Tumgik
gyohkou · 3 months
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人がいないとマジックは起こらない 人がいるとマジックが起こる マジックの予感の粒子が漂っていて 詩 さみしさに満ちた気温22度くらいの詩を読んで ぬるく涼しい あの子の天使のとこまで連れてってよ さみしいは怖い 死にたいはまだわからない 力 力が足りなくて愛せない 知識は必要 ミステリアスでは誤魔化せないから わたしは眠れない 赤子のように眠るあの子の髪は長くウェーブして コーヒー 随分よく飲んでいた コーヒーの香りで花のように鮮烈に開く記憶 体内組成 あなたがいるとわたしが動く あなたが怖い あなたのことがずっと怖い めちゃくちゃな外国語を使って気持ちいい口 セクシーなインフラ屋 春 花をつける植物のむっと漂う春の薫り 日本の湿度 物理学はアート アートとは真逆のラボ地下一階 時間は直線か? 力 力がなくて真似事 止めないで でも行かないで 移動だけが希望を生む なぜ 全く逆のことを同時に望んでしまう 食事の時間がずっと終わらなければいいのに やめて しばらく一人で泳ぐから放っておいて もう歩けない 靴擦れが治るまでここにいさせて くま 意味なんてない トリップのように断片的で支離滅裂 言いたいことが言えた人から降りていい電車 言いたくもないことばかり言ってスリップ 境界のこちら側はあちら側 編み上げ型の記憶 あなたの中にちらつくあなた 変なとこ結ばって解けない
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gyohkou · 7 months
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15/10/23
外気温が15度を下回るようになった。気分が安定するようになった分、高揚しづらくなり、物事や人に対する興味がなくなってきている。何処へ行っても何をしても同じだなんてそんな諦観を持ってはいけない。最近は会社で忙しく仕事をしている平日の9-17が最も正しく時間が流れている。これでいいのかもしれないと感じ始めているが絶対これは違うと思える日もある。今日はどうしても身体がいうことを聞かずダンスへ行けなかったのでリズムが狂ってしまっている。やっぱり無理にでも行けばよかった。英語耳が一段階良くなって、今まではクリアな単語がちらほら聞こえて意味を推測する感じだったのが、ゆっくりとしたスピードで単語に分かれて順番に耳に入ってくる。他者に何をどの程度求めているのか言葉にできていないから人付き合いが難しいフェーズが続いている。そんなものはもう物心着いた頃からずっとだったような気もするが、集団の中の一個人をやるというのはなぜこんなにもレベルが高いことなのだろう。内面を顕にして他者に触れにいくのがめっちゃ難しい。すごく疲れている時や二日酔いの時とかはかなりスムーズに自分が露出するんだけど、とどのつまり緊張解くことに不得手なのだ。だからステージ上のパフォーマーに憧れている。パフォーマーになりたいというのは暗喩でもある気がしてきた。なるほど、自己理解が深まった。
アフリカを旅行したくて色々調べているうちに、南アフリカの犯罪率の高さに恐れ慄き、モロッコとかに留めておこうかなと思ったが9月に地震があったから難しいかもしれない。北欧はもう一度行きたい。まだフランスもイタリアもドイツも行っていないと職場の人に溢したら、何やってんですかと。本当に何やってんだ!ワインの勉強に(ようやく)手を出し始めたから、ある程度体系的な知識を得たらフランスの十大地方巡りしてみたい。こういう頭の中の計画を実行してあげて、自分への信頼を裏切らないようにしたい。
カネコアヤノがライブをしているストーリーがShoreditchの位置情報と共にアップされていたのを見て、すぐさまバンドセットの日のチケットを取った。顔にかいた汗や頬に張り付く髪の毛もしっかり見える近さ、距離にして3メートルほどのカネコアヤノ、体験の稀有さとしてすごい。音がでかすぎて翌日も一日中耳鳴りがやまなかった。ほとんどがタオルケットは穏やかなの曲で構成されたセットリストだったから、このアルバムに思い出が乗った。林くんはPatersonと背中に書かれた黒いTシャツを着ていた。フロアが撓っていた。
この日のカネコアヤノは光っていなかった。カネコアヤノみたいに光りたいと彼女を観る度に思っていたけど、この人たちものすごくものすごく他人なんだと思った。それでわたしはカネコアヤノにはなれないんだとわかった。誰か(のよう)になろうとすることで希望を感じてきたのかもしれない。前に立ってた人が泣いていたけどわたしは泣かなかった。
職場の人がバジルを育てるキットをお土産にくれたけど、収穫時期を考えて来年暖かくなる頃に育てることにし、そのことを本人に伝えていなくて、顔を合わせる度なぜか罪悪感がある。
イギリス式ティー、濃く入れたブラックティー(それっぽいお茶ならなんでもいい)に冷たいミルクを少し注ぐ、にハマっている。職場で1日2-3杯は飲んでいる。
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gyohkou · 8 months
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11/09/23-17/09/23
--- 11/09/23
うつが軒先にいる感じがする 自分の中の内なるまなざしがつらい〜
そろそろイギリス1年くらい経つけど今のところイギリスに来てとってもとっても良かったなとしみじみする思い出はない どこへ行っても生活が続くんだなみたいな感じで肝が据わった イギリスでなくてもよかったし2年は少し長すぎる すっごく遠くで生活したかっただけなのかもしれない
今がいちばん良いけど 本当の人生という感じがするのはやっぱり過去だな 本当の人生という感じがしていた本番(?)のB面、C面みたいな風に人生が移り変わっていく
--- 13/09/23
フラットメイト3の英語が今まで出会った人の中で一番聞き取りづらくて、会話する時いつも緊張してしまって余計になにも聞こえないしわたしも吃るしでまともに会話が続いたことが片手で足りてしまうくらいだったけど、さっきいっぱい喋れて嬉しかった!なんでかわからんけどあなたの英語がいちばん難しいと吐露したら俺もなぜかはわからんと 日本語を勉強し始めたらしくて尚嬉しい リンガー?ていう語学系アプリ?で勉強してるらしく見せてくれたのがUnit1で べんごし を覚えるチャプター Unit1でべんごして 日常会話でべんごし使わんやろ marmite食べたことあるかと聞かれmarmiteを知らなかったのでマーマレードジャムかと聞き返したら違うと 好きな人は大好きだが嫌いな人は大嫌い Love it or hate it イギリスではメジャーな黒くねばりけのある苦しょっぱいジャムみたいなもの marmite塗りトーストを一口もらったがベーコンみたいな味がした 豆をmarmiteで味付けするとうまいらしい 豆をmarmiteで味付けするとうまいらしい イギリススーパーで買える安価な栄養源だがおいしく食卓に取り入れる調理法がわからない食品第一位こと豆 ここにきて台頭なるか 今調べたらmarmiteってビールの醸造過程で発生する酵母の沈殿物に味をつけたものらしい 黒くて強い粘り気があるからタールを想像させ 長期にわたって摂取すると身体が徐々におかしくなっていく化学食品かと思ったが むしろ健康食品らしい おどろ木 ちなみにカルディで買えるらしい
3ヶ月くらい喘息のような咳が続いていて 良くなったと思えば悪くなり 逆もまた然り フラットメイト2と顔を合わす度に医者は予約したのかと聞かれる それはbreathingの問題だから医者へ掛かった方がいいと強く勧められる 睡眠不足だったり天気が悪い日だと咳が悪化する
根つめて最短最速で目標達成しようとするの続かなくてよくないかもな just chill, innit なるべくのんびりでもこつこつ(リズム)
--- 14/09/23
半年過ぎてようやく仕事が一通り 一応難なくできるようになった感じがし できるという感覚は疎外感を薄めてくれる IT業界に片足を突っ込みつつ身体ごと沈めることには抵抗し続けている あるいは突っ込んだ片足をなるべく抜かないようにしている 今一緒に働いている人たちは相当できるエンジニアでその中にいるとわたしももっと と思うが本腰をいれて勉強にお金と時間を費やすことには暗さを感じる ITの仕事の好きなところってプログラム動いて嬉しいとかではなくて これがわからんあれがわからんとあーだこーだ面白可笑しくふざける瞬間なんだよな
明日は有給!
--- 16/09/23
ダンサーはみんなエネルギー太陽くらいあってわたしにはついていけません・・・てなる ソーシャルエネルギーが欠乏している人間が社会的関わりの中で充実感を得るって難しいのではないかな 複数人の中に含まれて心地がいい楽しいってなりたいけど全員わたしを排除しようとしているのではないかみたいな妄想をしてしまう・・・ いやじめじめするな・・・ 実際のところは誰も排除なんてしようとしていない ダンサーのコミュニティはヒエラルキーがあって怖いものもあることけど 今ロンドンで見ているダンサー達はとてもフラットだし場の風通しもいい ここにあるのはオープンスペースで 入りたいと思ったら入ればいいというだけの話 身を場に投げ打つというのが苦手だな 一人で生きていきたいけど親密さを感じられるコミュニティに属したいというこの矛盾がずっとしんどい
--- 17/09/23
友達と電話 表の出来事と裏の本流 一見意味ないこと興味ないことももやもやを晴らすための要素分解の役割を担っている フィジカルに生きること 選択は直感 言葉での理由は後でつければいい 間違っていたら違和感が教えてくれる 違和感は周りも感じる 言葉に絡め取られる身体的感覚 第二言語を学ぶ環境では言葉がハンデになるから余計に言葉のせいにしてしまう 言葉ではなくフィジカルに自分を表現してみること 沈黙が楽な人 言葉では噛み合うが身体のテンポが合わない人(私ってテンポが合う人探してんのかも)未来の理想像から逆算して今を生きることのおかしさ 英語学習もいいけど日本語で本をもっと読まないといけない 英語脳を育てることと日本語でものを考えることは両立できるはず 頭で考えるとネガティブフィードバックで澱んでしまう 諦めるとは何か 忘れるとか折り合いをつけることとは違う 現実的な選択肢が全て断たれた状態でしか諦めることはできない 例えば自分が行けない日程にしか上映しない映画は観に行くことができないので諦めるが 人間関係を諦めるというのはひどく骨の折れる道のりで 捉え方を変えても変えても納得できなければ埋めて忘れるしかないし たまに掘り起こしさえもする 自然に向き合��ことは諦めること やっていないことは全て未知 集団の中で自分が本当に言いたいことを言えるか 等 自分の魂の願いを聞く旅はまだまだ続く
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gyohkou · 8 months
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22/08/23
終業後にお酒の会へ参加したら楽しかった。こういう日もある。実家がある町、一人暮らしをしていた町を良く知っている人が職場にそれぞれ居ることが判明する。東京の情緒、鮮明に思い出しそう。リアルな感情というのはそれがどんなものであれ、距離を取れば当時のようには思い出せなくなるが、確かに存在していて、できる限りの距離を取ったと言っても過言ではないこの土地で、思い出すためのトリガーが引かれることだってある。東京へ帰りたいが帰ったら打ちのめされてしまう気がして怖い。わたしの記憶がどこにも残っていない東京へ帰る残酷さ。時代や場所によって異なる記憶がいくつも仕舞われている。すべて忘れたら彷徨う場所がたくさんある。此処で鮮烈な記憶は刻まれるのだろうか。
spark, refrain of eternal things
do you trust me? do you trust me?
この日記の違和感。ここではない閉じた場所に書いている日記は色々となめらかに露出しているが、人前で力を抜く力が欠落していて、他者の前ではギコギコとおかしくなってしまう。
SNSで人の生活を見ると動悸がすることがあって、インターネットを完全に遮断すると内に潜りすぎてしまう。他者とのバランスとるのがひどく難しい。
少年のような格好をいくら突き詰めてもわたしは少年にはなることはできない。女性性など欲望の化身である。少年性もまたある種の欲求の表れである。
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gyohkou · 9 months
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12/08/23
会社の人とふたりでお昼ご飯を一緒に食べていた時に、交互に発する言葉のやりとりが面白さの無限1UPみたいになって、ツッこみをやっていたはずなのにツッこまれてはじめてボケていたことに気が付くような再帰呼び出し構造ができて、それがシーソーみたいにガコンと逆転したり、あちらへ飛んでいったものがこちらからやって来たりして、ただただ腹が捩れた。
自分の身体がダサい。歩き方、腕の軌道、踊り方、着ているもの、姿勢、表情、あらゆる部分が総じてダサい。ロンドン七不思議のひとつにロンドンの人は全員超イケてるというのがあって、ファッションへの興味あるなしは無関係で、みんなが個々にぴったりな重心をしている。NIKEのナップザックを背負っている太った中背男性がめちゃくちゃイケてて、ナップザックなんてダサいの代名詞なのにわたしもナップザック買いそうになってしまったり。おれの重心どこ?
絶妙!日本語ロゴT街歩き(テレビ番組タイトルのリズムで)にはまっていて、最近よかったのは、10歳くらいの女の子が着てたTシャツの裾にくっきりプリントされた「はまらない考え」と、でっかいお腹のおじさんのぱつんぱつんになったゴシック体「巨大リス」。
第二言語の人格でやっていくことに徒労感をおぼえる。仕事に使うツールとしての英語はゲットしてよかった、ゲットという言葉をまだぎりぎり使ってもいいが(私のレベル的にという意味ではない)、英語圏で人生をやっていくということになると全く違う話になってくる。語彙力や言い回しが到底追いつかないというのは大前提としてあって、それはおそらく言葉を扱うことが好きなわたしにとってはより途方もなく、自分の底に降りていった時には英語が全然喋れなくなる。これは第二言語という括りではなく英語に絞って考察した方が良さそうな気がするが、英語ってめちゃくちゃリズムを含んでいて、英語を'喋る'ことって読み書き、聞きと比べても飛び抜けて身体的でもはやリズムゲーといってもいいくらいにわたしは思っていて、身体が動かなくなってしんどい時に英語の人格は絶対出てこない。一生かかっても染みつかないかもしれない。だから仕事の域を超えて日常まで英語で満たされると自分を見失うような感覚がある。日本語の行間とか曖昧さとかが懐かしい故郷みたい。日記を英訳してみたら接続できたりするのかな。海外に完全移住はしないだろうな。
しないだろうなとわかっていつつ、ロンドンにもうちょっと長くいてもいいかなと思うこともある。時間をかけた分だけ親しみが生まれる。日本とロンドンがこんなに遠くなければね。帰ると決めて、旅を続けて帰りを引き延ばしていく?
今は一人の時間が大好き。ひとりの休日を過ごすのが格段にうまくなってる。
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gyohkou · 9 months
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29/07/23
会社の近くペルシャ料理屋があって、そこへいくと必ず幸福な気持ちになれる。店内にある大きなタンドールが放つ熱で店内がほかほか暖められていて(背中向かいの席では熱いくらい)、照明は薄暗くて、食事はおいしくて、なんだか居心地がよくて眠くなっちゃう感じ。ワンプレートメニューが大半だが、基本的な組み合わせとしては、バスマティライス、チキンorラムor両方の炭火串焼き、サラダ、焼きトマト、一欠片のバター、が盛り付けられている。若干酢にくぐらせたような風味のする、炭火で焼かれたチキンがお気に入りで毎回それを頼んでいたが、こないだはものすごくラムを食べたい気持ちになって、ラムはあまり好んで食べないけど美味しく食べられるのか心配半分、ラムが美味しいということになったならばそれはさぞかし美味しいだろうという楽しみ半分で店へ向かい、いつものチキンと、ラム(ミンチにしたラムを小さく成形した、ラム苦手な人にとって一番難易度低そうなやつ)が両方乗っているプレートをお願いして、食べたら、ラムが...とっても美味しかった..!
美容師の友だちに髪の毛を切ってもらうようになってから3ヶ月経つ。今回は彼女のお家にお邪魔して、髪を切ってもらって、ビールとおつまみをいただいた。ヘアカット中のBGMは千と千尋で、おつまみは彼女のシェアメイトが作った夕飯の残り物で、ああいう時間がもっと人生の中にあればいいなと思った。またすぐね。
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金曜日に有給を取って3連休を作り、マルタへ旅行した。イギリスは秋みたいに寒いけど、ヨーロッパには記録的な熱波がやってきており、マルタも例外ではなく、空港を出たら暑すぎて、いっぱい歩くのはやめよう..と危険を感じた。マルタには電車がなくて、移動手段はバスだから、3日間で15回くらいバスに乗った。前回のオスロ旅行で、自分の興味関心に基づいて行きたいところをいくつか選んでおくべきだという教訓を得たため、ワイナリーとかレストランとか色々ピックアップしておいたのに、バスが来なくて閉館時間に間に合わないみたいな理由で立てた予定はほとんど全て崩れ、行きたかったところの9割は行ってない。
立てた予定が全て崩れて向かったバスの終点には、イムディーナという静まり返った美しい城塞都市があった。後から調べてみたらマルタ最古の都市で、かつてはマルタの首都だったらしい。なんか普通のマルタの街に到着したなと思ってぷらぷら歩いていたら、お堀じゃないけどお堀みたいな高低差のある場所へ出て、中へ入るととっても別世界だった。旅をしている時(文字通りの旅ではなく、その場に意識があってその場に集中してわくわくしながら歩いている時)は自分の足音が聞こえる、とポールオースターの友だちが言ってたが、わたしは匂いもする。暑すぎるのか、痩せた雀が何羽か道端に転がって死んでいた。馬車馬は装飾のついた口輪と目隠しをされ、頭頂部には長い鳥の羽飾りが付けられていた。御者がヒーハー!と言いながら馬を走らせた。とにかく暑かった。
ほとんど熱中症の状態で夕食を求め入ったレストランで、ちょっとだけ..と飲んだ、キンキンに冷えた小瓶のチスク(マルタのローカル大衆ビール)が美味しくて椅子からころげ落ちた。熱中症なりかけで飲む冷たいビール、どんな夏の瞬間のビールよりうまい。
安いホステルにはエアコン設備などもちろんついていない。さらに、風力強の扇風機が2台回っている4人部屋の、私が寝た2段ベッドの上段だけ空気の溜まり場になっていた。明け方に頭からシャワーを浴びてさらさらになって、そのまま二度寝する。隣のベッドのイタリアから来たかわいらしい女の子2人組が夜遊びから帰ってきて、わたしは出がけに、部屋で少し話す。8年前に来たコミノ島はプライベートビーチのようで素晴らしかったけど、昨日行ったらツーリズム化されていて悲しかった。耳の裏に日焼け止めを塗り忘れて痛くなっちゃったから、あなたは忘れないように。わたしたち今ちょっとおかしいのよ、と言いながらドレスも脱がずにそのままベッドの上で眠ってしまった彼女は天使か何かみたいだった。扇風機をつけたまま部屋を出て行く。
地面がつるつると滑る。
砂のような色をした街並みが広がるマルタにもイケてるコーヒー屋は存在する。これも近代化・画一化の一途かと思うと、微妙な気持ちにもなるが、こういう場所へ来ると息が深く吸えるので有り難くもある。
マルタは3つの主要な島から成る。そのうちのゴゾ島へ行く。首都のバレッタから港までバスで1時間強、フェリーで20分。
フェリーほどいい乗り物はない。売店でビールとクリスプスを買って、デッキへ出て、なるべく人がいない場所で海を眺める。乗船案内と音楽が止んで、フェリーが作る波と風の音しかしない中に佇むと、これでいいような気がしてくる。ビールはあってもなくてもいいけど、フェリーのデッキで飲むビールの味というのがあって、それはめちゃくちゃうまい。
ゴゾ島へ降り立つと、足音と匂いがした。適当に道路沿いを歩いていたら、また別世界に続きそうな脇道があって、進んだらやっぱり別世界だった。ディズニーランドのトムソーヤ島で遊んでる時みたいな気持ちで謎の小屋へ入り、人で満杯のhop on hop offバスを眺めやりながら、人懐こすぎる砂色の猫と涼む。港とは反対側の海辺へ行きたかったのでバスを待つものの、一生来ないため、バス停近くのローカルスーパーを覗く。これといった面白いものは置かれていなくて、見たことある商品ばかりが並んでいた。バスは一生来ない。
バスを降り、水と涼しさを求めて入った地中海レストランは目と鼻の先に浜があり、今回の旅は下調べなしの出会いが素敵だなあとしみじみする。カルパッチョと白身魚のライススープ、プロセッコと、プロセッコの10倍あるでっかい水(笑)。カルパッチョは、生ハムのような薄切りの鮪が敷かれた上に生牡蠣、茹で蛸、海老が盛られていた。鮪は日本で食べるのと同じ味がした。カルパッチョは旨く、プロセッコはぬるく、ライススープは想像と違った。パンに添えられたバターは外気温のせいで分離していた。水が一番おいしかった。
おいしいものとお酒が好きで楽しい。
ヨーロッパ人の色気の正体ってなんなんだろう?アジア人が同じ格好をしてもああはならない。胸元がはだけていてもスカートが風で捲れてもはしたないと全く感じない。むしろロメール作品のようにさえ見える。そもそも'はしたない'という概念がアジア(少なくとも日本)にしか存在しないのではないか?色気って品かと思ってたけどそれは日本だけかもしれない。
地元料理が食べられるワインレストランを夕食に予約してみたらコース一択だった。お昼食べ過ぎてあんまりお腹空いてなかったからちょっと小走りで向かってみる。ラザニア、ムール貝と魚のスープ、うさぎの煮込みなど。人ん家の料理みたいな美味しさだった。マルタのワインはほとんどが島内で消費されるらしい。ゴゾ島の白ワインの感想:暑い村、お絵描きアプリのペンの一番太い線(色はグレーがかった白で透過度50)。食後のグリーンティーは、TWININGSのティーバッグで、お砂糖をいれる選択肢が与えられて、洋風の装飾がたっぷりついた受け皿付きの薄いカップと共にポットで提供された。カップの底に描かれた静物画のような果物が綺麗でうっとりした。
どこにでもあるような早朝からやってるスタンドでドーナツとオレンジジュースとコーヒー。扇風機に当たり続けていたいが荷物をまとめて宿を出る。行きたい街へ向かうバスが一生来ないため、行きたい街に名前が似てる街が行き先に表示されているバスに適当に乗ったら、行きたい街より30度北へ行くバスだった。でもやっぱり行きたい街へ行きたかったので、30度北の街へほとんど到着してからバスを乗り換え行きたい街へ向かったが、Googleマップの示すバス停へは行かず、行きたい街を通過してしまったため、行きたい街から30度南の街に降り立つこととなった。海辺でチスクを飲みながらメカジキを食べた。暑すぎて肌着1枚だった。店先のガラスに映る自分に目をやると、いわゆるバックパッカーの様相をしていた。
空港行きのバスだけは遅延なくスムーズに来て着く。肌着状態からシャツを身につけ普段の姿(?)に戻ると、途端に具合が悪くなった。日に当たりすぎたみたい。お土産を買ってセキュリティを通過し、充電スポットの近くに座って搭乗を待っていたら、すぐそばにグランドピアノがあることに気がついた。誰か上手な人が演奏しないかしらと思っていたら、青年によるリサイタルが始まった。父親が彼を呼びにやってくるまで、クラシックからビートルズまで5-6曲。思わぬ良い時間だった。
都市に住むと、旅行から帰ってくる時安心する。
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会社の人たち語録 ・やりたいことたくさんあるけど、今はやりたくないです。 ・返事がないのはいい知らせではないので。 ・Are you alright? まあまあ、ぼちぼち。
夕方、商店街へ買い出しに行く時がすごく幸せ。食べたいと思うものしか買わなかった時は特に幸せ。ぱつっと瑞々しい野菜、ちょっといいパスタ、ジャケ買いしたクラフトビール、好きな板チョコ。そんで��ッチン飲酒しながらご飯作る。ビールを開けて一口目を飲むまでの間だけは音楽を止めるというのにはまっていて、そういえばフェリーのデッキで乗船案内とBGMが止んだ時の感じに似ていなくもない。フラットメイトが、夜中3時まで友人とリビングで遊んでいたり、土曜の夜にパーティへ出かけたりしているのと比較して、わたしが幸せ感じてるポイントは内向的だ。
やりたいことが浮かぶ。それをやる前に、比較対象の選択肢や判断軸を不必要なほど増やしてしまいがちだが、最適な選択を選び取ることよりも、やりたいと思う気持ちを満たすことの方が幸せなんじゃないか?
色々比べて悩んじゃったら「朝から決めてたことだから」って言うとスッと選び取れる!
食材の買い出しで1週間くらいはもつかなと感じるくらいたくさん買っても実際3日もすれば冷蔵庫空になるやつ、悲しさというかやるせなさを覚えるんだけど、こないだ500gパックの美味しそうなミニトマト買った時に、長く保ち続けること(終わりを迎えないようにする、終わりを想像しないようにすること)よりも、きちんと消費する(終わりを気持ちよく迎えること)を考えるようにしたら明るくなれてよかった。終わりって何事にもやってくるもんね。
食の話ばっかり回。
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gyohkou · 10 months
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01/07/23
ceroがかっこいい。自分が真面目でうんざりとする。ちゃらんぽらんな知性がほしい。cero聞いてると海外文学読みたくなる。海外文学好きな友達にポールオースターを勧められ続けついぞ読んでいない。その人からの信頼を少しずつ裏切ってきてしまった気がする。もう1年は会っていない。自分の中に今まで出会ってきた人たちのための椅子があって、今も座っている椅子、いつか座りに来るかもしれない椅子、座りに来ないかもしれないけど綺麗にしている椅子、もう無い椅子、仕舞っている椅子などがある。爪切りは排泄行為と捉えられると聞き���夜中部屋でこっそり切っている。夜寝る前に清潔なキッチンで果汁100パーセントのオレンジジュースを透明なグラスで飲む時の気持ちがあって、爪切りってそれと似ているんだけどな。スマホのケースに直島行きフェリーの半券を挟んでおり、それなんですか?と話題にしてもらえることが多く、直島ではないが豊島美術館に対する賛美を、空間が生きているんです、などつらつらと並べ立てる。ボーナスの支給額を決める年一の自己評価シートみたいなやつが何よりも大嫌いなのだが、興味のあることに対しては熱量がすごいみたいなことをコメントされたのを思い出す。興味のないことに興味を持とうとすると魂がねじくれていく。ねじれの位置。1日に煙草を3本以上吸うと必ず喉風邪を引く法則がある。箱開けたて一本目のピースが恋しい。特別な日にしか喫煙しないため、ピースを3本吸って箱ごと捨てることを自分に許していた。今回も例に漏れず喉風邪を引き、喉風邪を引いて喋るのが少ししんどい時のトーン、スピードが心地よい。自分に余裕をもたらすための喉風邪。喉風邪を引くための煙草。風邪で声がおかしいと英語の発音がよくなる。イギリス訛りになってきている。フラットメイト1はインスタやtiktokを見て大爆笑するのが常なのだが、わたしも何かコンテンツで大爆笑したい。お笑いとかでツボに入りづらくて。最近爆笑してないなー!高校生の時爆笑しすぎてお腹がつって青ざめて吐いたことがある。フラットメイト1は今日も今日とて大爆笑。同居人としての同居人が心地いい。友達としての同居人は少し難しい部分が出てくる。同居人としての友達は如何だろう。豆の缶詰、トマトの缶詰、サバの缶詰ばかり買い込み、肉や野菜なども加えたりしてつけるソースあるいはかけるソースに応用している。レモンを1日1個絞って飲んだらどんどん新しくなれるかもしれないと、せっせとレモンを絞っている。人が集まる都会はどこも似たような顔をしている。丘や海岸や物価の安い全く空気が異なる文化圏へ行きたい。没頭がほしい。
家族がイギリスを訪れていた。観光の要所を回る絶好の機会であり、色々なところへ足を伸ばした。観光らしい観光に恥を感じるのだがなぜだろう。わたしの旅行はおそらく観光とは少し異なるもので、グーグルマップと嗅覚を頼りにローカルの雰囲気が漂う場所や飲食店を探しそこへ澄ました顔して入り込んでいくことに価値を感じる傾向にある。
オックスフォードでローカルガイドを頼んだところ、ハリーポッターのコスチュームを着せられハリーポッターの土産屋の前で記念写真を撮影するというド観光イベントから始まったため少々不安になった。というのも無計画で渡英してきた家族に慌てて事前のチケット購入を促したため、ハリーポッターの食堂・図書館が見れるツアー!的なものを予約しており、家族の誰一人としてコアなハリーポッターファンでもなければツアーガイドをつけたかったわけでもなかったのだ。マントと杖の着用を一旦断り苦い顔をしながらいそいそと写真撮影に応じるツアー客に対してガイドは若干拍子抜けもしただろう。しかし、個人的に訪れたら2時間も経たず引き上げてしまうような小さな街を、さまざまな歴史的解説付きで5時間も案内してもらい結果としてよい体験となった。オックスフォード修士だというガイドのケンブリッジジョークがわずかに度を越しており、私は楽しかった。ケンブリッジという街は常に変な匂いがし馬糞だらけでなにもかもが最悪だ!もしケンブリッジ大学へ進学したならば俺は一生お前と口を聞かない!(本屋にあるようなくるくると回る棚に陳列されたポストカードの上段にオックスフォード、最下段にケンブリッジの商品があったため、)ほらみろケンブリッジが一番下だ!(と言いながら商品を蹴り付ける)などといった具合である。ケンブリッジをトリガーにしてこのガイドを何度も思い出すだろう。
また明る日はストーンヘンジへ行った。こちらもツアー形態で、現地では自由行動だが行き帰りの交通手段としてツアーバスが提供されるものだった。イギリス観光客はハリーポッターのファンというマーケティングがなされているのか、行きのバスではハリーポッターと賢者の石、帰りのバスでは秘密の部屋が上映された。バスの中は冷蔵庫のように寒く、片道2時間以上かかる道中は眠るか、ほとんど音が聞こえないハリーポッター上映を観るかして寒さから気を紛らわせていた。ストーンヘンジは言ってしまえばただのでっかい岩の集合であり、片道2時間以上もかけて此処へ?と思ってしまうかもしれないが、事前に同僚から聞いていた評判と予想に反して非常によかった。駐車場から岩までは徒歩30分程度で、どこまでも広大な草原が広がる中を汗ばみながらゆく。北海道へ住んだことのある人が北海道みたいだと表現していた。欧州の北海道ことストーンヘンジ。広い草原には実は囲いがあって、放牧されていると思われる牛達が暑さから逃れるためわずかな木陰に集まっていた。まさにぎゅうぎゅう詰めである。ん、ぎゅうぎゅう詰めってそういうこと?ストーンヘンジはメインの岩、サブの岩たちが直径100メートルくらいはあろう囲いの中で環状にまとまったり散らばったりして点在しており、どうやら夏至と冬至に関係した配置らしいが、詳しいことは未解明らしい。囲いの外側も一回り大きな囲いがあり、囲いと囲いの間をぐるりと一周して岩を眺めて回る。270度くらいの地点で草原に座り、ポテチを回して食べながら、成分表示でタンパク質が12gあると喜ぶ弟に、それは何g当たりなんだと詰め寄ったりする。ポテチに飽きてきた頃、内側の囲いの内側にミッドサマーのホルガ村の人たちのような装いをした人たちがいることに気がつき恐れ慄く。白く長くゆったりとした服を纏い、花で拵えた被り物を身につけている者もいる。この日は夏至の翌日で、スウェーデンからか国内からか、夏至を祝うためにやってきた人たちが儀式を行っていたようである。
土曜日にはいつも行ってるダンスに弟も連れて行った。ロックは基礎すらやったことないようだが、大丈夫と参加を促す。気を抜くと父親に硬派な教育を施されてしまいそうな弟の、ダンスという楽しみだけは、勝敗や良し悪しに捉われず純粋に続けてほしいと願っている。
皆が帰ってしまってからコロナに罹り、寝たきり廃人生活を終了し外へ出ると世界は7月になっていた。
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gyohkou · 11 months
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04/06/23
こんなにうまいとは知らなかった7UP
水曜10PMにモノポリーを始めれば誰ひとり破産せず安眠できる
3人以上で英語���会話で私が喋ると一瞬空気が止まる
さらざんまい観たい 欲望〜搾取!
自分の欲望でドライブするために身につけたい/身につけるべき芸がたくさんあるのに月30hも残業してしまうのは、忙しさに身を任すと欲望から目を逸らし続けることができるからだよ 昔誰かが愛されるためには努力が必要だと言った時そんなことあってたまるかよと思ったが、最近は愛されるためには努力が必要だと思っている 正確には、愛されるため/愛し続けるためには芸や技術や知識が要る 要るんだよ 人と過ごしていない時間をこれらへの投資に使いたいのにぼーっと悩んだりしちゃう 人生が虚無すぎて
悩まずやれば興味湧くものは一発で湧く やれば全てリアルに確かめられる
ceroの新譜四六時中聴いてる ceroは暗く悟ったままどこまでも格好良くていい 上手く言えないんだが明るさにも暗さにも全てに対等な目線を持っている感じがいい
女性性が本当にどっかへ行ってしまって、男女が対等でない場面がものすごく気に障るようになってしまった イギリスは紳士淑女の国なので尚更である 男と女というだけで男女としての一対になってしまう 生物学的に男が凸で女が凹というどうしようもない構造がまず最初に存在するため、女はいつも受け身であるし、女の中には受け身的本能が刷り込まれているのである(女が生物学構造的に受け身にならざるを得ないことから考察するマゾヒズム、みたいな本なかったっけ?) ちょっと何を言ってるか自分でもわからないんだけど、なんというか、男女関係、男女の関係を結んでいようが結んでいなかろうが男性と接する時に感じる、男女関係に無意識に根ざしている非対等さ(非対等って言葉合ってる?)が心底不快である 気にしすぎかいな?
夏は圧倒的に東京よりロンドンの方がいいかもしれない いやロンドンの圧勝 圧勝という言葉、あまり好きではない
憎しみは地中に埋まっているものだという話をコードーラジオで聴いてからかなりストンと来ている 思い出して憎しみを感じてもそれは私が前進できてなくて落ち込むことでも まだ憎しみが残っていることに悲しむことでもない 憎しみは埋まっているものだからただ掘り返してしまっただけだ
イギリスでもやりたいと思うことが変わらない 移住までする必要なかったかもしれないが 大きく環境を変えることで得られる素敵なものがあるのではないかという期待を手放せたことはよかった それと環境を変えて起こる変化というのは生き方や感じ方の鍋の底をゆっくり攪拌するようなものであるから 同じ目標を持つ人生でも移動していた方が面白いような気がする
タスクがマルチすぎる なんか表とか作って管理しないと毎回参照しに行くことに脳のCPUとメモリ使い果たしてて実際に何も進んでない
気分がいいとなんでも面白く感じちゃって困る 躁鬱の気があるので楽しい時は多分他人より楽しい気持ちでいっぱいになってるんだと思う 生粋のエンジニアなりたいわけじゃないのにゴリゴリ勉強してかっこいいエンジニアになりたいみたいな気持ちが抑えられなくなる そういうのを目に入るもの何に対しても感じてしまい、とっちらかったまま高揚が引いてすべて波に攫われる
クラフトビール天国へ行ったら赤青人形サッカー台(あれなんて呼ぶの?)があったので数ゲームやったらコツ掴んで フレンズのモニカシュートできるようになって最強だった
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gyohkou · 11 months
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29/05/23
家から歩いて10分くらいのところに小さな店が連なる商店街のような通りがあり、特別素敵な通りではなく生活の用を足すのに便利な感じの雰囲気なのだが一軒だけ、思い出してはふらりと足を運ぶ、コーヒー屋兼古着屋がある。古着屋らしく店内は薄暗く、床は木で(できていたはず)、休日の校舎のような雰囲気がある。コーヒー屋の一角に古着が陳列されているといったバランスで、どちらかと言えばコーヒー屋である。この前もまた思い出して足を運び、古着2着と一緒にアイスコーヒーを頼んだ。手渡されたコーヒーを持ってテーブルにつき、腰を据えて日記を書き始めたところ、閉店時間を20分も過ぎてから気がついた店員が慌ててやってきて、追い出される形となった。コーヒー粉が美味しさと粉で構成されているとしたら、誤って粉の方が抽出されてしまったような味のアイスコーヒーを啜りながら、随分暖かくなった夕方を歩いて帰った。
ロンドンの夏の空気を北風と太陽で説明すると、北風は常に吹いていて、太陽が勢力をもっているような感じである。真昼の日向はからりと暑いが、日陰に入ると寒ささえ感じる。(日本の夏は北風が死んでいて、太陽の独壇場となった地上が延々と照りつけられる。)
21時でようやく空が暗くなってくるので、仕事を終えて帰ってきても子供たちが外で遊んでいる。金曜夜に近所のサッカー場でプレーしている、お父さんのような熱血コーチ(なぜかキーパー)に率いられてボールを蹴る子供たちはサッカーにしてはやたら人数が多く(コートが狭いだけかもしれない)、チーム戦をやっているのにビブス的なものは何も身につけていないため見た目では全く見分けがつかない。何が目印になっているんだろう。
新しい住人がやってきた。fair enoughが口癖のシン・フラットメイト2。4分の1が入れ替わっただけなのにフラットの雰囲気ががらりと変わり、彼のファシリテート能力により、水曜はゲームナイトとなり、皆で近所のパブへ出掛けもした。モノポリーのルールを覚えなければならない。ロンドン生活第3幕かな。
停滞の話だが、停滞をもたらすのは到達であるという解を得た。何かを目指すというよりかは、どうなったとしてもなんか満足感があって生きてる感があればいいのかもしれない。多動の気があるのかな。
停滞は到達でもたらされ、多動かも、どこかへ到達することではなく動き続けることがわたしに生きてる実感をもたらすのかも、どうせいつか死ぬんだから動き続けようという気づきによって、別に今の人生でもいいやと思えてきて力が抜けた。仕事が私の幸せを決めるわけではどうやらなさそうだ。幸せが仕事内容に依存しているという思い込みをしていたことに気がつき、別にサラリーマンでもいいやという後ろ向きで自分を諭すような諦めではなくて、ワイン屋とかデザイナーとかになったとしてもわたしはわたしで変わらないのだろうなという開放感のある諦観。だから会社員じゃない世界に興味があるなら行けばいいし、会社が面白いなら続ければいい。やりたいならやればいいしやりたくないならやらなければいいというめちゃくちゃ単純な話だったのだ。仕事を変えたらきっと幸せになれるはずとわかっているのに何を仕事にしたいのかわからなくて足踏みしている自分が情けないなどと悩むのは無駄だったと気づいた。だから今は素直に仕事に行けるし、素直にこれはちょっと違うとただ思える。
音楽フェスへ行ったらめちゃくちゃ疲れた。Ezra Collectiveが目当てで行って、見た中ではダントツでベストアクトだったので満足感はある。ただ、音楽ならなんでもいい、なんでも好きと思っていたが、別にそんなことはなく、生粋の音楽好きの性質は持ち合わせていないっぽいことがわかった。音楽ならなんでもいいと思える状態も確かにあるのだが、音楽が心に響くかどうかは自分のコンディションに相当依存するところがあり、ライブという形よりもひとりで好きな時に聴く方が自分の状態に合わせやすくて好みかもしれない。(逆にライブが響くと素晴らしい体験になる。)グルーヴやバイブスの好みも結構偏ってる。あと、音楽聴いてる時って、音より先に、言葉と発露の方に何かを見出しているかもしれない。そんなこんなで、10時間くらい色んなアーティストを見続けてすごく疲れた。Ezraは本当にめちゃくちゃよかった。彼ら生きてる感じがして好き。
他者との距離感について。最近人と時間を共にする機会が多くあり、わたしは自分で思う以上に内向的なのだと自覚した。知らない人に話しかけるみたいな図太さは人より持っているが、他者と一緒に長い時間を過ごすことが負担になってしまうことが多い。自分の時間が絶対に必要。話に参加していても気がつくとねじまき鳥の穴の中に降りていることがある。それでいて寂しがり屋だから一人では生きていけないこともわかっている。深い親密さも求める。関わる人数と、他者と繋がっている感覚は比例しないし、時間とも比例しない。わたしは他者に一体何を求めているんだろう。
フェスの次の日の朝は、久しぶりに不在感と寂しさで起きた。日本へ帰りたいと思いかけたが、この不在感はイギリスだからではないだろう。イギリスにいた方が楽だと感じるのは、生まれ育った日本に暮らして家族も友人もいる中で不在感を覚えてしまう瞬間は、わりと八方塞がり感があるからだろう。そしてこのように感じる性質が適応性の高さを生むんだろう。
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gyohkou · 1 year
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19/05/23
起床のち非常に一日を始めたくない気持ちになり自重を支えるのも精一杯だったため、人生が停滞している、と友人に吐露してみたところ、踊り、なおかつ人生が停滞するということが世の中にはあるのか、遠い海の向こうで踊っている人はきっと人生が停滞することなんてないのだろう、という誤った認識を持ったまま生きていくところだった、とのことだった。そんな吐露が吐露を呼び、彼もなんかすごい世界で頑張っていて成果もかなり出ているということであるのに、それでも人生が停滞していると感じるらしく、停滞はどんな人の元へも訪れるようだった。世の中は知らないことで溢れている。
踊り、なおかつ人生を停滞させている自分に驚いてしまったので、会社に向かう電車内で、改めてわたしのやりたいことを書き出してみましょうの緊急ミーティングを開催した。しばし議事録にお付き合いください。
ワイナリーを巡る(ワイナリーを巡る旅) 必ずしも旅である必要はないが、旅と結びつけることにより旅に目的を持たせることが容易になり、かつ暇な週末などにワイナリーへ行かなければならないのではないかという焦燥感に駆られることもなく(なぜなら旅で行けばいいから)、また逆に旅という形を選択しやすくなり、結果旅の回数が増え、イギリス暮らしの思い出が増えて後々いい感じにもなる。
踊る 踊っている時はかなり絶対的に楽しい。これは私の人生における強みだ。たのしみがあるということは生きることを少し楽にする。土曜日のロッキンがものすごく楽しくて、ロックダンスも好きだし皆が作るグルーヴも好きだし、1時間半という時間配分も土曜の午後という時間帯も、全てがいい。今はロッキンクラスの良さを語る時ではないので軌道を修正しよう。踊りが好きな理由として、身体感覚を伴うところは大きなポイントだと思っている。身体感覚が優位になると、思考や感情に邪魔されないということが起こる。身体感覚が優位になると、なんかものすごい楽しい時間帯があったという事実が獲得され、余韻がおまけについてくる。これは別の物事にも応用できるポイントでもある。身体感覚が優位になりやすいことを判断基準に物事を選択すれば良いのだ。あとは音が鳴っている場所であることも好きなポイントだ。音。次は楽器だな。踊りに関する目標は、踊る頻度を増やし、踊れるジャンルを増やし、人と踊ること。
英語を学ぶ 第二言語は人生スパンのプロジェクトなので、こつこつ飽きないように続けるしかない。英語の完成を待っていたらどこへも行けない。以上。
音楽をやる いいことだと思う。これも、お金払って1時間存分にやらせてもらえるような場所があるなら通えばいいと思う。努力して継続をがんばるのではなく継続ができるような環境を整えることである。
写真を撮る いいね。持ち歩きが楽、小さい、丈夫、かつ写り方が大好きな相棒を手に入れるのがよいだろう。日々の記録。
好きな服を着て好きな髪型をする いいね。難しいことじゃないよ。
お気づきだろうか、仕事に対して全く向き合っていないことに!気泡を割っていないことは、具体的に言えばやりたい仕事に取り掛かっていないということなのだ。やりたい仕事って何?と自分に問いかける度に、わたしはただ決められない。好きを大事にする覚悟も嫌いを貫き通す覚悟もなく、決められないから、移動しているようでしていないのだ。仕事ってやっぱり人生だ。どんなに目を背けようとしても、仕事で満足したい気持ちが消えん。踊っても停滞しててかっこわるいねー。
踊っても停滞しているため、ベッドに潜り込んで深夜食堂を一気見する夜を過ごした。元気がない時はおいしい番組がけっこういいかもしれない。本当に元気がなかったら眠るのがいいと思うけど、本当に元気がなくなりそうだったけど、深夜食堂を観ていたら食欲が湧いてきて8話目くらいで耐えられなくなって、お弁当用でタッパーに作り置きしていたパスタを解凍して食べてしまった。
次の日は木曜日だったため、木曜日は会社近くのデリ屋(デリ屋)がビーフラザニア(チップス付き)を販売しているため、それを買い求めた。外へ出ると、遠くでいい音楽が鳴っていたため、ラザニアを携えて音の鳴る方へ歩いてゆくと、DJが爆音で音楽をかけていたため、少しうるさかったため、DJセットの後方ベンチに腰掛けてラザニアDJ。ラザニアは木曜のたのしみとしているのだが、週1の頻度はちょっとくどすぎる。ラザニアはただでさえくどいのだから月1程度でよいだろう。DJにもらった元気も夜には底をつき、買い物に行く力が出なかったため、お弁当用でタッパーに作り置きしていたパスタを解凍して食べてしまった。
ついに金曜日である。いつもは始業前に行列ができているテント小屋みたいなコーヒー屋も暇そうである。仕事おわんねーフライデーとなり、なんと12時間も働いてしまいました。仕事がよ。家に帰るとお味噌汁が飲みたい口になったため、同僚に貰い、飲むタイミングを図っていた「アマノフーズ いつものお味噌汁 ほうれん草」を飲むためにお湯を沸かし、お湯を160ml注いでお味噌汁を飲んだ。アマノフーズはフリーズドライの技術がとってもすごい会社である。お味噌汁のフリーズドライなら容易く想像できようが、なんとカツ丼、親子丼、果てはアイスクリームまでフリーズドライにしちゃったのである。海外暮らしにおすすめ、アマノフーズのフリーズドライ。取り扱いは通販のみとなっております。ちなみにまじでうまい。ほうれん草が生のほうれん草。
今週もまた週末がやってきました。5月は3連休が3回あって、ゴールデンウィークがどーんとあるより個人的には好みなのだけど、明日からのは普通の土日。
イギリスは普通にまだ寒いけど、梅雨がないのはいい。夏来るのかな。
追記
目の付け所が暗すぎる。もっと自分を対等に扱って、良いところも書き出してみたらどうか。ダンスをやりたくてついに再開したのは大きな進歩ではなかろうか。更にもう4ヶ月も通い続けており、継続という目標も今の所オッケー。他に褒めるとこねえな...。客観的に見たらえらいことでも、自分の欲望に忠実でなければ自分を褒めることはできない!手放すな、欲望は君の命だ、です。
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gyohkou · 1 year
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08/05/23
踊って学んで踊って学んで踊って学んで踊るような暮らしがしたい。
東京の情緒が恋しく、日本に帰りたいとしばしば思う。
古着屋に所狭しと並ぶくたくたのジーンズなど手を伸ばしもしなかったが、いちジーンズに呼びかけられたため初めて試着したところ、それは古着の沼に足を踏み入れる行為だったかもしれなかった。
余計なものが多い。体の動きに無駄が多いし、言葉のチョイスは回りくどい。
満島ひかりになりたかったが、今は安藤サクラになりたくてたまらない。
定住も早5ヶ月。身軽でいたいものの、服や本を蒐集したい。4畳の部屋では文化も発展しなかろう。
好きな言葉はあるけど言葉は好きじゃない。
踊って学んでれば人生それでよくない?
根が真面目なのかなりいや。自分といると真面目でつまらない。
What are you gonna cook? Just stir-frying lettuce, but I put too much. "Never Too Much".
自宅でもお酒を嗜むかという文脈で、家でも飲み食いしますか?と聞かれ、飲み食いは誰でもするだろうがよと大笑いしてしまった。
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gyohkou · 1 year
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23/04/23
ダンスに行ったがどうしても覚えられないステップがあり、最後まで習得できずに苦い顔をしたまま若干ふてくされて教室を後にした。友達と街で遊ぶ約束をしている日で本当によかった。(ロンドンは街という感じがしない。)途中何か食べたり飲んだりしながら、夜中までセントラルを歩き回った。��京はいくら歩いても歩き尽くせる気がせず、また街に表情があるが、ロンドンはどの駅で降りても変わり映えしない。思い出の有無の違いだろう。あと、東京には海があるけどロンドンには川しかない。
イギリス人にはパブの好みがあるのだろうか。どのパブもただのパブで、チップスはチップスだし、Neck oil は Neck Oil なのだ。英国パブ文化とは、すなわちビールを腹一杯になるまで飲みながら人と喋りまくる文化であり、内装とかメニューのラインナップとかはあまり関係がないのかもしれない。おそらく、パブはビールと人の感情が渦巻く場所で、ビールのうまさは話の盛り上がりにのみ比例する。あるいは応援するサッカーチームの勝敗か。
英語圏の人はめちゃくちゃ喋る。
わたしはそもそもあまり喋らない方らしい。結構喋る方だと思ってたが全然喋らない。誰とでも喋れると思ってたが、興味のない話題には興味がなく、世の中のほとんどの話題には興味がない。というモードの日が大半で、堰を切ったように躁状態になって喋り倒す日がごくたまにある。思えば、喋る、という行為で実存を感じていることがあまりない。喋っている時って、的確な言葉を探してから口に出した場合であっても、裏で(本当は違う)と感じている。
自分の中に相反する性質が同時に存在している自覚がある。
フラットメイト1、2が冷戦状態だったが、ついに2が別の村へ引っ越してしまった。寂しいけど、隣人がいなくなって超快適。まるで同じ部屋にいるみたいに音が響くから、いつも2の意識がちらついて、心休まる時間がなかったように思う。
暇にころされそうだった前職時代、身を粉にして働きたいと思っていたが、そういうのはあまりよくない。なるべく集中を切らさずにタスクを片付け続けているため、全集中常中のようになってきており、帰宅後や休日も興奮が収まらない。忙しいのは楽だけど、確実に身体へ負担がかかっている。ここからは手の抜きどころを覚えていく段階。
今まででいちばん自我が中性的で、女性性がほとんどどこかへ隠れてしまった。性別はグラデーションである。女性性とはわたしの本質ではなくて、女性性を使って現れる消化できない気持ちみたいなものがあるだけ、という感じがする。自覚している性別のグレースケール、かなり興味ある話題だな。
言語化の鬼の友人がおり、その子のインスタ日記にとても大事なことが書かれていた。生きる上で大事なのは霊性と魂の問題であり、やっていることには魂の価値観が伴っているか、自分の根源的欲求は何なのか、今やっていることはそれを満たす手段になっているか。それを考えるべきであると。
気泡を割っているようで割っていないこと。東京からロンドンへ生活圏を移動することなんか、わたしには簡単だった。ロンドンで家も定職も得て普通に生きている。支えてくれた人に感謝すべきとは思うけど、簡単だったから自分をすごいとは思わない。わたしの課題は、魂が生き生きとする場所や働き方をがんばって見つけること、自分の生をやりたいことで満たしていくための自己マネジメントなんだ。これができていない、気泡を割っているように見えて割ることができていない。
自分の環境からものすごく遠い場所にある価値観は、現実的でない故に魅力的で、心もよく動く。最近人前で、職人的な働き方をしてみたい、年単位でワイナリーで修行とかしたい、山小屋で働いてみたい、などと溢したが、これはどれもものすごく今のわたしからは遠いところにあり、新鮮で、輝いて見え、新しくなれそうな気がする。できるかもしれない可能性をいくつも手のひらで転がしている時間は希望に満ちている。その時間だけが幸福なのかもしれないとすら思えてしまう。実現されたら途端にグレーがかってしまうのだ。可能性という曖昧さがわたしを生かしているのかもしれないという危うい状態だ。わたしはこれからどんどん移動できる可能性を失うのに、新しい自分になれるかもしれないという可能性を掴みに行くという軸で生きていると、その移動の振幅はだんだん小さくなり、高揚感も薄まっていくのだ。自分の中に移動を作るような生き方にシフトする必要があるが、そのためには気泡を探し出さないといけない。わたしの魂が生き生きとする場所はどこ?働き方は何?あなたは何を願うの?エヴァンゲリオンぽくなってきたな!というよりエヴァが魂の話なんだ。
今日ユニクロでシンエヴァコラボのUT買った。うれしかった。
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gyohkou · 1 year
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10/04/23
早朝4時に起きて空港 4日目にして雨 夢が終わったみたいだね 国際線は2時間前って誰が言ったの?めちゃくちゃ時間を持て余す
雲の上 晴れた上空を眠ってロンドン
ロンドンか... オスロ綺麗だったな
haruさんの待っていてほしい話 一年越しに会う友達でも会えたらそれは待ってたってこと オスロの港を彷徨って ここでおしまいだったらと思うと心臓が軽くなる 自分のために失踪してどうするんだろう 携帯も持ったままで
懲りずにまた勿体なさを感じてどこかへ旅行すると思う オスロには機会があればまた行きたい
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gyohkou · 1 year
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09/04/23
もう一回行きたくてサウナ 昨日の方が天気が良かった うっすら薄曇りの朝 海水への浸かり方を覚える じっとていられないほど身体を温め上げてから海水へ浸かり 最初の冷たさを耐えてしばらくじっとしていると海水がぬるく感じてくる でも冷たすぎてすぐに冷えるのでやはりすぐ上がる 朝の湾を眺めながら立って行う外気浴があまりに最高
サイレントサウナ 手慣れた現地人がおもむろに薪を焚べ始め サウナ室の中に薪ストーブの粉っぽい香りが充満する サウナ室の中から降水場(?)が見え 各々水への飛び込み方 水の中での体の動かし方があり よい
朝は早く起き 日がめちゃくちゃ長いので 一日が1.5倍くらいになって非常にお得 夜なんかちょっとでいい
サウナから戻り 同じ部屋のギリシャ人としばし歓談 English is the key ドル 英語 お金持ち 尾田栄一郎はガン 日本でタトゥーの後にパブリックバス スキンアクアをアプリで翻訳 箸が使えない 寿司のファンではない 日本人のイメージ 忍者 ホロスコープ prayすると猫が生き返る 何かで爆笑していたんだけどどうしても何だったか思い出せない
イメージの中の犬 概念的犬
大量の鳥が飛び回っているオスロの港 大きめで白いやつと若干小ぶりで顔だけ真っ黒なやつがいる フグレンの鳥はこれ
みんなヘンリーハンセンを着ている
スケーターが多い 女性も と思ったら男性だったが
コーヒー界隈が発達しているオスロ フグレンコーヒーはオスロ発祥らしい 行きたいと思ったコーヒー屋は日曜定休で残念 今回はよい旅だっただけに下調べ それも日頃の下調べが必要と思い知る フグレンへ来る 初めてのフグレンがオスロの方 好きだなあと思い 結局わたしが好きなのは東京のカルチャーなんだな オスロフグレンはめちゃいい音楽がかかってる ポットから出されたフィルターコーヒーの味は普通
やりたいことをちゃんとやろう 継続的に学ぶ姿勢を持ってつまみ食いのように散らかさずに少し真剣になる
働き方を変えたいかもしれない 時間も場所も選ばずに働く人 でも会社も好きだからな 気泡を割っているように見えて実は割っていない気がする ずっと同じところに留まっている
ある程度の身体的疲労があるといい感じになるかもしれない気がしてきた 今日もたくさん歩いた
sognavann へ sognavannとは湖のことです 改札がなくてチケットはアプリで買うシステム謎 無賃乗車チェックの人も来ないし 気付かぬうちに無賃乗車してしまいそうである 湖スタート地点にあった売店で色んな人がワッフルを食べていたので同じものを買ったらやたら美味しかった 手のひらに乗せてもたわむくらいに大きな円形で 適度にジュワッとしていてフチはカリカリ いちごジャムを塗って半分に折りたたんで食べる スキー場で食べるカレーのうまさに似ていた あ〜また食べたい! 凍った湖の周りを1時間半かけて歩く ハンモックやグリルや椅子と共にピクニックをしている人たちが点在し よい光景だった 1人でグリルやポットなどと共にチェアリングしている女性がおりまたよかった
よい一日というのは 数時間単位の区切り���中にそれぞれ楽しい時間があって それが隣り合って連続しているように流れた一日である いくつもの楽しい場面で構成された一日 サウナ 湖 フグレン そこに身体的疲労も含まれているとなおよい
なぜみんなこんなにもフットボールにマッドなんだ、、、ヘッドホンで観戦しながらアドモレカ!アドモレカ!と言いながら拳を突き上げ熱狂するギリシャ人よ アドモレカって何だよ
ちゃんとくたくたになって毎日を終えたいな
旅の〆はラーメン屋とワイン屋 ラーメン屋は 唐揚げという名のスパイシーハーブフライドチキンは美味しかったが ラーメンは日本がいちばん!やはりどこか違和感のある味がする スープは薄くてチャーシューはぺらぺら ワイン屋は 1人で行く雰囲気ではなかったかもしれないな あるいはわたしが少しちんちくりん過ぎたか ちんちくりんかどうかというのはわたしがどう振る舞えるかに影響する 旅行の時にサッとエレガントになれるスカートとジャケットとかやっぱりあればいいよね 照明を小さく絞った店内では 大きめの音でレコードがかかり 店主はTシャツにジーンズにコンバースのハイカットというラフな格好で ステップを踏むかのようにカウンターを生き来して きびきびとしかし楽しそうにワインを注ぐ カウンター越しの壁には天井まであるセラーが埋め込まれており まさにハリーポッターの杖屋にあるような 壁面をスライドする梯子が備え付けられている その梯子を登ったり降りたりするからコンバースが見えたのだ 音楽のかかる場所はいい
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gyohkou · 1 year
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08/04/23
1時半にホステルへチェックインして既に寝ている人たちを気遣いながらシーツを敷く しっかり寝付けないままずるりと朝が来て サウナへ向かう 道中バスターミナルのカフェで食べたパンがやたら美味い むちむちの伸びる生地がゆるくねじられ円形を型取り 真ん中に卵の黄身のようにカスタードが落とされている
サウナは素晴らしかった シャワー場 水汲み場を囲むように小さなものから大きなものまで8つのサウナが海上へ浮かんでおり 大きなものは湾に面していてガラス張りの窓から光の粒が転がる海面が見える ときおり船がやってきて波を作りサウナを揺らす 水汲み用バケツが用意されておりロウリュに使う 居合わせたノルウェー人にロウリュをなんと呼ぶのか聞いてみたが特別な名前はついてないとのことで ロウリュってどこからきた言葉なんだ 水風呂はもちろんオスロフィヨルドの海へ入るのであるが あまりに冷た過ぎて1秒浸かればもう十分 現地人がする華麗なダイブイン 中には頭からいく人も を見てわたしも頭から浸かってみたくなり 飛び込みは怖かったから海中へ伸びる梯子の中段から海へ入ると ぐぐっと深く身体が沈み込み 海面へ浮かび上がるまでの時間が耐えられないくらい水が冷たい 貧血起こし始めのような気持ち悪さを感じるほどギュンと冷え そこからジワジワ快感がやってくる 気持ち良過ぎて顔が笑ってしまう 海水へ飛び込むには温め不足だったかもしれない ひとつだけサイレントサウナが設けられておりそこがいちばんよかった 湾に面して海が広々と見え 終了時刻が近づいて皆が引き上げていく中 ロウリュでぐっと温度を上げたサウナで 女性と二人で 清掃のノックがされるまで黙って光る海を眺めていた サウナは無音がよい うみべのサウナ
宿まで戻り明るい部屋で身支度を整え再び港へ セブンイレブンがあるが顔だけである 見つけた古着屋に並ぶ服はロンドンよりは日本から距離を感じる フォッカチャにモッツアレラとトマトを挟んだものをテイクアウト やたらうまい ロンドンだとこうはいかない
ムンク美術館 ムンク美術館と謳うわりには展示作品数が少ないように感じた 建物も大きいのに 今回はよい美術館体験が得られなかった
自画像についての記述 私は今このような姿をしていると知らせるため あるいはこのような姿として見られたいと伝えるための自画像 わたしが自分の写真を他者や公に晒す時は自画像的意味合いだ
loveは常に痛みを伴う
ムンク美術館思いの外違ったなあ 美術館に飽きてきたのかもしれない ムンクを学ぼうか
何をすればより魂が生き生きとするだろうかと考えた時に どこへ行けばいいのか 知っているものにこじつけるのではなく 自分の中の熱源から考える 考えるというか思い出すことでしょとか思う 進んでるかなと思う
ひとりでバっと繰り出して一日中遊んで宿へ眠りに帰ることを繰り返す旅はリズムに合ってない 自分の居たい場所がわからない 素直になれないだけなのかもしれなけどやっぱりわからない
3時半に鬱屈としてムンク美術館を出てフィッシュアンドチップス 鱈がうまい ロンドンのより圧倒的にうまい 暫定一位のフィッシュアンドチップス 港で夏のような陽射しの下 木のベンチで休む でっかい鳥が来る オスロは色々な建造物に木が取り入れられているところが良い
ビグドイまで歩くことを決める 都市の中心にばかり居るから飽きてくるのだ 日が若干傾き始めたオスロ中心部を離れ 幹線道路沿いを西へ西へと向かう 遠い ビグドイは整備された自然公園のような半島で小規模だが林もある ノルウェイの森と言いたいが ただの林である 木々の間へ入ってゆくとだんだん研ぎ澄まされてきて 都市では顔を出さない何かを感じる ものすごく凪いだ湾では入り組んだ海岸に異なる方向からそれぞれ静かな波がやってくる 岩場に腰掛け北欧の夕陽を見てバスで帰る 明日の朝もサウナを予約して くたくたの身体で就寝
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gyohkou · 1 year
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07/04/23
ロンドンに春が来た日 長袖にシャツを羽織って汗ばむ気候 日差しが降り注いでじわりと疲労する
今日からのオスロ旅行へ向け買い出しをする 目当ての写真屋はイースターホリデーで閉まっていたので近くのチェーン店でコダックを買う 同じ店で現像を頼むと25%割引になるというので 箱を開封して印をつけてもらう
できることならば入店したくない激安服屋ことプライマークでタオルを2枚購入する
ポケットティッシュを買うために寄った薬局で電動歯ブラシの棚の前を偶然通りかかり ついこないだ壊れた自宅で使用しているものと同じメーカーのセール品が並んでいたため スペックを散々比較したのち下位互換のモデルを購入する よい買い物
帰宅し冷凍しておいたミートソースと旅行前の消費対象であったズッキーニでパスタを作って食べているとフラットメイト3が帰ってきて オスロのムンク美術館へ行くと伝えると嬉しそうな顔をして 自分の会社がなんちゃららと喋っていたが 彼の低くくぐもったイギリス訛りでスラング混じりの英語は4ヶ月経った今でも言葉として入って来ず 何を言っているのかほとんどわからない なんとなく似たような趣味嗜好を持つ人のような気がしており 言葉が通じないと距離を縮めるのは一般的に困難でありもどかしく もったいなく 無力な俺
空港へ向かうTubeで左に座っていた女性が唐突にIs this going to Paddington?と目を見て簡潔に尋ねてきたがわからなかったのでわからないと答えると 今度は右隣に座っていた男性がYes, Paddingtonと答えるというピンポンパン的会話が生じ こういうのでにやけがちなので にやける
失踪、と思って空港 わたしがひとり旅でやろうとしていることは「失踪」なのではないかと突然言語化される 正確に言えば失踪という要素も含まれる という程度のもので 逆に言えば完全に楽しみでひとり旅なんぞしているわけではない 完全な楽しさなどもちろん存在しない 本当はひとり旅なんかしたくないし 誰かとする旅行もいやなのだ へそまがりだね
オスロ空港は木で出来ている 綺麗な空港で有名だというが 建物の構造から美しい 建築の美しさとかわからないが こういうのを美しいと言ってよいのだろう 入国審査で目的、滞在先、職業など詳細を聞かれたのが初めてで若干戸惑ったが嬉しくもあった 入国は真夜中過ぎだったのに審査官生き生きしてた 日本人パスでいけないこともあんだな(日本人パスって表裏一体な表現な気がする)
オスロそこまで寒くない 多分ヨーロッパ全域に春が来てしまったんだろう
北欧に住みたくなる予感があるような気がした
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gyohkou · 1 year
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04/04/23
キッチンオーブンの時計が1時間遅れていて、サマータイムに突入したことに気がついた。16時くらいかなと思ったら19時だったし、日はずいぶん長くなった。しかし一向に春が来ないロンドン、日中の気温は10度以下ででコートが欠かせない。
ロンドンの夏は日が長いと聞いてはいた。職場には、夏になると、(平日の)仕事を定時で切り上げて、ゴルフ場で1ラウンドプレーしてから帰る人がいるらしい。まだ4月だけど、定時で会社の外に出てもあまりに外が明るすぎて、帰って一息つく気には到底なれない。
3月は仕事がめちゃくちゃ忙しかった。忙しくてトイレに行く暇もないみたいなことを言う人をそんなわけあるかと思っていたけど、確かにトイレに行く暇がない。というかトイレに行くという行為で集中を乱したくなくなる。やることがありすぎるためにその集中が長く続きすぎる。だからトイレに行く暇がない。
忙しい毎日は楽だ。1日のうちどの瞬間も次にやらなければいけないことが決まっていて、それをやっていればいいだけだから。
残業続きの毎日で好きな時間がある。それは、遅くに帰宅したのにも関わらず、わざわざ夕飯を作っている時間である。夕飯と言っても非常に簡素なもので、この前は冷蔵庫にあったズッキーニをグリルして塩を振ったものをフライパンから直接食べた。自分で作って食べることでしか癒されない部分があって、残業後にキッチンで食材をなんかしている時間にしか立ち現れない幸福が存在するのだ。
言葉が億劫だと感じる場面が増えた。感じていることだけで十分なのに言葉にしようとするのが非常に億劫だ。生理的な気持ちよさは言葉にする必要がない。言葉よりも波長に興味がある。今は踊っている時がいちばん気持ちがいい。
男の子のダンスにばかり強く魅入られる。筋肉とガッツで力一杯踊るのは憧れが混じって光って見える。わたしの身体はぶらぶら、ぐにゃぐにゃと柔らかくていやだ。少年性に対する憧れがずっと消えない。
寂しくてもう生きていたくないと思う瞬間がある。
この寂しさはわたしの中に飼う、飼い慣らすのが難しい生き物みたいだ。どこにいても誰といてもしぶとく付き纏うので、命がずっと続く生き物だと思って諦めた。宥めることもおそらくわたしにしかできない。
ヨーロッパにはイースターホリデーなる連休が存在することをイースターホリデーまで2週間を切った時点で知り、どこかに行かなくてはと使命感に駆り立てられ慌ててフライトを探し、価格的に許容範囲だったのでオスロ行きの航空券を取った。完成当初より行きたいと願っていた新生ムンク美術館へゆくのだ。そしてサウナ!オスロには海上に浮かぶサウナ、要するに海へ飛び込めるタイプのやつがあるのだ。4月でも極寒のオスロだが、果たしてダイブする勇気が出るか。航空券を取ってからフィヨルドへも足を伸ばしたいと思いつき、なんとか旅程を組もうとしたけど無理だったので、今回はオスロ周辺のみの滞在とする。ひとり旅はいい。人がいると7000倍くらい楽しいが、ひとり旅もいい。ひとりでどこへでも行きたい。そうありたい。
眼鏡を作ろうと思ってMOSCOTへ行ったが、度入りの眼鏡を作るには処方箋が必要とのことだった。日本は眼鏡屋へ行けば最短当日に眼鏡が手に入るというのに、難儀である。
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