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hiroshi-kariya · 4 months
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Seeders
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hiroshi-kariya · 5 months
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hiroshi-kariya · 9 months
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Seeders 2022-2023
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hiroshi-kariya · 1 year
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On Kawara viewing “Brash Cleaning Sutra” by Hiroshi Kariya on 4/8/1989, before the public view at Exit Art, New York. photo credit: Hiroshi Kariya
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hiroshi-kariya · 1 year
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“その一 われわれの行為はすべてそれ自体においては無差別で、善でも悪でもない。たまたま人間が善とか悪とかいう区別を設けたとしても、それはもっぱら人間が採用した法律によるものか、あるいはその人間の所属する国家の意向によるものであって、自然という面からのみ観察するならば、われわれの行為はすべて完全に同等なものでしかない。  その二 もしもわれわれがわれわれ自身の内部に、われわれの心に萌した悪しき行為への欲望と闘う無意識の声を感じるならば、その声は疑いもなくわれわれの偏見あるいは教育の結果でしかなく、かりにわれわれが違った風土に生れていたならば、その声もまた大いに異なっていたであろうことは疑いを容れない。  その三 よしわれわれが住む国を変えてもなお、この無意識の声を消し去ることができなかったとしても、それはこの声の正しさを証明することにはならない。ただ最初に心に萌した衝動がなかなか消えないものだということを、改めて思い知るのみである。  その四 要るに良心の呵責というのは、この最初心に萌した衝動の純粋素朴な結果なのであって、習慣のみがこれを破壊することができる。われわれはかかる感情を断乎として克服すべく努力せねばならない。”
— 悪徳の栄え 上 (河出���庫) / マルキ・ド・サド,澁澤龍彦
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hiroshi-kariya · 1 year
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2003/11Seeders 10 Elements, Photographs, Seeders on Canvas, Gallery Wall, Image Time Lapse, Partial Data of works, Hashtags, Title and subtitles, Numbers - 26 Girl in TenAnmon sq., China 27 Girl at the Zion Lutheran Church 28 John McGee 42 James Dean 45 Jack Ranch 46 Jude Law 47 Nicole Kidman 48 Renee Zellweger 49 John Ritter 50 Bernie Mac 51 John Ritter 54 Liv Ullman 55 Wonder Woman 56 Ben Stiller 86 Gérard Mortier “Sleeping Beauty” 87 Christpher Reeves 88 Julia Child 89 Captain Kangaroo 90 Yinka Dare 91 (Milford Trustee) 92 Richard Avedon 93 Helmut Newton 95 Gwyneth Paltrew 96 Yefim Shubentsov 97 Billy Joel 98 Dr. M.S.Chauhan 99 Brigitte Singh 100 Charlie Chaplin 101 Anna Netrebko 105 Hiroshi Sugimoto 106 Suzy Menkes 108 Thomas Struth 109 Jennifer Steinkamp 110 Mark Ellwood 111 Olga of Greece 112 Linda Yablonsky 113 Stefano Tonchi 114 Jamie-Lynn Sigler 116 Ed Ruscha 117 Noel Lanzas 118 Prada model 119 Alexis Fabry 120 Oliver Andreotti 121 Samuel Keller 122 Luise Neri 123 Andre Balazs 124 Dennis Weber 125 Dennis Hopper 126 Tonny Shafrazi 127 Gilbert 128 George(Gilbert And George) 129 Mira Rubell 130 Richard Prince 131 Marianna Sardarova 132 Janna Bullock 133 Stella Kesaeva 134 Naomi Cambell 135 Olga Sviblova 137 Empress Farah pahlabi 138 Andy Wahol 139 Louisa Calder 140 Angera Houston 141 Ileana Sonnaband 142 Ileana Sonnaband 143 Robert Rauschenberg 144 Michael Sonnaband 145 Gilbert (Gilbert And George) 146 George 147 Julian Schnabel 177 Mario Cuomo 178 Tom Crouse 182 Martin Short 184 Fidel Castro 186 Martin King 190 Charlie Chaplin 202 Brooke Shield 204 JFK 206 Steven Spilburg 212 Carl Marx 215 Mia Fallow 216 Madonna 218 Alan Greenspan 223 Nina Hagen 228 Gaga 240 Nina Hagen #theisnow #seedsutra #itisallabouttheonepieceandmillionsofothers #marcelduchamp #arttowermito #diaartfoundation #paulacoopergallery #onkawara #CarlAndre #BerndJansen #DocumentA #johannkönig #königgalerie #artdüsseldorf #oculaart #guggenheimmuseum #icaphiladelphia #japansociety #asiaculturecenter #ChalkboardSutra #hiroshikariya #刈谷博 #ミヅマアートギャラリー #黒板経  #顔経 #水戸芸術館 (at Domino Park) https://www.instagram.com/p/Cklqts1rdV5/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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hiroshi-kariya · 2 years
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Hiroshi Kariya,
OSDLM2018, B3 Flipped, Mixed Media, In progress thru 2019
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hiroshi-kariya · 2 years
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Hiroshi Kariya, News Face Sutra, 2021
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hiroshi-kariya · 2 years
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(after Face Sutra 2003-11)
Hiroshi Kariya
Kent Ave Pass, 2020
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hiroshi-kariya · 2 years
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hiroshi-kariya · 3 years
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刈谷博 《ボスニアの壁》 《百体のからだをつつむもの》 (via 水戸芸術館|美術|水戸アニュアル’94<開放系Open System>)
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hiroshi-kariya · 4 years
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hiroshi-kariya · 4 years
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Artist rendering virtual image ↑ viewing, from the current show closed due to COVID-19 outbreaks, NY state law launched on 3/22/20.
Image adopted from the exhibition “Archetype” @mizuma_kips Gallery, New York
Image location: @Wyth st, Williamsburg, Brooklyn, NY.
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hiroshi-kariya · 6 years
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Hiroshi Kariya
The writing is ‘the now is”, time and again “the now is”, time and again...
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hiroshi-kariya · 6 years
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hiroshi-kariya · 6 years
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Hiroshi Kariya OSDLM2017 (Detail) Seed Sutra, Mizuma Art Gallery, Tokyo
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hiroshi-kariya · 6 years
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http://mizuma-art.co.jp/en/exhibitions/1801_kariyahiroshi/
レビュー 刈谷博展「ひとつの/そして/無数に偏在する/それ」 竹重伸一(ダンス批評)
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刈谷博展「ひとつの/そして/無数に遍在する/それ」会場風景、ミヅマアートギャラリー 2018撮影:宮島径© KARIYA Hiroshi, Courtesy Mizuma Art Gallery
確かに筆者である「私」はこの展覧会が開催されたミヅマアートギャラリーの空間に2度足を踏み入れた。しかしその時「私」は一体どこに存在していたのだろう?
こんなことを考えてしまうのは、この展示を見ることが、細部は多くの同サイズの小品から構成されながらも優れて全空間的な経験だったからである。そしてその空間は単なる一つ一つの作品の和とは次元を異にしたものだったのである。
刈谷博が1984年から豆粒に書き続けているという「the now is」という英語の言葉を筆者なりに考えてみたい。「the」という指示代名詞によって固有化された「now」今という瞬間の運動が「is」空間的に存在する。この言葉が示しているのは切断された時間であり、時間の空間化のことではないだろうか。20紀以降の美術史は時間の次元に表現の領域を拡大してきた歴史とも言えよう。例えばジャクソン・ポロックの抽象表現主義絵画には彼のアクション・ペインティングに伴った時間の痕跡も塗り込められている。その時間はあくまでも持続する有機的な時間である。しかし刈谷の展示空間から感じる時間は逆に無機的な時間である。刈谷の「種子経」は先ず彼の毎日の生の痕跡を示している。「the now is」と書き込まれている一日一握りの豆粒が貼り付けられた同じ手の平サイズのアクリル板の一つ一つが、一日一日の「the now is」であると共に、私たちが実際にギャラリーで見るのはそのアクリル板の無数の反復された集積なのである。豆粒の群れは一つ一つのアクリル板で違う模様を描きながら全体として微小な粒子の巨大な運動に見えてくる。
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 更に今回の展示では別の『顔経』と題されたシリーズも展示されていた。こちらの方は一つのアクリル板に一日一握りの豆粒が貼り付けられているのは同じながら、裏側に「the now is」が書かれた豆粒の表側には一つ一つ違う人間の顔写真が貼り付けられている。ニューヨークタイムズから切り抜かれたそれらの写真の中には、一目でわかる有名人も時折含まれているが、ほとんどが無名の人物であり、全体は固有性が消去された顔の巨大な群れである。人間に自己同一的なアイディンティティを保証する顔は豆粒にまで卑小化され、匿名な物質の集合に変容させられている。
 そしてその『顔経』シリーズのネガとして考えるべきなのが、ギャラリー入口一番手前の左側壁に展示されていた『Rocket Attacks Attacks In Afgan Village』と題された、タリバンの発射したロケット弾によって殺されたという黄緑色のカバーで覆われた男性の遺体を前に佇んでいる、アフガンの村民たちを写した報道写真をコラージュした作品である。こちらの方は顔が切り抜かれて消去され、豆粒大ののっぺらぼーな顔に変えられた元の新聞記事である。刈谷に彼らの顔を消去させたのは死の力である。死のもたらす否定の力、空虚の力である。豆粒大の人々の顔の裏側には同じ人々ののっぺらぼーな顔が貼り付いている。「私」は死の力によって消滅し、無数のものに変容する。
 刈谷の作品の徹底的な平面性もそのことと深い関係があるように思う。そこには「私」とその内面性を支える「神」の制度が作り出す三次元的な奥行きは存在しない。我々はあたかも一枚の皮膚のように広がる、それらのアクリル板の表面をひたすら見つめることができるだけである。しかし一度そのアクリル板に近づいてみると、その画面は、板、紙、インクの文字という「地」からビニール樹脂に包まれた豆粒という「図」が浮かび上がる極めて豊かな表情を持っていることに気づかされるのである。遠くから見ると遺伝子のゲノムのように蠢いて見えるその多様な豆粒の模様は近づいて見ると人間の皮膚のように有機的で官能的である。特に今回ミヅマアートギャラリーの空間に合わせて特別に制作されたという縦336cm×横213cmの巨大な作品『ミヅマ一筆点線画 10000粒の景』の豆粒の群れは、まさに蛇のように8の字状に力強くうねっていてとりわけ印象的であった。
 冒頭の問いに戻ろう。「私」が存在していたのは刈谷が今回の展示タイトルの中で「It (それ)」と名付けた非人称の匿名的な空間である。その空間は刈谷の一日一日の反復的な行為に基盤を持ち、今回の展示を経過してまたそこに戻っていく。この展示空間はそうした日常の時間に開かれているが故にItには始めも終わりもないのである。刈谷博のそうしたItへのこだわりは河原温からの影響が大きいように思われる。しかしコンセプチュアルな匿名性を徹底するあまり『TODAY』シリーズで限りなくレディ・メイドに近づいた河原と違い、刈谷の作品においては手作業の技が復活している。人によってはそれを反動とみなす人もいるだろうが、筆者は現代美術の未踏の領野を切り開いたものと考えている。
文: 竹重伸一 (ダンス批評)
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