Tumgik
#海水魚混泳
oka-akina · 8 months
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棕櫚の姫
 そのコンクリートの塀を城壁と呼んでいた。広い広い敷地を囲って、高さもあり、壁の上には有刺鉄線が張り巡らされいかめしい。書道教室の行き帰りにいつも通る道で、城壁の作る影は湿っていた。苔が生え、蟻や蜘蛛が這っていた。蟻を目で追い、歩いていると、足元がぼこんぼこん鳴った。壁とはちがう色のコンクリートで蓋がされており暗渠だった。かつて川だったところにかけられた蓋で、ところどころ揺れる。城壁だなんて巨大に感じていたのはわたしが小さかったためだろう。
 城壁の内側は二階建ての細長い建物で、庭が広いのでぽつんとして見える。クリーム色の壁がくすんでいた。そんなに豪華な建物ではないのでかえって城だった。余計な華美は避け、質素に屹立している。ほんとうの城はこうでなくっちゃと納得し、庭の芝生がかなり禿げていてそういう滅びの気配も城だと思った。どうやらどこか大学か会社の寮であるらしく、何々寮という文字が見えた。といっても、城門はめだたないつくりで奥まったところにありそっちへ行くのはこわかった。どんな寮だか、どんな人が住んでいるのか、ちゃんと見たことはなかった。
 わたしが見ていたのは壁と棕梠シュロだった。お城の庭には一本だけ、背の高い棕梠の木があった。灰色の壁の向こうですっくと伸びている。壁よりも建物よりも高く、ぼさぼさの幹が風にしなっている。棕梠という名を知ったのはもっとあとで、わたしはあれはヤシの木だと思っていた。あの揺れ方は南国だなあと、南国のことを知らないのに感心していた。雪の降りそうな寒い低い雲の日でも、冷たい風に手の甲が痒くても、壁の向こうのヤシの木だけ南の島で、お城の中だから当然だと思った。壁の外から見上げる葉はいつも影になり、動物の毛みたいにぎゅっと密集して見えた。
 この木の下にどんな人が住んでいるのだろう。なんとなく、人魚姫の姉たちを想像した。絵本の話、もっとわたしが小さかったころの話。母が、人魚姫の姉たちが泳ぎ回るページを開いて、「この中だったら誰が好き?」とわたしに選ばせた。深い意味はなかったと思うが——人魚の姉たちは色とりどりで、きっとわたしに色の名前を言わせたかった——、わたしは青い髪のお姉さんを指した。彼女の髪の毛はそんなに長くないがAラインにふわふわ広がっていて、ひたいに垂らしたアクセサリーが大人っぽく、いちばん素敵だと思った。そうして青い髪の人魚はその一ページだけの登場で、人魚姫に短刀を渡すシーンにはいなかった。それもよかった。きっと海の底で静かに悲しんだ。悲しみはするが彼女にはその後の人生があり、死なない。青い髪の姉についてわたしは幾度も想像した。棕梠のお城にいる誰かを想像すると、彼女になった。
 やがて暗渠の町からは引越して、わたしは川に挟まれた町に住むことになった。両親が離婚し、母と二人の家になり、近くに祖母と伯母が住んでいてちょくちょく行き来した。蓋のない、どころか、おおきなおおきな川で河川敷もだだっ広い。二つの川はカーブし、町はレモンの形をしている。アーケードの商店街があり暗渠の町よりだいぶ騒がしい町だったが、学校は小さかった。わたしの学年はそれまで三十九人で、わたしが引っ越してきたことにより四十人になり、あなたのおかげで一クラスだったのが二クラスになったのだと春休み明けの転校初日に先生に言われ、自分が福音なのか災厄なのかわからなかった。
 新学期早々ずっと休んでいる子がいて、盲腸で入院しているとのことだった。クラスみんなでお見舞いの手紙を書きましょうと先生が言った。色画用紙が配られ、一人一通、工夫してメッセージカードを作るよう言われ、まだ一度も会ったことがないのにわたしも書くんですかと先生に尋ねたら、「みんなクラスの仲間でしょう」とたしなめられた。でも知らないんだよな、となりのクラスの子たちは書かないのかな、わたしが来なければひとつのクラスだったのにな……と思った。
 どうせ知らない人に書くのなら棕梠のお城にいるはずの彼女、青い髪の人魚に宛てて書きたかった。棕梠のお城の人魚たちには足があり、城壁の外では完璧に人間のふりができる。王子に恋をせず生き続け、芝生の上を駆けたり寝そべったり、真夜中、お城の中でだけ人魚に戻る。庭に水をまいて海にするかもしれない。そうか、だから芝が禿げていた。棕梠の葉ずれの音を聞きながら足の使い方を練習し、人魚の下半身がいらなくなったらお城——寮から出て行く。でも彼女たちは人間のふりも人魚でいることも好きだから、のらりくらりお城に住みつづけ、出て行かない。棕梠はどんどん伸びてゆき、葉の重さで腰が曲がる。青い髪の彼女はぼさぼさの幹をやさしく撫でてくれる。それなら手紙を書けるのだ。書けるか? わたしはなにを書くだろう?
 たとえばいつも棕梠を見上げていたこと。黒い葉。風。書道教室は畳の部屋で薄暗かったこと。流しの水がいつも細く、冷たくて、お湯は出ず、わたしは手についた墨汁をきれいに落とせなかった。黒く染まった指先をきつく握って、すれちがう人たちから隠した。なぜ隠さなければと思ったのか、わたしがあらゆる視線をおそれていたためだが、そそりたつ棕梠にはぜんぶばれている気がした。人魚を見守る南の島の木は、わたしのことだって知っていたはずだ。墨汁はいつも風呂で落とした。浴槽で足を伸ばし、そのころにはもう一人で風呂に入るようになっていた。墨の溶けた湯だからほんとうは透明ではない、目に見えない黒色の混じった湯なのだと思った。そういうことを書く。書いた。学校から帰ってきて便箋につづり、糊をなめて封をした。でもこれでは、わたしが思っていることを書いただけで、受け取る相手、青い髪の彼女に向けてなにか発信しているわけではないなとも思った。
 盲腸のクラスメイトには、画用紙を切ったり貼ったりして「飛び出すカード」を作り、おだいじにとか当たり障りのないことを書いた。
 レモンの町では書道教室に通わなかった。伯母はフラダンス教室の先生をやっており、招かれたので何度か見学したが、自分にはできる気がしなかったので(踊るのは恥ずかしい)、見学しただけだった。伯母はフラをやるからこまかいウェーブの髪がすごく長くて、想像の人魚よりも長かった。教室はおばあさんが多く、ハイビスカスの造花がたくさん飾ってあり、でもヤシの木はなかった。
 盲腸のクラスメイトとは友だちになれた。退院してすぐ話しかけられ、飛び出すカードすごくかわいかった、どんな子が転校してきたのだろうと楽しみだったと言われ、わたしはちょっと申し訳なく思った。
 だからというわけではないがかなり仲良くなった。すみれちゃんという名前で、しばしば自分の名前をSMILEと書いた。たとえば授業中に回ってくる手紙、ノートの切れ端にぎっしり書かれたいろいろの最後にSMILEとあり、それは署名だけども、受け取ったわたしには「笑って!」というメッセージにも見え、わたしはすみれちゃんの手紙がけっこう好きだった。
 きのうみた夢とか、好きな音楽とか、誰々が雑誌のインタビューでこう言っていた、ラジオでこんな話をしていた、いますごく眠い、親とケンカしてすげえムカついてる、そういう日記みたいな手紙で、いや日記でもないようないろいろで、思っていることを書くだけでもちゃんと手紙になることを知った。わたしが手紙を読むときすみれちゃんはもう眠くないし、すげえムカついた気持ちもいくらかおさまっている。その時差こそが手紙の肝だと思った。
 手紙ではたまにシリアスな悩みも吐露され、そういうときはSMILEの下に「読んだら燃やして」と強い筆跡で書かれていた。わたしはすみれちゃんの手紙を一度も燃やしたことはなかった。うちにはマッチもライターもなく燃やし方がわからなかったためで、ガスコンロで火をつけるのもこわかった。父親がいたらライターがあったろうか。ないな。たばこは吸わなかった。うちに小さな火がないのは父とは関係ない。父にはときどき会った。父も暗渠の町から引っ越したので暗渠の町に行くことはなくなった。
 中学に入り、すみれちゃんの家が建て替えすることになった。古い家をぜんぶ取り壊すからラクガキしていいよということになり、友だち何人かで誘われた。すでに家具はぜんぶ運び出されからっぽになった家の壁や床だ。油性マジックとか書道の墨汁とかカラースプレーとか、みんなでいろいろ持ってきて、こんなことは初めてだったから最初わたしたちはおそるおそるペンを握ったが、だんだんマンガの絵を描いたり好きな歌詞を書いたり、家じゅう思い思いにラクガキした。腕をぜんぶ伸ばし、肩がもげるくらい大きなマルを描いてみた。マルの中に顔も描いた。すみれちゃんの妹が壁いっぱいの巨大な相合傘を描いた。片側に自分の名前、もう片側はいろんな人の名前で、芸能人もマンガのキャラクターもあったがやがて尽きたのか、後半は「優しい人」「うそをつかない人」「趣味が合う人」と理想を並べていた。すみれちゃんは最後、床に大きく「ありがとう」「SMILE」と書き、このラクガキは家への手紙だったのかと思った。
 あとになってGoogleマップで暗渠の町を見たら棕梠のお城はなくなっていた。見つけられなかっただけかもしれないが、区画整理にひっかかったのか、暗渠の道もないように見えた。お城を取り壊すさい誰か壁にラクガキしたろうか。しなかったろう。だからすみれちゃんの家はとても幸運だったろう。そうして道の形が変わっても、地面の下にかつて川だった跡は残っているとも思った。
 あのとき人魚に宛てて書いた手紙が、このあいだ本棚のすきまから出てきて、なにを書いたかだいたいおぼえていた。恥ずかしいなと思いつつ封を開けたら、しかし便箋は白紙だった。文字はどこかに消えてしまったのか、書いたというのはわたしの思い込みだったのか、ぜったい後者なんだけど、後者なんだけど……と思う。すみれちゃんはマスカラを塗るとき、ビューラーをライターの火であたためる。小さな火を持っている。
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ペーパーウェルというネットプリントの企画に参加します。
セブンイレブン【24438044】 10/8 23:59まで
ファミマ・ローソン【DA5W82BGB9】 10/9 16時ごろまで
これは4年くらい前に書いたやつ。読んだことある人もいるかもしれない(覚えていてくださる方がいたらうれしい)。
今回のペーパーウェルのテーマが「時間」だったので、時間のことを考えながら書いた小説にしました。いやどこらへんが?って感じなんだけど、自分の中では…。過去のことを語るときの距離感、時間の長さとか流れを探りたかったというか。
つい最近読んだ川上弘美のインタビュー記事ですが、「年をとって記憶がいっぱい自分の中に貯まっているせいか、ある時期から、一瞬にフォーカスして書くよりも時間の流れを書くことが多くなってきた」とあって、なるほどなあと思いました。そして「でもコロナのもとで生活しながら小説を書いていると、なぜだか自然に、今この瞬間にフォーカスした書き方に回帰していくことになりました」と続き、とても興味深かった。
『群像』のweb記事で、「物語るために遠ざかり、小説全体であらわしていく」という題の鴻巣友希子との対談です。
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keredomo · 11 months
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悪夢
 見知らぬ男が肩の半ばあたりですらりと軀をスライスされた。  ヒッ、と喉が痙攣し、息を飲み下せない。男はその身を切り落とされたまま、平然と私の前に立ちつくしている。本来ならば、身体組織が顕になり血がどうどうと溢れてやまないはずのその断面は、なぜか黒地に橙色のまだらが無数に滲む平坦な模様をなしており、橙色の楕円のすべては天体観測に見る恒星のようにぼんやりと発光していた。肩から上のない男は、口もないのに、どこからか発声して私に語りかける。「なんぴともすべて門をくぐる。椅子はみどりの黴に覆われて、蛸――」瞬間、巨大な蛸が私のからだに濡れたまま纏いつく。無数の鳥肌が立つ。蛸の帯びたぬとぬととぬめった海水が私の皮膚を舐め上げて、逃げ悶えながら這いつくばる身体の、骨という骨がごきごきと音を立てて外されてゆく、痛い、痛い、もういや、痛い、もうやめて!――
 はあっ、と息をあらげて目を覚ます。自室の白い天井が見える。大きな窓に掛けたカーテンを開け放していたせいで、部屋の奥に据えたベッドにまであかあかと届く光に瞼越しの眼球が晒されて痛い。私は昨晩眠りについたベッドにいつも通りに横たわっている。男はいない。蛸もいない。一応、手を確認する。折れていない。からだはこわばりきってぐったりと疲れている。汗がひどい。足の先まで湿っている。夢だった。あれは夢だった。
 休むために眠っているのに、どうしてこんな目に遭わなければならないのか。私はわたしの脳を恨む。東京から沖縄までラッコと共に泳いで渡る夢を見て、起きたらなぜだか肉体的にも疲れ果てていて、その日一日が使い物にならなかった日もあった。だれにも、私にも統御不可能な苦しい夢が日々を圧迫して、どうにもならないので仕方なく受け入れている。
 こんなにも毎晩、ひどい悪夢を見るようになったのはここ二、三年のことだった。それまでは美しい夢も見ていた。今も覚えている、数年前に見た、きらきらと光を湛えた金屏風の前に当時愛していた男が立って、こちらに手を差し伸べていた風景を。椿の花弁がおびただしく舞うなかで、とうに失ってしまった男が私に微笑みかけていた。そんな夢を見て、泣きながら目覚めた朝だってあったのだ。
 今はどうだ。眠るたびにグロテスクな夢を見る。神経を逆撫でする光景ばかりが私の認識(認識は夢でも現実でも同じだけ作用する)に襲いかかり、何時間にも及ぶ格闘ののち、疲れ果てて目を覚ます。魚屋に行った日には、イカとイワシが膣めがけて大挙して射精し、私の胎がふくれあがる。不安な仕事を抱えていれば、夢の中で大いに失敗する。仕事だけではない、私生活の延長にある最も忌避したい現実もまた、物語としてありありと立ち現れ、眠っている私の心を折ろうとする。
 明らかに精神を病んでいる。しかし、夢の持ち主であり作り手である私は、夢の光景に苛まれながらもその異常性を楽しんでいて、現実の苦しみ以上を夢の中で苦しむことに負のカタルシスを覚えていて、自罰のために悪夢の日々を手放そうとしない。  そんなお為ごかしに遵じていると、また悪夢をみる。乗るべき飛行機の便があと少しで離陸するというのに、走っても走っても前に進まない。風呂に浸かっているかと思えば尻には溺死体の女の隠毛が触っている。殺人者から逃れて、ペドロ・コスタの撮るような見知らぬ外国の貧困街を走り尽くす。苦しい。痛い。怖い。走っても走っても前に進まない。そうして殺される。殺されても生き返る。また酷いやりかたで殺される。心臓を抉られる。四肢をもがれる。頸に刃物を刺しとおされる。海に沈んで魚についばまれる。陵辱され、奇形を孕む。
 夢に現実世界の象徴化を見ることはスピリチュアリズムに淫するばかげた行為だとも思うが、そう理性的に事を収めるにはあまりにも異常な精度と頻度で悪夢を繰り返しすぎている。
 心当たりはある。日課のように悪夢を見るようになった頃、現実の私は、おのれの抱く「悪意」を封じることを倫理に強要されたのだった。
 褒められたことではないが、私には死を願っている対象が幾人かある。その願いを非倫理的なものとして押し潰し、しかし消し去ることはできず、心のなかに押し込んで飼い始めた。憎しみと怒りと苦しみと暴力性をぐちゃぐちゃに練り合わせた怪物は心の中で暴れ続けて、心臓を内側から喰いちぎろうとする。それと付き合ううち、段々と私の悪夢は激化した。初めは抽象的だったから、ただの悪夢として忘れることができた。夢は次第に具体化していった。その悪夢たちが現実を反映していることに気づいた時には、もう修復できないほどに心が喰い破られてしまっていた。
 こうして夢は、現実の強いる抑圧とはっきり結びついた。悪夢の悪性は私の心の醜さを反映している。そのことを認識できないほど、私の理性はなまくらではない。解釈可能な悪夢が日々わたしの心を蝕む。おのれの醜さに辟易する。自罰は次第に激化する。こうして魘されることでしか、醜い自分を罰することができない。
 ある夜、こんな夢を見た。  ペガサスの被り物をした女が、新宿駅東口の地下道へ降りる階段の踊り場に倒れ込み、今にも出産しようとしている。股からはおびただしく出血し、踊り場は血の海になっている。汚い地面に産み落とされようとする嬰児。ペガサスの女は、被り物をしているからその顔はわからないはずが、青ざめきって今にも死にそうになっているのがわかる。私は手を貸すこともできず、ただ立ち尽くしている。その光景はあまりにも惨たらしく、目が覚めてからもしばらく頭を抱えて魘された。  あの女はきっと、私だった。本当は、私がペガサスの被り物をして、汚い床にへばりついて、命と引き換えに何かを産もうとしていた。血みどろの光景。行き交う人間の靴の泥で汚れきって、不衛生な床。そこで何かを産もうとして絶叫しているのは私だった。誰の助けも得られぬまま、倒れ込んで血の海を広げ続けるのは私だった。
 あの時はわからなかった。しかし、こうして悪夢について改めて考えてみると、あれが自己イメージだったことは容易に理解される。夢は兆候を示さない。夢は象徴と意味を一対一に対応させ得ない。夢は抑圧されたイメージの屈折した表出でしかなく、他者には絶対に読み解けない、極めて自己閉鎖的なものだ。あの女が血の海で倒れていたことの意味は、私にしかわからない。どんなに親しい人間であっても、絶対にわからない。
 眠って、理性の制御のきかない混沌の中で夢を見るのが怖い。それは私を暴く。現実において理性的であろうと抑圧すればするほど、夢は残酷な様相を呈するようになる。とっくに理解している、この悪夢たちを退けようと思うのならば、現実をなんとかしなければならないのだと。現実のほうを、苦心なく生きていられるものに整えなおさねばならないのだと。
 わかっている。何を取り除けば悪夢から解放されるのか。何を手放せば楽になれるのか。わかっていて、迷っている。何を迷っているのかを考えている。
 いつか、それをついに捨てられる日が来るまで、夜がくれば私は諦めてまた眠る。眠って、悪夢に苛まれる。そうやって自分を罰する。考えて考えて考え抜いて、それでもどうしても手放せないというのなら、醜い怪物に喰われて、喰われ果てて、この心がいつか消尽するのを、果てしない絶望感に包まれて見守るだけだ。
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mame-trpg · 15 days
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CoC:LAST-0
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❖KP❖
いぬさん
◈PL/PC◈
HO1:うーたんさん/Ava
HO2:しおまめ/海花
HO3:Uさん/クィーラ
HO4:ヒヅキさん/ルピス
▷▷ 全生還
以降ネタバレ有り。
現在通過中、未通過の人は【さらに読む】を開かないでください。
※Xからきた場合は以下ネタバレなのでスクロール注意。
END:A-1全生還で終了しました。
通過中ずっとめしょめしょしてたし「HO2がなにしたってんだよ!!!」ってなってましたが、HO2は魂HOです。HO2で通れてよかったですありがとうございました。
個別中に何があったかとか↓
【個別導入時】
子守歌を歌ってくれる両親の夢を見てるよってスタートでした。
人魚と王子の子守歌を歌う優しい両親に囲まれて、優しく頭を撫でられる、そんな幸せな夢です。
幸せ…だったんだな……ってこの時点で既に泣きそうになってしまって…だから余計に、終盤のあの、薬品棚のあれ…絶対海花知ったら壊れてしまうって思って…。
両親がどういう人達なのかというのをこの時点でわかってて、ちゃんと「愛されていた」ということが、「幸せだった」ということが感じられて、そんな両親が肉片になって狭い瓶の中に閉じ込められているって知ったら、絶対闇落ち待ったなしなので…言わずにいてくれた自陣に感謝しかないです…。
起きてイメルちゃんに夢の話をしましたが、イメルちゃんにこのとき「一緒に居るわ」って約束してしまって…ふせったーにも書いたけど、ああ~~~約束してしまった…ってなってしまい…。
海花は「いつか外に行ってみたいけど、イメルが悲しんでしまうから誰にも秘密にしている子」だったので…「一緒に居る」も本心ですが、「外に行きたい」とも思っていたので、苦しかったですね。
結局最後の最後までイメルちゃんにも自陣にも「本当は外に行きたいって思ってたのよ」って吐露しなかったので、海花は多分ずっと誰にも言わないんでしょうね。CSに書いた「誰にも教えてあげないわ。これは秘密。秘密なの。」はここにかかってたんですが、これを最後の最後まで貫き通して終えるとは思ってませんでした。
【初日夜個別】
ここでは族長に髪を撫でられる夢を見たんですが、その夢の中で八尾比丘尼伝説の話をしました。
「伝説を信じて自分達のことを欲しがる人間がいまも存在している」的なことを族長が言ってまして、そのあとなんか鈍い音がして水が赤く染まっていって、見上げたらさっきまで話していた筈の族長が肉片になってるという夢で…。
夢…だった……ってほっとしたらなんか、頭を撫でられる感触があるし、一緒に寝てたイメルちゃんが青ざめて一点を見つめてまして……あの、本当にここ、こわかったです。
『見る』って決めるまでにこわくて少し時間もらってしまうくらいには海花もPLも怯えました。
まあ、見たら見たで、なんか見たことない人間の手が髪に絡まってたんですがね。ホラーでした。ホラーでしたね。
族長の手じゃなかったことに��安心しましたが、こわかったです。
【2日目夜】
イメルちゃんと族長と食卓を囲んでるシーン。
本当の家族じゃなくても『本当の家族』と変わり映えのない、幸せな空間でした。
ここはふせったーにも書きましたが、PLは族長と会話して「ああ…消えちゃうのか…」って察してたんですが、海花は『察する』まではいかないけど、会話の流れで『何か不安を感じる』ことはあるかなとも思ったので「まだいなくなったりしないわよね…?」って聞きました。
何も答えなかった族長に、どれだけ海花のことを愛してくれているのか感じることができて、抱きついて甘えて、イメルちゃんも呼んで3人で抱きしめあって、「幸福だよ」って3人で伝えあって、私はこのシーンがとても好きです。
そうして眠りについて、夢を見ました。
子守歌の夢。けれど内容は違っていて、王子は別の女性を愛して、王子のために人魚は自らの身を投げだした、そんな悲しい夢。
そんな夢を見て、泣きながら起きて、朝食を食べにイメルちゃんと向かったら、いつも食事の用意をしてくれているはずの族長の姿がなくて…ぼろぼろ泣かないわけがなくて…。
めしょめしょしながらメインに戻ってめしょめしょしながら夜休憩に入りました。めしょめしょするしか選択肢がない。
卓後に族長は海花とイメルちゃんを守るために自分が犠牲になろうとしてたって聞いてまた泣きそうになったんですけど…族長……愛…愛です…。
【4日目夜】
族長のお部屋を泣きながら掃除するイメルちゃん…苦しい…ってなりました。
一緒に族長のお部屋片づけてたら、なんか…あの……族長の手記に、イメルちゃんのトラウマとか、人間に仲間が捕まってることとか、管理施設に仲間や、自分達の両親が居るかもしれないこととか書かれてて…頭一瞬真っ白になりました。
人間って愚か。愚かだ。本当に。
イメルちゃんと話しをしているとき「逃げよう」と言われて、海花は正直に言うと本当はすごく嬉しかったです。
「外は恐ろしい」と言っていたイメルちゃんが、自分と一緒に逃げることを望んでくれて、嬉しかったです。本当は嬉しくて、その言葉に頷いてしまいたかった。
でも、イメルちゃんのトラウマの話も聞いて、族長の手記や自陣や自分の仲間達のことを考えたら、頷くことはできなくて…。
何よりも、『人間をこのままにするのは嫌』でした。
海花は綺麗なものが好きだから、海や珊瑚、魚たち、仲間たちの笑顔、陸にある見たことのなかった花や木の実。そういった自分の大好きなきらきらした綺麗なものが、これ以上人間達に穢されるのは絶対に嫌で、何よりも、一番大切なイメルちゃんにトラウマを植え付けて、苦しませる人間が許せませんでした。
お話を終えて、部屋を後にしてから管理施設に向かう前に、イメルちゃんに「必ず帰るから待っていて」という旨を書いた手紙を残しました。
手紙にはその日の昼間、ボーゲンハイト族の区画で彼女のために持ち帰った赤い小さな木の実と、スノードロップ、自分のウロコを添えて。
【チェイス後NPCとのやり取り】
KPの機転で戦闘とチェイス後にそれぞれのNPCとゆっくり会話する時間を設けてもらえたので、いっぱいお話できて嬉しかったです。ありがとうKP。HAPPY。
最後の最後にイメルちゃんの鼻先にキスをしましたが、海花は「恋愛」というものを全然これっぽっちも理解してないので、無自覚です。
ただ、クィーラさんとギルバートさんが話してる間、イメルちゃんと抱きしめあってくるくるしたりしてる間に、「愛しい」「キスしたい」と海花が思ったので、鼻先にキスしました。
鼻先へのキスの意味は「愛おしい」「守りたい」「可愛がりたい」です。
イメルちゃんとお話してるとき「ずっと一緒よ」って言ったんですが、導入時の「一緒に居る」は罪悪感混じりのものだったのに対して、ここで言った「ずっと一緒よ」は何の混ざり気のないのものだったので、個人的に嬉しかったですね。ちゃんと、罪悪感を抱えずに、イメルちゃんと約束することができたので。
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【シナリオ後】
卓後にKPに聞いたら族長は族長に復帰しないと思うとのことだったので、イメルちゃんと2人で族長になります。
海花が『種族』よりも『個』の方を大切に思う子なので、『種族』の垣根を越えた催し物とか、交流とか、そういったものを強く望むと思うので、族長になったならなおさら他種族との垣根をなくしていく方に力を入れると思います。
もし仮に『種族』が減ってしまっても、『ひとりぼっち』にはならなくて済むように、『個』を大切にしていく、そんな族長になると思います。
「死んでも泡になって消えたりしない」ことがわかったいま、それをちゃんとフィリグのみんなには伝えるでしょうし、赤裸々に言うことはしないにしろ、人間がやっていたことを伝えることはすると思います。自分が感じたことや、自分がいま考えていることとか、想いとかそういったものも全部、しっかり伝えると思うので、まあ、海花なら多分大丈夫なんじゃないかなとは思います。
お墓というものがあることを知ったので、お墓を作りましょうってなる気はしますね。
あと多分石板は壊して大丈夫なら壊します。
二度と悪用されないようにみんなに協力してもらって粉々にします。
アウブリック族の区画に居る飛べないアウブリック族のところにはちょいちょい顔出してる気がしますね。
彼等には彼等にしかできないことがきっとあると考えて、「ねえ、空が駄目なら水の中はどうかしら?」とか言ってフィリグで協力者募って泳ぎを教えたりしそう。実際ペンギンとか居るから泳ぎの方が全然得意なアウブリック族普通に居そう…。
「泳ぎが駄目なら歌は?」「踊りは?」「走るのは?」って彼等にとっての「自信」に繋がりそうなことがないかいっぱい考えそうですね。
ボーゲンハイト族の区画はまだまだ危険でしょうから、1人で近付くということはしないけど、ゆっくり少しずつでも他のボーゲンハイト族もまたみんなで過ごして、他種族とも交流できるようになっていったらいいなと思っているので、ルピスくんにお願いしてたまに連れて行ってもらったりはしてると思います。
管理施設にはAvaくんに会いにちょいちょい行ってるし遊びに行きましょうって言って外に引っ張り出したりしてると思います。もちろん他PCも巻き込みます。みんなで色んなものを見て笑って過ごしてほしいです。
あと終了後にも言いましたが、海花は両親や仲間の痕跡がないかと探し続けてると思うので、多分他PC達が見てられなくなるんじゃないかと…特に自陣で唯一行く末を知っているAvaくんが…。
教えるということはしないって言ってましたがPLもそれはあまりにも酷だからしなくていいと思ってるので、全然しなくて大丈夫ですが、いつかふわっとでいいので優しい嘘をついてあげてほしいです。Avaくんにまた嘘を吐かせてしまうことになるので申し訳ないんですが、それで海花は間違いなく救われるので。
瓶に入れられた肉片たちはそっと海に還すなり埋葬するなりしてもらえると嬉しいです。
形だけでもってお墓とか建てるのかな…海花は建てることを望みそうですね…建てるなら慰霊碑になるんでしょうね…。
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【自陣に対して】
HO1:Avaくん
「Avaは白色の宝石。しろをぎゅっととじこめたような…そう、あのときみつけた、スノードロップのような、小さいけれど、つよくさきほこる、そんな宝石なの。さみしいと泣いたあなたは、ちゃんと生きてるわ。あなたの居場所はちゃんとここにあるわ。大丈夫。さみしいときは歌いましょう。Avaの歌声は無垢できれいよ。私はいつでもあなたと歌うわ。一緒に色んなものを見て、色んなことを感じて、笑って、泣いて、生きていきましょう。そうすればきっと、あなたの白色は、もっともっときれいできらきらしたものになるわ。」
HO3:クィーラさん
「クィーラはブラウン色の宝石。傾けるとキッとするどく光るけれど、真ん中の方はやさしく柔らかにひかるのよ。そう、まるで木々の幹のような、つよさとやさしさをもった、そんな宝石なの。それから少し、パパみたいだなって思うわ。きっとあなたがやさしいからね。またあなたの背中に乗って、空を飛んでみたいわ。今度はイメルも一緒だと嬉しいのだけれど、だめかしら?自分の選んだ道で、大切な人をかなしませるかもしれないって悩んだあなたは、とてもきれいよ。それにね、ほら、大丈夫だったでしょう?だってあなたには、共に歩みたいと思わせるだけのつよさがあるもの。」
HO4:ルピスくん
「ルピスは紫色の宝石。真ん中にね、おほしさまのような光が入った宝石よ。そうね、夜と朝が混ざって、やわらかな紫色に染まることがあるでしょう?そんなやわらかでやさしい、けれどなかにつよさをぎゅっと詰め込んだようなそんな宝石なのよ。ルピスのふわふわしたしっぽも、ぷにぷにのにくきゅうも大好きよ。大切な人を守るために、誰かを守るために、戦えるあなたはかっこよくて、とてもきれいよ。そんなあなたならきっと、一族をまとめられるんじゃないかしら。だってあなたはそれだけの力を持っているもの。そんな未来を、私は見てみたいって、そう思うの。」
『海花』で行くことができて本当によかったです。
海花に優しくしてくれてありがとうございました。
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【ふせまとめ】
※随時更新※
ふせ①
ふせ②
ふせ③
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derspericher · 29 days
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旅に出る理由 #Republic of Palau
初めてこの国を出たのは、まだ小学生の頃だった。
私は子供の頃、市の友好青年使節団の研修へ参加し、主に日本と戦時中に関わりがあった幾つかの国々を訪れた。友好青年使節団の渡航準備は、まず半年をかけた研修から始まる。定期的にフォーラムに参加し、渡航先と日本がどのように関わり合っていたのか、彼らの文化はどのようなものなのか、戦時中何が起きたのか。事前に相手の国へ行く目的をはっきりさせてから行った。文化交流の一環として、相手の国民的な歌を覚えて合唱曲を互いに送り合ったり、時にはホームステイもした。「言語の壁を越えていく適応力」と「互いの歴史的・文化的背景を知り、多角的な視点を持って相手に歩み寄ること」をここで着実に学んだように思う。
そして私が使節団として渡航した最初の国が、パラオ共和国だ。
パラオは西太平洋に位置する、500以上の島が集まってできた共和国だ。日本とは歴史的な関わりが非常に深く、第一次世界大戦後に日本の統治領土として一時的に統治されていたことが大きく影響している。(パラオ共和国の国旗は、日本の国旗のオマージュとも言われているが、製作者は否定しているとのこと)パラオ語の中には日本語が混ざっていることで有名だ。
私はパラオ無人島体験のプログラムに参加した。参加時はもちろん戦地学習としてぺリリュー島などの激戦地には行ったのだが、無人島で過ごした時間が衝撃的すぎて全く覚えていない。大人より子供の多い無人島サバイバルツアーが組まれ、今となっては考えられないようなプログラムが組まれていた。子供達のメンバーはうろ覚えだが、明るい子、教室の隅にいるような子、不登校の子、など、決して外交的な人間だけが揃えられたのではなかった。大人はマジシャン、理科講師、主催者、現地のツアーガイド数名だった。「理科」「エンタメ」「現地民」「計画者」、そしてさまざまな性格の子供たち。今思うとほぼ漂流教室だ。やばすぎる。
プログラムがスタートしてパラオのコロール市に数泊した後、小さな無人島へ皆でボートで向かった。日中、干潮の時間に水の中をじゃぶじゃぶと歩きながら島へ上陸したのを覚えている。足元を見ると、白い砂浜を米粒ほどの小さなヤドカリがウヨウヨと歩いていた。島に入ってすぐ見えるヤシの木には、前年度のプログラム参加者が作ったお手製の木のブランコがかかっていた。
無人島生活は、まずシュノーケリングから始まった。小判鮫がウヨウヨいる海を泳いだ。ずっと向こう側まで澄み切っている海を泳ぎ、横をスイスイと泳ぐ魚たち、とサメ。サメサメサメ。サメばかり。とはいえど、小判ザメだ。人間を襲いにくる様子もなく、ちいさな群れを成して悠然と泳いでいた。最初は怖くて仕方がなかったが、何もしてこないとわかると俄然楽しくなったのを覚えている。
午後はテグスと小さな針のみで魚釣り。釣った魚はその日の晩御飯になると聞き、みんな果敢に挑戦し、小判ザメを釣ったり、小さなミノカサゴを釣ったり。「食べなければ生き残れない」という無意識のもとで命を獲り、それを食べる。今思うと「人間という動物」らしい瞬間だ。海に生きとし生けるものと一つになって泳ぎ、その群像の一つを食べて生きる。そんなサイクルを体感した。
日が沈んだ頃、壁のない木の小屋に集まり、釣った獲物の鍋を突いた。マジシャンがマジックを披露していた最中、その向こう側からふらっと現れた巨大なヤシガニに一同騒然とした。ヤシガニはマジックのタネではなかった。ガイドが木の枝を使って捕まえて、理科講師が「ヤシガニのハサミは人の親指をパチンと切る」と言っていた。鍋で煮て食べた。捕食者でよかった。私の指は残った。ヤシガニのハサミは美味しかった。
ひとしきり食べ終わった後、みんなで浜辺で焚き火をした。ここで理科講師「おじい」が星の名前を教えてくれた。一つも覚えていないが、南十字星という、南の島でしか見れない星が稀にあることだけは覚えた。私たちは見ることができなかった。
あの時、まだ10代になったばかりの子供達だったが、焚き火を囲みながら、夜なべして将来の話をしていた。6年生の男の子がすごく悩んでいたような気がする。そのあとは硬い木の床にみんなで雑魚寝した。お風呂なんてもちろん入っていない。肌が砂でざらつき、湿気でベタついていた。風を感じた。月が大きかった。『時間』という概念を忘れていた。何もかもが自然の流れと共にあった。
夜明け、とんでもない光に照らされて起き上がり、理科講師おじいを起こした。「あれは何?」と聞いた時に「あれはね、朝と夜の間にしか見えない金星という星だよ」と教えてもらった。金星が朝陽の限りなく近くにいたからなのか、眩しくて仕方がなかったのを覚えている。その光を、いまだに、確かに、私の体は覚えている。
思い切り自然を楽しみきった私は、無人島から帰る時、「帰りたくない」と駄々をこねた。ガイドさんに「残るか?」と聞いてもらったのを覚えている。育てていたポケモンのたまごなんて、もうどうでも良くなっていた。「ここがいい」と思っていた。泣く泣くホテルに帰り、夕方にレストランで食べたコウモリのスープは、シャケの味がした。ホテルに帰ってベッドで寝ても、食事だけは相変わらずビーストモードだった。
パラオでの無人島体験は、地球と邂逅した時間だった。
当時、日本の児童館でPCで毎日フラッシュ倉庫やYouTubeを漁っていたザ・インターネットキッズの私��とって、すでに情報の海はみじかなものであった。タイピングも上手くなってきた頃、全ての電子機器を置いて無人島に行った私は、人間社会の皮を被っていない地球そのものに完全に魅せられてしまった。
インターネットは今でも大好きだ。今はさまざまな情報をもっともっとインターネットで簡単に得られる時代。なんだって知ったような気になれる。
でも如何せん、地球は大きく、広く、丸く、そして変化し続ける命だ。その未来には私たちと同様、死が待っている。四角いフレームや文字の羅列で切り取れるようなサイズの事柄は、最初から世界にはない。知り尽くせない文脈が、地球の血脈だ。毛細血管の如く地球上にぐるぐると広がっている。本物を知りたければ、自身の身体を持って、本物に触れなければいけない、と、私は思う。そのアクションはとてもパワーがいる。エネルギーがいる。ただその分、私の問いに世界は言葉なく応えてくれる。
旅という行為に興味はない。私は、この世界に興味がある。この世界で起きたこと、起きていること、起きるであろうこと、その全てに、魅せられ続けている。遺跡、美術、絶景、人物、動物、エンターテイメント、文学、音楽、どれにしたって、「概要」を知っていても、本質に触れることとは知の獲得において、天と地ほどの差がある。本物に触れることで、真実そのものが伝わってくる。そしてまたひとつ、新しい感覚が、この体に生まれる。「そういうことだったのか」と、言葉にならない体験的な知の財産を得る。
この「知る喜び」こそ、私が旅に出る理由なのだ。
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erairuka · 8 months
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2023.10.9
繰り返し重なる色んな色の影と泳いだ夜です
わたしは魚で、色々つついて泳いでまわるわけです
海の中を撮るために買ったカメラを水浸しにする覚悟ができて、というかその機会があったので水に入れた。
波に飲まれて右足が尾鰭になってしまった。
寒くなると、去年の鬱さがフラッシュバックします。
ちょうどダメになり始めたのがここらへん。
もう死んでしまおうと思って、家族に連絡して、社会人になって初めて帰省した日からはじまった。
「わたしはみんなに変わってほしくないと願うけど、そんなことは無理なので、つまりそういうことを考えるわたしはよくないのではないか」みたいな悩みを拗らせすぎたのだった。
帰省したらまず父母が変わっていた。
あれだけ喧嘩が絶えなかった両親はふたりで酒を交わすくらい仲が良くなっていた。
いいことなのに絶えられない。
父はソープランドの看板が大きくて面白いみたいなことを言っていて、母親がこんなんでごめんねと言って交通費をわたしの手の中に押し込めた。
祖父は杖をついて歩くようになり、もう遠くへはいけないと言いながら1時間半車を走らせていた。
そんな光景をみたら余計に落ち込んだ。
わたしは家族との関わりが苦手で、実家に連れて行く時は友達を連れて行くようにしていた。母は気を遣って父に会わせないようにしていたが、帰り際に父から お前、彼氏連れてきてるだろと言われてしまい 余計に家族関係を地獄にさせてしまった。
要はわたしに問題があるのだなと思った。
それから仕事が忙しくなり、激務で深夜まで残業して、寝るためだけに帰宅する生活をやっていたら動悸がひどくなっておかしくなって、冬になったらまたさらにダメになってしまったのだった。
お守りのように左の小指に切り傷を付けてから会社に行った。精神的におかしくなると痛覚は感じないとは嘘だと思ってたけどまあわかる気がした。
あれから家にいると自殺しかねないと思ったから無理矢理予定を作って家を出ていた。家にいるのが怖い。
家の目の前に大きな公園があるせいで、楽しそうにする家族の声と自殺しようかしないかで揺れる自分の精神状態が真逆すぎて頭が混乱する。
もう何も言わない方がいいのだと思う。
魚のように泳いでたいと思った。
仕事を辞めるために仕事を頑張るけど、辞めたらどうするのか分からなくて 頑張ることに意味を見いだせない。
風の冷たさは、生まれてから感じたことのなかった死への感情を呼び起こしてしまうので怖い。
また風の冷たい町に帰っていく。
誰かこの怖さから連れ去ってほしいと思う。
そのためなら連絡手段をぶっ壊されても、手足を縛られていてもまあいいなと思える。
多分まただめになる冬が来るのだと思う。
今年はどうしてしまおう 次また同じことがあったらちゃんと死にたくなるのかもしれない。
もう遠くへ泳ぐ気力などない
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ballingwalls87 · 10 months
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Alföld Tv 上我們大學的新聞 德布勒斯大學
最終在共產黨官員的監督和蘇聯的大力幫助下實現了。 “好大劑量”是字面意思,因為當時唯一與中國有聯繫的橋樑建設公司山海關橋樑廠規模很小,沒有設計和建造如此大型工程的經驗。 所以蘇聯人除了為中國鋼鐵工業的總體發展還指派了專門的專家組來搭建這座橋樑。 帶頂棚的桑拿休息區和舒適的桑拿花園可讓您在桑拿後放鬆身心。 除了帶有冷水的室外和室內小型泳池外,克奈普泳池以及室外和室內按摩浴缸使桑拿體驗更加完美。 免費滑道設施有四個斜坡,所有年齡段的人都可以選擇適合自己需求和勇氣的斜坡,為您帶來難忘的體驗。
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物理治療研究所應用的各種傳統和現代治療程序補充了藥用水的有益效果。 公認的醫生和合格的醫療服務提供者確保我們的客人能夠在理想的條件下康復和休息。 水療中心和海灘水療中心誠邀您在佔地 14 公頃的公園區沐浴,這裡綠樹成蔭,設有帶頂棚、半頂棚和開放式泳池。 藥用水池的水溫為 32–38 °C,適合海灘和運動的水池水溫為 26–28 °C,兒童池等待著小孩子們,他們可以在安全的條件下戲水。 兒童泳池中,全新打造的體驗元素鯊魚洞、Ottó Toboz的水上游樂場為沐浴和樂趣增添色彩。 這個三星級露營地與水療中心直接相連,全年開放,擁有 166 個露營地。 設施現代化,設有帶烹飪設施的廚房、洗衣機和烘乾機、電力連接以及現代化的社交區。 露營地的居民可以使用水療區,他們甚至可以每天多次使用水療和海灘水療服務。 全年開放的室內冒險池為各個年齡段的人提供清爽的休息,而漩渦浴缸、泡泡床和泡泡池則將為您帶來難忘的體驗。 半遮蓋的四室游泳池充滿了藥水和飲用水,也可讓您愉快地放鬆身心。 葡萄牙Vale de Cambra的Eira住宅經過了全面翻修,但沒有損害原有的建築特色。 現在幾乎充滿活力的住宅以其真實的氛圍始終向業主及其家人和朋友開放。 在參與體育學術研究時,學生可以選擇準備管理或教練體育組織,或為職業運動員、學生或休閒項目提供體能訓練指導。 課程和項目幫助科學家為教學或教練職業做好準備。 Vass, Z.,導致聽力損失的耳病。 進一步培訓區域推薦人。 新竹整骨推薦 按照設計師的意圖,它將成為世界上最綠色的建築之一。 距 2004 年開業時被譽為世界最高建築的台北 a hundred and one 大樓僅一箭之遙。 夢雅創投由中大EMBA校友發起,於2017年在���新中心正式註冊。 這是該國第一家由校友組成全部股東的風險投資。 他們已籌集超過2200萬新台幣的資金,旨在鼓勵學生學習和創造、創新和創業。 Bükfürdő 醫療和體驗中心最近獲得了高度認可。 Büki Gyógyfürdő Zrt. 於 2017 年初接受了歐洲沐浴協會的審查,獨立委員會的專家還評估了水療、健康和餐飲服務的技術狀況。 由於該水療中心在各方面都表現出色,因此榮獲了 EuropeSpa Med 獎,這是一項頒發給提供優質服務的水療中心的國際獎項。 安妮塔和她的導師���羅地亞人伊維卡·雅克利奇已經幫助她工作了三年,如果這位學生在布達佩斯世錦賽上再次獲得金牌,他們將共同取得巨大的成功。 Vass Z. Vanilloid,椎基底動脈和耳蝸血管感覺纖維上的辣椒素受體。 另一方面,我很了解匈牙利,更具體地說是這座舉辦久萊伊斯特萬紀念匈牙利大獎賽的城市,我唯一的問題是我什至無法正確發音Székesfehérvár。 我在那裡有一家最喜歡的咖啡館,比賽前我總是在那裡喝上一杯美味的黑咖啡。 我告訴你,我是一個咖啡愛好者,所以我想盡快找到布達佩斯的去處——他表達了他的擔憂。 你可能不得不面對大量的混亂。
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koldputnam10 · 10 months
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鏈球女王正在布達佩斯備戰世界五項全能錦標賽
新編號包含在合同的合規表中。 [34] 《歐洲聯盟條約》和《建立歐洲共同體條約》文本,有效期至2009年11月30日。 其有效文本還指此處指示的編號和文本狀態。 [10]第(8)款自2010年1月1日起廢止。 納稅人截至2009年12月31日 A) 由於免除義務或承擔債務而在納稅年度核算的收入; 塞格德,1998 年 10 月 26 日。 候選主場防守塞格德,11 月17. Vass Z、Kovács G、Czigner J (1991) 高碳酸血症中耳蝸微聲電位的動物模型。 匈牙利生理學會 LVI. 流浪會議,塞格德。 最終,早期的計劃都沒有實現。 這座橋的最初計劃至今仍然存在,是在中華人民共和國成立前幾週由李文驥和茅以升提交給共產黨的,而文物也是如此。 國立中大由九個學院組成,院系齊全,注重培養學生的專業知識與技能、反思與創新、團隊合作、本土關懷、全球思維等核心技能和核心能力。 [28] 2009年CXV關於個體企業家和個體公司。 2009 年的 CXVI 與法律和鼓勵儲蓄有關。 文本經該法第 106 條修訂。
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這座橋是如何在XX年建造的。 自20世紀初以來,它激發了負責人的想像力,但儘管工程師來了又走,橋樑的設計卻從未離開過繪圖板。 當然,日本投降後,國民黨並沒有計算出短短五年內就會有另一個人掌權,因此世界大戰結束後的幾週時間都用來評估損失並製定恢復基礎設施和經濟的計劃。 事實上,我只改變了一件事,幾年來我比以前更關心身體的再生,更關心精神上和身體上一樣強大。 人們傾向於稱三十五歲以上的運動員為退伍軍人,我說這只是我試圖反駁的一種偏見。 我不能否認自己的年齡,到布達佩斯世界杯開始的時候,我就已經過了三十八歲生日,但我是一名老將,他的動力連二十五歲的人都會羨慕。 成大人文社會科學研究中心是全國四大人文社會科學中心之一,是跨院系、多學科的教育科研資源整合平台。 除實施多項教育部支持的綜合研究項目外,研究成果已發表在國內外主要期刊或科技書籍上,多本國際科技書籍正在出版中。 這使得南中大學成為指導中部地區人文社會科學發展、提升人文社會科學教育與研究水平、促進人文社會科學與自然科學平衡發展的重要引領者。 或許我不會透露一個天大的秘密,在國共鬥爭再度白熱化的情況下,鐵路的發展並不是特別順利,鐵路線仍然是經常性破壞活動的目標。 兒童泳池中,全新打造的體驗元素鯊魚洞、Ottó Toboz的水上游樂場為沐浴和樂趣增添色彩。 這個三星級露營地與水療中心直接相連,全年開放,擁有 166 個露營地。 設施現代化,設有帶烹飪設施的廚房、洗衣機和烘乾機、電力連接以及現代化的社交區。 露營地的居民可以使用水療區,他們��至可以每天多次使用水療和海灘水療服務。 全年開放的室內冒險池為各個年齡段的人提供清爽的休息,而漩渦浴缸、泡泡床和泡泡池則將為您帶來難忘的體驗。 半遮蓋的四室游泳池充滿了藥水和飲用水,也可讓您愉快地放鬆身心。 另一方面,我很了解匈牙利,更具體地說是這座舉辦久萊伊斯特萬紀念匈牙利大獎賽的城市,我唯一的問題是我什至無法正確發音Székesfehérvár。 正骨 我在那裡有一家最喜歡的咖啡館,比賽前我總是在那裡喝上一杯美味的黑咖啡。 我告訴你,我是一個咖啡愛好者,所以我想盡快找到布達佩斯的去處——他表達了他的擔憂。 你可能不得不面對大量的混亂。 在他的職業生涯中,他接受了五次手術,這還不到他的好朋友兼奧運冠軍克里斯蒂安·帕爾斯接受手術次數的一半。 這又不是什麼特殊形式的兩人之間的競爭…… 這位令人欽佩的運動員在回答SzPress新聞社的提問時,首先回憶了抓獲試圖綁住汽車的小偷的故事。 學生完成研究生教育後可以獲得碩士學位。 碩士學位需要成功完成大學課程,其中通常包括幾次綜合考試和/或論文準備。
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ramirezlong25 · 11 months
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我們可以在 Bükfürdő 享受 Europespa Med 品質的沐浴
網絡系統中信息的提供和收集考慮了匈牙利媒體和數據保護法的要求。 整骨推薦 我們保留對網絡系統全部內容的所有權利! 整骨 版權所有 © 2023 doki.NET 互聯網系統編輯部。 更大的問題是,中國實際上從一開始就在現代化的浪潮中隨波逐流,鐵路也是如此,因為我們從本系列的部分已經看到,中國實際上沒有能力開發、製造和製造鐵路。 自己為這一切提供資金。 1949年以後的幾年和幾十年的事件也證實了這一點,因為與蘇聯協商,回收日本或西方列強留下的設備,生產各種混合動力機車,成為中國鐵路發展的重要組成部分。 就橋樑而言,最大的缺口之一是在今天的武漢市,我們還記得以前的文章中,京廣鐵路線仍然被長江分成兩段,迫使鐵路列車必須執行危險且耗時的構圖。 孟婭有望在大學期間繼續管理創業企業。 [35] 2009年12月1日起生效的《歐洲聯盟條約》和《建立歐洲共同體條約》文本。 另一方面,我很了解匈牙利,更具體地說是這座舉辦久萊伊斯特萬紀念匈牙利大獎賽的城市,我唯一的問題是我什至無法正確發音Székesfehérvár。 我在那裡有一家最喜歡的咖啡館,比賽前我總是在那裡喝上一杯美味的黑咖啡。 整骨 我告訴你,我是一個咖啡愛好者,所以我想盡快找到布達佩斯的去處——他表達了他的擔憂。 你可能不得不面對大量的混亂。 兒童泳池中,全新打造的體驗元素鯊魚洞、Ottó Toboz的水上游樂場為沐浴和樂趣增添色彩。 這個三星級露營地與水療中心直接相連,全年開放,擁有 166 個露營地。 設施現代化,設有帶烹飪設施的廚房、洗衣機和烘乾機、電力連接以及現代化的社交區。 露營地的居民可以使用水療區,他們甚至可以每天多次使用水療和海灘水療服務。 全年開放的室內冒險池為各個年齡段的人提供清爽的休息,而漩渦浴缸、泡泡床和泡泡池則將為您帶來難忘的體驗。 半遮蓋的四室游泳池充滿了藥水和飲用水,也可讓您愉快地放鬆身心。 按照設計師的意圖,它將成為世界上最綠色的建築之一。 距 2004 年開業時被譽為世界最高建築的台北 one hundred and one 大樓僅一箭之遙。 夢雅創投由中大EMBA校友發起,於2017年在創新中心正式註冊。 這是該國第一家由校友組成全部股東的風險投資。 他們已籌集超過2200萬新台幣的資金,旨在鼓勵學生學習和創造、創新和創業。 這座橋是如何在XX年建造的。 自20世紀初以來,它激發了負責人的想像力,但儘管工程師來了又走,橋樑的設計卻從未離開過繪圖板。 當然,日本投降後,國民黨並沒有計算出短短五年內就會有另一個人掌權,因此世界大戰結束後的幾週時間都用來評估損失並製定恢復基礎設施和經濟的計劃。 塞格德學術委員會科學會議,2004 年 four 月 6 日,塞格德。 Vass, Z(1997) 神經營養素在螺旋神經節可塑性和神經性聽力損失治療中的作用。
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mcintoshstrand76 · 11 months
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可再生能源對景觀的影響 匈牙利地理公報
該大學大力支持全球農業分子生物技術、動植物基因轉移、農業生產和獸醫學等領域的研究。 在環境修復、防災技術、綠色技術方面,台大在防災合作組織、節能光源等方面領先台灣。 此外,中大憑藉其地理便利性、綠色技術發展及台灣精密機械產業的領先發展,為中部科學園區的製造商提供支持。 當然,沒有必要從頭開始建設整個鐵路海岸,因為我們記得日本和西方列強留下了相當數量的此類基礎設施,這些基礎設施在該國各地都可以找到。 1946年,共有15家較大的機車和汽車製造廠落入中國手中。 其中規模最大的是唐山機械廠(現中車唐山)、戚墅堰機械廠(現中車戚墅堰)、長西店機械廠,分別擁有職工5456人、3171人、2440人,總人數超過15人。 所有這一切都可以從 15 家工廠的月生產能力中得到很好的體現,這些生產能力涉及更簡單的部件,例如停止牽引裝置、氣動裝置、氣缸、閥門等。 同樣,只有半輛機車、12 輛客車和 15 輛貨車(!)。 Vass, Z. 椎基底動脈血管外滲在偏頭痛中耳鳴、聽力損失和噪音敏感性的病理機制中的作用 SZTE Tudományos Ülés, Szeged。 2001 年 12 月 5 日 國立中大致力於解決地方問題、產業鏈、可持續環境、食品安全等大學社會責任問題,並設有農產品審定認證中心、環境研究中心等研究中心和技術聯盟單位。 恢復與災害管理、台灣茶葉生產技術協會、臨床細菌基因組聯盟和醫療平台發展協會,以緩解當地關注、產業鏈、可持續環境、食品安全和長期護理等社會問題。 當時,鋼筋混凝土地板還不是特別普及。 不過,為了加快恢復速度,前述聯合國近東救濟工程處向中國提供的不僅是機車,還提供了超過100萬個木底座、噸軌鋼、噸結構鋼。 使用/m 導軌。 到1945年底,鐵道部規定使用四種可能的鋼軌類型,重量分別為55、45、37和30公斤/米,交叉床尺寸為230 x one hundred fifty x 2440毫米(寬x米x高)。 在鋼軌和各種鋼材的採購方面,中國一直嚴重依賴國外供應商。 1946年5月3日,蘇聯從中國東北撤軍,將整個戰場拱手讓給了中國的兩個對手。 儘管國民黨和中國共產黨在 1945 年 10 月 10 日達成了表面上的協議,但雙方都不太信任對方。 然而,國民黨的戰爭措施在幾個大城市極不受歡迎,而且由於美國大兵當時就有強姦當地居民的習慣,他們無法享受中國人的熱情好客太久。 為了打破僵局,所謂蔣介石與中國共產黨第一任主席毛澤東/周恩來之間在馬歇爾使命框架內進行的對話也沒有多大幫助。 戰爭結束時,也許並不令人意外的是,中國的大部分地區都成了廢墟,工農業生產也只是南京統治時期的一小部分。 行業..南中大學與國立衛生研究院、台中榮總醫院、中部科學園區、精密機械研發中心、航天工業發展公司等台灣主要研究機構密切合作。 整骨推薦 與台灣農業研究院、減災環保等合作,提高雙方研究質量。 最終在共產黨官員的監督和蘇聯的大力幫助下實現了。 “好大劑量”是字面意思,因為當時唯一與中國有聯繫的橋樑建設公司山海關橋樑廠規模很小,沒有設計和建造如此大型工程的經驗。 所以蘇聯人除了為中國鋼鐵工業的總體發展還指派了專門的專家組來搭建這座橋樑。 帶頂棚的桑拿休息區和舒適的桑拿花園可讓您在桑拿後放鬆身心。 除了帶有冷水的室外和室內小型泳池外,克奈普泳池以及室外和室內按摩浴缸使桑拿體驗更加完美。 免費滑道設施有四個斜坡,所有年齡段的人都可以選擇適合自己需求和勇氣的斜坡,為您帶來難忘的體驗。 這座橋是如何在XX年建造的。 自20世紀初以來,它激發了負責人的想像力,但儘管工程師來了又走,橋樑的設計卻從未離開過繪圖板。 當然,日本投降後,國民黨並沒有計算出短短五年內就會有另一個人掌權,因此世界大戰結束後的幾週時間都用來評估損失並製定恢復基礎設施和經濟的計劃。 兒童泳池中,全新打造的體驗元素鯊魚洞、Ottó Toboz的水上游樂場為沐浴和樂趣增添色彩。 新竹 撥筋 這個三星級露營地與水療中心直接相連,全年開放,擁有 166 個露營地。 設施現代化,設有帶烹飪設施的廚房、洗衣機和烘乾機、電力連接以及現代化的社交區。 露營地的居民可以使用水療區,他們甚至可以每天多次使用水療和海灘水療服務。 全年開放的室內冒險池為各個年齡段的人提供清爽的休息,而漩渦浴缸、泡泡床和泡泡池則將為您帶來難忘的體驗。 半遮蓋的四室游泳池充滿了藥水和飲用水,也可讓您愉快地放鬆身心。 最終,國民黨的計劃只能部分緩解中國鐵路業的碎片化,而鐵路業的碎片化幾乎影響到所有領域,因此1949年上台的共產黨的任務要小得多。 鐵路線建設中另一個不可或缺的要素——交叉床的國內生產也進展不順利。
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oka-akina · 2 years
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新刊「イサド住み」 冒頭試し読み
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 おれは怖くてたまらない。おれにどうやら命みたいなものがあって生きているってこと、おれの体の隅から隅まで生き物で、心や記憶まであって、おれという生き物が死ぬまでずっと生きているってことが本当に怖いんだけどうまく言えない。怖い。べそべそ泣いている。おれの言いたいことわかるか。わかれよ。うまく言えなくてもわかってくれよ。あんたは怖くないのか。たまたますれちがった誰かの気まぐれな採点によりおれの発言の価値は決まってしまい、裁定はそうそう覆らない。おれは布団をかぶって絶望している。隠れている。おれの話は誰にも聞いてもらえない。  でも川と川が十字に交差しているところが好きだ。毎晩見に行く。十字の縦も横もとても静かで、川面に団地の明かりが揺れている。夜の運河は油膜を張っているみたいにとろりとして見える。流れているというよりあれはきっと震えている。実際、横軸の小名木川に流れはないようなものだ。隅田川と旧中川を結ぶ水路で、雨の後や風の強い日くらいしかはっきりした流れを見せないし、流れの向きもしばしば変わる。きっとここには始まりも終わりもない。  始まりも終わりもないけど階段がありエレベーターがある。扇橋閘門といって、二つの水門が並んでいる。閘門より東は海抜ゼロメートル地帯で、満潮時の海の高さよりも低い土地。川を遮断して水位を下げてあり、小名木川には段差がある。川底ではなく水面に作られた差。船が通るときは二つの水門の間に船を入れ、水位を上げ下げし、船は差を乗り越える。  夜の運河はにおいが濃い。潮のにおいとどぶのにおいが混ざって、三階のおれの部屋まで届く。水面にちらちら揺れる明かりは銀紙を丸めてまた広げたみたいな光で、夜の黒い水はそれらを飲み込もうとせず震えるだけ。水はとても静かだ。ねっとりと移動している。光もにおいも川の上にとどまっている。  さっき風呂から出たらスマホが震え、ムムくんからのLINEだった。昼間ムムくんからスタンプが飛んできたからおれもスタンプを投げ、スローペースの投げ合いが続いていた。おたがい焦らしあっていたというかはぐらかしあっていたというか、言いたいことはわかっていた。今日はムムくんが先に折れた。 「今くん明日ってひま?」  おれもそれを聞きたかった。ほっとした。続いて自撮りの写真も飛んできた。鏡に向かってスマホを向けていて、美容室の鏡だ。ムムくんのスマホケースはいつもステッカーとかチェキとか挟まっていて、折り畳んだ千円札も見えた。緊急用の金かな。靴の中に入れておくみたいな。ちょっと笑った。鏡の中の鏡には切ったばかりの後ろ頭も見えた。襟足とサイドがかなりさっぱりしていて、指でなぞったら気持ちよさそうだ。  自撮りのムムくんはマスクのゴムを一回くるりとねじっていた。きっともみあげにゴムがかからないようにそうしていて、おれも先月髪を切ったときそうやった。こうするといいですよと美容師さんが教えてくれた。コロナ禍に生まれた工夫、その共有。いつかぜんぶ収束したらこういうことは誰も思い出さないだろうか。  二〇二〇年が明けてすぐ、あれよあれよというまに世界中みんなが巻き込まれた感染症に関しておれから言えることはあんまりない。恐怖や混乱の波が寄せては返し、定まらない。ここ二、三か月かはなんとなく凪いだ感じになっている。か? わからない。なんとなくの雰囲気でそうだというだけ。慣れ。どうやら常識も見通しも変化し続けていた。おれは少し前の恐怖をほとんど思い出せない。おれは夥しい数の死者を忘れ、配られた十万円と二枚のマスクを忘れ、いまいま分かち合っているささやかな工夫を可愛がろうとしている。これもいずれぶっ壊れるとは知っている。死が数の話でもないのもわかっている。もしおれが、何か、たとえば呼吸器に疾患があったら、とてもこんな雰囲気任せではいられない。それじゃあおれには特権があるってことだ。  頭を拭きながら「髪切った?」と送った。明日がひまかどうかはすぐに返さず、といってもこれ以上拙い駆け引きや意地悪をしたいわけではなかった。なんとなく話の順序をいじくりたくなった。ムムくんとはアプリで知り合った。四つ歳下のゲイで、現状セフレの関係にある。そしてこれについては毎日、毎分検討しているけど、もう腹を括ろうと思う。おれはセフレのムムくんに恋をしている。そうしてムムくんには好きな人がいるからおれのこれは片思いだ。  聞け。おれの話を聞け。いや聞かなくてもいいか。どっちでもいいや。おれがここで話をしているってことだけ、おぼえていてくれたらいいや。べつにすごく話をしたいってわけでもないし、おれは話の糸口をつかみかねている。糸の端っこはここじゃない気がして手近なところをあれこれ手繰っている。とっ散らかっているし絡まっている。声の出し方だってうまくない。あーとかうーとか唸りながらともかくチューニングし続けていて、もうずっと、自分の出すべき声の高さを探っている。長いこと口ごもっている。でもこんなふうに音程にばかりこだわっているうちに歌い方を忘れてしまうんじゃないかってちょっと怖くなった。それでおれは手持ちのはさみで糸を切ってみた。とりあえず、ここから始めることにする。  ここはどこか? ここは運河沿いの歩道で、毎晩川面を見に行くのは犬の散歩のため。緑地公園を抜けて橋の下をくぐった。歩道の一部は艀になっていてこれも水位で高さが変わるが、おれと犬が歩くくらいではぜんぜん揺れない。 「台形、今日はたくさん歩いてるね」  おれは犬に話しかけた。小さい足を懸命に動かし、よちよち歩いている。ときどき立ち止まっておれを振り返り、そろそろ抱っこしてという顔だ。だめだよ台形、もうちょっとがんばろう。おれは話しかける。台形はふんふん鼻を鳴らしている。  台形というのは犬の名前で、白黒模様の狆。鼻ぺちゃ顔のか弱い犬だ。体の形が台形ですと誰かのブログに書かれていたのがなんだか気に入った。どうやって辿り着いたか思い出せない、知らない人の野良ブログで、たぶん「犬 飼い方」とか「狆 飼い方 コツ」みたいに検索していたらたまたま行き合った。  ほかのサイトや本では狆の体型はスクエア型とか四角とか書かれていて台形という語は見かけなかった。どこぞの誰かの語彙と気まぐれがおれの犬の名付けの根拠で、そういうめぐり合わせをなぜか素敵なもののように思った。おれはそういうものをとろうと思った。  そうして艀を歩いていたら、ぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃ……と音がした。魚かなと思ったけどぱしゃぱしゃはけっこう長くて、まさか誰か溺れているのかと思ったが、川には何も見えなくてとても静かだった。念のため柵に上って辺りを見回した。水面に乱れたところはなくいつも通りに見えた。人影も水しぶきも見当たらなかった。いつのまにかぱしゃぱしゃの音も止んでいた。 「台形、どう思う?」このどう思うは水音のことでもあったしおれの恋愛の話でもあった。  ムムくんから「髪切った?」の返事はまだ来ていない。といってもまだ何十分も経っていない。でも明日ひまかどうかをスッと送らなかったことを早速後悔していた。ひまに決まってんだろ。台形が立ち止まったのでベンチに座った。おれのために立ち止まってくれた気もした。「明日は夕方からなら平気だよ」とLINEを送り、続けて「早いと寝てるかも。今日はこれから仕事で、今は犬の散歩してる」「明日の夜は仕事休み」と送った。しゅぽん、しゅぽん、しゅぽん。散歩中だから返信が遅いんだよとアピールしたつもり。会話はキャッチボールというよりジャグリングだろうか。空中のお手玉は二つ三つと増えていく。  すぐに既読がついた。「わーい」というスタンプが送られてきた。「前髪短すぎた気がしてきた……」「じゃあ十七時くらいに家行きたい!」しゅぽん、しゅぽん、しゅぽん。しゅぽんのタイミングが心臓の音と重なる気がした。だいぶ間の抜けた音だ。おれの恋はこういう音なのか。  お手玉だからべつに落っことしても気にならないのにちょっとのことで一喜一憂し、いったいおれはどうしちゃったんだろう。明日の夜が休みというのは前回会ったときに話してあった。夕方からならひまだよとすでに言ってあった。ムムくんはそれをちゃんと覚えていて、でもちょっと焦らして、連絡してくれた。そう思うとかなりうれしかった。  台形が歩き出した。チャッチャッチャッチャッと地面に爪がこすれる音が好きだ。小さい体の細い足。まあでもさっきの水音は溺れているような音ではなかったなと思い直す。切迫した気配はなく、プールでゆったりと泳ぐみたいな音だった。背泳ぎのキック、ストローク。誰とも競争していないときの静かなバタ足。ああそうか。おれはむしろ、誰か泳いでいるんじゃないかって期待していた。運河はいつも緑色に濁っていてかなり深い。とても泳げるような川ではないんだけど、一瞬可能性を夢見た。溺れていたら大変だなんてほんとは思っていなかった? 自分の心の中なのにおれは嘘をつきそうになっていた? 「まあ、嘘っていうのもちょっとちがうんだけどさ」  おれは台形に言う。べつに言わなくてもいいようなことだけど声に出して言う。台形はおれの足をすんすん嗅いでいて、体が動くと尻尾もふわふわ揺れる。白くて豊かな尻尾だから暗がりでもよく見えるが、夜の散歩には光るハーネスをつけておく。蓄光オレンジ。リードもLEDでぴかぴか光るからやけに賑やかだ。パレードとかお祭りとか、あるいはクラブ遊び? 台形自身はとてもおとなしくて内気な犬だ。いやおとなしくて内気なクラブ好きはおおぜいいるけど……。ああ。ほらね。おれの思考は訂正と注釈の繰り返しでとんちんかんな思いつきばかりしている。そうして、クラブってもうずいぶん行ってないなと思う。熱心に通っていたわけではぜんぜんなかったけど、人生のある時期になにがしか意味を持っていた場所が、今ではとても遠い。人生が思ったより長い。  さっき声の高さを探っていると言ったけどあれは比喩であって比喩ではなかった。ほんとにおれは声変わりのさなかにあった。ホルモン注射によって声が低くなり、ひげが生え、肌も硬くなった。生理はほぼほぼ止まった。そろそろ声は落ち着いてほしいけどどうも安定しない。  性別移行のいろいろ。この水面にも段差がある。三週間にいっぺん注射を打ちにいくが金がかかって仕方がない。でもおれはこれをやりたかった。高校生の頃からバイトばかりしてきた。いろいろの変化は二���性徴をやり直している感じだなあと思っている。それならばおれはいま思春期をやっているのかもしれない。もうすぐ三十だけど。  おれは何か? 元女子ですという名乗りは正確でない気がしているが、面倒なのでそれで済ませることはあった。女子だったことなんてあったっけ。でも、じゃあ、本来の姿、正しい状態に戻りたいんですという言い方も、それはそれでしっくりこなかった。他の人はどうか知らないけどおれの場合は。うまい言い方がわからない。  十字の縦軸、大横川を下っていくと仙台堀川とぶつかってまた十字に交わり、やがて大きくカーブ、またまた十字路。これを東京湾側に折れて平久川に入ると今度は五叉路になり、網目のように張り巡らされた水だ。大潮の晩、運河はぶよぶよ膨らんでゼリーみたいだ。  台形がにゅうっと体を伸ばしておれのひざにまとわりついた。なんの音かなんてわかんないよと言っている気がした。首の下の白い毛がオレンジの光に染まっている。扇橋水門の赤信号。夜は門が閉まってランプがついている。あれもコンクリートの柱を赤く染めていた。毛の黒いところはそうでもなかった。オレンジの光を黒が吸い込んだ。そうだよな、おれもわかんないよと顎をなでた。 「まあ魚か何かだろうね」  おれは台形に言った。「そうでなければ空耳だよ」とも。台形に話しかけているのか、台形のせりふもおれが一人でしゃべっているのか、自分でもよくわからない。  ああそうだ。おれはわかりやすい語り方をいつも探している。誰かの受け売りをがんばって身につけ、しゃべり、それがときどき屈辱的だ。おれがこのようにあるためにはわかりやすい物語とその語りが必須だなんて、なんだか馬鹿にされている。どうして男になりたいんですか? いつからそう思っていたんですか? やっぱりスカートは履かなかったんですか? ときどきおれはめんどくさくなって「死ぬほど悩んでるんです」とか「死にたいです」とか、可能な限り暗い声で言う。暗い顔もする。会話を遮断する。そうしてそれは、必ずしも嘘をついているってわけでもない。 「でも魚って夜でも起きてるのかな……」  とつぶやいてみたら、すかさず反論を述べるみたいにどこかでからすがぎゃあーっと叫んだ。台形はびくっと震えた。鳴き声は川沿いの倉庫の壁に跳ね返り、わあああんと響いた。両岸に建物が並んでいるからトンネルみたいになるのだろう。川の向こうで誰かがくしゃみしたのも聞こえるくらいで、天井はなくても反響する。あー。はいはい。そうだとも。寝ているやつらが突然目を覚ますことはある。あるいはたまたま夜ふかしの個体はいる。  おれもそういう個体だと言ってみようか。クリーニング工場で委託のドライバーをやっている。ちょっと前から始めた仕事。夜にコンビニやロッカーを回って集荷と配送を請け負い、ほとんど昼夜逆転みたいな生活になった。  ドライバーデビューはAmazonの軽貨物配送だった。これはおもに昼の仕事で、アプリでオファーを選んで好きな時間に好きな量だけ働き、というとなんだか聞こえはいいが、割り当てられた荷物を時間内に配り切るのはけっこう難しかった。小さい箱物ばかりで、物自体はそんなに重たくないが量が多く、積み込みがパズルみたいにややこしい。時間指定に慌てたり、マンションの宅配ボックスで誤配したり、知らない細い道を走るのも怖かった。でも一人でやれる仕事はいいなと思った。車の中は自分一人の空間で、自分の体の延長だ。  それで求人サイトを延々スクロールしていたら、今やっているクリーニング工場のドライバーを見つけた。業務委託。夜勤。けっこうレアな仕事だ。たまたま見つけたおれはラッキーなのだろう。まあ深夜労働の割には大した収入にならないし、がんばればAmazonの方が稼げるんだろうけど、ルートが決まっているので安心感があった。それもコンビニやマンションと工場の往復だから、わりあい運転しやすい道が多いのもよかった。荷物は服で、それなりに重い。ただ持ち方のコツを掴めば腰は傷めないと同業者のnoteやツイートを読んだ。腕の力だけで持ち上げようとしない。両肩と両足を荷物の正面に置く。筋トレと思えばなんとかなると知らない誰かが書いていて、これまた知らない誰かの知識や気まぐれにおれはかなり助けられている。そして深夜の配送はAmazon以上に個人プレーの仕事で、ほとんど人としゃべらずに済んだ。それが何より気に入った。  べつにそこまで人嫌いというわけではなかった。前に働いていた工場で、配置替えやら班分けやらの話の流れで自分はトランスであるとほぼほぼみんなにカミングアウトする羽目になり、なんかもう個人事業主になりてえな、なっちゃおうかなと思っただけ。  いやちょっとちがうか。ホルモン注射を始めたら見た目や声に変化があり、おれの場合はけっこうわかりやすい変化だった。カミングアウトするしない以前になんかもうばればれだよなと思った。ばれるという言い方もなあとは思うし、周囲の人にいちいち事情を知ってもらう必要はないんだけど、何かしら説明が必要なことはあった。それは何か書類の提出を求められるとかではなく、素朴な疑問や世間話に応じ、遠慮のない視線を浴びるという形でだ。マスクをしているからひげは見えない。じゃあ、コロナ禍じゃなかったらもっと目立ったのか。そして思い出したから言うけど、いつかちんこ生えてくるって思ってましたか? って質問はなんだったんだ。  悪い職場ではなかったしあからさまにひどい奴がいたわけでもなかった。なんていうか……、人と関わるとその手のコンフリクトが生じることはままあり、しょうがないよなという気持ちと、くそったれという気持ちは日毎、いや秒単位で入れ替わり、おれに中古の軽バンを買わせた。  一応言っておくけど、どうしておれがこうなのかって話はあんまりしない。たぶんあんたが一番聞きたいことだとは思うけど、きっとおれは話さない。べつに勿体ぶっているわけじゃない。なんていうのかな、いちいち説明しないほうがいいんじゃないかって気がしている。これについてはあとで言う。言いたいことだけ言うから、言ったことだけ聞いてほしい。言ってないことは聞こえてないはずだ。聞こえたとしたら、それはあんたの想像だ。原則としてね。  今はクリーニング工場と、金がないときはAmazonもちょっとやっていて、ほんとにこれでいいんだかときどき不安にはなるが車を買っちゃったんだからやるっきゃない……のか? もうだめだやってらんないと思うたび居場所や人間関係を断ち切るみたいなことを繰り返してきた。おれはずっとこうなのか? 自問自答。決まった振り付けのダンスみたいにいつも同じことを考えている。  からすに驚いた台形はきゅうきゅう唸って伏せてしまった。ほんとに臆病で、前にドッグランに連れて行ったときも周りの犬にびびって縮こまっていた。おれはそういう台形が愛しくてたまらないし、内心ちょっとほっとする。おれも人目が怖いし、大勢の中で過ごすのは苦手だから。  びっくりしたよな、怖かったよなと台形のあたまをなでたらとうもろこしみたいなにおいがした。焼きたてのパンみたいなこともあるし、芝生みたいなこともある。においをかぐと落ち着く。おれも台形もおたがいにそうだ。マスクをちょっとずらして強く吸い込んだ。夜に散歩しているだけなんだからマスクなんてしなくてもいいのかもしれないが、顔を隠している方がリラックスできた。台形が臆病なのはおれの飼い方や生活リズムのせいかもしれないと思うことは思うが、べつに怖がりだっていいじゃんかとおれはおれに反論する。  台形をあやしながらムムくんに「前髪短いの似合うよ」と送った。もしかして明日おれと会うから髪を切りに行ってくれたのかな。さすがにうぬぼれかな。「そういう髪型好きだよ」とも送った。虫が鳴いている。りんりんりんりん、短い叫びを繰り返し、鈴の楽器を振っているみたいだ。  きみのことが好きですと言いたかった。言いたいのだと自覚したらへんにドキドキして、なんでも話してしまいたくなった。さっき川で何かぱしゃぱしゃ音がしたんだ。一瞬、誰か溺れているのかと思った。でもすごく静かなぱしゃぱしゃで、まるで誰か泳いでいるみたいな音だったんだ。せっせと文章を打ち込んでみたがしっくりこなかった。だって音の正体はわからない。それがどうしたって話にしかならない。送るかどうか迷って結局消した。代わりに「夜だけどからすがすごい鳴いてる」とますますどうでもいい話を送ってしまい、送った瞬間後悔した。どうでもいい話以上に、今からすはもう静かになっていて、辺りを騒がせているのは虫だから。べつにうそをついてしまったわけではないけど正確ではないことを言ってしまった。既読になったかどうか見たくもないがこういうときに限って秒だ。すぐにムムくんから「からすって夜も鳴く気がする……」と返ってきて、ほんとに恥ずかしくなった。  さるすべりの枝が街灯に照らされて、ピンクのフリルみたいな花びらが明かりに透けていた。濃いピンク。夏っぽいなと思ったけどもう九月だ。おれは花を見上げ、花を見上げるおれを台形が見上げていた。丸い目玉がつやつやしている。抱っこ用のバッグに入れてやるととすっかりすました顔だ。台形の体とおれの胸がぴったりくっついて、こいつのために今日もがんばろうと思う。やけに殊勝なことを考える。だからおれにとっては夜が朝だった。  やがてムムくんから「あっちがうかも、からすは明け方かも」とLINEが届き、「今度おれも台形の散歩行きたい!」「仕事がんばってね」と来たのでちょっとほっとした。台形の写真を送った。散歩中の写真。おととい撮った写真だから今日の台形ではない。でも今送ったら、今撮ったみたいに見えるのかな。何も言わなければわかんないのかな。  ムムくんからは「カワイイ」というスタンプが二つ飛んできた。きっと大事なことは二回言う。あるいは単に指先のしくじりでダブってしまった。おれにはそれがどっちなのか判別できない。想像することしかできない。じゃあ、言ったことだけ聞いてほしい、言ってないことは聞こえてないはずだというのは、けっこう難しいのかもしれない。やっぱりおれはとんちんかんだ。うまいことが言えない。でも言いたいことはある気がする。意見を述べたいというよりは、おれに声を出させてほしい。長い話をしてみたい。すごくしたいってほどではないけど、しゃべりたい。誰にも聞いてもらえないから勝手にしゃべる。吠える。おれは遠吠えをする。
「イサド住み」
価格・ページ数未定。2022年11月20日文学フリマ東京新刊予定。
文学フリマwebカタログ
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冒頭8000字くらいを載せてみました。だいたいこういう感じの語りで、トランス男性が主人公のボーイズラブです。軽貨物ドライバーをやっている主人公と、アプリで出会った年下の男の子・ムムくん。そしてムムくんがベタ惚れしている既婚男性・優人さん。三角関係のお話です。
イサドというのは宮沢賢治の「やまなし」に出てくる言葉で、「もうねろねろ。遅いぞ、あしたイサドへ連れて行かんぞ。」のイサドです。この蟹のお父さんの言うイサドが何なのか、読者のわたしたちにはわかんないですが、この蟹たちにはわかっている……というような話を書いているつもり。
そうなの、なんとまだ書いているんですが…というかごちゃごちゃいじっているのですが、精一杯やっておりますのでどうか見守っていてください〜。文フリ東京のあとは、BASEでの通販、渋谷○○書店での販売を予定しています。イベント参加は1月の文学フリマ京都、4月のJ.Gardenを予定しています。よろしくお願いします…!
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mccormickcoates09 · 11 months
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由於這些馬沒有為此接受過訓練,通常會出現某種健康問題,因此旅行騎行的體驗會減少到零頭——我們不喜歡騎著一匹跛馬跑一百公里。 由於這匹馬的歷史不為人知,我們永遠不知道什麼會驚嚇或恐慌。 沒有熟悉的種馬俱有既定的等級制度,這可能會導致遊覽過程中的混亂。 每個運動測試的正確技術性能不需要特殊培訓,因此 - 它適合男女所有年齡段,每個人都可以在家裡做,即使是一個人,也不需要任何經濟支出。 準備以下數據表,您可以在其中以數字方式跟踪測量時間和您在各個電機測試中的表現。 “運動藥”根據個人目前的身體狀況單獨配製,並定期服用,才是最有效的。 當時有 10 人在事故中倖免於難。 根據撞擊發生後現場錄製的視頻畫面,有人從殘骸中爬出或爬上突出水面的樹幹,等待救援人員的救援,但有數人游離了事故現場。 截至目前,共有15名受傷人員以及出租車內受傷的乘客已被送往附近醫院,其餘遇難乘客已被派出船隻救援。 小偷一發現我在報警,就開始逃跑。 我開始追他,盡可能地抬起我的腿,跑了一百二十米後我抓住了格拉班卡。
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saundershodge62 · 11 months
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博客 Mojito 調音台學校
其中,主要是吊燈提供了現象級的體驗,尤其是形象——。 正確的方向在地毯製作領域更為重要。 在那之後,伊姆雷在兩個文學課上進行了合唱排練,以確保這不是一個下拉。 原本心理健康的女性自我中心的競爭傾向在與女性同胞選美比賽的場景中表現得淋漓盡致,“不是正常的葬禮告別”。 我的意思是一個可以在中間保護自己的人。 體育博彩獎金只有 5 倍的下注要求,所以它很受歡迎。 這一年的最後幾天很平靜,但他終於下定了決心。 今年,匈牙利也首次申請拍賣,但專家委員會一致否決了其提交的船隻。 要描述這些船隻的特徵,只需提及發生在 Kazincbarcika 魚雷驅逐艦上的案例即可。 Kazincbarcika 並沒有摧毀指定為目標的魚雷,而是給它的螺紋上油,甚至一次擰緊一個螺絲。 隨著拍賣日的臨近,以內伊元帥命名的馬賽港碼頭呈現出越來越熱鬧、多姿多彩的形象。 各種規模和國籍的船隻都在等待被列入拍賣名單,土耳其二號。 穆罕默德從航空母艦到小型美國豪華遊艇。 我們到達的第二天,我只在沙灘上呆了半個小時,因為我們來這里後,幾乎沒有陽光,到處都是雲。 當然也不冷,海水28度,很舒服。 我給公寓的代表寫了一封信(我的心來自曼谷)說這個那個,尤其是公寓裡的一個空調壞了。 兩個小時後他們來了,更換了外部和內部裝置。 企業可以獲得 KFI 工資補貼,其中包括工程師、研究人員、計算機科學家、現有和新僱用的員工。 ”監獄隊的所有文件都印在匈牙利紙上,十年後自毀,現在只有我一個人知道這���故事。 “不用了,我會及時趕到維爾達洛。 ”我只需要比團隊早一點開始。 爸爸很快就有機會在實踐中檢驗他的想法。 首先,他要求有一個獨立的游泳池,因為他對現有游泳池的規模不滿意,他從Gönyő到Mohács覆蓋了多瑙河,並在那裡進行了訓練。
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大多數具有虛假內容的帳戶都包含廣告活動。 檢察院擬對16名被告人判處有期徒刑,對4名被告人處罰金。 當有人踩腳時,他們一直在跳舞, 然後舞者進來,他們也跺腳。 如果有人打電話,他們是屬靈的 他經歷了一首歌的危機,還是一樣,八個加來電者,八個 當舞者給我糖果時,我經歷了一個小小的低谷 他們盛裝打扮,在表演結束時向觀眾扔糖果。 巴拿馬人向出現的人分發巴拿馬草帽和裝訂在裝飾性 sattyán 皮革中的相冊,其中指出了最重要的信息。 我們沒有為此做好準備,但不知何故我們要參加比賽,醫生 Sámán Ubul 匆忙打開一盒混合粉末,Kertész 在空袋子上寫下了一些數據。 “恐怕我再也無法讓團隊團結起來了。 ”你,偉大的白人父親和訓練師,還記得我們在南美洲的突襲行動中是多麼難以約束這些年輕人嗎? 當時一群赤身裸體的戀愛中的女人在我們酒店門前遊行,喊著如此淫蕩的話語,以至於椰子我們叢林中的樹木都紅了。 他也無法忘記拒絕球員經紀人和廣告專業人士的報價讓我們付出了多少努力。 乘坐公共汽車或步行時,您會看到有趣的事物。 彰化 外燴 一隻五顏六色的鳥在一棵兩米高的小棕櫚樹上餵養牠的小鳥,還有許多瘦骨嶙峋的流浪狗。 婚禮 外燴 也有貓,但它們似乎受到了更多的尊重。 我也對當地人的膚色範圍感到驚訝。 我開始真正喜歡坐平板巴士了。 其中一條線路幾乎將您從房子帶到市中心,距離約為 5 公里。 每隔百米就有一家一流的按摩院,按摩費用為每分鐘 1,seven-hundred 福林。 他們將它下載到車上的筆記本電腦上,如果效果不好,他們會拍一張新照片。 東帕米爾山勢較為平緩,形態乾淨、舒緩,色彩是夕陽暖色。 山谷、河流、彎道一個接一個消失。 我和他一起走到Alichur定居點,到達這裡時天已經黑了。 依偎在客舍裡,爐火劈啪作響,外面冰天雪地,九月的秋天已經到了。 胡潔,這些都是幾乎可以忽略不計的體量變化,身為億萬富翁能過得怎樣。 玩家在任何時候都應該有適當的行為,因此,相當多的人已經不再抱有幻想。
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hustedkeith70 · 11 months
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我們大學在 Alföld Tv 上的新聞 University Of Debrece
對調查結果的分析表明,該生物不僅與現代熊密切相關,而且該物種還愛吃甜食。 匈牙利鳥類學和保護協會 (MME) 的專業人士整理了一份便宜的菜單,我們可以用它來幫助鳥類過冬。 聖誕節是一年中最令人期待和最盛大的節日,而除夕夜則是我們人類最盛大的派對。 據《每日電訊報》報導,這位薩米(拉普)事實調查員此前曾兩次成功上訴,但現在都失敗了。 聖誕節前幾天,挪威最高法院維持了一項強制馴鹿牧民減少畜群數量的法令。 由於這些馬沒有為此接受過訓練,通常會出現某種健康問題,因此旅行騎行的體驗會減少到零頭——我們不喜歡騎著一匹跛馬跑一百公里。 由於這匹馬的歷史不為人知,我們永遠不知道什麼會驚嚇或恐慌。 沒有熟悉的種馬俱有既定的等級制度,這可能會導致遊覽過程中的混亂。 匈牙利知識生活、藝術、科學和體育的傑出代表第 15 次獲得十個類別的 Prima Primissima 獎。 在utszoroso.com擴大零售合作夥伴的範圍內,它對匈牙利的防滑習俗和誤解進行了調查。 他們的非代表性報告揭示了許多關於在環境保護方面顯然受到嚴格監管的地區的有趣事實。 該協議涵蓋280萬平方公里的水域(與地中海面積相當),有效期為16年,即到2033年,他們同意不再在該地區擴大捕魚。 初級感覺神經元在耳蝸循環中的血管調節作用。 Habilitation presentation。 塞格德,1998 年 10 月 26 日。 Vass Z(1998) 耳蝸感覺神經支配與三叉神經系統的關係塞格德學院委員會醫學委員會科學會議。 Vass Z、Kovács G、Czigner J (1991) 高碳酸血症中耳蝸微細胞電位的動物模型。 Vass Z、Benedek G、Czigner J (1991) 在動物實驗中監測通氣不足期間耳蝸某些功能的變化。 匈牙利耳鼻喉科醫師科學會議,布達佩斯。 全年開放的室內探險泳池老少皆宜,漩渦浴池、泡泡床和泡泡池定會讓您擁有難忘的體驗。 充滿藥水和飲用水的半遮蓋式四隔間游泳池也可讓您放鬆身心。 起初,聖誕樹上掛著水果、乾貨、薑餅人、剪紙裝飾品和蛋糕。 直到 1800 年代末,糖果和聖誕樹裝飾品的製​​作才開始普及。 Frigyes Báró Podmaniczky 在他的回憶錄中描述說,他的一位姨媽是一位奧地利女士,她於 1825 年在匈牙利豎起了第一棵聖誕樹。 有的地方時間變幻停止,外面的世界彷彿幻境。 今年 three 月,一名博士生在 Békéscsaba 的一棵橡樹樹幹上發現了 1,732 份入侵昆蟲標本,即幾毫米長的橡樹花邊蟲。 白天活躍的鳥類,無論大小,都會通過拍打翅膀來騷擾和攻擊貓頭鷹。 如果它們在清晨的黃昏(此時白天的鳥類還沒有活動)佔據休息的地方,並通過坐在那裡一動不動地融入周圍環境,它們就可以避免這種情況。 台北整復師 2002 年 6 月 28 日匈牙利耳鼻喉科協會布達佩斯科學會議通過檢測耳蝸和椎基底動脈血管外滲來確認偏頭痛中耳鳴、聽力損失和噪聲敏感性的病理機制。 通過檢測耳蝸和椎基底動脈血管外滲來確認偏頭痛中耳鳴、聽力損失和噪聲敏感性的病理機制。 Balatonalmádi 2002 年 5 月 3-4 日 – 我已經實現了我想要的一切,我是奧運冠軍、世界冠軍和歐洲冠軍,我不在乎我的年齡,儘管我有二十二年的努力,同時我也有過艱難的歲月受傷和手術。 我現在的想法是,只要這項運動給我帶來樂趣,訓練不是無法完成的任務,我就沒有理由退休。 事實上,我只改變了一件事,幾年來我更關心重生我的身體,讓我的精神和身體一樣強壯。 女子組方面,肯尼亞的馬賽伊繼上週在洛迪奧奪冠后,在5.9公里的比賽中擊敗了40歲的尤妮斯·傑普科里爾,再次奪冠。 超過一千名選手到達了葡萄牙首都的終點——這是該賽事的歷史記錄。 另有2500人參加了半程馬拉松,75支四人接力隊參加了馬拉鬆比賽。 上帝的運動僕人帶著裝著大約 60 美元的袋子回到教堂,然後遲遲沒有開始 11 點鐘的彌撒。 輪椅運動員尚塔爾·佩蒂克萊爾 (Chantal Petitclerc) 贏得了今年加拿大最佳運動員 Lou Marsh 獎,領先於其他身體健全的同齡人。 一匹馬能在騎手之下的時候,已經五歲了。
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nui-and-me · 1 year
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230508 GW2023
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さっきスマホから「地震です」の爆音サイレンが鳴り、その後数秒間の揺れ。最近地震が多くて怖い。近々ものすごく大きなやつがきたりするのだろうか。
外を見たら朝焼けで赤い空が不気味だった。
で、そこから眠れなくなってしまったのでゴールデンウィークの記録を残そうかと思います。
GW2023
世間的にもほぼ完全にと言って良い程コロナ前の雰囲気を取り戻していた様子。
4.30
池袋サンシャイン水族館で今まで休止していたマンボウの展示が再開されたと聞き、行ってきた!
GWのサンシャイン、人混みやばかった。。。池袋(特に水族館)は、デートスポットのようで若いカップルがたくさんいた。なんか初々しい気持ちになる。笑
マンボウが大好きなつむぐは水槽の前で飽きずにかなり長い間見ていた。
前に八景島で見た時同様、マンボウの水槽はマンボウしかいない。岩とか水草みたいな装飾もない。何もないまっさらな水槽のなかで大きな魚が1匹だけゆっくり泳ぐ姿は神々しさを感じる。魅力的で不思議な魚だ、マンボウ。。。
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5.2
学童と保育園を14時半の早々お迎えで新潟へ。
なんだか4月気を張っていたのか疲れがあって、当初「今年のGWは何も予定入れなくていいかも」と、帰らない予定でいた。でもパパに「帰る?」と聞かれ、親にも「帰ってくる?」と聞かれ、うーん、やっぱり帰るか!と数日前に思い立った。
パパ仕事日につき、私と息子達だけで先に帰る。
一人で二人連れて帰るのは2回目?かな。
大変だけどもう全然無理な所業ではない。ぬいもつむぐも成長したなあ。
そして予想以上に新潟は寒い(まだストーブをつけるほど!)
5.3
特にこれという予定もなく大きめの公園でぼーっと過ごす。もはや息子達は二人で走り回っているので、母と二人芝生の上で何をするでもなく、大人はひなたぼっこしてるだけ。笑
天気が良くて気持ち良い。
あとは母の知り合いのお店に少しだけ行って、ご飯を食べて古着を買う。店内ガンガンにラテンがかかる不思議な店であった。
夕方パパ合流。
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5.4
朝から市内の博物館内にあるプラネタリウムに行き、お昼に家の近くにできたから食べてみたいとリクエストされたドミノピザを買って帰る。
まあ、おばあちゃんと母ふたりだったら、食べないわなドミノピザ。笑
夕方海まで夕日を観に行く。この日の日没はたしか18時36分。あいにく水平線間際に雲がかかっていて、綺麗なまんまる夕日は見れなかったけれど、それでもぼんやりと日が沈んでいくところは見えた。今日が終わっていくところは何回観てもロマンがある。
昔よく夕日を観に連れて行ってもらったなと思い出し、親にしてもらったことを自然と子供にも体験させているんだなあと思うと沁みた。
ここでも何もしないで、ぼーっと夕日を眺める時間。
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5.5
最終日。
朝から同じく帰省中の仲良し親子と海に行く。もちろんまだ海水浴できるわけではないので、足だけつけて、きれいな石探し。ぬいがよくわからぬ石を袋いっぱい集めて「これ本当に東京に持って帰るの?」となったけれど、海辺の石はどれも波に揉まれて角がなく、丸々としていて宝石みたいだった。
この日もこの日で海辺でぼーっとしている。
ひなたぼっこしたり、夕日見たり、海辺で石探したり、絵に描いたようなデトックスタイム(笑)なんだけど、大人になるとこういう無心な時間を楽しめるようになるんだな。大人通り越して老人みたいだけどな!!!
夜には帰京。
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5.6
家の近くの公園で遊び、近くのスーパーで買い物。
あと昨日の石を洗ってケースに入れてみたり(左つむぐの石、キラキラ。右ぬいの石、ゴツゴツ。趣味が分かれるね。笑)
ワンオペ土曜で、もはやGWの様相はない
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5.7
最終日はザーザー雨。
どこかドライブがてら行こうかとなって、少し前にインスタの広告で見かけたPナソニックの子供向け?施設に行ってみる。
天気のせいなのかいつもこうなのかわかんないけれど、割とガラガラ。工作スペースが充実していて楽しそうだったし、心躍った。
パナ、昔がっつり一緒にお仕事させてもらっていたので、その頃一緒だった人達の顔が脳内にチラつく。皆さん企業戦士って感じだったなあ。お元気にされているだろうか。。。
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なんとなく今年のGWは予定を詰めすぎず、時間を持て余すこともなく、良いバランスだった気がする。
いよいよコロナ禍も終わりと言っていいのかな。マスクも任意になり外すシーンも増えてきた。今年の夏はきっともっと以前のそれになっていくんだろう。
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unikeni · 1 year
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Davao Triathlon 70.3 2023
ハーフアイアンマンレース@ダバオ フィリピン 2023/3/26
5回目のハーフアイアンディスタンスのトライアスロンレースで、6月のフルに向けて、すごく自信に繋がる良いレースになったと思う。フィリピンのダバオの街中がレース会場ということで,シンガポールからのアクセスはよかったんだけど、いろいろとハプニングが起こりすぎて、ネガティブな印象が結局ずっとぬぐえなかった。ポジティブに言えば、すごく頑張ってるし、スタッフとか沿道の声援にも人の温かみみたいなものが溢れてて、東南アジアのレースだったなー、っていう後味。でも、2回目は残念ながらないかな。
あとは、優勝したプロの選手もキャリアの中で最も暑いレースだった、と言うほど、気温・直射日光・体感温度のどれも過酷な環境で、トライアスロンのレースが世界中一様でないことを思い知る。
結果からいうと、スイムの記録が無効になっちゃって、2競技のみの結果しか公式にはなっていない。だけど参考までに載せておくと、5時間45分(スイム1.9km:: 42分,バイク90km:: 2h 52m ,ラン21km:: 2h1分)だった。これは昨年の (バイクのパンクがあった) デサルーよりも20分も早い記録で、もちろん自己ベストに相当する。わりと辛い環境の中で6時間を切れたことはすごく大きな意味があるし、やっぱりようやくバイクとランのタイムが連動して短くなってきたことの成果だと思う。でも、タイムはあくまでも結果であって、競技始めたころの初心通り、笑顔で完走できたことが何よりも大事なこと。
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スイム 1.9km (?)
今大会の鬼門はスイムだったよう。(僕はさほど体感したわけではなかったけど)実はとても海流が早くて、ブイが流されたり、亡くなった人も出てしまうほどだったみたい。周りに聞いても20分以上普段よりも遅かった、ということをよく耳にした。それほどタフだった、ということなのかな。前日朝のスイム練に参加して気づいたのは、砂浜ではなく,狭い桟橋を下ってスタートすること,それと透明度はまあまあ高くて魚や海底がけっこうよく見えた。コース自体はカクカクしていて、曲がる箇所が多いことと,スタートとフィニッシュが同じ狭い桟橋だったことで、どうやって選手同士がぶつからずにすれ違うんだろう、とロジについても若干疑問があった。
レース当日朝は5時にはトランジションエリアに着いて(シャトルバス降り場から約15分も荷物持ったまま歩かされた…)、そこから準備・トイレ・体操して、6時20分からのゾーン別スタートを待つ。一番早いゾーンにエントリーしてしまったこともあって(1.9kmが30分よりも早い人?)、何か余計にプレッシャーを感じてしまった。心理的にずっとうしろから追われてる感じで泳いでた。スイムでのミスは、ガーミンのスタートを押すのを忘れたこと、あとワセリンを塗らなかったこと。プーケットの時はウェアズレは大してしなかったから大丈夫だと思ってたんだけど、42分間という長い間泳いだことで、右首(僕は右でしか呼吸しない)と両脇下がやばいことになって、最後半のあたりでは燃えるような痛みになってた。反省。結局、なにはともあれ、スイム自体は大きな問題もなく、ドラフトしたりされたり、の状況でわりと楽しく泳いでた。コースから外れたからか分からないけど、岸壁すれすれを泳いでいたり、なんかいつもより長いなー、と思ったり、そういうイレギュラーさはあった。友人たちの意見もあわせると、たぶん1.9kmよりは長く泳いでたはず。
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前日のバイクコース下見。レース当日は通行止め。
バイク 90km 
バイクへのトランジションはわりと長めにとって、初採用のアームカバーをつけたり、日焼け止めを塗ったり,五本指靴下・手袋もちゃんとはめてた。唯一ダメだったのは、腰に巻くジェル入れベルトがダボダボで固定できず、仕方なくトライバーに巻き付けることに。バイクスタートしてすぐに気づくのは道路のガタガタがひどいこと。特に町の中心部では酷くて、よりスムーズな舗装面を探しては車線変更をこまめにしてた。特にトライバイクの場合は振動が伝わりやすいみたい。でも道自体はほぼフラットで、沿道の声援がとにかくすごかった。町を抜けると、スムーズでまっすぐなアスファルト舗装になる。
今回の反省はバイクボトルを落としてしまったこと。ガタガタのコースだったこともあって、後ろに付属で付けたボトルケージだけでは不十分で、結局途中でドリンクを半分失うことに。落とした場合,マナー・ルール的には拾いに戻らなければならないようなんだけど、それを知らずに前進してしまったのは僕の過失になる。マーシャルが隅に押しやるのがちらっと見えたのが幸い。次回はマジックテープみたいなのでちゃんと固定しようと思う。 
それ以外は、特に何事もなくかなり快調だった。初の3時間切りはとにかくびっくりした。事前情報通り、行きが向かい風で時速きっちり30km平均で、帰りが追い風で時速33kmぐらいはすんなり出てた。足先で車輪を漕ぐのではなく,腸腰筋(?)を使って足全体で漕ぐことを強く意識してた。その甲斐あってか、最後まで疲労でやられることもなく終えることができた。一応,1-3月はバイクに乗る時間を徐々に増やしていたし、前々週の週末あたりからは100km近い長距離をちゃんとコンスタントに乗っていたことが幸いしたんだと思う。コーチには週に6時間のバイクを、というアドバイスをされてたな…
あと今回、かなり栄養補給(グルメ?)に気を使うつもりだったのに、意外と食べてない(食べることに億劫だった)ことに気づいた。いい感じにスピードが出てるときは特に面倒に思ったり、あるいは、お腹が痛くなるのが心配で食べなかったり,ということが起きてた。180kmのような長距離になる場合には、もっと食べることを意識した方がいい気がした。細かいことだけど、水を足とか体にかけるのはけっこう気持ちよくて何かの効果がありそう。
水分補給は5分おきに:ポカリ・ゲータレイド
ジェル類:マグオン X 2 (これ良い),塩ジェルX1,PUREX1,In ゼリーゴールドX1。
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栄養補給に持っていったもの。完全に多すぎた…
ラン 21km
炎天下のランが一番きついかな、と想像してたんだけど、そこまで崩れなかったのはこれからの自信につながる。長い距離を走ることに慣れておくことが結果的に良かったんだと思った。週に1回は20kmぐらいの長距離を走って、もう1回はメタスポーツのスピード練をしていたんだけど、そのコンビでよかったっぽい。
トランジションでは、今回初採用のカーフスリーブをつけて、さらに日焼け止めを上塗りした(アームカバーはつけっぱなし)。やっぱりランの最初は足が重くて、暑くて、スピード感覚が全く掴めず、とにかくすごい息が上がってた(心拍数200近かったみたい)。最初の数キロはすごく辛かったんだけど,とあるタイミングから急に楽になって、いつもの調子がでてきた。本当に不思議な感覚。それ以降はかなり順調にキロ5分半のスピードが出てたみたい。エイドステーションで毎回やや止まるのは仕方ないけど、今回はとにかく水・コーラ・氷の3点を目当てにゲットして、氷はずっと手でもって体を冷ますのに使ってた。フラットな道、5.5kmを単純2往復。メタスポの連中とすれ違うのは励みになる。16km地点までほとんどペースを崩すことなく、快調に走れてた。最後は微妙に足のつりそうな感覚が出てきて厄介に思えた。僕の好きな塩飴はけっこう舐めてたんだけど、それでもゴール手前はすごく危なかった。この感覚はフルまでにはなんとか克服してないとまずいなーと。足の疲労と、塩?の欠如が原因、というのが一応の結論。結局,ランの最中に食べたのは塩ジェル一つと塩飴X5だけかな。ゴールドはあけたけど、結局全然喉を通らなかった。2時間きれるかな、とも思ったけど、ぎり及ばず。道に〇〇kmという看板がない方が逆に気分的に良いかも、とふと思った。
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まとめ
今回はゴールでうるうるすることはなかったんだけど、朝,トランジションで準備しているときに(明るくなりかけ&のりのりの音楽がかかってる状況)、あっこの感覚好きかも,とじわりと感じるところがあった。ゴールして嬉しい、だけでなく、スタートラインにたててることに感謝できるようになった、という心の変化かもしれない。
レース終わったあとに関しては,特に何も思い出がなく、むしろ15分の休憩のあと、すぐに会場をあとにして、バイクを取りに行ったり、片づけを済ませて、すぐにホテルまで自転車で向かった(2kmぐらいの道のりかな)。ホテルの部屋に着いて1時間でシャワーを浴びて、荷造りして、そしてバイクケースにバイクをしまう、という全てを無心でやった(むしろやればできるんだ!と思った)。そこから車で空港に行って、チェックイン・搭乗という成り行き。飛行機の中で、あれ?今日1日まだ何も食べてない、ということに気づく。
その他,細かいことは;往復Scootだったけど、圧縮CO2ポンプは手荷物として持っていくように言われた。あと、日焼け対策はちゃんとしよう。汗と混じって目に染みる、のは論外だし、アームカバー下でも日焼けするみたいだから、その対策もしたほうがいい。カーフスリーブは再度使ってみよう。
次回はいよいよフルアイアンマンレースだから、今まで以上にトレーニングと下準備(ウェットスーツ練とか)がシビアになるんだなー。まあ、楽しく、を一番のモットーに気長にやっていくんだろうな。頑張りましょー。
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gallery-f · 1 year
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クレプスに内側から食われるアルテミア
Clepus reproduces by eating the body of dead Artemia. This is a comparison image of Artemia swimming and Artemia being eaten by Clepus.
アルテミアとは、いわゆるブラインシュリンプです。基本3パーセント濃度の海水で孵化させます。うちのブラインシュリンプエッグは古いので乾燥しすぎで硬く、3パーセントでは孵化率が悪いのでぼくは4.5パーセントで孵化させています。
さて、スカベンジャーのコレプスをディッシュに取り、餌となる有機物を与えると爆発的に増えるのですが、今回は餌にアルテミアを与えてみました。死体ではなく、生きたものを与えます。
コレプスは淡水のプランクトン。ぼくのアルテミアは4.5パーセントの海水で孵化したプランクトンです。魚に与える前には海水をRO水で洗い流しますが、それでも少��は残っています。その証拠に、ディッシュ内のコレプスにピンセットの先にちょこっと付けたアルテミアを流し入れただけで何パーセントかは塩分にやられて動かなくなります。アルテミアはご存知の通りぴこぴこ泳ぎまくるので、ディッシュ内の淡水に海水分がほどよく混ざり合い、そのうちコレプスもアルテミアも元気に活動する均衡が生じます。
さて、前置きが長くなりましたが、アルテミアに餌を与えず何日か放置すると体内の栄養を吸収し終わって動けなくなり、死んでしまいます。死んだアルテミアはコレプスの餌となります。どこから体内に侵入するか。口か、鰓か、僕の予想は排泄口からです。いわゆる、お尻の穴ですね。アルテミアのお尻の穴は結構大きくて、ぱっかーんと開いているように見えました。
面白いのは、肛門から侵入した小さなコレプスが腸管に溜まっていたアルテミアの排泄物を餌として吸収し、透明のコレプスがオレンジ色になってまるまると太っていくんです。そして、まるまると育ちすぎた結果、アルテミアのお尻の穴から外へ出られなくなるんですね。アルテミアの外骨格は透明ですから、中で右往左往しているコレプスが見えて非常に面白い。
こういうのを見るのがぼくは大好きなので、何分でも覗いていられるんですが、アルテミアを生かしていたオレンジ色の栄養物が、死んだ後にコレプスを生かす栄養となり、アルテミアの中はコレプスでいっぱいになるんです。時たま、アルテミアの腕というか鰭が動くんですが、それは中でコレプスが出口を求めて右往左往している動きがそうさせているだけで、アルテミアはすでに死んでいるわけですね。アルテミアからコレプスに命が移っている。なんてことを感じながら、目が痛くなるまで顕微鏡を覗いています。
卵から孵化した手のアルテミアはお尻に卵の殻をしばらく付けています。おそらく、卵の殻の中にある何らかの栄養物を肛門から吸収しているか、逆に卵の中にいた頃に出来た老廃物を出しているかだろうと思いますが、この時も肛門はぱっかーんと開いている。非常に無防備なんです。孵化したては遊泳能力もなく、お尻に卵の殻をつけたままぼーっとしています。さて、生きたものには基本手を出さないと思われるコレプスですが、孵化した直後のアルテミアはよほど美味しいのでしょう、卵の殻の破れたところから肛門に侵入し、肛門からアルテミアの幼生の体内に侵入して内部がオレンジ色のコレプスだらけになっているシーンを見ることができました。コレプスに味覚はないでしょうが、美味しかったんだろうなって思います。
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