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#合コン接待
kennak · 3 months
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鈴木は冒頭でこの問題に触れた際「芸能界も今、変わるタイミングというか…」と発言。「やっぱりうかつなことは言えないし、利害関係があるので、私たちは」と、芸能界全体に忖度がまん延していることを“内部”の立場で認め、「これから芸能界も変わらないとだめだし、私たちも思うことをもうちょっと自由に言っていこうとしてるタイミングだとは思います」と言い切った。  また、かつて“元カレ”のたむらけんじが松本に女性をアテンドしていたと報じられたことには、たむらから松本の接待情報を教えられていたことを告白。その上で「それがこういう合コンだったんだって思うと、めちゃくちゃキモいなって、今思ってますね」と厳しい表情で話した。  さらに松本に関して「後輩や女性に対して、もうちょっと配慮があってほしかった」とキッパリ。「芸能界だけに限らず、どの世界でも、上に立ってる人間は下の者に対して配慮しないと、こういうことが起こりうるなというのは感じました」と、松本を中心とした上下関係にも言及した。  さらに「女性へのバッシングがすごい目に付くんですけど、『警察行ったら良かったやんか』とか『8年前のこと』とか、それが結構気になってて」と、週刊文春に告発した女性を慮る発言も。「弱者の人が勇気を持った発言が世の中からこういう風にバッシングされて。関係ない当事者じゃない人たちが社会から追い出すっていうことは、やっぱりちゃんと考えないといけないなと思いますね」と疑念を呈した。  こうした率直な発言に、ネット上では「とても共感できる」「鈴木紗理奈さんその通り!被害者の落ち度を叩くべきじゃない」「鈴木紗理奈氏は、芸能界が変わる必要を口にし、道理を説いた」「『私たちには利害関係があるので』鈴木紗理奈さんの言葉が全てだよね」などと称賛の声が相次いだ。
鈴木紗理奈「サンジャポ」での松本人志問題への率直発言に称賛多数「とても共感できる」「道理を説いた」(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
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tar0 · 2 months
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コンビニでバイトを始めてしばらくたったとき、夜中の3時ごろに、若いお姉さんがタバコを買いに来るようになりました。あごにホクロのある、とても派手なかっこをした美しい人です。いつも鼻歌を歌いながら店に入ってきては、必ずハイライトを買って帰るのです。  僕はそのお姉さんのことを、とても好きになってしまいました。ほとんど、ひと目惚れでした。そして、そのことをシフト・リーダーに告白したのです。 「実は僕、好きになってしまった女性がいるんです。片想いです」 「ああ、あの派手なお姉さんね」  なんとかしてお姉さんと会話がしたいと思った僕は、ある作戦を実行しました。  お姉さんが鼻歌を歌いながらカウンターに接近してきた瞬間に、黙ってハイライトを差し出したのです。  作戦は成功でした。 「私の銘柄、覚えてくれているんですね」 「もちろんです!」  普通ならアブナイやつだと思うところでしょうが、お姉さんは僕の名札をちらっと見ると、こう言いました。 「お名前、オオシロさんっていうんですね」 「はい、そうです!」  それからお姉さんと少しずつしゃべるようになり、ある日、頃合いと見たシフト・リーダーが「2対2で合コンをしないか」と持ち掛けてくれたのです。もちろん、男の2は、僕とシフト・リーダーです。 「うーん」  お姉さんは、ちょっと迷っているようでした。 「夏になるまで待ってもらえますか。いま、ちょっとバタバタしてるんで」  いまになって考えれば社交辞令だったのでしょうが、それでもお姉さんは河岸を変えることなく、タバコを買いに来続けてくれました。  ある日、いつものように夜中の3時ごろお姉さんが現れました。いつものようにハイライト差し出すと、お姉さんがこう言うのです。 「私、今日の朝4時半に、初めてテレビで歌うんです」 「ああ、ミュージシャンの方だったんですか。僕ら朝の5時まで勤務なんで、防犯モニターしか見られないんです」 「そうなんですか。じゃあまた出演する時に言いますね」 「ありがとうございます。あのー、お名前うかがってもよろしいですか」 「椎名林檎と申します」
芸人・チャンス大城の恋 夜中の3時にハイライトを買いにくる当時無名だった「美しいひと」 | AERA dot. (アエラドット)
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greaterbayarea · 5 months
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広東省は2025年までに人工知能産業全般で世界をリードすると予想されている
香港経済ヘラルド・サン・レイ広州
11月13日、広東省政府広報弁公室は記者会見を開き、「一般人工知能産業におけるイノベーションの先導地の建設加速に関する広東省人民政府の実施意見」(以下、広東省人民政府)を正式に発表した。 「実施意見」として)。この動きは、広東省の一般的な人工知能産業の発展を加速し、広東省を国内、さらには世界の産業革新の主導的な場所として確立するでしょう。
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表彰台は左から:鄧宏、孫翔、屈暁傑、王楽琴、楊俊、魏文涛、タン・ダイ。 (写真提供:スン・レイ)
広東省科学技術局の局長、Wang Yueqin氏、広東省工業情報化局の副局長、Qu Xiaojie氏、広東省政府サービスデータ管理局の副局長、魏文涛氏、広東省政府サービスデータ管理局の副局長、Yang Jun氏、広東省科学技術局の孫翔氏、広州市科学技術局副局長、深セン市工業情報化局副局長のタン・ダイ氏が記者会見に出席し、記者の質問に答えた。広東省政府情報弁公室の鄧宏副局長が記者会見を主宰した。
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鄧宏、広東省政府情報局副局長。 (写真提供:スン・レイ)
鄧宏氏は、今回の記者会見が「広東省の質の高い発展」をテーマとした一連の記者会見の7回目であると紹介した。 「実装意見」は、人工知能の革新的な開発の促進に関する国の意思決定と展開を実行するために発行され、この政策は、広東省が一般的な人工知能を開発する機会を捉え、広東省のコンピューティングインフラストラクチャ、産業を最大限に活用するのに役立ちます。他の側面でも利点があるため、広東省が世界的な影響力を持つ技術および産業イノベーション高地の構築を促進することは非常に重要です。
Wang Yueqin: 広東省は 2025 年までにインテリジェント コンピューティング能力で世界をリードすることを目指しています
広東省科学技術局の王岳琴局長は、「人工知能は新たな科学技術革命と産業変革の重要な原動力であり、特にChatGPTの立ち上げ以来、一般的な人工知能技術は大きな進歩を遂げている」と述べた。モデルと生成 AI は世界的なトレンドの波を引き起こしており、ヨーロッパ、米国、その他の国々は、政策、資金、人材などの革新的なリソースを投入して、一般的な人工知能の戦略的優位性を獲得する取り組みを加速しています。彼女は、イノベーション、産業、アプリケーション、ガバナンスなどの側面から人工知能の開発の加速を促進するために、国家レベルでも人工知能開発計画を策定および実施していることを強調しました。
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広東省科学技術局の局長、王岳琴氏はこう語る。 (写真提供:スン・レイ)
王岳琴氏は、「実施意見」には、2025年までに広東省がインテリジェントコンピューティング能力の点で国内第1位となり、世界をリードすることが期待されており、同省の中核となる人工知能産業の規模は3000億元を超えると明記されていると紹介した。企業数は2,000社を超え、国家総合人工知能産業イノベーションリーダーは、国家インテリジェントコンピューティングハブ、広東・香港・マカオ大湾区のデータゾーン、国家デモンストレーションハイランドを構築する。シナリオアプリケーションは、「計算力の相互接続、アルゴリズムのオープンソース、データ融合、アプリケーションの創発」という優れた開発パターンを形成します。
「実施意見」は、産業応用における広東省の優位性とレイアウト、香港とマカオの協力、国家コンピューティングパワーネットワークの構築を完全に組み合わせており、産業イノベーションの先導地を構築するという目標に焦点を当て、技術革新と発展に重点を置いている。広東省の一般的な人工知能産業では、22 の政策措置を打ち出し、コンピューティング能力、アルゴリズム、データ、産業、エコロジーなどにおける大きなブレークスルーの達成に努めています。王岳琴氏はまた、体系的なレイアウト政策、独立したコンピューティング能力の基盤を強化すること、広東省、香港、マカオの協調的発展を強調すること、主要産業の目標に焦点を当てること、の5つの側面を含む「実施意見」の主な特徴を強調した。連携と相乗効果を発揮します。
Qu Xiaojie: 広東省は一般的な人工知能技術の深い統合を促進し、新しい工業化の発展を加速します
広東省工業情報化局副局長の屈暁傑氏は、広東省は製造業クラスターとサービス市場における優位性を最大限に活用し、汎用人工知能の応用を加速し、新たな工業化の発展を促進すると指摘した。同氏は、製造分野では大型モデル技術の適用により企業の研究開発、生産、サプライチェーン管理の効率が大幅に向上し、コスト削減に貢献したと述べた。たとえば、自動車製造業界では、汎用人工知能が部品の特性を分析することで企業の生産計画の最適化に役立ちます。同時に、端末製品分野の発展は、人工知能技術の統合により製品の機能とユーザーエクスペリエンスを向上できることも証明しています。
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広東省工業情報技術局の副局長、屈暁傑氏はこう語る。 (写真提供:スン・レイ)
公共サービスの分野では、広東省は天気予報に大規模な気象モデルの応用を導入し、防災・減災能力を効果的に向上させています。医療分野では、病気の診断の効率と精度を向上させるために、多くの病院が医用画像補助サービスを導入しています。さらに、交通分野、特に顧客サービス、運営、管理におけるインテリジェント大型モデルの適用により、都市交通管理のインテリジェントレベルが大幅に向上しました。
Qu Xiaojie 氏はまた、オフィスと教育分野における一般的な人工知能のプラスの効果を強調し、オフィスの効率と教育の質を向上させました。広東省は将来に向けて、コンピューティング能力の導入と産業インフラストラクチャの建設を強化し、製品イノベーションとアプリケーションイノベーションを促進し、さまざまな産業での人工知能技術の応用を拡大し、新しい産業化のプロセスを加速し、新しい工業化のプロセスを加速するための特別政策を導入する予定です。良好な産業発展環境。
魏文涛氏:広東省は人工知能産業全般の発展を促進する「データ特区」を構築する
広東省政府サービスデータ管理局の副局長である魏文涛氏は、広東省はデータ要素市場の改革を促進し、データを利用して人工知能産業の発展を促進することを目的として、データリソースの体系的な計画を実行していると述べた。
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広東省政府サービスデータ管理局副局長の魏文涛氏はこう語る。 (写真提供:スン・レイ)
Wei Wentao 氏は、データ リソースの管理とアプリケーションにおける広東省の 2 つの主な戦略を紹介しました。まず、広東省は、信頼できるデータ空間を構築し、「データ特区」の構築を検討し、プライバシーコンピューティングや信頼できるデータリンクなどのセキュリティ技術を利用して、国境を越えたデータ流通の効率とセキュリティを確保する計画だ。さらに、広東省は、人工知能データリソースの構築を加速し、一般的な人工知能(大規模モデル)の分野における公共データの価値を探ることを目的として、「広東省公共データアノテーショントレーニング」パイロットプロジェクトを開始しました。
第二に、広東省はデータリソースとデータ要素システムの構築を加速し、高品質のマルチモーダルな中国データセットの構築に努めています。政府部門や人工知能(大規模モデル)業界の企業と協力して、マルチモーダルデータを段階的に収集し、データガバナンスプロセスを通じて高品質の中国語コーパスを構築し、人工知能データ製品の取引を促進します。魏文濤氏はまた、広東省が典型的なアプリケーションシナリオの構築を加速し、デジタルガバメント分野での一般的な人工知能技術の応用を促進し、大規模モデルの展開とアプリケーション開発に参加する多くの企業を導入していることにも言及した。
ヤン・ジュン氏: 独立したコンピューティングパワーエコシステムを構築し、広東省は「新世代の人工知能」を導入する
広東省科学技術局副局長の楊軍氏は、汎用人工知能技術は科学技術革命と産業変革の新たなラウンドをリードする重要な戦略技術の1つであり、広東省は科学技術革命を促進するための具体的な措置を講じていると述べた。この技術の革新と開発。基礎研究のレイアウトは、特に戦略的で将来を見据えた技術において強化され、人工知能の変革を後追いイノベーションから先導イノベーションへと促進します。広東省は、基礎および応用基礎研究およびその他の主要プロジェクトに関する10か年「優秀な広東」計画の実施を通じて、人工知能全般における独自のイノベーションに取り組んでいます。
楊軍氏は、広東省が「無人知能技術」主要プロジェクトや「彭城クラウドブレインII」主要科学技術インフラプロジェクトなどの主要な科学技術プロジェクトを組織・実施し、技術革新と長期にわたる基盤を築くことを目的としていると紹介した。人と機械の融合を加速し、自動運転などのキーテクノロジーの研究。テクノロジーと産業の緊密な統合を促進し、アプリケーションシナリオを拡大します。政府の指導基金や大規模なコンテストを通じて、広東省は人工知能のイノベーションに���けた強力な雰囲気を作り出しています。
楊軍氏はまた、広東省が「新世代人工知能」の主要な特別旗艦プロジェクトを積極的に展開しており、独立した計算力の創出を目指して、インテリジェント計算能力、データ処理技術、コアアルゴリズムなどの側面で技術研究を実施する計画であると述べた。エコシステムの構築と汎用コンピューティング能力の最適化、人工知能のイノベーションと開発環境。
孫祥氏:広州は人工知能の発展機会を捉えて「製造業」の強固な技術基盤を構築
広州市科学技術局の孫祥副局長は、技術革命と産業変革の加速に伴い、人工知能が経済発展の新たな原動力となっていると述べた。広東・香港・マカオ大湾区の中核エンジンとして、広州市は都市の質の高い発展をサポートするために、人工知能とさまざまな産業の徹底的な統合を促進するために多くの措置を講じてきました。
Sun Xiang氏は、広州スーパーコンピューティングセンターは世界で最も影響力のあるスーパーコンピューティングセンターの1つとして、特に先端製造、生物医学、新素材などの分野で多くの企業にサービスを提供していると紹介した。広州市は、企業、大学、研究機関と連携することで、先端製造、車両輸送、ヘルスケア、都市ガバナンスの分野における人工知能応用シナリオの実証を推進し、多くのコア技術を習得した。
孫翔氏は、広州市は「最も革新的な価値の導入事例TOP30」リストを発表し、さまざまなコンテストを開催することで、技術と応用シナリオの統合を促進し、医療検査、ソフトウェア、自動車、新エネルギーにおける人工知能技術の応用を実現したと述べた。 、など 産業および政府関連のアプリケーション。将来的には、広州市はアプリケーションシナリオを強化してオープンにし、より多くの産業で人工知能技術の適用を促進し、地元産業の包括的なアップグレードと発展を促進し続けます。
Tan Dai:深センのインテリジェントコンピューティングパワーの「ベース」サポート機能を強化し、一般的な大型モデルのニーズを満たす
深セン市工業情報化局のタン・ダイ副局長は、深セン市はインテリジェント・コンピューティング能力の構築と開発を非常に重視しており、十分なコンピューティング能力リソースを提供するためにインテリジェント・コンピューティング能力の「基礎」サポート能力を継続的に強化していると述べた。一般的な大型モデルのニーズに対応します。インテリジェントコンピューティングパワークラスターの供給を強化し、マルチレベルのインテリジェントコンピューティングパワーを構築することを目的とした「人工知能とハイレベルアプリケーションの高品質な開発を加速する深セン市の行動計画(2023~2024年)」が発表された。プラットホーム。深セン市はまた、2025 年までに国内の都市の中で人工知能のコンピューティング能力をトップレベルに達することを計画しています。
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深セン市工業情報化局副局長のタン・ダイ氏はこう語る。 (写真提供:スン・レイ)
Tan Dai氏は、深セン市もフルスタックの独立したコンピューティング電源機能の構築に積極的に取り組んでおり、企業の人工知能チップの研究開発を支援し、さまざまな深層学習フレームワークに適応して、独立した制御可能なインテリジェントなコンピューティング電源フルスタックを構築していると紹介した。技術と製品。同時に、深セン市は「彭城クラウドブレインIII」や「深セン・香港人工知能コンピューティングセンター」などの地方インテリジェントコンピューティングセンターの建設やその他の重要なプロジェクトを加速している。
さらに、深セン市は、コンピューティングパワーリソースの効率的な統合とディスパッチを実現するために、都市レベルのコンピューティングパワー調整およびディスパッチングプラットフォームの構築を加速しています。深セン市はまた、「東のデジタル化と西のコンピューティング」という国家戦略にも積極的に対応し、企業が全国にインテリジェント・コンピューティング・センターを展開することを支援し、全国でインテリジェント・コンピューティング・リソースの連携利用を促進している。
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caramelholicxx · 6 months
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11月第2週
今週もおつかれさまでした。
この週末で一気に寒くなってびっくり!急いで冬服やブーツを買ったり(おいおい紹介する)電気毛布を出したりした。風邪をひかないように暖かくして過ごしてね。
今週は仕事の忙しさがピークに達してTwitterもあまりできず、仕事に行く→力尽きるまで働く→帰ってお風呂入ってすぐ寝るの繰り返しだった。来週からはいくらか落ち着くはずだから、あとで辛くならないように長期の仕事も適度にやりつつ、日々の業務をこなしていこうと思う。わたしはやりすぎる癖があるからあくまでほどほどに。
今週末は仕事のあと久しぶりに母方の祖父母の家に行った。
わたしはファザコンマザコンブラコンどれにも該当しないんだけど、強いて言えばじじばばコンだと思うくらい祖父母が大好きで、生粋のおじいちゃんおばあちゃん子である。(父方は離れているからあまり会えないんだけども)数年前に亡くなった祖母共々、目の中に入れても痛くないかわいい大好き宝物と超甘やかされて育ったから当然そうなる。
両親にもとても甘やかされている自覚はあるんだけど、わたしが変に卑屈になって褒められても怖気付いたりその裏に何かあるんじゃないかと勘ぐったりしないのは、こうやって周りの大人たちが愛情注いで大切だと育ててくれたからだと思う。異様に自己肯定感が高いのもきっとそう。
血縁関係がすべてじゃないし、血が繋がっていても合わないことももちろんあるけど、大切な人には大切だって伝えたほうがやっぱりいい!
祖父もだいぶ高齢になったけど、やっぱり会うとうれしいし力をもらえる。その気持ちも「今日会えてうれしいよ」って言葉にしてなるべく直接伝えるようにしてる。まだまだ元気でいてほしいな。
わたしの母方は農家なんだけど、畑に蜜柑がなってたよ。
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甘酸っぱくておいしかった。
さて、明日は待ちに待ったRed Velvetのカムバ!6年ぶりの正規だから明日は午後休とって万全の準備で臨む予定。
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チルキルは一体どんな歌なのかな。
teaserやハラメ?ではほぼインストで、まったくメロディが明らかになっていないから予想もつかない!最近teaserでサビをがっつり公開しちゃうグループも多いから、ここまでシークレットなのも新鮮。お楽しみ感があっていいんだけどね。
きっと来週はチルキルアルバムを擦りまくる1週間になると思う。念願のキリングボイスやウェンディのリムジンサービスもあるから、べべたちに負けないようにわたしも頑張って追うぞ〜。
今週のおいしかったものコーナー
・スタバのジョイフルメドレーティーラテ
今年もジョイフルメドレの季節がやってきた!
毎年の冬のお楽しみ。去年は茶葉も買ったけど家だとどうしても上手く作れなくて結局お店で飲むのが1番ということになった。冬の間はあるはずだからきっと今年も飲みまくることでしょう。
ちなみに一緒に出たジンジャーブレッドラテも好き。
最後に今週よく聴いてた曲
salem ilese - Mad at Disney
また来週!
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chaukachawan · 6 months
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ゆるっと団員紹介35
ゆるあです🐴
オムニも外公もろくに参加しなかったのに、ここまで彼らを好きになってしまうとは誤算でした。あともう少し時間があれば、やりたかった事を添えて。
・大福小餅
守りたかった。彼女は現代人、あるいはちゃうかの人間としてなかなか珍しい特徴をもっていらっしゃる。俗世にまみれて変わっていってほしくないのでわたしが守りたかったぜ、それはあなたの良さです
・あろハム権左衛門
一緒にお酒をのみたかった。最初から可愛いけど、お酒いれたらきっともっと可愛くなるタイプではなかろうか。真剣な彼女の姿勢もすごく好き。案外真面目にふざけている瞬間を見た時おもしれーって思った
・しょこら
成長をもっと見ていたかった。皆言ってるけど、きちんと努力が出来るところを本当に尊敬する。彼みたいなタイプが最後に誰よりも輝く世の中であってほしい。いるだけで安心するくまさんみたいな所がある
・紫仏瑠唯
抱きしめられる関係性になりたかった。後輩は総じて可愛い私ですが、彼女はまだ人見知りしてしまう。絶対この子もいい子なんですよ~~もっとお話ししたかったな。だって初めましてのあいさつすらろくに出来てない
・近未来ミイラ
色んな顔を見たかった。なんやかんやでいつも同じ顔をしている、いやディスってるんじゃなくて。例えば心の奥底から笑ってるところとか見たことないなって。だけど絶対感情の見える瞬間があるはずで、そこにこそ魅力のある人だと思っている
・黒井白子
まっすぐ目を合わせたかった。実はちょっと怖かった、なんか整ってるし優秀だから。目を合わせたら私の汚いところを全部指摘されそうで。絶対そうじゃないんだけどさ、それも知ってるけど���。彼はきっといい先輩になりますね
・海泥波波美
深いところを見たかった。見てはいけない思いもあってどうしても線を引っ張ってしまったな。もう関わらないよ、とは言うけど私はツンデレなので頼ってくれたらしっぽ振って喜びます。待ってないけどね。
・コン
話しかけたかった。実は間接的にしかお話をしたことが無いことにお気づきでしょうか。純粋に彼の声のトーンが好きなので聞いてたかったな。こりちゃんとしょっちゅう間違ってごめん。もう間違えないよ
・田坂優
色んな話をしたかった。彼と喋ったのはたった二言のみ、しかもビジネス。すごいと噂の映像の話を聞きたかった。わたしの話も聞いてほしかった。彼ならきっと目の前の信号が青になったことも、人生かけた悩み相談も、同じように聞いてくれる気がしたんだ
・鴨兎春
大きな役を見たかった。彼女の芯をもった役者姿がほんとうに好きで、絶対良い演技をしてくれると思っている。いつか見れるのを楽しみにしています。言語も非言語もどうもセンスがすき、この芸名も好き。
・園堂香莉
声を聞きたかった。彼女の考えていること、大切にしていること、そういうものを全然知らない。思っていたより感性が似ている気がしている、それにも気づかなかった。遅かった。悔しい。でもこれからも大好きだよ
・衿君
わたしの舞台に出て欲しかった。わたしの舞台に立ってもらうはできるかな。やりたいな。彼も珍獣。保護したくなる。彼の人生をかけてまるっと知りたい。誰よりも何も起きなくて、誰よりも密度の濃い生活をしていそう
・縦縞コリー
ちっちゃいこりちゃんをお持ち帰りしたかった。今からでもできないでしょうかね。手のひらサイズで喜怒哀楽してるの絶対しあわせになれるよ。ほらドア開けてさ、ただいまーって言ったらちっちゃいこりちゃんがぴょんぴょんしてる生活。しあわせでしょう
・中森ダリア
エチュードしたかった。彼女は自分を他人にどう見せるかの視点が余りにも秀でている。1度全力で彼女の引き立て役をやりたかった。彼女と一緒ならエチュードが苦手なわたしも引き上げてもらえる気がする
・冊まいも
わが子と呼びたい。彼女の目が好き。強くて大きくて意志をもっている。彼女と一緒にいたら、きっともっと彼女を魅力的にできる自信がある。だけどあなたの魅力に気づいてる人は他にも居るので、その人に伸ばしてもらってね
・ミル鍋
もっとなでなでしたかった。可愛いねぇ。なでなでをメインコミュニケーション、おしゃべりをサブのコミュニケーションとして、ほかの人の50倍くらいの時間をかけてあなたのことを知りたかった。
・まろん
好きなものを聞きたかった。そういえばちゃんと話せたのは受付での15分くらいだけだな。けどその短時間でも彼女がまず他人の良いところを見れるタイプなのを知った。のでなおさら、彼女自身の良いところとか好きなもの、魅力を知りたい
・苔丸
一緒にあったかい緑茶を飲みながらスローテンポのおしゃべりをしたかった。急に具体的ね。ほうじ茶でも良い。他人のために動ける人。どんなふうに時間や気持ちをやりくりしているのか分からないくらいのマルチタスク。尊敬
私は無理をしてでもカッコつけていたいので、後輩という絶対に弱みをみせてはいけない対象は苦手です。それでも彼らとはもう少し居たかったと思ってしまう、それくらいにはあなたが好きです。
短い間でしたが、ありがとうございました。びっくらぶ
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sato-hiromu · 7 months
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お笑いライブに行って感じたこと~どうしたらファンを獲得できるのか真剣に考えてみた~
最近の私のトピックスは お笑いです。
以前もお笑いライブに行った時の記事を書きましたが 今回はテイストを変えてお届けします。
テレビやYouTubeで見るお笑いも面白いですが 生で見るお笑いも本当に面白い!
皆さんはお笑いライブに行ったことがありますかね? 有名なところで言うと 吉本新喜劇ですよね。
私も実家にいるときは23時くらいから放送されている 吉本新喜劇を見て大笑いしていました。
画面越しで見ていても面白いし 生で見たときはそれ以上の面白さがあります。
ただ今回取り上げるのは そのお笑い芸人の友達の一言にすごく考えさせられたので書いていきます。
そう今回のテーマは“集客”についてです。
それこそお笑い芸人など人の目に触れるお仕事をしている人に 呼んでもらいたいですし、 今回書くのは私個人の意見になっています。 必ずしもこれが正しい!ということではないので そこのところよろしくお願いします。
“集客”について私の経験も踏まえて書いていきたいと思います。
目次 ------ ■友達のお笑いライブに行ってみて ■なぜファンがつくのか? ■ファン獲得までにかかる時間を計算してみた。 まとめ -----
皆さんこんにちは 佐藤大夢です。
今回は“集客”について書いていきますが なぜこのようなテーマを書こうと思ったのか 簡単にその時の様子を書いていきます。
■友達のお笑いライブに行ってみて
それは私のお笑い芸人をやっている友達がライブに出るから来てくれと 今回は出演者も豪華だし絶対に盛り上がるから来て♬ とお誘いをもらいました。
私自身は二つ返事で「うん!」 と言い、当日のスケジュールを教えてもらいました。
それこそゲストもすごく豪華で私がテレビで見たことのある芸人さんだったり 今YouTubeでショートムービーを多く投稿して登録者数がすごく多い芸人さんなど いろいろなお笑い芸人さんがいました
会場は100人キャパくらいの今まで行ったことがある劇場の中では 大きいほうの劇場でした。
その日も大体70人くらいが入って大体3時間のライブを見ていました。
当然のごとく私の友達もすごく面白くて 会場中が笑いに包まれていました。
一組の持ち時間も大体4分と短い中 多くの芸人さんが登場してネタ中もトーク中も終始笑いっぱなしの時間でした。
ライブも終わり私はお笑い芸人の友達とご飯に行き ネタのどこがよかったのかいろいろと談笑していました。
その時ふと言った友達の一言がすごく引っ掛かりました。 「面白かったよ!!!」 「ありがとう。これでファンが増えたらいいな♬」 「すごく面白いんだからファンぐらいすぐに増えるでしょう。」 「それがなかなかなんだよね。1回のライブで1人増えればいいくらいかな。」
1回のライブで1人!!! えげつないな!!!!と感じました。
1年毎日ライブをやったとしても365人ファンが増える計算です。 皆さんはこれを多いな―感じますかね?
お笑い芸人さんも毎日はライブをすることはほぼ不可能だと私は感じます。 仕事をして生計を立てなければならないし、つかの間の休日などを使って 新しいネタを考えなければならない。
中々にハードな生活をしていますよね。 私の個人的な意見ですが 出れて1年間に200個のライブだと私は感じています。 ただこれも相当頑張ってだと思います。
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■なぜファンがつくのか?
ファン獲得がそんなに困難なことなのかと感じましたし、 ライブの時のことをここで振り返ってみました。
ライブ中は常に面白い芸人さんが出ているので 初めて見た芸人さんも面白いなと感じます。
ただお客の帰るスピードが早い早い(笑) 本当にライブを見に来ただけなんだな。 このライブだけでファンを獲得するのってすごくハードだなと感じました。
簡単に言うと 家にいるときにインターホンが鳴って 例えば読売新聞などの営業の人が来た時のことを考えてもらいたいです。
私でさえ話は聞きますが 「いりません。結構です。」 とインターホンを切ってしまうと思います。
お笑いライブもこれと一緒で どれだけ初めて見る人の心を動かせるかだなと感じます。
インターホンが鳴ってもこの人面白いな♬ もう少し話してみようと考えない限り ドアをガチャと開けたりしませんよね?
もしかしたら今ちょうど契約を考えていたんだよ というニーズにあった人もいるかもしれないです。
ただ大体の人がそういうニーズを持っているわけではないです。 そんな人をライブのネタの時間だけでファンにすることはめちゃくちゃハードだと思いませんか?
そこで私は考えました。 どうしたらこの友達の悩みを解決できるだろうかと。。。
単純な話、今テレビで売れているお笑い芸人さんは 純粋に目にする機会が多い、多くの人が目にしたことがあるのが理由だと思います。 私の大好きなオードリーさんも M-1の時に多くの人に見られたからこそ そこからファンがつき、今ではとてつもなく活躍をしているお笑い芸人になったと思います。
おそらくここにファン獲得の糸口があると私は考えました。
■ファン獲得までにかかる時間を計算してみた。
実際にそうしたら何をすればお笑い芸人さんが 多くの人が目にする機会が増えるか。 一番簡単でハードルが高いのはテレビに出ることです。 先ほど出したオードリーさんのようにね。
2つ目に考え付いたのはファンになりそうな人との 多く接する機会を設けること。
これなら現実味がある! お笑い芸人さんは言わずと知れたお笑いのプロ! 素人の笑いとは格段に質、場数が違いますよね。
私はそこに目を付けました。 皆さんも考えてみてほしいです。
男性の皆さんは CAのいる合コン行ってみたいと思いますよね。
女性の皆さんは 医者がいる合コン行ってみたいと思いますよね。
これと同じだと思います。 お笑い芸人のいる飲み会は男女ともに 人生で1度入ってみたい! どれだけ面白い飲み会になるのだろうと考えちゃいます。
自分の仕事の特徴をしっかりと理解してそれを武器に人の集客ができると考えています。
こう考えたら 飲み会の場でその日とのことが知れて その人柄のことを好きになることは自明ですよね。
そうしたらもし10人で飲む飲み会の場合 初めて会う人が6人いたら 2~3時間で6人も新しいファンができる。
同様の規模の飲み会をもし毎週行ったとしたら 6人x4回=24人/月 のファンが8~12時間で獲得できます。
これは1ライブ1人のファンを作ると仮定した時の 24日分です。 圧倒的に時間を短縮しながら ファンを獲得できる♬ 小学生でもわかる計算ですよね。
これは計算上でここまでうまくいかないと思いますが 今まで考えていて1ライブ1人のファンを作るやり方よりも 驚くほどに効率的だと感じています。
このお笑い芸人との飲み会に期待できるのは 呼んだ友達がまた違う友達を読んできてくれるかもしれないというところです。
人は大抵の人は面白いことが大好きだと思います。 面白い飲み会があれば行ってみたいと感じる���私は思います。
集客はすごく難しく考えてしまいがちですが こんなにもいろいろ期待できる部分があります。
まとめ
今回のこの私の意見はまだ実証していないですが これから友達と内容を詰めて行っていこうと計画段階にあります。
開催した時にはその時の話をまた 記事に記して実際に私の考えていたことは効果的だったのか もしも改善の余地があるならどういうところを変える必要があるのかなど 書いていこうと考えています。
集客について難しいなと感じている人もいるかもしれませんし まだそういう集客したことないぞっていう人も 視点を変えてみること、相手の立場に立って考えてみることで 新しい考え、案が生まれてくると私は感じています。
今回はここまで ここまで読んでいただきありがとうございます。
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yeongwon613218 · 1 year
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母親はずっと、私がK-popが好きだから、日韓の歴史にセンシティブで、韓国に偏った見方をしていると思っている。政治問題に関する自分の意見を持って話すと、完全悪があるテーマ以外、母親と話すことは私にとって苦痛だ。統一教会とか中絶問題とか、そういう問題に関しては話ができるのに、私のセクシュアリティに関する話は2回くらい水に流され、「○○(私)とは��ェンダーの話するとすぐいろいろ言われるから(笑)」とか言われるし、韓国の政治や話をすると、母親がいくらそんなことはないと言い張っても、言葉にできない直感的な感覚で、私は軽くあしらわれる感覚をずっと感じている。
朝鮮戦争はずっと存在していた。私の人生に直接関わっていなかっただけで。私はいきなり偏ったんじゃない。正しい方向に動いただけで。
何も選択しないことは、現状維持を選択したのと同じだ、という文を読んだ。中立って聞こえが良くて、みんな好きだよね。でもさ、中立ってなに?母親は、こういう時に中立でいたがる。戦争の歴史に中立ってあるのだろうか。あるのは事実のみなのに。その事実が、誰かにとっては耳が痛くて、誰かにとっては痛ましいものという違いしかないのに。元々存在していたのに可視化されていなかったものが可視化された時、その拒否反応がいかに大きいものなのか、母親を見ていると強く感じる。未知のもの、自分がよく知らないもの、自分にとって居心地の悪い話、もしくは自分には関係ないと思っている戦争の話。こういったものへの嫌悪や恐怖ゆえに、人間は、可視化されてこなかったものが可視化された時、それを大袈裟に捉えがちなのだと思う。ほんとは、元々傾いていたシーソーが真っ直ぐ並行になっただけなのに、他の誰かからしてみたら、元々真っ直ぐだと勝手に思ってたシーソーがいきなりぐらぐら傾いたように感じるのだ。私は、「K-popが好きだから歴史問題や韓国に熱心なのだ」と考えている母親のその側面が、心底嫌だ。母親のことが嫌いなのではなく、そうやって娘が学ぼうとしている姿を、K-popと韓国、という簡単な図式に置き換えないでほしいと切実に思う。だいたい、K-popが好きで、その世界に身を置いたら歴史問題や日韓関係について考え始めました、ってなんちゅう自分勝手なマジョリティスタンスだよと思うのである。存在していたのに存在していないように振る舞ってきたのは私も同じだ。K-popに触れて、自分の無知さと図々しさに辟易して勉強し始めた、そんな自分を傲慢だとも思う。でも、少なくとも、自分が誰かの足を踏み躙って生きてきたことに気づき、どうにかしようと、勉強しようと足掻く私に対して、「K-pop好きだから日韓関係や歴史問題に詳しくて敏感だ」だなんて思わないでほしい、私はそこに対して誇りではなく自分の傲慢さに対する恥ずかしさを抱いているから。そして、過去に朝鮮半島や他のアジア諸国に対して植民地支配を行い、同化政策を強制してきた加害の歴史を教えることを蔑ろにし、原爆を落とされたという被害者面ばかり強調する日本の歴史教育にうんざりする。植民地支配とその搾取はヨーロッパやアメリカの話ではない。わたしたちの話でもある。
北朝鮮が最近核ミサイルの発射を頻繁に行っている。夕方のニュースで北朝鮮のミサイル発射についての街頭インタビューに答えた50代か60代くらいのおじさんが、「明日は晴れだよ」と同じくらいのトーンで、「いつか戦争起こるよ」と答えていた。そのすぐ後に、同様の質問に答える韓国在住のおじさんが、「同じ民族なのにこんなのやめてほしい」と話していた。2人のおじさんは、同年代に見えた。なのに、生きている世界はこんなにも違うのかと見せつけられた気がした。韓国の方が、休戦している朝鮮戦争を常日頃から意識して生活しているのかどうか、私はわからないけれど、なんで日本のあのおじさんは、そんなに軽く戦争起こるとか言えるんだろう、と思って心がズンと沈んだ。自分ごとじゃないからだろうな。戦争は起こってるのに。続いているのに。私たちの日常に溶け込んでいないだけなのに。日本の歴史教育の結果が、戦争を他人事だと思い、自分達が行ってきた加害行為を臭いものに蓋をするみたいに見ないことで済まそうとするのなら、ほんとにこの国に嫌気が差すし、滅びてしまえばいいとすら思ってしまう。
ジンさんの兵役 ジンさんが兵役に行くから兵役制度や朝鮮戦争が終結していない事実について考え始めているけど、それは元々おかしいことであって、帝国主義を押し進めた日本が当事者として向き合わなければならない事実を私(たち)はこの歳になるまで学んでこなかった。学ぶ機会もなかった。韓国アイドルを好きになったことで向き合った事実というのがなんて皮肉で自分勝手なんだろうとここ最近ずっと猛省している。最近北朝鮮がミサイル攻撃を繰り返す中で万が一を考えるけれど、その私の都合のいい「万が一が起きませんように」は私利私欲にまみれたもので、彼だからどうか何事もなく1年半が過ぎますようにと願うのは、あまりに身勝手だ。私のその勝手な願いは、これまでの誰もにとっても切実な祈りだったはずだから。
ジンさんの入隊について、心の準備はしていたつもりだった。でも、釜山コンの翌日、ウィバスでお知らせがあったあの日、オフィスで少し泣いた。いよいよかと思ったけど、まだ耐えられるとも思っていた。ソロ曲をリリースした日、家でも号泣して、電車に乗ってても涙が止まらなかった。ファンにはいい姿だけをお見せしたいという芯を絶対に曲げないジンさんの姿がまぶたにぼんやり浮かんで、また泣いた。あまりにも明るい、しばらくのお別れの歌だった。翌日、アルゼンチンで大好きなコールドプレイのコンサートにゲスト参加したジンさんを見て、体の水分が全部なくなるかと思うほど泣いた。今これを書いている今も泣いている。傷を抉るみたいにMVを見て、Twitterで回ってくるジンさんのライブ動画を見て、嗚咽して、声を上げて泣いた。浪人しても第一志望に受からなかった時ですら、こんなに胸がぎりぎりと締め付けられることも、咆哮するように泣くこともなかった。
ずっとずっと、特別だった。ジンさんは、私が最初に推したアイドルで、最初に「ほんの少しお別れをする人」だった。
スキズをあれだけ好きだった私の熱が冷めるのがあっという間だったように、永遠なんて誓うのは烏滸がましくて勝手なことだと思う。変わるのは常にファンであって、少なくとも何らかの外的要因がない限り、彼らが変わることはないんだろう。ばんたんを推している時も、好きの波があって、勝手だよね、違うグループを熱心に追っていた時もあった。でも、結局最後に戻ってくるのはいつもここで、ああ“私“の構成要素の確実な一部に昇華されたんだなと実感すると共に、好きの波がありながらもここに戻ってきて、ここがsafety zoneだと無意識のうちに感じている、そんな自分がまさに“オタク“だなと思う。ジンさんを待ちたいと思いながら、一年半先の私が想像できなくて少し怖い。自分の気持ちに確実なことを言えないのが怖い。別に好きでいなきゃだめとか義務感が私の中にあるわけじゃないのに、あまりにも大きくて深い愛を2年半もらって感覚が麻痺しているのかもしれない。一年半後、今はとてつもなく途方に暮れた気持ちで、これから寒い冬をどうやって耐えようかとか、冬が嫌いなのに冬に入隊を決めたジンさんの気持ちとかヒョンとして弟たちを守ってきた強さとか、そんなことしか考えられないのに、一年後の私が楽しく過ごしていたらどうしようとか、もしそう過ごしていたら私は自分がきっと受け入れられないかもしれないとか、色々考えてしまう。そしてその感情の行き着く先は、「ああ、7人の姿をこの目に焼き付けておきたかった」になるの。どんなにつらいことが待っていても、人生の一瞬が交わった、その瞬間を抱いていたら、どんなことだって乗り越えられる気がするから。結局、人間が生きていけるのは、思い出すだけで笑顔になれるような、人生の中の煌めきの一瞬があるからだと私は信じてる。私もそんな一瞬を彼らと共有したかったんだって、ずっと心が叫んでる。画面越しに“生きているというエネルギー“をもらうのは、ずっとずっと嫌だった。どうしようもないこともある、タイミングもある、そんな言葉全部かなぐり捨てたかった。会えたからってこの一年半を変わらない心持ちでいられるかなんて保証出来もしないけど、私の中で、ただそんな瞬間が、お守りになってくれそうな気がした。変わらないことへの約束ではなく、たとえ変わってしまったとしても、共有した時間がちゃんと昇華されて“私“の一部になるならそれでいいって思えるかもしれないから。
なにも諦められないの。7人に会う未来も、7人と一緒にもっと良い世界をみる夢も、細く長くわたしたちの糸を紡いでいくことも。
諦められないから結局、私は1年半後のその日を待ち続けると思う。未来の私に感情の制約をしたくないから、義務感で推しを推すなと言いたいけど、でも少しだけ付け加えられるなら、ジンさんを待ってた私は絶対後悔しないはずだと伝えたい。なんてったって、私がこの2年半、ずっと心の拠り所にして、尊敬して、ロールモデルにして、笑顔になれて、幸せをくれて、たくさん泣いて、全身全霊で愛していたといえる存在なんだから。
推しの誕生日を祝うことが、兵役と結びついていたこと。この世に生まれてきたことをただ純粋に喜べる日ではなくて、ある種のカウントダウンでもあったこと、今考えるとしんどい。兵役が悲しい。悲しくなる資格があるのかと自分に問いながら、泣いている。愛する人が兵役に行くのに、その状況を作り出したのが私が今生きる国だということが、悲しみに怒りを混ぜる。なんかぽんぽん兵役兵役言ってたけど、いままで兵役を軽く考え過ぎてたよ私。兵役でなにをするのか、D.P.見たんだからわかってるはずでしょ?戦争が終わってない現実を認識して、過酷なトレーニングと武器の使い方を練習して、人を殺す練習をして、戦争でも戦えるように準備をするところだよ。大切な人にそんな練習させていいわけないじゃん。私の大切な人だけじゃなくて、誰かにとっての大切なひとがそんなことをしなければならない現実がたまらなく苦しい。兵役に行かせることの意味を全く理解していなかった私、愚かだよ。そんな状況をつくり出したのが、自分が生きる国であり、その国が早々に降伏しなかったからだという事実が、私に悲しむ資格があるのかと問いかける。私はこの悲しみとやるせなさと怒りを忘れないように生きねばと誓う。春の日にまた再会するまでに、この国を少しでもマシにして、私自身も勉強し続けたい。せめて、それくらいは後世に日本に生きる者としての義務ではないかと思う。
なに書いてるのか、自分でもよくわからなくなってきたからこの辺で終わりにしようと思う。どうか少しでも暖かい冬になりますように。怪我ひとつなく、健康でいてほしい。笑った顔を心に思い浮かべるだけで涙が出てしまうくらい大好きな人に出会えてよかった。この2年半、私の全ての選択、全ての行動に7人がいた。将来の夢も、やりたいことも、7人が教えてくれた。大学院を目指そうと思ったのも、7人と出会ったからだった。周りが就活する中でも自分がとった選択肢に不安がゼロだったのは、7人の生き様や人生へのスタンスが音楽を通していつの間にか私にも染み込んでいたからだと思う。ありがとう。心から愛しています。
そして私、絶対生き延びろ。
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omisesan · 1 year
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長岡で個室居酒屋をお探しなら 美食倶楽部 まる和
​長岡で個室居酒屋をお探しなら 美食倶楽部 まる和​
〒940-0066 新潟県長岡市東坂之上町1丁目3−13 1F
0258-86-8718
​長岡で個室居酒屋をお探しなら 美食倶楽部 まる和​
長岡で個室居酒屋をお探しの際はご相談ください
新潟県長岡市東坂之上町
【美食倶楽部 まる和 による説明】
"長岡駅周辺で個室居酒屋をお探しでしたら、美食倶楽部 まる和へぜひお越しください。 当店は、接待にもご利用いただきやすい居酒屋です。 新鮮なお造り、野菜、ステーキ、名物の炙りもつ鍋など、新潟の高級食材を堪能できます。地酒も豊富に取り揃えています。 個室、半個室で美味しい料理をお召し上がりください。大人合コン・会社宴会・接待・会食・デート・女子会・二次会・夕食・顔合わせなどさまざまな用途に合う落ち着きのある個室席を多数ご用意しております。 少し贅沢なひと時を当店でお過ごしください。 最大55名までの大小宴会のご予約を受付中です。"
【クチコミ】
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"お料理も美味しく、接客も丁寧、個室もいろいろあって使い勝手も良いですね🎵"
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toyouguys · 2 years
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!!道枝駿佑生誕祭当日!!
結局一切使ってないこのTumblr第一号はみっちーになりました、拍手。おれの大好きな大好きなみっちーの誕生日、何日も前から何書こうって。思い付かないんじゃなくて言いたい事たくさんありすぎて困ってました。まあどれだけ長くなってもみっちーなら許してくれるかな、という結論に至ったので俺の長話を見ていってください。
とりあえず今日の主役道枝駿佑!お誕生日おめでとう!めでたい日だね。この先の文章は超デカめの愛を持った上で書いてるので、少しうるさいと思いますがご了承ください。
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まず第一章、みっちーとの出会い。これは大吾のキャスだったね。あの時最初は同じ姿の子と繋がってたんだけど返事来なかったから全然喋ってなくて。だからキャスでみっちーに会う度にああ、この子だったら良いのになって思ってました。そんなこんなで前の子を切りました、実は。ここで書くことまだあんまりなくて展開が早いね。まあそんな事があって次のキャスの時かな、いつもと同じようにみっちーと遭遇して話し掛けてくれたので思い切って繋がる?って言ってみたらいいんですか?!みたいな反応してくれて!めっちゃ嬉しいって何度も言ってくれるんだけど、俺としてもOKしてくれた事がめちゃくちゃ嬉しかったよ。それからたくさん話してたら実はもっと前から俺とみっちーは出会っていたらしく、さすがに運命。…ふざけてないよ。まあ直接的な関わりはさほどなかったんだけど、たくさん悩んで打ち明けてくれた事でより仲良くなれたと思うし寧ろありがとうって。感謝してます。ってな感じで第一章終了。
第二章はこれと言って物語のようなものはなくて、ただみっちーを含めた大好きな4人の事。うるとらすーぱーはっぴーせっと、通称USHS。俺らを語る上でなくてはならない存在。みっちー含め全員大吾のキャスで出会ったと言って過言じゃないのでやっぱり大吾のキャスは合コンです。まず俺が大吾を迎えに行って、合コン会場という名のキャスで3人と繋がって、今こんなに仲良くしてるんだと思うと凄いよね。それにみんな長い時間一緒に居るようで俺は3月の後半とかかな、それくらいに出会ったのでまだ半年も経っていないらしく!こん���にすぐ仲良くなって遊びに行ってというのは珍しいです!俺の人見知りがこんなに早く解除されるの快挙かもしれないくらい。みっちーと初めて会った時はもう緊張しすぎてずっと間に流星くん挟んでたね。流星くんにはごめんって気持ちをちょっと持ち合わせてます。可愛いし歌ってる途中でファンサくれるしそりゃもうきゃー!って。ファンの心構えでした。次のお出掛けは5人全員だし、みっちーとはお揃いコーデをするらしいのでより楽しみになってる。前よりは距離近いところ陣取ります、まあ近くでみっちーの事撮りたいだけなんだけど。みんながにこにこ笑っててくれるだけで俺は嬉しいし、本当に幸せだなって思うよ。
第三章!みっちーの好きなところを大語りしようの章!まずは本当に全部が全部かわいいところ。そりゃもうみっちーを目の前にしたら可愛いしか言えなくなるよ、みんな。やまだくんやまだくん!ってしてくれるところも可愛いなってなる。だから俺もみっちー!って言いたくなるしもっと話したい、仲良くなりたいって思うんだよね。定期的に話し掛けてくれるのも俺とも遊んで!って言ってくれるところも可愛いよ。それとどんな時でも好きだってちゃんと伝えてくれるところ!たまに勘違いされてるらしくて笑っちゃったけど、付き合ってません!でも俺はみっちーの事大好きです、本当に。これは誕生日を待ちきれなくてお題箱にも入れたんだけど、俺みっちーが居なきゃマジでボロボロになってたと思うし今もずっと前のままだったと思う。俺の事考えて言葉選んで発言してくれるところも、俺の話ちゃんと聞いてくれるところも在り来りな言葉でしか表現出来ないのが悔しいけど優しいなって。みっちーの言葉一つ一つに救われてるよ、ありがとう。こうやって俺からもたくさんの大好きとありがとうを伝えてるつもりだけどそれをどんと上回ってくるからびっくりしちゃうよね。これからは俺も負けじと毎日のレベルで可愛いと好きっていう特大の愛を伝えていこうと思います。ありがとうは毎日だとうるさい気がするから、たまにで。
そろそろ読むのに疲れてきた頃かもしれないので最終章。これからもよろしくね、を伝える章。もう言っちゃったじゃんってね。ここは手短に伝えたい事をまとめようと思います。俺はいつでもみっちーの味方です!何があっても!もちろん間違った方向に進もうとすれば止めるし、怒るかもしれないけどみっちーがそうなるの想像つかないしね。みっちーが悲しかったり辛かったりでネガティブな気持ちになった時は、根拠なんて無いかもしれないけど大丈夫って伝えるし、いっぱい話し聞くし、話したくなければ関係ない楽しい事しよう。俺がたくさん貰った分お返ししないといけないからね!みっちーがみっちーで本当に良かったと思ってます、ありがとう。これからも末永くよろしくね。そして改めて誕生日おめでとう!素敵な一日に、一年になりますように!そしてその中にちょっとでも俺が入っていますように!
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hit0ame-blog · 3 years
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【愛しのハニー】相爆
来客の予定は無い筈だった。夜更けに部屋のチャイムが鳴り、PC画面から視線を剝がしてモニターを覗き込んだ相澤は、そこに映っていた人物に少なからず不意を突かれた。
「爆豪?」
直ぐにドアを開けて改めて直接見下ろした生徒は、こちらに目を合わせることなく拗ねたようにそっぽ向いているばかり。いつもは強気に跳ねている白金の髪は、教師寮までの道のりを歩く間に夜の空気でも吸ったかのようにしんなりとその色味を深くして所在無く爆豪の表情を覆っている。
まるで叱られるのを待つ子どものようであった。相澤は一つ溜め息を吐き、片足を引いてひとまず招き入れる姿勢を見せた。顔を上げた爆豪は、随分と無防備な表情で驚いていた。普段の彼であればまず見ることは出来ないであろう。
風邪をうつしてしまうといけないから今週は会うのはやめておこうと言ったのは相澤だった。放課後の誰もいない教室で、爆豪は特に表情を変えることなく分かったと返事した筈で。一度そのやり取りをしておいて、結局いつもの金曜のいつもの時間に来てしまったことに、少なからずの罰の悪さを感じているのだろう。俯き気味のつむじを前にして、寮に戻りなさいと即座に言えない自分の甘さに呆れてしまう。それどころか愛おしささえ湧いてしまって、まったくどうしょうもない大人である。怒ってないよという意味と、溢れる感情を垣間見せるように目元だけで柔く笑って見せると、歳の離れた恋人は戸惑ったように視線を落としておずおずと部屋に足を踏み入れた。
爆豪の背中でドアが締まり、自動ロックが掛かる音が暗い廊下にやけに大きく響く。相澤はくるりと振り返ると、まだ一回りほど小さいその体を閉じ込めるようにドアに両手をつけた。リビングから漏れる灯りを背にしているからか、二人の間に落ちる陰により一層暗さが増す。
「どうして来たんだ?」
敢えてHRで連絡事項を述べる時のような平坦さで訊ねると、爆豪は意固地に口を引き結んでまた俯いた。
「爆豪」
ほんの少し両肘を折り、体を近付ける。風呂から上がったばかりでまだ熱が立ち昇っているのか、体を寄せた分だけ爆豪の体温が夜の空気を伝って相澤の部屋着に滲み込んでくる。もう一度、今度は吐息混じりの声に随分と感情を込めて名を呼ぶと、無垢な子はふるりと肌を震わせて肩を竦めた。耳が赤い。清潔なシャンプーの香りが鼻孔を甘く擽る。柔らかな毛先の感触を楽しむように唇を近付けると、爆豪は更に耳先に熱を集めて自分の鎖骨にぎゅうっと顎を押し付けた。
「あ、んたが……風邪引いてんのは分かってる」
「うん」
「俺にうつさないようにって気遣ってんのも分かってる。……けど、」
「けど?」絞り出すように呟いた声は、けれども決して弱々しくなどなく、むしろ泣き出すのを必死に堪える負けん気の強い幼子のようである。
爆豪は漸く顔を上げた。挑むように吊り上がった両の眦を艶っぽく濡らし、相澤の心の臓を引っ掴むように見つめる。
「……ちゅーだけでも、したかった、から」暗がりの中で灯火のように揺れる赤い瞳に、引き寄せられるようにして体を屈める。首を傾け、鼻先を近づけ、最後に間近のその目を覗き込む。
「うつっても知らないぞ?」
「そんなん、べつに──」
良いわ、と言おうとしたであろう言葉を、唇でその小さな口の中に押し込めた。顔を上向かせるように口付け、仄かに熱の孕んだ薄く柔らかな感触を味わうように口の先で何度も食み、分かりやすいリップ音を立てて離す。重い瞼を押し上げて互いの睫毛がぶつかりそうな距離で見下ろすと、惚けたように仰いだままの爆豪がきゅっと眉を寄せた。同年代の少年よりも頑健な、しかしまだまだ成長途上の両手が暗闇の中で白く浮かび上がるようにそろりと持ち上がり、相澤の襟元を掴む。いじらしく強請るというよりは、強情にせがむといった方が正しいかもしれない。とにかくそのワガママな子どもは、貪欲にもっともっとと相澤の口を欲しがった。一週間に一度の限られた時間しか味わえない甘く切ないそれを、腹いっぱいになるまで寄越してくれと。
くれてやって、そしてこちらも味わったところで、どうせ相澤の方は満たされない。むしろ体の奥に押し込めた獣は唸り声をより一層大きくするだけだ。それをおくびにも出さないことが、どんなに大変か。
「せんせっ」
甘えた声に急かされて、相澤の衝動を強く揺さぶられる。彼と逢瀬を交わすようになってから初めて存在に気付いた自身の中の嗜虐心が、腹の中で牙を剥くのが分かった。
爆豪の両手首を掴み、乱暴にドアに押し付けながら赤く色付いた口に噛み付いた。唇をつけたまま鋭く角度を変えて更に深く口付け、容赦なく舌を捻じ入れる。熱い粘膜をねるりと舐ると、未だ大人のキスに慣れない爆豪は痙攣するように胸をひくっと膨らませた。
あーだめだ。これはだめだ。浮かされた頭の中で冷静な声が項垂れるように呟く。
今夜はもう、離してやれない。それから三日後、爆豪はしっかり風邪を引いた。分かりきった原因は二人しか知り得ない。朝のHR中にコンと小さな咳をする爆豪に、視線だけで「ほれ見ろ」と自分を棚上げにして言ってやると、彼は口元を覆うようにして頬杖をついたままそっぽ向いた。その目がほんのりと赤いのは風邪のせいなのか否か。HRを終え、無理矢理にでも保健室につれて行って体温を測らせなければと、何気無い顔で爆豪を呼ぼうとした���澤だったが、それより先に緑谷が後ろの席から心配気な様子で彼に話しかけた。
「かっちゃん風邪?」
「ア? ちげーわ、話しかけんなデク」
「何だか咳の感じが相澤先生と似てるけど……」
ビシッと思わず体が硬直するが、決して表情には出さない。意地でも出さない。
授業始まる前に体温だけでも測った方が良いよ、と100%善意の提案を、爆豪の120%理不尽な怒鳴り声が爆発的に打ち消したのだった。
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kennak · 2 months
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私が学生の時からあった。代理店就職したOBが女子大生を集めて芸能系合コン(怖くて行きたくない)、女の子は持ち帰りOKな女優の卵という触れ込みの会員制バー(何故か接待のお供で行った)とか。奴隷女の世界
[B! 芸能] 博多大吉、キム兄もSNSでは《全員アウト》…掘り起こされた吉本芸人の“ドン引き”過去(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース
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kagatadahabamara · 4 years
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50BM8全段差動プッシュプルアンプ
ある晩のこと。演奏が終わってアルコールに飲まれはじめたライブハウスで、ドラムハカイダーを名乗る男がそっと囁いた。
「真空管アンプを作ってもらえませんか?」
運の悪いことに、ワタシの右手はイチモツよりもハンダごてを握りたくて、ウニウニしていたのである。神の左手悪魔の右手とは良く言ったものだ。所詮、左手はそっと添えるだけであり、悪魔の所行を止めることなどありはしない。
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◎たまえらび さて、何を言ってんのかわからなくなったところで、まずは出力管の選択である。設計上の条件は、  ・アンプのサイズは高さ120ミリ、奥行355ミリ、幅 295ミリまで  ・カバーは必要  ・スピーカのインピーダンスは6Ω  ・ライン入力は6系統  ・REC OUTがあるとなお良し となると、サイズ的に図体の大きな球は論外だねぇ。MT管か、コンパクトロンか。過去の経験から、嫁入りの決まっているアンプは、メンテしやすいように余裕のあるスペース配分で作りたいし、セレクタ&ボリューム部分は代替機を提供しやすいように別筐体にしたい。となると、アンプのために幅295ミリをフルに使うわけにはいかない。しかも、悪魔の右手は全段差動プッシュプルをご所望だ。 EL86、12B4A、13FM7などなどいろいろ検討した結果、手持ちの部品を活用できそうな50BM8を4本立てることにした。三極五極複合管なので、4本でプッシュプルを組める。 50BM8は、ワタシを真空管の世界に誘った球。最初に聴いた真空管アンプは、コレのプッシュプルだった。全段差動プッシュプルでどんな音がするのか、ぜひ聴いてみたい。(とはいえ、不人気球13FM7にも、いまだ後ろ髪を引かれているんだけど)
◎出力段の設計 50BM8は、50Vのヒーターが煌々と輝くのが好きだ。光りもの万歳!というわけで、出力段を設計してみる。50BM8は6BM8や16A8のヒーター電圧違いだから、ぶっちゃけ「情熱の真空管」に載っている回路をそのまま使えばよいのだけど、スピーカのインピーダンスが6Ωなので、8Ωタップに6Ωのスピーカをつなぐという条件であらためて ロードラインを引いてみることにした(復習もかねて)。 使う出力トランスは、東栄変成器のOPT-10P 10K。6Ωのスピーカを8Ωにつなぐと、10K×(6/8)で一次側のインピーダンスは7.5KΩ。全段差動PPの場合 は、その半分の3.75KΩでロードラインを引くことになる。
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プレート特性図の出典はこちら。Copyleftの表示があるので有り難く使わせていただこう。てゆーか、マジでありがとう、Tom Schlangenさん! なんてキレイな実測データだろう。 全段差動PPでは、五極出力部を三極管接続で使う。ゼロバイアスラインと3.75Kのロードラインの交点が64MAなので、動作基点は200V/32mA。ほぼほぼ標準的な動作に近いのでヨシとする。 IP×IP×RK÷2=0.032×0.032×7500÷2=3.84で、おおよその最大出力は3.8Wくらい。グリッドバイアスは-19.5V。出力トランスのB-P間DCRが253Ωなので、そこでの損失が8Vちょい。200+19.5+8=227.5で、228VほどのB電源を用意すれ��よさそうですな。 (ここまで2010.06.29)
◎電圧増幅段の設計 んで、電圧増幅段である。B電源228Vを220Vほどにドロップして使うという前提で考えてみる。
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0.6mAの定電流で負荷抵抗を150KΩとすると、動作基点は自動的にプレート電圧が130V、バイアス電圧が-1.75Vに落ち着く。1V(P-P)の信号入力で49V(P-P)の振幅が得られることになるから、ま、十分でありましょう。
◎回路図を引く 何でもかんでも集中して一気に仕上げてしまおうとするのは、ワタシの良いところでもあるし、悪いところでもある。今回はどっちに転ぶものか、ロードラインを引いた勢いでちゃちゃっと回路図を書いてしまった。(赤文字は計算値、青文字は実測値)
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電圧増幅段の定電流源は、2SK30で構成することにした。G-S間に330Ωの抵抗をはさんで1.2mAの定電流源を作ろうという目論見だけど、この辺は微調整と選別が必要だろうなぁ。2SK30のためのC電源は、整流用ダイオードを5個直列にして、電圧ドロップを利用する今や定番のやり方で。 完成後は無調整で行きたいので、出力段は独立定電流方式にする。各五極部に32mA流すつもりなので、LM317のADJ-OUT間の抵抗は39Ω。これで1.25÷39Ω=32.05mAの定電流源になる。 LM317の特性は意外にバラツキがあるように思うのだけど、どうだろう? そう思って、過去にペア選別をしたことがある。 電源トランスには東栄変成器のZT-1(100VA)を使う。(32×4+1.2×2)mA×240V=31VAだから、ブリッジ整流の損失を考えて1.6倍しても 49.9VA。ZT-05B(50VA)でも大丈夫かも。 リプルフィルタは2SK2847で構成。全段差動PPなんだからココまで強力なリプルフィルタは必要ないと思うけど、ハムノイズには神経質なもんで。笑)入力電圧を仮に235Vとすると、235V×{1MΩ÷(1MΩ+22KΩ)}で出力電圧は228Vに。。。なる予定。あとは整流後の180Ωを微調整。 50V管だから、ヒーターハムが出るかもなぁ。その場合は、ヒーター用の100Vを整流しちゃうとか、コンデンサを噛ませてアースに落とすとか、いろいろやってみよう。6BM8系の球の場合は、発振にも注意しなくては。。。 さぁて、お次は部品の買い出しだ。いざ秋葉原へ! 平日ならそんなに萌え萌えしてないだろう。それにしても、秋葉原に行くと職質されやすいのはなぜだろう? そんなに凶悪な顔つきだろうか? ナイフを隠し持つサイコな男に見えるのだろうか? 今回はモヒカンじゃないので、多分大丈夫だろう。 (ここまで2010.06.30)
◎2SK30の選別 いくら暑いとはいえ、SUICAの代わりに家の鍵を手にして改札に突入するワタシ。なにこの微妙な終わってる感。。。まぁ、いいや。パーツを買ってきたので、まずは2SK30の選別作業。
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検尿でも試飲会でもないんよ。半導体部品はその見てくれに似合わずバラツキが大きいので、せっせと選別作業。こんな(↑)回路でドレイン電流値を測って、検尿カップ、もとい紙コップに放り込んでいく。通電してから30秒ほど、電流値が安定するのを待つのが肝心。1.2mAの定電流特性が欲しいので、1KΩの抵抗に1.19〜1.2Vの電圧が発生するものを選り分けていく。今回買い込んだ2SK30の傾向から、G-S間の抵抗は300Ωに決定。(実際には1KΩの半固定抵抗で微調整できるようにした) (ここまで2010.07.02)
◎シャーシの設計図を引く 仕事でしばらくバタバタしたものの、ようやくシャーシの設計図を引くことができた。回路図とにらめっこしながら、実際の配線を想像しつつ線を引いていく。
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カバー付きで高さ120センチの制限は、なかなか難物だったけど、これで何とかなりそう。MT管用のサブシャーシがいくつかあったので、これで50BM8の高さを調節。けっこう発熱する球なので、放熱対策にもなるはず。トランスカバーとしてシャーシの上に小さなシャーシを載せ、背丈のある電源トランスを横向きに設置。電源トランスは小シャーシにネジ止めする。コアが直交するようにトランスを配置すれば、電源トランスの磁束から出力トランスを救うことができる。スペースの都合上、電源部の電解コンもトランスケース内に収納。たまたま125V/1Aのミニブレーカーがあったので、電源スイッチと並べて設置することにした。 設計図を引きながら、スピーカーターミナルの買い忘れが発覚。なんてことだろう。いっぱいストックがあると勘違いしてたよ。 アンプ作りでいちばん大変なのはシャーシの加工だと思うのは、ワタシだけだろうか。器用な人間ではないので、少しずつ仕上げていかなければ。ハンダごてを握れるのは、まだまだ先のお話。。。 (ここまで2010.07.11)
◎平ラグ板は楽しいかも お盆前進行で仕事が忙しくなり、ちょっと間が空いてしまった。仕事が忙しくなればなるほど余計なことを考えたくなるもので、FET Trioderizerのシミュレーションに6時間を費やしたり、漫然とReblogし続けたり、まぁ、そんなお盆前進行。余計なことついでに、今回、平ラグ板を使って配線することを思いついた。その方がソケット周りでごちゃごちゃ配線するよりメンテしやすかろうという思惑である。なんたって今回は、三極五極複合管でプッシュプルだしぃ。 そんなわけで実体配線図。
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どうよ、このシンメトリー。笑) いやぁ、平ラグ板って、たのしーなー。 いやいや、ちゃんと仕事もしてましたよ?マジで。実体配線図のおかげで、ぐっと作りやすくなったぜ!・・・たぶん。 (ここまで2010.08.14)
などと調子に乗っていたら、とんでもない間違いを発見。上の実体配線図は修正済みのもの。いやー、こわいこわい。笑)
◎ぶきっちょさんなのだよ 今年の夏はしっかり暑いので、妙に元気だ、ワタシ。夏バテって、したことない。仕事が明けたので、汗だくになりつつ、さっそく作業開始。シャーシの加工さえ済んでしまえば、あとは楽しい半田付け。あんまり夢中になっていたので、シャーシ加工の写真を撮り忘れてしまった。
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平ラグ板へのパーツ組み付け。この段階では、まだミスに気づいてなかった。C電源のコードが2SK30のソースとソース抵抗の間に接続されている。アホですな。ゲートとソース抵抗の間に接続するのが正解。
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いわゆる「ハラワタ」。配線、汚ねーなー。笑)アンプを作るたびに、自分がいかに不器用かを思い知らされる。回路図は簡単なのに、実際配線してみるとその煩雑なこと! 電源トランスは、やっぱり東栄の ZT-05B(50VA)にした。容量的にはぎりぎりだけどね。負帰還量を簡単に調節できるよう100Ωの2連ボリュームを使う予定だったけど、探してみると東京コスモスのものぐらいしかなくて(高いよ!)、手持ちのロータリスイッチで簡単なアッテネータにした。グリッドがアースから浮くとまずいので、ロータリスイッチはショーティング型で。 50BM8は、ヒーターを2本直列にして家庭用100Vでそのまま点火。ヒーターハムを避けるため、直列の中点から0.068uF/250Vのフィルムコンデンサを介してアースに落としてある。ホントはヒーター用の100Vはヒューズの後から取るべきなんだけど、50BM8は点火時のラッシュカレントが大きいので、手持ちの1Aミニブレーカでは賄い切れないかもと判断し、ブレーカの前から取っている。よい子は真似してはいけません。マジで。そこまでしてミニブレーカを使いたいか、ワタシは。。。【やっちゃいけないことはやっぱりダメ、ということで、後日ヒーター電源はブレーカの後から取るように修正。精神衛生上もよろしくないし。結果として、1Aでも大丈夫だった。】
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試運転中。50BM8って、ヒーターが煌々と輝くイメージがあったんだけど・・・あ、あれー??そうでもないな。。。ま、いっか。 今回、シャーシは塗装してない。完全に乾くまで長期間、けっこう匂うんだよね。子どものいる部屋でソレはよろしくないか、と。中途半端にサンダー掛けしてみたら、けっこうラフで良い具合の質感に。なのでそのまま。今度から塗装なんかしないでこの手で行こう。 6BM8系の球は発振しやすい。配線はゴチャゴチャで寄生発振カモン!って感じだし、かなり戦々恐々としながら電源を入れたけれど、発振もなく、ハムもなく、ヒーターノイズもなく、パーツが飛ぶこともなく、トランスが焼けることもなく、すんなりとキレイな音が出てしまった。ふふ、悪運強いな、ワタシ。 一聴して、低音がしっかり出ている感じ。左右の広がり感・定位感もいいなぁ。50BM8の普通のプッシュプルアンプも持ってるけど、全段差動プッシュプルは全然ちがうなー。プッシュプルのもっさり感がなくて、クリア。ちょっと硬め。普段シングルアンプばかり常用しているので、こーゆー音、新鮮だわ。笑)自分用にも1台組んでおこうかな。 (ここまで2010.08.21)
36時間連続稼働しても問題なさそうだったので、側板とカバーを装着。50BM8はかなり熱くなるし、ドラムハカイダー氏が「うちの子は絶対触るタイプ」というので、カバーは必須。
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側板はシナベニヤ。そのままだとみすぼらしいので、水性ステインで塗装。青いボリュームノブは、NFB調節のアッテネータ。やっぱ、パワーインジケータとしてネオンランプぐらい付けるべきだったかな。どうせヒーターが光ると思って省略したんだけど。電源スイッチの下にあるのがミニブレーカ。Garrettaudioさんでけっこう安かった。ヒューズってなんか好きになれないんだな。ヒューズかブレーカーかで音質が変わるとは思わんけど。
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アルミのパンチングメタルでカバー。ううーん、ま、こんなものかしら。笑)手持ちの部材で作っているので、パンチングメタルも寸足らずですな。 このまま48時間耐久試運転をして、問題なければ納品かな。 (ここまで2010.08.22)
◎発振してるじゃないの アンプ完成時に「発振もなく」などと勇ましいことを書いてしまったが、その後、あちこち微調整している間に、どうしたことか、入力をオープンにすると見事に発振するようになってしまった。。。ググググ・ヒューンとか言ってますよ、はい。。。うーん、ちょっと恥ずかしかったり。笑)この発振、ノイズ系の楽器に使えないかな、などとしばらく発振音に聴き惚れたりして。 ボリュームボックスなりiPodなりを接続してしまえば発振も止まるのだけど、そのままにしておく訳にもいかないので、電圧増幅段の各プレートに20pFのマイカコンデンサを付けてアースに落とすことに。これにて発振はピッタリ止まりました、とさ。 (ここまで2010.08.27)
※本記事は2010年に作成されたものの再掲です。一部修正。なんか、異様に浮かれてて、読み直すと恥ずかしいな。
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nemosynth · 4 years
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<デジタルシンセ戦国記 VI : KAWAI K5000W>
「国産デジタルシンセ最後の聖戦」
●メーカー名
河合楽器製作所
KAWAI は、大戦前に YAMAHA からスピンナウトしてできた楽器メーカー。
明治時代 1886 年、静岡県は浜松に生まれた河合小市(かわい・こいち)。 幼いころから天才技術者ぶりを発揮していたらしく、尋常小学校四年を卒業したあとの 10 歳のとき、客馬車が走るのを見て、木切れを集めて小さな客馬車を自作してしまい、犬にひかせ自分が乗り回し大人どもを仰天させていたという。 そんな神童の彼は、知人の紹介で、山葉寅楠(やまは・とらくす)というエンジニアが興した楽器メーカーへ丁稚入りすることになった。これがのちの日本楽器となり、現在のヤマハとなる。
そこで河合小市は、国産初のピアノをつくるプロジェクトに参加し、独学でその打弦機構を開発してしまうという天才ピアノ職人ぶりを発揮。
昭和になってすぐの 1927 年、105日におよぶストライキなど大規模な労働争議がこじれたあげく、新社長が来たのが気に入らなかったらしく、河合小市は日本楽器から独立して会社を設立、これが今の河合楽器製作所となる。
戦後の 1950 年代、河合小市の次女の婿、二代目社長となった河合滋により多角化が始まり、その一環として Teisco(テスコ)株式会社を傘下におさめた。テスコは、もともとカワイの取引先であった小さな楽器メーカーであり、このテスコがカワイの電子楽器事業の始まりとなる。同社はカワイのもと、しばらくの間はテスコ・ブランドでシンセを開発しつづけていたが、やがてカワイ・ブランドでもシンセを出すこととなった。それが大々的にはじまったのは、1986 年に発売された K3 から。
その KAWAI ブランドKシリーズは、やがて ’80 年代の後半に大きく育ち、一時期はシンセ業界の中で国産御三家こと YAMAHA、KORG、Roland に続く第4の勢力として、CASIO とならんで大輪を咲かせることとなった。
なお、CASIO は ’84 年発売の CZ-101 以来、急速にZシリーズのラインナップを展開し新興勢力となったものの、’88 年の VZ-1 が DX とならんで変調ヲタすぎて難解すぎ、’89 年に VZ-8M を発売したあと鳴かず飛ばずで失速しており、このときカシオではなくカワイに追い風が吹いていることは明らかであった。
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●機種名
K5000W Advanced Additive Workstation
1996 年発売 61 鍵ベロシティ・アフタータッチ対応 定価 218,000 円 2年後 17,8000 円に価格改定
フルデジタルシンセであり、ワークステーションシンセである。
カワイ・シンセの本流Kシリーズでは、前の機種 K4 から7年が経過したひさびさのプロ価格帯の機種。’80 年代に新興勢力として存在感を出した老舗カワイが、その復権をかけて ’90 年代後半に殴り込んできた最終兵器。それが K5000 シリーズ。
その中でも、本稿でとりあげる K5000W は; すさまじい怒涛の音源方式に、 すさまじい怒涛の変態シーケンサーとをカップリングさせた、ド変態ワークステーションシンセ。
K5000 シリーズには3機種あり;
 ・K5000S 16 万8千円;シーケンサーを持たない、素のシンセ  ・K5000W 21 万8千円;本稿でとりあげる、ワークステーションシンセ  ・K5000R 12 万5千円;ほぼ K5000S の2Uラックマウント音源モジュール版
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これが発売された 1996 年とは、誰も気づかなかった史上初の今日的ワークステーションシンセ ensoniq ESQ1 が発売されてから、じつに 10 年、コルグ M1 からも8年が経過した年。 この当時のシンセといえば、ヤマハ W5 から2年、ローランド XP-50 とコルグ TRINITY、prophecy が、発売されて1年。すでに M1 以来、各社ともに2、3世代が経過しており、世の中はすっかりワークステーションシンセ全盛期であった。事実、K5000S / W と同じ年に、ローランドのフラッグシップ機種 XP-80 が発売されている。
当時のワークステーションシンセには、16 トラックの MIDI シーケンサーが搭載されていたが、K5000W のそれは 40 トラックもあり、編集コマンドも充実していた。それでいて K5000W は、競合他社より価格が安い、恐ろしい機種だったのである。
だが、2年ほどたった ’98 年には、最後の Ver.4へのアップグレードとともに、価格改定が実施され;
 ・K5000S 14 万8千円  ・K5000W 17 万8千円  ・K5000R 11 万5千円
と、さらにお求めやすくなった。 それはそのまま、カワイ最後のシンセとなった。
●音源方式
Advanced Additive 音源(ここでは「AA 音源」と略す)
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サイン波 128 倍音加算合成に、PCM 波形と、さらに減算方式を組み合わせたものである。
非常にパラメーターが多く、千以上ある。 ただでさえ本格的なサイン波倍音加算合成なのに、さらにそれを最大6系統もレイヤーして1音色をつくるという、途方もない音源方式。
そもそもサイン波倍音加算合成とは「すべての音色は、サイン波による基音と倍音の組み合わせで決まる」という、フーリエ級数に基づく。
これは古くから伝わるパイプオルガンの原理であり、パイプ1つ1つが正弦波を発振するオシレーターであった。そのパイプの組み合わせをおびただしい数のストップでもって可変させ音色を変えるため、パイプオルガンはシンセサイザーの祖でもあった。
それが電気化されハモンドオルガンになると、トーンホイールひとつが正弦波オシレーターとなり、ドローバーで音色を変えられるようになった。それでもそんなオシレーターを何十個もそろえるのはコストがかかりすぎて非現実的だったが、やがて電子時代になるとサイン波オシレーターをたくさん集めて音色をつくる倍音加算合成が、より安価に実現できるようになった。
FFT(Fast Fourie Transform)によって既存の音色の倍音構成がわかるようになると、逆 FFT でもって主に整数次倍音群から加算合成して音色を作り出すことも可能となった。
ありものから倍音を削る減算方式と違い、無から有を生み出す加算合成は、シンセサイズの原理主義的な手法とも言える。それだけに愚直に膨大なオシレーターをあつめてつくる倍音加算合成は、おのずとパラメーターが多くなる傾向にあった。 そこへくると、たった2つのオシレーターだけで多彩な倍音表現を実現したのが FM 合成なわけで、それを発見したチョウニング博士の偉大さがわかる。 それでもテクノロジーが進展するにつれ、コストダウンにともない、各社から工夫を凝らしたサイン波倍音加算合成によるシンセサイズが、でてくるようになった。
K5000 では、単一のシンセシス系統を「ソース(Source)」と呼ぶ。ヤマハで言うエレメント、ローランドで言うパーシャル。そして最大6ソース、つまり6エレメント、ないし6パーシャルで1プログラムを形成する。1プログラムを「パッチ(Patch)」と呼ぶところは、当時のローランドと同じ。
各ソースは、サイン波加算合成音と PCM 音と、どちらを出力するか選択でき、それらを自由に組み合わせることから、言わばローランド D-50 の LA 音源を換骨奪胎、かつストラクチャーから解放し自由に使えるよう拡大解釈したような、すぐれた構成と言えた。
サイン波加算合成では、1ソースにつき 64 倍音まで出力できるが、2ソースであれば、高低ふたつの周波帯を分担してシンセサイズすることで、合計 128 倍音も出力可能。これだけで相当に精緻にうがった音源波形を自作できる。
PCM 波形は、トランジェントなどサイン波加算合成では出せない倍音を提供するための音素片であり、この点でも D-50 的な音源方式を取り入れている。
ソース間では、AM 変調機能もはさみこめる。
こうしてオシレーターで音源波形を自作したあとは、デジタルのレゾナントフィルターやアンプなどを使って、フルデジタルの減算方式シンセとして加工可能。最後にはマルチエフェクトを搭載したソース・ミキサーを通し、出力される。
サイン波倍音加算合成して創った音色の特徴として、和音でも音が濁らないということが挙げられる。FM 変調方式にも通じる独特のデジタルな音色をつくることができ、しかも狙った位置にダイレクトに倍音を増減できるという、きわめて直接的なメリットもある。
そのぶん、まともな音をつくるのには、最低でも 20 ~ 30 は倍音が必要で、できれば 64 倍音、そして本機のように 128 倍音はほしくなる。このため K5000 では本体だけでもエディットできるよう、当時としてはかなり操作性に工夫がほどこされていた。
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K5000 シリーズには、倍音加算合成と PCM 音素片波形とを組み合わせた AA 音源が搭載されていたわけだが、K5000W だけ、それに加えて純然たる PCM 音源もあわせて搭載されていた。そして、それを使った GM 音色バンクもある。GM は Level 1 。
なお、音源方式ではないが、シーケンサーも概略を解説しておく。
K5000W は、ワークステーションシンセなので、通常のパフォーマンスモードの他に、シーケンサーを使って作曲するためのコンポーズモード(Compose Mode)があった。
パフォーマンス・モードでは、単一のパッチを鳴らすほか、4パッチを組み合わせて1コンビ(Combi)として鳴らせるが、このときはあくまで単一ティンバーであって、決してマルチティンバーではない。コンビでは、4パッチをレイヤー、キースプリット、ベロシティスプリットなどで組み合わせることができた。 また、1パッチごとに4基のマルチエフェクトが使える。
コンポーズ・モードでは、AA 音源が 16 パートマルチティンバーとなり、加えて PCM による GM 音源が 16 パートあり、合計 32 パート音源として鳴らせる。 そして、このときに内蔵の 40 トラック・シーケンサーで駆動できる。シーケンサーは MIDI トラックのみだが、この当時はまだ皆そうだったんだから仕方がない。本体音源 32 パートにあわせて、MIDI Out も2つあったから、40 トラックの意味もあろうというもの。DAW みたくオーディオトラックも持つワークステーションシンセは、21 世紀まで待たねばならなかった。だから 40 トラックもあるだけでも、群を抜いて御の字。
なお、MIDI で GM System On メッセージを受信すると、自動的にコンポーズモードになってくれる。
K5000W ならではの、秀逸なシーケンサー機能として APG(Auto Phrase Generator)という作曲支援機能があった。ある MIDI トラックを原始的な AI みたいなやつに分析させると、その分析結果に基づき、さらに人間が指定したジャンルなどを勘案し、その楽曲にふさわしい伴奏シーケンスデータを K5000W が提案してくれるのである! しかも音色込みで、マルチパートにて提案してくれる!
AI が支援する作曲 AI powered composition なんて、2010 年代の後半になってようやく言われてきたのに、それの始原みたいなものを垣間見せてくれる、技術史的にも興味深い機能。
●同時発音数
32 音ポリ+32 音ポリ
すなわち ・32 音ポリの AA 音源 ・32 音ポリの GM 音源 このカップリング。
前述の通り GM / PCM 音源まで内蔵しているのは、ワークステーションシンセ K5000W のみであり、K5000S や K5000R では AA 音源のみ搭載。
32 音ポリとは当時としては標準的だが、6ソースも動員すると5音ポリになり、プロフェット5状態に。 そのかわりに、加算合成であることもあって、想像を絶する緻密な音創りができた。
●内蔵エフェクトの性能と傾向
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パッチ全体にかかるリバーブと EQ、そして4基のマルチエフェクトがある。
6ソースに対し、各エフェクトへの送りバスはステレオ4本あり、ソースミキサーにてルーティングがグラフィカルに設定できるのがいい。
パッチあたり4基あるマルチエフェクトは、おのおのが 36 アルゴリズムを搭載。空間系、変調系、歪み系と、ひとしきり多彩にアルゴリズムがあり、なかなかよく効く。ワウや3相コーラス、バンドパスフィルターや、エキサイターまであるので、バリエーションは充分。
パッチ全体にかかるリバーブは 11 タイプ、同 EQ は7バンドのグライコ。
さらにエフェクト専用のモジュレーションマトリクスがあり、14 ソース、10 デスティネーションで構成されるという、この時代にしては充分すぎる内容。
●内蔵波形、プリセットの傾向
AA 音源の加算合成機能では、音源波形すら自作する。 それに加えて、音素片となる 123 種類の PCM 波形も、あわせて装備。
さらに上記にプラスして、K5000W にのみ提供されている PCM 音源は、341 の PCM 音源波形と、325 ものドラム音源波形であった。これらの PCM 音源波形は、AA  音源にある PCM 音素片とは、まるで違い、単体でも使える完成度が高いマルチサンプルである。
Ver. 3以降、プリロードされている音色メモリーバンクが増大。その内訳は;
・A、E、F、Gバンク  AA 音源による音色  60 パッチがプリロード  すべてユーザー上書き可能  おそらく発売当初はAバンクしかなかったのが、あとからEバンク以降が足されたものと思われる。  また、バリアブルメモリーのため、パッチごとに使用されているソースの数などによって、保存可能音色数が可変する。
・B バンク  K5000W のみの PCM 音源パッチ専用バンク  128 パッチがプリロード  すべてユーザー上書き可能
・GM バンク  GM Level 1 の 128 プリセット音色が搭載されているバンク
なぜかC、Dバンクは欠番で存在しない。 画面をスクロールすると、GM → B → A → E → F → Gバンク、というふうに切り替わる。
また、ドラムキットが別途存在し、ユーザーキット1つ、プリセットキット 10、1キットは最大 64 インストで構成され、253 のプリセット・インスト、32 のユーザー・インストがある。
プリロードされている音色は、AA 音源においては、当初からのものははっきり言ってサイン波っぽくてイマイチ。だが、Eバンク以降の、あとから追加された音色はさすがに作り込まれていて、FM 音源だとばかり信じ込んでしまうできばえのエレピや金属音、サンプラーではありえない斬新な音色変化に富むものばかり。これが生産完了になったのが、きわめて惜しい!
Bバンクの PCM 音源も高品位なものであり、90 年代のサンプルプレイバックとしては、おそらく一番すなおで高音質なものではないかと思われる。このせいなのか、GM バンクの音も「えー? GM 音源って、こない音良かったっけー?」と思うことうけあい。箱庭宇宙にありがちなチープさとか、うすっぺらさが無い、ふくよかで豊かな音がする。
アコピにいったっては、貴重なカワイのアコピの音。あたりまえかもしれないが、これは大事なことで、カワイのアコピは、重厚でダークでプログレッシヴな音がするので、それがシンセで弾けるのはありがたい。正直に、個人の感想で書くと;
「コン」ファツィオリ 「カン」スタインウェイ 「ガン」カワイ 「ガン‼」ベーゼンドルファー 「ぽん」この、なんとも FM 音源みたいなうすっぺらい音が、ヤ○ハ
●エディットの自由度と可能性
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どのバンクの音色をエディットするかによって、AA 音源か PCM 音源かが決まり、アクセスできるパラメーターも変わる!
・A、E、F、Gバンク → AA 音源をエディット ・B バンク → K5000W のみの PCM 音源をエディット
AA 音源における1ソースの概要は、以下のとおり;
「倍音加算ジェネレーター」サイン波 64 倍音加算合成:上記の DHL、DHE   ↓ 「フォルマントフィルター」;上記の DFL、DFE   ↓ DCO こと、ピッチや波形の概要パラメーター   ↓ 通常の DCF ことマルチモード・デジタルフィルター   ↓ 通常の DCA
「かぎかっこ」でくくっているのは、そのような表記がどこにもないので、私が勝手にわかりやすく解説すべく編み出した用語だからである 笑。おおむね、’80 年代の K5 に搭載されていたサイン波加算合成エンジンを、さらに拡大したものと考えて良い。K5000 では、これを最大6ソース重ねて、1パッチとなす。
以下、各ブロックごとに解説する。
▲倍音加算ジェネレーター
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かつての K5 にて、DHG(Digital Harmonic Generator)と呼ばれていた部分。要は、サイン波倍音加算合成によって音源波形をつくるオシレーターである。
64 倍音加算するのだが、2つのソースを使うとき、片方を Lo(1~ 64 次倍音)、もう片方を Hi(65 ~ 128 次倍音)に設定すれば、128 倍音加算合成ができる。
マクロエディットができるので、最大 128 もの倍音を、��ずしもいちいち個別にエディットしなくてよい。マクロには
・高次倍音のみ ・低次倍音のみ ・奇数次 ・偶数次 ・オクターヴ;1, 2, 4, 8, - 64 (Lo) ないし 128 (Hi) ・5度;3, 6, 12, 24, 48 (Lo) ないし 96 (Hi) ・全部一括
とあり、実践してみると、聴覚上の変化ともマッチするので、かなり予測しやすい。
なんと、各倍音ごとに音量 EG を設定できてしまう。EG は ADDR で構成され、つまりセカンドディケイができる。EG をループ再生させることも可能。ただ、さらに少々びっくりするのは、各ポイントのパラメーターが、レベル・レート制なこと。レベル・タイム制では無いので、ちょっと感覚的ではない。
各倍音ごとに EG を個別エディットできる他、全倍音の EG をまとめて一括編集したり、倍音から倍音へ EG をコピーすることも可能。
つまり、この倍音加算ジェネレーターだけで、音源波形をつくるだけでなく、すでに音色変化をつくることができてしまう! 言わば自作可能なウェーヴテーブル! よって、これが倍音加算合成シンセというのは、間違いではないが、むしろウェーヴテーブルを自作可能なシンセと考えたほうがいいかもしれない!
しかも、この次のブロックでまた複雑な音色変化をつくりだすことができてしまうという、鬼の仕様。それが次に紹介するフォルマントフィルターである。
▲フォルマントフィルター
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K5000 に搭載されているフォルマントフィルターとは、128 バンド(128 倍音ではない)のグライコに例えられることが多い。ただ、音色全体まるごとイコライジングするのではなく、各ボイスごとに処理するので、128 バンドのフィクスト・フィルターバンクがボイスごとにあると思えばいい。
バンド1からバンド 128 までは、10 オクターヴ以上も開きがある。
・バンド1; C -1=8Hz ・バンド 70 ; A4 = 440 Hz (ヤマハ / Logic 方式なら A3) ・バンド 128 ; G9 = 12,544 Hz = 12.544 kHz
見てのとおり、バンド1は可聴域を余裕で下回る! また各バンドは、各倍音とはなんら関係なく、固定された周波数でレベルを増減するだけである。
エディットマクロもちゃんとあり;
・8バンドにまとめた上で、各バンドの中心周波数ごとにQの幅を編集 ・バンドX~X+20 までのバンドを一括してレベル増減 ・バンドX~X+15 までのバンドを一括してレベル増減 ・バンドX~X+10 までのバンドを一括してレベル増減 ・バンドX~X+5 までのバンドを一括してレベル増減 ・全バンド一括編集 ・各バンド個別編集
レベルコピー機能や、バイアスというパラメーターもあるが、このバイアスがくせもので、プラスにすると低周波域、マイナスにすると高周波域へとシフトするのでややこしい。
専用 EG もあり、やはり ADDR で構成され、ループ再生も可能。そしてやはりレベル・レート制。 専用 LFO もあり、三角波、鋸歯状波、ランダム波とある。
最も特徴的なのは、ノンリアルタイム演算によるモーフィング機能があること。 4つまでの時間軸上のフェーズに、任意のパッチ、任意のソースから倍音設定をコピってきてあてはめ、フェーズごとの遷移時間、ループ再生などを設定し、なんと最後に実行キーを押すことでノンリアルタイム演算でもって、波形を算出しているらしい。
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これらと EG や LFO などとあわせ、複雑かつ周期的な音色変化をもたらす。なんせフィルターの周波数特性を、ユーザーが好き勝手に決められるため、相当に摩訶不思議なことになる。
▲ DCO / DCF / DCA
K5000 に、DCO という表記があるので仕方ないのだが、これは先述の倍音加算ジェネレーターとフォルマントフィルターを経た結果の信号ことを指すのであって、決して別途 DCO が存在するわけではない。ましてや K5000 はフルデジタルシンセなので、DCO というピッチだけデジタル制御されたアナログオシレーターがあるわけではない。’80 年代からの、残念な誤解の結果である。
しかもそこまで解説させておいて、やっていることは単にピッチ LFO など、1ソース全体にわたる音程関連のパラメーターと、PCM 音素片を出すときの波形選択くらい。そりゃ AA 音源波形は、すでに倍音加算ジェネレーターなどで生成しているのだから、ここでは扱わないわけで。
なお、倍音加算ジェネレーターの代わりに、音素片 PCM 波形を出力した場合は、ここからあとの DCF などの処理のみが適用される。
DCF はマルチモードフィルターであり、HPF / LPF 切替式。レゾナンスもあるが、90 年代なかばのデジタルフィルターなので、ゼロから7までの8段階でしかない。ただ、それでも -24dB / Oct なのは、さすがカワイのこだわりであろう。
「DCO」、DCF、DCA には個別に EG があり、ピッチ EG はアタックとディケイ、フィルターとアンプ EG は ADDSR でありセカンドディケイがあるだけでなく、この3つの EG ともにレベル・タイム制なので、感覚的につかみやすい。ここでそれができるなら、なんで倍音加算ジェネレーターとかフォルマントフィルターでは、レベル・レート制なのかと。
パッチごとに1基のグローバルな LFO があり、デプスがピッチ、フィルター、アンプ個別にある。波形は;
・サイン波 ・三角波 ・鋸歯状波 ・矩形波 ・ランダム波
▲その他のパッチ・パラメーター
そろそろモジュレーションマトリクスが注目されはじめたころであり、K5000 でも 14 ソース、20 デスティネーション、しかも1ソースあたり2デスティネーション設定できる。20 あるデスティネーションには、フォルマントフィルターのバイアス、EG、LFO や、倍音加算ジェネレーターの高次、低次、偶数次、奇数次の倍音などがあり、かなり普通とは違う結果がでておもしろい。たとえば、弾きながらモジュレーションホイールでもって奇数次倍音を上げると、案の定、矩形波っぽくなるがブライトにもなるという、ちょっと他にはない音色変化をする。
前述のとおり、内蔵エフェクト専用のモジュレーションマトリクスもあり、こちらは 14 ソース、10 デスティネーション。
こうしてつくったパーシャル音は、最大6系統が内蔵ミキサーに通され、4基のマルチエフェクトや各1基の EQ とリバーブとで処理され出力される。
なお、ソース1とソース2の音で AM 変調させる大ワザもあり、おそらく K1 にあった機能をまるごと持ってきたのではないかと思われる。
▲ドラムキット
ドラムキットが別途存在するのだが、1キットは 64 インストで成立し、1インストは、オシレーター、フィルター、アンプで構成されている。インストごとにパンなどを設定可能。EG は、やはり ADDR 仕様なので、細かく表現できる。まぁ ’90 年代のデーハーなりにちょっと大人になったような音だ。
▲イージーエディット
さすがに広大すぎるパラメーターの太平洋なので、そこは考えたらしく、演奏中でもかんたんに操作できるイージーエディットが用意された。一時的にパラメーターにオフセットを加えるものであり、以下が存在;
・高次倍音レベル ・低次倍音レベル ・奇数 / 偶数次倍音レベル ・フォルマントフィルターのバイアス ・フォルマントフィルターの EG や LFO の速さ ・フォルマントフィルターの EG や LFO のデプス ・カットオフ ・レゾナンス ・EG ・エフェクト
ここでの画面といい機能といい、コルグのTシリーズや 01/W にも似ているが、偶数次倍音を増やそうとしてバリューダイアルをひたすらぐるぐるギーギー回すのは、ちょっとパフォーマンス用には非現実的かも。 K5000Sでは、このあたりがノブとして、物理的に出ているために音をひねりやすいはず。
▲内蔵シーケンサー
当時としては破格に大規模な 40 トラック、4万ノートの MIDI シーケンサーが内蔵されていた。 コード・トラックがあり、テンポ・トラックもあった。DAW そこのけの編集コマンドも多々あり、グラフィカルではないが範囲指定もサポートされており、他の一部にはグラフィック表示もサポートされていた。 SMF も読み書きでき、3.5 inch / 2HD のフロッピーディスクでもって外部との SMF 送受も可能。
きわめて興味深いのは、やはり APG(Auto Phrase Generator)なる作曲支援機能。
これは、録音されたシーケンスデータを K5000 が解析し、ユーザーが指定した音楽ジャンルなどに沿って、マルチパートの伴奏用シーケンスデータを勝手に生成してくれるもので、他の機種では見たことがない。
具体的には;
1.コード進行のアイディアを、任意の MIDI トラックに録音 2.そのトラックを「シードトラック(Seed Track)」に指定 3.任意のジャンル(スタイル)などを、指定 4.シードトラックを、K5000W に分析させる 5.分析結果をもとに、K5000W が最大8トラックのシーケンスデータを自動生成 6.気に入らなければ何度でも再生成 7.気に入ったら、それをシーケンサーに移植し、さらに細かくエディット��能
これでもって、約 8,000 ものシーケンスフレーズデータを、自動生成できるという。
スタイルと呼ばれるジャンルは 107 あり、プリセットが 105、ユーザーが SMF インポートして作成できるものが2つ。計 107 スタイルの内訳としては;
・ロック ・ポップ ・ジャズ ・フュージョン ・アシッド ・ハウス ・ランバダ(!) ・ワールド
さらに「ワールド」の内訳をみると;
・ヨーロッパのフォーク ・アメリカのフォーク ・ラテン
となっており、中東もアフリカもアジアも無い。なのにランバダがあるところといい、’90 年代のアレンジャーキーボード文化の産物そのもの。 あとからテクノも追加されたらしい。
また、以下の各種のアレンジャーキーボード用スタイルデータから2タイトルをインポートし、APG 用スタイルにコンバートして保存し利用できる;
・Technics Kシリーズ ・Roland Eシリーズ ・KORG iシリーズ ・GEM WX / WS シリーズ ・Solton MS シリーズ ・Wersi 社
さらに、APG はシードトラックからコード進行も分析しているのだが、このとき APG に、コード進行を実際に音で鳴らしながらアドバイスしてもらうことすら可能!
さっそくたった4小節の短いトラックをテキトーにでっちあげ、APG さんに解析してもらい伴奏データを自動生成してもらったが、なるほど、それ相応のものが、しれっとできる。スタイルを次々と変えて実行してみるとおもしろい。音色まで、スタイルによって変えてくるのには、恐れ入る。
ただ、適用されるスタイル、すなわちジャンルや自動生成の結果が、どうしても欧米偏重であり、それも時おりだっさい方向へかたよってしまう。 これは、K5000 が開発された時代もさることながら、おそらくカワイが、ドリマトーンなどといった「まじめな」電子オルガンを開発製造していたこと、そのためラウンジでのエンタメ用、あるいは音楽教室での教材用に、膨大なスタイルデータやシーケンスデータを制作していたことと、無関係ではあるまい。
▲その他の機能
ものすごい数のパラメーターがあるため、さすがにグラフィック LCD を搭載。倍音加算ジェネレーターや、フォルマントフィルターまわりなどは、分かりやすい表示で助かる。 画面の周囲を取り囲むように配置されたファンクションキーも、かなり便利。下手にカーソルキーで動かすのではないため、かえって操作が速くて良いかもしれない。
K5000 には、MIDI マスターキーボードとしての役割も期待されていたようで、Quick MIDI という機能が装備されている。その場で設定したプログラム・チェンジと、コントロール・チェンジを一気に送信する。音源モジュールがたくさんある MIDI システムの中で、都度ユーザーが好むデフォルト設定するような場合に使えるのかも。
内蔵フロッピーディスクドライヴは、3.5 inch 2HD 1.44MB ないし 2DD 720MB ディスクが読み込める。SMF などを読み書きする都合上、MS-DOS コンパチであり、なつかしい Mac の Acess PC にも対応。あったねぇそんな機能が Mac にーぃ笑。
さらには、ディスク上の SMF ソングをロードせずに直接に読みながら再生するという時短ファンクションこと Direct Disk Play というのもあった。これは当時のワークステーションシンセではけっこう流行した機能で、お手軽 SMF プレイヤーとしての働きもあった。
MIDI 端子もAとBの2セットもあり、おのおの MIDI In / Out / Thru がついてるので、計6つも端子がある。ここでも MIDI マスターキーボード的。ただし、MIDI B 群の端子は、MIDI Clock や Sys-Ex バルクダンプなどには非対応。
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鍵盤タッチも当時としては破格に良く、おもりつきで上質かつ長さも長くて弾きやすい。黒鍵の表面にざらつき加工してあるのは、ひょっとしてかつての黒檀でできた贅沢な鍵盤になぞらえたのか?
なお、これも当時としては革新的な 32bit RISC チップを搭載することで、フォルマントフィルターや - 24dB / Oct の DCF を実現、とドヤ顔でカタログに書いてある。
▲K5000S と K5000R
先述したとおり、K5000 シリーズには、残り2機種、素のシンセたる K5000S、そして2Uラックサイズの音源モジュール K5000R とがあった。
この2機種には、ともに K5000W とは以下の相違点があった;
・PCM 音源がない ・PCM 音色バンクもない(AA 音源用の PCM 音素片波形はある) ・GM バンクもない ・シーケンサーもない、APG もない ・アルペジエイターを装備 ・コンビがない代わりに、マルチモードがあり、これは4パートマルチ音源になる
●拡張性
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FDD 経由だが、SMF 送受できる。
のちのバージョンアップによって、音色バンクが増えた。Eバンク以降の音色は、そこで追加されたものらしい。発売当初の音色は、どうしてもサイン波っぽく聴こえて、なんだかなぁ、であったが、追加されたE以降のバンクにある音色は、かなり作り込まれており、良くできた音色が多い。
さらに Ver.3 から、当時の Win / Mac 用エディターソフト SoundDiver for K5000 が、emagic 社とタイアップして一緒にくっついてくるようになった。これで、特にパラメーターが多い倍音加算ジェネレーターやフォルマントフィルターなどの編集作業は、飛躍的に向上したはずである。 そして、ひとたびエディターでグラフィカルに操作できるようになれば、もはや K5000 シリーズは、倍音加算合成というより、ウェーヴテーブルを自作可能なシンセとして威力を発揮したであろう。
おまけに最終バージョンでは、なんと短い音声ファイルを wav 形式で外部から読み込み、それを逆フーリエ変換で解析、さらにフーリエ変換でもって整数次倍音のみで再合成するという、なかなかにニッチでわくわくする機能までついてきた! 記憶でしかないが、wav ファイルをサンプルデータスタンダードに準拠した形で用意し、5ピンの MIDI 経由で本体へダウンロードさせたような気がする。
●あなたにとっての長所
他の音源方式では得られない、独自のデジタル音色。
なんといっても、狙った位置に倍音を発生させられるのは、あたりまえだが直接に音を操作できて良い。 これが FM 音源とかだと、いっしょうけんめい変調させることで、遠隔操作で倍音を発生させているようなものなので、なかなか狙った位置に倍音を生じさせるのが、じつはむずかしい。つまり FM 音源なら周波数レシオやモジュレーター出力レベルなどを駆使してあたりをつけるところを、AA 音源ならダイレクトに倍音そのものを制御できる。 AA 音源万歳である。
結果、FM ではないのに、時として FM っぽくもなり、DX エレピなども再現できる! あるいは、PPG のウェーヴテーブルみたいな音もつくれる。モーフィングを使えば、事実上のウェーヴテーブルを自作していることになる! フィルターに依存しない自由な音色変化は、やはりうれしい。
しかも、どんどん刺激されるアイディアが湧く音色ばかりできる!! これは俺のセンスが 90 年代のまま止まっている勘違い平行棒野郎なせいなのか? 倍音加算合成というのは間違いではないが、むしろウェーヴテーブルを自作可能なシンセと言ったほうが正しいような音源方式。 しかも動きのある音色アニメーションを得意とする、個性派な音源方式。 パラメーターが多いとはいえ、同じものの繰り返しなので、理解はしやすい。
とにかく、もうこの変態音源に尽きる 笑
でもせっかくだから、APG によるみょーな演算結果も楽しませてくれるし、カワイだけのことあって鍵盤タッチも良い、ヘッドフォン端子が手前の左側についてて気が利いている、という点も挙げておく。
●あなたにとっての短所
ユニゾンモードが無い! これは残念。なので手動でレイヤーしまくって束ねるしかない。
やはり古いデジタルシンセなので、往々にしてエディット中、鍵盤を押さえっぱなしでは音が変わらないため、ぽんぽん連打せんとあかん。DX7の不便さを思い出す。
整数次倍音のみ出るので、非整数次倍音を出すためには、かなりピッチを変えて音を重ねるなど、工夫が相当いる。これが実現できないと、クロス変調によるディストーション波形とかメタリック波形などは難しいのだが、まぁ、AM 変調もあることだし、冨田さんみたいに倍音加算でベルもつくれるし、考えて使いこなせばいいんです。
アタックトランジェント成分だけは、どうしても PCM 音素片にたよることが多い。これは、サイン波倍音加算合成そのものの限界で���り、あそこまで不規則な波形を合成しようとすると、もはや K5000 すらをも遥かに上回るパラメーター数となってしまい、非現実的だからである。 これを加算合成ではなく、減算方式で実現するには、それも現実から離れた創造性ゆたかな音色制御をしようとすると、もはや TR-808 のベードラに採用された Down Chirp Oscillator や、Metallic Oscillator のようなものを考案する必要がある。
●その他特記事項
一世風靡したカワイのKシリーズ・シンセ。だがカワイも今ではすっかりピアノメーカーに戻ってしまい、シンセというシンセが無くなってしまった。
かつてKシリーズがめざしたものは、なんだったのか。
私が知るかぎり、88 年ごろに見た K4 には、リアパネルにて、製造元は「テスコ株式会社」だと書いてあった。 そして 96 年製の K5000W には、製造元は「メルヘン楽器」と書いてある。
テスコとは何か? メルヘン楽器とは?
以下、年を追ってクロニクルをひもといてみよう。
1.起
1946 テスコ社の前身となるアヲイ音波研究所、設立 1948 テスコ(Teisco)というブランドで、ハワイアンギターやアンプが登場 1952 テスコ・ギターが、ビザールギターとして欧米にて知られるように 1958 テスコ・スーパーエレガン(Teisco Super Elegan)登場
「テスコ」とは、Teisco と書き、Tokyo Electric Instrument and Sound Company の略だという。 すでに敗戦の翌年に、その萌芽は生まれ、はやくもビザールな楽器をつくっていたようである。
1958 年に出た「テスコ・スーパーエレガン(Teisco Super Elegan)」とは、モノフォニックの真空管オルガンである。日本初の電子オルガンは、じつはここに始まる。そしてこれは、のちにカワイの電子オルガン「ドリマトーン」へと発展し、ヤマハのエレクトーンや、テクニクスのテクニトーン、ヴィクターのヴィクトロンなどと並んで、家庭用の電子オルガンとして家々のリビングルームに浸透していく。
1964 テスコ株式会社、設立 1966 テスコ株式会社、カワイの傘下に入る
当時のギターブームに乗ったテスコは、ギターメーカーとして知られるようになる。のちに復刻したりしているのも、このころの人気から。
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1970 年代に入り、海外のギターブームが収束すると、テスコブランドのギターも終わり、代わりにギブソンやフェンダーのイミテーションをつくるようになる。 そこで次なるターゲットとして浮上してきたのが、徐々に盛り上がってきたシンセ業界であった。
1976 Teisco / KAWAI 100F
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テスコとカワイとの2つのブランドで発売された、同社初のシンセ。機種名も不定で
・Synthesizer 100F ・S-100F ・100F
などと表記される。
37 鍵、ヴィンテのアナログモノシンセ、1 VCO / VCF / VCA / HPF という構成で、最後にハイパス・フィルターが来るのが、ちょっとおもしろい。 お値段は 95,000 円と、当時としては少し安めか。
その 100F は、こんな音がしたらしい? 「銀のさら CM」
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1979 Teisco 100P 1980 Teisco S-110F 1980 Teisco S-60F 
クラフトワークがアルバム「人間解体」を発表したのが、1978 年。同じ年に、YMO も人知れずデビュー。 その翌年から、テスコシンセが徐々に頭角を現してくるのである。
Teisco 100P
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100P は、ローランド SH-2000 にヒントを得たようなプリセットモデルだったらしい。鍵盤の下にならぶ、カラフルなタブレット式のスイッチまで似ている。
Teisco S-110F
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100F を継いだ S-110F は、テクノポップの台頭にあわせてデザインを一新。LED で信号フローを示す科学的なところが、テクノ時代を象徴。 仕様においても、従来と同じ 37 鍵でありながら、2VCO / VCF / VCA / HPF に拡張、しかも2音パラフォニックとなり、さらに8バンドのフィクスド・フィルターバンクまで搭載した。各バンドの中心周波数は、250 / 350 / 500 / 700 / 1k / 1.4k / 2k / 2.8kHz。 鍵盤の左、他社ならモジュレーションホイールなどがあるはずのところには、代わりに3基の感圧式コントローラーパッドがあり、これらでヴィブラート、ワウ、カットオフ、ピッチベンドをかけることができたところは、ARP Odyssey の後期型みたいだが、未来的でもあった。 当時の定価は、127,000 円。同価格帯ベストセラーだったヤマハ CS-15、ローランド SH-2 と比べても、仕様も奢り、デザインにも 80 年代らしいカリスマがあって、じつは隠れた名機。
Teisco S-60F
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S-60F は下位機種として発売され、32 鍵、1 VCO / VCF / VCA / HPF、左手用の感圧式コントローラーはピッチベンダーのみ。 お値段 74,000 円。入門機だったヤマハ CS-10 やローランド SH-09 やなんかと喧嘩するための価格なことは明白。
1981 Teisco SX-400
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4オクターヴ 49 鍵、なんと4音ポリで、Quad, Dual, Mono, Solo の発音モードがあり、最後のソロはユニゾンモード、あとば読んで字の如く。 1 VCO / VCF / VCA / HPF という構成だが、さらにサブオシとノイズ・ジェネレーターとを搭載。 アフタータッチもあり、ヴィブラート、ピッチベンド、カットオフに対応。 コーラスまで内蔵し、とどめの音色メモリーでは、プリセット8音色、ユーザー8音色が記憶できた。
1983 YAMAHA DX7 1984 Teisco SX-210 1984 Teisco SX-240
テスコからも、MIDI シンセの登場である。 1年遅れたのは、MIDI 制定メンバーに関わってなかったからかもしれないが、カワイは関わっていたので、そこは距離感があったのであろうか?
Teisco SX-240
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SX-240 は、61 鍵、8音ポリ、2DCO / 1サブオシ / VCF / HPF / VCA という構成。フィルターは SSM2044 を採用し、これは Polysix、PPG Wave 2、初代 Emulator などに使われた名のある石。 スプリットやレイヤーも可能となり、コーラスも内蔵、48 音色メモリー、1,500 ノート8メモリーのシーケンサーも搭載、そして何よりも MIDI 対応。 高度に発展したポリシンセとなったため、フロントパネルから物理操作子はほとんど消え、代わりにデジタルなボタンと汎用バリューダイアルのみによる UI となった。7セグの LED が並んで文字表示もできたところも、デジタル時計っぽい未来感覚。
同じ年の年末には、コルグ DW-6000、翌年 1985 年9月には DW-8000 が発売されている。そしてそのさらに翌年…
2.承
1984 KORG DW-6000 1985 KORG DW-8000 1986 KAWAI K3 1986 KAWAI K3m
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カワイKシリーズ初号機、K3 が発売されることになった。これ以降、テスコブランドでの新機種は出なくなったのだが、カワイKシリーズのリアパネルには、製造元としてテスコ株式会社の名が、しばらく残ることになる。
Digital Wave Memory Synthesizer と銘打たれただけのことあり、コルグの DW-8000 を非常に参考にしたと思われる機種で、音源方式をはじめスペックもよく似ている。 61 鍵、ベロシティ・アフタータッチ対応、6音ポリ。2デジタルオシレーター / VCF / VCA というハイブリッド構成。ポリ数が2音少ないほかは DW-8000 と同じ。DW-6000 を見て開発したのかな? 7セグの LED で、プログラム番号、パラメーター番号、そしてバリューを���値表示するレイアウトや、定価 19 万8千円というのも DW-8000 と同じで、DX7より下をいくことで値ごろ感を出そうとしたのだろう。
音源方式も、コルグの DWGS 音源と酷似しており、メーカーがあらかじめアコースティック楽器などの音色を、FFT で分析、逆 FFT こと整数次のサイン波倍音加算合成で近似的に再現し、その結果できた1波のみ波形 ROM に保存。それをループさせたものを、音源波形として使う。
コルグよりもすぐれていた点は、音源波形の数や、ベロシティでオシレーターバランスまで制御できた点など。VCF が、SSM 2240 だったり、LFO に S/H 波があったのも、さりげなく名機。 実際、DW-8000 では 16 あった音源波形が、K3 では、32 と倍になっており、さらに 33 番目の波形として、ユーザーが自作して保存できる波形が1つだけあった。
このユーザーが自作可能な音源波形とは、128 ある倍音から任意の 32 個の倍音を選び、それらをノンリアルタイム演算にて加算合成し、演算結果の波形を保存し、1波ループさせて使うのである。
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たった1つとはいえ、ユーザーが自作可能な音源波形。しかも加算合成。
ここに、のちのちの K5000 にまでいたる、Kシリーズの始原をかいまみれる。すなわちコルグ DWGS 音源を拡張するところから始めることで、カワイは森羅万象を再現するサイン波倍音加算合成の可能性を見出したのだ。
さらにそれは、うがって見れば、いにしえのテスコギター Spectrum5 にあったレインボーカラーのスイッチ群でもって、おびただしい数のピックアップを操作して音創りするという発想が、そのままテスコだましいとなってシンセに搭載されたとも解釈できる。倍音加算合成ならぬ、ピックアップ加算合成!
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こののちのコルグが、DSS-1 で 128 倍音加算合成まで実現しておきながら、そのあとの M1 以降にてシンセサイズをやめ、事実上のプリセットサンプラーとなって、音色ライブラリーを膨大に出すことで、音創りよりも音選びの道を爆走することになることを思えば、K3 で実現したたった1つの自作可能音源波形とは、テスコの頑固で堅気な DNA の発露、発現であったのかもしれない。
ただ、カワイというお上品な坊ちゃん嬢ちゃんなブランドのせいなのか、妙にセンスがいけてないところも。 例えばホイールがピッチベンド用に一個しかないのは、いくらアフタータッチが使えるとはいえ、さすがにコストダウンするにもほどがある。EG も、コルグが一足先に ADSSR というセカンドディケイが可能なものを搭載していたのに対し、カワイは相変わらず ADSR のまま。そしてデザインがなんだかいなたい家具っぽいような気がするのは、気のせいか。
だが翌年、カワイのシンセは大変貌を遂げる。
1987 Roland D-50 1987 KAWAI K5 1987 KAWAI K5m
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ローランドから風雲児 D-50 が出たのと同時に、カワイから出てきたモンスターシンセ。 怒濤のサイン波倍音加算合成シンセシス、しかもいきなりのフラッグシップ機種、フルデジタル 16 音ポリ。 23 万5千円というのは、ほぼ D-50 同じ。 61 鍵か、2Uラックサイズの音源モジュールかが、選べた。
型番からもうかがえるように、K5 は K5000 の原型となったモデル。K5000 が最大6ソース構成だったのに対し、K5 は2ソース。それでも各々 63 倍音、2つ合わせれば 127 倍音まで加算できた。K5000 では、全倍音が各々個別の音量 EG を持っていたが、K5 では4基の音量 EG に集約されるも、それでも EG は6ステージあった。 そのあとは、デジタルのレゾナント・ローパスフィルターと、デジタルアンプとを通るのだが、ここでもフィルター EG は6ステージ、アンプ EG は7ステージもあり、ダブルピークはもちろん、リリース後にピークを持つことも可能。
この音源方式は、最初 ARTS:Additive Real Time Synthesis 音源と呼ばれたが、商標にでも引っかかったのか、のちに ADD:Additive Digital Dynamics 音源と名を変えてきた。
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時代に先駆けて 16 パートマルチ音源であり、同じくシンセとしてはほぼ初めてグラフィック LCD を搭載しており、じつは名機なのだが、早くもパラメーターの海に溺れてしまってエディットがたいへんなこともあり、あまり知られていない。
なによりもタイミングが良くなかった。話題はすべて D-50 がかっさらっていったのであり、誰もがその史上初 PCM ベースのサウンドに魅了されていたのである。
だが、この PCM にいち早くカワイは気づいたらしく、即座に行動を起こしたところが、FM 変調にこだわりすぎたヤマハよりも柔軟でえらいところ。その結果は一年後にあらわれる。
1988 KORG M1 1988 Roland D-10 1988 Roland D-20 1988 Roland D-110 1988 KAWAI K1 1988 KAWAI K1m 1988 KAWAI K1r
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カワイが真に業界で旋風を巻き起こすのは、ここからである。
誰もがコルグの起死回生満塁ホームラン M1 に目を奪われていた時、その足元をすくったのが、カワイ K1 であった。M1 の 24 万8千円というプライスタグが高すぎて嘆く少年少女たちにとって、12 万8千円でローランド D-10 が救いの神になるはずが、どうやらカワイもいいらしい、となったのである。 それもそのはず、なんせ、9万9千8百円で、61 鍵ベロシティ・アフタータッチ対応、16 音ポリのフルデジタルシンセが手に入るなんて、コスパ良すぎて前代未聞だったのだ。
K1 では、あらかじめ倍音加算合成によって生成し波形 ROM にたくわえたデジタル波形を VM :Variable Memory 波と呼び、これと PCM 波形とを最大4ソースまで重ね、さらにソース間 AM 変調まで可能とすることで、1パッチをつくる。これは VM:Variable Memory 音源と銘打たれ、シンセ波形と PCM 波形とを組み合わせて部分音合成する D-50 すなわち LA 音源のエッセンスを凝縮したテクノロジーであった。
倍音合成は、素で取り組むにはパラメーターが膨大で音創りも大変。ならば、倍音合成によって生成されたおいしい波形を満載し、PCM 波形と組みあわせれば、リアルな音色からシンセならではの表現まで、簡単かつ自在にできる。 しかもフィルターを使わず、ひたすら加算合成するだけでできる。
これは目からうろこで、逆にフィルターを持たないことからレゾナンス・スィープなどを再現するのも難しいなどあったものの、見切りが早く、多彩な音を簡単につくることができた。 おまけに K1 の鍵盤は、この安価な価格帯では初めてのおもりつきであり、タッチもよく、さすがピアノメーカーという貫禄もあった。
K5 という、なんだかよくわからないけど凄そうなステータスシンボルみたいなプロ仕様シンセがでたあと、こんなにフレンドリーでコスパ最高なシンセが出てきたら、気にならないはずがない。多くのキミやボクたちが、あのジョイスティックをうにょうにょさせ、どんな音色変化をもたらすのか興味津々で取りついたのである。
同じ年、シンセではないが KAWAI から単体シーケンサーの名機となる Q-80 も出ている。
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Q-80 は、ヤマハ QX5を研究したと思われる機種で、モチーフと呼ばれる仮想トラックを 100 まで記憶できた点が、QX5のマクロトラックと同じである。しかし QX5より凌駕する点が多々あり、32 トラック構成、グルーヴを残すアクティヴクォンタイズ、ジョグダイアルとメニューマトリクスによる操作性、そして 3.5inch 2DD 対応の FDD などなど追加されつつも、ろっきゅっぱしかしなかった。
ヤマハも同じ思いでいたようで、QX5FD という後継機種を後追いで出しているが、やや値段が上がってしまっている。
1989 KAWAI K4 1989 KAWAI K4r 1989 KAWAI XD-5 1989 KAWAI K1II 1989 KAWAI K1rII 1989 YAMAHA SY77 1989 CASIO VZ-8M
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カワイシンセの黄金時代。
K4 は、K1 にデジタルのレゾナント・ローパスフィルターと、マルチエフェクトとをつけたような中堅価格帯機種で、懸案だったスィープ音もばっちし。16bit で音も良く、D-50 のみならず M1 のおいしいとこどりまでをも実現し、なおかつ M1 にはなかったレゾナンスも実現、プロの仕様と音色とを安価で魅せてくれるような、楽しいデジタルシンセであった。 倍音合成による音源波形は、DC:Digital-Cyclic 波と名を変え、4ソースの各々にフィルターもついたことで、音源方式も Digital Multi Spectrum 音源という名になった。 お値段 14 万9千円。同価格帯のどの競合他社よりもすぐれたシンセが、カワイから登場したのである。
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聖飢魔II  のライヴでは、サポートメンバーのキーボーディストがウルトラ警備隊の格好をして、K4 を弾いていた。アルバム「Outer Mission」のころであり、バブル期だったこともあって、世の中、多彩なデジタルシンセ音がもてはやされた時代。K4 もプロにも認められ、実際、音が良かったのである。
K1 もリバーブとディレイがつき、ドラムキットも搭載することで K1II となり、K4 / K1 のラインナップは、すっかり新興勢力として人気であった。
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XD-5 とは、K4r を応用した高音質のパーカッション音源モジュールで、AM 変調などもできることから、かなり変態なリズム音色も出せる異色の音源。カワイアメリカが企画したという。
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さらに K5 のころから、カワイは他にもさまざまな MIDI 機器を出しており、そのラインナップが完成するのが、この 80 年代の終りごろである。 そこには、がっちりしたタッチのアコピ鍵盤ノウハウをがっつり組み込んできた MIDI マスターキーボード M-8000、前述の単体シーケンサーの名機 Q-80、腕っぷしの強いドラマーが叩いたような音がしたリズムマシン R-100、R-50 シリーズ、単体エフェクト RV-4、ミキサー、なんと MIDI ミキサー MM-16、などなど、すぐれた周辺機器がさまざまに出ており、しかもどれも比較的良心的なお値段。 そんな、お求めやすいカワイだけでなんでもできてしまうという、シンセヲタや宅録ヲタ、バンドマンにとって夢のような時代になったのであった。
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同じ年、ヤマハは V80FD を水面下でやめて SY77 に慌てて切り替えており、カシオからは VZ-8M を最後にシンセがぱったり出なくなった。V80FD は基本的には FM 変調のみ可能、SY77 は PCM もカップリングさせた複合音源、VZ-8M も位相変調である iPD 音源。 これら落日の変調方式シンセを尻目に、カワイ、コルグ、ローランドから PCM 音源が勃興してきたのである。 その勝ち組たる新興勢力の勢いでもって、このころ、カワイは K4 をそのまま 88 鍵シンセにした K4000 という頂上機種を、フェアなどで参考出品している。名高い MIDI マスターキーボード M-8000 の鍵盤を流用したのかもしれない。
さて、私の記憶では、K4 のリアパネルには、製造元としてテスコ株式会社の名が明記されていた。だが、どうやらこのころに、テスコは、同じくカワイ傘下のデジピメーカー、メルヘン楽器に吸収されたらしい。
そこから、徐々に雲行きが変わってくる。
3.転
1990 KAWAI Spectra KC10 1990 KAWAI XS-1
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Spectra は、ライヴ向けにフットワークを軽くすべく軽量スリムにしたキーボードであり、XS-1 はハーフラックサイズの DTM 音源モジュールであった。いずれも K4 の音源部をカットダウンして内蔵しており、16bit による音の良さをアピールしていた。 Spectra そのままに内蔵音源を省き、白く塗装しなおした MIDI キーボードコントローラー MIDI Key というのもあった。下の DTM セットにあるとおり。
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ローランドが DTP になぞらえ DTM という言葉を発明し、その第1号としてパッケージ製品「ミュージくん」を発売したのは、すでにこの2年前の 88 年のこと。
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このあと「ミュージくん」は「ミュージ郎」と名を変え、急速に DTM 業界の雄となって台頭してゆく。
そして 90 年代に入って、カワイもまた後を追って、DTM 業界へと舵を切ったのであった。
1991 YAMAHA SY99 1991 KORG 01/W 1991 Roland JD-800 1991 Roland SC-55 “Sound Canvas” GS 音源モジュール 1991 Roland SB-55 “Sound Brush” SMF Player
ワークステーションシンセが大流行となり、シーケンサーを持たないのに30万円もした JD-800 は、評価こそ高かったものの実際にはまるで売れなかった。以来 XP-80 が出るまでのしばらくの間、ローランドには高額機種を出すのにためらいがあったという。
同時に PC ベースのワークステーションともいうべき DTM 業界に、新風 SC-55 “Sound Canvas” が登場。音色配列を統一させる GS フォーマットを提唱し、GM 規格の制定につながった。
この当時、ローランドの高価格帯のシンセが好評だったにもかかわらず売れず、一方、同社が DTM の盟主となって成功したことは、その後のカワイの方向性を考える上で、きわめて暗示的である。
そしてこの年、カワイからは新機種が出なかった。 出なかっただけなのか、出せなかったのか、お蔵入りしたまぼろしの機種でもあったのか。 メルヘン楽器への移行で、ばたばたしたのか、ドタバタあったのか。
とにかく、メルヘン楽器が開発製造するようになって、同社がそれまで手がけてきた家庭用デジピ市場を意識するようになったのか、教育市場とも親和性が高いと思われる DTM へと、カワイも全面的にシフトチェンジしたのである。
1992 KAWAI XS-2 GMega 1993 KAWAI GMega をもとにした DTM パッケージ Sound Palette 1993 KAWAI K11 1993 KAWAI Spectra KC20
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GMega(ジーメガ)は、ハーフラックサイズの GM 音源モジュールで、定価 69,000 円。ちょうど SC-55 の好敵手ながら、GMega は 32 パートも使えて有利であった。また、GM というと、とかく箱庭的で音はチープという先入観がはびこっているが、GMega は音が良い。はっきり言って当時のサウンドキャンバスよりも、音が良かった。GM に引っかけたネーミングも、今なら GGiga と言っていいくらいの、パフォーマンスだったのではないか。
これを中核に、カワイは独自の DTM パッケージ「Sound Palette 」を繰り出した。
K11 は、K1II を GM 音源にしたもの。音源方式は K4 から持ってきた上でフィルターをシリパラ可変できるようにしている。 KC20 Spectra も、KC10 を GM 音源化したものである。 どちらも DTM 向けキーボードというキャラが前面に出ていた。
かくしてカワイは、加速度的に GM と DTM へと傾斜してゆくかに見えた。
1993 Roland JV-1000 1994 YAMHA W5
この ’94 年からしばらく、カワイからはなんら新製品が出なくなる。
カワイだけでなく、このころ、押し寄せる GM 音源化と SMF の普及により、各社ともに DTM 以外では方向性を見失っていた。唯一成功していたのは、ワークステーションシンセの本家を称するコルグだけであった。 その一方、どんどん隆盛する DTM 業界では、ヤマハとローランドによる熾烈な一騎打ちが続いていたのである。
時代はパソコンであり、単体シンセはもう未来がないのか。音源方式も PCM まで来て出尽くした感があり、あとはひたすら大容量高精細になるばかり。そんなふうに見えた。インターネットが大々的に普及するのは、この翌年の Windows 95 からだが、すでにその片鱗も見えており、まさにパソコンの時代になりつつあった。
ローランドが、GS フォーマット音源のみ積んだワークステーションシンセ JW-50 を出して失敗したのも、売れ筋のワークステーションシンセ市場に GS / GM を広め、売れ筋の GM 音源 DTM とを掛け算したかったあまり、そんな時代を読み違えたからであろう。
KAWAI というブランドは楽器メーカーとしては正統派だが、アコースティックのイメージが強く、電子楽器と言ってもドリマトーンなどホームユースのものばかりであり、シリアスな電子楽器メーカーとしては異色なイメージもある。 とはいえ、そもそも 80 年代にシーケンシャルのデイヴおじさんとともに MIDI 規格を制定したとき、カワイもメンバーの一員だったのであり、その点ではカシオとは違う。
その歴史ある保守と革新の混沌ゆえに、ホームユースや教育市場を考えて、真面目に GM 音源へ傾斜したのであろうか?
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GMega  は、GM 音源の中では音が良かった、と書いた。 GM 規格の趣旨を考えれば、機種ごとに差異があるのは、いかんのであり、失敗である。原理主義的に厳密たらんとするならば、いつどこでだれがどんな機種を使おうと同じ再現性が担保されなければならない。共通規格とは、没個性化である。
しかし、そこまで規定しないルーズな規格だったからこそ、各社は自由に個性やキャラある GM 機種を出せた。この機種で鳴らすと元気な迫力ある音楽になる、あの機種で鳴らすとやさしい音色で再生されてなごむ、などなど。 その使い分けを極めるのも、楽しかったはず。
つまり GM には、解釈の違いという、音創りとは違った表現があるのだった。意図したのか、はからずもできたのかはさておき、それは GM 世界における方言であり、方言による豊かな多様性ある表現、と言ってもいい。
もっと言えば、GM も MIDI も、規格というよりプラットフォームであった。それらの根底には「このルールで縛る」ではなく「この上でみんな好き勝手に遊びなはれ」というスタンスがあり、誰にも独占されない規格という、およそたぐいまれな規格であり、成り立ちからしてフリーダムであった。 MIDI 規格制定に尽力したことでグラミー賞をもらったデイヴおじさんと梯氏は「まぁパテントにしてたら大儲けできたかもしれないが、そんなことしたらむしろ誰にも使ってもらえず、MIDI は広まらなかっただろう」というような主旨で述懐している。
GM や、そもそも MIDI は、知的財産権とは無縁、誰にも独占されないオープンな規格であり、それはこんにちのシェア文化のはしりでもあった。だからこそ GM も MIDI も、規格というよりプラットフォームに徹した存在なのであった。
MIDI はシェア文化!
だが、音は良かったカワイの GM 音源だが、DTM では先行するローランドが強く、先手必勝の市場原理によって店頭を Sound Canvas シリーズが埋め尽くし、コルグなどは DTM  業界では無名すぎて相手にされず、カワイも苦戦することになる。 なんせローランドは、この十年くらい前から、それこそ MIDI 以前のヴィンテアナログの時代から、コンピューターミュージックに特化したマルチ音源を、CV / Gate で駆動しながらでも営々と出し続けていたのである。
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ましてや MIDI 時代になってからのローランドは、MIDI の可能性をいちばん知っていたわけで;
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結果、DTM という言葉の生みの親になるくらい、もはやド定番なのであった。
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これに対抗できた後追い機種は、楽器メーカーとして押しも押されぬ知名度のヤマハが送り出した「Hello Music」だけであった。
その一方で、GM 音源の鍵盤機種を、ごりごりな音創りシンセとして売ろうにも、GM 自体がよくもあしくもオールラウンドな箱庭宇宙な音色世界だったので、パラメーターも少なく、ごりごりの一芸に秀でたような音創りシンセには向かなかった。
互換性を重視すればするほど、個性が消える。それがプラットフォームというもの。
やがて、そのプラットフォーム上で、ふたたびの個性派を送り出そうという動きが始まる。
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1995 KORG TRINITY 1995 KORG prophecy 1995 Roland XP-50 1995 Roland XP-10 1996 Roland XP-80 1996 KAWAI K5000S  16 万8千円;素のシンセ 1996 KAWAI K5000W  21 万8千円;ワークステーションシンセ 1997 KAWAI K5000R 12 万5千円;ほぼ K5000S の2Uラックマウント音源モジュール版
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本稿で取りあげた K5000W とは、カワイ初のワークステーションシンセである。しかも K5000 シリーズの中で唯一の GM 対応機でもあった。そして、かの K5 以来のフラッグシップでもある。 これらが指し示す意味は、何か?
サイン波倍音加算合成の特徴として、和音を弾いても音があまり濁らないというのがある。さらにカワイは 「写実派 PCM 音源の時代に終止符を打つ、  印象派『アドバンスト・アディティブ』音源搭載。」 というキャッチコピーでもって、売り込んでいる。
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この言葉は、もともとはローランドが TR-808、そして D-50 をはじめとする LA 音源、これらを開発するときに考え出したコンセプト。
すなわち、リアルよりもアイディアル、real よりも ideal、写実ではなく理想の音、自由度が限られているサンプラーよりも、自由自在に音をエディットできるシンセサイザーに期待を込めた、その故事そのものである。
ロジャー・リンがすでにサンプリングによるドラムマシン LM-1 を出したのにもかかわらず、ローランドが後出しジャンケンにフルアナログの TR-808 を開発したのは、当時のサンプル波形メモリーが高価であったためだけではなく、そもそもサンプリングして終わりというのではダメで、自由に音創りできるドラムシンセをつくりたかったからだという。 ドラムマシンではなく、ドラムシンセ。 808 ベードラのディケイ・ノブは、コストダウンの名のもとに消えそうになったシンセたるアイデンティティの最後の砦であった。ちいさな、ひよわな砦だったそのディケイ・ノブを、よもや後世のアーティストたちが、まさにベースシンセとして使い、かくしてベースミュージックというジャンルまでをも創出することになろうとは。
LA 音源も同じで、PCM 波形を使うわりにストラクチャーなど複雑な仕組みになっているのは、やはり自由度を高くもつことで、柔軟な音創りを可能にするためであった。 よって、のちの D-70 や JV-80 以降の単純な PCM 音源だと、リアルな音は作りやすいが、シンセならではの音色はなかなか生み出しにくい。リアルな音への需要は大きいので、PCM 音源が主流になるのは時代の必然ではあるが、いやしくもシンセメーカーを名乗るなら、傍系でもいいから LA 音源も残しておいてほしかった。
無論、せっかくがんばって冒険した JD-800 が売れなかったがゆえの、恐怖心があったこととは思う。よって JV シリーズという安全パイな中堅機種シリーズへ傾斜したであろうことは、想像にかたくない。 だがそれでも競合のコルグは、PCM サンプルプレイバッカーの代名詞ともなる M1 で圧倒的勝利をおさめながらも、WaveStation という、売れなかったが音創りにこだわったシンセも出した。それも初代無印、A/D、EX、SR と代を重ね、しばし間を開けてから prophecy、Z1 へと、ストイックに音創りの夢を追い続けている。ワークステーションシンセで当てまくっていたという安心感があったからこそとはいえ、かりそめにもシンセメーカー、やはり技術的にシンボルはたいせつ。 だからこそ、ローランドが LA を捨てて PCM のみに走ってしまったのは、売れたであろうが残念である。
シンセは、リアルな音を出すものではなく、理想の音をつくり出すためのもの。 そのために、写実派のサンプリングではなく、印象派のごとく本質を捕まえつつ自由度が高いシンセサイズの道を選ぶ。それがシンセメーカーとしての矜持のはずであった
そして、カワイ K5000 シリーズもまた、そのために原点に立ち返り、倍音加算合成によって森羅万象を、写実派 PCM ではなく印象派の AA 音源で実現しようとしたのであろう。
最初はコルグ DWGS 音源のまねをするところから始まった音源方式も、やがてコルグやローランドの正統派な後継者を、もくろむようになり、しかも LA 音源よりは単純化されたカタチで、その代わり壮絶に愚直なパラメーター暴風雨で。 そのための、シンセ独立宣言、リアルさばかりを求める旧弊と束縛からのシンセ自由共和国独立宣言、それが前述のキャッチなのだ。
残念だが、これを、たましいをこめて説明できる営業は、未だ、いないであろう。
そして、内蔵シーケンサーにあった APG 機能。
ドリマトーンなどの電子オルガンのリソースでもって、ワークステーションシンセに新機軸をもたらそうとしたのであろう。それはまるで、自動運転するクルマのプロトタイプのようでもあり、このあと実に5年後に出てきたコルグ KARMA と、アプローチは違うも、目指すところはかなり近い。
そして、ユーザー独自のスタイルデータを読み込めば、永遠にあたらしいジャンルの楽曲を、しかも効率的に量産できる。 かつて K3 が、アコースティック楽器に由来��る多くの音源波形の中で、1つだけユーザーに開放し、自由に自作できるようにしたように、K5000W では、おびただしい数の既存ジャンルに由来するスタイルの中で、2つだけユーザーに開放し、ユーザーが自作・入手したスタイルデータを読み込めるようにした。 あたらしいジャンルを切り拓き、それに永遠に対応しつづけ、永遠にあたらしい楽曲を、しかも機械に補助してもらいながら生み出し続ける、原始的な AI 作曲支援ツールすら将来への展望にいれた存在、次世代ワークステーションシンセ、それが K5000W のはずだった。
K5000 シリーズは、Ver.3.0 からエディターソフト emagic SoundDiver を一緒にくっつけて出荷されるようになった。なだれをうって攻め込んでくるかのような膨大なパラメーターを制するには、やはりエディターは便利。
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だがそれがアダになって、本体だけではエディットできないシンセであるかのごとく、誤解された向きもあるやもしれない。
この当時、ローランドの XP-80 / 60 / 50 / 30 / 10 は非常によく売れていた。業界で唯一 64 音ポリもあり、しかもエクスパンション・ボードによるライブラリービジネスが成功したためである。コルグにいたっては、渾身の自信作 TRINITY が海外で XP シリーズに敗北したためショックを受けたという。
カワイ K5000 系は、最高のコスパながら 32 音ポリ。APG など意欲的かつ GM のような互換性も重視しながら、スタイルデータを必要としたり、コード認識機能があったりするため、欧米ではアレンジャーキーボードと混同される向きもあったらしい。そこはのちの KARMA と似ている。
孤高のシンセ、孤高のワークステーション。
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だが、最大の敗因は、そもそも営業がもはや売る気が��かったためなのかもしれない。この当時のカワイは経営不振が続いており、株価も百円くらいにまで落ち込み、まるでモチベーションがあがらなかったという。日経新聞をひらくと、株価のページにてローランド、ヤマハ、カワイが並んでいて、いっつも公開処刑であった。 もはやいいものをつくるだけでは、売れる時代ではない。商品力は必須だが、最後はやはり、人ですよ。
1998 KAWAI MP9000 1998 KAWAI K5000S  16 万8千円 → 14 万8千円 1998 KAWAI K5000W  21 万8千円 → 17 万8千円 1998 KAWAI K5000R 12 万5千円 → 11 万5千円
K5000 シリーズ用に、Ver. 4.0 Power Sounds がリリース。
K5000 の売れ残った在庫一掃のためなのか?
新しい音色を追加に追加を重ね、最後は値下げまで行い、キーマガに「こんなにワークステーションが安くていいんですか? いいんです!」と、当時の人気テレビ報道番組ニュースステーションでのセリフまで借りた広告を打ち、安売りキャンペーンでもって、K5000 シリーズは華々しく終わった。翌年の夏までには、在庫がなくなっていたらしい。
MP9000 は、デジタルのステージピアノである。 K5000 Ver. 4.0 と安売りが始まった年の十月、アコピと同じ、長ーいハンマーアクション鍵盤を採用したデジタル・ステージピアノとして発売。非常にピアノライクな鍵盤タッチで、評判となった機種。
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そして、やっぱこっちのほうが売れる!となったのかもしれない。その後、MP シリーズは脈々と続き、今も MP11SE、MP7SE、超贅沢なソフトピアノ音源用 USB コントローラー VPC1 に引き継がれている。
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1999 Shigeru Kawai Piano
グランドピアノである。それもアコースティックの。最高峰の。 当時の河合滋社長が「期は熟した」と言って開発させたという。 これ以降、同社はピアノに専念。アコースティックもデジタルも、ともにピアノにフォーカスしている。
写実から印象派へ、という河合シンセの実験は、ここに終わる。 印象派から写実へ、という河合デジピへと回帰するのである。
いかに既存楽器の束縛から自由たりえるか、という河合シンセの実験はここに終わる。そして、いかに既存のアコピに似ているか、という逆のベクトルへ向かうことになる。電子テクノロジーを、既存楽器の模倣へと使う。たしかにユーザー層はシンセよりも遥かに多いであろう。 つまりそれは、発散から収斂へという、180 度の方向転換であった。
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真面目すぎたかスピンナウトした因縁の意地の張り合いか ’90 年代までの一時期ヤマハと訴訟合戦し、株価百円どん底だったが、訴訟合戦は双方が取りやめて妥協、今や中国でヤノピ売上うはうは、株価は 4,000 円近く、ショパコンのファイナルで使われるグランドもカワイである。
4.結
ゼロ年代、Virsyn というソフトウェア・メーカーからサイン波倍音加算合成によるソフトシンセ「CUBE」が出たが、そのとき欧米人のスタッフが、でっかいパソコン画面での精緻なグラフィック表示を操作してみせつつ、 「これで加算合成もやりたい放題さ。カワイの、ケイ・ファイヴサウザンドなんて、ナイトメアだったろう?」 と、にたーっと笑っていた。
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たしかに、倍音加算合成というものは、パラメーターが多すぎて、ソフトシンセでグラフィカルに表示させたほうが音創りしやすい。K5000 にも、途中からエディターソフトがついてくるようになったし。
それでもなお、K5000 がめざしたもの。
K3 にて、コルグ DW-8000 から倍音加算合成を学んだ上で、ユーザー自作波形も実現。 K1 にて、ローランド D-50 から PCM とシンセ音とを組み合わせた部分音合成を学んだ上で、画期的なコストダウンを実現。 K4 にて、コルグ M1 から PCM 波形をデジタルフィルターを通すことを学んだ上で、レゾナンスも実現。 K5000 にて、再びのローランド D-50 から、写実を捨て印象派による奔放なシンセサイズを学んだ上で、格段に大きな自由度を実現。
モノマネだけではない、そこには他社が一歩およばず捨ててしまった道を、さらに突き進む求導師の姿があった。
K5000 がめざしたもの、それはリアルさばかり求める既存の楽器に囚われた偏狭なる楽器業界への、カウンターであった。ヤマハもコルグもローランドも、けっきょくは PCM 音源のみに走ってしまった中、シンセはそんなことでいいのか、今一度、写実派ではなく印象派こそが、シンセの本分、本質、本懐、リアルよりも理想の音色、それこそがシンセがめざすものであり、そもそもシンセが生まれた理由ではなかったか、そう異議申し立てしたのが、カワイであり、その反撃こそが K5000 であった。
その問いは、永遠にあたらしい!
さらに、K5000「W」
APG という、自動作曲の曙光を見せた内蔵シーケンサー。それは DAW に比肩する多トラックと編集機能とを装備し、なおかつさらにその先を、進化の先には AI がいることを見据えた設計思想であった。ユーザースタイルでもって、永遠にあたらしいジャンルの曲が制作できることは、すなわち、微小規模ながら機械学習のあけぼのとも言えなくはない。
K3 では、あたらしい音源波形を自作できた。そこから、ちょうど十年。 K5000W では、あたらしい楽曲を量産できるようになった。歴史は繰り返すとは、言わば時間軸上のフラクタル。時間軸上の構造。
そして楽曲もまた構造であり、構造を具現化するのが K5000W 内蔵シーケンサーであり、APG であり、それを側面支援するのが、河合楽器ならではの高精細な GM 音色であった。GM は音作りのためではなく、曲作りのために生まれたプラットフォームなのだから、音楽制作には、うってつけ。
印象派の音源方式と、逆にリアルな GM バンク、そしてそれらを演出してオリジナルな楽曲を量産する原始的な AI みたいな機能、それを搭載した大規模シーケンサー。そこから生まれたであろう、あまたの曲。
写実よりも印象派をめざしたのが K5000 なら、K5000W は、それに立脚して機械化作曲をめざした孤高のワークステーションシンセであった。 とらわれない独創的な音楽制作を夢見たエンジニアが、K5000W を生み出したことであろう。音楽とは何か。構造とは何か。制作とは何か。
その問いもまた、永遠にあたらしい!
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今ひとつブレイクしきれず、本流にはなれなかったものの、根強いファンがいるカワイのKシリーズは、その点でもテスコのビザールなギターと、ちょっと立ち位置が似ているのかもしれない。 テスコのたましい、いつまでも。個性的な音色をもとめたピックアップ加算合成が、個性的なシンセシスの源流なのだろうか、と、夢想することは楽しいものである。そして先進的な、AI 的な楽曲制作機能は、メルヘン楽器ならではの底力だったのかもしれない。
なお、76 鍵の K5000X という、まぼろしの機種もあったという。
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謝辞; 「カワイKシリーズ、特に K5000 について書いてください」と、ご要望してくださった「お座敷テクノ @ozashikitechno」さん。 氏は、私に初めて「この機種について書いてほしい」という、リクエストをくださった人。在野の学者ライター冥利に尽きます。
GM 音源に関する知見をもたらしてくださった「みんみさん @Shion_Type」さん。氏の含蓄がなければ、GM 音源は私にとって音創りしてもつまらん音源で終わってたころでしょう。
そもそも K5000W を貸してくださった地球を眺望する親愛なる同僚 KN。 なお、私が撮影した以外の写真は、すべて引用です。
Copyright (C) 2020 by NemoSynth a.k.a Nemo-Kuramaguchi All Rights Reserved
Revision log; Preliminary edition posted on Jan 5th, 2020 Full first edition on Feb 18th, 2020 Q-80 Sequencer added on Mar 7th, 2020. 
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um0707 · 5 years
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人類の半分は女だぜ?
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▽7/21(sun)
高校の同級生4人で集まった。ふたりが水着を買いたいらしく付き合った。まるちゃんが「やばい!腹出る!ほんとうにやばい!」と大騒ぎしていた。まるちゃんは彼氏とプールの予定があるらしい。こんなに悩んじゃってほんとうに可愛いな~!こういうところを彼氏は知らないんだろうな~!知ったら愛しさ爆発しちゃうよな~!
昼ごはんを食べて一軒飲みに行った。16時から街コン。まるちゃんも誘ったけど「行きたいけど彼氏おるし罰が当たらんかなあ」と後ろめたい気持ちがあるらしかったので3人で。
街コンは男女合わせて20人弱だった。回転寿司からのフリータイム。面接みたいになる人とか目すらも合わせない人とか、キャバクラか?って感じ。
カップル発表があってせっかくなので適当に記入した。めーちゃんは白紙で出していた。みずちゃんもわたしと同じで適当に記入していた。「せっかく来たんだから!」って。
わたしもみずちゃんもカップルになった。笑いすぎてお腹が痛かった。「うみなんであの人?!」とめちゃめちゃ言われた。知らんわ。適当だもん。
会場を出たら待ち伏せされていた。「また連絡します~」と大嘘をついてトイレに逃げ込んだ。収穫なし。カップルになった!今日はこ��でおしまい!その日限り~
夕方居酒屋に入った。
「みずちゃんこの後予定は?」
「19時半から彼氏候補2と会うことになったわ」
「わたしは19時から頭のいい男の子と会うわ」
「めーちゃんは?」
「何もない」
「「最低でごめん」」
お金を渡して店を出て頭のいい年下の男の子に会いに行った。緊張していた。
♡2019/08/01/13:09
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chaukachawan · 6 months
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115ccの役者紹介
梅本潤
さぁ舞監から広がっていく
ダークユーモアがなびくパンデミック
ビッグなその頭身で守れると信じてる
おいどうした第二回通しで
上げきれなかった脚?
洗い出したダメの嵐?
気の済むまで叫ぶ「反対」の意
日野悠真で飾る有終の美
かの
時々稽古場に現れてた
とき同期に軽くあしらわれてた
笑う声も顔もまるでお嬢様のようで
どこかのデカいだけの五条とは違うようだ
ただ一つ たった一つ
僭越ながら言わせていただくとすれば
近未来ミイラは「ちかみらい」じゃないから
近鉄だって「ちかてつ」じゃないから
黒井白子
声よし顔よしキャスパよし
下ネタ以外は基本よし
歯に衣着せずにちゃんと言うとこも
はにかむ笑顔も全部好き
怒り?落胆?強盗じゃねぇか!
全ての感情で場を支配する
遅刻?落単?上等じゃねぇか!
抜けてるとこさえ僕が愛する
統括のフォーニャー
「あー」とか「じゃー」とかそんな
女に二言は無いから
アーニャ・フォージャーから
消し去った故のフォーニャー
演補が2人と言ってはいるけど
実際9割くらいは先輩
シゴデキギャルネキアカルイメイク
ヤサイマシマシメンカタメ
佐々木モモ
the 座長っていうか
超 座長っていうか
とにかく笑顔と優しさが
座長を座長たらしめている気がする
ポテトチップスみたいな愛されフレーバー
ってまぁ、そっちの湖池やないけど
いっそ座長の明るさにあやかるびー
とりあえずピザポテトって500回言って
ミル鍋
霊C、アイ、と来て同じ稽古場
嬉しい、毎度演技では定評が
あるセンスと京都と熱量だ
同じ場にいるだけで盛り上がるわ
全てを統べるディレクターという
ちょっと難い辻井普通に様になってるし
新人の仮チラもおかげ様で
秋公で挟めましたお疲れ様
見光一雲
舐められちゃいない
後輩への愛があるだけ
広範囲への涙も笑顔も
悪戯っぽく神授していこうや
「ひっでぇ」の最初のHが消えるいつも
それでも直向きな努力が見えるいつも
本番でびしっとキメる瞬間はまるでツモ
脚本演出演技オールマイティ見光一雲
コン
塩っぽい男かと思ってたら本当は
ノリ良くて甘い雰囲気も持つ人
演技全然アドバイス出来ずに申し訳なかった
というか既にコンちゃんの演技が好きだった
会話の途中にまっすぐ見つめる目
客と演者の視線を集めるぜ
僕の輝きなんてコンの1/3程度
どうしてとか言わずに今後も見習っていくけど
たぴおか太郎
ぴょんぴょん可愛がってくださりありがとう
指と時間を溶かした甲斐があった
完成したふわふわなテンション
何度でも見たくなるテンプテーション
毛色の違う本を2冊持って帰ります
でもそのほうが演出的には助かります
鋭敏な衣装と幕の人
海老名意匠凝らすのすこ
Aru=R
オタクだとかヲタクだとか
御託並べも拒まれるほど
それくらいに優しくって
父属性の先輩
僕らの被害を直接受けるが
ホバさんの声のおかげで客にウケる
口から空気をたっぷり吸い込んで
空を飛ぶ代わりに叫べ「君たち」
苔丸
はじめに言っとく「ええ加減にせんか」
さいごに言っとく「ええ華幻にせんか」
複雑な心境の会社員でも
輝く笑顔はサンシャインのよう
とっくのとうに分かってたけど
思ってた通り似合ってた衣装
ダサいの対極バシッとキメる
太宰で惚れさすイケた苔丸
水琴冬雪
水清けれど魚が棲む
琴線から奏でた音がする
冬の大三角 おおいぬではないけど
雪解けまでのシリアス 感動+α
9割9分演出 一部出演
いやこれは役者にはノーカウントか?
スタンバイから始まるの カウントダウン
土壇場今だ走り抜けろ タウリンも待つ
アリリ・オルタネイト
アレンって代わりおるかね?いや
あれはイルルさん以外ありえんな
ミルクパズルも妬くほど
ピタッとハマる役
スラスラすら玉に瑕
スタスタスタイリッシュレディ
日本語ノート開けば専門用語
睡眠の不足故にdisappoint
ベジはむの残留思念体
ゴンザレスのベジータベジ子から
舞台上の先輩に惹かれたトリコが
今目と目合わせ取り留めない
アドリブを共にしている
クセになる濃い味スパイシーチキンじゃないけど
制作のスパチとしてはミートれてしまうほど
頭も身体も柔軟すぎてレノア要らず
尊敬しつついつか超えたい俺のライバル
しょこら
よっこらしょっと重い腰上げ
とっとと行くぜ今宵幕開け
航空機で飛んで空穿て
この空気笑いで包むだけ
多忙だがぼーっとしてはいねぇ
可能ならNOとは言いたくねぇわ
丹田が痛んでんだ努力の分だけ
本番も叫んでんだ心ゆくまで
近未来ミイラ
役者紹介書けんと時間だけが過ぎてく
困りに困った挙句韻と���団駄だけ踏んでる
原付でも華幻でもいいけどここに居られることが
幸せだなって思いましたみんなありがとう
劇団ちゃうかちゃわん タクラマカン
砂漠の中のオアシスみたいな
客の心の拠り所がいいな
最後にみんなで揃って見たいな
幕とカーテンの隙間から浮かぶ華幻の月
みーら
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metphoryou · 4 years
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12.25
今までのタンブラーは削除やログアウトをして新しくした。心機一転。見たくないものは見なくても良い。思い出さなくても良いものは思い出さなくても良いと思った。今日は星野珈琲店で豆乳はちみつ飲んできたけど、体にはよいと思って飲んだ。ちゃんと全部飲めたけどもう飲まないかな。思い出に浸るために使う時間やお金や生きている命を削るよりも新しいことに目を向けて前向きにとらえることにした。仕事にしろ、私生活にしろ。今が全てではないし、点が線になるように日々努力や感謝をしていく必要があると思った。そこで今までの過去2年間ぐらい?の記憶を全て覚えている限り書き出し、自己満足にすることにした。
①2年4か月付き合っていたが、遠距離や病気も支えたつもりだったが、一方的に直接会わずにLINEで別れを切り出され、どん底に陥る。拒否したが相手の気持ちは変わらなかった。大泣きしながら友達に電話をし、落ち着きを取り戻したが、やはり一人になると今までの自分がなかったもののように狂いだし、2週間ごはんがまともに食べられず、気持ちが不安定だった。どうしたら良いのかわからず復縁の本を買ってみたり、サイトを何度も確認したりしたが日常は変わらず、バスは動いているし、時間は経つし、ようやく気持ちに整理がついた2週間後。家にいたくなかったこともあり、ジムに通い始めたり、街コンに行くことにした。
②まったく期待はしていなかったこと、初めてだったので少し怖かったことがよく記憶にあるが、目の前に座っていた3人とその後連絡を取ったり、ごはんを食べたりした。しかし、サイコパスにあったり、告白されたりと、したこともない経験がたくさんできた。ありがたい。この経験がなかったら私はどうなっていたかわからん。また同じ失敗を繰り返してしまうことになったであろう。追いかける女になってしまう。貢いでしまう女になってしまう。(貢がないよう占いで言われた)同じ失敗はしたくない。
③もういいかなと思っていた矢先、友達の同級生を紹介してくれることになり、会うとなんだか安心したり、気持ちが安定しはじめる。同級生だいうだけでなぜこんなに落ち着くのだろうか。自分が自分でいられる。たとえば、もちろん彼が好みの服装を心がけるが、同時に落ち着こう、もう少し大人になろうと自分も思えるようになったのでシンプルかつ、自分の好きな恰好ができるし、(以前は目の前のことしか見てなかったり衝動的だった、今思うとかなり悪循環。)
④結論として、自分が自分でいられたり、成長できたりある程度の気遣いができる人でないと自分も見返りを求めてしまうし、よくないと思った。また、学んだこととして、良かれと思ってやったことが多かったが、それに見合わないことが起きてしまうと自分がショックを受けるのでやめました。また、自分の時間をもったり、返信も焦らずよく考えてから送るようにすることで一呼吸置いた状態が保たれるので冷静になれました。結婚を焦っていたけれど、人生80年。墓も一緒かもしれない相手のことを一時の感情だけでは決められないと思ったし、お金もためなきゃいけない、不要なものの処分などやあるべきことがたくさんあったので、まずは自分のことをやってから考えるべきだと思いまいした。また、料理が気分転換になるので料理を頑張ることにしたら片栗粉は固まらずに料理できるようになったり、油の量が多すぎずにフライパンにひけるようになった。ジムに通う事で体型維持をしたり、健康にも気を遣うようにもなった。よってメリットばかりのジム通い。というより、だいすきな相手がそうさせてくれているのかもしれない。感謝。いつもありがとう。すべてのことはつながっている。全て意味のあることであり、自分を成長させてくれていることばかり。無駄でないこの時間をできるだけ一生懸命に過ごし、これでよかったとも思えるように生きたい。今日の努力は未来の自分が喜ぶ。ここに書いて文字に起こしたことは振り返るのに重要であり、前向きになれる。
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