Tumgik
lostsidech · 3 months
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終章:Don't Look Back in Anger
 地下を歩いていた。
 はらはらと踏み出す足の背後に金色の鱗粉のようなものが散る。何か鋭いものを踏んで足が切れたのだ。
「……」
 足を上げ、眺めた。はだしになったそこには傷も汚れすらひとつもなく、美しく光り輝いている。
 少女は首を傾げた。
 わたしは、誰だろう?
×××
 移動中に、今度こそ地面が崩落した。幻覚ではない。
 望夢は本物の粉塵とともにどこかへ落下した。
 したたかに背中を打ち付け、息が止まる。背骨が折れたかと思った。しばらく動きを止めていたら、じんわりと体の感覚が戻ってきた。
 酷い打撲はしたような気がするが、動ける。
「なにっ……ぐっ……」
 さっき、確かに、瑠真の気配があった。
 そちらに向かっていたら会場が崩れた。落下した先はもう仮想空間の影響もない。暗いトンネル内だ。││線路の上か 恐らくニューヨークメトロの駅内だ。
 けほ、ともう一度粉塵を咳き込む。この規模の崩落があれば、電車は止められていることを祈ろう。
 まだ、感じる。瑠真らしきペタルの、荒れ狂う奔流が近くにいることを。
 ││それが、弾けると同時の崩落だった。
 原因は瑠真かもしれない。
「瑠真」
 聞こえるかも分からなかった。だが、声を張り上げた。
 その瞬間だった。
 ドッ、と風のような固形のようなペタルの塊が望夢を叩いた。望夢は重力による落下をゆうに上回る速度で倒れていた場所から吹き飛んだ。
 さすがにしばらく、五感がかき消えた。
 失神、だったのだろう。何が起こったのかわからない。それが何秒のことだったのかもわからない。
 ただ、薄っすら目を開けたとき、自分の床に投げ出された右手がまず映った。それは気づけば奇妙な角度に折れ曲がり、血に塗れていた。ああ折れたんだなと変に冷静に思う。これは複雑骨折と呼ぶしかない。痛みはまだ触覚が復活していないのか感じない。
 ──その、指先の向こうに。
 背景のようにぼやけて、縮尺もあわない遠くに、金色の人影が立っていた。
 金色の髪を背中に流し、輝く肌にぼろぼろになった衣服を引きずった、それは少女だった。
 金色の瞳がこちらを見ていた。
「────」
 顔立ちがわかるほどに近くもなかったのに。
 望夢はそれを、どうしても理解してしまう。
「瑠真、だよ、な」
 そこから放たれているのが、瑠真のペタル流だと。
 そして自分自身に流れ込んでいたはずの神名春姫のペタルは、一時的に使用を止めていたため気づくのが遅れたが、一切消えているということを。
✕✕✕
『うまくいかないならいかないでさ。使い果たして、終わってしまえばいい。神様なんていらないのさ』
 スマホの上に浮かぶ映像に戻ってきた誉は、つまらなさそうに腕を組んで言った。
『既存の支配者を殺さないとこの世界のどうしようもなさは回らないよ。これが俺の仕掛けるシーソーゲーム。足掻いてみな、望夢』
「ねえ、誉、あれが瑠真」
 シロガネの隣で、会場敷設モニターを眺める赤毛の少女が陶然と言った。
「すごい……あんなこともできるんだ」
『そう、きみが与えた「怒り」の力を器に産んだ神。あれはきみの神様だよ、カノ』
 調子のいい誉に、シロガネはこっそり息を吐いた。
 モニターから外を見るのに夢中なカノに聞こえないように、少し離れてスマホを構える。
「あれさあ、アリスが死んじゃって怒られない」
『アレの中身、せいぜい一〇〇〇年級の巫女だよ。大したことはできやしないさ』
「それにしては威勢がよくない はな姫の中身は京都のいち農民のはずなのに、ホームグラウンドを離れたニューヨークでなんでこんなに派手になるのさ」
 シロガネは事前に描いていたイメージとの差異について誉を突く。誉はふふんと笑った。
『共感して吸い込んでんのさ。人の心をね。神様ってそういうもんだろう』
 シロガネは、わかるとヒマワリを見下ろした。喋らない少女はこてんと首を傾げた。
 その理論なら、やはりいち神格の力よりも、今の七崎瑠真に憑いている「もの」のほうが大きくてもおかしくない。人の体には限界というものがある。シロガネは密かに危惧していた。カノの表情がなんであれ曇ることをシロガネは望まない。
 しかし。
 その至極優等生的なシロガネ少年の思考を遮るように、シロガネの心酔する少女がぱちんと柏手を叩いた。
 キャラメルのようなころころした声が言う。
「素敵だわ。じゃあそのまま終わってほしい。
 今日は瑠真がわたしのになった記念日。誰にもあげないから」
 
 その日、花開いたつぼみのような、あるいは蝶のような多数の翼を持つ、金色の少女が太平洋上を動き出した。
 そこにいる人々のペタルを吸い取って動く彼女が向かう先は、彼女の知っている場所に違いないと間もなく特定された。
 東京都七花市。
 決戦の舞台はそこだ。
 
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lostsidech · 3 months
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5: Stairway to Heaven
「はっ!?」
 会場が壊れた。まず望夢が体感的に感じたのは、『足場が無くなり、落ちる』だった。
 そもそも高さのある場所で戦っていたわけではない。なのでこれは五感に伝わるただの幻覚なのだと、望夢は間もなく理解した。
 眩暈がする。そのせいですぐに状況を計算できない。五感のバグのくせに、しっかり落ちて転んだ痛みがある。そして体を圧迫する重量感と、微かに脳裏で鳴る異常事態のアラート。
 目を開ける。瓦礫の中に望夢は倒れ伏していた。
 悪夢のような光景が広がっていた。
 瓦礫が現れたり消えたり、ちかちかと景色を移り変わらせている。その途中で見覚えのある壁や岩、水流が出現してはくねり、視線を阻害する。ある場所では遊具のようなカラフルなキャラクターの顔が、ゴシック様の建築壁の中から突き出ている。
 半ば無意識で、自分の体を取り巻くように転がっていた瓦礫に、解析・解除を走らせた。ヴン、と音を立てて瓦礫が消える。
 この会場のためにセットされていた、ありとあらゆる仮想空間のストックが、暴走してこのありさまになっているのだと、しばらく見ていれば理解できた。
 自分の動きを邪魔していた周りの瓦礫が消えてしまえば、立ち上がることができる。おそるおそる、望夢は身体を立てるが、すぐに別のブロックが足元に出現して躓いた。
「でっ」
 足先を引っ掛けてまた転び、あやうく、そのブロックに膝を打ち付けそうになる。相当痛いだろう、とギュッと目を閉じたところで、ひらめく。この固形は仮想の感触だ。協会式のペタルがイルミナント意識点の持ち主に錯覚の圧力を与えているだけ。
 ペタルを込めなければ無視して動ける。協会式の仮想空間とはそういうものだ。日本の協会の演習場でもいつか瑠真とやったはずだ。
 とっさに脳を切り替える。望夢は元々協会式のペタル解釈には「合わせて」いるだけだ。大会のために常に協会式に合わせ、秘力を練り続ける方式を取っていたが、もう必要はない。
 ブロックにぶつかる前にイルミナント励起を解除。ぶつかったはずのブロックを膝がすり抜けた。そして少しだけもう一度、協会式ペタルを自身に込める。最後にクッション様に抵抗が生じ、転んだにも関わらずふわりと地面に手をつくことができた。
 何度か地面についた手を握ったり開いたりして、感覚を確かめてみる。
 この要領なら、多分このカオス空間の中も歩ける。
 望夢は見渡した。極彩色の景色に邪魔されているが、試合はどうなった 放送も音沙汰がないが、自分が聞こえていないだけなのか。点数はもう誰も見ていないのか
「……瑠真」
 それより何より、相方が何をしているのかが気になった。
 邪魔な障害物をすり抜け、迷路のような元アリーナを歩き始める。
 最も敵になるのが方向感覚だった。神経を研ぎ澄ましても、会場に存在するあらゆる出場者のペタルを吸い上げた仮想空間から、ペアのものだけを探すのは甚だ難しい。
 それでも歩き続ければ誰かとは遭遇するだろうと進んでいたとき、ふと五感の端に気配が引っかかった。
 ペアのペタルだけを探すのは難しい。そのはずだった。
「……瑠真」
 正確には。
 瑠真であるはずなのに瑠真ではない、瑠真のペタルをベースにしたような何か、を、感じる。
×××
 予期しなかった平衡感覚の混乱に、瑠真もまず尻餅を付き、ここがどこか見失うところから始まった。
「あ いたいた。いやぁ、君の場所は視認していたからすぐ来られたにせよ、このカオスは最悪だね」
 ──そこに聞こえてきたのは、考えうる限り最悪の声だった。
「は……」
 瑠真は咳き込みながら顔をあげる。これは……確か、望夢の先祖の。
 夏のヘリポートで聞いた、悪辣な少年の声だった。
 一度で覚えてやる義理はなかった。なのに覚えていたのは、それだけその声が身の毛もよだつトラウマのように耳朶に張り付いていたからだ。
 視界がぼやける。イルミナント意識点に過負荷が掛かっているのを感じる。会場にいたすべての異能者のペタルの残滓が増幅されて場を渦巻いている。感知系が苦手な瑠真にも明確だ。
 目を擦って、もう一度薄目を景色に向けたとき、その極彩色の光景の中に、黒服の少年が佇んでいた。
 初めて見る姿だ。子供が着るものとしては見慣れないお坊さんのような和服を着ている。
 だが、彼は背格好と顔立ちが──やはり望夢に、よく似ていた。
 高瀬誉。
 春姫の宿敵だ。なぜか蘇った幽霊なのだと聞いていた。
 だからだろうか。彼の輪郭は、まるで背後の仮想空間の景色の一部であるかのように、うごめき、刻一刻とブレている。
「待たせたね、悪魔のお迎えだよ、瑠真ちゃん」
 少年は、仄かに望夢より表情が薄く見える瞳をこちらに向けて、ことんと首を傾げた。
 瑠真はとっさに答えなかった。なぜこいつにこの状況で迎えられなければならない
「……何、これ」
 まずは周囲を示して、端的に尋ねた。
「試合中だったよね。アンタたちが何かしたの」
「うん。眺めてたら瑠真ちゃんが負けそうだったから、助けに来た」
 あっさりと、誉はそう言った。
「助けに こんな、試合無理やり壊して」
「だって、嫌だろ あんな大人の策略に乗せられるのなんか」
 誉は話しながら、瑠真の向かいに膝を折った。尻餅をついている瑠真に視線を合わせ、見つめてくる。そこはかとなくじっとりと嫌な感覚がし、瑠真はいざるように少し下がった。
「……まだやれた」
「どうだか」
 誉は首を振る。
「君は謀られたんだよ。極論、アメリカチームは君のことなんてどうでも良かった。日本の協会の邪魔をするのに良い釣り餌がそこに転がってただけ」
「アンタにそれを言われる筋合いはない」
「あー、そういう反応かぁ。ま��、いいよ」
 瑠真が噛みつくと、誉は肩をすくめてみせた。
「君もだいぶ鍛えられたみたいだし。ここまでの話はカノへの義理立て。振られたら続けて口説くもんでもないや」
「何言ってるの」
「俺には俺の目的があるって話」
 ぽん、と誉が手を叩いた。そのとき、周囲の仮想物体から一斉に蔓のようなものが伸びて、瑠真を巻き取った。
「はっ」
「待ってね。ここから本題」
 誉は言うと、瑠真に向けて膝を摺ってにじり寄ってくる。
「それ、私関係あるの 美葉乃のこと」
「カノへの義理立ては終わったって言っただろ。俺はあの子とは関係なく君に用事があるの。いや君の体、いつの間にか大分高瀬式ナイズされてて助かるよ。干渉しやすい」
 瑠真は迫ってくる誉を目線で威嚇した。
「縛り上げて何が用事よ」
「なんだろうね。これを話すのは初めてかな」
 誉は傍に腰を下ろして微笑む。友人としてお近づきになりたいとでも言わんばかりの微笑みだった。
「俺は君を見つけたときから、カノとはまた違う理由で君に興味を持っていたんだ」
 その微笑みを、口調を、瑠真は吐き気がするほど憎らしく感じる。瑠真のペアが絶対にしない表情をした同じ顔。
「三月の協会戦。君は神名春姫の力を身に借りて戦ったね 俺はその時から、君を個人的に追っていた。カノを通してね」
「……」
 そんなこともあった。だが誉はそれをどこから見ていたのか。わざわざ相槌を打ってやる義理も、問い返すほどの好意もない。
 誉は瞳を三日月のように細めた。
「いやぁ、ちょっと閑話休題してからにしようかな 自己紹介ができなきゃ寂しいもの」
 瑠真は自己紹介など望んでいない。だが誉も勝手であるのは百も承知で話しているのだろう。少年はあぐらをかいた膝の上にひじをついた。
「俺、もう死んでるって話は春ちゃんか望夢くんから聞いてるよね だったらどうして成仏できなかったんだと思う 瑠真ちゃんって幽霊信じる」
「今、いるんだから、それしかないでしょ……どうしてなんて知るわけない」
「俺に未練があったんだよ、結局。この世界の行く先にね」
 瑠真の小声の反抗に構わず、誉はゆっくりと言った。
 手元に持った数珠を弄っている。虎の模様のような色をした数珠だ。
「いや、理論的には春ちゃんが流し込んだ不老の神の力が俺の肉体を消しても存在を維持したとか、色々言いようはあるかもしれない。だけど俺の目線からしたらそう。俺は長いこと、『無』と呼べる時間の中で俺の魂が輪廻できない理由を考えていた」
 話の、意味は分からない。ただ、幽霊でしかなかったはずの誉の重量感が目の前で膨らんでいくようで、怖気をおぼえる。
「俺は殺される前、春ちゃんに少しだけ期待してた。旧弊した高瀬式が情報統制できる時代はとっくに終わってた。だからその後継を作るのはきっと俺たちとは違うものだって。
 だけどきっと俺も少し夢を見すぎていたんだろうね。彼女は結局、神さまであるよりも一人の女の子だった。俺は正直、それに失望してしまった。そうなるだろうと思ってたから、俺は高瀬式の精神が存続するよう望夢を残したんだけどね」
 誉は、瑠真の知らない長い時間をあまりに全て把握している。それが話術なのか、事実なのか。瑠真は、ブラックホールに浮かんでいるような錯覚にとらわれる。
「望夢の父親の篝は感知系がとにかく強くて、死人の俺と普通に話せた。だから俺はさっさと奥さん作って息子にも感知教育をするように言った。篝自身はちょっと古い男だったから、あまり春ちゃんと渡り合えそうにもなかったのだけど。生まれた息子は狙いどおり霊感が強かったから、俺はその霊感が薄れない子供の頃のうちに、ことあるごとに高瀬式の精神を囁きかけておいた。だから望夢の育て親は直球で俺みたいなもん」
「高瀬式の、精神……」
「俺はこの世界を自由にしたいのさ」
 誉はこともなげに言った。
「しがらみに囚われ、欲で傷つけ合い、己が正しいと思う者が殺し合う世界を救済したい」
「できるわけない。何カミサマみたいなこと言ってんのよ」
「俺、仏教徒だよ。そこはよろしく。西洋の神さまの考え方とはまた違うと思うな」
 瑠真に宗教の違いなどはわからない。ただ睨み返すと、誉はとん、と自身の胸を叩いた。
「とはいえ世界をより良くしたいという想いに貴賤はないからね。ヒイラギ会の子たちのことも普通に応援してる。『みんな望んだものが手に入って、みんなハッピー』」
「もっと無理よ。わかってて言ってるの? そんなの成り立たないでしょ」
「そう、でもだから君も聞いているだろう あの子達は、みんなを幸せにして、その瞬間世界を終わらせたいんだよ」
 誉はくつくつと笑う。それは朗らかで、子供の悪戯を愛おしむ祖父母のようにさえ見えた。
「死ぬ瞬間幸せだなんて、なんて幸福」
「……勝手に押し付けないでよ、そんな理想」
「ああ、そういうところが春ちゃんと相性いいのかね 俺は個人レベルで行える救済手段の一つだとは思うけどね。まあ、個人レベルじゃない視点でできることを、本当は神の力を持つ春ちゃんに望んでいたのだけど」
 瑠真の激高を、誉はこともなげにいなして頬杖をついた。
「ここで話題を戻って、ヒント。春ちゃんには『神の力』がある。俺は高瀬式の旧支配者。高瀬式が春ちゃんと仲良くなかったのは知ってるよね」
「……」
 瑠真はとっさに話題を辿った。何のヒントだ 内容は当然知っている。だから何だ。
「春ちゃんにある『神の力』。俺はそいつで殺されたから、分析サンプルは十分。やろうと思えば干渉操作することができる。ただ今あの子の力は、半分うちのご���主の協会式能力維持に使われている。『契約』だね。春ちゃんの憎き高瀬式に首輪をつけて自分の支配下に置こうっていう、あの子なりの復讐」
 これも事実としては知っているが、それを誉がどう解釈しているかなどは知らない。春姫が私情で望夢を使っていることはなんとなく知っているつもりだった。
「その『契約』のデータもちゃんと手元にあるのさ。斎くんが頑張ってホムラグループに流してくれたからね。俺たちはそれをホムラグループから拾ってる。
 有り体に言えば、俺も同じ契約ができるってコト」
 誉はそう言った。
「……待ってよ」
 じわじわと、脳内で話が繋がり始める。世界を救済したい誉。望夢と春姫の間にある契約。
「何、する、気」
「それを今説明してるんだってば。俺は春ちゃんに神の力を渡して後悔した。その未練が俺をここまで生かした。望夢は俺の救世主になり得る視点を持っているけれど、今のところ春ちゃんの犬で、世界の上に立つ覚悟も持ってない」
 誉はひらりと手を挙げ、人差し指を立てた。講釈する優しい先輩のような口調だった。
「神を降ろすには、新たな神を産むのが一番いいと思うのさ」
 その指が瑠真に向く。
「なに……」
 息をつまらせる瑠真の、胸に誉の手が這う。びくりと全身を強張らせた瑠真の胸元に、誉の、霊体の手が、『入り込んだ』。
 本人も言うように仮想空間技術で作られているだけの体だ。痛いはずも、感触があるはずもない。なのになぜか生命の危機を感じる。触れられてはいけないものが触れている気がする。
「望夢は君のことが好きだからね。君が力を持てば、春ちゃんの時よりその制御に必死になるだろう。それが目的だから、別に俺は君自身のことはどうでもいいわけ。とはいえ俺を悪魔として生かしてくれたカノへの義理はあるしね それに、俺は人を一人使うなら、その心に敬意を払わないことは本意に反する」
 誉の声がガンガン響く。それが心理的効果なのか、既に何か異常が始まっているのか瑠真は理解できない。
「タイミングが今だったことにも必然性はあった。まずは君が治癒の能力を得たこと。その願望の根底にあるのが『戦える力がほしい』であったこと。俺はその気持ち、よくわかるよ。眼の前にある世界に触れられないのはもどかしいものな。君の場合それが戦いという概念だった。極めつけに今、とやかく言う大人はみんな太平洋の海の向こう」
 誉の手は、最早とっぷりと手首まで瑠真の胸に埋まっている。身体の中で熱が暴れ狂う。平衡感覚が上下左右どれもわからなくなっていく。
「君はとても、とても強くなるよ、瑠真ちゃん」
 誉の声が、まるで身体の繋がりから直接伝わるように聞こえる。
「壊れても、傷ついても戦い続けられるだけの力が手に入る」
 その言葉は。
 誉には伝えたことのない叫びのはずで。知っているのかなんて、今更問うのも馬鹿らしく。
 耳元で、吐きそうなほど望夢とよく似た甘い声が囁いた。
「君の願い、叶えてあげる。一緒に終わろうぜ」
 その日、フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク西部では崩落事故が起こり、ニューヨーク地下のメトロ路線まで会場の一部が落下した。
 偶然試合中でそこにいた少年が一人巻き込まれた他は、試合相手のアメリカチームも無事に引き上げ、現在は救助・捜索活動に当たっているそうだ。
 それ以降の瑠真の記憶はない。
次>>
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lostsidech · 3 months
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 タイラーはぴくりと顔をあげた。
「なんだ?」
 見張らせている外が、わずかに騒がしくなった気がしたのだ。
 しかしタイラーの役目は、囚えている少女の相手のほうだった。何故なら、最もこの計画も解釈異能もよく知っているタイラーでなければ、この少女を相手するのは危険すぎるからだ。
『私、貴方たちのことそんなに悪い人間だとは思いません』
 機器越しの少女がふいに言った。
「……ほう」
『だって、私の自由も奪わないし、傷つけもしない。語り掛ければちゃんと答えてくれる』
 タイラーは黙って少女の言葉を聞いた。加工音声越しに、それは元が少女の声だったかどうかも判別が難しくなっている。
『では、そんな人間がなぜ私を使って、大会を止めようと試みたのか? 当ててあげましょう。莉梨を調べるときは、自分も深淵を覗くつもりでやるんですよ』
 その声が確かに、笑った。
『貴方たちはなぜ、大会の他のありとあらゆる参加者ではなく、私を攫ったのか ホムラグループは有名ですが、他にも参加している組織の中に有名な企業はあります。その中で私が選ばれる理由があるとしたら。一つ、ホムラグループに悪感情があった。これはとても単純な答えですね。ですが、そうであるなら莉梨に一切憎悪が向かないのが不思議な話です』
「そう思うんだな」
 タイラーは相槌を打つ。
 少女はまるで社交場で対話するように、礼儀正しくええ、と言い添えてから続けた。
『二つ目。私でなければならなかった──私と日本SEEPとの繋がりを知っていた。至極個人的な』
「……」
 タイラーは少し反応が遅れる。何も言うべきではない。
『貴方たちは各国が大会に探りを入れていることに気づいていた。だから、むしろ貴方たちが手を下せば、来るのはSEEPの子たちだと思った』
 タイラーが答える前に、少女は矢継ぎ早に続ける。
『貴方はそれを自分が裁きたかった。だとすると、貴方は大会の敵だけれど、アメリカチームの味方』
「……何を言ってる」
『そうでしょう? サウスブロンクスのタバコ屋さん』
 ──臓腑を撫でられるような寒気があった。
 タイラーは静かに息を吐く。これだけ対策しても、彼女には正体は割れてしまうのだ。
「何を以て俺をそう呼ぶんだ」
『サーモグラフィと言いました。それからセンサー。そうしたものを、莉梨の能力対策になる精度で持っているのは民間警備会社 官公組織 いいえ、それにしては動きが無軌道にすぎる。貴方たちは、そうしたものを手に入れられる立場にあった、個人の集まりです』
 正解だ。それらはタイラーが軍にいた頃のよしみで譲り受けた。
「そして それだけならNYじゅうの闇市場が該当する」
『ふふ。貴方たち、莉梨をどこで誘拐しました?』
 タイラーは直接そこに出向いていない。だが──大会宿泊者向けホテルのリネン室だ。
『あの場所ね、そもそも莉梨が情報収集のために出向いていた場所のひとつなんです。協会のホテルの中に、表向きメイドとして働きながら、ダウンタウンに通じている方がいるのを知っていたから。その人に誘拐させたでしょう?』
「どうしてダウンタウンの情報なんか」
『シオンさんがそこの生まれだからです』
 莉梨はきっぱりと言った。
『私の好きな人が、シオンさんを気にしてたんです。軽い気持ちだったかもしれないけど、私はちゃんと調べました。彼女がブロンクスの貴方と一緒に育っていたことも、貴方の情報屋筋のメイドが���のホテルに張り込んでいることも』
 タイラーが思いもよらない時点から、彼女はこちらの尻尾を追っていた。
 改めて、世界のトップを走る異能勢力の跡取りというものを恐ろしく感じる。自分はそんなものに手を出していたのだと。それでも、タイラーは黙って彼女の話を聞き続ける。
『ええ、つい今しがたそこへ、大会で起こっていることを聞きました。丹治さんは、莉梨の誘拐に対処しようとしていたとき機材の転倒に巻き込まれ、片手を怪我したようですね。パネルディスカッションには出られるけど試合は難しいから、試合に出ないことになった。貴方はそのときすでに、計算違いだったのではないでしょうか』
 タイラーは気づけば、正体をこれ以上明かさないことよりも、彼女の聡明さを聞きたいといた感情に囚われていた。
「何故?」
『貴方は、丹治さんたちにこそ、試合に出てほしかったからです。裏社会の子供たちには、表舞台に立って、シオンさんと相対してほしくなかった』
 帆村莉梨はそこで言葉を止める。こちらの反応を伺うように。
 タイラーは苦い顔をしていた。
「どうして? だって、そうなっても現に誘拐は続いただろう?」
『そう、貴方たちは最初の目的を遂げられなかった』
 少女は声音を乱さない。
『でも、貴方たちはもう莉梨を攫ってしまった。それなら、続けるしかない。せめて彼女たちがやろうとしていることから目をそらさせるために』
「彼女たち?」
「アメリカチーム。ひいてはシオンさん個人です」
「何故、彼女に思い入れていると思うんだ」
『脅迫状です。「今すぐこの馬鹿げた大会をやめさせろ」。「やめろ」ではなかった』
 くらりとした。
 自分でも気が付かなかったミスだった。それはつまり。
 人の無意識を、この少女は覗き込んでいる。
『もしSEEPを貶めるのが目的であれば、語り掛ける相手はSEEPになるはずです。彼らは大会の主催なのだから、「やめろ」「中止しろ」で構わない。けれど貴方はやめ「させろ」と書いた。直接大会を止める力はない相手に向けて書いていた。あるいは、貴方がそうであってほしい人に向けて書いていた』
「……そんなところから」
『悪い人に思えない、って言ったでしょう 莉梨はそこに愛情を感じてしまったんです。その後の莉梨の歓待もきっとそうだって。本当は、誰かのことを守りたい人なんだって』
 ふふ、と少女は笑う。少女の声にすら聞こえない加工音声で。
 タイラーは思わず天を仰いだ。
「最初から、俺じゃ役者不足か……いや、まあそんなことはとうに知れている。それでもやったことに今も意味があるんだ」
『ええ、貴方はとても頑張りましたよ。相手が悪かったんです』
 少女の声が、ふっと切れた。
「言ったでしょう? 私のことを理解するなら、深淵を覗くつもりでやることです」
 タイラーははっと顔をあげた。
 加工音声に向かって話していたのに、最後の声だけは背後から聞こえたのだ。
 ふわりとした金髪の少女がそこに佇んでいた。腕にピンク色のうさぎのぬいぐるみを抱えている。
 ──タイラーが目の前にしているサーモグラフィの映像は、いつの間にかもぬけの殻の部屋だけを映していた。
「声も姿も届かなくても、お話に引き込んで目を逸らさせるくらいなら簡単」
「鍵は……?」
「気づかなかった? 貴方が今、話しながら開けに来てくれたのですよ」
 ぎょっとして手の中を見る。そこには確かに、少女を閉じ込めていた防音室の、外からの戸締り用の金属鍵が握られていた。
「状況について、児子が手紙で教えてくれました。おかげで貴方との話にも役に立っちゃった。ほら、扉を開けてもらうのなんて簡単。心を開いてもらうのとおんなじなのだから」
 莉梨は愛らしく微笑み、スカートの裾をつまむ。
「この要領でお外の方々も聞いてくれるといいのですが、撮られちゃったら色々言われそう。簡単に行かないみたいだから、ナイトの皆さんを待っています」
「待つ、って」
『あ、あー。聞こえる?』
 ふいにウサギのぬいぐるみが喋った。タイラーはまた度肝を抜かれて身をのけぞらせた。
『どうも。自分自身を憑かせてます。お嬢がお世話になりました』
 ぬいぐるみに似つかわしくもない、平坦な青年の声が言う。背筋がひたりと冷える。状況こそ馬鹿らしいが、タイラーは知っている。──これは、裏社会を知る者の声。
 帆村莉梨は唇に指をあてた。
「私、そこの児子と違っておおごとにする気はありません。
 貴方が世界の注目を半分こにしてくれたことは、私自身も結構感謝していますよ。だからほら、今度は一緒に誰かを守りましょう」
×××
 簡単なことだった。
 タイラーはお仕着せの家の暮らしの中で、同じように、排水溝の中に捨てられていた天使に出会った。
「赤ん坊が捨てられている」
 と、アパートの隣の少年に知らされて、その時向かえるメンバーで一斉に見に行った。タイラーは力仕事ができるから、マンホールの下に降りられるだろうと呼び出されたのだ。
 だからその赤ん坊を一番に抱き上げたのはタイラーだった。本当の親がどのように彼を抱き上げ、そして捨てたのかは結局分からないが。
 親は分からなかったが、綺麗な少年だった。
 アパートの全員で面倒を見ることが決まり、彼には「シオン」と名前がつけられた。ただ発音しやすいというだけの、意味のない素朴な名前だった。
 物心ついたころから、少年は中性的だった。少女の衣服の方を好み、屈託なく甘いものやロマンスを楽しんだ。それはタイラーたちの世代からしてみれば「なよついた」趣味で、でありながら彼が一切弱さを感じさせないことに驚きを感じさせた。
 少年は強く、自由で、清らかだった。
 気づけば彼は「彼女」になることを望むようになった。それは悩みではなく、中性的であることを誇るがゆえの、選択的なものだった。
「シオンは誰より自由でいいと思うの」
 まだ舌足らずな歳から、彼女はそう言った。
「せっかくたくさんの人の中で生まれたんだもの。もっとたくさんの人に見てもらってもいいでしょ」
 それが十二歳の彼女をSEEPに呼び寄せる原動力になった。
「アメリカの星にならないか、って」
 マンホールの天使は言った。それを聞いたタイラーは煙草屋の勘定を続けることができなかった。
「興味があるのか」
「シオンならみんなの象徴になれるって言われた。SEEPは世界組織でしょう。じゃあシオンは七〇億人の星になるってことだよ」
 そのこと自体に不満はない。シオンはそういう子供だった。誰にも縛られない。
 けれどタイラーはどうしてもそのとき、戦場で死んでいった少女を思い浮かべていた。
 あの頃はまだ誰もそうとは呼ばなかった、自然開花の異能者。彼女は念動力が使えたがために、戦争に駆り出された。
「それは汚れ仕事も背負うってことだぞ」
「わかってるよ。みんなの星ってそういうものでしょ」
 タイラーに止める能力はなかった。資格も、権利もなかった。シオンは親権登録もされていない孤児であり、政府からすれば保護対象だったのである。タイラーの元にいるよりも、世間的にはよほど良いに決まっていた。
 見送ることしかできない、という鬱屈はタイラーの胸の中に確かに影を落とした。
 やがてシオンはSEEPの広告塔としての活動を始めた。実際に社会奉仕活動や災害救助活動もやったし、単にテレビに出て喋ったり、歌を歌うこともあった。
 スラムのメンバーのほとんどはそれを喜んだ。しかしタイラーにとっては、政府に不信感が増すだけの出来事だった。金目的にしか見えなかった。
 超常術と、その裏側にある仕組みに個人的に関心を持ったのはそれからだ。
 裏稼業の情報屋に通えば、SEEPが公表しない情報が得られるとアパートの仲間から聞いた。半ばアンチSEEPになっていたタイラーは、鬱屈の解消のために裏取引をするようになった。解釈異能という言葉にどんどん詳しくなっていった。
 いつしか自分が情報屋の側になっていた。サウスブロンクスで煙草と一緒に情報を売る。いつか個人でも身を守れるようにいろいろな機器を揃えた。いつ「掃除」されるか分かったものではないから。
 仲間も引き込むつもりはなかった。これはタイラー個人の鬱屈の問題である。
 タイラーは特に日本のSEEPを調べた。彼らは明らかに怪しかったから。
 SEEP前身発祥の地。もとから興味はあった。情報屋の仕事をする中でも、日本SEEPとヒイラギ会の繋がりは断続的に情報として入ってきていた。ヒイラギ会のアイコンと見なされる、元日本SEEP会員の容姿情報。リヴィーラーズ・ライトとの関わりが噂される、謎の古い知識を持ったヒイラギ会の情報源。潰すなら本気で潰さなければ、世界の協会が内側から食われかねない。
 ただ、アメリカSEEPの長がそれらをどこまで押さえているのかが疑問だった。
「シオン、ヒイラギ会の吊るしあげを任されたんだよ」
 にやりとして少女は言った。
「あまりにもSEEPとヒイラギ会の関係が疑わしくなってる。このままじゃ、アメリカも一緒に疑われる。何かあるまえに、日本のSEEPを潰す。これで信頼は戻る」
「それは君の望むことなのか」
「まあ、いいんじゃない? これくらいは。ワタシは星なんだし」
 その日のシオンはゆるりとタバコ屋の汚れた椅子から立ち上がり、笑った。
 自分のことを、かつてはシオンとしか呼ばなかった少年は、気づけば、少女としてワタシと言うようになっていた。
「さよなら、失敗したらもう会わないよ」
 それが少女の最後の個人的な言葉だった。
 以降、タイラーとシオンは二人では話していない。
 タイラーは秘密裡に、アメリカSEEPが大会を使って報道予定の原稿を手に入れた。そこには秘匿派との争いのこと、ヘリポートのことと、事件の隠蔽を中心にとりとめもない日本SEEPの不祥事がつづられているだけだったのだ。
 独立系の日本を世論的に貶めたい。
 そういう組織的理由が垣間見えた。
 手ぬるかった。ヒイラギ会にまつわる様々な危険を察知しているとは思えない。これで大会の手順に不備があれば、一歩違えば糾弾されるのはアメリカのほうだ。ライバルの日本の評判を落として大会に勝とうとしていると言われても仕方がない。
 もっと明確な証拠を掴め。タイラーは苛立っていた。自分の方が正確な情報を掴めると思った。日本SEEPが本当に単独で罪を犯していることがわかる正当な証拠を。
 ──そして。
 雲を掴むような情報収集期間を経て、タイラーはとある少年を知った。
 それは取り寄せた日本SEEPの研修記録を読んでいたときのこと。試験などを一切受けていないにも関わらず、SEEP会員として登録されている名前をひとつ見つけたのだ。
 自然開花異能者であっても、安全な協会式に力を整えるために最低限の研修は受けるはず。それすらないということはつまり、最初から協会とは異なる方法で力の体系化ができている人間││「他の解釈異能者」に他ならない。
 会員登録されているだけならまだ罪はない。ただ、それを理解したうえで読み返せば、アメリカ側が取り上げようとしている事件記録に同じ名前があった。
 高瀬望夢。彼はまだ子供でありながら、日本SEEPに留め置かれている。恐らく解釈異能派閥向けの戦力として。戦争で死んだ少女がフラッシュバックしていた。子供の人権を何とも思わない、非道な戦いだと感じたことを思い出していた。
 汚れ仕事を引き受けるのは大人であるべきだ。
 間もなく、ホムラグループの少女からとある連絡が来た。件の高瀬望夢が情報収集に来るというものだ。彼女はタイラーの顔を知らないはずだが、タイラー側は今まで集めてきた情報全てで彼女の容姿も、能力も知っていた。そして彼女が日本SEEPの隠蔽事件の一つで被害に遭い、その際彼女と一緒にいたメンバーの中に高瀬望夢がいることも知っていた。
 ここまで割れれば。大会に出るシオンたちに日本SEEPの断罪を任せることはない。タイラー一人でも十分やれる。
 自分の憤りに対して、自分自身が子供を襲おうとしている矛盾には気が付いていた。
 それも含めて、徹底的に悪者になってやろう。シオンが汚れ役になる前に。
 タイラーは恐らく逮捕される。捕まったとき、理由を語れば十分だ。
 大会の話題性で、真実は一気に世界に広まるだろう。
×××
 莉梨の声は翔成のイヤホンに届いていた。ホムラグループの青年が届けてきているのだ。
 児子操也が先行したのなら、莉梨を心配する必要はもうない。ただし、外にいる銃を構えた連中を掃討する必要があった。
「おい、待て」
 そのうち一人が携帯端末を見て眉をひそめた。
「放送、止めさせろ。これ、誰が流してる」
 彼らの端末には、彼らのYouTubeチャンネルが映っている。
『暴露します。このチャンネルを使っている人たちは、僕らホムラグループが作ったイベントの協力者です』
 語っているのは、一人の少年だった。
『誘拐事件でお騒がせしました これは有事の時に、どんな対応を僕らホムラグループが為すことができるか、皆さんにお見せしたかったものです』
「誰だ、このガキ」
「ホムラグループのヤツ、こういう割り込みをかけてきたか。どこで乗っ取られた 仕方ない。配信を停止しろ 切れねえのか? 電源ごと落とせ! クソ、電子機器までジャックするとは聞いてない……」
「よし、あいつら、完全に切りましたね」
 翔成も自分の携帯端末の画面を落とした。そこには、今まさに翔成が自分の顔を映して撮影していた動画が映っている。
 ただし、翔成はそれを世界に向けて配信などしていない。
 彼らがそう思い込んでいるだけだ。
「おれは既存の映像を人に送って、視界を塗り替えることくらいしかできませんけど」
 周りに控えていた、大人のホムラグループ社員たちが頷いた。
「これでおれたちが即座に撮られる心配はありません、先手必勝! 混乱してる間に制圧!」
 銃の男たちが混乱している間に、非戦闘要員のホムラグループ社員たちも動いた。同じく携帯を経由して攪乱を送る者、直接相手の無力化洗脳に走る者。
 こちらは一般中学生、自分で撮った動画が世界に配信されるなんて、そんなことがそうそうあってたまるか!
「こっちだって必死なんです。友達と自分守るためなら、嘘くらいついてやりますよ」
×××
 目まぐるしく変わる会場、最後の一分間。
 瑠真は地べたに座り、膝を立てて目の前を睨んでいた。走り回り続けた疲弊で地形変化の勢いについていけず、足をくじいたのだ。その拍子に銃を落とした。それは少し離れた位置に転がっている。
 まっさらになった会場、目の前には金髪カチューシャの少女がいる。彼女は今すぐにでも瑠真を撃てる位置にいる。
 彼女が瑠真を使って、ヒイラギ会と日本の協会を巻き込もうとしている、その全ての企みを聞いたのに。こんなところで動けなくなるのは、悔しい。
 今タイムを取っても仕方がない。たとえ怪我が治っても同じ位置から再開せざるを得ない現状、シンプルにこの平面地形では勝ち目がないのだ。
 瑠真がそう思いかけた瞬間、目の前を最初のような地形の壁が取り巻いた。
「あれ」
 さらに、協会の点数パネルが一気に回るのが見えた。
 シオンとの間に障害物ができる。瑠真にとっては千載一遇のチャンスだった。
「──ッ、タイム!」
 瑠真は手をあげてインカムに叫んだ。ギリギリ、会場のデジタル表示の一五分カウントが停止した。時間は三〇秒。それだけあれば、動かなくてもできることがある。
 歯を食いしばりながら立ち上がり、念じるように口に出す。
「後、回、しっ……」
 嘘のように足の痛みが消えた。
 軽く足首を振る。完全に治っている。まるで怪我をする前の状態。怪我なんてなかったかのように。
 実際はそれが負債に過ぎないことを、瑠真は知っているけれど。
「アンドリューがやられたのか」
 壁の向こうでシオンが言った。今日の朝ごはん、卵トーストじゃなかったのか、というくらいの、軽い口調だった。
「じゃあワタシが瑠真ちゃんに勝つしかないな」
 身構える。三〇秒が終わる。同時に脚に増強をかけ、まずは銃を落とした地点へ。拾うと同時、膝をバネにして、高い壁の上に飛び乗った。息があがっている。ずっとこんなことを繰り返していれば当たり前だ。
 上側を取られると狙われやすい、という判断だった。そしてそれはシオンも同じだった。
 壁の上、ほんの数メートルずれた位置に、トン、とシオンのシルエットが立った。照明を背に背負って、その姿は燃え盛る天体のように見えた。
「君達の尻尾、掴んだ理由なんだけど」
 シオンはしごく今まで通りだった。背がぞわぞわする。揺らがない彼女自身に対して。
「分かったんだ。二人とも協会のために動いてない。過去の大切な人がヒイラギ会にいるってことでね」
「それはっ……」
 瑠真は少なくともそうだ。奥歯を噛みしめる。それを否定せずに、ヒイラギ会の味方だと思われないためには、しなければならない説明が多すぎる。
「日本にはヒイラギ会の影響が強いという話は聞いてた。意図的に会長が君達を近くに置いてるって話もね。──おっと」
 シオンは続けようとして、ふいに言葉を切った。瑠真が銃口を真っ直ぐ向けたからだ。
 ここから逆転するには。瑠真はまだ負けたつもりはない。彼女たちのプロパガンダに乗るな。むしろ不正は向こうだ。甘い蜜を持つ腐ったリンゴ。
「なんで、こんなことに手を貸してるの? こんな、汚い大会に」
 日本語の音声は、日本ではすぐに放映されても、世界では翻訳の手間をかけられて英語ほどの訴求力には欠ける。それでも瑠真にはこれしか使えない。
 シオンは狙われているのに堂々と手を広げた。瑠真はその理由を知っている。──彼女は光を歪める力を持つ。真っ直ぐ進むレーザー銃に対して、狙いを逸らさせる相性は抜群なのだ。
「汚いって ワタシが君達を嵌めたとでも思ってる」
 光を操る少女は、本気の声音だ。
「『公平な思想の競い合い』。それがこの大会の趣旨だったじゃない。君達の世界解釈と戦って、何が悪いの」
「言っても聞く気ないでしょうね。でも、私はヒイラギ会じゃない 勘違いで吊るしたほうが恥をかくわ」
「ヒイラギ会かどうかじゃないんだ、ルマ」
 シオンはそんなことを言った。こちらの名前を憶えていた。
「協会はクリーンでなくちゃならないんだよ。
 日本SEEPは今、ワタシたちの基準でクリーンじゃない。隠蔽事件があり、他の解釈と通じている。君達がいるだけで、理想像とは程遠いんだ」
 じわじわと、無理だと悟っていた。
 説明は通じない。反駁したすべての言葉は相手にとって意味がない。
 この感覚には覚えがあった。秋にヒイラギ会の少年と対峙したときのやり取り。相手は自分とは完全に相いれない世界で生きている。あるいは、相いれてしまった瞬間に自分が自己定義を見失うようなやり取りだ。
「──そう」
 であれば。
「私協会辞めてもいいよ」
 背後でペタルが渦巻くのを感じた。高瀬式で学んだ技術の一つ、手を起点にしなくてもコントロールすること。これはできるようになっている。
「これは正々堂々の競い合い。そう言うのね だったら私が、アンタのその勝ち筋の邪魔をしても何とも言われない」
 試合の実況を届けてくるインカムがうるさい。瑠真が流し込んだペタルが、具現化した勢いで耳元の機械を破壊する音がした。急にしんと静寂が訪れる。瑠真はさらに会場の真上に手をやった。そこにあるのは報道用カメラだ。
 カメラが粉々になり、視界の悪い地形のあちこちに飛び散った。
「駄目だよ、瑠真ちゃん。『それ』は──きみの暴力性は」
 シオンは平然としていた。効いていない。どうしたらいい。瑠真の背にようやく焦燥が走る。彼女はもはやプロパガンダも、点数も気にしていない。
「協会が最も捨て去るべきものだ。カメラ止めて。……ああもう残ってないみたいだね」
 それだけはうまくいったのだと思う。シオンも語り掛ける先に困ったようだから。
 その上で、彼女は七〇億人の星である少女は、首を傾げる。
 見られる必要が無くなったから、それは本当に彼女自身の発言だったのだろう。
「きみはさ」
 流麗な声が言う。
「ただ求めるだけで全然中身がない、まるでからっぽの体を外からいろんな装飾で固めてるみたいだ。君は君の渇きに一体、いったい何を容れようとしているの」
 瑠真が泣きそうな顔をした。
 その瞬間、会場が、壊れた。
×××
『お。悪くないね、瑠真ちゃんも望夢も』
 誉は楽しそうに鼻歌を歌っていた。シロガネはそれを聞きながら、コントロールパネルを見下ろし、ぱちんぱちんといくつかのレバーを下ろす。
『人間は勝者に弱い。そう、だから自分たちが格好良く見えるように、正攻法で勝つのはまず一番の正解だ。それから、それが叶わないなら少なくとも、平等じゃない舞台は無理やり止めさせる』
「それが望夢くんと、瑠真ちゃんのやったこと」
『うん。だけどちょっと詰めが甘い』
 誉はコントロールパネルの上に浮遊しながら、モニター越しに大会の様子を見ていた。
『ニュースで不祥事まで流れてしまった以上、ここまでやっても日本の糾弾は免れられないのさ。最悪、二人はまた別の協会式教育プログラムなんかから受けなおしになるかも』
「え 何言ってるの。また研修からやり直されたら、ここまで瑠真をヒイラギ会式に寄せたのに残念だよ」
 カノがぶうたれた。シロガネは彼らのやり取りにこっそり苦笑いしている。
『そう。だから、めちゃくちゃにしちゃえばいいんだろう きみたちヒイラギ会のやり方って、いつだってそうだったはずだ』
 ぱちん。最後のレバーのセットを、シロガネは終えた。
「カノ、やる? 一言言えば、ボクが全部吹き飛ばすよ」
「ダメよ、吹き飛ばしちゃ。大会さえ邪魔できればいいんだもの」
「たとえだよ」
「ホント? 瑠真を怪我させていいのはわたしだけだから」
 シロガネは内心気に入らないながらも、頷く。カノが何を望むかなんて最初からわかっている。
「誉、どう思う」
『今の瑠真ちゃん、怪我しないじゃん』
 電脳幽霊は気軽な口調で言った。
『怪我したって全部後回しだよ。術式の効力がペタル切れで無くなる前に、治癒に控えてあげさえすれば』
「……それならいいか。そういうふうに瑠真を仕込んだのはわたしたちだもんね��
 カノはあくまでそういうふうに納得する少女である。
「、どうなると思う」
『さぁ、どうだろう。アメリカにまで悪いとこ突かれて、その上でめちゃくちゃになったらさすがに折れるかな』
「ほんと そうしたらそろそろ、わたしのところに来てくれる」
 カノが目を輝かせる。そう、彼女の望みはいつでも簡単。七崎瑠真に側にいてほしい。そのためなら世界も変えるし、本人が味方に裏切られて希望を喪ってもいい。
『様子見に行こう。タイミングも全部丁度いいし』
 誉は隣のヒマワリの頭を撫でた。正確には電子の体は撫でるように手を動かしているだけで感触はないはずなのだが、ヒマワリは嬉しそうにその場でぴょんぴょんする。
『確認だけど、カノ。瑠真ちゃんがそれでも俺たちのところに来るのを望まなかったら、「あれ」やってもいいんだね』
「もちろん」
 カノの声は元気だった。
「そのために寿々ちゃんも待たせてるんだわ。よーし、シロ、いつでもはじめて」
 りょうかい、と軽く返す。
 それからシロガネは、目標に向けて手を動かし始める。
 ここはコントロールルーム。大会の仮想空間を制御するシステムの、自動式の無人中枢である。
 
 シロガネがパネルを叩いた。
 その時、会場の全てがランダムに発生した仮想空間に包まれ、多くの人は突如発生した迷路に惑うことになった。
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lostsidech · 3 months
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×××
「ごめん、そこ譲って!」
 瑠真とアンドリューが角から転がり出てきた。それでそのとき、望夢とシオンの間にあった緊迫と予期された動きは破壊された。
 シオンが距離を取り、英語でなにかアンドリューとやり取りする。アンドリューも言葉少なに返す。にやりと笑ったシオンが再び地形の影へと消えていった。瑠真は体勢を立て直すと同時、激しくアンドリューを狙撃するが、アンドリューは手に持っていたものを裏返した。
 地形カードだ。突然周囲が飛び石の水辺になり、滑る。バタバタとパネルが音を立てた。
 パネルを見て、目を疑う。いつの間にそれだけの点差がついていたのだ 地形変更はおよそ四度目だったが、ゴースト撃破数の桁が文字通り変わっていた。
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「望夢、あいつカード狙いで動いてタイミング見て切って、ずっとこっちの邪魔狙い」
 すれ違いざまに瑠真が囁いた。
「ムカつくから本人トバそうとしてるんだけど、その間に雑魚ばっかり撃って稼いでる」
「……バトンタッチ」
「うん」
 ペアと視線が交錯する。
「私じゃジリ貧になる。音楽の解除はもうできる」
「ああ」
 一度目で解析は済んだ。曲が変わっても上辺が影響されるだけだ。根本の解除方法は変わらない。最初の分担に戻ったほうがいい。瑠真がいくら相手の音楽戦法の乗りこなしを覚えてもそれは相手のフィールドで踊っているだけだ。
 フィールド││物理的なフィールドカードも同時に思い出す。キングという苗字が似合いだ。音楽と地形を支配する青年。
 瑠真の言葉を改めて思う。
 フィールドカードを使うのは、本当に「こっちの邪魔」││撹乱のためか 彼は周囲に音楽を聞かせたいのだとシオンは言っていた。音楽と重ねて、全く別個の攪乱を行う意味とは
 望夢は離れていく瑠真の背中に、インカムを構えて語り掛けた。
「瑠真、できるだけ長引かせて」
「了解」
 特にためらいのない返事。言葉を交わすのと同時、それぞれが、今来たのと反対側に飛び出した。瑠真はシオンへ、望夢はアンドリューへ。
 アンドリューが狙うゴーストを、彼の発砲と同時に撃った。アンドリューが振り向く。こちらに注目が向く。
 まずはアンドリューを継続的に狙った。青年は小刻みにこちらの照準を避けながら移動を始めるが、撃ち返してはこない。
 望夢は気合を入れ直した。戦術解析なら得意分野。レーザーガンもペタル式のため、望夢の干渉操作系能力の範囲内だ。
 会場全体のペタル銃へ、そして周りのすべての状況に感覚を巡らす。自分自身の動きも感知のコントロール下に置くことで、照準を繊細に調整していく。
「……ああ、やっぱり狙ってるな。こいつでどうだ」
 そして、少し遠くにいたゴーストを二体ほど、連続して撃ち抜いた。
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 協会側のスコアパネルがパタパタ言う。アンドリューがまとめて点数を入れるときよりは、よほど控えめな数だ。
 なのに、アンドリューは先ほどより露骨に嫌な顔をした。自分が狙われたときより反応が大きい。こちらが彼のゴースト狩りの邪魔をしていると気づいたのだろう。
「いい反応」
 にやりとして銃を構え直す。
「もうちょっと、その顔見せてくれ」
 仮説更新。奴はプレイヤーを狙わない代わりに、ゴースト狩りをできるだけ意味あるものにする方策を練っている。では、その方策とは ゴーストは地形に紐づいたものだ。望夢は今度は地形を形成するペタルを探る。
 正直集中対象が多すぎて、地形のような広い範囲を対象にすると何がなんだか判断できない。だが、だからこそ浮かび上がってきたものがあった。
 地形に影響されない地点が会場内にいくつかある。
 その正体はすぐにわかる。カードの配置だ。
 カード台の周りはペタル流���止まっているのだ。理由は単純。物理的な感触を『ペタルで形作っている』各地系とは異なって、カードとカード台は実際に物理だ。であれば、それが完全に見えなくなるような地形セットは発生しない。どんな地形の変動が起こっても、そこだけペタルの地形には覆われない形になる。
 アンドリューは音楽とゴースト、そしてカードを使って、何をしたいのだ
 彼が向かっている先を見極める。カード台はその先にあるか 向かうならこれだろうという方向の台には当たりがつくが、アンドリューは真っ直ぐそこに向かっているわけではない。周囲のゴーストを狩りながら、不規則に回り道している。
「……、」
 不規則だろうか。──実は法則性があるのではないか。
 移動しながら望夢は途中でアンドリューを追うのを辞め、横道に飛び込んだ。その先には別のカード台がある。それを取って切ろうとしたとき、「ヘイボーイ」シオンの声が響いた。
 思わず首をすくめた望夢の頭の傍を通って、レーザー光が岩の形をした壁に当たる。
「うわっ」
 思わず身を隠す。近くをシオンと瑠真がそれぞれ走り去っていった。巻き添えを食らうところだった。通りすがりに見つけてこちらの邪魔をしたのだろう。
 その間にアンドリューが別のカード台に辿り着いたらしい。バタバタバタと、また点数パネルが捲れた。今度は火山口のような、殺風景な凹凸地形が開けた。
 そろそろ気がついていた。
 アンドリューが地形を組み替えるごとに、動く点数が大きくなっていく。
  Japan Player: 0 Ghost: 5
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 地形自体には元々、フレーバー程度の要素しかないはずだ。なのにこれだけ点数が変わるのは明らかに設計ミスではないか。あくまで地形による凹凸で、無理な位置になるエネミーの発生キャンセル分だけのはずだ。
 エネミー発生キャンセル──望夢は横切っていくゴーストを睨みつけた。
「よう、お前、消えたら何秒後に再生するんだっけ」
 撃つ。
 しばらく何も起きなかった。
 また瑠真とシオンが横切るのを危惧する空白のあとに、ぼこり、と同じ位置に煙霧の発生。それが人の形になり、ゴーストになって歩き去っていった。
「四秒……ってとこかな」
 あるいは。アンドリューが鳴らす音楽で言うと、八拍程度。
 望夢はインカムをつけた。直接の会話の邪魔になるからと仕舞っていたが、これは一応味方との通信に使える。
「瑠真」
『だぁ今集中してるとこなのぉーっ、何』
「俺たちが控室で見るより前から、地形バリエーションって公開されてた」
『はぁ』
 瑠真が怪訝な声をあげた。
『当たり前でしょ。あの説明映像、選手には開会前からずっと渡されてるわよ。くじ引きでここになっただけなんだから、当たり前でしょ』
 ビンゴ。
 角から飛び出してきたアンドリューと目が合った。今はカードは持っていない。再びゴースト狩りのターンだろう。
 アンドリューがあえて、撃てるゴーストを見逃すことがあることに、望夢は気がついていた。だから嫌がらせが効くのだ。
「仕掛け合戦なら俺も得意だぜ、バンドマン」
 どうせ通じない日本語で煽る。
 あとは、正しく盤面を読むだけだ。
×××
 幼少期、自分のいた場所にこんな立派な音響設備はなかった。タイラー・ドレイクはしみじみと思う。
 タイラーは、一九四八年生まれのありふれた男だった。
 実家はスラム。ジョンは路地裏で物心ついた。家賃を払う金がなく、そこにたむろしているホームレスの一員だったのだ。
 あるとき暮らしていた街は政府の掃討に遭い、「きれいに」された。当時の福祉施策で金を受け取った。路地裏を追い出され、代わりに立った公営住宅に押し込められたところでタイラーにも家族にも、お仕着せの生活は似合わなかった。
 ただ、スラム時代の路上で聞いていた、カセットの音をよく思い出していた。
 ある戦争で異能の存在を知った。
 悪名高い戦争だった。母国は国際条約を破って侵略し、化学兵器を用い、そのうえで明確な勝利を収めず撤退したというもの。国内でも反対の声が噴出し、平和活動というものが目に見えて動き始めた。
 しかしその頃ずっと現地にいたタイラーにとって、それらは実感のない話だ。代わりに覚えているのは、むせかえるような雨の匂い、土の感触、怒号、血の味。
 ゲリラ戦が行われていた時期だったのだ。そして民間の力を投入していた当時の敵対国には、まだ存在が表に出ること自体貴重だった、自然開花異能者がいた。
 少女だった。
 ピンク色のスカーフを腕に巻いて、静かな瞳で彼女はアメリカ兵を殺した。
 念動力使いだった。宙に固定された仲間の腕や足がおもちゃのように折られるのを確かにタイラーは見た。彼女の存在は恐慌を生んだ。初期作戦にはいなかった戦力として彼女は投入され、その正体を理解できる者はあまりに少なかったのだ。
 ある日、彼女を集中的に排除する作戦行動が取られた。
 他のゲリラ兵に何人撃たれても彼女に到達するという目標の下、たくさんの仲間が犠牲になった。少女は三方向からの追撃を受け、ついに念動力での対応をし切れずに斃れた。
「たすけて」
 その時、彼女を撃てる���はタイラーと隣の同僚だけだった。
 タイラーは彼女を撃てなかった。
 代わりに同僚が彼女を撃って終わらせた。
✕✕✕
「ニューヨーク一帯の防音設備がある建物」では広すぎる。翔成は調べ始めてすぐに、考えるまでもなくそのことに思い至った。
『ホムラグループの足の数でもダメなのか』
「正直言いますね おれ、下っ端なのでホムラグループに情報共有したとこで、全体を動かす力はありません」
 宝木隼二の純粋な疑問に、翔成は電話越しに白状した。他人事の高校生はそれを聞いて少し笑った。
『でも君のお嬢様のことだろ 動かせる人がいるでしょ』
「いー……そう言われたら一人、おれが頼んだら繋いでくれそうな人が思いつく……」
 ホムラグループで莉梨のお目付け役をしている青年を思い浮かべ、翔成はこっそりと溜息をついた。個人的に苦手なのだ。
 と、ふいに翔成のSMSの通知が響いた。
「お」
『情報更新』
 電話の向こうの宝木の声が弾む。その通り。現場で聞き込みを行っている帆村式の妖術師たちから、思念調査情報が送られてきていたのだ。誘拐時間と場所がわかったらしい。
 脅迫状が来るまでの時間を鑑みて、ほぼ間違いなくNYから出てはいない、という推論が述べられていた。目撃情報からして、NY中心を北上していった可能性が高いということだ。
 宝木のために読み上げかけて、覚えのある文字列に目が止まる。
「誘拐場所は││あ」
『何だ』
「協会のホテルの、リネン室だ。宝木さん、泊まってますよね」
 宝木が通話の向こうで唖然とした。
『なんでホムラグループのお嬢様がうちのホテルで攫われてるんだ 現地に先に来てたって言わなかったっけ うち、何か巻き込まれてる』
「い、いやぁそれが事情が複雑でして」
 リネン室、である理由も翔成は薄々察していた。半ばお忍び、半ば以上お遊びでメイド服を来ていた帆村莉梨の姿が思い浮かぶ。何を思ってか今朝もまたメイド服で協会補欠メンバーと合流しようとし、そこで不意を打たれたというわけだ。
 ホムラグループの既定の滞在場所であれば彼女の護衛はごまんといたはずだ。知っていた自分もホムラグループ内で怒られるような気がしてきて翔成は天を仰いだ。
「て、力抜けてる場合じゃない」
 慌てて連絡を読み返す。莉梨はおそらく意識を奪われた状態で、車で三〇分ほどの距離を北上させられ、どこかに監禁されてから脅迫状に接触した可能性が高いとのことだ。その監禁場所が、先ほど宝木が予測した通りに防音設備のある施設であるなら、探索範囲はホテルから十数km圏内に絞れる。
『まだ足で探すには広いな』
「うん。でも、だいぶマシにはなる。話してみる」
 正直聞いてもらえる気はしないながら、翔成は一度、宝木に断って電話を切る。
 代わりに繋ぐ対象は、ホムラグループ社員にして妖術師・児子操也。莉梨のことであれば、翔成が個人的に連絡をつけられる範囲で最も力を持っている。
 彼もまた莉梨に続いてアメリカにいるはずで、発信番号は国内宛てになった。
『なんだい、小姓くん』
 二コールですぐに電話に出た青年の声は、さすがに荒んでいた。彼が傍目にも入れ込んでいるお嬢様に無法者の手出しを許してしまったのだ。仕方がない。
 翔成はお疲れ様です、と挨拶もそこそこに本題に入った。初対面の記憶が最悪だっただけに、との会話は最低限にしたい。
「ええと、これは大変類推に類推を重ねた、ワトソンの提言なんですが……」
『何がワトソンだって』
「言葉の綾です」
 すぐに説明に入る。莉梨を誘拐する可能性があるのが、旧秘匿派だけではないこと。やり口からしてヒイラギ会シンパの一般人ではないかと思うこと。一般人であれば、ある程度の防音機能を持った設備は必須であるということ。
『……ふむ。妥当な線……と言ってあげなくはないけど、秘匿派に先立って潰す意味はあんまりないんだよね』
 相手の反応は色よいとは言いがたかった。
『俺たちってほら、組織的に嫌いじゃん、他の秘匿派』
「ですよねー……」
 予想通りだ。莉梨の捜索先が即座にNY秘匿派アジトに決定したのは、おそらく組織的な事情もある。これを理由にホムラグループが海外の秘匿派事情に頭を突っ込む動機。いざとなれば、寵愛しているお嬢様も切り捨てて利用する組織であると、翔成自身もよく知っていた。
「おれができる範囲で総当たりするので……せめて児子さんの声が届く範囲だけでも、人動かしてもらえたら」
 それでも食い下がる。こと話が帆村莉梨の身の安全におよぶのだ。翔成が児子を苦手だからとか、組織の都合があるからと、引き下がってはいられないのだ。
『や、君が動く必要はないんじゃない 興味あればエリアに移動しとくくらいでいいよ』
 と、児子が突然言った。
「え でも、さっき組織は動かせないって」
『俺たちの組織はね』
 児子操也が含み笑いした。翔成がその意味合いを受け取れずにいるうちに、説明が続く。
『高瀬式には、君の一件で横槍入れられた貸しがあってね。秘匿派狩りなら協力するって。NYに来てるらしい分隊から連絡があったとこだよ。
 それなら、秘匿派狩りより、君のヒントをまとめて渡して、莉梨の発散を感知して辿らせたほうが早くない あの猟犬たち、鼻の良さが強みでしょ』
×××
 試合は合計一〇分以上続いていた。
 動き続けた身体はアドレナリンが出ているとはいえ疲労を訴えている。アンドリューが攪乱のために流す音楽は、傾向が分かっているとはいえ曲が変わるたびに望夢には負荷を与える。最初に瑠真に教えられた曲から数えて三曲目に突入し、そのたびに遠くにいる観客たちが湧いていた。やはりファン向けのライブの役割もあるのだろう。
 今のところ瑠真も自分も落ちていない。それが救いだった。
 会場の地形は洞窟のような、入り組んだ迷路じみたものに戻っていた。望夢がそういうカードを切ったのだ。視界が封じられるということもある。有利な地形カードを見つけ、保持して、アンドリューやシオンに狙われたタイミングで使う。そ��で持久戦に食い下がっている。
 それでも日本とアメリカの点差はまだ圧倒的にアメリカ優位だった。もはや日本チームは、アメリカ側の二人を落とすしか勝ちの目がない。残りの地形カードをかき集めてギリギリ間に合うかどうかという点数差だ。
 
   Japan Player: 0 Ghost: 33
  USA Player: 0 Ghost: 126
 制限時間は一五分。終了が刻々と近づいてくる。
 望夢としてはできれば、それらすべてを理解したうえで、手あたり次第の地形カードを積極的に切りたくはなかった。
『望夢』
 インカム越しに瑠真が叫んだ。
『アンドリュー、そっち向かってる』
「……サンキュー」
 望夢やアンドリューにとっては、視界が封じられる地形だが、瑠真やシオンにとっては違う。
 壁と壁の間や高いその稜線を身軽に駆け回る彼女たち身体強化系術師は、それぞれのチームの目としても活躍している。昔の瑠真なら時間を稼げ、見張りをやれと言ったら嫌がっただろうが、今の彼女は能力に貪欲だ。インカム越しに二つ返事で分担を聞いてくれた。
 最初こそ目になってもらわなくても、望夢が自分でアンドリュー自身の発散を感知して戦っていたが、今は、集中すべき対象が変わっている。それどころではない。
 壁の一つに身を隠す。アンドリューが気づかず通り過ぎていく。その行き先を思い浮かべた。全身の感覚でペタルを辿る。
「……あの台か」
 制限時間も、未使用カードの残り枚数も少ない。そろそろ勝負どころだ。
 試合時間、残り四分ほど。アンドリューが流していた前の曲が終わり、また曲が変わった。今までの曲と音の感じは変わらないが、静かな曲調のギターイントロ。遅いテンポ。
『さっきのバンドのボーカルの、ラストソング』
 瑠真が早押しのようにインカムで叫んだ。
『時間的にも最後だと思う。狙って組んでるのね』
「ありがとう」
 残り時間ぴったりまで流す気だ。そのつもりでセットリストを用意しているのだろう。
 望夢は迷路を構成するペタルを辿りながら、アンドリューの元へと走った。いくつかの曲がり角の先で、アンドリューが振り向く。その手はすでにカード台のボタンを押している。
 彼はこのフィールドの王者だ。切るたびに増えるフィールド切り替え時の点数は、もはや日本チームにとってはオーバーキルだ。残り少ない時間で、日本に逆転の目はもはやない。観客はそう思っているだろう。
 それでも席を立たないのは、純粋にアンドリューが鳴らし、シオンが踊るこのステージを楽しみにしているのだ。
 俺たちは誰にも注目されていない。
 ──そういう状況が望夢は得意だ。
 アンドリューの頭の周りを撃つ。背後にいたゴーストが弾けて消えた。アンドリューはもはや反応しなかった。別に必要のない小さな的の一つや二つ、望夢に書き換えられても仕方がないと思っているのだろう。
 立ち位置は丁度、アンドリューが壁に据え付けられたカード台を背に、望夢を見据えている形になっていた。こちらにはアンドリューとシオンの両方を狙って落とす程度しか抵抗の方法はない。狙われるとわかっていても、自身も狙うために迷路から飛び出さざるを得ない。
 間に合わない。この距離で間に合うわけがない。アンドリューの手が、開いた強化ガラスの間に入り込み、カードを取る。最後の図柄──真っ平に続く床面に何種類かの縦方向の足場だけが用意された、シンプルで見通しのいい地形。
 望夢との相性は最悪だ。
 曲はまだ続いている。痛々しげな訴えに似たボーカルが叫ぶ。そしてアンドリューはまだカードを切らなかった。こちらに銃口を向ける。とっさに避けようとしたとき、インカムの瑠真が何か言った。
『危ない』
「わかって──」
『違う、こっち』
 望夢が飛び出したばかりの岩場の上から、軽やかに金色の影が舞い降りた。シオンだ。
「お──」
「キミ、何するか怖いから」
 すれ違いながら彼女はそう言った。
「最後まで邪魔させてね」
 言いながら、彼女がまばたきする。瞬間、視界が狂った。何らかの光術を使われたのだ。
 反射で解除したとき、向かいの壁から瑠真が飛び出して、シオンを牽制した。シオンは舌をぺろりと出して再び路地に消え、瑠真もそれを追う。
 そこで気が付いた。銃がない。
「え」
 足元に望夢の銃が転がっている。……自分で取り落としたのだろう位置。
 本当に取り落としたのだ。おそらくシオンはこちらの銃の位置を錯覚で狂わせていった。完全に奪えば試合の根本ルールに差しさわり、ルール違反だ。こちらが勝手に手を放すよう、あるいはそこまで行かなくても少なくともアンドリューやシオン自身に銃口を向けられないよう、望夢の視界が銃を認識する位置を軽く前後させて混乱させてきたのだ。
「うわ」
 それ以上考える前に危機感が頬を叩いた。とっさに自分の銃の上に転がるように倒れたとき、アンドリューの放ったレーザーが背後の壁を打ち抜いて行った。
「Don’t you give up, boy」
 青年が何か言った。煽られていることはわかる。ギブアップと聞こえた。諦めろ。
 完全に座り込み、相手を見上げるだけの姿勢になった望夢に、アンドリューが一歩ずつ近づいてくる。
「It’s singing ”You Know You’re right”」
 どうせ望夢は答えないのだ。彼は世界に向けて話している。
「You are right, ah I know everybody says so.  We don’t deny.  But cannot live together, just like lovers in lyrics, you know  We are not hysteric lovers, just compete in game instead of quarrels.  That’s the slogan of this tournament and also what “they” said」
 背後には彼の稼いだ圧倒的な点数差のボードが見えている。
 もはや何を言われようと勝ち目がないことを印象づけるだけだ。彼はわかってて話している。曲が終わりに向けて盛り上がる。これは、演出だ。彼らが美しい勝利を収めるための。
「History is written by the victors」
 目の前で足が止まる。
「And today you are the loser」
 こちらに銃口を向けたまま。
 アンドリューは、軽やかな動作でカードを裏返す。
 最後の地形が発動する。小細工をする望夢には相性最悪で、そして観客からは最も見通しやすく演出性が高い、まっさらな平地。
 それによりまたスコアパネルが回る音が響き、アンドリューは曲の終わりとともに、最後に望夢を撃ち抜く。
 ││そのはずだった。それをアンドリューは企図していただろう。
 アンドリューが戸惑った。
 地形が変わる。灰色の壁がなくなり、周りが明るくなった気がする。それでもパネルが回る音が響かない。
  Japan Player: 0 Ghost: 33
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 さらに言うなら。
 この地形変化で開けた視界に、大量のゴーストが佇んでいる。いくつも、尋常じゃない数。最初にこれだけ同時発生はしていなかっただろう密度で。
 沈黙の中に、曲が最後の一節を響かせる。
「Why──」
 望夢は笑って、手元にもう一つだけ残っていたカードを裏返した。
「っ」
 青年が怯えたように身を引いた。
 当然のことだ。その瞬間、再び景色が変わったからだ。最初の地形と同じもの。高い壁とステップを持つ見通しの悪いものだ。観客席もシオンや瑠真の姿も見えなくなる。
 バタバタバタと、見えない視界の向こうで、スコアパネルが回った。言うまでもない。音を立てたのは、協会のパネルだ。
「What……」
「陣地を変えれば、発生エネミーの位置と回数が変わる」
 望夢は言いながら立ち上がった。アンドリューはこちらを狙う気概も失せている。
 なぜなら、そこはもう彼が敷いた演出の中ではないからだ。
「発生時に誰かのカードで地形変化により発生をキャンセルされたエネミーは、カードを切ったプレイヤーの手柄になる」
 使用済みのカードを放り投げる。どうせもう試合は終わる。
「地形はあらかじめ公開されてる。ゴーストの初期位置はランダムとは言うが、自分のペタルから出てるんだ。俺みたいに多少感知系が使えれば読める。お前はどう把握してたんだろうな。これはただの推測だけど、音楽の一部として発生テンポを見てたんじゃないかと思う」
 エネミー消滅から再発生まで四秒。あるいは八拍。
 曲によっても違うが、あるいは音楽というのは経過時間の秒単位の管理にも使える。
 誰かに撃たれるたびに、そして地形変化のたびにゴーストは消え、そして四秒後に再生する。次に自分が使う地形がわかっていれば、その地形上でキャンセルされる位置にゴーストを誘い込み、それらが揃ったタイミングでカードを切ればいい。彼らの移動ルートは単調な直線だ。法則性を掴めば、各地形で何秒後にどこにいるかの計算は比較的容易だ。
 アンドリューは最初から、手に入れた瞬間にはカードを使わず、保持していた。
 こちらの攪乱のためかと思ったが、おそらくゴースト位置が揃うのを待っていたのだ。
 最大の演出、それは影の人型もすべて消し去り、広いフィールドの真ん中で敵を撃ち抜くこと。計画を崩されたアンドリューは、青い顔で口を動かす。どうやって、という顔に見えた。
「得意だからだ。悪いな、姑息で」
 望夢が方針を決めてからの試合の間中、走り回りながらやっていたこと。アンドリューが撃ったゴーストを四秒後の再発生で再度撃ち、全てのゴーストの位置を四秒ずつずらすこと。
 結果、アンドリューが『必要な位置に揃えた』と思い込んで切った地形カードは、全て空振った。
 四秒後、望夢が彼の揃えた条件を乗っ取った。いや、正確にはさすがに全てのゴーストの位置を踏まえて乗っ取ったわけではない。望夢自身も同じ方法で、自分が最初に見た地形にゴーストを揃え続けていたのだ。偶然そのカードが手に入って助かった。
「俺はヒイラギ会式になったつもりなんか一度もない。真正面から、あんたの策に乗っからせてもらっただけだ」
 アンドリューに聞こえないことは承知だ。彼に聞こえなくても変わらない。この試合は全世界放映だ。
 ヒイラギ会が「己の心に従う」という、ある意味での「自分自身らしさ」を追求するのなら、望夢たち高瀬式というのはほとんど最も遠い世界解釈だろう。高瀬式の役割の最も重要な部分は、自身の解釈ではなく他者の解釈への介入だ。それぞれの世界認識を他人の言葉でしか語ることがない。それを世界に伝えなくてはならない。
 アメリカチームはパフォーマーだ。「夢を叶える」に重きを置いている。
 それを反対側から揺さぶって「打ち消す」のが望夢の勝ち筋だ。
 簡単なことだ。
 彼らが作った舞台に乗った上で、その夢の主役を乗っ取ればいい。
 舞台の真ん中で、望夢は自分のレーザー銃を拾い上げ、相手の額に突き付ける。
「覚えとけ」
 浅い息を吐きながら望夢は汗を拭った。動いたことというよりも緊張が極致を超えたことにより出たものだった。
「他人の夢のダシにされるほど安くない」
 遊んでいる場合ではない。望夢にこれができても、ペアにできるとは到底思えない。
 その瞬間、正々堂々とアメリカチームのパネルが片方、戦闘不能で落ちた。
 
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×××
「あいつら、銃持ってる」
 翔成が電話越しに言うと、宝木は『さすがアメリカ』と言った。
『どういうレベル 拳銃』
「それが……かなりゴツい武装ですよ。何人もいる。軍っぽい」
『民間軍事会社』
「そういうのもあるのか……」
 翔成はホムラグループ社員から送られてきた画像を見る。高瀬式が突き止めた誘拐犯の潜伏地の画像だった。
 高瀬式は秘匿派の警察という性質上、民間人には手出しができない。帆村莉梨の発散の報告と同時に、「他には異能の気配がない」ということを伝えてきた。その時点で高瀬式の出番は終わりだった。あとは直接お嬢様を攫われているホムラグループの問題だ。
 翔成は先に行動を始めていたこともあり、かなり近くに来ている。このままであれば突入隊に混ざれる位置にいる。
『陽動撹乱、君がやってみる 洗脳の基本だよ』
 先ほど連絡してきたホムラグループの青年は言った。
『まあ、もちろん君以外に十分、カバーできる戦力がある状態で、だけど』
 教育くらいの軽い口調だった。ホムラグループのお嬢様に付き添ってきただけのことはある、荒事慣れした青年である。
 自分がやるかどうかは置いておいて、とにかく翔成も現地に向かっていた。まずは最速で到着した妖術師が報告を寄越してきている。それによると、待機している武器持ちの見張りたちに害意はない。銃を持ってはいるが、テロ目的などの攻撃的な意志はない。であれば翔成も交ざっていい、というのが児子の判断で、そのため画像等の共有も受けているのだった。
 とはいえ自分一人ではあまり落ち着いていられる自信がない。まだ電話は切れなかった。
「……ん」
 翔成は電話を片耳に、画像の一部に目を留めた。
「なんかみんな、カメラとかスマホ手に持ってる」
『パフォーマンス目的 誘拐の助けが来たら配信したいとか』
「趣味わる……」
 辟易したが、無くはない気がする。ヒイラギ会の支援者ならヒイラギ会本体と似たようなことをするかもしれない。不意に思い出す。莉梨の「騙されないで」。
 あれはこういった話なのではないだろうか。うかつに踏み込むと不祥事にされかねない。
「……おれ、行かないほうがいいかな」
『翔成くんの歳なら、そうかもな……。もし本当に撮られるとしたら、顔が映る。親御さんが心配する』
 脳裏をぐるぐると予感が渦巻き始めた。
「もしかして、あいつらの目的、わかったかも……」
『え』
「莉梨さんが攫われた理由。『おれたち』じゃないですか」
 翔成は電話に力を込めた。
「何故莉梨さんなのかって……ヒイラギ会の関係者だとしたら、『おれたち』がヒイラギ会と対立してるのも知ってておかしくない」
『おびき出されてる』
「はい。それに……丹治さんが試合に出られなくなった理由、偶然だって話したじゃないですか。本当なら、莉梨さんを助けに行く人の中には『瑠真さんや高瀬もいておかしくなかった』」
『……』
 考え込むように宝木は黙った。
「あいつらがパフォーマンス目的でカメラ持ってるとして、映ったら一番まずいのはあいつらですよね。宝木さんの言うとおり、あいつらっておれと同じでただの学生だから。今までの事件も流されちゃってるんだったら、合わせて何て言われるかわからない」
『……とりあえず、来てないから良かったじゃないか』
「まあね だけど、たとえばこの誘拐犯がアメリカチームと連携取ってるとしたら」
 宝木が息を止める気配があった。
『アメリカを勝たせるために、日本を邪魔してるって』
「ちょっと違う。あいつらが莉梨さんを助けに向かったらそれを暴いて、不祥事にする。万一向かわなかったら会場で、協会の不祥事取りざたして暴く。そういう二段構えだとしたら」
『……君は、アメリカ代表チームが誘拐犯とグルだとか、そういう話をしてる?』
 翔成は少し黙った。
「そこまでは保留です。でも、どっちに転んでも損な状況に変わりはない」
 電話機を持つ手に力を込める。
「ともかく、『あいつら』が狙われてる可能性は全然ある。そうしたら、今どっちかっていうと奴らの本命は試合会場にある! やっぱりこのまま試合を続けさせるのは良くない。試合中はおれじゃ通信を取れません……誰かそれを教えて。運営に今の異常さを伝えて止めさせて」 
『できるかはわからない。この分じゃ大会ごとアメリカのグルだ。だけどオレが戻る。どこに何を言えばいいかくらいはわかってる』
 頼りになる高校生は決然と言った。翔成はまだ胸のざわめきを消すことができない。
「それに。おれの役目が、みんなの見落としてることを拾い上げる役目だとしたら……。これで終わりだと思えないのが怖い。試合が続いてること自体怖いよ。暴くだけじゃなくて、その先の目的があったら? そこにヒイラギ会が噛んでたら尚更だ」
 宝木に断って電話を切り、翔成はすぐに電話を児子にかけなおした。連続使用で熱くなった筐体が悲鳴のようにコール音を鳴らす。
『翔成くん?』
 児子が出た気配がある。翔成は息を急ききる。
「会場、会場が不安なんです! 今ってホムラグループも高瀬式も、パークから離れてる状態になってますよね? 誰かが仕掛けるなら手薄すぎる!」
『待って、順番に話して』
 児子は決して翔成に対して友好的な青年ではないが、この時ばかりは親切だった。翔成が混乱しているのを見て取るや、冷静な聞き手になって翔成の懸念を解きほぐしにかかる。
 翔成がひとしきり、会場で戦う二人の先輩への心配を吐き出したとき、児子は肯定した。
『間違っちゃいないと思うよ。手薄なのは困る。こちらの規模ももう概ね分かったところだしね。高瀬式の犬たちとうちの役に立てない警備要員は戻させよう。君の懸念がアタリでもハズレでも、どいつにとっても都合のいい偏りができるのは困る』
 ありがとうございます、と翔成は乱れた呼吸で感謝する。電話越しに児子が指示を飛ばしている声が聞こえる。さすがは莉梨のお目付け役だけあって、こうしたときの指揮系統ではかなり上に来るらしい。
 ──その声が、面白そうに「ちなみに」と言った。
『今から莉梨の救出なんだ』
「え」
 翔成は一瞬、自分がどこにいるべきなのか逡巡する。ホムラグループ警備隊や高瀬式、それに宝木がパークに戻ったのであれば、非力な翔成がいる理由はないのだろうか。
 見ろと言われた理由が気になった。目下の主である莉梨のこと。
『偵察ウサギを行かせたんだ。交代で出入りしてる敵グループの一人が捨てたタバコを使って、「感染」、連中にウサギのぬいぐるみが味方だと誤認させた。手紙を持たせて、嘘の二枚目の脅迫状を用意して、彼女にまた生存確認を仕込ませようという架空の任務を持たせてね』
 児子はすらすらと自身の妖術のからくりを語る。彼の妖術にいい思い出を持たない翔成は少々背筋を震わせる。
『脅迫状カッコ嘘が帰ってきて、無事に莉梨とコミュニケートできたよ。今から彼女が脱出するから、銃持ちの連中の攪乱、手伝ってくれ』
「おれが……」
『今日は戦力足りたらそうするって言っただろ。これもレッスンだよ。──ああそうだ』
 青年は愉しげに言った。
『俺、君の心配、結構当たると思ってるんだけど。探偵としてはヘタクソだと思うんだよなあ。論理性ないもの。
 多分ね、俺たちのお嬢様なら全部わかってるから、まあ脱出させられたら訊いてみようよ』
次>>
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lostsidech · 3 months
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 同時刻、某所。
 真っ白な閉鎖空間の中に少女はいる。部屋は静かで、窓の一つもない。暖房の音だけが駆動する無機質な屋内に、並べられたテーブルと折りたたみ椅子がある。
 咳払いをして、毅然とした声を作った。
「貴方たちは私を貶める気もないのに、何故わざわざ攫ったのです」
 精いっぱいの不満を示すために、出された紅茶の一杯にも手を付けることはない。テーブルの上にはティーカップと、缶入りのクッキーすら並んでいるのだ。
『あんたのやり方はわかってる、お嬢ちゃん』
 対する男の声は冷静だった。いや、正確には、元は男の声なのだろうとわかる加工された音声だ。
『こちらの素性は掴ませないようにしてるし、あんたの声も全て加工された形でこちらに届く。サーモグラフィやセンサーで部屋にいることを確認しているだけで、姿だって見えやしない。悪いな、無礼な歓待で。そのティーセットはせめてものもてなしさ』
「……食べませんよ。私が飢えたほうが貴方たちは困る」
『賢いな』
 男は笑う。正確には声がそのように響いた。
『そうだ、貶める気はない。だからあんたに意図的に弱られると困る。だが、舌を噛み切るまでのことはしないだろう』
 莉梨はその言葉を反芻した。失敗を認めつつ、こちらの分析もできている。用意周到でありながら臨機応変、最も厄介な相手だ。
「さあ、どうだか」
『お嬢ちゃんのような強かな女性は、まだまだ希望を捨てないよ。手紙だってそうだろう』
 莉梨は肩をすくめる。それもばれていたか。
 誘拐から目覚めて顔を上げたとき、大会向けの脅迫状が目の前に置いてあって、君も何かメッセージを書くといいと言われた。表向きは拒んだが、折り目の位置にこっそりメッセージを仕込んでおいたのだ。文字はタイポグラフィ打ちでも、人間が何か作業を行う限り、そこに帆村莉梨の噛み痕はつけられる。ホムラグループ構成員にだけ伝わる暗号だった。少なくとも相手はそのやり方を知っている。
 人に見張られていないことでかえって逃げづらいとは皮肉な話だ。扉の前に見張りの一人でもいたら篭絡できるのに。
「ここはどこですか。今は何時」
 捕虜の権利とばかりに主張するが、相手の声はさすがに直接的には答えない。
『助けが来ればわかるだろうさ』
「あら、莉梨が助けを待つと言ったから合わせてくれたのですか 皮肉」
 相手は答えない。だが現状でも考察は十分にできる。
 大会中に帆村莉梨を攫う理由のある人間は、普通に考えればホムラグループに恨みがあるか、パネルディスカッションを邪魔したい人間だ。
 帆村莉梨は人の心のエキスパートだ。
「……莉梨のナイトは怖いですよ」
 莉梨は笑う。相手が答えようが答えまいがどちらでもいい。これは、己の心への洗脳でもある。
 所変わって、フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク、パネルディスカッション会場。
 日沖翔成は電話越しに、個人的な先輩たちのさらに先輩にあたる高校生に向かって話していた。彼から状況問い合わせが掛かってきたので、全て話すことにしたのだ。自身の主にして友達││帆村莉梨の優秀さについて。
「莉梨さんを『捕らえることができる』人間は多くない。莉梨さんの力を知って対策できる人か、そうでなければよほど自我が強いかしか思いつきません」
『自我が強いのでもいいのか』
「特殊な意味でですけどね。莉梨さんの世界解釈に影響されないというのは、彼女があの世界観をものにしている以上の、何倍もの強固な世界解釈を持っていて、それが異能にも直結している人間じゃないと起こりえません。ホムラグループで研究されるレベルです」
『とりあえず候補からは外していいんだな。「対策できる」相手の方が現実性は高そうだ』
 隼二はふむ、と考える吐息を響かせる。
 翔成がいるのはステージ裏だった。表のステージでは、まさに彼の相方である丹治深弦が話しているところだ。
 ディスカッションの今日のテーマは「世界解釈の歴史的正統性」。本来ホムラグループ史が語られるはずのステージだったが、少々協会寄りの内容になっている。
『深弦の怪我の方は怪しいところはないのか』
「ええ。話を聞く限り完全に偶然です。というか、誘拐より後でした。阻止されないようにするなら先にしますよね」
 翔成は頷く。
「むしろ、丹治さんは試合に出てたほうが、普通に考えてパネルディスカッションの邪魔にはいいでしょう」
『理由がない、ってことだな。深弦は怪我したことでこちらにとどまったから、急遽代役になっただけ。偶然の要素が多すぎて、深弦自身を狙ったものじゃない』
「ですね。機材が倒れてちょっとした打撲になったって聞きました」
 聞くところの関係によると心底心配でもおかしくないのだろう電話の向こうの声は、あくまで必要なことの聴取に留まっており、冷静だ。だから最上位ペアなのだろう、と翔成は思う。
 もちろん莉梨のことは友人として心配していた。しかし、友人として心配するの��あれば、同時に気になることがある。
「宝木さん、そっちはどうですか」
 宝木は電話の向こうで少しだけ黙った。
『実況の通りだ。ちょっと様子がおかしい』
 パネルディスカッションと同時に行われているトーナメント会場では、翔成の先輩たちが戦っている。
 そして多国語同時放送の実況音声は、試合の停止と再開を告げていた。 ××× 
「『ヒイラギ会さん』」
 理不尽な言葉が望夢を縫い止めていた。
 高瀬望夢は実際に八式にない技術を使っている。それは事実だ。だが、それはヒイラギ会の技術ではない。ではないのに││それを大きな声で言うことはできない。
 秘匿の時代はヒイラギ会の出現で完全に終わったとはいえ、まだまだ残存秘匿派はいて、高瀬家の命を狙う者も少なくないからだ。全世界に向けて自身の所属を公言することにより、恨みを買う可能性は十分にある。
 そして今や、それは瑠真も同じだ。彼女の異能はいつしか八式の域を超えている。時間や事実を遡って傷を消去するもの。それをジャンプして身に受けるデメリット。社会性の高い異能を標榜してきた協会にはありえない話だ。
 この大会では瑠真はそれを使っていない。だから彼らはそれを知らないはずだ──いや、どこかで掴んでいるのかもしれない。これを仕掛けてきたのだから。
『なんと』
 急に日本語の実況音声が耳に入ってきた。再生機器で音を拾ったアンドリューが気を利かせているのだ。
『ええと、どういうことでしょう SEEP出場者にヒイラギ会の伏兵が──』
『今、同時ニュースでお伝えします。パネルディスカッション会場でも同様の混乱が起こっています。アメリカ代表より、日本SEEPには以前から協会式以外の動きがあった旨の発表がありました。あっ、これは、東京都のヘリポートの映像です。ホムラグループ令嬢が行方不明のこともあり、混乱は収まりません』
 最悪だ。
 過去の協会が揉み消してきた、ありとあらゆる事件が悪い方に働いている。
 協会自体への同情はない。自業自得だからだ。でもそこに自分や瑠真が巻き込まれるのは困る。自分にとっては秘匿派からの恨みがまた一段強まるだけ。でも今まで表舞台に立っていない瑠真にとって、ここでの風評は一生の障りになる。
 大会には当然のこと、官公庁も関与している。その段階で警戒すべきだった。ヒイラギ会はもとより官公庁から流された支援金を元手に活動しており、当然官民ともに諜報は進んでいるはずだ。
 最悪のシナリオが思い浮かんでいた。
 アメリカ側は、ヒイラギ会と協会の繋がりを知っていた。そのうえで自分たちは違う、世界の味方だとトカゲの尻尾を切り離すため、日本SEEPを生贄に差し出したのだ。
『この大会は中止にならないのでしょうか』
 余計な実況音声が響いている。
『中止にはならない──というのが現在の委員会の判断です。「全ての解釈の競い合いを行う」という趣旨のもと、問題はないといえます』
 何が趣旨のもと、だ。想定シナリオ通りだとしたら、趣旨はまさに最初からこれだった。
「さあ、今さら取り繕ってないで」
 シオンの悪趣味な声がする。
「早く戦おうよ」
 彼らの在り方は、そう。全てのピースが嵌っていく。
 試合で正々堂々と『ヒイラギ会』を潰し、正義のヒーローになる少年少女。
×××
 シロガネはそのやり取りを聞きながら、コントロールルームで機械を弄っていた。
 隣で喋らない少女のヒマワリがシロガネの手元を覗き込���でいる。存在感は邪魔だが触りたがるやんちゃな子供ではないのは知っているので、とりあえずそこにいるのは許しておく。
 彼らヒイラギ会も会場にいた。
 ただし間違っても出場側ではない。興味本位でどやどやと見学に来たというのが正しい。
 全員で来るわけにはいかないので、小間使いのは日本に待機させていた。彼女の役回りはそうなので特に引け目もない。シロガネはカノに惚れ込んでついてきたというあの高校生の少女を全く信用していなかった。高校生はもう大人だよ。
 とはいえ、ヒイラギ会が在り方として大人の力を全く借りないわけでもない。
 現に電脳幽霊のはこの世に生まれてからの年だけで言えばお爺ちゃんもいいところのはずだ。彼は訳知り顔で、眼下の試合で起こっていることをカノに解説していた。
「そうなの 日本……春ちゃんはそれを、正々堂々の大会と勘違いしてたってこと」
『そうだろうね。やー春ちゃんの顔見たいなあ。テレビっ子だからきっと今も張り付いて見てて愕然としてるよ。まあ、最初から協会贔屓の、正々堂々かはハテナつきの大会だったけど』
 誉は楽しそうに言う。
『アメリカの協会も日本の協会も、この大会でヒイラギ会よりも協会が勝っていることを証明したかった。それは嘘じゃない』
 誉は上機嫌だ。彼にしてみれば何もかも面白くて仕方がないのだろう。ヒイラギ会を意識したお題目も、騙された日本の協会も、出場している子孫も。目の前にもある小さなスクリーンで見える大会の趨勢は、シロガネにとってみればさして面白くもない。
『そして彼らは、日本の協会が俺たちと繋がりを持っていることを、いくらか掴んでいたのかな。まあ、知っての通り、日本のSEEPと俺、あるいはカノやシロ、きみ自身のつながりは、どちからといえば因縁に近いものなのだけど』
 カノも興味津々の顔で頷いて聞いている。
『本当は、俺たちが手駒を潜り込ませていれば、アメリカはそれを使いたかっただろうね。だけど俺たちは別にあんな大会自体に興味がないからむしろ関係者を遠ざけた』
「争って勝利しようっていうのはホーリィ・チャイルドの基本方針にもとるしね」
『そうとも、カノ。生贄を見つけられなかった彼らは続いて、日本の協会に目を付けた。元々アメリカSEEPに設立の面では強い縁がありながら、クローズドで独立した系を作っていた目の上のたんこぶだ』
「え じゃあ、わたしたちのことはどうでもよくなって、協会に標的を変えちゃったの」
『いや、これも俺たちを意識した正義感だと思うよ。あるいは冷徹な判断』
 誉はにこりと訂正する。
『彼らからしてみれば、俺たちは本当に、協会が作ってきた安全な世界をひっくり返す邪魔者なのさ。俺たちを叩き返すためなら、自分たち協会の国際関係に傷がついても構わない』
「おとなの考えることってわからないわ」
 カノは桃色の唇をすぼめる。彼女は無垢そのものの象徴だ。協会秩序を安全と呼ぶのも、敵と味方を天秤にかけて敵を選ぶのも、シロガネがそうである以上に理解できないだろう。
『可哀想に。日本の協会は潰れるだろうね』
 誉は平然とそう言った。
『今、全世界放送で、日本の協会とヒイラギ会の繋がりがどんどん噂されてる。そして、そう、人間は勝者に弱い。ここでアメリカがカッコよく「ヒイラギ会関係者の日本」に勝てば、全世界の人たちにアメリカの協会が最も正しいように見える』
「ひどーい」
『そうだね、酷いし、俺たちとしてもちょっと困る。だから邪魔を入れておいたんだけど、試合中止どころか、むしろ日本的には図星の方に出ちゃったね』
 シロガネは顔をあげた。必要な機械のセッティングが一通り終わったのだ。
 カノは言われて思い至った顔をしている。
「あ、そっか。深弦ちゃんを試合に出さなければ試合止まるかと思ったけど、だめだったね。アメリカの協会に勝たせたら、わたしたちヒイラギ会も負けたってことになっちゃう」
『別にいいんだけどね。ここで負けたら逆に俺たちに同情票が集まって、ゆっくり巻き返すって方法もある』
 誉の言葉に、カノは唇をとがらせる。
「よくないよ。負けるの嫌いだもん」
 素直であまりにも単純。それゆえにシロガネたち子供にとっては、全身で魔力を放つ少女。
 誉は電子の体で指を立てた。
『準備、できてるでしょう シロガネ』
「あいあいさー」
 シロガネは返事をする。ヒイラギ会の力で天才になったシロガネに、怖いものは何もない。
×××
 翔成にそのあと継続的に試合の様子を気にする余裕はなかった。宝木との電話をイヤホンにつないだまま、日沖翔成は必死で指示された場所へと走っていた。ニューヨークに滞在しているホムラグループメンバー各員に、『莉梨を捕らえることができる人間がいる場所』の候補が配信され、足で潰すことになっているのだ。
 ニューヨーク中の元秘匿派コミュニティが暴かれ、ピンをつけて地図化されていた。莉梨を誘拐したのはその誰かだというのだ。彼女はやはり開放派の旗頭と見られがちだ。秘匿派異能者は高頻度で彼女の身柄を狙っているし、解釈によっては莉梨の力の打ち消しが可能な者もいる。ホムラグループとしてもアメリカに乗り込む以上、安穏と莉梨の自己防衛能力に任せていたわけはなく情報収集は行っていた。
『今どこだ』
 イヤホン越しの音声が訊いた。宝木の声だ。
「会場からそれなりに近い、廃バーです。ここは音沙汰ないですね。僕、可能性低いとこから回らされてるんで、当然ですけど。このあたり治安いいので」
『でも危ないだろ。誰かと合流できるまで待ってもいいんじゃないか』
 どちらかといえば異能解放の常識の中に生きている、一般人の高校生らしい言葉だ。
「でも、できることをやらないのも落ち着かないんです」
 翔成は彼と違って、とっくに自分の居場所を半分解釈異能界に置いている。春先の父親の事件、夏の帆村莉梨の一件、ヒイラギ会の情報収集。その全てを未熟なりに自分ができることがあると思いながら実地で体験してきた。
 一方の宝木は、翔成の想いを知ってか知らずか、
『じゃあオレと仮説の整理をしよう』
と言った。
 翔成は足を止める。信号に行き先を阻まれたのだ。
「何か思いついてるんですか」
『効率の話をしているんだ。君は実地担当としては経験が浅い。だけどオレより莉梨さんやホムラグループに詳しいだろ。オレが聞けば、オレが持ってる情報と合わせて、何かわかるかもしれない』
「ああ、なるほど、走り回るより情報整理のほうが役に立てるんじゃないかって……」
 翔成は苦い顔をする。それは翔成の能力から考えても自然なことだ。身体能力も知覚も優れていない。異能は薬剤補助を使いながら人に軽くメッセージを送る程度のもの。強いて強みである部分が莉梨との直接的なつながりから得てきた情報である。
「でも、さっきの話以上に今言えることは──」
『別の角度から考えよう。彼女を拘束できるのは本当に秘匿派異能者だけか』
「え」
 翔成は逡巡した。
「ええと、ヒイラギ会そのものはできます。正直、おれはそっちを疑ってます。先輩たちを試合に出させる狙いだったとしてもそれなら筋が通るし」
『だけど少なくともあの目立ちたがり屋たち、声明なんかは出してないよな。今までの堂々としたやり方と少し違う気もする』
 それは確かにそうだ。ヒイラギ会が前に莉梨を狙ったのは確か自分たちの存在の世界公開前の試験のような目的で、今また手を出す理由は思いつかない。脅迫状ももっと露骨に書くような気がする。
『それから 協会式解釈じゃ本当に莉梨さんには勝てないのか または一般人は』
「そんな、協会式……の人がホムラグループに手出す理由ってありますかね よっぽどの使い手ならともかく……」
『事情は人それぞれだろ。別に協会としてホムラグループに手出すってだけが動機じゃない。君に言うのは気が引けるけど、製薬会社として恨みがあるとか』
「こんな時に まあ、確かに無くはないですね……。少なくとも莉梨さんは協会式に対して相性優位です。やったとしたら相当な使い手でしょう」
『一般人は』
「一般人って、ちょっと前までのおれみたいなの言ってます 無理ですよ、莉梨さん、見ただけで相手を洗脳するのに」
 信号が再び青に変わった。翔成は話しながら踏み出そうとする。
 そこで、
『そうか ヒイラギ会の支援者ならたとえばどうだ』
 そんなことを言われて、思わず少しまた足を止めた。
「ヒイラギ会シンパで、大会のこと侮辱みたいに感じて……てことですか」
『動機はまあ置いといて。少なくとも莉梨さんの能力に詳しかったり、対策法持ってたりする可能性はなくはないだろ オレは正直、そっちの秘匿派云々を知らないから、最初にそっち思いついたけど』
 宝木は電話の向こうで、そう意見を述べる。
『単純か』
「いえ……、ええ、元々おれたち『トーナメント戦補欠』の意義も、ヒイラギ会に通じてる人が動くのを待つ、みたいな話らしいです……」
 翔成は唇を舐める。聞く限りトーナメント側は今、それどころではない状況ではある。
「動機の話すると……、一般人がやってる方が、可能性ある」
『どっちが可能性高いかは置いておこう。秘匿派云々の方が正しい可能性もある。でも、少なくともホムラグループの盲点だろ 現状、そっちの調査に力が割かれてない』
 翔成はその言葉に、薄々ホムラグループはそうだろうな、と思ってしまい、自分で少し自分の思考の冷徹さに辟易した。ホムラグループはもともと高瀬式を筆頭に既存秘匿派をライバル視しているふしがある。
『君の目的は彼女を助けることだろ だったら可能性が低い場所を一人で巡るより、グループが見てない場所を考えたほうがいいんじゃないかと思った。誰がやったにせよ、莉梨さんを攫ったらどこに、どんな仕掛けつきで潜伏すると思う 秘匿派の場合は君の会社の人たちが今調べてる。他は』
 翔成はすでに、グループから指示された場所へ向かうことを諦めていた。
 宝木の言うとおりだ。場数を踏んだ先輩の意見に納得している部分もある。それに、少しどきどきしていた。おれはグループ全体とは違う形で役に立てるかもしれない。トーナメント補欠に誘われたときの高瀬望夢の言葉を思い出す。『個人として解釈異能に関わってきた「俺たち」だからこそ、できることをしたい』。
 記憶をたどる。夏のヘリポートを思い出す。
「……前に使われた、思念を打ち消す機械を使われたのならどうしようもないです。どこにでも行ける」
 ヒイラギ会は、莉梨をほぼ無力化する装置を持っていた。確かクォリアフィルタというやつ。無力化されたのなら潜伏場所や確保方法は何でも問題ない。
「でも、あれは確かヒイラギ会の子が一人で作ってる試作品で、そんなに簡単にシンパの手にまで入るとは思えない。それに莉梨さんも自分で気づくでしょう。前に使われた機械だって。だから対策できる、とまでは断言しませんけど、莉梨さんも自分で色々調べてた」
『そうか、莉梨さん、手紙でメッセージ送ってくれたんだよな。そこまで分かってたら多分残してくれるよな。「前の機械だ」とか、「ヒイラギ会だ」とか』
「はい、メッセージは『騙されないで。私はだいじょうぶ』だった。これは、莉梨さんが完封される相手についてぎりぎりで残したメッセージだったら、さすがに書かないはず。『騙されないで』というのも、『秘匿派やヒイラギ会のようなわかりやすい相手じゃない』って意味に聞こえる。……そこまで洗脳して書かされてる、とかだったら予測は外れますけど、莉梨さんの繊細な能力��使い方まで、洗脳で操作できるとは思えない……」
 正確には、思いたくない。ヘリポート戦では、莉梨は暴走こそさせられたものの、言動単位までヒイラギ会の傀儡になっていたわけではなかったはずだ。
「ああいう装置を使わずに莉梨さんを誘拐するなら──」
 翔成は目を閉じる。騙されないで。惑わされないで。彼女を助けることだけを考えろ。たとえば自分自身が無能力だった時期に帆村莉梨を誘拐したいと思ったら、どこを使う
「彼女を、見なくても聞かなくても、捕まえられるところ」
『……とは』
 宝木が電話口で神妙に反応した。
「莉梨さん、少なくとも脅迫状の時点では意識がある。意識のある彼女を『見て』いるなら、彼女は無条件に身を守る力があるんです。誰も抵抗できないと思う。声も同じ。自分の声が届くとわかる範囲なら、莉梨さんに敵はいない。いつ意識が戻るかわからない人質を監視するなら、多分カメラ越しとか、音声加工越しとかにしか、できない。この情報はヒイラギ会シンパなら得られるものです」
『……それは、いい視点だと思う』
 宝木の声が少し勢いづいた。
『彼女に脅迫状を見られながら、誘拐犯自身は目に見えないし、彼女の声も聞こえない場所にいたってことだよな』
「はい。必要なのは画面がはっきり見えないカメラ、それから音声加工系の設備。個人でも手に入りますけど……おれが莉梨さんの能力を知ったうえで試すなら、絶対施設単位のでかい場所使います。怖いですもん。大会に脅迫状差し込んでくるような自信のある犯人が、しょぼくれた設備でやるとは思えない」
『カメラは画質の悪いのでも用意して、奥の部屋につけておけばどんな場所でも使える。だけど音は結構難しいぜ。完全に音をシャットアウトできる場所って、防音室でもないと厳しい』
 二人、早口で考察を重ねる。
「カメラの画質が悪い分、監視側としては、彼女が逃げ出したらすぐに気づける距離にいないと困りますよね」
『それでいて音が届かない場所。もともと音響設備を前提にした施設がいいかもしれない』
 少しだけ翔成の心は高揚していた。まるで事件から離れて謎を解く安楽椅子探偵と助手みたいだから。
『防音設備のある場所、片っ端から調べさせたらどうだ』
「どこだと思います? やっぱ」
 ロックミュージックモチーフを着ている少年は電話越しに、声に笑みを含ませた。
『ライブハウス、コンサートホール』
 ──アメリカには、たくさんあるだろう。 次>>
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lostsidech · 3 months
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4-1
 この試合専用のインカムと照準器具を積んだヘルメットは、頭に載せるとずっしりと重く圧し掛かった。だが、この空間を埋める視線の圧が少しでも気にならなくなるのだと思えばそのほうがよほど軽かった。
 独特の緊張感が身を包む。それを感じながら、ちらと横を盗み見る。
 隣でペアが飛び跳ねている。身体を温めているのだ。
 その服装が新しいものに替わっている。……少し寸法のあっていないパーティウェア。
「変だよね、これ」
 瑠真はこちらの視線に気づくと、あっけらかんとそう言って裾を持ち上げた。左右非対称なカットになった青いドレスだ。
「いや……」
 望夢は口ごもった。ひらひらとした裾は多少邪魔そうだったが、中履きのパンツや足さばきのためのスリットは、明らかに動くために作られていて、この世界に開かれた大会という場にあってはおかしいというものではなかった。
 それもそのはず、元は丹治深弦が後半の試合で着るために仕立ててあったものだからだ。
(「どうでもいいけど、試合出るならその超カジュアル服やめなよ」)
 指摘されたのは先輩である宝木に、二人まとめてのことだ。
(「俺と深弦の晴れ着あるよ。昨日はまだ試合数多かったから簡単なスポーツウェアでよかったけどさ。今日って多分うちに観衆集まるから……って、高瀬くんすごい嫌そうな顔しないの」)
(「じゃあ、私一人でいいよ」)
 瑠真はあっさりと承諾した。
(「どうせ女のほうが撮りたいでしょ。そいつは絵にならんし」)
 以前の瑠真なら嫌がって当然だった。協会の広告塔になるという任務は、優等生ペアのものでこそあれ、瑠真の性格にはまずそぐわないものだ。
 彼女はやはり変化している。そのことに感慨深いような悔しいような、複雑な感情が少しだけあった。
「お前のじゃないわりには、まあまあ似合ってる」
「あっそ。ありがと」
 瑠真は細かくはこだわらない。パーティドレスに不釣り合いなiPodを手に持っていて、試合開始を待つ間またそれを聴いていた。
 望夢も備えようと、気を取り直して見渡した。初期状態の会場は観客席に囲まれたのようになっている。、ただしカードの設置されているポイントまで直行できないよう、高さ数メートルの同心円状の壁が視界を塞いでいた。
 ただしこれは初期状態の会場だ。
 ここに地形カードが切られるごとに、景色は変化する。
「どうする」
 調子のいいを切りはしたものの、その後は手続きとパネルディスカッション会場との連絡で精一杯で、こちらの作戦会議どころではなかった。向こうにはホムラグループの他の面々も到着し、莉梨のメッセージの確証は得られたようだ。
「どうもこうも」
 瑠真はシンプルな口調だ。
「勝つんでしょ 点取って相手撃てばいいんじゃない」
 試合の開始ベルが鳴った。
 ペアがスタートダッシュを決めた。
 両者ともがしたままゲームが終了しても引き分けにならないように、フィールドの各所にはランダムにバーチャルエネミーが発生する。影のような人型で同じく頭の部分をレーザーで打ち抜くと得点になる。そんなわけで、エネミー狩りの視点でもスタート地点にじっとしてはいられないというのは望夢も同意するところだし、まして彼女のスタイルからすれば当然のことなのだった。
 ただし相手チーム構成員の撃破ポイントのほうが圧倒的に大きく、エネミーを数十掃討したところで相方が撃破されれば逆転される可能性もある。防御という観念が頭からすっぽ抜けているペアを好き勝手に走らせておくわけにはいかないのだった。協調性のなさに内心呆れながら望夢はペアを追いかけた。
 そして、概ねの指針は向こうも同じだった。
 さすがにこちらより落ち着いている。
 会場高くに掲げられた得点板がバタリバタリと立て続けに更新された。アメリカ側のものだ。手近なエネミーを撃破して煽っているのだろう。早い。また、気分を盛り上げるためのものなのか他の意味もあるのか、アメリカチームのほうから小さく音が聞こえる。ここまで届くのであれば元は大音量だろう。ラウドロックだ。アンドリューの選曲か。
 私物の持ち込みは一回戦のモニカがそうであったようにある程度許されている。あらゆる解釈を許容する建前上、それが直接的な武器でない限り能力のサポートアイテムなどを拒否できないのだ。
 アンドリューは音楽家。新野に言われていたことをふと思う。協会式であれば、使い方は自己バフか、音圧による物理攻撃がいいところか。
 瑠真はすでに最初の壁の手前まで走り、増強をかけた脚に力を溜めていた。──さては壁の上に飛び乗って戦局を把握する気だ。瑠真と違って増強を使わない望夢はすぐに追いつくことはできず、確認手段を持たない。
 いや。
 立ち止まって目を閉じた。バーチャルの壁に手を触れ解析を走らせる。望夢の解析は自然科学を基準点にするから、それがただの映像である限りバーチャル空間そのものの探知はできない。
 しかしこの大会のバーチャル風景には、参加者の無意識レベルのペタルを取り込んだ光術の基本が仕込まれている。望夢のように基本的な能力ではペタルを発散しない者ならともかく、協会式の超常師の位置取りとやっていることは、概ねプロットできる。会場を織りなす糸の乱れを探知すればいいのだ。
「……来てるか」
 やがて目を開けた。
 銃を構えた先に泡がはじけるようにバーチャル人形が姿を現した。ノータイムでその額を撃ちぬいた──得点板に「Ghost 1」のパネルが回る。
 Japan Player: 0 Ghost: 1
 USA Player: 0 Ghost: 2
 こちらは本題ではない。
 同じ人形を狙って壁の向こうから飛び出した青年とばちりと目が合った。
 音楽はまだ遠くで鳴っている。攪乱のためにスタート地点で鳴らし続けるか、シオンに持たせでもしていたのだろう。青年は笑った。
「Good job, boy」
 望夢は構わずにその額に銃口を向ける。
 アンドリューは挑発するように笑顔を作った。そして手元にあったカードを切った。
 景色が切り替わる。一瞬で壁の迷路が崩れた。辺りは高低差のある崖の連なりのようなフィールドに変わる。
 アンドリューの背後にも大きな谷が生まれる。彼は軽やかにその中に飛び込んだ。照準を失った望夢は深追いせずに銃を下げる。不要になった金属製のカードはアンドリューの手を離れ宙を舞う。光を伴う景色の変遷にその縁がきらきらと光るのが見える。
 壁が無くなって開けた視界で、発生しかけていたエネミーがばちんと消えた。おそらくランダム発生の位置調整のため一旦生成がキャンセルされたのだろう。無慈悲なことに、撃たれてもいないそのエネミー背後にも、アンドリューの撃墜マークのランプが点き、全体で二体そういうものがいたらしくアメリカの「Ghost」得点版は「2」になった。。そういえばそういうルールだった。
 そこへ向けて銃を構えた状態で、足元を急に失った瑠真が踏み外してよろめいているのが見えた。高いところに立っていたのだから当然だ。
 そちらに素早く向かう金色の影││シオン。
 彼女もまたスタート地点を離れ、地形変化で視界が開けると同時に一気に距離を詰めていたのだ。
 おそらく瑠真は気づいていない。「るっ……」インカムで声を掛けようにも、鳴り響くラウドロックが邪魔をする。それ反則じゃないのかと望夢はちょっと怒る。
 瞬時に思考した。レーザーガンは光だから遠距離で邪魔するのには向いていない。
 時間稼ぎの大会といえど、足掻きもせずに負けてやる気はさらさらない。
 目の前に金色の縁がきらきらと光りながら落ちていった。
 それだ。
 宙を舞うカードを手に取って思い切り投げた。縦に投げるのには丁度いい重みだった。瑠真のヘルメットの後頭部にそれは当たって地に落ちた。痛て、と言うように瑠真がこちらを振り向く。その瞬間にシオンが飛び出し、瑠真に照準を向けていた。
 ポイントの入る赤い部分はヘルメットの前面だ。急に振り向いた動きのせいで瑠真を狙い損ねたシオンがちっと舌打ちした。望夢はその間に相方の頭越しにシオンに狙いを定めている。こちらを確認したシオンが小さく笑って近くの段差に飛び込む。ひとまずの狙撃は防げた。
 その動作でようやく瑠真も気が付いた。大きく距離を取ってこちらも物陰に飛び込む。
 望夢は走り寄ってペアに合流した。
「勝手に飛び出すな」
「事前に作戦会議なんて悠長なことしてる時間ないでしょ」
 瑠真はふんと笑った。好戦的ではあるがどうやら落ち着いている。この場慣れた落ち着きだけは高瀬式門下生に指導してもらった恩恵かもしれない。
「で、どうしよっか」と呑気に今頃瑠真が訊く。
「連中がどういう超常術を得意にしてるかも分かってない。シオンは多分お前と傾向似てる」
 望夢は早口に言った。崖の縁から眺めながら感知のために神経を研ぎ澄ましている。
「……キングのほうは多分絡め手だ。俺と近い。つまりお前とは相性が悪い。お互い似た属性を担当したほうがいいと思う」
「は、アンタがシオン苦手なんでしょ」ペアは生意気にもそう言った。「お得意の干渉使えないもん、あのやり方じゃ」
 その通りだった。協会式超常術は効果発現までの時間が短いせいでそもそも解析と相性が悪いが、肉体増強を中心とする瑠真やシオンが相手だとなおさら望夢にはどうしようもできない。こちらが相手に干渉できる時には、相手もよほどこちらが射程内だからだ。
 瑠真はふいに銃を構えて撃った。ランダム発生していた人型が遥か背後で弾けた。││落ち着いている。話しながら周囲を観察して得点源を狙っていたようだ。
「選手控室で聞いてたよ。シオンはアイドル的なパフォーマンスが得意なんでしょ。いつも癖で見栄え重視で戦うから隙を突くならそこ」
 その場馴れた動作に加えて、瑠真が分かったように言い出すので望夢は意表を突かれた。今回に限っては出場する気の無かった望夢よりまともに情報収集していたらしい。
「アンドリュー・キングだっけ あいつはカバーバンドマン」
「知ってるのか」
「ほら」
 ふいにギターの低音が耳に届いた。
 振り向けば、少し離れたところにアンドリューがいた。
 どうやらお互いに狙える位置取りではないが、体勢の視認はできる。レーザーガンを下ろしている代わりに小さなiPodを携えている。最初に鳴っていたのもこれだろう。
 にやりと青年が笑った。選手間通信用インカムに相手の声が入ってくる。
「Do you like Nirvana Are they known in Janan」
「ニルヴァーナって言った あいつ。バンド名」
 瑠真も対してiPodを握った。「お」持ち込んでたのか。控室で勉強していたと言ったのはたぶんこれだ。
「何だっけ、このイントロ。探してる暇ないけど、多分有名」
 歌詞までを聴き取るのは難しい。ただ、アンドリューの外面の印象によく似た陰気な声がiPodから低音質で響いている。
 何が来るか││と思った瞬間、ガクンと体が重くなった。
「││」
 陰気な声が同じフレーズを繰り返している。呼びかけに聞こえる。ハロー、ハロー、ハロー……。
 フレーズがわんわんと頭の中に響き、視界が曇る。まるで音に下に向けて引きずられているようだった。
 それから一気に曲調が変化した。
「わ」
 体の重さも変わった。腹から突き上げられるような感じだった。曇っていた視界が一気に別のものに染め上げられた。小さなiPodから出ているはずの音が、いつしか会場全体を支配しているのだ。
 キング。この小さなステージの王。
 考える余裕もなかった。アンドリューを中心に「それ」は生じていた。アンドリュー自身も心地良さそうに音に合わせて床に足をタップしている。その──心象が投影されているのだ。
 生じる効果は単純。否応なく音楽に引きずり込まれるのだ。ありていに表現しよう。『乗ってしまう』。実際に周囲の景色や条件が変わったわけではない。なのに音楽に気分が乗せられざるを得ない。
 これは協会式にとっては致命的だろう。こちらの超常想像図を描くことができない。
 隣を見る。案の定だった。瑠真は魅せられたように動きを止めている。
「瑠真ごめん、貸して」
 iPodをひったくる。自分のためではない。望夢はこと協会式に関しては解析さえ終わればいつでも打ち消せる。
 瑠真のiPodには瑠真が普段聴くのだろう日本人のアーティストがずらっと並んでいる。
 その中から当て推量で曲を選んだ。タイトルから予測して今流れているのとは違うだろう曲調。ドンピシャ。場違いな女性ボーカルのポップスが、アンドリューのアメリカンロックに重ねて流れた。
「はっ」
 瑠真が隣で意識を取り戻す。それを横目にインカムの集音部にもiPodを近づけた。
 やったことは単純だ。違う音を流してステージを台無しにしただけ。それぞれのファンが会場にいれば今頃大ブーイングだろう。
 アンドリューがこちらへ向かう足を止めた。
 こちらへ向かう足を止めた││これまでこちらに近づいていたのだ。堂々たるもので、障害物に隠れもせず真っ直ぐにこちらへ向かっていた。ひやりと背筋が��える。もうすぐ射程内だった。認識はしていた。しかし、完全にその世界観に横槍を入れるまでの数十秒、望夢もそれすら音楽の一部のパフォーマンスとして受け入れてしまっていたのだ。
「Dirty」
 青年が顔をしかめて呟いた。そして身をひるがえして近くの壁に引っ込む。
「No way」
 詰られている、ということだけは理解できる。彼の耳元にもインカム越しに瑠真のiPodからの歌は届いただろう。
 このとき、急に会場アナウンスが入って試合が小休憩になった。見るとアンドリューが審判席に向かって手を振っている。何やら選手側からのタイムのようなものを取ったらしい。邪魔されたのがよほど腹立ったか。選手側からのタイムが取れるのを望夢は今知ったがきっとどこかでは説明があったのだろう。初日から出場しているアンドリューたちにはわかっていることだったのだ。
 横から手が伸びてきて瑠真にiPodをひったくられた。
「最悪」
「どうも、なんとでも言ってくれ」
 言われたままに受け入れる覚悟で肩をすくめる。瑠真はレーザーガンを持ち直しつつ、iPodを回収した手を振り回して暴れている。
「他人の音楽の趣味無理やり見るのって覗きみたいなものよ、わかってる」
 まず怒られたのはそこだった。望夢自身はプライベートの観念を捨てているので感覚は違うが、そういう人間がいるのを知ってはいる。わかってやったのだから怒られて当然だろう。瑠真は元々プライベートスペースが広い。ただ、
「うんまあ、一般的には……でも今の状況だとしょうがなかっただろ」
 言った瞬間、試合中だというのに横から物理的に足を踏まれた。
「いって」
「アンタのそういう判断は信用してる」
 踏んだうえで何故か認められた。
「だから不問にしてあげる。この試合世界放送なんだからね。そこでよっちの歌勝手にミックスジュースみたいにしたのも今は不問。ただ後でちゃんと聴きなさいよ」
 謝りなさいよ、ではなく、聴きなさいよ、だった。
「お前結構音楽好きなんだな……」
「そう 普通だと思うけど……あ 思い出した、スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」
 踏んだ足を放すなり、瑠真が話題を変えて元気に言う。
 指を立てている動作からするに、アンドリューが流しているこの曲のことなのだろう。最初にも知っている曲だと言っていた。
「どういう曲なの」
「童貞っぽい曲」
 今度はこっちが勢いで頭を叩く番だった。
「お前もこれ世界に放送されてるつもりで喋れよ」
「いったい。いや、そういう曲なんだってばホントに」
 瑠真はくちびるをとがらせ、
「ニルヴァーナってバンドのボーカルが彼女に振られたときの悪口かなんか��よ、曲の由来」
「有名なのか」
「さあ、洋楽だと普通に有名なんじゃない 私は知らないから深弦ちゃんと隼二くんに聞いた」
 さっきも思ったが、年上の優等生ペアに対して瑠真は完全に名前呼びだ。
「アンドリューの好きな曲傾向って調べればわかる。世界大会で出してきそうなのっていうと、会場ウケ的にももっと絞られてくる。だからヤマ張ってたんだよ。ぶっちゃけ、曲がわかったところで対戦相手的にあんまりやることは変わんないけど」
「そうなのか」
 望夢は目をしばたく。歌で戦う、というと思い浮かぶのはやはり帆村莉梨だったのだ。莉梨は歌の内容と紐づけた異能を使うから、曲を識別できるに越したことはない。アンドリューは変わらないのか。
「うん。アイツがやるのはただ好きな曲を流すだけ。こっちは勝手にるけど、撹乱され方にそんなに違いはない││」
 瑠真が身振り手振りを交えてそう言ったとき、
「││そうだね。アンディはただみんなに好きな曲を聴いてほしいんだ」
 ふいに違う少女の声が割り込んだ。
 反射的にそちらに顔を向ける。そこには金髪カチューシャの少女がいた。シオン。
「おい、今試合止まってるだろ」
 望夢が思わず身構えて声をあげると、シオンは「当たり前じゃん」と目を丸くした。
「だから話せるかなって思って来たんだよ。アンディのこと詳しいみたいだね」
「この子日本語話せるの 知り合い」
 瑠真は怪訝な顔をした。ペアはシオンとはまだ話していなかったらしい。
 望夢は内心、なぜシオンは自分にばかりと思いながら瑠真に向かって頷いて、それからまたシオンに向き直る。
「自分のチームの解説してくれるとは親切だな」
相手はつんと顎をあげた。
「あたりまえのこと言うけど、解説したとこで負けないからね。それにワタシたちは世界で有名だよ。きみたちが知らないのはただ不勉強なだけで、そのまま倒したって試合的につまらないし」
「……」
 それは言えている。何度も繰り返すがこの試合は世界放送だ。
「アンディもそんな態度で聴かれたってつまんないだろうしね」
 話がアンドリューに戻り、望夢は苦い顔をした。
「デバフに使われて、いい気持ちで音楽聴く奴いないと思うけど……」
「あは、デバフだって。それはつまり、きみは音楽に興味がない、ってことだよ」
 シオンは首を傾げて笑った。望夢はむっと眉根を寄せる。瑠真も撹乱と言っていた。音楽に意識を取られて戦えないのは十分にデバフだと思うが。
「ワタシもアンディの曲の趣味には詳しくないけど、好きな人はすっごく好きなんだよ。アンディもそう」
「そりゃ、有名な曲はそうだろ……」
「アンディは、自分の好きな曲をただ、自分の思うように聴かせて、それを周りの人が受け取ってるの。アンディの想像が聴き手の感覚になる。だけど得る感情まで強要するのは無粋だから、そこには手を触れない。アメリカチームの子たちの中でも感想は違うよ。モニカはわかんないって言ってたけど、嫌いじゃなさそうだった。ドミニクは趣味が違うって言ってた。シルヴェスタは結構好きみたいだね、初めて模擬戦したときから喜んでた」
 シオンは一人ひとりを示すように虚空に指を立てる。感情は強要しない、という言葉に少し含みを感じた。多分、感情の共有を軸にするヒイラギ会のやり方への当てこすりなのだろう。
「シルヴェスタはもともと自分で戦うほうはそれほど強くないのだけど、その模擬戦のときは積極的に飛び出してたの。わかる 好きな人なら、あれ聴いてすごい高揚するってこと。バフって思う人もいるんじゃない」
「高揚させられて普段通りに戦えないなら、それはやっぱりデバフじゃないか」
「お固いなぁ、まあそれでもいいか」
 シオンは眉尻と一緒に手を下げた。
「こっちから楽しめって言うのもヘンだしね。ちなみにシオンはわかんなかったクチ」
 説教しつつもシオンも同好の士ではないらしい。そこまで話したところでアンドリューが戻ってきて、身振り手振りでシオンに何か言う。
「おっと、そろそろはじまるみたい」
 シオンはぺろりと舌を出した。
「じゃあ、最後までよろしくね」
 元来た地形の隙間にシオンは身を隠す。望夢も壁に張り付いて息を整え、銃を構え直した。瑠真が顔を突き出してくる。「どこで仲良くなったのよ、アメリカ代表と」「さぁ……」話しかけてきたのは最初から向こうだ。
「あ、始まる前にあと、次アンドリューが同じことしてきたら私のiPod使うの禁止ね」
「いいけど、俺は解除できるけどお前どうするの」
「乗る」
 瑠真は断言した。
「ん」
「話聞いてたでしょ こっちも乗ればバフになるんだって。私そのために予習してたんだから。知ってる曲のほうがライブはアガる」
 ペアがよくわからない自信で言い切った瞬間に、再び試合開始のブザーが鳴った。
 シオンが引っ込んだその場所から飛び出してくる。休憩中に自分で自分の位置を堂々と知らせていたことになるが、そのまま全く躊躇がなかった。さっきよりアップテンポなロックが遅れて掛かり始める。瑠真が少し笑って目を閉じ、入れ替わるように音の鳴る方向へ飛び出した。打ち合わせを無視して、明らかにアンドリューがいる方向だった。すでに「乗せられて」いるのだろうか。
 望夢には理解しがたいが、ペアがそう言うなら止めるほどのことではない。望夢はちらりと横に視線を向けてからシオンに向き直った。
 シオンは目が合うと同時に含み笑いする。
 シオンが即座に銃を取り出して撃つ。引っ込んでやり過ごし、レーザーが途切れたすきに返す刀でこちらも銃口を向ける。
「あれ」
 そのときシオンは気がついたら目の前にいた。「おっと」距離の測り方を間違えていたらしい。アンドリューのデバフのせいで、音楽のテンポに狂わされでもしたか いや、そちらの解析はさっき済んでいる。
「よっ」
 シオンがウィンク、間近から狙ってくる。望夢は思わず直接腕をあげてレーザーを防いだ。本物の熱線ならともかく協会式光術ベースの銃だ、怪我はしない。
 協会式光術。
 腕をあげたことでこちらからの狙いは完全に逸れてしまい、シオンが角度を変えて狙ってくる。望夢はよろめきながらシオンを正視した。──微妙な違和感。
 そうか。
 捉えた。即座に解除式を叩き込む。
「あっ」
 シオンが『思っていたのと少し違う場所で』目を輝かせた。やっぱり。シオンは敢えてこちらに錯視を仕掛けていたらしい。
距離感も狂って当然だ。シオンの路地裏や開会式のダンスを思い出す。彼女は光を操る。それは協会式の象徴としての華やかなものももちろん、光の屈折や反射も守備範囲なのだ、おそらく。こちらの目に映る光を捻じ曲げて距離感や角度を狂わせていたのだろう。
「ねえねえ、ノゾムのそれ、どうなってるの」
 一度距離を取り直しながらシオンが無邪気に聞く。無言。答える義理はない。いつの間にか名前を覚えられていたらしい、ついに補欠から本番に出たのだからその際か。なんにせよシオンが見た目に華やかなだけでなく、小手先の小賢しい工夫をしてくるのであれば望夢はそちらのほうが相手として向いている。
「やっぱり黙る。つまんないの。シオンは教えたのに」
 少女はくすくすと笑う。
「きみの話、聞きたくて教えたのになぁ」
「なんでもいいだろ」
「よくないよ」
 シオンは妙に落ち着いた声で答える。望夢はふと違和感を抱いて銃を下ろした。……シオンも完全に銃を下ろしている。
 ──それはなんのためのパフォーマンスなのか。そこはかとなく、嫌な予感がした。
 試合の前に感じた予感とどこか通じていた。そして思い出していた。最初に路地裏でシオンと会ったとき、彼女の足音に感じた陰のことを。
「アンディがなんて言ってタイムを取ったか、教えてあげようか」
 今のシオンの声は空間に響く、きれいな声だ。そう感じた理由を考える。……人に聞かれる前提で話す少女だ。彼女はアメリカの星だから。
 この試合は、全国放送だから。
「不思議だなあ」
 少女の碧眼が、美しく空を映していた。
「君達は、八式にはない技術を使っているみたいだ」
 その碧い瞳が、細められた。
「は」
 完全に、望夢は硬直する。彼女の言うことは事実だ。望夢の異能は協会式ではない。異能の打ち消しは八式で一般的ではないのは確かだろう。でも、協会式を逆算しているだけで、それほど目立つことをしているつもりはない。そういう応用なんだね、で済む範囲のはずだ。
 何故それを、今さら言うのだ 脳が警鐘を鳴らす。シオンの次の言葉には、何かがある。
「いつから協会の所属者を名乗ってるの 『ヒイラギ会さん』」
 バタンバタンバタンと、連続で得点板が落ちる音がした。同時に景色が変わった。視界の外でアンドリューか瑠真かがフィールドカードを使い、発生キャンセルゴースト分の点が入ったのだ。周囲は岩場と水辺に変わっていた。
 望夢はその瞬間に全てを理解した。
 この大会が公平な競い合いだと思ったのがそもそもの間違いだった。
 これは──この蜜を孕んだ巨大なリンゴは、『日本の』協会をつるし上げるための罠だったのだ。
×××
「どういうこと」
 現行ヒイラギ会のリーダーのくせに、力関係や陰謀といった面をほとんど理解していない赤髪の少女がこてんと首を傾げた。
『あーあ、こうなると想ってたから止めたかったのに』
 一方で理解した口調で頬杖をついている、少年の姿もある。ただしその口調はどこか電子音のケロケロした響きだ。また身体も透けている。なぜなら彼は電子媒体で意思疎通できるように再現された幽霊だからだ。
『つまりこういうことだ。アメリカチームは最初から日本を嵌めて、そのつもりでこの大会を持ちかけたんだよ』
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lostsidech · 5 months
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イベントとFANBOXのお知らせ
今週末参加イベントの告知と今後の予定おしらせ用に、まずFANBOXを開設しました! プランは500円のみ。 ご利用お気軽にお願いします。
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lostsidech · 7 months
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【おしらせ】
tumblrを小説掲載用途で使うのがいい加減シンドくなってきた感じがするので(前から気づきな……)、 noteに以降しようと思っています。 アカウント、マガジン等々設定完了したら本ブログにてお知らせします!
なおサイトで連載中の5巻は、コミティア142にて既発行、下記で通販を取り扱っています。
ロストサイドCH | 同人誌通販のアリスブックス (alice-books.com)
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lostsidech · 11 months
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3-④
『ッ──すみません! あの、お願いです……ッ』  響いてきたのは、日沖翔成の声だった。
 彼は大会の関係者ではない。別件か? 一瞬、脳が混乱する。大会の話なら瑠真に掛かってくるのもおかしい。瑠真はあくまで望夢と同じ、補欠だ。  すべての錯綜の答えは、次の翔成の言葉にあった。 『莉梨さんが見つからなくなりました』  答えは簡単。  彼はホムラグループのメンバーである。そして帆村莉梨の友人。  友人として帆村莉梨の話をするのであれば、同じく彼が最も身近に頼っている瑠真に電話するのはとても自然なことだろう。  瑠真が眉根を寄せる。 「失踪?」 『パネルディスカッションの出番の直前……! いなくなったんです。脅迫状と、おれ宛てのメッセージを置いて』 「待って、脅迫状?」 『はい。なので誘拐だと思います』  翔成の声は震えている。 『脅迫文はこう。「今すぐこの大会をやめさせろ」』  ぞわりと、全身が総毛立つ。  大会を止めさせるのであれば。確かに、現在アメリカ在住である世界的有名人、ホムラグループ令嬢は、主催中心国であるアメリカと日本、両方への良い牽制になる。  一体、誰が? 望夢は思う。以前にも莉梨がヒイラギ会の手中に落ちたことがあった。けれどヒイラギ会がこんな形で莉梨への手出しを繰り返すとは思えない。だって、あれは確か彼らの、ホムラグループ式の装置の実験だ。用が済めば二度目はなく、大会を止めさせる理由もない。  ──誰でも理由はあるだろう。頭痛がする。  揺れる現代異能界が急遽取り付けたこの大会は、あまりにも粗が多く、敵が多い。 「待って」  ふいに隣で宝木も呟いた。 「深弦からもラインが来てる。怪我したのと、そっちの会場がトラブったから試合は欠席するって」 「怪我?」 「や、それは普通に事故みたい」  言いつつも宝木は真剣に目を細めている。当然だ。ペアにして恋人なのだ。普通の事故だとしても、試合を欠席するような怪我は心配だし、不穏に感じるだろう。 「落ち着いて」  瑠真がきっぱりと言った。それは電話の向こうで焦る翔成に向けられた言葉だったはずなのだが、はっと望夢の意識も引き戻された。 「莉梨ちゃんからメッセージがあったんでしょ? それは?」 『は、はい。莉梨さんからはこうです──「私はだいじょうぶ」「騙されないで」』  翔成も咳払いして、少し早口をゆるめる。 「そのメッセージはいつどこで来たの」 『限りなくホムラグループ式で、説明が難しいんです。たぶん犯人たちが脅迫状を用意しているときに、莉梨さんが「カリスマ」的に干渉した結果だと思います。おれには脅迫状を見たら「どこにも書いていないけど、わかる」』  翔成は困ったように情けない声で説明する。だが内容は専門的だ。莉梨の「カリスマ」は周りに無意識に言うことを聞かせる力だ。  ホムラグループの解釈をしばらく勉強した日沖翔成には、その力の指向性が見えているのだろう。 『紙を折る位置とか、些細な空白のブレとか。そういうものに、莉梨さんの無言のメッセージを感じる。おれなら読めるって信じて送ってるはずです。さすがに一人じゃ確信持てないので他のホムラグループメンバーにも送りますけど』 「そう。分かったら教えて。それで、これからどうするの」 『お願いです』  翔成はいよいよ、声を強くして最初の頼みに戻った。 『莉梨さんが出るはずだったパネルディスカッション枠には、急遽、代打で丹治さんが出ることになりました。ホムラグループの代弁はできないけど、同じ日本の組織で、事情を知って場繋ぎができるのが丹治さんしかいなくて』 「それでか」  と宝木が連絡を見ながら呟く。  瑠真は目を瞬いて、 「え。じゃあ試合は、中止?」 『中止には……なりません、まだ。事態の把握が進んでいないので……』  翔成の声に焦燥が交じる。 『先輩たち、そっちにいますか? どちらかでもいいので、こっちに応援ください……』 「……」  思わず、横にいる宝木と視線を交わした。  試合が中止にならない。そして、どちらかの応援が欲しい。  その言葉には裏がある。「どちらか」──残ったもう片方は、丹治深弦が欠けた試合の穴埋めをしなければならない。  この大舞台にあって、彼と組んで丹治深弦と同じ役割が果たせるとは、望夢は到底思えない。出場するのが自分であれ、他の誰であれ。相手は歴戦のアメリカだ。日本チームはここで敗退となるだろう。  そんなことはいい。ただ、もし、と望夢は思う。そのこと自体を、あるいはそれを不公平と世間に騒がせること自体を目的にした犯行であれば、それはもう叶ってしまう。  試合を止めたいという脅迫状が真実なのなら、試合の意義を瓦解させるだけで、実質的に事は足りている。だとすると、試合を続けたってこの時点で負けではないのか。 『今回はメッセージを見る限り、前のヒイラギ会のときみたいに、莉梨さんが理性失ってるとは思えません。だから今のうちに、』 「私が出る」  凛とした声が後輩の声を遮った。 「アンタ莉梨ちゃんのとこ行くでしょ。任せる」  瑠真が立ち上がっていた。  彼女は望夢の視線を正面から捉えていた。 「莉梨ちゃんはお願い」  一瞬で様々な思考が巡る。  この試合を止めたいのは誰なのか。逆に続けたいのは誰なのか。なぜ莉梨なのか。  莉梨の「騙されないで」の意図は何なのか。  そして瑠真の頭の向こうに、試合会場の窓越しの景色が見えた。  そこに立っている少女の姿も見えた。待機時間まではまだ時間があるが、見られる場所までは下見に出てきたのだろう。元は少年だったというアメリカの夢のシンボル。昨日こちらにヴィクトリーポーズを掲げてみせた、この大会のアイドル。  金髪の頭が振り向き、碧い目がこちらとあった。  少女はにやりと笑った。  騙されないで。  莉梨の声が不思議とその笑顔に重なって聞こえた。  何に騙されてはいけないのか。誘拐か。大会か? それとも、 「俺も出る」  気づいたら口に出していた。 『は?』 「じゃあ、俺も出る。そっちには宝木が行く。そのほうがいい。丹治がそっちいるんだろ。ペアは宝木だ」  ちょっと待ってください、と電話口の後輩が慌てていた。  それはそうだ。望夢たち「補欠」の役割は暗躍で、実際に表舞台に立って補欠を務めることは想定していなかった。  けれど、と望夢は思う。直感として、だから「仕方がない」で決めてはならない。ベストを尽くさないといけない。  協会はペア制だ。  ペアで最も力が発揮できるシステムである。 「宝木」 「ああ。オレも思ってた」  冷静な声で宝木は言う。 「誘拐捜査だろ? 任せろ。君たちより場数踏んでる自信がある」 「実績あるって言ってたよな。ホムラグループについても知ってる?」 「うん。ホムラグループ独自のこととかには詳しくはないけど、この数ヶ月で調べてはいる」  パネルディスカッションに出場していた秀才は淡々と、 「電話の向こうの子、聞いてる限りホムラグループの子だよな? そっちのことは教えてくれ」 『あの、心強いですけど、でも……』  望夢も、動揺する翔成の声をいったん脇において、顔をあげる。  瑠真を見る。  これでいいか。  瑠真は眼光鋭く望夢を見返した。  しかし、拒むことはなかった。試すようなその視線を外すと、「構わないよ」と電話口の後輩に言う。 「莉梨ちゃん、大丈夫って言ったんでしょ」 『は……はい』 「あの子がこんなときに、根拠もなく大丈夫って言わないから」  瑠真はきっぱりとそう言った。 「だから落ちついて。私たちよりよっぽど優秀なペアが行くから。深弦ちゃん、出番終わったら協力してもらって」 『瑠真、さん……?』  後輩は少し、戸惑ったようだった。瑠真の落ち着き自体に。  望夢も同じだ。言いようのない不安が胸に満ちる。けれど言っている内容自体に間違いはない。 「行こう。宝木、開始前まではいつでも連絡してくれ」 「オーケー」 「じゃあ、翔成くん、あとで。私たちも終わったら行く」  電話が切れる。同時にまたアナウンスが掛かった。選手変更登録の方法を告げるものだ。  フィールドを見た。アメリカチームの人影がふたつ。シオンとアンドリュー。白っぽい金髪の少女の隣に、陰気な黒髪の青年が立っている。  挑むしかない。  自分が何を言ったかは分かっていた。本来なら試合延期を申し入れるべきだ。それでも気になっていた。  きみたちの力を見せてと言ったシオン。  騙されないで、という莉梨の言葉の意味。  この大会に何かきな臭い後ろ盾や利害構想があるのだとしたら、アメリカの寵児も真っ先にその標的になるはずだ。 「勝とう、瑠真」  自然と口にしていた。 「少なくとも、ここで俺たちが勝つことだけは想定されてない」  ペアは何も言わなかった。  ただブザーが鳴るのを待っていた。試合開始が迫る。
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lostsidech · 11 months
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3-③
 翌日、莉梨は宣言通り、パネルディスカッションの別会場へ向かっていった。  例によって翔成は拉致されている。パネラーたちは準備があるため望夢たちよりよほど早い送迎バスでホテルから会場へ発っている。  トーナメント会場へ向かう組の、次のバス待ちの気だるい空気がホテルエントランスに満ちていた。望夢もその一人だった。また宝木隼二もそこにいた。
「あれ」  望夢は顔を上げ、 「今日出場じゃないの。早く行かなくていいわけ」 「昨日のうちに会場の下見は終わってるから。急いでないんだよな」  眠たげな宝木は首をひねって伸ばしながらそう言った。望夢はふぅんと相槌を打った。 「相方は?」 「パネディス会場」 「え? 競技も出場前なのに?」 「人気者は大変なの。ていうかついで言うと出番は昨日で終わってる。深弦は人づきあいで今日も行っただけ」 「あっち、そういうタイプに見えなかったけど……お前だけ余裕だな」 「リラックスしてるって言って。オレも初めてなんだから、緊張してるよりいいだろ。深弦はあれでクソ真面目だからともかく、オレは休憩なら寝る方が大事だよ」  そういうものなのか、と望夢はまた彼を見る目を改める。めっぽう明るい違う世界の人間に見えていたが、案外力を抜くところは抜けている。要領はいいらしい。 「パネルディスカッションって何してたの?」  興味本位で聞いてみる。望夢は一度もそちらの会場を見ていない。 「聞く? テーマは『あるべき世界』だとさ」  宝木が横の席で足を揺らしながらそう言った。 「各出場チームが、自分たちの解釈の来歴話したり、比較を語ったりする。世の中に明るみになった色んな世界解釈を平等に世に知らしめたいんだって。望夢くん、どう思う?」 「なんで俺に聞くの?」 「君、協会と考え方違うんだっけと思って。なんか気になったりする?」  高瀬式の嫡男としての問いかけというわけだ。彼らは比較的最初から知っていたとはいえ、面と向かって訊かれるとむずむずする。 「うーん……」  どこまで話していいのか。望夢は言葉を探す。 「それだけ聞いても、詳しいことはわかんないけど……。コンセプトは健全だけど、今回出場チームにも協会主催っていうフィルターが掛かってて……偏ってる、ってことは、当然だと思う」 「面白。中学生だよね、君?」  何故か笑われた。 「なんで笑うんだよ」 「ううん。そーゆーの、年上から言うような話だろ」  しばらく笑ったあと、宝木は真顔に戻って続ける。望夢は黙って不満顔をしている。 「だけどもっともだと思うよ。それって別に今回の世界大会に限らず、いつも討論では気を付けとくべきことのはずじゃん」 「……俺は世界解釈のことしか知らないけど」 「ふぅん、専門分野でディベートの練習受けて育ったようなもんだ」  と宝木は勝手に納得している。望夢は自分の世界の認知の仕方が一般的にどんな性質に当たるかは知ったこっちゃないのだが、彼にとってはそれが身近なたとえなのかもしれない。 「そういう……」  望夢は口調にうっすら、会話の主導権を取れない感覚をにじませて尋ねた。 「そういうあんたはどう思ってるの」 「オレ?」 「だってこないだまで協会式しか知らなかっただろ。色々思うだろ」  そこで待合室の人波が動き出した。バスが来たのだ。  宝木が話の途中で当然のようにこちらを見ながら席を立った。座ってから話そうという顔だ。望夢も続きを聞くために近くについていくことになる。  しばらく乗車のための無言が挟まり、席に腰を下ろしてからようやく宝木が言った。 「オレはそのへん、あんまりこだわりないんだよ」 「……」 「パネルディスカッション担当しといてなんだよって感じだよな。まあでも、そんなもんじゃん? こないだまで知らなかったからこそ」  宝木は頭の後ろで手を組む。 「知ったばっかのことに怒ったり、逆に興味持ったりするほど、オレ無邪気じゃないんだよね。別に、いままでどおり。オレが勉強してきた人助けの超常を使うだけ。そのへん、深弦のほうが意義とか意味とかに潔癖だから、感情的かもしれないな。あ、まあ強いて言うと」  彼はさらさらと答えると、そこで軽く肩をすくめた。 「この一連の事件?のせいで、オレたちも結構表に出されてるわけだし。そこに対する怒りはある」 「怒り?」 「オレはともかく、深弦は表に出たい子じゃないんだよ」  ふいの、意外な話題だった。 「そうなのか?」  優等生ペアは以前からテレビなどによく取り上げられる。慣れっこなのだと思っていた。  宝木はシートに深くもたれる。 「オレは目立つの好きだし、いい思いができて金も貰えればハッピーだよ、ついでに世間体もいいしな。だけど深弦はめちゃくちゃ正義感が強い。あの子はオレとは違う、『本当に人の役に立つとは何か』って目線で超常術を使ってる」 「……」  ウルフカットの丹治深弦の顔を思い浮かべる。どちらかというと自分の世界がありそうな、他者を拒絶する雰囲気をまとった少女に見えた。だが宝木が言うならそうなのだろう。 「だからこそ、深弦はそんなに簡単に世間のオモチャになってほしくない。オレたちに代表で意見を聞くなよ。選挙権もないんだぞ、まだ。なんかそういう、大人のミーハーみたいなやつをさ、前より強く感じるようになったから。それは、嫌」  宝木は肩を竦めて、そこで話を止めた。  バスはとっくに走り出し、ニューヨークの網目状の大通りの間を抜けてフラッシング・メドウズ・コロナ・パークに向かっている。話題に出っぱなしの丹治は後から直接送迎車でも乗り付けるのだろう。人を拒絶しているように見えるが、人付き合いの手間を削らない、真面目な性格。ぼんやりと自分のペアの顔が重なった。 「……なんか、分かった」 「何が?」 「お前が丹治のこと好きな理由」  思い浮かべながら呟くと横で宝木がにやりとした。 「急に何言うかと。ぼく、そういうの無縁ですって顔して結構踏み込むよな」 「いや、無縁だけど」 「さー、どうだか。ええ、オレが惚れた女だよ。いいだろ?」  宝木は当然のように言う。 「そういうとこだよ。不器用で真っ直ぐ、それでひたむき。誤解されやすいけど、すごく頑張り屋。……君もその手のクチ?」  頷いた。そういう人間の要素に惹かれることは間違いない。瑠真もそうだし、かつての家庭教師もそうだった。 「ま、頑張りな」  宝木が笑みを含んで言う。何か思われた気がしたが、否定することはないと思った。瑠真のことが恋愛的な意味で好きなのだと思われたのなら、肯定はしないが否定もしない。本人に好きかと問われれば単純に頷くことができる好意。この関係が何なのかは、今は「ペア」以上の言葉で決める必要はない。  バスが会場に到着する。男二人の静かな会話も終わる。「あー」宝木が欠伸をした。「どうせ開演まで暇だろ? 控室おいでよ」  確かに暇だ。今日は話し相手の指導官とも別で来ている。  誘われるのはやぶさかではないが、なぜ?という視線を向けると、宝木は当たり前のように答えた。 「君のペア、朝イチで来てるから」 「え」  思わず固まる望夢の顔を見て、年上の少年は「知らなかったの?」と変な顔をした。 ×××  控室は各国語のざわめきに満ちている。一部の簡単な英語のやり取り以外は聞き取ることができず、ほとんど環境音がごったがえしている。
 その中に、確かに瑠真はいた。試合控室の奥のほうにある椅子に、真剣な顔でつくねんと座っている。 「何しに来てるの?」  近寄って声をかけると、瑠真は寝不足っぽい剣呑な視線をあげた。耳にオレンジ色のイヤホンが嵌まっている。それを片耳引き抜いてこちらに顔をしかめる。 「何って」 「うん」 「勉強に決まってるでしょ」 「そう……そうなの?」  少し意表を突かれて聞き返す。瑠真は試合自体には興味がないと思っていた���──  ふいに脳裏に色々な風景が連鎖する。昨日の宝木と丹治やアメリカチームの連携模様。昔から仮想練習場や図書室にはよく出入りしていたペアの姿。それから開会式の外廊下で瑠真と交わした言葉。「戦えると思う」。 「あ……」  瑠真、お前。自分が身を投じたい「戦い」のために、大会からだって吸えるものは全部吸い尽くす気でいるのか。  とっさに止めたくなったが、黙る。今は彼女も危ないことをしているわけじゃない。 「なにか学べた?」  問いかけると、瑠真はイヤホンが繋がれたままのスマホを持ち上げた。 「アメリカの音楽」 「は?」  予想外のほのぼのした返答に戸惑っていると、宝木が「よう」と顔を出した。荷物を出場者用ロッカーに置いてきたようだ。 「瑠真ちゃん、朝から頑張るね」 「別に。頑張ってない」 「そう言わずに」  へにゃへにゃと笑う宝木の頭越しに、今日の試合の一次アナウンスが響き渡った。トーナメントはいよいよ第三ラウンド、ベストエイト決定戦となる。  英語のアナウンスのあとに、日本語のアナウンスも流れてきた。日本のSEEPの力が強いことがこんなところにも影響している。 「第三ラウンドは、バトルロワイヤルを行います。各自、頭にヘルメットを装着していただき、ヘルメットの前面を『弱点』とします。赤いランプの点いた範囲にレーザーガンを当てられたら脱落扱いとなります。二人ともが脱落したチームは敗退。また、環境条件による能力の公平性をはかるため、会場内に設置されたポイントで、『会場のセットが変わる物理カード』を入手できます」  控室にセットされた巨大なスクリーンに画像が流れた。まずは試合会場の地図。野球グラウンドほどの面積の空間が複雑な迷路のような作りになっており、その中に段差や水流、壁の凹凸が用意されている。それ自体は無機質な地図だが、続いて金銀の金属で縁取りされたカードのようなものが映し出された。そこには森や川、崖といった自然の風景が描かれている。  アナウンスは各国言語を入れ替えながらゆっくりと続く。 「物理カードに力を流し込んでいただくことで、会場の地形が変わります」  ぱ、と、映し出されている画面が切り替わった。森のカードが一回転した瞬間、風景は森林に変わったのだ。  控室もそのCGの精緻さにどよめく。要するにこれも協会式お得意の仮想空間なのだろう。が、昨日までの試合の比ではなく手がかかっている。強豪が揃い観客が集まるベストエイト戦に向けて、資金を結集してあるのだろうと察せられる。 「また会場内には、『ゴースト』が発生します」  アナウンスに合わせて、立体の人型がゆらゆらと森の中を闊歩し始めた。日本の協会の練習場でも見る仮想エネミーだ。 「『ゴースト』も身体に当たり判定を持ち、レーザーガンで脱落します」  映像内の仮想エネミーがぱんと弾け飛ぶ。デフォルメされたレーザーガンの画像がくるくると回る。 「制限時間内に両チームが脱落しなかった場合、あるいは同数ずつ脱落した場合は、こちらのエネミーの撃破数で勝敗を決します」  つまり、相手の撃破を狙いつつ、ゴーストで点数を稼ぎ、ついでにふいの地形変化で相手に不意打ちされないよう、自分の身も守れということか。 「なるほど」  宝木が横で顎を撫でている。 「撃破担当とゴースト狩り担当で分担するか……」 「宝木、お前のペアまだ来てないの?」 「いや、さすがにそろそろ着くと思うよ。このアナウンス、移動中の車内でも見られるし。待機時間的には問題ない」  そんな会話の合間にも、映像は流れていく。  会場内各ポイントには特殊な強化ガラスとボタンが設置されており、ボタンを押下することでガラスが開いてカードが手に入るようになっている。カードは台の上に裏向きに設置されているから、実際に手に取るまでは絵柄は不明だ。 「また、地形発生時に、壁の出現位置と重なる等の理由で、一部ゴーストの発生がキャンセルされる可能性があります」  会場の図が移り変わり、ゴーストが何体かバツ印で示される。 「その場合は地形を変更したプレイヤーの得点として加算されることになります」 「ってことは、地形もじゃんじゃん変えたほうがお得──」  宝木が言いかけたとき。  淀みなく流れていたアナウンスが、一瞬停止した。 「ん?」  宝木がスピーカーを見上げる。椅子に座っている瑠真も訝しげに頭を上げる。 「音声不調?」 「勝者チームには、ポイントとして──す……、──あ」  アナウンスがザリザリと乱れた。  代わって入ってきたのは、明らかに準備されたものではなく臨時で話している人の声だ。 「失礼しました。別会場でトラブルが発生しており、一部チームにメンバーの組み直しを依頼します」 「──?」 「対象チームには別途連絡が入ります。では、引き続き競技説明をご清聴ください」  数ヵ国語で早口に告げられたそのメッセージのあと、朗らかなアナウンスが戻ってきた。しかし控室の様子は変わっていた。ざわつく室内は不安に満たされている。  メンバーの組み直しが起こるようなトラブル……それは怪我や、そうでなければ不正の発覚などに他ならない。  誰が吊るされたのか。不穏な気配が部屋に満ちる。  望夢も例外ではなかった。  ちりちりと意識が焼ける。これは、ありていに言えば、「嫌な予感」。  ──果たして、次の瞬間、携帯電話が鳴った。 「誰の……?」  宝木が思わず呟き、そして望夢も「そちら」に目を向ける。  鳴っていたのは、七崎瑠真の携帯だった。  ペアが無表情に画面を見る。電話だ。瑠真は黙ったまままずスピーカー設定をオンにする。  そして、控室の注目を集めながら、平然とスマートホンを取った。 「はい」
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lostsidech · 11 months
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3-②
 シオンが振り仰ぎ、それから英語の会話が始まった。もうこちらに話しかける様子はない。第一試合の内容が発表されたのだ。これを受けて参加チームは事前に提出した出場者オーダーを修正するかを、開始時間前に決めることになる。
 いくつかの言語で順番にアナウンスが再放送された。日本語のアナウンスもすぐに流れてくる。  第一試合はフラッグゲーム。フィールド内に多数の壁を作り、コース上のフラッグを奪取する。妨害は自由、ただし他の参加者を意図的に傷つける行動が認められた場合は即座にレッドカードとなる。ペアでそれぞれのフィールドの反対側から出発し、得点別に色付けされたフラッグをより多く集め、高得点を稼いだチームの勝利となる。また超常術をベースにした仮想空間技術も使って障害物を設置し、見た目にも華やかな試合となるように構成されていた。 「予定通りなら深弦ちゃんと隼二くんが出るみたいだね。変える理由もないだろう」  新野が連絡端末を弄りながら言った。 「もう大丈夫? 見学に行こう」 「……大丈夫」  望夢は顔をしかめた。最初から関わってきたのはシオンたちのほうで、望夢は気にしていたわけではない。本来の任務であるヒイラギ会の動向調査に関しても、的が絞れない以上会場にいればいいだろう。  新野に案内されて、会場に��り着く。やはり日本の協会からは例の高校生ペアが出るらしく、ウォームアップで体を動かしながらルールを確認している姿が見える。  試合開始のブザーが鳴る。第一試合、日本の相手はオセアニアチーム。両者がフラッグを確保するために動き出す。  使われている仮想空間技術は日本の協会でも練習場などに設置されているものと同一だ。ベースはただの立体映像だが、登録参加者のペタル発散をプロットして視覚や触覚にフィードバックを送る。参加者はこれを補助し、また大会運営からの必要なアナウンスを受け取るためのインカムのような小さな器具と、指の空いた手袋などの一式の装備を体に装着した。これで参加者には燃え上がる炎や、降り注ぐ雨の映像から、その温度も感じ取ることができる。しかし自分で転んで壁に擦り剥いたりしなければ怪我をすることはないという、大会に最適な折り紙付きだ。  同じ技術とはいえ、日本のSEEPにある仮想空間よりはだいぶ技術レベルか予算かどちらかが高いようだ。誰かが継続的に光術実現用のペタルを送り込まなければ実体が維持できない仮想練習場のものと違って、VR技術等を組み合わせたこの会場の仮想空間は、参加者が最低限無意識レベルのペタルを提供すれば維持されるようにできていた。とはいえ無意識で超常想像図を描くのは気を張るようなもの。疲れることには疲れるから、同じペアの連続出場が禁止されているのにはその理由もあるようだ。  さて、会場観察はこの程度にして。  試合結果は──ひとことで言えば日本チームの圧勝だった。  阿吽の呼吸とはこのことで、深弦が攻めの動きを見せれば隼二は敵の足止めに徹する。かと思えば注目を惹いたうえで役割を交代して隠れていたフラッグを狙う。望夢はぼうっと動きを眺めながら頭の中で彼らの戦略をトレースして感嘆した。箱入りの協会式といえどさすがに彼らは能力がある。  試合が終わってみれば結果は一目瞭然だった。日本チームは相手にしていたオセアニアチームにダブルスコアを付けて圧勝していた。 「さすが、強かったね」  新野もわくわくした様子で言う。すべての試合を行うには狭いトーナメント場ではすぐに次の試合が始まるので、目当てのチームを見届けた観客はがやがやと席を立っていく。  同じラウンドの次の試合も見ておいても良かったのだが、望夢は合間に辺りを見渡して、ふと人波が一つの方向へ集まっていくのを見た。 「……?」  アリーナの反対で行われていた試合に人だかりができているようだ。待機ベンチを見て理由を察する。アメリカ戦だ。優勝候補の試合だからだ。  ジュースを飲みながら振り向く望夢に、ベンチからシオンがピースサインを向けてきた。特に何も考えずピースを返してから、あれ、アメリカにピースってあったっけと思う。  気が付く。シオンがベンチにいるのは第一試合に出なかったからではない。彼は初戦でもその華やかな存在を見せつけて人目を惹いたのだ。そして、ピースではなく、こちらに向けたのは英字のV。ヴィクトリーサインだ。  掲げられた電光掲示板を見て結果を知った。  相手チーム〇点での完勝──  つまり、アメリカの精鋭たちは、敵チームに一点たりとも取らせなかったのだった。
 さすがの望夢も興味の対象が変化した。二回戦は新野を置いて、アメリカチームの見学席に座る。  ゲーム内容はレースゲーム。パーク全土を使った障害物競争のていを取っており、ボタンを押すとコース上にランダムな障害が発生する。出場者が二人ともゴールした時点で勝敗が決まるため、相方のサポートも欠かせない。アメリカチームからはモリーとドミニクが出場していた。アリーナでは中継テレビジョンが点いている。  望夢は画面を注視しながら思わず息を吐いた。  日本チームの連携が『業務』としての洗練であれば、アメリカチームのそれは『表現』そのものだろう。モリーとドミニクの組み合わせもあり、いっそ芸術と呼んでも良かったかもしれない。女性にしては長身のモリーではあるが、レースが始まった時にはすでにドミニクに軽々と片手で抱え上げられていた。彼の腕に腰かけるように座ったモリーはいっそお嬢様のようで優雅だ。この二人の組み合わせもどうやらペアとして人気があるらしく、観客から二人の名前の旗が振られた。  コースに剣山が姿を現す。モリーが特注らしい大きな筆を斜めに振る。すると宙にスロープが表れ、ドミニクは特殊な増強を掛けた鋼のような筋力で人体を超えた速度を叩き出し、それを駆けのぼる。ただしモリーは下り斜面は描いていない。ドミニクは最後の一段から高く跳び、しっかりと膝のクッションを効かせて両脚で着地してみせた。わっとアメリカびいきの観客が湧いた。相手チームがそこに差し掛かったとき、斜面はぴったりのタイミングで掻き消える。その時にはモリーとドミニクは剣山を超え、次のボタンに手を掛けている。  仮想の滝がコース上に勢いよく落ち、通過者に衝撃を叩きつける。視界が封じられる。ドミニクが一度モリーを下ろし、腕を掲げて水を遮る。モリーがその隙にふるふると首を振って水を払う。頭上に向けて丸く絵筆を振るう。クラゲのような形の傘が姿を現す。ドミニクが彼女を抱き上げ、彼女がそれを優雅に刺す。傘は水を受けるどころか、触れる前に水を弾いているようで、滝の濁流が軽やかに左右に分かれていった。  続いて両側から、触れるとコースアウト扱いになるレーザービームが照射された。ドミニクは少し立ち止まって思案したあと(何故なら彼らにはそれを行うだけの余裕があるのだ)、モリーに何かささやいた。モリーは軽くうなずいて傘を閉じた。了解したらしい。  次の瞬間、ドミニクはある一点に向けてモリーを軽々と放り投げた。モリーは楽しそうな笑い声をあげ、くるくると回りながらビームの隙間を通り過ぎていく。ドミニクは少しの間だけ溜めを作ると、一瞬だけできたビームの間隙を音のような速さで走り抜けた。  遊んでいるようなものだ。  これもほとんど、完封と言っていい戦いぶりだった。相手チームはコースの最初の障害を飛び越えたところだった。  レースの末尾で待っていたアメリカチームが戻ってきた彼らに楽しそうにハイタッチしている。日本の協会はアメリカの強い影響を受けて成立したと言われる。それでも見比べればこれだけ色が違うのか、と望夢は内心驚いている。日本チームは堅実ではあるが派手な成果は残さない。 「すごい……」  アメリカSEEPの超常術を初めて見たらしい新野も言葉を失くしている。 「『魅せる』術って感じだな、これは。それで言うと杏佳ちゃんは一時期アメリカにいたんだよね」  話題に出たのは新野自身のかつてのペアである、現会長秘書の女性だ。 「それは、強くもなるな。彼女の術はどちらかというともっと繊細で、見た目にも難しいものなのだけど──」  その日の試合が終わった。残るはベスト八になっている。トップは当然のごとくアメリカだ。日本チームは事前予想通り、二位で通過していた。  とっぷりと日暮れの匂いはじめた晩秋の公園へ、望夢は上着を着こんで出てきた。試合の趨勢には興味はないといえど、学ぶものは多くあるようだ。  と、翌日のオーダーが発表された電光掲示板の前で、人々がざわついていることに気が付いた。 「……大一番、かな? というか、ああ」  なるほど。そちらに視線を向けた新野が軽く息を呑む。  望夢もその時には観光客の頭越しに見ていた。  日本とアメリカ。トップツーが当たるのだ。  オーダー通りであれば日本チームの出場者は再び深弦と隼二、そして対するはアメリカチームでもトップスターを誇る二人──シオンとアンドリューらしかった。
「ホムラグループは十六位戦で脱落しましたねー。洗脳ってやっぱり、相互のレベルにより効いたり効かなかったりなのです」  望夢たち協会チームが滞在するホテルのディナービュッフェを取り分けながら、莉梨は結果を気に掛けたふうもない様子で言った。 「学ぶところも多かったですねえ。リヴィーラーズ・システムを使いながら、相性の悪いホムラグループにも対策を作り上げてるチームもありましたし」 「お前、元気だな……」  望夢が言うと、帆村莉梨はふふんと笑う。彼女の属するホムラグループは一応、ヒイラギ会に異能組織であることを暴露されて社会的には信用を失っているはずだ。 「ちいさな趨勢のひとつやふたつ、気にしてたらグループの長は務まりませんよ」  莉梨はさらりと金髪を耳の後ろに流した。  彼女が席に持って戻ってきた皿には野菜を中心に上品な分量の食事が載せられている。望夢は見栄えなど一切気にしていない自分の皿がちょっと子供っぽい気がしてやや皿を手元に引き寄せた。  莉梨は気づかなかったか無視したか、軽やかに椅子に腰を降ろして、 「莉梨は明日もパネル会場で出番です。そちらは淋しくないですか?」 などとうそぶく。 「ん、」  何言ってんだよ、というたぐいのことを返事をしようとフォークから口を離したとき、 「……ん。瑠真ちゃん」  莉梨のほうが先に目を離した。  ビュッフェ会場に瑠真がいた。宿泊施設は同じ、ディナービュッフェが付いているプランも同じなのだから当然なのだが、思わず望夢は相手の反応を正視した。  瑠真は一瞬こっちと目があったような気がしたが、それほど長い時間視線を据えることはなくビュッフェに向かった。  莉梨がマイペースな調子でその背中に声をかける。幸いなのか不幸いなのか、時間が遅くビュッフェ客は他にほとんどいない。 「協会、やっぱりすごかったですね」 「興味ない。観てない」  瑠真は一応返事をした。一応友達の(この言い方を瑠真は嫌がるかもしれないが)莉梨から問いかけられてもこうなのだ、望夢は瑠真の意固地さの深刻ぶりにこっそりと溜息を吐く。  莉梨のほうはあまり表情を変えなかった。つくづく人からの見え方に気を配るお嬢様だ。 「そう言わずに。協会のペア制度ってやっぱり強いですよね、ホムラグループは仲はいいけど、二人単位のチームワークみたいなものはないのです。大会で思い知りました」  これはお世辞だろう。春姫がここにいたら嫌味かと睨まれていたかもしれない。というのは、今回の大会の種目のほとんどがペアを前提としているのは、出場勢力の中でも明らかに協会に有利だからだ。  主催がアメリカSEEPである以上、協会の要であるペア制度に都合よく試合が組まれているのは当然だ。世間はもとより超常術といえば協会のイメージなのだから、特段変わっていると思うこともない。  ホムラグループのお嬢様は表面上は文句を言うふうもなくあっけらか���と笑っている。 「学ぶところ、多いですねー。丹治さんと宝木さんってあんなに息ぴったりだったんだなぁ」  出たのは日本の協会トップの例の高校生ペアの名前だ。莉梨が何を意図してそれを発言したのかは分からないが、 「……。どれくらい?」  急に瑠真が食いついた。ビュッフェ皿を持ってテーブルの間を通ってきていたところだった。 「ん? んー」莉梨は顎に手を当てた。「瑠真ちゃんと望夢さんくらい?」 「ぶっ飛ばすわよ」瑠真は急にむっとした顔をした。「息ぴったりだったことあった?」  それだけ言うと、一緒に食事をするつもりはないのか離れた席にさっさと行ってしまう。望夢は仏頂面でサラダを突いた。昼間に翔成に言われて彼女を追ったときも、似たようなつれない反応だった。 「なんでみんなちょっかい出すんだよ。もう放っておこうぜ」 「貴方が一番放っておかないくせに。いいんですよ、勝手にやってるんだから」  莉梨は皿を手に立ち上がった。 「ついでに言うと莉梨のこれは意地悪です」 「なに」 「分かるでしょ、瑠真ちゃんはいま貴方のほうを見ていたんですよ。さあ、デザートを持ってこなくちゃ」
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lostsidech · 11 months
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3-①
×××
 ニューヨーク州クイーンズ区、フラッシング・メドウズ・コロナ・パーク。
 紅葉に包まれた一一月の公園内の道を、大会目的の観光客や関係者が出入りしている。旧国連仮本部も置かれた広大な公園内には急遽巨大な仮アリーナが建設され、開花異能者たちの戦いを擁するトーナメント場になっている。  二〇世紀前半のニューヨーク万博時代から名所である、地球儀を模したモニュメント。その正面にアリーナは入り口を開けていた。その周囲にたくさんの出店や案内板が並び、観光客と出番を待つ出場者たちの憩いの場と写真スポットになっていた。  会場にはやってきたものの、望夢たち補欠がすることはほとんどない。ポップコーンやホットドッグ売り場で適当に食べ物を調達し、アリーナの周囲を練り歩いた。  試合については事前に説明を受けていた。参加チームは全部で三二。トップが決まるまでは五試合だ。一試合ごとにゲーム内容は変わる。内容は告知されているレパートリーの中から直前に開催委員のくじ引きで決定される。ゲームには基本的に二人組で出場する。ただし連続して二試合以上同じメンバーが出場することはできない。参加組織は、各ラウンドで所属メンバーの強みを活かしながら、これからくじで引かれる選択肢にも備えて戦力を温存する必要があった。 「あ、いたいた。アメリカチームだ。壮観だね」  隣を歩いていた新野がのんびりと言った。彼は開会式中は雑用係で会場のほうに呼ばれていたらしいが、ようやく一息ついて望夢に合流してきたのだ。逆に開会式中一緒だった翔成は、大会出場者に召集が掛かると同時にパネルディスカッションに参加する莉梨から呼び出しを受け、一旦別会場に向かっている。万一補欠の出番が来たら一試合以上前に呼び戻すことになっていた。  新野がこの状況で瑠真や他の子供たちを心配していないはずはない。しかし彼が努めて穏やかでいるように見えるのは、当人なりに真剣にリラックスしている結果だろう。重い事態でこそ力を抜くタイプだ。瑠真はと訊くと控室に籠もっていると肩をすくめていた。  望夢はフライドポテトをつまみながら、 「ん。どこ?」 「あっち」  新野が指さす。その指先を追い、会場前でミーティングらしく顔を合わせている、無国籍なチームを発見する。中には見覚えのある金髪とカチューシャの髪飾りの姿もあった。 「……なんつーか、層が厚そう」 「うん、そういう話だ。日本も負けてないはずなんだけどね、ちょっとさすがのアメリカは見栄えは違うね」  SEEP設立時、中心となった国の一つであるアメリカは当然のように協会所属者人数も多く、優勝候補国だ。それから次点で優勝候補とみなされているのが、社会的にSEEPの影響が強い日本。比較的遅くに協会相当機関が設立された南米や西アジアの諸国に関しては、異能統括組織としての力が弱くそれほど戦力も充当できないらしい。  そのアメリカのトーナメント代表チームは、中央で胸を張る小柄なシオンを取り巻いて、仲良さげに談笑していた。  一番小さい人影がシオン。その次に若いらしいのが、ハイティーンに見えるそばかすの少女だ。堀りの深さと褐色の肌を見るに、南米系の血が入っているのだろう。身長はすらりと高いが表情の動きは小さく、ぼそぼそと喋る声はこちらまでは聞こえない。シオンに笑いかけられると慌てたり戸惑ったりする様子が見える。気弱なのかもしれない。  次に青年が二人いた。片方は不健康なほど細い色白の青年。学生か社会人かといった年代だ。帽子を目深に被った下から長い前髪が覗いており、裾の長いシャツを着ている。積極的に発言しているようだが口調には棘がある。もう片方はがっしりした身体つきの男で、肌色は黒く、こちらもアメリカ系の顔立ちではない。年齢はますます分からないが、原色の赤いシャツの上からジャケットを羽織った服装の雰囲気からいって少なくとも二十代半ば以上といったところだろう。  最後の一人は小さな老齢の男だった。ラフな開襟シャツにくしゃくしゃになったズボン、手には赤い石のついた大きな指輪を嵌めている。大岩のような男と並ぶと短い枯れ木のようだが、シオンに負けず劣らぬ存在感の笑顔で話している。シオンを除く若者たちが、あまりフレンドリーな性格には見えない中、この男性のコミュニケーションが場を和やかに繋いでいるように見受けられた。全員に目を向け、愉快げに笑いながら頷く。若くても六〇近くに見えたが、動きは活き活きと若々しかった。 「モリー・スミス、アンドリュー・キング、ドミニク・エジャー、シルヴェスタ・ローウェル。シオンはもう芸名みたいなもので、フルネームは分からないね」  新野が指さしながら一人一人を名指す。手には公式の参加者が載せられたパンフレットがある。 「ふぅん」 「それぞれ何が得意かだとか、調べてる?」 「いや、別に……俺たち出場者じゃないし。ていうか別に勝ちたいわけでもないし……」 「それはそうなんだけどね」  新野は苦笑しているようだった。 「君は自分の仕事に忠実だからな。せっかくなら試合を楽しんでもいいんじゃない。日本と違う協会の華、特等席で見られるチャンスだし。シオンは知っての通り舞台パフォーマンスが得意、モリーは絵を描くらしいよ。アンドリューは音楽家、ドミニクはスポーツ、シルヴェスタは事業家」 「それって奴らの超常術に関係あるの?」 「さあ……。紹介に書いてあること読んだだけ」  新野もそれほど熱心な観戦者でもないようで間の抜けた返事を返した。望夢はフライドポテトを頬張りながら無遠慮にアメリカチームを眺めた。  絵を描くと言われたモリーは斜め掛けに画材が入りそうな大きさの鞄を提げている。アンドリューの恰好は日本チームの深弦や隼二を思わせる、ただしそれより主張が強いロック風シャツだ。ドミニクの服の裾から覗く手足には引き締まった筋が見て取れる。事業家と言われたシルヴェスタのこの話しぶりは経歴から来るものだろうか。  と、ふいにシオンと目が合った。  シオンがにっこりとこちらに手を振る。モリーが慌てたようにシオンの手を下げさせた。シオンが不満げに何か英語で喋る中、アンドリューがこちらにずかずかと進んできた。 「え?」 「So you are the one of our Japanese counterparts Sion said, right?」 「えーと」 「What do you think about Holly Children?」 「ん?」 「Boy──」  目の前に黒いロック青年がぬっと立ちふさがってまくしたてる。英語自体にというより、その剣幕に気おされてとっさに何を言われているのかわからなかった。新野が横で目をしばたいた。 「ホーリィチルドレン──ヒイラギ会のこと、訊かれてるんじゃない」 「ああ、……ハロー?」  とりあえず返事しようと話しかけたとき、慌てて追いついてきたモリーが目の前のアンドリューの手を取った。 「Sorry(ごめんなさい)。No, Andrew, come on, now come back(だめよ、アンドリュー、おいで、戻ってきて)」  アンドリューは不満げにモリーを振り向いて何か言った。モリーは何度か首を振って答える。後ろを垣間見ればドミニクやシルヴェスタは様子を変えることなく、ただ黙ってこちらを眺めている。  シオンが向こうから声を張り上げた。 「悪いね。失礼をするつもりはなかったんだ」  どうやら日本語を流暢に話せるのは彼だけらしい。 「ヒイラギ会は日本発祥だからね。みんなやっぱり気になってるんだよ」  しばらく目の前で押し問答をした末、モリーに丸め込まれたらしいアンドリューがそのままアメリカチームの元いたほうへ引き戻されていく。こちらを振り向いてまだ何か言いたげな顔をしていた。望夢はきょとんとしている新野に向かってぼそりと「何がなんだか」と呟く。 「あの子とは知り合い?」  新野がシオンを示して尋ねる。望夢は頷いた。 「気になられたって、俺たちだって何も言えない」  こちらもアメリカチームに聞こえるように声を張ると、シオンは向こうでにやりと笑った。 「そうかぁ。まあ、リヴィーラーズ・システムからすると目の敵だものね」 「……なんだよ」 「失礼をしたって言ったでしょ。それに試合で君たちの術を見たいとも」  嫌味な言い方だ。開場前の通路を通り抜ける人々がこちらの会話に気が付いたのかざわざわと近くでささめいている。純粋に通路を挟んでこんな会話をしていたら邪魔だろう。望夢は首を振った。 「俺は出場者じゃない」 「じゃあ伝えておいてよ」  そんなふうに、何故かこんなところでライバルのような会話を交わした直後、会場アナウンスの音声が鳴り響いた。
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lostsidech · 1 year
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5巻
それぞれの戦いの話。
(No title)とある長夜
序 INTRO
1: All You Need is Love(1/3) (2/3) (3/3)
2: I Don't Want to Miss a Thing(1/3) (2/3) (3/3)
3: Around the World (1/4) (2/4) (3/4) (4/4)
4: Smells Like Teen Spirit(1/4) (2/4) (3/4) (4/4)
5: Stairway to Heaven
終章:Don't Look Back in Anger
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lostsidech · 2 years
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2-③
 翌日からついに大会が始まった。
 開会式のファンファーレは、あえて名門ではなく、アメリカの人種の多様さを象徴する移民の多い地域の小オーケストラによって行われた。  開会式では主催のアメリカSEEP代表である、老獪そうな男性が滔々と話し出した。協会の教科書に載っているような歴史の大げさなハイライトと、最新の技術を使った開花異能者教育プログラムの紹介。そしてアメリカを中心に各国を例に取り、国連が定めた自然開花者への保護と保障の内容が手厚く語られた。 「すごい嫌そうな顔してるなぁ」 「そう?」  隣の席に座を占めた翔成にそう話しかけられた。自分では嫌な顔をしている自覚は無かったので望夢は緩慢に目をしばたいた。 「今さらだよ。協会の冠背負ってアメリカ来た時点でこんな茶番は予想できてる」 「その言い方が、あんまり大人じゃないような気がするね」  彼自身も退屈しているらしい翔成はこちらを茶化して欠伸をする。  大会参加者の中でも補欠にあたる望夢たちは、開会式を別室のスクリーン越しに見守っていた。会議室らしい大部屋にパイプ椅子を並べただけの同じ部屋には、国籍も年齢も雑多な参加者たちがざわめいている。ほとんどがSEEPと同じ組織系列の各国の協会の所属者だが、中にはホムラグループのように、別の形で社会に浸透していた異能者もいるようだ。  画面越しの開会式よりもそちらを物珍しそうに眺めながら翔成は席の背もたれに寄り掛かる。 「協会ってこういうとこあんまりピンと来ないですよね。分かりやすくまとめすぎ、自分たちだけで全部をできるって思いすぎっていうか」 「……お前も結構言うじゃん」 「そりゃ、おれも今回は協会に顔貸してるだけでホムラグループですから」  翔成は当初は協会に所属することも検討していたはずだ。ホムラグループにいる間に意識が変化したのか、あるいは最初からその違和感はあったから協会は選ばなかったのかもしれない。 「でも、多数派に必要な自信ってこういうものなんでしょうね」  彼は再び画面に視線を戻し、そう言った。 「それこそ昔のおれみたいに、迷ってしまうときに強い力で引いてくれるものがあったら、選ぶのは楽だし」 「……多数派、っていうのとはちょっと違うけど、強い力、っていうんだったら。それが今のヒイラギ会人気で、協会が取り返そうとしてるものなんだろうな」  望夢も開会式に意識を戻す。アメリカSEEP代表はまだ話している。 「それ」  とふいに翔成が口調を変えた。後輩としての慇懃なものではなく、ややトーンの低い声になる。 「おまえにとって、ヒイラギ会って止めるべきものなの?」  急な問いかけに望夢は思わず言葉に詰まった。 「なんだよ」 「だって神名さんや莉梨さんから見たら当然商売敵じゃん。でも、おまえはそうじゃない。っていうか何なら、お前の先祖?みたいな人向こうにいたじゃん」 「……」  高瀬誉、高瀬家が京都を拠点にしていた頃の当主だ。確かに今はヒイラギ会の一員だか指導役だかをやっているようだが、望夢だって知り合いというわけではない。翔成が覚えていたこと自体に少し驚いた。  翔成は視線を一瞬こちらに向け、 「一つ言っておくよ。おれ自身は今回は神名さんに乗るつもりだよ……ヒイラギ会のこと、信用するには知ってる人が傷つけられすぎてる。ヒイラギ会がこの大会を壊そうとするなら、それって純粋にたくさんの人が混乱して困りそうだしさ。  けど、おれは一般人の目線で新しいものを怖いと思うだけだから……おまえが違うなら、先に聞いておきたい」  翔成は知った顔──瑠真や莉梨のほか、家族も婉曲的にヒイラギ会に巻き込まれている。それでも冷静なのは、彼自身の冷静さによるものか。……相対的に、望夢のほうが冷静ではないのかもしれない。 「……俺は」  ワールドゲームなんだよ。世界を賭けたシーソー対決だ。脳裏にぺたぺたとキャラメルみたいにくっつく少女の声がこだまする。望夢の家までわざわざ宣戦布告したヒイラギ会のカノのものだ。  ──古い世界と新しい世界はいつだって軋轢するよ。だから、何も言わずに封じ込めてしまうよりは、ちゃんとぶつかろう。ちゃんと、腹を割ってヒントを出し合って、議論を尽くして、平等にやりたいんだよ。きみたちや協会とは同じになりたくないからさ。  望夢自身も、その点で自分が思考を止めている自覚はあった。訊かれても正直なところ、分からなかった。 「莉梨と話してたけど、ヒイラギ会が手を出してくるとしたら個人レベルだ」  前を見たまま、望夢は意識的に淡々と話し出した。 「やるとしたら、俺たちが今までに見てきたようなことをやると思ってる。過度に人を苦しめるようなやり方は止める。……それだけだ。お前と同じだよ。春姫はもっと働けって思ってるかもしれないけど、俺たちもここでの立場はただの参加者だ。先手打って動くには限度がある」 「そう」  翔成は頭の後ろで手を組んだ。 「わかった。じゃあまあ、そのつもりで信じるよ」  画面の向こうでアメリカSEEPの代表がようやく壇を降りた。そこで望夢たちの会話も途切れ、自然とスクリーンの開会式を見つめる。 「おっと。あれは有名人かな?」  翔成が呟いたのは、続いて舞台に駆け出してきた人物が客席に手を振り、湧いた声援に笑顔で答えたからだった。望夢には見覚えのある子供の姿だ。少女、だが元は少年だったことを売りにしているという、スラムの夢の寵児・シオン。 「多分、選手宣誓みたいなやつだろ。プログラム見てないけど」 「なるほどね」  こちらの雑多な待機室内では誰もがぬるい温度感で画面を眺める中、参加者を代表した、大会への意気込みの表明が行われる。と見せかけて、シオンは自らマイクを握り喋りはじめた。ネイティブな英語はほとんど聞き取れないが、やがて彼は舞台袖を指さした。アメリカの流行りのロックバンドらしい数人組が出てきて、再び観客が湧く。 「なんだ、アイドルライブ?」 「そんなもんかも」  望夢は適当に相槌を打つ。何が行われるのかは概ね予想がついた。  そしてその予想通り、ロックバンドが演奏を始めると、ステージの真ん中でシオンが踊り始めた。夜と違って星のような輝きは目立たないが、それでも十分に人を惹きつける華やかなパフォーマンスだ。補欠待機室の人々も思わずといったようにざわついて視線を画面に向けた。 「やるねえ」  翔成はあくまでのんびりしていた。 「ヒイラギ会が子供で売ってるのに対抗して、って感じ?」 「もともと協会は昔から子供を広告塔によく使う。なんなら創設時からそうだろ」 「日本チームも大半未成年だもんね。……ん。あ」  翔成が振り向いた。真後ろを通り抜ける人影があって、偶然空席だった場所を蹴ったらしい。置かれているだけのパイプ椅子ががたりと音を立てた。  自然と望夢もそちらを見た。──見て後悔する。待機室を立ち去ろうとしていたのは瑠真だった。 「なに?」  今日もやはりトレードマークの二つ結びにはせず、猫っ毛をハーフアップにまとめているだけの少女が無表情に立ち止まる。翔成と視線を合わせていた。多分望夢は意図的に無視されている。  後輩が画面を指さす。 「見て行かないんですか、開会式」  瑠真は顔をしかめた。 「いつまでこの部屋で見てろとは言われてない。部屋、戻る」 「そうですけど。ここからが楽しいとこじゃないですかぁ」 「くだらない。超常術は見世物じゃない」  さっさと毒を吐くと、彼女は待機室を立ち去っていく。翔成はありゃぁだめだという目をして望夢に半笑いを向けた。望夢は答えるに答えかねて視線を逃がす。瑠真は元来華やかな場が嫌いだ。  確かに開会式を見守るよう一時的に集められたはいいものの、最後までいろとは言われていない。先ほどから他の参加者も飲み物を取りに行ったり、場合によってはそのまま立ち去ったりしているようだ。このあと試合にせよ他の催し物にせよ、本番での出番が待っていると考えれば自然なことだ。 「ちょっと、追いかけてくる」  重い腰をあげて席を立った。翔成は「それがいいと思います」と生意気な口調で言った。 「こっち来てから話してないでしょ?」 「……うん」 「あれじゃ瑠真さんは何かあっても前に出せないですよね。大事にならないことを祈ります」 「いってくる」  後輩の台詞の途中で言い置いて、瑠真のあとを追う。  彼女は部屋に戻ると言ったはいいものの、待機室を出た廊下のカップ式自販機でカフェオレを飲んでいた。歩み寄って同じ自販機でコーヒーを買う。  ドリップ待ちの赤いランプが点いた。 「なに話しにきたの?」  隣から固い声で訊かれた。  顔をあげ、瑠真を見る。少女は横目に望夢を見ていた。 「なに……って」  望夢は手持ち無沙汰に財布を仕舞った。 「最近、何してるの」  ほぼ毎日顔を合わせていた夏前までと比べれば、前に話してから驚くほどの間隙がある。実際には高瀬式の門下生の下に通って戦闘訓練をしていることを知ってはいたが、彼女の口から近況を聞くことはなかった。 「別に何も……」 「……。アメリカ来てからどっか行った?」 「行ってない」  会��にならない。望夢は宙を仰ぐ。その間に自販機のランプが全て点いて点滅し、電子音声で望夢を呼んだ。ホットコーヒーが出来上がる。  身をかがめて、コーヒーカップを手に取りながら、ほかの話題を探した。向こうも戸惑ったようにカフェオレに口をつけている。話し方に困っているのはペアも同じであるようだった。  無視されるよりはだいぶ進歩だ。異国の地まで来て、彼女もいい加減に会話の必要を感じていたのかもしれない。 「翔成も莉梨もいるよ。会おうと思ったら話せる」  望夢としては自分が口にするにはかなり空々しい言葉だった。瑠真もそう感じたのかどこか苦い顔をする。 「私さ」  そして向こうから話題を切り出した。 「戦えると思う」 「……。……、そう?」 「後回し術式って呼んでるんだけど──、痛みとか、怪我とかを一時的に『無いもの』にできる。怪我、しなかったように一時的に体の状態を書き換えられる。あとで術式を解除すると全部一気に戻ってくるんだけど、その時には医者にいるようにして」 「そんな、──今回は戦わなくていい」  望夢は見ている。彼女が『後回し術式』と呼ぶものの実践を。  満身創痍の彼女が一瞬にして無傷になり、戦いを終えてから一気に血を噴きだして倒れた。便利、ではあるだろう。相手に与えられた傷を全て無視することができ、自分の戦法に集中できる。彼女のように猪突猛進型の性格であれば余計にそうだ。  だが、だからこそ使ってほしくない。  それでは彼女はたとえ死に至るような傷を負っても戦い続けてしまうような──そんな気がする。 「今回は情報収集が主目的だ。正面から戦う場面はそれほどない。そうなったら応援呼べる戦力もいくらでもいる。協会の表向きの参加者もそうだし、ホムラグループとか、高瀬式も一部潜り込んでる」 「でも、……。そっか」  瑠真は言いかけて唇を噛んだ。望夢はまずったと思う。瑠真は多分戦いたいのだ。それを無下に否定されるほうがじれったいのだ。  でも、と望夢は思う。だからって彼女の言う通りやれとはとても言えない。  何かとにかく切り返そうとしたとき、目の前の待機室の扉が開いて人影がどやどやと出てきた。同時にアナウンスが鳴り響く。参加者の各会場待機を促すものだ。 「ごめん。行こう」  瑠真がカフェオレを煽って飲み干し、カップを捨てた。望夢は呼び止めかけた手をその肩に置けずに彷徨わせた。  少女の表情はあくまで頑なだったが、それでもかつての子供じみた横顔よりもずっと大人びて、遠くにいるように見えた。 次>>
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lostsidech · 2 years
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2-②
「おかえりなさい、旦那様。お疲れでいらっしゃいますか?」 「何してんだよ」
 ホテルの部屋に帰ってくると莉梨がいた。しかも何故か胸元にホテル名の入ったメイド服を着、髪を小さなお団子にして編み込んでいる。
 突っ込むと莉梨は肩をすくめて部屋のベッドに勝手に腰かけた。望夢はいちおう連れてきた翔成と相部屋なのだが、観光にでも出ているのかその姿はない。望夢としてはお前のところのお嬢様なので帰ってきて面倒を見てほしい。  莉梨は片手で前髪を梳きつつ、 「もう少し素敵な反応をしませんか? 貴方が言った通りです。頭数に莉梨が入ってるから、滞在中少なくとも一回は、出入りして用意された部屋を使ってるふうに見せてあげないといけないでしょう? 今日は裏からなのでホテルメイドに紛れて潜入を」 「お前ならまばたき一つで最初からいたふうを装えるだろ」 「まあそんな悪女みたいな」  口元に手を添えて彼女は軽くウィンクする。解釈相性優位の望夢でなかったら軽く臣下になってしまいそうな女王様のウィンクだ。 「というのは冗談、ではないけれど説明不足です。堂々とホテルの宿泊者名簿を漁るのに、楽しいのでちょっと制服をお借りしました。たしかに能力を使って莉梨を目にする人に違和感を抱かせないことはできるのだけど、衣装も借りず演技をするのも非効率ですからね」 「宿泊者名簿?」 「指定ホテルなので、日本以外の大会参加者も宿泊してるんです」  しっかりコピーしてきたのか、やっぱりちょっと悪いお嬢様はファイルを取り出して顔の横で振った。 「公式宿泊者との齟齬や変更がないか、また大会で公表されている以外に張り込ませているらしい関係者がいるか。ひととおり調べたいところですね」 「……助かる。調べてる中に、シオンってガキはいない?」 「シオン? アメリカSEEPのですか?」  枝葉の質問だったのだが莉梨にはしっかり通じた。しばらく滞在していただけのことはあり、この地域の異能事情にも詳しいようだ。 「アメリカ代表、それもニューヨーク出身ですよ。ホテルに泊まる必要はないでしょう」 「そっか。それもそうだな」 「あ。その顔、会ったんですか?」  急に莉梨が興味深そうな顔つきになって望夢を見つめてきた。 「確かに、サウスブロンクスの情報屋に立ち寄ったらいてもおかしくないですものね。彼を育てたのはあの街だと聞いています」 「彼?」  思わず目をしばたいて訊き返した。シオンは少女……ではないのか? 「ああ、莉梨が知った時は男の子だったんです、ごめんなさい。可愛い子でしょう? 見た目ではわかりませんけど、公式的に元々は男の子だったんですよ。まだ一二歳ですから、行政の対処としては早いほうです。年下ですね」  莉梨は指を二本立ててプロフィールを説明した。望夢は少し嫌な気持ちになった。スターと呼ばれるシオンの存在が、『行政の対処としては早い方』の宣伝のように感じたのだ。  莉梨もおおむね同じ気持ちらしく、 「これを言っては無粋ですけど、彼女の振舞いや容姿も、現在のアメリカSEEPの看板にふさわしいのでしょうね。貧しい生まれを気にせず、好きな性別でいて、自信をもって話す。少女でも少年でもあるアイコン」 「……だろうな」 「当人がいいならいいんですけどね。どうにも」  イギリス生まれの莉梨は毒を吐くと、空気を切り替えるようにぽん、と手を叩いた。 「プリンセス・シオンはじめ、アメリカの子たちはそれぞれ滞在場所があるので追えません。けど、私がちょっとだけ危惧してることがあります」 「……なに?」 「大会参加者側にすでにヒイラギ会の息がかかっている可能性ですね。それを調べるためのリストです」  莉梨は自分の持ってきたファイルを指さして言った。 「直近の公表されている大会参加者はすでに経歴や行動を洗って目星をつけてありますが、周辺人物は分かりません」  望夢は聞きながら頷く。当然のこと、ありえなくはない話だ。ヒイラギ会の活動の痕跡は異能の気配ではトラックできない。  ヒイラギ会をおびき寄せるための大会だ。彼らも事前に策を講じ、根を張っていてもおかしくない。 「どう、今のとこ。大会ごと乗っ取りに来るようなことって考えられる?」  莉梨に向かって尋ねる。莉梨は少し空中を仰いだ。乗っ取る──と言えば互いに意味は伝わるだろう。最も怖いのは、このイベントはたくさんの人が集まるものであり、世界に向けて発信されているということだ。彼らの洗脳兵器、クォリアフィルタは映像でも働くという証拠があった。 「彼らがもし実際に入り込んでいたら、注目に便乗してヒイラギ会式の洗脳を行う可能性は、もちろんゼロではありませんが……」  莉梨はそこで一度言葉を切り、 「多人数を対象にするような技術ではないと思いますね。それが可能なのなら今までにも動画でやっているはずです」  そう判断を述べた。所感には望夢も変わりはない。今まで目にしたクォリアフィルタの用法は、基本的に彼らがすでにパーソナリティをよく知る者への揺さぶりに限られていた。  次いで尋ねる。 「まだできることを隠してる可能性はどう思う?」 「一つ内緒話をしましょう。ホムラグループの、この秋に失踪した研究員が、ことによってはクォリアフィルタの応用研究に使える資料を持ち出しています」  さらりと、莉梨は自分のグループの不祥事を口にした。女王はあくまで冷静だった。 「『私』を実験台に行った、洗脳時の科学的な条件変化の実験データ」  急な話に少し戸惑ったが、頷いて答える。 「……なるほどね。確かにヒイラギ会の当人たちから、クォリアフィルタは莉梨の妖術がモデルだとは聞いてる」 「ええ、私もそれは調べがついています。そしてその実験では、『私』の術はあくまで認識した人物との関係をもとに構築するもので、一般集団を対象には適用できないと結論づけられた」  莉梨の妖術は、莉梨の姿や声を知覚した相手に問答無用で言うことを聞かせる。複数名を一気に配下に加えることも当然できる。しかしその細かな方法は、使い手の莉梨自身が繊細に調節しているものだ。相手に自分がどう見えているか、相手は今どこに立っているか、周囲の空気がどんなコンディションかでも、常に術の形は変わる。 「強いて言えば、特定の同じ文脈を持った集団を対象にするなら、一般化したアプローチを掛けること自体は可能です。でも、一般化すればするほど個人への影響力は弱まるし、環境要因は予測しづらい。対象が増えるほど、効果は確実じゃない。  今回の場合、この大会への関係者を最も広く取るのなら『参加者、観客、世界の視聴者全員』となりますが、少なくとも今わかっているヒイラギ会の手札で、それは現実的ではないでしょう」 「オーケー。ってことは、やっぱり、警戒するべきなのは個人レベルのスパイや勧誘だな」  それなら自分たち「補欠」がいる意義も十分にある。 「整理できて助かる。会期中も動きがあったら情報共有しよう」 「うふふ、お役に立てたなら何より。莉梨も貴方の感知能力が借りられるならとっても助かります。それで、情報屋リストのほうもどうでした?」 「勉強になったよ」  話が移る。アメリカの情勢についてもまだこちらから聞きたいことがいくつかあった。望夢はポケットから当該リストを取り出そうとし、一緒に入れていたチョコレートを取り落としそうになって指先でキャッチした。 「っと。……そういえばお礼にでも、これ、要る?」 「なけなしのお代ですね」  これは莫大な情報料を代理で支払ってくれたお嬢様の当然の見解。チョコレートの単価はせいぜい一ドルだろう。受け流されたと思ったが、メイドに扮した女王様は、ベッドに載せた膝に頬杖を突いて眉を下げて笑った。 「いただきますよ。いまのは意地悪」 「……ん。はい」  自分で口に入れようかと丁度包装紙を剥がしていたところだった。迷ったあとそのままチョコレートを差し出す。莉梨が口を開けた。一瞬戸惑うが、手を止めるほどのことはない。開けられた唇に向かってチョコレートを運ぶ。  少しの間、会話に隙間が生まれる。かち、かち、と妙に時計の音が響く。  と、そこへ扉が開いて、ホムラグループの小姓にして今回は協会の代理出席人こと、日沖翔成が入ってきた。 「あ、戻ってたんですね。莉梨さんのお遣いでホムラグループアメリカ支社に──おっと」  戸口で危うく踵を返されかけた。 「待て」 「翔成くんだ。おかえりなさい。お邪魔してます」  望夢が振り向いた隙に、莉梨が乗り出してぱくりとチョコレートを頬張った。そのまま口をもぐもぐさせながらお行儀悪く翔成に挨拶する。翔成は引き留められて立ち去り損ねたていで扉にひっついた。 「あのねえ、莉梨さん。来るなら来るって連絡して、ついでにコスプレしてるって予告してください」 「コスプレじゃないです。お仕事です」 「いや絶対楽しんでるでしょ」  望夢もそう思う。  後輩の視線が続いてこっちを向いて、 「というかおまえも逢引きするなら別の部屋でやってくれ」 「逢引きじゃない」  聡い後輩ではあるがこれに関しては否定させてもらいたい。ついでに言うと俺がメイド服を着せたわけでもない。そこは断じて。 次>>
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lostsidech · 3 years
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2-①
 ビッグ・アップルという言葉は、ニューヨークを示す俗称としてアメリカの新聞記者フィッツジェラルドが定着させたものだという。みずみずしくも熟れた赤い果実のイメージは、ニューヨークという巨大な街の悪魔的な魅力、集まってくる富や文化的求心力を指すとともに、その内側の腐敗に似た混沌をも思わせる。  枝から養分を吸い上げ、中心にたっぷりの蜜を蓄え、虫を寄せ付ける巨大なリンゴ──
「日本と同じだ」  煙草とハーブ系の香料らしいものの妙に饐えた匂いをさせながらその男は低い声で言った。 「アメリカのSEEPはつまり、国連本部のお膝元ということになる。そういう意味では日本よりなお状況は悪い。  奴らはパフォーマーだよ。自分の考えに反して暴れる者をいかに自分たちの政治に取り込むかをよく分かっている。抵抗したって無駄、奴らの甘い魅力を増すだけだ、と分かると、みんな無抵抗になっていく。そうすりゃ奴らは金だって渡してくれるんだ。それでいい、と思うだろう。ニューヨークの異能の歴史はそういうこった。  俺たちは俺たちの平穏を求めるだけさ。俺たちは二次大戦以降、別世界のまま奴らと手を取り合って進んできた」  ありがとう、と望夢は言った。  煙草は買えないのでカウンターに置かれたチョコレートの缶を指さすと、煙草屋の店主である男はその中から幾つかの包みを手に取って望夢の前に置いた。望夢は懐から対価を取り出してカウンターに置��。といっても大金を持ち歩けるような立場ではないのでそれは特殊な小切手だ。走り書きしてあるのはホムラグループ令嬢の花を模した可愛らしいサインだった。支払い請求は向こうに行われる約束になっている。  サウスブロンクス。ニューヨーク市最大の金融地区であるマンハッタン島を北上し、アメリカ本土の入り口を超えると、この一帯はある。ニューヨークにおけるいわゆるスラム街だ。  街には味気ない灰茶色にすすけた低所得者用のアパートが均一に建てられている。『チョコレート』のお題を支払って外に出れば、そこかしこからアジア系観光客への無遠慮な視線がこちらを覗いている気がする。金目のものはほとんどホテルに置いてきたが、そもそもうっかりこんなところでトラブルを起こすわけにはいかない。大会に影響がある以上に望夢の立場とはそういうものだった。望夢はできるだけ隙を見せずに足早に街を歩いた。今日のところはこれくらいでいいだろう。ヤンキースタジアムなどの観光地がある大通りまで出れば人目も多くなる。  アメリカ行きを目前に控えていた頃、ホムラグループの跡継ぎであるところの帆村莉梨から小型郵便が届いたのだった。入っていたのは先ほどの小切手といくつかのニューヨーク近辺の住所をつづった簡素なリスト。それはアメリカにおける、いわゆる『異能秘匿派』に詳しい情報屋を示すリストだった。  世界各地に拠点のあるホムラグループ令嬢の口利きで、事前にアメリカの秘匿派事情については調査が入っていたようだ。望夢が詳しく知りたいと言うと、日本人の応対に慣れている情報屋を幾つか指定された。到着一日目は夜だったため、目覚めて二日目の今日、望夢は一日をリストの住所を回ることに費やしている。  素直にありがたい助力だった。口頭や書面で話を聞くよりも直接見た方が事情はよくわかる。  敵として想定しているヒイラギ会「ホーリィ・チャイルド」は、解釈異能の世界秩序転覆を目指している。  敵を待つにもまず戦う土壌が分からなければ意味がない。アメリカの解釈異能の勢力バランスや、彼らから見た今回のこの「大会」への見解が知りたかった。ただでさえヒイラギ会の賛同者は世界各地で出ている。アメリカ解釈異能派閥の情勢によっては、日本とはヒイラギ会の受け止め方が違うこともあるだろう。そういう意味での調査だった。場合によっては、アメリカの住人にはこの急な大会の開催国として、主催側の会場選びや財政繰りへの不満があることだって考えられる。それが敵を魅力的に見せることだってあるのだ。巨大な堤も蟻の穴から崩れる。  実際にその土地で暮らす人と話すことで得られる、感情の機微の情報量は、手間で割っても紙の比ではない。望夢のやり方にとっても大切なことだった。高瀬式秘術の異能は小さな事象を計算して対象解釈を解析する。  チラシやペットボトルの転がる路地にぽつぽつとオレンジ色の街灯が点り始める。夕刻の裏路地には、日本より少し早い寒風が吹き抜ける。身を震わせて首をすぼめ、コートの前を合わせる。ポケットに入れたチョコレートがかさかさ音を立てた。  そのとき、 「ハイ」  後ろから明瞭な発音で声をかけられた。 「Are you an Asian, aren`t you(きみ、アジア人だよね)? 你好(こんにちは)」  振り向く。  少女……らしき人影がそこに立っていた。  肩に付く程度の金髪に白いリボンカチューシャを刺し、腕を組んでこちらを見つめている。外国人の歳の頃はわからないが、まだあどけない顔立ちをしている。夕方が近づき寒くなっているというのに衣服は半袖だ。 「ジャパニーズ」  自分を指さしてそれだけ言う。  少女は嬉しそうににっこりすると、日本語で口を開いた。 「そう。日本代表なんだ。SEEpの子かな?」 「は?」  西洋人然とした容姿に反して流暢な日本語だった。それ自体にまず驚く。  それから口にされた言葉に戸惑って思わず眉をひそめた。こちらが大会出場者であることを把握して話しかけてきたのか? 「コンニチハ。ワタシはシオン」  彼女は挨拶してこちらに白い手を差し伸べた。望夢より背が高いように見えたが、見れば高いヒールを履いているので、同じくらいかあちらのほうが小さいかもしれない。 「SEEPの大会に出るんでしょう?」 「どうして知ってる?」 「おじさんに聞いたんだよ」  聡明そうな瞳がぱちぱちと瞬いた。澄んだ青い瞳だ。 「煙草屋に行ったでしょ」 「……」  煙草屋というのはまず間違いなく、先ほど望夢が出てきたばかりの情報屋だろう。 「このあたりに住んでるのか? 子供が出入りする場所じゃないだろ」 「またまた。子供ってだれのこと? きみも一緒なのに」  彼女は妖しく笑った。 「Interpret Artのこと調べてた」 「は、」  ──解釈異能。  のことだと気が付くまでに数瞬を要した。 「え」  反射的に警戒する。比較的近くにいて頼れる莉梨に連絡しようかと携帯電話に手が伸びた。シオンと名乗った少女はそれを一瞥して首を振った。 「そんな顔しないでよ。こっちもいっしょだよ」  彼女は腰のポケットに手を突っ込み、ゴソゴソとしばらく何かを探して望夢の目の前に突き付けてくる。  イベントのチケットらしいものだった。こんなところで何故と思いながら思わず仰け反って見つめる。数秒間何を示されているのか理解できなかった。  シオンが手を上下させる。 「書いてあるでしょ。E-I-C参加者って」 「……ああ」  ようやく飲み込めた。英語で書かれたチケット所有者の団体名だ。日本のものとはデザインがやや違ったが、参加者に渡された会場間の通行証だろう。 「アメリカの?」 「うん。シオンのこと知らないの? 不勉強だな。アメリカSEEPのスターだよ」  シオンはその場で厚底を鳴らして楽しそうに笑った。知るわけがない。接する機会がないのだから。  とはいえ、アメリカSEEPの関係者であれば解釈異能という言葉を口にするのも不思議ではない──今は。ヒイラギ会の動画で説明されているものだからだ。少し前であればよほどスパイを疑う合言葉ではある。  望夢は苦い顔でシオンを見返した。周囲は刻一刻と日暮れに染まり、道の真ん中で金目のチケットを振り回して話している子供二人を眺める好奇の視線がいくつか背中に感じ取れる。 「ともかく、アメリカ代表様がこんなところをほっつき歩いてたら叱られるだろ」  地下鉄駅に向かってシオンの横を通り抜けようとする。用があるならついてくるだろう。そうでないならこちらからはそれほど用はない。別にアメリカSEEPと仲良くなりにきたわけではない。  しかしそのとき、少女は真横を通る望夢に向かって不敵に笑った。 「調べるなら『見』ていきなよ。その目でさ」 「何を──」  振り向いたとき、話しかけるより先にシオンが手を振り上げた。 「I`m home, my lovely home town!(ただいま、わが素敵なホームタウン!)」  言葉とともに、極彩色の星がはじけた。  望夢はそのとき、「協会式」、あるいはリヴィーラーズ・システムという言葉の印象を一新した。いや、初めて鮮烈に刻み付けられたといってもいい。  それは、『美しかった』。  少女は、踊っていた。厚底と身軽な衣装をひるがえし、跳びあがる。光の軌跡が彼女を愛おしむようにその後を追い、軽やかに彼女の身体を取り巻いた。彼女は階段でも飛び越えるように街灯や屋根を跳ね、そして宙で回った。  おそらく行われていることはただ光を発生させるだけの光術、そして身体強化や、その後の風の操作だ。  しかしその『ショー』の観客にとって、理論はどうでもよかった。  安アパートの窓からいくつもの顔が突き出される。彼女は空中をくるくると回りそこに透明な床でもあるように窓から窓へ渡り歩く。そして笑顔で手を差し伸べて街の住人た���と握手した。わっと彼らは喝采する。シオンは道の反対側へと宙返りし、枯れた噴水を踏む。その手で空気を抱きしめてから離すように両腕を広げた。腕の中から光の粒がいっせいに弾けて路上に降った。いくつかは星のかたちをして窓の中へと舞い込む。すぐに消えるただの光と知ってか知らずか、アパートの子供が喜んでそれを掴もうとしている。  気づけば、道はとっぷりと夜に染まっていた。  なのに、その中で彼女だけが人工の一番星のように明るい。 「この街の生まれなんだ」  点った街灯の一つに両足を付けて、少女は何か言った。 「そこへアメリカの会長が来て、みんなの『星』にならないか?って言った。ワタシは最初嫌だって言った。それでも彼は熱心だった。シオンには才能があるのがわかってたらしいからね。  街の人にシオンの代わりに報酬を受け取ってもらうのを約束して、シオンはアメリカSEEPのメンバーになった。世界の夢を背負う、とびっきりのスターとしてね」  アメリカンドリーム。今やもう形もさまざまに使い古されたそんな言葉が望夢の脳裏を過る。  貧乏人もチャンスをつかめばトップになれる。そんな夢の舞台に選ばれた俳優としてシオンは立っている。シオンは美しい少女だ。シンデレラストーリーのヒロインとしてふさわしい容姿と、そして実力があったのだろう。  気づかないうちに望夢のそばの路地に、先ほどの煙草屋の男が佇んでいた。望夢ははっとして距離を取った。彼は壁にもたれシオンを見上げている。こちらに視線を向けもしない。  その瞳が、シオンを慈しむように細められているのを望夢は夜明りに見た。  そして『理解する』。アメリカに鎮座する巨大なリンゴの、特殊な構造を。  奴らはパフォーマーだよ。自分の考えに反して暴れる者をいかに自分たちの政治に取り込むかをよく分かっている。抵抗したって無駄、奴らの甘い魅力を増すだけだ、と分かると、みんな無抵抗になっていく。そうすりゃ奴らは金だって渡してくれるんだ。それでいい。  この街はSEEPに関して相反する感情を同時に抱いている。身をひそめる少数派たちを抑圧する敵、腐った蜜を蓄える利益構造の総本山、そしてきっと、愛娘を攫っていった人間開発機関。  けれどそれは同時に、彼らの愛娘が晴着をまとって踊るステージであり、彼ら自身を支える生活の糧でもあるのだ。  ぞくりと背筋が冷えた。SEEPの外面の良さと狡猾さは日本でよく思い知っていたつもりだった。しかし春姫のそれとこの構図はまた色が異なる。権威の圧力で牽制するのではない。巨大なリンゴが彼らに提供するのは、この国に満ちている命題だ。夢や希望そのものだ。 「勉強になった?」  目の前で声がした。音もなくシオンが路上に降り立っていた。肩につく長さの髪がさらりと風に舞い上がる。 「きみたちにも魅せてほしいんだ。シオンが夢中になったこの、リヴィーラーズ・システムってやつの力を」  彼女が手を差し出す。  望夢は反射的に小さくかぶりを振った。望夢は協会式は使わない。理論として学んではいても、根本的に価値観が身に馴染まないから適切に使うことはできない。──そういう意味で、会長自らに勧誘されたといってもシオンには確かに素質があったのだろう。あんなまばゆいばかりの笑顔で術を使うのは、訓練と演技だけで可能になるパフォーマンスではない。  ああ、そうか、と望夢は思った。  この大会の目的は、ヒイラギ会に揺るがされている世界の人々に、既存の解釈の求心力を再確認させること。  リヴィーラーズ・ライトは、当初からその扱う術の見栄えの華やかさにより表に出てから一気に広まったのだとされている。だから今も協会式の術の基本は光術だ。光を伴う術体系はこっそりと悪用ができないという仕組みにもつながっている。  なんだそんなこと、と思うような、ごく単純な『美しい』『綺麗だ』『楽しい』という好ましい感情は、そもそも彼らの最大の強みなのだろう。  それはヒイラギ会が提唱する『好きなことをしよう』という理論にも、そのまま相乗りして信者を奪い返せるだけの力を持っている。なんのことはない、ヒイラギ会だって動画映えする子供たちを主役に、視覚的なインパクトも持って支持を広げてきたのだから。 「答えてくれないの? そう」  シオンは唇を尖らせて差し伸べた手を降ろした。望夢は少し俯きながら「趣味じゃない」とだけ、淡々と答える。嘘ではない。協会式自体が望夢の趣味じゃない。彼女の手を取って、協会式を広める手伝いをするなんて約束はできない。 「つまんないな。構わないよ、日本人はシャイだってわかってるから」  シオンが靴底を引きずるように鳴らして向きを変える。その音に、ふと自分に向けられた以外の煮凝りもあるような気がして望夢は顔を上げた。 「また大会で会おう」  そう最後に言い残して、アメリカの寵児は一足先に、地下鉄駅に向けて歩き去っていく。  その途中で確かに街に向けて何度も手を振り、笑顔を振りまく。歩調はすでに、自信に満ちた軽やかなものに変わっていた。  さっきの一瞬だけの重い靴音がなんとなく引っかかっていた。  本当に他の代表参加者にも力を魅せてほしいのは、これが正しいと信じなければならない彼女自身のような、そんな気がした。
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lostsidech · 3 years
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1-③
『あとおれたちも別口で上陸はする』 「え? 暇なの?」 『自由の女神に頭打って死ぬか? お前と協会とホムラグループが余計なことをしたせいで、後からおれたちの仕事が増えたら困るからだろうが』 「仕事なんかもうないだろ?」 『お前が持ってきてんだよお前が』
 そこであいさつの一言もなく電話が切れた。望夢は場内アナウンスを聞きながら携帯を閉じて、ついでに早めの機内モードに設定した。今から誰かから連絡が来ても困る。  空港の待合だった。隣にはでっかい旅行鞄を抱えた後輩の少年。アウェーなメンバーに囲まれてややおどおどしている。当然である、彼の正規所属はホムラグループだし、正確に言うなら望夢のではなく瑠真の後輩だ。少し離れて指導官の新野。それからその向こうにお忍びのサングラス姿と目立たない洋服姿で見送りに来た神名春姫がいる。杏佳は少し前から現地入りしているらしい。莉梨も以前からアメリカにいるから、そのまま先にニューヨークのホテルを取っている。  また、当然のことこの場で飛行機を待っている者は、望夢たち「補欠」だけではない。 「あれ、深弦(みつる)それ何?」 「え、ただのトッピングだよ。くまのクッキー」 「うそっ、そんなのあったの? オレ気づかなかった。ね、そっち一口もらっていい?」 「……。いいけど、宝木が自分で取ってよ?」 「へへへ、そう言わず深弦があーんして痛ぁっ!?」  少し遠くから裏返る声が聞こえてきて望夢は苦虫を噛み潰したように目を逸らした。視界の端で、近くの空港内カフェのテイクアウトのカップを持った高校生くらいの男女がこっちへ歩いてくる。カフェの横を通った時に見た記憶では、カップに入っているのはシャーベット状に凍らせたフローズンヨーグルトだったと思う。好きなチョコレートやフルーツをトッピングできるのが売りらしい。アイスとどう違うんだろう。  フローズンヨーグルトと同じくらい高瀬望夢とは無縁と思われる、きらきらしいオーラを放つ彼ら。望夢たち底辺ペアとはまさに大違い、本局最優秀の成績で知られる高校生だ。名前は丹治深弦(たんじみつる)と宝木隼二(たからぎしゅんじ)という。  丹治深弦のほうはどこか人を寄せ付けない雰囲気の女子高生だった。ざっくりと狼のしっぽみたいに切った黒髪を背に流し、ロックバンドのTシャツを着ている。宝木隼二は望夢と会ったら相互に風邪を引きそうな軽薄そうな男だった。どこまで校則で許されているのか、さりげない茶色に髪を染め、毛先を軽く遊ばせている。見た目は爽やかな伊達男──しかし彼らは災害救助や海外案件、表立って協会の広報を行う機会にも表に立ち続けている。信用ならない。どこにでもいる学生カップルのように見えることが最も信用できないのだ。  とはいえ使うのが協会式であるのなら仮といえども望夢も学んでいる。こと自分にとって、協会式との元来の相性の悪さを超えるほど怖い存在というわけではないが。 「よう高瀬くん」  逸らした視線の先へ当の宝木隼二に顔を突き出された。  そちらを見る。 「は?」 「どうも。ちゃんと挨拶ってまだしてなかった気がしてさ」  彼はまだ食べ始めたばかりのヨーグルトカップを持ったままそこにいた。今日は隣を歩く深弦との統一感でも意識しているのか、こちらもお大人しいデザインではあるもののロックテイストの服装をしている。  正直このプライベートを隠そうともしないところが一番苦手だった。協会という場所においてほとんど噂話の一つにも付き合ったことのない望夢でも知っている。本局最上位ペアは公認の恋人関係なのだった。 「挨拶って……」  望夢は半眼で相手を眺めつつ、 「あんた、俺の事情知ってるだろ」 「うん。だから来たんだよ。いざ何かあって協力ってなったときに、気まずくないほうがいいだろ」  宝木は気軽に言いながら隣に腰を降ろした。望夢は思わず少し距離を取る。 「そう警戒するなって。オレ前のことは引きずらない主義だから」  相手は言いながらフローズンヨーグルトにスプーンを差し込み、スプーンを持った手をこちらへ差し出す。 「食べる?」 「いらない」 「つれないなあ」  そのままスプーンは宝木の口の中に運ばれていった。一点訂正しよう。宝木はプライベートで関係があろうがなかろうが距離が近いようだ。  要するにこういう距離の近い人間が苦手だった。人に無遠慮に踏み込んでくるので。 「今回俺たちとあんたが関わることは多分あまりないよ。俺たちは諜報・警戒部隊だし、あんたたちは表舞台に立ってて忙しいんだから」 「なに言ってんだよー、現場にイレギュラーはつきものですよ」 「それはそうだけど」 「どっちか人手が足りないこともあるし、災害があるかもわか��ないしね。線引きしてる余裕ないよ、予想外のことが起きるときってさ」  宝木の明るい目が望夢をとらえる。どきりとして思わず一瞬目を逸らした。線引きは必要ない──というのは、望夢自身が解釈異能抗争に関わるたびにペアに言われ、そして自分も言ってきたことだ。 「それは、思う、けど」 「そんで線引きにこだわる奴から負けてく。気を付けようぜ、正直なところこんな急場の大会がちゃんと回るとも思ってない」  線引きにこだわって負ける���という響きで思わず諫められた気がしてぐっと詰まる。そう言われると思い浮かぶのはやはり、自分がかつて逃げ出した実家で起こったテロだから。  宝木はフローズンヨーグルトをつつきながら呑気な口調で話している。だが望夢は更に彼への認識を上書きする。呑気なのは口調だけだ。やはり信用ならない──けれど、少なくとも本質的に慧眼であるというその点で、かえって信頼はできる相手だ。  宝木はしばらくすると、こちらを振り向くとにこりと笑った。 「頼りたくなったらいつでも教えてよ。先輩ってことで」  言うと携帯電話を取り出し、無理やり望夢に連絡先を交換させた。普段からこうして交友を広げているのだろう、よどみない手つきだった。用事が済むと、じゃ、深弦が待ってるから、そう言っておどけて席を立つ。目的はアイスブレイクだったはずなのに、こちらとしては無意識に詰めていた息を吐く。  彼我の間の氷が割れたかは不明だが、少なくとも、確かに互いを頼る際に声をかける大義名分はできた。根回しとはこういうことか。正直望夢の発想には足りていないものだ。ちょっと負けた気がして去っていく背中から視線を外す。  そこに瑠真がいた。 「補欠」メンバーの最後の一人、連絡が取れないのでしまいには無理やりメンバーに押し込んだ望夢のペア。  偶然視線がかち合った。正確にはまだ距離がある。空港の通路を国際便待ち合いに向けて歩いてくるところだ。「……ぁ」思わず互いにじっと見つめる。相手は立ち止まった。  一瞬、無言の空白が流れる。  瑠真はそのまま視線を逸らして待ち合いの椅子に座った。この距離では声を掛けづらい。一ヶ月近く前、十月の夜に一度、たまたま宿舎の近くで会って、夜道で話して以来の対面だった。とっさに席を立ち、話しかけに向かおうとして、そこで足が止まる。  宝木に感じるものよりも、はるかに分厚く、冷たい氷のような壁がペアとの間に降りていた。  それこそ宝木がしてくれたように、氷を壊そうと試みるべきなのかもしれない。せめて一言でも、割れるに至らなくてもせめてその巨大な塊の端を解かすような。  しかし足が止まる。  望夢にそういうことはあまりできなかった。  気づいたらしい。後ろにいた新野がとんとんと望夢の肩を叩いて横をすり抜けると、人の間を縫ってそちらに向かった。望夢は根が生えたような足を踏み出すことができないまま、元の椅子に座る。一言ふたこと、何か指導官と瑠真が言葉を交わしているような風景が見えた。だがこの距離では聞き取れず、唇の動きも読めない。瑠真の表情は硬い。新野がちらりと気づかわしげにこちらを振り向いた。肩をすくめるだけで返す。瑠真はこっちを見ない。  間もなく飛行機の搭乗音声が鳴った。  人波が動き出した。それまで観光客面で素知らぬ沈黙を保っていた春姫が、ふと溜息を吐くと、立ち上がってこちらにやってきた。 「頼むぞ」 「……うん」  彼女も瑠真が来ていることに気づいてはいるのだろう。しかし直接触れることはない。望夢もそれは仕方がないと思う。彼女に言えることのほとんどは、今の瑠真の緊張を解くにあたっては逆効果だろうからだ。頼むぞ、というのはそのまま、ペアのことも望夢に任されているのに相違なかった。  やがて協会の即席チームも、荷物をまとめて望夢を促した。離れたままで瑠真も立ち上がる。新野は瑠真に付いたまま何か話していた。  飛行機内の座席は団体扱いで全て並んでいる。なのに、彼我の間には破れない壁があるままだ。  二列になった人ごみは黙りこくった望夢を運んで搭乗口に流し込んでいく。  向かうのはニューヨーク。世界の文化・金融のセンターにして、協会の来歴にも関わる国連本部を擁する、巨大な政治都市。
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