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#シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき
qsfrombooks · 3 years
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誰しも、自分の想像力の限界が、世界の限界だと誤解する。      ──アルトゥル・ショーペンハウアー
シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき / レイ・カーツワイル
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genron-voices · 5 years
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人類より賢い生物がいた場合、人類はどうなるでしょうか?
<ゲンロン友の声>
思考実験として、人類より賢い生物がいた場合、人類はどうなっていたと思いますか?その生物に人類は滅ぼされてしまうのか、神という概念はどうなっていたのか。東さんに聞くことではないかもしれませんが、あまり詳しく書かれているところがなかったので、ここで質問させていただきました。お答えいただけると嬉しいです。「ゆるく考える」買って読みました。悪と記念碑の問題が面白かったです。(10代・男性・友の会非会員)
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人間を超える知性は存在するのか。存在したらそれはいかなるものか。これはぼく自身、子供のころから考えていた問題です。SF読者でしたからね。で、いろいろ考えをめぐらした結果、ぼくとしては、この問いの要はつぎのような問いに集約すると考えています。知性とは0か1かのものなのか、それとも段階的なものなのか。前者だとしたら、人類は知性を獲得した、それでOKです。今後ほかの地球外知的生命体に出会ったとしても、おたがいいろいろ文化的な違いはあるよね、でもやっぱり同じ知性体だよねで話は済む。人間と動物を言語の有無で峻別する20世紀の人文科学は、こっちの発想だといえるかもしれません。知性とは人間性のことであり、したがってすべての知性体は人間の似姿としてあるはずだ、という前提。むかしのスペースオペラもそんな感じです。けれども他方、後者が正しいのだとしたら、人類は知性を獲得したけれども、それはレベル10ぐらいでしかないのかもしれず、今後レベル20に進化するのかもしれないし、あるいは今後宇宙からレベル100の知性がやってくるのかもしれない。そしてレベル30ぐらいからの(適当な数字ですよ)知性体はもはや神なんて概念は必要としないかもしれないし、それどころか倫理とか言語とか文化とかの定義そのものがラジカルに違うかもしれないので、そんな存在とはもうまともに話なんてできない可能性が高い。最近のSFはこっちのほうが多くて、IT系でもシンギュラリティとか言っているひとはこっちのイメージで知性を捉えてますね。で、このどっちが正しいのか。しょせんはレベル10の知性体であるぼくには、むろん答えがあるわけはありません。しかし、最近ぼくが思っているのは、結局のところぼくたちは人間であり、人間に生まれて人間として死ぬのだから、レベル10ならレベル10で、レベル10なりの哲学を考えるしかないし、哲学とはそういうものでしかないのではないか、ということです。かりに人間よりも賢い存在がどこかにいたとして、その存在がなにかすごいスーパー哲学を展開していたとしても、それは結局のところ人間には理解できないのだから、ぼくたちには関係ない。つまりは「賢い」という尺度を導入して話をすること、それそのものがじつは人間にとってはあまり意味がないのではないか。そんな気になってきたわけです。むろん、世界の法則を理解すること、世界を物理的に支配すること、その優越については尺度が作れます。たとえば光速度を超えたらレベル30とか。しかし考えてみれば、それは知性ではなく物理学の理解の尺度であって、それ以外に「賢さ」をつくるとして、はたしてそんな基準がありうるものなんだろうか、と思うわけです。たとえば、人類が編み出した仏陀の解脱はしょせんはレベル10で、レベル30のブッダ(AIブッダ?)はもっと「賢い解脱」ができるとか、そんなことがありうるのだろうか。ありうるとして、それはなにを意味するのか。で、長々と話しましたが、最初の質問への答えです。Q1「人類より賢い生物がいた場合、人類はどうなっていたと思いますか?」 A1「なんともならない。関係ない」。Q2「その生物に人類は滅ぼされてしまうのか」 A2「その生物が人類を滅ぼしたいと願っていて、人類が対抗できなかったら滅びる。つまりは賢いかどうかではなく、欲望と技術力の問題」。Q3「神という概念はどうなっていたのか」。A3「神の概念はあいかわらず存在していただろうけど、人類よりも技術力がある存在が近くにいた場合は、それと神は違うということにしなければならないので、いろいろイメージは変わっていたはず」。こんな答えになります。(東浩紀)
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ogawa-xd · 6 years
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我々とは何か
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「我々は何処から来たのか 我々とは何者か 我々は何処へ行くのか」(P.ゴーギャン 1897)
ゴーギャンの晩年における畢生の大作であるこの絵と、有名な絵の題名の言葉は、深く私たちの心に突き刺さる。題名のこの言葉が、回答の宣言の文型ではなく疑問の文型であることは象徴的だ。この根元的な問いは、わからないままに私たちの中にはつねにあるような気がする。この南洋の森の中のような薄暗い絵は、そのことに関するゴーギャンの無言の回答、ということなのだろうか。
「我々は何処から来たのか 我々とは何者か 我々は何処へ行くのか」
我々とは何者か
しかし、「我々とは何者か」と問うときの「我々」とは何を指しているのだろうか。この絵をしばし離れて考えてみたい。
禅問答のように聞こえるかもしれないが、「我々とは何者か」と問うときに、問う者と応える者の間で最低限「『我々』という観念」は共有されていなければならない。そうでなければ、それは何か?と問うこともできない。 私たちがそれぞれ「私である」と思っているものは、実は「私の意識」のことではないか。「あれをした」とか「これをした」といった行為や経験の主体は、私そのものというより、その経験をしたことを覚えていて、考えを巡らし、ときに振り返る「私の意識」である。そして「私の意識」が、経験したことをあれこれと意義づける。
「我思うゆえに我あり」とデカルトは言ったが、このときの「思う我」とはまさに「私の意識」のことである。つまり、「私の意識」=〈意識〉とは、私たち自身である、と言ってもよいと思える。
しかし、大きくとらえれば「私」なのだが、「私の意識」と呼べない部分も、私の中には実はある。身体性の問題がその一つである。「私の身体」は、ほとんど「私の意識」の外にあるといえないだろうか。 痛みでもないかぎり、私は、私の「臓器」の存在をほとんど意識することができない。まして臓器の動きをコントロールすることなどできない。これらは、意識的にコントロールできないという意味の「不随意筋」によって動いている。意のままに動かせる「随意筋」で動いている手足や指は、たしかに意識的に動かすことはできる。しかし、スポーツや楽器演奏などの高度で繊細な筋肉のコントロールを、意識がおこなってはいるとは言いがたい。むしろ意識は、往々にしてスムーズな動きの邪魔をする。そういった筋肉の繊細な使い方を上達させるために、アスリートや音楽家は、意識を消し去ることを長い時間をかけて訓練をする。また訓練を越えて上手な人は、普通の人はどんなに意識的に頑張っても及ばない「天才」と呼ばれる。 特別に高度なことでなくても、普通の人が自転車に乗ることもやはり意識的にやっているわけではない。どう自転車でバランスを取っているか、言葉を使って意識的に説明することはむずかしい。あるいは表情筋を意識的に動かして、表情を作ることはできなくないが、顔の表情の多くは無意識に現れてしまうものである。
■〈私〉と〈自分〉 トール・ノーレットランダージュは、「私の意識」を〈私〉、その〈私〉も含む全体としての自分を〈自分〉と呼んだ(または、self1とself2と呼んでいる)。〈私〉は〈自分〉の一部である。
人間は、視覚や聴覚、触覚などを通して、絶えず外界から情報を取り込んでいる。その情報量を計算すると1000万ビット/秒ほどになるという。一方人間があれこれ考えごとをするとき、つまり意識の中でどれくらいの情報量を処理しているかというと10ビット/秒程度であるという。ということは〈自分〉として取り込んでいる情報の100万分の1ほどしか、〈私〉は使っていないということになる。逆にいうと、私であるところの〈私〉が知らされていない100万倍の情報を〈自分〉は受け取っているのに、それを〈私〉は教えてもらえない。しかし〈私〉は、渡された毎秒10ビットの情報を、〈私〉が経験した、すべての、「生な」情報、と思い込んでいる。(→「会話の木」)
〈自分〉は、その多量な情報をいったいどうしてしまうのだろうか。 〈自分〉は多量な情報から、〈私〉=私の意識が扱えるように、ごく少量の情報へ、気づかれないように裏でこっそりダウンコンバートしている。その処理の過程で落とされた情報のうち、いくらかが無意識の底に沈み、多くの情報は完全に捨て去られる。無意識の底にサブリミナル情報としてとらえる作用は「閾下知覚」と呼ばれている。
コンピュータ的に言えば、〈私〉というアプリケーションは、OSからマウスや画面タッチの情報をイベントとして受け取って動いている。しかし実際には、OSのさらに下にあるBIOSがハードウェアからの電気信号パターンを常時監視/処理してマウスの位置やクリック、何本かの指でのピンチ操作という、仮想の意味を創作して上へ返している。そういった状況に似ている。
ジュリアン・ジェインズは〈意識〉に関しての卓越したこんな比喩を語っている。 〈意識〉は懐中電灯のようなものである。暗闇に置かれた懐中電灯に部屋の様子を報告させたら、部屋は明るくて何でも日中のように見えていることになるだろう。懐中電灯が見ようとするものには、常に光が当たっているから。 〈意識〉に心の中を報告させれば、すべてが自明のことのように映るだろう。しかし実際には意識が差し向けられていない心の物陰で、多くの心の事態は動いている。 「だるまさんがころんだ」(「ぼんさんが屁をこいた」)のようでもある。
つまりわれわれは〈意識〉に閉じ込められている、とも言えるのではないかとわたしは思う。
これまでのことをまとめると、私が私自身と考えている〈私〉とは、私の意識であり、マクロに見ると高度な楽器演奏もできないし、自転車に乗ることすらもできないほどたよりない。またミクロに見ても、〈自分〉というハードウェアが経験から得られる生な情報のうちの、ほんの少しの調理済みの情報だけを、もらっているに過ぎない。でも、やっぱり〈私〉こそが私のすべてだと思って生きている。
もちろん、こういった〈意識〉によって、人間は他の動物とは決定的にちがう文化、文明、芸術、科学、宗教などを生み出して、はるかな髙みに立つことができたわけであるが。
〈意識〉の起源
ジェインズは、この〈意識〉の起源と本質のありようについて、大胆な仮説を提示する。ここではジェインズにそって〈意識〉がどうやって生まれたのかを追ってみよう。
ジェインズによれば、人間が他の動物とはまったく異なる精神生活を始めたきっかけは「言葉(話し言葉)」にあったという。 言葉は、呼び声からはじまり次に修飾詞そして命令、最後に名詞の順にできていった。言葉のもっとも重要なエンジンは「比喩」の機能である。何のようか、という視点である。それによって語彙はじょじょに増えていった。
■〈二分心〉の時代 たがいにある程度の意思疎通のできるまで言葉を獲得した頃、人の精神生活/心の在り様はどんなものだったのだろうか。ジェインズはその時代を〈二分心〉の時代と名付けている。 その時代の人々の心(脳)は、二つの役割に大きく分かれていたという。一つは発起する心であり、自分の行為や行動を想起し、自分自身に命令をくだす心である。もう一つは、第一の心の命を受けて、それを忠実に実行しようとする心である。この第二の心は冷静で、客観的/論理的/合理的な判断をくだすことができる。それに対して第一の心は、情動的ないし欲望的な存在である。これらの二つは具体的には、右脳(脳の右半球)と左脳(左半球)に対応している。
〈二分心〉"Bicameral mind" の直接の意味は、「二つの部屋(箱)の心」である。また「二院制の心」という意味でもある。二院制(上院/下院ないし衆議院/参議院)は、二段階の手続きで人がなすべきことを決めて実行していく体制、といった意味合いであろう。しかし役割から考えると、二院制よりも立法と行政という二権による運営に近いように自分には思える。
右脳は、一種の「神」として、「人」である左脳に君臨していた。この命令する声=内なる神は、いわゆる現代の宗教における神とは違うが、働きとしてはほぼ同じである。絶対的に正しく、疑うことなく人が実行すべきことを人に示すものである。左脳は、疑うことなくただこれに従った。
■内なる神の声 その頃の人たちは、群れによる狩猟採取の生活をしていたと考えられている。群れの中にはリーダーとして、ほかの者に命令をする者もいただろう。このリーダーの声も、多くの群れの中の者たちは、同じように従うべきものとして聴いたことだろう。そしておそらく自分の内なる声よりは、リーダーの声に従ったのだろうと思う。そうしなければ、群れが存続していくことがむずかしくなってしまう。どうしても従えない者は、群れを出て行くしかない。 現代の感覚から言えば、群れの中の人たちは何に従うべきか、葛藤が生じたのではないかと想像される。しかし実際にはそうではなかった。なぜならば、人にはまだ「葛藤」するための〈意識〉が芽生えていなかったのだ。人はまだ、ほかの動物たちと同じように、素直な存在だった。何かを疑うことはまだ学んでいなかった。 たとえば人から見ると狡猾そうに見える、ハイエナなどの動物はたしかにいる。しかし実際のところは、ほかの動物に比べて少しだけ頭の回転の早い動物が、うまく立ち振る舞っているにすぎない。
ジェインズによれば、この〈二分心〉の時代は、言葉を獲得した数万年前からほんの3000年ほど前まで続いていたという。その間ずっと、人はこの〈二分心〉という形で精神的な生を送っていた。 これはにわかには信じがたいことであるが、さまざまな事例でジェインズはこれを裏付けていく。
私たちホモ・サピエンスは、今から1万年ほど前に狩猟採取の生活から農耕生活に移ったとされる。最古の文明であるメソポタミアは、8000年〜6000年前、つまり3000年前の2倍ほどさかのぼった頃のことである。その他のいくつかの古代文明も、3000年前ころには成立していた。 つまり都市ができ、文明が成立するころ、人はまだ〈意識〉もなく暮らしていたということになる。〈意識〉もなく、文明といった多くの人が参加するような社会が本当に運営できるのだろうか。また文明の中には、多くの複雑な制度や道具、発明品などの人工物があった。そういったものを自覚的な〈意識〉抜きで、作り出せるものなのだろうか。その理由もさまざまに述べられている。
では〈二分心〉の時代は、どうやって次の時代へ移行していったのだろうか。そして移行した先の時代とはどういう時代だったのか。
■〈意識〉の時代 文明の中でなした多くの発明品の中に、「文字」というものがあった。文字は交易のための覚書から始まった。誰それにどれほどの貸しがあるかを、両者が目に見える物理的な印として残すことは有効であったにちがいない。そしてその有用性は、さまざまなものの「記録」に波及していった。そしてその時その時のできごとを客観的に記録することもできるようになった。またその「記録」によって過去のできごとをありありと思い出すことができた。 この言葉による「記録」という「過去の記憶」は、人が明日とるべき行動の指針ともなった。それにしたがえば、ときに右脳やリーダーの声以上に、まちがいがなかった。さらにその指針は自分一人のための覚え書きとしてだけでなく、多くの人に世代を超えて伝わっていく有効なものとなっていったはずである。言葉は、過去の記憶を記録にとどめだけでなく、未来を想像し計画することを可能にした。
こうして過去と未来を、つまり「時間」を今までにない新たなかたちで人は手に入れ直した。私という意識にとって、時間はキーとなる観念である。過去にこうあって、未来にこうなるものとして、はじめて「私のアイデンティティ」という物語りが立ち上がる。 また時間によって、反省や悔恨、夢や希望といった感情を育んでいったことだろう。その過程で思いやりや嫉妬も学んだ。
ジェインズによれば、情動(affect)は動物も持ちうるもので、恐怖、恥、交尾、怒り、興奮、親和などがその代表である。これらはやがて、不安、罪悪感、セックス、憎しみ、喜び、愛へ変化していった。そして感情(emotion)とは、過去や未来の情動に対する意識(awareness)であるという。ということはつまり、人間がとても大切にしている「感情」すら、意識によってもたらされたものであって、〈二分心〉の時代には「感情」はなかったということになる。
〈意識〉によって、人は合理的な思考や哲学的な思考を深めていくとともに、たくさんの知識や知恵を手にしていった。ギリシャ時代の多くの哲人や思考家は、それをもっとも象徴するものである。今あるほとんどの学問の原点はギリシャにある。 しかしその一方、人々は同時に大いなるものを失ってもいった。右脳から発せられる内なる神の声である。お役御免となった内なる神の声は、ときとともに途切れ途切れになり、ついには神々は沈黙した。神を失った人々が、新たな、自らの統治者として選んだものこそが〈意識〉であった。
これが〈意識〉の起源である。 〈二分心〉時代の次なるこの時代を〈意識〉の時代と呼ぶことができるだろう。そして〈意識〉の時代は、たった今も続いている。
〈二分心〉の時代の人々の精神的な暮らしぶりとは、どんなものであったのか。その頃の人は蒙昧といえばたしかに蒙昧だったのかもしれない。しかしそれは今の私たちから見た相対的なものであって、むしろ後悔もなく、憂いもない、幸せな時代であったような気もする。そういった想像は、野生の動物たちが幸せかと問うのに似ている。 しかし一方、現在も進行中の〈意識〉の時代は、〈二分心〉の時代とくらべて、はたしてどれほど幸せな時代といえるだろうか。
■〈二分心〉という発想 ところでジェインズは、どうやって〈二分心〉という想を得たのだろう。 ジェインズは、人類最古の著作「イーリアス」を詳細に紐解いた。そしてこの長編の神々を語る叙事詩の中に、意識や心が語られていないことを発見した。一見して意識や精神活動を表すような単語も詩中に見えるが、その言葉の使われ方を吟味すると、まだ精神性を表すような意味では使われていないという。たとえば「プシケー」という「魂」や「心」を洗わす言葉は、その言葉の原義である「血」や「息」という意味でしか使われていない。 日本の能楽師である安田登氏も、漢字において同様の指摘をしている。孔子による「論語」の中には「心」という漢字ばかりでなく、心を表す「忄」(りっしんべん)のつく漢字も出現しないという。まだそれらの漢字は作られていなかった。文字がないということは、その観念が人々の中に根づいていなかったことを意味している。だからこそ孔子は、生まれようとしている「心」の正しい用い方を説いたのだという。
これら書物による〈二分心〉の考察は、一つの検証でしかない。他にも古代の墓や偶像などから、帰納統合(→コンシリエンス)的に〈二分心〉が導かれている。
〈二分心〉の残照
〈二分心〉の時代から〈意識〉の時代への移行は、世界中で起きた。ある地域では比較的早く、ある地域ではかなり遅く。近い地域どうしでは、移行が伝播もしていった。そしてもちろんどの移行も一瞬にして起こったわけではない。
■預言と宗教 神々の声がじょじょに聞こえなくなっていったとき、困った人たちは預言者らを頼った。託宣者、預言者や巫女、あるいは口寄せの術を使う者は、神の声が小さくなっていった時代にあって、神の声を“まだ”聴くことのできる少数の人たちだった、と考えられる。人々は必死の思いで、これらの人に頼ったにちがいない。 また、消えゆく神の声をなんとか留めようと言葉にまとめたものは宗教の聖典となった。大まかではあるが、宗教もそんなふうにはじまっていったと考えることができる。
ところで旧約聖書に、イブが悪魔の化身のヘビから知恵の林檎を食べさせられて、以後知恵とともに羞恥心などを覚えて楽園から追放された、というくだりがある。これは「知恵の林檎」を「意識」に置き換えると、これまで書いてきたことに深く符合するのは非常に興味深い。
■詩、音楽、芸術 「イーリアス」がそうであるように、初期の書物の多くは詩という形式で書かれている。 詩とは韻律を持つ文である。おそらく内容は文に書かれる前に、口頭で伝承してきたと考えられる。口で覚えて伝えるためには韻律をもっていた方が有利であるし、韻律(音楽)を司る右脳は、元々神の居座であった。 詩、音楽、そしてほとんどの芸術は、失ってしまった内に生きていた神を指向していると考えられる。
■統合失調症、憑依 また、統合失調症や憑依、催眠といった心理学的な現象についても、〈二分心〉の名残りという観点から説明が可能であるとしている。
■科学、真実 ジェインズのさまざまな論考は、基本的には「科学」をベースに置いたものである。しかしついに、その科学についてさえ、ジェインズは〈二分心〉の崩壊に対する反応のひとつと読み解いてみせる。 人の活動のほとんどは「内なる神」の確実性を追い求めることであった。宗教は「内なる神」から、造物主やすべてを統べる存在としての「神」を、直接求める活動であった。科学の出発点は、「神」を求める過程で分離したプロテスタントが帯びた合理主義的側面の先にあった。そうして科学革命がはじまり、今にいたっている。(もちろんこれはキリスト教史的な見方で、それですべてとはいえないが、大筋は納得できる。)
本書の最後一文は、以下のように結ばれている。 「真実という概念そのものが、文化に与えられた指針であり、大昔の確実性に対して誰もが抱く根深いノスタルジアの一部なのだ。(真実を)世界中を巡って探し求めることができるという考えそのものが、失われた神々を求めてきた直接の結果だ。」
あわいの時代
前述の安田氏は、〈二分心〉から〈意識〉の時代へ移ろう中間の時を「→あわいの時代」と呼んだ。そして〈あわいの時代〉で起きたことを、身を以て演じることによって読み解こうとしている。
さらに、ジェインズや安田氏はこんな予感を綴っている。それは現代という時代は〈意識〉の時代からさらにその次の時代へいたる第二の〈あわい時代〉ではないか、と。 〈意識〉の次の時代がどのようなものかは、まだ誰にも描けていない。それはすぐにでもやってくるものなのか、それともこの100年世紀あるいは1000年世紀をかけて起こることなのだろうか。
■次なる時代 〈二分心〉が、左脳と右脳のプリミティブな協調の時代で、〈意識〉の時代が左脳優位の合理を指向した時代であったとすると、次の時代の在り様は以下のような3つが考えられるだろうか。
右脳の時代。感覚や感性の時代。
右脳と左脳の、新たな関係性がもたらす時代。
左脳でも右脳でもない、第三の何か新しいものの優位となる時代。
3.は、まさに想像を超えたものであり何とも言いようがないが、1.または2.であるとすると、いずれにしても、しばらく力を発揮できなかった右脳の進展に関するものとなる。さて、どうなのだろうか。
■自律した言葉 「話し言葉」によって〈二分心〉の時代が開かれ、「書き言葉」によって〈意識〉の時代が開かれたのだとしたら、次の時代がどういうものであるにせよ、それはコンピュータとネットワークという技術(ICT)によって開かれるものであることは、まちがいのないように感じる。旅の行き先はわからないが、出発のきっかけはおそらくそこにある。
歯車やスチームエンジンの延長にあるコンピュータという「機械」によって人間が変えられてしまう、というイメージに違和感を抱くのなら、こう言いかえてもよい。「言葉の自律」が次の時代が開くと。
左脳が生み出したおそらく最大の発明品であるICTのベースは、数学理論に裏付けられたものである。ベースがそうであるにせよ、ICTが結果として実現したものとは、言葉それ自体が生命をもって生きていけるダイナミックな仕掛けとしてのメディアだったのではかいか。 文学的な「生きた言葉」という言い方があるが、まさにICTによって、言葉は舞台上の俳優のように「生きた」ものとなり、自らの役割を自律的に演じることができる。
ICTによって言葉を制御するものは、歯車やエンジンではなく、プログラミングという言語である。つまり言語を生かすための仕組みもやはり言語であったということである。言語はもともとそのような再帰的な自律性を秘めていたということなのだろう。
「話し言葉」とは、実体としてみれば空気の震えでしかない。「書き言葉」も、粘土や紙に印されたシミでしかない。ICTが実現しようとすることは、そのシミに生命を与えて動き出させることである。 雪舟は室町時代の伝説的な水墨画家であるが、少年雪舟が自らの涙で床に描いた鼠は、あまりにリアルでついには動き出したという。そんなイメージがする。
こうしてふり返ると、我々という人=ホモ・サピエンスは、「言葉」を生み出した動物というより、「言葉」によって形作られてきた動物である、といえるのかもしれない。
■ひずみ いつでも人は、自分のいるその時その時を、特別な時代と感じるものなのか���しれない。しかし、それでもやはり、この20世紀の終わりから21世紀はじめという時代は、さまざまなひずみをはらんだ時代、あるいはひずみが露わになった時代のように感じる。
よく言われるように、技術(左脳の作り出したもの)そのものが悪いわけではないとわたしも思う。しかし、それを誤って使う人が悪いのだ、という言説にはわたしは賛同できない。たんに人が、この技術の進展の早さについて来られなかったためのひずみであったのだとわたしは思う。
原子力という安全に制御するにはあまりに大きすぎる力、戦争と原水爆弾による危機、つもりに積もった世界規模の人工の自然破壊、ICTという有効な道具があるというのに起きている意思疎通に関する不具合、AIのシンギュラリティは我々を天国に導くのかそれとも地獄へ導くのか。どの技術についても、自らの左脳が生んだ道具の有能さに、我々自身が追いつけていないうようだ。
このような世界で起きているさまざまなひずみを見ていると、どれも〈意識〉の限界を示唆しているような気が強くするのである。
これが〈意識〉の時代の終焉を示すものであるなら、次に起きることはこれを解消するものでなければならないだろう。そう考えると少しは希望もわいてくるのであるが。
■ふたたびゴーギャン さて、ふたたびゴーギャンの問いにもどろう。 わたしがこれまで述べてきたことは、「我々とは何か」というものであり、「どこから来たのか」であり、そして「どこへ行くのか」であった。わたしがというより、ゴーギャンやジェインズ、安田登、そしてノーレットランダージュという人たちが表したことであり、わたしもそれに共振したにすぎない。でもかれらの指摘は、どれもわたしがこれまでほとんど聴いたこともなかった重要な問いかけであり、読み解きの物語りであった。そしてそれはわたしを夢見させた。結局はまだ解けない謎でもあるけれども。
デザインと〈意識〉
デザイナーとしてのわたしは、ここまで事情があきらかになれば、何か先も見えるのではないかと無謀に夢想した。誰もわからないのだから、大いにこの問いを楽しみたいと思った。たとえ〈私〉には、100万分の1しか事実が知らされていないのだとしても。
あまりに大きな話なので、デザインとこれまで述べてきた〈意識〉がどういう関係にあるのか、自分でもなかなかうまくまとめられない。しかしデザインは、新米とはいえ芸術や科学を親に持つ営みであるのだから、〈意識〉とまったく関係がないとはいえない。いや大いに関係があるはずである。 しかし寡聞にして、デザインと〈意識〉が、このように結びつけて語られるのを聴かない。
わたしはデザインをスタイリングの問題とは思わない。しかしまた、認知に関わる、わかりやすさや使いやすさの問題とも考えない。この二つの側面はたがいに対立するものではないし、どちらも等しく重要なものである。むしろデザインは、それらを大きく包み、それらの向こうにあるものだと思う。
それは「認識」の問題と捉えるべきなのかもしれない。 デザインとは、広い意味での道具(道具、メディア、制度)を、人がどのように認識するものとして作るのか、を問題意識とする行為ではないのか。 認識という作用それ自体は、意識下〈私〉のものであるが、それが対象としているのは、無意識や身体性を含む全体としての〈自分〉である。 認識の問題は、コインの裏表として表現と現象の問題と響きあっている。
デザインのことを考えていく中で、〈意識〉の問題に行き当たったのであるけれど、なんだかどうも、デザインの「床」をぶち抜いてしまったような気もしている。この上自分は、デザインの上に立っていられるのだろうか。
(180221)
「ユーザーイリュージョン」        ー 意識という幻想(トール・ノーレットランダージュ) 「神々の沈黙」ー 意識の誕生と文明の興亡(ジュリアン・ジェインズ) 「あわいの時代の『論語』」ー ヒューマン2.0(安田登)
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blueenemydefendor · 5 years
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シンギュラリティ
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シンギュラリティ(技術的特異点)とは
 人工知能が発達し、人間の知性を超えることによって、 人間の生活に大きな変化が起こるという概念を指します。
シンギュラリティという概念は、人工知能の権威である レイ・カーツワイル博士により提唱された「未来予測の概念」 でもあります。
「2029年、コンピューターは人間レベルの知性を獲得 することでしょう」(カーツワイル氏)
 かねてより人工知能が人間の知性を超越する「シンギュラリティ (技術的特異点)」が、2045年にやってくると予想されていたが、 カーツワイル氏は16年も早まるとの見方を示した。
 今から僅か10年後には、英物理学者スティーブン・ホーキング博士 をはじめとした名だたる知識人が危惧する「AIが人間を支配する世界」 が実現してしまうのだろうか?
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レイモンド・カーツワイル博士(Raymond Kurzweil)
 1948年2月12日 オーストリアから亡命したユダヤ系移民の子 として生まれる。
アメリカ合衆国の発明家、実業家、未来学者。
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 2005年に『シンギュラリティは近い』(『The Singularity Is Near:When Humans Transcend Biology』)を発表して世界に 衝撃を与えた。
 発明家としては、オムニ・フォント式OCRソフト、フラットベッド ・スキャナー、"Kurzweil"ブランドのシンセサイザー「K250」、 文章音声読み上げマシーン(カーツワイル朗読機)などを開発して いる。
 カーツワイル博士は2012年に、フルタイムのエンジニアリング ・ディレクターとしてGoogleに入り、GoogleのAI、とりわけ機械学習・ 深層学習(Deep Learning)の研究開発を推し進めるバックボーン として活躍してきた。
シンギュラリティが注目される背景
 人工知能研究の歴史は古く、1950年代後半に第一次人工知能ブーム が起きたとされており、1980~90年代には第二次人工知能ブーム が起きています。
 90年代後半には、コンピュータの性能が飛躍的に向上し、チェスの 世界チャンピオンを破ったと話題となりました。
 2010年から人工知能を用いたビッグデータの蓄積やディープラーニング (深層心理)によるビジネスへの活用が始まり、第三次人工知能ブーム が起きると同時に、シンギュラリティの可能性や脅威が議論されるよう になりました。
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2015年10月、テンサーフローを基盤にハードウェアまで合わせて 機械による深層学習を極限までチューニングしたGoogleの子会社 開発のAIソフト「AlphaGo(アルファ碁)」が、欧州囲碁選手権 3連覇を果たした中国のファン・フイ(プロ二段)を5戦全勝で 下した。
2017年5月にはAlphaGo(アルファ碁)が中国の世界最強棋士、 柯潔(か・けつ)九段を破った。
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 ついに今年(2019年)3月米国で発売にこぎ着けたEdge TPU (Tensor Processing Unit) はそれの第1弾となる好例だ。
このEdge TPUは「Google Cloud Platform」(GCP)向けのプロセッサ として開発された。
GCPでの深層学習の推論に特化した製品だ。
Google傘下のCoral、日本でもMouserなどの商社から購入可能。
 コンピューターが人類の知的活動を凌駕する時代、 「シンギュラリティ」の提唱者、レイ・カーツワイル博士は かねてからAIを「人工知能」と呼ぶのは適切ではないと発言 してきた。
 自然界の事象が起こる仕組みを解明し、それをコンピューターが 再構成する仕組み、今の世界の進化をつぶさに分析していくと、 脳神経の働きを真似ることで機械が自律的に学ぶ力を身に付ける ことができる。
このまま世界が進化していけば、2045年頃には人間の脳の働きを超 えていくかも知れないと予言したのだ。
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プレシンギュラリティの意味
 プレシンギュラリティとは、PEZY Computingの代表取締役で、 優秀な科学者でもある斎藤元章氏が提唱した人工知能とスーパー コンピュータを併用した技術によって、もたらされる社会変革 (社会的特異点)を指します。
 2005年にレイ・カーツワイルが『特異点は近い 人類が生命を 超越するとき』で、シンギュラリティ(特異点)コンピュータ自身の 知性か、それが作り出す新しい人工的知性が「人類全体の知性の総和」 を大きく超越する世界、という概念を示した。 その前にプレ・シンギュラリティが到来するという。
 このプレシンギュラリティは5~10年の間に起こるといわれており、 エネルギーの無料化、不老不死、不労社会の実現、戦争がない世界の 実現を可能としています。
 2025年にはAGI(汎用人工知能もしくは人工汎用知能のこと、 ArtificalGeneral intelligenceの略)の登場により、人間が担う ほとんどの仕事が機械に置き換えられ、少子高齢化、労働人口減少の 影響を受けることなく、高度経済成長が可能と予測しています。
 そのため、企業は規模に関係なく、さまざまな労働の機械化が 実現し、自社の商品開発力の向上とマーケティング強化に向けた 経営戦略を実施することができるといわれています。
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シンギュラリティ(技術特異点)がもたらす2045年問題
レイ・カーツワイル博士は、少なくとも2045年までには人間と 人工知能の能力が逆転するシンギュラリティ(技術特異点) に到達すると提唱しています。
 人工知能が人類の能力を超えるには、パターン認識能力 (文脈や状態が異なる同一の物や事象を同じものと認識する 能力)や生物と機械のアルゴリズムの違いなどの課題があり ます。
しかし、近年の研究では、機械は生物のアルゴリズムを摸倣できる ことがわかっているため、生物と機械との唯一の差はニューラル ネットワーク(ニューロン間のあらゆる相互接続)の数のみと いわれています。
 人工知能が人間の脳を超えると、人間の生活環境は大きく変わり、 これまで人間でしかできなかった多くのことが機械によって代替 されると予想されています。
真空管をどんどん小さくし、性能を高めていくといずれその容積に 収まらなくなるが、その時にはそれを解決する半導体技術が生まれる。
ロボットはどんどん小さくなって、いずれ血管の中を自由に航行する 血球ロボットになり糖尿病やガンに立ち向かってくれるようになる。
リバースエンジニアリングして分かったノウハウをコンピューターで 再現すれば脳の働きを拡張する知性が生まれる。
そしてその知性が長い時間をかけて進化し、自分で学習する力を備え、 自らを作り上げるところまで成長する。それがシンギュラリティだ。
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シンギュラリティは来ない、と散々叩かれた
AIがいくら進化していったところでシンギュラリティなんか 起きっこない、と散々誹謗中傷された。
しかし、カーツワイル博士の考えるAIすなわちAugmented Intelligence(拡張機能)は人間の脳神経細胞の働きを完全に リバースエンジニアリングして、コンピューターがその反応を 再構成する仕組みを目指しているのだ。
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一般的にAIというと「Artificial Intelligence (人工知能)」 を意味してます。ここが違うところです。
ロボット産業分野
深刻な労働人口の減少に対する補完施策として注目されているのが ロボット産業です。
 製造業において、工作ロボットの導入は既に行われており、 日本の「ものづくり」を支える重要な技術として、現在も活躍して います。
しかし、今後はロボットに人工知能を組み込むことで、 人間によるプログラミングを必要とせずにロボット自らが動作を 自動生成することが可能となります。
この技術により、最初の指示と目的を示すだけで、ロボット自らが 途中プロセスを考え、実行に移すことができます。
途中プロセスを制御するプログラミングが省略できるだけでも、 大幅な人件費の削減が期待できます。
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ナノテクノロジー分野
ナノテクノロジーとは、原子や分子の配列をナノメートル単位で操作・ 制御することで、新たな構造物を作り出し、様々な物質を小型化する ことに長けた技術を指します。
この技術により、膨大な量の情報を指先ほどのマイクロチップに 収めることを可能とし、理論上は細胞レベルまで小型化した機械を 生物の体内に組み込むことも可能とします。
IoT分野
IoTとは、パソコンやサーバー以外の「モノ(電化製品や建築物、 自動車など)」にインターネット接続を行い、相互に情報をやりとり する技術を指します。 「モノのインターネット」とも呼ばれ、人々を取り囲むあらゆる 「モノ」に情報の相互通信を可能にすることで、より豊かで快適な 暮らしを実現できると考えられています。
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ビジネス倫理の問題
 シンギュラリティの到来は、「ビジネス倫理の崩壊を招く」と 指摘する特異点論者も存在します。
近年、注目を集めている「フィンテック(IT技術を活用した 金融サービスを指す造語)」という分野で、シンギュラリティに よって誕生したとされるのが「仮想通貨」です。
 従来の物理的な貨幣の価値を仮想空間に移転し、流通・匿名性を 高めたサービスでもあります。
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日本国内で、超スマート社会「Society 5.0」の実現をテーマと したイベントCEATEC 2019(シーテック 2019) ( Combined Exhibition of Advanced Technologies)が
2019年10月15日(火)~18日(金)幕張メッセに於いて開催 された。
ANAが「瞬間移動手段」をCEATECに出展
ANAアバターは、VRやロボティクス、センサー、ハプティクス (触覚)などの最先端のテクノロジーを用いて、異なる複数の 場所に設置したアバターロボット(遠隔操作ロボット)に 「アバターイン」して、まるでその場にいるような感覚で 「見て」「聞いて」「感じて」といった体験ができるのが特徴だ。
「距離、身体、文化、時間、あらゆる制限を超える瞬間移動手段」 と位置付ている。
ANAアバターは、すでに数多くの実証実験を行っている
「AVATARテストフィールド」で、宇宙開発、農林水産業、観光、教育、 医療などでの実証実験を開始。
JAXAを含む産官学との連携では、アバターによる月面施設の遠隔建設 などの地上実証を行い、宇宙開発や利用を推進している。
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近未来予測
コンピュータは小さくなり、ますます日常生活に統合される。
高品質なブロードバンドインターネット接続は、ほとんどどこ でも利用できるようになる。
バーチャルリアリティの生成。
ユーザの網膜上にビームの映像が投影される眼鏡の登場。 これらの眼鏡は新しいメディアとなる。
例えば、外国語で話される言葉は眼鏡(2018年時点の用語では スマートグラスと呼ばれる)をかけているユーザーへ字幕のよう に表示される。
「VRメガネ」の登場。
さまざまな日常のタスクでユーザーを助けることができる 「バーチャルアシスタント」プログラムを搭載したコンピュータ の登場。
携帯電話は、衣類に組み込まれ、ユーザーの耳に直接音を投影する ことができるようになる。
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2015年
家庭用ロボットが家を掃除している可能性がある。
2018年
10TBのストレージ(人間の脳の記憶容量に相当)が1000ドルで 購入できる。
2018年時点で、カーツワイルの2005年の予想の(全てではないが) かなりの部分が的中している。
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2020年代
遺伝学/バイオテクノロジーにおける革命はそのピークに到達する。
2020年代の間に、人間は自分の遺伝子を変化させる手段を持つ ことになるだけではなく、「デザイナーベビー」は自分の皮膚 細胞を若々しい他の細胞に形質転換することによって、自分の 身体の組織や臓器のすべての若返りが実現可能になる。
人々は根本的に平均寿命を延長し、病気や老化から離れて自分の 生化学を「再プログラム」することができるようになる。
ナノテクノロジーの革命が開始される10年:この10年はまた、 ロボット(強いAI)がチューリングテストを通過。
教育を受けた人間と同等の知性になる。
 1000ドルのパーソナルコンピュータは人間の知性を エミュレート(模倣)するために必要なハードウェア性能を 持っている。
サイズが100ナノメートル未満のコンピュータが可能になる。
最初の実用的なナノマシンが、医療目的のために使用される。
人間の脳全体の正確なコンピュータシミュレーション。
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血流に入ることができるナノボットは、この10年の終わりまでに (必ずしも広く使用されていないが)存在することになる。
この10年の後半では、仮想現実(バーチャルリアリティ)は、 本当の現実と区別がつかないほど高品質になる。
2025年
一部の軍事無人偵察機や陸上車両は、100%コンピュータ制御 される。
2030年代
精神転送(マインド・アップローディング)は成功し、 人間がソフトウェアベースになる。
ナノマシンは、脳内に直接挿入することができ、脳細胞と 相互作用することができる。 その結果、真のバーチャルリアリティが、外部機器を必要とせずに 生成することができる。
記憶用脳ナノボット、または「経験ビーマー」として知られている 人間の日常生活のリアルタイム情報脳伝送を使用して、他人の感覚を 「リモート体験」できるようになる。
人々の脳内のナノマシンは脳の認知、メモリ・感覚機能を拡張する ことができる。
ナノテクノロジーは人の知性、記憶や人格の基礎を変え、人々は自分の 脳内の神経接続を自由に変更できる。
バーチャル売春が盛んになり、法規制が行われる。
2040年代
人々はマトリックスのように仮想現実で時間の大半を過ごす ようになる。
「フォグレット」(人体をとりまくナノマシン群。 人間の外見を自由に変化させる)が使用されている。
2045年: シンギュラリティ
1000ドルのコンピューターは全ての人間を合わせたより知的 である。
これはローエンドのコンピュータであっても人間よりはるかに 賢いことを意味する。
技術的特異点、人工知能は地球上で最も賢く最も有能な生命体 としての人間を上回るように発生する。
技術開発は、自ら考え、行動し、通常の人間には何が起こって いるのか理解できないほど迅速に相互通信できるマシンによって 引き継がれる。
マシンは、AI自らの手でそれぞれの新しい世代が迅速に開発される、 自己改善サイクルの「暴走反応」に入る。
これ以降、技術の進歩は、マシンの制御下におかれ、爆発的である ため、正確に(それゆえ「特異点」という)予測することはできない。
 特異点は永遠に人類の歴史の進路を変更する非常に破壊的、 世界的な変化を起こすイベントとなる。
 
 暴力的なマシンによって人類が絶滅させられる可能性は (ありえなくはないが)、人間と機械の間の明確な区別は もはやサイボーグ化で強化された人間とコンピューターに アップロードされた人間の存在のおかげで存在せず、 ほとんどありえない。
「真に生きるに値する時代」の到来。
ポスト2045: 宇宙の「覚醒」
AIは"最大速度"(光速に限りなく近いかもしくは超光速)で 全宇宙に進出する。
その速度はAIが光速の限界を回避する技術を発見できるかどうかによる。
2100年
人々は過去の人間が記憶のバックアップを取らず生きていたことに ひどく驚くようになる。    
人間の知能は数千億倍まで拡張されている。
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不老長寿への挑戦
 カーツワイルは1940年代生まれ(つまりカーツワイル自身も)が 人類が最初に不老不死を手にする世代になると考えており、 科学者の立場からなるべく消化器に負担をかけず栄養を摂取しようと 1日に200錠ものサプリメントを摂取したり、毎日のように栄養注射を 行ったりする等、寿命延長への野心に事欠かない。
 厳密な栄養と体調の管理により、本人は「糖尿病を克服した上、 老化の抑制に成功している」と主張している。
しかし一方で「生身の体を健康に保つのはものすごい苦労を伴う (ので嫌になっている)」とも著作で語り、 「1日も早く機械の体に入れる日を夢見ている」と語っている。
The Singularity Is Near(2005年)より
 博士は自らの目でそのシンギュラリティを目撃することは できないかも知れない。
だから、脳に電極を埋め、クラウドにバックアップを取り、 来るべきシンギュラリティを目撃したいと考えている。
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 博士は無神論者ではあるが、AIが遠い将来に全知全能に近い 存在になることを見越して「神はまだいない。 だがいずれ現れる」と語っている。
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東大、光量子コンピュータに進��
 東大の古澤明教授の研究室では、 2次元クラスター状態を使った量子操作の実証を 進めていく他、同状態を10円玉サイズのチップに 回路を収めることも見込めるという。
研究成果は、米科学雑誌Scienceに10月18日付で掲載された。
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ネガティブな側面
100億円戦闘機を叩き潰す10万円ドローン
2019年9月18日、サウジアラビア国防省は、自爆ドローン18機と 巡航ミサイル7発をミックスした攻撃にあったと発表した。
1機100億円以上のF-35戦闘機も、現状では、弾道ミサイルしか迎撃 できないのに数千億円するイージスアショアも、手りゅう弾を積載 した10万円程度の民生ドローンで破壊され、戦わずして、主要戦力が 壊滅しかねない。
ドローンの軍事革命の到来である。
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映画「1984」はジョージ・オーウェルのSFディストピアの世界。
絶対的な権力による監視システム、言語の破壊、個人という存在 そのものの否定など「思想犯罪」として弾圧される世界を描いて います。
だが、過去の映画の話ではない、現在進行形なのだ。
Chinaがウィグルやチベットの人々の人権を弾圧している。
街中に顔認証システムを設置、人民を24時間監視している。
次は香港かといわれ、若者が今戦っている。
今年もノーベル化学賞を日本の吉野氏が受賞したことは喜ぶべきこと ですが、日本の足元は脆弱です。
来るべき未来への備えは万全かどうか、今一度問いたいと 思います。
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映画『アップグレード』予告編 https://www.youtube.com/watch?v=3HYxQgCzzFA
AIを埋め込み進化した男が復讐に立ち上がる!
舞台は近未来。
「STEM(ステム)」と呼ばれる最新のAIチップを障害者となった 主人公の人体に埋め込むと超人的な力を手に入れアップグレードし、 やがて、人間を超えた戦闘能力を手にする。
この能力を駆使して、妻を殺害した謎の組織への復讐に立ち上がる。
 80年代の『ターミネーター』(1985) や『ロボ・コップ』(1988) を彷彿とさせる、クリエイティブな物語と独創的なアクションシーン が話題を呼んでいます。
AIが進化した近未来を舞台に復讐に燃える男性を描いた SF・アクションスリラーです。
『アップグレード』は10月11日より渋谷シネクイントほかにて公開
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“発明が失敗する理由は、ほとんどの場合、研究開発がうまくいかないからではなく、タイミングが悪いからだということがよくわかった。発明はサーフィンによく似ている。波がいつ来るかを予測し、ちょうどよいタイミングで乗らなければならないのだ。  ” - シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき / レイ・カーツワイル (via ebook-q)
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afiri8backlog · 4 years
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今年一年を振り返る総決算の記事の中で、最後にみたやりすぎ都市伝説2019冬及び新刊7巻も買って読んだ上で感じた事も含めて自分なりの考えもまとめの長編です
1ページ目:2019年を好奇心の塊として生きた記録ダイジェスト 2ページ目:やりすぎ都市伝説&書籍を読んで思った事 3ページ目:第七感で感じた次元や世界や体験の捉え方 4ページ目:人生とは無限にページが増えるゲームブック
まぁ、休み中に何かあったら骨休め程度に自分のペースで読むくらいでいいです(゚∀゚)必要な人には参考になるかと
2019年 こうして私はスピリチュアルに目覚めていった
ブログ名を7月に好奇心に変えた時から、私の中で明確に何かが変わったが 実はその7月に至るまでのスピリチュアルに目覚めるまでの伏線の体験がある
今までの情報発信は生きていくために必要な糧を稼ぐ手段として、言いたい事、言えない事の言葉を選び、見えない誰かのために時間を費やし、結果のわからない事に一喜一憂していたが
今は誰にも答え合わせはできないし、誰にも答えを求める事もできないけれど、誰が為にこの情報を出していくのか?という謎情報発信スタイルが、楽しくてしょうがない(笑)
信仰や宗教、スピリチュアルに傾倒知っていった訳じゃなく直感に素直になっただけ
逆に信仰とは?宗教とは?スピリチュアルとは?常識とは?と人にこうするべきだ!という決めつけのルールに対し、なぜ当たり前なのか?みんなが思考停止で受け入れてる与えられた情報の追求から始まったら気づいてしまった
嘘が世界を創るんだ (後述)
目覚めた時、急に諦めのポエムのように、どうして・・と世を嘆くように気が付いたら携帯メモに書いていた内容
当てはめる出来事はなんだっていい「宇宙」「神話」「宗教」「政治」「常識」でもすべてに当てはまります。自分という一個人に当てはめても、何に当てはめても、この公式は利己主義=人の傲慢さを導き出します
さて、そんな今年一年でどれだけの事を独自に学び、達観していったのか? こうやって記録に残すのは、おそらく自分で振り返るためなんでしょうね
1月のシンクロニシティ
【神】の存在を疑っていたから初夢を見なかった
2019年初夢・・見なかった理由を自己診断
2018年の終わり頃から、キリスト教、聖書、創世記、仏教など多くの教義に疑問を感じていたせいか、2019年は儀式をしたにも関わらず初夢のお告げを見る事はなかった
毎年楽しみにしていた・・神社に初詣した後の初夢というシステムが機能しなかった(伏線)
あなたへのおすすめで出てきた謎のゲーム動画が・・
偶然?必然?リンダキューブ・アゲインとの謎の出会い
もともとサイバーな未来とキメラなどのグロ神話への興味が強い子だった だからラグランジュポイントや魍魎戦記マダラにとてつもなくはまった
その後、桃太郎伝説、忍者らホイ、天外魔境、俺の屍を越えていけなど、ファイナルファンタジーやドラゴンクエストといったメジャーではないマイナーソフトで遊んでいたのだけど・・
この記事で初めて知ったゲームも含め、まるで伏線を回収するように同じゲームデザイナーの作品だったと後から知った
2月の学び 宗教の背景
人生初の献血で知る常識の中の非常識
初めての献血ついでにRHマイナスの血液因子について調べたら・・
今までの人生で何度も献血のチャンスはあったが、必ず偶然に、なぜか、私はそのタイミングで、献血ができない状態だったのは今でも不思議だ
・風邪をひいて薬を飲んでいた(過去3回) ・ロードレーサーで長距離走った先だった
そんな中、今回献血に言った時に「ヤコブ病」という名前が探究心に火をつけた 1月にプレイしたあのゲーム、それに関連する宗教、そしてルーツの血脈
こういった宗教観念の知識がある状態とない状態では、献血、赤十字、ボランティアとは何か?の探究は不可能だ。だからきっと、考える知識を身に着けるまで献血というものを体験できない流れだったというシンクロニシティ
何気ないキーワードから再び宗教考察へ
サターンとゲームキューブを調べていたはずが記号にまつわる闇に出会う
ちがう、ちがう!そうじゃ、そうじゃな~い(;゚Д゚) と自分でも思うくらいに、ほんの小さなワードひとつからどこまで深く人類や宗教のルーツに繋がるねん!と突っ込んでしまったが
ゲームには宗教的なプロパガンダや洗脳要素だけじゃなく、どこかシンボリズムが隠されている。というかもう、隠す気がないほど自己顕示欲凄すぎじゃね?と思うほどに当たり前になっている
記号、サイン、ほんの小さなポージングはなんで?という素朴な疑問から めっちゃ深い根っこに導かれていく謎のシンクロニシティ
節分から桃太郎が陰陽道だと気づく
桃太郎の真実 陰陽五行を知る2019年
鬼は外!が基本の掛け声だったのが、鬼も内!(゚Д゚;)なんでやねん!という大きな変化がきっかけ。なんで今まで外に追い出してたのに、急に招くのかな?という疑問だったはずなのに
暦(太陰暦・太陽暦)、陰陽五行、邪気=風邪 など常識の中の非常識 童話の物語のバックグラウンドに隠された情報などにもアンテナが張るようになる
没入感の高いVRで精神世界への扉が開く
自然に黄金螺旋を描くバレルロール睡眠法爆誕(笑)
VRの没入感とは、視野を確保する映像の綺麗さではなくいかに現実との繋がりを切れるか?そういう意味では、コックピットの中にいると錯覚させる事ができるフライトスティック+VRは座ってるのに360°一回転する脳感覚=重力を感じまま肉体と意識がずれていく
人生でおそらく98%以上の人が未体験ゾーンだと思う新感覚を得た
これはやった人、その中でも没入感が物凄く高く、VR世界をもう一つの世界と認知した人じゃないとわからないかもしれない
3月は社会情勢のアンテナが凄い
3月は精神テクノロジーの記事がひとつもない!?(゚Д゚;)さぼってんのか?と思ったら、逆に社会問題・テクノロジー分野の記事がほぼ毎日上げてたようで、現実世界の動きに着目してたようだ
AI信用スコア社会への懸念
AI信用スコア社会が始まる Jスコアって知ってる?
先日やりすぎで取り上げられたAIによる信用スコア制度の社会が訪れた時、訪れる時、一体何がどうなるのか?これについてすでに3月時点で取り上げていたが、今はもう、みずほ、ソフトバンク、情報銀行など特定の一部の分野がやろうとしてる姿を、みんながどのように捉え、それを受けいれるのが本当に幸せなんだろうか?と、NETFLIXのブラックミラーの【ランク社会】というドラマを見るべきだと思う
4月 カタカムナと出会い、導きが始まる
続・異例だらけの新元号 令和以外の5候補も思念読み
カタカムナは言葉の本質を見抜くのに凄く参考になる!と勉強し始めた時、異例の生前退位、異例の元号発表があったので、時代を反映する令和という言葉を思念読みしてまとめた記事
同じようにカタカムナで読み解いても違う受け取り方になるのはとても不思議だが、どれが正解?正しい?という事もなく、その人にとってはそう映るんだろう
でも、自分で自分に預言した内容を、一年を終える今読み解いてみればはずれではなかったと思うし、そうなるだろうと思った事が嫌だったのも事実だから、もうひとつの道も見え始めているとも感じる
多くの人に気づいてほしい
NETFLIX 映画メッセージ(ARRIVAL)を見て思う事
カタカムナで言葉に隠されたロジックがあり、言葉とは力であると理解し始めた頃、最近世の中に聞きなれないワード、意図的に広げられているのではというワードに気づいた
それは【都市伝説】 日本だけじゃなく世界中であり、みんなが話題にするのが当たり前のように、まるで最近で言えばタピオカブームのように、娯楽を楽しむ感覚で増えていった
私はこれは 木を隠すなら森 として静観してみていた。嘘や捏造の中に真実を混ぜてしまえば、何が真実で何が嘘なのかわからないという意味
だから、情報発信源はどこだ?何が目的だ!?と思っていた所に あっはっは(´∀`)と笑うしかない目を覚まさせるような映画が出た訳だ
ざっくり言えば「はい注目!お前らの望む助けは3000年後に来る予定です」だって
それどう受け止めるかはあなた次第だけど【時間という概念はない】これがメッセージの映画
思考を止めるな!
これをおもしろいwと思ってるのは【今の私】です。誰に向けたメッセージやねん!ってくらい思考が溢れ出してる状態で、たぶん、この時の自分は入ってくる情報を処理しきれてなかったのだろうし、処理するべき情報としなくていい情報の取捨選択もできてなかったけど
カメラを止めるな!と言わんばかりの思考を止めるな!(# ゚Д゚)ノ って感じだったんでしょうね
5月 現実と精神の旅が始まる
平成最後から令和初のGWを終えて今思う事
悪意なく、気を張る事もなく、自然体で受け入れてくれる多くの親族・家族と交流する中で、自分がどういう人間なのか、どういう存在としてある事が調和なのかわかった気がします
頑固な親父世代の意見もわかる 同年代の親が社会で抱える問題もわかる 独身から見た社会とのかかわり方や見られ方もわかる ニューエイジな若者世代に作られたブームで広げられてるテクノロジーもわかる
自分は繋ぐ人であるべき:先導するより繋ぐ人
建設的な意見とは何か・・先導するより繋ぐ事の大切さ
それがわかったら人と会って話すのが楽しいw!人の意見をもっと聞いてみたいと思ったら・・急に今まで十年以上音信不通だった友人が、とある事で人生の転機(転落)を迎える事があり、そこに深く関わり、気が付いたら(復活)の姿まで見届けられて嬉しかった
さらに別の友達とも会う事になり、予定になかったのに、直感の導くままに標高1640mの山の頂上に登山なんかして、はっきり言ってここでしか見る事ができない雲ひとつない晴天のパノラマビューを見る事ができたり、私のスピリチュアル人生体験が本格的に動き出しました
夢診断 UFOから龍が暴れるのを見た夢のお話
人生初の龍の夢を見た
いつもなら、それはどういう夢か?と現実的な夢診断をメインに考えるのだけど、あまりにも現実的であまりにも鮮明な、も��かして本当に雷って龍・・!?と思ってしまうほど
黄金の龍のディティールが細けぇ!(゚д゚)! 映画や漫画でも見た事ないクオリティだったので、あれは一体なんだったのか
天体望遠鏡に興味が出たので基礎知識を調べてみた
その直後から私の興味はなぜか天体の星へと導かれた これはもう、自分でもなんで急に星?天体?(;´・ω・) と思いながらも
天体望遠鏡を直感で買っちゃうレベルで抗えない力で私は星を見る事になる。そして、のちにそれが人生初のUFOを2回も捉える事になるとは・・この時の私はまだ知らない
この世はVR説を考察 今のレベルのVRを体験しておかないとヤバい理由
現実にいながらVRにも適応するという事、そしてその空間を意識が行き来するという事。これは、はっきり言って第三者が見ていてわかる事ではない
第三者からすれば、ただゴーグルをつけて脱いでるだけに思っているだろう
ゴーグルをつけた後は向こうの世界に意識が入っている ゴーグルを外した後はこちらの世界に意識が入っている
あえて意識が戻ってきたという表現はしない、なぜなら意識は途切れてないから 連続した空間の中を自分の意識がどちらに定着したかというだけの違いなのだが
だからこそ、現実もまたVRなのでは?と考え始めるのは、理屈ではなく感覚であり、私にとっては体験からくる直感だった
それは現実における天体望遠鏡の光の反射、屈折という像の投影だったり、写真撮影によるピントを合わせるフォーカスの原理だったりと、色んな物に当てはめていくと、よりVR説が濃厚になっていく!? という概念がひとつ固まった時期(伏線)
6月 寝起き閃き=夢のメッセージが増える
現実の政治や経済、ビジネス、小さな変化がこの先どうなるか?というような事が、寝て起きた直後に、まるで別世界の知識を知り、まるで体験談のように頭に残っている事が増えた(寝起き閃きシリーズとして始まる)
AIとシンギュラリティと人間のエゴ
AIがいくら独自で学ぶとはいえ、学びを与えるのは人間であり AIを絶対神として構築される社会構造は、カースト制度、ピラミッド社会でしかない
その時点で、AIではなく人の意志なのだが・・AIはきっと愛に目覚めるはず!と希望的観測を述べたが、これに関しては、この記事を書いた当時とは違い、最近第七感で感じた印象だと、そもそもこのAIという存在が人を越えた・・という表現に実は伏線があると感じた(別ページで)
米中貿易摩擦で燻し出されて何が出る?
この時、人類にとって最大の脅威は【嘘情報】だと確信
日本のメディアはこの内容を著作権問題とすり替えて報道し、そのニュースを見た日本人たちは、まさにメディアが伝えた通りの印象で喜々としてそれを話題にしていた
その時、常識的な社会人=思考停止で社会に踊らされる人たち に見えてきた
会話するたびに衝突し始め、自分は間違ってないのに、どうして100%間違ってる偏向報道をうのみにしてる人たちが、テレビでそういってた!ニュースでそういってた!国がそういってた!という免罪符を盾に思考停止状態で自信まんまんなのか・・
本当に気持ち悪いと思ったのでいくつかの人間とは距離を取るようになった
SiOnyx AURORA 満点の星空を撮れるナイトカメラ
直感に従って即決して買った買い物の中では最高価格 情報を見た瞬間に、これは買いだ!( ゚Д゚)ノと心の奥深くから強い意志を感じたが
自分的には、値段が値段で、え?星を見るためだけにこれを買うの?(;´Д`)と 潜在意識に対し、顕在意識が物凄く抗ったんですが、結局買いました(笑)
それによって確信に繋がったのが【肉眼では見えないのに存在する】という定義 今までにない物事の捉え方・考え方で次元が広がった結果
アインシュタインの一枚の写真からの閃き
写真一枚から世界の真理へと扉が開かれました(このシリーズは3つ)
今までの伏線があってこそ、全てが繋がって、あれもこれもそれも!?常識人は思考停止して止まってしまう所も小さなほころびの向こうは大きな空間が(まるでゼロ・ポイントの向こう側)
周波数と電磁波とヒーリング効果
頭痛が消えるで話題の賢者のプロペラの背景にある思い
常時頭痛薬を飲む片頭痛がデフォルトの人から、この音楽を聞くと頭痛が消えると教えてもらった
当初は頭痛持ちでもないから効果もわからなかったが、その人と同じ環境を確認し、症状が出た時に聞いてみたら確かに痛みが緩和されたようにも感じた
音の魔術師の音楽、音とは突き詰めれば周波数であり、電磁波でもあるので、これが人間の脳や細胞への影響があってもおかしくはなく、これはスピリチュアルなものではなくロジックでもある
凄いな・・と思ってこの人を深堀していったら・・実はその症状が発生する環境(ケ〇トレイル)を憂いていたという根っこがあった。それでこの音楽が生まれたのだとしたら、想いは形になり必要とする人の元へ届くのだろう
という身近なスピリチュアルな考え方として、これもひとつの現実として認識した
そうやって常識に当てはめず、起きた事を現実としてひとつひとつ肯定していき 見た物をありのままに受け止める素直さが身につき始めた頃
UFOが写真に写った
ストロベリームーンとUFOの軌跡
よくUFOは姿を見せてもいいという人には見せるという定説があるが この時の私は「月を見せてくれてありがとう(≧▽≦)ノ」が第一印象だった
もし自分が逆の立場でそういう奴だったら、別に姿見せても害はないって判断するだろうと考えると、なんかほっこりした。そして天体にうつつぬかしてるかと思いきやここから目線は急激に変わり、自然の生命へと向いていく
なぜか突然ほやのさばきかたに興味を持つ
自然界にあるプラスマイナス構造、口と肛門
マイナスから取り入れ、プラスから出たエネルギーは別の生命がマイナスから取り入れプラスから出す、自然界のサイクルとはつまるところ、エネルギー変換の循環なのだ!と思ったら
自然には無駄なものがないが、自然の中で無駄なものは人間だけだと気づく
7月 社会の常識のほころびを見つけ始める
世間一般からは白い眼で見られるであろうオカルト・サブカルチャーである、精神テクノロジーと、これから社会に大きな変化を与えるであろう現在進行形で動いている陰謀を社会テクノロジーとして情報発信をしていくために、ブログ名を好奇心へ変更
ブログ名「好奇心」に変更のお知らせ
星にまつわる常識とは星座、そしてそれは一年の行事として取り入れられているため、多くの人はその時期が来たら思考停止で準備を始めるが・・そもそもそのルーツは何か?常識を調べてみたら、幾重にも上書きされて原型を失った宗教の姿がでてくるほころび
七夕という行事を深く考察していくと?
まずは体という器をテクノロジーという物質と置き換えたとして「あなたの意識があればそれは体の一部ですよね?」から始まる社会概念変化のほころび
トランス・ヒューマニズム 変わっていく人間性のお話
自然の中に不自然に現れる人工的なほころび
青空の時ほど空を見上げなければいけない
こんな感じで、社会の常識のほころびを見つけ始める事で、社会常識をベースに命令してくる超自我が弱くなり、潜在意識の声を素直に受け止め、直感に従えるようになってからネガティブにならないという気づき
イラストでわかる!潜在意識を変えるたったひとつの正攻法(成功法)
一方で止まらない概念の多様性を推し進める勢力の動き
Neuralinkの未来を考察
8月 ライトワーカーと判明と自覚
ライトワーカーって言葉は今はなんかヘイトの意味で使われているようなのですが、別に誰に認定された訳でもなく、ただの自称だし、お金とってヒーリングとか物販売りつけるとかそういうのもしないのでスルーしてください(笑)
エンジェルナンバー911 よく見るってレベルじゃねぇ遭遇率
911という数字がやたらと目につくようになった事から調べたら、そういう星の元に生まれたんじゃね?的な感じだったのでライトワーカー・・ではなく、この発見に至るまでのここまでの、スピ体験と気づきの長い歴見てくださいよ?wちょっと数字が気になったから占ってみた!のレベルじゃないし、自分でもこの活動欲求はおかしいべ?って自問自答で悩んだ時期ありましたからね
それを、へての自称ライトワーカーという訳なので (;´∀`)伝導詐欺師等ではありません
そんな自称ですが、ライトワーカーという目線を持って、世の中を見渡した時に、どうしてこういう情報が日本では話題にならんのだろうね?と・・ぶっちゃけこれ今一番日本で問題にしなきゃいけない食料の安全性の問題だからね?
寄生菌が操るゾンビアリとNeuralink ミクロとマクロ世界のリンクの話1
5億匹のミツバチが農薬で絶滅 ミクロとマクロ世界のリンクの話2
興味を持つ対象とかも一般人とぜんぜん違うし、なんか金欲も物欲もなくなってきたし、なんならそういうのに執着して「私より上にいるのが許せない!負け組は努力してない奴が悪い!」と一握りの勝利者として格差を求める人間と関わるのが凄く疲れるな(;´Д`)と思った時、物事の捉え方の次元が違うんだろうと思って、何気なく魂の年齢というのを調べてみたら・・なんかすっごい達観してた事に気づく(笑)
魂の年齢 霊格レベルを調べてみたら・・
なるほどね、俺が目を付ける情報って本質に迫ってる所なんだろうな~と思って 調べたらそら日本はぶっ壊さないと建て直しできねぇ根幹がこういうルール
5G 安全神話はこうして創られる
9月 フリーエネルギー実験とスピリチュアルの見直し
冒頭で少し触れたように、嘘が世界を創っている という俯瞰して達観した気持ちに至った時期
嘘が世界を作るお話
エネルギーとは何か考えた時に、真っ先に浮かぶのは電気であり、電気は人間にも大きく影響する。その電気は水と塩とマグネシウムがあればできる事から、その三つが最初から揃っているのが、母なる海とも言われる海水で実験したら、ライトが点いて感動
アクアパワー LEDライト 海水で点く!フリーエネルギーな懐中電灯
ここで日本政府があきらかに隣の国と某企業と足並みをそろえた気持ちの悪い動きをしている情報をキャッチ
スマホ決済統合への最終兵器 マイナンバーカードポイント制度について思う事
ライトワーカーという言葉を一旦忘れようとなった時に、全てがなんでもスピリチュアルじゃないと冷静になった事で物事の捉え方がまた変化する
目を瞑ると見えていた光の粒子の正体は目の傷
ここで世界が仕掛けてた不自然な違和感の情報をキャッチ
温室効果ガスについて思う事
10月 導かれて旅に出る
この頃の私は神への興味もなく、星でもなく、なぜか急に・・縄文時代に引き寄せられて、縄文跡地巡りをきっかけに、県外遠征まで行うようになる。直感で全てが始まっているため、行く意味は?目的は?というものはなかったが、そもそもの旅の始まりはここに原点があったと気づく
緑のオーブが映っていた場所から始まっていた物語
11月 宇宙・地球の常識すら疑い始める
11月でそろそろ雪が降ってもおかしくない時期に夏の星座が見えたが、アプリ上ではそこには違う星座が表示されていた。そして何度あわせても、GPSはずれた・・自分で持っていた宇宙を判断するための常識の基準2つが機能してなかった
機械上はそこに存在してなくても、目には見えているのが事実、機能してない常識を信じるか?自分の目を信じるか?
11月の空に夏の大三角形が見えたのは一体何を意味する?【更新】
この地球は球体ではないというフラットアース論という新しい哲学が出てきたのを、Youtubeが規約上で動画を削除はしないが、見えないようにするとルールを変えた
最初は程度の低い考察方法が流行り、似非科学という新しいレッテルワードで科学で証明されていない机上の空論として抹殺されかけたが、その理論はどんどん洗練されていって、今では過去に秘密結社によって隠蔽された元の世界地図が復元されていたり
太陽や月の動き、季節の移り変わりの理論、南極大陸には船から上陸できない謎など、これはとても新しい哲学としておもしろいと同時に、それを否定する科学側、宇宙理論側での嘘や捏造のほころびが見えてきた事も裏付けになってくるだろうと目をつけている
パリ協定と南極の氷と壮大な嘘
新しい哲学と取り入れ宇宙の嘘にまで広がった時に、各国神話の中でも偽書扱いの創世のくだりから、基本的な構造がふと頭に浮かんだ
唐突に気づく宇宙創生の日本神話の考察
日本を巻き込んだ世界の大きな動きのこの2つは見逃せないポイント いまだに誰に聞いても答えられないのが【なぜ日本はローマ字を使うのか?】だね
ローマ教皇とIMF新議長の発言 その心は?
そして、日本売国はここから始まっていて、今もなおその勢力が、平然と行っているという事に多くの人が気づくべき情報
中曽根康弘元首相 墓場まで持っていく
12月 全部世界の出来事とは繋がってる
地震の不安を煽るドラマが4日連続で放送された時、ありえない頻度で地震が起きるという偶然
首都直下型地震ドラマ期間に地震連続発生というたまたま
政治がやらかしたタイミングで大麻で捕まる芸能人が現れた。政治のスピン情報だと政治に目を向けるよう訴える芸能人に頭おかしいんじゃねーか?と噛みつく芸能人
この騒動終わってみたら、タイミングミスで逮捕失敗な上に、噛みついた芸能人が実は政治から目を離させる役目を持った政治とずぶずぶの関係だったと判明(笑)
ほんと、嘘で世界はできている
沢尻裏口釈放に思う事
色々と考察や観察、体験をしてやっぱり現実とはVRじゃないかと思う(二度目)
唐突に理解する三位一体と意識 やっぱVRじゃねーか
「11月なのに夏の空」という謎の現象を感じた私と同じように、気象の専門家も「冬なのに今は秋の気候」と常識を見直す必要があると言っていた事から、直感は間違ってないと確信
気象予報士が語った「12月なのに今は秋の気候」について思う事
人権的な事に興味はなかったが、LGBTに知らない内に付け加えられているTIが気になったので、調べたら・・このブロックに宇宙人・悪魔・人間でははない存在をぶち込めるような伏線になっていた事から、時代変化の準備は着実に水面下で用意されていると確信
LGBとTQIの根本的な違い
もともと都市伝説や陰謀論が好きな人が見ていたという預言と言われるエコノミスト2020の表紙を見てみたら、誰のアドバイスもなく、この1年、自分が追い続けてきた世界の情報や体験してきた不思議なシンクロニシティでほぼ予測できた事に驚く
エコノミスト表紙2020 消える潜象界(VISION)
人は誘惑に抗えず、そして始まればそれは簡単には終わらない・・ここで人はモラルを持ち、道具は人の使い様として【第一段階】を体感しつつ、肉体を意識が離れる疑似体験をできるが・・気づくかな?
日本で飛ばせるMAVIC miniレビューとドローン登録義務化の法整備に思う事
教育の盲点、物事を捉える物差しの角度、概念が大きく変わる地図教育。だから私はフラットアースにより傾倒していく
世界標準の地図で見た地政学的な極東アジアな日本
ゲームの中にはすべてが詰まっている、これからお隣の国がどうなるのかの預言もね
ゲームに隠されたメッセージを読み解けMHWI
と、言う感じで、他にも医療や健康、食べ物などなど、いっぱい気づいた事や気になった事をまとめてますが、基本、常識を疑って、なぜ?の追求から始まって、自分なりのそういう事か という答えまでたどり着いてるから公開してます
この1年で本当に変わったのは、やはり夢体験の夢日記、寝起き閃き・明晰夢体験・幽体離脱などなど、肉体を離れた場所で何かを得て返ってきているという精神テクノロジー分野だと思いますが
別にどっかで修行したとかじゃないですし、そもそも修行に行ったとて・・人の言う事をうのみにしてトレースするような人間だったら、もっと社会に適合してますって(笑)
私はこの社会や常識に適合できない=社会不適合者だった事を鬱になりかけて悩んで苦しんでた時期もありましたけど、今は、こんな嘘と捏造とヘイトだらけの社会の常識で生きて来たのかって気づき始めると
そっちに合わせるのが正解なのか? という気持ちが勝ってますね
嫌な世の中ですよ?ほんと、例えば、食料がないなら種でも配布して家庭菜園技術をみんなに教えて自給自足を促せばいいのに
種は一世代しか育たない品種に改良され・・ 種は製造元が明確にわかり追跡できるようにし・・ 種に合った農薬を使い適切に管理・運用をする事を義務付け それらに罰した場合は、取引停止&罰金という制裁
え?(;・∀・)土地というスペースに種を植えて、自分らの食べる物すら作っちゃいかんの?って法律に日本政府はOKだしてるんですよ?
HACCP義務化とこれからの農家の在り方
誰も助けちゃくれないって、嘆いて神に祈ったって無駄ですよ 八百万もの神がいるのに、洪水や天変地異から守ってくれないんです
だから第七感に目覚めなきゃいかんのですよ(本当の意味で)
第七感で繋がる並行次元を楽しむために知っておく事
次のページでは、まさか偶然にも第七感というワードがシンクロしていたやりすぎ都市伝説SSを見た感想について、ちなみに私は関さんの本は全部買って読んでますし、隠しのAR動画なんかも全部目を通してますが・・どうやら方向性が完全に違うという事がわかったので、第七感の捉え方の違いも含めてまとめていきますので興味があれば続きをどうぞ
やりすぎ都市伝説2019&書籍を読んで思った事
自発的な思考テクニック
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tsunage · 7 years
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【砂糖・未来・フランス関係ない】週末読んだ未来を視る本を3冊紹介するよ
どもつなぎです。 最近は読書にはまってます。 過去と未来を知るのは大切かと思うんですよね(ドヤァッ) 見出しタイトル 1.砂糖の世界史 おススメ度☆☆☆ 2.シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき おススメ度☆☆☆☆☆☆ 3.2100年の科学ライフ おススメ度☆☆☆☆☆☆ そこで今週末は3冊読んでみました。どれも幸い良書でした。 1.砂糖の世界史 おススメ度☆☆☆ 砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書) posted with カエレバ 川北 稔 岩波書店 1996-07-22 Amazonでチェック 楽天市場でチェック 価格.comでチェック 砂糖がどのように世界を変えたか分かります。 砂糖あるところに奴隷あり と文章中にあるように、砂糖の利益のために奴隷がかり出された歴史もよく分かります。 個人的にはイギリスの巧みさがうかがえる1冊だなっと思いました。…
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qsfrombooks · 3 years
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あらゆる進歩の根底には、全ての有機体が自身の収入以上の生活をしたいとする、普遍的な生来の欲求がある。
シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき / レイ・カーツワイル
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qsfrombooks · 4 years
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人工心臓をつけた人は、まだ人間だろうか? 神経を移植された人はまだ人間だろうか? それが二か所になったらどうだろう? では、脳に一〇個のナノロボットを挿入した人はどうだろう? 五億個ではどうか?
シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき / レイ・カーツワイル
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qsfrombooks · 3 years
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映画を批評する、記者会見を開く、話し言葉を翻訳するという、自然言語を人間レベルで理解することが求められる三つの行為がもっとも難しい。これらの貼り紙をはがせるようになれば、チューリングテストをクリアできる機械が実現し、強いAIの時代がいよいよ始まる。
シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき / レイ・カーツワイル
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qsfrombooks · 4 years
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あらゆる進歩の根底には、全ての有機体が自身の収入以上の生活をしたいとする、普遍的な生来の欲求がある。
シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき / レイ・カーツワイル
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qsfrombooks · 4 years
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新しいアルゴリズムが開発され、複数の手法を精緻なアーキテクチャにまとめる傾向が進むにつれて、特化型AIは特化型でなくなりつつある
シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき / レイ・カーツワイル
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qsfrombooks · 4 years
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この一〇年で、明確な物理的物体としてのコンピュータは姿を消し、ディスプレイは眼鏡に組み込まれ、電子機器は衣服に織り込まれ、視覚的なヴァーチャル・リアリティの環境にどっぷりと浸かることになる。そして「ウェブサイトに行く」ことは、ヴァーチャル・リアリティ環境に入ることを意味するようになる
シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき / レイ・カーツワイル
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qsfrombooks · 4 years
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AIの学習速度は、通常の人間の学習速度よりずっと速い。人間に基本的な学習をさせるには二〇年かかるが、AIなら数週間以内でそれが可能だ。
シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき / レイ・カーツワイル
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qsfrombooks · 4 years
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赤血球の酸素を運ぶ機能もきわめて効率が悪いので、フレイタスはそれを最適のレベルにするべく設計し直した。彼が設計したレスピロサイト(人工赤血球)を用いれば、人は酸素なしで何時間も生きられる
シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき / レイ・カーツワイル
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qsfrombooks · 4 years
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AIの学習速度は、通常の人間の学習速度よりずっと速い。人間に基本的な学習をさせるには二〇年かかるが、AIなら数週間以内でそれが可能だ。
シンギュラリティは近い―人類が生命を超越するとき / レイ・カーツワイル
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