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#暮らしの寺子屋様どうもありがとう
naganumapiano · 1 year
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どうぞのいす ある方の素敵なご提案から生まれた椅子。 難儀して居る人を見ると助けたくなる性分らしく、お店の前のバス待ちのご老人達がバス待ちの時間難儀して居るのを心を痛めて見ていたらしい。 ある日、絵本を持ち込んで「こういう椅子、置いてみませんか?」と提案されました。 実際探して見ると絵本と同じデザインの椅子は子供用でとても大人の体重は支えません。 壊れて怪我でもさせたら大変です。 ようやく頑丈な長椅子が手に入りました。 これなら大人3人が腰掛けてもびくともしません。 子供用の椅子は看板立てにしました。 看板を書いて提供してくれたのはモスガーデン(卵屋さん)の山口さん。 色々な方の無償の善意でできて居るって素敵ですよね。 #長沼 #カフェ #どうぞのいす #うさぎちゃんじゃなくてオッさんだけどね #原作は可愛いうさぎちゃん #お店の本棚に有ります #ご来店の際は見てみて下さい #暮らしの寺子屋様どうもありがとう #モスガーデン様どうもありがとう #カフェピアーノピアーノ #blog (Cafe Piano piano カフェ・ピアーノ・ピアーノ) https://www.instagram.com/p/ClTEFm3Jslp/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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sukobi · 7 months
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天王寺レッサーは、シュウナ様とメルくんの関係性がおもしろい。実際に見たことはないが、インスタで投稿されているお写真からもいろんなドラマがうかがえるんだ。
シュウナ様がだいすきなメルくん。猛アピールしても、歳の差故か全く相手にされない...。
近づくと怒られるので、シュウナ様が眠っている時に側へ行っていっしょに寝ていたりする。健気なんだ...
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helloharuo-diary-2023 · 2 months
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茶畑庵→新松戸→水道橋→Motown→蒲田
Saturday 1 March 2014
今日坐禅会は、禅寺の都合でお休み。真観は、始発バスに乗って東京へ向かった。バスが新宿に着きその後山手線に乗り日暮里駅へ。常磐線に乗り換えて新松戸駅へ。余裕で到着したのでマクドナルドで暫し休憩。今日は撮影日。撮影は身体障害者の方だった。中々いい表情が撮れなかったが一瞬の笑顔を逃さず撮影出来た真観。その笑顔の写真を最後に撮影は終了。
スタッフと別れ1人東京のオフィスに戻る真観。帰りは、日暮里駅から秋葉原駅に移動し総武線で水道橋駅まで。オフィスに着くとUさんはまだ来ていなかった。機材をオフィスに起きてランチを食べに餃子の王将へ。餃子とミニ天津飯を食べる。531円也。Uさんといつも水道橋で食事をするがUさんは餃子の王将はガヤガヤとうるさいから好まない。真観は、1983年の上京以来お世話になっている。
オフィスに戻るとまもなくUさん登場。そしてOさんも登場。この3人でおしゃべりすることがオフィスでよくある。話題の一つは、Oさんが撮った真観のポートレイト写真。その写真を真観がFBにプロフィール写真として公開すると結構な数の「いいね!」を頂いた。そのお礼をOさんにしながら真観は。自分の考えたことを2人に伝えた。
今日3月1日は、坐禅会に参加して1周年になる日。 昨年の3月から7月までの4ヶ月FBを休止し再開するに当たってすべての友人のフォローを一旦止め真観の投稿記事に対して反応をしてくれた友人からやり取りを始めた。その後、自分からフォローする友人も少しずつ増やして行った。これはSNSのコミュニケーションから振り回されることに対しての苦肉の策だった。そして今日の朝、晴れて真観はFB上の友人(610人ほど)すべてをフォローすることに決めそれを実行した。これは坐禅の経験から得た回答だった。
夕方になりUさんと2人で新宿で開催されている真観の生徒の写真展に赴いた。この週末又雪が降るのではないかと懸念されていたが小雨止まりであった。水道橋駅から四谷駅、四谷駅から四谷三丁目駅に電車で移動。その後は写真展まで小雨の中歩いた。真観はよっぽどの大降りでないと傘は使わない。写真展は、「Motown』と題され愛知県の豊田市をテーマにしていた。真観のクラスの生徒なので作品内容は知っていたが改めて展示された写真たちは展示用に再プリントされまた違う顔を見せていた。写真は、4x5ネガフィルムで撮影されていて生徒自身でプリントしていたが印画紙が以前と変えた様でコントラストがあり見栄えが良い写真になっていた。Uさんも一通り写真を見て生徒に感想として展示レイアウトについて助言した。このテーマを今後彼が続けて行くかどうかは分らないが1年続け2年続け10年続いた後に同じギャラリーで同じ枚数の写真を展示すれば印象は当然変わって来る。この生徒に対して学校の先生方の期待は大きい。でも期待など全く意味がない。これも坐禅をして得た回答の一つ。ただやる気があるならこのテーマ続けるがよろしい。それだけだ。
写真展を後にしてまた小雨の中歩くのもなんだとタクシーを拾うことして信濃町駅に移動。今夜は、Uさん宅にお泊まりするので蒲田駅までさらに電車で移動。Uさん宅はこれで2回目の訪問となる。蒲田駅に着いてから駅ビルのレストラン街で麦とろ定食を食べる。近くのテーブルで酒を飲みその勢いで声の大きい2人組がいたがやや不快だった。仕方ない公衆の場だ。でも食事は美味しく頂き麦飯をご飯茶碗に2杯食べた。食事の後Uさん宅まで歩く。途中Uさんは酒屋でワインを1本と干しホタルイカを購入。
Uさん宅に着くと家猫のニーチェがいるのだが今夜は真観を警戒して顔を見せない。初めて訪れた時は膝の上に乗ったんだがなぁ。ニーチェにとってはいい迷惑かもしれない。だとしたらごめんよ。でもそれも分らない。分らないなら放っておけばいい。
Uさんとの語らいは、まるで先生と生徒の様。Uさんは惜しみなく真観の疑問から様々なキーワードを与える。真観は、メモを書き込むためペンとノートを用意した。
苦海浄土石牟礼道子>森崎和江全共闘運動のスローガン「連帯を求めて孤立を恐れず」谷川雁キリスト教原罪塩狩峠三浦綾子氷点内藤洋子ビッグバンライプニッツウィトゲンシュタインヒットラー血盟団事件唐牛健太郎60年安保の全学連委員長吉本隆明田中清玄児玉誉士夫渡辺芳則組長・・・
2人でワイン1本飲み干したら深夜1時になっていた。楽しい夜になった。真観は、1月に亡くなったUさんのお母さんが使っていた部屋で寝た。
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tutai-k · 1 year
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旅の記録
12月3日~4日、友人と鎌倉・江ノ島旅行をする。
鎌倉文学館で没後35年特別展、澁澤龍彦・高丘親王航海記の展示があったので、鎌倉へ行こうと計画をしていたところ、友人が声をかけてくれて、ひとり旅でなくなった。
ひとり旅だと、どうしても鳥を探したくなって重いカメラを担いで、ワークマンの服を着て出かけることになる。鳥を撮影するようになってから、文化財を巡るような「旅」とは疎遠になっていた。
旅のルートは、 一日目 北鎌倉・浄智寺(澁澤龍彦の菩提寺)―鎌倉・鶴岡八幡宮/大河ドラマ館/鳩サブレーで有名な豊島屋のカフェ「置石」/クルミッコ/桜貝アクセサリー店/鎌倉文学館 二日目 江ノ島(特にどこという予定は決めずに江ノ島とだけ決めていた)
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・北鎌倉 浄智寺 北鎌倉で待ち合わせをした。そのまま浄智寺へ。地図を見なくても、なんとなく歩いて行けばたどり着けた。 人生で一番通っている寺というのは、どう考えても地元の檀家になっている寺だが、そのつぎがたぶん、東大寺だろう。地元の友人とよく奈良へ行くし、奈良は鳥がたくさんいるので、バードウォッチングを始めてからも何かにつけて出かけている。だがその次は?となるとおそらく浄智寺ではないかと思う。 そんなに通っているのに、じつは一度も澁澤龍彦の墓にたどり着いたことがない。浄智寺は、拝観料が必要な文化財としての寺だけれど、檀家もいて、お墓があるのだ。それはつまり、地元のひとびとの暮らしと地続きの場所で、そこを、ただ澁澤龍彦のファンであるというだけの自分が「墓参りに来ました」と言っていいものか、というのをずっと迷っていて、聞けずにいて、見つけることができなかったのだ。 だが今回、どうしても澁澤に報告したいことができたので、澁澤の墓前に立ちたかった。寺の受付のひとに聞くと、わかりづらい場所にある、と言いながら親切に教えてくれた。いままでたどり着くことのできなかった墓前にたどりついて、いろんな報告をした。 澁澤にしてみれば赤の他人が急に墓にやってきて、あなたのファンです、やっとここまで私の人生がたどり着きました、なんて報告をされても知ったことではないだろうと思ったが、人生の一つの区切りとして訪れることができてよかった。矢川澄子は岩波の校正員時代に、龍子さんは芸術新潮の編集者のときに、澁澤と出会っている。 御朱印をもらって帰るとき、そのふたつ前のページが、以前訪れたときの浄智寺のものだった。文化財から足が遠のいている自分を発見してすこし苦々しく思う。
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・鶴岡八幡宮/大河ドラマ館 カモメが群れになって飛んでいた。七五三の子供がたくさんあるいていて、成人式の前撮りの人たちもいた。 今期の大河ドラマを見ていないのでついていけるかどうか不安だったが、楽しそうにする友人を見ているだけで楽しかった。映像資料やジオラマ、体験コーナーなど、ドラマを見ていない人間でも楽しめた。舞台セットの時代考証の映像がとてもよかった。 ハトがたくさん歩いている。
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・クルミッコ/置石/桜貝のアクセサリー店 前回鎌倉旅行をするときに、地元の友人に「クルミッコ」というお菓子がおいしいと教えてもらった。そのときはお昼過ぎに店舗に立ち寄ったのだが、行列ができていてなかなかお店に入れなかった。「並ぶんだよ~」と言いながらお店にいくと、列ができていない…。もうクルミッコブームは終わったのか? とお店に入ると……クルミッコ、売り切れていた。まだおひるすぎだというのに。 置石へむかう。エクレアサンドとチョコレートパフェをたのむ。紅茶がとてもおいしいと友人が教えてくれたのでそれも注文する。紅茶はとてもおいしかった。そして……チョコレートパフェ、800円という金額なのにとても巨大だった。エクレアサンドを食べたあとに食べるサイズではなかった。ふつう、コーンフレークがいるところにおそらくは粉砕されたハトサブレが陣取っていて、それがとてもおいしかった。巨大だったが、おいしかったのでつるっと食べられた。 その後、桜貝のアクセサリー店へ行くまでに、鳩サブレー本店にたちよる。鳩サブレーグッズを買う。ここも行列。宿で食べるおやつに矢口餅を買う。大河ドラマに登場した餅らしい。何も知らずに求肥に釣られて買った。 桜貝のアクセサリー店も長蛇の列だった。列に並んでいるあいだ、「桜貝ってわれわれでも拾えるのかな」「由比ヶ浜にいくから打ち上げられてないかな」などと話をし���いたら、前に並んでいた人が、「六時半くらいに行くと拾えますよ」と拾った桜貝の写真を見せてくれる。早起きして桜貝探しをすることを誓い合う。 どれもかわいくて迷いに迷って、桜貝のヘアピンを買う。
・鎌倉文学館 鶴岡八幡宮の門前町を楽しみすぎて、文学館が16:30閉館なのにたどり着いたのは16:00だった。高丘親王航海記の展示を見る。こぢんまりとした展示だったし、見たかったのは創作メモだけだったので、そこだけ重点的にみる。三島の影響を感じる部分などある。 リスが木を歩いていた。鎌倉にはたくさんリスがいると警備員さんに教えてもらう。宿までの道すじでもリスがいて、うんこされる。
二泊目
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・由比ヶ浜 約束通り6時に起きられたので、6時半に由比ヶ浜に到着する。もうサーファーが海にたくさん入っていておどろく。 桜貝を探す。海で貝を探すときは、一点を見ない方がいい。とはいえ、タカラガイを探すことは得意でも、桜貝用の「目」ではない。一つ目を探すのに苦労する。それでも一つ見つけると目が慣れてぽつ、ぽつと見つけられる。メダカラを一つだけみつけるが、擦れていたので拾わずおいてゆく。桜貝に孔をあけるツメタガイも打ち上げられている。 「朝日曇っているから見えないのかなあ」と言っていたら、背後の山のほうから日が昇る。朝日はいつでも海からのぼると思っていたが、そうでもないらしい。
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・江ノ島 江ノ島へ行く前に、クルミッコへもう一度。開店直後にお店に到着したのに、お店のかげまで行列ができていておどろく。ほしかったカンカン入りのクルミッコが買えたので満足する。 江ノ電に載り江ノ島へ。 江ノ島までの道にたくさんお店が並んでいる。家族には「わざわざ江ノ島まで行ってしらすを食べなくても地元で食べればいいじゃないか」と言われながら出かけたのだが、しらすピザは地元にはない。絶対しらすピザをたべたいと言い続ける。 弁天橋から鳥を見る。見たことのない鳥だったのでコンデヂだったが撮影する。帰ってから調べるとカツオドリで、どうして重いからという理由でミラーレス×超望遠を置いてきたのかと後悔する。 江ノ島神社への参道には、貝を売る店がおおくある。夜光貝やナンヨウダカラを見てはほしいほしいと騒ぐ。 江島神社へ到着する。弁財天をまつる神社もある。わたしは弁財天を見つけると必ずお参りするようにしている。弁財天は芸能の神様なので、小説の上達を必ず祈ることにしているのだ。弁財天のお守りももらう。新しい仕事の鞄につけようと思っている。 山頂まではエスカーにのる。エスカー、ケーブルカーのようなものだと思っていたらエスカレーターだった。だからエスカーか……。 参道で行列ができていたタコせんべいのお店が山頂にもある。そこも行列ができていたが、参道ほどではない。生のタコをまるまる一匹、プレスして作るせんべいは、タコをおしつぶすとき、悲鳴が聞こえる。あつあつのを、トンビに狙われながらたべる。 シーキャンドルという展望塔に向かう途中、鳥のような鳥じゃないような鳴き声が聞こえる。近づいていくとリスだった。至近距離でも逃げない。奈良の鹿のように、鎌倉にはリスが多い。クルミッコにリスが描かれていることに納得する。 シーキャンドルにのぼる。眺めがよく、ずっと見ていられそう。富士山がとても近い。わたしたちの住んでいるところでは、富士山は条件のいい冬にしか見られないが、関東では天気がよければそうめずらしくないらしい。 念願のしらすピザをたべる。めちゃくちゃ大きい。鎌倉野菜としらすのピザだった。とにかく大きい。おなかがいっぱいになりながらそれでもおいしいので完食する。はじめてクリームソーダを食べる。おいしかった。窓からは湘南の海だろうか、海と富士山が見える。SUPのひとたちがときどき通り過ぎてゆく。
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電車に乗り、友人と別れる。 先週の横浜行きでは売り切れていた崎陽軒のシウマイ弁当を食べる気満々でいたものの、しらすピザが大きすぎて全然おなかがすいていなかった。崎陽軒のチャーハン弁当(シウマイが2コ入っている)と、真空パックじゃない方のシウマイを買う。新幹線で食べるつもりだったが全然おなかがすかなくて、帰りの近鉄電車で食べた。おいしかった。
コロナ禍に入ってからバードウォッチングをはじめ、神社仏閣をまわったり、博物館へ行ったり、素敵なカフェやお土産を探したり、観光地をぶらぶら歩く旅から遠ざかっていたので、今回の旅ではそれができたことがとてもうれしかった。 いつのまにか、旅=探鳥になっていたけれど、こういう旅を好んでしていたなあ……旅といえば、博物館や美術館を探し、神社仏閣を巡っていたのは、つい二、三年まえのこと。それなのに、なんだかはじめての旅をしたような心地だった。
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parkhabiomaster · 1 year
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ザ・パークハビオ
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江戸川区の最大の特徴は、区民の平均年齢が41.4歳と23区の中で最も若いことです。 これは、特に子どもの数が数字に反映されるためで、平成24年1月1日時点の東京都の市区町村別年齢別人口統計によると、0歳~14歳の人口比率は約17%を占めています。 私はここにいます。 国勢調査のデータによると、28.3%が既婚子持ち世帯、19.0%が4人以上の世帯、3.35%が3人世帯で、いずれも23区の中で最も高い。 合計特殊出生率は 1.45 で、23 区平均の 1.16 を大きく上回っています。 江戸川区といえば、東京東部臨海部の繁華街を代表する区の一つですが、太平洋戦争では大型台風の直撃や家屋倒壊など大きな被害を受けました。 . 海抜が低い地域と揶揄され、津波や洪水の危険性が高いことが懸念されています。ザ・パークハビオ
臨海部の住宅開発により、子育てしやすい区として多くの若者の流入に成功しています。 ディズニーランドに行きやすいところも、子育てファミリーの魅力の一つかもしれません。 支援制度は子育て世帯だけでなく、中高年向けの「家賃補助制度」や高齢者向けの配食サービスなども充実。 区内のスポーツセンターも温水プールなど設備が充実しています。 やはり海抜の高い地域が多く、自然災害のリスクが高いからです。 しかし、家賃が安いので外国人も多く住んでおり、国際色豊かな街です。 492haの広大な敷地を持つ葛西臨海公園は緑豊かで砂浜もあり、日本の渚百選にも選ばれています。 動物園併設の公園もあり、区内の公園面積は756haと23区の中で最大です。 水族館では魚も見ることができます。 区内を流れる江戸川や那珂川でも自由に遊べます。 荒川沿いには2003年に小松川千本桜、2013年には新川千本桜が完成し、多くの市民に人気の花見スポットとなっています。 江戸川区は若者の流入が活発ですが、江戸時代から庶民の街として栄えた長い歴史を持つエリアです。 江戸川区には伝統工芸品や特産品もあります。
江戸切子は東京都の伝統工芸品の一つで、主に江東区、江戸川区、墨田区などで作られています。 ガラスの表面に金の板や砥石を使って様々な模様を刻む技法です。 18世紀初頭頃から鏡、眼鏡、風鈴などの製造が始まり、明治時代に入るとヨーロッパの技術が導入・近代化され、東京の地場産業となりました。 2002年には東京都の伝統的工芸品に、2014年には経済産業省より国の伝統的工芸品に指定されました。 もうひとつ、江戸川区を代表する商品が小松菜です。 江戸時代の将軍が江戸川区の小松川村に鷹狩りに訪れ、小松菜の入った澄んだ汁を好んだことから村名がついたと言われています。 江戸川区は今でも作付面積第1位。 カルシウムや鉄分を多く含み、今や全国どこでも一年中食べられる野菜になりました。 現在、江戸川区がこの小松菜のブランド化に取り組んでおり、生で食べられる新しいサラダ小松菜が誕生しています。 近年、急激な人口増加により若い世代に人気の江戸川区ですが、治安面で不安の声も多くあります。 子供が多く、ディスカウントスーパーもあり、都心へのアクセスも便利という利点から、空き巣や強盗などの犯罪が多発しています。 長い間、江戸川区は北側を鉄道しか通っていない交通アクセスの悪さから「孤島」と呼ばれていました。 1969 年の東西線開通、1983 年から 1986 年の都営新宿線開通以降、この問題は徐々に改善されてきた。
現在、都心と千葉エリアを結ぶ東西線は完成していますが、区の南北を結ぶ鉄道路線はなく、交通手段はバスのみ。 バスの路線数を増やすなどの対策がとられていますが、1世帯あたりのマイカー保有率は23区内で5位であることからもわかるように、クルマは生活の必需品です。 杉並区は23区の西部に位置しています。 区名は青梅街道沿いに杉の木が植えられたことに由来するが、現在はそのような木はない。 杉並区は、関東大震災後、多くの人が杉並区に移り住み、郊外住宅地として発展してきました。 緑被率は23区で3位、人口密度は11位というデータを見ると、広々とした住宅が立ち並ぶ街であることが想像できます。 震災後に杉並区に転居した者のうち、富裕層は防災のため都心部には戻らず、杉並区にとどまり、広々とした邸宅を建てて優雅な生活を送った。 戦前から文人や画家など多くの文化人が暮らしてきた。 杉並区は、専業主婦の就業率23位、専業主婦率1位、シングルマザー率1位、離婚率23位、高卒大学進学率が高い区です。 . 東京の山腹を代表する住宅地の多いエリアです。 そして杉並区の魅力はそれだけではありません。 沿線には若者が多く住むエリアがあり、安くて魅力的なお店が並んでいます。
意外にもレジャーマダムだけでなく、若い人も多いです。 杉並区は専業主婦が多く、広々とした家で優雅に暮らすだけではありません。 杉並区に住む年齢層別の住民比率を見ると、18~29歳の若者の割合は男性4位、女性2位、全体では3位です。 中央線沿線の吉祥寺、荻窪、西荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺エリアに多くの若者が住んでいます。 個性豊かな雑貨店や古着屋、古本屋、ジャズ喫茶、ライブハウスなどが軒を連ねるエリアです。 生活しやすい大きな商店街もあり、乗り換えなしで移動できる新宿へのアクセスも非常に便利です。 昭和の高度経済成長期に生まれ育った人にとっては、広大な土地を持つ一戸建てが杉並の生活かもしれませんが、20代の若者にとっては、音楽や古き良き文化、 、 バラエティショップに囲まれ、毎日刺激を受けながら生活を楽しめるのが杉並の魅力です。 この2つの特徴が、杉並区が住みたい街として人気の理由です。この2つの文化がうまく受け継がれ、融合し、独自の杉並文化が生まれています。 現在、杉並区では音楽を通じたまちづくりに積極的に取り組んでいます。 設備の整った公会堂や毎年恒例の音楽祭など、音楽の街としての地位を築いてきた杉並区。
アニメも地場産業の一つと捉え、その発展支援にも取り組んでいます。 荻窪音楽祭は杉並区を代表する音楽活動の一つです。 21世紀荻窪考える会が主催し、クラシックコンサートを通じて荻窪のイメージアップに貢献してきました。 荻窪駅周辺の銀行、協会、音楽スタジオ、喫茶店など様々な場所で期間限定で音楽フェスが開催されます。 運営スタッフを募集し、ボランティアで開催しています。 無給のスタッフに加え、街のバリアフリー化や音楽祭開催のスポンサーを募り、音楽祭の資金を募っています。 区民が運営側と出演者に分かれて開催する荻窪音楽祭は、2016年で28回目を迎え、町おこしの一大イベントに成長しました。荻窪音楽祭の他にも、 もう一つの有名な音楽イベントは阿佐ヶ谷ジャズストリートです。 1995年のスタート時は、小学校の体育館や企業ロビー、ライブ会場など13会場で開催されていましたが、現在では60会場以上に規模を拡大。 音楽の力で街を元気にするために始まったこのイベントも、地元の有志によって運営されています。 全国に600のアニメスタジオがあると言われ、そのうち70以上がここ杉並区にあります。 杉並区にアニメ関連の企業が多く設立されたのは、自社の住居を確保したことと、交通の便がよかったからです。
杉並区は都心へのアクセスが便利なだけでなく、静かで広々とした緑豊かな環境で仕事に没頭しやすい環境です。 杉並区は、日本で初めてアニメを地場産業として位置づけ、その発展を後押ししています。 2014年3月には、線路下にアニメ関連のショップが集まった施設「阿佐ヶ谷アニメストリート」をオープン。 日本のアニメーションの歴史を紹介するアニメーションミュージアムも開館し、展示のほか、ワークショップやアニメーションの上映会など、さまざまなプログラムが用意されています。 アニメウォークという街歩きイベントも。 アニメーション制作者と視聴者が交流する場として、アニメーション産業の発展をサポートするイベントです。 練馬区は、1947年8月に22区制であった板橋区から分離して設置されました。 練馬区は、東京都の北西部に位置し、23 区の中で最も標高が高く、面積は 23 区で 5 番目、人口は 2 番目です。 まだまだ畑が多いことから「緑豊かな区」というイメージを持たれている方も多いと思いますが、区は農地だけでなく公園もたくさんあります。 緑の多い練馬では、農業が主要産業の一つです。 2013 年 1 月現在、農地面積は 240ha で、23 区の中で第 1 位です。 農家数も372戸と1位ですが、33%の農家が農地面積0.3ha以下、約4割が農家収入0~49万円、500万円未満です。 9割のデータを見ると、大規模な農業をしている人は少ないことがわかります。 1975 年に 746 ヘクタールの農地と 1,342 戸の農家があったことを考えると、農業が衰退していることは明らかです。 農業以外にも、練馬の知名度を上げたアニメがあります。
練馬区には、90 を超えるアニメ関連企業、大学の芸術学部、音楽大学もあります。 都心へのアクセスの良さ、緑豊かな環境、家賃の安さは漫画家志望者の求める条件であり、日本を代表する漫画家が次々と誕生しました。 農業では地元の特産品をブランド化することが多いですが、かつて練馬には練馬を代表する野菜である大根がありました。 練馬大根は江戸時代から盛んに生産され、明治時代になると日清戦争や日露戦争により需要が高まり、その名は国内外に知られるようになりました。 大正時代になると、首都東京に人口が集中し始めます。 この頃から、練馬地区は都心部の農産物の供給拠点となり、その役割は年々強くなっています。 最近では大根の生産も盛んです。 練馬の農業は、鉄道の開通により流通が活発化し、拡大期を迎えました。 練馬大根の最盛期は、明治末から昭和初期の約25年と言われています。 昭和の終戦とともに、それまで大根漬けの一大供給地であった軍部の解体により、大根の生産は衰退し始めます。
大根の収穫は大変だったので、農家は大根からキャベツに主力生産を移しました。 現在、大根は練馬ではほとんど生産されていません。 農地面積は、1975 年の 745.6ha から 239.8ha へと減少し、2012 年度には 3 分の 1 以下となった。 練馬区内の農家・農家数は、1975 年の 1,342 世帯・7,232 人から 2012 年には 498 世帯・1,075 人に減少している。 、ブルーベリーとブドウ、およびその他の植物の 3,549 ヘクタール。 平成23年度東京都土地利用面積データによると、練馬区の農地利用率は区総面積の5.1%で第1位。 23区で最も農業が盛んな地域ですが、全体として農業の規模は縮小傾向にあります。 農産物の出荷量や作付面積は減少していますが、練馬区ではこれまで培ってきた農業のノウハウや既存の人材を活かし、農業を観光資源として活用しています。 大都市東京に近いという利便性を活かし、練馬区には現在約30のブルーベリー農園があります。 農業を観光資源化し、他地域から多くの観光客を呼び込む練馬の生き残り策の一つとして注目されています。 また、小学校での総合学習の一環として、区内の田んぼや果樹園を積極的に小学校に開放し、次世代への農業振興を積極的に行っています。 小中学校での田植え、カキやキウイの選別、受粉・収穫、野菜くず・残飯などの体験を通じて、子どもたちの農業への関心を高める活動。 肥料にリサイクルされています。 日本のアニメーションは、その技術とソフトウェアの両面で海外から高く評価されるようになりました。
練馬区は、日本一のアニメタウンとしてアニメ発展の歴史に深く関わってきました。 区内のアニメーションスタジオが日本初のアニメーションを制作し、1963年にはテレビでアニメの放送が始まりました。 当時の漫画家や後に有名になった漫画家のほとんどが練馬区で働いていました。 現在でも90社以上の関連会社が練馬に集まっています。 練馬区では、区が主体となってアニメ産業を戦略的に強化するための政策を策定するとともに、多数のアニメ関連産業を誘致することで区内産業全体の活性化に向けた活動を行っています。 国勢調査によると、2000年から2005年までの中央区の人口変化率は135.7%、2005年から2010年までは124.8%でした。 どちらのデータも、日本で最も高い人口増加率を示しています。 これを見ただけでも、中央区がますます人で賑やかになっていることが想像できます。 また、2020年のオリンピックに向けて、晴海に選手村が建設され、敷地内に約6,000戸の住宅が建設されます。 江戸時代から現在に至るまで、日本の文化・商業・情報の中心地として発展してきた中央区は、今後も人口が増加し続ける日本最大級のメガシティとして君臨しそうです。 順調そうに見える中央区ですが、紆余曲折がありました。 現在増加傾向にある人口は、1960 年から 1980 年までの 20 年間で 16 万 1000 人から 8 万 3000 人に減少しました。失われた人口を補うために、区は住宅建設を促進するためのさまざまな政策を導入しました。 中央区は区内定住者数の増加に成功したものの、その生活を支えるスーパーマーケットなどの���業施設や、子育て世帯が望む大規模な公園が不足しています。 便利で住みよい街を目指した地域づくりが今後の課題と言えます。 中央区だけでなく、現在の千代田区や港区などトップクラスの23区でも入居者が減少。ザ・パークハビオ
この時期は「都市のドーナッツ化現象」と呼ばれた。 高度経済成長期と呼ばれる1954(昭和29)年から1973(昭和48)年は、急速な都市化の時代でした。 石炭から石油へとエネルギーが変化する中、東京湾沿岸には次々と工場が建設され、産業が発展していきました。 都市部の工業化が進み、所得が増加した結果、裕福な人々はより良い生活を求めて広々とした家に住みたいと思うようになり、郊外に一戸建てを購入するようになりました。 私はそうでした。 この時期、都心部の大企業のオフィスや工場が集中する地域から、快適な住環境を求めて人々が離れていった。中央区では1957年から人口が減少に転じた。 バブル期に入り、中央区の地価が上昇したことで人口はさらに減少し、2000年1月1日現在、69,695人にまで落ち込んでいた。 バブル期の終焉後、都心部の不動産が大量に解放され、比較的安価な住宅が大量に供給されるようになり、都心部に住む人が増え始めました。 これがアーバンリターン現象の始まりです。 中央区は1981年に定住人口10万人を宣言し、1988年には定住人口回復の年を宣言した。 続々と紹介されています。 これらの施策により、長年減少傾向にあった中央区の人口は1998年から増加に転じました。 隅田川流域の住宅開発により、30~44歳の子育て世代の割合は33.9%を超えています。 これは、23 区の平均である 26.0% を大幅に上回っています。 2005 年から 2010 年までの 6 歳未満の子供の人口増加率は 56.0% と、23 区の平均である 5.7% をはるかに上回っています。 2020年東京オリンピックを控え、全国から注目を集めるエリアとなる中央区。 人口が増加の一途をたどる一方で、生活関連施設の整備が遅れています。 前述のように、日常の買い物ができる店舗はまだまだ不足しています。 大型スーパーはなく、食品スーパーも少ない。 ミニスーパーも増え、買い物の悩みも少しずつ解消されつつあります。 また、緑被率が23区内で最も低いことからもわかるように、緑のある公園の数は非常に少ないです。
浜離宮公園を除く公園面積率は23区中20位。 小さいお子さんがいるご家庭にとっては、外で遊べる場所がないというのは深刻な問題です。 現在、中央区内にはオリンピック選手村跡地や築地市場跡地など、いくつかの再開発候補地があります。 これらの広大な敷地を今後も住居専用にするのか、それとも緑の広場を追加するのかについては、議論の余地があります。 東京都が作成した東京都の人口によると、千代田区の人口は昭和35年以降減少傾向にある。 都心復帰の影響。 2016 年 1 月 1 日現在、千代田区の人口は 55,131 人です。 東京23区の中でも大きな役割を担う千代田区は、一言で言えば昼と夜の人口差が最も大きい区です。 昼間は人口が多く、夜間と夜間の差は20倍。 日本一にぎわうオフィス街には家がほとんどなく、夜もほとんど人がいません。 千代田区は23区の中で最も人口が少ない区です。 居住者が非常に少ない地域です。 夜間の人口が少なく、昼間の人口が多いということは、この区は昼間に多くの人が働きに来る場所です。 千代田区は業種別に分類しやすいです。 丸の内や大手町は大企業が集積するビジネス街であり、日比谷や有楽町は銀座の繁華街に近いため商業施設や娯楽施設が充実しています。
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news-futatsukukuri · 9 days
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【futatsukukuri】受注会開催中
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*あかとこかえ presents futatsukukuri 2024夏秋コレクション「BONES」東京 ハウス@ミキリハッシン さんにて開催中 _________
4月25日からは京都コトバトフクさんにて開催となります。 初日はデザイナー在廊を予定しております。 futatsukukuriとしては約5年ぶりとなるコレクション、本展では赤鹿麻耶、TOKO、谷内香衣による仲良しリラクユニット「あかとこかえ」初の試みで、スタイリングをTOKO、コレクション写真を赤鹿麻耶が手掛けるfutatsukukuriの新作展示受注会となります。 どなた様もご予約なしでご覧いただけますので、この機会にぜひお越しください。 良き日にお越しください。
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AKATOKOKAE presents futatsukukuri summer autumn 2024 collection BONES 4/13 sat - 4/15 mon sat 13:00-18:00 \ sun 11:00-18:00 / mon 11:00-17:00 Blend Living osaka
4/18 thu - 4/22 mon 15:00-20:00 \ weekend 12:00-20:00 house@mikirihassin tokyo
4/25 thu - 4/29 mon 13:00-19:00 kotobatofuku kyoto Photo / Maya Akashika Styling \ TOKO Design / Kae Taniuchi futatsukukuri.com
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あか(赤鹿麻耶) 写真家。第34回写真新世紀グランプリ受賞。大阪を拠点に海外を含む各地で個展、グループ展を開催。旅先や日常の中で出会った言葉、写真、絵や音など多様なイメージを共感覚的に行き来しながら、現実とファンタジーが混交する独自の物語世界を紡ぐ。
主な展覧会に「日本の新進作家 vol.17」(東京都写真美術館、2020年)、「ときめきのテレパシー」(キヤノンギャラリー東京、2021年)、「Osaka Directory 1 赤鹿麻耶」(大阪中之島美術館、2022年)などがある。
とこ(TOKO) スタイリスト阿部澄江に師事。 高円寺で古着屋「光」を開店。その後、東京から拠点を大阪に移しカルチャーショップ「The 光」を開店。妊娠、出産を機に2017年頃より執筆活動開始。現在、夫の黒木雅巳とのファミリーユニットK's CLUBにて、ささやかに活動ちゅう。精神対話士になるのが夢。
かえ(谷内香衣) 小学六年生の卒業文集に将来の夢はデザイナーと書く。 2009年、服飾ブランド futatsukukuri を立ち上げ「記憶や憧れにデザインを加えて新しい価値を生み出す」をコンセプトに雑居ビルの一室で服作りに没頭する。 2021年、暮らしに役立つchicな装いをコンセプトに新ライン「暮chic」がスタート。 ブランド名(ふたつくくり)は、子供の頃に憧れていた髪型に由来する。
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bearbench-tokaido · 2 months
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四篇 上 その四
義経の自慢話を、聞くとはなしに聞いていると、いつのまにか、大雲寺に着いた。 ここは、甘酒が名物だ。 義経らは、示し合わせて、この茶屋で休んでいくようだ。 弥次郎兵衛と北八は、先を急ごうと、ここを通り過ぎていく。 弥次郎兵衛が、一首詠む。
いや高き お寺の前の 名物は これも仏に なれし甘酒 (仏に始終接して馴(な)れている尼と、熟(な)れている甘酒をかけている)
この辺りから日も傾きだして、日暮れ近くなってきたので、急いで行こうと疲れている足を速めて、たどり行く道すがら、北八が話しかけてきた。 「おい、弥次さん、なかなか、道がはかどらねえな。」 「まったくだ。おおいにくたびれた。」 北八が、考え考えながら、なお話しかける。 「昨日は、中ぐらいの宿に泊まったが、今夜は、こうしようじゃないか。 おれが、赤坂まで、先に行って、いい宿を取っておこう。 お前は、後から、ゆっくりくればいい。宿から迎えの人を出しておこう。どうだね。」 弥次郎兵衛は、思わず立ち止まって、 「おお、それがいい。しかし、宿はどうでもいいから、いい女の泊まっている所にしろ。」 「ぬかりはねえ。」 と、といいながら、北八は、駆け出して行く。
弥次郎兵衛は、その様子を見ながらゆっくり歩いていく。 まもなく、御油(ごゆ)の宿場についた頃には、あたりはすっかり暗くなってしまった。 宿場の両側より出くる、宿の泊め女は、いずれも木綿を被って、顔を白く塗っていて、しかも袖を引いてうるさいので、弥次郎兵衛は、足早にやっとのことで通り過ぎ一首詠んだ。
その顔で とめだてなさば 宿の名の 御油るされいと ���げて行ばや (面を被ったような真っ白い顔で、引きとめられて���、この宿場の名のようにごゆるしくださいと、逃げていく。)
弥次郎兵衛は、あまりに疲れてきたので、この宿場の外れにある茶店で休むことにした。 この茶店の婆さまが話しかけてきた。 「はい、まずは、お茶、おあがりなさいませ。」 弥次郎兵衛は、お茶をすすりながら、 「すまんが、赤坂の宿場までは。あとどのくらいあるのかな。」 婆さまは、卓に手を置きながら、 「お~い、と、叫んだら聞こえるほどじゃが、お前さん一人なら、この宿場に泊まって行ったほうがいい。 このさきの松原には、悪い狐が出て、旅人がよく化かされますのじゃ。」 弥次郎兵衛は、ちょっと顔をしかめて、 「そりゃ、気が向かない話だが、ここへ泊りたくても、連れが先に行ったから仕方がない。 ええい、急いで行けば、たいした事じゃねえ。ごちそうさん。」 と、茶代を置いて、ここを出て行く。
茶屋の婆さまの言うとおり、暗いことはこの上ないほど気味が悪い。 狐になぞ、化かされるものかと、歩いていくと、はるか向こうから、狐の鳴く声が聞こえてきた。 「こん、こ~ん。」 弥次郎兵衛は、思わず立ち止まり、 「そりゃ、鳴き出したぞ。出てくるなら出てみろ。ぶち殺してやる。」 と、威勢をはって、歩いて行った。
さて、北八の方は先のほうを行っていたが、ここまできて、さっき聞いた狐が出るという話を思い出して、もしも、化かされてはつまらないと、やはり弥次郎兵衛と待ち合わせて行こうかと考えを変えて、土手に腰をかけて煙草をすいながら待っていた。
そこへ、弥次郎兵衛が、やってきた。 「おいおい、弥次さん。」 弥次郎兵衛は、声のほうをみたが、薄暗くて、よくわからない。 なんとなく、北八のようにも見える。 「おや、お前、なぜ、ここにいる。」 「いやなに、宿を取りに先に行こうかと思ったが、ここには、悪い狐がでると言うので、やっぱりいっしょに行こうかと思って待ち合わせた。」 と、北八がいうと、弥次郎兵衛は、はたと気づき、さては、こいつは北八に化けた狐だなと思い、ここで弱みを見せてはいけないと、 「くそ食らえ。そんなに、簡単に騙される俺じゃねえ。」 と、啖呵をきる。 北八は、戸惑いながらも、 「おや、お前は何を言ってるんだ。まあいい。どうだ、腹が減ってるだろう。 さっき餅を買ってきたから、食べないか。」 と、餅を差し出すと、弥次郎兵衛は、餅を見ながら、 「馬鹿いうな。馬ふんが、食えるもんか。」 「ハハハ、俺だ。北八だ。」 「何が、俺だだ。確かに北八にそっくりだ。 よく化けてるが、そんな事じゃだまされない。」 と、弥次郎兵衛が、北八に飛び掛る。 「アイタタタ。弥次さん、やめてくれ。何をする。」 「どうするかだと。勿論、打ち殺してやるのだ。」 弥次郎兵衛は、突き倒した北八の上にのり、がっちり押さえにかかる。 「痛い。痛い。」 弥次郎兵衛は、叫んでいる北八に、 「痛いか。なら、正体を現せ。」 と、尻に手を回す。 「なんだ。弥次さん。尻へ手をやってどうするんだ。」 「決っているだろう。尻尾を出させるんだ。出さなければ、こうしてやる。」 と、三尺手ぬぐいをとき、北八の手を後ろ側にまわして縛る。 北八は、痛いながらも、おかしく思い、わざと縛られていると、弥次郎兵衛が、 「さあさあ、さっさと歩け。」 と、北八を後手に縛って、後からおったてて、まもなく、赤坂の宿場に着いた。
さて、この宿場では、すでに旅館には客を泊めてしまってしまっているからだろうか、どの旅館からも女中が出てきていない。 弥次郎兵衛は、旅館からの迎いの人が出てきているんだろうと、その辺りをうろうろしていると、 「おい、弥次さん。いいかげんにこれを、解てくれよ。格好悪い。 回りの人がきょろきょろ見ているわ。」 と、北八が言う。 弥次郎兵衛は、そんな北八を無視して、 「ふん。はてさて、宿はどこだろう。迎えの人が出ていると思うんだが。」 「俺が、ここにいるのに、どうやって、先に宿を取るんだ。」 「まだ、言うか。畜生め。」 と、ぐいっと、手ぬぐいをひく。
その時、向こうから、宿屋らしい男が一人、やってきた。 「あなた方は、当宿に、お泊りのお方ではございませんか。」 弥次郎兵衛は、ほっとして、聞いた。 「お前さんは、迎いの人かい。」 「はい、左様でございます。」 弥次郎兵衛は、北八に向かって、 「それ、見たか。この化けぞこないめ。」 と、言って、北八をポカリと、杖で殴る。 「アイタタタ。何てことしやがる。」 宿屋の男は、その様子にびっくりしながら、 「で、あなた様方以外の方は、どちらにおられますかな。」 「なに、私、一人だが。」 宿屋の男は、ほっとしながら、 「いや、これは、間違えました。当方へのお泊りの方は、十人で、ございますから。」 と、足早に行き過ぎる。
弥次郎兵衛は、しかたなく、歩いていくと、ある旅館の店先で、 「もし、お泊りかな。」 と、その旅館の番頭らしき男が、駆け寄ってきて、捕まえる。 弥次郎兵衛は、 「いや、つれのものが、さきへ来たはずなのだ。」 その後ろから、北八が、 「そのつれは、俺だと言ってるのに。」 弥次郎兵衛は、疲れているし、やどの迎えのものもみつからなくて、いらいらしながら、 「ええい、まだ、化けているか。しふとい奴だ。もういいかげん尻尾を出せ。 いや待て待��、あそこに犬がいる。」 と、目に付いた野良犬を呼びつけて、北八にけしかけようとする。 「なんと、犬が来ても、平気で居るとは、よっぽどの狐か、それとも本当の北八か。」 北八は、 「何度も言ってるじゃねえか。ふざけるのも程がある。」 弥次郎兵衛は、 「ハハハ、悪い悪い。さあ、お前の所へ、泊まろう。」 と、やっと、北八の戒めを解いて旅館に泊まることにした。
「さあさあ、お入りなさいませ。それ、お湯をとってこい。 すぐに、お部屋へ案内します。」 と、宿屋の亭主がいう。北八は、 「ああ、とんでもないめにあった。」 と、足を洗う。その間に女中が二人の荷物を、座敷に運んでいく。
二人は、部屋に入ると、 「いや、北八、勘弁してくれ。俺は、本当に狐つきだと思ったんだ。」 「ふん、ばかばかしいめにあったもんだ。今だに、手首がヒリヒリする。」 弥次郎兵衛は、その様子を見ながら、 「ハハハ、しかし、待てよ。そう言っても、どうもしっくりこない。 やっぱり、化かされていいるんじゃないだろうか。どうも、落ち着かない。」 と、パンパンと手をたたき、この旅館の亭主を呼びつける。 「はい、お呼びなされましたか。」 弥次郎兵衛は、 「ちょっと、聞きたいんだが、この宿場はなんと言うところだ。」 亭主は、不思議に思いながらも、 「はい、赤坂宿でございます。」 北八は、 「弥次さん、まだうたがってるのか。ハハハ。」 と、弥次郎兵衛をみる。 「いいや、まだ、ごまかしているようだ。」 と、いいつつまゆげをぬらして、 「御亭主さん、もしかすると、ここは、墓場じゃねえか。」 この言いように、亭主はびっくりして、 「な、なにをおっしゃる。」 北八は、手を叩いて、笑っている。 「ハハハ、面白い。」
そのうち、女中がやってきて、 「お風呂の準備が出来ました。」 北八が、 「さあ、弥次さん。湯に入って、気を落ち着けるがいいよ。」 弥次郎兵衛は、ますますかたくなに、 「ちくしょうめが、肥溜めに入れようと思ってるな。その手をくうか。」 亭主は、変に思いながらも、 「いえいえ、湯は清水でございますから、奇麗です。ぜひ、おはいりください。」 と、そそくさと部屋を出て行く。
つづく。
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unicodesign · 2 months
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インド建築縦走旅vol1 デリー編
メキシコでルイスバラガン、ブラジルでオスカーニーマイヤー、インドでコルビュジェ、という世界遺産巨匠建築を40代に見たいと思っていました。2012年にメキシコに行ってから12年。インドは2020年に行く予定がコロナ襲来で、50代に突入してしまいましたが、ついに念願のインド初上陸へ。2019年以来の海外旅ということ、インドの噂を色々聞くにつけ、緊張感しかない・・・という状況で出発。しょっぱな飛行機が遅延して、バンコクのトランジットは、スタッフに連れられて空港内を走り抜けるも、無事、デリーインディラガンジー空港に到着。
ナマステー。
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トイレのサインが大変わかりやすい。
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とワクワクしながら入国すると、荷物きませんでした。
ロストバゲージは想定範囲内で、一泊分の着替えや必要なものは手荷物にしていたので動揺少なめ。タイからの便は1日3便で翌朝には届くとのことで手続き終えて外に出ると、首を長くして待っていてくれたドライバーとガイドさんと無事合流。デリー市内の行きたいところをお伝えして出発。まずはクトゥブミナールへ。
平日のはずだが、すごい人。
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インド最古のイスラム遺跡群だそうです。ゴール朝の指揮官クトゥブtディーンアイバクが、北インドを制圧した記念に建立されたもの。1192年(日本では源頼朝の時代)に建設が始まった。インド初のイスラム支配で、アイバク自身が奴隷だったことから、奴隷王朝と呼ばれる。塔の高さは72.5mの5層構造。
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塔の手前にあるのがクワットゥル・イスラーム・モスク。1188年に建設されたもの。破壊されたヒンドゥー寺院の石材を使って建てられたため、偶像崇拝を認めないイスラム寺院でありながら、列柱に女神像が残る。
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美しい列柱空間。
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3〜4世紀のグプタ朝時代に造られたとされる鉄柱は、鉄の純度が100%に近いとかで、いまだ錆びないという謎の鉄柱。
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イスラム様式、ヒンドゥ様式が混在するモスク。
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奴隷王朝を滅ぼしたジャラールッディーンはハルジー朝を開くも、甥のアラウッディーンに暗殺されてしまうが、その甥っ子が建てたのがこのモスク。模様がきれい。
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繁栄しては滅ぼされ、時代を変えて建てられた建物たち。
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日本の城もそうですが、人間の建設技術力のすごさが想像の域を超えます。
移動して中心部へ向かいランチタイム。ガイドのアシラさんオススメのお店に連れていってもらう。
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さっそくカレーカレー。
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マサラチキンとパニール、ラッシーも忘れずに。
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ランチ後、国会図書館を目指すもリノベーション中で見れず、フランス語学習・文化施設アライアンス・フランセーズ(インドフランス文化センター)へ。
建物は2004年に建てられたもの、2020年に内部の改修が行われたそう。またも入口でとめられるが、施設の代表の方?が登場し、「今日は天皇誕生日ですよね」などと話しかけてもらいながら、入管許可を得る。
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入口のホワイエは高い吹抜けの上の屋根フレームを十字形のコンクリート柱が支えている。
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このあと見に行くチャンディガルにあるコルビュジェの「オープンハンド」のモチーフが廊下に光る。インドとフランスを結ぶ?
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地下のギャラリーの中にも十字柱があらわれていて、インド人のガイドがおもしろがっていた。
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改修後のフロントオフィス。
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日本語堪能な熟練ガイドさんもこの建物は初めてだったようでした。そして、ここから、ニューデリー2つ目の世界遺産、フマユーン廟へ。
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門を抜けると。
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ムガル朝第2代皇帝フマユーンの墓廟で、王妃が建てたもの。9年の歳月をかけて1565年に完成。ミニタージマハール、とガイドのアシラさんは言ってたけれど、頂点にドームをおくムガル様式の礎となる建物で、100年後のタージマハルなどへ受け継がれているそう。
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穴あきレンガから差し込む西日がとても美しい内部で、みんな順番に撮影タイム。
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特徴的な赤い建物が、西日でさらに赤くみえる夕暮れ時。
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そしてデリー3つ目の世界遺産、ラールキラー(赤い城)を見るためにオールドデリーへ。ガイドのアシラさんは17時にクローズと言っていたのですが、地球の歩き方に20時までと記載があったので、とりあえず行ってみる。
が、残念、やっぱりクローズ。しかし城壁だけでも十分に堪能できる赤い城。ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンによって、1639年から9年かけて建てられたもので、城壁は2.4キロとのこと。
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ライトアップと月。相変わらず人だらけ。
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そして、最後にマーケットへ。リクシャリクシャリクシャ、人人人、へー、やっぱり頭に載せるんだ、と驚く初日の私。
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ガイドのアシラさんが「絶対食べて」というお店に連れていってもらうと、すごい人だかりが。
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人だかりの奥には、揚げ物してるおじさん。
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人気の正体はJALEBIというインドのお菓子。サモサと一つずつ買ってみる。美味!
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1日を満喫しホテルへ向かう途中、今回、いろいろをお願いしたシゲタトラベルさんに立ち寄って、両替したり、SIMの手配をお願いする。待ってる間にふるまっていただいた初チャイ。
長い1日のあとのチャイがなんとも体に染み渡る。最高です。この素焼きカップ「クリ」というそうですが、飲んだら叩き割って捨てちゃうのです。びっくり。ヒンドゥ教は人の使った食器は不浄なんだそう。
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人人人、車車リクシャ、クラクションという喧騒のデリー初日、22時も過ぎてしまったのでホテルの食堂でカレーを食べて寝る。インド建築縦走旅、スタート。
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nigebanigenige · 3 months
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2024/01/28
珍しく早起き(8:00)できたので、ジムでお風呂入ってから新横浜に向かう どうしようもなくビビッときた物件の内見に行く 新横浜、遠すぎる 内見はまた次回、となるのかと思いきや、今日行こうと思うので〜と内見まで案内される 座っていいのか、立っていいのか、向かっていいのか、わからない瞬間や 同僚とおしゃべりする様子や、ちゃんとして〜となる場面もあったが、終始良い人だった 不動産屋と車で物件に向かう間の雑談で試される日頃の雑談力がある 部屋はというと、さいっっっっっっこうだった これは、確実にマジソンハイツです!!!!壁の色がちょっと明るくて狭いくらい 2面採光だし、お風呂もトイレも綺麗すぎる お風呂綺麗なの100万点 いい物件に行くと、自分が今の部屋で満足していないところがわかってしまう 白楽駅周辺がどんな感じかわからなかったので、店で説明受けた後に妙蓮寺駅で降りて、白楽まで歩く 妙蓮寺、想像以上に小さい駅で、でも個人店がポツポツあったり、植物屋さんやパン屋さん、本屋もあってかなり好きな感じ 東急線沿いは全部���発されていて嫌だ!!と極論言っていてすいませんでした 白楽の商店街の雰囲気たるや!!!!!!ね〜良すぎ 狭いラーメン屋、雑貨屋、怪しい占いなど結構長い商店街がある え〜!いいじゃん!!
もう決めたつもりで、でもちょっとあまりにも急だし、お金ないし、仕事ないし、(やば)この状態で引っ越そうとしているのなんなの?でもいつ自分で自分の選択ができるかわからないし、今のうちに、、、、好きな場所で好きな暮らし、、、、するしかない
一旦家戻って、落ち着いてカウンセラーに電話 忌憚なき意見をもらった上で、やはりGOではという結論に至る 家賃が別にかなり下がるわけではないということだけが懸念
引っ越していいですか?!?!?!?!?
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ichinichi-okure · 4 months
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2024.1.14sun_kanagawa
 昨日はアドレナリンが出ていて、いつもより遅く寝着いたが、いつも通りの6時に目が覚める。でも今日は休みだ、と安心してもう一度寝て、7時に起床。洗面を済ませ、着替えてお砂糖とミルクがたっぷりのインスタントコーヒーを飲む。これは私が子どもの時からのルーティーンだ。SNSやLINEをサッと確認して返信を打つ。ワクワクするお誘いに心浮き立つ。  今日は初めてのWSに参加する予定だ。でも、その前に知り合いのイベントに行ってみよう。まだ布団の中の夫に「いってきます」と告げ、足取り軽く家を出る。車を運転すること30分。鶴川にあるセントラル商店街という何ともノスタルジックな場所に到着。早くも聞こえてくるお囃子の音に自然と駆け足になる。角を曲がると、威勢のいい声と同時に餅をつく人、返す人、手を叩いて笑顔でエールを送る人たちのエネルギーで溢れかえっていた。年始初めて会う知り合いみんなに声をかけ、再会の歓びを分かち合う。人生で初めての豆花をいただいた。ほんのりと甘く、重すぎず、いろんなの食感を味わえるいくちゃん(食堂pocoさん)の豆花。今の身体に最高の食べ物だ!お腹は満たされていたが、あちこちからいい匂いがしてきて、まだ食欲が止まらない。古いストーブの上で温められていたのは豚汁だ。そのすぐ下にはブタの置物。なんてシュールな…この後の予定を考えてやめておいた方がいいと言う私と、いや、身体も温まるしとにかく食べたいと言う私でせめぎ合う。次の瞬間お代の300円をお店の方に手渡していた。椅子に腰掛け、豚汁をいただく。やっぱり大正解だ。豚汁とカレーは、大きな鍋でたくさん作られたものがなぜか美味しい。きっとこれもそうだ。大満足で完食すると、目の前には『うどん』の文字。食べたい気持ちをグッと我慢し、私は席を立った。
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 知り合いに会い、美味しいもので満たされた私は、今日のメインイベントへ。Googleマップを頼りに10分ほど歩くと、茶色いムーミンハウスのようなジブリに出てきそうな窯が見えてきた。そう、今日私は陶芸を教えてもらうのだ。でも、その前にヨガ。アパートの入り口を探して扉を開けると、木と光のぬくもりが溢れるスタジオと慣れ親しんだ顔が目に飛び込んでくる。いつもお店に来てくれる人も、たまたま今日初めての参加だったのだ。驚いて嬉しくなり、初めて会う方々にも紹介し、紹介され、その場が明るい雰囲気で包まれていた。
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 ヨガ講師である美しい笑顔のみちこさんに挨拶をし、急いで着替えを済ませ、ヨガマットの上に座る。はて、私はヨガ何年ぶりだろうか…3年前までピラティスはやっていたが、ヨガは5年ぶりくらいかしら…身体が硬い私は、『家でストレッチしてくればよかったな。急にヨガやって大丈夫かしら…またどこか傷めないかな。』と不安になってきた。それを察してなのか、みちこさんが「私のヨガ教室は、自分の身体に目を向け、自分の呼吸に耳を傾けて、自分自身を感じるためのヨガです。無理に身体を動かしたり、ポーズを極めたりするのではなく、ストレッチとトレーニングを繰り返していきます。筋肉に負荷がかかるトレーニングの後には、その筋肉を緩める動きを入れていきますので、決して無理のない範囲で身体を動かしていきましょう。」と説明してくれた。なんてすごいタイミングと思いながらもホッと胸を撫でおろす。呼吸を整え、先生の出してくれる指示に従いながら身体を動かし始める。先生の声の質感や声量、テンポの心地よさに耳を預け、普段あまり伸ばさないところを心地よく伸ばしていく。動きの指示を優しく出しながら、先生はその反対の動き(左右)をし、ポーズの名前や由来を教えてくれた。時々『あれ?今私合ってるかな?』と不安になり、周りをチラチラと確認しながらも、身体を動かす心地よさを感じながら、私はどんどんヨガの世界に浸り始めていた。しかし、恐れていたことが起きてしまったのだ。仰向けで脚を頭の後ろに持っていくポーズになると、なんだか苦しく、少し気持ちが悪くなってきた。そう、動く前に食べ過ぎたのだ。私はその動きを中断し、仰向けに戻ってしばし休憩。みんなが気持ち良さそうなのを横目に、やはりな…と反省(でも、美味しかったから後悔はないw)。そして、その後の動きから合流し、ヨガの時間1時間半が終了した。  副交感神経が働いているせいなのか、まだ頭がボーッとしている中、みんなでお昼ご飯の準備が始まった。マットを片付け、テーブルを出すと、梅ちゃん先生(陶芸の講師)がいい匂いのする鍋や炊飯器を持ってきてくれた。この香りはカレーだ。ターメリックで黄色く色付いたご飯の横にカレー2種をかけ、それぞれの席に配る。テーブルの上には鮮やかな野菜たちの炒め物やサラダが所狭しと並んでいた。みんなで「いただきます」をしてから食べ始める。カレーをひと口、ふた口と食べ進めると、辛くもないのに、頭皮の毛穴が開き、スースーするような感じがした。スパイスが私の身体の中から作用している。不思議な気持ちになりながらも、どんな風に作ったのか、どこで手に入れた食材なのか、どんな風に出会った料理なのか、それぞれの先生に尋ねたり、日常の話をしたり、みんなとする食事の時間を愉しんでいた。
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 食べ終わるとオラクルカードの時間。年始にひいてみるのが恒例となっているそうだ。私がひいたカードは、鮮やかな緑の上に明るいピンク色がのっていて、そこに白いマーガレットのような花がたくさん描かれているカード『世界を維持する者 ヴァースデーヴァ』というものだった。みちこさんが手渡してくれた解説書を読むと、ふむふむ…リラックスしましょう。休息しましょう。それが次なるエネルギーとなるでしょう。と書いてある。年末年始でこの言葉を聞くのは3回目だ。一つ目はしいたけ占いの水瓶座。二つ目は前日にみてもらったカラーセラピー。そして三つ目がオラクルカード。よほど休んだ方がいいらしい…頭の片隅に置いておこう。  さぁ、今日の愉しみはまだ終わらない。別の部屋に移動して、エプロンをつけ、サンダルに履き替えると、梅ちゃん先生の陶芸教室の始まりだ。陶芸こそ初めてではないが、人生で三度くらいしかやった事のないもの。今回教わるのは手轆轤という器具を使うものだそうだ。あらかじめ用意していた作りたいイメージの器の写真を用意し先生に確認すると、私の分の陶土を用意してくれた。みんなに作業確認や指示を出しながら、先生はそれを捏ねていく。捏ねている土の動きをただただ見続けていた。少ししてから菊練りという段階に入ると、さらに土の動きや模様が美しく、感嘆がもれる。永遠に見続けられると思っていると、あっという間に菊練りは終わってしまった。それを手轆轤に少し乗せ、潰して円を作る。その上に長細くした土を重ね、どんどん高くしていく。そして、そこから好きな形に伸ばしていくそうだ。先生が湯呑ならこのくらい、お茶碗ならこのくらい、煮付けの小鉢ならこのくらい、と言いながら、まるで魔法のように次々に形を変えていく。
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 圧倒されていると、自分の番が回ってきた。手を動かすことは��好きなのだが、いざ始まると、えっと…まず何でしたっけ?という状態。先生に確認しながらまずは土に触ってみる。ヒンヤリと冷たく、粘土よりも少し硬い。水分を含んでいて、少しだけスズリのような香りがした。それを丸めたり伸ばしたりしながら、教えてもらったように形を作っていく。どうしたら繋ぎ目がきれいに無くなるのか、頑丈な器になるのか、厚さが均等になるのか、分からない事は多いがとりあえず手を動かしてみる。参考作品の写真を何度も確認し作り進めるのだが、なかなか思うような形にはならない。夢中になって作り続け、2時間ほどだろうか、やっとなんとか納得できる形になったようなので手を止めた(本当は永遠に形をあれこれ変え続けていたい気持ちだったが…)。集中力が解け周りを見渡すと、様々な形が出来上がっていた。どれもこれもみんな生きているようで何とも愛おしい。次回は『けずり』と言われる作業なのだそうだ。また来月の愉しみが増えたことに心が躍る。先生の淹れてくれた生姜紅茶とみなさんからの旅行土産の差し入れででホッとひと息。ふと我にかえると心地よい疲労感や達成感が押し寄せてきた。  今日を共にできた先生や生徒のみなさんに挨拶をし、アトリエを後にする。車に乗り込み、夕焼けを眺めながらのしばしのドライブ。だんだん暮れて色が変わっていく空の様子を観察しながら、今日のことを思い出し、ひとり笑顔がこぼれる。音楽を聴きながら唄いながら家路についた。なんてキラキラとした時間のつまった一日だったのだろうか。また明日から頑張ろう!
-プロフィール- 野沢ちか 39歳 神奈川県 花綵hanazuna
2023年4月東京都町田市にある簗田寺のかたわらにある白い建物“tem”にてアトリエをオープン。 簗田寺の里山に生きるたおやかな草花を摘み、花生けのお教室やリース作りのWSなど、草花を身近に感じられる暮らしの提案をしています。 Instagram @hanazuna_style hp https://www.hanazuna-style.com/
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tsuntsun1221ts · 4 months
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2023.10 伯耆大山
ANAのセールで安い航空券が入手できたので鳥取県の大山(伯耆大山)に登ってきた。1泊2日で1日目は移動と観光、2日目に登山と移動という感じ。鳥取県といえば砂丘であるが、飛行機は米子空港(鬼太郎空港)に到着するため砂丘からかなり遠く、今回はパス。鳥取の人には申し訳ないが、それ以外だといったいどこを観光したらいいんだ?と結構悩んだが、最終的には隠岐の風景を楽しみに境港から島根県へ渡るのと、鳥取に戻ってきたら水木しげるロード散策という流れに。
空港から境港へは電車やバスで30分で到着。バスも市バスとコミュニティバスの2つ使用でき、アクセスは良い。境港は漁港で栄えておりお店もたくさんある、直売場なんかも寄ってみたがその場でカニやエビ食べれたりと観光客で賑わっていた。
境水道大橋を渡って島根県に入る。本当はバスで楽々行きたかったんだけど、バス停が見つからずに目の前で通り過ぎてしまい、徒歩ですごく長い距離を歩くことに。
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雲は多かったが天気良く、海も小島もとてもキレイだった。小さな漁村、小さな入江、日向ぼっこしているネコ。日本の原風景が広がる。
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天気が悪くなって途中にわか雨に降られたが、近くのバス停で雨宿りする。時間がとてもゆっくり流れる。いつも予定をしっかり組んで観光しているが、こんな気ままな旅は久しぶり。東京生まれ東京育ちで小さい頃こんな過ごし方したこともなかったけど、どことなく懐かしさが込み上げてくる。日本人に共通する深層心理なのだろうか。
・・・島根の観光だけで15キロくらい歩き、さすがに疲れた。
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鳥取の境港に戻ってきたときは夕暮れ。日曜日の夕暮れ時の水木しげるロードには人がほとんどいない、お店もほとんどが閉まっている。薄暗い通りのどこか遠くでカラスが鳴いてるし、もういろいろと雰囲気が凄いことになってる。
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ところどころハロウィン仕様であったり、夜ならではの仕掛けがあったりで、いろいろと工夫されている。ゲゲゲの鬼太郎はそんなに興味なかったけど結構楽しめた。とはいえ1時間以上いるのはキツイ笑。夜行くのがオススメ!
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0720米子駅発の大山寺行きバスに乗車し、約1時間で大山寺に到着(730円)。平日の月曜日で乗客は5人ほど。大山だけではなく大山寺もひとつの観光名所であり、周囲はお店もたくさんあって観光地化されているから、下山して時間が余っても退屈することはない。
【コースタイム】バス停(0815)→大神山神社(0835)→元谷堰堤右岸分岐(0855)→行者谷分かれ(0915)→6合目避難小屋(0925-0930)→頂上避難小屋(1000)→大山(1005-1020)→頂上避難小屋(1020-1050)→6合目避難小屋(1125)→行者谷分かれ(1130)→夏山登山口(1205)
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登山口へのルートはいくつかあるが、せっかくなので大山寺を経由して登る。石畳の苔でかなり滑るのでまともに歩けない。
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そこまで傾斜はなく、ほとんど整備されているので登りやすい。
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歩きはじめて約40分で元谷堰堤右岸分岐に出るが、ガスっているためほとんど何も見えず。ここからは山頂が見えたのかな?何かしらのいい景色はあったと思う。
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その先は谷筋から尾根の行者谷分かれに出るまでかなり急な登り坂で、ぐんぐん高度を上げる。20分くらいは続く。
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先程のきつい道を登りきり、尾根に出てから10分くらい歩くと6合目の避難小屋に到着。さっきまではずっと樹林帯で、ここらへんから視界が開けてくるが、もうガスとの境目くらいにいて景色はかなり怪しい。山頂はダメそうだな。
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そこから上は傾斜は少し強いが、
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9合目からはなだらかな木道になり、山頂まで続く。ここまで来たら山頂までは楽ちん。
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山頂すぐ手前に立派な2階建ての避難小屋あり。しかも中で売店やってる。この時期もやってるということはもしかして通年営業?
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あいにくの天気だが2時間で山頂に到着。面白いことにステージが設置されており、そこから外は歩いてはいけないように規制されている。
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最もガスが晴れた瞬間でもこの程度で周囲100mが限界。気温は7℃くらいで風がやや強く動かずにいるとけっこう寒い。20分くらい一瞬の景色を期待していたのだが、寒さがキツく避難小屋の中へ。てか、登山者まぁまぁいたのに山頂誰も来ないんだけど。
冷えた体を温めるために避難小屋でしばらく休憩。気がついたら小屋の中で吐く息が白かった。どうりで寒いわけだ。
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下山は大山寺方面ではなく、行者谷分かれで夏山登山口方面へと向かう。一応例年だとこの時期は紅葉が見れるみたいだが、やはり今年の猛暑の影響で遅れているのか、そんなに見られなかった。
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標高を下げるとガスから抜けて、朝よりかは遠くまで見渡せるようになったかな。
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1時間と少しで下山完了。登りのときとは違い終始緩やかで歩きやすい道だった。登るときにこっちの道を使うのがいいかもしれない。
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バスが出るまで3時間ほど時間があるが、お昼ごはんたべて温泉入ってゆっくりしてと、だいぶくつろぐことができた。特に大山豆腐というのがとても美味しく、「豪円湯院」という温泉兼食事処で食べ放題であったが5杯くらいおかわりした。まだ食べたかったけどお腹が限界だったので止めたが、風味や食感が良くものすごく美味しくて感動した。帰り際にはようやく山頂も晴れた。
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米子に戻ってから飛行機に乗るまで3時間ほど余裕があったが、せっかくなので米子城跡へ登ってみることに。米子で高い建物はほとんどなく、この城跡は街全体を見渡せてかなり良いスポット。大山はまた雲の中に入っていた(1枚目の右端)
大山は往復わずか3時間と手軽に登れるが、麓は大山寺や温泉など観光できる場所があり飽きさせない。積雪期でも樹林帯の道はやさしいし、山頂付近も緩やかで(視界が効けば)あるきやすそうでいいかも。
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G12 復活
Sunday 20 April 2014
真観は禅寺へ車で行った。今朝も雨が降っていた。ご住職曰く『坐禅が上手くいっていないなぁと思っている時は大抵「自分」が上手くいっていないと思う。その「自分」がを外せば良い」『坐禅は自分がするのではなくただ坐禅していると思う様に』人はいつももう一人の自分と対話をしている。そのもう一人の自分が自我だ。生まれて間もなくの赤ん坊は無我だ。成長するに連れて自我が芽生える。そして大人になって行く。その自我が自分の邪魔をするわけだ。ご住職は毎度毎度同じことを教えてくれる。それがいい。その毎度毎度を聞く機会を得るにも坐禅会は真観には重要だ。それは日々の様々な場面を経験して徐々に理解し始めているし、いつかある日その毎度毎度の言葉が深く理解することになる。
坐禅会は参禅者が2炷目で次々と立ち去ったためいつもの終了時間8時40分よりも早い時間で終った。今日は、地元の河川掃除の日で真観にとってもちょうど良かった。茶畑庵に戻りコーヒーを飲み時刻は8時になろうとしていた。そう8時から河川掃除はスタートなのだ。茶畑庵の位置する地区は約28世帯が暮らしているがその1世帯から1人が参加するのが決まり。茶畑庵は真観1人参加した。この季節枯れ葉も殆どなく大財産化したので約1時間ちょっとで終了した。こういった地元の行事に参加することは真観にとっては重要なこと。何ごともコミュニケーションだからだ。
そして午前中、思いがけずに宅急便でCanonG12が帰って来た。予定では月曜日大分の修理工場から出荷だったので嬉しいサプライズだった。このG12、何度修理に出しただろうか?と真観は振り返った。多分その数5回。合計の修理代を考えると料金はバカにならないし、合理的に考えると新しく買い替えた方が無難だとも真観は思うのだが真観の性格上そうはいかない。
真観は、修理が完了してリセットされたG12に使い方を再考することにした。
今までのあの棒状の金属グリップからミノルタの卓上三脚に変えた。 (あれは便利なアクセサリーだが「Today's Fashion」のセルフポートレイト撮影には役立たない。100円ショップのクネクネ曲がる卓上三脚も使っていて使い勝手は悪くはないがミノルタの卓上三脚という素晴らしいグッズを折角持っているのから使うことにする)
新調したNikonの28mmファインダーを装着した。 (今回の修理は液晶画面の損傷だった。それはいつも液晶画面を表側に出しっぱなしにしていたからだ。だから今後は液晶画面を見ながら持ち歩き撮影することを止め液晶画面を内側にして保護する。それで電池の消耗も防げる。そして28mmファインダーを活かし撮影方法をファインダーを覗くという従来の基本の撮影方法に立ち返る。それは撮影時の見た目の印象も異なる。G12にはファインダー機能があるがプラスチック製で視界はクリアとは言えない。そしてフィルターアダプターを付けているのでファインダーを覗くとそのフィルターアダプターが視界を邪魔する。フィルターアダプターは撮影時前面に迫り出したレンズの保護にも役に立っている。フィルターアダプターは0.45Xの魚眼レンズ装着時には欠かせない。Nikonの28mmファインダーはガラス製で覗くのが楽しい)
父の形見のキャノネットに使っていたクローム仕上げのフィルターを装着した。 (今までもプロテクターフィルターをフィルターアダプターに装着していた。キャノネットは茶畑庵の部屋で長く置き物になっているが最近手に取ってみたらレンズに装着されていたスカイライトフィルターが意外にもコンディションが良かった。このフィルターを見る度に父を思い出し意識することが出来る。このカメラで真観の幼少時代は撮影されている。そしてこのフィルターは45年ほど前のモノになりクローム仕上げのフィルターは今や貴重と思う)
ストラップは今まで通りレッドカラーの忍者ストラップ。
ミノルタの卓上三脚は、隠れた名品だと思う。70年代にミノルタがライカと技術提携をした際にミノルタからライカに電子系統を、ライカからミノルタに塗装技術をお互い提携した。なのでこのミノルタの卓上三脚の三脚部分の金属塗装はライカの技術が活かされている。足の開き方もライカの卓上三脚と同じ形状構造を持つ。(とその昔ミノルタの社員だった友人から聞いたことがある。一眼レフカメラミノルタXDと同等の塗装だと思う)どちらにしてもこのミノルタの卓上三脚、造りがしっかりしていて安定感もありチェスポッドにもなるからスローシャッターに強い見方になる。G12に装着し大きく邪魔に見えるかもかも知れないがこれも意外にそうではなくフィットしているから満足している。
ということで男の子のオモチャ「合体ロボット」の完成。
ドラマ「高原へいらっしゃい」の続けて見ているがなぜこの時期にこのドラマを知り観ることになったのか?真観はその理由を気付き始めている。
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mougen-nikki · 4 months
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1月
年女。元旦から地元の友人2人とデニーズに6時間居座り、年末年始限定メニューの存在を知る。卒業式ぶりにネイルをした。魂24周年にバリチルで開催したパーティーで初めてオーダーケーキを頼んだがかわいくて大満足。こうきとまなみと神田大明神と湯島天神に初詣に行き、一瞬リョータに会う。シネマカリテで『そばかす』を観た。
まなみと日産グローバル本社でSAKURAの試乗をし、帰りに寄った中華屋で居眠りをした。あゆみさんとすえぴとネロの店で新年会をする。
THE FIRST SLAM DUNKの衝撃。三井への恋心を15年振りに思い出す。
すみちゃんとの大人の休日倶楽部が発足し、蔵前〜合羽橋あたりを散歩。観音山フルーツパーラーでももちとあゆみさんとすえぴが初対面。帰りにみんなにつかあってもらって、Tnewtiesで靴とワンピースを買った。
ことごとくおみくじの引きが悪い。
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2月
休職中の同期に久しぶりに会えた。元気そうで一安心。こうき主催のスイーツ会兼合同お誕生日会。ダロワイヨでケーキをたくさん食べた。工場の同期と遊んでザファを一緒に観た(THE SECOND SLAM DUNK)ら、同期は24時間経たないうちに2回目を観に行っていた。代官山のあたりをプラプラ散歩し、無数のトイプードとすれ違ったり旧朝倉邸に住みたがったりする。自主的Tłusty czwartekでミスドを食す。
かなこと海を見てカラオケ。バリチルで三井の寿の宴を行う。21卒22卒23卒になった高校の友達と卒業旅行で箱根へ。富士屋ホテルで豪遊し、星の王子様ミュージアムに涙ながらの別れを告げる。
テニミュ青学vs氷帝が当日の公演中止でぴよと残念会。
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3月
同期とご飯に行ったら2ヶ月ビハインドで私のお誕生日プレートをオーダーしてくれていて、この子たちのことは何があっても守ろうと思った。私お姉ちゃんだから。
大学の部活の先輩同期とかなり久しぶりに会った。大手町有楽町エリアで昼から夜まで遊んで、現役の時もこんなに遊んだことないから新鮮だった。私はちゃっかり途中の大丸でコスデコのアイグロウジェムをタッチアップし購入していた。
妹と母と受験お疲れ様の一泊2日熱海旅行。恋愛おみくじに「六歳年下が良い」と言われてじゃあ、三井寿か。と思う。月曜有給旅行の良さを感じたが穏やかな春の熱海の空気に当てられて情緒が不安定になる。
念願の姫鶴一文字を初顕現。宝箱からかなり早い段階で飛び出してきてくれて嬉しかった。
THE THIRD SLAM DUNKで横断幕特典シールをもらう。すみちゃんとピューロに行き、バツ丸のカチューシャを買ったらマレフィセントになった。三井を応援するネームプレートを作る。
在宅後ダッシュで駒沢に向かい、まおとA東京の秋田ノーザンハピネッツ戦を観る。なまはげがいたり、ありえない技(天井ダンク)を持つマスコットキャラがいたり、選手の概念車を教えてもらえたり、SDGsがボコボコにされたりと見どころ満載。ザファのおかげでプレーの解説がしやすい。ありがとう井上雄彦。
本社の同期4人ですみだ水族館にお出かけ。大阪人の登場シーンが肩揺らしすぎ歩くの早すぎ治安悪すぎで爆笑。いつの間にか水族館に墨田区の伝統��ピールとして大金魚ゾーンができており不意打ちを喰らう。その後浅草寺で引いたおみくじ:凶。
かなこと銀河劇場でマリー・キュリー観劇。すごく良かった。韓国作品らしくフェミニズムのベースに労働者の健康被害問題や企業の製造責任、資本主義批判まで織り込んでおり見事な構成力。そうこうしていたらミューマギの第二公演情報解禁があり、まさかの山﨑昌吾ジャーファルに椅子から転げ落ちる。
ぴよのお誕生日@バリチルを開催。調子に乗ってバカのバースデーケーキを買ったら大変な目に遭った。
ももちとすみちゃんの作った和風シナリオを通過。知人の作ったシナリオは初だったが手癖を感じて面白い。バカ男子大学生コンビだったのでロールプレイが楽しかった。ガチ恋粘着獣の影響でYouTuberの探索者にした。
客先から一部品番値上げOK連絡をもらい、祝いにケーキを買って帰る。ここまで足掛け半年。
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4月
まおとBunkamuraのマリー・ローランサン展を観る。ローランサンとシャネルのメディアを介したラップバトルの話やテニミュのような前衛映像で爆笑。
閉館前の三菱一号館美術館に駆け込み、グッズを買う。そのまま散歩してヒューマントラストシネマ有楽町で『ジョージア 白い橋のカフェで会いましょう』を観る。すごくリラクシングでおおらかな映画で良かった。お国柄かな。
カイザーの話をされすぎてブルロ原作を読み始める。何もかもがめちゃくちゃすぎて読んではTwitterを開き、読んではTwitterを開くハメになった。おかしすぎる漫画。
はるかさんのお誕生日会があり、ウォカジンのヘアピンで爆盛り上がり。まったく、兄貴は意外と抜けてるところがありやすからね。
すみちゃんとラシーヌの苺アフタヌーンティーに行き、ノリタケの加州安定ティーセットが届く。
アニメのオペラオーが良すぎてメロメロになる。本当に彼女のことが大好きだしこの手の人間に弱い。ウマ娘は人間ではないが。
品川区民として初めての選挙(区議会議員選挙)。出張ついでにTさんと京都で遊んで私が行きたかった京都府立植物園に付き合ってもらう。何故か28,135歩も歩いた。
わが、まお、あゆみさん、すえぴと日本橋でピザを食べてから千葉ジェッツのA東京戦を観戦。冨樫を初めて生で観た。千葉なのに東京のイキリ中学生たちがコラボしていて何故?と思う。今回は席が取れなすぎてバラバラに座ったから観ながら話せなくて残念。観戦後の焼肉で炎の男の写真撮影に興じる。
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5月
2日にネスの夢小説を読み「ふ〜ん結構ネスのこと好きかもと思った」とツイートしている。
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運転練習を兼ねてGWに家族で伊香保に行こうとしたが関越が混みすぎて秒速5センチメートルしか進まなくなったため途中で諦め森林公園へ行く。エゴイストなので別行動して一人だけサイクリングをした。地元のイタリアンで祖父母の誕生日祝いをした。
こうきとポコの再会。この時祖父母がこうきを質問攻めにしており申し訳なかった。
降り頻る雨の中ポラ科とポーランド祭りに行き、帰りに駅のムンバイでチャイをしばく。
金夜のミュージアムナイトですえぴとマティス展に行く。プロヴァンスの映像コーナーがあり、教会の鐘の音を聴いた瞬間幸村精市との存在しない記憶とホームシックの幻肢痛に襲われた。とにかくヨーロッパに行きたい。
ももちとひなと湘北を想う湘南ドライブ。逗子マリーナの駐車場が法外な値段という学びを得る。これがあゆみさんから譲り受けたネスと初めてのお出かけ。
文フリに出かけて東直子とまほぴ、安田茜にサインをもらう。のいちゃんとたほさんにもご挨拶して差し入れを渡す。いつかドームに連れて行きます!と言われて最前行きます!と返した。
こうきとすえぴ、あゆみさんが対面し4人でヴァーミリオンのポップアップへ。この時はオーブのガーネットの指輪を買った。昼食場所を探したが渋谷の人口密度が高すぎてお高めの地中海料理に入る。イスカンダルセットというワクワクセットを注文。
母の日プレゼントで母にageteのネックレスを見繕った。チャーム別売りのやつ。
すみちゃんと劇場版コナン(魚影)を観た。元太のセリフ全てと陰謀論者の目暮警部で爆笑する。観終わった後がってん寿司でうなぎを食べてネスにも見せてあげた。
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6月
マンシティvsバイエルンのチケットが当たりまくる。ここから1.5ヶ月ほどチケット捌きに奔走する。チケ取引が中学の先輩や大学の後輩に会うきっかけになったので何だかんだよかった。
すえぴとあゆみさんと六本木ヒルズで薔薇のアフタヌーンティー。スタンドの高さがありすぎて起立して写真撮影。PWCを始める。三笘が来た瞬間ゲームバランスが崩壊し三笘ゲーと化した。
ミューマギの公演が始まり、6公演入る。今回はキャストが増えたのでオープニングとエンディングの厚みがすごかった。まさかの客降りで山﨑ジャーファルさんが数メートル先を歩いて行った。長生きはするものだと思った。マギ、サイコー!でも紅玉ちゃんの個人ブロマイドがないのはまだ納得してない。アクスタが売り切れすぎて買えないかと思ったがぴよが捕獲してくれた。
ネスの夢小説を書く。執筆中は納期にミートするために定時退社していた。わりと気に入っているので続きが読みたい。
部署の奨励金で帝国ホテルのご飯を食べ、その後走って若手による新入社員歓迎会に移動。
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7月
前日深夜に母に誘われ、急遽クレイジー・フォー・ユーを観劇。萌さんをリアルで初拝見。エンタメに全力な作品でかなり良かった。衣装もすごい。タイミングよくたかりかさんとも会えた。
ぴよとあゆみさんと東京タワーで迷子のストライカー探し。その後言ったカフェでマスターの爺さんに絡まれ怪しげな成功譚を聞かされる。
はるかとこうきと浦和レッズvsFC東京を観戦。初めてのスタジアムだったのでドキドキだったが色々新鮮で楽しかった。埼玉出身者としてコバトンと写真撮影。試合は0-0で内容もしょっぱい。酒井も3分くらいで怪我したし。翌日に国立でこうきと町田ゼルビア vs東京Vを観戦。シチュエーションが整っておりかなり熱い試合とブーイングが見られた。
リトル・マーメイドをひなと観た。冒頭にアンデルセンの引用があり大事をあげて椅子から転げ落ちる。
あゆみさんが妄言バースの夢小説を書いてくれた。嬉しすぎて仕事中に読みまくる。やってることが10年前と同じ。
すえぴあゆみさんももちとココス呪術コラボを冷やかす。
ポラ科ドライブで秩父へ行きそばを食べる。ポテくまくん邸を表敬訪問。
あゆみさんと渋谷シティの試合観戦。コートが近く、ボールを蹴る音が聞こえてすごかった。妹と国立西洋美術館のスペインのイメージ展に行く。
大学の部活の納会に参加しバスケをした後2次会までこなす。
マンシティvsバイエルンの当日、午後休を取ってネイルを変えてから国立へ向かう。かなりお祭りムードで楽しい。こうきにバイエルンバウンドの服装を褒められて嬉しかった。はるかさんも合流して写真撮影やらトロフィーチラ見やらをした。試合はシティのパスワークのすごさとバイエルンの疲労を感じた。
バリチルでリョータとソーちゃんの誕生日会をした。
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8月
地元の祭りで3年ぶりの花火がまさかの強風で打ち上げ中止。同日に花火大会があった板橋では火事が起きていたので妥当な判断だったと思う。
すみちゃんと大人の休日倶楽部有楽町編を実行し、シンガポール料理、プラネタリウム、マリアージュ・フレールを巡る。マリアージュ・フレールで友人の結婚祝いを買った。
友人の結婚パーティーに参加したが、レストランでやる簡単なものだったためか泣かなかった。中学時代のいつメンと会えて嬉しいが、私が恋愛の話題に非対応なためやりづらさはある。最近どう?と聞かれたので順調だよ〜と言ったらいつから付き合ってるんだっけ?と言われる。流れを無視して交際ではなく人生の話をしてしまいすみません。でも結婚した友人のことは誇りに思うし尊敬するし応援してる。私たちもうホグワーツにも帝光中にもいないけど、それぞれの戦場で変わらず戦おうね。
お盆は車を乗り回すためムーミンバレーパークやスタジアムジャポンや伊香保に出かけた。
ひなとまなみと島でバカンス。海で浮いたり原チャリを乗り回したりと満��。花火もお菓子も買った���に朝が早かったため夜ご飯後に爆睡。星が綺麗らしかったが当然見れず。護岸されていない箇所で泳ごうとしたら波が激しすぎて引き波の時に足に当たる石で流血した。
ももちこうきあゆみさんと才能の原石たちとで本能のままに餃子を食らった。あゆみさんももちまおとHUBでサバトも開催。
かなこれみかと横浜散策。ダイナーでハンバーガーを取り違えられ、中華街にあるフォーチューンアクアリウムの存在を初めて知る。
ひなとTHE FOURTH SLAM DUNK。
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toastkidjp · 4 months
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2023年終了!今年はろくな年になったか?
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概要
昨年末はろくでもない一年だったと書いたのを未だに覚えている。
幸いにして、今年は私にとっては良い年になった。世界情勢は昨年末と比べて良くなるどころの話ではなかった。
引越し
11年間暮らした東京を離れて、茨城県取手市に引っ越した。茨城県は故郷だが取手市はまったく縁もゆかりもない土地である。 これについては以前日記に書いた。
https://toastkidjp.tumblr.com/post/711718238857412608/%E5%85%83%E8%8C%A8%E5%9F%8E%E7%9C%8C%E6%B0%91%E3%81%AF%E4%BD%95%E6%95%85%E3%81%93%E3%81%AE%E6%99%82%E6%9C%9F%E3%81%AB%E7%A7%BB%E4%BD%8F%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B
夏場の午前中の快適さは大変素晴らしく、今年の酷暑を乗り越えられたのは新居のおかげだと感じている。尤も、今は寒さが厳しい。
個人開発
年の半分以上はデスクトップアプリケーションの開発をしていた。もう Android アプリの開発はいいやという気持ちになってきている。 Google の気まぐれに付き合うのに疲れてきた。
資産運用
1年の多くの期間で含み益が7桁をキープしていた。市場が好調な時は利益を見て満足し、市場が不調な時には恐怖をはねのけて買付の注文を入れる。 その繰り返しで来年以降もやっていく。
旅行
7月に名古屋、11月に博多に行ってきた。どちらも大相撲観戦が目的である。2019年以来4年ぶりの旅行だった。 旅行に行けば行くほど私は家でゆっくりする方が好きだと確認できる。たまの旅行でお金を使うより毎日の生活を向上させる方が良いだろう。 だからマンションの部屋を購入したというわけだ。
映画番付
1,031本(短編含む)鑑賞した。数だけ多くて、記憶にとどめておきたいような作品はほとんどなかった。
例年通り私の主観で番付を作成した。完全に私の個人の見解であることは重ねて断っておく。
東 番付 西 ランボー 最後の戦場 特別編(原題:RAMBO) 大関 アメリカン・スナイパー(原題:AMERICAN SNIPER) 決断の3時10分(原題:3:10 TO YUMA) 関脇 アバター(原題:Avatar) 白い巨塔 小結 みんなのいえ 僕らはみんな生きている 前頭 風に立つライオン 怒りの荒野(原題:I GIORNI DELL'IRA) 同 殺しが静かにやって来る(原題:Il Grande silenzio) CURE 同 アメリカン・ヒストリーX(原題:AMERICAN HISTORY X) 新感染 ファイナル・エクスプレス 同 ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密(原題:Knives Out) カリートの道(原題:Carlito's Way) 同 タクシードライバー(原題:TAXI DRIVER) あしたは最高のはじまり(原題:Demain Tout Commence) 同 ファーザー(原題:THE FATHER) 戦場のメリークリスマス 同 クィーン(原題:THE QUEEN) 淵に立つ 同 お早よう Wの悲劇 同 箱入り息子の恋 コンフィデンスマンJP 英雄編 同 風の無法者(原題:Al Di la della legge) スノー・ロワイヤル(原題:Cold Pursuit) 同 バンコック・デンジャラス(原題:BANGKOK DANGEROUS) パリより愛をこめて(原題:FROM PARIS WITH LOVE) 同 崖っぷちの男(原題:MAN ON A LEDGE) リミットレス(原題:LIMITLESS) 同 遠い太鼓(原題:DISTANT DRUMS) 王様のためのホログラム(原題:A Hologram for the King) 同 ゲットバック 奪還(原題:Vier gegen die Bank) ダウト ~偽りの代償~(原題:BEYOND A REASONABLE DOUBT) 同 ザ・ハッスル(原題:THE HUSTLE) 大誘拐 RAINBOW KIDS 同 ナイト・ウォッチャー(原題:THE NIGHT CLERK) グランド・イリュージョン(原題:Now You See Me) 同 騙し絵の牙 初恋のきた道(原題:我的父親母親) 同 小さな巨人(原題:THE LITTLE BIG MAN) それでも夜は明ける(原題:12 Years a Slave) 同 遠い夜明け(原題:CRY FREEDOM) ロミオ・マスト・ダイ(原題:ROMEO MUST DIE) 十両 ブリグズビー・ベア(原題:Brigsby Bear) アオラレ(原題:UNHINGED) 同 ロードキラー(原題:Joy Ride) バーン・アフター・リーディング(原題:BURN AFTER READING) 同 アドレナリンドライブ 砂上の法廷(原題:The Whole Truth) 同 陪審員(原題:THE JUROR) HACHI 約束の犬(原題:HACHIKO:A DOG'S STORY) 同 ビッグ・アイズ(原題:Big Eyes) 暗殺 同 大忠臣蔵 男はつらいよ 奮闘篇 同 希望のかなた(原題:Toivon tuolla puolen) ブロークダウン・パレス(原題:BROKEDOWN PALACE) 同 しとやかな獣 男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け 同 男はつらいよ 寅次郎純情詩集 ハイド・アンド・シーク/暗闇のかくれんぼ(原題:Hide and Seek) 同 ストーカー(原題:ONE HOUR PHOTO) アンストッパブル(原題:UNSTOPPABLE) 同 山猫は眠らない8 チェンジング・レーン(原題:CHANGING LANES) 同 敵は本能寺にあり 舞妓はレディ 同 恋する惑星(原題:重慶森林) 遠くでずっとそばにいる 同 自由を手にするその日まで
読書
今年は30冊読んだ。一時期全然読まない時期があったり、無駄に長くて中身のない本を3ヶ月くらい読んでいたりしたので、冊数は大変少なかった。 『日の名残り』、『ルワンダ中央銀行総裁日記 増補版』、『株式投資の未来』、『起業のファイナンス 増補改訂版』、 あと技術書だが『Clean Architecture』といった書籍は読んだ価値があった。
上記の固有名詞は私の推奨ではない。
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news-futatsukukuri · 13 days
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【futatsukukuri】受注会(東京)開催中
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東京 ハウス@ミキリハッシン さんにて、あかとこかえ presents futatsukukuri 2024夏秋コレクション「BONES」開催中です。 futatsukukuriとしては約5年ぶりとなるコレクション、本展では赤鹿麻耶、TOKO、谷内香衣による仲良しリラクユニット「あかとこかえ」初の試みで、スタイリングをTOKO、コレクション写真を赤鹿麻耶が手掛けるfutatsukukuriの新作展示受注会となります。 大阪、東京、京都とまわり(あかとこかえ在廊日もあり)ます。 *あかとこかえ東京展在廊日=4/20(土)、21(日) どなた様もご予約なしでご覧いただけますので、この機会にぜひお越しください。 良き日にお越しください。 _____
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AKATOKOKAE presents futatsukukuri summer autumn 2024 collection BONES 4/13 sat - 4/15 mon sat 13:00-18:00 \ sun 11:00-18:00 / mon 11:00-17:00 Blend Living osaka 4/18 thu - 4/22 mon 15:00-20:00 \ weekend 12:00-20:00 house@mikirihassin tokyo 4/25 thu - 4/29 mon 13:00-19:00 kotobatofuku kyoto Photo / Maya Akashika Styling \ TOKO Design / Kae Taniuchi futatsukukuri.com _____
あか(赤鹿麻耶) 写真家。第34回写真新世紀グランプリ受賞。大阪を拠点に海外を含む各地で個展、グループ展を開催。旅先や日常の中で出会った言葉、写真、絵や音など多様なイメージを共感覚的に行き来しながら、現実とファンタジーが混交する独自の物語世界を紡ぐ。
主な展覧会に「日本の新進作家 vol.17」(東京都写真美術館、2020年)、「ときめきのテレパシー」(キヤノンギャラリー東京、2021年)、「Osaka Directory 1 赤鹿麻耶」(大阪中之島美術館、2022年)などがある。
とこ(TOKO) スタイリスト阿部澄江に師事。 高円寺で古着屋「光」を開店。その後、東京から拠点を大阪に移しカルチャーショップ「The 光」を開店。妊娠、出産を機に2017年頃より執筆活動開始。現在、夫の黒木雅巳とのファミリーユニットK’s CLUBにて、ささやかに活動ちゅう。精神対話士になるのが夢。
かえ(谷内香衣) 小学六年生の卒業文集に将来の夢はデザイナーと書く。 2009年、服飾ブランド futatsukukuri を立ち上げ「記憶や憧れにデザインを加えて新しい価値を生み出す」をコンセプトに雑居ビルの一室で服作りに没頭する。 2021年、暮らしに役立つchicな装いをコンセプトに新ライン「暮chic」がスタート。 ブランド名(ふたつくくり)は、子供の頃に憧れていた髪型に由来する。
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bearbench-tokaido · 2 months
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三篇 下 その三
上方者は、 「ハァ、ソンナラお前のお馴染みは何屋じゃいな」 と、意地悪く問うと、 「アイ、大木屋さ」 と、弥次郎兵衛がいう。 「大木屋の誰じやいな」 と、上方者がさらに問うと、 「留之助よ」 弥次郎兵衛が答えた。 上方者が 「ハハハ、そりゃ松輪屋じゃわいな。 大木屋にそんな女郎はありもせぬもの。 コリャお前、とんとやくたいじゃ、やくたいじゃ」  (やくたい…上方言葉で、らちもない、とんでもない、よくない、など広い意味に使う)
弥次郎兵衛は、 「ハテ、あそこにもありやすよ。ナァ北八」  (大木屋は実在の大見世の扇屋のこと。松輪屋はやはり実在の松葉屋のこと。留之助は松葉屋の抱えの名妓の染之助のこと。したがってこのやり取りでは上方男の勝ち) 北八、面倒臭くなってきて、 「ええ、さっきから黙って聞いていりゃ、弥次さんおめえ聞いたふうだぜ。 女郎買いに行ったこともなくて、人の話を聞きかじって出放題ばっかり。 外聞のわるい。国者の面よごしだ」
弥次郎兵衛は、 「べらぼうめ、俺だって行くってんだ。 しかもソレ、お前を神に連れていったじゃァねえか」  (神…取り巻き、太鼓持ち。遊廓付きの本職ではなく、客が連れ込んだ遊びの取り巻き仲間。落語の野太鼓がこれである) 北八、思い出して、 「ああ、あの大家さんの葬式の時か。なんと、神に連れたとは、おおげさな。 なるほど二朱の女郎の揚げ代はおめえにおぶさったかわり、 馬道の酒屋で、浅蜊のむきみのぬたと豆腐のおから汁で飲んだ時の銭は、みんなおいらが払ったじゃねえか」  (葬式くずれで繰り込むなら安い店にきまっている。揚げ代二朱なら宿場の飯盛なみのごく安い女郎。馬道は吉原に通ずる町。そこの酒屋のぬたも汁もごく安い庶民的な食い物である)
弥次郎兵衛は、 「嘘をつくぜ」 北八も、 「嘘なもんか。しかもその時おめえ、さんまの骨をのどへ立てて、飯を五六杯、丸呑みにしたじゃねえか」 「馬鹿言え。お前が田町で、甘酒を食らって、口を火傷したこた言わずに」 「ええ、それよりか、おめえ土手で、いい紙入れが落ちていると、犬の糞をつかんだじゃねえか、恥さらしな」  (土手…吉原に入る途中の山谷堀に添った日本堤の土手八丁、金持ちなら土手八丁を四ツ手駕で飛ばし、貧乏人なら歩く、いずれも弥次郎の自慢が嘘だと、北八が暴露したかたち)
と、遣り合っている二人に、上方者が 「ハハハハハ、いや、お前方は、とんとやくたいな衆じゃわいな」 弥次郎兵衛が、 「ええ、やくたいでも、悪態でも、うっちゃっておきゃァがれ。 よくつべこべとしゃべる野郎だ」 上方者は、関わり合いにならない方がいいかと、 「ハァこりゃご免なさい。ドレお先へまいろう」 と、そうそうに挨拶して、足早に行ってしまう。 その後ろ姿をみながら、弥次郎兵衛は、 「いまいましい。うぬらに一番へこまされた。ハハハハハ」   この話の間に、三ケ野橋を渡り、大久保の坂を越えて、早くも見付の宿(磐田市)にいたる。
北八、 「アァくたびれた。馬にでも乗ろうか」 ちょうどそこへ、馬方が、 「お前っち、馬ァいらしゃいませぬか。 わしどもは助郷役に出た馬だんで、早く帰りたい。 安く行かずい。サァ乗らっしゃりまし」  (助郷…東海道の交通の確保のために、沿線の村々に幕府がかけた役務で、人馬の徴発を含めて重いものだった)
弥次郎兵衛は、 「北八乗らねえか」 と、問い掛けると、 「安くば乗るべい」 と、馬の相談が出来て、北八はここから馬に乗る。 この馬方は助郷に出た百姓なので、商売人の馬子でないから丁寧で慇懃である。
弥次郎兵衛は、 「そうだ、馬子どん。ここに天竜川の渡しへの近道があるんじゃねえかな」 と、思い出して、聞いてみると、 「アイ、そっから北の方へ上がらっしゃると、一里ばかしも近くおざるわ」 と、馬方がいう。 北八が、 「馬は通らぬか」 と、更にとうと、 「インネ、徒歩道でおざるよ」 と、ここから弥次郎は一人近道のほうにまがる。
北八は馬で本道を行くと、早くも加茂川橋を渡り、西坂の墳松の立場に着く。 茶屋女が声をかけてくる。 「お休みなさりやァし、お休みなさりやァし」 茶屋の婆も声をかけてくる。 「名物の饅頭買わしゃりまし」 馬方が、その婆様に声を掛ける。 「婆さん、おかしな日和でおざる」 「お早うございやした。いま新田の兄いが、一緒に行こうかと待っていたに。 コレコレ横須賀の伯母どんに、言いついでおくんなさい。 道楽寺さまに勧説法があるから、遊びながらおいでと言ってよう」  (道楽寺は遊びながらおいでにこじつけた架空の寺の名) 馬方は、 「アイアイ、また近うちに来るように伝えときましょう。ドウドウ」 と、いうと、また歩き出した。
「この馬は静かな馬だ」 北八は、珍しく乗りやすい馬なので、つい、そういうと、 「女馬でおざるわ」 と、馬方が、こたえる。 北八は、にんまりして、 「どうりで乗り心地がよい」 馬方が、問い掛けてきた。 「旦那は、お江戸はどこだなのし」 「江戸は日本橋の本町」 と、北が答える。 「はあ、えいとこだァ。わしらも若い時分、お殿様について行きおったが。 その本町というところは、なんでもえらく大きい商人ばかしいるところだァのし」 と、昔のことを思い出しながら、話してくる。 「オオそれよ。おいらが家も、家内七八十人ばかりの暮らしだ」 と、またまた、くちからでまかせ。 馬方もしんじているにのかいないのか、 「ソリャ御大層な。お神さまが飯を炊くも、たいていのこんではない。 アノお江戸は、米がいくらしおります」 「まあ、一升二合、よい所で一合ぐらいよ」 と、考えながら言うと、 「で、そりゃいくらに」 と、馬方は、よく分からない。 「知れたことよ、百にさ」 と、北八がいうと、 「はあ、本町の旦那が、米を百文づつ買わしゃるそうだ」 馬方は勘違いして、そういう。 北八、笑いながら、 「ナニとんだことを。車で買い込むは」 「そんだら両にはいくらします」 と、馬方。 「なに、一両にか。ああ、こうと、二一天作の八だから、二五の十、二八の十六でふみつけられて、四五の廿で帯解かぬと見れば、無間の鐘の三斗八升七合五勺ばかりもしようか」  (割り算の九九の二一天作の八は一二天作の五の間違い、途中から浄瑠璃の文句でごまかしている。米の値段も出でたらめ) と、何やら、難しそうな、計算をはじめる。 「はあ、なんだかお江戸の米屋は難しい。わしにゃァわからない」 馬方は、すっかりけむに負かれて、 「わからぬはずだ。おれにもわからねえ。ハハハハハ」 と、北八も自分でいっててわからなくなった。
この話のうちにほどなく天竜川にいたる。 この川は信州の諏訪の湖水から流れ出て、東の瀬を大天竜、西の瀬を小天竜と言う。 舟渡しの大河である。弥次郎は近道を歩いてここで北八を待ちうけ、ともにこの渡しを越えるとて、一首。
 水上は 雲よりい出て 鱗ほど 浪の逆巻く 天竜の川  (水、雲、鱗、浪、逆巻く、みな竜の縁語の竜づくしが趣向)
舟からあがって立場の町にいたる。 ここは江戸へ六十里、京都へも六十里で、東海道の振り分けになるから中の町(浜松市)というそうだ。
 傾城の 道中ならで 草鞋がけ 茶屋に途絶えぬ 中の町客  (ここを江戸吉原の中の町に見立てて、花魁道中の高足駄の代わりに草鞋、吉原の引き手茶屋と街道筋の茶屋、どちらも客が絶えぬと言う趣向)   それより萱場、薬師新田を過ぎて、鳥居松が近くなったころ、浜松宿の宿引きが出迎えて、 「もし、あなたがたァお泊りなら、お宿をお願い申します」 と、二人の呼びかける。 北八がそれに答えて、 「女のいいのがあるなら泊りやしょう」 客引きここぞとばかりに、 「ずいぶんおざります」 と、いうと、弥次郎兵衛が、 「泊まるから飯も食わせるか」 宿引き 「あげませいで」 北八、 「コレ菜は何を食わせる」 宿引き、 「ハイ当所の名物、自然藷でもあげましょう」 「それがお平の椀か。そればかりじゃあるめえ」 「 それに推茸、慈姑のようなものをあしらいまして」 「汁が豆腐に蒟蒻の白和えか」 と、北八が、客引きとやりあっている。
弥次郎兵衛が、 「まあ、軽くしておくがいい。その代わり百ケ日には、ちと張り込まっせえ」  (ここのやり取りは、宿引きの言うのが、野菜ばかり並べた精進料理なので、死人の法要の料理だと皮肉ったのである。法要では、当初と百ケ日には料理を張り込むのがしきたり) 「これは異なことをおっしゃる。ハハハハハハ。時にもうまいりました」 「オヤもう浜松か。思いのほか早く来たわえ」 と、弥次郎兵衛、ここで一首読む。
 さっさっと 歩むにつれて 旅ごろも 吹きつけられし 浜松の風  (松風の音の颯、颯と、さっさと歩くとにかけている。風に吹き送られて早く着いた意味も含む)
その横を宿ひきが駆け抜ける。
宿引きは、旅館に駆け込むと、 「サァサァお着きだよ」 と、置くに声をかける。 「お早くございました。ソレおさん、お茶とお湯だァよ」 それに、こたえて、この旅館に亭主が出てくる。 弥次郎兵衛が、 「イャそんなに足はよごれもせぬ」 と、いうと、亭主 「そんなら、すぐにお風呂にお召しなさいまし」 と、奥に案内しようとする。
つづく。
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