Have a happy caturday 😺🐾🐾🎄🎁❣️
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ふーたりそろーって澄まし顔〜🎎🌸✨ 仲良しアムとマロン✨ 桃の節句を盛り上げるよ✨ #アドビにゃん #写真部門 #ねこのきもち #ひな祭り #お雛様 #おひなさま #ひな人形 #にゃんこの毛糸屋さん #コスプレ猫 #坂口アム #坂口マロン #コスプレ猫 #catlover #girlsfestival #ねこすたぐらむ #ニャンスタグラム #ねこくら #アルピニアラボ #peppyフォト部 #猫カレンダー2024参加したい https://www.instagram.com/p/CpTeqDOhJeB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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営業中。のごみ人形の土鈴雛、猫の舎人が傍に。
土鈴雛→https://goo.gl/C4syPx
招き猫→https://www.wazakka-kan.jp/ne
ネバーランドさんに「手っ取り早く画質向上ならスマホをカメラのいいヤツに替える(意訳」というアドバイスをもらい、買い替えようか考え中。
昨晩出掛けた先で、その場にいる方にスマホの買い替え時をアンケートしたところ、「業務でSNS投稿に使うなら」という前提を伝え忘れたせいで、個人の感想大会になってしまう(あるある
「替えたいの?でもいい道具も使い手がヘボだと意味なくない?」と言われザクっと来てぐぬぬ(言い方!
気の置けない関係は、スピード感ある刃物が飛んで来るものですが、何故か許せるのであった(笑
#スマホ #買い替え #井戸端会議 #のごみ人形 #お雛様 #招き猫 #ハチワレ #雑貨屋 #和雑貨 #江古田 #新桜台 #西武池袋線 #練馬区 #商店街 #贈り物 #プレゼント #ギフト
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🎎お雛様オーダー本日8/11まで🎎 2023年おひなまつりに向けたお雛様のオーダー第一弾はいよいよ本日中までとなりました。 引き続きオンラインショップにて オーダー受注を承っております。 https://murmurinthesoda.stores.jp こちらはつくりはじめた2018年からずっと人気の Ohinaマトリョーシカ Dot 【紫×赤】&【青×赤】 ※おなかパカ写真は猫雛です Ohinaたちはみんなおなかが開くので、中になにか特別なものをひそませても。 毎年飾っていただくならタイムカプセルのように来年の自分や子どもたちへのお手紙なんていかがでしょう?💌 (食品や温度変化で溶けるものなどは入れないでくださいね🙏😌🌿) #Ohinaマトリョーシカ #murmurinthesoda #マーマーインザソーダ #matryoshka #マトリョーシカ #murmur_matryoshkas #猫#ネコ#cat#猫雛 #お雛様 #おひなさま #雛人形 #雛祭り #ひなまつり #初節句 #桃の節句#girlsfestival #baby #ベビー #ベビーギフト #育児 #子育て #ママ #プレママ #出産 #出産祝い #女の子ママ #babygirl https://www.instagram.com/p/ChHu_hkrAnT/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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猫宮 あすかは、日本のグラビアアイドル、タレント。東京都出身。ブルースカイ所属。 ウィキペディア
身長: 155 cm
カップサイズ: E
スリーサイズ: 80 - 61 - 87 cm
事務所: ブルースカイ
出身地: 日本・東京都
現年齢: 23歳
生年月日: 2000年7月9日
趣味:シナモロールグッズ集め。
特技:UFOキャッチャー、ダンス。
日本とフィリピンのハーフ。人形のような顔立ち、頭身からドーリー系グラビアアイドルの異名を持つ。
小顔から写真では長身に思われることが多いが、実際の身長は155センチと小柄である。
人見知りするタイプで、デビュー前は人前で話すことも苦手としていた。撮影会で「素直に伝えれば周りが応えてくれる」ことに気づき、徐々に克服していっているという。一方でヲタク気質であり、打ち解けたり、好きなことならばかなり喋ると自己分析。また、口数が少ない割に自己肯定感が高いことから「生意気」といわれることも多いという。
ショーダンサー的なものへの憧れがあったため、面積の小さい水着を着ることには抵抗がない。もともとは歌って踊るアイドル志望であった。
イーネット・フロンティア担当者は印象を「仕事に対する姿勢はまじめ」と答えている。
同じく「猫」の字が苗字に入る蒼猫いなとは、2022年より��ねこねこセッション」「猫×猫コラボ」と等と称し、たびたびペアでの撮影会を開催している。
名前は猫宮だが、猫か犬かで言えば、犬派。
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Today, February 22 is Cat's Day in Japan. On the left is a cat selling edamame(green soybeans). A cat mother carrying a baby on her back is selling edamame in a basket, saying "Edamame-ya, ude-mame(boiled beans). A cat girl with a doll on her back is holding coins and calling out cutely, "Mameya-san, mame-okure(Bean Seller Please sell me beans)," or "Mame-okure,"
本日2月22日は 猫の日 。左にいるのは猫の枝豆売り。赤ん坊を背負った猫のお母さんが「ゑだまめや、うでまめ」と、篭に入った枝豆を売り歩いています。そこにお人形を背負った猫の女の子が小銭を持って「まめやさん、まめおくれ」と可愛らしく声をかけています。
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(倒産寸前だった京都の老舗和菓子店を救った「スライスようかん」:日経クロストレンドから)
倒産の危機にひんしていた老舗和菓子店を救ったのは、全く新しい食べ方を提案するようかんだった。1803年創業の亀屋良長(京都市)は、スライスチーズに着想を得た「スライスようかん」を開発。これが大ヒットし、起死回生を果たした。その開発秘話や、宣伝戦略の進化に迫った。
薄くスライスしたようかんにバター風味のようかんをのせ、けしの実を散らして1枚ずつフィルムで包んだ、京都の和菓子店・亀屋良長の「スライスようかん」。2018年9月の発売以来、累計販売数は約63万袋を記録した。
単身者も多い近年の生活スタイルにそぐわないサイズ感や、カットの手間が敬遠され、「年間50本程度しか売れていなかった」というようかんを、「朝食として食べられる和菓子」として、新たな切り口でリニューアル。和菓子に親しみがなかった層も取り込み、同店の看板商品に成長した。
スライスようかん開発のヒントは、猫の手も借りたい朝、2人の子供にあんこトーストとチーズトーストを別々にリクエストされたこと。「チーズトーストはスライスチーズのフィルムをはがし、パンに載せるだけだが、あんこは固く食パンに伸ばすのが面倒。あんこもシート状なら楽だと思い、ようかんをスライスする案が浮かんだ」(由依子氏)
ただせっかく新しい取り組みを行っても、「広め方が分からなかった」という。スライスようかんの発売時も、特別なPRは行わずじまい。
「当時はプレスリリースの存在すら知らなかった」(良和氏)
「課題は発信力。SNSを活用すべきだ」とコンサルタントに助言され、20年4月、良和氏、由依子氏、30代社員がそれぞれのアカウントでSNS投稿を開始。同年6月、渦巻き状の焼き型で寒天に波紋をつける製造動画を、良和さんがX(旧Twitter)に投稿すると、「波紋の形がミッキーマウスのよう」「焼き型が寒天に押し付けられたときに立てる音がかわいい」と拡散。フォロワーが1日で8000人増え、21万以上の「いいね」を獲得した。
この成功体験をもとに、「雪だるま形の干菓子な���、見た目がかわいい定番商品をクリスマスなどの季節イベントに先駆けて投稿。それが若者の間で拡散され、ECサイトでの売り上げが急増、というサイクルを作れるようになってきた」(良和氏)。
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・他にスライス形状にすると良い製品は。
・どう売るかも大事。ビジュアルが明快。
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無題
死ぬ夢を見た。宇宙空間で安楽死する夢。宇宙船は全長50メートルくらいあるL字型の座椅子みたいな形だった。志願者たちはその座面に乗り込んで、背もたれの部分に備えつけられた把手をめいめいつかみ、出発の時を待っていた。効率がいいな、と思った。床と背景しかない部���。舞台装置のようでもあった。出発前にインスタグラマーみたいな男が、手すりに寄りかかって写真を撮り、何か辞世の句めいたことをブツブツ口走っていた。馬鹿かと思った。身投げとか銃で撃たれる夢も見たことがあるけれど、今までで一番臨終する瞬間の感覚が生々しかった。これが死か! と思った。観念的な死ではなくて、実感としての死を体験した。視界は真っ暗で、一点に強い力で意識ごと吸い込まれていく感覚。『すべて上昇するものは一点に集まる』っていうフラナリー・オコナーの短編があった。全身麻酔に抵抗するみたいに、ちょっと堪えようとしたけれど、ほどなく意識が飛んだ。その瞬間目が覚めた。入口が出口だった。寝る前に着けた蒸気でホットアイマスクが視界を覆っていて、一瞬パニックになった。心臓がバクバク鳴っていた。
*
母方の祖母が死んだ。認知症を患って久しく、年明けに施設で胸の痛みを訴えてそのままだった。前後のことはあんまり憶えていないし詳しく書く気力ももうないんだけど、長らく献身的に面倒を見続けていた母の苦労と悲しみと喪失感が果たして幾許のものか、おつかれさまでしたって心から母にいった。あとは安心して自分の人生を生きていってほしい。祖父が死んだ時はコロナ禍只中で火葬にも立ち会えなかったけれど、今回はちゃんと収骨にも立ち会えた。骨上げってマジで常軌を逸した風習だと思うんだけど、でも、あれがあるから遺族は死を実感として受容していけるんだな、と骨になった祖母を見て思った。萎縮した脳を覆っていた頭蓋骨は、卵の殻みたいだった。昔父方の祖父が死んだ時、焼き場で祖母ちゃんが「これで本当にいなくなっちゃった」といって泣いていた。
*
寝しなに神の訪問を受けた彼女が、2024という数字は2で割り続けられるような感じするけど253で割れなくなる、そして253は素数である、という天啓を授けてくれた。俺はお返しに、「猫の恋」って春の季語なんだよ、と教えてあげた。
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@yukimama55 からマロンの分身が届きました❤️ マロンのリアル毛で茶色の部分を再現してくれたそうです❤️ ヒゲもリアルを数本🍀 しっぽもモフモフで可愛い😄💕 ふんわり甘い感じの雰囲気までソックリです❤️ 可愛いので仕上がりDOLLの真似っこしてマロンの服装再現してみたよ🌸 #羊毛人形 #羊毛フェルト #atsukowatanabe #羊毛アーティストに作ってもらった #羊毛フェルト猫 #doll #坂口マロン #コスプレ猫 #ツーショット #ハンドメイド #お揃いコーデ #catlover #ペコねこ部 #サンデイ #ねこのきもち #ねっこ https://www.instagram.com/p/ChikU7fvy8K/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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いきなり偉そうなことを書いて各方面から顰蹙を買いそうなんだけど、あえて言う。僕は自分の日記より面白い日記を読んだことがない。これはハッタリでもなんでもなくて、それくらいの気持ちがないと何処の馬の骨とも知れないチャリンコ屋の日記に1,500円や2,000円を出して購入してくれている方々に申し訳が立たない。ただし「自分より」と言うのには注釈が必要。『富士日記』や『ミシェル・レリス日記』みたいな別次元の傑作は対象外として、近年、雨後の筍のように量産されているリトルプレスやZINEを体裁とした日記やエッセイ群を見据えての発言と思って頂きたい。商売としての仕入れはさておき、個人的に興味があったので色々と手を伸ばして読んでみたものの、そのほとんどが「私を褒めて。私を認めて。私に居場所を与えて」というアスカ・ラングレーの咆哮をそのままなぞらえたような内容、若しくは「持たざる者同士でも手を取り合い、心で繋がっていれば大丈夫」的な似非スピリチュアルなマジカル達観思想で構成されているので、正直ゲンナリした。しかもタチの悪いことに、そういうものを書いている人たち、あわよくば商業出版の機を窺っていたりするものだから、出版社や編集者の立場からしたらまさに入れ食い状態。「ビジネス万歳!」という感じでしょう。晴れて書籍化の際には口を揃えて「見つけてくれてありがとう」の大合唱。いやいやいや、ちょっと待って、あんたら結局そこにいきたかっただけやんってなりません?これまでの人生をかけて手にした「生きづらさ」の手綱をそんなにも容易く手放すんかい!と思わずツッコミを入れたくもなる。現世で個人が抱える「生きづらさ」はマジョリティに染まらぬ意思表明と表裏の関係にあった筈なのに、どっこいそうはさせないとばかりにどこからともなく湧いてくる刺客たちの誘惑にそそのかされては、呆気なく自らの意志で握手(悪手)に握手(悪手)を重ねる。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ。以前、僕もある出版社の編集長から「DJ PATSATの日記を当社で出版させてほしい」という誘いを受けたけれど、もちろん丁重にお断りした。僕は自主で作った300冊以上の読者を想定していないし、それより多くの読者に対する責任は負いかねるというような趣旨の言葉を伝えた。そもそもなぜ僕が友人(マノ製作所)の力を借りながらわざわざシルクスクリーンという手間をかけて制作しているのかを理解しようともしない。編集長は口説き文句のひとつとしてECDの『失点・イン・ザ・パーク』を引き合いに出してこられたのだけれど、いま思えばそういう発言自体が安易というか不遜だと思わざるを得ない。結局その方は僕を踏み台にしようとしていただけだったので、負け惜しみでも何でもなく、あのときの誘いに乗らなくて良かったといまも本気でそう思っている。まぁ、これは僕個人の考え方/価値観なので他者に強要するものでもなければ、共感を得たいと思っている訳でもない。逆に彼らも推して知るべしだ。誰もが商業出版に憧憬を抱いている訳ではない。昔から煽てられることが好きじゃないし、賑やかで華やかな場面がはっきりと苦手だ。だからと言って消極的に引きこもっているつもりもなく、寧ろ積極的に小さく留まっていたいだけ。かつては各地の井の中の蛙がきちんと自分の領域、結界を守っていたのに、いつしかみんな大海を目指すようになり、やがて井の中は枯渇してしまった。当然、大海で有象無象に紛れた蛙も行き場をなくして窒息する。そのようなことがもう何年も何年も当たり前のように続いている現状に辟易している。そんな自分が小さな店をやり、作品を自主制作して販売するのは必要最低限の大切な関係を自分のそばから手離さないためである。何度も言うているように自営とは紛れもなく自衛のことであり、率先して井の中の蛙であろうとする気概そのものなのだ。自衛のためには少なからず武器も必要で、言うなれば作品は呪いの籠った呪具みたいなもの。そんな危なっかしいものを自分の意識の埒外にある不特定多数のコロニーに好んで攪拌させたりはしない。多数の読者を求め、物書きとして生計を立てたいのなら、最初から出版賞に応募し続ける。だからこそ積年の呪いを各種出版賞にぶつけ続けた結果、見事に芥川賞を射止めた市川沙央さんは本当に凄いし、めちゃくちゃにパンクな人だと思う。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、天与呪縛の逆フィジカルギフテッドというか、とにかく尋常ならざる気迫みたいなものを感じた。なぜ彼女がたびたび批判に晒されるのか理解できない。それに佐川恭一さん、初期の頃からゲスの極みとも言える作風を一切変えることなく、次々と商業誌の誌面を飾ってゆく様は痛快そのもの。タラウマラ発行の季刊ZINEに参加してくれた際もダントツにくだらない短編を寄稿してくれて、僕は膝を飛び越えて股間を強く打った。
佐川恭一による抱腹絶倒の掌編「シコティウスの受難」は『FACETIME vol.2』に掲載。
ついでにこれまた長くなるが、かつてジル・ドゥルーズが真摯に打ち鳴らした警鐘を引用する。
文学の危機についていうなら、その責任の一端はジャーナリストにあるだろうと思います。当然ながら、ジャーナリストにも本を書いた人がいる。しかし本を書くとき、ジャーナリストも新聞報道とは違う形式を用いていたわけだし、書く以上は文章化になるのがあたりまえでした。ところがその状況が変わった。本の形式を用いるのは当然自分たちの権利だし、この形式に到達するにはなにも特別な労力をはらう必要はない、そんなふうにジャーナリストが思い込むようになったからです。こうして無媒介的に、しかもみずからの身体を押しつけるかたちで、ジャーナリストが文学を征服した。そこから規格型小説の代表的形態が生まれます。たとえば『植民地のオイディ���ス』とでも題をつけることができるような、女性を物色したり、父親をもとめたりした体験をもとに書かれたレポーターの旅行記。そしてこの状況があらゆる作家の身にはねかえっていき、作家は自分自身と自分の作品について取材するジャーナリストになりさがる。極端な場合には、作家としてのジャーナリストと批評家としてのジャーナリストのあいだですべてが演じられ、本そのものはこの両者をつなぐ橋渡しにすぎず、ほとんど存在する必要がないものになりさがってしまうのです。本は、本以外のところでくりひろげられた活動や体験や意図や目的の報告にすぎなくなる。つまり本自体がただの記録になってしまうわけです。すると、なんらかの仕事をもっているとか、あるいはただたんに家族がある、親族に病人がいる、職場に嫌な上司がいるというだけで、どんな人でも本を産み出せるような気がしてくるし、このケースに該当する当人も、自分は本を産み出せると思い始める。誰もが家庭や職場で小説をかかえている……。文学に手を染める以上、あらゆる人に特別な探究と修練がもとめられるということを忘れているのです。そして文学には、文学でしか実現できない独自の創造的意図がある、そもそも文学が、文学とはおよそ無縁の活動や意図から直接に生まれた残滓を受けとる必要はないということを忘れているのです。こうして本は「副次化」され、マーケティングの様相を帯びてくる。
ジル・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990年の対話』(河出文庫p262-263)
僕は制作の際にはいつも必ずドゥルーズのこの言葉に立ち返っては何度も確認作業を繰り返し、ようやっとリリースにこぎつける。しかしそもそもが作品化を企んでいる時点で自分まだまだやなぁと思うに至る訳で、なんとも一筋縄ではいかない。そういう意味では滝野次郎という人がインスタグラムに投稿している日記のような文章には、はじめから読まれることを意図しているにもかかわらず、本来ならば読まれることを目的とした日記からは真っ先に削除されるような状況ばかりが羅列されていて、なかなかどうして凄まじい。馴染みの飲食店で見つけたお気に入りの女性店員を執拗に観察したり、断酒を誓った直後に朝から晩まで酒浸りであったり、謎の投資で10分間で40万円を失っていたり、銀行口座と手持ちの金を合わせても1,000円に満たなかったり、それでも「俺は俺を信じる」と闇雲に自身を鼓舞していたり、そうかと思えば急に脈絡もなくひたすらに左手のハンドサインを連投していたりと、しっちゃかめっちゃか。比肩しうるは円盤/黒猫から出版された『創作』くらいか。あらゆる規範から逃れるべくして逃れ得た、いま最もスリリングな読み物であることに間違いはないが、同時に、これは断じて文学ではない……とも言い切れない不気味な何かが海の藻屑のように蠢いている。
(すでに何らかの隠喩ではないかと勘ぐったり……)
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🐈⬛お雛様オーダー本日8/11まで🐈 2023年おひなまつりに向けたお雛様のオーダー第一弾はいよいよ本日中までとなりました。 引き続きオンラインショップにて オーダー受注を承っております。 https://murmurinthesoda.stores.jp こちらは猫雛1番人気の Cat Ohinyaマトリョーシカ 【タニクハチワレ×パープル&ブルーミケ】 こうしてみるとかなり上を向いてるのがポイントのネコ雛たち…! #Ohinaマトリョーシカ #murmurinthesoda #マーマーインザソーダ #matryoshka #マトリョーシカ #murmur_matryoshkas #ohinyaマトリョーシカ #猫#ネコ#cat#猫雛 #お雛様 #おひなさま #雛人形 #雛祭り #ひなまつり #初節句 #桃の節句#girlsfestival #baby #ベビー #ベビーギフト #育児 #子育て #ママ #プレママ #出産 #出産祝い #女の子ママ #babygirl https://www.instagram.com/p/ChGv-99ugcC/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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今日は辛い一日だった 仕事の話は何度繰り返しても無意味なことばかり 自分の失言やよくない行動で、評価が落ちていると周りから暗に知らされる 落ち込んで帰宅して、でも不眠でなかなか眠れない 夜勤は10年、ここ半年はほぼずっと夜勤で、ほとんど夜じゃなくて昼眠ってる さっきお酒と肉を食べたら、体調が悪すぎてほとんど動けない 体の中に石が溜まったみたい 何かが動がなくて ずっと頭痛も吐き気もついてきて、悲しい気分も、悲しい話題も多い 外で猫が大声で鳴いてる こんなに大きい声出せるんだ 人間やるの本当に疲れた ゲームしたくない ゲームのうまさを、人に自慢してきたことを恥ずかしく思ってる 顔の話をして、自画像が崩れてしまった 整形したとしても、失敗してぐちゃぐちゃになった顔のほうが、今の顔より全然気にいると思う そのほうが意識と合ってる気がする 好きな人が好きな顔じゃなくて、中身はいいのにねとか、顔が可愛かったらデートに行ってあげるとか、わたしはそんな言葉に何回傷ついたんだろうと思った 好きな人がわたしの顔で、顔がそんなに好きじゃなくて付き合うことを躊躇う瞬間、それって、生きていて一番惨めだなと思った そんなことで人を判断する社会を恨んで、自分の顔を恨まなくていいのに、優しいねって言われる 自分の顔の方が、社会より、男性より、よっぽど好きじゃない 何年かかっても、金かけて少し変えてもやっぱりダメだった 痩せても太ってもだめだった わたしは誰かに顔が可愛いって紹介されたこと一度もなかったし、顔が、顔がいつもわたしのことを助けてくれなかった そのことを何回落ち込んでもきりがない 今から自分の要素が無い顔になりたいのだ さっきから泣きながら、何回書いたかわからない、何回言ったかわからない自分の顔への非難を何時間もやっている 言葉にしたらだめだよって言われても止められず、意味なくだらだら泣いている こういう辛さから救ってくれるのは仕事だったのに、仕事は本当に辛くなってしまい、休日も何もできないし、体調は悪くなる一方で、本当に疲れてしまった 死のうかなとも思ってる めんどくさいから 明日仕事の電話するのがめんどくさくて憂鬱だから
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トマス・M・ディッシュ「SFの気恥ずかしさ」
神を信じないあなたが贈るSFへの信仰告白
昨年国書刊行会から出たSF評論集。ディッシュのSF短編集「アジアの岸辺」をむかし読んで、すごく露悪的だし悪意に満ちてるけれど、どこかさわやかなところが印象に残っていたので買って積んでた。
同業他者の本をこう評す文章が楽しめる人は楽しめるとおもう。わりと楽しかったです。
この本は小説ではなくて治療的読書の英語で書かれた空想である。それが私にはうまく働かない。
ディズニーランドに行った疑り深い人間のように、私はつい本物でない細部に目が向かう。つまり椰子の木のコンクリートの幹だとか、すりきれた人工芝だとか、人造ライオンの生気のないうなり声だとか。しばらくすると旅行者ばかりが気にかかる。つまり、どこのどいつがこんなに手順通りのにせものを楽しめるのだろうか、楽しめるのだとしたら、本物でないから楽しいのだろうか、それとも、とても信じられないが、あえて虚構性に目をつぶっているのだろうか、と。
「SFの気恥ずかしさ」
実験・思弁小説としてではなく、いわゆる大衆小説としてのSF批判なんだと思う。現代日本に置き換えると需要層に向けてもっとピーキーになった「なろう小説」批判に近いように思える。
ただ、ここで批判される子供っぽい欲望や恨みという感情、さらにそれに対する複雑で変わりゆく眼差し自体を消費させながらすごい速度で大量の情報と欲望を集めて、メディアミックスを駆使しテキストをお金集約装置へと変えていくあまりにもファストなシステムを横目で見てると、本編は大衆小説批判としては少し古びてしまった印象
それとはまったく別にSFへの信仰告白としては100点
いまいったようなことは、どれも重要ではないと。そして、結局のところ、こういう調子で締めくくって、どこがいけないのでしょうか?たとえ完全な真実ではなくても、それは良い本をかこうとするものの信仰の祈りでなければならない。わたしはそれを信じます。みなさんもそれを信じるべきなのです。
「アイデア」「壮大なアイデアと行き止まりのスリル」
古今東西のさまざま文学と結びつけ、するどい言葉でさくさく刻んでいくのが読み物として楽しい。個別の作品がわからないので適切な批評かはよくわからない。ポーへの批判がすごい。ディックは高評価。
ポーは昔読んだきりだけど、これ聞いてなるほどと思うとともに、奇想と雰囲気いいのでポーっぽい一人称ホラー短編ゲームは楽しそうと思った。
「ポーのあきれた人生」「テーブルいっぱいのトゥインキー」
ポーとかブラッドベリとかに半分自己嫌悪に近い形で悪口言ってるときのが筆が乗ってていきいきしていて魅力的。以下、ブラッドベリの悪口から引用。
たくさんの大人たちにとってこうした短編は早すぎる埋葬をこうむった十一歳の自分に戻る戸口となり、子供たちは(ずっと昔、私がそうだったように)まるで本物であるかのようにこの魅力にとびつくのだろう。―ホステスのトゥインキーやキャンディー・コーンやストロベリーのクール・エイドが、どれもギラギラと火星のように赤色二号の怪しい光を放って並ぶビュッフェであるかのように。
「レイバーデイグループ」「聖ブラッドベリ祭」
二流作品(ディッシュ評)お焚き上げの会。文章も性格もわるくていいですね。
「ヴィレッジ・エイリアン」「最初の茶番」
ベストセラーとなったUFO連れ去り事件ノンフィクションor小説?についてのフィクション込みの論考。往年の高橋源一郎の文学探偵みたいで、嫌味と紙一重のもってまわった技巧含めて楽しかった。 ディッシュ、すごくSFを愛してるからこそSFづらして出てくるいい加減な作品のこと許せないんだろうな。
「『未知との遭遇』との遭遇」
スピルバーグの未知との遭遇の解題。宇宙戦争とかもそうだけど、結構宗教的だなあと思うスピルバーグをよく説明してくれている。最後の皮肉っぽさ、ディッシュだなという感じ。
それが本当に映画のサブテクストだとしたら、どうしてこんなにヒットしたのだろう。(中略)観客が映画の教訓に感銘を受けたからではなく、迫力ある映像、金色の仔牛としての神という、印象的な神の実像を描いてみせたからだ。我々は神の顔を見たいと渇望しても、神のために狂人になる覚悟はない。大勢の宗教者が狂気は神にいたる道だとくり返し説いてきたが、凡人にできることではない。しかし、それを映画のシミュレーションで見るなら楽しめるし、しかもその映像がSFのお約束のイメージで無菌化されていれば、なおさら考える必要はない。SFはその定義からして、重要なことを決して意味しないのだから。
「SF ゲットーへの案内」
欧米SFをくさすレムに、もっとちゃんと現代欧米SFを読んでくれ!という訴え
ディッシュは無神論者だったらしいけど、全体的にSF信仰を強く感じる。SFの価値を信じてて、SFかくあるべしというのが強固にあるからこそ、各作品をきちんと読んだうえで駄作という批判も傑作という賛辞も強く示していくそういう文章はきらいじゃない。
ディッシュの破綻してしまった人生最後の支離滅裂な小説「The Word of God」が、SFへの殉教だったのかなとSFロマンチストとしては考えてしまうところ。参照Wiki
ところで、マンハッタンについてのインタラクティブテキストであるところの「アムネジア」というテキストADVゲームの脚本書いていたのははじめて知った。
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イザベラ・バード『日本奥地紀行』(平凡社ライブラリー)を読む。イザベラ・バードは1931年イギリス生まれ、明治11年、48歳のとき来日して6月から9月にかけて日本人従者をたった1人連れて東京から北海道へ旅行している。その詳細な記録。道路事情は最悪で、人力車や馬、徒歩、ときには川を泳いで渡っている。
従者は18歳の青年で従者兼通訳として終始イザベラ・バードを補佐した。旅行の行程は東京~粕壁~日光~会津盆地~新潟~小国~置賜盆地~山形~新庄~横手~秋田~青森~津軽海峡~函館~室蘭~白老・平取(アイヌ部落)~内浦湾~函館~(船)~横浜。
明治11年という早い時期に女一人で半未開とも言い得るような地を旅行したなんて、ほとんど英雄譚と言っても良いくらいだ。当時の貧しい農民生活が実際に体験した外国人の眼で描写される。
横浜に上陸して最初に受けた印象は、浮浪者が一人もいないこと、街頭には、小柄で、醜くしなびて、がにまたで、猫背で、胸は凹み、貧相だが優しそうな顔をした連中がいたが、いずれも自分の仕事を持っていたというもの。
日本の治安について、「私は奥地や北海道(エゾ)を1200マイルにわたって旅をしたが、まったく安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている」とバードは書いている。
旅館はみすぼらしく、プライバシーがなく、蚤が大量にいて悩まされる。障子は穴だらけで、どの穴にも人間の眼がある(つまり覗かれている)。また外国人を見るために多くの群衆が集まってくる。人垣ができ、屋根の上にも野次馬が群がる。
宿の奥さんに年を聞くと、50歳くらいに見えたのに22歳だった。老け込むのが早い。
イザベラ・バード『日本奥地紀行』を読む - mmpoloの日記
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