概念の更新
自分の考えていたことと現実が大きく異なるという事実に時々出会う。自分の中でかってに作っていた想像の姿が現実には全く別のものであるという発見だ。これは知識の不足からくることもあるが、むしろ自分ではそう思っていたのに現実は違っていたということの方が多い。
なにかの対象についての概念は日々の経験や、他者から受けた情報などで少しずつ形成される。しかし、どういうわけかどんなにたくさん情報があっても自分が作った骨組みにそって取捨選択がなされ、結局は現実とは遠い概念が生まれてしまうことになる。そして、一度ある程度それが出来上がると修正することが困難になる。思い込みというものが形成されるのだ。
日常生活において自分の身近で常に繰り返されるものは、それに対する概念が更新されていくが、少々縁遠いものだと誤った概念が修正されることなく残ってしまうことがある。それがあるときなにかのきっかけで急に真実に…
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思い込みはどこにでもある
先入観を持って物事を見るのはよくないことである。それは確かだ。でも、まったく先入観のない状態などありえない。私たちは物事を見るときになにがしかのフレームを持っていなくては安心できない。何もない状態で世界を見ることはあまりにもワイルドだ。過酷な状態に身をさらし続けると、披露困憊して十分な行動ができない。
これはこういうものだという把握を思い込みとみなすのか、掌握のための手段とみなすのかで評価は大きく変わる。思い込みは良くない、でもある程度の固定概念は日常を切り抜けるためには欠かせない。この区別を上手くできないと話は極論になってしまう。思い込みは良くないとだけ言う人はこの点を考えなくてはならない。
それでは先入観を極力なくし、なおかつ日常生活を成立させるのにはどうすればいいのだろう。まずは自分が無力であることを自覚することが必要なのだろう。自分の価値観が世界の価値観と近いと考えては…
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連休
今年の大型連休は前後に分断されてしまった。中には間を休める方もいらっしゃるのだろうが。私のような職種は暦通りしか休めない。
でも、いまの自分にとっては長すぎる休みは調子を崩す要因にしかならない。適当に休んでまた仕事をする生活の方がいい。変化よりも安定の方がいいとは我ながら残念である。
恐らく退職したあとも私は何らかの仕事をするはずだ。収入があるかどうかは分からないが。そういうふうに生きてきてしまった。
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手書き入力
スマートフォンで手書き入力をためしてみた。意外と正確に反映出来ることに驚いた。画数の多い漢字は片手持ちの親指書きではさすがに難しいが、それ以外はむしろ思ったよりいい。
タブレット端末等を机上で使うときは手書き入力にしようと考えた。その方が思考のスピードに合う気がする。文字を忘れないようにするためにもいい。
音声入力もかなり精度が上がっている。ただこれは周りに人がいるとき、図書館などの静粛が求められる空間では使えない。手書き入力の可能性をもう少し追求してみようと考えている。
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転じて夏日
今日は昨日比で最高気温が10℃前後上昇するらしい。夏日となるのは確実で、それ以上の記録になるかもしれないという。明日はさらに上がるという。
連休は今年は前後に分断されるが、休むときにはしっかり休まねばと思う。身体の急速はもちろんだが、それよりも大切なのは精神面のリフレッシュだろう。閉塞感が横溢する中で、実はいくつもの出口があるはずであることに気づかなくてはならない。そのためには一度日常から離れることも大切だ。
今日明日の暑さで身体の馴化を行い、連休を楽しめるようにしたい。
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雨の一日
一日中雨が続く日だった。しとしとと長く続く雨だ。お陰で新緑はきれいに洗われた。
予報によると明日はきれいに晴れて金曜日までは気温もかなり上がるという。初夏いうより夏そのものの陽気になるらしい。ジェットコースターのような天気だ。
振り回されることへの耐性が年々弱くなっている気がするので、ここは慎重に構えることにする。無理はしない。限られた時間で最高のパフォーマンスをすることを目指そう。
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万緑
電車から見える坂道の桜の街路樹の花はすっかり終わってしまったが、若葉が次々に芽生えてくる様は、また美しいものがある。桜だけではなく、いろいろな緑が輝く季節となった。
万緑は往古の詩人や歌人によって表現されてきた。強い生命力を感じるからだろう。命の力は万物の根源だ。かつては意識することがなかったがいまはいちいち気になる。生きることにはエネルギーがいる。
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虚構を味わう意味
小説や詩といった創作を私たちが行うのはなぜか。また人の作品をときには対価を払ってまで読んだり見たりするのはなぜだろうか。演劇やドラマ、映画といったものも程度の差こそあれ人為的な虚構の世界だ。こういったものにも思えばかなり高価な代金を払っても厭わない。むしろそこから得るものに大きな期待を持っている。
Photo by Quang Nguyen Vinh on…
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メモ帳で諦めることを避ける
最近、ちょっとした記憶の保持力が低下している。対策として何か別の仕事を始める前にメモを残すようにし始めた。しかし、しばしばこれを忘れてしまう。習慣になるまでには積み重ねがいる。
今やっていることを簡単にメモする。キーワードでも箇条書きでもいい。重要度は考えないで書く。これが衰えた短期記憶の補助になる。
このメモは手書きがいい。だから私はすべての上着とカバンにペンとメモ帳を携帯することにした。いくつもメモ帳があるのは変だが、目的がかようなものであるから別に構わない。
衰えた者にはそれなりの戦い方がある。もう少しやってみることにしたい。
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リモコンの夢
子どもの頃、リモコンで走る車や船の模型はとても欲しいものだった。結局、一度も手に入れたことはない。空想の中で操縦して楽しむのが関の山だった。
それがいまはドローンと呼ばれるプロペラ飛行体かでき、玩具でもかなりの高さまで操縦可能だ。値段も手の出ない額ではない。残念ながら、かつてのように操縦してみたいという欲求はなく、結局まだ触ったことがない。
リモコンは私にとって子ども時代の夢であった。しかしこの夢の機械でいま厄介な戦争が行われている。ミサイルは究極のリモコン危機たが、他にも無人機による攻撃が実際に行われているという。ウクライナや中東の戦場ではそれらが飛び交い、人のいない攻撃がなされている。
こうなるとリモコンは夢の機械でもなんでもない。恐ろしい兵器であり、凶器だ。大変残念だが、それが現実である。
ホームページを作るなら…
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人の識別
人物を区分するときの類型とでもいうべきものがある。大雑把に言うと日本人の顔はだいたい似たような顔立ちであり、おそらく外国人から見ればあまり見分けがつかないのではないか。私たちが白人や黒人を実はそれほど区別できないのと同じように。
しかし、同じ日本人でも親疎によって解像度に違いがある。親しい間柄ならば、詳細な差異も見逃さない。僅かな特徴を人格と結びつけて理解できる。逆に疎い関係ならば、分節は荒削りになる。男女、大体の年齢、メガネの有無くらいしか識別しない。
こう考えると人間関係というのは細かな違いにどれだけ気がつけるのかということになる。私は人の顔は覚えられるが名前が覚えられない。見覚えがあるが名前はなんだったのかと思うことがしばしばある。思い出せなくて申し訳ないということが多いのは困ったことだ。
人が人を識別するというのはこういうことなのだろう。それがいわゆる顔認証システム…
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不安定な大気
今日は大気が不安定で関東地方は一日中発雷確率が高いのだという。今朝、すでに路面は湿っていたが強い日差しもある。恐らく今日は移ろいやすいダイナミックな一日になるのだろう。
そのせいなのかやや体調に違和感がある。無理せず、しかし着実にこなしていこう。
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楠葉
公園を歩いていたら紅葉した楠の葉がたくさん落ちていた。夏に向かう今の季節に紅葉があるのは驚きだ。楠は常緑樹だが、初夏に若葉が出る。そのとき古い葉は落ちるのだが、これが紅葉するのだ。
つややかな葉が赤く色づくさまは美しい。葉によって色づき方が様々であるのもいい。一葉持って帰って保存したいと思うのだが、一枚選ぶとなると決めきらずいつもそう思うだけになる。
このところ暖かい陽気が続いているので楠葉の世代交代は一層進むのだろう。落葉の方に思い入れをしてしまうのはなぜだろう。
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数日前、燕の囀りを聞いた。姿は発見できなかったが、恐らく電線の上などにいたのだろう。今朝、それと同じ個体かどうかは分からないが駅の入り口の屋根裏に営巣しているのを見た。早業だ。
このところ初夏と言うには高すぎる気温の日が続き、今日も夏日になるらしい。燕もせかされているのだろうか。野生動物なのに人間の直ぐ側に巣を作り、我々が手を出さないことを信じているかのようだ。確かにこの間合いはカラスには無理だ。
おそらく瞬く間に成長し、空をかけめぐることになるはずだ。ツバメが来るとなぜか安心する。
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小学生の心
小学生が主人公の小説を読むたびに思うのだが、果たしてこのような考え方を小学生がするのだろうか、何か根本的な間違いがあるのではないか。書いているのは大人の作家であり、大人の見方で小学生を描いている。そういった疑問が湧く。
もちろん、これは見当違いな批判である。小学生の話は小学生でなければ書いてはならないとは言えない。過去の人物のことも同じだ。その時代に生きていないならば小説として書けないというのならかなり窮屈になる。むしろ、それらを乗り越えて別人格を作り動かすことが創作の醍醐味というものだ。
しかし、それでも気になるのは自分が小学生のときと比較してしまうからだろう。果たしてこんなに深い考えを持てていただろうか。そう考えると違和感を禁じ得ないのだ。
矛盾したことを言うが、小学生の頃の考え方を思い出すことがほとんどできない。どんなことをしたとか、どこに行ったというようなエピソード…
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まもなくハナミズキの季節
実家に向かう道を夜歩いていたら、桜の花が散り急いでいるのを見つけた。路面のアスファルトに多くの花びらがはりついていた。桜の季節は終焉に向かっている。そして街路樹を見上げるとハナミズキが少しずつ花芽を大きくし、一部は開き始めていた。
その通りは数キロにわたってハナミズキが街路樹として植えられ、もう少し経つと一斉に開花して美しい風景になる。あちらこちらに似たようなところがありここだけではないのだが、個人的にはなかなかの名所ではないかと考えている。
満開になるのにはまだ間がある。楽しみにしていたい。
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都会の野生動物
駅前のベンチで荷物を整理していたら小さな生き物が歩道を走って横切り、街路樹のツツジの植え込みの中に隠れた。しばらくすると別の個体がほぼ同じ速度と経路で走り過ぎる。どうやらネズミのようだ。
人通りの多い駅前にネズミがいることに普段は気づかない。でも、調査すれば恐らく多数のドブネズミなどが生息しているはずだ。ネズミだけではない。多くの野生動物がこの街にもいる。
少し前にタヌキに遭遇したことがある。アライグマではなく確かにタヌキだった。ホンドタヌキは在来種らしいが、都会に普通に生息しているらしい。外来種に押されているようだが、小さな雑木林でも繁殖できる。
ハクビシンに出会ったこともある。屋根裏などに棲み着くので害獣扱いになる。他にもいろいろな野生動物がいるようである。身を隠ししたたかに生きている。
多くの動物たちと共生しているという意識を持つだけで日常の見え方が変わっていく。…
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