下関係、飢えや病に苦しみながらの果てしない行軍など種々のストレスが複合的に絡み合う経験とは馴染みにくい制度であるとも言えるのである。[p253]
第4章 1 旧国府台陸軍病院入院患者の戦後 目黒克已による証言(1965年に旧国府台陸軍病院に入院していた戦争神経症患者を調査) 現在はそうでもないですが、調査した時点では精神病患者に対する差別があり、精神病であるということだけで日本の社会の中で切り離されていましたね。たとえ病状が軽くても本人も親族も言わないし、言えば就職も結婚もできない、出世もできないというのが普通でした。彼らは指針病であるということ自体を恥と考えていたし、その延長線上で返事をしない人々が多数いました。[p268]
2 神奈川県の精神病院に入院した元兵士たち 自己および他者に対して攻撃性を発揮する患者たちの存在 :「軍隊の現実が市民の現実に取って代わる時、感情や行為の認知スタイルも変化する・・・  この新しい認知の仕方、体験の仕方を身につけるということは人格の完全な変容を意味  する。」(シャータン)[p282] →・家庭内暴力の存在  ・「社会適応」の再考-結婚や就職を通しても「社会適合」はなされない。[p293]
3 臨床の場に現れた戦争の傷跡 PTSDはよく「異常な状況にたいする正常な反応」であると言われるが、そもそも正常/異常の境界線は、文化やその時代の価値観に大きな影響を受ける。「日常的に人を殺す」ことが「異常」であると考えるのは戦後の市民社会における価値観であると言えるだろう。「人を殺せる」兵士こそが「正常」であるという圧倒的な価値体系のもとで生きなければならなかった元兵士の中には、そうした軍隊の論理と、個人の良心や戦後の市民社会における加害行為を否定する論理とのギャップに苦しみながら戦後を生きた人々もいたのではないだろうか。[p191-192]
終章 なぜ戦争神経症は戦後長らく忘却されてきたのか? ⑴精神的犠牲者の大部分を占める戦地に取り残された人々の記録が軍事精神医療システム  から抜け落ちてしまっていたり、終戦時の焼却命令などによって失われたりしてしまっ  た。また彼ら自身も「自分だけが生き残ってしまった」という生存者罪悪感や記憶喪失  などのために証言することが困難であった。 ⑵軍事精神医療システムに組み込まれたとしても、過酷な「戦場」体験がその直後に何ら  かの影響を人間の心身に及ぼすということは認知されていたものの、それがいかに長期  的な影響を及ぼすかという点は考慮されていなかった。 →「戦場」とは地理的に限定された概念でいいのか、また国家間の戦争が終わるとともに   それは消失してしまうものなのか。 トラウマを負った人はよく「二つの時計」を持っていると言われる。一つは現在その人が生きている時間であり、もう一つは時間が経っても色あせず、瞬間冷凍されたかのように本尊されている過去の心的外傷体験に関わる時間である。そのような圧倒的な恐怖を核とする心的外傷後の反応として戦争神経症を捉え直してみると、病院に居るはずなのに敵襲に怯えたり、死んだ戦友の幻覚に悩まされる兵士や、明確に言語化はされてないがさまざまな身体の機能障害(とりわけ四肢の痙攣や目・耳の機能障害など軍事行動に関連する部位の障害が多かった)を呈する兵士など、彼らの心身に刻み込まれた「戦場」の痕跡が存在した。これらの事例に加えて、第Ⅱ部第四章の神奈川県や山形県の精神病院入院患者の事例もあわせて考えると、「戦場」という空間から離れ、「戦時」という時間が終わってもなお残る傷を生み出す-そして「戦後」もしくは「新たな戦前」になるかもしれない時代を生きる私たちもまた、その傷とともに生きている-ものとして戦争を捉え直すことが必要なのではないだろうか。[p306-307]
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myworldatlas · 6 years
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Instagramで2017年を振り返る
色々あって6月から更新が途絶えていました。(詳しくはB面をご覧下さい)
年末なのと近況報告を兼ねて、今年UPしたInstagramの写真の中からブログテーマ「この世界と人間の多様性」に合いそうなものをまとめてみます。
Instagramは個別の投稿はアプリからTumblrに直接シェアできるんですが、複数投稿をまとめて、しかもわかりやすく表示するには埋め込みしたらいいんですね。 あんまり更新しないしアカウントの方向性がわからなくなってますが、フォローお気軽に。
恒例のえべっさん
祝祭空間が好きです。 中でも神社やお寺に付随する市・祭りは、静と動、聖と俗が混じり合う特別な時空間です。
いちごあめ めちゃうま
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 1月 10, 2017 at 5:06午前 PST
人いっぱい十日戎
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 1月 10, 2017 at 5:12午前 PST
春節ハイで二胡を弾く
CCTV春晩で見た曲の耳コピがしたくなって放置していた二胡を出してきました。プチ躁状態だったので長続きしませんでしたが(笑) 今は楽器を弾くということに楽しさよりも、いろんな壁を感じてしまうことが多いです。 でもその気になれば知らない曲でも楽譜にして弾けるってわかったからよかったかな。
因縁の耳コピ楽譜用ノート。。 iPadProでピアノアプリ使ったら鍵盤が大きくてラク。
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 2月 2, 2017 at 8:27午前 PST
一応音取りはできたんだけど、適当に書いたあと数字譜に直すの面倒くさくなってそのまま練習してたらゴチャゴチャしてきた(笑) ピアノとは1音ズレるしやっぱり数字譜にしたほうがよさそう。。
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 2月 5, 2017 at 5:17午前 PST
恒例の中央アジアイベントへ
ウイグル、ウズベク、カザフ、キルギスなど日本在住の中央アジア出身者や関係が集まる春のノルーズ祭。 もっと深入りしたいけど体調や時間や経済的な面でなかなか難しい。。
今年は和柄オリエンタルで行きます。1年早すぎぃ!
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 3月 18, 2017 at 11:19午後 PDT
お料理だけならUPしていいと去年言われたの思い出した。おいしかったです☆ #ノルーズ #ノールーズ #ナウルズ #Noruz #Navruz #Nevruz #Nowruz #Nooruz
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 3月 19, 2017 at 5:18午前 PDT
あと会場の近くでやってた古本市でこんなん買ってみました。世界各地の飛天を集めた本ってすごい。チベットの楽器は仏具みたいでカッコイイ。
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 3月 19, 2017 at 6:53午前 PDT
モトコーにも中央アジアが
神戸元町の高架下に中央アジア雑貨店ができました。 体調のせいで7月から行けてませんがまた行きたい。 お店はこちら→シルクロードキャラバン
モトコーでトルファンの干しぶどうばかりかキルギスの白い蜂蜜まで手に入れてしまいました。白い蜂蜜めっちゃおいしいやばい。干しぶどうはうちで使って、蜂蜜は母にプレゼントする予定。
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 3月 29, 2017 at 3:23午前 PDT
トルファンの干しぶどう(グリーンレーズン)のよくやる食べ方。かぼちゃのサラダやキャロットラペに入れると黒いレーズンより彩りがきれい。かぼちゃはチンしてつぶして混ぜるだけ。にんじんのみじん切りとかピーナツクリームを入れるとおいしい。ちょっとクレイジーソルトをふると甘味が引き立ちます。これは刻んだカシューナッツ入れてみたけど別に入れなくてもよかった😅
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 3月 29, 2017 at 8:03午前 PDT
パンダは神戸にもいます
東京と和歌山だけじゃないんです!!
なつかしの王子動物園遊園地。子供がいっぱいで変わってなくてうれしい。 #王子動物園 #神戸 #ojizoo #kobe
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 4月 16, 2017 at 2:16午前 PDT
パンダ動いてた!! #王子動物園 #神戸 #パンダ #kobe #ojizoo #panda #animal #animals
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 4月 16, 2017 at 2:24午前 PDT
花びらの下を泳ぐアシカ #王子動物園 #神戸 #アシカ #桜 #ojizoo #kobe #sealion #sakura #animal #animals
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 4月 16, 2017 at 2:30午前 PDT
ひさびさ沖縄みやげ
次に沖縄に行けるのはいつなのか。
なつかしの紅芋生タルトもらった〜☆おいしー♡ 紅芋タルトは普通のより生がオススメです! #沖縄 #紅芋 #おみやげ #お土産
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 6月 13, 2017 at 8:14午前 PDT
ここから長い妊婦生活へ
重症妊娠悪阻で長い間入院しました。 母から受け継いだ遺伝のようです。 母も私も昔なら確実に死んでます。 つわりの個人���って一体なんなんでしょうね。 ある意味究極の多様性だと思います。 それも本来なら淘汰されるべき弱い個体が医療の進歩で生きている。 淘汰されなかった弱い個体が産んだ命によってさらに広がっていく人間の多様性。 それはヒトという種にとって良いことなのかどうなのか。 そういうことを考えながら生きる人間がいることで文化や思想や社会が成熟していくのだとしたら、それが生き残った弱い個体の役割かもしれません。
点滴に疲れた #妊娠悪阻 #初マタ
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 7月 25, 2017 at 3:58午前 PDT
胃にやさしいごはん。 肉抜きビーフシチュー じゃがいもと玉ねぎの自家製ポタージュ にんじんしりしり #妊娠中期 #初マタ
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 11月 26, 2017 at 4:38午前 PST
後期入りました(`・ω・´) 仕事、家事、出産準備でやることがいっぱい。しかもこれからもっとお腹が大きくなるなんて。がんばる…。 #妊娠後期 #初マタ #妊娠8ヶ月
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 12月 11, 2017 at 3:56午後 PST
親戚宅で食べたケーキが小さくて物足りなくて帰りにもう一つ買っちゃった(笑) 妊婦の甘いもの食べたさは異常。 #クリスマスイブ #クリスマスケーキ
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 12月 24, 2017 at 7:05午前 PST
ネットや雑誌だけだとホントかどうかわからない情報もあるので本も買ってみました。安心の専門家医ママシリーズ。あと子供ができたら買おうと思ってた発達心理学の本。 でも読む気力がなかなか出ない。。産休入ったら読む。 #妊娠後期 #初マタ #出産準備 #子育て本
Uppiiさん(@uppii_pic)がシェアした投稿 - 12月 30, 2017 at 4:17午前 PST
それでは良いお年を。
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kisanebacci · 4 years
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発達障害批判の眼目
発達障害八大腐臭
一点目
差別そのものである
まずもって、この発達障害概念ソノモノが、とてつもなく差別的ダカラである。
既存の障害概念、疾病概念に対して、徹底的に、失礼無礼の限りを尽くし、た、その上に、この障害概念が成立しているのである。特に重たい自閉症のみなさんや、知的障害者のみなさん、そしてそして、特に、我々精神病患者に対しては、よりマシである、より軽く、より才能がある、と云う宣伝を、専門職とも当事者とも、そう、言い回っているのである。許されることではない。しかも、世間様の風潮も、ソウなのである。
しかも、それでいて、愚かしくも、当然、才能の高低や、在る無し、イロイロあるなかで、ナニかしらに『成功』した障害者がエライのだ、と云う風潮をばら撒いている、のである。ドウニカなる障害者が出てくるのは、至極とうぜんであろう。
精神病患者のグループに比べて、発達障害者の団体は、高学歴者が、多いのだそうである。実際調査してみて、ビックリした、と云うような、コトを、福祉系の雑誌に堂々と書くアンポンタンもいる、と云うコトだ。
しかも、書いた本人に当事者性もアル、と云うダカラ、念のいったアホさ加減ということであろう。ソンなに高学歴が、良いのですかいな、と想った
ソンなアホな記事が掲載されていた。これほど、障害者間の能力競争と差別感を野放図に表すコトもなかろうに、、、、しかし、もはや、そんな感覚も麻痺してしまっているのか、、、酷いハナシである
あえて、再度、言うのだが、過去の、そして現在も、今後も、ワラワラとやってくる病名変更を求めての意識的セカンド受診のママさんたちや本人たちに、精神病患者、精神病、精神症状、精神病患者のセーカツぶりに対する忌避感、嫌悪感、差別感は、無かった、皆無である、と、言えるのであろうか、ソコの所を再考にも再考すべきであろう
二点目
障害者の病者の底の底の真実のセーカツに
蓋をし、忘れさせ、見えにくくする装置と化す
他の障害者のモンダイを見えにくくし、目くらましを掛けてシマウ、日が当たらないようになっていくだろう。特におもたい知的障害者、おもたい精神障害者が忘れられていくだろう。また、営々と気づきあげてきた、他の障害者の文化を無しにしていくだろう。
それは、精神障害者だけではない、青い芝の会の、あの綱領の精神をまるきり反故にし、知的障害のみなさんが営々と築いてきた「歴年齢に見合った発達程度があると言う仮説への徹底した反駁」と「発達保障論への反撃」といった文化を反故にし、ありとあらゆる、昔ながらのおもたい障害者のドロドロぐちゃぐちゃの真の底の底の底の生命の底からくるセーカツや苦しさを見えにくくすることに、ヨーロッパ風の綺麗ごとの引用とともに、最大限発揮されるであろう。腐れた外道の所業である。
三点目
発達障害の概念が、範囲が、
無制限に無定見に拡大していき、
ついには、意味不明となる
そもそも、ムチャクチャな意味不明的な、あいまいで広すぎる障害概念ダカラである。ナンデモカンデモ発達障害に為ってしまうのである。ムカシなんでもかんでも、分裂病だったが、今度はナンデモカンデモ発達障害なのである。知的障害、自閉症���精神病、奇人変人、その他モロモロをすべからく、発達障害だ、と言い切ってシマ���テいるのである。オソロシイことである。
もっとも、アンポンタンな状況は、精神病は存在しない、アルのは発達障害ダケである、とまで、言いだしているのである。しかもしかも、その診断基準たるや、お粗末トシカ言いようのないモノなのである。
ある医者の発達障害の診断基準を聞いたときに、腰を抜かしたのである。得々と語る、その診断基準は、ドウとでもトレれるシロモノで、なおかつ、ムカシの人格障害概念と、ソックリ同んナジモノなのである。しかも、当の精神医は、そのことに気づいてもイナい様子なのである。ナニを寝ぼけているのか、アンタは今、一人の患者を、発達障害の名のもとに人格障害である、と、診断しテシマッタたことに気づきもシナイのである。しかも、知的障害のセカイのみなさんが、セーカツとしてもウンドーとしても、営々と積み上げてきた、「暦年齢に見合った発達レベルがある」と云う「発達保障論的」な腐った概念に対する批判の数々を、アッサリ否定してしまっていることに、気づくことも出来ないでいるのである。そらおそろしく、寒々としたものが、背筋を走ってしまい、アホらしくて、その医者を批判することすら、アッケにとられてしまい、出来なかった次第である。ナサケナいハナシである。
余りにムチヤクチャな曖昧で範囲拡大増加の概念故に、とうとうムカシながらの人格障害、精神病質、発達保障論の再復活とともに、ドンなニンゲンにでも、貼り付けられる、まことに便利な名札と化してシマッタ。腐った専門家の諸君には、まことにケッコウな重宝な名札を、監察札を手に入れたのである。
心理と精神医と教育者どもは、ウハウハであろう。おっと治安監督官連中もね。
四点目
社会復帰にも、減薬断薬にも、
ついていけない者は、必ず出てくる
オモタい者は、ついていけなくなる
しかも、ついていけないのを本人のせいにする
結果、
社会復帰したいような社会なのかどうかと云う、キチガイの根底的な社会批判を無にする
ゲンジツには、キーサン病者のセーカツゲンジツ側から言わしてもらえば、
どんな音頭であっても、どんなによく見える音頭であっても、
それについていけないものは必ず出てくるカラダ。
漏れるニンゲンは必ず出てくる。
落ちこぼれるニンゲンが出てくる、からである。
キーサンと言おうが、発達障害と言おうが、
ケンビョウ者と言おうが、
必ず、弱い者、重い者、シンドい者、ツライ者、クルシイ者
ナニも出来ない者、が残されるのである。
ゲンジツと歴史が証明するところである。
おもたい者が、取り残され、忘れられ、隅っこに追いやられるのである。
そして、そのより重い者シンドい者を、より、強く苦悩の淵に追いやるのである。
キーサン患者会の積み上げてきた文化とは、真逆の、
障害者発達保障競争文化の行きつく先は、
弱い者、重たい者の、切り捨て、見殺し、自殺推進圧力ですわ。
社会復帰競争、社会参加競争、社会貢献競争、減薬競争、断薬競争、就労就学競争の敗者は、ドウなるのか、と、言っているのである。
ソコニは、そもそも、社会復帰したいような社会なのか、と云う我々キチガイキーサンの根源的な、この世の中の在り様に対する問題提起を、限りなく、矮小化し、無くすることになっていく。
リクツではない、
まず最初の関門、減薬競争のゲンジツをとくと、再考してみればよい
なかなか、ゼロには、ナランのよ、しかもしかも、ゼロに為らなかったことを、
本人のサボリや、努力の足りなさと云う、本人のセキニンに帰すと云う、
社会復帰敗者の原因は、患者本人にある、と云う
無慈悲限りの無い悪辣さなのである。
それは、結局は社会要因、環境要因の
限りない矮小化と無視に繋がっていくのである。
まず、減薬、断薬、社会参加、
そこに、ついてはいけないおもたい高年中年老年の
生活保護の入院生活の長い長い精神病者は、ドウなるんでしょうかね
 五点目
社会復帰競争の末に依存競争に陥る
障害者、患者の社会に対する、根源的問いかけを矮小化しつつ
『パスポートは特性理解』の路線で進めば、
これは、理解者を、できたらサポーターを、できたらサポートチームを
私のまわりにつくってくれれば、私の才能は花開くという
踊りになるからである。
セーカツするタメではなく、
才能を花開くというタメのサポートチームがいるのだ、
私の回りに作って専用のサポートチームを作って
作って作って私だけのサポートチームを作って
というような競争になるからである。
そして、うまくいった、少数だけがもて囃され、テレビに出演し、
講演と公演をして歩き、宣伝されるであろう。
シャカイフッキ路線の中でも最も悪辣極まりのない腐臭のする醜悪で激烈な、
『依存するシャカイフッキ競争』
『シャカイフッキのための依存競争』
『社会貢献競争の勝者と為るための依存競争』
とイッタヨウナモノになるであろう。
依存を深めながら、社会復帰を目指す、だと、、、
依存される専門職は、飯の食いはぐれが無い。
医療系、福祉系、に加えて、教育系の専門職はアハウハアハウハなのである
その上に、母親達にも、依存は続く
ムカシ、社会復帰は即労働は即自立への道と、宣伝された
ソンナことは、できやせなんだ。
だというので、こんどは、
これからは、母親に支配されて、専門職に依存を深めて、
社会復帰という、ことになっていくのである、これが、
発達障害概念の持つエグい側面である。
より重い、シンドイ障害者から、お年寄りから、
所謂「社会福祉資源」「福祉」を引き剥がしてでも、依存させてくれ、
に繋がっていくのである。
自立ではなく、依存に基づく社会復帰路線は、おそらく、とてつもない、
障害者間の、エラく為りりたい競争と健常者化競争を、惹起させ
それは、トコトンまでの依存競争を招き、
その依存度により社会復帰の程度が決ると云うコトに為ろう。
コレまでは依存度が低く就労する方が社会復帰だと、考えられてきたのだが、
ナントこの場合は、依存度が高ければ高いほど、才能が花開き、社会貢献も出来、したがって社会復帰度も高い、と云う、実に実に、
ナンダカ二重逆転化したような空恐ろしいことに為るであろう。
そうかぁぁぁーーー
自立自尊自衛自炊自レク自闘を目指すより
依存を目指すのかぁぁぁぁーー
シンドイことはやらなくてよい理論的支柱ができたわけや
依存したい発達障害者のみなさんも
依存させたい「依存サセ屋」の医療系福祉系教育系従業員も
アハウハアハウハバンバンざい、と云うトコロでんな
その依存競争の果てにあるモノとは、そも、障害当事者にとってナンなのであろうか、ちょっとばかり、考えれば、直ぐに、わかることである。
六点目
精神医療と心理が無定見に拡大し、
しかも無制限に儲かる、ウハウハに
だから、当然、特性理解者サポーター、サポートチームなどとは
結局のところ、精神医療と福祉と教育が発達障害方向へ拡大していくときの
ボロ儲けのタネになるであろう、ということである。
クスリと電気ショックと四肢拘束で儲け、
発達障害のミナサンへのサポートチームでも、
また、ボロ儲けするのである。
依存してくれるので、飯の喰いはぐれがないのである
まことに、ケッコウな、お商売なのである。
精神医療と福祉は、根絶も縮小もしていかない。
拡大していくのである、オソロシイ。
心理職の国家資格化おねだり路線を見よ
申請神聖発達博士片岡聡のリトプごっこを見よ
NHKから金もろうて、議員様相手に、
法整備、制度政策おねだり講演会、開きくさった、
笠セカンドからとうとう、こんな戯けた当事者が
悪辣極まりない障害当事者が羽化を始めましたよ
バカバカしい
当事者からのおねだりもアルので
本当に、ぼろ儲け、していけるであろう。
発達護送船団おねだりボロ儲け路線である。
専門職が、今の十倍いても、発達障害者を十倍に増やせばいいだけだから
しかも、依存してくれるので、本当に、ボロい儲けを生み出すであろう
これで、精神医療を根底的に破壊できる、などと、寝ぼけたコトをいえたものだ、
笠陽一郎大センセイよ。
逆だよ、逆、精神医療と、福祉は、徹底的に、拡大していけるんだよ、
この発達障害をツコウてね、ぼろ儲けしながらね。
ナントイウバカげたことを、アンタは、ヤッテしもうたんだろうね
七点目
障害者、病者の発言、行動に対する
無効化の武器がまた一つ増えるだけである
またもや、またもやの、まことに結構な、発言や行動を無効化できる、素晴らしい、武器となるのであ。たとえば、我々精神病者は、アレがキチガイの戯言やと、アレが躁や、アレが妄想や、アレが鬱や、アレが偏執狂やと、アレが躁鬱の波や、アレが幻聴や、アレが幻覚やと、アレが人格障害や、アレが精神病質や、アレが鬱や、アレが被害妄想や、と散々に言われて、我々の言うこと為すコト、すべからく、価値がない、と、無視され、無効化されてきたのである。ここにきて、今度は、さらに加えて、アレが双極性障害Ⅱ型の薬剤性やくざや、あれが、発達障害者の、こだわりと云う特性やタラ、興味の持ち方の狭さやタラ、アレが人間関係の幼さやタラ、発達障害の成長の無さやタラ、タラタラタラタラと、精神医中心に散々言って無効化するのである。
例えば、さぞや、このところのえばっちの文章に、対しても、言っていることであろう。そう、だから、この七点目を特に重宝しているのは、実は、内海聡や、嶋田和子や笠陽一郎達と言った、発達障害や発達特性を、精神医療改革の最終結論だ、答えだと、言って良いように宣伝して広めてきた当の本人たちが、いざ逆らうようになった病者たちに、患者たちに向かって、陰ひなたなく使っているのである。笠陽一郎のホームページや嶋田和子のブログに内海聡のブログにも、隠そうにも隠せなく、端々に、にじみ出ているのである。ああ、もちろん、くじら会のママさん達の茶飲み話にも、為っていることでしょうね。許せないことだ。さぞや、さぞや、他の医者たちや心理士や治安監督官たちにも、良いお手本に為っているだろう。こうやって、我々のヨウな文句言いのキチガイの言う事や書いているコトや、叫んでいることを無効化するのである。叫ぼうとしている中味を考えようとすることなど、ないのである。精神病の症状と発達特性と、の、せいにすれば、よいのだから。精神医の診察室での、心理士の相談室での、患者への無効化兵器が、一挙に倍どころか、十倍ぐらいに増えるンデスヨ、いゃああーー精神医と云うのは、カウンセラーと云うのは、まことにケッコウな気楽なお商売ですな。我が身らの診察室や相談室を荒らしそうな患者に対して、無効化の手段が一挙に倍にナッタのである。精神病で無効化できなかった発言や行動に対して、今度は、発達特性で無効化するのである。特に診察室で、医者やカウンセラーやPSWや学校の先生に逆らう患者に対する無効化兵器が倍増したのである。
いや、念のいったことに、更に兇悪なことには、発達障害特性は、最初の入門口に才能があると云う方向も宣伝シマクッテいるので、ナント有効化と無効化を、相手を選んで、医者の好きなように有効化と無効化を選択して使えるのである。コレは、恐ろしいことである。精神病では、コウはいかない。医者に逆らう非友好的患者には、精神医は発達特性故の無効化を叩きつけ、友好的患者には発達特性故の有効化して才能あると持ち上げさえ出来るのである。ソレをまた、逆転することも可能なのである。依存先の精神医と心理士と先生の思うがままに、である。
コレを最も悪用してきたのが笠陽一郎と云う精神医なのである、と言ったら、この七点目の罪悪が、ハッキリすると想います。「双極性Ⅱ型の薬剤性やくざ」と云う新造語を造って、揶揄無効化のために、己がホームページで、吐きまくったのですから。他の精神医の先生様方が、笠セカンドや笠陽一郎大先生様をお手本に出来る最大の点でしょうな、コレが。オソロシいことだ。
で、結局は、観察法法廷や、治安監督官たちにとっても、後見人たちにとっても、いやはやまことに、ケッコウな武器でしょうな。発達障害本や発達特性本の、使い方の読み方の、新たなる一ページ、と云うか、元々の一ページでしょうな。
どちらにせよ、病状、症状で無効化できなければ、今度は特性で無効化するのである。一人の人間を無効化するに、症状で、出来得なければ、特性でも、出来る、と云うコトなのである。有り体に言って、患者を病状や症状のせいだからと、沈黙を強制しようとしても、出来得ないときには、『発達特性』で、無効化できる、と云うことである。
八点目
保安処分、治安処分の
超早期的かつ
無制限強化拡大に陥る
ダカラ、結局サイゴは、治安的、保安処分の強化拡大に直結するのである
この音頭で踊っているうちに、精神病では捕らまえられなかったような、
奇人や変人をシャカイの治安を乱す者として、まこと広範囲に、しかも極早期に、
番号をふれるということである。
特に、この発達音頭は、シャカイの治安を乱しそうなものを
幼児のうちから、まさに「早期」のうちからピックアップできるだろう
なおかつ、本人や、母親の方から、我も我もと、争って、番号を振って欲しくて
医者や、心理や、教育の専門家に、押しかける、と云うしだいに為るのである。
まさに、究極的な、まさにまさに、シミンの皆さん待望の
早期介入的な横断的拡大主義的過剰診断的な保安処分が完成できるであろう
ということである。
三歳児健診、五歳児健診、の制度政策提言を見てみたらよいのだ
心神喪失者医療観察法が、フル回転するのである。
後見人も、フル回転しやすいのである。
病院に施設に、放り込みやすいのである。
決めるのは、依存先の、専門職たちナノデある。
ナニを寝ぼけているのか、ソコに依存しようとしているのが、分からないかねー
この発達音頭の踊り子さんタチはねーー
さらに、しかも、この番号を振っていく過程で
才能を花開かせるためのサポートチームと引き替えだと言われた場合、
この踊り手サン達は、それを拒否できるのであろううか?
手帳なんてものとは質のチガウものと引き換えですよ、早い者勝ちですよ
と言われた時、発達障害者たちは自主的に群れ集まり
ナニカを売り渡すことになろう
治安監督官様が、最も利用しやすい保安処分方法とは、発達障害を梃子に行われることと為るのである
現実に、このところ、よくわからないような、マスコミをにぎわす事件で、精神病を貼り付けられないようなことに、あっさり、発達障害を貼り付けているのを、いつも、こわごわ、みているのである。
そして、そこに反抗する当事者の意見を封殺ではなく、完全無効化スルのである
本当に驚くべき程、上手いことできた障害概念であると、想うのである。
これを思いつき、応用しているヤツは、天災的な天才であろう。
ちなみに、それは、笠のホームページでも、おこなわれてはいなかったか、、、、そう、あの大泣きした議員に、あっさり、アレは発達臭いと、貼り付けていなかったか、典型的な、保安処分活用とは、笠のホームページで行われていたのである。治安管理官様たちにとって、良い勉強になったと、想うのである
  精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所
あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起
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発達障害批判の眼目
発達障害八大腐臭
一点目
差別そのものである
まずもって、この発達障害概念ソノモノが、とてつもなく差別的ダカラである。
既存の障害概念、疾病概念に対して、徹底的に、失礼無礼の限りを尽くし、た、その上に、この障害概念が成立しているのである。特に重たい自閉症のみなさんや、知的障害者のみなさん、そしてそして、特に、我々精神病患者に対しては、よりマシである、より軽く、より才能がある、と云う宣伝を、専門職とも当事者とも、そう、言い回っているのである。許されることではない。しかも、世間様の風潮も、ソウなのである。
しかも、それでいて、愚かしくも、当然、才能の高低や、在る無し、イロイロあるなかで、ナニかしらに『成功』した障害者がエライのだ、と云う風潮をばら撒いている、のである。ドウニカなる障害者が出てくるのは、至極とうぜんであろう。
精神病患者のグループに比べて、発達障害者の団体は、高学歴者が、多いのだそうである。実際調査してみて、ビックリした、と云うような、コトを、福祉系の雑誌に堂々と書くアンポンタンもいる、と云うコトだ。
しかも、書いた本人に当事者性もアル、と云うダカラ、念のいったアホさ加減ということであろう。ソンなに高学歴が、良いのですかいな、と想った
ソンなアホな記事が掲載されていた。これほど、障害者間の能力競争と差別感を野放図に表すコトもなかろうに、、、、しかし、もはや、そんな感覚も麻痺してしまっているのか、、、酷いハナシである
あえて、再度、言うのだが、過去の、そして現在も、今後も、ワラワラとやってくる病名変更を求めての意識的セカンド受診のママさんたちや本人たちに、精神病患者、精神病、精神症状、精神病患者のセーカツぶりに対する忌避感、嫌悪感、差別感は、無かった、皆無である、と、言えるのであろうか、ソコの所を再考にも再考すべきであろう
二点目
障害者の病者の底の底の真実のセーカツに
蓋をし、忘れさせ、見えにくくする装置と化す
他の障害者のモンダイを見えにくくし、目くらましを掛けてシマウ、日が当たらないようになっていくだろう。特におもたい知的障害者、おもたい精神障害者が忘れられていくだろう。また、営々と気づきあげてきた、他の障害者の文化を無しにしていくだろう。
それは、精神障害者だけではない、青い芝の会の、あの綱領の精神をまるきり反故にし、知的障害のみなさんが営々と築いてきた「歴年齢に見合った発達程度があると言う仮説への徹底した反駁」と「発達保障論への反撃」といった文化を反故にし、ありとあらゆる、昔ながらのおもたい障害者のドロドロぐちゃぐちゃの真の底の底の底の生命の底からくるセーカツや苦しさを見えにくくすることに、ヨーロッパ風の綺麗ごとの引用とともに、最大限発揮されるであろう。腐れた外道の所業である。
三点目
発達障害の概念が、範囲が、
無制限に無定見に拡大していき、
ついには、意味不明となる
そもそも、ムチャクチャな意味不明的な、あいまいで広すぎる障害概念ダカラである。ナンデモカンデモ発達障害に為ってしまうのである。ムカシなんでもかんでも、分裂病だったが、今度はナンデモカンデモ発達障害なのである。知的障害、自閉症、精神病、奇人変人、その他モロモロをすべからく、発達障害だ、と言い切ってシマッテいるのである。オソロシイことである。
もっとも、アンポンタンな状況は、精神病は存在しない、アルのは発達障害ダケである、とまで、言いだしているのである。しかもしかも、その診断基準たるや、お粗末トシカ言いようのないモノなのである。
ある医者の発達障害の診断基準を聞いたときに、腰を抜かしたのである。得々と語る、その診断基準は、ドウとでもトレれるシロモノで、なおかつ、ムカシの人格障害概念と、ソックリ同んナジモノなのである。しかも、当の精神医は、そのことに気づいてもイナい様子なのである。ナニを寝ぼけているのか、アンタは今、一人の患者を、発達障害の名のもとに人格障害である、と、診断しテシマッタたことに気づきもシナイのである。しかも、知的障害のセカイのみなさんが、セーカツとしてもウンドーとしても、営々と積み上げてきた、「暦年齢に見合った発達レベルがある」と云う「発達保障論的」な腐った概念に対する批判の数々を、アッサリ否定してしまっていることに、気づくことも出来ないでいるのである。そらおそろしく、寒々としたものが、背筋を走ってしまい、アホらしくて、その医者を批判することすら、アッケにとられてしまい、出来なかった次第である。ナサケナいハナシである。
余りにムチヤクチャな曖昧で範囲拡大増加の概念故に、とうとうムカシながらの人格障害、精神病質、発達保障論の再復活とともに、ドンなニンゲンにでも、貼り付けられる、まことに便利な名札と化してシマッタ。腐った専門家の諸君には、まことにケッコウな重宝な名札を、監察札を手に入れたのである。
心理と精神医と教育者どもは、ウハウハであろう。おっと治安監督官連中もね。
四点目
社会復帰にも、減薬断薬にも、
ついていけない者は、必ず出てくる
オモタい者は、ついていけなくなる
しかも、ついていけないのを本人のせいにする
結果、
社会復帰したいような社会なのかどうかと云う、キチガイの根底的な社会批判を無にする
ゲンジツには、キーサン病者のセーカツゲンジツ側から言わしてもらえば、
どんな音頭であっても、どんなによく見える音頭であっても、
それについていけないものは必ず出てくるカラダ。
漏れるニンゲンは必ず出てくる。
落ちこぼれるニンゲンが出てくる、からである。
キーサンと言おうが、発達障害と言おうが、
ケンビョウ者と言おうが、
必ず、弱い者、重い者、シンドい者、ツライ者、クルシイ者
ナニも出来ない者、が残されるのである。
ゲンジツと歴史が証明するところである。
おもたい者が、取り残され、忘れられ、隅っこに追いやられるのである。
そして、そのより重い者シンドい者を、より、強く苦悩の淵に追いやるのである。
キーサン患者会の積み上げてきた文化とは、真逆の、
障害者発達保障競争文化の行きつく先は、
弱い者、重たい者の、切り捨て、見殺し、自殺推進圧力ですわ。
社会復帰競争、社会参加競争、社会貢献競争、減薬競争、断薬競争、就労就学競争の敗者は、ドウなるのか、と、言っているのである。
ソコニは、そもそも、社会復帰したいような社会なのか、と云う我々キチガイキーサンの根源的な、この世の中の在り様に対する問題提起を、限りなく、矮小化し、無くすることになっていく。
リクツではない、
まず最初の関門、減薬競争のゲンジツをとくと、再考してみればよい
なかなか、ゼロには、ナランのよ、しかもしかも、ゼロに為らなかったことを、
本人のサボリや、努力の足りなさと云う、本人のセキニンに帰すと云う、
社会復帰敗者の原因は、患者本人にある、と云う
無慈悲限りの無い悪辣さなのである。
それは、結局は社会要因、環境要因の
限りない矮小化と無視に繋がっていくのである。
まず、減薬、断薬、社会参加、
そこに、ついてはいけないおもたい高年中年老年の
生活保護の入院生活の長い長い精神病者は、ドウなるんでしょうかね
 五点目
社会復帰競争の末に依存競争に陥る
障害者、患者の社会に対する、根源的問いかけを矮小化しつつ
『パスポートは特性理解』の路線で進めば、
これは、理解者を、できたらサポーターを、できたらサポートチームを
私のまわりにつくってくれれば、私の才能は花開くという
踊りになるからである。
セーカツするタメではなく、
才能を花開くというタメのサポートチームがいるのだ、
私の回りに作って専用のサポートチームを作って
作って作って私だけのサポートチームを作って
というような競争になるからである。
そして、うまくいった、少数だけがもて囃され、テレビに出演し、
講演と公演をして歩き、宣伝されるであろう。
シャカイフッキ路線の中でも最も悪辣極まりのない腐臭のする醜悪で激烈な、
『依存するシャカイフッキ競争』
『シャカイフッキのための依存競争』
『社会貢献競争の勝者と為るための依存競争』
とイッタヨウナモノになるであろう。
依存を深めながら、社会復帰を目指す、だと、、、
依存される専門職は、飯の食いはぐれが無い。
医療系、福祉系、に加えて、教育系の専門職はアハウハアハウハなのである
その上に、母親達にも、依存は続く
ムカシ、社会復帰は即労働は即自立への道と、宣伝された
ソンナことは、できやせなんだ。
だというので、こんどは、
これからは、母親に支配されて、専門職に依存を深めて、
社会復帰という、ことになっていくのである、これが、
発達障害概念の持つエグい側面である。
より重い、シンドイ障害者から、お年寄りから、
所謂「社会福祉資源」「福祉」を引き剥がしてでも、依存させてくれ、
に繋がっていくのである。
自立ではなく、依存に基づく社会復帰路線は、おそらく、とてつもない、
障害者間の、エラく為りりたい競争と健常者化競争を、惹起させ
それは、トコトンまでの依存競争を招き、
その依存度により社会復帰の程度が決ると云うコトに為ろう。
コレまでは依存度が低く就労する方が社会復帰だと、考えられてきたのだが、
ナントこの場合は、依存度が高ければ高いほど、才能が花開き、社会貢献も出来、したがって社会復帰度も高い、と云う、実に実に、
ナンダカ二重逆転化したような空恐ろしいことに為るであろう。
そうかぁぁぁーーー
自立自尊自衛自炊自レク自闘を目指すより
依存を目指すのかぁぁぁぁーー
シンドイことはやらなくてよい理論的支柱ができたわけや
依存したい発達障害者のみなさんも
依存させたい「依存サセ屋」の医療系福祉系教育系従業員も
アハウハアハウハバンバンざい、と云うトコロでんな
その依存競争の果てにあるモノとは、そも、障害当事者にとってナンなのであろうか、ちょっとばかり、考えれば、直ぐに、わかることである。
六点目
精神医療と心理が無定見に拡大し、
しかも無制限に儲かる、ウハウハに
だから、当然、特性理解者サポーター、サポートチームなどとは
結局のところ、精神医療と福祉と教育が発達障害方向へ拡大していくときの
ボロ儲けのタネになるであろう、ということである。
クスリと電気ショックと四肢拘束で儲け、
発達障害のミナサンへのサポートチームでも、
また、ボロ儲けするのである。
依存してくれるので、飯の喰いはぐれがないのである
まことに、ケッコウな、お商売なのである。
精神医療と福祉は、根絶も縮小もしていかない。
拡大していくのである、オソロシイ。
心理職の国家資格化おねだり路線を見よ
申請神聖発達博士片岡聡のリトプごっこを見よ
NHKから金もろうて、議員様相手に、
法整備、制度政策おねだり講演会、開きくさった、
笠セカンドからとうとう、こんな戯けた当事者が
悪辣極まりない障害当事者が羽化を始めましたよ
バカバカしい
当事者からのおねだりもアルので
本当に、ぼろ儲け、していけるであろう。
発達護送船団おねだりボロ儲け路線である。
専門職が、今の十倍いても、発達障害者を十倍に増やせばいいだけだから
しかも、依存してくれるので、本当に、ボロい儲けを生み出すであろう
これで、精神医療を根底的に破壊できる、などと、寝ぼけたコトをいえたものだ、
笠陽一郎大センセイよ。
逆だよ、逆、精神医療と、福祉は、徹底的に、拡大していけるんだよ、
この発達障害をツコウてね、ぼろ儲けしながらね。
ナントイウバカげたことを、アンタは、ヤッテしもうたんだろうね
七点目
障害者、病者の発言、行動に対する
無効化の武器がまた一つ増えるだけである
またもや、またもやの、まことに結構な、発言や行動を無効化できる、素晴らしい、武器となるのであ。たとえば、我々精神病者は、アレがキチガイの戯言やと、アレが躁や、アレが妄想や、アレが鬱や、アレが偏執狂やと、アレが躁鬱の波や、アレが幻聴や、アレが幻覚やと、アレが人格障害や、アレが精神病質や、アレが鬱や、アレが被害妄想や、と散々に言われて、我々の言うこと為すコト、すべからく、価値がない、と、無視され、無効化されてきたのである。ここにきて、今度は、さらに加えて、アレが双極性障害Ⅱ型の薬剤性やくざや、あれが、発達障害者の、こだわりと云う特性やタラ、興味の持ち方の狭さやタラ、アレが人間関係の幼さやタラ、発達障害の成長の無さやタラ、タラタラタラタラと、精神医中心に散々言って無効化するのである。
例えば、さぞや、このところのえばっちの文章に、対しても、言っていることであろう。そう、だから、この七点目を特に重宝しているのは、実は、内海聡や、嶋田和子や笠陽一郎達と言った、発達障害や発達特性を、精神医療改革の最終結論だ、答えだと、言って良いように宣伝して広めてきた当の本人たちが、いざ逆らうようになった病者たちに、患者たちに向かって、陰ひなたなく使っているのである。笠陽一郎のホームページや嶋田和子のブログに内海聡のブログにも、隠そうにも隠せなく、端々に、にじみ出ているのである。ああ、もちろん、くじら会のママさん達の茶飲み話にも、為っていることでしょうね。許せないことだ。さぞや、さぞや、他の医者たちや心理士や治安監督官たちにも、良いお手本に為っているだろう。こうやって、我々のヨウな文句言いのキチガイの言う事や書いているコトや、叫んでいることを無効化するのである。叫ぼうとしている中味を考えようとすることなど、ないのである。精神病の症状と発達特性と、の、せいにすれば、よいのだから。精神医の診察室での、心理士の相談室での、患者への無効化兵器が、一挙に倍どころか、十倍ぐらいに増えるンデスヨ、いゃああーー精神医と云うのは、カウンセラーと云うのは、まことにケッコウな気楽なお商売ですな。我が身らの診察室や相談室を荒らしそうな患者に対して、無効化の手段が一挙に倍にナッタのである。精神病で無効化できなかった発言や行動に対して、今度は、発達特性で無効化するのである。特に診察室で、医者やカウンセラーやPSWや学校の先生に逆らう患者に対する無効化兵器が倍増したのである。
いや、念のいったことに、更に兇悪なことには、発達障害特性は、最初の入門口に才能があると云う方向も宣伝シマクッテいるので、ナント有効化と無効化を、相手を選んで、医者の好きなように有効化と無効化を選択して使えるのである。コレは、恐ろしいことである。精神病では、コウはいかない。医者に逆らう非友好的患者には、精神医は発達特性故の無効化を叩きつけ、友好的患者には発達特性故の有効化して才能あると持ち上げさえ出来るのである。ソレをまた、逆転することも可能なのである。依存先の精神医と心理士と先生の思うがままに、である。
コレを最も悪用してきたのが笠陽一郎と云う精神医なのである、と言ったら、この七点目の罪悪が、ハッキリすると想います。「双極性Ⅱ型の薬剤性やくざ」と云う新造語を造って、揶揄無効化のために、己がホームページで、吐きまくったのですから。他の精神医の先生様方が、笠セカンドや笠陽一郎大先生様をお手本に出来る最大の点でしょうな、コレが。オソロシいことだ。
で、結局は、観察法法廷や、治安監督官たちにとっても、後見人たちにとっても、いやはやまことに、ケッコウな武器でしょうな。発達障害本や発達特性本の、使い方の読み方の、新たなる一ページ、と云うか、元々の一ページでしょうな。
どちらにせよ、病状、症状で無効化できなければ、今度は特性で無効化するのである。一人の人間を無効化するに、症状で、出来得なければ、特性でも、出来る、と云うコトなのである。有り体に言って、患者を病状や症状のせいだからと、沈黙を強制しようとしても、出来得ないときには、『発達特性』で、無効化できる、と云うことである。
八点目
保安処分、治安処分の
超早期的かつ
無制限強化拡大に陥る
ダカラ、結局サイゴは、治安的、保安処分の強化拡大に直結するのである
この音頭で踊っているうちに、精神病では捕らまえられなかったような、
奇人や変人をシャカイの治安を乱す者として、まこと広範囲に、しかも極早期に、
番号をふれるということである。
特に、この発達音頭は、シャカイの治安を乱しそうなものを
幼児のうちから、まさに「早期」のうちからピックアップできるだろう
なおかつ、本人や、母親の方から、我も我もと、争って、番号を振って欲しくて
医者や、心理や、教育の専門家に、押しかける、と云うしだいに為るのである。
まさに、究極的な、まさにまさに、シミンの皆さん待望の
早期介入的な横断的拡大主義的過剰診断的な保安処分が完成できるであろう
ということである。
三歳児健診、五歳児健診、の制度政策提言を見てみたらよいのだ
心神喪失者医療観察法が、フル回転するのである。
後見人も、フル回転しやすいのである。
病院に施設に、放り込みやすいのである。
決めるのは、依存先の、専門職たちナノデある。
ナニを寝ぼけているのか、ソコに依存しようとしているのが、分からないかねー
この発達音頭の踊り子さんタチはねーー
さらに、しかも、この番号を振っていく過程で
才能を花開かせるためのサポートチームと引き替えだと言われた場合、
この踊り手サン達は、それを拒否できるのであろううか?
手帳なんてものとは質のチガウものと引き換えですよ、早い者勝ちですよ
と言われた時、発達障害者たちは自主的に群れ集まり
ナニカを売り渡すことになろう
治安監督官様が、最も利用しやすい保安処分方法とは、発達障害を梃子に行われることと為るのである
現実に、このところ、よくわからないような、マスコミをにぎわす事件で、精神病を貼り付けられないようなことに、あっさり、発達障害を貼り付けているのを、いつも、こわごわ、みているのである。
そして、そこに反抗する当事者の意見を封殺ではなく、完全無効化スルのである
本当に驚くべき程、上手いことできた障害概念であると、想うのである。
これを思いつき、応用しているヤツは、天災的な天才であろう。
ちなみに、それは、笠のホームページでも、おこなわれてはいなかったか、、、、そう、あの大泣きした議員に、あっさり、アレは発達臭いと、貼り付けていなかったか、典型的な、保安処分活用とは、笠のホームページで行われていたのである。治安管理官様たちにとって、良い勉強になったと、想うのである
  精神病患者会前進友の会やすらぎの里作業所
あくまでキーサン革命の鬼えばっち 江端一起
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