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#ガールズ・オン・ザ・ロード
yukarikousaka · 2 years
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2022.06.19
 四つの雑記。①映画『レディ・バード』が七月三日からアマプラに戻ってくるそう。シスターフッド映画としては最高傑作の一つだと思っていて、九十分という尺も大変よく、主人公レディ・バードの成長に合わせて変わっていく劇伴もよくて、サクラメントの「退屈な」美しさをありのまま切りとる映像も美しくて、つまりオールタイムベストに選んでいる一本だ。青春の痛みとそれを乗り越えていく強さが好きな人には絶対におすすめです。
 ②ジェラルド・ニコシア/アン・マリー・サントス/堀江里美『ガールズ・オン・ザ・ロード』を読んだ。ケルアック『オン・ザ・ロード』はアメリカ文学のなかでも特別好きな一作だが、彼らビート・ジェネレーションのアウトサイダーを愛した女性ルーアン・ヘンダーソンが丁寧に語るケルアック作品のB面のような一作。女性が語り、女性が書き留めるビート・ジェネレーションは変人たちではなく、どこにでもいる愛すべき人々だった。
 ③暑い。暑すぎる。朝から本を読んで映画『ブラックパンサー』を観て、まるで何事もなかったかのように健康で文化的な生活を送っているが、暑すぎて文章が目を滑って二ページくらい戻ったり、映画の映像は見えていても何も頭に入ってこず三十秒巻き戻しを押しまくったりと、よくない。原稿を進めているが暑すぎて夜の砂漠など一ミリも想像できず水を飲みながらほかほかになり、同じくほかほかになったパソコンの前で絶望している。
 ④戯曲を読んでいると数行ごとに「この作品が演劇でなくてはならなかった理由」にぶち当たり(ある犯罪行為やその傍観者に観客を巻き込むことに意識的な瞬間のある戯曲など)、自分の小説でももっと取り入れられないかなと考えている。ピュリッツァー賞受賞劇作家のポーラ・ヴォーゲルは特にその傾向にあり、シェイクスピアも異化と同化をジェットコースターのように使い分けて観客を常に巻き込みつづける。以上四つの雑記でした。
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cellophanemaryjane · 2 years
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ガールズ・オン・ザ・ロードとキル・ユア・ダーリン
まだジャック・ケルアックの「路上」が「路上」というタイトルだったころ読んでみたことがあったのですが、全然面白くありませんでした。読み返すこともなかったので、残っている印象としては小金を貯めて車を調達する→南部へ行くの繰り返し。
しばらくして「ガールズ・オン・ザ・ロード」(ジェラルド・ニコシア著)を読んでみて、正直言って読んだ時間と金返してほしいと思いました。
私がこの本を買ったのはもちろん興味があったからではありますが、あるお気に入りの本屋さんがあって、そこがもうすぐ閉店する雰囲気をありありと出していたので、そのお店で少しでも買い物したいという気持ちがあったからでもあります。
それにしてもこの本はひどい。この本は、ケルアックとニール・キャサディのミューズであり「路上」に登場するヒロインのモデルでもありながら、その存在がほとんど知られていなかったルーアン・ヘンダーソンの評伝ということになっています。
しかし著者が書いているのはひたすら、「ルーアンはいい女。キャロリン・キャサディとイーディ・ケルアックは自分に都合のいい主張を手記で出したけど、ルーアンは控えめなのでそんなことしませんでした。しかもおばさんになっても色気があってかわいくタバコをねだれる女でした」ということだけです。このタバコのくだり本当にゾッとする。著者はキャロリン・キャサディとも交流があったようだけど、ずっとこの2人のことをやかましい女であるように書いて、「それに引き換えルーアンは」というような調子。もっと他のことも書いてたかもしれないけど、この主張が強すぎる。著者からしたら、なんでルーアンは今までいなかったことにされてるんだ、彼女こそ真のヒロインなのに、という思いがあるんだろうけど書き方がマズいと思います。作家の妻たち、というゴシップ的好奇心を向けられがちな(私もめちゃくちゃ向けている)人たちを、あっちはいい女でこっちはめんどくさい女と主観的に書くのはよろしくないことです。
私だってキャロリンとイーディに何の思い入れもないけど、手記を書いて出版するという行動に出ることができた2人を、ルーアンと比べてディスるのはおかしいと思います。こっちからしたら、ルーアンは田舎によくいるちょっとかわいいからヤンキーに目をつけられた女の子みたいなものにしか見えない。こういうのをいい女だとするようなのがビートニクスとその信望者なのか、と思い読後感は最悪です。
そしてもうひとつ、ビートニクスを取り上げた作品「キル・ユア・ダーリン」。この映画も見た時間とお金返してほしい。(テレビで見たんだけど)
この映画はアレン・ギンズバーグが若かりし頃巻き込まれた事件について描いた作品です。この映画の感想はただ一言、「人が死んでんねんで!」です。
母の病のことや、自分の文章を教授に酷評されたことなどで悩んでいたアレンは、大学で出会ったカリスマ的な魅力のある美青年ルシアンに心惹かれます。そしてケルアック(ルシアン曰く「本物の作家」)やウィリアム・バロウズを紹介されると、アレンはたちまち文学革命的活動にのめり込んでいき、2人の仲は深まります。しかしルシアンにはパトロン的な愛人デヴィッドがおり、そして事件が起きてしまいます…
このルシアンという人が見た目や振る舞いは悪魔的な魅力があるというキャラクターなのに、人に宿題やらせてるとかしょうもなさすぎる。しかも、僕がデヴィッドと別れたら君がリポート書くんだよ、とかすごまれても。アレンはこんな奴でいいのか。それからデヴィッドを殺しちゃった後自分を助けるために嘘の証言してくれとか、お前ほんと見た目だけにも程があるだろと思います。(その見た目も、私個人は好きではないからよけいに納得いかない)
結局ギンズバーグもケルアックもバロウズも、ルシアンのことは庇いきれず彼とは決別します。ルシアンはしばらく少年院にいたあと記者になりました。(刑軽くない?)そしてギンズバーグ、ケルアック、バロウズは有名な作家になってベストセラーで賞とかもらいました。その後の活躍はご存じのとおり。という静かに出てくる字幕。(こんな言い方じゃないけど)
最後にギンズバーグの実際の写真数枚をザ・リバティーンズの曲に合わせて流して、キラリ✨青春の1ページとして紹介。
このラストのキラリ✨が無かったらほんのちょっとだけマシだったかもしれません。
この場面のせいで余計に人が死んでんねんで!と言いたくなる。
有名になった3人にはほろ苦い青春の1ページ。ここから彼らの本当の作家人生がスタートします。ルシアンは耽美な創作によくいる、映画にするにはうってつけの、永遠に美しい小悪魔のままではいられない破滅的なキャラクター(実在の人物なのに)。嫉妬深いデヴィッドはドラマを盛り上げるために死んじゃった。でもしょうがないよね、作家たちのインスピレーションになれたんだから、という感じ。才能ある人たちの影にはこういう人がいたりするんだよね〜と言われてるような終わり方で気分が悪い。こっちの3人だって大した作家じゃないじゃんか。
ギンズバーグを演じているのはハリー・ポッターのダニエル・ラドクリフです。なんかこういう、実在の人物のまぁまぁショッキングな事件の映画に出るとか、ハリーのイメージを払拭したいの見え見えで萎えます。(見た目は割と合ってるんだけど)この映画は出演者のファンならいい作品に出たな、と思えなくもないタイプの代物なので、タチが悪いです。
私はバロウズもギンズバーグもその他のビートニクスの作品も読んだことありません。「路上」がつまんなかったから。「路上」は今は「オン・ザ・ロード」というタイトルになって新訳が出てるけど、タイトルは「路上」の方が良かったと思います。そしてあとがきで青山南がトルーマン・カポーティの有名な言葉「ケルアックはタイプライターを叩いてるだけ」を引用して、これは貶してるんじゃなくてライバル意識というか、自分にはできないことをしているという表現ではないか、というようなことを書いているのですが、そんなわけないと思います。カポーティがケルアックなんかの文章を、これは自分にはできないなんて思うわけがない。(このカポーティの発言はあまりにインパクトがあってそのものズバリなので、知ってる人は引用せずにいられないんだなぁ、とケイト・ザンブレノの「ヒロインズ」であまり必要性を感じない場面で引用されているのを読んだ時に思いました。実際この言葉は言いたくなる)
それから、同世代で同じ土地で活動したリチャード・ブローティガンがビートニクスの連中は好きになれなかった、と言っているのはブローティガンの本を読んでみればそうだろうなと思います。ビートニクスは雰囲気はかっこいいけどマッチョ気質が目に余るし、仲間と自分に甘いダメ男の世界という感じがします。
そして朗読会で見かけたバロウズをボロクソ言ったブコウスキーも。ブコウスキーもダメ男文学者の一人ではあるけどビートニクスとは全然違う。私はギンズバーグには嫉妬する、と正直に書いてるブコウスキーが好きです。(作品に対してなのか、立場がうらやましいのか、どういう種類の嫉妬なのかまではわからないけど。)
あと昔ビートたけしが自分の番組に「街でいちばんの男・ビートニクラジオ」というタイトルをつけていたのも好きです。ビートたけしはやっぱりサブカル好きの心をくすぐるところがあります。ただもう一回言うけど、ブコウスキーはビートニクスじゃないよ。
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yukarikousaka · 2 years
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2022.03.31
 今日は二つのことについて。①女性史月間が終わる。文藝2022年春季号『特集 母と娘』、レベッカ・ソルニット『私のいない部屋』、アリソン・ウッド『わたしが先生の「ロリータ」だったころ 愛に見せかけた支配につい』、シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』、ジェラルド・ニコシアとアン・マリー・サントス『ガールズ・オン・ザ・ロード』ミン・ジヒョン『僕の狂ったフェミ彼女』とフェミニズムや女性の本を重点的に読んだ一ヶ月だった。
 それぞれの感想は手書きでメモしたものがあるので、上手く纏められたら放流したい。一つだけこれらの本と関連しつつも直接関係があるわけではない、気になったことについて。母と娘という題材を扱うとき、「いずれ母になる娘、かつて娘だった母」というシス・ヘテロ女性にしか許されない対立構造が見られることがある。かつて息子だった母も、父になる娘も、何者にもならない子どもも存在しているかもしれないということを考える。
 ②昨日も京都に行った。フランソア喫茶室でアップルティーとたまごサンドを食べたあと、ゴスペルでスコーンと紅茶のセットを食べるという贅沢をやってしまった。桜はものすごく綺麗だったけれど、元田中駅から北白川エリアに向かう道中はとても人が少なくて良かった。人の少ない春の京都を目指す方、左京区の端の端、銀閣寺と北白川エリアがおすすめです。かわいいお店も点在しているし、岡崎や神宮丸太町にも歩いて行ける距離だ。
 フランソア喫茶室では初めてアップルティーをオーダーした。フォションのアップルティーということで楽しみにしていたら、香りづけにブランデーを入れてもいいかと問われてますます楽しみになった。目の前で数滴入れてもらったブランデーは、強すぎず、ふわりとアップルを押し出しながら香った。家でフレーバーティーを淹れることがあったらこれを絶対に試そうと思う。たまごサンドはまるで飲み物だった。以上、二つの雑記でした。
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