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#鮭の照り焼き
vegan-nom-noms · 1 year
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Vegan Teriyaki Salmon
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choco322 · 2 years
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昨日のディナー🍴 ・ #所要につき #デパ地下弁当 #刷毛じょうゆ海苔弁山登り #刷毛じょうゆ海苔弁山登り大漁 #鶏の照り焼き #鮭 #ちくわの磯辺揚げ ・ #美味しゅうございました ♡ #Japanesefood #food #foodie #instafood #instafoodie #foodgasm #foodpics #yummy #foodstagram #foodporn #飯テロ #dinner #晩ごはん #夕飯 #お弁当 #デパ地下グルメ #デパ地下デリ #銀座six https://www.instagram.com/p/CfZ5D3vvEh2/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kensasuke23 · 5 months
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今日は昨日の残りの川俣シャモで照り焼き。あとはクルミ小女子と鮭フレークわさびに漬け物。酒は花春の生貯蔵酒。いろいろ飲んできて、結局は花春か栄川の生貯蔵酒にたどり着くか。
#川俣シャモ
#日本酒
#花春酒造
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welcometo-mysillylife · 2 months
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2024/03/11(月)
きょうは東日本大震災の日。
1時頃寝て、6時半頃起きた。
朝にリンゴ食べちゃったから、用意した鮭の切り身とお味噌汁とご飯がお腹いっぱいで食べられなくて、昼に食べた。だけどすぐお腹すいてカレー食べた。
朝には疲れてたけど、だんだん良くなった。昼寝してしまった。本当は晴れてたからお散歩行こうと思ってたのに。
マッチングアプリでたくさんメッセージ来た。
夜は照り焼きチキン作った。キャベツのサラダも添えてご飯と豆乳とカップケーキ食べた。
なんか香港の人からメッセージ来て、英語でやりとりしてたけど、日本語にしてほしいって言われた。中国語教えるから日本語教えてほしいって。なんか正しい日本語を使うことを意識した。ロマンス詐欺ではないと思う。韓国人ですか?って聞かれた。韓国スターみたいって。ロマンス詐欺なのかな?やだね、そしたら。でも、写真別にかっこよくないんだよな。
日本で働いてるみたいで、お昼にうな丼食べてた。日本のウナギは美味しいって。サックス演奏するって言ってた。
あとは北海道に住んでるおじさんに気に入られた。
あしたはヘルパーさん帰ったらすぐに区役所行かなきゃいけない。
透子が調子悪くて、心配。
食器の洗い物ヘルパーさんに任せる。
眠いので寝ます。
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whprogress · 8 months
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2023.8.16 今日の晩ごはん
鮭と長芋のバター醤油照り焼き、ヤムウンセン、ポリポリきゅうり、お味噌汁
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obentoart · 1 year
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posted by @tmk527 #obentoart #お弁当 塩鮭。からし菜としいたけの煮浸し。ひじきと高野豆腐のマヨ炒め。ごぼうの照り焼き
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myonbl · 2 years
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2022年10月19日(水)
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私の仕事場は窓が西に開いており、出勤すると中庭の欅の様子を写真に撮るのが日課である。雲ひとつ無い青空、紅葉の進み具合、これを観るだけでも楽しい。授業は今日から5週目、つまり1/3が経過したことになる。学生たちには<まだ>かもしれないが、私には<もう>と感じてしまうのは加齢のなせる業。残り時間を大事に過ごしたい、いや、本当にそう思うのだよ。
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5時15分起床。
日誌書く。
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いつものそば定食、ちとごちゃごちゃと入れすぎたな。
洗濯1回。
空き瓶・缶、45L*1。
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2男のおにぎりはツレアイ担当、私は3人分の弁当を用意する。
ツレアイの職場経由で出勤する。
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順調に到着。
換気・ラジオ体操・お茶。
明日の「共生社会と人権(人権論)」の資料を印刷する。
本日の授業用資料確認、シナリオをチェックする。E
水曜日は2限・3限と「情報機器の操作Ⅰ(食物栄養学科)」、先週で PowerPoint を終了し、今日から Excel に入る。まずは、基礎知識の復習から、何しろ Word は日常的にレポート作業で使用するが、大半の学生は Excel に触れることはほとんど無い。ワークシートとブック、画面構成、アクティブセル、オートコンプリート、オートフィルなど確認してから本日の課題<表の印刷><相対参照と絶対参照>に取り組む。両クラスとも欠席者が多く、この先かなり心配である。
早めに退出。
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セントラルスクエア花屋町店で買物、今夜は豚汁だ。
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息子たちの夕飯は、昨晩のフレスコの見切り品のコロッケ、半熟酢卵、豚汁。
ツレアイはそこそこの時間に買物終えて帰宅、寒いので少し燗酒を付ける。
録画番組視聴。平成紅梅亭から、「普請ほめ」桂りょうば、「天狗刺し」桂二葉。お二人とも誠に結構。
片付け、入浴、前日より辛うじて100g減。
明日の弁当用に、大根・牛蒡・竹輪を煮る。塩鮭を焼く。
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3つのリング完成、水分も2,000ml達成。
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the-kirin · 1 month
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Made this for lunch today (I'm on holiday and I have a BJJ class tonight). So good. 🥰
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satoumi · 2 months
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*鮭のレモン照り焼き
*アスパラガスの白だし漬け
*ぶなぴーとピーマンの塩麹きんぴら
*なすと厚揚げのラー油炒め
*にんじんと切り干し大根のマリネ
***
先日買った食べるラー油、あまり口に合わないので炒め物にバンバン使って大量消費中🍆
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pudknocker · 2 months
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そこで私が実践しているのが、「GUNG-HO-GUNS作戦」である。  つまり、自分なりの「これを注文しておけばとりあえず外しはしない12のメニュー」を結成しておくのだ。別にGUNG-HO-GUNSにこだわらないなら、13品の「護廷十三隊作戦」でもいい。  鮭のマッシュポテトアヒージョは、ザジ・ザ・ビースト。  チリハンバーグステーキは、ミッドバレイ・ザ・ホーンフリーク。  四川風エビのピリ辛は、出オチの味がするからマイン・ザ・EGマイン。  こんな感じで、自分なりの「定番メニュー」を持っておけば、noshと程よい距離感で付き合うことができる。安心して使い続けられる。この「程よい距離感」こそ、noshと付き合い続けるには最も大切な方針だと思う。  ハンバーグに飽きたら唐揚げと入れ替えればいいし、唐揚げに飽きたらもつ鍋と入れ替えればいい。ちなみに私の中では「鶏肉の照り焼き」が雷泥・ザ・ブレードに相当する実力者ポジションに座っている。
ガチでnoshを2年間食い続けた俺の夕食戦争|ジスロマック
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caramelholicxx · 7 months
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9月第4週
9月も20日を過ぎました。この前まで9月になったばかりだと思っていたのに、あっという間に月末に差し掛かっている。おそろしい!でも少しずつ涼しくなってきて気持ちがいいね。これくらいの気温が半年続けばいいのにと毎年思っています。
今週はコロナで隔離中の間溜まっていた仕事をひたすらこなしていたので、毎日22時過ぎまで残業だった。仕方ないけど気持ちはまだまだネーションの余韻に浸っており(今日もU-NEXTで見逃し配信を見た)やる気���出ないうえにコロナ後で体力も完全ではなく、咳や鼻水も残っていて本調子ではなかった。でも食欲は戻ってきたし、月曜からはより忙しいことがわかっているのでなんとかやっていきます。
土曜日は日光に行ってきた。雨は降っていたけどそれはそれでなんだか雰囲気があってよかった。
日光と言えばわたしがいちばん大好きなステーキ屋さんがある。今回も行ってきた!
Grill&Steak 妙月坊(日光市山内)
https://instagram.com/myogetsubo.taikobo?igshid=MzRlODBiNWFlZA==
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わたしは脂肪があまり得意ではなく赤みが好きなのでいつもテンダーロインを選ぶけど、とても柔らかくてナイフをぎこぎこする必要はまったくなく、少し押すだけで切れちゃう。写真が下手でお肉の良さが何も伝わらなくて申し訳ない。
栃木は海なし県なので、お魚はどうやったって海沿いの地域には敵わないんだけど、肉米野菜はどれもすごくおいしいと思う。ここのお肉も最高においしくて、日本に来る前A5A5連呼してたチョンロにも食べさせたいなと思いながら食べた。
デザートの日光の銘水ゼリーがまたさっぱりおいしいんだ!
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写真撮り忘れちゃったけど、今回お肉に合わせて飲んだ鳳凰美田のぶとうジュースがまた最高においしくて…!(鳳凰美田の桃酒とゆず酒大好き)
以前ここで飲んだジンジャーエールやコーラ、レモネードもおいしかったけど、ぶどうジュースがいちばんだった。自分でも取り寄せようかなあ。
お料理が前菜からお肉デザート飲み物なんなら最後のコーヒーに添えてあるミルクまで全部おいしいのはもちろん、宿坊をリノベーションしたお店の外観、お庭、店内のインテリア、接客、ホスピタリティ、すべてがすごく良いのでここはいつ行っても気持ちがいい!
日光を訪れた暁には是非立ち寄ってみてください。今でさえ予約しないと入れないので正直これ以上混んでほしくないんだけど、好きすぎるお店なのでブログで書いてみた。
最近近くに系列の茶寮もできたらしいので(そちらは日光らしく湯波料理とか言っていた)今度はそちらも訪れたい。
今週あったことはそんな感じかな。土曜は家に帰ってきてからSMTジャカルタの配信を見たりはしたけど、気持ちはネーションからずっと帰ってこられていない。11月にレドベルのカムバが決まったのでそれとどりーむの会報を楽しみに頑張るぞ!
今週の買ってよかったものコーナー
・ロングヘア用のシルクナイトキャップ
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今まで胸下ロングなのにミディアム時代に買った全部を包み込むタイプのシルクナイトキャップに無理矢理髪を詰め込んでいたのだけど、ロングタイプがあると知って買ってよかったから紹介する!ロングタイプ髪の毛が楽ですごく使いやすい!(そりゃそう)
わたしはAmazonで適当に買ったしこのタイプならぶっちゃけどこのでもいいと思う。シルクナイトキャップは被るか被らないかで翌朝の髪の状態が全く違うから、また被ったことない人は試してみてほしい。見た目完全にステラおばさんだけどわたしは見た目よりヘアケアを優先するぜ!
今週のおいしかったものコーナー(上記のステーキを除く)
・ファミリーマート ごちむすび 炙り焼銀鮭はらみ
ファミマのごはんはそんなに…とか言ってるそこのあなた、ごちむすびを食べていないでしょ!
わたしはこのごちむすびシリーズのファンで、新作が出るたびに買っているのだけど結局ど定番の鮭はらみがおいしいなと今週久しぶりに食べて思った。通常のおむすびよりは高いけど鮭はらみが大きくて食べ応えがあるしほどよい塩気でおいしい。食べたことない人は一度食べてみてほしい。
最後に今週よく聴いてた曲
KEY - Good & Great
少し遅くなってしまったけどキーくんのG&G、リリースからずっと聴いてるくらい大好き!
働いてるすべての人、特に今仕事がままならなくいけどどうにかやるしかない人に聞いてほしい。
働きたくないのは働きたくないし働かないで暮らせるならそれがいい。でも現実はそうはいかないなかで、キーくんがつらい日も逃げ出したい日もあることをわかっていてくれて、ウチなんとかやってるのウチよくやってるのって自分をなでなでしながらこちらに寄り添ってくれるの本当に優しい。あとシンプルにサウンドが良すぎる。キーくんありがとう。
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また来週!
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coculi · 10 months
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20230622thr
左から私、夫、長女。まだ木曜日かー、今週長い。作り置きがあまりできなかったのでワンパターンおかず。それでもみんな文句も言わず食べてくれる。
長女が少し体力ついてきたのか昨日も23時半まで勉強していた。でも暑さでばてたのか、昨夜は食欲なかったな。
鶏照り焼き、焼き鮭、卵焼き、アスパラベーコン、ブロッコリー、ミニトマト。鮭は夫だけ。長女にはキウイと塩むすび。
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sangokushi7 · 1 year
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これは意外!「韓国のお弁当」がかなり手抜きの理由
学校行事のひととして必ず組み込まれている遠足。その遠足の楽しみと言えば、お昼に広げるお弁当と持ってきたお菓子ではないでしょうか?最近は一人っ子家庭も増えてきて、キャラ弁と呼ばれるビジュアルにも凝ったお弁当が流行で、少しでもカワイイお弁当を #韓国 #弁当文化
  学校行事のひととして必ず組み込まれている遠足。その遠足の楽しみと言えば、お昼に広げるお弁当と持ってきたお菓子ではないでしょうか?最近は一人っ子家庭も増えてきて、キャラ弁と呼ばれるビジュアルにも凝ったお弁当が流行で、少しでもカワイイお弁当を作る為に朝早くから頑張るお父さん、お母さんもいるとか…でも、ところ変われば文化も変わるで、お隣の韓国では、お弁当があまり重視されていないようです。     かなり手抜きな韓国のお弁当   韓国では、日本のようにふりかけや鮭フレークは市販していません。なのでゴハンはキンパプという韓国風ののり巻きが多いようです。それにオカズであるウインナーや卵焼き、照り焼きチキンを入れていきます。しかし、このようなお弁当を作る親がいる一方で、キンパプ(太巻き)を一本丸ごと渡す親や、パリバケットでサンドイッチを買い、そのまま渡す親も多くいます。太巻き一本やサンドイッチだ…
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taro26 · 1 year
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📍名古屋市中区「ヒモノ照ラス 名古屋PARCO店」焼き加減抜群の大きなサーモンハラミ🔥
皮のパリッとした食感と濃厚なサーモンの相性が抜群🐟
噛むと脂もでてくるので、かなりジューシーです!!
付け合わせの大根おろしやレモンで脂たっぷりの鮭ハラスを、さっぱりと頂くのもまた一興です🍋
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johncoffeepodcast · 1 year
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 実家に帰って久々に昔使っていた引き出しを開けてみたら、お年玉袋が入っていた。小花柄のプリントされた黄色いポチ袋で、糊しろに透明なでんぷんがこびりついている。便箋の宛名には兄の字で〇〇君へと書いてあった。俺がそれを手に取ったのは、2022年の事で、お年玉を貰ったのは兄がまだ社会人になりたての2011年の冬の事だった。妹と両親と過ごした正月の事だ。うちの家族は兄弟が3人いて、俺には3人の兄弟がいた。兄が1番上で真ん中が俺。俺の下には1つ離れた妹と、もう1人産まれたばかりの妹がいる。兄は俺より四つ上で真ん中の妹は一つ下だった。兄は俺がまだ学生の頃からもう社会人になっていて、この頃の兄はトラックの運転手をしていた。昔と比べると家族の様子はまるで変わった。犬のライトは居なくなったし、隣町に住んでいた祖父母の家も空き家になった。俺の家も俺たちが高校に上がったぐらいから母も働きだして、今では日が高いうちは家に人がいる事はない。俺は大学を一年休学していたから、妹とは実質同学年だった。
 2011年は私たちに大きな衝撃が降りかかった1年だった。3月に太平洋沿岸を中心とする東北に大きな津波がやってきたのだった。俺は丁度大学に入るためにアパートを探している最中だった。俺の生まれた街から、大学までは直線距離で2000km離れていた。俺は地元から出るつもりは無かったので、休学している間は良かった。しかし、入学してからの4年間は仕方無く、向こうで暮らす事になるんだろうなと言う諦めにも近い心積もりがあった。しかし幸か不幸か、俺が一年大学を休学をしている間に様々な出来事が起こった。もし俺が大学を一年休学していなければ既に暮らしていたはずの地域では、マグニチュード6.8の大地震が猛威を震っていたのだ。ニュースで見る限りビルや漁協や、その場所にある様々な民家は瓦礫一つ一つに返ったように、散りと化してしまっていたし、沿岸の建物も作業用のトラックも全て波が攫ってしまった。俺や妹達が住む実家にも、地震による日本中の電力の自給の安定の為に、日本政府から計画停電が発令された。夜の3時間は真っ暗になり、俺が家の玄関から草履を履いて外に出てみた所、普段は灯っているはずの街頭が一つもついていなかった。俺は父親に仕事用のトラックでドライブをしてみようと提案してみたのだが、電気を使うのを控えているのだからガソリンを使うのも控えた方が良いだろう。と言う事で、震源地から遠く離れた俺の住む街は、地震があってからの数週間しばらく停電が続いた。
 世の中が混乱の中にあっても新聞はしっかりと毎日届いた。原子力発電機の事故によって放射線が漏れた事、津波によってある地域では沿岸から数十キロが全て土砂に飲み込まれてしまったという実情が、連日連夜報道された。俺はその年の春、合格した大学の入学式に出るために3月5日に初めてキャンパスを訪れた。第一志望と第二志望に落ちた俺は、場所だけが魅力的に映った第三志望の大学に受かった。大学は海の見える場所にある縦長に5階建てのビルが三棟も建っているキャンパスだった。入学式の後は経済学部と文学部と法学部が同時に集まって新入生のオリエンテーションが行われた。その入学式の途中で俺の中に、そこはかとない違和感が湧いてきた。何故そんな違和感が湧いてきたのかというと、まだ顔を合わせたばかりなのに既に周りの皆んなが知り合いだったからだ。今ではSNSで知り合ってから入学式を迎えるのが一般的らしい。18年培ってきた自然な人間の交流が、大学へ入学した事によっていきなり閉ざされた気がした。俺の隣の席に座っている女子が『〇〇ちゃんだよね?』とそのまた隣にいる女子に話しかけていた。俺は何じゃそれ思った。それと同時にスタートダッシュに乗り遅れたと思い、既に地元に置いて来た筈の淡い期待は打ち砕かれ、萎れた感情を秘めながら受けた入学式のオリエンテーリングを受けていた事を思い出した。
 俺の住む街は電���が一本だけしか通っていない田舎街だった。友人の侑君は高校を卒業してからは実家の牧畜業を継ぐ事になっていた。俺が大学合格の通知を郵便で受け取った数日後、友人の侑君にこの春に地元を離れる事になるかも知れないと告げた時、侑は寂しそうな顔をしていた。『お前、勉強はよく出来ていたもんな。お前とC組のOOさんと、スポーツ推薦の〇〇君は来年は地元にいないんだ。』と学校の帰り道に歩きながら俺に漏らした。『でも4年もすれば、どうせ皆んな帰ってくるんだろ。』そして付け足すように侑は言った。『俺ん家にも家業があったらな。』と俺は何処かに呟いた。『お前んちだって塗装屋やってんだろ?』と侑は俺に言った。『塗装屋とは言っても、何でも屋みたいなもんさ。壁紙のクロスから何から何までやりますよって感じだよ。』と俺が付属で侑に弁解すると『じゃあお前も父親と一緒に塗装屋やればいいじゃん。』と侑は言った。『まあねぇ。』『まあねってなんだよ。』『塗装以外もやっているって事は、塗装の仕事がないんだよ。』『何だお前。偉そうな事言ってんじゃねぇ。まあ良いわ。数年待って考えろよ。』侑は言った。『俺も気持ちだけはここに置いて置くからさ。』俺は侑に言った。侑の家と俺の家は同じ町内にある一軒家で侑の家は真裏には牧畜の牛舎があった。侑の家に遊びに行くと、牛舎の横には乳牛から搾り取った生乳を溜めておく大きな白いタンクがあり、侑君は侑君の父親と毎朝牛車で一仕事してから学校に来ていた。俺が朝、学校に行くついでに侑君の家に回って行くと、侑の家の庭には常時何本かの干し草が散乱していた。朝、侑君が押し車で牛の餌の干し草を、牛車の中に運び入れる際に手押し車から落ちてしまうからだった。
 2011年の1月に三学期が始まった。三年の三学期は、進路が決まった者たちは学校で時間を無下に費やすだけだった。俺が第三志望の大学の合格発表を受け取ったのは1月12日の事で、同じクラスの皆んなはまだ、自分の未来の行末を案じながら合格発表を待っていた。俺学校は受験のランク的には県内では中の下あたりの普通校で、ひと学年下の妹も同じ高校に通っていた。俺の兄も、この学校の卒業生だった。と言うもの、父親がこの学校の第一期の卒業生で、俺たち4人兄弟は全員この学校に通わせたかったそうだ。大学の合格通知を受け取った日の夕飯の食卓で俺は父親に聞いてみた。『何で俺たちを〇〇高に通わせようと思ったの?』親父は畳の上に腰掛けて、木製の丸いテーブルに乗った夕飯を食べていた。母親と、俺たち兄弟と父親は共に囲みながら、黙って木の箸で納豆をかき混ぜている所だった。『新しい道の見つけ方を教えてくれたからだよ。』父親は納豆を茶碗に乗せて、白米と共に口の中へ放り込みながら言った。俺は正直父親が、何に対して新しい道を見つけたのかさっぱり理解出来なかった。父親は父親のお父さんから塗装屋を受け継いで、今の今までに立派に営業しているし、高校時代もハンドボールに明け暮れていた。と言う話をお母さんから聞いている。お母さんはアップリケの付いたエプロンをしながら、父親の横で澄ました顔で焼き鮭を食べている。『真由は学校楽しかったか?』父親は1番下の妹に向かって言った。妹は学校に行く時はいつも二つ結びにしていたが、家に帰るとすぐに解いていた。『楽しいけど、校庭でバレーが出来ないのが辛い。』1番下の妹が言った。『あら、こないだ雪がまだ積もっているの?』とお母さんが妹に聞いた。『まだ端っこの所にだけは雪ぐ積もってるんだよ。真ん中はサッカーゴールがあるから男子が使って、バレーをやる子は端っこに行くの。』と再び1番下の妹は言った。それを聞いた真ん中の妹が『今度からバレーボールも真ん中ですれば良いのよ。』と言っていた。俺たち兄弟4人は、父親の過去に何があったのだろう。と言う疑念を腹の奥に押し込めながら、たわいも無い話題でその時の空気を払拭し、今日の夕飯は俺の合格祝いを兼ねた楽しい団欒が続いた。
 一つ下の妹は気が強く、それでいて俺たち家族の事を広い心で受け止めるような長女だった。陸上部に入っていて、地域の女子の中でも特段リーダーシップがあった。俺の住む田舎街では、一月の第二週目になると道祖神のお祭りがある。地域の子供やお年寄りが、薪や竹の倉を組んだ櫓に火をつけて、その業火で暖をとり、人々の無行息災を祈祷すると言うお祭りだった。俺と兄と妹達はお祭りには必ず顔を出し、飛び散る火の粉をわき目に、例年のように和太鼓を叩いた。和太鼓は誰が叩いても良かったが、大抵は男の上級生が叩いたりした。『春子先輩カッコよかぁ。』と下級生の女子達は、真ん中の妹が太鼓を打つ姿を見学して秘密裏に囁いていた。妹は隣町から来た他校の生徒とも交流がある様なカリスマ的存在だった。俺も侑と祭りの様子を見に行った。侑は俺の妹が赤い炎に照らされて、オレンジ色に染め上げられながらバチを打つ姿を見て『凄いな。あれお前んところの妹だろ。』と言っていた。妹の周りには、見物人の町内のご老人達が集まって、火を囲んで神事のお供物だった煮干しを食べたり、御酒(おみっき)を飲んだりしていた。太鼓の横でピーヒャラと縦笛を吹いているのは妹の友人の櫻子だった。俺のお母さんは婦人会で、御酒とお雑煮を地域の人々に振舞っている。するとお母さんと一緒にお祭りに来ていた1番下の妹が、俺の所にかけてきた。『どうしたよ真由?』俺は太ももにしがみついている1番下の妹に言った。『お母さんがお兄と遊んできてもいいって。』と1番下の妹は俺に言った。
 うちの家族の中で最年少なのは、俺の腕の中で抱えられている1番下の妹だった。妹は姉や俺が近くに居るとよくひっついて歩いた。まだ背は150cmにも満たない。今年保育園に上がったばかりで、台所に立ってはお母さんの料理の真似事をよくしていた。俺と侑は1番下の妹と祭り囃子が演奏されている太鼓の近くに寄ってみた。『お姉ちゃん。』1番下の妹が言った。真ん中の妹は太鼓を叩く妹はバチを大きく振り翳して妹の呼び声に答えた。『真由もお姉ちゃんみたいに大きくなったら、太鼓が出来るようになるんだぞ。』と俺は妹に手を繋ぎながら言った。俺と侑と1番下の妹は、炎に半身を照らされながら、太鼓の鼓動を聞いていると、近所の遊司さんがビニール袋を持って俺たちの方へ歩いてきた。遊司さんは大工さんで、俺のお父さんによく仕事を回してくれていた。遊司さんは実は俺の父親と同じ高校の同級生だ。『悟!侑!蜜柑持ってけ。』遊司さんは俺たちにビニール袋に入った蜜柑を差し出した。『神輿の準備で、山のお寺の方で配ってるんだ。悟。お前は今年は神輿担がんのか?』『今年は遠慮したんだ。』『何よ。どうして。』遊司さんは言った。『家からはお兄とお父が出る事になってるんだ。お兄今年から社会人だから、一年の商売繁盛を祈って神輿担ぐって。』『おおそうか、慶助と章介がね。とわいえ、慶助も親方冥利に尽きるってもんじゃないか。長男の章介が、まさか自分と同じ塗装屋になってくれるなんてな。』遊司さんはそう言うとガハガハと笑っていた。御神輿は山のお寺をスタートして里の神社まで地域の人達に担がれて運ばれる。この祭りのある夜は、一年のうちで1番街が一つになるはずだった。
 里の神社までは出店が30件ぐらい並んでいた。中には馴染みの顔もちらほら見かけた。黄色い暖簾のたこ焼き屋さんは、隣町のスーパーの前でたこ焼きを売っているおじさんだったし。りんご飴を売っていたのは、地元で有名な不良の女だった。俺は兄から貰ったお年玉を握りしめ、出店を矯めつ眇めつしながら里の神社に向かった。途中、1番下の妹がねり飴屋の前で立ち止まり、駄々をこねた。『お兄、わたしあれ食べたい!』と1番下の妹は言った。『わかった。わかった。帰りに買ってやるからな。』と俺は一度は妹を制するようにしてみたが、妹はねり飴屋の看板を見つめてそこから動こうとしなかった。その様を見た侑は、自分が発言にまったく責任を負わなくても良い事に、俺に向かって『せっかくなら買ってやれば良いじゃん。』とニヤニヤしながら言った。『お前が払ってくれるんなら考えるけど。』と俺は侑に言うと『真由ちゃん。兄ちゃん全然優しくないよな。』と侑は妹に向かって言っていた。妹は皆んなが食べてるのを見て、自分もねり飴が食べたくなったようだった。正直妹も初めは本気でねだっているようではなかったようだが、侑の発言を受けて段々とねり飴に関する欲望が増しているようだった。俺は仕方なく、お兄が父親から貰った少ない給料から捻出したお年玉を妹に渡した。兄がくれた3000円のうち400円を使って妹にねり飴を買ってやった。妹は『ありがとう。』と言って割り箸をこねくり回し、自慢げに道の端にある大きな石に座ってアメをせっせと舐めていた。『真由ちゃん良かったな。』と侑は言った。しばらくして御神輿が山の神社を出発すると、遠くから笛と鈴の音が聞こえてきた。
 音色はどんどんと里の方に向かって近づいてきた。灯篭を持った従者の陰が、明かりの無い山の間を葛を折るやつに降りてくる。ここから肉眼で見ると、人の姿は豆つぶ程で、距離としても3km位は離れていた。山の神社の急斜面を神輿を担いで男達が降りてくるのだ。『俺の兄貴もあん中にいるのかな。』と侑が言った。神輿は成人になった村の男だけが担ぐことを許される。という昔からの村の風習があった。小さい妹と居た俺たちは、里の神社まで行く事を諦めて、広場の炎から数100m程離れた石置き場の所で御神輿を待つ事にした。3人で腰掛けるのにちょうど良い道端にあった丸石の上に座っていると、頭上の斜め上から声をかけてるくる女がいた。俺が顔をあげると、そこにいたのは櫻子だった。『悟君!』『おお、櫻子』俺は櫻子に言った。『お囃子見てたでしょ。』『真由が見ようって言ったからさ。』『春子の太鼓凄いんだから。地響きが指の先まで伝わってきて、皆んな喜んでくれていたみたいだし、今年もやって良かったなって思ったわ。』と櫻子は言った。『櫻子ちゃんも上手だったよ。』と俺の1番下の妹が櫻子に言った。『見にきてくれてありがとうね。』櫻子は俺の妹の頬を、人差し指を折り曲げて柔らかくさすった。『そういえば櫻子、俺の妹と一緒じゃ無いの?』『春子?春子は私は後で行くから先に行っててって。』『怪しいな。』と俺は櫻子に言った。『怪しいわよね。誰か待っているのかしら。』俺と侑と櫻子は示しを合わせるようにした。そして思い浮かぶ可能性の中であり得そうな共通の概念を思い浮かべた。『そんな冗談はさておき、じゃあ私行くわね。』『待ってよ。お前もここで見てけば良いじゃん。』歩き出す櫻子を制して侑が言った。櫻子は『うんうん、良いの。』と櫻子はそう言って、遠くで頭を左右に振りながら、小走りで行ってしまった。友達が里の神社で待っているからと、櫻子は暗闇の中に言い残した。そして櫻子は里の神社へ坂道を走っていってしまった。
 俺たちは神輿が降りてくるまで道端の丸い石の上で座った。妹は近くの川を覗いていたり、妹は川縁で引っこ抜いた芒の茎をつかって野良猫と遊んでいた。辺りはもう真っ暗になり、後ろを振り返れば里の炎が夕闇をほの赤く染め上げている。目線を神輿のあるところから、山の裾野あたりに移すと、侑の家の生乳タンクが暗闇のなかにぽつりと見えた。侑は一生この村で暮らすつもりでいるのか。と邪性の様な考えが俺の頭の中をよぎった。侑は俺がふと考えがあらぬ方向を向いてる事に気がついたのか、俺に普段はあまり話さないような事を聞いてきた。『お前にはさ、兄ちゃんがいるだろ。お前は、お前の兄ちゃんがやりたくて塗装屋をやったんだとおもっとる?』侑は俺に聞いた。俺たちは体育座りをしながら語った。『どうだろうな。』俺は言った。『たぶんそうじゃないんじゃないかな。俺は男が1人だからさ。何となく家に入るんだけどさ。お前のお兄も多少はそういう気持ちがあったんじゃ無いんかな。』『兄ちゃんそんな事言っとらんかったけどな。』俺は石ころを川に投げて言った。『そういうのって、言わんだけで誰でも思ってる事じゃんか。見てみい。真由ちゃんもまだ小さいし、お前は進学するだろう。いくらしっかりしているからって春子ちゃんは女だし、俺が継ぐしか無いんじゃないかって心の何処かで思ってたんじゃないかなって、俺そう思うんよ。』『そんなもんなんかな。』俺は言った。『そんなもんなんよ。』侑はそういうと、腰掛けながら俺の肩を力強く掴んだ。『だからお前は大物になってこの街に帰って来いって、あの時、俺はそう言う意味を込めて言ったんだからな。』『侑。』『なに?』『これからも、俺たち友達な。』俺は涙ぐみながらそういうと、俺と侑は手のひらをがっちり結んだ。笛と鈴の音がだんだん大きく聞こえるようになってきた。俺と侑は猫と遊んでいる1番下の妹を呼び寄せて、御神輿の来ているところまで行ってみることにした。
 川の行方とは反対に、俺たちは山の方へ歩き出した。一年が始まって間もないのに、祭りは活気を全て使い尽くしてしまっている様な気がした。神輿を担ぐ掛け声が、俺たちのいる所にも朧げに聞こえてくるようになった。山に近づくにつれて、河川敷にはだんだんと御神輿を待つ人々で溢れるようになった。中には同級生の顔もちらほら見かけたが、大勢の人並みをかき分けて、火を燃やしている広場に向かって人々の流れに逆らって一目散に駆けゆく人がいた。『空けてくれ!頼むから。俺に道を開けてくれって。言ってんのが分からんか。』その人は人々の間を大腕を振ってすり抜けていく。『あれ?遊司さんじゃね?』侑は俺に言った。遊司さんは誰かを探しているようだった。『おい!悟!侑!お前らのどちらかでも良いから居ないか!』両手を口元に当てて遊司さんは俺の名前を大声叫んだ。『ここです!ここ!ここ!』侑はそう言うと群衆の中で飛び跳ねて、遊司さんに俺たちの居場所を知らせた。遊司さんは再び人並みを凄い勢いで掻い潜って、俺たちの所まで走ってきた。『悟、大変だ。章介が。』『兄ちゃんがどうしたでて?』兄の名前を聞いた時、俺の耳筋に冷や汗が垂れた。兄は一家の中でも最も屈強で、村の人々からも慕われる様な男だったからだ。『章介兄ちゃんがどうしたって?』俺はすかさず、遊司さんに掴み掛かるようにして問いただした。『章介が、章介が神輿の下敷きになりやがった。』俺は全身の力が抜けた。その言葉のお陰で俺の血液は脚の血管から全てアスファルトにこぼれ落ちたように思えた。俺の目の前は濁り、血の気が引いた。サーッと意識が地中に引っ張られたみたいになって、俺の眼には暗い、遠くの山の緑色がぼんやりと映る。『悟。早く!行くぞ。』侑は遊司さんがきた方角へ引き返すように促した。侑は里の神社へ向かって走り出そうとしていた。俺は真由の手を握りながらただ、立ちすくんでいた。見かねた侑は、俺が真由と繋いでいた手を自分の方に引き受けて、代わりに真由と繋いだ。『俺が真由ちゃん見てるから。悟は早く兄ちゃんの所へ行け。俺は後で行くから、お前は早く遊司さんについて行け!』侑は怒鳴った。『早く行け!』俺は侑の一言で、一瞬で我に返り、遊司さんが先導して作った人並みの隙間を埋めるようにして我が物顔で神社まで走った。
 走っている間、俺の動悸が収る事はなかった。あらゆる可能性が思慮の中を巡り、あらゆる疑念が新しく出来ては消えた。俺が鳥居をぐぐると、神輿は地面に置かれていた。少し離れた所で鉢巻をした人々が石畳の上で心配そうに集団を見守っている。近くには若い大人が4.5人と、年寄りの大人7.8人が群になって立ち話をしていた。俺は遊司さんにつれられて、事故のあった��所に行った。あたりには兄を円の様に取り囲む群衆があった。『どいてくれ!』遊司さんは円の一角に向かって言った。円の一角は、割れて兄のぐったりした姿が俺の目に飛び込んできた。神輿は狛犬のすぐ側にうちやられ、金の天守閣の鳥が人々の背丈を通り越して、俺の眼だけに侮蔑の様な表情を投げかけている様に思えた。地面にぐったり寝そべった兄の頭を母親が膝の上に置いていて、真ん中の妹が兄の体をさすっていた。兄の方には、神輿が倒れた事による紫のアザが刻み込まれ、体の至る所がどこも黄色く内出血している。父親は鉢巻で自分の眼を隠しながら、兄に向かって仕切りに『大丈夫か。大丈夫か。』と母と妹の頭上から投げかけていた。『誰か、誰か救急車を!』遊司さんは祭りに参加している大勢に向かって言った。侑と真由はやってきた。侑は鳥居の入り口で1番下の妹が事をこっちに来ない様に一生懸命引き留めていた。ねり飴の割り箸を大切そうに持っていた妹は、苔むした参道で章介の姿を心配そうに眺めていた。
 後日、兄が運ばれた病院にお見舞いに来た遊司さんや、櫻子ちゃんが言うには、兄の事故は神社のすぐ近くで起きたという事だった。担がれた神輿は山から急斜面を降りてきて、里の神社へ入る時に大勢を崩した。ぐらついた時に、兄の反対側に身長の高い男が居た事で、神輿の重い天守閣の部分が兄の上へ梨崩しになる様にして倒れてきたのだった。神輿の音頭をとっていた人に聞いた話だと、神輿を担ぐ四角い角が兄の体を地面に向けて打ちつけたと言う事だった。病院で下された症状は打撲という事だったが、兄は肩の筋を痛めてしまっていた。病院の先生はせいぜい2ヶ月は入院が必要だろうと言う事だった。俺たちは三日三晩交代で、兄の病室をおとづれたが、兄は元々の兄より口数が減っていた。兄の表情には言葉に祭りでは見せた筈の覇気が全く篭ってない様だった。兄が事故に遭ってから2日目の晩、家は妹達と俺だけで家で留守番を任され、父親は遅くまで仕事に出ていて、母親が付き添いで病院に行っていた。妹は風呂上がりに居間で、濡れた髪の毛をバスタオルで拭きながら『こんな時に父さん、本当タイミングが悪いんだから。』とぼやいていた。1番下の妹は電球が点いたり消えたりする紐を引っ張って、���屋の明かりで遊んでいる。それを見た真ん中の妹は『真由、電気で遊ばないの。』と叱った。俺は大学から来た入学案内のお便りを、実感がないまま机の上に置いていた。
 その日父親が家に帰ってきたのは、夜の11時頃だった。長袖のポロシャツの肩のところにタオルを引っ掛け、1日履いて汚れたニッカパンツをズリあげた。玄関で足袋を脱ぐと、日焼けをした顔で入学案内を眺めている俺の事に気づいた。『おかえり。』俺は父親に言った。父親は『おう。』と言って洗面所に行ってしまった。妹は1番下の妹を自分の敷き布団の上に呼び寄せて、毛布に包まって一緒にテレビを見ていた。父親はそのまま風呂へ直行すると、真ん中の妹と俺はちゃぶ台を座敷の方から運んできて、夕飯の続きを父親の布団の空きスペースへ持って行った。父親は飯を食っている。その間、父は兄の事故に関しては一切口外しなかった。父親の鳶色の眼は青白いテレビの光が映ってビー玉の様になっている。『いつから行くんだ?』父親はテレビを見ながら、入学案内を眺めている俺に聞いてきた。『卒業式が終わってからかな。』俺は言った。『ふん。』そう言って、父親は味噌汁を啜った。飯を食っている間は目線をテレビから外す事なく、何か別の事を考えている感じでもなかった。『東北に行くんだから、もうすぐ下宿も決めるんだろ。もう検討はついているのか?』『まだ。』『まだって。準備してないのか?』『それより。兄ちゃん。大丈夫なのかよ。』俺は父親の話を遮った。そして、閉ざしていた扉を開けたみた。部屋の空気が少しだけ張り詰めた。俺と父親の様子を側で見ていた真ん中の妹は、まるで空気の流れを感じ取ったかのように『行こ。』と行って1番下の妹を2階につれて行こうとした。『大丈夫も何も。心配ねえだろ。俺があいつがいない間は手を回せない所をやるだけだから。』父親は言った。『俺が聞いているのは、塗装屋の事じゃなくて、兄ちゃんの具合の事だよ。父さん。あの時、何が起きたんだよ。近くで見てたんだろ。何が起きたか、少しぐらい話してくれても良いじゃないか。』『それはな。』父親が少しだけ語気を荒げ、箸をテーブルに置いた。『俺にもよくわかんねぇんだよ。』父親は俺の顔を凝視した。俺も父親の顔をじっくりと見た。
 次の日、父親は何事もなかったように仕事に行ってしまった。俺もアルミの弁当箱に妹が作った弁当を詰めて、俺も学校が休みだったので父親のトラックに乗った。今日は父親の仕事が終わった後、俺と妹達と父親で病院に行くことになっていた。父親のトラックは、ハケとブリキ缶で荷台がいっぱいになっていた。ペンキと建築資材を乗せた父親のトラックは、30分程田舎道を走った後、近くの新築現場の前で止まった。仕事場で朝の8時から1人で溶剤をかき混ぜる父親は勇ましかった。俺は父親に言われた事しかできなかったが、父親が混ぜて作った錆止めの溶剤をハケで壁に丁寧に塗っていった。家の壁を半分ぐらい塗った所で気づけばあっという間に1日が終わっていた。俺が兄の部屋から拝借したヤッケは、錆止めのグレー色が所々着色していた。父親は手を拭け。と言って、俺に端切れの布を渡した。そして、陽が落ちて夕方になると今日はここまで。というような事を俺に言って、トラックに溶剤とハケと、乾き具合を守る保護シートをトラックに積むように言った。俺はブルブル震えるトラックの排気口の前を何度も行き来して、父親に言われた通りトラックにペンキとハケを積み、仕事が片付いた午後の6時ぐらいになると、父親は『助かったよ。』と俺に言った。それからトラックのエンジンをかけて、俺と父親は兄の入院する病院に向かった。
 病室に入ると、既に母と妹達が兄のベットの周りにいた。兄は遅れて来た俺と父親を見て、『よ。』と手を挙げた。ペンキだらけの俺と父親の姿を見ると『なんだ。〇〇。手伝ってくれてたんか。』と兄は言った。兄は表面上は元気そうに思えた。俺は仕事の自負を請け負った人にしか言いえない、"手伝ってくれたんか。"という一言を聞いて兄の事が誇らしくなった。父親も兄に向かって手を振った。兄は小っ恥ずかしいそうに掛け布団の上の膝あたりをみていた。『具合どうだ?』兄の具合に関して、父親から話しかけたのが意外だった。『あと1ヶ月ぐらいの辛抱だって。』兄は他人事の様に言った。『兄ちゃんが良くなったら、うちももう安泰だね。』と真ん中の妹が言った。『退院したら、真由と菜の花見に行こうね。ってさっき約束してたぐらいだから、もうこれで安心だね。』真ん中の妹は兄の怪我した肩の部位を触りながら言った。『ほら。』母親が言った。『まだ完全に治った訳じゃないんだから、怪我した所を触らないの。』『はーい。』『それじゃあ私はこの子達と帰るから、後からお家に帰ってきてね。』母親は俺と父親に言ったようだが、俺には母が帰り際に兄に向けてもそう言ったように思えた。その後は俺と父親は病室のテレビで野球中継を見ながら、今日仕事で起こった事や、俺が錆止めを厚塗りするから塗料が切れて、途中で昔の塗装屋仲間が塗料を分けに来てくれた事。父親が老いぼれた後は、兄と俺で塗装屋をやろうな。と言う冗談を交えているうちに夜はだんだんと更けていった。
 一月はあっという間に過ぎて行った。より一層寒くなるにつれて、二月がすぐにやってきた。俺と侑はもうこの頃は学校が自由登校になっていて、侑は毎朝牛舎で仕事をするようになっていた。俺も侑と志しを共にした。というわけでなかったのだが、兄の不在があった為、引き続き父親の仕事を手伝う様になっていた。この頃になると、作業の流れが自分の体に染み付き、だんだんと父親から任せられる作業も増えていったのだった。そして仕事が早く片付いた土曜日の昼、学校の先生が俺の元にやってきた。先生は俺に久しぶりだね。と言うような事を言った後、一枚の封筒を俺に差し出した。そして、俺が開封する間のなく第二志望を出していた大学が定員が割れる事になったから君が繰り上げで合格になったんだよ。というような事を言ったのだった。俺はかなり混乱した。既に東北の大学に行く手筈は整え初めていたのに、突然第二志望の大学に行ってやりたい勉強が出来るという可能性が浮上したからだ。どちらにしても捨てがたい選択を迫られた俺は、三月までに先生に結論を言い渡さなくてはならなかった。先生は『ゆっくり考えれば良いよ。』と言ってくれたが、今の俺に悩み混んでいる暇はない。ペンキを塗り出せば、仕事の事で頭の中が一杯になってしまうし、飯を食えばすぐ寝る様に若い身体は出来ている。先生は自転車を漕いで行ってしまった。俺は学校に戻る先生の背中を家の玄関から見守った。
 兄が退院してから、一家で初めて里の神社へお参りに行ってみた。梅の木の蕾が膨らみ出し、まだ枝葉にとまる鶯が、上手に鳴けずにいたようだった。俺と父親はお酒を一升もって、神社の賽銭箱の横に置いた。それから太いしめ縄をゆさゆさと大きく揺すると縄の上にぶら下がっている鈴がガラガラと鳴った。二礼し、二拍手した後に、兄は神様に向かって年始に起きた様々な事を詫びるなり、これからの人生に向かって願い事をするなりした。俺の後ろには大きな鳥居が聳え、その両脇に楠の木が壮麗に生い茂っている。兄が事故が起こった時は確かこの辺りで、すぐそこの石畳に人だかりが出来ていたなと俺は1人でに思い出した。しかし、神社に入る手前で事故が起きたのに、兄は、どういう経緯で神社の境内の石畳の上で倒れる事になったのだろう。という疑問が、俺の胸に芽生えてきた。祭りが終わった後は、神輿は大切に社屋の奥に閉まってある。水の湧く水飲み場で手を洗った俺はもう一度、神社の賽銭箱の方を見た。厳しい表情をしている狛犬の牙が、俺たちに剥き出しの嶺美を与えてくれているように思えた。
 翌朝の日曜日、この日は週に一度の休日だった。俺と侑はバスに乗って栄えている県庁所在地へ買い物へ出かけた。財布には父から1ヶ月の手伝いによってせしめた5000円と、正月に兄から貰ったお年玉が入っていた。侑はスマートフォンに装着するケースをみたり、新しいNIKEのナップサックをみたりしていた。俺も新しいジャージや、かけもしないサングラスを見たりしたが、そこでは何も買わなかった。俺と侑は昼食を駅の近くのチェーンの喫茶店で食べて、午後3時から映画を見る事にした。映画館では流行りの映画もやっていたが、俺たちはジョンウェインが出てくる西部劇を観た。馬の手綱を握る俳優は知らなかったが、父が仕事の合間に寄るタバコ屋のポスターで、見た事のある野人の様な男が映画に出ていた。俺は映画を見た帰り道、初めて作業着屋さんによって茶色い皮のベルトを買った。侑は『珍しいもの買うな。』と俺に言った。『普段にも使えるし良いだろう。』と俺はバスに揺られる帰りの道中で、侑に向かって言ったのだった。
 俺たちの卒業ももう目前に迫り、新しい季節の始まりと共に、3月の訪れがやってきた。俺は学ランを着て卒業式に臨んだ。3月1日をもって、俺と侑はこの高校を卒業する。C組の成績優秀者や、スポーツ推薦で大学に行く者、はたまた人によっては、生まれ育ったこの街を今後一切踏まなくなる人も出てくるだろう。俺は今日、校長先生から卒業証書を受け取った。担任の先生は俺が下した選択に内心満足に思っていない表情を浮かべていたのを俺はよく覚えている。しかし、俺はやっと自分で新しい道を、やっと自分がやってみたいと思える道を、この街で見つけたのだった。先生に説得されたので大学は一年休学した。しかし、3月11日にやってきた悍ましい大地震のせいで、俺の大学そのものが無くなってしまった。俺はその事を消極的に捉えていない。人生はなるようにしかならない。神様はいつだって自分に正しい選択をする様に人々の行動を調節しているのかも知れない。あれから兄ちゃんは、肩の筋が完全に治る事はなかった。兄ちゃんはやむなく塗装屋を辞めて、遊司さんの計らいで新しくトラックドライバーとして働き出した。真ん中の春子は相変わらず部活の陸上に打ち込み、この学校の最上級生として、学校の新記録を樹立した。1番下の妹の真由は保育園の学年が一つ上がった。俺たち家族にとって新しい日がやってきた。『悟。支度できたか?』そう言ったのは父親だった。俺は母親が作ってくれた弁当をさげて、車体の横に家族経営〇〇塗装店と塗装されたトラックに勢いよく乗りこんだのだった。
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genkidesuka2022 · 1 year
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骨を丈夫にしたいなら目標は1日15分の日光浴を!
寒い冬の時期。
皆さんは、どのように一日を過ごされてますか?
会社、学校がある方は温かい布団の誘惑に負けなように毎日頑張っていると思います。
しかし冬は日照時間が短く、屋内で過ごすことが多いため、夏に比べると日にあたる時間が短くなってませんか?
すると私たちの体は、骨代謝などに関係するビタミンDが不足しやすくなり、さまざまな症状を招く可能性もあるんです。
丈夫な体を作るために、冬こそ日光浴が必要な理由をお伝えします。目次
冬に日光浴が必要な理由って何
効率的なビタミンDの摂取方法
少しの工夫で1日15分の日光浴を
ビタミンDの凄い効能
ビタミンDが多く含まれている食品
最後に
関連
冬に日光浴が必要な理由って何
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ビタミンDは、カルシウムの吸収など、骨の代謝に欠かせない栄養素。
食事からもとれますが、日光を浴びることにより体内で合成することができます。
ですが日照時間が短く日光を浴びる時間が少ない冬は、ビタミンDの体内合成量が少なくなり、不足しやすくなります。
効率的なビタミンDの摂取方法
ビタミンDの1日の最低必要量は5.5μgと言われています。
日本人のビタミンDの平��摂取量は、最低必要量を上回っています。
しかし近年では、紫外線を避けるために過剰にUV対策をする若い女性や、外での遊びが減った子供、寝たきりの高齢者を中心にビタミンDの不足が指摘されています。
夏は日照時間が長く、外に出る機会が多いため、自然と紫外線を浴びることができます。
しかし冬は、夏に比べて紫外線の量が少ないうえに、寒さから外出を控えて屋内で過ごす時間が多くなってしまいがちになってませんか。
いやいや、家は日当たりもよく部屋で過ごしても十分に太陽に当たってるよと言われる方もいますが、残念ながら窓ガラスは紫外線をカットしてしまうので、ガラス越しの日向ぼっこではなく、外に出て日光を浴びるようにしないと効果がないと言われています。
冬は寒いからと家のなかにこもっているばかりではなく、寒さ対策をしっかりとして、1日15分を目標に外で太陽の光を浴びてみませんか。
少しの工夫で1日15分の日光浴を
無理なく生活の中に外出をとり入れるように工夫してみましょう。
出勤時など、一駅分歩く
休日の明るい時間にウォーキングをする
子供と一緒に外で遊ぶなど
ビタミンDの凄い効能
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ビタミンDの働きには、カルシウムの吸収を高める、骨の新陳代謝を活発にするなどがあり、骨や歯の形成に必要不可欠です。
そのため、骨粗鬆症対策としても、普段からしっかりとり入れることが大切です。
さらに最近では、糖尿病や抗がん作用、免疫力アップ、筋力低下防止など、さまざまな働きがあることが明らかになってきました。
なかでも驚くべきは、ビタミンDと脳との関係です。
ビタミンDは脳の中で神経細胞の保護や増殖・分化の調節を行っています。このためビタミンDは、うつ病や統合失調症、自閉症などの精神疾患とも深く関わっており、治療への活用が期待されています。
ビタミンDが多く含まれている食品
ビタミンDは鮭やマスなどの魚介類に多く存在しています。
きくらげや干し椎茸にも含まれていますが、穀類や野菜には含まれていません。
肉類にも多くは含まれていないため、ビタミンDの摂取を目的とするなら、鮭の塩焼きやウナギのかば焼き、サバの味噌煮などがおすすめです。
最後に
ビタミンDは骨の形成のほか、健康を維持するための重要な働きをしています。
健康的な体を作るためにも、ビタミンDの多く含まれている食品を積極的に食卓にとり入れ、意識をして日光を浴び、ビタミンDが不足することのないように心がけてはいかがでしょうか。
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